しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

August 2016

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●本当にこの島は最高だった。●
 食事を終えたころには太陽はすっかり沈んでいたが,カイルナコアはムード満点であった。ここは大きなビルがあるではなく,人が多いわけでもなく,落ち着いた,それでいて,魅惑に満ちた場所であった。人はそれぞれ,適当な店でお酒を飲んだり食事をしたりしていた。
 私は,たいしてして何も調べず期待もせず,単に日本人だらけのオアフ島を避けて,マウナケア山があるというだけでハワイ島に来て,マウナケア山への星空観察ツアーの出発点がヒロでなくカイルアコナだということで,コナコーストに適当なホテルを探して予約しただけのことだったが,ここは,最高の場所だったのだ。

 数日前までアメリカ合衆国東海岸の旅行LIVEを書いていたのでお読みいただいた方もあると思うが,実はその前にこのハワイ島に行ってしまったがために,私は,その旅ではこれ以上の場所を見いだせなくなっていたのだった。
 10年以上前に行ったときはあれほど感動したフロリダ半島の最南端キーウェストだって,ハワイ島に比べてしまったらまるで勝ち目はないのだった。

 私はお酒を飲んだわけでもないから酔ってはいなかったが,この雰囲気にすっかり気持ちだけ酔ってしまい,そのままホテルに戻らず,明日の予定を立てるために,1軒の観光案内所に入っていった。
 そこには,ハワイ島を観光するためのさまざまなツアーのパンフレットが並んでいた。私はカウンタにいた男性に,明日1日この島を楽しむためのツアーを紹介してほしい,と告げた。せっかく目の前に海があるのだからそれを味わいたのだが,残念ながらシュノーケリングはできないと言った。そこで紹介されたのが,潜水艦で海の底へ潜るというツアーと夕日を見にハワイ島の海に出るクルーズであった。
 これで明日の予定は完璧だと思ったから,私はさっそくそのふたつのツアーを予約した。
 このようにして,明日,私は1日中ハワイ島のまわりに広がる広く美しい海に魅了されることになったのだった。

 今の時代,テレビを見ているのはほどんどが年配の人だから,旅番組がたくさんあります。私も好きでよく見るのですが,いつも書いているように,日本の旅はこころで感じるものです。
 海外は -といっても私にとってその多くはアメリカのことですが- そのスケールの大きさがテレビでは収まリきらないので,行ってみたときの感動のほうがずっと大きいのです。だから,テレビの旅番組でそれを見ていてもさほど面白くもありません。特にアメリカの国立公園は,その雄大な景色をきちんと保存する国の法律が素晴らしいのでゴミひとつないから,実際に足を運んだときのほうが映像よりはるかに勝るのです。
 それに対して日本の優れたところは食事です。だから,日本の旅では地元のおいしいものを食べることだけは行ってみたほうが素敵ですが,それ以外は,むしろテレビ番組で見ているほうがずっと楽しいのです。

 それには異論のある方も多いと思いますが,私はこれまでに沖縄以外の日本のほとんどは旅をしました。特に,若いころは北海道が大好きで何度も行きました。登山は趣味ではないですが,それでも,利尻富士も穂高岳も伯耆大山にも登りました。また,美しい星空を探して人里離れた山の中をさまよったりもしました。
 確かに北海道の広さも山の上からみた雄大な景色もその当時は感動しましたが,しかし,日本を離れてもっと雄大な風景や星空を見てしまった今では,何を見てもがっかりします。比べてしまうと,残念ながらはるかに魅力に欠けるのは否定できないのです。
 ただし,その地で起きた過去の歴史やその地で生きた人を思い浮かべながら,あるいは,そういう地で生活をしているひとと交流をしながら旅をするなら,そんな日本の風景も味わい深いものになってきます。だから,日本を旅するには古典の知識や歴史の知識が不可欠なのです。それを知らないなら,その魅力のほとんどは伝わりません。
 しかし,この国の教育では古典や歴史は単なる暗記科目になっているから,そういった知識がほとんど学べないのが残念なことなのです。そういう風景を見,感じた教師がこころからそれを語るのなら,そうした科目もかなり魅力のあるものになるでしょう。

 そういった意味も含めて,私がいつも楽しみにしているのは,BSジャパンの「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」,テレビ東京の「出発!ローカル線聞きこみ発見旅」,NHK総合の「ブラタモリ」,NHKBSプレミアムの「グレートトラバース」と「にっぽん横断こころ旅」といった旅番組です。こうした旅番組は,見ているだけで旅行をした気になります。それは,単にその地の名所旧跡を訪ねるのではなく,そこに人の交流や歴史があって,さらにハプニング性があるからなのです。
 ただし,残念ながら,私はそれを見ても,実際にそこに行ってみたいと思うことはほとんどありません。行ったことのない場所をみても,ああ,ここも同じような景色だなあとか,どこへ行っても同じだなあ,人ばかりだなあ,と思うだけです。
 たとえば,「グレートトラバース」で田中陽希さんが険しい山に登っても,その山頂に多くの登山客がひしめいているような姿を見ると本当にがっかります。「にっぽん横断こころ旅」で火野正平さんが自転車に乗って走る風景を見ていると,もともとはせっかくきれいな緑あふれた国なのに,やたらと景観を台なしにしているような看板や塗装のはがれたガードレール,そして電線といった風景に,日本はどこへ行っても同じだなあと失望感を抱きます。
 このように,私は,旅番組を見ているだけですっかり日本を旅をした気持ちになるとともに,実際に日本国内を旅をする気持ちが次第に失せていくのです。
 しかし,こうした番組は,もう自分の足で旅のできなくなったお年寄りにはなによりも癒しとなるでしょう。それは,日本という国のもっている本来の美しさは,実際に行く必要もなくこころで感じるだけで満ち足りるものだからです。そしてまた,古典や歴史を味わう価値を感じるのです。画像 001

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●なんと満ち足りた時間だろうか。●
 そうして私が見つけたのは「Huggo's Restaurant」というレストランであった。
 「トリップアドバイザー」というサイトの口コミには,「シーフードが美味しいと聞いて家族で夕食に出掛けました。隣にステージが有り踊りもできるような系列の「on the rock」という店がありますが,ここは静かに落ち着いて食事ができます」とか, 「遮るものが何も無いので最高の夕陽に出会えます」とか,「評判がよい人気のお店でしたので気になり日本から予約をしました」と書かれてあったが,私がその口コミを見たのは帰ってからのことである。

 私が旅先でレストランにこだわるなどということはめったにないので,この日はよほどテンションが高かったに違いない。ハワイの空気がそういう気分にさせたのだ。
 私はもちろん予約などしていなかったから,単に感じがよかったので入っていっただけだった。先に書いた口コミにもあるように,「on the rock」という別の店も同じ建物に入っていたのだが,そんなことももちろん知らなかった。ともかく案内されるときに,「夕日がきれいにみられる席をお願いします」と言っただけであった。
 そうして案内された席は窓際で海が見渡せて,私の理想通りであった。
 このロケーションで,しかもハワイ島のレストランにしては,それほどメニューは高価ではなかった。そのなかで,私はパスタを注文した。

 目の前には日没を前にした太陽が美しく海に輝いていて,海にはヨットが浮かんでいた。そして,高台にあるレストランから見下ろしたビーチでは,先ほどからサーフィンに興じていた少年たちの楽しそうな声が波の音とともに聞こえてきた。レストランのなかではハワイアンミュージックの生演奏が始まった。
 今思い出しても,この風景には胸がいっぱいになる。
 私が店内に入ったのが日没より幾分早かったから,よい席に案内してもらえたのだろう。しばらくすると次第に席が埋まってきて,日没のころには,もはや夕日が見られる席はすべて埋まってしまった。
 海に沈む夕日というのは,本当に太陽が海に隠れるときよりも20分くらい前のまだ太陽が幾分高いところにあるときのほうが真っ赤な夕焼けが海に映えて美しい。そこで,その時間からその雰囲気を楽しむのが最高なのである。
 残念なことに,この日は地平線近くに薄く雲,というか靄があって,水平線上にはくっきりとした太陽の姿を見ることはできなかった。しかし,それを割り引いても,この日没はとても美しかった。
 ああ,なんと満ち足りた時間だろう。私はハワイ島に来て,本当によかったと思った。
  ・・
 その翌日,クルーズ船に乗り込んで,今度は海の上から日没を見ることになったのだが,そのときは全く靄もなく地平線に太陽が完全に沈むまでを見届けることができたのだった。
 ハワイ島はなんと美しく素晴らしいところだろうか!

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●こんな美しい景色が見えるのなら●
 私は,さらに歩いて行って海岸線に出た。
 この日は海が穏やかだったけれど,それでもさすがにハワイだけのことはあってずいぶんと高い波が立っていた。子供たちがサーフィンに興じていたが,この子たちは毎日こんな遊びに興じているのだろか? とうらやましくなった。そしてまた,遠くにはヨットが気持ちよさそうに波間を漂っていた。

 日本人にはこうした風景は毒以外の何物でもないだろう。こんな風景を見ていると,子供のときからいいくるめられてきた価値感など根本からくずれ去ってしまう。だから,こうした世界は若いころには見てはいけないものかもしれない。日本人には熱海の海岸とさして変わらぬワイキキビーチくらいが似合っている。
 日本では,子供も大人も,どうしてそういうことをするのかといった疑問を感じないで,いわれたままに仕事や勉強をして,まれにもらえる自由時間だけほんの少し羽目をはずすような生活をしていれば,一見治安もいいし飢えることもなく生きていけるから,それを幸せと信じていればいい。そして,外に飛び出す勇気がない自分を本当は知っているから,それを弁護するために「日本はいい」とか強がっていればいい。
 さらに,その強がりを自分で納得させるために,忙しいことをやけに自慢したりして「忙しごっこ」を競ったりしている。本当は,忙しいというのは自分に能力がないといっているようなものなのに…。
 しかし,一旦,そういうすべてのことに疑問を感じはじめると,日本ほど生きづらい国もない。
 時間ばかりかけてもやっていることの成果はほとんどない。自分の自由な時間などほとんどもたせてもらえないから,もしそういう時間が与えられても主体的にやることもない。

 だんだんと太陽が低くなってきたが,まったく寒いということもなく,とても心地よかった。これを書いている今も私の頭の中には心地いい波の音がする…。
 サーフィンに興じていた子供たちは,一段と遊びに熱が入ってきた。私は,せっかくこんな美しい景色が眺められるのなら,どこか展望のよいレストランに入って,夕日を眺めながら夕食をとろうと考えて,あたりを見渡したのだった。

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●ここで夕日を眺めれば最高だと●
 まだ日没には1時間以上あったので,カイルアコナの海岸に沿って走っていった。狭い道といっても片側1車線であり,歩行者と車が多いので日本の普通の道路を走っているのと同じ感じだった。ここから1キロメートルくらいにわたって道の両側にはコナ・イン・ショッピング・ビレッジというモールや土産物店,教会,そしてレストランが続いていて,歩いてウィンドウショッピングをするのには最高の場所だといういうことがわかってきた。
 また,南に向かって進んで行くときに,右手には海岸が見えたから,そこから海に沈む夕日が眺められると思った。思った通り,こうして,この場所で私が理想とする夕日が見られることを確信したのだった。そこで,道路を左折して,海岸線より一段高いところを走る州道11まで行ってそこを再び左折して北に走って,一旦ホテルの駐車場に戻り,今度は,車を置いて歩いてコナコーストに行くことにした。

 まだ日が沈むには早かったので,ホテルから出て海岸まで行くと,多くの人が思い思いに海水浴に興じていた。彼らは何を目的とするでもないのだ。単に気の向くまま短い距離を泳いだり,サーフィングをしていたり,そんな感じだった。海はとてもきれいで,ずいぶんと深いところまで澄んでいた。ハワイの海岸で何が一番いいのかといえば,海岸にゴミひとつ落ちていないということだった。
 私は泳ぎに来たわけでないし,スキューバダイビングをしたこともないが,きっと少し潜ればずいぶんと素晴らしい景色がみられるのだろう。私はやっと手に入れたこれほど素敵な海を見て,この海をなんとか楽しむ方法はないのかな,と考えていた。

