しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

August 2015

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☆11日目 8月12日(火)
 次の日に帰国するので,実質上,きょうが最終日であった。
 私の滞在しているマウンテンホームからインターステイツ84で北西に40マイル,64キロメートル行くと,アイダホ州の州都ボイジーに着く。きょうはそのボイジーの市内観光に出かけた。
 アイダホ州も日本で有名なポテトだけではなく,近ごろはハイテク産業が盛んである。ボイジーの付近にも巨大なエルビータメモリの工場があって,インターステイツは交通量が増加しているので,道路は片側4車線にする拡張工事中であった。
 交通量が多ければ道路を拡張する… アメリカは実にわかりやすくていい。
  ・・
 マウンテンホームからボイジーまでの間にはオレゴントレイルの展望台があるので,まず,そこにへ行った。
 オレゴントレイルは,西部開拓時代の幌馬車の通った道である。現在は,そこにハイキングコースが作られていて,何か月もかけて散策を楽しむことができる。
 オレゴントレイルは,ミズーリ州カンザスシティからオレゴン州ポートランドまで続いている。
 日本でも,旧東海道を歩くという楽しみがあるが,それと同じようなものである。
 それにしても,こんなとんでもない距離を歩くなどというのは途方もないことではある。

 ボイジーに着いて市内見学をした。
 アメリカの都会には広い公園がある。ボイジーにも,アメリカの他の都会と同様に,ジュリアデービスパークという公園があって,公園内には,歴史博物館や美術館や動物園などがあった。上野の公園や博物館,動物園を縦横それぞれ10倍くらいにした姿を想像していただければいい。
 この日,あいにく歴史博物館は休館だったので,動物園へ行くことになった。
 この動物園のおもしろかったのは動物ではなく,動く恐竜のモニュメントだった。それらがたくさんあったので,ここは,動物園というよりも,ジェラシックパークとでもいったほうがふさわしいものだと私は思った。
 昼食はボイジー市街のチャイニーズレストランのバイキングになった。中華料理は美味しくて,量もあって,素敵なレストランであった。

 午後は,旧アイダホ州刑務所を見学した。ここは日本の網走刑務所博物館のようなところであった。1872年から1973年まで現役の刑務所であったところで,独房や絞首台も見学することができた。
 そして,最後に行ったのが,アイダホ州議会議事堂であった。
 アメリカの州議会議事堂はどこもドームがそびえている(ノースダコタ州の州都ビスマルクにある州議会議事堂だけは,作られたときにお金がなかったのでドームはない)。この議事堂も他の州のものと同様に内装外装ともにすばらしい建物だった。アイダホ州は大変治安のよい州で,入るときにセキュリティチェックもなかった。
 この日は議会がなかったので,上院と下院の議会会議場,それに州知事のゲストルームにも入ることができた。また,州知事のイスにも座ることができた。
 州議会議事堂には最高裁判所が併設されていることが多いのだが,ここアイダホ州は,最高裁判所は別の建物であった。
  ・・
 州議会議事堂は,日本では県庁,というよりも国会議事堂である。アメリカは「合衆国」,というのは誤訳で,正しくは「合州国」であるから,それぞれの州が国であると考えたほうが正しいのだ。ここには,真の民主主義がある。
 日本の政治家は,海外に視察に行くのなら,こうした州政府の仕事でも見てきてもらいたいものだと思う。日本を江戸時代の封建制国家と勘違いしてもらっては困るのだ。首相は殿様ではない。国民が主権をもっているのだ。だから,法律は国民の選んだ議員が審議して少数意見を尊重した上で多数決で決めるものであって,内閣が決めるのではない。こんなこと小学生でも知っている。審議をお願いする側の首相がやじをとばしてどうする。そんな基本も知らない人が首相をやっていては困る。

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☆10日目 8月11日(月)
 マウンテンホームの町から少し外に出ると,大平原がが広がっている。北側には,巨大なダムがあって,川が流れ,アウトドアには事欠かないし,こうしたことが好きな人には夢のような場所であろう。
 日本の中で,ほとんどありもしない自然を求めて渋滞の高速道路を山に山にと走っている人には信じられない世界であろう。
  ・・
 この日の午前中,マウンテンホームから50マイル,80キロメートルほど東に走って,ヘイグマン化石層国定公園というところ行った。
 この地は特に馬の化石が有名なのだそうだが,それは,大昔,この場所がジャングルで,その頃の馬の化石が多くの出土するからなのだそうだ。
 また,マスの養殖場もあった。ここでマスを養殖して,成長したマスを川に放すことで,自然界の調和を保っているというわけだ。

 アメリカは日本人が考えているようないい加減な社会ではないから,事前に動物や魚の生育を調査して,その年に捕まえてよい数を決めて,登録制で狩りや釣りを行う権利を手に入れるという制度が完備されている。
 そして,実際に手に入れた獲物はきちんと報告したり,税金を納めなければならないし,放置したりしてはいけない。
 日本人は,そういうことすら知らない。

 午後は,町から北東にあるアンダーソンランチリザーバーというダム湖へ行った。
 未舗装の道を延々と進んていくと,川沿いの道に出て,それはそれは冷たい水が流れていた。
 わずか数週間前には,この場所はまだ氷が流れていたということだから,冬の寒さも想像できるというものだ。
 このあたりは,雪が積もると完全に身動きできなくなってしまうということだ。
 ダム湖には,ボートを浮かべて,釣りをすることもできるのだが,水深は100メートルくらいもあるから,ちょっと危険だなあ,と思った。 
 このように,ここアイダホ州も,アウトドアの宝庫なのである。

 私はこういうところに来ると,若いころに見たアメリカ映画を思い出す。そこには,あたり一面に広がる大自然と,そこでキャンプを楽しむ人たちの姿があった。私が星好きになったのは,そんな景色にあこがれたせいかもしれない。
 その一方で,この大自然は,西部開拓時代のアメリカでは,過酷な試練をもたらしたのも,また,事実である。幌馬車に荷を積んで,人は歩いて,この雄大な大地を西に西へ向かっていった。ここはそうした場所でもあった。現在はオレゴン・トレイルとして保存されている。
  ・・
 アメリカに多くある歴史博物館にはそのころの生活を模した多くの展示がある。それは,私には,単に物語の世界に過ぎないが,彼らアメリカ人には,わずか数世代前の先祖が実際に体験した世界なのだ。
 そして,ほんの200年で,彼らはこれだけの大国を作り上げ,今も,進化を続けている。

IMG_0357IMG_0356 「世界一周旅日記」というブログがあります。おもしろくて読んでいたのですが,どうも,近ごろは更新も滞りがちのようです。書いている人は,今は「オーストラリアでワーホリをやっている」と書いているので,結局のところ,旅ではなくて,生きるために働くことが日常になってしまったようです。生きていくためには仕方がありません。夢物語では生きていけません。

 私が今日書きたいのは,そんなことではなくて,少し前のこの「世界一周旅日記」ブログの中に,「近ごろ外国では日本製品をほとんど見なくなってしまった」と書かれていたことです。
 私もアメリカを旅すると,同じことを思います。
 以前は,何もかもが日本製品だったのに,今や目にする日本製品といえば,車とカメラ…。とはいえ,カメラも,もはや,プロ用のもの以外は風前のともしびなので,クルマだけ,と言っても過言でないくらいになってしまいました。
 そうそう,日本製品といっても,必ずしも「MADE IN JAPAN」ではないのですが…。

 「MADE IN JAPAN」といえば,そういって浮かれているのは日本国内だけのようです。中国人の「爆買い」とかが話題となっていて,日本を旅行している外国人にはそうして売れるのでしょうが,それを輸出して売れるのか,というと話は別のようです。私には,「MADE IN JAPAN」というと,質がいいというよりも,この頃は操作が複雑で使いにくくそのために不具合が多くて値段が高いというイメージです。
 この夏も,アメリカを旅していて,友人に「日本は車以外に何を作っているのか」と聞かれました。もはや,海外ではそんな認識しかないのです。そして,私は返事に困りました。それ以外といえばアニメくらい… でしょうか? そういう状況なのです。ホテルの部屋のテレビも,今や,日本製品など見たこともなく,スマホやコンピュータも,日本製品は,必死に探さなければ見つかりません。もはやアメリカでは日常生活は iPhone だけですべて事足りるのですから。

 このブログを書いていた人は,日本の携帯電話会社の2年縛りとか,そういう商法にも問題がある,と書いていました。この「せこさ」,それは私も同感なのですが,それに加えて,昔なら,日本人は,外国製品をマネてさらによいものを作って売っていたのが,外国製品が優秀になって,それをマネると,さらによいもの,ではなく,複雑なものになってしまい,使いづらく値段も高くなって,売れなくなったというのが現実ではないでしょう。
 私が,最後の砦,だと思っていたカメラ,ですら,先行きは明るくありません。
 どう考えても,iPhone の方が使いやすいのですから,これではユーザーが逃げていきます。カメラメーカーも,近ごろは,液晶画面で操作できるように工夫はしているのですが,その使い勝手はiPhone に比べれは,雲泥の差があります。
 「大きな一眼レフカメラに交換レンズ」が必要な人なんて,一部の人に限られているから,この先は,そうした少ない人たちの争奪戦をするうちに消耗して,メーカーは自滅していくことでしょう。

 そういえば,今日のニュースに,日本,中国,韓国,アメリカの高校生で,自分はだめな人間だと思う割合が日本はダントツに多い,というのがありました。それに対して,国立教育政策研究所の先生が,子供をほめよう,などという他人事のようなコメントをしていましたが,情けない限りです。
 この国では,子供が成長するにしたがって,何事も他人と比べ,単にドリルの出来不出来に過ぎないのに,それをさも人間の値打ちを決めるかのように順位争いをして,ランクづけして,若者の夢を壊し,「お前はできないできない」と言って育てているのですから,この結果は当然のことでしょう。
 こうした競争をさせて,さらに,学力調査の結果を当初の約束を曲げて利用しようとし,おまけに,夢を与えないのですから,自分探しをする本来の姿の若者は不登校になり,従順な若者は自己否定をすることで防御をするわけです。さらに,「英語嫌いを作るのが国策」だからか,英語が話せず,それを強がって日本はすばらしいとわけのわからぬ慰めをして外国に出る意欲をなくして育っていくしかないのです。これでは,世界で通用する製品が作れなくなったのも当然のことだと,私は思います。
 今日の写真,上の車が日本製品,下が韓国製品なんですが…。

◇◇
日本では,オリンピックに使う国立競技場の建設問題がニュースを賑わしていますが,これを見ていると,私がいつも書いている「日本人の知恵と発想の限界」がとても明解にわかって興味深いです。
オリンピック後の競技場,残業好きの日本人が平日の夜にイベントをやっても集客できないのが根本的な問題なのに,そういった問題を議論せずに,デラックスな施設を作っても採算が取れないなどと言っているわけです。噂には,読売巨人が東京ドーム(「開かない屋根付き・人工芝・左右対称」の3悪球場)に嫌気をさしていてここを改造して本拠地にしたい(アトランタ・ブレーブスの本拠地ターナー・フィールドはアトランタ・オリンピックの競技場を改造したものです)とかいう話に,いつものように横やりが入り…という話を読みましたが,そいういったことも含めて,日本では島国根性が強く,高所に立って話ができず,さらに,根本的な問題を考えずに大した根拠もビジョンもなく利権で議論しているだけだから,結局,税金のムダ使いになるのは目に見えているのです。高い所から低い所に水路を作れば自然に水は流れるのに,低い所から高い所に水路を作っておいて,水を流せみたいなことばかりをいつも日本人はやっているのです。2,000円札はどこに行ったの? 運転免許証のIC化は何に活用されているの? 成田空港の誰も使わない自動出入国システムは? こんなムダなことばかり。
ちなみに,国立競技場の建設費は1,550億円に抑えるという話ですが,では,ニューヨークのヤンキースタジアムの建設費はいくらだったかご存知ですか? 単に1球団のボールパークが15億ドル,つまり1,800億円なのですよ。それで十分に利益が上がっているのです。いったい何が違っているのでしょうか?

