学生時代,「勉強」しないで遊んでいたり自分の好きなことをしていると「『こんなこと』をしていると将来困るぞ」みたいなことをよく教師が言われたものですが,では『こんなこと』をしていたら将来本当に困ったのでしょうか? 学校教育に適合できずに中途退学をする生徒も少なくないのですが,彼らはその後どうなったのでしょうか? あるいは,点数という序列で「優秀」とされて世に「一流」といわれる大学に進学した生徒は,将来幸せになったのでしょうか? 実際,教師はそんなことほとんど知りません。「『こんなこと』をしていると将来困るぞ」という根拠すらないのです。むしろ,『こんなこと』と言われるような体験や経験からはぐくまれる能力のほうが,「問題集」で正解を得るために何時間も机に向かうことよりも,実は,ずっと有益なのかもしれません。
おそらく,学校教育で高い点数をとって「一流」の大学に入った生徒は,その後,運よく「一流」の企業に就職しても,退職するまで朝早く出勤して夜遅くまで残業を強いられ,住宅ローンと子育てに追われて,やがて過労死を遂げているか,退職後も仕事以外の楽しみもなかったから粗大ごみとなっているのでしょう。さらに最悪なのは,運よく(運悪く?)「管理職」になって(しまって),「責任」という札をぶら下げて大切な50代を(組織を統括するだけのために)棒に振り,自分の楽しみももてず,ちょっとだけ高給をもらったとところで,そのお金で将来「負債」にしかならない家を買い,満足に走る道路もないこの国で必要以上の車を買うことを「成功」と称して,人生を消費に捧げているのかもしれません。
こうして一生を終えた人たちを多く見てきた今,私は,学校という,本当は何をもって「優秀」としているのかすらわからないシステムで,単にテストの点数で順位競争をして,その結果,何もできないのに,組織で人を管理する仕事をするために生きて,それを「出世」として,退職後は何もすることがない,という人生よりも,「自分らしくやりたいことをいつまでも楽しくできることが一番」だと思うようになりました。
歳をとったときに一番幸せに生きることができるのは,他人とは比べず,自分の身の丈を知ってさりげなくやりたいことが何でもできるということなのです。それは,学校で一番の成績をとるとか,会社で偉くなるとか,ということとは全く別のこと,つまり,車の整備が自分でできる,とか,食べたいものを自分で作ることができる,とか,機械工作ができてほしいものが作れる,とか,コンピュータのプログラムが作れる,とか,電子工作ができる,とか,楽器が演奏できる,とか,外国語を自由に話せる,とか,… そういった能力を一杯持っている,ということだったのです。
きっと,教育というのは本来そういう能力を身につけるためのものだったのでしょう。そしてまた,きっと,今でもそうでありたいのでしょう。それが,何をどう間違えているのか,文部科学省がどんな教育改革をしても,結局,学校教育は何を変えたところですべて順位競争に転嫁されてしまい,ペーパーテストで点数をとることが目的になってしまうのです。それがこの国の人のもつ価値観なのです。
それは,この国の人の大好きな「道」,つまり,柔道,剣道,華道,茶道,武士道,それに,相撲道,さらには受験道! を考えれば明らかです。「道」というのは,その道を究めることが目的ではなく,究めようと(非合理的な)努力をすることで,耐えることと散り際の美しさを学ぶことが目的だからです。だから,無駄に長く仕事をするのだし,意味のない会議をするのだし,受験を美化するのだし,横綱には品格が求められるのです。だから,10年勉強しても英文法のテストは点が取れても英語ひとつ満足に話せないのです。実にわかりやすいんです。
若者が将来楽しく人生を謳歌することのできる「不良老人」になりたいのなら,そうしたトリックを見破って「道」という価値観から脱することが必要なのでしょう。
December 2017
2017春アメリカ旅行記-マウイ島の植物園と博物館②
●マウイ・トロピカル・プランテーション●
「マウイ・トロピカル・プランテーション」(Maui Tropical Planttation)はワイルクからマアラエアに行く州道30の途中にある。イオア渓谷に行くことができなかった私は,次にこの「マウイ・トロピカル・プランテーション」に向かった。私は駐車場に車を停めて中に入った。「マウイ・トロピカル・プランテーション」というのは農業博物館,というよりも植物園のようなところである。
このプランテーションの広さは120エーカーもある。といっても,エーカーという単位がよくわからない。よくよく考えるに,日常からさまざまな「単位」というものは必要不可欠であるにもかかわらず実はかなり理解がいいかげんなのである。それに,海外,特にそれはアメリカであるが,日本とは使われている単位が違うので非常に困るのである。
そもそも日本だって土地の広さでは今でも「坪」という単位を使っているが学校では一切教えず,そんな単位はないものとなっている。しかし,本当にそれでいいのであろうか? むしろ古典で助動詞の活用を学ぶことよりもこうした単位を覚えることのほうがずっと有意義である。
ということで,ここで「エーカー」について少し考えてみたい。
1エーカー(acre=ac)は約4047平方メートルである。坪にすれば1224.17坪であるが,坪の方がむしろわかりやすいだろう。また,1エーカーは0.40468564224ヘクタール,つまり約0.4ヘクタールということだ。
1ヘクタールというのはは100アールであり,1アールは100平方メートルだから,1ヘクタールとは1辺が100メートルの正方形,つまり,野球場くらいのものであるので,1エーカーというのは野球場の0.4倍というところである。そこで,120エーカーというのはその0.4倍の48ヘクタール,つまり,野球場48個分ということになる。
つまり,エーカーを0.4倍した値を野球場1個分と考えればいいわけだ。
そもそも,エーカー (acre) という名前は、ギリシャ語で「牛のくびき」を意味する言葉に由来し,「雄牛2頭引きのくびきを使って1人が1日に耕すことのできる面積」として作られたものだそうだ。
この「マウイ・トロピカル・プランテーション」の入場料は無料である。広い園内には「トロピカル・エクスプレス」という電気自動車が走っていて,バナナやパパイヤ,アボカド,マカダミア ナッツなどの畑を通るが,これは有料である。私は歩くほうが早いとばかりに園内をくまなく歩いて回ったが,暑かったのでかなりばてた。
このプランテーションには5つのジップラインがあって,子供たちが遊んでいた。ハワイには珍しいアミューズメントパークであった。
アウトドアコンサートやココナッツ剥き,パイナップルのカット実演,そして,ミルハウスレストランではディナー ショーが行われたりもするそうである。
「1日1断捨離」を目指して⑪-「ジッツオ」なるもののよさ
観光地に行くやたらと目につくのが外国人とともに三脚にカメラをつけてかついで歩くおじさんたち(たまにはおばさんたちも)です。大きなカメラバッグを背負っている人もいます。趣味は人それぞれですが,私は何もそんな大げさな装備をしなくてもいいのになあとあわれに思ってしまいます。それで人様に迷惑になっていないのならまだしもそうでない方々も少なくありません。
私はずぼらだから,三脚をもって旅などしません。できる限り軽く,できる限り何も持たないのをよしとします。望遠レンズを使うときも手持ちです。
でありながら,今日のお話は私が持って歩かない三脚です。
私はこれまでに結構三脚を買いました。しかし,使わないのだから宝の持ち腐れですって? 実は,私が三脚を必要とするのは双眼鏡で星を見るため,そして,月や惑星など,赤道儀で追尾をする必要のないときに望遠鏡に取り付けるためなのです。そのために結構大きなものがたくさんあります。そのなかでたったひとつ,三脚おじさんのように,カメラに取り付けて風景写真を撮ろうとずいぶんと前に買った三脚があるのです。それが,意識もしていなかったのですが「ジッツオ」(Gitzo)というメーカーの三脚でした。
「ジッツオ」というのはフランスのカメラ関連製品メーカーで,特に三脚と雲台で知られています。フランス人のアルセーヌ・ジッツホーベン(Arsène Gitzhoven )によって1917年に設立され,1942年第二次世界大戦によりいったん解散したのですが,1944年に生産を再開し,1950年代に入って三脚の生産を始めました。1992年に「マンフロット」も所属するイギリスのVitecグループの傘下となりました。また,フランスからイタリアへ生産の拠点を移転しました。
海外に行って星を写真を写すようになると,軽い装備でなんとかならないかと工夫するうちに,この買っただけで使っていなかったジッツオの三脚に簡易型の赤道儀をつけることを思い立ちました。私はそのときにはじめてこの三脚のすばらしさを意識しました。
私が持っていた日本のメーカーの三脚の多くもまた,経年でガタがきていたので「断捨離」で捨てました。そうして捨てた日本のメーカーの三脚に比べて,ジッツオは長年経ってもびくともしていなかったのです。それがすばらしさのひとつでした。そしてふたつめは,私の古いジッツオは私の操作ミスから小さな部品が欠損したのですが,調べてみるとそれが今でも手に入るということでした。注文したら海外から1週間もしないで送られてきました。これには感動しました。
このジッツオ,ライカほどではないにせよ,決して安くないのです。しかし,そんなすばらしさを知ってしまうと,日本のメーカーの三脚はすべて「おもちゃ」にしか見えないのです。だから,私は,そんな「おもちゃ」の三脚を持っている観光地の「三脚おじさん」たちを見ると,その「見る目のなさ」からその人の人間性までをも疑ってしまうのです。
どうして,こうも日本の工業製品はいいかげんなモノしか作れないのでしょう。そんなことなら,いくら値段が張ってもこの先一生使えそうなジッツオ買っちゃったほうがずっと断捨離に貢献できるのでは? と,ジッツオを使っているとしみじみと思うことでした。
2017春アメリカ旅行記-マウイ島の植物園と博物館①
●天文ファンの聖地●
☆5日目 3月26日(日)
7泊9日のこの旅の5日目で,1日目はオアフ島を観光して夜このマウイ島に来たからマウイ島の4日目であった。今日を含めてまだ3日ある。
海外旅行というのは時差があるので日数を数えるのがとかく難しい。ハワイであれば時差が-19時間もあるので(つまり19時間もとに戻れるので),7時間かけて到着しても12時間過去に戻れるわけで,1日目の夜9時30分に日本を出発しても12時間引くと午前9時30分,つまり,同じ日の朝到着するからその日の観光ができる。反対に帰りは朝出発しても日本はその時間よりも19時間先を行っているのですでに翌日になっていて,しかも帰りはジェット気流の関係で行きよりも時間がかかるから日本に帰国すると次の日の夕刻になってしまう。
つまり,7泊9日であれば,実質観光できるのは1日目から7日目の7日間ということになる。そして,今日がその5日目ということであった。
それにしても,マウイ島だけで6日間というのは長い。ツアーであればマウイ島に滞在するのは長くて2泊だろう。こんな旅をしている日本人も少ないであろうが,そこで私はマウイ島を隅々まで見て回ることができた。
何度も書くが,このマウイ島という島はリゾートから古い町並みまで,要するに,ディズニーランドから房総半島や高山までというような,狭い島なのに様々な面をもつ島であった。
今日の1番目の写真はホテルからハレアカラの山頂を望んだもので,天文台のドームがきれいに見えた。この天文台こそ,現在彗星を多く発見している「パンスターズプロジェクト」(PanSTARRS Project)を遂行しているまさに総本山,いわば天文ファンの聖地である。
星を見るにはハレアカラの3,000メートル級の山頂はハワイ島マウナケアの4,000メートルよりも低くそれだけ寒くなく天気もよく道路もよいのでずっと便利なのである。
今日は夕方からハレアカラの夕日と星空を見る日本語ツアーに参加することになっていた。来るまで予定はなかったが調べてみるとそうしたツアーがあるのをインターネットで知って予約をしたらなんと2日前にハレアカラをドライブしていたときに電話がかかってきて,この日しか空きがないと言われた。結局その日も含めて2回も個人でハレアカラに昇ったのでいまさら参加する必要もなかったのだが現地の様子とかいろんな情報を得るには参加するのも意味があるかなあ,と思ってキャンセルしなかった。ツアーは3時50分にホテルに迎えにくるということだった。
朝食はホテルの敷地内にある「タンテス」(Tante's)というレストランにした。このレストランは非常に評判のよい店だそうである。
9時頃にホテルを出発して,まず,車で10分程度のところにあるイアオ渓谷(Iao Valley State Park)に向かった。イアオ渓谷は針のようにとがった異形を見せるイアオ・ニードル(Iao Needle)をはじめとして,マーク・トウェンが「太平洋のヨセミテ」とよんだほどの渓谷美ということで,マウイ島一番の見どころであるらしい。
