しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

カテゴリ:アメリカ合衆国50州 > ケンタッキー州

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●マンモスケイブ国立公園(Mammoth Cave National Park)
 カールズバッド国立公園を紹介した折に思い出したので,忘れないうちに今日はマンモスケイブ国立公園を紹介します。
 アメリカの東側にも国立公園はあるのでが,私が参考にしている「地球の歩き方」の「アメリカの国立公園」編にはまったく載っていません。このように,マンモスケイブ国立公園は情報が少なく,当然日本からのツアーなども存在しないと思われます。したがって,私も,マンモスケイブ国立公園がどんなところなのか,まったく見当がつきませんでした。
 マンモスケイブ国立公園は,ケンタッキー州の中央部にあって,世界でもっとも長い洞窟群であるマンモスケイブを含む国立公園です。
 国立公園の敷地は214平方キロメートルもの広さがあって,東海岸の多くの都会から比較的容易にアクセスできるので人気です。マンモスケイブは,1本の大きな洞窟があるのではなく,大小さまざまな洞窟が奥の方でつながり合っていて,現在通行可能な洞窟の長さは600キロメートル! もあります。日本の秋芳洞は通行できるところが5キロメートルほどしかないことを考えると,途方もないスケールです。
  ・・
 マンモスケイブの歴史は3億5,000万年前にさかのぼります。浅い海に住んでいたウミユリとか貝類やサンゴなどの死骸がどんどん堆積して,石灰岩を形成,やがて海が大地になり,大地に降り注いだ雨が石灰岩を溶かし,隙間から地下に流れこみ,地下水が長い年月の間に石灰岩をさらに溶かし,地下水の川となり,川の流れで空洞と空洞がつながっていって,洞窟をどんどん拡大させていったものです。
 私はツアーに参加して,洞窟を巡ることにしたのですが,ここは非常に人気があるので,早朝到着して,予約をしました。
 ツアーガイドについて階段を降りると,そこから先の洞窟はものすごく広くて天井も高いものでした。洞窟内の気温はいつも15度で,少しひんやりと涼しいところでした。
 この洞窟は,以前マンモスケイブが鉱山として使われていた跡が残されていて,落書きがあったりするので,大自然のなかの未開の場所,という感じではありません。しかし,途中にはいろいろな岩や穴があって,階段から見るとぞっとする深さだったりもします。ツアーでは440段の階段を上り下りするのですが,ツアーで最後に訪れるのが「マンモスドーム」(Mammoth Dome)。この「マンモスドーム」とよばれる巨大な縦穴は,マンモスケイブでも最大の高さを誇ります。
 「マンモスドーム」を過ぎると,ここから150段の階段がジグザグにグルグルとつけられていて,出口までひたすらこれを登っていくことになります。その途中にある「ファトマンズミザリー」(Fat Man’s Misery)という通路は,太った人が惨めな思いをするという意味の狭い回廊で,数10センチ四方しかない横穴です。
 マンモスケイブはカールズバッドの洞窟よりもずっと規模が大きくて,しかも高低差があるのですが,鍾乳洞という意味からは,カールズバッドの洞窟のほうが,古来より人間の手にかかっていないだけに素朴なところでした。


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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

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●今回の旅は珍しいルートだった●
 今日の宿泊先は,セントルイス郊外の安価なホテルが予約してあった。
 マンモスケイブ国立公園からは北北西に280マイル(450キロメートル),車で4時間ほどのところであった。日本でいえば,東京から京都といった距離であろうか。
 もう,このあたりでは,車で4時間といっても全く驚かなくなっていた。隣町へ行くような感じであった。
 私のこの旅の目的は,マンモスケイブ国立公園へ行ったことで,ほぼ達成された。結局,この旅でどこへ行ったかといえば,ブランソンでショージ・タブチショーを見て,メンフィスとナッシュビルで少しだけエルヴィス・プレスリーと接して,マンモスケイブ国立公園へ行った,というくらいのものであった。そして,残るのは,実は,これが一番やりたかったことだが,カンザスシティ・ロイヤルズのベースボール観戦であった。

