しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場・47都道府県を制覇し,南天・皆既日食・オーロラ,空の3大願望を達成した「不良老人」の日記

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【Summary】
Conductor Nodoka Okisawa led the Kyoto Symphony Orchestra in a superb concert-style opera performance. Outstanding soloists added expressive acting that transcended staging limits. Creative Kansai-dialect subtitles by rakugo master Katsura Beidanji brought humor. The event reaffirmed the genius of Wolfgang Amadeus Mozart and the power of live opera.

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 沖澤のどかさんの指揮,京都市交響楽団の演奏はいうまでもなく,今回の演奏会形式がすばらしかったのは,何といっても,ソリストのみなさんが最高だった,ということでした。すべてが適役でした。演奏会形式という制約はあっても,まるで,それを超越して,演技まで工夫していました。観客もどんどん引きこまれていきました。
 さらに,字幕がユニークでした。字幕を担当したのが,落語家の桂米團治師匠。プレトークでも登場して,その大変さがとてもよく理解できました。何といっても,今回の趣向は,世界初? の関西弁による字幕でした。ソリストのみなさんの演技も,どこか,関西風で,まるで,吉本新喜劇のような,モーツアルトとなりました。特に,デスピーナ役をやった鵜木絵里さん,最高でした。まるで大阪のおばちゃんみたいだったので関西の人かと思ったのですが,東京の人でした。

 私は,これまで,NHK交響楽団の定期公演で,特に,デュトワさんがしばしば演奏会形式のオペラをやったので,それを見たことがあるのですが,そうしたものの中で,今回が最も楽しめました。割愛されることの多いアリアもすべてやって,たっぷりと時間をとり,休憩を含めて3時間30分でしたが,あっという間でした。
 この曲を作曲したのときのモーツアルトは35歳。とはいっても,亡くなる1年まえのことですが,これほどすばらしいオペラを作曲したというのは,まさに神業としかいえません。モーツアルトの作曲したものの中で,やはり,オペラが最高だと思いました。そしてまた,オペラはこうして実際に生演奏で接してこそ,だと実感しました。
 最高の時間でした。いつもありがとうございます。

 さて,次の京都市交響楽団第709回定期演奏会は,4月11日の第710回定期演奏会,曲目はチェロ堤剛さんで矢代秋雄のチェロ協奏曲とR・シュトラウスの「ドン・ファン」,「家庭交響曲」,その次が,4月29日の京響友の会特別コンサート,これは曲目がワーグナーの「ニュルンベルグのマイスタージンガー」前奏曲とベートーヴェンの交響曲第7番,そして,最後が5月3日のプロコフィエフエフの陣「壱」で,交響曲第1番,第2番,第3番と,今回も含めて,怒涛の沖澤のどか指揮の4連続となります。
 まだまだ幸せな日々が続きます。

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【Summary】
The Così fan tutte K.588 by Wolfgang Amadeus Mozart was performed in concert form by the Kyoto Symphony Orchestra under Nodoka Okisawa. Written in 1790, the opera humorously explores love and human weakness as two men test their lovers’ fidelity. Once criticized as immoral in the 19th century, it is now admired for its psychological insight and Mozart’s masterful ensemble writing.

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 2026年3月20日に行われた京都市交響楽団の第709回定期演奏会は,指揮・沖澤のどかさん,独唱が隠岐彩夏さん(フィオルディリージ),山下裕賀さん(ドラベッラ),糸賀修平さん(フェランド),大西宇宙さん(グリエルモ),鵜木絵里さん(デスピーナ),宮本益光(ドン・アルフォンソ),合唱・京響コーラスで,モーツァルトの歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」 K.588 全2幕を演奏会形式で行いました。

 1756年に生まれ,1791年に亡くなったモーツアルトはオペラを21作品作曲しました。
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●ザルツブルク時代(1756年から1781年)
 ①第一戒律の責務 K.35
 ②アポロとヒアチントゥス K.38
 ③ラ・フィンタ・センプリチェ K.51
 ④バスティアンとバスティエンヌ K.50
 ⑤ポントの王ミトリダーテ K.87
 ⑥アルバのアスカーニョ K.111
 ⑦シピオーネの夢 K.126
 ⑧ルーチョ・シッラ K.135
 ⑨偽りの女庭師 K.196
 ⑩牧人の王 K.208
 ⑪ツァイーデ(後宮) K.344
 ⑫イドメネオ K.366
●ウィーン時代(1781年から1791年)
 ⑬後宮からの誘拐 K.384
 ⑭カイロの鵞鳥 K.422
 ⑮だまされた花婿  K.430
 ⑯劇場支配人 K.486
 ⑰フィガロの結婚 K.492
 ⑱ドン・ジョヴァンニ K.527
 ⑲コジ・ファン・トゥッテK.588
 ⑳魔笛 K.620
 ㉑皇帝ティートの慈悲 K.621
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 このうち「フィガロの結婚 」「ドン・ジョヴァンニ」「コジ・ファン・トゥッテ」「魔笛」が4大オペラです。