  ・・・・・・
 子供のころ,夏休みといっても今のようにクーラーもなく,毎日をだら~と過ごしていた。たった数日間だけ休みがとれた父親は,私を電車に乗せて汚ったない近くの海に連れて行った。それが当時,親がしてくれた夏休みのすべてだった。だから私にとって海というのはそういうものだった。この美しい海を見て,私はそのときのことを思い出した。
 私の通った小学校には賢明にも「夏の生活」とかいう,若い教師が持ち回りで研修のために作っただけの全く意味のない宿題はなかったが,その代わりに自由研究があった。しかし,昆虫採集をするにも街中ではセミが鳴いているだけでそれ以外には昆虫も見当たらず,虫の取り方も知らないから子供心には不可能だと思われたし -といってもそれだけで十分に自由研究ができると大人になった今の私は思うのだが- 子供の知恵では「研究」などという大そうなものをどうすればいいのかさえさっぱりわからなかった。学校が自由研究を課題にするのなら,それはどういうことをするものだという指導を事前にすべきだと思うし,それは読書感想文にもいえることだろう。こういう課題の与え方は,コマの動かし方も知らないのに将棋に強くなれ,といわれているようなものだ。
 考えてみればおかしな教育だった,というより手抜きだった。そんないい加減なことをしていた教師たちがその後校長になったり教育委員になったりしたのだから,この国の「有識者」などあてにもならない。
  ・・
 私は自由研究で木曽川を源流の一滴までさかのぼってやろうと思ったのだが,そんなところへ出かけるお金も勇気も知恵もなかった。困り果てた私がやったのは,百科事典を調べて日本の歴史とかをまとめることだった。そして,徳川将軍家の完璧な家系図を作ろうと思って壁にぶち当たったのだった。ご存知の方も多いだろうが,11代将軍の徳川家斉なんて子供が55人もいた…,などということだけはすぐにわかったが,そのすべての名前を知る方法なんて思いつかなかったし,私は,子供心に,こんなこと調べたところでそれが自由研究と呼べるようなものかしらん,とかなり疑問に思っていた。だから,9月になってそれを提出して先生に褒められたとき,こんな本を書き写しただけのものがどうして褒められるのだろうと,逆に教師に不信感を抱いたのだった。
  ・・・・・・

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 子供のころ,今よりずっと世の中が貧しかったころ,「永谷園ののり茶漬け」という商品が発売されました。調べて見たら,それは1963年のことだったそうです。この袋の中に,トランプ大の厚紙が入っていました。それは,歌川広重の描いた東海道五十三次からとった1枚の絵でした。
 きっと,この時代の多くの人が広重の東海道五十三次を知ったのは,この製品からでしょう。そして,どういう方法だったのかは忘れましたが,何かをいくつか貯めて送ると,正真正銘の東海道五十三次フルセットの55枚のカードが1セット送られてきました。私は飽きもせず,それを眺めていました。
 歌川広重の描いた東海道五十三次の素晴らしいところは,その絵から無限の風景が心に広がっていくことです。そして,無謀にも,いつか,東海道を歩いてみたいものだ,と思ったことでした。

 きっと,そう思った人が多くいたのでしょう。世の中が豊かになるにつれて,そうした江戸時代の街並みを保存したり,あるいは旧道を復活させたりして,そこを歩くのを楽しみとする人が出てきました。
 アメリカにも,ルート66という,アメリカ大陸をシカゴからロサンゼルスまで横断するマザーロードがあります。ルート66はモータリゼーションの時代だから,日本の旧東海道とは違って,車で走れるようになっている道ですが,日本の旧東海道はもっと時代が遡って,歩いて,あるいは駕籠で,馬で,険しい峠を越え,川を渡りと険しい行程で進んだ道です。だから,実際に,徒歩で歩いてみると,そこらじゅうに昔の面影が残っていたりして,こころ暖かくなるものがあります。

 私は,ルート66は制覇したいけれど,旧東海道を江戸の日本橋から京都の三条大橋までを制覇する,という気持ちはありません。それは,日本らしい,容赦ない歴史の破壊と廃墟が,旅情以上に私のこころを傷つけるからなのですが,それでも,いろいろと調べていくと,きちんと保存されているところも残っているので,いいとこどりで,ここはおもしろそうだなというところにJRに乗って出かけていって,宿場間を歩くことが楽しみになりました。
 そうしてみると,その時代その時代に人が実際に歩き,そこで歌を詠み文学を書きといった出来事を知れば知るほど,その場所の風景を美しく感じることができるのだなあ,と気づきました。
 日本の旅は目や足でするものではなく,こころで感じるものなのです。
 そうした意味でも,これからも,少しでも多くの知識を得て,のんびりと歩きながら,その風景をこころで感じてみたいと思っているのです。

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 2016年の春に行ったハワイの旅行記はマウナケア山に登頂した4日目,4月1日(金)の続きからです。
  ・・

●海に沈む夕日を見たいものだと●
 昨日は,ハワイ島の最南端を通りキラウエア火山へ行った。そして,ヒロを経由してカイルアコナのホテルに戻ろうと,一昨日初めてヒロから走ったときと同じように州道200から州道190へ左折したのだがが,ちょうど日没の時間だったので,海に沈む夕日を見ようと思って,山の中を走る州道190を途中で右折して海岸線に沿った州道19へ遠回りした。
 しかし,州道19は海岸線沿いを走ってはいるものの,海岸線とはずいぶんと離れたところに道路があって,州道19から海岸に行く道が見つからないのだった。次第に天気も悪くなってきたこともあって海に沈む夕日を見ることができなかった。
 そこできょうこそ,ということで,私は,マウナケア山からカイルアコナまで急いで戻ってきたのだった。

 きょうは,まず,州道190からの景色をご覧ください。
 私の宿泊するホテルのある海岸線沿いがカイルアコナと呼ばれるところだが,州道190がそこに至るまでの高台には住宅街があって,住宅とともに教会,学校などがある。それが今日の1番目の写真の場所である。観光地でないから特にその場所を散策したわけではないが,道路も狭く車も多く歩行者もいるので「スピード注意」という場所であった。そこを過ぎて次第に海岸に降りていくと,2番目の写真のような州道19との交差点に差し掛かる。それを渡ると,3番目の写真のような海岸に降りてきて,そこがカイルアコナである。
 4番目の写真がその位置でのカーナビの表示で,これをみるとよくわかるが,そのまま海岸線まで狭くなった道路を進むとコナコーストまで行くことができるて,突き当りを左折すると,海岸線にそってずっと進むことができるのだ。だから私が昨日州道19を走って海岸線での夕日を見ようと考えたのは間違いで,カイルアコナから海岸線に沿って道路を南に走っていけば,どこからでも海に沈む夕日を眺めることができるのだった。

 このように,次第に土地勘ができてきたので,滞在3日目にして,この島で何をするべきががわかってきた。
 それとともに,来たばかりのときには,それで満足していたこと -マウナケア山頂にある天文台のドームが見られたらいいなあ,とか南十字星が見られたらいいなあ,など- もその基準が高くなってきた。つまり,「満天の空」で南十字星が見たい,海に沈みゆく夕日が見たい,キラウエアの火口で真っ赤な溶岩が見たい… というように。
 だから,マウナケア山から下山した今日こそは,海に沈む夕日を満足できる形で見たいものだと,私はそう思ったのだった。

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 長年,徳島に阿波おどりを見にいきたいと思っていたのですが,どのくらい混雑するのか予想もつきませんでした。このことは京都の五山の送り火も同様でした。
 私は昨年の6月サンフランシスコに行ったとき,偶然その日が「プライド・パレード」だった!のです。また,今年の3月ハワイ島に行ったとき,偶然その日が「メリー・モナーク・フェスティバル」(フラダンスフェスティバル)だった!のです。しかし,そんな時期にわざわざ行くとは,まさに知らないというのは無敵なものです。おかげでホテルを探すのに苦労しましたが,なんとかなりました。
 何がいいたいのかといえば,お祭りというのは余計なことなど考えないで行ってしまえばどうにかなるということなのです。
 チケットの必要なスポーツのイベントやコンサートとは違い,一般の人が参加するお祭りというのはそういうものなのでしょう。以前,これもそうとは知らず,ちょうど博多どんたくの日に福岡に行って,それでも泊まるところがあったのを思い出しました。

 阿波おどりが名古屋のどまつり(日本ど真ん中まつり)とか高知のよさこい祭りとか郡上踊りなどと違うのは有料の演舞場があって,お金を払ってそれを観覧する,ということでしょう。そこに出演するのは「連」と呼ばれるおどりのグループですが,彼らはプロではないので,出演料というのはないのだそうです。そして,「連」には「有名連」という伝統の連が33あって,そこに属している人たちは,一年中この日のために練習をしているのです。
 演舞場は,有料の場所が四つ,無料の演舞場もいくつか,そして,街角のあちこちでおどりが繰り広げられています。有料の演舞場のチケットは前売りが「ぴあ」などで売り出されますが,すぐに売り切れます。しかし,当日行けば手に入ります。
 よくわからないのが,有名連は有料の演舞場だけに出演するわけでもないし,有料の演舞場にも有名連以外の多くの連が出場することなのです。おそらく,有料の演舞場のメリットは有名連の出演表があるのでお目当ての連が確実に見られるということなのでしょう。

 今回行ってみて私が思ったのは,「自己満足の世界と人に見せるものの明白な違い」なのです。有料の演舞場に有名連のおどりを見にいったのに,そうでない連のなかには見せるには値しないものも多くあって,それを延々と見せられるものだから私は嫌になってしまったということです。それは,コンサートを見にいって,お目当てのアーティストの演奏の合間に前座が延々と演奏をするのに似ています。というか,前座のほうが多いのです。これではいけません。
 つまり,2時間の間に有名連の出ている時間はその5分の1もないわけで,あとの時間は,どうでもいいようなおどりを見せられるわけです。私は,そうしたものを排除してほしいということではなくて,そうしたものは先に演ずるとか,場所をかえるべきではないかと思ったということです。また,有名連のような洗練されたおどりと違って,鳴り物といっても笛や三味線がなく大太鼓と鉦だけが大きく響くだけのすさまじいおどりを見せられると,これは阿波おどりとはいえないのではないかと嫌悪感さえ覚えました。
  ・・
 阿波おどりは,演舞場だけでなく,お昼間に「アスティとくしま」という阿波おどり会館と「あわぎんホール」という市民会館のステージで見ることもできます。いずれも有料ですが「アスティとくしま」ではひとつの有名連が「あわぎんホール」では六つの有名連が出演します。チケットは当日の朝10時なら入手できます。だから,有名連の洗練された演技だけを見たいのならむしろ「あわぎんホール」に行くほうがいいのです。クーラーも効いているし,快適です。ただし,まつりというのはこうしてステージで見るものではないと思っている人もまた,たくさんいます。

 そんなわけで,私は,憧れの阿波おどりを見て,感動6割失望4割の結果となりました。
 もし,また行くのなら,演舞場の前売券は買わず宿泊の予約もせず,バスに乗って徳島に行って,お目当ての有名連の出演する有料の演舞場の当日券を購入して,有名連の出演する時間だけ見るという味わい方をすると思います。そして,四国はいいところなので,阿波おどりだけでなく,四国じゅうを旅行してきたいものだと思っています。

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 以前,「私は高等遊民になりたい-私が行きたい日本-」というテーマで,日本で行きたいところが2箇所だけ残っていると書きましたが,その2箇所は佐渡島と徳島でした。
 そうそう,ともに「島」となっていますが,佐渡島は「島」ですが徳島は「島」ではありません。この夏,その念願がひとつかない,私は徳島市で,阿波おどりを見,観光をすることができました。
 私は東京とか京都以外の日本を旅するよりも,むしろアメリカを旅することのほうが多いので,日本国内でこれまで行ったことのない町に行くと,結局は日本もアメリカも旅をするという基本においては同じなんだなあ,と思いました。今回も,ガイドブックなどはほとんど,というよりもまったく読まず,何があるかはすべて到着してからの楽しみということで,2泊3日,小さなバックパックに2泊分の着替えだけもって出かけました。

