しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

October 2013

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 外で食べるか中で食べるか聞くので中でと答えたが,外で景色を見ながら食べるのが普通のようで,部屋の中のはほとんど人がいなかった。
 食事が出てくるまでテレビを見ていたが,テレビのニュースはイギリス王室のおめでたの話題であった。どうやらロイヤルベイビーが生まれたらしい。
 部屋にいた男に男か女かと聞いたら,巨大な男の子だと言った。ニュースを聞いていたら,なるほど,その巨大さが話題になっていた。それにしても,常々思うのだが,アメリカ人は本質的にイギリスが好きである。イギリス王室のこととなると本国以上の報道がされるし,レポーターもはしゃいでいて,ちょっと,理解ができない。

 食事が出てきた。思っていた2倍の量があった。一瞬食べきれるか不安になったが,昼食を抜いたので,なんとか食べきることができた。私は,アメリカでは,朝の軽食と夕食だけで十分だと,この旅で思った。
 ロブスターサンドは大変美味であった。マヨネーズで味付けされたかにサラダのようなものを想像してください。ただし,ロブスターの方がこしがある。
 食べながら,これを作ったカウンター内の男の人とおしゃべりである。

  ・・・・・・
私:こんな量のあるおいしいロブスターは日本では食べられない。
男:日本で食べたらどのくらいするのか。
私:2倍はするのではないか。
  ・・・・・・
 しばしのロブスター談義に,食も進んだ。
 今,ロブスターは旬ではない。ロブスターの旬な季節は4月から6月と12月。この時期のロブスターは非常に安価である。以前,カナダのプリンスエドワード島に行ったときにまるまま1匹食べたことがあるが,安く,大変おいしかった。それが忘れられず,一度日本でロブスターの食べられる店に行ったことがあるが,量が少なくて期待とは違ってがっかりして,それ以来,日本で食べようと思ったことはない。
 夕食を食べ終えた。レストランの窓から外が眺められた。
 外では,ホテルのテラスに大勢の宿泊客がイスに座ってのんびりと海を見ていた。
 海を見あげたら,これまで見たこともない絶景が広がっていた。

◇◇◇
ワールドシリーズは,ボストン・レッドソックスがベーブルースが投げて勝利した1995年前の優勝以来の本拠地での優勝決定を目指して,きょう第6戦。チケットは,240万円で取引されているそうです。ボストン市長は,渋滞を避けるために,市民に早めの帰宅を呼び掛けています。

◇◇◇
Happy Halloween !!!

アメリカので今年の仮装衣装は,キツネが大人気だそうです。"What a foxy!"

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 ホテルに戻って車を停めて, 改めてホテルの周りを少し散策した。
  ・・
 ホテルの南側は広い駐車場,そして,一番東のところにプールがあった。道の向こうには緑が生い茂り,池があり,その向こうの小高い山の上には素敵なホテル風の建物あった。あとでわかったが,そのホテル風の建物がプリマスプランテーションだった。
 ホテルの北側は海に面していて,砂浜が広がっていた。ホテルにはテラスがあって,そこは広々としていて,イスが並べれられていてくつろげるようになっていた。そして,テラスからホテルに入るところは売店になっていた。

 その売店あるところからホテルの中に入ると,そこはホテルのフロントにつながっていた。そして,その向こうがバーカウンタのあるレストラン,その横がロビー,その向こうに室内プールがあった。
 アメリカはすべてが大きいので,宿泊したときは,どこにもある普通のモーテルだと思っていたが,今にして思うと,かなり広くデラックスなホテルだった。
 レストランのバーカウンターにはひとりの男の人がいて,何かを飲みながら店員とおしゃべりをしていた。
 アメリカでは,公営の施設でなければ,制服を着ていたり名札を下げていたりしないので,店員なのか客なのか区別がつかない。カウンタの中にいるのは,それらしくないが,レストランのシェフ?なのであろう。

 何か食べたいのだが,と聞くと,メニューを出してくれた。
 昼食を食べていなかったこともあったので,今晩はちゃんと食事をしようと思った。
 私は,全くグルメでなく,食事のメニューがよくわからない。というか,栄養に偏りがないことくらいしかこだわりがないので,有名だといわれるお店に列を作って時間をかけて,ということに興味がない。むしろ,食事の時間がもったいないと思ってしまうほうだ。だから,旅行記にも,食べ物の情報が書けない。
 それでも,せっかくメイン州へ行ったのにロブスターを食べていなかったので,きょうはロブスターを食べようと思って,メニューにあったロブスターサンドにした。野菜もしばらくとっていなかったので,ガーデンサラダ,そして,飲み物としてコークを頼んだ。
 いつも困るのが,サラダのドレッシングで,私はどのように注文すればいいのかさえわからない。ドレッシングにどんな種類があるかもわからない。店員に聞いたところで,その名称がどのような味のものを指すのかさえ知らないので,どうしようもない。
 今回は,とっさに「イタリアン」と言ったら,ちゃんと自分の想像したものができてきたので安心した。「ジャパニーズ」とでも言ったらどうなるのだろう…。いずれにしても,私は何が出てきても受け入れることができるので,特に心配はないのであるが。

 という次第なので,ちょっと反省して,ドレッシングについて少し勉強した。以下は受け売りの知識である。
 まず,ランチ(Ranch)。これは,サワークリームとマヨネーズがベースのとろみのある白いドレッシンングで,アメリカの定番。次に,サザンアイランド(Thousand Island)。これはマヨネーズとケチャップがベースで,ピクルスや玉ねぎが入っているオレンジ色の甘めのもの。そして,イタリアン(Italian)。これは,ビネガーがベースにハーブやニンニクが入る。日本のフレンチに近い白いものということだ。
 なお,フレンチ(French)はアメリカで生まれたドレッシングで,ヴィネグレットにケチャップを混ぜたオレンジいろのもので,日本のフレンチとは違うということである。
 ブルーチーズ(Blue Cheese)はRanchにブルーチーズを加えたもの。ヴィネグレット(Vinaigrette)は酢と油と塩コショウのシンプルなもの。

◇◇◇
Ortiz reaches base at a historic pace.
 
2013 MLB World Series Game 5 : Red Sox 3, Cardinals 1

ハリー・コニック・Jr. さんの国歌斉唱,オージー・スミスさんによる始球式で始まった第5戦は,3-1でレッドソックスの勝利。これでシリーズ3勝2敗。あと1勝です。ハリー・コニック・Jr. さんは, ニューオリンズ出身の歌手・ピアニスト・俳優で,「恋人たちの予感」の音楽を手がけグラミー賞を受賞しています。オージー・スミスさんは「オズの魔法使い」と呼ばれたカージナルスの往年の名遊撃手です。
デービッド・オルテイーズ選手は,現在ワールドシリーズ3-2,3-2,2-1,3-3,4-3で打率なんと.733です。

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 プリマスロックは,1741年にエルダー・トマス・フォーンスという老人による証言によって,ピルグリムが最初に踏みしめた岩だとされた。
 一度は引き上げようと試みられたが,そのとき,岩の上部が欠けてしまったということだ。そして,1880年に今の位置に戻されて,そのときに「1620」と刻まれたという。
 プリマスロックは,アメリカ名所の3大がっかりのひとつともいわれている(なにせ,単なる岩だ)。
 観光案内所から出て,200メートルくらい海岸線に沿って東に歩いていったところに船着場があって,そこにメイフラワー2世号が停泊しているはずだったが,もぬけの殻であった。
 メイフラワー2世号は,最初のアメリカ移民を運んだ船の原寸大の模型で,1955年にイギリスで製造されて,プリマスにやってきた。船内では当時のクイーンズイングリッシュを話すスタッフの説明で見学ができる(この見学パターンは,こののちに私が訪れたボストンで見学した「ボストンティーパーティ船と博物館」の見学パターンと同じだ)とガイドブックには書いてあった。
 私は,このメイフラワー2世号を見学することも今回の旅の楽しみのひとつであった。ところが,姿がなかった。
 実は,この時,メイフラワー2世号は修理中で,そこにあったのは,おそらくメイフラワー2世号につながれていたであろう小舟だけであった。本当なら見学コースのチケット売り場である窓口には修理の募金を呼び掛けるポスターがあった。
 ということで,残念ながら,私は,今回は,これを見る機会がなかった。

 そして,船着場から公園になっている海岸線にそって,もう100メートルくらい歩くと,四角い枠で囲まれた白い建物があって,その中にプリマスロックが存在していた。
 私を含め,観光客は,興味深そうにしげしげと見入るのだが,それ以上でもそれ以下でもない。どれほどながめてもただの石であった。
 そうか,この石の上にはじめの1歩を記したのか,などといった感慨は浮かばなかった。
 しかし,それなりに感動もした。それは,よくテレビの観光番組で出てきて何度も見ていたもの,これは正真正銘その石そのものを見ることができたことだったからであった。

 そこから,また50メートルくらい南に行ったところにあるビルグリムホール博物館は1824年に建てらてたもので,館内ではプリマスの歴史を扱った展示や17世紀に難破した大西洋横断船の実物が展示されているとガイドブックにあったが,ここはすでに閉館時間を過ぎていたので行くことができなかった。
 そして,そのむこうの陸地側は高台になっていて,高台に沿ってサマーストリートという道路があった。
 このあたりは,プリマス最古の町並みのあったところで,現在,緑生い茂る公園で小川が流れていて,素晴らしい散策コースであった。夕暮れに行けば,プリマスの夕景が見渡せて最高だから,これからぜひ行ってみてくださいと観光案内所で言われた。また,このあたりには,古い教会やら墓地やらもあった。

 この高台をしばらく登っていくと,ジェニー・グリストミルという粉引き水車があって,隣接したところに土産物屋が併設されていた。この水車はこのあたりで最も古いものだということであるが,オリジナルは火事で焼失しており,現在は1970年に再建されたものであるということであった。
 実際は違うのであろうが,以前,愛知県の中部国際空港の近くの常滑焼で有名な常滑という名の古い街並みを散策していたとき,高台から海を眺めたのだが,そのときと同じような感じの散策コースであった。
 プリマスの見どころはこれくらいであった。

 きっと,ここも,アメリカの歴史をしっかりと勉強しておけば,もっと楽しむことができたに違いない。歴史は,その事実の羅列ではなくて,その土地に暮らし,あるときは苦悩し,またあるときは喜び… といった人々の生活を知らなければ,このような地に出向いても何も感じないのだということを実感した。
 それでも,さすがにプリマスはアメリカの古都なので,経た歴史の深さは,日本とは比べようもないが,ちょうど奈良・明日香を歩いているようなものと思えば,雰囲気はわかっていただけることであろう。
 このあと,海岸沿いを散策しながら,歩いて駐車場に戻った。
 雨上がりで,海からつながる空には怪しげな雲がたなびいていて,不気味なくらい静かであった。
 入り江が,美しかった。
 この日は平日でもあり,観光客はほどほどいるのだが,ごった返しているといった感じではなかったし,プリマスは予想とは違って落ち着いた町であった。
 
 駐車場を出て車を走らせ,どこかで夕食をとろうと,今晩宿泊するホテルと反対の方向へ,州道1Aを走らせてみたが,途中で,火事騒ぎがあったらしく消防車やら見物人がいる場所があった以外には,特筆すべき,レストランも見どころも存在せず,そのままプリマスを抜けて郊外まで行ってしまった。
 途中に1軒だけ,ファミレスみたいなところがあったので駐車場まで行ってみたのだが,そこはピザが名物の単なるチェーン店のレストランであった。日本ならば,ラーメン店のようなものだった。
 きょう宿泊を決めたホテルでは,めずらしく館内で食事ができることを思い出して,今晩はホテルで食事をすることにして,ホテルに戻った。
 これが正解だった。

◇◇◇
Ortiz said, "Guys, let's be ourselves."
 
2013 MLB World Series Game 4 : Red Sox 4, Cardinals 2

3人組のグループ ラスカル・フラッツの国歌斉唱,ボブ・ギブソンさんによる始球式,我らが田口壮さんのボールプレゼンテーターで始まった第4戦。この試合も白熱しましたが,6回にジョニー・ゴームス選手の3点本塁打でレッドソックスが勝ちました。上原投手は,日本人としてワールドシリーズ初のセーブを挙げました。
それにしても,ベンチで円陣組んで活を入れるなんて,日本の野球みたいでした。活を入れたのが監督でなくてオルティーズ選手,というのが,また,アメリカらしいのですが。曰く,
  ・・・・・・
 Guys, let's be ourselves.
 This opportunity doesn't come along very often.
 Let's have some fun and grind this thing out.
  ・・・・・・
ラスカル・フラッツは, アメリカ合衆国オハイオ州コロンバス出身のカントリー・ミュージックバンド。ボブ・ギブソンさんは,カージナルスで251勝をあげた投手。投げ終わった後一塁側へ大きく倒れ込む豪快な投球フォームと厳しい内角攻めが一番の武器。死球や頭部付近へのビーンボールが多く,「ヘッドハンター」と呼ばれました。

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 同じ駐車場に車を停めた人たちの後について球場を目指しました。駐車したところはワンダードアベニューの西側で,道を跨ぐようにあるグランドサーカス公園を通り,球場まで歩きました。さほど遠くはないのですが,帰りのことを考えると,この距離でも,少し心配になりました。
 公園といえば聞こえはよいのですが,夜の公園ほど不気味なものもありません。
 途中の道端で,ピーナッツを売っていたので,皮付きピーナッツを2ドルで買いました。こんなことをしたのもはじめてでしたが,デトロイトでは,球場に行く途中で,やたらとピーナッツ売りに出会ったので,つい,衝動買いをしてしまったのです。
 ピーナッツは,炒ったものとゆでたものがあるのですが,私が買ったのは炒ったもので,日本のものとは少し違ってカサカサです。ゆでたものはたちが悪く,これを買った観客が隣に座ると,べたべたの殻を椅子の下に捨てるものだから,歩くことすらできなくなります。

 町の再開発のシンボルにしようと,あえて荒廃したダウンタウンに作った,できたばかりのコメリカパークはすばらしい球場でした。

 でも,これまでに多くの球場を見ているのですが,それらと比べると,ここは,何かひとつ「売り」に欠けるのです。なにかが安っぽいのです。
 ガラガラだったので,当日券を20ドルで購入しました。入口を入ると,センターの後方にはメリーゴーラウンドがありました。もちろんトラの形をした乗り物です。野球など興味のない子供を連れてきてもここで遊べるようになっていました。
 日が沈むまでの暑さ除けで,私は,アトランタ・ブレーブスのターナー・フィールドに行ったときにもらったブレーブス帽子をかぶっていたのだけれど,隣にいた子供に,帽子が違うと絡まれました。阪神タイガースの帽子でもかぶればよかったのかもしれません。
 球場ではピザとハンバーガーを食べたのですが,売っていた男の子はとてもかっこよかったのだけれど,味は今ひとつでした。なにもかもいまいちでした。
 当日の試合の対戦相手はシカゴ・ホワイトソックスだったのですが,両チームあわせても,知っている選手といったらフランク・トーマスくらいのもので,試合も淡々と進み,イニングの合間のアトラクションも,7thイニングストレッチで女性がアカペラで「私を野球場に連れてって」くらいのもので,とくに楽しくありませんでした。なぜが,5回の表が終了した時に,グランド整備がYMCAを踊ったのですが,それだって,ヤンキースの真似でしかありませんでした。
 スタンドからは,外野の後方が広く開いていて,デトロイトのダウンタウンのビル群がきれいに見えました。ところが,きれいなのは外観だけで,日が沈み夜になっても,ビルには一向に電気がつかないのです。そう,ビルは廃墟だったのです。

 試合は,タイガースが1回の裏に2点を取り,ホワイトソックスが7回の表に1点を取っただけで,他に盛り上がることもなく,だから面白くもなく,2時間30分くらいで終わってしまいました。
 帰ろうと,急ぎ足で1階席まで行った頃,グランドで花火が始まりました。
 どうやら,この試合に来た人たちは,この花火が目的のようでした。
 ところが,この花火が並大抵のものではなくて,自動で花火が打ちあがるコンピュータ仕掛けの大きなマシーンから,30分以上にわたって見事な巨大花火の打ち上げが続きました。これには興奮しました。
 子供たちも食い入るように花火に見入っていました。こうした姿は,どこの国でも変わらないなあ,と思いました。
 花火がやっと終わり,駐車場に急いだのですが,次第に人影も少なくなって,うろ覚えだった駐車場の場所がどこだかわからなくなって,だんだんと心細くなってきました。
 これで道に迷ったら一巻の終わりだなと思ったころに,なんとか駐車場らしき場所にたどり着きました。そこには警官も立っていたので,もし,私が停めたのがこの駐車場でなかったら,あとは警官に頼るしかないなあと思ったのだけれど,幸運にも,私の停めた車がそこにありました。
 停めたときはあれだけたくさんの車があったのに,そして,駐車場の管理人がいたのに,すでに車もほとんどなく,人っ子一ひとりいませんでした。
 レンタカーなので,自分の車といっても見分けがつかないことや,あたりが暗くなると,町の様子がかわってしまうこと。そうしたことから,駐車場は,よほどしっかりと場所を選ばないと,大変なことになる恐れがあると,改めて思いました。
 この話を帰国後にしたら,よくデトロイトのダウンタウンを深夜に歩いて無事に帰ってこられたなあと言われました。
 デトロイトでは,車は,球場の近くに停めるべきでした。

 帰りは,野球帰りの車で,ダウンタウンから郊外に出る道は大混乱で,渋滞を避けるためにインターチェンジも閉鎖されていて,どこへ迂回してインターステイツに入ればいいのか,見当がつかない有様でした。
 無理やり入ろうとして警官ともめている車さえありました。また,閉鎖されていないインターチェンジに誘導する道路標識は小さく,暗いので,よく見えませんでした。
 何度もインターステイツに入るのに失敗して,同じ道を行ったり来たりしながら,なんとかインターステイツに入って,やっとのことで郊外のホテルに戻ることができました。デトロイトでは,治安の関係で,ビジター球団もダウンタウンではなくて,郊外に宿泊しているといいます。私も,郊外のホテルに泊まっていました。

 デトロイトのダウンタウンには,ルネサンスタワーという,ガイドブックなどに写真が載っている,外装がガラス張りの5つぐらいの円錐の建物があって,町のシンボルとなっています。このビルには,GMの本社やショールーム,展望台,回転レストランがあるとガイドブックには書かれてありました。
 しかし,翌日に行ってみると,このビルの内部は,どこもかしこも工事中で,工事をしている人に聞いてみると,回転レストランも,以前はやっていたけれど… という話でした。
 デトロイトの様子については,次回,書いてみたいと思いますが,とにかく,この町を再開発することがとてつもなく困難だということだけはよくわかりました。何かを作ると別の何かが破壊されるような,イタチごっこが続いていました。私が行った2002年,デトロイトのルネサンスはまだ遥か遠い未来だというのが,私の実感でした。 
  ・・
 それから10年たちました。
 その間,球団は驚異の成長を遂げましたが,果たして町はどのように変わったのでしょうか。
 知りたいけれど,私には,もう一度デトロイトへ行く勇気がありません。

◇◇◇
Interference error decided the Game 3.
 
