しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

December 2013

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 では,ニューヨークを堪能したところで,次の目的地ボストンへ行きます。
 ボストンまでの行き方は,車を除くと,飛行機,電車,バスがあります。
 飛行機は所要時間が約1時間,それに加えて,搭乗までの時間が必要です。費用は,約15,000円です。電車(アムトラック)は,所要時間が約4時間,費用は約10,000円です。バス(グレイハウンド)は,所要時間が約4時間30分,費用は約3,500円です。

 飛行機は,ニューヨークの場合,ジョン・F・ケネディ国際空港やラ・ガーディア国際空港から出発していますが,ジョン・F・ケネディ国際空港の近くのホテルに滞在しているなら,ここからの便を探すほうが,当然,便利でしょう。ボストンでは,ボストン・ローガン国際空港まで行きます。
 なお,国内線に乗るときは,荷物は機内に持ち込むほうがいいです。預けると余分に費用がかかりますし,荷物を受け取るまでに時間がかかるからです。そのために,持っていくカバンは,なるべく機内持ち込みのサイズにした方がいいと思います。そのサイズは,インチで14×9×22,センチでは36×23×56です。
 電車は,ニューヨークは,ペンステーションから出発します。場所はマンハッタンの8番街31スリートです。ボストンはサウス・ステーションまで行きます。
 バスは,ニューヨークは,ポートオーソリティバスターミナルで,場所は8番街41ストリートです。ボストンはこれもサウス・ステーションに到着します。

 どれを選ぶかは,それぞれ長所と短所があるので一概には言えませんが,値段を考えると,バスは魅力的ですね。
 いずれにしても,日本で,東京から京都へ行くようなものだと思えばいいでしょう。チケットは,インターネットで予約ができます。予約なしで当日出かけても,なんとかなりますが,これも,日本と同じことです。
 せっかく旅行をしているので,いろんなことを経験するのも楽しいものですが,いずれにしても,荷物を少なくする,貴重品は身に着けることが旅を楽しむ秘訣です。

 電車の場合,サウスステーションへの列車はビーコンヒル (Beacon Hill) と南のはずれに行くのに便利なバックベイ駅 (Back Bay Station) に停車するので,この駅で地下鉄のオレンジ・ラインに乗り換えが出来ます。 また,バスの場合に到着するサウスステーションは,ボストンの鉄道や地下鉄のハブ(中央)になっています。ここから地下鉄レッド・ラインで,ダウンタウンまでものの15分で行くことができます。治安も問題ありません。
 飛行機の場合は,ボストン・ローガン国際空港に到着します。
 ボストン・ローガン国際空港は,ボストンとニューイングランド地方の主要玄関口となっており,ダウンタウンから数キロのボストンの東部にあります。
 シルバー・ラインは毎日10分から15分間隔で各ターミナルの停留所を回る低床連接バスで,時折渋滞となるテッド・ウィリアムズ・トンネルを通り,その後,バス専用トンネルを使用して,サウスステーションの地下停留所まで運行されています。  
 このように,ボストンの玄関口はサウスステーションなので,非常に便利です。
 さあ,ボストンに到着しました。
 まず,予約したホテルにチェックインをして,市内観光に出かけましょう。

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◇◇◇
  Farewell 2013.
I wish you will be a Happy New Year. 

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 ニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港は,昔は,ニューヨークへ着いた!という感動の起こる場所だったのですが,どんどんと拡張されて,今や,ひとつの空港というよりも,航空会社ごとに別々のターミナルがあって,そのひとつひとつが日本の空港くらいの大きさで,それが寄せ集められたような感じなので,正門玄関というようなところがなくなってしまいました。

 ターミナルを出ると「エアトレイン」という電車の乗り場があります。
 ニューヨークのダウンタウンに行くには,このエアトレインの利用がベストです。エアトレイン(なにか,空気電車みたいな名前ですが,ちゃんとした電車です。)のプラットホームは,1~8それぞれのターミナルにあります。これに乗るには,まず,チケットを購入します。
 チケットは,メトロカードというプリペイド式のカードが便利です。日本の「スイカ」のようなものです。発券には,発券機があって,クレジットカードも使えますが,この,クレジットカードというのが曲者なのです。
 表示に従って,クレジットカードを挿入するのですが,やがて,ZIPコードを入力しろ,と言ってきます。
 ZIPコードというのは,郵便番号ですが,5ケタしか入力できないので,どうしていいのかわからなくなります。これもアメリカらしいです。
 ZIPコードは,適当に入力してもだめです。どうやら,クレジットカードというのは,我々が知らないいろいろな情報が磁気テープに収められてるようなのですが,私は,よく知りません。
 実は,このZIPコード,日本の郵便番号の上5ケタを入力すればよいということです。JCBのホームページに書いてありました。

 メトロカードを使って自動改札を通ります。こちらの自動改札は,カードを挿入スロットに入れて滑らす形式で,日本とは違います。ホームで,エアトレインを待ちます。
 行き先がいろいろあるので,よく表示をみて確認します。
 エアトレインは,ジョン・F・ケネディ国際空港の各ターミナルを順々に停車して,そのまま,ジャマイカ・センターという名の駅(ジャマイカは国の名前でなく,ニューヨークブルックリン区にある町の名前です)へ行きます。ジャマイカ・センターまで行くものに乗って,ジャマイカ・センターで降ります。ジャマイカ・センターからは,地下鉄に乗り換えることができます。
 各ターミナルを停車していくので,ターミナルによっては,随分と時間がかかります。また,ジャマイカ・センタに一番近い1番ターミナルで降りると,レンタカー会社や空港の近くのホテルへいく無料のシャトルバスが発着するロータリーに出ます。
 したがって,空港近くのホテルを予約すると,ホテルのシャトルバスでこのターミナルまでは行くことができるのですが,そのあと,一旦,エアトレインに乗って,ジャマイカまで行って,そこで改めて地下鉄に乗り換えなくてはならないのです。
 私が,ジャマイカにあるホテルをお勧めする理由は,そこにあります。

 ジャマイカのホテルを予約してあるときは,ここで地上に出て,まずは,ホテルのチックインしてください。
 ホテルのチェックインは,インターネットで予約してある場合は,予約をした時に印刷したプリントを見せると,簡単にできます。チェックインをするときは,クレジットカードとパスポートを提示してください。フロントでキーをもらって,部屋に入ります。きっと,合理的な広さの快適な部屋が迎えてくれるでしょう。

 一休みしたら,マンハッタンの観光に出かけましょう。
 ジャマイカ・センターの駅には,地下鉄の駅と,ロードアイランド行きの鉄道の駅があります。カフェテリアもあります。よく表示を確認して,地下鉄Eラインに乗ってください。
 地下鉄Eラインは,最新式の電車で,行き先や,停車する駅は,電光の掲示板が示してくれます。東京の地下鉄よりも,ずっと,近代的です。昔は,地下鉄はおそろしいというイメージすらありましたが,今は,東京で移動するときと同じ気分で大丈夫です。
 そのまま乗っていると,Eラインは,マンハッタンの53ストリートを通り,8番街を南下して,ワールドトレードセンターまで行きます。
 あとは,思う存分,マンハッタン観光をしてください! 

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  ・・・・・・
 ボストン茶会事件は,1773年ボストンで,民衆が入港したイギリス船に乗り込み東インド会社の茶箱を海に投げ捨てた事件である。
 当時,イギリスの北アメリカ植民地では1770年のタウンゼント諸法の撤廃後も茶税のみが残され,73年には新たにイギリス東インド会社の植民地での茶の販売独占権を与える茶税法が制定された。茶は植民地の人たちにとって,イギリス本国の重商主義的圧制のシンボルであったのだ。
 そして1773年10月から茶税法による東インド会社の茶を積んだ船が植民地に到着しはじめると,民衆は集会を開き,茶を陸揚げせずに本国に送り返すよう要求した。イギリス総督はこれを拒否し,茶を積んだ東インド会社の貿易船はボストン湾での停泊を継続した。
 1773年12月16日,サミュエル・アダムスを中心とする50人ほどのボストン市民がインディアンに変装して,停泊中の船を襲撃,「ボストン湾をティーポットにする」と叫びながら,紅茶がいっぱい詰まった342箱の茶箱をボストン湾に投げこんだ。植民地の人たちは「ボストン茶会を開いた」と冗談を言った。
 この事件を機に,イギリス政府はボストンを軍政下に置き,植民地側はフィラデルフィアでイギリスとの経済的断交を決議,こうした情勢の中で,レキシントン・コンコードの戦いが勃発して,独立戦争の幕が切って落とされたのである。
  ・・・・・・

 私は,水族館から遠回りしてたどりついたが,実は,後から考えると,ファニュエルホール前のコングレスストリートを直接1キロくらい南に行けば,ポートポイント運河に架かるコングレスストリートブリッジにたどり着く。
 いずれにしても,この橋のたもとに,ボストン茶会事件の船と博物館がある。
 ネットで検索すると,このボストン茶会事件の船と博物館は火災のため休館中とかいった情報がたくさん出てくるが,実際は2012年6月から再開している。本当に,調べれば調べるほどネット上の正規の旅行会社の情報サイトには,誤りや「がせねた」が多いと感じる。一度記入してから更新しないままのもの,投稿した原稿の真偽のチェックのないものが多いからである。旅行するときは,必ず,その博物館の公式サイトでチェックする必要がある。

 この博物館に行くときは,少しでも多く,ボストン茶会事件について勉強してから訪れると楽しさが倍増するに違いない。
 たとえば,日本に「赤穂浪士討ち入り博物館」とかいうものがあったとする。まず,観光客が案内されるのは,討ち入り前に浪士の終結した場所である。そこで観光客がそれぞれその事件に関与した歴史上の人物になって,役者さんが大石内蔵助やら堀部安兵衛に扮していて,その演技をみながら,一緒に劇をするのである。そして,そのあとで,一緒に吉良邸に討ち入って,吉良上野介を打ち取り,そのあとで,博物館で展示をみたり,映画を見たりする…。
 まあ,そんな感じだ。だから,観光客も指名されたら一緒に演技をしたり,宣言文を読み上げたりしなければならない。
 この博物館はそのようなところであった。

 入口で入場料を払って,博物館に入った。当時の服装を着て,サミュエル・アダムスに扮したスタッフが,まず,我々を集会場に案内した。
 私の参加したショーは15人程度の人たちであった。それぞれが,ボストン茶会事件に参加したボストン市民のだれかに扮することになった。私は,サミュエル・ピッツという役を与えられた。セリフのない,無名の役である。
 パンフレットから,少し引用してみよう。
  ・・・・・・
 この博物館で、あなたは今まで経験してきたことのない有名は事件の一員となることができます。実際に演技をする俳優さんや,ハイテクを尽くした装置と魅力的な展示,忠実に復元された茶船,そして,多感覚のドキュメンタリーは、あなたが,今まさにそこにいるかの錯覚におちいることでしょう。
 1773年12月16日,その運命の夜に,ポール・リビエラとサミュエル・アダムスとともに当時やったのと同様にボストン市民となって船からお茶を海に投げ捨てましょう。
 さらに,この博物館を見た後で,実際にティールームでくつろぐこともできますし,お土産用のギフトショップもあります。
 この博物館では,すべての年齢の方に,見逃すことのできない貴重な1時間の経験をお約束します。
 では,1773年の歴史的な出来事に俳優さんと一緒に参加しましょう!
  ・・
 入口を入ると,18世紀のボストンの入植者に扮した皆さんは集会所に入って,1773年12月16日の夜の話を聞いてください。そして,グリフィンズワーフへの行進が始まる前に,あなた自身も「モヒカン変装」をすることになるでしょう。
 さあ,次に船に押し入って,あなたもこの歴史的な出来事の一員として愛国者と一緒にお茶を海に捨てる準備をしましょう。復元された船は忠実に再現されています。この船はイギリス船ではなく,実際にはアメリカ人が所有していたのですが,彼らがロンドンからボストンへ運んでいたお茶の貨物は英国東インド会社が所有していました。この「エレノア」と名付けらた船はボストンの商人ジョン・ロウが所有するいくつかの船のひとつでした。
 その次に訪れるのは博物館です。この博物館は,3Dホログラフィックをはじめ,最高の高精細技術を経験することができます。そして,ビデオは信じられないほど現実のように見える壮大なイメージを作成しています。あなたは,実際に1773年のボストン通りにいるかのように感じられるでしょう。あなたが手を差し伸べると,まさにそれらに触れることができるかのようです。
 アメリカの歴史の中で最も重要なイベントのひとつ独立戦争を再現しました。この魅力的な,そして,多感覚映画の中で,あなたはその時代を体験できるでしょう。疾走する馬の感覚を感じ,マスケット銃の発射と兵士たちの田園地帯の行進。爽快で楽しい臨場感。
 きっとあなたは息を殺して,この体験を記憶することになるでしょう。
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 きょう,デジカメに使うSDカードを買ったの。
 電気屋さんに行ったら,すごくたくさんのいろんなメーカーのものが並んでいて,どこがどう違うのかさっぱりわからないわけ。一応,持っているデジカメの説明書に書いてあったメーカーのものを探したんだけど,同じメーカーでもいろんな種類があって,違いがよくわからなかったので,店員さんに聞いてみたの。
 ところが,店員さんもよくわからないんだ。箱に書いてあった性能を読んでも,どちらかというとこっちの方が少し性能がいいなあと思う方がずっと値段が安いのね。意地悪して,店員さんに,「どっちの方が安いと思う」って聞いたのね。そしたら,店員さんも高い方を示して,こっちの方が安いんじゃない? っていうわけ。
 店員さんが分からないものを,私がわかるわけないじゃないの。結局,安い方を買ったんだけど,家でネットで調べても,やっぱり違いがわからないのね。
 メーカーさん,こんなわけのわからないもの販売しないでよ。ほんとに日本のメーカーってお客さんにわかるように売る気あるのかしら,って思ってしまうよね。とにかく,よく似た製品が多すぎるのよ。


 今年の紅白歌合戦にあまちゃんコーナーができるって,NHKのニュースで言っていたわ。私は,紅白歌合戦って,生まれてから見たことないから興味ないんだけど,あまちゃんは興味があるから,録画してあとであまちゃんコーナーだけみることにするわ。
 それにしても,NHKもニュースでそんなことを報道するっていうことは間違っていると思うけど。ただの宣伝じゃない。最近のNHKって,視聴率にこだわりすぎて,少し変だわね。それにしも,紅白歌合戦って,どうして,プロの歌手がそれもNHKが演出したとおりに歌うのに,勝ったとか負けたとか競うのかしら。とても日本的ね。私は,1時間30分くらいずつ3つに分けて,若い人向けコーナーと80年代懐かしのフォークソングコーナーとド演歌に分けたらいいと思うわよ。
 でも,あれだけあまちゃんあまちゃんって大騒ぎしてるのに,八重の桜は,もう無かったことになっているみたいで,綾瀬はるかさんかわいそう。私は,つまらなくてというかむずかしくて見てなかったけどね。


 来年の国の予算案が決まったって新聞に書いてあったわ。大体,おうちの収入が500万円しかないのに1,000万円使おうとするのが無理なのね。でも,国はおうちと違ってお金が借りられるからいいわよね。来年は,借りる(国債)代わりに消費税とかいう名前でもらうんだって。借りたお金を踏み倒すのと同じことね。頭のいい人はやることが違うわね。
 物わかりのいい国民はお金がないんだから消費税あげても仕方がないって信じちゃうんだもの。
 おじいちゃんは,昔,10万円で足りなければ8万円でやれるようにしろ,と言っていたけど,それが正しいと私は思うわ。足りない足りないといって増やしていってもキリがないのよ。「必要なもの」っていっても,何が必要か,なんて結局はわからないのよ。それが人間なのよ。どうしてそんなこともわからないのかしら。



 国際宇宙ステーションが故障した冷却システムの修理を無事に終了したわ。映像を見ていると,こないだ見た「ゼログラビティ」といういう映画を思い出してしまって,心配になってしまったわ。でも,あれは現実じゃないしね。
 でも,クリスマスイブに船外活動をするなんて,ハップル望遠鏡の修理以来というから,宇宙飛行士さんたちも大変ね。
 そういえば,おじいちゃんが,昔,アポロ8号がクリスマスに人類初の月周回をしたんだって言ってたわ。その時,宇宙飛行士が聖書を読み上げたんだって。人は傲慢だけど,自然の前には謙虚になるのよね。
 月から戻るとき,ラベル飛行士は,月にサンタがいたって交信したんだって。これは,地球への帰還を決めたエンジン噴射の成功を表現した気の利いたジョークだったということよ。
 きっと最高のクリスマスプレゼントだったのでしょうね。
  ・・・・・・
 Houston:Apollo 8. Loud and clear.
 Lovell:Roger. Please be informed there is a Santa Claus.
 Houston:That's affirmative. You are the best ones to know.
  ・・・・・・