◇◇◇
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☆9日目 8月10日(日)
 私は,アメリカの各地を旅行して,結局,アイダホ州,モンタナ州,ユタ州,ワイオミング州などの雄大さが,アメリカの一番の魅力だと感じるようになった。
 広い空,果てしない台地,ゆっくり流れる時間,そして日々を楽しむ人たち。
 これこそ,日本では絶対に手に入らない世界なのである。

 ニューヨーク,サンフランシスコ,ロサンゼルス,シカゴなどの大都会も確かにアメリカの魅力であるし,ラスベガスやディズニーランドだって,アメリカへ行く動機にはなるだろうが,自然の雄大さにはまったくかなわない。
 また,アメリカは建国300年にもなっていない国で,日本の10分の1もないが,そこにある自然は2億年前の姿なのだ。日本は遠く及ばない。
 私は,グランドキャニオンに行ったとき,これほどの自然に比べたら,人間の作ったものなんてすべてどうでもよくなったことを再び思い出すのだった。
 クールジャパン,といって,日本の人たちはたゆまない努力を自我自讃しているけれど,そして,私もそう思っていたけれど,近ごろは,だがしかし,と思うようになった。
 たとえば,東京の地下鉄では何秒という運行時間のずれをなくすために様々な工夫をしているのだそうだが,だがしかし,そんなことまでして,いったい,何をめざしているのだろう。
 人が生きるというのは,そういうことをめざすことなのだろうか?

 マウンテンホームから200マイル,320キロメートル南東にインターステイツ84を走っていくと,ツインホールズという渓谷に行くことができる。そこは,素晴らしい所で,渓谷には長い橋ががかかっていて,そこの渓谷はグランキャニオンよりも深く,絶景なのである。また,この橋は,風が強いとものすごく揺れるということだ。
 そして,橋の上からはバンジージャンプならぬ,人間グライダーで,人が気持ちよさそうに空に舞い,渓谷の下では,キャンプをしたり,ボート遊びに興じたり,バーベキューをしたりして過ごすことができる。

 この日,私は,そんなツインフォールズに出かけて,のんびり過ごすことにした。
 願わくば,いつも時間など気にしない生活を送れることが一番幸せだと思っているが,なかなか難しいことである。だから,この日,私は,そうした1日を過ごすことができることを嬉しく思った。
 ツインフォールズに着いて,駐車場に車を停め,渓谷沿いのトレイルを散歩した。空気が涼しかった。
 歩いていると,多くの人が橋の中央を見ているのに出会った。聞いてみると,これから人が飛び降りるのだということであった。私は,このあと何が起きるのかがよくわからず,同じように眺めることにした。すると,本当に人が橋の上からはるか下に向かって飛び降りた。びっくりしたが,そのうちに大きくパラシュートが開いて,気持ちよさそうに人が飛んで行ったのだった。
  ・・
 ステイ先の家に戻って,夕刻は,バーベキューパーティをした。アメリカの家は,ヤードとよぶ広い裏庭があって,そこで肉を焼くのが男の仕事だ。スモーキーに味付けされたステーキはとても美味であった。
 これこそ,人が生きているという実感がした。
 アメリカの小さな平和な町の1日は,こうして更けていったのだった。本当に幸せなときであった。

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 インターステイツ84と15の共有区間は,トレモントンという町で別れを告げた。
 きょうの1番目の写真のように,大きな道路標示があって,ここで左側のインターステイツ84に進路をとるとアイダホ州を北西に,私の目指すめざすマウンテンホーム,そして,ボイジーを越えて,オレゴン州に至る。右側のインターステイツ15は北に進み,アイダホ州を越えて,モンタナ州に向かっていく。
 私は,この旅のはじめ,このインターステイツ15を北から南に走ってきたのだった。もうあれから1週間が過ぎたことを実感した。それと共に,この1週間で,数えられないほど貴重な経験をたくさんした。そして,そのほとんどは,多くの日本人が一生かかっても手に入れられないことなのだった。この幸せを感謝しょう。
 
 ここでインターステイツ84に進路をとった。いよいよドライブの最終段階だった。
 途中でRV車のキャンプ場があったので立ち寄って,そこにあったレストランで昼食を取った。アメリカではRV車のキャンプ場がいたるところにある。日本では道の駅などに小さなRV車を停めて真似事をしているのを見かけるが,所詮はおこちゃまの遊びの域を出ていない。
 このキャンプ場では多くのキャンピングカーが停まっていたが,釣りのできる池があったり,スケールの大きさにびっくりした。

 そうこうして,マウンテンホームに到着したのが,この日の午後2時過ぎであった。
 今回は走行距離3,300マイル弱,約5,300キロ,つまり日本の本州を2往復以上できる距離を,アイダホ州,ユタ州,コロラド州,ワイオミング州,ネブラスカ州と走った。
 ユタ州は想像以上のところであったし,念願のデンバーはとてもすてきな都会であった。ワイオミング州はまた来る機会があるだろうが,まだまだ行ってみたいところがたくさんある州だ。
 果たして,私は,また,ネブラスカ州に行く機会があるだろうか…。
 美しく平和な町マウンテンホームから30分くらい南東に行くと広い公園がある。市街地からわずかな距離だが,このあたりは,すでに何もない台地が広がっている。そこには砂山があって,360度の景観を楽しむことができるのだった。
 夕方,そこへ行った。夕日がきれいだった。また,この公園には,天文台もあった。この日はあいにく曇っていて星を見ることはできなかったが,ホールでレクチャーを聞くことができた。
  ・・
 これからの数日は,私がマウンテンホームでホームステイをしたプライベートな休日であった。
 したがって,これまでのような波乱万丈の旅でもなく,のんびりとすごした休日だったので,日常のような生活であった。
 この町の様子は,また,この旅をした1年後,つまりこの夏の様子とも合わせて,「2015夏アメリカ旅行記」でも紹介したい。そこで,次回からは,この後の数日の様子を断片的に記することにして,「2014夏アメリカ旅行記」を終えたいと思う。

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 契約した勤務時間が終わっても帰れない職場,夏休みなのに補習を強制する学校,やたらと多いポイントカードやクレジットカード…  なのに,みんな現金払い,そして,今だクレジットカードの使えない場所のなんと多いことか! さらに,走っているより止まっていることのほうが多いぐっちゃぐちゃの道路に溢れかえるクルマ,などなど,日本に住んでいれば当たり前のようなことでも,アメリカ帰りの私にはすべてがクレージーに思える日本なのですが,私は,こうしたことは全て,「日本人の知恵と発想の限界」だと,今ではすっかり諦めることにしました。
 一生懸命やっているんです。みなさん。でも,結局は,学校の勉強と同じで,苦労ばかりで実りがないことばかりなのです。だから,「がんばって耐えることを学びました」とかいう馬鹿げたことになるわけです。
 そうした「日本人の知恵と発想の限界」について,きょうは,道路と交差点を例に考えてみます。

 この国の道路行政は,近頃,なんやらよくわからない線やら色やらを道路に塗りたくっています。まあ,やりたいことは交通事故を減らしたいのでしょうが,さすがに日本人のやることらしく,机上の工夫ばかりが先に立ち,現実と遊離し,完全にガラパゴス化しています。
 そして,それぞれがそれぞれ勝手にやっているから,全く統一性もなく,景観も考えておらず,もう,道路に塗ったペンキが剥げたりポールが醜くく壊れたりしていて,惨憺たるありさまです。
 そして,私が,アメリカを例にこうしたほうがいいというような話をすると,決まって返ってくるのは,日本は狭いから仕方がない,というセリフです。
 狭くともできることはあるのだけれど,これもまた,日本人のクレージーな思考の限界です。

 では,アメリカはどうなっているか,ここで,2つの具体的な例をあげてみましょう。
 まずひとつ目。
 これは以前にも書いたことがありますが,センターラインが全てイエローラインであることです。アメリカは右側通行ですから,走っていて,左側に必ずイエローラインがあるわけです。これは,一方通行の道路でも同様です。だから,逆走をすることは考えられないわけだし,実に分かりやすいのです。
 日本だってやる気があれば,こんなこと簡単に変更できるのです。

 ふたつ目。
 交差点の信号が車線ごとに付いていることです。2車線道路なら信号がふたつあります。そして,左折帯(日本の右折帯)なら矢印信号の赤・黄・青が付いています。また,その車線が左折帯とか右折帯という表示が信号の隣に表示されています。日本のように,道路に書かれていて見落としたり,交差点の直前になって,それまで直進レーンだったところがいきなり左折専用レーンになって戸惑ったりしないわけです。
 文字で書いてもわからないでしょうから,交差点の写真をいくつか載せておきますが,これをご覧になって,日本は狭いからできない,というわけではないことがおわかりになるでしょう。

 さらに,アメリカでは左折(日本では右折)は,直進の前に青信号が出ます。だから,日本のように,交差点の真ん中で直進車が無くなるまで停止しているという,考えれば恐ろしい運転をすることは皆無なのです。
 ちなみに,右折(日本では左折)は,一部の州を除いて,左からクルマが来なければ信号が赤でも曲がっていいのですが,それは,さすがに日本のように交通量の多い国では無理でしょう。