 帰国してこれを書きながら改めて思うのだが,こんな旅行,きっとこれを読んでいる方も,一生行く機会などないであろう。もし,10日くらいの休暇ができたとして,わざわざこの地を選んで旅行をするなど,普通には考えられないからである。そういう意味から考えると,かなり贅沢な旅といえるのかもしれない。もし,これだけの時間とお金を費やす機会があれば,ニューヨークにも行けるし,ハワイなら,結構贅沢な休日を過ごせる。ヨーロッパだって周遊ができるのだ。だからこそ,私ですらこれまで行く機会がなかったのだし,きっと,将来,また行くなどということはあり得ないかしれない。
 だがしかし,あえて行かねば行く機会のない場所というのは,本当にその気にならなければ,一生行くことなどないのだ。若い頃ならそのうち,と思うが,私のような年齢になったら,本当に,今行かねば,絶対にその機会はない。
 人生とは,かくも短いのである。
 「私も行ってみたい」と言われるので誘ってみると,結局は何だかんだと理由をつけて断る人がいるが,きっとそういう人は,一生をそうやってつまらなく送るのだろう。

 それはともかく,本題に戻ろう。
 マンモスケイブ国立公園からセントルイスまでは,西北西に進んでいくのだが,このあたりしばらくはインターステイツがないから,一番近いインターステイツ64に出るまでは,一般道を走っていく必要があった。
 したがって,今回も,また,いつものように,道路の写真ばかりになるのをご了承いただきたい。そして,写真の中の,道路の左端にきちんと引かれたイエローラインに注目していただきたい。日本の道路のようにやたらとたくさんわけのわからぬ線が引かれていたりいろが塗られているのに比べてわかりやすく,しかも,安全である。道路を整備するとはどういうことかがこれだけでも明白であろう。
 それにしても,アメリカを旅行しているとすでに見飽きたようなこうした景観も,日本では,どこにも存在しないものである。
 とりあえず,今回の行程は,この旅で最後の複雑な一般道の道のりであった。

 写真の順に紹介していこう。
 マンモスケイブ国立公園を出て,私は,まず州道70を西北西に走って行った。
 「ブラウンズビル」(Brownsville)「ラウンドヒル」(Roundhill)「アバディーン」(Aberdeen)という名の小さな町を通過し,「ウィリアム・ハッチャー・ハイウェイ」という名の州道9007に入って,そのまま北北西に「オーエンズボロ」(Owensboro)という結構大きな町に向かって走って行った。「オーエンズボロ」はケンタッキー州の北の端である。
 ケンタッキー州の州境はオハイオ川であった。
 私は,カーナビに従って走っていた。地図を見るとこの「オーエンズボロ」でオハイオ川を渡って,次のインディアナ州に入るように思えるのだが,カーナビが示したのは,「オーエンズボロ」の手前で「ウィリアム・八ッチャー・ハイウェイ」はUの字のようにこの町を周回する環状道路になって,その環状道路を通って「オーエンズボロ」を迂回して通り過ぎて,その後そのまま西に向かって次の町「ヘンダーソン」(Henderson)まで行き,そこでオハイオ川を渡ってインターステイツ69に入るルートであった。
 私は,その指示に従って走って,「ヘンダーソン」にたどり着いた。ここでオハイオ川を越え,ついに,インディアナ州に入った。ケンタッキー州は美しく,フリーウェイからは,写真には写すことはできなかったが巨大なケンタッキーダービーの競馬場を見ることもできた。ケンタッキー州は,ゆっくり旅をするのに値するところかも知れない。

 ところで,私がケンタッキー州に行ったのは,この時が初めてではなかった。シンシナチという町はオハイオ州の南の端にあるのだが,オハイオ川を越えるとケンタッキー州である。
 私は,シンシナチに行ったときに,この川を越えて,対岸のケンタッキー州から美しいシンシナチの街並みを見たことがあるのだ。そのときは,セントルイスから東にインディアナポリス,シンシナチ,ピッツバーグ,クリーブランドとドライブをしたのだが,メジャーリーグの球団名としては有名なこうした都会でさえ,日本人が観光で訪れるようなところではなかったら,当時ずいぶんと珍しがられた。
 それから考えると,今回行ったところは,さらにもう一段階珍しいルート,ということになるだろうか。いずれにせよ,このまま今回セントルイスに行けば,その時に私の行ったルートとつながるわけだった。

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●「凍ったナイアガラ」●
 最初の20分くらいは,延々と階段を下りていくことになったのには,かなりびっくりした。
 この階段は,ものすごく狭く,しかも急で,工事現場に作られているような感じのスチールメッシュのちょっと頼りない風情であった。
 上から垂れる水で濡れていたりと,かなりのものだった。しかも下が透けて見えていて,そこから下をのぞくと,底なしであった。さらに,眼下に暗い空洞が広がっていたりもして,かなりの恐怖であった。暗いからまだしも,きっとこの深さは10階建てのビルにも匹敵するであろう。
 これだけでも,午前に参加したツアーとは圧倒的に違っていた。
 すごく体の大きい人が参加していたが,この階段を降りることはできるのであろうか? 心配になった。

