しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

カテゴリ:しない・させない・させられない > 知恵と発想の限界

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 自分では何も新しい発想ができないのに,人まねだけは得意な日本です。これまで,人まねをした上でそれ以上の性能の製品を開発することでこの国は伸びてきました。しかし,現在は,もともとの製品の完成度が高いので,それ以上の製品というより,やる必要もないような改良(改悪)を施して,使いにくくするだけになっていると私は感じています。
 そんな「日本人の知恵と発想の限界」,今日は観覧車のお話です。
  ・・
 遊園地にある観覧車はとてもよく考えられています。乗り物としての楽しみもあるし,展望台としての役割もあるし,さらに,円運動は正弦曲線を描くので,高さ(y軸)を考えれば,昇っていくときは早く,最上部に達したときと最下部に来たときは動きが遅くなるので,展望をする時間が長く,また,乗るのが楽といった利点があります。

 この観覧車,私は,日本国内だけでなく,数年前,オーストラリアのブリスベンで,フィンランドのヘルシンキで,また,オーストリアのウィーンで乗る機会がありました。今日の写真はそれぞれ,そのときのものです。そこで,驚くべき経験をしました。それはまさに,私の発想にはなかったことでした。
 日本では,観覧車は常にゆっくりと回転していて,乗るときも動いたままの状態で乗り込み,1周したら終わりです。2,3周できるようなオプションがあってもいいと思うのですが,そんなことはしゃくし定規の日本人は考えません。
 私も,乗ってみるまでは,海外の観覧車も日本と同じものだと思っていました。それがそうではなかったのです。
 それぞれの国で少しずつ異なってはいましたが,そのどれにも共通していたことは,乗るときに観覧車が停止するということと,1周ではなく,何周も回るということでした。
 日本人はそんなことは考えません。これぞまさに「日本人の知恵と発想の限界」だと思いました。おそらく,海外で観覧車に乗ったことがない人は驚くことでしょう。しかし,考えてみれは,観覧車が日本のようなシステムである必要などないのです。

 観覧車は乗り込むときに一旦停車します。乗り込むごとに少しずつ回転していくので,先に乗り込むと少しずつ回転していくのを乗ったままの状態で待機することになります。そして,すべての車に人が乗りこむとやっとスタートです。回転しはじめるわけですが,それも1回転ではなく,2回転とか3回転とかします。降りるときはその逆になります。
 オーストリアの観覧車では,中で食事ができるようなものもあり,カップルが何かのお祝いをしていました。その車には最下部に達するごとに料理が運び込まれていました。当然,食事が終わるまで何周も楽しめます。また,フィンランドの観覧車にはサウナが併設されているものもあって,それは,水着で乗り込むことになります。
  ・・
 このような海外の観覧車,私ははじめて乗ったときに本当にびっくりしました。
 日本の観覧車も,高さだけ競うのではなく,こうしたさまざまな趣向のものがあってもよいと思うのですが,もともと日本人にそんな知恵が浮かばないのと,海外の観覧車を視察するような発想がないのか,見たことがないのが残念です。
 人まねだけは一流の日本で,どこかでだれかそんな観覧車,考えませんかねえ。


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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

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 消費税が8%から10%になって消費が落ち込むことを懸念し,また,電子マネーを促進するという狙いから,ポイント還元とかいうわけのわからない施策を打ちだして,それがニュースでも取り上げられています。そうしたすべては「日本人の知恵と発想の限界」。オリンピックのチケットのときもそうだったし,携帯電話の料金の引き下げや,それ以外にも,これまで政府が何かをしようとして,その結果起きたさまざまなトラブルは,すべて,もう,あほらしさを超えて,逆に,私は,何かが起きたときのドタバタ劇を傍観すると楽しくて仕方がありません。
 私は数年前からずっとキャッシュレスで生きてきて,めったに現金を使わないし,ここ数年 ATM さえ使ったことがなく,現金といえば何かで必要なときのために財布の奥深くに1万円札を1枚忍ばせているだけなので,もはや戸惑いませんが,そうでない人にとっては,ポイントからはじまって,やたらと種類の多いクレジットカード,そして,〇〇Pay と,これまで放任しておいてめっちゃくちゃになっておきながら,今さら政府主導でキャッシュレスといわれても右往左往するだけです。しかも,そうしたことに対する報道もまたすべて,なんらかの利害と絡んでいるので,何を信じていいのかわかりません。そこで,結局,そうした人はそんなめんどうなら現金でいいや,という結論になるわけです。