 まず,名古屋から徳島へ行く方法がわかりませんでした。
 これもいつも書いていることですが,日本国内を旅行するのに車は不似合いです。なるべくなら公共交通機関を使いたいものです。そこで,行きはとりあえず一番安易な方法ということで,名古屋から岡山まで新幹線に乗って,岡山から徳島まで「うずしお」という特急に乗りました。岡山から先はディーゼルでしかも単線。揺れるし遅いし遠回りだし,とても不便でした。
 日本というのは中途半端にモータリゼーションが発達してしまったから,車を使わないと,どこへ行くにもかなり不便です。しかし,この鉄道に乗ることでそうしたことがわかったのが何よりでした。おそらく車で旅行しているば,こういう現実すら認識しないことでしょう。
 結局,行ってみてわかったことは,名古屋と徳島間は,早朝と深夜だけですが直行のバスあったのです。しかし,一番多くバスの便があったのは大阪と徳島間で,京都と徳島間というものありました。それらはすべて淡路島を通るので景色もよいから,徳島へ行くにはバスをを利用するのが原理だったのです。
 名古屋から京都,あるいは名古屋から大阪の高速道路は混むので,京都あるいは大阪まで鉄道で行って,そこからバスを利用するのが一番なのでしょう。これが結論です。

 徳島市というのは人口が24万人で,すべて徒歩圏内で歩きまわれるから観光には手ごろな町です。このあたりでいえば大垣くらいの規模の町だといえばいいでしょうか。ただし,大垣市はJR駅の北側にモールができてしまったので,本来の駅前が寂れつつありますが,徳島市にはそういうモールがないので,昔からの駅前の繁栄が残っています。
 徳島は,江戸時代,藍染と塩で栄えたところ。阿波おどりの演舞場のひとつが「藍場浜」というもこれで納得がいきます。江戸時代の殿様は蜂須賀家で,これは,「阿波よしこの」(阿波おどりで唄われている唄)にも出てきます。
 私は以前熊本に行ったときに,熊本の殿様は細川家なのですが,いまでも愛されているのは(加藤)清正公だと知って驚いたことがあります。こうした江戸初期の落下傘領主というのは,その後,領民に愛されていたかどうかは行ってみてはじめてわかるものですが,どうやら徳島では蜂須賀家は愛されていたようです。また,徳島は瀬戸内寂聴さんの生まれたところでもあります。

 私は,徳島で,阿波おどりを見たほかに,「ひょうたん島遊覧船」と「眉山ロープウェイ」に乗りました。というか,観光資源はこれくらいのものでした。
 「ひょうたん島遊覧船」というのは,徳島市の中心部が新町川と助任川に囲まれた中州になっていて,その形がひょうたんに似ているから名づけられているのですが,暑いなか川の水のすずしい空気に触れることができました。橋がかなり低く,ちょうど満潮時で水がかなり高かったので,あやうく頭を橋にぶつけるほどでスリルがありました。残念だったのは,全く町の案内がないということで,ただ船に乗っているだけ。こんなのはアメリカのクルーズではあり得ませんし,川の水は汚く,ペットボトルをはじめゴミだらけと,数日前に乗ったポトマック川とはえらい違いでした。これが日本の姿なのです。
 「眉山ロープウェイ」で登った眉山は標高が200メートルほどの小山なのですが,想像以上に景色がよく,これは登る甲斐がありました。
 日本国内を観光するときは,町の歴史を知らないとその魅力のほとんどはわかりません。そういった意味も含めて,徳島市はなかなかよい町で,私は気に入りました。阿波おどりの期間中の宿泊は,ネットなどで探してもすべて満室なのですが,実際は大丈夫,なんとかなるのだそうです。つまり行ってしまえはあとはどうにでもなるのです。
 阿波おどりについては,次回書きましょう。

◇◇◇
私は「高等遊民」になりたい-私が行きたい日本

私はアメリカ合衆国50州制覇とMLB30球団制覇を目標にこれまで旅を続けてきました。今回の旅ではMLB30球団のなかで残った四つのボールパークに行って5ゲーム見ました。
四つのボールパークとはフロリダ,ワシントン,フィラデルフィア,ボルチモアでしたが,そのなかで三つは距離も近いのですが,フロリダだけがとびぬけて離れています。
ずいぶん前にフロリダ州へ行ったときに,現在マイアミ・マーリンズとよばれるチームは,フロリダ・マーリンズといっていました。またボールパークも,現在のものとは違って,NFLと共同利用のサンライフスタジアムという,広いだけでマイアミのダウンタウンから遠い不便なところにあるのものだったのですが,それでもそのボールパークへ行かなかったことをずっと後悔していました。そのときの旅では,フロリダで毎晩のようにマイナーリーグのゲームを見て過ごしたのですが,それにもかかわらず,です。タンパベイレイズ (現在のレイズ)のボールパーク(トロピカーナフィールド)には行ったのですが…。

ボールパークに行くためだけにわざわざマイアミへまた出かけるのはあまりに遠いので,今回もどうしようかずいぶんと迷いました。いっそのこと,50州を制覇するために,今回はサウスカロライナ州とノースカロライナ州とそのついでにフロリダ州だけ行くことにして,30球団制覇のためにワシントン,フィラデルフィア,ボルチモアに行くのは次回まわしにしようかとも思いました。
  ・・
私が今回の旅の計画を立てていたのは3月のことで,イチロー選手の3,000本安打というイベントが起きるなどとはそのときは夢にも思いませんでした。わざわざ見にいったとしても,イチロー選手が出場するかどうかもわからず,代打で出てくれれば儲けもの,というような気がしていたから,まったく期待をしていませんでした。私の目的はマイアミのボールパークへ行くことで,イチロー選手を見ることではなかったのです。
結局,私はこの旅で50州制覇と30球団のボールパーク制覇を同時に達成してしまおうというかなり無謀な計画を実行することとなり,しかも行く日が近づくにつれて,イチロー選手の3,000本安打というイベントが現実になってきて,慌ててマイアミで1ゲーム余分にゲームを見ることにしたことで,その結果,想像以上に貴重な経験をすることができたわけです。
また,ボルチモアのボールパーク,カムデンヤーズはずっと行きたかったところだったのですが,対戦相手がテキサスレンジャーズで,まさか先発がダルビッシュ投手だとは夢にも思いませんでした。昨年シアトルでマリナーズのゲームを見たときの対戦相手がやはりテキサスで,このときはシアトルの先発は幸運なことに岩隈投手だったのですが,それ以上にダルビッシュ投手が見たいなあという願望は,残念ながらかないませんでした。
そうしたいというときにはかなわず,無心になるとかなう… 不思議なものです。

今回行った四つのボールパークは,どれも新しいものでしたが,すでにブログに書いたように,このなかではワシントンが一番でした。
フロリダは,以前のボールパークよりは近くなったとはえ,やはりダウンタウンからは少し遠く,というよりもマイアミはダウンタウン自体が宿泊に適しているとはいえず,結局,どこに宿泊するにしても,ボールパークへ行くためには車を利用するほうが便利だったのですが,球団のオフィシャルパーキングは事前予約がないと利用できないということが行ってみてわかりました。また,ボールパーク自体にはほとんど魅力はありませんでした。
ボルチモアは再三書いているようにかなりの(危険な)町です。安全を確保するために,ボールパークから数ブロックの徒歩圏内にある「デイズイン」というホテルを予約するのが最適です。ボールパーク自体はやはり評判通り美しく素晴らしいところなので一度は行ってみたいところですが,ボルチモアという町は,私のアメリカ人の友人たちがだれしも共通して「怖い町だ」というから,やはり怖い町なのでしょう。
その点,フィラデルフィアとワシントンに共通するのは,地下鉄でも車でもアクセスが便利で,町も治安が悪くないので,地下鉄の駅に近いところにホテルをとれば,なんの問題もなくゲームを楽しむことができるということです。なかでもワシントンはファンサービスも群を抜いているので,とても楽しく観戦ができます。

このように,日本人がMLBを見ようと思ったとき,車さえあればどこでもなんとかなるのですが,車の利用できない個人旅行となると,結構大変なところもいくつかあります。
車も利用せず,でも,一度はMLBを見てみたいという人は,シアトル,サンフランシスコ,サンディエゴ,デンバー,ボストン,ニューヨーク,ミネアポリス,トロント,フィラデルフィア,ワシントンDCといった都会に出かける機会があったときには,これらの町のボールパークなら公共交通機関で行けるので,ぜひ足を運んでみるとよいと思います。
しかし,アメリカでは雨が降っても日にちが変更されるだけでチケットは払い戻しにならないので,日程に制限があれば,開閉式の屋根があって雨天中止にならず,しかもチケットの入手が容易で,ボールパークも豪華なシアトルでマリナーズのゲームをご覧になることを,私はお勧めします。お寿司も食べられます。

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私は,こうしてアメリカ合衆国50州とMLB30球団を制覇して日本に帰ってきました。
行く前にホテルや現地のツアーを予約したとき,本当にこの予約が実現するのかなあ,という不安がかなりありました。西海岸に比べて東海岸ははるかに遠いのです。そして,フロリダ最南端からフィラデルフィアまでこれまでにないほどの長距離ドライブでした。そしてまた,その途中で今回はこれまでずっとしたかったことをすべて織り込んだために大忙しの旅になりましたが,すべてを実現することができました。

旅行に出かける前に,「旅行LIVE」のプロローグに次の4つのことを実現したいと書きました。今日はこの4つのことについて,エピローグとして,実際に写してきた写真をごらんいただくことにしましょう。
それらは次のことでした。
  ・・・・・・
1.これまでに行っていないMLB4チームのボールパークにすべて行って,ゲームを観戦する。
 残念ながらイチロー選手の3,000本安打は見ることができませんでしたが,素晴らしい体験ができました。ダルビッシュ投手を見ることができたのは望外なことでした。
2.実際に宇宙に行ったスペースシャトルを見る。
 実際に宇宙を飛行した「アトランティス」と「ディスカバリー」はやはり素晴らしいものでした。破壊された「コロンビア」と「チャレンジャー」の残骸は衝撃的でした。
3.映画「ロッキー」の像の前で写真をとる。
 みんなが同じポーズで写真を写していました。
4.アーミッシュのふるさとを訪ねる。
 アーミッシュの人たちがどのようにして信仰をしているのかはこれから改めて勉強してみたいと思いました。
  ・・・・・・

では,写真をご覧ください。

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帰国への最終段階となりました。
今回の旅では,デトロイトから日本に帰国するために,フィラデルフィアからデトロイトまで乗る国内線が9時過ぎの出発と,いつもよりはかなり遅く助かりました。しかし,デトロイトでの乗り換え時間が1時間強しかないので,フィラデルフィアの出発が遅れたら日本に帰れません。しかし,そのときにどうするかはすでに経験済みなので,私はまったく心配はしていませんでした。
それよりも,いつものように帰国の日は空港近くの安ホテルに宿泊したのですが,実はこのホテルがアメリカに来る前から一番の問題だったのです。
寝るだけのためのホテルということで,なるべく安価なものにするのですが,アメリカのホテルというのは10,000円を切るとたいていロクでもなくなるのです。大した考えもなく予約をしてしまったこのホテルははっきりいって失敗だったというのは来る前からわかっていましたが,キャンセル不可というものだったのであきらめていました。最も問題だったのは空港からホテルまでのアクセスで,ホテルにはシャトルサービスがあるのですが,これはホテルから空港へ行くには便利でもその反対は決して便利なものでないのです。

調べてみると,空港からホテルの近くまでセプタというフィラデルフィアの市バスが走っているのがわかったので,その市バスで行くことにしていました。しかし,うまくいくかどうか保証がありませんでした。
前日まで,フィラデルフィア中心街の私の泊まっていたホテルから空港までの行き方もよくわかりませんでしたが,こちらのほうは調べてみると直通電車が走っていて,日本の地下鉄と私鉄の乗り継ぎと同じように,地下鉄の15thストリート駅と接続するように空港へ行く鉄道の駅がありました。
昼過ぎにホテルに戻った私は朝チェックアウトしたときにフロントに預けておいたカバンを受け取ってそのまま空港へ直通する電車と接続する地下鉄の15thストリート駅まで歩いていって,まず,キップ売り場でキップを買いました。「地球の歩き方」には8ドルと書いてありましたが,実際は6ドル20セントでした。改札はなく階段を降りたところにホームがありました。そこで電車を待ち,やがてきた電車に乗ると20分くらいで空港に着きました。
実は,この電車の雰囲気があまりよくないことを除けばこのようにフィラデルフィアは空港とダウンタウンのアクセスはものすごく便利だったのです。こんなくらいなら空港の近くにホテルを予約する必要はなく,もう一晩,同じホテルに宿泊すればよかったのです。
空港に着いて,まず,デルタ空港の自動チェックイン機で明日のフライトのチェックインをしました。ついでにこのときに邪魔なカバンを預けてしまおうという目論見でした。
月曜日にダウンしたデルタ航空のコンピュータはこの日は無事動いていました。しかし,その場で重たいカバンを預けてしまおうという目論見は明日のフライトだからと断られました。こんなことならわざわざチェックインのために空港のチケッティングに立ち寄る必要などありませんでした。仕方がないので,カバンを転がしながらセプタの乗り場に向かいました。バス停が徒歩圏内にあるのかどうかも不安だったのですが,空港の建物を出たところにバス停も問題なく見つかりました。ここまでは思っていたよりも全てがスムーズでした。