 いずれにしても,はじめに書いたように,近ごろは,何の効果があるのやらさっぱりわからないのに道路に赤やら青やら塗りたくって,しかも,交通量の多いところはそれが剥げて醜くなっても塗り直しもせず,景観が台無しになっているし,道路にやたらとポールを立てて,これも,壊れたりして,しかも,深夜に違法駐車を避けようと車線を越えて通ろうとしたら,ポールに激突,といった笑えない話もあったりする,もう,この国のめちゃくちゃな道路行政とは全く違う世界です。
 日本人の考えることというのは,所詮それくらいのものです。
 このように,日本では,やることもやらず,意味のない道路は作っても,本当に必要なことにはお金を使わず,その結果,事故が多発するわけです。
 きっと,こういうことを知っている若き優秀なお役人さんもいると思います。しかし,もし,そういう提案をしても,無能な上司の決裁が下りるとは思えず,日本のこうした情けないクレージーな状況はずっと変わらないことでしょう。
 私はこれまで多くの公務員と称する事務屋さんと接してきましたが,彼らの特徴は,絶対に謝らないこと。そして,決まっていうセリフは,次の三つなのです。「私には責任がない」「このことは前例がない」「これは私の担当でない」。
 こんな仕事をして一生送って何が楽しいのかしら,と私はいつも思いますが,彼らが望んでいるのは安定した人生だけなんでしょうね。別に社会がどうなろうと知ったこちゃないんです。
 こうした日本の現実を知ることも,また,学校では学べない大切なことです。

◇◇◇
愛しきアメリカ-道路のイエローライン 

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☆8日目 8月9日(土)
 半袖では寒い朝だった。
 宿泊したホテルは,ジャンクションのまわりにある多くのホテルの一番遠いところにあって,そこへ行く前の道路は工事中で未舗装だったし,古臭く,私がエクスペディアで探した中で一番安いだけのことはあったが,食堂だけはえらく立派だった。
 ブログで,以前,アメリカのボールパークのことを書いたが,ホテルについても同様なことがいえる。古いホテルは内装がくたびれているが,食堂などが豪華なのだ。それに比べて,新しいところは合理的だが,そうした遊びの部分が少ないわけだ。内装も同様である。
 また,いつも感じるのだが,その旅で行った地域ごとに,朝食が全く違っていて,いつもはずれだったり,その反対だったり,それは地域による差なのではなくたまたま私が泊るホテルによる偶然なのか,その地域によるものなのか? それがよくわからないのだが,この夏の旅で泊まったホテルの朝食は,どこもかなりまともであった。

 食事のときに現れた一見コワモテのおじさんと話をした。彼は,昔ベトナムで従軍していて,退役後はペプシコーラの配達でアメリカ中を走ったということだった。
 アメリカでは,軍人の地位が日本人の考えている以上に高い。考えてみれはそれも当然で,国を守る仕事は最も大切なのだ。それは,国民を守ることが政治のもっとも大切な仕事だから当然なのだが,今の日本人には,よい悪いは別として,そういう意識すらない。しかも,そうした軍人が退役して歳をとった時に,昔のそういった時代のことを称えるセレモニーが,アメリカではどんな場でもあることも,また,日本人は全く知らない。
 彼が言うには,若いころは世界をたくさん見たが,もう今はアメリカ以外行く気はないなあ,特にワイオミングは涼しくて素晴らしいなあ,ということであった。アメリカで生き抜いた初老の人たちは,日本でくたびれた初老の人たちよりもずっと若々しいと思う。

 私は,朝食後,ホテルをチェックアウトして,ゆっくりとアイダホ州のマウンテンホームまで戻ることにした。
 ホテルを出て,すぐにあるジャンクションでインターステイツ80に入って少し走るとワイオミング州の州境で,それを越えるとユタ州であった。
 その後,インターステイツ80は南西に進路を変える。エコーという町でインターステイツは2方向にわかれる。北西向きにはインターステイツ84がはじまり,南向きにはインターステイツ80が延びていって,それをそのまましばらく進むとインターステイツ80は西向きになって,ソルトレイクシティで,南北に走るインターステイツ15を跨いて,そのままネバダ州に進んでいくのだ。
 私は,ここでインターステイツ84に乗り換えた。今日の最後の写真のように,インターステイツ84はインターステイツ15と共有区間で,しばらく北上をして,アイダホ州をめざして進んでいった。
 もう,アイダホ州も目の前だ。
 そうして,アイダホ州に入ると,私のこの夏の長いドライブもそろそろ終わりを迎えるのだった。

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 五山の送り火を見た6日後。再び,京都へ行くことになりました。この日の目的は,フェルメールの「天文学者」。
 ここであえて書く必要もないのでしょうが,ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer)はオランダの画家で,真作とされる作品が30数点しかない,ということと,日本人好みの作風で人気を呼んで,日本での展覧会の呼び物となっています。
 このフェルメールの「天文学者」が展示されたルーブル美術館展は,春に東京で開催されていたのですが,東京での美術展なんて,絵画よりも人間を見に行くようなものなのでパスして,京都での開催を待っていました。というよりも,まあ,そのうちパリへ行ってそこで見ればいいかな,とも思っていたのですが,お盆過ぎに加え天気が悪いという予報で人出が少なく空いているかなと思ったことと,娘に誘われた,ということで,行ってみることにしました。

 いつものように,晴れ男の私は,予報が何であっても,傘が必要になることもなく,青空さえ覗く天気となって,空いた館内で,フェルメールの「天文学者」を十分に堪能することができました。
 少し前に上野でフェルメールの「真珠の首飾りの少女」を見ました。私はあの時の衝撃をずっと忘れることが出来ずにいたのですが,この作品もまた,独特の光の陰影が何とも言えない深みを与えた素敵な作品でした。天球儀の精密な描写に比べて,天文学者が,写真言葉でいう「ぼけ」た姿であったのが私には予想外でしたが,これもまた,計算し尽くされた上での描写なのでしょう。この柔らかさこそ,フェルメールのフェルメールたるゆえんなのに違いありません。

 美術館を出てから,祇園の花見小路から1本西に入った「祇園きなな」で,「黒みつ金時」を頂きました。
 「京都人の密かな愉しみ」ではないけれど,京都人でない私は,京都に行って時間があるときには,このお店で「できたてきなな」を頂くことを愉しみにしています。何分男ひとりでいくようなお店でもないので,何かの機会に女性がいるとき限定なのが残念ではありますが。
 今回は,このブログ「京都・夏-送り火と「京都人の密かな愉しみ」②」の最後に書いたように,できたてきななではなく,黒みつ金時にしました。

 それにしても,この暑い京都に,これほど多くの観光客が来るようになったのも,また,驚きです。少し前なら,夏の京都なんて,観光客を誘致するためにあの手,この手だったはずですが,もう,このような状況になってしまうと,落ち着いた京都を味わうには,紅葉が過ぎた12月の寒い日か,節分が終わって,梅には少し早い2月の頃くらいしか選択肢がないのかもしれません。
 観光客の多くは,浴衣を召した若い女性や外国人。この人たちの特徴といえば,本に載っている観光地を離れると,ほとんど姿がなくなることで,そうした路地裏の密かな見どころを探すのもまた,これからの私の京都での愉しみとしましょうか。
 そして,この日の最後は,やはり,京都名物の「ぶぶ漬け」にしました。
 以前このブログにも書きましたが,京都人を語る上で有名な言葉が「ぶぶ漬けでもどうどす?」です。しかし,これだけ深読みされてしまう京都人というのも気の毒ですが,私は,こうした深読みは,別に京都に限らず,日本人全体にいえることだと近年は確信しているので,私は,もし,「ぶぶ漬けでもどうどす?」と言われれば,遠慮なくいただくことにしています。
 すべてを承知の上で書くのですが,人の心を弄んだり,本心を言わず暗にほのめかす,などということを美徳とするお人とお付き合いをしても,結局は疲れはてるだけだというのが,私がこれまでの人生経験で学んだ結論だからです。
 今回もまた,楽しい1日になりました。私の夏は,まだまだ終わりそうにありません。

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 今日ホテルを予約したエバンストン,私はこの町のことは全く知らず,単にアイダホに帰る途中の手ごろでホテルがたくさんあるところという理由だけで選んだのだった。
 インターステイツ80を走っていくと,エバンストンの町が見えてきたので,私は,インターステイツを降りて,エバンストンの町に降りた。ホテルの場所はちゃんと確認をしてあったので道に迷うこともなくホテルに到着したのだが,結論を言うと,私の降りたジャンクションよりもその次のジャンクションで降りたほうがずっとホテルには近かったのだった。

 エバンストンはそれほど大きな町ではないが,インターステイツ80はエバンストンのダウンタウンの南側を少しだけ大回りしながら迂回して通り過ぎるように走っていて,町の東側と西側にジャンクションがあったのだった。
 私は,東から走ってきたから,町を見つけて東側のジャンクションで降りたのだが,西側のジャンクションで降りたほうがホテルに到着するには便利だったということだ。
 というのは,西側のジャンクションの周りは新しい町で,どこにもあるような大型のショッピングセンターや全国チェーンのホテルが並んでいるところで,反対に東側のジャンクションから自然にダウンタウンに入っていく道の周りは,ヨーロッパでいう旧市街にあたるところで,西部開拓時代の雰囲気ただよう素敵な町が,碁盤の目のような道路に囲まれてあったのだった。
 しかし,私は,東側のジャンクションで降りたから,そのために,この町のよさを知ることができたということだった。

 これだけアメリカの小さな町を旅していても,私は,未だ,こうしたすてきな町の雰囲気を味わうことができないでいる。これはとても残念なことだ。
 こうした町は,交通量もそれほど多いわけではないから,路上駐車ができる。というよりもできるように町が作られている。そこで,そういう場所に車を停めて,歩いて町を散策できるのだが,町には,教会とか小さな商店とか,そういうものが並んでいて,アメリカだ,と実感できるわけなのである。いわば,日本の江戸時代の旧街道の保存された宿場町のようなものである。
 だから,とても雰囲気がいいのだが,こうした町にあるレストランにはなかなか入りそびれるのだ。知人でもいれば問題ないのだが,中に入っても,メニューがよくわからないから,何を注文するか困ってしまうわけだ。
 それは,初めて日本に来た外国人が高山でそば屋に入った姿を想像すれば同じようなことだ。
 というわけで,今回も,美しい月明りの下,せっかくこの町を歩いてみたのに,食事をする場所を見つけることもかなわず,結局は,ホテルの近くまでもどって,なさけないことに,Wendy's でハンバーガーを味わうことになってしまったのであった。

