しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

April 2013

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 2011年の夏のある晩,ヘルベルト・ブロムシュテットさんの指揮するNHK交響楽団の定期公演を聴きました。
 ヘルベルト・ブロムシュテットさんは,84歳になる,NHK交響楽団の名誉指揮者です。ここ数年,演奏に深みが増して,その演奏は常に至極の喜びを味わうことができます。その指揮は,その人柄どおり,音符の1音1音を丁寧に再現しながら音楽に魂を吹き込んでいくものですが,そこから奏でられる音楽は,巨匠という名にふさわしい感動を与えます。まさに名人芸です。
 今回の曲目は,竹澤恭子さんがヴァイオリンを弾いたシベリウスの協奏曲とドヴォルザークの新世界交響曲でした。
 音楽は,心の中に沁み渡り世界を支配します。特に,この2曲は,あるときは,人間の力の及ばない無限の世界を暗示し,また,あるときは,どこかで味わったことがあろう哀愁感を呼びさますといった貴重な時間を与えてくれたのでした。

 そのような演奏に接していると,数年前の,ある思い出が蘇ってきます。
 それは,2013年2月22日,惜しくも亡くなったNHK交響楽団桂冠名誉指揮者ウォルフガング・サヴァリッシュさんの,このマエストロの演奏にあと何回接することができるだろうかとだれもが感じはじめていたころの貴重な来日演奏会のことです。ステージにその姿が現れると,まだ,演奏前だというのに,会場内は異様な感動につつまれ,やがて,シューマンの第4番交響曲の指揮棒を静かに振り下ろしたとき,最初の1音で,観客は流れる涙を止めることができなくなってしまったのでした。目を閉じると,今も,そのタクトを振り下ろすマエストロの姿が私の脳裏で再現されて,この1音が,確かに,聴こえてくるのです。
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 音楽にその生涯を捧げたとき,ミューズは,人のこころに宿るのです。あの夏の夜も,そんな静かな,そして,何物にも替え難い感動に包まれて,こころが一杯になって,家路についたものでした。
 作曲家ロベルト・シューマンは19世紀のドイツロマン派の作曲家で,4つの交響曲をはじめ,優れた音楽をたくさん残しました。晩年は不遇で,もともとの躁鬱と精神的疲労や精神障害でライン川に投身自殺を図ったものの助けられ,その後は精神病院に収容され,回復しないまま死去しました。

 シューマンといえば,奥泉光さんの書いた「シューマンの指」という小説があります。
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 シューマンに憑かれた天才美少年ピアニスト永嶺修人と彼に焦がれる音大受験生の「わたし」。卒業式の夜,彼らが通う高校で女子生徒が殺害され,現場に居合わせた修人は,その後,ピアニストとして致命的な怪我を指に負い,事件は未解決のまま30余年の年月が流れていきます。そんなある日,「わたし」の元に修人が外国でシューマンを弾いていたという「ありえない」噂が伝わり…。
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といった内容です。作品の中で,永嶺修人は繰り返し言います。
 音楽は必ずしも「音」にならなくてもよいのだ。
 本は,音を奏でることはできません。でも,この本を読んでいるうちに,どうしてもシューマンが聴きたくなる気持ちに誘われるということは,この1冊の本の中に,確かに音楽が存在しているのだといえるのかもしれません。

HaleBopp5

☆☆☆☆☆☆
 今から15年ほど前の1996年と1997年の春は,彗星の当たり年でした。
 彗星はほうき星とも呼ばれ,最も有名なものはハレー彗星です。流れ星と勘違いされて星が尾を引いてスーッと流れるように思っている人もいますが,実際は,月のように毎晩少しずつ姿と位置を変えながらじっと夜空に見えています。ただし,光が弱いので,ほとんどのものは写真で知られているような尾を引いた勇士には見えず,望遠鏡を使ってやっとその綿菓子のような淡い姿が見られるだけです。

 そんな彗星も,数年に1度,肉眼でもはっきりと見られる明るさで夜空に現れることがあります。
 私は,これまで40数年にわたって,ベネット,コホーテク,アイラス・荒木・オルコック,ハレー,レビー,百武といった,その世界に詳しい人が羨ましくなるような大彗星をすべて見てきました。
 その中でも,1996年と1997年の2年は,春先に「史上最大級」といわれた百武彗星とヘール・ボップ彗星を相次いで見ることができました。とりわけ,1997年の春に現れたヘール・ボップ彗星は,特にすさまじいものでした。
 彗星は,太陽から遠く離れた暗いころに発見された時点で明るくなると予想されても,その予想が当たったためしがないので,前評判の高かったこのヘール・ボップ彗星も全く期待をしていませんでした。その前年に,突如として現れ,天空一杯に肉眼でもはっきりと確認できるほど長く尾をたなびかせるほど巨大に成長した百武彗星が現れました。その写真を多くの人たちに配ったことから,ヘール・ボップ彗星の写真も欲しいという声が多くあったので,そのプレッシャーと夜中に起きる辛さをやっとの思いで振り切って,3月の初旬,重い腰をあげ,夜中の高速道路を東へ東へと走ることになってしまったのでした。
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 ところが,この目で見たヘール・ボップ彗星は,まだ,核と呼ばれる彗星の中心が地平線の下にあるというのに,尾だけが夜空に立ち上っていたのです。やがて核が地平線から姿を現すと,その核の明るさで一瞬夜空が明るくなるという,とんでもない状況を目の当たりにして,感激するやら涙は出てくるやらで,こんな興奮を味わったのは生まれてはじめてのことでした。
 それ以来,1997年の春は,晴れていればヘール・ボップ彗星が気にかかり,ついに,毎晩のように90キロメートルの道のりを,彗星見たさに走り回ることになってしまったのでした。