 参加者が順に階段を降りて行った。
 やっとのことで一番下まで降りると,そこは広場になっていた。午前のツアーと同じように,そこには長椅子があって,そこに座ってレンジャーから説明を聞いた。
 説明が終わると,今回も,午前中のツアーと同様に,洞窟には光が全く入ってこないから,ここで本当の暗闇というものを体験してみましょう,ということで,そこのライトが消された。
 真っ暗闇というものがどういうものか,という体験が,どうやら,この洞窟ツアーの一番の見どころ? いま見えないどころ? であるらしい。

 点灯後,再び,歩いて先へ進んでいった。
 この先は階段はなかったが,その後は,少しずつ登ったり下ったりと高低差があって,しかも頭がぶつかりそうな高さだったり,カニ歩きをしなければ通れない細いところがあったりと,なかなかたいへんであった。
 垂直に開いた大きな穴を降りていくと,その途中は,様々な大きさの洞窟のにつながっていた。カラカラに乾いたものもあれば,しっとりと湿っているらしい鍾乳洞タイプもあった。
 縦穴があるのは,水が上からしみ込んでいった証拠で,その穴の両側にできている洞窟はその時点での縦穴の底にあたり,水が出口を求めて左右に穴を掘っていった証拠だということであった。

 やがて,洞窟がだんだん鍾乳洞のようになってきたところが,最終地点である「フローズンナイヤガラ」(Frozen Niagara)であった。
 ここが,このツアーの目玉である。巨大な鍾乳石が天井から壁を伝って床近くまで垂れ下がっていて,まさに流れ落ちる水が凍りついたかのように迫力ある姿だった。
 深く落ちくぼんでいるところに50段ほどの往復用の階段がついており,下まで行けるようになっていた。大きな鍾乳石が垂れ下がっているところは確かに,この場所の名前である「凍ったナイアガラ」のような感じであった。オレンジ色のスポットライトに照らされているだけのそれは,シンプルなだけにとても綺麗に見えた。
 このように,ここマンモスケイブは洞窟とはいっても鍾乳洞ではないのだが,この場所だけが特別に鍾乳石に覆われているのであった。

 その後2分ほど歩いたところが出口に通じていた。
 外に出ると,迎えのバスが来て,再びそれに乗り込んでビジターセンターへと戻った。
 このツアーもまた所要時間は2時間ほどであった。
 ビジターセンターに入る前に,鳥インフルエンザのウィルスが蔓延するといけないからということで,ビジターセンターの入口にずらりとひかれた消毒液が浸された通路に靴の足裏を付けて歩いて消毒した。
 これで,ツアーは終了であった。

 午前の「ヒストリックツアー」では,鍾乳石を見ることはほとんどなかったので,このツアーのほうがはるかに素晴らしかった。このマンモスケイブ国立公園へ出かける機会があって,半日しか時間がない人には,こちらのツアーのほうをぜひおすすめしたい。
 以前行ったニューメキシコ州のカールズバッドの洞窟と比べると,洞窟の大きさや広さはカールズバッドよりもこちらのほうがすっと圧巻であったが,鍾乳洞という面では,カールズバッドのほうが,はるかに素晴らしいものであった。
 いずれにしても,どちらも,日本のものとは全く比べ物にならない規模であるが。
 日本ではあり得ない体験ができるという意味で,まさに,圧巻であった。ここは,地球も惑星だということが実感できる場所であった。
 それにしても,洞窟内は非常に暗いのだが,現在のカメラはそれでも結構写真を写すことができるのだから,私は,今の時代にこの洞窟に行くことができて,とても幸運であった。

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●一番前の列は身障者用である●
 マンモスケイブ国立公園のビジターセンターには立派なホテルが併設されているだけあって,中にはカフェテリアというよりもちゃんとしたレストランがあった。
 この旅は,これまでずっと車を運転しているだけのようだったので,きょう1日はのんびりとこのアメリカ有数の観光地を堪能しようと思った。そこで,午前のツアーを終えて,ここで少し長めの昼食をとることにした。
 私がレストランに入ったときは,昼食にはまだ少し時間が早かったので,他にはお客さんが誰もいなかった。私は,サンドウィッチを注文して,少しリッチな気分に浸ることができた。

