カウアイ島・1日目。
アメリカ人の友人たちが口をそろえてカウアイ島はいいというので,4泊6日でカウアイ島に来てみました。
11月28日の午後9時30分発のフライトでセントレア・中部国際空港を出発しました。機内は空いていて,座席はアップグレードされてデルタコンフォートの窓際の一番前になりました。この席のひとつ前からファーストクラスなんですが,私の座った席はファーストクラスよりも広くて足が完璧にのばせてしかも隣は空いていました。機内食の夕食を済ませてからぐっすりと寝ていたらあっという間にハワイに着いてしまいました。しかし,ハワイは日本から中途半端に遠く実質睡眠時間が4時間しか取れなかったので,むしろ寝ていないより眠い朝です。時差が5時間なのでフライト時間は6時間50分なんですが日付変更線を越えてホノルル到着は11月28日の午前9時30分過ぎでした。ホノルルの朝の気温は25度と過ごしやすいのですが曇っています。この時期のハワイは雨季だということを忘れていました。
ここから午後1時45分発のハワイアン航空に乗り換えて午後2時30 分にカウアイ島に到着しました。今回は日本からずっとセキュリティがやたらときびしく,しかもホノルルの入国ゲートが混んでいたりして,到着までが面倒でしたが,何はともあれやってきました。
空港で予約してあったレンタカーを借りてこれから5日間の短い旅です。カウアイ島は春に行ったマウイ島よりもせまいし,特にしたいこともないので,いいといわれるカウアイ島がどのようにいいのかを実感するためにまったり過ごすことにします。
ハワイは昨年の春,今年の春に続いて3度目ですが,はじめてきた時のときめきもワクワク感もなく,ふらっと日本の田舎に来たような感じです。この島もまた,ホノルルであれだけたくさんいた日本人はどこへ行っちゃった? という感じで全く姿がなくなりました。予約をしたのは島の南端のポイプというところのリゾートでここに4泊します。空港のあるリフエから車で20分くらいです。今日は天気がよくなくて小寒いです。ビーチがとてもきれいです。
November 2017
「1日1断捨離」を目指して⑦-買わないことが最高の贅沢
「1日1断捨離」をはじめて1か月。それにしてもものが減りません。いくら捨ててもどんどん不要なものが出てきます。本にCD,おそらく,二度と読まず二度と聴かないものがほとんどです。
たとえば食事だと2,000円出して料理を食べて,再びその料理を下取りに出す,などということはしないしできません。コンサートも出かけていけば終わりです。そうしてお金を出すのはあとにひかないない気持ちのよい行為に思えます。それがものの場合,自分が必要なときに購入してそれを使った時点でその対価はとれているわけで,それが不要になったからといって再び値段をつけて買い取ってもらおうというのは都合がよすぎる話です。車やカメラなど,以前使っていたものを下取りに出して新しいものに買い替えるというのならまだ理にかなっているわけですが,読んでしまった本を再び値をつけて買ってもらうとなると,それはちょっと都合がよすぎるのでしょう。しかし,それを欲しいという人があれば値段がつくのもまた資本主義社会ではありますが,欲しいという人がないものもまでそうするのは無理な話です。
というわけなのですが,私は段ボール箱数箱に本を一杯詰めてネットで見つけた下取り業者に試しに送ってみました。そもそも,段ボール箱1箱送るのに1,500円ほどかかるものを着払いということなので,そんなもの商売になるのかしら? と思っていたのですが,予想通り,ついた値段は数百円程度でした。要するに,タダで不用品を整理してもらったようなものです。そもそも,新刊書店すら閉店する時代,街中の中古本屋さんもにぎわっているとはとても思えません。必要のないもの並べていても商売になるわけがありません。
これだけ処分しても,我が家にはまだ大量の本がありますが,それらは今や手にとる必要のないものばかりです。
結局,自分に必要なものを買うことができるというのも自分にとって何が必要かがわかっているからなのでしょう。と考えると,ものを買わないで済むというのが,最も贅沢なことであるといえるのです。おそらく,子供のころから身につけなけばならない最大の能力は,自分に必要なものだけを買うことができるという能力なのでしょう。
「1日1断捨離」を目指して⑥-「ブラックフライデー」
また日本人は新たな「マネ」を打ち出したものです。それは「ブラックフライデー」。首謀者はだれでしょうか?
アメリカでは11月の第4木曜日が感謝祭で,その翌日からバーゲンがはじまるので,それを「ブラックフライデー」と呼んでいるのですが,それを日本に持ち込んだというわけです。しかし,日本では「勤労感謝の日」は毎年木曜日というわけでもないので,たまたま今年が木曜日だったことから思いついたのでしょうが,来年はどうするのでしょうか?
いずれにしても,アメリカと違い,ボーナス前の11月にバーゲンをはじめて,また,12月になったらクリスマスセールをやって,消費の落ち込む11月を活気づけようという,きわめて日本的な商法なのでしょう。そして,なんでもそうしたブームにのっかかる新しもの好きの人がある程度いて,そうした人がいつものようにそれにひっかかるという仕組みです。
それがうまく行ったのが「恵方巻」です。節分に恵方巻という習慣は昔はありませんでした。しかし,あんなおいしくもない恵方巻をブームにしたなんて,立派な知恵者じゃあないですか。「ハローウィーン」もそうです。今では,ご本家のアメリカでは,ハローウィーンは治安と食の安全の問題から,訪れていい家庭には玄関に印があるし,お菓子だって市販のもの以外は渡せないから,むしろ,日本の方が華やかです。「クリスマス」も,アメリカでは宗教上の理由から「メリークリスマス」から「ハッピーホリデー」と変わり,日本のほうが浮かれています。この無節操な姿こそが日本という変な国なのでしょう。さすがに「ゴールデンウィーク」を控えて「イースター」はなじみませんけれど。
私は「1日1断捨離」をはじめたら「(必要品以外は)何も持たない,何も買わないことこそが最大の贅沢」ということに目覚めたので,こうした社会の浮かれようを冷たい視線で見るのが最大の楽しみとなりました。我が家はいまでも新聞をとっている珍しい家庭なのですが,そこに入る折り込みチラシだって,私は「何も買わない」わけだから見ることもなく,見ないから購買意欲もわかない,というきわめて好循環となりました。
「ブラック」なんて,日本では「ブラック企業」のように否定的な意味合いの言葉であまりイメージがよさそうにありませんし,この無理やり「ブラックフライデー」は果たして日本でも根付くのでしょうか? 根付こうと根付かずとも私にはどちらでもいいですが,「断捨離」を生業とするには由々しき社会現象のひとつといえます。
いずれにしても,ものを買わない,ものを捨てる,つまる,ものが減るということが,これほどの快感を伴い精神的にもよいことであって,ものを買うことが最大の不幸だとは,「1日1断捨離」によって思い知らされたというのが私の今年最大の出来事でした。
「群盲評象」か「聞一知十」か?-旅が教えてくれるもの
「群盲評象」(ぐんもうひょうぞう)という言葉があります。
数人の盲人が象の別の一部だけを触って感想を語り合うというインド発祥の寓話です。物事の一部,ないしは一面だけからすべて理解したと錯覚してしまうことのたとえとして用いられます。盲人達はそれぞれ象の鼻や牙など別々の一部分だけを触りその感想について語り合うのですが,触った部位により感想が異なり,それぞれが自分が正しいと主張して対立が深まっていくというものです。
似た意味をもつ「全豹一斑」(ぜんぴょういっぱん)という言葉もあります。
豹の皮の斑模様の一部を見て豹であることを認識するということから,物事の一部を見て全体を推し量ることを意味します。こちらもまた,もののごく一部を見て全体を推測したり批評したりすることのたとえとして用いられ,見識がきわめて狭いことを意味します。ここで,「一斑」は豹ひょうの斑点のひとつであり,「全豹」は豹全体のことです。
一方で,「聞一知十」(ぶんいつちじゅう)という言葉もあります。
こちらは「一を聞いて十を知る」として知られていて,わずかなことを聞いて物事の全体を理解することを表したものです。つまり,きわめて理解が早く洞察力が鋭いことをあらわします。
私は,「全豹一斑」は「群盲評象」よりもむしろ「聞一知十」のほうに意味が違いように感じるのですが,それは私の勘違いのようです。
今日この言葉を紹介したのは,広い国のわずか一部だけを旅行したのにもかかわらず,その国のことがさもわかったかのように語ることの愚に対する戒めです。それは自分に対しても,他人に対してもです。
私は数十年にわたってアメリカの様々なところを旅して,少しずつ,この国のことがわかるようにはなってきましたが,それでも,今もなお,驚きがあります。わずかな場所しか知らないのにもかかわらず,「アメリカでは…」と語ってはいけないなあ,といつも思います。これは自戒です。
この夏,ある私の友人が2か月間にわたってはじめてアメリカを旅したのだそうです。それも,車を使わず,グレイハウンドと鉄道を利用したのだそうです。これでは2か月間といってもたかが知れています。車なしではアメリカはそのほとんどに行けませんから,彼は表面をなぞっただけのことです。若者でもあるまいし,定年を過ぎた男が学生のような旅をしてきたわけです。それはそれで人それぞれだから別によいのですが,私が気に入らないのは,それだけをもって,彼はアメリカをさもすべて知ったかのように語ることなのです。
しかし,日本で語られるアメリカもまた,それと同様なことが非常に多いのですが,そうした報道からだけの受けうりの知識を人に語るよりは,それでもまだ実際に見てきただけ,彼はましだといえるのかもしれません。
旅に限らず,そうした愚を犯さないようにすることは難しいものです。よく聞くのはテレビは地上波,特に民放のしょーもない番組しか知らずBSプレミアムを見たこともない人がテレビはつまらないと得意気に話すことです。あるいはiPhoneを使いこなせない人がスマホを毛嫌いすることです。そういう愚を犯す人が権力をもつとその組織は悲劇です。そういう人が教師であれば生徒は悲劇です。
2017春アメリカ旅行記-再びハレアカラへ③
●満天の星空のはるか向こうには街の灯りが●
日が沈むとほとんどの観光客は山から下りていったが私はこれから星空を楽しむのである。
ハワイ島のマウナケア山はオニツカビジターセンターに星空観察ツアーがいっぱい来ていて大混乱であったので,ここもどうかな? と思っていたが,それらしきツアーはまったくなかった。
ハワイ島のマウナケア山では星空観察ツアーは午後9時に終了するから,ごった返していても午後9時を過ぎると落ち着いて星を見ることはできる。しかし,オニツカビジターセンターからカイルアコナに戻るには2時間弱もかかる。マウナケア山からもっとも近い町がワイメアとヒロであるが,それでも1時間半ほどかかる。
それに比べればこのマウイ島のハレアカラ山はカフルイからでも1時間と遠くないし,もっと近い町もある。
