しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

October 2015

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●古きよきヒストリック・ルート66●
 ヒストリック・ルート66は,イリノイ州シカゴとカリフォルニア州サンタモニカを結んでいた全長3,755キロメートルにわたる大陸横断をする旧国道で,1926年に指定された。
 インターステイツ網の発達によってその役目を終えて1985年に廃線となったが,今なお,映画や小説,音楽などに多く登場し,古きよきアメリカの「マザーロード」となっている。
  ・・・・・・
 廃線後は場所によって道路は様々な形に転用された。
 沿道の多くの都市では,道路はインターステイツを補完する通勤道路となったり,州道,郡道,市町村道あるいは私道となった。
 また,道路としては完全に使われなくなった部分や,橋で寸断されてしまったところ,インターステイツに吸収されてしまったところもある。
 その一方,ミズーリ州スプリングフィールドとオクラホマ州タルサ間のように,そのままの形で保存されている部分も数多く存在する。
 現在でも,80パーセント以上は車でたどることができるし,各地で保存運動もあって,古きよきアメリカをたどるために,多くの観光客がやってくるのだ。
  ・・・・・・
 この「66」という数字が,州道に同じ番号で引き継がれている場合もある。特に,ここオクラホマ州では,州道66がヒストリック・ルート66であったり,あるいは,それに近いところを通っている。それに並走するインターステイツ44がターンパイク(有料道路)なので,今でも,州道66は,そのバイパスとしての役割を果たしている。
 いわば,日本の旧東海道が現在の国道1号に吸収されたり,あるいは,並走して走っているのと同じである。

 日本で旧東海道を歩くことが流行しているように,アメリカを旅する人たちには,このヒストリック・ルート66はあこがれの対象である。
 そして,私も含めて,66歳になったら,この道路を走破しようと決めている人も数多い。
 特に,オクラホマ州は,このヒストリック・ルート66を南西のテキサス州との州境から北東のカンザス州の州境まで,今もなお,ほぼ,昔と同じ経路で走破できるのだ。
  ・・
 オクラホマシティの市街地には,私が目にしたようにヒストリック・ルート66の道路標示があったから,予習もせず,詳しい地図も持たない私でも,容易にその道がたどれるものだと思っていたのだが,さに非ず,私は,すぐに道に迷ってしまった。
 幸い,簡単な経路が書かれた小冊子を手に入れることができたので,それを手がかりに,なんとかそれらしき道を見つけることができたので,ともかく,オクラホマシティのひとつ西の町 -いわば「宿場町」- であるエル・リーノ(El Reno)まで走ってみることにした。

 私は,迷いながらも,オクラホマ州議会議事堂から放射線状に走る道路を西に走って,どうにかオクラホマシティの市街地を抜けた。
 すると,インターステイツ40に添うようにして,現代の州道66が走っていたが,このときの私は,まだ,この「66」という数字が,ヒストリック・ルート66と関係があるのかないのかさえ知らなかった。もし,関係があるのなら,それは粋な計らいだと思った。
 片側2車線もある広い州道66をそのまま走っていくと,その途中に「ヒストリック・ルート66はこちら」という矢印のある道路標示を見つけることができたので,私はそれが指し示す方向に進路を変えた。
 そこは片側1車線の古い道路で,これこそ,正真正銘のヒストリック・ルート66であった。
 やがて,その先に古い橋がかかっていた。これこそ,当時のままの橋だろうと感慨深くなった。それを車で渡ってさらに走って行くと,やがて,その古い道路は,再び,先ほどの州道66と合流した。
 そのままさらに走っていくと,今度は,アメリカの小さな町の特徴である給水塔がその先に見られた。給水塔には「ELRENO」と書かれていた。
 ここがエル・リーノ(El Reno)という町であった。広くもない町に入っていくと,道路が分かれて,その1本は現在の州道66のメインロードで,もう一本がヒストリック・ルート66のメインロードであった。そして,ヒストリック・ルート66のメイン・ロードに沿って,古き良きアメリカの街並みが続いていたのだった。

 私は,この旅のカンザス州とオクラホマ州の記憶がごっちゃになってしまっていたのだが,この文章を書きながら,オクラホマ州のことをはっきりと思い出すことができた。
 オクラホマ州で思い出したのは,さほど見どころのなかったダウンタウンとさびれた州議会議事堂の周辺,そして,次回触れることになる夕食にも事欠いた出来事だったのだが,それと共に思い出したのが,古き良き哀愁に包まれた,このヒストリック・ルート66なのであった。
 このふたつの異なったイメージが同じオクラホマ州のものであるとは,今でもなかなか結びつかないのだが,将来,きっと,私は,カンザス州にはもう自分の意志で行くことはないと思うけれど,このヒストリック・ルート66という魅力のために,オクラホマ州には,再び,足を運ぶことになるであろう。

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I wish you are a Happy Halloween 2015.

 NHKBSプレミアム「列島横断2,800キロ!ニッポン高速道路トラック旅」は,ぐっさんが八代亜紀さんをはじめ,ブラザートムさん,篠原ともえさん,ダイヤモンドユカイさん,大友康平さん,そして山本耕司さんと,入れ替わりのゲストともに,トラックで日本の高速道を鹿児島から北海道まで縦断するという趣向の番組でした。
 もちろん,ぐっさんが運転するのではありません。プロの運転手さんが交代で運転します。
 今や,自転車やらローカル線やらバスやら,いろんな手段で旅をする番組だらけですが,ついにトラック登場です。
  ・・
 旅は,鹿児島ICから九州自動車道に入って九州を北上するところから始まって8日間,北海道の士別剣淵ICで終わりました。
 トラックは,目線の高さが2.5メートルと高いので,景色がよく見えるのです。
 私は,この番組を見ていて,自分では意識をしていなかったのですが,新しい道を除いて,これまでに,このほとんどを走ったことがあることを思い出しました。日本は狭いのです。北から南まで走ってもたった2,800キロメートルなのです。2年前に行った九州なんて,1日で一周できてしまいました。
 私は,アメリカに行くと,毎回3,000キロメートルくらいは走るので,2,800キロメートルといわれても,そんなものか,という印象しか持ちませんでしたし,この番組の北海道で出てきた2キロメートルにわたる直線道路,なんて,アメリカのインターステイツとは比べる気にもならない長さなのでした。
 個人的には,アメリカのインターステイツ90を西のシアトルから東のボストンまで5,000キロメートル,50時間コンボイで横断する番組をやってほしいものです。

 私が九州を走ったときにわかったことのは,この番組でも話していましたが,熊本から鹿児島に行くときに非常にたくさんのトンネルがあったことです。おそらく昔は,鹿児島と熊本はこうした山ですべてが遮断されていたんだなあ,ということを体験したのです。こうした地理的な条件が,その土地の文化の違いになるのです。
 このように,その土地に行ってみることで,地図では分からないことをたくさん知ることができるのです。それが旅の魅力です。
 それにしても,日本の高速道は車幅が狭いし,時には片側一車線になってしまうし,車は多く渋滞ばかりだし,この国の高速道路を走ることには,何の魅力もないということを,皮肉にもこの番組で再確認しました。
 防音壁だらけだから,トラックならともかく,乗用車で走っても,景色すらみることができません。
 だから,私がいつも実感する日本のよさというのは,その土地の食べ物,だけです。
 この番組でも,玉名PAの目玉特盛焼きそばからはじまって,蛯名SAのチキンバターつけ麺,鹿島SAのホッキ貝の炊き込みご飯のおにぎり,前沢SAの前沢牛の牛串焼き,そして,砂川SAのエゾシカ混ぜそばなど,グルメ満載,これだけは,アメリカのインターステイツでは決して経験できません。まあ,アメリカのインターステイツはそのほとんどが無料なので,サービスエリアで食事をする必要もないのですが。
 さすがにわずか2時間で日本の南から北までを紹介する,という番組の構成に無理があって,旅の一番の魅力である,その土地の人とのふれあいというものが,ドライバーさんやSAで働く人,あるいは,キャンプを楽しむ家族,くらいにとどまっていたのは残念でした。せっかくトラックで走ったのだから,他の長距離トラックの運転手の人たちとの人間ドラマ,のほうがおもしろかったように思います。
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 日本を旅するなら,車なんか使わずに,やはりローカル線に乗って,途中下車してその土地のおいしいものを味わうに限る。そして,狭い日本では高速道路はディストリビューター(流通業)と観光バス・路線バスだけの専用道路にしたほうがいい。これがこの番組を見て私が思った正直な感想なのでした。

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Thank you for coming 80,000+ blog visitors. 

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 NHKBSプレミアムの岐阜発地域ドラマ「ガッタンガッタンそれでもゴー」。
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 東京で働いていた主人公の加奈という女性は,母・裕美の急死の知らせを受けて故郷の奥飛騨に帰って来ましたが,彼女は,幼少期にいじめられた経験があったことで,家を後にしていたのでした。そんな加奈の同級生の信一は,アメリカで暮らすのを夢見ていたのですが,旅館の跡取り息子としてその夢をあきらめようとしていました。
 故郷に帰った加奈は,夢を求めて地元奥飛騨の地で鉄道を利用した観光誘致を考えている小谷という男と出会ったことで,幼少の時のただひとつの楽しい思い出だったお化け電車のことを思い出して,故郷で生きていく決心をするのでした。一方,信一は…。
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 このドラマに出てきた風景は,アメリカのサウスダコタ州やユタ州の風景にとてもよく似ていました。鉄道の線路なんてサンタフェ鉄道と同じでした。きっと,このドラマを作った人はそこまで知らないと思いますが。でも,いつかはアメリカに住みたいと夢見ていた信一のあこがれているアメリカというのは,少し違ってモンタナ州の風景なのです。 
 だから,少しイメージが違うのかもしれないけれど,でも,アメリカ暮らしをしなくても,この奥飛騨で生きても同じような気が,私にはするのですが…。そのことは,きっと,信一が一度アメリカ暮らしをしてみないとわからないことでしょう。だから,彼は,アメリカに旅立つ必要があるのです。でも,彼は,必ず戻ってきます。それが,私の思う,このドラマの結末です。
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 私は,奥飛騨というところは嫌いではありません。というより,私の抱くアメリカの原風景と似ているので好きです。だから,こういう山里に住んで生きていくのも悪くないと思います。ただし,若い人がそう思うまでには,やはり,どこかで一度外に出て弾ける必要があるのです。そうして,やかて,自分の故郷の良さに気づくのです。
 世の中は不条理だけれど,でも,そんな悪いことばかりじゃないよ,故郷はやさしいよ,という暖かさがこのドラマにはありました。そして,それが見ている人に救いを与えるのです。
 ノーベル賞の受賞で沸き立つ神岡鉱山のあたりを舞台とした,日本人のもっている素朴さと,若者よ君たちの夢は身近なところでかなうんだよという青い鳥物語。みんなの心の中にあるアメリカに,旅立つ勇気を与えてくれるドラマでした。ロードムービーのような。

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●バス・プロ・ショップスで靴を●
 すでに書いたように,私は,履いていたシューズがいかれてきたので,新しいのを買おうと思っていたが,靴屋,あるいは,靴を売っている店という類のモノがなかなか見つからないのだった。昨年,ズボンのベルトを探すのに苦労していたのと同じである。早い話が,ウォールマートへ行けばいいのだが,そういう時に限って,近くにない。
 オクラホマシティで目についたのが,ダウンタウンにあった「バス・プロ・ショップス」であった。ちょうど駐車場を探していたこともあったので,私はこの店舗の広い駐車場に車を停めて,なかに入った。

 「バス・プロ・ショップス」(Bass Pro Shops)は,世界第3位のスポーツ用品販売業者で,アウトドア用品の巨大小売店「BASS PRO SHOPS “Outdoor World”」を全米で約60店舗チェーン展開している。
 このチェーン店は,1970年代に,ジョン・モリスがミズーリ州で父親の経営する酒屋の裏で始めた釣り餌販売業からはじまる。その後,釣り具・アウトドア用品のカタログ販売事業を成功させて,現在は大型店を全米展開するにいたり,全米最大級の小売チェーンとなっている。
 日本の「ヒマラヤ」のようなスポーツ用品店を2,3倍にしたようなものだと思えばいい。
 店舗は商品レイアウトや店内ディスプレイにこだわっていて,巨大な滝や水槽,動物の剥製などが飾られて,店内は大自然の臨場感をかもしだしている。そこにありとあらゆるアウトドア・スポーツ用品を取り揃え,大型プレジャーボートやATVまでもが多数 店内で販売されているから,日本人は圧倒される。
 アメリカ型のワンストップ・ショッピングの典型といえる店である。

 私は,以前,サンアントニオの「バス・プロ・ショップス」に入ったことがあるから,店内の様子はよくわかっていた。馬鹿でかい店内に入って,私は靴売場を探した。やっと見つけたコーナーに気に入ったのがあったので,店員にサイズを聞いた。日本とはサイズが異なっているのでよくわからないと言ったら,ものすごく親切に対応して,在庫を調べたりしてくれた。とても,アメリカらしくない? 対応であった。
 私は,こうして,やっと手に入れた新しい「ニューバランス」に履きかえて,古い靴をゴミ箱にすて,車をそのままここの駐車場に停めたまま,しばらく,オクラホマシティのダウンタウンを散策しに出かけたのだった。
 少し雨が降りかけていて心配したが,たいしたことはなかったのが幸いであった。

 オクラホマシティのダウンタウンはさほど広くもなく,さらに,その中心の「ブリックタウン」とよばれる一角には,人工の川が流れていた。そこを観光用のボートが運行していて,その風景がサンアントニオのような感じでもあった。
 また,川の周りには映画館やらレストランやらがあって,結構な賑わいであった。
 ひとつ問題だったのは,この人工の川の対岸に渡る橋があまりないことで,向こう岸に行くにはかなりの大回りが必要であることだった。アメリカの中都市は,どこもまあ,こんな感じのところが多い。しかし,サンアントニオのような歴史的な名所でもあれば別だが,その多くは単に商業施設が並んでいるだけだから,私のような観光客が行ったとしても特に何もすることがない。
 そんなわけで,カンザスシティはこんな町か,と納得するだけで,観光は終了であった。 
 まだ,時間も早かったので,ホテルに行く前に,ここに来るときに見たヒストリック・ルート66の道路標示を思い出して,このヒストリック・ルート66を探して,しばらく,町の郊外をドライブをしてみることにした。
 いよいよヒストリック・ルート66である。

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●ブリックタウン・ボールパーク●
 オクラホマシティの北東にあったカウボーイ&西部歴史博物館を出て,次に私は,最寄りのジャンクションからインターステイツ235に入って,ダウンタウンに向かった。
 1番目の写真は,そのインターステイツ235をダウンタウンに向かって走っているときに写したものである。道路の右側に見えるのがダウンタウンの遠景である。
 オクラホマシティには漢字の「田」のようにインターステイツが走っていて, 南北に走るのが西から順にインターステイツ44,235,35,東西は北から順に44,35,240である。つまり,私は,市街地の真ん中を縦断するインターステイツ235を北から南に向かって走ったことになる。

 ダウンタウンでインターステイツ235を降りると,そこは「ブリックタウン」と呼ばれるところであった。そして,その一角にマクドナルドがあった。
 私は,カウボーイ&西部歴史博物館にあると勝手に思っていたレストランがなくて,昼食を食べ損ねていたので,ともかく,マクドナルドに入って,昼食をとることにした。そんなわけで,結局,昼食はハンバーガーのミールセットになってしまった。
 日本マクドナルドは,ハンバーガーの大きさは日本もアメリカも同じだといっているが,写真のように,絶対アメリカのほうが大きいし,フライドポテトも量が多い。それに,ソフトドリンクはお代わり自由である。
 その後,車を停められる場所を探しながら,ダウンタウンを一回りドライブすることにした。

 ダウンタウンは,一昔前のセントルイスのような感じであった。あるいは,サンアントニオのようなところでもあった。
 現在のセントルイスは,再開発がやっと進み,近代的に変貌しているが,オクラホマシティは,その昔,つまり20年くらい前のアメリカの中都市といった感じであった。
 走っていてまず目についたのは,ボールパークだった。
 ここのボールパークは,マイナーリーグAAAのオクラホマシティ・ドジャースの本拠地であるブリックタウン・ボールパークであった。このボールパークはとてもきれいで,しかも豪華で,作られて日が経っていない感じだった。