 写真のように,アメリカのレストランは,フォークとナイフがくるりと紙ナプキンに包んで置いてある。そしてテーブルの上にあるのはボトル型のケチャップとマスタードなのだが,このケチャップのボトルは逆さにして置けるようになっている。こういうものひとつ取ってみても,非常に合理的なのである。
 コーヒーを頼むと,写真のような大きなマグカップに入れてくれるのだが,ミルクのカップも日本より一回り大きく,しかも三つも四つもくれる。コーヒーはお代わり自由と書いてあることも多い。
 サンドイッチというのは,要するにハンバーガーのことである。日本でも,マクドナルドではハンバーガーをサンドイッチといっているのだが,日本人は,サンドイッチというと別のものを思い浮かべることであろう。
 ハンバーガーというのは,アメリカでは立派な食事で,夕食にしてもなんら問題はない。むしろ,パンと野菜とお肉を一緒に食べられるからとても合理的なのだが,日本人がこれをおやつのように錯覚してしまうのは,おそらく,マクドナルドのせいであろう。それは,多くの日本人が生まれて初めて出会うハンバーガーがおやつとして食する程度のマクドナルドのハンバーガーだからである。
 あるいは,モスバーガーのように,日本的に豪華にすると,和洋折衷のやたらと手間ひまだけかけたものが登場することになるわけだ。
 私がこのとき注文したのは,写真のような「サンドイッチ」であった。
 私が食事を始めるころにはレストランにはだんだんと人が来て賑わっていた。

 昼食を終えて,のんびりとコーヒーを2杯飲んでも,まだ時間があったので,ビジターセンターの周りを散策した。やがて時間になったので,今日の午後の予定であるドームズ・アンド・ドリップストーンズ・ツアー(Domes and Dripstones Tour)に参加するために,午前中と同じように,集合場所に行った。
 「Dome」とは 丸天井,「Dripstone」とは鍾乳石のことである。
 午後のツアーも,集合場所は朝のツアーと同じであった。
 やがて参加者が三々五々集まってきた。
 午前に参加したツアーは集合場所から歩いて洞窟の入口まで行ったが,午後のツアーは,集合場所からグリーンに塗られたバスに乗り込んで10分ほど森の中へ移動した。環境保護のため,このバスはガソリン車ではないということであった。
 バスは自由席なのであるが,アメリカでは,断りがなくとも一番前の列は身障者用であるから注意が必要である。アメリカは,こういうことを含めて,身障者や弱者に対して,何でも日本よりきちんとしている。私は,こういうときに日本の姿を思い浮かべていつも恥ずかしくなる。日本は,他人と比べることは大好きだが人権とか学問をリスペクトしない国である。

 やがて,バスは森の中に入っていって,洞窟の入口に到着した。バスを降りて100メートルほど林の中の小道を進んでいくと広いところに出て,そこに参加者が集合となった。
 レンジャーが立っている横の扉が洞窟の入口だった。
 入口はこういう場所には不似合いな頑丈な銀色の扉で,通常は施錠がしてあるものだった。まるで洞窟の入口というよりも物置小屋の入口のようであったが,この入口は自然にできた穴ではなく,観光のために無理やりダイナマイトでこじ開けたところということだった。
 いつものように,入口付近でレンジャーの紹介と注意事項の説明があった。そのあとで、これもやはりいつもと同じように,参加者とあなたはどこから来たの? みたいな受け答えがあった。最後はお決まりの「一番遠くから来た人は?」の質問であった。待ち構えていた私が大声で「JAPAN」というと,今回もダントツの遠いところから来た人の第1位となって,説明はお開きとなった。
 午前に参加したツアー同様,今はまだ,さすがに,ここまでは中国人の姿もない。
 レンジャーが入口の鍵を開けて,順に中に入った。

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●太った人は惨めな思いをするという●
 洞窟はいくつかの層になって広がっている。このツアーの最深部は地下300フィート(約100メートル)ということだ。
 途中にはいろいろな岩や穴があって,階段から見るとぞっとする深さだったりもするが,さほどの恐怖を感じなかったのは,きっと暗いせいであろう。しかし,実際は,このツアーだけでも440段の階段を上り下りする必要があったのだ。

 さて,このツアーで最後に待ち受ける難関が「マンモスドーム」(Mammoth Dome)であった。
 この「マンモスドーム」と呼ばれる巨大な縦穴は,マンモスケイブでも最大の高さを誇る。
 「マンモスドーム」がこのツアーの最終地点で,ここから150段の階段がジグザグにグルグルとつけられていて,出口までひたすらこれを登っていくのだった。
 その途中にある「ファトマンズミザリー」(Fat Man’s Misery)という通路は,太った人が惨めな思いをするという意味の狭い回廊で,数10センチ四方しかない横穴であった。

 これを超えると,このツアーは終了であった。約2時間,2マイル(3.2キロメートル)のコースであった。
 マンモスケイブはカールズバッドの洞窟よりも,ずっと規模が大きくて,しかも高低差があって,ダイナミックであったが,鍾乳洞という意味からは,私の参加したマンモスケイブのヒストリーツアーよりもカールズバッドの洞窟のほうが,ずっとエキゾチックなものであった。

