しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

July 2015

旅とは待つこと。
日本からアメリカに行くのに一番大変なのは飛行機に乗るまでなのです。
アメリカでは,飛行機なんて鉄道と同じようなものなのですが,日本では一般的な交通手段とはほど遠いので, よそいきなのです。だから,空港までのアクセスも,空港の設備も,国内線の機内の対応も,合理的とはいえません。
空港までのアクセスも,アメリカなら,シャトルバスとかレンタカーとか,電車があるところもときにはありますが,まあ,パターンが決まっているのです。日本は競争なので,いろいろ方法がありすぎて,これでは逆に旅慣れていない外国人が困ります。
国内線は,私は,日本よりアメリカの国内線を利用することの方が多いので,まれに日本の国内線に乗るととまどいます。
空港まで行くのも大変です。昨年は,品川から成田まで行くのに,成田エクスプレスが遅れて焦りました。今年の6月は,成田での国内線からの乗り換え時間が6時間もあって,近くの航空博物館に行こうと思ったら,接続するバスが1時間に1本しかなく,しかもターミナルが違うということで,苦労しました。成田空港のターミナル間のバスを使っての移動なんて,外国人が見たら笑いものです。 飛行機を乗り継ぐという習慣がないのです。

同じことをしたくない私は,今回は,新たな試みをすることにしました。
まず,荷物は事前に自宅から成田空港の送ってしまって,手ぶらで適当に成田空港まで行くことにしました。2,060円でした。
荷物がないので,自宅からタクシーに乗る必要もありません。帰りは,デルタゴールドなので無料で自宅まで送れます。結局,この方が便利で安いわけです。
そして,前日の夜,名古屋から深夜バスに乗りました。
東京から成田空港までは,在来線か京成かバスか調べてみると,バスが一番安そうなので,これを利用することにしましたが,これも,2社あるので,どちらかを選ばないといけません。比較したサイトがあったのですが,このサイトを作った人,別に乗ってみたわけではないのです。ただ,ふたつのサイトをコピーしただけ,いかにも,受験勉強に毒された日本人の作ったサイトでした。
というわけで,私は,実際に乗ってみることにしました。が,今回は「THEアクセス成田」というほうにしました。一番心配だったのは渋滞ですが,時間に余裕もあるので,気にしないことにしました。
というわけで,早朝6時前に東京駅に着いて,そのまま八重洲口へ行ったらバスが停まっていたのでバスに乗り込んだらすぐに出発して午前7時に空港に着いてしまいました。1,000円でした。とても便利です。もう成田エクスプレスなんて二度と乗りません。
結局,名古屋から成田まで4,000円ほどでした。早速,手慣れた自動チェックイン機で航空券を発券して,スターバックスで朝食です。出発まであと7時間。することもないので,ウィンドウショッピングをしてから,ラウンジで読書でもします。
明日はアメリカからお送りします。では,行ってきます。

今年も夏が来ました。
日本の夏は蒸し暑く,かつ,高校野球と終戦記念日が心をさらに暑くします。曇り空が多く,満足に星も見えません。しかし,私にとって,夏は旅の夏,アメリカの夏です。今年は,それにも増して,5月,6月とすでに2回太平洋を横断したので,待ちに待った夏,というよりも,あっという間に来た夏,といった感じです。
とまあ,前置きは長くなりましたが,私はきょうの午後,また,太平洋を渡ります。
先月アイダホに行ったときに,また来月くるからね,と言って一旦お別れしたその続きの旅です。
今年の日本は本当に雨が多い梅雨でした。毎年,梅雨といっても,雨の降る日は本当に少なくて,ただ蒸し暑い日が続くのですが,今年は,涼しい代わりに雨ばかりでした。おかげで,星もほとんど見られませんでした。そして,突然,猛暑になりました。
6月のアイダホは,毎日快晴,雲を見たことがない,といった日々が続いていましたが,現在はどうなのでしょう?
いつも書いているように,私は,アメリカ合衆国50州制覇を目指しています。それもあと3州となりました。今年はそのため? にカンザス州,オクラホマ州,アーカンソー州,アラバマ州など,わざわざ行かなくては行く機会のない州への旅を5月にしたので,この夏にも50州制覇はできるのですが,焦ることもありますまい。続きはまた来年の楽しみとして,この夏の旅は,もう一つの目標である国立公園巡りを楽しみます。
アメリカ国内もこれまでいろんな所へ行きましたが,真の魅力は,実は,大自然なのです。
昨年はアイダホ州から進路を南に,ユタ州の国立公園を巡りましたが,今年は進路を北に,モンタナ州,ワシントン州の国立公園に行こうと思っています。この辺りには,グレイシャー国立公園,オリンピック国立公園,ノースカスケード国立公園,マウントレニエ国立公園,セントへレンズ国立公園…,と数々の国立公園があります。さて,そのうちいくつ行くことができるでしょうか。
今回も現地からのLIVEをお楽しみに。
では,行ってきます。

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 今年は偶然お祭りに出会うことが多いようです。
 サンフランシスコに行ったとき,たまたまサンフランシスコ・プライド・フェスティバルだったし,先日京都へ行ったときは,その目的は真如堂の虫干しだったのですが,たまたまこの日は下鴨神社の御手洗祭ということで,その帰りに行ってみました。
  ・・・・・・
 御手洗祭(みたらしまつり)というのは土用の丑の日を中心に数日間にわたって京都下鴨神社で行われる「足つけ神事」のことです。
 古木に覆われた糺の森を歩いていくと,周りに屋台が並んでいて,それを通り過ぎ鳥居をくぐって本殿に入ります。そして,左手にある御手洗社へ向かうのです。
 池の入り口でロウソクを頂いて,靴を脱ぎ,素足になって,御手洗池に入ります。その冷たさにそれまでの暑さも忘れ,心も引き締まります。
 水の深さは大人のひざあたりまであるので,長ズボンだとまくり上げる必要があります。
 輪橋の下を通り抜けて,頂いたロウソクに火をともし,対岸の御手洗社に献灯をあげて,無病息災を願うのです。
  ・・・・・・

 風があるので,ロウソクに灯した火が消えかけてしまい,みなさん苦労しています。ロウソクの芯を下にして,蝋が芯に着くようにするのがコツですが,献灯したとたんにきえてしまうのが残念なことです。
 この御手洗社は別名を井上社といって,これは井戸の上に祀られていることからきているそうで,この井戸からの水が御手洗水となって,糺の森を流れているのです。
 この神事は江戸時代に庶民のお祭りとして始まったということですが,夏の暑い日に,足を水につけてお参りするのは,確かに気持ちがよく,心が洗われるような気がします。

 御手洗祭りの帰りは,みたらし祭にあやかったわけではないけれど,京都名物の加茂みたらしを頂きました。みたらし団子というのは,このみたらし祭で売られていたことから名づけられたのです。
 そして,その次に頂いたのが「鴨の氷室の氷」でした。
 京の真夏の伝統神事である下鴨神社氷室神事は,旧暦の6月1日に行われ,氷を宮中へ献上したり無病息災を祈願して,氷を口にしてお祓いをします。
 この故事にならって名付けられたのが,この「鴨の氷室の氷」です。
  ・・
 夜に行くとかがり火が綺麗だということなので,ぜひ,またいつか夜に行ってみようと思います。
 サンフランシスコのプライドがきわめてアメリカらしいお祭りなら,この御手洗祭は,きわめて日本らしいお祭りです。
 こういうときだけは,日本はいいなあ,と思います。

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 では,最後に,最新型のボールパークについて紹介しておくことにしましょう。
 これらのボールパークは,アメリカの都会の再開発のシンボルとして作られたものが多いだけに,テキサスとミルウォーキーを除けば,ダウンタウンのど真ん中にあって,交通の便がよいものが多いです。逆にいえば,クルマで行くと駐車場探しが必要なものもあります。

 試合開始の2時間前に開場されるので,それよりも早く行って,ボールパークの周りを一周するのをお勧めします。モニュメントがあったり,さまざまな楽しみが用意されています。また,入口がたくさんありますが,やはり,メインゲートの素晴らしさを一見するといいと思います。ボールパークの外からも,ところどころ,フィールドが見えるようになっているのも,また,「チラ見」の魅力になっています。

 中に入ると,まず,広場があって,ボールパークの外周に広いコンコースがあるので一周します。ここにはさまざまな売店やショップがあります。また,子供用の遊び場や博物館などがあります。
 階段やエレベータで上がっていくと,レストランがあったり,全体を見渡せる最上階の座席があります。
 特にひいきの選手がいなければ,一番安価な最上段の一番上の座席がお勧めです。全体が見渡せて,とても気持ちがいいです。

 アメリカのボールパークは,こうした作りは古くても新しくても同じです。だから,コンコースを歩いて,自分の席のあるブロックまで行くと,通路に係員がいるので,そこでチケットを見せて降りていったり登っていくことになるのです。ところが,意外にこの係員がいないことがあるのです。いい加減なのです。そうした通路を降りてしまえば,まあ,早い話が,空いている席に座っちゃうとそれでOKだったりするのです。
 そんなわけで,一番安価な,ボールパークの最上段の座席がお勧めなのです。この席のさらに素晴らしい所は,屋根があって,雨の日も大丈夫,また,デーゲームも直射日光が当たらないのです。問題は,最上段まで登るのがかなり大変なことです。足の悪い人はどうするのか,ですって? 心配いりません。そうした人は,そんな席に座らずとも,ちゃんとした身障者が車いすのまま見ることができるスペシャルコーナーがいたるところにあります。

 ゲームの合間には,様々な出し物が用意されています。セブンスイニングストレッチもあります。
 この国の人は,子供だけでなく,大人も無邪気に騒いでいるのですが,私は,どうして,それほど無邪気になれるのか,いつも不思議で仕方ありません。そこには,風船ふくらましたり,一団となって応援するなんていう無粋なことは一切ありません。
 このように,ボールパークは一番アメリカというところを実感できる場所だと思います。
 興味があろうとなかろうと,アメリカへ行ったら,ぜひ,こうしたボールパークに一度は行ってみるといいでしょう。そして,行く機会があるのなら,アメリカの国歌と「私をボールパークに連れてって」は覚えておきましょう。

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 ダイナソア国定公園の恐竜博物館を出て,よほどトレイルを歩いてビジターセンターに戻ろうかとも思ったが,他の誰もがシャトルバスに乗るので,主体性のない私もシャトルバスに乗り込んでビジターセンターにもどった。
 そして,駐車場に停めた車を走らせて,再びインターステイツ80にもどることになった。
 来た道をもどっていってもよいのだが,「V」の字にもどったほうが近いから,私は,ダイナソア国立公園から国道40を西にしばらく走って,三叉路を国道191を北に走り,途中で,来た道とは離れて,北西に州道414を走って行った。
 ところが,この道がまた,途方もない道路であった。これは,まったく想定外であった。

 道路は,例によって片側1車線の舗装された問題のないものであったが,まわりは草原ではなく,信州の山の中のような感じであった。そして,「ウシ出没注意」の道路標識があった。私は,北海道の「クマ出没注意」とか,長野の「シカ出没注意」のようなものだと軽く考えた。
 そういえば,「クマ出没注意」だって,日本では,近年は笑いごとではなくなっているし,シカなんて,星を見ようと深夜に走っていると,国道にいくらでも歩いている。
 先日なんて,可哀そうにクルマにひかれて道路上でのたうちまわっているシカを見たばかりだ。

