しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

カテゴリ: アメリカ合衆国旅行LIVE

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 これまで,2020年の夏に行く予定だったアメリカ旅行の幻の旅行記を書いてきましたが,今日がその締めとなります。
 ここ数年,アメリカに限らず,その他の国も,はたまた国内も,気が向くまま旅をしていただけに,それができないとなると,一抹の寂しさを感じずにはいられません。
 私の救いは,コロナ禍の前までに,子供のころから行ってみたかったところ,やってみたかったことのほぼすべてを成し終えていたことです。しかし,どこに出かけるにも,それなりの最も楽な方法を身につけ,便利な小道具などもすべて手に入れて,いつでも次の旅ができるようになっていただけに,それらを活用することがなくなったのが今は残念なことですし,使い慣れたキャリーバッグも部屋で眠っています。
 
 それにしても,地球,というか,この世というか,人類はこんなにも狭いところで生きているのかということを実感しました。コロナ禍のように,何かが起きれば,逃げ場などないのです。それなのに,依然として,権力争いやら覇権やらと,何と人類はバカで醜いのでしょう。ワクチンをわずかな期間で作り上げるだけの英知をもっているというのに,情けない限りです。
 私の親の世代は,最も多感な年代を戦争で無にしたために,それを一生背負って,社会をやっかんで生きていました。私も,早期に退職をせず,やりたいこともせずにここ10年あまり生きていたら同じだったことでしょう。この時期にやっと退職して,さあ,これからはやりたいことを,そしてまた,行きたいところに行こうと思っていた人たちは,その夢がすべて無になってしまったのは,耐え難いことでしょう。
 数年前は当たり前だった旅が再びできるようになる日が果たして訪れるのでしょうか。


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 2020年に行こうと思っていた旅では,さらに,これまで私が行っていないキャニオンデシェイ国定公園とメサベルデ国立公園にも行ってみたいと思っていました。
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●キャニオンデシェイ国定公園(Canyon de Chelly national Monument)
 キャニオンデシェイとはスペイン語で「岩の渓谷」を意味します。高さ300メートルの垂直な断崖が42キロメートルの長さにわたって続いていて,グランドキャニオンを小型にしたような感じだといいます。ここはナバホ族の居住地で,国定公園でありながら国有地がまったくないそうです。
 かなり辺鄙な場所にあるのですが,2019年,私が化石の森国立公園などに行ったとき,あと数日あれば行くことができたのに,と今では後悔しています。あのころは,いつでも行けると思っていたのに…。
  ・・
●メサベルデ国立公園(Mesa Verde National Park)
 メサベルデ国立公園は,今から1400年ほど前にこの地に住んだ先住民の遺跡です。
 今からおよそ1,400年前「緑のテーブル」とよばれるこの独特な地形であるこの地域に住んでいた人々は,高度な文明をもち繁栄していたのですが,約700年のちの14世紀に忽然と姿を消してしまったそうです。
 アメリカにはこんな歴史もあるのです。

 これらの国立公園を巡りながら,そのついでにフォーコーナーズにも寄ってみるつもりだったというのが幻になってしまった2020年の旅でした。
 今日の写真は,化石の森国立公園で写したものですが,このような遺跡がこの場所にもあるということでしょう。
 アリゾナ州というのは,知らないだけでずいぶんと奥が深い場所のように思われます。しかし,今では簡単に行くことができるところでなくなってしまったのが残念です。


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 幻となってしまった2020年夏のアメリカ旅行は,その1年前2019年夏のアメリカ旅行同様,フェニックスまで行くことにしていました。フェニックスでレンタカーを借りて自由に旅をするのです。
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 フェニックス(Phoenix)はアリゾナ州にある都市で,砂漠の中心にあります。愛称は「太陽の谷」(Valley of the Sun)。
 1867年に灌漑事業と共に創設され,開拓者が都市を創設しました。 20世紀前半からはニューディール政策によるコロラド川の電源開発,ルーズベルトダム,フーバーダム,クーリッジダムの開発によって無尽蔵の電力を供給,軍事産業に関わる航空機産業や電器機械工業が発展していって,今日では半導体などのエレクトロニクス産業,また,観光都市としても発達しています。
 安価な労働力と広大な土地,安い税金,そして,精密機械製作には好適な温暖で乾燥した気候,大消費地への近さという条件があいまって,急速に発展しました。
  砂漠気候に属し,年間を通して温暖で,夏は摂氏40度を超え、非常に暑いのですが乾燥しています。冬は摂氏20度を超える気温となり,摂氏4度以下に下がることはほとんどないので保養都市となっています。
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 私がフェニックスにはじめて行ったのは2000年のことでした。そのころはまだまだ素朴な町でした。
 2019年に再び行ってその発展に驚きましたが,空からみた町は当時の面影がありました。
 空港はアメリカの多くの空港の中でも乗客が多いと聞きましたが,そんな雰囲気はまったく感じられず,思ったよりも静かでした。
 私は都会には興味がないので,レンタカーを借りて,ともかくフェニックスの市街地から早く脱出したいと思いましたが,インターステイツがきちんと整備されていたので,予想以上に順調に走ることができました。フェニックスから郊外に出ると,あたりにはサボテンをたくさん見ることができました。
 また,近くには西部開拓時代の面影を残すような小さな町がたくさんあって,気に入りました。
  ・・
 そこで,2020年の旅もまた,1年前と同様に,フェニックスで車を借りて,とにかく一刻も早く町から出て,あとは,アリゾナ州の大自然をドライブするのを楽しみにしていたのですが,実現することができず,残念に思います。
 これを書きながら,もし,将来再び行くことができるようになったなら,やはり,このコースの旅がしてみたいと強く感じるのです。


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 「特別編・2020夏幻のアメリカ旅行LIVE②」を載せたのが8月11日で,その後中断して,この旅でも行く予定だったアメリカの国立公園のうち,これまでに出かけたところについてずっと紹介してきましたが,それも終了したので,再び「2020夏幻のアメリカ旅行LIVE」を続けます。

 日本からは,アメリカに行くのもヨーロッパに行くのもオセアニアに行くのも,どこも9時間程度のフライトなので,少し余分にお金を出して座席をちょっぴりグレードアップすれば,きわめて快適に行くことができることを知ったのですが,今ではこれも夢のように思えます。  
 2,3年前の私は,このようにしてエコノミークラスから少なくともエコノミーコンフォートに変更して,さらに優先搭乗をし,トランジットする空港ではラウンジで過ごしていました。また,座席も事前にネットで予約をするというように,ずいぶん旅慣れていました。
  ・・
 実は,空港の手続きがもっとも面倒なのは,今ではIT後進国となってしまった日本です。これもまた,いつものやったふり社会で,意味のない書類が多すぎて,本当に必要なことが何なのかさっぱりわかりません。出国と入国も自動でできるようになったのにかかわらず,以前のようなスタンプが欲しい人は別の窓口に行くとか,そんなものはきっぱりとやめてしまえばいいのに,そういうことがつねにどっちつかずなのです。

 さて,現地に到着したら,入国審査があるのですが,これもまた,アメリカではキオスクという装置で簡単に済みます。こういう場所での人の流れの方法は,お国によってずいぶんと違います。
 ここまで手続きをストレスなく終えるコツは,荷物をできる限り少なくすることです。仕事ならともかく,私のような単に観光で海外旅行をする場合は,特に,持ち物をなるべく少なくすることが楽に旅をする秘訣なのです。
 そんなこともあって,カメラなど,軽くて小さいものに限るのですが,さらに,荷物はできる限り預けずに機内持ち込みにするようになっていました。
 アメリカに到着して入国手続きが終われば,その先は,国内線への乗り換えになるわけで,そうなればあとは国内旅行をするのと変わらなくなります。私もすっかりアメリカ人になったつもりで行動をすることにしていました。

 それにしても,行くたびに思ったのですが,日本とアメリカでは航空路線というものの考え方がずいぶんと違います。
 アメリカでは航空路線というは日本の鉄道のようなものです。よくもあれほどの人が利用して,あれだけ多くの路線があるものだと感心するくらいです。そしてまた,実際はどれだけ間違いがあるのか,私は一度も間違えられたことがないのでわかりませんが,預けられた多くのカバンがほぼ確実に振り分けられること自体が奇跡のように思います。
 旅をしていると,いろいろと不思議なことに出会います。

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 私はアメリカに行くとき,しばらくの間ロサンゼルスを経由することがありませんでした。それは2001年にアメリカに行ったとき,帰国する日の朝ロサンゼルス・ハリウッドのマクドナルドで朝食をとっているときに置き引きに遭ってえらい目して以来,ロサンゼルスがすっかり嫌いになってしまったというのが理由でした。
 しかし,2018年にロサンゼルス郊外のパロマ天文台に行こうと仕方なくロサンゼルスに行って以来,羽田国際空港発ロサンセルス国際空港行きのデルタ航空便がとても快適で便利なことを知ってしまい,その翌年の2019年もまた利用することになりました。2019年のときはさらにロサンゼルスで乗り換えて,アリゾナ州のフェニックスまで行きました。
  ・・
 前回書いたように,2020年もまた,フェニックスに行くことにしていました。当然2019年のときと同じ旅程だと思い込んでいました。しかし,これを書いている段階で,プリントしておいた予約票に,帰りの便は確かにロサンゼルス乗り換えだったのに,行きの便がロサンゼルスではなくシアトル経由であったのに気づいて驚いたのです。まあ,経由地がそうだったということだけで,最終目的地は同じなのでさしたる問題があるわけでもなかったのですが…。

 日本からはアメリカに限らず,オセアニアやヨーロッパに行くにもみな9時間程度の時間がかかります。日本はどこに行くにも中途半端に遠いのです。
 若いころはいいとしても,このごろは次第に体力も落ち,エコノミーシートで9時間はたまらなくなってきました。ということで,少しだけ贅沢をすることにしていました。
 飛行機の座席はエコノミーシートとファースト(ビジネス)クラスという分類です。また,エコノミーシートの上にエコノミーコンフォートシートというエコノミーシートより少しだけ広い席があります。私はデルタ航空のゴールドステイタスなので,これまでも,最悪でも無償でエコノミーコンフォートに,そして,アメリカの国内線はファーストクラスにグレードアップされていたのですが,国際線では,かねてから,エコノミーコンフォートとファーストクラスの中間のランクにあたるシートがあればいいのになあ,と思っていました。
 その念願がかない,デルタ航空では,アメリカ本土までの便にプレミアムエコノミーシートという設定ができました。これは,座席はエコノミーの1.5倍くらいあって広く,食事はファーストクラス並み,というのものでした。そこで,試しに,2019年に,少しだけマイレッジを使ってこのプレミアムエコノミーシートにグレードアップして利用してみました。
 それが今日の写真です。
 ファーストクラスよりかなりお値打ちであって,かつ,快適だったので,こりゃいいや,と思いました。そして,これからはずっとこの席にしようと思いました。
 というわけで,2020年の旅もまた,事前にマイレッジを使って,プレミアムエコノミーシートにグレードアップがしてあったのですが,結局,この旅は行くことができず,残念ながらキャンセルとなってしまったわけです。

☆ミミミ
昨日の夕方写した月齢1.5の月と金星と新幹線です。月の下には火星がいるはずなのですが…。

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 2020年,突然のコロナ禍で海外に出かけることができなくなりました。この時点で私はこの年3度の海外旅行を計画していて,それらをキャンセルしなくてはなりませんでいた。
 それにしても,3つも海外旅行をキャンセルした人がどれほどいたことでしょう。
 それまで,当たり前のように年に6回から8回海外旅行をしていて,そのころは,どこに行くか,何をするか,どのように行くか,などがほぼ定跡化していたので,半年以上前に予約が済んでいたからでした。
 キャンセルした旅行のうち,3月のオーストラリア旅行,7月のフィンランド旅行については,すでに幻の旅行記を書きました。そして,最後に残った,8月に行く予定をしていたアメリカ旅行についての幻の旅行記を,今日から書いていきます。
 今回もまた,これまでに出かけたときに写した写真とともにご覧ください。

 この旅は,次の旅程で航空便が予約してありました。
 行きは,2020年8月19日水曜日の午後4時45分,羽田国際空港発のデルタ航空166便で出発して,同日午前10時3分シアトルのタコマ国際空港着,そして,11時20分タコマ国際空港発のデルタ航空1262便で14時12分アリゾナ州フェニックス着でした。また,帰りは,8月25日火曜日午前6時3分フェニックス発のデルタ航空4078便で午前7時35分ロサンゼルス国際空港着,そして,午前10時30分ロサンゼルス国際空港発のデルタ航空7便で翌日8月26日水曜日午後2時30分羽田国際空港着でした。
 予約をしてあったのは,航空便だけでした。3月の時点では夏には行くことができるかな,という感じで様子見だったのですが,その後,さらに事態は悪化して,7月21日にキャンセルしました。
 今,これを書くために改めて調べていて,予約してあった行きの便がシアトル乗り換えであったことに驚きました。私は,ずっと行き帰りともロサンゼルス乗り換えだとばかり思っていたからです。いい加減な話です。


