しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

July 2016

空港の待合所に担当のクルーがいたので聞いてみると,そもそもデトロイトからオーランドまでの私のフライトが遅れた理由はセントレアからデトロイトまでのフライトを担当するパイロットのひとりが結膜炎になって途中のシアトルまでしか操縦できないからでクルーが全員シアトルで交代するためだけにシアトルに一旦降りむことになったというのが理由でした。クルーたちも夜中に起こされて変更を知ったけどシアトルからのことは未定だと言っていました。
それにしても変更になった次のフライトのオーランド到着が深夜の1時ではが遅すぎるので,昨日も書いたように,セントレアのチェックインカウンタで交渉してデトロイトからオーランド行きの直行最終便に変更してもらって到着の予定は夜の10時40分,これなら許せますが,デトロイト乗換えが1時間30分しかないということでした。
しかし,実際は,乗客が揃わないということでセントレアの出発が遅れ,シアトルの空港が混雑して降りられず旋回を繰り返し,さらにシアトルで乗り込むクルーの到着が遅れと,やっとデトロイトに到着したのは,次のオーランド便の出発の50分前でした。
急いで飛行機を降りキオスクという機械で入国手続きを済ませ,一度預けたカバンをピックアップして税関を通り再び預け直して,オーランド便の出発するデトロイトのゲートがあいにく一番遠いところだったのでターミナルの端まで歩きに歩き,なんとか乗り込んだのが出発の15分前でした。
所要わずか35分,こんなのプライオリティでしかも旅慣れていなければ間に合うもんじゃあありません。
そんなこんなで今回もまたフライトが遅れましたが,ともかく当初の予定から2時間遅れただけで,フロリダ州オーランドに降り立つことができたのでした。
家を出てから26時間,フロリダは遠いわ。

image
image
image
image

これを書いているのは7月27日水曜日,場所はセントレア・中部国際空港です。今日フロリダ州オーランドに出発します。
はじめの予定ではセントレア・中部国際空港からデトロイトへ行って,デトロイトからオーランド,オーランド到着は夜の9時頃の予定だったのですが,昨晩の遅くになって,セントレアからデトロイトまでの便がなんとシアトルで途中一旦降りるというように変更になりました。理由はわかりません。そこでデトロイト到着が3時間程度遅れることになりました。
そんなわけでデトロイトからの乗り換え便が間に合わなくなって,デトロイトからアトランタを経由してオーランドへ行くことになったので,なんとオーランド到着は深夜の1時なのでした。
スケジュール通りにはいかないと思ってはいたもののこれにはかなり驚きました。何せはじめに知らされたのはデトロイトからの乗り換え便の変更だけでした。しかも,セントレアからデトロイトまでのフライトが私のデルタのサイトから抹消されていたのです。
今回も行く前から大騒ぎです。
毎度のこととはいえ,毎度スケジュール通りにいったことがありません。ブログのネタには事欠きませんが。
果たして今回はどんな旅になるのやら。はじめっからこんなことでは先が思いやられます。
とりあえずお昼ごはんにセントレアでオリエンタルカレーを食べてからチェックインカウンタで交渉しました。その結果,アトランタ経由ではなくデトロイトからオーランド直行の到着時刻夜10時30分過ぎのフライトに変更になりました。しかし,デトロイトでの乗換え時間が1時間30分しかありません。果たして間に合うのでしょうか?
セントレアには本物のくまもんがお姉さんと来ていました。それを見てから「ピカチュウかくれんぼチュウ」というのをやりながら時間をつぶしています。
では行ってきます。

image
image
image
image
image

私は普段アメリカに出かけるのに,ほとんど何の下調べもしないで出かけます。「地球の歩き方」のアメリカ編だけを持っていくこともあれば,それさえ持って行かないこともあります。空港に着いてレンタカーを借りさえすれば,あとは駐車場の心配だけで問題なく旅行ができるからです。また,私の行くところはアメリカでも「ど田舎」に属する場所が多いので,行く前に調べようとしても情報があまりないのです。ところが着いてみると,どの町もすごくいろんな見どころがあるのです。たとえてみれば,アメリカ人が日本に来ていきなりどこかの小京都に行ったようなものです。
しかし今回の旅は,主にマイアミ,ワシントンDC,ボルチモア,フィラデルフィア,といった大都市で,しかも,ワシントンDC以外は行ったことがないので,これまでにしたことがないほどの下調べをしました。
このときすごく便利だったのが,Google Maps でした。本当に時代が変わったものです。行き先を入力すればどういう公共交通機関が使えるかまでたちどころに表示されます。
私は,今回の旅ではじめて行く場所以外の大都市はすでにほとんど行ったことがあるので,調べていくうちに,知らない町でも様子が頭のなかに描けるようになってしまいました。いってみれば,もう,出かける必要がないくらいなのです。
次第にわかってきたのは,マイアミ,ワシントンDC,ボルチモア,フィラデルフィアといった大都市の「都会のでき」の違いです。日本でも都会によって便利な町もあれば不便な町もあります。地下鉄の路線をはじめに作ったときにもう少しだけ「知恵」があればもっと便利だったと思わるときもよくあります。そこには歴史的な問題やある種の利権がそれを妨げていたことも数多くあります。
どの町にも共通するのは,公営バスの乗り方が旅行者には難しいということですが,これは運転手さんが親切なので乗ったときに聞けばなんとかなるでしょう。アメリカの大都市は日本に比べて鉄道の整備が遅れ,今頃になってそれぞれの町がそれぞの工夫で整備を始めました。たとえば,オレゴン州のポートランドでは市内は無料で利用できるとても便利な電車が走っています。ミネアポリスも町中電車でいけます。ニューヨークの地下鉄は東京みたいだし,ボストンは京都に昔あった路面電車みたいです。また,サンフランシスコのBARTは名古屋の地下鉄みたいでした。チケットも日本のスイカのようなものが導入されている都市もあれば昔ながらのところもあります。
今回行く場所では,ワシントンDCの地下鉄は最新式でとても便利そうですが,その反対に,フィラデルフィアは今だにチケットを買うのに現金が必要だとか「トークン」があるとか,まるで30年前のような感じです。きっとどこも一度利用すればすぐに慣れると思うのですが少し不安です,こうしたこともまた,旅に出かける醍醐味のひとつなのでしょう。

DSC_2884DSC_4975DSCN2896

7月27日(水),いよいよアメリカ合衆国50州制覇15泊17日の旅に出発します。
すでに書いたように,ハワイ州を50州目と決めていたのですが,この春に行ってしまったので,残るのはノースカロライナ州とサウスカロライナ州のふたつになりました。このふたつの州が残ってしまったのは,決してこのふたつの州が魅力がないということではなく,行きにくいところ,というのがその理由でした。
このふたつの州に行くにあたって,どういう行程にするかずいぶんと考えました。
初めはフロリダ州あたりからワシントンDCまで東海岸に沿ってドライブすれば1週間ほどで完了,と軽く考えていたのですが,これまでやりたいと思っていてできなかったことを全部詰め込むことにしたら,日程が膨らんでいってしまいました。また,後で細かい計画を立てれたよいことはすべて後回しにして,なるべく早く予約が必要なものを決めていくという方法をとっているので,そのために身動きが不自由になることもままあります。
今回も,フロリダ州オーランドから出発してペンシルベニア州フィラデルフィアから帰国する,というフライトだけを先に決めてずいぶんと早く予約をしてしまったために,ワシントンDCとフィラデルフィアを行ったり来たりする必要があるという苦労が生じました。
この地域は,調べれば調べるほど行きたいところが出てきます。日本でいえば,福岡から仙台まで太平洋岸を旅するようなものです。ともかく,やりたいと思っていたことを全部入れて,やっと旅の計画ができました。また,後日詳しく書きますが,とりあえず,きょうは,その概要だけを書いておきましょう。

  ・・・・・・
1 これまでに行っていないMLB4チームのボールパークにすべて行って,ゲームを観戦する。
4つのチームとは,フロリダ・マーリンズ,ワシントン・ナショナルズ,ボルチモア・オリオールズ,フィラデルフィア・フィリーズです。ゲームの日程を旅の行程に合わせるのに苦労しましたが,イチローを見るおまけがつきました。
2 実際に宇宙に行ったスペースシャトルを見る。
私は,ニューヨークで本物のスペースシャトル「エンタープライズ」を見たことがあります。しかし,「エンタープライス」は実験機であって,実際に最後まで現役であったのは「アトランティス」「ディスカバリー」「エンデバー」の3機で,これらは現在,ケネディ宇宙センターの見学者用施設,スミソニアン博物館の国立航空宇宙博物館別館,ロサンゼルスのカリフォルニア科学センターに展示されています。そのうちの2機を見てこようというものです。
3 映画「ロッキー」の像の前で写真をとる。
フィラデルフィア美術館前庭の72段の階段,いわゆる「ロッキー・ステップ」をロッキーのように駆け上がりポーズをとって写真を撮ろうというものです。また,ここにはロッキーの像が建てられています。
4 アーミッシュのふるさとを訪ねる。
アーミッシュの多くは,フィラデルフィア郊外のランカスターで暮らしています。アーミッシュは見世物ではありませんが,観光客用に展示施設などがあります。それを見てこようというものです。
  ・・・・・・
なお,今回,ワシントンDC,ボルチモア,フィラデルフィアといった都市は車でなく,公共交通機関を利用します。また,移動には,AmtrakとMegabusを利用します。それも楽しみのひとつですが,車と違ってこれもまた事前の下調べが大変でした。

DSCN3920

DSC_9919DSC_9911DSC_9997DSC_0026 DSC_0046

 昨日の続きです。
 1番目が三段目の琴鎌谷です。お相撲見物は,幕下以下の力士を見ながら有望力士を探すのがもっとも面白いのです。
 古くは大鵬,柏戸が納屋,富樫といった時代,貴乃花,若乃花が貴花田,若花田として入門したころ,そして,稀勢の里が萩原としてどんどんと番付を駆け上がったころ,などです。
 この日は,この琴鎌谷です。おじいちゃんが琴桜,お父さんが琴の若ですから,血統書つきです。来年の名古屋ではどこまで番付を上げているかが楽しみです。
  ・・
 2番目の写真は,力士の場所入り風景です。
 今十両の相撲が面白いので,今回それと時間が重なる幕内力士の場所入りを見る予定はありませんでしたが,偶然,宇良関の場所入りに遭遇しました。そこで写したのがこの写真です。
 1年少し前の大阪場所千秋楽の優勝決定戦で見て,このブログに将来の人気力士と書いたのですが,予想通り,大人気力士となりました。
 こうした小柄な力士の活躍に触発されて,この日も,幕下以下にも体の小さい力士が大きな力士に勝つような相撲がたくさん見られました。こうすれば対等に戦える,というお手本があるのが強みです。体の大きなお相撲さんばかりではつまりません。
 これからの相撲界が楽しみです。
  ・・
 3番目は幕内の土俵入りですが,土俵下の角,テレビカメラのとなりでマイクを持っているのがこの土俵入りのアナウンスを担当する行司さんです。この場所で放送していることは意外と知られていません。
 お相撲さんの名前だけでなく,出身地も暗記して放送しているのがすごいと思います。
 その昔はお相撲さんお名前だけを読み上げてどんどんと土俵に上がっていたのが,いつのころからか,こういう形に変わりました。
 これはお相撲の華ですね。
  ・・
 4番目は稀勢の里対豪栄道の大関対決で,懸賞の垂れ幕がたくさん土俵のまわりを回っているところです。
 かけられた懸賞が多く,2回転しました。ちなみに,横綱対決では3回転しました。
 懸賞も華ですが,多すぎると,立ち合いまでの盛り上がりが今ひとつになってしまうのが難点です。
  ・・
 この日,お相撲が終わってから,二所ノ関部屋の名古屋場所打ち上げに連れて行ってもらいました。
 それが5番目と6番目の写真です。
 某ホテルで行われたのですが,これは部屋によって様々な形があるそうです。名門二所ノ関部屋はこのような結婚式場で非常に豪華でした。
 私にははじめての経験でしたが,とても楽しい夜になりました。

 京都旅行も奥が深くて一度足を踏み入れるといくらでも深みにはまるのですが,大相撲もまた,同じように奥が深いものです。もう,こうなると,誰が勝つとか優勝するとか,そういう事とは別世界のものがあるわけで,これこそが,日本の「粋」の世界であって,こういう世界を知ってしまうと,安易に相撲を語ってはならないと思ってしまいます。
 相撲というのは実力社会で,誰でも強ければトップになれるから,封建社会のようであって,実は最も民主主義社会だったりします。

