しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

カテゴリ:アメリカ合衆国50州 > バーモント州

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 ずいぶんと時間を無駄にした。でも,こういうことを含めて旅である。
 ともかく,これで,踏ん切りがついて,インターステイツ89をどんどんと南下して,マサチューセッツ州へ行くことにした。こうなると,もう500キロ近い距離を,65マイルに固定して,どんどん走るだけである。
 雨が降っているので,注意して走る。巨大なトレーラーが前を走っているときが一番気をつかう。斜めから見ると,日本のくるまのような大きさに思うのだが,実際にはものすごくでかい。追い越すのは大変である。
 このあと,ずっと車を走らせ,FMラジオから気の利く音楽を流している周波数を探すくらいで,とくに変わったこともなく,時間が過ぎていった。
 車はオートクルーズ。持っているカメラ「クールピクスP300」はズームを100ミリ相当にして右手でシャッターを押すと,運転しながら景色を写せるので,しばらくは写真で,道路の様子,天気の様子をご覧いただきたい。
 2車線道路のように見えるのは,片側の2車線であって,対向車線は,はるか遠いところにある。道は,右側の側道にそって,刻みがずっと入っていて,車が車線からはみ出ると,すごい振動がタイヤから伝わるようになっている。逆に,左側にはずっと黄色いラインが引いてあって,これは,真っ暗なときでも,明るく浮かび上がるので非常に安全に運転できる。

 日本では,このようにラインが引かれておらず,特に深夜の山道などでは何を信じて走ればよいかわからない。近頃は,交差点がやたらいろんな色で塗りたくられていたりして,さらに混乱の度合いが増す。
 どうして,この国の人は,工業製品だけでなく,なにもかも簡単明瞭にしないで,ごちゃごちゃいろんなことをするのだろうか。
 運転をしている人もアクロバティカルで,すごいスピードで煽るわ,追い越すわ,しかも,自転車は左車線をのろのろと走っているわ,2車線が突然1車線になるかと思えば左車線が突然左折専用になるわ,で,制限速度で左側を安全に走ることすら困難な状況である。
 運転をしていて疲れる度合いがアメリカとはまるで違う。

 インターステイツ89はバーモント州を東に,そして,モントビリアからは南東に進路をとって,レバノンというバーモント州とニューハンプシャー州の州境の町に来た。ここにジャンクションがあって,インターステイツ91とX形で交差する。
 アメリカのインターステイツは東西に走るものは偶数番号,南北に走るものは奇数番号がついているのだが,89と91,ともに奇数であることから,その両者が,89は北西から南東,91が北東から南西に走っていることが読み取れる。
 私はここで91に進路を変えて,バーモント州の東側の州境に沿って南下し,マサチューセッツ州のちょうど中央部でこれを横断し,コネチカット州のハートフォードというマーク・トゥインとハリエット・ビーチャー・ストウの住んだ町で一泊しようと,走りながら考えていた。
 ところが,レバノンで道を間違えて,そのまま89を南東に進み,気づいたときは,ニューハンプシャー州の観光案内所のあるパーキングエリアに到着してしまっていた。

◇◇◇
Lack for nothing : Sox deny Tigers !!!

第3戦はナポリ捕手のホームランによる1点を,田澤・上原投手が守り抜き1-0の勝ち。
あとふたつ。

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 テディベア・カンパニーの見学を終えて,そのまま国道7を南に走ろうかと思ったが,地図をみると,バーリントンよりもずいぶんと南に来たように思うのに,地図上ではほんのわずかな距離でしかなかった。
 そのまま,この一般道を南に走って延々と車を走らせてみても,マサチューセッツ州までどれだけ時間がかかるかわからなかったので,バーリントンまで戻って,インターステイツ89をマサチューセッツ州へ行くほうが賢明だと思った。
 一般道でも,郊外は信号もなく制限速度もインターステイツと大差ないけれど,ときおり通過する町に入るたびに速度制限を落とす必要があるし,信号がある。
 そこで,車を北に進路を向けて,バーリントンに戻ることにした。

 その前に,まず,ガソリンを入れた。このスタンドの給油機もクレジットカードが読み取れず,店の中で20ドル分引き落としてもらい,ガソリンを入れた。
 ガソリンスタンドを出るところで歩道の側面をタイヤが少しこすったので,心配になって一度車を停めてタイヤを確認したが,何事もないようだった。
 ところが,これが原因だとも思われなかったが,そのあと少し走っていったら,突然,スピードメーターの上に「MAINT REQD」という警告灯が表示された。恐れていたトラブルの発生であった。

 帰国後,調べてみたら,この「MAINT REQD」という警告灯は点灯しても不具合ではなく,走行距離が5,000マイルくらいになるたびに点灯する,オイル交換を促すもの,ということだった。
 つまり,この警告灯は無視しても問題なかったのだった。
  ・・
 しかし,そのときはそんなこともわからなかった。とりあえず,ガソリンスタンドがあったので,車を入れ,スタッフに,このランプの意味を聞いた。
 ちょうど入ったガソリンスタンドは,通常あるようなコンビニを兼ねたものでなく,偶然にも,自動車の修理工場を兼ねたところだった。
 修理工場のおじさんは,これはオイル交換のランプだと言った。そして,この車がレンタカーならばレンタカー会社へ行くといいと言った。それはもっともだ。そこで,レンタカー会社がどこにあるか知らないかと聞くと,たぶん空港にあるだろうと答えた。
 そのままこの警告灯を無視する手もあったが,警告灯が灯っていながらそのまま走るというのも無謀だと思った。なにせ,このあと,私はまだ,1,000キロメートル以上走らなければならないのだ。
 そこで,レンタカー会社へ行って,とにかく,調べてもらうことにした。まあ,このあとレンタカー会社までの少しくらいの距離なら走っても何事もなさそうだったが,気が気でなかった。
 GPSで「アラモ」を検索すると,すぐに表示された。幸運なことに,近くに空港があって,そこにアラモの営業所があるらしかった。GPSの言うままにしばらく走っていくと,朝通ったバーモント大学の少し東に,バーリントン国際空港があった。この空港は,昨年行ったビスマルクやラピッドシティの空港のように,小さいけれどきれいで,閑散としていた。アメリカは,いつも,大都市より,こうした地方都市のほうがずっと居心地がいい。

