しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

タグ:マーラー

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 私は,あの,なまめかしさに抵抗があって,しばらくマーラーを聴かなかったのですが,再びそのすばらしさに目覚めたのは,ウィーンでマーラーの墓に行ったときでした。これまでに私は2度ウィーンを訪れたのですが,1度目はマーラーの墓が見たくて,そして,2度目は1度目に見損ねたアルマの墓が見たくて,2度ともマーラーの墓を詣でました。
 マーラーの墓は,ウィーンの国立中央墓地に並ぶ数々の作曲家の墓とは違って,人里離れた地に埋葬されていて,その墓にわびしさと孤独を感じました。 マーラーの墓には,マーラーの名前しか刻まれていません。それは,生前
  ・・・・・・
 Jeder, der mich sucht, wird wissen, wer ich war, und der Rest muss es nicht wissen.
  ・・
 私の墓を訪ねて来る人は,私が何者だったか知っている。そうでない人に知って貰う必要はない。
  ・・・・・・
と言ったからだそうですが。
 そして,墓の印象とともに,ウィーンでのマーラーの足跡が伴って,作曲された音楽にそれが重なり合って増幅され,やっと本当の魅力が理解できるようになったのです。若き日から,死に怯え,そして,向き合ってきた作曲家は,その地で,永遠の眠りについているのでした。

 さて,第4楽章に続く第5楽章は,長大でソナタ形式をベースとしています。いよいよクライマックスです。
 後半になると,金管のバンダが入ります。ステージから遠く離れたところから響くその音色は天上から聴こえてくるかのような錯覚に陥りました。そして,アルトが入ります。ラストは合唱が入り,壮大に盛り上がって曲を閉じるのです。
  ・・・・・・
 Aufersteh'n, ja aufersteh'n, wirst du,
 mein Staub, nach kurzer Ruh!
 Unsterblich Leben! Unsterblich Leben wird, der dich rief, dir geben.
 Wieder aufzublüh'n, wirst du gesät!
 Der Herr der Ernte geht
 und sammelt Garben
 uns ein, die starben.
 O glaube, Mein Herz, o glaube:
 Es geht dir nichts verloren!
 Dein ist, ja dein, was du gesehnt!
 Dein, was du geliebt, was du gestritten!
 O glaube: : Du wardst nicht umsonst geboren!
 Hast nicht umsonst gelebt, gelitten! 
 Was entstanden ist, das muß vergehen!
 Was vergangen, auferstehen!
 Hör' auf zu beben!
 Bereite dich zu leben!
 O Schmerz! du Alldurchdringer!
 Dir bin ich entrungen!
 O Tod! du Allbezwinger!
 Nun bist du bezwungen!
 Mit Flügeln, die ich mir errungen,
 in heißem Liebesstreben werd' ich entschweben
 Zum Licht, zu dem kein Aug' gedrungen!
 Mit Flügeln, die ich mir errungen,
 werde ich entschweben!
 Sterben werd' ich, um zu leben!
 Aufersteh'n, ja aufersteh'n wirst du,
 Mein Herz, in einem Nu!
 Was du geschlagen,
 zu Gott wird es dich tragen!
  ・・
 よみがえる,そうだ,おまえはよみがえるだろう。
 私の塵よ,短い憩いの後で,
 おまえをよばれた方が不死の命を与えてくださるだろう。
 おまえは種蒔かれ,ふたたび花咲く。
 刈り入れの主は歩き,我ら死せる者らのわら束を拾い集める。
 おお,信じるのだ,わが心よ,信じるのだ。
 何ものもおまえから失われはしない!
 おまえが憧れたものはおまえのものだ,おまえが愛したもの,争ったものはおまえのものだ!
 おお,信じよ,おまえは空しく生まれたのではない!
 空しく生き,苦しんだのではない!
 生まれ出たものは,必ず滅びる。滅びたものは,必ずよみがえる!
 震えおののくのをやめよ!
 生きることに備えるがよい!
 おお,あらゆるものに浸み渡る苦痛よ,私はおまえから身を離した!
 おお,あらゆるものを征服する死よ,いまやおまえは征服された!
 私が勝ち取った翼で愛への熱い欲求のうちに私は飛び去っていこう。
 かつていかなる目も達したことのない光へと向かって!
 私が勝ち取った翼で私は飛び去っていこう!
 私は生きるために死のう!
 よみがえる,そうだ,おまえはよみがえるだろう。
 わが心よ,ただちに!
 おまえが鼓動してきたものが
 神のもとへとおまえを運んでいくだろう!
  ・・・・・・

