しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

August 2014

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 しかし,やはり,私の見落としではなかった。サン・ミゲル教会には,それらきしものはどこにもなかった。
 私は,その,奇跡の砂がある教会を探しながら,次に,セントフランシス教会に行った。
 1869年に建てられたこのカトリックの教会は,アメリカ最古のマリア像で知られている。

 サンタフェの市名はスペイン語で「聖なる信仰」という意味である。実は,サンタフェの正式な名称はラ・ビヤ・レアル・デ・ラ・サンタ・フェ・デ・サン・フランシスコ・デ・アシス(La Villa Real de la Santa Fé de San Francisco de Asís)といい、これは日本語では「アッシジのフランチェスコの聖なる信仰に忠実な王都」という意味になる。
 このサンタフェの正式名にもあるアッシジのフランチェスコ教会の末会フランシスカン派はスペイン植民地に入り布教活動を行った宗派のひとつであった。
 現在の教会は、時の大司教(アーチビショップ)であったフランス人ジャン・バプティスト・レイミーにより建てられたものである。ロマネスク様式の建物は,もともとのアドビー建築を利用して改築たもので,教会内には、スペインから持ち込まれたアメリカで最も古い聖母像が祭られている。
 ここは,ステンドグラスがとてもきれいな教会で,このステンドグラスは,フランスから取り寄せられたものだという。
 しかし,「奇跡の砂」のありかは,ここでもなかった。

 実は,この「奇跡の砂」というのは,私の勘違いなのであった。
 サンタフェからさらに国道285を北に110キロメートル行ったところにチマヨという町がある。この町にサントワリオ・デ・チマヨ教会というのがあって,「奇跡の砂」というのはここにあるのだった。
 礼拝室の隣に小さな部屋があって,その中央に小穴がほられ,その中に「奇跡の砂」がある。人々は,この砂を体の悪い所にぬると,たちまち治る。そして,そのしるしとして,松葉杖やらを収めて帰るのだという。
 チマヨからは,さらに国道68を北に64キロメートルほど行くとタオスという町があって,ここまで行くと,かなりディープなニューメキシコ州を体験できる。
 私は,そこまで行きたかったのだが,大体,このサンタフェまでたどり着いたことすら,すごい距離なのに,この先さらに北に行ってしまったら,サンアントニオに帰ることは不可能になってしまうので,残念ながら断念した。
 それにしても,この州を旅することは本当に容易なことではない。インターネットにもあまり情報がないことから考えても,足をのばすことが大変なのがうかがわれるだろう。
 結局,私は,以前見たテレビ番組の中で,サンタフェとチマヨ,そして,タオスを紹介していた記憶がごちゃごちゃになっていたということだった。
 それにしても,ディープなニューメキシコ州のさらにディープな世界。いつか行ってみたいものだ。

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 夏休みも終わりです。そこで…。
 テレビでやっていたけれど,子供の夏の宿題代行サービスというのがあるそうよ。そのニュースはおもしろかった。でも,その是非を街頭インタビューで取材していたけど,あんな取材は無意味ね。街頭インタビューなどしなくても,はじめからどんな意見が出るかわかってしまうし,取材者の意図したことを話した人を選んで放映しているっていう感じだしね。まあ,それくらいの取材しかできないってことすら,記者が学生時代にプリント学習をしていたからなのかもね。

 それはともかく,私は,この宿題代行サービスがどんどんエスカレートすればいいと思うわ。そうすれば,今の,意味のない夏休みの宿題の意義について考えるようになるし,宿題なんてなくなるかもしれないから。
 大体,あの夏休みの宿題って,出す方の先生にどれくらいの目的意識があってやっているのかしら。去年も宿題あったから,っていう程度だと思うわ。夏のドリルなんて,若い先生が教員の研修のために毎年交代で作っているだけなのよ。去年の本を見てね。夏休みに宿題を出すべきか,宿題はどうあるべきか,どういう効果があったか,なんて,これっぽっちも議論していないだろうしね。
 遊んでばかりいるから宿題出してください,っていう親もたくさんいると思うけど,それは,間違っているわよ。勉強はドリルとは違うし,そんなに勉強させたいなら,一緒に課題を見つけて自主的にやればいいんだわ。
 ドリルなんてやめて,山村留学をするとか,キャンプをするとか,夏にしかできないことを体験することの方が勉強になるわ。でも,親が子供のころにそういった体験をしていないから,こういう悪循環になるわけね。

 それでもまだ自由研究なら意味あるけど,でも,自由研究を課すのなら,先生が自分の得意分野について,たとえば,朝顔の育て方,とか,昆虫の育て方,とか,お城めぐりとか,そういった独自講座でも夏休みに学校で開講して,子供を集めて一緒に研究したらいいんだわ。研究のやり方とかを指導しながらね。夏休みにそういうことをやっている科学館とかはあるわね。
 でも,そんなことになったら,自分ではなにもできない先生がたくさんいるからきっと困ってしまうだろうね。自由研究っていっても,先生自身,自由研究なんてできない人たくさんいるわよ。なんなら,先生の教育論文読んでみるといいわよ。型通りの内容ばかりで独自性なんてあったもんじゃないから。
 私は,その宿題代行サービスのニュースの中で,ポスターの宿題を代行している大学生の言葉の方がずっと参考になったわ。なんでも,コンクール入賞レベルの要求で,出来高は2万円という話なんだけど,入賞するためには,ポスターに人物を描かかなくてはいけない,とか,絵の中で個性が表れるのは目の部分だから,代行がばれないためには,目をかかない,だから,人物は後ろ向きにかく,なんていっていたけれど,むしろ,そういった話のほうがものすごく勉強になったわ。
 ポスターを宿題に出してもいいけど,その描き方を教えないのなら,単に,早く走れ~っていって,正しい走り方を教えてもらわなかった私の学生時代の手抜きの体育の授業とおなじことね。そんなの教育じゃないわ。

 ところで,8月27日の天声人語に「新聞をよく読む児童生徒ほど(全国学力調査の)生徒率が高かった」って書いてあったけど,それは間違っているわ。「学力が高い児童生徒ほど新聞をよく読む」っていうことだと,私は思うけど…。もし,「新聞をよく読む児童生徒ほど(全国学力調査の)生徒率が高かった」の相関が正しければ,高いお金をかけて学力調査なんてしなくても,新聞を読むかどうかを調べればいいのよ。
 でも,そもそも,どこかの民間企業が委託されて作ったようなテストで「学力」を測る,っていうこと自体正しいのかしらね。そもそも学力って何なのかしら。まあ,「テストでいい点をとる能力」のある人たちが考えたことだからねえ。生きる力とは別物よ。

◇◇◇
私の見た番組とは別に,民放のワイドショーで,尾木ママとかいう人が,宿題代行サービスを自分のブログで批判していたということを取り上げていたのですが,そもそも,マスコミに報道してほしいのは,そういった個人的意見のブログを紹介して,見ている人をあおることではなくて,そもそも宿題代行サービスが必要になるような夏休みの宿題の是非を議論することであるべきです。

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 結局,サンタフェのダウンタウンを1周まわっても教会を見つけることができず,私は,そのホテルに入っていった。
 中でたずねると,確かに,このホテルの北側に教会が付属していた。現在この教会は個人の所有となっていて,ホテルを経営しているということであるらしい。
 教会への入口を聞いて,小さな木製の入口を入った。
 教会は入場料が必要であった。
 私は,入口でクレジットカードを使って入場料を払おうとしたのだが,機械が私のクレジットカードを認めず,うまくいかなかった。今回の旅ではこうしたことがままあった。インターナショナルクレジットカードは,なんらかのセキュリティがひっかかってしまうらしいのだ。こうしたときは,手動で番号を入力すると動作するのだが,年々いろんなことが不便になってきているように感じる。
 この教会は,宗派に関係なくウェディングにも利用されているということであった。なかなか商売上手な教会である。

 無事に入場料を払って,中に入った。1873年から5年の月日をかけて作られたこのロレット・チャペルは落ち着いた美しい教会であった。
 「奇跡の階段」というのが,この教会最大の見どころであるが,聖歌の人たちが上るために必要なこの33段の階段は360度を2回転している美しい螺旋階段で、驚くことに支柱が1本もない。また,すべて木製の釘で作られている。しかも,作られた当時は,手すりがなかったということだ。
 伝説では、修道女達が聖ヨゼフ(聖母マリアの夫で大工の腕を持つ)に祈りを捧げると9日目に白髪の男が現れこの階段を造ったといわれる。しかし,完成するとすぐにその男は身分を明かさず姿を消してしまった。階段の美しさ,巧みな技術に加え,不可解な大工であったことから,その男は聖ヨゼフその人ではなかったのか,という話である。
 現在では,この螺旋階段に上ることができるのは,ウェディングだけであるということであった。
 たしかに支柱が1本もないのは不思議であり,建築学上の奇跡ということだが,螺旋の中心を上手に利用すれば,容易に作ることができるのではないか,と私は冷静に思ったことであった。

 私は,サンタフェに行ってから,ずっと気になっていたことがあった。
 それは,どこの教会であったか忘れたのだが,「奇跡の砂」とかいうのがあって,これを頂いて,病気の箇所に塗ると治るとかいう,日本の寺院とかにもよくあるような,そんな代物であった。
 しかし,それは,先に行ったサン・ミゲル教会でもなければ,このロレット・チャペルでもなかった。
 いったいそこはどこなのであろうか?
 私は,きっとサン・ミゲル教会でこれを見落としたのだと思って,再びその教会に行ってみたのだった。

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 アメリカ合衆国の西南部からメキシコにかけてチワワ砂漠が広がっています。といっても,アフリカのサハラ砂漠のような砂地ではなく,岩山が続き,渓谷が伸び,あるところは真っ白な砂漠が広がり,また,あるところは洞窟群があります。そこには,広大な手つかずの自然が広がっています。
 私は,不勉強で,そんなこととは全く知らず,単なる偶然に,この春にニューメキシコ州のホワイトサンズ国定公園とカールズバッド洞穴群国立公園を訪れました。そして,夏には,ザイオン,ブライスキャニオン,キャニオンライズ,アーチズ国立公園に行きました。
 日本でなじみがあるのは,グランドキャニオンやモニュメントバレーでしょう。私も10年くらい前に行って,グランドキャニオンに沈む夕日を眺め,また,モニュメントバレーで西部劇の主人公になった気分でその原野を車で走りました。
 しかし,その後,こうした多くの国立公園に行ってみると,アメリカにはグランドキャニオンやモニュメントバレーが珍しいわけではなく,ロッキー山脈にはこのような景観がどこにも広がっているんだなあと思うようになりました。

