しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

February 2015

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 宿泊したホテルスーパー8は,ハリケーンという町の町外れにあって,いつものように,広々とした道路に面していた。こぎれいなホテルであった。
 場所は,春に行ったニューメキシコ州のカールズバッドの町のようであった。
 早速チェックインをして,部屋に荷物を入れて,夕食を食べに行くことにした。ホテルのとなりとそのとなりにバーガーキングとファミリーレストランがあった。

 雨が降って,虹が出て,空はすっかり晴れ上がって,すばらしいアメリカの夕暮れであった。
 アメリカは広々としているので,夕暮れの頃は本当に素晴らしい。気持ちが大きくなる。
 このホテルも,屋外にプールがあった。そういえば,私はアメリカでこうしたプールには入ったことがない。ちゃんと用意はしているのだが…。

 私は,夕食は,ファーストフード店しか選択肢がない場合を除いて,レストランに行って野菜を食べるようにしているが,幸い,このホテルからはファミリーレストランに行くことができたから,私は,のんびりと歩いて,そのファミリーレストランに行った。
 「JB's」という名前のファミリーレストランであった。
 「JB's」というのは,日本にはないからなじみがないが,日本でいえば,お箸ガストみたいなところと思っていただければいい。
 食べ放題のサラダバーもあった。

 私は,+55限定の安価なステーキセットというのがあったので,それを注文した。55歳以上という証明は全く不要であったが,何の問題もなく注文できたことで,逆にがっかりした。その時に出てきた料理が写真のものである。白いものはポテトである。そして,ニンジンとステーキとパン。私はこれで十分であった。
  ・・・・・・
 1961年,Jack Broberg という人物がユタ地域にあった Big Boy というレストランチェーンを手に入れた。
 多くの起業家同様,彼もチェーン店を大きくしようと,60年代から70年代にかけて,さらに他のレストランチェーンを手に入れて,1972年に JB’s Restaurants, Inc.が生まれた。
 その後,様々な苦境を得て,現在は,株式非公開企業として,ユタ,アリゾナ,ニューメキシコ,ワイオミングとアイダホを含む5つの西部の州で,ファミリーレストランを経営している。
  ・・・・・・

 こうして,今日はふたつの国立公園を見て,大好きな田舎町でのんびりと夕食をとった。
 素晴らしい1日であったが,ひとつ後悔したことといえば,ブライスキャニオン国立公園の近くにホテルをとって,国立公園の雄大な景観に沈む夕日を見損ねたことである。が,この夢は,また,来るときのためにとっておくことにしよう。
 夢は果てしなく大きくなっていく…。

 本当に学校教育で生徒たちに英語を身につけさせたのなら,たとえば,英語の教師を,全員,定期的にイギリスやアメリカへ国費で留学させるとか,交換留学生制度を充実させて,学校では各クラスに最低1人は英語が母国語の生徒がいたり,各学校で最低2人は英語を母国語とする教師を常勤で配属させることで,自然に英語と触れることができる環境を作るとか,そういった予算をきちんと配分すべきなのです。
 しかし,お金は出さない,しかし,英語教育を充実しろ,さらに,研修費用も出さないのに英語教師は全員英検1級を取得させろ,などというのだから,この国のやっていることは,まったくもって,真面目さを欠いています。
 だから,学校教育でやっていることは,難しい文法中心の大学受験問題集の解説や演習と,古典講読のような英文解釈でしかなく,評価をし生徒を序列化することで,生徒に,英語はできないと思いこませて,もともとは英語を身につけたいと思っている子供たちに,英語は苦手だという意識を植えつけて,英語嫌いを作っていくわけです。
 実際,英語を身につけることができた人は,学校以外で勉強することができた恵まれた人たちばかりです。

 私は,これは,きわめて巧妙な国策なのだと思っています。
 学校での英語教育の真の目的は,英語嫌いを作ることなのです。近年,外国に行きたくない,日本のほうがいいという若者が増えてきました。海外の大学に留学する日本人もずいぶんと減少しました。これは,ひとえに,この政策が順調に実施され,実を結んでいることを裏付けているのです。
 言葉の習得に,到達度の設定は必要ですが,序列化する必要などないわけで,順位や記録を争うのが目的の水泳や陸上競技とは違うのです。ある程度のレベルに達しているかどうかを大学入学の条件にするだけでよく,点数を競うことで入学の判定にする必要などないのです。
 だから,入試制度を変えること自体は間違いではありません。しかし,新しい入試制度をきちんと理解した教員を育成し,実践できるように予算をとり,今までの発想自体を根本から変えなければ,絵に描いた餅。今度は,英語の授業は,TOFELの点数稼ぎのためのドリル学習になっていくことでしょう。そして,TOFEL点数稼ぎ塾が乱立することでしょう。

 国が英語嫌いを作りたい目的はふたつあります。
 そのひとつは,お金持ちで権力があって,教育に十分な投資ができる支配者層の人たちだけが,子供を海外に留学させたりすることで,語学をマスターすることができる。そして,将来,そうした子供たちが成長したときに,彼らだけが特権階級を世襲することができるということです。そのためには,よそ者や新参者を排除しなくてはなりません。
 ふたつめは,一般の子供は言うまでもなく,英語を容易に習得できるほどの優秀な子供であっても,彼らをみな英語嫌いにすることで,支配される側の人材が海外に流出することを防ぐためです。そうでもしないと,ただでさえ少子化が進み,莫大な赤字を抱えるこの国が,さらに成り立たなくなるのです。

 最近では,中学校からでは飽き足らないのか,さらに,小学校から英語教育という名を借りた英語嫌いの養成が始まろうとしています。しかも,教科として位置づけるのだそうです。
 小学校で英語教育を,といっても,これまで国が予算を組んで長期計画を立てて指導できる人材を育ててきたわけではないから,教育者は存在せず,結局は,素人教師が象の絵を見せて子供たちに「elephant」と叫ばせるしかないわけです。そして,教育熱心な親は子供を塾に通わせるから,ますます家計は圧迫します。塾だって,英語を教えることができる優秀な教師がいるわけではないから,所詮プリント学習をさせるだけです。このようにして,早期からますます英語嫌いが育成されていきます。小さなころに芽生えた苦手意識は,生涯消えることのない貴重な財産となることでしょう。
 また、教科にすれば評価する必要があると力説されていますが,おそらく,小学校では,近年,子供たちにどう教えるかよりも,どう「平等に」評価するか,ということの研究が盛んなことでしょう。しかし,観点別評価というのは,その教科がマスターできたかどうかを計るものではないのです。

 英語教育に限らず,古典を読めるようにしたいのか日本の伝統文化を学ばせたいのかさえコンセンサスのない古典文法を教えるだけの国語教育,過去の受験問題を系統づけてその解法を暗記させるだけの数学教育をはじめ,議論の仕方や民主主義のルールを学ばせない生徒会活動など,現在,この国の中等教育は全く意味のないものです。その気になれば何でもできるようになる中学校・高等学校の6年間を,こうして無為に過ごさせ,物事を考えたり批判する精神の芽をつむぎ,体制に迎合する人間を作っていくわけです。
 不登校で学校に通わなくても,将来全く困らないことがそれを裏付けています。学校は不要な知識を暗記させているだけだからです。さらに,現在の学校は,みずから考え積極的に行動する生徒を排除し,従順な生徒を育成しているだけだから,真剣に自己を見つめ,人としての生き方に向き合う生徒は不登校になっていきます。

 特に,英語教育は,明治維新後すでに150年近くも経つのに,未だに,学校教育でどのように指導すれば英語を習得できるかというモデルすら全く確立されていないというのが実態です。そして,文部科学省は実践・検証を抜きにした机上の思いつきだけで,指導要領の改定ごとに方針を変えていきます。少し以前には,中学校の英語の授業を週3時間まで削減しました。その総括もせぬまま,今度は拡大路線まっしぐらです。
 その結果,優秀な英語教師たちは,その能力を発揮できぬままスポイルされていきます。そして,塾代という教育費が家計を圧迫する若い親からは,ますます老後に必要な財産を奪っていきます。
 かくして,本当の英語教育が受けられる特権階級の世襲制は磐石なものとなり,英語が使える教師は学校の多忙化と日々ドリル学習の繰り返しでやる気をなくし,将来ある一般家庭の子供たちを英語嫌いにすることで,海外逃亡を防ぐという国策は,順調に達成されていくわけです。

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私は,これが真実でないことを心から祈っています。DSCN4984

 先週は「相変わらず,なかなか暖かな春にならない」と書きましたが,なんとなく空気だけは春めいてきました。この陽気に間違ってやる気を起こしてしまうと,あとがたいへんなんだよなあ,すぐに梅雨が来てやる気がなくなるから。 と,昔,友人が言っていました。
 しかし,現代は,黄砂とPM2.5と花粉。昔と違って,春なんて少しもよい季節ではありません。ともかく,春の訪れとともに私の引きこもりもそろそろ終了。だから,ドラマに浸るのも終了。
 …ということなので,今週も懲りずに私はドラマを語れるのでしょうか?
 
 もう,ほとんど書く気も失せた「花燃ゆ」。いろいろ調べて見ると,脚本がだめ,ということで,大方の意見の一致を見ているようです。
 このドラマ,こういうことなんです。
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 頭はいいけど一途で無鉄砲な次男坊が,法を犯して少年院に送られて,しばらくして家に帰ってきた。このとき25歳。そんな兄を心配したしっかり者の11歳の妹が,おにいちゃん,個別指導塾やりなよ。私,生徒集めるから。といって,塾を開校。母は,そんな子供たちをただ笑って見ているだけ。
 そこに現れたせっかくの入塾希望者をぼろくそに言って…。
 しかも,不良息子には,女遊びの大好きな悪友がいた。そんな次男坊を問題児と決めつけていつも監視の目を光らせていたお役人の奥さんが現れて,姉をいびり…。
 さあ,はじまるよ! 学園ドラマ。
 私にはもうだめです。話めちゃくちゃです。第一,「熱血先生,誕生」なんていうのは「いまでしょ」のおじさん(林修さん)の顔が浮かんでくるし,日曜の夜に悪い夢を見そう…。大河ドラマのイメージじゃあないです。
 それに,脚本家が史実に興味がなさそうだから,もう,史実を語るような展開でないこともわかったので,それは割愛します。だれも,「椋梨藤太」の奥さんの話なんて知りたくもないでしょ。

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 さすがの私も,もう,見るのも語るのもやめます。…ということで,この話題は,今回が最後でした。

 はじめに私が書いたとおりに終わりそうな,さえない「だから荒野」。
 長崎のお話がイメージに合わない,というのが,大方の見方のようですが,要するに,主題がよくわからないということなのだと思います。
 意外な結末,悲劇的な結末を期待していた人も私だけではないらしくて,そうした人たちがみんながっかりしているようです。しかし,以前書いたように,主婦・朋美は,果たして,あのプライドしかない旦那と寄りを戻してうまくやっていけるのでしょうか? 人間の性格なんて,変わりはしませんよ…。なので,やはり,悲劇的な結末だといえないこともないのです。
 所詮,人生なんてそんなものだ,といいたいのか,生きることはすべて荒野だといいたいのか,それとも,私の見方が根本から間違っていて,本当は,長崎の悲劇を描こうとした社会派ドラマだったのか…。あるいは,男はみんなあんな亭主みたいなものだから気をつけようと,若い女性に警告をしたかったのだろうか…。 

 さて,一押しだった「徒歩7分」もついに最終回でした。
 いきなり部屋に居たフランス人女性… それが依子を目覚めさせたのか,光一との別れを決意します。そのときの煮え切らない態度に,きっと,光一は,女は理解しがたいと思ったのでしょうが…。この短いドラマの中で,結局,彼は2度もフラれるのです。かわいそうに。
 そして,依子は,ついに自分の将来を決心するのです。お弁当屋さんの言葉がきっかけとなって…。
 依子,未だ,自分探しの真っ最中。だけど,違います。前を向いて生きています。
 私も,ずっと思ってきました。もう歳だからとか,先がないとか,そういうのは意味がないと。だって,人生,今しか真実はない。そして,過去はなく,未来しかないと。そういう意味では,私も未だ自分探しの真っ最中。そんなことを気づかせてくれました。
 元気になるいいドラマでした。
 ある説では,大河ドラマの不振は,内容ではなく時間だということです。CM抜きの45分は耐えられないとか。このドラマは30分。それも,適当だったのかもしれません。
 
 先週は,それ以外に,「ラギッド」というドラマも見てみましたが,このドラマは語る気がしません。アメリカのサスペンスドラマのほうがずっと面白いです。
 「ブルーライトヨコハマ」のイメージを崩したくないので,いしだあゆみさん,見たくないです。
 それに,芦田愛菜ちゃんは,ちょっと転換期,というか,このままじゃあ,もう,だめです,というのが私のまわりの意見です。小さな子役のときは,わざとらしく大げさな演技でもそれが「かわいい」でウケたのですが,今もそれでは舞台ならともかく,テレビドラマではとても鼻につきます。でも,彼女は,そういった演技を教えらてきたのだろうし,きっと,そんなことは,だれも言えないだろうから,彼女はこのままでは,裸の王様状態になりそうで,かわいそうです。
  ・・
 そんなわけで,ここ数か月,引きこもった私がおつき合いしたNHKドラマの数々でしたが,見終わった結論は,私には元気の出るドラマがいいということでした。だけど,BS258チャンネル「Dlife」のアメリカドラマ「キャッスル〜ミステリー作家は事件がお好き」,「スキャンダル」,「NUMBERS天才数学者の事件ファイル」のほうがずっとおもしろいなあ…。

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 実は,ブライス・キャニオン国立公園は 大きさは145平方キロメートルと,アメリカの国立公園としては比較的小さい。
 しかし,近隣に明かりを発する町などがなく,月の光で見るキャニオン,さらには,月明かりのないときの夜空が美しいことでも知られていて「Dark Rangers」 とよばれる夜景と星空鑑賞プログラムの人気も高いそうだ。もらったパンフレットにも満天の星空の写真が載っていた。私は,ぜひ,もう一度ここに来て,満天の星空を見てみたいものだと思った。