 ここの道路標識の「ウシ出没注意」は,ほんとうにウシ出没注意なのだった。
 私がはじめに見たのは,道路際をのしのしと歩くウシさんの親子連れであった。かわいいものであった。しかし,そのあとで見てしまったのは,道路を横切る,のではなく,道路にたたづむウシさんの姿であった。
 私だって,これまで,国立公園の周回道路で,バッファローが横切るもの目撃したし,ノースダコタ州では恐怖を感じるほど目の前にバッファローの親子連れが現れた経験もあるけれど,ここは,国立公園ではなく,一般の州道なのだ。ともかく,ウシさんを轢かないようにゆっくりと進むしかなかった。
 そうこうするうちに,はるかかなたに牧場が見えてきた。どうやら,ウシさんは,この牧場の住人らしかった。
 あとで聞いた話では,こうしたウシはすべて誰かの持ち物で,もし,轢いたりしたらえらいことなのだそうだ。1頭200万円は下らないという話だ。
 保険でそれが出るかどうかは知らないが,要するに,そんな道路は走らないのに越したことはなかったのであった。そんなこと,私は全く知らなかった。
 
 ウシに注意しながら,州道414をさらに走っていくと,道路は十字路に差し掛かり,ちょっとした町になった。
 ここは,マウンテンビュー(Mountain View)という町であった。
 マウンテンビューは,ワイオミング州の南西のはずれにある人口が1,200人ほどの狩りと釣りができる,というかそれ以外にレジャーなどない素敵な町である。
 私は,アメリカのこうした田舎町がなぜか大好きなのだ。何かとても懐かしさを感じるのだ。前世は,こういうところに生きていたのに違いない。
 しかし,こんな町に行ったことのある日本人が果たして何人いることであろうか?
 この交差点を右折して,さらに北に進んでいくと,やがて,インターステイツ80に戻ることができるのだ。
 私は,この交差点の角にあったガソリンスタンドで給油して,ついでに自分にも給油? した。
 やっと無事戻ってこられたようなホッとした気持ちになったものだった。 
 右折して,さらに北上を続けた。
 まだまだ先は長かったが,ともかく,こうしてダイナソア国定公園から戻ることが出来た。予想ををはるかに超えた回り道になってしまったが,とても楽しい経験であった。

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 ボールパークの「暗黒時代」から,最新型のボールパークであるオリオールパーク・アット・カムデンヤーズの出現にいたる端境期に作られたのが,シカゴのUSセルラーフィールドとカナダのトロントにあるロジャーセンターです。
 もし,このボールパークが日本にあるのなら,最も豪華な野球場という評価になるのでしょうが,左右対称でファールグランドは広く,しかも,ロジャー・センターは人工芝であって,やはり,最新型のボールパークに比べたら,魅力に欠けるのが残念なところです。

 私は,USセルラーフィールドは外観だけ見たことがありますが,シカゴにあるふたつのボールパークのうち,リグレーフィールドに比べて,こちらのほうが場所柄も悪く,チームも人気がないので,私はあまり行きたいと思いません。ただ,実際行ってみると気持ちが変わるかもしれませんが…。
 このボールパークは治安が悪い場所にありますが,ボールパークには電車で行くことが出来るので,試合のある日なら問題はないと思います。

 ロジャーセンターはカナダというい寒い所にあるのでやむ得ないのですが,開閉式の屋根付き人工芝のボールパークです。
 となりにそびえるCNタワーの上から豆粒のようなボールパークが見えるし,外野席はホテルが併設されていて,客室からゲームが見られるなど,ちょっと変わったところです。中学校の英語の教科書にも載っていました。
 ネックになっている人工芝は,2018年には天然芝に入れ替えられるそうで,そうなれば,魅力が増すことでしょう。
 私は今から20年くらい前に一度行ったことがあります。トロントという都会は治安もよく,ナイヤガラフォールズも近いので,日本人のたくさん訪れるところです。
 このボールパークはダウンタウンの徒歩圏内でもあるので,トロントへ行ったら出かけてみてもよいかもしれません。

 そうした「暗黒時代」の後の生みの苦しみを乗り越えて現れたのが,オリオールパーク・アット・カムデンヤーズでした。 
 左右非対称,収容人数を押さえて,景観を重視して,遊びの部分を取りいれたこのボールパークは絶賛されました。そして,これ以降のアメリカのボールパークの主流となったのです。
 この新時代の幕開けとなったオリオールパーク・アット・カムデンヤーズは,今,私が最も気になっているボールパークです。
 私がこれまでに見たことすらないボールパークは,このオリオールパーク・アット・カムデンヤーズと,マイヤミにあるマーリンズパーク,ワシントンのナショナルズパーク,サンディエゴのペトコパーク,そして,フィラデルフィアのシチズンズバンクパークの残り5つなのですが,その中でも,もっとも行ってみたいところなのです。

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 写真で見てもおわかりであろうが,こんな建物を強引に作ってしまうのも,また,アメリカという国なのである。
 この建物は,前回書いたように,恐竜の発掘された崖にそって作られているが,今日の1番目の写真のように,むき出しになった崖の表面を見ることができるようになっていた。
 私は恐竜に詳しくないのでよくわからないし,あまり興味がわかなかったのだが,そんな素人の私にも,この崖のあらゆるところに恐竜の面影が残る骨格が生々しく残っているので,思わずすごいものを見たと思った。
 そして,2階と1階には,2番目と3番目の写真にあるように,恐竜の骨格や,この時代に関する詳しい展示模型もあって,非常におもしろいところであった。

 恐竜は大型ハ虫類の一群で,主竜類に属する。恐竜の仲間は約350属確認されていて,鳥形骨盤類である鳥盤目恐竜とトカゲ型骨盤類である竜盤目恐竜の2種類に分類される。
 恐竜が登場したのは約2億3,000万年前の三畳紀後期のはじめで,初期の恐竜は小型で3メートルから4.5メートル以上のものはいなかった。
 それが,約2億1,200万年前から1億3,000万年前のジュラ紀になると,環境に適応した結果,様々に進化していった。
 陸には巨大な獣弓目,空には翼竜などの鳥盤目,海には首長竜などの鰭竜目や魚竜目が現われて,これらが陸・海・空すべてを支配するようになった。
 鳥の先祖が鳥盤目から分化したのもこの頃のことである。

 ところが,6,500万年前,恐竜は忽然と地球上から姿を消してしまったのだ。
 最近の研究では,それは,小惑星衝突説が有力である。直径10キロメートル,重さ1兆トンもある隕石の衝突事件が恐竜を滅ぼしたというこの小惑星衝突説は,1980年にカリフォルニア大学のアルバレスらによって発表された。その証拠は,恐竜が絶滅した6500万年前の地層から各地で発見されたイリジウムという物質である。イリジウムというのは地球外起源物質,つまり地球ではできない物質なのである。

 1億4千万から5千万年前のユタ州周辺は,浅い海になったり陸地になったりしていて,多くの恐竜が闊歩する沼地であった。
 恐竜絶滅ののち,ロッキー山脈が出来たときの隆起によって太古の地層が押し上げられ,そのために,現在,ここ一帯で恐竜時代の遺跡を発見することができるのだ。
 このダイナソア国定公園にある博物館は,1909年,ピッツバーグにあるカーネギー博物館のアール・ダグラスが研究の結果,「このあたりには恐竜の化石があるに違いない」という結論に至り発掘したところ,たくさんの骨が出てきたというところなのである。
 1942年まで発掘を続けて,22体の完全な恐竜の化石とともに多くの骨が発見された。ここに露出している骨片の数はなんと2,300もあるということだ。

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 トロピカーナフィールドが「暗黒時代」のボールパークの生き残りなら,オードットコーコロシアムはそれ以前の1960年代に作られたコンクリート剝き出しの日本によくある野球場と同じようなものです。この時代に作られたボールパークで現在も使われているのが,ロサンゼルスのドジャースタジアムと,カンザスシティにあるカウフマンスタジアムです。
 もうひとつ,ロサンゼルスのディズニーランドの近くにあるエンゼルスタジアム・オブ・アナハイムもそうなのですが,このボールパークは1995年に大改造をして,最新型のボールパークに生まれ変わりました。
 いずれにしても,ロサンゼルスのドジャースタジアムとエンゼルスタジアム・オブ・アナハイム,カンザスシティのカウフマンスタジアム,この3つのボールパークのうち,カウフマンスタジアムだけはシャトルバスこそありますが,他はクルマがないと行く方法がありません。

 ドジャースタジアム(=1番目の写真)は,私が生まれてはじめて行ったメジャーリーグのボールパークです。それははるか35年前のことで,当時は最新型のボールパークで,広い駐車場とともにカリフォルニアの大地によく似合っていました。しかし,近年はさすがに古さは否めず,2000年に大改造をしたといっても,私には中途半端にしか思えません。
 ともかく,ニューヨークとかロサンゼルスといった金持ちの多く住むところにあるボールパークは,私のような庶民にとってあまり居心地のよいところではありません。

 カウフマンスタジアム(=2番目と3番目の写真)は,私には,ずっと気になっていたボールパークでした。ここも,今から30年くらい前には,広い駐車場に当時としては珍しいボールパークとフットボール競技場が別々に並んで作られていて斬新で,写真で見たときは,凄いと感動したものです。
 しかし,行くのには遠く,なかなか実際に訪れる機会がありませんでした。意を決して,この5月にわざわざ行ってきました。
 結論は,やはり,今となっては古びたボールパークでした。ここも2008年に大改造をしたのだそうですが,やはり,コンクリートむき出し,それよりも,私には,このカンザスシティというところが,気候不順で蒸し暑く住みにくく,しかも,観客が悪い意味で「田舎モン」で,球場職員のサービスもなおざりなことに,たいへんがっかりしました。
 見にきていた人は,他のところに比べて,このボールパークは広い駐車場もあり,すばらしいと言っていましたが,これまで,現地の人よりも多くのボールパークを見てきた私には,同意できかねる意見でした。
 まあ,一度行くのも悪くないけれど,行ってみたらそのチームを応援する気が失せた,というのが正直なところです。
 皮肉なことに,私が前回と今回,ひどいと書いたボールパークを本拠地とするチームがすべて強豪なのが不思議なところです。

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 この建物,つまりビジターセンターの奥の出口からシャトルバスが出ていた。行き先は,恐竜の化石が発掘されたままの地層を目の前で見ることができるように覆いがつけられた博物館の建物であった。それはかなり高い山の上にあるが,そこまでトレイルがあって,シャトルバスに乗らなくても歩いても行けるということだった。また,そのトレイルには,恐竜の化石が今でも転がっているとかいう話であった。しかし,かなりの山登りをしなくてはならないし,この暑さではとてもではないが,それを歩くという気にはならなかった。

 シャトルバスの乗り場には,2両編成のバスが停まっていた。
 その乗り場の手前で,太陽観測をやっているおじさんがいて,みんなに太陽を見せていた。
 使っていた望遠鏡は,太陽観測をするための「coronado」という正規のものだったので,いいかげんな見世物ではなかった。どうやら来た人に黒点を見せているようであった。私も,おじさんの誘いに乗って太陽を見た。それは,単に啓蒙用として見せていたのか,あるいは,「coronado」の宣伝用であったのか,その真意はわからないが,きっと,前者なのであろう。
 私は,太陽を見ながら,2017年のアメリカ横断皆既日食の話で,そのおじさんと盛り上がっていた。

 思えは,太陽なんて,望遠鏡で直視したのははじめてであった。
 私が子供のころは,おもちゃ -そのころはおもちゃとはおもえなかったが- に毛の生えたような天体望遠鏡が欲しくて,親にねだって買ってもらったことがあった。そうした望遠鏡には,すべて,なぜか,サングラスとムーングラスというものが付属品としてついていた。接眼レンズにはめ込んで使用するものでサングラスは真っ黒でムーングラスは緑色をしていた。
 当時の専門家曰く,ムーングラスなど必要ない,と雑誌に書いてあったので,子供心にも,これはまがい品のにおいがしたが,実は,問題だったのは,ムーングラスではなくサングラスの方であった。実際はあんなもので太陽を直視したら危険なのであった。さすがに,現在売っている望遠鏡にはそうしたものは付属していないが,当時は,サングラスというのは当たり前の付属品であった。流石にニコン(当時の日本光学)の望遠鏡だけは,このサングラスというまがい物はついていなかった。
 思えば,昭和というのは,こうした,危うい時代だったのだ。
 もちろん,ここで使用していた「coronado」は,正しい遮光を用いた現代の望遠鏡であった。アメリカはいい加減に見えて,こういうところは日本よりずっとしっかりしているのだ。