 マクドナルドが女性向けの新製品を出すんだって。今度はヘルシーメニューなのだそうよ。
 それにしてもマクドナルドも魅力がなくなったわね。なんか中途半端なのよ。朝ごはんの代わりに行こうとも思わないし,お昼には高すぎるし,おやつにハンバーガー食べたくないしね。サイドメニューもいまいちね。フライポテトなんて油の塊みたいだし,マロンパイやアップルパイではケーキの代わりにならないわ。ヤフーBBに入っていなければ,アメリカみたいにWifiが自由に繋がるわけでもないし,以前のようにコーヒーのお替りができるわけでもないし。おまけのおもちゃもイマイチだしね。
 私は,マクドナルドへ行くくらいなら,ミスタードーナッツに行くわ。ドーナッツ1個とカフェオレで,のんびりとネットでもやってれば素敵なおやつタイムだしね。カフェオレだっておかわり自由だしね。そうそう,ミスド福袋っていうのが木曜日から始まったのよ。わたしもスヌーピーのフェイスクッションを手にいれてこようっと。
 じゃあ,よいお年を。
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DSCN2975sDSCN2979DSCN2981sDSCN2982s どうしてもボストン・ティー・パーティへ行きたかったので,ファニュエルホールからどのように行けばよいかを,地図を見ながら考えた。
 32年前に,ボストンに来たときに,私は,ボストン・ティー・パーティという言葉さえ知らなかったことに衝撃を受けた。世界史を学校で勉強できなかったことがこれほど恥ずかしかったことはなかった。そのとき,しみじみ,知らないということの恐ろしさを知ったし,当時通学した学校で世界史を学べなかったことを,私は悔いた。その後,世界史の教科書を購入して勉強した。
 だから,ぜひ,このボストン・ティー・パーティに行きたかった。しかし,今回は,そこに行くまで,このボストン・ティー・パーティの事件があった場所がボストン茶会事件船と博物館というアトラクションになっていたことを知らなかった。
 まず,ボストン・ティー・パーティの場所すらわからないのだった。
 海に面してあるはずなので,地図でそれらしきものを探した。フリーダムトレイルとはちがって,地図にも目だって書いてなかったので探すのに苦労したが,やっと,ダウンタウンから東に行ったウォーターフロント地区からポートポイント運河を南に行った2つめの橋のたもとに,ボストン・ティー・パーティ・マーカーという表記を見つけた。

 そこへ行くには,ファニュエルホールから歩くと,かなり距離がありそうであった。
 そこで,まず,地下鉄に乗ろうと考えて周りを見渡すと,歩道に「T」というマークの標識があるのに,地下鉄の入口が見当たらないのだった。実は,地下鉄の駅は,旧州会議事堂の1階にあったのだが,そんな建物の1階にあるとは知らず,私は地下鉄の入口が探し出せなかった。 
 そこで,港に面したウォーターフロント地区自体は,ファニュエルホールから東に200メートルも行けば着くので,とりえずそこまで歩いて,あとは,すこし距離はあるが海沿いに歩いていけばいいと思い,ウォーターフロント地区まで歩いて行くことにした。

 ウォーターフロント地区には,ニューイングランド水族館がある。
 それほど大きな水族館ではないが,1階から4階までを円筒形の巨大水槽が貫いている構造になっているということだ。
 ガイドブックによると,まず,ペンギンのプールをぐるっと回って,その後,水槽の周りのせんじょうの通路を1階から4階まで順番にみて行く,そして,最上部へ行くと、巨大水槽を上から見下ろすことが出来る、という構造になっているとのことである。また,この水族館のすぐ近くからはホエールウォッチングの船も出ている。
 この日は,観光客や夏休みの子供たちで,このウォーターフロント地区はにぎわっていた。
 しかし,私の目指す先は水族館ではなく,ボストン・ティー・パーティである。そこから海岸沿いに,結構な距離を歩いて行くと,やっと,ボストン・ティー・パーティの船が見えてきた。
 そこがボストン茶会事件の船と博物館というものであった。

◇◇◇
2013年もあと5日です。私は,今年はいいことばかりでした。
ボストンでグリーン・モンスターくんとツーショットを撮りましたし,この冬は,なんと,くまモンともツーショットを撮りました。
聞くところによると,この秋,くまモンはボストンに行って,グリーン・モンスターくんとフェンウェイ・パークでキャッチボールをしたということなので,何の因果なのか,おかしく思っています。
このブログには私の写真を載せない方針なので,ツーショットの写真をお見せできないのが残念です。
来年もいいこと続くといいなあ。
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 「ゼロ・グラビティ」(Gravity)という映画を見ました。予告編を見て,どういう映画なのか興味があったので見にいったのですが,感想は,人間が生きることに救いがないように,この映画も救いがないということでした。
 私は,こうしたタイプの映画が好きです。はじめから最後までこういうことはあり得ないとか,中国の宇宙ステーションは実際にはない,といったことがわかるので,それらを含めて非常に楽しめましたが,そういったことに興味のない人が見たら,どういった感想を持つのかが気になります。クリスマスにカップルで見る映画ではないです。

 それはそうと,宇宙開発は,実際には,こうした危険とは隣り合わせで,これを非常に綿密な科学技術や工学を駆使して克服して作り上げた乗り物に,それとはまったく対照的な人間がそれを使いこなすことで成り立っているわけで,そうした意味でも,非常に興味のある魅力的な分野だと思います。
 現代社会は,このように,高度に発達した科学技術なくしては存在しないわけですが,私は,経済や教育の分野にこうした科学技術を応用するときに,どうして,こうも非科学的な利用をするのかいつも不思議でなりません。

 経済の分野では,数年前のリーマンショックで有名になった「金融工学」というものがそれです。こういったものに,コンピュータを利用して日々の相場が過剰に変化し,単に数字を操るだけで,莫大な利益が生まれたり,消えたりするのは,もはや,健全な資本主義社会とはいえないでしょう。

 教育では,偏差値教育がその代表です。もともと,偏差値というものの前提となっている正規分布をしていない分布にこれを利用すること自体が無意味であるのに,ある特定の業者が行うテストの結果をその生徒の偏差値と称して,これを個人の能力であるかのように順位づけて,しかも,それをもとに大学の合否の予想に使う,などと,まともに考えたら全くナンセンスなことが蔓延しています。
 また,これを教育と錯覚しているのだからどうしようもありません。
 それに加えて,教育の世界は旧態然とした権威主義のもと,科学的な検証もなく,思い付きだけで教育改革と称して,日々,変更につぐ変更がなされているのです。

 このように,人間社会も救いがないのですが,この映画では,科学技術も救いがないということを描いてしまったがために,私の精神は行き場をなくしました。
 これが,私が「コンタクト」や「アポロ13」という,科学映画でありながら人間賛美の映画とは全く違った印象を持った理由です。
 いずれにしても,この映画で描かれた,人間の力の及ばぬ無重力のシーンや宇宙の美しさは特筆すべきものですが,これも,人間が現代の科学技術で作り出したものであるというのは,まさに,皮肉なことです。
  ・・
 なお,この映画の最後に地球が出てきますが,このシーンは,アリゾナ州のパウエル湖畔で撮影されたもので,この湖はグランドキャニオンの近くにあります。
 私は行ったことがありますが,美しく雄大な湖です。
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Merry Christmas 2013!
◇◇◇

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 行きは,まず,ニューヨークに向かいます。はじめて旅行する人は,直行便がおすすめです。成田からは直行便が便があります。
 どうしても乗り換えが必要な人は,乗り換えるために少しだけ覚悟を決めてください。
  ・・
 出発は,空港のカウンタで搭乗券を受け取り,荷物を預けるだけです。もちろん,日本の空港は日本語が通じますから,どうにでもなります。
 機内では,入国で必要な書類を1枚書く必要があります。税関申告書です。
 機内で,客室乗務員が配っているので,日本語のものを受け取って記入します。書き方は,市販の旅行ガイドブックに書いてあります。以前は,入出国カードも書く必要もありましたが,ESTAになって不要になりました。
 機内では,食事と飲み物が出ます。食事はビーフとチキンを選ぶとかいった選択肢があるので,あらかじめメニューを見て決めておくとよいでしょう。飲み物も好きなものを選択できますが,発音が悪く通じないときは,あきらめて,出たものを飲んでください。お薦めは「コーク」です。たいてい通じますから。
 あとは,ごゆっくり。到着後の時差ボケが心配なら,出発した時点で,現地時間にして過ごしましょう。

 離着陸の時だけは,電波を出す電子機器の使用ができません。私はカメラはいいと思うのですが,カメラもダメだという客室乗務員もいます。私は,そういうことを言う客室乗務員は単に機械音痴なだけだと思うのですが,近頃は,どこまでが電子機器か区別がつきかねるようになってきました。
 機内のトイレは,客席の数に比べて少ないので,食後と到着前は混雑するので,その時間を避けるのがよいでしょう。
 乗りなれていないと,機内は8時間くらいまでは快適に過ごせるのですが,そのあとの数時間が退屈します。私は,ノイズリダクションのついたウォークマンを聞いて過ごします。こういうときに,クラシック音楽は重宝します。

 さて,いよいよ到着です。
 飛行機を降りるときは,出口で客室乗務員が微笑んでくれますから,嬉しそうに「サンキュー」と言いましょう。
 空港では,「バッゲジクレイム」という表示にしたがって進みます。降りた人はみんな方向に行くので大丈夫です。空港の係官が一見怖そうですが,気にしないように!
 荷物は,たくさんあるコンベアのうち,到着便の表示をさがして,そこで待ちます。預けた荷物を受け取ったら税関を通り,税関申告書を渡します。アメリカでは何事もなく,通過できることでしょう。
 私は行ったことはないので,聞きかじりの知識ですが,ドイツのフランクフルト国際空港は,ここが鬼門だそうです。カメラ,パソコンなど,高額(それほど高額でもないと思うけど)なものを持ち込むときにちゃんと申告しないと,没収されるらしいです。

 国内線に乗り換えるときは,ここでまた,荷物を預けます。
 ここでも怖そうな係官が目をぎらぎらさせて立っていますが,別に逮捕されるわけでもないし,実際は怖くないので,心配しないでください。
 そのあと,入国審査があります。
 並び口は,アメリカ人とそれ以外があるので,間違えずにビジターのほうに並びます。少し,待ち時間があります。自分の番になったら,なんとかここだけは英語で頑張ります。自力で通り抜けなくてはなりません。
 聞かれるのは,旅行の目的と期間です。
 「サイト・シーイング,アバウト・ワン・ウィーク」
と言いましょう。まあ,それでなんとかなります。
 そのあとで,指を器械につけろとかカメラのほうを見ろとかいうのがありますが,前の人のするのを見ておけば,これもなんとかなるでしょう。
 これで,いよいよ入国が完了しました。

 ここがニューヨークなら,そのままダウンタウンに向かいます。乗り換えの場合は,ここでまた,国内線の出発ロビーに行くことになります。方法は次の通りです。
 国内線に乗り換えるために,空港のセキュリティを通ります。
 アメリカでは,靴を脱ぐ必要があります。ベルト,財布も身に着けていては駄目です。忘れずに時計も外してください。
 うっかりと外し忘れて通るとちょっと大変なことになります。
 しまった,腕時計が… では許してもらえません。
 外したものと手持ちのバッグはトレイに入れます。
 昔は,ここでフィルムがX線に感光するとか大変だったのですが,今はデジカメなので,大丈夫です。
 デジカメも,高画素のものは,受光素子がX線で破壊されるとかいうことを読んだことがあります。確かに,厳密にはそういったこともあるでしょうが,気にすることもありません。
 ここで,盗難に気を付けてください。
 セキュリティを通過すると,出発フロアに出ます。
 アメリカでは,国内線と国際線がおなじフロアだと驚いた人がいますが,アメリカ人には,世界=アメリカなので,驚くほどのことはありません。
 空港はどこも広いので,まず,ディスプレイで自分の乗る飛行機の出発時間に遅れがないか,搭乗ゲートがどこなのかを確認します。場合によっては,搭乗ゲートまで,空港内のバスに乗ったり,地下鉄に乗ったりしないといけない場合もあります。
 時間まで,好きなことをして過ごしますが,時間つぶしができるように,何かを用意していくといいと思います。空港の売店には,数独がたくさん売られています。
 時間になったら搭乗ゲートに行きますが,英語で,はじめにハンディのある人と子供が案内され,次にビジネスクラス,というように案内されるので,英語が聞き取れなくても,あせらず,他の人が乗ってからゆっくりと乗り込みましょう。
 さあ,ここからはアメリカの国内線です。日本語はまったく通じないので,ちょっと心細くなるかもしれませんが,何とかなります。機内では,飲み物とスナックが配られます。好きな飲み物を頼みましょう。スナックも,プリッツとピーナッツを選択しますが,両方ほしいと言えば,きっと両方くれますよ。
 さあ,いよいよニューヨークです。

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Happy Christmas Eve 2013 !
◇◇◇

アメリカでは多くの地域でホワイトクリスマスイブを迎えました。
カンザスシティは華氏7K(マイナス13度)。
ノースダコタ州ビスマルクは華氏マイナス22K(マイナス30度)でした。
しかし,ニューヨークは異常な温かさで華氏62K(18度),Tシャツで過ごせたそうです。

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  ・・
 日本の暑い夏,特に今年は超異常でした。
 狭い日本,そんなに急いでどこへ行く,という言葉がありましたが(現在は死語でしょうか?),それでも,海へ山へと出かける人たちで道路は大渋滞です。 
 アメリカも夏は暑いですけれど,日本ほどでははありませんし,都会は人も車も多いのですが,それでも広さという特権があります。
 美術館や博物館も,東京のように人の頭を見ているだけ,なんていうことにはなりませんし,ベースボールだって,鳴り物だらけでうるさい日本の野球とは違って,とびっきりのプレイがまったりと楽しめます。
 また,少し郊外へ出れば,まさに満天の星が見られますし,雄大な景色も楽しめます。森と湖のリゾート地もたくさんあります。
 日本にあって,アメリカにないものは,奈良や京都の歴史くらいのものでしょう。
 さあ,人だらけ渋滞だらけ,ゴミだらけの日本から飛び出して,来年の夏は雄大なアメリカに行ってみませんか?
 今は,一部の地域を除けば治安もいいので,東京へ行くのと気分は大差ありませんし。

  …というわけで,日ごろから行きたいなあ,と思っているけどいったことがない,はじめて旅をする人向けに,ただし,車の運転はちょっと,という人でも大丈夫なように,公共交通機関利用して,ガイドブックには書いていない損得なしの方法で,私の独断と偏見で,アメリカの旅行術をお教えしましょう。私からのクリスマスプレゼントです。
 インターネットで検索すると,さまざまなツアーが掲載されていますが,どれも,当然利益目的の会社のサイトです。ここでは,そういったこととは一切関係のない情報を書いてみたいと思います。

  はじめてアメリカに行く人にお薦めする行き先は,この夏私が行ったニューヨークとボストンです。
 ニューヨークは東京,ボストンは京都と思ってもらえばいいです。
 必要な予算は,新幹線と飛行機の違い,つまり旅費の違いだけだと思ってください。シーズオフなら驚くほど安く行くことができます。日本国内を旅行するもアメリカを旅行するも滞在費や食費にそれほど違いはありません。それどころか,昨年のような円高ならば,ものすごく安く旅行することができました。
 私は,1ドル100円くらいでちょうど同じくらいだと思います。ただし,ニューヨークやボストンといった大都市だと物価は少し高いです。
 到着するまでの時間は,当然,東京や京都へ行くよりもたくさんかかりますが,それでも,夜行バスで国内を移動することを思えば,思ったほどの差があるものでもありません。

 では,準備から始めます。
 まず,航空券を入手します。
 今や,航空券は,インターネットの航空会社のサイトで簡単に買えます。デルタ航空やユナイテッド航空のサイトから日本語で購入できます。それでも難しい人は,HISとかで,行きはニューヨーク,帰国便はボストンからというのを手に入れてください。できれば6泊8日くらいあれば日程に余裕があります。
 次に必要なものは,当然,パスポートです。
 それに加えて,日ごろ日本では使っていない人も,クレジットカードが絶対必要です。
 現金は20ドル紙幣で10枚くらいあれば十分です。100ドル札はやめましょう。受け取ってもらえなかったりするので,困ります。トラベラーチェックとかそういう旧時代的なものを持っていくのはやめておきましょう。現地で使えなくて困ります。
 そして,出発するまでにESTAに登録するのを忘れずに行ってください。ESTAはビザなしでアメリカに入国するときに事前にインターネットで登録することです。詳しくは,インターネットのESTAのサイトを見てください。万一に備えて,旅行保険にも絶対に入っておきましょう。
 これだけです。

 服装は,できるだけカジュアルにして,荷物は極力減らします。
 夏ならTシャツとGパン,サンダル履きがベストです。着飾ると空港のセキュリティで困ります。それとヨットパーカーとスニーカーを1足持っていきましょう。
 iPodtouch を1台持っていくと,メールもできるし目覚まし時計にもなるし音楽も聴けるし写真も写せるので便利です。アメリカでWifiを利用するのに特に何かの契約をする必要はありません。Wifiはホテルやマクドナルドなどで無料で使えます。
 電話なんて現地でかけないでしょうから,携帯電話は不要です。
 何かあった時は日本語がわかるクレジットカード会社か旅行保険会社のヘルプを頼りましょう。アメリカにはまだ公衆電話もあるし,ホテルからでも市内通話は無料です。また,ニューヨークにはクレジットカード会社や旅行保険会社の営業所があるので,何かの時は,日本語でなんとかなります。
 日本食とかかさばるものは持っていくのをやめましょう。
 持ち物は以上です。