2013 MLB World Series Game 3 : Red Sox 4, Cardinals 5

コルビー・キャレイの愛くるしい国歌斉唱,往年の名外野手ウイリー・マギーさんの始球式(捕手は往年の名遊撃手オージー・スミスさん)で始まった第3戦は,3塁手の走塁妨害によるサヨナラという球史に残る劇的な幕切れでした。故意でななくても走塁妨害になってしまうのですね。上原投手無念でした。
なお,コルビー・キャレイ( Colbie Marie Caillat)はアメリカ合衆国カリフォルニア州生まれのシンガーソングライター。デビューアルバム「Coco」は,ビルボード200で5位を記録。女性のジャック・ジョンソンと言われています。

◇◇◇
MLBのテレビ中継を見ていると,ワールドシリーズとかオールスターゲームでは,バックフェンスのホームプレートの左側に日本語の広告が見えるので誤解している人がいますが,現地では単に緑色になっているだけで,日本で合成画面を出しているわけです。つまり,フェイクです。この広告看板はテレビでみるとかなりの存在感がありますが,実際に現地に行ってスタンドで見ていると,その存在すら気になりません。
もっとも,日本の,特に楽天のKスタ宮城スタジアムのように,画面の左半分がすべて広告という無節操なものはやめてほしいと私は思います。町の美観と同じく,全体の見た目や美しさを全く考えない日本らしき状況であります。

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 私がデトロイト・タイガースの本拠地コメリカ・パークへ行ったのは,2002年7月12日のことでした。
 その後,デトロイト・タイガースは,名将ジム・リーランドが監督に就任して,ミゲール・カブレラやプリンス・フィルダーという強打者がそろい,ジャスティン・バーランダー,マックス・シャーザーと名だたる投手陣になって,今年のポストシーズンを見ても,信頼のおけるクローザーさえいえばワールドシリーズの優勝も間違いのない球団に急成長しましたが,私の行ったときは,ほんとうにどうにもならない弱小球団でした。
 また,それとは逆に,その後も,ますます都市の状況は悪化をたどり,ついにデトロイト市は破産しました。
 アメリカに住んでいる人も行きたがらないと言われるそんな街の様子とともに,私のコメリカ・パーク観戦記を書いてみたいと思います。

 2002年7月12日の朝,私は,クリーブランドから西に美しいエリー湖畔の一般道を走って,デトロイトに向かっていました。サンダスキーという町を越えて,,エリー湖の南西の端にあるトレドという町でインターステイツ75に乗って北に向かったあたりから,このインターステイツの状況が一変しました。
 まず,車線の数が増えました。制限速度が65マイルから70マイルに早くなりました。それなのに,道がガタガタになり,舗装の境目には雑草が茂っていました。その後,やたらと道路工事をしていたり,う回路があったりと,ほかの都市とは何か違うぞ,という雰囲気が漂い始めてきました。
 それでも,デトロイトの郊外には,ヘンリー・フォード博物館とかグリーンフィールド・ビレッジといったテーマパークがあり,美しくアメリカらしいところもあったのですが,ミシガンアベニューをダウンタウンにむかうにつれて,周りも「ヤバい」町並みになってきたのでした。
 車線だけは多いのですが,車の数が激減,広い公園はあるのだけれど,そこはホームレスのおじさんとゴミだらけでした。

 やがて,ダウンタウンにさしかかる頃,左手にボールパークが見えてきました。
 このボールパークは,かつてデトロイト・タイガースの本拠地で,今は使われていない,古ぼけたタイガー・スタジアムでした。
 1999年に,88年の長い歴史を終えたこの球場は,ほぼ正方形をしていて,柱のある屋根に全面をおおわれた白い建物でした。1912年の開設といえば,ボストンのフェンウェイ・パークや,シカゴのリグレー・フォールドよりも古い,アメリカ最古の球場ですが,これまで写真やら雑誌でこの球場を知っていた私は,なぜかこの球場の独特な雰囲気に愛着を持っていて,一度はここで試合が見たかったものだなあと思いました。
 こうした古き良きアメリカ,好景気に沸いたデトロイトで,当時強豪だったタイガースの象徴でもあったこのタイガー・スタジアムを捨てて,復興と再開発を目指す荒れ果てたダウンタウンに新球場をつくったということ自体,この町とこの球団の運命と現実を身にしみて感じるものでした。

 タイガー・スタジアムを過ぎ,そのままミシガンアベニューをダウンタウンに進んでいくと,市街地は,どこも道路は工事中,ビルも工事中,ハイウエイは舗装ががたがたというありさまでした。
 デトロイトは町全体が汚く,道の舗装も悪いのだけれど,それ以上に渋滞もひどく,要は,町全体がうまく機能していないのです。
 よくもこんなになるまで何もせずほっておいたものだとしみじみ感じたものでした。いや,ほっておいたわけでもないのでしょうが,現実はそれほど厳しかったということでしょう。
 そんな町の中を,グリークタウンというデトロイトで唯一の繁華街を通り抜けると,その北に,3億ドルをかけて新装したコメリカパークが近づいてきました。
 まだ,歩いていくとかなり距離がありそうなあたりから,やたらとベースボール客相手の駐車場の勧誘に出会うのだけれど,本によれば,球場に近い駐車場の料金はかなり高いらしいので,結局,少し離れた民間の駐車場に5ドル払って車を停めることにしました。
 このことを,後で,少しだけ後悔することになってしまったのでした。
 アメリカでは,時として,安全はお金で買う必要があるということを,すっかり忘れていました。 

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 プリマスは,ボストンの南東84キロメートルのところにある海岸沿いの町である。人口は5万人強。先に書いたように,メイフラワー号でこの地に上陸したピルグリム(清教徒)の最初の入植地で,「アメリカズ・ホームタウン」とよばれている。
 プリマスの見どころは,プリマス・ロック(メイフラワー号の最初の船員たちの上陸地点),メイフラワー号のレプリカ「メイフラワー2世号」,全米最古の公営博物館「ピルグリム・ホール博物館」,清教徒記念像などであるが,半日もあれば,すべての場所を徒歩で見て回ることができる。
 また,港にはヨットが浮かび,夏の避暑地でもある。
 そして,それらの見どころの他に,私が旅行に行く前から楽しみにしていたのは,入植当時の生活を再現した野外博物館「プリマス・プランテーション」であった。

 ホテルのチェックインがうまくいって,部屋に車から荷物を運び入れた。部屋は,きれいなツインルームであった。
 再び車に乗って,プリマスのダウンタウンに向かった。
 ダウンタウンに着くと、町の中央あたりに,広い駐車場があったので,車を停めて,マシーンに1時間分の料金を入れた。
  ・・
 アメリカでは,駐車場は,日本のもののように,駐車スペースに番号が振ってあって,昔は,その番号に該当する料金箱,といっても,手作りの番号がずらーっとならんだ箱に1ドル札を小さく降りたんでやっと入るくらいの穴が開いていて,そこに時間分のお金を入れる,といったものが多かったが,近頃は,日本の精算機のようなものがあって,先払いで停めたい時間だけお金を入れる,というものに変わった。そして,入れた以上の時間停めたときは,追加料金を入れればよいらしいが,本当のところはよくわからない。特に輪留めなどというものはないから,時間を超過したときにどうなるのかが私にはずっと疑問である。
 路上の駐車帯に停める場合は,2時間まで無料といった道路標識があるか,そうでないときは,パーキングメーターがあって,これも,事前に,停めたい時間だけお金を入れる。パーキングメーターのあるところは,けっこう頻繁に係が回っていて、時間が超過していないかチェックをしているようだ。
 昨日停めたバーリントン市の路上駐車帯のように,午後6時以降は係が来ないから無料になるのでお金を入れなくてもいい,などということは,住んでいる人にしかわからない。
 いずれにしても,駐車場のシステムについては,よくわからないことが多いが,駐車違反だけは避けなければならないので,気を使う。
 そういえば,こうした指定された駐車スペース以外の場所に,日本のように,むやみやたらと駐車していることは皆無なので,運転をしているときは非常に楽である。

 車を停めたところの一角に,観光案内所があったので,中に入ってみた。
 案内所の中には,初老のおばさんがいて,とても話好きで、親切で,いろいろと教えてくれた。
 プリマス・プランテーションに行きたいと言ったら,きょうはもう終わっているけどと言った。明日行く予定があるので聞いたのだけど、私は日本からそこへ行くのを楽しみに来たと言ったら,日本語のプリマス・プランテーションについて書かれた豪華なガイドブックまでくれた。そして「wifiが使えれば,アプリでプリマスの観光案内が聞けますよ,私はコンピュータはさっぱりわかないけれど…」と言って、その接続方法が書かれた紙をくれた。
 昨日のシュプレイン湖で出会った女性もそうであったように,アメリカでも,コンピュータについていけない人は結構いるんだなあということがわかった。
 他にもいろいろと見どころを教えてくれたけれども,もう,時間が遅くて,博物館とか教会とかには中に入ることができなかった。そこで,ともかく,プリマス一番の名所,プリマス・ロックへ行ってみることにした。

◇◇◇
Cards turn tables, knot World Series.
 
2013 MLB World Series Game 2 : Red Sox 2, Cardinals 4

ジェームス・テイラーさん自らのギター伴奏によるアメリカ国歌斉唱(曲の出だしを「ゴッド・ブレス・アメリカ」と間違えたのがご愛嬌),ヤンキースのクローザーだったマリアノ・リベラさんの表彰で始まった第2戦は,デービッド・オルティーズの逆転ホームランも空しくカージナルスの勝利。
ジェームス・テイラーさんは,アメリカのシンガーソングライター。マサチューセッツ州ボストン市で生まれました。
キャロル・キング作の「君の友だち」は,数多くのアーティストに取り上げられる代表曲です。

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 私がこれまでに見たMLBのワールドシリーズで,最も印象が深かったのは1997年のシリーズです。
 当時は,現在と違ってポストシーズンに進出できるのは,地区優勝3チームのほかに,もっとも勝率の高い1チーム(ワイルドカード)の合計4チームだけでした。ナショナル・リーグでそのワイルドカードからポストシーズンに進出したのがフロリダ・マーリンズでした。
 フロリダ・マーリンズは,1993年のエクスパンションで新球団として誕生したわずが5年目のチームでした。
 金にものをいわせて,といえば聞こえが悪いですが,アル・ライター,ケビン・ブラウン,デボン・ホワイト,モイゼス・アルー,ボビー・ボニーヤ,アレックス・フェルナンデスといった名だたる選手を獲得し,この寄せ集め集団を見事にまとめあげたのが,今シーズンまで8年間デトロイト・タイガースで采配を振い,先ごろ辞任した名将ジム・リーランド監督でした。
 ナショナル・リーグ東地区は当時の常勝球団アトランタ・ブレーブスがフロリダ・マーリンズに9ゲームもの差をつけて首位でしたが,マーリンズは,ディビジョンシリーズでサンフランシスコ・ジャイアンツに3連勝,そして,アトランタ・ブレーブスを4勝2敗で破りました。
 アメリカン・リーグからはクリーブランド・インディアンズが勝ち残り,10月18日からワールド・シリーズが開始されました。

 フロリダ・マーリンズは,現在は,マイアミ・マーリンズと名を変え,2012年に開閉式の屋根を持つ新しいボールパークをオープンしましたが,当時は,NFLのマイアミ・ドルフィンズとプロプレイヤー・スタジアム(現サンライフ・スタジアム)を共用していました。
 雨天中止が多く,ほぼ正方形のフィールドはやたらセンターが深く,収容人数は必要以上に多く,しかも,一部の客席がホームプレートを向いていなかったり,フロリダからは公共交通機関がないなど,ひどいところでした。そのホームで,なんと67,000人以上の観客で埋まった第1戦は,7-4でフロリダ・マーリンズが勝ち。第2戦は1-6で負け,そして,クリーブランドに場所を移して第3戦がはじまりました。

 圧巻だったのは第3戦でした。
 第3戦は14-11でフロリダ・マーリンズが勝利しましたが,この試合,8回まで7-7,9回の表にフロリダ・マーリンズが7点を取り,その裏に4点を取られて辛くも逃げ切るという,ものすごいものでした。
  ・・
 この日の試合は雪の中で行われました。
 テレビの放送で,アナウンサーが「雪のクリーブランドです」と言ったのに,まず,びっくりしました。気温は1度とか2度とか言っていましたが,実際は,マイナス5度くらいだったとか。
 選手は,寒さ除けで覆面をし,手が冷えるのでポケットに突っ込んだりしていました。試合は,異常な凡戦であって,ゴロが飛べば雪の上を滑って行ってしまい,わけのわからぬエラーをし,ピッチャーはコントロールが定まらず…,という状況でした。こうした中で,試合は深夜にまで及びました。
 日本では決して見ることができないこの試合展開に,私は,不思議な感動を覚えました。

 第4戦も同じような状況で3-10でクリーブランド・インディアンズ,第5戦は8-7でフロリダ・マーリンズが勝利し,そして,舞台は再びマイアミに戻りました。
 今度は気温30度を超すマイアミで,第6戦はクリーブランド・インディアンズが4-1で勝利し,第7戦にもつれ込みました。
 第7戦は,延長11回の死闘の末,チーム最年少のエドガー・レンテリアがサヨナラ打を放ちました。こうして,就年1年目の名将ジム・リーランド監督は,世界一の座を獲得したのです。 

 決して名勝負とは言えませんが,気温差の異常なこの1997年のシリーズは,メジャーリーグのメジャーリーグたる魅力を十分に堪能することができました。また,クリーブランドとマイアミに直行便がないので,報道陣が移動するのに苦労をしていました。
 世界一となったフロリダ・マーリンズは,翌年は巨額になってしまった選手の年棒が払えず,その結果ほとんどの選手を放出し,なんと,54勝108敗で最下位に急転落しましたが,それでも,再び2003年,再びワイルドカードでプレーオフへ進出して,1997年と同じようにリーグ優勝を達成し,ワールドシリーズではニューヨーク・ヤンキースを4勝2敗で破り、2度目の世界一に輝きました。そして,また,近年は最下位を定位置としています。
 本当に不思議なチームです。


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Papi adds to Postseason Legend.

