しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

January 2015

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 ザイオン国立公園のよさは,岩山だけでないということであった。ザイオン国立公園は,この地方に住んでいる人には,他の国立公園に行くよりも,リゾートという点で多くのメリットがあるようだ。だから,全米で最も人気がある国立公園というのも頷ける。
 それとは逆に,私のような日本からの観光客にとれば,ザイオン国立公園よりも,この次に行くキャニオンライズ国立公園の雄大な眺めの方がずっとアメリカらしい,と感じる。
 いずれにしても,これほど多くの雄大な国立公園があるというのが驚きで,グランドキャニオンとモニュメントバレーしか知らずアメリカの国立公園を語ってはいけない,と以前に書いたが,本当にそう思う。
 これを知らずして,一生を終える多くの日本人が気の毒になる。どんなにお金持ちであっても。
 これは誇張ではない。偶然とはいえ,ここに来ることが出来て,私は,本当に幸運であった。

 シャトルバスからの眺めは素晴らしかった。
 私は,シャトルバスで,とりあえず「ザイオン・キャニオン・シーニックドライブ」の終点「ナローズ」まで行ったので,まずは,そこへ行くまでの景観をご覧ください。
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 はじめは「ウォッチマン」(The Watchman)。
 ここは,ザイオン国立公園に着いたときに,まず,目の前にそびえ立っていて,ビジターセンターの奥に見ることができた。実は,ここは,ビジターセンターの裏手からトレイルがあって,トレイルを歩くと,素晴らしい景色を見ることができるということだ。時間のない私は,残念ながら,パス。
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 次は,「タワーズ・オブ・ザ・バージン」(Towers of the Virgin)。
 博物館の裏手にそびえる大岩壁を総称して「タワーズ・オブ・ザ・バージン」とよぶ。ここからの朝焼けがきれいなのだそうだ。その大岩壁のうち,左手の一番高くて大きいものが,「ウェストテンプル」である。
 頂上までの高さは1,161メートルである。
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 3番目は,「司祭の宮殿」(Court of the Patriarches)。
 「ザイオンキャニオンシーニックドライブ」の西側にそびえている3つの巨大な岩峰で,左から,「エイブラハム」,「イサーク」,「ヤコブ」という。
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 そして,最後が,「エンジェルスライディング」(Angels Landing)。
 バージンリバーが大きく蛇行する少し手前にある。「エンジェルスライディング」とは,「天使の舞い降りるところ」という意味である。頂上までのトレイルがあって,人気のルートなのだそうだ。
 高さ450メートルで,鎖につかまりながら登りきると絶品の風景が広がっているということだ。しかし,これまでに何人かが転落して死亡しているらしい…。
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 バスの中からは,こうした風景を眺めることができた。
 やがて,30分も乗車すると,バージンリバーに沿った「ザイオン・キャニオン・シーニックドライブ」の終点「ナローズ」に到着した。

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 倉敷には,倉敷天文台の他に,ユニークな博物館があります。
 私が行ったのは倉敷市大山名人記念館でした。美観地区の近く,倉敷市芸文館の一角にあります。美観地区には,星野仙一記念館というものもあります。
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 将棋の大山康晴十五世名人は,1923年倉敷市生まれ。1992年に亡くなるまで現役でした。
 私は,小学校4年生のときに将棋を覚えてからしばらく夢中になって,中学校3年生のときは,高校受験どころでなく将棋ばかりやっていました。危うく,将棋で身を滅ぼすところでした。
 巨人・大鵬・卵焼きといいましたが,野球や相撲に限らず,私の子供のころは,どの世界にも神様のような人がいました。そして,その神様たちには,実力が若干劣るライバルがいて,勝負のしのぎを削るけれどもいつも残念な結果になる,というわかりやすい図式が繰り広げられていました。
 巨人には阪神,大鵬には柏戸,卵焼きにはウィンナーソーセージ?,そして,大山には升田でした。そういえば,自民党には社会党というのもありました。
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 そんなわけで,私の子供のころは,将棋の名人といえば大山康晴だったのです。
 プロ野球は毎年巨人が優勝し,大相撲もまた大鵬が優勝,というように,やる前からほとんど結果がわかっていました。将棋もまた,毎年タイトル戦はあれど,今とは違って,名人戦で勝つのは大山と決まっていました。
 ただし,そのころ,我が家で購読していた新聞に載っていたのは名人戦ではなくて王位戦。だから,私には大山名人じゃなくて大山王位。これでは安っぽいので,子供ごころに,家で購読している新聞は一流紙でないなあ,と恥ずかしく思ったことでした。
 行ったことのない東京という大都会の新聞には,どうやら,将棋は名人戦,連載漫画はサザエさん,そして一面の下には天声人語というのが載っているのだという,そんな私の知らない世界にあこがれたものでした。思えばいい時代でした。

 それはともかく,私は,大山名人が嫌いでした。横綱大鵬も嫌いでした。将棋と言えば升田幸三,相撲は横綱柏戸でなければいけません。なにせ,大山も大鵬も強すぎておもしろくない。そして,ワンパターン。大山名人は,いつも振り飛車だし,大鵬は左ひじからカチ上げてはたき込み…,と当時思っていました。敗者の美学,とでもいいますか,升田,柏戸は,その悲劇性が多くの人の共感を呼びました。考えてみれは,私も,いつも敗者側のほうが好きなのです。
 それから長く生きてきて,彼らが活躍していたころよりも歳をとり,彼らの偉大さも孤独も分かった今となって,だれが好きだったか嫌いだったかは超越して,その頃の全てが懐かしくなってきました。
 そんな,大山名人の残した遺品やら資料が展示してある記念館は,珍しいものや懐かしいものがたくさんあって,見飽きることがありませんでした。

 それにしても,といつも同じことを書くようですが…,こうした貴重な品物も,しっかりと管理しないと,そのうちに散在してしまうことでしょう。
 アメリカには,いろんな分野で多くの記念館があって,こうした施設が非常に充実しているのですが,この国には,将棋に限らず,こうした記念館自体が少なく,また小さく,どこも運営に苦慮しているようです。
 国技館にも相撲博物館があるのですが,国技というにはあまりに手狭です。
 財団というのも,アメリカのように整っていないし,寄付金も集まらないのでしょう。そして,尽力するお金持ちもいないのでしょう。
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 今日では,将棋というのは,人間がコンピュータに負けた,ということくらいしか話題にならなくなってきました。先日新聞に載っていましたが,将棋に興味がないという人がほとんどで,さらに多くなってきているそうです。
 また,私のように,子供のころには夢中になっていても,今の将棋はおもしろくないと思っている人は多くいます。マニアック過ぎてしまうのです。毎日載っている新聞の観戦記もおもしろくなく,わかりにくい手の解説ばかり。そんなものを読んでいる人はいったいどのくらいいるのでしょうか?
 今や,若者はいつもスマホをいじっているばかりだし,将棋とか天文とかいった,私が子供のころに人気のあった様々な娯楽や趣味は,私が歳を重ねると同じ速度で年寄りだけのものになってしまったのがとても残念なことだと,この記念館へ行って,改めて思ったことでした。
 将来,貴重な資料が散逸しないことを祈ります。

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 駐車場では,多くの観光客がこれから国立公園巡りをする準備に忙しそうであった。
 私は,シャトルバスで行くことのできる範囲くらいしか歩き回る気はないから,いつものように,カメラの入ったショルダーバッグだけを持って,すぐに車から出た。
 まず,ビジターセンターに入った。アメリカの国立公園には必ずビジターセンターがあって,いろいろな展示が充実しているし,土産物というよりも,様々な書物やら,トレッキングに必要なグッズを販売している。また,レンジャーが待機していて,質問をすると答えてくれる。カフェテラスがある場合もあるが,まず,期待しないほうがいい。
 日本の観光地のように,土産物店だけが充実しているのとはえらく違っている。
 学習の場という感じである。

 一通りビジターセンターを見て,さっそくシャトルバスに乗ることにした。
 シャトルバスは頻繁に出発するので,ほとんど待ち時間を気にしなくてもよかった。
 バスは2両連結で,屋根のあたりまで窓があって,景色を見ることができるのだが,窓が少ししか開かず,ガラス越しに写真を撮るしかなかった。
 バスに乗って,空いた席に座って,しばらく待っていたら,バスが出発した。後ろの車両も,運転席からカメラで状況がわかるようになっていた。

 バスは,ビジターセンターを出て,まず,州道を少し走って,はじめの停留所である博物館前に停車した。もし,駐車場が満車の時は,この博物館の駐車場に停めるといい,と「地球の歩き方」に書かれていたあの博物館の駐車場であった。
 ここで,数人の観光客が乗り込んだ。
 この停車場をすぎると,バスはバージンリバーに沿った道「ザイオン・キャニオン・シーニックドライブ」へ左折して,苦しそうに登り始めた。
 1周するのに30分以上かかるという車内放送があった。

 このシャトルバスは,途中にいくつか停車場があって,どこの停留場でも乗り降り自由ということであったが,優柔不断な私は,他の乗客が降りないと,なかなか自分だけ降りられない。さらに,実際は,どこで降りたらいいのかよくわからないのだった。
 アメリカの観光地のシャトルバスと同じように,このシャトルバスも,この公園について詳しい車内放送があった。車内放送は決してテープではなく,ドライバーの声で,ドライバーごとが異なった内容を話しているので,とても楽しい。
 そうそう,ディズニーランドのジャングルクルーズ(最近リニューアルしたらしい)を思い浮かべるとどういうことかよくわかると思われる。
 余談だが,ディズニーランドは,ミニアメリカで,多くの日本人がこの遊園地にあこがれるのは,本当は,アメリカに行ってみたいからなのではないか,と私は常々思っている。本当のアメリカの方がずっと楽しいのだが…。

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 そこで,再びUターンをして,2度目の挑戦である。
 国立公園然としていた景色であったが,私が思っていたよりもはるかに遠く,さらに州道9を進んでいくと,なんと,再び,周りに家が立ち並んできた。そこは,スプリングデール(Springdale)という町であった。
 広い庭のある家々が続き,広く囲った柵のなかには,馬が飼育されていたりと,農場を持つ農家があった。これを書きながら思い出しても,ここもすばらしい景色だった。
 さらに進んでいくと,今度は,リゾートタウンになった。そこでは,すごくたくさんの人々がのんびりと散策を楽しんでいた。わたしは,もう国立公園は間近だと思っていたから,またリゾートタウンになったので,何だコリャと思った。アメリカでは,一般に,道路は路上駐車ができるように駐車帯になっているのだが,早朝だというのに,ここには,すでにたくさんの車が停まっていて,行く先が案じられた。
 このあたりに宿泊して(しかし,かなり高い),シャトルバスで国立公園にいくのもありなのかもしれなかった。
 ここは,ザイオン国立公園の玄関口の町なのだった。洗練されたギフトショップやギャラリー,ロッジが軒を並べていた。大自然の国立公園というより,ここは,軽井沢ではないか。しかも,ものすごく素敵な…。

 そうして,さらに進んでいくと,やっと,国立公園の入り口のゲート,つまり,料金所に差し掛かった。
 料金所は2か所あったが, もうすでに多くの車が列を作っていた。
 こちらでは,お金を払うときに,挨拶を交わしたり,たわいもないおしゃべりをしたり,納得のいくまでいろんなことを質問したりするのが常だから,だらだらと車の列が進んでいく。
 こうしただらだら感になじめないと,アメリカを旅行できない。日本人はせっかちでいかん。
 この料金所は,州道9にあるから,この先,国立公園へ行かずに国道を走るだけであっても,料金所を越えなければならいわけなのか?

 やがて私の番になって,クレジットカードで入場料を払って,国立公園に入った。
 この南口が,ザイオン国立公園へのアクセスする入口である。そこから少し走っていくと,ビジターセンターがあって,その奥に広い駐車場があった。
 やっと到着した。
 私は,途中で道に迷ったために時間をロスして,出発から4時間以上走り,すでに10時を過ぎていたが,なんとかまだ,駐車することのできるスペースがあったので,ほっとした。
 車を降りると,目の前には,雄大なザイオン国立公園の景観が眺められた。

 ザイオン国立公園(Zion National Park)は,岩の芸術の宝庫と呼ばれている。しかも,この国立公園は,そうした,岩山だけでなく,滝があり,川があり,野生の動物が生息するといった,さまさまな顔を持っていることが魅力である。
 私が来たように,料金所を過ぎるとビジターセンターと駐車場があって,そこで州道9は東に折れていく。そのまま直進すると,舗装道路がバージンリバーに沿って続いている。これが「ザイオン・キャニオン・シーニックドライブ」で,この先を北に15キロメートル行くと,突き当りが「ナローズ」というところである。
 この「ザイオン・キャニオン・シーニックドライブ」は,環境汚染や交通渋滞を避けるために,4月から10月までは車の乗リ入れが禁止されている。確かに,この国立公園には周回道路がなく,ナローズで折り返す1本の道路では,車を乗り入れてしまうと,大渋滞が予想されるであろう。そこで,この期間は,ビジターセンターにある駐車場に車を停めて,「ザイオン・キャニオン・シーニックドライブ」を走る無料のシャトルバスで自由に乗り降りしながら国立公園を散策できるようになっているわけだ。
 もし,この駐車場が満車であれば,州道9をさらに進んだ道路沿いや,さらにもう少し州道9を進んだところにある博物館の駐車場に車を停めて,シャトルバスの最寄りの停留所まで歩く必要があるということだ。
 私は,無事,駐車場に車を停めることができてよかった。
 ビジターセンターの前には,無料のシャトルバスが停まっていた。

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 吉田松陰寅次郎は,弟子の金子重之輔とともに,黒船に乗って,密航を企てました。
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 金子重之輔は,長門の出。
 家業を嫌って江戸に出て長州藩邸の雑役となり,そこで松陰と出会い,弟子となって,松陰と共に渡米を計画。アメリカ側に拒否されたために計画を断念して,松陰とともに自首。その後、萩へ送還され,安政2年に士分以下の者が入る岩倉獄で病没しました。
  ・・・・・・
 私は,この松陰の密航を扱ったドラマを見るたびに,この金子重之輔の無念を思います。彼の死は,単なる無駄死でしかないからです。
 さて,「花燃ゆ」は,次回,金子重之輔の死をどう取り上げ,そのとき,松陰が,どういう行動を見せるでしょうか…。