イアオ渓谷はワイルクのダウンタウンから少しわかりにくい道路を西マウイの山のほうに向かって走っていくとある。道路は日本の山道のようになってきたのだが,なぜか途中で通行止めになっていた。
こういうのがまたアメリカらしいのだ。この道路を走るのは渓谷に行く観光客くらいのものだからワイルクあたりに道路標示でもあればいいのにそんな気はもうとうないらしい。なんでも豪雨で道路が破壊されてしまったらしい。引き返すしかなかったが,結構多くの観光客が私と同じように途方にくれていた。
「1日1断捨離」を目指して⑩-「ライカ」なるもののよさ
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名古屋にライカの直営店(ショールーム)ができたということを知ったので行ってきました。場所は名古屋の老舗デパート松坂屋の北館でした。私はデパートには縁がなく,インターネットですべてが購入できる時代にデパートの存在意義などあるのかいな? くらいに思っていたのですが,北館に入ってびっくりしました。店舗を構えていたのはいわゆるブランド店ばかりで,ショッピングを楽しんでいる人たちも,みな,高そうな服を着ていました。ここにはまったく私の生きている世界とは別の世界が存在していました。
しかし,今どき,世界中の都会はどこに行っても同じようなもので,特に珍しくもありませんでした。
それにしても,私がいつも思うのは,そうしたところに売っている「ブランドもの」を身につけても,たかがデパート巡りをするくらいしか行くところがないのではなかろうか? ということでした。実際,この国にはそうしたものを役立てるようなところがないのです。そういう意味でもこの国は貧乏人にやさしい国なのです。
ライカもまた同じで,日本のメーカーのカメラの10倍もするようなカメラをだれが使うのかいな? そんなもの売れるのかいな? とずっと思ってきました。ライカの直営店はまさにそんなデパートの店舗の中にありました。
ほかにお客さんもいなかったので見貧しい身なりの私は少し躊躇しましたが,意を決して入ってみました。すると店員さんが出てきて,新型ライカ,試してみますか? と言われました。
私は,これまでに,一度だけ,ライカというカメラを買ったことがあります。M6というフィルムカメラでした。しかし,少し使ってみて,私にはこれは使い切れないと思って,売ってしまいました。しかし,年の功とでもいいますか,ライカに対する知識だけは豊富にあるので,店員さんと互角に会話だけはできます。今回触れることができたのはM10という新型のデジカメでした。そして,触れるやいなや,私はライカにひとめぼれしてしまいました。その質感というがたまらないのです。値段? 約80万円,カメラとしてはすごい値段です。買うことのできないほどの金額ではないにしても,買ってみても,おそらく持ち出すのが怖くて,結局は家の中で見つめるだけになることでしょう。そう考えると,発売されたばかりのCLも触れてみたのですが,これはM10よりも少し安いから魅力的なカメラです。これなら使えます。35ミリに換算して24ミリから240ミリまでのズームレンズがあれば申し分なく最高なんですが…。
ライカ直営店を後にした帰り道,同じく松坂屋の南館にあるヨドバシカメラに寄ってみました。そこには庶民の空気が漂っていました。しかし,そこで目にした日本のメーカーのカメラに私はひどく失望しました。ライカを触ってしまったあとでは,どれも子供のおもちゃにしか見えません。
昔からカメラ好きの私は,今,欲しいカメラがないのです。私が今使っているのは,星を写すためのニコンとキヤノンの一眼レフ,どちらも入門機ですが,天体写真用に改造がほどこしてあります。星を写す目的でない海外旅行に持っていくのはニコン1です。このカメラを使っているのは「小さい」ことが理由です。しかし,このカメラ,メーカーにまったくやる気がなく,おそらくはもうすぐ消え去る運命でしょう。海外旅行用と特化すれば売れるのにねえ。ということで「小さく」て使い勝手がよいニコン1の後釜を探しているのですが…。
よく似た製品は今もあるのですが,スマホに押されて普及品は売れなくなってきたから「高級カメラ」と称するものばかりが発売されるようになってきました。ニコンの一眼レフはキヤノンのそれに比べれはずっと作りがよくてお金がかかっているのが使ってみるとわかります。しかし「ニコンD850」をはじめとして,どれも大きくて重たいものばかりで,プロの写真家ならともかく,こんなもの持って海外旅行はできません。
オリンパスには「小さく」て作りのよいよさげなミラーレフ「オリンパスペン」があるのですが「アートフィルター」とか「クリエイティブダイヤル」などは要りません。そんな画像処理は写した後でパソコンでできます。こうしたカメラにあるあまりに多くの機能,私は絶対に使いません。だって瞬間に理解できないし,そんな機能を考えていては一瞬のシャッターチャンスを逃してしまいます。こんな使わないものにお金を払う気がしません。技術屋さんが机上で考えているようなスペックは不要です。
海外旅行に持っていくようなカメラに必要な機能は見やすいファインダーと露出補正と連続撮影モードだけ。カメラの機能も「断捨離」が必要なのです。
しかも,日本のメーカーが作るどの製品も,おそらくはわずか2年もすれば旧製品になってしまうことでしょう。あるいは,儲からないとなればメーカーはカメラづくりからも簡単に撤退することでしょう。そうしてまた,使えなくなった交換レンズともどもゴミが増えていくのです。私は長年生きているとそうしたカメラの「なれの果て」が容易に想像できます。
そんなわけで,壊れるまで私は今のニコン1を使い続けるしかないようです。選択肢がないのです。しかし,このカメラのバッテリー,予備を含めて4個持っているのですが,そのうちの3個が原因不明の外壁の破損(割れてしまった)をして現在原因探求中でメーカー預かりとなっています。大丈夫かいな? こんなものを飛行機の機内に持ち込んで火を噴いたらどうするのだろう?
どうして,こうも日本の工業製品はだめになってしまったのでしょう。そんなことなら,いくら値段が張ってもこの先一生使えそうなライカ買っちゃったほうがずっと断捨離に貢献できるのでは? と,ライカを触ってみてしみじみと思ってしまったことでした。
◇◇◇
ライカの神様-江戸っ子・木村伊兵衛の眼
2017春アメリカ旅行記-マウイ島を1周しようと⑧
●地元民ご用達のレストラン●
ホテルへの帰り道に地元民ご用達のお店で食事をすることにした。
私がマウイ通のEさんから紹介していただいたいくつかのお店の中でまず「サム・サトウズ」(Sam Sato's)へ行ってみた。ここはワイルクの住宅街のとてもわかりにくいところにあった。普通の住宅みたいでどこが入口なのかもよくわからなかったのだが,まったく人影もなかった。お店の看板を見ると,午後2時までということで,どうやらこのお店は夕食を食べるところではないようであった。このお店は後日また行くことになる。
そこで,次に行ってみたのが「テイスティ・クラスト」(Tasty Crust)であった。ここは住宅街というよりも道路に沿った場所にあった。いわば,日本に来た外国人がいきなり地元の小さな飯屋に行くようなものだ。それは別に問題はないのだが,私にとって問題なのはメニューがよくわからない,ということなのだ。
海外に出かけて,一番の問題なのは食事だと思われる。ツアー旅行で行って食事がついているなら,あるいは食事がついていなくてもホテルのレストランなどを利用するのなら何の問題もないであろう。私も海外旅行をはじめてしたころはそんなものであったが,しかし,それなら海外旅行をする楽しみの多くの部分はないわけだし,物足りなかった。
マクドナルドのようなファーストフードばかりを利用している人もいるが,これもまた,なんかなさけない話である。ただし,ファーストフードはそれなりに便利なもので,私もよく利用する。
今回はせっかくマウイ島に行ったのだから,地元の人が利用するようなお店にできるだけ行ってみようと思っていた。
まだ時間が早かったので,一般の夕食タイムではなく,お客さんは数人しかいなかった。メニューをみて,ロコモコを注文することにした。しばらく待って出てきたこのお店のロコモコは写真のようなものであった。
ロコモコ(Loco Moco)というのはハワイの料理のひとつで,飯の上にハンバーグと目玉焼きを乗せ,グレイビーソースをかけたものが基本である。
もとは学生向けの安価なファーストフードだったが,近年注目され,ハワイの郷土料理としての色彩が濃くなってきている。
このロコモコのルーツは完全には明らかになっていない。ハワイ大学のジェームズ・ケリー教授の研究によれば,1949年にハワイ島のヒロでリンカーングリルという小さなレストランを営んでいた日系2世のナンシー・イノウエによって発案されたとしている。
日本の伝統的な流儀で,飯をよそった丼に焼いたハンバーガー・パティを載せ,料理人として有名店で修行した夫のリチャード・イノウエが作った自家製のグレイビーソースをたっぷりとかけて若者向けの安価な食事として出したというのである。
「Loco」 とは「イカレた奴」,あるいは「Local=地元」との掛詞で,このレストランの常連の高校生のひとりのあだ名に由来するともいわれている。また「Moko」 にはハワイ語で「入り乱れる」「混ざる」という意味があるが,単に語呂がよかったので定着したのであろうという話であった。
まあ,いずれにせよ,食事という点では日本が一番だから,多くを期待してはいけない。なにせ,このロコモコ,まったく野菜がないというのが最大の欠点だし,アメリカのお米というのもまた,どうしてこうして丸くしたものを配膳しちゃうのだろう? と思うのである。
やっと晴れたか?冬④-おとめ座の銀河団
「ショーマス彗星」が昇ってくるまでにもうひとつ写したのがおとめ座の銀河です。彗星やこうした銀河は散光星雲とは違ってナローバンド撮影は無力です。
子供のころ,買ってもらった「全天コ恒星図」という星図を見ていてしし座やかみのけ座あたりに非常に多くの銀河があるににびっくりしました。また,数年前,メシエ天体をすべて写そうと計画したときにはおとめ座の多くの銀河に途方をくれました。
しかし,写してみるとかわいい銀河がいっぱい写るのに感動しました。そこで今回は構図を工夫してできるだけたくさんの銀河がうまく収まる構図を考えました。そうして写したのが今日の1番目と2番目の写真です。
「おとめ座銀河団」(Virgo Cluster )というのは銀河系の近傍にある銀河団で,地球から約6,000万光年(5.6垓キロメートル)の距離にあり約2,500個の銀河をメンバーとして含むものです。「おとめ座銀河団」の銀河は渦巻銀河と楕円銀河がかなり不均一に混ざった構成になっていて,M87,M86,M49 銀河を中心に持つ3つの別々の小さな塊が一体に集まった構造になっています。
この「おとめ座銀河団」はより大きな「おとめ座超銀河団」(Virgo Supercluster)の中核部分をなしています。天の川銀河が属する局部銀河群もこの「おとめ座超銀河団」にあり,さらに,アンドロメダ銀河,大マゼラン雲などからなる局部銀河群を含む超銀河団で「局部超銀河団」とも呼ばれています。「おとめ座超銀河団」の直径は2億光年で,およそ100の銀河群と銀河団からなり、その中心におとめ座銀河団が居座っています。
この日は「おとめ座超銀河団」に属する「さんかく座の銀河M33」も久しぶりに写しました。これが3番目の写真です。M33はさんかく座に位置する渦巻銀河で,天の川銀河,アンドロメダ銀河 M31とともに、局部銀河群を構成する主要な銀河のひとつです。直径は約6万光年,距離はM31と同じく約250万光年(2,400京キロメートル)と推定されていて,M31とともに肉眼で見える最も遠い天体です。
M33は天の川銀河に対して秒速約24キロメートルで接近しつつあります。天の川銀河とM31は約40億年後に衝突し,やがてひとつの楕円銀河「ミルコメダ」(Milkdromeda)になると予想されているのですが,このM33ともその前後に衝突する可能性があるのだそうです。
最後におまけです。ユニークな形をした散光星雲をご覧ください。いっかくじゅう座の「わし星雲」(IC2177=Seagull Nebula)です。3,800光年(3.6京キロメートル)の距離にあり,翼を広げた鳥の姿に見えることから日本では「わし星雲」,英語では「かもめ星雲」の愛称があります。へび座にある散開星団M16と散光星雲IC4703もまた「わし星雲」というので注意が必要です。
これで今月の星見はおしまいです。今月は南の空を中心に海の近くに出かけて写したので,来月は北の空を写しに山へ出かけようと思っています。
やっと晴れたか?冬③-メリークリスマス!
