しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

カテゴリ:アメリカ合衆国旅行記 > 旅行記・2016夏

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●突然ファーストクラスへアップグレード●
 搭乗時間になったので,機内に入って座席についた。めずらしくアップグレードもなく,ひさびさのエコノミーは狭くうんざりした。通路側であることだけが救いであった。隣の窓際席にはフィリピンに帰国するという男性がいた。
 出発を待っていると,突然,客室乗務員から名前を呼ばれた。搭乗する直前にアップグレードになる場合はよくあるが,もう座席についていたので,びっくりした。席の変更ですと言われた。何とファーストクラスにアップグレードだそうだ。おもわずニッコリしたら「嬉しそうですね〜」とからかわれた。

 私はゴールドステータスなので,普段,購入する座席は安価なエコノミーでも,国際線はほぼエコノミーコンフォートにはアップグレードされるし,アメリカの国内線はファーストクラスにアップグレードされる。しかし,国際線でファーストクラスへのアップグレードというのは対象外なのである。
 おそらく,ファーストクラスで突然キャンセルが出たのであろう。そして,一人旅で,かつアップグレードの優先順位が高かった私にその特典が回ってきたのだろう。噂では,こういうときのアップグレードというのは,用意された食事を無駄にしないための処置,つまり,胃袋替わりだそうだが,そんなことは私にはどうでもいいことで,これは幸運以外の何物でもなかった。
  こうして,往復10万円にも満たない運賃で成田とシアトルの往復をしたのに,復路をファーストクラスで過ごすことになった。はじめに座っていた席の周りの人たちに「グッバ~~イ」と言って,席を移動した。

 搭乗が終わった機内であったが,なかなか飛行機は飛び立たなかった。飛行機の離陸というのは,滑走路の脇で数珠つなぎに順番待ちをする。混雑する時間だと30分以上も待つことがある。飛行時間というのは搭乗を終わってから離陸までの時間も含んでいるので,実際は,空を飛んでいる時間というのは書かれてある飛行時間よりもかなり短いのだ。この時はそれに加えて,オーディオシステムの不具合ということで再起動を繰り返していた。こういう不具合には結構出会う。何百億円もする最新の技術の塊のような飛行機なのに,オーディオひとつ完璧に作動しないというが不思議というか,心配というか,こんなことで安全なのか,このあたりのことが私にはよくわからない。何百万円もする車に装備されている時計がスマホの時計より正確でないのが私には不思議極まりないのだが,それと同じことだ。
 飛び立つ前,私は,ファーストクラスの装備を物珍しそうにいじくりまわしていた。客室乗務員からガラスの器に入った飲み物が運ばれてきた。
 やっと離陸した。

 ファーストクラスの利点は,フルフラットになるシートと豪華な食事である。ここまで贅沢な食事は必要がないようにも思えるのだが,フルフラットシートはくつろげる。こうしたシートで旅行をするのなら,長い時間のフライトも悪くない。
 この数年後,私は格安航空というのに乗ってオーストラリアに行ったが,食事は別料金で頼まないと出てこないしさらに飲み物ひとつそれとは別の料金だし,映画を見るにもお金がいるし,カバンを預けるにも名古屋から東京まで新幹線に乗るほどの別料金が必要だし,座席は狭いし,客室乗務員は仕事もせず本を読んでいたし,いったいこの差はなんだろう。まさに,飛行機の機内はカースト制である。
 クラシック音楽のコンサートで年老いた指揮者が日本に来るのは大変そうに思っていたが,このようなファーストクラスを利用するのならそれほど大変なことではないのかもしれないと思ったものだった。
 私は,これ以前にも,この後も,何度かファーストクラスに乗ったことがあるが,このときのファーストクラスがもっとも豪華であった。私の隣の席は,いかにもファーストクラスに乗りなれたという感じの若い女性であった。どういう身分なのだろう? と思った。世の中にはいろんな人がいるものだ。

 何度か出た豪華な食事を食べ,勧められるままに飲み物を飲み,アイスクリームを食べ,映画を見,さらに,うたたねをしたりして,時間はあっという間に過ぎていった。せっかくの贅沢な時間をもっと満喫したいものだと思った。これなら20時間でもいい。やがて,ブタになりかけたころ,日本に戻ってきた。
 アメリカからの帰国便は昼が8時間増えることになるから,時差ボケもほとんどないし,帰国後にたっぷり寝られるから機内で寝る必要もないので,夜が8時間減ってしまう行きに比べてずいぶんと楽である。シアトル出発から9時間後,6月だというのに暑い成田に着陸した。
 今思うに,この旅が私の旅したなかで最も充実した旅だったように思う。

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●幸運に恵まれた旅の最終日もまた●
☆6日目 2016年6月29日(水)
 いよいよ最終日になった。今日は帰るだけである。シアトルはアメリカ本土で日本から最も近い都市だから,帰るのはとても楽である。フライトはお昼の12時過ぎだから早朝に起きる必要もなく,ぐっすりと睡眠をとって7時に起きた。
 アメリカ旅行で大変なのは日本への直行便のない地方都市に出かけたときである。そうした場合は早朝のフライトに乗って,シアトルなどでトランジットをしなければならない。
 私が泊まるようなアメリカのふたつ星の安価なモーテルは,単に泊まるだけのところなので,朝食がついていないことが多い。しかし,私は空港のデルタワンラウンジを利用する権利をもっているので無料の朝食が食べられるから,それで何の問題もない。
 そこで,この日もまた朝8時にチェックアウトをして空港に着いて帰国便のチェックインを済ませ,ラウンジで朝食をとることにした。

 シアトルではタコマ空港に接続する道路をインターナショナルストリートというが,ホテルからその道路に出て,そのまま次の交差点を左折したところにレンタカーリターンがあった。シアトルでは巨大な駐車場がそれぞれのレンタカー会社のパーキングとなっている。車は返すだけなのでわずか数分で済ませ,そのままシャトルバスでターミナルまで行った。
 シアトルのような大都市の空港のターミナルは朝はすごく混雑している。これを書いているこの旅の3年後の今は,スマホのアプリで帰国便のチェックインを済ませ,荷物は機内にキャリーオンにしているので,いくら混雑していても関係がないということを知っているが,この旅をした時点では私にはそうした知恵がなかった。
 しかし,一般客用のチェックイン機は長い列ができていたが,プライオリティのほうはガラガラで,5〜6台あったチェックイン機(キオスクという)はすべてあいていた。キオスクは以前はパスポートをなかなか読み取ってくれなかったのだが,機械が改良されたのかすんなりと読み取って搭乗券をすぐに手に入れることができた。荷物もすぐに預けて,セキュリティを通った。
 セキュリティもまた,空港によってずいぶんと違う。田舎の地方都市だとすぐに通れるのだが,シアトルのような大都会では,これもまた長蛇の列になる。しかし,ここもまた私はプライオリティラインから入れるので簡単にそれをすり抜け,すぐにターミナルに到着した。アメリカには出国手続きというのはない。
 アメリカの空港にはTSA Pre という特権があって,アメリカ在住だとお金を出してそれを手に入れるのだそうだが,日本人はデルタのゴールドステータスになれば,この権利を使うことができた。せっかくその権利があるのに知らない人もいるらしい。

 あとはラウンジで出発時間を待つだけであった。
 ラウンジというのもまた,さまざなランクがある。カード会社のゴールドカードの特典として利用できるところ,プライオリティパス(私も持っている)で利用できるところ,そして,航空会社のゴールドステータスをもっていると利用できるところである。
 このうち,カード会社のゴールドカードで利用できるようなラウンジは単にソフトドリンクが飲み放題だけの待合室のようなものだし,プライオリティパスで利用できるラウンジは,空港によってずいぶんランクの違いがある。 航空会社のゴールドステータスで利用できるラウンジが最も豪華だが,盛んに宣伝しているJALやANAのような日本の航空会社のゴールドカードを持つステータスでは,日本の空港とハワイのラウンジくらいしか利用価値がないので,実際はほとんど意味がない。そういう意味ではデルタ空港のゴールドステータスがアメリカ国内の空港を利用するときは最強である。

 この日もまた,搭乗時間まで食事をしたりネットで日本のニュースをチェックしたりして過ごした。
 インターネットというものがなかったころは,日本に帰るまで日本で何が起きているのかさえわからなかったから,それなりに心配でもあり,また,楽しみでもあった。今の私と違って,日本のプロ野球に興味があったので,2週間も日本を留守にすると順位がとんでもなく変わっていたりしておもしろかった。しかし,今や,世界中どこにいても同じ情報が手に入るから,帰国してから旅行中にたまった新聞を読むという楽しみもなくなった。
 さて,いよいよ搭乗時間となった。
 今思い出すと,この旅は幸運に恵まれたことだらけであった。帰国便の混雑した機内,ここでもまた,私は望外の幸運が訪れるのである。

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●何事も運だということを痛感する。●
 2年連続で岩隈投手が先発するゲームを見たというのもまた幸運なことであった。
 岩隈久志投手は現在は日本のプロ野球に復帰したらしいが,私は,メジャーリーグの選手には興味があるが,日本に復帰したメジャーリーガーはまったく興味もないし,見たいとも思わないから,今のことは知らない。唯一の例外として,何を血迷ったか,一度だけ神宮球場で日本のプロ野球を見たのだが,そのときの先発が石井一久投手であった。私はヤクルトに復帰していたことすら知らなかったから,何をやっているんやらと思った。それにしても,神宮球場はひどかった。アメリカの3A以下の野球場であった。
 ところで,岩隈久志投手がシアトル・マリナーズに在籍したのは2012年から2017年までで,それほど期待もされていなかったが,63勝もあげた。私が見たのはこの年と前年,つまり,2015年と2016年の全盛期だった。

 ゲームが終了して,道路を隔てたところにある駐車場まで行った。昨年はボールパークから直接アクセスできた場所に停めたが,今回は安価なパーキングにしたので,少し歩く必要があった。どちらにせよ,シアトルは治安が悪くないから,こうして夜の町を歩いていても安心なのである。
 そういえば,数年前,はじめてシアトルに来たときにはスペースニードル(Space Needle)の近くに車を停めたので,ボールパークからは公営バスに乗らなければならず,バスが来るまでずいぶんと待ち時間があって不安になったことを懐かしく思い出す。そのときは,その後にシアトルという町に何度も来ることになろうとは夢にも思わなかった。

 車に乗って予約したホテルに向かったが,しかし,暗くて道路がよくわからず,今とは違ってカーナビ代わりに iPhone を使うことも知らなかったので,レンタカー会社で借りたカーナビに表示したホテルが同じ名前の別のホテルだったりして違うホテルに着いてしまったりと苦労した。
 やっと予約したホテルに着くと,フロントには先客がいて,チェックインにずいぶんと待たされた。彼らはセルビア人の飛び込みで,なんでもアメリカに着いたばかりで手持ちがユーロしかなく,そのためにフロントで宿泊を断られてもめていた。日本ではそうあることではないが,こういうのが世界基準で,自分の準備不足を棚に上げてやたらと権利を主張するのである。おそらく彼らは何事もこうしてムダに時間を使って生きているのであろう。彼らが引き下がらないものだからなかなか私の番が来ず,いらいらしていると,なんと彼らは私にユーロの両替えを頼んできた。かわいそうだったので助けてやろうと思ったが,どうも胡散臭かったので断った。そのころの私はユーロ紙幣すら見たことがなかった。
 海外で不安を感じるのはこういうときであり,最も注意しなければならないのもこういうときである。
 
 そんなこんなで,早くチェックインをしたかったのに,ごたごたしてずいぶんと時間をロスしたが,なんとか予約したホテルにチェックインすることができた。明日は帰国するだけなので,テレビを見て夜を過ごした。部屋に入るとすでに 深夜12時であった。
 私がアメリカに行ったときに楽しみにしてる番組が,いつも書くように  NBC の「The Tonight Show Starring Jimmy Fallon」である。しかし,NBC が何チャンネルかを探すのに一苦労する。そして,何時から放送されるのかを調べるのがまたひと苦労である。やっとのこと探し出したら,ちょうど放送中であった。この番組を見ていると,いつものように,アメリカに来たなあ,と思うのだった。

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●今年も先発は岩隈久志投手だった。●
 この日の晩はMLBシアトル・マリナーズのゲームを見ることになっていた。ゲームのチケットも,駐車場の予約もしてあった。しかし,インターステイツ5に入った途端渋滞に巻き込まれて,開始時間に間に合うかいな? と心配したが,渋滞から脱してこのまま直接ボールパークへ行けばゲームに間に合いそうだったので,ホテルにチェックインしてからボールパークに行くという予定を変更して,そのままボールパークに行くことにした。
 実は,昨年シアトルに来たときもベースボールを見た。そのときは駐車場は予約していなかったが,値の張る公式駐車場に空きがあったのでなんとか駐車することができた。そのときに停めた駐車場というのが狭いスペースだったが,私はアクロバティカルにバックで駐車して,周りの喝さいを浴びたのだった。今回は,あらかじめもう少し安価な駐車場を予約してあった。

 MLB,昔は駐車場の心配などしなくても無料の駐車場にいくらでも車を停めることができたのだが,近ごろはゲームのチケットを買うよりも駐車場のほうが高いような状況になってきた。いくら高くても車はどこかに停める必要があるので足元を見られているかのようだ
 私は,この数か月後,フロリダ州のマイアミに行ってマイアミ・マーリンズのゲームを見たのだが,事前に公式駐車場の予約をしていなかったために駐車することすらできなかった。仕方なく,民家の庭のスペースを駐車場として営業していたところに車を停めた。これではまるで日本だ。
 駐車場が異常に高いのはなにもMLBに限ることではなく,ダウンタウンにあるホテルに宿泊するときも同様で,宿泊代より駐車場のほうが高いほどなのだ。これはアメリカだけに限らずオーストラリアも同様である。近頃の世の中は本当にどうかしている。