 空港のゲートを入って,レンタカーリターンの道路標示にしたがって走っていくと,そのまま空港の駐車場ビルに入っていった。駐車場ビルの,その一部がレンタカーの駐車場になっていた。
 ほとんど車の出払ったがらんとした駐車場に車を入れて,空港ビルに入ると,人っ気のない空港に,レンタカーのカウンタが並んでいた。アラモのカウンタにはスタッフはひとりもおらず。となりの別のレンタカー会社のカウンタに男性と女性のスタッフがいた。隣のアラモは? と聞くと,ここでいいというので,レンタカーの状態を説明した。
 警告ランプが灯っているので見てほしい,と言った。しかし,このたずね方はよくなかった。
 これも,きわめてアメリカ的なのであるが,ここのカウンタはサービスであってメンテナンスではないのだから,車の修理は請け負えない。だから,レンタカーにトラブルがあったので,車を変えてほしいといえば事は簡単なのであった。
 はじめは,こいつ何言っているのか,みたいな対応だったが,ともかく,火事場の馬鹿力というか,得意のサバイバル英語というか,何とか説明をしたら,やがて,スタッフに状況がすべて理解されたようで,結局,車を交換するということになった。
 今乗っている車の契約書類と新たに借りる車の契約書類が交換されて,新しい書類にサインがいるとかいらないかと女性のスタッフが男性のスタッフに聞いたりと,まあ,いろいろ手続き上わからないことがあって,けっこう時間がかかったが,男性スタッフが新しい車のキーをもって,私と一緒に駐車場まで行って車の荷物を載せ替えて,GPSとトールパスも入れ替えて,これまで乗っていた車のキーを渡して,無事,新しい車に交換されたのだった。

 今年の旅は,せっかく日本車だと喜んでいたのだったが,今度は,GMのインパラとかいう車になった。アメ車である。
 同じランクとは思えないほど,内装がプアであった。品質も悪かった。でも,結果的には,この車のほうが乗りやすかった。やたらボタンだらけの日本車は,高性能ではあるが,操作に戸惑って,実際乗りにくかった。
 今度の車は,はじめに乗った時に,イスの位置を移動するのに,ものすご手間がかかった。いくつかのレバーがついていて,モーターでイスの位置を変えることができた日本車とは違って,イスの左下にレバーが一つあるだけなのに,なかなかイスが移動できないのだった。結局,私のやり方が悪かっただけで,自分の思っていた方向と逆の方向にレバーを動かしたら,椅子の高さを調節することができた。もちろん手動だ。
 この車の取扱い説明書がどこをさがしてもないし,レンタカーのスタッフはキーを交換したら操作の説明をするでもなく,さっさと帰ってしまったし,それ以外にもずいぶんと戸惑ったが,なにかパズルを解くみたいに思案しながら装備の使い方をひとつひとつ解決して,ようやく,新しい車で出発することができた。

 今度の車は,ワイパーもウィンカもハンドルの左側で操作をするようになっていたので,方向指示器を操作しようとしてワイパーを動かしてしまうという恥ずかしいことをせずに済むようになった。
 走り出してから,朝,ガソリンを入れた20ドルが無駄になったことに気づいたが,そんなことはどうでもよくなった。こういうことは,きっと,アメリカ人ならごちゃごちゃ言って交渉するんだろうなあ,と思った。

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 午前9時になって,見学ツアーが始まった。参加者は,娘さんを数人連れたお母さんとか,ちいさな子を連れた若いママとか,ファミリーとかが10人程度,まあそんな感じだった。
 工場内はのんびりしていて,数十人の従業員さんが働いていた。生地を裁断するコーナー,ミシンで縫うコーナー,中に綿を詰めるコーナー,箱詰めするコーナー,特注品を製造するコーナー,破れたりペットに食いちぎられたりしたテディベアを入院(修理)するコーナー,などがあった。
 一番興味深かったのは,テディベアの目であった。この部分が破れて子供が口に入れては大事なので,十二分に注意して,決して,この部分だけが外れないように考慮されているということであった。
 オリジナルのテディベアは,実際に設計図やデザイン画で依頼したものを制作するところで,ベテランの女性がひとり,工夫しながら制作をしていた。
 テディベアの病院は,実際に使われて,壊れたテディベアを修理するところで,それぞれのテディベアに入院カルテがあった。レンジに入れてお尻だけ丸焦げになったもの,ペットに食いちぎられてずたずたになったもの… 永久保証だそうだが,さすがに,こうなっては,新しいものをお買いくださいと言っていた。
 大きな工場で,オートメーションで,時間に追われながら無言で黙々と作業をするといったものとは相反する世界だった。こういうところで働くのも悪くないと思った。

 日本でも工場見学というのはあるが,事前予約が必要であったり,事務的なツアーだったりというものが多いが,国民性の違いというか,ガイドさんはユーモア交え,いろいろと質問に答え,のんびりと時間が過ぎていく。
 工場見学をするのに入場料がいるというのも,考えればおかしいし,別にお土産をくれるというものでもないし。この工場見学も,けっこう,会社の収入源になっているのであろう。
 会社の規模に比べて,ツアーがこれほど充実しているのが,不思議なことであり,しかも,この程度の工場見学が日本のガイドブックに載っていて,わざわざ日本から観光客が足を運ぶというのも,おもしろいことであり,興味深いものであった。
 でも,実際,こうして作っているところを見ると,テディベアはすてきなぬいぐるみだなあと思った。左足の裏にオリジナルのメッセージを入れて贈り物にすることができるそうだ。これを贈られたら,きっと,一生の宝物になることだろう。

 テディベアは,昨年行ったノースダコタ州セオドア・ルーズベルト国立公園に名を残す第26代アメリカ大統領の愛称テディに由来する。
 1902年,クマ狩りに出かけたセオドア・ルーズベルト大統領は,クマを仕留めることができなかった。そこで同行したハンターが傷をおった子グマを追い詰めて,最後の一撃を大統領に頼んだのだが,「瀕死のクマを撃つのはスポーツ精神にもとる」といって撃たなかった。この逸話に触発されてクマのぬいぐるみを製造したことがテディベアのはじまりだという。
 テディベアは商標ではないので,世界中で製造されていて,もっとも有名なのは,ドイツ・シュタイフ社のものである。残念ながら,ここ,バーモントのテディベアは通信販売では日本で購入できないようだ。そんなことを書いていたら,帰国した今頃になって,欲しくなってきた。


◇◇◇
Thank you for coming 3,000+ blog visitors.