カワイイ彗星を3つ写したあと,「ショーマス彗星」が昇ってくるのを待つ間にいくつかの天体を写しましたので,今日はそれをご覧ください。
こうした天体は空の明るい日本の空では写すのが難しく,しかも私の使っているような古い望遠鏡ではオートガイダーもついていないので長時間の露出もできないのですが,それでもお金をかけなくても写すことができるというのが今回の趣旨です。
1番目の写真は「クリスマスツリー星団」(Christmas Tree Cluster)です。クリスマスイブにぴったりでしょう。
正確にはこのあたりの領域を「NGC2264」といいます。このHII領域は「クリスマスツリー星団」,「コーン星雲(日本名は「円錐星雲」)」(Cone Nebula ),「狐の毛皮星雲」(Fox Fur Nebula),「雪の結晶星団」(Snowflake Star Cluster)で構成されています。
この写真の右上の明るい星(いっかくじゅう座S星)のあたりの明るい星が集まっている部分の様がクリスマスツリーのように見えることから「クリスマスツリー星団」と呼んでいるのですが,私はコーン星雲も含めてクリスマスツリーとした方がぴったりだと思います。
そして2番目が「魔女の横顏星雲」(Witch Head Nebula)です。オリオン座の1等星リゲルの東側にあります。
リゲルの光を受けて輝く反射星雲「IC2118」はその形が魔女の顔に似ていることから「魔女の横顔星雲」という愛称 がつけられています。この星雲は約40光年も離れたリゲルの光を反射して青く輝いているのですが,リゲルの強烈な明るさを、間接的に感じさせてくれる星雲だともいえます。
数ある星雲の中でもかなり淡い対象でなかなか写すのが難しいこの「魔女の横顔星雲」は最近のデジタル機材の 発達に伴い星野撮影ファンに人気が出てきた星雲です。
私が星に興味をもったずっと昔にはガイドブックにも紹介されていなかったこうした天体が近頃はずいぶんとあって,それにまたユニークな名前が付けられるようになってきました。
ナローバンド撮影というような新しい技術が開発されて見事な写真が発表されるようになりました。こうした新しい技術というのは,フィルムカメラのころの103aとかその次の水素増感2415とか,まあ,将棋の新戦法と同じように流行をしていくので,その発達を知るのも楽しいものです。
特に現代はコンピュータで画像を処理をすればわずかな光でもそれを画像化できるので,様々な工夫が可能になってきました。要するにいくら空が明るくてもわずかな光を手に入れさえすれば,あとはコンピュータを使って必要のない情報をカットし必要な情報を誇張して画像にしていけばよいわけで,そうすれば都会でも結構素晴らしい写真ができます。というか,これはお絵かきできます。すごい時代になったものです。
こうしたことを追っかけて投資するのもまた趣味のひとつで,いつの時代も上手な人,そして熱中する人がいるものです。
「断捨離」を旨とし,万事いい加減な私には無縁のものですが,私はそうした投資をするならそのお金で南半球に出かけて肉眼で満天の星空をみるほうがいいなあ,というのはやっかみです。
やっと晴れたか?冬②-カワイイ彗星がいっぱい
12月21日から22日にかけて,ついに私の望んでいた気圧配置になりました。
冬型の気圧配置というのは太平洋岸は晴れるのですが北西からの寒気が流れ込むので雲ができてしまうことがあります。特にこの冬はそれが顕著で晴れていると思えば急に曇ったり,あるいは,明け方は晴れていても霜が降ります。
もっとも天気が安定するのは移動性高気圧が日本を覆い,等圧線がおむすび型になるときで,2~3日の間快晴が続きます。このときは全く雲を心配しないで一晩中晴れ上がるのです。この晩がまさにその気圧配置になりました。
おまけに次の日は冬至であり,しかも月齢が3.2となれば,これ以上願うこともできないほどの好条件でした。しかも適度に風が吹くので霜が降りる心配もありませんでした。
というわけで,午後10時,今年最後の星見に出かけました。
目的は彗星を写すことなのですが,いずれも11等星から12等星と暗いものです。この暗いというのが魅力で,果たして私の小さいく古い望遠鏡でどこまで写るのか写らないのか? 写らなければ写らないでそれを試した甲斐があるというものです。
空の明るい日本で星見を楽しむのはこれが一番,というのが私の結論です。
現在私が写せそうな6個の彗星のうち「アサシン彗星」(C/2017O1 ASASSN1)と「小惑星ファエトン=彗星のなれの果て」(3200 Phaethon)は12月16日に写したことはすでに書きました。そして,先月11月18日には「紫金山第1彗星」(62P Tsuchinshan 1)と「ショーマス彗星」(24P Schaumasse)を写しましたが,この晩は,1か月後の「紫金山第1彗星」と「ショーマス彗星」に加えて,「パンスターズ彗星」(C/2016R2 PanSTARRS)と「ハインズ彗星」(C/2017T1 Heinze)を狙いました。
「パンスターズ彗星」は2016年9月7日にハワイ・マウイ島ハレアカラ(Haleakala)にある口径1.8メートル のPan-STARRS1望遠鏡で発見されたものでが,発見当初からはっきりとした彗星状でした。ステラナビゲーターでは13等星ほどの予報ですが実際は11等星で見えているそうなので写るかな? と思ってカメラを向けたのですが,今日の1番目の写真のようにはっきりとした彗星状の天体を捉えることができました。
「ハインズ彗星」は2017年10月2日に小惑星地球衝突最終警報システム (Asteroid Terrestrial-impact Last Alert System=ATLAS)の調査プログラムでハワイ・ハワイ島マウナロア(Mauna Loa)にあるATLAS口径0.5メートルf/2.0のSchmidt望遠鏡で得たCCD露出から発見されたものです。
現在は13等星ほどでかに座のM67に近く,同じ視野に写すことができるということですが,暗いので写るかな? と期待していませんでした。実際は今日の2番めの写真のようにカワイイ尾を引いた姿で写すことができました。冬から春にかけて地球に0.2天文単位,太陽に0.6天文単位まで接近し10~11等まで明るくなると期待されています。
「紫金山第1彗星」はおとめ座の3等星ミネラウバの近くにあって容易に位置がわかります。写し終わった後で画像を確認して彗星状のものがあったので写ったと思っていたのですが,自宅に戻って確認すると,私が彗星だと思ったのはその隣にあったNGC4713でした。しかし,その隣にちゃんと彗星も写っていました。それが今日の3番目の写真です。
最後が「ショーマス彗星」で,これは午前3時を過ぎると東の空に昇ってきます。
私はこの晩4時間くらい星を見ていたのですが,さすが夜が長く,カメラのバッテリーも少なくなってきたのでそろそろ帰ろうかと,彗星が昇ってくるのを他の天体を写しながら今か今かと待ちました。もっと後で写すと空高くなって写しやすいのですが,地平線近くであってもしっかりその像を写すことができました。それが今日の4番目の写真です。
そんなわけで,すべての彗星を写すことができて満足して帰宅しました。
久しぶりに満足した星見になりました。
◇◇◇
やっと晴れた!秋①-アサシン彗星はきりん座に健在
やっと晴れた!秋②-紫金山第1彗星としし座のトリオ
やっと晴れた!秋③-ショーマス彗星はおとめ座銀河団の中
やっと晴れたか?冬①-ふたご座流星群の母天体は小惑星
2017春アメリカ旅行記-マウイ島を1周しようと⑦
●マウイ島と孫文●
私は再び南マウイから中央マウイを経由してホテルまで戻ることになった。その途中,ハレアカラの麓の途中孫文(Sun Yan孫逸仙=孫中山)を記念する公園(Sun Yat Sen Park)があった。
寂れた公園で道路脇の駐車場に車を停めて自由に入ることができるのだが,公園には雑草が生い茂り,歩道は整備されておらず,中にいたのはニワトリだけであった。
この公園はかなりの斜面に築かれていて,いくつかの獅子像と真新しい孫文の像およびかれの主張した三民主義と統治形態,さらに世界平和にむけての理論的主張が英語と中国語で述べられていた。
孫文は,中国の政治家で初代中華民国臨時大総統であった。「中国革命の父」と呼ばれる。譜名は徳明 ,字は載之,号は日新,逸仙 (Yìxiān) または中山。中国や台湾では孫中山として,欧米では孫逸仙の広東語ローマ字表記であるSun Yat-senとして知られる。
清国広東省香山県翠亨村の農家に生まれる。12歳のとき,地域信仰の象徴であった洪聖大王木像を地元の子供らと壊したことから,兄の監督下に置かれることが決まる。当時のハワイ王国にいた兄の孫眉を頼り,1878年,オアフ島ホノルルに移住,イオラニ・スクールを卒業。同市のプナホウ・スクールにも学び西洋思想に目覚めるが,兄や母が西洋思想に傾倒する孫文を心配し,中国に戻された。
清仏戦争の頃から政治問題に関心を抱き,1894年ハワイで興中会を組織した。彼の家族はハレアカラの傾斜に避難した。
1904年,清朝打倒活動の必要上「1870年11月ハワイのマウイ島生まれ」扱いでアメリカ国籍を取得した。
とまあ,そんな次第でこの地に孫文にちなんだ公園があるのだが,私がここに行ったときはそんなことは全く知らず,なんだこの怪しげな公園は? と思っただけであった。おまけにお恥ずかしいはなしだが,「Sun Yat Sen=孫文」ということすら知らなかった。
話は少し脇道にそれるが,カタカナ表記やら日本の科学用語やら専門用語というのは実に迷惑なもので,たとえば旅行で予約したホテルの名前もカタカナで表記されたところで検索もできず場所もわからない。この「Sun Yat Sen」という表記も,学校では学ばないからわからないのである。
また,自然科学の分野でも「因数分解=factorization」すら知らないから,将来,専門的に研究をするときに論文が読めないのである。
この孫文公園をしばらく散歩したが特に何ということもなく,感銘も受けず,私は再び車に戻った。
走っていると,小さな農場があった。ここは農場というより日本の道の駅のようなところで,広い駐車場があって,そこに車を停めた。そこにはさまざまな果物やら花やらが売られていたが,外には動物が放し飼いされていて,さらには,この高台からマウイの南の美しい海岸線が眺められた。
奈良か京都か?②-京都の好きなことと嫌いなこととは?
