しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

カテゴリ:しない・させない・させられない > 学校では学べない

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 大河ドラマ「平清盛」を続けます。
 第15回「嵐の中の一門」で,常盤御前が登場しました。常盤御前は源義経の母です。
 私は,子供のころ,よく京都の鞍馬寺に連れていってもらったので,そこで,「義経背比べ石」というものを身近に見ていました。また,市バスが五条大橋を渡るので,「京の五条の橋の上,大のおとこの弁慶は長い薙刀ふりあげて,牛若めがけて切りかかる。牛若丸は飛び退のいて...」という歌があることを聞いて,牛若丸と弁慶という名を知りました。しかし,そうした知識は童話的であり断片的でした。1993年に放送された大河ドラマ「炎立つ」で,源義経が東北の藤原三代に匿われたことが取り上げられていて,どうしてこの地に源義経が関わっているのか? と驚いたことすらありました。
 また,旧中山道を関ヶ原宿から柏原宿まで歩いていたとき,途中に「常盤御前の墓」があって,これもまた驚きました。どうしてここに常盤御前?
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 1138年(保延4年)生まれの常盤御前は, 近衛天皇の中宮・九条院(藤原呈子)の雑仕女でした。
 雑仕女の採用にあたり,藤原伊通の命令によって都の美女千人を集められ,その百名の中から十名を選んだ中で,聡明で一番の美女であったといいますが,これもまた,「平清盛」で描かれました。
 やがて,源義朝の側室になり,今若,乙若,牛若を産みました。
  ・・・・・・

 第28回「友の子,友の妻」では,源頼朝の助命と常盤御前について描かれています。
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 平治の乱で捕らえられた源頼朝が平家盛の幼いころに姿が似ていたことから,母の池禅尼が哀れんで清盛に頼朝の助命を訴えたとありますが,ドラマでは,これをもとにしています。
 また,常盤御前は子供たちを連れて雪中を逃亡したのち,平清盛の元に出頭し,子供たちが殺されるのは仕方がないことだけれども,子供たちが殺されるのを見るのは忍びないから先に自分を殺して欲しいと懇願しましが,その様子と常盤御前の美しさに心を動かされた平清盛は源頼朝の助命が決定していたことを理由に,今若,乙若,牛若を助命しました。「義経記」や「平治物語」では,平清盛が常盤御前によしなき心を抱き,子供の命を盾に返答を強要したという内容が記されています。
 その後については、侍女と共に源義経を追いかけたという伝承があり,常盤御前の墓とされるものは岐阜県関ケ原町をはじめ,各所にあります。 
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 源頼朝や常盤御前の生んだ子供たちの命が救われたことが,やがて,平家滅亡につながるので,このあたりをうまく描く必要があります。でないと,ドラマは成立しません。「平清盛」では,こうした資料をもとにして,うまく物語が作られています。

 さて,平清盛に助命を認められた今若,乙若,牛若は,それぞれ別の寺院に送られました。
 今若はのちの阿野全成,乙若はのちの義円,そして,牛若がのちの源義経ですが,彼らの姿は「鎌倉殿の13人」にうまく描かれています。
 無知な私は,源義経については知っていましたが,阿野全成と義円が源義経の実の兄弟ということすら知りませんでした。
 このように,「平清盛」を見てから,改めて「鎌倉殿の13人」を見ると,まさに,伏線回収。その奥深さにのめり込むことになりました。これでまた,日本各地を旅する楽しみが増えたというものです。

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 今日2024年1月13日と翌日の1月14日は大学入試共通テストだそうです。
 今年は,元日から大きな地震があって,被災した地方の受験生は気の毒です。このような状況で,全国の高校生を一律に点数を比べるのはどうかと思いますが,このことに限らず,私は,日本各地を旅してみて,様々なことが全国一律に課せられていることに,疑問をもつようになりました。受験の場合でも,東京に比べて離島などに住む高校生は,受験会場に行くだけでも大変だし,学習環境が違い過ぎて,そのハンディが大きいのです。
 首都だけが発展している国は独裁国家と発展途上国の特徴だと聞いたことがあります。

 さて,ここからが今日の話題です。
 来年度の大学入試共通テストから,「情報」という教科も必須科目として課せられることになったようです。そこで,これまでは冷遇され,相手にもされていなかった「情報」という教科がにわかに話題となり,「情報」ではプログラムを学習しているから,これを身につける必要があるということで,受験産業はこれもまたビジネスチャンスだとばかりにプログラム塾を作ったり,また,コピュータに疎い親たちはパニックになったりしました。
 「情報」ではどんな問題が出題されるのか調べてみると,「情報」の大学入試共通テストの試行問題というものがネット上にあることを知りました。そして,私がそこで知ったのが「DNCL」なるものの存在でした。
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 「DNCL」とは,大学入試共通テストの問題で出題されるアルゴリ ズムを記述するために考案された仮想言語です,仕様や構文がシンプルで,C言語などを理解している生徒はプログラムを読めるように設計されています。「DNCL」は動的型つけ言語で,変数には型がありません。
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だそうです。
 コンピュータ言語といってもいろいろあるから,どれかの言語に特化してしまうとハンディができるので,大学入試共通テストのみで通用する独自のコンピュータ言語を考案したというわけです。 
 「DNCL」とは「大学入試センターランゲージ」の頭文字なのです。
 しかし,「DNCL」では,実際のコンピュータは動きません。他の言語を知っていれば大丈夫というふれこみで,実際,確かにそうなのですが,プログラミングの得意な生徒ならともかく,不得手な生徒にそのような理想的な考えは通用しません。
 そこで,テストで点数を取るためだけに,「DNCL」の特訓が企てられるのです。高等学校で使用する「情報」の問題集にはすでに「DNCL準拠」と書かれてあるし,予備校では「DNCL」がコンピュータ上で動くコンパイラが開発されるし,高等学校では「DNCL」を意識した受験英語ならぬ,受験プログラミング指導がはじまるのです。
 それは,どういうことかというと,たとえば,外国語という入試科目において,世界には様々な言語があるから,何かひとつの言語に特化していしまうと他の言語を学んだ人が不利になるから「大学入試センター外国語」を作っちゃえ,というようなものと同じです。
 英語の試験に資格試験を導入しようとして頓挫したように,数学の試験に記述問題を導入しようとして失敗したように,一体全体,この国は,いつも,何がしたいのでしょう? 結局は,受験産業の金儲けに利用されているだけで,犠牲者はいつも受験生です。

 現在,受験英語とか受験数学と揶揄されてはいても,一応は役に立ちます。しかし,「DNCL」はそうではありません。プログラミングをマスターした生徒は「DNCL」が理解できても,「DNCL」をマスターした生徒はプログラミングができません。紙の鍵盤でいくら練習してもピアノが弾けるようにはならないのと同じです。
 これでまた,受験英語とか受験数学に加え,受験情報という教科が誕生したことになります。コンピュータ嫌いが加速することでしょう。
 今や,AGIの発達とChatGPTの時代。学校教育では,これらの使用や指導を禁止するのではなく,これらを有効に使えるようにしなければ,社会に出てから役に立ちません。
 「情報」という教科でそんな使えもしない言語をごちゃごちゃ指導しているくらいなら,将来,コンピュータを仕事で使う必要のある若者は,Pythonひとつきちんとマスターするほうがずっと有益でしょう。しかし,車の運転ができないと困るといっても,ミッション車で車の運手ができなければならない必要はない,というのと同じで,すべての高校生がコンピュータプログラミングができるようにと課す必要が果たしてあるのか,ということが先に議論されるべきでしょう。「情報」で何を教えるのか,技術の発達の方が早すぎて,すでに迷走状態に入っています。


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 以下は,大学入試共通テスト試行問題で出題されたプログラミング問題とそれにかかわる「DNCL」,そして,最後に,私が「DNCL」をVBAで書き直したものです。

aaaa vvvvv nnnn


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 第10回「義清散る」では,佐藤義清なる人物が詳しく語られるのですが,「佐藤義清=西行法師」だなんて,私には「何だ,そうならはじめにそう解説してくれよ」という感じでした。そう知っていればずいぶんと想い入れもできるのですが,知らずに見ていてもそれがわかりません。
 旅をしていると,吉野山の西行庵をはじめとして,西行法師ゆかりの場所がいろいろなところにあるのですが,私は,これまで,西行法師は和歌の達人,というイメージしかありませんでした。これを機会に調べてみると,もっともっとドラマのある人物でした。
 佐藤義清以外にも,「平清盛」では,明子,時子といった平清盛の妻や,鳥羽天皇の中宮皇后・待賢門院璋子(たいけんもんいんたまこ),美福門院得子(びふくもんいんなりこ)といった女性が出てきますが,もともと女性の顔の違いが認識できず,みな同じ顔に見えてしまう私にはすぐには区別がつきません。また,待賢門院璋子の子である崇徳天皇は顕仁(あきひと)という名だし,後白河天皇も雅仁(まさひと)だし,美福門院得子の子である近衛天皇は躰仁(なりひと)ですが,幼名だけで語られても,一度では理解不能です。せめて「後の〇〇天皇」といった字幕でもあればいいのですが…。

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  ながからむ 心も知らず 黒髪の 乱れて今朝は ものをこそ思へ
    待賢門院堀河
  身を捨つる 人はまことに 捨つるかは 捨てぬ人こそ 捨つるなりけれ
    西行法師
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というような,佐藤義清と待賢門院璋子の関係を暗示して,効果的に取り上げられている和歌も,この和歌を知ってはいても,こんなシチュエーションで詠まれたのか! と驚きました。いや,実際は,そんなシチュエーションで詠まれたものではないでしょうが,そんなシチュエーションを思い起させる歌だということでしょう。
  ・・
 「ながからむ 心も知らず 黒髪の 乱れて今朝は ものをこそ思へ」は百人一首にある歌ですが,これは待賢門院璋子が詠んだものではなく,待賢門院璋子に出仕した待賢門院堀河が詠んだものですが,いずれにしても,関わりがあるのです。そう学べば,学生時代,百人一首の勉強にもう少し身が入ったものを,高等学校で習う百人一首は,参考書には文法については必要以上に詳しく書かれているのに,それを詠んだ人物や時代背景にはほとんど記述がありません。もし,その時代や人と人との関りを知っていれば,さぞかしおもしろかったのになあ,と悔しい思いをしました。
 このように,「平清盛」は,一度見るだけではわからないことが多いので理解不能ですが,時間のある今,何度も見直したり,わからないところは徹底的に調べながら見ていると,それがまあ,奥が深いドラマだ! ということがわかり,とても興味深いのです。また,真実かどうかは別として,その時代の逸話をさまざまな古文書から探し出して,それらをドラマの中にこれだけ多くちりばめられているのもすごいものだと感服しました。

 将棋の棋力がない人が難解な藤井聡太八冠の将棋の本当のおもしろさが理解できないように,このドラマを評価するには,ものすごく多くの知識が必要なのでしょう。そうでないのに,容易に批判するのは,自分が無知であるということを吹聴し,天に向かって唾を吐くようなものです。脚本家はそれをすべて計算づくで,浅学のあなたにはわからないんでしょう,とほくそ笑み,批判する人を値踏みしながら優越感に浸っていたのかもしれません。
 一方,現在は過保護な時代で,また,視聴率を気にするあまり大衆に媚びを売っています。大河ドラマでは,さまざまな関連番組が放送されたり,解説本が出版されたり,ドラマの冒頭でもていねいなあらすじの説明がありと,無知な私が見ても,理解不能ということはないのですが,以前は,そうではありませんでした。
  ・・
 話は飛躍します。
 こうしたドラマに限らず,リヒャルト・ワーグナーのオペラや,シェイクスピアの劇など,人類の財産ともいえる多くの芸術は,「平清盛」とは比べられないほど,もっと難解で,多くの知識がなければ,理解できません。それでも,それを評価し,楽しんでいる人がいるわけです。私はそれがとてもうらやましいです。せっかく生まれてきて,人類の財産である芸術作品のよさを味わえる能力さえ身についていないて,人生はなんと短いこと!

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 昨年,隠岐諸島に行ったとき,知夫里島で,文覚上人の墓,というものを見て以来,文覚上人なる人物に興味が湧いたことから,NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で市川猿之助さんが演じた文覚上人をまた見たくなりました。そこで,保存していた総集編を見直してみのですが,まったく出てきませんでした。そこで,「鎌倉殿の13人」の全話を見るにはどうしたらいいか,と思っていたら,NHKオンデマンドで見ることができるということがわかったので契約して,やっと見ることができました。
 文覚上人を登場させなくても,「鎌倉殿の13人」という物語は成り立つのでしょうが,脚本を書いた三谷幸喜さんが,その時代について調べているうちに,文覚上人は非常に興味をもった人物であるらしく,また,大河ドラマは真実を描いていない,などという学者気取りの人をあざ笑っているかのように,それをおもしろおかしくドラマに取り入れていたのが,脚本家の矜持というものでしょう。大河ドラマは歴史を題材としたあくまでドラマであって,でないと,単に受験勉強用の学校の歴史教材になってしまいます。
 せっかく契約したのだからと,NHKオンデマンドに存在する他の番組を調べていたら,「鎌倉殿の13人」以外にも過去の大河ドラマが多数存在していました。そこで,今日は,そんな過去に放送された大河ドラマのお話です。

 私がはじめてNHK大河ドラマにはまったのは,1973年に放送された「国盗り物語」でした。
 それ以来現在まで,最後まで見たもののあれば,途中で断念してしまったものもあります。途中で断念してしまったものには,つまらなかったものと,本当は興味があったけれど難しくてわけがわからなくなってしまった,というものがあります。そうしたもので,私がずっと気になっていたのが「勝海舟」「平清盛」「義経」の3作でした。
 「勝海舟」は,総集編だけ存在していてそれを見ることができました。総集編では物足りなかったのですが,とにかく,流れはわかりました。「義経」は,現在,NHKオンデマンドでは見ることができません。現在,すべてを見ることができるのは「平清盛」でした。
 私は,日本の歴史で,戦国時代と幕末にはすごく興味があったのですが,平安時代末期のことはそれほど興味もなく,大学受験で必要だった知識以外,ほとんど知りませんでした。「鎌倉殿の13人」も,放送する前はまったく興味がなかったのですが,見ているうちに引き込まれて,この時代に興味がわいてきました。
 「平清盛」は,主役が「どうする家康」でユニークな演技をしていた松山ケンイチさんということもあり,「鎌倉殿の13人」と今年放送される「光る君へ」の間の時代を描いたものということもあり,「平清盛」をきちんと見てみることにしたのですが,それがまあ,おもしろいこと!

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 「平清盛」は,2012年に放送された51作目のNHK大河ドラマです。
 平清盛の生涯を中心に、壇ノ浦の戦いまでの平家一門の栄枯盛衰を,源頼朝の視点を通して描いたものです。
 第1回から父・平忠盛が亡くなる第16回までが第1部,平清盛が平氏一門の棟梁となった第17回から保元の乱と平治の乱を経て公卿となった平清盛が嚴島に経典を納める第30回までが第2部,その後の第31回からが第3部です。内容豊富,ボリューム満点のドラマです。
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 このドラマは,放送当時,かなり不人気でした。その一方で,一部の人たちにはものすごく評価の高いドラマでした。私は,視聴率,などというものはどうでもよく,他人が見ようと見まいと,人気があろうとなかろうと,人は人で,どうでもいいのですが,それよりも,自分が興味があるのにわからない,ということが悔しかったのです。
 改めて見ると,このドラマが不人気だったのは,画面が汚いなどということを言った人がいるとかいないとかですが,実は,難しすぎたから,ということを再認識しました。このドラマを理解するには,山川出版社の「詳説日本史」なる高等学校の教科書程度の知識では不十分であり,書かれていないことばかりなのです。そもそも,この時代は,教科書程度の知識でも,保元の乱,平治の乱が,源と平の対決といった単純なものではなく,利害関係が複雑に入り交じっているし,人物の名前も似たようなものばかりだったので,受験勉強をしていたころの私は,さっぱりわかりませんでした。

 このドラマは,院政といって,白河天皇が幼少の子供に皇位を譲り法皇となって権力をほしいままにしているところからはじまります。次の堀河天皇は若くして亡くなったのでドラマ「平清盛」には出てこず,次のその鳥羽天皇がその不安定な地位に格闘しているというのが第1部です。
 第1部では,平清盛は白河法皇の落胤だった? とか,鳥羽天皇の本当の父は白河法皇だった? とか,崇徳天皇の父も鳥羽天皇ではなく白河法皇だった? とか,そのように伝わっている逸話などが取り入れられています。
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 「平家物語」の語り本系の諸本は,白河法皇の寵愛を受けて懐妊した祇園女御が忠盛に下賜されて,平清盛が生まれたとしています(=白河院落胤説)。また,読み本系の延慶本では,平清盛は祇園女御に仕えた中﨟女房の腹であったというように書いています。
 崇徳天皇は鳥羽天皇と中宮・待賢門院璋子(たいけんもんいんたまこ)の第1皇子ですが,「古事談」には,崇徳天皇は白河法皇と待賢門院璋子が密通して生まれた子であり,鳥羽天皇も実父は祖父・白河法皇で,崇徳天皇を「叔父子」とよんで忌み嫌っていたという逸話が記されています。
  ・・・・・・
 こういう逸話を取り入れてドラマが作られているので,大河ドラマは史実に忠実でない,と批判する人がいたわけのですが,それが真実であろうとなかろうと,歴史の授業であるまいし,歴史を題材とした作り話,でいいじゃないか,と私は思います。このほうがおもしろいし,人間の本音を露骨に描くことができます。
 以下,次回に続きます。

◇◇◇


◇◇◇
ISS.

