しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

カテゴリ:アメリカ合衆国50州 > テネシー州

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●次に目指すは「マンモスケイブ」●
☆5日目 5月13日(水)
 5日目になった。昨日は,わずかな時間であったが,ナッシュビルのダウンタウンの雰囲気を味わうことができて,私は,十分に満足した。
 ニューオリンズにくらべて,メンフィスやナッシュビルは名前こそは知られているが,あまり有名なところでないし,行ったというブログはあっても,なかなか詳しい情報がない。ゆかりのあるのが,エルヴィス・プレスリーやカントリーミュージックというのも,その理由なのかもしれない。やはり,ここは,アメリカ人にとっての憧れの聖地なのであろう。
 私もまた,ダウンタウンを何往復かしてみたが,すでに夜遅く,博物館はもう閉まっていたし,ライブハウスは入る気もなく,ウェスタンブーツも買わないし,まして,キャンディショップも無縁だったから,その面白そうな雰囲気を味わうことはできたが,それ以上にお伝えできることを持ち合わせていない。
 ホテルに戻って車を停め,歩いて近くの「JACK's」まで行って,遅い夕食を済ませた。

 朝,いつものように,ホテルで名ばかりの朝食を済ませて,チェックアウトをした。今日は,インターステイツを北に,ケンタッキー州をめざす。目的は,マンモスケイブ国立公園であった。
 昨日は到着したのが遅くよくわからなかったが,ナッシュビルの郊外も,また,他のアメリカの都会と変わらない近代的なビルを遠くに眺めながら,広く快適な道路網が整備されたところであった。
 私が宿泊していたホテルはナッシュビルの南にあった。今日の目的地マンモスケイブ国立公園は,ナッシュビルから北東にインターステイツ65を100マイル(160キロメートル)くらい行ったところにある。

 何度も書くが,この旅で,私はどこまで行くことができるのか,まったく見当がつかなかった。
 メンフィスやナッシュビルだけで1日や2日滞在することもできるし,かといって,そこで何かをしたいというほどの興味も持ち合わせていなかった。そんななかでも,ぜひ行ってみたかったのが,このマンモスケイブ国立公園であった。
 「地球の歩き方」のアメリカの国立公園編にも,このマンモスケイブ国立公園のことは載っていない。
 アメリカのこの地方にある唯一の国立公園は,情報が少なく,ユタ州などの有名な国立公園に比べれば,訪れた日本人の数も圧倒的に少ないと思われる。当然ツアーなども存在しないであろう。したがって,1日かけて楽しむことができるほどの規模なのか,それとも,とんでもなく広いところであるのか,さっぱり見当がつかないのであった。

 私は,このようにアメリカを旅するようになって,はじめのうちは何もかもがそのスケールの違いにびっくりしていたが,今は,逆に,日本のそれがあまりに小さいことに失望感しか感じなくなってしまった。
 テレビで数多くの旅番組があって,たとえば,日本アルプスの景観だとか,黒部峡谷だとか,沖縄の海だとか,北海道の雄大な景色だとかにずいぶんと感動したシーンを見るけれど,申し訳ないが,私には,それだけなのか,としか思えなくなってしまったのだ。それに比べたら,アメリカの大自然はあまりにすごい。このマンモスケイブ国立公園も,また,私が思う以上に雄大だものであろうことは,疑いがなかったが,実際は,そうした予想よりも,さらにものすごいものであった。
 この日,晴天であった。
 私は,今日も,また,快調に車を走らせて,1時間ほどで,ケンタッキー州までやってきた。

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●不夜城ナッシュビルダウンタウン●
 ナッシュビルは,カントリー音楽の聖地である。
 ダウンタウンの外れの少し暗いところにあった駐車場に車を停めて2ブロックほど歩いていくと,ブロードウェイとよばれるダウンタウンのメインロードの外れに着いた。そして,その向こうに不夜城が出現した。
 私がナッシュビルがメンフィスよりも大きな都会だと思い込んでいた理由は,ナッシュビルのダウンタウンがメンフィスのダウンタウンと違って,このようにメーンロードが広かったからなのであろう。