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 土地は広く,木々や芝生に囲まれた中,小さな幼稚園のような外観の工場兼売店があった。
 もう,売店は開いていたので中に入って,見学について聞く。
 見学コースは午前9時からで,時間は40分くらいだということだった。まだ時間があるので,予約しませんか,と言われた。

 この国では,たいてい,ツアーにはガイドがいて,ジョークを交えたり,質問に答えたりしながら,楽しく見学ができる。
 入場料を払えば,自分で勝手にまわるというほうがふつうである日本とは違うから,どこも時間がかかる。
 アメリカでも,説明の書かれたパンフレットだけをもらって自分でまわるというものも時にはあるが,そういったときは,わざわざ,「セルフガイドツアー」と書かれている。
 日本でお寺の拝観をするときに,まず,集会所に集まって,そのお寺の歴史なりを聞いて,質問に答えて,そのあと,お坊さんについて順に説明を受けながら本堂やら仏像やら庭園を巡る,みたいなものを考えてみるとよい。時には,日本にもこうした丁寧なお寺もあるが,多くは,拝観料を払えば,あとは,自由行動というところの方が多い。
 いろいろな意見はあろうが,お金だけもらってあとはご自由にというほうが変な話だと,私は思う。

 このテディベア・ファクトリーは,私のようなおじさんがひとりで見学するようなところでもないような気もした。時間がもったいないような気もした。
 でも,今日は他に予定がないというか,雨ではどうしていいかわからないというか,疲れていてどうでもいいという感じだったというか,そんなわけで,言われるまま見学ツアーの予約をした。
 まだ,見学開始までかなりの時間があったので,売店を見て歩いた。
 間違えて,見学コースの入口から中に入ってしまい,あわてて店員が走ってきて,まだですよ,と言われ,ごめんごめん,といったシチュエーションになった。こちらがあんまりに恐縮するものだから,気にしなくていいですよ,みたいになぐさめられたりもしながら,なんとなく時間をつぶした。 
 売店で販売しているテディベアは,家内制手工業みたいな感じで作られていて,昔から変わらない同じ人形にただ違う服をきせたり,色を変えたり,そんなくらいのバリエーションの品々が並んでいた。

 日本では,これでは商売できないなあ,と思ったが,メイド・イン・USAはみんなこんなものだ。
 テレビのヒロインのおもちゃをクリスマスシーズンで売れるだけ売ったあげくに,それが終わるとさっさと別のものに変えて,子供に新しいものを買わせる,そんな悪どい商売が,日本にはまかり通っている。
 そういった,モデルチェンジばかりをするのではなく,ずっと変わらない,永久保証の素朴なくまさん人形って,なんか,とっても素敵じゃあないか,と思った。買ってもらった子供だって,きっと,いつまでも愛着を持って大切にするであろう。そして,一生の宝物になるであろう。

 さらに,思うのだが,日本の優秀なコンパクトデジカメも携帯も,スマートホンにしてやられた。
 実際に写せは,デジカメのほうがきれいに写せるのだが,SNSで使う程度なら,スマホのカメラ機能で十分なのだ。
 サンダルだって,クロックス1足で十分なのである。
 今や,スマホとクロックスだけで事足りるのである。
 日本製品が「ガラパゴス化」といわれて久しい。日本をこれまでにした偉大な先駆者は,商品をもって,自分ひとりで,アメリカを歩き回って,ユーザーの声を聞きながら商品を売って歩いた。それが,いまのSONYやらHONDAを作った。
 今の日本の若い人は,もっと,世界中を歩いて見てくるといいと思う。そうすれば,きっと,このすさまじい世界の価値観の変化の速度に,日本だけがついていっていない,と感じることができるであろう。
 もはや,日本的なきめの細かさや高機能な製品は,世界遺産にはなってもビジネスにはならなくなってきたのだ。
 また,日本の「おもてなし文化」を誇る人がいるけれど,おもてなしをするために,従業員は,どれだけ訓練を繰り返し,ストレスをため込んで,しかも,客は横柄な態度をとっているか,ということを考えてみるといい。
 私は,むしろ,いらんことはしないという個人主義と自己責任のほうが,居心地がいいと感じるのである。そして,多機能なガジッットも不要だし,モデルチェンジごとに買い替える興味もないのである。

◇◇◇
ボストン・レッドソックス,リーグ優勝決定シリーズ進出,おめでとうございます。
第3戦では,上原投手がサヨナラホームランを打たれて心配しましたが,これでほっとしました。いつも,投げている姿をみると,涙が出てきます。
上原投手が試合後のインタビューで語っていました。
「過去は過去。あしたを見るほうが人生楽しいじゃあないですか」
残念ながら,アトランタ・ブレーブスは負けてしまいました。
  ・・
ところで,日本の野球では,中日ドラゴンズの高木監督が退団しましたが,朝日新聞によると,セレモニーで監督があいさつした時に,心ない一部のファンが「土下座しろ」とやじったそうです。私は,こういう陰湿な一部の日本人の態度が大嫌いです。よくは知りませんが,土下座がブームだとか。私は,そういうことがブームになること自体,とても不愉快です。
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☆4日目 7月23日(火)
 今週は晴れ… という天気予報を疑いもなく信じていたら,きょうは,朝から雨だった。これまでアメリカを旅行して,こんなことははじめてだった。テレビの天気予報を見ると,週末は晴れ,でも,日曜日の天気がサンダーシャワーということだった。
 ホテルで朝食をとる。
 きれいな食堂だった。トーストとベーグル,目玉焼きとブルーベリージュースとコーヒーを自分でとって食べた。
 目玉焼きがあるのは珍しかった。
 この食堂を担当していた女性は,かなりの潔癖主義者のようで,絶えず,掃除をしたり,食器の位置を直したり,およそアメリカのスタッフらしからぬ感じで興味深かった,
 食事を終えて,荷物を車に積んで,チェックアウトをした。