 この洞窟内には,1800年代以降に書かれたと見られる落書きが今でも沢山残っている。
 先に書いたように,マンモスケイブは4,000年前くらいから人が入った形跡があり,1800年代からは観光地として多くの人が訪れていたのだが,この落書きは,1800年代の人がろうそくのすすなどで書き残していったものである。
 綺麗な服や形式張ったスーツで着飾った初期の観光客は,この洞窟の中を,倒れやすいはしごと薄暗いランタンを使用して歩いたのだが,そうした彼らが,ノミやランプの煙で名前と日付を岩に彫り印をしたのだ。何年も前にこの行為は止められたが,このように,今日でも,これらの落書きを見かけることができるのだった。
 洞窟を出て,来た道を戻り,ビジターセンターの前でツアーは解散した。
 このあと,私は,午後のツアーまでの間に,ビジターセンターのレストランで昼食をとることにした。

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●真っ暗闇を体験する●
 こうした展示を見ているうちにツアーの集合時間が近づいてきたので,ビジターセンターを出て,集合場所に行った。もう,すでに,ツアーの参加者が集まっていた。
 アメリカのこうしたツアーの常で,ここで,案内のレンジャーの紹介や注意事項の説明があり,その次に,参加者にどこから来た,とかいった会話があって,ツアーが開始された。
 参加者のほとんどはアメリカ人で,さすがに,ここまでくると,観光地には常にいる中国人も姿がなかった。
 たいていは,一番遠いところから来た人は? と聞くから,私が手を挙げて「JAPAN」といえば,まず勝利を収めることができる。

 ここから,レンジャーの案内で,裏手へ歩いていき,山道を下って行く。このあたりは,木々に覆われた山道のハイキングと変わらない。
 しかし,どこも,ゴミひとつ落ちていないし,無駄な標識やら錆びついた手すりがない。
 それにしても,と,ここで余談を書く。
 日本のテレビで,荒れ果てた林道とか,破壊された国道跡をめぐるといった番組があるが,あれを見ていると,どうして,日本という国は,狭い国土なのに,それを大切にしないのかと憤りを覚える。あえて,めちゃくちゃにしているとしか思えないのだ。新しい道路を作るなら,それで廃道となったところをもとに戻すことにも予算をつけないのか?
 こうして,国全体がごみ箱のようになっていく。

 閑話休題。
 しばらく坂を下っていくと,自然にできた洞窟への入口「Natural Entrance」に到着した。
 ここから地下へ入っていく。
 このツアーはレンジャーがふたり1組で案内する。ひとりが先頭で案内し,ひとりが最後尾である。そして,洞窟内の環境保護のため先頭のレンジャーが電気を点けて,最後尾で消していく。
 洞窟探検はかなりの深さまで潜るため,高所恐怖症や閉所恐怖症,そして暗闇恐怖症の人には無理だという注意事項が公式ホームページに書いてあった。最後尾のレンジャーは,ツアーの人に何かあった時にそれをアシストする役割も負うているのだ。
 私は,軽く考えて参加したのだが,よく考えてみると,結構このツアーはリスクがあるのだ。私の背後にものすごく巨大な人がいたが,狭い階段もその幅から登れず,しかも,ビルにすれば10階以上の高さもあり,体力の限度を超えていたのだった。ずっと,最後尾のレンジャーが付き添っていた。

 洞窟に入ると,最初からいきなりの階段であった。
 私は,以前行ったことのある世界遺産・ニューメキシコ州のカールズバッド洞窟を思い出した。
 これだけアメリカ各地を旅すると,結構似たような自然に出くわすようになるが,そのどれもが,ものすごい迫力だ。しかし,だんだんとそれにも慣れっこになってくる。
 それとともに,日本のそういったものには,全く興味を示さなくなってくるのが,うれしいのか悲しいのか…。
 山々の絶景,たとえば,黒部峡谷とか南アルプスの山並みなどがすごいと思えなくなってしまったのは,悲しいことに違いない。

 階段を降りると,そこから先の洞窟はものすごく広くて天井も高いものだった。車や列車がすれ違えるほどのトンネルというか,体育館というか,そんな広さの道が延々と続いていた。天井は仕切ったように真っ平らであった。
 洞窟内の気温はいつも15度だという。15度というのは,半そでのポロシャツにヨットパーカーを羽織るとちょうどいい気温だ。少しひんやりと涼しい。
 やがて,「Rotunda」と呼ばれる広場に到着した。ここには,以前,マンモスケイブが鉱山として使われていた跡が残されている。昔の硝石の採掘跡などを見てから,少し歩いて横道に入ることになる。
 そしていよいよここからは,人が歩けるくらいの道に変わる。
 場所によって天井の高さは身長ぐらい。幅も,狭いところでは50センチメートル程度のところもあったりして,ひんやり冷える洞窟の中をくぐるように進んで行くことになる。