 日本人にとって,アメリカ南部地域はかなりなじみの薄い地域だ。なにせ,行くのに遠すぎる。また,日本人には,アメリカの南部といえば保守的であり有色人種への人種差別の名残が存在するといった閉鎖的なイメージが強い。
 しかし,実際は,ナッシュビルは,有名な教育機関や音楽産業,そして,ヘルスケア産業を有する中規模都市であり,住み易い都市として評価されている。また,アメリカの南部の地方都市に住む多くの人は,アメリカ本来の生活様式など,昔ながらの文化を保ち続けて生活をしているが,特にここナッシュビルでは,多くの人々が信仰心に富み,それぞれのコミュニティを作りながら穏やかに暮らしていて,街は南部ホスピタリティに溢れている。
 ナッシュビルは,「古き良きアメリカ」を体験できる理想的な都市なのである。
 また,犯罪の発生率も少なく,治安に大きな不安のない街である。特にダウンタウンは非常に治安のよい地区だという。
 併せて,テネシー州の周辺は,日本の製造業にとって非常に戦略的な意味をもっている場所でもある。
 日本の製造業は,5大湖周辺の組合の組織力が強い州から逃れて,新たな生産体制を確立するために南部へ進出を始めているのだが,ナッシュビル郊外には日産の工場があり,ほかの日系部品メーカーも日産に従い進出した。今後も日本企業との良好な関係を強化すべく,テネシー州自体が日本企業を積極的に誘致し続けている。
 そこで,ナッシュビルには,寿司屋や日本料理屋なども多いのである。

 ナッシュビルのダウンタウンの中央は東西に「ブロードウェイ」という名のメインストリートが伸びている。
 私は,このブロードウェイの歩道を,行きは南側を帰りは北側を歩いて見て回ることにした。
 実際に歩いてみると,繁華街の端から端までは思ったほど距離ではなかったが,そこには,多くのライブハウスやカーボーイブーツの専門店,あるいは,キャンディーショップがあった。
 ライブハウスは,入口に店員のような人が立っていた。そこで店員に断って中に入ればいいものなのか,入場料がいるものか,私にはよくかわからなかった。入って行く人の姿を見ていると,特に入場料といったものを払っているようではなかったが,身分証明書を見せているようであった。
 私も,実際に入るならどういうシステムなのか聞いてもみるが,その気もなかったので,外から様子を見るだけにとどめた。店によって,音楽を聴くことがメインの店や,食事をしながら音楽を聞くような店があった。

 代わりに,ライブハウスと並んで多くあったカーボーイブーツの専門店のうちの1件に入ってみることにした。
 そこは「ブーツ・カントリー」(Boot Country)という名前の店であった。
 この通りのカーボーイブーツの専門店には「1足買えばもう1足無料」と書いてあったのだが,要するに,2足買え,ということなのだ。値段は,2足で36,000円くらいであった。京都の町屋のように奥に長い店内には2階もあって,多くの客がブーツを探していた。
 私は当然見るだけであった。