 きょうは,予定がない。泊まるあてもない。唯一,ホテルの予約がない日だ。日本で予定を立てていたとき,きょうの行程がうまく決まらなかった。それで,どこに泊まるかも決まらなかった。
 なんとなく考えていたのは,ホテルの前の道,国道7をシャンプレイン湖に沿って南下して,マサチューセッツ州のウィリアムズタウンという町まで行き,そこで,進路を東に変えて,マサチューセッツ州に入り,モホークトレイルという風光明媚な道路を通って,インターステイツ91へ出て,そこから南下して,コネチカット州に入り,どこかに泊まるといったものだった。距離として600キロメートルくらいある。
 あるいは,昨日の後悔,ニューハンプシャーに戻り,きょうこそコモ鉄道,と思った。

 ところが雨,である。山道走っても景色もなにもあったものではない。
 しかも,国道7はインターステイツでないので,どれほど時間がかかるか見当もつかない。旅の3日目で,少し疲れていて,600キロメートルも走る自信がなく,もう,どうでもよくなった。
 とりあえず,「バーリントン・テディベア・カンパニー」に行くことにした。バーリントンの市内観光案内パンフットには,バーリントンの市内から南に行ったところにあると書いてあった。この「テディベア・カンパニー」は,工場見学が行われていて,9時開始であるということだった。
 ホテルのほんの少し南だと思っていた。小さな工場だと思っていた。
 あるいは,ホテルよりも北に位置するのではないか,とも思った。車のGPSは,検索をかけても,なかなか答えに行きつかない。とりあえず,付近を車で探す。まず,針路を北にとる。

 道は,朝の通勤ラッシュの中を,昨日のようにどんどんとダウンタウンにむかうばかりで,目指す先が見つからない。そのうち,昨日と同様に二股に分かれた道を,好奇心もあって,どんどんと山側(北東側)に走っていくと,広大なバーモント大学のキャンパスに出た。これ以上北に行っても仕方がないので,右折して,GPSの地図表示をみながら,来た道の1本東の道を戻ることにした。2,3キロメートル東へ走って,「スピア・ストリート」という名の道で南に進路を変えると,もう,その道のまわりは,一面の緑だけで何もないド田舎なのであった。
 しばらく南に走って,さらに西にもどって,今度は,国道7を南に進路をとって走る。はじめ片側2車線の道路は,次第に,アメリカでよくある,日本では決して見かけない雄大な緑の大地が広がり始めた。道も片側1車線になった。いつまで行っても到着しないので,間違えたかなあ,と思ったころに,テディベア・カンパニーこの先の道路標示が見つかった。
 その先,延々と走って,やっと,右手に広大な「シェルバーン・ファミリー・ファーム」なる公園が見えてきた。そうそう,この「シェルバーン・ファミリー・ファーム」を「シルバニア・ファミリー・ファーム」と読み間違えた。そして,すごい! シルバニア・ファミリーの等身大の公園がある。さすがアメリカだ,と勘違いした。
 そこで提案だが,だれか,この「シルバニア・ファミリー・ファーム」というテーマパーク作りませんか?

 それを過ぎたころに,左手に「テディベア・カンパニー」があった。
 「テディベア・カンパニー」は,バーリントンの南のシェルバーンという町にあった。入口に「テディベア・カンパニー」の看板があって,そこを入ると広い駐車場があって,すでにたくさんの車が駐車されていたが,それは,従業員さんの車であった。
 観光客は,まだ,8時を過ぎたころだというのに,おじさんがふたりと娘さんを連れたお母さんだった。雨の中車を降りて,そのお母さんに,見学は9時からですよ,と言ったら,驚いていたけれど,あせるでもなく,では待ちましょうとか言っていた。おじさんふたりは,だれかにプレゼントをするテディベアを買いに来たようで,もう売店は開いていたので,早速購入して,大きな箱を抱かえて帰って行った。

◇◇◇
MLBのディビジョンシリーズですが,昨年まで万年最下位だったピッツバーグ・パイレーツががんばっています。このチーム,チームカラーが黒なので,スタンド全体真っ黒いTシャツを来た4万人以上のファンが黒色いハンカチを振るという,阪神タイガース顔負けの異常な風景の中で試合をしています。一見の価値がありますよ。
ピッツバーグは,一度行ったことがありますが,アルゲイニー川,マノンガヘイラ川,オハイオ川の三つの川に囲まれたきれいな町です。アンディ・ウォーホール美術館とカーネギー・メロン大学が有名です。
本拠地のPNCパークは,アルゲイニー川に面していて,巨大なホームランを打つとボールが川に飛び込みます。
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 3時間のクルーズはよい旅の思い出となった。
 夜風が気持ちよく,景色もすばらしく,旅の喜びが増した。
 この町は,全米住みたい町ナンバーワンになっただけのことはある。それほど大きな町ではないが,落ち着いたきれいなところである。また,このバーリントンの町には,バーモント大学があって,町の東側に広大なキャンパスが広がっている。最も近い大都市はカナダモントリオールで,車で2時間ほどの距離である。
 比べようもないが,イメージ的には,滋賀県の大津市を考えたらよいか。
 
 シャンプレイン湖は,先に書いたように,アメリカで5大湖に次ぐ,6番目に大きな湖で,多くの川から集められた水は,最終的には,セントローレンス川に流れ着き,カナダ北東部から大西洋に注ぐ。面積は約1,270平方キロメートル,長さ200キロメートル,幅は最大で23キロメートルの淡水湖である。
 クルーズは,ランチクルーズやディナークルーズなど,多くのコースがあって,ダウンタウンのスピリットドックから出航する。
 シャンプレイン湖畔は,かつては廃工場や古倉庫が建ち並び,廃墟に近い状態であったが,ここ20年くらいの間に,公園や遊歩道などが整備され,現在は憩いの場となっている。
 ちなみに,日本の琵琶湖は,面積約670平方キロメートル,長さは最大で63.5キロメートル,幅は23キロメートルの淡水湖である。