私が京都に熱中したのは今から20数年前のことでした。当時は今のように旅慣れてはいなくて,京都のこともほとんど知りませんでした。ずっと昔からカメラは好きでしたが,いざ写真を写そうとしても,特に写したいと思うものもないありさまでした。10月,というから,紅葉シーズンの少し前,比較的観光客の少ない時期でしたが,ふと訪れた京都に魅せられました。被写体になるものがいくらでもあるのです。そうして私の京都通いが始まったのです。
今でも使っている「歩く地図」というガイドブックの京都編を購入して,最低月に1回は出かけて,そこに書かれた神社仏閣を舐めるように見て歩きました。朱印帳ももちました。やがて神社仏閣だけでは物足りなくなって,食べ歩きやら都をどりやら,京都にある何もかもが知りたくなってきました。
京都には魔物が住んでいるのです。一旦取りつかれると大変なのです。
人はだれも昔を懐かしむのです。私には,そうした時期の京都こそが私の京都であり,今もそのころの京都を追い求めているわけです。しかし,それは何でも同じことですが,すべては変わっていくのです。
前回紹介した新聞の記事によると,京都のよさというのは,おしいパン屋さんやカフェがたくさんあるとか,心底は迎合しないクールさとかが挙げられていました。そしてまた,京都の嫌いなところは混雑して行きたくないとか,外国人観光客のマナーが悪いとか,拝観料や飲食代が高いといったことが書かれていました。
私は,そのなかで,京都の嫌いところにかかれていることすべてに同意します。とにかく,混雑しすぎです。私はもう,そうした観光としての京都にはまったく行く気持ちがありません。そしてまた,拝観料が高いということには腹立たしい思いがあります。昔,紅葉の永観堂はお庭を見るだけなら無料でした。それが今では1,300円もします。でありながら,なんのガイドもなく,ただ中に入るだけのお金です。
私が京都に行くとすれば,その目的は,何もない観光客のいない路地を散歩することだけなのです。しかし,そんな場所,今の京都にどれだけ残っているのでしょうか?
2017春アメリカ旅行記-マウイ島を1周しようと⑥
●ここはハワイの地の果てなのか?●
前回も書いたように,この先どこまで走ることができるのかさっぱりわからなかなった。地図には地名が書かれていたが,地名があっても家の1件もなく,したがって地名の標示すらないのだった。そもそもこのマウイ島最大の欠点は人の住んでいるところもまた,地名の標示がないことであった。ほんの少し前に行ってきたカウアイ島はどの町も町に差しかかると大きな地名の標示があったから,これはハワイの問題ではなくマウイ島の問題であろう。そこで,どこまでが通行できるのかさっぱり不明なのであった。
今日の1番目の写真を改めて見て私はここで州道31が終わるということをはじめて知った。見損ねていた。しかし,写真でもわかるように,この先も同じような片側1車線の舗装道路が延々と先まで続いていた。しいていえば,片側1車線とはいえ,すれ違うのがやっとの狭い車線になったことであった。それでも,ハナに行ったときのくねくね道よりもずっと広いし見通しもよかった。見通しがよいというよりもなにも,な~んにもない海岸線にそった草原をずっと道路が伸びているだけのことであった。これではどこまで行くことができるのかさっぱり不明であった。
地図によれば,この先をずっと行けば島を1回りできるし,ハナに到着する。しかし,走っている車などほとんどなかった。
そうこうするうちに,海の向こうにハワイ島がかすんで見えるようになってきたから,進む方角が変わってきたのであろう。ハワイ島を見るとその最も高いマウナケア山頂に天文台のドームが白く輝いていることに私は感動した。これはすごい景色であった。
そのうちに道路が狭くなってついには両側1車線になった。それでもまだ舗装された道路が延々と続いていたが,まわりは草原からハワイ島のような溶岩台地になってきた。どうやらこのあたりが限界であるらしいと思ったので,引き返すことにした。
なんだかものすごい景色であった。そしてまた,これもマウイ島の姿なのであった。
結局,私はこの旅とそしてこの後に行ったカウアイ島を含めると,オアフ島,ハワイ島,マウイ島,カウワイ島のハワイ4島に行ったことになるのだが,帰ってからしばらくして思い出すのは,そしてまた行ってみたいなあと思うハワイは,こうした大自然のある場所だけなのである。
もともとハワイというのはこうした大自然の島だったのであろう。火山の島だから土壌に植物が育つのは困難であるけれども,しかし人は生きていかなくてはならないから,大変な苦労をしてコーヒーやらさとうきびやらを栽培したのだろう。そうして暮らしていた後に,この島にアメリカ本土から観光という波がやってきて,島のあちらこちらに巨大資本がリゾートを作っていったのである。つまり,自然を破壊していったのである。
奈良か京都か?①-日本の旅はこころでするもの
12月16日の朝日新聞のBe版に「奈良と京都,訪れたいのはどっち?」という記事があって,結果は奈良が39%で京都が61%でした。奈良も京都もガイドブックに載っている見どころはすべて行ったことがある私としてもこれには書きたいことが山ほどあるので,思いつくままに書いてみたいと思います。
私は,どちらといわれると文句なく奈良と答えます。しかし,名古屋近郊に住む私としては,奈良は非常に遠いのが最大の難点です。距離的には遠くないのですが,交通がとても不便なのです。ずっと以前,名古屋からはJRの急行が奈良駅まであって,これは便利で,日帰り旅行ができました。今,鉄道で行くとなると,新幹線を使って京都を経由していくか,あるいは,近鉄で行くかということになるのですが,近鉄は奈良市まで行くにはぐるりと遠回りする必要があるのです。
車は名阪国道というのがあるのですが,この道路は高速道路でもなく,一般国道でもない,という非常に中途半端な道で,おそらく,もっと後で作られていたのなら,いまよりもずっと走りやすいように建設できたと思うのですが,いまさらどうにかなるものでもなく,しかも,この道路,制限速度などあってないようなもので,無法地帯なのです。特にトラックが危険です。というわけで,鉄道にしても車にしても,行くのが楽しくないのです。
新聞の記事には,さらに「訪れたい観光名所は?」というのがあって,有名なお寺が羅列されていました。確かに奈良や京都に出かける観光客のお目当てはそうした場所なのでしょうが,私としては,もちろん,そうした場所も見どころにはちがいないのですが,それよりも,その土地の町を歩いたり,地元の人が行くような食事処などで時間を費やすことのほうに魅力を感じます。そうしたとき,記事にもあったように,このごろの京都はあまりに観光客が多すぎて,これではまったく旅情がなくなってしまいました。
日本の旅はこころでするもの,とは,私がいつも書いていることですが,そう考えると,「万葉集」や「日本書紀」をこころに描いて奈良の普通の町を散策することこそ,最も落ち着く旅になると,これは私がずっと思っていることなのです。
やっと晴れたか?冬①-ふたご座流星群の母天体は小惑星
それにしても寒い冬です。夏からずっと天気が悪く,なかなか晴れ上がる夜がありません。今年はまったく秋らしい日もありませんでした。そして気がつけば冬。もう12月も半分終わってしまいました。
毎年太平洋側の冬はよい天気が続くはずなのですが,今年は北国のような天気です。そんなわけで,12月は10等星より暗い彗星がいくつか見えるので,それを写そうと計画していたのですが,なかなか条件のよい日がありませんでした。
12月16日も天気が悪かったのですが,夜はわずかばかり晴れそうだったので,出かけることにしました。しかし,家を出るときは雨が降っていました。1時間30分ほど走って,とはいえ,走っている間はずっと雨模様で,こんな天気に星を見にいくこと自体狂気の沙汰でした。
いつもの星見の場所に着くと,まだ全天曇っていました。それでも私の晴れるという根拠のない自信が通じたのか,次第に南の空の雲が切れてオリオン座が輝きはじめました。望遠鏡を組み立てているうちに北極星も見えるようになってきて,午後11時過ぎには,なんと快晴になりました。
この晩の目的はふたつ,ひとつめは北極星に最接近した「アサシン(エイサスエスエヌ)彗星」(2017O1 ASASSN1)を北極星とともに写すこと,そしてふたつめはこの晩に地球に最接近した「小惑星ファエトン」(3200 Phaethon)を写すことでした。
「アサシン彗星」についてはすでに詳しく書きましたが,暗いながらもまだ写すことができます。まず北極星を中央に入れて何枚か写しながら構図を変えて彗星が一緒に入る構図を見つけました。
そして,次が「小惑星ファエトン」です。見られる場所はアンドロメダ銀河の近くで,地球に近いためにどんどんと位置を変えていきます。
「小惑星ファエトン」は,太陽系の地球近傍小惑星です。イギリス,アメリカ,オランダの共同科学プロジェクトの赤外線天文衛星 (IRAS) の画像を調査していたイギリスのサイモン・グリーン(Simon F. Green)とジョン・K・デイヴィース(John K. Davies)が1983年10月11日に発見したもので仮符号 1983 TB として発見が公表されました。はじめこの天体は恒星状で彗星ではないと報告しましたが,この天体の軌道要素とふたご座流星群の軌道要素が一致することがわかり,ふたご座流星群の母天体だと判明しました。
小惑星とされたこの天体は当時知られていた地球近傍小惑星の中で最も太陽に接近する(地球と太陽の距離の0.140倍)天体であることが判明し,ギリシア神話に登場する太陽神ヘーリオス(Helios)の息子ファエトンにちなみ命名されました。ファエトンはふたご座流星群の母天体と確定したこととスペクトル分類がB型であることなどから塵を出し尽くした彗星の成れの果てであると考えられています。また,2013年に彗星状の尾が発見されファエトンが今もなお活動していることが明らかとなりました。
この天体はこの晩地球に約1千万キロまで接近しました。また,2093年12月14日には地球に300万キロまで接近すると予測されている(地球に衝突する可能性のある)潜在的に危険な星なのです。
そうこうするうちに空が曇ってきてまったく星が見えなくなりました。実はもうひとつ彗星を写したったですが,それは断念して帰宅することにしました。
本当に今年は晴れません。自宅を出たときに雨が降っていて,自宅に戻ったときは雪模様でした。それでも私は確かにこの晩こうして星を見てきたのです。
◇◇◇
夜空にもときめきが一杯-「運」は行動してつかむもの
「1日1断捨離」を目指して⑨-「ボーズ」なるもののよさ
断捨離をはじめたらものを捨てることに加えて,今使っているものを見直したり過ごし方そのものも断捨離をするようになってきました。そこで,今日は旅の持ち物についてのこだわりです。
旅に出かけるとき,とにかく持ち物は少なくしたいのです。そのためには,帰るまで使わないようなものは必要のないものだからは持っていかない,万一必要になるものがあればそれは現地で調達すればいいということに徹することが大切なわけです。そもそも究極的にはパスポートとクレジットカードとiPhoneさえあれば十分なわけです。それに加えて持っていく必要のあるものはシェーバーとか歯ブラシとかいった日用品,それに着替えくらいのものです。そうなると,旅行バカバンには着替えだけを入れて,携行用のカバンにパスポートとクレジットカードとiPhone,そして日用品を詰め込めばいいので,ほとんど荷物がいらなくなります。
