友人は,自分で,今日の予定を立てていたのにもかかわらず,どこへ行きたいかと聞いた。
私は,サンアントニオは,リバーウォークとアラモの砦くらいしか見どころは知らなかったので,まず,アラモの砦に行きたいと言った。なにせ,もう,10時過ぎであった。しかも,泊まっていたホテルの目の先でもあり,これまでにいくらでも行く機会があったのに,それを果たせないでいた。
友人は,そんなところはつまらないから,今日の予定の一番最後でいい,と主張した。
はじめて京都に旅行して,ともかく金閣寺(鹿苑寺金閣)に行きたいというのを,そんなところはつまらない,と言って,外国人にマイナーなお寺めぐりをすすめるようなものであった。しかも,昨日のことを考えると,きょう,一番最後でいいといったアラモの砦は,戻ってきたときにはすでに閉館時間を過ぎてしまっているのではないか,と思えた。
午前10時過ぎに出発するのであれば,この日の朝,自分ひとりで,朝一番に,アラモの砦など見学できたではないか。なにせ,ホテルから歩いて5分とかからない場所なのである。しかも,私は,友人に,そんなに忙しければ,自分ひとりで観光するから無理しなくていい,とまで連絡したのだが,それを彼女は無視した。
本当に,私は,サンアントニオに何をしにきたのであろうか,と思った。
しかし,この日友人が案内したところは,とてもすばらしいところであった。しかも,私ひとりでは,絶対に行くことができないところであった。それは,ほとんどの日本人には全くといっていいほど知名度のない名所であった。当然,私もこの日まで全く知らなかった。
サンアントニオの南部には,有名な古いミッションが四つ現存し,国立公園となっているのであった。
友人が行くと主張したのは,その場所であった。そこは,観光地化したアラモの砦なんかよりもずっとすばらいい所だと言った。そこが本当にすばらしいところだということをそのときは知らなかった私は,そこはかなり遠そうなところであったし,あまり気乗りがしなかった。しかし,まあ,どうでもよくなりつつあった私は,アメリカ人に自己主張をしても,日ごろの訓練ができていない日本人が勝てるわけもないと認め,友人の言いなりになることにした。
友人は,いつものように,iPhoneで行く場所を検索して,行き先を見つけたiPhoneの指示に従って,車を出発させた。
車は,目的地を目指して,サンアントニオの町中を走っていった。
ところが,ある交差点に差し掛かった時,友人は,突然,うしろのパトカー(といっても,ランドクルーザーのような車であった)に停車を命じられたと言って,車を道路わきに停めた。
私は,そのとき,いったい何が起こったのか,さっぱり理解ができなかった。
車線変更禁止の場所で車線変更でもしたのかいな,と思った。
しばらく,車の中でじっとしていると,後ろの車から,腕に入れ墨をした若いポリスが現れて,友人に,免許証となんらかの書類(車検証のようなものだろうか)の提示を求めた。提示すると,それを持って,ポリスはパトカーに戻り,また,しばらく待っていると,ポリスが戻ってきた。
私は,何を話しかけていいかもわからず,写真をとることもできず,動くとろくなことが起こらないだろうと緊張して,助手席に座っていた。
June 2014
「55歳からのハローライフ」-生きるのが不器用な人たち③
「55歳からのハローライフ」も第3回。
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定年退職してからずっと家でテレビに愚痴をこぼす夫(浅野和之)に耐えられなくなった55歳の中米志津子(原田美枝子)は離婚を決意する。夫とは違うタイプの男を求め,結婚相談所に登録して見合いを繰り返すが,思うような相手は一向に見つからない。優良会員限定の合コンパーティにも招待されるが,気おくれして退場してしまう志津子。会場のホテルのバーに入ると,そこで声を押し殺し独り泣いている30代の男を見つけ…。
・・・・・・
というのが,番組のホームページにあったあらすじですが,今回もまた,定年退職後の,しょうもない人生をおくる旦那なんですか! と思ってしまいました。
本当に,日本の男っていうのは,仕事以外にな~んもないんですかねえ。だったら,仕事に何か人生をかけたものがあるのかといえば,そうでもなさそうだし。でも、きっと,それは男がいけないというのじゃなくて,若いころから仕事以外に何もしてこなかった,というより,する暇を与えてもらえなかった,というこの日本の社会に問題がありそうです。
それは,定年退職間ぢかの男に限ったことではなくて,学生さんだって,部活・部活でほかにな~んもしていない。若い人が電車の中で携帯いじっているって,問題にしている人もいるけれど,実際は何してるかというと,ゲームしてるか動画みてるだけだし…。
本来は元気よく外で遊ばなくてはいけない子供たちなのに、少しでも時間があれば、意味のない塾通いをさせる母親は、そんな男の子の行く末がな~んも楽しみのない旦那だっていうことに気づいていないのかなあ。
話が脱線しました。そうそう,物語です。
離婚を決意して違うタイプの男を求め…,という「違うタイプの男」に,もし,若いころにめぐりあっていたとしたら,それはきっと安定した生活とは無縁だろうから,はたして,そのときには,女性はそんな男と結婚したのかといえば,きっとそうじゃあないだろうなあ,なんて,番組を見るまでは思っていました。
しかし,ドラマを見て,私には,この物語の場合は,旦那もそうですが,それよりも,この女性こそが人間的につまらないと思えました。しょうもない男性がたくさん出てくる(それにしても,出てくる男がヘンな人ばかりで,女性もかわいそう…)から,こういうお話の展開になるのだろうけれど,この女性にもそれほど魅力があるとも思えませんでしたから,きっと,この女性は,若いころにも,ときめいた恋愛をしたことがなかったのでしょう。だから,まだ,恋に恋している段階なのです。精神的には10代の女性のようです。
物語は,突然,展開します。やっと物語らしい出会いがはじまりそうになります。
しかしながら,若い男にとって,(かなり)年上の女性は,母性の対象にこそなれ,それだけのものです。
女性は,映画「ひまわり」を見て,若い男性に語るのですが,これは,本当は女性が自分自身に語っていること,そして,恋に恋していた自分にやっと気づくのでした。この物語の女性は,最後に,それを悟ることができたのが救いでした。
ただし,私には,この物語には物足りなさを感じました。どうして,元旦那が,退職後に,また,再就職をすることにそれほどの意味を持つのでしょう(経済的に… とはいっていましたが)。人生の目的は仕事ではありません。それが,その理由です。
「かなちゃん」1週間-ゴミを捨てたり集めたり
ワールドカップで,日本人のサポーター(応援団)が,試合の終了後にゴミを集めているのが話題になったわね。この行為は,国内外で日本のよさというか日本らしさとして報道されていたけれど,私は,それよりも,いつも日本の町の中にあふれるゴミのほうが気になるわ。
車で道路を走っていると,交差点の手前の中央分離帯なんて,ゴミだらけじゃないの。公園とかにある花壇なんかでも,植木の間にさりげなく空き缶がすててあったりするの。こんなに街中がきたない先進国って他に知らないわ。
私は,世界でサッカー場でゴミ集めをする日本人を報道しても,それは、実際の日本の姿じゃない,って思ってしまうわ。
アメリカでは,MLBを見に行くと観客席は食べ散らかしたごみだらけ。前にブログに書いたことがあるけれど,ゆでピーナッツを食べた人の周りなんて,本当に悲惨なものなのね。その一方で,国立公園に行こうものなら,本当にゴミ一つ落ちていないわよ。道路だって、ほとんどゴミなんて落ちていない。
町の中にゴミを捨てるのが平気なのに,スタンドでゴミ集めをする日本人と,スタンドではゴミだらけなのに,自然の中ではゴミを捨てないアメリカ人。
私は,日本で山歩きをしながらゴミを集めている人も知っているし,ゴミを捨てるのはすべての日本人じゃないっていうこともわかるけど,でも,この日本人の2面性は理解できないわ。
ある人がいうには,アメリカでスタジアムとかのゴミをそのままにするのは,そうしたゴミを集める人の仕事のため,雇用のため… とか。私には,その真偽はわからないけど。
でも,そんなことよりも私が一番心配するのは,そのうちに,野球を見に行ったりサッカーを見に行ったりしたときに,試合が終わった後で,みんなでゴミ集めを強要される姿,そして,それをやらないと非難されるようなことなのね。
そういうふうにだんだんと強制していくのが日本人なのね。
この国では,人の目ばかり気にして,それを過剰に反応して,みんな同じじゃなきゃいけなくなってくるの。だから,会社では,電話は3回鳴る前に出なくてはいけないとか,お客さんが見えなくなるまでお辞儀をしていろ,とか,お辞儀の角度は何度でとか,そんなくだらないことばかり決められるの。
だから,私は,日本では,外食をしに行っても,遊びに行っても楽しくない。だって,そこで働いている人が,心からもてなしているんじゃなくて,訓練された礼儀作法をただ実践しているだけだって,わかっちゃうんだもの。そして,自分がその立場だったら大変だなあ,って思っちゃうんだもの。
そもそも,ゴミ集めをするくらいなら,はじめから個人個人がゴミをださなきゃいいんだし。
あの、プロ野球の風船飛ばすのって何とかならないの。
私は自主的にゴミ集めをやっている人を非難する気はないけれど,それがそのうちに自主的じゃなくなって,強要になってしまうのが怖い。だって,これまでも,日本人って,いつもそうだったのだから。
2014春アメリカ旅行記-ミッションズ①
☆3日目 3月15日(土)
3日目の朝になった。外を見ると雨が降っていた。天気予報によれば,この後,雨は上がるらしいということであった。
いつものように,とても早く目が覚めたので,朝食を食べたり,あたりを散歩したりした。
サンアントニオという大都会も,ピッツバーグやらクリーブランドといったアメリカの普通の大都会と同じく,朝は静寂に包まれて,散歩していても気持ちがよかったが,まだ,少し雨が残っていた。
出会った人に,あいにく雨ですね,といった会話をしたが,すぐに上がるだろうと言われた。
やがて,午前9時を過ぎた。そして9時半になろうとしていた。しかし,友人からは何の連絡もなかった。
私は,だんだんといらだってきた。
本来ならば,この日の朝8時にレンタカーを借りて,ニューメキシコ州へドライブに出かける予定であった。友人が,2日間サンアントニオの観光をするから,変更するように言ったので,1日この予定を延長することになったのだった。
あすは,日曜日で,レンタカーの営業所(ホテルのカウンタ)が開くのは通常よりも1時間遅く,午前9時であった。しかも,昨日このレンタカーのカウンタに行ったときのことを考えると,時間通りに車が借りられとは思えなかった。だから,日曜日の出発になると,さらにニューメキシコ州へ出かける時間が遅くなってしまうのだった。ニューメキシコ州は果てしなく遠いのだが,それがさらに遠く感じてしまった。
こんな状況では,きょうまでしか予約のないこのホテルをチェックアウトして,今晩は友人が住む家の近くのホテルに移っても,あすの早朝に,友人が私をダウンタウンのレンタカーの営業所に時間通りに送ってくれるとはとても思えなかった。
私は,友人など当てにせず,今晩のホテルは自分で探して,明日の朝は自分で営業所に行くことを考えた方がよさそうだと思った。しかし,昨日,ホテルのフロントで観光客が満室だからと予約を断られていたのを考えてみても,今晩部屋があるとはおもえなかった。私は,ホテルのフロントで,もう1泊このホテルに宿泊できないかと聞いたが,やはり,満室ということであった。
アメリカには学生でなくとも春休みというのがあるらしく,今がその時期,しかも,月曜日はセントパトリックデーの祝日であった。日本のゴールデンウィークと同じであった。
ダウンタウンの近くのホテルはどこも高級ホテルだったし,きっとどのホテルも満室だろうと思った。いったい,今晩はどうなるのだろうかと心配になった。
そうこうするうちに,午前9時30分をとおに過ぎて,それでも,友人からは何の連絡もなかった。
昨日のこともあるし,友人のことなどどうでもよくなりかけていた。
もう,友人など無視して,変更した予定をまた変更して,きょうレンタカーを借りて,このままニューメキシコ州へ行こうと思って,レンタカーの営業所のあるマリオットホテルへ歩いていった。
もし,ここでレンタカーの営業所にスタッフがいたならば,私は,この日にレンタカーを借りて,友人を無視して,ニューメキシコ州へ旅立ったに違いなかった。しかし,レンタカーのカウンタには,すでに先客がいたが,スタッフは不在であった。その先客に聞くと,スタッフはレンタカーの駐車場に行っているのではないか,と言った。でも,きっとそうではなく,このスタッフがまた遅刻しているだけであろうと思った。
スタッフがレンタカーの駐車場に行っているのであろうと,それともきょうも遅刻しているのであろうと,これで私は気合いがそがれてしまって,私は,きょうレンタカーを借りるのをやめて,友人が来るのをいつまでも待とうと,泊まっていたホテルに戻った。
すでに午前10時を過ぎていた。
ホテルに戻ってみると,友人が不機嫌そうに,ホテルの駐車場に車を停めて待っていた。
彼女は,朝,家を出ようとしたときに,急に仕事が入って,なんらかのトラブルをかかえ,その対処に手こずっていたといった。困ったクライアントだ,と捨て台詞を吐いたが,私は私で,プライオリティはどっちだ,と思った。
今日もまた朝からそんな状況であったが,ともかくも,ホテルのチェックアウトをして,カバンを友人の車のトランクに詰めて,出発した。
「55歳からのハローライフ」-おもしろかったと言えたら②
・・・・・・