 ホテルは悪くはなかったが,残念だったのは,ホテルの場所が,ホテル街の一番はずれで,前の道路がまだ工事中で,未舗装道路を走らなければならなかったことだ。これはホテルの責任でもないけれど,せっかくのすてきな町の印象をずいぶんと損ねる結果になってしまったのだった。
 いずれにしても,アメリカを旅して,一番いいなあと思うのは,こうした日本では全く知らない小さなこんな町に出会った時だ。
 きっと,外国人が木曽路をドライブして,奈良井宿にたどり着いた,みたいなものであろうか…。奈良井宿に信州そばのお店は似合っても,バンバーガーチェーンは似合わない。まあ,そんな感じだ。

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 やがて道路は写真のよう一直線になって,あとは,インターステイツ80に戻るだけとなった。
 どうですか? さすがにこうした道路も見飽きてきませんか?
 アメリカは,こんな道路ばかりなのだ。しかし,場所によってずいぶんと景観が違うし,その成り立ちを知るにつけて,私はドライブに退屈することは全くなくなった。

 考えてみると,私は,1年のうちのわずか数週間のアメリカ滞在なのに,車の走行距離は日本で走る距離より長い。日本では,かろうじて星を見にいく深夜だけは,道路も少しはまともに走れるから車に乗るが,昼間はほとんど車で遠出をしないし,したくない。それは,走るよりも止まっている時間の方が長いから,乗る気にならないからだ。
 私は,日本の道路行政は,根本的に間違っていると思う。それをここで書いてもどうにもならないのはわかっているが。最も問題なのは,交差点ごとに設計が異なるということなのである。だから,事故になる。そして,その次は,道路標示がわかりにくいといういうことである。混み合った道路の地面に表示を書いてどうなるというのだろう。実際は標識を建設する費用をケチっているというだけのことだろう。
 こうした,物事を合理的に処理したり,予算を適切に配分するということのできない日本人の能力を,私はすっかり見限っている。
 その反面,意味もなく細かく気をくばって,その結果余計にわかりにくく複雑にして,街をきたなくする能力は世界一だ。

 閑話休題。 
 これまでに書いたように,ダイナソア国定公園を往復するのに予想以上に時間がかかって,結局,そのあとで行こうと思っていたフォッシルビュート国定公園へは行くことができなくなってしまった。
 すでに書いたように,きょう,そのままアイダホに帰ろうか,それともどこかに寄ろうかなど,ずいぶんと迷ったあげくに行くことになったのが,このダイナソア国定公園であった。
 実は,その前に,よほど,ワイオミング州のグランドテイトン国立公園にまで足をのばそうかとも思っていたのだった。しかし,もう一度行ったことがあったし,この時は,ずいぶんと多くの国立公園に行ったあとだったから,さすがに満腹感が強くて,しかも遠くて行く気力が失せていたのだった。

 今晩の宿泊場所は,エバンストという町のホテルにした。ワイオミング州の州境にある町だった。
 エバンストン(Evanston)は,ワイオミング州南西部に位置する町だ。周囲は沙漠に囲まれているが、東西の地平線のかなたにはロッキー山脈の頂を望むことができるという180度に広がる太く美しい虹が印象的な町ということだ。人口はおよそ1万人である。
 この町の歴史は西部開拓時代に遡り,当時は西へ向かう要所として栄えた。そして,東西から伸びてきた大陸横断鉄道が、1869年にこの地でつながったことから,大陸横断鉄道開通の地としても知られた。そのために,エバンストンのダウンタウンは西部開拓時代の雰囲気を今も色濃く残している。
 私はこの町の近場には観光地がないと思っていたが,調べてみると,車で1時間弱の距離にウインタ山があり,手付かずの自然の中で,フライフィッシングやオートキャンプが楽しめるのだという。
 また,エバンストンには州内でもトップクラスのエバンストン高校(Evanston High School)があるということだ。

前回のマウントレイニー国立公園に続いて,きょうは,オリンピック国立公園(Olympic National Park),セントへレンズ火山国定公園(Mount St. Helens National Volcanic Monument),そして,クレーターレイク国立公園(Crater Lake National Park)です。
「国立公園」と「国定公園」の訳は,「地球の歩き方」に従っただけで,日本のそれとは違います。実際は「ナショナルモニュメント」とは,自然の景観や科学的,歴史的価値が国立公園に準ずる地域のことです。
  ・・
1番目から3番目の写真がオリンピック国立公園で,上からレイククレセント,ネアー・ベイ(Neah Bay)から見たカナダ,ルビービーチです。この国立公園は,他の国立公園とは趣が違っていて,半島全体が国立公園と指定されていて,その周回道路を走るもので,そのところどころに見どころがあるのです。
シアトルからとても近く,どんなところか全く予想もつかなかったのですが,一言で言えば,千葉でした。ド田舎でした。ただし,千葉には銚子に犬吠埼がありますが,ここには,フラッタリー岬(Cape Flattery)という地名はありますが,行く方法がありません。このネアー・ベイという町がその限界でした。ツアーはありませんので,クルマを借りて行くしか方法はありません。
4番目の写真はセントへレンズ火山国定公園です。1980年に大噴火をして標高が2,550メートルになってしまったこの火山をジョンソンリッジ展望台から眺めると,それはものすごい迫力で,一日見ていても見飽きるものではなくて,まさに圧巻でした。しかし,写真ではそれは伝わりません。ぜひ,一度行って見られることをお勧めします。シアトルからツアーもあります。
そして,5番目の写真がクレーターレイク国立公園です。今から7,700年前に推定標高3,700メートルのマウントマザマが大噴火して,上部の3分の1が吹き飛び,噴火口に水がたまって直径9.6キロメートルのカルデラ湖になったものです。噴火の規模はセントへレンズの大噴火の42倍であったということです。この湖も圧巻で,展望台から眺めていて,飽きることがありません。しかし,ここもそのすばらしさは写真では伝わりませんので,一度行って見られることをお勧めしますが,ツアーもなく,とんでもなく辺鄙なところにあります。今から思えは,本当に行ってよかったと思うところです。なお,湖を作ったこの場所は,今も活火山であって,もし,今災害が起きると,大惨事が引き起こされることは必至だということです。

◇◇◇
これで, 「2015夏アメリカ旅行LIVE PART2」は終了です。
今年は,5月から8月にかけて3度アメリカ旅行をしました。旅行の様子は「2015春アメリカ旅行記」「2015夏アメリカ旅行記」として,後日詳しくお伝えする予定です。

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今回と次回は,国立公園の写真です。
旅行LIVEブログで載せた写真はサイズが小さいので,その迫力が伝わるか心配だったのですが,大きくしたからといって,その凄さが伝わるものでもなさそうです。それほど,アメリカの国立公園の雄大さは,行ってみてはじめて実感できるものです。
アメリカの国立公園は,日本のものとは根本的な考え方が全く違っています。国立公園の目的は,原生自然景観の維持と保全,国民が平等に利用できる施設の建設と運営,利用者の自然と歴史への理解を目的とするもので,公園は連邦政府の直轄地,公園内ではレンジャーが警察行為も行っています。レンジャーは銃の所持もできれば,逮捕権もあるのです。公園のゲートで入場料が必要で,公園内には,看板も民間の土産物屋もなく,トレイルを離れて歩くこと,動物や花を採ること,餌を与えること,ごみを捨てる行為は厳禁です。
そのために,訪れた人たちは,ゴミひとつない景観を満喫することができるわけです。
今日の写真は,マウントレイニー国立公園(Mount Rainier National Park)です。
面積は943平方キロメートルで,これは,大阪府の半分の広さです。カスケード山脈の最高峰,標高4,392メートルの独立峰レイニーは,先住民に「神の宿るところ」(Tahoma)とよばれ,また,日系移民の人たちからは「タコマ富士」とよばれて親しまれてきました。
シアトルからインターステイツ5を南に走っていくと,すばらしい姿を目の前に見ることができます。また,日本ではコンビニで売っているチルドカップコーヒーでも有名です。
リフレクションレイクからは,逆さ富士ならぬ,逆さレイニーを見ることができ,また,ナラダ滝は,標高差50メートルで,雪解け水が透き通ったさわやかな音を立てて,流れ落ちます。

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 「京都人の密かな愉しみ 夏」。
 今回の話題は夏らしく「京都の水」。番組は,貴船神社の御神水,そして,貴船川の夜咄の茶事からはじまりました。
 水の違い,といわれても,私にはよくわからないのですが,そうしたことにもこだわるのが,日本人,いや,京都人なのでしょう。きっと,何もいわれずに飲み比べても,私にはその違いなどわかるのもはないでしょう。
 まったくもって,だから,私にも「京都人はますますわからない」となります。
 次に,御霊神社の茅の輪くぐりが取り上げられていました。茅の輪くぐり,これは,先日京都に行ったとき良縁祈願を兼ねて若い女性にやってもらったばかりです。そして,鉄輪井(かなわのい)。
 京都の寺や神社には良縁祈願がたくさんあるけれど,どうやら良縁というのは商売上のもので,実際は縁切祈願のほうがその本音であるような気がします。そういえば祇園にある安井金毘羅宮も本来縁切寺でした。
 人の世の本音とは,とかくそうしたおぞましいものなのでしょう。

 物語はさらにすすんで,名水として知られる梨木神社の染井の水から,ある女性の失恋物語になり,天之真名井(あめのまない)で汲んだ水がその女性の心を表すという展開になりました。
 この番組に出てくる女性はみなとてもすてきで,魅力的です。それに比べると,男はだめです。
 番組では,他にも,木屋町の珈琲店無譚の主人の物語から,茶道の家元の話に発展しましたが,この物語には魅力的な女性の影がなかったので,私には今ひとつでした。
 金戒光明寺のそうめん流しが出てきました。お寺さんにそうめん,なんて知りませんでした。何かとても意外な取り合わせでした。これを見て,先日,暑い中,吉田山から汗を流しながら黒谷を歩いたときのことを思い出しました。
 もし,ここに流しそうめんやさんがあればさぞかしよかったことでしょう。
 鴨川から高瀬川に水を引き込んだのは角倉了以だそうですが,その引きこみ口が庭園になっているということもまた,知りませんでした。
 高瀬川は,今も,木屋町の雰囲気をずっと魅力的にしていると思うのですが,私は,高瀬川といえば,日本の幕末の数多くの悲劇を思い出します。