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今日はまず,これまで書き忘れていたことを書きます。それは服装のことです。
2月の下旬,日本は冬でハワイは常夏。これが困るのです。昨年8月にフィンランドに行ったときは,涼しいと思っていたフィンランドが予想以上に暑くて,持っていった長袖が無駄になりました。また,6月に南半球に行くときも同様に困ります。半分ずつ持っていけばいい,というものでもなく,どちらかに決断しないと,滞在日数の倍の着替えを持っていくことが必要になってしまうのです。
おもしろいのは現地に到着したときで,空港では,ある人は夏服を着ているし,またある人は冬服,ということになります。
ハワイの場合,夏服だけを持っていけばで大丈夫です。そこで,出発する日と帰国する日の分だけの冬服を余分に持っていくことになりますが,重ね着で対応します。
また,今回は,深夜に星を見るにも半袖と短パンで大丈夫でした。しかし,昨年行ったマウイ島のクラは標高が高く夜は冷えて,半袖しか持っていかなった私は夜寝るときに震えていたので,今回行く前にずいぶんと長考して支度をしたのですが,結局,行きと帰りに夏用のズボンを履いていたことだけが誤算となりました。それは,特に行きの機内がとても冷えていて,夏のズボンでは寒くて仕方がなかったからです。機内が寒いことは当然知っているのですが,予想以上でした。

さて,帰国の日になりました。
来た時と同様,朝早い私は,コンドミニアムのオフィスがまだ空いていない時間にチェックアウトということになりました。もらったプリントに,ルームキーを部屋のキッチンの上に残してロックをして帰ればいいとあったので,その通りにしました。
コンドミニアムを出発して30分,夜も明けきらぬ空港に到着して,レンタカーを返しました。借りるときに言われた通り,ガソリンは半分の消費でした。もう少し付け足すと,返却するときに満タンでないと割高のガソリン代が請求されるのですが,借りるときに満タン返しにしないという契約にすると安価で満タン分のガソリンが購入できるといういうシステムだったのを拡大解釈して,事前に半分だけのガソリン代を安価に支払っておいたということです。
すでに iPhone でフライトのチェックインは済ませてあったので,空港ではセキュリティを通って乗るだけでした。ハワイからの帰国は,一度セキュリティを通ればホノルルで再びセキュリティを通る必要がないので,こうした小さな島から帰国するのはかなり楽です。特に,モロカイ島では30人程度の乗客しか飛行機に乗らないのだから,セキュリティはまったく並ばず,田舎の駅と同じようなものでした。
帰りのモロカイ島からホノルルまでのフライトはちゃんとジュースが配られましたが,飲んでいたらすぐに着陸態勢に入りました。
ホノルルに着きました。空港の窓からパーキングエリアにずらりと並んだリムジンカーが見えました。私はそんな見せかけの虚栄を見てすっかり現実に戻されて嫌になり,まっすぐデルタスカイクラブのラウンジに向かいました。このラウンジの場所が毎回わからず苦労していたのですが,さすがに今回はスムーズにたどり着きました。ラウンジまでのコンコースはいつもとおり日本人であふれていましたが,モロカイ島では決して見ることのない日本人のマスク姿が異様でした。

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そもそも,ウィルスはマスクの目の大きさに比べてとても小さいのだから,マスクにウイルスを遮断する効果はありません。マスクは咳が出る人が,咳をするときに自分の飛沫についたウィルスが外に出て他人が迷惑を受けないようにするためにするものです。これが咳エチケットといわれているものです。また,マスクの目より大きい花粉から守るために花粉症の人がつけるものです。
つまり,そうした症状のない人が予防として(私には何に対する予防なのかわかりませんが)マスクをつける意味が理解できません。マスクをしてもうつります。そもそも,屋外や自家用車の中でマスクをしている人の意味がわかりません。
さらに不思議なのは,ホノルルからセントレアへの帰りの便で,食事が出たとき,マスクを顎にさげて食事をしている人がたくさんいたことです。あれは改めてマスクを口に戻したとき,顎についたばい菌を口に咥えることになるから,むしろ害以外の何物でもありません。また,食事などでマスクを外して手で折り曲げてポケットにしまうのもよくわかりません。手についたばい菌をマスクにこびりつけているわけです。さらに,マスクをしている人に限って,手をきちんと洗わないのです。私は分厚いマスクをしている人を見ると,紙おむつや雑巾を口に咥えているように思えてなりません。花粉症の人には申し訳ないけれど…。
こうした,本質を理解しないで「やったふり」をするのは,10年勉強しても英語ひとつものにならないような意味のない勉強をすることや,本音は金儲けなのに表向けの愛想だけを振りまくような「おもてなし」同様,日本人お得意のポーズだけ立派,まさに責任逃れの世界です。
マスクをしない人に対して「マスクをしないで武漢が歩けるか」という無知な人の口コミがありましたが,そういう人に私は「マスクをすれば武漢が歩けるか」。そもそもマスクにウィルスを遮断する効果はないのだから,ウィルスに接触して抵抗力がなければ,マスクをしてもしなくてもうつるのです。
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こうして私は3泊5日のモロカイ島への旅から戻ってきました。
モロカイ島は思った以上にさびれた島でした。そしてまた,思った以上に,私には気に入った島でした。
子供の頃,森村桂さんの書いた「天国に一番近い島」という,ニューカレドニアを舞台にした旅行記を読みました。また,岩波新書で畑中幸子さんの書いた「南太平洋の環礁にて」という本を読みました。これを書きながら,そういえば,私は,子供の頃,これらの本に書かれた,小さな何もない島に憧れたことがあるのを思い出しました。しかし,今,そうした島に行っても,おそらくは俗化されてしまっていて観光客であふれていると思うのです。それを考えると,今は,このモロカイ島こそが,私が夢に見た島なのだろうと思いました。
それとともに,私が行きたいと思っている鹿児島県の与論島や沖縄県の石垣島よりも,モロカイ島に行く方が雨も少なく,人も少なく,星もきれいだなあと思うと,増々,与論島や石垣島から足が遠のいてしまいます。
それにしても,結果的に,思いもしなかったのに,私はモロカイ島に星を見にいったようなものでした。ハワイ6島制覇まで,残すはラナイ島ですが,ラナイ島は上陸するだけならマウイ島に行った折に日帰りツアーで行けばよさそうです。そして,6島制覇が成ったあとは,再びモロカイ島に行ってみたいと思います。

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モロカイ島3泊目の晩。昨晩2時間ごとに起きて星の写真を写してすっかり満足したので,この晩は特に星を見る予定はありませんでした。しかし,体内時計がそんなサイクルになってしまっているので,午前2時過ぎに目覚めました。せっかくなので星空を眺めることにしました。今日の写真は昨晩写したものですが,この夜に見たのがこの星空でした。

日本では,夏の南の夜空に,さそり座とその左隣のいて座くらいはなんとか見えます。しかし,黄道12星座のひとつで星占いでは有名なのに,てんびん座を見た人はほとんどいないでしょう。てんびん座は星の並びすらよくわかりません。私は,どうしてこれがてんびん座なのだろうと思っていました。
また,東の空に昇ってきた夏の大三角形といわれること座のベガ,わし座のアルタイル,はくちょう座のベガははっきりわかっても,この時期天頂付近に春の大三角形といわれるおとめ座のスピカ,うしかい座のアークトゥルス,しし座のデネボラがあることはよく知らないでしょう。これもまた,空の暗いところなら,すぐに見わけることができ,しかも,夏の大三角形とみごとに対比して輝いているのです。
さらに,空の少しは暗いところに行くと,この時期南西の方向にある,からす座の四角形はよく目立つのですが,その南に明るい星々がたくさん輝いているのは,日本ではほとんど見えません。しかし,そこには,ケンタウルス座とおおかみ座があるのです。
私は,この晩,モロカイ島の星空をずっと眺めていて,てんびん座とおおかみ座とケンタウルス座の星の並びにずいぶん感動しました。
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まず,てんびん座。
この晩私は,はじめてさそり座のあたまの3つの星の上にある明るい3つの星を,確かにてんびんのようにつなぐことができるのを発見し,てんびん座と名づけられていること納得しました。
てんびん座は,ギリシア神話では正義と天文の女神アストライアーが手に持っている正義を計る天秤だとされます。もともとはさそり座のはさみの部分だったものをてんびん座として独立させたのは紀元前1世紀頃と考えられています。
次に,おおかみ座。
この地味な星座は,日本では半分が地平線の下にあって昇らないので全くなじみがないのですが,全体が見える場所で星々をたどっていくと,しっかりとおおかみの形に見えるのです。そして,とてもかわいいのです。おおかみ座は古い星座で,古代メソポタミアでは,狂犬 (the Mad Dog) またはカバ男(Gruesome Hound)とよばれる人頭獣身の姿が描かれていて,バイソンマン(Bison-man)=現在のケンタウルス座(Centaurus)と対を成すとされました。一方,古代ギリシアでは,おおかみ座はケンタウルス座の一部とされていて,この動物を指す名がなく,単に野獣などとよばれていましたが,ビチュニア(Bithynia)のヒッパルコス(Hipparchus)が紀元前200年ごろにこの星座を分離させてテリオン(Therion) と命名しました。
最後に,ケンタウルス座。
紀元前5千年紀に成立した最も古い星座のひとつで,人頭牛身のケンタウルスは,バイソンマン(the Bison-Man)またはブルマン(the Bull-Man)とよばれます。
古代ギリシャでは想像上の動物ケンタウルスとみなされます。この星座には,有名なω星団やNGC 5128(ケンタウルス座A)=4番目の写真(私が日本で写したもの)があって,そのどちらも日本からは地平線すれすれまでしか昇らないので,日本に住むアマチュア天文家の憧れの天体です。

モロカイ島は何もない島,ではなく,こんな美しい星空を見ることができる島でした。

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夕食の時間になりました。
今日はこの旅の最後の晩なので,この島でもっとも贅沢だと思われるパドラーズインというバーを併設したレストランに行くことにしました。「地球の歩き方」には,この店で使えるクレジットカードがVISAだけと書かれてあったので,この旅ではVISAカードを持っていなかった私はそのレストランに行くのをためらっていたのです。しかし,結局,これまでほとんど現金を使わなかったので,というよりも,食事以外にお金を使うところすらなかったので,手元の現金はまったく減ることもなく,たとえ夕食を現金で支払っても大丈夫という見込みが立ったことにありました。
中に入ってみると,贅沢でもないふつうのお店でした。メニューも大したものはなく,いつものように,ハンバーガー。それくらいしか注文するものもありませんでした。私のとなりの席に初老の夫婦が座っていましたが,かれらはアルコールを選択していました。私は酒の席以外,お酒はまったく飲まないし,それをおいしいとも思わないので,そうした行為すら理解不能なのです。もう少し遅く来るとライブ演奏をやっていることもあるそうで,店内の端にはステージもありました。
食事を終えて支払いをするときに,このお店はVISA以外にもほとんどすべてのクレジットカードが使えることがわかりました。こんなことなら,はじめっからこのお店にすればよかったのにと思いました。

お店を出たとき,ちょうど夕日が沈むころだったので,お店の近くのカウナカカイ桟橋に向かいました。ここは到着した日にも行ったところです。桟橋には数台の車が停まっていて,みな夕日が沈むのをを今か今かと眺めていました。
ハワイ島のカイルアコナは夕日が海に沈むのが眺められるすてきな場所ですが,コナの海岸は泳げるので,水遊びをする子供たちの歓声が聞こえます。また,素敵なレストランは多くの人が食事をしていてハワイアンのライブもあります。とてもハワイらしいところです。しかし,モロカイ島は海が荒く泳げないし,オープンカフェもありません。ここは桟橋で沈みゆく太陽を眺めるだけなのです。その静かさがまた素敵でした。
  ・・
私が滞在した3日はすべて天気に恵まれました。
それがいつものことなのか,あるいは運がよかったのかはわかりません。調べてみると,2年前に期待して行ったのに天気が悪く -それは雨期である秋に行ったことも原因でしたが- がっかりしたカウアイ島のリフエの年間降水量が約1,000ミリメートル,ハワイ島の雨が多いというヒロが3,000ミリメートル,マウイ島のいつも天気がよいキヘイが300ミリメートル,そして,今回行ったモロカイ島もまた300ミリメートルということなので,天気はよいのでしょう。
ちなみに,東京は1,500ミリメートル,鹿児島の与論島も1,500ミリメートル,沖縄の石垣島は2,000ミリメートルなので,私が一度は行って1日中ボーッとしていたいと思っている与論島や石垣島に行くより,モロカイ島のほうがずっといいなあと今回思いました。こうしていつも私は日本の南の島に行く機会を逸してしまうのです。
夕日が海に沈むのを見ました。とても美しい景色でした。