DSC_9905DSC_9906DSC_9907DSC_9908DSC_9909

 梅雨のころ名古屋にお相撲さんがやってきます。稽古部屋に見に行くと,雨の中をお相撲さんが稽古に取り組んでいる姿を思い出します。
 ということで,名古屋の夏の訪れを告げる大相撲が今年も行われて,千秋楽を見に行きました。
 昨年来,春の大阪,夏の名古屋,秋の九州,そして,再び春の大阪と見て,夏の名古屋がやってきました。東京場所以外はすべて見ていることになります。そして,大阪,九州に続いて,3度目の千秋楽の観戦でした。
 結果は私の予想通り,綱取りの稀勢の里は12勝3敗。わかりやすい力士です。ただし私の予想は12勝2敗で勝てば横綱というところで負ける,というものだったのですが…。まあ,結果は同じようなものでした。
 さて,そんな勝負の結果もテレビで見ているとすごく気になっても,実際に見に行くとけっこうどうでもよくて,それよりも雰囲気がいいのです。私はいつものとおり一番初めからの観戦でした。
 今日のブログは,そんなことよりも,楽屋裏の写真をご覧ください。

 まず1番目の写真ですが,これがテレビの放送席です。正面の一番上にあります。
 昔はこの放送席の前にマスコミのカメラマン席がもっとたくさんあって,ここに憧れの一眼レフに望遠レンズをつけたカメラマンがずらりと陣取っていましたが,今はそのほどんとは土俵の下にいるので,この席も1列だけになってしまいました。
 国技館だと1階席の後方に放送席があるので,地方場所の放送席はずっと後ろになります。
  ・・
 2番目の写真は西側の花道ですが,ここに呼び出しさんが大勢控えているのがお判りでしょう。その右横にいる相撲協会の服を着た人が行司さんと決まり手を決める親方です。この行司さんが交代で場内放送をしているわけです。
  ・・
 3番目の写真は向正面になります。この席がテレビの放送で,いわゆる向正面といって解説者とかゲストが座っている場所になります。たまにテレビに映るとその後ろに座った人がピースなんかをしています。
  ・・
 4番目の写真は正面の西端にあるラジオの放送席です。
 今はお相撲のチケットもなかなか手に入らなくなってしまいましたが,4,5年前はガラガラで,特に前半戦など,空席のほうが多いくらいでしたから,イス席のチケットしかないのに空いているマス席に座って見ることもできました。私は,このラジオの放送席のちょうど後ろに座ってずっと見たことがあります。
 その場所のよいのは,ラジオの放送席にはモニターがあるので,終わった取り組みをもう一度見ることができたことです。その日の解説者は舞の海さんで,終了後に握手をしていただきました。
 アナウンサーは実況をしてるのでマイクに向かって話しているはずなのですが,その声はまったく聞こえないのです。
  ・・
 そして,5番目の写真。
 これは放送とは全く関係ないのですが,マス席正面の最前1,2列です。
 お相撲を見るには,その前の溜り席は結構不自由で,飲食できないし本当は写真も写せません。みんな写していますが…。その点,このマス席は飲食もできるし,写真を写すこともできるし,この席が最も上席です。しかも,ここに座っていてもめったにテレビには映りません。この場所に一番初めからずらりと陣取って,常連さんたちが応援しています。いわゆる「スー女」とは違う昔からの女性ファンが多いのですが,この中に入る勇気は私にはありません。

DSC_0283DSC_0282ドレッシング

 アメリカという国は世界の中心であるかのような顔をしていますが,実は異端児です。それがもっとも現れるのが「単位」です。今は調べれたりアプリを使えは換算はできますが,会話をしているときなど,とっさに変換できないとやはり不便です。そこで,旅行をするときにアメリカで普通に使われる数値の単位を簡単に換算できるように私がやっている方法を書いてみます。

 まず,何はなくとも通貨ですが,これは誰でも知っているとおり「ドル」です。
 「1ドル=100円」なら換算しやすくて都合がよいのですが,今は,もう少し円安です。そんなことよりも,英語で話をしていて「日本ではいくらなの?」とかいう話題になったときに,それをドルで話すのがむずかしいのです。約「1万円=100ドル=1hundred dollar」「10万円=1,000ドル=1 thousand dollar」「1億円=100万ドル=1million dollar」と考えればいいのですが,頭で考えないととっさに出てこないのです。これは練習が必要です。
 日本の英会話の勉強で小さいときからこういうことをもっと練習して慣れるといいと思うのですが…。

 次は,ガソリンの単位「ガロン」です。この日本人になじみのない単位はガソリンスタンドですぐ換算できることが必要です。日本のガソリンスダンドでは1リットル○○円と標示してありますが,アメリカでは1ガロン○○ドル,となります。これがまったく値段の見当がつかないのです。それはガロンという単位がわからないことに加えて,通貨の価値が変動するからです。
 私のブログにもしばしば登場するこのガロンですが,正確には「1ガロン=3.785411784リットル 」です。しかしそれではわかりにくいので,約3.8リットルとしましょう。1ガロンがXドル,1ドル=Y円とすると,
  1リットル=X÷3.8 ドル=XY÷3.8円
となります。つまり,X=2.4(1ガロン2.4ドル),Y=110(1ドル110円)のときには,1リットル=約69円,となります。これでも面倒なので,私は「ガソリンスタンドに表示された数値を30倍する」くらいに思っています。正確にはそれよる若干安い程度です。実際,現在のアメリカのガソリン価格はこのくらいの値段です。

 その次が温度です。これもアメリカでは華氏(Fahrenheit),日本では摂氏(Celsius)です。華氏X度とすると,摂氏Y度は,
 Y=(X-32)×5÷9
になります。つまり,華氏100度は摂氏で約38度です。この換算を暗算でするのは大変です。
 私は「華氏32度=摂氏0度」から計算して,「華氏が18度増えるごとに摂氏が10度増える」として,華氏50度,68度,86度,104度を摂氏10度,20度,30度,40度と覚えてしまっていますが,もっと大雑把に,「華氏から30引いて2で割る」とでもしたほうが簡単でしょう。正確ではありませんが会話の中ではこれでほぼ見当がつきます。

 ではまとめます。
  ・・・・・・
●ガソリンスタンドに掲示された値段を30倍すれば,1リットルあたりのだいたいの値段(円)になる。
●華氏から30引いて2で割れば,だいたいの摂氏になる。  
  ・・・・・・
 この2つの単位の変換さえ知っていればほとんど困ることもありません。
 それ以外に必要なのは服のサイズや靴のサイズですが,あらかじめ自分のサイズを調べておいて,実際に買うときにはそれをもとに試着すればよいでしょう。

 単位ではないのですが,知っているとよいのがサラダのドレッシングの種類です。私は「フレンチ」(French)といってオーダーしていたのですが,今頃になって,私の発音が悪くて「フレンチ」ではなくて「ランチ」(Ranch)と聞こえていたらしいことに気づきました。どおりで,私の期待していたものが来ないはずです。これでその理由がわかりました。
 「フレンチ」は、アメリカ合衆国で生まれたサラダドレッシングで,ヴィネグレットに砂糖を加えた「白」とケチャップを加えた「赤」の2種類があります。また,「ランチ」はバターミルク,サワークリーム,ヨーグルト,マヨネーズ,みじん切りにしたエシャロット,ガーリックパウダーその他の調味料や香辛料から作られるものです。

DSCN0381DSCN2264DSCN5407

 アメリカを旅行するときはめったに現金を使うことがないのに,日本では現金がないと本当に不便です。
 それなのに,日本の紙幣は大きすぎるし金額によって大きさが違うから財布に入れにくいし,コインも大きく重すぎます。特に500円硬貨なんて尋常の大きさではありません。
 しかし,この国の人の多くは,クレジットカードが使えるところでも現金を使います。レジで会計に時間がかかります。私はどうしそんな面倒なことをしているのか理解できません。第一,現金なんて盗まれたとき一番危険ではないですか。
 そこで私は,日本でも何とかキャッシュレスで生活ができないかといろいろと工夫をするようになりました。今では,紙幣は数千円程度しか持ち歩いていませんし,硬貨は持って歩かなくなりました。高額紙幣を持つのはカードにお金をチャージするときだけです。そうすれば,普段は数枚のカードと現金数千円を入れただけの小さな財布でいいのでとても快適なのです。
 今日はそのお話です。

 本当はアメリカのようにクレジットカード1枚ですべてが事足りるというのが一番いいのですが,この国ではなかなかそうさせてはもらえません。特に近年はやたらとポイントカードというものができて,それをうまく使わないと財布の中はカードだらけになってしまいます。
 そこで私は,ともかくすべてのポイントカードを作って使ってみることにしました。そして,しばらく使ってみて,どのカードが便利かを考えてみることにしました。その結果,今持ちあるいているのは,クレジットカード(マスターカードが便利)1枚に加えて,スイカやトイカなどといわれる交通系のカードが1枚,それ以外には,nanacoカード,WAONカード,Tポイントカードだけになりました。この5枚さえあれば,おおよそどこでもキャッシュレスでなんとかなるのです(WAONカードの代わりにイオンカードかnanacoカードの代わりにセブンカードプラスあるいはクレジット機能付きTポイントカード,ビュースイカにすればクレジットカードも不要になるので4枚ですがクレジットカードは別にしたほうが散財しないので結局のところ便利だと私は思います)。

 なかでも一番使い勝手がよいのは交通系カードです。ビュースイカ以外は駅に行かないと現金のチャージできないという点だけが不満ですが。nanacoカード,WAONカード,Tポイントカードもチャージができるので,常に1万円程度チャージしておくと便利に使えます。余談ですが,ファミリーマートでは支払いをWAONカードにしてポイントだけをTポイントカードにすると,ふたつのカードにともにポイントがたまるという裏技も可能です。
 WAONカードはちょっとした手品の種です。アメリカと違って日本ではクレジットカードの使えないマクドナルドでも使えるのがこのWAONカードなのです。さらにWAONカードは吉野家でも使えたりします。
 なお,WAONカードとnanacoカードはイオン銀行とセブン銀行に口座を作れば,チャージすらキャッシュレスにできるのですが,私はまだそこまではやっていません。 

 この5枚のカードだけで十分なのですが,私はそれに加えて,近くにローソンがあるのでポンタカードも持っています。しかし,このポンタカードはローソンでポイントがたまることくらいしか使い道がないので,実際は必要ないのです。また,近くにアピタもあって,時々5パーセント割引セールということがあるので,仕方なくunicoカードも持っています。つまり,不本意ながら,私はこの2枚の余分なカードをもっていることになるので合計7枚になります。
 以前はRポイントカードも持っていましたが,別にサークルKへ行かなくても何の不便もありませんし,Rポイントカードが使えるのは(ネットショッピングの楽天は別として)ミスタードーナッツくらいのものです。しかし,近頃は一度見捨てたマクドナルドが復活しすっかり便利になって,割高なミスタードーナッツに行くこともなくなってしまったので,持つのをやめました。
 一時のポイントカード地獄も終焉をむかえつつあるように感じるこの頃です。単にポイントだけのカードを持っていても数百ポイント(つまり数百円)貯めるのに1年ほどかかります。だから,かさばるカードを持ち歩く手間から考えるとほとんど意味がないと思います。きっと将来はポイントだけのカードはなくなって,チャージ型のカードに集約されていくことでしょう。

 このようにして,キャッシュレスを実践しているのですが,唯一の問題は,うっかりコンビニもないチェーン店もないような「田舎」に行ってしまったときです。そうしたところに昔からあるようなうどん屋さんなんて,まずカードは使えません。残念ながらそれが日本の実態でが,一度本当に現金をもっていなくて苦労したことを今思い出しました。

 彗星や星雲や星団の写真を写すだけなら,真っ暗で満天の星空が見られるところまで出かけなくても家に帰ってからコンピュータ処理をすればある程度はなんとかなるので,日本でも「こんなもんだと諦める」ことで,星を写す趣味を楽しむことはできます。私は,そんなことをここ数年やってみて,40年も前には夢だったような星の写真をだれでも簡単に写すことができるということを知りました。
 これから先に進むには,小さな望遠鏡から一段レベルアップすることが必要になっていくのでしょう。しかし,私は歳を重ねた結果,そうした「追っかけ」の先にある「むなしさ」を痛いほど経験してしまいました。そして,「走る道路もないのに高級車に乗る」のと同じ「愚」が待ち構えていることも知ってしまいました。だから,所詮,満足に星も見られないこの国では,この楽しみも,このあたりで「こんなものだと諦めて」ことを終わらせるほうが身のためです。

 それよりも私は,道具など使わず「満天の星空」というものを見てみたくなりました。
 「高い山に登れば格別の星空が見られるよ」という話を聞きました。しかし,この国では,どれほどの山奥へ行ったところで,遠くに輝く都会の醜い灯りから逃げ切ることなど到底不可能なのです。名古屋から御岳が見えるということは空が暗いといわれる御岳から名古屋の光が見えるということです。
 だから私は,この国で「満天の星空」を追いかけることも諦めました。その代わりに,この春にはハワイ島マウナケア山の標高2,400メートルの1メートル先が暗くて見えないという場所で念願の「満天の星空」に出会い「夢だった「満天の星空」というのはこういうものだったんだ」という体験をしました。そしてまた,その数か月のちには,ワシントン州ノースカスケーズ国立公園で,全天にわたって雲以上に明るく帯のように横たわる天の川を見て「ああ,これこそが本当の天の川の姿なんだ」という体験をして,身震いをしました。
 それとともに「日本では,こういう星空は絶対に手に入らないんだなあ」と改めて失望しました。