 恐竜の化石を見せる建物まで行く2両連結のシャトルバスには,女性の運転手が乗客を待っていた。
 次第にお客さんが集まってきて,やがてバスが出発した。かなりの坂を登って行くと,あたりは,見晴らしのいい頂上になった。そして,建物に到着した。
 恐竜を見せる建物は,化石が出土した崖に沿って作られているもので,中は3階建てになっていて,それぞれの階から壁になった崖に,恐竜の化石がそのままの状態で展示されいて,興味深く見学することができるのであった。
 話によると,この建物を作るには,かなりの苦労と工夫が必要であったらしい。

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 屋根がないかあるいはあっても開くこと,天然芝であること,そして,左右非対称であること,というアメリカの最新型のボールパークの特徴とは真逆のもが,1960年代から1990年代の不人気なボールパークだったと書きましたが,ナゴヤドームや京セラドームなどの日本の野球場は,すべて,その時代の模倣なのです。
 実は,アメリカにもそういったものが,ひとつ存在します。それが,フロリダ州タンパベイにあるトロピカーナフィールド(=1番目の写真)なのです。この異色のボールパークは「暗黒時代」の末期1990年に多目的ホールとして作られたもので,球団拡張でタンパベイに球団が出来たときに,間に合わせの本拠地としてボールパークに使用されるようになった意外と新しいものなのです。
 この時代遅れのボールパークも,幾度となく新球場の建設が模索されましたが,実現していません。

 私は,フロリダへ行ったときに,このボールパークへ行ったことがあります。あまり治安のよさそうに思えない場所にあって,道路を隔てたところに駐車場があって,古き日本の野球場のような雰囲気いっぱいでした。
 今と違って,私もアメリカのボールパークをあまりよく知らなかったころのことで,アメリカにも日本のようなチープな野球場があるんだなあ,と思いました。歩いていたら,観戦に来た人に余っているからといってチケットをただで譲り受けることができて特等席で試合を観戦しました。
 ここのボールパークは,クルマがないと行くのも困難だと思いますが,フロリダのディズニーワールドに近いことから,日本から新婚旅行で訪れる人もちらほら見られました。

 ボールパークの中もやる気が感じられず,オフィシャルショップも売る気があるのだかないのだか,とても退廃的なムードが漂っていました。
 だから,このボールパークへ行って,これがメジャーリーグのボールパークだ,と思ってはいけません。ここは,メジャーリーグのボールパークの中でおそらく最悪の部類でしょう。
 作りは東京ドームと同じような感じです。そうそう,東京ドームというのは,ミネアポリスのメトロドーム(写真2番目)を模したものです。かつてミネアポリスのメトロドームは,フットボールとの共有のボールパークでしたが,メトロドームを本拠地としていたツインズはターゲットフィールドという最新型のボールパークがダウンタウンのど真ん中に作られたときに移転してしまいました。

 このトロピカーナフィールドに勝るとも劣らない? ひどさなのが,サンフランシスコの対岸オークランドにあるオードットコーコロシアム(=3番目と4番目の写真)です。
 私は,この6月にサンフランシスコに行ったとき,ある意味怖いもの見たさで行ってみました。
 サンフランシスコには,BARTという地下鉄が走っていて,これに乗ると,ボールパークの入口まで行くことができるので,交通の便もよく,治安上は問題ないのですが,BARTがサンフランシスコ湾の海底トンネルを越えて対岸に出ると窓から見える町の雰囲気が一変して,一昔前の退廃したアメリカになります。そんなところにボールパークはあります。
 周りの風紀も悪く,球場もひどいとあっては,やはり,最悪です。
 ここは,日本の神宮球場みたいなボールパーク(神宮球場よりは立派)で,コンクリート剝き出し,今だにフットボールと兼用で,最上段にはベースボールの時には閉鎖される客席があり,ファールグランドもやたらと広く,さらに,アメリカにしてはめずらしい,私の嫌いな鳴りものを使った応援団がライト側の外野席に陣取っています。客層も,その場所に比例しています。
  ・・
 そうそう,このことはまったく知られていませんが,オードットコーコロシアムへ行って思い出したことがありました。それは,私が行ったときのシカゴのリグレーフィールドもそうでしたが,男子用トイレのとんでもない便器というのが,アメリカの古びたボールパークの特徴だということです。それがどういうものか知りたい方は,ぜひ,行ってみてください。
 トイレを見る以外に? わざわざ日本からメジャーリーグを見るためにここへ行く必要はないと思うのですが,サンフランシスコのダウンタウンには,AT&Tパークというすばらしいボールパークがあるので,この両方を見比べる意味でなら,出かけてもおもしろいでしょう。
 ここのボールパークを本拠地とするアスレチックスはサンフランシスコの南にあるシリコンバレー・サンノゼに移転する計画があったのですが,その計画は消滅してしまいました。

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 このあたりを,アシュレイ国有林(Ashley National Forest)という。インターステイツ80から国道191に入ったころの平坦な景色とも違い,また,ユタ州の国立公園の景観ともまた違った素敵な風景であった。このあたりには何らかの鉱山があったようで,そうした発掘現場らしいところもみられた。
 やがて,町になった。この町がバーナルであった。
 バーナルは人口が1万人。ユタ州の他の町と同じように,モルモン教徒が作った町である。この町の経済は,石油,天然ガス,リン酸塩,ギルソナイトなどの天然資源からなっているが,私がダイナソア国定公園をめざすように,恐竜の化石博物館目当ての観光産業も盛んである。
 また,アウトドア愛好家の間では,釣り,狩猟,および他の野外活動のための観光スポットとしても有名である。
 アメリカによくある小さな住みやすそうな町で,町中も,車は多いが走りやすいところであった。

 町で道路は西に国道191,東に国道40と別れて,国道40へ針路をとってしばらく走っていくと,やがて,左側,つまり北側に,雄大な山々が見えてきた。さらに走っていったところに,例によって小さな道路標示で,「ダイナソア国定公園」とあったらしいのだが,私はどうやらそれを見落としてしまったらしい。
 さらにしばらく走ってから,めざす国定公園の入口はどうやら過ぎてしまったと気づいたので,引き返すことになった。今度は,この道路標示を見つけることができたので,右折して(引き返しているので),北に向かう道路を走っていった。そこからもさらに進むと,やがて,この国定公園の建物が見えてきた。建物の手前には大きな駐車場があったのだが,そこには,多くの車が停車してあった。 

 それにしても,といつも書くのだが,こんなに遠く不便なところなのに,これほど多くの人が来ているというのが不思議なことであった。
 日本でも,バブル期に,北海道の不便なところに,多くのテーマパークができた。私も,そのうちのいくつかに行ったことがあるのだが,今となっては,すべて廃園となってしまった。この狭い日本で,わずか1時間くらいで行けるところですら,そんな状況なのである。
 しかし,考えてみれは,ここダイナソア国定公園は,人間の作ったテーマパークのように,その地域とはほとんど無縁な人工物ではないのだ。ここにしかない,人の手をはるかに超えた大自然の作りえたものなのである。
  ・・
 私は車を停めて,建物に向かった。
 入口には,これだけの施設には不似合いな,安っぽい恐竜の作り物があった。それも,また,アメリカらしいじゃあないか。
 この建物が展示室ではなくて,ここは売店と,子供たちの学習室であった。
 その建物を通って裏の出口を出ると,その先に,小高い山に行く2両連結のシャトルバスの乗り場があった。
 どうやら,展示室は,そのはるか山の上にあるらしい。

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 こうして「暗黒時代」に作られたボールパークは全て最新型に作り変えられました。そして,最新型が出現する以前の1960年代に作られたいくつかのものと1990年頃に作られたものだけが現存して,今もゲームが行われているのですが,そうした理由から,それら1960年代から1990年頃に作られて,まだ現役のボールパークを,私は「魅力を感じないボールパーク」とよんだのです。
 皮肉にも,日本にある野球場は,そのほとんどがこの時代のものを模したものです。唯一広島と楽天の使用している球場がアメリカの最新型を模倣しようとしているのですが,残念ながら規模も贅沢さも足元にも及びません。それは,財力の違いと共に,1990年以降のアメリカの好景気に対して,バブル景気以降の日本の「失われた10年」の影響もあるのでしょう。
 野球だけでなく,大相撲が行われている体育館も同様で,アメリカのバスケットボールが行われているスタジアムと日本の愛知県体育館などを比較すればその違いが歴然としています。
 日本は貧しい国です。

 前回にも書いたように,アメリカには,1960年よりも以前,今から100年以上も前に作られて今も現役のボールパークがふたつ残っています。
 それが,ボストンのフェンウェイパーク(=1番目と2番目の写真)とシカゴのリグレー・フィールド(=3番目の写真)です。
 それぞれ1912年,1914年から使用されているので,すでに100年以上を経過しているのですが,逆に,ここまで古いと,もうレジエンド(伝説)であって,それはそれはすばらしいものです。皮肉にも,最新型のボールパークがこうした古き良き時代のボールパークを模したので,これだけの古さがまた新しさにつながっているというわけなのです。
 この時代に作られてすでに使われなくなってしまったデトロイトのタイガースタジアム(=4番目の写真)やニューヨークの旧ヤンキースタジアム,シカゴのコミスキーパークもその流れに連なっていました。
 これらは惜しまれつつ新球場に生まれまわりましたが,それぞれ,ユニークなものだっただけに残念です。もちろんボストンやシカゴも建て替える計画があったのですが,市民の反対にあって,今もそのまま使われているのです。

 私は,このふたつともに行ったことがあります。
 先に結論を言うと,想像した以上にはるかに素晴らしいボールパークでした。そして,どうして建て替えに反対するのかというその理由がとてもよくわかりました。
 確かに古く,内装はくたびれて,鉄骨が剝き出しで,使い勝手が悪いのですが,それ以上に魅力に満ちたものだったのです。
 おそらく,1960年以降に作られた現役のコンクリート剝き出しのボールパークとこの時代の鉄骨剝き出しという点が,魅力の決定的な差になっているのでしょうが,それとともに「古きよき時代」に対して,人は,懐古調になるからなのかもしれません。
 このふたつのボールパークは,ボストン,シカゴとも,地下鉄で容易に行くことができ,都会の住宅街にあります。これだけ最新式のボールパークがたくさん出来た今でも,この2つのボールパークに勝るところはないといっても過言ではないでしょう。
 ベースボールに興味のない人も,ボストンやシカゴに行ったときは,歴史的観光名所として,ぜひ,行ってみることをお勧めします。ただし,チケットの入手は非常に困難ですが…。

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 フォッシルビュート国定公園とダイナソア国定公園を比較して,私は,まずダイナソア国定公園へ行くことにした。そりゃ,絶対こっちのほうが面白そうでしょ!
 ダイナソア国定公園は,地球の歩き方にはソルトレイクシティからの行き方しか書いてなかったが,私は,インターステイツ80からダイナソア国定公園へ向かったから,マイルマーカー99のジャンクションで国道191を南下することになった。
 予定では,ダイナソア国定公園へ行った後でインターステイツ80に戻り,その後でマイルマーカー18で国道189を北上してフォッシルビュート国定公園へ行く,という予定であった。
 しかし,やがて,その考えがとても甘いことに気づかされるのであった…。

 「地球の歩き方」には,ダイナソア国定公園について「寄り道というには遠い」と書かれてあった。私の友人のNさんに,私がダイナソア国定公園に行ったと話したら,「そんな遠い所へ…」というようなことを言われたから,やはり,ここは,とんでもなく遠く不便なところであったというわけだ。
 このときの私はそんな事とは知らず,恐竜の化石が見られるぞ,というワクワク感で一杯なのであった。

 さて,写真をご覧ください。
 国道191は,今日の1番目の写真のような道路だった。見慣れているとはいえ,このまっすぐに続く道路は尋常ではない。こんな道路がどこまで続いているのだろう…。
 数年前にサウスダコタ州からノースダコタ州に行ったときの,な~んもないと感激した私はうぶであった。その後多くの道路をドライブしてみて知ったのは,アメリカなんて,どこもかしこも,こんなところばかりじゃあないか! ということであった。
 しかも,ここからさらに2時間走れは,大都会ソルトレイクシティなのです。

 結局,私は,50マイル,80キロメートルほど,こんな片側1車線の,それも,まったく対向車線から車の来ない国道191を南に向かって走っていった。やがて,「ようこそユタ州へ」の看板と恐竜が私を迎えてくれた。
 しかし,ダイナソア国定公園は,ここからまだまだ遠いのだった。
 さらに,国道191を100キロメートルくらい南下すると,バーナル(Vernal)という町に着くのだが,そこで道路は二股に分かれ,国道191は西へ,国道40が東に向かう。ダイナソア国定公園は,その国道40をさらに20キロメートルくらい行ったところから北に広がっているのだが,その入口がどこなのかすらよくわからない。地図には,東京都の広さくらいの場所に,ダイナソア国定公園と書いてあるきりだった。
 これでは,大阪から京都へ行くときに,時間があるからちょっと寄り道といって,日光へ行くようなものではないか!