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旅をする目的とは何なのでしょう。名所旧跡を訪ねることなのでしょうか? 「何かをする」ために出かけるのでしょうか? あるいは,何もない海岸で,1日中ボーッと海を見ることなのでしょうか? それとも,その土地にしかないおいしいものを食べることなのでしょうか?
それは人それぞれなのですが,モロカイ島に名所旧跡を訪ねる目的で出かけても,おいしいものを食べるために出かけても,「何かをする」ために出かけても,おそらく期待外れに終わることでしょう。モロカイ島は,何もしないという時間の使い方ができない人が出かけたら,とまどうに違いありません。私も,モロカイ島に何もしないという目的で出かけました。
しかし,それだけではありませんでした。私の旅には時として満天の星を見にいくという目的もあるのですが,モロカイ島はそうした目的で行ったわけではありませんでした。ただし,星が見られる可能性があることを考えて,あえて,新月の時期に出かけましたけれど…。そして,奇しくもそれがかなったのです。
  ・・
話題を飛躍して,このあとは少し余談です。
日頃,仕事や子育てに忙しくしている人には想像がつかないかもしれませんが,そういった束縛から卒業した人にとって,何もすることがない時間を過ごすというのは耐えられないことなのでしょう。今忙しい人も,やがてはそうした日々がやってきます。
平日,趣味も楽しみもないのでしょうか,朝からボーッとしている老人の姿を見かけます。また,時間をつぶそうと,スーパー銭湯やスーパーマーケット,そして図書館,そうした場所には老人が列をなしています。そうした人たちが最も多くの老人の姿ですが,そうした現実がニュースとして取り上げられることはありません。
その一方で,貧困老人の日常はこれまでよく報道されてきました。しかし,実は,その逆に,使うお金に困らず,贅沢な旅に出て,帰った日にスポーツジムに行き,さらにライブハウスに行き,などと飛び回っている老人もいるわけです。そうした姿はこれまで知られることもあまりなかったのですが,奇しくもこの頃のコロナウィルスの流行で,一躍明るみに出ました。
このように,呪縛から卒業した人たちは,毎日を自分なりに生きるために右往左往しているのですが,今や,この国の人口の半数はそうした人たちなのです。そうした人たちがひとりでも多く心安らかに日々を過ごせる国であってほしいと思います。
  ・・
もっともっと話題を飛躍します。私は,動物園に出かけて動物たちを見ると,飼育員さんからエサが与えられることでエサをとるという根本的な日常を奪われた動物たちにとって,時間を過ごすことがどういうことなのかな,退屈しているのではないかな,生きている意味ってあるのかなと思って,切なくなったりします。動物に向かって,ご趣味はなんですか? とこころの中で問いかけたりもします。
  ・・・・・・

さて,旅の3日目。
今日は土曜日でした。土曜日は,朝,カウナカカイのダウンタウンでファーマーズ・マーケットをやっているということだったので行ってみることにしました。この,週に1回ほど開かれるというファーマーズ・マーケットはアメリカに行くとさままな場所で行われていて,これまでもいろんなところでそれを見る機会がありました。私はこうした場所で何かを買ったということはこれまで一度もなくて,ひやかし専門です。というより,必要のないものは,旅行先であり日常であれまったく買いません。
駐車スペースがないと困るからと早めに行ってみたのですが,私はこの島のことを,まだ,まるでわかっていなかったということに行ってみて気づかされました。まず,島民の絶対数が少ないこと,そして,マーケットといったって数軒の露店があるだけだったからです。車を停める場所なんていくらでもありました。やはりモロカイ島はすてきな世界です。
マーケットのの中央で,若い女性がふたりフラダンスをやっていました。また,軒下でギターを弾いている人がいたりして,ちょっぴりマーケットらしい雰囲気もありました。

その後,コンドミニアムに戻って,今日は,1日何もせず過ごすことにしました。
ファーマーズマーケットの帰り,カネミツ・ベーカリーでパンを買い,マーケットで飲み物を買って,準備完了です。今日1日,コンドミニアムの部屋のベランダで,あるいは庭で,ずっと海を眺めるのです。海にはクジラが泳いでいて部屋からそれが見えるのです。もちろんテレビなどつけません。私がハワイでこうした時間の過ごし方を覚えたのは,昨年マウイ島へ行ったときです。しかし,マウイ島に比べて,モロカイ島は人が少ないだけでもマウイ島よりもずっと快適です。
考えてみれば,私がはじめて海外旅行に憧れたのは,子供の頃,百科事典に載っていたナイル川のほとりにたたずんで川を見ている人の写真を見たときからです。おそらく,私はこころのどこかに,こうした旅にずっと憧れていたのでしょう。それは,観光客で一杯の名所旧跡やテーマパークをあくせくとまわるような旅とはまったく真逆な世界です。しかし,これこそがもっとも贅沢な旅なのでしょう。

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星が美しかったのに気をよくした1日目の夜は夜半には雲が出たようでした。
そして2日目の夜。この晩はずっと快晴という天気予報だったので,2,3時間ごとに起きて星を見ることにしました。せっかくこれだけ条件のよいところに泊って,しかも,お昼間にどこか遠出をする予定もなくのんびりできる場所なので,翌日の心配はありませんでした。この島ではこれが最高の贅沢だと思いました。また,徹夜するということでもないので,体にはこたえません。
ということで,今日は,この晩に写した写真をご覧ください。

まず,1番目から4番目の写真は魚眼レンズで2,3時間ごとに南の空を写したものですが,天の川の位置が変わっていくのがよくわかると思います。
1番目の写真にはオリオン座が空高く写っています。冬の天の川です。そして,2番目から4番目の写真には水平線すれすれを動いていく南十字星が写っています。このように,北緯21度のハワイでは南十字星はこの高さまでしか昇りません。また,4番目の写真のように,夏の星座が昇ってくる明け方の天の川が最も見事です。皮肉にも3番目の写真のように南十字星が南中するころの天の川は,水平線をはっていてほとんど見ることができず張り合いがありません。
そういえば,わずか4年ほど前のことなのですが,南十字星を見たく見たくて,はじめてハワイに行ったときを思い出します。たった4年の間に,それ以来私はもう何十回とハワイで,あるいはオーストラリアで,またニュージーランドで,南十字星を何度も何度も見ることができたのが不思議な気がします。
  ・・
5番目の写真は西に沈みゆくオリオン座です。残念ながら,今回,水平線に,つまり海に沈んでいくオリオン座や,水平線から,つまり海から昇ってくるさそり座といった写真をうつすことはできませんでした。モロカイ島では西側の海岸,あるいは東側の海岸が見られる場所に行けば,こうした,海に沈む,あるいは海から昇る姿を写すこともできそうなので,また,次回,挑戦してみたいものです。
6番目の写真は,私が最も好きな南十字星からηカリーナにかけての天の川の写真です。このあたりの星野は南半球に出かけると最もフォトジェニックな場所としてだれもが魅了されるのですが,ハワイでも十分に堪能することができるわけです。
  ・・
そうこうするうちに東の夜がだんだんと白んできました。そうすると,この時期は,東の空に,火星,木星,土星が昇ってきます。それが7番目の写真です。これまで,日本でこの姿をたくさん写しましたが,日本では惑星は見えても,その背後にあるいて座やさそり座の星々,そして天の川は見えません。特に,いて座の美しいM8,M20 といった散光星雲を同時に写すことができたのがとてもうれしいことでした。

やがて夜が明けて星が消えるころになると,それがわずか数時間前のことだったのに,この同じ空に満天の星空が輝いていたのが夢の出来事のように思えるのがいつも不思議なことです。

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カラウパパ展望台とファリックロックへ行った帰り,モロカイ・ミュージアム&カルチャーセンターという博物館を訪ねました。 ここは,1878年から1889年の11年間稼働していたハワイで最も小さいシュガーミル,つまりサトウキビ工場の跡が博物館として公開されているところです。マウイ島にもアレキサンダー&ボールドウィン砂糖博物館というものがあって行ったことがあるのですが,比べものにならないくらいちいさな博物館でした。そもそもモロカイ島で博物館といっても,ここしかありません。入館料をはらって館内にはいるとシュガーミルについてのビデオの上映がはじまっていました。それを見てから庭の向こうにあったシュガーミルの建物を見学しました。残念ながらここは撮影禁止だったので,写真はありません。モロカイ島の観光名所といっても数えるほどしかないので,ばらばらとですが観光客が途絶えることはありませんでした。
次に行ったのがプアディーズ・ナチュラル・マカダミアナッツ・ファームでした。
クララプウという小さな町のはずれにある農場です。わずか5エーカー(1エーカーは陸上トラックの内側の半分くらい)の土地に50本のマカダミアナッツの木があって,オーナーのプアディーさんというユニークな人が,マカダミアナッツの実のつき方を紹介して,最後に試食をするということを無料で行っていました。以前,ハワイ島のコナでロイヤル・コナコーヒー工場&博物館というところに行ったのを思い出しましたが,ここもまた,それとは比べものにならない規模でした。

来た道を少し戻って,次に目指したがモロカイ島の西の端,右向きのアユでいえば尾ひれのあたりでした。
まず,西側の内陸部を走る州道460号線を終点のマウナロア(Maunaloa)とい町に向かいます。その途中にモロカイ空港があるのですが,モロカイ空港の手前に,クムファームという有機野菜をつくっている農園があって,それをショップで販売しているというので寄ってみました。小さな市場でお客さんが1組いました。私には買うものもないので,ただ眺めるだけでした。
さて,そのあと,マウナロアの町をめざします。マウナロアは,かつて島の西部の大部分を占めるモロカイランチにドール社がパイナップルプランテーションを広げていたとき,その中心となった町です。ドール社は撤退してしまったので,今は死んだような町となってしまいました。ほとんどの店は閉店し,その町にあったのは,1軒のスーパーマーケットと手作り凧の店だけでした。住んでいる人は何を生業としているのでしょう?

マウナロアから少し州道460号線を東にもどると,左折する道路があります。目立たない看板があると「地球の歩き方」には書かれてありましたが,目立ちました。
その道路を下っていくと,島の北西の海岸線に出ることができました。そこにあったのがケプヒ・ビーチリゾートで,一応,遠くから見ると,マウイ島にあるような立派なコンドミニアムが立ち並び,プライベートビーチもありました。私は,ビジター用の駐車場の車を停めて,歩いて海岸まで行ってみました。しかし,ほとんど客もおらず,ビーチも閑散としていました。それにしても,このリゾートは,レストランすらなく,ショップが1軒あることにはあるのですが,「OPEN」と入口にはあれど中は真っ暗で入る気になりませんでした。ここに宿泊していったい何をするのだろうと思われるほどさびれていました。
私は,さらに島の西側を海岸に沿って南に走って,パポハクビーチ(Papohaku Beach)に行きました。
パホハクビーチはハワイで最も長い白砂のビーチです。風が強く波が高く潮の流れも速いので泳ぐことはできないのですが,ボーッとするには最適な場所です。というか,ボーッとするほかすることもありません。広い駐車場とバーベキューエリアがありましたが,駐車場に空きスペースがないほど車が停まっているマウイ島のマケナビーチとは雲泥の差で,停まっている車は数台でした。私がビーチに行ったとき,1組のファミリーだけが砂浜に寝転んでいました。

モロカイ島にあったのは,これだけでした。どこもさびれにさびれていて,それがまたいいというか,これもまたハワイなのだろうか,というか…。これはある意味最高です。そのうち,どこかの大きなリゾート開発会社がこの島に進出して,こうした素朴さをすべて壊してしまうことがあるかもしれませんが,いまのところ,ここは地球に残された「最高の」秘境です。なにせ,30分飛行機に乗ればホノルル,つまり,だれでもすぐに行くことができる場所なのです。この島がずっとこの状態であることを私は祈ります。
カウナカカイの町に戻って,私が宿泊しているコンドミニアムから少し東にある公園に寄ってみました。この公園は海に面していて,広いグランドもありました。居たのは馬に乗った人がひとりでした。ここなら夜になると満天の星空が見られるだろうと思いました。
この日は前の日に行ったモロカイバーガーのとなりにあったモロカイピザカフェで夕食をとりました。ここのピザはハワイ6島の名前のついたいろんなトッピングが楽しめるということでした。私はピザが苦手 -とはいっても食べられないということでないのですが- で,海外に行ってもピザショップには入ったことがないのですが,この店のほかに選択肢もほとんどないので入ってみました。しかし,このレストランは決してピザだけではなく,いろんなメニューが選べたので助かりました。