 アメリカでは,日本とは違って,ベースボールに巨大な下部組織がある。
 日本ではプロ野球というよりも大相撲を想像したほうがむしろわかりやすいのだが,30球団あるメジャーリーグを頂点として,その下には,AAA,AA,A,ルーキーリーグというように,4ランクのマイナーリーグがある。
 そのうちで,AAAはマイナーリーグの最上級で,大相撲でいえば幕下のような位置づけである。広いアメリカでは,メジャーリーグのない中都市に本拠地のあるマイナーリーグは,非常に人気のあるもので,それ自体で独立した興業ができる。日本の2軍のようなものではない。
 日本人の思想だと,下積みは修行の時代であるが,アメリカでは,これもまた,エンターテイメントの一角を担っているわけだ。

 AAAのボールパークも,ところによって当然ピンキリがあるが,このブリックタウン・ボールパークは,新しく,最新型のAAAのボールパークの草分け的な存在であった。
 流石にスタンドはメジャーリーグと比べれば規模は小さいが,外からフィールドが眺められたり,美しく色分けされたスタンドや広いコンコースがあって,メジャーリーグのボールパークと遜色のないものであった。ここでも,アメリカの単純明快性が反映されていて,その設計思想はメジャーリーグのそれと同じなのである。
 無論,日本のプロ野球の野球場よりずっと立派で,遊び心満載である。
 私は,最近はなかなか日程が合わず,マイナーリーグを見る機会がないが,あまりに豪華になりすぎて,入場料も高くなってしまったメジャーリーグのボールパークよりも,むしろ,古きよき時代を彷彿させる,こうしたマイナーリーグのほうが,見ていて楽しいものだ。
 もちろん,ファンを飽きさせない多くのイベントもメジャーリーグ以上に充実している。
 もし,これを読んでいる方も,機会があれば,ぜひ,こうしたマイナーリーグのゲームを楽しまれるといい。そして,見にいったら,ボールパークの中にあるビジターセンターで,日本からわざわざ見に来たとでもいえば,お土産をもらえることであろう。

C_2014S2_PanSTARRS_20151025DSC_4758st水金地火木金星 木星

 連日の晴天で,月も暗く,オリオン座流星群の極大期で,しかも,明け方の東の空に惑星が四つ,さらに,国際宇宙ステーションが夕方の空に見られる。このように天界は大忙しでした。
 天気予報は,夜だけ曇,という予報が続き,あまりの晴天続きで茶色く濁って,星を見にいくべきかやめるべきか,迷っているうちに,月齢12になってしまいました。
 土曜日の夜は,午前2時くらいまでは雲がでるけれど,そのあとは晴れ上がるという予報だったので,どっちみち月が沈むのが午前3時だから,明け方の星を見にいくことにしました。

 見たかったのは,2つのパンスターズ彗星と明け方の惑星,そして,おまけのオリオン座流星群でしたから,明け方の空さえ晴れてくれれば問題ありません。しかも,夜明けのドライブは,星を見るよりも楽しいので,うきうきと,深夜1時過ぎに家を出ました。
 家を出るときはものすごい風が吹いていて,まさに前線が通過する感じ,これなら大丈夫と思ったのですが,いつもの場所に着いたら,もう風は止んで,代わりに,天気が変って,冬型になりました。そんなわけで,同じ快晴でも,昨日の濁った空とは違って,日曜日はまさしく秋晴れ,澄んだ青空が広がりました。

 パンスターズ彗星2つ,そのひとつは「C/2014S2 PanSTARRS」というもので,前回北極星に大接近したときに写真に撮ったものです。その後,こいぬ座をゆっくりと動いています。もうひとつは「C/2013X1 PanSTARRS」で,こちらのほうが大物で,来年の夏に6等星になるといわれていますが,現在はまだ12等星。ぎょしゃ座のカペラ付近を動いています。
 月が沈んだので,まず,パンスターズ彗星(C/2014S2 PanSTARRS)を狙いました。急激に増光して予報より明るいということでしたが,問題は天の北極に近く,望遠鏡を操作するのが難しかったことです。何とか視野に入れると,簡単にうつりました。それが1番目の写真です。しっかり尾も見えるし,このくらいの彗星はかわいくていいです。
 次はパンスターズ彗星(C/2013X1 PanSTARRS)です。1等星カペラは天頂に輝いています。天頂というのは贅沢な話ですが最悪です。ファインダーが覗けないので位置が定まりません。なんとか彗星のある位置を探して1枚だけ写しましたが,写っているのやらいないのやら,写真を見て探す気も失せました。

 こうしている間も,オリオン座は南の空高く輝いていましたが,流星なんて,ひとつも見えません。今年のオリオン座流星群はだめです。広角レンズで時々オリオン座付近を写したのですが,ひとつも写りませんでした。その時の写真の1枚が2番目のものです。この写真に流星が写っていれば最高だったのですが…。
 この夜,2時間で,ものすごく明るい流星を3個見たのですが,見たときにその視野を写していなかったのが不運でした。1番残念だったのが,3番目の写真を写した直前に,ちょうどその場所に流星が出現したときでした。

 東の空には金星と,それに寄り添うように木星が昇ってきました。その下には火星が輝いています。
 金星と木星は焦点距離750ミリ相当の画角に収まるほど接近していたので,露出時間をかけて写しました。ここに載せた4番目の写真は1分ほど露出したのもで,金星が派手に明るく写りましたが,木星の周りにあるガリレオ衛星のうちのひとつ・イオは木星の光に吸い込まれてしまいました。もっと露出時間の少ない写真には写っているのですが,難しいものです。
 そして,午前5時。
 東の空には,金星,木星,火星,そして,上ってきた水星,地上の風景は地球ですから,水・金・地・火・木星が見えるようになりました。
 土星だけは,夕方西の空に見えていました。
 家に帰る途中,高度を上げた水星が,夜明け前の東の空,山々の上に元気に輝いているのを肉眼でもはっきり見ることができました。

 お金を出して,高性能の望遠鏡やカメラを買えば,もっとすばらしい写真が写せるのですが,私は,これまで40年以上長年付き合ってきた自分の持ち物を,恩返しのつもりで使い続けています。若いころにせっかく手に入れたものだから,その持って生まれた能力を十分に発揮させてやりたいものだと思っています。別に,学術的な研究をしているわけでもなく,自分の精神的な満足を手に入れることが目的だから,私にはこれで十分です。
 それにしても,頭ではわかっていても,実際に写すのは本当に難しいものだと,いつも思います。だからこそ,楽しいのです。そして,夜明けはいつ味わっても気持ちのよいものです。
 今日は十三夜。月も明るくしばらく星見もお休みです。

◇◇◇
The Beautiful Moon in the Chestnut Season.

The lunar calendar, the night of the Moon age 13 in September is "Ju-san Ya".
 It is also called "Kuri Meigetsu" or the Beautiful Moon in the Chestnut Season.
If we don't watch both the Harvest Moon and this,
it is less favorable as single moon-viewing.

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 青木宣親選手がいた昨年のカンザスシティ・ロイヤルズは,いかにも大舞台が不慣れな様子でしたが,この1年でこれほどまでに変貌するのでしょうか?
 自信満々,王者の貫禄です。
 結局,冷静に考えた私の予想どおりの展開になりました。川崎宗則選手のコメントも,もう残念ながら聞くことができません。
 こうなれば,ぜひ,ワールドシリーズもこの調子で,1985年以来の優勝を飾ってもらいたいものです。
  ・・
 私は,このカンザスシティという「地の果て」にあるチームにずっと興味をもっていて,秘かに応援していたのですが,ついに,今年の5月にロイヤルズの本拠地カウフマンスタジアムへ行ってみて,選手にサインをもらうためにゲーム前に優先的にベンチサイドに行くにも余分にお金がいるというそのマネー第一の方針に,夢が醒めてしまいました。
 私が応援していた理由は,長年弱小チームだったこのロイヤルズを「憐れみ」をもって上から目線からだったのですが,実際に行ってみたら,このチームのファンは,そんな私の気持ちとは裏腹に,わが町のチームにプライドをもった人たちでした。
 多くの新しいボールパークに比べれば,設計も古く,設備も劣っていました。Wifiも,値段の高いシートでしか通じませんでした。しかし,彼らは,このボールパークがアメリカ一すばらしいと信じているし,このチームをこころから愛しているのです。
 それはそれで尊敬したいと思います。

 というわけで,今日は,私が写してきた,テレビなどでは見ることができないこのボールパークの様子をお見せしましょう。
  ・・
 1番目の写真は,このボールパーク名物の噴水です。2007年に改装されるまでは,外野には座席がなく,一面に噴水があったのですが,現在は,ライト側だけに噴水があります。
 噴水というのは,カンザスシティの名物で,町の中にも多くの噴水があります。ここは日本のような蒸し暑い気候なので,この噴水が一番の清涼剤です。
 では,この噴水のある外野に行ってみることにしましょう。
 外野側からみたこのボールパークの様子が,2番目と3番目の写真です。
 私は,このボールパークは,この外野側から見たときが一番美しいと思います。このような広いコンコースがあって,多くの銅像もあります。スコアボードの下にはテレビカメラマン(メン?)が陣取っていて,そのあたりからボールパーク全体を見渡すこともできます。
 4番目の写真は「BULLPEN BAR」と名付けられたバーなのですが,アメリカのボールパークにはどこもこうした場所があって,ここで,お酒を飲みながらベースボールを楽しむことができます。
 内緒話ですが,ここカウフマン・スタジアムなんて,カンザスシティからインターステイツ70を東に12キロメートル,車でなければ行くこともできない郊外にあるのですが,どうしてみんなアルコールを飲んでいるのか不思議です。これも内緒できいてみたところ,そんなことは誰も気にもしていないらしいです。しかし,事故でも起こせば大事になりますから,私は決して真似をしません。
 5番目の写真は,1塁側の入口付近からみたところです。
 このように,とても広い空間のあるボールパークです。そして,6番目の写真のように,周りには,これも巨大な駐車場があります。
 私が気に入らないのは,これだけ広い駐車場があるのに,そして,車で行く以外に行く方法もないのに,駐車場が無料でないということです。しかも,駐車する場所もあらかじめ決められてしまい,駐車場からボールパークまでずいぶんと歩く必要もあり,また,目印が少ないので,真っ暗になったゲーム終了後に駐車した場所に戻ってくるのが一苦労なのです。
 私は,帰りに,あまりに広い駐車場で迷ってしまい,車を探すのにずいぶんと大変な思いをしました。
 きっと,ここカウフマンスタジアムは,日本人にとって,最もなじみの薄いボールパークではないかと思いますが,実際はこんな感じのところです。

 ところで,「ヤギの呪い」(The Curse of the Billy Goat)やら「バック・トゥー・ザ・フューチャー2の予言」やらでずいぶんと盛り上がったシカゴ・カブス。ここまでお膳立てができていれば,あるいは,と思ったのですが,ニューヨーク・メッツに完敗してしまいました。
 しかも,このニューヨーク・メッツの大当たりの3番バッターにしてやられました。このバッターの名前がマーフィー(Daniel Murphy)。入場を断られたビリーさんの飼っていたヤギの名前と同じだったとあっては,まさに「事実は小説より奇なり」でした。
 本当に,アメリカは愉快な国です。

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●今日は母の日のお食事会●
 ヒストリック・ルート66のことは,また後日。
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 私がこの旅で借りた車にはカーナビがついていた,というより,カーナビをオプションでつけた。このカーナビは言語を選べるので,日本語を選んだら「へんな日本語」を話すようになった。
 その「変な日本語」を一生懸命に理解して,とりあえず今日予約しておいたホテルを目指して,インターステイツ35を降りた。そして一般道を走っていると,前回書いたように,私は,まず,「Historic Route66」という表示を見つけた。その先には,「カウボーイ&西部歴史博物館」(National Cowboy & Western Heritage Museum)と書かれた表示があった。
 結局,この日の私は,1日中食事に苦労することになるのだが,このときはまだ,そんなことは知らない。
 いつもの通り,この日も昨晩泊ったホテルの朝食がいい加減だったものだったから,お昼くらいはまともなものを食べようと思った。博物館ならレストランかカフェテリアくらいはあるだろうと,ホテルへ行く前にこの博物館に寄ることにしたのだった。

 「地球の歩き方」によれば,オクラホマシティは, 人口が約60万人ほどの中都市で,見どころは,ブリックタウンというダウンタウンの商業施設と,カウボーイ&西部歴史博物館,そして,アメリカンバンジョー博物館,とあった。
 逆にいえば,それくらいのものしかないともいえた。
 アメリカンバンジョー博物館なんて,私は特に興味もなかったから,このカウボーイ&西部歴史博物館へ行けば,この町の観光ははそれだけでいいか,という感じであった。
 今,これを書いていて感じるのだが,この日の私は,このように,すべてがいい加減であった。要するに,この土地にも愛着がなかったのである。

 博物館の駐車場には多くの車が停まっていたが,なんとかスペースを見つけて,中に入った。
 入口を入ると広いロビーになっていて,そこで入場料を払った。そして,まず探したのが,私が勝手にあるはずだと思っていたレストランであった。しかし,それらしきものがとんと見当たらないのだった。
 なにやら博物館の奥まったホールでは,多くの人が食事を楽しんでいる様子だったのでそこへ行ってみた。私は,受付を無視して,その食事会の会場に紛れこんでしまったのだが,そこは,地元の母の日の食事会であった。
 アメリカ人はこうしたイベントをとても大切にする。
 家族で写真を撮ったり,お友達とおしゃべえりを楽しんだりと,それはそれは大騒ぎであった。これでは,私の食事どころではなさそうだった。
 よほど,どさくさに紛れて,そこに用意されていたバイキング形式の食べ物を食べちゃおうかとも思ったが,少しだけ残っていた自制心が機能した。

 結局,この博物館にはレストランもカフェテラスもないのであった。こんな大きくて立派な博物館なのに不思議な話であった。仕方なくここでの食事は諦めて,展示を見ることにした。
 以前,ニューヨーク郊外のクーパーズタウンの野球殿堂に行ったことがあるが,ここは,それに対して,カーボーイの殿堂とでもいったところであった。頻繁にアメリカに行くようになって分かったが,この国はやっていることは,全ての思想が一貫していて,単純明快なのである。 たとえば,車から飛行機,船舶にロケットの操縦まで,基本的にみな同じ発想で設計されているのである。
 それはどういうことかというと,家にあるバス・トイレもホテルのハス・トイレも,そして,宇宙ステーションのバス・トイレも機能や作りが同じだということである。キャンピングカーにしても,あれは,幌馬車の延長である。同じように,どの職業にも,「Hall of Fame」,つまり,「殿堂」と呼ばれるものがあって,その功績者を称えているのである。中には「教師の殿堂」なんていうものもある。
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 それに比べて,日本人は,自分たちでそういうことを考える発想自体がないから,気づいたものだけ,自分たちの文化をないがしろにして,まねするのである。だから,家のバス・トイレとホテルのバス・トイレは全く形式が違うし,さらには,和式と洋式があったする。野球には殿堂があるけれど,相撲にはない。もともと,「殿堂」なんていう文化は日本にはないから,単にアメリカに「野球殿堂」があると知るとそれをマネするのである。東京国際映画祭のレッドカーペットだってハリウッのそれの模倣でしかない。このように,何事もやっていることに思想がなく,単にモノまねをするから,継ぎはぎだらけになるのである。
 さらに,ホテルのバス・トイレなど,快適さなんて度外視で,単にトイレとバスが一緒になっていればいいだろうという感じでその根底の思想が分かっていないから,狭いだけで使い勝手が悪く,どうにもならない。だから,まるでアメリカ人が浴衣を着ているような不自然なものが出来上がるわけだ。そのくせ,ウォシュレットとかを作ると,今度はやたらと凝ってやりすぎるから,ガラパゴス化する。そして,外国人はその複雑な使い方がわからず,壊してしまうわけだ。
  ・・
 ところで,この博物館であるが,カウボーイ,カウガールに関する様々な展示があるコーナーと,その時代の街並みを模したコーナーがあった。壁には,野球殿堂のように,歴史上偉大なカウボーイ,カウガールをたたえたレプリカが飾ってあった。
 そして,外には,美しく広い庭園があった。

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 21日の深夜から22日にかけて,オリオン座流星群が極大を迎えました。
 なぜかこの流星群のことが大きく報道されていて,ニュースの天気予報のコーナーでも,「今晩の流星群は見られますか?」とか「流星群見ましたが?」 などといったアナウンサーの会話がありました。
 星のことに関心をもってもらえるのはうれしいのですが,何かみんな勘違いをしているように思えてなりません。
 流星群は,皆既月食のように晴れていえば見られるというようなものではないし,2等星もまともに見えない都会で,流れ星がスイスイと飛んで見えるとでも思っているのでしょうか?