 それにしても,何という劇的な交響曲なのでしょう。まるで,本当に天に昇るように感じてしまいます。聴きにきて本当によかったと思ったことでした。
 井上道義さんのブログには次のように書かれています。
  ・・・・・・
 マーラーは本当の意味で指揮と作曲両方が出来た人。ブルックナーやブラームス,ベートーヴェン,ショスタコヴィッチたちとはそこが違う! 80分の長丁場,(私は)足腰が怪しくなりはじめて,終楽章のおわり数分は,深呼吸,深呼吸,深呼吸でした。
  ・・・・・・
 ついこの前まで病気で入院をしていた井上道義さんが,80分の大曲を無事に終えられただけでも感服するのに,演奏はすばらしいものだったし,さらに,曲が終わっても帰らぬ聴衆に,楽団員の去ったステージに再び現れて,聴衆の前でおどけてみせたりして,本当にうれしそうで,安心しました。
 まだまだこれから1年間,多くの演奏会が控えているので,どうか,お元気で,と祈らざるをえませんでした。
 3月に,今度は,新日本フィルハーモニー交響楽団の演奏会でマーラーの交響曲第3番を指揮すると知って,早速チケットを買い求めました。私は第3番こそライブで聴いたことがないので,今から楽しみです。

キャプチャ


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 現在は,カリスマ指揮者も減り,この指揮者なら聴きにいきたい,という人も少なくなってしまいましたが,マエストロ井上道義は,私が聴いてみたいと思う数少ない指揮者のひとりです。しかし,井上道義さんは,2024年末に引退すると表明してしまい,それ以来,精力的に日本中のオーケストラを指揮しています。そこで,私も,気に入った演奏会を見つけては出かけています。
  ・・
 2023年11月18日,読売日本交響楽団の演奏会で,井上道義さんの指揮するマーラーの交響曲第2番「復活」(Auferstehung)が,東京芸術劇場で〈東京芸術劇場マエストロシリーズ〉として行われることを知って,早速チケットを購入し,聴いてきました。
 東京芸術劇場では,これまでに,マーラーの交響曲として,井上道義さんは2018年に交響曲第8番「一千人の交響曲」,2019年に交響曲第3番,そして,2021年には「大地の歌」を指揮したそうです。そして,今回が交響曲第2番「復活」でした。
 私は,交響曲第2番「復活」をライブで聴いたことがこれまでなかったなあ,と思ったのですが,思い出してみると,NHKホールで,一度,パーヴォ・ヤルヴィさんの指揮で聴いたことがありました。しかし,あのだだっ広いNHKホールに比べて,東京芸術劇場では,迫力が違いました。そして,井上道義さんの渾身の指揮と大音量のみごとな演奏に,私は,打ちのめされました。

 マーラーの交響曲第2番「復活」は,1888年から1894年に,マーラーが,ソプラノとアルトの独唱,合唱を含む,野心的な交響曲として構想して作曲した曲です。
 井上道義さんはブログで
  ・・・・・・
 若きマーラーが悩み,戦い,のた打ち回り,日々の心の不安を作品として客観化して,自分をコントロール下に置き,夢,天上世界への憧れと,死が近いはかない人生とを, 新国立劇場合唱団と共に,ここに来てくれた2,000人の人たちの耳と目に具現化してくれた。
  ・・・・・・
と書いています。
 実際,この交響曲が作られたのは,マーラーがまだ30代のころで,最後に作られた交響曲第9番にくらべれば,そこには,気負いもあれば,大げさな感じが否めないものです。それは,たとえば,ブラームスの交響曲第1番と第4番,ピアノ協奏曲第1番と第2番の対比と似ています。
 しかし,実際の演奏を聴くと,その若さに,私は圧倒されてしまいました。

 ゆっくりめのテンポではじまって,しかし,緊張感がたまらない第1楽章は,地獄のような音楽です。このあとの第2楽章,第3楽章では,安らぎとおどけと,そして,ある種のあきらめの音楽が流れます。そして,第4楽章で,歌曲集「子供の不思議な角笛」(des Knaben Wunderhorn)の第7曲「原光」(Urlicht)が取り込まれ,アルトの林眞暎(まえ)さんが歌いあげます。
  ・・・・・・
 O Röschen rot!
 Der Mensch liegt in größter Not!
 Der Mensch liegt in größter Pein!
 Je lieber möcht' ich im Himmel sein!
 Da kam ich auf einen breiten Weg;
 Da kam ein Engelein und wollt' mich abweisen!
 Ach nein! Ich ließ mich nicht abweisen:
 Ich bin von Gott und will wieder zu Gott!
 Der liebe Gott wird mir ein Lichtchen geben,
 Wird leuchten mir bis in das ewig selig Leben!
  ・・
 おお 赤い小さな薔薇よ!
 人類はこの上ない苦悩の内にいる!
 人類はこの上ない痛みの内にいる!
 こんなことなら私はむしろ天国にいたい!
 天国に行こうと私は一本の広い道へとやってきた。
 すると天使がひとりやって来て,私を追い返そうとした。
 そうはいくものか。私は追い返されなかった!
 私は神のもとから来たのだから,また神のもとへ帰るのだ!
 神は一筋の光を私に与えてくださり,
 永遠にして至福の生命に至るまで照らしてくださるだろう。
  ・・・・・・
 私は,これでもう,マーラーの魔術にすっかり参ってしまいました。