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午前9時ころ,カウナカカイに戻ってきました。昨日はもう遅かったので多くの店が閉店していました。そこで,今日はウィンドウショッピングです。とはいっても,お店など,数えるほどしかありません。
私が行きたかったのは,カネミツ・ベーカリー&コーヒーショップでした。このお店はモロカイ島唯一のパン屋さんです。「地球の歩き方」によると,翌日の朝に並べるパンを仕込んでいる夜の時間帯に,焼き立てを求めて店の裏側にまわって行列を作るのだとか。私は別にそんな行列を作る気はなかったのですが,朝7時から店内のカフェスペースで食事ができるということで,朝食をとるために入ってみました。店内には地元の人がたくさんいて,みんな知り合いのような感じでした。
私はモーニングセットを注文して,ともかく朝食を終えました。モロカイ島の夜は開いているレストランも限られていますが,お昼間はこうしたお店がほかにもあるにはあります。店を出るときにドーナッツを勧められたので,ひとつ買いました。

お店を出て,今度は島の西側に向かいます。右を向いたアユに例えれば尾ひれの部分です。しかし,西側は南の海岸線には道路がなく,まずはカウナカカイから北上して北の海岸に行きます。その途中にあるのが,この島の空港です。2日目にしてやっと位置関係がわかってきました。
空港を左手に見てさらに北に進むと,クアラプウ(Kualapuu)という町があって,その先にモロカイ・ミュージアム&カルチャーセンターという博物館がありました。帰りに寄ることにしてそれを過ぎると,突き当りがパラアウ州立公園(Palaau State Park)の駐車場で,そこには2,3台の車が停まっていました。車を停めて少し舗装した道を歩くと,カラウパパ展望台(Kalaupapa Lookout)に到着しました。展望台からは右手に突き出した半島が眺められますが,この半島がかつてハンセン病患者の人たちを隔離したカラウパパです。
カラウパパに行く道路はないので,そこには,海から行くか狭い山道をカラウパパ・ミュール・ツアーに参加してミュールに乗っていくかしかないそうです。ミュールというのは,馬とロバを交配させて生まれた動物で,それに乗って5キロくらい行くのだそうです。しかし,私が行った時期はシーズンオフで,ツアーも実施されていないようでした。
  ・・
駐車場に戻って,今度は左手の別のトレイルを行きました。そのトレイルは松林のなかの舗装されていない山道で,5分ほど行くと,高さが2メートルほどあるファリック・ロック(Phallic Rock)に出会います。この岩の別名はナナホアのペニス(Ka Ule O Nanahoa)といって,子供に恵まれない女性がこの岩に触れると望みどおりの子宝に恵まれるそうです。こういうのは万国共通なのだなあと思いました。

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モロカイ島2日目の朝が来ました。
今日は島を巡ることにしました。東西に長細い右を向いたアユのような形をしたモロカイ島は,中央の南の部分が若干の平地となっていて,そこに島唯一の町カウナカカイ(Kaunakakai)があります。東には南の海岸線にそって先端に向かって道が伸びていて,先端近くの海岸がクミミビーチ(Kumimi Beach),そこから島の東の端までは山を登っていって,北東の果てがハラワ渓谷(Halawa Valley)です。まずは東にハラワ渓谷まで行ってから,帰りに見どころを見つけたら車を停めることにしました。
まだ夜が明けきっていなくて,白んだ空を右手に海岸線の片側1車線の道路を走っていきましたが,ほとんど車は走っていなくて,時折すれ違うのはこの辺りに住む人のピックアップトラックだけでした。
コンドミニアムから20マイル,32キロメートルほど走ったころ,先ほど表現した右を向いたアユでいえばエラのあたりで夜明けを迎えました。ちょうど海を眺められる駐車スペースがあったので,車を停めました。幸運にも,今まさに太陽が海から昇るところで,運よく日の出を見ることができました。ハワイというのは夕日が沈むのを見ることができる場所は多いのですが,日の出が海から昇るのを見られる場所は意外とありません。私が知らずに車をとめたところはクミミビーチでした。ここはヤシの木に囲まれた白砂のビーチで,スノーケリングポイントとして有名なのだそうですが,人はだれもいませんでした。

クミミビーチをすぎると,その先,海岸線に沿って道はなくなり,高台に向かって登り坂になりました。道路も狭くなり,曲がりくねっていてカーブが続きました。やがて丘の上まで来ると,そこは,ククイの木がうっそうとするラニカウラ・ククイの森(Lanikaula Kukui Grave)で,マナエ・グッズ&グラインズという小さなストアが1軒ありました。それを過ぎると,プウ・オ・ホク牧場(Puu O Hoku Ranch)があって,なんとこんなところに平原が広がっていました。アユで表現すれば眼の位置です。牧場と道路の境は有刺鉄線で囲われているにもかかわらず,数頭の野生のシカが次々と道路に飛び出してきました。シカは有刺鉄線をものともせず隙間を器用に通り抜けます。私はモロカイ島に野生のシカが生息しているのに驚きました。牧場ではウシがのどかに牧草をほおばっていました。昨晩の夕食のハンバーガーはこのお肉だったのでしょうか。
牧場を越えると,ついに道路は下り坂となりました。車が1台しか通れない道幅となり,海に落ちていくような急坂を下ると,眼下にはハラワ湾が見えてきました。ハラワ湾のまわりはかつては集落があって栄えたということですが,今はもう秘境以外の何モノでもない場所でした。道路もほとんど車が通った痕跡がなくなりました。遠くには滝が見え,湾の向こうには民家が1軒あるのですが,道もみつからず,どうやってそこに行くのかわかりません。以前行ったことのあるマウイ島のハナの町も秘境でしたが,ここに比べたらまったく大したことはありませんでした。
ここがモロカイ島の東の先端,まさに地の果てでした。すごいところに来てしまったような気がしました。しばらくハラワ湾を見ていました。
  ・・
引き返すことにしました。
帰りは途中の見どころをと思っていたのですが,見どころといっても,海岸線とビーチとそれ以外にはたったひとつ小さな教会だけでした。教会の前に駐車スペースがあったので車を停めて教会のなかに入ってみました。その教会はセント・ジョセフ教会(St.Jpseph's Church),1876年にダミアン神父が建てたもので,教会の建物の傍らに首にレイがかけられたダミアン神父の像が立っていました。

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私は通常,夕食は午後5時です。お酒は飲みません。ちなみに起床は午前5時,朝食は6時,昼食は11時です。星見に行くときは午前4時に起きたりします。睡眠時間は5時間ほどです。
歳をとって,海外旅行をしても時差ボケになりません。この日もまた,通常と同じように,夕食は午後5時でしたが,当然,こんな早い時間にレストランに行ってもほとんどお客さんはいませんでした。
夕食を終えて,コンドミニアムに戻って窓から外を見ると,庭ではバーベキューパーティの真っ最中でした。このバーベキューパーティにはお金を払えばだれでも参加できますが,私がひとりでのこのこでかけて行っても入る余地もないので,ご遠慮しました。もう少し若かったら参加したかもしれません。
  ・・
このコンドミニアムは私のような旅行者より,長期滞在をしている老夫婦が多く,要するにお金もちの別荘です。このような人たちは,お昼はベランダでひなたぼっこや読書,あるいはプールで寝そべっているという時間の過ごし方をしています。モロカイ島の海岸は海水浴には適していないので,こうしてプールがあるのです。
どこかへ行くといっても行く場所もないし,ショーをやっているわけでもない,だから,何もないところといえば何もないところだし,それがいいといえばいいわけです。こういった姿を見ると,人が幸せかどうかというのは,その人が自分なりの時間の過ごし方を知っているかどうかだと思うわけす。

ここなら星がきれいに見えるかな,と私は到着したときから期待しました。この旅では,もし星がきれいに見える場所ならと,期待半分で三脚と携帯赤道儀と天体撮影にいつも使っている改造カメラと交換レンズを持参してきました。それは,昨年ハワイ島に行ったとき,クラの宿泊先のベランダから満天の星空を見ることができて,そのとき,三脚だけでも持参してきてよかったと思った反面,赤道儀を持ってこなかったことを後悔したのを思い出したからです。しかし,おそらく使う機会はないだろうなあと思っていました。
それがうれしい誤算となりました。さすがにコンドミニアムの建物は安全のために街灯がありましたが,街灯を背に海を眺めれば,そこには満天の星空が水平線まで広がっていました。そこで,海岸に出て,オリオン座付近の星空を何枚か撮りました。カメㇻを操作しているとき,先ほどまでバーベキューパーティに参加していた人が通りかかりました。満天の星空が見られるというと,驚いていました。せっかく空にこんなすばらしいものがあるのに,それを逃すなんて,もったいない話です。
  ・・
明け方,起床したときにはまだ夜が明けていなかったので,再び,星空を写すことにしました。
今度は昇ってきたばかりのさそり座のあたりの銀河を写すことができました。オリオン座とさそり座を同じ夜に見ることができるのはこの季節ならではのことでした。

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旅をするときは,そこに生活する人とその場所の歴史を知る必要があります。でなければ,旅は単にレジャーセンターに行くのと変わりませんし,それでは何も学べません。
  ・・
モロカイ島を訪れる人が知らなけらばならない偉大な人がいます。それは,ダミアン神父です。
モロカイ島は,かつてハワイ史上最大の悲劇となったハンセン病隔離政策が行われた場所なのです。ダミアン神父(Father Damien)はベルギー出身の宣教師でカトリック教会の聖人,本名はヨゼフ・デ・ブーステル(Joseph de Veuster)といました。モロカイ島で,当時誰も顧みなかったハンセン病患者たちのケアに生涯を捧げ,自らもハンセン病で命を落としました。
人類の歴史上もっとも古くから知られ恐れられてきた病気のひとつであるハンセン病は,らい菌(Mycobacterium leprae)が主に皮膚と神経を侵す慢性の感染症で,治療法が確立された現代では完治する病気であり,ハンセン病回復者や治療中の患者さえからも感染する可能性は皆無です。古来,ハンセン病患者の外見と感染に対する恐れから,患者の人たちは何世紀にもわたり社会的烙印を押され,遠く離れた島や隔離された施設へ追いやられ,自由を奪われ,社会から疎外された状態で生涯を過ごすことを余儀なくされました。
オアフ島のワイキキビーチにセント・オーガスティン教会(St. Augustine By the Sea Catholic Church)があって,その建物の前にダミアン・マリアンヌ記念館(Damien and Marianne of Moloka'i Heritage Center)があるのですが,オアフ島に行く日本人のいったいどれだけの人がそこを訪れるのでしょうか。
私はオアフ島で真珠湾に行ったときに,真珠湾という場所を訪れる日本人があまりに少ないことに衝撃を受けました。鹿児島県の知覧とともに,こうした場所を訪ねることは,日本人の義務だと思うのですが。ハワイは,このモロカイ島の背負った悲劇や,明治以降の移民の歴史,そして,第二次世界大戦での惨劇など,決して浮かれ気分でいくだけの場所ではないのです。
カウナカカイの町を歩いていると,聖ダミアン・オブ・モロカイ教会がありました。この教会は2011年に建てられたもので,ミサの時間には観光客が出入りできると書かれてありましたが,私が行ったときはミサの時間ではなかったのですが開いていたので,中に入りました。教会の中にはダミアン神父の木像がありました。

さて,この日,私はまずカウナカカイのダウンタウンと反対の南の方向に走って,カウナカカイ桟橋に行きました。海岸から沖に800メートルほど突き出たハワイで最も長い桟橋です。この場所は,かつてモロカイ島がパイナップル産業で栄えたときの積み出し港だったところです。ここからは朝日も夕日も眺められます。
その後,カウナカカイのダウンタウンに行って,食事をする場所を探しました。路上のパーキングに車を停めて,いろんな店を見て回ろうと思ったのですが,この町の店のほとんどは午後4時に閉店をしてしまうのです。しかも,週末は休みだったりします。このペースでこの営業時間で商売が成り立つのが驚きです。そもそも観光客なんてほとんどいなし,島の人口はわずか7,000人ほどで,面積は大阪府の3分の1だから,この島だけで生活ができるにはほぼぎりぎりの大きさでしょう。ここに住む人は何を生業として生活しているのか? それにしても,お店も午後4時に終わり週休2日,日本人には考えらられない生活です。
  ・・
「地球の歩き方」に書かれてあったレストランの中には,もうお店がなかったり,営業時間が変わっていたりで,夕食の時間に開店しているところは2,3軒しかありませんでした。2軒ほどあったマーケットは夜までやっているのですが,中に入っても,食べ物は大家族用に大きくパックされたものだけで,パンをひとつで買うこともできません。食事代わりとなるのはカップヌードルくらいのものでした。ともかく,ここでスナック菓子とペットボトルの水を買いました。
そんなわけで,この日私は選択肢もなく,モロカイ・バーガーというハンバーガー店に入りました。このお店は注文を受けてから作るスタイルで,モロカイ産の放牧牛肉100パーセントのバーガーが売りだそうです。私が注文したのはマッシュルームバーガーという牛肉にマッシュルームがのったバーガーとフレンチフライとコーラでした。
幸いこのレストランはクレジットカードが使えましたが,モロカイ島には現金しか使えないお店もけっこうあって,私は現金を100ドルほどの小銭と非常事態のために別に100ドル札1枚しか持っていなかったので,心配になってきました。もちろん,ATMでお金を手にすることはできますが,可能な限りそんなことはしたくありませんでした。それはそうと,日本ではどこでも1万円札を出すような人もいますけれど,日本とは違って,100ドル札というのは受け取ってもらえないお店も多いのです。