 世界を旅行していると,日本ほどモノを買うのが面倒な国はほかに知りません。決済方法多すぎ,そして店によって違いすぎです。クレジットカードですら店ごとに使えるものが限られていたりします。中国や韓国,さらに東南アジアや南アメリカ,アフリカ,中東には行かないから,それらの地域のことは知りませんが,私が出かけるアメリカ,オセアニア,ヨーロッパなどでは,モノを買うとき,その 99%は1枚のクレジットカードで事足ります。現地通貨など,まず,使ったことがありません。それが,日本では,現金しか使えない,特定のカードしか使えないということがあまりに多く,そしてまた,札は大きく,コインもかさばるので大迷惑をしています。
 そもそも,ポイントとかいうくだらないものが諸悪の根源。飛行機を利用したときのマイレッジとか家電製品を購入したときのような高額な金額に対するポイントは貯める価値もあろうというものですが,牛丼1杯食べて1ポイントもらっても,たかが1円でしかありません。コンビニなど,スーパーマーケットなら76円で売っているペットボトルが143円もして,そこで1ポイントもらったところで,しょ~もないだけです。さらに,マイナンバーカードを普及させるために,マイナンバーカードで買い物をしてポイントを与えるとかいうことも考えられているそうですが,クレジットカードも持たない人がマイナンバーカードなどという個人情報満載のカードを買い物で使うわけもなく,しかも,そんなものを使えば,個人が何を買ったかという情報を国がすべて把握できてしまうわけだから,普及するわけがありません。
 かくいう私は,実はポイント貯めています。いや,貯めているのではなくて単に使用しています。それは,レジでポイントカード持っていますか,と聞かれたとき,持っていなければ持っていないで作りますか,といわれるのがウザったいので,言われる前にポイントカードを登録した iPhone を差し出すのです。それだけの理由です。しかしこのポイント,有効期限があったり,Tポイントは吉野家のようにカードでなければ使えないとかいう店があったりするすので,さらにウザったいのです。また,ポイントは貯めるものではなく,1ポイントでもあればさっさと使ってしまうに限ります。

 こうした日本のわけのわからないキャッシュレス社会でストレスなく生きぬくには,普段決済手段として持ち歩くのは Suica とクレジットカードを登録した iPhone と非接触型決済が使えないときのためのクレジットカード1枚だけにすることです。これで事足ります。普段は Suica を ApplePay として使用し,Suica にチャージするクレジットカードを紐付けておけばよいのです。Suica なら公共交通機関にも対応できます。私は,使えない店には行きませんし,食料品以外のモノのほとんどは通信販売で買います。
 ○○Pay とかいうのはクレジットカードが使えない店でキャッシュレスをするために導入しはじめたものです。私は LinePay と楽天Pay を2,3回使ってみたのですが,店によって使えるものが違うので不便なだけで必要性を感じなかったので,しばらくは静観です。現在は PayPay が最強のようですが,私は SoftBank をまったく信用していない(前身である日本テレコムに騙されたことがある)ので,使いません。コンビニといえば,数年前はセブンイレブンの nanaco カードが便利で最強でしたが,ApplePay にも登録できずチャージも現金を持って店に行かないとできないので,時代が進んだ今はすっかり取り残され見る影もなくなり,縁を切りました。
 私は,未だに現金を使っている人を見ると気の毒に思います。現金を使う人にも2タイプあって,そのひとつは,いつも1万円を出す時代遅れの人,もうひとつは端数分のコインを必死に探しておつりがないようにして出す人です。いずれにしても,そのどちらのタイプの人も,レジで精算に時間がかかるのは変わりなく,後ろに並んでいる人には非常に迷惑です。
 しかし,これまで現金しか使ったことのないお年寄りには,この国のわけのわからない,かつ,不親切極まりないキャッシュレスシステムは過酷でしかありません。また,海外でも,日本でクレジットカードを使いなれていない多くの人は,日本にいるときと同じように,現金を不慣れな外貨(現金)でたどたどしく使っていたりします。日本で1万円札を出すように,アメリカで大きなブランド品の財布から100ドル紙幣など出して買い物をしょうとするのを見るとはらはらします。
 おそらく,こうして,この国は,この国の人は,さらに世界から遅れていくのでしょう。くわばらくわばら。