 道路標示に従ってインターステイツ5を降りて,一般道をボールパークに向けて走った。遠くにマウントレイニーの美しい姿が見えた。この季節のシアトルは気候もよく過ごしやすい。私は何度もシアトルに行ったが,いつもこの時期なので天気がよいから,そういうイメージしかないのだが,この町は夏場以外は天気が悪く,冬も寒いという。
 予約をしてあった駐車場は,指定された公式駐車場のなかでも駐車料金が安いところだったので,ボールパークからは道を隔てた少し遠いところにあった。駐車場に着いてはみたものの,どこに停めればいいのかといったシステムがわからず戸惑ったが,近くにいた人に尋ねてなんとか車を停めることができた。尋ねた人もボールパークに行くところだったので,車を停めてから一緒に歩いていった。話をしてみると,なんでも彼はチケットオフィスのスタッフだということだった。「今日は球場お客さんすくないよ。駐車場の料金が安いからわかる」ということだった。駐車料金が需要と供給で変わる,これもまたアメリカらしい話だ。この日のゲームの相手チームはは不人気チームのパイレーツだった。

 昨年見たときの先発は,偶然岩隈久志投手だった。ついていると思ったのだが,その次のローテーションで投げたゲームで,なんとノーヒットノーランをやってのけたので,がっかりした。
 しかし,今年もまた岩隈久志投手が先発だったのには驚いた。こういう偶然というものもあるのだ。私はこうした偶然で,これまで,ダルビッシュ有投手も見たし,前田健太投手も見たし,ランディ・ジョンソン投手もみた。野茂英雄投手だけは登板するまでその地にいて,そして見た。
 シアトル・マリナーズのボールパークの名前は今年から変わったが,このときはセイフコフィールドだった。セイフコフィールドにはお寿司屋さんがある。私はこれまで来たたびにそこでお寿司を買ったので,今回も行ってみた。お寿司を買っていると,店長さんに声をかけられた。そして少しお話をした。それが縁でこの店長さんと知り合いになった。思いがけない出会いというものがあるものだ。
 この日岩隈久志投手は7回途中で降板したが勝ち投手になった。この日もまた,私はゲームの終了を待たず,セブンスイニングストレッチが終わったところでボールパークを後にした。

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●シアトルはいつも大渋滞●
 グレイシャー国立公園からの帰り道に州道20を西に西に走り,途中で1泊して,ノースカスケーズ国立公園の雄大な風景を見ることができた。  
 ノースカスケーズ国立公園からはあと2時間ほど走るとシアトルであった。州道20はバーリントン(Burlington)というシアトルからずっと北のところで,インターステイツ5とのジャンクションに到達する。そこでインターステイツ5に入れば,あとは南に向かってインターステイツ5を走るだけであった。 
 州道20はノースカスケーズハイウェイという通称になった。カスケーズバーガーという看板のかかったハンバーガー屋さんがあったころ,次第に人家も増えてきて,それとととも車も増えてきた。これまでの大自然がうそのように現実に戻された。

 グレイシャー国立公園に行きたいというだけの理由でわざわざやって来たが,今にして思えば,なんと完璧な旅であっただろうか。アメリカは5泊7日程度でふらっと旅をするのが最も楽しいように思う。
 この日の予定は,まず,空港近くに予約したモーテルにチェックインをしたのち,夜,MLBシアトル・マリナーズのゲームを見ようということであった。そして,シアトルで1泊して,次の日に帰国するのである。
 ところが,インターステイツ5に入った途端大渋滞に巻き込まれて,車がのろのろ運転になって,10マイル進むのに1時間もかかるようになってしまった。
 シアトルは日本から近く,とてもいい町だ。私はこの旅をした2016年の前の年2015年にも2回シアトルに来たし,また,2017年にもシアトルに行くことになった。
 ただし,この町の問題は道路がやたらと混むことである。太平洋に沿って町があって,町に沿ってインターステイツ5が南北に走っているが,山が迫っていてこれ以上道路を拡張するスペースがないものだから,車があふれかえるのである。

 道路に頻繁に速度表示がある。これは制限速度の表示ではなく,現在はこのくらいの速度しか出ないという表示なのである。
 こんなにだらだと走っていてはいつシアトルのダウンタウンに到着できるのだろうかと,次第に心配になってきた。とはいえ,インターステイツを降りたところで,一般道もまた,同じように渋滞し,しかも一般道には信号があって余計に進まないことはすでに経験済みだから,覚悟して渋滞のなかをのろのろと走るしかなかった。
 よくよく観察していると,渋滞の原因はインターステイツに車が多いことだけが原因ではなく,インターステイツから一般道に降りる降り口が狭く,降りられない車で車線がふさがっていたのであった。日本ではありがちな光景だが,アメリカのインターステイツでこういうのはシアトルくらいのものである。これもまた,車線を増やすスペースがないからである。

 ダウンタウンのはるか手前からこんなに渋滞していては,いつダウンタウンに入ることができるのだろうと心配になったころ,ダウンタウンよりもずっと手前で渋滞が解消されてしまった。ロサンゼルスのインターステイツもそうだが,ダウンタウンよりも郊外に住む人の車が渋滞を作っているらしい。
 そんなわけで,どうやらゲームのはじまる前にダウンタウンに到着した。しかし,モーテルにチェックインをしてからボールパークに向かうには時間が押していたので,そのままボールパークに行くことにして,私はインターステイツを降りた。

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●美しいふたつの湖●
 巨大な湖はロス湖(Ross Lake)=1番目の写真 であった。ロス湖は天然の湖ではなくダム湖,ワシントン州の大きな貯水池である。ロス湖を作ったロスダムはもともとルビーダムとよばれ,1937年から1949年の間に3段階で造られ,現在は540フィート(160メートル)の高さに立っている。ロス湖はシアトルをはじめとするワシントン州,およびその周辺地域に提供する水力発電のため,シアトル市によって運営されている。
 ロス湖は南北に約23マイル(37 キロメートル),幅1.5 マイル(2.5キロメートル),標高は海抜1,604フィート (489メートル)である。州道2から北にカナダとの国境まで続いていて,氷河に削られた山々の間に静かに佇んでいる。湖の色は乳清色で不思議な景観を見せているが,これは鉱物の成分によるものである。ロス湖に流れ込む多くの川のほとんどは氷河と北カスケードの高い雪原によるものである。
 ロス湖には湖上に浮かぶロッジがあって船で行くのだそうだ。湖畔には多くの野生動物を見ることができる。 

 ロス湖を過ぎ西に行くと,今度は州道2の南にディアブロ湖(Diablo Lake )があった。ディアブロ湖もまた北カスケード山脈の貯水池である。ディアブロダムによって作成されたこの湖は標高1,201フィート(366メートル)である。
 ディアブロ湖はスカジット川の水力発電プロジェクトの一部であり,ここもまたシアトル市によって管理されている。この湖には湖の北岸に沿って3.80 マイル(6.12キロメートル)のトレイルがある。
 カヤックや川遊びに人気のレクリエーションスポットであり,氷の粉とよばれるその微粉末は水にその鮮やかな色を与え,湖を懸濁している。
 このふたつの湖のあいだにディアブロ湖の展望台があって,多くの車が停まっていた。私も車を停めて景観を楽しむことにした。

 湖を過ぎると,あとはシアトルに向かって峠を下るだけであった。いよいよこの旅で訪れたグレイシャー,ノースカスケーズふたつの国立公園もこれで終わりであった。
 峠を下り終えるとそこには Skagit Valley という大平原が出迎えた。このあたりの州道2沿いに雰囲気のよいロッジとレストランがあったので,食事をすることにした。ロッジとレストランはその名をバッファローランインとバッファローレストランといった。そこは,1889年ごろ金鉱夫や木こりがスカジット川を移動する列車が作られた場所だそうだ。
 レストランの名前のように,ここでは
バッファロー,ヘラジカ,ダチョウ,ヤク,ラマ,カンガルー,アンテロープ,イノシシ,アリゲーターといった肉,牛肉,豚肉,鶏肉,そして魚料理が提供される。また,パスタやベジタリアン料理もあるし,自家製のスープやサラダ,そしてドレッシングが用意されていた。
 私はここで野菜サラダをメインにした昼食を注文した。いい雰囲気であった。忘れてしまうレストランもあればこうしていつまでも印象に残るレストランもある。

 食事を終えて,いよいよ最終地シアトルに向けて出発である。
 グレイシャー国立公園に行くときはインターステイツ5を東に進んだのでずいぶんと距離があったように思えたが,帰路は,シカに激突されたり,道に迷ったりといった思いがけないアクシデントはあったが,多くの見どころを巡ることができて,思いのほかすばらしい時間と風景を楽しみながら,シアトルに戻ることができたのだった。

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●アメリカの国立公園は奥が深い。●
 ウィンスロップから今度は間違いなく州道20を1時間あまり走って,ノースカスケイズ国立公園(North Cascades National Park)に到着した。ちなみにウィンスロップからの道は冬場の11月中旬から4月下旬は閉鎖されているということだ。標高も緯度も高く寒いのである。
 しかし,地図で見るとこの国立公園は意外なほどシアトルに近い。私はこの旅でグレイシャー国立公園に行こうと思わなければおそらくノースカスケイズ国立公園には来ることもなかっただろう。こんな雄大な国立公園があるということをうっかりしていた。
 これを書きながら次第に思い出してきた。ここはすばらしい場所であった。シアトルといえば,私がこの旅で走ってきたインターステイツ90沿いを思い浮かべるが,それよりも北の,ノースカスケーズ国立公園とウィンスロップこそ,シアトルから出かけるのに最高の場所ではないか!
 私はこの旅の次の年,シアトルからインターステイツ90を走ってアイダホ州へ2度出かけたのでその印象があまりに強く,こんな素晴らしい場所があったことをすっかり忘れていた。そしてまた行きたくなった。

 ノースカスケーズ国立公園は通常の国立公園とは異なりゲートがない。したがって無料であった。この国立公園は,州道20沿いにある展望台や道路から景観を眺めるだけであった。しかし,それがまた素晴らしいこと! これほど雄大な景色はそう見られるものでない。
 カスケード山脈に沿って州道20が通っていて,そこを走っていると,目の前には標高2,700メートル級の雪を被った山々が圧倒的な迫力で迫ってくる。やがて,ワシントン峠(Washington Pass)に着いた。展望台があったので車を停めて景観を楽しんだ。この展望台からは Liberty Bell Mountain の姿が圧巻であった。
 さらに州道2を2マイル西に進むと,レイニー峠(Rainy Pass)に着いた。ここからRainy Lake に至るトレイルがあるというので,車を停めて歩いていくことにした。Rainy Lake までは往復3キロメートル,1時間ほどの道のりだということだった。

 トレイルは6月だというのにところろどころに雪が残っていた。それでもまだ雪くらいないら大したことはなかったのだが,その先,大きな古木が倒れていて道を塞いでいたりした。どこをどう越せばいいのかわからないくらいの大きな木が行く手を拒んでいた。国立公園だというのに,管理不備で,アメリカらしくないことであった。
 ほとんど訪れる人もいないように思えたが,それでも時折人とすれ違った。なかでも,車いすを引いた数人づれには驚いた。歩いていても道をふさいだ巨木を越えるのが困難なのに,どうやって車いすで越えてきたのだろう。不思議で仕方がなかった。
 そのうちに,どうやら湖に着くことができた。静かなすばらしい湖であった。私の持っている「地球の歩き方」の国立公園編には,この国立公園はあまり記述がなかった。
 この湖に至るトレイルは,亜高山林と湿った草原のなかにあって,ところどころにベンチや標識があるので,迷うことはない。湖に着くと,そこにあったのは,景色を楽しむ展望デッキだけであったが,鮮明できれいな山の空気と鳥の鳴き声が混ざり合い,静かな時間を過ごすことができた。

 来たときと同じようにトレイルに横たわる巨木をさけつつ車まで戻り,州道20に戻った。この先をさらに西に向かって進んでいくと,その先に巨大な湖があった。
  ・・・・・・
 私は行くことができなかったが,ノースカスケーズ国立公園には,国立公園の園外にあたる南にシュラン湖(Lake Chelan)がある。シュラン湖は水深が433メートルもある氷河湖で,シュラン(Chelan)という町から望めるそうだが,南北80キロメートルに及ぶ湖畔は道路すらないので,神秘的な風景を見ることできるという。湖の北岸にステヒーキン(Stehekin)というビレッジがあるのだが,シュランという町からフェリーか水上飛行機でないと行くことができないということだ。シアトルからそれほど遠くない場所に,こんな場所があるとは,やはりアメリカは奥が深い。

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●道を間違えてえらいことに…●
☆5日目 2016年6月28日(火)
 私の泊まるモーテルはウィンスロップのダウンタウンから少し離れていた。ダウンタウンで食事を終え,夕日が沈むのを眺めてからモーテルに戻ってきた。近くのスーパーマーケットで買い物をしたりして過ごしたが,いつまでたっても暗くならない。本当に夜が来るのかしらんと思いながら眠りについた。
 ふと深夜に目覚めると,さすがに日が沈んでいた。外に出てみると,そこには満天の星空が広がっていた。私はこの旅の後,ニュージーランドやオーストラリアやハワイで満天の星空を見飽きるほど見ることができたが,わずか3年前のこととはいえ,このころは満天の星空を見ることもなかったので,非常に新鮮なおどろきであった。
 大自然は本当にこころが落ち着くが,こうした場所に住んでいる人は,日本のような人混みに住み慣れた我々とはまったく違う生活を送っているのだろうといつも思う。そしてまた,こういう場所で生きる術をまったく知らないことを思い知らされる。おそらく我々が大切だと子供の頃から教えられたことなど,大自然のなかで生きるためにはまったく役に立たないのであろう。