食事を終えて,コンドミニアムに戻る前に足をのばしたのが,カプアイワ・ヤシ林(Kapuaiwa Coconut Grave)でした。ここは1860年代,カメハメハ5世が夏の間を過ごした別荘があった場所で,およそ1,000本の椰子の木が植えらえてそれが今も残っているという場所です。カウナカカイからわずか1マイルほど州道460号線を西に行ったところなのです。しかし,行ってみると,一帯は公園になっていたのですが,入口にはロープが張ってあって立ち入り禁止でした。「地球の歩き方」には林の中を自由に散策できると書いてあったのですが,中に入れずがっかりしましたが,老朽化したヤシが極めて危険なのでしょう。
到着わずが数時間にして次第にわかってきたのですが,モロカイ島は,主だった観光地 -といっても観光地すらほとんどありませんが- はさびれていて,レストランなどのショップの多くは閉店していて,日本の客の来なくなったテーマパークやシャッター商店街のようなところでした。

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私はホノルルのあるオアフ島は,これまで,次の日の帰国便が早く当日で乗り継ぎができなかったので,仕方なく空港近くのモーテルで1泊しただけなのでよく知りませんが,ハワイ島,マウイ島,カウアイ島などでは,宿泊できるのはほとんどがコンドミニアムです。それでも,ハワイ島やマウイ島ならホテルや民宿も探せばあります。いずれにしても,私のようなひとり旅にはハワイは個人で旅するにはきわめて不向きなところです。しかも,モロカイ島には泊まれるところ自体3か所くらいしかなく,選択肢も限られていました。私の選んだのはそのうちで最もカウナカカイの町に近いコンドミニアムでした。これまでコンドミニアムはカウアイ島で宿泊したことがあるので戸惑いませんでしたが,私ひとりには広すぎる場所です。
  ・・
到着は午後4時だったので,チェックインにはまだ早いかな,と思いました。とりあえず駐車場に車を停めて,オフィスを探しました。やっと見つけて中に入ってチェックインをしようとすると,オフィスを施錠して帰るところだったスタッフに,チェックインの時間は午後4時までで,もうその時間より遅いのでレイトチェックインのボックスに書類を入れておいたからそれを見るようにと言われました。こういう不愛想さが日本にはないところで,海外ではそういった対応がふつうだということを知らない,甘やかされた日本人には想像ができないことでしょう。
しかし,オフィスの裏にあると言われたレイトチェックインのボックスというのが,なかなか見つかりません。うろうろし,やっと探し出しました。しかし,ボックスに手を入れてみても何もありません。戸惑っていると,先ほど対応した帰りがけのスタッフが来て,何やってるんだ,と怒ったように言いました。もう一度ボックスを探すと,たしかに箱の端っこにくっつくようにして書類が入っていました。開けてみると,中には,部屋の番号とキーボックスをアンロックするナンバーキーの番号と,宿泊の注意事項の書かれた紙と,駐車許可証が入っていました。これだけでした。今にして思うに,もしもう少し到着が遅く,応対した不愛想なスタッフが帰ってしまっていたら,私は,ここで部屋すら見つけられず,いったいどうなっていたことでしょう。ある意味幸運でした。

数々ある棟のなかで一番端の棟で,部屋はその棟の2階でした。階段を上がると入口にナンバーキーのついたキーボックスがありました。指定の番号を押すとボックスが開き,中からルームキーが出てきました。これで宿泊は確保できました。さっそく部屋に入りました。
部屋からは南に海岸が開けていて,窓からは美しい海が見えました。その海の向こうに見えるのはラナイ島,海にはくじらが泳ぎ,時折,潮を吹いたり,ジャンプをするのが見えました。ひろい庭にはバーベキューコーナーもあって,写真で見る限りは別天地に思えることでしょう。
確かに別天地ではあるのですが,ハワイのコンドミニアムで庶民が宿泊できるような -それでも1泊するだけで2万円ほど,しかも,ベッドメイキングも何もなく,帰るときにさらに別途クリーニング代として1万円以上かかるのですが- ところの多くは,高級品としての商品価値のなくなったかなり老朽化したものです。マウイ島などには最新の豪華なコンドミニアムがたくさん建っているのですが,そうしたところに宿泊しようとすると1泊20万円ほどもします。アメリカはこうした格差社会なのです。本当の豪華なハワイなんて,庶民には手が出ない… これが,日本人の95パーセントが行ってハワイと勘違いをしてるワイキキビーチのような「ハワイという名のテーマパーク」ではない,本当のハワイの姿なのです。
部屋も見つかったことだし,荷物を部屋に入れて,さっそく出かけることにしました。このコンドミニアムには美容室とランドリーと自動販売機はあれど,売店のひとつもなく,いったい今晩はどこで食事をすることができるのか,それを見つけるのが,まずは課題でした。

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今回の旅もまた期待以上でしたが,たったひとつだけ失敗しました。それは,この時期はシーズンオフだと思っていたのが,天皇誕生日の連休だったということです。今回もまた,アップグレードしてファーストクラスで往復しようと思っていたのに,アップグレード代が昨年の倍ほど高く,どうしてかなあと思ってやっと気づきました。ファーストクラスで贅沢に往復の夢は断念せざるをえませんでした。
実は,この旅のフライトを予約したのは1年ほど前のことで,私はそのとき2月23日が天皇誕生日で24日が振り替え休日だということを知らなかったのです。だから,金曜日だけ休めば,木曜日の夜の便で出発して月曜日に帰るという3泊5日のハワイ旅行は暇な私でなくても可能なのでした。
そんなわけで,機内にはやたらと子供連れが多く,これだけは当てがはずれましたが,まあ,いずれにしても,私の行くモロカイ島にはだれも行かないから,到着してしまえば関係なかったのですけれど…。

眼下に見えたモロカイ島は赤茶けていて,思ったよりも広い島だということとそれほどきれいなところでないなあというのが第一印象でした。機内放送ではソフトドリンクのサービスがあるということだったのに,そんなもの配られる余裕もなく着陸してしまいました。
4年前,はじめてのハワイでホノルルに降りたとき,ぼっちい空港だなあと思ったのですが,トランジットでハワイ島の空港に降りたときは,,その素朴さに感動しました。今回のモロカイ島の空港は,ハワイ島の空港の比ではないほどの素朴感にあふれていました。日本の田舎の駅よりもさらに素朴な木造平屋建てでした。空港内にレンタカー会社のカウンタの残骸はあったのですが,用があれば外に出たところにオフィスがあるから直接そこへという張り紙があって閉鎖されていました。
そこで,荷物を転がして空港の建物の外に出ました。気持ちのよい気候でした。この空港の様子はアラスカのフェアバンクスの空港やオーストラリアのエアーズロックの空港と少し感じが似ていましたが,それ以上に田舎でした。空港のだだっ広い駐車場を横切って,プレハブ小屋のようなレンタカーのオフィスに行きました。
モロカイ島にはAlamoレンタカーしかなく,事前に予約をして料金も払ってありました。オフィスには係の女性がいて,さっそく書類にサインをして,車のキーを受け取りましたが,お客は私ひとりでした。この島は公共交通機関がなく,レンタカーなくしては何もできないので,海外旅行の経験が乏しい人にはかなり敷居の高い島のようです。
返すときにガソリンを満タンにする必要があるのかと聞くと,たった2日なら,燃料は半分しか使わないから,メーターが半分になったところでそのまま返せばいいと言われました。実際,島をすべてまわってレンタカーを返すとき,燃料は半分でした。予約してあったコンドミニアムまでどのくらいかかるかと聞くと20分程度ということでした。

車に乗って空港を出ました。空港から出ると,T字路になりました。そこには道路標示もなく,というか,あったかもしれないけれど,そもそも地名を覚えていないから意味がなく,はたしてどちらに行けばいいのやら…。調べればいいのですがそうしないのがいつもいい加減な私のこと,好奇心も手伝って,まあ,間違ったら戻るだけだと右折しました。
そのまま走っていっても平原が続くだけで海も町もなにもなく,すぐに海岸に到着すると思っていた私は心配になってきました。間違えたかなと思って,路肩に車を停めて,ついに iPhone のアプリで確認してみると,私が走ってきた道は大正解で,そのまま行けばいいということがわかりました。
さらに進むと,やがて,カウナカカイ(Kaunakakai)という小さな町に着きました。これまで,マウイ島やカウアイ島で小さな町というものに行ったことがあるのですが,この町はそれらとは比ではないくらい小さな町でした。しかし,この島にはカウナカカイしか町らしい町はないということでした。なんだかとてもうれしくなってきました。
予約したコンドミニアムはこの町から海岸に沿って東に少し行ったところです。それだけは調べてありました。とりあえず,カウナカカイの町を1周して,といったって1キロメートルもなかったのですが,コンドミニアムに向かいました。まもなくすると,コンドミニアムの建物が見えてきました。

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ホノルルのダニエル・K・イノウエ国際空港(Daniel K. Inouye International Airport)に到着しました。毎年来ているので,もう戸惑いません。入国の手続きは,KIOSK端末までは混んでいましたが,そのあとはすんなりと何も聞かれずパスポートに滞在期限のスタンプが押されて,空港から出ました。
この空港のターミナルのターミナル1とターミナル2の建物はつながっているのですが,入国の際は一旦ターミナル2から外に出る必要があるのです。再び,建物の外を歩いてハワイアン空港のチェックインカウンターのあるターミナル1に行って,再びセキュリティを通って建物に入らないといけません。はじめて来たときにはそれがわからず苦労しました。
  ・・
さあ,いつものとおり,ここでほとんどの日本人はいなくなります。みなさん,空港からホテルのシャトルバスに乗って魅惑のディズニーランド,いや,ワイキキビーチに向かうのです。この日,ハワイに到着した日本人は4,904人だったということですが,そのうちのほとんど,おそらく95パーセント以上はホノルル滞在でしょう。ここから別の島にトランジットをする日本人は果たして2ケタいるのでしょうか?
私は,カリフォルニアから砂を運んだ人工のワイキキビーチにはまったく興味もなく,ホノルルはハワイという名のテーマパークだと思っています。ハワイ好きを自称する芸能人も結局はホノルルを闊歩しているわけで,それは渋谷のセンター街とそう変わりません。

さすがにモロカイ島は,ハワイ島,マウイ島,カウアイ島とは違って,ハワイアン航空のリージョナル路線を運航するオハナ・バイ・ハワイアンが1日わずか3便就航しているだけでした。私は,セントレアからホノルルまではデルタ航空で,ホノルルからモロカイまではこのオハナ・バイ・ハワイアンでそれぞれ別々に予約したのですが,フライトスケジュールがしょっちゅう変更になるので,これを考慮して,ホノルルでの待ち時間を4時間とりました。そこで,今回のように順調にホノルルまで到着するとずいぶん待ち時間ができてしまうのですが,これは仕方がありません。この時間,ターミナル1に入ってから,搭乗時間までプレミアラウンジで過ごします。私は5回目にしてやっとこの空港の様子がよくわかってきたので,迷わず行くことができるようになりました。
やがて搭乗時間が近くなったのでゲートに行ったのですが,待合いのベンチにはほとんど人がいませんでした。まだ早かったのかなと思っていると,放送で名前を呼ばれました。まだ早かったというのは私の勘違いで,ほかの乗客はすでに機内にいました。
機体は ATR42-500 という42人乗りのターボプロップ双発旅客機で,乗客は80パーセントほどが埋まっていました。私の隣は空いていました。ATR というのはフランスとイタリアの航空機メーカーが合弁事業で興したものです。
離陸をすると,見慣れたオアフ島のダイヤモンドヘッドが眼下にありました。やがて海をこえると,次の島モロカイ島がすぐに見えてきました。こうして,ホノルルからわずか25分余りの飛行で,ついに,別世界のモロカイ島に到着しました。