〈その8〉夫、妻、恋人よりも、大事なものはある。
〈答え〉それば比べる対象ではないでしょう。そういった生活の基盤があるうえでの趣味です。
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〈その9〉朝起きて「明日は今日よりもいい日になるはずだ」と自分に言い聞かせたことがある。
〈答え〉本当に悩んだときには,きっと,この悩みは解決する日が来るはずだ,明けない夜はない,と言い聞かせていたことはあります。ただ,明日が今日よりもいい日だというような軽いノリではありませんでした。きっこの問を作った人は,深い悩みを持ったことがない人でしょう。でも昨日のことは昨日で終わり,きょうはニューデイだというアメリカ人的思考は好きです。
・・
〈その10〉何歳からでも恋はできると思う。
〈答え〉ときめきは大切ですが,深みにはまらずほどよいバランスを取った方が,結局は長続きするし,幸せになります。
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〈その11〉恋人や伴侶次第で人生は大きく変わると思う。
〈答え〉変わります。人生観の違う人と結婚すると,老後は悲劇です。
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〈その12〉よし、今日から新しい人生をスタートさせてみよう!と思ったことがある。
〈答え〉ありますが,そういうことを真剣に考えたのは,本当に自分が不幸になったときです。気安くいう話ではありません。
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〈その13〉ひと眠りすると、ストレスや悩みがスッキリ片付く。
〈答え〉人眠りしたくらいで片付くようなストレスはたいしたストレスじゃないです。
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〈その14〉恋愛よりも友情だ!と思う。
〈答え〉思いません。
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〈その15〉他人のために一肌脱ぐのが好きだ。
〈答え〉一肌脱いでも,その人にとってそれがよかったかどうかは別物です。ほどほどの距離感が大切です。でも,本当に困っているときに,適切な手助けができる人にはなりたいです。
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〈その16〉自分の身がどうなっても、守ってあげたい人がいる。
〈答え〉これは頭で考えることでなくて,いざとなったときに,そういう行動が本当にできるかどかです。
・・
〈その17〉自分の老後には、理想の生活が待っていると思う。
〈答え〉老後というのをどの年代と考えるかですが,きっと,この問は,退職後間もないまだ元気なころの老後を想定しているのでしょう。そのころに理想的な生活ができるといいです。そのためには,こころから楽しめる趣味をもっているかどうかでしょう。そういう意味では,私はそう思います。でも,実際は,老いというのは,そんな理想的なものではないです。何かをしたいのに,体が動かない,とか,そうなったときに,精神的な支えだけで幸せに生きられるか…,でもそうなることは怖いです。元気な人が考えている老後というのは,まだ元気な本当の老後以前の時代のことです。
・・
〈その18〉最近、近くにちょっと気になる人がいる。
〈答え〉そういう気持ちは,生活のハリになるのでしょうが,それ以上を求めるのは,不幸になります。55歳にもなったら,そういうバランス感覚くらい持ちましょう。
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〈その19〉密かに、新しい恋を求めている。
〈答え〉精神的に,なら,すてきなことです。
・・
〈その20〉バッタリ再会してみたい昔の友人がいる。
〈答え〉きっと,歳をとって,あのころの友人とはかけ離れた,人生に疲れた人物が現れることでしょう。昔の友人にしても,恋人にしても。歳をとるというのは,残酷なものです。歳をるにつれて輝いて見える人が時々いますが,そうなりたりたいです。そういう友人なら会ってみたいですが,嫉妬するかもしれません。
・・・・・・
以上ですが,こうしたチェックを作ることって,結構大変だから,これを作った人は軽いノリだったのかもしれませんが,その苦労がしのばれます。私は,この質問に答えていて,これを作った人は,絶対に55歳よりも若い人だと確信しました。
「55歳からのハローライフ」-おもしろかったと言えたら①
朝日新聞の「政治・断簡」というコラムに,
・・・・・・
上野千鶴子さんの近著「女たちのサバイバル作戦」刊行を記念した,学生とのトークショーがあるというので出かけてきた。
・・・・・・
からはじまる記事がありました。
この中で,私がおもしろいなあ,と思ったのは,大学3年生の女性の,何をモチベーションにして,働くとか就活とかすればいいのかわからなくなってきた,という質問に対する上野さんの答えでした。
・・・・・・
自分が死ぬ時に,ああおもしろかった,と言えたらいいと思わない? それを基礎に考えたらどうですか。
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以前にも書きましたが,私は,これまでの人生で,仕事が楽しかった,という思い出はほどんどありません。仕事以外には,ああおもしろかったと思えることは,数限りなくあって,きっと,そうしたおもしろかったということは,仕事というおもしろくなかったという裏の面があったからこそ,ああおもしろかった,と言えるのかな,と思ったりもしています。
それでは,就活のモチベーションにはなりません。おもしろかったという人生を送るために,つまらない仕事をがまんしなない,なんて。
だけど,そう思えば,表裏一体,水道と下水じゃないけれど,紙にも表裏があるように,それでひとつの人生と完結と考えれば,気が楽にもなるというものですかねえ。これは,自分に対する言い訳です。
そんなこれまでの人生ですが,NHK総合のドラマ「55歳からハローライフ」のホームページを見ていたら,おもしろい「YES/NOチェック」というのがあったので,私もそれに答えてみました。以下の質問は,そのホームページからの引用,答えは私の意見です。
・・・・・・
〈その1〉時々、自分にはもっと別の人生があったのではないか……と思う。
〈答え〉きっと,あったでしょうけれど,それはそれで,同じように悩みや喜びがあったでしょうね。今の自分を考えると,別の人生が今よりもマシだったとは思えません。きっと,そのときはそのときで,同じようないろんなことが起こったことでしょう。ただし,私はこれまでの人生で,この人に会わなければよかったと思う人が3人います。
・・
〈その2〉今から新しいことをはじめるのは面倒だ、とよく思うようになった。
〈答え〉「今から新しいこと」っていうのは面倒というより,私はやめた方がいいと思います。そうじゃなくて,今までやってきたことをさらに充実させる,っていうことのほうが絶対にいいです。たとえば,退職したら,何か楽器をはじめる,とかいうのじゃなくて,たとえば,若いころにピアノを習っていた人なら,それを再び始める,ということのほうが楽しいんじゃないかと思います。そういう意味でも,若いころにいろんなことを身につけたという投資は大切です。
・・
〈その3〉気づいたら、1日が終わっていることが多い。
〈答え〉それはないです。週末に,今週は1週間が短かかったな,とか思うことはよくありますが,その日その日は,そう思ったことはないですね。
・・
〈その4〉いつかゆっくり旅に出てみたいと思う。
〈答え〉これは,いつかゆっくりでなく,思い立った時にやらないとだめでしょう。時間は作ろうと思えば作れます。無理してでも作れない人は,「いつか」も作れません。よく,そういう言い訳をする人がいますけれど,そういう人に「いつか」が訪れたことはありません。
・・
〈その5〉もしも昔に戻れるなら、やり直したいことがいくつもある。
〈答え〉今は特にないです。自分の能力は変わりませんから,きっとやり直しても,同じ結果だろうと,そう思うようになったのは,歳をとりすぎたせいでしょう。
・・
〈その6〉ペットを飼ってみたいと思ったことがある。
〈答え〉私はペットには残念ながら興味はないです。そのことによって,たとえば,長期の旅行ができないとかいう自分の時間や行動に制約ができることは,私の価値観ではありません。ペットを飼うよりも旅行をしたりすることの方が大切なのでしょうね。
・・
〈その7〉犬派か猫派かと言われれば、犬派だ。
〈答え〉犬派ですね。犬には裏がなさそうです。
・・・・・・
2014春アメリカ旅行記-ジャーマンタウン⑥
このようにして,この旅の2日目は,時間を大いに無駄にしつつも,私ひとりでは絶対に行けない,また,することのできない経験することができた。
今晩は何を食べるかと聞くので,私は日本食にしようと言った。それはそれでよいのだが,今日は金曜日,どこも混んでるという。どの国でも,週末の外食産業はよく賑わっている。
普通の人は,旅に出たときくらいは,といって,ご馳走を食べるものであるらしいのだが,いつも書くように,私は,食べ物にはまったく執着しないので,ひとりなら,どこで何を食べても平気である。だから,普段ひとりで旅をしているときは週末の混雑するレストランは無縁なのである。
友人は,考えた挙句,これまで一度も行ったことはないけれども,といって,「KAI」という名の,日本食レストランへ連れて行ってくれた。日本でもよくある郊外のバイパス沿いのファミリーレストランのようなところであった。
中はかなり広く,家族連れで混雑してはいたが,空席はあって,すぐに入ることができた。
日本食レストランとはいっても,日本食以外にもいろんな種類の食べ物が用意されていた。
私は,興味が半分,食べたいのが半分で,寿司を食べることにした。
メニューを見ても,巻き寿司の類が多く,ふつうの握り寿司を探し出すのに苦労したが,ちゃんと江戸前の握り寿司がメニューにあるのをようやく見つけ出して,それを注文することにした。
友人は,きょうは私に任せると言ったので,ちらし寿司を食べてもらおうと,まず,ちらし寿司とは何かを説明し,彼女はそれを納得したので,それを注文した。アメリカ人は,お任せとはいっても,納得しないでお任せにはしない。
ついでに味噌汁を注文したら,白みその味噌汁がでてきた。お椀にはスプーンが入れてあったのがなにかとても奇妙であった。
握り寿司は,非常においしかった。まとも?な握り寿司であった。ただし,わさびは別になっていた。要するにさび抜きであった。ちらし寿司も,日本のものと全く変わらないちらし寿司であった。というよりも,日本よりもおいしいくらいであった。
しかし,ここはサンアントニオ,海からさほど近くなし,生魚はどこから仕入れているのであろうか。
きのうは,食事をごちそうになったので,今日は,なんとなく,私が支払うことになった。
今後のことを考えると,今後は食事は割り勘にしたいのだが,いったいそれをどう提案すべきか,思案に暮れていた。
ともかくも,こうして,2日目は過ぎて,ホテルまで送ってもらった。
明日ホテルに迎えに来る時間は,朝,改めて連絡するという。友人は,とても忙しそうであった。
明日はいったいどうなることであろうか⁈
2014春アメリカ旅行記-ジャーマンタウン⑤
サンアントニオから北西に行ったところにあるフレデリックバーグから東に,ちょうど,サンアントニオから北の方向になるのだが,ジョンソンタウンという町がある。
ここは,ジョンソン大統領の生まれ故郷なのであるが,このフレデリックバーグとジョンソンタウンにかけては,この地の名産モモの果樹園とブドウ畑が続いていて,特に,ブドウ畑には,多くのワイナリーがある。
ジャムの試食にすっかり満足した友人は,今度は,私をワイナリーに連れて行こうと,いつものようにiPhoneをいじって検索を始めた。
地図を片手に車に乗っていた私は,このころには,すでに,この場所の土地勘が目覚めていて,しかも,ほとんど道路といえば1本しかないテキサス州のことゆえ,カーナビなどなくても,場所がわかるようになっていたから,友人のやっていることがまどろっこしくて仕方がなかった。
やっとのことで,場所を見つけた友人は,ワイナリーに向かって車を走らせながら,もう遅いから閉まっているかもしれない,と言った。
フレデリックバーグで雑貨屋と試食に多くの時間を費やしておいて,もう遅いと言われても,と思った。第一,今日は出だし自体,1時間近いロスなのであった。
私には,この友人の時間感覚が理解不能であった。
やっとこさ見つけたベイカー・ワイナリーという名のワイナリーの入口からさらにさらにブドウ畑の中を続く道に沿って車を延々と走らせていくと,突き当たりに広い駐車場があって,その向こうには1軒のワインショップが見えた。車を停めて中に入った。
中では,多くに客がワインの試飲をしていた。しかし,この店は,すでに,営業を終了するところであった。
友人は,店員に,他にまだやっているところはないかと聞き,そして,やっと,別の店を聞き出して,再び車で,その,別のワイナリーに向かって,さらに,延々と車を走らせた。
なにせ,テキサスはだだっ広いのである。
新たに見つけたワイナリーは,ミードウ・ワイナリーといった。このワイナリーも,すでに,閉まったばかりであった。
人がいて,横から入れば何とかなる,といったので,入っていくと,数人の客がワインの試飲をしていた。我々は,そこに加わることができた。
そこで友人と10種類ほどのワインを試飲した。日本の利き酒のようなものであった。