 そこで,帰国してからいろいろ調べてみると,春に行ったニューメキシコ州の不思議な景観と夏に行ったユタ州の景観は,遠く離れているようで,実は連続しているんだということがわかって,その規模に改めて驚くとともに,その景観が作られた地球の神秘に,引き込まれていきました。
 単にアメリカの国立公園を訪れてみたいという動機から行ってみたこれらの場所が,もっと底知れぬ魅力に満ち溢れていたわけです,
 日本にはあえりない風景を図鑑やら映像で見て,別世界だと思っていた自分なのに,実際にその目で確かめてみると,若いころに,なんと時間をムダにしていたのかと後悔しました。ここには,3億年以上前の地球の地層から,約7,000万年前に絶滅した恐竜の化石,そして,満天の星までが存在していて,それを身近に接することができるのです。
 本当に,若き日,つまらない受験勉強で青春をムダにするのではなく,さっさと英語を身につけて,この地に出かけて研究した方がよかったと痛切に感じました。
 そんなわけで,そうした興奮が冷めやらぬ前に,ここでは,チワワ砂漠に広がるホワイトサンズとカーズバッドの洞窟について書いてみましょう。また,後日,ここを訪れたときの旅行記を載せます。

 まず,ホワイトサンズです。
 ニューメキシコ州の南西に700平方キロメートルにわたって,淡路島ほどにもなる広大な真っ白い砂漠が広がっています。
 この真っ白い砂漠はどうやって作られたのでしょうか?
 この地は,2億5,000万年前は海でした。その海が干上がって石膏の地層ができて,再び,再び海になって石膏の上にまた地層ができました。やがて,この地は陥没してレイク・ルセロという湖になったのですが,雨が降ったときに周りの地層から石膏が流れ込みました。レイク・ルセロには流れ出る川がなかったので,そうして流れ込んだ石膏がレイク・ルセロに溜まっていきました。
 この地には北東にむかって風が吹きます。
 レイク・ルセロには,現在,地下にセレナイトという結晶が堆積しているのですが,それは,こうして流れ込んだ石膏が地面の下で結晶化したものなのです。セレナイトは,0.1ミリメートルくらいの薄いもろい板状の集まりで,これが風で飛ばされて擦れあい細かい砂になって,近くの平地に積もったのがホワイトサンズなのです。
 ホワイトサンズの地には怜断層があって地下に水がたまっているので,その水が接着剤役割をはたして,ホワイトサンズに降ってきた白い砂がその場所にとどまっているというわけなのです。
 また,ホワイトサンズにはところどころにスマックという植物が生えています。この植物は根で砂を捕まえて台座を作っていて,砂丘が風で飛ばされると台座がむき出しになっていて,不思議な景観を作り出しています。

 次に,ニューメキシコ州の南東の大地の底に眠るカールズバッドの洞窟です。
 カールズバッドの大地は太古の海で作られた石灰岩の塊です。
 洞窟にはツバメが住み,また,夏になると,コウモリが大挙して洞窟から飛び出します。
 洞窟内の気温摂氏20度以下で,洞窟に入ると,水の粒が洞窟から外に登っていく姿が見られ,それは美しいものです。 洞窟は広いもので33,000平方メートル,フットボールグランド6つ分くらいあります。
 そうしたこの洞窟は,1,500万年前から100万年前にできたといわれています。いまでも,洞窟内に天井からふり落ちる一滴一滴の水の粒がやがて将来の巨大な鍾乳石になっていくのです。
 ふつう,鍾乳洞は石灰岩が水で溶かされてできるものなのですが,ここカールズバッドの鍾乳洞は硫酸が作ったきわめてめずらしいものです。
 昔,小さな空洞を海水が満たしたとき,微生物が活動して硫酸が発生し,その硫酸が石灰岩を溶かし次第に巨大な穴になっていきました。それがやがて大地の隆起などで熱水や硫酸が消えていって,巨大な洞窟が残ったといわれています。だから,洞窟内に残る石膏は,洞窟を大きくした硫酸の副産物なのです。

 ニューメキシコ州に残る広大なホワイトサンズの砂漠とカールズバッドの洞窟は,このようにして,人間のスケールをはるかに超えた時間によってその美しい景観が作られたというわけなのです。

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 アドビ(Adobe)とは,砂,砂質粘土とわら,または,他の有機素材で構成された天然建材のことである。これらの有機素材を木製の型枠を使って日なたで干すことでレンガの形にして使われる。アドビの構築物は非常に耐久性に富み,地球上に現存している最古の建築物によく使われている。アドビ建築物は熱を吸収してから非常にゆっくりと放出するため,建築物の内部は涼しいままに保たれ,暑くて乾いた気候に適している。

 オールディスト・ハウスが開いていなかったので,その道の反対側にあるサン・ミゲル教会に行った。
 ここも,開いたばかりというよりも,これから開ける,という感じで,教会の外にここの人がいて,横の出口にある売店の入口から中に入れてくれた。このサン・ミゲル教会は1626年に建てられたとされるアメリカ最古の教会である。
 スペイン人の入植隊がメキシコから同行させたインディアンが,廃墟となっていたアナルコインディアンのプエブロ跡のこの辺りに住んで,チャペルを建てたものと考えられている。
 この教会は1680年に起こったインディアンの反乱で焼失しまったが,それが全焼失したのか一部焼失なのかは不明だということだ。教会内の梁のひとつには「1710年に再建される」と刻まれているという。そして,このとき,この教会は現在のように要塞の形になった。
 教会内には,1789年に作られた飾り棚やアルタースクリーンなど興味深いものがたくさんあったし,天井の細工は素晴らしかった。ここには,古い鐘が展示してあった。

 サン・ミゲル教会を出て,次に,1ブロック北に行ったところにあるロレット・チャペルへ行こうと思った。このロレット・チャペルは,「奇跡の階段」で有名な教会である。いわば,ここがサンタフェでの最大の見どころであった。
 ところが,その教会の場所がわからないのであった。小さな街で間違えるはずもないのだが,地図に書かれた場所にあったのは,教会ではなく,イン&スパ・アット・ロレットというホテルであった。そして,その横まで歩いて行くと,そこはホテルの広い駐車場であった。
 私は,戸惑って,この教会があると書かれた地図を見ながら,そのブロックのまわりを1周した。
 そこで見つけたのは,なんとルート66の道路標示であった。
 そうか,ここにルート66が通っていたのかと,見つけられない教会のことはどこかへいってしまって,これには感動した。

☆ミミミ
ジャック彗星(C/2014E2 Jacques)がカシオペア座に見えています。かなり明るくて,現在6.5等星。近くのアンドロメダ座の大星雲と同じような感じに,双眼鏡できれいに見ることができます。
尾は地球から見てちょうど彗星の向こう側にあるので,残念ながらほとんど見えないのですが,そのかわり,地球と太陽の距離の半分まで近づいているので,大きくてしかも動きがとても速くて,見ている間に星の間を動いていきます。

実は,7月はもっと明るかったのですが,今年の夏の異常気象で全く晴れず,見る機会がありませんでした。私は,写真が写せずイライラしていました。昨晩も天気予報では曇りだったのですが,ワンチャンスをモノにしようと出かけました。幸い,よい方に予報がはずれて,やっと写すことができました。

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Four_Corners1Four_Corners 2 ここで,今回,こうした旅をするまで,私もよく知らなかったサンタフェの歴史について書いておこう。
  ・・・・・・
 我々にとって,アメリカの歴史は,コロンブスのアメリカ大陸発見からはじまっている。
 その次に,ニューイングランドと東海岸の歴史が続く。学校ではそう習った。それは,清教徒の上陸やマサチューセッツのボストン茶会事件,その結果起こる13州による1776年のイギリスからの独立などである。私は,昨年の夏に行ったボストンで,こうした歴史について,いろんなことを経験した。
 また,コロンブスはスペイン王のもととで大西洋を航海した。だから,その後に南北のアメリカ大陸を席巻したのはスペインであって,実は,イギリスの清教徒がメイフラワー号によってプリマスロックに上陸した1620年より10年も前にサンタフェの街は出来上がっていたのである。
 サンタフェの歴史は、このときから始まる。
  ・・
 しかし,それよりもずっと昔のこと。これとは別のもうひとつの歴史がある。
 ここには,数百部族の数十万人にのぼるネイティブアメリカンたちが広大な全米の全域に生活していたときがあった。だから,現在においても,アメリカ全土には,都市名や場所・河川等々に非常に多くのインディアン語が残っている。
 カリフォルニア州だけでも,1600年代には30万人のネイティブアメリカンが生活していたと推測されているし,ニューメキシコ州も同様で,紀元年前後から13世紀ごろまで4州が直角に交差するフォーコーナー地域(=写真)に先住インディアンの半定住型の生活跡が見られる。また,メサベルテやチャコキャ二オン,そして,バンダリアなどの遺跡などもある。
 ニューメキシコ州は,それらのネイティブアメリカンが過去の歴史となって消滅することなく,脈々と子孫へと引き継がれて現在に至っているという点で興味深いところなのだ。そして,長い歴史の文化や習慣が生きたまま引き継がれているのである。
  ・・・・・・
 このように,私は,昨年の東海岸の旅で,アメリカ史についてたくさんのことを知ったのだが,今年,改めて,このテキサス州とニューメキシコ州の旅で,もうひとつの別のアメリカ史があるということを知ったのだった。

 アメリカは,1846年のアメリカ・メキシコ戦争の結果,現在のコロラド州,ネバダ州,ユタ州,アリゾナ州,ニューメキシコ州を含む広大な土地を手に入れたが,ニューメキシコ州は,その後も,政治的自治が認められていない連邦の「テリトリー」のまま半世紀以上が経過した。
 それは,アメリカ国内の政治的な理由の結果だったが、やっと1912年1月にアメリカ合衆国の47番目の州として連邦に組することになった。

◇◇◇
アメリカでは州境が直線であることが多いのですが,それでも,州境が4つの州の交点になっているところは,1か所だけです。それは,コロラド州・ユタ州・ニューメキシコ州・アリゾナ州の交点で,ここに行くだけでも大変なのですが,アメリカというのはたいしたところで,フォー・コーナーズとして,ここもちゃんとした観光名所になっています。
フォー・コーナーズ(Four Corners)は,北緯37度0分0秒、西経109度3分0秒に位置していて,この地点において,コロラド州域は山岳ユト居留地,その他の3州の領域はナバホ居留地と重なっています。また,ナバホ居留地内部にホピ族居留地もあって,記念碑はナバホ政府により管理されています。
この交点の立てば,一度に4つの州を制覇したことになります。両手と両足で四つん這いになって同時に4つの州を制覇する観光客の姿を見ることができます。