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去る2月20日から2月24日まで3泊5日で,ハワイ州のモロカイ島を旅しました。すでに帰国していますが,今日からしばらく,この旅の様子について書きます。

すでに何度も書きましたが,私は,アメリカ合衆国50州すべてに行くという目標を立てて旅をしていました。そこで,ハワイ州にも行く必要があったのですが,ハワイなんて! 日本人ばかりで,まったく興味もなく,行こうとも思いませんでした。そもそもハワイ,ハワイと世の人は騒ぐけれど,そんな私は,いったいハワイ州には主な島がいくつあるかすら知りませんでした。唯一惹かれていたのがハワイ島にあるマウナケア山で,その山頂には日本が世界に誇るすばる望遠鏡が鎮座ましまして,せめてそのドームを見てみたい,そして,南十字星を見てみたい,という想いから,生まれてはじめて行くハワイとして選んだのがハワイ島でした。そのときのはちゃめちゃな旅の様子は,すでに,このブログに書きました。
行ってみた結果,ホノルルのあるオアフ島以外はほとんど日本人がいないということを知ってうれしくなり,急にハワイに目覚めてしまったわけです。それ以来,マウイ島にはハレアカラ山という,これもまた星空の美しい島があることを知って,今度はマウイ島に行ったり,カウアイ島がすばらしいと多くの人に言われて,その次はカウアイ島に出かけたりと,毎年,ハワイに行くことになってしまいました。そうなると,今度はハワイの大きな島をすべて制覇しようと思うようになりました。

ハワイ諸島は8つの大きな島と小さな島々,そして環礁によって構成されています。8つの大きな島は「主要な島々」(main islands)といいますが,これらの島々は北西部から南東に順に,ニイハウ島,カウアイ島,オアフ島,モロカイ島,ラナイ島,マウイ島,カホオラウェ島,ハワイ島となります。それ以外に,北西ハワイ諸島はニホア島からクレ島まで主に9つの小さな島が連なり,その他にもモロキニ島など100以上の岩礁や小島があります。それらのなかで,実際に人が生活しているのはオアフ島,ハワイ島,マウイ島,ラナイ島,モロカイ島,カウアイ島,ニイハウ島の7島ですが,ニイハウ島はロビンソン一家の所有で,人々が自由に行き来したり居住できるのは残りの6島です。
ということで,私が目指すのは6島制覇ということになります。なお,ニイハウ島は近年,ヘリコプターツアーがあって行こうと思って行けないこともないそうですが,私は冒険家でないので,除外します。
  ・・
これまでに行っていないモロカイ島とラナイ島をめざして,今回行ったのはモロカイ島でした。この島のいいところはツアーがなく個人旅行をするしかない,ということで,これだけでも私にはかなり魅力的でした。ハワイ,ハワイとディズニーランドに行くみたいに出かける日本人がいないだけでも快感です。私がこのモロカイ島で果たして何を見,何をしてきたのでしょうか? では,コロナウイルスでかまびすしい日本から出国です。
今回は,遅れてばかりでまったく信用していない名鉄と人混みを避けて,車で自宅からセントレア・中部国際空港まで行きました。空港の駐車場は事前に予約をしておきましたが,がらがらでした。もう私は海外旅行も慣れっこになってしまったので,いつものように,事前にiPhoneでオンラインチェックインを済ませ,出発のわずか1時間前に荷造りをしたバッグはキャリーオンにして,航空会社のカウンタにも寄らず,さっさとセキュリティを越えて,空港では搭乗時間までラウンジで過ごしました。
モロカイ島へ行くといっても,直行便はないので,まず,オアフ島のホノルルまで行きます。ホノルルまでは「ハワイ=オアフ島」と思っているウキウキムードのほとんどの日本人と一緒なのは仕方ありません。
ホノルルまで,行きはジェット気流に乗るのでわずか6時間,四国に行くより近いのです。深夜バスで名古屋から東京へ行くようなものです。食事をしてなんとなく寝ていたら,今回も朝食が配られるのを知らないうちに着陸態勢になって,窓からカウアイ島が見えてきました。その次の島がホノルルのあるオアフ島です。機体が下降をしているときにハワイ湾に潜水艦が運航しているのが見えました。そうこうするうちに,ホノルルに着陸しました。ALOHA!

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帰国の日。
モーテルを朝7時にチェックアウトしました。私が2泊したロサンゼルスのモーテルには朝食がついていたのですが,昨日はその用意ができる時間よりはやくモーテルを出発したので,利用できませんでした。この日の朝はちょうど用意ができた時間だったのですが,私はロサンゼルスの空港のラウンジで朝食をとるつもりでした。チェックアウトをするときにオーナーから朝食を進められたので,少しだけいただくことにしました。気持ちのよいモーテルで,昨年とはまったく違いました。
モーテルを出発して,インターステイツ105を西に,ロサンゼルス国際空港に向かって走りました。昨年は,レンタカーリターンの場所がわからず戸惑いましたが,さすがに2年目ともなると難なく見つけてレンタカーを返却しました。そして,レンタカー会社のシャトルバスに乗って,空港まで戻りました。
ロサンゼルス国際空港は現在改装中なので,ぐっちゃぐちゃです。何でも2028年にオリンピックを開催するのに間に合わせてのことで,2023年に完成だそうです。エッ? オリンピックなんて,まだロサンゼルスでやったばかりでないか,と思ったのですが,調べてみるとそれは1984年のことで,もう30年以上も昔なのでした。月日の経つのが早くてびっくりしました。

国際線ターミナルはターミナルBです。昨年,このターミナルBは古いと書きましたが,それは間違いで新しいのだそうです。国内線ターミナルのほうが古く,順に改装されている途中で,デルタ航空の古いターミナル2と3は狭く大混雑しています。ラウンジはターミナル2と3の搭乗ゲートのひとつ上の階にあります。
国際線のターミナルにはラウンジがなく,ターミナル2と3からターミナルBまではエアポートシャトルバスに乗る必要があります。また,レンタカー会社のシャトルバスが到着したターミナル3の地上階から搭乗ゲートとシャトルバスの発着する出発階までエレベータに乗る必要があるのですが,これがぼろく,2台のうち1台しか動いておらず,乗り場がえらく混んでいました。
ともかく,時間に余裕のある私は,まずターミナル3からターミナル2までエアポートシャトルバスに乗っていって,ターミナル2のラウンジに行って朝食をとりました。そして,搭乗時間が近づいたので,今度は国際線ターミナルBにエアポートシャトルバスで向かいました。
帰国便も行きと同じエアバスA350-900,行きと同じ機体 -行きに乗ったとき機内の壁のちょっとした傷を覚えておいたのです- でした。帰りもまたプレミアムエコノミーの最前列で,今度は窓際にしました。最前列は足元が広く,窓際でも通路に出るのに隣の席の人に気をつかう必要が全くないのです。
今回はじめて往復利用したプレミアムエコノミーは広くて快適でした。フルフラットにこそなりませんが,フットレストもあって,これなら特に眠る必要もない帰りは特にファーストクラスなんて利用する必要がありません。日本とアメリカ西海岸は時差が8時間あります。これは,行きは夜が8時間なくなり,帰りは昼が8時間増えるということです。そこで,行きに比べて帰りは楽で,あえて機内で寝なくても帰国後に十分睡眠がとれるのです。逆に,機内で寝てしまうと,帰国後に眠れないということになります。しかし,だからといって特にすることもないので,食事を終えると自然に眠くなってしまいます。

そうこう,いつものようにだらだらと機内で過ごしているうちに,やがて日本が近づき,定刻に羽田空港に着陸しました。帰りは名古屋まで国内線を利用ということで,羽田空港でセントレア・中部国際空港行きのANAに乗りかえて帰宅しました。国内線はいつものように事前にチェックインをしたので私の iPhone の Wallet にチケットが登録されてあるにもかかわらず,搭乗まで2枚も搭乗券とは別の書類をくれました。しかし,搭乗ゲートが変更になっていたにもかかわらず,そこに書かれた搭乗ゲートの記載が変更前のものだったので,こんなものならあえてくれる必要などまったくありません。帰国早々,毎度のばかげた意味のないことに情熱をもやす自称おもてなし,実はブラック日本を体験して,旅の夢から覚めました。
  ・・
今回は,やりたかったことをすべてかなえることができた旅になりました。意外なことに,もういいや,と思っていたアメリカ熱が再発して,これから何度でもアメリカに行きたくなってしまいました。
いい旅でした。

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ツアーは開始15分前に200インチ反射望遠鏡の入口に集まってほしいと言われていたので,20分くらい前に行ってみました。このツアーの参加者は10人以上いました。中には専門家のような人もいました。ツアーが終わったときに天文台にはずいぶん多くの見学者が来ていたので,おそらく,次のツアーの参加者は相当な人数であっただろうと思われます。
こんな不便なところに,それも,目新しい施設ならともかくも,これほど多くの人が来るというのは,アメリカに行くといつも感心するのですがすごいことです。これはフラグスタッフのローウェル天文台に行ったときも同様ですが,知的好奇心の高さは日本とは大違いです。他人との点数争い,順位争いが目的である日本との教育の違いでしょう。
ツアーではかなり高度な説明をしてくれたので,私には最高でした。インストラクターは何人もいて,わからないことがあれば親切に何でも答えてくれました。また,私が日本から来て,しかも昨年天文台が閉まっていたということを知っていて,特別にお土産をくれました。

200インチ反射望遠鏡のドームの入口に集合したツアーでは,まず外でこの天文台についての概要の説明からはじまって,いよいよ中に入って,1階,つまり舞台裏にある反射望遠鏡の鏡のアルミ蒸着装置やドームの仕組みも含む専門的な説明をしながら,次に階段で2階に登って待望の望遠鏡の見学へと進みました。
それにしても巨大な望遠鏡でした。この望遠鏡を見学したことのあるさほど天文に詳しくない人のブログも多々あるのですが,実際に望遠鏡を目の当たりにすると,そうしたブログに書かれたことではわからない感動がありました。なんでも本物を見ることはとても大切です。
この望遠鏡は今でも現役で,多くの貴重な発見に貢献しています。いくらロサンゼルスから200キロメートル以上も離れているとはいえ,作られたころに比べれは大都会の光の影響で空が明るくなって条件が悪くなっているのは事実ですが,それでも,日本では考えられないほどの山の中に作られているので,まだ十分に活用できるわけです。
残念だったのは,ここで見学できるのはこの望遠鏡だけで,私が関心をもっている,惑星探しをしている広視野の口径48インチ(122センチメートル)サムエルオシンシュミットカメラが公開されていないことでした。

見学を終えて,山を下りました。
パロマ天文台へ行く途中にパロマ山麓のレストランがあることは毎回通っていて知っていたのですが,今回はじめて開いているときにそこを通ったので,帰りに立ち寄って昼食をとりました。
結局,昨年パロマ天文台に行けなかったのが逆に功を奏して,今年,それも偶然週末に行ったことでツアーに参加して,ガラス越しではなくあこがれだった5メートル反射望遠鏡の見学が十分にできたし,さらに,フラグスタッフまで足をのばして,ローウェル天文台にもバリンジャー隕石孔にも行けたので,むしろ昨年パロマ天文台の見学ががお休みだったことがよかったと思いました。
  ・・
今回の旅の予定はすべて終了しました。私はこの旅で,こうして50年間ずっと思い焦がれていた様々な場所にすべていくことができたのでした。

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午前9時少し前,昨年来たときは決して開くことのなかったパロマ天文台の門は難なく開いていました。私はここに来るのが50年間の夢でした。そして,ここへ2年連続で訪れ,2年目にしてやっと門の中に入ることができたのです。
門を通り過ぎると,そこには広い駐車場がありました。そして,その右手にビジターセンターがありました。ビジターセンターに入ると,売店と展示がありました。この天文台にもレストランなどがあると思っていたのですが,一般の見学者用にあったのはこの建物だけでした。
パロマ天文台は平日でも一般の見学ができるとあったので,昨年,ちょうど今年と同じ日の6月29日金曜日に来てみたのですが,何度も書くように,駐車場の工事をしていて入ることができませんでした。そこでまさに1年後に再びやってきたのですが,今年は土曜日でした。わざわざ週末に来るように計画したのか,あるいは偶然そうなったのかは覚えがないのですが,後で書くように,私の見たかった口径200インチ(508センチメートル)の反射望遠鏡をガラス越しでなく間近に見るツアーが実施されるのは週末だけだったのです。私がそれを知ったのがこの日だったので,どうやら私が週末に来たのは偶然のことだったようです。