しかし,あいにくバスは行ったばかりで,なかなか来る気配がありませんでした。同じ番号のバスでも行き先が2通りありました。上りと下りなのでしょう。やがて来たバスは反対方面でした。さらに待つとやっとバスが来たのに運転手はわたしの存在に気づかずあっさりとバス停を通り過ぎていってしまいました。走って追いかけバスは幸いにもなんとか次のターミナルの停留所に停まったので乗り込んで無愛想な運転手に私の降りる場所を伝えました。
このバスの大柄な黒人の運転手はバスを運転しているという自覚が全くなく,ただ単に運転しているだけなんです。しかも全く車内放送もしないので,これではどこを走っているのかどこで降りるかさっぱりわかりません。しかも合図をしなければどんどん通過していってしまうのです。
しかし,信じられないことに乗ったときに降りる場所を伝えておいたおかげで私の降りる場所を教えてくれたので,私は無事にホテルの前でバスを降りることができました。

ホテルは想像通りのひどいもので,禁煙として予約したのにタバコくさいし,散々でした。
テレビの映りとWifiと風呂のお湯だけは一流ホテルと変わらなかったのが不思議なところでした。今,NBCはオリンピックの独占放送をずっとやっていて楽しみにしている「トゥナイトショー」も放送が中止でした。別の放送局で日本でも放送されているドラマ「キャッスル」をずっとやっていました。なにせ朝と昼に食べ過ぎたので,私は翌朝まで夕食もとらずテレビを見ながらベッドでゴロゴロしていました。
寝たのか寝なかったのかわからぬまま翌日の朝が来ました。
  ・・
翌日の朝は6時にホテルをチェックアウトして,ホテルのシャトルバスで空港に行きました。シャトルバスの運転手も無愛想で降りるときにチップを渡してやらなかったからか,なり不快な顔をされました。
なんとかこうして私はフィラデルフィア国際空港に着きました。あとは予定通りにフライトが飛ぶだけですが,それもまた心配でした。
私が空港に着いて何が快適かというと,プライオリティ特権で空港のセキュリティが優先されることと静かなラウンジで長い時間,食べ放題飲み放題で過ごせるということなのです。
幸い帰国便は正常に運行されているようでした。フィラデルフィアからデトロイトまではいつものようにファーストクラスにグレードアップされていました。デトロイトからセントレアは前日にネットで座席の空きをチェックしたら無料でデルタコンフォートへの変更ができました。

出発までデルタワンのラウンジで朝食をとっていたので知らなかったのですが,飛行機に乗ってから外を見ると大雨が降っていました。私の旅行中は蒸し暑かったとはいえ,車で移動しているとき以外は雨が降らず助かりました。
私の乗った旅客機は混みあうフィラデルフィア国際空港でずいぶんと離陸順番待ちをしていて出発が遅れたけれど,離陸後は空の上で後れを取り戻し,デトロイト到着は定刻どおりでした。
乗り換え時間がほどんどないので,ゲートを出てそのまま勝手知ったデトロイトのAターミナルを速足で急いでいくと,すでに帰国便の搭乗がはじまっていました。
デトロイトからのフライトは定刻どおりに出発して,12時間あまりの飛行ののち定刻より50分も早くセントレア・中部国際空港に到着しました。
  ・・
こうして今回の旅も無事に終了しました。これまでにずっとやりたかったことをすべて盛り込んだので大忙しの旅になって,あっという間の17日間でした。
それにしても,夏に東海岸を旅するなど暑い日本を出てさらに蒸し暑いところに来るだけで馬鹿げていました。それに東海岸は西海岸やロッキー山脈地帯に比べてはるかに遠く,また,かなり物騒なところでした。
今回はこれまでの旅と違ってずいぶんと事前の準備をしましたが,行きのフライトから遅れが出て予定が崩れたので先が思いやられました。そのときは最後まで無事に行けるのかなあと不安でしたが,その後は順調すぎるほど順調で,なんの問題もなく日程を消化して,数えきれないほどの思い出ができました。

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今日はこの長い旅の実質上最後の日でした。実際はもう1日あるのですが,明日は午前9時過ぎのフライトでフィラデルフィアからデトロイトを経由して帰国するだけです。
月曜日にデルタ航空のアトランタの本社が停電を起こしシステムがダウンし,かなりのフライトがキャンセルになったということで,今回もまた予定どおりに帰れるのかかなり心配です。
  ・・
最終日はフィラデルフィアの歴史地区の見学でした。見たいのはリバティベルでした。
まず朝7時にホテルをチェックアウトしてフロントにカバンを預けて地下鉄に乗りました。
フィラデルフィアの市街地は碁盤の目のようになっていて,私の宿泊していた近くの市庁舎のあるところが原点で,そこから座標軸のように東西にはマーケットストリートが4キロメートル,南北には15thストリートが6キロメートルというのが範囲で,その道路に沿って地下鉄が走っています。そして,マーケットストリート沿いに2キロメートル西の果てまで行くとアムトラックの駅があり,東に2キロメートル行けば歴史地区,15thストリート沿いに南に4キロメートル行くとボールパークがあります。この街の見どころはそれくらいです。
南北に走る道路は東から順にフロントストリート,2ndストリート,3rdストリート…,となって,一番西のアムトラックの駅があるのが30thストリートです。
北西から市庁舎まで斜めに道路・ベンジャミンフランクリンハイウェイが1本走っていて,その北西の先が美術館です。また,アムトラックの駅からさらに4キロメートルくらい南西の郊外に行くとデラウェアリバーに沿って空港があります。

この日は気温は低いのですがものすごく蒸し暑く,雨が降るかもしれないということでしたが,結局雨は降りませんでした。
地下鉄で5thストリート駅に着いて地上に出たところにビュッフェ形式のチャイニーズレストランがありました。すでに書いたように,フィラデルフィアは食べ物には困らないところです。この日はホテルに朝食がなかったのでlそこで朝食を済ませ,まず歴史地区の周りを散策しました。
1700年代の街がそのまま残るエルフレス小径や星条旗を初めて縫ったベッツィロスの家,フランクリンの眠る墓など,この辺りはどこを歩いても楽しいところでした。こういう歴史的に古い場所は西海岸にはありません。テキサス州やニューメキシコ州にはまた別の歴史地区があります。
やがてビジターセンターの開く時間になったので,予約をしておいた独立記念館のチケットを手に入れました。
  ・・
今回の旅では,ワシントンDCの国会議事堂とこの独立記念館のチケットを来る前に予約しておいたのですが,来てみたらどこも混雑しておらず,当日チケットを買えばそれで十分でした。
独立記念館の指定された見学時間は10時からだったので,その前にリバティベルを見ることにしました。ここも入るのに列ができるということでしたが,9時開館だったのでそれより前に並んだら一番でした。リバティベルはリバティベルセンターという建物のなかの一番奥にありました。思ったよりも大きく威厳がありました。それにしても,どうしてヒビが入ってしまったのでしょうか。
独立記念館は独立宣言や憲法制定会議が行われた場所で,数えてみるとちゃんと13の代表席がありました。説明をしたおじさんがすごくおもしろく,目の前に当時の姿が浮かんでくるようでした。独立記念館を出てさらに隣の国会議事堂にも入ることができました。
まさにここがアメリカ合衆国が誕生したところなのですが,私はここで作られた独立宣言と憲法のホンモノをワシントンDCで見てきただけに感慨がありました。
ワシントンDCもそうですが,こうした国立の施設は全て無料です。

こうして見どころを楽しんだあと,さらに行きたいところがあったのですが,不快指数100パーセントこの蒸し暑さに全くその気をなくし,もうこれでこの旅の日程を終了することにしました。
クーラーの効いたビジターセンターで昼食を食べて地下鉄で15thストリート駅に戻りました。ホテルまでの途中でレディングターミナルマーケットへ寄りました。ここは120年前から続く市場で,ちょうど昼食時でもあり,チャーハンが400円くらいと,こちらの物価からは信じられない程の値段の食べ物がたくさんあって,大勢の人でごった返していました。なんだか日本に帰ったような気がしたところでした。
ホテルにもどって預けておいたカバンを受け取って,空港へ行くことにしました。今晩は空港近くのホテルに移動して1泊したのち,明日の朝のフライトをデトロイト経由で乗り継いで帰国することになります。


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フィラデルフィアのいいのはワシントンDCとは違って食事に事欠かないということです。ワシントンDCでもお金を出せばなんでも食べられますが,ダウンタウンで中華料理や日本料理を安価に食べようとしてもなかなか大変です。博物館や国会議事堂には広いカフェテリアがありますが閉まるのが早いので昼食にはいいのですが夕食には困ります。
私が再びフィラデルフィアに着いて一番ホッとしたのはそのことでした。
しかし,デンバー,ミネアポリス,ソルトレイクシティ,シアトル,ポートランド(オレゴン州)などと比べて,ワシントンDCもフィラデルフィアも街中にホームレスが多いのには驚かされます。ボルチモアなんてホームレスだらけです。
フィラデルフィアの歴史地区の観光は明日の予定なので,今日の午後は再び美術館に行くことにしました。6日前は行ったといってもただ外で写真を撮っただけなのです。やはり美術館はなかに入って絵画を鑑賞する必要があります。ということでこの日の昼食は美術館のなかのカフェテリアでとることにしました。
車でなくフィラデルフィアを観光するときに一番困るのがこの美術館なのです。ここに行くには地下鉄が通っていないので,バスに乗るか歩く必要があります。私が泊まっている市庁舎近くのホテルからは徒歩で20分くらいでしょうか。大した距離ではないのですが,異常に蒸し暑いのでかなりこたえました。
美術館は今日も階段下にあるロッキーの像とロッキーステップには観光客があふれていて,みんな同じポーズで写真を撮りロッキーのテーマを口ずさみながら階段を駆け上がっているのですが,なかには入らないために美術館はすごく空いているのです。
ここにはゴッホの「ひまわり」やセザンヌの「大水浴」を始めとして有名な作品がたくさんあるのですが,そんな貴重な絵画の前でも見ている人はほとんどいませんでした 。さらにここには,ルノアールやゴッホ,デュシャンなどの絵画がたくさんあって,私は見入っていたら閉館時間になってしまいました。
再び歩いてホテルまで戻って,夕食はホテルの前のビル・リバティプラザの2階のフードコートで塩バターラーメンにしました。作っている黒人のお兄さんは手つきが震えておぼつかず心配になりましたが,味はかなり良かったです。
ここにはお寿司とかの日本料理やチャーハンなどの中華料理のほかにも,タイ料理,インド料理,地中海料理などもあって,日本のフードコートよりずっと種類も充実していたのですが,このなかで私はカレーを食べ損ねたのが残念でした。

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いよいよファイナルディスティネーション,今日はメガバスでフィラデルフィアに行きます。
そもそもフィラデルフィアに戻らなければならないのは帰りのフライトをフィラデルフィアからにしてしまったのが原因なのですが,そのためにワシントンDCとフィラデルフィアを往復することになってしまいました。
せっかくなので,今回はアムトラックではなくてメガバスという格安バスにしました。運賃は5ドルでした。座席が選べたので2階の最前列にして追加料金を5ドル払って計10ドルになりました。
出発するのはアムトラックと同じユニオンステーションで, 朝食後ホテルをチェックアウトして向かいました。
ユニオンステーションの3階がバスターミナルになっていてそこからグレイハウンドなどの長距離バスが出発します。私が乗る格安バスのメガバスのほかに,ピーターパン,ボルトバスなんいう表示があったのですが,それはいったいどんなバスなのでしょうか。
そういえば,アメリカではウーバーというのが流行っています。これは合法的白タクで,ネットで予約し支払いもネットで済ますというものなのですが,日本にも進出しようとして政府の規制がかかりました。こういうときいつも日本政府は偉そうですね。幕末の黒船以来やっていることは同じです。こうしてどんどんと世界から取り残されていくわけです。
家のなかだけで威張っている親父や社会性も能力もなくつぶしも効かず学校のなかだけでしか生きていけないのに生徒の前では偉そうな教師と同じです。
さてメガバスですが,午前9時半の出発でフィラデルフィアの到着は午後1時5分なので3時間半程度です。アムトラックの2倍です。ということはアムトラックというのはバスよりも2倍も早いのかと思ったのですが,メガバスは途中で2回インターステイツを降りてボルチモアとニューアークに停まるのでした。
このメガバスは日にちや時間でえらく運賃が違うというのもまたアメリカらしい話です。この日は平日の午前中ということですごく安く利用できました。バスは日本のJRのドリーム号と同じ車種でした。バスの中はWifiがつながるのですが,せっかく乗ったし座席は2階一番前なので景色を見て過ごすことにしました。隣に座ったのがむさ苦しいおじさんだったのは不運でしたが,展望も良く快適でした。
ワシントンDCからボルチモアまでは数日前に走ったインターステイツ95。そのときはボルチモアからはインターステイツを離れてランカスターに行ったから、ボルチモアから先のインターステイツ95は初めて通る道路でした。いや,よく考えたら35年前に来たときにグレイハウンドハウンドバスに乗ってすでに走っています。