 ダイナソア国定公園にはまだまだ遠かったが,国道191は,ユタ州に入ったところで,フレミング・ゴージ国立保養地(Flaming Gorge national Recreation Area)という雄大なダム湖に出会った。
 ここに1件の売店があった。このあたりには,ピクニックエリアとか,キャンプ場があって,ボートやらヨットを引いた車が結構いた。その奥には,さらに,雄大な景色が広がっていた。
 アメリカというのは,本当に,底が知れない。そして,こういったアメリカの雄大な姿をほとんどの日本人は知らない。
 ほとんどの日本人はアメリカの大都会しか知らないが,私は,人間の作った大都会よりも,こうしたところで満天の星が見たいといつも思うのだ。

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 1980年代のアメリカのボールパークは「暗黒時代」と呼ばれていました。
 当時の代表的なボールパークは,セントルイス(=1番目の写真),アトランタ,シンシナチ(=2番目の写真),ピッツバーグ,フィラデルフィアにありました。それらは,ローマ時代のコロシアムに似て,円形の観客席が周りを取り囲み,左右対称,球場によっては人工芝で,アメリカンフットボールと共用のものでした。当然,観客席からは都会を眺めることもできず,面白みに欠けるボールパークでした。
 皮肉なことに,ナゴヤドームをはじめ,日本では,それを真似た野球場が名古屋,大阪,札幌などにできました。アメリカでは,これら「暗黒時代」のボールパークはすでにすべて建て替えられてしまったので,その雰囲気をを味わいたいのなら,このアメリカでは時代遅れになった特徴すべてを兼ね備えたナゴヤドームにでも出かければいいと思います。

 この「暗黒時代」に終わりを告げたのが,1992年に作られたボルチモアのオリオールパーク・アット・カムデンヤーズでした。
 左右非対称,古きよき時代を彷彿とさせたその最新型のボールパークが人気をよび,それ以後のアメリカのボールパークの流れとなりました。
 そこで,はじめに書いた「暗黒時代」のボールパークが,全て,1992年から2010年までにかけて,これを手本として,争うように新しく作り変えられたのです。
 それらが,現在のボールパークの主流となった,屋根がないかあっても開くこと,天然芝であること,そして,左右非対称であることで,客席からは景色が見渡せて,ボールパークのいたるところに楽しむことのできる場が設けられた一大テーマパークなのです。

 行ったことのない人は,テレビや写真で見るだけなので,いろんな誤解をしていますが,一度でも行ってみれば,その魅力の虜になって,もう,日本の野球場など,行く気がなくなることでしょう。根本的に考え方が違うのです。
 そして,皮肉なことに,1960年年代の「暗黒時代」の少し前に作られたいくつかのボールパークと暗黒時代に別れをつけようとした1990年頃に作られたものだけが現在も生き残っていて,それらが,前回書いた二つ目の,私が魅力を感じないボールパークなのです。

 オリオールパーク・アット・カムデンヤーズ開場以降の最新型のボールパークは,それぞれ個性があって,どこへ行っても面白いものです。
 開閉式屋根付きのボールパークもたくさん作られました。ホームランが出れば蒸気機関車が動いたり,フラッグポールがセンターのインフィールドにある(2015年で撤去されるということです)といったちょっと度を越えた遊びのあるヒューストンのミニッツ・パーク(=3番目の写真),屋根全体が動いちゃうシアトルのセーフコ・フィールド(=4番目の写真)やフェニックスのチェイスフィールド,フロリダのマーリンズパーク,扇形に開閉するミルウォーキーのミラーパークなどです。フェニックスのチェイスフィールドやフロリダのマーリンズパークは外野席1列目にプールもあって,水着の女性がベースボールを楽しんでいます。
 他にも,ライト側のホームランが海に飛び込み,レフト側には巨大なグローブのモニュメントのあるサンフランシスコのAT&Tパーク,ホームランが川に飛び込むピッツバーグのPNCパークなど,見どころに事欠きません。
 それらのボールパークを巡るのは本当に楽しいものです。

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 これまでずいぶんとアメリカでベースボールを見たのですが,私は,試合の内容や結果よりもボールパーク(野球場)に興味があります。
 アメリカの多くのボールパークの特徴は,屋根がないかあっても開くこと,天然芝であること,そして,左右非対称であること,だと思います。私のようなアメリカのベースボールファンには当たり前のことですが,ほとんど知らない日本の人は,外野がいびつなことにかなり抵抗があるようです。あるいは,そういう形であることを知らないようです。
 そこで,これから数回にわたって,私が行ったことがあるボールパークについての話題を取り上げたいと思います。
 アメリカには,メジャーリーグが30球団あって,その配下には数えられないほどのマイナーリーグがあります。私はメジャーリーグよりもむしろマイナーリーグのほうが面白いと思うのですが,ここでは,主に,メジャーリーグのボールパークについて書きます。

 現在使われているボールパークは,作られた時期によって,大きく分けて,3種類に分類できると思います。
 そのひとつ目は,ボストンのフェンウェイパークとシカゴのリグレーフィールドという,開場以来100年以上も経ったものです。
 ふたつ目は,ロサンゼルスのドジャースタジアム(=1番目の写真),カンザスシティのカウフマンスタジアム(=2番目の写真),オークランドのオードットコーコロシアム(=3番目の写真)です。ここに,シカゴのUSセルラーフィールドとトロントのロジャーズセンター,それに,タンパベイのトロピカーナフィールドも仲間に入れておくことにします。これらは,1960年代から1992年までに作られたものです。
 三つ目は,1992年以降に作られたボールパークです。

 正直言って,私はこの中で,ふたつ目として取り上げたボールパークにはまったく魅力を感じません。もし,生涯で一度っきりメジャーリーグを見るのだったら,文句なく一番目のふたつのボールパークがいいと思うし,アメリカの豪華なベースボールを感じたいのなら,このふたつ目に取り上げたボールパークは避けるべきだと思います。とはいえ,これらのボールパークも,決して「ひどい」わけではなくて,きっと見にいけばその豪華さにびっくりするでしょうが…。
 と,ここまで書いていて,日本のいわゆる野球場というのは,どこも,このふたつ目のボールパークをもっと貧しくしたものだと気づきました。
 それがどういうことか,次回から書いていきたいと思います。 

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 前回の最後の写真にあったLove'sというのは,ガソリンスタンドの名前である。私は,そこで休憩して,ガソリンを入れた。そしてまた,水分補給をした。
 Love'sは日本ではなじみのない名前であろう。固有名詞というのは,知らないと何が何だかわからない。しかも,この名前から,ガソリンスタンドを思い起こすことは,知らなければ不可能であろう。

 Love'sは全米チェーンのガソリンスタンドであって,アメリカでは頻繁に見かけるお店である。
 このチェーン店は,1964年にトム・ラブとジュディー・ラブさんが始めたガソリンスタンドで,アメリカではじめてセルフサービスのガソリンスタンドをはじめたり,今やアメリカでは当たり前の,ガソリンスタンドとコンビニを併設したりして,その事業を拡張していったのだという。彼らが最初に始めたコンビニの名前はミニストップなのだというが,それが日本のミニストップと同じものかどうか,私は知らない。
 ともかく,彼らのはじめたミニストップは,日本のようなお店ではなく,単なるコンビニであった。
 ガソリンスタンドのほうの名前は,はじめはマスケットといったが,1973年に彼らの名前から今のものに変わったということだ。

 私は,こうした,日本ではなじみがなく,アメリカ人には当たり前の様々なお店やその利用法を載せたガイドブックがあればいいなあ,と思う。逆に,日本では,これだけ多くの外国人が来るのだから,吉野家の利用法,たとえば,「つゆだく」の説明とか,そういうガイドブックがあると面白いと思うのだが…。
 そんなわけで,私は,今後アメリカ旅行をする際には,日本ではなじみがないが,こちらでは当たり前というようなチェーン店を調べてみたいと思うようになった。
 このように,旅行をしていると,まだまだやりたいことがたくさんできる。
 どなたか,このアイデア,使いませんか?

 さて,この旅行では,インターステイツ80からの風景もたくさん写したが,どれも,そう変わりはないので,このブログではどんどん割愛して,今日の写真は,マイルマーカー107,国道191とのジャンクションである。
 このこともすでに書いたが,マイルマーカーは州境西からの距離なので,マイルマーカー107というのは,ワイオミング州の西の端から107マイルということである。今日,私はネブラスカ州から西に向かって走ってきたから,ワイオミング州のはじめのマイルマーカーは401であった。そうすると,すでに300マイル,つまり500キロ近く走ってきたことになる。
 国道191は,インターステイツ80からグランドテイトン国立公園とイエローストーン国立公園を経由して,モンタナ州のボーズマンに至る国道である。ここで,私は,この道をボーズマンからウェストイエローストーンまで走ったときのことを思い出すのだった。
 私にとっては,これまでに行ったアメリカ旅行でのさまざまな出来事が人生の思い出のほとんどを占めているのだ。本当に素晴らしきよき人生であることよ。

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 そのようにして見つけ出した候補が,フォッシルビュート国定公園(Fossil Butte National Monument)とダイナソア国定公園(Dinosaur National Monument)であった。
 フォッシルビュート国定公園は,インターステイツ80から北に37マイル,60キロメートル行ったところにある。5,000万年前に湖だったところにあって,ワニ,カメを始め,多くの魚類や昆虫,植物の化石,骨,歯,殻,皮などが展示されているということだ。
 ダイナソア国定公園は,インターステイツ80から南に250マイル,400キロメートル行ったところにある。ブロントザウルス,ステゴザウルスなど1,600に及ぶ恐竜の化石が発掘されたところで,浸食によって化石が露出した岩盤をそっくり建物が覆って展示されているところだということだ。
 私は,この両方を見にいこうと思った。共に派手なところでもなさそうだが,アメリカのこうした施設は,日本のそれと違って,行ってがっかりというところはまずないから,期待が持てる。
 その結果は…?
 それは,後日のブログのお楽しみとしよう。
  ・・
 ワイオミング州は広い。今日,この国定公園に行くのは,まだまだ先のことで,これから,まだ500キロメートル以上インターステイツ80を西に向かって走らなくてはならない。そこで,このブログでは,まだしばらくは雄大なワイオミング州のインターステイツ80からの風景をご覧いただこう。