ツアーは週末の午前10時30分(10:30AM)からと午後0時30分(12:30PM)からと午後2時(2:00PM)からの3回ありました。
  ・・・・・・
Q.正午は午前12時?それとも、午後12時?
A.正午は「午後0時」か「午前12時」と表すことができます。これは「午前12時」が「午前11時」の1時間後,「午後0時」が「午後1時」の1時間前と考えるとどちらも正午を表すことは自然に理解することができると思います。しかし,例えば「午前12時30分」という言い方をしたときにこれを昼のことと考えるか夜中のことと考えるか,人によって見方が違ってしまう可能性がありますので「午前12時何分」という言い方はせずに、「午後0時」という言い方をしたほうが誤解は少なそうです。(国立天文台のホームページより)
  ・・
Q.12AMと12PM,どっちが正午になりますか?
A.12PMが正午(noon),12AMが深夜(midnight)です。(eigopedia のホームページより)
  ・・・・・・
チケットはビジターセンターの売店で購入できるとあったので,さっそく午前10時30分のツアーを購入しました。
そんなわけで,幸運にも今年は土曜日に来たことで,待望の200インチ反射望遠鏡をガラス越しでなく見ることができたのです。もし昨年パロマ天文台が工事中でなければ,来たのが金曜日だったからツアーは実施されておらず,ガラス越しに望遠鏡を見るだけだったのです。

ツアーまで時間があったので,まず,ビジターセンターの展示を見ました。その後,ツアーまで待つのが我慢できず,ガラス越しでいいからと,200インチ反射望遠鏡のドームに行ってみました。ドームに入ると,まず,ヘールさんの銅像がありました。
  ・・・・・・
ジョージ・エレリー・ヘール(George Ellery Hale)は1868年6月29日にシカゴで生まれ,1938年2月21日に亡くなった天文学者です。1897年,シカゴの実業家チャールス・ヤーキスの資金を得て口径40インチ(101センチメートル)屈折望遠鏡を備えるヤーキス天文台を建設,1904年にはカーネギー研究所の寄付を得て,その当時世界最大となった口径100インチ(257センチメートル)反射望遠鏡を備えるウィルソン山天文台を建設し初代台長になりました。ヘールさんは,さらに,ロックフェラー財団から寄付を受けて,パロマー天文台の建設に着手するのですが,その完成を見ることなく死去しました。
  ・・・・・・
奇しくもこの日はヘールさんの151回目の誕生日でした。階段を上っていくと他の多くの天文台同様,ガラス越しに望遠鏡を見ることができるブースがあって,そこから,巨大な望遠鏡の姿をはじめて見ることができました。ヘールさんが生前見ることができなかった望遠鏡が,今まさに私の目の前にありました。

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5日目になりました。明日は帰国するだけなので実質上最終日です。
5泊7日というのは,海外旅行をするうえで極めて楽な日程です。持っていくものも少なく,機内に持ち込むだけの分量ですみます。しかも今回は密度が濃く,これまででやりたかったことのすべてを実行することができました。
さて,今日こそ,昨年来の懸案であったパロマ天文台の見学です。このために来たといっても過言ではありません。
パロマ天文台はロサンゼルスよりサンディエゴのほうがはるかに近く,そのために昨年はサンディエゴに宿泊したのですが,私が行った数日間だけ,パロマ天文台の駐車場が工事で閉鎖されていて,行くことがかないませんでした。このことは昨年のブログに書きました。そこで,昨年,私は何のためにサンディエゴまで行ったのかさえわからなくなってしまいました。結局,サンディエゴでMLBを見て,コアラもパンダもコモドドラゴンもいる大きなサンディエゴ動物園にも行けたので,無駄な旅ではなかったのですが…。

今年はあえてサンディエコまで行かなくても,ということで,ロサンゼルスから直接パロマ天文台を往復することにしましたが,宿泊しているモーテルから120マイル(約200キロメートル)あって,片道2時間以上かかります。パロマ天文台は9時に門が開きます。そこで,早朝6時すぎに,時間が惜しいので朝食抜きでモーテルを出発しました。
モーテルからは昨日ロサンゼルス・エンジェルスのゲームを見に行ったときに通ったのと同じ国道91を走り,アナハイムを過ぎて,さらに東に進んでいってインターステイツ15に入りました。
インターステイツ15を南東に進んでいって,テメクラという町でインターステイツ15を降り,州道76に入りました。このあとはわずか36マイル(約60キロメートル)なのですが,州道76は一般道で山道なので,まだ1時間程度かかります。この日本の道のようなところを走っていくと,リンコンという町でロータリーに出会いました。このロータリーの角によろずやがあったので,車を停めて中に入って,菓子パンと冷たい飲み物を買いました。腹ごしらえと眠気覚ましです。
ここから先はサンディエゴから来た昨年走ったのと同じ道です。途中でシカの親子が横切りました。やがて,パロマ天文台の口径200インチ反射望遠鏡の巨大なドームが見えてきました。

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MLBロサンゼルス・エンジェルスのこの日のゲームの開始は午後7時7分でした。開場はその2時間前なので,私は午後4時過ぎにモーテルを出て,ロサンゼルス・エンジェルスの本拠地であるエンジェルスタジアムに向かいました。インターステイツ105からインターステイツ710,そして,国道91,国道55と進みます。
渋滞するロサンゼルスのハイウェイは昨年も走ったので慣れていたのですが,日本人がはじめてアメリカでレンタカーを借りて走るようなところではありません。やがて,駐車場に着きました。事前に駐車場のチケットは購入してあったので,係員の指示に従って車を停めました。ここに来たのは19年ぶりのことでした。
昨年ロサンゼルスに来たときは残念ながらエンゼルスは本拠地におらず,見ることができませんでした。そこで,ドジャースタジアムで2ゲームを見ました。先発はカーショー投手と前田健太投手でした。

私はこれまでMLBのすべてのチームのホームグランドに行ったことがあります。当時は熱狂的なMLBのファンでした。ところがどういうわけでしょう。私はこのMLBをはじめとして,大相撲を除くおおよそすべてのスポーツというものを見ることに興味がなくなってしまったのです。ロサンゼルスで宿泊するのは,明日,パロマ天文台に行くことが目的で,その前日,私が興味をなくしたMLBを見にここに来たのは,単に大谷翔平選手が見たい,大谷翔平選手の写真がとりたい,ということが目的でした。
開場にはまだ時間があったので,いつものように,ボールパークの周りを散策していると,ハネムーンやツアー客など多くの日本人がいました。ここは近くにディズニーランドもあって,日本人観光客が訪れるのには適したボールパークなのです。
私は,日本のプロ野球というものはまったく関心がないのでわからないのですが,MLBは見慣れているので,MLBのボールパークには目が肥えています。ロサンゼルスにはドジャースとエンジェルスというふたつのチームがあるのですが,どちらも本拠地のボールパークは古く,最新式のものとは差があります。昨年行ったサンディエゴのペトコパークなどに比べたらずいぶん貧弱です。とはいえ,これまでMLBを見たことのない日本人にとっては,貧弱とはいえその豪華さに驚くことでしょう。

幸い,この日,大谷翔平選手は3番指名打者で出場でした。ヒットを3本打ちました。私は大谷選手が出場するときだけゲームに集中して,それ以外の時間はどこで写真を写すといいかを探すためにボールパークを歩き回っていました。
ボールパークによっては銅像があったり博物館があったり名物の食べ物があったりと,見落としてはいけないスポットがあるものですが,このボールパークは特に見どころといってもほとんどありませんでした。エンジェルホットドッグというものを食べてみましたが普通のホットドッグでした。大谷バーガーもありませんでした。
MLBは,デーゲームはいいのですが,ナイトゲームは終了後に帰るのが大変です。なにせ,数千台,もしくは数万台の車が一斉に駐車場から出ていくのですからたまったものではありません。そこで,今回も,いつもの通り,ゲーム終了前に早々ボールパークを後にしました。
今回の旅は,大谷翔平選手を見ることが目的で来たのではなかったのですが,おまけとしてはかなり豪華な賞品となりました。

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4日目になりました。今日はフラッグスタッフからフェニックスまで戻って,フェニックスからロサンゼルスまで空路,そして,ロサンゼルスで再び車をレンタルして,夜,MLBロサンゼルス・エンジェルスのゲームを見るという予定でした。
フラッグスタッフからフェニックスまでは2時間もかからず戻れると思って旅の予定を立てたのですが,フェニックスの市街地が思った以上に渋滞するということと,それに加えてこの日は金曜日で朝の渋滞に巻き込まれる恐れがあるということで,来るまではフェニックスの出発時間が10時過ぎなのでゆっくりチェックアウトをすればいいやと思っていたのが甘い考えだと気づきました。そこで,朝5時起床。昨晩,マクドナルドで夕食を食べたときに次の朝に食べようとビックマックをテイクアウトして,それを部屋の冷蔵庫に入れてあったのをレンジで温めて朝食代わりにして,午前6時にはチェックアウトしました。さすがに3時間以上の余裕があればフェニックスに戻ることは大丈夫でしょう。
まだ夜が明けきらず,暗い中,インターステイツ17をフェニックスに向けて走りました。
来るときは途中の山道でコンボイが別のコンボイと衝突して横転,そのために1車線が閉鎖されていて渋滞に巻きこまれもしたのですが,今度はそういったこともなく,順調にフェニックスに近づいてきました。フェニックスに近づくと,あたりはサボテンだらけになります。そういえば,19年前,はじめてアリゾナ州に来たときに,アリゾナ州といえばサボテン,というこの景色を追い求めてあてもなく走ったことを思い出しました。
フェニックスの少し手前にブラックキャニオンシティという田舎町がありました。ちょうど夜明けだったので朝日を見ようと,ここで一旦インターステイツを降りました。こののどかな町でサボテンと朝日を眺めることができました。

予想通り,フェニックスの市街地は混んでいましたが,それほどの渋滞に巻き込まれることもなく,搭乗開始時間の1時間ほど前にフェニックスのレンタカーセンターに着きました。車を返して,シャトルバスに乗り込みました。
フェニックスの空港は他の大都市の空港に比べて空いていました。この空港はどこの航空会社のハブ空港でもないようで,デルタ航空のラウンジもなければ,プライオリティパスで入れるラウンジもなかったので,ゲートで搭乗時間を待ちましたが,空港は新しく,しかも人が少なかったので,問題はありませんでした。
やがて搭乗し,定刻に離陸しました。窓際の座席を選んであったので,晴れ渡る窓からはフェニックスの町がよく見えました。19年前に来たときに比べて,フェニックスの町はずいぶんと発展を遂げていました。
やがて,ロサンゼルスの広大な市街地が見えてきました。
ロサンゼルスの空港は昨年も来たので勝手がわかっていて,空港に降りて,レンタカー会社のシャトルバスに乗りました。バスに乗り合わせた男性が,これまで78か国に仕事で行ったと言っていました。もちろん日本も行ったことがあるそうでした。
レンタカー会社のゴールドエリアには多くの車が並んでいて,そのどれを選んでもいいのですが,昨年はその車のほとんどがカローラだったのに,今年は1台しかなく,私が物色している間にカローラはとられてしまいました。そこでニッサンのアルティナにしました。
レンタカーもこういったシステムにすると,まず売れ行きがいいのは故障のない日本車で,最後まで残ってしまうのは韓国車のヒュンダイです。

まず,空港からインターステイツ105を東に走って,今日から2泊するモーテルに行きました。
私は大都市のダウンタウンが嫌いです。なにせ車も人も多すぎです。治安もいいのか悪いのかよくわかりません。ロサンゼルスに来たのは,前回はスペースシャトルを見ることとウィルソン山天文台にいくことが目的でした。今回わざわざロサンゼルスに2泊することになったのは,昨年行くことができなかったパロマ山天文台に今年こそ行くことが目的だったので,モーテルは移動の楽なインターステイツに近い場所で,ともかく安全に眠ることができればいいのですが,昨年は少し節約しすぎて,散々なモーテルになってしまいました。そこで,今年は昨年よりは宿泊代の高いモーテルにしました。場所はリンウッドというところで,昨年宿泊したところとさほど離れていないのですが,到着してみて,昨年よりは断然雰囲気のよさそうな場所だと思いました。
予約してあったモーテルもきれいなところで,インド人のオーナーはとても親切そうな人でした。性格が几帳面なのがよくわかりました。
チェックインの時間は午後3時で,私が到着したのは午後2時でしたが,幸いチェックインをすることができました。
部屋で一休みをしてから,近くにあったカールズジュニアというバーガー店まで歩いていってそこで昼食をとりました。

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アンテロープキャニオンからフラッグスタッフまで戻ってきたのは午後3時過ぎでした。
この日,私はホースシューベンドとアンテロープキャニオンに行きましたが,もともとはフラッグスタッフを中心にオールドルート66沿いのいくつかの町を訪れることにしていました。日本の旧街道の宿場町のように,オールドルート66にも道路沿いに町が点在しています。そして,それらの中には,今も当時の面影を大切に保存してるところがあるのですが,それが,今回行ったフラグスタッフのあたりに多くあるのです。
まだ時間が早かったので,フラッグスタッフから西にこれらの町を訪ねることにしました。