 そんな程度のものしか手に入らないこの国なのに,天文雑誌の記事や天体現象のニュース,あるいは,全国にある公開天文台から発信される情報というのは,そうした日本の夜空の実情を知っているのにも関わらず現実に目をつぶって(つぶらざるをえず),だれもが満天の星空が見られるところに住んでいるかのような情報を発信しています。ニュースで時折取り上げられる天体現象など,実際にはそんなものが見られ場所などほとんどないのです。
 天文雑誌に載っているような美しい星空の写真は,かろうじて日本に残っている空の暗い場所を使用するためにお金を出して契約したり,あるいは,幸運にもそういうところに住んで星を趣味としている人と契約して載せているのだということを知りました。つまり,それらは一般の人たちには容易に手に入らない「虚構」なのです。
 それは,早朝,まだ一般客が来ないうちに撮影した紅葉まっさかりの京都を紹介する旅番組や,開館前に撮影した美術展の紹介番組と同じことで,一般の人がそう見えることを期待して実際にそこに行ってみたところで,あるのは人混みだけで何も見えやしなのです。

 要するに,我々は,実際にはありもしない「虚構」を真実と思って,それに代価を支払うということになってしまっているのです。そして,実際に手に入らないという現実を知ってしまったときに「あなたが手に入れることができのは所詮こんなものだと諦めなさい」といわれているのに過ぎないのです。
 それは,儲かるといわれて投資をして大損する素人投資家や,体によいというキャッチフレーズで要らないものをつかまされるある種の通信販売など,そうした巷にあふれた商法と同じ類の結果なのでしょうか。
 この国ではそんな夜空しか見ることができなくなってしまったことがとても残念です。私は,マウナケア山やノースカスケード国立公園で本当の「満天の星空」を見てしまったので,この国で「満天の星」を追いかけることが正真正銘「虚構」であるという事実を今更ながら再認識してしまいました。そして,そんな手に入らないものを追いかけることのむなしさを感じてしまいました。
 ああ,星ひとつ満足に見られる場所がないなんて,日本はなんてなさけない国なんでしょう。

DSC_0129s (2)

DSC_3505 (800x533) DSC_3508 (800x533) DSC_3512 (800x533)DSC_3521 (800x533) DSC_3523 (800x533)

●ツアーでないからできたこと●
 ケック望遠鏡を見おえて外に出ると,年配の男性と数人の若い女性が同じデザインの赤い厚手の防寒具を来て歩いていた。私は写真を写してもらおうと思って声をかけた。
 クールなアメリカ人の常で,彼らは精神的に余裕があるのでとてもフレンドリーで,すぐに仲良くなった。その男性はケック望遠鏡のコンピュータオペレーターで,女性たちは彼の知人でアメリカからこの望遠鏡を見に来たということであった。
 私も一緒に話を聞いてもいいというので,その男性から天文台の案内をしてもらうことができた。
 こんな奇遇があるのだろうか!

 マウナケアの山頂は冬にはかなりの積雪があって,ずいぶんと雪に埋もれるのだということであった。しかし,不思議なことに,この冬はまったく雪が降らなかったのだという。この時期にハワイのまわりにはもうクジラもいなくなったし,地球の気候変動は,こうした太平洋の島で顕著に現れているのに違いがない。
 私は毎度のこと不勉強でかつ登山の経験もほとんどないからマウナケアの山頂はいつも雲の上で晴れているものだと思っていたが,雲は上空10,000メートルでも湧くものだから,この日のように眼下に雲海が望まれて風もなく暖かだったというのは運がよかったに違いない。
 一昨日のように強風で山頂に登れなかったのもまた,偶然運が悪かっただけなのかもしれないし,今日のように何の問題もなく山頂が好天気だったりもするのも稀なことかもしれないから,本当のことはよくわからない。いずれにしても,ツアーで山頂に登れなかったばかりに,私はケック望遠鏡を見るという幸運に恵まれたのだった。
 山頂からは雲海の間に遠くオアフ島が望まれた。夜にはホノルルの夜景も見えるということであった。今や地球上で真っ暗な夜空が見られる場所なんてないのかもしれない。

 こうして念願のマウナケアの山頂に達したので,私はそろそろ帰ることにした。
 このような話をすると「高山病は大丈夫だった?」と聞かれるのだが,私には何ともなかった。
 今日の2番目の写真は山頂から少し降りた場所から見たマウナケア山,そして,3番目の写真がマウナケア山頂からビジターセンターに至る未舗装道路である。マウナケア山に登るにはこうした未舗装道路を延々と走る必要があるのだ。
 ハワイ島に行かれてツアーに参加しても,私のような天文台巡りはできないであろうし,個人で車をチャーターすると非常に高価だから,山頂に行かれるのなら,レンタカー会社で未舗装道路でも保険が利くかどうかを確認したうえで,4WDをレンタルされるのがよいと思われる。

 帰路,ビジターセンターですばる望遠鏡のマグカップを記念に買って,ホテルに戻ることになった。山頂にあるさまざまな天文台ごとにオフィシャルグッズがあった。マグカップも単に絵が描いてあるものから,すばる望遠鏡のもののようにお湯を入れると絵が浮き出るものまであったが,こうした付加価値をつけて値段が数倍をするというのもまた,日本らしいと思った。私には不要な付加価値であった。
 あれだけ山頂が快晴だったのに,地上に降りると州道200は完全な濃霧の中であった。むしろ州道200が濃霧であるときのほうが雲が低いから,山頂の天候がよいのかもしれないなあ,と思った。
 実は,この数日後に,私はもう一度,この山頂に登ることになるのだった。

DSC_3474 (1024x683)DSC_3464 (800x533)DSC_3466 (800x533) DSC_3467 (800x533)DSC_3470 (800x533)●「ケックⅠ」の魅力にはまった!●
 マウナケア山頂にあるケック天文台(Keck Observatory) は,世界最大の10メートル光学近赤外線望遠鏡ケックⅠ,ケックⅡの2基からなっていて,「DEEP計画」という 宇宙の大規模構造について探査を行うプロジェクトや,太陽系外地球型惑星発見に成果を上げている。
 この天文台は,アメリカの実業家であったウィリアム・マイロン・ケック(William Myron Keck)が1954年に創立したW・M・ケック財団から1億4,000万ドル以上の寄付を受けて建設された。運営はカリフォルニア天文学研究協会(California Association for Research in Astronomy)が行っている。
 天文台は,望遠鏡と観測装置・制御装置があるマウナケア山頂の施設とハワイ島ワイメアにある本部事務所からなる。

 ケックⅠは1993年,ケックⅡは1996年にファーストライトを迎えた。ともに有効口径は9.62メートルである。単一鏡での世界最大は日本のすばる望遠鏡の8.2メートルだが,こちらは,対角線1.8メートル,厚さ75ミリメートル,重さ400キログラムの正六角形の低膨張ガラスを36枚繋いで,有効口径を約10メートルとした主鏡を持っている。そのため,各ミラー間にはつなぎ目がある。各ミラーは補償光学装置によって支持されていて,補償光学制御では,0.1秒毎に各ミラーを支える支持装置を微調整し,重力によって各ミラーの位置が変わる事によって生じる主焦点系の変動を抑えることに寄与している。
 ケックⅠ,ケックⅡとも構造はまったく同じもので,ナスミス焦点系から導かれた光をドーム下にある施設内に設けられた光路を通り,施設内の干渉計室で光赤外干渉計(光赤外干渉実験)として観測も可能である。また,アメリカ航空宇宙局による光赤外干渉計計画では,ケックⅠ,ケックⅡの両望遠鏡とサテライト望遠鏡5つを組み合わせた大型光干渉計として機能させている。

 私は,ビジターセンターのなかに入っていった。
 ビジターセンターには数人の訪問者がいた。私はケック望遠鏡による成果が展示されたパネルを興味深く見た。国立天文台の岡山観測所の188センチメートル望遠鏡にも同じようなビジターセンターがあったが,きっとそれはこうしたアメリカの観測所を手本としたものであろう。
 すばる望遠鏡の敷居の高そうな,つまり,容易に見学のできない,いや,見学はできるのだが,実際はそこへアクセスするのに「やれるものならやってみろ」といったきわめて日本的に私が感じる敷居の高さと権威主義的な姿勢に比べて,いつもどこでもすべては情報を公開することから始まるというアメリカ全体に共通する明るく開放的な雰囲気にすっかりまいってしまい,私は,このケック天文台が大好きになった。
 ビジターセンターを出ると,そのとなりに扉があって,その扉の上には「観測室」と書かれてあった。そこにも自由に入ることができたので扉を開けてみると,なんと目の前にはガラス越しに巨大なケックⅠが存在していた。いかにも大学の研究室的な雑然した雰囲気が逆にアカデミックさ保っていて,私は感動した。そしてもう,すばる望遠鏡なんてどうでもよくなって,このケック望遠鏡を見ることができたことにすっかり満足したのだった。
 もし一昨日ツアーで山頂に登っていたら,この貴重な経験はできなかったことであろう。そしてまた,この望遠鏡を1枚の写真に収めることができる魚眼レンズを持ってきたことも幸運であった。

 前回「プリウス」と書きましたが,日本とアメリカでは車名が違っていて,単なる「プリウス」は「プリウス」ですが,日本の「プリウスα」はアメリカでは「プリウスV」,「プリウスPHV」は「プリウスPrime」,「アクア」は「プリウスC」といって,アメリカではそれらを「プリウス・ファミリー」と呼んでいます。日本は車名が多すぎるのです。
 燃費のよさを考慮しても,ガソリンの値段の安いアメリカでは車両の値段が高いことでハイブリッド車は日本のようには売れないのです。

 ところで,旅行をしていると,よく,カメラのシャッターを押してくださいと頼まれるのですが,手渡されるのが次第にカメラからスマホに変わりました。今では,そのすべてはスマホになって,カメラを持っている人などめったに見かけなくなりました。カメラを持っていると,むしろ恥ずかしいくらいです。
 スマホも iPhone6 までは画素数も性能もカメラには及ばない点が多々あったのですが,iPhone6S はカメラよりも性能がよいくらいです。私の読んだある記事には,特に動画の場合には,日本製のプロ用最高級一眼レフよりも iPhone6S のほうが画像がよいとまで書かれてありました。アメリカのジャーナリストのなかには,すでに,取材用の機材すら iPhone6S にしてしまった人もあるように聞きます。
 カメラ好きの私には残念な話ですが,プロのカメラマンでもそうなのですから,一般の人がカメラを持つ姿がなくなったのも当然のように思います。今や,デジタルカメラが開発されて一気にユーザーを増やしたころにデジカメを購入した人たちはすべてスマホに去っていって,フィルム時代にカメラを趣味にしていた昔からの愛好家だけが細々と生き残っている感じです。

 そこで,売れ行きの落ちたカメラメーカーは高級機種にターゲットを絞りはじめましたが,そうした愛好家のひとりだった私ですら,カメラには興味をなくしました。以前は毎月発売されるカメラ雑誌を楽しみにしていたのですが,もう,読む気すらなくなってしまいました。
 きっと私と同じような人も多いことでしょう。
 多くの交換レンズをそれぞれのメーカーが別々に販売していても,それを維持し続けることができるとはとても思えません。キヤノンは「カメラ部門が企業の他の部門の足を引っ張らないように」という消極的なコメントを出していますし,オリンパス,パナソニック,ソニー,リコー(ペンタックス)というようなメーカーは,本業はカメラではないから儲けがなくなれば撤退してしまうことでしょう。
 カメラが本業のニコンはかなり戸惑っているように見受けられます。そんな状況下なのに,この時期,コンパクトカメラ「COOLPIX」の新製品は熊本地震の影響で部品(CMOSセンサー)の調達ができず,万を持して発表した「DL」はソフトウェアの調整(「CP+2016」ではソフトウェアの不具合でカメラが動かなくなるという状況が頻発したらしい…)に手惑い,ともに発売が延期になりました。また,D3300は発売終了になったのに後継機種が出せず… と,このボーナス時期に一般ユーザー向けに売るものがない! これは,会社にとって死活問題だと思うのですが?!