 翌朝になった。この旅の5日目,実質上の最終日である。モーテルの部屋の窓を開けると,そこには野生のシカがいてエサの草を食べているところだった。こういう動物がめずらしくもなく人間と共存している。私はこの前年だったかそのまた1年前だったか,アイダホ州でキャンプをしていて,朝,巨大なムースと遭遇したことを思い出した。
 やがて7時になったので,モーテルのレストランで朝食をとった。ちょうど居合わせたのがアーミッシュのファミリーだった。私はこの数か月後に再びアメリカに来た。そのときはフロリダ州から北上してフィラデルフィアまでドライブしたが,そのことはすでにブログに書いた。
 その旅でのこと。ペンシルベニア州のランカスターという町にアーミッシュビレッジがある。私はそのときの旅で,このランカスターに行ってアーミッシュビレッジを見学したのでアーミッシュについては詳しくなるのだが,このときはそんなことは知らない。そして,アーミッシュの人たちと話をしていて,彼女たちが日本に行ったことがあって,そのときに広島で食べた「okonomiyaki」というものがおいしかったとかいう話を聞いて,アーミッシュの人たちも普通の人と変わらないなあと驚いたものだった。
 情けない話である。

 朝食を済ませてチェックアウトをして,この日の目的地であるノースカスケイズ国立公園に向けて出発した。ところが,ここで私は道を間違えるのである。
 前日まで乗っていた車にはカーナビがついていたが,シカに激突されて車を変えたことで,カーナビのない車で走ることになったのが原因であった。今なら海外旅行をするときは Wifi ルーター Glocalme を持っているからつねに Google Map で位置の確認ができるが,3年前にはそんな技もなかった。
 私は,州道20はこのウィンスロップの町をそのまま西にすすんでいくと思い込んでいたので,ずっとそのまま西に向かって走っていった。写真にあるように,はじめのうちは舗装された立派な道路が続いていていたので安心していたのだが,それはその先にあるキャンプ場に行くまでのものであった。アメリカの広大なキャンプ場をどんどんと進み,キャンプ場を出たあたりで次第に道幅が狭くなってきた。それでも私はノースカスケイズ国立公園はこうした狭い道路を走っていった先にあるものだと思い込んでいた。
 とうとう道路の幅が両側1車線ほどになり,ついに未舗装の山の中に入り込んでしまった。それでもまだこの道路で正しいと思っていたのだから,お気楽というかなさけないというか…。しかし,こんな場所で車が故障でもしたらえらいことで,ロッキー山脈の山の中で遭難なんて笑い事にもならないと心配になってきた。
 そのうちに,道にのそっと牛が出てきたりするようになった。こうなると,どう考えてもこれは道を間違えたとしか思えなくなった。それでもまだもどる踏ん切りがつかず先に向かって走っていたが,この先も未舗装の道路はずっと続き,これはとんでもない間違いをしているとやっと悟り,とうとう引き返す決心をした。

 Uターンをする場所さえなかなか見つからなかったが,なんとか切り返しをいっぱいして方向を変え,やっとのことでウィンスロップまで戻ってきた。ウィンスロップの町の入口あたりに何かを売っていた店を見つけて,なかにいたおじさんに道を聞いて,どうにか正しい方向に進むことができた。
 私は州道20はウィンスロップをまっすぐに進んでいっているものだと思っていたが,実はダウンタウンの真ん中で左折していたのだ。私はその場所の道路標示を見逃してしまったらしかった。どこでもそうだが,町に入ると道路がわからなくなる。そんなことは重々承知で,前日に下見までしておいたのに,それで間違えたのだから話にならない。
 日本でしか運転をしない人は想像できないだろうが,アメリカの道路には目立たないほどの標識がひとつあるっきりで,その先には何もないから,たとえ走っている道が正しくても不安になることが少なくない。そして,その距離が半端ではないのである。
 ともかく,私はこうして無事に州道20に戻ってきて,ノースカスケイズ国立公園に向けて再び走り出したのだった。

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●西部劇に出てくるような町●
 1日中一般道を走ってウィンスロップ(Winthrop)にやって来た。まさに「一般道は楽し」であった。以前,ニューヨークのクーパーズタウン(Cooperstown)にある野球殿堂博物館(National Baseball Hall of Fame and Museum)に行ったとき,クーパーズタウンまでインターステイツが走っていなかったのでニューヨーク州の州都オールバニー(Albany) から一般道を走ったことがある。アメリカの一般道をそんな長距離走ったのはそのときがはじめてだったのでずいぶんと感動した。
 そのときのことを思い出した。
 今回,3年前に行ったこのウィンスロップのことを書きながら,ワシントン州にこんな素敵な町があったことを私はすっかり忘れていた。そして,これを書くためにいろいろ調べているうちに記憶がよみがえり,また行ってみたいと思うようになった。アメリカに限らず,ニュージーランドでもオーストラリアでも,私が忘れられないのはこうした田舎ののどかな小さな町なのである。
 
 ワシントン州の壮大なメソウ渓谷(Methow Valley)を走るノース・カスケード・シニック・バイウェイ(the North Cascades Scenic Byway)に位置するこのウィンスロップの町は,今でも西部劇のころに舞いもどったようなところとして保存されているように思えるが,ここは旧中山道の馬籠宿のように,新たに歴史的な町を模して作られたところなのである。
 メソウ渓谷の歴史は,ネイティブアメリカンがメソウ(Methow),トゥイスプ(Twisp),チューワッチ(Chewuch)といった川のほとりに住んで,ヒナユリ(camas)の根を掘り,果実を採り,釣りや狩猟で生活をはじめたときにはじまる。
 1800年代にはじめてこの谷に白人の猟師がやってきたが,1833年ゴールドラッシュが多くの白人の入植者をこの地にももたらした。そのうちの代表的な3人がジェームス・ラムジー(James Ramsey),ベン・ペーリジン(Ben Pearrygin),ガイ・ウェアリング(Guy Waring)だった。特に,1891年,現在シェファー博物館である場所に定住したウェアリングがこの地の「父」とよばれる。また,町の名は冒険家であり作家であったテオドラ・ウィンスロップ(Theodore Winthrop)にちなんで名づけられたものである。
 1893年,ウィンスロップに火災が起きて,町は壊滅的な被害を受けたが再建され,1972年,州道20がこの町を通ることになったとき,キャサリン・ワグナー(Kathryn Wagner)と夫のオットー(Otto)がこの地に西部劇のような町を再建するというアイデアを思いついたのである。

 ウィンスロップのダウンタウンは西部劇のような町になっているが,その手前は広々とした牧草地帯になっていて,数件のモーテルやマーケットがあった。私はそのうちのアビークリークイン(Abbycreek Inn)というモーテルに部屋を見つけて,チェックインをした。
 アイダホ州で山岳標準時から太平洋標準時に変わったので,この日は25時間あって,来たときの逆になった。アメリカでは東から西に向かって旅をするほうが1日が長いのだ。しかも,この旅をしているのは6月だから1年のうちでもっとも昼の長い時期でもあり,しかも,この辺りは緯度も高いから,もう夜の7時というのに太陽が高く,町を歩くのに十分な時間があった。
 一軒のオープンカフェで軽い夕食をとることにした。豪華なレストランよりもこうした食事のほうがずっと楽しい。その後,川のほとりを散歩した。歩いていると,お年寄りの女性が話しかけてきた。雑談をしながら美しい夕日が沈むのを眺めていた。
 ほんとうにここはのどかで素晴らしい,桃源郷のようなところであった。

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●一般道は楽し●
 カリスぺル(Kalispell)の北,国道2の西側にあったグレイシャー・パーク国際空港(Glacier Park Int’ Airport)の駐車場に車を停めて,空港内のハーツの営業所に行った。シカに激突されたという事情を話して別の車を変えてもらった。保険に入っているので,手続きは書類を1枚書くだけである。アメリカは保険にさえ入っておけば何の手間もない。
 新しい車はカローラになった。
 そんな予期せぬ出来事があって,せっかく早朝に出発したのに2時間以上も余分に時間がかかってしまった。
 これから仕切り直しである。
 再び同じ道,つまり,国道2を,カリスベルのダウンタウンを過ぎ,さらに走り,私の車にシカが激突してきた場所を通った。注意して周りを見ると道路の端に1匹のシカの死骸があった。どうやら気の毒なシカはここで息絶えていたようだった。かわいそうな気がした。

 この先は延々とワシントン州のウィンスロップ(Winthrop)までのどかな田舎町を走っていくことになる。
 アメリカはインターステイツを走る限り,最低でも片側2車線道路なので,事故でも起きていない限りはずっと高速で停車することなく走行できるが,国道や州道は片側1車線のことも多い。こうした道路でも,郊外に出れば信号もなく,制限速度もインターステイツと変わらないが,一旦町に入ると制限速度が遅くなり,また,信号があることもよくあって,思った以上に時間がかかる。しかし,その代わり,いろんな町の姿を見ることもできるので,それはそれで結構楽しいものだ。
 そんなわけで,今日はカリスベルからウィンスロップまでの様子を写真とともにご覧ください。

 まず,カリスベルから国道2を,ずっと西に向かて走ると,やがて,アイダホ州との州境を越える。いつもの通り「ようこそアイダホ州へ」の大きな看板が迎えてくれる。やがて,ボナーズフェリー(Bonners Ferry)という町まで来ると国道2は南北に走る国道95に突き当たる。そして,そのT字路で左折して南に向かうことになるが,その先しばらくは国道2と国道95の共有区間となる。
 この国道95,この時は南に向かって走ったが,確か私は19年ほど前にもこの国道95を走ったことがあるのを思い出した。国道95はこのまま北に進んでいくとカナダ国境なのである。 
 19年前,私は,シアトルから北上して国境を越えてカナダに入って,カナディアンロッキーを観光し,再び,今度はこの国道95でカナダから国境を越えてアメリカに戻ってきたのだった。その時はこうしたド田舎で国境を越えたほうがずっと楽に手続きが終わるだろうというもくろみであったが,実際当時はその通りであった。今はどうなのか知らない。その時は,そのあと国道95を南下して,途中,サンドポイント(Sandpoint)で国道2に乗り換えスポーカン(Sporkane)まで行き,そこでインターステイツ90,そして州道395,インターステイツ82,,インターステイツ84と走って,オレゴン州のポートランドまで戻って,そこから帰国した。
 この19年前に走った記憶をたどってみたが,走ったことは覚えていても,どんな様子だったのかはまったく思い出せなかった。確かアイダホ州はもっと山の中のような気がしたものだが,今回走ってみて,こんなだったのかなあ,と思った。なにか不思議な気がした。記憶というのは,何かの要因で化学反応を侵してまったく別の物質に変わってしまうものであろうか?

 さて,今回もまた,私はサンドポイントというLake Pend Oreille の湖畔の町でそのまま南に進み,カーダーレインに行く国道95とはここで別れを告げ,国道2を River Pend Oreille の北岸沿いを西に進んだ。その先,プリーストリバー(Priest River)という町で北に向かう州道57との交差点を越えてさらに西に進み,プリーストリバーを渡って,ニューポート(Newport)という町に到着した。
 ニューポートで国道2は州道20と分岐する。国道2のほうは,ここから南西にインターステイツ90と合流するスポーカン(Spokane)に向けて進んでいくことになるが,私は今回は州道20に進路を変えて,引き続きプリーストリバーに沿って,今度は南岸,そして向きを変えて西岸を北上して,タイガー(Tiger)という町で北方向行く州道31と分岐する州道20に沿って左に折れて,そのまま州道20を西に向かって走ることになった。
 州道20はコルビル(Colville)で今度は南北を走る国道395と合流し,北西に,しばらくは国道395との共有区間となる。そのまま州道20を走っていくとコロンビア川を渡り,そこで,北に向かう州道395とは別れを告げ,再び州道20は進路を西にリパブリック(Republic)という町で南北を走る州道21と交差する。私は州道20をさらにまっすぐ西に進み,トナスケット(Tonasket)まで来た。ここで州道20は南北を走る州道97と合流して南に向かって走り,オマック(Omak)まで行く。そこで再び州道20は独立して,今度はツイスプ(Twisp)で州道153と合流する。そのまま州道20を北西に向かって走っていくと,ついに,この日の目的地であるウィンスロップに到着した。
 予定から3時間ほど遅れて,夜7時にウィンスロップに到着したが,まだ空は明るく,この先いつ日が沈むのかとさえ思った。ウィンスロップは西部開拓時代のままの町になっていた。ここで私はホテルを探してチェックインした。

●すばらしかったグレイシャー国立公園●
 これまで書いてきたように,ずいぶんと遠いところだったが,念願のグレイシャー国立公園に来ることができた。私が来たのは6月だったが,国立公園は夏休みになるとかなり混雑するらしいので,いい時期であった。それでもかなり寒かったけれどおそらくベストシーズンであろう。
 私は,この2016年のあと,2018年,2019年とこの同じ時期にアメリカ旅行をしているが,6月下旬というのは行くたびに一番いい時期であると痛感する。何より,日本からのフライトが空いているのがいい。