そしてまた,ハワイ島では霧が多く天候が安定しないのに比べて,マウイ島のハレアカラ山はほぼ晴れるのである。
はじめは山頂で星を見ようと思ったのだが,非常に寒かった。そこで,少し山頂から下りたところにあった駐車場に行ってみることにした。到着してみると,すでにそこにいたのが地元の星空観察ツアーのバンが1台と数人の参加者であった。しかし,駐車場が広く,彼らはまったく気にならなかった。
実際,このハレアカラ山で星空観察ツアーを実施しているのは地元のツアーと山内さんのやっている日本人相手のツアーくらいのものである。このハレアカラ山は国立公園で12人を越えるツアーを営業することが禁止されているということも理由であろう。
私は駐車場に車を停めて,持ってきた三脚と小型赤道儀をセットして空が暗くなるのを待った。
この旅でも私は一応こうした機材を持っては来たが,ほとんどやる気もなかったので適当であった。せっかく来たんだから一度くらいは星を写さねば…,そんな程度であった。
次第に空が暗くなってきて,空に星が見えてきた。ここは真っ暗だと思っていたが,雲が切れて快晴になると,下界には遠くカフルイの街灯りが見えるようになって,真っ暗というわけではなかった。しかし,それでも私は,今でも,これほど空の暗い場所を他には知らないし,こんなに条件のよい星見の場所を知らない。
辺りが暗闇に包まれはじめると南の空にはオリオン座がはっきる見えるようになった。
このオリオン座には「バーナードループ」や「エンゼルフィッシュ」とよばれる散光星雲があって,これを写すのがアマチュア天体カメラマンの夢なのである。またオリオン座の南にはおおいぬ座があって1等星シリウスの近くには「ワシ星雲」という散光星雲がある。しかし,空の明るい日本では写すのが困難で,多くの星好きは苦労してカメラを改造までして写しては自宅に帰ってさらに画像処理を施してやっとそれを手に入れるのである。
ところが,そんなもの,この暗いハレアカラの夜空なら,私が適当に写した今日の2番目と3番目の写真のように,何の問題もなくしかも数分の露出でいくらでも写るのだ。
実は,この晩,もう数時間も待っていれば南十字星も昇ってきて格別な星空を見ることが可能であったのだが,私はなぜかそんな気もなくて,きれいな夜空だなあと思っただけで早々に下山してしまった。無論,こんないい加減な精神状態であったから,この旅ではまともな天体写真も写せなかった。どうしてこんなに恵まれた星空を見てもときめかなかったのか,そしてまた,再びマウイ島に行ってこの星空を見たいと思わないのか,私自身,今でもよくわからないでいる。
旅先のホテルに何を求めるか-寝ることは最も贅沢なことだ
旅に出てホテルや旅館に宿泊する目的は人それぞれなので一概にはいえませんが,私の場合ホテルはシャワーがあって眠ることができればそれで充分なので,それ以上の設備があっても無駄にしか思えません。
若い頃,日本の温泉旅館に泊まったときに食べきれないほどの食事が出てきて感動したこともありましたが,今では食べきれませんし,おいしい料理を食べたいのなら,食事だけできるところへ行けばいいと思うようになってきました。
私がこれまで宿泊したなかで一番印象に残っている日本の旅館というのは,東北の盛岡の近くのどこかの温泉旅館です。そこは考えられないほど豪華ですごい料理と温泉があったのですが,それがどこだったのか今となっては全くわかりません。
次に印象に残っているのは,北海道ルスツリゾートの「ルスツタワー」です。子供が小さかったころ,お盆が終わってすでに北海道は学校がはじまった夏の終わりに観光客の少なくなった北海道のこのホテルに1週間くらい滞在するのは最高でした。
ディズニーリゾートも,これまで「ミラコスタ」をはじめとしてほとんどのオフィシャルホテルに泊まったことがあります。
こうした泊まることをも目的とした旅もまたよいものですが,今は興味もなくなり,行くこともなくなりました。
ここ数年では,岡山県総社市の国民宿舎が,私が最も気に入ったところです。
現在,日本国内で,私の用途にもっとも合うホテルは「東横イン」です。ここは安価で,しかも私の必要なものがすべてそろっています。日本中にチェーン店があって,ネットで簡単に予約できるのでたいへん便利です。
東京都内には,大井に「アワーズイン阪急」という安価で便利なホテルがあります。というか,ありました。このホテルの最大の利点は最上階にあった宿泊者だけが利用できる温泉でした。この温泉の魅力にひかれて泊まったようなものでした。ところが何をどう勘違いしたのか,ホテルが改修されたときに温泉も改修され,宿泊客以外の一般客も利用できるようになり,ホテル自体も妙に高級になってしまって,私にはまったく魅力がなくなり利用しなくなりました。これこそ,まさに日本の多くの企業の陥る間違った成長路線そのものです。
こうしたいわゆるビジネスホテルにくらべて,テレビ番組「ローカル路線バス乗り継ぎの人情ふれあい旅!」のなかで蛭子能収さんが言っているように,日本の旅館は当たりはずれがありすぎるので,宿泊することをためらってしまいます。田舎の旅館だと,今だに女性の一人旅だと断られることもあるそうですし,日本の旅館というのは,異常に高級だったりその反対に江戸時代の旅籠と大差なかったりと,日本の地方にはアメリカのモーテルのような手ごろなホテルがほとんどないので,宿泊先をさがすのに苦労します。
いつも書いているように,アメリカでは,モーテルやホテルなど,予約をしないで行っても簡単に宿泊でき,しかも,どこも平均点くらいの設備のあるものがどんなところに行ってもあるから,日本よりも楽に旅ができます。
そうしたアメリカのホテルで私が一番印象に残っているのが,グランドキャニオンのノースリムへ行った帰りに泊まったモーテルです。一面の大平原,あたりには何もなくホテルも見つからす,やっとのことで見つけたレストランに併設されていたモーテルでしたが,そこは素朴で素晴らしく,西部開拓時代に戻ったかのような気がしたものでした。
アメリカのホテルにはプールが併設されていることも多いのですが,私は利用しないので,そんなものがあってもそのために宿泊代が高くなるような気がするので意味がありません。アメリカ人に言わせるとこのプールはお風呂替わりなのだそうです。
いずれにしても,日本もアメリカも,近頃は,ホテルの宿泊代がえらく高くなってしまいました。別に余分な設備やサービスは要らないから,もっと気楽に旅行ができるホテルがあるといいと私は思います。
2017春アメリカ旅行記-再びハレアカラへ②
●ハレアカラの山頂で絶品の夕日を見る●
夕食も終わり、この日の晩はハレアカラの山頂で雲海に日が沈むのを見て,そのあとは星空を見ようと再びハレアカラに行くことにした。
私の滞在するマウイ・シーサイドホテルのあるカフルイからハレアカラの山頂までは約30マイル,つまり50キロ程度で,1時間の道のりである。私が普段天気のよい日の夜に星を見にいくのと同じようなものだから,もしカフルイに住んでいたら毎晩でもこうして星を見に行くことができるのだなあと思った。
昨日の午後にこのハレアカラに登ったときはこの夜のための下見であった。もっと観光地化しているのか,あるいは星を見る場所がないのかなど,行ってみなくてはわからないから,その様子見であったが,思った以上に星を見るには理想的な場所であった。
…であった。
しかし不思議なものである。これだけ理想的な場所であったにもかかわらず,私はここで星を見ることに魅力を感じないのである。おそらく再び行くこともないであろう。それはハワイ島のマウナケア山もまた同様である。
その理由は,ここハワイが赤道よりも北にあり.天の南極を見ることができない,その一点だけなのである。おそらく,私がこのときまでニュージーランドやオーストラリアに行って星を見ていなければこの地に何度も行くことになっていたかもしれない。
旅をして新たなときめきを知ってしまうのは人の夢を食べるバクのようなものなのであろう。
昨日と同様に,私は快調にハレアカラ・ハイウェイのおびただしい山道を登っていった。さすがに日没を見ようと多くの車で道路はやや渋滞気味であったが,それは,すでに時間が遅く係員のいない国立公園のゲートでクレジットカードで料金を支払う車が順に停車するからであった。
私は昨日入場料を払ってそのときに3日間有効だと聞いたからそのまま料金を払わずに登っていった。このゲートには監視カメラがあるから料金を払わずに登ると後日お咎めがあるということだが,私のようにすでに支払ってある車をどう区別するのだろう? と私は疑問に思った。
山頂の手前に広い駐車場があり,そこからさらに登ったところに少し狭い駐車場があるのだが,まだ山頂の駐車場にもスペースがあったから私はそこに車を停めて外に出た。
山頂は寒かったが私はこうした寒さには慣れっこなので平気だった。ちょうど日が沈む直前で,すばらしい夕日が雲の上に見えて絶品であった。
反対の東側にはハワイ島が望め,マウナケア山の山頂にはすばる望遠鏡をはじめとする多くの天文台のドームが輝いていた。
2017春アメリカ旅行記-再びハレアカラへ①
●マウイ島にあった仏教寺院●
パイアの町を過ぎたところに日本のお寺のような寺院とお墓があった。私は興味をもって車を停めて,中に入っていった。そこは「パイア・マントクジ」という名前の寺院であった。
パイアのマントクジはマウイ島で唯一の曹洞宗の寺院でる。この寺院と墓地には巨大な鐘楼があって,110年間にわたってこの地でシンボル的な存在を保っているということだ。
ホームページによると,広島県・現在の三原市にあたる豊田郡沼田東村の曹洞宗のトクジュアンという寺院のウエオカ師が1906年に建立したというものであった。
日本式の墓地には明治,大正,そして昭和という年号が刻まれていて,私はこの地に渡ってきた日系移民たちの人生を思った。北側には青い海が広がり,その遥か彼方に日本があると思うとなおさらであった。
何ひとつ不自由なく日常をおくり,子供のころから学校教育の教える価値観で育っていくだけではわからない人生というものが,どうやらこの世界では大きな意味をもっているらしい。
そこを過ぎて,私は,マウイ島を知るためにパイアから南東にマカワオという町に走っていった。ここには「串刺しドーナッツ」で有名なコモダベーカリーというお店があるという話であった。
パイアからマカワオまではのどかなところで,あれだけ車の多いパイアとは打って変わってさわやかな高原道路という感じであった。道路のまわりには多くの教会があった。
どうも私はこのマウイ島というところが今もってよくわからないのだ。あまりに多くの顏がありすぎるのである。そういう意味ではとても捉えどころの難しい島である。そのどこも魅力にあふれているのだが,といって,どこがよかったかといわれても,それもまた,よくわからないのである。
やがて,マラカオに到着した。ここもまた,パイアのような町であったがが,パイアよりもずっと田舎びてもいた。中心から少し離れたところに車を停めることができたので,そこに駐車して歩いてコモダベーカリーを目指した。コモダベーカリーはすぐに見つかったが,古びたお店であった。有名な「串刺しドーナッツ」は当然とっくに売り切れていて,私はまた後日ここに来ることにした。
このときは,へえ~,マウイ島にはこんな素朴な町があるんだなあ~ と思ったことだった。