 そんなわけで,残念ながら,カメラは要らず iPhone だけで事足りてしまう時代になってしまったようです。
 そしてまた iPhone に代表されるスマホにしても,相変わらずオリジナルなアイデアはなくてもまねがお家芸だった日本のメーカーは iPhone によく似たものを発売しているのですが,残念ながら,これも昔とは違って,そうしたものはすべて後追いの二流品であるとみなされ,iPhone が購入できない人が妥協して購入するものという地位をぬけることができません。
 今日では,日本製品は「まがいもの」とみなされる時代になってしまったのでしょうか? 私はそう思っていますが…。日本製品は機能が多すぎてごちゃごちゃしているだけで使いにくいのです。
 そんな時代になったのに,混雑する電車の中で未だに紙媒体の新聞を広げているような時代に乗り遅れた人たちや,スマホを手にしていてもそれが単にゲーム機になっているような人たちは,過去の価値観にしがみついているようです。しかし今や,学歴も地位も名誉も財産も,これまでのような値打ちはありません。
 そうした時代の変化が理解できない一部の教師は今でも昔のような進学指導をしているようですが,入試で点を取るだけのために膨大な時間を費やす無駄にはもはや意味はありません。そんな勉強を100年やっても英語ひとつ使いこなせるようにはなりません。所詮力のないものがメッキで学歴を手に入れても社会では通用しないし,本当に学歴がほしければ大学院へ行けばいいのです。
 そしてまた,今だ「メイドインジャパン」にブランド力があると思っていてもそれも過去のこと,値段が高ければそんなブランド力だけでは売れず,そしてまた,日本のかつてブランドであった大企業の多くが不祥事を起こしている姿はまさにそれを物語っています。
 本当に有能な若者は海外に目を向け起業し,彼らは学校では身につかない「英語とネットワークと iPhone を自由に使いこなして」世界に飛び出しています。肩書きではなく本当に力のある者だけが生き残れる時代なのです。

◇◇◇
いつか来た道①-カメラはどこへ向かっていくのだろう?IMG_0437

DSC_3445 (800x533)DSC_3446 (800x533)DSC_3489 (800x533)DSC_3448 (800x533)DSC_3449 (800x533)DSC_3450 (800x533) DSC_3497 (800x533) DSC_3487 (1024x683)

●ケック天文台のビジターセンター●
 では,山頂に登った私が写した写真をもとに,マウナケア山の天文台群を順にご覧いただきましょう。
 山頂まで道路を走っているときは全くこれらのドーム群は見られないのだが,山頂に着くと忽然と見えてきたのが1番目の写真のような4つのドームであった。これらは左から順に1.ハワイ大学24インチ=0.6メートル望遠鏡,2.イギリス赤外線望遠鏡,4.ジェミニ北望遠鏡,3.ハワイ大学88インチ=2.2メートル望遠鏡である。
 山頂の天文台群にたどりつくと道路が二股にわかれる。つまり周回するわけだ。そこには道路標示があったのだが,到着したとき,私にはこれらの天文台の位置関係が全くわからなかったので,とりあえずつねに右に進むことにした。写真ではわからないが,これらの天文台はそれぞれかなりの距離があって,山頂は広々としているのだった。
 私は右折をして進んでいったが,そこからさらにかなりの勾配を登ることになった。そして断崖絶壁のヘヤピンカーブ(かなりのスリルがあった)を過ぎると,2.イギリス赤外線望遠鏡に到着した。そこで,再び道路が2股に分かれていて,右へ行くと,3.ハワイ大学88インチ=2.2メートル望遠鏡,4.ジェミニ北望遠鏡,7.カナダ・フランス・ハワイ望遠鏡があってそこで行き止まりとなる。いわば周回道路の盲腸である。再びこの二股に戻って左へ行くと道路が周回して天文台群を1周することになる。

 私はここもとりあえず右折して,2番目の写真にある4.ジェミニ北望遠鏡に到着した。ここには広い駐車場があって眺めもよく,いよいよ眼下にはすばる望遠鏡のドームが見えてきて,私はずいぶんと感動した。その駐車場から反対側を眺めるとマウナケアの山頂とトレイルがあった。山頂がこういう配置になっているから,私がハワイ島に来てヒロからコナまで州道200を走ったときには7.カナダ・フランス・ハワイ望遠鏡のドームしか見られないのである。
 ジェミニ北望遠鏡のある場所から写したのが3番目から7番目の写真である。

 3番目の写真には,左から,7.カナダ・フランス・ハワイ望遠鏡,4.ジェミニ北望遠鏡,3.ハワイ大学88インチ=2.2メートル望遠鏡,2.イギリス赤外線望遠鏡,1.ハワイ大学24インチ=0.6メートル望遠鏡が見られる。そして,4番目の写真が9.すばる望遠鏡と10・12.W・M・ケック天文台のケック1,ケック2である。さらに,目を左に移すと,5番目の写真の,11.赤外線望遠鏡施設があり,さらに,6番目の写真のミリメートル・バレーとよばれるサブミリ波望遠鏡群の,5.カルテクサブミリ波天文台,6.ジェームズ・クラーク・マクスウェル望遠鏡,8.サブミリ波干渉計,そして,最後の7番目の写真の5.カルテクサブミリ波天文台があった。
 私は,これほど星空の美しい貴重な場所に,光学望遠鏡以外の施設がこれほどたくさんあることに驚いた。確かにサブミリ波にとってもこの環境は理想的なものであろうが,13基しか望遠鏡が設置できないのに,光学望遠鏡以外のものを設置するのは素人目には何かもったいない気がしたのである。
 これらの写真を写したジェミニ北望遠鏡のある場所には,別にふたりの若い女性が車で来ていたので,私は彼女たちに頼んですばる望遠鏡の前でポーズをとって記念写真を写してもらった。

 この先は道路が行き止まりだから,先ほどの二股を今度は左に進んでくことになった。
 すばる望遠鏡のある建物まで行ってみたかったのだ。
 すばる望遠鏡は事前に見学の予約をすれば見ることができるのだが,まさかここまで来ることができるとは思っていなかったから,予約などしていなかった。しかし,すばる望遠鏡のドームまで到着してそこに職員がいれば,頼み込んで見せてもらうことくらい何とかなるかしら,という淡い期待をもっていたのだった。
 実は来る前にネットで調べたときに,すばる望遠鏡の見学自体は無料なのだがここまで来る手段が大変なので断念したのだった。現地のマウナケア星空観望ツアーでもすばる望遠鏡見学と書かれたコースがあるにはあるのだが,車をチャーターしようと問い合わせてみると,チャーター料は1台120,000円だといわれた。
 夕日や朝日をみる一般向けのツアーが山頂まで行くにもかかわらず,同じ場所にあるはずのすばる望遠鏡を見に行くのにどうして別に車をチャーターしなくてはいけないのかが私にはよくわからなかった。しかし,実際に来てみてわかったのは,一般のツアーは単に山頂に登ってどこか広い場所に車を停めて夕日や朝日をみるだけのもので,私がこうして天文台のある道路を周回しているようなことなどしないのであった。
 
 私は再び,2.イギリス赤外線望遠鏡まで戻って,すばる望遠鏡にアクセスする道路に左折した。
 しかし,行くことのできたのは,10・12.W・M・ケック天文台の前の広い駐車場であった。その隣にあるのがすばる望遠鏡で,地図でみればその隣だから,ケック天文台から歩いてでも行けそうに思えるだろうが道もなくそこは通行止め。別に車が走れる迂回路があって,それがすばる望遠鏡へのアクセス道路で,そこからドームまで行くことができるのだが,マウナケア山頂の天文台群なかで,このすばる望遠鏡へのアクセス道路のわずか数百メートルだけが唯一の未舗装道路で,しかもかなりの急こう配であった。それが8番目の写真である。そして道路の入口にはきつく「この先4WD以外厳禁」と書かれてあったのだった。
 これは,この道路を作るのに予算を惜しんだのか,あるいは,一般客が登れないようにするための意地悪なのかは知らないが,私は,後者であると思っている。
 私はよほどここまで登ってきたFF車でこの道路も登ってみようとさんざん考えたのだが,「4WD以外厳禁」ときつく書かれた言葉に閉鎖的な日本を思い出した。これではたとえたどり着くことができたとしても頼み込むどころか叱られそうであった。
 私はここで,忘れかけていた日本らしき姿に嫌悪感を抱いたのだが,それが私の誤解なのかそれとも真実なのかはわからない。しかたがなので,とりあえずケック天文台の駐車場に車を停めて外に出た。ところが意外なことに,何事にも公開を旨とするアメリカらしく,ケック天文台には一般客用のビジターセンターがあったのだった。

naoj_tmt_6_1280x720 DSC_3457 (800x533)

●悲しくてやりきれなくなった。●
 私は,この憧れのマウナケア山の山頂に行ってみて,天体観測の目的で場所を探していて,こんな素晴らしい地を知ってしまったら,ほかの場所に観測施設を作る気にならないということがとてもよくわかった。だから,世界中の研究者がこの地に観測施設を作ろうとやってくるわけだ。それゆえ,日本も自国ではなく他国にこうした施設を作ろうとするのもよく理解できる。しかし,自分の家を離れて星を見に行くだけでも大変なのに,ましてや他国なのである。そこには多くの問題があるのも事実なのである。
 私は,地球上には人類がこうした研究をする場所は,もう他にはほとんど残っていないんだなあという現実を知って,マウナケアに行くことができた感動よりも,とても悲しくてやりきれなくなってきた。

 私が実際に見たマウナケアの天文台群については次回以降に書くとして,今日は国立天文台がマウナアに建設計画を進めている次世代望遠鏡TMT(=1番目の写真は国立天文台のホームページによる)について書いておこう。 
 国立天文台によると,TMT(Thirty Meter Telescope)は,日本のほか,アメリカ,カナダ,中国,インドの5か国の協力で,2024年の稼働開始を目指して建設計画が進められている口径30メートルの光学赤外線・次世代超大型天体望遠鏡である。
 口径8.2メートルすばる望遠鏡をはるかに凌ぐ高解像度と高感度を実現し,次のような成果が期待されている。
  ・・・・・・
1.太陽系外惑星に生命の存在を探る。
 太陽系外惑星に生命は存在するのか。TMTによって,その惑星の姿を直接とらえるとともに,惑星の反射光や惑星大気を透過してくる星の光を分析することによって生命の存在を探る。
2.宇宙の夜明けを解き明かす。
 宇宙で最初の星々からなる銀河を調べるために,TMTによる分光観測や補償光学を用いた高解像度観測により宇宙の夜明けの時を見るだけでなく理解することが可能となる。
3.ガンマ線バーストを起こす超新星から初代星に迫る。
 最も波長の短い光であるガンマ線が突然明るく輝く現象=ガンマ線バーストの多くは巨大な爆発エネルギーをもつ超新星による爆発現象である。宇宙初代に生まれた大質量星も最後に超新星爆発を起こしガンマ線バーストとして輝く。TMTはその爆発後に放たれる光を赤外線としてとらえ宇宙の初代星の正体に迫る。
  ・・・・・・

 マウナケア山はハワイの先住民にとって神が住む神聖な場所なのである。
 今から約15年前に13基を超える新たな天文台を建設しない取り決めが結ばれたのにもかかわらず,新たな望遠鏡TMTの建設がはじまったとして,環境保護活動家やハワイ先住民の活動家たちの反対運動が起きているのである。
 そうした反対運動とともに,手続き上の不備が加わって,現在,TMTの建設は中断している。私が行ったときも,建設予定地は更地のまま(=2番目の写真)であった。
  ・・
 国立天文台のホームページによると,「マウナケアにおける望遠鏡の台数は13基までとされていたのをないがしろにしてTMTの建設を計画したという点に関して,マウナケア山頂域(科学保護地区)の管理を行っているハワイ大学が1980年代に示した計画に望遠鏡台数を13基とすると記述されたことがあって,天文学者の間でも地元でもその制限があるという認識がある。新たな望遠鏡の建設に際して,ハワイ州はマウナケア山頂近くに各国の研究機関が建設した13基の天文台施設のうち4分の1を撤去するよう求めているが,TMT完成までには既存の機器のうちの3基の望遠鏡の撤去計画がハワイ大学から示されている」ということだ。
 また,「現在,ハワイ州最高裁判所から建設許可(建設のための保護地区利用許可)が無効になっているのだが,それはハワイ州土地天然資源委員会による手続きに不備があったため差し戻すというもので,建設計画そのものを否定する内容ではなく,適正な手順での手続きの準備を進めていてそれに基づいてTMTは再度保護地区利用許可を得る予定」だという。
 私は,問題が早期に解決されることを願う。

DSC_3454 (1024x683) DSC_3518 (800x533)map-maunakea

●ハワイ先住民の神聖な場所●
 マウナケアの天文台群(Mauna Kea Observatories)は,ハワイ島のマウナケア山の山頂周辺にある世界各国の天文学研究機関で,1960年代以降に州政府が土地を貸与する形で観測機器が建設され,現在,様々な国の政府機関の予算で運用されている。
 山頂の標高は4,205メートルだが,山頂から100メートルほど下ったあたりに13基の望遠鏡が存在している。資料によっては13基ではなく12基と書かれたものがあるが,それは下記にまとめた望遠鏡のうち13番目をカウントしないものである。
 マウナケア山の天文台群の一覧表もなかなか見つからないので,これからの旅行記がわかりやすいもになるために,今日は,マウナケア山のすべての望遠鏡について書いておこう。なお,番号は今日の2番目の写真に載っているものに合わせてある。

