しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

March 2015

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 キャニオンランズ国立公園は,ゲートを越え,10キロメートルくらい南に進んだところがYの字の三叉路になっていて,そこをさらに南に10キロメートルほど進んで,前回の写真を写したアイランド・イン・ザ・スカイへ到着したのだった。その最南端まで行く間には,他に,メサアーチ,バックキャニオン展望台といった別の展望台があった。
 アイランド・イン・ザ・スカイからの帰り,私は,まず,この三叉路まで戻った。その途中のバックキャニオン展望台から見た景観が1番目の写真である。
 そして,三叉路を,今度は北西に進むとすぐに,グリーンリバー展望台があった。そこからさらに10キロメートルほど行くと,アプヒーバルドーム(Upheaval Dome)に行くことができるのだった。私は,せっかくここまで来たのだから,アプヒーバルドームまで行くことにした。

 アプヒーバルドームは,キャニオンランズ国立公園の他の展望台からの景観とは全く異なる風景が広がっていた。それが,2番目と3番目の写真である。
 ここのトレイルは,駐車場に車をとめてから,少し,いや,かなり? 歩くことになるのだった。
 暑かったことに加えて,期待とは裏腹に,このトレイルは雑草の生えた単なる荒野に続く道だったので,私は,少しめげてきた。これまでの景観が素晴らしすぎたことも手伝って,私には,何か拍子抜けであった。
 やがて,なんとか小高い山の頂に到着すると,そこから火口クレーターのような複雑な地形が見渡せた。説明板によると,この地形は,地面が隆起したという説と,隕石孔であるという説があるのだそうだ。
 隕石孔だとすれば,一見の価値があるのだが,これまでの風景があまりに雄大だったから,それと比べてしまうと,正直言って,ここはそれほど感動する場所ではなかった。

 車に引き返し,帰路を急ぐことになった。車窓からは,キャニオンランズ国立公園の雄大な景観が眺められ,とても素晴らしかった。途中のグリーンリバー展望台に少しだけ車を停めて景色を見わたした。それが4番目の写真である。
 グリーンリバー展望台からは,メサの間をグリーンリバーが流れ,その流れが,何億年もかけて浸食した景観を眺めることができた。ここからの展望は,川による浸食が明快でそこにメサが隆起したことでこうした景観が作られたという実感がわいて,自然の偉大さと驚異に,改めて感動することができた。
 歴史が作り上げた雄大さが印象的であった。
 ここから眺める風景は西側だから,さぞかし夕景は素晴らしいものに違いがないであろうと思った。次に来るときは,国立公園の近くにホテルを予約して,こうした夕景を楽しみたいものだ。
 それにしても,何度も書くようだが,このキャニオンランズ国立公園は,本当に辺鄙なところにあった。

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 大相撲大阪場所千秋楽を堪能した私は,翌日,京都へ行きました。まだ,桜の季節には早く,かつ,梅の季節には遅いので,京都の町はしばしの静寂に包まれていて,とてもよい雰囲気でした。紅葉には早い頃の秋と同じく,私は,こうした季節が大好きです。
 どこへ行くというあてもない私は,地下鉄の東西線に乗って,御陵駅で降りました。
 「御陵」は「みささぎ」とよびます。「御陵」とは天皇,皇后の墓所のことをいいますが,京都地下鉄のこの駅名は駅の東300メートルほどのところに天智天皇の山科陵があることに由来しています。
 私は,ここの駅の出口から坂を上って,琵琶湖疏水を見に行くことにしました。

 「ブラタモリ」というNHK総合の番組があります。
 これまで3回ほどシリーズで放送された番組で,タモリさんが町を歩いては,その町で発見した意外性を語る大変おもしろいものでした。これまではタモリさんが「笑っていいとも!」に出演していた関係で,東京周辺しか行くことができなかったのですが,「笑っていいとも」が終了したので -タモリさん曰く「勤務体系」が変わったので- 4月から放送される第4シリーズでは,日本各地へ地方ロケも実施されるのだそうです。
 その放送開始に先立って,去る1月6日に正月スペシャル番組として「ブラタモリ~京都~」が放送されました。
 千年以上栄え続けている京都は,これまでに何度も衰退の危機に見舞われた事がありました。そのピンチから脱するために行われた「京都復活三大プロジェクト」である琵琶湖疏水,御土居,新京極通の痕跡をたどりながら、当時の人々の熱い思いに触れるという趣向でした。
 そこで今回,私も,その番組にならって琵琶湖疏水を歩いてみようと思ったわけです。

 御陵駅から北に小高い山に昇って行くと,琵琶湖疏水に出会います。
 明治18年,琵琶湖と京都を運河で結ぶという途方もない計画を総指揮したのは,東京工部大学校を卒業したばかりの田辺朔朗という青年だったそうです。これをやり遂げて5年後に通水,世界で2番目となる水力発電所まで作ってしまったのです。私も若いころにはそうした話を聞いても実感がわきませんでしたが,この歳でこうした建造物を見ると,ものすごく感動します。というか,人間の「凄さ」を感じます。
 1番目と2番目の写真は,第3トンネルの付近の様子ですが,このトンネルを過ぎると,水力発電所のある蹴上にたどり着きまます。私は,疏水沿いを歩くことができると思ってたのですが,残念ながら道がなく,ここから再び御陵駅まで戻って,県道143号線沿いを歩く必要がありました。

 坂道を登ること30分,蹴上からほとんど人のいない南禅寺の境内を通って水路閣まで行きました。ここからが,「ブラタモリ」でも放送された場所になります。
 水路閣のわきの道路をのぼっていくと,疏水を水路閣の上から見ることができるということをテレビでやっていましたが,私もそこまでのぼって,水力発電所のある方へ疏水に沿って歩いて行きました。この道沿いはなかなか風情のあるところですが,薄暗く人気もないので女性がひとりで歩くところではありませんのでご注意を。
 私は,そのまま歩いていって,やがて,水力発電所に到着しました。
 そこからが,インクラインです。
 インクラインは,タモリさんが這いつくばって歩いていた線路ですが,高い所にある運河と低いところにある運河の間に設けられた傾斜軌道のことで,約547メートルのレールが残り,昔の台車と舟が展示されています。この線路を歩くことができるのは意外と知られていないわけですが,周りは桜並木なので,もう2週間もすると,素晴らしい景色が眺められることでしょう。
 こうした建造物はそれを作り上げた若者たちの偉業を無言で語りかけてきます。

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 席に着いたら,隣に,キヤノンの一眼レフに200~400ミリのズームレンズで写真を写していた男の人がいました。私は,大阪は見やすくていいですね,と言ったら,でも座席がせまいでしょう? と言われました。いや,全く狭くないのです。名古屋の方がうんとひどい。大阪はイス席にもすべて座布団がついているけれど,名古屋は駅のイスみたいで,あんなところに何時間も座っているとお尻が痛くなるのです。ちなみに,東京は,イス席でもランクによって大きさが違いますし,いちばんうしろなんて,ものすごく遠いです。当然,イスはクッションがついています。

 お相撲自体は,テレビで放映されましたから,ここでは省略します。ともかく,ものすごい盛り上がりでした。特に,地元出身の勢関はすごい人気でした。豪栄道関は気の毒で,観客は優勝決定戦が見たいから,この日だけは照の富士の声援ばかりでした。そして,横綱対決は,一番声援のあったのが,「庄之助」でした。
 37代木村庄之助は,この場所9日目に定年の満65歳を迎え,本来ならば前日の中日が最後の捌きでしたが規定の改正により千秋楽をもって停年により引退となったので,この日が最後,終了後,花道で花束が贈られていました。

 取組後の表彰式,これを最後まで見るのが今回の目的でした。
 ものすごい数の表彰があって,最後が「吉本興業賞」。そこで土俵に登場したのが,アホの坂田こと,坂田利夫師匠。吉本興業阪本部所属のお笑い芸人です。芸名は将棋棋士の阪田三吉に由来しますが,将棋は苦手なのだそうです。
 そのころには観客のほとんどは,帰ってしまったか,優勝パレードを見に行ってしまって,残り少ない人たちが「アホ」と声援を送っていました。まあ,なんと大阪らしいというか,素敵ですね。
 そのあと,三賞の授与式があって,最後が,「出世力士手打式」に続いて「神送りの儀式」です。

 「出世力士手打式」,出世力士,つまり今場所で入門した力士が登場して,観客も起立します。
 まず,出世披露を受けた力士にお神酒を振舞われ,若者頭,世話人らとともに三本締めを行います。そして,「神送りの儀式」となります。この儀式は,初日前日の土俵祭に対応するもので,土俵祭によって神が宿り結界となった土俵を,この儀式によって結界を解きふつうの場所にもどす意味合いがあります。
 テレビで最後まで放送していたころは,勝負審判が胴上げされていたのを私は見ていました。その後,それを嫌がった某審判が行司に変更すると提案して,現在では行司が胴上げされている… というのは知っていたのですが,それを実際に見にいったというわけでした。
 大阪場所は出世力士が多いので,この儀式が華やかなのです。

 そして,すべてが終了したのち,呼び出しが,土俵祭りで土俵の中央にお供えして埋められた日本酒,米,塩を取り出し,大屋根が降ろされて,大屋根に取りつけられた房と水引が取り外されて,終了という段取りになりました。
 千秋楽のチケットを幸運にも手に入れられた方は,ぜひ,ここまでご覧ください。隣で見ていた写真を写していた人も,こういう儀式があることを知らず,最後まで見るといいと話しておいたので,その時間までいて感動していました。こうした儀式を見ると,お相撲がスポーツではなく神事であるということが実感されることと思います。
 これが日本という国のひとつの文化です。

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 かなりの距離を走って,私は,やっとキャニオンランズ国立公園のゲートまで到着した。いつものように,料金を払って,さらに進んだ。展望台は,まだこの先ずいぶん先なのである。
 前回書いたが,この国立公園は広大だが,車で容易に行くことができるのは、北側の一部だけで,ほとんど未開なのである。公園には,ビジターセンターはあるが,売店もレストランもガソリンスタンドもない。だからこそ,すばらしいわけで,私が今回行った五つの国立公園の中で,最も気に入ったところであった。

 この国立公園のある地域は,ペンシルベニア紀(古生代・石炭紀の後半,3億2千万年前から2億9千9百万年前には,沈み込む堆積盆地と隆起する山脈が存在していた。そして,沈み込んでいく盆地にとらわれた海水が,厚い蒸発岩の堆積を生み出して,近隣の山脈から浸食された物質と共にパラドックス層となり,やがて流動始めた。
 その後,暖かな浅い海が,そうした層を覆って,石灰岩,砂岩,頁岩ができた。そしてまた,新たな浸食期が起こり,不整合と呼ばれる地質の断絶が生まれた。
 こうした,堆積が起き,海が覆い…,を幾度も繰り返し,そのたびに,地層の不整合が起きて,現在のような景観になったわけである。
 つまり,ここから見ることができる風景は,3億年以上にわたって形成されたものなのである。

 ゲートからまっすぐに南下してビジターセンターを過ぎ,さらに20キロメートルも南へ,草原の中を延々と続く道路を走った。ここを走っていると,その周りが崖になっていて,展望台から雄大な風景が眺められるとはとても信じられなかった。
 グランドキャニオンへ行ったときもそうだったが,目的地に着くまでは,そんな雄大な絶景がこの先にあるとは思えない,普通の草原が続いているのだ。

 やがて,アイランド・イン・ザ・スカイから伸びる道路の最南端の展望ポイントであるグランド・ビュー・ポイントに到着して,駐車場に車を停めた。
 ともかく私は,時間がないのだから,展望ポイントは最南端から先に制覇しなくてはいけない。そのグランド・ビュー・ポイントからの絶景が,きょうの3番目と4番目の写真のところである。
 これまでにも,グランドキャニオンを始め,多くのこうした絶景を見たが,それぞれ,個性がある。詳しいことはしらないが,創成の違いがこのような差を生じるのであろう。
 ここからの展望が,この国立公園で最高であった。

 私は展望台へ行って,この先,どこまでこんな景観が続いているのだろうかと,とても不思議な気がした。ここは我々が住む地球と同じところなのだろうか…。
 もちろん手すりなどないから,崖から先をのぞき込むと,恐怖を感じる。
 あまりに雄大で,距離感がおかしくなっているから,本当はきっとものすごい標高差なのだろうが,その高さが想像できない。
 なにか,ここから飛び降りたくなる衝動に駆られるのも,また,不思議なことであった。
 それに,じっとしていても,結構風が吹いているから,吹き飛ばされそうで,それもまた怖い。
 観光客が多くないというのもすばらしかったが,そのうちの何人かは,勇気があって,こんな崖の先端に佇んでいたり,じゃれあったりしているので,それもまた,驚きであった。
 私は,しばらく,このアイランド・イン・ザ・スカイから絶景を楽しんだ。
 聞こえてくるのは,風の音だけだった。

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 今度は間違えないように,私は注意深く道路標示をさがし,州道313に入ることができた。そこは,有名なキャニオンランズ国立公園がこんなところからアクセスするのか? と思うほどあっけなく,また,辺鄙な感じの交差点であった。これでは見落とすはずである。
 もし,日本なら,巨大な看板でも立てられるに違いない。
 しかし,州道313に入ると,ちゃんと「キャニオンランズ国立公園25 マイル先」の道路標示があった。道路は踏み切りを渡り,その先は,先ほどよりもさらに辺鄙な直線道路が延々と続いていた。