 夏時間なので,夜9時といっても,それほど遅い時間ではないが,私は,涼しい湖からの風に吹かれながら車までもどって,ホテルに帰った。
 ホテルで,のんびりとテレビを見た。今,ホテルのテレビはほとんどが韓国製。チャンネルにスリープボタンがあるものが少なくて不便である。
 この国のテレビは,3大ネットワークというが,実際はケーブルテレビが多くあって,ホテルによって見ることができるチャンネルがまちまちでよくわからない。夜になると,FOXやESPNでは,大リーグの結果やらダイジェストを何度も放映している。それ以外は,映画とか,たいして面白い番組もない。CNNは,日本のスカパーで同じものをみることができるようになってしまったので,見ていてもアメリカにいる気がしなくなった。
 それでも,夜11時30分になると,NBCで「ザ・トゥナイト・ショー・ウィズ・ジェイ・レノ」(The tonight show with Jay Leno)が始まって,これを見ると,今でも,アメリカに来たんだなあ,と実感する。
  ・・・・・・
 ジェイ・レノは,1950年4月28日ニューヨーク州ニューロシェル出身のコメディアンである。
 アメリカ3大ネットワークのひとつNBCのトーク番組「ザ・トゥナイト・ショー・ウィズ・ジェイ・レノ」の司会を17年務めている。
 途中,一度,2009年に番組を降板し,後任をコナン・オブライエンに譲った。
 このときの最後の出演で,
 「番組を始めた時,わたしの髪は黒かったが,大統領は白人だった」
と言ったが,2010年3月1日コナン・オブライエンの降板によって,再び,返り咲いた。
  ・・・・・・
 NBCは,2014年春にレノは降板し,後任にジミー・ファロンが就任すると発表している。
 なお,CBSでは,「レイト・ショー・ウィズ・デイビッド・レターマン」を30年にわたり続けていて,「ザ・トゥナイト・ショー・ウィズ・ジェイ・レノ」と激しい視聴率争いをしている。

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 旅行をしていると,いつも,こんな感じである。
 クルーズをしたいなあ,と思って,しかも,たいして下調べもしなくても,幸運は向こうから現れる。その機会を逃さず捕まえるだけである(戸井十月さんの口調になっている…)。
 案内所があったので,聞いてみると,クルーズは午後6時の出航で,3時間。食事つきと食事なしがある,ということだった。私にとって,このクルーズは,本日1番のイベントということで,食事付ナイトクルーズを予約した。
 どこに駐車をすればよいのかと聞いたら,先ほどの話と同じく,路上のメーターだと6時以降は無料だから,ハーバーの公営駐車場よりもその方がいいと言われた。どうやら車を停めた場所は大正解だったようだ。
 まだ少しばかり出航に時間があったので,のんびりと散歩したり,犬と遊んでいたら,船の船長さんが現れた。この船に乗る予約をしたと言ったら,ディナー付かと言うので,そうだ,と答えたら,そりゃいい,と言った。一緒に写真を撮った。背が高い人だった。
 まだ時間があったのだが,みんな船に乗り始めたので,私も急いで船に向かった。

 船に乗ると,レストランに案内され,ひとりなので,先頭の見晴らしの良い席を案内された。
 他の乗客は,同じ年くらいの夫婦やら,家族連れグループやら,カップルやらだったけれど,ウィークデイなので空いていた。というよりも,ウィークデイで,これだけの人が乗船しているということのほうが不思議だった。
 ここは小さな町なのですよ!

 やがて,レストランでは,スタッフが飲み物の注文とか,前菜の注文とかを取りはじめた。
 船が出港した。船内は,イタリアンミュージックが流れていた。
 隣に座った夫婦は,旦那さんのほうが怖そうな顔をした人だったけれど,奥さんのほうがおしゃべり好きで,どこから来たのからはじまって,話が弾んだ。
 彼女の娘さんがカナダ人と結婚するとかしたとか,カナダではみんなフランス語と英語を話すとか,それに対して,私が,日本ではすごく長い時間英語を勉強して,さらに,近頃は小学校からやるけど,英語話せないとか,そんな話をしていたら,自分は小学校の校長だということを言い出した。
 だから,そうした話題に,ものすごく興味を持っていて,日本は学校は9月に始まるのか,だとか,日本の教育事情についていろいろと,いかにも教師という感じで,聞いてきた。
 私がフェイスブックで友達になろう,と言ったら,コンピュータは苦手だと言った。
 アメリカに住んでいる人はみんなコンピュータに堪能,ということではないらしい。どの国も,変わらないものだ,と思った。

 今日の私の話の中身は,日の出をアカディア国立公園で見て,夕日をここシャンプレイン湖で見るということであった。こういう自慢話をすると,彼女は,わたしもアカディアへ行きたいのだけれど,旦那が遠いから行きたくないって言うの,みたいなことを話した。
 わかりやすいように無理やり日本にたとえると,朝,三陸海岸で日の出を見て,夕方,大津で夕日を見る,みたいなものだ。
 旦那さんの方は無口な人だったけれど,ぽそっと,日本の地震は大丈夫だったかね,と聞いた。
 食事はバイキング形式で,好きなものを自分で取ってきて食べるシステムだった。

 やがて,太陽が沈みかけて,とてもきれいな景色になってきたので,食事どころではなくなって,みんな外に出て,夕日を眺めたり,写真を写したり,という展開になった。
 船のデッキで,シカゴから来た,というひとり旅のおっさんに会って,MLB談義になった。シカゴといえば,美しく伝統のある球場,シカゴ・カブスのリグレーフィールドの話になった。
 アメリカを旅行していると,MLBの話題さえ切り出せば,たいていの人とは友達になれる。
 まさか,きょう,湖に沈む夕日を眺めることになるとは思わなかった。
 この湖に沈んでいく太陽が上ってきたとき,私ははるかに遠いメイン州にいたんだっけ。
 海から昇る朝日と湖に沈む夕日の両方を1日で見たなんて,生まれて初めての経験だった。
 湖に浮かぶヨットが幻想的だった。