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 日本人の大好きな「おもてなし」。
 多くの店で未だにクレジットカードが使えない。公共トイレにハンドウォッシャーとペーパータオルがない。このふたつだけでも,日本が世界からずっと遅れてしまっていることに,海外に出たことのない人は気づいていません。これが日本の「おもてなし」です。
 今年の台風と地震で,大阪と札幌の空港が被害を受け,空の便の多くが欠航しています。なかでも,関西空港を使っていた国際線の多くが利用でなきなくなったことで,中部国際空港に到着する海外からの人が増えています。そこで,セントレア・中部国際空港から名古屋市内へのアクセス手段としての唯一の公共交通機関である名鉄電車に,これまで以上にそういった乗客が見られるようになりました。
 しかし,この名鉄,「広い視点の欠如」から,はじめてこの空港を使う海外から来た人にはかなり不便な鉄道なのです。おそらく,運営をしている人は一生懸命,精一杯のことをしているのでしょうが,どういう点が不便なのかという実態を知らないのでどうにもなりません。知らなことはできません。

 生まれてはじめて海外へ行く,たとえばニューヨークの空港に降り立った状況を想像してみてください。空港からマンハッタンに向かう鉄道の利用の仕方がわからなけらば不安になることでしょう。しかし,そこには親切な係り員が常駐しクレジットカードが使えます。それに対して,このセントレアからの鉄道はどうでしょうか。
 まず問題なのが,名鉄の乗車券がクレジットカードでは買えない,ということなのです。そこで,クレジットカードを使うにはわざわざ到着ロビーのトラベルセンターへ行く必要があるというのですが,はじめて日本に来た外国の人にとってこれほどバカげた話はありません。こんなことは,クレジットカードでマナカ(スイカの名鉄版)が購入出来るような自動販売機(もちろん外国語の表示がされるもの)を改札口に設置するだけで問題が解決するのですが…。
 さらに。名鉄の特急には座席指定のある車両があって,この車両を利用するには「ミューチケット」というものが必要です。おそらく,そういうシステムすら知らないと思うのですが,知ったとしても,そのミューチケットも当然クレジットカードでは買えないし,インターネットでも事前に購入(予約)できません。私が自宅から海外旅行に出かけて帰るまでに,唯一インターネットで予約できないのがミューチケットだった,という冗談のような本当の話があるのです。

 もうひとつは,河和線やら常滑線やらといった,その地方に住んでいる人でなければわからないような路線名です。これもまた,イエローラインとかグリーンラインとか,そういった名称をつけて,それと同時にそのラインを走る電車が区別できるような外観のデザインにすればいいのです。これに加えて,特急以外の電車に乗ると,まったく英語の放送がないことも問題です。名古屋駅からセントレアに向かうとき,途中の太田川という駅で途方にくれている外国から来た人の何と多いことでしょうか。たとえば,名古屋駅からセントレアに行く8両編成の急行に乗ると,太田川の駅で前4両だけがセントレアに行き,後ろ4両は切り離されて太田川止まりというものがあります。あるいは,セントレアのある常滑線ではなく河和線に向かう電車があります。しかし,そのようなことを日本語では放送しても英語で知らせる放送がまったくないのです。私はこれまでずいぶんと太田川で戸惑っている外国人を「救出」しました。こんなことは,車内で空港に向かうであろう外国人を見つけたら車掌が英語で書かれたちらしを配るだけでずいぶんと解決します。
 このように,セキュリティ第一の空港という場で,空港利用者以外の人を集めるようなイベントをすることに知恵を絞るよりも,もっと空港利用の旅行者に対してしなければならない重要なことがたくさんあるのです。こういった実態こそが,日本の精一杯の「おもてなし」ではできない,つまり「日本人の知恵と発想の限界」なのでしょうか。

◇◇◇
この国の空港の不便さ-広い視点の欠如①
成田は東京より福岡のほうが近い-広い視点の欠如②

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 私はアメリカに行くとき,デトロイトを経由するときはセントレア・中部国際空港を使いますが,それ以外は成田国際空港から出発します。というか,そういう便しかないのです。
 「日本人の知恵と発想の限界」は,こうした空港建設に典型的に表れていて,アメリカへ行くにも東京に住んでいない人にはものすごく不便なのです。それは世界では常識である「ハブ空港」という概念が希薄だからです。様々な都市から海外に直行便を出そうという,ハブ空港の考え方とは正反対な政策で空港建設を行ってきたその結果,逆にこのような不便さを生じているのです。
 本来,日本のような狭い国では,海外に飛び立つ国際空港は「成田」だけ,あるいは「成田」と「関空」だけで十分で,それ以外の地方の空港はアクセスの便利なところにコンパクトに建設して,国内路線の充実とそこからハブ空港へ行くための便を充実させればよいのです。