 さらに,キャンディショップにも行ってみた。
 私が入ったのは「サバンナ・キャンディ・キッチン」(Savannah's Candy Kitchen)という名の店であった。この店は,店内の一角が工房になっていて,実際にそこでキャンディを作っていた。なかでも,オリジナル・プラネリというチョコレートのせんべいやタフィーと呼ばれる菓子に定評があるようだったが,私は,むろん,そんなものを買っても食べることもないので,ここもまた,ウィンドウショッピングにとどめただけだった。
 私にはナッシュビルというはそういう感じの町であった。
 ダウンタウンから駐車場に帰る途中に,ブルーグラス・カントリーミュージック発祥の地であるライマン公会堂があった。
 ブルーグラス(Bluegrass music)というのは,アメリカのアパラチア南部に入植したスコッチ・アイリッシュ(現在の北アイルランド,アルスター地方にスコットランドから移住した人たち)の伝承音楽をベースにして1945年にビル・モンローの結成したブルー・グラス・ボーイズにアール・スクラッグスが加わってから発展したアコースティック音楽のジャンルのことである。演奏にはギター,フラットマンドリン,ヴァイオリン,5弦バンジョー,リゾネーター・ギター,ウッドベースなどの楽器が主に使われる。
 1950年代には米国南部を中心としたカントリー市場に,1960年代にはフォーク・リバイバルに認められてアメリカの都会やヨーロッパや日本のフォーク市場に,そして,1970年代にはロックとの融合で野外音楽フェスティバルに迎えられ,ついに,1980年代以降はアコースティック音楽の録音技術革新とともにジャズやニューエイジなどのより洗練されたアンサンブルに達した。
 そして,21世紀を迎えた現在では,チック・コリアやヨーヨー・マも巻き込んで,ジャズやクラシックの世界でもブルーグラスの楽器技術やアンサンブルが認められ,数多くのアーティストを輩出している。
  ・・
 アメリカを旅行していると,アメリカの大自然の素晴らしさは当然のことだが,それに加えて,アメリカの文化の良さを味わうには,第一に歴史,第二にプロスポーツ,そして,第三に音楽に詳しくなる必要があるのだと,いつも感じる。幅が広く奥の深い,そして,心豊かな国である。

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●ここも南部の香りする町だった。●
 この旅で行った多くの州の中で,私は今書いている,この,ミシシッピ州,アラバマ州,テネシー州あたりの記憶がぐちゃぐちゃなのである。それに比べて,すでに書いたミズーリ州のブランソンという町 -ここへは再び行くことになるのだが-,それと,この後で書くことになるケンタッキー州のマンモスケイブ国立公園から以降の記憶はかなり鮮明なのだ。
 それは,かなりアメリカに詳しい人であっても,このあたりの位置関係がよくわかないというくらい州が入り組んでいる,ということと,見どころは,何といってもプレスリーに代表されるアメリカ音楽の聖地であって,そういう観光案内では,ニューオリンズからミシシッピー川を北上してメンフィス,ナッシュビルと進んでいくというものが多く,私のように,西から東に走って行くというものがほどんどない,ということ,そして何より日本人になじみの少ないところだということが原因だと思う。
 それに,私が数年前にルイジアナ州のニューオリンズに行ったときには,現地に知人が住んでいたので,案内をしてもらったのだが,メンフィスやナッシュビルにはそうした知人もいないので,ひとりでは何をどう見ればいいのかさっぱりわからなかった,ということもその理由であった。
 そんなわけで,今書いているナッシュビルなんて,ダウンタウンを歩いたときのことは結構覚えているのに,これを書くために写してきた写真を見直すまで,いったい私はナッシュビルでどこに泊まったのか? 全く記憶から飛んでしまっていたようなありさまだった。

 私はナッシュビルの郊外に予約したホテルを目指して,インターステイツ65を降りて州道255を走っていたが,車内から見えるのは,アメリカの中小都市の典型的な郊外の景色だった。そしてやがてインタースステイツ24とのジャンクションに着いた。
 ホテルはこのジャンクションの近くのごちゃごちゃした街中にあったのだが,ホテルの入口にアクセスする道路がなかなか見つからなかった。カーナビには確かにホテルの場所が表示されているのだが,駐車場が広すぎて,どこから入って行けばいいのかわからないのだった。ここは新しい町ではなく,日本のような雑然としたところではあったが,治安が悪いという感じではなかった。しかし,この雑多な感じは,やはり南部であった。
 ホテルの周りには,写真にあるように「JACK's」という全米チェーンのレストランや「KFC」などのファーストフード店やコンビニ,さらにはポルノショップなどもあった。
 予約したホテルは,写真にあるように,典型的なモーテルで,入口が外にある形状だった。こういうところに停まっているのは長距離トラックの運転手など,仕事で利用している人が多い。
 私は,まず,建物の端にあるフロントでチェックインをしてキーを受け取り,かび臭い部屋に入った。アメリカのホテルは,実際のものよりも写真のほうが豪華に見えるのが,いつも不思議なことである。

