しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

August 2018

今日は帰国の日。
朝6時,泊っていたゲストハウスを出て,空港に向かいました。空港までは10分足らずで到着しました。まず,レンタカーを返却して,空港の建物に入りました。アイスランドは根本的に人口が少ない国で,空港もまた,ほどんどが機械まかせでした。朝の空港はごった返していました。
数日前にネットで座席の指定と,ヘルシンキから名古屋までの便のアップグレードをしておいたので,機械で簡単にチェックインができました。そのままカバンだけをカウンタにもっていって預けて,セキュリティを抜けて,搭乗ゲートに行ってフライトの時間を待ちました。
搭乗ゲート付近は狭く,イスすらなく,そこにはまるでディズニーランドのアトラクションを待つように長い列ができていて,そこで搭乗時間まで立って待ちました。やがて時間になって飛行機に乗りました。
この旅で一番印象に残っているのは,この帰りのフィンランド航空の機内に入ったときの気持ちです。機内は暖かさに包まれていて,客室乗務員の笑顔にホッとしました。愛想とか心配りの皆無だったアイスランドに比べて,それは雲泥の差でした。アイスランドに行ってフィンランドがますます好きになったというのも皮肉なことでした。
アイスランドからフィンランドまでは飛行時間4時間弱,窓際の席をとったので,ずっと景色を見ました。行くことのできなかったアイスランドの氷河を機上から見ることができました。
フィンランドのヘルシンキで乗り換え。日本人と韓国人はパスポートで写真を照合するだけで簡単に手続きが終わります。そのまま名古屋へ行く便のゲートまで向かうと,まったく待ち時間なく飛行機に案内されました。
日本までのフライトは,行きと同じエコノミーコンフォートの一番前。隣の席はドイツに住んでいるという日本人の男性でした。話が弾んで,ヨーロッパについていろんな情報を聞くことができました。
アメリカへ行くのとは逆で,帰りは地球を240度進みます。時間は2倍進みます。つまり,夕方に飛び立って6時間で夜を抜け,朝の日本に着くわけです。飛び立った時は機上からヘルシンキの美しい風景を見て,その後はずっと暗闇を抜け,日本に近づくと夜が明けるわけです。機内で寝ても仕方がないのでずっと起きていましたが,どっちみち,日本に帰ってから3日くらいは体内時計がおかしいのわかっているから,じたばたしないのです。
セントレア・中部国際空港の帰国ゲートは顏認証の自動入国装置が導入されていました。こんなもの,ガラガラのこの空港にはまったく必要なく,税金の無駄使いです。といった批判を恐れ,そこに無理やり誘導されました。しかし,すぐに認証が済んでゲートを出て無事帰国… ではないのです。私は,というより,ほとんどの人はパスポートに帰国のスタンプが欲しいのです。そうした人は,再びカウンタに並びなおして,スタンプをパスポートに押してもらうわけです。つまり,従来よりもひと手間増えただけというバカげたことになったわけです。本当にこの国って,バッカじゃないの,と思いました。
最後に通関で書類を渡すときにどこから帰国ですか? と聞かれたのでアイスランド,と答えたら珍しいですね,と言われました。オーロラ見に行ったんだけれど,あんな晴れない国行っちゃいけないよ,と答えて,そのあと,ここでなぜか暇そうな係官と雑談。本当に変な国です。
こうして帰国したわけですが,行く前も帰ってからも,どうしてアイスランドに行ったのか,今もってよくわかりません。行きたくて行ったわけでもないし,想い入れがあったわけでもないし,行ってみてアイスランドが好きになったわけでもないのです。ただし,アイスランドは風景だけは世界一でした。
不思議な旅でしたが,けっこうたくさん貴重な体験をしました。

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6日目。いよいよ今日が最終日。明日の朝,帰国です。
この昨晩泊まったゲストハウスは素敵なところでした。このゲストハウスに泊らなかったら,私のアイスランドの印象はこれ以上にかなり悪いものだったことでしょう。もし晴れていれば,このゲストハウスは周囲が真っ暗なので,夜になると美しいオーロラを見ることができたことと思います。ここは宿泊代が安かったし,朝食は豪華だったし,新しくきれいだったし,部屋にシャワーとトイレがあったし,アイスランドに来るならここに泊るのが最高です。
現地でいろんな人に聞いてみたのですが,アイスランドは年中こんな天気なのだそうです。つまり,晴れません。1日のなかで目まぐるしく天気が変わります。したがって,よほど運がよく,まれに深夜に晴れ間が出ればオーロラが見られるのです。なにせ,2週間,毎日オーロラツアーに参加して一度も見られなかったという話があるくらい,この国は晴れません。この日の朝,私が部屋のテレビで見た天気予報もまた,その事実を物語っています。アイスランドはオーロラ帯の直下とはいえ,オーロラを見るために来るところではありません。
今日は特に行きたいところもないので,1号線でレイキャビックまで戻って,レイキャビックの観光をすることにしました。そして行ってみたのは,アイスランド国立博物館でしたが,そこは大変すばらしい博物館でした。
博物館といえば,レイキャビックでは,それ以外にはオーロラ博物館とかヴァイキングを主題としたサガ博物館などがありましたが,どちらも行ってみたところ大学祭の模擬店の域を出ていない民間のちんけなものだったので,中に入るのをパスしました。オーロラ博物館では係員の女性に「アイスランドって本当にオーロラ見ることができるんですか? ここはいつも天気が悪いんで来年はカナダでも行こうと思うんですが?」と話したら「そのほうがいいよ」と言われました。 
国立博物館を出た後で,「地球の歩き方」に載っていたベルクソン・マートフースというレストンランで豪華に昼食をとりました。
こうして私のアイスランド観光は終了しました。夕食は近くのマーケットでお寿司を買って食べました。私が来る前に6泊予約し,結局そのうち4泊したゲストハウスは本当にひどいところでした。途中で2泊,別の宿泊先を探して,そこに滞在したのが正解で,なんとか嫌な思いを払拭することができたおかげで,有意義な旅行になりました。
  ・・
最後に書き忘れたことの補足です。
アイスランドの名物といえば天然温泉です。そのなかで最も有名なのがブルーラグーンです。私の滞在した場所の近くにそれはありました。とりあえず一度行ってみたのですが,イモを洗うような混雑でした。ここもまた,名所といえばどこにでも主没する中国人たちが大勢たむろッていて,私はすっかり中に入る気をなくしました。