2024年1月6日午前5時39分。
月齢23.9の月と金星の間を横切る国際宇宙ステーションです。
wwwtx


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 学校では,いつものことながら,何か新しいものがでてくると,まず「禁止」にします。
 私が若いころは,万年筆を使うと不良になるとか,腕時計を持っていると不良とかいって「禁止」,そういうことからはじまりました。だれしもが買えないものを学校へ持ってきて友達に見せびらかすな,ということが「禁止」につながるわけで,その趣旨はわからないでもなかったのですが,そのうち,時代が変わると,電卓使用「禁止」,電子辞書使用「禁止」,携帯電話「禁止」などなどと,同じことをくり返してきました。そして,いつのころからか,手のひらを反して,今度は学校が推奨しはじめたりするわけです。
 そして今は,「ChatGPT」使用「禁止」です。
 これもまた,使用したこともない人や,使いこなせない人たちが,正しい認識ももたずにそういうことを言い出して強制するのだから,滑稽でしかありません。そして,これもまた,いつものように,使用を奨励するようになったころにはすでに手遅れで,学校の指導に忠実に従って使いこなせない人たちだけが時代から取り残されていくのです。そして,いち早く使いこなせるようになっていた人だけが,生き残っていくのです。
 このように,教育というのは,本来,生きる力をつけることが目的であるはずなのに,生きる力を削ぐことに一生懸命だったりするのです。必要なのは,「禁止」することではなく,正しい使い方を教えることです。
 実際問題,建前はともかく,生徒がこっそりと「ChatGPT」を利用して作文を書いてきて,それをまた,教師が「ChatGPT」を使って「ChatGPT」を使っていないかをチェックしたり,採点をしたり,調査書の所見を「ChatGPT」を使って書いたり,記述式とやらを導入したい大学入試の採点に「ChatGPT」を導入したりすることでしょう。もはや,何が現実なのか虚構なのか,さっぱりわからないのです。愉快な話です。中身も実力もないのに肩書やら学歴やらで虚栄をはるブランド偏重時代の終焉です。
  ・・
 ということですが,私は,文章を書くのに「ChatGPT」の助けは必要とはしないので,実は,ほとんど使っていません。それよりも,むしろ,「ChatGPT」にはどんな「利点」があって,また,どんな「弊害」があるのかを知ることに関心があります。これは,将棋AIを媒体として,人工知能(=AI)について,どんな「利点」があって,また,どんな「弊害」があるのかに関心があるのと同様です。
 と,「不良老人」の私は,別に時代に遅れても何も困らないから鷹揚に構えていられるのですが,実社会では,有能な人たちはすでにビジネスでドンドンと「ChatGPT」を使いこなしはじめているから,これもまた,いつものことながら,日本は世界から遅れはじめています。

 さて,今日は,そんな「ChatGPT」に,文章の要約をしてもらうことにしました。
 だらだらと長い文章を読むのも時間のムダというものだし,多読家は斜め読みをするということですが,それでは,文章の論点を見つけるのもかなりの読解力が必要なので,「ChatGPT」に文章の要約を頼んだ方が,きっと正確なのでは? という考えから試してみることにしました。
 使い方は,まず,「ChatGPT」の入力画面に,「次の文章を要約してください」と打ち込んで,あとは,要約して欲しい文章を張りつけるだけです。
 選んだのは,昨日のこのブログの文章の一部分です。
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【もとの文章】
 コンサートマスター(concertmaster)は,オーケストラの各奏者を統率して,指揮者の意図を音楽に具現する役職で「第2の指揮者」ともいわれます。第1ヴァイオリンの首席奏者が務めます。
 実際,コンサートを聴きにいくと,よほど信頼された指揮者以外の場合,楽団員はコンサートマスターを見て演奏しているような気がします。一度,NHK交響楽団の定期公演で,指揮者のアシュケナージさんが指揮棒を手に刺してしまい指揮不可能となり,コンサートマスターの堀正文さんが,チャイコフスキーの交響曲第4番全曲を,演奏しながら指揮したというのを見たことがあるのですが,このときはすごいものだなあ,と思いました。それとともに,指揮者なんで要らないじやん,とも思いました。
 本当は,オーケストラはコンサートマスターの指示で演奏をしていて,指揮者はその音楽に合わせて踊っているだけのような…。そんな気がしないでもない。
 そんなコンサートマスターですが,いわば,それぞれのオーケストラの顔なので,その人材を探すのがたいへんそうです。
 私がよくわからないのは,コンサートマスターの肩書に,ソロコンサートマスター,プリンシパルコンサートマスター,第1コンサートマスターのように,様々なものがあることです。そして,その違いについて説明がされていることもまずないので,何が違うのか,客である私にはさっぱりわかりません。さらには,アシスタントコンサートマスター,副コンサートマスターなどというものもあります。これらは,コンサートマスターがふたり以上いたときにその格づけのため,さまままな飾りをつけているように思えます。プライドの高い人たちですから…。しかし,ソロコンサートマスターと第1コンサートマスターの違いなんて,わかりかねます。
 であっても,ここまでは,そのオーケストラの正式の団員ですから,まだなんとなく理解ができますが,客員コンサートマスター,特別客員コンサートマスター,ゲストコンサートマスター,アシスタントゲストコンサートマスタ-となると,??? という感じです。客員とかゲストとかいうのは,このオーケストラのコンサートマスターは大したことないから,別のオーケストラの立派なコンサートマスターを高いお金を出してよんできたよ,という気がしてしまいます。しかし,オーケストラの肝をお客さんで済ませてしまうのはダメでしょう。オーケストラの中心になる人は,きちんとこのオーケストラに所属している人であるほうが,オーケストラの音楽作りにはいいと私は思いますが。
  ・・
【「ChatGPT」による要約】
 コンサートマスターはオーケストラの各奏者を統率し,指揮者の意図を具現化する「第2の指揮者」とされ,第1ヴァイオリンの首席奏者が務める役職です。
 コンサートマスターは信頼された指揮者がいない場合,楽団員は彼らを見て演奏することが多く,時には指揮者の代わりに音楽を指揮することもあります。
 ただし,肩書には様々なバリエーションがあり,それぞれの違いについての説明が少なく,混乱することがあります。特に,ソロコンサートマスター,プリンシパルコンサートマスター,第1コンサートマスターなどの違いが理解しにくいです。
 また,客員やゲストといった肩書もあり,これらがオーケストラの中心的なメンバーであるかどうか疑問視されることもあります。結論として,コンサートマスターの役割と肩書には複雑な側面があり,その違いや意義を理解することが重要です。
  ・・・・・・
 まあ,こういうことです。
 自分の書きたかったことがこのように凝縮できるというは,かなりのショックでした。こんなことなら,長々とした文章など書かずとも,はじめから,こう書けばよかったというわけで,かなり勉強になりましたし,反省もしました。
 「ChatGPT」による文章の要約は,文章を読む作業時間を減らすだけでなく,自分が文章を書く力を養うのにもとても有益です。


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 -新聞読む子の平均正答率,高い傾向-全国学力調査
  新聞を読む頻度が高い子の方が読まない子よりも全国学力調査の平均正答率が高い。文部科学省が7月に発表した学力調査の結果から,そんな傾向が浮かんだ。
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 定期購読をやめて半年ほどになりますが,今でも何かの機会にふと目にすることがある新聞です。先日もこんな記事をある新聞でみかけました。そして,いつものごとく,私は,相変らず新聞はこんな見出しで記事を載せているのか,新聞の定期購読をやめてよかったと改めて思いました。
 何事もすぐに軽率に結論を出し,それを大きな見出しにしたがる,これが新聞の最大の悪癖です。「新聞を読んでいるような学力の高い」若い人は,こんな悪癖を身につけてはいけません。

 「ニワトリが先か卵が先か」(Which came first: the chicken or the egg?)問題があります。それは「因果性のジレンマは互いに循環する原因と結果の端緒を同定しようとする無益さを指摘している」ことですが,新聞を読むと学力が高くなるのか,学力が高い人ほど新聞を読んでいるのか,という指摘がこれにあたります。
 さらに,「学力とは何か」問題もあります。「大辞泉」には「学習して得た知識と能力。特に学校教育を通して身につけた能力」とあります。また,「世界大百科事典」には
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 「学力」の明確な定義は困難であり,ふつう,やや漠然と,文化遺産の計画的な学習によって獲得した能力を指す。欧米にはこの語にそのまま当てはまる語はない。英語ではability(能力)にふくまれ,またachievement(達成,業績)は第2次世界大戦後,とくに高校入試のアチーブメント・テストとして日本語にとけ込むようになったが,学力と同じではない。
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とあって,学力という言葉の意味にはさまざまな解釈があるのですが,はたして,記者はそれを知ってこの記事を書いているのかどうか? 
 学力調査は本当に学力を測るのに適切なものだったのかどうか,というような問題点を指摘して解説することこそが,本来の報道の役割でしょう。

 こんなことは,ワイドショーで「〇〇を食べると長生きする」のような特集が放送されるやいなや,その商品が売り切れになる,ということと同じレベルの話にすぎません。また,国の行う調査が,新聞の広告塔になってもらっては困るのです。百歩譲って,新聞と学力の因果関係を調べるくらいなら,むしろ,教育に予算をどれだけかけているか,それによって学力に違いがあるか,を調べるほうがずっと意味があるというものです。
 新聞を読むことは,教育のひとつのメソッドであるということを,否定するものではありません。しかし,それが新聞である必然性が果たしてあるのかどうか? もし,新聞がどうのこうの,という調査をするのなら,では,テレビは? 週刊誌は? と比較すべきだし,あるいはまた,〇〇新聞は? △△新聞は? というように新聞ごとの比較や,どんな記事を読んでいるのか,も加えたものでなければ,調査とはいえないでしょう。
 新聞を読めば学力が高くなるというのは,たかが布切れ1枚のマスクをすれば病気が防げる,といった病気をなめている軽率な考えと同じレベルです。学力をつけるというのもまた,そんな生やさしい話ではないのです。

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 私は,語学の勉強は好きですが,まるきり才能がありません。しかし,旅行の経験だけは豊富なので,海外に行くと,生きるのに不自由しない程度の英語はできます。これまでの経験で,最も英語が進歩したのは,今から20年近く前にアメリカで交通事故にあって,アメリカの病院に入院したときでしょう。このときは,帰国後,すっかり頭が英語脳になっていたのが,時差ボケの解消のために睡眠薬を処方してもらってぐっすり寝たとき,まるで,タイムマシンに乗ったかのように頭の中がぐるぐる回転して,頭がすっかり日本語脳に入れ替わるという,奇妙な経験をしました。
 今は,ボケ防止と,いつかまた,大好きなオーストリア旅行をしたい,という希望を捨てないために,ほそぼそとドイツ語の学習に取り組んでいるのですが,まるで上達しません。文字を見れば,一応,簡単なドイツ語なら意味はわかるようになったのですが,聞き取れず,また,全く話せません。

 そんな私が,久しぶりに手にした本は,以前,朝日新聞の読書欄に載っていて興味をもった,高野秀行さんが書いた「語学の天才まで1億光年」という本でした。このごろ,まったく活字の読めなくなった私が,334ページもある本をあっという間に読了してしまったことから,いかにおもしろい本であったかがわかるというものです。
 同姓同名の将棋の棋士がいますが,まったくの別人です。
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 1966年生まれの高野秀行さんは辺境をテーマに旅する探検家であり,ノンフィクション作家であり,翻訳家です。20代のころ,アフリカのコンゴの奥地で幻獣「ムベンべ」を探し,ミャンマーでは北部の麻薬地帯「ゴールデン・トライアングル」に潜入。反政府ゲリラ組織でケシ栽培を体験し「ビルマ・アヘン王国潜入記」を著しました。
 「誰も行かないところへ行き,誰もやらないことをし,誰も書かない本を書く」というのがポリシーである高野秀行さんが,探検家としての体験から,数々の言語をいかに習得し,使ってきたかを描いているものです。
 2002年に「西南シルクロードは密林に消える」の取材で,出国スタンプなしで中国を出国し,以降正式な国境検問所を一切通らずにミャンマー北部のゲリラ支配域を横断しインドに入国。在カルカッタ日本大使館員に相談の上インド当局に自首した結果国外追放処分となり,日本に強制送還された。この際に通過したナガランド州が反政府ゲリラ闘争を抱える地であったこともあり,入管のブラックリストに載せられ以降インドへの入国が出来なくなった。というようなエピソードをたくさん残しています。
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 高野秀行さんは,この本の中で
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 私ほど語学において連戦連敗をくり返し,苦しんでいる人間はそうそういないはずだ。
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と書いていますが,何の何の,それはあくまで謙遜で,本当に語学の苦手な私とはまったく違って,多くの言語を,しかも,実地訓練を通じて身につけてしまう人は,そうはいないでしょう。この人が語学を会得するための実地訓練というのが普通ではなくて,実際に現地に行って,その地の人との交わりの中で覚える,というものであるところがすごいというか,私のポリシーと一致するというか。
 人間,20代ははちゃめちゃに行動し,多くの体験を積むべきだと思っている私ですが,高野秀行さんほどの人は知りません。はじめての海外旅行先のインドで身ぐるみはがされ,謎の怪獣をさがしにアフリカのコンゴに出かけ,できもしないイタリア語の医学論文の翻訳を完成させ,タイ・ラオス・ミャンマーにまたがるゴールデントライアングルでケシ栽培を行ってアヘンを作ろうと企てたり…。
 私がかつてロサンゼルスで置き引きにあって,パスポートも全財産も帰りの航空券を失くして途方にくれたなんていうだけの経験では,足元にも及びません。
 ことばは学問ではなく,ましてや,入試で点数争いをするものでもなく,コミュニケーションの手段であるという当たり前のことが当たり前に行われていない,この国の語学教育をあらためて考えさせてくれるすばらしい本です。

 ただひとつよくわからないのが,この本の題名です。語学の天才までは1億光年もの距離がある,というのか,そのくらいの距離を旅すれば語学の天才になれる,というのか。
 ちなみに,1億光年とは,9,461,000,000,000,000,000,000キロメートル(94垓6,100京キロメートル)であり,1億光年先にある天体は二重銀河NGC3314など。ただし,残念なのは,人類が見ることができる最も遠い距離というのは138億光年先なので,もし,この本の題名が語学の天才には手が届かない距離にある,という意味ならば,むしろ,「語学の天才まで138億光年」としたほうがよかったかも。というのは余談です。

NGC3314


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 これまで鎌倉将軍について書いてきましたが,今日は執権についてまとめておきます。