 見終えて,2時間近くのこの番組の話題が,前回のものに比べれば,少し物足りなく感じました。
 前回は,本当に語りたくて仕方がなかった多くの話題を凝縮して物語にしたように感じたのですが,今回は,前回の続編を作らんがために,必死に話題を探した,というような感じがしたからです。
 しかし,話題がなんであれ,京都の奥深さは,やはり,語っても語りきれるものではないのです。この番組に取りあげられていなかった水に関する話題だって,京都には,他にもいくらでもあるのです。
 私は,この番組では,それらの物語よりも,むしろ, 京都・花背の料理旅館「美山荘」の次女である大原千鶴さんのコーナーがものすごくおもしろかったし,番組のバックに流れた「京都慕情」にこころを打たれました。
  ・・・・・・
 なつぞらや
 あんこにまけて
 さかなにげ
  ・・・・・・
 番組の最後に,「わけあって独身の」ヒースローさんに突然現れた謎の女性… どうやら,この番組はまだ秋にも続きそうです。
 謎の女性を演じるシャーレット・ケイト・フォックスさんが「まっさん」のとき以上の魅力的な女性を,この番組の,この先あるであろう続編で演ずるのが楽しみです。それにしても,「まれ」のときとはまた違った常盤貴子さんの京都人,本当に美しくすてきです。

 海外旅行をして日本に帰ってくるといつも思うのは,譲り合いの精神に欠け,我勝ちでまわりを考えない日本人の姿です。そして,サービスとかいいながら本当は自分の金儲けしか考えていない日本のお店の姿です。
 このように,私は,いつもめんどくさくて陰湿で,建前では「おもてなし」とかいいながら,本音はせこくがめついだけの,二重人格者を演じている日本人というものが好きになれませんが,京都人のように,ここまでそれが徹底され,洗練されているとなると,それはそれで「奥深さ」として魅力を感じるものです。
 だから,私は,日本は見捨てても,京都だけは例外なのです。
 まだまだ暑い日本の夏,また,白玉黒糖金時を食べに,京都に出かけたいと思います。
 桜の春,紅葉の秋だけでなく,京都は水の夏もいい,のです。 

◇◇◇
 雪のお正月③-「京都人の密かな愉しみ」

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 お正月にNHKBSプレミアムで放送された「京都人の密かな愉しみ」は,非常に評判がよかったようで,8月15日に「夏」編が放送されました。私はアメリカ旅行をする前にそれを知って,帰国後にみることを楽しみにしていました。
 そして,翌16日は「五山の送り火」でした。 京都の夏の終わりを告げるこのおごそかな行事を見ずして,私は,この1年が終わらないので,アメリカから帰国してわずか2日後,京都まで足を運びました。
 今年は日曜日だったので,人の流れもいつもの年とは少し違う気がしました。そして,天気予報では夜,雨。雨の送り火というのもあまり記憶にありませんでした。
 午前中に京都に着いたので,送り火までの時間をどのように過ごすかを考えました。私は決して宗教に詳しいわけでも信心深いわけでもなく,単なる観光客なので,送り火といっても午後8時に賀茂川べりからその光を眺めるだけなのです。
 結局,涼を求めて,鞍馬に行くことにしました。
 前回行ったのは5,6年ほど前のことでしょうか? 若いころに何とも思わなかった鞍馬寺までの山道の険しいことったら,それは,暑さからなのか,私が齢をとったからなのか,きっとその両方なのでしょうが,ともかく,かき氷をエネルギーに登り切りました。そして,今度は,貴船まで下ることにしました。
 こんな行程でここに来たのは,もう,何十年も前のことでしょうか。

 鞍馬山は,父親が大好きなところだったので,私は,まだ小学生にもならないころからずいぶんと行きました。
 今でこそ,この地は聖地といわれ,若い人にも人気のあるスポットですが,そのころは,まだ京都市電も走っていたし,鞍馬山の本堂も今とは違ったものだったし,本堂へ至る階段も,今とは違ってそのまま直線で登れたし,入山料も不要でした。奥ノ院近くの大杉も健在だったのですが,そうしたこと以外のおおよそのことは,50年前とそうたいして変わらない風景が広がっています。鞍馬駅前の門前にある茶店もそのままです。

 貴船からは叡山電車で出町柳まで戻り,さらに三条まで行って,予約しておいた「フェリーチェ」というところで夕食をとりました。場所はフェリチタ三条木屋町ビルの9階でした。メニューは,大文字焼きコースというこの日のスペシャルメニューでした。
 階下には多くの人が,そして窓からは大文字が眺められました。
 7時すぎ,夕食をすませて,出町柳まで戻り,賀茂川べりからは「大」の字を,今出川通を鴨川にかかる橋を歩きながらは「舟」形と「妙」「法」の字を眺めました。
 雨という天気予報で,時折雨が降ったのですが,それでも,送り火のころには雨もやんで,涼しい風が吹いていて,こんなに過ごしやすい送り火は私にははじめてのことでした。
 今年の私の,そして京の,夏の終わりのささやかな,そして,楽しい1日になりました。

◇◇◇
京都・五山の送り火―夏の終わりを告げる日 DSC_6355

今日は,偶然,岩隅投手が先発した試合を見ることになった,セイフコフィールドのシアトル・マリナース対テキサス・レンジャースの試合の写真です。私は,これで,今年4試合目のメジャーリーグ観戦となりました。
今年は,カンザスシティでロイヤルスの対戦相手がヤンキースだったので,ひょっとして田中投手が見られるかな,と期待してだめで,サンフランシスコには青木選手を見ようと思って行ったのに,その数日前のデットボールで故障者リスト入りで見ることが出来なくて,それですっかりいやになり,家でもメジャーリーグのテレビ中継を見る気も失せていただけに,今回,偶然,岩隅投手の先発試合に巡り合って,これで本当にすっとしました。
しかし,その次の登板でノーヒットノーランをやってのけたのには,さらに,びっくりしました。そのゲームを見ようと思えば見えただけに悔しいというか,でも,そのくらいにしておかないと,後が怖いというか,そうして自分を慰めることにしました。

私は,以前,ニューヨークで,偶然,松井選手の引退試合を見た,という強運だけで,これからもずっと満足することにしましょう。これまで,セイフコフィールドには行ったことがあって,その時はイチロー選手と城島選手を見たから,今回このボールパークを見たからといって,全30チームのホームググランドを見るという私の夢のカウントは増えないのですが,そのこととは別に,改めてこのボールパークに行ってみて,すばらしさがよくわかりました。
これまで行ったボールパークで,シカゴのリグレーフィールドとボストンのフェンウェイパークは別格として,感じのよいボールパークは,このシアトルのセイフコフィールドとデンバーのクワーズフィールドです。
行かれるのならこの2つをお勧めします。
ともに弱小球団だからなのか,ファンサービスがとてもよいです。試合開始前に自由にスタンドを最前列まで降りていって,グランドの間近まで行けるし,運が良ければ選手にサインがもらえることもできるし,球場もきれいだし,最高です。
ただし,ここシアトルは,また,ファンが熱狂的でないことがずば抜けています。大概,どこへ行ってもそのチームのユニフォームを着たファンで一杯になるのに,そんな観客はほとんどいないし,ゲーム中もとても静かだし,それだけは,私には,かなり意外でした。
こういう姿を,イチロー選手なら「この街の人は野球をわかっていない」と表現するのでしょう。

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蒸し暑い日本に帰ってきました。
すでに書いたように,今回の旅は2本立てでした。行った先は,アメリカ合衆国の北西部,ワシントン州,オレゴン州,アイダホ州,そして,モンタナ州でした。
行った都会は,シアトル,ポートランド,ボイジー,ヘレナ,ビュート,ボーズマンなど,大自然は,マウントレレイニー国立公園,オリンピック国立公園,セントへレンズ火山国定公園,クレーターレイク国立公園などでした。
さらに,アイダホでキャンプをし,空軍の基地へ行き,シアトルでシアトル湾クルーズ,ボーイング社の工場見学,そして,メジャーりーグのシアトル・マリナーズのゲームを1試合を見ました。先発投手は岩隈投手でした。ポートランドでは,友人の家庭で夕食をご馳走になりました。

自然の雄大さは写真では伝わらず,メジャーリーグの迫力は文章では伝わらず,大都会の車の洪水の実感も実際に走らなければ伝わらないのが本当に残念ですが,いつも書いているように,アメリカは行くたびにとどまることなくどんどんと進化していて,日本との差が開いていくようで残念です。
今アメリカ旅行に現金は要らず,必要なのは,着替え以外には iPhone とクレジットカードとパスポート,運転免許証(国際運転免許証)だけなのです。
クルマを借りるのにもカウンターを通さず,借りた車の中では iPhone を使って Bluetooth で音楽を聴きながら,何時間も信号もない広い道路を70マイル,112キロメートルでドライブすると,本当に幸せを感じました。
今回から数回,写してきた写真のいくつかをさらに高精度で載せます。 
きょうは都会編。上から,モンタナ州のビュート遠景,州都ヘレナの州議会議事堂,シアトル湾から見たシアトルダウンタウン,そして,ポートランドのダウンタウンです。

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今日は帰国の日です。
いつもは早朝の国内線で乗り継ぎをするので,最終日は朝から慌ただしいのですが,今回は,ポートランドなので,出発は午後の1時過ぎ。ずいぶんと時間があります。
そこで,朝,レンタカーを予定より早く返却して,フライトのチェックインも済ませて,カバンも預けて,身軽になってから,ダウンタウンに出かけることにしました。

ポートランドは,空港から TriMet MAX という電車があって,40分でダウンタウンと結んでいるので便利です。この電車,空港からはあまり人が乗らないそうなので,動物が乗り込んでいたとか聞きましたが,実際はそうではなくて,快適な市電でした。
ダウンタウンまで行って,南から北に向かって散策しました。ポートランドのダウンタウンは規模も感じも名古屋の栄のようなところで,歩いて全て行くことができます。違いといえば,大きな川が流れていて,ヨットハーバーがあることとチャイナタウンがあることでしょうか。
屋台があったり,日本料理店があったりと,アメリカの都市ではないようなところです。すでに書きましたがマリファナが合法なので,マリファナの匂いがします。治安がよいのにホームレスが多く,また,日本の学生が短期でホームステイをしている家庭が多いので,日本人の女子学生が数人のグループで日本語を話しながら歩いているのを見かけます。彼女たちは結構なお金を使って親の期待を背負って来ているのですが,残念ながらやっていることは,横浜を観光旅行しているのと変わりません。
今日はそんなふうにして午前中を過ごして,今回の旅も,いよいよフライトを待つだけとなりました。
これを書いているのは,ポートランドの国際空港なのですが,この空港のフリー wifi はこのブログを作成するサイトが有害サイトとして遮断されてしまうのです。変なセキュリティです。私は,デルタスカイクラブのラウンジで書いているのでネットワークが違うからいいのですが。
このブログが更新されるのは,こちらの時間で明日の朝9時なので,その頃はすでに帰国,ということになります。

