まだ,日没には2時間ほどあったのだが,ここまで来たからには,サンセット・ストロールという,夕暮れのホワイトサンズを1時間かけて歩くというレインジャープログラムに参加しようと思った。
時間がたっぷりあったために,先に歩いたインターデューンボードウォークにもう一度出かけてみたり,ハート・オブ・ザ・サンズに行ってみたりもしたが,確かに,いたるところ真っ白な世界で,日本では決してみることのできない圧倒的な風景ではあるけれど,簡単にいえば,それだけのところなのであった。
そり遊びをする人や,小高い山に登っていく人など,それほどには多くない観光客は,思い思い楽しんではいたが,あまり遠くまで行ってしまうと,場所を見失ってしまうし,特にすることもなくなってきた。まだ,この公園にいる人たちは,きっと,みんなサンセット・ストロールに参加するために時間をつぶしているのに違いがなかった。
心配していた風は,この日は止んでいたが,そのかわり,雲が多く,日没が見られるかどうかは微妙なとろこであった。
なんとなく時間をつぶしていたら,やがて,日没まで1時間くらいになってきて,サンセット・ストロールの出発する時間になってきた。この集合場所の近くの道路際には,だんだんと駐車する車が増えてきた。私も,車を停めて,人がちらほら集まってきたところで,同じように待っていた。
時間になって,初老の夫婦がやってきた。彼らがこのレインジャープログラムの案内人であった。
アメリカの常で,まず,彼らの自己紹介があって,次に,ツアー参加者がめいめい,どこから来たかを言うことになった。参加者は10数人程度であった。
参加していた中に,意外にも中国人やら日本人やらがいたが,私は日本人がいるのに大変驚いた。
昨年,ボストン近郊のプリモスプランテーションというテーマパークへ行ったときも,日本人はいなかった。さすがに,ニューヨークのヤンキースタジアムには日本人はいたけれど,ボストンのフェンウェイパークにも日本人はいなかった。
サンアントニオでも見ることはなかった。それが,ここには,日本人の若者のグループが4人と家族連れが3人もいた。私は,もちろん,彼らが仲間内で話している日本語がわかったが,彼らの話していた内容は,案内人の話す英語は,TOEICのリスニングの英語よりむずかしいとか,まあ,そんなようなくだらないものであった。
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それにしても,日本の若者はかわいそうだ。
彼らは,子供のころから,非効率で何を目的としているのかわからぬ日本の学校教育に毒されていて,テストで点数を競うことを勉強と勘違いして育てられてしまっている。そこで,日本から外に出たときに,自分で飛び立つ羽が育っていないのだ。彼らを教育している教師だって,飛び立つ羽がないわけだから,これは,救いようがないのである。だから,こういう会話になるのである。
September 2014
星を見るのも大変だ。-銀河は活動する。②
現在は,形状からの分類とは別に,その物理的な性質から,銀河を分類しています。
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太陽のような恒星は,銀河内にある巨大な分子雲で作られる冷たいガスから生成されるのですが,この星の生成が例外的に活発である銀河というものがあって,それらを「スターバースト銀河」とよんでいます。
「スターバースト銀河」では,なんと通常の100倍から1,000倍規模の星が生まれます。この過程で発せられる強い赤外線を観測できるものを「超光度赤外線銀河」といいます。
しかし,このような状態が続くと銀河内のガスが急激に消費されるために,スターバースト状態は銀河の寿命から考えれば非常に短い1,000万年程度しか持続しないと考えられています。
こうした「スターバースト銀河」は,塵やガスが豊富で,大質量の星々が電離した雲で囲まれたHⅡとよばれる領域を持っています。これらの大質量星が起こす超新星爆発が超新星残骸を撒き散らして,周囲のガスなどに強い作用を与えます。そして,ガス領域の至る所で新しい星の生成を連鎖反応的に起こすのです。
「スターバースト銀河」はしばしば相互作用銀河と関係します。このひとつの例がM82であり,近接するより大きな銀河M81からの影響を受けています。
銀河の中には,非常に活動的な種類のものもあります。こうした銀河から放出されるエネルギーの大部分は,星やガス・星間物質とは異なる部分を元にしていて,この銀河を「活動銀河」と呼んでいます。
実は,このエネルギーの発生源というのは,銀河中心に存在する超大質量ブラックホールの周囲に形成された降着円盤なのでです。活動銀河中心核の放射現象は,降着円盤の物質がブラックホールに落ち込む際の銀河潮汐力に由来しています。そして,この物質のうち約10パーセント程度が,中心部から双方向に1組の宇宙ジェットとなり,光速に近い速度で噴出していきます。
「活動銀河」には,高エネルギーの放射線を発するものもあります。放射線が検知される銀河は光度によって「セイファート銀河」とか「クエーサー」とよばれています。
また,特に宇宙ジェットが地球の方向へ放たれている種類のものを「ブレーザー」,あらゆる周波数の電波を放出する銀河を「電波銀河」とよんでいるのですが,これらは本当は同じものです。単に観察者の視角に基づいた活動銀河の分類であって,見る位置が違うだけなのです。
初期の宇宙では,銀河が合体することは一般的な出来事でしたが,今でもそうした銀河の合体は見られるのです。
前回書いたように,天の川銀河は近傍のアンドロメダ銀河と秒速約130キロメートルで近づき合っていて,将来衝突するといわれています。この衝突では,活発な星形成が行われた後に,一度は通り過ぎると考えられていますが,その際に太陽系がアンドロメダ銀河側に移ってしまう可能性も3パーセント程度あるのだそうです。そしてふたたび近づいてきて,最終的にはひとつの楕円銀河「ミルコメダ」になると考えられています。
なんとまあ,すごい話でしょう!
また,さらに,1,000億年ほど時が経過すると,「ミルコメダ」はおとめ座銀河団の各銀河と合体して,超巨大楕円銀河に纏まってしまうと考えられています。その後も宇宙の膨張は続くので,他の銀河は見かけ上光速を超える速度で遠ざかるために,観測できなくなってしまいます。そして,最後には小さくより寿命が長い赤色矮星ばかりが銀河系の中心要素となって,もはや恒星が誕生しなくなるのは10兆から100兆年後と見られています。
そのころになると,銀河は,コンパクト星,褐色矮星,より冷えた状態の白色矮星や黒色矮星,中性子星,そしてブラックホールによって作られている状態となってしまい,見かけの色も暗い赤色を経てやがて輝きを失います。最終的に,重力の緩和時間を過ぎれば,全ての星は超大質量ブラックホールに飲み込まれるか,あるいは衝突を繰り返して銀河間空間に放り出されるかの結果が待っているのです。
これが宇宙の終焉です。
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今日の写真は,私が写した銀河です。
1番目の写真はM51子持ち星雲,2番目の写真は本文にも説明したM81(左)とM82(右),3番目の写真はM103(右),そして,4番目の写真はM101,5番目の写真はM33,そして,一番下6番目の写真はM74です。
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写真を写して,こういったかわいい姿を見ると,とてもうれしいものです。
2014春アメリカ旅行記-ホワイトサンズをめざせ④
ここを散策し終えて,その先を目指していくと,次第に,植物もなくなって,あたりは全面真っ白い世界になってきた。道路も,また,真っ白な砂に覆われるようになってきた。
すると,サンセット・ストロール集合場所という標示があった。
サンセット・ストロールというのは,夕暮れのホワイトサンズを1時間かけて歩くというレインジャープログラムである。
そのまま走っていくと,ハート・オブ・ザ・サンズという,ピクニックテーブルが並ぶ場所に出た。
この国定公園の一番奥まったところにあるハート・オブ・ザ・サンズで,デューン・ドライブはぐるりと大きく弧を描き,1周して,戻ることができるように地図には書いてあるのだが,道が二手に分かれていたり,走っていくと1周しないで同じ場所に戻ってしまったりして,なんかよくわからなかった。なにせ,真っ白な世界,道だけ見ても方向すらわからなくなってしまうのだった。
そんなわけで,私は,ここを何周もする羽目になったが,次第にどういったふうになっているのかがわかってきた。
ここは,ビジターセンターから最も離れた場所で,植物の生えていない広大な真っ白い平原の風景が延々と続いていた。
駐車場に車を停めてコースに行くと,1周なんと5時間! 程度のトレイルを歩くことができるようになっていた。
ここのコースは署名してからでなければ立ち入ることができず,日没までに戻ってきたことがわかるように戻った時刻を記入して公園管理官に無事を知らせる必要があるということが書かれてあった。
砂丘では似たような景色が続くために,あらかじめ定められたコースを含めて,砂丘に立ち入る場合には背の高いもの,例えば入口にある給水塔や山脈の景色で方角と自分の位置を確認してから立ち入るよう薦められていた。コースを外れる場合には,コンパスも必携であった。
また,春には強風が吹くために,砂塵で視界が1メートル以下に遮られてしまうこともあり,足跡もすぐに消えてしまうために,簡単に自分の位置を見失ってしまうということだった。このため,目印に立てられているポールが見えなくなったときはすぐに引き返すようにということであった。
私は,もちろん,このコースを歩くつもりはなかったが,少しだけ様子を見ようと先に進んでいった。しかし,これは,実際はとんでもないことであった。
わずか数分歩いただけのところに立って周囲を見渡しながら写真を撮っていたら,方角が全くわからなくなってしまったのだ。遠くに目印のポールが見えるのだが,そのポールが,これから進んでいく方向にあるのか,あるいは,来た道にあるのかさえわからなくなった。
もし方向を間違えると,もどるのに5時間かかるのだ。
私は,かなり動揺した。注意事項は,そのとおりなのだと実感した。
幸い,そこからすぐの高台にのぼってみると車の駐車場が見えたので,事なきを得たのだった。
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急に怖くなって,私は,すぐに引き返した。
それにしても,すごい所だった。
アフリカの砂漠には行ったことはないのだが,まさにこんな感じなのだろうと思った。ただし,石英を主成分とする砂状結晶でできている砂丘とは異なって,最も暑い夏季にさえ,石膏は太陽のエネルギーをすぐには熱に変えないので,素足で問題なく歩くことができるということであった。若者や子供たちが,ここでそり滑べりを楽しんでいたのも,そんなわけだった。
デューンライフネイチャートレイルが気になっていたので,一度,このハート・オブ・ザ・サンズから入口に引き返して探してみると,確かにインターデューンボードウォークよりもはるか入口よりのところにデューンライフネイチャートレイルがあったが,立ち入り禁止になっていた。
なお,ホワイトサンズ国定公園はホワイトサンズ・ミサイル実験場の中にあるので,ニューメキシコ州ラスクルーセス及びアラモゴード間の国道70と国定公園は,ミサイル実験場でテストが行われる際に安全理由のために閉鎖されるのだという。この閉鎖は平均して1~2時間の間,だいたい週に2回ほど起こるということだが,私のいたときは,幸い,こうした事態は起きなかった。
「かなちゃん」1週間-見慣れた景色を新鮮な気持ちで
Farewell Derek Sanderson Jeter.