 私は昨年,星を見に行ったついでにこのオリオン座流星群を堪能したので,今年はもうどうでもよかったのですが,ちょうど明け方の空に,金星,木星,火星,水星と,惑星が四つも並んでいるので,そちらを見たくて,この時期を待ち焦がれていました。
 ずっと雨だった夏が終わったと思ったら,秋は連日晴れになりました。これでは晴れすぎです。空が濁ってしまって,秋の空というよりも,まるで春霞です。こんな空ではやる気も起きません。それに加えて,天気予報があいまいで,夜だけ曇るとか,明日のほうが天気がいいとか,寒くなるとか,そういった予報がころころと変ってしまうのです。
 昨年のこの時期は,すでに凍てつくような寒さで,その中で,流れ星がたくさん流れましたが,今年はまったく違う季節のような気がします。

 そんなわけで,私は星を見にいく気もなくなっていたのですが,朝3時に目が覚めてしまって,外を見たら晴れていたので,車で近くの川の土手まで行ってみることにしました。
 汚い空でしたが,そこでなんとか写した流星が1番目の写真です。左側にあるのがオリオン座の大星雲,暗い流星が右下を横切っています。拡大してみてください。
 そして,金星,木星,火星を地平線とともに写したのが2番目の写真です。画面の中央上部に右から一番明るいのが金星,その左が木星、そのさらに左の暗い星が火星です。レンズを変えて拡大したのが3番目の写真です。
 星を見た帰り道,車の中で聞いたラジオの放送でも,その番組を聞いている人から寄せられた,流星が「見えた」とか「見えなかった」とかいうメールが紹介されていました。それに答えてアナウンサーが,「見えた人と見えなかった人がいるんですね」とか言ってその流れで天気予報のコーナーになって,「そうですね,ところによって晴れていたり曇っていたり…」。
 私は,そういうことじゃあないだろうと突っ込みを入れたくなりました。
 まあ,このことひとつをとってみても,ずいぶんといい加減なことを言っているわけです。きっと,私の詳しくない事も,実際には,こういう感じでずいぶんといいかげんなこと言っているのではないかな,と思ったことでした。
 少し前のことになりますが,朝,日本で金環日食が見られたことがありました。日食を観測することはとても大切なことだから,という理由ならともかく,日食で空が暗くなるから危険なのでこの日に限って学校の開始時間を遅くする,と決めた専門が理科の校長がいたそうですが,この人,本当に学問わかってるの? と思いました。
 金環日食が皆既日食と違って空など暗くならないことは,小学生でも知っています。
 地位の高い人は,その立場にふさわしい人を任命してほしいものです。専門性をリスペクトしない日本らしい恥ずかしい話です。

 この日は,夕方に国際宇宙ステーションが北西から天頂に向かって飛んでいくのを見ることができたので,それも写しました。4番目の写真です。
 いろいろなことが夕方も明け方も起きるので,私は大忙しです。
 そんなわけで,オリオン座流星群の「まとも」な写真は写せませんでしたが,せっかく連日晴れているので,毎日月の写真を写すことにしました。果たして,30日晴れ続けて,月の満ち欠けをすべて写すことができるでしょうか?
 夜空が暗く,満天の星空なら申し分ありませんが,そうでなくても,空を見上げると,人間の力を超えた様々な出来事が起きていて感動します。国際宇宙ステーションが夜空を動いていく姿を見るだけでも,なにかとても神々しく感じるものです。

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●懐かしのオクラホマ・ミキサー●
 インターステイツ35は,オクラホマ州に入るとすぐパーキングエリアがあって,その入口に「OKLAHOMA」という巨大なモニュメントがあった。
 オクラホマ州は北はカンザス州,西と南はテキサス州,そして,東はアーカンソー州に囲まれている。
  ・・・・・・
 「オクラホマ」とは,チョクトー族インディアンの言葉「okla」と「humma」を合わせたもので「赤い人々」を意味する。ここは,当初は全米のインディアン部族のほとんどを不毛の地に強制移住させる目的で作られた州であった。
  ・・・・・・

 目立たない州であるが,この州を有名にしているのは,「ルート66」なのだ。しかし,多くの日本の人には,それよりもオクラホマといって思い出すのは,フォークダンスの「オクラホマ・ミキサー」に違いない。
 日本でフォークダンスとよんでいるものはスクエアダンスのバリエーションで,1945年に被爆地長崎に派遣されたアメリカ軍軍属のコロラド州デンバー出身のウインフィールド・P・ニブロ氏によって紹介されたのが最初といわれる。
 スクエアとは四角のことだから,スクエアダンスとは四隅に男性が立ち,その間に女性が入って四角くなって踊られるもので,4組のカップルが正方形のフォーメーションを取ることに由来する。またミキサーとは,スクエアダンスで四角の頂点に立つ男性の周りを女性がくるりと回ったりするときに違う男性のところに移動するタイプのダンスのことである。
 ニブロ氏が日本に「これはオクラホマふうのミキサーです」とか言って紹介した際に使った曲がたまたま「藁の中の七面鳥」(Turkey In The Straw)で,この曲を「オクラホマ・ミキサー」と呼ぶようになったのでは? などといわれているようだが,本当のことはわからない。要するに,オクラホマ州とは直接関係がないということだ。

 インターステイツ35は,オクラホマ州に入って文字どおりフリーウェイ,つまり無料になって,道路は継ぎ接ぎだらけ,マイルマーカーの標示も他の州のものと同じように簡素なものになった。しかし,この方がずっとアメリカらしい,と私は思った。
 周りは相変わらずの牧草地であったが,次第に石油を採掘する井戸が見れるようになった。そう,お隣はテキサス州である。ここオクラホマ州でも石油は産業の重要な部分を占めているのだ。
 そのうち,遊園地があったり,家が増えてきたりと,次第に町に近づいてきた。どうやらオクラホマシティに到着したようであった。
 今日はオクラホマシティに泊ることにして,昨日エクスペディアでホテルを探した。オクラホマシティの市街地に差し掛かったあたりのインターテイツ35からインターステイツ44が枝分かれをしたジャンクションの近くに安価なホテルがあったのでそこを予約した。そこで,とりあえず,ホテルの近くまで行ってみることにした。
 ジャンクションを出て,カーナビに従ってホテルに向かっていると,「HISTORIC ROUTE 66」の標識が目についた。ここではじめて,私は,このオクラホマ州がヒストリック・ルート66の経路であることを思い出したのだった。

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●ドタキャンが私をハワイに導いた●
 きょうは「2015春」ではなく,「2016春」の旅行記なので,お間違えなく。つまり,来春の旅行の予告編である。
  ・・
 アメリカ合衆国50州制覇をめざしている私に残った3州はノースカロライナ州,サウスカロライナ州そしてハワイ州である。2016年の夏にノースカロライナ州とサウスカロライナ州に行って,最後にハワイ州に行こうと,ずっと思っていた。
 ノースカロライナ州とサウスカロライナ州は,すでに,どのように旅行をするかを決めているのだが,問題はハワイ州であった。というか,ハワイ「なんて」,熱海に行くのと同じだ,くらいに気安く考えていた私は,まったく興味がなかったのだった。

 2015年の夏以降,私は,この年にすでに3回も太平洋を渡ったこともあって,焦燥感に襲われていた。うつ病の卵みたいなものであった。そこで,それを打ち破るために,2016年の春にどこかへ行こうとぼんやりと考えていたら,友人が,オーストラリアで南の星を見ようと言いだした。それもありかなと思って,いろいろと調べてみたらおもしろそうだったので,私はすっかりその気になった。
 そこで改めてその友人にスケジュールを聞いたら,彼が答えるには,俺はお前のように暇ではない,とおっしゃるではないか。
 とてもバカにした話だった。
 こちらから誘っているのならともかく,誘っておいてドタキャンするのだ。困った話だが,そういう人に限って,人のやっていることを羨むのだから,実に話にならない。
 
 といった腹立たしい経緯があったので,私はひとりでオーストラリアに行こうと思ったが,もともと誘われたから行く気になったオーストラリアである。オーストラリアで星を見るだけなら,もっと歳をとっても行ける。だから,気が変わって,というより,本当は今どこへ行きたいか,と自問自答して,その結果,ハワイに行こうと思ったのである。
 そうしたら,それまでは関心のなかったハワイに無性に行きたくなってきたから,そのときから50州制覇の「最後の1州はハワイ」という私のポリシーなど,もう,どうでもよくなって,残りの2州より先に,春はハワイに行くことを決めたのだった。
 実は,それまで,ハワイ「なんて」(失礼!)全く関心がなかった理由は,皆が「日本人ばかりだよ」「日本語通じるよ」と言うからということであった。さらには「芸能人に会えるよ」とまでつけ加えられたら,これはとどめの一撃で,もう,本当に行きたくなくなった,ということだった。
 「ハワイに行きたくない」なんていう人を聞いたことがない,とまでからかわれたけれど,私のハワイに対するイメージは,夏休みや冬休みの終わりに家族連れがお土産を抱えて混み合った空港に帰ってくる姿や,芸能人がお正月に成田や羽田から飛び立つ姿であった。そして,ワイキキビーチの混雑した砂浜であった。これでは,私が,アメリカ本土の,それも日本人のほとんど行かないところをわざわざ選んで旅をしているのとは真逆な話ではないか!

 と,ここまで読んでいただけた方は,お前は何をいっているのだ,とお思いになることだろう。それに,私がわざわざ書かなくとも,ハワイ好きの人が書いたブログなんていくらでもありそうだし,なんだか,これを書きながらなさけなくなってきた。
 しかし,多くの人はきっとツアー旅行で行くのだろうから,行かず嫌いの私が,個人で手配して,いかにして生まれてはじめてのハワイに行くのか,その狼狽ぶりと恥さらしを紹介するのも,それはそれで悪くなさそうなので,その経緯とレアな情報を,これから綴っていくことにしたわけだ。
  ・・
 ということで,今回は,その予告編である。いわば,NHKの番組の間に流れる宣伝のようなものである。

◇◇◇
Today is the day of the future in "Back to the Future 2".

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●バラバラでハゲハゲでハデハデ●
 ウィチタのダウンタウンから国道54と国道400との共有区間を東に走った。途中で進路を南に変え,インターステイツ135に入った。そして,そのまま進んでいくと,インターステイツ135は北東から来たインターステイツ35に吸収されて,インターステイツ35でさらに南にオクラホマ州に向かって進んでいくことになった。
 と,わかりにくく書いたが,要するに,ウィチタから南に最短距離でオクラホマ州に向かって走っていったということだ。

 ウィチタの町を出ると,再び,周りは一面の牧草地になった。
 このインターステイツはターンパイク(有料道路)だったから,インターステイツに入るときに再び機械が発券した通行券を受け取った。
 この後は,特に何も書くこともない。写真をとっても,いつもと同じような道路の写真ばかりである。私がカンザス州を走って,ウィチタを少しだけ観光? したその感想は「な~んもない州であった」というだけだ。
 私が,後年,このカンザス州について他人に語ることといえば「カンザス州のインターステイツはターンパイクだった」ということだけだろう。

 アメリカ観光局の「Discover USA」というサイトには,
  ・・・・・・
 カンザスには,たくましいカウボーイ文化と広大な草原に象徴される古典的なアメリカが残されています。『峠の我が家』を正式な州歌とし,旅行者は本物の牛の放牧場に宿泊できます。
  ・・・・・・
とある。さらに,
  ・・・・・・
 アメリカンバイソンを見ることもできます。 食事の時間も確保してください。 カンザスの自慢の料理はスモークバーベキューです。
  ・・・・・・
と書いてある。
 また,ウィキペディアのカンザス州の項には,
  ・・・・・・
 カンザスシティーは「オズの魔法使い」で主人公のドロシーの故郷として登場することでも知られる。また,昔からカンザス州はアメリカにおける田舎の代名詞になっており,この作品でもドロシーがカンザス出身ということで馬鹿にされる場面がある。
  ・・・・・・
とある。要するに,何もないと書いてあるわけだ。
 そうそう,「スモークバーベキュー」といえば,アメリカでおいしいステーキの褒め言葉は「スモーキー」なのだが,この味を知らないと,単に焦げたステーキとしか思えないであろう。私もはじめはそう思った。しかし,肉を焼くのに,アメリカ人はわざとスモーキーにするため秘薬を使うくらいなのだ。この味は,日本のステーキ店にはない。そして,この味をおいしいと思うようになれば,あなたも本当のアメリカ通になれたということだろう。
 スモーキー万歳である。

 そうこうするうちに,州境に到着した。
 日本の高速道路にもあるような料金所があった。料金をクレジットカードで支払って,ここを過ぎれば,いよいよオクラホマ州である。で,料金所が過ぎると,途端に道路がガタガタになったのだ。いかにも,「有料道路でないから管理はできませんよ」とでもいわんばかりであった。
 今日の3番目と4番目の写真を拡大して比べてみてください。
 カンザス州もオクラホマ州もさほどの違いもない田舎であったが,私は,この道路の違いだけがひどく印象に残っている。でも,こうしたガタガタの道路の方が,アメリカらしくて好きだ。
 何度も書くようだが,たとえ道路の舗装がガタガタでも,道路の左側にひかれた命綱のイエローラインだけは,ペンキがはけていることもなく,しっかり続いているのだった。
 日本の道路の,意味のない中央分離帯の枯れかけた植木やら「わき見をするな」とか「シートベルトをしろ」といった注意力が散漫になるだけの看板やらだけがやたらと整備されていて,最も大切であるはずの道路にひかれたラインがバラバラでハゲハゲでハデハデなのを思い出していただきたい。これだけでも,何が一番重要なのかがわかっていないという「日本人の知恵と発想の限界」が認識できることであろう。

 先週の土曜日にNHKBSプレミアムで放映された不思議な番組「トナリノウチュウ」。
 子供の教育に焦るどこにでもいる母親と,童心を忘れていたことを思い出したお疲れのこれもまたどこでもいる父親と,そんな社会の中で生きなければならないけなげな子供。きっと,この番組を作った人こそ,そんな社会に生きていることにお疲れの人なのでしょう。NHKの社内もいろいろあるんだ。お気の毒に。
 私は,宇宙の話だと思って見はじめたのですが,宇宙は宇宙でも,猫の目から見た地球のことでした。
 この番組は,この父親という人物が煙草を吸うことと,いかにも現実の虚像を悟ったかのようでいて,実際は「ドリラー」的価値観が垣間見られたのは,ちょっと詰めの甘さというか作成者の若さを感じますが,お父さんはやさしくて息子の味方だったし,こんなファンタジーもありでしょう。でも,誰を対象にしたのかわならないこんな番組,見る人いるのかしら? 私はしっかり見ましたが…。

 私が星を見たりアメリカを旅行したりという気ままな生活をしていて思うのは,本を読んでわかった気になっていることよりも,それを超えて,実際に行動してみることがいかに大切なのか,ということです。
 世の中はすごい勢いで進歩しているから,これまでのような教師の話を静かに聞くだけの授業なら,学校など行かなくても,家でインターネットを使えばそれで十分なのだし,翻訳ソフトもあるから,従来の語学の学習など,もはや無意味で,昔とは違ったやり方があるわけです。しかし,政治を変えようにも,昔から政治家をやっていた人たちが政党だけ烏合離散をくりかえしてるだけだから,実際は何も変わらないように,教育だって,今までの教育を受けた人が今度は教師になっているだけだから,「ドリラー」的なこの国の教育は変わりようがないです。
 現代社会で大人になるまでに手に入れておく必要のある能力は,他人と意思が通じあえる語学力と,どこへも自分の力で移動できる車を運転する能力と,コンピュータ言語も含めてITを自由に使いこなせる能力でしょう。また,人間の文化を知りそれを味わい継承する教養は,それこそ,授業を聞いたり,本を読んでいても身につくものではなく,実際にその目で見たり体験することが必要なのでしょう。
 だから,それらは全て,今のような学校教育では身につきません。
 そして,それを超えた専門的な能力は,たとえは,バイオリニストになったり,ベースボールのプレーヤーになった人を考えてみればわかるように,これもまた,学校教育では身につかないのです。

 なのに,相も変わらず,学校という,すでに形骸化した社会のシステムだけが化石のように生き残り,その「化石(=学歴)」を得るために四苦八苦して,いざそれを手に入れてその組織の中に入れば,学生は,他人のまとめた参考書や問題集の答え合わせをする「ドリラー」にされて,それを勉強と称しているのです。
 しかし,そんなものは,勉強というよりも旅行のガイドブックを見ながら,そこに載っているレストラン巡りをしているだけのようなもの。なのに,学校だけでは飽き足らず,さらに塾にまで通って,人の作ったドリルをやってその答え合わせをするといった,どうでもよいことに多くの時間やお金を費やしているのです。
 本当はそんな時間はムダなのです。そんな時間があるのなら,野原に寝っ転がって,空を見上げて雲でも眺めていたほうが,ずっと有益で心が満たされるのです。
 なんて,私は思っているのですが,この番組も,そう叫びたかった,のかな?