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 私がアメリカ旅行をしている目的のひとつに,MLB全球場制覇があるのですが,だんだん,日本人にあまりなじみのないところばかりが残ってきました。アメリカに行くたびに少しずつ目的に向かって進んでいるのですが,今年の夏は,やっと念願のデンバーに行って,クアーズフィールドに足を運ぶことができました。
 そこで,今回,この球場について書こうと思ったのですが,2年前に行ったミネアポリスのターゲットフィールドについて書いていないことを思い出したので,併せてここでは,このふたつの球場について書いてみようと思います。

 クアーズフィールドのあるデンバーとターゲットフィールドのあるミネアポリス,このふたつの都市は,とてもよく似ています。ともに,きれいな街並みと歩いてまわれる規模のダウンタウン,治安のよいことなど,観光で訪れてもとても気持ちのよいところです。
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 デンバーは,コロラド州の州都です。アメリカ中部・内陸の金融・経済における中枢として顕著な発展と人口増加が続いている都市で,標高が約1マイル(1.6キロメートル)に位置することから,マイル・ハイ・シティー(The Mile-High City)の愛称で呼ばれています。また,歴史的には,農業において重要な平原に位置することから,平原の女王都市(Queen City of the Plains)ともよばれています。人口は約60万人です。
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 ミネアポリスは,ヘネピン郡の郡庁所在地で,ミネソタ州最大の都市です。人口は約40万人。市はミネソタ川がミシシッピ川に合流する地点の北側に位置していて,ミネアポリスと東に隣接するセントポールとあわせて双子の都市(Twin Cities)ともよばれています。市には水が豊富で,市域内に20の湖を持ち,ミシシッピ川や多数の小川が流れ,滝が形成されています。かつては世界の小麦製粉の中心地であり,また,製材の中心地でした。そうした背景から,ミネアポリスは,湖の街(City of Lakes)製粉の街(Mill City)という別名を持っています。今日では,ミネアポリスはアメリカ中西部の世界都市のひとつとして,地域経済の中心となっています。
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 このようなふたつの都市ですが,クアーズフィールドはコロラド・ロッキーズの本拠地として,また,ターゲットフィールドはミネソタ・ツインズの本拠地として,ともに,町の中心のとても便利なところに位置しています。したがって,ダウンタウンから徒歩圏内で,歩いて行くことができます。また,ナイトゲーム終了後も徒歩でホテルに戻ることができます。
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 ターゲットフィールドが作られたのは2010年4月,それ以前は,メトロドームという,東京ドームのお手本となったドーム球場で試合をしていましたが,魅力のない球場でした。
 隣り町のセントポールにセントポール・セインツという独立リーグの球団があって,その球団よりも人気がないくらいでした。このことは,このブログにすでに書きました。そこで,屋根のない,最新設備の球場がダウンタウンに作られたというわけです。
 新球場のおかげで人気は回復し,私の行った時も満員でした。今年度はオールスターゲームも行われました。
 しかし,私は,この球場については印象がほとんどないのです。食べ物も球場内をくまなくまわったにもかかわらず珍しいものもなく,球場自体も美しいのですが,これを見なくては,というウリがないのです。
 さらに,2010年こそ地区優勝をしましたが,その後は,あれだけ強かったこの球団は最下位を低迷するようになってしまいました。アメリカの冷蔵庫とさえよばれる寒さの中,開閉式の屋根もない球場での春と秋の試合がそもそも間違っているのだと,私は思います。
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 今年訪れたデンバーのクワーズフィールドは,ターゲットフィールドより5年前の1995年4月に作られました。1塁側最上段の客席から,遠くのレフトの向こうにはロッキー山脈が見渡され,それはそれは美しい球場です。また,3階席の20列目だけが紫色に塗られているのですが,これは,標高1マイルを表しているのです。
 コロラド・ロッキーズもまた弱小球団で,成績はさえません。標高が高いのでボールが飛び,打者の打率が異常に高いけれども,それは実力でなく…,といった特殊性が禍しているのかもしれません。
 でも,わたしは,この球場は好きです。なにせ,サービスがいいです。球場のスタッフはとても親切だし,フレンドリーです。これまで行った球場の中でも好感度ナンバーワンです。その点では,ヤンキースタジアムとは対極です。
  ・・・・・・

 この両弱小球団,これだけの近代的なすばらしい球場をダウンタウンにもっているのですが,残念ながら,日本人選手がいないために,日本人の観客はほとんどいませんし,なじみがあるとはいえません。でも,ミネアポリスやデンバーを訪れる機会があれば,ぜひ,行ってみるといいと思います。
 のんびりと古きよきメジャーリーグの醍醐味を味わうことができると思います。
 近ごろやらたと高くなってしまったチケットですが,この球場では,ともに,安価な内野席の最上段3階席でご覧になることをお勧めします。なにせ,球場から見た景観が最高です。有名な選手もほとんどいないし。

◇◇◇
このボールがよく飛ぶということで有名なクワーズフィールドで,1996年9月17日,ロサンゼルス・ドジャースの野茂英雄投手がノーヒット・ノーランを達成したことはあまりに有名です。

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 せっかく地図を買ったのに全く使わず,踏切の手前のセリリヨス・ロードを東に,その店員に聞いたように車を走らせると,狭い,なんというか,ヨーロッパでいうところの旧市街のような町に入った。
 それでも,そこがダウンタウンだという実感もなく,まだよくわからなかったので,その右手にあったサンタフェ・セイジ・インというホテルの駐車場に車を停めて,フロントで,宿泊客を装ってサンタフェの観光案内図をもらい,道を聞くことにした。

 フロントには先客がいたが,ロビーで少し待っていたら,フロントの係員が親切にも私をよび,詳しく案内してくれた。わかりやすい地図も手に入れることができた。
 要するに,この道を少し走って,パセオ・デ・ベラルタという道にさしかかったところを右に折れると,その道はひらがなの「つ」の形に続いていて,その道の内側がダウンタウンだったのである。
 こうして,やっと,サンタフェのダウンタウンに行くことができて,「つ」の字の一番右側のところにあるセント・フランシス教会という大きな教会の前にあったパーキングメータに2時間ほどのコインを入れて,駐車した。
 サンタフェは,もっと素朴なところを予想していたが,高山のような観光地であった。

 「地球の歩き方」のサンタフェの案内と,こちらに来る前にテレビで見たサンタフェの観光案内番組からメモした場所を,まず,散策することにした。
 サンタフェのダウンタウンは狭く,徒歩でまわることができる。3時間もあれば十分である。
 まず,サンタフェのダウンタウンの中央には,ザ・プラザという公園がある。
 スペインの街のように,ここサンタフェは,プラザ(広場)が旧市街の中心であって,この広場のまわりに街が作られた。サンタフェの建設は1610年ドンペドロペラルタ総督がスペインの植民都市として,この地に総督府を移したときにはじまるという。
 また,プラザは交通の発着点でもあり,植民地時代は植民地最大拠点都市メキシコシティからサンタフェまでの街道カミノリアル(=王家の街道)の北の最終地点であった。また,1821年,スペインから独立を果したメキシコが合衆国と交易をしたときに交易路として利用されたサンタフェトレイルは,ミズーリ州フランクリンとこの広場とを結んだものであった。
 ザ・プラザには旧・総督邸があった。1610年から300年間にわたって,ここに政府が置かれた。現在は,歴史博物館となっているが,その軒下に,ネイティブアメリカンの人たちが店を開いていた。高山でいえば朝市のようなものである。売っていたのは手作りの工芸品やジュエリーである。

 私は,ザ・プラザの横の狭い道を歩いて行って,オールディスト・ハウスというアメリカ最古の家に行った。ここは,13世紀の初頭に,ネイティブアメリカンのアナルコ族によって建てられたアドビ建築で,アメリカで一番古い家なのだそうだ。
 しかし,開館時間になっても,まだ開いていなかった。
 こんなことはアメリカではよくある話である。
 私が行ったときにすでにアメリカ人の夫婦連れが来ていて,やはり,まだあいてませんね,というような会話になった。この夫婦連れの奥さんはとても感じのよい人だった。この夫婦とは,サンタフェを歩いていると,何度も顔を合わせた。それくらい,サンタフェで観光客が行くとことは限られていて,しかも,狭い場所なのであった。

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 日本の携帯電話はあまりに多機能になって,世界標準とは異なる進化をしたので,独自の生態系をもつガラパゴス諸島に由来して,独自の進化を遂げた日本の携帯電話が「ガラ携」とよばれているわね。
 こんなふうに,第2次世界大戦後に,品質のよい使いやすいと評判だった日本の製品は,いつの間にか,使わない機能満載の多機能で使いにくいものばかりになってきたの。
 私は,何でもスペックで比較するような雑誌の記事にも問題があると思うんだけど,身のまわりは,そうした製品を避けて,いつの間にか,使いやすい外国の商品ばかりに変わってしまったわ。

 たとえば,軽い合成樹脂製の靴クロックス。
 クロックス社っていうのは,アメリカで2002年に,カナダのフォームクリエーション社が開発製造した軽いプラスチックの靴を販売するために,設立されたの。滑りにくい事や足跡のつきにくいアウトドアの靴が,口コミで履き心地の良さが評判となって人気商品となったというわけ。
  ・・
 たとえば,ロボット掃除機ルンバ。
 2002年に登場したルンバは,アメリカのアイロボット社が製造・販売してるわ。
 直径34センチの円盤状で,前方には接触センサーが組み込まれたバンパーがあって,上面の前方中央にある赤外線センサーが周りを関知して,自動的に掃除するの。
  ・・
 たとえば,電気ケトルが使いやすいティファール。
 ティファールっていうのは,1956年にフランスで設立された,世界ではじめて「こびりつかないフライパン」を発売した企業ね。
  ・・
 そして,定番アップルのiPhone。
 iPhoneは,アメリカ・アップル製のスマートフォンで,オリジナルのモデルは2007年に発表されたわ。iPodと携帯電話,携帯情報端末,これら三つの機能を併せ持った機器として登場したのだけど,マルチタッチとよばれる技術で複数の指を同時に操ることで画面の拡大縮小などバリエーションに富んだ操作が可能となったの。iPhoneの発売後は,日本の優秀なカメラやポータブル音楽プレイヤーなどが販売不振になってしまったわ。
  ・・
 インターネット上でも,エクスペディアとかアマゾンコムが有名ね。
 エクスペディアは,アメリカ合衆国ワシントン州のベルビューに本拠地を置くオンラインの旅行会社。世界中の8千都市のホテル情報と航空券,ツアーを取り扱う,世界最大の旅行予約サイトで,便利だから私もよく利用するわ。
 アマゾンコムは,1994年にアメリカ合衆国シアトルに本拠を構える通販サイトで,インターネット上の商取引の分野ではじめて成功した企業のひとつなの。