 次に,宿泊するホテルをインターネットで予約します。予約は,ブッキング・コムとかエクスペディアといったサイトが便利です。
 もし私が行くのなら,ニューヨークでは,ケネディ国際空港に近いジャマイカという町の「クオリティーイン・ジャマイカ・エア・トレイン」,ボストンでは,今年私が泊まった「ミルナーホテル・ボストン・コモン」を予約します。なにかと便利です。

 準備はこれですべて終わりです。
 では,いよいよ勇気を出して出発しましょう!
 人生に必要なのは,プライドと常識をすてること,そして,ほんの少しの勇気です。

DSCN2969ファヌエルホールとアダムスDSCN2970DSCN2971s ファニュエルホールマーケットプレイスというショッピングモールがあって,あたりは公園や広場にもなっている。ファニュエルホールは,このマーケットプレイスの入口に位置する。そして,ビジターセンターはファニュエルホールの1階にある。
 地図には,ビジターセンター,ファニュエルホール,ファニュエルホールマーケットプレイスと書かれているが,こういった固有名詞は,知っている人にはなんということもないが,知らないとどういうことなのかよくわからないことが多い。実際,ビジターセンターはファニュエルホールの1階にあるということが書かれていないので,非常に分かりづらい。
 
 町の波止場だった所に 裕福な貿易商ピーター・ファニュエルがボストンに寄贈した商業用兼集会場用のホールとしてファニュエルホールが建ったのは1742年のことであった。
 1764年から1774年までここで住民集会が開かれて,植民地にかけられた様々な税にサミュエル・アダムスが抗議の叫びをあげたのはすでに書いた。このホールの正面にはアメリカ建国の父といわれるサミュエル・アダムスの銅像が立っている。
 建物の屋根の上には風見のためのバッタが設置されている。バッタは明るい未来を導く幸福の象徴とされている。独立戦争当時,アメリカ側の兵士たちは「マニュエルホールにはなにがいる」「もちろんバッタだ」と答えることを敵味方を区別する合言葉に使っていた。
 私は,ここのビジターセンターで,やっと,ボストンのわかりやす地図を手に入れることができたのだった。
 また,隣のファニュエルホール・マーケットプレイスは,ショップやレストランがひしめき合って,多くの観光客でにぎわっている。

 私は,32年前にボストンに来た時に十分見学ができなかったボストン茶会事件の船と博物館,そして,ボストン美術館へ行きたかったので,ここでフリーダムトレイルから離れることにした。
 よって,この先のフリーダムトレイルについて,手元にある資料から紹介しておこう。
 ここから先は,少し歩く必要がある。
 まず,ファニュエルホールから北に800メートルくらい行ったボストン最古の住宅街であるノースエンドに,ポール・リビアの家がある。1680年築の屋敷をリビアが買い,1770年から1800年にかけて家族と住んだものが修復され公開されているということだ。
 さらに道なりに3ブロックほど北に行くと,オールドノース教会がある。1723年創設のボストン最古のキリスト教会は今も現役で,建物内部の箱型の座席も当時のままで残っている。また,美しいジョージア風建築の教会には乙女の鐘楼というアメリカ最古の鐘やジョージ・ワシントンの胸像がある。
 ここから北に,チャールズリバーにかかるチャールズタウンブリッジを渡り,さらに800メートルほど北に行くと,バンカーヒル記念碑がある。1843年除幕の方尖塔は,高さが66メートルあって,これは,独立戦争の最初の大きな戦闘バンカーヒルの戦いを記念するものという。ここを見学するには,タワー内にはエレベータがないので294の石段を登ることになる。

 これで,フリーダムトレイルは終わりだ。ここまで見学すると,約4時間かかる。帰りはそのまま4キロの道のりを戻ることになるので,チャールズタウン・ネイビーヤード(チャールズタウンブリッジのたもと)まで戻って,ここに停泊している米国船コンスティテューション号を見学してからインナーハーバーフェリーに乗って,ニューイングランド水族館まで戻るとよいと思われる。
 水族館からは,ボストン茶会事件の船と博物館に行くこともできるし,地下鉄ブルーラインのアクアリウム駅もある。

◇◇◇
楽天イーグルスがニューヨーク・ヤンキースからケビン・ユーキリスを獲得しました。アンドリュー・ジョーンズといい,現役大リーガーとしてテレビで見ていた選手が日本に来るのは,楽しいものです。
ケビン・ユーキリス選手は,ボストン・レッドソックスの中心選手だったのですが,ボビー・バレンタイン監督と折り合いが悪く,ヤンキースに放出されました。個性的なフォームで有名です。
私は,アンドリュー・ジョーンズ選手は日本で活躍できるかなあ,と心配だったのですが,成功しました。はたして,今回はいかに?
ちなみに,ケビン・ユーキリス選手のおじさんはニューヨークでレストランをやっています。お店は
 Edward's Reataurant
 143 West Broadway, NY, NY 10013
です。ニューヨークへ行く機会があったらどうぞ。 

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 阿蘇の自然は雄大でした。特に,阿蘇山上から東登山道を北にJRの阿蘇駅に向かう道路は日本とは思えないほどでした。私は,ノースダコタ州のセオドア・ルーズベルト国立公園を思い出しました。
 また,JRの阿蘇駅を越えて,国道212号線をさらに北に走ると,大観望展望所に行くことができますが,この展望台から眺めた阿蘇山麓は,この辺りで最高の景色だと思います。
 私は,ここで,雄大な夕日を眺めることができました。
 さらに,阿蘇から国道57号線を東に走ると,滝廉太郎の「荒城の月」で有名な竹田市へ行くことができます。そこから国道442号線を北西に走ると,北に久住高原を眺めながら,これも日本離れした高原道路をドライブすることができます。
 私は,ここを走ったとき,夏に行ったニューハンプシャー州を思い出しました。
 このように,九州の中央部は,阿蘇山を中心に,広大な風景が広がっていて,きっと,アメリカを走ったことがない人は,この雄大さに魅了されてしまうことでしょう。

 私は,今のようにアメリカを旅行することの面白さを知らなかった若いころ,さんざん北海道をドライブしました。おそらく,北海道の国道で走っていない道はないと思います。
 その頃にも思ったのですが,このように日本にもすばらしい風景があるのです。その風景を観光地に活用したり,人が訪れたときにいつまでも感動できるように保存したりしていけば,どれほど素敵なことだろうかと思います。
 ところが,どうも,この国の人は,そういった風景を台無しにすることが得意のようです。
 北海道も,足を運ぶたびに,どんどんと開発されて,意味のない道路ができ,道路ができると広告やら看板やらができ,その景観に調和しないホテルができてきて,汚くなってきたことが残念でなりませんでした。

 アメリカの国立公園には,きびしい法律があって,自然を残すために多くの規制があります。また,訪れる人にも多くの義務があります。すべてを比較することはできないのでしょうが,私は,日本ももう少しなんとかならないものなのかと思うことが少なくありません。
 阿蘇も,確かに,日本の中では美しく雄大でしたが,この地におそらくはバブル期に作られたのであろうリゾートホテルひとつをとっても,その地に調和しているとは思えませんでした。また,あと,数十年もして,運悪くそのホテルが活用されなくなったときに廃墟となってしまった状態を想像すると,ぞっとしました。
 
 たとえば,琵琶湖大橋を東から西に渡ったところに,今は使われなくなった観覧車がさびたままその虚勢を誇っていることを知っている人は多いことでしょう。これまでに作られて廃墟となってしまったテーマパークが全国のあちらこちらにあって,まるでお化け屋敷のようになっています。
 すでに書きましたが,日本では,道路ひとつにしても,景観などまるで度外視して,標識やらガードレールを設置したり,家を建てる時も,それぞれの家は素敵なデザインであっても,そのそれぞれがまったく周囲と調和なく作られてしまうのは一体どうしてなのでしょうか。

 日本には「借景」という考えがって,京都のお寺を訪れると,お寺の庭と自然が一体となってその美しさを引き立たせています。そういうことができるのに,どうして,街づくりをするときには,そうした考え方ができないのか,私にはずっと不思議でなりません。
 きょうの写真をご覧ください。日本にもこんな雄大ですばらしい風景があるのです。
 私は,建築学は全く知りませんが,そういった景観に対する研究はされているのでしょうか。
 私は,日本を旅するたびに,どうしてこの国は自然を大切にしないのか,不思議でなりません。そして,やっぱり,日本では雄大な風景を期待して旅をすることを期待してはいけないんだなあと,残念ながら感じてしまうのです。
 私は,ものすごく悲しくなりました。それと同時に,アメリカの手つかずの自然が,これまで以上に素晴らしく思えてきました。
 五大湖のクルーズ,ロッキー山脈,… どうして,それらは,あれほど雄大で心を打つのでしょう。

◇◇◇
今年も年末。各地でベートーヴェンの第九演奏会がはじまりました。
今年のN響は,偶然にも私が夏にボストン郊外のダングルウッドのコンサートで聞いたエド・デ・ワールドさんの指揮でした。
数年前の第九で,第3楽章でそのときの指揮者とオーケストラのテンポが合わず,指揮者が1小節で演奏をストップさせたというハプニングがありました。このように,近年の第九は,スピード競争,指揮者の早いテンポとそうはさせじと抵抗するオーケストラのテンポのしのぎあいが聴きものだったのですが,今年は,そうしたこともなく,落ち着いた第九になりました。毎年,個性豊かな第九が演奏されるなか,久しぶりの昔流の第九を聴いた気がしました。
私は,かれこれ40年も前,最晩年のローゼンストックさんの指揮で,できたばかりのNHKホールで第九を聴いたことがあります。それ以来,もう一度,と思いながら演奏会場で聴く機会がありません。残念だったのは,2011年のスクロバチェフスキーさんの第九。あれは行くべきでした。近年まれにみる名演でした。
2015年からパーボォ・ヤルヴィさんが首席指揮者に就任するので,彼が第九を振るときは聴きに行こうと思っています。すごくテンポが速いと思いますが…。
ちなみに,N響の第九は毎年4日間やるのですが,お勧めは初日です。演奏するごとに指揮者の個性が薄れ,やがてオーケストラの主張が勝って,最終日は毎年変わらぬ「N響の第九」になっていくのだそうです。


 みなさん,AMラジオって聞いている? 私は,アメリカのジャンル別に音楽を流しているFM局は大好きだけど,日本のFM局は,音楽をあまりかけないでつまらないおしゃべりばかりしているんで好きじゃないわ。だからAM局もほとんど聞いていなかったんだけど,最近,NHKのAM第1放送が面白いのね。朝の「すっぴん!」というのとお昼の「まりやーじゅ」っていう番組が最高ね。
 AMだから,はじめっから音楽をかけることなんて期待していなかったんだけど,素敵な音楽とおしゃべりが気が利いているのね。聞いていて元気がでるの。
 でもね,国会中継と大相撲中継があるとこの放送なくなってしまうのがとっても残念なの。
 わたし,一度病院に入院した時に思ったんだけど,きっとこういう放送聞いている人の中には,病気の人とかお年寄りとかもたくさんいるんじゃあないかなあ。だから,こういう人を元気づける番組ってすごく大切だと思うの。国会中継も大相撲中継も大切だとは思うけど,そういのは別に第3放送でも作って必要があるときだけやってもらったらいいと思うわ。でも,無理かしら…。


 ある博物館に行ったのね。そこには,本館と別館があって,見学順路は本館からなのね。
 そしたらお年寄りの夫婦がやってきて,旦那さんの方が,どんどん別館に歩いて行っちゃうのね。そして,後ろから奥さんが追っかけて行って,「お父さん,そっちは別館だから,こっちからじゃない?」っていうんだけど,頑固な旦那さんは,意地でも奥さんのいうことに従わないわけ。
 そういえば,昔の男の人って,みんなあんな風に頑固で亭主関白だったじゃない。プライドだけが高いのね。あれじゃあ奥さんも苦労するわね。で,その旦那さん,博物館に入っても,たいして興味がないみたいなの。これはいつぞやテレビで見たとか,俳優のだれだれさんがこの展示されていた人物を演じていたとか,そんなことブツブツ言いながら,逆順に急ぎ足で見ていくわけ。なんな,悲しくなっちゃった。
 この国の男の人って,昔はみんなこそんなだったんだよね。奥さんを人間として見ていないし。その時代に生まれなくて本当によかったわ。
 でも,いまでも地位の高い人ってそんな人多いわね。わたしもそんな人知ってるわ。かわいそうね。


 今日は御馳走を食べたの。素敵な中華風のディナーだったわ。やっぱり,時にはおいしいものを食べると,元気になるわね。
 日本のいいところは,いろんな種類の食事が食べられることね。だから,食事はとてもおいしいのだけれど,食事しながら音楽を楽しんだり,のんびりとおしゃべりをしたり,っていうことになると,なかなか難しいわね。
 もっともっとそうしたお店がたくさんできるといいなあ。


 ついにアメリカが金融の出口戦略を始めたわ。量的緩和の縮小で,ますます円安に振れるわね。
 リーマンショックの時の金融緩和も,日本がもたもたしているうちにアメリカは大量のドルを市場に供給して,その結果の円高だったのね。
 きっと,日本は,今度ももたもたして金融緩和の店じまいができないと思うの。
 頭のいい人もたくさんいるのに,そういうひとに一番欠けているのは,日本人がどういう性格かということを歴史から学んでいないことね。だから,いつも同じ失敗を繰り返すのよ。世の中はドリル学習じゃないからね。


 「世界の村で発見!こんなところに日本人」っていう番組やってるわね。みんな,自分の人生を自分の力で生きているなあ,っていうことに,私は感動するわ。
 おじいちゃんは,昔勤めていたところの上司がとんでもない人で仕事を辞めちゃったんだけど,そのとき,人が生きるってどういうことかよくわかったっていつも言っているわ。組織の中でたまたま地位が高くなっても,それを自分の実力と勘違いする人が一番情けないって。
 人は,どこでも寝られて,なんでも食べられて,人に自分の気持ちを伝えられて,周りにいる人が幸せになることが一番大事なんだって。
 人はどう生きようと自由なのよ。自分の人生は自分の言葉で語らなくちゃね。私も,少しでもそうなりたいなあ,っていつも思っているけど,大変ね。でも,大切なのは,「志」を持つことだって,おじいちゃんはそう言うから,それを信じて楽しく生きていくわ。


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DSCN2960sDSCN2962DSCN2963DSCN2966 ここまでフリーダムトレイルを歩いて,やっと,私が目指していたビジターセンターに到着した。
 このビジターセンターは,ファニュエルホールビジターセンターといい,ボストンのダウンタウンの中心,フリーダムトレイルの中心,ファニュエルホールマーケットプレイスというショッピングモールにある。ボストンコモンから始まるボストンコモンは「」」の形で東に進んでこのあたりに北に方向を変えるのだが,その角にあたる。

 ここからフリーダムトレイルの散策は,ここから始めるのではなく,これまでに書いたように,ボストンコモンの観光館内所で地図を入手してそこから歩き始めることをお勧めしたい。
 私のこの日のもうひとつの誤算は,履いていたスニーカーにあった。来る3か月前に購入して,履きなれてから持ってきたものであったが,すでに中敷きがボロボロであったことに気が付かなかった。
 どうも履き心地がよくないと思ったら,そういう理由であった。

 ともあれ,このビジターセンターから広い通りコングレスストリートを隔てて,西側に近代的な大きなビルが見えるが,これは,ボストン市役所である。その左手(南側)に有名な旧州会議事堂がある。ボストンのガイドブックに出てくるだれでも一度は見たことがある建物である。札幌でいえば時計台とでもいったらよくわかるか。
 旧州会議事堂は,1713年に建てられたもので,独立戦争が勃発するまで,植民地政府が置かれていた。それと同時に,商人たちの取引所でもあった。
 また,東側のバルコニーの下の円形に舗装された場所は1770年のボストン虐殺地の跡である。
 1776年7月18日,このバルコニーから独立宣言が読み上げられた場所としても有名である。1798年に現在の州会議事堂が完成するまで州会議事堂であった。屋根のユニコーンとライオンは、イギリスの紋章に使われているシンボルである。
 現在は,博物館となっていて,1階は,地下鉄の入口(ブルーラインとオレンジラインのステイツ駅)とマリンミュージアム,2階がボスト二アン教会の展示室になっている。
 また,ここは,結婚式場としても人気があるそうで,運が良ければ,バルコニーの新郎新婦を見ることができるそうである。

  ・・・・・・
 WE, therefore, the Representatives of the UNITED STATES OF AMERICA, in GENERAL CONGRESS Assembled, appealing to the Supreme Judge of the World for the Rectitude of our Intentions, do, in the Name, and by Authority of the good People of these Colonies, solemnly Publish and Declare, That these United Colonies are, and of Right ought to be, FREE AND INDEPENDENT STATES.
  ・・
 我らアメリカの連合諸邦(the united States of America)の代表は連合会議に集い,世界の至上なる審判者に対し我らが意図の正当性を訴えて,これら植民地のよき人民の名と権威において,厳粛に公に宣言する。これら連合植民地(United Colonies)は自由にして独立な国家であり,またそうであるべきものである。
  ・・・・・・