 セントレア・中部国際空港は,建設する前に使われていた名古屋空港に比べて,名古屋からのアクセスが必ずしも便利ではありません。確かに名鉄電車1本で行けるといえば聞こえはいいのですが,朝のラッシュ時間には途中の駅に停車する電車を優先的に走らせる必要があるので,空港までのノンストップ特急は無論のこと,座席指定専用車両を走らせる余裕もなく,通勤・通学で混み合う車内に大きなバッグを持ち込まないと行くことができないという状況になっています。それでもまだ正常に走っているときはよいのですが,結構な割合で事故や故障で運休や遅延になってしまうことがあるのです。これでは安心して時間を計算して空港まで行けないので,ずいぶんと時間の余裕をもって家を出る必要があるのです。
 そんな巨額な空港の建設費があるのなら,新しい空港など作らずとも,小牧にある名古屋空港まで名古屋市内から直通の地下鉄を建設したほうがずっと便利だったのです。そして,名古屋空港から成田までの直行便を安価に飛ばせば,1時間ほどで成田空港まで行くことができてそこから世界中にアクセスできたのです。そのほうがどれだけ便利だったかわかりません。
 地方空港としてもっとも理想的なのは福岡空港です。福岡空港は福岡の都心まで地下鉄で数十分という場所にあってとても便利であり,しかも,福岡-成田便は7,000円以下であります。したがって,名古屋市内からセントレアまで行って格安航空便すらないセントレアから成田に行くのに比べて,福岡市内から成田へ行くほうが早くて安いのです!

 この国は,いかに能力や見識のある人がいても,それまでの既得権やら利権がからみ,さらに,現実をよくわかっていない議員や有力者が横槍を入れてバカげたインフラの構築を主張するするから,このようになってしまうのでしょう。こうしたことは別に空港だけの話ではありません。ほかの様々なことも同じような成り立ちで作られていくのです。
 地方から成田までの直行便が充実したとしても,今度は成田空港が東京都心から遠すぎるので,東京に住んでいる人には依然として不便です。そこで国は再び羽田からの国際線を増やしはじめました。そんなことならはじめっから成田など作らずとも羽田を拡張しておけばよかったのですが,それが今ごろになって方針を転換したので,今度は羽田と成田の2本建てで,混乱に拍車をかけているのです。
 さらにまた,日本人には,日本が海外から見るとアジアの一部であるという認識も希薄です。海外から見れば,成田は日本のハブ空港というよりもアジアのハブ空港という位置づけだから,成田からアメリカに行く便の乗客の多くは,フィリピンやベトナムなどの東南アジアからの乗り換え客です。そうしたときに問題なのは,乗り換えの長い時間を過ごすにしては,空港の設備自体が貧弱でありすぎることです。

 ここで私が書いているようなことは,ツアー旅行で一生に一度海外旅行をするような人には関係がないことでしょうし,国が何をしているのかなんて全く興味がないかもしれません。しかし,この国で上に立つ人までも,その多くはそうした人と同じ認識でしかないから,こういう事態になってしまうのです。巨額の税金を使って海外視察に行く人たちは,いったい何を視察してくるのでしょうか。日本は世界からどんどんと遅れてしまっているのに,そんな危機感すらまったく持ち合わせていないのです。そして今度はリニア新幹線です。
 私は,こうした空港行政ひとつを考えてみても「日本人の知恵と発想の限界」をしみじみと感じます。本当に何をしているんでしょう。

 一度の人生,せっかく生きているのだから,iPad とか iPhone とか,新しいガジットは使いこなせるほうが面白いのでいろいろと試しているのですが,それとどう付き合うかが自分なりにわかってくると結構便利に生活できます。しかし,多くの人は,そういった情報があまりに多すぎ,複雑なので,まんまと罠にはまって,余分な出費をしたり,自分を見失ってしまいます。携帯電話会社に月1万円貢いでいるなんていい例です。
 巷にたくさんあるお店というのは,儲かるからそれだけあるのですが,それは,うがって考えてみれば,そういうところに出費をするというのが,一番無駄なお金の使い方だということです。
 この国は,何事も賢くないと損をします。賢いというのは学校教育で学べない「知恵がある」ということです。