 このように,考えてみれば,私の身のまわりにあるのは,こうした外国企業ばかりになってしまったし,日本の企業もそうしたもののまねばかりで,独自の製品とかアイデアなんて,本当に皆無になってしまったわ。
 もともとから,日本の製品は独自性がなくて,物まねをしてさらに改良してよいものにするのが得意だったんだけど,今や,さらに改良をすればするほど使いにくくなってしまう時代になったっていうことかしら。でも,独自性のあるものを企画しても,きっと,日本の企業では企画が通らない。
 日本の教育とか,企業のあり方を根本的に変える必要があるのかもしれないけど,これが日本人の本質って思うと,それもちょっと難しいかもね。

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このところ,カメラの売れ行きが悪くて,メーカーは困っているらしいけれど,実際,旅行をすると,写真を写すのが目的の人は一眼レフを持っているけれど,それ以外の人はスマホで写真を撮っていて,カメラを使っている人を見なくなったわね。だって,それで十分,っていう人がほとんどだもの。この状況で,カメラの販売を伸ばすことは不可能かもしれないわ。だって,スマホの方がずっと使いやすいし。

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 アメリカ旅行をしていたので,その間見られなかった2週間分の「軍師官兵衛」を帰国後にまとめて見ました。
 もう,「軍師官兵衛」は,明智光秀が死ぬところで終わってしまう「国盗り物語」以降の時代に入ってしまったので,私には,未知の分野になります。これまでも,この時代を取り上げた大河ドラマもあったのですが,どれもあまり面白くなく,印象も残っていません。
 今,「軍師官兵衛」で秀吉を演じているのは竹中直人さんですが,以前にも秀吉を演じていたのが1996年に放映された「秀吉」です。この「秀吉」もテンポのよかった前半に比べて,後半になるにしたがって秀吉の陰湿さが目に余るようになり,どんどんと暗くなってしまいました。同じ竹中直人さんの演じる秀吉は,今放映中の「軍師官兵衛」のほうがはるかに魅力的です。

 ところで,私は,アメリカ旅行のとき,三谷幸喜さんが脚本を書いた「清州会議」を,飛行機の機内で,ノイズが大きくてセリフが聞き取りにくい中,字幕の英語を頼りに見ましたが,まったく面白くありませんでした。
 大河ドラマ「新撰組!」でもそうでしたが,三谷幸喜さん独特のユーモアは,きっと,時代劇よりも現代劇のほうが似合うのでしょう。だから,三谷さんが清州会議を題材にしたドラマを作るのなら,このネタをもとにした現代ドラマでも作った方がよかったように思います。
 そういう意味では,2016年の大河ドラマ「真田丸」は心配です。
 その,映画「清州会議」に比べたら,この「軍師官兵衛」で描かれた清州会議は,的を得ていました。なにせ,冒頭の数分で,すべてが描かれていました
 そんな感じではじまった,「軍師官兵衛」における秀吉の天下取りですが,見ていて引き込まれました。

 この大河ドラマは,俄然,おもしろくなってきました。
 その要因はテンポのよさにあります。さらに,合戦のシーンが簡潔なことにあります。きっと,予算が少ないのでしょう… という皮肉はやめにして,その分,登場人物の心理描写が多くなり,だから,話にどんどん引き込まれていきます。
 有岡城落城でも荒木村重が生き延びたというのは,不勉強な私は知らなかったことなのですが,この荒木村重が出てきたのも物語をおもしろくさせる要因のひとつだと思います。
 どうやら,この「軍師官兵衛」は,足利義昭といい,荒木村重といい,歴史の中で,どうにもなさけない人物の描写にかけては天下一品のようです。
 この,後半にかけて物語が盛り上がる感じは,評判のよかったこれまでのいくつかの大河ドラマの共通するものなので,今後がとても楽しみになってきました。
 以前書きましたように,史実では,この後,秀吉がどんどんと悪人になっていき,黒田官兵衛を冷遇するようになるのですが,もう物語では,すでにそういった感じが出てきています。

 私は,大河ドラマが黒田官兵衛を主人公にすると聞いたときに,黒田官兵衛は,有岡城の幽閉と中国大返し以外に何を描くのかしらと思いました。
 今回のドラマで,黒田官兵衛を主人公にすれば,大河ドラマ「秀吉」でも避けられ,あるい,司馬遼太郎さんの書いた「新史太閤記」でもあえて書かれなかった秀吉の醜い晩年を描かざるを得ず,したがって,その描き方次第では,面白みに欠ける惨憺たるドラマになり下がる恐れもあり得ます。そうならないためにも,人間ドラマとして,足利義昭や荒木村重のように,秀吉晩年の醜さとさなけなさを,権力に取りつかれた哀れな男として描き,そうした歴史の渦の中で苦悩する官兵衛を,敗者や庶民の側から描いてほしいと思っています。
 もう,権力者賛美ドラマはたくさんです。
 私は,昨年,熊本に行ったときに,今でも,加藤清正が「せいしょこ(清正公)さん」として人気があって,加藤家お取りつぶし以降の熊本のお殿様が誰だったか一瞬思い出せませんでした。ふつうどのお城にもある殿様の系図も熊本城内には見当たりませんでした。これでは細川家真っ青です。
 それでは,福岡藩の黒田家は,地元の評判はどうなのでしょうか? なにせ,黒田騒動を引き起こしたところですから,いわずもがななのでしょうか。
 いずれにしても,熊本藩や福岡藩は,幕末になって,時代に乗り遅れた雄藩として有名です。

◇◇◇
「軍師官兵衛」では,黒田官兵衛は荒木村重と別れたあとでキリシタンの洗礼を受けたのですが,「国盗り物語」では,謀反を起こした荒木村重を説得するために有岡城に行ったときに,すでに,自分はキリシタンで洗礼名をシモンというというというセリフがあって,村重が,キリシタンを殺すことはできないとして有岡城の獄舎に幽閉するというシーンがありました。果たして,史実はどちら?

 吉田秀和さんがNHKFMの「名曲の楽しみ」で「モーツアルト・その音楽と生涯」をはじめたのは1980年4月13日のことだから,すでに66歳でした。
 まだ20代だった私は,モーツアルトの全曲をこれから聴きはじめるのだから,いつになったら終わるのか,失礼にも吉田秀和さんがご存命のうちに終われるのかしら,と思いました。当時はインターネットもなかったから,珍しい曲を聴く機会などなかったので,モーツアルトのほとんどの曲を聴くことができるのが驚きでもあり,楽しみでした。カセットテープに,毎週録音しました。それが,いつの間にか,録音したテープもどこかへ行ってしまい,途中で聴くことも止めてしまいました。理由は,延々と続くオペラでした。当時の私には,オペラの連続放送は退屈でたまりませんでした。それも,「フィガロの結婚」とか「魔笛」ならともかく,「ポントの王ミトリダーテ」といわれても,なんじゃそりゃ,という感じでした。それとともに,放送時間が変更になったり,仕事が忙しくなったりで,そのうちに放送自体の存在も忘れてしまいました。本当に残念なことをしました。

 「ポントの王ミトリダーテ」(Mitridate, re di Ponto)K87は,モーツァルトが作曲した3幕からなる最初のオペラ・セリアです。1770年,14歳のモーツァルトは,ボローニャでフィルミアン伯爵からの依頼を受けてオペラを完成させ,ミラノ宮廷劇場においてモーツァルト自身の指揮によって初演されて大成功を収めたといわれています。
 このオペラの登場人物であるミトリダーテは、プルタルコスの「対比列伝」の中のマリウスやスッラの伝記にも登場するアナトリア半島のポントスの王ミトリダテス6世のことで,このミトリダテス6世は,ローマ内部の抗争に乗じて近隣諸国やローマの属州アジアを侵略して,ローマの居住民を劫掠した人物だそうです。

 時は流れて,モーツアルトの作品も,CDを購入しなくても,インターネットで探せば,K1のかわいい小品から聞くことができるようになりました。そんな折に,小学館から,吉田秀和さんが放送で語られた内容を本にした「名曲の楽しみ-モーツアルト・その音楽と生涯」全5巻が出版となりました。私は,これからは,お休みの昼下がりに,紹介された曲を一曲ずつ丁寧に聞きながら,のんびりとこの本を読む贅沢をささやかな楽しみにしたいと思います。
 いつになったら,この「ポントの王ミトリダーテ」を乗り越えて,全曲を聞き終えられるかはわかりませんけれど,もう一度,モーツアルトに近づいてみたいとも思います。よい機会を与えてくれたこの本に感謝します。

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8月18日(月)~21日(木)の午後2時から3時55分に,NHKFMの夏休み特集で「吉田秀和が語ったモーツアルト」という番組が放送されています。これは「名曲の楽しみ」の貴重な音源から,いくつかの音楽を厳選し,当時の吉田秀和氏の解説とともに放送しているものです。
なかでも,20日(水)に放送されたクラリネット5重奏曲の以下の解説と音楽を聞いて,私は涙が出てきました。ほんとうに音楽を愛し,人間を愛していた人なんだなあ,と改めて思いました。
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こんなに幸せでいいのかしら,と感じます。
幸福というのはいつ壊れるかわからないのではないでしょうか。歳を重ねると,人は,そういうものが続かないって知っているから,よけい,幸福を身に染みて感じますね。
この曲は,そのことを身に染みて感じさせてくれます。
クラリネットという楽器で,幸福は静けさの中で満ちたりた感じ,そして,幸福のいつ破られるかわからない感じを表しています。
私は,この曲を聞くと,いつまでもこの音が鳴っていてほしいと思うのですが,曲は流れていくものです。でも,その曲の流れの変化の中に,今度は,新しい出会いの持つ喜びも一杯詰まっているのです。
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 夏の旅行を終えて帰国した自宅に届いていたのは,出発前に注文してあった小澤征爾さんの「おわらない音楽」でした。
 この本は,日本経済新聞に連載されていた小澤征爾さんの「私の履歴書」をまとめたものです。本の題名は,私には,小澤征爾さんの娘さん小澤征良さんが書いた「おわらない夏」という本からとったもののように思えました。
 「終わらない夏」については,以前,このブログに書いたことがありますが,この本は,
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 子供部屋の椅子にすわると,きらきらひかる夏の思い出が降ってきた。私は,すべてを書きとめる。タングルウッドでの家族,友達,森や動物…。小澤征爾氏の長女がピュアな感性でつづる話題作。
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というウリなのですが,ネットに書き込まれた読者評はあまり芳しいものではなくて,たとえば,お金持ちのお嬢様の日記だとか,こんな個人的な日記を書かれても… はっきりいって読む価値なしでした,などといった手厳しいものが並んでいました。
 しかし,私は,この本は好きです。この本を読むと,昨年の夏に私が行ったタングルウッドの風景がよみがえってきます。そして,小澤さん一家はこうしたところで,夏を過ごしていたんだなあ,と,私も,そんな若き日を過ごしたかのような気持ちになるのです。