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ふたつの滝を見てから,レイニスフィラに向かいました。ここがアイスランドの最南端になります。
レイニスフィラに行く前にひとつ手前の道を右折すると,そこはレイニスフィラとは湾をはさんだ反対側の海岸で,断崖にはニシツノメドリの巣がたくさんありました。ニシツノメドリは大西洋と北極海に分布する派手な外見の鳥です。くちばしから油を排出して体中に付着させることによって水分を弾いているといいます。繁殖期に海に面した断崖の上の地面に集団で営巣します。この鳥はアイスランドでは狩猟の対象となっています。
次に行ったのがレイニスフィラでした。この海岸には無数の六角形をした石柱の山や洞窟がありました。この岩塊はレイニスドラゥンガルと呼ばれています。海岸には高い波が押し寄せていて,波にさらわれる被害が続出しているといいます。この海岸は最もアイスランドらしい風景だと思いました。
レイニスフィラを過ぎたところにヴィークという町がありましたが,そこもまた,想像以上に小さな町でした。
ヴィ―クを過ぎてさらに少し走っていったのですが,アイスランド最大の氷河であるヴィクトヨークトル国立公園まではまだ1時間以上先だったので断念して,途中で引き返すことにしました。はじめっからアイスランドを一周する気だったら6泊8日の私の旅でそれを実現することもできたのでしょうが,残念なことでした。
引き返す途中で,何があるのかわからないけれど多くの車が停まっている場所がありました。せっかく来たので私も車を停めて,多くの人が進む方向に歩いて行きましたが,その目的地に着くには1時間も歩く必要がありました。そうしてようやく到着したそこにあったのは,1973年に墜落した飛行機の残骸でした。
今日は少し贅沢な食事をとることに決めていたので,夕食はランガービングアイストラのレストランでフィッシュアンドチップスを注文しました。そして,いよいよ今日の宿泊先に向かいました。宿泊先のゲストハウスは新しく,部屋にシャワーやトイレもあり,想像以上にすばらしいところでした。

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5日目。
今日はアイスランドの南部を観光します。宿泊先は南部のランガービングアイストラとかいう町の近く,ド田舎のゲストハウスを予約しました。ネットの口コミでは極めて評価が高いので,かなりの期待でした。もともとホテルの少ないアイスランドでは夏場は事前に予約をしておかないとホテルがないという情報があったので,とりあえず,6泊すべての宿泊先を予約しておいたのが失敗でした。泊るところなどどこにでもありましたから,到着当日の夜だけを予約しておけばよかったのです。
さて,アイスランドの南部は1号線をひたすら東向きに走るだけなので,道に迷うこともありません。一旦レイキャビックまで行ってそこから1号線に乗るのが最も近いのですが,私はレイキャネース半島を42号線で南下してレイキャネース半島の南岸を427号線で走って,途中のセールフォスで1号線に合流しました。
セールフォスまでの風景が雄大でした。セールフォースを過ぎ,ランガービングアイストラで朝食をとりました。この国はこうした小さな町のガソリンスタンドに併設されたコンビニにテーブルとイスがあるので,そこでサンドイッチとジュースで朝食を済ませるのが朝食を安くあげるコツです。現地の人もそうしているようです。
その後,1号線を進み,今日行けるところまで,順に観光することにしました。運がよかったのは,今日もまたずっと雨模様だったのですが,見どころに着いて車を降りるときに限って雨がやんでいたことです。
まずはセーリャラントスフェスという滝でした。フォスというのが滝という意味のようです。1号線からかなり陸地に入るのかな,と思ったら,道路から左手に滝が見えました。滝へのアクセス道路を少し走ると駐車場があって,ここだけ有料でした。クレジットカードで機械に料金を払い,領収書を車のフロントに置いて出発です。この滝は滝の裏側を歩くことができるのがウリでした。当然のごとくべたべたになりました。
その次がスコゥガフォスでした。この滝は横に登る道があって,けっこう険しいのですが,ここを60メートルほど登りきると滝を上から見下ろすことができました。こちらの滝のほうが水量が多く,迫力がすごいものでした。多くの観光客はこれだけを見て1号線に戻るのですが,私はこのあと,滝の反対側にあったスコゥガル民族博物館に行きました。こうした博物館,中国人は来ないのです。いつも書いているように,博物館というのはいわゆるガラクタ置き場ですが,この博物館はかなり充実していて,アイスランドのことがとてもよくわかりました。野外には昔の住居が復元されていたし,博物館内にはレストランもありました。
私はこの日は節約しないで食事をすることにしていたので,おいしいスープとパンの昼食をのんびりと楽しむことができました。

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絶景だったスカイフェルスネース半島に比べてレイキャネース半島は小さく大したことがなさそうだったので行く気がなかったのですが,レイキャビックの主な見どころに行ってしまってもまだ半日残ってしまったので,午後はレイキャネース半島に行くことにしました。しかし,レイキャネース半島は見どころといってもグンヌクヴェルとブルイン・ミットリ・ヘイムサゥルヴァくらいしかなかったから,期待はしていませんでした。しかし,行ってみてよかったと思いました。
私は,まずレイキャネース半島を縦断する43号線を走ってレイキャネース半島の南岸まで行って,そこを右折して半島の先端まで行き,そこを時計回りに海岸沿いを走って北上,最後に宿泊先に戻るというコースを取りました。
半島の南岸を西に向かって走っていくと,溶岩台地に道路だけが続いていて,その先に白い噴煙が上がっていたので,なにかしかすごいものが見られるのではないかと期待しました。そして,その向こうに見えた灯台がさらに旅情を誘いました。噴煙を上げていたのは「怒れる女幽霊」がいるという地熱帯から硫黄泉が吹き上げている姿でした。ここの硫黄泉は間欠泉とは違って,常にモクモクと噴煙を上げていて圧巻でした。アイスランドは海底がそのまま隆起したようなところなので,いわば海底がそのままみられるといっても過言ではありません。つまり,この噴煙は生命の起源であるといわれる熱水噴出孔のようなものでしょう。
その先にある海の向こうに,悲劇の島・エルディ島がぽつんと見えました。このエルディ島が見える半島のさきには,さびしそうにオオウミガラスの像が建っていました。
ペンギンの祖先であるといわれるオオウミガラスは,1844年この地で絶滅したのです。