 ブライスキャニオン国立公園から,今日の宿泊先のハリケーン(町の名前)まで戻るのに,まず,州道12を西に走った。そして,国道89を南下した。ここまでは来たときと同じでルートであった。この先も来たときと同じ道を戻ると国道89をずっと州道9まで南下することになるのだが,この道にはザイオン国立公園の東口のゲートがあり,また,山道なので,帰路は道を変えて,州道9より北にある州道14を西に走ることにした。

 それにしても,かなりの距離であった。
 私は,昨日適当にホテルを決めて予約して,適当に走る道も決めてここまでたどり着いたのだが,今こうして考えみても,かなりムダが多い。このムダが逆に功を奏することも多いから,はじめて行くときはこれでいいと思っているのだが,今回のドライブでは,ハリケーンまで戻らなくとも,ブライスキャニオン国立公園の近くに宿泊すればよかったのだった。そうすれば,夕日と満天の星空を見ることができたかもしれなかっただろう。

 州道14を延々と進んだ。この道も,片側1車線の日本の道路とさして変わらない道であった。やがて,視界が開けて,平野になって,まわりにアメリカらしい広い住宅街が続くようになって,インターステイツのジャンクションが見えてきた。このジャンクションはインターステイツ15の入り口であった。そして,ここはシーダーシティという名の町であった。
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 シーダーシティは,アイアン郡に位置する都市で,人口は約3万人。市内には南ユタ大学があって,毎年,ユタ・シェイクスピア祭,ユタ・サマーゲイムズ,ニール・サイモン・シアター祭などの行事が開催されているという。
 この町は1851年にユタ州のパロワンから来たモルモン開拓者によって設立された。
 広大な鉄鉱床とシーダーキャニオン上流10マイルの石炭田と等距離にあった。土地に多く自生していた樹種は,実際はジュニパーの木だったが,シーダー(杉)と誤用されて,その町の名がつけられた。
 1980年代後半からユタ州南西部の大半と共に急速な成長を遂げている。
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 そして,今日の朝,ザイオン国立公園を目指して進んだのと同じようにして,インターステイツ15を再び南下して,州道17に入り,州道9に入ったところを東に曲がったところが今日宿泊するホテルのある町ハリケーンであった。
 途中で天気が悪くなって雨が降り始め,昨日と同じような天候となったが,次第に回復した。夕方の西の空には,美しい虹が見えたのだった。

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 レインボーポイントとヨビンバポイントの馬蹄形の展望台は,野生のリスがいたり,のどかなところであった。
 無限に続く台地… こうした風景も,アメリカではどこかしこにあって,ずいぶんと見慣れてきたが,どこで見てもすばらしいものだ。
 はじめてグランドキャニオンに行ったときに,雄大な自然を目の前にして,人が作ったものは,こうした大自然に比べればどれほどちんけなものかということを思い知らされた。グランドキャニオンの近くにはラスベガスという有名な都会がある。しかし,大自然を知ってしまうと,それら人間の作った人工物なんて,本当に魅力のないものに思えてしまう。私は,そのときから,ディズニーランドに興味をなくしたのだった。

 ブライスキャニオン国立公園の最南端に位置するレインボーポイントからの景観をしばらく楽しんだ。
 来るときは,サンセットポイントとサンライズポイントに寄ったが,まだ,ほかにもいくつかの展望台があるので,それらを見ながら戻ることにした。
 帰りに,まず,立ち寄ったのはインスピレーションポイントだった。
 ブライス・キャニオン国立公園の最も中心に位置するビューポイントが,このインスピレーションポイントである。そして,その最も高いところにあるのがアッパーインスピレーションポイントの展望台で,そこからは 巨大な円形劇場を見下ろす視界が 開けていた。
 ここから夕日に染まる渓谷の眺めは,そのオレンジ色の土柱が 赤く染まった幻想的な光景が広がるのだという。

 次に,ブライスポイントに立ち寄った。
 サンライズポイント,サンセットポイント,インスピレーションポイント,ブライスポイント。この四つのビューポイントの中では最も南にあり,また,標高の高い所にあるのがブライスポイントである。
 他のビューポイントは,西からキャニオンを見る形になるのに対して,ここからは,北にキャニオンを望むことになるので,少し違ったブライスキャニオンの眺めになった。また,キャニオン南東部の景色も一望できるのだった。
 こうして,私は,ブライスキャニオン国立公園の見学を終えた。
 よほど太陽が沈むまで滞在して,ここからの夕日を見たいものだと思ったが,ここから今日宿泊するホテルの場所までかなりあるので,今回は断念することにした。
 ツアーなどでこの国立公園に来ても,おそらく最南端のビューポイントまでは行くことができないから,観光客の数はずっと少なくなる。

 パーヴォ・ヤルヴィさんが,2015年9月からNHK交響楽団の首席指揮者に就任します。それに先立って,2月のN響定期にヤルヴィさんが登場しました。
 私は,庄司紗矢香さんがソロ演奏するC定期を聴きに行こうと思っていたのですが,名古屋でB定期と同様のコンサートがあることを知り,そちらのほうがいい席が取れるので,2月22日に愛知県芸術劇場コンサートホールに足を運びました。1階席の前から4番目の真ん中左寄り,ピアニストの手がはっきり見える最高の席でした。私は,聴きに行くときは,音がどうのこうの以上に,演奏者の迫力を感じられる席を選びます。
 N響では,これまでの名誉指揮者や正指揮者といった人たちが,次第に高齢化,あるいは亡くなられたこともあって,新たな核となる指揮者が求められていたのでしょうが,そこに主席指揮者として就任が決まったのが,このパーヴォ・ヤルヴィさんでした。すでに放送されたNHKFMの定期公演の中継からも,ものすごい反響が伝えられ,期待の高さを物語っています。なにせ,演奏する前から,指揮者の登場だけで「ブラボー」が飛んだのですから…。

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 パーヴォ・ヤルヴィさんは1962年,エストニア・タリン生まれ。父もN響の定期をたびたび指揮するネーメ・ヤルヴィさんです。
 タリン音楽院で打楽器と指揮を学び,1980年アメリカ移住。1980年代後半から北欧のオーケストラやオペラハウスで活躍。1994年スウェーデンのマルメ交響楽団首席指揮者。ロイヤル・ストックホルム・フィル,バーミンガム市響の首席客員指揮者。2001年よりシンシナティ交響楽団の音楽監督。
 2004年からブレーメンのドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団で芸術監督を務める。
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というのがよく知られたプロフィールです。
 はじめてパーヴォ・ヤルヴィさんの指揮に接したのは,私がN響の定期会員になった年,2002年でした。このときの3回の定期公演の曲目は, コダーイのガランタ舞曲,バルトークのバイオリン協奏曲第1番,プロコフィエフの交響曲第5番,ブラームスのハイドンの主題による変奏曲作品,サン・サーンスのチェロ協奏曲第1番,シベリウスの交響曲第5番,ペルトの交響曲第1番「ポリフォニック」,ベートーヴェンのバイオリン協奏曲,それに,シューマンの交響曲第1番「春」でした。私は,特に,プロコフィエフの交響曲第5番に感銘をうけました。若々しさに満ち溢れ,かっこよくて,すごい指揮者だと思いました。
 2度目の来日は2005年でした。
 N響のコンサートで配布されるアンケートで,招聘してほしい指揮者という項目があって,私は,ずっとパーヴォ・ヤルヴィさんと書いていたのですが,私がとても興味を覚えたこの若手の指揮者が巷ではどういった評判なのかはまったく知りませんでした。ものすごく評価の高い指揮者だと知ったときには,私にもそれが少しはわかるんだなあと思ったことでした。というよりも,はやり,すごいものは誰にでもすごいということがわかるのでしょう。
 そのときの曲目は,ペルトの「フラトレス」,プロコフィエフのバイオリン協奏曲第1番,ショスタコヴィチの交響曲第5番,シューマンのチェロ協奏曲,ラフマニノフの交響曲第2番,トゥールの「アディトゥス」,プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番,シューマンの交響曲第3番「ライン」でした。
 こうしてみると,パーヴォ・ヤルヴィさんは,ほんとうに様々な作曲家の作品を取り上げています。どのレパートリーの演奏においても,丁寧な音楽作りと柔和な表情,ニュアンスに富んだデリケートな表現,自然な息づかいと切々と訴えかけるような弦楽器のしっとりとした音色や木管楽器のまろやかな響きを強調する… のだそうです。また,これまでN響定期では少ないのですが,近年は,ベートーヴェンの響曲全集やブルックナーの交響曲にも積極的に取り組んでおられるので,本当に,今後が楽しみといったところでしょう。

 N響のような日本を代表するオーケストラを振る指揮者ともなると,それぞれに猛烈な個性があって,だれが優れている,というよりも,どの個性がオーケストラと相性がいいかという問題だと思うのですが,FM放送の解説を聞いていると,そういうことがとてもよくわかるので興味が増します。とりわけ,実際に演奏された元団員の方がゲストのときのお話はすばらしく,近ごろもっともおもしろかったのは,元N響ヴィオリン奏者の鶴我裕子さんのネルロ・サンティさんについてのお話でした。
 今回の定期公演で私が聴いたのは,R・シュトラウスの交響詩「ドン・フアン」,モーツァルトのピアノ協奏曲第25番, R・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」でした。すでにブログに書いたように,私は,R・シュトラウスのよさがわかりません。また, パーヴォ・ヤルヴィさんがN響とR・シュトラウスを演奏するのは,今回がはじめてです。だから,私も,はじめてR・シュトラウスを聴く気持ちになろうと思いました。それに「英雄の生涯」というのは,サバリッシュさんの得意とする曲でしたから,それを新たな首席指揮者がどう表現するか,ということにも興味がありました。
 しかし,今回のR・シュトラウスは,2曲とも難解な曲ではないし,途中のモーツアルトのピアノ協奏曲は25番という珍しいものだったのですが,R・シュトラウス2曲の音の洪水の中にあって,なにかほっとするというか,そうした選曲のバランスがとてもよくて,非常に楽しめました。「英雄の生涯」では,サバリッシュさんのときに感じた威厳とか,そういうものとは違った品のよさがあり,細部にわたって音が緻密に組み立てられていて,特に,第2バイオリンに,こんなメロディがあるんだ,というそんな音楽が聞えてきて,私には新鮮な驚きがあったし,R・シュトラウスを再発見したときめき満載のコンサートでした。
 最も印象に残ったのは,団員の皆さんがとても明るかったことで,すでに,この新しい首席指揮者との一体感がとても強く,また,観客も,ものすごく暖かな雰囲気で,嬉しくなりました。とても相性がよいのでしょう。
 シャルル・デュトワさんが,N響の常任指揮者になられたときに,N響の音がすっかり変わったといわれましたが、そのときと同様,いや,それ以上に,N響のサウンドが変わり,レパートリーが広くなり,楽しめるコンサートをたくさん聴くことができればいいなあ,と思いました。そうしたら,また,定期会員に復帰しようかな?

◇◇◇
R・シュトラウスがわからない①-チャラさのどこがいいのか
R・シュトラウスがわからない②-元祖「劇伴」作曲家
R・シュトラウスがわからない③-ザッハトルテのクリーム
R・シュトラウスがわからない④-オペラの時代を終わらせた
R・シュトラウスがわからない⑤-貴族社会の黄昏を味わう 
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「夏の夜の夢」-マエストロ・サヴァリッシュの永遠の音楽
「今日は一日”N響”三昧」-神の奏でる音楽
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「バイオリニストは肩が凝る」―音楽への造詣とユーモア

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 今週末は天気が悪く,あきらめていたのですが,金曜日の夜だけは一晩中快晴という予報だったので,2月2度目の星見に行きました。
 前回,2月15日に行った海岸沿いの観測場所は,風が強く,ということは夜露の心配がなく,山よりも暖かでよいのですが,空がそれほど暗くありません。今夏は何とか空の暗い山へ行きたいと思っていたのですが,さすがにクマこそいませんが,寒く,雪と凍結が心配でした。ずいぶんと迷って,結局,今回は,山に行くことにしました。
 さすがに標高が高くなるごとに寒くなり,午後8時だというのに,すでに氷点下。トンネルを越えると,道路も日の当たらないところは凍結し,道路沿いにも雪が見られるようになりました。
 しかし,空の暗さは別格でした。

 15日に星見に行ったときには,ラブジョイ彗星(C/2014Q2 Lovejoy)は,M76と,500ミリレンズでかろうじて一緒に写ったところにいたのですが,20日は最接近するということだったので,今回は,これを写すのが最大の目的でした。
 望遠鏡を設置して,まず,双眼鏡で彗星を探したのですが,ずいぶん地平線ぎりぎりのところに,容易に彗星像を見つけることができました。それがどうしたことでしょう。その位置を写してみると,今回もまた,彗星ではなく,アンドロメダ座の大星雲! 毎回,懲りずに同じミスをやっています。
 でも,彗星は15日に見たばかりなので,そこから視野をそのまま天頂方向に向ければいいこともわかっていたから,今度こそ彗星を見つけることができました。
 撮影してびっくりしました。
 なんと,彗星の尾がM76を突き抜けているのです。このM76という惑星状星雲は12等星と暗く,逆に,彗星がいないと探しずらいものなのですが,尾の中で,M76のアレイ上のかわいい姿が一段と引き立っているのです。どうやら,これが,私のラブジョイ彗星を写したベストショットになりました。
 その写真が1番下のものです。