2週間に及ぶ休日は,本当に素晴らしいものになりました。いろんなものを見て,いろんな経験をしました。アメリカに憧れ,旅を続けて35年,やっとやりたかったことのほとんどができた,そしてできるようになったと思います。それとともに,アメリカの素晴らしさ,というより凄さが分かってきました。
残念ながら,私は日本には京都と奈良以外にはもう興味はないし,何も期待していないし,日本の方がいいなあと思うのはこちらではなかなか食べられないカレーライスと味噌煮込みが食べたいときだけなのですが,このことについては,帰国後にまたゆっくりと書きたいと思います。
私の旅は,これからも,まだまだ続きます。

明日の午後に帰国するので,1日観光できるのは,今日が最後でした。
当初は,ポートランド近郊を観光するか,コロンビア川を遡って観光しようと思っていたのですが,昨日の友人の勧めもあって,予定を変更して,今日は,オレゴン州にある唯一の国立公園クレーターレイクへ行くことにしました。
クレーターレイク国立公園はポートランドからさらにインターステイツ5を南に3時間,オレゴン州南部まで行って,そこから東へさらに2時間山の方へ行ったところにあります。
穏やかに広がる草原と木立の中を延々と走って行くだけなのですが,その向こうに広がっていたのは,なんと世界で7番目に深い湖クレーターレイクなのでした。
クレーターレイクは形は同じカルデラ湖である北海道の摩周湖そっくりなのですが,深さと面積は3倍あるのです。
湖は独特のエメラルド色をしていて、とにかく素晴らしいの一言,しかし,ここもまた,写真や文章ではその劇的な素晴らしさが伝わらないのが残念な限りです。
唯一湖まで降りられるところがあって,往復に1時間,かなりきつい坂道を降りたのですがその甲斐がありました。
湖は冷たく心地よい風が吹いていました。アメリカには国立公園法というのがあって,多くのことが制限されています。そのために,カンバンのひとつもありませんし,自動販売機はもちろんのこと,民間のおみやげ屋さんもありません。ゴミひとつなく,雄大な自然がそのまま楽しめます。
帰り道,遠くの山で山火事が見られました。この時期,アメリカは山火事だらけです。
往復に10時間,距離にして800キロとメートルいうのはかなりの強行軍でしたが,ここにもそれを超えた感動がありました。ああ,これほどの世界を知らずにいる人が本当に残念に思われます。
夕食はホテルに帰る途中のオレゴン州の州都セイラムのデニーズで,ささやかにサーロインステーキを食べました。
オレゴン州はガソリンを入れるのにセルフサービスでなかったり他の州と違うので戸惑いました。マリファナも合法だそうです。
ところで,今日,シアトルマリナーズの岩隈投手がノーヒットノーランを達成しました。現地のマリナーズの番組もこの話題一色です。

風呂桶とともに持っていると重宝するのが小さいハサミなのです。
この国のホテルにある様々な小物,例えば手拭き,シャンプー,コーヒー豆などですが,これらはアルミの袋に入っていることが多く,小さい切れ込みが入っているのですが,うまく破れないことがままあって,こうした時は絶望的になります。
今日の写真のように,コーヒー豆の左上の切り込みが端っこにあっておかしな方向に破れ,開封できなくなりました。ビニールなら歯でなんとかなりますが,それも無理なのです。
さて,ついにオレゴン州に戻ってきました。今日と明日,そして,最終日のお昼まで滞在して,ポートランドの国際空港から帰国します。
実は,この旅でオレゴン州ポートランドに来たのは,昨年の夏に,今年と同じようにポートランド経由でアイダホに行った時に,ポートランドに住む友人からポートランドに来るなら遊びに来てというFacebookの書き込みを貰って、その時に来年は行くからと約束したのが発端なのでした。
今回,ポートランドに着いてからの予定は全くの未定でした。綺麗な都会と聞いていたから,どこへ行ってもいいかな,くらいの気持ちでした。
宿泊したホテルは空港の近くで,ダウンタウンからは10キロくらいのところにあります。そこで朝10時にホテルの駐車場で友人と待ち合わせということにしました。
ちょうど10時に彼女は来ました。彼女は中国台湾からの移民で,イエローストーン国立公園を現地ツアーで観光した時に知り合いました。9年ぶりの再会でした。
そのままダウンタウンまで彼女の車で行って,ポートランドのダウンタウンを案内してもらいました。
ダウンタウンにあったアップルショップはものすごい人混みなのに,その2つ先のマイクロソフトショップはガラガラ,もうアメリカでは完全にマイクロソフトは終わったなあと思いました。これがアメリカでの実態です。
まず,スターバックでラテをご馳走になって,そのあと,ウィラメット川畔のミルエンズパークで昼食をとりました。平日なのに多くの人がノンビリと景色を眺めながら食事をしていました。そのあとで,ワシントンパークへ行って,日本庭園とローズガーデンを見ました。そして,最後にピトック邸を見学しました。
トピック邸はオレゴン州最大の発行部数を誇る「オレゴニアン」の創設者トピックが1914年に建てた大邸宅で,庭から見事なポートランドの街並みを見ることができました。
夕食をご馳走になることになって,家に招かれました。行く途中で巨大なモールに寄りました。モールで3Dプリンタの実演をしていました。20,000円くらいで実物そっくりの小さな人物像が作れます。結婚の記念など写真よりいいように思いました。この商売,日本で今始めると当たるのでは?
ポートランドはこれまでずいぶん前にフライトの待ち時間に3時間くらい滞在しただけだったのですが,今回初めてダウンタウンを案内してもらって,思った以上にものすごく素敵な,そして,思った以上に小さな都会でした。道路は日本の都会のように狭く,しかし車はサンフランシスコのように多くなく,市内の公共交通は無料で治安が良く,アメリカの都会に住むならここだと思いました。
今日もとても素晴らしい思い出がたくさんできました。

ホテルのチェックインで,以前はエクスペディアの予約番号を言ったり,予約をしたページを見せたりしていたのに,結局名前を言えばいいとわかったので,このところは名前を言うのですが,これがクセものです。なかなかリストから探し出してくれません。わかったことは,どうやらホテルのPCに表示されるファーストネームとファミリーネームが反対らしいということです。エクスペディアで予約をしていかれる方はご注意を。
さて,今日は,セントへレンズ火山国定公園です。いよいよ旅行も後半で,ポートランドに近づいてきました。
セントへレンズは1980年に大噴火を起こした火山です。ここにアクセスするルートは北西と北東,そして南の3カ所でそれぞれ別々になっていますが,南のルートは噴火跡が見られないので行っても仕方がありません。
今日は随分と時間があるので,北西と北東の両方向のルートでアクセスすることにしました。このふたつのルートはゴールは本当に近いところに到着するのですが,これを結んだ道路はなく,ものすごく大回りをする必要があります。
例えると,富士山の展望台に行くのにふたつのコースがあって,その両方に行くには,長野まで戻らなければならない,といった感じでしょうか。
はじめに,北東のルートから行きました。ゴールはウィンディリッジという展望ポイントです。ところが,ここに行くまでの道路が予想以上に大変で,狭くカーブが多く大変でした。途中何度もめげながらやっと見晴らしのよいところに出ると恐るべき景色が見えました。それは,大噴火の時に爆風で倒れた樹木が無惨な姿をさらし,その向こうに火口がえぐられた巨大な火山の成れの果てでした。
当然,展望ポイントにはほとんど人がいませんでした。しかし、すばらしいところでした。
次に,大まわりをして再びインターステイツ5まで戻って北西のルートに行きました。ここの終点はジョンストンリッジ展望台で,一番人気のところということでした。
こちらはうって変わって快適な道路が最後まで続きました。キツネにつままれたような感じでした。到着した展望台の広大な駐車場には多くのクルマが停まっていて,まさに観光地という感じでした。ビジターセンターも人が溢れていました。
展望台からは巨大なセントへレンズが間近に迫り,180度にわたって山しかないというのはまさに圧巻でした。阿蘇山の景観を1,000倍にしたような感じでした。
それでもこの展望台から火口まではさらになんと9キロもあるということで,登頂には12時間かかるそうです。
この景観はどれだけ見ていても飽きることがないほどの凄さでしたが,写真では伝わらないのが残念です。
噴火以前の姿はまさに富士山と瓜二つで,もし富士山が噴火したらこうなるのか,と思うと恐ろしくなりました。
今日は,ロングビュー(Longwiew)という比較的大きな街に泊まっています。広い公園のある美しい街で,少し散歩をしましたが、涼しく快適でした。
夜「Family Feud」という私の大好きな番組(日本でも以前「クイズ100人に聞きました」という名前でやっていました)を見ていたら,問題に「世界で一番幸せな国はどこか?」という問題がありました。文句無しの回答はアメリカ合衆国でした。そりゃあそうだわと思いました。広い家に住み,夏は涼しく爽やか,学生は宿題のない夏休みが3カ月あって,社会人は5時にきっかり仕事を終えて残業などなし,街には広い公園があって,郊外には大自然が広がり休日はキャンプに出かける,なんて日本とは真逆の世界です。
インターステイツ5沿いの街でここからオレゴン州のポートランドまでは30分ほどです。いよいよ旅も終盤です。

今日はオリンピック国立公園巡りをしました。
オリンピック国立公園とは,アメリカ大陸の一番北西にあるオリンピック半島が国立公園になっているところで,半島の中央は2,400メートル級山々が連なっていて,その外周をクルマでまわるものです。
宿泊していた場所が半島の一番北東の町で,朝7時にホテルをチェクアウトをして,まず,半島の北側を西の端まで行き,次に西海岸沿いに南に行きました。
はじめに行ったのが,ハリケーンリッジという展望台で,イッキに1,500メートルまで登ることができて,山々を見渡すことができました。朝,小雨が降るような天気だったのに,のぼりきるとそこは雲の上で快晴でした。気温は10度くらいでとても寒かったのですが,すばらしい展望台でした。
次に行ったのが,レイククレセントという湖で,そこは高い透明度で湖の底まで見渡すことができました。ここに着くころにはすっかり天気も回復していました。
最後に半島の西側の海岸へ寄りました。そこから見る太平洋の向こうが日本だということが不思議な気がしました。
ここへ行く途中に,周回道路から外れて半島の北西にとんがった岬の先に行こうとわざわざ遠回りをしたのですが,実はこの先端まではクルマで行くことができなかったのです。しかも,ここへ行くには周回道路がないので引き返す必要があるし,道路がアメリカにしては狭く曲がりくねり久し振りにブレーキを頻繁に踏んだので,ひざが痛くなりました。
私を含めて,それを目的としたであろうクルマが町でウロウロしていました。しかし,その町で昼食として食べたハンバーガーが殊の外スモーキーで美味でした。こんな美味しいハンバーガーはこれまで食べたことはありませんでした。それに,海の向こうにカナダのバンクーバー島が美しく見えました。ここのウェイトレスが,そう,岬までの道はないのよ,皆さんここでウロウロしている,といって笑っていました。
再びループ道路に戻って予定通り半島を一周しました。どこも雄大な風景でしたが言葉と写真では全く伝わらないことでしょう。
今晩の宿泊先はインターステイツ5沿いのチェホールズ(Chehalis)という町の,昨日とは打って変わった豪華な新しいホリデーインです。この町は結構大きいのですが,意外にもめぼしいレストランが1件もなく,仕方がないので,隣街のモールにあったのサブウェイでの夕食となってしまいました。
明日は,セントヘレナス火山国定公園です。
今回もまた,連日,奇跡的に天気に恵まれています。