 金融機関が投資投資と煽るのも,また,同じことです。
 老後の資金が不足するから投資で増やそうなどと書いてある雑誌がありますが,よほどリスクのある投資をしなけければ,投資は,運が良ければ1割ほどは儲かりますが,たいていの場合は3割程度の損をします。プロが年金の運用で投資しても損をするのに一個人が投資して儲かるわけがないのです。そんなことはわかり切ったことです。
 しかし,業者は投資家が損しようとそんなこと知ったことありません。どっちみち投資に手を出してくれれば手数料が儲かります。どちらにしても損をするのはお客さんです。こんな人を馬鹿にした商売がほかにあるでしょうか? だから,金融業は何もモノを作らないのにお給料が高いのです。
 たとえば1,000万円投資をすると,万一うまくいったとしたら100万円くらいは儲かるのですが,たいていの場合は300万円ほど損をします。そんなことのために,貴重な人生の持ち時間の多くを,相場を眺め精神的に動揺しながら過ごすのです。実際,投資などするよりも働いたほうが効率がいいのです。毎日,株価やら為替相場に一喜一憂するなんて,それが仕事でなければ馬鹿げているだけで何も得るものはありません。しかも,素人投資家には知らされない金融機関のみが知りうる機密の情報が山のように隠れています。
 株価が高いときや円が安いとき,つまり,投資をしてはいけないときに限って,もっと上がるもっと下がるといって,業者は投資を勧めます。そして,ある時期が来ると「突然」相場が乱高下して,何も知らない素人は怖くなって慌てて損切りをします。こうして素人はお金だけを貢がされて振り落とされていくのです。歴史上,こんなことがこれまで何度繰り返され来たことでしょう。
 そんな事実は,数年,まじめに投資をしてみればわかります。

 この話が信じられない人は,自分の余裕資金の1割程度を3割損する覚悟で2年くらい投資してみてください。
 例えば,100万円の余裕があるときは10万円を3万円損する覚悟で,1,000万円の余裕があれば100万円を30万円損する覚悟でです。そして,投資資金はできる限り細かくして,株,FX,投資信託など,様々な多くのものに小分けして手を出してみましょう。
 ただし,窓口に行ってはいけません。あなたを人間でなくお金としか見えない窓口の店員さんが笑顔で迎えてくれて,うまい言葉であなたからお金を吸い取ってくれます。そして,まとわりついて離れなくなります。ネット証券やネットバンキングをお勧めします。
 そして,しばらく,自分の投資したものが上がるか下がるか売り買いせず様子見をしてみると,本当にいろんなことが経験できます。つまらない本を買って読んだり,テレビの解説番組などを見るより世の中にずっと詳しくなれます。そして,投資のからくりがわかります。たとえ3割損をしたとしても,勉強代だと思えばいいのです。
 はやり,このことも経験が大切で,「ドリラー」ではだめなのです。
 かくいう私は,そうして勉強しましたが,悪運が強いので,幸い,一度も損をしたことはありません。

 この国の学校教育では,知識は身につきますが知恵は身につきません。
 資本主義社会で最も大切な知識である税金や投資について,学校では何も教えてくれません。そういうことを口にすること自体が「お下品」だと思っている教育者は一杯います。彼らは,安定した幸せな公務員だから,実社会の苦労なんて知らないのです。
 しかし,きちんとした知恵がないと,子育てに無駄なお金を使い,家のローンですっからかんになって,携帯電話会社に束縛され,いろんな報道に振り回されてなけなしのお金を投資して,やがては貧困老人となって死んでいくのです。
 最後に。
 マイナス金利とやらで世間は騒いでいますが,日銀の次の手は「現金のマイナス金利化」だそうです。つまり,1万円札が9,000円でしか通用しないという政策です。これもいつか来た道。江戸時代,お金を改鋳した政策と同じです。世も末です。
 どうやら,この国では,何事も宣伝や広告に踊らされてお金を使ったほうが負けのようです。景気が良かろうと悪かろうと金利が上がろうと下がろうと,お金は使えばなくなります。

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 以前書いたことがありますが,アベノミクスというのは円をたくさん刷って市場に流したために円安になったというだけのことだったのに,そのタイミングがよかったために,予想以上の効果を生み,大企業と資産家だけは喜び,いつも何も考えていない多くの人たちはアベノミクスはすばらしい政策だと錯覚しました。
 日本ではデフレが続いているので,たとえ貯金に利息がほとんどつかなくても物の値段が下がっていくからお金の価値が高くなっていきます。これではますます人は物を買いませんし,外国人はますます円を買います(借ります)。
 そこで,国としてはインフレにして円の価値を下げる必要がある,というのが経済のからくりです。
 しかし,工場はすでに生産拠点を国外に移転しているし,少子高齢化の日本では将来の労働人口も減るし,老人の収入は年金だけが頼りだから,本当は円安もインフレも困るのです。円安で喜んでいるのはトヨタ自動車くらいでしょう。
 しかし,現実にはそういう少子高齢化に対する根本的な何の対策もないのだから,金融緩和で力づくで円安にしても,所詮は限度があります。再びリーマンショックのような状況が生まれれば,国の経済対策などひとたまりもないのです。
 さらに,熱病に侵されたかのように日銀の総裁が意地になっているから,マイナス金利まではじめちゃって,この国の破たんは時間の問題です。万一,一般の人の銀行口座から口座維持手数料がとられるようにでもなれば,経済はパニックになります。金融機関に危機を起こして経済が好転するわけがありません。そんなことは素人でもわかります。
 国が大切なのは大企業であり,国民ではありません。だから,自分の身は自分で守らなければなりません。