  ・・・・・・
オオウミガラスは世界で最初に「ペンギン」と呼ばれた鳥です。翼は短く飛ぶことはできませんでしたが,高速で泳ぐことができたので潜水してイカナゴなどの魚類やイカを捕食していました。
オオウミガラスは肉や卵を食用にするため,または羽毛や脂肪を採取するために8世紀頃から捕獲利用されていました。その後の大規模な乱獲で数百万羽いたとされるオオウミガラスはたちまちのうちに数を減らすことになりました。オオウミガラスは人間に対する恐怖心がなく,好奇心を持って自ら人間に近寄ってきたといわれます。1年に1個しか産卵しなかったことも絶滅に繋がったと考えられています。
1534年,フランスの探検家ジャック・カルティエの隊がニューファンドランド島に上陸し,1日で1,000羽以上のオオウミガラスを殺しました。この話がヨーロッパ中に広がってニューファンドランド島のみならず各地の海岸で無秩序にオオウミガラスが狩られ,あるいは卵が持ち去られることとなりました。そうして,1750年頃には北大西洋各地にわずかな繁殖地が残るだけとなったのです。
1820年頃,ついにオオウミガラスの繁殖地はアイスランド沖のウミガラス岩礁だけになりましたが,1830年に海底火山の噴火にともなう地震で岩礁は海に沈み,生き残った50羽ほどが近くのエルデイ島に移り住みました。
そして、運命の日1844年7月3日。
最後の個体はエルデイ島で確認された抱卵中のつがいでした。エルデイ島に上陸した3人の男達は島の絶壁で抱卵していた最後のオオウミガラス2羽を発見します。メスを守ろうとするオスを殴り殺し巣から離れまいとしたメスを絞め殺して彼らは最後のオオウミガラスの卵を投げ捨て死体を持ち帰ります。こうしてオオウミガラスは永遠に地上から姿を消したのです。
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半島をさらに北上していくと,右手に現れたのがブルイン・ミットリ・ヘイムサゥルヴァでした。ここは地球の表面を構成しているユーラシアプレートとアメリカプレートが隣接している場所で,このふたつのプレートを跨ぐように橋が架かっていました。まさに,この場所こそが「地球の割れ目」そのものでした。

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4日目。
昨晩はオーロラが見たいという淡い期待をもって,暗い空を求めて1時間以上走ったのに,天頂付近に輝く北極星をかろうじて見ただけで曇ってしまいました。真っ暗な道路を午前2時に戻ってきたために,ゆっくりめの朝を迎えました。
今日は首都レイキャビックの市内観光です。とりあえず昨日停めたバスターミナルの駐車場に車を停めてそこから街に歩いて行くことにしました。アイスランドはほとんどの場所が車停め放題なのですが,街の中心部だけパーキングメーターがありました。そういう場所に停めるのもわずらわしかったので,確実な場所に停めて歩くことにしたのです。
街の散策は,まず,この街のシンボルであるハットルグルムス教会からスタートしました。教会にある有料のエレベーターで最上階の展望台に上がると街が一望できるのですが,エレベーターが混んでいたので断念しました。この教会から北西の方角に,坂を下るようにしてバンカ通りというショッピング街があってにぎわっていました。坂を下りきったところにチョルトニン湖があって,湖を挟むようにして,小さな首相官邸と国会議事堂が建っていました。とても首都とは思えないくらい,日本で言えば小さな町役場みたいなところでした。それも当然で,この国の人口はわずか33万人,面積は北海道の1.3倍しかありません。
この小ささでユーロにも加盟せず,独自の通貨と言語を持っているのだから,国全体がママゴトみたいなものです。人が少ないから極めて治安はよいのですが,海外資本のファーストフード店はサブウェイとKFCくらいしかありません。マクドナルドは数年前のアイスランドの経済危機で撤退しました。ホテルは少なく高く,しかし値段の割に設備が悪いのだから救いようがありません。ホテルよりも,私の泊まったようなゲストハウス,つまり民宿が多く,それらはシャワールームやトイレが共有というのがほとんどです。
日本とは違って,この国の人口はずっと増加していて,物価が高ければ金利も異常に高く,高い物価もさらに毎年上がっているのです。物価とともに,住んでいる人の賃金も高く,アルバイトの時給は3,000円ほどだそうです,つまり,そういう慢性的インフレ状態なのです。しかし,外国通貨とのレートがその実情に伴っていないので,日本人からみれば異常な物価となるわけです。10年くらい前の旅行記を読んだのですが,そのころよりかなり物価が高くなっていました。
実は,アイスランドに限らず,ヨーロッパやアメリカなどの国々もまた,物価が高くなっています。日本は,ずっとデフレのままであるにもかかわらず,異常な,かつ,無理な金融緩和を続けているために,通貨レートだけが変わらないから,日本円はドルやユーロといった世界の通貨からはどんどんと弱くなっているのです。日本国内で生活するだけならわからないことですが,海外に出るとこのことを実感します。反対に,外国人観光客が日本に来ると,信じられないほどモノが安いのです。これが外国人観光客が日本に押しかける理由です。これではあと10年もすれば日本人は海外旅行ができなくなることでしょう。
そもそも,人口が増加していたときのような,モノの値段を上げて賃金も上げるなどという政策は,これだけ高齢者が多い日本では,賃金の恩恵を受けない年金生活者のほうが多く,しかも,金利が低いからこれまでに培った財産が目減りするだけなので,まったく意味がありません。
すでに海外旅行をする日本人は少なくなっていて,アイスランドもまた,日本人観光客はほとんど皆無でした。そして,この国でもまたやたらと目についたのが,「①自撮り棒にスマホをくっつけて持ち②品のない真っ黒なサングラスをかけ③女性はブランドバッグを肩にかけて男性はでかいカメラを持ち④やたらと大声を張り上げ⑤譲り合い精神のまったくない」という特徴をもつ中国人たちでした。2日前に参加した現地ツアーでも,数人のグループで来ていた中国人たちが,結構混んでいたのにもかかわらずそんなことはお構いなしでそれぞれひとりでずうずうしくバスの座席の2席を占拠していました。
さてレイキャビックの観光ですが,港にあるアイスランド交響楽団の本拠地であるハルパまで街をひと通り歩いたら,私はもう行くところがなくなりました。それでもまだ午前中だったので予定を変更して,午後はレイキャネース半島の観光をすることにして駐車場に戻りました。天候は今日もまた曇り時々小雨。雨を弾くパーカーを持ってきてよかったと思ったことでした。