そこからホテルのあるカフルイに戻ってホテルの近くにあったマウイモールで夕食をとることにした。このモールにはいくつかのレストランがあった。ゲンキスシというのもあった。私が入ったのはオーリツ・ラーメンという店であった。
日本でもめったにラーメンを食べない私がハワイでラーメンを食べてもその味についてとやかく言うことはできないが,私には全くおいしくなかっただけでなく,高かった。
ハワイでは食事がすべて高価なのである。というよりも,円が異常に安いのであるから,海外旅行をすると,何もかもが高いのである。反対に日本に外国人が押し掛けるのは日本が魅力的というよりも外国人にとれば日本の物価が異常に安いからである。将来の不安も考えず金融緩和を続ける日銀サマサマである。とはいえ,日本でも食べられるようなものを日本の倍の値段でこちらで食べても仕方がないので,明日からはもっと戦略を練ったほうがよいと,私は反省したのであった。
こんなことなら,まだ,土産話にゲンキスシに行った方がよかったなあと思ったことだった。
2017春アメリカ旅行記-ハナまで走るのである。⑧
●マウイ島の「ノースショア」●
美しい海岸を見たことで満足して私はハナから帰ることにした。また来た道と同じ617か所のカーブと56個の石橋を越えなければならないと思うと頭が痛かったが,ほかに選択肢はない。
私はこれまで様々なところに行ったが,そのほとんどは思いが募ったあげくの「勢い」であった。そうした場所は行ってよかったと思うところばかりだったが,そのほとんどの場所は再び行けるとは思えない場所であったり,一度で十分だと思う場所である。しかし,ハナはもう一度行けることなら行ってみたいと思うところのひとつであった。
ハナに限らず私がもう一度行ってみたいと思う場所は,アラスカやオーストラリアの山岳地帯,ニュージーランドやアメリカ・ミズーリ州の田園地帯,ニューメキシコ州の大平原などで,そうした私の思い出す地球上の場所のほとんどは大自然である。そして,満天の星空であり,オーロラといった自然現象である。
帰る途中で少し遠回りしてハナの空港に寄ってみたが,この空港は私が思っていたのとはまるで違っていた。この空港にアクセスするのはモクレレ航空のセスナ機かヘリコブターしかないく,空港というよりも田舎の駅であった。
この空港の滑走路をのんびり眺めていた人が数人いたが,空港の駐車場でもめていた人がいたのには恐ろしくなった。どうしてまた,こんなハワイのド田舎に来てまで口論をしているのであろう。いい加減にしてほしいものだ。人の一生は短いものだからくだらぬ争いをしているような暇などない。アホか。
ハナからの帰りもまためげながら3時間ほど走ってやっとパイアの近くまで戻ってきた。ハナに行くときは左手にあたるのでほとんど気がつかなかったが,帰りは右手前方の眼下には美しい海岸線が続いていて,とても美しいところだと知った。それは「ホオキパ」(Hookipa)というサーファーの聖地であった。
いつも書いているように,私はハワイといっても日本人ばかりのオアフ島には興味がないので,オアフ島のノースショアという場所を知ったのは最近のことである。なにせ,私の持っている「地球の歩き方」は「ハワイⅡ」だけであり,オアフ島の載っている「ハワイⅠ」を見たことさえないのである。そしてまた,本屋さんに並ぶハワイ関連のガイドブック,それらはハワイとはいいながら実はオアフ島の情報がほとんどなのだが,それらを見たこともないのである。
だれもがイメージするハワイの海岸というのは大きな波とサーファーであろう。しかし,そうした場所は高い波のくる島の北西の海岸であり,それはオアフ島のノースショアやマウイ島のホオキバである。ホオキバもまたノースソア同様,世界的なサーファーが居を構え,多くのサーファーショップがある。特に高い波が訪れるのは冬場なので,そのころはこの海岸道路は車で一杯になるのだそうだ。
私は,高台の道路から入り込んだ駐車場に車を停めて海を眺めた。ハナ・ハイウェイとは打って変わって天気がよく,多くのサーファーが気持ちよさそうに波と戯れるのをぼんやりと眺めていた。
ああ,ハワイに来ているんだなあ,としみじみと思ったことだった。
やっと晴れた!秋③-ショーマス彗星はおとめ座銀河団の中
やがてしし座に続いておとめ座が見えるようになってきました。そのころになると雲も出てきて,ちょうどしし座からおとめ座にかけて覆いはじめました。雲というのは流れるのではなくて湧くのです。それもあっという間に湧くのです。しかし,しばらく待っていたら雲が消えて再び星が見えるようになったので,ショーマス彗星をとらえることにしました。
ショーマス彗星(24P Schaumasse)は1911年12月1日,フランスのニースでアレクサンドル・ショーマスが発見した周期彗星で発見時は12等級でした。1922年末まで周期は7.1年だと考えられていたのですがのちに8年と再計算されました。1919年と1927年の接近では観測されましたが1935年には観測されませんでした。
その後,1968年と1976年にも観測されず消滅したのではないかと思われたのですが,1984年に再び存在が確認されました。この彗星の核の直径は2.6キロメートルと推定されています。
彗星を発見したアレクサンドル・ショーマス(Alexandre Schaumasse)はフランスの天文学者で,17歳からパリ天文台でエルヴェ・フェイの助手を務めました。1910年にミシェル・ジャコビニの後をついでニース天文台の観測者となり,このショーマス彗星を発見したほか,1913J1 と1917H1の2つの彗星,アルザシアとロレーヌと名づけられたふたつの小惑星を発見しました。
ショーマス彗星はおとめ座の銀河団のなかにあって,紫金山第1彗星から恒星を順にたどっていくと簡単にその場所がわかります。
ただしこの場所は系外銀河の多いおとめ座にあって,彗星は11等星と暗く,写真のなかに埋もれた彗星をさがすのが大変でした。それが今日の1番目の写真ですが,これだけ多くの系外銀河が写るので探してても面白いものでした。
こうして写真を写していると早くも午前4時を過ぎたのですが,空が明るくなるまでまだ1時間ほどありましたが,次第に雲が多くなってきたので店じまいをすることにしました。
ところがどうでしょう! 望遠鏡を片付けているうちに空は全面雲に覆われてしまいました。わずか5分ほどの時間でした。この日の朝起きた人はその曇り空に,一晩中星が見えたとは信じられれなかったことでしょう。
では最後に,この日に写したほかの写真をご覧いただきましょう。
2番目がいっかくじゅう座の散開星団M50です。この散開星団は非常に明るくて,双眼鏡でもその姿が見事です。写真で写すと散開星団は球状星団ほどみごとではないのですが,肉眼で見たときは見ごたえがあるものです。
3番目がしし座のおなかのあたりにあるもうひとつの「しし座トリオ」とよばれるM95,M96,M105のあたりです。こちらの「しし座トリオ」はM65,M66,NGC3628に比べると暗く地味ですが,写真のように,この3つ以外に多くの系外銀河があって壮観です。
そして最後の4番目がおおくま座の有名なM97とM108 です。M97はふくろう星雲とよばれる惑星状星雲です。とても小さく暗いのですが,目がふたつあるように見える姿がふくろうの顏のようでかわいいです。そして対照的な系外銀河M108との対比がみごとです。
これで11月の星見は終わりです。たった1日のチャンスにもかかわらず,目的だった暗い彗星を写すことができて満足しました。12月になると明け方の空にはおとめ座やかみのけ座といった「春の星座」が天頂近くまで昇ってきて,多くの系外銀河を写すことができるようになります。
やっと晴れた!秋②-紫金山第1彗星としし座のトリオ
本当に晴れない秋です。気持ちよく晴れた夜は中秋の名月とその翌月の十三夜くらいだったというのも皮肉なことです。毎年,秋は星を見るのにとても快適な季節なのですが,今年はどういうわけか晴れることがありませんでした。ときに晴れ間が見えてもひと晩続かないのです。11月になっても一向に同じような様子のまま新月のころになりました。しかし18日の土曜日は1日雨が降り続きました。その晩やっと回復して星空が見られるするということだったのですが,調べてみると,やはり明け方には再び雲が出てくるということでした。
もうこれでは秋というよりも冬です。しかし,少しは星が見られるだろうと思ったので,雲が出てくる前に星見に行くことにしました。
今月の目的は暗い彗星をふたつ写真に収めることでした。そのひとつは「紫金山第1彗星」(しきんざんだいいちすいせい 62P Tsuchinshan1)。そしてふたつめは「ショーマス彗星」。ともに10等星にもならない周期彗星です。これらの周期彗星もまた50年来の天文ファンにはおなじみの名前で,私には特別な意味をもっているのです。こうした「伝説の」彗星を写真に収めることができるのもまた楽しみなものです。特に「紫金山第1彗星」は子供のころに知っておかしな名前の彗星があるものだと思ったのですが,中国で発見されたと知ってさらにびっくり,そして,中国では彗星に人名ではなく天文台の名前をつけるんだ(今は世界中そういう例も多いのですが)と知って二度びっくりしたものです。
「紫金山第1彗星」は1965年1月1日,中国・南京にある紫金山天文台(4番目の写真)で発見された周期6.63年の彗星です。紫金山は中国南京市にある標高448メートルの山で,全長2,350メートルの観光リフトが設置されています。山頂は公園として整備されていて南京市内が一望できるということです。麓の駅と山頂駅との間に紫金山天文台があります。
紫金山天文台(Purple Mountain Observatory)は中国科学院の天文台で,この紫金山第1彗星のほかに紫金山第2彗星(60P 1965年1月11日発見),紫金山彗星(1977V1 1977年11月3日発見),趙彗星(2007S1 2007年9月8日発見)という4つの彗星や147個の小惑星を発見したことで有名です。
この天文台は太平天国の天堡城跡でもあり,1929年に計画・建設され1934年9月に完成しました。
いつもの場所に着いたのが午前2時ころでした。ずいぶんと夜明けが遅くなり,空が明るくなるのが5時ころなのですが,おそらく4時を過ぎると曇ってきます。いつまで雲が出ないで星が見られることだろうか…… という感じでした。
到着したときは東の空には「紫金山第1彗星」のいるしし座は昇っていたのですが,まだ高度が低く空が明るいので,もう少し高く昇るまで,南の空に美しく光るオリオン座の星雲を写して時間を潰すことにしました。そうして写したのが今日の1番目の写真M42,つまり,オリオン座の大星雲と,2番目の写真M78,こちらはウルトラマンの生まれ故郷です。原作ではM87銀河(3番目の写真の右下の星雲・以前写したもの)だったのに誤植からそうなってしまったのです。そもそも天の川銀河内の散光星雲に生命は住めません。M42,M78はともに簡単に写るものです。少しガイドが甘いのですがもう今まで何度も写しているので写すことにさほどの意味もなく愛嬌です。線のように見えるのは飛行機か人工衛星か?
