以前,「すでに2年前-友人が『マックはつぶれるぞ』と予言した。」を書いたことがあるのですが,その予言通り,日本のマクドナルドは,順調? に業績は悪化を続けています。
その時にも様々なことを書きましたが,実は,私は,そうはいっても隠れマクドナルドファンなので,これを書いて以来,何とかならないかと,ちょくちょくマクドナルドへ行くようになりました。時には,「朝マック」もします。しかし,いつも,なぜか,日本のマクドナルドからはがっかりして帰ります。そのなぜか,はいったい何なのでしょう?
実は,健康ブームのアメリカでも,マクドナルドは苦戦を続けています。それでも,小さな町に行くと,マクドナルド以外に選択肢がなかったりもして,私はアメリカでも結構利用する機会があります。
多くの日本の人は知らないと思うので,ここで,アメリカのマクドナルドについて紹介して,まだまだ日本のマクドナルドにはやることがあるぞ,と警鐘を鳴らせたいと思って,再び,続編を書くことにしました。
私は,何事も,真実を知らないでおいて,そういうものだと決めてかかるのはよくないと思っています。実は,アメリカのマクドナルドは日本とはいろいろ違うことがあるという事実を知っていた上で,でも,それは日本との国情の違いだから仕方がない,という結論ならそれでいいのですが,知らないくせにこういうものだ,というのでは困るのです。
私は,日本とアメリカのマクドナルドには,次の三つのことが決定的に違うと思っています。
そのひとつ目は,アメリカのマクドナルドは,フリードリンク(おかわり自由)だということです。
はじめに「ミール」つまり,セットを購入すると,コップをくれます。そして,カウンタの外に並んでいる器械で自由に自分で好きなドリンクを好きなだけ飲むことができるのです。
はじめにくれるカップのサイズの違いの意味が,私にはよくわからないところなのですが…。だって,どのサイズでも,結局おかわり自由なのですから,飲むことのできる量に違いはないわけです。
また,おかわりすらできない日本では,さらにSサイズなど人を馬鹿にした小ささのものさえあります。
ふたつ目は,「ミール」を頼んだときに,フライドポテトとサラダを選ぶことができるということです。
ようやく日本でも,再びサラダを選ぶことができるようになったのだそうですが,写真にあるように,アメリカとはサラダの量が決定的に違うのです。
私は,アメリカのマクドナルドのこの大きなサイズのサラダとハンバーガーなら,夕食にしても許せます。しかし,日本のあの小さなサイズのサラダとハンバーガーでは許せません。これではおやつです。しかも,以前日本でもサラダを選べたときは,サラダを選ぶと値段が高くなりました。このようにいつも日本は「せこい」のです。
そして,三つ目は,以前に書いたことがあるように,アメリカの店舗はフリーwifi だということです。
マクドナルドに限らず,日本の店舗でフリーwifi が進まないのは,私は,ソフトバンクが隠れた悪者だと信じてやまないのですが,マクドナルドはヤフーしか繋がらないとか,そういうシステムでは,日本を訪れた外国人には不便でたまらないでしょう。
マクドナルドに限らず,こういった特定の接続業者のwifi しか繋がらないにもかかわらず,フリーwifi をうたっているところが多いのも困った点です。これは,未だに有線LANしか繋がらない日本の多くのホテルも同様です。私の持つ常識からはあり得ない話です。
アメリカでは,マクドナルド(別にマクドナルドに限りませんが)へ行けば,どこでもインターネットが繋がります。日本では店によって,wifi の繋がる業者が違うので,とても不便なのです。
とにかく,日本ではコンビニなどの店舗によるナナコやらポンタやらのポイントカードもそうですが,さまざまな業者は自社や同じグループに何でも取り込もうとしています。これもまた,消費者軽視の日本の「せこさ」の代表なのです。そんなことが消費者目線に立っていない事は明白です。
ガソリンメーカーごとのカードにYAHOOカードに楽天カードに…一体何枚クレジットカードを作らせれば気が済むのでしょうか? しかも一旦作らされたカードなのに一定期間使わないと,今度は勝手に無効にしてくるのです。だったら作らせなければいいのです。バカじゃないの。 こういうことすらできていないのに,「おもてなし」とかいって得意げになるのはやめてもらいたいものです。
店員の見せかけの笑顔の奥に潜む真の企みとでもいいますか…。こまごまと意味のないことにこだわる本当に日本はせこい国です。
クレジットカードといえば,ひとつ重大なことを書き忘れていました。
日本のマクドナルドではクレジットカードが使えないのです。これだけ様々なクレジットカードを作らせているくせにですよ。基本的に現金を持たない,現金を使わない私には,これこそが,最も重大な欠点なのです。だから,ふと気楽に立ち寄れないのです。
そもそも,日本のお金は札も硬貨も大きくてとてもかさばります。子供のおもちゃみたいです。特に,硬貨は重たくて持ちたくありません。500円硬貨の巨大さなんて異常です。クレジットカードが当たり前に使えて,20ドルより大きい高額紙幣が使えないアメリカのマクドナルドとは真逆です。
このように,日本という国は,国内から出たことのない人にはそんなものかと当然と思っていることでも,実は,アメリカに比べて決定的に劣っていることや不便なことが多々あるのです。そしてやり方が一見親切そうで,実は陰湿で複雑で面倒なのです。
だから,海外に行ったことのない人や,観光地に団体旅行で行っただけの人が,本で読んだ知識や聞いた知識や観光地での体験だけで比較して,日本を賛美するのはやめにしてもらいたいと,私は思います。日本は先進国だとか,世界で一番クールだという洗脳された妄想は捨て去ったほうがいいのです。
また,日本では,あれだけいろんなクレジットカードを作らせておいて,ほとんどの人は現金を使っているのです。私は現金を使っている人を見ると,煩雑で不便だし,お釣りをもらうのに時間がかかるし,誰がどこで触ったかわからない紙幣や硬貨を手にするから不潔だし,盗まれたら終わりだから危険だし,私はどうしてクレジットカードにしないのか不思議です。人前でタバコを吸っている人,泥酔して街中を歩いている人などと共に,私にはあり得ない世界です。
「スマイル0円」もいいですが,別に私は,店員の愛想がよかろうと悪かろうとそんなことはどうでもいいのです。マクドナルドに限らず,会計にやたらと時間のかかるミスタードーナッツや,意味のないレシートの金額の確認を要求するユニクロなど,ほんとうに,くらだない馬鹿丁寧さや慇懃さはいいかげんにしてほしいといつも思います。さっさと1枚のクレジットカードで自分で会計ができればいいのです。
私は,マクドナルドに限らず,店ではなく客に利便性の高いサービスを求めます。
以前は,こんな国ではなかったのに,「おもてなし」とかいっていい気になって,何か重大な勘違いしていて,本当に,日本は住みにくく窮屈で不便にになりました。この国はいったい何を目指しているのでしょうかねえ。
話の結末がマクドナルドでなくなってしまいました…。
◇◇◇
すでに2年前-友人が「マックはつぶれるぞ」と予言した。①
May 2015
2014夏アメリカ旅行記-ロッキー山脈国立公園④
私は,帰国後,これを書きながら,大いに反省するのである。地図も持たず,何の準備もせず国立公園のトレイルを歩くなどというのはかなり無謀なのである。
おまけに,このときは,私の持っていたカメラのバッテリーがほどんどなくなりかけていたのに,予備のバッテリーも持っていかなかったので,せっかくの景色をたくさん写すこともできなかった。
かえすがえす,私は懲りない人間なのである。自分でも呆れかえる。
このミルナーバスの駐車場から湖の畔を通ってトレイルが伸びていて,老若男女,多くの人が歩いて行くのが見えた。
実は,帰国した今でもよくわからないのだが,一体,このトレイルはどこに向かっていたのであろうか? 改めて調べてみても,実際,本当によくわからないのである。
そのいきさつは次のとおりである。
私は,このミルナーパスには美しい湖はあるけれども,ロッキー山脈の景色を見渡すには,もっと高い展望台に登る必要があると思った。だから,ここから延びるトレイルをほんのわずか登れば,そうした絶景が現れると思っていたのであった。
トレイルを戻ってきた女性に,この先に何があるのか? と聞くと,何が見たいのかと言ったので,雄大な景色だというと,ならば,このトレイルに沿って歩いて行くと道がふたつに分かれるからそこを右に行くといい,と言われた。右ですよ,右と何度も念を押された。そこで,私は,歩きはじめたというわけであった。
私は,これを書いている今でもまだ,そのふたつに分かれたところを左に行くとアルパイン・ビジターセンターに行くトレイルで,彼女が言ったように右に行くと,どこかの山頂に登るトレイルなのだと信じているのだが,今,どう調べても,ここからのトレイルは,アルパイン・ビジターセンターに行く1本のものしかない。
一体この時の私はどこを歩いたのであろうか?
