【Summary】
After visiting the Narcissus Festival at Tsumekizaki, I stopped by Gyokusenji Temple, which served as the first U.S. consulate in Japan. Townsend Harris and his secretary, Heusken, negotiated treaties here. The temple also houses memorials for foreign sailors. Nearby, Benten Island and Mishima Shrine feature statues of Yoshida Shōin, who attempted to stow away on a black ship.
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爪木崎の水仙まつりを見たあと,玉泉寺(ぎょくせんじ)に寄りました。
玉泉寺は曹洞宗の寺院で,山号は瑞龍山。幕末期にアメリカの総領事館として使用された寺として知られます。
整備された駐車場があったので,そこに車を停めました。
アメリカの初代の総領事はハリス(Townsend Harris)でした。玉泉寺の境内には,渋沢栄一が建立した「ハリス顕彰記念碑」や,ハリス記念館が建てられていたので,見学することができました。
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ハリスは,1804年に生まれ1878年に亡くなりました。
通訳兼書記官として,オランダ語に通じたヒュースケン(Henry Conrad Joannes Heusken)を雇い,1856年,ヨーロッパからインド経由で日本へ到着し,伊豆の下田へ入港し,玉泉寺に領事館を構えました。そして,和親条約改訂のための交渉が行われ,1857年(安政4年)に下田協定が調印されました。
ハリスは江戸出府を要請し許可され,1857年12月に登城し,13代将軍・徳川家定に謁見し,親書を読み上げました。
1858年(安政5年)には日米修好通商条約が締結され,これによりハリスは初代駐日公使となり,下田の領事館を閉鎖して,江戸の元麻布善福寺に公使館を置きました。
1862年(文久2年)に病気を理由に辞任の意向を示し,5年9か月の滞在を終えて帰国しました。
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玉泉寺には,1854年の黒船来航時に病死したアメリカ人乗組員の埋葬をきっかけに,1850年代に計4人のアメリカ人の墓が造られました。また、ロシアのプチャーチン提督率いるディアナ号(1854年)、アスコルド号(1858年)の水兵計4人も埋葬されていました。
玉泉寺の駐車場の近くにあったのが弁天島でした。弁天島は,黒船来航時,海外渡航を企てた吉田松陰と金子重輔が隠れていた島で,ここに「踏海の朝」と題したふたりの銅像がありました。また,玉泉寺の北側には三島神社があって,ここにも吉田松陰の像がありました。
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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは
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