 「コジ・ファン・トゥッテ」(Così fan tutte)K.588 は,モーツァルトが1790年に作曲したオペラ・ブッファ(喜劇オペラ)で,正式なタイトルは「Così fan tutte, ossia La scuola degli amanti」(女はみなこうしたもの,または恋人たちの学校)。
 物語は
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 姉妹の恋人であるふたりの男がそれぞれの相手の貞節を試すために互いの相手を口説いたら,ふたりともこころ変わりしてしまった。どちらにも言い分があり,そのまま認めあうしかないものだということ。
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 タイトルの原語の意味は「Così=このように fan=する tutte=すべての女性は」。これは「フィガロの結婚」の第1幕に出て来た台詞で,全てを仕組んだアルフォンソが事態を収拾するために恋人たちに説いて聞かせる台詞でもあります。
 「コジ・ファン・トゥッテ」は,19世紀には「不道徳」として酷評され,20世紀に入ってから再評価されました。
● 歴史的評価
 19世紀には,「恋人を入れ替えて誘惑する」という筋書きが不道徳とされ,上演機会が少なく,ワーグナーは音楽面も含めて酷評し,モーツァルトの他作品に比べて扱いが冷たいもので,ミラノ・スカラ座では上演されませんでした。
 20世紀になると,「人間の心の揺れ」を描いた作品として深い意味が見出され,モーツァルトのアンサンブル技法の精緻さが再評価され,音楽的完成度の高さが明確に認識されるようになりました。
●音楽的評価
 30曲中16曲が重唱という異例の構成で,モーツァルトのアンサンブル技法が頂点に達した作品とされています。音楽学者の間では 「モーツァルトの最も完成されたオペラ・ブッファ」 と評されることも多いです。
● 現代の舞台での評価
 演出家にとって自由度が高く,解釈の幅が広い作品として人気があります。
 演出次第で名作にも凡作にもなるという、舞台芸術としてのおもしろさがあります。

 この,軽やかな喜劇の皮をかぶりながら,人間の心の複雑さ・揺れ・弱さを描いた非常に現代的な作品をどう演奏するか…。楽しみでした。
 それにしても,モーツアルトのオペラは序曲からしてすばらしいこと。これだけでも感激してしまいます。さあ,オペラがはじまります。

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【Summary】
Using the Aichi–Nagoya sightseeing passport, I visited the Museum Meiji-Mura and also went to Inuyama Castle. Although I had visited Meiji-Mura recently, I returned mainly to see Inuyama Castle again. The castle, one of Japan’s national treasures with the oldest surviving wooden keep, offered beautiful views from the top.

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 4,500円で,愛知県の施設35か所に入ることができるという「あいち・なごや周遊パスポート」を使って,さまざまな施設を訪れていますが,2026年3月9日は,明治村行ってきました。そして,そのついでに,「あいち・なごや周遊パスポート」の対象外ですが,犬山城にも行ってきました。
 明治村は昨年12月に行ってきたばかりだったのですが,「あいち・なごや周遊パスポート」の対象施設だったので,再び行ってみたわけですが,主たる目的は,犬山城でした。犬山城もまた,2018年6月に行ったことがあるのですが,なかり以前のことだったので,また,行ってみたかったのです。

●明治村
 3月9日に行ったときは,早朝雪が降ったこともあり,駐車場までの道路にはまだ雪が残り,また,園内も雪がいい雰囲気を残していたのですが,今回はそんなこともなく,また,思ったよりも混んでいました。学生さんの遠足なのか,修学旅行なのかで,ざわざわしていました。
 私は,行ったばかりということもあり,特にやりたい,みたいというところもなかったので,ゆったりと写真を撮ってまわることにしました。ここは絵になります。また,昼食,前回は,かなりぜいたくして牛鍋を食したので,今回は,明治時代のカレー,とやらにしました。
 明治村では,集客のために,さまざまなイベントが行われています。私は,そもそも「鬼滅の刃」そのものをまったく知らないので,関心がありませんが,「鬼滅の刃×博物館明治村特別任務録」というイベントが3月7日からはじまったところだったので,これを目当ての,授業のなくなった3月の大学生が多数来園していました。

●犬山城
 この日明治村へ行ったのは「あいち・なごや周遊パスポート」の対象施設だったからですが,実際の目的地は犬山城でした。「あいち・なごや周遊パスポート」の対象施設ではないのですが,以前行ったのが2018年6月と,ずいぶん前だったこともあり,また,大河ドラマ「豊臣兄弟!」の舞台でもあることから,行ってみたかったのです。
 ここは,国宝5城のうちのひとつということもあり,ずいぶん多くの観光客が来ていました。
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 犬山城は,1537年(天文6年)に織田信長の叔父・織田信康が築城した現存する日本最古の木造天守をもつ城です。木曽川沿いの断崖に建つ「後堅固」(うしろけんご)の城です。
 江戸時代以前から残る「現存12天守」のひとつで,その中でも望楼型,3重4階地下2階という最古の様式を伝えます。また,木曽川沿いの絶景が,中国の詩人・李白が詠んだ「白帝城」を連想させたことから,荻生徂徠によって「白帝城」と名づけられました。
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 幸い,この日は天気もよく,天守最上階からは,岐阜城や小牧山城を見ることもできました。