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 今日の写真は,ウィーンにあるマーラーが住んでいたという建物です。
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 マーラーの交響曲はみなある種の暗さと深刻さ,それに対比したなまめかしさと通俗的な旋律でできています。私ははじめてマーラーを聴いたときには,この通俗的なところがいやで,これがブルックナーのようなストイックな曲にくらべて質の低いものに感じたものです。
 ブロムシュテッドさんも「ヘルベルト・ブロムシュテット自伝-音楽こそわが天命-」(Mission Musik: Gespraeche mit Julia Spinola)で,同じようなことを書いていました。
 しかし,聴き込むうちに,それは表面的なことにすぎず,奥の深い音楽であればこその感動を味わうことができるようになります。
 私が最も好きなのは交響曲「大地の歌」ですが,交響曲第9番は,それ以上に高貴なものであり,だからこそ難解で,気軽に接することができるものではありません。また,90分にもわたるこころの内面に訴えかける静寂の音楽は,よほど耳の肥えた聴衆が集う場で,ゆらぎのない演奏でなければ務まりません。

●第1楽章(Andante comodo ニ長調)
 いつ開始されたかよく注意していないとわからないほどの小さな音の短い序奏によって曲は開始されます。やがて,夜明けのように,ヴァイオリンが第1主題の動機を奏します。この動機は,「大地の歌」の結尾「永遠に」(ewig))です。次に,ホルンの音とともにヴァイオリンが半音階的に上昇する第2主題がはじまります。
 第1主題と第2主題は「死の舞踏」となり,金管の半音階的に下降する動機が発展し盛り上がります。これが第3主題です。
 頂点に達すると暗転し,ここから長い長い展開部に入ります。
 序奏が回想されたのち,主題が変形されテンポが早くなり力を増し,さらに狂おしくなっていきクライマックスを築きます。音楽は急速に落ち込み,テンポを落とし陰鬱さが増し,不気味な展開が続いたあと落ち込み,銅鑼が強打され展開部がやっと終了します。
 再現部では,主題が自由に再現され,曲は一転しカデンツァ風の部分となったのち,残照のようなホルンの響きに変わりコーダに入り,最後に救いを感じ,こころ温まる気持ちがします。
  ・・
●第2楽章(Im Tempo eines gemächlichen Ländlers. Etwas täppisch und sehr derb ハ長調)
 序奏のあと,3つの舞曲が入れ替わり現れます。
 マーラーらしいかなり土俗的で諧謔的な雰囲気になる楽章で,第1楽章で味わった緊張感をほぐします。
  ・・
●第3楽章(Rondo-Burleske: Allegro assai. Sehr trotzig イ短調)
 「道化」を意味する第3楽章は短い序奏のあとユーモラスな主題が続きます。快活で皮肉的な雰囲気で曲は進んでいきます。頂点でシンバルが打たれたのち雰囲気が一変し,トランペットが柔らかく回音音型を奏します。
 最後は速度を上げて狂おしく盛り上がり楽章がおわります。
  ・・
●第4楽章(Adagio. Sehr langsam und noch zurückhaltend 変ニ長調)
 コーダの形式で,絶えず表情が変化していきます。
 弦の短い序奏からはじまり,ファゴットのモノローグが拡大されたような音楽が奏されます。
 ヴァイオリンの独奏や木管ののちホルンが主題を演奏して,やがて弦楽によって感動的に高まり,その後,重苦しくなっていきますが,再び独奏ヴァイオリンと木管が現れて緊張が解けていきます。
 ハープの単純なリズムのうえに木管が淋しげに歌いながら, 弦,金管が加わって,大きくクライマックスを築きます。
 そして,ヴァイオリンの高音に,第1楽章冒頭のシンコペーションが反復されたのち,大きなクライマックスを築き,それは形を変えて断片的になっていきます。
 ヴァイオリンが「亡き子をしのぶ歌」を引用し,その後,徐々に力を失いながら休止のあとアダージッシモのコーダに入ります。
 最後の34小節はコントラバスを除く弦楽器だけで演奏されます。なんと神々しいことか。
 浮遊感を湛えつつ「死に絶えるように」,最弱奏で曲は終わりを告げます。

無題


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 ついに待望のNHK交響楽団第1965回2日目の10月16日がやってきて、緊張して出かけました。私の今年最大のイベントです。
 指揮は95歳,桂冠名誉指揮者ヘルベルト・ブロムシュテット(Herbert Blomstedt)さん,曲目はマーラーの交響曲第9番です。
 ヘルベルト・ブロムシュテットさんが去る6月25日に転倒し入院したというニュースがあって,来日がかなわないのでは,と私はずいぶん心配していたので,無事来日されたという情報があったときは泣けました。昨年来日されたときはとてもお元気そうだったのですが,1年という月日は高齢者には過酷でした。
 数年前に亡くなった私の父と同じ年に生まれた,おそらく,世界最高年齢の偉大なマエストロが指揮するマーラー交響曲第9番とあっては,これを聴きにいかずにおれようか,ということで,前回も書いたように,もともとCプログラムの定期会員だったものを変更して,この10月の定期公演を含め,9月と11月の3回のAプログラムのシーズン券を購入しました。