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スナイフェルスネース半島は先端が国立公園になっていますが,先端部分だけでなく,この半島すべてが国立公園であってもなんの不思議もないところでした。さて,私は,反時計回りに先端をまわって,いよいよ南海岸にたどり着きました。
南海岸のはじめに見どころは,ジュパロゥンスサンドゥルという黒砂海岸でした。駐車場に車を停めて,海岸に向かってかなり歩いて行くと,やがて苔に覆われた溶岩に黒砂の海岸が現れました。海岸には1948年に難破したイギリス船の残骸が無残に散らばっていました。
その次の見どころがアルナルスターピでした。ここの海岸線からの景観は最高でした。溶岩でできた海岸線はハワイ島にも同じようなところがありましたが,こちらの方がずっと規模が大きく見事でした。空があまりに広く,そのために広さが逆に実感できませんでした。
最後の見どころがイートリトゥンガでした。ここに行く道路には何の表示もなくがわかりにくく,一旦は通り過ぎてしまいました。すぎてしまったことに気づいて引き返し,海岸付近に多くの車が停まっているで見当をつけて道を曲がりました。この道路は舗装されていなくて,凸凹道をかなり走る必要がありました。こうなるとパンクが心配になります。駐車場に車を停めてからさらに行くと海岸に出ました。海岸の岩の上にはアザラシのコロニーがあって,よく見ると多くのアザラシが寝っころがったり泳いだりしていて,北極圏であることを実感しました。
これでスナイフェルスネース半島の観光は終わりです。
帰り道は有料の海中トンネルをやめて遠回りをすることにしました。せっかく来たのに風景のよい道をスキップしてしまうのはもったいないと思ったからですが,観光にはこの迂回はよい選択になりました。
途中でヒツジが道路に出てきました。アラスカではトナカイ,ニュージーランドではウサギ,アメリカ本土の国立公園ではバイソン,オーストラリアではカンガルーと,いろんな動物と遭遇しますが,轢いてしまうとあとが大変なので要注意です。
結局,この旅の間で青空が見えたのはこの日だけでした。夜,せっかく晴れたのだからと宿泊先を出て,あてもなく1時間,市街地の灯りのなくなるレイキャネース半島の南岸まで走っていって,そこで偶然発見した無料のキャンプ場で午前1時まで空を見上げました。しかし,次第に曇ってきて雲の合間にやっと星を見ることはできましたが,オーロラの姿はありませんでした。この国はオーロラベルトの下にあるというのがウリのようですが,実際はほとんど晴れず,オーロラなんてめったに見られないというのが現実でした。
これで3日目が終わりました。

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太川陽介さんのやっていたバス旅では「魔の3日目」ですが,私の場合は「幸せのはじまる」3日目です。毎回,時差ボケと土地勘がなく右往左往するはじめの2日は,いつももう旅行なんてするものかと思うのですが,それを乗り越えるとやっと旅気分になれるのです。
昨晩はシャワーも浴びてよく寝て,朝はホテルでまともな朝食が出ました。これをおなかいっぱい食べてやっと体制が整いました。
今回のアイスランド旅行では,物価が異常に高いことが致命的でした。フィンランドも物価が高いようですが,私がそう感じなかったのは,宿泊したホテルの朝食が豪華だったからでしょうか。
ほとんど決まっていなかった旅のスケジュールもやっと決定しました。いくら行く前に調べても,来てみないとわからないことが多すぎるのです。今回は,わけのわからない,かつ,疲れがピークの2日目は現地ツアーに参加したのですが,これが正解でした。
さて今日はスナイフェルスネース島を観光することにしました。この半島はレイキャビックから北に2時間ほどですが,半島のつけ根の場所に泊まったので,そのまま54号線を進むだけでした。途中で半島の北側に出る56号線と二股になるので右折して56号線に移り,島の北側に出て反時計回りで半島を一周することにしました。
キルキュフェトル山をまず見学してから,半島の北側を西に半島の先端まで行きました。そこには絶景が広がっていました。

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この旅は1日目に泊まった極めて安価なゲストハウスに6泊するように予約が入れてあったのですが,トイレとシャワーが共用で,しかも石鹸やタオルすらないので,参りました。2泊くらいなら我慢もできますが,6日となると気が滅入りました。そしてまた毎日同じ場所に戻ってくるのでは移動ができません。大失敗でした。
ということで,このゲストハウスの予約はそのままにして,滞在中の中で2日ほど別のホテルに泊まることにしました。そうして探した,そのうちの1泊目の宿泊地として選んだのがスナイフェルスネース半島の入口にあるボルカルネースという田舎町のはずれにあるモーテルでした。
レイキャビックからは車で北に1号線を1時間30分ほど行ったところで,現地ツアーが終わったあとそのまま直行しました。1号線はもともとは途中の入江を大きく迂回していたようですが,有料の海底トンネルが作られていました。しかし,有料トンネルだという表示はアイスランド語なのでさっぱりわからず,したがって料金所もどこなのかわからず素通りしてしまったようで,トンネルを出たところの赤信号で止められました。日本と違ってゲートがないので困ります。係員が出てきてお金を取られただけで済みました。
モーテルは海に面したところにありました。シャワーもありコーヒーも飲み放題でやっと救われました。
夕食を探しに近くの町には出ました。バスターミナルにはフードコートがあって,スープとパンで2,000円相当の夕食にありつけました。隣にはデイスカウントセンターがあって,やっと120円相当のコカコーラを発見したので買いました。
夜,晴れていればおそらくオーロラが見えるのでしょうが,この晩も全面曇りでした。深夜1時に限って目が覚めたので外に出ると,雲の合間からカシオペア座と天頂近くに北極星が見えました。そのあたり,雲にしてはおかしな動きをするので,あれがオーロラだと思って寝ることにしました。

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アイスランドはほとんどの交差点はラウンドアバウト(ロータリー)なので,信号を見かけることはめったにないのですが,それでも信号が少しはあります。信号は黄色が出てから青が出るので,黄色になると走り出すのです。それと,水道から出る水が硫黄臭くて温泉の匂いがします。国が変わると色々です。
朝はまず,昨日予習したように,ホテルから現地ツアーのピックアップ場所まで車で行って駐車しました。
昨日書いたように,この国の物価の高さをなんとかしないと破産しそうです。下手にコーラでも買えば500円くらい吹っ飛びます。そこで,朝食はツアーバスのピックアップ場所だったバスターミナルに隣接したところにあったガソリンスタンドのマーケットでサンドイッチとアップルジュースを買って店内にあった座席で食べました。これでも約1,000円です。そしてバスターミナルに行ってターミナルの売店でマフィンと水を買いました。これが昼食です。今日参加するツアーには食事時間だけが含まれていますが、昼食に3,000円は出せません。
正直言って,この国を旅行するのは全く楽しくありません。物価高すぎです。日本の3倍くらいします。コーヒーは800 円です。ガソリンは3倍はしませんが,それでも1リットル240円くらいです。これではおみやげも買おうと思わないし,食べるのだけでも一苦労です。物価がこれほど高くなければのどかないいところなのですが。
さて,今日は1日グランドサークルをめぐる現地ツアーに参加しました。グランドサークルというのは,アイスランドにある「地球の割れ目」のわかる場所を周遊するコースで,この国の観光の目玉です。参加してわかったのは,自分でまわっていたら大変だったなあということでした。とにかくすごいスケールなのですが,この国というかこの島自体が,大自然しかないような,いわば絶望的なところなので,それに溶け込んでいました。 詳しくはまた帰国後に紹介します。
今日はずっと曇りの天気だったのですが,そのおかげでツアーの帰りにきれいな虹を見ることができました。