●初代執権・北条時政 1203年から1205年
 初代将軍であった源頼朝の妻・北条政子の父。もともと伊豆の小土豪で,伊豆に配流されていた源頼朝を看視する任を与えられていました。
 北条政子と源頼朝が結婚したのち,源頼朝と共に平家打倒のために立ち上がり,将軍の外戚として鎌倉幕府の中で勢力を伸ばしていきました。しかし、晩年に企てた陰謀が露見。鎌倉を追放され,伊豆で生涯を閉じました。78歳。
  ・・
●2代執権・北条義時 1205年から1224年
 初代執権・北条時政の次男で、源頼朝の妻である北条政子の弟。
 源頼朝に信頼され,側近でした。源頼朝の死後,北条時政を失脚させ,1205年(元久2年)2代執権として幕府の実権を握りました。承久の乱のあと京都に六波羅探題を設置し,弟の北条時房と嫡男の北条泰時を置き,北条家の権力を盤石にする礎を築きました。
 1224年(元仁元年)死亡。62歳。毒殺とも。
  ・・
●3代執権・北条泰時 1224年から1242年
 2代執権・北条義時の子。
 1221年(承久3年)の承久の乱では,叔父・北条時房と共に幕府軍の指揮を執って後鳥羽上皇軍を打ち破り,京都に入り,そのまま六波羅探題として北条時房と京都の監視にあたりましたが,父・北条義時の急死により鎌倉に戻り,1224年(元仁元年)北条政子の後押しにより3代執権に就任。
 連署,評定衆,御成敗式目を設置し,執権政治を確立しました。
 1242年(仁治3年)死亡。60歳。
  ・・
●4代執権・北条経時 1242年から1246年
 3代執権・北条泰時の孫。
 父・北条時氏は28歳で病死したので,1242年(仁治3年)祖父の死後,19歳で執権職を引き継ぎました。評定衆を3つの組にわけ,出勤日を決めることで,訴訟の迅速化を図りました。
 1246年(寛元4年)在任期間約4年で病死。23歳。
  ・・
●5代執権・北条時頼 1246年から1256年
 4代執権・北条経時の弟。兄の病状が悪化したので 1246年(寛元4年)20歳で執権職を引き継ぎました。
 前将軍として権勢を揮っていた4代将軍・藤原頼経を京都に追放,有力な反対派を次々と制圧・追放するなど,剛腕政治家として北条家の全盛時代を築き,引付衆の設置をはじめとして善政を敷きました。
 30歳のとき疫病にかかり出家。家督はわずか6歳の子・北条時宗に,執権職は北条長時に譲りましたが,病気を克服すると,前執権として再び実権を掌握。1263年(弘長3年)亡くなりました。37歳。
  ・・
●6代執権・北条長時 1256年から1264年
 1247年(宝治元年)に六波羅探題北方を務めていた父・北条重時の跡を継ぎますが,1256年(建長8年)に5代執権・北条時頼から北条時宗が成長するまでの中継ぎとして,6代執権となりました。
 1264年(文永元年)に病気のため執権職を叔父・北条政村に譲りました。35歳の若さで逝去。
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●7代執権・北条政村 1264年から1268年
 2代執権・北条義時の五男。6代執権・北条長時の叔父。
 1264年(文永元年)60歳で北条時宗の中継ぎとして7代執権となりました。
 1268年(文永5年)に朝鮮・高麗王の使者が九州大宰府を訪れ,蒙古との緊張が高まるなか,18歳になった北条時宗と執権を交代して連署に就任し,北条時宗の補佐をします。
 1273年(文永10年)亡くなりました。69歳。
  ・・
●8代執権・北条時宗 1268年から1284年
 5代執権である北条時頼の次男。
 1268年(文永5年)に18歳で8代執権となりました。2度に亘って蒙古軍を撃退し,蒙古襲来に備えてすべての武士を支配下に置き,幕府の権限を拡大していきました。
 1284年(弘安7年)に亡くなりました。34歳。
  ・・
●9代執権・北条貞時 1284年から1301年
 北条時宗の子。
 1284年(弘安7年)父の死により14歳で執権に就任。
 北条貞時と外戚の安達泰盛は対立関係にあり,北条貞時は平頼綱と協力して、安達泰盛と一族を討伐しました(=霜月騒動)。
  北条貞時は得宗家主導の専制政治を推進するため幕政改革に乗り出しました。
 1297年(永仁5年)「永仁の徳政令」を発令。
 1301年(正安3年)に北条師時に執権職を譲り,実権を握ったまま1311年(応長元年)亡くなりました。40歳。
  ・・
●10代執権・北条師時 1301年から1311年
 8代執権・北条時宗の弟・北条宗政の息子。
 9代執権・北条貞時の子・北条高時が成人するまでの中継ぎとして、執権職を譲られましたが,実権はありませんでした。1311年(応長元年)9代執権・北条貞時が亡くなる1か月前に亡くなりました。37歳。
  ・・
●11代執権・北条宗宣 1311年から1312年
 1311年(応長元年)10代執権・北条師時の死後,9代執権・北条貞時に任命されて執権となりました。2代執権・北条義時の弟・北条時房の子孫。
 実権は長崎高綱が握っていました。
 1年後の1312年(正和元年)病死。54歳。
  ・・
●12代執権・北条煕時(ほうじょうひろとき) 1312年から1315年
 7代執権・北条政村のひ孫。11代執権・北条宗宣の死亡後執権となり約3年在任。
 長崎高綱らに対抗しつつ幕政に取り組みましたが,1315年(正和4年)病に倒れ執権を辞任。出家して死亡しました。37歳。
  ・・
●13代執権・北条基時 1315年から 1316年
 6代執権・北条長時の父・北条重時のひ孫。
 12代執権・北条煕時の死後,北条高時が14歳になるまでと期間を区切って執権に就任し,翌年,北条高時が14歳になると執権職を辞しました。
 1333年(元弘3年/正慶2年)幕府滅亡の際に新田義貞の軍勢から鎌倉を守りましたが自刃。48歳。
  ・・
●14代執権・北条高時 1316年から1326年
 9代執権・北条貞時の子。
 長崎高綱が権力を掌握していました。 田楽踊りや闘犬にうつつを抜かす酔っ払い(=うつけ)と評価されました。
 在任中に後醍醐天皇による親政が行われたり,醍醐天皇らが討幕を企てた政変(=正中の変)が起きました。
 1326年(正中3年)に出家し,執権職を北条貞顕へ譲渡。
 1333年(元弘3年/正慶2年)東勝寺にて自刃。30歳。
  ・・
●15代執権・北条貞顕 1326年から
 3代執権・北条泰時,7代執権・北条政村の弟・北条実泰の子孫。
 1326年(正中3年)出家した北条高時のあと15代執権に就任。
 北条高時の母や北条高時の弟・北条泰家の反対で,すぐに執権職を辞して出家したので,在任期間はわずか10日間でした。
 1333年(元弘3年/正慶2年)東勝寺にて自刃。56歳。
  ・・
●16代執権・北条守時 1326年から1333年
 6代執権・北条長時から直系のひ孫。
 1327年(嘉暦2年)15代執権・北条貞顕の辞職後に執権に就任。
 北条守時の妹は足利高氏の正室。
 後醍醐天皇討伐に向かった足利高氏は,一転して幕府に対し謀反を起こします。北条守時は激戦を繰り広げましたが最期は自刃して果てました。38歳。
  ・・
●17代執権・北条貞将 1333年
 15代執権・北条貞顕の子。
 「太平記」によると鎌倉幕府最後の執権でしたが,事実は定かではありません。
 1333年(元弘3年/正慶2年)新田義貞の軍勢に敗れ死亡。31歳。


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前回の続きです。

●7代将軍・惟康親王(1266年から1289年)【元寇,霜月騒動が起きる】
 6代将軍・宗尊親王の子で,1266年(文永3年)の将軍就任時はわずか3歳でした。
  「親王」とは皇族の中でもいつか天皇になる資格がある位の高い男子を指し,親王になるには朝廷から「親王宣言」を受ける必要があって,それ以外は単に「王」とよばれました。この時点で惟康親王は朝廷から親王宣言を受けていないため,正式には惟康王です。1270年(文永7年)朝廷は惟康親王を臣籍降下させ,源姓を与えたので、名目上は再び源氏将軍に戻ってしまいました。
 このころ,モンゴル帝国第5皇帝のフビライ・ハンは,朝鮮半島を制圧し,次のターゲットを日本に定めて,1260年代後半から何度も日本に使いを送ってきました。7代執権・北条政村や連署・北条時宗らはその要求を無視することに決定します。そんな中,突然,北条政村が執権を降り,18歳の北条時宗が8代目の執権に就任します。北条時宗はフビライ・ハンの使いをすべて無視し,国内の防御態勢の強化を進めます。
 フビライ・ハンは,1274年(文永11年)ついに日本侵攻を開始します。日本軍は大苦戦しましたが,博多湾に暴風雨が吹き荒れたことで勝利を収めます。7年後の1281年(弘安4年)に2度目の日本侵攻を行いますが,このときも夜半に突如暴風雨が荒れ狂い,日本は侵略を免れました(=文永・弘安の役/元寇)。
 このころ,幕府内でも激しい権力争いが起こっていました。
 北条氏に次ぐナンバー2の座にいたのは安達泰盛で,その娘は北条時宗の后でした。
 幕府の政策は御内人とよばれる集団が合議で決定していて,御内人のトップは平頼綱。平頼綱は安達泰盛が目障りな存在で,安達氏の抹殺に動きはじめます。
 1284年(弘安7年)に北条時宗が没すると,北条貞時が14歳で9代執権に就任します。 翌年,平頼綱は安達泰盛が謀反を起こそうとしていると9代執権の北条貞時に密告。何も知らない北条貞時は安達泰盛の討伐を命令し,平頼綱は安達泰盛をはじめ一族全員を殺してしまいました(=霜月騒動)。
 元寇の期間を源惟康として過ごした7代将軍は,1287年(弘安10年)24歳になって朝廷からようやく親王宣言を受け,晴れて宮将軍の惟康親王とよばれるようになりました。
 しかし,その2年後の1289年(正応2年),北条氏の謀略で,惟康親王は将軍職を解かれます。都に戻った惟康親王は,鎌倉将軍としては63歳まで長生きし,亡くなったのは鎌倉幕府が滅びるほんの数年前1326年(嘉暦元年)のことでした。
  ・・
●8代将軍・久明親王(1289年から1308年)【平禅門の乱,嘉元の乱が起きる】
 8代将軍・久明親王は89代後深草天皇の第6皇子で92代・伏見天皇の弟。
 1246年(寛元4年)88代後嵯峨天皇は上皇となって院政を開始するため,在位4年で子の後深草天皇に譲位します。ところが,譲位したあとで後嵯峨天皇は6歳下の弟・恒仁親王の方がかわいくなり,1259年(正元元年)後深草天皇に無理やり譲位させて90代亀山天皇を誕生させます。 このとき後深草上皇は17歳,亀山天皇は11歳でした。これがきっかけとなって,後深草上皇派(=持明院統)と亀山天皇派(=大覚寺統)というふたつの派閥が誕生しました。
 1274年(文永11年)90代亀山天皇は我が子の91代後宇多天皇に譲位。これを不服とした後深草上皇は幕府に何とかしてほしいと陳情しましたが,8代執権・北条時宗は「交互に天皇を出しなさい」と命じ,それ以後約半世紀にわたって互いの派閥からほぼ交互に天皇が即位することになりました(=両統迭立)。1289年(正応2年)7代将軍・惟康親王が都に送り返されたあと,朝廷から押し出されるように鎌倉幕府8代将軍になったのが14歳の久明親王でした。
 朝廷の混乱をよそに,久明親王は穏やかな日々を過ごしていましたが,平和な日々は長く続かず,1308年(延慶元年)久明親王は31歳となり,そろそろ次の将軍へと世代交代を図るために北条氏によって将軍職を解かれ,都に送り返されました。
 しかし,久明親王は都に送られたあとも幕府との関係は良好で,1328年(嘉暦3年)に久明親王が亡くなったとき,幕府は鎌倉で盛大な法要を行っています。
 霜月騒動で安達泰盛を討伐した平頼綱でしたが,1293年(永仁元年)仲が悪かった自身の子の密告によって,9台執権・北条貞時の軍に討たれてしまいました(=平禅門の乱)。
 1301年(正安3年),鎌倉上空にハレー彗星が飛来したことを不吉な予兆とみて,9台執権・北条貞時は執権の座を従兄弟の北条師時に譲り出家。しかし,北条貞時は出家後も政治の実権は握ったままでした。
 1305年(嘉元3年),北条氏ナンバー2の7代執権であった北条時村が何者かに射殺されますが,北条貞時の従兄弟であった北条宗方が連署の座を狙って起こした犯行であることが判明。 その結果,北条宗方も誅殺されました(=嘉元の乱)。
 こうした騒動により,9代執権だった北条貞時の権力が強化されました。
  ・・
●9代将軍・守邦親王(1308年から1333年)【正中の変が起きる。鎌倉幕府が滅亡する】
 8代将軍・久明親王の子。
 1301年(正安3年)9代執権・北条貞時は,執権の座を従兄弟の北条師時に譲り,10代執権になりますが,そのあとも政治を動かし続けました。1311年(応長元年)に10代執権・北条師時が死亡。このとき,北条貞時の子・北条高時はまだ7歳だったので,つなぎとして,北条宗宣が11代執権に就任。 同年,北条熈時が12代執権,1315年(正和4年)には北条基時が13代執権というように,執権の座は短期間でたらい回しにされました。
 そんな中で力を伸ばしてきたのが北条得宗の執事(=内管領)の長崎高綱でした。
 長崎高綱は北条高時の後見を託されてから,その子・長崎高資とともに幕府内での権力を増し始めます。 つまり,この頃の鎌倉幕府は,長崎父子が北条氏を支配し,北条氏が将軍を支配するという二重構造になっていました。
 1316年(正和5年)北条高時が12歳で14代執権に就任。しかし,この頃には執権に実質的な権力はありませんでした。病弱だった北条高時が1326年(嘉暦元年)に出家すると,次の執権をめぐって長崎父子と安達氏が対立。長崎父子は一門の北条貞顕を15代執権に選任しますが,反対論が噴出したため,北条貞顕はわずか10日で執権を辞退。そして北条守時が16代の,そして,最後の執権に就任しました。
 時代が進むと,大覚寺統の中でも権力争いが勃発し始めました。
 1318年(文保2年)に大覚寺統の後醍醐天皇が96代天皇に即位したとき,幕府は同じ大覚寺統でありながら,94代後二乗天皇の子・邦良親王を立太子に決定。 これによって後醍醐天皇の皇子が天皇になる道が絶たれ,納得できない後醍醐天皇は,1324年(正中元年),邦良親王に近い多治見国長らを殺害しました(=正中の変)。
 1327年(嘉暦2年)に邦良親王が亡くなると,後醍醐天皇は自分の皇子を立太子にするよう幕府に要請しますが幕府は拒否し,後醍醐天皇に天皇を辞するよう求めてきました。幕府によって皇位が左右されるという状況に耐え切れず,後醍醐天皇は倒幕を決意します。
 1331年(元弘元年),後醍醐天皇は近隣の武士達に六波羅探題を攻撃せよと命令。そして都を脱出して笠置山の山頂に陣を敷き,諸国の武将に決起を促します。幕府は75,000の大軍で笠置山を包囲。後醍醐天皇は捕まって,隠岐島に流されました。
 しかし,後醍醐天皇の呼びかけに応じた勢力が全国で挙兵。 そのひとりが楠木正成です。
 楠木正成は奇襲によって幕府軍を翻弄し,全国の悪党達も次々と挙兵,後醍醐天皇も隠岐を脱出し,倒幕軍が勢いづきました。後醍醐天皇軍を討つため,北条高時は足利高氏を都に遣わします。しかし,最初から後醍醐天皇と通じていた足利高氏は,都に到着すると六波羅探題を攻め落とします。一方,新田義貞も挙兵し,1333年(元弘3年)北条高時をはじめ幕府の要人は全員が自害し,約150年続いた鎌倉幕府は滅亡しました。
 9代将軍・守邦親王は,鎌倉幕府が滅んだ日に将軍職を辞して出家し,3か月後に他界しました。32歳でした。


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 若い頃はほとんど見なかったテレビドラマでしたが,ここ数年,暇つぶしに少しだけ凝ったことがあって,これまでいろいろなものを見ました。そのことは,数回,このブログにも書きました。しかし,どれも似たものばかりで,一部のものを除けば大したものもなく,今はすっかり飽きました。そこで,今見ているのは「エルピス」と「鎌倉殿の13人」だけになりました。「エルピス」はまだはじまったばかりですが,佳境に入った「鎌倉殿の13人」はとてもおもしろいドラマです。もうすぐ最終回なので,それがいまから残念です。
 NHK大河ドラマで,鎌倉時代はこれまで何度か放送されているのですが,今回の「鎌倉殿の13人」を見るまで,私はすべて落伍してしまい,鎌倉時代について知る機会が失われていました。私は鎌倉時代にそれほど興味もありませんでした。人間関係も複雑すぎました。今回も「鎌倉時代? つまらなそう」と期待せず何となく見はじめたのですが,それがそれが予想に反して,とても興味深くハマってしまいました。さすがの三谷幸喜さんです。そして,やっと,この時代について,私は深く知ることができました。
  ・・
 それにしても,鎌倉幕府の成立のころがこれほど血にまみれた時代だとは思いませんでした。延々と権力闘争をしていただけのように思われます。それは,今の政治もまた同じようなものですが…。これが日本人の血なのでしょうか。
 残念なことに,「鎌倉殿の13人」は承久の乱で終わってしまうようですが,鎌倉時代に興味をもった私は,その後はどうなっていくのだろうと調べてみたら,その先も相変わらず,鎌倉時代の血なまぐささがずっと続くのです。しかし,学校ではそのほとんどを習っていないか,断片的な事件の名前を暗記しただけで,そうした時代の様子をほとんど知りませんでした。
 そこで,私が調べた鎌倉時代の権力闘争を,学校の日本史の教科書には名前すら載っていないような,源頼朝,源頼家,源実朝以降の鎌倉幕府の将軍と,影の権力者である北条執権をもとに書いていくことにします。