正直言って,私は,ワインには興味がない,というか,お酒はどれだけ飲んでも大丈夫なのであるが,普段お酒を飲まない。飲みたいとも思わない。だから,私が,試飲をしても,猫に小判なのであるが,とりあえず,ワインを味わいながら,感想を語り,順位をつけたりした。
私のような素人にも,いろんな種類のワインはそれぞれ立派な個性があって,味わう順序を変えれば,また,別の評価になるような気がした。
こうして試飲を終わり,サンアントニオに戻ることになった。
「55歳からのハローライフ」-生きるのが不器用な人たち②
NHK総合のドラマ「55歳からのハローライフ」。第2話のあらすじは,次のとおりです。
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55歳の高巻淑子(風吹ジュン)は,夫(松尾スズキ)が定年退職して,ひとり息子も海外赴任すると,念願だった柴犬を飼うことにする。近所の愛犬家とも交流するなかで,淑子は義田(世良公則)というデザイナーの男にほのかな恋心を抱く。しかし,柴犬は心臓肥大の難病にかかってしまう。淑子は犬嫌いの夫と喧嘩して,愛犬と共に三畳間のクローゼットに閉じこもる。寝食を惜しんで懸命に介護にあたる淑子。見かねた夫も介助をし始めるのだが…
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風吹ジュンさんはこの番組の宣伝もかねて,土曜スタジオパークに出演されていました。
若き日にアイドルとして登場した風吹ジュンさんももう62歳なのだそうです。この番組で,若いころは,自分を高めたり認めてもらうために,大変な思いをするけれど,この歳になると,楽しいことばかり,という内容のお話をされていましたが,まさに,同感です。
その,風吹ジュンさんが主人公の第2回の内容は,ペットです。
実際,ペットを飼うというのは,好きな人とそうでない人の違いが大きく,好きな人同士が結婚すればよいのでしょうが,この物語のように,犬嫌いの夫の元で,犬を飼うというのはなかなか大変なものでしょう。
私はペットは苦手なので,ペット好きの人とは結婚できないなあ,と若いころに思ったので,このお話のようなことは私にはあり得ないのですが,世の中には,歳をとったときにこうした問題を抱える夫婦は結構多そうです。これだって,第1回のキャンピングーと同様,長年の夢だったものを退職後に実現しようとして,夫婦の間の夢の違いが問題になったということと,本質的には同じです。
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旦那は誰が読むとも思えないブログを書き…,には笑ってしまいましたが,妻は夫の嫌いな犬を飼い,一緒にホームパーティに出て… いわば,仮面夫婦というやつですね。
犬が病気になって,いろんなことがあって,そして,そうしたことを通して,お互いの気持ちがわかってくる…,まあ,そんなあらすじは見なくてもわかります。しかし,口下手な夫が,自分の気持ちを言えず,というのは,55歳というよりも,もう少し歳をとった人に多い日本男子の姿ですね。
でも,もう少し,旦那さん,奥さんにやさしくてもいいんじゃないかなあ。
このお話には,第1話に出てきたカップルがちょっぴりでてきて,物語が繋がっているということがわかります。この2組の夫婦は同じマンションに住んでいるのですが,暮らし向きが少し違っているように見せようとドラマの美術さんたちが工夫されたそうです。
隣の芝生は青いといいますが,外見から見ると仲がよくて幸せそうでも,みんないろいろあるんだな,と思わせるところが,このお話で一番いいたいことだったと,私は思いました。
「かなちゃん」1週間-お金と時間と手間をかけない。
わずらわしいことには,お金をかけない,時間をかけない,手間をかけない。
これが私の生き方。
で,その分,人生を楽しむことに時間と手間をかけるの。
たとえば,旅をするときは,普通電車に乗って,多少不便でも,乗り降りする人たちを眺め,景色を眺め,気の向いたところで降りて,駅前の,ちょっとした食堂でお昼と食べるとか。
そんなことに,たまらなく幸せを感じるわ。
だから,リニア新幹線ができても,私には関係ない。
それにしても思うのは,これから,お年寄りが増えて,お仕事を辞めた後に,楽しみがない,っていう人が多いことね。
たとえば,普段なら,早起きしても,図書館もスーパー銭湯も,ショッピングモールも,たいていはじまるのは,朝の10時。だから,その時間まですることがない,っていう人が多いわけね。
旅行に行くとしても,どのように旅をすればいいかがわからないから,結局,団体旅行で,たくさんお金をかけていくことになってしまうわけね。
家にいても仕方がないって,せっかく退職したのに,いつまでも,仕事を探す人とかも多いわね。まあ,ひとそれぞれだけど,せっかくの自分の大切な時間の使い方がわからないっていうのは,残念なことだと思うわ。
勉強したい,っていって,なにか習い事をはじめてもいいんだけれど,そんなことにもお金をかけなくても,BSで放送大学をやっているから,無料で1日中かなり高度なことを勉強できるわよ。
散歩するなら,カメラを持って,家の近くの公園に行けば,遠くに行かなくても,たくさんきれいな写真を写せるわ。
食事をするにも,何も,豪華なものを食べに行かなくても,身近なところにおいしいものってたくさんあるわよ。
それに,夜になれば,空にはお星さまが輝いているし,私には,暇を持て余す,っていうことが信じられないのだけど。
そんな生活をして幸せを感じるのも,結局は,身の周りのちょっとしたことにも感動できるかどうか,っていうことなのね。
やっぱり,感動できる心を自分で育てることが,一番大切なのね。時間と手間をかけて。
2014春アメリカ旅行記-ジャーマンタウン④
太平洋戦争国立博物館は,太平洋戦争の開戦から終戦までが,数多くの資料やら説明やらで展示してあった。
太平洋戦争のアメリカ側からの見方がよくわかって,非常に興味深かった。
日本の資料も多く展示してあった。その中には,千人針だとか,寄せ書きをした国旗だとか,飛行機だとか戦車,はたまた潜水艦までがあった。
アメリカ人からみると,理解不能なものも多いので,私はいろいろと説明を求められて,困ってしまった。「大和魂」なんて,どうやって説明すればいいのだろう。
アメリカ側のものの中には,兄弟全員が派兵されて,同じ船に乗っていたために,全員が死んでしまった。悲しんだ母親が大統領に訴えて,それ以後は,兄弟は,必ず別の乗り物に乗るように配慮されるようになった,という出来事が,1つの大きなコーナーに展示してあった。こういうことが大きく取り上げられている,しかも,こういった決断が美談として語られるというのは,きっと日本にはあり得ないであろう。私は,人権というものの考え方の違いを深く考えざるを得なかった。
きっと私ひとりなら,この博物館に入ったかどうかわからない。もし,入ったとしても,ここで2時間も費やすとは思えなかったから,この博物館に行くことができて,とてもよかったと思った。
次に友人が私を連れて行ったのは,雑貨屋であった。
日本の百均のような店であった。アメリカにも百均(99セントショップ)なるものは存在するが,この店は,そうではなく,ただ,雑貨がたくさん,値段の安さが売り物の普通の店であった。
友人は,この店安いから… といっていたが,ほとんどのものは,作りの悪い一昔前のメイド・イン・チャイナであって,それも,日本の百均と同じ品物が300円近くした。
この町は,そんな雑貨屋でなくほかに結構おもしろい店がたくさんあって,歩いているだけでも一日は十分に楽しめるところであった。
私には,もっと見てみたいものもたくさんあったのだが,どうも,この友人の興味は,ちがったようであった。
なにせ,今日の出だしが遅く,しかも,太平洋戦争博物館に2時間近くも費やしてしまったのに,その後でどこか気の利いたレストランで町の雰囲気を味わいながら昼食をとるということもなく,というより昼食をとらないので,私にはだんだんと,訳が分からなくなってきた。
昼食の代わりに行ったのは,ジャムやら漬物やらを売っている店であった。ここもそれなりに面白い所であった。
建物の中に多くの小売店が入っていて,それぞれの店には,自家製のジャムやら漬物やらを売っているのであるが,それを試食できるのだった。
その方法は,左の写真のように八橋の小片のようなビスケットがたくさん置いてあって,その上に気に入ったジャムを塗って試食していくのである。
アーモンド味とかバナナ味,フルーツ味のようにおいしいものから,ニンニクジャムといった日本で食べたことのない得体のしれないものまで,さまざまなジャムがあった。
はじめのころは楽しかったのであるが,だんだんお腹が膨れて,さらに,これまでに食べた味が食べたこともない妙な味と合わさったりで,だんだんと気持ち悪くなってきた。昼食をとっていない空腹に,この味は堪えた。
ここは日本のデパ地下の試食コーナーを巨大にしたようなものであった。
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このようにして,この町の散策は終了した。
名古屋から高山市までやってきて,どこかの博物館に2時間滞在して,地元の雑貨屋でしゃもじでも買って,そのあとで漬物の食べ比べをした1日だった,とでもいえようか。
2014春アメリカ旅行記-ジャーマンタウン③
そうこうするうちに,午前10時少し前になったころ,友人がやっと現れた。
きょうは,フレデリックバーグという名のジャーマンタウンに行くのだという。フレデリックバーグは,サンアントニオから車で1時間ほど,インターステイツ10を北西に走って,さらに,コンフォートという町で国道87を北に20分走ったところにあった。
この人は,ここがよほどお気に入りだと見えて,わずか数日の滞在のうち,2日も私をここへ連れて行った。
名古屋に遊びに来た友人が,今日は京都へ,明日は奈良へ,と期待していたのに,連日高山に連れていったようなものだ。
後で書くが,結局,この旅の中で,5日間この友人と行動を共にしたが,もし,私ひとりで同じ行程をたどるのであれば,案内された場所を観光するには2日間で余りあった。私ひとりなら,残りの3日のうち,2日は,エルパソやら,別のテキサスの名所を観光したであろう。そして,もう1日は,きっと,ヒューストンへ行って,NASAを見学したことであろう。
私にとって,きっと,人生で最初で最後のサンアントニオ,時間は,貴重であった。
立場を変えて,日本を6日間旅行する外国人を案内することを考えてみよう。東京に3日,京都に3日,朝の出発は11時,1日目は東京タワーのみ,2日目は新宿で1日お買いもの,3日目は京都へ1日かけて移動し,4日目は二条城のみ,5日目は金閣寺… こんな旅をしているようなものだった。
フレデリックスバーグ(Fredericksburg)は,テキサス州の中央部,テキサス・ヒル・カントリーに位置する都市で,ジルスピー郡の郡庁所在地。人口は約1万人。テキサスのドイツと呼ばれている。
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1846年に設立されて,プロイセンのフリードリヒ王子に因んで名付けられた。昔のドイツ系住人は,この町をフリッツタウンと呼ぶことが多い。これは,ドイツ系開拓者の第1世代が英語を学ぶことを当初拒否したために残った方言である,ここはテキサス・ドイツ語が話されていることでも知られている。
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フレデリックバーグのメインストリート沿いには多くの店が並んでいて,アメリカのこうしたよくある町と同じく,歩道沿いに駐車帯があって,ここに車を停めて,ウィンドウショッピングや食事を楽しむことができるようになっていた。
さらに,町はずれには,軍の施設やら太平洋戦争国立博物館などがあった。
車に乗って,途中でガソリンを入れ,冷たい飲み物を買ってもらって,さらに,1時間車に乗って,インターステイツから郊外のももの果樹園やらブドウ畑の続く片側1車線道路を走っていくと,やがて,町が見えてきた。ドイツ語の表示やら,レストランやらが見えてきて,リゾートタウンのようになってきた。
ここが,フレデリックスバーグであった。
メインストリートの両側の駐車帯は車で一杯であった。ここが目的であるのから,もっと朝早く出発すれば,すべてがうまくいくのに,これは,観光旅行で最も要領の悪いパターンであった。
日本人でも,こうした観光をする人は多い。彼らは,渋滞を体験するために観光をしているようなものである。
ともかく,町のはずれまで行って,やっと,車を停めることができるスペースを見つけ,駐車した。
メインストリート沿いには,おもしろそうなお店やら博物館やらがあったけれど,友人は,そこをどんどんと過ぎていって,車を停めたのとは反対の町はずれにあった,太平洋戦争国立博物館に,私を連れて行った。
友人は,ここで,それぞれが支払いましょうと言うでもなく,自分だけクレジットカードでチケットを購入して,さっさと中に入っていった。
この博物館は,かなり大きくて,太平洋戦争に関する非常に興味深い展示がたくさんあった。日本には,これほどの規模の博物館はない。私は,ここで,規模こそ違ったが,昨年の秋に行った鹿児島・知覧の平和記念館を思い出していた。
太平洋戦争に関して,縁もゆかりもなさそうなこの場所にこれだけの規模の博物館があって,そこに多くの観光客,しかも,若い人たちが訪れていたことが驚きであった。それに,戦勝国だからなのかもしれないが,こうした,過去を直視し学ぼうとする国民性にも,正直,驚いた。さらに,こうした博物館が,日本ではほとんど知られていないことが,一番の驚きであった。
「穴」-不条理な社会の現状肯定物語かな?