まだまだ旅は続きます。今日からは,大自然の国立公園とお友達です。
朝,ホテルをチェックアウトして、向かうは,南東のマウントレイニー国立公園でした。シアトルから南下して,途中で進路を東に変え,冬は凍結して閉鎖される北東の入口から国立公園入って南に走り,西に進路を変えて南西のゲートから出ました。
天気予報は曇り午後から雨,早朝のシアトルもどんよりと曇っていましたが,マウントレイニーに近づくにつれて晴れ上がりました。
素晴らしい山々の遠景や美しい花々,そして,氷河と滝が迎えてくれました。
標高1,647メートルのパラダイスというところにあるビジターセンターからのトレイルが快適でした。涼しく爽やかでした。

そうそう,アメリカ大陸にはセミがいないので,ものすごく静かなのです。
リフレクションレイクからは逆さ富士ならぬ逆さレイニーが見えました。また,ナラダ滝は落差50メートルの透き通った流れ,滝壺では若い女性が2人びしょ濡れになりながら遊んでいました。
その次に向かったのが,オリンピック国立公園のあるオリンピック半島でした。ここはシアトル湾を挟んで西側にあって,シアトルからアクセスすると橋が大渋滞なので,私たちは先にマウントレイニーに行ってシアトルの南のタコマから湾に沿って陸上を北に行くことにしました。
途中でウォールマートやドラーツリーショップ(百均)に寄りながら北上しました。
また,遠くに見えた原子力発電所が不気味でした。
クルマで移動している時は曇り,時折雨が降っていましたが,オリンピック半島に着いた頃には晴れ上がり,山々の遠景が美しく浮かび上がりました。
今日宿泊しているのは,オリンピック半島の北東のセクイム(Sequim)と言う名の町の場末のモーテルなのですが,この町は素敵で,夕食は日本料理,ものすごい量の焼きそばにテリヤキでした。ダウンタウンは全く盛り上がりに欠けるお祭りの真っ盛りでした。でもステージで歌っていたカントリーは上手でした。

もう,このあたりは地の果てなので,シアトルよりも日本に近いのにも関わらず,アメリカのとんだ僻地にいるような感じです。ホテルのオーナーのおばちゃんもやる気ないし,町も新しいのか古いのか,活気があるのかないのか,理解不能な感じです。
夜,ホテルのテレビであの伝説になったサイモン&ガーンファンクルのセントラルパークコンサートをやっていました。あれを聞いてアメリカに憧れたこともあったなあと胸が熱くなりました。

明日はオリンピック国立公園を見学しながら,半島の西海岸を南下し,明後日はセントヘレンズ火山国定公園に向かいます。


シアトルは太平洋に面した美しい都会です。サンフランシスコに似ているところもあります。特に,海岸から市街地にかけてはかなりの坂を登る必要があります。しかし,デンバーやミネアポリスといった都会に比べれば,サンフランシスコのように,風紀の悪い感じのところもあります。東京の渋谷のセンター街のような感じというか。
問題は,街が海岸線に沿ってあるので,インターステイツが慢性的に渋滞していることと雨が多いことです。住むならポートランドですね。
宿泊したホテルは空港に近いので,午前4時から朝食をとることができました。シアトルもまた空港近くにホテルをとるのが良いのです。
今日は,朝はゆっくりと過ごして,午前9時に空港に友人の息子さんを迎えに行きました。シアトルタコマ空港の待ち合わせ定番はバゲジクレイム。そこでは再会を喜びあい抱き合う姿が繰り広げられるので,見ているととてもアメリカらしくて感動します。

予想通り? フライトが遅れ,入国審査ののち,着陸約1時間後,無事にピックアップできました。ボーイングの工場見学の予約した時間ギリギリになってしまったので,一度ホテルに行くこともできず,そのままボーイングに行きました。
ボーイングの工場は,私は昔行ったことがありますが,シアトルで一押しのオススメです。写真を全く写すことができないのが残念です。ボーイング747,777,787などの旅客機の組み立て過程を見ることができます。むちゃくちゃ広い工場です。
この工場はシアトルの北にあるので,ここから南下をして,シアトル観光をしながら,最後は市街の南にあるセイフコフィールドで大リーグ観戦というのが,今日のメニューでした。

インターステイツが渋滞していたので一般道を走ったらさらに動かず,やっとスペースニードルに着いたのですが,上がるには2時間待ち。これではベースボールに間に合わないのであきらめて,セイフコフィールドに行きました。私が昔来た時とはえらい違いでした。
行く途中のダウンタウンも渋滞してクルマが動けず,大変でしたが,なんとか開始2時間前に到着して,ゲームを堪能しました。
食事は,岩隈投手にちなんで「クマコンボ」というお寿司にしました。
このチームのファンは冷めていて静かなのですが,試合はマリナーズの逆転勝ちで終盤は盛り上がりました。岩隈投手に勝利がつきました。逆転後の7回を抑えた時の嬉しそうな顔が印象的でした。今でも球場の外壁にはイチロー選手の絵がありました。
さて,明日からは国立公園巡りです。

だんだん今日が何日かわからなくなってきましたが,デルタ航空のアプリが出発のお知らせをくれるので助かります。本当に iPhone 様々です。これなくして旅行できません。
いよいよ今日,ボイジーからシアトルへ移動して,第2部の開始です。
フライト時間は1時間30分程度なのですが,時差があるので,時間としては30分ほど,つまり,今日は25時間あるのです。
まず,ボイジーにあるCOSTCOに寄ってから空港に行きました。フライトはいつもの通りファーストクラスにアップグレードされて,快適な空の旅を楽しんで,シアトルに到着しました。

天気は快晴,マウントレイニーが美しく見えていました。まずレンタカーを借りて,次にホテルにチェックインをしました。私が泊まる中では上級ランクのホテルでしたがバスタブがなくシャワーでした。私はそれで十分ですが。チェックインの時に,アイダホから来たけれどクルマの洪水にめまいがしたといったらすっかり打ち解けました。予約リストになかなか私の名前が見つからず「いつもそうなんですよ。私は親を恨みます」といったら大笑いしていました。

ここで大切なお話をひとつ。
アメリカ旅行で一番役立つのは日本の風呂で使う洗面器のような風呂桶なんです。アメリカの風呂のシャワーは括り付けでこれまでどうやって洗うのかずっと不思議でした。風呂桶さえあれば,全てが解決します。皆さんも是非持って行きましょう。
その後再びクルマに乗ってダウンタウンへ行き,適当な駐車場にクルマを停めて,57番桟橋から1時間のシアトル湾クルーズを楽しみました。このようなクルーズをこれまでにもずいぶんと楽しみましたが,今回も含めて,楽しみを台無しにするほど傍若無人なのが中国人の家族連れです。アメリカでも顰蹙を買っています。特徴は,サングラスをかけてブランドバッグを持って,周りを考えないことです。特に子供が生意気です。ああ。日本人も見かけましたが,私と同じくらいのおじさんって,どうしてああも場所に似合わないダッサイかっこして態度でかいんでしょう。だから私はアメリカの都会はイマイチ好きになれないのです。

船を降りてから歩いてスターバックスの一号店に行ったのですが,小さな店舗で店の中に入りきれず,歩道にいっぱい人が並んでいました。
アメリカは,本当に,どこも都会はいろんな人種がいてすごい人混みです。
レンタカーはネットで予約をしただけですが,メールで駐車スペース番号が連絡されて,カウンタを通さなくても,駐車場にクルマがキーを挿したまま用意されていて,その上に自分の名前が表示されていたので,そのまますぐに乗って行くことができました。このようにアメリカは全てがネット社会でどんどん便利になっていることに,ここでもまたびっくりしました。お金も今日まで全てクレジットカードで全て事足りて現金は1セントも使っていません。
いつものことですが,ネットとカードで全てができる快適な社会です。すごい国になりました。それに比べて日本はやっぱり不便でダメだわ。
テレビでは,70年前に広島に原爆が落とされたというニュースを何度も放送していました。

今回の旅は2本立てです。
今年は,カンザスシティでせっかくのヤンキース戦だったのに田中投手を見損ね,サンフランシスコでは考えもしない青木選手の故障者リスト入りで見損ねと,すっかり見放されていただけに,奇跡が起きたような感じです。
今日ははじめにこちらの住宅事情について書いてみます。
アメリカは人が移動する道路と住宅がある場所は別なので,住宅地はそこに住む人たちが移動するだけなので,とても静かです。住宅は外からはわかりませんが,広い裏庭があります。
玄関先も芝に覆われていますが,それぞれの家に必ず1本木を植えるとか,芝を管理するとかいった決まりが,その地域ごとにあるのだそうです。芝も値段によって質が違うということで,当然とはいえ,住めば住んだで日常生活はどこも煩わしいことがいろいろとありそうです。
また新築よりも中古住宅を買うことも多く,よく見ると,売りに出されている物件があります。写真にある住宅は当然広い裏庭もあり,2千万円くらいです。

今日は,アイダホ滞在の最終日,考えてみれば,ステイ先のマウンテンホームの町をゆっくりみたことがないので,行ってみることにしました。
小学校や中学校,高等学校,市役所,博物館を経て,最後に行ったのがアメリカ空軍の基地でした。IDを見せて書類を作ってもらって,中をドライブしました。ホンモノの戦闘機がなんとなく停まっていたりしました。そして,基地の中のストアで夕食の買い物をしました。沖縄帰りの軍人さんも多く,日本食がいっぱい手に入ります。
書類を作ってもらうときのダラダラとした軍人の仕事ぶりや,基地の中の午後5時きっかりで完全に仕事が終わって基地全体に国歌が流れるその様子は,とってもアメリカらしく,私は大好きです。これが世界最強のUSAirBaseなんです。それに比べて,日本人はどれだけ遅くまで仕事をすれば気がすむのでしょうか。欧米並みと言うのなら日本人も少しは見習うべきです。
今日もまた普通の観光旅行ではできない貴重な体験をしました。
こうして,今回の旅の第1部は終了しました。いよいよ明日からは第2部の始まりです。