  ・・・・・・
1.ハワイ大学24インチ=0.6メートル望遠鏡(University of Hawai'i 24-inch telescope=UH24)
 山頂に登っていくとまずはじめに東側の尾根上に見えてくるもので,マウナケア山で一番小さく最も古い望遠鏡である。
2.イギリス赤外線望遠鏡(United Kingdom Infra-Red Telescope=UKIRT)
 赤外線望遠鏡で世界最大の口径 3.8メートルの望遠鏡である。東側の尾根にUH24とUH88(後述)との間に位置している。
3.ハワイ大学88インチ=2.2メートル望遠鏡(University of Hawai'i 88-inch Telescope=UH88)
 UH88は白いドームにくちばしの様な突起があるわかりやすい形をしている。
4.ジェミニ北望遠鏡(Gemini Observatory Northern)
 すばる望遠鏡(後述)の西側のもっとも大きい銀色のドームの中にあるアメリカ,イギリス,カナダ,チリ,オーストラリア,アルゼンチン,ブラジルの7か国で共同運用している口径8.1メートルの光学望遠鏡である。
 チリのアンデス山脈に同型の望遠鏡があり,こちらをジェミ二南望遠鏡という。
5.カルテクサブミリ波天文台(Caltech Submillimeter Observatory=CSO)
 カリフォルニア工科大学のもので,ケック望遠鏡(後述)と同じ六角形の反射鏡を組み合わせた直径10.4メートルのパラボラアンテナである。
6.ジェームズ・クラーク・マクスウェル望遠鏡(James Clerk Maxwell Telescope=JCMT)
 イギリス,カナダ,オランダによる共同運用で,白い円筒形に入った276 枚のアルミニウムパネルを合わせた直径15メートルの巨大なパラボラアンテナである。
7.カナダ・フランス・ハワイ望遠鏡(Canada-France-Hawaii Telescope=CFHT)
 ジェミニ望遠鏡の北側にある白い大型のドームにある口径3.6メートルの光学望遠鏡で,カナダ,フランス,ハワイ大学が共同して建てたもの。この望遠鏡で木星の61番目の衛星を発見した。
8.サブミリ波干渉計(Submillimeter Array=SMA)
 ハーバードのスミソニアン天体物理観測所と台湾の中央研究院天文及天文物理学研究所との共同運用する小さな8台の白いパラボラアンテナの集まりである。
 なお,5,6,8はサブミリ波望遠鏡である。サブミリ波望遠鏡とは電波望遠鏡の一種で,波長が1ミリから0.1ミリの電波を観測する。 マウナケア山頂には3つのサブミリ波望遠鏡が「ミリメートル・バレー」と呼ばれる中央の平らな部分に建てられている。
9.すばる望遠鏡(Subaru Telescope)
 日本の国立天文台が設置した口径8.2メートルの光学望遠鏡である。
10・12.W・M・ケック天文台望遠鏡(W. M. Keck Observatory)
 すばる望遠鏡のすぐ隣のふたつのドームにあり,すばる望遠鏡に近い方からケック1,ケック2である。六角形の反射鏡を蜂の巣のようにつなぎ合わせた口径10メートルの同型の反射望遠鏡が2台あって,カリフォルニア大学,カリフォルニア工科大学,NASAによって運用されている。
11.赤外線望遠鏡施設(Infrared Telescope Facility= IRTF)
 NASAとハワイ大学とが共同で運営している口径3メートルの赤外線望遠鏡で,マウナケア山頂北側の尾根の真ん中にひとつだけ離れて建っている。太陽系の観測が主な目的である。
13.超長基線アレイ受信機(Very Long Baseline Array=VLBA)
 南東方向に少し下がった所ある口径25メートルのパラボラアンテナで,アメリカ国立電波天文台が運用する超長基線干渉計。これはアメリカ全土に10台の巨大電波望遠鏡を分布させている観測プロジェクトのなかの1台である。「アレイ=干渉計」とは複数の望遠鏡のデータを一箇所に集めて高精度の観測を行う装置のことである。
  ・・・・・・  

DSC_3483 (2) (1024x683)

DSC_3440 (800x533)DSC_3442 (800x533)DSC_3444 (800x533)

●ついに山頂に到達●
 ビジターセンターが標高2,400メートルで,山頂が富士山より高い4,205メートル,1,800メートルを一気に登ることになる。未舗装道路ということはわかっていたが,それ以外はどうなっているもわからず,不安であった。
 果たして本当に登れるのだろうか?
 ビジターセンターを出て,走り始めると,道路はすぐに未舗装になった。とはいえ,日本人が想像するような狭い山道とは全く違い,今日の1番目の写真のような広い道路であった。ただし,かなり勾配があった。それがまあ,えらく長い距離なのだった。先を走っていたのがレインジャーの車であったし,道路の整備をする大きなトラクターのような車も走っていた。本当にこんなところを許可もなく走っていいのかしら,と思ったが,許可を取る場所もなかったし許可が必要とも書かれていなかった。しかし,未舗装道路ではレンタカーの保険は効かないので,なにか事が起きればえらいことなのである。

 本当に心配になるほどの距離を,それもかなりの勾配を,不安に駆られながらなんとか登っていくと,再び舗装道路になった。
 どうして途中だけが未舗装なのか?
 私には一般の人がむやみに登らないための意地悪としか思えない。私は,山頂の天文台を見たいばかりにこんな無謀な行動をしたのだが,マウナケア山の山頂へ行くということは,ツアーに参加する以外には,かくも大変なのである。
 舗装道路になっても,その先がまだまだ長く,山頂にある天文台のドームは山頂に着くまで全く見ることができないのであった。
 途中にマウナケア山の展望台があったのが,また,おかしなことであった。この展望台は誰のためにあるのだろうか? 夕日や朝日を見るツアーが駐車をするスペースなのであろうか?

 展望台で一度小休止をした。再び走り出してさらに登っていくと,やがて視界が開けて,ついに,ドームが姿を現した。
 こうして,私は,ついに,マウナケアの山頂に到達したのであった。

◇◇◇
Thank you for coming 140,000+ blog visitors.

 前回,ハブ空港について書きました。そこで調べていくと,実は,成田空港へ行くには東京都内よりも福岡市内の方が便利だという驚愕の事実が! つまり,市内の便利なところにある福岡空港から成田空港までは格安航空券で7,000円弱。空路で2時間もかかりませんから,福岡市民が東京都民よりもずっとアメリカに便利に行けるということなのです。
 ちなみに,名古屋市民はセントレアから成田空港まで格安路線がないので,安くても20,000円弱かかります。しかも名古屋市内からセントレアまでも1時間程度かかります。それでも空路で成田空港まで行きたいのなら,セントレアから福岡空港までは格安航空があるので,一度福岡に行ってそこから成田空港に行く方が安い! というとんでもないことになったりします。

 そんなことを調べてみて,私自身海外旅行の経験なんてわずか40年程度なのに,その間に航空路線というのはずいぶんと変化をしたものだ,と改めて気づきました。
 今から40年ほど前のこと。まだ海外旅行というのが人生イベントであったころは,できたばかりの成田空港から「日本航空」の国際線路線に乗って,パック旅行で海外に出かけるのが普通でした。そして,ヨーロッパやアメリカの東海岸へ行くにはアラスカ州のアンカレッジで一旦給油をしました。アンカレッジの空港にはうどん屋さんもありました。
 その後数十年たって,私は年に1度以上海外旅行をするようになったのですが,アメリカの航空会社にはノースウェスト航空というものがありましたし,名古屋からアメリカに行くのは今よりずっと便利で,カナディアン航空でバンクーバーへ行って,そこで乗り換えてシアトルへ,とか,ヴァリグ・ブラジル航空というのが就航していて,名古屋からロスアンゼルス経由でサンパウロまで行くという路線がありました。
 時代が新しくなって逆に不便になったというのも不思議なものです。

 その後,ノースウェスト航空はデルタ航空に吸収されたのですが,それでもはじめのうちは,サイパンから名古屋空港を経由して成田に行くという便があったので,成田までその便を利用することができました。それが今では,せっかくセントレアができたのに,アメリカに行くには西海岸へ行く便がなく,遠いデトロイトまで行かなくてはならなくなってしまいました。
 その昔は便利だったとはいえ,名古屋空港からアメリカへ行く便はいつも結構な空席がありました。だからそうした便の需要がそれほど必要だだったかといえば,実際はかなりの疑問符がつくわけで,その結果,効率重視の現在ではそのような路線がなくなったという事なのでしょう。現在,機内ががらがらなどというアメリカ便はなくて,いつもほぼ満席状態です。だからこそ,名古屋から成田までの安価な接続便がないというのは,とても不便なことなのです。

 結局,前回書いたように,日本という狭い視野ではなく,アジアという広い視点で考えて,それぞれの国の都市から成田でもソウルでもいいので,「アジアの巨大ハブ空港」までの路線が充実されて,ハブ空港から世界中に路線があるというのが最も便利なのです。
 しかし,そうした「合理的」な発想が理解できない人が多いのです。「合理的」な発想が理解できないという現実が不便さを生んでいるというのは,なにも航空路線だけのことではありません。何事も,20パーセントの不便さを受け入れれば80パーセントの利便性が生まれるのに,その20パーセントが受け入れられない近視眼的な人が非常に多いのが残念な話です。

 DSC_3885
 

DSC_3435 (800x533)DSC_3439 (800x533)DSC_3520 (800x533)

●ついに登頂開始!●
 前の晩ネットを見ていたら,マウナケアの山頂に登った体験談がいくつかあって,そのほとんどはツアーを利用したというものであったが,レンタカーで簡単に登れたというものがあった。しかも4WDでなくFFで大丈夫だと書かれてあった。私が参加したツアーガイドも,FFでも登れるができれば4WDのほうが… という言い方をしていた。
 私は,ツアーに参加したのに山頂に登れぬまま日本に帰るというのがどうしても許せなかった。来る前は,登れるまで毎日でもツアーに参加しようと思っていたのだが,また登れなかったら意味がないので,なんだか馬鹿らしくなった。登れなかったらお金を返せ,とまでは言わないが,次に参加するときは半額にするとか,そのくらいのことをしたほうが,ずっと参加者が増えるだろうに,と思った。

 そこで,私は,FFでも登れるという情報に気が大きくなって,こうなったら毎日,山頂までが閉鎖されていないのを確かめるためにビジターセンターまで行ってみようと思うようになった。そこで今日は,ホエールウオッチングのあとで行ってみるつもりだったのだが,ホエールウオッチングがキャンセルになったので,予定を変更してそのままマウナケアに向かうことにした。天気もよかったので,昨日のように山頂が強風でないことだけを祈っていた。
 例のごとく州道200を東に向かって1時間以上走って,やがて,マウナケア山へアクセスするマウナケア・ロードの入口まで来た。すでに勝手知ったる道路を今回はためらいなく左折した。この道路が今日の1番目と2番目の写真である。
 ちなみに,これを書きながら「地球の歩き方」のハワイ編Ⅱ2016年版を見ているのだが,この本のハワイ島の折り込み地図は古く,現在とは道が違うので注意が必要である。

 やがて,ビジターセンターまでやってきて,恐る恐る登り口を見たが,一昨日の閉鎖が夢のように,無防備に道路が続いているだけであった。それが今日の3番目の写真である。
 これで山頂まで登れる,と思ったらうれしくなってきた。
 で,一度ビジターセンターの駐車場に車を停めて外に出てみたが,思ったほど寒くもなく,私は,防寒具として持ってきたパラシュート地のウェアを着ただけで大丈夫であった。
 さあ,いよいよ登頂の開始である。

DSC_3412 (800x533)DSC_3415 (800x533)DSC_3420 (800x533)DSC_3425 (800x533)

●今年はすでにクジラがいない●
 ポロルバレーオーバールックからの帰り,ハプウベイに寄り,私は再び,カパアウの町まで戻ってきた。行きは州道270を海岸線に沿って北上してきたが,帰りはカバアウから南に山の中を通る州道250を南下してワイメアを経由して帰ることにした。
 私はこの時すでにこの旅でハワイ島の道路をすべて走ろうとしていたのだが,実際,それを実現することになった。

 ワイメア(Waimea)は,ヒロ,カイルアコナに続くハワイ島第3の町で,パーカーランチ(Parker Ranch)を中心に成り立つカーボーイカントリーである。町はこじんまりとして美しく,私にはハワイ島で一番好感度の高い町であった。
 パーカーランチというのは東京23区よりも広い面積をもつアメリカ屈指の大牧場で,1848年にジョン・パーマー・パーカーという人がハワイ各地に野生化したヤギや羊,牛を集めることを条件にカメハメハ大王から土地を譲り受けたのが始まりといわれている。