第150回芥川賞受賞作の小山田浩子作「穴」を読みました。
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夫の転勤にともない、彼の実家の隣に住むことになった女性が落ちた穴。不思議の国のアリスを思わせるその穴と、彼女が出会った「いるはずのない義兄」とは。
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というのが,この小説の紹介文なのですが,私は,なんだか,小川洋子さんの小説を読んでいるような気分になりました。
だから,結局,彼女には何事かが起きたのか,それとも,起きなかったのか…。
それは,読んだ人それぞれで判断が異なることでしょう。日常の些細な出来事を,常に重大事ととらえる人と,さりげなくやり過ごす人によって違ってくるということと同じだからです。
また,登場する人たちが善人か悪人か,そんなことも,この小説には,どうでもよいのです。
実際,人をそういった概念でひとくくりすること自体が間違っているのです。私には,自分の生き方に煩わしく関わってくる人は悪人だし,ほっといてくれる人は善人です。そんな私の判断基準で考えれば,この物語に出てくる夫も,夫の兄として現れる人も善人です。
この主人公の女性は,仕事を辞めて,それまで自分のやっていたことは何だったんだろうとむなしくなったりするのですが,私は,そんなことに意義を見出さなくてもいいじゃないか,と思ってしまいます。
世の中には,自分のすることに意義を見出さなければいられない人がたくさんいます。
そういった理由から,なにがしかの意義を求めて,他人と関わりを持とうとするのですが,結局,それが他人に迷惑をかけていることが結構あるんだ,っていうことに気づいていない人が多いのです。別に,仕事をやめたって,一日中暇を持て余すこともないわけだし,義祖父にどうかかわかるかっていうのも,相手の問題ではなく,所詮は,自分の内面の問題に過ぎないのです。
そんなわけで,私自身は,正直,この小説の主人公のような感性の女性は好きではないので,残念ながら,この本を読んでも,主人公に同化することはできませんでした。
しかし,小説を読んでいるときに浮かぶ潜在的な風景には,懐かしさがとてもよみがえってきました。要するに,この小説は,人物描写よりも,こうした田舎の自然描写のほうが素敵なのだと思います。だから,逆に,妙に現実感が薄い,という多くの批評にもなるのだと思いますけれど。
この物語の最後で,主人公は,コンビニのアルバイトを始めて,だんだんと田舎の奇妙な秩序の中の一員になっていくということになるのですが,それこそがどこにでもある日常。
そうして,人は,何やかやといっても,働く意義だとか生きがいだとかいっても,だんだんとみんなと同じように平凡に歳をとっていくのだよ,といった現状肯定物語というのが,この小説のありふれた結論なのでしょう。
そんなありふれたストーリーだけど,芥川賞の選考委員の作家の皆さんの好みなのか,この小説に中にもやはり,老いというものが見え隠れしていると感じるのは,私自身の老いのせいなのでしょうか。
しかし,日常の中に潜む老いというものをこの物語で十分に語るには,著者の年齢から考えてもむずかしいことなので,そのことがもの足りないと思うのは仕方がないのかもしれません。
でも,2012年の受賞作である鹿島田真希さんの「冥土めぐり」もそうでしたが,私は,こういうけだるい空気の流れる,そして,ある種の世の中の不条理さの描かれた小説は嫌いではありません。
2014春アメリカ旅行記-ジャーマンタウン②
まだ,午前8時には少し時間があったので,しばらく待っていたのだが,8時を過ぎても,スタッフは現れなかった。
こんなことでは,実際に車を借りるときも大丈夫かな? なにせ,私は,朝の1分という時間が貴重な旅行者なのである… と心配になったころに,つまり,午前8時を15分くらい過ぎたころに,ハーツのスタッフらしき男がショルダーバッグをかけてすたすたとこちらに向かって歩いてきた。そして,私を見つけるなり,遅れてごめんでもなく,さも,俺はおまえの友人だとでもいう感じで握手をしてきた。これがアメリカ流なのであろうか。これで遅刻をごまかされた。
私は,そういういい加減さは決してきらいでないけれど,ちょっとあっけにとられた。
そのあと,彼はもっていたキーでコンピュータの電源を入れ,おもむろに仕事をはじめたのだった。私の,レンタカーの借りる日と返す日の変更は,こうして15分遅れですんなりと終わった。
次に,昨日動かなかったシェイバーの電池を購入しようと,再びリバーウォークを歩いていると,ちょっとした電化製品やら衣料品を売っているショップがあったので,そこで,電池を購入した。
ちなみに,アメリカでは,乾電池は,単1,単2,単3,単4ではなくて,D,C,AA,AAAという表示になる。
この日の夜,購入した乾電池に入れ替えても,やはり,シェーバーは動かなかった。ところかまわずたたいていると,やがて,眠りから覚めたかのように,シェーバーは動き出したのであった。そして,シェーバーは何事もなかったかのように,幸い数日間は機能し続け,帰国2日前に,再び,冬眠を決め込んだのであった。だから,帰国したときには,私は無精ひげ状態であった。
そんなことをしていたら,2日目の朝も,午前9時になったので,私は,友人の到着を待つためにホテルに戻ったのだった。ところが,ホテルでメールを見てみると,少し遅れるかもしれない,という連絡が入っていた。することもなく,もう一度朝食(きょう二度目の朝食である)をとりながら,友人が来るのを待っていたが,午前9時30分を過ぎても姿かたちもなかった。フロントでは,宿泊客が入れ替わり立ち代わりチェックアウトをしたり,ホテルの予約をとったりしていた。飛び込みでホテルを予約しに来た客は,満室といって断られていた。
私は,だんだんと腹が立ってきた。午前10時なら10時とはじめから決めれば,アラモの砦は9時に開場するから,待っている時間でひとりで十分に見学ができた。予定がわからないというのが,私には気に入らなかった。どうして,貴重な数日しかない休日にアメリカに来て,ホテルで待ちぼうけをしなくてはいけないのであろうか…。
2014春アメリカ旅行記-ジャーマンタウン①
☆2日目 3月14日(金)
いつものように,寝たのか寝なかったのかわからぬまま,ひと晩が過ぎた。
早朝,フロントに行ってみたら,もう朝食が用意されていたので,フロントの一角に併設された場所で,朝食をとった。トーストとジュースとコーヒーという,いつものモーテルの朝食であった。
そのあと,まだとても早かったので,ホテルのまわりを散歩して,町の様子になじもうと思ったが,夜が明けておらず,あたりは真っ暗であった。
ホテルから南に向かって歩いていくと,サンアントニオのダウンタウンに出た。ダウンタウンは日本の都会の繁華街と変わらぬ感じであった。しばらく歩いて,今度は,東に方向を変えると,ビルの谷間に有名なリバーウォークが見えた。ビルに囲まれてはいるが,きれいな小川が流れていて,その川岸に遊歩道が続いていた。
私は,ビルの谷間にあったリバーウォークに降りる階段を見つけて,リバーウォークに降りた。
まだ,早朝なので,レストランなどは開いておらず,川にも,掃除をする船が下っている様子であった。時折,ジョギングをする人や散歩をする人がいて,静かでとてもすばらしき景観であった。
こうしてリバーウォークを歩いて行くと,ところどころでビルの入口に通じていたりしていて,そうしたビルの入口を入っていくと,そのままホテルに行くことや,レストランに行くことなどができた。
サンアントニオはすてきな街であった。
リバーウォークを歩いてホテルの近くまでもどると,アラモの砦も簡単に見つけることができたが,開園は9時からで,入口前の広場では,軍人が何やらの訓練をしていた。
アラモの砦から,再び,今度は地上を歩いていると,アフリカンアメリカンの若者がヘッドフォンをかけて日本製の一眼レフをぶら下げ陽気に向こうから歩いてきた。
私に声をかけて,アラモの砦はどこかと聞いた。
私だって観光客で,この日がサンアントニオ初日であるのに,すでに土地勘もできて,すっかりサンアントニオの住民気取りになっていたので,しっかりと道案内をしてあげた。
どこから来たかと聞くと,ロサンゼルスだと言った。つまり,ロサンゼルスの若者がひとり旅でサンアントニオに来たということであった。日本のカメラ(ニコン)を自慢していた。仲よくなって,お互いに写真を撮りあった。
天気は快晴。素敵な1日のはじまりであった。
きょうは,友人が午前9時にホテルに迎えに来るという約束であった。
私は,友人が来る前に,明日から借りることになっていたレンタカーの予約を変更しようと思った。レンタカーの営業所は午前8時からということだったので,とりあえず,レンタカーの営業所を探すことにした。レンタカーの営業所は「リバーセンター」にある,と聞いていた。
私の想像していたレンタカーの営業所というのは,レンタカー会社の小さい建物があって,そこに,駐車場があるというものであった。しかし,ダウンタウンを探しても,あたりはビル街で,それらしきものが見当たらなかった。こんなことはいつものことなので,営業所の正確な住所は事前に調べてあったから,「リバーセンター」と書かれた標示のところにホテルがあったので,そのホテルに入って,従業員に聞いてみたら,とても親切に教えてくれた。
ホテルのプロントをそのまま中に入っていくと通路があって,それをこえたところに営業所はあるということであった。いわれたとおりに中に入っていくと,レストランやら売店が並んでいて,その間に狭い通路があった。日本にもよくあるホテルの1階と同じような感じであった。そのまま歩いて行くと,行き止まりになってしまったが,その突き当りにはドアがあって,そこから外に出ることができるようであった。そこを出ると屋外の通路になっていて,その向こうに別の建物があった。
その建物に入っていくと,別のホテル(マリアットホテル)のロビーになった。さらにしばらく歩いて行くと,ホテルのフロントの奥まったところに,やっとハーツのカウンタが見つかった。それは,私が思い描いていたレンタカーの営業所ではなくて,それはホテルのフロントの一角を占めたハーツのカウンタなのであった。
「55歳からのハローライフ」-生きるのが不器用な人たち①
私は就職してからずっと,56歳で早期退職をするつもりで計画的に生きてきたのだけれど,上司のパワハラで,思いがけなく51歳で退職をしてしまいました。その後は,セミリタイヤを決め込んで,好きなことをして生きてきました。その結果,これまでに書いたように,私は,自由に生きるのには,贅沢をする必要などなくて,精神的に満ち足りることが一番大切だと思うようになりました。
私が時々行く海外旅行を贅沢だという人がいますけれど,そういう人に限って,実際は,私が海外旅行をするお金の何十倍ものお金をつぎ込んで外車を買っていたり,多額の住宅ローンを抱えていたりするのです。価値観や生き方は人それぞれですが,時間やお金の使い方もまた同じことなのです。他人と比べる必要はありません。自分は散財しておいて人を羨むのはお金の使い方が間違っているのでしょう。
NHK総合で放送している「55歳からのハローライフ」というドラマは,村上龍さんの書いた本をもとにした5編の作品です。私は,原作は読んだことがないので,このドラマの出来不出来とかいうことでなくて,ドラマに描かれた人たちについて,私が思う感想というか評価を,生意気にも書いてみたいと思います。所詮,物語だから,現実以上に典型的な人物像が描かれているわけで,早期退職者の先輩である私にはこういうことを書く資格が少しはありそうだしね。
第1話の主人公は,58歳で早期退職をしてキャンピングカーで自由に旅をするという生き方を家族に反対されて,もう一度再就職を目指す,という人の話でした。
番組のホームページには,次のようにあらすじが書かれています。
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58歳で早期退職した富裕太郎(リリー・フランキー)は「キャンピングカーを買って旅に出る」という老後の計画を妻(戸田恵子)から拒否されます。
既に手付金だけは支払っていたので,富裕の時間も宙ぶらりんに。仕方なく再就職先を探すことにしますが,現実は想像以上に厳しい。若いキャリアカウンセラーから無能さを指摘され,相談に行った取引先の社長からも相手にされず,次第に心身のバランスを崩していき...。
・・・・・・
この物語を見て,皆さんはどう思いましたか。私は,ドラマで描かれていたこの主人公の贅沢な暮らし向きから考えて,主人公の行動は矛盾していると思いました。
一言でいうと,まったく共感できない。
もし,早期退職をして,そういった生き方をしたいのなら,それまでの生活をもっと質素にして計画的に生きればよかったのです。ここに描かれている主人公は,仕事人間が退職間近になって,これまでの自分の人生がこれでよかったかと改めて考えてしまう,とか,これまで顧みなかった家庭や妻なのに,勝手に自分の将来の夢を押しつけてしまう,とかいう,つまり典型的な日本の仕事人間の不器用な生き方そのものです。
若い人たちにもその予備軍はいっぱいいます。
ゴルフに趣味のコーヒー,それに,贅沢なマイホームを手に入れるための住宅ローン,それに子供の結婚資金の心配。そんなことは,早期退職をして,自由に生きようとする人のすることではないのです。これまでそんな人並み(以上の)の生活をおくっておいて,さらに早期退職をして自分の夢を実現しようなんていうのは,虫が良すぎますし,考えが甘すぎます。
それに,一旦は辞めておいて,家族に自分の夢を反対されたからといって,また,再就職をめざすなんて,全くやっていることが矛盾しています。実際,この主人公,仕事一筋に生きてきたっていっても,何の能力もないじゃない。組織の中では,自分の地位を自分の力と勘違いしてやたらと威張っているくせに家庭で居場所のない人,たくさんいます。