◇◇◇
おじいちゃんが,近頃,不思議な体験をしたって,話してくれたわ。
おじいちゃんは,いろんなところに旅行をしているんだけれど,さほど混んでいない電車に乗って,座って,周りを見回したときに,ああ,この車両に乗っているのは,ほとんどが日本の人なんだ,って,ふと感じて,変な気持ちになったんだって。
それは,どういうことかっていうと,例えば,外国を旅行するじゃない。そうしたときに,その国の電車とかに乗って,周りを見渡したときに,乗客のほとんどは,その国の人だっていうことに,ふと,気づくじゃない。で,そこで,緊張したり,改めて,旅行をしているんだ,って感じるでしょ。日本にいながら,そういう気持ちがしたんだって。
私も,アメリカの野球場で,スタンドを見渡したときに,何万人ものアメリカの人を見て,なにか不思議な気持ちになったことがあるんだけど,そういう感じなのね。
でも,普段は,日本では,そんなことは感じない。それは,生まれてからずっと,そういう環境にいたから,当然だよね。それに,そんなに注意して周りを見回したりしていないしね。でも,そのように考えて,電車に乗ったり,町を歩いてみると,結構おもしろいし,不思議な気がするわよ。
日常が非日常になったり,家の近くにいるのに,旅に出たような気持ちになったりもできるわよ。
いつもそんなふうに,この国を見てみると,たとえば,外国から来て,はじめて日本を見たような気持ちになって,いろんな発見があるわよ。
へえー,日本には,こんな看板があるんだ,とか,道路標識はどんなんだったんだ,とか,見慣れているからこそ注意していないことも新鮮に見えるわよ。
私は,日本は,もっと景観に気を使うといいと思っているのだけれど,じゃあ,海外はどうなんだろう。
アメリカは,日本とは比べられないほど広いから,道路も街並みをゆったりとしている。でも,それだけじゃなくて,小さな町で歩道ひとつ見ても,そこにも芝生が植えられていて,その中央にコンクリートで歩きやすいようにコンクリートで道が作られている。それは,どこの町も似たようなものだけど,それが,散歩とかしていると,すごく気持ちが良いひとつの要因になっているわけ。
日本では,無粋なガードレールが,それも,美観など全く考えられないようにして設置されていたりするから,散歩道っていっても,あまり楽しくない,と私は思うわ。そんな景色を外国の人が見ると,どう感じるのかしら。
普段見慣れた景色でも,新鮮な気持ちで見てみると,いろいろな発見があって,楽しいわ。
2014春アメリカ旅行記-ホワイトサンズをめざせ③
ホワイトサンズ国定公園は,アラモゴードの南西およそ25キロメートル,標高約1,200メートルに位置する白い大砂丘地帯である。
これまでに書いたように,アラモゴードから国道70を30分ほど走っていくと,ホワイトサンズ国定公園の入口に着いた。
ホワイトサンズ国定公園は,ビジター・センターが午前8時から午後6時,ホワイトサンズ国定公園内を車で走ることのできる道路デューンズ・ドライブへの立ち入りは夏季は午前7時から午後9時,冬季は午前7時から日没となっていた。
まず,入口にビジターセンターがあったので車を停めて中に入ると,案内所や売店があった。また,ここでは,ホワイトサンズ国定公園のできた仕組みなどを解説するビデオが上映されていた。
・・・・・・
ホワイトサンズ国定公園は,石膏の結晶でできた約700平方キロメートルの広大な白い砂丘の南部から成っている。
石膏は水溶性なので,普通は,雨が石膏を溶かして海へ運んでしまうから,白い砂のままであることはないのだが,ここトゥラロサ盆地には,海に注ぐ川がないために,周囲のサン・アンドレス山脈とサクラメント山脈から石膏を溶かした雨がこの盆地に留まって,地面にしみ込むか浅い池を作り,それが乾燥して,地表に透明石膏と呼ばれる結晶様の石膏を残した。
また,この地は,氷河期の間はオテロ湖と呼ばれる湖であったが,それが乾燥して,透明石膏の結晶の大きな平地になった。干上がったオテロ湖は,現在は,プラヤという,大雨が降ったときだけに水が溜まる低地で,1年のうちの大部分は乾燥している。
こうして,ここの地面は,最高3フィートに達する透明石膏の結晶で覆われた。
石膏の結晶は,風化と浸食が結晶を砂状に砕き,それを南西からの強風が持ち去って白い砂丘を作っていく。石膏の砂は最初は透明なのだが,砂粒同士が擦れ合って傷ができて光を通しにくくなるため,だんだんと白くなっていく。
ここの砂丘は絶えず形を変えて,1年間に約9メートルずつ風下に向かって南西から北東へゆっくり移動する。
また,砂丘の行く手で砂が植物を覆ってしまうが,ある種の植物は,砂丘によって埋められることなく十分な速さで成長することができる。
・・・・・・
そんな内容のビデオであった。
ビジターセンターを出て,再び車に乗って,その横にあるゲートから公園の中に入っていった。この道をデューンズ・ドライブという。
デューンズ・ドライブは,ホワイトサンズ国定公園の入口にあるビジターセンターから砂丘に向かって12キロメートル,ほぼまっすくに延びる道路であった。ホワイトサンズ国定公園ではデューンズ・ドライブを外れて自転車や自動車で砂丘に乗り入れることは禁じられているが,ところどころに車を停める場所があって,そこからは徒歩で砂丘を探索できるコースが作られていた。また,これらのコースに限らず,ホワイトサンズ国定公園ではどこでも歩くことができる。
デューン・ドライブを車でしばらく走っていくと,だんだんと,周りの土地が白い砂に覆われてきた。ただし,しばらくは,一面真っ白な世界,というのとはほど遠かったので,やっぱり,ここはたいしたことないんじゃないかなあ,とこのときは思った。
ここの砂地は,風化とか移動でよくコースが変わるようで,地図によって,コースが違ったりして,自分の居場所がよくわからなかった。
まず,デューンライフネイチャートレイルというのがあると書かれていたけれど,見つからなかった。私が初めに見つけた散策コースは,その次のインターデューンボードウォークであった。広い駐車場があったので車を停めて,コースに出た。
ここは,ビジターセンターから7.2キロメートルの距離にあって,コース長585メートルの往復コースであった。このコースは板張りの道が整備されていて,車椅子やベビーカーでも利用できる唯一のコースであった。遊歩道のところどころに情報を記した看板や休憩用のベンチが備えられていて,ここを歩きながら,ホワイトサンズの白い砂やら,この砂地にめげずに育つ植物を見ることができた。
私は,真っ白い砂以外に何もない世界,というのを想像していたから,こうした植物の生えたところをみて,またしても,それほど大したところでないなあ,と思った。後で知ったことには,このような環境であっても成長する植物というものもそれなりに学問的な価値や意義のあることなのだったのだが…。
星を見るのも大変だ。-銀河は活動する。①
これまで,球状星団,散開星団,惑星状星雲,散光星雲を,私の写した写真とともに紹介してきました。最後は,銀河です。
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銀河は,恒星やコンパクト星,ガス状の星間物質や宇宙塵,そして重要な働きをするが正体が詳しく分かっていないダークマターなどが重力によって拘束された巨大な天体です。以前は系外星雲といいわれていましたが,銀河は星団や星雲よりも,もう1段階スケールの大きなもので,恒星や星団,星雲などがすべて集まった集団です。
我々がすむ太陽系も銀河の中にあります。昔は,我々のいる銀河のことを銀河系といい,それ以外を系外星雲といっていました。現在は,我々のいる銀河を特に「天の川銀河」といっています。「天の川銀河」も銀河のひとつです。
銀河は,1千万個程度の星で成り立つ小さな矮小銀河から,100兆個の星々を持つ巨大な銀河まであります。銀河にある星々は恒星系,星団などを作り,その間には星間物質や宇宙塵が集まる星間雲,宇宙線が満ちています。それに加えて,ほとんどの銀河では質量の約9割を「ダークマター」という未だよくわかっていない物質が占めているといわれています。また,ほとんどの銀河の中心には超大質量ブラックホールが存在すると示唆されています。
写真に写すと,有名ないくつかのもの以外はとても小さくて暗くて,星々の中で米粒のようにしか写りません。でも,だからこそ,写ると嬉しいのです。
普段,我々が見ている星々は天の川銀河の中にあって,比較的距離の近い星です。距離の遠い星は天の川として見えています。しかし,そのどちらも,天の川銀河に属するものです。そこで,それらの星々のずっと向こうに銀河があるわけなので,距離にすると,ものすごく遠いものを見ていることになります。何かとても奇妙な感じがします。また,銀河はいろんな形のものがあるので,とてもかわいいです。
歴史的には,銀河は形状を元に次の三つに分類されてしました。それらは,楕円形の光の輪郭を持つ「楕円銀河」,細かな粒が集まった曲がった腕を持つ「渦巻銀河」,不規則でまれな形状を持つ「不規則銀河」です。
「楕円銀河」の内部には何らかの構造がほとんど見られず,一般には比較的小さな星間物質で構成されています。したがって,この種の銀河は星形成が活発ではありません。そして,多くは古く寿命を経た星が任意の方角にある重心を回っている状態にあります。
「渦巻銀河」は,薄い円盤状の回転する星々や星間物質で構成され,通常は中心部に近くなるほど古い星が多くなります。そして,中央の銀河バルジから比較的明るい渦巻き腕状の構造が伸びています。渦巻銀河の腕は,銀河を一様に回転する星の相互作用から,対数螺旋に近似した形状をもっています。星々と同様に,腕はバルジを中心に回転し,その角速度は一定です。星がこの腕の領域に入ると恒星系の宇宙速度が影響を受け,腕部分を抜けると元に戻ります。これは,自動車が道路で渋滞にはまると速度が落ち,抜けると早くなる現象と酷似しています。この高密度な状態が星形成を促進するため,腕は輝いて見えるのです。つまりは,腕部分には若い星が多く存在するということです。
それ以外のものが「不規則銀河」です。他の銀河との相互作用によって異形の銀河になるもので,形態論上容易に分類できない銀河です。
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大きな楕円・渦巻銀河が最も目立つのですが,実際は,宇宙にある銀河のほとんどは規模が小さいものです。これらを矮小銀河といいます。矮小銀河は,天の川銀河の100分の1程度にあたる10億個の星をもつにとどまります。こうした多くの矮小銀河は,大きな銀河のまわりを周回していると考えられています。天の川銀河も,少なくとも12個ほどの矮小銀河を伴っていて,さらに未発見のものが500個程度あるものと思われています。
・・・・・・
今日の写真はM31,有名なアンドロメダ大星雲です。
地球から見てこれほど大きく見える銀河はほかにありません。カシオペア座からアンドロメダ座に目を移すと,肉眼でもみることができると本に書いてあるのですが,私は,最近まで,本当にこの銀河が見られるのかよくわかりませんでした。今は,空の暗いところなら肉眼でも容易に区別がつきます。
・・・・・・
将来,といっても40億年以内のことらしいのですが,アンドロメダ大星雲が天の川銀河と一緒になってしまうといわれます。この合体で形成されるであろう新しい銀河は,すでに「ミルコメダ」(Milkdromeda)と命名されています。
2014春アメリカ旅行記-ホワイトサンズをめざせ②
再び国道285に沿って車を走らせて,アーテーシアをめざした。やがて,国道285はアーテーシアのメインストリートとなって,銀行やらレストランやらが見えるようになってきた。スピードを落として,注意深く国道82の標示をさがした。
信号のある交差点で,その標示があったので,左折した。あとはひたすら国道82を進んでいけばよい。
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国道82を走り始めたら,車の警告灯が灯った。「MAINT REQD」である。この警告灯は,昨年の夏に東海岸を走っていたときにも表示された。そのとき私はパニックになった。車内には説明書もなく,心配になって,レンタカーの営業所に行って,車を交換した。
日本に帰国した後で調べたら,これは,ほっておいてもいいらしいということがわかった。
私が,「REQD」を「liquid」と勘違いして,なにか重要な液体が漏れているか足りないかと思ったのが誤解であった。
これは,メンテナンス・リクワイアード(maintenance requred)である。インターネットで"What does the dash light mean"Maintenance Required?" と入力するといろいろ出てくる。今回借りた車にはちゃんと説明書があったので,そのライトの項目を見ると,どうやらこの警告灯はアメリカ仕様の車についているものらしい。カナダや日本にはない。「Engine oil replacement remainder light」で,ただ単に,5,000マイル毎にエンジンオイルを交換しろといういう警告ランプが点灯するだけなのだ。このランプは,オイル交換をしても自動でリセットされる事はなく,リセットをしなくてはならない。
そんなわけで,今回は,この警告灯を無視することにした。きっと,アメリカでレンタカーを借りて長距離を走ると,だれもがこのランプの点灯に遭遇することであろう。
道は広く,周りは,牧草地帯なのか,単なる荒れ地なのかは知らないが,道はどんどんと荒野に向かって続いていった。
新しい町を過ぎて、道はどんとんと高台になって,「地球の歩き方」に書いてあったように,チョーヤサボテンやらユッカが生える広大な丘になった。遠くには山並みが見えるようになってきた。
日本にもある高原道路のような感じになってきた。ただし,道路は広く,行き交う車もほとんどなかったが,周りにはリンゴ畑があったり,牧場があったり,池なのか湖なのかわからないが,そんなけっこうきれいな風景が続くようになって,明らかに、気候や景観が異なるようになってきた。やがて山道となって,道路の南側、つまり山の北斜面がスキー場になったところがあった。若干雪が残っていた。
このあたりは,リゾート地であるらしく,宿泊施設やら,駐車場やらもあって,行き交う車の台数も増えてきた。
やがて,トンネルをがあった。トンネルを出たところから,遙か西に景色が広がって,すばらしい景観になった。直線道路をずっと下っていくと,やがて,アラモゴードの町に出た。
奈良の東名阪道を天理インターで降りるような感じなのだが,道が広く,直線であるというのが,決定的な違いであった。
さらにずっと走って行くと,国道82は国道54と名を変えて,アラモゴードのバイパスになって,アラモゴードのダウンタウンの1本西を進んでいった。この町のすごさは,やらたとだだっ広いということであった。
普通のアメリカの町(といっても日本に比べればこれだってめちゃ広いのだけど)をさらに横に10倍くらい拡大したような感じであった。
ともかく,道は広く町は遠く,空は高く…。
アメリカはどこも広いとはいえ,これだけの景観ははじめてのことであった。
そのままずっと走って行くと,陸橋があって,ダウンタウンから来た国道54のローカル道路と交差して,それを過ぎると,アラモゴードの町は終わってしまった。
夕方4時頃のことであった。
陸橋で国道54はパイバスとローカル道路が一緒になって南にすすむ。そのまま陸橋を渡って走れば,国道70というだだっ広い道路になって,その道をさらに進むと,まもなくホワイトサンズ国定公園に着いてしまうのだけれど,せっかくこの時間に到着したので,夕暮れのホワイトサンズを楽しむことにした。となれば,帰りは遅くなるから,とりあえず,ホテルの場所だけ確認しようと思った。
そこで,陸橋を越えたあたりでUターンをして,再び,アラモゴードを目指した。今度は,国道54のバイパスではなく,それに平行して走る国道54のローカルに入った。陸橋を越えたところから,アラモゴードのダウンタウンになって,道の両側に,どこにもあるアメリカの町のように,レストランやらホテルやら続くようになってきた。
予約をしたホテル「デイズインアラモゴード」は,すぐに見つかった。
ここで,チェックインだけ済ませてもよかったのだが,暗くなってもホテルの場所を見つけることは容易なことが確認できたので,わざわざチェックインするのが面倒になって,ホテルの場所だけを確認して,私は,再びUターンをして,そのままホワイトサンズ国定公園に向かった。