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今回の旅はわからないことが多すぎて楽しみというよりも不安だらけでした。
ヘルシンキに着いてアイスランドへ行く飛行機を待っていたら1組の日本人家族に会いました。お話をすると家が近くでびっくりしました。アイスランドをレンタカーでまわるのだそうです。私以外にもいるんだなあと思いました。
アイスランドまでのフライトは3時間と少しで意外に長く感じました。荷物を受け取りATMでわずかだけ両替をしました。アイスランドの通貨は現地でないと手に入りません。
レンタカーを借りていよいよ出発です。レンタカーもアイスランドはマニュアル車が一般的だそうで,事前にオートマチック車を予約してはあったのですが,もしマニュアル車だったらどうしようかと心配でした。心配をよそにちゃんとオートマチック車を借りることができました。
予約をしたのは空港の近くのゲストハウスでした。心配をよそにすんなりと場所を見つけることができて,これまた一安心でした。このゲストハウスはチェックイン時にスタッフがおらず事前にはルームキーの受け取り方法のメールが来たのですが,これまたうまく行くのか不安でした。しかしこれも問題なくうまくいって無事に部屋に入ることができました。
まだ明るかったので,明日は1日現地ツアーに参加することにしたので,その集合場所のレイキャビックのバスセンターまで行ってみました。車で20分の距離です。その帰り,軽くハンバーガーの夕食をと思ったのですが,単なるハンバーガーセットが1,999クローナ,日本円で2,000円もしてビックリしました。物価が高いとは聞いていたけれどこれほどとは。

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6泊8日でアイスランドへ行くことになりました。夏は世界中どこも混んでいるし,暑いし,物騒だし,ということで,涼しくてあまり混雑していなさそうな場所ということで決めました。運がよければオーロラが見られるかも,という期待もありました。
セントレア・中部国際空港からフィンランド航空でフィンランドのヘルシンキまで行って,ヘルシンキ乗り換えでアイスランドのレイキャビックです。ヘルシンキは便利な空港で乗り換え時間も短いので,とても楽です。唯一の問題はアイスランドがこれまで行ったことがない国なので,要領がよくわからないということですが,なんとかなるでしょう。
フライトは午前10時30分の出発なので,通常より少し早く,空港までの電車が金山乗り換えで少し面倒でしたが,今回は遅れることもなく空港に到着しました。フィンランド航空はプライオリティ資格がないのでアップグレードがないので,チェックインのときに8,000円ほど出してアップグレードしました。
チェックインのときにうしろに並んでいた若い女性はドイツのオーケストラでファゴットを演奏しているという日本人で1週間ばかりの里帰りを終えてドイツに戻ると言っていました。彼女の先生はN響オーボエ奏者の池田昭子さんだと聞いてさらにビックリでしたが,池田先生メチャ怖いんだそうです。イメージ変わってしまいます。
ヘルシンキまでのフライトでとなりに座ったのはこれから交換留学でデンマークに行くという大学2年生の女性でした。前回フィンランドに来たときもそうでしたが,日本は女性だけ元気だなあと思ったことでした。

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●子供のころに知ったことはずっと…●
 子供がみんなそうなのかは知らないが,私は,子供のころに学校の教科書や雑誌ではじめて知ったことでそのあと歳をとってもずっと気になっていることがとても多い。そして,今でもそうしたものを見てみたい,あるいは,真相を知りたいと常々思って行動しているようなのだ。しかし,ここ半年で相次いで亡くなった私の両親はそうした私の気持ちをぶち壊すようなことばかりをしてきた。これが私のトラウマである。
 大人には何気ないことでも,それが子供の将来を決めることがある。それがその子の人生に大きな意味をもつことだって多々あるのだ。それは,塾に通わせるとか,海外旅行につれていくといったお金をつかわなくても,たわいもない1冊の本のなかの,それもほんの1枚の絵で十分なのだ。そうした動機づけがあれば,あとはその子供が自分の力で手に入れる。それを陰でサポートするのが親の役目だ。
 私が1枚の絵やわずかな文章から今でも記憶に残るのは,小学校国語の教科書に載っていた,木の幹の間を車が通っているセコイアの巨木の写真,「新彗星を発見」という池谷薫さんの新聞記事を紹介した小学校国語の教材,雪国の「雁木」の紹介,「瀬田の唐橋唐金擬宝珠 水に映るは膳所の城」という歌だったりするのである。

 さて,ここでの話題はセコイアの巨木であるから話を戻そう。
 私は教科書でセコイアのことを知って,この目で見てみたいと思った。ちょうどそのころ,日本でも,名古屋の東山植物園にセコイアの木があると聞いて楽しみに行ってきた。しかし,そこにあったのはセコイアでなくメタセコイアであった。
 メタセコイア(Metasequoia glyptostroboides)はヒノキ科メタセコイア属の落葉樹。一時日本を含む北半球で化石として発見されるのみだったので絶滅した植物と考えられていたこともある。だから,貴重な樹木には違いがないが,メタセコイアは子供心を傷つけるには十分な仕打ちであった。そもそも「メタ」という響きがよくないと思った。それ以来,私には「メタ=いんちき」というイメージしかない。そもそも,メタセコイアは落葉樹であるが,セコイアは常緑樹であり,パンダとレッサーパンダほど違う。
 セコイアとともに,私が子供のころに習ったことの多くは,アメリカの豪華さに比べて何もかもがインチキ,としか思えない日本の姿であった。