 地下約85メートル,かなり下ってきたところの休憩地点である「Great Relief Hall」に到着した。
 ここには,なんと,トイレもある。
 これもまた,アメリカらしい。
 以前行ったニューメキシコ州のカールズバッド洞窟には,トイレどころか,カフェテリアさえあった。
 ここには,全員が座ることができるように長椅子が備え付けられていた。ここで説明があった。
 そして最後に,暗闇体験と相成った。物音も立てないでください,と言われ た。
 電気が消されると本当に真っ暗であった。私は,本当の真っ暗,しかも音さえしない暗黒というものを生まれて初めて体験した。こうなると目も耳も機能しているかどうかさえわからなくなる。

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●4,000年の人類との歴史がある洞窟●
 マンモスケイブと人類の関わりは約4,000年前にさかのぼる。当時の原住民は洞窟を発見・探検しては様々な鉱物などを持ち帰っていたのだという。
 調査によると,洞窟内から当時の服や草履などが発見された。そうした痕跡から,すでに,人々は洞窟内を15キロメートル以上探検していたことが確認されている。また,洞窟内で植物を栽培していた跡も確認されている これらは,この4,000年前からの2,000年間に,人々の生活が狩猟最盛期から農業・栽培へと移ったことを物語る貴重な資料になっている。
 また,先住民の古器物もこの一部地域で発見されたが,このことは,初期先住民たちが洞窟入口に住み,塩を採掘していたことを示している。
 ところが,約2,000年前,その痕跡がぱったりと消滅してしまったのだ。

 その後,長い間放置された洞窟は1970年代後半になって開拓民によって再び発見され,人類との関わりの歴史を再び刻むことになった。
 再発見されたマンモスケイブは,当初,鉱山として活用された。当時のアメリカは,イギリスとの独立戦争を繰り広げており,銃弾の原料及び食物の保存材として使用された硝石(Saltpeter)の採掘のために,鉱山は拡張されていった。1813年には硝石の価格が5倍に暴騰し,マンモスケイブ鉱山は最盛期を迎えたのだった。
 しかし,1815年に戦争が終わると,硝石の需要減からこの鉱山は徐々に縮小し,鉱山としての役目を終えることになった。

 こうして,マンモスケイブは,娯楽施設として別の運命を辿ることになった。
 鉱山の詰所として使用されていた建物はホテル(Mammoth Cave Hotel)として再利用され,更に,観光を目的とした人々のために鉄道も整備された。その際,1813年に発見された先史時代の原住民の遺体はミイラ(Mummy)として娯楽を目的とした洞窟の観光地化への役割を担ったといわれている。また,洞窟の観光地化には,奴隷として連れてこられた人々による洞窟調査やガイドが大きな役割を果たしたという。
 1900年代に入ると,アメリカ東部に国立公園がなかったこともあり,マンモスケイブは国立公園化が進められた。しかし,既に娯楽用観光地として整備されていたマンモスケイブを国が買い上げるには金銭面から色々と問題があった。しかし,最終的にはケンタッキー州民などの寄付により進められ,ついに,1941年アメリカ東部初の国立公園となった。

 1930年代はアメリカ国内の景気は世界恐慌による影響でひどい状態だったので,国立公園化に向けた整備は難航を極めた。しかし,マンモスケイブのインフラ整備は政府主導で経済対策の一環として進められて,公園の整備と共に地域経済にも一定の影響を与えた。
 当時,ここには「CCC」と呼ばれるアフリカ系アメリカ人2,000人規模のキャンプが組織された。これらのキャンプは第二次大戦の終了と共に解散したものの,当時のアフリカ系アメリカ人はアメリカで最初に白人と同じ待遇の給与を手にしたといわれている。
 現在のマンモスケイブ国立公園が,こうした長い歴史を経て整備されてきたことを知ると,単にツアーに参加する以上に,非常に感慨深いものがある。

◇◇◇
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●今日は1日国立公園で過ごすのだ●
 ビジターセンターが開いたので,早速中に入った。なにせ,ここに来ることができるとは思っていなかったから,まったく予習がしていない。そこで,スタッフにツアーに参加したいのだが,どうすればいいかを聞いた。
 ここには12くらいのツアーが用意されていて,それぞれ出発時間と所要時間がちがう。もし,時間があれば,メインのふたつのツアーに参加するといいと言われた。
 私は,今日は,この国立公園で1日を費やすつもりであったので,その2つともに参加することにした。

