「レッド・カーペット・イン・ブルックリン」に到着した。ホテルの敷地は塀に囲まれていて,塀の中の建物の隣の駐車スペースに車を停めた。ゲートがあって,この時はゲートは開いていたが,夜になるとこのゲートが閉められるかどうかはわからなかった。
ホテルからは,北に,ウィッコフ・アベニュー,西にホージー・ストリートという片側1車線の日本の道路のような狭い道があって,道路の北にはレストランやら,商店やらがあった。また,道路の西には,ガソリンスタンドがあった。
写真でおわかりのように,町は閑散としていた。近ごろは,インターネットやグーグルマップで,家にいても世界中の町の風景は見ることができる。しかし,その町のにおいとか雰囲気は絶対にわからない。ただし,実際にそこへ行ったことがある人には,記憶が明確によみがえって,とても懐かしい。
このホテルのあったところも,帰ってから見直してみると,また,行ってみたいなあ,と懐かしくなってくる。
ホテルの玄関を入ると,右手にフロント,中央に階段,左手にエレベータがあった。また,フロントの手前には簡単なキッチンがあって,コーヒーを飲むことができた。
フロントは,全面ガラス張りになっていて,スタッフはなまった英語を話した。
フロントがガラス張りというのが,これまでにない,「やばい」雰囲気であった。階段のところには,おばさんがたむろっていた。おそらく従業員であるらしい。ともかく,このホテルに私は連泊するのである。
チェックインをして,部屋に行った。古びたエレベータは,動くのか途中で壊れるのか,と心配になるような代物であった。
このフロントは半2階のような場所で,階段を使うと,0.5階分階段で上ると,2階に行くことができた。
くすんだ部屋に入ると,クーラーが音を立てていた。
アメリカのホテルのクーラーというのは,そうして,どこも,こうした日本では絶対手に入らないような旧式のものなのであろうか。うなるような轟音を立てる。昔のテレビのようなダイヤルがあって,強風やら弱風を切り替える。しかも,たいていの場合,部屋に入ったときに,クーラーのスイッチが入っていて,凍えるほど部屋は冷えている。
どうやら,この国には,節電とか節約とかいう概念がないらしい。ゴミも出し放題である。しかし,この国の広さが,そんな細かいことをどうでもよくしてしまう。 奥さんが5円,10円と節約して家計をやりくりしていても,旦那さんが毎晩5,000円,10,000円と飲み歩いているようなものである。
部屋には大きなテレビがあった。液晶ではなく,ブラウン管のものであった。
今こうして写真で見ると,けっこう立派なホテルに見えるかもしれない。きっと,できたときにはそれなりのホテルであったには違いない。
とにかく,荷物を置いて,小さなカバンにカメラやら必要なものを詰め直して,さっそくレンタカーを返すために部屋を出た。この荷物,部屋に置いておいても大丈夫かいな? と不安になったが,特に貴重品が入っているわけでもないから大丈夫であろう。ただし,ヤンキースタジアムのセキュリティが厳しいと聞いていたので,いつもより小さなカバンに詰め込んだ。
これから,また,ジョン・F・ケネディ国際空港へ行って,そこにある営業所にレンタカーを返して,今度は地下鉄でヤンキースタジアムへ急がなくてはならなかった。
午前11時すぎのことであった。野球の開始にはあと2時間であった。
そして,次にこのホテルに戻ってくるのは,深夜になるはずであった。
夏の暑い日のこと,私は,ボストンのフェン・ウェイ・パークで買ったレッドソックス特製の大きなカップを持っていった。これが失敗であった。このあと,ヤンキースタジアムに入るとき,レッドソックのカップが邪魔になって,結局捨てることになってしまったのがいまでも悔やまれる。
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