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 MLB(アメリカ大リーグ)も佳境をむかえ,リーグ優勝決定戦に入りました。残ってるいるのは4チームです。
 大相撲も,秋場所に横綱白鵬が休場すると,だれが優勝するかわからなくなって,優勝争いが俄然面白くなったように,MLBも,これだけシーズン当初の予想が外れて意外なチームが勝ち残ると,どこが優勝するかわからず,いやがうえにも盛り上がります。
 残ったチームは,シカゴ・カブス,ニューヨーク・メッツ,カンザスシティ・ロイヤルズ,トロント・ブルージェイズです。残念ながらヒューストン・アストロズは負けてしまいました。
 私の予想では,ニューヨーク・メッツ対カンザスシティ・ロイヤルズのワールドシリーズになるような気がします。
 しかし,何とかトロント・ブルージェイズに勝ち残ってもらって,出場選手に選ばれていないのに,ムードメーカーでベンチ入りをしている川崎宗則選手の英語をずっと聞きたいものだと思っていますし,シカゴ・カブスは,「ヤギの呪い」とともに,「バックトゥー・ザ・フューチャー」の予言が当たるかという興味があるので,私は,シカゴ・カブス対トロント・ブルージェイズのワールドシリーズを希望します。

 NHKBS1のMLB中継は,現地からの中継を東京のスタジオで見ながら放送しているので,アナウンサーも解説者も,日本の視聴者とさほど変わらないような話をしているだけで,内容がちんぷんかんぷんだったりします。私は,今年勝ち残っている4チームの本拠地はすべて行ったことがあるので,その雰囲気はテレビで見ているだけでもとてもよくわかりますが,一度は実際に行ってみないと,その土地の様子とか空気はわからないものです。
 そこで私は,普段は第2音声である英語の放送を聞きながら見ているのですが,田口壮さんの解説だけは話が実際の体験を基にした内容でとてもおもしろいので,つい,日本語の放送に聞き入ってしまいます。

 すでにブルージェイズの勝利で終わったディビジョンシリーズのトロント・ブルージェイズ対テキサス・レンジャーズの第5戦の7回表と裏の攻防は,圧巻でした。
 7回表,ブルージェイズのキャッチャーからピッチャーへの返球が,レンジャーズの打席に立っていた秋信守選手(彼はゲーム前のファンサービス抜群の素敵なプレイヤーです)のバットに当たる珍プレーが出て,ボールが転々とする間に三塁ランナーが生還し勝ち越し点を与えてしまったのです。
 しかし,この「アクシデント」で,逆に,ボールパーク全体が大興奮のるつぼと化しました。こんな形では負けられないブルージェイズは,その裏に怒濤の攻めを見せました。雰囲気にのまれたわけでもないのでしょうが,レンジャーズの守備に立て続けに3つのエラーが出て,1死満塁のチャンス。ここでジョシュ・ドナルドソン選手が二塁手の頭を越える同点打。さらに1死一,三塁でバティスタがなんと3ラン本塁打を放って,逆転をしたのでした。ブルージェイズはそのリードを守り抜いて2連敗からの3連勝。なんと22年ぶりのリーグ優勝決定シリーズ行きを決めたというなりゆきでした。
 ああいうのを見ると,ポストシーズンは,まさに,魔物が住んでいるとしか思えません。これまでも,何度,あのような信じられない出来事が起きたことでしょうか。

 ところで,土曜日のカンザスシティ・ロイヤルズ対トロント・ブルージェイズの第1戦をテレビで見ていて,今年もまた「謎の人物」が,バックネット裏で観戦しているのに気づきました。気づきましたというよりも,ほとんど観客が両チームのチームカラーであるブルー一色に染まっているのに,派手なオレンジ色を着ているから,目立たないわけがないのです。
 この人物については,昨年,すでにブログに書いたので,これをお読みいただくことにしましょう。
 それはそれとして,私は,一昨年,生まれてはじめてボストンでレッドソックスを見た年にレッドソックスが優勝したので,今年は生まれてはじめてカンザスシティでロイヤルズを見たからロイヤルズが優勝するのでは,とも思えます。
 はたして,呪いが解けるのか,予言が当たるのか,はたまた,私のジンクスが勝るのか?
 すべてはあと2週間で決まります。

◇◇◇
「大リーグが大好き!」-「謎の人物」の正体とは?

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●ウィチタにゃ縁がない●
 私は,マイルマーカー53でインターステイツ35を降りて通行料金をクレジットカードで払った。そのまま国道54に入るとウィチタのダウンタウンに到着した。
 このウィチタはアメリカのいたるところにある中小都市と同じような町であったが,ほとんどの日本人にはアメリカのこういったふつうの都市の様子は皆目想像がつかないのではないかと思う。

 アメリカの中小都市の多くは,中心部に再開発されたきれいなショッピング街があって,その周りに住宅地が広がっている。
 アメリカの住宅地は,その地区によって,裕福層が住む場所や,一般の市民の住んでいる場所,そして,トレーラーハウスとよばれる低所得層の多い地域などにわかれている。
 裕福層のすむ一角は,町の少し小高いところにあって,緑が生い茂るなかに,清楚なマンション(日本のアパートではない!),つまり大邸宅がブロックごとに立ち並んでいる。アメリカの家には通常,門や塀はないから,城壁のような感じではない。
 そして,郊外の川沿いに広い公園があって,その周りに図書館やら美術館,そして,スポーツ施設などが点在している。
 こんな姿を知ると,日本で家を買うことに全く興味がなくなる。

 ここウィチタも,また,中心部には「オールドタウン」と呼ばれるマーケット街があって,その西側にアーカンザス川が流れ,川の周りが美しい公園になっていた。そして,川に沿って北側には,オールドカウタウン博物館やミッドアメリカ・オール・インディアンセンター博物館などが点在していた。
 あいにく,私が到着した時間はまだ朝の9時を過ぎたところで,どこも開店前であった。
 また,この街には,ディスカバー・ヒストリック・ウィチタ・トロリー・ツアーズという,ダウンタウンを1時間30分ほどかけて見学するツアーがあるそうだが,運行は4月から7月の金・土の10時からの1回っきり,そして,予約が必要ということだったので,それほどの需要があるとも思えなかった。

  私は,ともかく,ダウンタウンのメインロードに路上駐車をして,周りを散策してみることにした。
 アメリカのこうしたメインストリートには,どこも,2時間限定でフリーに駐車することの出来るスペースが設置してあるのだ。
 そうして車を降りて少し歩いてしてみたが,結局のところ,この町の住民が余暇を楽しむための映画館やショッピングセンターといった類があるだけで,特に旅行者が何をするか,というものでもなかった。
 車に戻るとき,私は大変なことに気がついた。それは,私の履いていたスニーカーの片方の底が今にもはがれ落ちそうだったということだった。私はいつも履きなれたスニーカー,いや,飛行機に乗るときは裸足にクロックスをひっかけ,スニーカーをカバンに入れてアメリカに来るのだが,それが災いして,時々こうしたアクシデントに遭遇してしまう。数年前に行ったニューヨークなんて,私は,ニューヨークのダウンタウンでスニーカーがズタズタになってしまい,今にも壊れてしまいそうなサンダルで歩くことになってしまったのだった。
 このときは,まだ,ニューヨークのときに比べればマシであったが,ともかく,できるだけ早く新しいスニーカーを所望しなくてはならなかった。しかし,この町のお店はまだどこも開いていなかった。

 結局,私はこの町でスニーカーを買うことをあきらめて,車に乗って,川の方に行ってみることにした。走っていくと,川の周りは美しい公園になっていた。こうした公園の広さは,きっと,行ったことのない日本の人には想像がつかないであろう。とにかくものすごく広く,ごみひとつなく,素晴らしいのである。
 私は,公園の駐車場に車を停めて,少し散策してみることにした。
 川のほとりでは,水鳥が気持ちよさそうに羽根を休めていた。のんびり散歩している人もいた。まだ早朝であったが,きっと,人々が仕事を終える午後5時過ぎには,人生を楽しむ人たちがのんびり時間を過ごしているのだろう。
 そのあと車に戻り,テラノ地区というダウンタウンとは異なるもう一つの商業地区の周りを巡って,ウィチタは見た,ということにした。

 ガイドブックによると,ウィチタ郊外にはカンザス航空博物館があるということだが,航空博物館はシアトルにもあるので,今回はパスすることにした。
 きっと,ここで1泊してのんびり観光しても,決して後悔しないところであろうと思った。このあと,夏の旅行で行ったモンタナ州のヘレナとか,以前に行ったノースダコタ州のビスマルクだって,同じような規模の町で,特に何があるというわけでもないけれど,そこに1泊して幸せを感じたものだったが,残念ながら,来た時間が早すぎて,ウィチタでは,そういう幸せを感じる機会がなかった。日本では,こういうのを「ご縁がない」という。

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 私が久しぶりに購入した本は藤井旭さんの書いた「白河天体観測所」です。「日本中に星の美しさを伝えた,藤井旭と星仲間たちの天文台」という副題がついています。
 1966年に創刊されて50周年を迎えた「月刊天文ガイド」は,パソコンもスマホもなく、まだ日本が貧しかったころの少年たちが夢を膨らませるのに十分な雑誌でした。そうした少年たちより少し年上の先輩たちの活躍や話題がこの雑誌を作り上げ,日本のアマチュア天文家に天体写真ブーム巻き起こしたのです。
 そのなかには池谷薫さんとか関勉さんのように彗星を発見したりする人や富田弘一郎さんのような専門家がいたのですが,そういう人たちとは別に,一見,学問とか業績とは無縁のアマチュア天文家のリーダー的な存在を通したのが,天体写真家の藤井旭さんでした。

 藤井旭さんは1941年の生まれ。子供のころに戦後で何もないので星ばかり見ていた事から星が好きになったのだそうです。山口市の出身なのですが,大学は(入学試験が楽なので)多摩美大を志願して見事入学。入学後は星ばかりを見て過ごし,卒業後,とにかく星がよく見えるところという条件で東北を旅していたときに,ちょうど郡山に寄った際,饅頭屋で「これはうまい」と言ったら,それを耳にした社長から「それじゃ社員になれ」ということでお客が直ぐに店員となって働き出したという経歴の持ち主です。
 その後,1969年に福島県の白河に星仲間と一緒に白河天体観測所というアマチュアの観測所のはしりとなる天文台を建設して口径30センチメートルの反射望遠鏡を設置しました。その天文台も,学問とはほぼ無縁,仲間内で星を楽しむための施設でした。そして,台長さんには飼っていたアイヌ犬のチロを任命。この辺りはクマが出没するので一番強く頼りになる犬のチロが天文台長にふさわしい… ということでそうなったのだそうです。
 さらには,愛犬のチロとともに「チロの星祭り」を浄土平で毎年開いて,全国から2千人もの人が集まったり,日本ではもう新たに見る星がなくなったと,1995年に南半球の見るためにオーストラリアの星仲間に土地を現地で用意させて日本からハイテクの望遠鏡を持ち込んで,オーストラリア西部のバースという町の近くに愛犬の名前を冠した「チロ天文台南天ステーション」を建設したりと,やることなすことが,アマチュア天文愛好家羨望の的でした。
 藤井旭さんは,天文の入門書など60冊を越える著書もあり,そのどれもが,魅力にあふれた素敵な本なのです。また藤井旭さんの写した天体写真はとても美しくて世界的に有名で,NASAにも無償で提供しハッブル宇宙望遠鏡がどこを写しているかを示す写真に使われています。

 この人の不思議なのは,これほど,世間で「目だつ」ことをずっとやってきたのに,その人となりを詳しく語る人もなく,悪口のひとつも聞いたことがなく,まったく私欲がなく偉そうでなく,星を楽しむためだけに生きているように見えることなのです。きっと本人も有名になろう… などとは全く考えていなかったのだろうと思われるし,ただただ好きなことをやっていたらこうなってしまったという,まさに自然体で生きてきた感じなのです。本当はいろいろなご苦労があったのでしょうが,それを一切外には出さず,一見,お金の心配もなく,働いているようにも思われず,浮世の悩みもなく生きてこられたように見えるのです。
 このようなわけで,「白河天体観測所」というのは天文ファンの「聖地」であり,私のような「月刊天文ガイド」を1966年の創刊号のころから知っている人間にとって、藤井旭さんというのは、まさに、この雑誌とともに歩んだ天文ファンにとって憧れというか仙人みたいな人物なのです。
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 東日本大震災で被災して再起不能になってしまった白河観測所は,残念ながら,2014年に閉鎖されてしまいました。その時のことがこの本にも「ああ,楽しかったの50年」としてつづられています。これは「月刊天文ガイド」にすでに載っていた文章なのですが,まさに,藤井旭さんにとって,この50年は心から「ああ,楽しかった」のだろうと思います。
 この本には,このほかにも,この白河観測所とはどんな観測所だったのか過去を振り返りながらその全貌を紹介しているのですが,そのほとんどは書下ろしではなく,これまでにどこかで書かれていたことなので,私はすでに読んだことがありました。この本は,それをまとめただけなのですが,久しぶりに再びそれを読もむことができて,昔のことが懐かしくなりました。

 当時の天文少年たちは,みんなこうした夢を追いながら大人になり,でも,ほとんどの人は,夢を置き去りにして食うために働き,やがては歳をとりました。また,すぐれた,あるいは,幸運を手に入れた少数の人は,学者となり,宇宙飛行士となり,あるいは,ずいぶんと大金をつぎ込んで大きな望遠鏡を手に入れて新天体の発見に業績を残したり,ハイテクの機材を使いこなしてプロの天体写真家となりました。
 しかし,結局,そうした当時の天文少年の誰しもが決して越えられないのが,誰よりも実際に星をたくさん見,愛した藤井旭さんの,ひょうひょうとした肩にまったく力が入っていない姿と,高等遊民のように,趣味に生きたその生き方そのものなのです。
 藤井旭さんについても,この白河天体観測所についても,これだけ有名だから,きっとよく知る人もいると思うのに,なぜか,その人物の本当の姿も,その観測所のある場所も、その実際の姿は明かされず,しかも,それを探ろうともしないのが不思議なことです。そして,その不思議さこそが,仙人であり聖地たるゆえんなのです。
 きっと,みんな「夢」がみたいのです。
  ・・
 かくいう私も,ずっと本を読むだけの単なる一天文ファンだったのですが,同じように歳だけとった今になって,やっと,昔買った小さな望遠鏡で暇があれば星空を見たり写真を撮ることができるようになりました。今は,50年前にもどって楽しんでいる感じです。そして,そんな今になってはじめて,ああ,藤井旭という人はこういうことをずっとやってきたんだなあ,と実感して,私は50年何をやっていたのか,とちょっぴり虚しくなるとともに,ますますその生き方がうらやましくなりました。
 子供のころに帰ることができる素敵な本でした。

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●頼りになるのはイエローラインだけ●
 頼りになるのは,前を走る車のテイルランプと,インターステイツの左側のイエローラインだけであった。このイエローラインが重要なのだった。
 日本の道路なら,こういう悪天候時には見ることも困難な注意書きがあったり,錯覚を起こすだけの危険な発光板などが備えつけられていることだろう。この鮮やかにライトに照らされて光るイエローラインこそ,最も頼りになる生命線であった。
 私が再三書いているように,日本人は「ドリラー」,つまり,ドリル学習が命だから,机上のアイデアだけで現実が伴わない。学校でそんな勉強をしてきた人を優秀だと位置づけているから,そういう人が考える道路の表示も意味のないものが統一性もなく思いつきで散在しているだけなので,実際に非常時には何が最も必要なのかがまるで実証されておらず,危険極まりないのだ。
 こうした日本の町にあふれる意味もない注意事項のバラマキ,時にこれを「平和ボケ」という。あるいは「おせっかい」という。私は,これを「日本人の知恵と発想の限界」とよんでいる。