というよりも,こんなめちゃくちゃなことをしてはいけないのだ。
この時の私は,この女性の言ったように,右へ右へと言い聞かせながら,ふたつに分かれた場所を右に回った。そのときほかにも歩いている人がいて,やはり,その場所でどちらへ行くべきか迷っているようであった。
さらに進むと,次第に見晴らしがよくなって,視界が開けてきた。しかし,どこまで行ってもずっと道が続いているだけで,私は一体何を目指して歩いているのか次第にわからなくなってきた。そのころ,後ろから歩いてきた男の人がいて,飲み物は持っているか? 上に羽織る服はあるか? 食べ物を持っているか? と親切に聞いてきた。私はそんなものひとつも持っていないのだ。私が気になっていたのは,バッテリー切れ寸前のデジカメだけであった。
親切な彼は,私に,自分の持っていた空のペットボトルに水筒から水を移して私にくれた。さらに,チョコレートを半分に割って,私にくれた。
そのまま話をしながら歩いて行ったのだが,私だけがだんだんめげてきた。気温も下がってきた。なにせ,標高は3,300メートル近くなのである。ここは,日本の富士山の山頂の標高に近く,穂高やら槍ヶ岳やら北岳より高いのだ。
親切な男の人は,君はもう引き返した方がいい,と言った。やがて,向こうから降りてくる人がいたので,彼らについて降りていくといい,と言った。
私は,ひとりでこのまま登っていたら,ひょっとしたら遭難していたかもしれない。こんな標高の高い山に,何の準備もなしに歩いてきたのだ。さんざん迷惑をかけておいてひどい話だった。
このとき私がわかったのは,途中でやめることは,それを続けることよりも,ずっと勇気がいるということであった。それとともに,こんな簡単? に標高3,300メートルが登れるのだから,日本の山登りなんて興味がなくなってしまったのだった。これもまた,傲慢でひどい話だ。
・・
トレイルはこの先もずっと続いていたが,結局,私は引き返す事になった。向こうから降りてきた人はすでに私よりはるか前を歩いていて,私はひとりで引き返した。帰り道,いろんな野生の動物に出会った。ちょうど夕食の時間だったのかもしれない。その中でもびっくりしたのは野生のエルクであった。
人の姿に驚くでもなく,私の目の前で,黙々とエルクが3頭,草を食べていたのであった。私はそのうちの1頭のエルクとにらみ合った。
お正月の贈り物-ラブジョイ彗星が明るく輝く⑨
前回,星を見にいった4月から1か月以上が過ぎました。早いもので,もう,5月も終わりです。
今年は4月の下旬からすでに初夏のような陽気だったのですが,これが幸いして,春なのに空が澄んでいて,星がきれいです。ブログに書いたように,5月はアメリカ旅行をしていたので,すでに新月が終わってしまい,星を見る時期を逸してしまいましたが,前回のブログに書いたように,ラブジョイ彗星(C/2014Q2 Lovejoy)が北極星に大接近するので,ぜひ,その姿だけは写そうと思っていました。
実は,私は,まだ,時差ぼけなのです。というよりも,時差ぼけを解消する気がないのです。そのほうが深夜に行動できるから,便利なのです。
ラブジョイ彗星と北極星の接近というようなイベントの写真を撮るのが難しいのは最も条件のよい時に晴れるとは限らないということです。だから,とりあえずは妥協して,まずは写せる時に写します。
今回の「とりあえず」は,先週の金曜日5月22日でした。この日は未明から天気が悪くなるということだったので,それまでに1枚写そうとしました。調べてみると,この日の接近だと,私の使っている750ミリの望遠レンズで,なんとか同じ視界に収まることがわかりました。
夕方,星を見る場所に着いて,空が暗くなるのを待って,まだ,三日月が沈んでいなかったのですが,望遠鏡の極軸を合わせて,ともかく写しました。うすうす思ってはいたのですが,やってみると,北極星を写すのはものすごく難しいのです。まして,北極星の近くの星を視野に入れるのは,想像を絶する難しさなのでした。こういうこともまたいつも書いているように,やって見なければわからないのです。
というわけで,散々苦労したのですが,750ミリレンズの視野では,本当にギリギリに,ものすごく苦労して彗星と北極星を入れるのに成功しました。カメラをいろいろ回転させたので,ひどくピンボケでひどいできですが,ともかく写せました。このギリギリという事を共感していただければと思います。それが1番目の写真というわけです。
それから数日,こんなひどい写真では満足できない私は,5月27日,もう一度挑戦することにしました。時差ぼけが功を奏して深夜1時に自然起床。それから1時間かけて,山へ星を見にいきました。今度は,深夜なので,すごく条件が良くて,北の空は真っ暗。南の空には大きくさそり座が横たわり,天頂にはこと座のベガ。大きく天の川が流れ,吸い込まれそうでした。
今度は,うまく写せました。写したいと思っていたイメージ通りでした。
追尾をやめて日周運動にしたものが2番目の写真,そして,私が写したかった,星の動きに合わせて追尾した写真は最後に載せました。左下の明るい星が2等星の北極星,右上の淡い星が8等星のラブジョイ彗星です。
北極星は天の北極から少しずれているので(このずれが極軸を合わせるときにくせものなのです),日周運動を写すと北極星も点にはなりません。いずれにせよ,私は初めて北極星というものをまともに写しました。
この写真は5月27日午前2時に写したものですが,彗星はその後もう少し北極星に近づいていって,北極星と最接近するのは,あす,5月30日です。しかし,私が写して以来,毎晩天候は曇り,あすも天気予報は曇りです。もし晴れても月明かりがあります。
南の空には,さそり座からいて座,やぎ座,みずがめ座ときれいに見えていて,私が目指すメシエ天体110全制覇のうちでまだ写していない26の星雲や星団がここにほとんどあるので,この後夜明けまでかかって写せば,これで制覇できそうだったのですが,今回は我慢することにしました。
これから数か月は,こうした南の星座が見られるわけだからです。お楽しみはこれからにとっておきましょう。
半年前にはあれほど見たかったおとめ座は,この時間にはすでに西の空に沈んでいて,月日の流れを感じます。そうして,もう1時間も過ぎると,秋の夜空のたったひとつの1等星,南のうお座のフォーマルハウトが,早くも昇ってくるのです。
2014夏アメリカ旅行記-ロッキー山脈国立公園③
この国立公園は,「Γ」の字に道路がつながっていて,左下,つまり南西の入口のグランドレイクと右上,つまり北東の入口のエステパークがある。
多くの人はデンバーからアクセスするだろうから,エステパークから国立公園に入ることになるが,私は,これまで書いてきたように,反対側から進んできたから,グランドレイクからこの国立公園に入った。
実は,私は,今回の旅ですでに四つの大自然の中の国立公園へ行ったので,このロッキー山脈国立公園はほとんど期待していなかった。しかし,よい意味で,その期待は裏切られることになった。
ともかく,アメリカの国立公園にしてはポピュラーで人多すぎだから,この時は,まあ,その程度の気持ちで,私は料金所を通過した。
この国立公園も,トレイルを歩く,サイクリングをするといった様々なアクティビティがあるのだが,さらに,乗馬,そして,フィッシングもできる。冬になれば,そこにクロスカントリーが加わるわけだ。
ガイドブックによれば,乗馬はエステパークにたくさんの牧場があって,10時間もかけてロッキー山脈を横断するとか,そういったコースまである。きょうの写真にあるのがどのコースのものかは知らないが,こうした何気ないシーンでも,ひょっとしたら,彼らはすでに10時間も乗馬をしてきたのかもしれない。
いつものことで,たいした下調べもせず,私は「地球の歩き方」のアメリカの国立公園編 -それも10年も前に発行されたもの- だけを頼りに,ここまでやって来た。その本によれば,国立公園の入口を入ってさらに国道34を北上して行くと,ミルナーパス(Millner Pass)というところに到着する。ちょうどそこは「Γ」 の形の左上のかどっこにあたる部分である。ミルナーパスは標高が3,279メートルの地点で,この地点から東の水流はミシシッピリバーを経て大西洋に注ぎ,西側はコロラド州を経て太平洋のカリフォルニア湾にながれ込むのだそうだ。つまり,大陸分水嶺である。
私のようないいかげんなビジターがこの国立公園を歩くには,ベアレイクという場所を起点としてハイキングをするべきなのだが,そのときはそんなことも何も知らない私は,ともかく,まず,このミルナーバスの駐車場に車を停めて,外に出た。駐車場は,すでにほぼ満車状態であった。
外にでると,それがまあ,気持ちのよいこと。そして,目の前には,それはまあ,美しい湖が広がっているではないか!
愛しきアメリカ-コンビニで自らホットドッグを作る。
アメリカでは,コンビニはどこでもガソリンスタンドに併設されています。だから,車の給油とともに立ち寄ることが多いわけです。
お店によってその店舗はさまざまです。なかには,マクドナルドやサブウェイ,あるいは,デニーズが併設されているときもあります。また,コンビニだけでも,規模の大きいところだと,写真のように,コーヒースタンドやホットドックを売っているところがあります。
このホットドッグなのですが,とてもおいしそうに,ソーセージがくるくると回っているのです。お腹が空いたときなど,日本の高速道路のサービスエリアで売っているように,とても食べたくなります。
しかし,他の多くのことのように,アメリカを旅行していると,こういうときにどうしたらいいのかがよくわからないのです。知らないものはどうにもなりません。店員は,レジから出てきませんから,そうした場所には誰もいないわけです。この国は,やりたいことは自分でやれ,というのが根本的な発想ですから,自分でホットドックを作ってしまえばいいわけだとは思うのですが,それが怖くて,どうも手が出ないのです。
とにかく,だれかに聞いてみるに限ります。こちらの人は,意外なほど親切なのですが,決しておせっかいはしません。実際に聞いてみると,自分で作ればいいのだ,というので,私も挑戦してみることにしました。
ところが,ソーセージは機械の上をおいしそうに回っていても,肝心のパンが見当たらないのでした。
昔のことになりますが,メジャーリーグを見に行って,定番であるホットドッグをはじめて買ったときのことです。店員が出してくれたのは,ソーセージをはさんだ無味乾燥なパンだけでした。ケチャップやマスタードどころか,ピクルスやオニオンすら入っていないのです。ところが,みんなはそうしたものが入ったホットドッグをおいしそうに食べているのです。
よくよく見ていると,通路を経だてた場所に,そうしたものが置いてあるスタンドがあって,それぞれが好き好きに自分で入れているのでした。
何事も経験です。
さて,コンビニのホットドッグですが,私は,年配のおばさんがふたり,ちょうど,ホットドッグを作ろうとしているのに出会いました。そこで,私はそれをじっくりと観察することにしました。
彼女たちは,テーブルの下の引出しを開けて,そこからパンを出しました。そして,自分で,ソーセージを入れて,ピクルスやらオニオンを加え,ケチャップにマスタードを注いて紙のトレイにのせてレジに持っていきました。
こうしてすべての謎が解けた私も,そのようにまねをして,おまけに,コーヒーもコップに注いて,レジで会計をしました。
ちなみに,レジですが,こちらのコンビニでは,写真にあるようなマシーンがあって,店員にカードを渡すのではなく,自分でカードをスキャンするのです。そして,クレジットかディポジットかのボタンを押すわけです。
このようにして,自分ですべてをするのです。だから,ストレスもないわけです。また,日本のように,やたらポイントカードがあって,コンビニよって違うカードをだすとか,そういうくだらない手間もないわけです。カードは1枚,予備も含めると2枚で十分です。
こうして晴れてホットドッグとコーヒーを手に入れた私は、両手がふさがったまま,コンビニから外に出ようとしました。ちょうど入ってくる女性が,あなた手がふさがっているわね,と言って,親切にドアを開けてくれました。
旅をしていて一番楽しいのは,観光地などではなく,実は,こういうちょっとした体験なのでした。
2014夏アメリカ旅行記-ロッキー山脈国立公園②
タバーナッシュを過ぎて,さらに,国道40をしばらく走っていくと,すばらしい高原になった。大都市デンバーを控えた観光地だけに,ユタ州のリゾート地とは趣をことにしていた。さらに走っていくと,グランビー(Granby)という町になった。
国立公園に行くには,ここで右折をして,国道40から別れを告げて国道34に入ることになる。
さらにしばらく走っていくと,右手に大きな湖が見えてきた。この湖をグランビーレイク(Lake Granby)という。
グランビーレイクはコロラド州で3番目に大きい湖である。
この湖はグランビーダムの人造湖として1950年に完成した。グランビーレイクに溜まった水はポンプでくまれて,運河に注いでいる。
この湖は釣り人に人気の場所で鮭鱒を釣ることができる。また,ここにあるヨックラブは,世界で最も高い標高にあるヨットクラブである。また,湖畔には別荘地が並んでいるのだが,なかなか湖全体の景観を撮ることができる場所が見つからなかった。どこかに車を停車して,湖畔を歩き回ればよかったのだが,ためらっていると,湖が終わってしまった。
しかし,そのままさらに進むと,別の湖が見えてきた。
この湖はグランドレイク(Lake Granby)という。グランドレイクはコロラド州で最も大きく,最も深い自然の湖で,ここがコロラド川の源流なのである。
この湖は約12,000 年前のバインデール氷河期からある。ここの湖畔も,また,素晴らしいリゾートタウンであった。確かに素晴らしいところで,日本の白樺湖リゾートなどとは比べることも失礼なほどであったのだが,それでも,私は,雄大なユタ州の国立公園を5つも制覇した後だったから,贅沢にも,それほどではないなあ,と思ってしまった。
人は,人の手にかかっていない大自然を見てしまうと,人が作ったものというのは,すべて,情けないものに思えるようなのである。
私の目指すロッキー山脈国立公園に行くには,このあたりで道路が右に折れていくように地図には書かれてあったので,私は右に回ることができる道路を見つけて,そこを右折した。
しかし,そこは国立公園にいく道路ではなく,私は,そのまま湖畔のリゾートタウンに入り込んでしまった。好奇心からそんな別荘地帯をひとまわりして,ふたたび元の道に戻ってしばらく行くと,今度は,道路標示があって,国道34はそのまま坂道を登っていくようになった。
そしてさらに進んでいくと,やっとロッキー山脈国立公園に到着したのだった。
ロッキー山脈国立公園は,ロッキー山脈の未開発な自然環境が保存されている広大な地域である。
ロッキー山脈国立公園には数本の道路があるだけで,ホテルや店舗,家々や商業的建物は全くない。この約265,000エーカー(107,000ヘクタール)の広大な敷地には,多数の野外キャンプ場と少数の整備されたキャンプ場,そして,数百マイルに及ぶハイキングと乗馬用のトレイルがある。
この国立公園は,商業的な観光施設を排除して,山脈の自然美の良さを理解したい人々のために作られたものなのである。
2014夏アメリカ旅行記-ロッキー山脈国立公園①
国道40は,片側1車線の快適な高原道路であった。
道路は,北西方向に進みながら,山に登って行った。とはいえ,日本の山道のように急に標高が高くなるのではなく,なだらかに昇って行く。地図で見ると,このあたりは,ヘアピンカーブの連続のように見える。だから,時には西に進み,かと思えば,東に向きを変えて,しかし,だんだんと北に向かって進んでいく。しかし,ヘアピンカーブのようなくねくね道かというと,それと全く縮尺が違っていて,走っているときは,それとは気づかないほどなのであった。つまり,日本とは比べ物にならないほど,距離があるのだ。
そうして,ずいぶんと走っていったのだが,あたりは,どんどんと人里を離れて,高原になっていった。そのまま北に進んいけば,すぐにでも国立公園に到着しそうな感じになってきたのだが,そのうちに,写真のように,再びすっかりリゾートタウンになってしまった。
この町の名前を,フレイザー(Fraser)という。標高が2,600メートル,年間の平均気温摂氏1度,人口1,000人あまりの美しい町である。一帯は,スキー場であったから,ここは,そのリゾートタウンということになる。このように,アメリカの大都会の近郊には,というか,周りには,こうした観光地があるのだが,さすがにここデンバーの近郊は,それが素敵なスキー場なのであった。
私は,SAFEWAYという名のスーパーマーケットの駐車場に車を停めて,飲み物を買った。
SAFEWAYは, 私が行った後の2015 年1 月,サーベラス ・ キャピタル ・ マネジメントを率いるプライベート ・ エクイティに買収され,全米2位になったアメリカのスーパー マーケットチェーンである。
それにしても,わずか9時間で日本から行くことができるほど身近な世界なのに,アメリカでどういうマーケットがあるかとか,どんなものを売っているか,とか,日常のことに対する情報が全くないのが,とても不思議な気がする。そうして,日本では常識だったり,こうするものだ,と教えられていたりすることが,アメリカでは,非常識だったり,どうでもよいことだったりするのも,また,不思議なことである。
特に,現在は,日本人は好んで「おもてなし」とかいう言葉を使い,そして,日本は安全な国だと信じているが,残業を美徳とし,やらたとペコペコし,これだけ毎日のように殺人事件が起こる国が,ほんとうに,素敵な国なのであろうか?