・・
片側4車線くらいあって,しかも中央分離帯がないものだから,めちゃめちゃ広い道路をどんどん進むと,やはりこの広い道で油断するせいか,左側には,スピード違反で捕まった車がいたりした。
さらにさらにこの道を進むと,遠くに,白い小高い山が見えてきた。きっと,そこがホワイトサンズ国定公園であるに違いなかった。はじめの印象は,小さな国定公園だなあ,期待はずれだなあ,ということであった。
それが,大きな誤解であったことに,私はあとで気づくのであった。
2014春アメリカ旅行記-ホワイトサンズをめざせ①
カールズバッド洞穴群国立公園を出発して,再び,針路を北に,昨晩泊まったカールズバッドの町をすぎ,さらに北に,アーテーシアまで国道285をもどることになった。アーテーシアで,国道82に左折して,そこから西にアラモゴードという町まで行くのである。
今晩は,そのアラモゴードにホテルが予約してあるから,早く着けば,きょう,ホワイトサンズ国定公園へ行けるだろうし,遅くなれば,明日の朝,ホワイトサンズ国定公園へ行こうと考えていた。
そうそう,これを書いていて思い出したのだが,昨日の夕刻,ロズウェルからカールズバッドへ行く途中は,ものすごい風であった。制限時速が112キロメートルの道路を時速約100キロメートルで走っていた私の車は,何度,風にハンドルをとられたかわからない。それを思い出して,きょうも同じような状況だったら,ホワイトサンズ国定公園はとんでもないことになるぞ,と心配した。そういえば,反対側車線を走っていた車の中に,車全体がまるで砂漠からきたかのように砂だらけだったものがあった。
カールズバッドからホワイトサンズ国定公園へむかう様子は,「地球の歩き方・アメリカの国立公園編」に,次のように書いてある。
・・・・・・
カールズバッドから国道285を北上して,アーテーシアに行く。
アーテーシアから国道82を西へ,あとはひたすら国道82の標識をたどる。チョーヤサボテンやユッカが生える広大な丘を越え,リンゴ畑を走り抜け,やがて山道となってスキー場を過ぎると,峠のトンネルを出たところでようやくホワイトサンズが見えてくる。坂を下りきったところがアラモゴードだ。
・・・・・・
たったこれだけだが,この表記はとても正しい。これを書いた人は,実際,このルートを走ったに違いないのだ。しかし,これだけを走るのに,4時間かかるのだった。
まず,昨日来た道,国道285を,北上して行く。アーテーシアまでは,インターステイツと変わらない快適な片側2車線の道路がずっと続いていて,昨日見たように,アーテーシアの手前あたりに,大油田地帯があった。そのあたりに,パーキングエリアがあったのだが,このパーキングエリアが,大油田帯の景観を見るためのものかどうかはわからなかった。
私は,きのう,この大油田帯に感動したものだから,そして、パーキングエリアがあったことも知っていたから,ここに車を停めて,大油田帯を見ようと思っていた。ところが,あっという間にパーキングエリアを通り越してしまったことに気がついた。
しかし,そのあとしばらく走っていくと,中央分履帯にUターンゾーンがあったので,そこでUターンをして,念願のパーキングエリアまで戻ることができたのだった。
この道がインターステイツでないので,Uターンが可能であったことが幸いした。
星を見るのも大変だ。-星の赤ちゃん・散開星団
散開星団は恒星の集団です。分子雲から同時に生まれた星同士がいまだに互いに近い位置にある状態の天体を指します。
通常,星団は年齢が若くて,高温で明るい星を多く含んでいます。
散開星団の生みの親である分子雲が星団のそばに存在していて,星団の星によって分子雲の一部が輝いてひとつまたは複数の星雲として見えています。
散開星団に属する星は全てほぼ同じ年齢,同じ化学組成を持っているために,星同士の違いはその質量の違いです。
最も近い散開星団はおおぐま座の星々なんです。おおくま座の北斗七星(=1番目の写真)というのは,実は,ほとんど散らばってしまった古い散開星団で,宇宙の中で1,000光年以上にわたって広がっています。そして,太陽は,ちょうどこの星団の近くを通り過ぎているところなのです。
銀河系の中での位置を考えると,太陽の運動速度は非常に奇妙なのですが,太陽は数十億年前に他の星と接近遭遇して,このときに重力を受けて加速したのかもしれないといわれています。
ダイナミックで壮大な話です。
なお,この写真は,北斗七星を横切る百武彗星です。
・・
散開星団の中の星々は,生まれたころは強く密集していて,同じ速度で銀河中心の周りを回っています。約5億年くらい経つと,プレアデス星団やヒアデス星団といったよく知られた散開星団は,外部の要素によって擾乱を受けて,星々はわずかに異なった速度で動き出して,やがて,おおぐま座の北斗七星のようにばらばらにずれて動いていくのです。そうして,10億年ほど経つと,星団は完全にその姿を失ってしまいます。
では,まず,代表的な大きな散開星団を2つ紹介しましょう。
・・・・・・
ペルセウス座の2重星団(=2番目の写真)はふたつの散開星団が接近して存在しているものです。 当初は,単独の恒星と誤認されていたので,西側の星団にはh,東側の星団にはχのバイエル符号が振られました。そのため現在でもh+χ(エイチカイ)とよばれます。
誕生してから約300万年から2,000万年程度経過しているとされています。
8月から9月の午後9時頃,北東の空を見るとカシオペア座の南にはたくさんの星々が見えているのですが,その中に,この2重星団もぼーっと肉眼でも確かめることができます。また,写真でも,簡単に美しい姿を写すことができます。
・・
プレアデス星団(=3番目の写真)は,おうし座にある有名な散開星団です。M45,和名は「すばる」で,車のエンブレムにも使われています。地球から440光年の距離にあって,肉眼でも輝く7個の星の集まりを見ることができます。
星団を構成する星の周囲には青白く輝くガスが広がっているので勘違いしますが,これは,星々とは関係のない星間ガス(IC349)が,星団の光を反射しているためで,幼い星たちを覆っている繭ではありません。
肉眼でも非常によく見えますが,双眼鏡を使えば暗い星々まで美しく見ることができます。逆に,大きな望遠鏡では星団としてのまとまりを見ることができなくなります。こちらも簡単に美しい姿を写すことができます。
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次に,小さな散開星団を2つ紹介しましょう。
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M29(=4番目の写真)は,はくちょう座の散開星団です。はくちょう座には,前回紹介した北アメリカ星雲や網状星雲など天体写真でおなじみの美しい天体が多いのですが,この散開星団は小さなぱっとしないものです。はくちょう座γ星のすぐ南に位置していて,発見者メシエは「7,8個の小さな星の集まりで星雲状あるいは彗星のように見える」としています。
約4,000光年のところにある星の赤ちゃんの集まりです。
この写真の左上の明るい星はγ星です。
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M103(=5番目の写真)は,この星団を発見したフランスの天文学者メシャンが「カシオペアの足のδ星とε星の間にある星団」と記しています。距離は8,000光年。当初,メシエカタログはこのM103までだったので,この星団はそのトリをとっています。散開星団ということになっていますが,偶然同じ方向に星が集まっているのではないかとする説もあるのだそうです。このδ星とε星の間には,他にも多数の散開星団があって,特にNGC663という散開星団は,M103よりも立派で,何気なしに双眼鏡を向けただけでも,散開星団とわかります。
わたしも,こっちかなと思ったのですが,書籍やポスターにもよく間違えて記載されているということです。この写真の右上の明るい星はδ星です。
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2014春アメリカ旅行記-カールズバッド⑤
こうして,一旦エレベータに乗ってビジターセンターに戻った。ビジターセンターの奥に展示室があって,この洞窟に関する様々な充実した展示があった。その奥に,別の洞窟へ行くための出口があった。
実は,そこが,メインコリドーにつながるナショナル・エントランスへ向かう出口であった。
まず,このビジターセンターの奥の出口を出て,地上を300メートルくらい歩いていった。草の茂るひろい荒れ地に道が作られてあった。この平原を歩いていると,この下に巨大な洞窟が広がっているとは信じがたかった。
その先に広場があって,そこにレンジャーがいて,チケットの確認と注意事項の説明があった。
注意事項とは,鍾乳石に触れない,ガムをかまない,など,当たり前のことであった。
そこを過ぎると,屋外劇場のように石の座席が設けられていて,座って見学出来るようになっている場所があった。そこが,有名なコウモリの飛翔の観覧場所なのであった。
夏の夕刻になると,ここで,その先のぽっかりと空いた洞穴から飛び出てくるコウモリの大群を見ることができるのだそうだ。
そのコウモリの大群が出てくる洞穴の天然の入口がナショナル・エントランスだった。
ここから約2キロメートル下降していくトレイルが走っていた。
結構広い道がくるりくるりとそこを下っていくと,約230メートルほど先の地底に向かって降りていくことができた。
他の観光客は,写真をとったり,はしゃぎながら,どんどんと地底に向かって歩いて行く。私も同じように歩いて行った。昔テレビのドラマで見た「タイムトンネル」みたいだった。
ここのメインコリドーという名の洞窟内も,先に見たビッグルームと同じように,奇妙な形をした鍾乳石があって,そららは,悪魔の泉とか,鯨の口とか,魔女の指先といった名前がついていた。
洞窟の入り口近くは,先に見たビッグルームがあまりにすばらしかったので,それに比べれば大したことがなかったから,少しがっかりしていたのだが,進むにつれて,気がつけば,ずいぶんと深い所に下りてきていて,やがて神秘の世界に出た。
先にエレベータで降りたビッグルームと同じ深さにまで歩いて降りたのであった。
そうやってトレイルを見学しながら歩いていった。
1時間くらい歩いただろうか,地底部分ではトレイルに上り下りがあって,歩いていると結構暑く,次第に汗をかいてきた。
そうしてさらに歩いて行くと,その洞穴の先に,なんと,先に見学したビッグルームがあった。つまり,このふたつめの洞穴はつながっていたということだった。だから,私は,もう一度,先ほどと同じようにまたビッグルームを歩いて,また,エレベータに乗って,ビジターセンターに戻ることになった。
このようなわけで,まずはじめにメインコリドーから見学すれば,私のように2周しなくても,また,下るときはエレベータを利用しなくても,一筆書きで2つの洞窟を見学して,最後の上りだけエレベータを利用することになるのであった。
このとき,さきほど,汗をかいていた人の理由もわかったのだった。
アメリカではどこへ行ってもそうなのだが,ここカールズバッド洞穴群国立公園もまた,想像を絶する広さと迫力であった。私は,地上から見てもわからないのに,どうして地底にこんなすごいところがあることが見つけ出されたのか,そして,どのように探検されてきたのか,ということがとても不思議だった。
アメリカの国立公園は,どこも,とてもしっかりと整備されていて,もちろん,ゴミひとつない。掲示が古びていたり壊れていることがない。手すりがさびていることもない。そして,そこが,どれほど辺鄙なところであっても大勢の観光客が来ている。
ここ,カールズバッドも,また,例外ではなかった。
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今回の私の旅は,予定の変更が多く,事前の予約ができなかったために,キングス・パレス・ツアーには参加することができなかった。しかし,このようにふたつの見学コースをまわるだけで,ゆうに3時間ほどかかったから,もし,もうひとつ見学するとなるとたいへんであった。私は,これで十分に満足できた。
ビジターセンターには,カフェテリアと売店もあった。私は時間が惜しかったからカフェテリアはスルーして,売店を少しだけ見て,駐車場に戻った。
もう,時間はお昼過ぎになっていた。
さあ,次は,ホワイトサンズ国定公園である。
ここからどれだけ時間がかかるかわからないが,ともかく,そこを目指して出発したのだった。
☆ミミミ
写真は,きょうの早朝4時過ぎに東の空に昇ってきたパンスターズ彗星(C/2012K1 panSTARRS)です。6等星で,双眼鏡でも見ることができます。左下に伸びる薄い尾もみることができます。予報よりも明るくならなかったのが残念でしたが,ちゃんと姿をみることができました。
彗星の尾は,太陽風で吹き飛ばされるイオンテイルと彗星の進路方向の逆に伸びるダストの尾(アンチテイル)があるのですが,左下というのは太陽の方向なので,この尾はアンチテイルです。つまり,この彗星は,8月28日に太陽に接近して,現在は太陽から遠ざかっているわけです。
また,今朝は,彗星は月齢26.5の月の右横にいましたが,これからは月は新月になっていくので,月の明りに邪魔されることなく,しばらくは彗星を見ることができます。
明け方の南東の空には,はやくも堂々とオリオン座が横たわっていて,この季節に冬の星座を見ることもできます。
「かなちゃん」1週間-世の中は注意事項であふれている。
私の住む家の近くには,図書館とか温泉とかがあるので,休日は,のんびりと図書館通いと温泉めぐりをすれば,すっかり元気になるのだけれど,その温泉というのがおもしろいの。
時々,男湯と女湯が入れ替わるから,どちらも同じような掲示がはってあるのだけれど,その掲示が何しろすごい。「入れ墨禁止」とか「禁煙」ならわかるけれど,それ以外に次のような掲示が一杯貼ってあるの。
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ドライヤーで髪以外のものを乾かさないでください。
洗面台でタオルを洗わないでください。
扇風機の上にタオルをのせないでください。
ティッシュペーパーは必要以上に使わないでください。
洗い場を自分の持ち物で占拠しないでください。
無理やり水温レバーを回さないで下さい。
窓を開けたままにしないでください。
毛染めをしないでください。
ウォータークーラーの水を持ち帰らないでください。
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まだほかにもあるけど,多すぎて忘れたわ。
このウォータークーラーの注意事項については,はじめは, ウォータークーラーの水を大量に持ち帰らないでください。となっていたのが,「大量に」の部分が消されているのよ。
ねえ,すごいでしょ。これだけのことが書いてあるということは,これだけのことをする人がいるっていうことじゃないかしら。こんなことしちゃいけないなんて,子供でも分かることじゃないの。
電車に乗っても,車掌さんが,駅を出発するごとに,たくさん注意事項を車内放送で言うわけね。確かに,そういうことをする人がいるからそういうことになるんだけど,でも,その車内放送の方がよほどうるさいわけ。
やはり,この国はどうかしてるわ。学校でしか通じない価値観で序列をつけて,そのために実社会で使いもしない知識を詰め込んでも,こんな当たり前のこともできない大人が一杯いるっているっていうことよ。
NHKテレビで放送している「COOL JAPAN」っていう番組で,
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日本のマナーには日本人には当然でも、外国人が不思議に思うものがある。「なぜ相手が見えなくなるまで見送るのか?」「なぜ足を組んで座ってはいけないのか?」「なぜ乾杯の前に飲みはじめてはいけないのか?」「なぜ電車やバスの中で携帯電話で話してはいけないのか?」 日本と海外とのマナーの違いとその理由について話し合う。果たして日本のマナーは外国人たちの理解を得られるだろうか?