アメリカには,リタイヤ後はキャンピングカーでアメリカ中を夫婦でまわっている人を多く見かけるけれど,それば,国が広いこと,見どころがたくさんあること,キャンピングカーを停めて1泊する場所が整備されていること,などがきちんとしているからです。そんなことも知らないで,狭い日本でキャンピングカーを買ってどうするの? と私は思います。そういうこと自体,この主人公は何もわかっていないわけなのです。いわば,世間知らずです。
この物語では,そういうことすべてを,このキャンピングカーが象徴しているわけです。
せっかく退職してもまだ仕事に未練がある,というのも,私のまわりにもたくさんいる,定年退職してもすることもなく,いつまでも再任用にこだわる仕事人間の不器用な生き方そのものです。まわりからは,煙たがられていたり,迷惑がられていたりするのに,それを気づいていないのは本人だけ…。私も街に出たとき,せっかく退職したのに,また満員電車に乗って第2の職場に向かう知人にばったり偶然会うことがよくあるのですが,そういうとき,この人仕事以外にすることないんだろうか? と憐れんでしまいます。
この物語の冒頭に出てくる,主人公の友人の,退職後はカナダに移住するという夢もまた,文字通り夢物語です。
カナダへ行く,なんていうことは,別に移住などしなくても行きたいときに行くだけのことです。第一,子供のいるところに身を寄せるなんて,子供が迷惑… 旅慣れた人なら,そう考えます。旅なんていうのは慣れている人には簡単にできることで,敷居が低いのです。だから,こういう夢は,ツアー旅行しかできない,自分では簡単に旅ひとつできない人が考えることなのです。
旅にあこがれたり,新しい生活にあこがれても,なにも移住まですることはないのです。旅は非日常であるから旅なのであって,住んでしまえば,どこでも同じ。それに老後は,病気をしたときのこととかを考えると,所詮,日本人は日本人。そういうリスクを冒してまで移住までする必要もない。私はそう思います。
この主人公たちの生き方というのは,所詮,私のまわりにいる,私と同じくらいの年齢の,これまでざんざん贅沢を楽しんで来たり,無計画に生きてきたり,職場で上司面していたりしたくせに,本当は生きるのが下手で,仕事を辞めたり旅に出たりする勇気すらない,そのくせ,私の生き方を羨んでいるような人たちと同じなのです。
きっと世の中にはそんな人が多いんだろうなあ,って,このドラマを見て,私は改めて思いました。58歳にもなって,なさけないことです。
「かなちゃん」1週間-「夏」こそあけぼの
清少納言は「枕草子」で,
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夏は夜 月の頃はさらなり
闇もなほ 蛍の多く飛びちがひたる
まただだひとつふたつなど
仄かに光りてゆくもおかし
雨など降るもおかし
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と詠んだけれども,私は,初夏はあけぼの,つまり,早朝が一番素敵だと思うわ。
この季節,実は,ものすごく夜明けが早くて,もう,午前3時を過ぎると東の空は明るくなってくるの。そんなに早いの? ってびっくりする人も多いけど,そんなに早いのよ。
それに,天気も悪いことが多いから,星空を見るには向いていないわ。
けれど,早起きすると,晴れていなくても,それほど蒸し暑くもないし,とても気持ちがいいわよ。少しくらいな雨が降っていても,それもまた味わい深いしね。
そんな初夏に,特に素敵だって思うは,この季節によく似合うアジサイとカキツバタの花ね。
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この季節に開花するアジサイは,白,青,紫または赤色の萼が大きく発達した装飾花をもっているの。特にガクアジサイはこれが花序の周辺部を縁取るように並んでいてとてもきれい。
アジサイっていう名前は,藍色の花が集まるという意味の「集真藍」(あづさあい)が変化したものといわれているんだけれど,学名のハイドランジアっていうのは,ギリシア語のハイドロ(水)とアンジェイオン(容器)からなっていて,つまり,「水の器」っていうことなのね。それは,アジサイが根から非常に水をよく吸うからなんだって。
シーボルトがアジサイにハイドランジア・オタクサという学名をつけことは有名な話よね。 オタクサっていうのはシーボルトの愛人・楠本滝,つまりお滝さんの名前から付けられたんだと,植物学者の牧野富太郎は推測しているの。
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カキツバタは湿地に群生して,やはり,この季節に花を付けるの。内花被片が細く直立して,前面に垂れ下がった花びらの中央部に白ないし淡黄色の斑紋があることなどが特徴なんですって。
カキツバタは愛知県の県花で,三河国八橋,今の知立市八橋というところが,在原業平が「伊勢物語」でカキツバタの歌を詠った場所とされることに由来しているそうよ。
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から衣きつつなれにしつましあればはるばる来ぬるたびをしぞ思ふ
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そんなわけで,この季節は,いろいろなところに,アジサイやカキツバタの花を見ることができるので,まだ,人のいない早朝にのんびりと散歩してみると,とてもすてきよ。
きっと,心から幸せを感じることができると思うわ。
2014春アメリカ旅行記-異文化交流のむずかしさ
国際交流とか,異文化間コミュニケーションとかいうことが,楽しそうに語られることが多いが,実は,異文化を理解することは非常にたいへんなのだ。
私もよく,外国で知り合った人に日本に遊びに来て,と誘うのだが,実際にその人の立場になって考えると,その誘いに乗るにはかなりのリスクがいるだろうと思う。特に,言葉が通じなければなおさらである。
もし,この知らない日本という国に誘われてひとりでやってきても,誘った相手がどういったもてなしをしてくれるかということは想像ができないだろう。
日本人同士であれば,たとえ少し離れたところに住んでいる友人であっても,遊びに行けばどのようなもてなしをしてくれるかという予測はつくけれど,外国人では,そこのところがよくわからないわけだ。
私は,このことを,今回の旅で身に染みて感じた。
私のように旅慣れていて,たとえ相手に会えなくても何とかなるというのであればともかく,相手の誘いに乗って,航空券を手配し,あとは現地で相手にお任せ,のような旅を考えていると,大変なことにもなりかねない。だからといって,相手に何をしてくれるのだ,とか,そういったことを直接聞くこともできないから,さまざまな誤解やら憶測を重ねていくことになるわけだ。
もし,逆の立場であったなら,つまり,私が外国から友人を招くのなら,まず,相手に,どのような旅がしたいか,何を体験したいかを聞いて,それをもとに計画を立てて,その計画を送り,そのあとでホテルや列車の予約をすることになる。そして,準備万端整えて,友人の来日を待つことだろう。だから,私が,今回,そういったことを相手にも期待していたのは事実であった。
ところが,今回のような旅になるのなら,はじめに,すべて自分で計画を立てておいて,その中の1,2日だけ,向こうで再会を楽しむということにした方がストレスもなく,ずいぶんとよかったに違いがない。これは,自分の非とか相手の非とかいうことではなく,文化の違いなのだった。
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それと同じように,国と国との外交というのは,たやすいことではないのである。
私は,「おもてなし」という言葉は好きではないけれど,こうした,日本の曲折した「おもてなし」文化というのは,日本を外側から見れば,ある意味,人の好いだけの行為にみられるのではないだろうか。もっと悪く言えば,単に相手になめられるだけの行為になってしまうこともあるに違いない。
旅の1日目,私は,夕食をとりながらも,その支払いをどうするかばかりを考えていた。結局,この日は,御馳走になってしまったのだけれど…。この後で,博物館などに行ったときに,その入場料をどう払うのかということもよくわからなかった。さらに,現金ならば,割り勘ができるけれども,クレジットカード社会のアメリカでは,そういうことをどうすればいいかさえ,見当がつかなかったし,相手にどのようにこのことを聞けばよいかもわからなかった。
ところが,この後,意外な展開を示す。
「ER XV」-私もある決意をした
私は,アメリカのテレビドラマでは,「ER」と「ザ・ホワイトハウス」(The West Wing),そして,「グッド・ワイフ」がおもしろいと思っています。
病院を舞台にした「ER」は,はじめのころは苦手だったのですが,このブログに以前書いたように,自分がアメリカの病院に入院した経験から非常に興味がわいて,それ以来, このドラマの虜になりました。この「ER」の最終シーズンは15ですが,このシーズン「ER XV」の作品には,数々の哀愁がただよっていて,いつ見ても,涙が出てきます。
今回,これを機にもう一度,このドラマを見直してみました。そして,自分のこれまでの様々な経験,入院していたモンタナ州の病院のこと,このドラマの舞台シカゴに行ったときのこと(写真)などを懐かしく思い出しました。それとともに,私は,自分の人生のこれからのあることを決意しました。それは,また,後日わかること…。
アメリカの映画やドラマは,「マジソン郡の橋」などとともに,アクション物よりも,こうした人間ドラマが特に素晴らしいと思います。
先日のブログで,「ヨブ記」を取り上げたとき,この「ER」について,少し書きました。また,現在NHKBSプレミアムで放送中の「グッド・ワイフ」の第4シーズンには,「ER」でヨブ記を朗読していたアビー・ロックハートを演じていたモーラ・ティアニーさんが登場しています。
そこで,ここでは,モーラ・ティアニーさんについて書いてみたいと思います。
テレビドラマ「ER」でアビー・ロックハートを演じたモーラ・ティアニー(Maura Tierney)さんは,1965年2月3日アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン生まれの女優さんです。彼女はニューヨーク大学に入学しましたが,卒業せずに演劇学校で演技を学びました。
アビーは「ER」の第6シーズンに産科の看護師として,はじめて登場しました。アビーは当初はERの中でもサブキャスト的な部分があったものの,シーズンを重ねるごとにメインキャストとして出演していくようになりました。
最終の第15シーズンまでの間に,アビーは離婚し,別れた夫が約束の学費を出してくれないので医学部の勉強が続けられなくなり,アルコール依存症に苦しみ,母マギーと弟エリックとの関係に悩み,アパートの隣人に顔の形が変わるほどボコボコに殴られ,アフリカの伝染病が持ち込まれたERに何日も隔離され,カーターには結局プロポーズされず,妊娠中に銃撃戦に巻き込まれ,ストーカーに家宅侵入されて夫コバッチュを拉致され,アルコール依存症が再発し,モレッティと一夜の過ちをおかし,コバッチュとは離婚寸前まで行き,救急車の爆破事件に巻き込まれる… という破滅的な人生を送ってきました。
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結果としてコバッチュとは離婚をすることなく復縁をすることになるのですが,コバッチュがカウンティーを去るときに一緒に来て欲しいといわれて,コバッチュの元へ行くことを決意するのでした。
こうして,アビーは「ER」最終第15シーズンの第3話でカウンティ―を去っていくのです。
アビーが第3話の冒頭のロッカーのシーンで引用していたのが,神に対する疑念を示したヨブの言葉でした。
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懸命に生きてきた私がなんでこんな苦しい目に遭うのか? という思いがアビーにあって,それがヨブの疑問の声に重なったのでしょう。
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そして,ヨブの疑念に対して神が語りかける言葉が,ドラマの終わりのほうで引用されます。
第15シーズンの第3話は,生きることを決してあきらめなかったアビーにふさわしい素敵な幕切れになりました。アビーがヨブ記を朗読することで,アビーのこれまでの人生が深く美しいものになっています。そして,これからの幸せな人生を予感させているのです。
モーラ・ティアニーさん本人は,「ER」を卒業後「Parenthood」というドラマシリーズへの出演を決めたのですが,パイロット版が完成したところで乳がんが発見されて「Parenthood」を降板せざるをえなくなりました。
乳がん治療を終えたモーラさんが次に出演を決めたのが,ジェリー・ブラッカイマー製作総指揮の法廷ドラマ「ジャッジメントNY法廷ファイル」でしたが,残念ながら視聴率がふるわず,第1シーズンの途中で放送は打ち切られてしまいました。
「グッド・ワイフ」第4シーズン。モーラ・ティアニーさんは,マディ・ヘイワード役でわれわれの前に再び姿を見せました。
2014春アメリカ旅行記-私はサンアントニオを目指した。⑧
プエルトリコ料理はおいしかった。というか,私の口に馴染んだ。
お肉は,ステーキのようなものではなく,鳥のササミのようなものであった。それと,バナナを料理に使うらしく,揚げたものがフライドポテトのようになっていた。ソフトドリンクは,ラムジュースであった。
日本ではなじみがないけれども,東京にも,プエルトリコ料理店があるらしい。