 私は,マエストロが前回,この曲を指揮した2010年にもNHKホールで聴きましたが,あれから12年の月日が流れ,今回のコンサートは特別でした。
 私の出かけた日の前日に行われた1日目の様子はNHKFMで中継されましたが,ラジオからだけでもものすごい緊張感が漂ってきて,曲が終わった後にしばらく続いた静寂,そして,観客のだれかが小さな声で「ブラボー」と叫んだ,その絶妙なタイミングに続いた割れんばかりの拍手がすごいものでした。番組の司会をしていた金子奈緒さんは涙声でした。
  ・・
 さて,私の聴いた2日目。
 もう,ひとりで歩くことさえままならなくなったマエストロが,コンサートマスターの篠崎史紀さんのサポートでステージに姿を現したときにすでに会場は熱気に包まれました。これだけで泣けてきました。本当によく来日できたものです。マーラーの交響曲第9番は長く,かつ重く,難解で,この曲のよさがわかるのはとても大変なことです。私は,この場に立ち会うことができて,そしてまた,曲が理解できて,本当に幸せでした。2日目の演奏は,1日目以上の出来だったということです。
 静かに静かに第1楽章がはじまりました。序奏のあとの旋律はマーラーの最高傑作である交響曲「大地の歌」(Das Lied von der Erde)の最後「永遠に永遠に」(Ewig... ewig...)に続くものです。マーラーらしいおどけのある第2楽章。まったく乱れのなかった第3楽章。そして,いつ終わるとも知れない長いアダージョが奏でる第4楽章では,あの大きなNHKホール一杯の観客がまったく音を立てず,ただ聴こえるのはオーケストラの小さな小さな音色だけという,とんでもない状況が延々と続きました。やがて,生命賛歌のような高揚が終わったあとの消え入るような救いの最後の1音が終わると,まるで時が止まったかのように,静止画を見ているように,ステージ上のオーケストラの団員も,そして,観客もだれひとり全く動かない,という状態がしばらく続きました。まるで,終わってはいけない,とでもいうように…。私はこれが永遠に続くのでは,とさえ思いました。ずっとこのままならどんなにすばらしいことか。
 やがて,マエストロの力が抜けて,曲が終わったことをだれしもが自分にいい聞かせ,納得しはじめたころ,ものすごい拍手が起きました。イスに座ったままのマエストロがなんとか観客のほうを振り返ると,さらに拍手が大きくなりました。観客が,ひとりひとりと立ち上がりはじめました。そして,団員の人たちがステージから去り,マエストロも篠崎史紀さんとともに退場すると,スタンディングオベイションが起きました。それにつられて,マエストロはふたりのコンサートマスターに寄り添われながら3回もステージに登場しました。会場中に「ブラボー」が巻き起こりました。日本の会場で,クラシック音楽のコンサートで,観客がみな立ち上がるのを私ははじめて見ました。

 マーラーの交響曲第9番は、会場で配布される「フィルハーモニー」によると
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 この作品は3重の意味で「辞世の歌」である。
 第1に,死を目前にしたグスタフ・マーラー最後の完成作だということ。第2に,ウィーン古典派以来のドイツ/オーストリア交響曲文化を総括する作品だということ。そして,第3に,第1次世界大戦によってほどなく崩れ落ちる運命にあったヨーロッパ・ベルエポックへの哀歌だということ。
 ブロムシュテットは2010年にもN響と本作品の超絶的名演を残した。本公演が一期一会のものとなることはまちがいない。
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とありました。そして,最後に
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 本作品が「死」を連想させずにおかないとすれば,それは生成と分解のこのプロセスが生命の営みそのものと聴こえるからであろう。
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と結ばれているのですが,結局,この曲は「死」ではなく「生への賛歌」なのです。
 今回,マエストロがこの曲を選んだ理由もわかるような気がしました。
 これまで数多くのコンサートに出かけましたが,これほどまでの演奏を聴いたのははじめてのことでした。音楽は時間の芸術,忘却の芸術といわれますが,私には決して忘れることのないとても幸福な時間となりました。