 それとは別に,小澤征爾さんの日本凱旋までを綴った「僕の音楽武者修行」という本があって,その本は,
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 外国の音楽をやるためには,その音楽の生まれた土地,そこに住んでいる人間をじかに知りたいという著者が,スクーターでヨーロッパ一人旅に向かったのは24歳の時だった…。ブザンソン国際指揮者コンクール入賞から,カラヤン,バーンスタインに認められてニューヨーク・フィル副指揮者に就任するまでを,ユーモアたっぷりに語った「世界のオザワ」の自伝的エッセイ。
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で,私は,これを読んで,随分と感化されました。

 「おわない音楽」は,その「僕の音楽武者修行」にも書いてあったことと随分とタブっているのですが,この本に書かれていた中で,私が,小澤征爾さんの築き上げてきた人生のなかでもっとも印象に残っている出来事は,ブザンソンの国際指揮者コンクールです。
 小澤征爾さんは,ブザンソンの国際指揮者コンクールに出場しようと,日本の大使館に出かけたのですが,全く相手にされなかったどころか,強制送還さえされかかりました。そのとき,アメリカ大使館の助けがあって,コンクールに出場することが出来て,1位になり,その結果,世界のセイジオザワがあるのです。小澤征爾さんは,ブザンソンの国際指揮者コンクールで1位になったことで,ニューヨーク・フィルの副指揮者になります。そして,日本公演のために来日したときに団員に促され,家族や同僚・恩師の待つ空港に,飛行機からまっさきに姿を表す感動的なシーンがあります。

 その後,小澤征爾さんは,N響からボイコットされて日本にその居場所をなくしたり,日フィルを救ってくれと天皇に直訴して問題になったりしたことは,私も当時の新聞を読んだので覚えているのですが,そのいずれも,「御上」の国・日本らしいというか,この国らしいなあ,というのが,私の感想です。

 この本を読んで思うのが,小澤征爾さんは,なんとまあ,すごい人脈に恵まれていたことか,ということなのですが,そのこと自体,小澤征爾という人の人徳によるものだと思うのです。たとえ,こうした人たちが身近にいたとしても,彼らがその才能を認めて援助を惜しまないということはなかなかあるものでないでしょう。
 小澤征爾さんの父の北京の家には小林秀雄や林房雄が訪れ,母の伯母の息子が斎藤秀雄であり,進学した成城学園高校には,山本直純がいました。また,桐朋学園の同期は下級生には,堀伝,潮田益子,堤剛など蒼々たる人たちがいるし,高校のとき十二指腸潰瘍で入院した聖路加病院の主治医は日野原重明先生だったし,海外留学を思い立った時に世話をしたのが,成城の同級生水野ルミ子さんの父であるフジテレビの水野成夫社長,のちの妻江戸京子さんの父は三井不動産の社長。なんとか海外留学に出て,疲れからパリで風邪をひき,助けてくれたのが,ちょうどパリにいた吉田秀和氏…。

 世の人たちは,だから小澤征爾というのは恵まれた人なのだと思うかもしれませんが,こういう宝くじに当たったような幸運な人生を送ることができる人がいたっていいと私は思います。それに,悪口でなく,音楽家というのは,浮世離れした独特の生き方をしている人が多いけれど,私は,芸術家はそれでいいと思うのです。
 自分の能力で他人を幸福にできる才能を持っているとは,なんと,すばらしい人生なのでしょうか。
 私は,アメリカを旅して,タングルウッドを訪れてみて,はじめて,まるで地球儀の上を歩くかのように地球規模で生きている人の,その生き方とか挑戦するダイナミックな気持ちが,なんとなくわかるようになってきました。
 それにしても,自分のまわりの世界だけやちょっとした利害にこだわったり,絶えず,人との順位ばかりを気にして生きてる人のなんとスケールの小さいことか!

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 ともかく,道に迷ったのは帰りのこと。
 サンタフェに向かって進んでいたときは,まず,サンタフェの地図を手に入れようと,国道285がインターステイツ25と合流したあたりで,私は,観光案内所を探していた。ところが,それらしきものを見つけて車を停めて入ってみても,まだ,開店時間になっていない地元のモールであったりして,結局,案内所は見つからなかった。まわりはすでに町であったが,私の走っていたところは,まだサンタフェのダウンタウンからは10キロメートルくらいは離れていたのだった。
 さらにインターステイツ25・「サウス」を「北」に進む(間違いではありません)と,目の前にやっとサンタフェの町が見えてきた。

 さあ,ここからがたいへんであった。
 一度も行ったことのない町,そこは行ったことがないからこそ行くのだが,そんな町は,その様子やら方角やらがわかるまでは,どうしていいか見当がつかないのである。特に,車を運転しているときはいつもそうである。
 特に,サンタフェなど,小さな町だという先入観があるものだから,余計いけない。
 雰囲気的には,生まれてはじめて東名阪道を天理インターで降りて北上し,奈良公園をめざすような,そんな感じであった。

 ともかく,私は,サンタフェの市街地に入った。しかし,インターステイツを降りて,そのまま北に道路標示にしたがって,セントフランシス・ドライブを北上してはみたものの,サンタフェの中心にあるダウンタウンがどちらになるのか,さっぱりわからなくなった。私は,このサンタフェの観光を3時間くらいで切り上げようとしていたので,こんなことで道に迷っていては,どうにもならないのであった。だんだんとあせってきた。
 電車の踏切を通った。この右手がまさにダウンタウンであったのだが,このときは,まだ,それがよくわからなかった。
 ともかく,その交差点にガソリンスタンドがあったので,車を停めて,店内に入った。地図を探すと,手頃なものがみつかったので,それを買うことにして,お金を払いながら,店員さんの若い女性に,ダウンタウンはどちらですか,と聞いたのだった。
 店員さんは,指をさして,この交差点の向こう側だと親切に教えてくれた。地図を見なくても場所がわかったから,結局,買った地図は無駄になってしまった。先に聞けばよかった。

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 エンシノを過ぎると,また,しばらく,大平原が続くようになった。
 さらに走ると,国道285は東西を横切るインターステイツ40と交差した。実は,このインターステイツ40は,1937年,それまでサンタフェを通っていたルート66が経路を変更した後のルート66なのである。東は,テキサス州アマリロから西はアルバカーキに続いている。
 このジャンクションには町はなかった。
 さらに国道285をインターステイツ40をこえて進んでいくと,あたりの大平原は,次第に低木が表れた荒れ地になって,さらに進むと,次第にサンタフェに近づいてきて,アドビ建築の家が遠くに見えるようになってきた。
 これまでほとんど何もないところを3時間以上も走ってきて,また,多くの人が住む町になったということがとても不思議な気がした。

 道路標示にしたがって,さらに進んでいくと,国道285はインターステイツ25と合流した。このインターステイツ25は,サンタフェから再び戻るときに非常に戸惑うことになる問題のインターステイツであった。それは次のような次第による。
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 インターステイツ25は奇数番号だからアメリカ合衆国を南北に走る。この道は,そのまま北上すると,遠くに雪をかぶったロッキー山脈の向こう側コロラド州のデンバーに到達し,デンバーを過ぎると,ワイオミング州でインターステイツ80にぶつかる。また,南西方向に南下すると,アルバカーキをこえ,エルパソに到達する。
 ところが,サンタフェでこの道は一度Nの字を描くように,方角が逆になるのだ。つまり,アルバカーキからサンタフェまで北東方向に北上したインターステイツ25は,サンタフェを過ぎると,一旦南東方法に南下し,国道80と分岐をしたあとで再び方向を変える。
 したがって,サンタフェからロズウェルに戻るためには,インターステイツ25を南東方法に進むのにもかかわらず,道路標示ではインターステイツ25ノースに行かなくてはならないわけだ。さらに,国道285は,サンタフェのずいぶん手前でインターステイツ25と合流して,サンタフェの南の郊外まで行くと,そのまま西方向にすすむインターステイツ25,つまりインターステイツ25サウスと分岐して,今度はサンタフェ方向に再び国道285が登場する,というわけであった。だから,サンタフェの南の郊外からは国道285ノースという道しかなく,しかも,ジャンクションの周辺は,道路を作っているところであったから,道路標示に従って運転しても,サンタフェからロズウェルに戻れなくなってしまったのだった。
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 いったい誰がサンタフェから南東方向のロズウェルに国道285を経由してもどるのに,インターステイツ25ノースに道をとるなどと思うであろうか? 私のように,カーナビもなく,車でサンタフェからロズウェルに行こうと考える旅行者には要注意なのである。

◇◇◇
ところで,このインターステイツ25ですが,この夏,つまり,たった1週間前に旅行したとき,私は,デンバーから北にワイオミング州までこのインターステイツ25を走り,ワイオミング州でインターステイツ80に乗リかえて東に進み,ネブラスカ州まで行きました。これを書きながら,そのときその道が,サンタフェで迷ったその道と同じものだと知って,なにか不思議な気がしました。春には,まさか5か月後にその道を走るなどとは夢にも思っていなかったのですから…。

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 国道285は,ロズウェルの北は,ノースメインストリートという名になっているのだが,思った以上に,ほんとに何もないところであった。ともかく,家の1軒もなかった。道路は片側2車線で,行き交う車さえ,皆無であった。
 そんな状態で,2時間近く走ったであろうか,道路は次第に北西に向きを変えていったが,その先もいっこうに町がなかった。
 さらに進むと,道路は東西を走る州道60と交わった。そこはボーンという名の町であった。しかし,町ではあるのだけれど,町と行っても,道路沿いにガソリンスタンドやらモーテルやらがあるだけの,まるで宿場町のようなところであった。
 もし,昨日,ロズウェルをパスしてつぎの町で宿泊しようと思ったとしたら,ここまで来る必要があったわけだ。