 もう,すでに午後7時を過ぎたくらいであったが,アメリカは夏時間,しかも5月だから,夜は遅い。しかも,不夜城のナッシュビルのダウンタウンには夜はない。
 私は,少しの時間でも観光をしようと,そしてまた,せっかく来たのだから夜のナッシュビルを味わおうと,再び車に乗って約15分かかるダウンタウンに向かって,車を走らせたのだった。
 ダウンタウンの端に,写真のような駐車場があったので,私はそこに車を停めた。

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●なかなかホテル探しも難しいもの●
 私は,渋滞したディケータのダウンタウンを,まるで日本の道路を走っているような感じで走り過ぎた。テネシー川にかかる長い橋になったら,どういうわけか急に車が少なくなって「アメリカだ」という気持ちに戻りながら,快調に橋を渡り終えた。そして,橋を越えたら周りは私の大好きな典型的なアメリカの広々とした大地になった。
 ジャンクションでインターステイツ65に入り,ナッシュビルに向かって北上を開始した。

 インターステイツ65がテネシー州に入ったところに,パーキングエリアがあった。
 ほぼ無料のアメリカのインターステイツにも日本のようにパーキングエリアはあるのだが,ほとんどのところは,トイレと自動販売機があるくらいで,売店やレストランは存在しない。むしろ自動販売機すらないところのほうが多い。しかし,たいていの州では,州境を超えたところにあるパーキングエリアには観光案内所があって,そこで,多くのガイドブックや地図を無料でもらうことができる。このテネシー州に入ったところにあったパーキングエリアにも観光案内所が併設されていたので,私は車を停めた。
 それにしても,といつも思うのだが,日本でも,JRの駅などに観光案内所があって,その町の見どころなどのパンフレットが申し訳程度に置いてあるが,アメリカのそれは,くらべものにならないほど充実しているし,どの州でも,同じような形式で作られている。このことは,道路表記でも案内掲示でもそうなのだが,アメリカは何でも統一がとれているからわかりやすいし,美的にも優れているし,パンフレットなどのコレクションがしやすいのだ。

 私は,この観光案内所で地図などを手に入れて車に戻った。
 ナッシュビルに向かう途中で,先に書いたように,今日はまだ今晩宿泊するホテルの予約をしていなかったので,どこかWifiのつながるレストランを探して,かなり遅い昼食(なんと午後6時!)をとりながらホテルの予約をしようと思っていた。
 インターステイツを走っていると,ジャンクションの近くにある最寄りのホテルやガソリンスタンド,レストランの案内板があるのだが,インターステイツ65と国道31が交差するジャンクションにはマクドナルドという案内があったので,そこに行ってみることにした。
 ジャンクションを降りると,右手に「テネシーン・トラック・ショップ」があって,その一角にガソリンスタンドとマクドナルドが見つかった。私は,ここでおそい昼食をとりつつ,ナッシュビルのホテルをエクスペディアで探して,予約をしたのだった。
 以前なら,途中でホテルの予約をしないで,そのままナッシュビルに行って,その場でホテルを探すか,あるいは,こうしたマクドナルドにホテルのクーポン券などがついた冊子が置いてあるので,それをもらって直接ホテルを探したのだろうが,今日ではインターネットで簡単にホテルの予約ができるようになったので,事前にめぼしいホテルを探して,予約を入れておくようになった。以前,ノースダコタ州に行ったときにホテルが見つからずに苦労したことと,このほうが到着が遅くなっても安心だからである。
 しかし,現実には,私の探すホテルは安価なものだから,到着して,思っていた以上にホテルがプアでショックだった,ということがままある。そして,その近くに,ネットに載っていなかった手ごろなホテルがたくさんあったりするとでがっかりだ。どこであっても泊まることができればいいわけだが,このネット全盛の時代でも,このようにホテル探しは難しいものである。