DSCN2949sDSCN2954DSCN2955DSCN2958オールドコーナー書店

 オールドサウス集会所は,清教徒の礼拝堂として1729年に建てられた植民地時代のボストン最大の建物である。
 ここは,本来は,清教徒の礼拝堂として建設されたもので,教会のような作りになっているが,独立戦争以前,住民はイギリスの支配に対抗するために,この集会所に集まってボストン虐殺事件や紅茶税に抗議したのだった。

  ・・・・・・
 イギリス本国は,7年戦争(1756年~1763年にプロイセンと支援するイギリス,オーストリア,ロシア,フランスなどヨーロッパ諸国の間で行われた戦争)と並行して,北アメリカでフレンチ・インディアン戦争と呼ばれるイギリスとフランスの植民地戦争を行った(この戦争で勝ったイギリスはフランスから北アメリカの領土を獲得し植民地帝国の基礎がすえられた)。
 イギリスは,戦争による財政赤字を軽減するために,植民地に負担を求め,1764年には砂糖条例,1765年には印紙条例などの法律(タウンゼント諸法)を可決したのだった。
  ・・
 サミュエル・アダムスやジェームズ・オーティスは,ファニュエルホール(私がこのあと訪れるところ)に集まって,イギリス本国の課税に反対した。
 こうした課税に対する反感が高まる中,1770年に旧州会議事堂(ここもこのあと訪れるところ)の前で,ボストン住民がイギリス兵を挑発したことを発端としてイギリス兵が発砲し,ついにボストン虐殺事件が発生した。
 この結果,イギリス本国では,タウンゼント諸法が撤廃されたのだったが,それでもなお,茶税は継続された。
  ・・
 このボストン虐殺事件で,イギリス兵が微罪しか問われなかったことに,ボストン市民の反感は高まり,この集会所には5,000人の人々が集まり,抗議の集会を開いた。
 1773年,イギリスは,茶税を逃れようと植民地側がオランダ商人から茶を密輸入していたことを禁じて,イギリス東インド会社に植民地での茶の販売独占権を与える茶法が成立し,茶への課税が継続された。
 このことがボストン市民の抗議行動を一層過激なものとし,12月16日,サミュエル・アダムスらは,この集会所に集まって,原住民に扮し,ボストン湾に停泊中のイギリス船から積荷のお茶を投げ捨てるという「ボストン茶会事件」を起こしたのだ。
  ・・・・・・

 この建物は1876年の取り壊しを免れて,現在は,言論の自由を守る砦としての博物館となっている。入場料を払って中に入ると,確かに,集会場のような作りとなっていた。周りには,植民地時代の歴史がわかるような様々な展示があって,興味深いものであった。
 このオールドサウス集会場を出て,ワシントンストリートを北に1ブロックあるくと,オールドコーナー書店という道路標示があった。この書店は,1960年代の取り壊しを免れて,1970年ボストン歴史協会が復元したが,今は書店をさがしてもわからない。ここは,ウルトラダイヤモンズという宝石店となってしまっている。
 植民地時代に,このワシントンストリートは,店舗と住宅を兼ねた家が軒を連ねていた。オールドコーナー書店は入母屋屋根をもつ建物で,1718年,薬剤師トーマス・クリ―が薬局として建てたものを,19世紀半ばに文学者のセンターとなり,ラルフ・ワルド・エマーソン,ハリエット・ビーチャー・ストウ(ストウ夫人),ルイザ・メイ・オルコット,ナサニエル・ホーソンなどの著作は,この建物の中にあったテイクナーフィールズ社から出版されたのだった。

 ラルフ・ワルド・エマーソンは,1803年5月25日にボストンで生まれた思想家,哲学者,作家,詩人,エッセイストである。彼は,個人主義を唱え,アメリカの文化の独自性を主張したことで知られている。
  ・・・・・・
 The secret in education lies in respecting the student.
  ・・
 教育の勝利は生徒を尊敬することにある。
  ・・・・・・
 ハリエット・ビーチャー・ストウは,1811年6月14日,コネチカット州リッチフィールドに生まれた作家で,奴隷制度廃止論者である。代表作「アンクルトムの小屋」は,あまりにも有名である。
 ルイザ・メイ・オルコットについてはすでに書いたが,1832年11月29日ペンシルベニア州ジャーマンタウンに生まれた。代表作は「若草物語」である。
 そして,ナサニエル・ホーソンは,1804年7月4日,マサチューセッツ州セーラムに生まれた。
 父方の祖先である初代ウィリアム・ホーソンはクエーカー教徒迫害に関与し,2代目ジョン・ホーソンは,セーラムの魔女裁判の判事を務めた。また,母方の祖先ニコラス・マニングの姉たちが近親相姦の嫌疑をかけられ迫害されたといった過去を持つために,宗教的な作品が多い。
 代表作「緋文字(ひもんじ)」(The Scarlet Letter )は,ゴシックロマン小説で,17世紀のボストン清教徒社会を舞台に姦通の罪を犯した後に出産し,悔恨と尊厳のうちに新たな人生にむかって努力する女性の物語を描いている。
 これまでにも書いたが,旅をするということは,その地の歴史やそこから生まれた文化を知ること,そして,実際に,現在その地に住む人と接すること,そして,そうしたことを体験することで,人が生きていることを実感することだと,改めて思うのである。

DSCN2948DSCN2950パーク通り教会DSCN2937キングスチャペルDSCN2953オールドサウス集会所

 地下鉄のパークストリート駅は,ボストンコモンの北東角にある。この駅はグリーンラインとレッドラインが通っている。この広場には,飲み物を売ったり新聞を売ったりする店があって,いかにも,観光地の入口といった雰囲気になっている。
 この駅を出たら,少し南に戻って,まず,ボストンコモンの中にあるボストンコモン観光案内所に行くのがお薦めである。そうすれば,私のように,わかりやすい地図がないとか,道がわからないということはないはずである。
 私の失敗は,この案内所に寄らず,ボストンコモンの途中にあるビジターセンターで地図をもらおうと思ったことにあったのだ。
 ボストンコモンは,アメリカ最古の公園で,現在はフリーダムトレイルの出発点となっている。
 1634年に清教徒が創設したこの公有地(コモン)は,創設当時は家畜が草を食み,イギリス軍の兵士が野営をしていたこともあったという。

 案内所からボストンコモンを北に歩いていくと,マサチューセッツ州会議事堂の正面に着く。
 マサチューセッツ州会議事堂については,すでに書いたが,設計をしたのはバルフィンチという人で,サミュエル・アダムスとポール・リビアが隅石を敷いたという。また,左手には,ロバート・ゴールドショウと第54師団記念碑があって,その場所から西へ,ブラックヘリテッジトレイルが始まっている。
 私も,迷いながらも,どうにかここに到着した。
 私は,マサチューセッツ州会議事堂の正面から,ボストンコモンの西端を南東にパークストリートに沿って下っていくとトレモントストリートにぶつかった。その三叉路にあるのが,1809年に建てられたパークストリート教会であった。
 このパークストリート教会の優雅な塔と,1日に2度音色を響かせるこの教会の鐘は,この町の目印になっているということだ。
 この教会は,また,1834年7月4日,賛歌「アメリカ」が最初に歌われたことで知られている。そして,ここでは,1829年に奴隷制度廃止論者ウィリアム・ギャリソンが初めての奴隷制度反対演説を行った。
 ちなみに,賛歌「アメリカ」(My Country, 'Tis of Thee)とは,イギリス国歌のメロディに合わせて歌われるアメリカの愛国歌で,現在のアメリカ国歌が1931年に法制化されるまで,事実上の国歌として位置付けられていた。
 歌詞が誕生したのは1831年であった。
  ・・・・・・
 My country, 'tis of thee,
 Sweet land of liberty,
 Of thee I sing;
 Land where my fathers died,
 Land of the pilgrims' pride,
 From every mountainside
 Let freedom ring!
  ・・・・・・

 パークストリート教会の隣にはグラナリー墓地がある。
 この古い共同墓地には,ジョン・ハンコック,ポール・リビア,サミュエル・アダムスをはじめとしてボストンン虐殺事件の犠牲者が埋葬されている。
 また,パークストリート教会と道を隔てて,フランクリンの立像と公共学校跡がある。
 清教徒入植者が1635年に最初の校舎を建てたこの公共学校跡地にはフランクリン,サミュエル・アダムス,ジョン・ヘンコックが通ったという。

 次に,私は,パースストリート教会の前のトレモントストリートを道なり北東に1ブロック歩いて行った。そこには,キングスチャペルがあった。威厳のある建物なので,すぐに目につく。
 キングスチャペルは,1749年にピーターハリソンによって設計されたボストン初の英国組合教会で,英国の植民地時代の最も優雅なジョージア王朝風の内装を今も有している。
 このキングスチャペルには塔がなく,外壁は石で覆われ内部は石と木造がミックスされたものである。そして,チャペルに隣接する墓地には,植民地時代の知事ジョン・ウィンズロップの墓石があった。キングスチャペルを見終えたら,手前(南)のスクールストリートを東に2ブロック歩いていったが,そこには美しい塔が目の前にそびえていた。これがオールドサウス集会所であった。

◇◇◇
12月17日の朝日新聞におもしろい記事がいくつかあったので,紹介しましょう。
●野口悠紀夫さんが書いた「賃金上がらず貧しくなる」
わたしもこのブログで書いたように,アベノミクスは,金融緩和による円安だけのことです。そこには,日本経済の抱える本質的な改革も何もないので,やがて,リーマンショック以前と同じ状況がやってくることでしょう。
この国は老人が多く,年金と貯金に頼った人たちは,インフレになって賃金が上昇しても,苦しくなるだけなので,ますますお金を使いません。この冬のボーナスが少しばかり上がったので,高級品の売れ行きがよいと煽ったニュースが流れていますが,若者よ,騙されてはいけません。
●WEB・RONZAから「大学の『英会話学校化』を憂う」
結局,高い授業料をとって,大学は,TOEICの問題演習をやっているだけなのです。この国の英語教育の最大の欠点は,うまくいった見本がない,ということなのです。すべて思いつきなのです。
何も大学で英会話を教えなくても,中高6年もやれば使えるようになります。それができないのは,6年間入試問題集をやっているだけだからです。きっと小学校から英語を教えても結果は同じでしょう。電車の中で,単語を覚える本を読んでいる学生さんはよく見かけますが,誰一人として,英語の本や雑誌を読んでいる学生さんを見たことがありません。英語の先生が授業の予習で問題集の答えを覚えているような勉強したって,英語はできるようになりません。ばかげています。そんなことするぐらいなら,簡単な英語の新聞でも読みながら英語で討論でもするか,アメリカの中学や高校とラインで結んでテレビ会議でもすればいいのです。
●「米欧で無人機実験」
これは,ヘリコブターのような小型の無人機を使った宅配サービスを行おうというものです。
狭い日本ではピンときませんが,広大なアメリカの大地なら,このサービス,意外とよいかもしれません。でも,こんなのが飛び交ったら空中で衝突事後が起きるかもしれません。果たして,どんな未来が来るか私には興味があります。 

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 12月13日,アメリカ大リーグのウインターミーティングがフロリダ州レークブエナビスタで4日間の日程を終えました。 
 第1回のウィンターミーティングが開催されたのは1876年のオフで,今年で111回目を迎えたそうです。ウィンターミーティングは,日本では,選手の移籍が話題となりますが,実際は,公表されたものだけでも59もの会議や勉強会があったり,夕方になれば,さまざまなパーティーや夕食会が催されるという,アメリカらしいイベントです。
 きょうは,話題になっている日本人選手の移籍などについて書いてみたいと思います。
 12月17日にポスティングシステムに代わる新移籍制度が締結される予定なので,田中選手の話題はそれまでお預けで,今はイチロー選手と青木選手が話題となっています。

 イチロー選手は,シンシナチ・レッズにトレードされる可能性が浮上しています。外野の補強に乗り出しているレッズは,トレードでヤンキースのガードナー選手の獲得を目指したのですが頓挫して,ターゲットをイチローに変更しました。レッズは,かつてマリナーズで投手コーチを務め,イチローとは旧知の関係であるプライス監督が来季の指揮を執ります。プライス監督はイチロー選手の打撃センスと守備,走塁能力を高く評価していて,「足を使った野球」をテーマに掲げました。
 シンシナティ・レッズは,1869年に創立された米最古のプロ野球チームで,ワールドシリーズ優勝5度の名門です。メジャーリーグ最多の4,256本安打を放ったピートローズ・ローズ選手が所属したことでも知られています。

 イチロー選手は,昨年のディビジョンシリーズで燃え尽きた感があります。今季の故障者だらけのヤンキースでは気の毒でした。1番に固定して毎日出場して好き勝手にやって強打者が3,4番にいるチームなら活躍できると思います。今年の起用法は,彼のプライドがズタズタにされたように思います。異常な明るさは逆にかなり無理しているなあ,と感じました。もし,来年もヤンキースに残留するなら,活躍の場は全くないと思います。
 青木宣親選手はミルウォーキー・ブリュワースからカンザスシティー・ロイヤルズにトレードされました。
 青木選手は今季は打率2割8分6厘,8本塁打,37打点,20盗塁と存在感を発揮しました。
 ロイヤルズは,リーグトップとなるチーム防御率3.45をマークするなど,投手陣が奮闘し,終盤までワイルドカード争いを繰り広げるなど,10年ぶりに勝率5割超えを達成しました。強打の外野手の獲得を目指していました。
 青木宣親選手は「(ロイヤルズは)自分のことを買ってくれていると聞いている。プレーオフ進出争いをするチームだし,やりがいがある。すごく前向きなトレードだと思っている」と話しているといわれています。
 ミルウォーキーもそうなのですが,それでもシカゴに近く,カンザスシティーに至っては,ほとんど日本人が住んでいないと思うので,こういうところで生活するのは大変だと思います。特に,試合後に食事をするにも日本食がないなど,野球以外の点で苦労が多いと思います。また,夏はものすごく蒸し暑いところだと聞きます。なんとか活躍してほしいと思います。

 また,アメリカ野球殿堂は26日,2014年の同殿堂入り候補者36人を発表し,大リーグのロサンゼルス・ドジャースなどで活躍した野茂英雄さんが日本選手としてはじめて名を連ねました。野茂さんは1995年にプロ野球の近鉄からドジャースに移籍してその年13勝を挙げて新人王を獲得しました。最多奪三振に2度輝き,ノーヒット・ノーランも2度達成。引退するまで大リーグ通算123勝を記録しています。
 野茂なくしてイチローなく,松井なしなので,ぜひ,殿堂入りがかなうといいと思います。私は,野茂さんがアメリカに渡ったその勇気を尊敬しています。
 新たに候補入りしたのは野茂さんのほか,大リーグ通算355勝を挙げたグレグ・マダックス,通算305勝のトム・グラビンといったアトランタ・ブレーブス全盛期の2枚看板投手などです。
 私は,野茂,トム・グラビン両投手は,実際に目の前でその投球を見ました。マダックス投手は姿は見たのですが,残念ながら,登板試合は見ていません。左投げのグラビン,右投げのマダックス,ともにコントロール抜群の投球フォームがきれいな投手でした。
 なお,殿堂入りには,全米野球記者協会に10年以上在籍した記者による投票で75%以上の得票が必要だということです。結果は来年1月8日に発表されます。

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 考えてみれば,ここ10年以上京都,奈良,東京,鎌倉くらいしか日本国内の旅行をしていないので,こうして,九州を周遊するような旅は,はじめてのようなものでした。しかも,その間,アメリカ国内は随分と旅行をしたので,私にとれば,どうしても,アメリカを旅行することと比較して考えてしまうのです。
 そうして旅をはじめてみると,日本を旅行するときには,どうも,アメリカを旅しているときのような明るさや楽しさをまったく感じないのです。
 くまモン以外は。
 その理由のひとつは,前回書いたように,ドライブをしていて爽快感がないということがありました。
 ふたつめは,名所旧跡を訪れた時に気づいたあることなのですが,きょうは,そのあることについて書いてみたいと思います。

 私は,この旅を通して,日本という国は,2,000年以上も昔から,「御上」という権力者が庶民を意のままに押さえつけるという国だということに,いまさらながら気づいて,ショックを受けました。現代は違う,日本は民主主義国家だという人もいるでしょうが,はたして,それはこの国の本質でしょうか? それなら,どうして,選挙の公約にもなっていない,世論の多くが反対するような法律が早急に制定されてしまうのでしょうか。
 そこには,民意などなく,政治家は,民衆など意にままになるという2,000年来のこの国の権力者のありようが今もなおまったく変わっていないからなのです。

 たとえば,戦国時代。
 天下統一といっても,武士という特権階級が,その覇権争いをしただけのことです。むしろ,石山本願寺や一向一揆といった運動のほうが庶民による行動ではありませんか。それを鎮圧するという権力者の行動が,この国を作り上げたのです。
 明治維新。
 これも,武士という特権階級が作り上げた政治体制の変革であることに変わりはありません。この時代,庶民がやったのはお伊勢参りです。
 西郷隆盛は,そうした,変革時についていかれず不平を抱いた武士たちの先頭に立たされて,新しく作られた明治政府を守るために犠牲にされたシンボルなのです。