 それぞれのツアーでは,洞窟内のいくつかのポイントでレンジャーの説明を聞きながら歩いていくのだが,その見所はツアーによって異なるために,これらのツアーのそれぞれに参加することで,洞窟の成り立ちや洞窟で暮らしていた人類の歴史や先史についてなど,さまざまな側面を学んでいくことができるということだった。
 この世界一の広さを誇る「マンモス・ケイブ」は,1本の大きな洞窟があるのではなく,大小さまざまな洞窟が奥の方でつながり合っていて,現在通行可能な洞窟の長さはなんと600キロメートル!(日本最大の秋芳洞は5.5キロメートル)もあるのだという。
 また,現在も奥へ脇へと新たな洞窟の探検作業が続いているのだそうだ。

 スタッフのアドバイスに従って私が予約したツアーは,「ヒストリック・ツアー」(Historic Tour)と「ドームズ・アンド・ドリップストーンズ・ツアー」(Domes and Dripstones Tour)のふたつ,ともに2時間のツアーであった。
 早朝で,両方とも予約が満員になっていなかったのが幸いであった。
 帰国してからネットで調べてみると,このマンモスケイブへ行った人のブログがけっこうあるのだが,それらを読んでみると,そのほとんどの人が参加したツアーは「ヒストリック・ツアー」と「フローズン・ナイヤガラ・ツアー」であった。
 私が参加した「ドームズ・アンド・ドリップストーンズ・ツアー」なんていうツアーは,情報がほとんどない。
 わたしは,しまったと思った。

 しかし,改めて公式ホームページの説明を読んでみると,「ドームズ・アンド・ドリップストーンズ・ツアー」は,
  ・・・・・・
 This tour includes the entire Frozen Niagara Tour route and a small portion of the Grand Avenue Tour route.
  ・・・・・・
ということであったから,むしろ,こちらに参加したのが,大正解なのであった。
 「ヒストリック・ツアー」の出発は9時,「ドームズ・アンド・ドリップストーンズ・ツアー」は12時15分で,ともに所要時間が2時間だから,途中で昼食をとることもできるし,きょうは,充実した1日になりそうだった。
 まだ,時間は午前8時過ぎで,ツアーの集合時間まで1時間くらいあったから,まず,ビジターセンターの中に併設された博物館に行ってみた。

  ・・・・・・
 マンモスケイブの歴史ははるか3億5千万年前にさかのぼる。そのころ,この地域は浅い海だった。
 その海に住んでいたウミユリとか貝類やサンゴなどの死骸がどんどん堆積し,石灰岩(炭酸カルシウム)を形成した。やがて海が大地になり,大地に降り注いだ雨が石灰岩を溶かし,隙間から地下に流れこんだ。
 地下水が長い年月の間に石灰岩をさらに溶かし,地下水の川となり,川の流れで空洞と空洞がつながっていって,洞窟をどんどん拡大させていった。つまり,石灰岩と雨水に空気中の二酸化炭素が化学反応をすることで,「炭酸水素カルシウム=鍾乳石」ができたというわけだ。そうして次第に巨大化し,長い年月を経て更に深部へとその道を広げて行った結果,世界一の巨大な洞窟が出来たのだという。
 現在,ほとんどの洞窟は乾燥していて,ここには湿った洞窟で見られる鍾乳石や石筍はなく,巨大な洞窟とエレガントな水によって刻まれた通路の見学を特色としている。ただし,「フローズンナイアガラツアー」と「ドームズ・アンド・ドリップストーンズ・ツアー」で訪れる洞窟には,湿った洞窟形成物の鍾乳石および流動石を見ることができる。また,洞窟内の川には暗闇の影響から,世界でも珍しい目を失った魚やザリガニなどが今でも生息していて,世界的な生物保護区にもなっている。
  ・・・・・・
といった展示があった。

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●ケンタッキー州が一番美しかった●
 テネシー州を越えてケンタッキー州に入ると,周りの風景が一変して,とても美しい田園地帯が広がっていた。
 今回の旅では,カンザス州,オクラホマ州,アーカンソー州,ミシシッピ州,アラバマ州,テネシー州と走ってきたが,これまで巡った州の中で,ケンタッキー州が一番美しかった。
 もう,ここには南部の香り,けだるい雰囲気は全くなかった。
 これもいつも書いていることだが,アメリカの州境は,単にボーダーが引かれているのとは全く違って,本当に景色が一変するのである。