 私は車だから,ダウンタウンに泊まらなくても,ナッシュビルの郊外の適当なところで十分だったので,安価なホテルを探して,街中から10マイルほど南にある「トラベルロッジ・ナッシュビル」というホテルを見つけて予約を入れた。場所は,ナッシュビルのダウンタウンから南東のインターステイツ24と州道255の交差する南西角にあった。
 私はこのときインターステイツ65を北に向かって走っていたのだが,インターステイツ24はその5マイルほど東を平行に北に向かってダウンタウンに走っている道路だったから,州道255とのジャンクションでインターステイツ65を降りて,州道255を東に,インターステイツ24に向かって走ることになった。

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●今日の予定が決められない。●
 今日はメンフィスで1泊するするつもりだったのに,メンフィスという町に着いて,すっかりその気がなくなった。
 エルヴィス・プレスリーに興味があれば,ゆかりのある場所がたくさんあるから,エルヴィスファンにとれば,かなりうらやましい旅なのかもしれない。私は無礼千万である。ごめんなさい。
 せっかく午前中にここまで来た以上,しかも,メンフィスを出発するのなら,今日中に,ミシシッピ州を通ってアラバマ州までは行こうと思った。
 いつも書いているように,この旅は,ひとつでも多くの州へ行くことしか頭にないのであった。もし,今回そこまで行かないと,次にいつ行けるかわからないのである。その場所にいるときは,いつでも簡単に行くことができるような錯覚に陥るが,日本に帰ってみると,あまりにも遠く,あの時に行っておけばよかったなあ,と後悔することしきりである。
 次回の旅で,50州制覇のために,私は,残るノースカロライナ州とサウスカロライナ州に行くことを考えていて,その折にアラバマ州へも行くつもりではあったのだが,先のことはわからない。今回行けるなら,ぜひ,行ってみようと思った。私が次回の旅で行きたいと思っているのは,アラバマ州のモンゴメリー(Montgomery)という町なのであるが,今回は,残念ながら,モンゴメリーまで行くには遠すぎる。
 ここで,モンゴメリーについて,少し紹介してみよう。

  ・・・・・・
 ローザ・パークスという偉大な女性がいる。
 1913年に生まれたローザ・“リー”・ルイーズ・マコーリー・パークス(Rosa "Lee" Louise McCauley Parks)は,公民権運動活動家である。1955年にアラバマ州モンゴメリーで,公営バスの運転手の命令に背いて白人に席を譲るのを拒み,人種分離法違反の容疑で逮捕されたことで著名となった。
 これを契機に「モンゴメリー・バス・ボイコット事件」が勃発し,アフリカ系アメリカ人による公民権運動の導火線となった。ローザは米国史における文化的象徴と見なされ,アメリカ連邦議会から「公民権運動の母」と呼ばれるようになった。そののち,ローザはキング牧師の公民権運動に参加し著名な活動家となるのだが,地元に居辛くなり,1957年にデトロイト市に引っ越した。
 やがて,のちに,自分がアメリカ史上の人物として学校の教科書でも教えられていることに気づいたのだった。そして,ローザ・パークスは,1987年に「ローザ・レイモンド・パークス自己開発教育センター」を創設して青少年の人権教育に尽力した。1999年,アメリカ連邦議会はローザに議会金メダルを贈り,モンゴメリーにはローザ博物館が設立された。
  ・・・・・・