 このとき,車のワイパーはどんなに早く動かしても雨のほうが強いから全く意味をなさず,私は,本当に,前方には前を走る車のテイルランプと命綱であるイエローライン以外には何も見えなかった。イエローラインは,どんな状況であっても,明るくくっきりと頼もしく輝いて,しっかり責任を果たしていた。しかし,それでも,その中を100キロ近くの速度で走っているのだから,これは尋常なことではなかった。
 この地方を走ったことのある人たちのブログが多数存在するが,その多くにこの日と同じような天候のことが書かれてあるのだから,ここではこういった豪雨は日常茶飯事なのだろう。
 さらに,私は,以前,モンタナ州で9月に雹に降られ,道路が凍結してスリップをした経験から,クルーズコントロール,つまり,速度を設定しておくと自動的にその速度で走る続けるシステムの怖さを見にしみて知ったので,今は使わないが,ここでそんなものを使っていたらひとたまりもなかったであろう。
 あるブログには,アメリカの道路を走っていてどうしてクルーズコントロールを使わないのか,というようなことが書いてあったが,これもまた,無知も甚だしいことだと思う。

 私は,恐怖を感じながら運転していたが,スピードを急に落としたり路肩に停止することの方が危険が大きいから,ともかく,前の車と同じ車間距離を取って走っていくしかなかった。
 そのうちに,雨が小降りになってきた。そして,次第に晴れ間さえのぞくようになってきた。これこそ,「オズの魔法使い」のふるさとたるゆえんであった。
 そうこうするうちに,パーキングエリアがあったので,そこに車を停めて少し休憩することにした。
 パーキングエリアに着いたころには雨はすっかり上がっていた。私と同じように豪雨の中を走ってきて,やっと見つけたパーキングエリアで休息をとる車がたくさん駐車していた。
 ドライバーたちは,口々に大変な雨だったというような話をしていた。

  ・・・・・・
 帰国後にこの文章を書いていて思うのだ。私はこの地方にははじめて行ったのだが,きっともう二度と行くこともあるまいと。この地方とは,カンザス州のことである。この州には観光名所など皆無に等しく,あるのは,竜巻と雷雨,そして,蒸し暑い気候と変わりやすい天気だけなのだ。
 そういえは,今でこそ強豪の仲間入りをしたカンザスシテイ・ロイヤルズのことを,かつては「地の果ての球団」とよんだ人がいるが,それもうなづけることである。ただし,カンザスシティ・ロイヤルズのホームグランドがあるのは,カンザス州ではなく,ミズーリ州の西の端である。
 しかし,そうしたことすら,私は,行ってみたからこそわかったことなのだ。まさに百聞は一見にしかず,なのである。
  ・・・・・・

 再び出発した時には,雨もやみ,美しい風景が広がっていたが,相も変わらず,あたりは360度牧草地しかなかった。その中を走る有料道路のインターステイツ,つまり「ターンパイク」には,ほとんどジャンクションもない。そして,まれに見かけるジャンクションは,すべて,無人のゲートが備えつけられてあった。おそらくターンパイクを出るときにこのゲートに設置された機械にクレジットカードを読ませて,通行料金をとるのであろう。無人だから,クレジットカードがなければターンパイクから出ることさえ不可能であった。
 私はそのまま走り続けた。30分も走ると,とりあえずの目的地ウィチタに近づいてきた。
 ウィチタのダウンタウンが迫ってくると,いつものように,どのジャンクションを出ればいよいかというわかりやすい道路標示があった。そして,その標示板に続いて,この町にあるホテルやガソリンスタンド,そして,コンビニやレストランの案内板が並ぶようになった。きっとウィチタにも大した見どころもないであろうが,私は,一旦インターステイツを降りてみようと思った。

◇◇◇
Did "Back to the Future" predict
Cubs'2015 WS win?

1989年に公開された映画「Back to the FutureⅡ」では,
2015年はシカゴ・カブスがワールドシリーズに優勝することになっているのですが,
果たして,これは真実でしょうか?
あと8勝でその予言は現実になります。地元はすでに大騒ぎです。

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 梶田隆章教授にノーベル物理学が贈られるというニュースを喜ばしく思います。
 ニュートリノ振動をとらえて,ニュートリノに質量があることを証明したのが評価されたということです。ニュートリノに質量があれば,宇宙に存在する質量の謎が解明できるとされていたのですが,この発見でニュートリノの質量だけでは宇宙の質量が説明できないと,さらに宇宙の謎が深まって,今では,ダークエネルギーのもととなるダークマターを探すということが行われていることは,よく知られたことです。

 こういった基礎的な物理学が何の役に立つのかという人もいるのですが,物事の原理を知ることは究極的に「有益」なのことなのです。
 物理学という学問を誤解している人が多いのですが,実は,どれだけ研究しても,物事の本質は何もわからないのです。というよりも,本質を解明するのが目的ではないのです。そうではなくて,全ての事象を説明できるもととなる原理を探すことなのです。
 それはどういうことかというと,たとえば,ある人がどういう性格なのか(原理)が解明できれば,その人とどう付き合うかということがわかるということで,その人が「どうして」そういう性格なのか(本質)を調べることではない,というのと同じです。

 物質は原子からできていて,原子は陽子と中性子と電子からできていて,陽子と中性子はクォークからできていて… と説明されているのですが,では,どうして物質はクォークからできているか,とか,質量があるとその周りに重力場ができる… といっても,では,どうして6種類のクォークがあるのかとか4種類の力が統一されて説明できたとしてもならばどうして力が働くのかということは説明できないのです。それが「原理」だからです。そういうものだからです。
 つまり,様々な現象を説明するためのもととなる「原理」を見つけ,モデル化してそれを体系立てていくことによって,全ての事象を説明することなのです。
 
 それは,将棋を全く知らない人たちが,その投了図だけを何千局,何万局と調べて,そこから駒の動かし方やルールを推測する,ということと似ています。
 その過程で,「そうか,将棋の駒には敵陣に入ると裏向ける(成る)というルールがあるのか!」とか「将棋では取った駒を使うことができるのか!」といったことに気づいたりすることで,将棋というゲームのルール(駒の動きの仕組み)が解明されていくわけです。しかしその結果「歩は前にひとつ進む」ということが分かっても「どうして歩は前にひとつだけ進むのか」ということは説明できないのです。それは,そういう決まり(原理=ルール)だからです。
  ・・
 それにしても,人間の作った数学という表現手段を用いて,原理をもとに矛盾のない破綻しない仕組みを作り上げていく,という人間の英知は,まったくもって不思議なものです。そこには,人間の「理解する能力」の限界や,「わかるということ」の意味する根底にある「哲学」が絡んでいて,私は,奇妙な気持ちになります。
 そして,結局,そうした「原理」は,これまでに人間が作り上げた数学という表現方法だけでは説明しきれないのではないかとさえ思いを巡らせます。

 しかし,ルールがわかれば,今度は将棋をゲームとして楽しむことができるように,我々の住むこの世の仕組みを理解することは,これからのよりよい社会を作っていくことにつながるから,人類の「役に立っている」のですが,なかなかそこのところも一般の人には理解し難い話であるわけです。
  ・・
 私は,自然科学というものは,本当におもしろい学問だと思います。そうした仕組みが人間を超えたところで作られている,という点が,社会科学とは根本的に異なることだからです。たとえは,資本主義経済の仕組みという複雑な制度を勉強してマスターしても,資本主義経済というものは絶対的なものではなくて,もともと人間がその能力で人工的に作りあげただけの制度なので,本当はもっとわかりやすい単純な制度でできるのかもしれないわけです。しかし,自然科学の「原理」は人間が作り上げたものではなく,それを超えた絶対的なもの(これを「神」と表現する人もいます)なのです。

 今回のノーベル物理学受賞も含めて,日本の基礎物理学が世界で評価されるのはとても誇らしいものです。そうした自然科学とは真逆の「政治」というものは,こういう成果を契機として,理屈ではなくこの分野にお金を投資してくれるという仕組み(原理)になっているから,そこからさらに学問が発展することにつながるので,それはそれで素直に喜びたいと思います。
 私は,そもそも,世の中のすべての事象は,究極的には,単純に場の作る振動の重なり合いだけで説明がつくのだろう,と思っているのですが,もし,それが解明されたとしても,私がそれを理解できる脳みそを持ち合わせていないことが,返す返す残念です。
 と,そんなことをぼんやりと考えながら,凡人の私は,せめて夜空でも眺めて,自然の不思議を自分なりに楽しみたいと思っているのです。

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 薩埵峠を降りて間宿に降りたところに「望嶽邸藤屋」がありました。入口を覗くと,無料で公開しているということだったので,中に入りました。
 詳しい説明をしてくれる人が3人くらいいて,それぞれの見学者に説明をしていました。
 ここは,「藤屋」と称して,江戸時代は茶屋を営んでいたところ。当時は,磯料理,あわび,サザエのつぼ焼きを名物 としてたそうです。離れからの富士の眺望がすばら いことから「望嶽亭」と名付けられました。
 1868年(明治元年),西郷隆盛との話 し合いのため府中に向かっていた幕臣・山岡鉄舟は官軍に追われ,ここ望嶽邸に助けを求めました。主人は鉄舟を土蔵にかくまい, 隠し階段から船で江尻宿まで逃がし,清水の次郎長に身柄 を託したといわれています。
 その時の土蔵と鉄舟が残したフランス製のピストルが今も残っていて見ることができました。こういうちょっとしたことが歴史を変えたと思うと,とても不思議な気持ちがしました。

 そこからさらに旧東海道を東に歩いていくと,東海道線の油比の駅に着きました。旧東海道は,このあたり「由比桜えび通り」と名付けられていました。
 由比といえば桜えびです。今回は,薩埵峠を越えたあとで桜えびを味わうのが楽しみでした。
 桜えびは駿河湾でしか獲れないえびで,由比はその主要な漁港なのです。漁は4月から6月,10月から12月に昼間は水深200メートルくらいにいるえびが夜海面近くまでくるのを狙って行われるということですが,今年はまだ漁ははじまっていないということでした。
 由比駅前にあった食事処「あおぞら」に入りました。小さな定食屋さんで,コの字型のテーブルがあって,10人も座れないほどでした。入ったときはお昼の少し前だったので,お客さんはほかにひとりもいなかったのですが,すぐに満席になりました。
 薩埵峠を歩いたハイカーは,みんなここでお昼を食べたみたいです。
 桜えびのメニューは「桜えび定食」1,200円のみ。内容は,桜えびのかき揚げ,桜えびの釜あげ,桜えびの佃煮,えび粉入りの塩,そして,ご飯とお味噌汁でした。かき揚げをこの塩につけていただきます。
 桜えびが漁れた直後のタイミングであれば,「生桜えび」が食べられるそうです。

 食事を終えたら,食後のコーヒーです。そこで,さらに東に由比の町(アメリカなら旧東海道はメインストリート,この場所はダウンタウンといったところです)を歩いて,「パティスリー・メールペール」(Pattiserie Mere Pere)というお店でケーキを食べました。
 由比の町を歩いていると,全国チェーンの食事処は全くなくて,その土地のお寿司屋さんや定食屋さんが数件あるだけでした。この町の人は外食をしないのでしょうか?
 喫茶店もほとんどなく,旧東海道から少し住宅地に入ったところにやっと見つけたのがこのケーキ屋さんでした。この店のオーナーはローザンヌで修行したと,ある人のブログに書かかれてありました。まさに「まれ」の世界ですね。 

 さて,おいしいケーキも頂いたので由比の駅に戻ってJRで帰宅することにしました。
 由比の駅まで,再び旧東海道を歩きました。途中「漁協直売所」と書かれた看板が目についたので,誘われるままに,そちらに寄り道をしました。
 旧東海道に「由比港漁協入口」と書かれた標識のあるところを右折して国道1号の下をくぐると,由比港に突き当たりました。思ってもみなかった漁港が目の前に広がりました。とても遠くへ来たみたいで,旅情をそそりました。そこを左折し内港をさらに進んで15分くらい歩くと桜えびモニュメントがあって,その左側が直売所になっていました。また,直売所の手前には,食堂「浜のかきあげや」がありました。この食堂は土日は県外からの来客で行列になることもあるのだそうです。
 ここは,サクサク・ふわふわのかき揚げを中心として,どんぶり・そば・うどんを提供しているようです。桜えび炊き込みごはんというものもありました。
 私は,すでにお昼とさらにスイーツも食べてしまったので,残念ながら,今回は断念しましたが,もし,また来る機会があれば,ここでお昼というのもいいかなと思いました。

 秋祭りの準備で忙しくなってきた夕方の「由比桜えび通り」を再び戻って,JR東海道線に乗って,のんびり帰途につきました。電車の中から,神輿を担いだ行列がいくつもみられました。この日静岡はどこもお祭りだったようです。
 3連休の初日,のどかな初秋の素晴らしい1日を堪能することができました。私が薩埵峠を歩いた次の日,富士山に初雪が降りました。

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 土曜日。気持ちのよい季節になったので,ずっと気になっていた薩埵峠(さったとうげ)を歩いてみることにしました。
 薩埵峠は,歌川広重の東海道五十三次の油井(広重の絵には「比」ではなく「井」が使われています。もともとは「結い」の当て字)の宿で描かれた場所として有名です。場所は,JR東海道線の静岡の少し東にある興津の駅から次の油比の駅までの区間にあって,在来線や東名高速道,そして,国道1号線が,狭い海岸沿いを通っているところの北側の山沿いに通じる旧東海道の峠です。
 
 朝9時30分くらいに興津の駅に着いたので,そこから歩き始めました。この道はテレビの番組や多くのブログで紹介されているし,道路標識が整備されているので間違えようはないのですが,この峠越えがどのくらい険しいか,そして,果たして,この日峠から富士山がみられるか,ということだけは,行ってみないとわからないことでした。
 ただし,この日は曇り空で雨が降らなければマシというような状況だったので,富士山を見ることははじめっからあきらめていました。

 興津の駅から少し南へ行って国道1号線に出て,しばらくは国道1号線の歩道を1キロメートルほど歩きます。そして,興津川の橋を渡ったところを左に折れます。そこからは少し上り坂になりますが,まだ,民家も立ち並んでいる住宅街で,その中をを時計回りに円を描くように集落の周りにある舗装道路を1キロメートルくらい歩きます。ここまでは,普通の道路を歩いているだけなので,なんの問題もありません。のどかな秋の田舎道です。その先に休憩所があって,杖がたくさん置いてありました。
 いよいよここからが車が通れない未舗装の坂道になるのです。
 墓地の間の狭い道を上っていくのですが,はじめて来た私は,こんな道がどのくらい続くのか,少し不安になりました。かなりの上り坂でした。

 しかし,20分も歩かなかったでしょうか,さあ,これからだ,と思ったとき,道が少し広くなっていました。そこから視野がが開け,眼下に太平洋が見えました。実は,そこが,もう,薩埵峠なのでした。上り坂はわずか500メートルほどでした。
 少し広くなったところには「薩埵峠」と書かれた指標がいくつかありました。それにしても,こんな狭い急な坂を昔の大名行列も通ったのかと思うと,不思議な気持ちがしました。江戸時代にはこんな坂を殿様をかごに乗せて運んだのでしょうか? それよりも前,東海道が整備される前にも,豊臣秀吉や徳川家康もここを通ったのでしょうか?