2013 MLB World Series Game 1 : Red Sox 8, Cardinals 1

アメリカはすでに冬。各地で雪が降り始めました。ボストンも華氏48度(摂氏9度)。史上3番目の寒さの中で,2013年のワールドシリーズが始まりました。メアリー・J・ブライジさんの国歌斉唱で始まった第1戦は,レッドソックスファンの小澤征爾さんも見守る中,完勝でした。
メアリー・J・ブライジさんは,ニューヨークブロンクス出身のR&B歌手。クイーン・オブ・ヒップホップ・ソウルと称されています。1990年アップタウン・レコード社と最年少女性アーティストとして契約し「You Remind Me」でソロデビューしました。


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 プリマスは海に面している。
 アメリカ人にとっては有名な観光地であるので,きっと,すごい人ごみだろうと思ったが,どのくらい混雑しているのかが想像できなかった。
 道も広くなく,人も多い。
 こういう町では,車を停めるのに苦労するのだ。
 ただ,こうしたときに,車を停めずに,目的もなくだらだらと走っていると,なにがなんだかわからず,時間ばかりかかることが多いので,とにかくどこか駐車場を見つけたら,ともかく一度は車を停めて,車から降りてその町を歩いて見て,町の様子を知って,それから,どのように観光するかを考えるのが一番である。ということは,これまでの経験上わかってはいる。それでも,駐車場が見つからなかったり,勝手が分からなかったりと,いつも同じ失敗を繰り返すことになってしまうのだった。

 プリマスに着いたのは,午後4時ころであった。プリマスのダウンタウンは,北側が海で,海沿いに走る州道3Aに接する細長い部分に集中している。
 町の長さは,2キロメートルくらいといったところか。
 私は,ちょうどダウンタウンのそのまた中心あたりに,南西の方向からの道を走ってプリマスに入り込んだ形になった。
 ダウンタウンに入って,州道3Aの交差点にさしかかった。さすがに州道3Aは混み合っていたが,よくわからないまま右折して州道3Aを東に進んで行く形になった。

 ともかく,まず,きょう泊まるホテルを探そうと思った。
 そのまま州道3Aを海岸線に沿って少し走っていくと,プリマス市内はあっという間に過ぎて,海辺の高級リゾート地のような感じになってきた。
 道の右手(山沿い)に,1軒のB&B(ベッド&ブレックファスト)があって,朝食がおいしいという看板が出ていたので,一瞬泊まろうかなあ,と思ったが,とりあえずは,他にもホテルがあるだろうから,もう少し先に行ってみようと思い直した。
 しかし,その先には,予想に反して「ピルグリム・サンズ・ホテル」というホテルが1件だけあって,それ以外にホテルはほとんど見つからず,このままこの道を走って行っても,海岸に沿って,ケープコット岬のほうまで行ってしまいそうだった。
 こういったときに躊躇していてはいけないことも経験上わかるので,感じのよかったそのホテルに泊まることにして,車を引き返した。

 ホテルは,どこにでもあるモーテル風の建物であったけれども,ここはリゾート地でもあり,海に面しているから,多くの宿泊客が水着を着て歩いていたり,駐車場にはたくさんの車があった。きっと,結構な料金がするのだろうと思ったが,それよりもむしろ,満室であることを恐れた。
 ホテルの中心あたりにフロントに通じる入口があったので,車を停めて,ともかくフロントに行った。泊まれますかと聞くと,すぐに,もちろん,と言われて,ちょっと気が抜けた。
 さっそくチェックインの手続きをして,部屋のキーをもらった。
 部屋は海に面した部屋と道に面した部屋があるらしく,どちらにするかと聞かれた。
 海に面した部屋はとても景色がよいが値段が高いと言われた。
 部屋では寝るだけなので,特に海側の部屋にする必要もなかったので,道側の部屋にしたが,結果的に,それで正解であった。

 フロントで,これまで1,000キロメートル以上走ってきたといったら驚いた。
 ここプリマスの天気を聞くと,雨が上がったから,これからすずしくて良い天気になるだろう,と言われた。
 このホテルは,屋外と室内にプールがあった。
 ホテルの北側は砂浜に面していた。部屋にも wifi が通じているといわれたが,重くなかなか接続できなかった。しかし,ホテルのロビーは広くくつろげたし,ロビーで wifi が快適に利用できたので,問題はなかった。

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8月29日に,このブログで,この夏のアメリカのガソリンの価格が1ガロン3.75ドルから4.00ドルだったと書きましたが,このところ,アメリカでは,ガソリンが大暴落して,1ガロン3.00ドルを割り込みました。今後さらに,0.20ドル以上値下がりすると言われているそうです(1ガロン=3.78541178リットル)。日本では値上がりしていますが,もっと安くなることを期待します。

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 私がセントルイスに行ったのは2002年のことでした。
 現在のブッシュ・スタジアムは2006年に開場したので,私が見たのは,1996年に作られた古いクッキー型のブッシュ・スタジアムでした。
 セントルイス・カージナルスは,ニューヨーク・ヤンキースに次ぐ通算11回のワールドシリーズ優勝を誇る強豪で,セントルイスは,「全米随一の野球都市」と呼ばれています。

 この球団,なぜか毎年強いのです。今年も,下馬評以上の活躍で,ワールドシリーズに進出しました。
 この球団が強い理由は,下部組織が充実しているからなのです。
 1998年1シーズン70本のホームランを打ったマーク・マグワイヤ選手,10年連続で打率3割,30ホームラン,100打点を続けたアルバート・プーホルズ選手といった強打者が続き,プーホルズ選手がロスアンゼルス・エンジェルスに去っても,その後も多くの有望選手が,この下部組織から次から次へと供給されるのです。
 これが,お金にものを言わせて,他球団の有力選手をかき集めて優勝をねらうどこかの有名球団とは違う,正真正銘の強さの秘密なのです。

 2002年7月5日,私は,蒸し暑いセントルイスに降り立ちました。
 決して新しくもきれいでもない空港は,バッゲジクレイムに向かう途中で,とある宗教団体が本のセールスをしているのに出会い呼び止められたり,空港からレンタカーの営業所がやたらと遠かったりと,「南部」と「地方」を強く感じたところでした。
 現在は知りませんが,当時のセントルイスは,残念ながら,全米でも5指に入る危険な都市で,治安は「西良し,東悪し」,「南良し,北悪し」と言われていました。
 そこで,私が選んだのは,ダウンタウンから西へ30分,60キロメートル以上も田舎に行った場所にあったホテルでした。そのあたりは,アメリカ中南部の大平原で,まっすぐに道が続き,ホテルの近くには巨大なモールと,道路の交差点の角にはマクドナルドが1軒だけありました。
 この地でなぜか強く印象に残っているのは,そのマクドナルドで,偶然にも2日続けて同じふたり連れの大型トラックの運転手が大胆に朝食を頬張っているのに出会ったこと,そして,ふたりのうちのひとりが車のキーを忘れたまま店を出て,しばらくたって戻ってきて,この時,アメリカでもこんな無用心な人がいるんだ,と妙に感心したこと,そして,このホテルの近くにどこへ続くのかわからない広い未舗装の道路があって,ここを走っていくとどこへいくんだろう,と思ったことなのです。

 セントルイスのダウンタウンには,有名なゲートウェイアーチがあります。このアーチの内部にはトリムがトロッコのように8両くらい連結されていて,まるで宇宙船のような5人乗りの小さなカプセルに乗り込むと,ごとごととゆられて5分で地上192メートルの最上部にある展望台まで登ることができます。
 私が行ったときは,素晴らしい天気で,展望台の小窓からは,ミシシッピ川の雄大な流れが果てしなく続いていました。この地は,奴隷が自由を求めてやっとの思いでたどりついた北部と南部とのはざまにあった場所,歴史の重荷を背負っているところなのです。
 また,私が着いた翌日は7月4日・独立記念日で,メインストリートではパレードがありました。
 パレードではミズーリ州出身の有名人や国会議員,そして,ミスなんとかなどのオープンカーパレード,マーチングバンド,地元企業のアドバルーンが続きました。
 このパレードで,セントルイス・カージナルスの往年の名選手オージー・スミスさんを目の前で見ることができました。

 そして,この日の夜行われた,カージナルス対ドジャースの試合では,野茂英雄投手の雄姿も見ることもできました。
 実は,この球場では,昨日も試合を見たのですが,あす,野茂投手が先発すると聞いたので,予定を1日のばして,また,見に来たというわけでした。昨日,球場の窓口でチケットを購入したのですが,日本から野茂を見に来たと言ったら,この席で見るのが一番見やすいと言って,3塁側のベンチの上あたりのの上席を売ってくれました。とても親切なところでした。
 この試合は,独立記念日のために,上空を戦闘機やらアクロバット機,それに,なんと巨大な爆撃機までもが飛んで,とんでもないありさまでした。巨大な爆撃機は本当に空を鯨が泳いでいるみたいだったけれど,そのうるささはたまらないもので,おもわず試合が中断されるほどでした。
 野茂投手は7回まで1失点でしたが,勝利投手になることはできませんでした。
 試合は延長11回,3対2でドジャースが勝利しました。
 このように,私にとって,たった一度のセントルイスは,全く危険な都市という印象はもちませんでした。それよりもむしろ,とても楽しい思い出がたくさん詰まったところなのです。また,セントルイスの名誉のために書き加えると,セントルイスは,全米の大都市圏で最も物価の安い生活しやすい都市として挙げられています。
 この秋,ボストンとセントルイス,ベースボールを心から愛するこの2つの都市で2004年に続いて再びワールドシリーズが行われることを,私は,とてもうれしく思います。

◇◇◇
10月21日,NFLで,ニューヨーク・ジャイアンツが23-7でミネソタ・バイキングズに勝って,やっと今シーズン初勝利しました。ニューヨーク・ジャイアンツは今シーズン6連敗で,「40年ぶりの最悪のシーズンスタート」とよばれていました。また,CNNでは,この試合を「最悪のマンデーナイト,月曜日の夜の最低の試合」と報道しています。

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昨日の答えは「I almost threw up.」でした。

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 詩仙堂は,昔はほとんど観光客もいなくて,静かな寺だったそうですが,近年は,特に,紅葉の時期は,大変混雑しています。それでも,初秋のこの季節は,まだ,落ち着いて拝観できます。
 ここの庭は,若い女性が時間を忘れて,じっと眺めているのに出会います。なぜか,いつもそうです。
 ししおどしの音が静けさに心地よく響きます。

 そこから北に少し歩くと,円光寺に着きます。ここは紅葉の穴場です。
 狭い道を歩いていくので,多くの人が,途中で道を間違えたのかな,と戸惑っているのに遭遇します。さらに,この寺は,中に入ると,入口からは想像ができないほどの,広い庭があって,びっくりし,感動するのですが,外からはその姿が想像できないので,中に入ろうか見送ろうかと思案している観光客の姿をよく見かけます。

 以前,JR東海の「そうだ,京都行こう」のキャンペーンで,この寺の紅葉のライトアップが取り上げられたのですが,そのときのポスターの写真が裏焼きだったのです。今は,来たるべき紅葉シーズンに備えて新しい庭の整備中でしたが,この寺は,近年,なにやらきれいになりすぎて,古寺の面影がなくなってしまいました。それと,新たに作っている白砂の庭が,高台寺のしだれ桜がきれいな方丈に新しく整備された庭と同じく,瓦で龍がかたどられているのが,私には気に入りません。
 これ,なにかの流行なのでしょうか?
 龍の姿が庭に必要なならば,それば心眼で感じればいいのであって,形として表す必要はないと思います。それが古からの日本人の心だったと思うのですが。 

 円光寺を過ぎると,ながい道のりを曼殊院まで歩くことになりますが,その,畑の中の道から,京都市内が一望できます。また,左大文字や法,舟形を眺めることもできるので,きっと,五山の送り火の当日には,ここからきれいに送り火をみることができるのでしょう。

 実は,京都を散策する楽しみは,名所を訪れること以上に,こうしたのどかな小道を散策することにあるのです。そして,遠くに古寺の甍が見えたり,草木が風になびくのを感じることこそ,わざわざその地に足を運ぶ意味があるのです。
 そうした狭い道を,ときどき,高級車でお寺に乗りつけて観光をしているふうのお金持ちに出会いますが,足が悪い人ならともかく,そうでなれば,旅の楽しさのほぼすべてを味わうことができないのだなあ,と気の毒に思います。
 畑の中の小道を過ぎても,曼殊院へは,山門までけっこうな山道を歩く必要がありますが,やがて,風格のある寺の白塀がみえてきます。門前には「弁天茶屋」という蕎麦屋さんがあります。ここは,お勧めです。以前は,殊傘が入口にかけてあって,趣があったのですが,近年は,見かけることもなく,残念に思います。
 曼殊院は,さすがに門跡寺院であって,気品があり,広く管理の行き届いたお庭と堂々とした松の姿には,貫録さえ覚えます。
 私は,こういうお寺で展示されている朱印状とか,昔の天皇の遺品を見るたびに,イデオロギーとか,西洋から入ってきた様々な政治制度を超えて,この国に脈々と流れ,実は,今も,この国の人が持っている天皇制を土台とした生き方や思想は,ゆるぎないものなのだなあ,と感じ,恐れてしまいます。

 たいていの観光客は,ここで,散策を終えるのですが,この先には,修学院離宮と赤山禅院があります。
 修学院離宮は,予約をしないと入ることができません。私は,予約の必要な京都の御所・離宮は,すべて行きましたが,このことは,また,別の機会に書くことにしましょう。
 赤山禅院は,京都御所の表鬼門,方徐け,鬼門除けの神,掛け取りの神として信仰されているのですが,何やら,素朴で雑然としたところが,今もってよくわかないまま,なぜか愛着を感じます。
 もう1か月もすると,この地も真っ赤に染まって,多くの観光客でごったがえすことになります,
 もちろん,京都の紅葉は絶品で,これに勝るところはありませんし,その季節に足を運ぶことは何物にも代えがたい魅力があります。
 しかし,観光客の少ないこの初秋に,のんびりと山里を歩くことも,また,至宝です。

◇◇◇
アメリカン・リーグの優勝が決まって,MVPを獲得した上原投手と息子さんがインタビューを受けました。お父さんの方は,「吐きそうでした」と言いました。息子さんは,「(お父さんは吐きそうでしたと言いましたが)how did you feel about your dad 's pitching?」 と聞かれ「I don't know.」。もう一度今度は「Did you feel sick, too or exciting?」と聞かれ「Exciting!」と通訳なしで立派な英語で答えました。さて,この「吐きそうでした」を,通訳はどのように訳したのでしょうか?
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 大学生のころは,京都に観光に訪れることもありましたが,今とは違って,ほとんど何も知らない状態でした。
 36歳になったときの9月,しばらくぶりに,ふとしたことで出かけた京都に,その時,すっかりはまってしまいました。
 ずっと,写真を写すことが好きだったのですが,身の周りには撮るべきものもありませんでしたから,写真を写すというよりもカメラを眺めていることの方が多かったようです。それが,京都へ行ってみると,どこもが絵になって,そうか,京都へ行けばいくらでも写真が写せるんだ,と思いました。
 そして,1冊のガイドブックを購入しました。それは,「歩く地図S」の⑱京都編でした。
 今もこの本が出版されているのかどうかわかりませんが,その時から,私にとって,この本はバイブルになりました。そして,ほぼ月に1回以上は,このガイドブックを持って,京都を歩いていました。
 今も京都へ行くときはこの本を持参します。
 きっと,もう,記載してある内容はかなり古いのでしょうが,私には,これで十分です。そして,出かけるたびにこの本に記載されていない新しいものを見つけては,京都の変化を楽しんでいるのです。

 ガイドブックを購入して,はじめて出かけたのは,洛北でした。
 京都駅から岩倉操車場前行きのバスに乗って40分,一条寺下り松町というバス停で下車して,白川道沿いを渡って東に入っていくと,一条下り松があります。そこから,少し南にと金福寺,そして,北に向かって,詩仙堂,円光寺,曼殊院,鷺森神社,修学院離宮,赤山禅院とあります。
 この散策コースは,さまざまなガイドブックやウェブサイトに書かれているでしょうから,ガイドブックのような説明はここでは書くのを控えます。

 私が,初めてこの地を散策したこの日は,とても気持ちのよい初秋の一日でした。
 紅葉の季節と違って,観光客も少なく,初老の夫婦がのんびりと歩いていました。いいなあ,と思いました。
 そんなわけで,今でも,私には,この地が,京都の原点なのです。

 金福寺は,村山たか女終焉の寺です。
 村山たか女は,井伊直弼部屋住みのころの愛人で,直弼が大老職のころは,京都において幕府の隠密でした。桜田門外の変ののち捕えられ,三条河原で生晒にされていたところ助けられ,尼僧となって金福寺に入りました。
 高倉天皇の中宮であった建礼門院(平徳子)が平家滅亡後,生き延びて,
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 山里は物のさびしさ事こそあれ
  世の憂きよりは住みよかりけり
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の心境で入った大原の寂光院をはじめ,平清盛の寵愛を受けた白拍子の祇王と仏御前が出家して入寺した祇王寺など,京都には,こうした寺がほかにも数多くあります。
 若いころは,思ったこともなかったのですが,薄幸の女性が晩年を送った地,というのは,その時代には,どのようなところだったのかなあ,そして,彼女たちは,どういった気持ちで,日々を過ごしていたのかなあ,ということがとても気になるようになってきました。

 権力闘争の中で生き,死んでいった男たちの陰で,犠牲となった人たち,というとらえ方もあるのでしょうが,こういった寺で日々をささげた人たちの心情は,それだけでは計り知れないものがあります。
 私は,歴史教育では,だれが権力を握ったとか,どんな戦があったとか,そういったことばかりを学びました。当時は,そうした時代に生きた人の心など,考えたことはありませんでした。
 でも,本当は,そうした時代の流れの中で,それぞれの人たちが,生きていたという息遣いを,こうした寺を訪れたときに,確かに,感じることができるのです。
 また,この寺には,与謝蕪村が再興した芭蕉庵があって,芭蕉庵からは,左大文字を眺めることができます。
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  耳目肺腸 ここに玉巻く芭蕉庵
    蕪村
  ・・・・・・

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WORLD SERIES BOUND, UEHARA the MVP !!!
 