しかし,それに加えて私が重宝しているものがふたつあります。
そのひとつはカメラです。やはり。iPhoneだけでは不十分なんです。これまでも書いたことがあるように,私は通常の旅ではやはり望遠レンズや超広角レンズがあるといいのです。私はずっとニコン1を使っているのですが,どうやらこの機種なくなりそうなんです。メーカーもアホですねえ。この小ささが最大の武器なのに何を考えているんでしょう。
オーロラを見にいったり星を見にいくときはふつうの一眼レフカメラを持っていくこともあります。このときに重宝するのは魚眼レンズです。これだけはiPhoneはかないません。
もうひとつは機内で快適に過ごすための必需品です。それはノイズキャンセリングつきのイヤホンです。これが非常に有益なのです。私の使っているのは「ボーズ」(BOZE)の「QuietComfort20」というものです。これまでもっと安価なものをいくつか試しましたがまったく期待外れでした。そこでこの高価なものを実際にショールームで試してから購入しました。これがすごくよいのです。これをかけていると耳栓代わりにもなります。機内が静寂になります。
このように「断捨離」というのはけちることではなくて,よいものはぜいたくしても購入して大切に使うことが究極的にはものを少なくすることにも結びつくというわけです。
2017春アメリカ旅行記-マウイ島を1周しようと⑤
●どこを走っているのやら…●
南マウイの道路がなくなっている場所まで行って美しい海岸を見て,私は引き返すことになった。
このように,道路ひとつとっても,このマウイ島は様々な姿を見せる。それは,片側数車線もある広い道路からすれ違うこともできないような細い道路までさまざまなことである。
再び来た道を延々と中央マウイまで引き返した。私が走ったマウイ島の東側の島の部分の西海岸の州道31はワイレアが終着点でその先に道路がない。いや,地図によれば狭い未舗装の道路がもう少し先まで続いてるらしいのだが,レンタカーは通行禁止である。
そして,このマウイ島の中央にハレアカラがそびえる東側はその山麓の西側を州道31に平行に州道37がもっと島の南に向けて走っていて,その道路がやがて島の南の海岸線を東に向けて通じていてさらに一周してハナまでつながっているが,この道路も途中から狭くなってレンタカーでは通行が禁止になる。
そこで私はレンタカーでの通行禁止になるところまで行ってみようと思ったのだった。
しかし,この州道31から州道37に行くアクセス道路はなく,中央マウイまで引き返す必要があったのだ。
再び州道31沿いのリゾートタウンをみながらやっと州道37との分岐に出て,再び今度はハレアカラの山麓を南に向けて走り出した。
この州道37は途中でハレアカラに登る山岳道路の分岐がある。今回は途中の「パンダエクスプレス」で昼食をとってからそこを過ぎて,さらにクラという町を目指して走っていった。
この州道37の走る高台からは右手,つまり西側に美しい海岸線が望まれ,また,道路はのどかな高原ムードが満載でとてもすばらしいところであった。これがさきほど走った州道31と同じ島の道路とはとても思えないほどであったし,私がマウイ島で最も気に入ったのはこの場所であった。
クラという町とはいってもレストランがあるわけでもなく,しいて,なにか見どころがあるとすれば,なんとワイナリー,つまり,ハワイにワイナリーなのだ!,それと植物園,それくらいのものであった。そうした場所は後で訪れることにして,ともかく,レンタカーで行けるところまで行ってみようと,私はどんどんと走っていった。
次第に道路は狭くなっていったが,それでも片側1車線の車がすれ違うことが可能な道路が延々と続いていた。カーブや坂が多くなってきて,まわりには全く人家がなくなってきた。さらに進んでいくと,海が見えてきた。もう,その先はにあるのはうねうねとどこまでも続く道路だけになってきた。
レンタカー会社でもらった地図には地名が書かれていて,その先は通行禁止のはずなのだが,一体全体,地名の標示などまったくなく,いまどこを走っているかすらわからないのであった。
2017春アメリカ旅行記-マウイ島を1周しようと④
●「マウイ最後のリゾート」だった●
やがて中央マウイを過ぎて東マウイの西海岸に差しかかった。このあたりの地名をキヘイ(Kihei),そして,その南をワイレア(Wailea),そしてさらにその南をマケナ(Makena)という。ここは,マウイ島で一番のリゾート地である。
キヘイの海岸は約10キロメートルに及び,カラマ公園,カマオレ・ビーチパークなどの公園が点在し,ショッピングセンターも多くある。また,ウインドサーフィンのゲレンデとしても有名である。キヘイはリゾートの中では比較的安価なので一般の旅行者向けのホテルやコンドミニアムも多いが,非常に混雑していて,私は好まない。
キヘイの南はワイレアである。この「魔法のように変貌を遂げた」といわれる超高級リゾートである。ここは多くの別荘や豪華なホテルが海岸沿いにならんでいて,ほかの場所とはまるで異なる雰囲気を醸し出している。聞くところによると,このあたりはアメリカ本土の大金持ちの別荘地域であるらしい。
さらに南下するとマケナに達する。日本がバブルのころ,この地に西武グループが「マウイ最後のリゾート」として建設し売り出した。現在はオークラのリゾートとなっている。私はこうしたリゾートはお金を大企業に貢ぐだけのものだと思っているからまったく興味がない。
さらに進むと,道路がどんどんと狭くなっていっていった。私は地図を頼りに走っていたのだが,このあたり,私は道がわからなくなった。やがて,車がすれ違うことも不可能なほど道路が狭くなっていって,しかも,けっこう坂やカーブが多くて,この先どうなるのやら,と思うようになった。まだ先に道は続いていて,舗装もされていたからレンタカーで走行するのは大丈夫そうであったが,そろそそそれも終焉が近いらしいことがわかった。
そのうちは道路は海岸線を走るようになった。それまでのリゾートがうそのように急に素朴な海岸になった。
おそらく,ここをリゾート開発しようとする前からあったのはこうした海岸であるのだろう。
やがて,美しい海岸に到着した。ここがこのマウイ島の東部分の西海岸の道路の終焉であって,この先にレンタカーの走れる道路はなかったから,私は駐車場を探して車を停めた。
ここには白砂の美しいビーチが広がっていた。私がハワイでみたもっとも美しい砂浜であった。
それにしても,どうしてこれほど美しいこの島をそのままにしておかないで広大なリゾートに作り変えてしまうのであろうか? そうしたリゾートはハワイのいたるところに点在するのだが,こうした日本人には想像のできないほど広大なリゾートは閉鎖的に囲まれていて,ゴルフコースがあったり,芝生で覆われて池には噴水があり,海に面してホテルが作られて,そこにはプライベートビーチがある。しかし,いくらお金があったところで,そんな映画セットのような場所で休暇を過ごして何が楽しいのだろうか? 私はそのことがまったく理解できないのである。
ああ,はしだのりひこさん。-「風」の小径は私の原風景
はしだのりひこさんが12月2日に亡くなりました。
はしだ のりひこさんは日本のシンガーソングライターでありフォークシンガーでした。
「帰ってきたヨッパライ」で有名な「ザ・フォーク・クルセダーズ」の一員として活躍したのち,「はしだのりひことシューベルツ」や「はしだのりひことクライマックス」,「はしだのりひことエンドレス」のリーダーを務めたのちソロに転向しました。
1969年「はしだのりひことシューベルツ」時代に作られた「風」は私が最も好きな曲のひとつであり,当時,レコードを買った曲です。
私がこの曲で思い出す,というか思い抱くのは,なぜか今日の写真にある三鷹の東京天文台(現在の国立天文台)の65センチ屈折望遠鏡のあるドームにいたる小径なのです。それがどうしてかはまったくわからないのですが,そしてまた,その小径がプラタナスの小径でもないのですが,その小径を冬の風の強い日にコートの襟を立てて歩く自分の姿に重なるのです。どうやらこれが私の原風景のようなのです。
私は「風」を聴くとき,いまもあの頃に戻れます。
はしだのりひこさんは私が大学生のときに大学祭でコンサートがありました。そのころはすでにソロ歌手だったと思うのですが,時間が来ても終わらず,いつまでもいつまでも歌い続けていたという思い出だけが残っています。
2017年4月23日,KBS京都開局65周年企画「京都フォーク・デイズ ライブ~きたやまおさむ~と京都フォークの世界」にゲスト出演したのが最後となりました。
「おんな城主 直虎」-これは久々に面白い大河ドラマだ。
「おんな城主 直虎」,これは私にとってはものすごく面白いドラマです。久々にのめり込んだ大河ドラマであります。
私は「大河ドラマ」といえば,戦国時代ものは「国盗り物語」,幕末ものは「花神」に尽きると思っているので,それ以降のものはどれもこのふたつと比較しては落胆する,ということをずっと繰り返していて,満足なものがありませんでした。
そのうちに,結局は日本の歴史は英雄を賛美しているだけで,実際は封建社会と戦の中でつねに苦労していたのは庶民だけだと気づいて以来,日本史そのものに興味をなくしました。その結果,信長やら秀吉やらを英雄視すること自体に嫌悪感をもつようになって,それとともに,こうした歴史ドラマ自体にも興味をなくしました。
そうした私が今でも見たいと思う歴史ドラマというのは,はちゃめちゃであり,楽しくて,そして,くすぐりがあるもの,それだけになりました。テレビドラマなんて面白ければいいんです。
この「おんな城主 直虎」は視聴率がよくないらしく,評判も悪く不人気だそうです。私はそんなことはど~でもよくて,というか,この国に根づくなんでも競争の数字信仰にはまったく興味がなくて,私自身が楽しめるのであればそれでよいわけですが,おそらく,従来の「大河ドラマ」を好む人たちや主人公が女性であることに抵抗感があるのでしょう。それにも増して,若者はテレビ自体を見ないし,特に歴史ドラマなんて登場人物がゲームに出てくるもの以外は興味がないのでしょう。「忠臣蔵」なんて入試にも出ないから何のことかも知りませんよ。
私がこのドラマで面白いと思うのは,史実がどうであれ -そもそもドラマに史実を求めること自体意味がないのですが- 今でも語りつがれている話(そのほとんどは嘘)が面白おかしくちりばめられていることです。そのひとつが徳川家康が三方ヶ原の戦いでの敗走時で脱糞した話です。これは三方ヶ原で敗走した徳川家康が山県昌景の軍勢に追い立てられて恐怖のあまりに馬上で脱糞をし,やっと浜松城に戻って馬を下りたところで家臣の大久保忠世にそれを発見され,からかってくる忠世に対して「これは焼き味噌じゃ!」と返したというものです。
もうひとつは天正10年6月2日の本能寺の変の折,家康は本能寺の変の報に際して取り乱し,光秀の支配下にある京都に上り松平家にゆかりのある知恩院に駆け込んで自刃すると主張したものの本多忠勝をはじめとする家臣たちに説得されて帰国を決意し伊賀国を経由して三河国へ帰還したというものです。
このドラマではそうした話をさりげなく取り上げていながらも,底辺に流れる物語は史実からかけ離れてめちゃっくちゃに創作してあることで,これを愉快と思わずなんとする,ということなのです。だから,そうした歴史や語り継がれているうわさ話を知らない人が見ても面白くないのです。逆に,知っている人はものすごく面白いのです。