 やがて,下船する時間が近づいてきた。
 スタッフが,食事とは別に注文した飲み物の清算を始めた。
 お客さんは,だれもレストランにはいない。みんなデッキで夕日を見ているので,探すのが大変そうだった。私を担当した女性が,なんとか私を探しだして,請求書を持ってきた。とても素敵な女性だったので,頼んで一緒に写真を写した。
 この国では,仕事中だから,とか,そういう無粋なことは言わない。いいなあ。
 このブログでは,私の写った写真は載せない方針なので,その写真もここではお目にかけられないのが,残念である。

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 ストウから戻り,再び,インターステイツ89を走る。めざすバーリントンはもうすぐだ。
 インターステイツ89は山の中を快調に走る。やがて,バーリントンのダウンタウンに入った。インターステイツ89はバーリントンに入る手前で進路を北に向けてカナダ国境に達するが,私はそのまま直進し,わずかな距離しかないインターステイツ189を経由して,
そのままダウンタウンを南北に走る国道7(通称「シェルバーンロード」)に降りた。
 南向きにおりて,さて,予約したホテルはどこだろうかと思ったところ,インターステイツをおりたころにある交差点の南東角に,まさに,予約したホテル「トラベルロッジ・サウス・バーリントン」があった。
 南向きに走っていたので,ホテルは進路の左側になる。反対側車線は信号待ちの車で一杯で,ホテルの看板は見つけたが,とても左折できるようではなく,そのまま直進して,しばらく行ったところの右側にあったマクドナルドの駐車場に一旦車を入れ,Uターンする形で国道7を北上し,今度は,こともなく,ホテルの駐車場に入った。
 全国チェーンのトラベルロッジは,ここもプールがあり,朝食がついていて,あたりはずれなく無難に宿泊できる安価なモーテルである。

 さっそくチェックインをして -メイン州からドライブしてきたと言ったら驚いていたが- 部屋に荷物を運んだ。部屋は,めずらしく2階であった。
 再び,フロントで,ダウンタウンへの行き方を聞いたら,親切に教えてくれた。このままホテルの前の道をまっすぐにいけばいい,道が二股に分かれるから,とにかく,左へ左へいくこと,と言われた。

 アメリカで人に何かを聞くと,一見怖そうな人も,およそ,みんなとても親切なのだ。ただ,日本的なおせっかいがないので,ぞんざいだったり,説明不足だったりと感じることもあろうが,この波長になれてしまうと,それはそれで心地いい。経験上,そう思うようになった。何でも聞くといい。それと,何かをしたいときはそれを主張して許可をとってみるといい。たいていは親切に対応してくれる。

 ホテルを出て,言われたようにダウンタウンをめざす。道が広く,車が多く,言われた二股の道がどれかわからず,せっかく教えてくれたのに,湖側とは反対の山側の道に行ってしまったが,すぐに左折したら,正面に湖が見えた。大きなビルが立ち並ぶ,近代的な都会であった。
 夕方で,ビジネスマンが帰宅を急ぐ姿が見える。
 一度くるりと道を回って,町の様子を確認した。そして,とりあえず,パーキングメーターのある路上に車を停車した。
 通りかかりのおじさんがいたので,パーキングメーターの使い方を聞く。
 おじさんが言うには,ここのメーターは,午後6時以降は係が来ないから,それまでの料金を入れればよい,とのことだった。とりあえず,どれだけこのダウンタウンにいるかわからなかったことや,ダウンタウンで夕食をとろうとも考えていたので,6時まで約1時間あったからクオーター硬貨を4枚投入した。
 車から降りて,湖畔の繁華街のほうへ下ろうとした。車道はそのまま湖畔まで通じていなくて,突き当たりにビルがあり,左に回っていた。私は,徒歩なので,歩道をあるいていると,その先に公園みたいなところがあったので入っていった。そこは公園ではなく大学で,行き止まりであった。
 結局,湖のほうへ出ることはできず,ふたたび引きかえす。車を停めた場所を忘れないように確認しながら,今度は,道の突き当たりのビルとビルの間の狭い歩道を歩いていくと,うまく湖畔に出ることができた。狭い道は,ヒルトンホテルの間の通路であった。

 バーリントンは,バーモント州の西側に南北に延びる全米6番目の広さを誇るシャンプレイン湖の湖畔にある,全米で「住みたい街ナンバーワン」になったバーモント州の最大都市である。人口は4万人。見どころは,レイク・シャンプレイン・クルーズとキルトの展示で有名なシェルバーン美術館,そして,バーモント・テディベア・カンパニーとある。
 湖畔を歩いていたら,運よく,クルーズの乗り場があった。

◇◇◇
9月30日,アメリカ議会は暫定予算を可決することができず,政府機関が一部閉鎖となりました。国立公園や自由の女神像の観光もできなくなってしまいました。これもまたアメリカらしいというか。それにしても,私は,オバマケアをやり玉にあげるティーパーティに支持された一部共和党の原理主義は何とかならないものかと思っています。

DSCN2409DSCN2412DSCN2427DSCN2418 久しぶりに走ったインターステイツは快適であった。
 30キロほど走ると,「ストウ」という標示が見えた。乗ったばかりのインターステイツ89を,ウォーターバリーという町で降りて,標示にしたがって州道100の高原道路をしばらく北に進むと,まず,トラップ・ファミリー・ロッジという道路案内標示があったが,それを見送ってそのまま直進すると,ストウの町についた。
  ・・
 ストウの町は,州道100がそのままメインストリートで,メインストリート通り沿いに,ストウビレッジという昔ながらの雑貨店や教会がある,小さなきれいな町であった。その町の裏手にはトレイルが整備されていた。
 2時間まで駐車できるという路上駐車スペースは,ここも車で一杯であったが,それでも,いくらかは停められる余地があったので,車を停めて観光案内所に行った。
 そこで,まず,地図をもらった。スタッフがいたので,「見どころは」と聞くと,何がしたいのですか?と言われた。
 そりゃそうだ。こういう抽象的な聞き方はいけない。何か食べたのか,買いたいのか…。そう聞かなくてはいけなかった。「有名な場所はどこですか」と聞き直したら,トラップ・ファミリー・ロッジとストウ・マウンテン・リゾートであるということだった。
  ・・
 昨年訪れたノースダコタ州メドナというところは,小さいながらも素敵なところだったと改めて思う。
 駐車スペースは十分にあって,美術館もあれば博物館もあった。観光馬車もあった。レストランもあった。どこも観光客は結構いたけれど,混み合っているという感じではなかった。おまけに,すばらしいミュージカルで夜遅くまで飽きることはなかった。