 すぐにこの小さな町も終わった。国道285はしばらく州道60との共有区間になって方向を西に向きをかえたのだが,すぐに次のエンシノという町に差しかかり,ここで再び,州道60は西に,国道285は北北西のサンタフェの方向に進むのだった。
 それにしても,エンシノはすごい町であった。町というよりも,ゴーストタウンであった。
 建物はあったが,ほとんどは崩壊していた。道路に名前はついているのだが,それだけであった。モーテルの1件も存在していなかったし,人の気配も全くなかった。そんな有様だったので,逆に好奇心がわいたのだが,この町を観察する時間もなく,そのまま通り過ぎてしまった。
 帰国後調べてみると,ニューメキシコ州のエンシノ(Encio)は,近くの工場に勤めていた住民が全て解雇されてしまったために,職がなくなり住むことができなくなって,町がゴーストタウン化してしまったそうである。
 エンシノは,やはり,ゴーストタウンであった。
 町のはずれには,ほかの町と同様,墓地がある。ここに葬られた人は,この状況をどう思っているのかな,と思うと悲しくなってきた。果たして,現在,この町に人は住んでいるのだろうか。そして,本当に,この先にサンタフェがあるのだろうか。

 一眼レフカメラを買うと,交換レンズがたくさん欲しくなる…。 これを「レンズ沼」といいます。同じように,BORGという天体望遠鏡を買うと,いろんな部品が交換できるので,それがたくさん欲しくなる… これをBORG沼というそうです。
 そんなわけで,物質欲は限りなく,これは,プラレールやらシルベニアファミリーやらと同じように,男の子も女の子も,おじさんもおばさんも,そんな沼地に落ちてしまうのです。
 きょうは,「アメリカ沼」について書きます。

 私に知っている人にも,このアメリカ沼にはまった人数知れず… なんです。
 どういうことかというと,アメリカ旅行っていうのは,自由の女神をみたい,とか,本場のディズニーランドに行きたい,とか,グランドキャニオンに行きたい,とか,そういう観光旅行のうちはまだいいんです。ヨーロッパに行きたいとか,そういうのと同じ次元だから。
 でも,その先に控えしアメリカ沼。
 アメリカに観光ツアーで出かけたり,アメリカ以外の国に海外旅行をしている人たちは,ある国にはこだわわらずいろんな国に出かけるけど,アメリカをひとりで旅行しはじめると,他の国なんてどうでもよくなっちゃう。そんなふうにはまっちゃう。
 それを私が「アメリカ沼」って名づけたの。

 アメリカ沼にもいろんな沼があるんだけど,そのひとつは全50州制覇。その次はMLB30球団制覇。そして,国立公園制覇。まだあるよ。50州全てのキャピトル見学制覇。ルート66全行程横断。などなど。
 これをやるには,金銭的な問題よりも,アメリカを車でドライブできることと,なんとか意思が通じられるだけの英語力がともかく必要なのね。なにせ,アメリカは,広い。これが最大の魅力ではあるのだけど…。
 このなかでも,国立公園制覇,っていうのが,一番魅力あるわね。

 アメリカの国立公園っていうのは,日本とは全く違うの。
 「とってもいいのは写真だけ残していいのは足跡だけ」っていわれているわ。
 そもそも,国立公園というものに対する考え方が,アメリカでは,自然保護が第一,ということなのね。だから,国立公園局が土地も自然も森林もすべて管理しているし,何かをとれば罰金25万ドルと実刑が待っているわけ。それほどの努力をして守っている国立公園に魅力がないわけがないじゃないの。
 一度行くと病みつきになるわよ。

◇◇◇
きょうの写真は,上から,キャニオンライズ国立公園,ブライスキャニオン国立公園,グランドティトン国立公園です。

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私のいるマウンテンホームは、今日から新学期。ということで,朝,小学校までついて行きました。
アメリカの学校はものすごく興味があったのですが,両親が子供を送ってきたり,先生が自分の名前を書いたプレートをかざして生徒たちを並ばせたり,緑のおばさんならぬストップサインを持った先生が交通整理をしていたりと,当たり前の生活が私にはとても興味深いものでした。

さて,いよいよ帰国です。
空港まで送ってもらう途中で,Chick-fil Aというファーストフード店に行きました。ここ,オススメです。日本にないのが不思議です。マクドナルドやKFCなんて目じゃないです。
ボイジーの空港は空いていてのんびりしていて,セキュリティ検査も楽でした。
空港で,モンタナ州ビュート出身の女性とお友達になりました。彼女は肝臓移植を受けにシアトルへ行くところでした。
ボイジーからシアトルに1時間と30分,時差があるので,乗った時間の30分後には着くことになります。なにか不思議な気分でした。
そして,シアトルから成田へ9時間に満たないフライトで,しかもシアトルでの待ち時間が1時間と非常に接続がいいので,ものすごく楽でした。
午後5時,成田到着。
とうとう,楽しかった夏休みも終わりました。
こうして,私は,また,ゴミゴミとした窮屈なミニチュアのような日本に戻りました。
行けば行くほど行きたいところが増えて,もっともっと好きになってくるアメリカともしばしのお別れです。

 これまでに書きましたように,この夏のアメリカ旅行は,非常に充実した旅になりました。本当に最高でした。アメリカの生活や価値観は,日本とは全く別世界のものです。
確かに,日常生活というものは,どこで過ごしても大変なことに違いありません。でも,日常以外の生活には,決定的な違いがあります。
毎日の勤務時間後の長い時間(アメリカの夕方のラッシュアワーは午後の4時から午後6時)と週末には,都会にはMLBなどのダイナミックなゲームを見たり木陰でミュージックを聞くする楽しみが,少し郊外に出かければ,果てしなく広がる空と大地があって,いたるところにゴミひとつないトレイルやキャンプ場があります。
アメリカで,日本のニュースを見たり聞いたりすると,どうでもいいことにせかせかとしていたり,狭いところでごちゃごちゃとなにをやってんだかなあと,そんな気持ちになって来ます。
お盆休みのささやかな家族サービスや個人旅行も,アメリカで考えると,ありさんのお遊戯のように思えます。だから,時には,世界に出て,現在自分の住んでいる社会のことを外から考えてみることも必要でしょう。でも,日本では,日本から脱獄,いや,脱出する勇気も能力も教育されていないから,躊躇してしまうのです。
日本で習った英語では,アメリカの幼稚園の絵本も読めません。
実は,こちらの人が日本を見る目は,ほんのわずかな日本の文化に対する興味以外は,大人が子供を見るような,そんな感じに思えました。でも,その子供が,時々,大人よりも力があるといってだだをこねるので困るんです。そんな子供も可愛いものではありますが…。
それにしても,いつも思うのですが,この国の人たちは,何と人生を楽しむことにこんなにもエネルギッシュになれるのでしょうか。そして,恵まれた自然の中で自分たちで合理的に多くのルールを決めて,自然と共存して生きているのでしょうか。そういうことを,日本の人は知りません。
まさに,They are peppy! です。

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いよいよ最後の夜になってしまいました。こちらの時間で明日のお昼には帰国の途につきます。
今日は,ボイジーの市内観光に連れて行ってもらいました。
ボイジーの町は,全米で生産されるポテトの3分の1を収穫するアイダホ州の州都です。マウンテンホームから40マイルの距離にあって,インターステイツ84で30分で着きます。
ボイジー付近のインターステイツは,交通量の増加のために,片側4車線の拡張工事中です。
はじめに,途中のオレゴントレイルの展望台へ行きました。トレイルというのは,西部開拓時代の駅馬車の通った道にハイキングコースが作られているもので,トレイルは全米に張り巡らされていて,何か月もかけて散策を楽しむ人がいるそうです。このオレゴントレイルは,カンザスシティからポートランドまで続いています。こうした施設の入口は,鉄の柵で橋がかけられているのですが,それは,牛が入らないためなのだそうです。アパラチア山脈を縦走するアパラチアントレイルが有名です。
次に,ボイジーの市内見学をしました。
ボイジーには,ジュリア・デービス・パークという広い公園があって,公園内に,歴史博物館や美術館や動物園などがありました。
行きたかった歴史博物館は休館だったので,動物園へ行きました。一番面白かったのは,動く恐竜のモニュメントがたくさんあったことでした。
昼食はチャイニーズレストランに行きました。お寿司もあったのですが,ご飯がイマイチでした。それ以外は美味しくて,この味さえあれは,ここに住めます。
そのあとで,旧アイダホ州刑務所を見学しました。日本の網走刑務所博物館のようなところでした。
最後に,アイダホ州議事堂に行きました。素晴らしい建物で,上院と下院の議会会議場や州知事のゲストルームにも入ることができました。
これまで様々な州の州議事堂に行きましたが,これほど落ち着いていてしかも開放的な州議事堂ははじめてでした。
私は,この開放的な州議事堂を見るたびに,民主主義とは何かを考えさせられます。

 ところで,こちらのインターステイツにはトラックのステーションがあって,トラックはかならずそこで検査を受けなければいけません。その時に積載重量ごとにTAXを納めるとともに,1日12時間以上の走行が禁止されていて,その取り締まりもしているのだそうです。

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今回の旅も,あとわずかになって来ました。
今ごろ日本はお盆休みの大渋滞なのでしょうか。
マウンテンホームは本当によいところで,安全だし,過ごしやすい町です。きっと,ロサンゼルスとかニューヨークといった多くの日本人が観光で訪れるのでない普通のアメリカを知りたいとか,ホームステイをしたいというのなら,もってこいのところだと思います。
今日は,午前中は50マイルほど東に走って,ヘイグマン化石層国定公園というところに連れて来てもらいました。特に馬の化石が有名ですが,大昔,この地はジャングルだったところで,その頃の化石が多くの出土します。更に,オレゴントレイルといって,西部開拓時代の駅馬車の通った道もあって,大変に興味深いところでした。また,マスの養殖場もありました。
午後は,今度は,町から北東に行ったアンダーソンランチリザーバーというダム湖へ行きました。未舗装の道を進むと,川沿いの道に出て,それは冷たい水が流れていました。わずか数週間前には,氷が流れていたということです。
ダム湖には,ボートを浮かべて,釣りをする人の姿がありました。深さは100メートルくらいだそうです。
このように,雄大なアメリカには,町を少し離れると,アウトドアライフをどこでも楽しめるのです。
なお,ハンティングもフィッシングも,無駄に生き物を捕まえることは禁止されていて,その捕獲できる数にも決まりがあるということです。
夜には,スーパームーンの大きな姿が東の地平線に登って来ましたが,北極星の高度が高いのに驚きました。
一番下の写真は,No driink, No drive. のジョークで,ワイン会社が作ったものだそうです。