 キャニオンランズ国立公園(Canyonlands National Park) は,コロラド高原に位置し,約1,400平方キロメートルの面積を占めている。ちなみに四国の面積は,約1,900平方キロメートルである。
 この公園は,北西からグリーンリバー,北東からコロラドリバーが流れてきて,このふたつの川がYの字で合流してグリーンリバーがコロラドリバーに吸収されているところで,この2つの川によって浸食された峡谷にある。
 川を境として,ふたつの川の北側は,アイランド・イン・ザ・スカイ(Island in the Sky),グリーンリバーの西側をメイズ(The Maze),そして,コロラド川の東側をニードルズ(The Needles)という地区に分けられている。
 三つの地区は峡谷で隔てられているから,公園内で行き来することはできない。橋もない。
 それらに加え,飛び地として公園の北東にデッド・ホース・ポイント州立公園(Dead Horse Point State Park),北西はるかに遠くにホースシュー・キャニオン(Horseshoe Canyon)という地区がある。

 私のように,多くの観光客は,州道313を南に下って,キャニオンランズ国立公園にアクセスするから,アイランド・イン・ザ・スカイ地区に行くことになる。ふたつの川の間にある広く水平なメサを公園のおおよそ中央部まで舗装道路が続いていて,眼下365メートルにあるグランドキャニオンのような,砂岩のホワイト・リムとよばれる景観と,さらにその300メートル下を流れるふたつの川を見渡す多くの展望台があって,絶景である。
 ちなみに,メサ(mesa) というのは,差別侵食によって形成されたテーブル状の台地のことで,卓状台地とよばれている。また,さらに浸食が進み孤立丘となったものはビュート (butte) と呼ばれる。日本には皆無であるが,アメリカ,特にロッキー山脈あたりを旅していると,そんな景色はいくらでも見ることができる。

 グリーンリバーの西にあるメイズ地区は,最も辺鄙で不便な地区で,地図をみても,道もなく,どうやってアクセスするのだろう,と思う。トレイルとキャンプ場はあるから,そこへは延々と歩いていくのだろう。行く人はすごい!
 ニードルズ地区は,そこにそびえる赤と白の縞模様の岩の尖塔に因んで名付けられたそうだが,峡谷,地溝,池,多くのアーチのように,自然によって彫刻された岩の様々な形態が観察できるらしい。
 この地区には州道211を南東から道路が延びていて,この州道211は,私がもアブまで行って引き返した国道191をさらに南下するとアクセスできるので,車でも行けそうではある。しかし,見所であるほとんどのアーチはそのまた奥地の峡谷にあるので,そこからさらに長時間歩くか四輪駆動車でしか行くことができない。
 北東のデッド・ホース・ポイント州立公園へは,州道313をアイランド・イン・ザ・スカイへ向かう途中で左折したところで,コロラドリバーの流れによって形成されたガチョウの首と呼ばれる半島の朝夕の色彩がすばらしいということだ。
 北西に離れたホースシュー・キャニオン地区には,古代プエブロ人より前から存在した狩猟採集民族によって岩の板に描かれた絵があるということだが,この地区へ行くにも,まったく違うルートを走っていかなくてはならない。
  ・・
 このように,ここキャニオンランズ国立公園というのはとんでもない辺鄙なところで,しかも,広大な公園の北側のほんの一部しか容易にアクセスできない,というところなのである。
 そんな途方もないところに,時間の少ない私が,絶景が見られればいいや,という軽い気持ちで,しかも,道に迷いながら,走りに走って,どうにか,公園の入り口にやっとたどり着いたのであった。

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 大相撲,東京と名古屋はよく見にいくのですが,大阪にははじめて行きました。
 大阪場所ならではのよさは,3月,新しく相撲界に入った力士が多く,前相撲をたくさん見ることができることです。しかし,千秋楽には前相撲はありません。だから,千秋楽のチケットが買えなかったら,前相撲のある3日目あたりに行こうと思っていました。
 私がわざわざ見にいきたいのは,テレビではやらない,足を運ばなければ見ることができないことを見るためなのです。

 はじめに結論を言うと,大阪場所,最高でした。九州に行ったことはないのですべての比較はできませんが,名古屋とは比較にならず,東京よりも楽しめます。すっかり気に入った私は,今後は大阪場所に行くことに決めました。
 近鉄の難波駅から会場の「ボディーメーカーコロシアム(大阪府立体育館)」に歩きましたが,道路のところどころに会場までの経路が表示してあって,しかも,お相撲さんが歩いていたので,あとを追いて徒歩で約10分,問題なく会場まで行くことができました。
 千秋楽は,10時過ぎと取組開始が遅いのですが,到着した9時半頃には,すでに場内に入ることができました。とりあえず,自分の座席(イス席)まで案内してもらいました。会場は名古屋より狭く,というかイス席が土俵に近くて見やすく,内装はずっと豪華でした。電光掲示板の豪華さも,名古屋と比較になりません。開始前なのに,すでにけっこうなお客さんがいました。開始前の場内は,相撲甚句が流れています。とりあえず,体育館内を一周してみました。インタビュールームやら,行事部屋やらが通路に面していて,お客さんの歩くところと力士や行司さんや呼び出しさんの歩くところが同じなのにびっくりしました。

 やがて取組開始。まだ席がたくさん空いているので,正面のイス席に行って,写真を写していると,「おおさかのおばちゃん」がいて,いろいろと教えてくれました。端的に言うと,大阪はお相撲さんを身近にみることができる場所がたくさんあるということでした。近くに座っていた女性の方ともたくさんお話ができ,いろいろと案内をしていただき,楽しく観戦することが出来ました。この場でお礼を申し上げます。
 十両の土俵入りの前後に,幕内力士が場所入りするけれど,入口は一般のお客さんと同じところだから,一度だけ可能な再入場制度を利用して,外でお相撲さんの場所入りを見たらいい,と言われました。その後は,館内に戻り,花道と支度部屋に続く通路で待っていると,身近にお相撲さんが通るから東か西を決めてそれを見るといいということでした。今日は,東方に注目力士がたくさんいるから,私は東方の支度部屋の前に行くことにしました。

 しばらくお相撲を見て,お昼を食べに地下にある食堂に行きました。なかに入ると,北の湖理事長がみえました。近くに席が空いていたので,そこに座って恐る恐る写真をお願いすると快諾していただけたので,ツーショットを写しました。食後は,会場のロビーで引退されたばかりの豊真将さんが買った手ぬぐいにサインをしていただけるということだったので,手ぬぐいを購入して,サインと写真をお願いしましました。会場にはほかにも,いろんなイベントをやっていました。
 そのあとは,教えてもらった通りに,一旦外に出て,力士の場所入りを見ました。力士ではないけれど,サンコンさんも歩いてきました。待っているとほとんどの力士を本当に目の前で身近にみることができました。近くで見るとデカイですねえ。やがて最後に来るという白鵬が入ったので,私も館内に戻り,今度は通路で力士の出を待ちました。
 ちょうど桝ノ山が帰るところで「頑張れ」と声をかけたら「ハイ」と返事がありました。この日は千秋楽なので,協会ご挨拶で土俵に向かう理事長と三役力士を見て,その後,土俵入りの力士をすべて目の前で見ることができました。それから自分の座席に初めて行って,横綱の土俵入りからは,いよいよお相撲の観戦です。館内は満員,すごい熱気でした。

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 相撲人気復活だそうです。私も,大相撲の「千秋楽」をナマで見たくなって,初めて大阪場所に足を運びました。
 気楽にチケットを買おうと思ったのですが,なんと,抽選! そして,めでたく当選したというわけでした。
 昔は,といっても,本当に遙か昔は,千秋楽のテレビの大相撲中継は最後の最後まで中継をしていて,「神送りの儀式」-そんな儀式があるのも多くの人はご存じないでしょう!- まで見ることができたのですが,今は,それを見る機会もなくなってしまいました。また,ついぞ「千秋楽」の大相撲を40年以上ナマで見ていなかったので,何とかみたいものだと思い,チケットを購入することにしたのです。

 観戦記は次回書くことにして,きょうは昔話です…。
  ・・・・・・
 私は,かれこれ半世紀,お相撲を見てきました。そのはじめは「栃若」でした。
 「栃若」といっても,栃錦を見た記憶はないのですが,若乃花は,枡席で見た明確な記憶があります。不思議なものです。そうそう,親方だったころの双葉山や千代の山も生で見たことがあります!
 そのあとの「柏鵬」 -白鵬ではありません- は,とてもよく覚えています。私が初めてファンになったのが柏戸です。柏戸という横綱は,勝っても負けて土俵から落ちていくのでケガが多く,見ていていつもハラハラしました。相手がだれてあっても常に負ける可能性があって,安心してみていられない,今の稀勢の里のようなものでした。子供心に,柏戸の取組が始まると心臓がいつもドキドキするので,自分の体が壊れたかと思っていました。
 柏戸の晩年から引退後のしばらくの間は,つまらない(といわれた)大鵬の一人舞台で,相撲人気は衰えていましたが,「北玉」つまり北の富士と玉の海が横綱となったあたりは,また,活況を呈し,私には最も面白い時代でした。中でも北の富士はかっこよく,しかし,腰高でもろく,玉の海急死の後の一人横綱を背負って立つにはあまりにその責任が重すぎました。
 その次の「輪湖」,つまり,輪島と北の湖の時代は玄人受けしても,相撲はワンパターンで水入りばかりでした。
 そして,訪れたのが,千代の富士です。
 千代の富士は強いのだけれど,体の小ささからもろく負けることがあったので,逆に人気があって,私は,強いというものがいつも嫌いなのだけれど,唯一,千代の富士だけは例外でした。千代の富士は,その入門以来とてもよく知っていたのですが,あの小さな青年がまさか大横綱になるとは当時は思いもしませんでした。
 そして,そのあとの貴乃花の頃からの相撲にはさほど興味がなく,現在に至っているのです。
  ・・・・・・

 誰も思ってはいても口に出さないけれど,現在の大相撲は「あの」大横綱がいなければ,毎場所誰が優勝するかわからないから,もっと,優勝争いに興味がわくのでしょうが,どうやら,現在の相撲人気は,誰が優勝するかというようなことは,どうでもよくなっているのだと思います。その意味では,これまでとは全く異質の相撲人気だと言えるでしょう。実際に見に行くと,お客さんの目が肥えていて,面白い相撲でなければ,そっぽを向きます。
 私は,ずっと,相撲を見に行くのなら,はじめから見るべきだと思っています。だから,相撲を見に行くときは,朝の9時前には出かけます。このことは,MLBを見に行くときも同じですが,実際に見に行くというのは,その全体の雰囲気を味わうためなので,勝負の結果は,結局のところ,たいした意味を持っていないかもしれません。
 それより熱戦が期待です。

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 いつものことであるが,アメリカを走っていると,ほどんど車の通っていない道が延々と続いて,この先何があるのだろう,と思っていると,突然大きな町に出るのだ。 
 アーチーズ国立公園のある岩山を走り終えると,目の前に川が流れていた。コロラド川であった。そうして,コロラド川を渡り終えると,やがて,周囲には町が広がってきた。そのころになると,どうしたことか,国道191は,再び,片側1車線に戻ってしまったのだった。さらに進んでいくと,再び道路は2車線になって,町中に入り,国道191から多くの道路が分かれていった。
 どうやら,ここはモアブのダウンタウンらしい。昨日宿泊したハリケーンという町とよく似たところであった。
 このようにして,私は,モアブの町に到着したのだった。

 モアブ( Moab)は,人口約5千人の町である。近くにアーチーズ国立公園やキャニオンランズ国立公園があるので,毎年多くの観光客がやってくる。
 マウンテンバイク乗りや,モアブ・ジープ・サファリに訪れるオフロード車愛好者の基地としても人気がある。
 モアブという変わった名前は,ヨルダン川東岸にある地域にも同じ名前があるが,ユタ州のモアブ市がその名前を使うようになったのは,最初の郵便局長ウィリアム・ピアースが,聖書のモアブもこのユタの地方も,共に,「遙か遠隔の国」にあると考えたからだといわれる。
 また,パイユート族インディアンに起源があり,蚊を意味する「moapa」に起因するともいわれている。

  ・・・・・・
 モアブの近郊では,1910年代と1920年代にウランやバナジウムが発見された。カリウムやマンガンがそれに続き,さらに,石油や天然ガスが発見された。また,1950年代になると,チャールズ・スティーンが,市の南で豊富なウラン鉱脈を発見した。
 いわゆる「世界のウランの首都」となったこの発見は,アメリカ合衆国で核兵器や原子力時代の到来と重なって,このときから,モアブの好況時代がはじまったのだった。
 やがて,冷戦の終焉と共に,モアブのウラン・ブームは去り,それから市の人口は劇的に減少した。1980年代初期までに,多くの家屋が空き家となり,ウラン鉱山の多くが閉鎖された。
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 また,1949年,すでに10年前にモニュメント・バレーで映画「駅馬車」を撮影していた映画監督ジョン・フォードは,モアブの牧場主ジョージ・ホワイトから,この地で映画を撮影するよう薦められた。
 そのときから,アーチーズ国立公園やキャニオンランズ国立公園を背景に使って,多くの映画が撮影されるようになった。
  ・・・・・・

 今日の地図で示す通り,私は,これまでに書いたようにして,インターステイツ70から国道191に入り,国道191を南下して,その時はそうとは知らずにキャニオンランズ国立公園へ行くための州道313へまがる交差点を見落として,さらに進み,左手にアーチーズ国立公園を眺めながら,モアブまで来たのだった。
 しかし,モアブまで来てしまったのは,実は大失敗だったのだ。
 車を停車して調べてみると,なんということであろうか,めざすキャニオンランズ国立公園へ続く道は,もうとっくに通り過ぎていたのだった。めざすキャニオンランズ国立公園はアーチーズ国立公園よりもはるかに手前で州道313に右折しなければならなかったのだった。ただでさえ,時間がないのに,なんということであろう。
 私は、モアブの町を見る暇もなく,急いで進路を逆にとり,来た道を引き返し,注意深く道路標示を見ながら,やっと見つけた州道313へ交差点を左折した。今日の最後の写真にあるように,道路標示はこんなに小さいのだ。