 松蔭の全ての行動の根本は,私を捨て公に尽くせ,なのです。
 彼をそういった人物にしたのは,玉木文之進の教育です。それをどこまで描けたか,そして,見ている方がそれを受け止められたかが,まず,伏線になります。ドラマの初回にそういうシーンがありました。
 脱藩も,それをしなければ,長州に恥をかかせるから,己のお咎めよりも藩を守るためにやったことだし,密航も,国を守るために考えたことで,自分が外国見物をしたくてやったわけではない。
 だから,しばらく待てば,外国に行ける時代が来ると,黒船の通訳に言われても,それは,意味のないことであるわけです。
 同じように,病に冒された金子重之輔を,私を捨てて考えなければ,松蔭ではないわけで,そういう描き方ができるか,ということなのです。
 これが,次回の見どころです。こういうことがいいかげんだと,このドラマの今後は期待できません。
 それが…。 
 「花燃ゆ」では,密航のシーンもなく,松陰が野山獄に送られちゃうから,私は,見損じたのか,と思いました。実際は,この密航のシーンを,松陰が牢で語るという展開で扱っていましたが,この密航のシーンは,セリフから演技まで,ほとんど「花神」と同じでした。しかも,「花神」のほうがテンポがよく,しかも,緊迫感があり,松陰の思いが伝わり,感動的でした。

 これで,4回が過ぎましたが,このドラマ,長塚京三さんは「篤姫」を思い出させ,大沢たかおさんは「仁」を思い出させます。このあと,高橋英樹さんが登場したら,どうなってしまうのでしょう…。
 私は,史実を知っているからわかるものの,若い人がドラマだけを見ていても,松陰のどこが「優秀」なのか,どうしてそれほど人望があるのか,が見ていてもよくわからないと思います。この描き方では,単に,自分の思ったことを何の思慮もなくわがまま放題に行動しているだけです。
 脱藩したり,密航を企てたり,周りを心配させ,巻き込んで。これじゃあ,単なる不良です。
 このドラマで最も問題なのは,テンポが一定しないこと。つまり,ドラマの展開がスピーディでないことです。他事をしながら見ていても十分なくらい遅いことが問題なのです。だから.言い換えれば,緊迫感が伝わらない。
 そのことが故意に行われていて,心理的な描写を追及するドラマであるなら,それはそれでよいのですが,それならそれで,ドラマの中に,史実をもとにして何をいいたいのか,何を語りかけたいのかという「志」が必要です。それがさっぱりわからない。だから,松陰の行動にも,なかなか共感ができないわけです。単に,史実をドラマ化するのなら,Eテレの通信高校講座の日本史でいいわけで…。

 こんなことなら「花神」の再放送をしたほうがマシだなあ,と私は思ってしまいました。
 もっと若々しい,元気の出るドラマなのか,と思いましたが,ちょっと期待外れです。私は,個人的に,この時代のドラマは嫌いでないので,今後を期待したいと思うのですが,いまのところは,「花神」の総集編をDVDで見たほうがはるかにおもしろいです。
 井上真央さんを主人公にするなら,「続・おひさま」でいいわけで…。制作者の人たちも苦労しますね。「花燃ゆ」私はそろそろリタイヤです。

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 私は,星を見にいくのはひと月に2回までと決めています。それは,何事も度を過ぎると飽きてくるからです。楽しみはときめきがなくなると長続きしませんから,これが一番大切です。のめり込んではいけません。
 毎月,空の明るい満月のころに,次の新月のころに何を見ようかと計画を立てます。そして,新月前後の条件のよい日を狙います。
 幸い,1月は天気がよかったことと,ラブジョイ彗星(C/2014Q2 Lovejoy)が明るいことで,すでに,2回,星を見に行くことができました。しかし,先週の金曜日の夜は,あまりに天気がよかったことと,これで明るいラブジョイ彗星の見納め,ということで,例外的に3回目の星見に出かけました。
 風の強い寒い夜でしたが,星を見るには,月明かりがないことに加え,夜露が少ないほうが楽なので,むしろ,風が強い方がよいのです。
 出かける場所は4か所くらい決めてあるのですが,冬場は,雪がなく空が開けているということで,海岸近くの高台に行くことにしています。そこは,北の空は明るくてだめですが,南と西が暗いところです。
 今回は,ラブジョイ彗星に加えて,フィンレーという周期彗星(15P Finlay)も見ることにしました。

  ・・・・
 フィンレー彗星は,1886年9月26日に南アフリカの天文学者ウィリアム・フィンレーさんが発見した周期彗星で,周期は6.75年です。
 1899年に回帰したときは見逃されました。その後,1910年に木星のそばを通り過ぎて軌道が変わってしまったために行方不明になり,1919年に「新しい」彗星として,京都天文台で再発見されました。そして,あとで,それがフィンレー彗星だと分かったということです。
  ・・・・・・

 現在,フィンレー彗星は,西の空低くあって,日没後,すぐに沈んでしまいます。
 明け方の東の空に見られる彗星は,望遠鏡を設置した後で,彗星が地平線から昇るのを待てばよく,しかも,明け方は暗いので,起きるのが大変なこと以外には条件がよいのです。しかし,夕方の西の空の彗星を見るのは,時間との戦いになります。とにかく,私のような移動観測者には,望遠鏡をきちんと設置しなくてはならず,そのためには,北極星が見られるくらい暗くならないと何もはじめられません。そして,そのあとで,まだ,町の明かりが空をオレンジ色に染めた中で暗い彗星を探し出さなくてはならないわけです。

 フィンレー彗星は,予報では12等星くらいで,これでは写真に写してもシミのような点がやっと確認できるくらいに写るだけですが,バーストという爆発現象を起こして8等星くらいになったという情報があったので,チャレンジすることにしたのです。こういう突然の変化があるので,楽しいのです。
 日没後の西の空は,星も見えず,探し出すのはかなり困難なのですが,幸い,この日は,月齢2の月があって,この月が西の空低く輝いているときに探せば,そこから天頂に向かって10度ほど高いところにいるはずなので,何とかなりそうでした。
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 まず,双眼鏡で,月に向かってそのあたりの星空を見ると,月から4度くらい左斜め上に直角二等辺三角形の3頂点のように5等星くらいの星の並びがあって,そこらからさらに6度くらい上に,6等くらいの数個の星の群れが見つかりました。
 残念ながら,双眼鏡では彗星を確認できなかったのですが,彗星はどうやら,そのあたりにいるらしいのです。そこで,今度は,同じようにして,望遠鏡のファインダーで星の配列を確認して,視野に入れ,写真を写しました。確認すると,写真の中央に8等星くらいの彗星が写っていました。
 それが今日の1番目の写真です。
 宇宙の中で一度は行方不明になった小さな天体を自分で写すことができるなんて,なんか,ものすごくときめきます。そう考えると,こんなボーッとした映像でも,感動します。

 その後は,ラブジョイ彗星を魚眼レンズと50ミリレンズと,そして,いつものように,500ミリの望遠鏡で写しました。それらが今日の2番目から4番目の写真です。
 ラブジョイ彗星は,肉眼でもはっきり見えるので,視野に入れる苦労はないはずなのですが,なにせ,現在は,天頂付近にいるので,屈折望遠鏡では首が痛くなって大変です。しかし,天頂付近は暗いので,条件はよいのだから,これは贅沢な悩みです。
 彗星は,太陽を回って,どんどん,尾が長くなっていました。
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 2か月にわたって楽しませてくれたラブジョイ彗星も,今後は次第に地球から遠ざかり,肉眼では見ることができなくなりますが,双眼鏡を使えば,4月の上旬まで,まだしばらくは見ることができるでしょう。この彗星は,5月下旬には,なんと,北極星に接近しますが,そのころは13等と予想されているので,果たして,写真に写るでしょうか?
 ちなみに,ラブジョイ彗星は,オールトの雲を起源とする超長周期彗星で,軌道周期は8,000年,軌道距離は900億キロメートル。次の接近は西暦10015年と予測されています。

 さて,来月は2月です。2月は,アンドロメダのM31銀河,さんかく座のM33渦巻き銀河と6等星になったラブジョイ彗星を同じ画面に入れた写真が写せるはずです。
 節分を過ぎると,まだ,寒いのですが,それでも,風の中に,春の予感がするようになります。そして,春になると,霞と黄砂に悩まされるようになって,夜空も濁ってしまいます。
 美しい星を見るのも大変です。

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 州道17は,はじめのうちは,すでにグランドキャニオンのようなメサと呼ばれる平らな岩山の景色が前方に広がって,やがて訪れるザイオン国立公園への期待をいやがうえにも高まらせた。
 このブログを読んでいるとわかると思うが,私はいい加減で,行き当たりばったりで,下調べというものをほとんどしないから,めざすザイオン国立公園というところがどういうところかほとんど知識がなかった。だから,前方に広がったグランドキャニオンのような景色をザイオン国立公園と勘違いしていたのだった。

 州道17は,大自然の中へ進んで行くどころか,だんたんと町に入っていった。その時,ハリケーンという町にある今晩予約したホテルの広告看板を見つけた。この道をまっすぐに進めばハリケーン町に行くんだなあと思った。
 そして,私のめざすザイオン国立公園は町に入るもっと手前で左折をして,州道9に入らなくてはならないのだった。

 アメリカでは,どれほど有名な名所であっても,そこに行くための道路標示は,驚くほど小さい。しかも,それを見逃すと,もう,次には同じ標示がない。これまで何度,それで道を間違えたことだろうか。
 しかし,それは,見逃す私が悪い。日本のように,延々と同じような標示が景観を台無しにしているのとは真逆なのである。
 私は,今回もどうやら標示を見落としてしまったらしかった。
 道は,どんどんと市街地に入っていった。この町がハリケーンであった。
 ハリケーンは,予想よりもすばらしくきれいな広い町であった。しかし,私は,すでに,すっかり国立公園モードであったから,大自然が一転して町並みになってしまったから驚いた。しかも,まだ,国立公園へ曲がる道がその先だと思っていたのだからたちが悪い。
 やがて,町並みを過ぎて,道は広く快適になってきた。

 示す道路標示は,ザイオン国立公園どころか,「この先インターステイツ15」であった。
 州道17は,州道9にぶつかり,そこからは共有区間になる。共有区間にはいらず,左折して州道を9を進めばよかったのだ。そうしなかったために,逆方向の州道17と州道9の共有区間を走ってしまったというわけだった。だから,このまま進んでいくと,インターステイツ15に戻ってしまうということなのであった。
 私は,ハリケーンの町を過ぎて,郊外に出たころに,やっと,道を間違えたと気がついた。そこで,ガソリンスタンドに車を停めて,店の中に入って,店員さんに道を聞いた。
 店員さんは,ものすごく親切に教えてくれた。
 やはり,私の思っていたように,途中で正しく道を曲がらず,そのまま来てしまったようであった。結局,20分くらい時間をロスしたことになった。
 単に,来た道を戻っていけば,道なりに国立公園へ行けるのだと教えられた。

 今度は,慎重に標示を気にしながら,来た道を戻っていった。
 ハリケーンの市街地を過ぎたところの四つ角,つまり,州道9と州道17の共有区間が終わる頃に,ザイオン国立公園と書かれた道路標示を見つけた。
 今度は,そこを右折して,州道9を進んだ。
 しかし,私は,その後も,まだ,ザイオン国立公園のある場所を勘違いをしていたようで,州道9を進んだ先で今度は左折する必要のある国立公園の入口であるビジターセンターに行く道は,地図に示されているザイオン国立公園と書かれた場所よりもずっと先なのであった。だから,さきほど右折をして州道9に入ったときは,もう少し走ればすぐに国立公園の入り口があるなるような気がしていたのだが,実は,ここから先が,また,ものすごく長かったのだった。
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 しばらく州道9を道なりに進んでいくと,遠くのメサには,くっきりと地層がみえて,この地方独特の景観が広がってきた。これまでずっと走ってきたが,思いのほか時間がかかり,すでに周りの景観は国立公園然としていたのに,すれ違う車もほとんどないし,ビジターセンターらしき場所も皆目見当たらないのだった。
 私は,だんだんと不安になってきた。
 何度も書くが,アメリカの国立公園には,必要以上の案内坂はない。あくまで景観重視なのである。
 国立公園のビジターセンターへ行くには,州道9を途中で左折をするのだが,行けども行けども左折をする道がない。私は,きっとまたその道を見落としたのだと思うようになった。
 そこで,不安になって,Uターンをして,来た道を戻ってみた。
 しかし,どこまで戻っても,やはり,ビジターセンターへ行く道へ曲がる道路標示などなかったのだった。1台の車が景観を見るために,車を駐車帯に停めていた。私もそこに車を停めて,景観をみていた人にビジターセンターへ行く道を聞いたら,もっとずっと先だということであった。
 引き返す必要などないのであった。

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 このブログですでに書きましたが,私がアメリカを旅行して,夜ホテルでのんびりしているときの楽しみは「The Tonight Show Starring Jimmy Fallon」を見ることです。
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 「The Tonight Show」は1954年からアメリカNBCで放送されている深夜トーク番組です。
 私が知っている司会者は,ジェイ・レノことジェームズ・ダグラス・ミュア・ジェイ・レノ(James Douglas Muir "Jay" Leno)さんで,1992年から2009年までと,2010年から2014年2月17日まで司会を担当していました。
 現在は,ジミー・ファロンことジェーム・トーマス・"ジミー"・ファロン( James Thomas "Jimmy" Fallon)さんが司会をしています。
 東部標準時では23時35分,中部標準時では22時35分から約1時間放送しています。
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 ほかの地方でも,というか,きっと全米で放映していると思うのですが,どうも,私にはアメリカのテレビ局のシステムがよくわかりません。想像ですが,日本でも,地上波とBS放送,CS放送があるように,いろんな種類の放送形態があるのでしょう。また,ホテルでは,ケーブルテレビだったりするので,さらによくわかりません。
 アメリカには,3大ネットワークといって,ABC,CBS,NBCがあるのですが,これらは,日本のNHKではなく,フジ,TBS,テレビ朝日のようなもので,全国チャンネルというよりもキー局のようなものなので,地方では,系列の地方局が放送していたりします。
 そんなわけで,「The Tonight Show Starring Jimmy Fallon」も,地域によって,NBCが見られなかったり,ローカル局で放送されているので,この番組を探すのが結構大変なのです。