 「地球の歩き方」にも載っていたトラップ・ファミリー・ロッジへ行こうと,再び車に乗って,教えられたように,観光案内所の横の狭い道を右折して地図を見ながら車を走らせるが,道が狭く,地図と実際の距離感がわからず,曲がるべき道を通り過ぎてしまい,マウンテン・リゾートまで行ってしまった。
 結局,ストウへ来るときに見た標示のあったところを曲がるほうが簡単だった。
 マウンテン・リゾートはスキー場で,夏場の今は,ゴンドラが動いていて,これに乗ると山頂からの絶景が眺められるということだったが,時間がなかった。巨大なロッジもあって,そこでは食事ができたり,ショッピングができたりするらしい。観光客はいるにはいるが,夏場のスキー場だ。そこで何をするということもない。
 どうも,きょうは,どこへ行ってもすべて中途半端な時間しかなかった。
 きっと,こうした山岳地帯を移動しながら観光すること自体が無理なのだろう。しかし,数日の休日しかなく,しかも日本から来て,こういう場所でのんびりするなんて不可能に違いないではないか。
 マウンテン・リゾートを後に,もう一度戻って,トラップ・ファミリー・ロッジへ行くことにした。道に迷いながら,ずいぶん戸惑ったが,なんとか,到着することができた。

 「ドレミの歌」で有名なミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」のモデルとなったトラップ一家が,ヨーロッパを離れてアメリカに移住し,最後にたどりついた,故郷アルプスをイメージさせるこの地ストウに,彼らは家を建てて農業をしながら音楽活動を続けた。
 この家が,現在,リゾートホテルとして営業しているトラップ・ファミリー・ロッジである。
 その広々とした館内は,高級感に満ち,ロビーには,トラップ一家のパネル展示もあった。
  ・・・・・・
 「サウンド・オブ・ミュージック」は,オーストリア出身のマリア・フォン・トラップによる自叙伝「トラップ・ファミリー合唱団物語」を原作とする。
 シスター・マリアが家庭教師として派遣されたのは,厳格なトラップ大佐と7人の子供たちが暮らす屋敷だった。規律が支配する中,心と閉ざしていた子供たちを,マリアは音楽の力で解放するのだった…。
  ・・・・・・
といったあらすじである。
 現在,このミュージカルは,日本でも劇団四季が名古屋で上演している。

◇◇◇
今年9月のNHK交響楽団の定期公演は,名誉指揮者ヘルベルト・ブロムシュテットさんによる,オールブラームスプログラムでした。A定期は,交響曲の2番と3番,B定期はハイドン変奏曲と1番など,そして、C定期は、ヴァイオリン協奏曲と交響曲の4番。バイオリンはフランク・ペーター・ツィンマーマン,私の大好きな4番交響曲となれば,ライブで聞かない手はありません。ということで,先週の土曜日にNHKホールまで,足を運んできました。
ブロムシュテットさんらしい,強弱のメリハリのある4番に,感激しました。当日は,第1コンサートマスターの山口裕之さん最後の定期演奏会で,9月定期最後のブロムシュテッドさんとともに,花束が贈られ,満員の観客から暖かい拍手が鳴りやみませんでした。
9月21日のNHKFMで作曲家の西村朗さんが話をされていたように,ブラームスの4つの交響曲の調性はハ短調,ニ長調,ヘ長調,ホ短調で,C-D-F-Eとなって,これは,モーツアルトの交響曲第41番の第4楽章の「ジュピター音階」と呼ばれるものと同じだということです。だから,ブラームスは交響曲を4曲書いて筆を置いたとか…。さらにいえば,このジュピター音階は,モーツアルトの交響曲第1番にも表れます。とすれば,ブラームスの4つの交響曲はモーツアルトの第1番交響曲から連なる系譜なのです。そして,パッサカリアはバッハです。
だから,再び書きます。
私は,ブラームスの第4交響曲第4楽章のパッサカリアに身をゆだねると,もう,浮世のことなどどうでもよくなってしまうのです。
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 バーモント州の紅葉は絶品であるという。この州は,ニューハンプシャー州ほど山深くなく,でも,やはり森と湖が多く,冬はスキーリゾートが有名だそうだ。
 私は,これまでの経緯のように,国道2をひたすら走ってバーモント州に入ったので,さらにそのまま国道2を西に100キロメートル以上走って,バーモント州の中央部にあるモントビリアという町まで来た。
 この町は,人口がわずか8,000人なのであるが,バーモント州の州都である。遠くに見える金色のドームが州議事堂である。
 州都なのに空港がなく,ここにアクセスするには,私がこれから向かうバーリントンから60キロメートル以上走ってこなければならないということだ。
 ここでトリビアをひとつ。
 この町は,全米50州の州都の中で最も人口が少なく,唯一マクドナルドの店舗がない!

 町にはウィノースキー川が流れており,その川に沿って,鉄道の線路があった。
 昨年訪れたノースダコタ州の州都ビスマルクもそうであったが,このくらいの規模の都市は,人が暮らすのにもっともストレスがないのである。緑に囲まれ,文化的な香りがあって,移動するのにも広すぎず,車を停める苦労をすることもない。そして,生活をするのに必要なものはそろっている…。