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 これからしばらくは,インターステイツ70から別れを告げて,キャニオンランズ国立公園とアーチーズ国立公園を訪れる。
 1番目の写真のように,私は,インターステイツ70を右折して,国道191に入った。国道191は,平坦でまっすぐに南に続く片側1車線の道路で,あたりは一面の原野であった。
 こういう道路は,写真にもあるように,前を大きなトレーラーが走っていると本当にたいへんである。簡単に追い越せそうなのだが,何せ,制限速度がはやく,対向車線のはるかかなたに車がいるだけでも,すごい勢いで迫ってくるから,油断ならないのだ。
 やがて,道路の左側側に平行に鉄道の線路が並走するようになった。そのうちに,道路は,片側2車線になったが,そうしてしばらく走っていくと,また,道路は1車線にもどってしまった。
 右手に,キャニオンランズフィールドという名の小さな飛行場が見えてきた。ここは,チャーター便のアクセスしかないということであったが,飛行場の駐車場には,けっこうな台数の車がとまっていた。看板に「ヘリコブターツアー」と書いてあった。

 国立公園も,昨日行ったザイオン国立公園やブライスキャニオン国立公園なら,アクセスも容易だから,多くの観光客でにぎわっていたが,こうして,国道191を走っていると,なにか,最果ての地にきてしまったかのようであった。きっと,ここまでくる日本の観光ツアーはほとんどないであろう。だから,こういう場所に来ることこそ,私のような旅をするものの特権なのだ。なんだかうれしくなってきた。
 いつのまにか,鉄道の線路が道路に並走して右手に見えるようになった。どこかでこの道路が高架になって,鉄道の線路を又いだらしい。そのうち,国道191は州道313ENDのT字路に差し掛かり,それを越すと,ふたたび,片側2車線になった。そうして,中央分離帯が広くなって,道路は,インターステイツのようになった。
 それが2番目の写真である。
 そのまましばらく走っていくと,やがて,左手には断層がむき出しになった岩山がせまってきた。
 どうやら,その向こうがアーチーズ国立公園であるらしい。
 私は,この時点でも,これからアーチーズ国立公園とキャニオンランズ国立公園のどちらに行こうか迷っていた。できれば両方とも行きたいのだが,インターステイツ70の景観に見とれて展望台まで行ってしまったために,予定よりも時間が過ぎていた。もう,午後1時をとっくに過ぎていたし,キャニオンランズ国立公園はここからまだはるかに遠いのだ。
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 しかし,このふたつの国立公園のうち,ぜひとも行きたいのは,キャニオンランズ国立公園のほうであった。写真で見た限り,グランドキャニオンをはるかにしのぐ景観であったし,アクセスが困難ということで,再び来ることがむずかしいように思えた。さらに,アーチーズ国立公園なんて,岩がアーチ状になっているだけのようで,たいしたことなさそうだった -あとで,これは,とんでもない認識不足だったことを思い知るのだが…。
 キャニオンランズ国立公園へのアクセスは,モアブという町であるということだったので,私は,左手に広がるアーチーズ国立公園をやり過ごして,国道191をそのままさらに,モアブまで走っていったのだった。
 モアブの町は,3番目と4番目の写真である。

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 相変わらず天気がすぐれません。しかし,春は,天気がよければ,春霞に黄砂ということで空が澄み渡りません。
 19日もずっと雨が降っていたのですが,昼過ぎには上がって,夕方には晴れ間がのぞくようになりました。外に出てみたら,結構強い風が吹いていて,しかも新月。非常に条件がよく,これなら,ということで,先週に続いて,星を見に行きました。
 今回のターゲットは,おなじみのラブジョイ彗星(C/2014Q2 Lovejoy)と前回写せなかったNGC2403,M58,M59,M60,NGC4631の五つの銀河です。こうした暗くて小さくかわいらしい銀河を写すのが楽しくなってきました。

 いつもの場所に着いて,望遠鏡を設置して,さっそく彗星を撮影しました。
 彗星は1週間前に比べて2度ほど北極星に向かって移動していました。前回のようにM103散開星団と同じ視野に見えるのですが,彗星の尾がM103とは反対側になってしまっていて,前回の方がよい構図でした。しかし,まだまだ明るく,これぼど長い期間楽しめる彗星もめずらしいものです(=1番目の写真)。
 次に狙ったが,NGC2403でした。この銀河は,おおぐま座のα星の北西8度にあるのですが,何せ,銀河の近くに目標とする明るい星がなく,しかも,天頂に近く,なかなか捕えられません。前回は視野に入れることができずあきらめたものです。今日は何とか写せましたが,とても難しいものでした(=2番目の写真)。
 その次に,おとめ座のM58,M59,M60を写しました。1か月前にはさっぱりわからなかったおとめ座の銀河団も,もう私にはおなじみで,構図を変えたりと楽しみました。おとめ座の銀河は,ちっぽけだけれど,それぞれ形が違っていて,馴染んでみるととても面白いものです=写真3番目。
 最後に狙ったのが,かみのけ座のNGC4631でした。NGC2403同様,近くに明るい星がなく,非常に難儀しました。何度試しても写っているようで写っていないし,やっとのことで視野に入れてみると,そのユニークな形,なかなか素敵な銀河でした(=4番目の写真)。
 現在はコンピュータが自動に星を導入してくれるので,それを使えば何の問題もないのですが,私は,こうした苦労が楽しいのです。というのは強がりで,そうした最新式の「武器」は,私の使っている30年前に購入した望遠鏡には接続できないのです。

 この日,非常に湿度が高くて,夜11時を過ぎると,すでにレンズには露がつき望遠鏡もベタベタでした。やがて,霧がでてきたので,これで終了としました。
 自然というのは,体験してみないとわからないものです。朝晴れているときでも,前の晩がどういう状況だったかは全くわからないものなのです。特に,コンクリートで囲まれた生活をしていると,いつも自然を見ているようで,実は何もわかっていないのですね。この日は気温も6度あって,寒くもなく快適そうだったのですが,寒い冬の時期よりも条件が悪いのです。
 これで3月の星見は終わりです。この調子だと,4月も,まだ,ラブジョイ彗星が楽しめそうです。北極星とのツーショットが写せたらいいなあ,と思っています。そして,そろそろさそり座が見えるようになる頃です。

 さて,私が,こうして少しの距離をドライブして星を見に行く理由のひとつには,渋滞していない道路を気持ちよく走って,満天の星空を楽しむことにあるのです。このブログにいつも書いているのでおわかりでしょうが,広く快適なアメリカ大陸をドライブする楽しみを知ってしまうと,渋滞だらけのこの国で,昼間に車に乗る気持ちにはならないものです。だから,少しでも快適なドライブをするには,車の少ない夜に走るしかないのです。そうした時には,ちょっぴりだけアメリカをドライブしている気持ちに近づきます。
 さて,昨日3月20日は新月で,実は,皆既日食なのでした。残念ながら,見ることができるのはアイスランドとイギリスの間を通る大西洋の細長い地域でしたが。
 そして,4月4日は満月で,この日は皆既月食です。日本でも見られます。

 近ごろの新聞の記事でおもしろかったのは,「明治の高等遊民描く 漱石『それから』」と「〈ニュースの本棚〉河野多恵子の世界 柔らかく結ぶ,日常とその果て 川上弘美」です。今日は,この全く関連性のないふたつの記事について書きます。
 まず,「高等遊民」です。この記事によれば,「高等遊民」とは,高い教育を受けながら一定の職についていない人物のことだそうです。現代の若者は,「高等遊民」をニートと同等にとらえているのだそうですが,それは違います。そもそも,労働は国民の義務,という話は別として,私は,この国の人は働きすぎ,しかも,何を目指して働いているのかさっぱりわからない,と思っています。自説では,農耕民族の我々には,労働というのは日常であって,生活と切り離せないものであったから,働くことが生活であって,だから,いつも労働をしているということなのだと思います。それが,狩猟民族であれば,狩猟に出かけるときが労働で,それ以外は生活,というように,切り離せるのです。

 そこで,この国では絶えず労働しているのが「善」であり,それ以外は「悪」のような風潮があるから,休暇を「取らせていただく」ということになるわけです。近年は,学生にもそうした価値観を蔓延させてしまい,いつも,勉強をするという状況を大人が強いるようになりました。しかし,勉強,といっても,与えられたドリルをやることを強いているだけなのです。そんなものは,誰かが作ったはじめから答えのある問題のその答えさがしをしているだけなのであって,本当の勉強ではないのです。問題を作る,とか,作文を書く,とか,作品を作る,というのなら,わかりますけれど…。
 それと同じように,大人の「仕事」も,しなくてはいけない,あるいは,する必要がある訳でもないことに時間を費やして,忙しごっこをしていることが多く,たとえば,誰も読まない報告書を徹夜で書く,とか,意味のない会議をだらだらとする,とか,そういうことに時間を費やしているのです。
 もっといえば,有害物質を作る労働者や,勉強を強いることでむしろ生徒を勉強ぎらいにする教師,あるいは,従業員のやる気を損ねるパワハラ上司など,やらない方が,いない方がよほど世の中のためになることも多々あるのに,それを,仕事していると勘違いしている場合が多いのです。
 以前,たばこ会社の社員を,有害物質を作っているとして訴えた人がいて,「真面目に仕事をしていて訴えられるとは」と社員がコメントしていたのを読んだことがありましたが,まあ,そんなようなことも同じです。

 話は飛びますが,犯罪としての殺人と戦争としての殺人,これは,チャップリンだったかが,「人をひとり殺すと犯罪者となり大量に殺すと英雄となる」といったとかいう話ですが,それだって,同じようなものです。
 何がいいたいかというと,価値観や正義というものに普遍性はない,ということなのです。そして,世の中の良識とか常識にも普遍性がないということなのです。
 今から200年も前なら,ちょん髷を結って刀を持って町を歩けても,今それをやれば,犯罪です。そんな大きなことでなくても,価値観を押し付ける年長者のいっていることが正しいとは限らない,ということです。私は,人生の中で,そうした類のわけのわからぬ気の毒な年長者をたくさん見てきました。

 で,改めて,何がいいたいかというと,こうしたことを表現できることこそ,文学の価値だということです。
 だから,一般にいう「常識のある人」には,何が何だかわからない,理解しがたい,と思える小説であっても,その根底には,ひょっとして,そうした人間の普遍性のない価値観を的確に表現したものであり,それを「わかる」人と「わかなない」人というのは,そうした多くの経験や体験を経てきた人とそうでない人だったりするわけです。
 私は,「河野多恵子の世界」で川上弘美さんが紹介していた「不意の声」という小説を読んで,そんなことを思いました。
 この本を読んでからそのあとで数多く書かれたこの本の感想を読んでみると,感想を書いた人の人生経験の深さがわかってくるようでおもしろいものです。きっと,わからない,理解できないという人は,普遍性に疑問を感じるような不幸を味わったことのない幸せな人生をおくっている人なのでしょう。そんなことをも考えさせられるこの小説は,はやり「傑作」なのだと思います。
  ・・
 ところで,私は,高い教育は受けていませんが,高等遊民になりたいと,昔からずっと思い続けていました。

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 今日はまず,アメリカ大陸を横断インターステイツを紹介する。アメリカでは大陸を東西に横断するインターステイツは偶数番号10,20,……,90となっているが,インターステイツ30は大陸横断道路ではない。また,インターステイツ50,インターステイツ60は存在しない。
  ・・・・・・
●インターステイツ10
 インターステイツ10は,メキシコ湾岸に沿った大陸横断道路で,カリフォルニア州ロサンゼルスとフロリダ州のジャクソンヴィルを結んでいる。
 私が昨年の春テキサス州のエルパソからサンアントニオまで,少し前にはヒューストンからルイジアナ州のニューオリンズまで走ったことがある道である。
  ・・
●インターステイツ20
 インターステイツ20は,準大陸横断ルートとでも言うべき路線で,西側は,テキサス州でインターステイツ10から分岐してはじまり,東海岸は大西洋岸のノースカロライナ州まで達している。
 テキサス州のダラス,フォートワースとジョージア州のアトランタの南部の2大都市を結ぶ路線で,私は,フォートワース,ダラス間とダラスから東にニューオリンズまで行く途中で走ったことがある。
●インターステイツ40
 インターステイツ40は,カリフォルニア州のロサンゼルスからアリゾナ州,ニューメキシコ州を通り,オクラホマを経由してノースカロライナ州まで,中南部を横断している。
 ロサンゼルスに通じている大陸横断ルートなので,大陸横断ドライブを試みる旅行者の走行する候補に挙がるルートだが,インターステイツ40を走っても,東海岸の方はこれといった見どころがないから,むしろ,テネシー州内で接続しているインターステイツ81でアパラチア山脈に沿って北上して,ワシントンDC以北の都市群にアクセスするほうが,大陸横断のドライブルートしてはふさわしいといわれている。
 途中にメンフィスやリトル・ロックを経由する。私は,ニューメキシコ州で少しだけ走ったことがある。
  ・・
●インターステイツ70
 さて,その次が,今回の旅のメインロードであるインターステイツ70である。
 このインターステイツ70は,現在書いているように,ユタ州で南北を走るインターステイツ15から東に分岐しコロラド州のデンバーに向かう。デンバーからは,カンザスシティ,セントルイス,インディアナポリス,オハイオ州のコロンバス,ピッツバーグと経由してボルチモアに達する。
 大陸横断道路としては,インターステイツ80やインターステイツ90ほどの華やかさはないが,オハイオ州からメリーランド州にかけての区間は「The National Road」ともよばれたかつての開拓道路「カンバーランド道路」に沿って建設されたフリーウェイで,それにちなんで「The National Freeway」ともよばれるなど,東部から内陸への交通路としては由緒正しいルートである。
 ペンシルべニア州内ではインターステイツ76と合流してシカゴ方面への交通網とも一体化しているのだが,インターステイツ70自体は南寄りのルートを取っているために,メジャーリーグの球団を持つ大都会を次々と通って行く。
  ・・
●インターステイツ80
 その北を並行するインターステイツ80は,カリフォルニア州のサンフランシスコから,ニューヨーク市の郊外にあたるニュージャージー州ティネックまでを結んでいる。
 サンフランシスコとニューヨークの両都市を結ぶことは1913年の「リンカーン・ハイウェイ」以来大陸横断道路の主目的のひとつになっていて,インターステイツ80は,中西部ではかなりの部分が「リンカーン・ハイウェイ」のルートをなぞっている。今日の経済社会状況を考えても,歴史的に見ても,この道は大陸横断道路の筆頭格である。そしてまた,このインターステイツ80は,インターステイツ90に次いで長い距離を有するインターステイツである。
 この高速道路の最高地点は,ワイオミング州のシャイアンとララミー間にある海抜8,640フィート(2,633メートル)である。さらにワイオミング州の西で2列の山脈が盆地を構成しているので,この高速道路は2回分水嶺を越えることになる。