 若いころは,アメリカに行って,ホテルでテレビをつけてなんとなく見ていると,なぜかいつもこの番組がはじまっているので,そのうちに,この番組を見ていると,アメリカに来たんだなあ,と思うようになりました。
 そういえば,その昔,日本のテレビが12チャンネルだったころ,アメリカのテレビは13チャンネルまでありました…。
 番組の内容は,スタジオの端に「The Tonight Show Band」が陣取っていて,番組内でのBGMの生演奏を行っています。そして,司会者のたわいもないおしゃべりや投稿の紹介があって,そのあとで,ゲストが出演して,会話を楽しむというものです。
 また。そのゲストというのが,結構有名な人が出てくるので,私のような旅人にとっては,それこそが驚きであったりします。ジミー・ファロンさんの司会もとてもおもしろくて,最高です。
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 そんな番組なのですが,近ごろでは,日本でもYoutubeで見ることができるようになりました。残念ながら,番組すべてを見ることはできませんが,ダイジェスト版が日々アップされています。Youtubeにはチャンネルを登録する機能があるので,この番組を登録しておくと,新しいものを日本に居ながら味わうことができます。
 先日のブログに書いたように,最近のゲストで興味深かったのは,昨年夏,私がちょうどアメリカの東海岸を旅していたときに見たビリー・ジェルさんとチェルシー・クリントンさんでした。さらに,Youtubeで探してみると,セサミストリートのパペットがでていたり,日本でも放送されているドラマ「The Good Wife」(「The Tonight Show」を放送しているNBCではなく他局のCBS制作)の主役の女優さん Julianna Margulies が出演したりしています。
 この番組を見ると,行かずしてアメリカを旅しているような身分を味わったり,実際に使われている英語に接したりすることができるので,気軽に英語が上達できるかもしれません。

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 インターステイツ15を降り,州道17に入って,ハリケーンといういう,今晩宿泊するホテルのある町の手前で州道9に乗り換えて進めば,ザイオン国立公園に到着するはずであった。しかし,私は,ここで道を間違えた。
 この顛末は,また,次回。
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 今回の旅で訪れる多くの国立公園は,アメリカでも代表的な国立公園群で,これらの国立公園のある場所を「グランドサークル」という。この中で,もっとも有名なものは,グランドキャニオンである。
 通常,日本からのツアーでは,ロサンゼルスからラスベガスまで空を飛んで,ラスベガスからグランドキャニオンに行く,というものが多いが,私が,以前,グランドキャニオンに行ったときは,ロサンゼルスからは空ではなく車でラスベガスを経由してグランドキャニオンに行った。
 一般のツアーでは,グランドキャニオンは,サウスリムと呼ばれる南側に行くのであるが,私は,車で行ったことをよいことに,そこから,さらに,コロラドリバーに沿って300キロメートル走って,ノースリムまで行った。それだけの距離を迂回しないと,川を越すことができないのだ。そして,さらに,そこからモニュメントバレーまで足を伸ばした。
 こうして,私は,今回の旅の前までは,グランドキャニオンとモニュメントバレーに行っただけなのに,これでアメリカの雄大な国立公園はほとんど行った気になっていた。
 ツアーでこの国立公園に行った日本には,感動したというよりも,うんざりした,という人が意外に多い。それは,ロサンゼルスやラスベガスといった,日本からの観光客の行くアメリカの都会が,実は,雄大なアメリカとは全く違ったものなのに,そうした場所を経由して,その先さらにバスでグランドキャニオンまで行くから,大自然よりも大都会の人混みをアメリカだと思ってしまうことと,移動にかかる時間の長さが原因である。私は残念に思う。

 実際は,グランドサークルを旅するなら,今回の旅で私が行ったようなルートで,ユタ州から南下すべきであり,そうすれば,アメリカの雄大さを味わうことができるであろう。そして,グランドキャニオンだけでなく,さらに多くの国立公園を訪れると,その魅力の虜になってしまうことであろう。だから,グランドキャニオンやモニュメントバレー以外のアメリカの国立公園や,そこへ行くまでの雄大な景色を知らずして,アメリカを知った気になっているとすれば,本当に気の毒に思う。
 ただし,こうしたルートで国立公園を旅するには,個人的なツアーをさがすか,自分でレンタカーを借りて運転する必要があるから,かなりハードルは高い
 えらそうなことを書いているが,私も,今回,はじめてこうして多くの国立公園を訪れることができて,すっかりその魅力にはまってしまった。それとともに,これまで,こうした国立公園を知らずして,アメリカを知った気になっていたことを,私もまた,恥じたのであった。

佐渡ヶ島徳島

 私は,これまで,下手の横好きでいろんなことをしてきたし,好奇心旺盛でいろんなところに行ってきました。そうこうしているうちに,自分にとって,何をしているときが一番楽しいかどこへ行くのが満足できるのか,ということがだんだんとわかってきました。
 老後にすることがない,などというお年寄りが私には信じられません。だから,定年退職後まで再任用されて貴重な残り少ない時間をさらに仕事に費やすなどというのは,考えられません。
 様々な事情があるから,そんなことばかりいっていられないことでしょうし,人それぞれ価値観が違うから,一概にはいえませんが,仕事をやめて自由に楽しく生活したいといいながらも,なかなかそうできない人でも,ちょっぴり工夫をすればもっといろんなことができるのになあと思うことがよくあります。
 実際は,それほどお金をかけないでも,ずいぶんといろんなことができるものです。

 きょうは,旅のお話です。
 私は,これまで日本国内もずいぶんと旅行をしましたが,アメリカへ出かけるようになってからは,国内は京都と奈良は別格ですが,それ以外の場所には行く気がなくなってしまいました。でも,行きたいたいところが2箇所だけ残っているのです。
 北海道?
 北海道は,これまでほとんどすべての場所に行きました。ほとんどの道路も走りました。
 しかし,アメリカ旅行をするようになってからは,すっかり興味をなくしてしまいました。
 若いころは,北海道には最果てのイメージがあって旅情をそそりました。しかし,行くたびに,妙に開発されて,不要だと思える道路ができて,それもとても日本らしく「せこく」作られて,景観が本州と変わらなくなってきて,がっかりするようになりました。
 山登り?
 山登りが,現在,中高年の人たちの間でブームなのだそうです。
 しかし,私は,アメリカの国立公園でトレイルを歩くようになってから興味が湧きません。
 いつも書いていることですが,どうして,日本というところはどこもゴミだらけなのでしょう。そして,無計画に道やガードレールをつくったり,看板を立てたりしてしまうのでしょう。それが,私が日本で自然を楽しめない理由です。そして,どうして自然の景観を大切にしないのでしょう…。
 奈良井宿とか,馬篭宿とか,わざわざ努力して景観を保存しているところ以外は,どこもぐちゃぐちゃです。道路を走っていても目につくのは無残なガードレールと看板だらけです。同じように,登山道も,キチンと整備されていなかったり,ゴミだらけだったりします。富士山登山に入山料を取るとか取らないとか議論されましたが,お金を取ってそのお金できちんと整備すればよいと,私は思います。

 では,私が行ってみたい2箇所とはどこでしょうか。
 それは,佐渡島と徳島なのです。
 佐渡島では飛んでいるトキを見てみたいのです。徳島では阿波おどりを見てみたいのです。
 トキは,一度日本では絶滅したのですが,中国から譲り受けて次第に数が増えてきました。しかし,どんどん数が増えているので,焦って見に行くこともなさそうです。だから,ここしばらくは夢としてとっておきましょうか。さらに,つけ加えると,佐渡島に行く費用で,アメリカに行けちゃうんです。実はこれがなかなか行かれない一番の理由です。
 阿波おどりは,「娯茶平」という有名連の岡秀昭連長さんのお元気な姿をぜひ見てみたいと思っています。毎年夏になると行こうと思うのですが,実際に夏になってみると暑くて旅行をする勇気が起こらないので,なかなかかないません。困ったものです。
  ・・
 そんなわけで,今の私には,国内は,時間を忘れて,奈良や京都をのんびりと散策することと時間をちょっぴりかけて佐渡島と徳島に行くことができれば,それで十分なのです。
 もちろん在来線で景色や人を眺めながらです。
 日本には,渋滞なく走ることのできる道路なんて存在しませんから車で行く気にもなりません。これもまた,残念なことです。

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 基本的に天気はよいのだが,時折雲が増えてきて,小雨や大粒の雨が降ってくる。そうなのだ。ここは,山岳地帯なのだ。そして,すぐにやんで,遠くにロッキー山脈が見えてくる。すばらしい景色であった。
 インターステイツ15は,ソルトレイクシティの市街地だけは車線も多く,制限速度も抑え気味であったが,郊外になると,片側2車線にもどり,制限速度も80マイル,つまり,128キロメートルにもなった。
 アメリカのインターステイツは,制限速度が60マイル,つまり96キロメートルというところが多いのだが,春に行ったテキサス州のインターステイツ10は75マイルだったので,速いなあと思った。しかし,ユタ州はもっと速く,80マイルであった。それでも,周りの車は実質90マイルくらいで走行している。道はまっすくで,車も少なく,景色も雄大なものだから,非常に走りやすいのだ。退屈もせず,眠くもならなかった。
 だから,どんどんと距離が稼げたのだった。

 しばらく進むと,そこを左折すると -つまり,私は,南南西に進んでいるから,南南東に向かうと- 国道50に行くことができるジャンクションが見えてきた。国道50は,やがて,インターステイツ70に行き着き,吸収されることになる。
 私は,そのままインターステイツ15を進んでいった。また,しばらく行くと,今度は,左折するとインターステイツ70に入ることができるジャンクションがあった。インターステイツ70は,東に進んで,コロラド州のデンバーへ向かう。私が,明日,走ることになる道路である。
 つまり,先ほどの国道50はインターステイツ15からインターステイツ70に行くためのショートカット,三角形の斜辺というわけであった。
 私は,さらにそのままインターステイツ15を進んで行った。
 やがて,シーダーシティという美しく結構大きな町に差しかかった。
 アメリカのこういった町はきれいでのんびりしていて大好きだ。この町で一旦インターステイツを降りて,ガソリンスタンドに行った。給油をし,ついでに飲み物を購入した。そして,再び,インターステイツ15に戻った。

 これまで,周りは遠くにロッキー山脈の見える美しい高原であったが,この町を過ぎたころから,次第に山々が迫ってきて,風景が変わってきた。
 やがて,左折するとザイオン国立公園,という道路標示が見えてきた。しかし,ここは,めざすザイオン国立公園の入口ではなく,コロブ・セクションという別のルートで,これから私の行くザイオン国立公園の入口ではない。
 ザイオン国立公園というのは,北と南の2箇所に入り口があって,国立公園全体は南の入り口からアクセスしなければならない。
 さらに走って,地図に赤い線で表したように,ようやく,インターステイツ15から州道17に入るジャンクションに着いた。この先,州道17から,さらに州道9へ進むまなければならない。
 時刻は午前8時30分を過ぎていたころだったか?
 とりあえず,ガソリンスタンドに併設されたコンビニがあったので,朝食を買い,それから州道17へ入った。

 今晩のホテルは,この先のハリケーンという町に予約してあった。
 今日の予定は,ザイオン国立公園を見学後,その先のブライスキャニオン国立公園へ行く。そして,翌日,そこから引き返して,再びインターステイツ15に戻り,今度は,今日は知ったインターステイツ15を逆方向に北上して,先ほど通貨したインターステイツ70に入ることになっていた。
 そこで,今晩どこに宿泊すべきか迷ったあげく,ハリケーンのホテルを探しだした。
 ブライスキャニオン国立公園を見学したあとは,インターステイツ15まで戻らなくても,それに平行して走る国道や州道を北上して,インターステイツ70に行くこともできるのだが,一般道を走れば,信号もあり町を通るときは制限速度が遅くなるから,どれだけ時間がかかるのかわからなかったので,時間の読めるインター捨てイツ15を戻ることにしたのだった。
 州道17は片側1車線の道路で,遠くに,メサと呼ばれる,グランドキャニオンのような,頂上が平らで断崖が続く赤茶けた岩山が見られるようになって,いよいよ目指す国立公園はもう間近に迫っているように感じられた。

 ところが,この先が遠かったのだった。
 実は,左の地図のように,インターステイツ15を降りて,州道17に入っても,ザイオン国立公園はまだ遥か先なのであった。しかし,景色が思わせぶりだったことや,このあたりの詳細な地図がなかったこと,さらに,ザイオン国立公園の文字は地図にあっても,どこからアクセスすればいいのかがよくわからなかったこと,そして,駐車場が一杯にならないうちに到着しようとあせっていたことなど,要因はいろいろあるのだが,私は,ここで道を間違えた。
 旅は,その土地を知らないからこそおもしろい。知らないからこそ,行くのである。そして,知らないから,間違える。だから,それもまた一興なのである。そして,そういうときに,思わぬ出会いがあったりもする…。
 だから,間違いを恐れず,旅を続けよう。

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☆3日目 8月4日(月)
 きょうは,早朝にホテルを出て,ザイオン国立公園にできるだけ早く着くことが目標であった。

 ホテルの朝食は,確か午前6時30分からということであったが,ホテルからザイオン国立公園までは400キロメートル,なんと!4時間ほどの道のり(400キロメートルとは,東京と大阪間の直線距離より遠い!)だったから,朝食の時間よりも早くホテルを出発する必要があった。そこで,残念ながらホテルでの朝食はあきらめて,午前6時前には,ホテルを出発した。
 目的地のザイオン国立公園は,インターステイツ15を3時間あまり,ユタ州の南の州境の近くまで行って左折して,さらに1時間ほど行くらしい。ともかく,駐車場が満車になる前に到着する必要があった。

 チェックアウトをしようとホテルのフロントへ降りていったが,フロントのある一角だけは施錠がしてあって,中に入ることができなかった。玄関に回って,チャイムを押したら,しばらくして,ホテルのスタッフが出てきてキーを受け取った。
 早朝のチェックアウトは,ホテルごとにいろいろと違いがあっておもしろい。スタッフが誰もいないということは日常茶飯事で,そうしたときに,キーを返却するポストがあったりする場合はいいほうで,フロントのデクスにキーを置いてそのまま出発したり,中には,どうにもならず,部屋のベッドにキーをおきっぱなしにして出発したこともあった。
 また,やたらとチェックアウトの早い客ばかりのホテルもあれば,その逆もある。

 いずれにしても,この国では,人件費というものがものすごく重くて,サービス業では,手間ひまがかかるということが料金の代償になっているのがとてもよくわかる。だから,食事でも,手間ひまがかかるものの値段は高い。
 勤務時間というものもしっかりしているから,営業時間外に何かをするなんていうことはありえない。逆に,遅刻はやたらと多いけれど…。
 だから,ホテルで手間ひまのかかる朝食をとることのできるところは少なく、たいていは,コーヒーとジュースとパン,シリアルの類であることが多い。フルーツが置いてあればラッキーであり,スクランブルエッグやらソーセージがあれば,宝くじに当たったようなものである。
 私にとって,旅行をしていて食事で一番注意することは,野菜をとることなのだが,そのためには,中華料理がもっとも手っ取り早くて,しかも安価なのである。