 この国で生きていく3大リスクは「子育て・家・投資」です。
 まず,「子育て」。
 この国の中等教育の「裏の」3つの柱は,
❶絶えず他人と順位を競わせることで,若者を自分はダメだという気持ちにさせ将来の夢を奪う。
❷ドリルの穴埋め問題をすることを勉強と勘違いさせて,本当の学問をリスペクトしない人材を育てる。
❸英語をも順位争いの対象にして英語嫌いを作ることで,国外逃亡を防ぐ。 
です。しかも,「学力調査と称したペーパーテスト大好き文部科学省」が何かを決めるたびに塾が繁盛する仕組みです。
 だから,学生はテストで点を取ることだけが目的でそれ以外のことには興味がなく,その欲求不満のはけ口として,週末も部活動漬けにして,そこでは技術を磨いたりスポーツ好きにするのではなく,「忍耐・根性」と洗脳するわけです。その結果,学問と文化をリスペクトしなくなります。
 文化をリスペクトしないわりには豪華なコンサートホールがたくさんあります。しかし,あれだけ運動部に力を入れていても,観客を満足させるような集客設備のある体育館すら満足にないというちぐはぐさも,また,日本らしい姿です。
 そうして大人になった人たちは,人生に生きがいも主体的にやりたいこともなく,子供には同じ思いをさせたくないとうすうす気づいているから,子どもを作りません。だから少子化になります。子どもがいても今度は学校教育に任せても何も達成できないと思っているから深夜まで塾通いをさせるので,子育てには異常にお金が必要となるのです。しかし,専門教育を施すための個人レッスンならともかく,大手大衆塾に通わせても,その学問の専門家でもない人がドリル学習を指導しているだけだから,大衆向けのチェーン店でバイトが作る料理を食べるのと同じです。
 そんなことより本当に子どもの成長に必要なのは,知識ではなくそれを越えた知恵を様々な体験や失敗から学ぶことなのです。

 結婚すると,今度は住居の問題があります。
 企業はたえず新築住宅を供給することで持ち家志向を高めます。主体性がなく,流れにまかせ世間体を気にする多くの人は,年収の何倍ものローンでそれを手に入れます。そのようにしてお金を使わせることでローン地獄にして,残業をいとわない奴隷のような労働者を作っているわけです。
 しかし,実際は,都心には,子育てを終え子供が独立した老夫婦が必要以上に大きな家に住み,あるいは,主のいなくなった空き家や車の停まっていない駐車場が溢れています。
 本来,住宅は,結婚したとき,子供ができたとき,子供が独立したときと,3回住み替えられるのが良いのですが,中古住宅市場の成熟していないこの国では,一度購入した家に一生住み続けるしかないのです。こうして,若い夫婦が無理をして購入した郊外の住宅は,将来売ろうとしても,これだけ空き家があっては値がつかず,子孫には財産ではなく負債だけが残ります。さらに,いつ洪水や地震といった天災が起きて持ち家がなくなるかわかないといったリスクのほうが非常に大きいのです。
 いくら金利が低かろうと下がろうと家は借りるもので,この国では決して家など買ってはいけません。
 
 結婚して子供がふたり,住宅ローンで郊外の建売住宅を買うという,昔は当たり前と思われたことすら今や正規雇用者となれた少数の幸運な若者にしか出来ないことですが,この,昔は当たり前だったことが今では最も危険なことなのです。年金の支給年齢が何歳まで繰り上がるかさえわからない時代,時代の変化を知らない年寄りの考えをうのみにして,あるいは昔の価値観のままにこうしたことをすれば,将来の不幸が目に見えています。おまけに,結婚相手の親が自営業者で厚生年金が受給されないときは,将来,年老いた親を施設に入れるお金もないから,これに加えて,さらに親の世話という大問題が待っています。つまり,子育ての後に控えるのは親の介護なのです。
 このように,この国では子育てと家にお金を使ったほうが負けのようです。
 「投資」については,また次回書きましょう。

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 読売新聞のウェブページに「発言小町」というのがあります。
 その中の質問に「恵方巻き…食べない派は肩身が狭い?」とか「お昼に焼きそばってダメですか?」というのがあったのですが,多くの人はこんなことに興味をもっているのでしょうか? あるいは,こんなことまで自分で判断できないのでしょうか? それとも,ネタでしょうか?
 私の感想を一言でいえば,どうでもいいじゃないの,なのですが,それでは話になりませんから,少し書いてみましょう。
 