 前回書いたように,この後私はノースカスケーズ国立公園を経由してシアトルまで戻ることになるのだが,この日は早朝に出発したのにシカに激突されて,ふたたびカリスベルまで戻ることになってしまった。とここまで書いて,ここで私が昨晩何を食べたかを書き忘れたことに気づいたので,ここに書いておくことにする。実は,まったく記憶にないし記録にも写真にもないのだ。不思議な話である。どうしても思い出せない。
 さて,私はカリスベルで車を交換して,改めて,最終目的地のシアトルに向けて,途中のノースカスケーズ国立公園への道を進むことになるが,グレイシャー国立公園で写した写真がまだたくさん残っているので,今日は一休みして,グレイシャー国立公園で出会ったすばらしい景色をご覧ください。

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●シカに激突されてしまった。●
☆4日目 2016年6月27日(月)
 この旅は5泊7日であった。この日目的地だったグレイシャー国立公園に別れを告げる。最終日の前日6日目の夜はシアトルでMLBを観戦してから1泊することにしていたから,4日目と5日目はシアトルまでもどる途中で1泊して2日かけてシアトルまで戻ることにしていた。
 ホワイトフィッシュ(Whitefish)のロッジはわずか2泊しただけだったし,グレイシャー国立公園から思った以上に遠かったけれど,ここはとても印象に残るロッジであった。このロッジは,私が近ごろ,年に1,2度宿泊する長野県木曽駒高原にあるペンション「ヒルトップ」にロケーションや建物の雰囲気が似ているので,木曽駒高原のペンションに行くたびに今でもこのロッジを思い出す。
 ロッジの食堂には世界地図があって,これまでこのロッジに宿泊したゲストの出身地がピン留めされてあったが,日本には3本のピンしかなかった。そこで私が4本目のピンをたてることになった。

 当初はお昼過ぎまでこの日もグレイシャー国立公園を観光することにしていたが,グレイシャー国立公園はひととおり制覇したので,予定を早めて早朝グレイシャー国立公園を出発して,シアトルまでの途中でノースカスケーズ国立公園に寄ることにした。
 ノースカスケーズ国立公園(North Cascades National Park)はワシントン州とカナダ国境にある国立公園で,ホワイトフィッシュから西に車で約8時間800キロほどであった。手前のウィンスロップ(Winthrop)という小さな町がノースカスケーズ国立公園の玄関口であったから,今日1日かけてウィンスロップまでたどり着くことにした。

 アメリカの最も北を横断するインターステイツ90は,ワシントン州シアトルからスポーカン(Spokane)を通り,アイダホ州を抜け,モンタナ州に入ると,ミズーラ(Missoula),ビュート(Butte),ボーズマン(Bozeman)と,私のなじみの町を経由して,ノースダコタ州を避けるように少し南下してサウスダコタ州に入る。その東のミネソタ州のミネアポリスを過ぎてイリノイ州のシカゴまで行くと,その後は五大湖を巻きながら,やがてオハイオ州クリーブランドを越え,マサチューセッツ州ボストンに達する。
 とこれを書きながら,私はその風景が浮かび懐かしくなってくる。
 この旅では,行きはシアトルからインターステイツ90を走ってきたが,帰りはインターステイツ90のそのさらに北側,つまりカナダとの国境の近くを,はじめは国道2でニューポート(Newport)という町まで行って,そこで国道2のさらに北側を東西に走る州道20に乗り換えてウィンスロップまで走り,ノースカスケーズ国立公園を周遊して,シアトルに戻ろうというのである。
 
 スキーリゾートのホワイトフィッシュの南にある町カリスぺル(Kalispell)から西に,快調に70マイルつまり112キロで片側1車線の国道2を走っていた。左側には湖が広がっていた。
 40分ほど走ったころだったか,突然,道路の左側の木陰から巨大なシカが2匹飛び出してきた。こうした高原の道路は何が飛び出てくるのか予測不能なのである。
 道路の前にいたのならともかく,横から飛び出してきてはどうにもならない。ブレーキを踏む間もなく,そのうちの1匹が私の車の左側に激突した。つまり,私がシカを轢いたのではなく,シカが私を轢いたのである。突然のことでびっくりしたが何のショックもなく,車も何事もなかった…かのように思えた。シカは車を飛び越えたのだった。ただし,確認すると,左側のドアミラーだけがシカにけられて木っ端微塵となっていた。2匹のシカは飛んで逃げて行ったようでその姿は消えていた。
 私は途方に暮れたが,車の走行には何の支障もなかったので,ともかく最寄りのハーツに行って車だけ交換しようと思った。最寄りの営業所を探したらカリスぺルの空港が一番近かった。40分ほど先であったが仕方がないので,そのまま先に通ったカリスぺルの空港にあるハーツまで戻ることになった。

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●途中で断念するのは…●
 セントメリーレイクのクルーズを終えて,ローガンパスまで戻ってきた。
 この時期は日没が遅いので,1日が果てしなく長い。夕方の午後5時前にローガンパスに戻ってきたが,まだ日は高かったし,ローガンパスは昨日と違って晴れ渡っていて,風もなく暖かで,昨日寒さに震えていたのとは大違いであったから,駐車場に車を停めて,ヒドゥンレイク・オーバールック=展望台(Hidden Lake Overlook)へのトレイルを歩くことにした。
 このヒドゥンレイクの展望台まで続くトレイルは往復4.8キロメートルで,ビジターセンターの裏からはじまっていた。ビジターセンターを越えてトレイルの入口に行くと,そこには大雪原が広がっていた。最も昼間の長い暖かい時期であっても,トレイルは雪で覆われていたのだ。
 意気揚々と歩きはじめたが,思った以上に大変であった。あたりには雪をかき分けて高山植物が咲き乱れていた。トレイルはやがて分水嶺を越えてさらに進んでいく。すれ違った人にマウンテンゴートがいたよと言われたので楽しみに歩いていったが,私がマウンテンゴートを見たのははるかかなたの先であった。
 このトレイルは雪の中の坂道,というより溶けかけた雪がシャーベット状にジャリジャリになったスキー場の道なき道,つまり,ゲレンデをずぶずぶになりながら進んでいくようなものであった。私は何度も滑っては転び,その都度周りの人に助けてもらった。

 これまでも,そして,これからも,私は日本ではこんなトレイルなど歩くことはないであろう。せいぜい歩くとしても,旧東海道や旧中山道などの旧街道の険しいといわれる峠道くらいのもだろうが,海外に出ると,その気もないのに,こういう経験を数多くすることになってしまうのが不思議なことだ。以前行ったロッキーマウンテン国立公園もそうであったし,今年の3月には運よくか運悪くかオーストラリアでエアーズロックにも登ってしまった。
 私は,こうした経験をするたびにいつも途中でめげかける。そしていつも,何かをしはじめたときには,途中で断念することは何かをしようとすることよりもずっと難しいものだと痛感するのだが,こうしたことは,幼児期から,自分の意志で何かをするよりも決められたことをさせられるばかりの日本の子供たちがもっとも経験できないことではないのだろうか。
 そんなわけで,このときもまた,いつもと同じように,めげながらも途中で断念する勇気もなく決断もできず,無理は厳禁といい聞かせることが精いっぱいで,休み休み進んでいくことになった。そのうち大雪原から景色が一変し,ようやく木々が生い茂るオアシスのような場所になってきたころ,マウンテンゴートの姿が見えてきた。

 マウンテンゴートというのはシロイワヤギ(Oreamnos americanus)の別名で,ウシ科シロイワヤギ属に分類される偶蹄類である。体長はオスで140センチから160センチほどなので,人間くらいであろうか。全身が黄白色で角はオス・メスともに細く,基部からわずかに後方へ向かい,先端が後方へ湾曲する。昼行性で,ペアもしくは小規模な群れを形成し,争うことは少ない。また,食性は植物食で,木の枝,葉,草,コケ植物,地衣類などを食べる。ロッキー山脈やアラスカ山脈などの標高2,000メートルから3,000メートルの山地に生息し,岩に登りやすいようにふたつの大きく広がった蹄を持っているので断崖絶壁も余裕で登ることができる。
 非常に人懐っこくて,間近まで近づいてくる。思った以上にたくさんいて,私はここまで歩いてきてよかったと思った。そして,やっとヒドゥンレイクの見える展望台まで,断念することもなく到着することができたのだった。

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●美しいセントメリーレイククルーズ●
 カナダ国境の近くででUターンしてセントメリーまで戻り,昨日と反対に「ゴーイング・トゥー・ザ・サンロード」を西に走った。
 セントメリーを過ぎると「ゴーイング・トゥー・ザ・サンロード」の左手にセントメリーレイク(Mt. Mary Lake)が広がっている。この湖はグレイシャー国立公園でレイクマクドナルドに次いで2番に広い湖だが,標高は4,484フィート (1,367メートル)で,レイクマクドナルドよりも約1,500フィート(460メートル) 高くなっている。
 湖の面積は9.9 マイル(15.9キロメートル)で奥行きは300フィート(91メートル)。表面積は3,923エーカー(15.88平方キロメートル)ある。
 湖水はめったに華氏50度(摂氏10度)より高くならないらしいが,冬の間は最大4フィート(1.2メートル)の厚さの氷で凍結されるという。

 ところで,以前にも書いたことがあるが,日本人に「エーカー」という単位はなじみがない。1エーカーは43,560平方フィートなので4046.872609874平方メートル,つまり約4,047平方メートルとかかれているが,そんなことではよくわからない。
 そこでもう少しわかりやすくすると,1エーカーは1,200坪ほどである。古い日本人ならこのほうがまだピンとくるであろう。さらにもっと若い人にも直観でわかるように書くと,1辺の長さが約64メートルの正方形の面積であろう。野球の内野は1辺90フィート,つまり27.431メートルの正方形,また,サッカー場は縦幅が100メートルから110メートル,横幅が64メートルから75メートルなので,これから広さが想像できるであろう。小学校の校庭くらいのものである。
 エーカー(acre)の語源はギリシャ語の「ager」から来ている。ギリシャ語でエーカーは「くびき」を意味する言葉で,2頭の牛が1日間で耕すことが可能な土地の広さを1エーカーとしたとされているそうだ。

 また,温度の華氏も難しい。華氏から摂氏への換算は,32を引いてから9で割って5を掛ける(つまり0.55倍する)のだが,めんどうなので,簡単には30引いて2で割ればおおよその値は想像ができる。
 華氏は真水の凝固点を華氏32度,沸騰点を華氏212度としてその間を180等分して華氏1度としたことに由来する。「華氏=ファーレンファイト」とは,考案者のガブリエル・ファーレンハイト(Gabriel Daniel Fahrenheit)にちなむ。「華氏」はファーレンハイトの中国音訳「華倫海特」から「華」と人名につける接尾辞「氏」から転じたものである。
 ファーレンハイトは彼が測ることのできた最も低い室外の温度を華氏0度,体温を華氏100度としたと述べている。冬の寒い日の室外温度が摂氏にすると−17.8 度だったというわけだ。また,華氏100度は体温,というのはわかりやすい。
 いずれにしても,こうした単位を単に暗記するのでなくきちんと概念として覚えるのは意味のあることだが,学校では正式の単位は教えても,日常生活で今でも使っている,たとえば「坪」のような単位を正式なものではないとして教えない。日本の学校教育では,どうでもいいことは一生懸命教えても,大人になって必要な知識は教えないわけだ。私は日常生活で今も使われていることを「文化」として教えることは大切だと思うのだが。

 湖畔を走る「ゴーイング・トゥー・ザ・サンロード」の中ほどのビレッジの近くの船着場からこの湖を1周するクルーズがあったので,それに乗ることにした。
 クルーズは夏場には1日5便ある。そのうちの2便にはレンジャーが乗船して対岸で降りて往復2時間トレイルを歩いてセントメリー滝まで連れていってくれるということだ。また,最終便はサンセットクルーズである。
 残念ながら,私の乗船したのは午後4時のものだったが,そのどちらでもなく,料金26ドル,所要時間1時間30分のものであった。湖の途中には Wild Goose Island という小島があったが,これが湖のなかに浮かんでいるように見えて,なかなかいい景観のアクセントになっていた。
 クルーズは,途中の対岸で降りて15分ほどトレイルを歩きベアリング滝(Baring Falls) まで行くことができた。ベアリング滝は高さが30フィート(90メートル)と短い滝である。この滝からはいくつかのトレイルがあって,トレイルによっては滝の頂上まで行くことができるものもあるということだった。
 滝からもどり再び船に乗った。こうして楽しいクルーズの時間を過ごすことができた。

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●カナダ国境に達する。●
 スイフトカンレントレイクを1周するトレイルを歩いたあとで,メリーグレイシャーホテルで昼食をとった。私は旅先の食事は,何も特別なことがなければ質素に済ませるが,こうしたすばらしい場所に行ったときはその気分に合わせて豪華な食事をすることにしている。ここでは気持ちももりあがったので,贅沢をすることにした。
 日本では都会のレストランで昼食をとろうとするとどこも列が出来ていて,だからといって座席はせまく,まったく楽しくないが,そういうものとはまったく違って,広々としてしかも優雅に食事ができる。ここではさらに,窓からも美しい景色を見ることができた。
 食事を終えた。もう少しでカナダ国境である。そこで私はさらに北上してカナダ国境まで行ってみることにした。
 
