升田幸三

 2016年7月10日のブログに「53歳の名人誕生か?-升田幸三・生涯最後の大勝負」を次のように書きました。
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 今日では将棋など人がコンピュータに勝つか負けるかくらいしか話題にならなくなりました。
 簡単にいうとおもしろくないのです。
 そもそも将棋というのは中盤のねじり合いが一番面白いのに,現代の将棋はほとんどの指し手が体系化されて,一部の熱狂的なマニアとプロ以外にはまるで量子力学の講義を聞くような難解なものになってしまいました。しかも,棋士も勝負師ではなく学者のようになってしまったから,そこには人間ドラマが介入しないので,これでは素人が見て楽しむものではありません。
 スポーツを楽しむようなわくわく感などまるでないのです。
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 ところが,あれからわずか3年とは思えないのに,V字回復を遂げた将棋。その立役者はいうまでもなく藤井聡太七段の活躍ですが,それとともに,人工知能を装備した将棋ソフトととてもうまく融合して,将棋の魅力が増しました。一時は,人間がコンピュータに勝てない将棋なんて,といわれかけていましたが,今や,コンピュータあっての将棋観戦となったのです。すごい時代です。ということで,私も自分のコンピュータにコンピュータ将棋のプログラムとして思考エンジン「dolphin1」に評価関数「Kristallweizen」を実装した「やねうら王」を使って将棋の観戦をしています。

 そこで思いついたのが,升田幸三実力制第四代名人が晩年に指したかずかずの将棋を,この「やねうら王」を使って検討してみようということでした。そして,その結果を参考にして,当時の観戦記を味わってみたのですが,それが,予想以上におもしろいものでした。
 おそらく,今の若い棋士はご存じないと思われる今から40年以上前,第30期将棋名人戦で「升田式石田流」を引っ提げて戦い,惜しくも敗北した升田幸三実力制第四代名人が,その名人戦とその後引退するまでの数年,つまり,1970年から1975年まで,途中1972年と1973年の病気休場をはさんだわずか4年間にA級順位戦で戦った将棋はとても魅力に富んだものでした。特に,2回の中原誠十六世名人,大山康晴十五世名人との対局,そして,1972年の加藤一二三九段との対局などは,今コンピュータ将棋のプログラムで検討しながら鑑賞すると,いかに当時の将棋がすごかったかが,改めてとてもよくわかります。
 観戦記を担当したのは「紅」というペンネームで朝日新聞に執筆していた東公平さんでしたが,今検討してみると,その勝因となった,あるいは,敗因となった指し手が,観戦記で指摘したものと同じであったり,あるいは,まったく異なっていたりして,それがまた読んいて人間臭くておもしろいのです。
 しかし,一番感動するのは,今のような精密にコンピュータで分析された将棋とは違って,人間の頭脳を振り絞って考えぬいたあか抜けしない将棋だったのにもかかわらず,両者の指し手に微妙に均衡が保たれていて,ずっとほぼ互角のまま終盤戦に突入していたり,あるいは,不利になっても容易に差が開かない指し手を続けていたということなのです。要するに,升田幸三,大山康晴,中原誠,加藤一二三という棋士はとてつもなく強かったのです。
 私にとって,40年以上も前の将棋が,今の時代の人工知能の力を借りて新たによみがえり,その魅力が再発見できたことが驚きでもあり,感動でもありました。

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e92e1cba (2) ところで,月刊誌「将棋世界」に連載されているアマチュアに段位を与えるという企画「昇段コース」のなかの最も難しい四・五・六段コースに掲載された第389回の問題の第4問を試しに「やねうら王」で検討してみました。
 この問題の正解はなんと「▲2一飛不成」なのですが,これを「やねうら王」は解くことができませんでした。「やねうら王」がひねり出した答えは「▲2一飛成」だったのですが,これでは勝てません。
 しかし,「▲2一飛不成」の後の指し手をこの雑誌に書かれた解答の解説のとおりに入力していっても,いつまでたっても有利にならず,それどころか評価値がどんどん開いていって,マイナス2,000点を越えて後手勝勢になってしまうのです。ところが,さらにその先まで進めていくと,「やねうら王」の気づかないある一手で後手玉に即詰みが発生し大逆転してしまいました。
 私はこれを見て,人工知能もまだ人間の能力にはかなわない「こともあるんだ」なあと大変驚きました。この問題の作者は人工知能に挑戦しているのかもしれません。しかし,こうでなければいけません。
 コンピュータの力を借りてカンニングすれば,だれだって六段が認定されてしまうようではいけないのですから,今や出題される問題はこうでなくちゃあねえ! それにしてもよくこんな問題が作れたものです。駒の配置の不自然さにも苦労がしのばれます。いったい作問にどれほどの時間がかかったことやら…。雑誌を作る人にとってもまた大変な時代になったものです。
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