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 私は,マーラーの生涯についてもあまりよく知らなかったので,調べてみました。
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 グスタフ・マーラー(Gustav Mahler)は,1860年,ユダヤ人のベルンハルト・マーラー(Bernhard Mahler)とマリー・ヘルマン(Marie Hermann)の第2子として,当時オーストリア帝国に属したボヘミア王国のイーグラウ(Iglau),現在のチェコ・イフラヴァ(Jihlava)近郊のカリシュト村(Kalischt),現在のカリシュチェ(Kaliště)に生まれました。1860年は,日本ではあと7年で明治維新という幕末であり,ブラームスが生まれた1833年の27年後,ブルックナーが生まれた1824年の36年後です。長男が早世して,グスタフ・マーラーは長男として育てられました。
 父のベルンハルト・マーラーは荷馬車での運搬業を仕事にし,やがて,酒類製造業を開始,ユダヤ人に転居の自由が許されてから家族はイーグラウに移住しました。ベルンハルト・マーラーは強い出世欲を持ち,子供たちにもその夢を託しました。
  ・・
 幼いころから教育を受けたグスタフ・マーラーは,ドイツ語を話し地元キリスト教の教会の少年合唱団員として合唱音楽を歌っていました。1869年,9歳のときにイーグラウのギムナジウムに入学し,10歳となった1870年にはイーグラウ市立劇場での音楽会にピアニストとして出演しました。
 1875年,15歳で現在のウィーン国立音楽大学であるウィーン楽友協会音楽院に入学し,1877年にはウィーン大学にてアントン・ブルックナーの和声学の講義を受けました。そして,卒業後,1883年に23歳でカッセル王立劇場の楽長となり,音楽祭では指揮者として成功をしました。その後は,プラハのドイツ劇場の楽長,ライプツィヒ歌劇場の楽長を経て,ブダペスト王立歌劇場の芸術監督,そして,ハンブルク歌劇場の第一楽長となりました。
 1897年,37歳で現在のウィーン国立歌劇場であるウィーン宮廷歌劇場の第一楽長に任命され,翌年には芸術監督となりました。さらに,1898年にはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者となりました。しかし,1901年,40歳のときウィーンの聴衆や評論家との折り合いが悪化し,ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者を辞任します。また,1902年には,41歳で当時23歳のアルマと結婚しました。
 1909年,49歳でニューヨーク・フィルハーモニックの指揮者となりますが,1911年,アメリカで感染性心内膜炎と診断され、ウィーンに戻ったのち,51歳の誕生日の6週間前に敗血症で死去しました。

 グスタフ・マーラーは,こうした多忙な日々の間に,多くの交響曲を作曲しました。
 マーラーにとって,交響曲の作曲は仕事の合間の娯楽のような気がしますが,それらは歴史に残る大きな偉業となりました。
 指揮者のヘルベルト・ブロムシュテットさんは自伝に次のように書いています。
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 マーラーの音楽は(はじめのころは)理解できませんでした。マーラーの交響曲のなかに引用されている民族音楽は,私には感傷的でしかも俗っぽく感じました。こんなものは交響曲のなかにはあってはならないと思っていたんです。
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 私も,マーラーの交響曲をはじめて聴いたときには,同じことを思いました。そこには,ベートーヴェンの交響曲のような張り詰めた厳格さとか,ブラームスの交響曲のような緻密に計算しつくされた構成とか,ブルックナーの交響曲のような神々しさはありません。なよ~っとしたグロテスクな感じというか,そんなもののどこがいいのかと思いました。
 しかし,今では,マーラーの交響曲はコンサートの定番となり,多くの人を引きつけているのです。
 作曲は,南オーストリア・ヴェルター湖岸のマイアーニック(Maiernigg)に山荘を建て,主にそこで行なわれました。

 グスタフ・マーラーは上昇志向が非常に強く,かつ,才能に溢れていたようです。こうした人は,人間としては好かれなくとも,その才能から作られた芸術だけは,それを越えて,人々にいつまでも敬意をもって迎えられるようです。リヒャルト・ワーグナー(Wilhelm Richard Wagner)もまた,同じようなものでしょう。
 私は,マーラーの作曲した10曲の完成した交響曲と未完の1曲のうち,「大地の歌」(Das Lied von der Erde)が最も好きです。この曲が最高傑作だという人も少なくありません。「大地の歌」を聴くと,若くして病に侵されたグスタフ・マーラーの無念さとともに,自然へ回帰する憧れのようなものを感じます。
 この曲は,悲しみとともに,安らぎと,そして,救いで閉じられます。
 私には,生きる希望が湧いてきます。
  ・・・・・・
 Die liebe Erde allüberall Blüht auf im Lenz
 und grünt aufs neu!
 Allüberall und ewig Blauen licht die Fernen!
 Ewig... ewig...
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 愛しき大地に春が来てここかしこに百花咲く
 緑は木々を覆い尽くし永遠にはるか彼方まで
 青々と輝き渡らん
 永遠に… 永遠に…
  ・・・・・・