 次に,予定通り,おとめ座とかみのけ座の銀河を写すことにしました。
 前回,無計画に撮影して,あとで写真をみてもどこを写したのかさっぱりわからなかったので,きょうは,きちんと下調べをして行きました。しし座のデネボラという2等星から順に,経度のみを変更しておとめ座のε星までの間を狙えいけばいいわけです。
 それが,今日の1番目から4番目までの写真です。
 1番目の写真は,M98(右上端),M99(右下),M100(左下端)です。 おとめ座やしし座の銀河はこんな感じで一杯写ります。
 2番目の写真は,M84,M86,M87,M88といったおとめ座の銀河団です。メシエ天体ではない銀河も山ほど写っています。どの銀河が何なのかわからないと思うので,写真の中に名前を書いておきました。
 そうそう,M87星雲というのは,ウルトラマンの故郷なのです。いや,M78星雲だろうですって? いや,もともとはM87星雲だったのですが,番組制作の段階でどこかで間違ってしまったらしいのです。M78星雲は銀河ではなく散光星雲だから,やはり,M87星雲の方が正しいのです。
 3番目の写真は,M61です。そして,4番目の写真は,M64。M64は黒眼星雲とよばれる銀河で,この銀河だけは距離が近く,16,000光年です。
  ・・
 どうでしょうか? 500ミリレンズではこなんなもの,というか,逆に,こんなにも写るというか,私は,思ったよりも写るものだと思いました。
 このあたりは,天の川からも離れているので,写真に写すとこんなにも星の数が少ないのに驚きます。というよりも,少ないからこそ,遠くの銀河が見えるということなのですが…, 

 しかし,こうしたちっぽけな銀河が,実は,5万光年も6万光年も離れていて,それぞれがわが天の川銀河とおなじようなスケールだと思うと,本当に,ちっぽけなことなんて,すべてどうでもよくなります。
 夜も更けてくると,あたりは静まり返り,凍てつく夜空に,オリオン座が傾いて見えます。それは,やがてくる春の訪れが近いことを告げているようなのですが,現実はマイナス3度。望遠鏡の鏡筒が真っ白に凍りつくような厳寒でした。
 さて,次は3月です。この銀河団がおもしろくなってきたので,3月もまた,おとめ座の銀河を今度はもっと丁寧に写そうと思っています。 DSC_0164z5z

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 深水黎一郎さんの「最後のトリック」。
 出版が2007年4月。そして、文庫化されたのが2014年の10月なので、マニアの人たちには、もう、古いネタなのでしょうが、朝日新聞の読書欄に「今売れている本」として紹介されていたので,図書館で借りて読んでみました。
 なお,この文章は,ネタばれではありません。
  ・・
 読後に,アマゾンコムに書き込まれた大量の感想を読んでみるとおもしろいです。むしろ,そのほうが小説よりもおもしろいかもしれません。しかし,小説を読まないで感想を読んでもおもしろくないと思うので,とりあえず,評価は別として,本を読まれることをお勧めします。
 感想文の中には,きわめて低い評価をつけて,なんだかムキになってけなしているようなものや,すこぶる辛口の文章を書いてあるものすらありますが,それは,すべて「読者が犯人」という,これまでに推理小説で達成されていないトリックをこの小説がはたして超えることができたのか,というハードルの高さによるものです。本を読んだあとなら,そうした書き込みをした人が浅はかだということが,わかることでしょう。

 第一,「読者が犯人」という,推理小説史上最後に残されたトリック,ということを売りにすること自体がどういうことなのかくらいは,推理小説マニアの人ならわかりそうなものです。本当に自信があるのなら,そんなことをウリにしなくても,本は売れるし,口コミで知れ渡り,話題になることでしょう。だから,この本の「読者が犯人」がどういうことなのかという好奇心だけで読んでみたいと思うのなら,図書館で借りて読めばいいわけで,あるいは,貴重な自分の時間を費やすことは覚悟の上で読めばよいわけで,そのことは決していけないことではありませんが,自分でお金を出して購入しておいて ,読み終わって,損をした,あるいは,時間がもったいなかったなどという感想を述べること自体,「せこい」,あるいは,推理小説マニアとして失格だということを自ら吹聴しているようなものです。


 まったく話が異なりますが,老後のお金について特集を組んだ雑誌がたくさん店頭に並んでいます。そうした本を購入する人たちこそが,老後のお金に困る人たちなのです。そんな類の本を自分のお金を出して買う,という行為をする人は,きっとほかの様々なものにもそれと同じように無駄遣いをするだろうからです。
 老後資金に困らないというのは,投資をすることでも運用することでもなく,無駄なお金を使わない,ということに尽きるからです。
  ・・
 とまあ,たわいもないお話はやめにして,近ごろの私は,小説にせよテレビドラマにせよコンサートにせよ映画にせよ,精神的に余裕があるせいか,何も見てもそれなりにおもしろいのです。そして,よく考えて,あるいは,よく練習して作られているなあ,と感動することだらけです。だから,作品の出来不出来,あるいは,好みか好みでないかは別として,何物も,すごいなあと感心します。
 この小説で私が一番すごいなあと感心したのは,とても文章が上手だということです。だから,作品のはじめから最後まで,よどみがなく,楽しく読めるのです。この作者が,本当に星好きだということが,作品の中でたくさん語られているエピソードからも伺われるのですが,それらの記述には,陳腐な部分がありませんでした。それらのエピソードには小説の流れとは無縁の余談の類のものも多いのですが,それはそれで,星好きの私にはたまらない魅力でした。

 ここでは,この本のエピソードにあった,しし座のM66銀河の写真を載せておきましょう。
 M66は,しし座のθ星の近くの銀河団(通称しし座トリオ)にあります。写真には,M65(中央上),M66(その右下),NGC3628(中央ななめ左の下の細長い星雲)という三つの銀河が写っています。
 しかしながら,麻薬に関する記述が多いのには閉口しました。せっかく洗練されたこの小説なのだから,麻薬犯罪なんかじゃなくて,違うテーマにはできなかったのでしょうか…。この小説は,「読者が犯人」をウリにしなくともおもしろく楽しめる小説なので,なおさらです。
  ・・
 ネタばれなしで私がここで書くことができるのはこの程度ですが,貴殿は,それでもきっと,この本の「読者が犯人」というトリックが何かを知りたいと思うことでしょう。
 しかし,それこそが作者と出版社の思う壺なのです。これを読んで,この本を手にしたあなた,あるいは,手にしようとするあなた,そうした思う壺にはまること,つまり「あなたが犯人」になる覚悟はできていますか。

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 このようにして,私は,「サンセットポント」を持ち前のいい加減さと体力のなさを露呈しながら観光して,やっとの事で車に引き返した。体は汗だくであったが,こちらの気候は,車に戻って体をクーラーで少し冷やすと何事もなかったように元に戻る。 
 ブライスキャニオンは南北に長い公園で,入口から南端の「レインボーポイント」までは30キロメートルくらいの距離があって,快適な舗装道路が続いている。
 この「サンライズポイント」と「サンセットポイント」があるあたりが一番観光客が多い場所で,ツアーバスもここあたりまで来るのであろう。ロッジがあったり,キャンプ場があったりで,展望台から景観を眺めるまでは,どおってことのない観光地のようなところであった。きっと,日本でこういう場所があれば,土産物屋やら,自動販売機が林立することであろう。そして,地面を見れば,ゴミの山であろう。

 ここからさらに20キロメートル近く南下していくのだが,この先は冬場の降雪時は閉鎖されるということだ。
 小さな道路標示を見落とさないように方角を確かめてメインロードに出て,さらに南に進んでいった。しばらく,草原の中のドライブと相成って,見どころはなく,時折,最南端まで行った車が引き返してくるのに出会う程度であった。
 ふと,ずいぶん前に行ったグランドキャニオンへの道を思い出した。
 グランドキャニオンに続く道もこのようなものであった。まわりには森が続き,道路が草原の中をずっと続いていた。この先にほんとうにグランドキャニオンがあるのかいな,と思ったほどであった。そうしたころに,忽然と,あの壮大な風景が目の前に開けたのであった。

 やがて,メインロードも展望が効くようになって,この道も先に限りがあると悟り始めたころ,左手に駐車場があった。車が数台停まっていた。
 そこは,最南端の「レインボーポイント」まで行く途中のナチュラルブリッジという岩の間に大きく空洞が空いたところであった。わたしもその場所に車を停めて写真を撮った。
 どこもかしこも,ものすごい景観なのであるが,こうもそうした景色が続くと,人間とは贅沢なもので,だんだんと感激しなくなってくる。しかし,日本に帰国して,近年プームである日本の山登りの番組などをなんとなく見ていると,日本では確かにすばらしい景観なのであろうが,このアメリカの国立公園に比べたら全く大したことはないから,やはり,アメリカのこうした国立公園はすごい世界なのだと,改めて思い出すのだ。

 ナチュラルブリッジを過ぎると,間もなくブライスキャニオンの最南端レインボーポイントに到着した。駐車場に車を停めて,展望台に向かった。
 ここはレインボーポイントと車道を越えたその反対側のヨビンバポイント,このふたつの展望台があって,ピンククリフとよばれるブライスキャニオン西壁の50キロメートルに及ぶ壮大な絶壁を遠望することができた。
 ピンククリフとは始新世のクラロン層が露出したピンクがかった淡い色の崖のことである。
 この景色は圧巻であったし,これぞブライスキャニオンというべきものであった。

 相変わらずなかなか暖かな春にならないので,引きこもりになった私がすっかりはまったNHKのドラマ。「花燃ゆ」も実質上終わったようなものですが,それ以外は,そろそろ本当に最終回なので,今週も懲りずに語ります。
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 まずは,まだまだ先が長く思いやられる,突っ込みどころ満載の「花燃ゆ」ですが,私のまわりの人たちと同様に,きっとこれを読んでいる方も,ほどんと見ていない,あるいは,見るのをやめてしまったことと思われます。
 ドラマの現在の進行は,吉田松陰寅次郎が野山獄へ幽閉されているあたりをやっているのですが,この時代の長州藩は,椋梨藤太の保守派と周布正之助の改革派が交代で政権を握っていました。また,殿様の毛利敬親は,家臣の意見に対して異議を唱えることがなく,常に「うん,そうせい」と返答していたため「そうせい侯」とよばれていたのですが,それが「地」だったのか「演技」だったのか? というようなことは,これを見ている人なら誰でも知っていると思っているからなのか,全く出てきません。そんな内容のいい加減さにしては番組紹介PRがたくさんあるし…。人気がないのでしょう。
 しかし,いきなり,字幕に「椋梨藤太」と出ても,わからない人にはなんにも背景が分からないことでしょう。そして,毛利のお殿様は,ドラマではかっこいい名君です。このように,あまりにも何を描きたいのかが不明なドラマであるというのは,今週も相変わらずでした。
 どうやら,制作者は松下村塾を舞台にした学園ドラマにしたいみたいなのですが,その学園ドラマがはじまる前に,だれも見なくなってしまうことでしょう。
 で,さらに,これから書くことを知ると,とどめの一撃になってしまう。それは,
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 吉田松陰寅次郎は1830年生まれで,野山獄に幽閉されたのが24歳ですが,杉文は1843年生まれだから,そのときはわずか11歳!
 つまり,このドラマで演じられている主人公・杉文は小学生の子供なのです。で,あの展開です。これでは,学園ドラマというより少年少女ドラマシリーズです。
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 やはり,主人公の設定に無理大ありです。

 終わってしまった「全力離婚相談」。
 人間の愛情とは?を考えさせるいいドラマでした。最終回は天野鎮雄さん・山田昌さんのゲスト出演でした。今回では,愛情に加え「老い」というものも考えさせられました。私は,この仲のよい俳優さん夫妻の舞台を間近でみたことがありますが,そのころから考えると,すっかりお歳をめされてしまっていたことにも,併せてショックを受けました。
 名古屋が舞台という設定は,きっと東京との距離を示しているのだと思いますが,実際のところ,行きたければ2時間もかからない距離なのに,なにかものすごく遠い所に行くみたいな,そういうお話の展開だけは,ちょっと無理があるかな,と思いました。せっかく,お互いを理解できた母娘なのに,母は娘ともう会わないといった今生の別れのような覚悟を決める必要なんて全くなくて,それだけは,余分だな,と思ったのでした。それに,娘さんはもう未成年でないから,その行動もどこに住むかも娘さん本人が決めればよいのです。
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 急にドラマが進展しはじめた「徒歩7分」。
 しかも,お弁当屋さんのシーンも再登場です。もう,私はこれ以上何も言うことありません。最高です。このドラマは,視聴者を裏切りませんでした。「何もないですか,人生。夢とか?」「歳とったら夢,どんどん増えていかなくては…」。
 そして,主人公の黒崎依子,急にモテ期になりました。そんな感じで,ドラマが動きはじめました。
 「軍師勘兵衛」でいやな奴・石田光成だった田中圭さんが人のいい・いい奴田中を演じています。男の私が見るに,ぜったい元彼より田中のほうがいい奴だと思いますが,それがわからないあの主人公は,やはり,若いというかアホです。というか,若い女性は,まあ,そんなものです。男もそうだけど…。
 それにしても,このドラマの作者,よ~く女心わかっとるわ。
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 で,最後に,この黒崎依子という女性の将来の姿を描いたであろうと思われる「だから荒野」です。
 さて,むにゃむにゃむにゃ…,作者・桐野夏生さんも書く気をなくして筆を折り,放り出してしまったかといわれているような原作の結末… は,いかにドラマで描き直されるのでしょうか? というよりも,主婦・朋美は,果たして,あの旦那と寄りを戻してうまくやっていけるのでしょうか? 人間の性格なんて,変わりはしませんよ。
 それとも,あの,長崎での生活は,家出をした家よりも「マシ」だったのでしょうか? 結局,朋美にとって,生きることすべてが荒野なのさ,とでも言いたかったのでしょうか?
 私は,この女性のこれまでの生き方というか性格というか,そういうものすべてが,結局,どこに身を置こうと,それが荒野になってしまう原因なのだと思います。それじゃあ,救いがないじゃないか,ですって? 結局,あんな旦那を選んだのもあんたでしょう,息子たちをあんなにしたのもあんたでしょう,っていうことかなあ。私が言いたいのは。それでは冷たいのかな?