ところで,私が,今日,朝から,ズボンのベルトを探していたことを覚えておいでであろうか。
私は,このマーケットでも,やはり,ズボンのベルトを物色したのであるが,犬の首輪は売っていても,ズボンのベルトは見つからなかった。
一体,私は,朝から,何にこだわっているのだろう?
ここの住民は,ベルトをどこで買うのだろうか,とそんなくだらないことを思いながら,再び,車に戻って,先を急いだ。
フレーザーを過ぎ,タバーナッシュ(Tabernash)というリゾートに差しかかった。周りは,見渡す限りずっとスキー場のゲレンデであった。
実社会は甘くない。-大切なことは学校では学べない。②
「大切なことは学校では学べない」に対して,ある青年から,「間違いの指摘」という大仰な見出しと共に,次のようなメールを頂きました。
・・・・・・
学校で大切なものを学べないとありますがそれは違うと思います。別に数学がどうのこうのの話ではなく、忍耐力を鍛えるためにあると思います。たとえば英語、英語は確かに学校レベルじゃ海外では到底通用しないですが、たとえば、テストのために、嫌いもしくは苦手なものも頑張って勉強をする忍耐力を養い社会で通用するよう学ぶ、最低限の枠組みだと思います。
・・・・・・
私は,この国の学校は,ドリル学習をしているだけで生きるための知恵のもととなる本当の学問を教えていないから,前途ある若者が上記にあるような「学校は忍耐力を鍛えるためにある」という考えを持ってしまうという現実を恥じるべきだと思います。
私は,この青年が,この国の学校教育でこうした考え方をもつようになったことがとても残念です。
この青年が,本人のいう「忍耐力を養う」ために,日々どれだけ勉強に打ち込んでるのか(私の学生時代のように毎日10時間以上勉強しているのか)どうかは知りませんが,どうやら,この青年にとっては,残念ながら「学問はテストのため」に頑張っているだけのようですし,「学校は忍耐力を鍛えるため」のところであるようなのです。
将来,社会に出るとき,就職試験の面接で「君は学校で何を学びましたか」と問われたときに,この青年は「学校では学問は身につきませんでしたが忍耐力を学びました」と答えるのでしょうか。それは,世界から見れば,物笑い以外の何モノでもありませんし,私が面接官なら,そんな人材は必要ありません。
予備校の講師が,受験勉強は精神力を養うために意味があると書いた文章を読んだことがありますが,この青年もそれを読んだか,あるいは,こうしたことを話した教師がいるのかもしれません。あるは,この青年も,やはり,生まれながら,こうした価値観を美徳とする日本人の血が流れているのでしょう。
日本では,すべての物事は「道」につながっています。
柔道,剣道,華道,茶道,相撲道…。
だから,受験勉強は受験道であり,数学は数学道であり,英語も英語道なのです。
では,「道」とは何かというと,それは「耐える」ということなのです(ここでいう「道」は荘子のいう「道」のことではありません)。それを学ぶというのは,そうした芸事を通じて,耐えることを学ぶことが目的であるわけです。だから,日本の教育でも,この青年のいうとおり,その目的は耐えることを学ぶことであって,学問をマスターすることではないのです。だから,受験勉強は辛くなくてはならず,学校で学ぶ英語は,その目的は英語が使えるようになることではなく,それを学習することで,耐えることを学ぶことなのです。
・・
私は,芸事は別として,学校教育はそれではいけない,といっているのです。学問として学習する以上,マスターしなけれはいけないのです。あるいは,マスターできるように教育しなけれはいけないのです。それができないことに対して,学校で英語を勉強しても英語は身につきませんでしたが,嫌いな勉強をしたことで耐えることを学びました,ではいけないのです。
人生の何年もの貴重な時間をかけてそんなことではいけないのです。
6年間毎日勉強して英語ひとつ満足に話せないって,おかしくありませんか? それは,教育の方法が間違っているからなのです。だから,そんな教育をしているこの国の学校では何も学べないといっているのです。
この国の教育機関できちんと目的を果たしているのは,スイミングスクールとドライビングスクールだけなのです。
「人生は,辛いもので,楽しんではならないのです。そして,それを耐えることが美徳です」という思想が,この国の根底にあります。私の知った人たちにも,そうした価値観を疑いもなく信じて,人生を送った人がたくさんいます。人々は「頑張って」と声をかけます。「ヒャブファン」とか「リラックス」とか「グッドラック」いう声援は稀です。そして,他の人が偉業をなしたときには,西洋社会がそうした人を称えるのとは対照的に,ねたみ,足を引っ張るのです。逆にまた,耐えられない人に対してはしごき,いじめるのです。私の周りにもそんな上司がいました。
私は,どうして,この国でこうした価値観が育ったのかがずっと疑問でした。そしてそのことについて調べたことがありますが,その根源は「農耕社会」にあると知りました。農耕社会では,飢饉で作物が採れなかったときには,ひたすら耐えるしかないのです。そこには連帯感がもっとも大切であり,誰かが図抜けていたり落ちこぼれていてはならないのです。
それに対して,西洋の「狩猟社会」なら,お腹が減ったら,自ら行動を起こし狩りに出るということになるわけです。耐えるのでなく,行動を起こすのです,そして,狩りができるかどうかという能力こそが最も重要になります。そして,弱者には分かち与えるのです。
だから,この青年にもまた,本人は気づいていないけれど,生まれながら自然にそうした日本的な価値観や美徳が根づいているということに,私は非常に興味を覚えます。私はこうしたことをすべて織り込み済みで,それではいけない,と書いているのです。残念ながら,この青年はそれを理解できるだけの読解力がなかったのですが…。
この青年は,こうした日本的な価値観を疑いもなく受け入れているから,きっとこれからもそうして生きていくのでしょう。そして,「ふつうの」日本人のように,耐えて耐えて,そして死んでいくのでしょう。そのように生きていくことはこの青年の自由であって,私にはかかわりのないことです。しかし,この青年が,将来,この価値観で組織のリーダーとなって,このような価値観をひけらかすのなら,それはその組織にとって悲劇でしょう。もし,今,この青年がここに書かれたことを読んだとしても,何が書いてあるか理解できないか,あるいは,納得がいかないことでしょうが…。
鎖国の時代,あるいは,この国だけで社会が成り立っていた時代なら,この国の人はみなそうした美徳だけで生きていけたかもしれません。しかし,今日のような国際社会においては,耐えているだけでは敗者になってしまいます。そこに必要なのは,(この青年のような「勉強はテストのため」などという受け身の生き方ではなく)実際にはたいへんな努力をして社会に役立つ能力を身につけ,そして,膨大な知識を自分のものにして,その知識にもとづいた生きていく知恵を身につけることなのです。
だから,学校は,将来そうした能力が身につくための効果的な基礎教育をするべきなのです。どこの大学に何人入ったとかそういった茶番は意味がないのです。
・・
実社会は,学校でテストのために苦手なものや嫌いなものを頑張ったくらい(そんなことはやって当たり前)で立ち向かえるほど甘いものではありませんし,生きる知恵は,汗をかき行動してやっと身につくもので,学校教育だけで学べるほど底の浅いものではありません。
きっと,この青年は,これまでの人生で,私が受けたような,死ぬほどの苦しみを味わった経験などないのでしょう。しかし,将来,そういう状況になったときに,それを乗り越えるだけの精神力もまた,この青年のいうような,学校で嫌いなものや苦手なものを頑張ったくらいの経験で身につくような,そんな生易しいものではないのです。
◇◇◇
写真は,アメリカの高等学校です。
2014夏アメリカ旅行記-続・インターステイツ70⑫
インターステイツ70は,これまで書いたように,ユタ州からコロラド州まで,様々な景観を見せ,素晴らしいドライブルートであった。
車の数も増え,周りには家が増えてきて,そろそろ大都会デンバーに近づいてきたように思えてきた。
今日の予定は,デンバーの手前で北上して,ロッキーマウンテン国立公園という景観地に足をのばしてから,デンバーに行き,予約したホテルに宿泊することであった。
ロッキーマウンテン国立公園は,デンバーの北西にある。
今走っているインターステイツ70をそのまま走って行けばデンバーに到着するのだが,時間もあるので,寄り道をすることにしたのだった。
デンバーへ行く手前で国道40に左折して,北に向かって行けば,ロッキーマウンテン国立公園にたどり着くように地図からは読み取れたのだが,いつも書いているように,日本とは距離感が違いすぎて,しかも,私は,毎度のことだが,ロッキーマウンテン国立公園がどういうところかよく知らなかった。しかも,ここを走っていたころは,すでにユタ州の四つの国立公園へ行った後だから,ロッキーマウンテン国立公園はそれに比べればそれほど規模も大きくなさそうだったから,全く期待をしていなかった。
第一,現地の人ですら,その国立公園の存在をしらない,ということがあってびっくりした。ロッキーマウンテン国立公園はどこかと聞くと,このあたりがすべてロッキー山脈だ,といわれたくらいであった。
私は,ユタ州の,辺鄙でほとんど人がいない,ものすごく雄大な国立公園に比べれば,こんな都会の近くの,日本の上高地を少し大きくしただけのような国立公園なんて,まったく興味がなかったのだった。それに,距離感で言えば,デンバーが東京でロッキーマウンテン国立公園が八ケ岳のような感じなのである。
しかし,後に,いつものように,これがとんでもない誤解だと気づくのであったが…。
やがて,インターステイツ70は,ジョンソントンネルに差し掛かった。アメリカのインターステイツでトンネルというのは本当に珍しい。トンネルは,日本でいえば,中央道から東京に向かって走ったときに,首都高中央環状線の新宿あたりにあるものと,同じような感じであった。
トンネルを過ぎると,また,風景が変わった。さらに都会の雰囲気がしてきた。眼下には大きな湖が見えてきたり,車の通行量もどんどんと増えてきて,デンバー近郊のリゾート地のようになってきた。
やがて,交差する国道40が近づいて来て,その道へ降りるとロッキーマウンテン国立公園に続くという道路標示があった。そして,国道40へ続くジャンクションに着いたので,道路標示にしたがってジャンクションを降りた。