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っていうのをやっていたけど,日本の電車の中は静かだから携帯電話が迷惑になる,って言っていたけど,それより,あの,うるさい車内放送の方がなんとかならないかしら。
それに,この番組で,日本だけのマナーについて,当然だという街頭インタビューの若者の意見を聞いてぞっとしたわ。このマナーが日本の価値観に基づいていて,世界共通ではないという認識がないっていうのは,その人が将来,海外の営業所の所長にでもなって,現地の人の上司になったときおそろしいわ。
それより,日本でもこういうマナーを若者に教える上司がいて,近ごろはどんどんエスカレートしていることの方が問題だと,私は思うけど。
たとえば,お客さんの姿が見えなくなるまで礼をする,なんて,外国の人にとれば,何か下心があるんじゃないかって気味が悪いそうよ。わたしもそうだけど…。
日本人って,日本を美化したがるけど,ゴミだらけの交差点とか,やたらスピードを出して煽ってくる運転とか,早朝からエンジンを吹かす人とか,無礼な客とか,富士山だって山頂はゴミだらけだっていうし,周りの目がなくなると,世界一傍若無人じゃないの。
順位づけとテスト好きのこの国の人たちだから,いっそ,温泉に入るもの,電車に乗るのも,そういうことをしていいという資格試験でもやるといいわ。
ああ,なさけない。
2014春アメリカ旅行記-カールズバッド④
「地球の歩き方」によると,ここの洞穴 -それは,鍾乳洞のことなのだが- の見学コースは2つある。
ビジターセンターの展示室を抜けて,その先のひろい大地をしばらく歩いたところに大きく開いた入口があって,そこかららせん状にひとつめのメインコリドーという名の洞穴に入っていくのがひとつ。もうひとつは,ビッグルームという巨大な洞窟の周りを1周するものである。
さらに,キングス・パレス・ツアーに参加しなくては行くことのできないシーニックルームズという特別コースがある。これがもっとも見どころが多いということなのだが,このツアーは予約制で,満員になってしまうと参加できないのだ。
私は,そのことを前日に知って,ネットで予約をしようとしたが,すでに,満員であった。非常に残念なことであった。
「地球の歩き方」には,メインコリドーに入っていくコースから見るとよいと書いてあったが,その入口がわからず,私は,他のビジターのように,ビジターセンターにあったエレベータに乗ってしまった。
降りていくエレベータには,私のほかに数人の観光客と係員の男の人が乗り込んでいたが,ここでも,いつもと同様,彼らは係員を交えて親しくおしゃべりをしていた。
アメリカではどこでもそんな感じで,一見,彼らは,ずっと昔からの友人で,はじめてここで会った人たちとは思えないように見えるから,顔が広いんだなあと思ってしまうが,彼らは初対面なのである。
約200メートル,83階のビルと同じ高さのエレベータで遙か下に降りていくと,そこが洞穴の入口,つまり,先に書いた2つめのビッグルームという洞窟であった。
降りたところは,広場になっていて,トイレや軽食コーナーまであって,その先が見学コースになっていた。なにか,映画のSFに出てくる地底都市のような感じであった。こうした映画のシーンを日本人が見るととても不思議な気がするのだが,アメリカには,そのお手本となる景色が実際に存在するのだ。
この洞窟内はとても涼しかったのだが、なぜか、汗をかいた人が上りのエレベータに乗り込んできた。
私は,このとき,こんなに涼しい場所で,どうしてその人が汗をかいているのかわからなかった。
このビッグルームは薄暗く,一見するとよくわからなかったのだが,よくよく目を凝らして見てみると,ものすごく広いところであった。
ここはカールズバッドを代表する洞窟内最大の部屋で,床面積はなんとアメリカンフットボール場約14面分もあるのだという。このビッグルームの外周を見学しながらくるっと1周出来るトレイルが約2キロメートル続いていて,歩くと1時間ほどかかった。
ここも,なにか,地底にいるような,どこかの映画かドラマで見たことがあるようなないような,とてもすごいところであった。大小さまざまな鍾乳石が奇妙な形で存在していて,圧巻であった。それらは,太陽寺院とか,妖精の国とか,トーテムポールとか,人形劇場とか,そんな名前がつけられていた。
さらに,底なし地獄とか,ロウアーケーイブ・ビューと名づけられた場所からは,さらに奥へと続く洞窟の穴を覗くことができたし,エレベータができる以前に観光客が何時間もかけて降りてきた梯子が残されていた。
トレイル内には,観光客もほどほどいるはずなのだが,広すぎて,自分ひとりがこの海底世界に迷い込んだような錯覚にさえ襲われた。こうして,のんびりと歩いていたが,どこまで続いているんだろうと思い始めたころ,再び,エレベータ乗り場に出た。
上りのエレベータに乗り込んで,再びビジターセンターに戻った。
星を見るのも大変だ。-空も夢を見る・散光星雲
散光星雲は,広い範囲に広がったガスや宇宙塵のまとまりで雲のようにみえる天体のことです。
自ら発光している輝線星雲と近くにある恒星の光に照らされて見える反射星雲の二種類があります。また,この2つが混在している領域をまとめて散光星雲と呼んでいたり,輝線星雲だけを散光星雲と呼んでいる場合もあります。
輝線星雲は,近くに存在する高温の恒星が発する紫外線によって水素ガスが電離して,その原子核と電子の再結合による輝線を放射して光っています。このために,電離水素原子を意味するHⅡ域ともよばれています。肉眼では感度の低い領域なので,天体写真でしか存在が確認できない輝線星雲も多くあります。
また,暗黒星雲から恒星が誕生すると,その恒星が周囲に残るガスを輝線星雲へと変えます。そのために輝線星雲には誕生したばかりの散開星団が共存して見られることも多くあります。
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いて座の南斗六星の柄の先端に位置する干潟星雲M8と三裂星雲M20(=1番目の写真)は,夏に見られる代表的な散光星雲です。
干潟星雲は,南北に横切る帯状の暗黒星雲が存在していて,その姿が干潟に似ていることからその名がつけられています。約3,900光年のところにあります。星雲の所々にグロビュールと呼ばれる小さく丸い暗黒星雲の塊が見えるのが特徴です。肉眼でも確認でき,双眼鏡で楽しめます。
三裂星雲は,星雲が3つの部分に裂けて見えるところからこうよばれています。しかし,実際に星雲が3つに分割されているわけではなく,散光星雲の手前に位置する暗黒星雲の姿により,後ろの散光星雲が分割されているように見えているものです。距離は5,200光年程と推定されています。北側と南側で性質が異なっており,北側は青い反射星雲,南側は赤い輝線星雲となっています。
いて座のあたりは地球から見て銀河の中心になるので,非常に濃い天の川が見られます。また,たくさんの星があるので,写真を写すと,驚くほどの星々が写ります。その中に,こうした美しい散光星雲を入れると,見ていて楽しい写真になります。
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北アメリカ星雲NGC7000,ペリカン星雲IC5067~IC5070(=2番目の写真)は, はくちょう座の1等星デネブの近くにある散光星雲です。18世紀の天文学者ウィリアム・ハーシェルによって発見されました。
ペリカン星雲と北アメリカ星雲とは、電離した水素からなる同一の星間雲の一部です。
北アメリカ星雲は,形が北アメリカ大陸にそっくりなところから名づけられました。また,ペリカン星雲も,形がペリカンに似ているところから名づけられました。
見かけの大きさは満月の十倍もあるのですが,暗いため肉眼でみることはほぼ不可能だといわれています。広い視野角を持つ双眼鏡を使えば星雲の姿を観測することができるということですが,私は見たことがありません。星雲までの距離はわかっていなくて,この星雲はが発光している原因となる恒星が分かれば距離を特定できるということです。それがデネブであれば,距離はおよそ1,800光年です。
フィルムのときは,赤い色をうまく写すことが難儀だったのですが,デジタルカメラになり,画像処理が可能となった今では,この星雲の姿は写真をとればきれいに写すことができます。私も,やっと写すことができました。
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網状星雲NGC6992₋5(=3番目の写真)は,はくちょう座ε星とζ星,つまり,白鳥の翼を広げた右手のところにある散光星雲です。東西に3度離れて「い」の字のように向かい合っています。この写真はそのうちの東側のものです。
この星雲は,よくグラビアで取り上げられているので有名ですが,お恥ずかしい話,私は,この星雲がどこにあるのか,長い間知りませんでした。
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NGC281(=4番目の写真)は,カシオペア座のα星の近くにある散光星雲です。この星雲は、活発な星形成が行われている領域で,中央の明るい星の紫外線によって輝いているのです。この中心星IC1590は2重星です。
かわいい姿で,しかも,あまり有名でないので,私は好きです。カシオペア座にこんな星雲があるなんてご存知ない人が多いでしょうね。
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オリオン大星雲M42(=5番目の写真)はオリオン座の三ツ星の南の小三ツ星の中央にある冬の代表的な散光星雲です。肉眼で見える星雲の中では,干潟星雲と並び最も明るいものの一つです。地球から約1,600光年の距離にあって,肉眼でも通常緑がかった色に見えます。
オリオン大星雲の中心部には,「トラペジウム」とよばれる4重星を構成メンバーとする,非常に若い星からなる散開星団がありますが,これらの星は周囲に惑星系が形成される非常に初期の段階にあるものと考えられています。
こちらも,簡単に美しい写真を写すことができます。また,見栄えがよいので,絶好の写真の対象です。また,いて座のような夏の星座に比べて,冬は空もきれいなので,写真写りも最高です。寒いですけれど…。
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2014春アメリカ旅行記-カールズバッド③
☆6日目 3月18日(火)
早朝。気持ちがよかったので,ホテルの周りを少し散歩した。
すでに書いたように,ホテルの付近は,低所得者の住居が続いていたが,静かなところであった。帰ってからいつも思うことだが,私がよかったなあ,また行きたいなあ,と思い出すのは,こうしたアメリカの風景だったり,雰囲気だったり,体験だったりする。
その国の人には単調な日常であっても,旅をする私には,それが,非日常。そこには,観光地のように,観光客に媚びた世界はない。
泊まったホテルは,古く,やる気もなく,朝食も,コーヒーと単に菓子パンがいくつか置いてあるだけというものであった。私は,ホテルのフロント付近に準備してあったこの「朝食」の菓子パンをいくつか手に入れて,部屋で食し,すぐにチェックアウトをした。
ホテルの前の広い通りを左折して,そのままカールズバッド国立公園を目指して走って行った。
気持ちのよい朝だった。
ホテルから30分くらいほとんど車の通らない道を走って行くと,数件の、町というよりも観光地の入口のようなところにきた。ここが,カールズバッド国立公園の入口にあたる,「地球の歩き方」に書いてあった小さな町ホワイツシティだった。そこには,道の両側に,数件のホテルと土産物屋があっただけだった。そして,その奥に,国立公園の入口があって,そこから道をずっと上っていくと,やがて,カールズバッド洞穴群国立公園のビジターセンターに到着した。
まだ,開館時間をわずか過ぎただけであったが,多くの観光客で,すでに,駐車場には車がたくさん停まっていた。
まず,ビジターセンターに入って入場料を払った。ビジターセンターには,この公園についての様々な展示があった。
私は,このときは知らなかったのだけれど,この公園は世界遺産である。
世界遺産に認定された理由は次の通りであった。
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ひときわすぐれた自然美及び美的な重要性をもつ最高の自然現象または地域を含むもの。
地球の歴史上の主要な段階を示す顕著な見本であるもの。これには生物の記録,地形の発達における重要な地学的進行過程,重要な地形的特性,自然地理的特性などが含まれる。
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「カールズバッド洞穴群国立公園」(Carlsbad Caverns National Park)は,ニューメキシコ州エディ郡南西角のグアダルーペ山脈(Guadalupe Mountains)に位置するアメリカ合衆国の国立公園である。
二畳紀の化石礁のあるカールズバッド洞窟と多数の他の洞窟を保存するために設立された。
公園には83の洞窟がある。そのひとつ,レチュギア・ケイブ(Lechuguilla Cave)は,全米最深の489メートルで,長さは世界第5位の203キロメートルの石灰岩の洞窟である。
この国立公園が有名であるのは,巨大な洞窟とともに,もうひとつ,それはコウモリの飛翔なのである。この洞窟は,およそ100万匹といわれるメキシコ・オヒキコウモリの聖域となっていて,約6種類のコウモリが生息している。日中は,洞窟の天然入口に設けられた通路上から天井に群がっているコウモリを見る事が出来るが,夕方になると洞窟の中から外に向かって飛びはじめるコウモリの一群はまさに度肝を抜かされるのだそうだ。
というのは,私は,それを見なかったからである。
毎年夏になると,日没と同時に数匹のコウモリが餌を求めて,窟の天然入口付近を飛びはじめる。その直後に,コウモリの一群は密集した旋風となり洞窟から飛び立ちはじめ,時間にして30分程,長い時で2時間近く続くときもあるのだという。
いったん洞窟から出たコウモリたちは,波上の塊となり近くを流れるペコス川やブラックリバー渓谷の方までえさを求めて飛んでいき一晩中飛び続け,餌を貪った後は夜明けと共にまた洞窟内に戻ってくる。このとき,コウモリたちは入口の上空で位置を決めると羽を体につけて洞窟内の暗闇へ急降下して突入していくというのである。
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残念ながら,私が行ったこの季節には,こうしたコウモリの飛翔は見ることができなかった。また,夏に来てみようか…。
「国盗り物語」と「軍師官兵衛」-秀吉の劣等感
大河ドラマ「軍師官兵衛」は,秀吉が権力を握って以来,わたしの予想以上に,陰湿で傲慢で馬鹿な秀吉と,冷遇され出した官兵衛の苦悩の度が深まってきました。こういうドラマをおもしろいととらえるか,まったくもってつまらなくなった,ととらえるか,は,見る人次第だと思うのですが,いかがでしょうか?