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 サンセットポイントの駐車場に車を停めて,少し歩いて展望台まで行くと,突然視界が開けた。
 目の前にあったのは,フードゥーと呼ばれる尖塔群であった。この尖塔群は石灰石や砂岩でできていて,ひとつひとつはそれぞれ違った形をしているのだが,全体で見るとSF映画に出てきた地底か別の惑星のような感じであった。
 谷底まで伸びるトレイルがあって,多くの観光客が降りていくのが見えた。この「サンセットポイント」から出発するナバホループトレイルが,この国立公園の一番のおすすめのトレイルである。

 ここブライスキャニオンは,グランドキャニオンやザイオンに比べて新しい地層である。最も古い層でもザイオンの最上部,つまり一番新しい層よりも新しい。
 ブライスキャニオンの主な層は始新世初期,5,000万年前にあった巨大な湖に堆積した石灰を多く含む砂や泥の層である。当時あった湖は気候の変化によって変化して,その度に,重い砂や軽い砂の堆積する場所が変わるから,硬さの異なる堆積層が形成されていったものである。
 そして,1,000万年前にコロラド台地が全体に隆起した。そして,このブライスキャニオン周辺にも,断層が形成されて,バライア川がこの断層の東側を浸食して,地層の弱い部分を崩していった。さらに,雨が崖を削り,雨水は岩の中の炭酸カルシウムをとかし岩をもろくして,そこに雪が解けて割れ目を大きくし,夜になると凍って割れ目を押し広げていった。
 このようにしてフードゥーができていった。

 アメリカのロッキー山脈に広がる国立公園の景観は,まさしく地球創生の姿をそのまま現在も見ることができるのだが,そんな景観をみたことのない日本人には,何か,そんな時間の長さが信じられない気がする。日本は,国の歴史は長いのだが,自然の歴史は短いのである。

 このトレイルは,ものすごく深い。ちょっと見には行き止まりのようにみえるから,そこまでは行ってみようと思って降りて行くのだが,そこまで行くと,さらに先がある,といった感じで,果てしなく続いているように思えた。
 それでも,みんな,元気に降りていく。
 軟弱な私には,降りることよりもそのあとで登ることの方がはるかに心配で,時折後ろを振り返ると,こんなにも降りてしまったのか,と気が遠くなる。しかし,まだ先があるので,みんなと同じようにどんどんと降りていくことになってしまった。
 どんどんと両側のフードゥーの隙間がせまくなって,その間に光が差し込んで幻想的に輝いていた。
 ここでも大声を出してはしゃぎながら降りていくのは,やはり,チャイニーズとコリアンなのである。
 日本人なんて,ひとりも見かけなかった。

 こうして,1時間弱で一番下のところまでやっと降りて,さらに進んでいくと,谷底は,単なる草むらになって,次のポイントまで続くトレイルが続いていた。あきらめきれずしばらく歩いてみたが,それほど心ときめく景観でもなくなったので,その辺りで引き返すことにした。
 この復路が大変であった。
 この日は暑く,私はだんだんと汗でびっしょりになっていった。
 しかし,帰らなければどうにもならない。「通りゃんせ,通りゃんせ」の歌を思い出す。それでも,やっとのことで,なんとか車の停めた駐車場まで戻ることができた。
 この暑さと大変さは,サウスダコタ州のバッドランド国立公園のトレイルを2時間かけて往復したときを思い出させるものであった。

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 先月星を見に行ったのが1月23日だったので,それから早くも3週間が過ぎて,また,月明かりのない時期になりました。それにしても寒いです。すで立春が過ぎたというのに,さらに寒くなったというのも,体に堪えます。そして,今年はなかなか良い天気に恵まれません。太平洋側の冬は,からりと晴れた晴天になってもおかしくないのに,今年は,いつも雪雲が流れてきます。
 なんとか14日土曜日,バレンタインデーの夜は,天気が好転するという予報だったので,それを信じて出かけました。本当は,空の暗い山の方へ行きたかったのですが,この寒さではどうにもなりません。今回も海岸沿いの高台を目指しました。

 夜8時到着。
 3週間も過ぎると,星座の配置も変わって,いやというほど見慣れたオリオン座が西空に移り,東の地平線に見えていたしし座が,大きく南東の空に陣取るようになってきました。南の地平線付近には,すでにカノーブスが見られました。今年は,ラブジョイ彗星のおかげで,ずいぶんとカノーブスを見ました。1度見ると10年長生きするというカノーブス,長生きができそうです。
 今月の目的は,暗くなってきたラブジョイ彗星(C/2014Q2 Lovejoy)と,しし座,おとめ座,かみのけ座にかけての銀河団です。
 お恥ずかしい話ですが,私は,これまで,おとめ座とかみのけ座の銀河団を写したことがないのです。

 先月,あれほど天頂近くにあったラブジョイ彗星は,随分と地平線に近くまで移動していて,びっくりしました。
 私の行った観測場所は,南と西は暗いのですが,北と東の空はさっぱりです。北の空が真っ暗な山の方の観測場所ならば,望遠鏡の極軸望遠鏡の視野の中で北極星をさがすのに困難なくらい星が見えるのに,ここでは,北極星しか見えません。だから,どんどんと北の空に近づいたこの彗星は,なさけなほどの姿でしか見えませんでした。
 星の等級というのはおもしろいもので,空が明るくなるに従って,本当に等級通りに暗いものから見えなくなります。しかし,暗いところでは,1等星も3等星も,ほとんど同じくらいの明るさに見えるのです。双眼鏡などで星を探すときに,星図を利用して星も配置を追っても,空の暗いところでは,何が何だかわからなくなります。こうしたことも,やはり,机上の学問ではわからないことなのです。

 適当に双眼鏡を振り回していて,彗星状の天体を見つけたので,同じようにファインダーで視野に入れて写真を撮ると,それは彗星ではなくアンドロメダ星雲だったので,びっくりしました。そこで,そこから北東天頂方向に星図に従って星の配列を見ながら視野を動かすと,すぐに,アンドロメダ星雲とほぼ同じ明るさで,彗星を見つけることができました。
 今日は,50ミリレンズでアンドロメダ星雲(写真右下の〇の中)と同じ視野に彗星(上の〇の中)を入れた写真を写す(=1番目の写真)ことと,500ミリ望遠鏡で,M76星雲(通称・小あれい星雲・写真右端の〇の中)と同じ視野に入れた彗星(左下の明るいもの・上方向に尾が伸びています)の写真を写す(=2番目の写真)ことが目標でした。視野の広い50ミリレンズの方がむしろ難しく,というのは,カメラのファインダーや液晶には全くといっていいほど星が見えないので,構図が定まらないのです。500ミリ望遠鏡の方は,家で調べたときには,かろうじて同じ視野に彗星と星雲,このふたつが入るということがわかっていたのですが,何度写しても,星雲の方が写りません。いろいろと試してみると,どうやら,視野を少し回転してみるとよいことに気づきました。しかし,視野を回転すると,今度はピントもずれてしまいました。このように,写すのには,随分と苦労しました。

 次に狙ったのが,しし座の銀河団(通称しし座トリオ)でした。これは,前回も少し写してみたので,星の位置も分かっていたので,すんなりと写りました。M65,M66,NGC3628という3つの銀河です。これほど近くに形の異なる銀河が見られのも驚きです。これらの銀河の姿は,今から2,200万年以上前,地球上に最古の類人猿が発生したころの光が見えているものです。
 その次に狙ったのがおとめ座とかみのけ座の銀河団でした。適当に写しても,おもしろいくらい銀河が写る(=3番目の写真)のにはびっくりしたのですが,それがどの銀河なのかさっぱりわからないのです。どう写せば,どのように構図をとればいいのか,さっぱりわかりません。ということで,次回までに作戦を練り直すことにして,これ以上写すのを今回は断念しました。

 最後に,どうしても写したかったM104ソンブレロ星雲を狙いました。この星雲を写すのは難しいと思い込んでいました。ところが,この銀河が,からす座の四角形の1つの星(δ星)から探していくと容易に見つかるのでびっくりしました。そして,写してみると,簡単にその姿を写しこむことができた(=4番めの写真)のにも,また,びっくりしました。思っていたよりも細長い感じです。4,600万年前の姿です。
 やはり何事も実践してみないことにはわからないものです。
  ・・
 そのうちに雲がでてきたので,帰ることにしました。午前1時でした。家に着くと,なんと小雨が降っていました。
 夜空に,こんな美しいものが散らばっているのに,それを知らないで,人口の光でそれを消してしまうのは,本当にもったいないものだと,改めて思いました。

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 今回,私は多くの国立公園に行ったが,そのうちの4か所がユタ州にあった。1日に2か所ずつ,合計2日を費やした。
 いつも書いているように,私はいい加減だから,こちらに来る前にほとんど下調べもせず,地図と「地球の歩き方」の国立公園編だけを参考にやって来たわけだっだ。
 今更いうまでもなく,アメリカの国立公園は本当にすばらしく,しかも,どこも雄大である。
 ここまで来るのも大変なのだが,実際は,半日や1日の滞在ではその魅力の多くはわからないのである。滞在してトレイルを歩いたり,様々な活動を体験する必要があるのだ。しかし,多くの日本人は,長い休みを取ることもできず,しかも,車という移動手段をもたない。わたしも,滞在するほどの時間の余裕はなかった。

 私は,他の国立公園も,どこも半日程度の体験だから,大きなことはいえないが,これまでに行った国立公園では,イエローストーンが最も雄大だと思った。グランドキャニオンとモニュメントバレーも素晴らしかった。
 どこも,違った個性があった。
 しかし,夏のシーズンだと,どこも我々が思う以上に多くの観光客が世界中から押し寄せている。それでも,日本と違って,渋滞したり人の洪水ということとはほど遠い。それほど雄大なのである。
 本当に人の少ない,大自然を堪能したいと思うのなら,私がこのブログですでに書いたサウスダコタ州のバッドランドや,ノースダコタ州のセオドア・ルーズベルトがいい。特に,セオドア・ルーズベルト国立公園はすごい。ほとんど人がいない。情報もない。
 きょう1日,午前中はザイオン国立公園で過ごし,午後,このブライスキャニオン国立公園にやって来たわけだが,ここもまた,独特な景観が広がり,雄大な自然を満喫できるところであった。

 国立公園のゲートを越えて,それからかなりメインルートを走ると,ビジターセンターがあった。ここには,キャンプ場やロッジもあった。この先に走って行くと,国立公園を走るメインルートのところどころから,それぞれの景観ポイントまで支線が走っていて,景観ポイントには駐車場があって,そこから少し歩くと,展望台になっている。
 私がはじめに行ったのは,サンライズポイント(=2番目の写真)であった。
 名前のごとく,ここから,朝日が美しく眺められるということであった。私は,この展望台へ行って,ああ,この国立公園はこういう景観がが売りなんだなあ,と思った。

 次に行ったのが,サンライズポイントの隣にあるサンセットポイントであった。
 ここはサンライズポイントよりも,さらに雄大であった。
 この国立公園の展望台からは,さらに下に降りることができるトレイルがあるのだが,どこもかなり深くて,降りていくのに躊躇する。
 しかし,このサンセットポイントからのトレイルがこの国立公園でもっとも魅力的であるから,私もこのトレイルるだけは降りて行こうと思った。「地球の歩き方」の国立公園編には,このトレイルから下っていった景観の写真が載っていた。それは,まるで,地底探検のようなところであった。
 上から見ると,トレイルはずいぶんと下の方まで下っていくようで,歩いている人が米粒のようにしか見えない。しかし,その先までトレイルがつながっているようなのだが,その先がどうなっているのかは想像がつかない。多くの,いや,ほとんどの観光客がトレイルを進んで行くのが見えた。そうであれば,私も先まで行くしかない。

 予想通りの「だから荒野」。
 どうやら,このドラマは,私の予想通りの展開を示しそうです。もう,先が読めます。所詮は,それだけのドラマだったようです。8回も必要ないです。6回くらいで十分です。
 前回書いたように,このドラマを見て,女性は,あの旦那よりうちの旦那はマシだ,と思うだろうし,男性は,この軽率な行動をする妻より,うちの奥さんの方が利口だ,と思うだろうし,そして,あんな息子がいては大変だ,うちの息子のほうが素直でかわいい,と思うだろうから,それはそれで,ドラマを優越感をもってみることができるので,見ていてイラつかないから,いいのかもしれません。
 まあ,それにしても,この夫婦,若くないんだから,もう少し賢くなってもいいんじゃないの。だって,社会に出れば,そこは殺伐した原野なのだから,せめて,家庭の中だけはいたわりと安らぎがなければ救いようがないんじゃないのと,と私は思ったのだけれど,そういえば,このドラマの題名は,「だから荒野」だったのです。よくできてるわ。
 家の中では空威張り,外に出たら何もできない,というのが日本の男だ,まるで日本の外交といっしょだと,以前,お話をした女性が力説されていたのを思い出しました。
 世の婚活中の女性諸君,あのような男性とだけは結婚してはいけません,という教育ドラマです。
 
 名古屋じゃなくてもかまわない「全力離婚診断」。
 第3話の「夫の秘密」の女装パーティで,このドラマはこの先どうなってしまうのだろうかと心から案じましたが,回を追うごとによくなってきました。
 美晴と娘・佳苗の描き方がいいし,元上司・水野豊彦役の舘ひろしさんがかっこいい。かっこよすぎる。
 でも,ここまでくると,このドラマ,やはり第3回だけは不要です。意味分からないです。
 それと,変な名古屋弁や,やたらと紹介される名古屋飯や,ダサい名古屋の風景をそんなにわざとらしく取り上げなくてもいいのになあ,と思うのです。それとも,そうでもしないといけないというような圧力でもあるのでしょうか? 
 しかしまあ,やはり,都市を描いても,名古屋では,「京都人の密やかな愉しみ」にまったく歯が立ちませんね。残念ながら…。あのドラマは京都でなくてはありえないけれど,このドラマは名古屋でなくてもかまいません。
 佳苗という娘は東大卒・司法試験合格の秀才という設定で,そして,もう,立派な成人なのに,そんな優秀な娘を持つ親の方が子離れしていない,というのが,きわめて日本的というか。娘を取り戻しに来た,あの元夫,ばっかじゃないの,と私は思いました。
 「院政」文化の日本に多く存在する,定年退職してもいつまでも元の仕事場で先輩風ふかす奴,成人しても子供を独り立ちさせない奴,みじめです。引き際は清く正しく美しく…。です。

