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 自宅籠城をした結果,私には,それまでこだわってきたさまざまことの多くがどうでもよくなってきました。それはある意味,これまでの生活を見直すきっかけになったとも言えます。そんな中で,私にとっての「ないもの」もずいぶんと増えてきました。今日はそうした私には「ないもの」を書いてみます。
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 たとえば「セブンイレブン」です。
 ずっと以前よりキャッシュレスに努めていた私ですが,当初は nanaco カードが便利で最強だと思っていました。そこで,コンビニに行くなら「セブンイレブン」と決めていました。それが,いろいろと不祥事があり,キャッシュレスの主役がカードから iPhone に代わると,nanaco カードにはまったく魅力がなくなりました。今の私には「セブンイレブン」はもはや「ないもの」の筆頭です。そもそもコンビニというのは高いだけなのでめったに行かないのですが,今では,たまに行くとなると「ローソン」です。「ローソン」なら,iPhone で Apple Pay を指定して買い物をすればポンタカードが紐ついているので楽に支払いができるからです。
 次に,私にとって「ないもの」となったのは「NHK総合テレビ」です。
 もともと民放は見ないのですが,新型コロナウィルスの報道で「NHK総合テレビ」が大嫌いになりました。ニュース番組でL字型に情報が出る「字幕テロ」はもとより,QRコードが常に画面に出ているのが,癇に障ります。不愉快です。よって,「NHK総合テレビ」は,どんな番組であろうと,私はそれは「ないもの」として見なくなりました。
 以前,このブログに,「今や,情報は手に入れるより手に入れないことのほうが大切だ」と書きましたが,考えてみると,巷にあふれるニュースのほとんどは,私にとって「どうでもいいもの」です。芸能人がどうこうしたといっても,そうした芸能人を知らない私にはまったく関係ないし,お隣の国がミサイルを飛ばしたといわれたところで「それで私に何ができるのですか?」という感じです。
 インターネット上にもニュースのポータルサイトがあふれていて,そうしたニュースをネタにコメントを書く人もまた,あふれていますが,そうした人の書いたものを読んでも不愉快になるだけです。
 さまざなな興味本位の見出しが躍る週刊誌や月刊誌の類もまた,私には「ないもので」です。
 そのほかにも,さまざまな「ないもの」が増えてきました。それらを書き連ねていても限がないのでこれくらいにしますが,こうした不快になるだけの多くのものを自分にははじめっからこの世に「ないもの」としてしまうと,実にこころ穏やかに毎日が過ごせることがわかりました。

 「ないもの」だらけになると,ひとつ問題ができました。それは,お金を使わなくなってしまったことです。そもそも,マスクをして買い物に行かなくてはならないということ自体,息苦しいし楽しくないので,よほど必要でない限り買い物に行く気すら失せてしまいました。
 私はもともと欲しいものがあまりありません。必要なものは少しばかり値がはっても一度いいものを買えば,いつまでも使えます。そのようにこころがけて買いものをしてきたら,必要なものがすべてそろってしまうと,その後は,古くなった服や靴などの消耗品を買い替えるほかには,買うものすらなってしまいました。
 たとえば,新しいカメラが発売されると「買いだ買いだ」と今まで持っていたものを処分してつねに新しいものに買い替えるマニアがいますが,私には,そうしたことに興味がありません。所詮趣味で楽しむだけなので,今使っているものを末永く愛着をもって使えればそれで十分満足だからです。車も同様に,不自由なく走ればそれで十分です。
 これまでいろいろなものを買ってきた結果,買ったあとの姿が見えてしまうのもまた,ものを買わない理由のひとつです。買うまでは欲しくても,手に入れたあとは使わずそのままというものが少なくないのです。それにまた,一時の広告に迷わされて自分に不必要なものを買っても仕方がありません。たとえば,高級車を買ったところで,日本では満足に走る道もないし,維持に管理に手間がかかります。家を買ったところで,日本には住みたいという場所すらありません。…といった感じです。
 私は,これまで,お金を自分なりに贅沢に使う先は旅行くらいのものでした。しかし,旅行すらできないとなると,旅行に費やしていたお金も,その使い道がなくなってしまいました。
 これを贅沢な悩みというのでしょうか?