これまでのどの大河ドラマにおいても,秀吉の晩年を描くと,暗くなってきて,本当に,救いがないのです。現実がそうだったのだから,この時代に生まれていたら悲劇です。
人は,権力を手に入れるとこうも変わってしまうのか,という典型です。そして,よき教訓です。
周りにも,こういう人ってたくさんいます。
大概,権力志向が高かったり,出世願望の強い人は,自分の心の中の劣等感の反映なのです。
私は,若いころから,こうした,他人に攻撃的だったり,批判的だったりする人に同じ匂いを感じていたのですが,それは,その人の心の中の劣等感の反映だと気づいて,すべて納得ができたのを,このようなドラマを見ると思い出します。
そうした人が間違って上司になると,悲劇が訪れます。
私の経験したろくでもない上司たちはそうでした。そして,そうした人は自分は偉いと思っていて,プライドも高く,権力をもっているから手におえないわけです。
実際には,彼らは,組織にとっては単なるお荷物なのですが,本人がそれを自覚していないからどうしようもないのです。そうした人をそういう地位に就けてしまうことがその最大の原因なのですが,それを排除できないことが,社会の仕組みの弱さであり,人間社会の欠陥なのです。
もし,秀吉の人生が中国大返しで終わっていたなら,あるいは,清州会議で,暗殺でもされて,非業の死でも遂げていたら,末代まで英雄として語り継がれていたことでしょう。坂本龍馬のように。
「軍師官兵衛」の今後の焦点は,秀吉晩年の醜さをどう描いていくか,という点にあるのですが,もうひとつは,この国の人の根本にある「家」というもののあり方をどう描くかです。
「家」を継承するために,秀吉も世継ぎを残すことに異常な執念を燃やすのだし,黒田官兵衛も,自分の息子・黒田長政の戦の不始末で随分と苦労するわけです。実は,この息子というのは,信長が殺せ,といったのを,竹中半兵衛によって救われた松寿丸なのです。この黒田長政の行動だって,偉大な父親のもとでの劣等感の反映です。
でも,実際は,黒田官兵衛を実物よりも偉大に評価させたのは,この黒田長政だという話らしいので,ドラマ以上に,実は,立派な息子だったのかもしれませんが。
いずれにしても,この国は,人ではなく家。だから,この国の歴史は,世継ぎ問題から派生したものだらけです。これも,日本人に根づくおろかな話のひとつです。
「家」とは少し違うかもしれませんけれど,今でも,親と同じ職業を選ぶ人って多いでしょう。せっかくの自分の人生,親とは真逆な道を選んだほうがおもしろいのになあと,私は子供のころから思っていました。たとえ,親の職業がどれだけ魅力的なものであっても。だから,親が大会社の社長さんで,自分がその後継ぎだったら,なんていうことは,私の人生観から考えれば,最も不幸な出来事なのです。そうでなくてよかったなあ…。
ともあれ,暗くなってしまった「軍師官兵衛」。明るく描かないと視聴率どんどんと下がっていきますよ。
◇◇◇
きょうの写真は,京都方広寺と,大坂の陣の原因となった「国家安康」の鐘です。
2014春アメリカ旅行記-カールズバッド②
広いロビーとフロントの向こうに,レストランがあった。思っていたよりも立派なホテルであった。
私は,食事のついでにWifiにつなごうと思っていたから,レストランの入口で「Wifiはつながるか」と聞いたら,宿宿泊者用のIDとパスワードを教えてくれた。
席について,ハンバーガーセットを注文した。食事を待っている間,明日のホテルの予約やらブログの更新に余念がなかったので,ここで取った食事の写真もレストランの写真もないことが今となっては惜しまれる。
なにせ,このときの私には明日のホテルの宿泊が一番の問題であった。
今日はここカールズバッドに宿泊して,明日の朝,カールズバッド洞穴群国立公園へ行く。公園は午前8時からということだったが,ここからは30分もあれば行けそうだった。
国立公園でどのくらい時間が必要かわからなかったが,ともかく,その後は,少し遠いが,ホワイトサンズ国定公園まで行こうと思った。
せっかくここまで来て,ロズウェルにもサンタフェにも行けたのだから,ついでにホワイトサンズも絶対に行きたくなった。
ということで,あすの午後にホワイトサンズ国定公園に行けるか,それとも翌日になるかはわからないが,どちらにせよ,ホワイトサンズ国立公園の近くにホテルを探すことにした。
調べてみると、ホワイトサンズ国定公園の最寄りの町は,アラモゴードというところであった。そこで,エクスペディアでこの町に手頃なホテルを見つけようとしていた。
やがて,ハンバーガーセットが運ばれてきた。
私は,レストランで,食事そっちのけでiPod-touchを見つめながら,ホテルの予約をしていたが,他の客もいろいろと慌ただしく雑談をしたり,食事をしていたから,すっかり場になじんでいた。
やがて,味わう余裕もなく,食事を終え,それと同時にホテルの予約も終えて,私は,レストランを出た。
このレストランは,確かに,Wifiはつながったが,時々,接続が遮断されたりして,あまり使い勝手がよいものではなかった。きっと,ターミナルの位置が遠いのであろう。
レストランから出て,ロビーのソファに腰かけて,再び,Wifiにつないでみると,ストレスなくつながったので,ここで,しばらく,ブログの更新をしたりしていた。
ホテルを出ると,周りはすっかり暗くなっていて,私は,車で自分の宿泊するホテルに戻った。
部屋に入って,Wifiの接続を試みると,はじめにホテルの到着したときにはあれぼど接続できなかったに,何事もなくつながったのだった。こんなことなら,何も,食事をしながらホテルの予約に精をを出す必要もなかったなあとがっかりした。
こんな感じで,600キロメートル以上をドライブして,サンタフェとロズウェルを観光した充実した1日も更けていったのだった。
☆ミミミ
ジャック彗星(C/2014E2 Jacques)は,はくちょう座の頭・アルビレオの近くまで移動しました。現在8等星。20日間でずいぶんと暗くなりました。ただ,天の川にいるので,たくさんの星々の中,写真に写すととてもきれいです。
私は12等星くらいまでなら写真に写せるので,もう少し楽しみたいと思います。
昨晩は月が午後10時くらいに昇ってきたので,それまでが勝負でしたが,おもしろいことに,それまで快晴だったのが,天気予報通り,月の出と同時に雲が出てきました。そして,雲が月を隠したので,月が昇ってからもしばらくは楽しめました。
2014春アメリカ旅行記-カールズバッド①
やがて,カールズバッドの町並みが見えてきた。広いメインストリート沿いにホテルやらレストランがあった。
私は,次の日に,カールズバッド洞穴群国立公園へ行くために,その付近にホテルをとろうと前日ネットで探した。「地球の歩き方」には,カールズバッド洞穴群国立公園の入口にホワイツシティという小さな町があって,そこにホテルが2,3軒あると書いてあったのだが,ネットの予約では,ホワイツシティにはホテルが見つからなかったので,その近くのカールズバッドという町にホテルを予約したのだった。
実際にカールズバッドに来てみると,ネットでの情報以上にたくさんのホテルがあった。この国立公園へ行く人がそれほどいるとも思えなかったから,こんなくらいなら,直接この町に来て,気に入ったホテルで部屋があるかを聞いてもよかったのだった。
しかし,予約をする時点ではこんなにたくさんのホテルがあるということはわからなかった。それに,この日,何時に到着するかもわからなかったから,ともかく,ネットで表示された中で適当なホテルを予約したというわけであった。
以前は,その場でホテルを探したものだが,ネットで簡単に予約できるようになると,事前に予約をするようになってしまった。この方が,夜ホテル探しをする手間がなくていい。
予約したホテル「コンチネンタル・イン&スウィーツ」(Continental Inn&Suites)は,カールズバッドのダウンタウンをこえて,少し町はずれのだだっ広い道路が続くだけになってきたところにあった。
お世辞にもきれいといえないホテルであったし,部屋は,その2階建ての一番奥の2階であった。
広い駐車場の真ん中には,宿泊客の石油を積んだコンボが威厳を保って駐車してあった。
さっそくチェックインをして,wifi のパスワードをもらって,部屋に向かった。部屋のキーも,昔の物理的な大きなキーであった。2階に上がって,廊下から外を見ると,ホテルの隣は,貧しい人たちの住む住宅街であった。いわば,トレーラーハウスの住宅地,とでもいうか,家の前の道は舗装されておらず,古びた家々が並んでいた。
でも,なにか,懐かしい感じがした。
特に,治安が悪い,とかいう感じでなかったので,次の日の朝,少しその住宅地の中を散歩した。
部屋に入ってさっそく wifi をつなごうとしたのだが,全くつなぐことができなくて落胆した。
夕食もとっていなかったので,どこか近くのマクドナルドにでも行って,食事をとりながらネットにつなごうと,ホテルを出て,先ほど来たカールズバッドのダウンタウンを目指して,北に車を走られた。ずいぶんと走って,さほど広くないダウンタウンをすぎたところで,Uターンをして,途中にあったレストランのうちのどこかに入ることにした。
中華料理にしようかな,とも思ったが,その隣のホテル「ベストウェスタン・スティーブンスイン」(BEST WESTERN STEVENS INN)にレストランが併設されていたので,そこに入ることにした。
「かなちゃん」1週間-バブルベッド人形でも配ったら?
9月5日,日本のプロ野球・中日ドラゴンズの山本昌投手(本名山本昌広)が,ナゴヤドームでの阪神戦で先発勝利して,プロ野球史上の最年長勝利記録を更新したわ。49歳0か月だって。すごいわね。
私は,日本のプロ野球にはまったく興味がないのだけれど,山本昌投手だけは,ナマで見たいものだと思うわ。失礼だけど,もう何回見るチャンスがあるのかな,とも思うし。
でも,私は日本のプロ野球を見に行くってよくわからないから,見にいくことの多い人にどういう感じなのか聞いてみたわ。
私が聞いたところによると,近ごろは,ナゴヤドームもお客さんの入りがあまりよくないらしいんだって。
だったら,こうした特別の日には,いっそのこと,この試合は「山本昌デー」とか銘打って,入場者全員に,山本昌選手のバブルベッド人形配るとか,そういうことでもするのかと思ったら,そんな発想すらないみたいなのね。
実費数百円くらいのものでも,限定品なら価値があるし,きっと,私のように,山本昌投手なら見てみたいという人たくさんいるだろうから,そういう人は,足を運ぶと思うんだけれど…。
日本人って,そういうアイデアが貧困なのね。
集客力を高めたいなら,球場の関係者は,一度,サービス満点のメジャーリーグを見てくるといいんだわ。でも,メジャーリーグ嫌いの落合さんにはそんな気はないだろうけどね。なにせ,日本は「野球道」なんで,野球を娯楽にすること事態,言語道断だろうしね。
メジャーリーグを見たことのない人にはわからない話だろうけど,一度でも見に行ったことのある人なら,日本のプロ野球なんて見る気なくなると思うわよ。
だって,メジャーリーグのほうがはるかに楽しいんだから。
試合開始2時間前に,球場に行くところから,そのわくわく感が全く違うの。
球場の周りには,たくさんのスポーツバーがあって,すでに盛り上がっているし,球場のまわりでバンドが演奏していたり,足長おじさんが愛嬌を振りまいていたりするしね。球場に入れば入ったで,気さくに練習中の選手はサインをしてくれるし…。
球場の入口は外からでもグランドがちらりと見えたり,中にはいれば,球場を1周する広いコンコースがあって,たくさんの売店が並んでいて,食事をしながら試合を見たり,さらには,グランドを眺めながらビールが飲めるバーやビアホールがあったり,それはもう,どこにいても楽しいわ。それに,大きなオフィシャルグッズのお店やら,博物館もあるしね。
野球に退屈する子供たちのためには遊園地まで用意してあるの。
なにせ,屋根がなくて,天然芝だから,圧迫感がないし,ナイトゲームだと夜景もきれいだしね。
やっぱり,野球を楽しむためにどうすればいいのか,っていう工夫がまるで違うわね。
私は,数年前に神宮球場に行って,ほんとうにうんざりしたわ。ラッパ吹いたり,風船膨らませて飛ばすだけが楽しみ,なんていう日本の野球観戦は,私の描いていた野球観戦とは全く違うわね。
そんなわけで,私は,山本昌投手を見たいなあ,とは思っても,あえて,日本の球場にわざわざ行こうという気には全くならないということでした。
日本のプロ野球好きのみなさん、ごめんなさい。
我々は10月を知っている。①-Yankees know October
アメリカのMLB(大リーグベースボール)は,9月末(正しくは9月28日)でちゃんとシーズンが終わり,10月からいよいよポストシーズンに入ります。きょうは,このポストシーズンのお話です。
MLBでは,ワールドシリーズの出場をかけて,アメリカンリーグとナショナルリーグ,両リーグそれぞれ15球団の中から5チームずつ,つまり合計10チームがプレーオフへ進出することができます。その10チームとは,レギュラーシーズンにおいて東地区、中地区、西地区で1位の成績で地区優勝した3チームに加えて,ワイルドカードを取った2チームなのです。
日本でなじみのないワイルドカードとは,地区優勝を除いたそれぞれのリーグ12チームのうちで最も勝率の高いチームと2番目のチームに与えられるのです。そして,その2チームが1試合限りのワイルドカードゲームを行って,その勝者が,地区優勝した3チームとともにディビジョンシリーズへ進出します。
ディビジョンシリーズで3勝したそれぞれのリーグの2チームが4勝先取のリーグ優勝決定戦を行い,ワールトシリーズに出場する両リーグの代表が決まるわけです。
地区1位やワイルドカード2位のチームが複数出るという場合が考えられるのですが,そのときは,当該球団によるプレイオフが1試合行われて,ポストシーズンへの進出チームを決定します。
案外,というか,意外にも,このプレイオフが行われることがとても多くて,それは,シーズンの終わりまで競い合っているということなので,このことは,最後まで興味が尽きないということを意味しています。
このように,ワイルドカードが2チームとなったのは昨年からで,このアイデアが功を奏して,プレーオフに進出できる可能性が増えたことから,多くの球団がワールドシリーズ出場をあきらめずに熱戦が繰り広げられているのです。そして,プレーオフまで出場できれば,たとえシーズンで3位だろうが,ワールドシリーズで優勝できる可能性があるというわけです。
シーズン3位でワールドシリーズ優勝はおかしいなどという,日本のような無粋なことをいわないのがアメリカなのです。要するに,楽しければいいということです。
日程は,ホームページには,次のように書かれています。
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Postseason begins - No earlier than September 30
World Series begins - No earlier than October 21
・・・・・・
まだ決まっていないということですね。
このように,10月に試合のできる球団は,30球団のうち10球団もあります。
・・・・・・
Yankees know October.