 そもそも「恵方巻」なんて,私が若い頃はありませんでした。
 なんでも,関西では節分に縁起が良いとされている太巻き寿司を食べる習慣があったのを,1998年に,セブンイレブンが「恵方巻」という名称を付けて全国発売したら広まった,それだけのことなのです。たった18年の伝統です。
 それにしても,これを考えたセブンイレブンのスタッフはすごいです。「恵方巻」発祥の地,あるいは「元祖」とか「本家」とでもすればさらに人気がでることでしょう。
 今では,日本人お得意の「徳川幕府の鎖国政策は開闢以来の国策と思われていた」と同様に,節分に「恵方巻」を食べる習慣もいにしえよりあったかかのように伝わっているわけです。そして,そんなことも知らない輩が,節分に恵方巻を食べないなんて罰当たりだとかなんとかいうのです。

 「お昼ご飯に焼きそば」は美味しいですよ。これと同じようなのに,「yahoo知恵袋」というウェブページには「夕食がマックで許せるか?」というのがありました。
 「yahoo知恵袋」というのは,信頼のおける回答と,どうにもならない回答があるので,これを吟味して読んでいると退屈しのぎになるのですが,このサイトに限らず,どうして,一部の人たちって,あのようなどうにもならないような回答しか書けないのでしょう。これもまた,「日本人の知恵と発想の限界」なのでしょうか?
 こうしたサイトから,ああ,この人はこんな考え方しかできないんだ,とか,何でもほかの人と比べることしかできないんだとか思うのですが,これこそがこの国に住む人たちの実体なのでしょう。だれか,卒論のテーマでお困りの学生さん,このテーマで研究してみたらいかがでしょう?
 別に,マクドナルドで夕食をとろうととるまいと人それぞれでしょう。
 しかし,「偏差値」が何モノかも知らないくせに,「偏差値,偏差値」と騒ぐ人たちも,「英検」の出来を日本の学生の英語力だと判断する文部科学省も,また,これと同じ類なのでしょう。それにしても,文部科学省って,学力調査好きですねえ。

 人は,自分に自信がないと,周囲を必要以上に気にします。人と比べたがります。そして,自分だけが違うと引け目を感じたり,あるいは,そういう人をいじめたりすることもあります。
 女子学生のスカート丈とかルースソックス(英語の発音ではルー「ズ」ソックスではありませんよ!)などみんなと同じが大好きで,本当に主体性というのはどこにあるのか,といいたくもなります。要するに,いにしえ? から「ミーちゃんハーちゃん」つまり,ミーハーなのです。
 こういったときに将来「大物」になるのは,自分だけが違ったときに,肩身が狭くなるのではなくて,このほうが素敵だ,と周りに思わせる人物なのですが…。
 さて,ここで「夕食がマックで許せるか?」といわしめるのは,人のことを気にする日本人の性格とともに,もうひとつは「マクドナルドハンバーガー」というものの日本での立ち位置なのです。
 ならば,夕食がおにぎりだと許せますか? あるいは,夕食が吉野家の牛丼だと許せますか?
 実は,この質問の裏には,夕食を母親が作らずマクドナルドで済ますのはけしからん,とかいう話があったのですが,それなら,夕食を回転寿司で済ますのも,豪華なフレンチを食べるに出かけるのも同罪でしょう。
 それだけのことです。別に何をどう食べたっていいではありませんか。
 かくいう私は,夕食はマクドナルドでも許せますが,日本のマクドナルドで夕食をとる気にはなりません。あのメニューのサラダがアメリカのもののように,豪華で大きければ,許せます。
  ・・
 「発言小町」には「貯金5,000万円! そのときあなたは?」なんていうのもありました。
 老後にいくらいるか? などという話題が関心をよんでいますが,そんなものは個人差があって一概にいえるものではありません。高額の収入のある人は別として,若い頃からたくさんお金を使った人は,貯金もなく,しかも老後もお金が必要でしょうし,その反対もいえます。
 ただし,長く人間をやってきて,そういう最も根本的なことすら主体的に判断できないというのは,やはり,この国の大人は何事もあなた任せで人まねだけをする「大人になれない大人たち」ばかりのようです。

◇◇◇
1,000 times Anniversary of uploaded this blog today.