 インターステイツ80で景色のよい地点としては,サンフランシスコ・オークランド・ベイブリッジを渡ってサンフランシスコ湾を超える地点(西向きのみ有料),バークレーからのゴールデンゲートブリッジの眺望,カリフォルニア州レイクタホ近くでのドナーパスとドナーレークの横断,そしてネバダ州リノの東西にまたがるトラッキー川に沿って走る地点があげられる。私は,この道もこれまで旅行したたびに通ったことがあるし,今回も,ワイオミング州を東から西に横断した。
  ・・
●インターステイツ90
 大陸横断のインターステイツの最後はインターステイツ90である。
 インターステイツ90は,ワシントン州のシアトルからマサチューセッツ州のボストンまでを結んでいる。世界でもっとも距離が長い自動車専用の高速道路として知られていて,長さは,ほぼ3,100マイル(5,000キロメートル)もある。最東端のマサチューセッツ州の基点はジェネラル・エドワード・ローレンス・ローガン国際空港の横にある。私は,特に意識したわけでないのに,結果として,インターステイツ90はすでに3分の2以上は走ったことになるし,シアトルの起点もボストンの終点も利用した。それほど主要な道路ということなのであろう。この道路を制覇することも,また,私の目標のひとつである。
  ・・・・・・

 グリーンリバーは,インターステイツ70のEXIT160,そして,国立公園にアクセスする国道191は,EXIT182を降りる。
 私は,EXIT160を降りて,グリーンリバーのガソリンスタンドで給油をし,昼食を購入した。きょうの写真のように,ガソリンスタンドといっても,広大な大地の中にポツンとあって,これは,まさに,西部劇の世界である。
 車に戻り,再びインターステイツ70をそのあとしばらく走っていくと,やがて,アーチーズとキヤノンランズ国立公園の道路標示が見えてきた。
 こちらの観光地の道路標示は,写真のように,すべて茶色のバックに白地で記されているさりげないものである。わかりやすくて,美的にもよい。また,こうした標示は,たいていひとつしかないから,見落とすと,迷子になりかねない。
 この道路標示を過ぎると,まもなく,国道191へ行くジャンクションがあった。ここでインターステイツ70を降りて,右折し,いよいよ私は,国立公園に向かうことになった。しばらく,インターステイツ70ともお別れである。

◇◇◇
旅行記では,一旦,インターステイツを降りて,国道に入りました。そこで,インターステイツについての話題は,また,インターステイツ70に戻ってから書き続けることにします。

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 インターステイツは,連邦政府レベルでの特別な資金が割り当てられているが,設計・建設・維持管理は州単位で行われ,所有権も各州に帰属している。
 では,インターステイツはいつから作られたのだろうか?
  ・・・・・・
 こうした高速道路システムの計画は,連邦政府が州間高速道路網の構想を打ち出した1950年代以前から存在していた。実際,1907年には,すでに,ニューヨーク州では世界最初の高速道路の建設が開始された。そして,1920年代までに,ニューヨーク市の高速道路と同様のシステムが,州ごとの長距離高速道路計画によって整備されていった。
 しかし,交通量の増加によって,州ごとに独立していたそれまでの高速道路システムを見直して,各州の高速道路を相互に連結してアメリカ合衆国全体としての高速道路網を整備する必要性が高まっていった。また,アイゼンハワー大統領は,第2次世界大戦中に全米を車で横断するのに2か月を要していたことを体感したこともあって,全米の道路整備計画の一環として,1956年の連邦補助高速道路法が制定されて,その整備が開始された。
  ・・
 この法律は,全米のインターステイツ網を250億ドルの資金を投じて10年の期間を費やして完成するという,それまでのアメリカ合衆国の歴史の中で最も大規模な国家プロジェクトであった。
 このようにして進められたインターステイツ網の建設は,当初の予定から大幅にずれ込み,計画から35年後の1991年にようやく完了した。また,整備費用も,計画当初に見積もられていた250億ドルを大幅に上回り,最終的には1,140億ドルを費やすことになった。
  ・・・・・・
 私は,アメリカ全土を走っていて,どこへ行っても,建設中ではなく完成されたインターステイツが整っていることにたいへん驚いた。しかも,道路標示や施設はどこも統一されていて,走りやすいし,わかりやすいのだ。しかも,美しい。
 日本のように,交通量が増えるのに反比例して車線が減ったり,道路が老朽化したり,場所によって表示に一貫性がなかったりはしない。現在も,インターステイツには連邦政府レベルでの特別な資金が割り当てられているが,設計・建設・維持管理は州単位で行われ,所有権も各州に帰属している。

 峠を越えたので,あとは,アーチーズ国立公園とキャニオンランズ国立公園への玄関口である国道191まで,インターステイツ70を東に走るだけであった。
 車内からの景観は一変して,きょうの写真のように,まわり一面大平原であった。ちなみに,写真では片側1車線の道路のように見えるが,この2車線は共に進行方向である。だから,左側に黄色いラインがある。反対車線は,左側の草原(中央分離帯)のはるか向こうにある。
 途中に,グリーンリバーという町があった。私は,ここで,給油をし,昼食の菓子パンを買うことにした。

博士と彼女のセオリー

 私がずっと公開を待ち望んでいた映画「博士と彼女のセオリー」(The Theory of Everything)がはじまったので,昨日見に行きました。
 この映画は,天才物理学者スティーブン・ホーキング博士の半生を,元妻のジェーンさんの自伝をもとに映画化したものです。いつものように,下調べをせず,予備知識なしで,わくわくしながら映画に見入りました。
 私は,暗い映画が嫌いです。だから,この映画も,きっと,心が暗くなるところがあるのだろうと,心配しながら見ていました。しかし,そうした悪い予想は,見事に裏切られました。
 この映画は,最初から最後までとっても素敵な映画です。描かれる人物は好人物ばかりです。だから,安心して見られます。そして,見終わった時に,とても元気になります。

 スティーブン・ホーキング博士があまりに世界的に有名になったのは,「ホーキング,宇宙を語る」(The Brief History of Time)という本です。私は,出版されたころにそれを知って,翻訳されるのを待ちきれず,原書を取り寄せて読みました。この本の題名と映画の題名が韻を踏んでいるのがおわかりでしょう。
 筋萎縮性側索硬化症という難病で言葉を発することもできない人が,どうして,こうした本を書いたり,意思を伝えたりできるのだろうかという好奇心がずっとありましたが,この映画では,そうした,博士の人となりがとてもよくわかりました。それと共に,当然のことではあるけれど,博士もひとりの人間として,健常者と全く同じように心の葛藤や悩みや喜びを感じながら,精一杯生きてきたのだなあ,と共感しました。大天才ということを除いては…。
 当然,映画作品だから,その映画の批評には絶賛するものあり非難するものありなのですが,私は,この映画は,ホーキング博士の学問的業績を紹介するものではなく,人間としての博士の魅力,そして,生きることのすばらしさを伝えるものだととらえて見ていたので,絶賛する方を支持します。
 しかし,2時間というわずかな時間の中で描かれた博士の学問的業績に関する内容もとてもすばらしく,しかも,私がおもしろいと思う,大学時代に学んだ物理学の内容も,全く安っぽく描かれていないので,そのことが,この映画の価値をさらに高め,はじめから終わりまで,非常に興味深く,洗練されたものになっています。

 映画でも描かれたように,実際の博士は,1965年にジェーン・ワイルドと結婚して,3人の子供がいて,やがて,離婚しました。そして,1995年にはレイン・メイソンと再婚しました。ここまでは,映画と同じです。
 映画では描かれていなかったのですが,レイン・メイソンとは2011年に離婚しました。その原因は,レイン・メイソンの博士に対する暴力だともいわれています。このように,博士の私生活は決して平たんなものではなく,きっと,本当の姿はお金も絡んだもっと泥臭いものなのでしょう。しかし,この映画では,そういうことには一切触れず,かっこいい素敵な大人のラブストーリーとして描かれていました。私は,それでいいと思います。
  ・・
 この映画の成功の最大の功労者は,ジェーン・ワイルドを演じたフェリシティ・ジョーンズという女優さんだと思います。彼女は,本当に魅力ある女性として,ジェーンを演じていました。
 フェリシティ・ジョーンズ(Felicity Jones)さんは,1983年生まれのイギリスの女優。
 オックスフォード大学を卒業後,出演した「今日、キミに会えたら」はサンダンス映画祭で審査員特別賞を受賞,「アメイジング・スパイダーマン2」にも抜擢されました。そして,この「博士と彼女のセオリー」で,アカデミー賞主演女優賞初ノミネートを果たしました。

 私は,こうした,すばらしい人たちが満ち溢れ,しかも,ちょっぴり賢くなったような気がする,人生捨てたもんじゃないなあと感じ頭をくすぐる映画が大好きです。
 ホーキング博士の提唱する時間の概念も,ホーキング放射も,学問の進展とともに堂々巡りを繰り替えしていますが,今日の天文学の驚異的な発展の基礎を築いたのは,博士の功績です。
 「宇宙創造に神は必要ない」と博士はいいますが,彼に命を与え続けているのは,きっと神のしわざではないかと,私は思います。
  ・・・・・・
 'In the beginning God created the heaven and the earth.
 'And the earth was without form, and void; and darkness was upon the face of the deep.
 'And the Spirit of God moved upon the face of the waters. And God said, Let there be light: and there was light.
 'And God saw the light, that it was good: and God divided the light from the darkness.
 'And God called the light Day, and the darkness he called Night. And the evening and the morning were the first day.
 'And God said, Let there be a firmament in the midst of the waters, and let it divide the waters from the waters.
 'And God made the firmament, and divided the waters which were under the firmament from the waters which were above the firmament: and it was so.
 'And God called the firmament Heaven. And the evening and the morning were the second day.
 'And God said, Let the waters under the heaven be gathered together unto one place, and let the dry land appear: and it was so.
 'And God called the dry land Earth; and the gathering together of the waters called he Seas: and God saw that it was good.
 'In the end God created Stephen William Hawking.

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 弥生3月。
 月明りがなくなって,今月も星見のできる時期になりました。まだまだ,ラブジョイ彗星(C/2014Q2 Lovejoy)は健在… だと思うので,晴れる日を楽しみにしていましたが,さえない毎日がつづいていました。
 今年は3月になっても,まれに暖かな日があるかと思えば,すぐに真冬と変わらない日に逆戻り。おまけに大雪までが降って,しかも,そうでない日も,いつもどんよりと曇っています。たまに晴れていても,真冬のような青い空ではなく,それが霞なのか,黄砂なのか,はたまた,PM2.5なのか,灰色の濁った空です。
 そんなわけで,春は,星空が十分に楽しめないのが残念でたまりません。
 百武彗星やヘールポップ彗星もこの季節のことだったから,昔は,春霞はあっても,今のように黄砂などの影響はなかったのか,それとも,昔から同じなのに,私の知識がなかったのか…。
 ともかく,月明りの影響がなくなり,また,星見の時期にはなりました。

 先月までは,焦点距離500ミリの望遠鏡にレデューサをつけて375ミリにして写真を写していたのですが,今月からは,レディーサを外して,500ミリ,APS‐Cだから,実質750ミリという焦点で写真を写すことにしたので,星を見に行くことがができるのを楽しみにしていました。ずっと晴天になるという天気予報が全くなかったですが,昨日はなんとか夜だけ晴れそうだったので,出かけることにしました。
 今回は,昨年の秋にクマが現れたことと今年は雪が多いことで,ずっと避けてきた家から北西の方角の山に久しぶりに行くことにしました。家から一番近いことと,北方向の空が暗いことが理由です。
 流石に3月はクマは冬眠中だと思っていたのですがすでに冬眠から覚めたというニュースがあるので,出没情報を調べたり,念のためにクマよけ鈴と音楽を流すためのiPod-touchを準備したりしました。