・・・・・・
ニューヨーク・ヤンキースはその常連なので,ニューヨークでは,9月になると,こう書かれたTシャツが売リ出されている,ということです。
では,今年のヤンキースは,どうなのでしょうか。
まだ数字的には可能性があるとはいえ,私は,さすがに,今年は無理だと思っています。
以前このブログに書いたことがあるように,ヤンキースは戦力不足,さらに,猫の目打線のジラーディ監督,そして,全盛期ほどの力のないジーター選手を今年限りの引退というセレモニーのために使わざるを得ないなど,負の要素が多すぎるからです。
これも,以前,このブログに書きましたが,今年入団した田中将大投手は,気の毒にも,戦力不足のこの球団に入ったがために,中4日,しかも,先発の柱にまでされて,ついに故障してしまいました。
私が書いたように,ロサンゼルス・ドジャースに入っていれば,投手の多いドジャースで4番手の先発投手として余裕をもってポストシーズンに進出できたのに,残念でたまりません。
ともあれ,ことしのポストシーズンは非常に楽しみなのです。
それは,これまで,下位が常連だった多くのチームが強いからなのです。
アメリカンリーグでは,ボルチモア・オリオールズ,カンザスシティ・ロイヤルズ,トロント・ブルージェイズ,シアトル・マリナーズ…,ナショナルリーグでは,ワシントン・ナショナルズ,ピッツバーグ・パイレーツ,ミルウォーキー・ブリュワーズ… などです。
なかでも,青木宣親選手のいるカンザスシティ・ロイヤルズなんて,1986年以降,つまりハレー彗星が去って以降28年もの長きにわたってポストシーズンに進出していなくて,最近は最下位の常連なのですが,このチームがいよいよ頭角を現し始めたのは,昨年のピッツバーグ・パイレーツ同様にとても愉快です。
解説者の田口壮さんが,シーズン当初から優勝候補に挙げていて,本人もきっとジョークのつもりだったのでしょうが,それがどういうわけか実現しそうな今となって,そのことを口にしなくなってきたのが,逆に,おもしろいわけです。
昨年の覇者ボストン・レッドソックスの低迷は残念ですが,それ以外は,非常に期待のもてる10月がいよいよ間近に迫ってきました。
2014春アメリカ旅行記-ロズウェル・再び③
私は,こうして,ロズウェルでのやりたいとこがすべて終了したので,いよいよ,ここから200キロメートル南下して,カールズバッドのきょう予約したホテルを目指すことになる。
しかし,まだ時間が早かったので,その前に,この素敵な町・ロズウェルを少しだけドライブすることにした。
まず,空港から少し北に行ったところに,昨日の夜に少しの時間だけ行ったロズウェルのハイスクールがあるので,そこへ再び立ち寄った。
この学校もアメリカのほかのハイスクール同様,スタンドのある広い競技場や野球場があった。平日の午後なので,学校では,クラブ活動をしていて外周を走っている生徒がいたり,アメリカの高校生のようすが眺められて興味深かった。
私は,アメリカに住んだことがないから,名所旧跡巡りよりも,アメリカの日常に興味がある。こうして見ていると,その違いがとても面白いと思うのだが,もし,この国に生まれて,こうした学生生活を送ることが当たり前だと思っている人にとれば,それは単に自然の姿なのだ。そのことことすら,なにか不思議な気がする。
それにしても,人は成長するときに,どういったことを学ぶべきなのだろう。そして,それが,大人になった時,どのように役立つのだろう…。歳をとるにつれて,私は,だんだんとそれがわからなくなってきた。特に,いろんな世界を見てしまうと,ますますわからなくなってきた。日本の学校で学ぶ多くのことは意味がないとまではいわないが,もっとやらなければならないことがほかにあるだろう,ということだけは,確信をもつようになった。それに,いろいろと先輩づらをして指導をする大人だって,知らない世界がいっぱいあるだろう,あなたの価値観だけが人生じゃない,と思うようになった。
私が若いころに言われたことの多くは,正しくなかった。歳をとって,さらにそう思う。
このあとで,ダウンタウンをまわったり,住宅街をまわったりと,ロズウェルの町を少しだけドライブした。
その後,進路を南に,一路,カールズバッドの町に向けて,走っていった… とその時は思っていた。
ところが,毎度のこと,道を間違えたらしく,カールズバッドの町は,ロズウェルから単に国道285を南下して200キロメートルくらい行けばいいのに,アラバマロードというそれよりも南東の道路を進んで行ってしまったようであった。
その道は,鉄道に沿ってずっと続いていた。そうとは知らずしばらく走っていたが,そのうち,やっと,道が違うことに気づいた。方角を確かめて,道路を変更して,なんとか,国道285に戻ることができたのだが,頼るべき地図がないというのは不便である。当たり前か。
こうして,いろいろあったけれど,結局,国道285を走っていった。
途中,100キロメートルくらい行ったとき,アーティージアという町を通った。ここで,道は,東西を通る国道82を横切った。あすはここまで戻って,この道を西にアラモゴードへ行くことになるのだ。きょうは,このままここを通り過ぎて,さらに100キロメートル南下して,カールズバッドへ下っていく。
国道285をもうしばらく進んだとき,西側に,異様な風景が繰り広げられることになった。
突然,あたり一面,黒い巨大なツルが首を振っているかのような風景になったが,それは,このあたり一面に油田があって,それを採掘する井戸が,ずっと,あたり一面に広がっていたということであった。
この景色は圧巻であった。
これまで,ノースダコタ州では,シェールオイルを採掘するタワーのような巨大な井戸を見た。テキサスでも,シェールオイルを採掘しているタワーも少しはあったけれど,ほとんどは,昔と変わらぬ井戸を見た。しかし,それらは,ところどころにぽつんぽつんと井戸があるものであった。
しかし,ここでは,至る所にそうした井戸があった。これほどたくさんのものが一面に並んでいるのを見るのは初めてのことであった。
壮観であった。
愛しきアメリカ-道路のイエローライン
私は,特に詳しいわけではないので,単に走った感想であることをお断りします。
アメリカで運転をしていて,強く感じるのは,とても走りやすいということです。その一番の理由は,道路の表示が単純でわかりやすいということです。日本とは,道路の広さや交通量が違うので,単純に比較してもいけないことは承知していますが,それはそれとしても,運転をしていてストレスが溜まりません。
私が一番いいとも思うのは,道路の左側(アメリカでは車は右側通行なので,日本と反対です。日本でいうなら右側です。)に,必ず,黄色いラインが引かれているということです。
片側2車線のインターステイツであれば,中央分離帯にそって,片側1車線の一般道であれば,センターライン,また,一方通行の道路であれば,道路の左側,これらの場所に,必ず黄色いラインが引かれています。このラインは,追い越し禁止の場合は,実線,追い越し可能な場合は,破線になるのですが,いずれにしても,すべて,黄色のラインが引かれています。
従って,一方通行,特に,インターステイツのジャンクションなどの一方通行で,逆走を防ぐのに非常に有効だし,夜,街灯のないところでは,左側の黄色いラインがヘッドライトで明るく輝くので,このラインに沿って走れば,安心して通行することができます。
また,アメリカの都会の一般道では,中央分離帯の代わりに,両側が黄色のラインで覆われた緩衝地帯があって,左折(日本の右折)や,道路の反対側(左側)にある店舗などに入るために道路を横断しなくてはならないときには,この場所に一旦車を停車して車が通り過ぎるのを待つといったことができます。
もうひとつ優れていると思うのは,交差点での左折(日本では右折)の場合,青の矢印信号が先に出る,ということがあります。交通量の少ない交差点では,青の矢印信号がなく,黄色の矢印信号のある場所もありますが,いずれにしても,日本では直進のあとで矢印信号が出るので,交差点の中でずっと直進車がいなくなるまで待っている必要があるのですが,アメリカでは,そうではなく,先に左折することができます。なお,この左折信号にも,普通の信号と同じく,青矢印,黄矢印,赤矢印があって,やはり,青,黄,赤の順で変わり,赤矢印は左折停止なのですが,私は,昔,それを知らず,戸惑ったことがありました。
さらにつけ加えると,右折(日本では左折)の場合は,左から直進車が来ないことを確認すれば,赤信号でも右折することができます。このことははじめてアメリカに行って運転するときにも当然知ってはいましたが,はじめて信号を無視? して右折するときは,ちょっぴり勇気が必要でした。
この,赤信号で右折可,のために,直進するのに右車線を走っていると,右折したい後続車がいるときに赤信号で停まってしまうと非常に申し訳なく感じてしまうのが難点です。
いずれにしても,こうした道路表示や決まりは,例外はあるけれど,ほぼ全国共通なので,非常に分かりやすく,また単純であるために,とても楽に運転できるのです。
こういうことをわかりやすく決めることができるアメリカ人の合理性というのは,すごいと思います。
近頃の日本では,交差点で,赤色やら青色やらで,やたらと塗りたくられていたり,また,道路のラインも様々な色が規則性がなく(ほんとはあるのでしょうが…)引かれていたりして,しかも,1台でも路上駐車があると,それらに従えず無秩序になってしまうというのが,何事も100パーセントの状態でなけれはうまく機能しないという日本らしき状況だと私は思っております。なんとかならんのでしょうか…。
◇◇◇
アメリカ旅行記の写真にはこれからも道路の写真がたくさん出てきます。なにせ,移動ばかりですから…。どうか「イエローライン」にご注目ください。
2014春アメリカ旅行記-ロズウェル・再び②
ロズウェルの空港は,町の南はずれにあった。
私は,今回の旅行に来る前に,3日目から最終日までレンタカーの予約をしてあったのだが,すでに書いた理由によって,レンタカーの予約を4日目から7日目までに変更した。しかし,レンタカーを返却してしまえば,その後,サンアントニオの行動は,不自由になって,最終日の早朝に空港に戻ることすら,容易でないと確信するようになった。そこで,再び,レンタカーの返却を最終日に変更することにしたのだった。
しかし,この変更の方法がよくわからなかったのだった。
何も連絡をしないで,最終日に返却をしようとも思ったが,それでは,ペナルティがかかるかもしれないなあ,と思った。電話をしようと考えたが,最寄りの営業所に行って,直接変更をするほうが容易であろうと思った。
ハーツの営業所をネットで探すと,サンタフェとロズウェルに見つかった。
しかし,サンタフェでは営業所のある場所が,よくわからなかった。ロズウェルの営業所は空港内にあるようだったので,アクセスが簡単だから,ここで,変更をすることにしたというわけであった。
私は,UFO博物館を見学したのち,ロズウェルのダウンタウンから南に走り,途中で,国道285とメインロードがY字で分かれるので,道路標示に従って,そのままメインストリートを南下して,ロズウェル・インターナショナル・エアー・センターを目指した。
ロズウェルの空港も,アメリカのほかの空港同様だだっ広く,だから,駐車場もだだっ広くて,空港の建物がどこにあるのかさえよくわからなかった。ともかく駐車場に車を停めて,近くにあった古ぼけた倉庫のような建物に入っていったら,そこが空港のターミナルビルであった。
建物の中には,あまり人がいなかったが,そこには,さまざまな地方の小都市にある空港のように,小さな待合室やらレンタカーのカウンターやらがあった。
私は,ハーツのカウンターに行って,そこにいた女性に,レンタカーの返却日の変更を願い出た。彼女は,契約書に書かれた電話番号の書いてある場所を指示して,ここに自分で電話をすればいい,と言った。自分でやれ。このことだって,とてもアメリカらしいことなんだけれど,私は,この旅のときは携帯電話をもっていなかったから,ここから電話をしてほしいと言った。旅行者にとって,電話ひとつするのも,携帯電話を持っていないと,不便で仕方がない。親切な女性は笑って快く電話をしてくれて,何の問題もなく,すんなりと変更が終了したのだった。
この小さな(とはいっても,空港の土地自体は,ものすごく広い)空港からは,1日に離着陸合計20本くらいの航空機のサービスがあって,行き先は,ダラス,アルバカーキー,サンタフェ,それに,テキサス州のラボックであった。
また,帰国後,アメリカで使うことのできる携帯電話の入手方法について調べた結果,いいものが見つかったので,現在は,私は現地で使える,つまり,日本の携帯電話のローミングではなく,正真正銘のアメリカの携帯電話を持っている。このことは,また,後日書く。
☆ミミミ
9月8日は中秋の名月でした。久しぶりの雲一つない夜空に,美しい月を見ることができました。写真は,9月8日7時39分に写したものです。満月はそれより1日おそく,9月9日です。
この日の月は,地球からの距離が最も近くて,その距離は359,067キロメートル。スーパームーンとよばれています。
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名月や池をめぐりて夜もすがら
芭蕉
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星を見るのも大変だ。-星空の宝石・球状星団➀
前回紹介した惑星状星雲が星空の小悪魔なら,球状星団は宝石です。
球状星団は数十万個の齢をとった恒星が互いの重力で球形に集まった天体で,銀河の周りを軌道運動しています。我々の銀河系には現在約150個が知られていますが,他の銀河にも同様に存在します。
天の川銀河の直径は約10万光年で,わが太陽系は中心部から約3万光年の円盤状のはずれに位置しています。実は,太陽系がはずれに位置しているということが明らかになったのは球状星団の研究を通じてだったのです。
1930年代までは、太陽は銀河系の中央近くにあると考えられていました。しかし,地球から見たときに,球状星団の分布はきわめて非対称だったのです。そこで,球状星団が銀河中心の周りにほぼ球対称に分布していると仮定してみると,太陽から見た天の川銀河中心の方向と,太陽から銀河中心までの距離が推定できるようになって,このようなことがわかったのです。
球状星団は非常に星の密度が高いため、星同士が接相互作用や衝突を起こしたりしていると考えられています。また,近年,ハッブル宇宙望遠鏡を用いた球状星団の観測で,その中心にブラックホールが存在していることが明らかになりました。
このように,天文学の発展に非常に役立った球状星団ですが,きょうは,私の写した写真からメシエ天体の球状星団の中で最大のものと最小のものの2つを紹介しましょう。
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最大のものはM13(=1番目の写真)です。
M13は,ヘルクレス座にある球状星団で,光度5.7等,距離は26,000光年のところにあります。この球状星団は北天最大で,美しさでは全天一といわれています。大きさは満月の3分の1ほどで,この星団は50万個もの星を含んでいて,実直径は約100光年にも及びます。
双眼鏡では周辺がにじんでボーッとして見えるので明らかに普通の恒星とは違うことがわかります。
この球状星団は,写すレンズによって,星が細かく分かれたりそうでなかったりするので,レンズの性能を調べるのにうってつけです。
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最小のものはM56(=2番目の写真)です。
M56は,こと座にある球状星団で,光度8.2等,距離45,000光年のところにあります。
メシエ天体の球状星団の中では一番小さいものですが,先日紹介した惑星状星雲M57環状星雲やM27あれい状星雲など有名な天体が近くにあるために,それらを観察しようとすると,自然と望遠鏡の視野に入ってきます。
暗いので,メシエ自身は星に分離することができなかったようで,「星のない星雲で,ほとんど輝いていない」と記録しています。双眼鏡で眺めると,メシエさん同様,星の周辺部がボーッとしてみえます。写真に写すと,かわいい星々がまあるく群がっている姿を写すことができます。
☆ミミミ
ただし,実際に星の写真を写しているとわかるのですが,球状星団って,私には,あまり面白くありません。形が似ていることと,やたらたくさんあることが理由です。そんなこと思うのは私だけかなあ?