 外に出ると,あたりは,まだ,真っ暗であった。幸い,雨はあがっていたようであった。今日の心配は雨なのである。
 ホテルを出て,すぐにあるジャンクションを入れば,そこは,インターステイツ15なので,あとは,ひたすら道なりに南南西に向かって走っていけばいい。
 ゆっくりと車を駐車場がら出して,ジャンクションをインターステイツ15サウスに入った。しばらく走っても,遠くに,対向車のヘッドライトがぽつんと見えるだけであった。やがて,東の空が明るくなってきて,夜が明けた。
 アメリカの夜明けは最高だ。きょうもすばらしい1日になりそうだ。

 NHKBSプレミアムのドラマ「だから荒野」。これは,日本のロードムービーなのだそうです。
 アメリカのロードムービーは,年寄りが若いころに抱いていた夢を果たす旅に出る,とか,若者が人生どう生きるかがわからず自分を探しに彷徨する,とか,そういうアグレッシブなのもが多いのですが,日本のそれは,50歳を目前として人生に疲れこれがラストチャンスとばかりに現実逃避をする,そういうのが多いのです。
 現実からの飛躍と逃避の違いです。
 先日放送された「50歳からのハローライフ」もそうでしたが,そこに登場するのは,仕事オンリーで家庭を省みない旦那と自立できない子供 -というよりも実は親の方が子離れできないのですが- をもつ平凡な日常をおくる主婦です。そして,それを見ている人は,それに同化しつつも自分の方がまだマシだという優越感をもつ,これこそが安心して見ることができるドラマの条件なのです。

 「だから荒野」は,46歳の誕生日を迎えた朋美が家を捨て1,200キロメートルの旅路へ…なんですが,日本のような狭っくるしい国でロードムービーをやっても,1,200キロメートルなんていうのは,車でわずか1日,飛行機ならたった2時間も飛べば着いてしまう,たかがそれだけの距離なのです。

 この物語もまた,安心ドラマの定石どおり,志もなく,平日は仕事・仕事,休みの日は接待ゴルフという亭主と,自分のいうことを聞かなくなった反抗期の息子を持つ,日々の家事に疲れた,自分の人生のない主婦。こうした想定がこれこそ典型的な日本の姿と考えると,まあ,上手に真実を描いているというか,あるいは,これは計算されつくした皮肉というか… 流石です。桐野夏生さん。
 それにしても,私がつねづね思うのは,町を歩いていて目につく,年収の5倍もするのにローンを組んでやっと手に入れた小さな新築の建売り住宅と,その家のささやかな庭に無造作に置いてある子供の自転車…,きっと,そうした家に住む家族が,こうした物語に出てくる登場人物の予備軍なのだということです。
 結婚して,子供が2人,当たり前のように家を買い,いつも帰りの遅い夫と習い事や塾に忙しい子供を待つ,そんな夫と子供のだけの日々の生活に追われているうちに歳をとり,50歳を目前としたころ,夫は振り向かず,子供にはうっとおしがられるようになって,そのとき,はじめて気づいて,これでよかったのかと人生を振り返る…。しかし,そのころには,すでに,親の介護と老後の心配ばかりで,夢も希望もない。

 この物語は,このあと,きっと,さもこうした物語にありがちな,少し意外な出会いや事件が起こりながら展開していくのでしょう。そして,最後には,同じ家に住み,長年一緒に生きてきた家族なのに,それぞれが理解しあえていなかった悩みや夢を抱えていたんだなあということが明らかになって,この家出をきっかけにして,やっとお互いがそれを理解して,結局,家族が支えあいながら生きていかなくてはならないんだよ,そして,それこそが小さな幸せなんだよと悟る… チャンチャン,というのが見え見えなのです。
 私は,原作を読んでいないから,このドラマがそうした結末なのかどうかは知らないし,ひょっとしたら全く違うのかもしれないのですが,もし,私の予想どおりの物語だったらがっかりです。

 だから,そういう結末でなくて,主人公の女性が弾けちゃって,家族を捨て華麗なる飛躍を遂げて,新しい自分の人生に希望を見い出す。そして,捨てられた亭主がすばらしい妻だったということを知らなかったことを,もっと仕事よりも家庭が大切だったということを後悔する,なんていうのを望むのです。
 でも,無理そう…。はじけそうになっても,踏み切れない。そして,踏みとどまってもとの鞘におさまる…のです。だって,この国の農耕民族には,フロンティア精神なんてないし,この国には,ノルマに追われて仕事しかない夫と,他人と比較するしかない妻と,いつも順位で格づけされて受験勉強しかない子供しか,いない。そんななさけない人生なのに,そんな現状を幸せだと感じるように,あるいは,所詮,逃げ場がないのだからそんな現状をあきらめるようにと,そう思いこむしかない。だから,そうした生活の中で愛される物語は,自分たちの姿を肯定する,いや,洗脳するための,きわめて日本らしい,そうした苦労こそが幸せの姿なんだよ,だから,耐えて耐えて辛抱して,そうしたささやかな人生を一生懸命おくろうじゃないかという,人生の応援歌というか,大人の「青い鳥」物語にするしか仕方がないのだもの…。
 そうでない結末を期待していますよ。

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 私は,予約してあったスプリングビレという町のホテル「デイズ・イン」にチェックインした。結構立派なホテルであったが,ホテルの周りに少しだけ店舗があって,あとは,何にもなかった。店舗は,なにやら土産物店のようなお店とバーガーキングとガソリンスタンドとコンビニであった。コンビニにはサブウェイが併設してあった。
 その向こうは,広々とした大地が広がり,もう,店舗どころか家の1軒もなく,遠くには,雄大なロッキーの山々が連なっていた。
 どうです,すてきなところでしょう! と,これは皮肉ではない。本当に,私はアメリカのこういったところが好きなのだ。

 とはいえ,夕食を食べなければならない。選択肢はサブウェイとバーガーキングしかなかった。
 こうしたアメリカのフリーウェイの近くにあるホテルやモーテルには,たいてい朝食のサービスはあるが,夕食を食べることのできるレストランが併設されていることは,まれなのである。また,スーパーマーケットやコンビニに行っても,日本のコンビニ弁当のようなものは期待できないのだ。
 だから,ともかく,食事にありつくためには,ファーストフード店という選択肢しかなくなってしまうことすらある。サブウェイがあっただけマシであった。
 すでにブログに書いたように,今回の旅で走ったあたりには,サブウェイがやたらと多かったし,なんとなく,この日は,ハンバーガーという気分ではなかったから,バーガーキングは候補から外した。
 本当は,デニーズのようなファミリーレストランがあればいいし,中華料理店があればなおよいのだが,どうやら,このホテルの近辺には期待できそうになかった。

 ホテルから出て,雨も上がったので,のんびりと歩いてサブウェイまで行った。
 このサブウェイは,このホテルに入るときに左折した交差点の角のコンビニの一角にあったもので,お店には,親子連れが1組いて,テイクアウトをするところであった。ほかには客はいなかった。
 店員さんの若者は,暇そうだったので,いつものように,「私はサブウェイはほとんど利用しない日本の哀れな旅行者なので,注文の仕方がわからないから,親切に教えてほしい」と言ったところ,非常に丁寧に楽しく教えてくれた。
 そんなわけで,この日は,無事に,自分好みのサンドウィッチとコーラの夕食をとることができたのだった。外は,雨も止んで,明日の天気はどうやら大丈夫そうであった。

 一度ホテルに戻って,明日の予定を調べていたが,1番目の目的地であるザイオン国立公園は,車で公園内をまわることが禁止されている。ビジターセンター脇の駐車場に車を停めて,公園のシャトルバスを利用するというシステムで,だから,駐車場には早めに行かないと満車になってしまうと,「地球の歩き方」に書いてあった。
 そこで,今晩しっかり準備をして,明日の朝は早めにホテルを出発することにした。なにせ,ここから,まだ400キロもあるのだ。
 もう一度ホテルを出て,ガソリンスタンドでガソリンを満タンにした。そして,コンビニで明日のドライブ中に飲む飲み物を手に入れて,つまり,明日の朝は起きたらすぐに出発できるようにして,ホテルに戻った。
 では,おやすみなさい。

 その次の「独立器官」は,それらに比べると,浮世離れしているというか,これこそ村上春樹というか,そういう感じの小説でした。
 でも,この小説の美容外科医というのは,私が同化できる主人公ではなかったです。また,これを読むと,テレビでよくCMをやっているどこぞやのお金持ちの美容整形外科医が浮かんできてしまいました。だから,現実離れしていない,というのは,なんだか,私が難癖つけて絡んでいるみたいです…。
  ・・
 その次の「シェラザード」は,先日見つかったというどこぞやの新興宗教の逃亡劇みたいで,なにか,粗末な逃亡小屋が思い出されて楽しくないと思いました。
 この小説の無機質な住処は,読む人によって,ずいぶん違ったイメージになるでしょう。私には,若いころにひとり暮らしをしていた「〇〇コーポ」みたいなアパートが浮かんできてしまいましたが,みなさんはどうなのでしょうか?
  ・・
 そして,その次の「木野」という短編はいいです。よくわからない結末が,特に,いいです。これこそ人生です。
 この主人公は,結局旅に出ちゃうのです。でも,その旅先は国内なんです。狭い日本なんです。それこそ,ポルトガルのリスボンにでも行っちゃったらいいと思うのですが,どうなんでしょうか? それでは,村上春樹というより五木寛之になってしまいますか?  
 でも,無責任です。この小説には結末らしい結末がありません。きっと,村上春樹という人は,適当に,思ったことを書いているだけで,本当は,結末をどうするかなんて何にも深く考えていないのかもしれない,そう思わせる小説でした。
 もし,推理小説で,伏線ばかり一杯張り巡らして,でも最後まで犯人がわからない,なんていうのを読んだら困るでしょう? でも,これは推理小説ではないし,われわれも,自分の人生の結末をどうるするか,なんて考えながら生きていないでしょう。
  ・・
 蛇足ですが,最後の「女のいない男たち」という単行本のための書き下しは,この短編小説集にはいらないと思いました。

 村上春樹さんは1949年生まれということなので,現在65歳です。この歳で,男と女の物語が書けるというのが,精神的に若いですね。
 若い人が村上春樹さんの小説を読んで,本当の意味,というか,作品のもつ深い味わいが分かるとは,私には思えません。きっと,彼らは,小説の精神的なものよりも,いやらしさの方を夢見ているのです。だから,歳をとって,恋愛してから,というか,人生に冷めてから,もう一度読んでみるといいと思います。
 村上春樹さんよりも若い私ですが,今や,いくら若い女性ても,自分を精神的に刺激してくれるような知的好奇心を持った賢い -賢いというのは学校の成績が良いということではありません- 話ができる人以外には興味はないし,また,同年代は,男性・女性を問わず,その日の忙しさに追われて年をとってしまって人生に疲れた人,プライドや地位だけあって夢のない人,あるいは,人を見下すような価値観の固まった人,他人の噂話だけが好きな人,そういう人と話をする気はありません。歳を重ねたら,それだけ深みと温かみを増さなけりゃ,魅力がありません。
 だから,そうした意味でも,個性豊かな人物が,現実には少ないなあ,だから,うらやましいなあ,というのが,こうした小説を読んで,いつも私の思うところです。
 一時,女流作家さんの小説に夢中になったことがありましたが,結局のところ,物語が他人の触れてほしくないこころやら,外観やら,不合理な心の葛藤やらを描くばかりで,私は,飽きてしまいました。それともうひとつ。老いとの葛藤ばかりなんです。
 今,朝日新聞の朝刊で連載されている林真理子さんの「マイストーリー」という小説も,また,そんなところです。業界の裏話ではじめは面白かったのですが…。
  ・・
 いずれにしても,夜,お酒でも飲みながら,静かに,あるいは,ジャズやクラシック音楽でも聞きながら本を読む,そんな自分の時間を楽しむことのできるような小説を,これからも書いていただきたいものだと,私は思います。
 次作は,「男のいない女たち」でどうでしょうか。

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 村上春樹さんの「女のいない男たち」という短編小説集を読みました。
 私は,村上春樹さんの小説は長編よりも短編の方が好きです。村上春樹さんは,本人いわく「平易で親しみやすい文章」を書くことを意識しているということで,これは、アメリカ作家のブローティガンとヴォネガットからの影響だということです。それに対して,作品のストーリーが難解だとされることに対しては,一辺倒の論理的な読解ではなく、「物語を楽しむ」ことがなによりも重要なことだという話です。私は,難解さというよりも,物語が好き勝手に展開してもそれがうまく終結しない,ということだと思うのですが,それこそが,人が生きているということを表しているのだと思います。人生など,安っぽいドラマのような結末があるものではないですから。

 小説に描かれる「独特の無国籍さ」がなによりたまらないという人は多いと思うのですが -私もそのひとりです-,そうした独特の感覚が,あるときは夢を見ているような気分になり,また,別のあるときは日常を離れて知らない土地に旅に出ているような気分になったりする,そういった素敵な広がりを読者に与えるのでしょう。
 ただし,私には,日本のある地方都市のそのまたある喫茶店や居酒屋が出てきたり,ちょっとしたポピュラーでないクラシック音楽がでてくることは,無国籍さというよりも,ある種の「ダサさ」に思えてしまうので,残念な気がしています。
 そのことは,村上春樹さんの責任ではなくて,私自身の問題なのですが…。
 というのは,えらそうにいうと,書かれているところに実際行ったことがあったり,あまりポピュラーでないクラシック音楽でもしっかり知っているからで,だから,私がそれらを読んでも無国籍な雰囲気にならないわけです。それよりも,むしろ,ポルトガルやニューヨークのそれもブルックリンあたりのうらぶれた下町(近頃のニューヨークはそんな雰囲気でなくなってしまったのですが…)の居酒屋でも舞台にしたほうが望ましいのです。そして,クラシック音楽よりも,ジャズやらブルースですね。
 まあ,それはそれとして,この短編小説は,全体として,大変楽しく読むことができました。