 カバアウからワイメアまでの州道250は,最北端まで来るときの海岸線とは全く異なる高原道路であった。まさに違うところにいったようなものだ。海岸道路が湘南海岸だとすれば,こちらは八ヶ岳高原であった。
 それにしても,四国の半分しかない広さのハワイ島なのに,場所によって気候は全く違うし,景色も異なるし,さらに,大草原があるかと思えば溶岩台地があったりと,これほど変化に富んだ島があるのだろうか?
 この島の主な産業は観光業だろう。
 ここに住んで,1年中世界中から来る観光客を相手に,ああでもないこうでもないと暮らしているのは,果たして楽しいのかそれともいろんな苦労があるのか,全く私には実感がわかないが,いずれにしても,早朝に起きて満員電車に揺られ,残業して… という多くの日本人の生活とは全く違うものであることだけは間違いがない。

 私は,ワイメアのバーガーキングで適当にランチをとって,ホェールウォッチングの集合場所に向かうことにした。しかし,到着してもそのツアーに参加するような観光客はひとりもいなかった。
 開店間もない土産物屋兼事務所「BITE ME」に入ると,ひとりの女性が店番をしていた。彼女に聞いてみると,なんと,ホェールウォッチングはキャンセルだという。なんでも,今年はすでにクジラがいないということだ。例年だと,この時にはまだ大丈夫なのらしいのだが,今年はおかしい,という話であった。見られないものは仕方がないが,楽しみにしていただけにがっかりした。
 私は,今回はクジラを見るのをあきらめて,ともかく,マウナケア山に行ってみることにしたのだった。

DSCN4982DSCN2210DSCN0560DSC_2065DSC_0019

 私はアメリカに行くとき,デトロイトを経由するときはセントレア・中部国際空港を使いますが,それ以外は成田国際空港から出発します。というか,そういう便しかないのです。
 「日本人の知恵と発想の限界」は,こうした空港建設に典型的に表れていて,アメリカへ行くにも東京に住んでいない人にはものすごく不便なのです。それは世界では常識である「ハブ空港」という概念が希薄だからです。様々な都市から海外に直行便を出そうという,ハブ空港の考え方とは正反対な政策で空港建設を行ってきたその結果,逆にこのような不便さを生じているのです。
 本来,日本のような狭い国では,海外に飛び立つ国際空港は「成田」だけ,あるいは「成田」と「関空」だけで十分で,それ以外の地方の空港はアクセスの便利なところにコンパクトに建設して,国内路線の充実とそこからハブ空港へ行くための便を充実させればよいのです。

 セントレア・中部国際空港は,建設する前に使われていた名古屋空港に比べて,名古屋からのアクセスが必ずしも便利ではありません。確かに名鉄電車1本で行けるといえば聞こえはいいのですが,朝のラッシュ時間には途中の駅に停車する電車を優先的に走らせる必要があるので,空港までのノンストップ特急は無論のこと,座席指定専用車両を走らせる余裕もなく,通勤・通学で混み合う車内に大きなバッグを持ち込まないと行くことができないという状況になっています。それでもまだ正常に走っているときはよいのですが,結構な割合で事故や故障で運休や遅延になってしまうことがあるのです。これでは安心して時間を計算して空港まで行けないので,ずいぶんと時間の余裕をもって家を出る必要があるのです。
 そんな巨額な空港の建設費があるのなら,新しい空港など作らずとも,小牧にある名古屋空港まで名古屋市内から直通の地下鉄を建設したほうがずっと便利だったのです。そして,名古屋空港から成田までの直行便を安価に飛ばせば,1時間ほどで成田空港まで行くことができてそこから世界中にアクセスできたのです。そのほうがどれだけ便利だったかわかりません。
 地方空港としてもっとも理想的なのは福岡空港です。福岡空港は福岡の都心まで地下鉄で数十分という場所にあってとても便利であり,しかも,福岡-成田便は7,000円以下であります。したがって,名古屋市内からセントレアまで行って格安航空便すらないセントレアから成田に行くのに比べて,福岡市内から成田へ行くほうが早くて安いのです!

 この国は,いかに能力や見識のある人がいても,それまでの既得権やら利権がからみ,さらに,現実をよくわかっていない議員や有力者が横槍を入れてバカげたインフラの構築を主張するするから,このようになってしまうのでしょう。こうしたことは別に空港だけの話ではありません。ほかの様々なことも同じような成り立ちで作られていくのです。
 地方から成田までの直行便が充実したとしても,今度は成田空港が東京都心から遠すぎるので,東京に住んでいる人には依然として不便です。そこで国は再び羽田からの国際線を増やしはじめました。そんなことならはじめっから成田など作らずとも羽田を拡張しておけばよかったのですが,それが今ごろになって方針を転換したので,今度は羽田と成田の2本建てで,混乱に拍車をかけているのです。
 さらにまた,日本人には,日本が海外から見るとアジアの一部であるという認識も希薄です。海外から見れば,成田は日本のハブ空港というよりもアジアのハブ空港という位置づけだから,成田からアメリカに行く便の乗客の多くは,フィリピンやベトナムなどの東南アジアからの乗り換え客です。そうしたときに問題なのは,乗り換えの長い時間を過ごすにしては,空港の設備自体が貧弱でありすぎることです。

 ここで私が書いているようなことは,ツアー旅行で一生に一度海外旅行をするような人には関係がないことでしょうし,国が何をしているのかなんて全く興味がないかもしれません。しかし,この国で上に立つ人までも,その多くはそうした人と同じ認識でしかないから,こういう事態になってしまうのです。巨額の税金を使って海外視察に行く人たちは,いったい何を視察してくるのでしょうか。日本は世界からどんどんと遅れてしまっているのに,そんな危機感すらまったく持ち合わせていないのです。そして今度はリニア新幹線です。
 私は,こうした空港行政ひとつを考えてみても「日本人の知恵と発想の限界」をしみじみと感じます。本当に何をしているんでしょう。

DSC_3395 (800x533)DSC_3396 (800x533)DSC_3402 (800x533)DSC_3405 (800x533)

●カメハメハ王朝とハワイ●
 ポロルバレーオーバールックへ来る途中にハプウベイ(Hapu'u Bay)と書かれた道路標示があって気になっていたので,私は,ポロルバレーオーバールックからの帰りに,その海岸に寄り道をすることにした。それが今日の写真の場所である。
 ここに行くには狭い道路を走り,最後にかなりの急坂を降る必要があったが,降りてみたら,そこには美しい海岸が広がっていた。
 実に素晴らしいところであった。車が1台っきり停まっていた。海岸には,その車に乗ってきたであろう人がひとりだけいた。私も車から降りて,海岸を見とれていた。さすがに,先ほどポロルバレーオーバールックにいた日本人のツアー客もここまでは来ないだろうと思って,私は得意になっていた。しかし,今考えてみると,私は,この海岸からすぐのところにあるはずのカメハメハ大王像を見落としていたのだった。きっと彼らはその像を見に行ったに違いがなかった。

 カメハメハ大王像は,オアフ島ホノルルのハワイ旧裁判所前にあるものが有名なのだそうだが,オリジナルはこちらのほうである。
 実はカメハメハ大王像は1880年代にパリで製作されたのだが,ハワイへ輸送する途中で船が沈没して海の藻屑となってしまった。そこで改めて制作されたのが現在ホノルルにあるもので,後に海から引き上げられたのが,こちらの像だという。
 なお,カメハメハ大王像は,もう一体ハワイ島のヒロにもある。
 その有名な「カメハメハ大王」というのはカメハメハ1世(Kamehameha I)のことで,ハワイ諸島を初めて統一して1810年にハワイ王国を建国し初代国王となった人物である。

  ・・・・・・
 カメハメハ1世は,この銅像のあるハワイ島カパアウでハワイ島の首長であったカラニオプウの甥として生まれた。叔父の死後,その長男のキワラオを倒して島内を掌握するとイギリスから武器や軍事顧問などの援助を受けて,マウイ島やオアフ島など周辺の島々を征服していった。そして,18世紀末までにはカウアイ島,ニイハウ島を除く全地域を支配下におさめ,1810年にはこの2島も服属して国家統一を成し遂げた。
 ハワイ王朝はその後カメハメハ2世,3世,4世,5世と続いた。カメハメハ5世は王女パウアヒを呼び出して王冠を託したが,彼女にはすでに家庭があったので即位を拒否,カメハメハ5世は代わりの後継者を指名する前に崩御してしまった。
 そこで,カメハメハ5世の死後,ハワイ王国の司法府は国王選挙の実施を宣言し,1873年に議会の選挙でルナリロが国王に選ばれた。しかし,ルナリロは後継者を指名せず即位から1年後に肺結核で崩御したため,ハワイ王国の司法府は再び国王選挙を実施し,その結果,1874年にカラカウアが国王に選ばれた。そのカラカウアは妹のリリウオカラニを後継者に指名した後1891年に崩御したので,リリウオカラニはハワイ女王として即位し,同時に末妹リケリケの長女カイウラニの立太子が行われた。
  ・・
 1887年のクーデターでカラカウアは修正憲法の成立を承認せざるを得なくなったことで国王の権限は制限されて政治力を失い,白人農場主らを中心とする共和派が王国の実権を手にした。
 1893年,アメリカ合衆国と関連の深いサトウキビを扱う業者らが親米的な政権を打ち立てるために政権の転覆を計画し,リリウオカラニは幽閉状態となり,ハワイ臨時政府を打ち立てられ王政の廃止が宣言された。
 やがて,ハワイはアメリカ合衆国に併合されて,1898年にはアメリカ合衆国領への編入が宣言され,ここに王国の歴史は幕を閉じたのだった。1959年8月21日には完全なアメリカ合衆国領としてハワイ州が成立し,アメリカ合衆国50番目の州として認知された。
  ・・・・・・

升田幸三

 今月号(2016年8月号)の雑誌「将棋世界」の記事「イメージと読みの将棋観・Ⅱ」」に「53歳の升田名人は誕生していたか?」というテーマがありました。私はそれを読んでとても懐かしくなりました。
 話題になっているのは第30期将棋名人戦のことですから,それは1971年(昭和46年),今から45年も前のことになります。昨日のことのようなのに,もうそんなに年月が経ってしまったのです。
 今の若い人には「大山・升田」の名人戦など伝説の出来事でしょうが,私はこの「大山・升田」の最後の名人戦の新聞記事をその日に味わうのにぎりぎり間に合いました。

 今日では将棋など人がコンピュータに勝つか負けるかくらいしか話題にならなくなりました。
 簡単にいうと面白くないのです。
 そもそも将棋というのは中盤のねじり合いが一番面白いのに,現代の将棋はほとんどの指し手が体系化されて,一部の熱狂的なマニアとプロ以外にはまるで量子力学の講義を聞くような難解なものになってしまいました。しかも,棋士も勝負師ではなく学者のようになってしまったから,そこには人間ドラマが介入しないので,これでは素人が見て楽しむものではありません。
 スポーツを楽しむようなわくわく感などまるでないのです。

 私が最高に面白かった将棋名人戦はこの第30期とその次の中原名人が誕生した「大山・中原」の第31期名人戦ですが,中でも「升田式石田流」が話題になった第30期は最高でした。
 3勝3敗で迎えたその第7局,升田九段が中盤の最後に,もし「ある手」を指していれば勝ったかもしれない,というのがこの記事の内容なのです。 
 そのときの私は升田幸三・生涯最後の名人挑戦が敗北に終わったことがものすごく残念だったのですが,しかし,今となって思うに,負けたが故にその後の数年間,順位戦での升田九段の対局が楽しめたのだし,翌年の「大山・中原」の名人交代劇が味わえたのだから,それはそれでよかったのでしょう。

 それにしても,将棋の対局にあれだけ一喜一憂できたあのころは,本当に素敵な時代でした。
 当時の升田幸三53歳,今の私よりもずっと若いのですが,とてもそうは思えません。今の棋士にこの写真のような殺気だった迫力が感じられるでしょうか。
 この時代と升田幸三という偉大な勝負師の人生を思うと,私は,人が生きるということの素晴らしさとそしてはかなさを改めて感じてしまいます。