 室町時代の1469年(文明元年),応仁の乱の最中に岩倉織田氏当主の織田敏広の弟・織田広近がこの地に砦を築いたのがはじまりといわれ,1537年(天文6年),清洲3奉行の織田信秀の弟・織田信康が,乾山の砦を造営して移り,現存する天守2階まではこのころ造られたと考えられています。
 1544年(天文13年)に 織田信康が加納口の戦いで戦死し,子の織田信清が城主となりましたが,1564年(永禄7年)に織田信長と対立して敗れ,甲斐に逃れたので,以後は,池田恒興や織田勝長などが城主を務めました。
 1582年(天正10年),本能寺の変後,尾張国を領有した織田信雄配下の中川定成が城主となり,1584年(天正12年)の小牧・長久手の戦いで,大垣城主・池田恒興が織田信雄から奪取し,尾張国における西軍の橋頭堡となりましたが,1587年(天正15年)に織田信雄に返還されました。その3年後に織田信雄が改易されると,豊臣秀次の領地となり,その実父・三好吉房が城代を務めましたが,1596年(文禄4年)に豊臣秀次が切腹すると,石川貞清が城主となりました。
 1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いで,西軍の拠点となりましたが,岐阜城が落城すると,石川貞清は犬山城を放棄し関ヶ原に参陣し敗北しましたが助命されました。そして,その翌年に,小笠原吉次が城主となりました。さらに,1607年(慶長12年), 平岩親吉が城主となり,甥の平岩吉範を城代に置きました。
 1617年(元和3年)には,尾張徳川藩の付家老・成瀬正成が城主になり。以後,江戸時代を通じて成瀬家9代の居城となりました。
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 1871年(明治4年)廃城。犬山城は,天守を除いて櫓・城門などほとんどが取り壊されました。
 1895年(明治28年),愛知県から旧犬山藩主・成瀬正肥へ条件付き無償譲渡され,1935年(昭和10年)当時の国宝保存法に基づき,国宝(旧国宝)に指定され,1952年(昭和27年)には,文化財保護法に基づき,改めて国宝(新国宝)に指定されました。
 犬山城は成瀬家(犬山成瀬家)の当主が城主として個人所有する物件でしたが,維持が困難なため,犬山成瀬家は個人所有を断念し,犬山成瀬家第13代当主・成瀬正浩の妹・成瀬淳子が財団法人犬山城白帝文庫を設立して理事長に就任し,犬山城は法人所有となりました。
 よくまあ,この時代の荒波に耐えて,生き残ったものだと思います。

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【Summary】
On March 5, 2026, I visited several sites in central Nagoya using the Aichi–Nagoya Tourist Pass. I explored the Nagoya Sword Museum, which displays an extensive collection of swords and armor. I also walked along the historic “Cultural Path,” visiting Futabakan and Shumokukan and enjoying early-blooming Okanzakura cherry blossoms.

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 4,500円で,愛知県の施設35か所に入ることができるという「あいち・なごや周遊パスポート」を使って,さまざまな施設を訪れていますが,2026年3月5日は,名古屋刀剣博物館/名古屋刀剣ワールドと文化のみちにある二葉館と橦木館に行ってきました。 ともに,名古屋市内の中心部にあります。

●名古屋刀剣博物館/名古屋刀剣ワールド
 名古屋市立科学館の近くに,名古屋刀剣博物館/名古屋刀剣ワールドができたことは知っていましたが,そもそも興味がなかったこともあって,これまで行ったことはありませんでした。とはいえ,特に日本のこうした武具に興味のある外国人にとってあこがれの博物館だと聞いたことはありました。
 今回,「あいち・なごや周遊パスポート」の対象施設ということで,通常は決して安くない入場料なので,行ってみることにしたのです。
 なお,私は認識がなかったのですが,名古屋刀剣博物館と名古屋刀剣ワールドは同じもので,名古屋刀剣ワールドは名古屋刀剣博物館のニックネームのようなものですが,刀剣ワールド名古屋・丸の内別館は別物で,無料の施設です。さらに,刀剣ワールド桑名・多度別館という無料の施設もあるようです。もともと,東建コーポレーションの社長さんが趣味で収集していた刀剣,甲冑,火縄銃,浮世絵などを,財団化して博物館として展示しているもののようです。また,多くの貸し出しも行っているようです。とはいえ,そもそも,刀は武器です。そう考えると複雑な気がしました。それを芸術にする日本人というものにも,また,複雑な気がしました。
 収集されているものが半端な数でないということで,館内に入って驚きましたが,ここまで徹底すれば,大したものです。また,館内にはレストランもあって,落ち着いて過ごすこともできました。興味のある人にはたまらない施設でしょう。