◆◆◆
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 私が若いころは,「ブルックナーとマーラー」というように,このふたりの作曲家は一緒に考えられていました。1曲が長いということや,ともに交響曲を9曲から10曲ほど残した,という共通点があり,さらに,今ほど一般には知られていなかったから,ベートーヴェンを卒業した「ツウ」が聴くものというようなイメージもあって,私は背伸びして聴いたものです。 
 ブルックナーの交響曲もマーラーの交響曲も,はじめはよくわからなかったのに,いつしかすばらしいと思うようになったのですが,それがいつなのかは思い出せません。
 なかでも,マーラーの交響曲は合唱を伴うものが多く,入りやすいこともあって,けっこう早いうちから何とか聞き通すことができるようになりました。しかし,はじめて交響曲第2番「復活」を聴いたときは長くて途中でめげたのを思い出します。
  ・・
 今でもそうですが,はじめて聴く曲は,この曲の何がいいのだろうと思うことが少なくありません。こういったものを聴くのは修行でしかなく,そんなとき,いったい音楽を聴くということは何モノぞ,と自問してしまいます。ある意味,苦痛でしかないからです。しかし,巷で「よい」といわれているものは,不思議なもので,何度も聴いているうちに,はまってきて,そのよさがわかってきます。

 ところで,実際はブルックナーとマーラーを一緒くたに考えるのはまちがっているのですが,それでもあえて比較すると,ブルックナーは自然を相手にしていて,マーラーは人間を相手にしている音楽,あるいは,ブルックナーは人間の精神性を奏で,マーラーは人間の感情を奏でている,またあるいは,ブルックナーは墨絵であり,マーラーは色彩画という感じが私にはします。
 私は,ブルックナーは日常いつも聴きますが,マーラーはコンサート会場で聴くことはよくあっても,日常聴くことはほとんどありません。
  ・・
 一時,マーラーのある種のきらびやかさが嫌いで,しばらくマーラーを聴くことを中断していた時期がありました。そんな私が再びマーラーに向かうようになったのは,ウィーンを訪れて,マーラーの墓を詣でたことがきっかけでした。
 マーラーが埋葬されたのは,ウィーンのグリンツィング墓地です。ここはウィーンの中央墓地とは反対の方角にあって,結構行くのに不便なところです。しかも,ずいぶんと歩いてグリンツィング墓地に着いても,墓地のどこにマーラーの墓があるのかも,行ってみてもすぐにはわかりませんでした。
 やっと見つけた墓碑は小さく地味で,ウィーン中央墓地にあるベートーヴェンやブラームスなどの墓碑に比べて,私は衝撃を受けました。悲しくなりました。それは,「私の墓を訪ねてくれる人なら,私が何者だったのか知っているはずだし,そうでない連中にそれを知ってもらう必要はない」というマーラー自身の考えを反映し,墓石には「GUSTAV MAHLER」という文字以外,生没年を含め何も刻まれていない,ということだそうです。しかし,オーストリアでマーラーという大作曲家がどう思われているか,ということの反映のようにも思いました。
 私は,ウィーンの街はずれのこの墓地あたりの雰囲気とともに,私がグリンツィング墓地を訪れたときに,ちょうどある葬送の列があり,遺体の埋葬に出会ったことも衝撃となって,かなりのショックを受けました。それが,再び,マーラーをしっかり聴いてみようと思うきっかけになりました。

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2019-09-20_21-24-44_7262019-09-20_18-40-16_0002019-09-20_21-22-56_7122019-09-20_21-23-11_076 9月20日金曜日,NHK交響楽団第1919回の定期公演を聴きにいきました。この日の曲目は,R・シュトラウスの最後の歌劇「カプリッチョ」(Capriccio)から,間奏曲「月光の音楽」とそれに続くソネット「最後の場」,そして,マーラーの交響曲第5番でした。
 マーラーの交響曲だけでもゆうに70分を越えるのに,その前に,R・シュトラウスのそれもそれほど有名でない曲をもってくるのも,指揮者パーヴォ・ヤルヴィらしい選曲でした。
 しかも,ただでさえ長いのに,開演が10分以上遅れました。その理由はわからないのですが,おそらくは,R・シュトラウスを歌ったソプラノのヴァレンティーナ・ファルカシュ(Valentina Farcas)さんにゆかりのある国の偉い人が会場に聴きに来る予定が遅れたためではないかと想像します。それは,そんな感じの人がNHKホールの中央の座席に着くのを待って演奏会がはじまったからです。ということで,途中の休憩を5分短くしてもコンサートが終わったのがなんと午後9時30分ごろという,異例の遅い時間となりました。

 いつも書いているように,R・シュトラウスは単独で曲だけを聴いても私にはさっぱりわかりません。この歌劇の主題は「言葉と音楽とどちらが重要か」で,これは作曲者自身がこの歌劇の登場人物のフラマンに投影されているのだそうです。
 歌劇「カプリッチョ」や私が R・シュトラウスの作曲した音楽のなかで最も好む「4つの最後の歌」 (Vier letzte Lieder)のような作品で,R・シュトラウスは自身の音楽こそが世界のすべてであるといったその主張が浮かび上がるようになっているそうですが,その究極が交響詩「英雄の生涯」(Ein Heldenleben)ではないかと思われます。この交響詩の「英雄」というのは R・シュトラウス自身です。