また,私が最高に愉快なのは,秀吉が出てこない,ということです。これには脚本家さんの強い意志すら感じます。おそらく私と同じように,この人も秀吉が嫌いなんです。そしてまた信長も嫌いなんでしょう。で逆に目立たせているんです。反対に家康は好きなんですよ。あのわざとらしい芝居もまた意図的です。
それにしても,今回の「本能寺が変」という題なんて,最高じゃないですか。これを考えついたときの脚本家さんの得意気な表情が目に浮かびます。
◇◇◇
「花神」から見た国の在り様-「100分de名著」
「ニッポン国道トラック旅」⑤-結局日本はどこでも食物
ぐっさんが大型トラックのぐっさん号に乗って日本中を走る「トラック旅」もなんだかんだといってシリーズ化されつつあるようです。この番組が視聴者のかぶる「ブラタモリ」の裏番組であることも依然変わらず,このあたりを変える気もないのが「皆様の」NHKらしい意固地さの表れでもあります。
もともとはシリーズ化する気があったのかなかったのか,この番組,国道と高速道路のものがありました。高速道路のものは第1弾が2015年10月末に放送された日本の高速道を鹿児島から北海道まで縦断する「列島横断2,800キロ!ニッポン高速道路トラック旅」で,第2弾が2017年4月8日に放送された九州の佐世保から北海道の釧路までを再び横断する「「ぐっさんのニッポン高速道路トラック旅!」でしたが,このふたつのコースにはダブりもあるし,これはほぼネタが尽きました。アメリカのフリーウェイと違い高速道路自体それほどあるわけでもなく,おまけにインターチェンジで降りていてはわずらわしく,しかも道路を走っていても日本中どこもさほど変わらないとあっては,サービスエリアを訪ね歩く番組くらいしか作れません。
一方,国道のものは快調に回を重ねていて,第1弾は2016年5月7日に放送された「ぐっさんのニッポン国道トラック旅!″1号線” 東京~大阪の巻」,第2弾は,2016年11月5日に放送された「ぐっさんのニッポン国道トラック旅!“2号線”大阪~北九州の巻」,第3弾が 2017年9月30日に放送された「ぐっさんのニッポン国道トラック旅!”3号線”北九州~鹿児島の巻」でした。ところが,今回の番組でも触れていたように,2017年10月14日に放送された第4弾は国道4号線ではなく5号線を走った「ぐっさんのニッポン国道トラック旅!”5号線”函館~札幌の巻」でした。そして,ようやく2017年12月9日,国道4号線を走った「ぐっさんのニッポン国道トラック旅!”4号線”東京~青森の巻」が放送されました。それが今回のものです。
私はこのごろ東北地方に行ったことがありません。したがってほとんど写真もありません。東北に行ったのは学生時代に一度,これは青森まで行きました。二度目は裏磐梯へ,これは以前「チロの星まつり」というのをやっていてその地へ一度行ってみたいと思っていたことが理由でした。そして最後が盛岡からレンタカーを借りて青森を一周したこと,それだけです。そのなかで,平泉には二度行きました。私は平泉というところで何を感じたかというと,あの時代,庶民が苦しい生活をしていたころに殿様はこんな贅沢な暮らしをしていたのか,という憤りだけでした。
もともと東北という地は寒く,農業にも適していなかったから,ずいぶん苦労が多かったように思います。そうしたことを思ってしまうので,旅をしていても楽しくないのです。そしてまた,青森で見たのは,ことばは悪いのですが,いかにも日本のゴミ捨て場のように,核廃棄物処理場とか砂利の集積場があったことです。
今回の番組では,仙台の日本でも有数な車線の多い交差点,というもの以外は,特に国道を走らなければわからないような情報はありませんでした。やはり,国道を走るという番組ならば,国道を走らなけれはわからないような風景やら珍しいものやらが出てこなけれは鉄道で旅をしているのとなんら変わらないのです。それと,東京から青森を紹介するにはわずか1時間半という時間は短すぎるのです。そういった意味ではとても中途半端に感じました。結局この国は食べ物だけなんです。
番組を見ていて,あの道路を走りたい,あの場所に行ってみたいと思えるようなものがもっと欲しかったように思います。それよりなにより,日本の道路を走る気持ちが私はさらになくなってしまいました。
さて,次は6号線なんでしょうか? 国道6号線は太平洋岸を東京から仙台まで,つまり福島第一原子力発電所事故に伴う帰還困難区域設定で許可車両以外の通行が規制されていた震災の跡地です。
◇◇◇
「高速道路トラック旅」①-日本が狭いことを実感した
「ニッポン国道トラック旅」①-画像処理の様な旅
「ニッポン国道トラック旅」②-グルメこそ楽しみ
「高速道路トラック旅」②-日本にあるのは廃墟だけ?
幻の「ニッポン国道トラック旅」-自然に戻すことこそが…
「ニッポン国道トラック旅」③-懐かしき九州の道
「ニッポン国道トラック旅」④-おいしかった積丹のお寿司
2017春アメリカ旅行記-マウイ島を1周しようと③
●見晴らしのよい中央マウイ●
この旅をしていたときは,まだ,カウアイ島には行ってないかったから,私が知っているハワイの島はホノルルのあるオアフ島とハワイ島,そして,このマウイ島だけであった。
オアフ島は別として,ハワイ島とマウイ島は全く別のよさがある。また,LIVEで書いたようにこの11月にカウアイ島に行ったので,その結果,私のマウイ島に対するイメージも少し変化したが,いずれにしても,このマウイ島というのは素朴なハワイとリゾートのハワイ,そして雄大な大自然など,さまざまな顔をもつ島である。ツアーで訪れる多くの人はこのうちで素朴なハワイというのは知らないだろうし,大自然はオプショナルツアーで行くくらいのものであろう。
しかし,私がハワイに求めるののは素朴なハワイと大自然なのである。
この日私はマウイ島を海岸沿いに走れるだけの道路を走ろうと思って動き回っているが,西側の北海岸に沿ってレンタカーでの通行が禁止されてるところまで行って引き返して,次に向かったのはひょうたん型の島の中央のくぼみの部分を南下して東側の島の西の海岸であった。
中央マウイとよばれるくぼみの部分は広がった平地であって,とても見晴らしがよい場所である。走っている車は多くないが道路は広くとても気持ちがよかった。
私の泊まっているマウイ・シーサイドホテルは中央マウイの北海岸の東側だが,その町をカフルイ(Kahului)という。そこから西に行った場所がワイルク(Wailuku)で,ワイルクはモロカイ島,ラナイ島,カホウラウェ島を含むマウイ群庁があって,のどかで古い町がある。そこから中央マウイを西側に沿って広い道路である州道30が南マウイに向かって続いている。
私はこのあともこの道路を何度も走ることになるが,ここにはベイリー・ハウス博物館とマウイ・トロピカル・プランテーションという植物園がある。結局,この旅ではベイリー・ハウス博物館には行く機会がなかったが,マウイ・トロピカル・プランテーションには後日行くことができた。このときは,広い敷地があるなあ,と思いながら走っていただけであった。
やがて,中央マウイを過ぎて,マアラエア(Maalaea)に着いた。ここが,私がホエールウオッチングをしたときに予約をしたマウイ・オーシャンセンターのある場所である。
ビギナーズラックというか何というか,私がさまざまなところを旅したときに,まず到着してその地のことがよくわからないときに適当に車を走らせたときに通った場所というのが,その場所の一番の見どころだったりすることが多いのだが,それは幸運というよりも,そうした場所だからこそ,一番の見どころになるのであろう。
「1日1断捨離」を目指して⑧-広告の押し付けはやめて
毎日,平穏で静かにクラシック音楽に耳を傾けたり読書をしたり,そして,旅に出たり,そんな生活を満喫したいのに,なぜかわずらわしいこのごろです。どうしてこんなことになってしまっているのでしょうか?
先日「Office365サービス更新のお知らせ」というメールが来ました。この「Office365サービス」は「Microsoft Office365」がプレイストールされたPCに1年間だけ無料でつくサービスで,OneDriveというクラウドが1TB使えるとか,iPadなどのタブレット版のOfficeが使えるとか,Skypeが無料で使える,という特典があるものです。私はこれを試してみた結果,すべて自分には不要のものだとわかりました。したがって,私は「Office365サービス」など更新する必要はないのです。
ところがネット上のさまざまな書き込みを読むと,知りもしないのに無責任極まりないものが結構多く,更新しないとOfficeが使えなくなるといったことが多く書かれてありました。それは間違いです。さらに,コンピュータメーカーの説明さえも,結局はマイクロソフトヨイショのものばかりだから,更新は必要ありません,という回答はどこにも書かれてありませんでした。
これは実に困ったことです。その結果,必要もないのにお金を払っている人が大勢いることでしょう。
SNSもまた,このごろはうざったくなってきました。
「Twitter」には,必要のないものがたくさんツィートされるので,私はこれを順にブロックするのが日課になってしまいました。意味のない広告を強制的に読まされることは実に不愉快です。「Twitter」が不人気になってきた原因はそこにあると思います。どうして,60歳過ぎのじいさんに美顔だのニキビだのダイエットだのといった広告を発信する必要があるのでしょう。これは,そうしたメーカーに反感をもつだけでなんの効果もありません。LINEなど最悪です。意味のない更新を伝えるバッジを表示させない方法すらないので,くだらないアクセスを繰り返す必要があるのです。
近頃はまた,インターネットのウェブサイトも,あまりに広告が多くて本当にいやになります。私は,もう,自分に必要なサイト以外は,ネットサーフィンをする気さえなくなってきました。
私は日ごろ,広告のかたまりのような民放テレビは全く見ないのですが,NHKだって番組の宣伝ばかりです。
雑誌もほとんどが広告で,しかも,本文の記事もライバル誌と同じ特集ばかりです。きっと,そうした特集を企画する別の裏会社があるのでしょうが,そんなものを読んでもまったく楽しくありませんし,参考にもなりません。
新聞もまたほとんど同様になってきたので,読む価値がなくなってきました。よほど広告収入がないのでしょうか。それに,若い人は新聞など読まないので,年寄り相手の広告はかりで,まるでBSの民放の放送のようです。以前なら,新聞の広告ならという信用が少しはあった気もするのですが,いまや,大新聞のプライドのかけらも感じられません。
このような広告は,土曜日や日曜日の午後3時ころに決まってかかってくる0120発信の売り込み電話と同じで不愉快なだけです。情報があふれている,というだけならそれを取捨選択すればいいのだからまだしも,ここまで広告の押し売りをされると,それは広告というよりも暴力に近いものを感じます。
私にはそんな受け身の情報はまったく必要がないのです。必要な情報なら自分で手に入れます。
ネット社会は,どうして我々の生活を不快にしはじめたのでしょうか。私は徐々にそうしたものからは離れて,静かに音楽を聴いたり本を読んだり,そんな日常に変えつつあります。インターネットが一般化しはじめたころはバラ色の未来が待っていそうだったのに,その結果というのはこんなバカげたものだったのでしょうか?