そうしているうちに次第にしし座が高くなってきました。そういえばこの晩はしし座流星群が極大で,多くの流れ星を見ることもできました。
いよいよ「紫金山第1彗星」を狙います。しし座の「ししの足」のあたりにはM65,M66,そしてNGC3628という「しし座トリオ」と呼ばれる美しい系外銀河があって,容易に彗星の場所が特定できます。彗星はこれらの系外銀河と同じ視野に写せるのです。構図を決めてまず系外銀河を写します。そして位置をずらしていって彗星も同じ構図に入れて出来上がりです。それが今日の5番目と6番目の写真です。小さなそして安価な望遠鏡でも今や11等星の彗星が簡単に写せるよき時代なのですからやめられません。
「ショーマス彗星」は次回。
◇◇◇
やっと晴れた!秋①-アサシン彗星はきりん座に健在
2017春アメリカ旅行記-ハナまで走るのである。⑦
●ハモア・ビーチもまたハワイなのである。●
さらに東に海岸沿い走っていくと,小さなハナの町はアッという間に通り過ぎた。この先には「リンドバーグの墓地」というのがあるのだそうなのでそれを目指して行くと,次第に道路が狭くなってきた。どうやらその先はダート・ロードになるらしい。
すでに書いたが,レンタカーを借りるときにもらった小冊子に地図が載っていて,こうしたダート・ロードは保険適用外の道となるから通行禁止と書かれていて,それでも走るなら自己責任である。その先のウルパラクアにはワイナリー(こんなところへ誰が行くのだろう?)があって,さらに進むと西マウイを一周することができるのだそうだが,それは想像を絶する悪路で道沿いには電灯すらないのである。
西マウイを一周するツアーもあることだし,次回来るときはそれにでも参加することとしよう。
私は行きたくて行きたくてマウナケア山の山頂までは強行したが,もう,今はそんな冒険をする気持ちはなかった。旅は肝試しではなく,楽しむためののもだと考えを変えたのである。このダート・ロードを強行して走っていってリンドバーグの墓に着いたというブログがあるから,この先はそのブログに任せるとしよう。
それよりも私が魅力を感じたのはハモア・ビーチであった。このビーチはハナから先,海岸線に沿って走っていくとあって,そこまではレンタカーの保証範囲内である。
このハモア・ビーチは小説「南太平洋」(South Pacific)を書いたジェームス・ミッチェナー (James Albert Michener)が「太平洋でいちばん美しいビーチ」と評したところということで,その言葉に魅力を感じたのであった。
私は,そのハモア・ビーチに到着した。狭い道路の端は駐車した車でいっぱいであった。やっと見つけた空きスペースには野生のニワトリが歩ていた。その場所に車を停めてけっこう急な坂を海岸に降りて行った。そこに見えたのはものすごくのどかなビーチであった。ホノルルのワイキキ・ビーチもハワイなら,このハモア・ビーチもまたハワイなのである。この両方に行かずして真のハワイを語ることはできないのである。
ここは澄んだ空気の中でのんびりとリフレッシュすることができる世界最高の場所であった。
「1日1断捨離」を目指して⑤-スマホでいらなくなったこと
iPhoneやiPadのおかげで,売れなくなったものがたくさんあります。デジタルカメラの売れ行きが悪くなったことが話題になっていますが,それだけに限りません。電卓とかダイアリー,目覚まし時計,電子辞書,地図帳,星座早見盤などもそうです。今では必要がないものがほとんどです。
ともかく,iPhoneやiPadだけあれば事足りるのです。
このように,自由競争の市場というのは厳しいのです。時代から取り残されると生きてゆけないのです。
ところが,学校は「学歴」というブランドで守られているゆえに,実際は従来のような意味をもたなくなっているのに,そんな危機意識すらなく,時代に取り残された教育が幅を利かせています。たとえば,古典の購読などはインターネット上にいくらでも優れた解説が載っていて,わざわざ学校で授業を聞く必要などなくなりました。不況時にどういう政策をとるべきかといった経済政策や世界を知るための国際問題など,本当はきちんと身につけなければならないことを後回しにして,卑弥呼がどこにいたかとか古文の助動詞の活用など(それだって「文化」という意味では大切ですがそれなら歌舞伎もクラシック音楽も将棋や囲碁も同じです)を最重要の問題として教えているのだからどうしようもありません。それはすべての高校生に将棋の横歩取りの最新定跡を教えるようなものです。
しかし,すべての教科を現代の社会に役立つものに再構築したら職をなくしてしまう教師も大挙して出てくるからそうもいかないというのが大人の事情というのが真実なのでしょう。
近頃,学生の読解力の不足が話題となっていますが,学校教育では授業で満足に教科書を読むこともなく,教師が講義をすることもなく,プリントを配ってそのカッコに重要語句を入れることを学習と称してそうした作業をやっているだけだから,本が読めないのも,人の話を聞いて要点をまとめることができないのも,当然の話です。学生は授業でプリントに答えを朱書するという作業をして,テスト前にそれを赤色のシートで隠して覚えているだけなのです。そしてまた,放課後は高い授業料を払って塾に行って,またドリル学習で1日を過ごしているのです。単に点数で他人と競うためだけに。これで読解力が不足していると言われては子供たちが可愛そうです。
高校で使用する難しい日本史の教科書,あれが読める高校生がどれだけいることでしょうか。にもかかわらず,あの字の細かい教科書を実際は読まないのに買わせているのです。本当に断捨離が必要なのは,教育でしょう。
2017春アメリカ旅行記-ハナまで走るのである。⑥
●「ハセガワ・ジェネラルストア」●
ビーチパークから町に戻った。
ハナのダウンタウン(というほどの町もなかったが)には「トラバーサ・ハナ」という有名なリゾートホテルがあるということだったが,思っていたような豪華なリゾートとは思えなかった。いずれにしても,私はそんなリゾートホテルとは無縁の旅をしている。そこを過ぎ,なだらかな斜面にハナ牧場(Hana Ranch)が広がりはじめると町はそれでおしまいであった。
そんな一角にあったのが「ハセガワ・ジェネラルストア」(Hasegawa General Store)である。
ポール・ウェストン(Paul Weston)は1930年代から1970年代にかけて活躍したアメリカのピアニストであり,作曲家である。彼はムードミュージックのパイオニアでもあり「ムード・ミュージックの父」とよばれた。そのポール・ウェストンが書いた「ハセガワ・ジェネラルストア」という曲があるのだそうだ。その曲がハワイで大ヒットしたことから有名になったのが,ハナにあるこの創業100年超の老舗のよろずやさん「ハセガワ・ジェネラルストア」なのである。
広島からの移民ハセガワさんが日本人向けの雑貨店を開いたのが1910年。それがこのお店のはじまりであるが,それが今やハナに来たら「ハセガワ・ジェネラルストア」というほどの店となり,町のシンボル的存在でもある。
「ハセガワ・ジェネラルストア」の前には広い駐車場があって,私もそこに車を停めた。
店内に入ってまず目についたのはハセガワ・ジェネラルオリジナルの丈夫で長持ち「特性トートバック」であった。その横には一転して新鮮なフルーツが売れていたのだが,そのさらにその横にあったのが水道工事などに使う大量のエンビ菅のパーツというからもうめちゃくちゃである。
その棚から目を転ずれば,今度はTシャツが山ほど売られていたのだが,そのなかにはハセガワ・ジェネラルオリジナルのデザインのTシャツがあり,これにはハセガワ家の家紋まで入っていた。さらにつりの仕掛けやらサビキやら釣竿,リール,そしてビーチタオルとお酒……。
その脈絡のない,なんでもありの品揃えに,私は感動をこえた感激を覚えた。私はこのお店で写真のようなよくわからぬソーダとパンを買って昼食の足しにしたのだった。
その次に寄ったのが「ハナ文化センター博物館」(Hana Culturral Center Museum)であった。狭い坂道を上るとそこに数台の車が駐車できるスペースがあった。車を停めて博物館に入ることにしたのだが,博物館というにはあまりに小さな建物でであった。
中に入ると親切な係員がいて,いくばくかの入場料を払った。
ここは古代ハワイの生活用具や武器,さまざまな資料が展示してあったが,あまりに狭く,大したものは存在しなかった。しかし博物館には私しかいなかったのでそそくさと外にでる雰囲気でもなく,退屈だっかけれどしばらく展示品を見るふりをしてから外に出た。室内の展示よりも博物館の外にあった昔の建物や美しい花々のほうに私は癒された。
「ハセガワ・ジェネラルストア」と「ハナ文化センター博物館」。それくらいしか,この町には見どころというものはなかったが,それでも,この素朴な町は3時間もくねくね道を走って訪れるのに十分な不思議な魅力があった。
それは何といっても,この地でしか見ることができない美しい海岸があったからである。
古の大望遠鏡は今-世界一を誇ったアメリカの象徴③
もはや地球は自然科学の真理を追究するには狭すぎる場所となってしまったのかもしれません。
素粒子論を実証する実験をする加速器を作る場所も,狭い地球上では加速器の大きさに限界があります。同じように,天文台を作るにも,ハワイや南アメリカくらいしか最適な場所は残っていません。そこで,現代科学の粋を集めた巨大望遠鏡がそうした場所に続々と作られ始めました。
私は,これまでに書いたように,かつてアメリカに建設された今や旧式となったパロマ望遠鏡のような巨大望遠鏡は,未だこの目で直に見ていません。
それに代わる現代の巨大望遠鏡については,南アメリカは遠く行く機会もありませんが,ハワイ島マウナケア山の山頂とマウイ島ハレアカラ山の山頂には行くことができました。
マウナケア山には日本のすばる望遠鏡をはじめとする12基の観測装置があります。私は,すばる望遠鏡はドームしか見ていないのですが,そのお隣にあるアメリカのケック望遠鏡はガラス越しにその雄姿を見ることができました。マウナケア山は標高が4,200メートル以上もあって,しかも道路は途中が舗装されていないので登るのは困難です。
一方,ハレアカラ山にはアメリカ海軍やハワイ大学の天文台があって,こちらは標高が約3,000メートルで,しかも,山頂まで道路が舗装されているので楽に登ることも可能で,環境的にはずっと恵まれています。
有名なマウナケア山には中腹のビジターセンターで星を見る一般向けの多くのツアーがあるので観光客が押しかけるのですが,ハレアカラ山のほうはそうでもなく,現地ツアーと日本のツアーくらいしかないので,むしろ,アマチュアの人が満天の星をみたければ,ハレアカラ山のほうがずっと恵まれています。