では,今日は今回の「旅行LIVE」の最後として,MLBの写真をご覧ください。
今回で3回目のセイフコ・フィールドでの観戦となりましたが,ここは私の行ったMLB30球場のうちの26球場の中でも,特にすばらしいところです。なんといっても便利である,ということと屋根があるので中止にならない,というのが旅行者にとってはメリットです。そしてまたチケットが買いやすい(=あまり人気がない)という点もあります。
便利といえば,ミネソタ・ツインズのターゲット・フィールドやコロラド・ロッキーズのクワーズ・フィールドも挙げられます。ともにそれほど強いチームでないので,逆に親切で,楽しく観戦ができますから,日本から一度MLBを見てみたい,というときはお勧めです。しかし,ともに屋根がないので,雨天延期を覚悟する必要があります。アメリカでは雨の場合は払い戻しでなく延期された日にそのチケットが有効,ということになるので,短期滞在者にとって,雨は困った事態になります。
セイフコ・フィールドには球団のお勧めするパーキングが3か所あって,近いところから値段に差があります。一番近いのが球場から道路を隔てた反対側のビルで前回来たときはそこに停めました。私は様子がわかったので,今回は最も安いところを利用しましたが,それでも10分も歩けば球場に行くことができます。
ナイトゲームでは終了時刻を考えて行動をする必要があることは頭に入れておかなければなりません。また,終了まで観戦すると,ずいぶんと混雑してなかなか駐車場から車が出せなくなることもあります。アメリカでは駐車の際は頭から停めるのが一般的ですが,こうした混雑する場合は日本のようにバックで停めた方が安全です。また,終了後は球場付近の道路が通行止めになるので,それも考慮したほうがよい場合があります。私の停めた駐車場からは,試合終了後,南の球場の周りは通行止めになりましたが,私は駐車場を出てすぐに反対側に右折していったん北側のダウンタウン方向に進み,3ブロック先の交差点を右折することで渋滞にも巻き込まれずそのままインターステイツ5に入ることができました。
こうした情報はどこにも書いてありません。
私が今回駐車した場所はいつも定額の10ドルだったのですが,その隣に民間の駐車場があって,そこは混雑するときとそうでないときは値段が違うという話で,10ドルから40ドルまで変動するそうです。この日は10ドルだったので,それを見て「今日は空いているよ」と判断できると,偶然駐車場から球場に向かって歩いているときにお話をした球場のチケットオフィスに勤めているという人に聞きました。
このように,MLBを見るのはとても楽しいことですが,ナイトゲームのときは終了後の行動をはじめに考えておかないと結構大変ですから,慣れていないときはデーゲームを観戦するのがよいと思います。

◇◇◇
特別編・2015夏アメリカ旅行LIVE PART2⑱
「熱狂」は似合わない-シアトル・マリナーズ

◇◇◇
シアトルからの長いドライブを綴った「2016夏アメリカ旅行LIVE」はこれでおしまい。詳しい旅の様子は後日「2016夏アメリカ旅行記」に書きます。私が次に出かけるのは,ついにアメリカ合衆国50州制覇の達成の旅です。DSC_9812DSC_9624DSC_9868DSC_9873

私の今回の旅は,グレーシャー国立公園へ行って帰りにシアトルでMLBを見てこよう,というものでした。初日こそ雨の天気でしたが,その後は天候にも恵まれて,グレーシャー国立公園からシアトルへの帰りに,ノースカスケイズ国立公園にも寄ることができました。
今日は,この2つの国立公園の写真をご覧ください。
1番目と2番目がグレーシャー国立公園,3番目と4番目がノースカスケイズ国立公園です。
グレーシャー国立公園はモンタナ州の北西部,ロッキー山脈の真中にあって,そのほとんどが森林,山,川,湖で「氷河の作った美術館」と呼ばれています。面積は東京都の約2倍(4,000平方キロメートル)もあります。近くに大きな都市はなく,飛行機と自動車で訪れるにはアクセスが悪いので,素晴らしい割に観光客は少なく,落ち着いたムードを楽しめる国立公園です。シアトルから車で9時間ほどかかります。ただし,アムトアックの駅があるので鉄道で訪れることができる唯一の国立公園でもあります。
西のマクドナルド湖 (Lake McDonald) と東のセントメリー湖 (St. Mary Lake) とを結び,公園を東西に横断する約 85キロの山岳道路「Going-to-the-Sun Road」は夏季だけ通行ができて,晴れた日の素晴らしい眺望はまさに絶品,私は,天気の悪い日と快晴の日,幸い2度この道路を走ることができました。
一方,ノースカスケイズ国立公園はワシントン州北部のカスケード山脈 (Cascade Range) にある国立公園で,その北端はカナダのブリティッシュ・コロンビア州に接しています。公園内には300以上ともいわれる 多数の氷河があります。公園は起伏に富んだ山の峰と氷河が特徴ですが,公園の中心に位置するロス湖 (Ross Lake) 周辺には多数のハイキング・トレイル,ピクニック・エリア,キャンピング・グラウンドなどがあります。
この公園は無料で西側の入口にはビジター・センターがあります。
車さえあれば,シアトルから2時間ほどのドライブで簡単に行くことができます。
DSC_8902DSC_9003dDSC_9527DSC_9561

すでに日本に帰国していますが,もう少しお付き合いください。
以前2014年夏のアメリカ旅行記を書いたときに,そのとき走ったインターステイツ70のあまりのすばらしさに感動して,アメリカをめぐらすインターステイツについて詳しく書きました。この旅行ではインターステイツ90とインターステイツ5を走ったので,今日はその写真をご覧いただくことにしましょう。
アメリカのインターステイツは偶数番号が東西,奇数番号が南北を走るものなのですが,なかでも,10から90と5から95という1けた台が0と5のものの多くが主要道路です。
インターステイツ90は西はシアトルから東はボストンまで大陸を横断し,インターステイツ5は北はシアトルから南はサンディエゴまで大陸を縦断しています。そんなわけで,アメリカ本土の北西の端にあるシアトルはインターステイツ90とインターステイツ5のスタート地点ということになります。
今日の写真の1番目と2番目はインターステイツ90,3番目と4番目はインターステイツ5です。
インターステイツ90はシアトルから郊外に出ると,写真のような広大な平原が広がる中を進んでいきます。また,インターステイツ5はシアトル市街に入ると,写真のように大渋滞に巻き込まれます。

◇◇◇
2014夏アメリカ旅行記―インターステイツ70⑥
2014夏アメリカ旅行記―インターステイツ70⑦
2014夏アメリカ旅行記―続・インターステイツ70①

DSC_8691DSC_8720DSC_9599DSC_9608

DSC_3390 (800x533) DSC_3389 (800x533) DSC_3382 (533x800)

●すごく不思議なところに思われた●
 道はカパアウのダウンタウンを越えてもさらに東に延びていた。そこには牧場があったり,とても似つかわしくないような風景が突然広がったり,日本の港町のようになって狭く入り組んだ道路が交わっていたりした。こんなところまで来る観光客なんているのかな,と私は思った。
 地図には,この先の岬にポロルバレーオーバールック(Pololu Valley Overlook)という印があった。そこはさぞかし素晴らしい展望が広がっているに違いないと思ったから,私はその印を頼りに走っていたのだった。

 やがて道は行き止まりになって,わずかばかりの駐車スペースがあった。駐車スペースには車が数台停まっていた。私もそこに車を停めて,その先まで歩いて行った。そこがポロルバレーオーバールックであった。
 数人のアメリカ人らしき人たちが来ていて景色を眺めていた。すると,遠くから日本語が聞こえてきた。そちらを見ると,何と向こうで4,5人の日本人の観光客がガイドの話を聞いているではないか。こんなところまでやってくるチャーターツアーもあるのだなあと思った。
 このように,ハワイ島に車を使わずに観光をするとなると,こうしたツアーに参加して島を巡ることになるが,私がマウナケア山のツアーに参加したときと同じようなもので,結構高額な参加費を払う必要があるのだろう。

 ここの展望台からは断崖絶壁が望まれてその先にどこまでも海が続いていた。
 この行き止まりになった断崖絶壁の場所から先は,将来も,どうやったって道路などつくれそうにないように思われた。実際,この先15キロくらいにわたってこの断崖絶壁は続いている。その向こう側にはワイピオ渓谷(Waipi'o Valley Overlook)という展望台があって,そこには東側の道路からアクセスできる。私は,数日後にそこに行くことになるのだが,このときはそんな未来のことはこのときは知る由もない。
 それにしても不思議なのは,これほど素晴らしい場所なのに,「地球の歩き方」にはこの場所についての記載が全くないことだ。確かにここまで来るのは楽なところではないが,ハワイ島の見どころのひとつであることに違いはない。

 私は今回のハワイ旅行で一番印象深かったのは,これほど有名で世界中から多くの観光客が訪れる「ハワイ」というところの不思議さであった。
 私がこのブログで書かなくても,これまでにも当然ものすごくたくさんの観光客がハワイを訪れているし,ハワイの島々はどこも決して広くはないから,もう,すべての場所は開発されつくされていそうなものなのだが,「未開」ではないにせよ,ずっと以前から変わらぬ風景やいまでものどかなままの町が至る所に存在している。そして,そうした場所は情報がほとんどない。
 日本でハワイに関する情報というのは,そのほとんどがワイキキビーチのおいしいレストランとかショッピングとかそのたぐいのものだが,そんなものは渋谷や原宿となんら変わるものではなかろう。そんな観光地のことより私の興味はこの地で静かに暮らす人の生活がどういうものなのだろうということだ。そういった意味で,私には,ハワイはものすごく不思議なところに思われた。

DSC_3378 (800x533)DSC_3410 (800x533)DSC_3409 (800x533)DSC_3407 (800x533)

●ここに何を見に来たのか?●
 私の宿泊しているカイルアコナから北側の西海岸に沿った地域が「コハラコースト」(Kohara Coast)だと「地球の歩き方」には書いてあるが,私がハワイでもらった地図には,西海岸全体が「コナコースト」で「コハラコースト」は「ノースコナコースト」と書いてある。その地図の表記に従うとカイルア・コナから「<」の形に海岸が続いている部分が「ノースコナコースト」で,へこんだ部分が「カワイハエベイ」(Kawaihae Bay),そこにある町の名がカワイハエである。カワイハエから州道19で東の内陸方向に行くと美しい町ワイメア(Waimea)に至る。一方北へは海岸線が「>」の形にカーブしていて海岸線に沿って州道270が走る。その海岸が「ノースコハラ」である。

 私は,その州道270に沿って北上して,最北端の町であるハヴィ(Hawi)までやってきた。
 この州道270も海岸線に沿ってはいるが,海岸を走っているのではなくてその上の高台を通っている。地図によると海岸にはいくつかのビーチパークがあるのだが,道路を走っていると,特にそうしたビーチパークの道路標示があるわけでもないので,どこからそこに行くのかわからないまま,ハヴィに到着してしまった。
 この海岸線は美しくのどかなところであったが,歴史的にはかつて多くの日系移民がサトウキビ畑で過酷な労働に携わったところである。今でも,日系人の経営するお店がたくさんあってその面影を残している。

 私は,特別の思い入れのあるマウナケア山を除けば,この北側の海岸がハワイ島で最もいい所だと思ったのだが,それとは逆に,見どころがなく退屈なところだと書かれたガイドブックもある。
 私は「地球の歩き方」すら持っていなかったので,このときは現地で無料でもらった地図を頼りに走っていたのだが,帰ってから「地球の歩き方」を購入してそれを読んでみると,カワイハエにはハワイ最大の「プウコホラ・ヘイアウ」(Puukohola Heiau)という神殿遺跡があると書いてある。そこで改めて地図で確認すると,やはりそれにも「Puukohola Heiau National Historical Park」と記されている。何でも,この遺跡は1782年にカメハメハ大王が「この地に巨大な神殿を建てるとハワイ全土を掌握できる」というお告げでを受けて建てた神殿の跡地ということだが,私は残念ながら見逃した。
 さらに,州道270沿いの海岸には「ラパカヒ州立公園」(Lapakahi State Historical Park)というのもあって約600年前のハワイの漁村を復元したものだというが,これも見逃した。

 ハヴェまでの州道270は片側1車線の広い道路であった。しかし,ハヴィの町を過ぎてもそこで行き止まりになるのではなく,さらに東に向かって,すれ違うのがやっとというくらいに狭くなりながらも道路が続いていた。私は,この道路は最終的には行き止まりになるということは知っていたが,どこまで続いているのだろうかと思って,カーナビの表示に従って道のある限り行ってみることにした。
 そうして走って行ってたどりついたのが,カパアウ(Kapa au)という小さな町であった。
 このカパアウはカメハメハ大王の生誕地でカメハメハ大王像があるということを後で知ったのだが,私はそれも見逃した。このように,せっかく行ったのに何もかも見逃してしまったのだった。いったい私は,ここに何を見にきたのであろうか?