●4代将軍・藤原頼経(1226年から1244年)【宮騒動,三浦氏の乱が起きる】
 1219年(健保7年)3代将軍・源実朝の暗殺後,北条氏は次の将軍は親王を迎えたいと希望しましたが,後鳥羽上皇は拒否。 妥協案として,源頼朝の妹・坊門姫の曾孫にあたる2歳の藤原頼経が鎌倉に迎え入れられ,元服まで,北条政子が尼将軍として後見しました。
 1224年(元仁元年)2代執権・北条義時が死去し,その子・北条泰時が3代執権に就任しました。
 1225年(嘉禄元年)大江広元,北条政子が亡くなり,9歳で藤原頼経が元服し,翌年,4代将軍になりました。
 3代執権・北条泰時は三浦義村など11人による「評定衆」を設置。また,北条本家を「得宗」と称し,この先,執権は基本的に得宗家からしか出せないことを決定。さらに,1232年(貞永元年)51条に及ぶ「御成敗式目」を作成するなど,鎌倉幕府の基礎を固めましたが,このころから,4代将軍・藤原頼経は,3代執権・北条泰時の弟・北条朝時を中心とする反得宗集団が接近して,その勢力に取り込まれていきます。
 1242年(仁治3年)3代執権・北条泰時が59歳で死去。北条泰時の子・北条時氏はすでに他界していたために孫の北条経時が4代目の執権に就任しました。
 1244年(寛元2年)反得宗勢力と結びついた4代将軍・4藤原頼経の勢力を早めに摘んでしまおうという北条得宗側の方策で藤原頼経は将軍職を解任され,5代将軍に藤原頼経の子・藤原頼嗣が就任します。藤原頼経は将軍職を解かれたあとも「大殿」として元将軍の権威を保ち続けましたが,1245年(寛元3年)には出家させられてしまいます。
 4代執権・北条経時にはふたりの子がいましたが,まだ若いため,1246年(寛元4年)に執権の座を弟の北条時頼に譲って出家しますが,直後に北条経時が死去すると,北条氏の中でも得宗になれなかった北条泰時の甥・名越光時が,藤原頼経と組んで執権の座を奪うための挙兵を計画します。しかし,事前に4代将軍・北条時頼に知られ計画は失敗し,名越光時は出家させられた上で流刑に処されました(=宮騒動)。これ以上藤原頼経を鎌倉に置いておくのは危険だと判断した北条時頼は,藤原頼経を都へと送り返しました。
 この宮騒動の背後には三浦泰村がいたと噂されていました。
 1247年(宝治元年)に鎌倉に怪異現象が頻発。人々は、これは北条氏と三浦泰村との間で合戦が起きる予兆に違いないと大パニックになります。この騒ぎを収めるため,5代執権・北条時頼は三浦泰村に対して敵意がないことを示しますが,そんな北条時頼の弱腰を快く思っていなかったのが北条時頼の外祖父・安達景盛でした。安達景盛は北条時頼の意向を無視して三浦泰村宅を襲撃します。巻き込まれる形になった北条時頼も挙兵せざるを得ず,大騒動に発展。周囲から火をかけられて逃げ場を失った三浦泰村は一族とともに自刃して果てました(=宝治合戦/三浦氏の乱)。
 4代将軍・藤原頼経はそのあとも鎌倉復帰を画策し続けましたが,1256年(康元元年)に死去しました。
  ・・
●5代将軍・藤原頼嗣(1244年から1252年)
 4代将軍・藤原頼経の子。6歳で元服し,5代将軍となりましたが,将軍在任期間はわずか8年でした。
 宝治合戦ののち,北条氏と敵対する力を持つ御家人はいなくなりましたが,4代将軍・藤原頼経の影響力をこのまま幕府に残しておくのは危険だと判断した5代将軍・北条時頼は,5代将軍・藤原頼嗣までも更迭することを決意し,新たに親王を将軍として招くことにしました。
 1252年(建長4年),6代将軍となる宗尊親王が鎌倉に到着した翌日,まだ14歳の藤原頼嗣は将軍としての仕事を何もできないまま都に戻されました。
 4年後の1256年(康元元年)に父の藤原頼経が死去し,そのわずかあとに日本全国で赤疱瘡(はしかが大流行し,それがもとで藤原頼嗣もこの世を去りました。
  ・・
●6代将軍・宗尊親王(1252年から1266年)
 第88代後嵯峨天皇の子。いよいよ念願の宮将軍の登場となります。
 1252年(建長4年)6代将軍となった宮将軍・宗尊親王が鎌倉に入って4年が経過した1256年(建長8年),日本全国で赤疱瘡(はしか)が大流行し,6代将軍・宗尊親王や5代執権・北条時頼,のちに6代執権となる北条長時の子まで発症しました。また,5代執権・北条時頼は今度は赤痢(せきり)を発症し,執権の座を降りて出家を決意しますが,のちに8代執権・北条時宗となる子の正寿はこのときまだ5歳で執権を任せるには幼すぎました。そこで,北条時頼は,六波羅探題関から北条長時を呼び戻して執権に任命します。
 6代将軍・宗尊親王は政治に介入しようとはせず、和歌に親しみながら穏やかな日々を送りました。
 しかし,1263年(弘長3年)に5代執権・北条時頼,1264年(文永元年)に6代執権の北条長時が相次いで亡くなると状況が変わってきます。当時14歳の北条時宗までのつなぎとして7代目の執権に就任したのは当時60歳の北条政村でした。
 1266年(文永3年)に6代将軍・宗尊親王が病床に伏せると,宗尊親王が歌会と称して近臣を集め,ひそかに北条時宗を討つことを企んでいるという噂が幕府の中で流れはじめました。幕府は宗尊親王を廃し,その子,当時まだ3歳の惟康親王を将軍にするという決断を下し,宗尊親王は都に送り返されました。

 以下,次回。


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 世界を旅する私のアメリカ人の友人が言うには,世界を旅行して英語が通じないのは,中国とロシアと日本なのだそうです。
 日本では,近ごろは小学校から英語を学びはじめるので,大学まで一体何年間英語を学ぶことになるのでしょう。しかし,気の毒なことに,ロクに予算もつけず,ひとクラス40人もの生徒にたったひとりの日本人教師。これで英語の4観点を身につけさせようということ自体が無理な話なのに,さらに,高等学校の英語教育は「受験英語」と揶揄されるように,学校で学んでも話せないとか聞けないとか,昔から批判だらけです。
 ということですが,これは導入。今日は英語でなく数学の話題です。数学もまた,算数という名の教科である小学校から学びはじめるのですが,算数はともかく,中学校から学ぶ数学が一体何の役に立つのでしょうか。ほとんどの人は因数分解を知らなくても困ることなどありません。

 NHKで「笑わない数学」という番組が放映されました。
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 パンサー尾形貴弘が難解な数学の世界を大真面目に解説する異色の知的エンターテインメント番組!
 「リーマン予想」「フェルマーの最終定理」「連続体仮説」「四色問題」「ガロア理論」「abc予想」「確率論」「P対NP問題」「カオス理論」「ポアンカレ予想」「暗号理論」「虚数」……。
 天才数学者をも苦しめてきた数々の難問,そして美しくも不思議な知の世界を,1回30分ワンテーマ,ギャグ封印で,トコトンわかりやすく掘り下げる!
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 この番組は数学の番組にように誤解されていて,ある人がブログにすばらしい番組だったと絶賛していました。しかし,実際は,数学の番組ではありません。数学における難問を解決していった歴史上の偉大な人たちの物語を,おもしろおかしく語る歴史番組です。要するに「プロジェクトX」です。だから,この番組を見たところで,数学の難問についてわかるわけでもなければ,むしろ私は,その反対に,多くの人に,数学というのは,何か実社会とはかけ離れた奇妙なものだという概念を植えつけただけに感じました。

 実は,英語以上に高等学校の数学教育はひどいものです。
 多くの人には何の役にも立たないし,将来数学が必要になる人にも,それにつながるような内容を教えていません。それにもかかわらず,英語のようにそれが問題にならないのは,元からほとんどの人にとって,数学など要らないということが暗黙の前提となっていて,端から期待されていないからなのでしょう。
 数学教育の目的は「数学的な考え方を身につけること」だそうです。しかし,実際は,数学を学習することで数学的な考え方が身につくのではなく,数学的な考え方が生まれつき高い人が数学の成績がよいというだけのことです。因果関係が反対なのです。
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 そもそも,中学校で学ぶやたらとむずかしい図形問題は,何十手詰めの詰将棋同様,単なるクイズです。図形は基本的なことだけを学べばよいのです。そして,そこから論理的な考え方を身につければそれで事足ります。
 また,高等学校のカリキュラムは,私が高校生だった50年前からほとんど変わっていませんが,現在は,大学入試問題がデータベース化されて,解法が分類され,数学という名で,実際は,その解法を暗記させているだけのことです。現在、生徒が使用している、解答が異常に分厚い参考書がそれを物語っています。そこで,数学ができるというのは,単に大学入試問題が解けるというだけのことで,数学の本質を学んだということではないのです。
 学校で教えているのは,数学ではなく,単に出題された問題に適応する解法をさがす訓練をしているだけです。

 関数を学ぶことによって身につけたいことは,座標変換をすることで基本形に変えることができる,ということです。それは,2次関数 y=ax2+bx+c は,頂点を原点に移動すれば,y=axという形にすることができるというようなことです。
 また,図形を学ぶことによって身につけたいことは,拡大や縮小をすれば基本の図形に変換できるできる,ということです。それは,楕円を軸について拡大あるいは縮小すれば円に変換できるといったことです。
 こうした移動や拡大・縮小をするのに必要な手段は行列というものですが,行列は,以前は高等学校で学習していたのに,今は,それすらなくなってしまいました。これでは何も学べません。将来、量子力学や一般相対性理論などを勉強するときにも、行列を知らずしては何も理解できません。
 行列の代わりに取り上げられるようになったのは,データ分析です。これは数学というより統計学ですが,全く同じ内容が情報という教科にもあって,むしろ情報ではコンピュータを利用して処理するので合理的な学習ができるのです。同じ内容をふたつの教科で学習するのは大いなるムダですし,こんなカリキュラムを作ったこと自体,怠慢です。

 いくら役に立たなくとも,受験に必要だからというだけの理由で,数学が苦手である生徒の多くは,仕方なく塾通いをし,お金を散財していますが,塾で学ぶのもまた,数学的な考え方でなく,問題を解くための解法テクニックにすぎません。
 また,数学の得意な生徒には,高等学校で学ぶ程度の数学は,英語にたとえれば,現在形だけを教えて過去形や未来形を教えないようなものと同じで,それで英語の本を読めといっても無理なように,大学に入学した途端に,高等学校では何も学んでいないからそのキャップに悩まされ,多くの学生は挫折してしまうのです。
 しかし,現在のような,時代遅れのカリキュラムを変えようにも,これまでのカリキュラムを築いてきた数学教育者がピラミッドのような階級社会をつくっていて,どうしようもないのです。政治の世界と同じようなものです。
 要するに,こんなカリキュラムでは,数学を学習しようとしまいと,結局は役に立たず,現実問題,ほんの少数の,生まれつき数学の力がある学生だけが,自力で勉強して数学が使えるようになっている,という,それだけのことなのです。
 私もまた,生まれつき数学の力があるわけでなかったから,「笑わない数学」で紹介されていたような数学の難問,たとえば「ガロア理論」などまったく理解できません。そうした難問についての数学的な解説が理解できるほどの数学の力があったらよかったのになあ,そんな本当の数学が少しでも理解できるような教育を受けたかったなあ,と今でも思います。

楕円ガロア理論


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 先日書いた,何気なくおもしろいドラマでもないかと探していてみつけた「デート〜恋とはどんなものかしら〜」。
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 内閣府の研究所で働く藪下依子は父親から見合いを勧められる。しかし,恋愛経験がなく,結婚は相手との「契約」と捉える依子は,ことごとく見合いに失敗し,結婚相談所に登録。
 一方,自身を「高等遊民」と称する谷口巧は,女性と新しく出会うことで働く意欲を持って欲しいと願う幼馴染の島田宗太郎によって,勝手に結婚相談所に登録させられる。
 依子は巧のプロフィールに記載してある身長や生年月日などの数字が全て素数で構成されていることに興味を持ち,デートをすることになる。
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というこのドラマは, 2015年の冬に放送されたものだそうですが,放送されたときの私は,日本のドラマには興味がなかったので,まったく知りませんでした。多くの人は,このドラマで「高等遊民」という言葉をはじめて知ったようです。

 かくいう私は,あこがれだった「高等遊民」になることもできず歳を重ね,「不良老人」と化してしまいました。そして「いんちき富裕層」として,日々,貧乏生活をおくっています。時間だけはたっぷりあるので,生きている間を少しでも楽しく過ごそうと,いろいろと想いを巡らせています。また,コロナ禍以前は,世界を飛び歩いていました。
 そうした経験をして,結局わかったのは,人間が生きるというのは文化あってこそ,ということでした。生物的に生きるなら,「エサ」を与えられていれば,生命は維持できます。しかし,檻の中に閉じ込められて一生をすごしても,それが生きるということでしょうか? このご時世,エラそうに「不要不急」だとか「気の緩み」だとか盛んに吹聴していた人は,人が生きるということをどう考えているのでしょうか? そういう人に限って,コロナ禍以前は,夜遅くまで飲んだくれて,酒の席でも仕事の話しかできないつまらない生活をおくっていたかもしれません。…と,これは皮肉です。

 さて,学校では,カリキュラムと称して,何を学ぶのかが決められているのですが,もし,学校に行くのが義務でなく,また,学歴というブランドに何の価値もなかったら,それらの多くは,お金をもらってもやりたくないようなことばかりです。それだからこそ,強いて勉めさせているのかもしれません。よって,これを「勉強」というのです。
 本来は,生きていくのに必要な知識を身につけるために必要だったはずの学校。それが,時代が成熟するにつれて,学校の存在意義は次第に変化していくのに,やっていることは一向に変化せず,今の時代に何が必要か,という根本的な理念を越えてしまっています。そこで,既に存在していることは既得権として存在し,また何らかの業界の力が働いているのか,時代遅れになったものばかりで構築されています。だから,本当に必要なことが学べなかったり,あるいは,ほとんどの人にとって必要でないことがずいぶんと重視されていたりします。
 先に書いたように,人が生きるというのは文化あってこそ。であるから,私は,中等教育では,そうした文化を楽しむための素養を学びたかったものです。あるいは,成人したときに,文化を深く味わえるための基礎を学んでおきたかったものです。などと,今,「不良老人」となって痛切に感じるわけです。

 高等学校の国語で小説を学ばなくなったということですが,そもそも,小説は国語で学ぶことなのかしら,と私は思います。小説は,音楽や美術などと同じく,大切な文化です。だからこそ必要なのですが,小説は,日本語とは限らないのだから,国語という教科の範疇を越えているです。
 かつて「読み書きそろばん」といわれた,現在の国語,数学,外国語というのは,生きるための基本的でもっとも必要な技術なので,初等教育から学校で学ぶ必要があります。しかし,学校では,それらを学んだうえで,人が人らしく生きるための教養として,広く,音楽や美術,そして小説といった人間の文化を今まで以上に深く学ぶべきところです。つまり,「文化」という教科が必要なのです。
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 美術展に行くとき,音楽会に出かけるとき,旅先の博物館を訪れるとき,私は,若いころに,もっと美術史を,音楽史を,さらには,歴史を学んでおけばよかったと,といつも思います。また,高等学校で漢文は習ったけれど,漢文を学ぶなら,それと同時に古代中国史をもっと知りたかったものです。
 今日は,効率重視だのといって,直接金儲けにならないことを軽視する風潮が強いのですが,学校教育はそういうこととは一線を画すべきです。私は,学生のころ,もっと人間の文化を知りたかったと,今にして思うのです。


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 「まいにちドイツ語」は週の3日,月曜日から水曜日は初級編,そして,木曜日と金曜日は応用編となっています。初級編はそれなりにわかるので,なんとかうまい勉強法がないのかな,と考えたのは応用編の方です。
 勉強不足の私が語るのはおこがましいのですが,この講座は,まるで工夫が足りない,つまり,30年も昔のような講義内容なのです。自分で辞書をひいたり書いたりして予習や復習をしなさい,ということだとはわかっているのですが,今の時代,もっと効率のよいやり方があるに違いない,と私は思うわけです。
 失礼を承知でいえば,この応用編,大学を退官したような先生が,それぞれの先生に内容もやり方もすべてお任せ定食で,お好きなように3か月を担当しているだけに思えるのです。そこで,すでにドイツ語がある程度できる人にはそれでもいいのでしょうが,私のような,苦手なできの悪い生徒には,まったくもって効率の悪いものと化しているのです。
 そりゃ,わからない単語をすべて調べて,まず予習して,聴き終えたら復習をして,ということなら当然意義があるのでしょうが,そうした私の高校生時代の英語と変わらぬ方法は,現代には似合いません。これでは30年前の方法です。大学の語学系の授業は今もこのようなものなのでしょうか?