 メニーグレイシャーから東に進み,Babbという町で左に折れて国道89に入り,4マイルほど北上してY字の交差点を左に曲がり州道17に入った。この道路がチーフマウンテン・インターナショナルハイウェイ(Chief Mountain International Hwy)という,文字どおりアメリカとカナダを結ぶ道路で,ここを14マイル北に走るとカナダとの国境である。
 道路のまわりはのどかな森が続いていた。アスペンやロッジポール松の林のなかを進んでいくのだが,途中,牛の群れが道路の端をのっしのっしと歩いていくので,注意が必要である。
 日本で車を運転するのとアメリカやオーストラリアで車を運転するのとでは,自然や野生の動物に対する注意が何倍も違うから,かなりの慎重さが求められる。日本のような傍若無人でスピード競争をしているような運転はきわめて危険である。
 道路の左側に奇妙な台形の山が迫ってきた。これがチーフマウンテンである。チーフマウンテン(Chief Mountain)は標高9,085 フィート (2,769メートル)。ロッキー山脈で最も目立つ山頂と岩といわれていて,モンタナ州の中心部からカナダのアルバータ州まで伸びるルイス・オーバートラスト(The Lewis Overthrust)として知られる200マイル(320キロメートル)の断層である。
 オーバートラストというのは押しかぶせ断層という意味である。上盤が下盤に対して相対的にずり下がった場合を正断層といい,逆に,ずり上がった場合を逆断層という。逆断層のうち断層面の傾斜が45度以下の緩傾斜の場合を衝上断層といい,さらに緩傾斜の場合を押しかぶせ断層とよぶ
 そして,さらにそのむこうに,グレイシャー国立公園で最高峰である Mt.Cleveland も見え隠れしていた。

 そのうちに国境の建物が見えてきた。思えば私は,これまでにもワシントン州で陸路アメリカ国境を越えてカナダに行き,カナディアンロッキーの観光をし,アイダホ州で再び国境を越えてアメリカに戻ってきたことがあるが,それは今から20年ほど前のことであった。そのときは難なく簡単に国境を越えることができたのだが,今は国境を越えることはけっこう大変らしい。
 インターネットの発達で,海外旅行をするときは便利になったこともある反面,テロなどの増加によって,いろいろセキュリティが厳しくなってしまって,昔ののどかさを失ってしまったことも少なくない。アメリカ旅行は1990年代が最も楽しかったように思う。
 国境を越えると,グレイシャー国立公園はウオータントンレイクス国立公園(Waterton Lakes National Park)と名前を変える。カナダの国立公園はアメリカの国立公園とは異なり,日本と同じで自然保護より観光重視,これはナイヤガラの滝に行ったときに私が感じたことである。
 私は今回は国境を越える予定がなかったので,ここらあたりでUターンをして戻ることにした。

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●絶品メニーグレイシャー●
 メニーグレイシャー(Many Glacier)はグレイシャー国立公園で最も遠く静かで最も美しいところだった。氷河を抱いた鋭い岩峰に囲まれた谷筋にいくつもの氷河湖が重なって幻想的な雰囲気であった。
 スイフトカレントレイク(Swiftcurrent Lake)の周りを一周するトレイルは絶品で,私はこのトレイルをゆっくりと散歩した。湖のほとりには,Many Glacier Hotel と Swiftcurrent Moter Inn というふたつのホテルがこの景色に調和していて,おとぎの世界のようなところであった。日本でこういうものを作るとおそらくは意味のない公園や展望台を作って,めちゃくちゃにしてしまうであろう。白樺リゾート池の平を思い出す。アメリカの国立公園というのは,こうしたことに厳しい規制があるので,全くストレスなく,安心して訪れることができるのだ。
 トレイルを歩いていて見える先の尖った山は標高2,911メートルの Mt.Gould であり,氷河はグリネル氷河(Grinnell Glacier)とよばれるものである。

 トレイルでは,家族連れで楽しむ人がいたり,絵を描いている人がいたりと,思い思いこのすばらしい景色を楽しんでいた。私は行かなかったが,グリネル氷河へは往復4時間のハイキングもできるし,メリーグレイシャーではクルーズもある。このクルーズはスイフトカレントレイクの対岸に到着して船を降り,300メートル歩いて再びボートに乗り込んで今度はジョセフィンレイク(Josephine Lake)を横断するというものだ。
 この風景の美しさはこれ以上は言葉で語りつくせないので,あとはゆっくり写真で味わってください。

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●減少するグレーシャー●
 前日とは反対に,この日はグレイシャー国立公の南端を走る国道2を東方向に,イーストグレイシャーを目指して走っていった。
 グレイシャー国立公園は「氷河の彫刻美術館」といわれるが,この風景は今から200万年前にはじまり,約1万年前に終結したものがもととなっている。
 太平洋プレートと北アメリカ大陸プレートの衝突で地層が隆起し,ロッキー山脈が形成された。その後氷河期がはじまり,川によって浸食された谷は氷河に変わった。こうしてできた巨大氷河の最も厚い場所は900から1,200メートルあった。
 約1万年前には温暖化によって巨大だった氷河は消え,現在のグレイシャー国立公園の姿になった。現在園内に残る約50の小氷河は,今から5,000年前頃にできたものである。
 地球の温暖化でここ100年氷河の規模は縮小していて,そう遠くない将来,グレイシャー国立公園の氷河は消えてしまうといわれている。

 のどかな国道2を走っていくと,イーストグレイシャーの町に到着した。イーストグレイシャーの町にある鉄道駅はグレイシャー国立公園に鉄道で到着する観光客の到着点となっている。
 鉄道駅の建物はグレイシャー国立公園を訪れる観光客のための施設としてダニエル・レイハルによって設計された。1920年のゴーイング・トゥ・ザ・サンロードの完成まで,グレイシャー国立公園は東側と西側は分離されていたので,国立公園の東側に鉄道駅が作られたのである。
 現在,鉄道駅は4月から10月まで運行しているアムトラックのエンパイア・ビルダー・ラインの駅となっている。
 また,イーストグレイシャーの町にはグレイシャーパークホテルがある。この歴史あるホテルは1913年に建設された。ホテルは駅から近く徒歩で行くこともできるが,それでも10分ほどかかるのでホテルの送迎サービスがある。
 私が駅を通りかかったとき,ちょうどアムトラックが到着する時間だったらしく,大勢の観光客が列車を待っていた。
 
 イーストグレイシャーで国道2と州道49が分岐する。私は昨日の反対に州道49を北上して行くことになった。
 やがてグレイシャー国立公園の東側の入口を過ぎた。この先が昨日行ったトゥメディソンの湖であるが,今日は通過して,セントメリーも過ぎ,さらに北のメニーグレイシャーへ向かった。 
 ロッジを出たときは快晴であったが,国道2を走るうちに霧がでてきた。しかし,天気は東から回復することは織り込み済み。そのうちに天気予報どおりすばらしい青空が空を覆うようになってきた。

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●モンタナののどかな町●
☆3日目 2016年6月26日(日)
 この辺りは北緯47度である。日本でいえば,北海道の最北端よりも北になる。6月の終わりに旅をすることもこれまではほとんどなかったので,私は来るまでそんな認識がなかったが,季節は夏至であり,しかも緯度が高いから,夜は午後9時を過ぎても日が沈まない。
 いつになったら夜になるのだろう,夜が来ないじゃないかと思って,そうか! ここはずいぶんと緯度が高いのだ,とはじめて気づいた。シアトルもまたここと同じくらいの緯度だから,おそらくこの時期にMLBのナイトゲームを見にいくと,ナイトゲームといってもゲームが終わるまで明るいに違いない。
 明るいうちに寝てしまい,翌朝起きたときはすでに空が明るかったから,本当に夜があったのだろうかとさえ思った。
 こんな経験をすると,一度でいいから北極圏で白夜とやらいうものも体験したくなる。

 旅も3日目になった。
 今日は昨日とは反対のコースをたどって,見どころで十分に時間をとって観光してみようと思っていた。
 朝から快晴であった。スキー場のロッジだけに朝食サービスはあった。
 日本のホテルによくあるバイキング形式の朝食は宿泊客が少なく空いていれば別だけれど,人が多いとせわしくてまるで餌をつついているようで,私は好きになれない。しかしそれは私が人混みがきらいなだけなのだろうか? それに加えて,私はご飯に味噌汁という朝食の習慣がないから,日本でそういう朝食を食べている人が多いのにずいぶんと違和感を覚える。

 ロッジを出て,まず山を下りた。昨日はよくわからなかったが,眼下にずいぶんとすばらしい景色が広がっていた。それはホワイトフィッシュ湖とホワイトフィッシュの町並みであった。
 山を下りたところがホワイトフィッシュの町であった。ホワイトフィッシュは人口6,000人ほどの町で,私が泊まっているロッジのあるホワイトフィッシュマウンテンリゾートというスキー場で潤っている。この町の名はホワイトフィッシュ湖の近くに位置していたことから名づけられたものである。
 1904年,グレート・ノーザン鉄道がホワイトフィッシュにひかれたことで町の発展が起きた。この地域は元来,町や鉄道を建設するために伐採する必要のある木材が豊富にあった。町の住民はそれまでは鉄道と伐採産業のために働いていたが,1940年代後半にスキーリゾートの建設が成功したことで観光産業が重要になった。現在はグレート・ノーザン鉄道はアムトラックが走り,スキーリゾートに向かう観光客でにぎわっている。
 ホワイトフィッシュ湖は5.2平方マイル(13平方キロメートル)の自然湖で,全長5.8 マイル(9.3キロメートル),幅1.4 マイル(2.3キロメートル) km),最も深いところは233フィート (71メートル)ある。また,ホワイトフィッシュ川がホワイトフィッシュの町を二分している。

 国道2を東に走っていくと,次にあった小さな町がコロンビア・フォールズ(Columbia Falls)であった。コロンビア・フォールズはグレイシャー国立公園の玄関口で,公園の西の入り口からわずか15分のところにある。この小さな町にはレストランや醸造所,また,夏にはファーマーズマーケットがあり,さらに,ゴルフコースがある。
 そして,その先のさらにちいさな町がハングリーホース(Hungry Horse)であった。この町の「空腹の馬」という名前は,1900年代の初期,シーズン最初の大きな雪の直前にパックストリングから緩んで破った放蕩馬からその名前がついたという。馬たちは厳しい冬の期間を生きぬき,春になって雪の中奥深くに,空腹の状態で発見された。それ以来,コロンビア山の陰にあるフラットヘッド川の中央フォークと南フォークによって囲まれたこの小さな町は「空腹の馬」として知られるようになった。
 現在,ハングリーホースは350万エーカーフィートの水をたたえた貯水池のある場所として知られている。ダムにはビジターセンターもあり,雪をかぶった山頂の美しい景色や厚く森の斜面野生動物が生息する荒野は訪れる人々を楽しませている。

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●夏場のスキー場のロッジに泊まる。●
 私がこの旅で宿泊したのはホワイトフィッシュ(Whitefish)という町の北にあるハイバーネーションハウス(Hibernation House)というロッジであった。
 旅行で苦労するのは,第一に航空券,第二に宿泊するホテルである。いろんな知恵やコツが必要で,何度やっても後悔することが多い。それでも航空券は一応うまく選択するパターンがわかってきたが,ホテルは最終的には行ってみないとわからないので今も苦労する。
 以前は到着後にホテルを探した。そのほうが失敗が少なかったような気がするが,当日泊るホテルを現地で探すのはリスクもある。今でも直接ホテルに行って交渉すればいいのだが,到着が遅くなって探すのが大変なこともあるから事前に予約をしておいたほうが無難なので,私はネットのサイトで予約をしておくのだが,こうしたサイトの口コミというのはずいぶんといい加減な場合も多く,到着してから後悔することが少なくない。
 また,観光地の場合は特に宿泊代がかなり高価になるので,私は少しくらい遠くても安価なところを探すことにしている。この旅では,そうして探したのがこのロッジであった。
 実際に行ってみると,私が予約したロッジはホワイトフィッシュの町からずいぶんと北に行った山の上であった。しかも,冬場はスキー場となる場所であった。
 私は,家から2時間少しで行くことのできる木曽福島の「ヒルトップ」というペンションを近ごろよく利用しているが,そこに行くたびに,この旅で宿泊したハイバーネーションハウスのことを思い出す。山に登って行ったところにあることも,スキー場であることも,建物の雰囲気も似ているからだ。ただし,当然アメリカのほうが大きいけれど…。
 これだけ旅をするといろんなところに宿泊したが,ふと思い出すなつかしい景色もあれば,すっかり忘れてしまったところも多い。ふと思い出す懐かしい景色というのはたわいもない場所のことのほうが多いのが不思議なことである。

 国道2は今日の写真にあるようにのどかな高原道路であった。こういうところが私の好きなモンタナ州なのである。
 アメリカの西側はカナダとうの国境にそって,西からワシントン州,アイダホ州,モンタナ州と続くが,アイダホ州は本当に何もなく,風光明媚な場所はみなモンタナ州なのである。
 やがてホワイトフィッシュの町に入る。ホワイトフィッシュは結構大きな町であった。町の中心にあったモールの一角にマクドナルドがあったので,そこで夕食をとることにした。
 日本と違ってアメリカのマクドナルドのサラダは大きくて鶏肉が入っているから,野菜が必要なときに夕食として安価に食べることができるから便利なのである。

 食事を終えて,ロッジに向かった。
 私は到着するまでうかつにも知らなかったのだが,ここは大きなスキー場であった。おそらく冬はずいぶんと混雑するのであろう。このロッジに季節外れの夏場の空いている時期に安価に泊ったということなのだった。
 ホテルというよりもロッジだから部屋はさほど広くはなかったし,口コミにもそう書いてあるものが多いのだが,それはアメリカのホテルと比べてのことであろう。日本のホテルと比較すればどこだって広々としている。私はここにこれから2泊することになる。