The Red Sox are headed to the WORLD SERIES !!!
Unflappable Koji nets ALCS MVP honors !!!  
おめでとう,上原投手。息子さんの英語のインタビューも最高でした。

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 もう,この頃には,雨も上がっていたけれど,時間も遅くなってきて(昼食を食べ忘れた!),気持ちは,あす行こうと思っていたプリマスへきょう行って,プリマスで泊まろうと固まってきた。
 これは結果論であるが,この日(7月23日),直接ボストンへ行って2泊して,この日の夜大リーグを観戦して,そのあとで,プリマスへ行くという行程を日本で事前に作っておけば,この旅は完璧であったのだった。
 この旅では,ボストンでのホテルの予約はそれより1日後からの24日と25日の2日間になっていた。だから,7月25日の大リーグのチケットを購入してあった。
 しかし,私の滞在した中で,上原浩治投手が試合で投げてその姿をボストンで見ることができたのは23日だけだったのである。

 大都市ボストンに近づくにつれて,ものすごく車の多くなったインターステイツ93は,ニューハンプシャー州からマサチューセッツ州に入った。ここで,インターステイツ93はボストンの環状2号に相当するインターステイツ495と交わった。
 もっとボストンに近づいて,環状1号に相当するインターステイツ95まで行ってから,その道に乗って,反時計まわりに半周し,ボストンの南からプリマスへ行くほうがはるかに短距離だったと,今にして地図をみるとわかるが,走っていたときは,インターステイツ495に乗ってそのまま大きく反時計まわりに半周すればプリマスに着く,と信じて走っていた。
 実は,ここでも,マサチューセッツ州の細かな道路地図を持っていなかったことが問題で,もっと大まかな地図を頼りに走っていたことが原因であった。さらに,私が走っていたときに参考にしていた大まかな地図では,プリマス近郊にはインターステイツがなく,すべて一般道のように書かれてあった。
 ところが,州道3という道は,実は,一般道ではなくて,インターステイツ形式のバイパスであったのだった。

 ともかくも,その時の私は,道路標示に従って,インターステイツ495に入って,非常におおきな円弧を描きながら,私は,ボストンを外回りに環状して走った。当然,思っていたよりの時間がかかった。それでも,なんとか,インターステイツ495はボストンの南まで来た。
 そこで,この道はそのまま南東へ向かいはじめた。
 GPSの地図表示で改めて確認すると,インターステイツ495は,私が思っていたのと違って,プリマスへ行くのではなく,その手前でさらに南下をして,ケープコット岬へ向かうのであった。
 実際は,プリマスへ行くには,ここでジャンクションを降りて,国道44を東に10キロメートルほど走らなければならなかったらしい。しかし,私は,その機会を逸してしまって,さらにインターステイツ495を南下していった。
 一瞬しまったと思ったが,おそらくその次のジャンクションで降りれば何とかなるだろうと楽観していたら,やはり,次のジャンクションで,ふたたび,プリマスという道路標示があったので,無事,そこで降りるとができた。
 そこで降りて,道路標示に従って,州道58(通称「トレモントストリート」)に入っていった。
 この道は片側1車線の一般道だったけれど,車は少なく,快調に走ることができた。道なりに走っていくと,だんだんと海に近づいてきて,しだいに家が多くなってきた。
 無事,プリマスに到着したのであった。

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 京都大学法学部を卒業した作家・万城目学は,「鴨川ホルモー」に続いて,自ら「三都物語」とよぶ「鹿男あをによし」「プリンセス・トヨトミ」の三部作を完成させたのですが,きっと,この中でもっとも有名なのは,フジテレビでドラマ化され多部未華子が主役を演じた「鹿男あをによし」でしょう。
 「鴨川ホルモー」も,そんな「鹿男あをによし」と共通する青春ファンタジー小説です。後に,この作品を原作とした漫画が「月刊少年エース」で連載され,映画も公開されました。
 「鴨川ホルモー」は,「京大青竜会」なる怪しげなサークルに勧誘された主人公が,「ホルモー」という謎の競技を通じて経験する2年間の青春と恋愛を描いた作品で,陰陽道を取り入れた奇抜な設定とテンポのよい作風,そして個性的なキャラクターが作り出すコミカルで時に切ない物語なのです。

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 このごろ都にはやるもの,勧誘,貧乏,一目ぼれ。葵祭の帰り道,ふと渡されたビラ一枚。腹を空かせた新入生,文句に誘われノコノコと,出向いた先で見たものは,世にも華麗な女(鼻)でした。このごろ都にはやるもの,協定,合戦,片思い。祇園祭の宵山に,待ち構えるは,いざ「ホルモー」。「ホルモン」ではない,是れ「ホルモー」。戦いのときは訪れて,大路小路にときの声。恋に,戦に,チョンマゲに,若者たちは闊歩して,魑魅魍魎は跋扈する。京都の街に巻き起こる,疾風怒涛の狂乱絵巻。都大路に鳴り響く,伝説誕生のファンファーレ。
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 吉田神社は,「鴨川ホルモー」で京大チームが「例の」儀式を行った場所です。
 実際に吉田神社に行ってみると,なんと吉田神社の参道は京大の敷地に接しているのに驚くことでしょう。参道からは自由に京大に出入りできるのです。
 そして,この吉田神社。普段は,観光客の姿もなく静かな佇まいなのですが,節分祭になるとそれが急変するのです。
 節分といっても想像とはわけが違い,京都の節分は伝統行事が目白押しで,中でも人気は吉田,壬生そして盧山寺といわれています。
 特に吉田神社は室町時代にはじまったとされる宮中行事の追儺式の形を残すとあって,3日間も節分祭が続いて大混雑になります。
 参拝というよりもお祭に近いものです。参道には,所狭しと屋台が延々と続き,特に夜間には主な行事が集中するので,どこもかしこも人人人… が溢れます。3日間で,50万人の参拝者とかいう話です。元気な若い人が多いのも不思議なことではなく,参道沿いは京都大学のキャンパスが囲んでいるのだから,学生のデートスポットになるのも自然なのかなとも思います。

 節分の吉田神社を知らずして,京都は語れないといっても決して過言ではありません。
 私は,この吉田神社の節分祭のうち,巫女による,お神楽とお払いがなんとも妖艶な音色と美しい姿なので,ものすごく好きです。また,夜6時からはじまる「鬼やらい」があり,これは一見です。
 「鬼やらい」は,平安初期からの宮中行事を継承したもので,怒り,悲しみ,苦悩を表す赤,青,黄の鬼が登場し,金棒片手に雄たけびを上げ,暴れる鬼を正義の味方「方相氏」が矛と盾で追い詰め,殿上人が弓で矢を放ち,鬼を追い払うことで,人びとの幸せを願うというものです。

 吉田神社を訪れたときには,ぜひ,そのほど近くに威風を放っている京都大学学生寄宿舎吉田寮にも足をのばしてみましょう。
 吉田寮は京都大学の寄宿舎のひとつで,木造二階建て,三棟あります。
 日本四大自治寮のひとつといわれています。
 京都大学では定員を147人と定めているそうですが,実際の住人数は不明で,推定では180人とかいう噂です。入寮資格は「全ての京大生及び京大生との同居の切実な必要性が認められる者」で,家族で入寮している率がわりと高いのが特徴なのだそうですが,家賃にあたる寄宿料は,なんと月400円,そして,その他光熱費・自治会費等が徴収されるのですが,全部合わせても月に3,000円しないとのことです。

 以前,雑誌「将棋世界」に,この吉田寮を訪ねた先崎学(当時)五段が,連載の最終回「先チャンにおまかせ◎京都大学将棋部を訪ねる」ですばらしい文章を書いていました。
 中卒の天才棋士・先崎学は前日の誘いを断りきれず二日酔いでぐてんぐてんになりながらも吉田寮にたどり着き,京都大学将棋部学生8人と真剣勝負をするのです。曰く,
  ・・・・・・
 学校の勉強も将棋も強い奴になんか負けてたまるもんか。彼らが共通一次に向けて勉強していた時,俺は羽生や佐藤康光と将棋を指していたんだ。これで負けたら,阿保だよ。
  ・・・・・・
 彼は,ふらふらになりながらも7連勝したのち,ついに,菊田君に惜敗しました。
  ・・・・・・
 疲れがどっと出たのは立ち上がった直後だった。眩暈がして,なにかにつかまらなければ歩けなかったので,壁づたいに外へ出た。-中略- 負けたよ…負けた。菊田君に負けたんじゃなくて,全員の,若さのエネルギーに負けたよ。…うらやましいよ。純粋なエネルギーを何かにぶつけることができる君達がうらやましいよ…。
  ・・・・・・
 人口の10分の1が学生であるという京都には,観光地ではない,でも素晴らしい,こうした場所がたくさんあるのです。
 もう一度,昔に戻れるのならば,京都で学生生活をおくってみたいものだと思います。

◇◇◇
Uehara Secure Five-Out Save.
 
あと1勝です。

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 この観光案内所,やる気がないというか,普通,親切な年配のスタッフがいて,聞くと,とても親切にいろいろと教えてくれるのに,だれもいなかった。
 でも,いつものように,たくさんの資料やらパンフレットが置いてあったので,ニューハンプシャー州の道路地図をもらった。ここではじめて,ニューハンプシャー州の詳しい地図を手に入れることができたのだった。
 このように,この大統領予備選がはじめに行われることで有名な人口わずか130万人のニューハンプシャー州は,私にとって,どうも相性が悪かった。
 おまえはこの州に来るにはまだ青い,と言われているかのようであった。

 雨は,少し小降りになってきたけれど,まだ上がらない。山岳地帯が雨では観光もままならないので,引き返すのはやめて,そのままインターステイツ89をそのまま走ることにした。
 道は,南東に進み,やがて,コンコードにさしかかった。ここは,名前は同じだけれど,2日目の朝に行ったマサチューセッツ州のコンコードではない。
 これまでほとんど車の走っていなかったインターステイツ89であったが,次第次第に車が多くなってきた。

 北からインタステイツ93という別の道が現れ,ジャンクションで一緒になって,インターステイツ89は終わり93に融合された。また,ここで,インタステイツ93はターンパイク(有料道路)になった。
 トールパスの吸盤の接着が弱く,窓から落ちてしまったので,トールパスは,車のトレイの中に放り込んであった。そういったことをすっかり忘れていて,EZPassのゲートを通る。ゲートには,日本と違って,遮るものはなく,トールパスを感知すると信号が青になる。ここでは,信号が青にならなかったので,変だなあ,とは思ったが,赤がともったわけでもなく,壊れているんだろう,と思って,そのまま通過してしまった。
 今思うと,あれは,いったいどういう扱いになっているのだろうか…。
 ともかく,ターンパイクを走っていくと,マンチェスターの大きな町が見えてきた。

 ニューハンプシャー州のマンチェスターは,ニューイングランド北部3州(メイン州,ニューハンプシャー州,バーモント州)の中で最大の都市で人口10万人強。繊維産業の中心地である。
 マンチェスターは,バーモント州にもあるし,もちろん,本家イングランドにもある。ニューイングランドというだけあって,このあたりの地名は,イングランドと同じものが多い。
 マンチェスターに差し掛かったとき,走ってきたインターステイツ93は環状道路となって,Y字形のジャンクションで左手はそのままインターステイツ93,右手はインターステイツ293になった。走っていると,このようなときが難しいのだ。地図を広げて調べるわけにもいかず,多くの車が65マイルで走行していて,車線も多いので,車線変更もままならない。
 アメリカの道路標示は,日本とはくらべものにならないほどわかりやすいが,行き先の標示は,その標示があったとともに車線変更をしないと手遅れになるくらい冷淡(直前にしか標示がない)なので,瞬間の判断が要求されるのだ。
 こうしたことをてっとり早く経験したい人は,ロサンゼルスのフリーウェイを走ってみるといい。
 ダウンタウンにさしかかるにつれて,多くの道路が一緒になっていくが,日本のように車線が減るのではなくて2車線が4車線になり,6車線になり…,というようにどんどん多くなっていき,道路標示に従って,わずかな距離で多くの車がそれぞれ車線変更を繰り返し,アッという間に,また,別の道路となって離れていく…。運転していると感動するし快感もあるのだが,実際運転は大変だ。

 私は,インターステイツ293に進路をとって進んでいったのだけれど,道は,マンチェスターのダウンタウンのビル街を左手に南下していって,マンチェスターの市街地が過ぎたところで,再び左に折れて,結局,また,インターステイツ93と一緒になってしまった。
 わずかな命のインターステイツ293であった。私の車は,ただ単に,インターステイツ93を迂回したに過ぎなかったわけだった。結局,このあとは「ボストン」という道路標示に従って,インターステイツ93を南東に進むことになった。
 ニューハンプシャー州とマサチューセッツ州の州境にセーラムという町があるが,これも,昨日行った魔女博物館のあったセーラムではない。同じ名前の町が複数あるので,道路標示やら地図を見ると迷ってしまう。このようなとき,道路標示には,「Salem NH」のように,地名の後に州名が書いてあるのだが,はじめは,このNHの意味も分からず,なんだこりゃ,と思った。何の省略だろうと…。
 こういうことは,辞書を引いてもわからない。このような学校で習ったこともないが,こちらに住んでいる人にはあたりまえ,みたいなことを旅行者が解読するのが最も困難なことなのである。
 こういうことはこちらに住んでいる人に聞くのが一番だけれど,聞かれたほうも,日ごろ当たり前みたいなことが多くて,あなた何言ってるの? なんて質問の意味すら分かってもらえない,ということもよくある。

◇◇◇
Shutdown Ends; Debt Limit Rises.

心配されていたアメリカ政府の債務不履行はなんとか回避されました。以前にも書きましたが,ティー・パーティを支持母体とする一部の共和党議員は何とかならないのでしょうか。彼らは,共和党ではなく,茶党(Tea Party)として独立したほうがいいと思います。これでは,共和党はどんどん支持を減らしてしまいます。
この日,下院で議決が終わった時に,速記者である女性がマイクをもって壇上に駆け上がり,「神は騙されない。議会は分断されている。許すことはできない。」と20秒ほど演説し,警備員よって退場させられた,というハプニングがあったそうです。

◇◇◇
「マロン」は,もともとは,トチノキ科のマロニエの実のことで,かつてはマロニエの実を使ってマロングラッセ(フランス語 marrons glaces)を作っていたのですが,後にクリの実で代用するようになった結果,マロンにクリの意が生じました。フランス語で栗は Chataigne,英語では chestnut と言います。ただし,フランスでは,大粒の栗=Marron,小粒の栗=Chataigneと考えている人が多いそうです。実際には,日本の栗,アメリカの栗,フランスの栗は種類が違うので,同じものを指していないというのが真実です。

◇◇◇
昨日も大リーグ中継でトロント・ブルージェイズの川崎宗則選手がゲストで登場。アナウンサー「川崎選手の英語もずいぶん上達されたという話ですね」。川崎選手「はい,英語は楽しいです。I like study English.」。
川崎選手,その英語間違っていますよ! でも,通じるんだからそれでいい。アグレッシブで,英語でインタビューに応じる川崎選手は立派です。

☆ミミミ
昨晩は旧暦の9月13日。
十五夜を中秋の名月と呼ぶのに対し,十三夜は「後の月」「豆名月」「栗名月」ともいいます。十三夜月は十五夜についで美しい月とされ,宮中では古くから宴を催すなど月を鑑賞する風習がありました。
十五夜だけ観賞するのは「片月見」といって忌まれていて,十五夜に月見をしたら,必ず同じ場所で十三夜にも月見をするものとされています。
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 ずいぶんと時間を無駄にした。でも,こういうことを含めて旅である。
 ともかく,これで,踏ん切りがついて,インターステイツ89をどんどんと南下して,マサチューセッツ州へ行くことにした。こうなると,もう500キロ近い距離を,65マイルに固定して,どんどん走るだけである。
 雨が降っているので,注意して走る。巨大なトレーラーが前を走っているときが一番気をつかう。斜めから見ると,日本のくるまのような大きさに思うのだが,実際にはものすごくでかい。追い越すのは大変である。
 このあと,ずっと車を走らせ,FMラジオから気の利く音楽を流している周波数を探すくらいで,とくに変わったこともなく,時間が過ぎていった。
 車はオートクルーズ。持っているカメラ「クールピクスP300」はズームを100ミリ相当にして右手でシャッターを押すと,運転しながら景色を写せるので,しばらくは写真で,道路の様子,天気の様子をご覧いただきたい。
 2車線道路のように見えるのは,片側の2車線であって,対向車線は,はるか遠いところにある。道は,右側の側道にそって,刻みがずっと入っていて,車が車線からはみ出ると,すごい振動がタイヤから伝わるようになっている。逆に,左側にはずっと黄色いラインが引いてあって,これは,真っ暗なときでも,明るく浮かび上がるので非常に安全に運転できる。

 日本では,このようにラインが引かれておらず,特に深夜の山道などでは何を信じて走ればよいかわからない。近頃は,交差点がやたらいろんな色で塗りたくられていたりして,さらに混乱の度合いが増す。
 どうして,この国の人は,工業製品だけでなく,なにもかも簡単明瞭にしないで,ごちゃごちゃいろんなことをするのだろうか。
 運転をしている人もアクロバティカルで,すごいスピードで煽るわ,追い越すわ,しかも,自転車は左車線をのろのろと走っているわ,2車線が突然1車線になるかと思えば左車線が突然左折専用になるわ,で,制限速度で左側を安全に走ることすら困難な状況である。
 運転をしていて疲れる度合いがアメリカとはまるで違う。

 インターステイツ89はバーモント州を東に,そして,モントビリアからは南東に進路をとって,レバノンというバーモント州とニューハンプシャー州の州境の町に来た。ここにジャンクションがあって,インターステイツ91とX形で交差する。
 アメリカのインターステイツは東西に走るものは偶数番号,南北に走るものは奇数番号がついているのだが,89と91,ともに奇数であることから,その両者が,89は北西から南東,91が北東から南西に走っていることが読み取れる。
 私はここで91に進路を変えて,バーモント州の東側の州境に沿って南下し,マサチューセッツ州のちょうど中央部でこれを横断し,コネチカット州のハートフォードというマーク・トゥインとハリエット・ビーチャー・ストウの住んだ町で一泊しようと,走りながら考えていた。
 ところが,レバノンで道を間違えて,そのまま89を南東に進み,気づいたときは,ニューハンプシャー州の観光案内所のあるパーキングエリアに到着してしまっていた。

◇◇◇
Lack for nothing : Sox deny Tigers !!!