 今日の目的地は,世界遺産「マンモスケイブ国立公園」であった。このマンモスケイブ国立公園を日本のテレビ番組で見たことがあるが,こうして訪れるまで,どこにあるか正確な場所を知らなかった。
 昨日,ナッシュビルから非常に近いところにあるということを知って,行くことを決めたのだった。
 今回の旅で来るまでは,マンモスケイブ国立公園はなにやらすごく遠い所だと思っていたから,まさか来ることができるとは思っていなかったので,とてもうれしかった。
 私は,ナッシュビルからインターステイツ65を北上してケンタッキー州に入ったが,さらにインターステイツ65を北に進んでいくと,いつものように,名所旧跡を示す茶色の道路標示板があって,そこに,マンモスケイブへはマイルマーカー48で降りると表示されてあった。
 つまり,マイルマーカー48でインターステイツを降りれば,そこから州道255の片側1車線の美しい高原道路を走るだけであった。
 どうして,いつも,アメリカの道路標示は無駄がなく的確でわかりやすく統一性が保たれているのだろうか,と思った。

 ケンタッキー州の西側は,数多くのドリーネ(石灰岩地域でみられるすり鉢状の凹地)が存在する土地として知られている。
 この53,000エーカーにおよぶ野生生物保護地区は,かつて北アメリカ東部および中央部のほとんどに広がっていた巨大な森林地帯の一部である。現在は,この土地の地表は美しいなだらかな丘になっているのだが,地底には大きな洞窟や美しい地学層がぎっしり詰った不思議な世界が広がっているのだ。このように,実は,マンモスケイブ近郊の地質は,石灰岩層の上に砂岩層が乗ったいわゆる「カルスト地形」になっている。

  マンモス・ケイブ国立公園(Mammoth Cave National Park)は,ケンタッキー州の中央部にあって,世界でもっとも長い洞窟群である「マンモス・ケイブ(洞窟)」を含む国立公園である。
 1941年に国立公園として指定され,1981年には世界遺産としての指定を受けた。
 国立公園の敷地は214平方キロメートルの広さがあり,東海岸地方には少ない国立公園で多くの都会から比較的容易にアクセスできるから,毎年200万人近い人々がこの公園を訪れるのだが,日本からはアクセスの難しいケンタッキー州へ行かなくてはならないからなじみが薄い。さらに,ここに行くには,ツアーなどないから,レンタカーを借りる必要がある。
 「地球の歩き方」のアメリカの国立公園編にも載っていない。

 私が訪れたのは5月下旬だから,まだハイシーズンではなかったが,ハイシーズンだと,こういう人気のあるところは,早朝に到着するか,事前にインターネットで予約を入れておかないと,見学ツアーに参加できない。
 ここは,見学ツアーでなければ中に入ることさえできないのだ。
 州道255を気持ちよく走っていくと,国立公園の入口に着いた。さらに走っていくと,ビジターセンターとそれに隣接する広い駐車場があった。私が到着した時間は,まだ,ビジターセンターがオープンする時間よりも早かったので,駐車場にはほとんど車がなかった。私は付近を散歩したりして,時間をつぶした。

こちらに来てから連日よい天気が続いています。お昼の気温は20度位で湿度も低く爽やかです。半袖の上にヨットパーカーで十分です。
今日は,ケンタッキー州のマンモスケイブ国立公園に行きました。想像以上に広くて,2種類の2時間の見学コースがあって両方に参加しました。合計4時間洞窟内を歩いたわけです。
昨年行ったニューメキシコ州のカールズバッド洞窟よりこちらの方がさらに規模が大きく素晴らしかったです。
グランドキャニオンを地下に作った感じとでもいえばいいでしょうか。
その後,インディアナ州を経由して,今晩のホテルはイリノイ州ケーシービル,といってもわからないでしょうが,ここから5マイル行けばミズーリ州セントルイスです。
旅も後半になって,いよいよカンザスシティに少しずつ近づいて来ました。
走っていると州を越えるごとに景色が一変するのがよくわかります。
ケンタッキー州は森林と牧草地,大きな競馬場もありました。イリノイ州は花が咲き乱れるプレーリーでものすごく美しいです。
50州制覇などという目標がなければ,私だって,気持ちの落ち込むオクラホマ州,アーカンソー州,ミシシッピ州,アラバマ州なんて行きません。
ケンタッキー州やイリノイ州の美しい景色を見て,今日は来てよかったとつくづく思いました。
今回はすでに来たことがある州も多いのですが,それも含めて今回だけでも合計10州走りました。これで47州を制覇しました。残るのは,ノースキャロライナ,サウスキャロライナ,そしてハワイの3州となりました。

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