 考えてみれば,この国では,庶民が立ち上がって自らの権利を勝ち取ったなどという事実は,これまで一度たりともないのです。
 それは,イギリスの圧制から立ち上がって独立を勝ち取ったアメリカの庶民による独立運動や,黒人差別から立ち上がったキング牧師,そういった,庶民が立ちあがて自らの権利を勝ち取ったアメリカの歴史とは,まったく正反対のものなのです。
 だから,日本の観光地にある名所・旧跡は,当時の権力者が,庶民の税金で作り上げた豪華な城であるとか,屋敷であるとか,特権階級同士が戦った戦の跡であるとか,そういったのものしかないのです。そして,もし,その当時に自分が生きていれば,そうしたものは,自分とは全く縁のないものなのです。あるいは,日夜そういうものを作るために労役に駆り出されたことでしょう。

 そう考えると,城壁も,御殿も,家老の住んだ家も,どれもが,不快なものに思えてきました。しかも,どこも,この部屋から奥は客人が入れなかったとか,謁見の間であるとか,下女の住んだ部屋であるとか,そういったものばかりで,それは,同じ人間をその「格式」で差別したものではないでしょうか。そこには人権などという概念のかけらもありません。
 なんだか,そういうものを見学することすらばからしくなってきました。
 アメリカで公開されている億万長者の御殿だって,それらは自らの能力と努力で作り上げたものであるし,わけのわからぬ「格式」など存在しません。アメリカにもかつては奴隷制度があって,人種差別が行われていました。現在,そのころの奴隷の住んだ家なども公開されていますが,それば,まさしく日本の御殿の使用人の住んだ家と同じようなものです。


 この国の歴史は権力者の歴史であって,そこに庶民の姿はないのです。さらに,私は,吉野ケ里遺跡と知覧の特攻平和会館を訪れることで,この衝撃は決定的になりました。
 2,000年も前の吉野ケ里遺跡にすでにみられる身分制社会は,今の日本人の持つ「御上」の源流にほかなりません。高千穂渓谷にみられる日本神話も,別の意味でその源流なのでしょう。
 そして,名もなき民衆は,理由はともあれ,不幸にも戦争になれば,真っ先にそうした権力の犠牲となってしまうのです。それが,大塩平八郎の乱であるとか,ひめゆりの塔であるとか,知覧から飛び立っていった特攻なのです。
 こうしたことに思い当たった私は,どんどんと不機嫌になってきました。
 そういえば,以前,奥州の平泉に行ったときも同じことを感じました。すべて,権力者の遺構にしか過ぎないと。
 だから,この国の観光地には,アメリカを旅行しているときに感じる明るさや陽気さや人間(=民衆)の尊厳のかけらも感じられないのです。それがこの国の歴史なのです。

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 フリーダムトレイルの振り出しにもどったところで,私のいい加減なボストン観光だけでは申し訳ないので,はじめてボストンを訪れた人にも楽しんで市内観光ができるように,旅行体験記に加えて,ボストンの名所案内も,現地で手に入れた資料を基にして書いてみたいと思う。
  ・・
 日本で売っているガイドブックにも詳しく書かれているけれど,実際に旅行をしてみると,それなりに多くの問題があって,うまく歩き回ることができない。
 その理由は,当然のことであるけれど,選択肢を読者にゆだねているので,迷ってしまうことにある。たとえば,はじめて空港に降り立った時にダウンタウンに行く方法ひとつにしても,複数の方法が網羅されているので,どれにするか迷ってしまう。当然,大人の事情から,市販のガイドブックには,この方法のほうが便利ですよ,とは書けない。だから,私は,独断と偏見と経験に基づいてそれを書くことにしたい。

 きょうは,その旅行体験記&観光案内に入る前に,そのプロローグとして,アメリカでよく見かける面白いシーンを写真でお目にかけることにしよう。
 ひとつ目の写真は,ダックツアーである。この写真は,ボストンのダックツアーを写したものだ。
 水陸両用車による市内観光。
 日本人は,こういうことは自分からははじめないし,たとえはじめようとしても,やれ規制がどうのだとか,やっても採算がとれないとか言って新しいことには決裁がおりないくせに,アメリカでやっていると知るとなんでも真似をする。
 たとえば,野球中継。
 もう,かなり昔のことになるので,今では知らない人が多いとおもうけれど,日本では,テレビの野球中継はバックネット裏から写していた。センターから写すとキャッチャーのサインが丸見えになる,というのが理由のひとつだった。
 今は,NHKやCSで毎日大リーグ中継をやっているが,野茂が大リーグへ挑戦するよりもはるかに昔,一度,フジテレビで大リーグ中継をしようと企画したことがあった。当然,まだ,日本人選手なんていない頃のことだ(マッシー村上という偉大な先駆者がいたけれど)。あまり視聴率が取れなくて,すぐにやめになった(当時の日本の野球の巨人戦同様,ニューヨークヤンキースの試合ばかりを放送したのが原因だと私は思った。)。そのとき,アメリカではセンターのカメラから中継をしていたのに驚きを覚えた日本人は,大リーグ中継がやめになっても,その中継方法だけが遺産として残った。
 そうした例にもれず,ダックツアーは,(きっと)それを知った日本人の偉大な先駆者の努力で,今は,大阪でも神戸でも東京でもやっているし,その体験談がブログに載っていたりもする。実際,日本で始まったのは2000年であるらしい。
 日本で始まる前,私が,これをはじめて見たのは,シアトルであった。はじめて見たときは,なんと間抜けな車かなあ,と思った。これに乗ってシアトル市内を観光してはしゃいでる観光客をみて,なんとチープな観光バスだろうかと思った。まさか,それが水陸両用だとは思わなかった。
 さまざまな観光地で導入されていることを考えると,人気があるものなのだろう。
 このダックツアー,ボストンでは,科学博物館前やニューイングランド水族館前から出発しているが,約1時間の観光ができるのだそうだ。夏場は人気があって,なかなか乗ることができないらしい。私は,まだ乗ったことがないけれど,こういった人気があってなかなかチケットが買えませんというものも,経験上,ひとり旅なら,あるいは,人より早く観光をはじめるのからなんとかなる。旅はとにかく少人数か早朝から動き回るのに限る。 
 この車は,ボストンレッドソックスの優勝パレードに登場したので,日本でもなじみになった。

 ふたつ目の写真では,訳の分からない人形をお目にかけよう。
 これは,工事現場にあった。単に,面白いという理由で存在しているのであろうが,こういう遊び心は大好きである。アメリカの工事現場には,こういった遊び心がたくさんある。工事現場でも,立派な観光ができるのである。

 三つ目の写真は,アメリカの大型トラックである。
 アメリカではじめてこれを見たとき,ものすごく感動した。映画と同じだ! って。
 実際は幅と高さは日本とそれほど違いはないのだが,長さが決定的に違う。長さに制限のない州も多く,信じられない長さのものが走っていたりもする。詳しくないので,これ以上書けないが,インターステイツを走っていると,重量計測所というのが,やたらとあるので,重量にはなにかの制限があるのかもしれない。
 ちなみに,こうした大型トレーラーは「18ホイーラー」とか「ビッグ・リグ」とよばれている。運転席だけを注目してみても,まさに,キャンピングカーなみの大きさなのだそうだ(そうそう,アメリカではキャンピングカーもたくさん走っている)。
 見かけによらず,運転はとても紳士的で,インターステイツを走っているとき,とても,我々をいたわってくれるように感じる。まあ,ぶつかったらひとたまりもないので当然だけど。

 そして,四つ目の写真は,ボンネット型スクールバス。
 これも,アメリカで普通に走っているものだけど,はやり,はじめて見たときは感動した。そうそう,これも,映画で見たのと同じだ… なんて。
 大型トラックもそうだか,アメリカでは整備のし易さなどが理由で,ボンネット型に人気がある。
 インターナショナルというメーカーが生産をし,ブルーバード,トーマスという車名である。
 アメリカでは6月から夏休みで,生徒は郊外学習やらキャンプやらに出かけるので,夏休みには,このスクールバスで水族館や博物館に大勢でやってくる子供たちをよく見かける。

 最後の写真は,ボストンで見かけたホームレスのおばさん。 
 こちらのホームレスは元気である。ものすごく声がでかい。それに驚いて道の反対側からさっと撮影した。
 このおばさんも,とんでもなく大きな声を張り上げていた。
 朝,ボストンコモンで見かけたおじさんのホームレスは,大きな声で今日の天気とニュースを正確にを叫んでいた。「きょうは午後から雨だよ~。」
 きょうの夜,野球を見に行く私には,決して聞きたくない予報であった。

◇◇◇
CNN/US(CNNアメリカ版)の早朝東部時間5:00放送の「Early Start」という番組のアンカーを務めていたゾライダ・サンボリン(Zoraida Sambolin)という素敵な女性は,12月13日の放送を最後に,この番組を降板しました。シカゴに住む家族を選んだということです。彼女は,5月に番組の中で乳癌の診断を受けたことを発表し,治療をしていたのですが,11月に番組に復帰したばかりでした。
彼女のジャーナリストとしての勇気を心から尊敬します。
番組の最期に,多くの仲間からお別れのセレモニーを受けて,涙々でした。アメリカ人のこういう姿は,素敵だなあ,と思います。


 クリスマスまで2週間あまり。
 サンタさんのソリは多能力,全天候向け,多目的,短距離離着陸の乗り物で,長距離を補給なしで移動することが可能なんだって。このソリは,クリスマスイブのときだけなんだけど,サンタさんの良心的な使命をサポートするために,世界中のどこにでも行けるんですって。そして,このサンタさんのソリは,全世界位置表示装置を含めた最新式の航空装置を搭載しているんで,多大なプレゼントの山を,針でさすくらいの正確さで配達する能力があるんだって。  
 インターネットでサンタさんのプレゼントの配達状況をライブ中継やってるって知ってる? 今年の生中継は日本時間で12月24日午後2時から始まるそうよ。私も楽しみにしているわ。


 日本ではあまり報道されていないけれど,今,アメリカを大寒波が襲っているの。各地で交通事故が相次いだり,川の氷が割れて6歳の子どもが死亡したり,大人2人と子ども4人が8日に山中に出かけたまま行方不明になり、海軍のヘリコプターなどが出動して捜索を続けたり,大変な騒ぎになっているの。
 アメリカの気温が平年を大幅に下回る状況は今後も続く見通しで,ミズーリ州セントルイスやコロラド州デンバーの気温は,アラスカのアンカレジよりも低くなっているっていうことよ。
 私はアメリカで冬を過ごしたことないからよくわからないけれど,車なしで生活できないところだから,すごく大変そうね。


 ヤンキースのイチロー選手は2年契約の2年目なのだけど,アメリカではすぐにでもトレードに出されるだろうと報道されているそうよ。
 ヤンキースはレッドソックスからエルズベリー外野手,カージナルスからベルトラン外野手を獲得したんで,来年は外野手が余ってしまったの。今年は打率2割6分2厘,7本塁打,35打点だったんで,来年はチームに残ってもベンチウォーマーになっちゃうんじゃないかって心配するわ。
 私は,もう一度シアトルに戻って,最後の1年を過ごしたほうがいいと思うけど。名選手の晩年は難しいわね。


 ニューヨークのマンハッタン区の名所ロックフェラーセンターでは,今年も,毎年恒例の巨大クリスマスツリーが点灯されているわ。大勢のニューヨーカーや観光客が詰め掛けてるって。
 ツリーは高さ約23メートルのノルウェーもみの木で,隣のコネティカット州シェルトンから運ばれたんだって。約4万5千個の発光ダイオード(LED)の電飾が色とりどりに輝いていて,ツリーの天辺は2009年に特別注文したオーストリアの「スワロフスキー」社が作った直径2.9メートルの巨大なクリスタルの星が輝いているの。この星は,2万5千個のクリスタル板からなっていて,重さは約250キロもあるんだそうよ。
 ツリーは来年1月7日まで設置されてるから,ニューヨークへ行く人はぜひ見てきてね。でも,すごく寒いって住んでいる人が言っていたわ。


 今週も金曜日。みなさん忘年会は終わった?
 今週は,三重県の長島リゾートにある「なばなの里」のクリスマスイルミネーションの写真をお贈りするわ。寒いけど,ここのイルミネーションはきれいよ。ぜひ,行ってみてね。
 この写真は2年前のものだけど,年々ゴージャスになってきているわ。ゆっくりとお食事でもして,温泉に入って素敵なクリスマスを送ってね。
 じゃあ,またね。

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 何の予定もなくフリーダムトレイルを歩こうと気楽に考えていたのが災いして,自分がどこを歩いているのかさえ定かでなかったが,ともあれ,ビーコンヒルにいたわけだから,やがて,丘の上に,マサチューセッツ州会議事堂が見えてきた。
 ここには,所要時間約40分の見学コースがある。時間がなければ,セルフガイドツアー(見学資料をもらって自分でまわること)もできる。
 議事堂には,ホール・オブ・フラッグという空間があって,南北戦争で戦ったマサチューセッツの兵士をたたえ,未来に伝える場所となっている,また,1961年1月9日就任式の直前にこの議事堂で故ジョン・F・ケネディ元大統領が演説をしたことでも有名である。議事堂の西側にはケネディの銅像が建てられている。

  ・・・・・・
 Courage--judgment--integrity--dedication--these are the historic qualities of the Bay Colony and the Bay State--the qualities which this state has consistently sent to this chamber on Beacon Hill here in Boston and to Capitol Hill back in Washington.
 And these are the qualities which, with God's help, this son of Massachusetts hopes will characterize our government's conduct in the four stormy years that lie ahead.
  ・・
 勇気,審判,誠実,献身
 これらはマサチューセッツ州の植民地時代から受け継がれてきた原点です。これら原点の精神はボストンのビーコンヒルにある州議会とワシントンのキャピタルヒルにある連邦議会において守り続けてきたものです。これらの原点は,神の助けであると共にマサチューセッツの希望でもあります。
 これから先にある嵐のような4年間において我々の政治を遂行していく上で決して忘れてはならないものです。
  ・・・・・・

 この議事堂からフリーダムトレイルが始まっている。
 フリーダムトレイルは,1951年,オールドノース教会のボブ・ウィンがボストン・ヘラルド・トラベラーの記者ビル・スコフィールドに,旅行者がボストンの史跡を見つけやすいようにと巡回路を作ることを提案し,ビルはそのアイデアを新聞記事にしたことから,市長と商工会議所の指示を得て,市が州会議事堂からコップスヒル墓地までの12か所を整備されたもので,写真にあるように,路上に塗った線と帯状に敷かれたレンガ,標識で示されている。
 また,現在は,フリーダムトレイルは拡大・発展して,州会議事堂から西の方向へブラックヘリテッジトレイルも作られている。

 私は,この時は,ビジターセンターで地図をもらってから,フリーダムトレイルを散策するつもりだったので,フリーダムトレイルは州会議事堂を下らなくてはならないのに,近道して一路ビジターセンターを目指すつもりで,間違えて裏手に行ってしまったものだから,フリーダムトレイルの目印が見つけられなくなってしまった。こうして適当に歩いて行った先が,ビーコンヒルの坂道であった。
 このようにして,奇しくも,ビーコンヒルの美しい町並みの中を散策することになってしまったので,それはそれで楽しかったのだが,適当に歩いていたら,もとに戻れなくなってしまった。
 道が碁盤の目のようになっていればいいのだが,自然に曲がっていってしまうので,方角が分からなくなってくるのだ。やはり,ここでも持っていた地図が大まか過ぎたのが災いした。
 やはり,歩く前に観光案内所でフリーダムトレイルに特化したものを手に入れることが必要であった。

 フリーダムトレイルの地図とパンフレットはこの後で手に入れることができたので,今,これを書きながらそれを見ていると,不思議な気持ちになる。地図を見ているとすごく容易いことが,実際にはなかなかうまくいかないのは,ほんとに奇妙なことである。
  ・・・・・・
 何事もすぐにペーパーテストで力を測るのがこの国のやり方ではあるけれど,私は,「ペーパーテストで順位を競うことイコール学力」という発想は本当に意味がないと,いつも思うのである。英検やらTOEICに意味がないとは言わないが,実際に話したリ聞いたりできなくてはいくら点が高くても仕方がない。まして,大学受験の英語なんて論外である。
 貴重な中高6年間英語の勉強をした大人の多くが「私は英語ができないから」と言うが,それは時間の浪費以外の何物でもない。結果的に,6年かけて,苦手意識を植えつけただけなのである。
  ・・・・・・
 子供をベビーカーに乗せて歩いていた女性がいたので,議事堂に戻る道を聞いた。彼女も同じ方向へ行くようだったので,ついて行ってやっと,議事堂に戻ることができた。
 どうにか,フリーダムトレイルを歩き始めることができた。めざすビジターセンターはフリーダムトレイルを歩いていけば,道なりにある。近道は,えてして一番遠い道になる。

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 阿蘇の外輪山で地平線付近のアイソン彗星を見ようと熊本行きを思い立ったのですが,残念ながら,彗星は消滅してしまいました。
 しかし,せっかく旅行の予約をしたので,九州旅行をすることにしました。
  ・・
 もともと九州に興味があったわけでもないので,なんの予備知識もガイドブックも持っていなかったのですが,この機会を逃せば,一生行く機会もないだろうと思ったので,自分の知識で行きたいなあと思ったところを全て回ることにしました。というわけで,自分でも思いもよらぬ九州旅行をすることになりました。