 次に訪れたのが名古屋市東区・白壁エリアにある文化のみちでした。この場所は,名古屋城の東側にある,江戸時代は武家屋敷の建ち並んだ場所で,現在は,料亭やら名士の家が続く,落ち着いた場所です。そこに,いくつかの歴史的な建造物が,元から存在していたり,移築されて,観光化しています。以前にも来たことがあって,さまざまな施設に入ったのですが,今回は「あいち・なごや周遊パスポート」の対象施設ということで,二葉館と橦木館(しゅもくかん)に入ってみました。
●文化のみち二葉館
 文化のみち二葉館は「大正ロマンの象徴」で,日本初の女優・川上貞奴と「電力王」福沢桃介が暮らした和洋折衷の邸宅を移築・復元した文化施設です。
 移築して開館したのは2005年(平成17年)で,和洋折衷の大正ロマン建築として,オレンジ色の洋風屋根,ステンドグラスが輝く大広間,螺旋階段や吹き抜けの高い天井,和館部分は創建当時のまま残されています。また,川上貞奴・福沢桃介ゆかりの資料も展示されています。
●文化のみち橦木館
 文化のみち橦木館は輸出陶磁器商・井元為三郎の旧邸宅です。
 2009年(平成21年)の開館で,洋館+和館+茶室+蔵の複合邸宅で,敷地は約600坪と,武家屋敷の区割りを継承しています。
 ステンドグラスが美しい洋館で,襖・欄間など細部にこだわり,茶室が庭園に佇み,四季の風情を楽しめるようになっています。
 かつて,囲碁のタイトル戦の会場になったこともあるようです。

 このあたり,東区泉二丁目と三丁目を隔てる南北の道路は,また「オオカンザクラの並木道」としても有名で,名古屋市内でいち早く花見ができる名所となっています。1961年(昭和36年)の春,「名古屋で一番早く咲く桜を植えていただきたい」という地元の希望がかない,当初16本の苗木が植えられました。当時植えられた木で残っているのは6本,その後,新たに植えられたものも含めて,現在では約130本の桜が並木道をつくり,早い春が楽しめます。
 この日は,6分咲き程度でしたが,暖かな陽気だったので,気持ちのよい散策ができました。

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【Summary】
Constantly known for ceramics and home to Central Japan International Airport, Tokoname has a walking route highlighting its pottery heritage. The former shipping merchant house Takita House preserves Edo-Meiji life and a rare lamp by Tanaka Hisashige. At INAX Live Museum, visitors explore pottery history, world tiles, historic kilns, and hands-on ceramic experiences.

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 4,500円で,愛知県の施設35か所に入ることができるという「あいち・なごや周遊パスポート」ですが,今回は,2026年3月2日に行ってきた常滑市のふたつの施設について紹介します。
 常滑市は,セントレア・中部国際空港のある町なので,飛行機に乗るために行くのが目的で,セントレア・中部国際空港を利用しても,常滑市で降りることはないから,常滑市を観光したことはだた1度,それもわずかな時間でした。
 それでも,外部から,特に,外国からセントレア・中部国際空港にやってくる人の中には,常滑市の観光をする人も少なからずいるので,常滑市は,観光資源である常滑焼を目玉に,遊歩道が整備されています。そんなインバウンドを対象としているので,その多くが英語表記が優先されているのですが,セントレア・中部国際空港の利用客は中国人が多いから,私には不思議なことでした。とはいえ,このところの情勢から,今回行ったときは,中国人は皆無でした。

●廻船問屋「瀧田家」
 常滑市の廻船問屋「瀧田家」(たきたけ)は,江戸時代から明治時代にかけて廻船業を営んでいた住宅で,現在は常滑市指定有形文化財として一般公開されています。
 1850年ごろに建てられたこの建物は,常滑市によって復元・整備され,2000年(平成12年)4月から公開がはじまりました。館内では,当時の廻船業や暮らしを伝える資料が展示されていて,特に見どころなのがからくり儀右衛門(田中久重)が製作したとされる無尽灯(むじんとう)という灯火具。菜種油を燃料に使い,銅や真鍮で作られた精巧な構造と美しい外観が特徴で,全国でも現存数が少ない貴重な品,ということでした。

●INAXライブミュージアム
 INAX(イナックス)の前身は伊奈製陶株式会社です。1924年に常滑市で創業され,当初は陶管や衛生陶器の製造を行っていました。その後,住宅設備機器の分野で成長を続け,2001年にはトステムなどと統合してINAX株式会社となり,さらに2011年にはLIXILグループの一員となって,現在はLIXILブランドの一部として活動しています。
 INAXライブミュージアムは,常滑市の陶磁器の歴史や技術を体感できるやきもののテーマパークです。館内は6つの施設にわかれていて,それぞれが違う角度からやきものの魅力を伝えていました。
 館内の敷地にはイタリアンレストランがあったので,私は,まず,そこで昼食をとりました。私が利用したときは時間が早かったから空いていましたが,かなり混みあうので,予約必須ということでした。
 その後,館内を見学しました。
 世界のタイル博物館では,世界中の装飾タイルがずらりとならび,色も模様も多彩で,万華鏡のよう。窯のある広場・資料館では,実際に使われていた登り窯が保存,ものづくり工房では,タイルアートや陶芸体験ができるように,また,建築陶器のはじまり館では,明治時代の建築に使われた陶器の装飾を見ることができ,土・どろんこ館は体験型施設,やきもの工場館は,INAXの工場の歴史や製造工程が学べる場所,ということで,楽しく時間を過ごせる充実した施設でした。