国道40は,片側1車線の快適な高原道路であったが,ほとんど車は走っていなかった。
私の気分では,すぐにロッキーマウンテン国立公園に到着するように思われたが,実際はまだまだ遠かった。いわば,名古屋から東京に行くときに,すこしばかり時間があるからといって,中央道でちょっと遠回りをして八ケ岳へ向かったのに,まだ,恵那山トンネルを出たばかり,というようなものであった。
2014夏アメリカ旅行記-続・インターステイツ70⑪
私は,さらにインターステイツ70を走っていった。早くも朝の10時を過ぎ,少し休憩をすることにした。
ちょうど再びリゾートタウンがあったので,そのジャンクションで,一旦,インターステイツ70を出た。それが,今日の1番目と2番目の写真である。
ここは,マイルマーカー173地点のヴェイルという町であった。町は,多くの観光客で溢れていた。
ヴェイル(vail)は, マウント・ヴェイルの山麓に広がるスキーリゾート地で,このヴェイル・スキーリゾートは,1962年にピートとイートンによって設立された。1970年代には,インターステイツ70に,私がこの後通ることになるデンバーからのトンネルが完成し,また,ジェラルド ・ フォード大統領が家族で休暇を過ごしたことで,さらに,世界的にも有名になった。
私は,この町でコンビニに寄って,飲み物などの買い物をした。
ジャンクションの周りはロータリーになっていた。表示にしたがって,インターステイツ70にもどった。
その後も,インターステイツ70は,リゾート地が延々と続いていて,やがて,右手に大きな湖が見えるようになった。それが3番目と4番目の写真である。
3番目の写真は,マイルマーカー195地点,4番目は203地点,ここは,レイク・デュロン(Lake Dillon)とよばれる人工の湖(貯水池)であった。
レイク・ディロンの湖畔はリゾート向けに整備されていて,雰囲気はとてもよいところ,遊歩道やサイクリングロードが巡らされていて,所々にベンチがあったりすると,この地を訪れた人が書いていた。
さらに,次のように書いてあった。
いつもアメリカの公園で思うのは,どこも公衆トイレがきれいなことだ。トイレットペーパーもきちんと補充されているし,洗面台にはハンドソープやペーパータオルもあり,蛇口からはお湯も出る。山岳の国立公園など,水道の設備がないところでも,ハンドソープが設置してある。
また,このレイク・ディオンの周辺には,大型の食料品店もあるし,食べ物に限らず,生活に必要なものは何でも近場に揃っている。また,レイク・ディロンの周囲にはいくつかの町が点在して,それぞれに特徴がある。
実際,私も,アメリカを旅していて,トイレがきれいなことに驚く。
若いころに旅したときは,アメリカには退廃ムードが漂っていて,都会はスラムばかりだったし,公共トイレなど,恐ろしく,汚く,とても利用する気にならなかったが,現在は,大概の場所は,日本よりもずっときれいであるし,ここに書いてあるように,水のない国立公園の山の上のトイレも,日本とは比較にならないほどきれいなのである。
デンバーには多くの日本人が住んでいるが,その人たちは,その気になれば,こんなリゾート地でのんびりと休日を過ごすことができるということだ。私は,先を急ぐ旅行者だから,とてもこうしたところでのんびり過ごす時間がないから非常に残念なことである。
この旅も,そして,このブログも,先を急ぐことにしょう。
アメリカの日没-雄大なアイダホ州の心洗われる風景
今日の写真にあるような夕日は、本当に心が洗われるようです。アメリカでは少し郊外に行くと、こうした見渡す限りの大地が広がっています。
この写真は、アイダホ州マウンテンホームの郊外で写したものです。私は,この夏もアイダホ州に行く予定をしています。この景色を再び見るのをとても楽しみにしています。
アイダホ州(State of Idaho)は,州の大部分が山岳地帯の州で,面積は全米14位,農業と共に林業,鉱業が盛んなところです。州都はボイジー,州の人口は約150万人です。
「アイダホ」とは,ショショーニ・インディアンの感嘆詞なのです。
この言葉「Ee-dah-how」は3つの部分からできていて,最初の「Ee」は「降りてくる」という意味,2つめの「dah」は「太陽」と「山」,そして,3つめの「how」は驚きを意味します。つまり,「Ee-dah-how」とは,「注意せよ!太陽が山から降りてくる」ということなのです。
また,アイダホ州の愛称は「宝石の州」というだけあって,ほとんどあらゆる種類の宝石が州内で見つかっています。「ジャガイモの州」とよばれることもあります。日本では,アイダホ州は観光地としてはとても地味で,アイダホ州というと,ポテトを思い浮かべる人がほとんどです。実際,アイダホ州はアメリカ合衆国内のジャガイモの13パーセント近くを生産しています。その他の重要な農業生産物としては,豆,レンズマメ,テンサイ,牛,酪農製品,小麦及び大麦があげられます。
今日のアイダホ州で最大の産業分野は科学技術産業です。州の収入の25パーセント以上、輸出額の70パーセント以上を生産しているのです。1970年代以降、ボイジーは半導体製造の中心として頭角を現してきていて,ここにはアメリカ合衆国では唯一のDRAMチップを製造するマイクロン・テクノロジーがあります。
ボイジーの空港を出ると,インターステイツから大きな工場を見ることができます。
アイダホ州は日本からとても近くて,成田からシアトル,またはポートランドまで約9時間。プロペラ機に乗り換えて1時間と少しで,のどかなボイジーの空港に着きます。
むしろ,私には自宅から成田までの方が遠いような気がします。
そんな身近なところに,こうした広々とした大地があるのだから,狭い日本の中でありもしない自然を求めて渋滞の町を走る気がなくなる,というものです。
特別編・2015春アメリカ旅行LIVE⑪
楽しく,かつ,ハプニングだらけの旅を終えて,再び日本に帰ってきました。今回もまた,旅行中は日本人には会いませんでした。
私は,多くの日本人が住んでいたり旅行をするような場所ではない,ほとんど馴染みのないアメリカを旅するようになって以来,マスコミも含め,日本の多くの人がアメリカについて語るけど,そんなものは上っ面の知識だけで,ほとんどの日本人は,本当のこの国のことをほとんど知らないのではないか? と思うようになりました。他のアメリカブログもまた,ニューヨーク,サンフランシスコ,ラスベガスなどの文字が躍っていますが,そんな日本の航空会社でダイレクトで行けるところは,よそ行きで本当のアメリカではないのです。それは,東京と京都を旅してこれが日本だというようなものです。
また,アメリカに住む日本人も,日本人のコミュニティがあったり,会社が保障する至れり尽くせりの生活だから,本当のアメリカを知っているわけではないのです。
それはまた,報道関係者も同じです。留学している若者だって,その多くは都会の大学生活をしているだけで,休みになればさっさと帰国し,高校生がホームステイをしても,クルマに乗れないから,アメリカに住んだってほとんど何も知る事ができないのです。それは,私がデトロイトに5時間半遅れで着いたとき,ほとんど帰国したような気分になったのと同じような次元のアメリカなのです。
アメリカは,また,年々凄まじい勢いで発展を続けています。
1年前の知識が全く通用しないこともたくさんあります。ほとんどの人がディジタルディバイスひとつ持ってなんでもやっています。郊外に広がる巨大な住宅地やショッピングモールは,もうすでに日本の大型店とは異なるものに変わってきましたし,社会のシステムもどんどん変わってきています。
ほとんどの場所はチケットレス。フライトのチェックインもネットでできますし,入国の書類も税関申告書もなくなりました。空港のセキュリティもどんどん合理化して,事前に登録してあればほぼフリーパスになっています。
それに比べて,日本は相変わらずです。一度決めたやり方はいつまでも変わりません。むしろどんどん古くなり形式的で面倒になり取り残されていくように思います。まるで鎖国の江戸時代みたいです。
そういったことを決定する私の年代の地位の高い人たちがそうした保守的で狭い視野しか持ち合わせていないからどうしようもないのです。うまく表現ができませんが,私には,本質的に全く違う思考をしているような感じがするです。
帰国をした成田では,やたらと放送がかかってうるさいのに,肝心のことがさっぱりわからないし,ターミナル間の移動がバスだったり,搭乗ゲートの案内表示もばらばらだし,というように,いろいろ不便でアメリカの空港とは大違い,お客さんたちは不機嫌そうで仲間内で大声で話し我勝ちで譲り合いの気持ちなどまるでない,その態度は日本の車の運転と同じです。
帰国早々すっかりイヤになりました。
日本では,子供の塾通いは加熱し,相も変わらず受験競争に意味のない補習ごっこで休日も束縛される高校生,そして,黒服に身を包んで就職活動をする大学生。その結果が,早朝から深夜までの過剰労働。たまのお休みはどこも大渋滞。電車に乗れば注意事項のアナウンスばかり。小さなお家を手に入れるのに一生の稼ぎを貢いで,走る道路もないのに高級車を買って,退職年齢も引き上げられ,年金も目減りし,老後にも地獄が待っています。まさに終身刑です。
近隣の国と仲が悪くても外から見れば内輪もめみたいに思えるだけです。私がアメリカで出会うアジア人は,本質的に同じような思考をしているなあといった親しみを感じます。また,なんとかいう首相が粋がって世界にお金をバラまいても話題にもされていませんし,本気で戦う気も国民の合意もないのに一流軍事大国気取りで,子供の火遊びみたいで危なっかしいようにしか見えません。
アメリカには中国語とハングルの表示はあっても日本語はありません。そのくらいのお付き合い相手という位置づけなのに…。
私が若いころに行ったアメリカにはメイドインジャパンが溢れていましたが,今はほとんど目にしません。やたらと機能だけ多くて使いにくいもの…。アメリカではお年寄りまで持っているのはアメリカの会社が開発した中国製のスマートフォンだけです。これでなんでもこなします。これでは日本のカメラは売れません。ホテルのテレビもみんな韓国製です。
右翼だ左翼だ自民だ民主だと言ってもみんな同じ根を持つ同じ次元の日本人にすぎないのです。モノを買うとやたらポイントポイントでカードだけが膨れ上がる,そして表面ズラだけ親切で言葉使いは丁寧でも融通が利かず,上司の指示がなければ何も判断させてもらえない馬鹿げた社会になったしまった日本は,もはやどうしようもないのでしょうか?
