モノを買うとその維持と処分に困るということを痛いほど知って,私はすっかりモノを買う気持ちがなくなりました。その結果,着るものと食べもの,そして必要な日用品以外は買う意味すらわからなくなってしまいましたし,欲しいとも思わなくなりました。
 街にはショッピングモールがたくさんあって,どこも買い物客であふれています。しかし,そこは歩いている分には楽しくとも,買いたいというモノはほとんどありません。一方,旅に出れば,観光地にはそして空港には土産物があふれているけれど,それを買って帰っても,そのほとんどはゴミと化すだけでしょう。そう考えると,お土産を買う意味もわかりません。

 国は老後に厚生年金をもらっていてもさらに2,000万円いるとかいう報告書問題でかまびすしいのですが,そんなこと国民はとっくに知っています。とはいえ,そうしたことに無策な政府も対案もない野党も,みな,結局は選挙に勝ちたいだけ,騒いでるマスコミは視聴率が稼ぎたいだけ,雑誌を売りたいだけ,そして,そうしたネタを利用して投資をあおり,金融機関は手数料を稼ぎたいだけ,などということを賢い国民はすべてお見通しです。
 そもそも,常々書いているように,世界の進歩からすっかり遅れてしまったこの国は,お金の要らない国でもあるのです。いろんな広告で購買意欲を煽ろうとしていますが,そうした広告に洗脳されるとその場はモノが欲しくなる気持ちになることはあっても,一度冷静に考えなおせば,そのほとんどは要らないモノなのです。
 車はないと困りますが,最低限のモノで充分です。満足に走る道路もないのに高級車など必要ありません。何百万円もするモノを外に置きっぱなしにしておくというようなことだけでも,無謀かつリスクが多いとわかります。駐車場で当て逃げされて自分にまったく過失がなくても,車両保険を使えば等級が下がるなんていう改悪を密かに行った自動車保険を考えても,いい車に乗るということのリスクがわかります。車は2年落ちの中古車が一番です。
 家もまたそうです。これだけ天災の起きる国で持ち家をもつことはリスクが大きすぎます。買ったモノを維持するのに必要な経費を考えても,固定資産税を払うことを考えても,優に家賃を越えます。また,いざ売るとなると,所得税だけでも膨大な金額となります。持ち家信仰というのは家を売りたい住宅会社の新興宗教のようなもの。賃貸マンションが一番です。結局のところ,家を持つというのは「根を張る」ということだから,自由に生きることとは正反対なのです。同じことを松尾芭蕉も「奥の細道」で書いています。

 人にとって趣味というは生きる楽しみを与えてくれるものですが,そうしたことを楽しむために必要なモノもまた,自分に必要な最低限のモノを愛着を持って使い続ければいいわけです。モノは人と競うものでも見栄をはるためのものでもありません。自分が楽しめればよいのです。
 私が趣味でずっと使い続けているのはカメラと望遠鏡ですが,私はプロでもなく学者でもないから,自分に必要なモノさえあれば十分なのです。これだって,広告に洗脳されると新たにモノが欲しくなる気持ちになることはあっても,冷静になって考えれば,ほとんどのモノは買ったあとでは使わずに家にため込むことになるのです。
 おそらく,本当の幸せというのは,できる限りモノのない生活が楽しめるということなのでしょう。私も「断捨離」をしてみて改めて思ったのは,そもそもモノがなければはじめから「断捨離」をする必要すらないということでした。だまされてはいけません。みんなあなたのお金が欲しいだけですよ。

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「1日1断捨離」を実行する①-捨てることこそ難しい。

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