 セコイア(Sequoia sempervirens)はヒノキ科セコイア属の常緑針葉樹である。1821年頃にチェロキー文字を発明したチェロキー族インディアンの賢人セコイアにちなんで命名された。セコイア属はセコイアのみの1属1種である。
 セコイアは,コーストレッドウッド(Coast Redwood)と呼ばれる。また,セコイアスギ,センペルセコイア,アメリカスギなどとも呼ばれる。また,セコイアデンドロン(後述)との対比からセコイアメスギとも,さらには,葉の形が似ていることからイチイモドキとも呼ばれるが,モドキではセコイアが気の毒だ。
 ここで書いたセコイアデンドロン(Sequoiadendron giganteum)というのは,ヒノキ科セコイアデンドロン属の巨木で,セコイアデンドロン属の現生種はセコイアデンドロン1属1種のみである。セコイアデンドロンはジャイアントセコイア(Giant Sequoia)と呼ばれている。
 3番目の写真はこのセコイアデンドロン(ジャイアントセコイア)の松ぼっくり,通称シュガーパインコーンであるが,こんなものがごろごろと転がっていた。これを日本で買うと3,000円もするらしい。
 
 話がややこやしくなったので,そしてまた横道にずれたので,ここで整理する。
 実は,われわれが,そして私がここでセコイアと呼んでいるのは,前者の通称コーストレッドウッドと呼ばれるセコイアと後者の通称ジャイアントセコイアと呼ばれるセコイアデンドロンのふたつを混同している。そして,さらに,私が,いや,多くの人がもつセコイアのイメージは,むしろ,「セコイア(コーストレッドウッド)」ではなく「セコイアデンドロン(ジャイアントセコイア)」のほうなのである。
 巨木としての世界一は「セコイア国立公園」にあるセコイアデンドロン(ジャイアントセコイア)のシャーマンの木である。 樹齢は2,300年,高さ83.3メートル,重さ1,385トン。根元の直径が11.1メートルで根元の周囲は31.3メートルある。
 一方,高さとしての世界一は「レッドウッド国立公園」にあるセコイア(コーストレッドウッド)で,樹齢は約2,000年,高さ111.4メートル,重さ730トン,根元の直径が6.7メートルの木である。この木1本の蒸散水量は1日1,900リットル(牛乳びん1万本分)なので,この木のある「レッドウッド国立公園」の森は毎朝のように海からの霧に覆われ,森周辺に大量の雨が降りそそぐ。コーストレッドウッドは自らの力で雨をも降らせてしまうのだ。
 したがって,私は,これを調べながら,これまでは「レッドウッド国立公園」にはまったく興味もなかったが,セコイアの木を見たければ,「セコイア国立公園」に多くあるのはセコイアではなくセコイアデンドロン(ジャイアントセコイア)のほうだから,「セコイア国立公園」に行ったからには,次は,セコイア(コーストレッドウッド)の木が多くある「レッドウッド国立公園」にも行かねばなるまいと思うようになった。

 いろんな場所を旅してみた結果,私は日本で「ランド」と呼ばれる3つの国,つまり,フィンランド,ニュージーランド,アイスランドに興味をもちました。日本語で「ランド」と呼ばれる国はこの3つの国のほかにアイルランドとスワジランドがあります(した)が,アイルランドには今のところは興味がなく,スワジランド(Swaziland)は2018年に国名を「エスワティニ」(eSwatini)」と改めることを宣言しました。スワジランドが国名を変えた理由は,英語ではさらにスイスもスイスランド(Switzerland=Swiss Confederation)といって,これと間違えるというのが理由だそうです。英語ではさらにタイもタイランド(Thailand)といいます。

 さて,この私が興味をもった3つの「ランド」ですが,恥ずかしながら,これらの国のことをほとんど何も知りませんでした。オーロラを見るためという理由だけで行ってみたフィンランドは,以前書いたように,調べれば調べるほど興味が増す国でした。特に,フィンランドの教育行政はすばらしく,それを見習おうと日本から多くの研究者が出かけているのですが,その結果として,フィンランドとは真逆の政策をはじめるという皮肉的な悪夢になっています。
 アイスランドは,フィンランドに行ったときに,オーロラを一番よく見ることができる国としてこの国のことを聞いて興味をもちました。それまではまったく私の意識にもない国でした。そこで,この夏にアイスランドに行ってみることにしたので,アイスランドのことは行ってみてからまた書きたいと思います。そこで,今回は,私が興味をもった3つ目の国であって,私の愛するニュージーランドです。

 ニュージーランドはこれまでに一度だけ行きました。この秋に2度目の旅行を計画しています。
 私のニュージーランドの印象は,なんと美しい国だろうか,ということです。日本ではオーストラリアとニュージーランドは一緒にして語られることも多いのですが,このふたつの国はずいぶんと違います。そしてまた,とても似ているところもあります。しかも,隣同士だというのに,このふたつの国はきわめて仲がよいといいううらやましい特徴があります。
 ニュージーランドは地震が多いということだけが憂いですが,その憂いを除けば,私がもっとも住んでみたい国です。
 ニュージーランドの面積は約27万平方キロメートル,ちなみにフィランドンが33万平方キロメートル,日本は38万平方キロメートルなので,ニュージーランドの面積は日本の約4分の3です。しかし,人口はわずか約430万人で,なんと日本の約3%なのです。つまり,日本と同じような島国で地震が多く,緯度も日本が北緯35度あたりでニュージーランドが南緯35度あたりと同じですが,人口だけが決定的に違うということなのです。

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●グラント将軍の巨木●
 1,869平方キロメートルもの広さがある「キングズキャニオン国立公園」(Kings Canyon National Park) は1940年に設立された。
 この地は1800年代半ばから白人入植者には知られていたが,ジョン・ミューア (John Muir) が1873年にこの地を訪問するまで注目されることはなかった。
 その後,ある者は谷の西端にダムを建設しようとし,ある者は公園として保護しようとしたが,1965年に谷全体が「グラントの森国立公園」に編入されたときに,やっと国立公園としてその自然が守られるようになった。

 「キングズキャニオン国立公園」はふたつの地区から成り立っている。
 そのひとつのグラント将軍の森 (General Grant Grove) 地区は,グラント将軍の木をはじめとする天然のジャイアントセコイアが15,800本生えているレッドウッド山(Redwood Mountain Grove)のセコイアの森を保護している。
 もうひとつの地区は,公園の総面積の90%超を占める,グラント将軍の森の東に位置しキングズ川 (Kings River)の支流サウスフォークとミドルフォーク,サンワーキン川(San Joaquin River)の支流サウス・フォークの源流を形成している場所である。
 キングズ川の支流サウスフォーク,ミドルフォークにはいずれも大きな氷河谷がある。キングズキャニオンとして知られるサウスフォークの谷のひとつがこの公園の名前となっている。
 キングズキャニオンは,最深部の深さ2.4キロメートルで,アメリカで最も深い峡谷である。峡谷の東方には,公園の最高地点,高さ4,341メートルのノース・パリセード (North Palisade)を頂点とするシエラクレスト(Sierra Crest)の高峰があるが,この広大な場所は徒歩や馬以外で行く方法がない。