第3戦はナポリ捕手のホームランによる1点を,田澤・上原投手が守り抜き1-0の勝ち。
あとふたつ。

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 話がそれてしまいました。
 言いたかったのは,この「家族写真」に描かれた登場人物たちの価値観に私が共感できない,というにあるのです。これは,作品の問題ではなくて,私個人の問題です。
 たとえば,1作目「結婚しようよ」の「私」について。
 「五十九歳,自分は本当は何になりたかったのか,結局わからないまま,この年になってしまった。」
と書いてあるのだけれど,49歳ならともかく,59歳にもなっていまだそんなこと考えてるなんて,ということが共感できない。この歳になれば,何かになるなんていう物理的なことよりも,精神的に満ち足りるかどうかだろう,と思ってしまう。
 ふたつ目の「磯野波平を探して」の「俺」について。
 「中年太りに抵抗してジョギングを始めるのだが,ニコチン切れになる…」
 健康に気をつかう喫煙者,という存在自体が,許せないし,共感できない。
 「住宅見学会」に描かれた,住宅見学会に訪れる「郁夫」とその一家について。
 私は,この国で自分の家をほしがるということすら理解できない。町を歩いていて,この家に住みたいなあ,と思ったことすらない。
 だって,その家自体はすばらしくても,その家のある町全体を考えたとき,やれ,南側にはマンションがあって,日当たりが悪いだの,とか,近くの環境が悪いだの,とか,道が狭いだのと,とか,静かで落ち着いた住宅街や住みやすい場所なんて,日本には全くないではないか。そんなところに人生をかけて家1軒建てるなんて,よほどのお金持ちでない限り,投資として大きすぎるし無駄だ,と思ってしまう(家1軒3千万円,車1台3百万円,海外旅行1回30万円,カメラ1台3万円,コンサート1回3千円…)。
 住宅ローンにおわれている人で,私の海外旅行を贅沢だという人がいるが,家を買うという,海外旅行の100倍の贅沢をしておいて,それ以外に何かを求めるのは欲が深すぎる,と思う。
 共感できないというのは,そのようなわけなのです。

 そんな中で,なんとか共感できたのは,最後の「家族写真」でした。
 この物語で描かれた頑固爺は,私の親の世代共通であるらしく,私と同年代の人たちと話していても,ほぼ,共通に同じような父親を抱えていて困っているわけです。
 私には,「人間の外面行動は,その人の内面にある劣等感の反映だ」」という,これまでの人生で学んだ哲学? があります。たとえば,他人に厳しい人は自分に甘い,やたらと目立ちたがる人は自分は他人に認められていないと思っている,などです。あなたの周りにも,やたらとひがみっぽい人いませんか? そういう人の内面は,劣等感で一杯なんですよ。だから,この世代の頑固さは,第二次世界大戦などのせいで,若き日に自分がしたいことができなかったという気持ちの蓄積がそうさせているのだと思います。お気の毒な話です。
 ネット上に,「作品のどれも家族っていいな,と思えるものばかり」とこの本の感想を書かれていた人がいましたけれど,私の感想は,「家族って大変だ。それにしても,生きるのが下手な人が多いんだなあ。」ということであります。
 ともあれ,この作品を読んで,これだけの文章を書かせる(言いたいことができる)のだから,この本は奥が深く,人の心を捉えています、やはり,星5つなんでしょう。

◇◇◇
●Salt and Papi! Red Sox storm back late, knot ALCS.
は,「サルタラマッキュアとオルティーズが打った! レッドソックス終盤に巻き返す。優勝決定戦の行方は混沌」といった意味でした。
私は,つまらない受験英語の勉強などやめて,MLBの好きなアメリカ人を友達にして,こうした見出しの意味をたずねながら会話をしたり,テレビの中継を英語放送で楽しむことのほうが英会話の上達には近道だと思います。日本人はドリルをやってテストでいい点を取ることを勉強と勘違いしています。

◇◇◇
10月14日の朝日新聞の記事「住まいノート」によると,一戸建ての修繕費は,毎月25,000円貯金しましょう,と書かれていました。固定資産税も含めると,毎月30,000円です。しかも,子育てが終わるころには,広い家は不要になり,バリアフリーを考慮していない場合,老後には住むにも不自由します。30歳で子供が2人いる夫婦が3千万円の家を購入したとき,修繕費が30年で約1千万円,子供2人を成人させるのに3千万円,定年が延長になり年金が減るので60歳で最低5千万円貯金が必要と考えると,若い人は合計1億2千万円の負債を抱えて生きているわけです。毎年400万円をこの費用に使っても30年,不可能に近い数字です。これがこの国の実態です。若い人が軽率に家を買うと,こういう将来が待っているわけです。
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 私は,興味のある書評を見ると,その本を図書館で予約をするのですが,人気のある本は,たいてい半年くらいの待ちになっていて,ようやく自分の手元に来たときには,その本を予約した理由どころか,その本を予約したことも忘れてしまっていることも多いのですが,「家族写真」。この本も,そんな1冊でした。

 実際に読んでみると,この本の中の「磯野波平を探して」が面白かったという書評を読んだ記憶が蘇ってきたので,きっと,私は,以前に,その書評を読んだことがきっかけで予約をしたのでしょう。
 この本は,本の題名にもなっている「家族写真」をはじめ,「家族」をテーマにした7話の短編がまとめられたものです。
 著者・荻原浩さんは,現在57歳。その年齢の男の人から感じた家族やら人間やら社会が描かれているわけなので,私も含め,筆者と同じ年くらいの読者は,この本の中に,「かなりの部分」同感したり共感したりするところがあるので,この本に「はまる」人が大勢いるというわけです。
 私は,世間一般の人と違った価値観をもっていると自分でも思うので,この本の「かなりの部分」にも,違うぞ,と思った部分が数多くあって,それらに関してひとことずつ異議があるのですが,だからこそ,逆に,面白かったと感じたわけです。
 書評をアマゾンコムに投稿したとすれば,星5つかな。

 ところで,先日,横山秀夫さんの「64(ロクヨン)」を読みました。
 この本も評価としては星5つなのですが,本の内容とは別に,私としてはショックだったことがふたつあって,このことが,私を,ある種の自信喪失にしました。
 そのひとつは,こういった長編を読む忍耐がなくなってしまったことに気づいたことでした。
 近頃は,私が本を読む理由は,自己啓蒙とかそういったむずかしいことではなくなって,映画をみたりテレビ番組をみたりするのと同じように,単なる楽しみ(暇つぶし)の部分がほとんどなので,読書に意義を見出すことなんて必要ないと思うようになったのですが,それならそれで,こういう本を読んで感じるわくわく感は,こんなに長編にしなくてもできるんじゃないか,と忍耐のなくなった私は,強がってしまうようになったことです。
 要するに,マーラーのように,ステージに1,000人もあげて2時間近くかかる大作・交響曲第8番を書かなくても,同じ感動が味わえるのならば,ショスタコービッチの弦楽四重奏曲で十分だ,みたいなものです。作品の善悪とは関係なしに。
 そのふたつめは,この物語の主人公である広報官・三上義信という人物に描かれた出世がどうのという価値観が,私にはどうもよくわからない,というより,わからなくなってしまったということです。
 あえて暴言を承知で言えば,うだつの上がらない警官で人生を終えても,別にそれでいいじゃない,偉くなることになんぼの意義があるんだ、と今の私は思ってしまうということなのです。
 人は,プライドを保つために,どれだけ多くのことを犠牲にしているか。
 結局,成熟した現代では,やさしさと新しい時代についていける価値観や考え方や能力を見につけることこそが必要であって,出世という山に登っても,山頂には何もない,ということを,私は,自分の人生で知ってしまった,だから,その人物の古い生き方には共感できないな…。

◇◇◇
Congrats on a walk-off win, Boston Red Sox 6-5 !!!


◇◇◇
●Big Papi is Mr. Clutch. Salty's walk-off single.

これは,レッドソックスがサヨナラで勝利したアメリカン・リーグ優勝決定戦の第2戦を伝える見出しです。「Big Papi」とは,レッドソックスの4番打者デービッド・オルティーズのニックネーム。この日,同点となる満塁ホームラン(slam)を打ちました。「Mr. Clutch」とは,チャンスに強い強打者のことです。また,「Salty」は,レッドソックスの捕手ジャロット・サルタラマッキアのこと。この日,サヨナラヒットを打ちました。「walk-off」は「サヨナラ」,「single」はシングルヒットのことです。
では,
●Salt and Papi! Red Sox storm back late, knot ALCS.
は,どういう意味でしょうか?

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 テディベア・カンパニーの見学を終えて,そのまま国道7を南に走ろうかと思ったが,地図をみると,バーリントンよりもずいぶんと南に来たように思うのに,地図上ではほんのわずかな距離でしかなかった。
 そのまま,この一般道を南に走って延々と車を走らせてみても,マサチューセッツ州までどれだけ時間がかかるかわからなかったので,バーリントンまで戻って,インターステイツ89をマサチューセッツ州へ行くほうが賢明だと思った。
 一般道でも,郊外は信号もなく制限速度もインターステイツと大差ないけれど,ときおり通過する町に入るたびに速度制限を落とす必要があるし,信号がある。
 そこで,車を北に進路を向けて,バーリントンに戻ることにした。

 その前に,まず,ガソリンを入れた。このスタンドの給油機もクレジットカードが読み取れず,店の中で20ドル分引き落としてもらい,ガソリンを入れた。
 ガソリンスタンドを出るところで歩道の側面をタイヤが少しこすったので,心配になって一度車を停めてタイヤを確認したが,何事もないようだった。
 ところが,これが原因だとも思われなかったが,そのあと少し走っていったら,突然,スピードメーターの上に「MAINT REQD」という警告灯が表示された。恐れていたトラブルの発生であった。

 帰国後,調べてみたら,この「MAINT REQD」という警告灯は点灯しても不具合ではなく,走行距離が5,000マイルくらいになるたびに点灯する,オイル交換を促すもの,ということだった。
 つまり,この警告灯は無視しても問題なかったのだった。
  ・・
 しかし,そのときはそんなこともわからなかった。とりあえず,ガソリンスタンドがあったので,車を入れ,スタッフに,このランプの意味を聞いた。
 ちょうど入ったガソリンスタンドは,通常あるようなコンビニを兼ねたものでなく,偶然にも,自動車の修理工場を兼ねたところだった。
 修理工場のおじさんは,これはオイル交換のランプだと言った。そして,この車がレンタカーならばレンタカー会社へ行くといいと言った。それはもっともだ。そこで,レンタカー会社がどこにあるか知らないかと聞くと,たぶん空港にあるだろうと答えた。
 そのままこの警告灯を無視する手もあったが,警告灯が灯っていながらそのまま走るというのも無謀だと思った。なにせ,このあと,私はまだ,1,000キロメートル以上走らなければならないのだ。
 そこで,レンタカー会社へ行って,とにかく,調べてもらうことにした。まあ,このあとレンタカー会社までの少しくらいの距離なら走っても何事もなさそうだったが,気が気でなかった。
 GPSで「アラモ」を検索すると,すぐに表示された。幸運なことに,近くに空港があって,そこにアラモの営業所があるらしかった。GPSの言うままにしばらく走っていくと,朝通ったバーモント大学の少し東に,バーリントン国際空港があった。この空港は,昨年行ったビスマルクやラピッドシティの空港のように,小さいけれどきれいで,閑散としていた。アメリカは,いつも,大都市より,こうした地方都市のほうがずっと居心地がいい。

 空港のゲートを入って,レンタカーリターンの道路標示にしたがって走っていくと,そのまま空港の駐車場ビルに入っていった。駐車場ビルの,その一部がレンタカーの駐車場になっていた。
 ほとんど車の出払ったがらんとした駐車場に車を入れて,空港ビルに入ると,人っ気のない空港に,レンタカーのカウンタが並んでいた。アラモのカウンタにはスタッフはひとりもおらず。となりの別のレンタカー会社のカウンタに男性と女性のスタッフがいた。隣のアラモは? と聞くと,ここでいいというので,レンタカーの状態を説明した。
 警告ランプが灯っているので見てほしい,と言った。しかし,このたずね方はよくなかった。
 これも,きわめてアメリカ的なのであるが,ここのカウンタはサービスであってメンテナンスではないのだから,車の修理は請け負えない。だから,レンタカーにトラブルがあったので,車を変えてほしいといえば事は簡単なのであった。
 はじめは,こいつ何言っているのか,みたいな対応だったが,ともかく,火事場の馬鹿力というか,得意のサバイバル英語というか,何とか説明をしたら,やがて,スタッフに状況がすべて理解されたようで,結局,車を交換するということになった。
 今乗っている車の契約書類と新たに借りる車の契約書類が交換されて,新しい書類にサインがいるとかいらないかと女性のスタッフが男性のスタッフに聞いたりと,まあ,いろいろ手続き上わからないことがあって,けっこう時間がかかったが,男性スタッフが新しい車のキーをもって,私と一緒に駐車場まで行って車の荷物を載せ替えて,GPSとトールパスも入れ替えて,これまで乗っていた車のキーを渡して,無事,新しい車に交換されたのだった。

 今年の旅は,せっかく日本車だと喜んでいたのだったが,今度は,GMのインパラとかいう車になった。アメ車である。
 同じランクとは思えないほど,内装がプアであった。品質も悪かった。でも,結果的には,この車のほうが乗りやすかった。やたらボタンだらけの日本車は,高性能ではあるが,操作に戸惑って,実際乗りにくかった。
 今度の車は,はじめに乗った時に,イスの位置を移動するのに,ものすご手間がかかった。いくつかのレバーがついていて,モーターでイスの位置を変えることができた日本車とは違って,イスの左下にレバーが一つあるだけなのに,なかなかイスが移動できないのだった。結局,私のやり方が悪かっただけで,自分の思っていた方向と逆の方向にレバーを動かしたら,椅子の高さを調節することができた。もちろん手動だ。
 この車の取扱い説明書がどこをさがしてもないし,レンタカーのスタッフはキーを交換したら操作の説明をするでもなく,さっさと帰ってしまったし,それ以外にもずいぶんと戸惑ったが,なにかパズルを解くみたいに思案しながら装備の使い方をひとつひとつ解決して,ようやく,新しい車で出発することができた。

 今度の車は,ワイパーもウィンカもハンドルの左側で操作をするようになっていたので,方向指示器を操作しようとしてワイパーを動かしてしまうという恥ずかしいことをせずに済むようになった。
 走り出してから,朝,ガソリンを入れた20ドルが無駄になったことに気づいたが,そんなことはどうでもよくなった。こういうことは,きっと,アメリカ人ならごちゃごちゃ言って交渉するんだろうなあ,と思った。

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 午前9時になって,見学ツアーが始まった。参加者は,娘さんを数人連れたお母さんとか,ちいさな子を連れた若いママとか,ファミリーとかが10人程度,まあそんな感じだった。
 工場内はのんびりしていて,数十人の従業員さんが働いていた。生地を裁断するコーナー,ミシンで縫うコーナー,中に綿を詰めるコーナー,箱詰めするコーナー,特注品を製造するコーナー,破れたりペットに食いちぎられたりしたテディベアを入院(修理)するコーナー,などがあった。
 一番興味深かったのは,テディベアの目であった。この部分が破れて子供が口に入れては大事なので,十二分に注意して,決して,この部分だけが外れないように考慮されているということであった。
 オリジナルのテディベアは,実際に設計図やデザイン画で依頼したものを制作するところで,ベテランの女性がひとり,工夫しながら制作をしていた。
 テディベアの病院は,実際に使われて,壊れたテディベアを修理するところで,それぞれのテディベアに入院カルテがあった。レンジに入れてお尻だけ丸焦げになったもの,ペットに食いちぎられてずたずたになったもの… 永久保証だそうだが,さすがに,こうなっては,新しいものをお買いくださいと言っていた。
 大きな工場で,オートメーションで,時間に追われながら無言で黙々と作業をするといったものとは相反する世界だった。こういうところで働くのも悪くないと思った。

 日本でも工場見学というのはあるが,事前予約が必要であったり,事務的なツアーだったりというものが多いが,国民性の違いというか,ガイドさんはユーモア交え,いろいろと質問に答え,のんびりと時間が過ぎていく。
 工場見学をするのに入場料がいるというのも,考えればおかしいし,別にお土産をくれるというものでもないし。この工場見学も,けっこう,会社の収入源になっているのであろう。
 会社の規模に比べて,ツアーがこれほど充実しているのが,不思議なことであり,しかも,この程度の工場見学が日本のガイドブックに載っていて,わざわざ日本から観光客が足を運ぶというのも,おもしろいことであり,興味深いものであった。
 でも,実際,こうして作っているところを見ると,テディベアはすてきなぬいぐるみだなあと思った。左足の裏にオリジナルのメッセージを入れて贈り物にすることができるそうだ。これを贈られたら,きっと,一生の宝物になることだろう。

 テディベアは,昨年行ったノースダコタ州セオドア・ルーズベルト国立公園に名を残す第26代アメリカ大統領の愛称テディに由来する。
 1902年,クマ狩りに出かけたセオドア・ルーズベルト大統領は,クマを仕留めることができなかった。そこで同行したハンターが傷をおった子グマを追い詰めて,最後の一撃を大統領に頼んだのだが,「瀕死のクマを撃つのはスポーツ精神にもとる」といって撃たなかった。この逸話に触発されてクマのぬいぐるみを製造したことがテディベアのはじまりだという。
 テディベアは商標ではないので,世界中で製造されていて,もっとも有名なのは,ドイツ・シュタイフ社のものである。残念ながら,ここ,バーモントのテディベアは通信販売では日本で購入できないようだ。そんなことを書いていたら,帰国した今頃になって,欲しくなってきた。