それでも,日本人はクールだと自画自賛をし,国際化を唱えていますが,外側から見ると哀れみさえ覚えます。時代遅れの孤児です。私には今やノースコリアもジャパンも大して違わないように思えます。
アメリカでは無料の広い美術館には広いカフェテリアがあって食事を楽しみ,平日でもボールパークは満員で,老人はリソート地でのんびりとショーを楽しんでいます。そうして若いころの苦労をみんなで称えます。週末には,郊外に広がる公園でバーベキューや釣りやボート遊びやハンティングをしています。
ガソリンの値段は日本の半額だし渋滞知らずの高速道路はほとんど無料,どこへ行ってもその日に泊まれるホテルはあるし,どこでもクレジットカードとwifiが使えます。
でも,そんな素晴らしい世界があることは知らない方がいいのかもしれません。私のように虚しくなります。だから虚しくならないように,国策で,アメリカでは全く使えない英語もどきの英語と称する受験勉強クイズを6年間も強いて英語嫌いを増産し,海外逃亡を断念させているのでしょう。
日本人は,これまでもこれからも,お客様にペコペコと頭を下げて,お客様をお待たせしないように気を使い続けて,遊ぶところもないから休日も仕事をして,どうでもいいような小さな組織で出世競争してプライドを満たして,退職後も仕事をして若者にいつまでも口を出し,これだけ殺人事件があるのに日本は安全で世界一素晴らしいと言い聞かせながら,せいぜい,おもてなしと称してお互いの監視に磨きをかけるしか,自分を納得させる方法はないのでしょうか。
特別編・2015春アメリカ旅行LIVE⑩
朝3時30分に起床してホテルで朝食をとり,午前4時15分にチェックアウトしてレンタカーで空港に。レンタカーのラピッドリターンをしました。今回の走行距離は4,050キロメートルでした。そして,満員のシャトルバスで空港に着きました。
フライトのチェックインをしてプライオリティセキュリティを済ませて,午前6時25分飛行機は予定通りカンザスシティを離陸してデトロイトに向かいました。
とそこまでは順調だったのですが,一旦飛び立った飛行機にトラブル(コクピットから煙が出た)が発生してカンザスシティに引き返しました。
空港には消防車が退避しているのに乗客は何事もなかったような感じで指示を待っていました。
ともかく飛行機を一旦降りてからがサバイバルゲームの開始でした。
こうなると誰も頼れない。誰も何も言わないし,スタッフもいない。日本でたった2時間の遅れで大騒ぎをしてスタッフが総出でお詫びをするなどという世界がこの世にあるのが信じられない出来事です。
点検のため1時間くらい遅れるということだったので待っていたのですが,遅れが5時間となりもうだめです。乗り換え便が間に合いません。
結局すごい行列のカウンタに並び,次のフライト探しです。誰も何も指示をしませんから独力です。案内係など当然いません。
私の前に中国人のグループがいてえらく時間がかかっていました。カウンタには大柄なボストンレッドソックスのオルティーズ選手のようなデルタの男性係員がひとりやる気があるのかないのかダラダラと仕事をしています。
やっと私の番がきました。カウンタで話す彼の英語がよくわかりません。隣にいた先ほどの中国人のグループのツアーのコンダクターらしき荒川静香さんに似た女性に英語を英語で? 通訳してもらい,なんとかことなきを得ました。結局デトロイトからのフライトは間に合わないので,もう1日カンザスシティに滞在するか? と聞かれましたが,とりあえず点検の済むまで待ってその飛行機でデトロイトまで行くと主張しました。この方が融通が効くと思ったからです。デトロイトはハブ空港なので,日本人のスタッフもいるだろうし。
しかし,デトロイトから日本までのフライトが見つからない。明日はデトロイトーセントレア便がないのです。東京便でいいから探してくれと言いました。アメリカでは大学が夏休みになって,留学生の帰国ラッシュなのです。いえいえ誤解してはいけません。留学生の多くは日本人ではなく,韓国人や中国人です。
そうこうするうちに,なんとか翌日のデトロイトからミネアポリス経由で成田の帰国便が予約できました。
そんな状態で,結局,昼食が出たり飲み物が出たりスナックが出たりと,ダラダラとそれを食べ過ぎている中,5時間半遅れで飛行機が再び離陸して,やっとデトロイトに着きました。皆さんの協力と優れた技術者のおかげで早くトラブルが解決でき,安全に飛行できましたというような放送がありました。
デトロイトに着いたとき,なんだかもう日本に着いたような気がしました。とはいえ,日本のように案内所があるわけではありませんし,デルタ航空の日本語のわかるスタッフを探し出さなければなりません。私のして欲しいのは,今日のホテルの保障と成田からセントレア便の保障でした。しかし,こういうことは,アメリカ人スタッフではやってくれないのです。
どうしようか?とコンコースを歩いていると,幸運にもデルタ航空の日本人女性スタッフに偶然出会いました。こんな偶然はめったにあるわけではありません。
事情を話すと,親切に泊まるホテルの予約と明日の成田から名古屋のフライトまで手際よく手配してもらえました。もちろんお金は全てデルタ航空持ちです。
彼女は,こういう時は誰かが助けてくれますよ,と笑って言っていました。経験しないとわからないしねと。
これまで多くのアメリカに住んでいる日本人の女性に出会いましたが,共通したあるものを感じます。それはとても自立した素敵な感じです。そして,みんな同じように,日本に行くと息が詰まると言います。
ということで,私は,結局,もう1日アメリカ滞在と相成りました。アメリカが帰るなといっているみたいです。
公共交通機関のないデトロイト,ホテルまではシャトルバス,泊まったのは今回の旅で最も高級なホテルでした。デラックスな夕食も所望しました。
「人生は経験が宝」ですが,親切の押し売りの中で過保護に育って,軍隊のような学校教育で飛ぶ羽を切られ個性を剥奪されて生きる力をもぎ取られた日本人には,こういう時の対処は最も困難な世界でしょう。
まあ,人生全てお任せ定食,権威主義で自己主張なし,傲慢なお客様に徹して,やたらと群れてツアー旅行しかしない多くの日本人にはそんな力は不要でしょうが。
また逆に,アメリカでは,そんな日本から脱出に成功した有能な日本人に仕事を任せると,生き生きと自己判断でとてもうまく事が進みます。自立した日本人は優秀で強いですよ。
今回もまたおもしろい経験をしました。
特別編・2015春アメリカ旅行LIVE⑨
いよいよ最終日。きょうはカンザスシティの市内観光です。と言っても,ほとんど何もありません。
私も来るまでこの街は想像がつきませんでした。知っていたのは,噴水だらけということくらいでした。
百聞は一見にしかずとはよく言ったものです。来てみると,青木選手がサンフランシスコに移った理由もわかる気がします。日本人が住んでいたらきっと退屈するでしょう。ここもまた広いアメリカだけど,大自然の雄大さがあるわけでなし,街が洗練されているわけでないし,天候は不順で蒸し暑いし。今日も晴れていたと思ったら突然雨だし。車で走っていると,道路が入り組んでいてカーナビの指示でも道をまちがえてしまうし。
きょうは土曜日なので,朝食のないしけたホテルを早々にチェックアウトして,シティマーケットの朝市に行きました。こういうのは普通のアメリカ人の生活がわかるので楽しいのですが,これまでなかなか行くことができませんでした。
次に行ったのが,この街でほぼ唯一の見どころである第1次世界大戦博物館でした。巨大な建物,ここもまた,大勢の人が来ていました。いつも思うのですが,いったいどこから来るんでしょう。
その後,美術館にふたつ行きました。とんでもなくでかい美術館なのに,無料でした。
美術館の帰りは,カントリークラブプラザというアメリカ最古の郊外型ショッピングモールを通ってから,予約したホテルに向かいました。こうして今回の旅も全て終了しました。
明日の朝が早いので,今日は空港の近くの少しだけ贅沢なホテルです。チェックインの時,昨日のゲームのことで盛り上がりました。フロントの係は今日見に行くとのこと。今日のヤンキースのピッチャーはサバシアだし。
それにしてもここに住んでいる人みんなベースボールばかり見てるんじゃないのかなあと思いました。話をした人がみんな今日観に行くっていうし…。
ホテルの近くに御殿場のアウトレットモールみたいなところが何気なくあったので,そこのサブウェイにチャレンジしました。しかしまあ,店員の話すのは,あれは絶対英語には聞こえない⁉︎ ともかく無事にゲット。
さて,明日は4時起床。6時25分のフライトで,帰国します。帰りもデトロイトまでの座席がランクアップされたので,ファーストの窓際を選択しました。
ところで,私が旅行中は穏やかな天気でしたが,オクラホマ州,カンザス州は,今晩は竜巻で大変な状況になっています。テレビの画面の端に日本の津波警報のようにずっとアメリカの地図が表示されています。この時期にこの場所を旅行しようと思う方(いないと思うけど)はお気をつけを。
ホテルのあたりも,夜,ものすごい雷雨になりました。メジャーリーグを昨日見てよかったと思いました。ではおやすみなさい。
特別編・2015春アメリカ旅行LIVE⑧
アメリカを旅行していると疑問に思うことがたくさんあります。たとえば,コンビニで売っているセルフサービスのホットドッグはどのように買うのか? などですが,最近は,そういうことは全てチャレンジしてみるので,だいたい疑問が解けてきました。
そうするとこの国の根源に流れている考え方もだんだんとわかってくるから不思議です。要するに自分でやれ,頼まれた以上のおせっかいはしないということです。おもてなしとは間逆の世界です。気楽でいいです。
さて,旅も最終行程です。ついにカンザスシティに戻って来ました。あと2日は,カンザスシティ観光とメジャーリーグ観戦です。
これまでなかなか来ることができなかった大いなる田舎カンザスシティにやっと来ることができました。本当に大いなる田舎です。
こちらの天候は全くもっておかしくて,突然の雷雨,5分後には快晴。お昼に二グロリーグ博物館に行ったのですが,そこで大雨になりました。雨宿りをしていると,そこで出会った女性と,私も今晩野球を見に行くという話になって,ダウンタウンが雨でも球場晴れていたりするから今晩は大丈夫よと言っていました。
実際,夕方から晴れ上がり,日本の梅雨のような蒸し暑さに閉口しましたが,次第に過ごしやすい素晴らしい野球観戦日和になりました。
きょうはPeace Officers Memorial Dayで半旗(half mast)でした。
田舎の弱小球団かと思っていましたが,ものすごい盛り上がり,スタジアムもきれいでほとんど満席,こうも熱狂できるのかと感心しました。
最後までいると車の洪水,帰りの保証がないので,ヤンキースぼろ負けの中,7回裏で帰りました。
駐車場で車がなかなか見つからず冷や汗をかきました。
特別編・2015春アメリカ旅行LIVE⑦
今日は小雨の朝でした。
私は今回の旅でマンモスケイブに行きたかったのですが,あまりに遠く行く自信がありませんでした。
しかし,借りた車が快適で順調に走れたので,願いがかないました。
予定より1日時間ができたので,再びブランソンに行くことにしました。
セントルイスから4時間なので,お昼までセントルイスで過ごしました。
セントルイスは10年くらい前に来たことがあります。その時はブッシュスタジアムで野茂投手を見ました。
あれから街は再開発されてスタジアムも新しくなりました。でも未だに危ういところも残っていて,特にミシシッピ川を渡った西側には近づかないようにということなのですが,怖いもの見たさに行ってみました。想像以上のかなりの雰囲気でした。
その後,バドワイザーの工場見学をしました。日本の工場見学とは全く規模が違いました。車なので試飲ができず残念でした。
今晩は,ブランソンでダットンファミリーのコンサートです。
ホテルは3日前と同じ所,部屋も同じです。また来るとは思いもしなかったので不思議な気持ちがしました。
夕食は日本料理にしました。
コンサートは素晴らしいものでした。お客さんは,この時期なのでお年寄りが多いのですが,こうしてアメリカを旅してみると人が生きるという意味が根本的に違うと思うようになりました。
なんか日本人が必死にやっていることが全てどうでもいいようなそんな気がしてきました。気の毒ですが外から見るとそんな感じです。
いよいよ明日はカンザスシティに戻ります。メジャーリーグです。天気予報は雨です。
特別編・2015春アメリカ旅行LIVE⑥
こちらに来てから連日よい天気が続いています。お昼の気温は20度位で湿度も低く爽やかです。半袖の上にヨットパーカーで十分です。
今日は,ケンタッキー州のマンモスケイブ国立公園に行きました。想像以上に広くて,2種類の2時間の見学コースがあって両方に参加しました。合計4時間洞窟内を歩いたわけです。
昨年行ったニューメキシコ州のカールズバッド洞窟よりこちらの方がさらに規模が大きく素晴らしかったです。
グランドキャニオンを地下に作った感じとでもいえばいいでしょうか。
その後,インディアナ州を経由して,今晩のホテルはイリノイ州ケーシービル,といってもわからないでしょうが,ここから5マイル行けばミズーリ州セントルイスです。
旅も後半になって,いよいよカンザスシティに少しずつ近づいて来ました。
走っていると州を越えるごとに景色が一変するのがよくわかります。
ケンタッキー州は森林と牧草地,大きな競馬場もありました。イリノイ州は花が咲き乱れるプレーリーでものすごく美しいです。
50州制覇などという目標がなければ,私だって,気持ちの落ち込むオクラホマ州,アーカンソー州,ミシシッピ州,アラバマ州なんて行きません。
ケンタッキー州やイリノイ州の美しい景色を見て,今日は来てよかったとつくづく思いました。
今回はすでに来たことがある州も多いのですが,それも含めて今回だけでも合計10州走りました。これで47州を制覇しました。残るのは,ノースキャロライナ,サウスキャロライナ,そしてハワイの3州となりました。
特別編・2015春アメリカ旅行LIVE⑤
今日もよい天気でした。日本は台風だということですが,本当なのですか? 今は5月ですよ!