 江戸幕府ができたころは,海岸線は今のように通る余地がなく切り立っていて,この峠を越えるしか先に進む手立てがなかったということですから,人はここを行き来していたわけです。
 遠い昔,薩埵峠は,足利尊氏と弟の足利直義が戦った古戦場であり, 箱根や日坂などと並ぶ東海道の交通の難所です。 峠を越える道は何度か変わりましたが,崖下の波が打ち寄せる下道は「親知らず子知らず」の伝説が残っているということです。
 現代は,海岸線沿いに交通網が作られていて,多くの人や物資がそこを行き交うのですが,私も,普段,この道路や鉄道を利用して通るたびに,すごい場所だなあと思います。自然災害が起きれば,ひとたまりもないなあ,と心配になります。
 ちなみに,新幹線だけはこの道よりも北側の山の中のトンネルを通過しています。

 そんなふうにして,予想よりもとても簡単に薩埵峠に到着してしまいました。
 この「薩埵峠」の指標を過ぎると,突然,目の前に,見えないとあきらめていた富士山が現れて,感動しました。
 曇り空なのに,この日は空が澄んでいて,富士山を見ることができたのです。夏は晴れていても見ることができないことがあるそうなので,幸運でした。冬は雪をかぶった美しい姿を見ることができるのだそうです。
 私は,先週も東京へ東名高速道路を利用して行ったので,そのときにもこの日と同じような富士山を御殿場から見たのですが,雪のまったくない晩夏の富士山は,むしろ,こうしたシルエットのような姿のほうが似合っているような気がしました。

 そこからしばらくは,平坦な道が続いていて,その向こうに,別の展望台がありました。
 これもまた幸運にも,ちょうど,眼下の線路に鉄道が通る時間だったので,その鉄道が来るのを待って写真を撮りました。鉄道は1時間に数本しか走らないので,事前に時間を調べておくとよいと思います。
 その先は,ミカン畑とビワ畑の中をゆっくりとした下り坂となって道が続いていましたが,ずっと,目の前に富士山を見ながら歩くことができました。そうしてさらに進むと,下り坂になって,間の宿に降りることができました。
 宿泊ではなく休憩を主としているのが間の宿です。 ここ西倉沢の間の宿は,昔,10軒ばかりの茶屋があり, 本陣は川島家で,脇本陣の柏屋には明治天皇も 休憩したということです。
  逗留した静岡県令大迫貞清が,気候風土がビワの栽培に適していることに気づき,故郷の九州からビワの種を取り寄せて 栽培を勧めたのが,この地で見られるビワ畑ということです。

 このように,私は興津から東に向かって歩いてきたのですが,反対側から歩いてくる人もいて,時折すれ違いました。しかし,何といっても道の険しさと富士山の眺めを考えると,おすすめは,興津から東に進むコースです。間の宿から油比の宿までは,ずっと車の行き交う舗装された生活道路です。
 静岡県の旧東海道は,どこもこんな感じの道が続いています。
 若いころは,こうした道を歩いていても退屈なだけだったのですが,今は,こうした道を歩くだけでもとても楽しいものです。日本は,こうした広さと空間が一番安らぐものだと,改めて思いました。
  ・・
 さて,目標の薩埵峠も歩き,富士山も望外に見ることもできたので,次はお食事です。
 次回は,食事とおやつを紹介することにいたしましょう。

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 「大越健介メジャーリーグをゆく」。この番組は,少し前にNHKBS1で放映されたものですが,今日,再び,NHK総合で放映されます。BSで放映されたときにこの番組について書こうと思ったのですが,ずっとそのままになっていました。そこで,今回総合で放映される機会にもう一度番組を見直して,書いてみることにしました。
  ・・・・・・
 私は,この番組に取り上げられた多くのところに行ったことや,すでにこのブログに書いたことがたくさんあったので,興味深く見ることができました。
 しかし,この番組は,題名にあるような「メジャーリーグをゆく」お話ではなく,「アメリカのベースボール」をネタにして,現在のアメリカの抱える社会問題と日本との文化の違いについて取材者の目線で語るという趣旨の番組だと私は受け止めました。そして,その根底に「キャッチボール」というものを配置することで,ベースボールはボールのやり取りを通じて人の絆を伝えるものだ,という味付けがなされ,ベースボールはアメリカ人の歴史と家族を象徴するものだ,と結論づけられていました。

 この番組に限らず,元来,日本のマスコミは,アメリカについて上流社会と底辺の相反するふたつの面しか報道しておらず,しかも,それが日本的な価値観でしか語られていないので,本当のアメリカの姿を伝えていないと私は不満に思っているのですが,残念ながら,この番組もその範疇を超えていませんでした。
 しかも,この番組は,取材を通して何を伝えようかということを導くのではなく,取材する前から結論を決めておいて,それを裏づけするために取材対象を選んで番組を制作したという感じがありありでした。
 その結果,多くの話題を織り込みすぎて焦点が絞り切れておらず,また,表面だけを見てさもわかったかのように結論を語るといった,いかにも報道出身者のエリートの作った番組になってしまっていた点が残念でした。

 番組の前編は,100年以上の歴史を持つフェンウェイパークを「野球の聖地」として紹介するところからはじまりましたが,その話題は,すでに多くの番組で取り上げられていて変わり映えのしないものでした。申し訳程度に,このチームに所属する田澤純一投手のインタビューがありましたが,「マイナーリーグから這い上がった選手」としての苦労の本音を聞き出すまでに至っておらず,物足りないものでした。
 次に取り上げられたボルティモアのカムデンヤーズは,私はまだ行ったことがないから興味深かったのですが,そこに4月27日の抗議デモから発した暴動を関連させたのが,また,報道番組くさく,簡単な取材でアメリカ全体がそうであるかのような印象にすることで「スポーツには人々をつなげる力がある」というような安易な結論づけがなされていた感が否めませんでした。
 さらに,この話題を人種問題にまで発展させることで,メジャーリーグのアフリカ系アメリカ人の割合が減ったという話にまでもっていって,現在のベースボールは金がかかるという話題に飛躍させました。その一方で,アイオワ州ダイワーズビルの「フィールドオブドリームズ」を絡ませて,それでも,ベースボールは捨てたもんじゃない,家族の絆を描くのだという救いにもっていったわけです。
 つまり,この番組の前編は,「アメリカにとってベースボートルとは何か」という問いを想定し,ベースボールは家族や地域を結びつけるものでその頂点にあるのがメジャーリーグであるという結論をあらかじめ作っておいて,その根拠を取材することで,それを描きたかったというわけでした。

 番組の後編は,メジャーリーグに夢をかける男たちの物語でした。
 まず,川崎宗則選手のインタビューからはじまりました。レッドソックスの田澤純一選手と対比させて,「マイナーリーグに降格した選手」という扱いです。
 彼は明るく語っていましたけれど,取材者の「上から目線」がみえみえで,本当に川崎選手の気持ちがわかっているのかなと疑問に思いました。相手の心の中に土足で入り込むといった報道のいやらしさが気になって,私は少し不快でした。川崎選手がさりげなく,しかも内心はムッとして,「あなたの話は日本人の価値観だ」と言っていたではないですか。しかし,最後まで,取材者はその言葉のもつ深い意味が理解できず,取材者の目線のまま川崎選手の生き様を取り上げていました。
 私は,純粋に川崎選手はアメリカのベースボールが好きなんだなあ,と感じましたが,そこに,わざわざ日本的な価値観から解釈をつけているような違和感をもちました。
 さらに,マーク・マグワイヤさんにインタビューをしていましたが,これもまた「成功者の悲哀」という目線で彼を題材にして,取材者の価値観を押しつけているように思えました。きっとなにがしかのコネクションでマグワイヤさんのインタビューに成功し,彼はしぶしぶ引き受けたのでしょうが,笑顔の裏に非常にビジネスライクに取材に応じていた影がありました。

 このように,この番組全体に流れる「上から目線と日本的価値観での結論の押しつけ」が,私には気になりました。わずか1か月足らずの取材で,こうした結論を語るのではなく,もっと話題を絞って,現状を素直に取材して,結論は,それを見た視聴者に任せたほうがよかったのではと思いました。
  ・・
 競争は勝たなければいけないんだよとか,偉い人のほうが幸せだよ,とか,人生はこうあるべきだよ,人生は苦悩だよ努力だよ,みたいな私の嫌いな日本人のもつ画一的な価値観で,学校の先生のお話を聞くような説教くさい番組になっていたのは,元甲子園球児の日本的野球道のたまものです。
 この番組の結論は,アメリカ人のもつ「多様性を尊重し人生は楽しむべきだ楽しいことが一番大切さ」という価値観とは,まさに真逆のものであったと,何度もアメリカのベースボールを見てきた私は思いました。
 アメリカ人にとって,ベースボールというのは,童心に帰れるもの,ボールバークは子供に帰って楽しむところ,そして,プレーヤーにとっては夢を実現するところ,それだけなのです。
 私には,10年以上前に放映された「私をボールパークへ連れてって」というスポーツ評論家の玉木正之・正太郎親子がアメりカのボールパーク巡りをこころから楽しんだ番組のほうが,ずっと謙虚で出来がよく,得るものも多く,魅力的に感じました。

◇◇◇
2013アメリカ旅行記―雨のボストン⑦
2013アメリカ旅行記―野球殿堂へ⑤
2013アメリカ旅行記―ヤンキースタジアム・再び②
「フィールド・オブ・ドリームズ」-いつかそれは実現する③

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●突然の豪雨で何も見えない!●
 私がゲートで受け取ったのは写真にあるような通行券であった。裏には,料金の一覧表が記載されていたが,カンザス州を端から端まで走ってもせいぜい日本円で1,000円程度であった。
 次第にわかってきたことだが,カンザス州のインターステイツのうちで私の走ったカンザスシテイから西にインターステイツ70をトピカ,そこから南西にインターステイツ335,35を経てウィチタ,そして,そこから南にオクラホマ州の州境まで,つまり,私が走ろうとしていた道路だけがターンパイク(有料道路)であった。
 多くの車がそういう経路で走るからだろう。というのも,トピカからさらに西に州を横断してコロラド州に至るインターステイツ70,ウィチタから北にインターステイツ70と交差するサライナまでのわずかな区間しかないインターステイツ135,そして,カンザスシティからトピカを経由しないでショートカットしてエンポーリアに行くインターステイツ35,カンザス州にはインターステイツというものがこれだけしかない。そして,そのうちの主要道路が私が走った道だったということだ。
 端的にいって,カンザス州というのは,ほんとに牧草地だけで,な~んもない所であった。

 2番目の写真は道路際の看板であるが,数字の書かれてあるのはガソリンの値段である。この時は,無鉛ガソリンが1ガロン(3.9リットル)あたり2.39ドル,ディーゼルが2.62ドルであった。
 RV車の多いアメリカは,日本と違ってディーゼルの方が安いというわけでない。また,この時,ガソリンは非常に安価で,1リットル65円程度であった。
 ガソリンの値段も,州によってずいぶんと違っていて,カリフォルニア州は高く,こうした「田舎」は安い。それにしても,数年前には1ガロン4ドル近くもして,そのころはハイブリッド車がもてはやされたのに,この値下がりぶりはどうであろうか。

 そうこうするうちに,ウィチタに近づいてきた。
 ウィチタ(Wichita)はカンザス州南部の中央にあって,州最大の都市,人口は約40万人である。航空産業が盛んで,ピザハットとメンソレータム発祥の地である。しかし,最も有名なのは,小説「オズの魔法使い」であろう。

  ・・・・・・
  「オズの魔法使い」(The Wonderful Wizard of Oz)は,ライマン・フランク・ボーム(Lyman Frank Baum)が,自ら子供たちに語ってきかせた物語を元にして,1900年に出版した児童文学作品である。「オズ」の名の由来は、ファイリング・キャビネットの「O-Z」を見て名づけたという説がある。
 アメリカ・カンザス州に暮らす少女ドロシー(Dorothy)は竜巻に家ごと巻き込まれて,飼い犬のトト(Toto)と共に不思議な「オズの国」(Land of Oz)へと飛ばされてしまう。途中で脳の無いカカシ,心の無いブリキの木こり,臆病なライオンと出会い,それぞれの願いを叶えてもらうため「エメラルドの都」(Emerald City)にいるという大魔法使いの「オズ」(Wizard of Oz)に会いに行く,という物語である。
 ミュージカル「ウィズ」(The Wiz )は1974年にブロードウェイで上演され、トニー賞7部門を受賞した。そして1978年に映画化された。また,「ウィケッド」 (Wicked)は,本作の前日談として作られたミュージカルで,2003年ににニューヨークで初演された。西の悪い魔女・エルファバと南のよい魔女・グリンダの知られざる友情を描いているもので,日本では,劇団四季によって2006年より上演されている。
  ・・・・・・

 とはいっても,この「オズの魔法使い」の生まれたウィチタには,この物語に関するものはない。
 あるとすれば,それは,この物語に出てくる竜巻なのである。…などと思いをはせながら走っていたら,突然,ものすごい雷雨になった。全く前が見えなくなった。こんな雷雨,日本で出会ったことはない。車のワイパーなど,まったく役に立たず,前方には何も見えなくなった。
 これはひとつ間違えれば死ぬ。私は「マジ」になった。

DSC_0576s2_ラブジョイ DSC_0610S7 DSC_0633st DSC_0638s5  10月になって,これまでの天気が一変して,毎日晴天が続いています。昨晩は,おまけに月明かりもなく好条件。雲ひとつない星空が一晩中見られそうだったので,星見に出かけました。 
 秋には,今晩のように,絶対安定して晴れる,という夜が時々あります。
 10月はくじら座の銀河を狙おうと先月書いたのですが,暗いながらも彗星がいくつか見られるので,まずそれを目標にすることにしました。とはいえ,すべて10等星以下なので,写すのに苦労することでしょう。

 平日なので,夕方は帰宅を急ぐ車が多く少し時間がかかります。しかし,町を出ると信号もなくなるので,アメリカをドライブするのと変わらなくなってきます。ただし,いつも書いているように,日本の道路は,必要でない表示が多すぎて疲れます。そのくせ,中央ラインの色も黄色だったり白色だったり,反対にガードレールが黄色に塗られていたりと大切なことがいい加減で錯覚しそうです。特に,深夜は非常にわかりづらいものです。
 ともかく,1時間あまりのドライブを楽しんで,満天の星空が見える場所に到着しました。まだ,午後8時すぎだというのに,すでに,天の川が美しく横たわっていました。

 まず,沈んでしまう西の空から。
 先月写して,もうこれで撮り納めだと思ったラブジョイ彗星(C/2014Q2 Lovejoy)を再び写すことができました=写真1番目。往年の輝きはすでになく,弱々しい光です。
 今晩は,もうひとつ。
 パンスターズ彗星(C/2014S2 PanSTARRS)が北極星に大接近中だということだったので,北極星と一緒に写しました=写真2番目。写真の右にある明るい星が北極星,左にある淡い天体が彗星です。

 ラブジョイ彗星も北極星に大接近したのですが,こちらも暗いとはいえ,それ以上の大接近でした。750ミリの望遠鏡の直焦点でも北極星と同じ視野に入れることができますから,北極星を写せば,自然に写ります。予報では11等星ということでしたが,もっと明るく,しかもかわいい尾も写っています。

 ラブジョイ彗星は発見したラブジョイさんの名前から付けられたものですが,パンスターズは,「パンスターズ・プロジェクト」という,アメリカ ハワイ大学天文学研究所が主体となって,太陽系小天体の探索等を目的として進められているプロジェクト(Pan-STARRS = Panoramic Survey Telescope And Rapid Response System)で見つかったもののうちのひとつです。
 多くの「パンスターズ彗星」があるのでまぎらわしいです。

 この晩は,ほかにも,西空に沈む前のいて座とやぎ座のメシエ天体,これらはほとんどが球状星団ですが,それらをいくつか写すことができました。
 写しはじめたら,ほかにもいくらでも写せてしまうので,時間がいくらあっても足りませんから,この晩は適当なところで切り上げて,また残りは来年ということにしました。秋以降に見ることができる星座にあるメシエ天体は,すでにみんな写してしまったので,残るはあと15個です。そのすべては,さそり座,いて座,へびつかい座,たて座という梅雨時に見られるものだけになりました。

 そうこうするうちに東の空には堂々とオリオン座が昇ってきました=写真3枚目。暑い夏もいつの間にか終わり,もう,こんな季節なのかと,びっくりします。そこで,今日は,75ミリの視野で写した横たわるオリオン座をご覧ください。しかし,西の空には,まだ,夏の大三角が君臨し,天頂にはM31,アンドロメダ大星雲を肉眼でも見ることができます=写真4番目。そして,寂しい南の空には,フォーマルハウトという1等星が輝いて,そこから上にはみずがめ座とくじら座の暗い星たちが並んでいます。
 こんなふうに,さまざまな季節のごっちゃ煮で面白い星空です。この時間の気温はまだ10月の初旬なのに7度でした。

 実は,この晩のもうひとつの目標は,あまりに美しい天の川を魚眼レンズで写すことにありました。ここ1年以上,ずっと望遠鏡の直焦点で天体を写してきたのですが,そうすると逆に,こういった写真を写したくなるものです。そこで,最後に,この晩に写した天の川の写真をご覧ください=写真5番目。 
 どこへ出かけても人だらけの観光地よりも,こうして星を見に行くことのほうがはるかに楽しいものです。近ごろは,星を見に行く女子「宙ガール」が増えたとか聞きますが,どうして,こんな素敵な宝物があるのに,人は自然を破壊して,意味のないネオンをつけてしまうのか,私には理解しがたいところです。

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星を見るのも大変だ-彗星発見プロジェクト②
星を見るのも大変だ-クリスマスの大彗星①