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広い空,果てしない台地,ゆっくり流れる時間,そして日々を楽しむ人たち。そんな中にいると日本のことがなにかとても異質な世界に思えてきます。
日本の人たちは,本当に一生懸命に日々を生きているのですが,そのものすごい一生懸命さが,結局のところ,何のためにやっているのかその目的がよくわかりません。
何事も100パーセント完璧でなければならず,だから100パーセント完璧である時に物事が機能するようになっているから,1パーセントでもなにか誤算があるとすぐに滞ってしまう。そんなことにでもなれは,誰に向かって謝っているのだかわからねど,頭を下げる…。
例えが悪いのですが,日本という刑務所で終身刑を受けているかのように思えます。
子供の時は塾に通い,意味のない受験勉強をし,真夏の炎天下でスポーツを強いられて,1点刻みの順位を競い,大人になれば,子育てと小さなおうちと車を維持するために朝早くから遅くまで仕事をし,評定のような会議を耐える。少ないお盆の夏休みには,渋滞を経験するためにわざわざ混み合う観光地にワゴン車に家族を乗せて出かけ,法外な値段で宿泊し,お土産を買うのに精を出す。絶えず退職後の年金の心配をし,耐えることを美徳とし,老後は趣味もなく老人ホームで一生を終えるのを待つ。
そういうことに薄々気づいているから,子供に同じめにあって欲しくないので子孫を残さない。
これが幻想であって欲しいのですが…。

 さて,今日は,近くにグランドキャニオンよりも深い渓谷があるということで,朝8時頃に出かけて行ってきました。
ちょっとそこまでというのが,往復200マイル,名古屋と東京の距離です。
行った先は,ツインホールズという渓谷でした。渓谷には長い橋ががかかっていて,そこからの景観が素晴らしいのですが,風が強いとすごく揺れるのだそうです。幸い今日は快晴で風もなく気持ちのよい日でした。
渓谷の下にはキャンプ場とボート乗り場があって,お年寄りたちがバーベキューをしていました。 上に戻って,展望台に行くと,渓谷に沿ってトレイルがありました。のんびりと歩いたりベンチに腰を下ろして渓谷を見ると,本当に気持ちが良かったです。
トレイルを歩いていると,みんなが橋の中央辺りを注目していました。今から人が飛び降りるのだといいます。しばらく見ていると,本当に人が飛び降りました。やがて,羽が開き,ふわふわと飛びながら地面に降りて行きました。そして,もう一人が同じように続きました。
また,青空には,クライダーが気持ち良さそうに飛んでいきました。
そうしたことが当たり前のように,みんな思い思いに1日を楽しんでいました。
また,この渓谷のあるツインフォールズは橋を越えた辺りから美しい街並みが続いていました。
こうした素敵な景色に出会ったツインフォールズを2時間と少しで往復しました。
夕刻,今日は,バーベキューパーティでした。
こうして,静かな町の1日は楽しく更けていったのでした。

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半袖では,寒い朝です。
宿泊したホテルは,ホテル街の一番外れにあって,前の道路は工事中だし,古臭くさすがに一番安いだけのことはあると思っていたのですが,食堂はえらく立派でした。
食事をしていたらコワモテのおじさんが来たのであいさつすると,気軽に話しかけてきました。なんでもベトナムに従軍していたそうで,その後はペプシの配達でアメリカ中走ったそうです。
もう今はアメリカ以外行く気はないなあと言っていました。
特にワイオミングは涼しくて素晴らしいんだそうです。
その後ホテルを出発して,ゆっくりとアイダホ州のマウンテンホームまで戻りました。
途中でRV車のキャンプ場があったので立ち寄ってみました。こちらの人は,週末ともなるとこうしてキャンプを楽しみます。
今回のドライブは,走行距離3,300マイル弱,つまり,約5,300キロメートルでした。日本の本州を2往復以上できる距離でした。アイダホ州,ユタ州,コロラド州,ワイオミング州,ネブラスカ州と走りましたが,一番快適だったのは,ユタ州でした。制限時速80マイルなのですが,どの車も90マイル走行,90マイルといえば,時速144キロメートル,上原投手の直球と同じです。
また,今回のドライブで訪れたところでは,途中で立ち寄ったデンバーを含めて,ひとりの日本人にも出会いませんでした。
マウンテンホーム到着は,午後2時過ぎでした。今日から帰国する来週の水曜日までここにお世話になります。美しい町です。
マウンテンホームの町から30分くらい南東に走ったところに広い公園があります。ここまで行くと,すでに,何もない台地が広がっています。
砂山があって,ここを登ると360度の景観を楽しむことができました。夕日がきれいでした。
この公園には,天文台もあって、ホールでは星に関するレクチャーを聞くことができました。結構多くの人が来ていました。アメリカでは,どこへ行っても,それがえらく辺鄙なところでも,大勢の人が来ています。
星も見せてもらえるのですが,残念ながら曇ってしまいました。なお,ここマウンテンホームは,2017年8月21日の全米横断皆既日食の皆既帯にあたります。
日本は台風だそうですが,大丈夫だったでしょうか。
今はインターネットがあるので日本のこともわかりますが,こちらの人で日本のことで知っているのは,津波のこと。誰しも私が日本から来たというと津波は大丈夫だったか?と聞かれます。

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ついに念願のネブラスカ州に足を踏み入れたので,今日から2日かけて,アイダホ州に戻ります。 朝,ホテルの窓から夜明けが見えました。
このホテル,いろいろ問題ありでしたが,お風呂のお湯は異常によく出るし,テレビも綺麗に映るし,ネットも快調だし ,よしとすることにしましょう。
アメリカでは全てクレジットカードで支払えるので,現金が不要です。コンビニの支払いは,レジにあるカードリーダーに自分でカードをスライスさせます。
ネットもどこでもつながるし,ホテルの予約も簡単です。
日本が非常に遅れた国に思えます。今でも武士がいるような気がします。
朝,ホテルを出て,一路インターステイツ80を西に走りました。
昨日まで走ってきたインターステイツ70とは全く異なる風景が続きました。辺りは大草原です。
ワイオミング州も雄大でしたが,やたらと道路の舗装工事中で,これには参りました。道路の規制がいい加減で,ラバーコーンが倒れていたり,幅が異常に狭かったりで,アメリカらしいいい加減さでした。
今日は,ワイオミング州の西の州境のエバンストンというところにホテルを取ったのですが,ネブラスカ州のキンボールからは400マイル,5時間くらいで着いてしまうので,途中で一度インターステイツをおりて一般道を100マイルほど南下して,ダイナソア国定公園へ行きました。
地図で見るとまっすぐなのに,実際は峠越え。途中にダム湖があったり,鉱山の集積所があったりと,すごい景色でした。さらに,野性の馬はいるし,牛さんが道を横断しているし,大変でした。この牛さんたちは,もしひいてしまうととんでもない賠償をしないといけなくなります。
国定公園では,恐竜の化石にさわれたり,面白かったのですが,往復するのに6時間もかかってしまいました。
今晩の宿泊地エバンストンは古い町並みが残る西部開拓時代の雰囲気漂う町でした。
どこへ行っても,アメリカは,面白いところだらけです。

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今日は,朝食を済ませて,ホテルを出て,昨日下見をした通りに,ダウンタウンの駐車場に車を停めました。早朝割引も計算済みでした。
アメリカの都会を車で旅行するには,いろいろコツがあります。また,いづれ,旅行記に書きましょう。
デンバーは,ミネアポリスとよく似た都会でした。
まず,州議事堂を見学,その後,ダウンタウンをのんびりと散策しました。
午前11時になったので,クアーズ・フィールドに行き,中に入りました。
ここはとても親切な楽しい球場でした。
試合前の練習で,相手チームのカブスの藤川投手をみつけ声をかけました。
それまで晴れていたのに,試合開始直前に大雨になりました。しかし,30分ぐらいでやんで,すぐに試合がはじまりました。
雨のおかげで,係員もいなくなったりして,座席もどこでも見たい放題でした。
空は快晴になり,雨に洗われて,最上段のスタンドからは,ロッキー山脈がものすごく綺麗でした。
街中も野球場もフリーwifiが通じます。
試合終了後,デンバーからインターステイツ25を北上,ワイオミング州に入ったところで,インターステイツ80に進路を変えて,東に,ついにネブラスカ州に到達しました。これで,45州め制覇です。
インターステイツ80は,ネブラスカ州に入ると,背後に夕日が輝き,北には稲妻が光り,目の前の東側には,虹が見えて,上空の真っ黒い雲から雨が降ってきて,まっすぐに続く道路以外何もないという,とんでもない光景になりました。
今日はネブラスカ州のキンボールというど田舎に宿泊しています。ネットで調べていなかったら,こんなところにホテルがあるとは思えないでしょう。
フロントで,こんな何もないところに来る物好きな日本人はいないと言われました。
他にホテルがないので,宿泊代は高いし,軋んでドアはあかないし,町にたった1軒あったサブウェイ,店員の英語がなまりでよくわからないし,いろいろ苦労しました。
でも,一度は来たいと思っていたアメリカの究極の田舎町,最高の経験です。

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今日はコロラド州のグランドジャンクションを快調に出発して,一路デンバーへ… のはずだったのですが,気がついてみれば,なんとユタ州に入っていました。
途中でインターステイツのマイルマーカーの数字が減っているのでおかしいなあと思ってはいたのですが。
やっと引き返したのですが,おかげで40分時間を無駄にしました。
インターステイツ70は,コロラド州に入ると風景が一変して,山の形も変わってきます。周りは緑が豊富で,スキー場だらけ,コロラド川が素敵な景観を作り出して,周りはどこも高級リゾートでした。
デンバーへの途中で,ロッキーマウンテン国立公園に寄りました。
下調べもせずに,分水嶺のあるミルナーバスからトレッキングを始めたら,途中でマウント・アイダホの登山コースに行ってしまい,途中ですれ違った人たちがそんな格好で登るのかとか水も持っていないのかと心配して,水をくれたり食べものをくれたりと,散々迷惑をかけてしまいました。
第一ピークで断念,それでも富士山よりも高くまで登れました。
下山途中で,野性のエルクが3頭,草を食べているのに遭遇しました。
それにしても,ゴミひとつなく,人混みもなく,湿気もなく,最高でした。
日本で登山をする気持ちにはなれませんね。
その後,国立公園の展望台ごとに車を停めながら景観を楽しみました。断崖絶壁なのにガードレールがないのもアメリカらしいのですが,緊張しました。国立公園を出てデンバーに向かいました。
地図上ではすぐなのに,峠を超えるたびに3,000メートル級を登ったりおりたりと,大変な山道を越えて,ついにデンバーに到着しました。
本日は,600マイル以上走りました。
中学校1年の時の英語の教科書で知ったデンバーの地に,こうして,今,いることが不思議です。今でも教科書の文章は暗記しています。
It's Christmas time. Roy and his father are going from Denver to SanFrancisco.