 はじめの作品「ドライブ・マイ・カー」は,私には少しだめでした。
 主人公の家福という男は,もし,私の周りにいても友人にはできそうにないし,ドライバーのみさきという女性がヘビースモーカーというだけで,私には100パーセント受けつけませんでした。小説全体がタバコくさくなってしまうのです。
 だから,これでは無国籍小説になりえません。
 もし,このみさきがタバコなぞ吸わずなにか特異な才能を隠し持った女性だったら,どんなに魅力的だったか,と残念に思ってしまいます。私は,映画とかテレビドラマでも,タバコを吸うシーンが出るだけでダメなんです。
  ・・
 次の「イエスタディ」は,私にはよかったです。
 栗谷えりかという女性がすてきです。齢をとっても楽しくおしゃべりできそうです。一緒にお酒を飲んていても,いつも少し距離をおいてくれそうで安心できます。ついうっかりのめりこまないし…。
 しかし,こういう女性は,残念ながら,本当の恋愛を知らないで一生をおくるのです。それはこの女性にとれば不幸ですが。やはりこの小説でもそういう女性に描かれているでしょう。
 ただし,後に,コロラド州デンバーでえりかの恋人? だったアキくんが寿司寿司職人になる,という展開は,遠い手の届かないところ,というイメージなのでしょうが,私は,昨年の夏にデンバーの日本人街に行ったから,身ぢかすぎて,これも無国籍小説になりえないのが残念でした。読んでいても,サクラスクエアなんていうダサい名前のデンバーの生々しい景色が浮かんできてしまいました…。

 以下は明日です。 

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 なんだかよくからなくなってしまったけれ,ともかく,インターステイツ15が,駐車した場所よりも西にあることだけはなんとなく思い出せたので,車を西に向けて走らせた。
 これを書きながら,ストリートビューで確かめていると,どうやってその場所まで市街地を走ってきたかがやっと思い出せたのだが,そのときは,完璧にそれを忘れてしまっていた。左の地図の赤いラインが私の走ったところだったのである。こうしてあとで振り返ってみると,単純な経路だったのである。

 インターステイツ15に戻るために手さぐりで西に向かって進んだ進路を,これもまた,今,ストリートビューで見てみると,私がこのとき走った道路は,ストリートビューが掲載された時点では,まだ建設中であったから,私は,ストリートビューが写されたあとで,完成したばかりの道路を走ったことになるのだった。
 そんなわけで,手さぐりで,西に進んでいったのだが,来たときとは違う道を進んでいたわけだから,全く見た覚えのない景色が広がっていた。
 走って行く途中に,電車の線路があった,私はそれを高架で越えた。そうしたら,インターステイツ15は右折という道路標示を見つけたので,そこを忠実に右折した。すると,車は住宅街に入ってしまった。こんなところは行きに来たときには通っていないなあ,と戸惑いながらも,そのまま北上していくと,やがて,その先に,インターステイツ15のジャンクションがあったので,なんとか無事にインターステイツに入ることができたのだった。  
 このようにして,私はインターステイツ15にたどり着いたのだが,地図でおわかりのように,来たときとは全く違うルートを走ったことになったのだけれど,その時は,何がなんだかよくわからなかったのだった。

 さて,インターステイツ15に戻ることができたから,ここからは,再び,南に向かって走っていけばよかった。しばらくそのまま行くと,やがて,ソルトレイクシティの郊外になった。郊外といっても,ずっと住宅地が続いていていて,時折,車窓からホテルの灯りを見ることができたりしたので,ここあたりに予約しておいてもよかったなあ,と思いながら走っていた。
 次第に,夕暮れになってきたが,インターステイツを走りながら迎えるアメリカの夕暮れというのは,町並みが遠く,景色が雄大だから,独特な旅情をそそるものである。私が,日本で星を見て,夜明けの高速道路を走るのが好きなのは,どうやら,これと似た感じだからであろう。どうして,夕暮れでなく夜明けかって? 日本の夕暮れなんて,車が多すぎて,旅情なんてあったものではないだろう。
 さらに走ると,これまでずっとよい天気だったのに,にわかに曇ってきて,やがて,大粒の雨が降ってきた。そうして,雨が降ったり,時折やんだりする中を,1時間も走って行ったであろうか。右手にユタ湖という大きな湖が見えてきて,ちっとしたリゾートになった。そして,それが過ぎたころに,やっと,私の予約したホテルのあるスプリングヒレという町のジャンクションにさしかかった。
 私は,ここでインターステイツを降りた。降りてすぐに,ガソリンスタンドのある交差点を,また,左折をすると,予約したホテル「デイズイン」に着くことができた。これは,きょう,家を出る前にストリートビューで調べてあった景色とまったく同じであった。
 雨がけっこう強く降ってきたので,なるべくホテルの入口近くに車を停めて,走ってフロントに入って行った。

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 これまでにも何度かこのブログに書いていますが,,彗星は,主に氷や塵などでできている直径数十キロメートルほどの小天体です。その大元は,太陽系の周りはるか遠くを回っていますが,何かのきっかけで太陽の引力に引き付けられると,太陽に接近して,大気であるコマやコマの物質が流出した尾を生じて,明るく輝きだして,地球上からも見ることができるようになります。
 流星(流れ星)と混同されがちなのですが,彗星の見かけ移動は日周運動にほぼ等しいために,流星とは違って,おおよそ,尾を引いたまま天空に留まって見えます。あまりに地球に近いと,見ているうちに少しずつ恒星の間を動いていくものもありますが,いずれにしても,流星のように,す~っと流れるものではありません。

 肉眼で見ることのできるような明るい彗星は,数年に1個です。
 2013年の年末には,アイソン彗星がかなり明るくなるといわれ,期待されましたが,残念ながら,太陽に接近したときに消滅してしまいました。
 それから1年。
 うれしいことに,現在,オーストラリアのアマチュア天文家ラブジョイさんの発見した5個目の彗星(C/2014Q2 Lovejoy)が,いい意味で予想に反して,肉眼で見られるほどに明るくなりました。しかも,彗星は,夕方や明け方だけ見られるものや南半球でしか見られないものが多いのですが,この彗星は,日没からずっと空高く見ることができるのです。

 まさに,お正月の贈り物です。

 この彗星が明るくなるだろうということは,すでに,年末に書きました。そのときの写真も載せました。その後の彗星がずっと気になっていたので,年が明けて,満月を過ぎて,月の出が遅くなり,快晴の夜空が予想がされた昨晩,私は,期待をもって,少し暗いところまで見に行きました。
 彗星は,思った以上に明るくなっていて,大変驚きました。2週間ぶりの対面でした。
 これもすでに紹介しましたが,このラブジョイ彗星は,2014年8月17日にラブジョイさんが発見した新彗星で,アイソン彗星と同じころに見えていたラブジョイ彗星(C/2013R1 Lovejoy)とは別物です。
 発見当初は14.8等というものすごく暗いものでしたが,2015年1月7日には地球へ0.47AU(太陽と地球との距離の0.47倍)まで接近しました。そして,1月30日には,太陽にもっとも近づきます。彗星は,太陽に接近すると刺激されて,明るくなり,尾もだんだんと長くなってきます。
 この彗星は,空の暗いところでは,現在,肉眼でも普通の星より淡く綿菓子のような感じで見ることができます。アンドロメダ座の大星雲より明るく見えます。双眼鏡を使うと,ちょっぴり尾を見ることもできます。肉眼や双眼鏡で探すときは,モヤモヤしたとらえどころのない,丸くボーツと光る天体を探してみましょう。
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 今日の写真は,1月12日の午後10時頃に撮影したものです。
 1番目の写真は50ミリレンズで写したもので,右上のプレアデス星団と呼ばれるM45と左上のヒヤデス星団と呼ばれる「V」字をした星団を2頂点とした正三角形の下(南)側の三つ目の頂点あたりにあるのが彗星です。肉眼でもちょうどこんな感じで見ることができます。
 そして,2番目の写真は,焦点距離500ミリの望遠鏡で写したものです。見事な尾をとらえることができました。
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 彗星は,このあと,オリオン座の東側を北に,エリダヌス座,おうし座を通っていきます。地球から遠ざかるにつれて次第に暗くなっていって,おひつじ座,さんかく座を通過し,アントロメダ座に入ったところで2月になります。
 まだまだしばらくはは肉眼でも見ることができるでしょう。月も次第に新月になっていくし,冬の夜空は空も澄んでいるので,一度肉眼で彗星をご覧になってはいかがでしょうか。

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 ツアーの参加者は10人ほどであった。エレベータに乗って屋上まで行くと,なんと,ビルの屋上だというのに,庭が広がっていてびっくりした。一番上の写真がそれである。とても屋上とは思えないであろう。
 この建物はそれほど高いものでもなかったが,思った以上に見晴らしがよくて,遠くには雪をかぶった山々がそびえていた。そこで冬季オリンピックが行われたということであった。

 ツアーのガイドをしてくれた背の高い初老の紳士に,オリンピックが行われたのはどこですか? と聞いたのだが,こちらでは,オリンピックという言葉ではなく,ウインターゲームと聞かないとピンと来ないらしく,単にオリンピックといえば,夏の大会のことになってしまうようだということを知った。
 私は,アメリカを何度も旅行するうちに,こういうツアーに参加するのも慣れてきて,初めのうちは端っこの方で小さくなっていたが,今では,ガイドに話しかけたり,ツアーの参加者と雑談できるようになってきた。こうしたツアーに参加している人は,当然,旅行者が多いわけで,だから,私が日本から来た,ということが,彼らの一番の関心事になるから,下手な英語でもちゃんと聞いてくれるわけである。

 やはり,英語は,使って覚えるものだ。
 アメリカを私のように自由きままに旅行をすると,食事を注文するにも,積極的に話かけて,自分の好みを伝える必要があるし,こうしたツアーでも,日本と違って,積極的に話をする必要があるから,おじけづいていると,楽しさよりもストレスだらけになってしまうのだ。
 だから,車に乗らず,英語を話さない(中学校から勉強しているから,「話せない」のでなく「話さない」のだ)となると,アメリカを自由旅行することは敷居が高いのである。
 テレビの,アメリカを旅行したり何かを学ぶために留学したりしたタレントをゲストにしたトーク番組で,聞き手が必ず聞くのが「言葉は大丈夫だったのですか?」という質問である。これは,考えてみればおかしなことである。中学校から,いや,近頃は小学校から英語を勉強して学校を卒業した大人に,英語はできますか? という質問をするわけだからである。
 運転免許を持っている人に,車は運転できますか? と聞くのと同じなのである。
 これは,日本の教育というのは,何も学べないということがみんなの暗黙の了解になっている,ということなのである。だったら無駄である。
 
 閑話休題。
 ツアーガイドの紳士や,一緒に参加した人たちと楽しく語らい,屋上での美しい景色を堪能して,我々は階下に降りて,このツアーは終了した。このようにして,あまり時間がなかったのだが,ともかく,私は,ソルトレイクシティの見どころには行くことができた。
 今,これを書きながら,ソルトレイクシティの地図を眺めていると,まだまだおもしろそうなところがたくさんあることを知った。私は,2017年8月21日,アメリカ横断皆既日食を見るために,再びアイダホ州に行くから,その時,再び,ソルトレイクシティに行って,今回行くことのできなかったところへも行ってみようと思っている。

 時間も遅くなってきたので,車を停めたところまで戻って,インターステイツ15を走って,予約したホテルまで急ぐことにした。
 車を停めた道路は,ツアーに参加したビルの裏手だから,すぐに着いた。
 私は,車を走らせる前に,地図でインターステイッ15に戻る道を調べた。ところが,どういうわけだか,どうやってここに来たのか,この時にはすっかり頭から抜けていて,しかも,今いる場所がソルトレイクシティの広い市街地のどのあたりなのかさえ,さっぱり思い出せず,地図をみても,自分のいる場所すら分からず,だから,インターステイツ15に戻れなないでいたのであった。
 頭の中が白くなる,とはまさにこのことであった。
 なにせ,この場所がインターステイツ15の西側なのか東側なのかさえ頭からすっぽり抜けていたのだから,始末に負えない。まったくもってひどい話だった。 

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 先週はいらなかった「花燃ゆ」。こんなことなら,第2回からはじめればよかったのです。
 第1回は視聴率が悪かったそうです。私は,自分が見ていておもしろければそれでいいので,視聴率なんてどうでもよいのですが,それは別としても,第2回は,第1回とは違うドラマみたいでした。
 第2回は,まるで「篤姫」でした。それは,長塚京三さんのせいでしょうか…。そうそう,これでいいのです。井上真央さんは,以前,連続テレビ小説「おひさま」で,私が惚れ惚れとしてしまう素敵な女性・陽子を演じていましたが,このドラマでもそのままでいいのです。
 それに,どうして寅次郎が脱藩したか,なんていうことを,まともに描いていたら,ドラマが進みません。でも,本当は,このことこそ,寅次郎の思想をすべて物語ることがができる出来事なんですが…。

 私の愛した1977年の大河ドラマ「花神」では,篠田三郎さん演じた吉田松陰寅次郎は,ストイックな性格であっても一途で暗くなく,中村雅俊さん演じた高杉晋作と,秋吉久美子さん演じたその妾人おうのは,その存在感が抜群でかっこよかったのでした。そして,最高だったのは,もちろん中村梅之助さん演じた村田蔵六でした。学者肌で天才で,私はあこがれてしまいました。
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 「花燃ゆ」,このドラマを「幕末の青春ドラマ」というのなら,暗かったり,しごきがあったりしてはいけないのです。
 青春ドラマは湘南海岸を夕日に向かって駆けなければいけないのです。「俺は男だ!」なのです。
 その点では,玉木文之進が史実でどれだけ厳しかったにせよ,第1回のあれはいけません。ああいうのは,ドラマを暗くします。だから,壇ふみさん演じる杉滝の役割は重要なのです。その点では,明るくて優しくて素敵なお母さんでした。
 ともかく,明るく,スピーディで,元気の出るドラマを期待します。
 また,井上真央さんを引き立てるために,そして,このドラマを,さらに「おひさま」と「篤姫」みたいにするために,樋口可南子さんの出演を待望します。なんて…。