 モンゴメリーまで行ってみたいという思いも湧いてきたが,そうすると,サウスカロライナまでも足を伸ばそうか…などと,とんどんと帰りの便の出発地カンザスシティからは遠くなっていくのだ。
 そこで,無計画な旅なではあったが,今回の旅はアラバマ州はちっぴりだけにとどめておいて,次の機会にモンゴメリーへ行く方が無難なように思えたので,メンフィスから南東の方角にあるあるトゥぺロという町まで行って,そこからアラバマ州を少しだけ経由してテネシー州に入り,今日はナッシュビルで宿泊しようと軌道を修正したのだった。
 こんな具合に,この4日目の計画は,はじめっからかなりいい加減なものであった。メンフィスに宿泊しようかなというくらいしか出発するときにも決まっていなかった。だから,いつもと違って,朝になっても,今晩泊まるホテルを決めていなかった。それは,あまりにもこのあたりの場所について不確定要素が多すぎて,決断することができなかった,ということなのだったが…。

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●メンフィスはすさんだ町だった。●
 インターステイツ40は西から東に走っていて,ミシシッピ川にかかる巨大な橋を渡ると,アーカンソー州に別れを告げて,テネシー州のメンフィスに入る。まだアメリカをよく知らなかった若いころ,私は,ミシシッピ川をこの目で見るのが夢だった。そのミシシッピ川を,この旅だけで,私は一体何度渡ったことだろうか?
 橋を越えると,メンフィスの町が見えてきた。
 メンフィスは,テネシー州の南西の外れのくさび状のところに位置していて,そこから少し南に行けば,そこは,テネシー州ではなくミシシッピ州に逆戻りである。つまり,メンフィスの西と南を包むようにミシシッピ州がある。このあたり,州が入り混じっていて,本当にわかりにくい。

 メンフィス(Memphis)という名前はエジプトの古代都市に因む。テネシー州の州都であるナッシュビルを上回るテネシー州最大の都市で,人口は約65万人なのだが,私の印象では,メンフィスよりもナッシュビルのほうが大きな都市のように感じたのはどうしてだろう?
 メンフィスは,19世紀に綿花の集散地として発展する一方で,奴隷市が開かれた暗い歴史をもち,今でも人口の半数以上をアフリカ系アメリカ人が占めている。犯罪率が高く,千人当たりの暴力的な犯罪の発生率は約16パーセント,殺人件数は117人もある。
 メンフィスは,1960年代,公民権運動の渦中にあって,清掃労働者の待遇改善を求めるストライキの応援にこの地を訪れたマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師が暗殺されたことでも知られている。
 また,メンフィスは,様々な音楽ジャンルの発祥地,および,発展地であることでも,また,有名である。カントリーに関しては,ナッシュビルがカントリーの「ラインストーン」とよばれるのに対して,メンフィスは「シェアクロッパー」(小作人)と呼ばれている。
 アメリカのポピュラー音楽に多大な影響を与えたサム・フィリップスのサン・スタジオは現在も建物が残っていて,見学することができる。有名なエルヴィス・プレスリー,ジョニー・キャッシュ,ジェリー・リー・ルイス,カール・パーキンス,ロイ・オービソンは,このフィリップスに見いだされて,ここサン・スタジオではじめてのレコーディングを行った。
 このように,この町を語るには,マーティン・ルーサー・キング・ジュニアとエルヴィス・アーロン・プレスリー を知らなければならないのだ。

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 マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(Martin Luther King, Jr.)は,1929年生まれのプロテスタントバプテスト派の牧師であった。
 生前はアフリカ系アメリカ人公民権運動の指導者として活動し,「I Have a Dream」という有名なスピーチを行った人物として知られている。
 1968年4月4日,遊説活動中のテネシー州メンフィスにあるメイソン・テンプルで
 「I've been to the Mountaintop.」
と遊説したその日,メンフィス市内のロレイン・モーテルのバルコニーで,その夜の集会での演奏音楽の曲目を打ち合わせていた最中に,累犯のならず者ジェームズ・アール・レイに撃たれた。直ちに病院に搬送されたが,間もなく死亡した。
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 エルヴィス・アーロン・プレスリー (Elvis Aron Presley)は,1935年ミシシッピ州テューペロで生まれたミュージシャンであった。
 最初「The Hillbilly Cat」という名前で歌手活動を始め,その後すぐに歌いながらヒップを揺らすその歌唱スタイルから,「Elvis the Pelvis」と呼ばれるようになった。
 プレスリーはアメリカ史上最も成功したソロアーティストで,最多ヒットシングル記録や1日で最もレコードを売り上げたアーティストとして,ギネスに認定されている。
  ・・・・・・