2014春アメリカ旅行記-ロズウェル・再び①
私は,このようにして,早朝にロズウェルを出発して,300キロメートルの道のりを北に,サンタフェまで行って,午前中,サンタフェ観光をして,午後の4時前には,再び,ロズウェルに戻ってきた。
ロズウェルでは,やりたいことがふたつあった。
そのひとつは,UFO博物館に行くことであった。もうひとつは,ロズウェルのハーツの営業所に行って,レンタカーを返却する日にちを変更することであった。
やがて,車は,ロズウェルの市街地に入ってきた。
ちょうど,学校の下校の時間らしく,道路には,おなじみの黄色いボンネット型のスクールバスが走っていた。スクールバスの近くを走るときは気を使う。生徒が乗り降りするときは,追い越してはいけいないとか,日本ではななじみのない規則がある。
スクールバスは,かなりの車両が列をなして走っていたが,やがて,交差点ごとに1台,また1台と曲がっていって,やがて,私の目の届くところにはスクールバスはいなくなった。
次に,私が見つけたのは,ガンショップであった。街中に普通にこういう店があるのが,アメリカである。このガンショップは,テキサス州のジャンクションという町でも見かけた。
ともかく,私の車は,こんなふうにして,ロズウェルのメインストリートまで戻ってきた。メインストリートをしばらく走って,とうとうダウンタウンの中心にあるUFO博物館まで来た。博物館の近くの,道に沿った駐車帯に車を停めて,そこから少し歩いてUFO博物館に行った。
なんとか閉館前にたどりつくことができた。入口を入り,カウンタで入館料を払った。
博物館には,結構多くの人が入っていた。それほど広くもなく,というか,アメリカの博物館にしては狭い部類の博物館は,なんというか,高校の文化祭の展示をすこしマシにしたというか,まあ,そんな感じであった。中央には,宇宙人の模型やらが作られていて,周りには,UFOの記事が書かれた新聞記事やら,写真やら,ポスターやら,そんなものが展示してあった。
ロズウェルのUFO事件に関しては,すでにこのブログに書いたように,実際にはアメリカ軍のなんらかの飛行船とか風船とか,そんなものであるのが真実であるようだ。
しかし,当時からさまざまな目撃情報が報道されていて,それが,無責任におもしろいものだから,うわさがうわさをよんで,そのために,世界中から,こんなチンケな博物館なのに多くの人がやってくるというわけだった。
サインボードみたいなものもあったが,日本人のサインも結構な数あったから,ここに来た日本人も多いのだろう。それにしても思うのは,よくもまあこんな不便なところにわざわざやってきたものだ,ということであった。私もそのうちのひとりであるけれど…。
UFO博物館の展示には,ロズウェルに墜落した未確認飛行物体の残骸,すなわち「ロズウェルの聖杯」と呼ばれるある特殊な物質について書かれた資料があった。
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ロズウェルに墜落した未確認飛行物体の残骸は「空飛ぶ円盤の破片」として知られていて,それは,銀色で質量がない金属片で,手ですくうと水のように流れる物質だったのだという。
ロズウェル事件のあった1947年7月当時,UFOの墜落した農場から,この「ロズウェルの聖杯」を現場から持ち帰った地元住民が多数いたらしい。しかし,それらの「聖杯」は,後日,軍によって一片残らず回収されてしまったのだそうだ。その際に「口外したら命の補償はない」という脅しをひとり残らず受けたのだという。
もし,「ロズウェルの聖杯」のたった一片でも見つかれば,この事件は,本物のUFOと宇宙人の飛来であったという決定的な物的証拠となり得るという… らしい。
・・・・・・
私は,天文マニアである。
UFOマニアと天文マニアは,一般の人には区別がつかないかもしれないが,全く異質なものである。
天文マニアの多くはUFOなんて信じていない。だから,心の底では,こうした話はオカルトの世界だとかなり軽蔑し,くだらない,と吐き捨てているのだけれども,たとえ,そうではあっても,正直なところ,この博物館に来ることができたのは,なにかとても嬉しかったのだった。ははは。
「かなちゃん」1週間-学校は順位づけする工場じゃない。
学校は,人間を順位づけする工場ではないはずなのだけど,なぜか,順位を競うことが目的になってしまっていませんか。そもそも,どれだけ自分ができるようになったかがわかればいいのに,「他の人と比べて」が余分に追加されて,それだけならいいけれど,いろんな教科の点数を足したりして,しかも,偏差値とか意味のない計算までして,もう,このあたりから,やっていることが本当は何なのかだれもわかっていないのに,なぜか,このことが絶対的な価値を持ちはじめてしまう。
偏差値などというものにこだわる先生がいたら「偏差値って何ですか?」って聞いてみるといいわ。答えられない先生いっぱいいるわよ。
たとえば,自動車学校を考えてみればいい。
運転が少し未熟でも,最低限のレベルに達していれば免許はもらえる。自動車学校に通っている人も,免許を取得することが目的だから,人と競ったりしないでしょ。で,免許を取得して実際に運転しながら,技術が向上していくわけね。
学校の勉強も,「学問」としての教科もあるけれど,たとえば,外国語というのは,大学で言語学を専攻するならともかく,それ以外なら,それを身につけることで,違う言葉を話している人とのコミュニケーションができるようになるということが目的だから,それは,自動車の運転と同じで,学問じゃなくて,どのくらい不自由なく使えるか,という到達度を測ればいいのであって,人と競って順位づけをしたり,入試の合否判定に使用することとは違うと思うわ。
外国語に限らず,この国の教育は,その教科のテストの結果を順位づけすることを目的としていて,その結局,その教科を好きにするどころか,嫌いにしているだけじゃないかしら。で,それを教師は受験のせいにする…。
中学校と高校の6年間もかけて勉強するのだから,しだいに到達度が上がっていくことだけをその個人個人に対して評価してあげるのなら,きっと,もっと自信ができてきて,みんな,外国とかへも進んで出かけるようになるんじゃないかしら。そして,そこで,その国の人とコミュニケーションをしながら,さらに上達していくんじゃないかしら。外国人のお相撲さんはみんな日本語上手でしょ。
それを,あなたはできないできないというように指導というよりむしろ洗脳するから,本当はできるのに苦手だと思い込むし,挙げ句の果ては大嫌いになってしまうわけね。だから,進んで外国旅行もしようとしないし,失敗を恐れて外国の人とコミュニケーションすることも躊躇するの。これでは,悪循環なのね。
みんなはじめはできるようになりたいのよ。でも,きっと,みんなが外国語ができるようになってしまったら,この国から出て行ってしまうので,わざわざ6年かけて,さらに塾通いまでさせてお金も使わせて,大嫌いにしているのよ。国策でね。
外国語に限らず,この国は,中学校・高校の6年間をかけて,学者にでもならない限り必要のない内容まで詰め込んで苦手意識を植えつけて,勉強嫌いを作っているだけじゃないのかなあ。今晩の食事の作り方がわかればいいのに,シェフになる教育をしているようなものなのね。それでは,夕食どころか,食事を作ることすら嫌いになる。
それは違う,って反論するみなさん,じゃあ,6年かけて,あなたは,英語が身につきましたか? 使えるようになりましたか? 不自由なく外国旅行ができますか? 高校で勉強した数学は役立っていますか? 古典は読めるようになりましたか?
◇◇◇
「He pants and pants.」
これは,アメリカの幼稚園児が学ぶ英語です。アメリカ人なら誰でも知っているような,こんな簡単な英語すら教えてもらってないで,なにが英会話なのか,と,私は思います。学校の英語の先生にどういう意味ですか?って聞いてみてごらん。
2014春アメリカ旅行記-サンタフェ⑩
インターステイツ25を走りながら落ち着いて道路標示を見てみると,サンタフェの市街地が北に見られるようになったときに見た道路標示は,やはり「国道285ノース」であった。そして,その道路標示の下に,国道285サウスはこのまま直進とあったのだった。
ここではじめて、国道285は,しばらくの間,インターステイツ25と共用区間が続くのだということを理解した。
それでもまだ,若干疑心暗鬼ではあったけれども,私は,そのままインターステイツ25ノースを南東にずっとずっと走っていった。本当に大丈夫かいな? と思うほどしばらく走っていくと,やっと,国道285サウスという標示があったのだった。
・・
こんなふうにして,30分以上は時間のロスをしただろうか,私は,どうにか国道285サウスにたどり着いたのだった。
それにしても情けないのは,サンタフェに来るときに,この道を通ってきたということで,こうした事情はすでに承知していたはずなのであった。それなのに,まったくそのことを認識していなかったということであった。
私は,やっとのことで,目的の国道285サウスに出た。この道は,片側2車線の道路である。
あとは,ほとんど交通量のないこの道をずっと南下するだけなので,ほっとして,しばらくのんびりと運転をしていた。それでも,私の前には,わたしよりも速度の遅い車がのろのろと走っていた。一瞬,追い抜くために追い越し車線に出ようと思ったのだが,周りの景色があまりにきれいだったので,前の車について,私ものんびりと進むことにした。
ちょうどそのとき,窓の右側を見ると,脇道の角に1台のパトカーが停まっているのを目撃した。しかも,パトカーの窓からは,ポリスがレーダーガンをこちらに向けているではないか。偶然の出来事であった。もし,このとき,スピードを出して追い抜いていたとしたら,私は,スピード違反で捕まっていたかもしれなかったであろう。
それにしても,アメリカで,スピード違反の取り締まりというものを,私ははじめて見た。日本と違って,ポリスがひとりで,それも,1台のパトカーで取り締まりをしていたのだった。
レンタカーでドライブするときは,よくよく注意しないといけないなあ,と今更ながらつくづく思ったことであった。
そんなこんなで,ずいぶん時間のロスをしたけれど,なんとか無事にサンタフェ観光を終えて,国道285に戻ることができたのだった。今晩は,ロズウェルからさらに2時間ほど南に行ったカールズバットにホテルを予約してあった。だから,この後は,国道285サウスをロズウェルまで3時間,そして,さらに2時間,カールズバッドまでひたすら走る予定であった。
しかし,ロズウェルを通過して,直接カールズバッドまで行かないで,せっかくなのでロズウェルにあるUFO博物館に,なんとか閉館の時間前に間に合うように到着して,この博物館を見学したいと思った。そして,そのあとで,ついでにロズウェルにあるハーツの営業所に行って,再び,レンタカーの予約の変更をしようと思った。
国道285のロズウェルまでの帰り道は,来た道を再びもどるだけであったので,特に,なんということもなく,3時間のドライブを楽しんだ。もう,ここまで走れば,日本では東京と大阪間の距離になるけれど,アメリカで500キロメートル走ることなど,なんの苦でもなかった。
それにしても,何度も書くが,ニューメキシコ州というところは,町を離れると,ほんとうに一面なんにもないところであった。ここにUFOが着陸しても、何の不思議もない,そんな気がした。
星を見るのも大変だ-星空の小悪魔・惑星状星雲
天体写真で最も魅力のあるものは彗星ですが,その次は,星雲・星団です。
星雲には,散光星雲・暗黒星雲・惑星状星雲。銀河があります。また,星団には散開星団・球状星団があります。そのうち,私が最も魅力を感じるのは惑星状星雲です。
恒星の末期は,その質量によって異なります。
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質量が太陽の8倍以上の星は超新星爆発を起こして華々しい死を迎えます。このときの残骸が,超新星残骸といわれるもので,かに星雲M1が有名です。
0.5倍以上8倍以下の恒星は,外層が膨張して赤色巨星となり,外層のガスは徐々に周囲に放出されていき,中心核は自分自身の重力で収縮し白色矮星となります。そのときに放射した紫外線が外層のガスに吸収されたときに光を放って輝くのです。これが惑星状星雲です。
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惑星状星雲の名は,望遠鏡で観測したときに緑がかった惑星のように見えるところから,ウィリアム・ハーシェルによって名づけられました。このように,他の星雲・星団とは違って,惑星状星雲はたったひとつの星から作られたものなので,とても小さくて,そして,個性に富んでいて,かわいいのです。
きょうは,有名な3つの惑星状星雲を私の写した写真と共に紹介しましょう。
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環状星雲M57(=1番目の写真)は,こと座にある惑星状星雲です。地球からの距離は約2,600光年。リング状の特徴的な姿をしていて,惑星状星雲の中では最も有名な天体のひとつです。
ウィリアム・ハーシェルは,「穴の開いた星雲で,中心部に暗い星があり,おそらく星からできたリングであろう」と記しました。小口径の望遠鏡でも,想像以上に小さな姿を見ることができます。
写真で写すとリングの内と外で異なった色をしていることが分かります。星雲の中心には白色矮星が存在していて,この星から数千年前に放出されたガスが白色矮星からの紫外線を受けて蛍光灯のように輝いているのです。
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ふくろう星雲M97(=2番目の写真の左上の緑色のまるいもの)はおおぐま座にある惑星状星雲です。地球からの距離は同じく約2,600光年。丸い星雲の中にやや暗い部分がふたつ並んで存在していて,これがフクロウの顔のように見えることからその名がつけられています。
星雲の実際の形は円柱状のトーラスで,地球からはこのトーラスを斜めから見ていると推定されています。物質の少ないトーラスの両端の穴がフクロウの目に相当しているわけです。
なお,同じ写真の右下の細長い天体は,銀河M108です。
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あれい星雲M27(=3番目の写真)はこぎつね座にある惑星状星雲です。地球からの距離は約820光年。その形が鉄亜鈴に似ていることから名づけられています。
あれい星雲は惑星状星雲として最初に見つかった天体です。
双眼鏡でも容易に見ることができるので,非常に人気があります。
環状星雲は,こと座のβ星とγ星のちょうど真ん中にあるので,容易に視野に入れることができます。また,ふくろう星雲は,北斗七星のβ星の近くに,M108と並んで存在しているので,これも容易に視野に入れることができます。しかし,あれい星雲は,環状星雲とは白鳥座のβ星についてちょうど点対称になる位置にあるのにもかかかわらず,この3つの惑星状星雲の中では,私には一番視野に入れにくいものでした。しかし,苦労して写真に写すことができたときに,一番大きくてきれいだったことに,私は感激しました。
この環状星雲からあれい星雲のあたりには,M56,M71という2つの球状星団もあるのですが,M56は小さく,M71は球状星団らしくないのが,なかなか憎い演出だと,私は思いました。
2014春アメリカ旅行記-サンタフェ⑨
私は,どうにかサンタフェまで来ることができた。一度は来るのをあきらめていたので,とてもうれしかった。
これまでにも,このブログに何度も書いたが,ずっと昔から,行けたらいいなあ,と思っていたところに本当に来ることができたとき,その幸運を思う。行きたいと思っているからこそ行けるのだろうが,いつも,夢を見ているような気がする。
さて,ともかく,サンタフェから,再び,来た道を逆に,ロズウェルに戻らなくてはならない。
サンタフェの南にはインターステイツ25がなんと「東西に」延びていて(アメリカでは奇数番号は南北に走る道なのだ),このインターステイツ25に乗りさえすれば,そこから南東にしばらく走ると国道285サウスとのジャンクションがあって,そこで国道285サウスに乗り換えて,その後は,ロズウェルまで,南に道なりに進むだけなのだった。
ところが,私は,まず,サンタフェのダウンタウンからインターステイツ25に行く道すらなかなか見つからなかったのだった。適当な道を南下すれば自然にインターステイツ25に出会ったものを,すこし進路を西に取ってしまったために,なかなかインターステイツ25に入ることができなかった。
それでも,しばらく南西に向かって走っていくと,その先にどうにかインターステイツ25が見えた。そのインターステイツ25に入るジャンクションの手前にあったガソリンスタンドで,私は,まず,ガソリンを入れた。そして,店員にロズウェルへ行くには,インターステイツ25をノースに行くのかサウスに行くのかと聞いた。