DSC_3371 (800x533)DSC_3372 (800x533)DSC_3374 (800x533)DSC_3376 (800x533)

●渋滞するカワイハエの三叉路●
 西海岸は正三角形状のハワイ島の1辺にあたるとはいえまっすぐではなく,カイルア・コナから海岸線は「<」の形にカーブをして北北東に進んでいって,カワイハエ(Kawaihae)という町からは「>」に変曲して北北西に曲がっていく。カワイハエで,それまで海岸線に沿っていた州道19は東の内陸部に右折して進んでいって,海岸線に沿った道路は新たに州道270になる。
 つまり,カワイハエで道路は三叉路の交差点に差し掛かるのだが,それが2番目の写真である。
 この交差点には信号がない。というか,信号がなくても大丈夫なくらいの交通量ではある。しかし,この程度の交差点であっても,日本なら絶対に信号ができるであろう。
 アメリカ本土でも,こうした交差点は,日本なら絶対に信号がある,という程度のところでも,信号がない場所が結構多い。そして,そうした交差点では,日本のような優先通行というものはなくて,左側優先で交互に交差点に入るのだ。

 私はずいぶんとアメリカの道路を走ったが,根本的に道路を走るルールや考え方が違うのだと思うようになった。
 日本に住んでいてアメリカをドライブしたことのない人は,アメリカ映画でカーチェイスを頻繁に見るものだから,道路はものすごいスピードで車が走っているように思われるだろうが,日本よりも早いスピードで走っているのはインターステイツのことで,街中の一般道は日本とは比べものにならないくらいきわめて慎重な運転をする。
 日本では街中の狭い道路をものすごくスピードを出して走っていくバカな車や,なんでも追い越したり煽ったりすればいいと思っている車があって,それがものすごく危険なのだが,そんな運転はアメリカで見たこともない。
 日本人は,人前ではおとなしそうに見えるがその実は自分を主張する勇気がないだけで,陰に隠れると突然豹変し「せこく」「品がなく」「無法」で「傍若無人」になるのだ。

 以前にもこのブログに書いたことがあるが,3番目の写真がアメリカの道路でしばしば目につく「Adopt a Highway litter control」である。litterというのはゴミを捨てるということで,要するに,この道路を清掃するのはこの人の担当だよ,と書いてあるのだ。下にあるプレートに記された名前がその担当者,というわけである。
 この制度,ぜひゴミだらけの日本の道路にも取り入れるべきだと常々私は思っているのだが,悲しいことに日本人の「知恵と発想の限界」は,こういうことを思いつかない。

 交通量の少ないはずのこの三叉路は私が通ったときには結構車が多く,しかも,東から南に左折するトラックがなかなか回れず道を防ぎ,ハワイ島の道路にしてはすごい渋滞になってしまっていた。ハワイ島には,もう1か所,ヒロの町から州道200に入る交差点も私が思うに根本的な欠陥があって,恒久的な渋滞をしていた。しかしそれをなんとかしようとしないのも,また,アメリカらしい話であった。
 この三叉路で,私のように直進して海岸線に沿って最北端に行く車は少なくて,やっとのことで交差点をぬけると次第に車が少なくなってきた。

◇◇◇
Happy Birthday, America.
240 years old.

ハワイのときも書きましたが,行きの機内は到着後の時差を考えると,夕食後は眠るに限ります(それでも時差ボケにはなりますが)。しかし,帰りはずっと起きて映画を楽しみます。きょうは,この旅の帰りの機内で楽しんだ映画について書いておくことにします。
飛行時間は9時間あまりなので,4本の映画が楽しめます。いつもは見たかったのに見ていないものをまず優先するのですが,今回は,これまでに何回も見たけれど,この旅の雰囲気にぴったりだった映画をまず楽しむことにしました。
こんなときはアメリカ映画の中でもアクションものではなくヒューマンドキュメントに限ります。

今回まず見たのは「フィールド・オブ・ドリームズ」(Field of Dreams)でした。
この1989年に公開された映画はこれまで何度も見ましたが,私のアメリカ体験が増えるにつれて,どう素晴らしいのかというのがとてもよくわかるようになってきました。この映画についてはすでにこのブログに詳しく書いたことがあります。
W・P・キンセラの小説「シューレス・ジョー」を原作にした,ベースボールを題材に60年代をキーワードとして夢や希望,家族の絆といったアメリカの美徳を描き上げたファンタジー映画です。
  ・・
次に見たのは「グッドウィルハンティング・旅立ち」(Good Will Hunting)でした。
1997年に公開されたこの映画も私の大好きなものです。内容は,天才的な頭脳を持ちながら幼い頃に負ったトラウマから逃れられない一人の青年と最愛の妻に先立たれ失意に喘ぐ心理学者との心の交流を描いたドラマです。
舞台はマサチューセッツ工科大学。
私はこの映画を初めて見たときに,主人公のウィルがハーバード大学の女学生スカイラーを追いかけてアメリカを東から西に走るラストシーンにあこがれました。今,私がこうしてあこがれたインターステイツを自分で走ることができるが夢のようです。
  ・・
そして,その次に見たのは「マネーボール」(Moneyball)でした。
この映画は見たいと思っていてその機会を逸していたものでした。2011年に公開されたもので,マイケル・ルイスによる「マネー・ボール 奇跡のチームをつくった男」を原作としています。MLBオークランド・アスレチックスのゼネラルマネージャー・ビリー・ビーンが「セイバーメトリクス」を用いて経営危機に瀕した球団を再建する姿を描いたものです。
ビーンはクリーブランド・インディアンスのオフィスでイエール大学卒業のスタッフ・ピーター・ブランドに出会いました。彼は各種統計から選手を評価する「セイバーメトリクス」を用いて選手を評価していたのですが,その理論に興味を抱いたビーンは彼を自身の補佐として引き抜き,埋もれた戦力を発掘し低予算でチームを改革しようと試みる…という内容です。私は昨年のこの頃,オークランド・アスレチックスのゲームを見る機会があったので,それも含めてとても面白く見ることができました。
  ・・
最後に,到着までの時間が1時間くらいしかなかったので,「アポロ13」(Apollo 13)を途中から見ました。この1995年に公開された映画は,月着陸をめざしたアポロ13号の爆発事故の実話に基づく作品ですが,何度見ても,その緻密なしかも勇気のあるアメリカの巨大な宇宙開発システムには感動します。

この4本の映画はいずれも,アメリカ体験が増せば増すほどその内容の理解度が増して,ますますそのよさが理解できようになるものです。そして,こういう映画を見れば見るほど,日本のいろんなことが,本当にそれでいいのかいな? と,これもまた,そういう認識がどんどんと増してくるものです。
いつも上から目線で世界のリーダー面しながら,その実は急激に変化する世界から取り残されていく日本,本当にこんなことでいいのかいな?
夜,帰国した日本で駅から電車に乗りました。駅の構内と車内のあまりの酒臭さ -それはいつもは気がつかないことなのですが- そして,50年前と変わらぬ泥酔した見苦しい社会人を数多く見ました。そんな日本の夜の姿に私は嫌悪感を覚えました。
彼らは英語やコンピュータが使いこなせるわけでもなく,外国に出る勇気もなく,単に非効率に毎日残業をして,憂さを晴らすために酒を飲んで散財し,退職後も大した蓄えもなく老後を退屈に暮らし人生を終えていくのであろうかと。

◇◇◇
「フィールド・オブ・ドリームズ」-いつかそれは実現する①
「フィールド・オブ・ドリームズ」-いつかそれは実現する②
「フィールド・オブ・ドリームズ」-いつかそれは実現する③

DSC_5104

いよいよ最終日になりました。今日は帰るだけです。
春に行ったハワイとともに今回も大して期待もなかったし,なんの準備もなく来たのに,素晴らしい旅になりました。いよいよ最終日になりました。今日は帰るだけです。
シアトルがよいのは帰るのが楽(日本に最も近いアメリカ本土)だということで,この日も出発が午前12時過ぎだから早朝に起きる必要もなく,しかも,すでに時差ぼけも完全に治っているから私にしてはぐっすりと睡眠をとって,珍しく午前7時に起きました。
このホテルは単に泊まるだけのところ,しかし,テレビだけはしっかりとチャンネルが整備されていたのが意外といえば意外だったのですが,当然朝食もついていませんでした。しかし,私は空港のラウンジで無料の朝食を食べればいいので,午前8時,さっそくチェックアウトをしてホテルを出ました。
ホテルから道路(インターナショナルストリート)に出てそのまま次の交差点を左折したところが空港のレンタカーリターンという便利さで,わずか数分で車を返却,そのままシャトルバスでターミナルまで行きました。
ところがターミナルがものすごく混雑していました。飛行機に乗るまでにこれからすることは,フライトをチェックインし搭乗券を手に入れて,荷物を預けて,空港のセキュリティを抜けることです。アメリカには出国手続きというのはありません。
まずデルタのチェクインですが,一般客の方はすごい列でしたが,プライオリティはガラガラで5,6台あったプライオリティ用のチェックイン機(キオスク)も全て空いていました。機械が改良されたのかこれまでなかなかパスポートを読み取ってくれなかったのもすんなりといって搭乗券が手に入りました。荷物もすぐに預けて,さて次はセキュリティです。
このセキュリティは空港によってずいぶんと違っていて,アイダホ州のボイジーとかだとすぐに通れるのですが,シアトルは長蛇の列でした。しかし,ここも私はプライオリティラインから入れるのでそれをすり抜け -まあ要するに特権的横入りですが- すぐにターミナルに到着しました。
このように,アメリカは金がモノを言う社会,価値観の全てはお金なのです。
一般客だと1時間以上,プライオリティだと10分,アメリカ旅行で必要なのは,ゴールドカードとiPhoneです。
さっそくラウンジに行って,搭乗が始まるまで食事をしたりネットで日本のニュースをチェックしたりしました。この情報社会ではどこにいても同じ情報が手に入ります。帰国してからたまった新聞を読むということもなくなりました。
搭乗時間になったので,機内に入って席に着きました。隣にはフィリピンに帰国するという男性が来ました。
そうして出発を待っていると,突然客室乗務員から名前を呼ばれました。アップグレードだそうです。ニッコリしたら「嬉しそうですね〜」とからかわれました。どうやらアップグレードリクエステッドリストのトップだったようです。
このようにしてアメリカの国内線はほとんどファーストクラスに乗っていますが,国際線のファーストクラスはこれが4回目です。ファーストクラスを利用すればどこかの知事がこだわる理由もわかります。しかし彼は税金でそれをやっているのですから問題ですしやっていることがかっこ悪いです。 私はこうして往復10万円にも満たない運賃なのに,復路をファーストクラスで過ごすことになりました。
飛行機はオーディオシステムの不具合で再起動を繰り返していたので出発が30分遅れましたが,その後は問題なく飛行を続け,9時間後,暑い成田に着陸しました。

image
image
image
image
image
image
image
image

朝,ホテルの部屋の窓を開けると,そこにはシカがいて,エサの草を食べているところでした。どこへ行っても野生動物ばかりです。
午前7時にホテルで朝食をとりました。居合わせたのがアーミッシュのファミリー。なんでも日本に行ったときに広島で食べた「okonomiyaki」が美味だっとか…。
朝食を済ませてさっそくノースカスケイズ国立公園に向けて出発しました。
私は州道20はこのウィンスロップの町をそのまま通り過ぎると思い込んでいたのでずっと走っていったのですがそれがとんでもない勘違いだったのです。
アメリカの道路は一度行き先を間違えると取り返しがつかなくなります。はじめに借りた車はカーナビが搭載されていたのですが,交換したらカーナビがない車になってしまっていたのです。
はじめは舗装された立派な道路だったのが,次第に道幅が狭くなり,最後は未舗装の山の中に入り込みました。ロッキー山脈の山の中で遭難なんて笑い事にもなりません。
結局1時間ロスして,再びやり直しでした。ウィンスロップまで戻ってきて,町の入口で店のおじさんに道を聞いて,どうにかノースカスケイズ国立公園に向かうことができました。
まさか州道20がウィンスロップのダウンタウンの真ん中で左折しているのだとは思いませんでした。 1時間あまりのドライブで州道20はノースカスケイズ国立公園に到着しました。この国立公園はゲートがなく無料で道路から景観を眺めるだけなのですが,それがまた素晴らしいこと。
途中のレイニーパス(パスというのは峠という意味です。蛇足ながら)からトレイルがあって30分くらい歩いてレイニーレイクを見に行きました。ところがこのトレイル,ところどころで大きな古木がが倒れて道を塞いでいたりしていて歩くのが大変でした。
その後はワシントン峠からの絶景を楽しんだり,ロス湖やダイヤブロ湖の景色を展望台から見たのち「バッファローレストラン」という名の素敵なレストランで昼食をとり,2時間のドライブでシアトルに着いた… と書きたかったのですが,いつものとおり,シアトルのインタースレイツ5は大渋滞でノロノロ運転。10マイル進むのに1時間,まずホテルにチェックインする予定を変更して,直接セイフコフィールドへ行きました。
この日のゲームはパイレーツ戦。予約してあった駐車場の駐車システムがわからず,近くにいた人に聞くと,彼はチケットオフィスのスタッフでした。「今日は球場空いてるよ,駐車場の料金が安いからわかる」ということでした。
この球場で楽しみなのはお寿司ですが,今回はそのお店の日本人のスタッフの方とお話ができました。NHKBSのワールドスポーツに出演されたことがあると言ってみえました。こうして大好きなアメリカがどんどん身近かに感じられるようになるのがとても嬉しいです。カレンさんにも会いたいです!
ゲームは昨年同様,今年も先発は岩隈投手で,7回途中で降板しましたが,勝ち投手になりました。セブンスイニングストレッチが終わったところで帰ることにしましたが,暗くて道路がよくわからず,予約してあったホテルと別名のホテルに着いてしまったり,そこでユーロしか持ち合わせのないセルビア人に時間を取られ両替えを頼まれて断ったりしながら,なんとか予約したホテルにチェックインすることができました。
深夜12時,部屋のテレビではNBCの「The Tonight Show Starring Jimmy Fallon」をやっていました。これ見なくちゃあアメリカに来た気がしない!

image
image
image
image
image
image
image
image
image

このページのトップヘ