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【Summary】
Watching Kyoto Secrets from the first season, the user feels Mitsuhako causes selfish turmoil around succession. Two themes stood out: the refined Japanese aesthetic of the slightly imperfect Thirteenth Night moon, and kafuku-kyūboku—the idea that fortune and misfortune intertwine like twisted ropes, shaping life’s unpredictable yet meaningful flow.

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 残すはあと2回。
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 女三代の継承の物語。
 フランス育ちの洛は店を継ぐのか?広臣の母・嘉譽子は夫・譽太夫の隠し子を養子にすると言い出す。 広臣は東雲の紹介で橋の下に住む謎の男に洛と会いに行き…。
 釉子に失恋した幸太郎は?
 悟を再び訪ねた三八子は,料亭の女将・唯子と出会う。後の月の夜,鶴子は三八子に隠していた事実を告げる。
  ・・・・・・
 ということなのですが,この物語は,第1シリーズから見ていると,三八子がひとりでおお騒ぎをしているとしか思えません。後を継がないと決めて,男を作ってパリに行ったと思えば,義理の娘・洛が跡と継ぐと決心してパリから帰国すれば,一緒についてくる。そして,洛が跡を継ぐ覚悟ができると,私が継ぐからといって,男に離婚を迫る…。これは,私がもっとも嫌いな姿です。自分のわがままで周囲をかき混ぜて,人には厳しく,自分だけはいい気になっている。まるで,どこかの政党みたい。
 はたして,あと1回でどういう結末を迎えるか…。

 さて,今回,私が気になったのが次のふたつです。
 そのひとつは,後の月。
  ・・・・・
 後の月は十三夜ともいいます。
 十三夜は,旧暦の13日の夜,主に旧暦9月13日の夜を指し,月見をする風習があります。
 中秋の名月である十五夜の後に巡ってくるので「後の月」, 栗や豆の収穫祝いを兼ねているので「豆名月」「栗名月」,また,中秋の名月とあわせて「二夜の月」(ふたよのつき)ともいいます。
 満月より少し欠けた十三夜の月が美しいというのは,極めて日本的な美意識だと思います。
 平安時代に書かれた「躬恒集」(みつねしゅう)の,旧暦・919年(延喜19年)9月13日に醍醐天皇が月見の宴を催し詩歌を楽しんだというのが十三夜の月見のはじまりといわれています。
 十五夜と十三夜のどちらか一方しか月見をしないことを「片見月」「方月見」といい,縁起が悪いとされています。さらに,旧暦の10月10日の十日夜(とおかんや)とあわせ,3日間月見ができると縁起がよいともいわれています。
  ・・・・・・
 この不完全さがたまらなくいい,と私も思うのですが,「京都人の密かな愉しみ」では,月を京都の風流の象徴として幾度も描いているのにも関わらず,月の映像だけがいただけない。今回の後の月もまた,映像で出てきた月は,どうみても,月齢11,ひいき目に見ても月齢12の月でした。

 もうひとつは,「禍福糾纆」(かふくきゅうぼく)。
 「禍福糾纆」とは,人生の 災い(禍)と幸福(福)は,縄をより合わせたように交互にやってくる ということ。よいことと悪いことは切り離せず,互いに絡み合って起こるというたとえのことです。
 「禍福は糾える縄の如し」(かふくはあざなえるなわのごとし)といい,人生では幸運と不運が交互にやってくるものだ。失敗のあとに思わぬ成功が来ることもある。まさに 禍福糾纆だ。ということです。
 物理学で,ボールを転がすとき,平坦な面で転がすよりも,曲がりくねった(正弦曲線のような)面で転がしたほうが速い,というように,「禍福糾纆」は物事の真実を表していることばです。 

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【Summary】
After crossing the Tokyo Bay Aqua-Line, I visited the grave of Kōzō Masuda at Jōei-ji Temple in Karasuyama Temple Town. Masuda, famous for his motto “New moves for life,” became Meijin in 1957 and was a pioneering shogi innovator, developing the influential Masuda-style Ishida strategy.