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DSC_1512 今年もMLB(アメリカ大リーグ)はレギュラーシーズンが終わり,いよいよポストシーズンがはじまりました。
 出場チームは,アメリカンリーグは,ニューヨーク・ヤンキース,ヒューストン・アストロズ,トロント・ブルージェイズ,カンザスシティ・ロイヤルズ,テキサス・レンジャーズです。そして,ナショナルリーグは,ニューヨーク・メッツ,セントルイス・カージナルス,ピッツバーグ・パイレーツ,シカゴ・カブス,ロサンゼルス・ドジャースです。
 今年は,これまで長年に渡って最下位の常連か順位の振るわなかったアストロズ,ブルージェイズ,レンジャーズ,メッツ,パイレーツ,カブスなどのチームがたくさん出場していて,そういう意味では興味が惹かれます。
 ロイヤルズだって,一昨年までは弱小チームでした。その反対に,このところずっと強豪だったデトロイト・タイガースなんて,今年は最下位でした。
 今年のチームでは,どう考えても,ロイヤルズ,カージナルス,ドジャースあたりが強そうですが,アストロズ,ブルージェイズ,パイレーツ,カブスあたりに,ぜひ,がんばってもらいたいものです。そして,アストロズ対カブス,アストロズ対パイレーツといったワールドシリーズが見たいです。そして,ツタの絡まるリグレーフィールドか,チームカラーの「黒」でスタンドが染まるピッツバーグ・PNCパークのワールドシリーズを楽しみたいものです。

 昨日も書きましたが,近頃のMLBは,新しいボールパークがたくさんできて,チケットが非常に高価になってしまい,かなり贅沢なスポーツに変貌してしまいました。足を運んでも敷居が高すぎて,逆に楽しくなくなってしまった部分もあります。
 日本のこれから建設しようとする新国立競技場よりも高価な建設費で作られたヤンキースタジアムなんて,外野席でも1万円くらいするので,一度は見たいと思って行ってみたのですが,気の進まないところです。私は,何事でも強いものや権威主義的なものが嫌いなのですが,ヤンキースなんて,その典型です。
 これもブログに書いたように,今年は最下位かもしれないと思っていたのに,それでもポストシーズンに出場。しかし,今のヤンキースは,監督がジョー・ジラルディで主力打者がアレックス・ロドリゲス選手というだけで見る気が失せます。これでは田中将大投手が気の毒です。監督がジョー・トーリで,デレク・ジータ選手がいたころの品格は,今は全くありません。 今年,カンザスシティでロイヤルス対ヤンキース戦を見たのですが,ゲーム前に多くの観客がサインをせがんでいるのに全く無視をする態度やらあの品のなさ。ファンサービスが全く感じられないこのチームには失望しました。ロイヤルズもまた,カンザスシティまで見にいって以来,ボールパーク全体が偉そうで応援する気の失せたチームです。試合前に内野席で選手の姿を見にいくだけで,余分にお金を取るのですから,救いようがありません。ボールパークの中のWifiも,値段の高い席しかつながりません。
 それに比べて,カブスは昨年デンバーで見ましたし,レンジャーズは今年シアトルで見ましたが,ビジターチームにもかかわらず,ゲーム前に大勢の選手が一生懸命ファンサービスをしていました。

 シカゴ・カブスは,1908年以来,世界一から遠ざかっているし,ヒューストン・アストロズは,球団が創設された1962年以来,1度も世界一になったこともないし,かつての名門ピッツバーグ・パイレーツは,1991年から20期連続勝率5割以下というチームです。これらのチームを応援せずじて,今年は語れません。
 特に,シカゴ・カブスには,「ヤギの呪い」(The Curse of the Billy Goat)が,あまりに有名です。

  ・・・・・・
 1945年10月6日,カブスはワールドシリーズでタイガースを相手に2勝1敗としていました。地元シカゴのバー「ビリー・ゴート・タバーン」(Billy Goat Tavern)のオーナーを勤めるビリー・サイアニス(William "Billy" Sianis)はマーフィーという名のヤギを飼っていて,マーフィーのチケットも買っていつも一緒にゲームを見にいっていました。この日もまた,そうしてでかけたのですが,カブスの関係者が今まで問題にしていなかったマーフィーの入場をその臭いを理由に断ったのです。これに激怒したビリーは「2度とカブスは勝利を得ることはないだろう」(The Cubs, they ain't gonna win no more.) と言い放って球場を後にしました。カブスはこの試合から3連敗を喫してワールドチャンピオンを逃すと,それ以降一度もワールドシリーズ出場を果たせないでいるのです。
  ・・・・・・

 幸い? 昨日ヤンキースが負けて,早々と今季が終了したので,私は,これからのポストシーズンは,どのチームが勝ってもこころおきなく応援できそうです。
 果たして,「ヤギの呪い」は解けるのでしょうか。さて,今日はパイレーツ対カブスです。

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「くたばれヤンキース」の頃が懐かしい-2015MLB開幕

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 MLB(アメリカ大リーグ)の公式戦が終わりました。いよいよリーグ優勝を決める過酷なトーナメントがはじまります。今年はこれまで最下位の常連だったチームがたくさん残っているので,意外な展開も予想されます。
 そこで,きょうは,左右非対称・天然芝・屋根がないかあっても開くという「モダン・クラシック・スタイル」と呼ばれるアメリカの最新型のボールパークの姿を写真と共に紹介しましょう。
 私はアメリカのボールパークを見慣れてしまったので,今さら何とも思わなくなってしまったのですが,きっと,初めて行った人は,日本との違いにびっくするのではないかと思います。

 1番目の写真は,ミネアポリスのターゲットフィールドで写したものです。
 ボールパークの周りにはたくさんのゲート(入口)がありますが,メジャーリーグのボールパークでは,メインゲートはバックネット裏ではなく内野と外野の境目であることが多く,また,この場所が広場になっています。
 ゲームの開始前にこの広場でバンドが演奏していたり,どこかの車メーカーが新型車の展示をしていたりすることもあります。
 プログラム売りのおじさんもいますし,やさしい年配の係員がいて,いろいとろおしゃべりもできますから,行かれる時は,あせって中に入らないで,まず,ボールパークを一周してから,ぜひ,メインゲートから入ることをお勧めします。
  ・・
 2番目の写真もターゲットフィールドですが,この写真はコンコースにある売店を写したものです。アメリカのボールパークは,ボールパークを1周することができる広いコンコースに,こうした売店がずらりと並んでいます。好きなものを選んで食べ歩きをするのも,また,楽しいものです。
 ボールパークごとに名物料理があるので,事前に調べておいて,そのお店を探すこともできますが,定番は,どこもたいていはホットドッグとピザです。また,私が行ったときは,クリーブランドやシアトルでは,寿司も売っていました。
  ・・
  3番目の写真はサンフランシスコのAT&Tパークの外野スタンドの裏手にある遊び場を写したものです。3塁側の内野と外野の間が広場になっているボールパークが多いのですが,そこには子供用の遊び場やミニグランドがあります。ここはゲームに飽きた子供にはうってつけの遊び場になっています。デトロイトでは,すべてがタイガーであるメリーゴーラウンドがあったりもします。
  ・・
 そして,4番目の写真は,サンフランシスコのAT&Tパークのレフト側の外野席のあたりを写したものです。 このボールパークでは,有機栽培した野菜の啓蒙活動をしているということで,このレストランでは,有機野菜を使ったメニューを食することができるのだそうです。
 私が行ったときには,アスバラガスを袋に入れてサービスに配っていたのでもらったのですが,アスパラガスなんて,それだけもらってもドレッシングもないのに食べられるものでもなく,困ってしまいました。せめて,ニンジンの方がよかったと,ただでもらっておきながら思ったことでした。

 このように,最新型のボールパークは,ベースボールを見るという目的以外に,というかむしろベースボールなどはどうでもよくて,日本の大型ショッピングセンターだと思ったほうがよいと思えるほどにアミューズメントパークが充実しているのです。 だから,行かれる方は,一番安価な座席のチケットを購入して,このアミューズメントパークを堪能されるのも,また,楽しいかと思います。
 と,楽しそうなことばかりを書いてきましたが,ここ十年ほど,新しくて豪華なボールパークがたくさんできた反面,ものすごくチケットが高くなって,しかも,気軽に選手にサインをねだる雰囲気がなくなりつつあって,以前のように気軽に行くことが出来る世界ではなくなってしまっているのが,私には残念でもあります。

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●こんな田舎の道路が有料?●
 カンザスシティ国際空港は町の北西にあって,私はその近くのホテルに宿泊していた。以前書いたことがあるが,カンザスシティはカンザス州とミズーリ州の境に位置している。
 カンザス州とミズーリ州は,北側はミズーリ川,南側はカンザス川が州の境になっていて,カンザスシティというのは,西側がカンザス州のカンザスシティで,東側がミズーリ州のカンザスシティであるから,まぎらわしい。そして,空港とダウンタウンのある広い方が,ミズーリ州のカンザスシティなのである。
 「カンザスシティ」というからカンザス州にある町だと思ってしまうが,そのほとんどの地域はミズーリ州なのである。
 だから,今朝の時点では,私は,ミズーリ州には来たことがあるが,カンザス州には足を踏み入れたことがないということになるのだった。

 この旅の一番の目的は,それを聞いた友人が「クレージー」だと表現したのだが,観光ではなく,目指す「アメリカ合衆国50州制覇」のために残った州のうちひとつでも多くの州に足を踏み入れることであった。
 今日は,心配していた竜巻の心配もなさそうだったから,予定通り反時計まわりに,まず,カンザス州に行くことにした。そして,とりあえずの目標は,カンザス州南部の中央に位置するウィチタという町にした。
 宿泊したホテルのある場所からは,西にインターステイツ70が走っている。
 このインターステイツ70は,この先どんどんと西に向かって走っていくと,昨年の夏に行ったデンバーにつながっている。今回は,インターステイツ70を少しだけ走ってミズーリ州の州境を越えて,カンザス州に入ったところにあるトピカという町まで行って,そこでインターステイツ335に乗り換えて南西に下り,途中のエンボーリアという町まで行く。その町でインターステイツ335は東からやってくるインターステイツ35と合流する。その後は,インターステイツ35でそのまま南西へ行くという進路をとることになる。
 ちなみに,335という番号の先頭の数字は下二けた「35」の支線であることを意味している。このように,アメリカのインターステイツは非常にわかりやすい番号のつけ方になっているのだ。

 カンザスシティの町を眼下にインターステイツ70を走っていくと,やがて橋を越えて,カンザス州のカンザスシティに入った。その途端に町の様子が変わって,さびれた雰囲気になった。
 そして,次第に家並みがなくなって,郊外に出た。
 やがてインターステイツ335に乗り換えたが,インターステイツ335には「ターンパイク」,つまり,有料道路という標示があった。私は,何だこりゃ,と思った。東海岸ならともかく,こんなアメリカのド真ん中の田舎で,ターンパイクとは何事だと思った。この時は何かの間違いではないかと思った。
 ところが,実際,ゲートがあって,日本のようにそこに通行券を発券する機械があった。カンザス州のインターステイツがターンパイクなどという情報はどこにもなかったから,私は本当に面食らった。地図にはそうした表記があるのだが,私はそれを確認していなかった。
 なにかしら狐につままれたような,そんな気持ちでそのまま走っていくと,そのうちあたりは人家が一軒もなく,360度牧草地になった。

 さすが有料道路であった。
 インターステイツ335は,アメリカのインターステイツらしからず,よく整備されていて,マイルマーカーの表示も,他の州のように単に数字が書かれているのではなく,写真のように細かな表記がしてあった。
 私は,カンザス州はインターステイツ335だけがターンパイクなのか,それとも,ほかのインターステイツも有料道路なのかすらわからなかったし,有料道路といっても,この先にあるジャンクションのすべてにゲートが設置されているとも思えず,どうやって料金を払うのかしらん,となんら知識をを持ち合わせていなかったこの時は,不思議に思ったのだった。

◇◇◇
Ichiro logs his first inning as a pitcher. 

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 N響の定期公演には,A,B,Cの三つのプログラムがあって,3月,7月,8月を除いた9か月にそれぞれ2日ずつ行われるのですが,そのプログラムの順番は特に決まっているものではありません。
 私はAプログラムのシーズン会員になったのですが,Aプログラムの9月の演奏会は26日で,10月は3日だったので,2週連続になりました。
 ということで,ブロムシュテッドさんの感動さめやらぬうちに,再び,NHKホールに足を運ぶことになりました。

 急に寒くなったのですが,そうなるとすぐに風邪をひく人がいるらしく,座席のあちらこちらで咳き込む音が聞こえてきて,音楽を聴くには受難の季節です。
 ここで登場するのが「アメちゃん」です。お年寄りの方はバッグからもぞもぞとこの「アメちゃん」を取り出すのですが,このとき,アメちゃんが1個ずつ袋に入っているのでうるさいのです。
 こういう時のための音がしない袋に入ったアメちゃんをコンサート会場で販売すると売れますよ!

 さて,演奏会です。
 この日の曲目はパーヴォ・ヤルヴィさん首席指揮者就任記念のマーラーの交響曲第2番「復活」1曲でした。
 これまでに,N響定期公演で随分とマーラーの交響曲の素晴らしい演奏を聴きましたが,「復活」をナマで聴くのははじめてでした。私がマーラーの交響曲で印象に残っているのは,ブロムシュテッドさんの第9番と広上淳一さの「大地の歌」です。特に第9番は,最後の楽章がとても静かに終わるので,よほどの集中力が必要ですが,この時は,会場が一体となって,最高でした。

 前回近くにいたおしゃベりオバさんたちは幸いなことに不在でしたが,代わりに多かったのが大学生の男の子たちでした。開演前の彼らのマニアックな会話もまた,若さを感じます。思えば私も高校生のとき「復活」をFM放送ではじめて聞いたのですが,そのときにはこの曲は長く難解で,聴き終えるのが苦行でした。
 私の少し前に小さな女の子が座っていましたが,彼女には無理です。連れてきた母親は若気の至りです。欧米では考えられません。
 座席はほぼ満員でしたが,幸い私の前と左横が空席という,願ってもない条件でした。実は,私の座席はC席の一番前で,ほとんど変わらないのに,ひとつ前の席はB席,この差が大きいのです。だから,売れ残ってしまったのでしょう。左横は定期会員さんなので,欠席ですね。

 開演時間になって,まず,合唱団の人たちが入場しました。合唱団は東京音楽大学。そして,続いて楽団員のみなさん。定期公演はこういうときに拍手はないのですが,一見さんが多いときだけばらぱらと拍手が起きます。この日は,ここで,コンサートマスターの篠崎さんが客席に向かってお辞儀をしたものだがら,盛大な拍手になりました。
 そして,ふたりのソリストとともに新しく首席指揮者になったパーヴォ・ヤルヴィさんの登場。
 もう,すでに,ここで,会場内は異常な盛り上がりになりました。
 ある団員さんによると,パーヴォ・ヤルヴィさんは同じ曲でもリハーサルやゲネプロ,そして本番と演奏するたびにテンポが違うらしいのですが,この日は,第1楽章は非常に遅く,それがまた緊張感を増して効果的でした。

 トランペットのバンダが2階席の外,つまりホールの外に陣取っていて,曲の途中でそこから奏でられると,客席ではトランペットの音が天上から聴こえる感じになって,会場全体が神々しい雰囲気に包まれました。
 やがて,第4楽章「原光」の独唱に続いて第5楽章のはじめの合唱「Aufersteh'n, ja aufersteh'n wirst du,」(よみがえる,よみがえるのだ)がはじまりました。合唱団は起立せず,座ったままの状態で厳かに歌い出されました。
 そして,ついに,この曲の最後の合唱「Aufersteh'n, ja aufersteh'n wirst du,」になって,独唱者と合唱団が立ち上がり,バンダのトランペット8人もステージにもどって,壮大な終曲となりました。

 私は,これまで,100回近くN響の定期公演を聴きましたが,これはその中でも最も素晴らしい演奏でした。まさに絶品,最高でした。
 自然と泣けてきました。
 曲が終わって,まだ指揮棒が降りていないのに,もう,だれも我慢ができなくなって,ものすごい拍手とブラボーの大歓声が起きました。何度も何度もコールに促されて,演奏者がステージに出てきました。そして,やっとお開きになりました。
 このとき,一度は拍手が鳴りやんて,多くのお客さんが帰リ始めたのですが,楽団員が去ったステージは合唱団の人たちの退場がはじまって,再び拍手が起きました。帰りかけの人たちが足を止めました。そして,それが,収まるどころか,だんだんと大きくなっていきました。