 夜7時30分,現地到着。快晴。気温は2度くらいで真冬並みでした。空の状態は悪くなく,さっそく,極軸を合わせて,まず,ラブジョイ彗星を狙いました。
 これまではオリオン座の南からどんどんと北に向かって移動をしていたのですが,地球から遠ざかるにつれて移動が少なくなって,先月と同じく今月もカシオペヤ座に見えているという予報でした。昨晩はカシオペヤ座のδ星の隣という,とても探しやすいところにいて,しかも,予想以上に明るく双眼鏡でも容易に見えて,何の問題もなく写真を写すことができました。同じ視野に散開星団M103も入れることができました。なかなかフォトジェニックな彗星です。
 それですっかり満足して,そのあとは,のんびりと星団や銀河を午後10時過ぎまで写しました。
 はじめに,これまでなぜか撮り忘れていたM34という明るい散開星団を写してから,今月も,再び,おとめ座とかみのけ座の銀河を狙いました。だんだんと,おとめ座とかみのけ座の銀河団の位置がわかるようにはなってきたのですが,何度挑戦しても,写真を写すことが相変わらず難しいのです。
 その理由は,どの銀河もとても小さいことと,このあたりは天の川から離れていて星の数が圧倒的に少なく,見栄えがしないことなのです。
 きっと,こういうことを繰り返して,多くの天文ファンはどんどん高価で大きな機材が欲しくなってしまうのでしょう。私は,自分の持っている小さな機材でどれだけ写せるか,というのが目的なので,今のところは大丈夫ですが…。
 やっと写した銀河の中で,NGC4565という銀河をお目にかけましょう。
 この銀河は,地球から約3,000万光年から4,000万光年離れていて,ちょうど銀河を真横から見ているような姿なので,「ニードル・ギャラクシー」(Needle Galaxy)として知られています。メシエ番号がないことから「メシエが見逃した傑作な天体」といわれています。

 いつも書いていることですが,こうして星の写真を写していると,机上の勉強と実践とは違うということを実感します。机上の知識だけでは,紙に書いた鍵盤でピアノを弾くようなもので,意味がないのです。私は,そんなことを実感するために星の写真を写しているようなものです。そして,それが楽しいのです。

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 この地点が,このインターステイツ70のクライマックスであった。
 左の地図で赤色で示した曲線がこの日以降私の走ったところで,左下からインターステイツ15,そして,右に折れたところからがインターステイツ70である。そして,青色で示した曲線が国道89で,すでに書いたように,このふたつの道路が交差して,その間が併用区間になっていることがわかる。
 前回書いた展望台は,〇1の場所であった。そして,きょうの写真の場所は〇2である。
 きょうは,このあと,私は,インターステイツ70を離れて南に走り,キャニオンライズ国立公園とアーチーズ国立公園へ行く。そして,再び,インターステイツ70に戻り,東に走ってコロラド州に入り,宿泊先はグランドジャンクションという名の町にあるホテルであった。
 地図で見るだけではどのくらいの距離か実感できないと思うが,大まかにいえば,この地図に載っている左端から右端は,日本の山口県から青森県くらいである。

 このインターステイツ70は,まるで,グランドキャニオンとモニュメントバレーの中をずっと走っているようだったと先に書いたが,そのクライマックスがこの場所であった。 
 走っていて,私は,「なんだここは!」と声を上げた。
 これこそが,アメリカの原風景なのだ。
 これまで,私は,さまざまな場所を旅行し,マイナーなノースダコタ州に感激し,サウスダコタ州のバッドランドに感激し,という経験をしてきたのだが,それに勝るとも劣らない景観なのであった。
 どこも,ほとんど人がいない,というのがすばらしい。
 グランドキャニオンもモニュメントバレーも確かにすばらしいのだが,やはり人が多いから「観光地」なのである。秘境という言葉が,もし,適切であるなら「観光地」は秘境にはなりえない。だから,こういった場所こそ,本当に心ときめくのである。
 しばらく走っていくと,展望台があった。
 車を停めて,この絶景にしばらく見とれていると,別の車が停まって,女性がひとり降りてきて,私と同じように感動して,この景観に見とれていた。
 彼女は「グラドキャニオンよりずっとすごい!」と言った。私も,それに同意したのだった。
 感動を損ねるようで申し訳ないのだが,実は,このインターステイツ70は「麻薬街道」なのだそうだ。だから,マフィアが走っているから気をつけた方がいいと警告された。
 この景観,マフィアに似合わないこともない。

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スキャンダルキャッスルナンバーズ

 春3月。テレビ番組の改編期です。私はこの冬,引きこもり状態になってNHKのテレビドラマをずっと見ていたのですが,すべて卒業あるいは飽き飽きして,ついに,「花燃ゆ」も見なくなりました。見なくなってホッとしたと感じるのは,いったいどういうことなのでしょう???
 で,きょうは,アメリカのテレビドラマのお話です。
 アメリカのテレビで放映されているドラマの多くは,日本でも放送されています。英語の勉強にもなるし,話のテンポも速いし,はじめは登場人物とかがわからず少し敷居が高いのですが,見はじめるとやめられなくなるものばかりです。

 その中で,私のお気に入りは「ER緊急救命室」「ザ・ホワイトハウス」「グッド・ワイフ」です。

 「ER緊急救命室」(ER)は,アメリカNBCで1994年9月9日から2009年4月2日にかけて331エピソードが放送された病院を舞台にしたドラマです。日本ではNHKで1996年4月1日から2011年3月10日にかけて放送されました。医学モノなので,はじめはためらっていたのですが,私がアメリカの病院に入院した経験から興味がわいて見るようになりました。
 「ザ・ホワイトハウス」(The West Wing)は、同じくアメリカNBCで1999年から2006年にかけて放送されたドラマで、ホワイトハウスを舞台に大統領とその側近達を中心に描いた政治ドラマです。ちょうどイラク戦争のころに放送されて,現実とあまりに似ていてびっくりしたものです。日本ではシーズン4まではNHKで,シーズン5からはSuper! drama TVで放送されました。
 「グッド・ワイフ」(The Good Wife)は、アメリカCBSで2009年9月22日から放送されている法律と政治を扱ったドラマシリーズで,日本では、シーズン3までNHKで放送されています。
  ・・
 アメリカでは放映中であっても,NHKでは途中で打ち切ってしまったりすることもあるので,今ひとつ信用がおけません。「ザ・ホワイトハウス」に至っては,途中で韓流ドラマブームが起こったために,放送枠がなくなって撤退してしまいました。「グッド・ワイフ」は,NHKで放映されているときには,ドラマよりも詳しいブログがあって興味満点なのですが,ここ2年続編の放映がなく,はたして,この先継続してしてくれるのか,とても不安です。困ったものです。
 CS放送のSuper! drama TVでも,FOXでも,どこでもいいから,きちんと連続して放送してくれればいいのに,これも日本らしい「せこさ」のためか,アメリカドラマ専用チャンネルでも韓流ドラマを放送したりするから,そうした専門チャンネルすらも信用がおけません。

 そんな中,BS258チャンネルの「Dlife」,このチャンネルもきっとそれと同類なのかもしれませんが,ともかくも,現在のところは無料放送であり,興味深いアメリカドラマを連続して放映しているので,私にはお気に入りのチャンネルです。
  ・・
 おもしろい番組が目白押しなのですが,現在,私が厳選して見ているのは「スキャンダル・託された秘密」「キャッスル〜ミステリー作家は事件がお好き」「NUMBERS 天才数学者の事件ファイル」の3本です。
 「スキャンダル・託された秘密」(Scandal)は,アメリカABCで放映中のサスペンスドラマで,2012年4月5日に放送が始まりました。ケリー・ワシントンが演じるオリヴィア・ポープは,かつてジョージ・H・W・ブッシュの補佐官であり,本作のエグゼクティブプロデューサーを務めるジュディ・スミスが基になっています。元ホワイトハウス広報のオリヴィア・ポープが国のエリートたちのパブリックイメージを守るため,スキャンダル封じに奔走するというドラマです。
 「キャッスル〜ミステリー作家は事件がお好き」(Castle)も,アメリカABCで2009年から放送されているサスペンスドラマです。NHKが「キャッスル~ミステリー作家のNY事件簿~」としてシーズン1だけを放送しました。
 劇中に登場するキャッスルの著作「デリック・ストーム」シリーズと「ニッキー・ヒート」シリーズは,アメリカでは実際にリチャード・キャッスル名義で出版されています。そうしたやり方は日本の「トリック」というテレビドラマが少し似ています。おそらくマネです。
 推理小説作家のリチャード・キャッスル (Richard "Rick" Edgar Castle) は小説を書けば必ず売れるほどの人気作家なのですが,彼の小説を模倣した殺人事件が起きて,彼に事情聴取に行ったニューヨーク市警の刑事ケイト・ベケットに興味を持ったキャッスルが捜査への協力を申し出ることからドラマは始まります。キャッスルは,常におちゃらけているようでいて,実は洞察力や推理力が高く,捜査を手助けするのですが,時には足手まといとなるという,そういうあらすじです。
 「NUMBERS 天才数学者の事件ファイル」(NUMB3RS)は、2005年から2010年にかけてアメリカCBSで放送されたテレビドラマです。FBI特別捜査官ドン・エプスと、数学の天才で犯罪者の行動を予測する公式を導き出す弟のチャールズ・エプスの活躍を描いています。
 典型的なエピソードは、まず犯罪から始まり,そしてドン率いるFBI捜査官チームによる捜査,チャーリーによる数学的な解析となります。チャーリーの数学によって与えられる洞察は,毎回犯罪を解決するのに重要なヒントとなるのです。複数の数学者が実際に各エピソードで協力しているそうです。番組内で提示されている数学や黒板上の方程式は正確で,各回の番組内の状況に実際に適用できるものです。このことから,アメリカでは番組内のエピソードを教材として使用している教師もいるのだそうです。

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 今日はまず,マイルマーカーの話である。
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 インターステイツを走っていると1マイルごとにマイルマーカーが表示されている。だから,インターステイツの番号とマイルマーカーを知らせれば,場所が特定できる。
 マイルマーカーは,2桁のインターステイツで偶数番号の道路は各州で西の端から順番に距離がつけられている。また,奇数番号の道路は各州の南の端から順番につけられている。また,3桁の道路には元になる2桁の道路から派生した箇所から順番に距離がつけられている。これらは,地図上にも表示されている。
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 そして,インターステイツの出入り口の各ランプやインターチェンジ(面倒なので私のブログには「ジャンクション」と書いてある)ではマイルマーカーと同じ番号が出口番号としてつけられているのでわかりやすく合理的である。
 たとえば,インターステイツ70を走って,西からコロラド州に入ると,はじめのジャンクションに「EXIT1」とある。つまり,コロラド州の西端から1マイル地点ということである。
 これもまた,日本では,距離と関係なく1番からつけられてしまうために,すでに1番と2番がある道路で新しくその途中に出口が作られるとつける番号がない。そこで,1-1,1-2,…,といった不自然な番号になってしまうし,場所も定かでないという情けないことになっている。いかにも「発想と知恵」のない日本人のやりそうなことである。
 なお,アメリカで同じマイルマーカーの範囲内で出口が複数ある場合は,出口番号に,更に,A,B,Cなどの連続した記号がつけられている。
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 蛇足だが,インターステイツは,戦争の際に航空機の滑走路として使用できるように,5マイル(8キロメートル)おきに平坦な直線道路が作られているという都市伝説が存在しているが,これはウソである。
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 展望台から反対方向を眺めると,確かに,私が走ってきたインターステイツ70は,雄大な大地の中を通っている。しかし,この2本の別々の道路の中央を,中央分離帯と呼んでいいものであろうか?
 これが,今日の1番目の写真である。
 こんなインターステイツ網を,それもわずか30年余りの間に,全米に完璧に作リあげてしまったアメリカという国の力はどこからくるのであろうか。日本は昔も今も道路工事だらけである。
 私はいつまでもこうしているわけにはいかないので,車に戻り,先を急ぐことにした。
 2番目の写真は,展望台を出てすぐのインターステイツ70の景観であり,3番目の写真こそ,先ほど展望台から眺めたこの道路そのものなのである。
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 私は,このように,ある展望台に車を停めて,景観を楽しんだのだが,このインターステイツ70では,この後も,いくつか同じような展望台があった。そのそれぞれの駐車場には,ほどほどの車が駐車してあって,それぞれが景観を楽しんでいた。
 そうしてしばらく走っていくと,さらにとんでもない絶景が飛び込んできた。それが,きょうの最後の写真の道の先にある。この場所こそが,まさに,インターステイツ70のベストビューであった。

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 今日はまず,インターステイツの制限速度について書く。 
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 インターステイツの制限速度は,場所によって異なっている。インターステイツの整備計画が立てられた当初は,多くの通行車両が,険しい峠道のように速度を維持できない限定された範囲を除いては,時速75マイル(120キロメートル)から80マイル(128キロメートル)に速度制限が設けられていた。しかし,1973年に発生したオイルショックの影響によって,翌1974年に,連邦政府はガソリン保護対策として,インターステイツの最高速度を時速55マイル(88キロメートル)に引き下げた。
 この規制は,石油の貿易停止が解除された後も安全対策として継続されていたが,それがアメリカ西部地域で大きな不評をかった。
 これを受けて,連邦政府は,1987年に速度規制を緩和して,州の選択により最高速度を時速65マイル(104キロメートル)まで引き上げられる決定を行った。さらに,1995年にはインターステイツ全体の速度制限が撤廃された。
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 速度制限の完全撤廃後は,最高速度を時速65マイルのまま維持する州がある一方で,最高速度を70マイル(112キロメートル)ないし75マイル(120キロメートル)に引き上げる州があった。
 多くの場合,最高速度を低い速度に設定している州は北東部に多く存在し,逆に高い速度に設定している州は南部および南西部に多く存在する。
 私が走った中で,アイダホ州やユタ州の制限速度は速かったし,走りやすかった。
 アメリカでは,景色が遠く,空が広いので,走っていると,日本の60キロメートルがアメリカの60マイル(96キロメートル)と同等な感じがする,と誰もが言う。私もそう思う。
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 インターステイツ70は,これまでとは,急に景色が変わった。
 私は,うかつにも,ずっと前方を眺めながら走っていたから気づくのが遅くなったのだが,気がつけば,まわりの景観がすっかり変わって,グランドキャニオンか,モニュメントバレーのような景色になっていた。この景色は,360度全てそうなのであった。
 道路際はビューポイント(展望台)の表示だらけであった。
 アメリカのインターステイツは,景色のよい所には,たいてい,展望台がある。だから,だれも,道路わきに車を停めて(これは違法),景色を楽しんではいないし,よそ見をする必要がない。
 日本は,道路を作ることに精一杯,しかも,人生は耐えることこそ美徳であって,愉しむことを「悪」だと思っているから,せっかく景観の素晴らしい所に道路があっても,その景色を楽しむ場所すらない。こういったことは,何も道路に限ったことではないが…。
 私は,アメリカを旅していると,本当に,どんどん,この日本という国の人が,何を目的として生きているのかが,さっぱりわからなくなってきた。