あまり細かいことはわからないので,プエルトリコ料理のことはこれくらいにしよう。
ともかく,旅行初日は,思っていた以上に順調であったし,現地に住んでいる人が行くお店で夕食を御馳走になって,すっかりこの地になじむことができた。
こうして,1日目は時間が過ぎていって,食事を終えて,ホテルまで送ってもらった。
あすは,午前9時頃に迎えに来ると言って,友人は帰っていった。
今回も楽しい旅になりそうであった。
実は,こちらで友人と会って話をすると,友人から連絡がなくなったのは,実は、連絡を取りたかったけれど,娘さんが事故に会って怪我をしたので,看病をしなくてはならなくなった,だから忙しくて,しばらく連絡ができなかったのだというのが理由だった。
そして,申し訳ないけれど,約束したニューメキシコ州には一緒に行くことができなくなった,と言った。
私は,そのような事態はすでに想定済みであったので驚きはしなかったが,それならそれで,1行のメールでいいから,もっと早くそういう連絡くらいしてくれたらどうなのかと思った。
私は,ニューメキシコ州には自分ひとりで行くからいい,と言った。そして,すでに予約をしてあるように,サンアントニオには明日まで滞在して,あさっての朝レンタカーを借りてニューメキシコ州ヘ行き,帰国前日の夜戻ってくる,と話した。
そうしたら,サンアントニオで案内したいところがたくさんあるから,レンタカーを借りるのはもう1日遅くしてほしい。また,ニューメキシコ州に3日間だけ行って,改めて戻ってきてから,3日間サンアントニオを案内したい,と言った。そして,最終日は朝,空港まで送るから,ホテルは,今泊まっているところは私の家から遠いので,家に近い所に変更してほしいと言った。
すでに最終日のホテルは予約してあると言うと、予約した空港の近くのホテルはキャンセルしてくれ,と言った。
私は,そのとき,サンアントニオに6日間も滞在してどこへ行くのか,と思ったけれど,そして,事前にホテルを予約するときに場所はどこにしたらいいか,レンタカーは何日借りればいいか,と連絡したのに,何の返事もなかったのに,この場でそういう話を持ち出すことに,少しむっとしたが,アメリカ人に何を言っても説き伏せられそうだったので,とりあえず,レンタカーの予約の変更と,最終日のホテルの予約をキャンセルすることにした。
私も人が好い。
ホテルのキャンセルはネットで簡単にできる。レンタカーの予約の変更は,どうせレンタカー会社の場所を確認したかったので,明日の早朝,ホテルから歩いて直接変更しに行こうと思った。
ホテルに戻って,まず,最終日のホテルのキャンセルをした。そのあとは,テレビを見たり,ブログを書いたりして,のんびりと過ごした。
歳をとって,時差ぼけも何もよくわからなくなってきた。日本で普通に生活をしていても,夜,疲れてしまえば夜の7時でも寝てしまう。だかといって,そうすれば,夜中の3時に起きてしまう。そうなると,ボッーとテレビを見たりしてそのうちに寝てしまう,そんな感じになってしまっている。さらにいけないのが,時々,夜中に起きだして,星を見に行ったりするから,不規則な睡眠時間にさらに輪をかけることになる。
だから,アメリカに来ても,これが時差ぼけなのかなんなのかわからないが,眠っても,すぐに目覚め,また,眠る,を繰り返すことになる。ただし,次の日,寝不足でお昼間に眠たくなる,みたいなこともないのだから,まあ,これはこれでよいのだろう。
私が,近ごろこころがけていることは,その日に何かをしなくてはいけないとか,何かのテレビ番組を見なければいけないとか,そういった自分の決め事は極力減らそうということだ。
私の理想は,朝起きたとき,今日しなければいけないことというのが皆無であるという状態である。だからといって,私には,暇を持て余すとか,そういうことはない。とりあえず今何もすることがなければ,クラシック音楽を聴きながら,本を読めばいいのである。
この日も,まあ,このようにだらだらとアメリカでの第一夜を過ごすことになったのだが,ここで,この旅で唯一のささやかなトラブルが発生した。それは,携帯用のシェーバーが動かないことであった。乾電池切れ? いや,そんなことはない。きっと壊れたのだろう。来る前に動作の確認をしておけばよかったと後悔した。
なにせ,持参したものはすべてぎりぎりだったので,当然,シェーバーの予備など持ってきているわけもなく,まあ,こちらで買えばいいや,とは思ったが,到着早々これではと,先が思いやられた。
そうそう,もうひとつあった。
日本から持っていった携帯電話を国際サービスに切り替えても,電波を拾わない。つまり,携帯電話が繋がらないのであった。
「京都の平熱」-DEEPな京都の虜になる。
私は京都に住んでいませんが,これまで,毎月のように京都に足を運んでは,さまざまな名所・旧跡を訪ね歩きました。ガイドブックに載っているところで行ったことのないところはありませんし,それとともに,多くの体験をしました。近ごろは,そんな熱も冷めてしまって,時折,桜の季節,五山の送り火,そして,秋の紅葉の便りに誘われては,訪れるだけになってしまいました。
・・
いつも,このブログで書いているように,旅は,人が非日常という世界に浸ることで,その目的を果たします。そして,旅先での様々な体験や出会いが,人生の宝物になります。
そんなわけで,私にとっての京都の旅は,単なる観光旅行ではなく,もっと,その地に根づいた何かを得ることのできる,そんなものであればいいなあ,と考えているのですが,いわば,そんな「DEEPな京都」を魅力的に描いた,すてきな本に巡り合いました。
それは,「京都の平熱」(講談社学術文庫)という本です。著者である鷲田清一さんは,京都大学文学部出身で大阪大学の名誉教授です。
この本の内容は,京都市バスの201系統,この路線は,京都駅を出発して,七条通を東に,そして,東大路道を北に,さらに,北大路道を西に,そして,千本堂を南に,最後に,再び七条通りを京都駅にもどるという,京都市の外周をくるりと1周するのですが,この路線に沿って,寺社・仏閣,地元の食堂,そして,京都人の暮らしぶりを,深い洞察力で綴ったものです。
書かれてあることには,著者の深い知識に裏づけられたしっかりとした思想があるので,それが,この本でしか味わえない優れた魅力になっています。
私がこの本で初めて知ったことは,まず,京都のラーメン文化でした。つまり,京都は,元祖ラーメン王国なのだというくだりでした。さらに,銭湯は京都の隠れた文化だということですし,島津製作所の技術が日本のマネキンを作ったという話に至っては,まさに,その地に住んでいたとしても,誰しも知っているようなことではありません。学問の神様の北野天満宮は知っていても,松原道にある安井神社が縁切りの神様などということは,ガイドブックを片手に旅をしていては絶対にわかりません。
おまけに,蓮華谷の三奇人,吉田の三奇人,下賀茂の三奇人,古門前の三奇人などなどの奇人伝説やら,「着倒れ」として京都の公立学校には制服なかった,だとか,おうどん,おねぎなど「お」をつける文化,ひいては,「本当の旬は盛りのあとにくる」を読んでみて,私のこころは,すっかり京都の虜になってしまったわけです。
京都弁には「こおと」という言葉があるそうです。「あんさん,きょうのお召もん,こおとどすなあ」などと言われてしまったら,もう,この地に根を下ろしていなければ,絶対にわからない,しかし,根を下ろしてしまったとしたら,今度は,恐ろしくて暮らせないなあ,などと思ってしまうわけです。
私は,この本を読んで,すっかり,自分の中で冬眠をしていた京都熱が復活してしまいました。
そんなわけで,これをきっかけに,私も,201系統に乗って,DEEPな京都旅行を開始してしまう決心をしたのです。
◇◇◇
きょうの写真の「夢」は,高台寺で写したものですが,「夢」にちなんだ話も,この本に紹介されています。
また,旅館「紫」は,京都花見小路にあります。もとはお茶屋さんだったところで,ここに泊まると,外から,舞妓さんのおこぼの音が聞こえてきて,とても素敵です。
2014春アメリカ旅行記-私はサンアントニオを目指した。⑦
このようにして,私は友人と会うことができた。
カバンをピックアップして,さっそくアメリカ流にハグをして,お土産を渡して,そして,友人の車を停めた駐車場に行った。黄色の目立つマツダの車であった。彼女は,自分の車を「バナナボート」だと言った。この,黄色い車はやたらと目立つので,駐車場で探すのに困らなかった。今度車を買うときは,私も目立つ色にしよう,と思った。
しかしながら,後に,ポリスに因縁? をつけられて反則切符を切られたのは,この車が目立つこともその理由ではないだろうか,と後日私は思った。
ともあれ「まず,どうしたい?」と聞くので,ともかく,ホテルにチェックインをしたい,と言った。
そこで,車をダウンタウンへ走らせて,予約をしてあったホテルに行って,ホテルの駐車場でしばらく待ってもらって,チェックインをした。
サンアントニオは,予想していたよりもはるかに広くきれいな大都会であった。
いつもそうなのであるが,アメリカの都会は,はじめてその場所に行ったときには,何が何だよくわからない。インターステイツで道路標示にしたがって走って行くとスッーと都会に入ってしまうのであるけれど,都会はどこも車を停める場所に困り,しかも,土地勘がないので,方角やらがよくわからない。
今回は,自分が運転しているわけもではなかったので,その点ではよかったのだか,私は,どこへ行っても,今自分がどこにいるのかがわからないと不安なので,地理的な情報もなく,ただ連れて行ってもらっている,というのも,同じようにストレスなのだ。
この友人は,しかし,iPhoneを車の電源プラグに接続して,それをカーナビとして使用しているので,どこへ行くにも,まず,行き先をiPhoneで検索した。
私は,おいおい,地元だろう,道も知らないのかと思った。きっと,彼女の頭には,地図などないのに相違ない。
さて,ホテルにチェックインをしたあとで、「次に,何をするか」と聞かれたが,今日は,まあ,夕食をとるくらいのものであろうと思った。
「夕食は何がいいか」と言うので,何があるのかと聞くと,メキシカン,アメリカン,プエルトリコなどなど何でもあるのだという。それぞれの料理を説明してもらう。どうやら,メキシカンというのは辛いようだ。私は,辛いのが苦手なので,プエルトリコがいいと言った。そこで,プエルトリコ料理のレストランに行くことになって,またしても,彼女はその場所を検索して,カーナビのいうがままに,車を走らせて,プエルトリコ料理店に到着した。
あとは,友人にお任せである。
実際,こうして,お任せで旅行をするときに,もっとも利点になるのは食事である。ひとりでは,こういった地元のレストランには行かれない。今回も,友人に会えたなら,食事が一番の楽しみであった。友人は店員となにやら楽しげにおしゃべりをしながら,何らかの飲み物と食事を注文したのだった。
2014春アメリカ旅行記-私はサンアントニオを目指した。⑥
機内では何もすることがないので,出される食事を食べ,飲み物を飲み,ひたすらデトロイトの到着を待った。
現在は,エコノミークラスでもすべての座席の前に液晶のディスプレイがあって,ゲームもできるし映画も見られる。映画は,非常に多くのプログラムがあって,日本映画も見ることができるから,ひたすら映画を見ていても,なんとか12時間を過ごすことができるわけである。
若いころは,到着後の時差ぼけを心配したりして,様々な工夫をしたものであるけれど,もう,何もしなくなった。眠たたければ寝るし,眠たくなければ起きている。それでも,やはり,12時間は長い。
日本から西海岸へなら9時間くらいで行くことができるし,そのくらいの時間だと,長いという印象はない。残りの3時間が辛いのだ。やはり,日本からアメリカに行くにはシアトル便がいい。
ともあれ,だらっと機内で過ごしながら,それでもすることがなくなって,「陽だまりの彼女」とかいう映画をみていたら,やっとのことでデトロイトへの到着が近づいてきて,機長の機内放送があった。
なんと,デトロイトの気温はマイナス5度だという話であった。ずっと忘れていたのだけれど,そのときに,アメリカは大寒波だったということを思い出した。聞いていた乗客からため息が出た。
やがて,アメリカ東部標準時夏時間午前11時20分,デトロイト到着した。そうそう,3月は,すでに夏時間である。
いつものように飛行機を降りて,そのまま標示にしたがって狭い通路とエスカレータを通り,入国審査のゲートについた。少し待って,入国審査も難なく終わった。
次は,一度預けたカバンをバゲイジクレイムでピックアップして通関しなければならない。
このあたりもとてもアメリカらしいのであるけれども,カバンの出てくるラインがふたつあって,係官に聞くと,どちらから出てくるかわからないという。私は,このいい加減さが好きであるが,ふたつのラインをきょろきょろしながら,カバンが出てくるのを探した。やがて,カバンが出てきたのを見つけ,通関した。
この時,これまでは,単に書類を渡すだけであったが,なんと,この通関の係官がよほど暇なのか,入国検査の時と同じような質問をした。こんなことは意味がないし,あんたのする仕事じゃあないだろうと思った。
こうして8か月ぶりにアメリカに入国して,デトロイト空港の国内線に乗り換えるためにターミナルに着いた。空港の広い窓から見た外の景色は,一面真っ白な銀世界の大地であった。
昨年の夏に来た時は,ここのターミナルには無料の wifi はなく,wifi の繋がるカフェのあたりだけネットに接続できたということをブログに書いたが,今回来てみると,空港はどこも無料で wifi が繋がるようになっていた。私は,コンセントが近くにある席に座って,ブログとフェイスブックの更新をした。
そんなこんなでだらだらと過ごしていたが,午後1時55分発のサンアントニオ行きの搭乗案内があったので,飛行機に乗り込んだ。機内に入るとき,一瞬だけ外気に触れた。ものすごく寒かった。