フラッグスタッフのオールドルート66を西に走っていくと,道はインターステイツ40に吸収されてしまいました。無味乾燥のインターステイツ40を西に走っていくと,オールドルート66の道路標示がありました。ウィリアムズという町でした。そこでジャンクションを降りました。
ウィリアムズはけっこう大きな町でしたが,オールドルート66の面影に浸るには十分な町でした。私は,町の中心にあった無料の駐車場の車を停めて,しばらく町を歩きました。ダウンタウンはほどほど古臭く,また,きれいとはいえないところでしたが,それがまた,観光地として整備されていないようで,好感がもてました。結構多くの観光客がルート66の面影を求めて来ていました。

ウィリアムズを出て,さらに西にインターステイツ40を走りました。インターステイツ40に吸収されていたルート66は途中で昔の道路に分岐しているようでしたが,私はそのままインターステイツ40を走りました。そして到着したのがセリグマンという町でした。
私は19年前,役目を終え破壊されかかっていたルート66を保存する活動をしていたエンジェル・ディルカディオさんに会って,一緒に写真を写したことがあります。それがどの町のことであったか忘れていたのですが,セリグマンに着いて,それがこの町であることを思い出しました。この日,あいにくエンジェル・デルカディーロさんは所要で自分の経営する土産物屋が閉店していたのがとても残念でしたが,ともかく,この町に再び来たことにずいぶんと感動しました。そしてまた,19年前,こんな遠い町まで私が来たことにも驚きました。
  ・・
私は満足感の中,フラッグスタッフに戻ることにしました。帰りはセリグマンからウィリアムズの途中まで,今も残されたオールドルート66を走りました。

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次にアンテロープキャニオンに行きました。この旅の3日目にホースシューベンドとアンテロープキャニオンに行くことができたのはきわめて幸運でした。私は19年前と5年前にユタ州とアリゾナ州にまたがるゴールデンサークルとよばれる地域の主だった国立公園をすでに旅していて,うかつにもそのときにすべて行ったものだと思いこんでいたので,この機会がなければおそらく行くことはなかったのです。
やはりアメリカは魅力的な国です。特に,自然は雄大です。

アンテロープキャニオンはグレンキャニオンダムから車でわずか20分くらいのところに,その入口がありました。
いつものことながら私はいい加減で,アンテロープキャニオンもまた多くの国立公園同様,入口にゲートがあってそこで入園料を払ってあとは車で回れるものだと思い込んでいたのです。そこで,アンテロープキャニオンと書かれた道路標示に従って走っていったのですが,到着したのは単なる広場でした。そこに写真のような建物があって,アンテロープキャニオンへのツアーのチケットを売っていました。なんだかよくわからなかったのですが,そこでツアーの申し込みをすると,さっそく停まっていた荷台にイスを装備した改造トラックに乗り込んで出発となりました。ツアーの料金はかなり高いものでした。
次第にわかってきたのは,この国立公園はナバホ族の居留地にあって,ナバホ族が経営するツアーだけがアンテロープキャニオンを見学できる方法だということでした。また,渓谷内はせまく,空がのぞく隙間がわずかしかないので,谷底に光が届くのはお昼の数時間だけで,その時間にツアーに参加することが最もよいということ,そして,アンテロープキャニオンは大雨が降ったときだけ現れる川の鉄砲水が作った場所なので,雨でも降って一旦鉄砲水が流れてきたら危険な場所だということでした。

この日は快晴で雨が降る心配もまったくなく,しかも私が参加できたのは運よくちょうど谷底に光が差し込む時間でした。
トラックは水のない渇いた川底を2マイル(3.2キロメートル)ほど進んでいきました。ガタゴト道でかなり時間がかかりました。やっとアンテロープキャニオンの入口に到着しました。渓谷は多くのツアー客で一杯でした。ガイドについて歩いていくと,渓谷はどこで写真を写してもすばらしいものになるとガイドが言っていたように,幻想的な風景がずっといつまでも続いていました。

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旅の3日目です。この旅でフラッグスタッフに来た目的は昨日にすべて実現しました。そこで,今日は,フラグスタッフから北に,ホースシューベントとアンテロープキャニオンに行くことにしました。
19年前,私は知人に誘われて,ロサンゼルスから車でラスベガスを経由してグランドキャニオンとモニュメントバレーを旅しました。当時は今ほど知識がなく,とりあえず,このいわば国立公園の初心者コースを回ったわけですが,それでこのあたりの国立公園はすべて行った気になっていました。しかし,そのとき,行こうと思えば行けたはずのホースシューベントとアンテロープキャニオンを外していたのです。
今回,この旅にでかけるときには,うかつにも,19年前に通ったコースであるにもかかわらず,フラグスタッフからホースシューベントとアンテロープキャニオンは車で2時間足らずに行くことができることをすっかり忘れていました。昨日行った化石の森国立公園を調べていて,行くことが可能であることをやっと知ったというわけです。そこで,19年経ってやっとこのふたつの国立公園に立ち寄ることが可能となったのです。

ホースシューベントもアンテロープキャニオンも,よくテレビの旅番組に出てきます。なかでホースシューベントはその景観から,どんな場所にあるのか,とても興味がありました。
行きの機内で隣に座っていた女性から,どんな写真で見た姿とも実物は違う,と言われてさらに興味が増しました。
早朝宿泊先のモーテルを出発して国道89を北上しました。途中は森の中を進んでいきましたが,そのうち,ページという都会に出ました。こんなところに新しい街ができていたのにも驚きました。どうやら,グレンキャニオンダムができて,このあたりに観光客が集まるようになって,都会が出現したようです。私は,もっと何もない場所だと思っていただけに驚きました。
その先にホースシューベントの広い駐車場がありました。
車を停めて,小高い山のほうに向かって歩きました。15分くらい進むと,そのさきにホースシューベントがありました。到着するまでその姿は見ることができず,展望台に立ってはじめて目の前にその姿が現れました。
ホースシューベントはコロラド川が馬蹄形に急カーブを描く場所です。着いたときは,それでも落ち着いた雰囲気だったのですが,そのうち,中国人ツアー客が大挙して現れて,雰囲気が一変してしまったのが残念なことでした。

ホーシュシューベントを後にして,ページの街のマクドナルドで朝食を食べ,次にグレンキャニオンダムに行きました。ビジターセンターに入ると,巨大な窓からその絶景を眺めることができました。
1936年にコロラド川をせき止めて作られた下流のフーバーダムはレイクミードを作りましたが,コロラド川は予想以上の大量の土砂を運んできてレイクミードを埋める心配がでてきました。そこでさらに上流に作られたのがこのグレンキャニオンダムでした。このダムによってグレンキャニオンは姿を消し,そのかわりにレイクパウエルが出現しました。
それにしてもなんという巨大なダムでしょう。こういう姿はやはり本物を見ないと決してわかりませんが,アメリカという国はとんでもないものを作り上げるものだとその脅威を感じます。それとともに,こんなふうにして自然を破壊してしまっていいのか,という恐れを抱きました。

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USハイウェイ66,通称ルート66は1926年に誕生しました。シカゴからロサンゼルスを結び,北アメリカ大陸を斜行する,全長3,920キロメートルに及ぶ,もっとも距離が長く近代的なハイウェイでした。当時の人々は,この道を通って,仕事を探しに,農業の新天地を求めて,あるいは,戦場に赴くために,映画や音楽の夢をかなえようと,あるいは北上し,または西進していったのです。1972年にインターステイツが完成してその役割を終えたのですが,2000年には保存法が成立し,今は,古きよきアメリカを懐かしむ道路として,観光名所になっています。
私の宿泊しているフラグスタッフはダウンタウンにこのオールドルート66が通り,今も当時の面影を残す街として多くの人が訪れます。また,オールドルート66に平行してサンタフェ鉄道が走っていて,アメリカの高速鉄道「アムトラック」の停車する駅があります。

ローウェル天文台の見学を終え,私は,宿泊しているモーテルに戻る途中で,フラッグスタッフのダウンタウンに車を停めて,オールドルート66の面影の残る街を歩くことにしました。
フラッグスタッフもまたアメリカの多くの街同様,車を停めるのに苦労しますが,ここは駐車するスペースが多くあって,駐車したら近くにある料金を払う機械に車のナンバープレートを入力して料金を支払うというシステムになっていました。説明を読んでいると,月曜日から水曜日までは午後5時以降は無料ということでした。この日は幸運にも水曜日だったので,午後5時を待って,駐車場に車を停めました。近くを通ったおじさんに,無料だぞ! といわれました。
ダウンタウンは平日なので空いていましたが,すてきなレストランやカフェなどが立ち並んでいて,夕食を楽しむ人の姿がありました。また,駅に行くと,アムトラックが到着する時間に近く,乗客が時間待ちをしていました。

これまで私はニューメキシコ州のサンタフェあたりや,オクラホマ州からミズーリ州にかけてのオールドルート66を走り,また,オールドルート66が通る街を散策したことがあります。
日本では旧東海道や旧中山道のような旧街道がありますが,これは徒歩で歩く道です。それとは違って,ルート66は駅馬車の通った道なので,今も車で走ることができる幅があります。共通するのは,そのどちらも,昔のまま残ったところもあれば,現代の新しい道路に吸収されてしまった場所があるということです。また,日本でも旧街道の宿場町はプライドを持っているように,オールドルート66が通った多くの街は今もオールドルート66の看板を掲げ,当時の面影を残すように保存活動をしていることです。
私は66歳になったら,オールドルート66をシカゴからロサンゼルスまで走ってみたいものだという夢を持っていました。その夢も風化しつつあったのですが,今回改めてオールドルート66に触れてみて,その想いがまたよみがえってきたのでした。

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化石の森国立公園からフラッグスタッフに戻って,待望のローウェル天文台に行きました。
ローウェル天文台はフラッグスタッフを見下ろす高台にあって,オールドルート66を西に向かて走っていくと,天文台のドームは街中からもよく見えました。オールドルート66が南に左折する交差点をそのまま直進すると,ローウェル天文台に登る道になります。そのまま登っていくと展望台があって,そこの駐車スペースに車を停めて眼下を見れば,フラッグスタッフの街が一望できました。
道路はさらに進んでいって,ローウェル天文台の門を越えると,広い天文台の駐車場に到着しました。
私は,3月に行ったオーストラリア・シドニーにあるシドニー天文台のような博物館を予想していたのですが,ここはもっと大きくて,今でも現役。また,多くの人に天文を啓蒙する施設となっていました。
受付で入館料を払うと,ちょうど施設見学ツアーがはじまったところで,そのツアーに参加することができました。

1855年に生まれ1916年に死んだパーシヴァル・ローウェル(Percival Lowell)はボストンの大富豪の息子として生まれ,ハーバード大学で物理や数学を学びました。ちょうど火星観測熱が当時高まっていたころのことで,私財を投じてこのローウェル天文台を建設し,火星の研究に打ち込みました。ローウェルはここローウェル天文台に眠っています。
このローウェル天文台で冥王星を発見したのがトンボ-です。1906年に生まれ1997年に亡くなったクライド・ウィリアム・トンボー(Clyde William Tombaugh)は1930年冥王星を発見した業績で特に知られています。ローウェル天文台に勤務して,天王星や海王星の軌道に影響を与えていると考えられた未知の惑星の捜索に携わり,ローウェルが予測した周辺の星野を丹念に精査し続け,前月に撮影された写真と比べて動きがある天体があることに気づき,それが9番目の惑星であると確信したのです。
その時に使われた望遠鏡が整備されて,今もその姿を見ることができます。

天文台のツアーには,トンボ-が冥王星を発見した望遠鏡は含まれていませんでしたが,午後6時30分からこの望遠鏡のドームが公開されるということだったので,私は楽しみに待ちました。やがて時間になってドームのドアが開き,私は待望の望遠鏡を見ることができました。見学者は私だけで,ガイドの若者からいろんな説明を聞きながら,この歴史的望遠鏡の姿に感動しました。
このように,この望遠鏡は公開されていますが,見ることができる時間が限られていたので,それを見ることができたのは,いつもながら幸運なことでした。
もう少し時間が経って日が沈んで星が見えだすと,天文台の公開用の望遠鏡で木星を見ることができました。また,レクチャールームでは惑星の説明を聞くことができました。
こうした施設に行っていつも思うのは,平日だというのに多くの人が訪れて,熱心に難しい話を聞いている姿です。おそらく日本でこういうことをしてもほとんど人が集まらないでしょう。日本人は本質的に学問というのは生活とは無縁の存在なのです。勉強というのはテストで点を取って人と比べるだけのものだと幼少期からそう育つからです。

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