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 東京湾アクアラインを越えて,神奈川県に入りました。このまま上野駅まで行ってもまだ時間が早かったので,かねてから行きたいと思っていた将棋の升田幸三実力制第4代名人の墓に行ってみることにしました。東京の墓地には多くの有名人が眠っていることを知って,ならば,と調べてみたところ,世田谷区烏山というところにある常栄寺に墓があると知りました。
 着いてみて驚きました。烏山寺町,つまり,北烏山2丁目から6丁目にかけて,寺町通りを中心に,立派な寺院がたくさん並んでいたのです。実際,ここには26もの寺院が軒を連ねていて,小京都とよばれるそうで,ここが東京かと思うような白壁の連なりが落ち着いた雰囲気をかもしだしている場所でした。
 烏山寺町のおいたちは,1923年(大正12年)の関東大震災の後,浅草,築地,本所,荒川など都心部で被災した寺が少しずつ移転し、昭和10年代に現在の形となったそうです。もっとも早く移転したのは妙壽寺で,最後に移転したのは多聞院ということです。私は車で行って,付近のコインパークに車を停めたのですが,公共交通機関だと,京王電鉄の井の頭線久我山駅,または,京王線「千歳烏山駅」で降りて,徒歩15分の場所にあります。
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●弁天池が風情ある高源院
 烏山寺町でもっとも北に位置し,境内には弁天池があり,朱色の橋が架かる姿が情緒ある風景をつくりだしていて,この風景は「せたがや百景」にも選出。秋には鴨が飛来することから鴨池とよばれています。
●見どころの多い妙壽寺
 烏山寺町にもっとも早く移転した妙壽寺は見どころの多い寺です。
 「鍋島客殿」は,旧肥前国蓮池藩鍋島家の邸宅を19267年(昭和2年)に移築したもので,木造2階建ての立派な屋敷です。本堂の正面には竹林が広がり,毎年秋に,この竹をつかった灯籠能会が行われます。
●庭園風の境内が美しい玄照寺
 高源院や妙壽寺から少し離れた場所にある玄照寺は美しい寺です。
 石柱門の上に狛犬が鎮座しているのも珍しく,門をくぐると庭園風の境内に長い参道がつづきます。 境内を進むと,竹林もあります。
●古代インド様式の本堂・妙祐寺
 渋谷宮益坂から移転した妙祐寺は,1962年(昭和37年)に建立された本堂が特徴的で,築地本願寺と同じ古代インド様式です。
  ・・・・・・

 升田幸三実力制第四代名人の墓がある常栄寺は,江戸時代初期のころより約400年の歴史を有します。
 1639年(寛永16年)6月8日に示寂した正教法師を第1世とし, 寺は創建当初,浅草烏越の地にありましたが,1617年(元和3年)に本願寺12代宗主・准如上人が築地本願寺の前身・浅草御堂を浅草横山町に創建したときにこれに従って浅草へ移転しました。
 降って,1657年(明暦3年)の江戸の大火により灰壗に帰し,江戸幕府は八丁堀海上,方百問の土地を代替地として付与し,これを埋立てた折りに同地に移転しました。そして,関東大震災によって甚大な被害を受けて,1924年(大正13年)に現在地へ移転し,1932年(昭和7年)に本堂を,1991年(平成3年)に庫裏・客殿,2012年(平成24年)に山門を再建しました。
 升田幸三実力制第四代名人は,1918年(大正7年)3月21日,広島県三良坂町(現在の三次市)生まれで,1956年(昭和31年),第5期王将戦で当時の大山康晴名人に香車を落として快勝し,翌1957年(昭和32年)の第16期名人戦で大山康晴名人を破り初の名人を獲得し,史上初の三冠王(名人,九段,王将)に輝きました。
 「新手一生」を掲げ,定跡にとらわれない新手を数多く繰り出し,序盤戦術の進歩にも貢献。特に「升田式石田流」は、現代将棋の最先端の戦法であり続けています。1979年(昭和54年),A級在籍のまま現役引退。生涯成績は544勝376敗。タイトル獲得数は通算7期(名人2期,九段2期,王将3期)。1991年(平成3年)に73歳で亡くなりました。

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【Summary】
I drove back to Ueno via the Tokyo Bay Aqua-Line and stopped at Umihotaru, a unique parking area built on an artificial island between the tunnel and bridge. Originally planned to improve access between Kanagawa and Chiba, the route opened in 1997. I enjoyed clam soba and beautiful panoramic views over Tokyo Bay.

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 鋸山を出発して,上野駅に戻ります。
 カーナビは,東京湾アクアラインを経由する道路を示していて,こりゃいいわ,と思いました。まさか,自分が東京湾アクアラインを通ることが起きるなんで,想像ができなかったからです。無計画な旅は,こういう幸運があるのです。
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 東京湾アクアラインは通称アクアラインといいます。
 かつて,神奈川県と千葉県を行き来するには,東京湾を周回するか,フェリーを使うしかなかったので,物流や通勤に時間がかかっていてたので,東京湾を挟んで向かい合う神奈川県と千葉県の交通アクセスを劇的に改善したいという長年の構想がありました。
 そこで,1960年代から「東京湾横断道路構想」が浮上し,1970年代には本格的な調査がはじまりました。しかし,海底トンネルを掘るのは大変で,技術的にも資金的にも大きな挑戦でした。最終的に,川崎側はトンネル,木更津側は橋というハイブリッド構造で建設されることになり,1997年に開通しました。
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 東京湾アクアラインの途中には「海ほたる」というパーキングエリアがありました。私は驚きました。東京湾のど真ん中に,まさか,パーキングエリアがあるなんて。しかし,これがなければ,このすばらしい景観を見る場所するないわけで,粋なことをするわい,と感動しました。実際は,「海ほたる」は浮いているわけではなく,トンネルと橋の接続点にある人工島で,観光スポットとしても人気だそうです。 
 東京湾アクアラインは,川崎側から海底トンネル(=アクアトンネル)が続いき,そのトンネルの終点に「風の塔」という換気施設があって,そこから先は海上橋(=アクアブリッジ)になる,という構造で,その切り替え地点に「海ほたる」があるのです。
 私は,千葉県側から走ってきたので空いていましたが,神奈川県側からは多くの車が走っていて,「海ほたる」に駐車したい車が列をなしていました。