サンアントニオ行きは小さな飛行機で,ビジネスクラスは1人と2人の3人,エコノミーは2人と2人の4人が1列という,まるでバスのようであった。狭く,高速バスよりも乗り心地の悪い飛行機であった。それでも,なぜかアメリカの国内線の3時間と20分はあっという間だった。そうして,午後4時20分過ぎにサンアントニオの空港に到着した。
サンアントニオは小さな空港であった。
デトロイトとは打って変わって,気温は15度であった。
飛行機を降りて,バゲイジクレイムヘ行き,カバンが出てくるのを待っていると,そこにあったベンチに友人が待っていることに気がついた。
思えば,8年ぶりの再会であった。
「かなちゃん」1週間-モノを買わない⑦
おじいちゃんは写真マニアで,いつもカメラの雑誌を読んだりしてるんだけど,今の時代,スマホで何でもできてしまうから,カメラメーカーも大変だなあ,って言ってるわ。
スマホの普及で,小型のカメラは売れなくなっちゃったんだって。だから,カメラメーカーもこれからは高級品志向のものを中心に売るそうよ。でも,昔からカメラを持っていたマニアの人たちはきっと今でもそうした趣味を持ち続けているから,スマホで写真を写している人は,もともとカメラに興味はなくて,デジカメで簡単に写真を写せるようになったから新たににカメラを買った人で,そうした人がスマホで写真を写すようになった,っていうことだと思うのね。
実際に写真を写すのが好きな人と,カメラが好きだっていう人もまた少し違うんだけど,実際に写真を写すとなると,雑誌に書いてある情報って,意外と役に立たないのね。
たとえば,星の写真を撮るときは,星が点に写るっていうことが基本なんだけど,カメラは高級でも,そんな基本的なことがうまくできないレンズが多いわけ。レンズの収差が大きいのね。
次に問題になるのは,ピントを合わせるっていうことなんだけど,それがまた問題なの。
オートフォーカスでは星は写せない。
一眼レフのファインダーとか,液晶のライブビューとかでは,なかなかピントが合わないわけ。一眼レフにはファインダー像を2倍の大きさに拡大してくれるアングルファインダーっていうのがあるんだけど,2倍じゃあ物足りないの。せめて3倍,できれば5倍ほしいわ。だから,実用的じゃない。
そして,液晶はバリアングル方式じゃないと不便でしかたがない。
そんな基本的なことすら,満足できるなものがあまりないのね。
それとは別に,カメラを旅行に持って行くときは,小さくなちゃいけないんで,一眼レフじゃあ大きすぎて大変なの。だから,小型のデジカメがいいなあってなるんだけど,そんなとき,レンズが広角でないと不便なのね。
旅行に行って写す写真は,風景とスナップと,それに食べ物。だから,広角レンズと,風景モードとスナップモードと食べ物モードの3つが簡単に選べて,風景は,ちゃんと無限にピントがあって,あとは,お昼間と日の出・日没,そして,夜景が選べればいい。それに,スナップが簡単に写せること。これだけが,ボタン1つで切り替えれれば,それでいいの。
なのに,やたらと使わない機能がいっぱいあったりして,きっと,そうした機能の数でカメラの性能を比べたりする雑誌の記事に問題があるのね。実際に使ってもいないくせに机上で記事を書いているからね。
そんなわけで,これだけたくさんの製品が出ているのに,いつも,本当に必要な機能がちゃんと使えるものがない,っていうことが一番の問題だと,私は思うのね。機能の多さとかそんなことにつられてモノを買っちゃあいけないのね。
だから,買ったものに満足できない。だからって,すぐに買い換えたり,新製品が出たらほしくて仕方がないといったカメラマニアの人は別にして,本当に写真を写す道具としてのカメラなら,買う前にしっかりと選択して,せっかく買ったものは,多少不便なことがあっても,よく説明書を読んで,自分なりの使い方を工夫して,末永く楽しむことのほうがおもしろいわよ。所詮,買い直しても,また,別の不満がでてくるだけだけだから。
もっとも,そんなおりこうな人ばかりだと,ますますカメラは売れなくなるけどね。
2014春アメリカ旅行記-私はサンアントニオを目指した。⑤
☆1日目 3月13日(木)
このように,出発までにいろんなことがあってあわただしく,今日から出発だという高揚感もなく,出発の朝が来た。
いつものようにして,座席指定特急に乗って,セントレア・中部国際空港に着いた。
空港の国際線のフロアにつながる入口に,デルタ航空の自動チェックインの器械が設置してあって,デルタ航空の係員が説明をしていた。アメリカでは当たり前の自動チェックインだが,日本では,まだ,なじみがないから,普及活動に忙しそうであった。
私は係員に声をかけて,デルタスカイチームのカードを提示すると,係員が代わって操作をしてくれて,搭乗券の発券がすんなりと終わった。ついでに,自動チェックインについてのアンケートの依頼があった。
私は,これだけのことをするのにも,日本という国の過剰な「おせっかい」を感じた。
アメリカなら,自動チェックインの機械が置いてあるだけで,みなそれぞれが自分で操作をしている。アメリカ人の行動が小学生のように無邪気ならば,その反対に,日本人は成人式や入社式にまで親がついてくる過保護社会である。
その後,カバンを預けて,出発までの時間は,まず,空港を散策した。
今回は,はじめに,ちょっとしたお土産を買った。
サンアントニオについても,現地の友人が迎えにきてくれる保障はなかったが,私は,来ることを確信していたから,日本製の浮世絵の書いてあるコースターと手鏡を買った。
空港の2階の広場では,いろんな航空会社のマイレッジにポイントが交換できるというサービスのついたクレジットカードの勧誘をやっていて,しばらく話を聞いていたが,契約するにはこの日に申し込む必要があるといわれた。
いくらお得な話であったとしても,出発間際にクレジットカードを作るなどいうことは,たとえ私であってもしない。以前,ブログに書いたように,しばらく使っていないという理由で,何の事前の連絡もなく勝手に解約させられたセゾンカードのように,クレジットカードも入会するするときはいい話を持ちかけてくるのに,会社の都合で勝手にその約束を反故にされるというのが,この国の会社のやり方だから,私は,この国の会社は全く信用していない。みせかけだけの「おもてなし」はごめんだ。
その後,空港のラウンジに行った。意外にもラウンジにはwifiが繋がるようになっていたので,快適であった。
この国で最も必要なインフラの整備は,フリーwifiの設置である。
やがて,搭乗の時間が近づいてきたので,出国のセキュリティを通った。パスポートを手にしたままX線のゲートを通ってしまったので,なんらかの反応があったらしく,パスポートをチェックされた。
こうしたチェックを受けるたびに,空港ごとに違いがある。
9/11が起こったころは,飛行機に乗る時点でも,再び,チェックがあって,ゲートの入口が長い列になっていたのを思い出した。そのときは,漬物を持っていた人が取り上げられたり,などということもあったのを思い出した。
今は,アメリカのセキュリティも,以前よりもずっと簡略化されているように感じる。
搭乗ゲートのあたりもwifiが繋がるようになっていた。
やがて,搭乗の案内があって,座席の関係で一番最後の案内放送で,やっと私は,ボーイング747の乗客となった。搭乗したのは日本時間で午前12時30分であった。これからデトロイトまで12時間である。
「ヨブ記」-光への道を知っているか。
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NHKEテレで放送している「100分de名著」という番組で旧約聖書を取り上げていました。
私はキリスト教徒でないし,旧約聖書も読んだことがないので,この番組で取り上げられていたことは知らないことばかりで,非常に興味を持ってみることができました。それとともに,こんなことも知らないでアメリカを旅行してはいけないなあ,と思うようになりました。感動する心は,自分で育てるべきものです。
この番組の最終回は「ヨブ記」でした。
ヨブは品行方正で信仰心があつい男で,家族と財産に恵まれ幸せに暮らしていました。彼の信仰心を確かめるために,神とサタンは,そんな彼から財産や家族,友人までを奪うのですが,それでも信仰が揺るがないので,さらに重い病気を与えるのです。
さすがにこうした不幸の連続に,ヨブは神への疑問を持ちはじめます。
・・・・・・
正しく生きてきた自分のような人間がなぜ神によってこんな風に苦しめられなければならないのか。
・・・・・・
神は苦しめるために私に命を与えたのか。こんな苦しい思いをするならいっそのこと死んでしまいたい。生きることよりも死ぬことを望みたくなるような底なしの苦しみを味わっているヨブが神に向かって訴えかける言葉です。
それに対して神が語りかけます。
・・・・・・
あなたは海の源に行き着き淵の底を歩いたことがあるのか。
あなたは死の門を見たことがあるか。光への道を知っているか。暗黒の住みかはどこなのか。
大地の広がりを隅々まで調べたことがあるか。知っているなら言ってみよ。
・・・・・・
ヨブ記は,人が不幸に見舞われたときに大切なことは「なぜ私にこんな不幸が訪れるのか」とひたすら問い続けることではなく,不幸の中にあっても生きることを決してあきらめるなということをいっているのかな,と思いました。自分の身を不幸だと思うほどの不幸を本当に知っているというのか,と。
アメリカのテレビドラマ「ER XV」の第3回「The book of Abby」では,このヨブ記が取り上げられていました。
主人公のアビー・ロックハートが,自分の身の不幸を哀れんでヨブ記を口ずさむのです。まるで,ヨブのようなアビー・ロックハート。しかし,アビーは身の不幸を克服してすがすがしく病院を後にするのでした。
私は,自分の身にすべての不幸が起こった2007年に,同じようなことを感じたことがあります。その結果,世の中は不条理であるということだけは確信しました。もともと世の中は不条理なものなのに,他人と比べてわが身の不幸を嘆くことには意味がないのです。
しかし,たとえ世の中が不条理だとしても,それを受け入れる価値があります。自分には絶対的な自分の姿があるのです。それを投げ出したら終わりです。「ヨブ記」に接して,少しだけそんなことがわかったような気がします。
他人と比べて不幸のどん底だったあのときの私には,今のような,こんな素晴らしい自分の人生が待っていようなどとは想像すらできませんでしたから。
「フィールド・オブ・ドリームズ」-それは実現する。③
次に,老医者ムーンライト・グラハムのことです。
1975年に,W・P・キンセラは,ベースボール・エンサイクロペディアの中から,偶然,ムーンライト・グラハムの特異な経歴を見つけ出して,そのエピソードを「シューレス・ジョー」に掲載しました。これが「フィールド・オブ・ドリームズ」の原作です。
映画が劇場公開されたことから,人々の間にムーンライト・グラハムの経歴が広く知れ渡ることになったわけです。
・・・・・・
ムーンライト・グラハム(Archibald Wright "Moonlight" Graham)は,ノースカロライナ州生まれ。
3年間マイナーリーグでプレーした後,1905年にニューヨーク・ジャイアンツの選手として登録されました。はじめてメジャーリーグベースボールの試合に出場したのはその年の6月29日の対ブルックリン・スパーバス戦で,彼は8回裏にジョージ・ブラウンに替わってライトの守備位置につきました。しかし,続く9回表のジャイアンツの攻撃は彼の打席のひとつ前で終了してしまったために,打席に立たないままその試合を終えることになりました。
彼は結局,この1試合のみで,メジャーリーグでの経歴を「打席なし」のまま終えることになったのでした。
・・・・・・
なお,この映画に出てきたムーンライト・グラハムの住む町,ミネソタ州チザム(Chisholm)は,ミネアポリスから北に200キロメートルほど行ったところにある小さな町です。
また,映画でムーンライト・グラハムを演じたバート・ランカスターは,「フィールド・オブ・ドリームス」の後は3本のテレビドラマへの出演を最後に,1994年に逝去したので,劇場公開用の映画としてはこの作品が遺作となりました。
黒人作家として映画で重要な役割をしているテレンス・マンのモデルは小説「ライ麦畑でつかまえて」で知られているJ・D・サリンジャーです。
・・・・・・
トウモロコシ畑をつぶして野球場を作った,この映画の主人公レイ・キンセラは,彼の作った野球場で,「彼の苦痛をいやせ」(Ease his pain.)という声を聞きます。
学校のPTA集会において,テレンス・マンの著作「船を揺らす人」(The boat rocker)が槍玉に挙げられているのをみて,レイ・キンセラは,「彼」とは,テレンス・マンのことで,「苦痛」とは,この集会のように彼の作品が非難の的になっていることだと確信して,彼に会いに行きます。
・・・・・・
テレンス・マンは,1960年代には時代を揺らした若者達の思想的リーダーであったにもかかわらず,その後は非難と好奇心の的となり,失望と無力感の中で隠遁生活を余儀なくされていたのです。
1960年代というのは,キング牧師とロバート・ケネディが殺され,あのニクソンが再選された,そんなアメリカの時代のことです。このことは,この映画の冒頭に出てきます。日本でもそれが飛び火して,学生運動がありました。そうした時代背景を知らずして,あるいは青春時代にその経験のない人には,この映画の本当の意味はわかりません。
それに加えて,私には,はじめてこの映画を見てから今日までの間に,この映画のロケ地に加えて,ボストンのフェンウェイパークやミネソタ州にも行くことができたから,一層,この映画の距離感やら空気感がよく理解できるようになっていたのです。
・・・・・・
If you build it, he will come.