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●幻想的なトゥーメディスン●
 こうして,私はグレイシャー国立公園に到着早々ゴーイング・トゥ・ザ・サン・ロードを走って,ローガンパスを経由して国立公園を横断した。これだけで,この国立公園の見どころのほとんどは見てしまったと考えてもよいようであった。
 どの旅もそうであるが,ガイドブックを飽きるほど眺めるよりも,ともかくこうしてまずは行動して概要をつかんでしまったあとで改めて行きたい場所の計画を立てるほうが,ずっと効率的なのである。

 私は,この後はセントメリーから国立公園の東端の国道89を南下して国道2まで行き,国道2で国立公園の南端をなめるように半時計周りで国立公園の西側まで戻って,宿泊先であるホワイトフィッシュに行くことにした。そして,明日改めて今日行けなかった場所を訪れることにした。
 国道89は国立公園の東端を南に向かって行き,南東の端にあるキオワ(Kiowa)という町で西ではなく逆の東に向きを変えて一旦公園から遠ざかり,ブローニング(Browning)という町まで行って国立公園の南端を走る国道2に乗り換えて,再び西に向きを変えるのが通常のコースだが,夏の間はキオワで州道49というショートカットをすることができた。その途中にあるのがイーストグレイシャー(East Glacier)である。

 キオワからイーストグレイシャーに至る途中にトゥーメディスン(Two Medicine)という湖がある。トゥーメディスンというのは湖だけでなく,グレイシャー国立公園の南東部に位置する地域の総称である。ここにはLower two Medicine Lake,Two Medicine Lake,Upper Two Medicine Lake の3つの長い湖が連なっている。湖へのアクセス道路はふたつ目の湖で行きどまりとなっているが,その先はトレイルがあって,3つ目の湖まで歩いていくことができるということだった。
 湖畔は静寂に包まれていて,とても落ち着ける場所であった。ここにはキャンプ場もあった。

 1890年代後半から1932年にゴーイング・トゥ・ザ・サン・ロードが完成するまでの期間,トゥーメディスンはグレイシャー公園の中で最も観光客が訪づれるところだったという。ここには多くのトレイルの出発点がある。また,この場所はブラックフィート(Blackfeet)という種族などいくつかのネイティブアメリカンには神聖な土地とみなされていた。
 現在,トゥーメディスンにはビジターセンターがあるが,このビジターセンターはグレーシャー国立公園の歴史的な建物であった。ビジターセンターは,もともとはグレートノーザン鉄道の子会社であるグレイシャーパークホテル会社によって,1914年に建てられたものである。当時は食堂や宿泊施設を提供する素朴なログスタイルの建物群だったが,宿泊施設としての機能は第二次世界大戦のはじまりのころに終了して,現在ビジターセンターになっている建物以外は1956年に焼かれたという。
 駐車場に車を停めて建物の中に入った。中は土産物屋となっていたが,暖炉に火がくべられていて,外の寒さをしのぐことができホッと一息つくことができた。

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●グレイシャーを横断する●
 ローガンパスを出て,私は再びゴーイング・トゥ・ザ・サン・ロード(Going-to- the-Sun Road)を東に向かって走っていった。
 ゴーイング・トゥ・ザ・サン・ロードの最高地点であるローガンパスの標高は6,646フィート(2,026 メートル) で,峠まで片側1車線の道路はカーブが多く,特に,ヘアピンカーブがローガンパスの西側に頻繁にあり,さらにトンネルもあるので,高さが10フィート(3メートル)を超える車両は走ることができない。 
 また,いたるところで,滝でもないのに氷河から溶け出した水が道路に降ってきて,まさに滝の下を走るようになる。特に Weeping Wall という岩壁から水がしみ出て流れ落ちる場所は有名なのだが,ここでは,多くの車がむしろこれを避けることなく,これ幸いにその下を選んでゆっくり走って,というか停止しちゃったりして,洗車を楽しんでいる車があるのがおもしろかった。

 ゴーイング・トゥ・ザ・サン・ロードの建設は1921年にはじまり,1932年に完成した。道路の全長は約50マイル(80キロメートル)で,国立公園の東の入口から西の入口までつながっている。
 この道路は北アメリカでは除雪をするのに最も難しい道路のひとつだといわれてている。それは最大80フィート(24メートル)の雪がローガンパスの頂上にあって,最も深い雪原が峠のすぐ東に位置しているからである。そのため,1時間に4,000トンの雪を動かすことができる装置を使用しても除雪をするのに約10週間もかかるという。

 周りの山々はそれほど標高は高くないのだが,裾野が広く麓からの標高差が大きいのが特徴で,次々と美しい山々が飛び込んでくるので,走っていてとても気持ちがよかった。
 グレイシャーというように,ここは氷河が美しく,また,氷河からとけた水が湖を潤しているので,思っていたよりもずっとすばらしいところであった。
 ここに似ているのが,ずっと昔に行ったことがあるカナディアンロッキーと,この旅の後で行くことになるニュージーランドのクィーンズタウンからミルフォードサウンドへ至る道路であったが,それらのうちでも,この道路がもっとも険しく,かつ,もっとも美しかった。

 峠を越えると道路は直線にぐんぐん下って行って,それまでの登り坂の険しさとはすっかり趣がかわって,高原ムード一杯になってきた。
 やがて,右手に見えるセント・メアリー・レイクの雄大な風景を眺めなが走っていくと,セントメアリーロッジに到着した。
 ローガンパスまでは天気も悪かったが,ここに到着するころにはすっかり晴れ上がっていた。
 今日の写真にもあるように,ここにもまた,レッドバスとよばれるボンネットバスが停まっていた。
 グレイシャー国立公園は私のように海外から訪れる人にはアクセスが難しいところであるが,アメリカに住んでいる人には,意外と容易にアクセスできて,しかも,多くの国立公園の中でも大自然を堪能することができるところだと来てみてわかった。

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●旅はやはりおもしろい。●
 ローガンパスに到着した。
 ローガンパスにはビジターセンターがあって,人と車でごった返していた。ここは標高が2,025メートルというから,日本では東北地方の蔵王や九州地方の久住ほどの高さである。ローガンパスは大陸分水嶺となっている。
 この日はものすごく寒い日だったので,周りはすっかり雪景色であった。アメリカのこうした国立公園は,日本とは違ってたとえ標高は高くとも立派な自動車道があって,しかも,日本のようにすれ違いすらできないような狭い道路ではないから,簡単にアクセスできるので気を許してしまうのだが,自然は厳しい。しかし,ものすごい車と観光客で,そうしたことも忘れがちになってしまう。
 私は駐車場に車を停めて,とりあえずビジターセンターに向かった。ビジターセンターの中はぽかぽかであった。

 今日の写真にあるように,ここにはアメリカとカナダの国旗がひるがえっているが,これは,この国立公園が人工的な国境とは別に,アメリカのグレイシャー国立公園とカナダのウォータートンレイクス国立公園がつながってひとつのものであることを示している。
 また,駐車場に赤と緑に塗られたバスがたくさん停まっているが,それらはグレイシャー国立公園を走るアンティーク・レッドバスである。公園内を走るこのアンティーク・レッドバスは公園のシンボルで「ジャマー・バス」とよばれ17人乗りでオープンカーになっていて,景色を楽しむにはうってつけなツアーバスなのである。公園内は車両規制があって大型バスでの観光ができないために,個人でレンタカーを借りずに観光をする人たちやグループで観光をしている人たちはこのバスを利用して国立公園をくまなく訪れることができるのである。

 ガイドブックによると,ローガンパスの周辺には高山植物の群集が見られ,背後に迫る山は右側が標高2,670メートルのマウント・クレメンツ(Mount Clements),左側が標高2,781メートルのマウント・レイノルド(Mount Reynolds)ということだ。
 ビジターセンターの裏側からトレイルがあって,このトレイルを歩くとヒドゥンレイク・オーバールック=ヒドゥン湖展望台(Hidden Lake Overlook)へ行くことができるということであったが,このときは天気も悪く,行くことができなかった。
 しかし,私はこの翌日,幸運にもこの日とはうって変わって快晴になったローガンパスに再びやってきて,雪深いヒドゥンレイク・オーバールックをとんでもない目に遭いながらも歩くことになろうは,このときは思いもしなかったことだった。
 ローガンパスを過ぎたらそれまでの悪天候が嘘のように晴れ上がり,ゴーイング・トゥ・ザ・サン・ロードを走る車窓からすばらしい景色を見ることができるようになった。

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●世界遺産・グレイシャー国立公園●
 モンタナ州北部にあるグレイシャー国立公園(Glacier National Park)は1910年に設立された。園内には湖が130以上あり,手つかずの巨大な生態系は「大陸生態系の頂点(Crown of the Continent Ecosystem)」と称されている。世界遺産(自然遺産)であるが,日本のようにそれを宣伝すらしない。
 「グレイシャー」という名の通り,この国立公園は,氷河が削った険しい山肌を晒す山々とその間に広がる湖が美しく,氷河の作った美術館とも呼ばれている。ただし,19世紀中ごろには園内に150存在したといわれる氷河のうちで近年まで残っているのはわずか25である。また,現在の気候が続けば2030年までにすべての氷河が消えるだろうと推定されている。

 1910年から1914年の間にグレート・ノーザン鉄道は観光客誘致のためアメリカのスイスをイメージして公園内に多数のホテルを建てたが,その頑丈な造りは記念建造物としていまでも訪れる人を楽しませてくれる。
 その後,自動車の発達により,ゴーイング・トゥ・ザ・サン・ロード(Going to the Sun Road)が1932年に完成した。この道路は分水嶺である海抜2,025メートルのローガンパス(Logan Pass)を越える。
 私は,グレイシャー国立公園のゲートを抜けて,国立公園の真ん中に位置するローガンパスに向けて走り出した。しかし,まさかこの時期にこれほど寒いとは思わなかった。この時期でもこれほど寒いのだから,シーズンオフなんて,気軽に来ることができる場所ではない。アメリカの自然は脅威である。
 この日もまた,西から強い風が吹きすさび,おまけに雨も降ってきた。

 ゴーイング・トゥ・ザ・サン・ロードは天気がよければすばらしい風景が見られるのだろうが -幸いなことに私は翌日,実際にすばらしい景色をみることができた- こういった日に走るのは大変であった。
 遠くに氷河が見える。また,時には道路にまで氷河が迫ってくる。私はすでにカナディアンロッキーでこうした景色を見たことがあるし,また,この旅のあとのことになるが,アイスランドやニュージーランドでも氷河を見た。しかし,私には,そうした氷河は感動するというよりも,溶けかけた雪だるまのようにしか見えなかった。また,こういう姿をみると,確実に地球は温暖化して氷が溶けだしているということを実感し,悲しくなってくる。
 こういう姿が決して正しいものとは思えない,近い将来,きっと大変なことになるだろう。しかし,そんなことはだれしもがわかっているのだが,ここまでひどくなってしまうと人の手ではどうにもならない。というよりも,さらにそれを早めている。

 道路は岩山をくり抜いたトンネルやら,鉄砲水をさけるような水路やらがいたるところにあって,ときには道路が滝つぼのようになってしまっていることすらある。そこを多くの車がそろりそろりと走るのだ。
 おそらく,日本でこうした道路を作ると,やたらと醜いガードレールをこしらえたり道路にペンキを塗って注意書きを書いたりして,景観を台なしにするのだろう。
 こうした自然が日本になくてよかったと思ったことだった。
 
 国立公園のちょうど真ん中あたりがローガンパスである。パスとは峠という意味である。ローガンパスに着く前にヘヤピンカーブがある。そこでの風景は絶品なのだが,この天気では車を停めて風景に見とれる余裕はなかった。私がこの風景に感動するのもまた,明日のことになる。
 やがて,ローガンパスに到着した。ここまでの道路は標高が高く道幅はせまく,思った以上に大変だった。

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●鉄道でアクセスできる国立公園●
 カリスぺル(Kalispell)で右折して国道2を北北東に走っていくと,次第に高原ムード満載の道路になってきた。次の町がエバーグリーン(Evergreen)という道路際にいくつかのお店があるだけの町,そして,左手にグレイシャー・パーク国際空港があって,それを越えると今日の1番目の写真にあるハングリーホース(Hungry Horse)という町があって,その先がウェストグレイシャー(West Glacier)であった。
 グレイシャー・パーク国際空港は,この旅を計画したとき,シアトルからここまでフライトで来たいと思っていたが断念したその到着空港である。
 アメリカの地方空港はフライトが少なく,私のような海外に住む者が国際線から乗り換えて利用するのはなかなか困難である。アメリカは途方もなく広いから航空機で移動するほうが車よりも時間的には便利であるが,フライトの時間が合わないすることが多い。それでもこの空港は,夏期はシアトルからは1日5便,ソルトレイクシティーからは8便,ミネアポリスからは2便ほどのフライトがある。

 グレイシャー国立公園へ行くにはウェストグレイシャーで国道2を左折することになる。グレイシャー国立公園内にはガソリンスタンドがないので,ウェストグレイシャーで給油を忘れてはならないということだった。
 グレイシャー国立公園は,来るまで私は最果ての地,アクセスするのが大変な国立公園だと思っていたが,実際は車がなくとも鉄道でも来ることができる唯一の国立公園なのだった。というよりも,グレイシャー国立公園は鉄道の駅を拠点に開発された国立公園なのだった。
 このころの私はまだアメリカの鉄道に乗ったことがなかったが,その数か月後,アメリカの東海岸を旅したとき,アメリカの高速鉄道アムトラックに乗る機会があった。今では,シアトルから鉄道でアメリカ北部の雄大な大地を走り,景色を見ながらグレイシャー国立公園に行くのも悪くないと思うようになった。グレイシャー国立公園には西のポートランドから東のシカゴまでを結ぶアムトラックのエンパイアビルダー(Empire Builder)が1日1往復運行されているということである。また,この路線はアムトラックの中でも特に景色がすばらしいのだという。
 私は以前テレビの番組でそれを見たことがある。