途中メリーランド州のボルチモアとデラウエア州のニューアークで停車しました。
ボルチモアはあの危険なダウンタウンを通るのかと期待?したのですが,ローズデールという郊外町のモールに停まったので観光用にボルチモアへ行くにはメガバスは利用できないでしょう。ニューアークはデラウェア大学の構内でしたがとても美しいところでした。ニューアークのような規模の都会はアメリカで一番過ごしやすいものです。
インターステイツ95は反対車線が事故で車がひっくり返っていて,そこに消防車とパトカーが来て道をふさぎ大渋滞で大変そうでしたが,私の乗ったバスの走っているほうは順調で時間どおりにフィラデルフィアに到着しました。メガバスの停留所は30thストリート駅から100メートルも離れた人気のない危険なところなどという書き込みがありましたが,東京の八重洲口から少し離れた格安バスの停留所とかわるものではありませんでした。アメリカだというとすぐにこうして騒ぎ立てる輩がいるのが困ったことです。
今日のホテルは6日前に泊まったところと同じです。2回目というともう私にはかなりの余裕があって地下鉄に乗ってすぐにホテルに到着しました。チェックインの時間より少し早かったけれど部屋に入れてホッとしました。
いよいよ旅も最終段階です。

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徳島に来て思ったのは,ここは30年前の日本だということです。JRは単線の非電化,つまり電車でなくてディーゼル機関車で,すれ違いが出来ないので10分以上平気で遅れたりします。そして,アメリカのアムトラック以上に揺れます。
元来,日本というのはある意味適当でまったりとした居心地のよい国であって,この程度のいい加減さがよかったのです。バブル景気で浮かれた反動で起きたバブル景気の崩壊が日本を今のように何事も効率優先のおかしな国にしてしまったのです。国も国民も能力もないのにそれ以上のことをやろうとするから余裕がないのです。そして些細なことでチクリ合いをするという陰湿な国になってしまったのです。
そういう意味では,30年前の日本が残っている徳島を旅行しているとアメリカ旅行をまだ続けているような気がしました。徳島駅にあったのもスターバックスにユニクロ。これもアメリカと同じじゃあないか!
ということで,今日は徳島2日目。
ホテルの窓からは雲の中から太陽が輝きそれが海に反射してとても美しく見えました。朝食はフロントの隣の食堂でこれもアメリカのモーテルそっくりだったのですが,御飯にお味噌汁というのが逆に戸惑います。
ところで,全くこの街に無知な私は,情報のないアメリカの小都市を旅をするのと同じようにして徳島市という街を探求し,阿波おどりを満喫しているのですが,今日の午前中は「あわぎんホール」のステージで行われる有名連六つの公演を見ることにして当日券を買い求めました。
この旅の私の目的は「娯茶平」という有名連を見ることだったのですが,残念ながら私が事前に購入していた時間はその演舞場に出場しないのでした。しかし,演舞場の観覧券は,ネットでは前売り券が売り切れでも実際は当日券が簡単に買えたので,事前に買う必要などなかったのです。そんなこと知らなかった私はがっかりでした。
そこで改めて調べてみたら,今日のお昼間「あわぎんホール」に出場する連のリストに「娯茶平」があるのを見つけたので行くことにしたわけです。この会場も朝10時に売り出される当日券がその時間に行けば手に入ります。一度はあきらめていただけにいつもながらこの幸運に私は歓喜しました。 この徳島の阿波おどりで最も人数の多い連の連長である岡秀昭さんは,NHKBSプレミアムで放送された阿波おどりの番組で解説をされていた人そのものなのですが,私はこの連長さん見たさに徳島市まで来たようなものです。
では,今日も写したての写真をご覧ください。昨日も今日もイメージ通りのものが撮れました。

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アメリカ旅行LIVEをお読みいただいていますが,ご承知のように,このLIVEは4日ほどずれがありまして,私は8月12日に帰国しています。そして,時差ぼけも直らぬ14日に,2泊3日で今度は四国徳島市に阿波おどりを見にきました。
そこで,特別編に横入りして,今日と明日は阿波おどりのお話です。
NHKBSプレミアムで放送されて以来,徳島市で阿波おどりを一度はナマで見てみたいと思い続けていたのですが,暑いということと,お盆時期で行くのが大変そうということと,毎年この時期はアメリカ旅行をしているということで,なかなかかないませんでした。今年こそはと思ったので,帰国を早めて,アメリカ旅行に行く前にJRのチケットを取り,阿波おどりの桟敷席も入手して,徳島市へ来ることにしてあったのです。

来てみてわかったのはひとり旅なら泊まるところも市内になんとか確保できるということだったのですが,来る前にネットで探したときには全く見つからず,仕方がないので阿波橘というところのビジネスホテルを予約しました。
阿波橘まで来る途中に阿南という駅があったので,遅い夕食をとろうと思って降りてみたのですが,ほとんどアメリカと変わらず,食事をする場所を探すのも大変,どうにかコメダを見つけてことなきを得ましたが,予約したホテルの部屋にいたっては,アメリカのモーテルとほぼ同じで,まだアメリカ旅行の続きをしているような感じです。ただし,コーヒーメーカーの代わりにお湯沸かしポットと緑茶とか寝巻きとかがあるのが日本だなあと思わせます。私には逆にカルチャーショックです。 それにしても暑いのなんのって,そしてどこにこんなに人がいるのかというほど人がいて,徳島市内だけはすごい状態でした。
そして,予想以上に有名連のおどりの素晴らしかったこと! 感動しました。これを見ないで何を見る!
詳しい話はまた後日ということで,今日は私が写したばかりの写真をご覧ください。

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今日はワシントンDCの最終日。午後に国会議事堂を見学するツアーの予約をいれておいたので,それまでをどう過ごそうか考えました。
35年前に来てワシントンDCは大方見たので,今回来たのはMLBを見るためだけだったのですが,それなのに何と4泊もしてしまったので,まあ行くことができればいいしできなくてもいいし,程度に気ままな観光をしているのですが,今考えてみても,35年前にひとりでアメリカに来てよくもまた精力的にあちこち歩き回れたものだとそのときの自分に感心します。
それほど英語もできなかったと思うし,自分でも信じられません。若いというのはすごいものです。そのときは国会議事堂の見学をするつもりで間違えて議会の傍聴をしてしまったくらいなのです。今ではそんなことはできません。
調べた結果,朝一番でまずはフォード劇場に行くことにしました。
フォード劇場というのはリンカーンが暗殺されたところ。朝9時開館なのですが午前8時30分に整理券が配られるというので並びました。まず地下の博物館に案内されてしばらくしてから劇場に行くことができました。そしてそのあとで道を隔てたところにある,狙撃されたリンカーンが運び込まれて息絶えたピーターセンハウスの見学となりました。時系列で展示がされていてとても充実していました。
次に行ったのが国立公文書館でした。ここでは独立宣言と合衆国憲法と人権宣言のホンモノを見ることができましたが35年前に来たのを思い出しました。
その次は自然史博物館でした。ここには45カラットのダイヤモンドとか珍しいものがたくさんありました。
時間が近づいてきたので国会議事堂まで歩いて行ったのですが,これは選択を誤りました。
暑いなかをえらく遠い距離を歩くことになってしまいましたが,ともかくビジターセンターになんとか到着して見学ツアーコースに並びました。特に予約などしていかなくとも問題なく見学ができるのでした。見学は期待はずれというか,見学ツアーでしか入れないというところはほんの限定的なところで,その他の場所は自由に見学ができるのでした。その後,そのまま建物の中を通ってトーマスジェファーソン図書館へ行ったのですが,国会議事堂よりもこちらの方が凄かったのです。こちらを見逃している人も多いでしょうが,これを見逃す手はありません。ここは,建物のなかは素晴らしい装飾が施されていて,グーテンベルクの聖書やジェファーソンが寄贈した蔵書の山を見ることができました。
帰りはさすがに歩くのは懲りたので,地下鉄でスミソニアン駅まで戻ってアメリカ史博物館へ行きました。ここは全く期待していなかったのにも関わらず,ベーブルースのサインボールとかモハメドアリの使ったグローブとかすごく広く興味深い展示がたくさんありました。
ダウンタウンでサンドウィッチとスープの夕食ををとってから,帰宅時間(午後5時)と重なって少しだけ混雑する地下鉄でホテルに戻りました。
これでこの旅のワシントンDCはおしまいです。
私が泊まったホテル「エコノロッジメトロ」は大正解でした。もしワシントンDC観光をされる方があれば,このホテルをお勧めします。レーガン,ダラスどちらの国際空港からも地下鉄で便利にアクセスできますし車なら広い駐車場があります。

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今日のイベントはMLBワシントン・ナショナルズのゲームを見ることでした。ゲームは午後からなので午前中どうしようかと考えて結局航空宇宙博物館へ行きました。私にはやはりこういうところが心躍ります。
月の石は幾つか展示してあるし,結構新しい展示もあったし,随分と楽しめました。
それにしても35年前に来たときから考えるとワシントンDCのモールも随分と汚くなったなあというのが実感でした。そしてまた,あの頃はこんなに混雑していなかったのにとも思いました。
お昼は博物館の巨大なフードコートで済ませて,その後,ボールパークに向かいました。
地下鉄に乗ってたったの2駅でナショナルズパークに着きました。ついにこれでMLB30球団のボールパーク訪問の達成です。思えば36年前にロサンゼルスでドジャースタジアムに行って夢中になってからの長い道のりでした。
入るときにこのボールパークの係りの人にそういう話をしたら,このボールパークの初回訪問証明書をあげましょうといって作ってくれました。ベースボールカードももらいました。奇しくも今日はイチローも3,000本安打を達成した日でした。
ここのボールパークはいいです。ものすごく雰囲気がいいのです。Wifiも問題なく全席でつながります。今回の旅で行った四つのボールパークのなかで問題なく最高です。お客さんを楽しませることを心がけています。それで思わず私はゲームに夢中になってしまいました。
全て行った30のボールパークのなかで私が特にお勧めするのは,フェンウェイパークとリグレーフィールドは別格として,今日イチローが記録を達成したデンバーを始め,ミネアポリスとシアトルですが,ここワシントンもその仲間入りです。ボルチモアはボールパークは素晴らしいのですが,街の治安が悪すぎます。
ボールパークに行くたびに思うのは,ここに来ている人たちはそれにしてもよく食いよく飲むことです。ビールなんて小瓶が1本1,000円もするのに4本も5本も飲んでるし,ホットドッグなんて800円もするのによくこんなもの買うなあと思います。水がペットボトルで300円,コーラがミディアムサイズのコップで500円,コップにチームのロゴが入ると800円,みんなが着ている球団をあしらったユニフォームなんて10,000円は下らないのです。ボールパークのなかは物価めちゃくちゃです。
私が何度アメリカに来ても本当によくわからないのは,普通の夕食を食べても何千円もしてしまうし,みんなえらくすごい車に乗っているのだけど,どう考えたってこれじゃあ日本の一般の人に比べたら3倍も4倍も収入がなければおかしいのです。それに平日だといってもどこもすごい人混みだし,アメリカ人ってそんなにお金もちで暇なんだろうか? いったいどうなっているのだろう? ということです。
なんかちまちまと早朝から夜中まで非効率に仕事することしか能がなく,憂さ晴らしに酒を飲み,走る道もないのに高級車を買わされて,せっまい家ひとつ買うのに人生を費やし,役にも立たない学校教育とプリントやるだけの塾に子供を通わせてお金を浪費し,子供たちは「ブカツ」とかいって週末さえ自分の時間を奪われ ,それもレギュラーならともかくも応援しに行くだけなのに無駄に時間を使わされて,それを善だと信じている教師と生き甲斐だと信じ込まされている生徒,そんな日本人全体がよりバカみたいに思えてきます。
ゲームは7回裏のホームランが効いて1対0でナショナルズの勝ちでした。デーゲームということもあり,久し振りに最後まで見ました。
その後,チャイナタウンに行ってラーメンを食べました。ワシントンDCのチャイナタウンはあまり規模が大きくはなく,治安がいいのか悪いのか,ホームレスは結構いるのですが,実際のところはよくわかりません。こういうところを歩くときアジア人顔というのは便利ですが,アメリカで食事に飽きたときボリューム満点で安い中華料理があると本当に助かります。