 せっかく来たので,「海ほたる」に車を停めて,ここで昼食をとることにしました。
 レストランもあったし,フードコートもありました。どの店もあさりに関したメニューがあって,どうやら,ここの名物はあさりのようでした。私もあさりをのせたそばを注文しました。
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 「海ほたる」の名物は「あさり」です。「あさりまん」や「あさり焼きそば」がなどが有名です。
 「海ほたる」がある場所は,もともとあさりの名産地・木更津沖に位置していて,このあたりの干潟は,昔からあさり漁が盛んな場所で,特に,春から初夏にかけてはぷっくりと太ったあさりがたくさん獲れるそうです。そこで,「海ほたる」のパーキングエリアでも地元の味を活かした「あさり料理」が名物になっています。また,木更津の潮干狩りも人気で,春になると家族連れでにぎわいます。
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 昼食後,「海ほたる」からの景色を楽しみました。

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【Summary】
I visited Mount Nokogiri, once a filming location for the NHK historical drama Hikaru Kimi e. I saw the Great Buddha at Nihon-ji and climbed to the summit, enjoying impressive views despite missing Mount Fuji. Later, I learned the actual filming site was deeper in the mountains, near Komagiriyama.

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 NHK大河ドラマ「光る君へ」のロケ地のひとつだった鋸山,おそらく,そういうことを知らなければ行くこともなかったでしょう。とはいえ,鋸南町(きょなんまち)という標示は頻繁に出てくるのに,鋸山という標示が見当たず,とまどいました。
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 鋸南町は鋸山のふもとに広がる町で,温暖な気候と海の幸に恵まれ,春には水仙や菜の花が咲き誇る花の名所としても知られています。
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ということなので,鋸南町は,鋸山と関係があるのでした。
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 鋸山は,富津市と鋸南町の境にある標高329.4メートルの山で,その名の通りのこぎりの刃のようなギザギザした稜線が特徴です。かつては房州石の採石場として栄え,今でもその切り立った岩肌が残っていて,独特の景観が楽しめます。
 山頂付近には「地獄のぞき」とよばれる断崖絶壁の展望スポットがあって,そこから東京湾や三浦半島,天気がよければ富士山まで見渡すことができます。
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 私は,まったく予備知識もなくやってきて,ともかく,鋸山日本寺の大仏を見ることができました。当初は,ここから山頂の展望台まで,歩く気になっていたのですが,自分の歳をわすれていました。そんなわけであきらめて,再び,駐車場に戻りました。山頂に行くには,車で国道127号線をもう少しだけ北上すると,有料道路があって,それを登れば,山頂の近くまで行くことができるということだったので,そうすることにしました。
 有料道路を登ると,広い駐車場があったので,車を停めました。ここから山頂までは容易,ということでしたが,いやいや,そこからがまた大変でした。
 途中,道がわかれました。左手には百尺観音(ひゃくしゃくかんのん)がありました。
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 百尺観音は鋸山にある巨大な観音像で,高さが約30メートル(=百尺)ありました。戦没者の慰霊と世界平和を祈って昭和初期に彫られたもので,鋸山の石切場跡の岩壁に直接彫り込まれているものです。
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 ここで行き止まりとなったので,わかれ道まで戻って,今度は右手に山頂を目指しました。

 想像以上の石段を登り,やっとのことで山頂に到着しました。すばらしい景色が広がっていました。登った甲斐があるというものです。残念ながら,霞んでいて,富士山は見えませんでした。
 駐車場まで戻ると,今度は,左手にローブウェイで登ることができる別の展望台に行く道があったのですが,さすがにまた同じような石段を登る気にならず,断念しました。
 鋸山,なかなかのところでした。
 ところで,大河ドラマ「光る君へ」のロケ地ですが,一向にそのような場所がありませんでした。帰ってから調べると,鋸山からさらに山深く1時間ほど歩くと標高約200メートルほどの小鋸山(こまぎりやま)があって,鋸山から縦走ルートで行くことができるようです。また,石切り場のロケ地は,普段は立ち入り禁止の場所だった可能性もあります。
 千葉県も奥が深いものだ,と思いました。

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【Summary】
I stopped at Mount Nokogiri and visited Nihon-ji Temple. It was not a suspicious new religion but an ancient temple founded in 725 by Gyoki. I was amazed by the huge stone Great Buddha and the dramatic cliffs overlooking Tokyo Bay. The site’s long history and magnificent scenery deeply impressed me.