◇◇◇
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 今年の夏,久しぶりに,ブロードウェイでミュージカルを見ました。見たのは「シカゴ」でした。
 ミュージカルの内容については,詳しい人がいろいろと書いていると思いますので,ここでは触れませんが,私なりに,感じたことを書いてみたいと思います。

 私が,はじめてブロードウェイでミュージカルを見たのは32年前で,そのときは「コーラスライン」でした。
 それ以来,ミュージカルに興味を持ったのですが,当時はそうそうアメリカには行けなかったので,日本で上演されたミュージカルをたくさん見ました。
 その頃は,日本で劇団「四季」が本格的にミュージカルに取り組み始めたころで,四季がはじめて日本で「キャッツ」を新宿で上演したときに,前から2列目だったか3列目だったか,はじまってから座席が回転してステージの正面に現れるという座席で見ました。それ以外にも,四季が取り組んだミュージカルは,ほとんどのものを初演で見ました。
 四季は現在のような大きな組織でなかったので,新しいものが上演されるときは,直接、団員の方から連絡があって,チケットを購入したりしました。それは素朴な、よき時代でした。

 昨年であったか、久しぶりに,四季の「オペラ座の怪人」を見ました。
 感動をした若い人たちには申し訳ないのですが,正直言って,私は,大変がっかりしました。
 このことは演じている人たちには罪はなく,むしろ大変上手だし,きっと,日本で,四季に出られることは名誉なことだろうと思うのですが,なんだか,優秀なロボットが演じているようで,高いレベルではあっても,四季の優秀な役者さんのアイデンティティが消されて,これではだれがやっても同じように演じるのだろうなあ,と感じたことが理由でした。
 そこには,演じている人の個性は,全くありませんでした。というよりも,個性を出さないように,指導されているのでしょう。
 それは,個よりも集団を大切にするとても日本的な発想であるように思いました。あるいは,役者さんを信用していないということなのでしょうか。
 だから、私には,心から湧き上がる何の感動もありませんでした。

 それと比べると,ブロードウェイのミュージカルでは,たとえば,「コーラスライン」の6番目のナンバー「Nothing」を歌うディアナ(Diana)を2006年に演じたナタリー・コルテス(Natalie Cortez)という女優さんの演技なんて個性の塊です。目が演技しています。
 だから,ブロードウェイでは,だれが,どの役を演じるのか,ということが話題となります。そして,そこに,ステージ上にいる役者さんと客席の心の交流が生まれ,感動となって現れます。
 私は,オペラも好きですが,オペラとミュージカルとの違いというか,私が,ミュージカルでいいなあ,と思うのは,ドラムの太鼓の音です。
 この,太鼓のリズムで曲が流れると,とてもアメリカらしいなあ,と思います。
 たとえば,「シカゴ」の5番目のナンバー「When You're Good to Mama」とか,先に書いた「コーラスライン」の「Nothing」などです。
 また,ブロードウェイのミュージカルは,生バンドなので,日本のように録音した音楽のもとで演じられるのとは全く違う迫力があります。
 ドラムの音は心臓の音。心に響きます。 

 ブロードウェイでミュージカルを見たことがない人は,一度,トニー賞の授賞式をご覧になるといいと思います。トニー賞の授賞式はニューヨークのブロードウェイにあるラジオシティ・ミュージックホールで,毎年6月に行われますが,アメリカCBSで中継され,日本でもNHKBSが後日に放送をしています。
 授賞式では,その年に話題となった数々のミュージカルの見せ場が演じられますから,そのシーンを見るだけでも感動します。
 2013年は,トニー賞受賞作「キンキー・ブーツ」はもちろんのこと,上演25周年を迎えた「オペラ座の怪人」の中のもっとも有名な6番目のナンバー「The Phantom of the Opera」が演じられましたが,圧巻でした。
 そんなわけで,一度、日本のテレビでトニー賞の受賞式をご覧になって,興味を持たれたら,何を見るかを決め,そのミュージカルのあらすじだけでも予習して,ぜひ,本場ブロードウェイで,ミュージカルをご覧ください。
 現地でチケットを入手する方法もいろいろあるそうですが,定価でならインターネットでも購入できます。近頃は,チケットは非常に高価になってしまったということですが,一番安価な席でも,十分に楽しめます。
 実際に行ってみると,プレイのレベルは高いですが,観客は観光客も多いので敷居の高いものでもなく,日本の芝居見物と大差ありません。
 そして,一度見たら,本場ミュージカルの虜になってしまうことでしょう。

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 初秋の京都はすてきです。まだ,観光客がほとんどいないので,のんびりと散策ができます。
 しばらくぶりに,ふと,そんな京都を味わってみたくなって,京都に向かいました。今年の天気は異常で,初秋どころか,梅雨時のような蒸し暑さに,せっかくの旅情も台なしでした。それでも,コスモスの花や,キンモクセイの香りは,確かに初秋のものでした。
 学生が行き交う百万遍のあたりを歩いているとき,ふと,懐かしく思い出されたことがありました。

 京都・大原の寂光院は「平家物語」の灌頂巻に
  ・・・・・・  
 西のやまのふもとに,一宇の御堂あり。
 すなはち寂光院これなり。
  ・・・・・・
とあります。
 建礼門院は,1171年(嘉応3年)後白河法皇の猶子として高倉帝に入内,中宮となり,安徳帝を出産しました。安徳帝とともに入水しますが助けられて一命をとりとめました。平家一門が滅びたのち,1185年(文治元年)に出家して大原に隠棲し,晩年をおくりました。
 「平家物語」の灌頂巻は,大原で平家一門の後世を弔う建礼門院を中心にした物語です。建礼門院は,訪ねてきた後白河法皇を相手に,自らの生涯を六道の体験になぞらえて語ります。
 「平家物語」は,こうして,建礼門院の往生を以って完結するのです。

 それは,15年ほど前の冬の日のことでした。
 その寂光院を訪れようと,三千院から続く雪の積ったあぜ道を歩いていたとき,ひとりの学生さんに出会いました。今となっては理由を覚えていないのですが,その日は,残念ながら,寂光院は拝観中止でした。
 道の途中でそのことが書かれた掲示を見つけた彼女は,少し困った様子で,偶然後ろを歩いていた私に「今日,寂光院さんはお休みみたいですね」と話しかけてきたのです。
 もう夕刻で,京都市内に帰るしかなくなったので,なんとなく同じバスで戻ることになりました。彼女は,バスの中で,カメラを持ってきたけれどうまくフィルムが入れられなくて,今日は全く写真がとれなかったというようなことを話しました。
 当時は,今とは違って,カメラはすべてフィルムを使うものでした。
 京都駅まで向かう私に,その途中の出町柳で下車する彼女は,バスを降りる前に,「『柳月堂』という名曲喫茶を知っていますか? 私は,そこでアルバイトしているので,今度京都に来る機会があったらぜひ寄って下さい」と言いました。
 「柳月堂」は,叡山電鉄の出町柳駅前にあって,私がこの喫茶店を知ったのはそれよりもはるか20年も昔,つまり,今から35年も前のことでした。
 当時大学生だった私は,京都大学で法学を学んでいた友人を訪ねた折に,ふたりして京都の有名な喫茶店を梯子していました。
 そのころ,仲間内ではやっていたのは,ブルックナーとマーラーを聴くことだったので,そのとき,この喫茶店にも足を運んだことがあったのです。

 話は変わりますが,京都の喫茶店といえば,京都大学のある百万遍の近くに進々堂というあまり目立たない喫茶店が今もあります。
 ここは京都でもっとも古い喫茶店で,昔から京都大学の教授や学生が議論したり,勉強したりしていて,とても雰囲気のある,いい喫茶店です。
 この喫茶店について,京都大学で社会学を学び,やがて東京大学の文学部教授になった上野千鶴子さんが「ミッドナイト・コール」(朝日文庫176ページ)に次のような有名な文章を書いています。
  ・・・・・・
 京都大学の近くに,学生がたむろするので有名な進々堂という喫茶店がある。そこでたまたま居合わせた女子学生が,一心に読んでいる本を目にしたとき,私は激しい嫉妬に駆られたことがあった。彼女が読んでいたのは,ラテン語の教科書だった。
 ラテン語という,今は死にたえた言語。目の前の用には立ちそうもない死語を学ぶというとてつもないぜいたくに,目前の必要に追われてその日暮らしをしていた私は青ざめた。
  ・・・・・・

 閑話休題。
 それから2か月ほどして,ふたたび京都へ行く機会があったので,彼女が写真とれなかったと言っていたのを思い出して,そのときに写した数枚の写真を手に「柳月堂」を訪ねてみました。フィルムもまともに入れられないドジがどこの大学の学生かを知りたいという好奇心もありました。
 残念ながら彼女はいなかったのですが,別の店員さんに尋ねると,そのときのことを彼女が話していたということで,その店員さんは私のことを知っていました。彼女は大学を卒業して,実家のある鎌倉へ帰ったという話でした。また,お店に遊びにくることがあるので,そのときに写真はお渡しします,ということでした。
  ・・
 それからしばらくして,彼女から,写真を受け取ったというお礼の手紙が来ました。
 実は,彼女は,湘南高校を卒業して京都大学の文学部に入学した学生さんで,大学を卒業した後,東京のある出版社に就職したと書いてありました。
 私の高校時代,「俺は男だ!」という湘南を舞台にした青春ドラマが人気でした。私は,そんな高校生活にあこがれ,自分の不毛な高校生活を顧みてはテレビを見てうらやましいと思っていました。彼女は,そんな湘南で実際に高校生活を過ごし,京都大学で文学を学んだというすごい才女だったわけです。私はそんな彼女に嫉妬しました。
 彼女とは,その後,私が東京に行った折に何度か会う機会がありました。話を聞くと,家族に問題を抱えていて,いろいろ大変そうでした。一見うらやましそうにみえる人生をおくっている人にも,それぞれいろんな苦労があるものだと思いました。その数年後,彼女は東京の会社を辞め,姫路に嫁いだということなのですが,今も元気だといいなあと思います。

 京都を訪ねる度に,あれやこれや,これまでにこの地で起こった,このような,さまざまなことを思い出すのですが,今となっては,そのどれもが,なつかしいことばかりです。
 人生って,いいなあ。
 そんな思い出も手伝って,私は,久しぶりに「柳月堂」に足を運びました。店内には,ブラームスの交響曲第1番の懐かしいレコードの音が流れていました。

◇◇◇
蛇足ですが,「なのにあなたは京都へゆくの」は,1971年,脇田なおみ作詞,藤田哲朗作曲,チェッリシュという,現在も活躍している夫婦デュオが歌ってヒットした曲の題名です。
  ・・・・・・
 なのにあなたは 京都へ行くの
 京都の町は それほどいいの
 この私の 愛よりも
  ・・・・・・
と歌われます。

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 土地は広く,木々や芝生に囲まれた中,小さな幼稚園のような外観の工場兼売店があった。
 もう,売店は開いていたので中に入って,見学について聞く。
 見学コースは午前9時からで,時間は40分くらいだということだった。まだ時間があるので,予約しませんか,と言われた。

 この国では,たいてい,ツアーにはガイドがいて,ジョークを交えたり,質問に答えたりしながら,楽しく見学ができる。
 入場料を払えば,自分で勝手にまわるというほうがふつうである日本とは違うから,どこも時間がかかる。
 アメリカでも,説明の書かれたパンフレットだけをもらって自分でまわるというものも時にはあるが,そういったときは,わざわざ,「セルフガイドツアー」と書かれている。
 日本でお寺の拝観をするときに,まず,集会所に集まって,そのお寺の歴史なりを聞いて,質問に答えて,そのあと,お坊さんについて順に説明を受けながら本堂やら仏像やら庭園を巡る,みたいなものを考えてみるとよい。時には,日本にもこうした丁寧なお寺もあるが,多くは,拝観料を払えば,あとは,自由行動というところの方が多い。
 いろいろな意見はあろうが,お金だけもらってあとはご自由にというほうが変な話だと,私は思う。

 このテディベア・ファクトリーは,私のようなおじさんがひとりで見学するようなところでもないような気もした。時間がもったいないような気もした。
 でも,今日は他に予定がないというか,雨ではどうしていいかわからないというか,疲れていてどうでもいいという感じだったというか,そんなわけで,言われるまま見学ツアーの予約をした。
 まだ,見学開始までかなりの時間があったので,売店を見て歩いた。
 間違えて,見学コースの入口から中に入ってしまい,あわてて店員が走ってきて,まだですよ,と言われ,ごめんごめん,といったシチュエーションになった。こちらがあんまりに恐縮するものだから,気にしなくていいですよ,みたいになぐさめられたりもしながら,なんとなく時間をつぶした。 
 売店で販売しているテディベアは,家内制手工業みたいな感じで作られていて,昔から変わらない同じ人形にただ違う服をきせたり,色を変えたり,そんなくらいのバリエーションの品々が並んでいた。

 日本では,これでは商売できないなあ,と思ったが,メイド・イン・USAはみんなこんなものだ。
 テレビのヒロインのおもちゃをクリスマスシーズンで売れるだけ売ったあげくに,それが終わるとさっさと別のものに変えて,子供に新しいものを買わせる,そんな悪どい商売が,日本にはまかり通っている。
 そういった,モデルチェンジばかりをするのではなく,ずっと変わらない,永久保証の素朴なくまさん人形って,なんか,とっても素敵じゃあないか,と思った。買ってもらった子供だって,きっと,いつまでも愛着を持って大切にするであろう。そして,一生の宝物になるであろう。

 さらに,思うのだが,日本の優秀なコンパクトデジカメも携帯も,スマートホンにしてやられた。
 実際に写せは,デジカメのほうがきれいに写せるのだが,SNSで使う程度なら,スマホのカメラ機能で十分なのだ。
 サンダルだって,クロックス1足で十分なのである。
 今や,スマホとクロックスだけで事足りるのである。
 日本製品が「ガラパゴス化」といわれて久しい。日本をこれまでにした偉大な先駆者は,商品をもって,自分ひとりで,アメリカを歩き回って,ユーザーの声を聞きながら商品を売って歩いた。それが,いまのSONYやらHONDAを作った。
 今の日本の若い人は,もっと,世界中を歩いて見てくるといいと思う。そうすれば,きっと,このすさまじい世界の価値観の変化の速度に,日本だけがついていっていない,と感じることができるであろう。
 もはや,日本的なきめの細かさや高機能な製品は,世界遺産にはなってもビジネスにはならなくなってきたのだ。
 また,日本の「おもてなし文化」を誇る人がいるけれど,おもてなしをするために,従業員は,どれだけ訓練を繰り返し,ストレスをため込んで,しかも,客は横柄な態度をとっているか,ということを考えてみるといい。
 私は,むしろ,いらんことはしないという個人主義と自己責任のほうが,居心地がいいと感じるのである。そして,多機能なガジッットも不要だし,モデルチェンジごとに買い替える興味もないのである。

◇◇◇
ボストン・レッドソックス,リーグ優勝決定シリーズ進出,おめでとうございます。
第3戦では,上原投手がサヨナラホームランを打たれて心配しましたが,これでほっとしました。いつも,投げている姿をみると,涙が出てきます。
上原投手が試合後のインタビューで語っていました。
「過去は過去。あしたを見るほうが人生楽しいじゃあないですか」
残念ながら,アトランタ・ブレーブスは負けてしまいました。
  ・・
ところで,日本の野球では,中日ドラゴンズの高木監督が退団しましたが,朝日新聞によると,セレモニーで監督があいさつした時に,心ない一部のファンが「土下座しろ」とやじったそうです。私は,こういう陰湿な一部の日本人の態度が大嫌いです。よくは知りませんが,土下座がブームだとか。私は,そういうことがブームになること自体,とても不愉快です。
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 モンタナ州ビュートを舞台した小説「わたしのいい男,バスター・ミッドナイト」については,先日書きましたが,ビュートを舞台にした映画に「アメリカ,家族のいる風景」(Don't Come Knocking)があります。
 あらすじは,つぎのとおりです。
  ・・・・・・
 かつては西部劇のスターで,今はすっかり落ちぶれてしまったハワード・スペンス。すべてに嫌気が差した彼は新作の撮影現場から突然逃げ出し,長い間帰っていなかった故郷へと帰る。そこで30年ぶりに再会した母から,自分に子供がいるという驚きの事実を聞かされたハワードは,まだ見ぬ自分の子供を探す旅に出る。
  ・・・・・・

 アメリカ映画は,アクションものよりも,この映画のような,たとえば,「この森で,天使はバスを降りた」とか「モンタナの風に吹かれて」とか「ドライビング・ミス・デイジー」とか,そうした,人間の内面を描いたもののほうが味があって,私は好きです。
 若気の至り,というけれど,若くてもそうでなくても,人は,理にかなわないことをしてしまうものだけれど,この映画は,そうした自分の過去に耐えられなくなったハワード・スペンスが,その後悔を胸に子供探しと自分探しの旅にビュートに来た,という物語です。
 人生は一度っきりなので,後悔してもはじまらない,でも,自分の昔を振り返ったときに,心の中の空白をどのように埋めていくことができるのだろうか? を見ている人とともに考えさせるのです。
 そして,最後に,彼は気づくのです。人生が二度できないのなら,これからの人生を自分らしく生きようと。
 以前書いた「マジソン郡の橋」もそうですが,人は,結局,老いを感じはじめたときに,これまでの自分の人生の深さと重さを改めて考えることになる,そして,その過去の思い出を大切にしている人は,その思い出で残りの人生を幸福に生きることができるのです。