……と,私はつい先日まではそう思っていました。しかし,南天で星を見てしまうと,その魅力に圧倒されしまい,ハワイでの星空には魅力をなくしました。おそらくそれはプロの学者さんも同じであるようで,日本の国立天文台でも,一時はあれほどすばる望遠鏡の話題が独占されていたのが,近頃の話題は南アメリカ・チリにあるアルマ望遠鏡ばかりです。
しかし,一般の観光客には南アメリカは遠いので,南天の星空を見るには,ニュージーランドやオーストラリアに行くということになります。
その中で,ニュージーランドは景色も美しく国自体も広くないので,数日の観光でほとんどの見どころに行くことができるので人気の観光地です。そこに加えて,テカポ湖という星を見るのに絶好の場所があって,星空観察ツアーが観光ツアーに組み込まれているので,脚光を浴びています。私はそうした事情を知らなかったのですが,偶然テカポ湖に行きました。
テカポの町の近くの山の上にマウントジョンという天文台があります。これは日本の名古屋大学の天文台です。しかし,テカポ湖にはそれ以外にめぼしい天文台がありません。本当に条件がよければ,もっと世界中から多くの天文台が建設されるはずなのです。行ってみてわかったのですが,ここは,天気があまりよくなく,プロが天体観測をするにはあまり適していないのです。
オーストラリアにも行ってみました。ニュージーランドよりもオーストラリアの方が近いから何もニュージーランドまで行かなくてもいいのではないか,というのがその理由でした。そして,満天の星空に感動しました。実際,一般の人が気軽に南天の星空を堪能するには,オーストラリアが最も適しているようなのです。そこで私も,これからは年に1度はオーストラリアで星を見ようと思っているこのごろなのです。オーストラリアというのは,西側の海岸線に沿ったいくつかの都会以外はめぼしい観光地がないのです。そういった意味では,オーロラを見るくらいしか楽しみのないという点でアラスカに似ています。
夏のアラスカと冬のオーストラリアは似ているなあ,というのが,両方に行ってみた私の印象です。
2017春アメリカ旅行記-ハナまで走るのである。⑤
●ここもまた戦いの地であった。●
山を抜け,道が開けてきた。いよいよハナの町に近づいてきた。左手に空港の道路標示が見えた。それを過ぎると,ポツンポツンと家が見えてきた。町はもうすぐだ。
とりあえず町全体を把握しようと,どこにも駐車せずに町を走ってみることにした。
実際に到着してみると,想像を超えたのどかさで,ハナは小さな店が数件あるだけで唯一の大きな建物は「ハナ・ホテル」であった。そして,海岸沿いの牧場では牛が草を食むのんびりした風景が広がっているのだった。
なんだかタイムトラベルをしているような感じであった。こういうのがハワイの原型なのであろう。
まずハナ湾ビーチパーク(Hana Bay Beach Park)に降りて行くことにした。ここは溶岩流によってできた峰が海に落ち込んでいる美しい湾で,トイレやシャワーやピクニックテーブルがあって,若者たちがカヤックで遊んでいたり,子供連れが遊んでいた。海は透きとおり,ひとつとしてゴミがなかった。
こうした海を見てしまうと,日本の汚い透き通らない,あるいは,大量のゴミが打ち上げられた海岸が途方もなく悲しくなる。
この海岸からまわりを見渡すと,左手にはハナののどかな町並みが眺められ,右手にはこんもりとしたカウイキの丘(Kauiki Hill)という半島が突き出ていた。この丘はかつてハワイ島からの侵略者とマウイ住民の間で戦争が行われた地であり,ハワイ軍が敗北をした地でもある。
このような美しい場所であっても,人間の歴史は結局は戦いの歴史なのである。
このカウイキというのはカメハメハ大王のもっとも寵愛を受けたといわれるカアフマヌ王妃が誕生した地でもあって,カアフマヌ王妃が生れたという洞窟が今もあるという話であるが,そこへ行く方法どころか道すら見つからなかった。
しばらくこの海岸で景色を眺めたのち,ハナの町をもう少し散策しようと町に戻ることにした。
2017春アメリカ旅行記-ハナまで走るのである。④
●想像を絶したハナ・ハイウェイからの絶景●
想像を絶したハナ・ハイウェイであった。ハワイというところのとても不思議なことは,あれだけたくさんの日本人が大挙して行くのに観光する場所は大体決まっていて,観光ルートを離れるとほとんど日本人がいないどころか,情報すらほとんどないことである。そうした場所で稀に日本人に出会うとそれは貸し切りの小グループのツアーである。
私はこれまでハワイというと日本人だらけだと思っていて,この世界一の観光地を敬遠していた。今もオアフ島には魅力を感じないが,前回訪れたハワイ島のマウナケア山もキラウエア火山も,そして今回のマウイ島のハレアカラ山もハナも,レンタカーを借りれば特にツアーなどに参加しなくても簡単に行くことができるのに,多くの日本人にとって「秘境」であるのが不思議でならない。
先日もテレビの「世界の果てまで日本人」という番組でアラスカに元AKBの高橋みなみさんという女性が旅をしてアンカレッジからフェアバンクス近郊の町まで日本人探しをするのをやっていて,そこを秘境扱いしていたが,私もアラスカに行ってみて,別段その場所を「秘境」とは思わなかった。
まあ,そんな感じなのであるが,このハナ・ハイウェイをドライブするのは私には秘境ではないにせよ,拷問のように感じられた。それは想像を絶するカーブの多さというのが理由で,行くことが困難,というわけではなかったし,実際,帰国した今になって,また行ってみたいと思う場所のひとつである。
そうして走っていって,やっと,やっと「カウマヒナ・ステート・ウェイサイド」にたどり着いた。ここは「カウマヒナ州立ウェイサイド公園」(Kaumahina State Wayside Park)といい,ハナ・ハイウェイのマイルマーカー12の近くにある州立公園である。パイアの町からは約35キロ離れたところにある熱帯植物や木々が茂る公園であった。広さは31,570平方メートルで,ハナハイウェイの観光名所のひとつである。
公園からはリアス式の海岸線とともに美しいホノマヌ湾とケアナエ半島が一望でき,トレイルコースやルックアウト(展望台),ピクニックテーブルやトイレの設備もあるから多くの人が休憩をしていた。
このあたりから道路の脇には「フルーツ&フラワースタンド」がたくさん見られるようになった。 このフラワースタンドとは無人の店である。フルーツスタンドでは日本では見たことも聞いたこともないフルーツが食べられるそうで,その日のフレッシュジュースやシナモンココナッツという栄養たっぷりのシナモンと砂糖をまぶしたナチュラルな揚げ菓子が美味だとういうことである。
ここから先は「ケアナエ半島」である。この半島はハレアカラの噴火の時に流れ出て固まってできたもので,ドライブコースからも美しい景観を見ることができるし,渓流に沿って作られているタロイモ畑(Poi)などの風景が目に入る。
やがて,プアア・カア州立公園に到着した。ここには滝壷があって泳ぐ事もできるらしいが,私の行ったときは多くの観光客が写真を写していた。さらにこのあたりにはこの滝以外にも30以上もの滝があって,走っていくとそれらを道すがら見ることができるのだが,車を停めるとなると場所がなく苦労する。
「1日1断捨離」を目指して④-旅と食べ物にお金は使おう
「1日1断捨離」。
必要になるまでものは買わないと決めたらものが欲しくならなくなったので,精神的にずいぶんと楽になりました。今まで使っていたものが壊れて新しく必要なものができたときは,それまでに使っていたものを捨ててからにしよう,そしてまた,買うものを将来捨てるときのことも考えよう,ということも決めました。
ただし,私は別に金に困っているわけでもなく,けちをしようというわけでもないので,お金は使います。たまる一方で捨てるのも大変な物質にはお金を使わないようにしようということなのです。となると,お金の使い先というのは食べ物と旅,ということになります。しかし私はグルメでないので,食べ物にお金を使ったところでたかがしれています。お酒を呑むのも60歳になったときにやめました。そこで旅ということになるのですが,これもまた,お金をあまり使わない旅の楽しみを知ってしまったので,結果的にお金はあまり必要がない,ということになってしまうのです。
そこで,今日は私の旅について書いてみることにしましょう。
これまでずいぶん様々なところに出かけた結論として -とはいえ今後この結論は容易に変更されるでしょうが- 国内は天気のよい日にきままにJRに乗って最寄りの駅まで行って,そこから旧東海道の宿場を20キロほど歩くというのが最も楽しい旅です。そして,海外はハワイ,アラスカ,ニュージーランド,オーストラリア,そして,アメリカの山岳地帯を1週間程度で予定も立てずに旅をするのに限る,と思うようになりました。
国内の場合,本当は,というか本音は,京都が一番だと今も思うのではありますが,京都は観光客が増え過ぎました。これではストレスがたまるだけです。食事すら満足にできません。京都に限らず,日本の観光地はどこも同じような状況です。特に近頃は外国人だらけ,しかも,雰囲気台なしの振る舞いが多いので,彼らが来ない特に何もないような小さな町を散策するのが一番なのです。そうした場所に,天気のよい日の早朝に出かけて日帰り旅行を,あるいは,東横インに泊まって1泊2日の旅行をするのです。
海外旅行は4泊6日から6泊8日程度が機内持ち込み荷物ひとつで行くことができるので楽でいいです。これ以上長くなっても旅で得られる満足度というのはあまり変わらないのです。そしてまた,行き先はガイドブックに書かれていないような田舎に限ります。
旅で持って帰るのは思い出と写真だけです。パンフレットの類,お土産は必要ありません。帰りのほうが荷物が増えるなんて論外な話です。特に何をするでもない,そんな非日常を手に入れることこそが最も楽しい旅になるのです。
2017春アメリカ旅行記-ハナまで走るのである。③
●続くカーブはなんと617か所!●
カフルイからハナまでは約50マイル,つまり80キロほどであるから,大した距離ではない。しかし,ここは距離では想像がつかない秘境であった。
マウイ島は外周を一周する道路があるにはあるが,やっ行き違うことができるだけの両側1車線道路になる部分も多く,そこはレンタカーでは通行が禁止されてことはすでに書いた。しかし,パイアからハナまでの道路だって,どうしてここがレンタカーで通行禁止でないのかさえ定かでないほど険しい道路であった。おそらく,ここをレンタカーでの通行を禁止にしてしまうと,その先のハナへ行く方法がなくなってしまうからであろう。というか,どうしてこの先に町などあるのだろうか,と思うほどであった。
パイアを過ぎるともうガソリンスタンドすらないから,パイアでガソリンを満タンにした。
さて,パイアを過ぎてしばらくすると,いよいよ,道路はカーブだらけになってきた。このカーブは617か所あるのだという。