 私は,感動で,帰るに帰れなくなって,放心状態で,しばらく座席に座っていたのですが,同じように,帰れなくなったお客さんが,みんな,拍手をはじめたのです。合唱団の人が全てステージからいなくなっても,拍手が鳴りやまなくなりました。
 そして,ついに,もう一度,パーヴォ・ヤルヴィさんがステージに登場しました(5番目の写真)。
 これが,ナマでなければわからないこの日の演奏会のすべてです。
 これだけ好感をもって迎えられた指揮者もありますまい。N響は素晴らしい指揮者を得たものです。とにかく,この演奏会は絶品,神がかりでした。
 私は,前回,NHKホールを音の悪いホールと書きましたが,ここでなければできないコンサートというのもあるものだと知りました。この日の「復活」は,一生忘れないと思いました。

◇◇◇
N響名古屋定期公演-パーヴォ・ヤルヴィさんへの期待

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●ここは竜巻の故郷だった。●
☆2日目 5月10日(日)
 長い1日目が終わって2日目になった。
 いつものように時差ボケである。なるべく到着後の2,3日は車に乗りたくないのだが,今回は日程がきつくそうした余裕もなかったことと,前回書いたように,到着が遅くその日に車でホテルまで行ったので,やむをえなかった。今日は,無理をしない程度に先に進もうと思っていた。とはいえ,この旅の目的はひとつでも多くの州へ行くという矛盾したものであった。

 この日のホテルは私が泊まるランクのホテルにしては上々であった。ただし,朝食を除いては。
 朝食は,写真のように,マフィンがいくつか手に入っただけであった。ただし,果物はあった。アメリカのホテルの値段は部屋よりも,朝食で決まるようだということが最近わかった。つまり,ホテルの宿泊代というのは朝食にかける人件費のようなものだ。
 これからアメリカのホテルに宿泊される方は,朝食にひと手間必要な,たとえば,オムレツとか,そうしたものがあるホテルとそうでないホテルに注目してみると,ここで書いていることが実感できるであろう。
 ともかく,こんな中途半端な朝食なら,そんなサービスは不要で,マクドナルドで朝食をとった方が,むしろ,便利で安上がりである。ただし,この日の朝食(といえるかどうかすらわからないが)で手に入れたマフィンは,結果的にはこの日の夕食で役立つことになったのだった。

 朝6時30分にホテルをチェックアウトして,さっそく出発したのだが,この旅で最も心配なのは天気であった。
 ネブラスカ州,カンザス州,オクラホマ州というのは,竜巻が一番の観光名物のようなところである。そして,私には,そうした認識が足らなかった。竜巻の多発地帯ということは知っていたが,それは日本の台風のようなもので,夏から秋に発生すると思っていたのだが,実は,この時期こそ,竜巻が多発する季節なのであった。
 そうとも知らない私は,昨晩,テレビの天気予報をみて,愕然とした。
 このあたりは,先週まで,竜巻と大雨の被害でえらいことになっていた。そして,今日の写真のように,ホテルにドアに何気なく貼ってあったのが,異常気象に関する注意書きであった。

 到着後にやっとそのことに気づいた私は,天気次第で今後の予定をすべて入れ替えようと考えた。つまり,予定では今日の宿泊地であるカンザスシティから南下してオクラホマ州へ行き,反時計回りにケンタッキー州へ行くことにしていたが,逆に,東のケンタッキー州から時計回りに行こうと思った。
 朝,改めて天気予報を見たら,どうやら,この日から天気が好転するらしいことがわかったので,予定通り,南下することにした。なにせ,こんなところを観光旅行するなんていうことは,アメリカ人でも考えないそうだから(後日,アメリカ人の友人に話したら「クレイジー」だといわれた),当然日本では大した情報もない。出かけた人だってほとんどいないであろう。このように,50州制覇も楽なことではない。
  ・・
 そういえば,これを書いていて思い出したのだが,この旅の予定上の最終日に宿泊したカンザスシティ国際空港の近くのホテルは,新しく綺麗なホテルであったが,外から見てみると,どうやら竜巻で吹っ飛んだであろうと思われる痛々しい姿をさらけ出していたのだった。

 今週末もN響定期公演があるので,私は2週続けてNHKホールに足を運ぶことになります。
 わずか1週間といっても,この時期はテレビ番組の改編期です。NHKホールの隣にはNHK放送センターがあって,そこには見学コースもあり,番組のポスターも貼ってあるので,この時期にNHKホールに行くと,番組の改編期のことを思い出します。
  ・・
 朝ドラも,「まれ」から「あさが来た」に変わりました。「まれ」が不運だったのは,NHKBSプレミアムでは「あまちゃん」の次に放送されていたことです。だから,「あまちゃん」に比べられて,その結果「ジェネリックあまちゃん」といわれ,さらに,物語の展開があまりに軽率だったために「突っ込みどころ満載」と酷評されたことです。おまけに,主人公の土屋太鳳さんは,ケーキの食べ過ぎによる激太りまでささやかれ,散々でした。
 逆に幸運だったのは,「あまちゃん」と「こころ旅」に挟まれていたことです。このふたつの魅力的な番組にはさまれていたので,なんとなく見ていた,あるいはテレビがついていた人もたくさんいたのでしょう。これが大河ドラマとの違いです。


 私は,(太る前の)土屋太鳳さんが好みの顔のタイプで,しかも,「京都人の密かな愉しみ」の美しい常盤貴子さん,そして演技の上手な田中裕子さんが出演していたので,なんとなく最後まで見ちゃったのですが,輪島と三陸といった一見同じような海辺のお話で,そして,最終週でウェディングドレスがでてきちゃうところまで「あまちゃん」とほとんどそっくりでは…??? 気の毒を越えています。これをパロディといわずしてなんと表現するのでしょうか。
 正直いって,「まれ」は,以前「まれ」がはじまったときに私がブログに書いた,それだけの内容でした。
 突っ込みどころが満載であろうとなかろうと,結局のところ,脚本の底が浅すぎるので,これではどうにもならないのです。私は,この脚本を書いている女性の人生観やら人生経験やらが所詮それだけのものだから仕方がないのかなとずっと思っていました。
 このドラマの主人公の葛藤は,まさに,この脚本家の人生の葛藤そのもので,それ以上でもそれ以下でもないように思えました。そして,このテーマは,女性が有史以来ずっと延々と格闘してきたものだから,物語がそこになにがしかの深みや意外性があればいいのですが,この程度では,それがな~んにもない。しかも,そうした深みや意外性が,海の底まで深かったそして青かった「あまちゃん」と比べられてしまっては,もう,救いようもありません。

 大河ドラマもそうですが,ドラマの命は脚本です。そして,歴史ドラマが史実をめちゃくちゃに描いたり,朝ドラが登場人物の生きざまを矛盾だらけに描けば,それは,脚本が素人芸を出ていないのだから,目の肥えた人は酷評します。視聴者を甘く見てはいけないのです。
 だから,NHKがいかに宣伝しようと,力を入れようと,これでは出演する俳優さんが気の毒です。
 端的に言えば,「あまちゃん」は,登場人物がみんな個性的で,生きざまに筋が通っていて,かっこいいんです。あこがれるのです。しかも,物語に突拍子もないほどの非現実性と度をすぎるほどの明るさ,そして,なにより「やさしさ」,つまり,他人へのいたわりがあったのだから,天下無敵です。あきちゃんは決して世界など目指さないのです。地元に帰るのです。
 人生で最も大切なのは「知恵と夢と勇気」なのだから,これをテーマにして元気になるドラマでなければ,見ていて感動できません。

 さて,「あさが来た」ですが,水曜日まではおもしろかったのです。これは子役さんの功績です。しかし,木曜日の,あの,なさけない男どもと姑が出てきては,もう,私にはいけません。この流れは,これまでさんざんやってきた朝ドラの定番そのものです。だから,あとは,見なくてもわかっちゃいます。しかし,こうした流れは,多くの人の好みとするところだから,酷評はされますまい。私は好みませんが。
 それにしても,どうして,こうも,この国の人たちは,こうした「イジメ」と「イビリ」と「修行」ものが好きなんでしょう。「まれ」もそうでしたけれど,「この道一筋〇〇年」とか「気難しい親方のもとで叱られる(けどほんとは思いやりがある)」というのは,私がこの国の最も苦手で嫌いな世界です。こうしたことを美化するのはそろそろやめにしてもらいたいものです。
 物語ではそうであっても,実社会の上司の多くは,自分の身の保全と出世に精一杯で部下を思いやるような余裕もないし,人前で怒鳴ったり陰湿ないじめをする根元にはやさしさはありません。「仕込み」と称して,立場の弱い弟子に自分のやりたくないことをさせるのも同じです。こうしたこの国の陰湿さこそが,器が小さいくせに上昇志向だけが強い上司が部下にパワハラを働く一番の要因なのですから。私はそれを身をもって経験したから,断言します。

◇◇◇
「しない・させない・させられない」―彼が旅を続けるわけ
私は「高等遊民」になりたい③-「まれ」と「ゆめ」
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●やっとホテルに●
 今回の旅では,カンザスシティの到着が夜9時過ぎということだったので,空港の近くにホテルを予約して,到着後すぐにレンタカーを借りて,そこまで行くことにしていた。
 アメリカ旅行も直行便で行くことができる都会はいいのだが,国内線に乗り換えて目的地へ行くときは到着が遅くなるから,到着1日目だけはきちんと予定を立てておかないと大変なことになる。それに,はじめて行く空港は全く勝手がわからないから,到着してみないと,どういう状況なのか想像がつかない。ダウンタウンまでのアクセス方法やホテルの送迎なども,現地に着いてみないと分からないことが多い。
 経験上,何とかなるとは思っていても,やはり,今回もそのことが心配であったから,ともかく,到着後すぐにレンタカーを借りてホテルに行くことができるようにした。なにせ,深夜のアメリカである。甘く見てはいけない。

 レンタカーを借りるとき,レンタカー会社のカウンタが空港のターミナルにあって,しかも,そこに駐車場も併設されているという便利な場合と,空港からさらにシャトルバスに乗ってレンタカーの営業所へ行く必要がある場合があって,これも,着いてみなければわからない。
 私は,そんなことも知らなかったころに,ロサンゼルスでレンタカーを利用しようとして,いきなり困ってしまったことがあった。あのときは,空港から外に出たとたんに,どうすればいいのかわからなくなって恐怖感に襲われた。

 ほとんど人気のない空港は,売店なども,すでに,すべて閉まっていた。空港自体も狭く,アメリカの地方空港そのものであった。
 まず,カバンをピックアップした。バゲジクレイムにカーレンタルという表示があったので,その表示にしたがって歩いて行くと空港の外に出た。どうやら,カンザスシティの空港では,レンタカーの営業所までシャトルバスに乗る必要があるようだった。
 空港のまわりも真っ暗であった。

 わたしは,サウスダコタ州のラピッドシティの空港に夜遅く着いたときのことを思い出した。ラピッドシティに行ったときは,空港からダウンタウンまでいく方法が,到着するするまで不明であったが,なんとかダウンタウンまでのシャトルバスサービスを探して,乗り込んだ。バスに乗り合わせたのは歳をめした女性の数人のグループだった。彼女たちはバスの中にかかっていた音楽に合わせて陽気に歌を歌っていた。いい思い出だ。
  ・・
 カンザスシティの 空港の建物を出ると,そこにシャトルバスのピックアップエリアがあって,少し待っていると,大きなバスが来た。レンタカー会社ごとに別のシャトルバスが走っているところがほとんどだが,カンザスシティではターミナルから全てのレンタカー会社のカウンタに同じバスで行くらしいということを,ここで初めて知った。
 バスが出発した。数分して,全てのレンタカー会社の集まった大きなビルに到着した。
 こういうシステムは私にははじめての経験だった。
 閑散としたビルに入って正面にあったエスカレータを上がると,そこに様々なレンタカー会社のカウンタが並んでいた。
 私は,この旅に出発する前に,ハーツレンタカーのゴールドプラスリワードという会員になったので,次回からはカウンタを通さなくてもそのまま駐車場に行けるのだが,このときは,会員になってはじめてのチックアウト(レンタカーは借りるときをチェックアウト,返すときをチェックインという)だったので,カウンタで受付をする必要があった。
 一番奥にあった広いハーツのカウンタにはスタッフがひとりしかおらず,そこにはすでに先客がいた。私は少しでも早くホテルに行きたいのに,我が身の不幸を哀れんだ。
 先客はドイツ人の家族で,小さな子供をふたり連れていて,チャイルドシートやらなにやらとオプションがたくさん必要で,なかなか契約が終わらなかった。旦那さんが契約をしている間,その奥さんとおしゃべりをして時間をつぶした。
 随分と時間がかかったが,彼らの手続きが終わって,やっと私の番が来た。
 私はすでにインターネットですべて手続きを終えていたので,すぐにクルマを借りることができた。今回借りたクルマはGMで,カーナビがついていた。カーナビは各国語を選択できたが,日本語を選択すると,変な日本語を話した。彼女(カーナビのこと)の日本語を理解するのにずいぶんと時間がかかった。これなら英語の方がずっとわかりやすかった。
 予約したホテルは空港の近くだったので,出発してわずか数分でホテルに到着した。
 夜11時少し前,やっとホテルの部屋に入ることができた。ホテルの部屋にはキッチンまでついていて,泊まるだけにはもったいないくらい広かった。
 こうして,出発の2時間遅れからはじまった長い1日が終わった。

◇◇◇
2012アメリカ旅行記―ノースダコタ州を目指して⑤

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●深夜のカンザスシティ国際空港●
☆再び1日目 5月9日(土)
 すでに書いたように,日本からのフライトが2時間遅れたが,デトロイトでの待ち時間が少なくなっただけで,予定通り乗り換えて,午後9時過ぎにカンザスシティ国際空港に到着した。
 すでに夜遅く,空港は閑散としていた。
 私は,この旅で,初日から最終日までレンタカーを借りることにしていた。しかし,実際は,これもすでに書いたように,最終日に帰国ができず,デトロイトでもう1泊しなければならなくなった。

 アメリカを旅行するとき,大都市に滞在するのでない限り,車がないとどうにもならない。でなければ,どこにも行けない。アメリカを旅行することに躊躇する一番の理由はこの点であろう。
 レンタカーを借りて運転することは難しそうだが,実際は思った以上にはるかに簡単である。というより,個人で自由に旅行をすること自体が日本よりもずっと簡単なのである。
 たとえば,日本で,レンタカーで旅行をしようとする。このとき,レンタカー会社の営業時間は午前8時から午後8時までというところが多いから,それよりも早い時間に車を借りることができないし,返す時間よりも遅くなってしまうと,早朝まで保管しなくてはならない。レンタカーを借りると,今度は,一般道が混んでいるし,高速道路の通行料金が非常に高く,おまけにガソリンも高い。
 渋滞した高速道路を通って,やっと観光地に着いたら,事前に予約をしていないと,宿泊場所をさがすことも,また,大変である。今だ,地方には女性のひとり旅を嫌がる旅館もあるし,宿泊先に駐車場があるかどうかという問題もある。おまけに,食事をしようとすると,今度はクレジットカードが使えなかったりする。
  ・・
 多くの日本人は,こうしたことを当たり前だと思って生活しているが,考えてみれば,このように国内旅行をすること自体,多くの不便なことがある。

 私は,アメリカで旅行をする気楽さを知ってしまったから,日本国内を旅行すること自体が面倒で,それでも魅力のある京都と奈良くらいしか行く気がしない。
 しかし,京都なら鉄道の在来線で行くことができるが,奈良へ行くには,急行が廃止されてとても不便なところになってしまった。仕方がなく車で行くが,新名神と伊勢湾岸自動車道ができて,それまで走りやすかった東名阪自動車道は慢性的な渋滞道路になってしまった。道路ができると渋滞が増える… この国は何をやっていることか。
 一方,アメリカでは,そうしたストレスのほとんどが皆無であるといっていいのだ。
 レンタカーは,事前にネットで会員登録をしておけば,レンタカー会社のカウンタに行かなくても,直接レンタカー会社の駐車場に借りる車が置いてあるから,それに乗って出発すればいいし,インターステイツはおおよそ無料だし,たとえ有料であっても,数百円程度のものである。ガソリンは日本の半額以下であるし,インターステイツのジャンクションにはコンビニを併設したガソリンスタンドがあって,クレジットカードで支払いができる。レストランでもクレジットカードの使えない店など,めったにない。
 また,ホテルは,どこでもたいていは空室があるし,事前にネットで予約をすることもできる。
 左ハンドルに抵抗があるという人も多いが,これは10分もすれば慣れる。そして,道路が広く走りやすい。誰しもが間違えるのがワイパーとウィンカーだけれど, 私の場合,アメリカでは間違えないが,日本で間違えて,雨でもないのに突然ワイパーが動き出して恥ずかしい思いをすることがある。

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