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 念願の九十九里浜海岸に行くことができたので私は満足しました。白子温泉は,活気ある温泉観光地,ということもなかったのですが,のどかなところで,すっかり気に入りました。
 この日は,夕方までに東京へ戻り,レンタカーを返却して,夜,サントリーホールで名古屋フィルハーモニー交響楽団の東京特別公演を聴きます。ということで,この後,どういうコースで東京へ戻ろうかと考えましたが,何の計画もありませんでした。はじめは,千葉県の中央部に何かあるのでは? と思って検索してみたのですが,特に何も見つかりませんでした。しかし,後日,改めて調べてみると,マザー牧場,養老渓谷,清水公園,東京ドイツ村などが点在するようなので,機会があれば,行ってみたいと思っています。
 そこで,私が思い出したのが鋸山(のこぎりやま)でした。

 NHK大河ドラマ「光る君へ」の第35回のことです。あらすじは
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 藤原道長は中宮・彰子の懐妊祈願のため,息子の藤原頼通と共に御嶽詣(みたけもうで)へ向かう。しかし,険しい行程と悪天候に悩まされ,目的地である金峯山寺への到達に手こずっていると,藤原伊周(これちか)が武者を引き連れ,不穏な動きを見せる。
 そのころ,まひろの書く物語に興味を持った一条天皇が,まひろに物語の真意を尋ねては,自身の境遇を重ね…。さらにまひろは彰子の本心を知り…。
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なのですが,ここで,御嶽詣とは,身を清めて吉野の金峯山(きんぷせん)へ参詣しに行くことをいいます。平安時代の人々が切なる願いをかなえるためにおこなったもので,藤原道長は,御嶽詣で娘・彰子の懐妊を祈願しようと考えたのです。
 金峯山には金峯山寺があります。これは,奈良県吉野郡吉野町吉野山にある金峯山修験本宗の総本山の寺院で,山号は国軸山(こくじくざん),開基は役小角(えんのおづね)と伝えます。かつては「山下の蔵王堂」とよばれていました。本尊は巨像として著名な蔵王堂に安置される蔵王権現立像3躯で,中尊は約7メートルもあり,普段は非公開であることから「日本最大の秘仏」とも称されます。
 なお,金峯山寺仁王門の金剛力士立像2体は,2025年5月16日,奈良国立博物館で「超国宝-祈りのかがやき-」が行われたとき,見ました。
 「光る君へ」で御嶽詣と想定したロケ地が鋸山だと聞いたことがあって,かねてから行ってみたかったのです。とはいえ,鋸山がどういうところかは,まったく知りませんでした。

 GoogleMaps がいうままに走っていくと,内房の海岸線に出ました。後で確認すると,おそらく首都圏中央連絡自動車道(圏央道),京葉道路と走り,鋸南保田インターチェンジで降りて,国道127号線を北に走ったものと思われます。そのうちに鋸山日本寺という案内板がありました。無料駐車場とあったので,とりあえず車を停めました。駐車場にはほとんど車はいませんでした。
 日本寺,あまりに仰々しい名前で,いかがわしい新興宗教なのか,と疑問に思いましたが,とりあえず石段を登っていくと,鋸山日本寺の料金所がありました。聞いてみると,鋸山一帯が日本寺というところで,散策には1時間ほど,ということだったので,拝観料を払って,さらに進むと,それはまあ見事な巨大な仏像が目の前に登場しました。鋸山日本寺の大仏は薬師瑠璃光如来像で,高さ約31メートルあり,奈良の大仏が約15メートル,鎌倉の大仏が約13メートルなので,それよりもかなり大きいものです。江戸時代に造られましたが,風化や地震で損傷し,1969年(昭和44年)に修復されたものです。
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 鋸山日本寺は,日本一大きな石仏「大仏様」や、断崖絶壁に突き出た「地獄のぞき」があり,山の上からの眺めも最高で、晴れた日には東京湾や富士山まで見えることもあります。
 鋸山日本寺は,725年(神亀2年),聖武天皇の勅願を受けて,行基によって開かれました。開山当初は法相宗に属し,その後,天台宗や真言宗を経て,江戸時代の徳川家光の時代に曹洞宗になり今に至ります。最盛期には七堂十二院百坊を備えた大寺院で,良弁,空海(弘法大師),円仁(慈覚大師)といった名僧たちが滞在した記録も残ります。空海はここで100日間護摩を焚いて石造の大黒天を彫ったと伝ええられています。さらに,源頼朝もこの寺に立ち寄って武運を祈願し,自ら蘇鉄(そてつ)を植え,今も境内に「大蘇鉄」として残っています。
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 いかがわしい新興宗教ではありませんでした。

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