 私は,学生のころ,だから,もう40年近くも前に,生まれてはじめてのひとり旅で,長州・萩に行きました。当時の萩は,とてもすてきなところでした。私は,宿泊したユースホステルから指月城まで夜明けの町をサイクリングしました。現在はどうなっているか知りませんが,あのころは,落ち着いた静かな,それでいて,きちんと町並みが保存された所で,観光地,という意識ありありの飛騨高山とは全く正反対の,気品のただよう町でした。
 幕末ドラマというと,いつも,その時の萩の町並みを思い出すわけですが,それは,まさに,私の青春ドラマそのものでした。
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 私には,長州人というものも,明治維新というものも,それを書くだけの知識も能力もありません。ただひとつ思っているのは,明治維新という初速度で投げ出されたボールが落ちてきたのが太平洋戦争で,太平洋戦争というのは明治維新の必然的な到達点だということです。
 だから,明治維新を手放しで賛美しようとは思わないのですが,それでも,あの時代,つまり,徳川幕府が国ではなく -そもそも日本国という概念がどこまであったのかという議論もありますが- 徳川家を守るための政権にすぎなかった,そんな体制の日本をぶっ潰したという若者たちのエネルギーは,とてつもないものだっただろうということです。それだから,また,それをやり遂げた日本人というものの怖さも感じるのです。

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 先日惜しくもお亡くなりになった赤瀬川原平さんの書いた「新解さんの謎」は,確か,もともとは文芸春秋に載ったものだと記憶しているのですが,かなり話題になって,単行本となりました。その後,今度は,「 辞書になった男・ケンボー先生と山田先生」という本が出版されたり,そしてまたNHKの番組になったりと,辞書に関するおもしろい話題には事欠きません。
 それに影響された私の家にも,「新明解国語辞典」は第1版からすべて揃っています。
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 そんな折,「〈辞書屋〉列伝」という中公新書が出版されました。
 認識不足の私は,この本もまた,それと同じ類のものだと思ってしまっていたのですが,読んでみて,それは大いなる誤解だと知りました。
 この「〈辞書屋〉列伝」という本は,世界各地で出版された辞書の,編集に関するさまざまなドラマについて書かれた素晴らしい本でした。
 というわけで,きょう話題にするのは,この本に書かれたものの中から,私が一番面白いと思ったヘブライ語についてです。
 私は,この本で,ヘブライ語大辞典を編集したエリエゼル・ベン・イェフダーという人の物語を知って感動しました。それとともに,言葉,というもの不思議さと重さを改めて知りました。

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 ご存知のように,ヘブライ語というのは,現在のイスラエルの公用語なのですが,ほんの100年前には,この言葉は,一度は死語となっていたのでした。
 もともとヘブライ語は旧約聖書の時代に話されたユダヤ人の言葉でしたが,国が滅んだことによって、ユダヤ人は世界各地に散り散りになりました。そして,彼らは、ヘブライ語に代わって,自分たちの住む国の言葉を日常会話で話すようになりました。
 ただ,毎週土曜日ユダヤ教会堂(シナゴーグ)に行くときは,ヘブライ語の祈祷文を読んでいました。このように,ヘブライ語は日常会話からは絶えてしまいましたが、ユダヤ人の生活の中に宗教用語として命脈を保っていたのです。また,ヘブライ語は色々な文学作品、聖書注解などの中にも生き残っていました。
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 そんな一度は日常生活で死語となったヘブライ語に再び命を吹き込んだのが、エリエゼル・ベン・イェフダーという人だったというわけです。
 彼は,生まれたときから自分の子供にヘブライ語で会話をすることをはじめたり,ヘブライ語の新聞社を設立したり,昔のヘブライ語になかった新たな言葉を作ったりして,日常会話としてのヘブライ語の普及に努めました。こうした彼の努力によって,ヘブライ語は古代語から日常語として甦り、ユダヤ人の国造りに大きく貢献したのでした。
 それは,いわば,ラテン語を日常会話によみがえらせるようなことなのです。そんな途方もないことを彼は可能にしたのです。一度は使われなくなった言葉が偉大なひとりの人間の努力によってよみがえるなんて,すごい奇跡だと思いませんか?

 世界中で話されている英語ひとつ満足にマスターできない我々には信じられないことです。
 どうやら,この国(日本)の人は,「言語」というものを根本的に誤解しているようだと,私は思うのです。いつも書いていることですが,外国語というものを,人と人とのコミュニケーションの手段ではなく,人の順位づけや入学試験で受験生を選別するための手段として利用しているだけなのです。そして,ゴミにたかる蠅のように,これをビジネスとして利用しているだけなのです。
 そもそも,人間の財産である「言語」を,このような目的で利用すること自体が根本的に間違っています。私は,この本を読んで,そのことを,改めて,確信したのでした。

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 車を停めたところがどこだかあまりよくわからなかったが,とにかく,大きな建物の北側の道路だったので,私は,そこから南に向かって歩いて行った。すると,日本によくいるモルモン教の宣教師さんのような風采の若者が歩いてきたので,「地球の歩き方」の中のソルトレイクシティのページにある地図をみせて,今どこにいるのか聞いてみた。
 彼は,地図を上にしたり横にしたりしながら,-なにせ,地名が日本語で書かれているわけだから- しばらく考えて,ここだと親切に教えてくれた。
 どうやら,南に1ブロック行けば,めざすテンプルスクエアにたどりつけるようであった。

 テンプルスクエアには,モルモン教のビジターセンターがあった。ビジターセンターは北側と南側にふたつあるらしい。
 私は、北側の門から入ったので,門を入ってすぐの右手にあったビジターセンターに行った。
 入口を入ると,広いホールになっていて,カウンタで,日本語のパンフレットはありますかとたずねると,そのカウンタのところに大勢いたいろいろな人種の信者さんたちのうち,インド人のような感じの人が対応してくれて,日本語の本があるから待っていてね,と言われた。しばらく待っていると,奥から,表紙に「モルモン書」と書かれたB6版のちょうど参考書程度の厚みのある本をくれた。この本は,今でも,私の部屋に鎮座ましましている。

 ビジターセンターの中は,壁に大きな絵がたくさん飾ってあって,それらは,モルモン教の歴史がわかるようになっているということであった。上の階に上ると,白い像があったり,宗教に関する展示があった。また、大きなガラス張りの窓からは,隣の教会が見えるようになっていた。
 この教会は,信者の人しか中に入ることができないということであったが,ビジターセンターには,教会の中がわかるような模型が展示してあった。
 このビジターセンターを出て、南に行くと,もうひとつのビジターセンターがあったので,中に入ってみたが,先ほどのビジターセンターと同じようなものであった。

 ソルトレイクシティの見所は、そのほかには,教会本部ビルの屋上からの眺めだと「地球の歩き方」に書いてあった。そこで,次に,そこに行こうと思ったのだが,あいにく,この日は日曜日で閉まっていた。
 どうしようかと,テンプルスクエアを出て,北側の歩道を歩いていると,その歩道の北側のカンファレンスセンターというビルの屋上に大勢人がいるのが見えたので,お休みだった教会本部ビルのかわりに,その屋上に行こうと思って,ビルに入り口まで行った。屋上に行けますか,と聞いてみると,ガイドツアーに参加してください,と言われた。
 ちょうど今,ツアーがスタートしたところだから,そのツアーの後ろをついて行けばよいとのことであった。
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 ツアーでは,まず,建物の中のコンサートホールを見学した。私は,そのコンサートホールの説明の終わりのころにツアーに参加したから,このホールについはよく知らない。
 そして,建物を出て,エレベータに乗って,念願の屋上に行くことができたのだった。

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 インターステイツ15の左手の小高い丘に,ユタ州の州会議事堂が見えてきた。
 アメリカの州都の中央にそびえるドームは,教会ではなくて,州会議事堂であるから,それをめざして行けば間違いはない。インターステイツから都会が見えてきたとき,降りるのが早すぎても遅すぎても降りてから大変なのである。
 私は,道路標示を見ながら走って、ソルトレイクシティの町の中心であるテンプルスクエアへ行くことのできる305マイル地点の出口で,インターステイツを降りた。
 道なりに州道400を東向きに走って行って,左手に,先ほどインターステイツから見えた州会議事堂が再び見えてきたので左折をした。
 さらに車を走らせていくと,どうやら,そのあたりが,ソルトレイクシティの中心であるらしかった。
 この都市は,昨年の秋に行った鹿児島市になんとなく似ているなあ,と思った。

 実は,今,グーグルマップとストリートビューを見て,行ったときのことを思い出しながら,これを書いているのだが,市街地の場所が,私が旅行中に思っていた場所とはえらく違うのにびっくりしている。
 というのも,このときは,あまり時間がなかったので,ソルトレイクシティについては,「地球の歩き方」に載っていた見所だけを大急ぎで回ろうと思っていたからで,私は目的地以外の場所については,その位置関係をほとんど理解していなかったのだった。
 ソルトレイクシティの空港も,テンプルスクエアのもっとずっと北にあるものだと思っていたが,北どころか西ではないか!

 ともかく,ソルトレイクシティの中心街で一番困ったのが駐車場であった。
 アメリカでは,道路沿いに駐車帯があって,そのほとんどはコインパーキングなので,とりあえずはそこに駐車して,付近を少し散策すれば,土地勘ができて,なんとかなっていく。だから,目的もなく車を走らせるのではなく,とにかく一度,車を停めることが,都会を観光するポイントなのだ。
 ところが,このソルトレイクシティでは,駐車スペースはコインパーキングではなく,アプリをスマホにダウンロードして,アプリから決済をするという画期的なシステムだったのだ。
 これには参った。外国から来た観光客のことなど全く考えていないわけだ。
 私は,テンプルスクエアのまわりの道路をくるりと回ってみたが,どこもそんな感じであった。

 さらに外周を大回りすると,少し中心街を離れるだけで,ほとんど車がいなくなって,有料の駐車場もあったのだが,そこにはほとんど車が停まっていなかった。また,このあたりの道路沿いは,2時間に限り駐車可であることがわかった。
 そこで,私は,この2時間駐車可のところに車を停めて,とにかく,少し歩いて見ることにした。
 車を停めたところを忘れないように,念入りに付近をチェックして,車から外に出た。

◇◇◇
私は,アメリカでよくある「2時間無料駐車可」の意味がよくわかりません。わからないというのは,どうやって2時間というのを測っているのか,ということと,2時間を越えたら即駐車違反になってしまうのか,ということです。
このことは,コインパーキングも同じことで,こちらは時間は正確だけれど,2時間分のコインを入れて,もし,それを越えたとき,さらにあとで追加のお金を入れればいいのか,即座に駐車違反になってしまうのか? そういう案配がよくわからないのです。
現地の人に聞いても,アメリカ人というのはこういうことに非常にいい加減だから,人それぞれ,違う意見を持っているのです。ただ,共通しているのは,違反は絶対しちゃいけない,という意識です。
ネットで調べてみたら,次のような記事が見つかりました。
  ・・・・・・
駐車禁止の道路で運転者が車から離れていれば即違反成立,パーキングメーターも1分でも超過していれば違反を取られます。反則金額は通常10ドルから30ドル程度で大したことはないですが,ボストン市内では55ドル、ニューヨーク市内では場所によりますが,マンハッタンのど真ん中なら最高200ドルに達します。1回切符を切られても同じところに駐車し続けると2回,3回と違反切符を追加されるので注意してください。
反則金を払わないと遅延の加算金が追加されます。
レンタカーを借りて,反則金を払わずに日本に逃げ帰っても,レンタカー会社に請求が行ってクレジットカードから引き落とされてしまうらしい(しかも、遅延の加算金を取られる)ので要注意です。
  ・・・・・・
さらに,
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ハンデキャップスペース(車いすのマークがある場所)に普通車を駐車した場合,ものすごく多額の罰金を払わなくてはなりません。公共施設やスーパーマーケットなどの駐車場でも違反切符が切られるので普通車は絶対に駐車しないように しましょう。
州によって異なりますが、この場合の罰金額は350ドル前後だそうです。
  ・・・・・・
ということです。
本当の法治国家アメリカでは,日本とは「いいかげんさ」の程度が全く違うので,日本でこういういい加減なことをしている人がアメリカをドライブするととんでもないことになるかもしれません。特に,日本で,平気でハンデキャップスペースに車を停めるような人は…。

 そして,「京都人の密かな愉しみ」は,非常にすてきな番組でした。
 この番組は,一見さんでは訪れることのできない非公開の庭園,ごく限られた人しかめでることのできない国宝級の掛け軸など,千年の都・京都には一見さんではわからない,伝統と文化,そして美が今も折り重なっていて,こうした町の美しさ磨き抜かれた生活文化の深さを京都人の側から描くインサイドストーリー,なのだそうです。そして,ドラマとドキュメンタリーで「京都人が愛する京都」を描いたものなのだそうです。
 …といわれても,何が何だかわりません。
 私は,題名と「京都」という言葉にひかれて見はじめたのですが,はじめのうちはなにがなんだかよくわかりませんでした。
 プロデューサーさん曰く,「ドラマと現実とがごっちゃになったような…フィクションとノンフィクションの境界があいまいで…。でも,京都の魅力を知るガイドのような楽しさもあり,人間ドラマとしてもおもしろいんですよ」とのことでしたが…。

 内容は,主演の常盤貴子さんが老舗和菓子屋の若女将役で,この部分は当然フィクションなのですが,季節の誂えの和菓子を作るところは,本物の老舗和菓子屋の工房で撮影されたものだし,常盤さんの後ろで作業をする職人さんたちもみんな本物が登場というように,「あいまいさ」をあえて狙いにしている番組でした。
 そして,番組にはいくつかの興味深いドラマが重なり合っていて,そのドラマの中で,井上八千代さんなど本当の京都人が出て来たりするのです。また,ドラマのストーリー自体も,取材に基づく実話がベースとなっていて,セットや作り物ではなく,「ほんまもん」の中で実際に撮影をしているというわけでした。
 だから,ふだんは非公開の名庭園の紅葉や,国宝級の掛け軸や絵など,千年の都に蓄積されてきた「美しさ」が番組の随所で紹介されていて,そのことが,華やかで美しくたおやかで魅力的な番組になっていたのでした。
 つまり,どこまでが真実でどこからがフィクションなのかがいい意味でよくわからないという趣向なのでした。

 あの,敷居の高い京都に入り込んで取材をしたりロケをしたりと,きっと,制作にはものすごい苦労があったことでしょうし,また,必要以上に凝った映像が,この番組を作った人の,いい意味でのプライドを感じさせてくれました。
 京都に行くよりもずっと京都に行った気持ちになった,そんなすばらしい番組でした。
 また,その反面,私には,京都には住めないなあ,京都というところは,よそ者にはある距離以内には近づいてはいけないなあ,日本人というのは,とかく面倒だなあ,という,そういったネガティブな気持ちにもなりました。
 これもまた,「せこさ」 -そうか,京都の人のいう「いけず」というのはこの「せこさ」の代わりなのか! ちょっと意味は違うけれどね- とは真逆な,でも,きっとその根っこは同じである日本人のもつ特性の一面なのでしょうか。