また,56か所ある石でできた橋のほとんどは「One Line Bridge」といわれるように1台分の幅しかなく,先に橋に入った車に優先権がある。そこで,写真のように,橋の手前で橋の見通しのある場所に停止線があって,そこで対向車が来ないことを確かめて橋に入る。対向車があれば,その停止線で停まって車が過ぎるのを待つわけである。
これは,ニュージーランドの田舎でも同じであるが,ニュージーランドはこれほど山深くなく,また,こんなにカーブはないから,そこがえらい違いである。おまけにここは島の北側だからいつも天気が悪く,たいていは雨が降っている。
走り始めたころはまだ余裕があったから,この停車線をよく考えたシステムだなあと感心する余裕があった。日本ではこんな狭い山の中の道路はごろごろあるから,走ることにはさほどの困難もなかったし,私は星を見にいくためにこのような道路は深夜でも走るから平気であった…はずだった。だが,日本にはそんな停止線もなく,狭い道路は先に入ってしまった方が勝ちで譲り合いなどとはほど遠いというマナーの悪さ,というか,日本人の特質であるせこさが漂っているから,マウイ島のほうがずっとストレスもなく,走りやすかった…はずであった。
しかし,そう思ったのははじめのうちだけであった。そのカーブの数は想像を越え,次第にいやになってきた。うんざりしたころになっても,まだ,私の通らねばならぬカーブはその3分の1も終わっていないかったのである。これは,何かの拷問に違いない,私はそう確信したのだった。
地図を見ると,この道路にはカウマヒナ州立公園とかワイルア渓谷展望台とか,見どころがたくさんあるはずであったから,それももうすぐかなあ,と思ったが,そこに行きつくのには,もっともっと先のことであった。
2017春アメリカ旅行記-ハナまで走るのである。②
●次第にとんでもないことに●
マウイ島の北東の突端に「ハナ」(Hana)という名前の町がある。この町の名はよく出てくるので知っていたし,町には空港もあるので,私はハワイ島のヒロのようなところだと思っていた。それが大きな間違いだと知るのにそれほど時間かからなかった。
せっかくマウイ島に来たのだから今日はそのハナに行ってみようと思った。しかし,何度もマウイ島に来ていてもハナに行ったことのない人も多いそうだし,ハナに行くのにチャーターを予約する人もあるし,ハナへ行くツアーさえあったりする。また,後日ハナに行ってきたというと驚かれたりもするから,ここはまさに秘境に違いがない。そしてまた,実際,秘境であった。
ハナは「地球の歩き方」に次のように紹介していある。
・・・・・・
曲がりくねった道を走り,やっとだどり着く。原生林に覆われた渓谷,涼しげな滝。名も知らぬ花々が咲き乱れる町並み。そして優しい笑顔で迎えてくれるハナの人々。
ハワイ本来の姿を今もとどめているからだろう。
・・・・・・
ここに書かれた文で「やっとたどり着く」というところが曲者なのであった。「やっと」などという生易しい言葉で言い表されるほど簡単にアクセスできるようなところではなかった。
なんなら,毎年のようにハワイに行く友人でもいれば聞いてみるとよい。
「ハナに行ったことある?」
ハワイなんて,と人は言うけれど,たった2度のハワイ旅行でハワイ島のマウナケア山の山頂とマウイ島のハナに独力で行った日本人なんて,そういるもんじゃないのである。
これから何度も通ることになるのが私が宿泊するカフルイからパイアに至る州道36である。この道路はマウイ島の北側の海岸線に沿っていて極めて風光明媚なところだ。交通量も多い。ここはまた,オアフ島のノースショアのようにサーファーの聖地である。ハワイといえばサーファーや高い波でも有名であるが,そうした波が来るのは北の海岸線である。
ハナを目指して,私も朝食後,気楽な気持ちでパイアまでやって来た。パイアの街は多くのお店があっていつもにぎわっていて車を停めるのも大変なのであるが,この日はまだ朝が早かったこともあって駐車スペースもたくさんあったから,私がはじめて訪れたパイアにはそういうイメージはなく,「へーっ,こんな街があるんだ」と思った程度であった。
パイアを通り過ぎ,道路標示に従って,そのまま私はハナに向かっていった。パイアを過ぎてもまだ走りやすい直線道路が続いていたから,私はいつもように,ドライブを楽しんでいた。
が,ここからが大変であった。
見よ,このくねくね道を予感させる道路標識を!
「1日1断捨離」を目指して③-よいものはよい,けれど…
人はだれでも物質欲があるので欲しいものを買うのですが,買ってしまうと目的を達してしまい愛着もなくなり,そのうち忘れ去られて傷んでいきます。そうして,買ったときの愛情はどこへやら,捨てる場所さえなく,家の中で邪魔者扱いをされてしまうわけですが,そうしたものが30年も経つと,品質のよいものはいつまでもよいものであるけれど,品質の悪いものはサビてしまったりゴムが劣化してしまったりと,その差が明白にわかるようになります。そうしたことがわかるには30年ほどの月日が必要なわけです。
品質のよいものは「一生もの」といわれます。私は「Nikon F3/T」という一眼レフカメラを使っていましたが,それは買ってから30年も過ぎた今でも新品同様です。同じころに使っていた「Nikon FM」という一眼レフカメラが哀れに劣化したのに比べると,その差は歴然としています。やはり「よいものはよい」のです。それは使っている材質がまるで違うからです。
しかし,残念ながらいくら品質がよいといっても,もはやフィルムカメラの出番はないのでこれでは宝の持ち腐れです。つまり,必要のない耐久性をもった「高級品」になってしまったわけです。
このように,ものはその価値がある間の耐久性さえあれば十分でなのす。
しかし,その反対もあります。
現代のデフレ時代では,ものの値段を上げられないので品質を落として価格を維持しているものも少なくありません。たとえばスポーツシューズの類は安いものは確実に中敷きの品質が悪く,物の価値のある間の耐久性さえ確保されていなのです。これでは買う価値がないのです。
そこで,必要十分な耐久性をもったものを手に入れて,必要がなくなったときにいさぎよく捨ててしまうことが最も大切なことになるわけですが,そうしたものを選ぶのがとても難しい話なのです。
何かひとつのものを買うと,その性能を満たすために,それに付随する付属品がどんどんと欲しくなる場合もあります。これこそがメーカーの狙う「罠」なのですが,そうした泥沼のはまってしまうと抜け出せないどころか,いらないものが果てしなくたまっていくわけです。そして,使いもしないのに手放すこともまた難しくなってくるのです,そうした泥沼状態から抜け出すにはその根本であるものをまず処分することで,それに成功するとそれに付随したものもすべて不要になって,ようやく断捨離が進むのです。
そんなこんなで,結局,考え方の根本は,ものを買わないと決めることです。すると非常に精神状態がよくなってきます。そして本当に必要なものを必要になったときに捨てるときのことまで考えて,そして,ちょっぴり贅沢して購入して,もう二度と買わないと決意して大切に使うことが一番の断捨離の方法になるのです。
2017春アメリカ旅行記-ハナまで走るのである。①
●朝食は地元民の愛する「ジッピーズ」●
☆3日目 3月24日(金)
このごろは年に4回海外に出かけて,それも,アラスカやらオーストラリアやらニュージーランドやらハワイやら,さらには,時には国内もドライブすると,どこがどこだったのか混乱してくる。実際はまったく違うところなのに同じような気持ちになる場所もあったり,そうして自分の頭の中でそれらが化合されて,なにかまったく別の世界が作られてしまい,その自分の中にある架空の世界を懐かしむようになってきた。
さらには,子供の頃に読んだ,おそらくは大した記事ではなかったのだろうが,そこに書かれていた当時は夢のような日本の田舎の原風景のような絵とも融合されて,独特の哀愁を感じる……。 しかし,それも悪くないことでとても懐かしい気持ちにもなる。
私が特に混乱するのは,このマウイ島の風景である。この島はものすごく辺鄙なところがあるかと思えば,古い町並みがあったり,あるいは,最新のリゾートがあったりと幅広く,今にして思うに,大変変化のある島であった。
今これを書いていて,また行ってみたくなってきた。
そこで,今日からは,そのマウイ島でも秘境のなかの秘境である「ハナ」について書いていこう。
と,その前に朝食である。今日はハワイの人たちが大好きだといわれる「ジッピーズ」(Zippy's)に行くことにした。ハワイの人たちは「お腹空いたね」「じゃあ、ジッピーズ行く?」という感じの店だそうだ。
ジッピーズのキャッチコピーは「NEXT STOP ZIPPY’S!」である。
「ジッピーズ」はハワイ資本のファミリー・レストランで,このマウイ島に限らずオアフ島にも多くの店舗があるのだそうだが,私はオアフ島には興味がないからわからない。「ジッピーズ」のほとんどの店は年中無休で24時間営業である。
日本にもよくあるファミレスと同じようなものであるが,違いはレストランとテイクアウト・カウンターに分かれていて,レストランではボックスシートでゆっくりくつろぐことが出来,テイクアウト・カウンターではテイクアウトだけでなくファーストフード・レストランみたいにその場で食べる事もできることである。
私はそういう勝手を知らず,レストランに陣取って朝食をとったから,まあ,普通のファミレスのような感じであった。今度はぜひテイクアウトに挑戦したいものである。
今日の最後の話題はハワイのガソリン事情である。
ハワイはアメリカ本土と違ってガソリンが高い。島まで運んでくるのだから仕方がないのであろう。ということで,今日の写真にあるようにこの日は1ガロン399ドル,約120円もするから日本とほぼ同じでアメリカ本土の2倍ほどであった。
…と,こんな話をすると,アメリカでガソリンの値段を気にする日本人は君くらいしかいない,とアメリカでからかわれたのを思い出した。
アメリカで再びキャンプをしよう④-2017夏アメリカ旅行記
●日本人の思考と能力・発想の限界●
平坦な道路を走っていたが,次第に道路は標高を高くして,山岳地帯にさしかかった。
実際は全く違う景色なのだが,どういうわけか,この山岳道路を走っていると,私は四国の高知県の山間を走っていたときのことを思い出した。どうしてだろう? それとともに,こちらのほうはとても似た景色なのだが,オーストラリアでブリスベンからクイーンズランド州の山岳地帯を抜けてバランディーン(Ballandean)に向かって走っていたときのことも思い出した。
いずれにせよ,国道95は非常に景色もよく素晴らしい道路であった。また,写真でもわかるように,ほとんど車が通っていなかった。
今日の1番目の写真にある道路が山に向かって伸びたところが何かおわかりになるだろうか?