 そもそも,今は,私のiPhoneに入っているTranlatorというアプリで本文をカシャと写せば,すべて訳してくれちゃいます。そんな時代なのですが,私は,まず,テキストをデジタル化するために入力することにしました。日頃使っているテキストは,デジタル版もありますが,書き込むのに便利なので紙ベースのものをつかっています。そのうちデジタル版のデータに電子ペンで書きこむように変えるかもしれません。
 そんなわけで,相変わらず原始的な方法でテキストのデータを直接タイピングしているのですが,そうしている理由のひとつは,こうしてタイピングをすることでスペリングを覚えるのに役立つからです。そこで必要だったのは,キーボードをドイツ語化することでしたが,ここでわかったおもしろいことは,英語とドイツ語のキーボードは「Y」と「Z」が反対だということでした。これは使用頻度の違いからくるものだそうです。さらに,「ü」「ö」「ä」「ß」といった文字を打つためにキー配列が変わっているということでした。これだけでも勉強になりました。
 そして,次に,デジタル化したテキストの本文をGoogle翻訳を使って英訳しました。ドイツ語から日本語よりもドイツ語から英語のほうが理解しやすいからです。そして,ドイツ語の文章から動詞を赤色に塗ることにしました。
 今のところ,はじめたのはその程度の方法ですが,こうした工夫をして思ったのは,語学の学習もまた,今の時代にふさわしいやり方に変えることが必要だなあ,ということです。


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 私が日々,勝手に忙しくしているもうひとつの原因はドイツ語です。とはいえ,やっているのは,月々580円の紙ベースのテキストを購入してNHKラジオ第2放送の「まいにちドイツ語」を聞いているだけですが…。
 テキストはデジタル版もありますが,私があえて紙ベースのものを購入するのは気軽に書き込めるからです。しかし,使い終わったものが結構スペースをとり,しかも処分する気にもならないので不便なこともあります。
 番組名のように,毎日となると継続するだけでも結構大変ですが,私は,継続することだけは得意です。それより問題なのは,いくら継続しても一向にモノにならないことです。
 現在は,決められた時間に聴かなくても,ネットラジオで聴けるので便利になったのですが,これもまた,私の性分で,1日に1回分を聴けばいいのに,まとめて1週間を1度に聴いてしまうのです。これではダメです。
 そこで,こういうものは,少しずつ,無理なくやることが大切だと今更ながら気づきました。で,反省して,1日に1回分だけを聴くように変えました。

 テキストに「読者のページ」というのがあって,聴いている人が寄せた便りが載っています。それを読むと,多くの人が定年後の楽しみとして聴いているようです。
 本来は,大学生が聴くべきだと思うのですが,今どきの学生はそうではないようです。
 まあ,私のような不良老人の楽しみとしては,高額の若返りサプリなどを購入するよりずっと安価で,かつ,充実した時間が過ごせるので,そうした人が多いのでしょう。
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 はじめは,まったくマスターする気もなく,単なるボケ防止ではじめたわけです。ドイツ語を選んだ理由は,オーストリアを旅行したときにドイツ語の必要性を感じたことなのですが,再びドイツ語圏に出かることがあったときに,今日の写真のようなチケットに書かれたドイツ語が不自由なく理解できればいいなあ,という程度の動機でした。しかし,このようなご時世になってしまったので,この先,また,ドイツ語圏に旅することができるかどうかもわからなくなってしまいました。

 そんなこんなで,今更やっていても活用する機会はないのでしょうが,これもまた,私の性格が災いして,はじめたからには,なんとか少しはモノにしようと思いはじめてしまったのが,まったくもって,自分の首を絞める結果となっているのです。
 前回書いた数独,そして,春からずっと凝っているプログラム言語のPythonですが,こうしたものはなぜか得意で,わからなければわかるまでいろいろと調べたり,時間をかけて覚えたりということが苦にならないのですが,語学となると,もともと私は語学の才能はまったくないということが自分でわかっているし,単語を覚えるとか,繰り返し練習するとか,知らない単語や用法を辞書で調べたりもしないので,それができない原因だということを,この齢になって思い知りました。
 そこで,今の時代に私に合った語学の勉強方法を,自分なりに考えてみることにしました。


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 世界に類をみない高齢化の進む日本,IT後進国の日本は,まるで,人生の終焉を迎えるような雰囲気です。こうした現状を見据えて,この先,この国をどうしていくかを考えるべきなのに,経済も教育も高度経済成長のころと同じ施策をしています。会社ならすぐに倒産してしまいます。
 少子化を止めるには,生きていて楽しい国になるようにすることが一番大切なのに,若者が不幸では,子どもは増えません。特に教育は,この国では,お勉強というのは,テストでいい点数をとることだという,未だにそんな教育行政をやっているのだから,懲りないものです。こんな楽しくない国,もう,滅びるしかないのでしょう。

 数年前,新たな大学入試改革とやらで英語をどうするかが話題となりました。
 そもそも,40人の生徒を1クラスに押し込めて,ひとりの教師が,それも,コンピュータ設備もない教室で,週に1回ひとりの外国人ALTが来るだけの環境で授業をして,4観点とかいう,話す,聞く,読む,書くという能力を育成しろということなど,どだい不可能な限りです。本当にそうしたいのなら,もっと予算を出して英語の教師を4倍にして,学習環境を整えることが,入試制度を変えることよりも大切なことなのです。
 現在の英語教育は,例れば,中学校や高等学校でやっているような音楽教育を週に5時間6年間やって,生徒全員が楽譜が読めて楽典が理解できてピアノがひけて歌が上手に歌えて作曲ができるようにしようということと同じです。
 そんなことが不可能だということは誰にだってわかりますしわかっていますが,そうした根本的な問題は話題にせず,入試を難しくすればいいというのだから,うまくいくわけがありません。そしてまた,その入試を乗り越えるために,未だに,補習やら模試やらと単に点を取るだけの訓練を,最も生きる力をつける必要のある10代の若者に強いる高等学校の教育というのは,教育という名のまさに軍事訓練,タケ槍で飛行機を落とすとか,バケツリレーで火事をけすといった第2次世界大戦のころのまま,そんなむだな時間の束縛をしていては,優秀な人材は育ちません。

 日本の学校教育は順位づけが大好きで,偏差値とかいう,摩訶不思議なものが幅を利かしているのだから,人より高い順位を得るために,高い偏差値を手に入れるために,お金を出して何事かに頼ることになります。そこで,教育産業が栄え,その産業に群がる人々の食い扶持につながっていくという,つまり,教育という名を借りた産業の育成になるわけです。そして,教育費を捻出するために,親たちは働きに出るというシステムです。一見,うまいこと社会が回っているように思えますが,それは経済のためのことで,教育ではありません。だから,そういう現実を知る親は子供を作りません。
   ・・
 先日,2022年3月23日の朝日新聞オピニオン&フォーラム「論の芽」に「何のための英会話」と題して,立教大学名誉教授の鳥飼玖美子さんの意見が載っていました。
 今では知っている人は少なくなったことでしょうが,鳥飼玖美子さんは,1969年というから今から50年以上も前,アメリカがアポロ11号を打ち上げて人類をはじめて月に到達させたとき,その同時通訳をやって話題になった人です。私は,そのころに英語の勉強をはじめたので,「英語の堪能な若い女性」にかなりの刺激を受けました。そんな,中学校のときは大好きだった英語も,いわゆる「受験英語」となった高等学校の,アメリカから来た留学生の英語すらろくに理解できない教師が,まるで漢文の読解のような授業を行う英語教育で大嫌いになって,それっきりです。
 コミュニケーションができること,人の考えがわかること,それこそが語学を学ぶ目的でなければなりません。「カムカムエヴリバディ」は,そんな日本の英語教育を皮肉っています。しかし,この番組で出てきた遠山顕先生の「英会話入門」,それに続いた「英会話楽習」も昨年9月で突然終わってしまい,NHKラジオの英語講座も,文法重視ものばかりとなって,楽しく学べるものが少なくなりつつあるのが残念です。
 いま一度,遠山顕先生のモットーであった
  ・・・・・・
  Keep listening
  keep practicing and
  keep on smiling!!
  ・・・・・・
を思い浮かべて,私も,下手な英語が少しでも上達するように,お勉強を新たにはじめるとしますか。

◇◇◇


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夏の銀河_20170603星の距離測定purokisimawolf

☆☆☆☆☆☆
 子供のころ,星までの距離を測る方法のひとつに年周視差があると習いました。 
 年周視差とは,地球の公転運動による視差のために天体の天球上の位置が公転周期と同じ周期で変化して見える現象のことです。
 年周視差が測定できれば、地球からその天体までの距離を三角測量で知ることができます。
  ・・
 年周視差は今日の2番目の写真,これは「子供の科学」という雑誌に関連したホームページにあったものですが,どの本にもこの写真のような説明が書かれてあるのですが,こうした説明から私がイメージするのは,はるか遠くにあってほとんど年周視差がわからない星々の間を,地球から比較的近い星が円を描いて移動する姿です。私は,そんな運動している天体の写真が見たいものだと思っていました。しかし,年周視差の説明として先に載せたような図はたくさんあるのに,いくら探しても,その姿を捉えた写真はどこにもありません。
 それ以来,私は,年周視差というものに,大いなる疑問を抱くようになりました。
 一度,天文台に行ったとき,係の人に年周視差について質問をしたことがあるのですが,何を言っているの? 当たり前じゃないのみたいに言われました。おそらく,多くの人は,習っているだけで,そこに何の疑問も感じていないのでしょう。

 納得がいかないので,さらに調べてみると,年周視差は古くからその存在は仮定されていたそうですが,実際は,年周視差の大きさは非常に小さいために,その観測は非常に困難だった,ということでした。最も地球に近い恒星でも,年周視差はわずか0.76秒しかなく,これは271メートル先にある物体を1ミリメートルずらしたときに発生する視差と同じということです。つまり,ほとんど動いて見えないということです。
 はじめて年周視差の観測に成功したのは、1838年に,ドイツの天文学者フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ベッセル(Friedrich Wilhelm Bessel)がはくちょう座61番星のわずか0.314秒ほどの年周視差を確認したことでした。それをきっかけとして,ロシア人の天文学者フリードリッヒ・フォン・シュトルーベ(Friedrich Georg Wilhelm von Struve)が「ベガ」を0.26秒で,そして,イギリス人の天文学者トーマス・ヘンダーソン(Thomas James Henderson)がケンタウルス座α星を0.76秒の年周視差を観測したと発表しました。
 現実的には,大気の揺らぎなどによって,地球上からでは精密な年周視差の値を測定することは困難です。そこで,大気のない宇宙で観測するために,1989年に「ヒッパルコス」衛星 (Hipparcos)が打ち上げられ,11万8274個の恒星の年周視差を1,000分の1秒の精度で測定しました。しかし,それは非常に小さな数字なので,私がイメージしていたような「目で見えるような年周視差」の写真を見ることはできないのです。

 そんな経緯だったのですが,2020年,ついに,アメリカ航空宇宙局(NASA)が,私が見たかった年周視差の写真を発表しました。2006年に冥王星探査のために打ち上げられた探査機「ニューホライズンズ」(New Horizons)は,2015年に冥王星の探査を終えましたが,その後の2020年4月,地球から69億キロメートル以上も離れたところから,「プロキシマ・ケンタウリ」(Proxima Centauri)と「ウォルフ359」(Wolf359)というふたつの星を撮影しました。
 ケンタウルス座α星は,α星A,α星B,α星「プロキシマ」(「プロキシマ・ケンタウリ」)から成ります。そのなかでも,「プロキシマ・ケンタウリ」は地球から4.246光年にある地球に最も近い恒星として知られてます。また,「ウォルフ359」は地球から7.6光年にあるしし座にある赤色矮星です。
  ・・
 人類が作った探査機が,地球からこれほど遠く離れた位置から撮影したこれらのふたつの星の写真と,地球で写した写真を比べれば,年周視差もわかるというものです。そこで,ニューホライズンズが撮影した画像と地球上の天文台で撮影した同じ星の画像を並べてみると,確かに,背景の星に対して,はっきりと位置がずれているのがわかったということです。
 こうして,念願の年周視差の写真を,ついに見ることができたのに驚きました。
 私は,やっと,納得できました。


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 日本の教育は,金はださない,入試をむずかしくすれば勉強する,というのが基本方針なので,所詮はゲームで,能力など身につかなくても「入試でいい点を取りさえすればそれでいい」というのが目的です。私には教育産業の金儲けがねらいだとしか思えません。これは,何事も不安を煽り,それをエサに金儲けをする,というビジネスすべてに共通する作戦と同じです。
 だから,そのビジネスにまんまと踊らされ,高等学校は,授業だけでは足らず,さらに補習をしてひたすら点がとれるような訓練をすることで,教師という職業のブラック化に輪をかけ,その上,生徒は,それでもまだ不安なので,塾に通ってまで,ひたすらドリルで作成者の考える正解と一致させる訓練を繰り返すのです。
 そこで,たとえ入試で小論文を課そうとも,結局は小論文の書き方というマニュアルを暗記し,覚えたままの文章を書くだけだから,そこには,創作力も思考も生まれません。
 英語では,正しい発音はできなくても,発音の問題が正確に答えられればいいわけです。英作文も,あらかじめ作られた単語を繋ぎ合せて,問題の求める順番にそれを直すことができればいいわけで,それでは自分の創作力も何も身につきません。
 数学だって,解き方のパターンをひたすら暗記して,出題された問題が,そのどの解き方のパターンに一致するのか判断できるように,ひたすら訓練をしているだけだから,そこには,数学的な思考力など,必要ありません。
 さらに,日本史や世界史は,読めもしない難解な文章が400ページ以上もある教科書を与え,結局はそれを教師や塾がまとめたプリントを使って穴埋めしているだけだから,自分で本を読んでまとめるなどという訓練は皆無だし,読解力などつくわけがありませんし,歴史から何も学べません。

 そもそも,40人の生徒に1人の教師がどうやって英語の4観点を指導できるのでしょう。そんなことは,40人の生徒にひとりの教師が6年間,週4回音楽の授業をして,その結果,全員がピアノが弾けて作曲ができるようにしよう,ということと何ら変わりがないのです。
 一時,民間の英語検定試験を入試に取り入れるとかいっていましたが,民間といいながら,実際は,某代議士の息のかかった某業者が新規参入した新参の英語検定試験を受けさせるように仕向けていて,それを学校で宣伝し教材まで売り,改革と称して金儲けをしようとしたということに尽きるわけです。
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 もともと,日本の教育では,社会に出るまでに身につけたほうがいい,例えば,車の運転,語学力,コンピュータを使いこなせる能力,などなど,そのすべては,学校ではまったく身につきません。そうした能力のない人でもできる仕事の代表こそが教師だったりするのが皮肉です。
 そもそも,学校教育でそうした能力が身についてしまったら,塾は潰れ,自働車学校や語学学校,そして,コンピュータスクールは不要になるので,経済が成り立たなくなってしまうかもれません。
 結局,この国の若い人は,本当に能力を得たいのなら,そんな国のやり方に振り回されず,学校に頼らず,自分で本当の力をつけるしかないのでしょう。そのためには,入試で序列化しただけの学校など通わず,通信制で学び,受験勉強をしないことで生まれる時間と塾通いをしないことでできるお金で,自ら英語を学んだり,コンピュータを使えるようにしたり,旅に出たりと,そのようにして体験から学び真の能力を身につけることが必要になるのです。
 もう,せめて,国は,教育という名目で受験産業を栄えさせるだけで,入試改革だの新しい評価だのといった,そんなことに学校を,そして,若い人を振り回すような邪魔をしないでほしい,というのが私の願いです。