 空路,熊本に降り立ち,そこからレンタカーで気ままに目的地を目指しました。宿泊地は阿蘇山の麓のリゾートホテルを3泊予約してあったので,4日間の九州周遊旅行でした。行ったところは,吉野ヶ里,竹田の原城跡,高千穂渓谷,熊本市,阿蘇周辺,中岳,南阿蘇,鹿児島市,そして,知覧でした。
 吉野ヶ里では,2,000年も前から存在した階級社会に衝撃を受けました。高千穂では日本の神話について考え込みました。鹿児島では,西南戦争での西郷隆盛の無念の死について感じ入ることがありました。そして,最大のショックは知覧でした。17歳になった若者が,どうして,特攻で死ぬ必要があったのでしょうか。
 私には,この国の人に流れる様々な価値観や人生観が,だんだんとわからなくなりました。
 このようなわけで,いつものように,ガイドブックには書かれていない九州の旅の雑感をお送りしたいと思います。

 実は,このような,飛行機とレンタカーを使った気ままな旅は,アメリカではずいぶんと経験していても日本でははじめてのことでした。そして,この旅で感じたのは,日本人ってなんなのかなあ,ということでした。そのことについては,これから,いろいろと書いていきたいと思います。
 今日は,旅のシステムから話を始めます。
 まず,国内線についてです。
 私は,ほとんどデルタ航空ですが,ずいぶんとアメリカの国内線に乗ったことがあります。
 アメリカではその国土の広さから,移動手段といえは空路になるので,国内線はずいぶんと混雑しています。また,機内もそれほどきれいなものではないのですが,とても合理的です。
 飛び立って,しばらくすると,客室乗務員が手際よくソフトドリンクとスナックを配ります。そして,3時間ほどのフライトで目的地に到着して,乗客は急ぎ足で降りて行きます。まるで,日本の新幹線のようなものです。
 日本では,空港自体とても空いていることもあり,機内でも,空席だらけ,ビジネスクラスもなく,配られたのも,種類が少ないソフトドリンクだけでした。スナックが欲しければ300円ほど出して購入する必要がありました。 
 わずか1時間ほどのフライトでした。こんな短い時間のフライトなので,この時ほど日本は狭い国なんだと思ったことはありませんでした。

 空港でレンタカーを借りたのですが,空港からレンタカーの事務所まではシャトルバス,まあ,これは,シャトルバスが単なるワゴン車だということ以外はアメリカとさほど違いはないのですが,レンタカーの事務所は単なるプレハブの建物だったし,レンタカーの駐車場といった広い場所がある訳でもないのは,そもそも需要が決定的に違うからなのです。
 私には,これだけのことでもアメリカとは非常に勝手が違って,何かとても変な気がしました。私は,本当に日本に住んでるのでしょうか?
 レンタカーを借りました。日本の道はいつも乗り慣れていると入ってもレンタカーでドライブする時には,なにか,アメリカに着いてレンタカーを借りたときのような錯覚に陥りました。ところが,すぐに,ここは日本なのだという現実に戻されたのでした。
 日本の道は狭く,ゴミゴミとし,やたらとガードレールが美観を損ね,だからと言ってドライバーが運転しやすいような気配りがされているとは思えませんでした。道路には意味もなくやたらと線が引かれているので,何に注意をすればいいのか,初めての町ではよくわかりません。アメリカでは,統一が取れているので,どの町を走っても同じだし,道には左側(日本では右側)に蛍光の黄色い線が必ず1本引かれているので,真っ暗な夜でも,雨の日でも,その線を頼りに走れば安全なのです。日本では,何を頼って走ればいいのでしょうか。
 道路ひとつ考えても,やらたと多くの,様々な意味のない工夫や道路標示が多くて,何に注意をすればいいのか本当に疲れます。走っている車も,制限速度はいい加減,やたらと追い越したり煽ったりといった車も多く,さらには路上駐車もあって,普通に左車線を制限速度を守って走ることすら大変です。
 このようなあいまいさや意味のない細かさ,そして,本音と建前の使い分け… 道路ひとつとっても,本当に,日本人って,何なのかなあ,と改めて思ったことでした。

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 やっとホテルに戻ることができた。フロントの女性と目があったので,忘れものをしちゃった,といったら笑っていた。出かける前にボストンマラソンの爆破事件の場所を聞いたときの愛想のよくない顔とは全く違っていた。まったくもって「愛しのボストン」である。
 部屋に戻ると,やはり,別のカバンに入れた地下鉄のチケットが見つかった。

 もう一度ホテルから出た。
 いつもはビルの外周を周って地下鉄のボイルストンストリート駅まで行っていたのだけれど,ビルの中を突き抜けて行くことにした。ビルに入ると,1階は吹き抜けになっていて,大きなフードコートがあった。そのビルを出ると,路地があり,地下鉄のボイルストンストリートの駅は目の前だった。また,ボストンコモンを引き返す元気がなかったので,地下鉄グリーンラインで一つ東の駅パークまで行くことにした。今度は,はじめに間違えて乗った西行きの地下鉄なので,その入口で正解であった。
 このように,昨年のミネアポリスダウンタウンでも同じことであったが,はじめての町では何事もはじめの1回が難しいのだけれど,ほんの数時間その町にいるだけで,ずっと住んでいたかのように過ごすことができる。そして,なんでもないちょっとしたことで,その町が気にいったり,そうでなかったりする。
 税金を使って視察旅行で海外を訪れる偉い人たちも,ガイドなしで数時間その町を歩いて見ることのほうが,ずっといろんな情報が手に入ると思うのだが,まあ,そんな勇気も能力もなさそうだ。

 まず,目指す行先は,テレビドラマ「アリー my Love」で法律事務所という設定だったビルであった。
  ・・・・・・
 「Ally McBeal」は,1997年から2002年まで5シーズンアメリカのFOXで放送されたテレビドラマである。日本では,「アリー my Love」という番組名で,NHKが1998年から放映した。
 ボストンにある法律事務所で働く女性弁護士アリー・マクビールを取り巻く恋愛模様や法廷シーンをコミカルに描いたもので,内容はもちろん,子気味の良いテンポの会話とか法廷の会話とか,英語の勉強にも役立ったドラマであった。
  ・・・・・・
 この放送で,アリーが勤めていた「フィッシュ・アンド・ケイジ法律事務所」という設定のビルがビーコンヒルに実在している。そして,このドラマで,最初にアリーが勤めていてセクハラで辞めた法律事務所という設定のビルがその右隣にある。
 とはいえ,このドラマも,設定はボストンであるけれど,実際はロサンゼルスのスタジオで撮影していたので,あくまで,映像として使われていただけである。
 また,このビルのある「ビーコンヒル」という丘は,ボストンコモンの北東にある高級住宅地で,通りの幅は狭く,レンガ敷きの歩道になっていて,夜になるとガス灯がともる。地名の名は,かつて丘の頂上で航海上の目印としてかがり火が焚かれていたことに由来している。
 よく旅行ガイドブックに写真が載っているのは,このビーコンヒルのエーコンストリート(州回議事堂の東側)であるが,私道なので,一般の観光客は立ち入り禁止になった。
 丘の頂上にマサチューセッツ州会議事堂があるので,東京で「永田町」というと日本政府を指すように,「ビーコンヒル」というと州政府をさす言葉だそうだ。

 地下鉄のパーク駅を降りて地上に出たところが,ちょうどボストンコモンの北東の角で,朝,チケットを忘れたことに気づいた場所であった。朝は,ここを南に行くつもりが西へ歩いて行ってしまったわけだ。チケットを忘れたのだから,地下鉄には乗らず,歩いてホテルまで戻ろうとしたわけだし,思わぬ出会いもあった。
 今回は,ビーコンヒルへ行くので,地図を見ながら歩いて行ったが,駅から1ブロックほど行ったところに,目指すビルはあった。普通のオフィスビルであった。中に入っても何があるということもないので,こんなものか,と思って,次を目指すことにした。

 このあたりは,ボストンのビーコンヒルからダウンタウンと呼ばれる地域である。
 ボストンの町は,ひらがなの「つ」の字のようになっていて,北はチャールズリバーという川が流れ,橋を渡った先は,ケンブリッジで,ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学(MIT)がある。東はボストン湾で,大西洋につながる。湾を挟んで北東にジェネラル・エドワード・ローレンス・ローガン国際空港があって,インターステイツ90と州道1Aにかかる橋でつながっている。1日目に泊まったのは,州道1Aを空港よりさらに北東に行ったところであった。
 「つ」の字の中心がボストンコモンという公園で,公園を囲んで,東がダウンタウン(ダウンタウンは北側が政治エリア,南が経済エリア),ダウンタウンのさらに北東がノースエンド,南東のボストン湾に面したところがウォーターフロント,南がチャイナタウン,北がビーコンヒル,さらに北がウェストエンド,西がバックベイ,バックベイの南「つ」の左の端のほうがフェンウェイ,もっと西がブルックリンという感じの区分になる。
 ビーコンヒルからダウンタウン,そして,ノースエンドへ「フリーダム・トレイル」と呼ばれる散策コースがあって,ボストンの市内観光の基本は,このトレイルを歩くことなのである。
 私が,「アリー my Love」の舞台となったビルへ行ったのも,フリーダム・トレイルを散策するコースを目指していたからなのであった。

 フリーダム・トレイルは,32年前に来た時に歩いたことがあった。
 今回は,どこへ行くというあてもなく,どこへ行かなくてはならないという気持ちもなかった。だから,下調べもあまりしないで,ともかく,ダウンタウンのビジターセンターあたりから歩き始めようと思っていた。
 「アリー my Love」の舞台となったビルをあとにして,持っていた地図を手掛かりにビジターセンターを目指して歩いて行ったのだが,そのビジターセンターがなかなか見つからない。
 持っていた地図のせいにしてはいけないのだが,わかりにくい地図であった。

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 チケットを買ったときのまま財布に入れておけばよいものを,昨晩,明日の準備をしていたときに荷物の入れ買えをしたのがあだになった。
 忘れたもうひとつの原因は,天気予報にあった。アメリカに着いて以来,7月28日(日)の天気だけがずっと気がかりで,それまでの1週間は,ずっとよい天気という予報であった。こちらの天気予報は,テレビで見る限り,おおよそのことしかわからなくて,困ってしまう。それによれば,今週はずっとよい天気で,週末も涼しくて過ごしやすいというものであった。そして,心配していた28日は,サンダーストームだと言っていた。サンダーストームもどういう状態なのか想像ができなかった。

 ところが急に,きょうは午後から雨だと,朝の天気予報で言い出した。今日は,夜,野球を見にいくので,雨は困る。ずっと晴れだと言っていたではないか。
 そこで,朝,ホテルを出るときに傘がいるとかいらないとか,荷物の入れ替えをしていたのが原因で,地下鉄のチケットを忘れてしまったのであった。気づいた時には,その場所は,すでにボストンコモンの北東端で,ホテルに戻るのも20分くらい必要であった。少し迷ったけれど,きょう一日乗り放題にするために購入したチケットなのだから,取りに戻らなければ意味がない。ボストンコモンをこのまま戻ってもつまらないので,適当な方向を見定めて,街の中を散歩を兼ねてホテルまで戻ることにした。
 ボストンコモンから出て,自分の頭の中の方角では,南に歩いているつもりであった。清楚な高級住宅地の中に入った。しばらく歩いて,自分の気持ちでは,もうすぐ,ホテルが見えてくるはずであった。ところが,まったく知っている景色にならない。そうして,だんだんと,どこにいるのかわからなくなってきた。

 むこうからひとりの若い女性が歩いてきた。「すみません,道に迷ってしまったのですが,今どこにいるか教えてもらえませんか?」と声をかけた。地図を見せると,少し考えて,今ここです。と指をさした場所は,自分の思っていたところとは全く違った場所であった。嘘のような話であった。私が南と思っていた方向は実は西で,その時歩いていたところはボストンコモンの南東端ではなく,北西端あたりであった。
 はじめは,これは嘘だと思った。道を聞いた女性は,間違ったところを教えたのではないかとさえ思った。「どこへ行きたいのですか?」と聞かれたので,ホテルへ忘れものを取りに帰ると言ってホテルの場所を指し示すと,「そのホテルは今から私が行くところの近くだから,一緒に行きませんか?」という思いがけない展開になってきた。

 歳をとってくると,旅をしていて見知らぬ人に話しかけても,相手に警戒されないどころか,親切にされることが多くなってうれしい。ということで,ついていくことにした。そのあとでも,ほんとうに自分があるいているところが彼女の言った場所だとはずっと信じられなかった。私は方向音痴ではない。こんな経験(自分の思ってもいないところにいる)は生まれて初めてのことであった。 
 話をしながらあるいていると,彼女は,夏休みに英語を勉強するためにスペインから来た学生で,これから,チャイナタウンにある語学学校に登校するところだということであった。私の泊まっているホテルは,チャイナタウンのとなりだから,一緒に行きましょう,ということになったわけであった。
 というわけで,歩いて戻ると結構な距離だったけれども,楽しさ100倍,時間の過ぎるのが惜しくなって,ボストンコモンの中を縦断し終えた頃,知った景色が見えてきたときに,はじめて,自分の迷ったところが,本当に彼女の言った場所だったと認識した。申し訳ない。
 それにしても,今だに,どうして,そんな方向間違いをしたのか信じられないのだけれども…。
 やがて,ホテルの近くの交差点まで来た。
 「私はこの先反対方向へ行くので,ここで」ということになって,別れることになった。そうして,せっかくなので,記念に一緒に写真を撮りましょうということになって,通りがかりの人を見つけて写真を写してもらった。
 写した写真はこのブログではお目にかけられないが,私の大切な宝物として,手元にある。
 道に迷ったことが,逆にいい思い出となった。塞翁が馬,まさに「愛しきボストン」である。

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☆6日目 7月25日(木)
 きょうは,1日ボストンを市内観光して,夜,フェンウェイパークで野球を見る予定であった。
 このホテルは朝食つきなので,フロントの横にあった食堂で朝食をとった。
 一度部屋に戻って,バッグにカメラや地図など必要なものだけを詰め込んで出発した。 

 まず,ホテルの近くに,今年の4月15日にボストンマラソンで起きた爆破事件の現場があるようだったので,単なる好奇心でそこへ行ってみることにした。ホテルのフロントでその場所を聞いた。フロントの女性は昨晩の人とは違う人だった。その女性が「すぐそこだよ」と言ったけれど,喜んで教えます,みたいな感じではなかった(もっともだ)。
 ホテルから1ブロック北に行ったボストンコモンの南を通るボイルストンストリートとボストンコモンの西端を南北に走るアーリントンストリートの交差点の北西角にトリニティ教会があって,その場所が現場であった。昨日,1駅歩いて地下鉄に乗ったちょうどその場所であった。ホテルからは2,3分のところであった。教会の塀には,たくさんのリボンが結びつけられていた。

 わかりやすく例えれば,事件現場は,ちょうど日比谷公園の東側をとおる日比谷通りが内幸町に差し掛かった交差点(日比谷公会堂のあるところ)のような場所であった。私の泊まったホテルの位置は第一ホテル東京,といった感じか。
 日本では,アメリカのニュースといえば銃の乱射とか爆破事件とかそういった報道ばかりなので,今だ,危険な国というイメージを抱いている人が多いけれど,実際に観光客として遊びに行って表面的ではあるが町を歩いているときは,非常に平和で安全なところである。だから,こんなところであの事件が起きたのか,という衝撃が実感であった。早くも事件後3か月以上が過ぎて,教会のリボン以外は,何も事件の面影が残っていない通常のボストンの繁華街だった。
 この教会を目のあたりにしたそのあとは,1日中,ボストンの市内観光をのんびりと楽しむことにして,とりあえず,ボストンコモンを散歩した。

 1981年7月26日に成田を出発して8月6日に帰国した,私の32年前の東海岸のひとり旅の思い出は,今になってみれば,断片的なものである。アルバムに残る写真と日程表くらいしか形として残っているものはない。
 その時の旅行で,ボストンに滞在したのは,7月27日から29日のわずか3日間であった。
 今,そのアルバムを眺めてみると,確かに,わずか2泊の滞在とは思えないほど,いろいろなところへ行っている。
 当時泊まったホテルの場所も記録が残っているので,そのホテルがどこなのかは今でもわかる。だが,当時,どのような経路で市内観光をしたのか,まったく記憶が残っていないのである。
 ホテルの場所も決して便利なところとも思えないので,どうやってそのホテルへ行ったのか,ホテルからダウンタウンへ行ったのかも思い出せない。
 思い出すことといえば,ホテルの前の広く静かな通り(「ソールダーズフィールドロード」だと思われる)とか,そのホテルの北側にかかる橋からケンブリッジに向かって歩いた時に,チャールズリバーに浮かんだ大学生のボートとか,夕暮れに大きなカバンを転がしながらホテルまで歩いたこととか,ボストン・ティー・パーティの事件があった港に行ったとき,ボストン・ティー・パーティ事件を知らずショックを受けたこととか,ボストン美術館へ地下鉄で行こうとして,すごく怖かったこととか…。
 そうした断片的な映像だけが,懐かしくよみがえってくる。

 今,地図を見ながら,そして,今回実際に行ってみると,車も使わず,当時,どうすればそういう観光ができたのか,全く分からないのである。本当に不思議な気持ちになる。私は,そのころと何も成長していないだ。
 今回の旅で,その時の思い出をつなげてみようと思ったのだが,歩けば歩くほどわからなくなった。その時に泊まった同じホテルに泊まってみようと思ったが,ホテルは建てなおされて高級ホテルに様変わりしていた。
 そうしているうちに,当時の軌跡をたどることは自分の大切な思い出が崩れていくようで怖くなった。思い出というのは,事実の記憶ではなくて,記憶を頼りに自分で作り上げたフィクションなのかもしれない。今回の旅の思い出も,また,何年もすると,そうした形で残っていくのであろう。
 でも,私は,いつか,歳をとって,今のように旅ができなくなってしまったときに,この大切な思い出だけで生きられるだろう,と信じている。そして,残念ながら,こうした思い出を作ることができる自分に残された時間がどんどん少なくなっていることを実感している。悲しいことだけれど。

 ボストンコモンを南西から北東にのんびりと歩いていった。
 平日なので,仕事に急ぐ人がいたり,のんびりと散歩する老人がいたり,太極拳をする中国人の一団がいたりした。ボストンコモンも広い公園で,銅像があったり,池があったり,遠くにビルがみえたりした。そうこうしているうちに,ボストンコモンの北西端に着いた。
 このとき,昨日購入した地下鉄の7日間乗り放題チケットをホテルに忘れてきたことに気がついた。

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 はじめに,テラピンポイントの展望台から滝を見たり写真を撮ったりしました。
 グループで観光に来ていた人たちが写真を撮りあっていて,彼らは「ピザ」とか言っていました。日本なら「チーズ」です。まあ,ピザもチーズもそれほど違いはないかもしれないなあ,と思いましたけど。
 
 それにしても,雄大な景色でした。
 向こうに見えるカナダ側には,ホテルがあったり,タワーがあったりしました。
 カナダ側の方が景色が雄大だといわれ,観光客のほとんどはカナダ側に行くのですが,カナダ側は,いかにも観光地という感じで,観光バスもたくさん駐車してあるし,土産物屋は日本のそれみたいだし,私は,素朴なアメリカ側の方が好感がもてました。
 ガイドブックによると,「風の洞窟ツアー」というのがあって,滝の下を歩けるらしいので,そのツアーに参加しようと入口に行きました。このツアーは所要時間が約30分ということだったので,十分に時間があったので,チケットを購入しました。
 ビニールのカッパとサンダル(というより地下足袋)を受け取り,スキー場のレストランみたいなところがあって,そのコインロッカーに靴を預けて出発です。靴下をはいたままサンダルを履いていた人がいたのですが,あれは,大失敗です。そのひとは,あれからあどうなってしまったのでしょうか???
 