 この映画が公開されたのは2005年なので,偶然にも,ちょうど私がビュートへ行ったときです。
 私は,この映画を知らずビュートに行ったのですが,ビュートは小さな町なので,映画に出てくるビュートのあちらこちらの姿は,すべて,実際に見てきたところでした。
 この「アメリカ,家族のいる風景」を見て,ビュートという町を知って,ビュートへ出かけて映画のシーンが撮影されたところを巡った人のブログがあります。
 この映画は,ハワード・スペンスの心情を,ビュートの歴史に裏付けされた内面的な暗さと映像の暗さで描こうとしているので,その人のブログで語られているように,ビュートという町をこの映画ではじめて知った人がもつ印象はどうしても暗い町になります。だから,実際にビュートを訪れたときに感じる印象は,そういった映画の暗いイメージから語らざるをえないわけです。
 しかし,それは私のもっているビュートという町の本来の明るさとは全く違うものです。
 ただし,この映画で描こうとしている人間の内面的な深さと映画全体のもつイメージがビュートという町と非常にうまく一致していることが,この映画の心情的な奥行きをより深くしています。

◇◇◇
CNN放送によると,10月7日,9歳の少年が,ミネアポリス・セントポール国際空港から,搭乗券を持たず,ひとりでデルタ航空の国内便に搭乗して,ラスベガスまで行ったのが見つかったということです。日本のJRならともかく,いったいどうやってセキュリティを越えたのか,不思議な話です。少年は機内で乗務員に発見されて,ラスベガスで児童保護当局が保護しました。

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☆4日目 7月23日(火)
 今週は晴れ… という天気予報を疑いもなく信じていたら,きょうは,朝から雨だった。これまでアメリカを旅行して,こんなことははじめてだった。テレビの天気予報を見ると,週末は晴れ,でも,日曜日の天気がサンダーシャワーということだった。
 ホテルで朝食をとる。
 きれいな食堂だった。トーストとベーグル,目玉焼きとブルーベリージュースとコーヒーを自分でとって食べた。
 目玉焼きがあるのは珍しかった。
 この食堂を担当していた女性は,かなりの潔癖主義者のようで,絶えず,掃除をしたり,食器の位置を直したり,およそアメリカのスタッフらしからぬ感じで興味深かった,
 食事を終えて,荷物を車に積んで,チェックアウトをした。

 きょうは,予定がない。泊まるあてもない。唯一,ホテルの予約がない日だ。日本で予定を立てていたとき,きょうの行程がうまく決まらなかった。それで,どこに泊まるかも決まらなかった。
 なんとなく考えていたのは,ホテルの前の道,国道7をシャンプレイン湖に沿って南下して,マサチューセッツ州のウィリアムズタウンという町まで行き,そこで,進路を東に変えて,マサチューセッツ州に入り,モホークトレイルという風光明媚な道路を通って,インターステイツ91へ出て,そこから南下して,コネチカット州に入り,どこかに泊まるといったものだった。距離として600キロメートルくらいある。
 あるいは,昨日の後悔,ニューハンプシャーに戻り,きょうこそコモ鉄道,と思った。

 ところが雨,である。山道走っても景色もなにもあったものではない。
 しかも,国道7はインターステイツでないので,どれほど時間がかかるか見当もつかない。旅の3日目で,少し疲れていて,600キロメートルも走る自信がなく,もう,どうでもよくなった。
 とりあえず,「バーリントン・テディベア・カンパニー」に行くことにした。バーリントンの市内観光案内パンフットには,バーリントンの市内から南に行ったところにあると書いてあった。この「テディベア・カンパニー」は,工場見学が行われていて,9時開始であるということだった。
 ホテルのほんの少し南だと思っていた。小さな工場だと思っていた。
 あるいは,ホテルよりも北に位置するのではないか,とも思った。車のGPSは,検索をかけても,なかなか答えに行きつかない。とりあえず,付近を車で探す。まず,針路を北にとる。

 道は,朝の通勤ラッシュの中を,昨日のようにどんどんとダウンタウンにむかうばかりで,目指す先が見つからない。そのうち,昨日と同様に二股に分かれた道を,好奇心もあって,どんどんと山側(北東側)に走っていくと,広大なバーモント大学のキャンパスに出た。これ以上北に行っても仕方がないので,右折して,GPSの地図表示をみながら,来た道の1本東の道を戻ることにした。2,3キロメートル東へ走って,「スピア・ストリート」という名の道で南に進路を変えると,もう,その道のまわりは,一面の緑だけで何もないド田舎なのであった。
 しばらく南に走って,さらに西にもどって,今度は,国道7を南に進路をとって走る。はじめ片側2車線の道路は,次第に,アメリカでよくある,日本では決して見かけない雄大な緑の大地が広がり始めた。道も片側1車線になった。いつまで行っても到着しないので,間違えたかなあ,と思ったころに,テディベア・カンパニーこの先の道路標示が見つかった。
 その先,延々と走って,やっと,右手に広大な「シェルバーン・ファミリー・ファーム」なる公園が見えてきた。そうそう,この「シェルバーン・ファミリー・ファーム」を「シルバニア・ファミリー・ファーム」と読み間違えた。そして,すごい! シルバニア・ファミリーの等身大の公園がある。さすがアメリカだ,と勘違いした。
 そこで提案だが,だれか,この「シルバニア・ファミリー・ファーム」というテーマパーク作りませんか?

 それを過ぎたころに,左手に「テディベア・カンパニー」があった。
 「テディベア・カンパニー」は,バーリントンの南のシェルバーンという町にあった。入口に「テディベア・カンパニー」の看板があって,そこを入ると広い駐車場があって,すでにたくさんの車が駐車されていたが,それは,従業員さんの車であった。
 観光客は,まだ,8時を過ぎたころだというのに,おじさんがふたりと娘さんを連れたお母さんだった。雨の中車を降りて,そのお母さんに,見学は9時からですよ,と言ったら,驚いていたけれど,あせるでもなく,では待ちましょうとか言っていた。おじさんふたりは,だれかにプレゼントをするテディベアを買いに来たようで,もう売店は開いていたので,早速購入して,大きな箱を抱かえて帰って行った。

◇◇◇
MLBのディビジョンシリーズですが,昨年まで万年最下位だったピッツバーグ・パイレーツががんばっています。このチーム,チームカラーが黒なので,スタンド全体真っ黒いTシャツを来た4万人以上のファンが黒色いハンカチを振るという,阪神タイガース顔負けの異常な風景の中で試合をしています。一見の価値がありますよ。
ピッツバーグは,一度行ったことがありますが,アルゲイニー川,マノンガヘイラ川,オハイオ川の三つの川に囲まれたきれいな町です。アンディ・ウォーホール美術館とカーネギー・メロン大学が有名です。
本拠地のPNCパークは,アルゲイニー川に面していて,巨大なホームランを打つとボールが川に飛び込みます。
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 モンタナ州ビュートを舞台した小説に「わたしのいい男,バスター・ミッドナイト」(Buster Midnight's Cafe" Sandra Dallas サンドラ・ダラス著,雨沢泰訳)があります。
 あらすじは,つぎのとおりです。
  ・・・・・・
 荒っぽく貧しい銅鉱山の町であった今から80年ほど前のモンタナ州ビュート。その町で3人の悪ガキ女,エッファ・コマンダー,ウィッピー・バード,メイ・アンナは,遊び好きなチック,ピンク,バスター,トニーといった威勢のいい男たちと付き合って成長しました。
 成人した彼らは,男たちは鉱山夫や闇酒屋に,女たちはタイピストやウェイトレスになっていきました。
 そうした中で,恋人同志となったメイ・アンナはふとした幸運をつかみ,娼婦から有名女優に,バスターもまた,あることから,バスター・ミッドナイトと名乗りボクサーになって世界チャンピオンに上り詰めていったのです。
 そして,不幸にも彼らはスキャンダラスな殺人事件を起こしてしまったのです。
 時がたって,現代。
 年老い,あるいは死んでしまった彼ら。
 ビュートの町を訪れる観光客は,ゴシップライターの書いた扇情的な物語を信じて,興味本位に昔の殺人事件ををほじくり返しています。それが我慢ならないエッファ・コマンダーとウィッピー・バードは,殺人事件の真相とバスター・ミッドナイトの真実の姿を描こうをしたのでした。
  ・・・・・・
 小説の最後で,主人公エッファ・コマンダーは次のように言っています。
 「この世で大切なのは友情しかないのかもしれない。」
 訳者は,あとがきで,「読み終えたとき,ふと,人生が2度あればと思うのは,ひとり訳者だけではないはずだ。」と書いています。

 わたしは,アメリカは好きだけれども,どうも,アメリカ文学というのは読みにくくて苦手です。
 独特な人物描写や心理描写,そして,複雑な人間関係があって,一読しただけでは,なかなか頭の中の人物や風景が絵として浮かんでこないのです。
 この小説も,一読しただけでは,なかなかビュートの街並みに,彼らの姿が溶け込んでいきませんでした。
 でも,もう一度読み返してみると,ビュートの町の中で登場人物が生き生きと動き回り,それぞれの人物に内面に入り込めて,その面白さで,すっかり虜になってしまいました。

 ふと,次のことを思いだしました。
 題名を忘れてしまったのですが,いつか見たあるアメリカ映画で,
  ・・・・・・
 アメリカの片田舎では,大都会に出ていくほんの少しのエリート以外は,小さな町で,鉱夫としてあるいはさえない男の専業主婦として,夢もなく一生を終えていく。
  ・・・・・・
といったことが描かれていました。
 実際にこうした町に生まれ育つ人たちには,この小さな町こそが彼らの人生であり世界なのです。そして,この町から外に飛び出して成功できたほんの一握りの人たちのことを誇りに思い,生きているのです。きっと,こうした町にも,私が観光で数日滞在して感じるのとは全く異なる,歴史の中に埋もれた真実の人間の姿や感情があるのだと身に染みて感じました。
 この小説を通して,私は,小さな町に生きた人々のそれぞれの大きくて重たい人生を,ビュートの広く透き通った青空と雄大な大地と同化して深く感じることができたのでした。読後の余韻が素敵でした。

◇◇◇
現地時間10月5日のボストン対タンパベイのディビジョンシリーズ第2戦。泣けました。田澤が抑え,観客が「スウィート・キャロライン」を歌い,4番打者オルティーズがホームランを打ち,上原が3人で抑える…。ボストンレッドソックス,最高です。オルティーズが,上原を生んでくれて「サンキュー・ジャパン」と言っていましたが,まさに,素晴らしい試合でした。
私は,このまま勝ち進んで,ボストン・レッドソックス対アトランタ・ブレーブスのワールドシリーズを見たい!

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 3時間のクルーズはよい旅の思い出となった。
 夜風が気持ちよく,景色もすばらしく,旅の喜びが増した。
 この町は,全米住みたい町ナンバーワンになっただけのことはある。それほど大きな町ではないが,落ち着いたきれいなところである。また,このバーリントンの町には,バーモント大学があって,町の東側に広大なキャンパスが広がっている。最も近い大都市はカナダモントリオールで,車で2時間ほどの距離である。
 比べようもないが,イメージ的には,滋賀県の大津市を考えたらよいか。
 
 シャンプレイン湖は,先に書いたように,アメリカで5大湖に次ぐ,6番目に大きな湖で,多くの川から集められた水は,最終的には,セントローレンス川に流れ着き,カナダ北東部から大西洋に注ぐ。面積は約1,270平方キロメートル,長さ200キロメートル,幅は最大で23キロメートルの淡水湖である。
 クルーズは,ランチクルーズやディナークルーズなど,多くのコースがあって,ダウンタウンのスピリットドックから出航する。
 シャンプレイン湖畔は,かつては廃工場や古倉庫が建ち並び,廃墟に近い状態であったが,ここ20年くらいの間に,公園や遊歩道などが整備され,現在は憩いの場となっている。
 ちなみに,日本の琵琶湖は,面積約670平方キロメートル,長さは最大で63.5キロメートル,幅は23キロメートルの淡水湖である。

 夏時間なので,夜9時といっても,それほど遅い時間ではないが,私は,涼しい湖からの風に吹かれながら車までもどって,ホテルに帰った。
 ホテルで,のんびりとテレビを見た。今,ホテルのテレビはほとんどが韓国製。チャンネルにスリープボタンがあるものが少なくて不便である。
 この国のテレビは,3大ネットワークというが,実際はケーブルテレビが多くあって,ホテルによって見ることができるチャンネルがまちまちでよくわからない。夜になると,FOXやESPNでは,大リーグの結果やらダイジェストを何度も放映している。それ以外は,映画とか,たいして面白い番組もない。CNNは,日本のスカパーで同じものをみることができるようになってしまったので,見ていてもアメリカにいる気がしなくなった。
 それでも,夜11時30分になると,NBCで「ザ・トゥナイト・ショー・ウィズ・ジェイ・レノ」(The tonight show with Jay Leno)が始まって,これを見ると,今でも,アメリカに来たんだなあ,と実感する。
  ・・・・・・
 ジェイ・レノは,1950年4月28日ニューヨーク州ニューロシェル出身のコメディアンである。
 アメリカ3大ネットワークのひとつNBCのトーク番組「ザ・トゥナイト・ショー・ウィズ・ジェイ・レノ」の司会を17年務めている。
 途中,一度,2009年に番組を降板し,後任をコナン・オブライエンに譲った。
 このときの最後の出演で,
 「番組を始めた時,わたしの髪は黒かったが,大統領は白人だった」
と言ったが,2010年3月1日コナン・オブライエンの降板によって,再び,返り咲いた。
  ・・・・・・
 NBCは,2014年春にレノは降板し,後任にジミー・ファロンが就任すると発表している。
 なお,CBSでは,「レイト・ショー・ウィズ・デイビッド・レターマン」を30年にわたり続けていて,「ザ・トゥナイト・ショー・ウィズ・ジェイ・レノ」と激しい視聴率争いをしている。

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 1977年,当時の大流行作家庄司薫さんは「ぼくの大好きな青髭」を,読者を長年待たせたあげく,ついに中央公論社から出版しました。
 小説の冒頭は,1969年7月20日からはじまります。主人公の薫くんは,口にはツケヒゲをつけ,右手に虫取り編みを握って,新宿東口紀伊国屋書店の前で,行き交う群衆を睥睨(へいげい)します。そして,新宿紀伊国屋書店の喫茶店「ブルックボンド」から「風月堂」に向かいます。
 それから3日だったか4日だったか,物質的に満たされると精神的なものへの充足を希求するということで,歌舞伎町の喫茶店「葦舟」とか,そこから徒歩30分ほどの新宿御苑だとかで,いかにも青年らしい冒険を重ねていきます。なかでも,新宿御苑で女の子と青髭が遭遇するシーンは,とってもいいものです。

 「赤頭巾ちゃん気をつけて」「さよなら怪傑黒頭巾」「白鳥の歌なんか聞こえない」,そして,この「ぼくの大好きな青髭」の4部作と,いくつかのエッセイ集だけを残して忽然とすがたを消してしまった芥川賞作家の庄司薫さんは,私の青春でした。この4部作はバイブルでもありました。
 庄司薫さんは,その著書「赤頭巾ちゃん気をつけて」のなかで,
  ・・・・・・
 中村紘子さんみたいな若くて素敵な女の先生について(中略)優雅にショパンなどを弾きながら暮らそうかなんて思ったりもするわけだ。
  ・・・・・・
と書きました。そして,本当に,この本が縁でピアニスト中村紘子さんと結婚しました。

 当時高校生だった私は,学校の文化祭で,庄司薫さんの講演を聴いたことがあります。小説とは真逆でやたらと難解な話の内容に,男子校であったにもかかわらず講演会に大勢詰め掛けた女性たちも閉口していたのを思い出します。
 庄司薫さんが「赤頭巾ちゃん気をつけて」に書いた東大紛争の時代はすでに遠く,世の中は劇的に変化してしまいましたが,いまでも,渋谷・道玄坂には,名曲喫茶「ライオン」が実在しています。
  ・・
 そんな渋谷の雑踏の中をぬけて,NHK交響楽団の定期演奏会を聴くためにNHKホールへ足を運ぶのを,私は極上の楽しみにしているのですが,これまでにも,スタニフラフ・スクロバチェフスキの指揮するブルックナーの「交響曲第8番」,シャルル・デュトワの指揮するベルリーズ「幻想交響曲」,広上淳一の指揮するマーラー「大地の歌」,スーザン・バロックの歌うリヒャルト・シュトラウス「4つの最後の歌」など多くのすばらしい演奏に出会うことができました。

 マーラーは「大地の歌」で,ベートゲの書いた次の詩に曲をつけました。
  ・・・・・・
 Die liebe Erde all uberall bluht auf im Lenz und grunt aufs neu!
 all uberall und ewig,ewig blauen licht die Fernen,
 ewig,ewig,
  ・・
 春になれば愛する大地は至る所で花咲き新緑に萌える!
 至る所で永遠に,永遠に遥か涯まで青く輝く,
 永遠に,永遠に,
  ・・・・・・
 また,リヒャルト・ショトラウスは「4つの最後の歌」の4番目の歌「夕映えの中で」にアイヒェンドルフの次の詩を選びました。
  ・・・・・・
 O weiter, stiller Friede! 
 So tief im Abendrot.
 Wie sind wir wandermude-iset
 dies etwa der Tod?
  ・・
 おお,広々とした、静かな平和よ!
 夕映えの中に深くつつまれて
 私たちはさすらうことに疲れたのだ
 これが死というものなのだろうか?
  ・・・・・・
 薫くんと同じように,今でも若者は,夢を見て希望を抱き,どう生きるかを自問自答しているのでしょうか。そして,年老いた人は,アイヒェンドルフの詩のように,こころ安らかに,毎日を生きることができるのでしょうか。

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 旅行をしていると,いつも,こんな感じである。
 クルーズをしたいなあ,と思って,しかも,たいして下調べもしなくても,幸運は向こうから現れる。その機会を逃さず捕まえるだけである(戸井十月さんの口調になっている…)。
 案内所があったので,聞いてみると,クルーズは午後6時の出航で,3時間。食事つきと食事なしがある,ということだった。私にとって,このクルーズは,本日1番のイベントということで,食事付ナイトクルーズを予約した。
 どこに駐車をすればよいのかと聞いたら,先ほどの話と同じく,路上のメーターだと6時以降は無料だから,ハーバーの公営駐車場よりもその方がいいと言われた。どうやら車を停めた場所は大正解だったようだ。
 まだ少しばかり出航に時間があったので,のんびりと散歩したり,犬と遊んでいたら,船の船長さんが現れた。この船に乗る予約をしたと言ったら,ディナー付かと言うので,そうだ,と答えたら,そりゃいい,と言った。一緒に写真を撮った。背が高い人だった。
 まだ時間があったのだが,みんな船に乗り始めたので,私も急いで船に向かった。

 船に乗ると,レストランに案内され,ひとりなので,先頭の見晴らしの良い席を案内された。
 他の乗客は,同じ年くらいの夫婦やら,家族連れグループやら,カップルやらだったけれど,ウィークデイなので空いていた。というよりも,ウィークデイで,これだけの人が乗船しているということのほうが不思議だった。
 ここは小さな町なのですよ!