 マーラーの交響曲第5番嬰ハ短調は,これまで何度かライブで聴いたことがあります。私はマーラーは好みの作曲家ですが,マーラーの音楽を聴くのはほとんどコンサートであって,家で録音を聴くことはめったにありません。それがブルックナーとの違いです。その理由は自分でもよくわかりませんが,おそらく気楽に聴くには「重たすぎる」音楽だからなのでしょう。
 9曲と未完が1曲ある交響曲のなかで,第5番はグスタフ・マーラーが1902年に完成した5楽章からなる中期を代表する作品です。ハープと弦楽器だけによる第4楽章アダージェットが,ルキノ・ヴィスコンティ(Luchino Visconti)監督による1971年の映画「ベニスに死す」で使われたことで有名ですが,マーラー愛好家の中には,この曲がつねに「ベニスに死す」として語られることを嫌う人も少なくありません。それは,ホルストの「惑星」が平原綾香さんの「Jupiter」として語られるのと同じようなものでしょうか。
 トーマス・マン(Paul Thomas Mann)の原作を映画化した「ベニスに死す」(Death in Venice)は,静養のためベニスを訪れた老作曲家が出会ったポーランド貴族の美少年タジオに理想の美を見い出し,疫病が流行する死臭漂うベニスでタジオの姿を追い求め歩き続け,ついに彼は倒れ込み,波光がきらめく中かなたを指差すタジオの姿を見つめながら死んでゆく,という作品です。映画と交響曲の関連はともかく,映画の醸し出す雰囲気もまた,この交響曲と同じように私は感じます。

 グスタフ・マーラーは,第5番以降,声楽入りだった第2番から第4番までの「角笛交響曲」から一転して,純器楽のための交響曲を作曲しました。第5番は第4番の余韻を漂いながらの葬送行進曲ではじまるのですが,そのリズムはベートーヴェンの同じく第5番の交響曲を連想させます。それにしても暗く,そして長い交響曲です。しかも,ベートーヴェンやブルックナーの交響曲ではかなり早いテンポで演奏をするパーヴォ・ヤルヴィが,異常なまでのおそいテンポで演奏をはじめたのに私は驚きました。この曲の暗さと重さ,そして,テンポの遅さは第3楽章まで続き,このまま終わってしまったら本当に救いのない音楽になってしまうなあと思って聴いていたのですが,ものすごく美しい第4楽章と快活でダイナミックな第5楽章がそれをすべて超越しました。
 この交響曲は,人間の生きることの苦悩,存在の苦しみ,そうした感情のすべてを,はじめの3楽章でこれでもかこれでもかと描いたうえで,第4楽章で安らぎを与え,第5楽章でそうした感情からの完全解放が描き出されていることが共感を呼ぶのでしょう。しかし,この完全開放というのは,生きることの勝利の宣言ではなく,むしろ「ヨブ記」に共通する苦しみを超越してはじめて到達できる喘ぎだと私は思います。これまで何度か書いたように,人が生きるということは苦しく不条理で,救いなどないのです。そうした真実の重さが,マーラーがそれまでに書いた,第2番や第3番の交響曲のような大げさな勝利やら,第4番の交響曲のようなおちゃらけの幸福感,そうした強がりを越えたところにある人間の生の本質を描いているのでしょう。だからこそすばらしい曲なのですが,重すぎます。
 よい演奏会でしたが,マーラーの交響曲第5番は,ショスタコービッチの交響曲第15番とともに,人生の経験の浅い若い人には曲が終わったとき「ブラボー」と叫べても,私にはやはり気楽に聴ける音楽ではないなあ,ということを改めて思い知らされるものとなりました。

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 N響定期公演第1895回を聴きにいきました。本当は第1894回のブルックナーを聴きたかったのですが,ニュージーランドへ旅行中だったので断念しました。
 第1895回のプログラムはハイドンの交響曲第104番「ロンドン」とマーラーの交響曲第1番「巨人」,指揮者は91歳になられたマエストロ・ブロムショテットでした。前回私が聴きにいった第1892回と違って,2階席も空席がひとつもなく満員でした。

 マーラーの交響曲のうちで私の好きなのは第4番と第9番ですが,このふたつの交響曲はナマで聴くにはストレスが溜まります。
 第4番は,曲が終了した後の静寂がすべてなので,観客のひとりでもフライングで拍手をしてしまうと曲が台なしになってしまいます。そこで,聴いているほうが最後まで不安でいっぱいになるのです。録音した音源ならそういうことがないので,逆に十分に楽しめるのですが…。
 先日行われた第1891回の定期公演でこの曲が演奏されました。私はそれをFM放送とBS放送で聴きました。指揮者はパーヴォ・ヤルヴィさんで,この指揮者はそういったことをすべて計算していて,第4楽章でだけで歌う歌手が楽章間でステージに出てきて拍手が起きないように,第4楽章がはじまったあとでステージに出てくるという私の好きな演出,そしてまた,曲の最後には何ともいえない長い沈黙と,フライングの拍手もなく,最高の演奏になりました。