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私はここワシントン郊外のホテルを3泊予約して後でさらに1泊追加したので,合計4泊することにしていたので,とんでもないところだったらどうしようと思っていただけに,予想以上に快適なところだったので安心しました。
それより問題だったのは,この日は35度もあってしかも蒸し暑いことで,観光などせず1日ホテルでテレビでも見ていたい気持ちでした。こんな時期に何を好んでアメリカ東海岸など旅行するのか,私にも信じられません。
ワシントンDCについた翌日,つまり今日の予定はウドハーハージセンターにスペースシャトルを見に行くことだったのですが,もう数日前に行ってしまったので予定が空いてしまいました。そこで考えたのはアレキサンドリアというワシントンDCとはポトマック川を隔てた対岸の街に行くことでした。
地下鉄に乗ってオールドタウンという駅で降りると1本の道をはさんで歩いて30分くらいの川岸まで綺麗な街並みが広がっていました。川といっても海のような広さだから,まさに海岸のような感じです。
まずその川岸まで歩いたのですが,まだ午前10時前だというのに,すでに暑くて大変でした。
途中のシティホールの前の広場でマーケットが開かれていたのですが,これは毎週土曜日だけのことだったから幸運でした。シティホールの隣にビジターセンターがあったので中に入りましたがクーラーの涼しかったこと!
シティホールを隔てた反対側にあったのがギャッツビーズタバーンという昔の居酒屋の跡で見学ができるというのでツアーの始まるまで10分くらい外で待ってなかに入りました。もうひとり女性が待っていたのでてっきり観光客だと思ったらその女性がツアーガイドさんで,彼女の案内で家のなかを見ることができました。
そして最後にポトマック川の40分クルーズに乗りました。川の上は風が吹いて快適でした。船を降りてから昼食をとりました。
駅までの帰りはさすがに歩く気はしなかったのですが,この町は観光用に無料のトロリーバスが走っていてそれに乗ることができました。
さてその後に困りました。今日は天気予報では午後は雨が降るという予報だったし暑いしどこかへ行く気にもなりません。外を歩く気にはならなかったので向かったのはナショナルジオグラフィックの本社にある博物館でした。古代ローマ帝国に関する展覧会をやっていました。この展覧会を見ていてるうちに思い出したのがスミソニアンのナショナルギャラリーでフェルメールが3作品見られるということでした。
そこでナショナルギャラリーまで行ってともかくフェルメールを見ることにしました。
ナショナルギャラリーは無料で自由に絵画ので写真も写せます。不思議なのはあれだけ入口は人でごった返していたのに,展示室にはほとんど人がいないということでした。絵に対する興味のある人が少ないということなのでしょうか。もし日本にここのフェルメールが来ればそのうちの作品ひとつだけで黒山の人だかりになるのです。
ちなみにこのギャラリーの一番の見ものはダビンチ初期の傑作「ジネブラ・デ・ベンチの肖像」です。
この日は土曜日だったのでギャラリーは午後5時まで。冷房の効いた館内から外に出てもまだ焼けるほど暑かったのですが,北のほうのダウンタウンへ向かうと治安がよろしくないようで,マクドナルドにすら警官が立っていました。
今日は暑いのでばてました。明日からは涼しくなる… らしいです。本当かなあ。

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アメリカのテレビは,チャンネルがたくさんある割にはあまりおもしろくないのですが,なんとか見られるのはニュース番組にドラマ,そして視聴者参加クイズという感じでしょうか。ニュースは大統領選挙の話題でもちきりですが,両党の候補者が出そろった今になって,彼らに比べるかたちでオバマ大統領の支持率が上がってきたというのが皮肉な話です。
私が一番楽しみなのがNBCの「トゥナイトショー」なのですが,東海岸では開始時間が夜の11時30分と遅いのが難点です。リスニングの勉強なんてこの番組だけ毎晩見ていればいいような気もします。 それから「ファミリーフュード」です。これは昔日本でやっていた「クイズ100人に聞きました」ですが,英語の単語を覚えるのに最適です。入試必須3,000語のような現地の英会話では全く使えない単語でなく実際に使っているこういう単語の本当の意味することを覚えたいものです。今日の写真の問題はダンナが奥さんをベッドの上でどう呼ぶか100人に聞きましたの回答です。

35年ぶりに来たワシントンの印象はずいぶん街が古くなったなあという感じでした。35年前は地下鉄もきれいだったし,モールももっと落ち着いた感じに思えたのですが,今は地下鉄も汚く、モールも古くなったのを直していて工事中ばかり,そして世界中からの人多すぎです。観光客で溢れていて街全体がめっちゃくちゃという感じで,こんな状態で何事も起きない方が不思議な気がします。
これだけいろんな人種がいて皮膚の色が違えば背の高さも体重も言葉も違うと,何をもって美しいのかという基準さえさっぱりわからないし,道徳観も違いすぎてるし,改めて,人はどう生まれるかを選択できないということを,私はこの街で強く認識しました。
周りを見回して,もし私がそこにいる人に生まれていたとしたら… と考えるのです。幸いなことにとても愛くるしい女性だったかもしれないし,えらくボリュームのある黒人のおばちゃんだったかもしれないし,不幸にも地下鉄で騒いで悪たれついていた不良に生まれていたかもしれないし,あるいはホームレスだったかもしれないのです。そしてそのように生まれたことこそが自分では選択のできない運命なのです。
それにしてもまあ,いろんな人間がいるものです。こういう世界を見てしまうと,日本で教わった常識やら道徳やら既成概念などは全てどうでもいいように思えるから不思議です。そんな些細なことをちまちまやっているような時間は,短い人生にはないのです。さっさと本当に能力を使いこなせる実力を身につけないと,この過激な生存競争の渦の中に飲み込まれてしまいます。
そしてさらに思うことは,今年の春に行ったハワイと1か月前にドライブしたモンタナとそして今回旅をしている東海岸は全て同じアメリカ合衆国なのになんだこの違いは! と思うほど異なっているということです。

結局ホワイトハウスまで歩いてそこから地下鉄でホテルの最寄り駅・イーストフォールスチャーチに戻った私は,どこかで夕食をとろうと思ったのですが,結局,手頃なお店に限定すると選択肢もほとんどなく,ホテルの隣にあったレストランに入りました。
そこはどうやらシーフードを売りにしている店のようで,バケツいっぱいに入ったロブスターやら生カキをみんな手で剥いてかじっていたのですが,私はそんなもの食べる気もしなかったのでチキンなんとかとかいてあるものをオーダーしました。
メニューなど見たって何なのか想像もできないので出てきたものが何であろうと食べてやろうじゃないかと覚悟していたのですが,出てきたのはなんと山盛りの手羽先でした。それがまた意外に美味しかったこと!
さすがにこれだけでは情けないのでパンを追加したのですが,これでは野菜が足りません。

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私はこの旅の途中で様々に思いを巡らせます。今はネットで日本のニュースはいくらでも見られるようになったのですが,その多くは巨大なアメリカにいるとあまりにちまちまとしたものに思えてしまいます。まさに象とアリです。
もうひとつは中村紘子さんや元横綱千代の富士関の死去を知って彼らが幼い時からの姿をテレビで見てきた者としては,あれだけ偉大な人の一生もたかがこれだけのことだったのかという感慨です。
そしてまた,こうして元気に好きなだけ旅のできる自分に対して不思議な気持ちになったりもするのです。
ひとりで旅行をしているとたまに極度の恐怖感を抱くことがあります。渋滞のインターステイツで動くことのできない車の中にいるときなどがそうです。そして自由自在に英語ができない自分にいらだって,若いころにもっとたくさん吸収しておけばよかったのにと後悔するのです。
  ・・・・・・
日本の若者よ。意味のないことに時間など費やしていてはいけないんだよ。そんなことしている時間などないんだよ。地位だの学歴だのと形だけ取り繕っていても何もできないんだよ。偉そうなことを言って人生や道徳を説いていても日本から一歩外に出たら自分の力で生きていけないような大人の説教なんて信じちゃいけないんだよ。日本でやっている教育なんて実社会で通用することは何も身につかないからみんなままごとみたいなものさ。そんなことでは世界では生きていけないよ。
  ・・・・・・

さて今日の私のイベントはアムトラックに乗ることでした。アムトラックはアメリカの長距離列車です。私はこれまでアメリカの長距離バス・グレイハウンドには乗ったことがありますが,長距離列車のアムトラックには乗ったことがありません。そこで今回フィラデルフィアからワシントンDCの移動でアムトラックに挑戦してみることにしました。何事も経験です。
フィラデルフィアのアムトラックステーション・30thストリート駅はとても大きな駅で威厳があります。ここから乗るわけです。所要時間はわずか2時間程度なので,東京ー名古屋といった感じでしょうか。
日本人は狭い国土で小さな家に住んでいて些細なことにこだわりすぎ余分な工夫をするのが大好きなので,列車も時間通りに走らせることに命をかけています。それもわずか数秒という誤差みたいな値にこだわっています。やりすぎです。「3のことをするのに10の苦労をしている」わけです。真逆のこちらはいい加減で,「3のことをするのに2くらいの程度で済ませよう」とするわけです。そして残った8の力は遊びに費やすわけです。そんな調子だから時間もあまりあてにならないので,遅れてもいいように早めの時間の電車を予約しました。
駅に着いて朝食を済ませて,発車時刻を待ちました。出発の10分前に改札が開くというのでその少し前に列に並び,時間になったら係員が来たのでチケットを見せてホームに降りて電車に乗り込みました。
座席は自由なので適当なところに座りました。しばらくすると車掌が来て検札をして座席の上部の棚のところに紙を貼りました。座席は飛行機のビジネスクラス並みの広さで50パーセント程度の乗車率でした。
結構揺れて,日本の私鉄に乗っているような感じ,あるいはひと昔前の国鉄の特急列車みたいな感じでしたが,いい経験になりました。途中でボルチモアを通ったのですが,窓から眺めていてあの町の退廃ぶりに改めて驚きました。
やがてワシントンのユニオン駅に,なんと時間どおりに着きました。ここもまたすごく大きな駅でした。フードコートがあったのでともかく昼食を済ませました。
予定では,この後地下鉄に乗って今日から4日間泊まるワシントン郊外のホテルに行くことにしてあったのですが,まず,スマートパスという日本のSuicaのようなチケットの買い方に戸惑いました。自動販売機の前で困っていたらちょうど係員が来たので聞いたら親切に教えてくれました。
そして地下鉄に乗車,ホテルの最寄り駅まで15分くらい乗車しました。ワシントンDCの地下鉄の駅は核シェルターになるように作られています。だから円柱形で物凄く広いです。ちなみにワシントンDCの地下鉄は飲食厳禁です。
ダウンタウンのホテルはものすごく高価なのでこうした郊外のホテルを予約したわけですが,最寄りの地下鉄の駅から歩いて5分くらいの静かな住宅街にあったので助かりました。名古屋でいえば藤が丘のようなところでしょうか。チェックイン時間よりも早かったのですが,部屋に入ることができました。
荷物を置いて再びワシントンDCに出かけました。とりあえずは地下鉄に乗ってホテルから近いアーリントンの国立墓地を目指しました。ケネディ元大統領の墓まで歩いて行ってみると,そこからずっと東に遠くにリンカーン記念館が見えました。少し距離があったのですがそこまで歩いていったら,さらに歩きたくなってそのうちホワイトハウスまで行ってしまいました。
思えばここに来たのは35年ぶりのことでした。そのときは今と違ってホワイトハウスの中が見学できました。