 ともあれ,私は,ある展望台の駐車場に車を停めて,景観を楽しむことにした。
 本当は,こんなことをしている時間などなかったのである。それは,このあと書いていくことになるが,この日は,この先,まだ,ずいぶんと走って,やっと,目的の国立公園にたどりつくことになったからである。しかし,この景色を見逃す手はない。私は駐車場に車を停めて展望台まで歩いて行った。すると,さらに驚くことに,絶景が目の前に広がっていたのである。
 絶景を背にして,ネイティブアメリカンの人が自作のブローチやらを広げて売っていた。彼らは,毎日,この絶景を見ながら暮らしているわけだ。しかし,日常というのは恐ろしいもので,きっと,こういう絶景は,非日常であるからこそ,価値があるのかもしれない。
 眺めると,この延々と続く絶景の中に,細い道路が,はるか先まで,まるで,細い芯の鉛筆で画用紙に傷をつけているかのように延びていて,そこをたくさんの車が走っていた。私は,この大地に,景観を見学する道路でも続いているのかな,と驚きつつ見ていたが,そのとき,はたと気がついた。
 この道こそが,これから私が走るインターステイツ70ではないか!

 街を歩いていると,ずいぶん新しい家ができているのに気づきました。
 そこで,ふと思ったのは,結婚して,子供ができて,そのころに,当たり前のようにローンを組んで家を買って… という,一般にいわれる普通の幸せな生活とは,実際には,自分の人生の幸せの極大値をそこに設定していることにすぎないのではないのかということです。そうして,一生をかけて,その極大値に到達するために,つまり,負債を返済するために人生をおくるのです。
 この国では,それを幸せというのですが,歳をとった私は,そう思わなくなった,という,今日はそういうお話です。
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 これまで様々な人に接して,また,人間をやってきて,私は,人が生きていくというのは,何がしか自分なりの能力を身につけながら,あるいは、様々な経験をしながら,常に,現状から少しでも飛び立っていくということなんだと思うようになりました。その方がずっと楽しいのです。だから,生きていく上で,足かせとなる持ち物はなるべく少なく身軽なほうがいい,住む場所だって,すぐにでも移動できるほうがいいのです。
 人が楽しく生きるのに必要なのは,立派な家や豪華な車や学歴や地位ではなく,「夢と勇気と知恵」というのが,私の得た結論です。

 「世界の村で発見!こんなところに日本人」「世界行ってみたらホントはこんなトコだった!?」「世界ナゼそこに?日本人〜知られざる波瀾万丈伝〜」「世界の果てまでイッテQ!」などなど,よく似た世界モノの番組がたくさんあります。私は,民放をほとんど見ないのですが,これらの番組の中で,「世界の村で発見!こんなところに日本人」だけは,気に入って見ています。
 この場組も,民放の番組にありがちなウケねらいのくだらない番組引き伸ばしが時折気になることもありますが,それを差し引いても,この番組には,いつも感動します。感動するのは,なんらかの訳があって外国に出て,苦労の末,すばらしい人生を送った,あるいは送っている人たちの姿です。
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 私は,人生,はじけないとおもしろくない,と思っています。
 「はじける」といってもいろいろです。「はじける」とは,何も,海外生活をすることでも,冒険をすることでもなく,先に書いたように,つねに現状から少しでも飛び立つ行動をするということです。
 それが,自分の意志であるか,外的要因で止むをえないことであるかは別としても,「はじける」には,勇気をもって,自分の決めた限界を越える必要があるのです。組織人間で生きるのもいいけれど,自分という個性を失った組織人間になってはいけないということを,この番組は教えてくれます。
 だからこそ,生きていく上で,持ち物はなるべく少なく身軽なほうがいいのです。住む場所だって,すぐにでも移動できるほうがいいのです。自分の持ち物なぞにこだわる必要などないほうがいいのです。物質的に必要なものは必要な時だけ借りればいいのです。持ち物は頭の中に持っている知恵だけでいいのです。
 人生に必要なのは,「夢と勇気と知恵」なのです。そして,それを「思い出」に変えていくのです。
 そうして,一生を終えるときに,ああ楽しかった と思う,そんな人生を過ごしたいものです。
 … と,私は自戒しております。

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 今日はまず,インターステイツの番号の話である。
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 アメリカでは町の番地表示も道路を挟んで奇数と偶数というように大変合理的なのだが,同じように道路の番号も非常にわかりやすく振られている。
 インターステイツでは,道路番号が2桁以下のインターステイツは幹線道路である。そして,下1桁が偶数番号の道路はアメリカ大陸を東西に結ぶ道路で,奇数番号は南北に結ぶ道路を示す。
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 特に下1桁が偶数では0,奇数では5の道路は主要幹線道路である。
 つまり,偶数番号の主要幹線道路は南側から10,20,…,90と道路番号が割り振られ,奇数番号では西側から5,15,…,95と番号が割り振られていているわけで,日本のように,1から順に隙間なく振られているのではない。
 たとえば,インターステイツ10は西はカリフォルニア州のロサンゼルスから東はフロリダ州のジャクソンビルまでを結ぶ路線であり,インターステイツ90は西はワシントン州のシアトルから東はマサチューセッツ州のボストンまでを結ぶ路線である。
 また,インターステイツ5は北はアメリカ西海岸沿いにカナダとの国境から南はメキシコとの国境までを結ぶ路線であり,インターステイツ95は北はアメリカ東海岸沿いにカナダとの国境から南はフロリダ半島の南端までを結ぶ路線である。
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 さらに,3桁の番号のインターステイツは,2桁以下の道路番号を持つ幹線道路から派生するインターステイツを示していて,100位が奇数のインターステートは幹線道路から派生して他都市へ繋ぐ道路,偶数のインターステートは幹線道路のバイパス道路である。
 たとえば,インターステイツ395は,インターステイツ95から派生したインターステートであることを示し,インターステイツ495はインターステイツ95のバイパスであることを示しているというわけである。
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 以上のように,とても合理的でわかりやすい。

 私は,これまでインターステイツ15を走っていたが,ここでインターステイツ70に入った。
 今日の1番目の写真は,南北を走るインターステイツ15から,東西を走るインターステイツ70に入った景色である。
 インターステイツ70に入ると,インターステイツ15に比べて,急に通行量が少なくなった。なんだか,急に,ものすごく山の中に来てしまったように思えた。実際,周りは山ばかりになった。
 次第に,下り坂になって,本当に他に車も見なくなってしまって,とんでもない過疎地に来たように思えた。それが,2番目の写真である。このあたりの場所は,フィッシュレイク国立森林公園(Fishlake National Forest)というところである。
 この写真のガードレールをご覧になって,どう思われるだろうか。それに,道路標示のシンプルさはどうだろうか。
 きっと,日本でこういった道路をつくると,過剰に色が塗られたガードレールと,ライトを当てると光ったり風を受けて回ったりする反射板や回転板が設置されて,カーブ全体に大きく「<」マークが設置されるに違いない。そして,道路にも,派手な色の表示が書かれることであろう。
 この写真を見て,唯一目立つのは,左側のイエローラインであろう。ドライバーは,このラインを頼りに走っていけば間違いがないのである。左側にイエローラインがある限り逆走ではない。このことも,以前,ブログに書いた。

 峠を越えると,昨日,ザイオン国立公園からブライスキヤニオン国立公園へ行くときに走った国道89がそのままずっと北に進んで,私の今走っているインターステイツ70と合流した。こうして,インターステイツ70は,国道89としばらくの間は併用区間になる。併用区間になったところが,リチフィールド(RichField)という結構大きな町であった。これが,3番目の写真である。
 4番目の写真は,写真でわかるように,国道89との併用区間を示す道路標示である。
 国道89は奇数番号なので,大局的には南北を走るわけで,偶数番号のインターステイツ70と併用というのもおかしなものだが,この国道89は,やがて,インターステイツ70と別れを告げて,インターステイツ15の東側を平行に,ソルトレイクに向かって進んで行く。
 きょうの最後の写真では,インターステイツに平行に川が流れているのがおわかりになるであろう。この川は「サリーナ川」(Salina Creek)という。
 このあと,インターステイツ70に絶景が現れるのだが,このあたりを走っているときは,まだ,その兆候すらない。

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 3月8日は国際女性デー(International Women's Day)。
 昨日の雨天とは打って変わって,ひさびさの快晴。しかも風もほとんどなく,ぽかぽかの1日になりました。名古屋城の梅も開花して,すっかり春一色になりました。
 この日行われたのは,恒例の名古屋ウィメンズマラソンでした。私は,この陽気に誘われて,久しぶりに応援に行きました。

 名古屋ウィメンズマラソンで思い出すのは,2008年,まだ,この大会が名古屋国際女子マラソンといわれていたころの高橋尚子さん,最後の国際大会です。
 この時は,高橋尚子人気で,どこも黒山の人だかりでした。
 11番のゼッケンをつけた彼女は,先頭集団からはるかに遅れて,第2集団にいました。それでも,ものすごい応援でした。
 私は,そのとき,はじめてマラソンを見たのですが,トップ集団からはるかにはるかに離れて一般参加のランナーが集団で続いているのを知って,なんとまあ,超一流の人たちの実力とはすごいものなのか,ということに驚きました。テレビでは先頭集団しか見ることができませんが,それは,本当に氷山の一角なのです。
 しか,考えてみれは,そのことは,別にスポーツに限らず,どんなことでも同じです。何がしかの能力で「メシを喰っている」人の能力というのは,それを趣味でやっている人とは,桁が違うものだということなのです。そして,そこに至る過程というのは,凡人には想像もつかない積み重ねなのです。

 あれから,7年経ちました。
 今,この時の写真と比べてみると,この大会も名称とともにすっかり様相が変わっていました。
 黒山の人だかり,というものはすっかりなくなって,マラソンは,応援する競技から参加する競技に様変わりしていました。 ゴミが出るからでしょうか,応援するための小旗もなくなって,ラバーコーンも味もそっけもない普通のものからピンク色に変わり,27キロ地点の給水所は,スポンジや水どころか,パンにバナナ,そして,お餅まで配られていて,一般参加の人たちは,それぞれがパンやらバナナを咥えながら走っていました。そして,ものすごい参加者の数でした。それでも,抽選漏れで参加できなかった人も大勢いたとか。

 マラソンに限らず,今や,スポーツは,観戦型から参加型へ,そして,観戦している人も,強いプレイヤーを応援するのではなく,それぞれの持ち味を発揮する全ての参加者を応援するようになってきました。
 世界に目を向ければ,相も変わらず人は争いばかりを繰り広げていますが,人の心は,少しは成長しているのかな,と思いました。
 とてもよい一日でした。
 前田彩里選手,好記録の達成おめでとうございます。

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 春の訪れと共に,野球の季節が近づいてきました。
 今は日本の野球にまったく興味がない私も,昔は,日本の野球のオープン戦を楽しみに地方の球場に見にいったものです。私は,勝敗よりも,ポカポカとしたスタンドでのんびりと選手の姿を見るのが楽しいのです。今にして思うに,私が理想としていたのは,まさに,アメリカのマイナーリーグの姿だったのでしょう。

 さて,MLB,メジャーリーグのお話です。
 今年はイチロー選手がフロリダ・マーリンズへ移籍したのですが,彼も,もう40歳を越え,どのように選手生活を終えるかという感じになってきました。中日ドラゴンズには50歳を越えて現役をやっている鉄人投手もいますが,プロのスポーツ選手にとって,体力の衰えは,周囲よりも自分が一番よくわかっているものなのでしょう。
 私は,横綱千代の富士の晩年,多くの記録と戦いながら「残された時間が少ない」と書かれた新聞記事のことを思い浮かべます。
 それで思い出したのは,アメリカの往年の名選手たちの晩年です。
 今ほどMLBに詳しくなかった頃,私は,MLBの往年のふたりの有名な選手の晩年の姿をスタンドで見ました。
 そのひとりは,1998年にフロリダのタンパで見たデビルレイズ(現・レイズ)のウェイド・ボッグス選手,そして,もうひとりは,2001年にサンディエゴで見たパドレスのリッキー・ヘンダーソン選手です。