今日の予定はずっと決めかねていて,だから宿泊するホテルも決まらず,成り行き任せに出発しました。
とりあえず,テネシー州メンフィスを目指してブランソンから南下したのですが,近くをインターステイツが通っていないので,やたらと時間がかかり,やっとインターステイツ40に辿り着きアーカンソー州を東に向かって走ったのですが,トラックだらけで道路はガタガタ,すっかり気持ちは沈みました。
メンフィスでは,キング牧師の暗殺されたモーテルを見たのですが,博物館はお休み,ダウンタウンはいたるところに廃墟があっていかにも治安が悪そうで,ここに宿泊するのはやめました。2時間ほど離れたプレスリーの生家のあるミシシッピ州トゥペロへ行って見学しました。小さな家ということだったのですが,日本の普通の家より大きかったです。
その後はそのままさらにアラバマ州に入って,そこからインターステイツ65を北上して,テネシー州のナッシュビルまで来ました。今日はここに宿泊することにしました。
というわけで,ディープサウスまで来てしまったというわけです。
今回は優秀なカーナビがあるので楽です。でもこのカーナビおかしな日本語を話します。
ナッシュビルの夜のダウンタウンを歩いてみたのですが,こんなことを毎晩やっているんだなあと呆れました。
なんだか今日は1日運転していたような気がします。今日だけで5州に行きました。
中でもアーカンソー州が最悪でした。それに比べてテネシー州は景色もきれいだし,道路も運転しやすく気に入りました。
州によってこんなに違いがあるのに驚きました。
特別編・2015春アメリカ旅行LIVE④
今日は快晴。朝の気温は9度でした。
名ばかりの朝食つき,単に菓子パンとコーヒーを食べて早々にホテルを出発しました。最後までやる気のないオクラホマシティでした。
今日は,オクラホマシティから北東に,オールドルート66を5時間走って,再び,ミズーリ州,ブランソン(Branson)という所にきました。
ルート66はアメリカのマザーロード。オクラホマシティからはインターステイツ44にほぼ平行に今も存在しています。
昔の街並みも残り素敵でした。来てよかったと感激しました。
ブランソンは日本では無名ですが,ショービジネスのメッカで,劇場がいっぱいあって,それぞれの劇場では,専属のエンターテナーが毎日ショーをやっています。晩年のアンディウィリアムスもここで毎日ショーをやっていました。今はオズモンズがやっています。
いわば細川たかし劇場やら小林幸子劇場があるわけです。
さらに遊園地やらヘリコプター遊覧,水陸両用バスツアーなど多くのアトラクションもあってすごい規模でビックリしました。軽井沢にディズニーランドを3つ作った感じです。
私は,日本人のショージ・タブチ・ショーを見ました。こちらで人気ナンバーワンです。チケット買えてよかったです。
日本のテレビで知っていたのですが,まさか本当にこんな遠い所に来るとは思いませんでした。
そんなことなら,もう数年早く来ればよかったなあと思いました。そうすれば,アンディウィリアムスショーも見えたのです。ムーンリバーシアターでは,今は亡きアンディウィリアムスの歌がかかっていて泣けてきました。
ショージ・タブチ•ショーではステージの上から日本から来たお客さんということで紹介されて,拍手を受けました。ショーの終了後には一緒に写真をとってお話をしてサインをもらってお土産まで頂きました。
今はシーズンオフ,ものすごくたくさんのホテルがあるので,とても安価に泊まれました。それでも大勢の観光客です。どうしてこの時期にこんなに来られるのでしょうか?アメリカのご老人たちはこうして人生を楽しんでいるんですね。
今日は天気もホテルもルート66もショーも食事も素晴らしく最高でした。
特別編・2015春アメリカ旅行LIVE③
来るまでが大変でしたが,いよいよ今日からがはじまりです。
カンザスシティでは,青木選手の話をすればどこでも盛り上がります。彼は愛されていたのです。
今日は,カンザスシティから南西にオクラホマシティまで行きます。5時間くらいの道のりです。途中,オズの魔法使いで有名なウィチタを通ります。
ちなみに,カンザスシティはカンザス州ではなくミズーリ州です。
この先,周りは牧草地ばかりだということです。
天気がよくないのと日曜日で,主だった見所のオープン時間が昼過ぎなので,朝からのんびりモードです。
ということで,朝6時半にチェックアウトをしました。ウィチタの近くは本当に360度牧草地ばかりでした。曇りで太陽ものぞいていたのですが,ウィチタの近くになると日本で経験したことのない大雨,全く前が見えずその中での運転は大変でした。しかし,雲が過ぎると天候が急激に回復しました。まさしくオズの魔法使いのようでした。
実は先週ずっと豪雨と竜巻が続き,サウスダコタ州ラピッドシティでは雪! まで降って,相当な被害が出たのですが,私が日本から晴れを連れてきたようです。今週の天気はずっと晴れの予報です。
カンザス州はインターステイツが有料,とはいえ数百円でしたが,その分道路は整備されていました。ウィチタを発ってさらに南下して,オクラホマ州に入った途端,無料になったのですが,道路がガタガタになりました。あたりは相変わらず牧草地,でも至る所で石油を掘っていました。さすが,その南はテキサス州です。
ガソリンメチャクチャ安いです。昨年の夏の6割弱,1リッター60円もしません。
今日は,オクラホマシティに泊まります。ここには,巨大なカーボーイ博物館がありました。そして,オクラホマシティはルート66の中継地として有名です。私も少しだけオールドルート66を走ってみました。
でも,観光地でないので,食事をするところもあまりなく,全てがアメリカらしいフレンドリーでかついい加減さに満ち満ちていました。
特別編・2015春アメリカ旅行LIVE②
2時間遅れてデトロイトに到着しました。この空港ももう数えられないほど来ました。
現地は曇り,気温はほとんどは日本と同じです。乗り換え時間が1時間半しかないのですが,スムーズに入国できたので,手持ち無沙汰になりました。
入国審査で野球を見にきたと言ったら係官と話が盛り上がり? 田中を見るのかと言われ,カンザスシティから青木がいなくなったと言われ,このいい加減さ,アメリカいいなあ!
次のフライトはファーストクラス。あと3時間で,カンザスシティに到着します。
出発のとき,デルタ航空の人たちがフライトが遅れて申し訳ありませんと総出でお詫びをされましたが,もうそういう過剰なお接待はやめにしてほしいものだとつくづく思いました。
デトロイトからカンザスシティに着いてレンタカーを借りて,やっとホテルに到着しました。
午後10時半。出発して24時間,長い道のりでした。
特別編・2015春アメリカ旅行LIVE①
セントレア,中部国際空港にやってきました。これからデトロイトに向けて,10時間40分の空の旅です。
到着後乗り換えて,カンザスシティへ行きます。現地到着予定時間は午後9時4分。到着後,カンザスシティ空港近くのホテルに宿泊します。
今回の予定は,カンザス州から南にオクラホマ州,アーカンソー州,テネシー州と東に走って,その後北上,ケンタッキー州からミズーリ州,セントルイスで西に進路を変えて,カンザスシティに戻ります。
カンザスシティではMLBも見ます。
とまあ,はじまるはずでしたが,アメリカから飛行機が来ないので出発できません。2時間遅れです。代わりに食事がでました。でも,ほとんどはクラッカーとかお菓子ばかりでおなかだけがふくれました。
これが読まれるころは,太平洋を渡っていることでしょう。
明日のカンザス州は竜巻注意報が出ています。
旅はいろいろなことがあって面白いです。
2014夏アメリカ旅行記-続・インターステイツ70⑩
ニューキャッスルでズボンのベルトが手に入らなかった私は,車に戻って,先を急ぐことにした。
しばらく行くと,グレンウッドスプリングス(Glenwood Springs)というリゾート地に入った。グレンウッドスプリングスは,その名の通り温泉地で,人口は1万人程度。ホテルやスキー場がある。
昨日,私はグランドジャンクションを過ぎると手ごろがホテルがないというアドバイスに従ってグランドジャンクションに宿泊したが,走っていると,その意味がとてもよく分かった。
インターステイツ70は,すでに書いたように,この,グランドジャンクションを過ぎると,しばらくホテルのある町がなく,すれを過ぎると,その後は,このようなリゾート地ばかりであった。
したがって,私のような貧乏旅行者が宿泊できるような安価なホテルがないのだった。
アメリカには,日本とは比べものにならないお金持ちが,日本とは比べものにならないほどたくさんいて,全米にわたって,過ごしやすいところや景観の素晴らしいいたるところに彼らの別荘地やらリゾートがあるから,そうった地は,私のような庶民にはまさに別世界なのである。
たとえば,ボストンの北,ニューハンプシャー州や,メイン州の海岸沿い,サンフランシスコからシアトルにかけての太平洋岸などである。ここコロラド州のインターステイツ70沿いも,まさに,そうした場所のひとつであった。
日本のプロ野球なら料金が違っても座席が異なるだけだが,アメリカのMLBだと,入口から使うレストランまで違うのである。それと同じように,新幹線なら料金が違っても座席が違うグリーン車両があるだけだが,飛行機だと,乗る順番も待合室も異なるわけだ。
そして,そうした格差の基準はすべて「金」なのである。
アメリカは,平等とはいっても,そうしたセレブになれる機会が平等? であるだけで,実際は,お金持ちとそうでない人の明確な格差社会である,ということを頭に入れておかなくてはならない。
そんなわけで,インターステイツ70は,コロラド州では,まわりがどこもかしこもお金持ちのためのリゾート地なのであった。
このあたりから,さらにまわりはスキー場や立派なホテルが立ち並ぶようになった。
私は,アメリカのスキー場へは行ったことがないし,冬に旅行をしたこともないから想像もできないが,きっと,雪のない夏でさえ結構な賑わいなのだから,このあたりは,スキーシーズンは,さぞかしすてきなリゾートであることだろう。
グレンウッドスプリングスもまた,このように,そうした広々としたリゾート地であった。
ここに着いたときに,ニューキャッスルでマーケットに行ってベルトを探さなくても,ここでジャンクションを降りれば,ウォールマートの1軒もありそうだったが,このときはもう,面倒になってしまっていたので,そのまま通り過ぎた。
この町は,この先もずっとリゾートホテルが続き,その向こうにもスキー場が広がっていた。
グレンウッドスプリングスを過ぎたあたりが,今日の1番目の写真のマイルマーカー125地点である。そして,2番目は126マイル地点のワゴン・ガルチ(Wagon Gulch)というところである。
このあたり,山が両側から迫り,片側2車線の道路を平行に走らせるだけの平地がない。コロラド川にそった渓谷沿いには,こうした写真のような道路やトンネルが続いていて,ここもまた素晴らしい景観であった。
そして,時折あるジャンクションでは,ここで降りると,Hanging Lakeという湖に行くことができるとか,そういう表示があった。つまり,そうしたリゾート地にアクセスできるというわけだ。
そうしたコロラド州の渓谷を過ぎると,今度は平地が広がってきた。
3番目の写真は133マイル地点のTurtle Bubingという場所であった。
そして,4番目は154マイル地点のウォルコット(Wolcott)というところであった。
特別編・2015春アメリカ旅行LIVE-予告-
ブログには,2014年夏の旅行記がまだまだ続いていますが,私は,今週の土曜日から10日間,2015年春のアメリカ旅行に行ってきます。今回は,カンザスシティを起点にして,オクラホマ,アーカンソー,テネシー,ケンタッキー,ミズーリと,およそ観光地でない中南部の田舎をぐるりとドライブしてきます。
出発後は,しばらく2014年夏の旅行記はお休みして,現地からのLIVEでブログをお届けしますので,お楽しみに。
現在は,海外旅行に関するすべてのことがネットで簡単に予約ができてしまうし,支払いもすべてクレジットカードだけでいいので,むしろ,国内旅行の方が面倒です。今回の旅の予約でも,ネットでできずクレジットで支払いもできなかったのが,セントレア・中部国際空港までの名鉄特急の座席指定券「ミューチケット」の購入だけだったというのが笑えない話で,本当に情けないことです。
ということで,私もこうした旅行をしてみたいなあ,とか,どういった準備をしているのかなあ,と思われる方もあるでしょうから,今日は,今回の旅の準備について書いてみましょう。
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アメリカを個人旅行するとき,事前に準備が必要なことは,当然ながらのパスポート以外には,アメリカ入国に必要な ESTA の登録,そして,車を運転する場合は,国際運転免許証の取得です。
ESTA は2年間有効で,ネットで日本語で簡単に登録ができますが,登録にはクレジットカードが必要です。クレジットカードはアメリカ旅行では必須ですから,日ごろ使い慣れていない人もクレジットカードは作ってください。私は,デルタアメックスのゴールドカードと,マスターゴールドカードの2枚を持っていきます。現金は全くなくても大丈夫ですが,私は少額だけ持っていきます。
日本の銀行で両替をするとき,50ドルや100ドル紙幣をくれますが,持っていてもそんな高額紙幣は使えませんので注意が必要です。両替をするときは20ドル紙幣までにしてください。また、もし持っているときは,アメリカの銀行で小額紙幣に換えてください。
国際免許証の取得には特別な資格がいると勘違いしている人がいますが,運転免許試験場へ行って単にお金を出して発行してもらうだけです。しかし,有効期間が1年間しかなく,しかも,サイズが昔のパスポートの大きさというのがこれもまた情けない話です。こんなものが必要なのは,日本の運転免許証の表示が日本語だけであるということだけが理由なのだそうですが,そういうことなら運転免許証に英語表記を加えるだけのことなのです。
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携帯電話は,私はSIMフリーのスマホを持っていて,普段日本ではデータ通信に使っています。現地に着いたらこれをアメリカの携帯電話用のSIMに入れかえると,アメリカ国内用の電話になります。料金は使用した分だけなので非常に安価です。また,アメリカではフリーwifiがどこでも使えるので,現地でのデータ通信用にiPod-touchを持っていきます。通信はこれで十分です。カメラは,今回は,小さくてお気に入りのニコン1J3を2台と広角と望遠のズーム,そして,予備のバッテリーを2個持っていくことにしました。電圧が日本とは違うのですが,充電器は兼用できます。
持ち物としては,あとは着替えだけです。
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航空券は,デルタのサイトで予約をしました。今回はカンサスシティでMLBも見に行くのですが,これもMLBのサイトでチケットを購入しました。レンタカーはHERTZのサイトで予約しました。私は,HERTZのGOLDプラス・アワード会員(会費無料)なので,借りる期間と場所を入力するだけです。海外旅行保険は,デルタアメックスのゴールドカードに旅行保険がついていますがこれだけでは保障の少ない疾病の特約を増やしました。また,ホテルは,エクスペディアやブッキングコムで現地でいつでも予約ができるので,初日と最終日だけ予約をしました。