この支線は,坂道を下るときにブレーキの利かなくなったコンボイが停止するための避難道路である。この険しい山岳道路にはこうした場所がいくつか存在したのが興味深いところであった。
アメリカでもオーストラリアでも同じであったが(日本はまったく違うが)こうした道路はいくら山道とはいえ道幅が広いから普通乗用車で走っていてもさほど実感がないのだが,実際はかなりの勾配である。したがって,コンボイは坂を登るのが大変で,スピードがまったく出ない。こんな車がたくさん走っていると渋滞して大変である。その逆に,坂を下るときは地球が味方するから,今度はスピードが出過ぎると止まらなくなってしまうのでる。
そのための避難道路がつくられているというわけなのである。
アメリカでドライブをするのは日本でドライブをするのに比べて非常に快適であるが,アメリカの自然がとても厳しいということをいつも頭に入れておかないといけない。突然の豪雨とか積雪である。雨が降れば日本では考えられないほどの雨量であるし,たとえ夏でもこうした山岳地帯では温度が異常に低くなることもある。
それとともに,野生の動物にも気をつける必要がある。今では日本でもクマやシカが出没して様々な問題になっているが,それ以上にアメリカの道路にはさまざまな巨大な動物が出没するのである。
日本では車というのは早く走ってはいけないものという「車性悪説」があるから,やたらと走りにくくすることに道路行政は力を入れているように感じる。そういう対策を講じるから逆に夜間や雨天では道路が光り,それによって道路に引かれたラインも認識不可能になりますます危険になる。
もし,アメリカでこんなバカげた道路整備をしたら危険極まりないのである。アメリカでは最悪の条件のときにもっとも安全に走行できるように道路整備がされている。
これもまた,「日本人の思考と能力」,そして「発想の限界」だと私はいつも思うのである。
◇◇◇
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アメリカで再びキャンプをしよう③-2017夏アメリカ旅行記
●とても美しい夜明けの道路を走って●
皆既日食を見るためにアイダホ州ワイザーで2泊3日のキャンプをしたことはすでに書いたが,私はこのキャンプをするために前日に宿泊をしていたアイダホ州のルイストンからワイザーまで,今日の1番目の地図にあるルートを車で走った。
そこで,今回のキャンプをまとめるために,ルイストンからワイザーまでの行程を書いておこう。
私は8月19日の朝,アイダホ州の西の境にあるスネーク川畔の美しい町ルイストンのホテルを早朝出発した。まだ夜明け前で東の空には2日後に大役を控えた月齢27の月と金星が美しく輝いていた。
ルイストンは(Lewiston)の人口はアイダホ州の北部地域ではコー・ダリーンに次いで第2位で約3万人である。スネーク川とクリアウォーター川の合流点にある。スネーク川とコロンビア川にダムと閘門があるためにルイストンには外洋船で来ることができる。ルイストン港はアイダホ州で唯一の海港であり,アメリカ西海岸では最も内陸かつ東にあるという特徴がある。主要産業は農業,製紙,および木工製品であり,また軽工業もある。
1805年ルイス・クラーク探検隊がこの地域を訪れた。そのころのルイストンにはネズ・パース族インディアンの集落があった。ルイスとクラークは1806年の太平洋からの帰り道でもこの地域を通過した。
ルイス・クラーク探検隊(Lewis and Clark Expedition)についてはすでに書いたことがあるが,陸軍大尉メリウェザー・ルイスと少尉ウィリアム・クラークによって率いられ太平洋へ陸路での探検をして帰還した白人アメリカ人で最初の探検隊である。
ところで,ルイストンはこのルイスにちなんでつけられているが,ほかにもワシントン,エドモントンなど,語尾に「トン」とつく地名がたくさんある。この「トン」が何か? 私はずっと疑問で,周りにいたアメリカ人に聞いてまわったところ,それは「タウン」のことだということがようやくわかった。
町はその北東にあるピアースの近くで1860年に始まったゴールドラッシュの流れで,1861年に設立された。この町はとても美しく,モンタナ州,アイダホ州,ワシントン州につながる山岳地帯にはこのような町がたくさんある。アメリカで私が最も好きな場所である。
この町を通る国道95は1975年から1979年に建設された新しい4車線の道で,東側は直線に近く急な下り坂でその後に南西に転じていて,ルイストンとクラークストンおよび周辺地域のすばらしい景観を楽しむことができるところである。
私は夜明けの美しい景色を眺めながら国道95を南下していった。距離にして225マイルだから約360キロということになる。この距離はちょうど名古屋・東京間くらいのものである。所要時間は約4時間ということであったが,インターステイツでないので,渋滞や工事があればどのくらいかかるか予想がつかなかった。なにせ,すでにこの日,オレゴン州は皆既日食を見るための大渋滞がはじまっているという,実際は誤報に近いものであったが,そうしたニュースが流れていたからである。
しかし,実際走っていて,こんなところが渋滞する理由がないと思うようになった。なにせ,近くに大きな都会がない。これから行くワイザーだって,そこに行くにはアイダホ州の州都ボイシーくらいしか都会はなく,ボイシーから皆既日食を見に行くなら何も北上しなくても東に向かってアイダホフォールズのほうへ行くだろうから,ここに集まる理由がないのである。
そして,実際もそうであった。
ほとんど車も走っていないので順調に進み,走行時間の割りに距離が稼げるのでガソリンがなくなってきた。
こうなると逆に田舎のこと,早朝に営業しているガソリンスタンドがない。というよりも,国道95を走っていても町すらないのである。国道がバイパス化している町を見つけたので(その町の名前はおそらくカルデサック=Culdesacだった)国道を降りて町のダウンタウンに向かった。しかし,そこもまた,町というよりも農村地帯であった。やっと1件のガソリンスタンドを見つけたが店舗は閉まっていた。
ガソリンは入れられるようになっていたが,問題は給油機のカード読み取り機では日本で発行されたクレジットカードが反応しないことが多いということで,私は近頃はこうした機械にクレジットカードを読み取らせることはやめて直接店舗の中のレジでお金を払うようにしていたから,これではだめだとがっかりした。しかし試しに機械にクレジットカードを読ませてみると,何の問題もなく反応し,無事にガソリンを入れることができたのだった。
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アメリカで再びキャンプをしよう①-2017夏アメリカ旅行記
アメリカで再びキャンプをしよう②-2017夏アメリカ旅行記
2017春アメリカ旅行記-ハレアカラを目指す④
●旅先で安く食事をあげるには?●
こうして私マウイ島に来て,早々ハレアカラの山頂にも登ることができたのだった。星空が美しいことでは世界有数と雑誌「TIME」にも書いてあったハレアカラは予想以上に素晴らしいところであった。私はこの旅で後日ハレアカラ山頂で夕日を見るために再び登ることになる。そしてまた,なんと,その後で三たび登ることにもなったが,そのことはまた後日書くことにする。
ハレアカラの山頂からは自転車で駆け降りるといったツアーもあるらしい,いや,あったそうで,確かにこの急坂を3,000メートルも走り抜ければ最高の快感が味わえるに違いない。しかし,あまりに事故が多発して中止になったそうだ。
帰りも順調で,私は1時間と30分ほどでホテルまで戻ってきた。私の泊まっているマウイ・シーサイドホテルのあたりにはモールもあり,レストランもあり,食べることには不自由しないところだった。
旅先でいつも豪華な食事をしていると,いくらお金があっても足りなくなる。また,ひとり旅では豪華な夕食を食べる理由もない。よく,夕食はどうするのかと聞かれるが,通常はモールのフードコートかファミリーレストランである。そして,ときどき気が向くと現地の豪華なものを所望することとなる。
今回の旅では,それに加えて,マウイ島に詳しいEさんからマウイ島のソウルフードレストランをいくつか聞いて来たので,そこにも行くことにしていたが,それはまた後日のお楽しみである。
この日はホテルから道路を隔てたところにあったクイーンカーフマヌセンター(Queen Ka'ahumanu Center) というショッピングモールを散策して,モール内にあったフードコートで適当に夕食をとることにした。そして選んだのが「パンダエクスプレス」であった。
「パンダエクスプレス」というのは中華料理のファーストフードである。一定の値段でいくつかの種類の食べ物を選んでよそってくれる。ここなら焼きそばやらチャーハンといったものをお腹いっぱい食べることができる。
フードコートにある「パンダエクスプレス」はマクドナルドなどと同じようなもので,むしろお得であるが,これが独立した店舗としてある場合は低所得者向けのレストラン,といった位置づけであるようで,店内はあまりきれいでなく,客層もあまりよくないように思う。
「パンダエクスプレス」(Panda Express)はアメリカ風中華料理を提供するファミリーレストランのチェーン店で,アメリカではもっとも多い中華料理レストランチェーンのひとつである。パンデックス(PANDEX)と略される。日本にも進出したが,果たして日本で受け入れられるかどうか? 日本ではふつうの中華料理店さえ苦戦しているようだからである。
フードコート以外にアメリカで安く食事を上げるにはスーパーマーケットにあるケータリングコーナーに限る。ここではパックにいくら詰め込んでも単一な料金であるからとてもお得感がある。
今回の旅もこのモールにあったスーパーマーケットのケータリングを何度も利用させてもらった。デニーズとかのファミリーレストランでは,たかがファミリーレストランで食事を運んでもらうだけでチップが必要なのが私にはどうしても馬鹿らしく思えるからこうしたケータリングが最も理にかなっているわけだ。
オーストラリアやニュージーランドは日本と同じようにチップが不要だから,アメリカよりも快適な食事ができるのである。その点ではハワイよりもずっといい。
「1日1断捨離」を目指して②-紙媒体の本は必要ない。
断捨離をしようと身の回りを整理していくと,非常に気になるのが本の山でした。
若いころは本ばかりを買っていたのですが,そうした本が捨てられず,今も大量に存在するのです。そうした本のほとんどは今では使い物にならないのですが,それでも捨てるに忍びないわけです。車は買い替えるときにそれまで使っていたものは引き取ってもらうと思うのですが,本は引きとるというシステムがないか,面倒なので,どんどんとたまっていってしまったわけです。ずいぶんと前,新刊書店の店員さんにレジの横に古い本を引き取ってくれるカウンタを作ってくれと要望してバカにされたことがあるのですが,今ではそうした古書を引き取ってくれる「ブックオフ」がちゃんとあるわけで,要するに企業努力が足りなかったというだけのことでした。
いずれにしても,専門書以外のほとんどの本は置いてあるだけで2度読むことはほとんどありません。
話題になる新刊小説は,とにかく早く手に入れて,さっさと読んで価値のあるうちに売ってしまうか,あるいは,図書館で予約して気長に自分の番がくるのを待つ,これが一番いいのです。そうであっても,今の私は小説を読む時間がもったいないと思うようになったので,小説自体を読むのをやめました。
一般書は,知っていることかインターネットで調べれば済むような内容ばかりなので買う気になりません。
以前よく購入していた「アサヒカメラ」や「月刊天文ガイド」のような月刊雑誌は,結局,カメラや望遠鏡を買わせたいだけの広告です。「将棋世界」はよい雑誌だけれど,将棋は並べないとわからないのでAbemaTVの将棋チャンネルのほうが楽だしおもしろいです。週刊誌の類など,新聞の広告欄にやたらと派手に品なく載っていてそれを見ても単に興味本位の記事ばかりのように思えるので読む気が起きない,それ以上に不快ですらあります。もう,私に必要な情報源は専門書と電子書籍で購読している「Sky&Telescope」そして「TIME」だけで十分です。
そんなわけで,私は,本屋さんというところに行くこと自体を辞めることにしました。そして,これまで持っていた本は,専門書以外のものはネットで見つけた古書の引き取りサイトですべて引き取ってもらうことにしました。これだけでどれほど断捨離ができることか!