 こうしていろいろな場所を旅行をするうちに,行く前には知らなかった先のさまざまなことがわかってきた。それらの多くはガイドブックを見たり地図ではわからないことだ。しかし,わかったとしても,再びそこへ行こうとしてももう行く時間がないという場所が多い。私ほど様々な場所に旅行をしてもそう思うなのだから,おそらく多くの人にとってはもっと知らない場所がたくさんあることがあるだろう。
 たった一度の人生なのに,会社勤めで自由な時間もほとんどなく,長い休みも取れず,歳をとってしまうのは本当にむなしいものだと,歳を重ねた私は思うようになった。人生というのはかくも短いものだ。
 
 ウェストグレイシャーという町のゲートを越えたら,鉄道の駅があって。乗客でごった返していた。ちょうどアムトラックが来るころであるらしかった。また,駅のあたりには多くのホテルもあった。
 ウェストグレーシャーのダウンタウンを過ぎてさらにしばらく走ると,ついにグレイシャー国立公園の西のゲートに到着した。アメリカの国立公園はゲートで入園料を払うのだが,ここのゲートはとても混雑していた。この時期でこれほど混雑しているのだから,夏のハイシーズンはたいへんだろう。
 この日の午後,私はこの西のゲートから入って東のゲートであるセントメリー(St.Mary)まで,グレイシャー国立公園を抜けることにした。この国立公園を横断する道路を「ゴーイング・トゥ・ザ・サン・ロード」(Going to the Sun Road)という。

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●ここはアメリカの北の果てか?●
 今回だけのことでないが,いくらガイドブックを見ても実際に行ってみないとその場所の様子はよくわからない。さらにまた,その土地の標高は把握しにくいものだ。
 私の目指すグレイシャー国立公園はモンタナ州の北のはずれにある。この国立公園は人工的な国境で分断されているが,実際は,カナダのウオータートンレイクス国立公園につながっている。アメリカ本土最北の地でわざわざ行こうと思わなければなかなか訪れることもできない場所なのである。
 以前,私はモンタナ州のビュートから北のヘレナに向かってインターステイツ15を走ったことがある。グレイシャー国立公園は,そのとき私がアメリカの北の果てだと思ったモンタナ州の州都で美しい町ヘレナ(Helena)よりも,さらに北に位置するのだ。
 この公園の名前である「グレイシャー」というのは「氷河」という意味だからそれだけでも寒いことが想像できるが,実際,非常に標高が高いとこころにある。しかし,地図ではその標高がイメージできない。しかも,国立公園が広大でつかみどころがなく,来るまでどこをどう観光してよいものかさっぱりわからなかったし,行ったことがある人から,期待外れだったよ,という話を聞いたこともあって,私はそんな場所にわざわざ足を運ぶのもどうかなあと思ってあまり気が進まなかったが,ともかく一度は行ってみようと思って,今回わざわざやってきたのだった。しかし,その心配は杞憂に終わる。

 シアトルからインターステイツ90をずっと東に走ってようやくモンタナ州に入った。モンタナ州のマイルマーカー33地点にあるセントレジス(St. Regis)という町で,ようやくインターステイツ90を離れ,州道135に乗り換えた。セントレジスは道路沿いにわずかの商店やガソリンスタンドがあるだけの町だった。アメリカの地方にある多くの町は,そんな駅馬車の道の駅のようなところだ。
 州道135は自然と東から来る州道200と合流して北上していく。そのまましばらく走っていくとプレインズ(Plaons)という町で再び分岐して,州道200は北西に,そこを起点とする州道28は北東に向かうことになる。
 私は州道28のほうに進路をとった。 
 やがて,州道28は,エルモ(Elmo)という,フラットヘッド湖(Flathead Lake)の湖畔にある町で湖の西岸を南北に走る国道93と合流し,さらに北上を続けた。このあたりはすばらしい景観であった。
 フラットヘッド湖はモンタナ州北西部に広がる大きな自然の湖で,ミシシッピ川の水源の西にある表面積最大の天然淡水湖。古代の残骸・氷河によって作られたものである。

 国道93は湖を過ぎてもさらにまっすぐ北に進み,いつ果てるとも思えない道路が地平線まで続いていた。アメリカのドライブというのはこういう景色の中を走るのが一番楽しい。しかし,アメリカにはこんな風景が広がっているということすらほとんどの日本人は知らないから,北海道のほんのわずかな直線道路に感動したりしている。
 いよいよカリスぺル(Kalispell)という大きな町に着いた。カリスペルはモンタナ州北西部にあって人口約2万人の商業の中心地である。ここからグレイシャー国立公園まではわずか13キロメートルなので,国立公園のゲートタウンでもある。
 国道93はこの町の中央で国道2と交差する。そのまま国道93を直進して北上していくと,私が今日と明日2泊する予定のホワイトフィッシュという町のスキーリゾートホテル「Hibernation House Whitefish」に着く。
 こうして,予定通り,私は午前中にここまで走ってくることができた。ホテルへ行ってチェックインをするにはまだ時間が早かったので,国道93を右折して北東に進む国道2に進路を変えて,先にグレイシャー国立公園に行ってみることにした。国道2はグレイシャー国立公園の西のゲートであるウェストグレイシャー(West Glacier)に向かう道路である。
 お昼になったので,このあたりのガソリンスタンドで給油をしてついでに菓子パンを買って軽い昼食とした。運転しているばかりで動いていないからこんな感じの昼食をとることも多い。
 シアトルからの長いドライブだったが,いよいよこの旅の目的地であるグレイシャー国立公園まであとわずかである。

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●時差は複雑である。●
☆2日目 2016年6月25日(土)
 インターステイツ90はアメリカを西から東に横断するインターステイツのうち一番北を走るもので,シアトルからボストンに達する。ちなみに,以前書いたことがあるが,アメリカのインターステイツは東西を走るものは偶数,南北を走るものは奇数の番号が振られていて,なかでも大陸を横断するものは南から北に10,20,……,90,大陸を縦断するものは西から東に5,15,……95となる。
 インターステイツ90は慢性的に渋滞するシアトルを抜けて,カスケード山脈を越えると気候が変わり,極めてアメリカらしい雄大な景色の中を走ることができる。今回の旅ではアイダホ州に入ったところにあるカーダーレーンに1日目の宿泊をしたが,インターステイツ90はアイダホ州に入ると長くくねくねした坂道が続くのである。  
 生まれてはじめてこの道を走った2004年のときの印象では,くねくね道の続くアイダホ州を過ぎモンタナ州に入ると,沼地やら平地,そして森が周期的に変わっていくようなるというものだったが,とても走りやすいインターステイツである。
 今回はモンタナ州に入ってからもさらにしばらく進み,マイルマーカー33地点,つまり,モンタナ州の州境から33マイル走ったところにある町セントレジス(St. Regis)で州道135に降りて,その後,州道200,州道28と経由してどんどん北上していくことになる。

 旅に出かけると時間が惜しくなる。到着まで4時間かかったとしても,朝6時に出発すれば10時に着けるが,朝8時になればお昼になってしまうからだ。そこで,いつもホテルをチェックアウトするのが早くなってしまうのだが,そのために,せっかくホテルに朝食が用意されていても食べられないことがある。この朝は幸い,朝食が6時から用意されていたので食べることができた。
 ホテルを出発したのは朝の6時半であった。グレイシャー国立公園はまだまだ遠く4時間以上かかるが,11時には到着するつもりだった。ところが,途中,給油するために寄ったガソリンスタンドで,太平洋標準時(Pacific Time Zone=PT)から山岳標準時(Mountain Time Zone=MT)に時間帯を越えていることに気づいた。つまり,今日は1日が23時間しかないのだった。アイダホ州は場所によって時間帯が違っていて,州の北半分はPT,南半分はMTとなる。昨日泊まったところはアイダホ州の北部にあるカーダーレーンだったからシアトルと同じ時間帯のPTだったが,モンタナ州に入ったところでMTになったのだった。1日が25時間に増えるのならいいのだが,減るのは困る。1時間の差は大きい。
 アメリカを横断するときは,東から西に走るべきなのである。そうすれば時間帯を越えると1日が25時間になる。反対に西から東に行けば,時間帯を越えると1日が23時間になってしまう。

 アメリカ本土には,太平洋標準時(Pacific Time Zone=PT),山岳標準時(Mountain Time Zone=MT)に加え,中央標準時(Central Time Zone=CT),東部標準時(Eastern Time Zone=ET)の4つの時間帯があって,それぞれ1時間ずつ異なる。さらに,3月の第2日曜日から11月の第1日曜日までは夏時間(Daylights Saving Time)が実施されるのでそれぞれ1時間早くなる。つまり,夏の午前9時は冬の午前8時と同じなので,冬の間午前8時に起床していた人が夏の午前8時に起床するには1時間早く起きなけらばならなくなる。そのかわり,夏の午後9時は冬の午後8時と同じなので,日が沈むのが遅くなり,明るい時間が長くなるということになる。
 これは,アメリカ人にとれば,夏の夜を楽しむ時間が増えるという素晴らしい意味をもつのだが,日が暮れるまで働くことしか能がない日本で夏時間などを採用すれば,午後7時に日が沈んでいたのが午後8時になるわけだから,残業が増えるだけのことになるだろう。一時議論になった,日本でも夏時間を導入したらという意見は,日本人が何たるかをわかっていない人のたわごとにすぎないのである。私はむしろ,日本では夏になったら1時間遅らせるほうが理屈に合っていると思う。
  ・・・・・・
 余談だが,国の面積がアメリカと同じくらいのオーストラリアの時間帯はかなり複雑である。
 時間帯は,西部,中部,東部の3つとアメリカより少ないのだが,西部と中部は1時間30分の差があり,中部と東部は30分の差である。これだけなら大して複雑でないが,時間帯をわからなくしているのが夏時間である。
 10月の最終日曜日から4月の第1日曜日の間,中部時間に属するところのさらに南半分であるサウスオーストラリア州と,東部時間に属するところのさらに南半分であるニューサウスウェールズ州とビクトリア州,キャンベラ,タスマニア州だけ夏時間が実施されて1時間早くなるのだ。
 ここでは,オーストラリアの夏,つまり日本の冬に,日本からブリスベン,ブリスベンからウルル(エアーズロック),ウルル(エアーズロック)からシドニー,シドニーからゴールドコーストでトランジットして日本に帰国する旅行を例に説明してみる。
 まず,日本よりオーストラリア東部時間のブリスベンは1時間早い。中部時間のウルル(エアーズロック)はブリスベンより30分遅いから,日本より30分早い。シドニーも東部時間だが夏時間が実施されているからウルル(エアーズロック)より1時間30分早くなって,日本より2時間早くなる。そこで,同じ東部時間で経度がほとんど同じシドニーからゴールドコーストでトランジットして日本に帰国する場合,シドニーとゴールドコーストで1時間の差があるので,飛行機の出発時間で混乱するということになるわけだ。

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●この地には思い出があった。●
 この日はカーダーレイン(Coeur d'Alene)というリゾート地にあるスーパー8に宿泊した。
 カーダーレインはアイダホ州の北西部に位置する,かつては金や銀の鉱山で栄え,近年はリゾート地として高成長を遂げている町だ。人口は約45,000人である。市の名前は周辺に住むネイティブ・アメリカンのカーダーレイン族に由来するが,これは西部開拓時代にフランス人たちが「錐の心」という意味のフランス語で名付けたもので,その意味するところは「抜け目のない」というものだそうだ。また,この町は Lake City という別名でもよばれている。最初にこの地に住みついたのはネイティブ・アメリカンで,やがて,この地にフランス人の入植者がやってきてカトリック信仰が広がり,カーダーレイン川の河岸に現在のカタルド・ミッション(Cataldo Mission)が建てられた。

 ホテルにチェックインをしたあとでダウンタウンに出てみた。湖に面した町は坂になっていて,ここを訪れたときは,なんだかハワイ島のヒロに似ているなあと思ったが,今考えてみると,ニュージーランド南島のクイーンズタウンに似ていなくもない。
 はじめて訪れた町は駐車スペースを探すのに苦労するのは日本も外国も同じで,それはその国のシステムがわからないからである。特に,外国をドライブするときは駐車違反などぜったいに避けたいから,道路標識の見方がわからないと停める方法や場所を見つけるのがなかなか難しいものである。私は多少歩いても絶対に大丈夫という場所に車を停めて歩くことにしている。ここでもまた,ダウンタウンの外れに駐車スペースを見つけて車を停め,外に出た。 
 湖のほとりにはすてきなレストランがたくさんあり,湖にはクルーズツアーも実施されていたので,多くの観光客が訪れるところだと予想できるが,このときはまだ夏の前,ハイシーズンでなかったのが幸いだった。
 アメリカには,日本では全く知らないこうしたリゾート地がたくさんあるが,ひとり旅の私はリゾート気分とはほど遠く,中華料理のチェーン店であるパンダエクスプレスで夕食となった。