◇◇◇
このドラマに出てきた,雲龍院さんのブログ「京都雲龍院 寺庭婦人のブログ」に,ドラマを撮影したときの裏話が書かれてありますので,ご覧になるとおもしろいでしょう。

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 「100分de日本人論」は,様々な名著を読み解くことから,第一線で活躍する中沢新一さん,松岡正剛さん,斎藤環さん,赤坂真理さんの4人の論者が,日本人について多角的に分析して本質に迫る,という番組でした。 
 九鬼周造「『いき』の構造」からは,日本人の美学を,折口信夫「死者の書」からは,日本人の感受性を,河合隼雄「中空構造日本の深層」からは,日本人の心のかたちを,鈴木大拙「日本的霊性」からは,日本人の根源にあるものを読み解いていきました。
 こういう番組は敷居が高く,見る意欲がなかなか湧かないのですが,一旦見ると,いつも釘づけになります。そして,見てよかったと思うのです。今回もそうでした。
 私は,この番組を見て,やはり,優秀な人は違うなあ,と感服しました。
 私がずっと思っていたこと,昨日書いたような「怖さ」についても,明確に分析していました。それと共に,私が感じていたことは,決して的外れなことではなかったのだなあ,と意を強くしました。そして,改めて,これまでの歴史が物語る日本人のある種の脅威を,再び感じました。
 1日に総合テレビで再放送されていた「カラーでよみがえる東京~不死鳥都市の100年~」が,私が恐れる日本人の持つ脅威について,さらに再認識させられることになりました。1943年,学徒出陣の壮行会が行われた,まさにその場所で,21年後,東京オリンピックが行われ,また,新たなオリンピックが行われる……。涙が出ます。
 ただし,「100分de日本人論」の論者の人たちが,そうした脅威を何か他人事のように語っていたことにもまた,衝撃を受けました。きっとそれは(日本人は所詮はそんなもんだというような)全てがわかってしまった上でのあきらめなのでしょう。それとともに,もし将来,憂慮していたことが再び起きたときには,こんな冷静な分析は何も役に立たないのだなあ,という無力感を感じました。

 「新春お好み囲碁対局」は,王立誠九段・景怡二段,武宮正樹九段・陽光五段,小松英樹九段・大樹初段,小山栄美六段・空也初段の4組の親子棋士が,2015年にちなんで15路盤で対局するペア碁マッチでした。そして,対局の合間には,今だから話せる「マル秘親子トーク」というおまけコーナーがありました。司会の吉原由香里六段はやはり上手です。彼女が棋士としてデビューした確か10代のころは,非常に「生意気さ」が鼻につく女性だったのですが,現在は,そんなかけらはみじんもありません。えらいものです。そして,彼女は強いのだから,実に困ったものです。
 将棋にも同じような番組がありますが,こういうお好み対局は,将棋よりも囲碁の方がずっとおもしろいです。9路盤,13路盤,そして,今回の15路盤と,いろいろめずらしい試みができるし,ペア碁とかチーム碁とかいう工夫ができます。そして,強い人の「強さ」というものが素人の私にもとてもよくわかり,感動します。プロ棋士にタレント性が高く,解説が面白いのも,また,その魅力の一因なのでしょう。

 将棋の方は,はるか40年近く前1978年の,升田幸三九段と加藤一二三棋王のお好み対局以来,お正月の企画として面白い番組がないのは残念です。
 どう見せる工夫をしてもイマイチなのです。特に,近ごろは,プロの公式戦もやたらとマニアックで,素人がおもしろいと感じるものがありません。近ごろの将棋番組で私がおもしろかったのが,Eテレの日曜日に放送している「将棋フォーカス」の中で取り上げられていた升田幸三九段の昔の好局の解説だけだったというのも悲しい話です。そして,話題といえば,人間対コンピュータの対局ということなのが情けない話です。
 この人が対局するから見たいというような,羽生善治名人以外にスター性のある棋士がいないというのも問題ですし,内輪もめをしていないで,女流棋士と仲よくしないといけません。また,名人戦などの中継でも,素人がわからない序盤や手が進まない中盤とその解説を長々と放送したって興味をなくすだけで,映像として一番おもしろい終盤戦を中継しなければ意味がないのです。
 将棋の中継は,私には「将棋界の一番長い日」の午後11時過ぎの死闘だけが楽しみです。
 なにか打開策を講じなければ,将棋は滅びます。

 「京都人の密かな愉しみ」は,また明日書きます。

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 今年は,雪のお正月でした。
 このブログで書いているように,私は,アメリカ旅行をすることと星空を見ることと,そして,京都をきままに旅行すること,それ以外は,クラシック音楽を聴きながら読書三昧という生活にすっかり満足しているのですが,昨年は,日本人の「せこさ」というものに,いささかげんなりしていました。私は,日本人の本質は,「おもてなし」ではなく,「せこさ」だと確信した年でもありました。そこで,この季節は,そんな自分の精神状態をリセットしようと,のんびりとテレビ番組を楽しみました。
 1日は,CNNでニューヨーク・ブロードウェイの年越し(ニューヨークの年越しは日本時間で1日午後2時)の中継をずっと見ていました。それ以外にお正月のテレビ番組で私がおもしろかったのは,2日のEテレ「100分de日本人論」,3日のEテレ「新春お好み囲碁対局『息はピッタリ!?15路盤・親子棋士ペア碁マッチ』」,そして,NHKBSプレミアム「京都人の密かな愉しみ」でした。
 テレビ番組のことは,明日書きます。きょうは,日本人の「せこさ」についてお付き合いください。

 私がげんなりとしていた,日本人の「せこさ」というのは,たとえば,次のようなものです。
 9時からのテレビ番組があるとします。そして,ふたつの局がともに同じようなニュース番組をやるとします。そのとき,ある局が,番組を見てもらいたいという理由で,番組の開始時間をちょっぴり早く8時57分からにする,というようなことです。
 こういう考えをするのはこの国の人の持つ「せこさ」の特徴だと思います。この国には,ルールというものをリスペクトしないという風潮がずっとあります。ルールというのは明文化されたものと不文律とがありますが,その両方のことです。
 もう知らない若い人も多いことでしょうが,はるか昔,読売巨人軍という野球チームは,江川卓という新人投手を入団させるために超法規的処置を強行しました。いわばルール無視です。
 後ろから煽ったり狭い道路を駆け抜けていったりする車の運転も,障害者の駐車場に健常者が駐車するというのも,車の窓から平気でごみを捨てるのも,うちわを配って票を集めるのも,同じように「せこさ」そのものです。

 私が「せこさ」というのは,このように,決められたルールの中で競うということから離れて,少しでも自分だけが得できるように,ルールを勝手に解釈したり逸脱する,というようなことでもあります。
 選挙の区割りも同様だし,元旦からどこかのホテルに泊まりこんで受験勉強をさせる,とか,他の学校よりも少しでも成績を上げる(とはいえ,受験術を教えるだけのことですが)ために1週間の授業時間数を増やしたり,週末のお休みまで補習を強制する,とかいったような,常識的な時間以外に,なにがしかのくだらない「くふう」をすることで,自分の集団だけが抜け駆けをする…,この根底もまた,「せこさ」の反映です。
 お菓子を買えばカードがついてくるとか,CD買えば握手ができるとか,こういう「せこい」ことは他にもたくさんあります。

 この「せこさ」を別の面からいうと次のようになります。
 テレビ番組も,ニュースの時間,音楽の時間,スポーツの時間というように様々なものがあって,それぞれは別の価値観をもっていて,そのどちらが大切ということではないわけです。同じように,人の生活でも,それぞれ個々がもつ大切なものがあって,それらは他人が侵略するべきものではないわけです。たとえば,学生さんも,学校の決められた勉強をする時間以外に,夏休みは,野外活動が大切な人もいるわけですし,本場の英会話を勉強するために海外へ出かける人もいるわけだし,週末はピアノの練習をすることが大切な人もいるわけです。だから,そういった自由に使える時間というものは大切なのです。
 それを,勉強が第一だというような価値観を押しつけ,正規の授業時間以外のその人に保障された自由な時間まで侵略して補習をやって,それに参加することを強制することを何とも思わない,というようなことを平気でするわけです。休み前に所詮ドリル学習をするだけの宿題をどっさり出すというのも同じ根底です。
 さらに悪いことには,それをよかれと思っているやっている教師やら要求する親やらそれを美化する社会の風潮さえあるということです。
 これは由々しき問題です。

 それと同様に,近ごろはNHKもどうかしていて,ニュースの時間に紅白歌合戦というバラエティ番組の宣伝をする,などということを疑問視もせずやっています。紅白歌合戦のリハーサルなんてニュースの話題じゃないでしょう。これだって侵略です。
 そもそも紅白歌合戦という番組自体も -私はここ40年以上見ていないのですが- 聞くところでは,視聴率という呪縛から,ルール無視の「せこさ」が目立つようで,正規に選ばれてもいない歌手が飛び入りで何曲も歌ったり,NHKホールという会場外のスタジオで歌う特別扱いされた歌手がいたり(私は中島みゆきは好きですが…),というようになっているそうです。実際はその歌手の新曲を売るプロモーションのための話題作りに利用されているだけなのに…。そして,それを報道したり,雑誌の記事にするのも,また,利害関係が一致しているからなのでしょう。
 やはり,これも「せこさ」なのです。

 こういった番組をそれほどやりたのなら,24時間テレビのように,大晦日は朝からずっと,出場歌手など決めずに,出たい人が,あるときには外国から中継したり,あるときにはどこかのコンサートに飛び入りで中継したり,どこかのスタジオでずっと〇〇〇48とかが踊ったり,大河ドラマの宣伝のための劇でも演じたりして,1日中だらだらと番組をやればいいのです。ついでに,ニュースだって,NHKホールのステージの片隅で読めばいいのです。
 せっかくだからN響の第九もこの日の午後にも演奏して,ついでに東急のシルベスターコンサートもどっちみち同じ渋谷にあるオーチャードホールだからくっつけちゃいましょう。で,カウントダウンが終わったら,そのあとは出演者みんなで明治神宮へ行って,ゆく年くる年も一緒にやっちゃいましょう。それでも足らなければさだまさしさんもNHKホールによんじゃいましょう。そして,そのまま駅伝まで突入しちゃえばいいかもしれません。

 私は,大晦日はこういう番組を見るものだ,とか,お正月は駅伝を応援するものだ,とか,何事もみんなが(で)そういうことをするものだ,というような風潮が,保守化している日本でどんどん高まっていることに,ある種の怖さを感じています。
 こういった風潮の根底にあるのも,ひとりではできないくせに,赤信号みんなで渡れば怖くないといった,まさに日本人の「せこさ」の正当化なのですから。

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 ソルトレイクシティ(Salt Lake City)は,ユタ州の州都である。人口は約20万人。
 この都市は,ロッキー山脈の西部に位置する州の北部に位置し,西部高原地域の経済・文化の中心地となっている。2002年には冬季オリンピックを開催したので,この名前を知っている人も多いであろう。
 また,第2次世界大戦中に,太平洋岸の諸都市で強制収容キャンプに移住させられた日系人を戦後積極的に受け入れたことから,現在でもアメリカにおいて日系人の比率が高い都市のひとつとなっている。
 市の西側にはグレートソルトレイク(大塩湖)が広がっていて,これがソルトレイクの名の由来である。また,冬季オリンピックを開催したように,周辺には雪質の良いスキー場を多数有し,冬はスキーリゾートの中心地としても賑わっている。
 ここは,「パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド」でジャック・スパロウが送られた「デイヴィ・ジョーンズの墓場」のロケに使われたところ。あの真っ白いシーンである。
 グレートソルトレイクは,名前の通り,塩分濃度が海水よりも高い塩湖で,イスラエルの死海同様に,水に入ると簡単に浮くことができるのだそうだ。当然,生物にとって過酷な環境であるこの湖に,魚は生息していない。その代わりに,アルテミアが数多く生息している。アルテミアというのは,観賞魚のポピュラーなエサでもあり,アジアへ送られるアルテミアの8割はグレートソルトレイク産だそうだ。
 また,グレートソルトレイクは,湧き水ではなく巨大な水たまりとして成り立っている。

 ソルトレイクシティは末日聖徒イエス・キリスト教会(通称モルモン教)が拓いた宗教都市で,同教の本部が置かれていることも,また,有名である。
  ・・・・・・
 1830年にジョセフ・スミス・ジュニアによって設立されたモルモン教は,教義や急激な拡大により度々周囲との衝突を余儀なくされた。
 1831年にミズーリ州ジャクソン郡インディペンデンスを拠点とするが,抗争により追放された。
 続いて,ミズーリ州ファー・ウエストやイリノイ州ナヴーへの入植を試みるも失敗した。
 1844年には,初代教祖ジョゼフ・スミス・ジュニアが暴徒の襲撃を受けて死亡,その後,ブリガム・ヤングに率いられた1派はフロンティアを求めて,モルモン開拓者として西方に移動を開始した。
 そして,1847年7月24日,グレートソルトレイク南東の砂漠にヤングは都市を築くことを宣言した。周辺は山岳や荒野,塩湖に囲まれた苛酷な環境であったが,1848年の人口は5,000人,翌年には8,000人と増加し,さらにゴールドラッシュの中継地点となったことが,この都市の発展を確実なものとした。
 その後も,駅馬車や大陸横断鉄道の要所として成長を続けたのだが,モルモン教を巡る混乱と議論はユタ戦争やユタ準州の昇格問題など,その後もしばらく続いたのだった。
  ・・・・・・

 ここで私は,単純な気持で,ソルトレイクシティに住んでいる人は,みんなモルモン教徒さんなのかな? と疑問を持った。日本にも,奈良県に天理市という町があるが,そこに行ったときにも,この町の人はみんな天理教の教徒さんなのかな? と思ったことがあったのを思い出した。
 そこで調べてみると,天理市では,教徒さんは市民の半数くらいであるということだ。そして,ソルトレイクシテイでは,人口の8割以上の人が,モルモン教徒の信者さんなのだそうだ。この土地は,「ハッピーバレー」ともよばれているそうで,モルモン教のふたつの象徴の,ブリガムヤング大学と宣教師訓練所がある場所でもあり,さらに,ブリガムヤング酪農製品のアイスクリームやフライソースなど,モルモン教独自の物にあふれた土地だということだ。