必要なことはこれだけなのです。今回は,パスポートもESTAも国際運転免許証も有効期限内だったので,わざわざ駅まで買いに行ったミューチケット以外は,自宅でほんの数時間ですべて終了しました。このように,年々便利になってきました。だれでも簡単にできてしまうことがむしろ物足りないくらいです。
こうして気軽に安くアメリカに行けるので,ゴールデンウィークに,どこも渋滞だらけ,やっと到着しても人とゴミだらけの国内旅行なんて,近場ならともかく,私は全く行く気がなくなってしまいました。
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ニコン1を語る。-実は使いやすくかわいいカメラなんです。
2014夏アメリカ旅行記-続・インターステイツ70⑨
無事に,正しい方向を一路デンバーに向かって進むことになった。しばらくはユタ州の大草原とは打って変わって,変化に富むグランドジャンクションからデンバーまで約400キロメートルの車窓からの景色をゆっくりとご覧ください。
きょう1日,私は,ずっとこういった景色を眺めながら運転をしていたということです。
1番目の写真は,インターステイツ70のマイルカーカー61地点,つまり,コロラド州の州境の西から61マイル,つまり,約100キロメートルのところのデベグ(De Beque)という町のあたりである。
デベグは,人口が約500人の町。町というよりも,静かな田舎,という感じのところである。山々が間近に迫っているとはいえ,まだまだ空も広く,開けている。牧場がおもな産業である。小さな町だが意外にもホームページが充実していて観光案内すらある。この町は,牧場と,コロラド川沿いにあるキャンプ場,そして,景観の美しいリゾートがあるといった紹介がある。日本人には,ここもやはり,夢のようなところである。
そして,2番目は,マイルマーカー75マイル地点のパラシュート(Parachute)という人口が1,000人ほどの町のあたりである。
実は,この日,私は,車を運転しながら,ずっと,ズボンのベルトを探していたのだった。
昨日まで国立公園をずっと散策していて,ズボンがゆるく,非常に困っていた。アメリカへ行くときに搭乗する前のセキュリティチェックでベルトをはずす必要があって,私はめんどうなのでベルトをしていないのだが,逆に,あまりにタイトなズボンだと機上で疲れるから,適当にルースなものを履いているのだが,少しゆるすぎた。ちなみに,履物は,いつもサンダルである。こんな,日本にいる時以上のいいかげんな姿でずっと旅行をしているわけだが,今回のズボンには少し参った。
そこで,ベルトを買おうと思ったのだが,それが,どこにも売っていない。アメリカのど田舎,食事をする場所ひとつ探すのもたいへんなのだから,ベルトなんて,超レアである。そんなわけで,手に入れるには,こりゃホームセンターに限るワイ,と思っていたわけであった。
ところが,朝からずっと走り続けていても,町すらない。だから,ホームセンターなど当然あり得ない。このマイルマーカー75を過ぎてさらにしばらく走っていくと,道路際に,やっとモールらしき建物を見つけたので,そのモールに行くことができるジャンクションでインターステイツ70を降りたのであった。
まだ朝早かったが,すでに店は開いていた。私は,駐車場に車を停めて,店内に入った。
しかし,予想と違って,この店は,単なる食料品店であった。
広い店内をくまなく歩いてみたのだが,時計のベルトや,犬をつなぐ紐やらはあるのだけれど,ズボンのベルトがないのだった。これには参った。おそらく,町まで行けば,衣料品店の一軒くらいはあるのだろうが,そんな寄り道をするのもバカらしく,というか,時間もなく,結局,ここでもベルトを手に入れることもできず,私は車に戻ることになってしまったのであった。
そのときのお店とジャンクションが3番目と4番目の写真である。
帰国後に調べてみると,そこは,105マイル地点のニューキャッスル(New Castle)という町の外れであった。この町は,少し大きくて,人口が4,500人ほどということであった。
長谷寺のボタンと室生寺のシャクナゲ-室生の里へ②
みなさん,ゴールデンウィークはいかがお過ごしですか。私のゴールデンウィークは,前回書いたように,長谷寺から室生寺のすてきな旅でした。そして,今回はそのときの室生の里の味めぐりです。といっても,贅沢なものは食べていませんが…。
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長いドライブでやっと長谷寺に着いたので,お腹が空きました。参道には多くのお店があって,気分も盛り上がります。まだ,お昼には少し時間があったので,お茶を飲みながら草もちを食べることにしました。
駐車場から歩いて行くと,おいしそうな草もちを売っていましたので,さっそく試食となりました。しかし,残念なことに,草もちは,売っていてもそれをのんびりと食べるお店がありません。
喫茶店はあるのですが,そこでは,草もちというメニューがないのです。草もちとお茶で500円,なんていうメニュー出せば,儲かると思うのですが…。
ということで,草もちはあきらめて,ぜんざいを食べることにしました。
入ったのは,田中屋さんという名前のお店でした。空腹にぜんざい,お餅がお腹に染みました。
お昼ご飯は,室生寺に行ってからにしました。
以前室生寺に行ったときもお昼時で,その時は結構な人混みで,どこかのお店の2階でお昼を食べた思い出があるのですが,今回は,歩いていても,その時のお店がどこだったのか,全く思い出せませんでした。
そこで,門前の橋のたもとに,橋本屋さんというお店があったので,中に入りました。
前回書いたように,この日は,予想ほどの観光客がいなくて,お店も落ち着いた雰囲気でとても素敵でした。食事をしながら外を眺めると,時々,観光バスが到着して大勢の観光客がどっと押し寄せ,静寂が破られます。
読売観光とか毎日とか朝日とか,まるで新聞社のような感じでした。
長谷寺と室生寺でほどよい1日コースであること,ちょうどボタンとシャクナゲが見ごろであることに加え,観光バスでないと結構不便なことなどで,こうしたツアーが人気なのでしょう。
注文したのは,山菜定食1,800円でした。とろろ芋やらワラビやら,とても健康的なお昼となりました。
帰りに,亀山PAで夕食をとることにしました。以前,もっと渋滞したときのこと,多くの観光客が御在所SAで食事をすることはわかっていたので,裏をかいて,亀山PAで食事をすることにしました。セルフサービスの食堂なので,まったく期待もしていなかったのですが,その時に食べた松坂肉の牛丼のおいしかったこと。そのあとしばらく吉野家さんの牛丼など食べる気がなくなってしまったのですが(値段が決定的にちがいますから),それを思い出して,今回もそれを食べることにしました。
私にとって,この牛丼は幻で,その味が忘れられず,そのあとで記憶だけを頼りにわざわざ食べに行ったときは,どこで食べたのか思い出せずあきらめて帰りました。その後いろいろと調べてみると,どうやら,それは今は「亀山PA下り」限定らしいのです。以前私が食べたときは確かに上りだったのですが…。この日も上りを走っているので,「亀山PA下り」には,わざわざ一度高速道を降りて下りに行く必要があるのです。でもそうまでして食べようと思っていたので,ともかく,上りのPAで下りに入る経路を聞こうと案内所に向かったのですが,なんと上りのPAにも,私にとって幻だった牛丼がありました。そんなわけで,わざわざ下りに行かなくとも賞味することができたのでした。
今回のプチ旅行は,なにからなにまで,すてきな思い出となりました。
2014夏アメリカ旅行記-続・インターステイツ70⑧
前回書いたように,私は,グランドジャンクションで宿泊したホテルがインターステイツ70の南側だったのにずっと北側だと思い込んでいたから,ジャンクションで左折しなければならないのに右折してしまったのだった。だから,インターステイツ70を誤って西方向に進んでいたのに,すっかり正しいと確信していた。
これを書きながら,今にして,やっとそのことに気づいたのだが,当時は,どうして私が逆方向に走っていたのかがまったく理解ができず,そのことがずっと腑に落ちなかった。それでも,州境を越えてユタ州に入ってしまったときには,理由は不明だったけれど,逆方向だということは認めざるを得ず,ようやく私はUターンをすることに決心したのだった。
とはいえ,インターステイツ上でUターンはできないから,州境を越えたあとも,さらにジャンクションがあるまで延々と西へ西へと走るほかはなかった。そうしてやっとジャンクションを見つけたので,そこで一旦インターステイツ70を降りて,再び,逆方向に入り直した。このとき,ジャンクションのあったところが,あたり一面の大草原だったことが幸いした。もし,街中だと,逆方向に入り直すために道を探すことすらけっこう大変なのだ。
それが,きょうの1番目の写真である。
アメリカのインターステイツは,ジャンクションに近づくと,2番目の写真のように,そのジャンクションの近辺にあるレストランやガソリンスタンドやホテルが表示された案内板がある。そしてまた,病院の表示「H」が一番目立つようにある。
だから,どのジャンクションでも,これを頼りにして一般道に降りればいいわけだ。
広いアメリカゆえ,時には,表示にあったガソリンスタンドが,ジャンクションを降りた先のさらに数キロ先,などということもあるが,通常は,ジャンクジョンの周りに存在していることが多いから,非常に便利なのである。
しかも,そうした表示方法は全米で統一されているし,美観を考慮してあるから,大変わかりやすいし美しい。
こうした施設のないジャンクションもあるが,そのときには「NO SERVICE」という案内板があるから,そのジャンクションで降りてもなにもない。
私は,このようにして30分以上も時間をロスをしてしまった。どうしてこういう間違いをしたのかが全くもって腑に落ちなかったけれども,どうにか正しい方向に進むことができた。
昨日運転をしながら思っていたように,ユタ州からコロラド州に入ると,周りの風景は大平原から山岳地帯に一変し,しかも,ユタ州のような頂上部が平らな「メサ」とよばれる岩山ではなく,日本にもあるような,普通の山々に近いものになってきた。まさに「ようこそコロラド州」である。
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ロッキー山脈といえば,険しい山々とそこを走る山岳道路を想像する人も多いと思うが,ユタ州やアイダホ州はそうではなく,大平原や高原を走る雄大な片側2車線の高速道路が続いているのだ。
私は,逆に,これまでロッキー山脈というのはそういうものだと思っていたから,コロラド州の風景が珍しかった。コロラド州のそれは,むしろ日本の道路に近く,高い山が迫っていてやっとの空間にスペースを見つけて道路が作られているという,日本のような感じになってきたのだった。
2014夏アメリカ旅行記-続・インターステイツ70⑦
ホテルを出発した私は,来るときにあれほど苦労したのとは裏腹に,ホテルの目の前のジャンクションから,インターステイツ70にすぐに乗ることができた。
さて,今日の2番目の写真であるが,アメリカでは,ジャンクションの手前にこのような表示があって,インターステイツ70のどちらの方向に行くかが明確にわかるようになっている。日本とはえらく違う。すでに書いたように,インターステイツ70は偶数番号だから,東西方向を走るわけなので,ここには「70WEST」と「70EAST」という表示がなされている。
私はこの交差点で南から北に向かっているから,右手がEAST(東),左手がWEST(西)になる。
余談だが,アメリカのインターステイツの出入口の形態には2種類ある。
ひとつは,この交差点のように,右折はそのままインターステイツに入ることができ,左折は,インターステイツの高架下を通ってから,一旦信号で停車して,反対車線をまたいで左折して入るものである。そして,もうひとつは,右折は同じだが,左折は,インターステイツの高架下を通ったら左折ではなく右折して,くるりと時計回りに円を描くようにして270度回転してインターステイツに入り込むものである。こちらは信号で停車する必要がないが,ジャンクションの建設時に多くのお金がかかかっている。
そのどちらなのか一瞬戸惑うが,とにかく,表示にしたがって走れば問題ない。この2種類があるということを知っていればいい。
閑話休題。
私は,この後で起きた「間違い」の原因を,このブログ書きながら,今になって気づいた。
その原因というのは,私が,宿泊したホテルの場所がこのジャンクションの北にあるとはかり思っていたことであった。確かに,私は,昨日,インターステイツを降りて,一旦,北に向かった。そして,ホテルが見つからず,そのままUターンして,インターステイツの高架下を通りすぎたのだから,ホテルはインターステイツの南側にあったのだった。
私の頭から,そのことがすっかり抜け落ちていた。だから,今の今まで,私の頭には南を上にした地図があって,このジャンクションを左に行けば,デンバー方向(東方向)だと思っていたというわけなのである。つまり,「70EAST」という表示はまったく意識していなかったことになる。
そこで,このとき,私は,何の疑いもなく「左折して」インターステイツ70に入った。これで東方向に行くものだと思い込んでいたわけである。だから,あとはまっすぐに走るだけだと思っていた。今日の予定は,デンバーまで行くだけだったから,朝からすっかりのんびりまったりモードであった。
そのまましばらく走っていたが,昨日「ユタ州からコロラド州に入ると,急に,周りが平原から山々になるんだなあ」と思っていたのに,今日はなぜか行けども行けども平原が続いていた。それもまた,素晴らしい景観であったことには違いがないが…。
昨日走ったときはもう夕暮れだったのでよくわからなかったが,こんなに素晴らしいところだったのか,と感動すらしながら走っていた。それもそうだ。私は,東だと思い込みながら西に向かって進んでいたから,太陽を背にした順光だったから景色が鮮やかなのは当然であった。
今日インターステイツ70に入ったジャンクションは,EXIT31だったから,ユタ州からコロラド州に入った州境から31マイル(約50キロメートル)の地点ということになる。この先東に進んで行くのだからマイル数は数字が大きくなっていかなくてはならないわけだ。私は,いつも,この数字が大きくなるのを楽しみに走っていたのだが,気がつくとマイル数は20番台に減少していた。
何かがおかしい? とこのときにやっと気づいた。それでも,先に書いたように,私は、ジャンクションで正しい方向に乗り込んだと確信していたから,どうしてこういうことになっているのか,この現実に納得がいかないのだった。だから,それでもなお,私は,進んでいる方向が間違っているとは確信できず,絶景に感動しながら,依然そのまま走って行った。
やがて,「EXIT1」になった。
え~?