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 ウェイド・ボッグス選手(Wade Anthony Boggs )は,1958年,ネブラスカ州オマハ生まれの三塁手。
 11年間をボストン・レッドソックス,その後の5年間をニューヨーク・ヤンキース,最後の2年をタンパベイ・デビルレイズでプレイしました。
 相手投手から恐れられて,6年連続で敬遠数リーグ1位を記録しました。几帳面で,試合前に必ず同じ時間(17時17分)に打撃練習を始めるという行動をとっていて,あまりに規則的であったために,ある試合で,相手チームが球場の時計(デジタル)で「17時16分」を2分表示した後に「17時18分」を表示し,ボッグスを混乱させるいたずらをしたことがあるのだそうです。
 私は,そんな経歴も知らず,球団が創設された当時の弱小デビルレイズで寂しそうにプレイする,さえないベテラン選手だなあ,というイメージしか,そのときはもちませんでした。
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 リッキー・ヘンダーソン選手(Rickey Henley Henderson)も1958年生まれ。
 他の追随をまったく寄せ付けない盗塁数と先頭打者としての出塁率の高さなどは評価が高く,しばしば「メジャーリーグ史上最高のリードオフマン」「盗塁男」(Man of Steal)とよばれています。
 サンディエゴで試合を見たときには1番という打順で打席に立ったのですが,名前だけは知っていたので,エ~ッ,まだ現役なの? このチームにいるの? と,なにか,伝説の人物に会ったような,奇妙な感じをもちました。
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 昨年引退した,ニューヨーク・ヤンキースのデレク・ジーター選手(Derek Sanderson Jeter)や2001年に引退したボルチモア・オリオールズのカール・リプケン選手(Calvin Edwin Ripken Jr.)のような,そのチーム生え抜き(フランチャイズ・プレイヤー)で,華々しい引退を飾れるのは特別な選手で,MLBでは実績のある多くの名プレイヤーでも,弱小チームを転々として,晩年を送ります。
 あの大選手ベーブルースでも,,最後の一年はヤンキースでなくアトランタ・ブレーブスでした。松井秀喜選手もヤンキースとの契約最終年のワールトシリーズでMVPを獲得したシーズンオフにロサンゼルス・エンジェルスにトレードされ,最後はタンパベイ・レイズでした。しかし,引退後に,そんな晩年の悲哀はなかったかのように,往年活躍したチームがその業績をたたえます。
 しかし,一番気の毒だったのが,ケングリフィーJr.選手(George Kenneth "Ken" Griffey, Jr. )です。彼は,1969年生まれでペンシルベニア州ドノラ出身。
 数々の記録を打ち立てた大打者で,晩年の2009年に古巣のマリナーズに復帰して,通算本塁打数を630まで伸ばしました。しかし翌年は成績が低迷,その上,試合中に居眠りをしていたと報道されるなどさんざんで,シーズン途中ので6月2日に突然,現役引退を発表して,22年間にわたるキャリアに終止符を打ちました。しかも,現役最後の日には球場に姿を見せず,寂しく去っていきました。
 私は,同じシアトル・マリナーズで数々の記録を達成したイチローを,引退後,マリナーズがどのように処遇するのかが,とても心配です。

 今,私がぜひアメリカでプレイ姿を見てみたいのは,ボストン・レッドソックスの上原浩治投手とサンフランシスコ・ジャイアンツに移籍した青木宣親選手です。日本に戻った黒田博樹投手は,ニューヨーク・ヤンキースのユニフォーム姿なら見てみたかったですが,残念ながら,かないませんでした。彼は,昨年は,ヤンキースでずっといやそうにプレイしていたので,きっと,日本に戻りたかったのでしょう。
 MLBで活躍した日本人選手の中で,私は,長谷川滋利投手と田口壮選手が自分の望み通りの選手生活を全うし,完全燃焼できて幸せだったのでは,と,勝手に思っています。アメリカで活躍するには,実力よりも,アメリカ的な思考が自分に合うかどうかのほうが大きいのでしょう。
 また,テレビ観戦の忙しい季節が来ました。さて,今年は,どんなドラマが生まれるでしょうか。

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 インターステイツ15に戻った私は,快調に,朝霧に霞むインターステイツ15を北方向に,インターステイツ70に向けて走行した。
 今日の1番目の写真は,インターステイツ15から見た早朝の素晴らしい風景である。
 とにかく,何度も書くようだが,このあとに走るインターステイツ70は,これよりもさらに素晴らしい景観の道路であった。
 はじめてアメリカのインターステイツを走るなら,ぜひ,このインターステイツ70を走ることをすすめしたい。
 そこで,このブログでは,これからしばらくは,インターステイツ15を経由して,インターステイツ70を走り,デンバーまで至る車内からの景観を,走った気分になって紹介したいと思う。
 さて,今日の2番目の写真は,ビーバー(Beaver)という小さな町へアクセスするジャンクションである。
 アメリカのインターステイツは,全く家のない大草原を飽きるほど走ると,こうした町が忽然と現れ,そのジャンクションの四角に,おなじみのファーストフード店やコンビニ兼ガソリンスタンドがあるのだ。

 ビーバーを過ぎると,間もなく,インターステイツ70に分岐するジャンクションに差しかかった。
 この日,インターステイツ15は,このあたりで道路工事をしていて,片側1車線通行になった。
 アメリカでは,道路工事の際には,通行量の多いところでは,普段はバカに広いだけの中央分離帯に新たに道路を作ったりして渋滞を避ける配慮がされることもあるが,このインターステイツ15のように,あまり交通量のない道路では,片側1車線になる。その様子が,写真の3番目と4番目である。。
 そして,きょうの最後の写真は,インターステイツ15からインターステイツ70に入るジャンクションである。

 アメリカの旅行記は,ご覧のように,移動距離が長いので,こうしたインターステイツを走行する写真ばかりになってしまう。また,アメリカに行ったことのない人や,大都会しか旅行したことのない人には,このインターステイツという日本とは違ったアメリカの道路網についてあまりなじみがないと思う。
 よくアメリカのロードムービーに出てくるこのシーンにあこがれる人も多いとおもうので,これからしばらくは,こうしたアメリカのインターステイツについても説明を加えてみよう。
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 日本でもその管理主体の違いによって,高速道路,国道,県道,という道路の種別があるが,アメリカでも同じように,インターステイツ(Interstate), 国道(US Highway),州道(Primary State Highway, Secondary State Highway),群道(County Highway), 市町村道というような種別があって,現地の地図を見るとしっかりと分けて記載されている。
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 インターステイツは,日本の高速道路に該当する。その総延長は,現在では7.5万キロメートルにも達する。すべて片側2車線以上で,日本のように片側1車線になったりしない。大都市部では車の通行量が増えるとそれに比例して片側6車線以上になることもある。そうしたところを走ると,車線変更をするだけでも大変である。このインターステイツと日本の高速道路との大きな違いは,ほとんどは通行料が無料であることと,必ず片側2車線以上あることである。中央分離帯がめちゃくちゃ広いというのは,日本人には衝撃的!である。
 よくフリーウエイといういい方がされるが,これは信号がなく交差点がすべて立体交差になっている道路のことで,フリーというのは無料という意味である。
 インターステイツには一部の区間では有料もある。有料道路は一般にはターンパイク(Turnpike)とかパークウエイ(Parkway)とよばれる。有料といっても,通行料金は日本よりもかなり安い。また,大都市の中心部に乗り入れるための橋とかトンネルも有料の場合がある。私の印象では,東海岸に有料道路が多い。
 また,国道(US Highway)は,日本の国道に当たるもので,日本では,高速道路=有料,国道=無料であるが,アメリカでは,国道というのは,インターステイツのような形状の場所も多いが,片側1車線であったり信号があったりするのがインターステイツとの違いである。

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 アメリカは,国の歴史は新しいのですが,その大地は,日本などとは比べ物にならないほど古いものです。アメリカの国立公園は,地球創世の歴史をその目で見ることができるのです。
 多くの人にとって,アメリカの大自然といえば,グランドキャニオンを思い浮かべることでしょう。そうした大自然にあこがれてアメリカに住んだ人が,こちらに来ると,グランドキャニオンなんて,そこらじゅうにあることがわかった,と言っていました。私も,多くの国立公園に行って,こうした景色は,本当にどこにでもあるんだなあ,と思うようになりました。それとともに,それらが,場所ごとに,それぞれ別の個性を持っていることがわかるようになってきて,それまでは全く興味もなかった地球創世の歴史を知りたくなってきました。
 調べていくと,それは,天文学と同じように面白く,また,とても奥が深いものであることを知りました。

 「グランドサークル」のことは,以前,ブログに書きましたが,この「グランドサークル」にあるグランドキャニオン国立公園からブライスキャニオン国立公園までの一連の地層は「グランドステアーケース」(Grand Staircase)とよばれているものです。
 約40層からなるこの地層は、地質学的価値がとても高いものだそうです。
 一番古いグランドキャニオンは、最下層では約20億年前,最上層が約2億5,000万年前の地層から形成されています。そして,グランドキャニオンの最上層は、ザイオンの最下層と同一のプレートで,ザイオンの最上層は、ブライスキャニオンの最下層と同一のプレートというように,地層が上になるにつれて年代が新しくなります。
 こうした地層は,その作られ方によって,模様や色が異なっています。これがアメリカの国立公園にそれぞれ個性をもった景観が見られる原因なのです。
 ここでは,それらを簡単に説明をしてみましょう。

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 約2億5,000万年前,地球上は「パンゲア大陸」(Pangea)というひとつの巨大な大陸でした。それが浮き上がったり沈んだりを繰り返しながら離れていき,現在のアメリカ大陸が作られたといわれています。
 その最下層にあるのが,「ヴァーミリオンクリフ」(Vermillion Cliffs)です。
 当時,海に生物が発生したことで光合成によって酸素が作られて,その結果海水中の鉄分が酸化して海底に沈んだものが隆起したのがこの地層です。だから,「ヴァーミリオンクリフ」は,濃い朱色の層になっています。これば,鉄分が酸化した色,つまりさびの色なのです。
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 その上にあるのが「ホワイトクリフ」(White Cliffs)で1億8,000万年前の地層です。この地層は海底が隆起して地上に現れたときに,岩石が風によって運ばれて積もったものだといわれています。
 「ホワイトクリフ」をよく見ると,地層の下の方は赤い色が混じっていて,上になるにしたがって,真っ白い地層になります。これは,地層を作っているのが砂粒で,砂粒には隙間があるので,長年にわたってそこに水分が入り込むことで鉄分が洗い流され,つまり,酸化鉄が脱色されて白くなったものだと言われています。
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 そして,一番標高が高いのが,ピンククリフ(Pink Cliffs)と呼ばれる地層です。これは,約5,500万年前の地層です。ここは,岩に沁み混んだ水が標高が高いので寒く,凍りついて,その氷が複雑に岩を激しく砕いて作られたものです。ブライスキャニオン国立公園などにみられる独特の岩山は,このようにして作られたものなのです。
 私がこの夏に訪れたグランドサークルにある国立公園の不思議な景観には,こうした地球創生の歴史があるのだから,そうしたことを知って見に行くと,さらに興味深く観光することができます。
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2014夏アメリカ旅行記―ザイオン国立公園③

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 昨日訪れたザイオン国立公園には,公園の北西部にコロブセクション(Kolob Section)がある。
 ここに行くには,ザイオン国立公園の園内を北上するアクセス道路はないので,インターステイツ15を北上して,改めて西側からアプローチすることになる。
 当然ツアーなどないし,私のような行程で観光しているような人はまれだから,ザイオン国立公園へ行ったことがある人でも,このコロブセクションを訪れた人は少ないのではないかと思われる。
 私も,特に行こうと思ったわけでもないが,早朝,インターステイツ15を北上していたときに,コロブセクションの道路標示を見つけたので,寄ってみることにした。
 道路標示に従ってインターステイツを降りて,片側1車線の道路を少し走ると,右手にビジターセンターがあった。まだ日の出前で,当然,ビジターセンターは開いていないので,そのまま通り過ぎて,コロブキャニオンとよばれる渓谷にそった10キロメートルほどの道路を走っていった。途中にいくつか展望台があって,車を停めて,そこから雄大な景観を眺めることができるというわけであった。

 最も景観が素晴らしいといわれるのがフィンガーキャニオンズ(Finger Canyons)とよばれる場所で,赤色と黄色のカラフルな岩壁がせり出していて,その間にキャニオンが形成されている姿を見ることができるのだった。私がその展望台に行ったときは,ちょうど日の出であったから,このコロブセクションの展望台から,すばらしい朝日を見ることができた。
 このように,このコロブセクションは,展望台からザイオン国立公園の景色を楽しむのだが,私が行った早朝には,ほかに訪れている車もなく,大自然を独り占めすることができたのが幸運だった。

 このコロブキャニオンロードの途中のリーパス(Lee Pass)という展望台で車を停車して,丸1日トレイルを歩いていくと,世界最大のコロブアーチに行くことができるのだそうだ。「そうだ」と書いたのは,当然,私はそこに行かなかったからであるが,いずれにしても,どこへ行っても,さらに魅力的なところが控えていて,これで終わりというものがない。
 私は,この日の午後に,アーチーズ国立公園へ行くことになるのだが,こうした場所のアーチというのは穴のあいた岩というものである。穴のあいた岩には,アーチとナチュラルブリッジがあるが,化学的・物理的浸食作用でできたのがアーチ,川や水の流れで浸食されたのがナチュラルブリッジだ。
 こうしたアーチで穴の幅が世界最大なのが,このコロブアーチ,2番目が私が午後に行くことになるアーチーズ国立公園にあるランドスケープアーチなのだそうだ。ちなみに,ナチュラルブリッジでは,最大なものはレイクパウエルのレインボーブリッジである。
  ・・
 私は,すっかり夜が明けたコロブセクションを後に,インターステイツ15に引き返した。
 途中,コロブキャニオンロードから眺めたユタ州の景色は,あかね色に染まった空とともに,本当に美しかった。
 きょうもまた,ああ,本当に来てよかった,と思った。