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それを作れば,彼が来る。
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この映画は,その後の保守派政治で失われてしまったアメリカの1960年代のノスタルジーです。
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金はあるが心の平和がないのだ。
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失われた善が再びよみがえる可能性… 何か,どんどんと保守的で管理主義的で住みにくくなってきている日本にも,同じものを感じます。
この映画のもう一方の主題である,「夢を自分に託そうとした父親との関係」は,映画「ネブラスカ」にも共通する父と息子の葛藤を描いています。
幽霊が見える者と見えない者は「Liberal」と「Conservative」の比喩を描いています。
「それを作る」こと,そして,「最後までやり遂げろ」という声は,若き日の夢を思い出し,行動せよということを語りかけています。
夢は,あきらめなければいつかそれは実現する… それを象徴するのが「Field of Dreams」なのです。
2014春アメリカ旅行記-私はサンアントニオを目指した。④
やがて,出発が間近になったころ,入院した父は持ち直し,旅行に出かけても,急に帰国をしなけらばならないという心配はないように思えた。
もっとも,急に帰国ができるようなところでもないが…。
私は,旅行に行くことに決めて,旅行保険をネットで契約した。旅行保険の特約に,家族に何かがあったときの急な帰国の保障というものがあったが,すでに入院している場合はその契約ができないとあったので,そうか,そんな状況で旅行に出かけるなんていうのは非常識なんだなあ,とそのとき思った。
・・
この年の冬,アメリカは異常気象であった。
アメリカのほとんどの地域は大寒波で,積雪がすごく,温暖なカリフォルニアでは,豪雨があった。さすがに,テキサス州やニューメキシコ州,アリゾナ州といったところはそうでもないように思ったが,飛行機がデトロイトに予定通り飛ぶのかな,と心配になった。
持って行く服もよくわからなかった。まあ,適当に,非常用の防寒具を持っていくことにして,もし,だめなら,現地で購入しようと思った。そんなこんなで,持って行くものを選別し,できるだ少なくなるように適当に準備をしたら,3泊程度の小さなカバンひとつで十分になった。
今回は,MLBを見るわけでもなく,コンサートに行くわけでもないので,なんらチケットの予約もなく,飛行機と3日間のホテルの予約だけだったから書類もない。あとは,現地でiPod-tough1台だけあればなんとかなるであろう,と思った。便利な時代である。
ついに,出発日の前日になった。私が確信していたように,この日,突然,サンアントニオの友人から,到着する便と時間を教えてくれという連絡があった。そんなものはすでに連絡がしてあるではないか,と思ったが,改めて連絡をした。確証はなかったが,空港に迎えに来てくれるのであろう,と思った。
私が,出発前に,それ以外にやったことといえば,「地球の歩き方」で,サンアントニオとニューメキシコ州の観光地を調べたくらいのものであった。
夏に行った東海岸は,きちんと調べておかないと見どころがたくさんあって,うまく旅行ができないが,このあたりは,特にたくさんの見どころもなく,この程度の準備でどうにでもなるだろうと思った。アメリカは広く,地域によって,本当に状況がちがう。
・・
それにしても,地図を見ていただくとよいと思うが,テキサス州の中央部にあるサンアントニオからニューメキシコ州まで,なんと距離があることだろうか。しかも,その間,な~んもないじゃないか。
マーラーの第4番-沈黙がこの日の演奏の価値を高めた。
私は,20代のころ,マーラーの交響曲が大好きでした。
実際には,曲が長いということ以外には,あまり共通点はないのですが,当時はブルックナーとマーラーは対比させて語られていました。私も,こうした対比に影響されて,ブルックナーとマーラーをこよなく愛聴していたのですが,ブルックナーの墨絵のような落着き,自然の風の音に比べて,マーラーの交響曲の色彩的な音色に少しうんざりしてしばらく聴かなくなりました。
R・シュトラウスもそうですが,私は,オーケストラが鳴り響く音楽というのがどうも苦手です。
歳をかさね,今は,R・シュトラウスの「最後の4つの歌」と共に,マーラーの交響曲は,第4番,「大地の歌」そして,第9番に魅力を感じます。これらの音楽には,東洋的な無常観と厭世観、そして,別離という共通点があります。
マーラーの最高傑作といわれる交響曲「大地の歌」は,2003年11月7日に行われたNHK交響楽団第1499回定期公演の演奏が印象に残っています。このときの指揮者は広上淳一さんで,私は,ライブで聴いて感動した思い出があります。
彼は,この演奏を最後に,しばらく,マーラーから遠ざかっていました。
2014年5月28日のNHK交響楽団第1783回定期公演,とうとう,広上淳一さんは第4番の演奏で再びマーラーに帰ってきました。この交響曲は,歌詞に「少年の魔法の角笛」を用いていることから、同様の歌詞を持つ交響曲第2番、交響曲第3番とともに、「角笛三部作」としても語られます。また、「大いなる喜びへの賛歌」という標題でよばれることもあります。
マーラーの交響曲の中で最も親しみやすいものであると思いますが,曲全体に横たわる不気味さが,また,この曲の魅力でもあります。
私は,このコンサートをFMのライブ中継で聴いたのですが,メリハリの利いた,そして,聴かせどころをしっかりと押さえた演奏に引き込まれました。そして,第4楽章でうたうソプラノのローザ・フェオラさんが,また,絶品でした。
曲の最後はテンポをゆるめて,詩の原題である「天国にはバイオリンがいっぱい」という天上の音楽の描写となって静かに消えていくのですが,「天上的」とは考えにくい重苦しいハープの爪弾きとコントラバスの最低音だけが残るのです。
・・・・・・
天国のバイオリンとは,実は,死神のバイオリンではないのか
・・・・・・
これは,機関誌「フィルハーモニー」に村井翔さんが書かれていたことばです。
この日の観客は,この曲の最後に幻惑されてしまったのか,曲が終わってもしばらくの間,心地のよい沈黙が続き,やがて,惜しみない拍手がいつまでも続くのでした。
やはり,こうした曲の最後は,こうでなければいけません。この沈黙が,この日の演奏の価値をさらに高めたのでした。
2014春アメリカ旅行記-私はサンアントニオを目指した。③
サンアントニオのホテルは,地図を見ながらエクスペディアで探して,ダウンタウンの中でも一番の観光地であるアラモの砦の近くに見つけた。
実は,そのホテルを見つける前に,リバーウォーク・エリアという名前に錯覚して,「スーパー8・サンアントニオ」というホテルを予約してしまったのだが,その場所を改めて調べてみると,ダウンタウンから東南東5キロくらいの場所で,車もないのにそんな場所のホテルを予約したら,大変なことだとわかった。
そこで,予約を取り消して,すでにブログに書いたように,リバーウォーク・デイズイン・サンアントニオというホテルを予約し直した。
このホテルはキャンセル不可ということであった。しかも,ホテルのグレードの割に宿泊代が高い(12,000円くらい)のに驚いた。予約をする時点では,もちろんサンアントニオのことは知らなかったので,その場所が治安上問題がないかどうかさえ,わからなかった。
グーグルアースのストリートビューを見てみると,高速道路のガード下みたいな,くすんだ雰囲気だったので,ちょっと嫌な気がしたけれど,サンアントニオのダウンタウンは治安がよいと書いてあったので,まあ,いいか,と思った。
この場所なら,空港からも容易に行くことができそうであったし,サンアントニオ最大の名所アラモの砦が徒歩圏内ということが決め手となった。実際は,立地条件のよさで,人気のホテル,したがって,それがキャンセル不可の理由であった。
次に,最終日のホテル,エクステンディッドステイ・アメリカ・サンアントニオを空港の近くに予約した。
空港の近くといっても,シャトルバスの送迎がなければ歩いて空港に行くなどということは,すべてが広すぎるアメリカでは考えられないが,私は,最終日までレンタカーを借りたので,その点は問題なかった。
非常に安価(6,000円くらい)であった。
最後にレンタカーの予約をした。今回は営業所の最も多いハーツにした。
レンタカーの営業所を詳しく調べてみたら,リバーウォーク・デイズイン・サンアントニオから徒歩圏内に営業所があったので,そこでレンタカーを借りて,空港で返却するということにした。
旅行保険を直前にネットで予約する以外は,これで,全ての準備は終わりであった。
これで,現地で友人に会えなくても,何の問題もなくなった。
そうして,日々が過ぎていって,ついに,2月も下旬になった。
しかし,そのころ,父の体の具合が急に悪くなって,入院させることになってしまったのだった。
この時点で,ああ,春の旅行はキャンセルだな,と思った。せっかく予約した航空券は無駄になったな,と思った。空港券のキャンセルはできなかった。到着日と次の日の宿泊を予約したキャンセルできないホテルも無駄になったな,と思った。
しかし,まだ,出発には時間もあったので,旅行のことは,まあ,その時に考えようと思った。
その頃には,サンアントニオの友人からも,何の連絡もなくなった。こちらから連絡をしても,全く返事もこなかったのだった。