 この町で,国道2から,インターステイツ89に入るのだが,アメリカで車を運転してもっとも難しいのは,こういう町で道をさがすことなのである。
 ストリート名なんて聞いたことがないものばかりなので,さっぱりどこにいるかわからない。まずは,道路標示を見失わないように注意して,その標示に従って車を走らせる。ところが,車が橋に差し掛かった時,その橋が工事中で,通行止めであった。
 こういったときのう回路がきわめていい加減なのが,またこれも,アメリカなのである。GPSは役に立たない。GPSは,通行止めの道をなぜ行かないかと泣き叫んでいるばかりであった。
 次の橋を渡ろうとしたが,次の橋ははるかに遠く,渡ってはみたもののなんかの工場の駐車場に入ってしまい,結局,う回できなかった。仕方なく元に戻って,通行止めだったもうひとつ手前の橋を渡った。
 渡った先には鉄道の踏切があり,その先に信号のない交差点があり,しかも,その道の手前右手に大きなモールがあって,その駐車場の出口があるものだから,右に行きたい車やら直進したい車やら,左折したい車やら,はたまた,モールに入りたい車やら,モールからでてきた車やらで,ぐちゃぐちゃであった。車線もいい加減で1車線なの2車線なのか対向車線なのか,わかったものではなかった。

 普段日本で運転している身には,こういうのは,われ先に車の鼻を突っ込んで強行突破するか,あるいは,ちゃんと係が交通整理をしているか,信号があって交差点はちゃんと右折帯やら左折帯やらがあるか,そのように思うものだが,こちらでは,これくらいの渋滞は自然の成り行き任せなのである。
 しかも,だれもあせることがない。
 だらだらと時間をかけて,順番に譲り合い,なのである。だから,ちっとも進まない。
 こちらとしては,ともかく,今日の宿泊地まで,まだ100キロメートルも残し,こんなことしている場合でないのであるが,郷は郷に従わなくてはならない。
 というわけで,ずいぶんとこの町で時間を費やし,でも,なんとか元来た通行止めの橋のう回先まで行って,やっと,インターステイツ89に入ることができたのであった。
 こういうことが起こるから,時間の予測はできないのである。

 ところで,きょうの写真にもあるように,アメリカには,信号の代わりに,ロータリーのある交差点もけっこうたくさんあった。ロータリーを反時計まわりに,自分の行く方向まで回って行くのだが,これが結構難しかった。
 回っているうちに方向がわからなくなってくるのだ。GPSは「ロータリーに入って2つ目を右に」とか言うのであるが,その2つ目というのがよくわからないのである。
 日本でも交差点の信号をなくすためにロータリーの導入を図るという話を聞いたこともある。
 私は,交差点の信号待ちもきらいだが,ロータリーはロータリーで道が分からなくなるというのが欠点だということが,実際にロータリーを経験してみて身に染みたのであった。

◇◇◇
きょうは,いよいよ「あまちゃん」最終回です。それにしても,結局,薬師丸ひろ子が全部いいところをもっていってしまいました。近年あまり歌っていないと思うのに,本当に歌がうまかったです。小泉今日子よりも。私は,若いころに見た映画「Wの悲劇」を思い出しました。
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 気づいたら,車は,バーモント州に入っていた。
 ニューハンプシャー州が不案内であったことのもうひとつの理由は,道路標示が少なかったということもある。
 アメリカでは,名所・旧跡は,茶色の道路標示があって,不案内なところでも,その表示に従って針路をとれば,そこへ行くことができると思っていた。当然,ニューハンプシャー州でも,「ワシントン山」や「コモ鉄道」といった標示があるものだと思っていた。
 ニューハンプシャー州に入ったとき,「ホワイトマウンテンズ」という標示はあった。当然,そのあとに,いろんな標示があるものだと思っていたが,それだけだった。
 国道2が観光道路でなかったということもあっただろうが,標示過多の日本になれてしまっていると,こういう点を十分に調べておかなかったことは反省である。
 実は,コモ鉄道のパンフレットは印刷して持っていた。地図も持っていた。でも,パンフレットの字が小さ過ぎて,見えなかった!
 それにしても思うに,日本の広告看板と道路わきのごみの多さには本当にげんなりするのである。

 メイン州からニューハンプシャー州に入った時と同様に,ニューハンプシャー州からバーモント州に入ったら,急に景色が変わった。
 そして,親切な背景が黒色!の案内標示がやたらと目につくようになった。
 バーモント州独特の観光案内標示板であった。これを見てもバーモント州が観光に力を入れているというのが実感できた。それにくらべれば,ニューハンプシャー州は,知っている人だけが来てくれればいい,というような大人の対応というべきか…。
 案内所を見つけたので,車を停めた。そこは,無料の「メイプルミュージアム」であった。メイプルシロップを作る過程が展示してあった。土産物店もあった。
 奥隣には大きなメイプルシロップの工場があった。
 案内所に地図があったのでそれをもらうと,それは,もちろんニューハンプシャーの道路地図ではなく,バーモント州のものだった。

 その時はじめて,すでにバーモント州に入ってしまったのを知った。
 ワシントン山もコモ鉄道もどこに行ってしまったの?
 もう一度,ニューハンプシャー州に戻ろう思ったけれど,もう,すでに午後2時近くなっていて,あきらめた。めざすバーリントンはまだこの先80マイル(140キロメートル)も先なのであった。
 とにかく,先を急ぐことにした。
 今日の目的地バーリントンへ向かうその途中には,サウンド・オブ・ミュージックで有名な町ストウがあるので,とりあえず,そこまで行こうと思った。

◇◇◇
帰国してしばらくしたとき,NHKBSで,「アメリカ・トレッキング紀行」という番組の再放送をやっていて,アパラチアン・トレイルを取り扱っていました。10年ほど前に見たことがある番組です。その番組の中で,コンコードの「オールドノースブリッジ」とワシントン山,コモ鉄道,メイン州カタリン山をやっていました。もう,くやしくてくやしくて…。絶対もう一度行くぞと,誓ったものでした。

宿泊したバーハーバーには,国立公園があります。せっかく大西洋まで来たので,早起きして日の出を見に行きました。
絶景でした。
そのあとは,メイン州を西に,そしてニューハンプシャー州を横断して,さらに,バーモント州のバーリントンまでやって来ました。
州境を超えると景色が一変するのが面白かったです。メイン州は高原,ニューハンプシャー州は山,バーモント州は,森です。
途中,ストウという町に立ち寄りました。サウンドオブミュージックの舞台だったところです。 バーリントン到着後,シャンプレイン湖の,夕景クルーズを楽しみました。船上で,小学校の校長という女性と知り合いました。
きょうは,日の出と日没を両方目撃したことになります。晴れ男健在です。

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