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 妻木に行こうとインターネットで調べても,妻木の町がどういうところかなかなか把握できませんでした。妻木城もまた,私が死ぬ思いで登らなければならないのかなあと思って情報を検索してみると,車でずいぶんと高いところまで行くことができるともあり,それでは肝心な遺構を見逃すから麓から歩いて登らなければならないともあり,はっきりしません。
 妻木に関する詳しい資料は公民館でもらえると書かれていたものが複数ありましたが,その公民館とやらがどこかもわかりませんでした。
 情報発信が下手な町だと思いました。ともかく論より証拠,行った方が早いと思って出発しました。

 妻木の町を走っていると,運よく公民館の前を通りました。というより,町を貫く道路はこれ1本だけなので,どう走ろうと公民館の前を通るのでした。ほかに1台も車が停まっていない広い駐車場に入ると,ちょうど案内所から係の人が出てきたので,車から降りて話をすると,詳しい地図や資料をくれました。
 地図に基づいて,まず,城を目指します。町の南のはずれにある城まではそのまま南に走っていきますが,途中でふたまたにわかれ,左側の狭いほうの道路を通っていきました。そのうちに右手に山の南側から城に登る道路がありました。そこはどうもゴルフ場の私有地のようでしたが,好意で中まで入ることができるとのことでした。
 その道に入ると未舗装道路になったのですが,さらにそこを登っていくと急ごしらえの広い駐車場がありました。ほかに停まっていた車はありませんでした。
 車を降りて山道を進むと,山頂はそこから間もなくでした。400メートル級の山にいつもは苦労して登るのに,山頂付近まで車で来ることができるのに驚きました。

 山頂からは妻木の雄大な景色が眺められるというので期待していたのですが,まさにその通りでした。山頂から北に妻木の町,そして,その向こうの山並みがきれいに見えました。山頂付近には曲輪や堀切,土塁,石垣などが残っていました。ここの石垣は運んだもののほかに,自然に積みあがったものが多く,その不思議な姿がみごとでした。
 この城の石垣で有名なのが,十字の模様のある石です。それが明智光秀の娘でキリシタンだった細川ガラシャと関連づけられて語られるものと,都市伝説ではなるわけですが,どう見ても,単に石を4つに割ろうと刻みをつけてそのまま放置したものとしか,私には見えませんでした。

 城跡には私ひとりしかいませんでしたが,途中で子供をつれた若い父親が登ってきました。なんでも今日が小学校の入学式なのだけれど,新型コロナウィルスの影響で入学式が午後からになったので父子でハイキングをしているということでした。私はしばらく景色を眺め,城跡の周りを散策して,駐車場に戻りました。彼らもまた車で登ってきたのかなと思ったのですが,私が先に駐車場に戻ったとき,彼らの車はありませんでした。
 私は南側から自動車道を登ったのですが,北側の麓には御殿跡や士屋敷などの区画が石垣とともに残されているということでした。近世初頭の城郭遺構が居館や家臣団の屋敷が城下町を含めて残されている例は全国的にも極めてまれだそうです。そこに行くには先ほどふたまたにわかれた道を今度は反対側に走って行くことになりました。
 到着すると,舗装された広い駐車場があって駐車場の端から妻木城に登る山道がありました。車を降りてそこまで歩いて行ってみると,ちょうど先ほど山頂で出会った父子が降りてきました。どうやら彼らはこうして北側の麓から歩いて登ったようでした。
 小学1年生でも登るのに,車で山頂まで行った軟弱なわが身を恥じました。