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 これまで4回「精神年齢は(実年齢-40)歳で」と題して書きました。まもなく2022年の成人の日を迎えます。
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 私は「人生は40年が2度あって,はじめの40年は2度目の40年の本当の人生の練習だ」と書きましたが,2度ある人生の1度目の20歳を迎える彼らを見ていると,私はいろんなことを感じます。
  ・・・・・・
ということなのですが,そうした2度の人生で,20歳の成人の日よりも大切な節目は30歳なのです。そして,1度目は30歳になったとき,2度目は60歳になったときに,人生の通信簿がもらえるのです。とはいえ,それは,形としての通信簿ではなくて,精神的な通信簿です。
 そういえば,私の時代にはもう,学校でもらえるのは「通信簿」でなくて「通知表」でした。子供のころ,大人はテストも通知表もなくていいなあ,とうらやましく思ったのですが,それは大きな誤解でした。近年は,それどころか,やたらと評価合戦になっていて,組織でも自己評価花盛りですし,ネットショッピングをしても,あとでやたらとアンケートなるものがくるので,とてもうざったいです。これ,まったく意味がないのです。それより,本当に問題があれば,そのときのアフターケアがきちんとされることのほうが重要なのですが,本当にそうした問題があるとき,どこに問い合わせをするのか定かでないことが多く,また,連絡先が書いてあって電話してもつながらないことばかりです。これではモノを買う気もなくなります。
 閑話休題。

 ところで,精神的な通信簿ですが,1度目にもらえる30歳になったときのものは,30年でどれだけ自分に「生きる力」がついたのか,というものです。世間では,たかだか20数年すぎて大学を出たときに「学歴」とやらというブランドを手に入れてそれがその人の力という評価をしてわけですが,そんなものは誤解です。芸能人を見てもわかるように,10代から20代は属したプロダクションの宣伝効果だけで売れますが,30代になったときその人に本当の実力がないと,姿を消してしまいます。
 このように,何でもできる基礎力をつける10代,そして,それに応用力をつける20代のその総決算が30歳でもらえる通信簿というわけです。俗な言い方をすれば,それまでどれだけ経験を積んだか,ということです。具体的には,コミュニケーション能力があるか,とか,コンピュータを使いこなせるか,とか,人にない何かできることがあるか,ということです。これは,何大学を卒業したかということとは関係がありません。

 そして,60歳になったときにもらえる2度目の通信簿は,その先の人生をいかに楽しく生きることができるかという評価です。
 組織に属していたころは偉そうにしていたのに,退職した途端に粗大ゴミと化す人,国内旅行すらできない人などがいますが,そのような人が街で右往左往しているのを見かけます。朝から晩まで近くのモールでたむろっている人もいます。また,図書館へ行って,新聞を読むか転寝をするかしかすることのない人もいます。地方に行くと,昔ながらの喫茶店があって,そこでは,テレビのワイドショーを見て得たくだらない知識を自分の意見のようにして一日中だべっているオジサマ方もいます。
 今から10年も前には,平日の午前中というはどこも閑散としていたのですが,今や,この国には65歳以上の人たちがうじゃうじゃいるわけで,さらには,「団塊の世代」とかが70歳を過ぎ,再雇用の道すらなく暇を持て余すようになったので,平日の午前中は,図書館やスーパー銭湯は場所の取り合いになってしまっているわけです。
 2度目の通信簿こそが,まさに,その人が充実した老後が過ごせるかどうかの試金石となるのです。

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 会社は多くの従業員が生活をかけて働いているのだから,その会社で作っている製品が時代遅れになって売れなくなったからといって,簡単に会社を解散するわけにはいきません。そこで,時代の流れを見極めて,その時代にあったものを作るように転換を図る必要があるわけです。
 会社が存在しているのは,その会社でなければ作れない技術力があるという必然的な理由があるはずです。そこで,その技術力が生かせるような転換を図るのならそれは問題はないのですが,そうしたことができないとなると,会社は難しい局面になります。たとえば,カメラのフィルムを作っていた富士フィルムが化粧品を作るというのは同じ技術力が生かせるからそれなりに意味がり,成功しました。しかし,そろばんが売れなくなっても,そろばんを作っていた会社が電卓を作るというのはおかしな話です。

 しかし,製造業ではなく販売業となると,今度は,売れるなら何を売ってもいいとばかりにまったく違うものを売ったりすることになるし,サービス業であれば,サービスを求める人がいるのならこれまでとはまったく違ったものでもサービスする,ということになります。ところが,販売業やサービス業の場合,売れることが第一,という表面的な業績が求められているから,本当にその業種のプロでない場合もまた多くあるのです。そこに,もうかりゃいいという素人商法が存在するのです。
 だから,居酒屋が老人ホームを経営する,ハンバーガー屋がラーメンを売る,学習塾が福祉施設をはじめるということになっていくわけです。そのうち,病院が葬儀場を経営する,みたいなことも起きるかもしれません。
 食べ物やさんのように,たとえそれが素人商法であろうとも,お腹が膨れて食欲が満たされるといったような目的がはっきりしていれば,そして,おいしいという判断ができるものならまだしも,学習塾のようなものになると,なにをもってその塾の評判が高いのかはあいまいで,しかもすぐに結果がでないだから素人商法が成り立ってしまうのです。消費者にはそれが素人商法かどうかを見極める目が必要ですが,それがまたむずかしいのです。


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 将棋界では,このところ,藤井聡太竜王(王位,棋聖,叡王)の予想を超えるタイトルの獲得で,ついに「藤井一強」といわれはじめていてます。この先,あまりにひとりが強すぎると将棋に魅力がなくなるのでは,という心配まで生まれはじめました。「藤井一強」を生かすも殺すも,これからの将棋界と好敵手の出現次第でしょう。
 私は,はじめは,藤井聡太竜王の活躍で一時は失っていた将棋に関心がもどりましたが,それが動機で,次第に「将棋AI」による人工知能(Artificial Intelligence=AI)に興味をもち,このごろは,将棋よりも人工知能が発達する現代の社会の変化について考えるようになってきました。将棋は,人工知能が社会にどう影響を及ぼしているのかを知る絶好の例なのです。
 そこで,今回からは,人工知能が社会におよぼしている影響について考えたいと思います。

 どうやら,現代の社会は,学歴やら地位やら名誉やら財産やら,そんなものをはるかに超越して,ディープラーニングを伴う人工知能が理解できる人とできない人のふたつの階層となってしまったように感じます。そしてまた,国自体も,人工知能が活用できる国かできない国かが国力となりつつあります。そして,残念ながら,日本はかなりの「AI後進国」です。その中でも,最も遅れているのは,政治と教育です。未だに〇〇大学合格者〇人だの〇〇高校合格者〇人だのといった時代錯誤の塾の広告が新聞に入ったりします。
 よく,藤井聡太竜王は見えている景色が違う,という表現がされるのですが,それはこうしたことがその理由です。それと同じように,たとえば,アマチュアの天文ファンにおいても,今,流行しているのは「電視観望」というものですが,これは,CMOS素子を使って光を集めソフトウェアを用いて画像を再生してディスプレイ上で見るというものです。この方法を使えば,かすかであっても光さえ手に入れれば,あとはソフトウェアでどうにでもできる,というものです。そうであれば,これまで必要であった高価な望遠鏡など必要がなくなってしまうかもしれません。
 こうした技術を理解できない人というのは,藤井聡太竜王の将棋を昔の価値観で解説している時代遅れの棋士と同じようなもので,まったく住んでいる世界が異なるということになります。

 しかし,おそらく,多くの人は,そんな状況であることすら認識できていないことでしょう。現役を卒業した世代ならそれでもいいのでしょうが,これから社会に出ていく若い人がそうした時代遅れの価値観で育ってしまうと,その先に待っているのは「使いもの」にならない将来です。そして,現在は,そうした社会の変化への認識ができていない政治家や教育者が大量に存在していることこそが問題なのです。
 その意味でも,もはや,50年前とほとんど変わらない内容を30年前と同じ手法で教えている教師や,時代遅れの価値観で生きていて部下を罵倒するしかできない無能な会社の上司,さらに,自分の言葉で話せないような政治家は,若者を育てることや,この国の指導者からは引退したほうが害がないのかもしれません。

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 今から50年近く昔,まだ,大学入試は今のような共通テストもなく,国立大学ではそれぞれの大学が独自の試験を行っていました。入口が狭ければ選抜をするしかないから,今と同じように受験は大変でしたが,マークシートなるものもなく,みな,記述式でした。
 思い出は美しく,かつ,懐かしくなるので,それが「古きよき時代」だったのか「古き悪しき時代」だったのかは知りませんが,今になって,当時の学生だった人たちが,そのころに使った参考書を懐かしみ,復刻版が出版されているようです。
 今でも,その時代の本のほうがよかったという人もいますが,今,その時代の参考書で学んでも効果はないかもしれません。というか,知の好奇心を楽しんでいた古きよき時代と,現代のような効率重視のコンピュータ時代では,そもそも受験というゲームのルールが異なるわけです。いずれにしても,人が生きるということ自体が死ぬまでの暇つぶしであって,人生が長いのか短いのかわからねど,その時間を退屈せずにすごす手段のひとつが知性の遊びであるということは変わりません。

 では,そのころの参考書について振り返ってみましょう。
 まず,国語では小西甚一さんが書いた「古文研究法」があげられます。この本が今もすばらしいと私が思うのは「はしがき」と「おわりに」です。ここには,どうして古典を学ぶのかが述べられています。今,こうしたことが書かれている参考書がどれほどあるのでしょうか。学校における古典の授業で,それを学ぶ意義を話してくれる教師がどれだけいるでしょうか。
 次に日本史です。私は,学生時代日本史が好きでしたが,そのときに夢中になって読んだものが笠原一男さんの書いた「詳説日本史研究」でした。インターネットもなかった時代,できるだけ詳しい内容が書かれているものが手元にあって,その内容を知っていることは大切だったからです。ただし,今となっては,このような本に頼らずとも,詳しい情報は検索すればいくらでも見つけられます。しかし,巷にあふれる情報が正しいものであるかそうでないかということを判断するのは,非常に難しい問題です。が,だからといって,教科書に書かれていることが正しかったのかといえば,それもまた議論があるのが難しいところだということを齢をとって知りました。
 英語には山崎貞さんの書いた「新々英文解釈研究」という本がありました。高校のときの教師がこの本を絶賛したのでそれを信じて読んだのですが,はしがきに大正14年1月とあるのにはのけぞりました。英文を漢文を読解するように読んでいた時代,その方法を身につけるには最適な参考書だったのでしょう。この参考書とととも,辞書もまた,研究社の「英和中辞典」という誰しもが使っていたものがあったのですが,私には高くて買えませんでした。この辞書はそののちに第4版が「欠陥英和辞典の研究」という本でやり玉にあげられて,あっという間にその地位を大修館の「ジーニアス英和辞典」に奪われてしまいましたから,評価というのもその程度のものだったのでしょう。こんなふうにして英語を学んでも,本は読めても,今の時代,まったく実用にはなりません。

 そうした参考書を自分で読んで学んだ時代は,現在の共通テストの前身である共通一次テストが実施されたころから雲行きが怪しくなり,参考書は予備校の講師が書いたハウツーものに代わり,学ぶメソッドも添削指導に変わり,受験勉強はドリル化しました。
 IT化の進む現在,知識を暗記するという時代を越えて,学歴とか能力テストのスコアではなく,いかにして必要な情報を正しく効果的に情報機器などを使って早く手に入れてそれを活用することができるかという能力が問われる社会に変わりつつあると私は思います。こうなると,どんなにすばらしい本を読んだところでそうした能力は身につきません。
 しかし,たとえば,50年近く前に大山康晴十五世名人の書いた「大山の将棋読本④居飛車の戦い」を今読んでも,定跡は変化しているので,まったく将棋には勝てないとしても,考え方を知るという面で活用するのなら,今も意義があるのです。そのように,物事にはいろいろな側面があるので,それがいいとか悪いとかという判断は,何を到達目標にするかということで違います。
 いずれにしても,定年後の時間を持て余す私のような不良老人には,何の到達目標もないのだから,50年ほど前に読んだそうした参考書を再読し,若き時代に想いを馳せるのも悪くはありません。しかし,今の若い人がいずれ齢ととったときに,私の生きた時代のような,若きころに想いを馳せた参考書がいったい存在するのでしょうか。


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 ときどき新聞に「全国学力・学習状況調査」なるニュースが載っています。小学校6年生と中学校3年生にテストを実施するらしいのですが,その都道府県別順位とかいう本当にしょうもないことが話題となるようです。
  ・・
 私が中学生のときも,これと同じなのか違うものだったのかは知りませんが,そのようなテストがありました。
 小学生や中学生にとって勉強というのは学校で習うことがそのすべてで,だから,学校で使っているのと違う教科書とかで習ったような問題があったらさっぱりわかりません。また,勉強なんて毎日やっているわけでなくて,テストの前とかに覚えるものだし,それも成績に反映するからがんばるのであって,突然テストやるぞといわれても,そして,それが成績に関係ないとかいわれれたら,一生懸命やるのわけないのに,大人は実にくだらんことを考えるものだ,と当時も生意気な私は思いました。
 ということで,受験するほうはその程度のモチベーションしかないものなのに,その結果をもってわいわいがやがやと大人がくだらぬ議論をして,一体全体何を調べるの? という感じが昔も今も私にはします。
 そもそも,そんな調査にどんな意味があるのでしょう。しかも,そういう調査をすると,すぐに順位争いをするのがまた,そういうことが大好きなこの国の人たちです。

 アメリカへ行って驚くのが,人々の知的好奇心の高さです。
 博物館などのレクチャールームなど,いつも人がいっぱいです。そして,争うように質問をします。観光地などでも,必ずツアーがあって,専門家がものすごく詳しい説明をしてくれます。日本のように入場料をとって小ぎれいなパンフレットをくれるだけ,後はほかりっぱなしなんていうのはありえません。
 さらに驚くのが,子供たちです。アメリカでは,日本と違って夏休みが長いのですが,そうした期間にサマースクールがあるようで,スクールバスに乗って博物館などにやって来る姿をよく見かけます。また,私がハワイのマウイ島でホエールクルーズに参加したとき,甲板にツアーの参加者の子たちを集めて,係員がクジラの生態などを説明している姿を見かけました。こうしたとき,親切で丁寧なレクチャーをみんな一生懸命に聴いて,積極的に質問をしています。

 日本でも小学校では野外学習があるようで,科学館などに行くと,小学生が来ていることがよくあります。しかし,日本の学校では,小学生はおそろいのバインダーに見学資料のプリントを持っているのですが,学芸員の人が説明をしているようなことはまれで,そのほとんどは自分たちで何がしかの説明を単に書き写しています。要するに,スタンプラリーです。おそらく学校に帰ったらそれを提出して先生は検印を押すのでしょう。で,現地では付き添いの先生たちは何をしているのかというと,大概の場合は,館内の食堂とかでコーヒーでも飲みながら,今日は休養ができるわい,とひと休みをしているわけです。
 それもこれも,いつもやったふりの大好きなこの国の姿です。
  ・・
 日本では,夏休みが終わると,小学生たちが夏休みの宿題らしき絵やら工作やらを抱えて登校する姿がみられます。私も昔はそんなことをやった記憶があるのですが,いったいあればなんだったのかなあと今では思います。
 私の夏休みの思い出といえば,意味のないようなドリルがあって,それをだらだらと片付けて時間を潰す日々でした。サマースクールに行くでもなかったのですが,かろうじて,たった1日ほど海に出かけて,魚が泳いでいるのを見たり日ごろは見られない暗い空にさそり座を発見して驚いたことだけが有意義な時間でした。
 せめて,長いお休みのときくらい,学校からすっかり離れて,山の中で何日も生活するような体験をしたほうがずっといいように私は思うですが…。夏期講習だの補習だの,愚の骨頂です。机に向かって問題集をやるのが「勉強」ではないのです。