「1日1断捨離」を目指して①-世の中無駄だらけ
「断捨離」(だんしゃり)とは,やましたひでこさんの著書に発表された不要な物を減らし生活に調和をもたらそうとする思想です。
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あなたは家にモノがたくさんあって邪魔だと思っていませんか? 必要かもと思ってなかなか捨てられないものとか? 人に部屋を見せられないとか?
断捨離はただの片づけ術ではありません!
断捨離というと新しい片づけ術かと思うかもしれませんがそうではありません。断捨離とはモノへの執着を捨てることが最大のコンセプトです。モノへの執着を捨てて、身の周りをキレイにするだけでなく、心もストレスから解放されてスッキリする。これが断捨離の目的です。
断捨離は「もったいない」という固定観念に凝り固まってしまった心をヨーガの行法である断行・捨行・離行を応用し,断:入ってくるいらない物を断つ,捨:家にずっとあるいらない物を捨てる,離:物への執着から離れる。
として不要な物を断ち,捨てることで,物への執着から離れ,自身で作り出している重荷からの解放を図り,身軽で快適な生活と人生を手に入れることが目的である。
・・・・・・
と書かれています。
私はもともと無駄なものを持たない・無駄なことをしないという性格なのですが,それでもモノがどんどん増えてきました。それは捨てられないということではなく,たとえば、ハードディスクにデータが入ったまま壊れたコンピュータのように,どうやって捨てるかよくわからなかった,というものが処分できずたまってしまったということもあります。そこで,一念発起して断捨離を決意しました。しかし,いきなりやると大変なので「1日1断捨離」。こらからはモノものを買うのをやめて買ったつもりでひとつずつ捨てようというわけです。いわば逆転の発想です。
それにしても,周りを見渡すと,よくもまあ無駄なモノがたくさんあるものです。モノに限らず,生活全般を見直してもっと時間を有効に使おうと,断捨離を決めたらそう思うようになってきました。
政府がなんと言おうと,どんな経済政策をとろうと,モノを売ろうと企てようと,私はそんなものには一切乗らず必要なモノ以外は買わず,今後は断捨離なのです。
2017春アメリカ旅行記-ハレアカラを目指す③
●現実離れした臨場感●
ハレアカラの山頂は富士山よりは若干低く3,055メートルである。ここには,東西12キロメートル,南北4キロメートル,周囲が33.8キロメートル,面積49.2平方キロメートル,火口壁の高さ200メートル,火口の深さ910メートルという世界一大きな火口を持つハレアカラ火山がある。
ハレアカラ火山は1500年ごろを最後に活動停止している世界最大の休火山である。巨大な火口には11個のクレーターを持つ大規模な噴火口があって,何十万年もの歳月をかけて風化し形成された自然の芸術「スライディング・サンド」という砂の波紋が見られる。
火口内では映画「2001年宇宙の旅」の撮影が行われたり,宇宙飛行士の月面着陸訓練が行われた。また,マウイ島誕生に大きな役割を果たしたこの火山は強いエネルギー・スポットとしても有名である。
平地と比べて2/3の気圧しかないそうで,高山病の心配があるという話だが幸いなことに私はそれを感じたことはない。標高4,205メートルのマウナケア山頂に行ったときも,私は特段何も起きなかったし感じなかった。
ネットには,こうした高山に登るときの注意だとか,ドライブをするときの留意とかいろいろ書かれているけれど,まあ,行くだけだし,寒いといっても厚手のジャケットを持っていくだけのこと,何を大騒ぎしているのかしらん? と私は思ってしまう。
ハレアカラ山頂は雨を降らせる層積雲,これは2,500メートル程度の高さだが,のさらに上にあるから,美しい雲海を眼下に見ることができる。
またハレアカラ山頂にはマグネティックピークという巨大な磁場があり,この山自体がすべてマグネットで形成されていて,物理的にも真のパワースポットといわれている。
ハレアカラ山の最高地点はレッドヒル(Led Hill)と呼ばれている。ここにはビジターセンターと展望台があって火口が一望できる。
レッドヒルには「銀剣草」が生えている。これは銀色の葉が剣のように輝いてヤマアラシのような鋭い葉先を外側にむけている植物である。銀剣草は,6月から10月にかけて高さ2メートルの茎のまわりに紫と黄色の小さな花がびっしりと咲くのだそうだが,私の行ったのは3月だったので,花をみることはできなかった。
この花もまた絶滅しかけたが,現在はレンジャーの手であつく保護されている。
ハワイ島のマウナケア山に比べて山頂まで舗装道路が完備され,しかも,現実離れした美しい景観なので,どれほど混雑しているだろうか? あるいは,星がきれいだといっても深夜にこの山に登って星を見るような場所があるのだろうか? といった疑問があったのだが,実際に行ってみると,混雑しているといっても大したこともなく,星を見るような場所はいくらでもあることがわかって,この日は満足して山を下りることにした。
2017春アメリカ旅行記-ハレアカラを目指す②
●ハレアカラ山頂の天文台●
マウイ・オーシャンセンターから州道380を北東に走って私の泊まっているホテルのあるカフルイまで戻ってきた。ハレアカラはそこからさらに州道37を南東に行くことになる。道路はどこもそれほど交通量がなく快適なドライブができる。さらに,道路標示がしっかりしていて,ハレアカラと書かれた指示に従って走ればよいから楽である。州道37からは遠くにハレアカラ山の山麓が見渡せてとても気持ちがよいのだった。
やがて,州道37からハレアカラ・ハイウェイという名の州道377に左折した。しばらく走っていくとクラという名の町に着いた。このあたりは海岸沿いのリゾートとは違って広々としていて高原ムード満載で,この旅で私が最も気に入った場所であった。
クラを過ぎると,いよハレアカラ山に登る山岳道路の入口があった。ここからはいよいよ山頂までのくねくね道路が続いていくのだ。くねくね道路といっても道路幅は狭くなく舗装されているのできわめて運転しやすい道路であった。
この日も含めて,私は結局,この旅でこの道路を3回往復することになった。
たとえばカフルイに住んでいるとして,星が見たければハレアカラ山までちょっと出かければ,いつでも満天の星空を見ることができるわけだ。このハレアカラ山は天候がとてもよいらしい。また,ハワイ島のマウナケアに比べて山頂は風が強いとはいっても比較にならず,星を見るにはマウナケア山よりもずっと条件がよいように私には思えた。
私は南半球で星を見る楽しみを知ってしまったからハワイの星空には興味をなくしていたが,もし知らなかったとしたら,おそらく,何度もこの地に星を見に通ったかもしれない。
国立公園だから入園料を徴収する料金所があった。それを過ぎるとビジターセンターがあったので駐車場に車を停めて中に入って地図をもらった。
この国立公園の「ウリ」はなんといっても日没と日の出の美しさに尽きるのだ。私も後日日没を見るために再びこの国立公園にやってきた。しかし,日没のころは確かに観光客は多いが,山頂の駐車場がいっぱいになる,というほどの車の量ではなかった。
やがて道路は山頂に近づいてきた。そこに真っ先に見えたのは銀色のドームであった。それが3番目の写真である。この写真の1番左にある建物は天文台のドームではなく山頂の展望台である。角度によってこの写真のように展望台と天文台が重なって見えるが,それらは離れている。
残念なことにこの天文台は非公開であって,ドームまで近づくことはできない。
ハレアカラ天文台(Hleakara Observatory)はハワイ大学の天文学的な研究施設であるが,アメリカ空軍研究所(AFRL)なども含まれている。逆に,空軍の施設があるから山頂まで道路が整備されている,といえなくもない。
そこにある施設をいくつか紹介してみよう。
ミーズ(Mees Solar Observatory=MSO)はひとつのマウントに複数の望遠鏡を備えたものが設置されている。また,パンスターズ(Panoramic Survey Telescope ans Rapid Response System=PanSTARRS)は継続的なに空を調べて発見された天体の正確な光度測定を行う多数の望遠鏡およびコンピューティング装置である。空の同じ領域を観測して少しの違いから新しい小惑星,彗星,変光星などを発見している。現在は1.8メートルのPS1が運転中で,PS2は建設中である。ここで発見されいるのが数多くの「パンスターズ彗星」である。
マウイ宇宙探査複合施設(Maui Space Surveillance Complex)は空軍研究所(AFRL)の科学研究部門(AFOSR)が管理するこの施設で,3.67メートルの先進電子光学システム望遠鏡(AEOS)など,多くの天文施設を使用している。ハレアカラが山頂まで道路が整備されてるのはひとえにこの空軍の研究所があることが理由である。
「不良老人」の勧め⑨-世界は驚きに満ちている
昔の私の同級生の人たちも定年になって,世にいう第二の人生です。
私は,もう,数年前から第二の人生に入っていて自分のやりたかったことをしているので,やっとみんな追いついてきたねえ,という感じなのですが,定年後もいつまでも再任用などでそれまでの仕事にしがみついているのが,私にはどうしても理解しかねるところです。いくら60歳から年金が満額もらえないからといっても数年余分に働いても所詮増える収入は知れています。それよりも,この元気で好きなことができる最後の年代を自由の身にならずしてどうするのかと私はしみじみ思うのです。
世界は驚きに満ちています。せっかくこの世に生まれて,そうした瞬間瞬間を味わうことなく,日常の雑事に埋没していてはもったいなことではありますまいか。
世の中には定年が来るのを待っていたとばかりに,新たな人生にチャレンジしている人も少なからずいて,私もうらやしい生き方をしている人も多いのですが,私のまわりにはそういうときめいた人がいないのが,また,残念な限りです。
その逆に,やたらと終活やら財テクやらとこだわりはじめた人もいるのですが,そういう人と話をしていてもまったく楽しくありません。寿命に限りがあるという確率100%のことを心配しても仕方ないではないか,と私は思うのです。そしてまた,財テクなどの俗世間のことは現役のときにすべきことで,隠居生活で手を出すことではありません。