2017春アメリカ旅行記-マウイ島を1周しようと②
●さまざまな顔をもつ島●
マウイ島は小さいほうの西側の丸い島と大きいほうの東側の丸い島がくっついたひょうたん島であり,そのくっついた狭い部分の北側の海岸沿いにあるのが私の泊まっているホテルのあるカフルイである。今日はまず,海岸に沿って西に走り,西島の北側を可能な限り,というか,レンタカーで通行が可能な限りの場所まで行ってみることにした。
1番目の写真はホテルの前の道路から西側を望んだところであり,この島でも美しい景色である。この道路を走っていくわけであるが,この先がカフルイの旧市街というか役所(マウイ群庁)や商店街のあるところで,そのあたりをワイルク(Wailuku)という。ワイルクは日系移民とも縁が深いところで,ハワイ島のヒロのような感じに似ていなくもない。
私がこの旅で行ったときは惜しくも違っていたが,月のはじめの金曜日であれば,「ワイルクのファーストフライデー」というイベントがあるそうだ。ワイルクの中心マーケットストリートが歩行者天国になって露店が並び,ステージではライブコンサートが夜遅くまで繰り広げられるのだという。
まあ,村祭りのようなものであろう。
また後でこのワイルクの町を歩くことになるが,この町は坂が多い。歩いていると日本語で話しかけられたりすると書かれていたが,私はそういう経験はしなかった。
ワイルクを越えると結構閑静な住宅街になった。地図によると海岸沿いに道路があるのだが,そこに行く交差点がわからず,私は住宅街に迷い込んでしまった。
何度も書くが,本当にこの島は場所によってまったく異なる印象をもつもので,この住宅地はアメリカ本土にあるような新興住宅地であった。ただ,この島では特に産業もなく,アメリカ本土に住む大金持ちの別荘やら,観光客相手のリゾート施設ばかりだから,ここに住んでいる人がどういった仕事をしているのかよくわからない。また,ハワイは遊びに行くにはいいところだが,住んでしまうと狭く退屈な場所ではないか,とは私のアメリカ人の友人が話していたことだ。
やっと海岸沿いの道路を見つけて走っていったが,突然雰囲気が変わって急坂になった。そしてまた,崖に沿って這いつくばるように小さな住居が点在するようになった。ここは島の北側,こんな場所に住むのはたいへんである。
あっという間にずいぶんと高いところまで昇ってしまい,また,道路もすれ違うことも困難な1車線となったからこのあたりで引き返すことにした。広い場所を見つけたので車の方向を変えてカフルイの街を望むと,雄大な海と山の続く風景を見ることができた。
旅で知ったこと②-根底にあるこの国の人のせこさとは
私が今のようにアメリカを旅しはじめたころ,とても印象深く感じたのは,人々が列を作ってのんびりと待っている姿でした。そしてまた,観光地で景色を背に記念写真を写しているとき,決してその視界を横切らずシャッターが押されるまで後ろの人が待っている姿でした。私ははじめのころ戸惑いましたが,今ではすっかりそのペースに慣れました。
その後,オーストラリアやニュージーランドに足をのばすようになっても,アメリカと同様でした。これらの国では,そうしたことに加えて,車を運転するときもまた,後ろから煽ったり,スキがあれば猛スピードで追い抜いていったり,狭い道をすごいスピードで走っていくということがありません。今ではそうしたゆったりとしたペースに慣れてしまったので,日本で運転すると,とてもじゃないけれど,ストレスが溜まります。
どうしてこの日本という国の人は,こうも「せこい」のでしょうか。そして「せせこましい」のでしょうか。それは,おそらく,生れもって貧しいからなのでしょう。
今からわずか数十年前には,日本は本当に物質的に貧しかったから,人に譲っていては食べてゆけなかったのでしょう。そして今は,精神的に貧しいのです。他人を思いやる心の余裕がないのです。だから無料だからといって観光地のトイレからトイレットペーパーを大量に持っていってしまったりもするのです。
人をやっかむということもそのひとつの現れですし,学校教育でも,意味もなく生徒に補習を強いて生徒の自由な時間の余裕を奪うことに配慮できない教師の行為に現れています。
スポーツにはルールがあって,当然,敵味方とも同じだけの機会が与えられています。野球で,たとえ相手チームよりもプレーがしたくとも我がチームだけが10回攻撃できる,などということはあり得ないわけです。しかも,学校の補習では,勉強と称してやっていることは,単に問題集の答え合わせにすぎないから,人よりも時間をかければ,当然結果はよくなりますが,しかし,それは点数という結果がよいだけで,何も身についているわけではないのです。これがブラックブカツにも,延いてはブラック企業にも通じるわけです。
この国で一部の人が大好きな「おもてなし」という言葉の根底にあるのもまた,こうした「せこさ」なのです。
2017春アメリカ旅行記-マウイ島を1周しようと①
●時差ぼけも回復した朝●
☆4日目 3月25日(土)
4日目になった。
この旅は7泊9日であるが,マウイ島の観光ができるのは実質6日である。今日はその3日目であった。
ハワイという日本から東に中途半端に近い,いや遠いところは時差が5時間ある(実際は-19時間というがそれは日付変更線を越えるからである)。日本を出発したのが日本時間で午後9時30分であり,到着が現地時間で午前9時45分であるがこれは日本時間では午前4時45分で,飛行時間は7時間15分となっているのだが,実際は空港で飛び立つまでにずいぶんと時間がかかるから空を飛んでいるのは7時間弱となり,しかも,その間に夕食が出るし軽い朝食も出るからずっと寝ているわけにもいかない。
……ということで時差ぼけがきついのだ。だから到着後のはじめの3日が辛い。もう来るものかと思うほどである。その点では時差が1時間しかないオーストラリアというのはとても楽である。不思議なのはニュージーランドで,時差が4時間なのでハワイと1時間しか違わないのだが,日付変更線を越えないというだけで気分的にずいぶんと違うのである。
それが4日目となるとすっかり時差ぼけも回復するので元気になって,また来ようと思うようになるのである。
さて,その4日目であるが,今日はマウイ島を隅々までドライブしようと計画した。この島は広くないので,私のようにマウイ島だけで7泊9日の旅をするような人はそれほどいるわけでないし,私も来てみて,こりゃ時間を持て余すわい,と思った。しかし,ハワイというところは,はじめて来るならともかく,こうして予定もなくぼーっとする場所であり,そうした旅こそが最も贅沢な旅なのである。
今日の1番目の写真は私の泊まっているマウイ・シーサイドホテルから北の海岸の風景である。このホテルはシーサイドというからには海に面しているのだが,昨年泊まったハワイ島のコナ・シーサイドホテルとは違い,この海岸は泳げるところではなく,したがってホテルのプライベートビーチもなく,浜辺を散歩できるところでもなかったから非常に物足りなかった。
私は昨年,何の予備地意識もなくはじめてハワイに行って,しかも一般のようにオアフ島でなくいきなりハワイ島に行って,到着した晩はヒロの小さなコテッジに泊まり,2日目からはカイルアコナに移動してコナ・シーサイドホテルに泊まったが,この適当な選択がとてもよかったということを後で思い知った。
ハワイ初心者にして,これは最高の旅とホテルの選択であったのだ。
そして,2番目の写真はホテルの庭の風景であり,3番目の写真はホテルの南側の景色である。
こうして写真で見るととても素晴らしいところに思えるだろうし,実際もそうなのであるが,このホテルはカフルイの街中にあるので,のどかさに欠けるのが短所であった。
この日の朝は,ホテルから道路を隔てたところにあるマウイモールの中にあるスーパーマーケットでケータリングをしてスーパーマーケットの外の4番目の写真の場所に腰かけて朝食をとった。この旅ではこの場所が私の最も気に入ったところであった。
旅で知ったこと①-私がずっと憧れていたそのものは
日本の夏は蒸し暑く,それでも陽が沈むころになるとなんとなく少しは涼しい風が吹いてくるので,私の子どものころは玄関先にイスを出して夕涼みをするのが日課でした。夏という季節にまず思い出すのはそんなことです。反対に冬は凍てつくように寒く,それでもそうした季節は夜になるのが早いので,星空がきれいでした。それでも都会は今とさほど変わらず,しかし,少し郊外に出ると今とは違った星空に会うことができて感動したものです。都会育ちであるにも関わらず子供のころから星好きだった私は,いつも,夜空が暗い星のよく見えるところに住むのを憧れていました。
それからずいぶん経って,どこへも簡単に行くことができるようになったので,私は北海道から九州まで昔読んだ天文雑誌でよく出てきた場所をすべて訪ねることにしました。しかし,今では,そのどこもが私が期待していたようなところではなくなっていて,その世界では有名な多くの人たちも「この程度の」星空を見ていたのかという落胆ばかりが残りました。
私は,国内を旅する番組を見るのが好きです。外国を旅する番組よりも好きです。しかし,番組を見ている分にはとても楽しいのですが,そこに行ってみたいとは思わないのです。それは,そこがどういうところなのか行かなくてもおおよそわかってしまうから,というのがひとつの理由であり,どこへ出かけても人だらけ,特に近頃は外国人だらけというのがもうひとつの理由です。そしてさらにはゴミだらけだったり廃墟だらけで自然が痛々しく破壊された姿に気が滅入るのも理由です。
それでも,時にはそうした場所に出かけることもあるのですが,これもまたいつも書いているように,日本の旅はこころで感じるものであって,その地の歴史やらいわれやらを知らないと,何もときめくとこがないのです。確かに,風景の美しい場所もあるにはあるのですが,それでも,海外にそれ以上の雄大な風景を知ってしまった今は特に魅力的に感じることもありません。そしてまた,日本には数少ないそうした美しい場所には観光客が大挙してやってくるのであふれているのです。
アメリカ本土を頻繁に旅行していたころ,アメリカを深夜にドライブするということは危険なことに思えたので,そこに満天の星空があっても,それを見にいこうとは思いませんでした。その後,ハワイに行き,さらに,ニュージーランドに行き,そしてまた,オーストラリアに行ってみると,そこで見える満天の星空が,私が子どものころからあこがれていたそのものであり,街並みも気候もそういった何もかもが,私がずっと憧れていたそのものだっだと知りました。日本にはそうした場所がまったくないことをとても残念も思うのです。
特別編・2017秋アメリカ旅行LIVE⑥-ハワイ州カウアイ島
カウアイ島・6日目=帰国。
カウアイ島からホノルルまでの飛行機は1時間遅れて飛び立ちました。この日の朝,カウアイ島にはずいぶんと強い風が吹ていたので予定通り飛ぶのかずいぶんと心配しましたが,遅れたのはそのせいです。しかしそんなこともあるだろうと,乗り継ぎ便までの待ち時間が5時間ほどあるように予定を立てていたので余裕がありました。待ち時間は4時間に減りましたが,それでもずいぶんと時間があったのでホノルルではラウンジで過ごしました。
やがて搭乗。ホノルルから名古屋までは実質の飛行時間は8時間43分でした。