 で,全く必要ないのに,私はまとめを書きたいと思います。
 これを書いていて思ったのですが,「花燃ゆ」も「徒歩7分」も「だから荒野」も「全力離婚診断」も,みんな,結局,子離れできない大人のお話,そして,大人にさせてもらえない子供のお話なのです。
 高校の卒業式ではおじいちゃん・おばあちゃんまでが出席し,大学の卒業式まで親がつき添い,近年では,会社の入社式まで親が同伴し,そして,やっとのことで子供が巣立っちゃうと,今度はお犬様に服をきせて猫かわいがる…。外国からみたら変な国・日本の,いつまでも大人になりきれない,さびしい大人たちのドラマです。

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 立春も過ぎたのに,寒い毎日です。しかも,連日雪雲が張り出して,星も見えず,どこへも行く気になりません。
 ということで,私は,テレビドラマばかりを見ていました。
 これまでは,それほどテレビドラマは見なかったのですが,最近のNHKは,ドラマのCMばかりやっているので,つい,気になって見はじめたら,それはそれでみんなおもしろく,そして,一言いいたくなったので,今回は,今週見たドラマ「花燃ゆ」も「徒歩7分」も「だから荒野も」も「全力離婚相談」もみんな語っちゃうんです。
 「花燃ゆ」「徒歩7分」「だから荒野も」については,すでに書きました。名古屋放送局が制作した「全力離婚相談」は今回がブログ初登場です。

 まずは,おなじみ「花燃ゆ」。
 相変わらずの不振で気の毒になります。様々な番組の合間に「5分でわかる花燃ゆ」とか「大河ドラマ花燃ゆPR」とか「まだ間に合う花燃ゆ」とかやっていますが,なにか痛々しいです。主人公の杉文を演じる井上真央さんがとても気の毒です。
 でも,このドラマ,そんなあらすじのおさらいをしても,いくらゆかりのある山口県を紹介してもだめなんです。それは,このドラマの最大の欠点が脚本だからです。
 これまでの吉田松陰寅次郎の描き方と同様に,前回の高須久子の物語も,それで杉文が何をしたかったのか,その結果,彼女がどう成長したのか,結局,そのお話が今後1年にわたるこのドラマでどういう位置づけになるのか,などなど,そういったことが,つまり,何がいいたいのかさっぱりわからない,だから,見ていて同化できないのです。
 母と子の葛藤…,それは大河ドラマを見ている人が望むエピソードなのかなあ?
 そもそも,高須久子を登場させるのなら,吉田松陰寅次郎とのかかわりや心の交流を描くのが筋です。ですが,それにも増して,私が個人的にこのドラマで好かないのは,吉田松陰寅次郎を演じる役者さんです。なんのオーラもありません。また,杉文の母親・滝を演じる壇ふみさんも,残念ながら,知的で明るく娘を見守る母,にはなりきれず,なにか一本ぬけた単なるおばかさんになってしまっています。
 バックに流れる音楽は劇的なれど,心を打つドラマの展開ではなく,見終わっても精神は高揚しません。つまり,感動しません。むしろ,最後に流れる歴史紀行でほっとします。
 もう,このドラマ,辞めちゃったら,と思います。失敗です。1年続けるのは無理です。
 でも,私は,見届けますよ。これからは,どれだけひどくなっていくか,どこで底を打つかが最大の見どころです。だって,忠臣蔵なら討ち入りが,信長なら本能寺の変がありますが,この幕末の忙しい時期に高須久子の個人的なお話をだらだらとやっていることを考えると,この先,何にも見どころなどなさそうだし…。

 なぜかみんなハマッている「徒歩7分」。
 私がブログで書いたようなことが,後日,朝日新聞の番組紹介に載っていました。
 そうなんです。このドラマの最大の見どころは,たわいもない,かつ,変な会話なのです。ほんとうにたわいもなく変なのです。そして,結局,このドラマ,な~んも進展していないんです。いや,ストーカーだった田中だけが,なぜか同じアパートの下の階に住みはじめて,なぜか仲よくなって,見事に鉄アレイを使ってあんころ餅を作るまで,進展しているのです。
 私にはあんころ餅作れませんけれど…。
 若い女の子はこんなふうにして,向上心もなく毎日を無意味に無駄に過ごしているのかな? とまわりの女性た聞いてみたのですが,皆さん,否定的でした。
 しかも,この主役の女性,腹立たしいくらいのアホです。
 しかし,そこがおもしろい,なぜかおもしろい,そして癒される不思議なドラマです。私のまわりの人たちも,みんなハマッています。
 いったいこの先,ドラマはどう展開するのでしょうか? いや,このドラマに展開など求めてはいけないのでしょう。でも田中さんだけが展開しそう…?
 しかしまあ,こうも変な人が次々と出て来るのは,ドラマとして圧巻です。はじめに一番おかしそうに見えた隣に住む看護師・咲江さんが,だんだんと一番まともに見えてきました。 
 登場する役者さんが他のドラマで演じているのとえらく違うのも,また,このドラマならではです。その落差がすごい! 元カレを演じている福士誠冶さんは,「京都人の密やかな愉しみ」で雲龍院の娘さんの彼氏役だったし,ストーカー田中を演じている田中圭さんは,「軍師官兵衛」の石田光成役…,信じられますか?
 前回,ただひとつ不満だったのは,お弁当屋さんでのはちゃめちゃな会話のシーンがなかったことです。次回に期待します。お弁当屋さんのマイペース店員・石野真子さんがんばれ! 私は野菜炒めを応援します。

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 レッドキャニオン州立公園を過ぎると,すぐにでもめざすブライスキャニオン国立公園に到着しそうな雰囲気であったのだが,まだこの先が長かった。
 あたりは広々としていて,うわさにたがわぬ州道12の「素晴らしき景観」の一端が垣間見られた。

 やがて,ブライスキャニオン国立公園が間近にせまってくると,その入り口には,観光地化した町があった。ここは,ブライスキャニオンリゾートであった。飛行場もあった。
 そこから右折して州道63に入ると,ブライスという町になった。私は,このあたりは何もないところかなと想像していたから,予想が裏切られた思いであった。

 アメリカを旅行をしていると,広く雄大な,というのはどこへ行ってもそうであって,それは,日本に住む人には,想像すらできないほどであろう。とにかく雄大なのである。
 しかし,そこが無人の荒野かといえば,決してそんなことはなく,全米,というより全世界から多くの観光客が訪れるわけだから,やはり,観光地然とするのは仕方がないことである。
 ただし,日本の観光地のように,景観を台なしにするとか,やたらと看板を立てるとか,そういったこともなく,また,施設が古びているとか,落書きがある,ごみがある,などということも決してないから,素晴らしいのである。

 このブライスキャニオン国立公園の入り口にある町ブライスも,ホテルやロッジ,牧場やガソリンスタンドが広がる美しい町で,この観光の拠点とでもいうべき場所であった。しかし,道路が渋滞しているとか,観光客であふれているということはまったくなかった。
 やがて町を過ぎると,道の両側は木々に覆われた散策路になって,まるで,日本の八ヶ岳山麓のような感じになった。
 さらにそこをずっと走っていくと,やっと,ブライスキャニオン国立公園に到着した。
 この国立公園も,そうであることを示す大きな掲示があった。私もそこで写真を写した。
 ゲートで料金を払って中に入った。公園の展望までは,さらにずっと走っていく必要があった。
 この公園は,アンフィテアトルムという円形劇場のような景観を見渡せる13の展望台に通じる30キロメートルの眺めのよい道路を走って観光するのである。

 ブライスキャニオン国立公園(Bryce Canyon National Park)は,キャニオンというより、ポンソーガント高原 (Paunsaugunt Plateau) の東側沿いの浸食によってできた巨大な自然のアンフィテアトルムである。「土柱」と呼ばれる,風,水,氷による川床と湖床の堆積岩の浸食により形成された赤,橙,白の岩の色が公園を訪れる人々に見事な風景を見せてくれることで有名である。
 また,ここはザイオン国立公園やグランドキャニオン国立公園よりはるかに標高が高く,ブライスキャニオンの縁は、海抜約2,500メートルある。

 火曜日から再び放送している「京都人の密かな愉しみ」ですが,お正月の番組の再放送なのかとがっかりしていたところ,昨日は,雲龍院さんのブログ「京都雲龍院 寺庭婦人のブログ」にも紹介してあったように,お正月のときには放送されなかった,雲龍院の本当の娘さんと西教寺の娘さんが登場して,お話をされていました。
 何度見ても,素敵な番組です。
  ・・・・・・
 このドラマはフィクションどす 実在する京都人とは関係おへん おおきに
  ・・・・・・
という番組最後の字幕には笑えました。
 立春を過ぎても寒い毎日ですが,私は,北野の天神様の梅が咲き誇る早春を楽しみにしています。
 春になったら,そうだ,京都行こう。

 さて,1月24日の朝日新聞のコラム「ことばの食感」で,中村明・早稲田大名誉教授が日本語の助詞の働きについて書いています。
 内容は,
  ・・・・・・
 小説「伊豆の踊子」の中に,「私が縄梯子に捉まろうとして振り返った時,さよならを言おうとしたが,それも止して,もう一ぺんただうなずいて見せた」という文章がある。そこで,「うなずいたのは誰か」と問うと,「私」だと答える人が多いが,実は,「さよならを言おうとした」のも「うなずいて見せた」のも踊子である。
  ・・・・・・
というものです。その後に,
  ・・・・・・
 「さよなら」は次が「と」でなく「を」だから,もし文章の最後まで同一人の行為なら「私は」と書くはずだ。
  ・・・・・・
という説明がありました。
 私は,これを読んで,日本語というものは奥が深いものなんだなあと思いました。それと共に,何も主語を省略しなくとも,わかりやすくきちんと書けばいいじゃないかとも思いました。ねえ,川端さん。

 そもそも,主語を書かず,敬語でそれを判断するという日本語の古文にも,私は高校生のときからつき合いかねています。
 子供のころから漢字の書き取りの苦手だった私は,多くの人が読めないような漢字は漢字として意味がないと自分勝手な主張? をしてきました。それと同様に,人が読んでわからないような文章を書くこと自体が間違っている,という傲慢な思い込みもありました。しかし,そんな態度だったので,ブログを書くようになって,自分の国語力のなさに,改めてげんなりし,もっと勉強しておけばよかったと反省している毎日です。
  ・・
 私は,日本語が本当にわかるのかということについて,今更ながら思いを巡らすようになりました。
 はじめに取り上げた「伊豆の踊子」は,小説に書かれた文章の難解さの一例でした。では,論説文はどうでしょうか。たとえば,新聞の文章です。
 新聞の活字がどんどんと大きくなって,私の子供のころの新聞を読み返すと,あまりに小さな活字に,あの時代の人はこんな小さな字がよく読めたものだと思うのです。しかし,活字が大きくなったこともよいことばかりではなく,文字数が少なくなったことから,文章にやたらと体言止めや省略が多くなり,日本語として適切かなと思う記事が増えました。日常で一番接する日本語は新聞の記事だと思うので,現在の日本語にこのことが及ぼしている影響が少なからずあると思います。
 そんな一例(一例になるかどうか分かりませんが)として,今日では誰が読んでいるかさえ定かでない将棋の観戦記を取り上げたいと思います。観戦記も,文字数が少なくなって,以前は,心理描写なども書かれていておもしろく読めましたが,今はわかりにくくおもしろくなくなりました。少ない文字数で書かなくてはならないライターさんも大変です。

 たとえば,昨日の次のような文章です。
  ・・・・・・ 
 久保は図の▲7七桂を軽視していた。△6五金が華麗な活用に映るが、それには▲6九飛があり、逆転模様。「▲7七桂でさっぱり分からなくなりました」。ここから久保が乱れ始める。△8四金がつまずきの第一歩。△8四香▲7五歩△6五金▲7七香△8五香▲同馬△8四金で後手勝勢だった。香を使わせながら7七の地点を塞いでいるのが大きい。
  ・・・・・・
 この文章,読む気しますか? 私は将棋を知っていますが,この文章はさっぱり頭に入ってきません。そこで,私なりに言葉を補って少し書き換えてみました。
  ・・・・・・
 (後手番の)久保九段は,図の▲7七桂を軽視していた。久保「▲7七桂でさっぱり分からなくなりました」。ここから久保が乱れ始める。ここでは,△6五金が目に映るが、それは▲6九飛で逆転模様である。そこで,△8五香と指したが,▲同桂のあとの△8四金が悪かった。代わりに△8四香▲7五歩△6五金▲7七香△8五香▲同馬△8四金とすれば,後手が勝勢だった。それなら,香を使わせながら7七の地点を塞いでいるのが大きいのだ。
  ・・・・・・
とまあ,30パーセントほど文字数を増やせば,少しは頭に入ってくるようになります。新聞に書かれたほかの記事も,おそらく同じようなものでしょう。

 新聞は,文字数の制限から,このようにわかりにくくなってしまったという例でした。それとは別に,法律やお役所の文章は厳密さを必要とされる故の難解さがあります。携帯電話や生命保険を契約するときなどの契約書の文章もまた,理解できないものの代表ではないでしょうか。
 以前,仕事で,そうした類の通達文をわかりやすく図解して書き換えた説明文を作ろうとして,当時の上司にこっぴどく叱られたことがあります。それでは,厳密さをそこねると。しかし,文章が日本語で書かれていればわかるというものではないのです。専門家が解釈しなければ分からない文章を,理解もしていないのにわかったことにして一般の人が契約を交わしていたり,専門家でなければ,いや専門家ですら解釈が異なるような文章で書かれた法律を基盤とした法治国家のなかで生きているというのは,考えてみれば実はおかしなことだとは思いませんか。
  ・・
 よく,外国語はわからないといいますが,その言葉の裏には,日本語はわかるという意味が込められています。しかし,このように,外国語どころか,日常私たちが使っている日本語だって,実は本当にわかっているのだろうかと改めて思うこのごろです。
 それとも,日本語すら理解できないのは私だけなのでしょうか。