 やがて,レストランでは,スタッフが飲み物の注文とか,前菜の注文とかを取りはじめた。
 船が出港した。船内は,イタリアンミュージックが流れていた。
 隣に座った夫婦は,旦那さんのほうが怖そうな顔をした人だったけれど,奥さんのほうがおしゃべり好きで,どこから来たのからはじまって,話が弾んだ。
 彼女の娘さんがカナダ人と結婚するとかしたとか,カナダではみんなフランス語と英語を話すとか,それに対して,私が,日本ではすごく長い時間英語を勉強して,さらに,近頃は小学校からやるけど,英語話せないとか,そんな話をしていたら,自分は小学校の校長だということを言い出した。
 だから,そうした話題に,ものすごく興味を持っていて,日本は学校は9月に始まるのか,だとか,日本の教育事情についていろいろと,いかにも教師という感じで,聞いてきた。
 私がフェイスブックで友達になろう,と言ったら,コンピュータは苦手だと言った。
 アメリカに住んでいる人はみんなコンピュータに堪能,ということではないらしい。どの国も,変わらないものだ,と思った。

 今日の私の話の中身は,日の出をアカディア国立公園で見て,夕日をここシャンプレイン湖で見るということであった。こういう自慢話をすると,彼女は,わたしもアカディアへ行きたいのだけれど,旦那が遠いから行きたくないって言うの,みたいなことを話した。
 わかりやすいように無理やり日本にたとえると,朝,三陸海岸で日の出を見て,夕方,大津で夕日を見る,みたいなものだ。
 旦那さんの方は無口な人だったけれど,ぽそっと,日本の地震は大丈夫だったかね,と聞いた。
 食事はバイキング形式で,好きなものを自分で取ってきて食べるシステムだった。

 やがて,太陽が沈みかけて,とてもきれいな景色になってきたので,食事どころではなくなって,みんな外に出て,夕日を眺めたり,写真を写したり,という展開になった。
 船のデッキで,シカゴから来た,というひとり旅のおっさんに会って,MLB談義になった。シカゴといえば,美しく伝統のある球場,シカゴ・カブスのリグレーフィールドの話になった。
 アメリカを旅行していると,MLBの話題さえ切り出せば,たいていの人とは友達になれる。
 まさか,きょう,湖に沈む夕日を眺めることになるとは思わなかった。
 この湖に沈んでいく太陽が上ってきたとき,私ははるかに遠いメイン州にいたんだっけ。
 海から昇る朝日と湖に沈む夕日の両方を1日で見たなんて,生まれて初めての経験だった。
 湖に浮かぶヨットが幻想的だった。

 やがて,下船する時間が近づいてきた。
 スタッフが,食事とは別に注文した飲み物の清算を始めた。
 お客さんは,だれもレストランにはいない。みんなデッキで夕日を見ているので,探すのが大変そうだった。私を担当した女性が,なんとか私を探しだして,請求書を持ってきた。とても素敵な女性だったので,頼んで一緒に写真を写した。
 この国では,仕事中だから,とか,そういう無粋なことは言わない。いいなあ。
 このブログでは,私の写った写真は載せない方針なので,その写真もここではお目にかけられないのが,残念である。

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 ビュートは人口が3万人程度の小さな町です。町を歩いていると,住宅地と幼稚園,小学校,中学校,高等学校,そして,先ほど書いた大学があって,アメリカ人の日常の生活や学校というものがよくわかります。
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 幼稚園は,病院の近くにもありました。
 住宅地の中にあった小学校には,かわいらしい遊具やら滑り台がありました。そして,平屋造りの校舎とひろい運動場がありました。運動場は全面芝でした。
 学校では,子供たちが遊んでいました。
 ちょうど下校の時間で,あぶなっかしく下校途中の子供たちが道路を横断していました。道が広く,車があまり通らないので,逆に危ないのです。
 中学校は,下校途中の生徒がのんびりとおしゃべりをしていました。日本の中学生と変わらないなあ,と思いました。
 高等学校は,日本の高等学校とは違って格段に広く,校内には写真のように,立派な観客席のある競技場がありました。ブラスバンドの練習をしている音楽が小気味よく聞こえました。そして,グランドでは,アメリカンフットボールの部活動をしていました。そのように,アメリカの学校だなあ,という雰囲気があったのですが,ブログでは音まではわかりません。
 体育の授業が外からも見えたのですが,生徒がだらだらと体操をやっていたのが,逆に面白かったです。もっとみんな運動神経抜群でビシバシやっているのかと思っていたので,意外でした。女の子たちなんて,適当な服をきて,ソフトボールだが,ボール遊びをやっているんだかよくわからない様子でした。
 学校の周りには,生徒が通学に使う駐車場がありました。そうです。アメリカでは,高校生は車で通学できるのです。

 はじめに紹介した町の入口,インターチェンジ126のあたりは,宿泊施設やガソリンスタンドがあって,どこにもあるアメリカのインターチェンジの風景です。
 このインターチェンジには南北に州道2が通っていて,南東には、大きな「ビュート・プラザ・モール」がありました。日本にも近頃はアメリカにあるようなモールがたくさんできましたが,アメリカのモールには,アメリカ軍の紹介所がありました。
 この周辺は、特に、新しい住宅が立ち並んでいて,新興住宅地といった感じです。
 そして,大きな公園があって,ふつうにゴルフコースもあります。

 この州道2をさらに南に行くと,バートムーニー空港があります。
 この空港は,先に書きましたが,1日に数便,飛行機が離着陸する,JRのローカル駅のようなところです。7年前に行ったときに,ここでレンタカーを返した後,シアトル便のスケジュールが3時間遅れになって,ここで,時間をつぶしたことを思い出します。空港の中には小さなレストランがありました。
 さらに南へ行くと,もう,市街地は終わって,本当に原野が広がっています。
 このあたりから北に町を一望すると,変なたとえですが,甘樫の丘から大和三山を眺めた大和人の気持ちになれたりもします。
 このように,町を歩いてみると,アメリカという国はこういったところなんだなあ、ということがわかる,そんな教科書のような町だと思います。この町は,私の宝物のひとつです。
 この町に行ったことがある日本人はどのくらいいるのだろう? 
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 ストウから戻り,再び,インターステイツ89を走る。めざすバーリントンはもうすぐだ。
 インターステイツ89は山の中を快調に走る。やがて,バーリントンのダウンタウンに入った。インターステイツ89はバーリントンに入る手前で進路を北に向けてカナダ国境に達するが,私はそのまま直進し,わずかな距離しかないインターステイツ189を経由して,
そのままダウンタウンを南北に走る国道7(通称「シェルバーンロード」)に降りた。
 南向きにおりて,さて,予約したホテルはどこだろうかと思ったところ,インターステイツをおりたころにある交差点の南東角に,まさに,予約したホテル「トラベルロッジ・サウス・バーリントン」があった。
 南向きに走っていたので,ホテルは進路の左側になる。反対側車線は信号待ちの車で一杯で,ホテルの看板は見つけたが,とても左折できるようではなく,そのまま直進して,しばらく行ったところの右側にあったマクドナルドの駐車場に一旦車を入れ,Uターンする形で国道7を北上し,今度は,こともなく,ホテルの駐車場に入った。
 全国チェーンのトラベルロッジは,ここもプールがあり,朝食がついていて,あたりはずれなく無難に宿泊できる安価なモーテルである。

 さっそくチェックインをして -メイン州からドライブしてきたと言ったら驚いていたが- 部屋に荷物を運んだ。部屋は,めずらしく2階であった。
 再び,フロントで,ダウンタウンへの行き方を聞いたら,親切に教えてくれた。このままホテルの前の道をまっすぐにいけばいい,道が二股に分かれるから,とにかく,左へ左へいくこと,と言われた。

 アメリカで人に何かを聞くと,一見怖そうな人も,およそ,みんなとても親切なのだ。ただ,日本的なおせっかいがないので,ぞんざいだったり,説明不足だったりと感じることもあろうが,この波長になれてしまうと,それはそれで心地いい。経験上,そう思うようになった。何でも聞くといい。それと,何かをしたいときはそれを主張して許可をとってみるといい。たいていは親切に対応してくれる。

 ホテルを出て,言われたようにダウンタウンをめざす。道が広く,車が多く,言われた二股の道がどれかわからず,せっかく教えてくれたのに,湖側とは反対の山側の道に行ってしまったが,すぐに左折したら,正面に湖が見えた。大きなビルが立ち並ぶ,近代的な都会であった。
 夕方で,ビジネスマンが帰宅を急ぐ姿が見える。
 一度くるりと道を回って,町の様子を確認した。そして,とりあえず,パーキングメーターのある路上に車を停車した。
 通りかかりのおじさんがいたので,パーキングメーターの使い方を聞く。
 おじさんが言うには,ここのメーターは,午後6時以降は係が来ないから,それまでの料金を入れればよい,とのことだった。とりあえず,どれだけこのダウンタウンにいるかわからなかったことや,ダウンタウンで夕食をとろうとも考えていたので,6時まで約1時間あったからクオーター硬貨を4枚投入した。
 車から降りて,湖畔の繁華街のほうへ下ろうとした。車道はそのまま湖畔まで通じていなくて,突き当たりにビルがあり,左に回っていた。私は,徒歩なので,歩道をあるいていると,その先に公園みたいなところがあったので入っていった。そこは公園ではなく大学で,行き止まりであった。
 結局,湖のほうへ出ることはできず,ふたたび引きかえす。車を停めた場所を忘れないように確認しながら,今度は,道の突き当たりのビルとビルの間の狭い歩道を歩いていくと,うまく湖畔に出ることができた。狭い道は,ヒルトンホテルの間の通路であった。

 バーリントンは,バーモント州の西側に南北に延びる全米6番目の広さを誇るシャンプレイン湖の湖畔にある,全米で「住みたい街ナンバーワン」になったバーモント州の最大都市である。人口は4万人。見どころは,レイク・シャンプレイン・クルーズとキルトの展示で有名なシェルバーン美術館,そして,バーモント・テディベア・カンパニーとある。
 湖畔を歩いていたら,運よく,クルーズの乗り場があった。

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9月30日,アメリカ議会は暫定予算を可決することができず,政府機関が一部閉鎖となりました。国立公園や自由の女神像の観光もできなくなってしまいました。これもまたアメリカらしいというか。それにしても,私は,オバマケアをやり玉にあげるティーパーティに支持された一部共和党の原理主義は何とかならないものかと思っています。

DSCN2409DSCN2412DSCN2427DSCN2418 久しぶりに走ったインターステイツは快適であった。
 30キロほど走ると,「ストウ」という標示が見えた。乗ったばかりのインターステイツ89を,ウォーターバリーという町で降りて,標示にしたがって州道100の高原道路をしばらく北に進むと,まず,トラップ・ファミリー・ロッジという道路案内標示があったが,それを見送ってそのまま直進すると,ストウの町についた。
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 ストウの町は,州道100がそのままメインストリートで,メインストリート通り沿いに,ストウビレッジという昔ながらの雑貨店や教会がある,小さなきれいな町であった。その町の裏手にはトレイルが整備されていた。
 2時間まで駐車できるという路上駐車スペースは,ここも車で一杯であったが,それでも,いくらかは停められる余地があったので,車を停めて観光案内所に行った。
 そこで,まず,地図をもらった。スタッフがいたので,「見どころは」と聞くと,何がしたいのですか?と言われた。
 そりゃそうだ。こういう抽象的な聞き方はいけない。何か食べたのか,買いたいのか…。そう聞かなくてはいけなかった。「有名な場所はどこですか」と聞き直したら,トラップ・ファミリー・ロッジとストウ・マウンテン・リゾートであるということだった。
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 昨年訪れたノースダコタ州メドナというところは,小さいながらも素敵なところだったと改めて思う。
 駐車スペースは十分にあって,美術館もあれば博物館もあった。観光馬車もあった。レストランもあった。どこも観光客は結構いたけれど,混み合っているという感じではなかった。おまけに,すばらしいミュージカルで夜遅くまで飽きることはなかった。

 「地球の歩き方」にも載っていたトラップ・ファミリー・ロッジへ行こうと,再び車に乗って,教えられたように,観光案内所の横の狭い道を右折して地図を見ながら車を走らせるが,道が狭く,地図と実際の距離感がわからず,曲がるべき道を通り過ぎてしまい,マウンテン・リゾートまで行ってしまった。
 結局,ストウへ来るときに見た標示のあったところを曲がるほうが簡単だった。
 マウンテン・リゾートはスキー場で,夏場の今は,ゴンドラが動いていて,これに乗ると山頂からの絶景が眺められるということだったが,時間がなかった。巨大なロッジもあって,そこでは食事ができたり,ショッピングができたりするらしい。観光客はいるにはいるが,夏場のスキー場だ。そこで何をするということもない。
 どうも,きょうは,どこへ行ってもすべて中途半端な時間しかなかった。
 きっと,こうした山岳地帯を移動しながら観光すること自体が無理なのだろう。しかし,数日の休日しかなく,しかも日本から来て,こういう場所でのんびりするなんて不可能に違いないではないか。
 マウンテン・リゾートを後に,もう一度戻って,トラップ・ファミリー・ロッジへ行くことにした。道に迷いながら,ずいぶん戸惑ったが,なんとか,到着することができた。

 「ドレミの歌」で有名なミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」のモデルとなったトラップ一家が,ヨーロッパを離れてアメリカに移住し,最後にたどりついた,故郷アルプスをイメージさせるこの地ストウに,彼らは家を建てて農業をしながら音楽活動を続けた。
 この家が,現在,リゾートホテルとして営業しているトラップ・ファミリー・ロッジである。
 その広々とした館内は,高級感に満ち,ロビーには,トラップ一家のパネル展示もあった。
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 「サウンド・オブ・ミュージック」は,オーストリア出身のマリア・フォン・トラップによる自叙伝「トラップ・ファミリー合唱団物語」を原作とする。
 シスター・マリアが家庭教師として派遣されたのは,厳格なトラップ大佐と7人の子供たちが暮らす屋敷だった。規律が支配する中,心と閉ざしていた子供たちを,マリアは音楽の力で解放するのだった…。
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といったあらすじである。
 現在,このミュージカルは,日本でも劇団四季が名古屋で上演している。

◇◇◇
今年9月のNHK交響楽団の定期公演は,名誉指揮者ヘルベルト・ブロムシュテットさんによる,オールブラームスプログラムでした。A定期は,交響曲の2番と3番,B定期はハイドン変奏曲と1番など,そして、C定期は、ヴァイオリン協奏曲と交響曲の4番。バイオリンはフランク・ペーター・ツィンマーマン,私の大好きな4番交響曲となれば,ライブで聞かない手はありません。ということで,先週の土曜日にNHKホールまで,足を運んできました。
ブロムシュテットさんらしい,強弱のメリハリのある4番に,感激しました。当日は,第1コンサートマスターの山口裕之さん最後の定期演奏会で,9月定期最後のブロムシュテッドさんとともに,花束が贈られ,満員の観客から暖かい拍手が鳴りやみませんでした。
9月21日のNHKFMで作曲家の西村朗さんが話をされていたように,ブラームスの4つの交響曲の調性はハ短調,ニ長調,ヘ長調,ホ短調で,C-D-F-Eとなって,これは,モーツアルトの交響曲第41番の第4楽章の「ジュピター音階」と呼ばれるものと同じだということです。だから,ブラームスは交響曲を4曲書いて筆を置いたとか…。さらにいえば,このジュピター音階は,モーツアルトの交響曲第1番にも表れます。とすれば,ブラームスの4つの交響曲はモーツアルトの第1番交響曲から連なる系譜なのです。そして,パッサカリアはバッハです。
だから,再び書きます。
私は,ブラームスの第4交響曲第4楽章のパッサカリアに身をゆだねると,もう,浮世のことなどどうでもよくなってしまうのです。
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