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 2月25日の新聞の広告に,「アメリカ大陸横断バスと列車の旅14日間」という旅行社の広告が載っていました。
 ニューヨークから出発して,フィラデルフィアで独立記念館,ワシントンでホワイトハウスを見学して,その後アムトラックに乗ってアトランタまで行って,その後は,バスで,メンフィス,ニューオリンズ,レイクチャールズ,ヒューストン,サンアントニオでアラモの砦を見て,カールズバッド国立公園,サンタフェ,メサ・ベルデ,モニュメントバレー,グランドキャニオン,ラスベガスと経由してロサンゼルスへ行くというものです。

 私は,宣伝をする気もないし,旅行社とは無関係なのですが,「アメリカ大陸横断」というウリの広告にひかれて,思わず,じっくりとりっと研究してしまいました。もちろん,私は,自分で気ままに自由旅行をするので,こうしたツアー旅行には参加しなのですが,よく考えられているなあ,と思いました。このプランを考えた人の「志」を感じました。
 だから,きっと,生まれてはじめてアメリカに行きたい,あるいは,自分でドライブできないけど,あこがれている,という人には,このツアーは,一度にこんなにたくさんの場所に行けるし,とても魅力的でしょう。アムトラック(アメリカの大陸横断高速鉄道)にも乗れます。

 14日間というのは,大陸横断を考えると,適当な日程です。とってとれない休みではありませんし。総距離は6,900キロと書かれてありましたが,私は,昨年の夏にユタ州を往復して4日間で4,000キロ走りましたから,そんなものでしょう。しかし,日本しか知らない人には,途方もない距離と感じるかもしれません。参加する人の中には,バスで移動ばかりだ,と思う人もいるでしょうし,ずっと寝ている人もいるかもしれません。でも,それではもったいない話です。
 定年退職して,夫婦で参加,という人を想定している感じですが,隣で,ずっと寝てばかりいる旦那さんの姿を見て困った顔をしている奥さんを,思わず,思い浮かべてしまいます。でも,起きて窓から景色を眺めれば,アメリカが広いということを実感することができるし,景色は単調そうで,実は,いろいろと変化に富んでいるので,寝ていてはもったいないです。

 私なら,ニューヨークへ行くなら,ハーレムを歩いてみたいし,ワシントンへ行くなら,実物のスペースシャトルを見てみたいし,フィラデルフィアへ行くなら,映画「ロッキー」で出てきた美術館の階段を駆け上がって,ロッキーの銅像と写真を撮りたいし,ニューオリンズへ行くなら,プリザべーションホールで音楽を聴きたい。サンナントニオへ行くなら,アラモの砦よりも,ミッションを見学したいし,カールズバッド国立公園へ行くなら,無数に飛び出すコウモリの大群を見てみたいし,グランドキャニオンでは沈む夕日を見てみたい…。
 とまあ,きっと,一度アメリカを経験すると,そんな気持ちになってしまうだろうから,これで終わりでなくて,すっかりはまってしまって,再びそこへも行きたくなってしまうことだろうと思います。そうなっても私は保証しませんよ。でも,そうなったらそうなったで,今度は,自分で自由に旅をしてみましょう。これまでこんなに面白いところを知らず生きてきたことを,きっと,残念に思うことでしょう。

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☆4日目 8月5日(火)
 4日目の朝になった。このハリケーンという町は,のどかなよいところであった。天気もよかったが,昨日も,少し違うところに行くだけで雨になったり,虹が出たりと,やはり,標高が高いだけのことはあったので,きょうも,どうなるかとであろうか。
 朝食は,パンとジュースとコーヒーだけが用意してあった。
 アメリカのモーテルは,朝食つきといっても,このようにピンからキリまでいろいろである。
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 ハリケーンといえばチャムスである。このチャムス(CHUMS)というブランドをご存知だろか?
 1983年に,ここハリケーンで,ひとりのアウトドア愛好家のリバーガイドがメガネストラップ製作からスタートさせたのがチャムスである。
 その後,トレードマークの愛らしいマスコット「ブービーバード」と,シンプルで着心地のよい100パーセントコットンスウェットのハリケーントップを筆頭に,アメリカを代表するアウトドアブランドへと成長した。そして,ハリケーントップは日本に紹介されて,日本でもアウトドアカジュアルが浸透するきっかけとなった。現在はウェアのみでなく,アウトドアギア,バッグ,アクセサリーと,幅広い商品展開で,日本でもアウトドアカジュアルシーンを盛り上げているということだ。

 すでに書いたように,昨日は,ザイオン国立公園とブライスキャニオン国立公園に行った。
 今晩の宿泊先は,コロラド州のグランドジャンクションという町のホテルである。
 今回の旅では,8月9日土曜日のお昼過ぎにアイダホ州のマウンテンホームに戻る予定で。その途中,8月7日木曜日には,デンバーでMLBのデーゲームのチケットをすでに購入してあったから,その日にはデンバーに行く必要があったので,逆算して,きょうは,アーチーズ国立公園とキャニオンランズ国立公園へ行こうと思った。
 本当は,これに加えて,さらに,キャピトルリーフ国立公園にも行きたかったのだが,時間的に少し無理があったので,残念ながらあきらめた。次回来るとき(おそらく2017年)に行くことにしょうと思った。
 ハリケーンの町からアーチーズ国立公園に行くには,インターステイツ15の東を平行に走る州道12を,景観を眺めながら行くとよいのだが,私には時間がない。一番確実なのはインターステイツを走ることだがら,私は,ともかく,インターステイツ15に戻り,北に向かって走り,途中から右折してインターステイツ70に入り,東に向かって国立公園を目指すことにした。
 ハリケーンは,昨日,ザイオン国立公園に行くときに道に迷ったおかげで,1日滞在しただけだったのに,すでに土地感ができていて,どう走ればよいのか,よくわかっていた。
 このブログを読まれておわかりになると思うのだが,私は,この広いアメリカでも,カーナビもなく,地図を頼りになんとなく走っても,おおよそなんとかなる。時には,とんでもない間違いをするのだけれど,それもまた,旅の楽しみだと納得している。
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 そんなわけで,早朝ホテルをチェックアウトして,ハリケーンの町を走って,右手にザイオン国立公園につながる交差点を横目にそのまま直進して,きょうは,何の問題もなく,インターステイツ15にたどり着いたのであった。

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 バルカン(Vulcan)星は,19世紀に水星の内側に存在しているとされた想定上の惑星です。
 水星の軌道が当時考えられていたニュートン力学だけでは説明できない動き(水星の近日点移動)だったために,1846年,パリ理工科大学の天文学講師ユルバン・ルヴェリエは,さらに内側に未知の惑星があると提唱しました。
 20世紀になって,水星の近日点移動は,アインシュタインの一般相対性理論によって説明できることが示唆されて,日食の観測でそれが検証されると,バルカン星の仮説は否定されてしまいました。
 バルカン星は,水星よりも更に太陽に近い軌道であればその表面は非常な高温であると考えられたため,ギリシア神話で鍛冶の神であるヘーパイストスに対応するローマ神話の火の神ウゥルカーヌスに因んで命名されたものです。惑星の名前は,ローマ神話からつけられています。
 国際天文学連合(IAU)は,2011年と12年に発見された冥王星の新たなふたつの衛星を,すでに名前がつけられていた三つの衛星と同様,ギリシャ神話にちなんでケルベロス(Kerberos),ステュクス(Styx)と命名しました。愛好家はバルカンの命名を主張しましが,惜しくも選ばれませんでした。この命名をめぐってネットで実施した人気投票ではバルカンはトップだったのですが,太陽系の仮想惑星の名前に用いられたことがあるのに加え,ギリシャ神話でなくローマ神話の火の神の名前であるというのがその理由でした。

 というのが,現実社会のバルカン星のお話ですが,一般に,バルカン星といえばご存知「スタートレック」(Star Trek)です。
 アメリカの俳優であり映画監督であったレナード・ニモイ(Leonard Simon Nimoy)さんが,さる2月27日にお亡くなりになりました。ニモイさんは,アメリカのSFテレビドラマシリーズ「スタートレック」に登場するバルカン星人,Mr.スポック役の俳優として,あまりに有名でした。
 レナード・ニモイさんはボストン生まれ。1950年ごろハリウッドに移って映画デビューし,1966年に始まった「スタートレック」(当時の邦題は「宇宙大作戦」)でブレークし,「スパイ大作戦」にも出演しました。その当時,日本では「スパイ大作戦」(Mission Impossible)という番組が先に人気があって,「宇宙大作戦」は,それにあやかって名づけられたのだと思いますが,私は,レナード・ニモイさんは,Mr.スポックよりも,「スパイ大作戦」のアメージング・パリス役で知りました。

 ニモイさんは今週初めには死期を悟り,「スタートレック」のバルカン星人式のあいさつとして有名な「長寿と繁栄を」(Live long and prosper)の文言をツイートしました。オバマ大統領もこの日,ホワイトハウスから公式声明を発表し,2007年に対面したレナード・ニモイさんとこの「長寿と繁栄を」のあいさつを交わしたことを振り返った上で,「私はスポックを愛していた」とコメントしました。NASAも公式ツイッターで,レナード・ニモイさんが,スペースシャトルの「エンタープライズ」の前に立った1976年の写真をアップし,「安らかに眠れ,ニモイ。我々の多くが,スタートレックに触発された」と追悼しました。
 原文は次の通りです。
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 Leonard Nimoy was an inspiration to multiple generations of engineers, scientists, astronauts, and other space explorers. As Mr. Spock, he made science and technology important to the story, while never failing to show, by example, that it is the people around us who matter most. NASA was fortunate to have him as a friend and a colleague. He was much more than the Science Officer for the USS Enterprise. Leonard was a talented actor, director, philanthropist, and a gracious man dedicated to art in many forms. Our thoughts and prayers are with his family, friends, and the legions of Star Trek fans around the world.
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 なお,「スパイ大作戦」では,「例によって,君もしくは君のメンバーが捕えられ,あるいは殺されても,当局は一切関知しないからそのつもりで。成功を祈る」というセリフが有名でしたが,当時は吹き替えしかなかったので,英語でどういうセリフだったか知らない方もおられると思いますので,こちらも紹介しておきましょう。
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 Good morning, Mr. Phelps. Your mission Jim, should you decide to accept it. As always, should you or any of your I.M. Force be caught or killed, the Secretary will disavow any knowledge of your actions. This tape will self-destruct in five seconds. Good luck, Jim.
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 「順位戦」は将棋の棋戦のひとつで,A級,B級1組,B級2組,C級1組,C級2組の五つのクラスからなり,A級の優勝者が将棋名人戦の挑戦者となります。つまり,将棋名人戦の予選です。大相撲の本場所と同じようなシステムです。
 各クラスは,将棋名人戦の終わる頃,6月から翌年の3月にわたってリーグ戦を行います。
 今でこそ,7大タイトルといわれて,主催する新聞社ごとに様々なタイトル戦がありますが,将棋名人戦は別格なのです。かつて,升田幸三実力制第4代名人が現役時代に「順位戦こそ将棋界の本場所」と言って,議論をよびました。彼は,順位戦に対して他の棋戦とは入れ込み様が全く違っていて,順位戦の成績も群をぬいていました。
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 最も成績のよい棋士が将棋名人戦の挑戦者となる定員10名のA級の最終戦,つまり9回戦が一斉に行われる日は,その結果次第で,挑戦者とA級から降級する棋士が決まります。そこで,この日は,いつのころからか「将棋界の一番長い日」とよばれるようになりました。
 この9回戦に,放送するコンテンツ探しをしていたころのNHKBSが目をつけて生中継したことで評判を呼び,一段と注目されるようになりました。そして,この中継が「ゼニがとれる」ことを知った将棋連盟は,中継を拡大し,スカパーで複数チャンネルを利用して,全局,はじめから最後まで無料中継をするようになりました。
 近年の将棋は,研究が進みすぎて,素人にはさっぱりわからなくなってしまった序盤戦,そして,玄人には興味深いのだけれど,手が進まない退屈な中盤戦に比べて,格段におもしろく,まさに人間の極限の戦いとなる終盤戦は,夜の9時過ぎころから,すべての対局が終わる午前1時頃までです。この時間は,将棋を知らない人も,思わず引き込まれることでしょう。
 私がこれまでの中継で一番印象に残っているのは,平成19年3月3日の第66期,木村一基八段と佐藤康光棋王の対局でした。これに負けると,A級から降級の可能性のあった佐藤康光棋王は,敗戦濃厚の終盤戦を,鬼のような血相で考えに考え,そして,ついには逆転しました。

 今年度の「将棋界の一番長い日」は3月1日,つまり,今日です。そして,今年度は,将棋名人戦挑戦者と,2名の降級者のうちひとりが今日の結果で決まる,そしてまた,永世名人資格者の森内俊之九段に降級の可能性がある,というとんでもないことになっています。注目度ナンバーワンは,その森内-行方戦。結果次第では,この一戦で,その両方が決まります。行方尚史八段と言えば,私は,彼が若いころに,京都大原・三千院の前のおそば屋さんでお見かけしたことがあります。
 そんなわけで,今日に限っては,私は,「花燃ゆ」はいうに及ばず「だから荒野」も「N響定期」もどうでもよく,徹夜覚悟でこの順位戦を観戦するのです。果たして,今年はどんなドラマが生まれることでしょうか…。
 それにしても,升田幸三実力制第4代名人が現役時代,その将棋は,東公平という優れた観戦記者の手で魂が入れられて,その価値が高められたように,これだけの戦いを,さらに魅力あるものにするだけの観戦記を書くライターがなかなか現れないのが,残念な限りです。私は,諏訪景子さんというライターに期待しています。

将棋連盟

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