 滝の下に行くためのエレベーター乗り場に向かう入口に列が出来ていて,そこに並びました。カッパを着ているので,蒸し暑いのです。
 少しして,記念写真を撮って(きっと後で売るのでしょう),その先にエレベーターが入口がありました。
 エレベーターに乗って,滝の下に降りました。そこから通路を歩き,外に出ました。
 帰りのグループとすれ違ったのですが,彼らは頭から水浸しでした。きっと,はしゃいでわざと濡れたのだろうとたかをくくったのですが,それは,大きな誤解でした。
 ツアーのガイドさんがいて,そのガイドさんを先導に滝の下に歩いて行きました。
 はじめはみんなカメラとかビデオを持っていたのですが,やがて,それを持ってきたことが後悔に変わるのでした。
 滝の下は木で作られた通路,そして,階段になっていました。
 半端な水しぶきでないのです。途中には迂回路もあって,先に進むのを断念して迂回路にまわる人もいるくらいなのです。まさに,頭の上からバケツで水をかけられた状態なのでした。
 しっかり着ていたカッパの襟口を締めていたのですが,気づいたら,ズボンが水浸しでした。
 もちろん,写真など撮れる状況ではありませんでした。要するに,水浸しになる以外には何もできないのでした。でも,このツアーはものすごくおもしろかったのです。

 帰りに,来るときに行きそびれた三姉妹島に寄りました。
 停めた駐車場からは少し歩かなくてはならなかったのですが,三つのすべての島へ行く橋(といってもわずか1メートルくらい)があって,歩いて渡ることができました。
 柵とかガードはなく,川に落ちるのも自己責任でした。
 帰路は,行と同じサービスエリアで,屋台のチリドッグを食べました。
 こうして,夕方の5時頃に,クリーブランドに戻ることができました。
 このように,クリーブランドからナイアガラの滝の日帰りツアーが可能なのですが,天気が良かったこともあって,エリー湖畔の素晴らしいドライブも楽しむことができました。
 なお,バッファローは、地元を流れる小川の名のフランス語 beau fleuve (美しい流れ)が転訛したものということです。私はバッファロー市に立ち寄ったわけではないので気づきませんでしたが,バッファロー中心部の治安はアメリカの中でも特に最悪で,年々悪化している状態だということなので,注意が必要です。


 今年のアメリカの「ブラック・フライデー」は売り上げが昨年の4パーセントも減ったそうよ。でも,インターネットでの売り上げは17パーセントも増加したんだって。みんな週明けの月曜日にネットで買った買い物が届くから,これを「サイバー・マンデー」と名づけたそうよ。
 年賀状の減少もそうだけど,いろんなことがどんどんとインターネットに変化しているわね。商売している人はうまく転換していかないと大変だわ。だから,時代について行かれない上司は売れなくなったものをノルマにして売ろうとするのね。
 どんなにインターネットが発達しても,人の心は同じでしょ。だから,私は,ずっと感動できる自分でありたいのね。どんなにきれいな写真を見ても,実物にはかなわないじゃない。



 きょうの「天声人語」にアイソン彗星のことが書いてあったわ。
 私の周りにも楽しみにしていた人がいて,すごく落胆していたけれど,星に限らず,未来のことなんてわからないじゃない。それよりも,私は,皆既日食とかがちゃんと予想通りに起こることの方が不思議なんだなあ。
 わからない未来を少しでもマシにするために歴史を学ぶんだ,っておじいちゃんが言っていたけれど,私の持っている歴史の教科書読んでも,歴史からわかることって,戦争と財政危機ばかり繰り返していることよね。何も学んでいないんじゃない。
 やっぱり,なにもできない私は,流れ星にお願いするしかないのかなあ。


 今,アメリカでプロミス・カードっていうのが流行っているんだって。
 「Beacuse I said I would」で検索してみて!
 お約束を守るために,右下に「Beacuse I said I would」と書かれた名刺大の大きさの紙に〇〇しますよ,って書いて渡すんだって。で,約束を守ったら,そのカードを返してもらう,それだけなんだけど,ディジタル時代にむしろアナログなのがウケているみたい。
 幼稚園の「お約束カード」と同じよね。大人の人もみんなが,お約束守りましょうね,って,名刺の交換しているの,なんかおかしいわね。でも,「いいね!」ってクリックしたいわ。


 きのう,NHKテレビで,アイソン彗星の特番をやっていたわ。それにしても彗星が消滅しちゃって本当に残念だったわね。でも,番組を見ていて思ったんだけど,宇宙ってすごいのね。それに比べれば人間ってちっぽけね。だから宇宙を考えると,どんどんと謙虚になるわね。
 私もアイソン彗星を見ることを期待していたんで,がっかり。でも,ラブジョイ彗星っていうのが見えているそうなので,早起きしなくちゃね。夜明けもきれいだし,早起きはすてきよ。
 そういえば,その番組でも言っていたけれど,「アイソン」は「愛と損」じゃない。で,「ラブジョイ」は「ラブとジョイ」だから愛を楽しむだよね。愛は損するよりも楽しまなくっちゃね,って,神様が言っていたのよ,きっと。


 今週も金曜日が来たわ。本当に1週間って早いわね。今は1年で1番夜が長いし,1月に比べたら寒くないし,お星様を見るには最高よね。
 でも,夜はちょっとっていう人には,プラネタリウムっていう手があるわよ。なので,今週の写真は名古屋市科学館のプラネタリウムを紹介するわね。
 まんまるのところがプラネタリウムね。この中に座席があって,お星様を見るの。そのプラネタリウムがまたすごく優秀なの。一度見に行くといいわ。結構混んでるらしいから,朝チケットを購入するといいわ。私も見てきたけど,はまるわよ。
 でも,お星さま見てると寝ちゃうかもね。だったら睡眠不足の人にもお勧めね!
 じゃあ,また,来週。元気でね。

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DSC_0002DSC_0008  「ホテルローヤル」を読みました。この本は,2013年に第149回直木三十五賞受賞を受賞した7篇から成る連作短編集です。
 著者の桜木紫乃(さくらぎしの)さんは,15歳のときに父親が釧路町に開業したラブホテル「ホテルローヤル」の部屋の掃除などを家業として手伝っていた,その経験から生まれた本です。
  ・・・・・・
 釧路郊外に建つラブホテル「ホテルローヤル」に,登場人物は皆,関わっています。
 スーパーの運転手,貧しい寺の住職の妻,ホテル経営者の娘,妻に不倫される高校教師,生活苦の夫婦,ホテル従業員,ホテルを開業した看板業者。
 かれらはいずれも人生を踏み外しかけた人間ばかり。どの人物も貧しくて,孤独で,ひどく疲れています。そういう人々が吹き寄せられるように湿原に立つラブホテルに集まって来るのです。
 人々の日常性,彼らに纏わりつく倦怠・諦念…。寄る辺無きままに愚直に生きる人々の姿であリ,泥臭く愚直に生きる人々の「生」なのです。
  ・・・・・・

 救いがないのが人生です。この本に描かれているのは,そうした救いのない暗い話ばかりです。
 きっと,北海道という設定,すでに廃墟と化したホテル,時間を逆にさかのぼるように書かれた構成が,それらの物語に効果を与えています。
 こんな「ありえない設定を」とか,男性の私には多くの主人公達にまったく共感出来なくて読み進めるのが難しかったとか,そういった感想がネット上に載っていますが,私は,そうした感想を残した人がこのような作品を楽しめるようになるには,多少の悲しさを心に持ち合わせるだけの環境にあるか,もしくは一定の年代を経るかが必要なんだろうと思います。また,読んで「不快になった」と書かれたものも少なからずありましたが,それこそがこの小説に描かれた男たちの持つ心と同じなのです。そういう感想をいだいた人は,作者の意図に見事にはまっています。

  ・・・・・・
 気の小さい男と,打算的な女だったの。上手くいってるように見せなくちゃ,あんなところで喫茶店なんかやってられないでしょう。お客さんの悩み相談を聞きながら,一杯四百円のコーヒーと,五百円のランチを維持するために仲がいいふりするのって,ただの偽善じゃない。
  ・・・・・・
 実は,人は,貧しくて,孤独で,ひどく疲れていなくても,どんな人も,それぞれどこかに同じようなものを持ちあわせているのであって,そうした本質が外面に出ているかどうかの違いだけなのです。優越感などないのです。
 そういったことを知ることが生きることなのです。それだから,人は優しくなれるのです。
 この作品は,ある程度年齢を重ねて,さまざまな人と出会い,出来事を経た人が,人生を振り返りながら読むと,そのよさがわかります。
 人生には救いがないけれど,歳を重ねることは,こうした作品に出会えて,それを読んだ人の感想からその人の人生がわかってきて,だからこそおもしろいのです。

☆ミミミ
12月5日の朝5時20分に撮影したラブジョイ彗星です。空が暗ければ,北東にあるかんむり座に肉眼でも見えます。
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 試合はそのままボストン・レッドソックスの負けで終了してしまった。試合の結果はともかく,本当に楽しい球場であった。
 多くの観客とともに,フェンウェイパークを後にした。振り返ると,球場の照明がとてもきれいだった。
 人の流れのまま地下鉄の駅まで歩いた。駅の入口は混雑していたが,チケットを持っている人は別の改札口から入ることができた。地下鉄グリーンラインはすぐに来て,車内も混雑しているといっても,日本の通勤ラッシュの比ではなく,ホテルのある最寄りの駅に戻ることができた。

 地下鉄の車内の会話をそれとなく聞いていると結構おもしろい。
 日本の電車は,まるで,学校の朝礼のように,やたらと注意事項が多く,車内では携帯電話を使うな,とか,音楽機器の音漏れに気をつけろ,とか,私には,そういう車内放送のほうがそうとううるさくて迷惑だし,静かにしろ,という割には,鉄道会社のコマーシャルを車掌が延々としゃべっていたりして,何が目的なのかよくわからないのであるが,アメリカでは,そういう放送はないし,車内でも乗客は携帯電話で大声で電話をしているし,話し声もすごい大声だったりするのだが,ほどほど言っていることが理解できないので,私には何のストレスもない。
 すでに書いたことだが,アメリカ人は,子供のまま体だけ大きくなったようなものだから,社会全体が小学校だと思えばいいのかもしれない。しかも,ここは学校でないから先生はいない。気に入らないことがあれば,その人が直接気に入らない人にずけずけと文句をいうから,陰でこそこそなんていうのはないし,気楽なものである。
 
 駅からホテルまでは,ビルに沿ってちょうど四角形の対角線の位置にあるので,駅を出てホテルまでビルに沿って歩いた。もう,夜の10時過ぎだというのに,結構にぎわっていて,ビルに隣接したレストランやカフェには人が大勢いた。
 我々の年代だと,アメリカの大都市は怖いとか,夜は出歩けないといったことを習い知っているので,その先入観もあって深夜に歩くのは躊躇してしまうのだけれども,日本の夜とほとんど違いはないように思えた。

 午後11時頃にホテルに戻った。
 フロントには,私がチェックインしたときの女性がまだ仕事をしていて,どこへ行ってきたの? みたいな表情をしたので,野球見てきた,と言ったら,驚いていた。
 あすのチケットを持っているということはチェックインしたときに話したので覚えていたようだったので,きょうも見てきたというので,彼女は驚いたわけだった。
 部屋にもどった。日本のホテルのような小さな部屋でバスタブもなくシャワーだけなのだが,妙に居心地のよい部屋であった。
 しばらく,テレビを見ていたが,そのまま寝てしまった。
 本当に楽しい1日であった。

DSCN2835DSCN2838DSCN2842DSCN2848DSCN2856s 窮屈な座席でしばらく見ていたが,意を決して席から出ることにした。
 席から解放されて,まず,コンコースに沿って,球場内を1周してみた。
 ライト側スタンドの下が「ビッグコンコース」と呼ばれているところで,ここには場内最大の飲食コーナーがあった。
 数年前まで実際にチケットを売っていた窓口は,チケットのほとんどがインターネット販売になって縮小されたために,これまでの優勝時の記念コーナーに変わっていた。できたころのレンガ塀を利用した展示やらがあって,全く退屈しなかった。
 外野席後方には立見席もあった。また,グランドが見える内野後方には,バーがあったり,スコアボールド近くにはビヤガーデンがあったりと,どこからでもゲームが楽しめるようになっていた。

 スコアボールドは,遠くから見ると,昔の鉄板のように見えるが,実はすべて巨大なビジョンで,そのデザインで昔のスコアボードのように見せかけているのだ。
 古い球場なので屋根の支柱があって,それが客席の邪魔になっている。しかも,何と柱のうしろにも座席がある。それが,レフトスタンド側31ブロック3列目20番である。運悪くその席のチケットを買った人は,まったくグランドが見られない! …なんていうこともある。

 コンコースを2,3周してから,「ビッグコンコース」の売店で,ホットドッグとコーラを買って夕食の足しにした。
 それから,スタンドに戻ったが,まだ,3回裏あたりであった。
 私の座席のあたりは,依然としてインド人の男たちが混み混みで座っていたので,そこまで行かず,その手前に2席空きがあったので,そこに座った。隣の男が,お前の席はその向こうだろうと,他意はなく声をかけたので,人がいないから,この席に変更だ,と答えてやった。その反対側にいた人と話をしていたら,そのひとつ前に座っていたナイスガイが私たちの話に割って入ってきた。そのナイスガイが言うには,シカゴからやって来たのだそうだ。それで、私もシカゴのリグレーフィールドに行ったことがあると応えたら意気投合して,次第に盛り上がってきた。
 なにせ,MLBの球場巡りにかけては,きっと,この日フェンウェイパークにいた3万人以上の人々と比べても,球団関係者と選手を除いて,私ほどたくさん行った人はいないであろう。そのシカゴのナイスガイだって,これまで行ったことのあるボールパークは3か所だけだと言っていた。当然私の勝ちである。

 とにかく,このボールパークは,今のオーナーのおかげで,グリーンモンスターの上段にも座席ができるし,スコアボールドはマルチビジョンになるし,どんどんと最新設備が導入されたので,より魅力的になったということだった。確かに,ここはすばらしいところだった。

 この試合,ボストン・レッドソックスの対戦相手はタンパベイ・レイズであった。
 タンパベイ・レイズはフロリダにある1998年創設の球団で,トロピカーナフィールドという屋根つき人工芝の球場を本拠地にしている。場所は,フロリダのディズニーワールドの近くだから,日本人の中にも行ったことがある人も多いと思われる。
 私も,かつて,フロリダを1周して,キーウエストまで足をのばしたときに,一度行ったことがあるが,どうしようもなくつまらない球場であった。アメリカで,屋根が開かない屋根つき球場って,もう,ここにしか残っていないのではなかろうか? 人工芝も,こことトロントのロジャーズセンターだけだ。トロントは寒いから仕方がないとして,旧時代的ボールパークの代表であった。とはいえ,日本のほとんどの球場はこのどうにもならない屋根つき人工芝だけれども…。
 私は,30球団の球場制覇をめざしてはいるが,トロピカーナフィールドとオークランド・アスレチックスの本拠地オードットコーコロシアムは,その魅力のなさにおいてなんとかならないものかと思っている。トロピカーナフィールドは,どうやら新球場を建設することが決まったらしい。このことは、すでにブログに書いたことがある。
 ところで,そのタンパベイ・レイズであるが,この球団,本拠地のひどさとは対照的に強いのである。この試合もまた,今年首位を走るレッドソックスが大苦戦していた。