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今日は朝ランカスターのホテルを出発して,直接フィラデルフィアまで来て,まずレンタカーを返し,今晩宿泊するダウンタウンのホテルに荷物を預けて,デーゲームのベースボールを見るという予定でした。
いよいよ今日からは車でなく公共交通機関を使っての旅です。
よくよく考えてみると,レンタカーを返すのが午前10時なので,それまでに念願だったフィラデルフィア美術館のロッキーステップと呼ばれる長い石段に寄ることができるではありませんか。そこで午前8時過ぎにチェックアウトをする予定を変更して急いで支度をして,午前6時半ごろに出発,通勤渋滞のフリーウェイをなんとか1時間半くらいでフィラデルフィアに到着しました。
美術館の近くにはたくさんの駐車スペースがあったので車を停めて美術館に行きました。
階段の下の右手にはロッキーの像があって数人が写真を写していました。私も当然記念写真を写しました。写真を写してあげると言ってチップを請求する人がいるという噂でしたが,そんな人はおらず,それより私が次から次へ頼まれてカメラマンをやっていました。もちろんチップなど請求しませんが。そのあとでロッキーステップを駆け上がりました。自然にあのテーマ曲を口ずさんでいました。上まで登って振り返って見たフィラデルフィアの景色の美しかったこと!
その後ホテルに一番近いハーツの営業所のあるアムトラックステーション(名古屋駅みたいなところ)に車を返却しました。今回の走行距離は3,878キロ(青森市から鹿児島市がたった1,900キロ)でした。
そこから地下鉄グリーンラインにひと駅乗ってダウンタウンの予約しておいたホテルに行きました。まだ早すぎてチェックインできなかったのでカバンだけを預けました。ちなみにフィラデルフィアの地下鉄は日本のカワサキ製でした。
今やアメリカの都会は,再開発された新しいところは日本と変わらないお店ばかりですが,治安も含め問題なのは,再開発のできていないところなのです。フィラデルフィアも私の宿泊するホテルのあたりは新しいビルが立ち並んだところでした。隣のビルにはユニクロが入っていました。
都会の公共交通機関の乗り方は,到着したときだけ勝手がわからないのではじめの30分ぐらいが大変です。今回は地下鉄の駅の案内所でまず地図を貰い,駅の改札で(今だに!)トークン5枚を9ドルで購入して,東京の浅草線のような古臭い地下鉄になんとか乗ったのですが、そうこうするうちに次第にこの街の様子がわかって来ました。ダウンタウンに浮浪者はいますがそれでもボルチモアとは雲泥の差でした。
市庁舎の近くに多くのビジネスマンが溜まっていたので何があったか聞いたら,あるビルでエレベーターから火が出て避難命令が出たとかいう話でした。夜のニュースでもやっていました。
ホテルに前のリバティプラザというできたばかりの新しいビルの2階にフードコートがあったので,そこで朝食をとり、そのビルの隣の市庁舎まで歩いて行って,有料の展望台に登り上空からフィラデルフィアの景色を楽しみました。そして,再び地下鉄オレンジラインに乗って今日の目的であったボールパークに行きました。
来てみてわかったのですが,フィラデルフィア・フィリーズの本拠地シティズンズバンクパークはダウンタウンの南,地下鉄で15分くらいのところにあって,野球だけでなくフットボールやバスケットボールのスタジアムもある複合施設です。地下鉄からの便もよく,さらに駐車場も広くたくさんあるので,これほどアクセスのよいボールパークはほかにはあまりありません。デーゲームならニューヨークやワシントンから電車に乗って日帰りで来ることもできます。
さて,私はこのボールパークにはまったく思い入れはなく,見たいプレーヤーもいないので,今日こそ最上段の席でゆっくりと観戦でした。美しくしかも交通の便もよく申し分のないボールパークなのですが,おもしろみのない優等生という感じでした。
これで私はMLB29チームのホームグラウンドに来ることが出来ました。残すはワシントンだけ,明日はアムトラックに乗ってワシントンに行き,明後日いよいよ30球団目を見る予定です。

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アメリカではスピード違反の取締りを飛行機からやるとか有料道路の料金はゲートもなくレーダーでやるとか,そういうふうにハイテクを使うのが大好きなのだけれど,日本のように自動販売機とかウォッシュレットとかそういうことには全く興味がないから,ハイテクの捉え方自体,根本的なことが全く違う感じです。そしてネットでできることはどんどんネット利用に変えていきます。支払いもクレジットカードオンリーとか古い頭だと生きていけません。
さて今日はボルチモアを離れてフィラデルフィアまで行く途中,ランカスターという町で1泊することにしていましたが,ランカスター観光だけではと思い,少し遠回りして南北戦争激戦の地として有名なゲティスバーグに寄ることにしました。
ゲティスバーグは戦死者50,000人以上を出した激戦の地で,現在は国立公園となっています。ビジターセンターでは博物館と映画,そしてジオラマを見ることが出来ました。行ってみてわかったのですが,ここも1日でも足りないくらいの見どころがありました。
次にランカスターへ向かいました。
ランカスターというところはアーミッシュが多く暮らす町。彼らは今も電気を使わず車や電話を家庭にもたない生活をしています。と聞くと貧しい生活のように聞こえますが,じつは大農園を経営していたりしています。電力はガスを使います。
行けばわかるだろうと調べもせずランカスターに着いてみたら,アーミッシュの住んでいるところがどこなのかサッパリわからず,それよりもランカスターという町自体が美しく歴史的建造物のたくさんある観光地で,1日では見学しきれないほど見どころ豊富なところでした。
ランカスター郊外に住むというアーミッシュのいる場所を調べようもなく,カーナビに聞いたらアーミッシュセンターとかいう名前のモールに20分もかけて連れて行かれてしまうし,ともかくホテルにチェックインして聞いてみようとランカスターから少し東に行ったところに予約したホテルに行ってみました。この旅8泊目のホテルです。
一番安いところを予約したので,ホテルというより場末の古びたモーテルでしたが,フロントのおばちゃんに聞くとえらく親切に地図をくれて教えてくれました。実は偶然私の今日のホテルの存在する場所こそアーミッシュの暮らしているエリアだったのです。
アーミッシュの素朴な生活,といってもその姿を見たさに興味本意で訪れる人も多いわけで,そうすればそこには観光産業が成り立つわけで,観光用のバキーに乗ってアーミッシュの家や農場をめぐるツアーもあるし,土産物屋もたくさんありましたから,どこまでが昔ながらのアーミッシュで,そうでないのか私にはよくわかりませんでした。車で走っていると狭い道路なのに馬が引くバギーにアーミッシュの若い女性がひとりで乗っているのをよく見かけましたが,なんだか京都の祇園を歩いていたら舞妓さんを見たとか東京の両国を歩いていたらお相撲さんを見たとか,そんな感じに似ていました。
なお,アーミッシュは車に乗らないわけではなくて自分たちで所有していないだけで乗せてもらうのは構わないのだそうです。アメリカを旅行していると結構いろんな場所でアーミッシュに出会います。

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今日はフロントロイヤルから直接ボルチモアに行く予定だったのですが,2時間もかからないことがわかったことと,改めて地図を確認すると,行く途中に,ワシントン郊外で数日後に車を返してから公共交通機関で行く予定だったスミソニアン博物館の別館ウドハーハジーセンターと,あるいは行くことができたらいいなあと思っていたマウントバーノンが意外と近いことがわかったので,午前中に寄ることにしました。
ウドハーハジーセンターにはスペースシャトル「ディスカバリー」が展示してあります。また,マウントバーノンには初代大統領ワシントンのお墓があります。ボルチモアにはベーブルースが生まれた家くらいしか見ものはないのです。
そんなわけで,ホテルを午前7時にチェックアウトして途中で朝食をとり,1時間と少しでウドハーハジーセンターに着きました。開館時刻は午前10時だったのですが,それより早く着いたのにもかかわらず建物のなかに入れてもらってカフェテリアで時間をつぶしました。スミソニアン博物館にあるというスペースシャトル,私はワシントンDCにあるとばかり思っていたのですが実はこのとんでもなく遠い別館にあって,公共交通機関だとワシントンDCからは2時間もかかるのです。これでは観光で来た多くの日本人には見ることは不可能でしょう。
フロリダで見たスペースシャトル「アトランティス」もそうでしたが,さすが本物のスペースシャトルはいくつ見ても感動します。ただしフロリダとは違って,駐車場の料金が別に必要ですがこちらは博物館に入るのは無料です。
次に行ったワシントンのお墓まではさらに1時間かかりました。ここはワシントンの生家や博物館もあるのでゆっくり見たら1日かかります。ここもまたワシントンDCからは公共交通機関だと2時間くらいかかります。私は時間がなかったのでお墓だけ見て後にしました。
そこからはボルチモアまで,たったの1時間だったので午後2時過ぎに予約してあったホテルに着いてしまいました。
ボルチモアは残念なことに大変治安の悪い町なのです。だからゲームが終わる夜のことを考えると頭が痛くなったのですが,事前に探してみたら幸いボールパークから徒歩圏内に手頃なホテルが見つかったので予約してありました。アメリカでは安全はお金で買わなくてはいけません。ホテルはどんなところなのか想像できませんでしたが,実際に着いてみるとこれまでに泊まったことがないほど素晴らしいホテルでした。ホテルにはチェックインをするときだけ駐車できるスペースがあってチェックインを済ませて早速荷物を置いてから,ホテルの隣の駐車場に車を入れて(有料),町に出ました。はじめにベーブルースの生家まで歩いていって見学し,そのあとダウンタウンを歩きました。少し歩いただけで納得したのですが,確かにここはとんでもないところでした。ボルチモアのダウンタウンは30年前のニューヨーク以上のひどさで,サンフランシスコの治安の悪いといわれるテンダーロイン地区がダウンタウン全体に広がっているという感じでした。スターバックスに入ったけれどなかに入った途端思わず逃げ出したくなるほどでした。全てが気味悪いのです。
ボールパークはアメリカ一美しいといわれる最高のカムデンヤードなんのですが,町はアメリカで最低です。ここのボールパークはMLBファンなら是非行ってみたいところなのですが,ボルチモアは旅慣れない日本のよい子は絶対に行くべきところではありません。ゲーム終了後にはボールパークの周りに物乞いがいっぱいたむろしたりしていて,そんなのはじめてのことでした。
特に見たい選手のいないチームのボールパークは眺めがよく涼しい一番上の安価な席に限ります。5回が終わる頃にはどこでも空いているところに座れますから。
今日はオリオールズの対戦相手はテキサスレンジャーズだということくらいは知っていたのですが… エッ,先発はダルビッシュではないですか! 全く期待していなかったので本当にびっくりしました。ウソでしょという感じでした。これではのうのうと最上段で見ているべきでない!
ということになってしまったのですが,これまでなかなか来る機会のなかったカムデンヤードにやっと来ることができて,それだけで私は大満足だったのに,さらにおまけまでついてきました。今年は6月にシアトルで偶然岩隈投手を見て,フロリダではあわや3,000本というゲームのイチローを見て,今日も偶然ダルビッシュも見ることができました。嘘みたいな話です。
これでついに私のボールパークめぐりもフロリダに続いてこれで28球団目。残るはフィラデルフィアとワシントンのふたつになりました。

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昨日の「subs」というのは楕円形の長いパンを使ったサンドウィッチなのですが,そんなことは辞書には書いてないのでさっぱりわかりません。道路標示なども首をひねるものがたくさんあります。 さて,シェランド国立公園の北出口を出て,この日の計画は終了,近くのフロントロイヤルという町に宿泊しました。
この辺りとても美しいところなので私はすっかり油断をしていました。別に予約などしていなくてもこんな田舎のこといくらでも泊まるところなどあるのですが,遅く着いたときに探すのも面倒なので,昨晩,エクスぺディアで適当なところを予約しておきました。しかし,到着してみると,それはそれは街はずれの絶対治安がいいとは思えない薄汚いところにある古びたモーテルで私は悲しくなりました。寝るだけだから安けりゃいいというのが間違いでした。
部屋の中はまともだったけれど風呂のお湯の出もいいのにバスタブに栓がないし,コーヒーメーカーはあるのにコップがないし,でもWifiにいたっては高級なホテルよりも繋がりがいいのが意外でした。 夕食は近くの古びたモールのなかの中華料理屋に行ったのですが,そこの雰囲気も同じようなもので,こんな場所は観光でくるようなところではありません。タイヤの空気圧が少し少なかったの入れようと思ったのですが,機械の使い方がわかりません。そこで助けを求めたガソリンスタンドのおじさんが親切だったこともまた意外な話でした。