キャンプ2日目の夜,寒さも慣れ,シェラフも心地よく,暗くなれば寝て,明るくなれば起きるという,健康的な生活は,実に快適でした。睡眠時間はたっぷり8時間,とはいえ,時間を気にしていないので,本当のところ,よくわかりません。
時折雨がパラついたりしましたが,太陽の日差しで日焼けすることもなく,過ごしやすい日々でした。
朝,コーヒーを飲んでいると,巨大な野生のムースが横切って行ったのにはびっくりしました。残念ながら,あまりに突然で写真を写せませんでした。何時も来ている人でもはじめてのことだったのだそうです。ビギナーズラックでしょうか。ここでムースを見たという話は現地でも皆無なのだそうです。毎度のことですが私はツイています。
そうこう楽しむうちにキャンプも無事終了しました。
日本にはあり得ない雄大な大自然は,子供のころ行った近くの銭湯の壁に書かれていた大自然に溶け込むような不思議な風景を思い出しました。文章で書いても上手く伝わらないでしょうが,人間が自然と一体になるというのはこういうことだと実感しました。
帰りは,途中で,アイスケイブというとっても寒い洞窟へ行きました。広大な火山で出来た溶岩の下に出来た自然の広大な洞窟でした。
それにしても,アメリカは知れば知るほど奥が深く,どこへ行っても,エネルギーに溢れたすごい国です。
アメリカは日本と違って無意味な「偏差値」よりも自転車で3,000キロメートル走れたり,電気もガスもないところで獲物を仕留め生きていける若者を評価する国ですから,そりゃあ国力違いすぎます。日本の「憲法よりも偉い」そうな永田町の方々や無意味な受験勉強を教え,人を順位付けるしか能のない本当は生きる力もない自称教育者の方々も,一度,アイダホの積雪2メートルの山の中で1週間野営してエルクハンティングでもして,人が生きるということの意味を問い直してみたらいかがでしょうか?

まさかアメリカでキャンプができるなどとは思いもしなかったので,思い切ってついて行くことにしました。行った先は,ステイ先のマウンテンホームからクルマで2時間くらいの高級リゾート地サンバレーから山の中に30分ほど入ったところでした。サンバレーには,シュワルツネッカーの別荘が高台にそびえていました。
キャンプ地はそれぞれの区画になっていて1,200円くらいで場所が借りられるのですが,日本のオートキャンプ場のように人ひとというのとは違って静寂に包まれていて,キャンピングカーで楽しむ老夫婦,テントを張る家族連れなど4組ほどの滞在でした。日本のアウトドア好きにはたまらないところでしょう。
標高が2,000メートルくらいで朝晩は寒いくらいでした。
釣りをしたり川遊びをしたり,悠久の時間が流れて行きました。隣で野生のシカが覗き込んでいました。リスは餌探しに余念がありませんでした。
釣りは3匹ほどかかりました。美味しい夕食の友となりました。サイクリングあり,ジョギングあり,冬には,雪が積もったこの場所で1週間ほどこもってキャンプ生活をしてエルクハンティングをするのだそうです。
ガスも水道も電気もなく,水は持って行きますが近くのビジターセンターでも入れることができます。トイレはキャンプ場にありますが,みんなの心がけでとても綺麗です。お風呂だけは我慢ですがキャンピングカーで行けば車内にシャワーがあるそうです。
多くのアメリカ人はアメリカの至る所で思い思いにこんな夏を過ごしているのです。これこそアメリカ人のレジャーだと実感しました。

これだけ大自然があると,自然とお友達にならないと生きてはいけません。こちらでは,ヨット,川下り,釣り,ハンティングなど,どこへ行ってもそんな遊びばかりです。
実に行動的です。日本ではやりたくても場所がないのですから,私も苦手です。

せっかくの機会なので,2泊3日のキャンプとやらに参加させてもらうことにしました。聞くところによると,電気もガスも水道もWifiもないのだそうです。
遊びは釣りにハンティングにハイキングにバーベキュー。あとは悠久の時間が流れるのだそうです。
毎日のようにこんな生活をしているのだから,そりゃ,価値観は全く違います。ちまちま会議なんてしてる場合じゃないし,子供達だってわざわざ夏休みまで家の中で宿題じゃあなくてテント張って野外生活です。だから,家庭ではつまらないワークブックやってるよりもテントでの生活の仕方とかキャンプクッキングなんていう本を本物のサバイバルナイフを磨きながら読んでいます。
さて,そんなキャンプですが,果たしてどうなることでしょうか。

お昼はとても暑いのですが,朝晩は寒いくらいです。湿度が低いので快適です。
明日からキャンプに行くので,今日アイダホに戻らなくてはいけません。グレイシャー国立公園はちょっと遠いので,またの機会ということで,帰りにどこに行くか別の選択肢を考えました。
ボーズマンというところに,恐竜の博物館「ミュージーアム・ザ・ロッキーズ」があります。前から気になっていたところです。ボーズマンはビュートから1時間ちょっとなので,そこへ行ってみることにしました。
ビュートからボーズマンまで11年前に交通事故に遭った場所を通りました。そのことも含めてこのインターステイツ90にはたくさんの思い出があります。
ボーズマンの博物館は広大なモンタナ州立大学の構内にありました。思ったよりは小さかったのですが,恐竜の展示は素晴らしいものでした。あんな骨の化石がゴロゴロ取れるのですね。
その後,ウェストイエローストーンを通り,グランドテイトン国立公園の西側を通り,昨年も行ったクレイター・オブ・ザ・ムーンに行って,ステイ先の家に戻りました。1,200キロメートルほどのドライブでした。
イエローストーン国立公園もグランドテイトン国立公園もすでに行ったことがあります。ハイシーズンのこの日,ウェストイエローストーンの町はイエローストーン国立公園へ行くクルマでごった返していました。
聞くところによると,今年の夏はイエローストーン国立公園はものすごい混雑なのだそうですが,例年以上にどうしてこれほどの人が押しかけているのか,その理由がこちらでも不明なのだそうです。

明後日から2泊3日でステイしている家族の人たちとキャンプに行くことになりました。そこで,今日と明日は時間ができたので,小旅行に行くことにしました。
行き先を考えたのですが,めぼしいところへ行くのにどこもクルマで10時間ほどかかってしまうので不可能なのです。そこでモンタナ州の州都ヘレナへ行くことにしました。とても美しいところで,一度通ったことだけあってその時から気になっていたところです。そこならクルマで6時間です。
アイダホ州からモンタナ州に入ると風景が一転しました。周りに山々のシルエットがとても美しくモンタナらしいです。ただ,急にガソリンスタンドが全くなくなったのにはびっくりしました。しかも1軒だけあったところはマシーンが壊れていて、呆然としている夫婦を見かけました。なにせ,その先100キロメートル以上何もないのですから。私は余裕があったからいいけれど,それでもインターステイツ15沿いなんです。
へレナへ行く途中で寄ったのがビュートでした。
私が11年前に交通事故にあって入院したビュートに三たび来ることができるとは。ちょっと感激しました。そして,さらに1時間山の中を走って,モンタナ州の州都ヘレナに到着しました。
ノースダコタ州の州都ビスマルクのような小さな美しいところ,ただしここはゴールドラッシュで栄えたところなのでものすごい年代もののマンション(大邸宅)がたくさんありました。州議会議事堂にはエキゾチックで銅屋根のドームがありました。
州議会議事堂の隣が小さな歴史博物館でした。その入口あたりから市内観光ツアーが出発します。そこでツアーのチケットを買っていたら,係りの人が,今日の朝日本から視察団が来ていて,夏なのにネクタイしてスーツ来ておかしい人達だったと言っていました。
午後5時30分この日最終の機関車をかたどった市内観光バスに参加して約1時間,楽しいガイド付きのツアーを堪能しました。隣のいた女性が私のニコンを見て日本のカメラはクールだと褒められました。降りる時,同じツアーにいた1人の男性が、「オレは一度九州に行って日本の野球を見たことがある。そこでイチローも見たが,大きな旗振ってクレイジーな応援だったゾ」と話しかけてきました。いつもこの国で旅をしていて,日本から来たというと,日本のクレイジーさに同情されます。私も同感です。こんな国で遊んでいると日本の生活はアホみたいです。
今日はヘレナのスーパー8に宿泊。安価だけどいいホテルでした。

デルタ航空のマイページに私のフライトの行程が表示されているのですが,いつもなら「upgrade requested」と表示されているのに,今回は「upgrade eligible」となっています。この違いがわからないのです。カウンタで聞いても,デルタ航空の職員もわからない,というのがさすがアメリカの航空会社です。どうやらチケットセンターに問い合わせるしかないらしいのですが,それも面倒なのでわからないままです。
さて,昼食をとってから出国手続きを終えて乗り継ぎカウンタで再び聞いていると,そのうちに,国際線も空席があるからとコンフォートプラスにアップグレードされました。ラッキー。しかし、疑問は解決しないままでした。とにかく何でもいいからアップグレードのボタンを押してみればいいと言われましたけれど本当かなあ? その後、デルタスカイクラブのラウンジでしばしのんびり過ごして,時間になったので,搭乗しました。
わずか9時間のフライトで日本とは別世界美しいオレゴン州ポートランドに着きました。入国を済ませ,あとは国内線に乗るだけ…。ここでついにハプニングが起きました。なんと乗り換えるフライトがずっとon timeだったのに搭乗開始直前に突然キャンセルになってしまいました。慌ててカウンタに行き別のフライトに振り替えてもらって,なんとか1時間遅れだけでボイジーに到着しました。
一時はどうなることかと思いました。いろんなことが起きるものです。ボイジーの空港に迎えに来てくれているから電話を持っていてよかったと実感しました。
今年のボイジーが昨年と違うのは,天気がよく暑いということです。これが普通で昨年が異常なのだそうです。蒸し暑くないので平気ですが。ボイジーは地上を走っているとそうでもないのですが,空から見ると,砂漠地帯だと実感します。
空港まで迎えに来てもらってボイジーからクルマで30分、また再びマウンテンホームに到着しました。長い1日でした。

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