 第9番は,最終章に延々とアダージョが続きます。そこで,この楽章に緊張感がなくなると,聴くほうは耐えられないものになります。
 かつて,小澤征爾さんがボストン交響楽団との最後の演奏でこの曲を選んだのですが,気の毒なことに,この楽章で観客のひとりがセキがとまらず,この雑音がどうにもこうにもこの曲の緊張感を台なしにしてしまいました。
 私は,少し前,この曲をマエストロ・ブロムショテットで聴きました。ことのきは,最後の最後まで緊張感のただよう素晴らしい演奏で,私はその瞬間に出会うことができたのが,未だに忘れられない思い出です。

 今回の第1番はそうした曲に比べればストレスが溜まる曲ではありません。この曲は,最終章の勝利の凱旋がすべてで,ここでの高揚感があれば,曲はまとまります。しかし,並みの演奏になってしまうと,単なる安っぽいお祭り音楽になってしまうのです。
 私はこの曲が特に好きなわけでもなく,選んで聴くこともないのですが,これまでN響定期でずいぶんとナマで聴く機会がありました。それは,マーラーの交響曲のなかでは短く,また,人気があるので,よく選ばれるからでしょう。演奏に金がかからない,ということもあるのではないかと私は思います。
 かつて,スベトラーノフというすばらしい指揮者がこの曲を演奏しようとプログラムで選んだのに,残念ながら公演前に亡くなってしまい,別の指揮者(あえて名前は挙げません)によって演奏されたことがありました。私はそれを聴いたのですが,何の感動もありませんでした。
 指揮者がだれであろうと,N響の演奏のレベルが変わるわけではなのですが,演奏会本番での指揮者の存在というのは,演奏というよりも,ステージと客席に不思議な緊張感を醸し出すためにあるのでしょう。簡単にいえば,そういう緊張感が起きる指揮者を「カリスマ」というのでしょう。
 私は,そうした緊張感を味わうために,今回の演奏会に出かけたように思います。だからこそのマエストロ・ブロムシュテットなのでした。

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 私は,20代のころ,マーラーの交響曲が大好きでした。
 実際には,曲が長いということ以外には,あまり共通点はないのですが,当時はブルックナーとマーラーは対比させて語られていました。私も,こうした対比に影響されて,ブルックナーとマーラーをこよなく愛聴していたのですが,ブルックナーの墨絵のような落着き,自然の風の音に比べて,マーラーの交響曲の色彩的な音色に少しうんざりしてしばらく聴かなくなりました。
 R・シュトラウスもそうですが,私は,オーケストラが鳴り響く音楽というのがどうも苦手です。
 歳をかさね,今は,R・シュトラウスの「最後の4つの歌」と共に,マーラーの交響曲は,第4番,「大地の歌」そして,第9番に魅力を感じます。これらの音楽には,東洋的な無常観と厭世観、そして,別離という共通点があります。

 マーラーの最高傑作といわれる交響曲「大地の歌」は,2003年11月7日に行われたNHK交響楽団第1499回定期公演の演奏が印象に残っています。このときの指揮者は広上淳一さんで,私は,ライブで聴いて感動した思い出があります。
 彼は,この演奏を最後に,しばらく,マーラーから遠ざかっていました。
 2014年5月28日のNHK交響楽団第1783回定期公演,とうとう,広上淳一さんは第4番の演奏で再びマーラーに帰ってきました。この交響曲は,歌詞に「少年の魔法の角笛」を用いていることから、同様の歌詞を持つ交響曲第2番、交響曲第3番とともに、「角笛三部作」としても語られます。また、「大いなる喜びへの賛歌」という標題でよばれることもあります。

 マーラーの交響曲の中で最も親しみやすいものであると思いますが,曲全体に横たわる不気味さが,また,この曲の魅力でもあります。
 私は,このコンサートをFMのライブ中継で聴いたのですが,メリハリの利いた,そして,聴かせどころをしっかりと押さえた演奏に引き込まれました。そして,第4楽章でうたうソプラノのローザ・フェオラさんが,また,絶品でした。
 曲の最後はテンポをゆるめて,詩の原題である「天国にはバイオリンがいっぱい」という天上の音楽の描写となって静かに消えていくのですが,「天上的」とは考えにくい重苦しいハープの爪弾きとコントラバスの最低音だけが残るのです。
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 天国のバイオリンとは,実は,死神のバイオリンではないのか
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 これは,機関誌「フィルハーモニー」に村井翔さんが書かれていたことばです。
 この日の観客は,この曲の最後に幻惑されてしまったのか,曲が終わってもしばらくの間,心地のよい沈黙が続き,やがて,惜しみない拍手がいつまでも続くのでした。
 やはり,こうした曲の最後は,こうでなければいけません。この沈黙が,この日の演奏の価値をさらに高めたのでした。

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