 車で町に入っていくと,さすがに「治安の悪い」町らしく,すさんだ建物が多く,私は緊張した。
 まず,この町で一番有名な,現在は国立公民権博物館となっているロレイン・モーテル跡へ行くことにした。行き止まりやら一方通行やらの多い狭い道路を迷いながら,どうにか近くに無料の駐車場を見つけて,車を停めて,博物館まで歩いていった。
 私は,この日,残念ながら,この博物館が休館日であることを知っていたので,建物の外観だけを見ようと思っていたのだが,他にも多くの観光客が,私と同じように車を停めてこのモーテル跡に向かって歩いてきたので,今日は休館だと話すと,彼らはショックを受けていた。
 休館日にもかかわらず多くの観光客がいて,その外で写真を撮っていた。このモーテル跡の私の印象は,テレビで見たのと同じだ,という情けないものであった。
 次に,ビールストリートと呼ばれるメンフィスきっての観光スポットへ向かった。
 この町のダウンタウンはどこも道路も狭く,また,車も人も多く,数少ない駐車場もすべて有料で,どこに車を停めたらいいのか,どう走ったらいいのかはっきりしなかった。
 私の今日の予定では,今晩はメンフィスに泊ろうとと思っていたのだが,次の日以降の予定にまだ迷っていたり,この先どこまで行けるか見当がつかなかったりで,この日はホテルの予約もせぬまま,ここまで来たのだった。しかし,メンフィスが思っていた以上にすさんだ町だったことで,私は,すっかり,ここを観光する気がなくなってしまった。エルヴィス・プレスリーの「聖地」として,エルヴィス好きにはたまらないところ,憧れのところなのであろうが,私には,全く興味がなかった。それに,メンフィスのビールストリートのライブハウスにも,そういう音楽に興味がないから入る気持ちもなかった。
 時間は,まだ午前中。治安の悪さムンムンのここで半日を過ごす気持ちもなくなって,私は, メンフィスから別れを告げることにしたのだった。

今日もよい天気でした。日本は台風だということですが,本当なのですか? 今は5月ですよ!
今日の予定はずっと決めかねていて,だから宿泊するホテルも決まらず,成り行き任せに出発しました。
とりあえず,テネシー州メンフィスを目指してブランソンから南下したのですが,近くをインターステイツが通っていないので,やたらと時間がかかり,やっとインターステイツ40に辿り着きアーカンソー州を東に向かって走ったのですが,トラックだらけで道路はガタガタ,すっかり気持ちは沈みました。
メンフィスでは,キング牧師の暗殺されたモーテルを見たのですが,博物館はお休み,ダウンタウンはいたるところに廃墟があっていかにも治安が悪そうで,ここに宿泊するのはやめました。2時間ほど離れたプレスリーの生家のあるミシシッピ州トゥペロへ行って見学しました。小さな家ということだったのですが,日本の普通の家より大きかったです。
その後はそのままさらにアラバマ州に入って,そこからインターステイツ65を北上して,テネシー州のナッシュビルまで来ました。今日はここに宿泊することにしました。
というわけで,ディープサウスまで来てしまったというわけです。
今回は優秀なカーナビがあるので楽です。でもこのカーナビおかしな日本語を話します。
ナッシュビルの夜のダウンタウンを歩いてみたのですが,こんなことを毎晩やっているんだなあと呆れました。
なんだか今日は1日運転していたような気がします。今日だけで5州に行きました。
中でもアーカンソー州が最悪でした。それに比べてテネシー州は景色もきれいだし,道路も運転しやすく気に入りました。
州によってこんなに違いがあるのに驚きました。

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