 実は,2013年の春に,パンスターズ彗星と名づけられたほうき星が,「史上最大級」という呼び声のもと,夜空に明るく輝くらしいといわれていたのですが,結果は,今回もまた「予想が当たったためしがない」ということが現実となってしまいました。ところが,2013年の冬に,アイソン彗星という名の彗星が,今度こそ,「史上最大級」で輝くらしいのです。果たして,今度こそその予想が当たるのかどうか? いずれにしても,春,梅の花の咲く頃になると,いつも,こうした出来事を思い出すのです。

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 春はあけぼの。
 やうやう白くなりゆく
 やまぎはすこしあかりて
 むらさきだちたる雲の
 ほそくたなびきたる。
   「枕草子」
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 ある時,旅先で,幸せそうにひとり旅を続ける初老の男に会いました。私はその男に,どうしてそんなに幸せそうなのかと聞いたら,「不良老人」だというその男は,私に次のような話をしました。
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 今から数年前,私はとんでもない上司のもとで働くことになりました。
 彼は,プライドが服を着たような輩でした。外向きには慇懃だったから組織から評価されていました。けれども,部下に対しては暴君でした。彼のいた職場は,どこも,彼が去るまで首をすくめて耐えていました。
 彼は,自分が気に入らないことがあるとすぐに切れました。密室によんでは,机をたたき,自分が一番偉いから言うことをきけと恫喝しました。
 裸の王様にするなと言うのが口癖でしたが,実際,彼は裸の王様でした。自分の意見を言えといつも言っていました。しかし実際は,たとえそれを言っても聞く耳をもたなかっただけでなく,その意見が気に入らないと叱りつけました。
 あるものはおびえ,あるものは距離を置き,あるものは組織を辞めました。また,別の賢いあるものは,まるで娼婦のように自分を捨てて出世のために従順に仕えましたが,その末路は哀れなものでした。
 立場のある人に訴えても,そのだれもが,普段は偉そうにしていたのに,我が身かわいさに何もしようとはしませんでした。本当に心配してくれたのは,強い立場の人たちではありませんでした。私はその人たちのおかげで救われました。
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 彼は,責任者であることをいつも自慢して「オレは責任者だ」ということばを繰りかえして使いました。しかし,本当に責任を負ったことなどただの一度もありませんでした。最も大切なことは自分の保身だけでした。そして,他人にはいつも冷酷でした。彼の言っていることは,体験から得たものではなく読んだ本の受け売りでしたし,今にして思うと,彼の行為は,実は自分の弱さと無知をかくすための精一杯の去勢でした。だから,職場が変わると,彼は,自説を平気で変えました。
 私は,人間不信になり,精神的におかしくなりました。そして,仕事を辞めたのです。
 どうして,こういった行為が現代のいじめや太平洋戦争の軍部の独走と同じ根底だということがわからないのでしょう。恐怖を感じます。そのことで,私は,地位や名誉というものの本当の姿を知りました。飲み会まで上司に気を遣い,何を恐れているのか自分の気持ちを出さず,たいして役にも立っていないのに仕事に打ち込んでいた,そんな熱病に侵されたようなこれまでの人生のはかなさに気がついて,すっかり夢から醒めました。そして,社会に幻滅しました。
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 今,自分が歳をとってみると,あの人の人生は何だったのだろうと思うようになりました。自分にかかわりをもった多くの人を不幸にして,幸せを奪って,本当に哀れな人だと思います。そして,そういう人に地位を与えた組織という社会の仕組みも信用できないと思うのです。
 私は,今,旅に出て世界を見て回ると,本当にすばらしい人とはどういう人なのかが,とてもよくわかります。自分を自分らしく,生きる喜びを味わって生活している人に会うと,私も本当に幸せを感じます。そして,真実と偽善の間に隠れた肩書きやら見せかけの権威やらがいかに虚構なのかが身に染みてわかるのです。仕事を辞めて,その結果としてそれを知ったことが,今の私の宝です。
 だから,これからも,私は旅を続けるのだし,そのことが私を幸せにするのです。
 そして,
 したくないことはしない。
 したくないことはさせない。
 したくないことはさせられない勇気をもとう。
と決めたのです。
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 私は,自分を「不良老人」だというその男の話を聞いて,その男の「しない・させない・させられない」生き方を学びました。そして,私もそうした生き方をしようと決めたのです。

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