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 ハッチという小さな町のコンビニで菓子パンとコークチェリーを手に入れた私は、さらに、国道89を北にしばらく走った。
 やがて,州道12は右折という道路標示があったので,ここで右折した。
 写真にあるような小さな道路標示は1か所にあるだけなので,これを見落とすと,完全に迷子になる。しかも,気づいたときは,何十マイルも過ぎていた,ということがあるからきわめて要注意である。
 道路は,相変わらず片側1車線の走りやすい道路が続いていた。
 しばらくすると,赤茶けた不思議な形の岩山が続く景観が見えてきた。そこがどこなのかよくわからなかったが,ビジターセンターと駐車場があったので,車を停めた。

 私は,今回のツアーで,結果的に,結構,どころか,多くの人があこがれる,たくさんのすばらしい国立公園に行くことができたのだが,いつもの常で,まったく事前に予習をすることもなかったので,現地に着くまで,そこがどういうところなのか,よく知らないのであった。持っていたのは,かれこれ10年も前に購入した「地球の歩き方」の国立公園編だけなのである。あとは,現地で情報を集めたり,聞いたりする。
 帰国したあとで,しまったこんなすばらしいところがあったのか,行けばよかったのに! ということもままあるのだけれど,その逆も大いにある。所詮,トラベルジャーナリストでもなく仕事でもなく,特に目的もないから,この方がずっとおもしろい。人生もかくありたいものだ。

 私が目指していたのは,ブライスキャニオン国立公園だったのだが,そこがどういうところかもあまりよくわかっていなかったから,このときは,この赤茶けた岩山たちが,すでにフライスキャニオン国立公園だと勘違いしていた。
 それにしては,駐車している車の数も少なく,さらには,素通りする車がほとんどであった。
 多くの車が通り過ぎるにしては,もったいないくらい素晴らしい景観であった。
 ビジターセンターに掲げられた掲示板を見て,ここは,ブライスキャニオン国立公園ではなく,レッドキャニオンという州立公園であることを,このとき知った。

 実は,ここは,ブライスキャニオン国立公園の玄関口に当たるところで,きっと空から眺めれば同じ国立公園の端っこになるのだと思うが,レッドキャニオン州立公園は,その名の通り,真っ赤な岩の公園で,駐車場から眺めた赤い岩,赤い砂,赤い土は,きっと夕日に照らされて輝く頃が一番美しいのだろう。
 しかし,今回訪れた国立公園やこの州立公園はどこも夕日と朝日の輝くころが一番素晴らしい,というところばかりだったから,いろいろな公園で朝日や夕日を眺めていたら,公園の近くにホテルをとり,毎朝毎晩公園通いをしなくてはならなくなてしまうであろう。これでは,私のような短期の貧乏旅行には,非常につらいものがある。
 このように,いつも書いていることだが,「アメリカ沼」の魅力にはまってしまうと,何もかもが底なしである。
  ・・
 レッドキャニオン州立公園には「三つの岩」と名づけられた天然の石像が有名であるらしい。残念ながら,帰国したあとで写真を見ても、それがどれなのか私にはわからない。
 しばらく景観を眺めていたが,こんなことをしていては目指すブライスキャニオン国立公園に到着できないので,私は,このくらいでここを切り上げて,先を急ぐことにした。
 道路には,岩山をアーチ上に切り抜いたところもあって,いやがうえにも,これから訪れるブライスキャニオン国立公園への期待が膨らんでくるのであった。

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 きょうは,NFLについて書きます。NFL(National Football League)は,アメリカのプロアメリカンフットボールリーグのことですが,アメリカでは,ベースボールよりもアメリカンフットボールの方がずっと人気があります。
 私は,ルールも知らず,興味もありませんでした。多くの日本人も同じだと思います。ルールが複雑だと思うのは,他のスポーツも同じで,単に子供のころからなじみが浅いので,そう感じるだけでしょう。しかし,アメリカを旅行していると,NFLを知らないと旅の楽しみが半減すると思うようになりました。それは,相撲や歌舞伎を知らず,日本を旅するようなものです。ということで,楽しむようになったら,それがまあ,面白いこと…。

 NFLは,現在,32チームが存在し,優勝決定戦であるスーパーボウル(Super Bowl)を目指してレギュラーシーズン,プレイオフと戦います。ハーフタイムショーや試合を盛り上げるチアリーダーがいるのがMLBと違うところです。このチアリーダー,日本の女性も大勢います。彼女たちは日本人とは思えないスタイルですよ(失礼)。
 試合に中断の多いのはMLBと同じで,そこがサッカーやラグビーとは違って,CMが入れやすくテレビ中継になじむのはいかにもアメリカ文化です。

 スーパーボウルは,毎年2月第1週の日曜日に開催されます。
 ゲーム当日は「スーパーサンデー」とよばれて,テレビでは朝からスーパーボウル関連の話題や試合の予想が放送され,多くの人々は自宅に友人や家族などを集めてパーティーを開き,アメリカ最大のスポーツイベントを楽しみます。人気は絶大で,テレビの視聴率も軒並み40%を越え,視聴者数では約1億3,000万人以上と,国民の2人に1人が生で観戦していることになります。
 この日に商売が上がったりなのは結婚式場,反対に,商売繁盛なのはピザの宅配なのだそうです。

 今年のスーパーボウル(Super Bowl XLIX)は,2月1日,アリゾナ州グレンデールにあるフェニックス大学スタジアムで開催されました。昨年と違ってすばらしいシーソーゲームになりましたが,内容については,他にたくさんのブログがあることでしょうから,ここでは書きません。
 このスーパーボウルがMLBのワールドシリーズと違うのは,対戦チームに関係なく開催するところが決まっていることです。今年開催されたフェニックス大学スタジアム(フェニックス大学が命名権をもっているだけで,フェニックス大学の施設ではない)の凄いのは,天井がバードエアと呼ばれる開閉式の屋根で,透過素材で作られていて,天然芝のフィールドが格納式であることです。フィールドは年間350日スタジアムの南側の外に設置されていて,アリゾナの太陽の下で芝生が生育され,試合が開催されるときだけスタジアムの中へスライドさせる仕組みになっているのです。つまり,屋根が動くのではなくて,フィールドが動くのです!

 ここで,かつての私のように,あまりなじみのない人がNFLを楽しむ方法をお教えしましょう。
 まず,アメリカに行ったときには,ぜひ,スタジアムツアーに参加してください。ゲーム自体は,寒い冬に行われ,チケットの入手も困難ですが,スタジアムツアーなら,夏にも行われています。スタジアムツアーでは,フィールドも歩けるし,ロッカールームにも入れます。同じツアーに参加した人とおしゃべりもできますから,英語の勉強にもなります。
 なにせ,NFLは,レギュラーシーズンのホームゲームが行われるのは,年間わずか8試合なんです。その8試合のためにあれだけ豪華なスタジアムを作ってしまうのがアメリカなのだと,その途方もない贅沢さに感動することでしょう。そのことで,私のように,日本のプロスポーツを見る気がなくなってしまっても保障はしませんが…。
 次に,今は日本でもBSでゲームを見ることができるので,ルールがわからないなりに観戦してみてください。2か国語放送なので,英語で見るのがお薦めです。そして,ゲーム自体は,将棋を指しながら大相撲を見ていると思えばいいのです。1チーム11人,総勢22人の大男たちが,小さなボールを争奪するために,フィールド内で知恵の限り戦略を練って,体力の限りを尽くして取っ組み合っていると考えれば,これほどおもしろいものはほかにはないでしょう。…と書いていて,私は,多くのアメリカ人が日本の大相撲が好きな理由がわかりました。そうなんです。NFLはアメリカの大相撲なのです。
 しばらく見続けると,その素晴らしさと面白さを実感するようになるでしょう。そして,そのころには,英語のリスニング能力も増しているので,一挙両得です。

◇◇◇
きょうの写真は,シアトル・シーホークスとデンバー・ブロンコスの本拠地です。

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 州道9を東に走り,ザイオン国立公園の東口を通過すると,周りは広々とした風景になってきた。
 アメリカのこうした風景は,本当に素晴らしい。
 今日の1番目の写真にあるように,州道9はやがて国道89とぶつかった。
 この国道89は,インターステイツ15と平行に走る道路である。
 これらの国立公園めぐりをするときは,インターステイツよりも国道・州道の方がはるかに景観がすばらしいという。特に,この後に走ることになる州道12は全米96か所の国立シーニックウェイに選定されていて,そのドライブルートには定評がある。
 したがって,ここに来るまでも,そして,これからも,インターステイツ15よりも,この道を走るべきなのだが,私には時間がなかったから,この両日の国立公園めぐりでは,国道や州道を走ったのは,このザイオン国立公園とブライスキャニオン国立公園の間だけになってしまった。

 昨年の夏にニューヨーク州のクーパーズタウンへ行ったときには,インターステイツが通っていなかったので一般道を延々と走ったが,景観はやはり素晴らしかった。しかし,渋滞するということはないのだが,市街地に入るたびに制限速度がかなり遅く設定されているので -日本のように,制限速度などお構いなしに走ったり制限速度を守って走っても後ろから煽られたりもしないが- やたらと時間がかかってしまったのだった。
 今回の旅では,残念ながら,こうした一般道は,必要最小限の走行だけになってしまったのだが,アメリカをドライブするようになると,このように,走る道路ひとつとっても,奥が深くなってくるのである。だから,あなた任せのツアー旅行をしているうちはいいのだが,ひとたび,自分で車で移動をすることを覚えてしまうと,底なしの魅力にとりつかれてしまうのである。

 私は,この交差点を左折して,国道89を北に向かって走って行った。
 このまま北上して1時間ほど走ると,先ほど書いた州道12が右(東)に分岐しているので,そこに乗り換えて,さらに東に30分ほど行けば,次の目的地であるブライスキャニオン国立公園に到着するのだ。
 国道89も,2番目の写真にあるように,片側1車線のきわめて快適な道路であった。
 私は,ザイオン国立公園で昼食をとることができなかったので,どこかで昼食をとろうと思いながら走っていた。しかし,小さな町ばかりでファーストフード店すらないのだった。
 しばらく行くと,オーダービルという町があった。例のごとく,道沿いに教会とガソリンスタンドがあるくらいの小さな,静かな,きれいな町であった。当然,昼食をとるレストランはない。そこを過ぎると,次に,グレンデールという町に着いたが,ここも同じように,ファーストフード店すらない町であった。

 そんなわけで,もうファーストフード店もあきらめて,コンビニでもいいやと思うようになったら,その後は,町すらなくなってしまった。そうして30分以上走っただろうか,やっと,ハッチという町に着いた。ここもやはり小さな町であったが,ガソリンスタンドが1件あった。ちなみに,このあたりのガソリンスタンドは,ALL AMERICAN FUEL という会社ばかりであった。アメリカでは,ガソリンスタンドにはコンビニが併設されているから,ここで昼食を買うことにした。
 しかし,店内を探しても,田舎のよろずやのようなところで,めぼしいものがなかった。
 日本なら,コンビニ弁当かおにぎりくらいはありそうなものだ。
 アメリカでも,大きな町のコンビニなら,フードコートがあったり,サンドウィッチのサブウェイが併設されていたりもするのだが,小さな町では,それすら期待できないのであった。それでも,お昼時だけはサンドウィッチを売っていた気配があったのだが,もうお昼過ぎで売り切れていた。何度も狭い店内をまわってみたが,あったのは菓子パン程度であった。
 そんなわけで,きょうも,お昼は菓子パンとコークと相成ってしまったのだった。しかし,どこでもちゃんとクレジットカードが使えるのが,自称おもてなしの国・日本の「田舎」より便利なところである。
  ・・
 コークは,日本ではクラシックコークとコークゼロくらいしかないものだが,こちらでは,ゼロ,ダイエットコーク,コークライム,コークチェリーなど,いろんなものがある。せっかくアメリカ旅行を楽しんでいるのだから,日本にないものを買うべきだろうと,今回は,コークチェリーにした。コークにほどよくチェリーの味が混じっていて美味であった。
 私は,多くの日本人のように,海外でも,お茶を飲みたいとか,お米を食べたいとか,梅干しがないと困る,ということは全くないし,グルメでもない。しかし,栄養を考えて,1日に1食は野菜をとることだけはこころがけている。だから,きょうのように,朝と昼の食事をいい加減にとってしまうと,夜にたっぷり野菜をとらなければいけない。
 果たして,これほどのところまで来て,夕食はまともに食べられるのであろうか? アメリカにも道の駅がほしい⁉

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 このようにして,私は,美しいザイオン国立公園を,それなりに楽しむことができた。ザイオンロッジに長期滞在して,この国立公園のトレイルを歩きまわることができたのなら,どんなにすばらしいだろうと思った。
 ザイオンロッジのバス停でしばらくバスを待って,ビジターセンターまで戻った。
 駐車場は,私が来た朝とは違って,多くの車でごった返していた。もはや駐車するスペースはなく,州道沿いまで一杯車が駐車してあった。「地球の歩き方」に書いてあるとおりであった。この国立公園は,国立公園の中では交通の便がよく,公園内も充実しているから,シーズンはこのように混み合ってしまうのであろう。

 ここから出て,今度は州道9を東に行くと,州道9は「ザイオン・マウントカーメル・ハイウェイ」という名になる。この道を進んでいくと,ザイオン国立公園の東口に出る。
 この東口までのセクションが,この国立公園の三つある中でふたつめの見どころである。
 三つ目の見どころは,ここに来る途中にインターステイツ15からアクセルする道路があったコロブセクションとよばれるところであるが,私は,そこへは次の日に行くことになる。

