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 七里の渡し跡のあった神社からは,当時の道幅のまま旧東海道が続いていたので,歩いてみることにしました。
 まず出会ったのが,脇本陣駿河屋跡でした。現在は高級料理旅館の「山月」が建っています。そこから桑名宿の反対側その隣が大塚本陣船津屋跡でした。ここは現在もそのままの名で,高級料亭「船津屋」になっています。
 私はまったくグルメでなく,興味もないので知らなかったのですが,歴史ある町にはこうした老舗があるものです。
 奥が深いです。
 ちょうどお金持ちそうなカップルが食事に入っていきました。

 このあたりは,多くの旅籠屋が集まる桑名宿の中でも最も格式の高い場所でした。
 本陣の名をとった高級料亭「船津屋」ができたのは1875年(明治8年)のことでした。以降,皇族をはじめ,川端康成,志賀直哉,池波正太郎などの文人や要人たちの滞在先として,また,泉鏡花の小説「歌行燈」の舞台や,将棋の王将戦の舞台として,地元はもとより日本中の賓客に愛されてきたといいます。
 川端康成や志賀直哉,池波正太郎というのは有名で親しみもあるのですが,私は,泉鏡花というのは学校の文学史で知ったくらいのもので,あまりよくわかりません。当然,読んだこともありません。ということで,調べてみました。

 私の手元にある資料には次のように書かれてありました。
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 明治30年代は,浪漫主義の最盛期であった。小説の世界では,硯友社から出た泉鏡花が妖艶な浪漫主義の世界を描き出した。
 明治20年代後半に観念小説から出発した泉鏡花は30年代には「高野聖」などの神秘的・幻想的な作品を発表し,さらに唯美的な「婦系図」「歌行灯」へ進んでいく。
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 ???
 さっぱりわかりません。
 浪漫主義というのは西洋のロマ主義ということらしく,理性偏重,合理主義などに相対した感受性や主観に重きをおいた一連の運動で,恋愛賛美,民族意識の高揚,中世への憧憬といった特徴をもつということで,「ロマン」とは「ローマ帝国の支配階級や知識階級ではない庶民の文化に端を発する」という意味からきたものということです。
 ???
 何度読んでもわからないので,私が何とかわかるクラシック音楽のロマン主義のようなものだと思うことにします。
 泉鏡花は,1873年(明治6年)に生まれ1939年(昭和14年)に亡くなった小説家であり戯曲や俳句も手がけました。江戸文芸の影響を深く受けた怪奇趣味と特有のロマンティシズムで知られ,近代における幻想文学の先駆者としても評価されているということです。

 「歌行燈」は1910年(明治43年)に発表された小説で,
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 恩地喜多八は能のシテ方宗家の甥であったが,謡の師匠宗山と腕比べを行い自殺に追い込んだために勘当される。宗山には娘お三重がいたが,親の死によって芸者となっていた。肺を病み流浪する喜多八は偶々お三重と会い,二度と能をしないとの禁令を破ってお袖に舞と謡を教える。
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というあらすじだそうで,1943年と1960年に映画化されました。こんなあらすじで現在上映しても誰が見にいくのでしょうか。
 インターネットはもちろん,テレビすらなかった時代の人々の精神生活がどんなものだったのか想像もつきませんが,現代よりも言葉が重かった時代の小説家というのは,今よりずっと地位が高かったのでしょう。古きよき時代のことです。しかし,旧街道を歩いてこうした歴史に触れるだけで,なにかこころが満ち足りるし賢くなった気がするし,町をあるいていてもなにかしら身が引き締まるように感じるのが不思議なことです。だからやめられません。