 今日の写真の2番目は,インターステイツのパーキングエリアである。
 パーキングエリアといっても,トイレ以外な~んにもない。ただの休憩所である。
 アメリカのインターステイツは,ほぼどこも無料だから,ジャンクションで降りれば,ガソリンスタンドもコンビニもある。そこで,日本のように,サービスリアやパーキングエリアが充実しているわけではなく,また,そんな施設はほとんど必要がない。
 しかし,町と町との間がものすごく離れているところや,景色のきれいなところには,時折,このようなパーキングエリアがある。設備としては,トイレと自動販売機くらいのものだが,ここのパーキングには,自動販売機すらなかった。
 パーキングエリアは,どこも,ほとんどゴミもなく,とてもきれいなところである。
 州境には,観光案内所が設置されていることがある。
 こうした観光案内所は大変にすばらしく,地図やパンフレットがものすごくたくさん置いてあって,それらはすべて無料でもらうことができるし,フレンドリーな係員がいて,いろいろと教えてくれる。

 これを書きながらも思い出すのは,停めるところもないくらい車だらけのパーキングに,道路地図だけが置かれ,必要もないのに,我勝ちにそれを持っていくといった,日本のサービスエリアの様子である。これでも近年は充実した設備が増えてきたけれど,都会の郊外にある巨大ショッピングセンターとなんら変わるものではない。
 また,道の駅にしても,地元の特産品を売る店があるだけで,自然を満喫したり,その場所の景観など全く考えられていないような設備投資をする日本の姿である。 
 まあ,これが日本人の休日の楽しみ方だから仕方ないことであるけれど。

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 では,きょうは携帯電話のお話です。
 アメリカをドライブ旅行していて,連絡方法がないというのは致命的なのです。私は,これで長年苦労してきました。これまで,携帯電話をレンタルしたこともありましたが,機種が使いにくく,恒久的に使うこともできないので不便でした。

 近ごろは,日本でもやっと,SIMフリーといって,携帯電話に入っている小さなSIMカードを入れ替えるだけで,同じ機種やスマートフォンでも会社を変えて使えるようになりました。
 補足すると,これまでは契約した携帯電話会社を変えるとそれまで使っていた機種が使えなかったのですが,これは携帯電話のせいではなくて,携帯電話に挿入されているSIMカードに「ロック」がかかっていて,ほかの機種に入れ替えられないようにしてあったというのが理由でした。これもまた,ユーザー無視,儲けることしか考えていない「せこい」日本の携帯電話会社の都合だったのです。

 私がこれまでやっていた方法は,携帯電話はauの「ガラ携」を使用し,外出先のフリーwifiでインターネットに接続するときはiPod-touch,そして,ソニーのSIMフリースマートフォンにOCNのデータSIMを入れたものでメールチェックをするというものでした。
 つまり,つねに3台持っていました。そして,アメリカに行くときは,ソニーのスマートフォンのSIMをHanaCellのアメリカ用の携帯電話SIMに入れ替えて使っていました。
 維持費は月に2,000円程度でしたがから,多くの人が月に10,000円以上も使っているよりははるかに安価な維持費でしたが,ソニーのスマートフォンが使いにくいこと(近頃は「日本製=使いにくい」というイメージです)に加え,3台持ちというのはやはり不便でした。
 アメリカに行ってつくづく思ったのですが,今は,iPadとiPhoneの2台で何でもできる時代になったのです。これで日々の生活も世界もかけめぐれるのです。
 そこで,私も,これを機に,すべてを一新することにしました。

 まず,中途解約で必要な解約料が高かろうとなんだろうと,携帯電話を解約することにしました。今後もずっと携帯電話会社の呪縛にかかわりたくないからです。
 SIMフリー解禁を機に,そろそろ高額の費用が必要な携帯電話会社との契約は決別するいい時期なのかもしれません。月10,000円というのは,1年12万円なんですよ! アメリカ往復できます。それにしても,携帯電話会社のわけのわからない料金体系,見ているだけで気分が悪くなりますね。どんな契約をしても絶対に会社が得するようになっているのは間違いありませんが。
 そして,私は,Apple Store で,SIMフリーの iPhone を購入しました。機種代が少し高く感じられますが,携帯電話会社に払う月々の契約料や通信料を考えると,そして,携帯電話会社との束縛が全くないことを考えると,この方が結局は割安なのです。
 次に,「音声対応SIM - OCN モバイルONE -」 をOCNで購入しました。これは,購入したときにはまず契約番号だけが送られてきて,その番号と契約に必要な情報をインターネットのサイトで入力して送信すると,後日SIMカードが送られてくるというシステムです。SIMカードはサイズが3種類あるので間違えないようにします。iphoneは3種類のうち一番小さいnanoSIMです。アダプタを使うと,小さなものは大きなものにも使えるので,将来機種を変えてもSIMカードはnanoSIMを選べば間違いありません。
 これだけで電話とデータ通信ができます。電話番号はこれまでの携帯電話の番号が使えるのですが,携帯会社から番号を持ち出すときにいろいろ言われてわずらわしいので,私は,あえて新しい番号にしました。

 さらに,ブラステル(brastel)という会社で「ブラステルカード」を購入するのですが,私はすでに持っていますのでそれを利用しました。このブラステルカードというのはプリペイドカードで,事前に購入した金額だけ電話ができます。公衆電話や一般電話から電話をかけるときは,ブラステルで指定された電話番号に電話をして,自分のID番号とパスワードをダイヤルしたのちに,相手方の電話番号にダイヤルするという方法です。すこし面倒ですが,通話料金はかなり割安です。これに加えて,ブラステルには通話料金が安価なIP電話「050Free」 というのがあるので (OCN モバイルONEにも「005plus」というIP電話が契約ができますが,「050Free」のほうが通話料がより安いです),これを契約(契約料は無料)して,アプリをダウンロードしました。
 電話はこのアプリから発信します。OCN モバイルONEで発行してもらった携帯電話の番号(090とか080)と050を選択して電話ができます。このアプリから電話する場合は自分のID番号とパスワードを入力する必要がなく,相手方の電話番号にふつうに電話をするだけです。また,050というのはインターネットに接続していないと使えないのですが,相手から050にかけてきたときは,自動的に090とか080に変換してくれます。また,このデータ通信カードを使ってインターネットに接続して050電話を使うと,110MBで約270分も通話が出来るそうです。

 以上のようにすると,iPhoneによる電話とインターネットの接続は合わせて月々税別1,600円です。インターネットは1日に110MBまでの通信容量が使えます(使わない分は翌日に持越しできます)。家庭にいるときや,外出先でフリーwifiがつながる場所ではそのwifiを利用するので、費用がかかりませんし,このようなフリーwifiのつながる場所は今後は日本でも増えていくので,この容量で問題なく使用できると思われます。
 ブラステルのアプリから電話をするときの通話料金はブラステルのプリペイドカードに入金した金額から支払われますが,私はほどんど電話をしないので,月々100円以下だと思われます。
 アメリカへ行くときは,このiPhoneに挿入したSIMカードをアメリカの国内用のものに入れ替えれば,そのままアメリカの携帯電話になります。
 アメリカ国内用のSIMカードをさがしたところ,HanaCellという会社に「プリペイド+」というのがあったので,それを契約して,送ってもらいました。他にモベルという会社もありますが,こちらの方が通話料が高いです。
 この「プリペイド+」は,アメリカの国内電話の番号が自分専用にもらえて,アメリカの国内電話として使えます。通話料は当然アメリカの携帯電話と同じで,アメリカ国内同士はもちろん,アメリカから日本にも電話できますし,日本からこのiPhoneにもかけることができます。
 この「プリペイド+」は,電話を使用しないときは費用が0円というのがすぐれたところです。また,プリペイドといっても事前の入金は不要で,使用した分だけの通話料が後で引き落とされるというシステムです。このカードはデータ通信もできますが,前回にも書いたように,アメリカではフリーwifiがつながるので,この点でも問題はありません。
 つまり,このiPhone1台で,日本にいるときはOCNのSIMカードを使用し,アメリカに旅行した時だけ,アメリカのSIMカードに入れ替えて使用するというわけです。私のスマホライフはこのような契約になりました。維持費は電話料金も含めて月1,800円ほど,しかも今後一切携帯電話会社の拘束なしです。
 これが私の決定版です。
 携帯電話会社3社は「カケ放題」とか,「データ定額」とかうたって月8,000円もするプランを提示していますが,自分がどれほど使っているかを調べてみれば,いかにむだにお金を捨てているかがわかると思いますよ。しかも何年縛りだとか,なにか,会社にロープをかけられて生きているみたいではありませんか。
 余ったお金でアメリカ旅行をしましょう!

◇◇◇
きょうの1番目の写真は,私がサンフランシスコで宿泊したホテルにあった最新式の電話です。この電話で一番便利だったのは,USB端子が3つついていたことで,これで充電ができました。
このように,アメリカではどんどんとインフラが整備されているのですが,それに比べて日本は非常に遅れているのです。残念なことに,ほとんどの日本の人はそういう世界の常識を認識していません。

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 振り返ってみれば,個人でアメリカ旅行をするときに一番困るのは通信手段なのです。しかも,なかなか情報がありません。
 一度っきりあるいはツアーで海外旅行をする人は,日本で使っているスマホを持っていってローミングをしている人も多いと思いますが,私のような旅では,そんな高価で意味のない出費をする必要はないのです。日本のスマホを海外で使うなんていうのは,業者の思うつぼなのです。
 日本の携帯3社は,消費者からお金をぼったくるだけが商売で,全く話になりません。
 これまでも,私はいろんな工夫をしてきました。そこで,今回は私が現在どうしているかというお話です。

 携帯電話が普及していなかったときは,私は,アメリカのAT&T社のIP電話が出来るカードというものを持っていました。これは,非常に優れもので,アメリカの公衆電話やホテルから,あらかじめ知らされたアクセス番号につないで,与えられたID番号とパスワードと相手先の電話番号をダイヤルすると,国内電話よりも安価に国際電話が出来るサービスでした。しかも,プリペイドではなくて,使っただけ後から請求が来るというものでした。
 しかし,わずが数十円の利用なのに,請求書が切手を貼って送られてくるなんていうことなので,こんなサービスがビジネスになるわけがなく,なくなってしまいした。

 インターネットが普及し始めた当時は,そのカードに加えて,シャープのザウルスという小さな情報機器を持っていきました。
 アメリカのホテルで,電話線を抜いてその機器のモデムにつないで,インターネットをすることができたのです。速度ものろく,あまり実用的でもありませんでしたが,今ではそんな当時のことが懐かしく思い出されます。

 そして,現在。
 アメリカでは,日本よりも無線LANのアクセスが容易です。いわゆるどこでもフリーwifiです。
 このブログで何度も書いているように,ホテルは,まず,大丈夫です。レストランも,マクドナルド,デニーズなど,自由につながります。野球場もサンフランシスコのAT&Tパークやデンバーのクワーズ・フィールドはつながりました。カンザスシティのカウフマン・スタジアムは値段の高い席だけつながりました。
 街中も,デンバーのダウンタウンやカンザスシティ郊外のはモールはつながりました。
 空港はどこも大丈夫です。しかも,待合場所のイスの横や下にはUSBの端子もあります。日本でも,新幹線は車内を豪華にするよりも,USBの端子をつけることの方が先ではないかと私は思いますが…。
 そんなわけで,アメリカではインターネットにつなげるだけなら,特に準備も契約も必要なく,iPad,iPod-touch,iPhoneなどがあれば大丈夫なんです。
 日本の空港で旅行者相手にアメリカでインターネットにつなぐためのいろんな契約を宣伝していますが,それはまったく不要です。
 わたしは,こうして,これまで,iPod-touch 一台で,なんでも済ませてきました。
 問題なのは,インターネットではなく電話のほうなのです。
 次回は,その電話についてお話しすることにしましょう。月々税別1,600円。私のスマホライフの決定版です。 

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 昨晩,きょう1日の予定を考えた。アイダホ州に戻るのは明日の昼過ぎということにしていたので,まだ,1日観光ができたし,ネブラスカ州からアイダホ州まではかなりの距離があったから,どこかで1泊したほうがよいように思えた。そうして探したのが,ワイオミング州とユタ州との州境エバンストン(Evanston)という町のハワード・ジョンション・インという名のホテルであった。
 つまり,今日1日で,ワイオミング州を横断すればいいことになる。
 