 車を駐車場から出して,ザイオン・マウントカーメル・ハイウェイへ行くために,この州道9を東に進んで行った。少し先にある博物館までは,すでに乗ったシャトルバスのルートと同じであった。
 この博物館から,シャトルバスは北のザイオン・キャニオン・シーニックロードへ向かう。私は,州道9をそのまま東に走っていくことになった。
 この道は,先ほど書いたように,ザイオン・マウントカーメル・ハイウェイという名の道で,道に沿って岩の庭園が広がっている。
 まず,急な坂を登っていく途中に正面の岩山が大きくえぐられたところがあった。これがグレートアーチ(Great Arch)であった。大昔の浸食でこのような景観が出来上がっているのだ。
 やがて,この道路はトンネルに入っていく。このトンネルは,1920年代に作られたもので,長さ1,800メートル。日本のトンネルのように狭く,きっと日本なら,これでも両側通行になるのだろうが,こちらでは交互通行になっていた。
 手前に小屋があって,係員がSTOPという板を持って一方通行の管理をしていた。私も車列に並んで,対向車線の車が途切れるのをしばらく待った。やがてこちらの車線が通行する番になったので,走り出した。
 トンネルは思っていたよりもかなり長かった。トンネル内でも空が開けたところもあって,日本の山道にあるトンネルのような感じであった。

 トンネルから抜けると,目の前には景色が開けてきた。
 ここが,キャニオンオーバールック(Canyon Overlook)とよばれるポイントであった。ここからは,ウェストテンプル,イーストテンプル,パインクリーク,キャニオンという名のついた岩山を眺めることができた。ここもすごい景色には違いはないが,どこもかしこも同じような雄大さに,私はだんだん飽きてきた。人は贅沢なものだ。
 そこを過ぎると,今度は周りの岩山の形状がすこし変化してきた。
 遠くには,チェッカーボードメサ(Checkerboard Messa)という名のついたマス目上の模様の岩の斜面を眺めることができた。
 このザイオン・マウントカーメル・ハイウェイは,ところどころに駐車場や駐車のできる路肩があって,多くの人が好きなところに車を停めては景色を眺めていた。
 どこまでこんな景観が続くのだろうと思いはじめたころに,東口のゲートがあった。
 ここがザイオン国立公園の東の端であった。

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 マクドナルドの業績が不振なのだそうです。
 近ごろは,JAF会員のコーヒー無料チケットもなくなったし,新聞のちらしも入らなくなったし,まるで,お客さん来なくていいという感じだったので,やっぱりと思いました。
 庶民は,こういうことに敏感です。
  ・・
 そういえば,マクドナルドは関東では「マック」,関西では「マクド」(アクセントは「まいど」と同じ)というのだそうです。新聞の見出しも使い分けていますが,ここでは,「マック」ということにします。

 私のマック初体験は,35年前のサンフランシスコでした。
 アメリカでは,マックは,場所によっては決して雰囲気のよいところばかりとはいえず,ハリウッドのマックでカバンを盗まれたこともありますし,デトロイトの治安の悪い場所にあったマックでは,独特の怖さを感じたこともあります。
 それでも,アメリカを旅行していると,マックは便利ですし,重宝します。
 朝,ホテルで朝食を食べることができなかったときには,マックでパンケーキセットを食べます。かなり量が多いです。昼食や夕食をとるところがなかなか見つからないときも,マックならあります。
 アメリカでは,ドリンクは飲み放題ですし,ネットも自由に繋がります。

 しかし,考えてみれば,私も,日本では,近ごろ,マックには行ったことがありません。
 行く理由がないからです。
 以前は,町に出て,ちょっとした時間ができたときに行ったりもしましたが,ヤフーBB以外のネットが繋がらない -実は,私にはこれが一番の行かない理由なのですが-,コーヒーを飲むにも席が狭くてゆっくりできない,そして,おかわりができない(できなくなった),ドーナッツのような軽いスナックがない…,など,今は,マックに行くくらいなら,ネットが自由に繋がるスタバ(スターバックス)へ行くか,ドーナッツとお替り自由のカフェオレがあって,NTT-SPOTで自由にネットの出来るミスド(ミスタードーナッツ)に行きます。
 また,休日の朝には,アメリカで食べる朝食の味を求めて,パンケーキセットを食べに行ったり,まったりとコーヒーを飲むために立ち寄ったりしたものですが,メニューが頻繁に変わり,目的のものが突然なくなっていたり,他の外食産業に比べて,異常に割高感があったりして,とんと行かなくなってしまいました。
 昼食としてハンバーガーと油だらけのフライドポテトとコーラで700円も出すくらいなら,もっとボリュームのある野菜のたっぷり入ったラーメンや吉野家の牛丼を食べた方が,ずっと安いわけです。
 コーヒーなら,今ではコンビニでも飲めます。
 
 それは,もう,今から2年も前のことです。
 友人は,マックの店員の態度に腹を立てていました。よほど気にさわることがあったらしいのですが,「最近のマックはどうかしている」と言いました。私も,メニューが頻繁に変わり始め,ヤフーBB以外のネットもできないマックにがっかり感を持ち始めていたちょうどその頃だったので,まったく同じ意見でした。
 「マックつぶれるぞ」,彼は最後に言いました。
 そのとき,私は,ずっと持ち続けていたマックの株を売りました。
  ・・
 私たちが2年前に気づいていたのに,今頃になって,やっと,マックはそのことに気づいたのでしょうか? 問題は,決してチキンナゲットだけではないのです。それともまだ,本当の不振の原因に気づいていないでしょうか?
 私は,アメリカンフィーリングをちょっぴり味わえるマックが日本からなくなるのではないかと心配しています。
 再生を祈っていますが…。

◇◇◇
イチロー選手の移籍先がやっと決まりました。追っかけの私は,今年フロリダに行こうかどうしようか迷っていますが,いまのところ,サンフランシスコで青木選手を見たい気持ちのほうが優勢です。
ところで,以前,フロリダ・マーリンズ(現・マイアミ・マーリンズ)についてブログに書いたことを思い出しました。
雪のワールド・シリーズ-フロリダ・マーリンズ

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 私は,再びシャトルバスに乗った。次に向かったのは,ザイオンロッジ(Zion Lodge)であった。
 私は,まず,ザイオンロッジより手前のウィーピングロック(Weeping Rock)というバス停でシャトルバスを降りた。別に降りる気もなかったのだが,一緒に乗り合わせた数人の観光客が全員そこで降りてしまったので,主体性のない私も思わず降りてしまったわけだった。
 ウィーピングロックは,大岩壁の一部がアーチ状に剥がれ落ちてそこから水がしたたり落ちている岩である。この展望台からは,左にグレート・ホワイト・スローン(Great White Throne),右にエンジェルス・ランディング(Angels Landing  )の勇姿を眺めることができたのだった。そこは確かにすばらしい景観であった。しばらくその場で写真を撮ったり,付近を散策した。
 また,ここからは約30分で往復できるトレイルがあるのだ。
 他の乗客はそのトレイルを歩いて行ったが,私には歩くだけの時間がなかったので,次に来たバスに,再び乗った。

 やがて,バスはザイオンロッジに着いた。ここからはエメラルド・プール(Emerald Pools)へ行くことのできるトレイルがある。
 アメリカの国立公園では,こうしたトレイルを歩かないと,そのよさの多くは分からない。しかし,どこも広く,たくさんのトレイルがあるから,実際それを味わうとなると,1日や2日ではまわりきれない。だから,単に観光として,半日も見れば十分だと思っている段階をすぎると,今度は,そこに滞在したくなってくるわけだ。
 アメリカを旅行するということは,いつもこんな感じで,とても奥が深い。それに対して,人生はかくも短い。

 また,ここザイオンロッジには,園内で唯一の宿があって,年中オープンしている。大変人気があって,シーズンには予約を取ることも難しいのだそうだ。
 この付近には,広い芝生広場もあって,多くの観光客がのんびりと景色を楽しんでいた。食事のできるカフェもあったのだが,大変に混み合っていたので,私は,ここで昼食をとることは断念した。
  ・・
 エメラルドプールには,ロウアー・エメラルドプール,ミドル・エメラルドプール,アッパー・エメラルドプールという三つの池があるのだそうだ。
 私は,ザイオンロッジからバージンリバーにかかる橋を渡り,その先のトレイルを歩いていった。
 すべての池を巡ると2時間くらいのコースになるのだそうだ。
 「地球の歩き方」によれば,せめてロウアー・エメラルドプールまでは行ってみようと書かれてあったので,私は,へこたれながらも,そこまで行くことにしたのだが,それでも,往復30分以上の距離になってしまう。
 美しい景色にかこまれた山の中に小道がずっと続いていた。私は,他の観光客と共に景色を愉しみながら歩いていった。
 やがて,ロウアー・エメラルドプールに到着した。
 しかし,エメラルドとは名ばかりで池の水はエメラルドには輝いていない。それよりも,頭上に覆いかぶさる岩壁から滝が落ちてくるのが圧巻…であるはずだったのだが,ほとんど水が落ちていない。
 これには,さすがにがっかりした。
 結構多くの人が滝を見ていたが,みんなも同じようにがっかりしていた。
 案内板があって,それには,勢いよく流れ落ちる滝の写真があった。私は,隣にいた女性に,ずっとこの写真の方がすばらしい,と言ったら,彼女も同意して,いっそ,この写真を写したらいいわ,と言った。
  ・・
 ここからさらに先に進んでいく人がほとんどだった。アメリカ人のあのエネルギーには,いつも信じられない思いをする。なんと彼らはタフなのであろうかと,ここでも思った。
 私は,もう,この先に行く元気もなかったので,ここで引き返すことにした。
 この日は結構暑い日で,日差しがきつかった。
 ここから戻る途中の,来たときとは逆方向の景色がまた,すばらしかった。

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 プレミアムよるドラマ「徒歩7分」。きょうは,このドラマのことを書こうと思うのですが,まず,このドラマとは全く関係のない,しかし,私は,なぜかこのドラマで思い出してしまったドラマ「信子とおばあちゃん」について。
  ・・・・・・
 「信子とおばあちゃん」は,1969年から1970年にかけて放送されたNHK連続テレビ小説の第9作です。当時の連続テレビ小説は通年でした。
 獅子文六さんのベストセラー小説「信子」,そして「おばあさん」。このふたつの作品を基にドラマ化されました。
 佐賀に育った大谷直子さん扮する信子が,大学受験を断念して,明治生まれの東京のおばあちゃんのもとで、強く明るく生きていく姿を描いた作品でした。
  ・・・・・・
 NHKに作品の映像が残っていなくて,視聴者が録画して現在まで保存している可能性も低いので,「幻の連続テレビ小説」といわれているということです。
 当時少年だった私は,地方から東京へ出てきた女性が,東京という巨大な都会の中でけなげに生きていくという姿に,なにか,あこがれというか,不安というか,そういった途方もないものを感じたものでした。そして,いまでも,東京でそうした生活を始めたばかりの若い人を見ると,同じ気持ちになります。
 
 ところで,「徒歩7分」。
 今も昔も,若い女性は,不器用で,男の人にはわからない不安を抱え,挫折をしながら,東京という雑踏の中で,消え去りそうな自分を,雑草のように生きるのです。だから,これは,東京という都会を舞台にするからこそできるドラマです。
  ・・・・・・
 田中麗奈さん扮する黒崎依子は,若そうにみえてすでに32歳。彼氏なし,というか,振られてそれでも彼氏をずっと思い続けている女性。この性格じゃあ友達なし。仕事をしようとしても順応性なし。妹はいるけど,性格正反対。両親はいるけど,なにやら事情がありそう…。ひょっとして,彼女はな~んも知らない良家の娘さんかもしれない…(なにせ親と住んでいたのは「白金」)。そんな彼女がはじめた,今更ながらのひとり暮らし。そこに起きる些細な出来事を,けだるくぬるく描いています。
  ・・・・・・

 このドラマで必見なのが,会話です。
 たとえば,お弁当屋さんで働く従業員さん同士の会話。
  ・・・・・・
 「ビーフストロガノフを洋すきというのあなただけじゃないの」
 「何言ってるの。すき焼きにデミグラスをかけただけじゃないの。豆腐は入っていないけれど」
  ・・・・・・
 近頃はどこもチェーン店でマニュアルがあって,従業員が自分の言葉を話すことすらありません。私は,こんなお店のほうが好きです。
 隣人とおしゃべりする依子。
  ・・・・・・
 「妹は今ヨーロッパに行っているんです。貧困をなくしたいらしくて」
 「私も貧困はなくしたいけど,でも,具体的なアクションはとってなくて」
 「でも,妹のやっていることが具体的かどうかわからないけど…」
  ・・・・・・ 
圧巻です。こんな会話がだらだらと続くドラマなんて,見たことありません。

 この主人公のような女性,本当にいるなら,将来絶対不安です。でも,きっと,こういう美人は結婚しちゃえば,それなりに生きていけるのです,この国では。けれど…,子育てに親の介護,ずっとずっとこの先「旦那が」苦労するでしょう,でも,本人に自覚はなく,悪気もなく。
 しかし,ずっと独身のままだったりすると,それこそ,年老いたらえらいことです。でも,そのときも,本人はそれをえらいこととは思わないでしょう。
 もし,こんな女性が私の身近にいたら,きっと,腹が立つだけでしょう。
  ・・
 第5話で,トイレに閉じ込められられたときの彼女がとった行動なんて,何が大切なことかさっぱりわかっていない…。これじゃあ,仕事はできません。
 こういう生きることに不器用な,というか,要領を得ない,というか,感情だけの人って,けっこういそうです。見ていていらいらしますが,そんな女性の性格をわざとらしくとてもうまく描いてます。役者さんも上手です。
 それにしても,周りの人たち優しいですね。
 これまでのところ第4話が秀逸です。
 仕事疲れの夜,ひとり暮らしの人がぼ~っと見るのに最高のドラマです。