ブログを始めて34か月。
きょう1,000回目の更新を迎えました。
いつも読んでいただいて,
どうもありがとうございます。

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 契約した勤務時間が終わっても帰れない職場,夏休みなのに補習を強制する学校,やたらと多いポイントカードやクレジットカード…  なのに,みんな現金払い,そして,今だクレジットカードの使えない場所のなんと多いことか! さらに,走っているより止まっていることのほうが多いぐっちゃぐちゃの道路に溢れかえるクルマ,などなど,日本に住んでいれば当たり前のようなことでも,アメリカ帰りの私にはすべてがクレージーに思える日本なのですが,私は,こうしたことは全て,「日本人の知恵と発想の限界」だと,今ではすっかり諦めることにしました。
 一生懸命やっているんです。みなさん。でも,結局は,学校の勉強と同じで,苦労ばかりで実りがないことばかりなのです。だから,「がんばって耐えることを学びました」とかいう馬鹿げたことになるわけです。
 そうした「日本人の知恵と発想の限界」について,きょうは,道路と交差点を例に考えてみます。

 この国の道路行政は,近頃,なんやらよくわからない線やら色やらを道路に塗りたくっています。まあ,やりたいことは交通事故を減らしたいのでしょうが,さすがに日本人のやることらしく,机上の工夫ばかりが先に立ち,現実と遊離し,完全にガラパゴス化しています。
 そして,それぞれがそれぞれ勝手にやっているから,全く統一性もなく,景観も考えておらず,もう,道路に塗ったペンキが剥げたりポールが醜くく壊れたりしていて,惨憺たるありさまです。
 そして,私が,アメリカを例にこうしたほうがいいというような話をすると,決まって返ってくるのは,日本は狭いから仕方がない,というセリフです。
 狭くともできることはあるのだけれど,これもまた,日本人のクレージーな思考の限界です。

 では,アメリカはどうなっているか,ここで,2つの具体的な例をあげてみましょう。
 まずひとつ目。
 これは以前にも書いたことがありますが,センターラインが全てイエローラインであることです。アメリカは右側通行ですから,走っていて,左側に必ずイエローラインがあるわけです。これは,一方通行の道路でも同様です。だから,逆走をすることは考えられないわけだし,実に分かりやすいのです。
 日本だってやる気があれば,こんなこと簡単に変更できるのです。

 ふたつ目。
 交差点の信号が車線ごとに付いていることです。2車線道路なら信号がふたつあります。そして,左折帯(日本の右折帯)なら矢印信号の赤・黄・青が付いています。また,その車線が左折帯とか右折帯という表示が信号の隣に表示されています。日本のように,道路に書かれていて見落としたり,交差点の直前になって,それまで直進レーンだったところがいきなり左折専用レーンになって戸惑ったりしないわけです。
 文字で書いてもわからないでしょうから,交差点の写真をいくつか載せておきますが,これをご覧になって,日本は狭いからできない,というわけではないことがおわかりになるでしょう。

 さらに,アメリカでは左折(日本では右折)は,直進の前に青信号が出ます。だから,日本のように,交差点の真ん中で直進車が無くなるまで停止しているという,考えれば恐ろしい運転をすることは皆無なのです。
 ちなみに,右折(日本では左折)は,一部の州を除いて,左からクルマが来なければ信号が赤でも曲がっていいのですが,それは,さすがに日本のように交通量の多い国では無理でしょう。

 いずれにしても,はじめに書いたように,近ごろは,何の効果があるのやらさっぱりわからないのに道路に赤やら青やら塗りたくって,しかも,交通量の多いところはそれが剥げて醜くなっても塗り直しもせず,景観が台無しになっているし,道路にやたらとポールを立てて,これも,壊れたりして,しかも,深夜に違法駐車を避けようと車線を越えて通ろうとしたら,ポールに激突,といった笑えない話もあったりする,もう,この国のめちゃくちゃな道路行政とは全く違う世界です。
 日本人の考えることというのは,所詮それくらいのものです。
 このように,日本では,やることもやらず,意味のない道路は作っても,本当に必要なことにはお金を使わず,その結果,事故が多発するわけです。
 きっと,こういうことを知っている若き優秀なお役人さんもいると思います。しかし,もし,そういう提案をしても,無能な上司の決裁が下りるとは思えず,日本のこうした情けないクレージーな状況はずっと変わらないことでしょう。
 私はこれまで多くの公務員と称する事務屋さんと接してきましたが,彼らの特徴は,絶対に謝らないこと。そして,決まっていうセリフは,次の三つなのです。「私には責任がない」「このことは前例がない」「これは私の担当でない」。
 こんな仕事をして一生送って何が楽しいのかしら,と私はいつも思いますが,彼らが望んでいるのは安定した人生だけなんでしょうね。別に社会がどうなろうと知ったこちゃないんです。
 こうした日本の現実を知ることも,また,学校では学べない大切なことです。

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愛しきアメリカ-道路のイエローライン 

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