赤道の近くを西に向かって飛ぶので,風速が時速100キロくらいの偏西風(向かい風)が吹くから飛行機の時速は約800キロメートルくらいに遅くなり,さらに,地球は時速1,500キロほどで自転しているのだから,もし遠く離れた宇宙空間から見れば飛行機は飛びながらどんどん後ろに下がっていくわけで,午後3時に離陸したのにかかわらず,到着が午後7時になってしまうのです。
帰りの座席も行きと同様にずいぶんと空いていて,私はコンフォートにアップグレードされたので行きと同じ座席を自分で指定して座りました。隣の席は今回も空いていて私は2席を独占して窓から外を見ていると次第に暗くなっていって,やがて日本の陸地が見えるようになったら,まず,東京のものすごい灯かりが見えるようになりました。やがてそれを過ぎて富士山の真上に差しかかると,眼下に雪をかぶった富士山が暗闇に浮かび上がって見えるようになったので感動したのですが,それを知っていた乗客はほかにいなかったことでしょう。そうするうちに三河湾が見えるようになり,スーパームーンの月が海に反射して幻想的でした。
それにしても,日本の夜空は自然をぶち壊したように山奥まで異常に明るいのです。これは狂気でした。だからこんな島で星を見ようとすることもまた狂気のように思えました。
・・・・・・・
昨年の春はじめてハワイに行くまで,私はずっと日本人だらけのハワイが嫌いでした。しかし,50州制覇のためとせっかくならマウナケア山で南十字星を見てみようというふたつの理由でハワイ島に出かけてから,ハワイと南半球の星空にハマってしまいました。それ以来,ハワイの残りの島とともに南半球の星空を見るためにニュージーランドやオーストラリアに行くようになってしまいました。自分でも不思議なのはたった2年前にはそのどちらもまったく知らなかったのに,今ではとてもよくわかったような気持ちになってしまって,以前抱いていたときめきがまったくなくなってしまったことです。これはとても残念であり意外なことです。
ハワイはとても楽しいところだけれど,結局はアメリカなので,私がアメリカに抱いているすべてカネがモノを言うとかやたら車が多いといったイヤなところはそのまま存在しています。さらに,カウアイ島では道路の制限速度がずいぶんと控えめに設定されていて,しかも,頻繁に変わるのです。そして,ほとんどの車は日本のように制限速度をはるかに超えて走るのがアメリカらしくなく,走っていても後ろからつけられているように思えて楽しくないのです。そしてまた,この島はやたらと(野生の?)ニワトリが多くて,あたりかまわず多くのニワトリがうろうろして轢きそうになるのです。こうしたことはおそらくツアー旅行で出かける人には感じないことだしわからないことでしょう。
私の行ったオアフ島以外のハワイの島々ではほとんど日本人には出会わないのに,ホノルルの空港に戻るとどこにいたのかというくらい日本人がうじゃうじゃいて,彼らは私のそんな気持ちとはまったく裏腹の陽気さで,ハワイを楽しんでいるように思えます。無邪気なものです。
私には,ハワイも島なので周りが海という点ではニュージーランドと似た面を感じ,町から一歩出ると今度は荒野が広がるのでそれはアラスカのような感じになり,また,オーストラリアの田舎のようにも感じて,そうしたことから私のイメージがごちゃごちゃになるのです。そしてまた,ハワイの大自然は,オーロラの見える雄大なアラスカや南半球の満天の星空の見えるニュージーランドやオーストラリアの迫力には遠くかなわないのです。また,初冬のハワイはあまりよい季節でなく天候も悪く,カウアイ島のもつのどかさもニュージーランドなどの素朴なのどかさもにはかなうべくもありません。そうしたことも含めて,私はハワイというところにはもう魅力を感じないし,これからのつきあい方を決めかねているのです。
しかし,この旅から帰ったあとで私の心境にどんな変化が訪れて,今度はハワイにどんなときめきを感じるようになるのかが楽しみでもあるのです。
特別編・2017秋アメリカ旅行LIVE⑤-ハワイ州カウアイ島
カウアイ島・5日目。
今日は帰国の1日です。ホテルをチェックアウトしたのが12月2日の朝7時でした。ホノルルで乗り換えて名古屋まで,日付け変更線を越えるので,帰国は日本時間の12月3日の夜になります。ということで,カウアイ島リフエの離陸が1時間遅れたくらいでそれ以外は特に話題もないので,今日は昨晩のごちそうについて書きます。
アメリカに限らず,旅行をしていて困るのが食事です。なにが困るかといえば,食事が高いことです。円安の影響です。朝食はレストランで食べれば1,500円くらいになりますが,アメリカではそこにさらにチップが必要になるから大変です。こんな調子で食べていると,食費だけでも1日10,000円を超えてしまうのです。一生に一度の海外旅行ならともかくこれでは旅行どころでありません。また,値段が高くてもまったくたいしたことのない料理だったりするのでたまったものではありません。そこでいろいろとムダな出費を抑える工夫をするわけですが,それについては後日書くことにしましょう。
そんなわけですが,昨晩はこの旅の最終日ということで,来たときから気になっていた少し豪華なレストランに行って贅沢をすることにしました。場所はホテルの近くのポイプショッピングビレッジにあるケオキーズ・パラダイスです。昨日このレストランの前でメニューを見ていたら中から食事を終えて出てきたおじさんが私に向かって「ここはお勧めだ,5時30分前に来てシェフお勧めを食べるといいい」と力説されたので行くことにしました。
5時前に到着して5分くらいで席に案内されました。5時30分までに注文できるスペシャルメニューが26ドルでした。やがて5時30分になるとステージで音楽がはじまり,少し過ぎたら音楽に合わせてフラダンスも始まりました。はじめに流れた曲は「オーバーザレインボー」でした。ああ,ハワイに来たなあという実感がわきました。素晴らしい夜になりました。こういう時間はいつまでもう決して忘れないものです。そしてこれが私のカウアイ島のイメージになっていくのです。ハワイはこうでなくっちゃね。
特別編・2017秋アメリカ旅行LIVE④-ハワイ州カウアイ島
カウアイ島・4日目。
明日は帰国するので,実質今日が最終日です。小さな島なので昨日まででガイドブックなどに載っている見所はひとつを除いてすべて行きました。そこで今日は海を見ながらまったり過ごすことにしました。
まず午前中はリフエのダウンタウンにあるカウアイ博物館に行きました。そもそも博物館というのは使われなくなったがらくた置き場なのですが,こういうのが充実していてしかもバカ丁寧なガイド付きで鑑賞できるというのがアメリカです。ということで,小さな博物館に2時間も滞在しました。
午後は気になっていたカウアイプランテーションというところに寄ってからホテルのあるポイプに戻ることにしました。カウアイプランテーションというのはもともとプランテーションだったところをアミューズメント施設にしたものなのですが,要はレストランとブティックとギャラリーがあるだけのものでした。
そのあとはポイプの海岸にあるサウスショアガーデンを少し散歩してからホテルのプライベートビーチで波の音を聞きながらのんびりと過ごしました。おそらくハワイの一番贅沢な過ごし方というのはこれに尽きるにでしょう。不思議なもので波の音というのは時間を忘れさせてくれます。天気は曇りだったのですが,晴れていれば日焼けをするからこの方がよかったのでしょう。
これで昨年のハワイ島,今年の春のマウイ島に続いて,今回のカウアイ島もわかった気になりました。ハワイも熱海のようなワイキキビーチからマウイ島ハナの秘境のビーチまで行ってみましたが,こうしてまったりするにはカウアイ島は最高ですしビーチで遊ぶにもおそらくここが一番でしょう。夕食は少し贅沢してみようと思います。
特別編・2017秋アメリカ旅行LIVE③-ハワイ州カウアイ島
カウアイ島・3日目。
今日は昨日とは違って天気が優れません。どうやら明日もダメらしく今回の旅はツイていないようですが,昨日のたった1日恵まれた天気の日に島の主な見どころをすべて見たというのもまた運がいいと思っておくことにします。
今日は昨日時間がなく行くことができなかったところをまわることにしました。まずはじめはホテルの近くの海岸にある潮吹き穴(間欠泉のようなもの)でした。頻繁に立ち上るのですが時々すごいのが出ました。そのあとは昨日の午後に行ったコースで北の海岸まで行きました。
昨晩結構雨が降ったらしく,実は夜中の1時30分にスマホの洪水警報が鳴って起こされたくらいなんですが,今日は北の海岸はハナレイから先が閉鎖されていました。本当に昨日行ってよかったものです。
昨日行けなかったのはキラウエア灯台でカウアイ島では有名な風景です。灯台と海と山がとても美しい風景を作っていました。そこから引き返して,東の海岸に沿ってカパア,ワイポウリ,ワイルアといった古い町を散歩しつつワイルア滝に行きました。滝の先まで道路が続いていたのでしばらく走って行ってみると行き止まりになってその先はトレイルコースでした。雨模様だったのにもかかわらず歩いて行く家族づれがあったのには驚きました。
そして最後がカウアイ島一番人気のリバークルーズでした。行き先はシダの洞窟です。ここはウェディングで人気の場所です。スチームボートに乗り込むとハワイアンの生演奏が迎えてくれてハワイムードいっぱいでした。やはりハワイはこうでなくては盛り上がりません。クルーズは1時間30分くらいでした。乗っているうちに私は3か月前に行ったアラスカ州のフェアバンクスのリバークルーズとイメージがごっちゃになってきました。あまりさえない天気にもかかわらず楽しい1日となりました。
それにしてもカウアイ島唯一の欠点はリフエ近郊の道路が異常なほど混雑することです。郊外に出てしまえば渋滞知らずなんですがやはりカウアイ島といえどもアメリカ,車多すぎです。リフエからポイプまで道路が1本しかなく車線も減るので大渋滞で,帰るのが大変でした。
夕食はホテル近くのバンコクハッピーボウルというレストランでお寿司にしました。
特別編・2017秋アメリカ旅行LIVE②-ハワイ州カウアイ島
カウアイ島・2日目。
時差ぼけもなく気持ちのよい朝が来ました。
この丸い島の大きさは東京23区くらいのものです。今日の最後にある地図のように残念ながら島を一周する道路はなくて,西は山沿いに道があって山岳ドライブが楽しめるのですがコキーの先プウオキラ展望台で行き止まりです。東は島の東海岸から北海岸へ海岸沿いを走り,ハナレイの少し先のケエビーチで行き止まりになります。私の宿泊しているポイプはちょうどその中間になりますが,ともに1時間30分くらいで行くことができます。
今日は昨日とは打って変わって快晴だったのでまず西に向かってプウオキラ展望台までドライブしました。山並みが続き途中に渓谷や滝がありました。絶景でした。帰りは右手にニイハウ島が美しく見えました。考えていた今日の予定はこれだけで,一旦ポイプまで戻ったのですが,まだ午後1時だったので,今度は東側をケエビーチまで行くことにしました。東の海岸はリゾートが広がっていました。途中のリフエを過ぎたところで左折して山に向かいワイルア滝を見ました。引き返して再び東海岸から北に行きました。北の海岸になると海は波が高くなり,今度は未開の山が迫るせまい海岸線が秘境満点になりました。
ハナレイという北の果ての町を過ぎると道路も狭くなり橋は片側交互通行になりましたが,マウイ島島のハナへ行く道がほど険しくありませんでした。とどの詰まりのケアビーチの駐車場は車でいっぱいでしたが,想像以上に素晴らしいところでした。
カウアイ島はやはりハワイの中で一押しの島だということを実感しました。