 ワイオミング州は,ほぼ正方形の形をしていて,私の走っているインターステイツ80は,その南側を通っている。
 西の州境に沿って見どころが多く,北から,イエローストーン国立公園,グランドテイトン国立公園がある。
 ロッキー山脈が縦断するワイオミング州は,平均標高はアメリカの中でコロラド州に次いで高い2,000メートル。豊かな自然に恵まれた地域で,人口は少なく, 山間には数多くの野生動物が暮らしている。ワイオミング州の牧場で飼われている羊や牛の数はワイオミング州の人口の2倍以上といわれ,自然 保護運動に関する意識も高い州である。
 ワイオミング州の北西部,四国の約半分の面積をもつ広大なイエローストーン国立公園は1872年に世界初の国立公園第1号に指定されたところである。同じ年に,ワイオミング州北東部にあるデビルス・タワーが「ナショナル・モニュメント(国定記念物)」の第1号に指定された。
 ワイオミング州の意識が高いのは自然保護運動だけでなく女性の地位向上である。1869年には,すでに女性の参政権を認めていた。そして1925年,アメリカ合衆国ではじめて女性の州知事が誕生したのもこの州である。

 結構な距離があるこの州の横断であるが,景色がよく,天気もよく,全く退屈することもなく,ドライブすることができた。ただひとつの問題は,この州に入ったらいたるところで道路工事をやっていて,片側1車線通行だったことだ。車の通行量が多くないから,まったく渋滞はしないが,こちらの道路工事のいいかげんなところは,道路を規制する日本とはちがう大きなラバーコーンが無造作に置かれていて,車幅すれすれだったり,また,そんな状態だから車がぶつけてそれが転がっていたりすることで,あぶないったらありゃしないことであった。
 景色はよくとも,ほとんどの場所はインターステイツ80を離れて北に向かっても,アクセスする道路もほとんどなく,また,どこかへ行くにも,あまりに広すぎるので,1日自由時間があったとしても気軽に立ち寄りるといういものではないことであった。なにせ,この州だけで,日本くらいの広さがある。
 私は,すでにイエローストーン国立公園にもグランドテイトン国立公園にも行ったことがある。また,ここは,アイダホ州から近いので,いずれまた行く機会もあることだろし,きょう1日で行くには遠すぎるから,「地球の歩き方」のアメリカ国立公園編で,どこか行けるとこがないかを探したのだった。

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 硬直化して,国全体がガラパゴス化している日本は,どんどん退化していますが,その反対に,アメリカは,出かける度に進化していて,それが便利になったのか不便になったのかは別として,次々と新しい技術を取り入れる意欲には,本当に驚かされます。
 ともかく,アメリカでは,今や,iPadとiPhone以外は何もいらない,という感じになってきました。
 きょうは,そんなアメリカの入国事情について書いてみたいと思います。

 昨年の夏に入国した時には,まだそうでなかったので,これからのお話は,今年に入ってから変わったことです。まだ,旅行ガイドブックにも載っていないし,昨年の夏に旅行をした人は知らないことだと思います。
 それまで,アメリカ入国に際して,入国審査と税関という関門がありました。そして,税関申告書を記入することが必要でしたから,行きの機内で,その用紙が配られて記入をしました。
 いまでも,旅行ガイドブックには,その記載例が載っています。

 ところが,その記入が不要になっていたのです。
 正確にいうと,観光でアメリカを訪れるとき,ESTAの登録と2008年以降にアメリカを訪れたことがあれば,入国は,機械で済ませることができるように変わったのです。
 この機械は,APC(AUTOMATIC PASSPORT CONTROL)というもので,「キオスク」とよばれています。
 そこで,以前なら,入国審査ではアメリカ国籍を持つ人とそうでない人,という列があったのですが,今は,この機械が使える人とそうでない人という分け方に変わったわけです。

 この機械の操作では,日本語も選択できるので,はじめてでも決して難しくはありません。
 まず,機械にパスポートを読み取らせます。その後,顔写真を写し,右手の4本の指の指紋を読み取らせれば終わりなのです。
 そして,機械から用紙が出てくるので,出口でそれを渡して,パスポートに滞在期限のスタンプを押してもらうだけです。

 これは,日々便利に進化している,というよりも,人間の手間を省く,という方が適切なのでしょうが,アメリカの入国はそのように変わりました。
 航空券の発券も,これと同様な機械で自動的に行うので,きっと,旅慣れていない日本の人が個人旅行をするのは,絶望的? なことかもしれません。日本のような親切な係員もいませんし。
 それに対して,日本は,以前は必要のなかった税関申告書の記入が必要になったり,何も不便だったときのアメリカのまねをする必要もないのに,そして,こうして一度決めたことはなかなか改善されないのも,また,日本らしいことなのです。
 こうしたひとつをとっても,アメリカと日本の違いや,日本の硬直した性格がわかるというもので,大変興味深いことです。 そして,甘やかされて育った大人になりきれていない多くの日本人は,アメリカは不親切だと吹聴することでしょう。
 これもまた,私には興味深いことです。

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☆7日目 8月8日(木)
 ネブラスカ州の朝である。
 昨日とは打って変わって,天気がいい。快晴である。ネブラスカ州らしからぬ? 天気である。
 部屋の窓から朝日がきれいに見えた。
 さっそく,昨日チェックインしたフロントに行って,その横にあった食堂で朝食をとった。
 無造作に置いてあったヨーグルトとジュース,そして,ワッフルを作った。

 以前も書いたことがあるが,この国は,こうしたチープなホテルでは人件費のかかるサービスは一切ないから,こんな早朝にスタッフなどいない。宿泊代はすでに払ってあるから,もう,チェックアウトをしようが朝食をどれだけ食べようが知ったことないのである。
 たとえば,日本でレンタカーを借りると返却の際に傷の有無を調べるとかいう手続きをするが,アメリカでは,無人で返却が出来る。そんなことに人件費をかける方がコストが高いのだ。
 私は,いつの場合も,きっと宿泊客の中で一番早く朝食を食べ,一番早くチェックアウトをするから,めったに他の宿泊客に会うこともない。
 この日も,朝食を済ませて,さっそくチェックアウトをした。フロントにキーを置いて,車を走らせた。
 こんなふうに旅をしているのだから,高級ホテルに泊まってももったいないだけなのである。

 ホテルを出たら,あとは,昨日と反対方向にインターステイツ80に戻るだけだった。
 まず,ホテルを出て,西に1キロメートルくらい走り,そこで左折して進路を南にとった。そのまま走って行けば,インターステイツ80のジャンクションに到着する。
 昨日はよくわからなかったが,今日の写真にあるように,キンボールは木陰の美しい静かな町であった。
 私のネブラスカ体験は,おおよそこれくらいのものであった。次にネブラスカ州に来るのはいつのことであろうか? 

 インターステイツ80に着いたら,一路西に,アイダホ州に向かって走るだけだった。
 それにしても,こうして自由に旅をしていると,そのままインターステイツ80を逆に東に行きたくなってしまう。そうすると,ネブラスカ州を横断して,アイオワ州,そして,イリノイ州のシカゴまで,きょう1日で行くことができるであろう…。
 そう考えると,大陸横断なんてわけないことだと思えてくる。
 今日は,このまま西に進んでアイダホ州に戻るには少し距離があるから,ワイオミング州を横断して,ワイオミング州の西の端の町で宿泊することにした。
 とすれば,途中でどこか観光ができるのだが,どこへ行くことにしようかと,いろいろと調べてみたのだった。

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 毎日雨ばかり。
 きょうは,おとめ座とかみのけ座の銀河団についてのお話で,晴れるのを祈念したいと思います。
  ・・

 私は,この春,おとめ座やかみのけ座のたくさんの銀河の写真を写したことは,すでにブログに書きました。季節は変わり,これらの銀河も西の空に沈んでしまいました。
 子供のころに買った誠文堂新光社の「全天恒星図」という星図は,今と違って,人の手で星や星雲・星団を書き込んでそれを製版して作られたものでした。星の数は肉眼でみることが出来るだけしかのっていなかったのですが,それでも,私には多くの夢が詰まった宇宙そのもので,毎日飽きずに見ていました。
 そして,その本の中には,しし座からかみのけ座にかけて,やたらとたくさんの銀河が書かれてありました。

 私たちが所属するのは天の川銀河という銀河系です。ここに載っている銀河というのは,我々のいる銀河系とは別の銀河の星々の密集した集まりです。だから,天の川よりずっと遠くにあるものですが,そんな天体が,特にしし座からかみのけ座あたりにたくさんひしめき合っていることが驚きでした。
 文字通り,銀河がたくさん集まったものは「銀河団」とよばれるのですが,銀河団は,大きさは1千万光年程度,ひとつの銀河団に属する銀河の数は数10個から数1,000個ほどです。
 おとめ座にあるたくさんの銀河は「おとめ座銀河団」(Virgo Cluster)といって,銀河系の近傍にある銀河団なのです。
 このおとめ座銀河団は我々から最も近いところにある銀河団で,距離は約6千万光年。1,200万光年ほどの広がりの中に,約2,500個の銀河が含まれています。
 また,おとめ座銀河団は,さらにより大きな「局部超銀河団」の中核部分をなしていて,我々の銀河系が属する局部銀河群はこの超銀河団の外れにあるメンバーだということです。
 このおとめ座銀河団に属する銀河の多くは,私の持っているような小さな望遠鏡でも観察できまるのです。

 少し難しいお話をすると,おとめ座銀河団いある銀河は,渦巻銀河と楕円銀河がかなり不均一に混ざった構成になっているのだそうです。
 そのうち,渦巻銀河は我々の視線方向に沿って葉巻状に伸びた長球形に分布していて,分布域の長さはその幅よりも約4倍長いとされています。その一方で,楕円銀河のほうは渦巻銀河よりもずっと銀河団の中央部に集中しているのだそうです。
 また,おとめ座銀河団は,M87,M86,M49という別々の銀河を中心として,それぞれ3つの小さな塊に集まった構造になっているのですが,その3つの塊の中ではM87の塊が最も大きいものです。
 おとめ座のお隣にはかみのけ座があって,こちらの銀河は,「かみのけ座銀河団」(Coma Cluster)を形成しています。こちらのほうは,おとめ座銀河団とは違って距離が3億光年と遠くて,直径2,000万光年の中に約1,000個の銀河を含んでいるということです。

 このように,ここでは,おとめ座とかみのけ座の銀河団を取り上げましたが,こうした銀河団は,ほかにも宇宙にはたくさんあります。
 その中で現在知られている最も遠い銀河団は「CL J1449+0856」という名前のものです。
 それは,すばる望遠鏡やハッブル宇宙望遠鏡,ヨーロッパ南天天文台(ESO)の大型望遠鏡(VLT)などの研究で,なんと,138億年前の宇宙誕生からわずか約30億年後という早い時期のものであることが明らかにされましたのです。
 このように,夜空を見上げると,宇宙創生からの姿を今でも身近に感じることができるということなのです。
 宇宙はひとつのタイムマシンなのです。

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 ドアが開かなければ係を呼ぶだけだから,そのときはそのときだ。私は,夕食を取るために外に出た。とはいえ,閑散としたダウンタウン(ここをダウンタウンなどとよべるのであろうか?)にあったのは,客のいないサブウェイだけであった。
 サブウェイで注文をすることのむずかしさを,以前,ブログに書いたが,他に選択肢がないとあっては,そこに入る他はなかった。