ともかくこの夜は寝るしかすることがないのですぐに寝てしまいました。旅の途中いつものことですが,この日は午後から少し運気が下がっています。これを乗り越えると再び楽しくなるのですが…。
フロリダの最南端から3,000キロ,私がいるのは首都ワシントンから車で1時間ほどのところです。地図を見るとよくもまあこんなに走ったと思えるくらいです。これを読んでいる方も是非地図を見て確認してください。それにしてもこの夏はガソリンが異常に安くて1ガロン2ドルを切っていて,しかも円高だから1リットル50円くらい,これではハイブリッド車なんて見かけないはずです。
  ・・
翌日の朝。
この日はボルチモアまで行くのですが,2時間くらいで着いてしまいます。ボルチモアは見るべきところもあまりない、というよりものすごく治安の悪いところらしいのでそんなに時間をとっても仕方がないので,予定を変更して途中のダラス国際空港の近くにあるスミソニアン博物館の別館に寄ることにしました。このお話はまた明日に続きます。
さあ旅はいよいよ第2章,メガロポリス・大都市圏の旅の始まりです。

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コロニアルウィリアムズバーグというのは日本の大正村のようなところで,といってもものすごく広いのですが,200年前の街並みを保存あるいは再現してあって,自由に見てまわれます。さらにお金を払うと内部を見学したりも出来ます。当時のままの姿でスタッフがいるのはアメリカのこうしたパークに共通しています。
初めの予定ででは半日くらい見学する予定だったのですが,昨夜と早朝に見てまわったらあらかたの様子はわかったので,建物のなかを見るのはやめて,先に進むことにしました。
そんなわけで今日の予定であったシェーナンド国立公園へ行く途中でモンティチェロへ寄ることにしました。モンティチェロはアメリカ3代大統領だったトーマス・ジェファーソンの住んでいたところで,今は世界遺産です。ガイドツアーに参加して邸宅のなかを見学しました。
その後,シェーナンド国立公園を南から北に走りました。このシェーナンドというのはジョン・デンバーの歌「カントリーロード」で歌われる有名な一節「フーリッジマウンテン,シェーナンドリバー」のそのシェーナンドです。
途中で国立公園を一旦出て,ルーレイ鍾乳洞へ寄りました。全く期待していなかったこのルーレイ鍾乳洞はものすごい規模で圧倒されました。
シェーナンド国立公園はまあ景色が雄大だったことくらいです。でもクマを目撃してしまいました。 この国立公園は制限時速が35マイルです。前を走っていた車について40マイルで走っていたらなんとレンジャーにスピード違反で捕まってしまいました。なんで後ろを走っていた方が捕まるのかよくわかりませんでしたが文句をいったら他人がやっていたからといってやっていいということではないと教師のような話し方で諭されました。アホか!
レインジャーはなんだか息子くらいの歳の男だったのですが,捕まえてみたら日本人だったんで困りはてながら仕事をしているのがおかしくなって,まあ罰金払えばいいや,これもブログのいいネタだと思っていたら,しばらくして今回は許してあげるといって無罪放免となりました。当たり前だ! きっと日本人捕まえても書類書くのが面倒だったのでしょう。第一こちらの車はナンバープレートが後ろにしかついていないのもよくわかりませんが…。
ところでアメリカを旅していると知らない単語にたくさん出会います。辞書にも載っていないし,困ったものです。例えば「subs」。なんだかわかりますか?

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今日は900キロメートルドライブして,ジョージア州サバンナからバージニア州のコロニアルウィリアムズバーグまで来ました。途中で2件の事故渋滞に巻き込まれ,予定より1時間以上遅れて夜7時過ぎに到着しました。
  ・・
ここに来るまでにサウスカロライナとノースカロライナを通過したので,ついに念願のアメリカ合衆国50州制覇を果たしたことになります。
サウスカロライナ州はアメリカ人のだれに聞いても海が美しいというので,インターステイツ95を降りて海沿いの町チャールストンに向かいそのまま海岸沿いを走る国道17をマートルビーチまで行くことにしました。
チャールストンは海岸の近くの一角に古い街並みが保存されていてそこには大邸が並びその豪華さに圧倒されました。私はわずかの時間街並みを歩いただけだったのですが1日観光してもまだ足りない街でした。チャールストンからそのまま海岸沿いの国道17をハワイと並んで美しいといわれるマートルビーチまで,日曜日ということもあってすごい車でした。確かにここの海岸は美しくワイキキビーチのようでした。海岸は日本とは違ってゴミひとつないのが最高です。

その後はインターステイツ95に再び戻り,州境を越えてノースカロライナに入った時点でアメリカ合衆国50州全て走ったことになるので,記念にビジターセンターで写真を撮りました。
インターステイツ95はフロリダ州では片側6車線だったものがジョージ州では3車線,そしてサウスカロライナ州からは2車線となりました。それでもサウスカロライナ州は確かに南部の香りがする美しい州だったのですが,ノースカロライナ州に至っては見るべきものもなく道路はガタガタという有様で逆にびっくりでした。
  ・・
そしてさらに次の州境を越えてバージニア州に入り,リッチモンドでインターステイツを降りてさらに100キロメートルくらい南東に行ったところにあるのが,今日の宿泊先であるコロニアルウィリアムズバーグです。ここは200年前のアメリカを忠実に再現した町なのです。
ホテルのチェックイン後にコロニアルウィリアムズバーグのダウンタウンで食事をすればいいと思っていたのですが,考えが甘くどこも満員で,ジョージタウンという行き先にしたがってあてもなく走っていたら,ガソリンスタンドすら1軒もなくなって,真っ暗なとんだ田舎町に迷い込んでしまいました。結局30分近くさまよって一時は夕食をとるのを諦めかけたところで,偶然にイタリアンレストランを見つけました。一番小さいピザを頼んだら3人分くらいのが出てきました。

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私が2日間宿泊したフロリダのコンドミニアム,夜景も綺麗で部屋も広かったけれど,ホテルではないので朝食もつかず,部屋で料理をしたりしなければ宝のもちぐされでした。しかし,マーリンズのスタジアム付近にはホテルがなく,モノの本にはマイアミビーチに泊まるといいと書かれていますが,そんな遠いところに泊まるならここおすすめです。
徒歩でもボールパークまで行けるし,ゲーム終了後も安全そうなのですが,私はマイアミの蒸し暑さに歩く気をなくし,結局車で行きました。駐車場はオフィシャルパーキングは事前の予約のみで,予約をしていない私は停められず,ボールパークから道路を隔てた民家の庭を10ドルで貸していたので顔なじみになって2日ともそこに停めました。
こうした駐車場はいくらでもありましたが,こういうことが行ってみなければわからないのです。

さて今日は朝6時にチェックアウトをして,途中で朝食を食べつつ3時間余りでケネディスペースセンターへ行きました。本物のスペースシャトル「アトランティス」を見るのが目的でした。
到着してさっそくアトランティスの展示されているパビリオンに行きました。期待以上というか,ものすごく感動しました。
しかし私は爆発したチャレンジャーと帰還途中で燃え尽きたコロンビアの残骸の方により胸を打たれました。
ケネディスペースセンターは13年ぶりでしたが,当然当時はスペースシャトルは展示してなかったわけで,夢がかないました。
1日中をここで過ごして,午後5時に出て,今日の宿泊先であるジョージア州サバンナまで3時間半,インターステイツ95を快調に…,のはずが,フロリダ州とジョージア州の州境あたりで大事故があり道路が閉鎖されて大渋滞に巻き込まれ,結局夜10時半にやっとホテルに着きました。
アメリカのインターステイツなんて夜は真っ暗で怖いので避けていたのですが,仕方がありませんでした。
線を示すライン以外何も見えず緊張しました。生きた心地がしませんでした。

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噂には聞いていたけれど,マイアミの治安の悪さというのはデトロイトやイーストセントルイスとは異質のものです。治安が悪いというより無秩序なのす。私は慣れているからこんなもんだと思うけど,そうでない人には何もかもが不気味でしょう。
まず,一般道を信号待ちで止まっていると,何か悪さを仕掛けられますし,通行人は信号なんて関係なく車道に出てきたりします。だから一般道はなるべく通らないようにと書かれています。しかしフロリダ州の主要道路の多くは有料道路です。この有料道路,無人でしかもゲートなどなくどこが有料なのかもよほど注意していないとわかりません。単に走っているだけでレーダーが車両番号を勝手に読み取るのだそうです。通行料はわずか数ドルなのですが,事前に登録していないと高額の罰金が課されます。レンタカーの場合,有料道路をたった1回でも通るとその登録料名目のかなりのお金を借りた日数分だけ余分に取られます。
また,住んでいる人の言葉はスペイン語訛りの英語なんでよくわかりませんし,彼らの仕事ぶりには配慮も何もありません。マクドナルドでハンバーガーを放り投げて渡すくらいですから日本人の常識は根本から覆るでしょう。
そんなわけでマイアミは全く楽しいところでないので,今日はマイアミ市内の観光という予定を変更して,無料の国道1を南に南に走り,キーウエストに行ってきました。キーウエストは19年ぶりでした。
まさか今回の旅でまたセブンマイルブリッジを渡るとは,19年前は夢にも思いませんでしたが,人生の不思議さと儚さに胸が熱くなりました。
マイアミからキーウエストまで往復で7時間かかりましたが,よき時間でした。

その後マイアミに戻って,今日もMLBを見ました。
なんとイチロースタメンだったので,これで3,000本が見られると思ったのですが…。
私はツキをもっていたのにイチローにツキがなかったようです。でもスタンドはすごい盛り上がりだったので,こんな経験ができてよかったです。本当に残念でしたが,何事もうまくいきすぎるとあとが怖いのでほどほどということで。
でもこの2日間,テレビによく出てくる有名な人とお話をして写真を写したり,ゲームの終了後には日本のテレビ局からインタビューされたりと,ものすごく楽しかったので,私はすっかり満足して泣けてきました。

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空港が広すぎて,空港からホテルに行くシャトルバスがあるのかないのか,どこに来てくれるのかさっぱりわからず,しかも夜の11時。面倒になってタクシーに乗りました。ホテルは空港から近いはずなのにインターステイツの最寄りの出口が閉鎖されていて(本当に)めちゃくちゃ遠回りして5 ,000円も取られてやっとホテルに着きました。しかしこれ絶対ボッタクリです。こんなことなら到着早々レンタカーを借りておけばよかったか,以前泊まったことのある空港内のホテルに予約しておけばよかったと後悔することしきりでした。そもそも今回の旅で私はオーランドに行く必要などなかったのです。はじめっからマイアミ着でよかったのです,本当は。
まあともかくなんとか1泊することができて,今朝はホテルからのシャトルバスに乗って空港に戻りレンタカーを借りてマイアミに向かいました。
今日はアトラスロケットの打ち上げの日で,朝,ケープカナベラルから打ち上げられたロケットの噴煙が空に昇っていくのが泊まったホテルからも雲のように見られました。

私の今日の予定はマイアミでイチローを見ることだけだったので,レンタカーを午前10時にチェックアウトして,オーランドから6時間かけてフロリダの東海岸線を通る国道1を海を眺めながら走り,途中からインターステイツ95に乗り換えてマイアミマーリンズの本拠地の近くにあるホテルに着きました。 今日と明日泊まるのはホテルというよりアパートの一室,つまりコンドミニアムです。ものすごく広く13階なので眺めも良く最高です。ベッドが4台あるのでひとりではもったいないです。
ホテルに荷物を置いて車でわずか5分マーリンズスタジアムに行きました。これで27球場めです。フジテレビやテレビ朝日が来ていました。日本人もたくさん,それに「イチメーター」で有名なエイミーさんにも会いました。一緒に写真を写しました。
イチローは7回裏に代打で登場してヒットを放ちました。2998本目です。すごい盛り上がりでした。 明日スタメンなら記録が達成できるのだけど…。
イチローの出番も終わったので宿泊先に戻りました。今テレビでは民主党大会のヒラリーの演説をライブでやっています。このようなシーンを見ていると,ああ,アメリカだ! と思います。

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