 ということだったので,私はまず,グラント将軍のセコイアの木を見にいった。
 グラント将軍の木は、園内では3番目に大きな木として知られている。この木の名は1867年,アメリカ合衆国第18代グラント大統領(Ulysses S. Grant)の名をとってつけられた。
 地元商工会の人がこの木を訪れたとき,横にいた少女が「この木がクリスマスツリーだったらどんなに素敵だろうに」と言ったのがきっかけで,ここでクリスマスイベントを行うことを第30代大統領C・クーリッジ大統領(John Calvin Coolidge, Jr)に提案し,1926年4月28日,この木を「国のクリスマス・ツリー」(Nation's Christmas Tree〉と宣言した。
 さらに,1956年3月29日,第34
代大統領ドワイトD.アイゼンハワー大統領(Dwight D. Eisenhower)は,この木を「国の神社」(National Shrine)と宣言し,現在クリスマスにイベントが行われている。

 木の高さは81.5メートル,根元の周囲は32.8メートル,根元の直径は12.3メートルもある。当初この巨木は2000年を超す寿命であると考えられていたが,最近では1,650歳であるといわれている。
 この木のある森には,さらに,倒れて中を通れれるようになった木や,火災で焼けた木,リー将軍の木,オレゴン,カリフォルニアなど各州の名のついた木がある。
 どれもすごく大きいのだが,みんな大きいので,私は,想像していたような「ああでかい」という感想をもたなかった。
 それよりも,もし,日本にこうした木があれば,おそらく神木としてまわりを紙垂(しで)をつけた縄で巻いたり祠を建てたりすることであろう。
 山の頂上にせよそれは同じで,日本人は自然をリスペクトしないで,傍若無人に破壊するくせに,やたらと神々しくするのだけは大好きだからである。

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Cela_Sculptoris 日本では,おおいぬ座は,真冬,オリオン座の南,地平線近くに見える星座です。有名な,おおいぬ座の1等星「シリウス」(Sirius)は全天一明るい恒星で,その青白い輝きが,冬の寒さをさらに寒くさせていると感じるのは私だけでしょうか。
 「シリウス」の明るさはマイナス1.46等,地球との距離は約8.6光年です。肉眼ではひとつの恒星に見えますが,実際はシリウスAと呼ばれるA型主系列星とシリウスBと呼ばれる白色矮星から成る連星です。かつては明るいふたつの恒星から成る連星でしたが,シリウスAより質量が大きいシリウスBが先に寿命を迎えて1億2,000万年前に赤色巨星になり,その後,現在の白色矮星になったとされています。
 このおおいぬ座もまた,南半球で見ると天頂高くにあって,日本で見るのとは反対の姿を留めていて,はじめて見たときは不思議な気持ちになります。

 おおいぬ座がこの場所に描かれるようになったのは紀元前300年ごろのことですが,当時は「犬座」と呼ばれていました。この犬は,アテネ王イカリオス(Īkarios)が飼っていたメーラ(Mai:ra)だといわれています。
 メーラはイカリオスに大変可愛がられ,メーラもイカリオスによく従った忠犬でした。やがて,イカリオスは病で亡くなってしまいますが,メーラはその墓から動こうとせず食事もとらないまま,イカリオスの後を追うように死んだと伝えられています。その忠孝を称えられ,メーラはおおいぬ座になったのです。

 また,おおいぬ座は猟師ケファリス(kephalos)の飼っていた猟犬レラプス(Laelaps)だとも伝えられています。
 レラプスは優れた猟犬で,駆けるのも大変速く,どんな獲物も決して逃さなかったといわれています。なかでももっとも速いキツネ(こきつね座Vulpecula)を捕まえたことから,星座にしてもらったとされていますが,この星座がおおいぬ座です。
 レラプスは月と狩猟の女神アルテミス (Artemis)の侍女プロクリス(Procris)が飼っていたともいわれています。
 更に,おおいぬ座のモデルになっているのは,ギリシア神話の英雄ヘラクレス(Hēraklēs)(ヘラクレス座Hercules)がとらえた地獄の番犬ケルベロス(Kerberos)だともいわれているように,おおいぬ座には様々な神話や伝説が伝わっています
 いずれにしても,犬座がおおいぬ座と呼ばれるようになったのは,のちの中世のアラビアに伝わってからのことだとされています。

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●小学校の教科書にあったセコイアの木●
☆2日目 2018年6月26日(火)
 私が宿泊したホテルには朝食がついていた。朝早くから中国人なのか韓国人なのか,数人のグループがやってきて,いつものように,マナーもなにもなっていな傍若無人な振る舞いで朝食をとっていた。ほんとうに,世界中どこにいっても,これが一番いやになる風景である。
 朝食を済ませて,チェックアウトをして外に出た。早朝なのに,すでにずいぶんと日差しが強かった。

 この朝私が宿泊していたのはベーカーズフィールド(Bakersfield)というけっこう大きな町であった。ロスアンゼルスから北にインターステイツ5を走ってきたが,途中のウィラーリッジ(Wheeler Ridge)という町でインターステイツ5は州道99に分岐した。ベーカーズフィールドは州道99沿いにあったので,私は州道99に「曲がっ」た。いや,走っていたときに不思議だったのは,分岐するときにインターステイツ5が車線を減らして「曲がって」行き,州道99のほうはそのままメインロードだったことである。
 この朝,私はカーナビにバイセイリア(Visalia)と入力して,その指示にしたがって,州道99をさらに北に走っていった。カーナビは便利で,特に,アメリカの大都市はカーナビがないととても運転ができないが,欠点は帰国した後で,どこを走ってきたのかまるで覚えていないということである。
 走っている途中で「セコイア国立公園」という道路標示を見つけた。私の今日の目的地はこの「セコイア国立公園」なのだが,「セコイア国立公園」とその北の「キングスキャニオン国立公園」は隣接していて,私はまず「キングスキャニオン国立公園」から入って南に下ることにしていたから,この道路標示を見過ごして,さらに北上を続けた。
 やがて1時間ほどでバイセイリアに到着した。バイセイリアも思った以上に大きな町だったから,私は昨晩はここに宿泊したほうがよかったかな,と思った。そうすれば,今日の朝の1時間がもっと有効に使えたからだ。