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 私は大学で物理学を学んだし,もともと宇宙に興味があったから,若いころは,自然科学というのは宇宙が作られたその仕組みを解き明かすすばらしい学問だという想いを強くもっていました。その学問的な意義は今も変わらずすばらしいと思います。しかし,宇宙が作られたその仕組みを解き明かすと思っていた私の気持ちは大いなる誤解でした。歳をとって,そう思うようになりました。
 たとえば,次のようです。
 1個100円のリンゴと1個60円のミカンがあったとします。これをそれぞれ1個ずつ,合計2個買ったとき,100+60=160だから,払うのは160円です。どうして足すのかというと「それが原理だから」ということばで片づけてしまうのが物理学なのであって,つまり,何も語っていないのです。
 ところが,あるお店だと,なんらかの割引があって150円で買うことができるとします。
 このとき,どうして150円でいいのか,それを探り,無理やり理屈を作るわけです。たとえば,150円以上なら10円引きとか何とか,知る範囲の事実から適当な理論を編み出すわけです。そして,作り出した理論に基づいて,他の場合に当てはめて買い物をして,その理論どおりの値段になれば,それが正しい理論,というわけです。
 もうひとつの例を書きましょう。
 物理学というのは,将棋の駒の動かし方やルールを知らない人が対局の棋譜を何万局,何億局と分析して,ルールや駒の動かし方を調べるようなものです。そして,たとえば桂馬の動かし方をみつけたとします。そして,どうして桂馬はそういう動かし方をするのかと問えば,「それが原理だから」と答える,そんなものです。
 物理学というのは,こうしたことを繰り返しているだけのことなのです。つまり,どこかに正しくない理論があるかもしれない,しかし,それが今は正しいとされているのかもしれないわけです。

 ある一般者向けの物理学の講演会があって,その最後の質疑応答で,「どうして学者さんはそんなに自信をもって宇宙の年齢は138憶年だ,とかいうように断定できるのですか?」という質問をした人がいました。その答えは「それに対してあなたは反例が言えるのですか? もし言えるのならそれはそれで立派な理論だから一緒に研究しましょう」でしたが,それでは答えになっていません。
 そんなことは「悪魔の証明」と同じです。
 「悪魔の証明」(probatio diabolica=devil's proof)というのは,証明することが不可能か非常に困難な事象を悪魔に例えたものをいいます。中世ヨーロッパのローマ法の下での法学者らが,土地や物品等の所有権が誰に帰属するのか過去に遡って証明することの困難さを比喩的に表現した言葉が由来です。
 しかし,現在,ダークマターだのダークエネルギーだのと名前だけは立派でも,実際には,宇宙全体のエネルギーにおいて,そこに占めるダークマターの割合は22パーセント,ダークエネルギーは74パーセントもあって,バリオンとよばれるふつうの物質は全体のたった4パーセントに過ぎないといわれ,つまり,宇宙のエネルギーの96パーセントが何なのがわからないのです。
 その理由は,ひょっとしたら,現在正しいとされている理論が本質的に何か間違っているからなのかもしれません。

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 日本は法治国家とはいっても,超法規的な国です。そこで,法に書かれていなくても,実質的に守ることが当たり前になっていることがたくさんあります。これまでに書いた「お願い」やら「自粛」やらも同じだし,それ以外にも,多くの決め事が拡大解釈していきます。
 今日はそんな法律の話ではなく,言葉のきまりである日本語の文法のお話ですが,これもまた,根本は同じ流れのように思います。

 例えば,英語の場合は,単語と文法を学べば,使いこなすことができます。それは,言葉が規則に従って構築されているからです。しかし,日本語の場合は,単語と文法をいくら学んでも言葉を使いこなすことはできません。それは,もともと文法というものの性質がまったく異なっているからです。
 日本語の場合は,なんでもありで,そうしたさまざな使い方をなんらかの性質でまとめて,それをもとに規則を見出して文法と称しているにすぎません。文法に従って言葉が作られているのではなく,なんでもありきの言葉から規則を作っている,という感じです。そこで,人間同士の会話であればよいのですが,日本語をもとにコンピュータ言語,つまりプログラミング言語を作ることは,きわめて困難です。

 こんなことを考えながら,日本語の文章を改めて眺めてみると,漢字,カタカナ,ひらがなと,それらは文字というよりも,なにか,模様のように思えてきました。日本語を母国語としていない人が見たらかなり奇々怪々でしょう。そこで,この複雑怪奇な日本語という言語を,母国語でない人が学ぶというのは,非常に困難なことであるように思います。
 前回も取り上げましたが,文化という面からとらえたときに,日本語は,きわめておもしろい言語です。しかし,情報化が急速に進む現在,情報機器を使うときや日本語を母国語とする人が他の言語を学ぶときに,かなりのハンディであり,デメリットであることは否定できないでしょう。


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 このごろ,日本語というのは世にも不思議な言語だと改めて思うようになりました。
 ひらがなにカタカナ,そして,漢字と,これほど文字の種類がある言語がほかにあるのでしょうか。特に,コンピュータを使っていると,こんなに不便な言葉は他にはないのでは,としみじみ思います。 これこそが,日本という国が何事もぐっちゃぐちゃである,この民族の国民性のなせるわざでしょう。まさに,この国の,その場さえとりつくろえば先のことはその時点で考えようという長期展望のないシステムや,自分の周りさえちゃんとすればいいといった情景と一緒です。
 いえ,文化という面ではそれでもいいのです。日本語の長所というものもたくさんあるのでしょう。しかし,コンピュータ時代にこの言語をコンピュータで利用するとなれば,日本語はかなりのデメリットとなってしまいます。

 日本語を,まず,言語の仕組みという面から考えてみます。
 英語で「I have a pencil.」 という文章を例に取り上げます。
●英語はわずか26文字で何万語の漢字の代わりとなる。
 英語の単語というのは,それぞれが漢字のようなものです。 「I=私」「have=持(つ)」「a pencil=鉛筆」という感じです。つまり,「pencil」という単語は漢字で「鉛筆」と書いてあるのと同じです。そのとき,漢字であれば何万語というそれぞれの文字があるのですが,英語なら,わずか26文字のアルファベットを組み合わせて漢字を作っているようなものです。つまり,アルファベットなら26文字を組み合わせればよいものを,漢字だと何万語のそれぞれが異なる様々な文字が必要であるわけです。そこで,アルファベットなら26文字しかないのでキーボードで簡単に打てますが,漢字であれば変換しないと表記できないので,手間がかかります。
 「I have a pencil.」は「私・持(つ)・鉛筆」 と書いてあるのと同じわけです。
●英語は語順の違いで意味を表す。
 英語では語順が重要な意味をもちます。つまり,「I have a pencil.」は「I a pencil have.」や「a pencil have I.」ではいけないのです。 一方,日本語では,語順を決める代わりに助詞を使います。助詞を使えば「私は鉛筆を持ちます」でも「私は持ちます鉛筆を」でも「鉛筆を持ちます私は」 でも意味が通じるわけです。英語では語順で決める,その代わりを助詞が行うのですが,そのために,助詞という余分な文字が必要になるわけです。
 ドイツ語は,英語とは異なり,語尾変化が日本語の助詞のような役割をするので,語順は英語のように決まりませんが,2番目が動詞というきまりがあります。また,フィンランド語は,語尾変化が複雑で,これが日本語の助詞と同じような働きをするので,むしろ日本語より難しいといわれます。
 そこで,英語は若干の語尾変化はありますが,それよりも語順によって意味を示すので,助詞の必要な日本語や複雑な語尾変化を伴う他の言語よりも単純だといえます。そして,その規則のおかでで,コンピュータ言語のような規則性のあるものに活用しやすいという利点があります。
●日本語はひらがなだけでは読みにくい。
 もし,漢字がなく,すべてをひらがなで「わたしはえんぴつをもちます」と書くと,速読もできず,なかかな理解もできません。「 私は鉛筆を持ちます」だからわかるのです。
 ハングルにはあまり詳しくはないのですが,ハングルは,日本語のひらがなのようなものらしいので,ハングルを使っている人が理系の思考をしようとすると,英語で考えたほうが考えやすいと聞いたことがあります。
 英語の長文を読んでいると,ひとつの単語は,まるで1語の漢字のように思えます。だから,漢文を読んでいるような感じです。これがすばらしいのです。わずか26文字のアルファベットでこんなことが可能なのです。

 次に,別の面から考えてみます。
 コンピュータでデータを扱うときにデータベースを用います。
 通信販売の顧客管理やある集まりの会員名簿を作るとき,データベースを利用してさまざまな情報を入力します。そのとき,日本語では,その入力の形式がそれぞれのデーターベースによって異なっていることを経験したことがあるでしょう。
 たとえば,氏名ひとつにしても,姓と名を別のボックスに入力する場合と同じボックスに入力する場合,また,姓と名を1文字空ける場合と空けない場合があります。住所の入力もまた,都道府県で区切る場合,市町まで同じボックスに入れる場合,さらに,番地などの数字を全角で入力するか半角で入力するかなど,日本では統一したものがないのです。
 これは,日本語というだけの問題ではなく,住所表記の方法の問題でもあります。
 従来から,住所表記の方法すら日本では全国で統一されていなかったからです。これもまた,いかにも,すべてがいい加減でその場しのぎな日本ならではです。
 さらに,氏名にはふりがなというものがあります。そもそも,氏名という最も基本的なデータがふりがなをつけなければ読めない,また,あいうえお順といったソートもできないということ事態,摩訶不思議な言語です。英語ならアルファベット順にできます。そして,そのふりがなが戸籍上はあくまで慣習であって正式なものではないのです。やっとそのことが問題であると認識されて,法律で決めようという意見が出はじめたらしいのですが,実用化されるのは,まだまだ当分先のことでしょう。
 それに加えて,漢字には「齋」「斎」「斉」といったようにひとつの漢字にも多くの異字体があったり,さらには,「吉」のように,「土に口」でなく「士に口」といったように,そんな正式な漢字すらない,など,漢字すら一様に決められないという状態があるのです。アルファベットならどんな「a」であろうと「a」です。
 これでは,データベースなど作れません。

 日本語は文化という側面では,他の言語に比べて味わい深いものであるということは否定できません。 しかし,世界と競争しなければならない科学技術の世界では,日本語の使用はハンディでしかありません。そしてまた,英語を母国語とする技術者にくらべて,日本語を学び,さらに英語が使えるためには,膨大な時間とエネルギーが必要です。


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 以前から地上波はほとんど見ることもなく,主にNHKBSを楽しみにしてきました。NHKBSは,以前はクラシック音楽とMLB中継といった,いわば,私の好きなものばかりが放送されていたので,テレビがあっても,BS放送が見られないというのはあり得ない,とまで思っていました。
 ところが,近ごろは,NHKBSは再放送ばかりとなりました。クラシック音楽もまた,コロナ禍以降のコンサートは見る気にもならず,NHKFMで聴くに限るようになってしまいました。そのNHKFMもまた,通常の放送が変更になって高校野球に代わり,いい加減にしろという感じです。それに代わって,ABEMAでMLB中継もはじまりましたし,YouTubeでもMLBを無料で中継しています。しかも,ABEMAの放送の一部とYouTubeでは現地の放送のまま英語で聴くことができます。
 こうなると,もはや,海外ニュースとオリンピック,パラリンピックばかりのBS1はほとんど見るものがなく,BSPもまた「にっぽん縦断こころ旅」くらいしか見るものがなくなりました。海外のニュースなら私はCNNj で事足ります。高い受信料を返せという感じです。
 という話は前書きで,今日の話題は,NHKBS1で毎週金曜日に放送されている「キャッチ! 世界のトップニュース」のなかでマイケル・マカティア(Michael McAteer)さんが担当する@NYCのコーナーです。@NYCは,たまに見るMLB中継とともに,私がBS1で見ている今では数少なくなった番組のひとつです。
  ・・
 このコーナーで,マイケル・マカティアさんが「日本では高齢者のことを「シニア」というけれど,アメリカでは「オールダーアダルト」(older adult)といいますよ」と話していました。そういえば,日本では「高齢者」をぼやかす感じで「シニア世代」といいます。
 このコーナーを私が見ているのは,アメリカの最新事情がわかるためで,以前も,ロックダウンで遠出ができなくなったニューヨーカーの間ではセントラルパークでバードウォッチングが流行していて「アメリカではバードウォッチングのことを「バーディング」(briding),そして,それを楽しむ人のことを「バーダー」(birder)といいますよ」という話題がありました。こういう生きた英語を知るのが楽しいのです。ことばというのは生き物で,語学は成績順位を競うものではないというのが私の主張ですが,こういうことばすら多くの英語の先生は知りません。

 さて,この「オールダーアダルト」ということばに興味をもったので,さらに調べてみました。
 その前に,これは「不良老人」の私だけではないと思いますが,自分では言っても人から「齢だ,齢だ」と言われるのは嫌いです。医者に行くと「加齢ですから」と言われるのはもっと嫌いです。なので,高齢者をどう表現するかというのはかなりデリケートな問題です。
 学校で「オールド」(old)というのは「古い」と習ったので,私は「シニア」(senior)より「オールダーアダルト」のほうがよほど年寄り臭いことばのように感じます。しかし,old は古いというニュアンスですが,それとは違って older はふたつのものを比べたときに年上という意味で年齢には関係ない,とありました。確かに2歳と3歳の兄弟がいたとき,たとえ3歳でも兄は older brother です。
 ということで,私が調べた結論は,次のようでした。
  ・・・・・・
①日本の公文書の翻訳で「高齢者」を「elderly」としているが,これは英語圏では排除されつつある表現。
②「高齢者」は「older」とするのがもっとも適切な表現。
③「old」は古い,汚い,さびれたというネガティブなイメージがあるので避ける。
④「senior」にはネガティブなイメージはないが,カジュアルな表現なので,公文書などの訳としてはふさわしくない。
  ・・・・・・

 そういえば,日本の空港では外国人のことを「エイリアン」(alien)と表記されていて,私の友人のアメリカ人が宇宙人みたいだと言っておもしろがっていました。「エイリアン」というのは「よそ者」「異邦人」「宇宙人」のイメージです。
 「外国人」をエイリアンというのはアメリカ合衆国法典にも記載されている正式な法律用語なのですが,移民擁護派の人々は「人間性を剥奪する表現」だと批判します。デンバー大学法学部の教授が「火星からの侵略者を連想させるような用語を人々に用いるのは不適当だ」と述べたということで,バイデン政権は「外国籍の人々について言及する際に【より包括的な言語】として,たとえば,「alien」や「illegal alien」などのことばをやめて「noncitizen」や「undocumented noncitizen」を使用するように移民当局者らに命じた」と報道されています。 
 ある英会話の先生が書いているブログに「(外国人を英語でいうのに)foreigner はより一般的に使われ,alien は法律などよりかしこまったときに使われる」と書いてありましたが,そんな簡単なことではないようです。こうしたことばのデリケートな意味を学ぶことこそが勉強であって,そうしたことはドリル学習や高校生がやらされている英単語の暗記参考書では学べません。そもそも,単語の意味を1対1で暗記するような古臭いことは,コンピュータの翻訳機能がある今では有益な勉強方法ではありませんし,語学教育の目的であるコミュニケーション能力の育成ではありません。


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 夏休みになって,コンビニや歯科医院ほどもある巷の塾では夏季講習とかのポスターが張ってあったり新聞に折り込み広告が入っていたりして,相も変わらす生徒集めに余念がありません。しかし,世界は急激に変化しているのに,50年前と何も変わらない日本の教育界です。
 私が学生だったころは,「学歴」というブランドさえあれば将来が安泰とばかりに,進学競争に明け暮れたものですが,未だ,そのころの価値観のままの人が大勢いるようです。〇〇大学合格者〇人や〇〇高等学校合格者〇人とか〇〇中学校学年順位〇番とか,バカみたいです。
  ・・
 コロナ禍でしばらく学校に行けなくなったというだけで,思いつきではじめた学校のIT化。しかし,今や,学校は,定年後の再任用教師と非常勤教師ばかりで,いくらIT化をすすめようと,それを理解できる人材にも事欠いているのが実態です。タブレットも使いこなせません。また,英語教育の充実が叫ばれても,学校にひとりのALTがそれも週に1回程度派遣されるだけだったり,コンピュータ教育の充実がいわれても,学校には40台のパソコンが配備されているだけでは,絵にかいた餅でしかありません。これでは,まじめに将来を考えている若者の多くは不登校になります。