 きょうの私の目的は,第1に,愛しフェンウェイパークを見ること,その次に,この球場名物の8回裏攻撃まえの「スウィート・キャロライン」をみんなで合唱すること,そして,第3に,わが日本の誇るレッドソックスのクローザ―上原浩治を見ることであった。
 実際は,この後,予期しないとんでもないことになってしまうのだが,この時は,そんな未来のことは当然知らず,明日また試合を見にくることこそが私の本番で,今日は下見のつもりで構えていたので,さして,真剣に試合を見ていなかった。それでも,レッドソックスにはジャコピー・エルズバリー,ダスティン・ペドロイア,そして,天下のデービッド・オティーズ,ジャロッド・サルタラマッキアなどなど,有名選手だらけなので,レッドソックス攻撃時には,打席に入る選手のナマ姿を見て,感動しまくりであった。
 その彼らが,何と,レイズのデービッド・プライスという球の速いだけの投手を打ち崩せないのであった。隣のおじさんは,プライスの球の速さに感動しているし,ついに,0対3のまま7回まで来てしまった。ピッチング練習場には,上原浩治らしき人物をちらりと見ただけで,このままではきょうの登板はありそうになかった。
 そうこうするうちに,8回になった。
 試合は,7回裏にやっとのことでマイク・ナポリがホームランを打って1対3になってはいたが,8回表に,致命的な2点をとられてしまった。
 こんなことなら,せめて,8回表は田澤純一を出すべきであったのだ。
 8回表が終わり,「スィート・キャロライン」がはじまった。
 これは,最高であった。実際にボストンまで試合を見に来た意味がここにあった。
 この「スィート・キャロライン」は,しっかり動画に収めたので,帰国後も,iPadで再生しては懐かしんでいる。でも勝ちゲームであれば,もっと最高であったのに,残念なことであった。
 「スィート・キャロライン」の途中で,先ほど私に話しかけてきたナイスガイは,「グッド・ラック」と言って,早々と帰っていった。

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 昨年は,猛暑から急に寒くなったので,絶品の紅葉を見ようと京都を歩いてみました。
 今年は,急に冷え込んだので,昨年以上の紅葉が見られるのではないかと,今度は,鎌倉を散策してきました。
 鎌倉の散策といえば,北鎌倉駅から鎌倉駅までのコースが有名ですが,私の訪れたのは休日だったので,JRの北鎌倉駅は,ホームから出るのも大変なくらいの人混みでした。

 こうして,京都と鎌倉の両方に出かけてみると,いろいろな違いがあって,それが私には一番興味深いことでした。
 はじめに思ったのは,お寺の拝観料が,鎌倉の方が安いということでした。京都は,拝観料がどんどんと高くなって,今はどこも600円くらいします。それに対して,鎌倉は300円です。お寺の格とかいうことは全く知りませんが,紅葉に関していえば,どちらも双璧なので,鎌倉の方がお得です。
 観光に訪れる人も,鎌倉は,当然,首都圏の人が多いのですが,京都とは違って,古寺を鑑賞する,という目的の人は少ないように感じます。言い方を変えれば,お寺見物のプロでない,という感じなのです。そういう意味では,お寺を訪れた人たちの興味が違うように思います。

 では,北鎌倉から歩いてみましょう。
 まず,北鎌倉駅の東に円覚寺があります。ここは山門から眺める紅葉がきれいなので,多くの人が写真をとっています。しかし,ここは,どこで写しても電柱と電線が入ってしまうので,後で見るとがっかりすると,私は思うのですが…。
 円覚寺は,北条時宗が蒙古襲来で戦没した霊を弔うために建てられたお寺です。境内の南側の小高い丘の上に鐘楼と弁天堂があります。ここに登るのはかなり大変なのですが,見晴らしのいい高台からは,運がいいと富士山を見ることができます。
 次に,私の大好きな明月院に向かいます。この別名「アジサイ寺」とよばれる寺のことは,すでにこのブログにも書きましたが,この寺は,本堂の丸い窓があまりに有名で,観光客はみんなここに集まって写真を写しています。絶好の写真スポットなのでしょう。
 この丸窓の向こうには広い後庭園があります。しかし,この寺の後で庭園に入るには,拝観料とは別に入園料が必要なので,庭園まで入る人が少なく,とても空いているのです。
 ガイドブックに載っている値段の高いものを食べるのにはお金を惜しまなくても,こうした庭園に入るのはお金を惜しむのが関東流だなあ,と私は思うのですが,実は,この庭こそが穴場なのです。ここの紅葉は絶品ですし,人が少なく落ち着いて散策することができます。
 明月院から少し行くと,長寿禅寺という寺があります。
 長寿禅寺は足利尊氏が創建したもので,境内の裏山には,尊氏の遺髪を埋葬した墓があります。
 この寺は,拝観できる期間が限定されていることと,あまり有名でないので,通り過ぎる人が多いのですが,この寺の庭は最高なのです。モミジの紅葉とイチョウの黄葉の調和がみごとです。そこに,木漏れ日がかかるので,すばらしい景色を味わうことができます。
 寺の人に聞いたところによると,何かのガイドブックに紹介されたとかで,この寺を通り過ぎずにわざわざ訪れる人は,みなこの本を持っていると言っていました。

 それにしても,観光する人たちは,みな同じように何がしかのガイドブックを持っていて,そこに書いてあることしかしません。だから,ガイドブックに書かれてある特定の店に並んで食事をする,というのが,私には滑稽に思えます。そうしたコースから外れると,むしろ,人の少ないすばらしいところがたくさんあるというのに…。
 長寿禅寺を出て,歩道から溢れるほどの人混みをさらに南に行くと,有名な建長寺があります。そして,鶴岡八幡宮には北側から入ることができます。そして,鶴岡八幡宮の石段を下っていくと,若宮大路に出ます。
 このあたりは,どのガイドブックにも載っている観光名所なので,私はここをパスします。
 若宮大路まで来ると,北鎌倉からの古寺散策は終了です。
 若宮大路には多くの土産物さんが軒を連ねていて,そのまま進むと鎌倉駅に着きますが,さらに若宮大路を1キロほど南に歩いて行きます。すると,やがて海の香りがして,海岸にたどりつきます。左手東側は材木座海岸で,右手西側は由比ヶ浜です。江の島はもうその先です。12月だというのに,水着を着た人を見かけます。さきほどまでの古寺とは打って変わってここは美しいリゾート地です。
 このように,歴史あり景色あり美食ありと,秋の天気のよい1日をのんびりと楽しむには,京都もいいけれど鎌倉もまたすてきなところです。
  ・・・・・・
 鎌倉では潮騒ばかりではなく,山の音もする。
  ・・・・・・

◇◇◇
サザンオールスターズの「鎌倉物語」では,
  ・・・・・・
 鎌倉よ何故夢のような虹を遠ざける
 誰の心も悲しみで闇に溶けてゆく
  ・・・・・・
と歌われます。

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 12月のN響定期公演Aプログラムで取り上げられた曲目に,シャルル・デュトワ指揮のショスタコーヴィチ交響曲第15番があったので,聞いてきました。
 私は,すでにこのブログに書いたことがあるように,ブラームスの交響曲第4番が大好きなのですが,それとともに,ショスタコーヴィチの交響曲第15番の大ファンでもあります。しかし,あまり演奏されないので,めったに聞く機会がないことを残念に思っていました。

 この日のプログラムは,ストラビンスキーの「カルタ遊び」,リストのピアノ協奏曲第1番,そして,ショスタコーヴィチの交響曲でした。トライアングル協奏曲ともいわれるリストのピアノ協奏曲はなじみがあるのですが,このプログラムはかなりの通でないと魅力を感じないと思われるので,こういったプログラムが聴けるのは貴重です。

 小学校の時,音楽室の後ろに作曲家の年表があって,バッハ,モーツアルト,ベートーヴェン,ブラームスといった作曲家の難しそうな似顔絵が並んでいたのですが,その最後に,「ショスタコーヴィチ」がありました。
 当時は,まだ,ショスタコーヴィチは生存していたので,私は,まだ生きているクラシック作曲家がいるということが驚きでした。ショスタコーヴィチに興味を持ったのは,そんな理由からでした。
 中学生の頃だったか,ショスタコーヴィチの交響曲の最新作を日本で初演するということを知りました。これが交響曲第15番でした。

 この日本初演は,ロシア(当時はソビエト連邦)のオーケストラの来日公演でロジェストヴェンスキーが大阪フェスティバル・ホールで振ったのですが,その時のコンサートはテレビで放映されて,私は,それを見た記憶があります。
 解説者が,曲の紹介で,「ウィリアム・テルが出てきますよ」と話していたことが大変印象的でした。
 実際に聞いてみると,確かに,ウィリアム・テルの旋律が何度も出てきました。
 その頃知っていた交響曲は,ベートーヴェンの第5番とか第9番とか,しかも,当時は,2管編成をわざわざ倍の4菅編成にして,テンポもゆっくりと堂々と演奏するのが流行っていたころだったので,そういった曲と対比して,こんな軽いものが交響曲なのか,とがっかりした思い出があります。
 当時は,この曲のよさなど,わかるわけがありませんでした。

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 ショスタコーヴィチの最後の交響曲である第15番は1971年に作曲されました。
 交響曲第13番,第14番のような声楽入りの交響曲や,標題的な作品である第11番,第12番などとは異なって,伝統的な4楽章の交響曲でした。室内楽的なオーケストレーションや,頻繁に打楽器が出てくること,さまざまな作曲家の作品からの引用,十二音技法など,ショスタコーヴィチ流の技巧満載の作品です。  
 特に第4楽章の途中からは長大なパッサカリア(ブラームスの第4番と同じだ!)となって, そして,いよいよ,チェレスタのパッセージと第1楽章断片の再現による静謐なコーダが始まるのです。
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 このコーダが圧巻なのです。
 40小節にわたって,弦が主和音をピアニッシモで奏でて,打楽器が交響曲第4番第2楽章コーダやチェロ協奏曲第2番の終楽章の打楽器パートを引用します。
 ここで引用されたチェロ協奏曲第2番というのは,1966年に作曲されたものです。
 当時ショスタコーヴィチは心臓病を始めとする疾患に悩まされていて,軽やかな第1番とは違い,第2番は暗く不思議なトーンが全編に満ちています。3楽章形式からなっていて,曲の最後は驚くようなファンファーレを披露します。それが,この交響曲第15番のコーダと同じなのです。

 このように,ショスタコーヴィチ最後の交響曲では,自分の生涯を述懐するするかのように自作の引用やほのめかしがちりばめられています。そのあまりの密度の濃さから,この曲は,ショスタコーヴィチのこれまでの人生をさまざまな音楽の断片として,走馬灯のように明減し,その激動を象徴的に,まるで彼の命を絞り出すように描いているのです。
 ここには,ベートーヴェンの描いた「苦悩から歓喜へ」といったある種のきれいごとの高揚感は全くありません。人生には救いはない,あるとすればそれは死だ,ということを訴えているようなのです。
 私は,この曲を聞いて,本当に疲れました。これほど曲を聞いて精神的に疲れたことは初めてでした。それとともに,この曲の、最後の数小節を、感慨なくして聴くことができませんでした。
 この20世紀の大作曲家の残した最後の交響曲の混沌とした結末に,生きるということの深さとたいへんさに改めて感じ入ってしまったのです。

☆ミミミ
アイソン彗星は核の大きさが予想以上に小さかったことから,太陽に近づくと消滅する可能性を指摘する専門家もいました。しかし,これまで,池谷・関彗星や昨年のラブジョイ彗星(現在見えているものとは違います)がアイソン彗星よりも太陽に接近したのに生き延びたので楽観的な意見のほうが多く,日本の専門家の書いた本に至っては,アイソン彗星は消滅しないとあえて太字で書いてあった本もあるほどでした。しかし,太陽に接近して核が崩壊してしまいました。
今後,崩壊した核の残骸から出た尾が眺められる可能性もあるので,これからも注目していきたいと思います。予測不能もまた,おもしろいものです。
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 とりあえず,チケットに書かれてあった自分の席に向かった。
 これまで数多くのボールパークへ行ったが,ここフェンウェイパークは座席数37,402人,この後で行くヤンキースタジアムは50,329人,昨年行ったミネアポリスのターゲットフィールドは39,500人ということである。
 フェンウェイパークとターゲットフィールドは収容人数がほとんど同じなのだが,球場の広さにはものすごく違いがあるように感じられた。確かに,グランド自体の大きさに差はあるが,極端に違うとは思われない。しかし,実際にスタンドに座って観戦をしてみると,フェンウェイパークのほうがはるかに選手に近く,手の届くところで野球をやっているように感じられるのである。だから臨場感があって,ものすごく楽しい。
 ヤンキースタジアムやターゲットフィールドは新しく作られたので,確かに設備は段違いに充実しているけれど,絶対にフェンウェイパークのほうが楽しい。この三つのボールパークのうちどこへ行きたいか,と言われれば,私は,躊躇なくフェンウェイパークをあげる。

 席は,1階の3塁側,グランドに近い上席であった。左手にグリーンモンスターがそびえていた。
 通路から席に向かって10席くらい入ったところだった。座ったときは,ちょうど試合がはじまったところで,急に試合を見にきたので仕方がないが,試合開始前の国歌とか始球式を見損ねたのは残念だった。
 着いたときは,私の座ったところから通路までの10席のうち,通路に近いところの席にふたり座っていただけで,残りの席は空いていた。私が座ってすぐに,インド人の男が4人来た。彼らに座られると私は出入りが大変なので,席のトレードを提案したのだが,却下された。彼らにはその意味が分からなかったようである。ひとりで試合を見にくると,となりにだれが座るかというのはけっこう大きな意味を持つのであって,それで,これまでずいぶんと知り合いもできたのだけど,今回のこのシチュエーションは最悪であった。

 私は,夕食もとっていなかったので,コンコースに出て売店で何か物色してこようと考えていたが,男が数人横に座ってひしめき合い,通路に出ていくのもおっくうになってしまった。狭いこの球場は,席の間隔もまた狭かった。
 ちょうどそのとき,売り子がピザを売りに来た。こういうのをこれまで買ったことはなかったが,今回はピザを買うことにした。値段は800円くらいで,まあ,妥当なものであったが,アメリカで売っているものにしては,量が少なかった。結局,これだけではおなかが一杯にならなかったので,あとで,ホットドッグを食べることになってしまった。
 こちらの売り子は日本の野球場とさほど違わないが,フェンウェイパークではビールを売っていた記憶がない(売っていたと思うのだが…)。アメリカで独特なのは,レモネードである。あたまにたくさんの透明プラスチック容器に入れたレモネードを木の箱につめ,それを頭に乗せて,「モネード」,「モネード」(レにアクセント)と売り歩くのである。あとは,綿菓子である。これを木の棒にくくりつけて売り歩く。ピーナッツ売りはどこでもいるが,隣の人がこれを買うと,やたらを殻を捨てるので,まわりがゴミだめになる。それでも,からからの殻であれば許されるが,ゆでピーナッツだと最悪である。べとべとになる。
 ピザを食べた私は,今度は飲み物を欲したが,なんと,単なる水の小さなペットボトルを2ドル25セントで売っていたのには閉口した。「ルドラ」といって売っていた。

 アメリカの資本主義社会の徹底さには本当に感心する。
 その値段で売れるのであれば徹底的に高くなる。遠慮というものがない。特に,球場内の物価の高さは異常である。食べ物や飲み物を持ち込めないということをいいことに客の足元を見て,異常な物価高が存在するのである。しかも,誰かが言っていたが,アメリカ人は子供のまま歳をとったようなものなので,欲しければ買い,騒ぎたければ騒ぐ。だから,ボールパークには3万人の子供が一堂に集まっているようなものである。子供だから,値段など関係なく欲しくなれが買っては食べるを繰り返す。彼らは,そうしたハチャメチャなことをするために球場に来るのであって,試合に勝とうが負けようが,そんなことはたいして問題ではない。また,日本のように,一団となって応援するとか,ラッパを鳴らすとか,そういうやぼなことはしない。だからこそ,私は,日本の野球は見ないが,大リーグが大好きなのである。ただし,アメリカ人のように,やたらとものを買ったり食べたりはしないけれど…。

 数年前,本当にひさしぶりに日本の野球を神宮球場で見た。
 私は,日本で野球はめったに見にいかないので,アメリカの球場のイメージしかなかった。日本の球場に来てみて,売店は狭く,球場にコンコースはなく,客席は狭く,客は風船ばかり膨らませているので,完全に幻滅した。アメリカなら,マイナーリーグの球場でも,もっと立派だし,のんびりと楽しく観戦できるし,いろんな趣向もある。
 日本の球場はお金を出してまで,人生を楽しみに行く空間ではない。二度と行くものかと思った。

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