 ここで,少し余談を書く。
 私は,生まれてはじめてマクドナルドを体験したのは,サンフランシスコであった。同じように,これまで日本ではサブウェイにも行ったことがなかった。日本でも戸惑うのに,アメリカのサブウェイにいきなり挑戦することの方が無謀ではないか。
 そこで,帰国後,私は日本のサブウェイに行ってみることにした。
 日本でも,やはり,同じようによくわからないのだった。
 アメリカとの一番の違いは,ブレッドが半分のものしかないということであった。そして,野菜は,全部といえば,全部入れてくれるというお任せだったとことと,ソースも,お任せができるという,きわめて,日本的なところであった。
 私は,日本のサブウェイは日本のマクドナルドと同様,割高だと思う。アメリカに比べて量が少ないのだ。これでは夕食どころか昼食にもならない。ドーナツなどのサイドメニューが欲しい所である。

 ということで,この晩はサブウェイしか選択肢がなかったので,ともかく中に入った。サービスをするぞという雰囲気のかけらも感じられないやる気のない店員と,これもまたやる気のない客は,退廃的な雰囲気の中,注文もいい加減に,それでも,どうにか,サンドウィッチが出来上がって,私はそれを受け取ることができた。
 他には客のいない店内で食べる気もなくなったので,サンドイッチに加えてさらにジュースを注文して,私は,それをホテルに持って帰って,ささやかな夕食にしたのであった。

 それにしても,この小さな町,とても平和そうでのどかなところではあるが,他に何もすることがない。買い物に行くにも,隣町は遠いから,住民の楽しみは何なのであろうか? 竜巻との格闘であろうか? 調べてみたところ,レジャーはゴルフであるようだ。付近には大きなゴルフ場がある。というか,ゴルフ場しかない。
 ホテルに戻り,無事にドアも開けて中に入り,テレビを見ながら夕食をとった。夕食というよりは,これは「エサ」であった。
 部屋は辛き臭く,この町が過酷な自然の中に存在することを実感した。
 ただし,テレビのチャンネルは確かで,アメリカでの楽しみ「Tonight Show」を見ることができたのは,うれしかった。こうして,おそらく人生最初で最後になるであろうネブラスカ州の夜は更けていったのだった。
 何も記憶に残らないホテルも多いのに,こうしたことのすべての記憶が鮮明に残っていて,いつしか懐かしい思い出に変わるのだから,旅というのはおもしろい。

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 きょうは七夕です。
 残念ながら,このところまったく星が見られません。6月末には,厚い雲の上では,木星と金星が大接近をして,夕方の西の空に,明るいふたつの星がかわいく並んでいたのですが,この梅雨空で,話題にもなりませんでした。
 私の周りの幾人かの人が,私に,夕空に明るい星が並んでいたけれど何ですか? と聞いたので,雲の間にそれを見ることが出来た幸運な人もいたのでしょう。
 私は,そのころ,アメリカを旅行していたので,サンフランシスコの晴れ上がった空のもとで仲よく並んだふたつの星を見ることができました。
 そうしたわけで,もっと素晴らしい写真を載せようと考えていたのですが,良い写真をお目にかけられられないのが残念です。

 大接近の数日前,6月24日のことです。
 木星と金星は少し離れていましたが,ちょうど月がそれと並んでいたので,その姿を見ようと思いました。この日も天気が悪かったのですが,夕方,少し雲が切れたので,なんとか写真に写そうと準備をしました。そして,その日の午後8時10分ごろ,国際宇宙ステーションも同じ視野に見ることができるのを偶然知りました。
 そこで,少し車を走らせて,川辺の堤防でカメラを構えることにしました。

 予報通り,午後8時10分,まだ空が明るいころ,前回と同じように,国際宇宙ステーションが,スローモーションを見ているかのような速度で現れました。それが,きょうの1番目の写真です。右下から左上に線になって見える軌跡が国際宇宙ステーションです。
 残念ながら,月と金星と木星はこのとき雲に隠れてしまっていました。この写真の左下にぼやっと光があるのが雲に隠れて光っている月です。
 その20分後についに晴れ上がって,月と金星と木星の姿を見ることができたのは幸いでしたが,もし,このような状態で国際宇宙ステーションが一緒に見られたらどんなにすてきであっただろうか,と思いました。
 2番目の写真で左の明るいのが月で,ふたつの星のうちで明るい方が金星,少し暗い方が木星です。
 3番目の写真のように,木星と金星は,7月1日には0度24秒まで接近をしました。
 もし,望遠鏡でその姿をみることができたら,同じ視野の中に,このふたつの星を同時に見ることができたのに,それを果たせなかったことだけが,今年の心残りになってしまいました。

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 ネブラスカ州に入って,雨は止んだ。虹が次第にくっきりとしてきて,とても美しかった。私のネブラスカ州体験は,この日の晩と次の日の朝だけだったから,本当の姿はわからない。しかし,思っていたような,ネブラスカ州のイメージ通りだったことに,すっかり満足したのだった。
 やがて,キンボールが近づいてきた。ジャンクションを出て,北に向かって数キロ走るとささやかなダウンタウンに出て,そこに予約をしたホテルがあるはずだ。

 キンボール(Kimball)は人口約2,500人の小さな町である。もともとは,アンテロープビレ(Antelopeville)とよばれていたが,ユニオンパシフィック鉄道が拡張されたときに,その拡張に貢献したトーマス・キンボール(Thomas Kimball)にちなんで,1885年に改名されたという。
 ・・
 「City-Data.com」というサイトがある。
 このサイトには,アメリカのすべての町のあらゆるデータや,投稿されたその町の写真が載っているから,眺めているだけで面白い。その中で私が好きなのは,small cities である。こうした町の写真を見ると,私は,いろんな思いを巡らす。
 こうした町は,メインストリートと名づけられた人気のない1本の道路の周りに数件のお店があって,それをとりまくように住居がある。きっと,住んでみればとても大変なところなのであろうが,なぜか,私はそこへ行ってみたくなるのだ。
 ここキンボールも,まさにそんなところであった。

 ホテル「デイズイン」はすぐに見つかった。小さなフロントと食堂を兼ねた建物と,その隣に平屋の数部屋が並んでいた。
 フロントで,係の若者が迎えてくれた。
 彼は,いったいこの何もない町に何をしに来たんだ,と興味深く聞いた。私は,例のごとく,アメリカ50州制覇のためだけにネブラスカ州に来たのだ,と言ったら,愉快そうに笑った。
 この町には,他にモーテルの1軒もなさそうだったので,このホテルが唯一であるようだった。
 キーをもらって部屋に行った。
 ところが,部屋の戸が開かない。どうやっても開かない。
 私は,再びフロントに行って,先ほどの若者に部屋に入れないと言った。彼は,戸がきしんでいるんだと言って,どこかに力を入れて,戸を開けた。確かに,戸は開いたけれど,今度,自分で同じようにしてこの戸が明けられるかどうか,自信がなかった。
 こんなこともまた,この町の雰囲気に似合わないこともない。
 どう表現していいかわからないが,私は,自分が落ちぶれて地球という惑星のどこにでもある石ころのような物質のひとつになれたようで,旅先のこの不憫さがたまらく好きだ。
  ・・
 さて,夕食をとらなくてはならないが,この町にレストランがあるのだろうか? そして,また,ふたたびホテルに戻ってきたときに,この部屋の戸をあけることができるのであろうか? そうした不安が頭をよぎった。
 こうだから旅は楽しいのである。旅はやめられない。

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 ワイオミング州に入って,インターステイツ25をさらに北上して8マイル,インターステイツ80とのジャンクションに着いた。
 私はここで右折するのだが,インターステイツ25をさらに北上していくと,やがて,ワイオミング州の北部でインターステイツ90とぶつかり,そのままインターステイツ25は吸収されてしまう。インターステイツ90は,アメリカで一番北を東西に横断するが,西はワシントン州シアトルから東に向かうが,アイダホ州を横切り次のモンタナ州で東北東方向にはインターステイツ94,東南東にインターステイツ90と二股に分かれていく。そして,インターステイツ94がノースダコタ州へ,インターステイツ90がサウスダコタ州へ向かうのである。

 今晩の宿泊先は,キンボール(Kimball)という小さな町のデイズインであった。
 私の目的は,「ようこそネブラスカ」という看板の写真を写すだけだったから,そこで引き返してもよかったのだが,興味本位で,ネブラスカ州に1泊することにしたのであった。そこで,ネブラスカ州に入ってからのインターステイツ80の通過する町にホテルがあるかどうかを順に調べていったのだが,なかなかホテルがない。やっと見つけたのが,キンボールだったのである。たいしたホテルでもないのに,需要と供給の関係で,やたらと宿泊代が高かったがやむをえない。  

 右折して,インターステイツ80に入ったころから,なんだか,雲行きが怪しくなってきた。
 きょうは,クワーズフィールドで試合開始前に雨が降ったがそれも止んで,その後はすばらしい晴天であった。この旅ではこれまでもずっとそうであった。
 遠くには,渦巻きすら見えてきて,これが,あの,恐ろしい竜巻なのかと思うと恐ろしくなってきた。だんだんと雲が出てきて,黒い雲の間には,虹さえ見えてきた。異様な風景であった。
 しかし,なんだか,それがまた,とてもネブラスカ州らしく思えたのだった。

 インターステイツを走る大地はだんだんと高度を増していくようで,周りの風景よりも高いところを走るようになってきた。まわりは一面の大地で,竜巻が起こればひとたまりもないなあ,と真剣に心配になってきた。本を読もうが,知識があろうが,そんなもの,こうした景色を一度見るといった体験で得られることの比ではない。
 巨大なコンボイが走っていく。次第に雨が降ってきた。北に見えるのは,石油を掘削する井戸であり,向かっている東は真っ暗な雲である。南を見れば,大草原が広がっていて,後方の西からは夕日がまぶしくバックミラーを照らしている。そして,巨大な虹である。
 いったい,ここはどういうところだろうか? しかし,ともかく私は前に進まなくてはならない。
 そのうち,ワイオミング州の州境が近づいてきて,ネブラスカ州に入ってはじめてのEIXT1の道路標示が見えてきた。私は,念願の「ようこそネブラスカ州」の看板を見落とさないように,スピードを落とした。
 夢にまでみた「ようこそネブラスカ州」は,思ったほどすてきな看板ではなかったが,ともかく,私は,こうして,ネブラスカ州に到達したのであった。
  ・・・・・・
 NEBRASKA …the good life
  ・・・・・・

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 「クールジャパン」といって,日本の技術力の高さが語られています。その一方で,ガラパゴス化といって,あまりにマニアックになってしまって売れなくなった日本の工業製品が問題になっています。
 私は,日本の品質の高さと素晴らしさを,これまでずっとすごいなあと思ってきたのですが,近ごろは,だんだんと,やりすぎじゃないの,と思うようになってきました。
 どうやら,この国は,きちんとするという意味を取り違えているようです。
  ・・
 「誤差論」というものがあります。科学実験を行うのに、知っていなければならない学問です。
 たとえば,メートル刻みのものさしで計った値とセンチメートル刻みで計ったものさしで計った値を単純に足しても,それぞれの誤差が違うから正確でない,誤差を考えなけれないけないといったことです。
 100センチ+1センチ=101センチとは限らない,ということです。
 私が小学校のときに読んだ雑誌の記事に次のようなものがありました。
 日本の天体望遠鏡はアメリカのものに比べて,非常に精密に作られているが…,といった内容でした。たとえば,ある製品に部品が10個必要だとします。そのうちのひとつの部品の耐用年数が技術的に10年しかないとします。そのとき,アメリカ製品なら残りの9個は10年の耐用年数でよいからとその期間持つようにある意味雑に作られているけれど,日本の製品は,残りの9つは100年の耐用年数があるほど精密に作られている。しかし,残りのひとつが10年しかもたないものだから,残りの9つが100年持ったとしてもそんなことは意味がない,そんなことが書かれてあったように記憶しています。
 