そうしたら,「ようこそユタ州」の看板が目に飛び込んできた。いったい,何が起こっているのだろうか??? そんな現実を目の前にしても,私は,まだ,疑心暗鬼であった。
長谷寺のボタンと室生寺のシャクナゲ-室生の里へ①
今年の春,4月のはじめは雨ばかりでしたが,4月の終わりは毎日とてもよい天気が続いています。
若いころ,ゴールデンウィークにふと奈良に行こうと,早朝名古屋駅に着いたのですが,近鉄の特急券が買えず仕方なく乗った普通列車で,多くの乗客が長谷寺で降りました。そのときはじめて,私は,この時期の長谷寺はボタンの見ごろなのだということを知りました。それ以来,私には「ゴールデンウィーク=長谷寺」というイメージが出来上がりました。
それ以来,一度行ってみようと思っていたので,4月29日,長谷寺へ行ってきました。
近ごろは,東名阪自動車道路が伊勢湾岸道路や新名神高速道路と接続してしまったために,それまで快適にドライブできた東名阪自動車道路が四日市付近でいつも渋滞するようになってしまい,名古屋から奈良に車で行くのがものすごく不便になりました。
ふたつの高速道路を接続させるのに,車線を増やすここもなくそのまま,などという無謀な行政がその原因です。その後無理やり3車線にしましたが,4車線は必要です。
この日も渋滞覚悟でしたが,予想通りの渋滞です。念のために事前に調べておいた一般道を使ってともかく亀山まで行きました。その先の国道25号は空いていて,快調に針インターまで行って,そこから南下,2時間半くらいで長谷寺に着きました。
山門を越え,参道を進んだ先の駐車場には空きがありました。きっと,ゴールデンウィーク後半の連休前だったので,思ったほど混んでいなかったのでしょう。今年は例年よりも暖かく,ボタンの満開時期が早くて,幸運なことにこの日がベストでした。ゴールデンウィーク後半はもう遅いということでした。
長谷寺では,高さ10メートルの巨大な本尊大観音尊像の特別拝観もできました。ここは,堂々として,素晴らしいお寺です。
・・
次に向かったのが,室生寺でした。
長谷寺のボタンと並んで,室生寺はシャクナゲで有名なのですが,不勉強な私は,シャクナゲもこの時期が見ごろだということを行くまで知りませんでした。
しかし,残念ながら,シャクナゲは昨年があたり年で,今年は裏作で花は少なめでした。また,次回行くときの夢ができたというものです。
今回は,初めて奥の院まで行くことができました。これまで何度室生寺に行ったかわかりませんが,奥の院までは行ったこともなく,そういうところがあることすらも知らなかったのは,情けない話でした。
奥の院に行く途中,戻ってくる人に「どのくらいかかるのですか? 1時間くらいですか?」と聞くと,「そんなにかかりませんよ。でも,気持ちは1時間」と言われた意味が,行ってみてとてもよくわかりました。行ったことのない方は,行けばこの言葉の意味がとてもよくわかることと思います。
奥の院へ行ってみて,以前,NHKテレビでこの奥の院の社務所まで毎日通っているお寺の人を取り上げた番組を見たことを思い出しました。
奥の院には社務所があって,ココ限定のお守りがあれば買うのになあ,と思ったら,ありました! 奥の院限定が。そこで,健脚お守りというのを買いました。私は,本当に冗談でなく,歩けなくなる恐怖を感じはじめたこの頃なのです。
ふもとの金堂には,十二神将がすべて揃っていました。いつもは,そのいくつかがどこかの博物館に出張しているということで,この日はいろいろものすごくラッキーでした。
こんなわけで,何から何まで素晴らしい奈良の旅になりました。
帰りに,「花の郷滝谷」というところにはじめて寄りました。素朴な植物園という感じのところで,満開の芝桜がとてもきれいでした。桜味のソフトクリームのちょっぴり効いた塩味もまた格別でした。
2014夏アメリカ旅行記-続・インターステイツ70⑥
☆5日目 8月6日(水)
さわやかな5日目の朝が来た。
きょうは,このままインターステイツ70を東にデンバーまで行く予定である。
宿泊した場所は,インターステイツ70のジャンクションに近く,多くの全米チェーンのホテルが立ち並び,ファミリーレストランもあり,駐車場には困らない,アメリカをこうしてドライブしているとよく出会う,理想的な宿泊地であった。
こうした町では,このような場所から少しダウンタウンに行くと,ヨーロッパでいう,いわば旧市街のようなところがある。とはいえ,歴史の浅いアメリカでは,旧市街といってもそれほど昔のものではないのだが,そういった場所では,レンガ作りの建物やら,それこそ,西部開拓時代からの町並みが残っていたりすることもある。
日本でもそうだが,そういった地域をうまく保存したり再開発したりできるかどうかで,その町の「味」が出たり出なかったり,あるいは,治安がよかったり悪かったりするわけだ。こうした所は日本のガイドブックに載っているわけではないから,歩いてみると思わぬ素敵な発見をすることもある。しかし,そうしたところは,歩いて散策したり観光するにはよいのだが,車を停める場所に困ったり,宿泊するホテルがなかったり,あるいは古かったりすることもある。だから,この日のように,単に宿泊する目的でそうした町を訪れたときに,まちがって,旧い町並みに入り込んでしまうと,ホテルを探すのにも苦労することになるので要注意である。
どこにホテルがあるかといった土地勘は,経験を積まないとなかなかわからないものだが,たいていは,インターステイツが町からバイパスして外周に回り込んだ市外地のジャンクションの周辺を探すとうまくいく。今は,インターネットでホテルの予約ができるから,そういう苦労をすることもなくなったが,少し前までは,結構大変であった。
いずれにしても,今回の私のように,ホテルまで行く経路に迷ってしまってはどうにもならないが…。
宿泊したのは,広く,新しいホテルであった。
ただし,今,これを書いていて,私にはこのホテルの印象がほとんどないのだ。写真を見ると確かにここに泊まったなあ,とは思うのだけれど,そして,すでに書いたように,このホテルに着くまでのことはよく覚えているのだが,ホテルに着いてからのことは,ほとんど記憶にないのである。
ともあれ,今日の写真のように,ちゃんとした朝食も食べることができて -トーストが少し焦げすぎたのは誤算であったが- しかも,レストランで,ほかの宿泊客となにかおしゃべりをしたような,しなかったような,記憶があいまいだけれど,いつものようにあわただしくなく,まったりと朝食の時間を過ごし,そのあと,あまりに気持ちがよかったからホテルの外を少し散歩した(という記憶はある)。
その後部屋に戻って,荷物の整理をしてから,チェックアウトをして,カバンを車に入れ,デンバーに向け出発した。
いや,この今日のまったり感が,このあと,また,意外な展開を示すことになるのである。
まったくもって、私は懲りないものだ。このあと起きた「とんでもないこと」とその顛末をお楽しみに。
「N響ザ・レジエンド」-「N響アワー」がFMで復活した!
4月からN響定期のない土曜日の夜,NHKFMで「N響ザ・レジエンド」という番組がはじまりました。
すでにこのブログに書いたことがありますが,昨年の10月に「今日は一日”N響”三昧」という番組が放送されました。この日は台風が接近していて,番組の途中で台風情報がかかるという状況だったのですが,番組が夜の部に入るにつれて歴史的な演奏が放送されて,しだいに音楽にどんどん引き込まれていったのを思い出しました。
どうしてかわからないのですが,同じ楽譜で演奏しているのに,すばらしい演奏というのは,まったく違う音楽のようで,どんどん引き込まれていくのです。そうなると,私は,もう,世の中の雑事など,本当にどうでもよくなって,音楽の泉の中に身をゆだねるのです。
そういった歴史的な演奏を味わおうという番組です。
「N響ザ・レジエンド」の第1回は4月4日,「1995年のブーレーズ・フェスティバル」からバルトークの「中国の不思議な役人」 とラヴェルの「ダフニスとクロエ」というバレイ音楽が放送されました。第1回が苦手なバレイ音楽というのもなんなのかな? と思ったのですが,それは見事に裏切られ,素晴らしい音楽に思わず聴き入りました。
第2回は4月18日,「1960年のシュヒター」として名指揮者シュヒターによるワーグナーの歌劇「タンホイザー」序曲,舞台神聖祭典劇「パルシファル」から前奏曲と「聖金曜日の不思議」,ヴェーゼンドンクの5つの詩 ,楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第3幕から「徒弟たちの踊り」「親方たちの入場」,楽劇「神々のたそがれ」から「ジークフリートのラインの旅」「ジークフリートの葬送行進曲」という,盛り沢山のワーグナーサウンドが放送されました。私はしばらくワーグナーを聴いていなかったのですが,その圧倒的な迫力を思い出して,酔いしれました。
第3回は4月25日, 「1964年のサヴァリッシュとの出会い」として,R・シュトラウスの交響詩「ドン・フアン」,シューマンのピアノ協奏曲,ブラームスの交響曲 第1番が放送されました。私は,何度も聴いたであろうサヴァリッシュさんのあの懐かしい響きの素晴らしさを思い出しました。以前,ブログに,「私はR・シュトラウスがわからない」とか様々なことを書きましたけれど,そんなことを書いたのが愚かでなさけなくなりました。
「N響ザ・レジエンド」は長年続いて突然終わった「N響アワー」が,新たにFMで帰ってきたような番組です。テレビの番組よりも放送時間が長く,映像がないだけ純粋に音楽に浸れます。また,池辺晋一郎さんのお話も興味深く,本当に至福な時間を過ごすことができます。
またひとつ,私の楽しみが増えました。
◇◇◇
「今日は一日”N響”三昧」-神の奏でる音楽