 私が学生のころ「主要5教科」といわれました。今もいうのかな? しかし,今や「主要5教科」は時代の流れについてゆけず,まさに「斜陽5教科」。高等学校を卒業するまでに「主要5教科」で身につけた知識なんて化石のようなものになってしまいました。まったく役には立ちません。
 本来は,その「主要5教科」の中で教えればいいようなコンピュータ技術も,形骸化したカリキュラムではそれを教えることができず,申し訳程度に,それも,生きるためにとても大切な「家庭科」の単位を削って新たに作られた3年間でたった2単位しかない「情報」という教科に丸投げしている始末です。しかし,その教科「情報」もまじめに取り組んでいないものだから未だに専任教員すら採用していない県があったりして,業を煮やした文部科学省が共通テストの範囲にするとか,これもまた,テストを課せばやるんじゃないかという旧時代的な価値観そのものです。
 AIがディープラーニングでさらに進化している時代に,何をしているんでしょうかねえ。これでは人材は育ちません。
  ・・
 中等教育にはふたつの側面があります。そのひとつは,将来生きていくために必要な技術や技能を身につけること,そして,もうひとつは,人が人として生きるための文化を身につけることです。このふたつをごっちゃにしているから,結局,そのどちらも身につかないのです。
 国語では,前者の面では,きちんとした言葉が使えることが基本ですが,本も読まず,文章も書けない,というか学んでいないので,そうした基本の能力すら育ちません。かといって,後者の文化的な面では,古典を学んでも,読めるようにしたいのか,文化を紹介したいのかが意味不明で,その結果,使いもしない古典文法を時間をかけて学んだり英単語のように古文単語を暗記したりしているありさまです。
 社会では,古代ローマやギリシャの歴史よりも知っていないければならない教養が山ほどあるのに,世界史の教科書にはスペイン風邪すら載っていません。中東問題もまた,きちんと学べません。また,民主主義の意義やら,それを手に入れた人類の苦悩も教わることがありません。さらには,資本主義社会でありながら,税金や投資の仕組みも学べません。
 数学では,やっていることといえば,大学入試問題が解けるようになるためのノウハウを伝授して訓練しているだけで,それでは,数学的な考え方を身につけることもできません。苦手な生徒は嫌いになるだけだし,将来,数学が必要な生徒には,行列もベクトル解析もカリキュラムにはないから,その基礎すら学べません。
 まだ理科はその内容が学問の発展についていっているだけましですが,結局,入試問題が解けるようになるための訓練をしているだけで,十分な時間をとって実験を行ったり観察をすることができないので,ときめきを感じたりそれが動機で好きなったり,そんな本来の魅力を味わうこともできませんし,実習でコンピュータを使おうにもその機器がありません。
 もっとも気の毒なのは英語です。つねに英語はその到達する能力が測られやすいだけにやり玉にあげられ,それは英語だけでなく,これまでに書いた他の4教科も同様なのに,学校教育では英語が身につかないと批判されています。そもそも,ひとりの教師が40人の生徒を相手に,外国人補助教師もおらず情報機器を使うこともできず,そのなかで,どう教育をしろというのでしょう。まことに気の毒な限りです。

 というように,徹底的に劣化してしまった日本の中等教育ですが,文部科学省のやることといえば,大学入試改革とやらの名目で,結局,入試を難しくすることだけです。これでは,教育という名の産業にお金儲けをさせるだけのことです。そしてまた,そんな教育に魅力を感じないから教師の成り手も減り,定年退職後の老後のお小遣い稼ぎのような人ばかりとなり,そんな教育で子供を育てたくないからと,少子高齢化がますます悪化していくわけです。
 かくして,この国では,物言わぬ,そして,責任を取らぬ政治家と,何も考えず,言われたことだけをやったふりをする大人が大量に作られていく… のかな? 
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 私はまったく興味がないので1秒もテレビ中継を見ていませんが,風の便りではやっと多額の税金を使った国境をまたぐ大運動会が終わるようです。
 アメリカの「イリノイニューストゥデイ」(Illinoisnewstoday.com)によると,この大運動会の費用は公式では約1兆7,000億円で,それだけのお金があれば,300床の病院が30,小学校なら1,200が建てられるそうです。実際はその2倍以上以上かかっているらしいので,その倍は作れるのでしょう。
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Tokyo (AP)
According to a study by the University of Oxford, the official price tag for the Tokyo Olympics is $ 15.4 billion, the highest on record. What else can those billions buy?
Baseball stadium numbers to build a 300-bed hospital in Japan for $ 55 million. So you can put almost 300 of these.
The average elementary school cost in Japan is about $ 13 million. At that price, you can get 1,200 schools.
The important thing is that the Olympics are expensive and can ignore other priorities. In fact, according to some Japanese government audits, the actual spending of the Tokyo Olympics is even higher than the official figures, perhaps doubling. All but $ 6.7 billion is publicly funded by Japanese taxpayers.
According to the latest budget, the IOC’s contribution is $ 1.3 billion. It also fell by hundreds of millions of dollars after the pandemic.
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 まともな設備の公立学校すらないのが現実なのに,たった2週間の国境またぐ大運動会のために国民ひとりあたり3万円も負担したということになります。こうしてまた無駄遣いが教育の劣化に油を注ぐことになりました。
 その結果「1964年の東京オリンピックがこの国の繁栄をもたらし,2021年の東京オリンピックでその終焉を迎えた」と将来記録されることになってしまうことでしょう。若者にカンフル剤を与えれば刺激になっても,年寄りにカンフル剤を与えたら死んでしまいます。

キャプチャ

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 2021年7月28日の朝日新聞「外国語の扉」というコラムに川﨑宗則選手が載っていました。 
 川崎宗則選手は1981年生まれといいますから,現在40歳。プロ野球選手で,30歳のときに渡米して,MLBの選手として活躍しました。今はBCリーグ(Baseball Challenge Leagueは北陸・信越地方5県と関東地方5県,東北地方1県,近畿地方1県を活動地域とするプロ野球の独立リーグ)の栃木でプレーを続けています。
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 川崎宗則選手は,アメリカに行ってはじめはほとんど英語が話せなかったのですが「彼には語学の壁はない。なぜなら笑いとジェスチャーと片言でコミュニケーションをとるから」と評され,旺盛なサービス精神もあってチームメイトや現地のファンからも愛されました。
 トロント・ブルージェイズに所属していたときには地元で高い人気を得て,地元の総合ウェブサイト「The Score」に「川﨑が愛される7つの理由」というコラム記事が掲載され,圧巻のヒーローインタビューが「史上最高のポストゲームインタビューか?」(Greatest postgame interview ever?)と評されたほどです。

 このコラムによると,川崎宗則選手はアメリカに渡ってはじめて英語と向き合ったのですが,聞き取れる英語は「ベースボール」くらいで,通訳もおらず大変だったそうです。仲間と頻繁に食事や飲みに行って少しずつ彼らの言うことがわかるようになっていき,そのうち「あ,俺英語しゃべってたんだ」と気づくようになったといいます。
 「勉強するのではなく,楽しい時間を過ごすことで,語学は身につくと思うんです」「英語ができない僕と英語ができるインタビュアーの互いがフォローし合ってひとつのコミュニケーションが成立していました」。
 当然,正確な英語が話せればそれに越したことはないのでしょうが,それ以前に,言葉というのはコミュニケーションの手段であり,楽しんでそれができることこそが大切であり,優先されるべきでしょう。私も,オーストリアのウィーンでドイツ語しかできない初老の女性と私の英語で会話が成立したことがあります。そしてまた,フィンランドのヘルシンキでフィンランド語しかできない初老の男性と私の日本語でこころが通ったこともあります。そんなものです。

 「成功はできなかったけど,野球のおかげで素晴らしい仲間に出会えて幸せでした」ということですが,なんのなんの,川崎宗則選手は大成功の人生だと私は思います。人は生まれたときの器や能力があって,それは人と比べるものではなく,また,富や名誉を追い求めることが生きる目的ではなく,自分の居場所があって自分らしく生きるということが最高の幸せです。成功というのはよい成績をあげることではないのです。
 川崎宗則選手は憧れのイチロー選手と一緒にプレーしたくて米国に渡ったということですが「それ以上の幸せが僕には待っていたんです」と結んでありました。
 イチロー選手がかたくなに英語でインタビューを受けず,人前で英語を話さなかったのとは対照的でした。
 川崎宗則選手は,イチロー選手が手にすることができなかったMLBチャンピオンリングを2016年のシカゴ・カブス時代に獲得しています。

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 この国では「シャープ(♯)」と「ハッシュ(#)」を混同しているようです。
  「シャープ(♯)」は音楽記号で,ユニコード(コンピュータ上の文字コード)は「U+266F」です。読み方は「シャープ」「嬰記号(えいきごう)」,英語では「sharp」です。
 一方,「ハッシュ(#)」は番号を記す際に用いられる記号で,ユニコードは「U+0023」です。読み方は「番号記号」「番号符」「ナンバー記号」「ナンバーサイン」「ナンバー」「井桁」「ハッシュ」「パウンド」,英語では「number sign」「numerical sign」「number key」「hash mark」「hash key」「pound sign」「pound key」です。
 電話の「#」キーやコンピュータのキーボードで打つことができるのは「ハッシュ(#)」のほうです。
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 最初に書いたように,「シャープ」と「ハッシュ」は混同されて使われています。そもそも別物だという認識すらないケースがほとんどです。 電話の音声案内で「~シャープを押してください」というメッセージが出るのですが,正しくは「ハッシュ」です。日本ではこの「シャープ」という間違った読み方がすっかり定着してしまいました。

 ちなみに,電話で「*」キーも「コメ印」とよぶことが多いですがこれは「星印」,英語では「star key」,ユニコードは「U+26B9」です(ただし,このユニコードはネット上では表示できないようなのでここでは便宜上「アスタリスク」で表示してあります)。こちらも「アスタリスク(*)(*)」とは異なって,アスタリスクは左と右が開いていますが,上と下が開いています(=1番目の写真)。
 「アスタリスク(*)(*)」は英語(ラテン語)では「asterisk」,ユニコードは半角では「U+002A」全角では「U+2217」です。ただし,iPhoneの電話では何かの間違いか誤解で,あるいは意識して「アスタリスク」が表示されています(=2番目の写真)。
 コンピュータのキーボードで打つことができるのは「アスタリスク」のほうです。
 余談ですが,「*2*2」(コメニコメニ)とは,ポケベルが流行した時期,カナ変換をするためにまず最初に「*2*2」を打ち込むことから流行った言葉ということですが,私はポケベル世代の前なので,知りません。

 と,ここまでは知る人ぞ知る有名なお話(ただし,「アスタリスク」については間違った説明が多く見受けられます)ですが,これを書いていて,私は「トニイホロヘハヘロホイニトハ」という呪文を思い出しました。これは正しくは呪文ではなく,楽譜に記載された「シャープ(♯)」と「フラット(♭)」記号の数による調性を覚えるための言葉です。
 私が通った中学校は音楽科でもないのに,音楽の授業でやたらとむずかしい楽典を習いました。確かにピアノとか習っていた人が多く,そういう人たちにはこれで十分だったのでしょうが,私にはまるでちんぷんかんぷん。そこで友人が教えてくれたのがこの言葉だったわけですが,音楽とは関係なく,楽典も数学の公式みたいなものだから,それはそれでテストは何とかなりました。まったく楽器も弾けず音楽の才能もない私が,今,クラシック音楽を楽しめるのはこの授業でほどほどの楽典を習ったからでしょう。
 それにしても,音楽というのは不思議なものです。ミとファ,シとドだけが半音で移動するし,それを楽譜という形で表記するというのは,そもそもだれた考え出したことなのでしょう。数学の表記もそうですが,別に,このように書き表さなければならないという必然性もないのに定着して,それを当たり前と受け止めているわけです。
 そんなことを考えてみると,人間の考え出した記述というものの不思議さを思います。


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 今から35年ほど前,毎週日曜日の朝,NHKFM放送で「モーツアルト・その音楽と生涯」という1時間番組が長年放送されていました。 この番組は,モーツアルトは,その短い生涯に600曲以上の作品を残しましたが,レコードやCDなど,音源のあるすべての曲を私の尊敬する音楽評論家・吉田秀和さんの解説とともに聴いていくという番組でした。 その当時,すでに吉田秀和さんは70歳を越えていたので,全部やれるのかなあ? と心配しながらはじめのうち聴いていたのですが,途中でめげた記憶があります。放送自体は無事完結したようです。
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 吉田秀和さんが亡くなったあとで,その放送の解説部分を文字にした「モーツアルト・その音楽と生涯」という全5巻からなる本が出版され購入しました。また,だれがやっているのかは不明なのですが,YouTube にそのときの放送が順にアップロードされはじめました。それを知ってはいたものの,なかなか聴く機会もなかったのですが,コロナ禍で,家にいることが多いので,これまでできなかったこうしたことに時間が割けるのもいいかなと,1年ほど前から,本を読みながら聴きはじめました。

 と,ここまでは昨年書いたお話ですが,1年たって,どうなったことでしょうか?
 やはり,途中の「ポントの王ミトリダーテ」(K.87/74a),「救われしベトゥーリア」(K.118/74c),「アルバのアスカニオ」(K.111),「シピオーネの夢」(K.126)で挫折をしかけました。というか,ここで数か月のブランクができました。
 よく知っているものならともかく,オペラなど,字幕もない状態で何時間を聴くのはかなり困難なことです。それを我慢して乗り越えたら,弦楽作品が多くなってきて,次第に楽しくなってきました。今では,130曲を越えました。本ではやっと第1巻が終わったところです。でも,まだ,モーツアルトは17歳です。
 いかに天才モーツアルトとはいえ,10代の作品は駄作? ばかりです。というか,音楽が専門の人にはおもしろいのでしょうが,聴くだけの私は,退屈な曲が多くあります。しかし,めげずに聴いていると,宝石のような曲にも出会います。たとえば,ディべルティメント(K.136/125b)とか,交響曲第25番(K.183/173dB)などです。こうして順に聴いていくと,モーツアルトの音楽が次第に成熟していくのがわかっておもしろいです。やはり,有名なものは当然いい,という当たり前の結論になってしまうのですが,そうでない曲の中にも,自分の感性と同期できるものがあればなあ,という期待もあるので,これからが楽しみです。
 しかし,私が聴き終えるにはいつまでかかるのだろうか?

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 歴史を知る目的のひとつは,それを教訓にしてこれからの社会の役立てることにあると思うのですが,どうやら,人は愚かにも同じ過ちを繰り返しているだけのようです。ならば,歴史を学ぶのは単なる受験勉強のため以外の何ものでもありません。
 と思うのですが,この1年,世の中は,というか,日本は,歴史から何も学ばず,相変わらず混乱を繰り返しているだけのようです。と感じたのは,1年前のブログを読み返してのことでした。そのころ書いていたのが「自宅籠城の記」でしたが,あれから1年過ぎても,私は,今も変わらず自宅籠城のようです。
 
 1年前の今ごろ「40年前より物価は2倍,学費は10倍」という内容のブログを書きました。
 簡単に,大まかにいえば,1970年代のいわゆる「石油ショック」で日本の物価は急激に高騰し,約4倍になりました。つまり,今から50年前から40年前の10年間で4倍となったわけです。その後の40年では約2倍なので,ここ50年で物価は8倍になったという感じでしょうか。だから,50年前と比べて,値段が8倍以上になったものは高くなり,それ以下のものは安くなったと考えればいいのです。
 50年前,アサヒペンタックスという大衆向けのカメラは約3万円ほどでした。ニコンFといったプロ用の機材は8万円くらいでした。車は,大衆車のカローラが50万円くらいでした。岩波書店の新書が150円でした。それらを8倍してみると,現在のおよそのことがわかります。そんな時代,1台50万円のカメラは安いのでしょうか,それとも,高いのでしょうか? しかし,現在は,10万円も出せば,ほぼ何でもできてしまうスマホが手に入ります。

 そんなことをなんとなくぼんやりと考えていたのですが,確かに,物価が8倍と割り切ることはできても,そして,50年前に発売されていたカメラにせよ,車にせよ,値段が8倍であっても,今のほうが圧倒的に性能が向上しているわけだから,むしろかなり安価になったということができるでしょう。しかし,ものがあふれている今,それを手に入れたときの喜びは,その時代に比べてありません。期待感というか高揚感というか,そういった気持ちがもてないのです。希望がわかないのです。
 なんだか,それがとてもむなしいです。

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