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今日はユタ州南部のハリケーンという町のホテルを出発してインターステイツ15を北上,途中ザイオン国立公園のコロブセクションという公園の北側を展望できるコースに立ち寄った所,ちょうど,日の出と遭遇しました。
その後,インターステイツ70に乗り換えて,進路を東に取りました。
このインターステイツ70というのがすごかったというか,まるでグランドキャニオンとモニュメントバレーの中をずっと走っているみたいな道でした。
あまりの感動で,所々にある展望台に全て駐車してしまったので,予定を大幅に遅れて,さらに道に迷って,午後1時前に目的地のひとつ,キャニオンライズ国立公園に着きました。最も奥にある展望台グランドビューポイントからの景色が最高でした。
まさにここもグランドキャニオン以上でした。
次に行ったのがアーチーズ国立公園で,ここも一番奥のデビルズガーデンにあるランドスケイプアーチまでヘロヘロになりながらたどり着きました。
今日の走行距離が600マイル,さらに公園の中のトレイルを歩いて数時間,本当にどこへ行くにも遠く,公園内は広く大変です。
しかし,それ以上の感動を味わいました。
夕日を背に走って,夜8時過ぎ,ついにコロラド州境に着きました。今晩の宿泊地は,グランドジャンクションという町の北側にある空港近くのホテルです。

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今日は国立公園めぐり。ザイアン国立公園は,環境を守るために,車での移動が禁止されているので,駐車場に停めてめてシャトルバスでの移動となるのですが,朝の10時を過ぎると一杯になってしまうという噂だったので,ホテルの朝食を断念して,午前5時30分に出発しました。
日本のような案内表示がほとんどないことと,思っている以上に遠いことで,途中で何度か道を間違え,なんとか午前10時に到着,少しだけ駐車スペースが残っていました。
シャトルバスで見所を見て回りました。

次に行ったのが,ブライスキャニオン国立公園でした。
ここは,本当にすごかったです。グランドキャニオン以上です。岩の下まで降りられるトレイルに挑戦,降りるのは簡単だったのですが,戻るのが地獄でした。でも,幻想的で素晴らしかったです。
それにしても,日本人を見かけません。ここも例のごとく,中国人の団体が観光バスで押しかけ,大声を張り上げておりました。しかし,流石に,観光バスが行かない一番奥のレイボーポイントまではそうした輩もおらずよかったです。
アメリカの大自然の素晴らしさを知った人は何度も行きたくなるのですが,どこも遠く,運転ができて,言葉が不自由でないと大変なので,日本人は二の足を踏んでしまうのでしょうか。
でも,本当にすごい景色です。これを知らずして何を語るやです。
今日はそんなわけで,朝食も昼食も抜きで,500マイル走って2つの国立公園を制覇しました。
夜9時に,予約をしておいたホテルにやっと到着。ホテルの隣にあったレストランで55歳以上格安セットのステーキを食べました。
天気予報は,40パーセントの確率でヘビーレインだったのですが,流石に晴れ男,しっかり日焼けしました。
全てを見終わって車でホテルに向かう時に雨が降り出し,ホテルに着く頃には,綺麗な虹が見えました。

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実質,今日から旅がはじまりました。
まず,マウンテンホームから,ステイツハイウェイ20を東に200マイル走って,クレイター ・オブ・ザ・ムーンまで行きました。ここは 辺り一面真っ黒い土や岩で覆われていて、実際に月に行った宇宙飛行士が月とそっくりだと言ったとか。
それにしても春に行ったホワイトサンズはどこも真っ白だったし,ここはどこも真っ黒だし,アメリカはすごいところです。
ここまで走ってくる時の景色を見て,モンタナ州を思い出しました。
そのあと,インターステイツ15に乗って南下,出発から7時間,およそ500マイル走って,ソルトレイクシティに着きました。ここはモルモン教の聖地,ビジターセンターで,日本語の経典をもらっちゃいました。日本にもいるような宣教師さんがいっぱいいました。商工会議所ビルの屋上にガイドツアーに参加すると登ることができて,遠くには,オリンピック冬季大会が行われた山々が美しく見えました。
それにしても,アメリカはどこの都会も車でいっぱいです。片側4車線もあるインターステイツは制限速度がなんと80マイルですが, 渋滞もなくそれは快適でした。
こちらは予想よりもずっと暑く,今はソルトレイクシティからさらに南下したところのホテルにいるのですが,少し雨が降っています。

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ユタ州のボイジーからインターステイツ84を30分東に行ったマウンテンホームという町に滞在しています。
ウォールマートに普通に銃が売られているのには驚きました。身分証明書があれば買えるのだそうです。目的は,ハンティングで,獲物によって銃や弾丸が異なります。銃自体はアメリカ製ですが,優秀なファインダーは,日本製(ニコン)だったりもします。
でも,平和で綺麗な,そして,静かな町です。
どこの家にも車が3台,あるいは,キャンピングカーやヨットがあって,子供の頃にテレビで見たアメリカの町です。
このめちゃめちゃでかい家に住んで,RV車に乗るのを見ると,一生もののローンを組んでウサギ小屋のような家を買って ,走れもしない道を得意げに追い越すために高級車を買う日本の姿がものすごくバカらしく思えます。
また,日本で習ったのと異質な英語を話し,気楽に細かいことなんてこだわらず生活してみると,やたらと気を使い人にペコペコして,手当も出ないのに遅くまで残業しているのが,一体なんのためなのか,さっぱりわからなくなります。
華氏100度を超えるほど暑いですが湿気はありません。
明日からユタ州をドライブします。

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今,成田空港にいます。いよいよ夏のアメリカ旅行に出発します。
今回は,アイダホ州からユタ州コロラド州と大自然を楽しむ旅です。
新幹線の品川までは順調だったのですが,湘南新宿ラインの人身事故で成田エクスプレスが40分遅れで少しヒヤヒヤしました。
また,可能な限りライブでアメリカの香りをお送りしますので,お楽しみに。
では,午後4時のフライトでオレゴン州ポートランドまで行って来ます。

 9時間のフライトで無事ポートランドに到着,アメリカに入国しました。
たった9時間,やはり,デトロイトまでの12時間に比べると,西海岸までは楽です。あの残りの3時間が苦痛なのです。機内では映画「清須会議」を騒音で聞こえない日本語を無視して,英語字幕で楽しみました。
これから,アイダホ州ボイジーまで行きます。76人乗りのプロペラ機です。まるでバスです。
それにしてものどかなところです。春に行ったテキサスとはえらく違います。ポートランドの空港のローカル線ターミナルAなんて田舎の駅みたいです。
待合所のフリー wifi は快適です。

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 少し前に,東京都議会でセクハラ発言が問題になったわね。
 いろんなことがいわれたけれど,セクハラだって,パワハラだって,みんな要するに「人権」の軽視なのね。だから,そういう発言をする人は,基本的人権っていうものを考えてみるといいと思うわ。
 人権週間とかいうけれど,私も,昔は,「人権」って何かよくわからなかったの。
 今は,よくわかる。
 それは,大きな人も小さな人も,若い人もお年寄りも,男の人も女の人も,お金持ちもお金のない人も,能力の高い人もそうでない人も,どんな人種の人も,みんな,同じひとりの人間としての権利がある,っていうことなのね。
 だから,仕事上の上下関係は,あくまで仕事上のものであって,上司だからって,部下の人権を尊重しなくちゃならないし,教師と生徒だって,それは師弟関係であるだけで,教師が生徒を馬鹿呼ばわりしちゃいけない,そういうことなのね。

 そんな基本的なこともわからない人が,高い地位に就いたり,教師をしていることが一番の問題なのね。
 よく厳しさを売りにしている人がいるけれど,そして,その厳しさをまた受け入れている人もいるけれど,それは勘違いはなはだしいわよ。自分は受け入れることができても,それができない弱い人のことを考えてみればいいわ。そういうことが考えられない,っていうことも,やっぱり人権を尊重していないっていうことなのね。
 小さな子供を見たとき,自分もそんなころがあってこころない一言に傷ついた思い出や,体の不自由なお年寄りを見て,自分もいつかそんなときがくることや,立場の違う人をみて,自分がその立場だったら,ってちょっとだけ考えてみることや,そんなことを少しだけでも気づいてみれば,もっと過ごしやすくなると思うのだけど。

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☆5日目 3月17日(月)
 5日目の朝が来た。
 今日は,ともかく,ロズウェルから北へ北へ走って,サンタフェまで行って,午前中にサンタフェを観光して,そのまま戻り,夜はカールズバッドに宿泊することにした。少し距離が長いが,昨日走った様子では,なんとかなりそうであった。カールズバッドのホテルは,昨晩,ネットで予約したので,少し遅くなっても大丈夫であろう。
 ロズウェルからサンタフェまで,3時間も走れば到着できるだろう。

 ホテルで朝食を取ろうと食堂に行ってみたが,さすがに早すぎで,まだ,真っ暗であった。しばらくすると,係のおばちゃんが出てきて,もう少し待っててね,と声をかけてくれた。
 朝食の予定の時間よりも少し早く食堂の電気がついて,食事を取ることができるようになった。
 ここの朝食も,昨日同様,けっこうデラックスであった。
 ホテルの無料の朝食は,ほんとうに地域によってまちまちで,今回行ったニューメキシコ州とテキサス州は,どこも良心的であった。
 ともかく,1分でも早くホテルをチェックアウトしてサンタフェに行きたかったので,早々に朝食を切り上げて,部屋に戻り,出発の準備をして,ホテルのチェックアウトをして,車に乗り込んだ。

 まだ,夜明け前であった。
 サンタフェまでは,ほぼ一直線に北に国道を走っていけばいい。
 次第にロズウェルの町外れまで来て,家が少なくなってきた。
 やがて,まったく家がなくなって,ニューメキシコ州の大平原に,ただ単に道路だけがまっすぐに北にのびるようになってきた。
 「なにもない」といわれたノースダコタ州は,それでも,起伏があったり,遠くにビュートと呼ばれる小山があったりしたが,ニューメキシコ州は,それよりも,もっと大平原であった。
 やがて,北に向かってひたすら走る私の車の窓からは,右手に地平線を太陽が昇りはじめ,その正反対の左手の地平線には,偶然,満月が沈んでいく様子だけが見えるようになった。右手の太陽が左手の月を照らしているということが,とても不思議であった。
 今,私が見ることのできる風景は,それだけであった。

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