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 大河ドラマ「花燃ゆ」。前回,病に冒された金子重之輔をどう描くかが次回の見どころです,と書きました。
 実際,1話全体をかけて,金子重之輔の死をだらだらと描いていました。
 これはドラマだから,どう描いてもいいわけですが,ここで,ドラマの主人公・杉文を無理やり登場させなければならないことが,このドラマの弱点だと,私は思いました。
 すでに書いたように,吉田松陰寅次郎は「11歳の時,藩主・毛利慶親への御前講義の出来栄えが見事であったことにより,その才能が認められた」という優秀な人物だったようですが,このドラマではその片鱗さえうかがえません。単なる悩み多き未熟な若者で,わがままな問題児です。そして,周囲に迷惑をかけ通しのこの兄を妹の杉文が諫めるなんて,まるで,寅さんではないですか。いえ,寅さんのほうが,まだ,一途で芯が通っています。
 これでは,幼少のお江が信長を諫めた,あのちんけな大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」と同じです。

 この先,ドラマはどうなっていくのでしょうか…。
 吉田松蔭寅次郎なきあと,素敵な男らしい筋の通った高杉晋作像は期待できるのでしょうか? 番組の最後に流れる紀行で紹介された野山獄と松蔭・重之輔の像だけが救いでした。でも,視聴率が最低でも,私は,まだまだ見続けますよ。
 さて,次回は,松蔭の愛した高須久子ですが…。
  ・・
 野山獄は武家の牢獄だったので,拷問もなく,囚人同士が集まったり,話をしたりすることも自由に出来たそうです。
 吉田松陰寅次郎は,他の囚人たちに長崎で学んだことを講義するようになりました。得意分野を講義しあう交流も始まり,一種の獄中サークルのようになっていったということです。看守の福川犀之助までがその輪に参加して,吉田松陰寅次郎の講義に耳を傾けました。
 その囚人の中に,ただ一人の女性として高須久子がいました。

 高須久子は事実上の無期禁固で,吉田松陰寅次郎より12歳年上の37歳だったとされています。
 のちに,吉田松陰寅次郎が杉家預りの謹慎となって野山獄を出る際,高須久子は,
  ・・・・・・
 鴨立ってあと淋しさの夜明けかな
  ・・・・・・
の一句を贈りました。
 一旦は牢を出た吉田松陰寅次郎ですが,老中・間部詮勝の暗殺計画を知った長州藩は,再び,彼を野山獄に投獄し,その6か月後,吉田松蔭寅次郎は江戸へ送られる事となりました。その際に,高須久子は、獄中で自ら手縫いした「手布巾」を贈り,吉田松蔭寅次郎はお返しに,
  ・・・・・・
 箱根山 越すとき汗の い出やせん 君を思ひて ふき清めてん
  ・・・・・・
という一句を贈ったということです。
 出立当日、高須久子が
  ・・・・・・
 手のとはぬ 雲に樗の 咲く日かな
  ・・・・・・
と別れの一句を贈ると,吉田松蔭寅次郎は一通の封書を手渡しました。その封書の中には,
  ・・・・・・
 一声を いかで忘れん ほほとぎす
  ・・・・・・
と記載されていたということです。

 高須久子は,新政府が樹立され,野山獄が廃止されたときに出獄しました。
 近年になって,吉田松陰寅次郎が野山獄で使っていた形見とも考えられている茶碗が発見されました。その茶碗には,
  ・・・・・・
 木のめつむ そてにおちくる 一聲に
 よをうち山の 本とゝき須かも
  ・・・・・・
と,釘のような物で彫られていて,最後に「久子 六十九歳」とありました。
 高須久子は,長寿を全うし,明治37年,88歳でこの世を去りました。

◇◇◇
「京都人の密かな愉しみ」の特別編が2月10日から放送されます。
雪のお正月③-「京都人の密かな愉しみ」

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 ほとんどの乗客が降りないものだから,私もずっとシャトルバスに乗っていたが,シナワバ寺院(Temple of Shinawava)とよばれるバス停になって,どうやら,ここがザイオン国立公園を縦断するザイオン・キャニオン・シーニックドライブの最終地点らしかった。
 シャトルバスも,ここで折り返すのである。
 また,観光シーズン以外で,ここまで車で乗り入れることができるときには,この地点が最後の駐車場となる。

 ほとんどの乗客が降りたので,主体性のない私も,ここでシャトルバスを下車することにした。
 最終地点のここには,大きなバスの停留場があって,この先は,バージンリバーに沿って,トレイルが続いていた。このトレイルを,30分も歩いていくと,舗装道路の突き当たりとなる。
 多くの観光客が,バージンリバーで遊んだり,景観を眺めたりしていた。
 リスをはじめ,いろんな動植物もいて,本当に気持ちのよいところであった。

 実は,このトレイルは,その突き当たりの先からが本物なのだそうだ。
 ここをナローズ(The Narrows)という。
 この先,川の中を,ある時はずぶ濡れになりながら,丸1日進んでいく。すると,川幅はどんどんと狭くなって,垂直の岩壁が両側から迫ってきて押しつぶされそうになるのだそうだ。やがて,岩と岩が接近するすごさは圧巻で,高さが600メートルもあるのに,川幅はわずか6メートルというすごい景色に出会えるということだ。
 そうだ,そうだ,と書いているのは,もちろん,私がそこまで行ったわけではないからである。

 日本では,中高年の山歩きが盛んだという。それはそれでおもしろいのだろうが,どうせなら,アメリカの国立公園,たとえばここザイオン国立公園へ出かけて,トレイルをたくさん歩くといいと思う。
 ザイオン国立公園ひとつをとっても,無限に多くのトレイルがあるし,どのトレイルも国立公園内だから管理はしっかりしているし,レンジャーもいる。それに,ゴミひとつ落ちていないし,景色も最高である。
 こういった世界を知らないというのは,非常にもったいない話である。
 それに,国立公園内には,立派なロッジもあることだし,時間とお金がたっぷりあるのなら,ここに滞在してトレッキングを楽しむのが最高だと,私は思う。アメリカ人にザイオン国立公園が人気があるのは,こうした楽しみがいっぱい詰まっているからなのである。

 軟弱な私は,ここから先にトレッキングに行くことはせず,「ナローズ」の気分だけを味わうことにした。それだけでも,ここの景観は圧巻であった。
 振り向くと,グレート・ホワイト・スローン(Great White Throne)という垂直のモノリス(一枚岩)があった。それは,これこそザイオンの顔と呼ばれる,世界最大の一枚岩なのである。
 高さは732メートル。ただし,登る道はない。

◇◇◇
第49回スーパーボウルは,熱戦のすえ,ニューイングランド・ペイトリオッツがシアトル・シーホークスを28-24で下し,10季ぶり4度目の優勝を果たしました。
残り1分を切った時点でゴール前1ヤード,ここでのインターセプトは見ものでした。感動しました。

◇◇◇
2月3日は節分です。
なのにあなたは京都へゆくの-追儺の日
なのにあなたは京都へゆくの-吉田神社と吉田寮

 私は,この国の人は,努力や才能よりも,生まれた年代による運不運の方が,生きる上で,ずっと大きな意味を持っていると思います。ひいき目でなく,実際,1970年代に青春を送った私たちは,1964年の東京オリンピックも,1966年のビートルズの日本公演も,1969年のアポロ11号の月着陸も,1970年の大阪万博も知っているし,若いころは夢にあふれ,大人になれば自由に海外旅行もでき,コンピュータ時代にも間に合って,日本史上,もっとも幸せだったと思うのですが…。

 そんな私たちの若き日に活躍したあこがれの歌い手たちが,今も元気で活躍しているのはうれしいものですが,私がひとつ不満なのは,若いころにはどうしてあれほど夢とロマンにあふれた曲を作った彼らが,歳をとった今,口うるさいオヤジさんのように,説教じみたりいいたいことをダイレクトに語りすぎるような曲を作るのかということなのです。
 有名な反戦歌に,「花はどこへ行った」(Where have all the flowers gone?)があります。私がいいたいのは,このような作品が作れないのかな,ということです。

 それはともかく,いろいろと世間をにぎわした昨年の大みそかの紅白歌合戦のサザンオールスターズ・桑田佳祐さんでしたが,私は,その番組を見ていないので,このことについてはわかりません。
 サザンオールスターズといえば,「いとしのエリー」です。これは,「ふぞろいな林檎たち」という素晴らしい番組のテーマソングとしても,また,有名で,私も大好きです。しかし,最近の曲は知らないので,これを機会に,改めて聴いてみましたが…。

 「ピースとハイライト」という曲に,次のような歌詞がありました。
  ・・・・・・
 教科書は現代史を やる前に時間切れ
 そこが一番知りたいのに なんでそうなっちゃうの?
  ・・・・・・
 私は,この曲を聴いて,桑田さん古い,認識不足と思いました。
 高校で日本史を勉強しても,明治維新以後をやらなかったのは,私や桑田さんの時代のことなのです。今は違うのです。彼は,そのことを知らないのでしょう。だから,残念ながら,若い人には,彼の想いは伝わらないのです。
 また,「東京VICTORY」という曲には,次のような歌詞がありました。
  ・・・・・・
 彗星(ほし)が流れるように 夢の未来へ Space goes round
  ・・・・・・
 流れるのは,彗星ではなく,流星です。彗星は流れません。桑田さん,イメージだけで作ってる,何にも知らないんだ,言葉を推敲していないんだと思いました。
 「ほし」にわざわざ「彗星」という漢字をあてたことで,この曲のイメージを損ねてしまっているのです。
 あえて付け加えるなら,「go round」するのは,「space」ではなく,「star」や「planet」,あるいは,それこそ「comet」ですが,それは単なる合いの手だと思えばいいのでしょうか。

 ファンのみなさん,ごめんなさい。私は,クレイマーではありません。難癖をつける気持ちもありません。私がいいたいのは,高級マンションのイメージ広告に,リビングに何気なく置かれた英字新聞,その英字新聞が,低俗なゴシップ誌だったり,さりげなくインテリアとして置かれた望遠鏡が,三流の粗悪品だったり…,そういうのってよくあるんです。あるいは,高級誌と位置づけされた雑誌の記事で,私の詳しい分野のものを読んでみると結構いい加減で間違っていたりすることがあるのです。それは,伊勢えびと称してロブスターを提供したような,少し前に起きた高級有名レストランの偽装と同じようなものです。
 そうした些細なことから,我々は,高級品と称したものが,実は見せかけだけで,実際は安物だったのかと冷めてしまうわけです。それと同じように,この歌詞は,言葉が軽く,そのことで,曲の価値を下げてしまっていることが,とても残念なのです。
 サザンオールスターズの曲には,安っぽさは似合いません。

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 私は,はじめてアメリカをドライブしたときに,キャンピングトレーラーがあまりにたくさん走っているのに驚いた経験があります。夏などは,走っている車両の半分くらいはキャンピングトレーラーだったりします。
 キャンピングトレーラーというのは,箱型の居室に,ドア,窓,ベッド,ダイニングテーブル,キッチン,トイレ,シャワーなど生活に必要な装備を一通り整えたトレーラーのことです。トラベルトレーラー (Travel trailer) ともいいます。走っているのを見ると,自動車で牽引できる軽量タイプから,大型のバスのようなタイプまで,キャンピングトレーラーにはいろいろな種類があるようです。そして,さらに,後ろに乗用車を連結したり,ボートを連結して走っています。
 スピードが遅いから,片側1車線の道路で,前にこのキャンピングトレーラーが走っていると,少し迷惑だなあ,と思うのですが,多くのアメリカ人はさほどそう思っていないようです。

 いろいろ聞いてみると,アメリカでは仕事をリタイヤした人が,時には家を売ってまでしてキャンピングトレーラーを手に入れて,全米を旅するのがひとつの夢なのだそうです。だから,多くのキャンピングトレーラーが走っているのでしょう。キャンピングトレーラーで旅をしている人は,お年寄りが多いのもうなずけます。彼らは,キャンピングトレーラーで,広いアメリカ大陸を横断したり,成人してさまざまな場所に出ていった子供や孫に会いに行くのだそうです。
 こうしたキャンピングトレーラーで旅をしていても,アメリカでは,どこに行っても駐車してキャンプを楽しめる広い場所があるから,とても便利なのです。
 聞くところによると,値段は,中古を選べばそれほど高くないそうです。離婚した人が家財道具一式を手放すときにキャンピングトレーラーも安価で売るので,それを手にいれるのがねらい目なんだそうです。
 私はキャンピングトレーラーには詳しくないので,詳しいことは,よく知る人に譲るとして,少し興味があったので自分なりに調べてみました。

 メーカーは,トイホーラー,トラベルトレーラー,フィフスホイール,パークホーム,エアストリームなどがあります。中でも,エアストリーム(Airstream)はアメリカ合衆国,オハイオ州のジャクソン・センター(Jackson Center)で製造される高級キャンピングカーだそうです。私は,この車が走っているのをみて,なんておかしな形のトレーラーだろう,きっと古くさい安物だと思ったのですが,実はこれが憧れの最高級ブランドです。
 エアストリーム製のキャンピングトレーラーは,もともとは1930年代にホーレー・ボウラス(Hawley Bowlus)が生み出した設計の特徴ある丸みを帯びたアルミニウム製ボディだったそうです。また,ボウラスは,チャールズ・リンドバーグが操縦した「スピリットオブセントルイス号」の主任設計者でした。

 ところで,日本でも,キャンピングトレーラーを道の駅などに駐車して,旅をしている人を見かけることがあります。
 このブログに以前書いたこともありますが,「55歳からのハローライフ」というNHKのドラマで,主人公がこのトレーラーを買おうとして奥さんに反対されるというシーンがありました。それにしても,私は,日本でこれを手に入れても,置く場所もなければ,旅行に行っても,キャンプをする適当な場所もない。第一,行く場所自体がほとんどないと思うのですが…。
 山登りでも同じことですが,キャンピングトレーラーで旅をすることも,たとえあこがれても,日本では国が狭いから仕方がないけれど,楽しむことはなかなか大変です。この狭い国で,自然とお友達になって人生を楽しむということ自体が不可能なことなのかもしれません。さびしいことですが…。

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