 モルモン教の教徒さんの目標は,キリストの助けをかりて完璧になること。
 教徒さんは,清楚な生活をしようと心がけていて,同胞に尽くし,よりよい人間になろうと努力している。また, お酒類を飲まず,タバコを吸わず,コーヒーやお茶も取らないという話だ。また,モルモン教徒さんは,食料保存倉庫を作り,自然災害や失職の時に役立つようにしているという。
 教徒さんは,他の人達よりも控えめな服装を身につけている。少なくとも半袖のシャツ一枚に膝丈のズボンやスカートを履き,胸を開けず,お腹を見せない事と教えられている。女性は,したければ両耳にひとつだけイヤリングをしてよく,耳以外のピアスは禁止で,男性は全くピアスは禁止。また,刺青も禁止という。
 最近はあまり見ないが,日本でも,スーツ姿で自転車に乗って,布教活動をしている教徒さんの若者をよく見かけたものであった。

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動画は「The Book of Mormon」。「モルモン教」を題材にした2011年のブロードウェイミュージカルです。宗教をネタにしたものはタブーのような気がするので,私はこのミュージカルを知ってびっくりしました。それに,このミュージカルは「モルモン教」を徹底的にネタにしています。
しかし,モルモン教会側からは「モルモン教の知名度が上がる」と快諾が出たという話です。

 大河ドラマ「軍師官兵衛」が終わりました。あらすじを知らずにテレビを見ていたのに,ほとんど私が思った通りだったのは,司馬遼太郎さんの「播磨灘物語」という小説を読んだことがあるからだということを思い出しました。これほど,奇を狙わなかった,いいかえれば主張も工夫もなかった大河ドラマというのも近頃では珍しく,本能寺の変で織田信長が死ぬまで濃姫が添い遂げていたりと,史実ではない,多くの人が知っている無難な「物語」に徹していたので,大変わかりやすいものになりました。
 悪く言えば,これまでに出版されていた様々な歴史小説をくっつけただけだったと,そういえなくもありません。
 総集編を見て改めて思ったのですが,「軍師官兵衛」というわりには,黒田官兵衛は軍師というよりも,騙されやすい人のよいおじさんだったし,結局,このドラマは,織田信長,豊臣秀吉,徳川家康の人となりを描いたドラマでした。織田信長はイマイチだったけど,豊臣秀吉役の竹中直人さんと徳川家康役の寺尾聰さんの演技がすばらしかったので,豊臣秀吉の馬鹿さと家康の狡猾さが対比されてとてもおもしろかったです。


 さて,次のドラマ「花燃ゆ」ですが,幕末だけに,制作者にとっても先行き不安というところでしょう。以前にも書いたように,私は大河ドラマは「花神」が最高傑作だと思うのですが,司馬史観に基づいた幕末ドラマは,というよりも,そもそも幕末は難解なので,人気がでませんでした。むしろ「篤姫」のようなアニメみたいなノー天気なドラマにする方が人気がでるのでしょうか…。当然そんなことはわかっているので,このドラマのウリは「幕末のホームドラマ」「幕末の学園ドラマ」…なのだそうです。
 しかし,「江~姫たちの戦国~」の二の舞のような嫌な予感がしないでもないし,吉田松陰という人物は,えてして大和魂だとか,そういう方向にいってしまうし,その点でも難しいところです。それと,幕末物はなにをやっても坂本龍馬が一番かっこよくなっちゃうんですが,このドラマに坂本龍馬は出るのかな?

 ところで,それだからということでもないのですが,私は,「逆説の日本史」の新刊・21幕末年代史編Ⅳ を読みました。この本は,いつものとおり,井沢元彦さんの独善的な解釈と史実が巧妙に絡められているので,うっかり読んでいくと,すっかり騙されてしまうわけですが,根拠のあいまいなことは,巧みなたとえを持ち出して「…と思う」と結んで,さも自説こそ正しいかのように書かれてあります。
 たとえば,この本では,日本人は聖徳太子の時代から「和」を貴ぶから,話し合いで解決するというようなことが書かれてありましたが,和と話し合いは別物です。この国は,権力を我がモノにした少数の人がある人を祭り上げた上で独善的にコトを推し進め,それにまかれた勢力が,異を唱える人をまず非国民呼ばわりして排除し,争いを好まないその他大勢がそれにモノ言わず従い(陰ではブツブツ言っていますが),そのことで一番害を受けるはずの弱者が,底辺でそれを熱狂的に支持する,そういう図式から成り立っています。日本人は何かを決めるのに話し合いなんてしません。今も昔もそれは全く同じです。それこそが「和」なのです。
 と書いてもこれにも異論があるでしょうが,というように,読み過ごしてしまうようなちょっとしたことだって,それほど簡単なことではないのです。

 自分のことを思えばだれでもわかるように,人間の行動なんて自分でもわからないわけで,それを他人がそんなに明晰に分析されても,所詮は結果論にすぎません。また,井沢元彦さんの人物の書き方で,人を「ばか」よばわりしているのも,私は好みません。
 それでも,この本を読むと,幕末を詳しく知ると日本人というものがわかる,ということがよく理解できる点は評価に値します。端的にいって歴史書よりも明確でおもしろいのです。
 そうそう,余談ですが,小学生のとき,はじめて歴史を学んで,明治維新で徳川幕府がなくなったときに,どうして偶然にも同じときに天皇も代替わりしたのか(実際は「同じとき」ではない),とすごく疑問に感じたことを,この本を読んでいて思い出しました。でも,普通の小学生というのは,そういう疑問をもたないのかなあ? きっと,そのときにそれを教えた小学校の先生に質問しても正しく答えられなかったことでしょう。 
 さらに蛇足ですが,この本のあとがきの最後の5行,これはいらんことです。でも,これが井沢元彦さんが一番書きたかったことなのかもしれません。私は好みませんが。

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 この旅では,この時はじめてインターステイツを走ることになった。このインターステイツ15は北はカナダ国境からモンタナ州のグレイシャー国立公園の東を南下して,モンタナ州の美しい州都へレナを通り,ビュート!で,インターステイツ90と交差して,そのまま南下,アイダホ州に入り,さらに南下,ユタ州を突き抜け,南西に進み,ネバダ州のラスベガスから,ロサンゼルスに至る主線道路である。

 考えてみれば,今回の旅を含めて,私は,このインターステイツ15は北から南までほとんど走ったことになった。
 はじめに走ったのは,14年前に行ったロスアンゼルスからラスベガスであった。砂漠の中を進む道であった。夕暮れにロスアンゼルスを出発して,遠くに都会の灯りを眺めながら走った時の素晴らしさと孤独は,忘れることができない。アメリカを走っている,と強く感じたものだった。
 次に走ったのは,2006年だった。モンタナ州ビュートの病院に入院したその2年後に,ビュートを再訪したとき,ビュートからヘレナまで走ったのだった。ビュートからヘレナまでは,山の中の高架道だった。この先に本当に都会があるのかな,と思うほどしばらく家の1軒もない道を北上していくと,突然,大地が広がって,眼下に美しいヘレナの町が見えてきたのだった。
 そして,今回であった。
 アメリカを車で横断するなら,インターステイツ70とインターステイツ90を西から東へ,そして,このインターステイツ15を北から南に走リ抜けるといい。アメリカの雄大さと美しさを心から味わうことができるであろう。

 まだここからユタ州の州境までは,100キロメートル以上の道のりだった。
 ブログ「思い出のアメリカ西部の道」を書いておられるNさんが「100万ドルの風景」と名づけられた風景そのものがずっと広がっていた。
 インターステイツ15は制限速度が80マイルで,非常に走りやすい道であった。
 数時間走り,やっと,ユタ州に入って,インターステイツ84と交差する地点に来た。数日後,帰りは,このインターステイツ84を北西に走り,マウンテンホームに戻ることになるのである。

 このあと,しばらく,インターステイツ15は84と共用区間となった。東西に走る偶数番号と南北に走る奇数番号のインターステイツの共有区間なんて,なんだが妙な気がする。
 インターステイツはとても走りやすいのだが,2番目の写真のように,車が2台前を塞いでしまうと少しだけ緊張する。なにせ,こちらの大型車は,日本の比ではなく大きい。なにがしかの大きさの規則はあるのだろうが,私には,「なんでもあり」にしか思えない。それを延々と追い抜いていくことが必要になるからである。今この写真を見ると,左側の分離帯で事故処理までやっているではないか!

 道路は,次第に,右手にグレートソルトレイク(大塩湖)に沿って進んでいくようになった。とはいえ,インターステイツからは湖は全くみることができなかった。そうして,だんだんと都会に近づいてきて,それとともに車が増えてきて,それにしたがって,車線も増えてきた。やがてインターステイツ84との共用区間が終わった。
 インターステイツ84はインターステイツ15と別れを告げて,東に向かって進んでいく。
 このインターステイツ84は西はオレゴン州ポートランドからはじまって,アイダホ州を通り,ユタ州の北東をかすめて,やがて,インターステイツ80と合流するのである。
 単独になったインターステイツ15は,ソルトレイクシティを間近に控え,さらに車線が増えた。一番左の車線だけは,有料道路となった。
 そうして,遠くに,ソルトレイクシティのダウンタウンが近くに見えてくるようになった。私は,そろそろインターステイツを降りて,ソルトレイクシティの市街地に降りる道路標示を探すようになった。

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 国道26は,例にもれず,大平原の中をまっすぐに進んでいて,もう,お昼を過ぎたというのに,インターステイツ15はまだまだ先の先であった。
 それでも,次第に家が見えてきて,やっと,インターステイツ15が見えてきた。
 私は,ジャンクションの手前にあったガソリンスタンドで給油をして,お昼ご飯の代わりのアップルパイの入った菓子パンとコークを買った。
 時間を節約するために,これを食べながら運転をするのである。

 アメリカでは,ガソリンスタンドとコンビニが併設されている。
 ガソリンは,給油機にクレジットカードを読み取らせてガソリンを入れるか,事前にコンビニのレジで先払いでお金を支払って給油をするかである。
 給油機にクレジットカードを読み取らせても,日本で発行されたインターナショナルのクレジットカードをなかなか読み取ってくれない,ということも,すでにこのブログに書いたが,私は,はじめに,コンビニで買い物をして,その支払いとととも,クレジットカードでガソリン代も支払うようにしている。
 クレジットカード払いは,日本と違って,レジにおいてあるカード読み取り機(この器械を写真に撮ろうと思っているのだが,なかななその機会がない)のスロットに「自分で」通して,クレジットかデビットかを自分で選択するというシステムである。
 これは,店員にいちいちカードを渡さないので便利である。
 また,ガソリンは,アメリカはガロン表示だが,日本流に直すと,1リットル約100円弱だから,半分くらいなくなっていると大体15ドル~20ドルで満タンになるから,事前に,ガソリン15ドル,とか20ドル,何番のバルブで,と言ってお金を払う。
 そして,給油機を操作すると,事前に支払った量だけのガソリンが給油できるのだが,もし,支払っただけのガソリンが入らなかった時は,再びレジに行って,そういえば,精算をしてくれる。

 なお,蛇足だが,クレジットカードは,クレジットカード会社が発行するカードで,後日支払いをするカード,デビットカードは,銀行が発行するカードで,銀行口座から即引き落としされるものである。
 日本では,お店ごとにさまざまな特典付きカードがあったり,ポイントがあったりと,一見便利そうだが,財布の中はカードだらけになる。これもまた私の嫌いな日本らしきシステムであるが,アメリカでは,2種類のクレジットカードさえあれば,まず現金すら不要である。私は,今回の旅で,1ドルも現金を使わなかった。なお,カードは,アメックスとマスター,2種類のゴールドカードを使っている。
 私は,ガソリンを満タンにして,出発した。そうして,いよいよインターステイツ15にさっそうと乗り入れた。

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Happy New Year 2015
◇◇◇

 2015年になりました。年のはじめの話題は魚眼レンズです。
 ミラーレス一眼とか,スマホとか,ディジタルカメラもいろんな種類が発売されるようになって,以前からある一眼レフカメラの売れ行きがはかばかしくないのだそうです。私もいろいろと使ってみましたが,結局のところ,コンパクトカメラをのぞいては,昔からある普通の一眼レフが一番使いやすいということに落ち着きました。
 ただし,せっかくレンズ交換のできるカメラなのだから,通常の画角のレンズというわけではなく,極端に望遠か,接写か,広角,というものを使うほうが面白いなあ,と思うようになりました。
 望遠に関しては,私は,以前から焦点距離500ミリの天体望遠鏡で星を写しています。
 そこで,私が購入したのは,魚眼レンズです。
 ずっと昔から気になっていたのですが,先日,サービスセンターで試しに使用してみてすっかり虜になってしまいました。ニコンの名古屋サービスセンターで説明をしてくれた女性の方,私は,本当に買ってしまいました!

 魚眼レンズとは、カメラなどに使用する写真レンズのひとつで、中心射影方式でない射影方式を採用しているものを指します。「魚眼」という名称の由来は、魚の視点である水面下から水面上を見上げた場合、水の屈折率の関係で水上の景色が円形に見えることから来ています。
 ほとんどの魚眼レンズは、画面の中心からの距離と角度が比例する等距離射影方式(Equidistance Projection)を採用しています。そして,画面の水平垂直対角線両方よりもイメージサークル径が小さいレンズを全周魚眼レンズもしくは円周魚眼レンズと呼び、得られる画像は円形となります。一方で,画面対角線以上のイメージサークル径を持つものを対角線魚眼レンズと呼び、得られる画像は矩形となります。
 以前は,ニコンでも全周魚眼レンズを販売していたのですが,学術的な用途がほとんどなので,現在は,一般向けには対角線魚眼レンズのみを販売しています。

 このレンズの「なんでも撮ってみたくなる」というキャッチフレーズどおり,ファインダーをのぞいてみると,本当に何でも写してみたくなってしまいます。
 今回私が試しに写してみたのは,料理と星野です。
 料理の方は,0.14メートルまで接近できるのです。まるで,写しているときに料理を食べているような感じになります。ちょっと試しに撮ってみただけですが,なかなか趣向があります。
 星の写真は,ご覧のように,オリオンがこんなにかわいくなります。暗い山の中にでも出かけて,全天を写すと素敵でしょう。これまでは,望遠レンズで彗星や星雲・星団ばかりを写していたのですが,これからはその真逆に挑戦です。
 また,次にアメリカへ行くときは,ぜひこのレンズを持参して,雄大な風景を写してみたいものだと思っています。
 何事も極端が面白いのです。今年はこれでいきましょう。

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