すでに書いたことだが インターステイツ25は奇数番号だからアメリカ合衆国を南北に走る。しかし,サンタフェの南では,このインターステイツ25は東西方向に走っていたから,ここからロズウェルへ行くには,方角的には東にあたるのだが,その方向に行くのが,インターステイツ25ノースなのかインターステイツ25サウスなのかがよくわからないのであった。
わかりやすく書くと,インターステイツ25は,ノースに進路を取ると,この先最終的には北東方向に進んで行って,コロラド州のデンバーに到達する。また,サウスに進路を取ると,最終的には南西方向に南下していって,アルバカーキに向かう。
しかし,サンタフェでは,この道は一度Nの字を描くようになっているので,サンタフェからロズウェルに戻るためには,インターステイツ25を南東方法に進むのにもかかわらず,インターステイツ25ノースに行かなくてはならないというわけだった。
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店員はずいぶんと考えて,ノースだと「正しく」教えてくれた。その指示に従って私は,インターステイツ25ノースに乗った。ここまではよかった。
しかし,その次のジャンクションの手前で,国道285ノース(へはここで降りる)という標示を見て,訳がわからなくなってしまった。
私が思っていたのは,このジャンクションで,南北に走る国道285と東西に走るインターステイツ25が交差していて,このジャンクションで降りて国道285に乗り換えれば,国道285を北に行くのが国道285ノース,南に行くのが国道285サウスということであった。
しかし,国道285にはノースという表示しかなかったのだった。国道285サウスはどうしちゃったんだろう…。
少し迷った挙句,私は,このインターチェンジを降りて,国道285ノースに入ったのだった。しかし,当然,国道285はノース,つまり北方面の道しかないのであった。私は,サウスへ行きたかったわけだから,国道285ノースをしばらく北方向にUターンができるところまで走って,そこでUターンをして,そのままサウス,つまり南に行こうとした。
ところが,この道は,インターステイツ25と交差するジャンクションを過ぎたところで行き止まりになってしまった。行き止まりの手前に,「国道285サウス」という道路標示があったのを,私は気づいていたのだが,その標示の示す先はインターステイツ25ノースであったから,それは何かの間違いだと思ってしまったのだった。そこで,行き止まりの場所でもう一度Uターンをして国道285ノースに乗ったのだが,逆方向に走っているので,今度は道路わきに「国道285サウス」という標示がない。仕方がないので,先ほどと同じように国道285ノースをしばらく北に進んで,再びUターンをして2度目の南下をした。今度は,「国道285サウス」という標示に従って走っていくと,その先は,やはり,私の思っていたように,国道285サウスではなくて,インターステイツ25ノースであった。
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実際は,そのままインターステイツ25ノースをもっともっと「南東に」走っていけば,その先に国道285サウスに降りるジャンクションがあるのだった。つまり,国道285サウスとインターステイツ25ノースはしばらく共用区間,つまり同じ道だったのだ。
しかし,そのときはそうとは知らず,また道を間違えたと思った。そこで,私は,インターステイツ25ノースを(そのまま走っていけばよいものをそうしないで)次のジャンクションで一旦降りて,Uターンをして,インターステイツ25サウスに乗った。
当然,こんなことでは国道285サウスには行けないし,国道285サウスという道路標示もない。
しかし,このときは,私は,ガソリンスタンドの店員が間違いを教えたのだと思いこんでいたのだから,インターステイツ25サウスをひたすら西に進んで行けば,きっと国道285サウスという道路標示があると思っていた。
やがて,サンタフェのダウンタウンをはるかに通りすぎ,眼下に,雄大なサンタフェ郊外のアドビ建築の街並みが見え,その向こうに雄大なロッキー山脈が見えるようになってきたころ,道路標示があって,この先アルバカーキ方面と書いてあった。
さすがに,このときに,これは方向が違うと悟った。そこで,再び,次のジャンクションで降りて,Uターンをして,再び,インターステイツ25ノースに乗り換えた。
少しでも早くロズウェルに戻らなくてはならないのに,このようにして,私は,30分以上,インターステイツ25を行ったり来たり,サンタフェからいつまでも抜けられないでいたのだった。ああ。
2014春アメリカ旅行記-サンタフェ⑧
「セント・フランシス教会」を出て,今度こそ開いているのではないかと,私は,再び「オールディスト・ハウス」に行ってみた。
さすがに,この時間には開館していたので,中に入ることができた。
館内は,半分が土産物屋で半分が当時の調度品やら写真が展示してある博物館であった。
外に出て外観の写真を撮ろうと思ったのだが,悪いことに,ちょうど,コリアンの家族づれだかグループだかがいて,いつもの例にもれず,大声で話をしながら,何やら,写真を写したり騒いだりしていて,本当にうんざりした。
昨年のプリマスプランテーションの時もそうであったが,どうして彼らは,場というものがわからないのであろうか。彼らがやっと立ち去ったので,「オールディスト・ハウス」の前で写真を撮ったりした。
その後,歩いて再び「ザ・プラザ」まで行ってみた。
朝早くここに来たときとは違って,おおくの観光客で賑わっていた。このあたりには,美術館やら博物館,そして、土産物店などが並んでいた。気の利いたレストランやホテルもあった。
サンタフェは,きっと,このブログを読んでいる人がもっているイメージよりも,ずっと都会であった。このように駆け足ではあったが,サンタフェの見どころというのは,だいたい,この程度であった。
先に行った「オールディスト・ハウス」の前の狭い道を東に進むと,キャニオン・ロードに出るという標示があった。
キャニオン・ロードとは,500件以上のギャラリーが立ち並ぶアメリカ芸術の中心地のことである。1921年に5人の画家がここに移り住んで以来,次第にギャラリーが増え続け,このようになったということだ。
私は,車を駐車した「セント・フランシス教会」に戻り,車で,キャニオン・ロードを走ることにした。この約1キロメートル程度伸びた細い通りには,道の両側やそこからさらに入った奥の通りにまで,多種多様のギャラリーが続いていた。全米第一とも言われるギャラリー密集地である。
ほとんどのギャラリーは午後5時で閉店するが,金曜の夜は午後7時まで開いているということだ。また,クリスマスイブの夜は,ロマンチックにクリスマスライトが飾られたこの小道を散策するのが慣わしとなっているという。
キャニオン・ロードを通り抜けて,私は,サンタフェを後にすることにした。
ゆっくりとギャラリーを見たり,レストランで食事をするとよかったし,さらに,もっと北のチマヨまで足を延ばせればもっとよかったのだけれど,今日中にニューメキシコ州を南下して,カールズバッドまで行かなくてはならなかったので,お昼までの滞在が限界であったのが,今となっては悔やまれる。
かつて宮沢りえさんのあまりにも有名な写真集「サンタフェ」が出版されたときにはじめて知ったサンタフェという名の町に,こうしてついに来ることになった。このように,アメリカ旅行をしていると,どこに行っても,ずっと若いころ,今より精神的にずっとアメリカが遠かったころに名前だけを知っていたその場所に,ああ,本当に来たんだなあととても不思議な気持ちがする。
愛しきアメリカ-難関「サブウェイ」に挑む。
すでに書きましたが,私はグルメではないので,旅行をしても食べ物にはほとんど興味がありません。でも,好き嫌いがないので,その地で有名だといわれる食べ物は食べてみます。
今まででおいしかったなあとしみじみ思ったのは,北海道の稚内で食べたうに丼と,三重県の志摩で食べた伊勢海老の活きづくりと,そして,カナディアンロッキーのロッジで食べたステーキです。
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ところで,アメリカをひとりで旅していると,何を食べているの,とよく聞かれますが,ホテルの近くにあるファミリーレストランに入って,適当に食べたり,博物館などに行ったときはカフェテリアで,野球を見に行ったときはもちろん野球場で食べます。時には,食欲が旺盛の時には,結構ゴージャスなステーキハウスでステーキを食べたり,アメリカでは高級といわれる日本料理店でお寿司を食べたりもします。また,お腹が空いたときは中華料理を食べるのも好きです。
そんななかで,お手軽なファーストフード店は,マクドナルドは定番ですが,日本ではなじみのないタコベルはメキシコ料理の好きでない私はパスして,野菜も食べたいなあ,というときは,サンドウィッチのサブウェイです。
でも「アメリカのサブウェイの注文の仕方」というブログやらYouTubeがあるくらい,一番日本人には難関だといわれているのが,アメリカのサブウェイなのです。
この夏に行ったアイダホ州やユタ州などの山岳地方には,やたらとサブウェイがありました。東海岸にはあまりなかったような…。そのかわり,東海岸にはダンキンドーナッツがやたらとありましたけれど。
私も,これまでに,サブウェイでは,たくさん恥をかきました。店員に手におえないとジェスチャーされたこともあります。サブウェイの盲点は,日本にもあるから,と気軽に入ってしまう点にあるんですが,アメリカのサブウェイには,お任せはなく,すべてを自分で決めなくてはならない,という掟があって,これが難関の原因なのです。とはいえ,食べたこともないパンから好きな物を選べ,と言われても,ソースを選べと言われても,実際無理です。
若いころは知ったかぶりをして恥をかきましたが,今は,知らなければ聞けばいい,と思っているので,私は気軽に入ります。一番いけないのは,丸暗記です。「How to モノ」で注文の仕方を丸暗記をして,そこから外れたら立ち往生というような英語の勉強はやめましょう。
私は,サブウェイに入って,このように店員に言います。「私は日本から来た旅行者だけど,サブウェイは初体験なので,注文の仕方が全く分かりません。教えてください」。このとき,チョー親切な店員の若者は,この哀れな日本人のおじさんに同情して,それは親切に教えてくれるのです。
考えてみれば,サブウェイは野菜もふんだんに食べられるし,ちょっとした食事をとるには最高のお店かもしれません。ということで,この親切な若者の説明を再現したいと思います。
アメリカに行ったら,英語の勉強だと思って,ぜひ,サブウェイに行ってみてください。英会話学校へ通うより,この方が英語が上達するかもしれません。日本のサブウェイとはいろいろ違いがあって,国民性の違いというか,非常におもしろいのです。
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STEP1
まずは,ベースとなるサンドイッチのメニューを注文します。
「BBQ Steak and Bacon Melt」とかいうようにです。要するにお肉を選ぶわけです。メニューは,お店に写真つきでディスプレイされていますが,アメリカのサブウェイのホームページに載っていますから予習しておくといいでしょう。そして,このあと,順番に自分で好きなように選んでいくのです。
日本人は,メニューをオーダーすると、あとはお任せですが,サブウェイでは全部自分で選択するわけです。アメリカでは,菜食主義者とか,あるいは,好き嫌いが激しい人とかが多いので,こうしたシステムになっているのだそうです。はじめて日本にサブウェイが上陸したとき,アメリカのようなシステムにして失敗しました。国民性の違いです。
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STEP2
次にパンを選択します。
これはお店に絵があります。9-Grain Wheat(ウィート),9-Grain Honey Oat(ハニー オゥト),Italian(イタリアン),Italian Herbs & Cheese (イタリアンハーブ&チーズ),Flatbread (フラットブレッド),Jalapeno Cheddar (ハラペーニョ)があります。無難なのはイタリアンでしょうが,あえて,未知のものに挑戦するのも楽しいかもしれません。
そして,パンの長さを「Foot long」か「6 inches」で決めます。パンまるまるひとつか、半分かということです。まるまるひとつはかなりでかいです。よほどお腹が空いていなければ,半分で十分です。
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STEP3
その次は,チーズの選択です。
チーズには次のものがあります。American(アメリカン),Monterey Cheddar(モントレーチェダー),pepper Jack(ペッパージャック),Swiss(スイス)。
アメリカンはオレンジ色のものです。モントレーチェダーはくせがなく、マイルドでだれにも好まれる味わい,溶かすとより豊かなうま味が引き出されます。ペッパージャックは白っぽくてペッパーがふってあるのでスパイシーです。スイスは白く,穴がところどころに空いていてトムとジェリーに出てくるチーズです。後ででてくるように,ローストしてチーズを溶かすのならモントレーチェダーがお薦めです。
Foot long を注文したならば、チーズを2つ選んで半分半分にすることもできますが,そのときは2種類のチーズを選んで,「Half & Half」というのだそうです。
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STEP4
そしてその次が,焼くか焼かないかです。
「焼く=toasted」です。チーズを溶かして、肉をあたためれば,美味です。これで,お肉とチーズの入ったサンドイッチができました。
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STEP5
最後に,この中に野菜などのトッピングをしてソースをかけます。
トーストし終わった自分のサンドイッチに、店員さんが盛りつけていくのでそのスピードに合わせて、野菜からソースまで自分のほしいものを言っていきます。あるいは,目の前にある物から指さします。
Lettuce(レタス),Tomato(トマト),Green Paper(グリーンペッパー),Red Onion(レッドオニオン),Cucumber(キューカンバー),Spinach (スピニッチ),Cilantro(スィラントゥロ), Olive(オリーヴ),Pickles(ピクルス),Jalapenos(ハラペーニョ),Banana Peppers(バナナペッパー)。
もっと欲しい(Can I get more ...?)と言えばもっと入れてくれます。吉野家の「つゆだく」みたいなものです。
ソースは好きなだけ組合わせることができます。スウィートオニオン,ハニーマスタード,マスタード,ビネガー,マヨ,ブラックペッパーヨーグルト,ミントマヨ,ラウンチ,チッポトリ,サウスウェスト,レッドチリがあります。
私は訳がわからないので,とはいえ,店員さんに何がいいですかと聞いても困ってしまうので,適当に3つぐらいオーダーするのですが,結構おいしくブレンドされています。ただし,適当に頼むので,次に再現できななくて,困りますが…。
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これで出来上がりです。最後に,ここで食べるかお持ち帰りかと聞かれます。日本では Take out とかいいますが,アメリカでは,Eat here or to go? です。出来上がったサンドウェイッチを紙でくるくると丸めて出してくれます。見た目おいしそうでないというか,子供のままごとみたいなのですが,それもアメリカらしいというか,お腹に入れば一緒だろう,みたいな感じです。
最後に,コンボかドリンクにして終了です。コンボにはポテトチップスがつきますが,ドリンクだけ(Just drink, please.)で十分でしょう。
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こんな感じですが,店員さんも同じ人間だから,注文に失敗してもどうにでもなります。大いに恥をかきましょう。ただし,混雑したお店よりも空いたお店のほうが戸惑わないだろうから,自信のない人は,田舎のサブウェイへどうぞ。それにしても,日本で吉野家に入ってくる外国人旅行者ってみたことないなあ。日本人がアメリカのサブウェイに入るのもそれと同じようなものです。