 日本のメーカーのカメラの交換レンズはものすごく性能がよく高価でいつまでも使えるのですが,焦点を調整するリングに張られたラバーだけが耐久年数が,その高性能と値段に不似合いに10年くらいしか持たない,ということがあります。ベタベタになってしまうのです。たとえ交換が可能であるとはいっても交換するには非常に高価であるから,そんなアンバランスな製品ではいけないわけのです。
 今は,列車の運行時刻が数秒の単位で正確に運行されている,といったことをテレビの番組でやっていたのですが,それを達成するための努力や工夫といったら並大抵のことではないわけです。しかし,それに接続するバスの時刻といったら,道路の渋滞やらなにやらで,10分や20分の遅れは当たり前なのだから,列車だけがそれほど過度な正確さで運行していても,どれだけ意味があるのか,ということになってしまうわけです。
 道路だって,過度にいろんなラインが引いてあったり周りの美観など全く考慮されずガードレールが設置されたり道路にポールが立てられたりと,すべてがスムーズに動いているときだけは機能するけれど,車が1台駐車してあるだけで,たちどころにそれらが意味をなさずに渋滞になってしまうということが日常茶飯事です。
 また,学校の入学試験では,1点刻みで合否を決めているのに,その点数の元となるそれぞれの出身校から提出される内申点に1点を競わせるだけの正確さがあるのか,というような疑問もあります。

 私の言いたいことは,この国の「クールジャパン」を支える技術が,もっと全体でバランスの取れた,ある意味「遊びのある」正確さになっていない,ということです。要するに,ある部分だけが「やりすぎ」,つまり,度を越えているのです。いい意味で,もっとアバウトで,もっとラフでいいかげんでも,それが無理なく全体として調和が取れていればそれでいいんじゃないの,ということです。そうして,もっと,人間らしく,これもいい意味で,のんびりと生活しましょうよ,ということなのです。
 車のハンドルには「遊び」があることが大切なんだ,という文章を読んだことがあります。いつしかこの国は,そのことを忘れて,極端に過度な正確さと余裕のない厳密さを追求するようになってしまいました。それは,太平洋戦争に突入していった当時の狂喜にも似ています。これがこの国の民族の特徴なのです。これがヤマト民族なのです。
 私がこの国に,窒息しそうで息が詰まるという印象を持つのは,きっとこうした行き過ぎてしまった様々なことにその原因があるのでは,と思うのです。
 いったい,人生を楽しむことも忘れて,この国の人たちは何を目指して生きているのでしょうか?

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 テキサス州でもないのに,石油を掘削する井戸が見られた。アメリカは,そこらじゅうで石油が出るものらしい。
 道路は片側2車線になり,車も少なくなって,心配された渋滞もなくなり,順調に北に向かって進むようになった。
 やがて,コロラド州の州境を越えて,車はワイオミング州に入った。さらにしばらく行くとシャイアンという町に入り,そこで,東に進路を変えてインターステイツ80に入り100キロメートルほど行けば,ネブラスカ州である。

 ネブラスカ州(Nebraska)は,中西部にある州で,州都は大統領の名にちなんでつけられたリンカーン,最大の都市は州の東端にある人口約40万人のオマハ,50州の中で,唯一議会が一院制の州である。
  ・・・・・・
 ネブラスカとは、古代オトー語のÑí Brásge,あるいはオマハ語のNí Btháskaから来ているとされていて,州内を流れるプラット川に因み,「静水」を意味している。州の大部分は平坦なグレートプレーンズで,西部には巨大な岩がある。
 1850年代,この広大な土地は,ヨーロッパ人とアメリカ人による農地開発のために開拓され,ホームステッド法の下で多くの新しい開拓者が域内に入り,無償の土地の権利を認められた。そのころプレーリーにはほとんど樹木が自生していなかったから,広大なプレーリーは牛の放牧に最適だった。
 しかし,ネブラスカ州は竜巻の通過する圏内に入っている。激しい雷雨と竜巻は春と夏に起こることが多い。そこで,不毛の地(Great American Desert)の一部とみなされ,開拓後はダストボウルによって多くの農地が壊滅したのだった。
 そうした苦労を乗り越えて,現在は代表的な農業州となっている。
  ・・・・・・

 このように,日本であまりなじみのないこの州であるが,何といっても有名なのは,今でも竜巻である。聞くところによると,ネブラスカ州の学校やホテルには,竜巻が起きたときの避難所が設置されているということだ。
 そうしたネブラスカ州であるが,まあ,こんな機会でもなければ,行くこともあるまい,と思った。

 2013年,「ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅」(Nebraska)という素敵な映画が公開された。この映画の出演はブルース・ダーンとウィル・フォーテである。
 インチキな通知文を信じ込み,当ってもいない賞金を手に入れるために父子がモンタナ州からネブラスカ州リンカーンを目指す。その道中に立ち寄った父の故郷で,昔の共同経営者だった父の友人や親戚,知人と出会いながら,父子が心を通わすという内容のロードムービーである。
 この映画は「象徴的・典型的な外観」を生みだすために白黒で撮影されたから,ネブラスカ州の風景は白黒でしか味わえない。
 この映画のことは,すでにブログに書いたが,とかく,男の人生というのは難しいが,難しくしているのは,男が生まれながらにして持っている「プライド」とかいうお荷物のせいなのであろう。
 私は,これまで,この映画を劇場でも見たし,その後,太平洋を横断するたびに,機内で何度も見た。

◇◇◇
「ネブラスカ」-人生に当たりくじなど必要ない

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 試合が終わった。試合内容はまったく覚えていないが,ものすごく楽しかった。
 これから私は,車で,今日の宿泊先まで行く。目的地は,ネブラスカ州である。
 以前にも書いたが,私はアメリカ合衆国50州制覇をめざしている。その中で残されたいくつかの州のうちのひとつネブラスカ州に足を踏み入れるというだけの理由であった。
 というわけで,試合は楽しみたいが,万一延長戦にでもなればどうしようかと思っていた。まことにせわしない旅,所詮は,私も「せこい」日本人にすぎない。

 クワーズ・フィールドを出て,駐車場に向かった。
 ナイトゲームも美しいが,メジャーリーグはデイゲームがすばらしい。なにせ,景色がきれいだし,終了後が安全でいい。多くの観客は,これから楽しく夕食なのであろう。
 近くの街灯の柱に自転車をくくりつけた若者やら,野球グッズを売る店やら,アメリカらしい風景が一杯であった。また,ダウンタウンは,人生を楽しむ人たちであふれていた。
 私は,ダウンタウンを歩いて,駐車場に着いた。車を駐車場から出した。ネブラスカ州には,デンバーからまず北に向かうことになる。
 駐車場から出て,少し西に走れば,すぐにインターステイツ25に入ることができる。あとは,インターステイツ25をひたすら北に北に進んで州境を越えてワイオミング州に入り,シャイアンという町でインターステイツ80に乗り換えて,進路を東にとれば,ネブラスカ州に達するのだ。
 約300キロメートル,ほんの3時間のドライブである。

 ここまで来ると,「ほんの3時間」という感じなのではあるが,実は,今回の旅の予定はこれで終了してあとはアイダホ州に戻るだけなのであった。しかし,今日泊る予定のネブラスカ州はその反対方向なのである。つまり,ネブラスカ州に足を踏み入れるというのは,アイダホ州とは反対方向に回り道をすることになるわけである。
 駐車場を出て,インターステイツ25でひたすら北に向かって行く。とはいえ,夕暮れの大都会,帰宅を急ぐ車の数が半端じゃない。アメリカの都会の車の数は日本の比ではないのだ。だから,4車線も5車線もあるインターステイツに,ものすごい数の車が走っている。そりゃ,圧巻である。
 走っていくと,やがて,渋滞になった。その先が道路工事中なのであった。渋滞なく順調に走っても,到着は夜の8時ころなのだ。いったい,私は,無事にネブラスカ州に到着できるのか,だんだんと心配になってきた。しかし,幸運なことに,渋滞は思ったほどのこともなく,環状道路とのジャンクションに差しかかるにつれて,車の数は減っていき,それと共に車線も5車線が4車線となった。
 やがて,デンバーの市街地を出ると,インターステイツは,さらに,4車線が3車線,そして,最終的には2車線となっていった。そして,いつものように,のんびりとしたアメリカの郊外の雄大な風景が車窓から眺められるようになってきたのだった。

今回もサンフランシスコからのフライトが40分遅れでシアトル乗り換えが慌ただしかったのですが,搭乗直前にファーストクラスにランクアップになりました。アメリカの国内線は,ずっとファーストクラスに乗っています。
もう朝食を済ませたのに,豪華な朝食が出ました。
窓席だったので,美しい山々やシアトルの街並みが身近に見えました。
2時間少しでシアトル到着。乗り換えが40分しかなくて,ターミナルも別だし,こういう時,旅慣れていない人にはたいへんだろうなあ,と思いました。
ともかく,空港内のターミナル間を走る地下鉄に飛び乗って,成田便に無事に乗り換えて出発しました。シアトル~成田はあっという間です。
予定時刻に成田着。また,ごちゃごちゃの日本に帰国しました。ああ。
空港なのに飛行機に乗るための表示とそうでない表示が混在して複雑怪奇,世界一分かり難い成田空港。これこそが日本,そして,日本人を象徴しています・・・。
成田エクスプレスは快調に東京駅に着いたのですが,東京駅では,新幹線が車内で自殺者が出たとかで不通になっていました。ごった返す東京駅で,お得意さん相手のだれもいない新幹線の特急券だけの自動発券機がズラッと並んでいて,その横の有人キップ売リ場には長蛇の列。一見さんにはキップすら買えません。やはりこの国の「おもてなし」はどこか狂っています。
勝手知った私は,ともかく一度改札を出て,外にあるガラガラのみどりの窓口でキップを買いました。やっていることが馬鹿げていますし,これでは,初めて日本に来た外国人にはわけがわかりません。そして,再び改札を通って,係員に聞いて一番先に出発を再開するのぞみのいるホームに駆け上って,長蛇の列の中を乗り込みました。
かなりの時間停止信号が変わるのを車内で待って,なんとか出発しました。
私自身は実質ほとんど影響なかったのに,なぜか,名古屋で降りたときに2時間遅れとかで特急料金が戻ってきました。これもまたどうしたことだろう? 本当にやっていることがよくわからない国です。
ちょうど名古屋は帰宅ラッシュ。無言の車内には,軍服のような制服とどうしてそんな合理性のないカッコウが制服になっちゃったのかまるでコスプレのようなセーラー服の制服の学生,そして,葬式でもないのに何故かみんな黒づくめ・・・不似合いなスーツ姿のビジネスマン。電車の窓から外を見ると,箱庭のような家々に,どこも渋滞で走っているより止まっている方が多い車の洪水。
終身刑で強制労働をさせられているみたい。ここまでクレージーだと,むしろ,なんだかおかしい。 それにしても,帰国して,改めてアメリカとの違いを痛感するのです。
国中が街をあげてメインストリートで同性愛者擁護パレードをしていたり,シティホール前の広場でエネルギッシュに大騒ぎをしていたり,その道路を挟んだ隣の巨大なオペラハウスでは,正装をした紳士淑女が深夜までオペラを楽しんでいたり,そんな祭りは興味がないとばかりに,満員のボールパークではしゃいでいたり,巨大な空港や片側4車線も5車線もあるフリーウェイと広く青々とした芝がひろがる住宅。いつもアメリカはすごい国だと思います。
それに比べて,まるで働きアリがひしめく刑務所のような日本・・・。
私がこうして旅をするたびに,日本でやっていることが,おこちゃまのお遊びに思えるのはなんなのかなあ,といつも考えてしまうのです。みんな何かにおびえながら一生懸命やっているんですが,なぜかやっていることのピントがぼけていて,やたら複雑でよくわからない・・・。国全体がまるで「ガラ携」のよう。そして,相変わらず,国民から選ばれたという根本すら認識せず偉そうで品のない国会議員。
でも,別の世界を知らないし知ろうとしないし行かないしあるいは行けない人たちには,それでもこれが普通で正しくてまだましだと信じちゃっているから,私が言っていることすら,なかなか理解してもらえません。あああ。
私は,今回も,また,浦島太郎になってしまったようです。

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