 ところで,私はこの町で泊ったのははじめてでない,ということを後で知った。この地に思い出があったのだ。人の行動というのはいつも同じことをするもののようだ。
 それは,2004年のことであった。そのころは忙しく,9月にわずか1週間の休暇をなんとか取ってアメリカにやってきた。目的地はイエローストーン国立公園に行くことであった。しかし,その旅をしたときの私は今よりもあまりに無知であった。ただアメリカを旅したいという一念での強硬スケジュールであった。今ならそんな旅はしない。
 その時もシアトルからレンタカーを借りた。そのまま途中で宿泊するためのホテルの予約もせず,その日のうちにイエローストーン国立公園まで行こうと考えて先を急いだ。インターステイツ90はアイダホ州に入ると坂道が続くようになった。やがて思ったより早く夜になり,真っ暗な山道を走ることになった。そこで予定を変更して次の町でホテルを探すことにして,やっと到着したのが,どうやらこのカーダーレインであったようだ。今となってはその時に泊まったホテルがどこだったのかさえ思い出せないが,ともかくチェックインしたときは周囲は真っ暗であった。そんなカーダーレインに私は再びやってきたというわけだった。

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●コロンビア川を越える。●
 インターステイツ90をワシントン州の中央部まで走ってきた。ここでインターステイツ90は82と分岐するジャンクションがある。インターステイツ82を南東に向けて走ると,ヤキマ(Yakima)を経由して,やがてはインターステイツ84と合流する。
 ヤキマといえば,おいしいハンバーガー屋さん(Miner's Drive-in Restaurant)のある町である。また,インターステイツ84は,アイダホ州の州都ボイジへ向かう道路である。このあたりは翌年2017年にも皆既日食を見るために再びやって来たので,これを書いている今では身近な道路になってしまったが,このときはまだそこんな未来のことは知らない。過去を振り返ると,この旅で今走っているインターステイツ90をすでに2004年にも走っている。そのとき私は,この先のビュートという町を過ぎたところで交通事故に遭い,重傷を負った。
 人生は筋書きのないドラマだ。思ってもいないのにどういうわけか何度も来てしまう場所というのがある。また,あとから振り返ると,あのときこうしておけばよかったと後悔することもたくさんあるが,そんなことはその時点ではわからない。だからこそおもしろいともいえる。そしてまた,人生は短か過ぎる。いずれにしても,2004年ころの私は,その後にワシントン州がこれほどなじみのある場所になるとは夢にも思わなかった。

 やがて,インターステイツ90はコロンビア川に差し掛かった。この日はあいにく橋が工事中で,そのため道路が渋滞していた。こうなると予定が狂って,いつ到着できるかわからなくなってしまうから,短い日数で旅行をしている身には堪える。しかし,幸い,思ったほどの渋滞ではなく,車は再び順調に走りはじめて,視野の先には美しいコロンビア川とそれにかかる橋が見えてきた。
 コロンビア川(Columbia River)は,カナダ・ブリティッシュコロンビア州のカナディアンロッキーに源を発し,アメリカ・ワシントン州を流れて,ポートランドで支流のウィラメット川(Willamette River)と合流して,オレゴン州のアストリア(Astoria)で太平洋に注ぐ。
 橋の南には水力発電を目的としたワナマムダム(WanapunDam)があるので,このあたりコロンビア川はワナパム湖という大きな湖となっている。西側の湖畔にはワナパム保養地(Wanapum Recraation Area)があってそこには湖の景色を見ることができる展望台がある。その展望台にはこの翌年に行くことができた。

 インターステイツ90はこの長く美しい橋を越えると,山に沿って大きく左折した。さらに進んでいくと山岳地帯を過ぎ_再び平原になった。ここはもう,ロッキー山脈である。
 ワシントン州は太平洋岸に面したあたりは夏以外は天気が悪いことが多いのだが,カスケード山脈(Cascade Range)を越えて東に行くと天候が一変して快晴に恵まれる。あいにくこの日はその逆で,山を越えたら雨が降ってきた。
 さらにインターステイツ90を東に向かって走ってくと,やがてスポケーン(Spokane)という町に着いた。この町がワシントン州の一番東側にある人口20万人ほどの大きな都会である。もともとの地名はスポケーン・フォールズ(Spokan Falls)といった。市内のいたるところに滝が見られるからである。また,Lilac Cityともよばれている。
 スポケーンを越えるといよいよアイダホ州であった。シアトルを出発して約280マイル,450キロであった。それは大阪から名神高速道路と東名高速道路を走って東京に着くほどの距離である。

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●走りやすいインターステイツ●
 シアトルからから車でインターステイツ90を東に向かって走り,ワシントン州からアイダホ州へ,そして,アイダホ州からモンタナ州へと900キロ9時間走ると,今回私のめざすグレイシャー国立公園に到着する。
 以前詳しく紹介したが,もうずいぶん前のことになるので,再び書いてみるが,アメリカのインターステイツは東西を走るものが南から順にインターステイツ10,インターステイツ20,……,インターステイツ90となる。また,南北を走るものが西から順にインターステイツ5,インターステイツ15,……,インターステイツ95となる。
 これらの道路は道路標示が統一されていて,きわめて走りやすい。これが日本と違うことである。
 日本ではやたらと道路に色を塗りたくったり,まったく意味のない道路警告やら案内板があったりと,事故を誘発することに努力しているとしか私には思えない。それにもまして,日本はドライバーのマナーが悪すぎる。

 インターステイツは,今日の1番目の写真のように,ジャンクションが近づくと,このジャンクションで降りるとどのようなサービスがあるかという控えめな掲示板がある。これを見て,ガソリンスタンドやレストラン,そしてホテルの存在を知って,降りるかどうかを判断するわけである。そして,いよいよジャンクションが迫ってくると,出口の表示が,これもまた,統一されたデザインで表示されているわけだ。
 インターステイツのどこを走っているかは,マイルマーカーといって州の境を起点としてマイルで表示されているが,その数字がジャンクションの番号になっていて,これもまた日本とは違ってわかりやすい。同じマイルマーカーに複数のジャンクションがある場合だけは数字の後にA,B,Cという符号が振られている。

 そして,ジャンクションを過ぎると,まずあるのが3番目の写真のようなインターステイツ名が書かれた標示板である。先に書いたように,インターステイツ90は東西に走っているわけだから,私が今走っている東向きの場合は,インターステイツ番号の上に「EAST」と表示されていて,どちら向きに走っているのかも容易にわかる。そして,下段にある「221」はマイルマーカーである。
 このように,無駄のない,しかし,必要な情報はすべて簡単に判断できるようになっているから,安全で走りやすいのである。後ろからあおるような車もない。
 インターステイツのほとんどは無料であるから,どのジャンクションでも気楽に降りられる。一般にジャンクションの周りにはガソリンスタンドとそれに付属するコンビニエンスストア,そして店内はトイレがあるから,多くの場合サービスエリアは不要なのだが,町がずっとないところではそうもいかないので,アメリカでも日本のようなサービスエリアが存在することもある。これが今日の4番目の写真だが,多くのサービスエリアにはトイレと,まれに自動販売機があるくらいのものだから,これは単なる休憩所ということになる。

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●ダウンタウンを抜けるまで●
 海外旅行に出かける人もいろいろだが,私のように単独行動で気ままに旅をしている人に出会うことはあまりない。
 セキュリティで並んでいると,私の後ろに数人のおば様方がいた。漏れ聞こえてくるには,今回はアメリカのポートランドへ遊びに行くとか。彼女たちはツアーでなくしょっちゅうパリやらロンドンやらに行っている様子であった。ツアーでそういう旅行をしている人たちはけっこういるが,こんな人たちはまれである。まあ,人それぞれだが,しかし,ヨーロッパならともかくも車に乗るでもなくアメリカに行って何をするのだろうと思った。
 私がうらやましいと思うのは,自由に世界のどこへでも旅行できる能力を持っている人だ。私にはそれだけの能力はない。

 搭乗案内までの1時間を,今回もデルタスカイクラブのラウンジで過ごし,やがて搭乗した。
 シアトルまでは実質約8時間のフライトである。アメリカの入国はキオスクという自動の入国装置がずらりと並んでいるので,アメリカにはじめて入国するなどの特別な場合を除いてその装置で手続きをすればあとはパスポートを提示してスタンプを押してもらうだけである。
 その後,シアトルの空港では税関を通るために預けたカバンを受け取って,税関を通った後でふたたび預けるというシステムになっている。これは別に預けずに自分で運んでもいいのだが,空港が広いから出口近くにあるバゲッジクレイムまで運んでくれるという親切なシステムである。
 空港の出口近くに設けられたバゲッジクレイムで再びカバンを受け取って空港を出て,いつものように空港に隣接したレンタカー会社の併設された駐車場までシャトルバスに乗る。事前に予約をしておくとレンタカー会社のカウンタを通らずとも車が用意されているのでそれに乗り換えれば,もう,アメリカは自分のものである。

 車に乗りこんで,シアトルのタコマ国際空港からすぐにインターステイツに入る。道路標示に従ってインターステイツ90にたどりつけば,その後は私のめざすグレイシャー国立公園へ向かって東に東に走っていくだけなのだが,シアトルのダウンタウンはインターステイツが慢性的に渋滞しているから,ダウンタウンを出るまでが一苦労なのである。
 同じアメリカの西海岸でも,ロサンゼルスはダウンタウンが広く,どこまで行ってもずっと都会が続き,その間ずっと渋滞も続くのだが,シアトルは太平洋岸に沿って街が南北に続いていて,東の大陸側には山が迫っているから,インターステイツ90に乗って東に向かえば,すぐにアメリカらしい果てしなく広い大地となるから,それまでわずかの辛抱である。

 インターステイツを走っていると,整備不要でパンクをしたのにそのまま走ろうとしてホイールが道路と摩擦をして火花を出している車があった。こんな日本では目にすることもないメチャメチャな風景を目撃すると,到着早々,気合がそがれ不安になってくるが,なんとか郊外に出てひとまずほっとした。すると次第に行き交う車も少なくなって,そのうちあたりには家もなくなり,道路だけがずっと続いたのち,何キロメートルかのジャンクションごとに小さな町が現れるようになると,あとは楽しいアメリカ大地のドライブである。
 私はとりあえず,このあたりで一度インターステイツを降りて,どこかのマクドナルドに車を停めて,小休止かつ昼食をとることにした。

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●日本人の考えることといえば●
 今回もまた,成田空港まどどうやって行くかが一番の問題だった。もう書き飽きたが,名古屋からは直行便のあるフィンランドのヘルシンキとハワイのホノルルは便利だが,名古屋からはデトロイト便しかないアメリカ本土と香港経由しかないオーストラリアは,それ以外の場所に直行便で行くにはまず成田空港まで行かなくてはならないから面倒なのである。それでも,成田空港までセントレア・中部国際空港や県立名古屋空港から数千円で行けるような便利な便がたくさんあるのなら何の問題もない。しかし,早朝と午後の2便のみがかろうじて格安で,それ以外の便だと何万円もする。また,格安の便の時間に利用しても,到着後に成田空港で何時間も待たなければならない。こんなバカげた話はない。
 そんなわけで今回苦労するのだが,このときは成田の出発が午後4時過ぎのシアトル便だったので,東京までは新幹線の「ぷらっとこだま」を利用することにして,朝8時頃に名古屋駅から新幹線に乗った。荷物は事前に成田まで送ってしまうほうが便利なので,今回もそうして,小さなバックパックひとつ持ってサンダルばきであった。なお,東京駅から成田空港まではJRの成田エクスプレスは遅れてばかりであてにならないので,八重洲口からは所要1時間で運賃1,000円のバスに乗るのが便利である。

 こうして成田空港に着いて早速フライトのチェックインをした。
 成田空港には3つのターミナルがある。個人で旅行するとき,どのターミナルから目的のフライトが出発するのかが一番知りたい情報なのに,そうした情報がわかりやすく表示されていないのがこの国の「おもてなし」である。アメリカの空港は巨大で,多くのターミナルがあるが,どのターミナルにどの航空会社が発着するかというのが明確でわかりやすい。ホテルと空港間の送迎バスに乗ると,まず,どの航空会社に乗るのかとドライバに聞かれる。また,ターミナル間は無料のモノレールとか地下鉄が走っている。それに比べて,日本では,ターミナル間の移動はバスであり,しかも,バス停がそれぞれのターミナルの一番わかりにくいところにあり,また,道路もターミナル移動専用でなく,途中で信号待ちをしたりする。まったくもってバカげた話である。
 例外はあるが,おおよそ成田空港のターミナルはアライアンスごとに次のように分けられているらしいのだが,そんなものは会社側の論理であって,はじめてこの空港を利用する人にはわからない。そもそもアライアンスというものすら知らない人のほうが多い。

 第1ターミナルの南ウィングはスターアライアンス,第1ターミナルの北ウィングはスカイチーム,第2ターミナルはワンワールド,そして,第3ターミナルは格安航空である。
 そこで,スターアライアンスのANAでセントレアから成田に来て,成田からワンワールドのカンタス航空に乗り換えるような場合,一旦ターミナルを出てターミナル間を移動しなけらばならない。しかし,国内線を降りたコンコースには「国際線乗り換え」という標示があって,それは同じアライアンスの乗り換えに限られる標示だからそれに従って移動すると失敗するのである。また,第1ターミナルの南ウィングと北ウィングは入口が違うだけでなかで移動ができるのだが,それがまた,土産物屋が邪魔をしていて標示がみつからずわかりにくいのである。
 さらに,第2ターミナルは,セキュリティを越えて搭乗ゲートに向かうコンコースが広く,吉野家もあったりするが,第1ターミナルは手狭で,くつろげる場所が少ない。古いのである。
 また,第1ターミナルが手狭になったので第2ターミナルを作り,そして,同様に第3ターミナルを作ったのだろうが,アメリカだとこうしたとき,すべてのターミナルに統一性が保たれて利用者の利便性を第一にすべてのターミナルをリニューアルするが,日本では温泉街の古宿のように,デザインやコンセプト,そして利便性の異なるものを建て増し,作りに脈略がなく統一性がとれていないものだから,不便でかつ見栄えが悪いのである。

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