 「キングズキャニオン国立公園」という道路標示が見えたのでそこで州道99を降りて,右にまわって州道198,そしてすぐに再び左折して北に州道63と進んだ。州道63は,同じ州道とはいっても片側1車線,しかも,あたりはずっとカリフォルニアワインのもととなるブドウ畑の中を走っていた。こんな農家のあぜ道のような(とはいっても,日本の道路とはけた違いに広いが)道路を走っていって,この先に目指す国立公園があるのかなと思いながら,州道を1時間以上進んでいった。私の他にほとんど車は走っていなかった。
 州道63は東西を走る州道180とのT字路になった。目的地は右折なので,右にまわると道はそのうちに上り坂となった。このまま州道180を進むと,やがてキングスキャニオン国立公園の北側の入口「ビッグスタンプ」(Big Stump)に到着するのだ。

 国立公園のゲートに到着したので入場料を払い,さらに進んでいくとビジターセンターに到着したのでそこに車を停めた。
 まずビジターセンターで情報の収集である。
 私がこの「キングスキャニオン国立公園」,いや,「セコイア国立公園」を目指した動機は,小学校のときの国語の教科書の1枚の写真であった。

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 これまで何度もみなみじゅうじ座については書いていますが,南天の星座を話題にすれば,やはり,みなみじゅうじ座を取り上げないわけにはいきません。
 私は,南十字星とマゼラン雲が見たくて,南半球の星々に憧れていたのですが,当初は,イータカリーナ星雲や石炭袋などをはじめとする南半球の数多くの星雲・星団のほとんどを知りませんでした。一旦それらの魅力を知ってしまうと,どんどんと深みにはまっていきます。しかし,やはり,南半球の星空に君臨する大スターは南十字星です。
 今になっては,もう,何度も見たこの南十字星ですが,この輝きは何度見てもいいものです。

 みなみじゅうじ座(Crux)は全天88星座の中で最も小さい星座です。
 南十字星はこの星座にある4つ,あるいは5つの星たちです。南十字というのは,英語の通称「サザンクロス」(Southern Cross)の和訳です。「Southern Cross」は,かつて日本では東大系の学者さんたちは「十字」,京大系の学者さんたちは「十字架」と訳していたのだそうですが,1944年に正式に「南十字」と制定されたということは以前書いたことがあります。
 南十字星は,もともとはケンタウルス座のε(エプシロン),ζ(ゼータ),ν(ニュー),ξ(クシー)星だったのが独立して南十字座のα(アルファ),β(ベータ),γ(ガンマ),δ(デルタ)星となったので,ケンタウルス座にはこれらの符号の星は存在しません。
 南十字星のある区域を単独の星座としたのは,1598年にオランダのペトルス・プランシウス(Petrus Plancius)で,18世紀のフランスの天文学者ニコラ・ルイ・ド・ラカイユ(Nicolaus Louis Lacaille)によって,正式に星座となりました。

 今日の写真にあるように,みなみじゅうじ座のあたりには数多くの球状星団や散開星団があります。南半球では北半球よりも天の川銀河がその面積を多く占めているので,系外銀河よりも星団に多くの魅力的な見ものがあります。そのなかでも,「宝石箱」(The Jewel Box) という素敵な名前のついた散開星団NGC4755は,その美しさで知られています。 みなみじゅうじ座β星の西南方向に位置していて,およそ100個ほどの星が集まる若い星団です。星団の大きさは約20光年で,地球からの距離は6,400光年程度と推測されています。
 南アフリカでニコラ・ルイ・ド・ラカイユにより発見され,はじめは,みなみじゅうじ座κ星として登録されたので,みなみじゅうじ座κ星星団(κ Crucis Cluster )とも呼ばれます。「宝石箱」という名前はジョン・ハーシェル(Sir John Frederick William Herschel)によって名付けられたものです。

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●時差がきつい歳になった。●
 カリフォルニア科学センターを出て,私はカーナビにしたがってすぐに州道110に入り,そのままインターステイツ5に乗って北上していった。今日予約したホテルがあるのはベーカーズフィールド(Bakersfield)という町である。
 こうしてすでに旅をしている段階であっても,私は,この旅の予定をまだ決めかねていた。この旅で私がしたかったのは,はじめの3日間はロサンゼルスから北上してセコイア国立公園とデスバレー国立公園に行くことであった。そして,後半の3日間はロサンゼルスからサンディエゴまで南下して,MLBを2ゲーム見ることと,パロマ天文台とウィルソン山天文台に行くことであった。

 このなかで,後半については確信があったが,前半があいまいであった。
 それは,私が思っていたよりもこの国立公園が遠かったからである。ロサンゼルスから車で5時間もかかるのだ。これはかなり意外であった。
 数年前なら,5時間くらいなんとも思わなかったが,なぜかこのごろ急にめんどうくさくなってきた。おそらく,走りはじめてしまえばなんということもないのだろうが -なにせ,つい3か月前に深夜のオーストラリア大陸をぶっ通しで7時間も走ったばかりだ- なぜかやる気が起きないのだった。
 そこで私は,ロサンゼルスから3時間ほど走ったあたりにある町で泊まることにした。そうすれば,次の日に行く気になるかもしれない。そんな程度漠然とした考えであった。
 そこで,ロサンゼルスとセコイア国立公園との中間あたりのベーカーフィールドという町を見つけて,そこに泊ることにした。
 
 インターステイツ5はロサンゼルスのダウンタウンを抜けるまではえらく渋滞していた。これは覚悟していたことだったが,やがて町を抜けると,ようやく快調に走りだした。
 途中で,昼食をとろうとジャンクションがあるごとに私はどのような店があるか看板を凝視するようになった。やがて1時間すぎて,60マイル,つまり100キロメートルほど走ったところに小さな町があって,そこにCarl's Jr. というハンバーガー店を見つけた。
 とある事情で,この旅ではアメリカのマクドナルド以外のハンバーガーチェーン店で食事をとることにしていた。小さな町の名はゴーマン(Gorman)といった。
 私は,こうした小さな町のほうが好きである。できれば,泊るのもこうした町にある全国チェーンのモーテルが望ましい。しかし,それがなかななうまくいかない。
 数年前まで私が旅行をしていたときにやっていたように,予約などしないでその場で探せばいいのだろうが,当日に探すのも面倒になって,近頃はネットで事前に予約をするようになってしまった。
 Carl's Jr.というチェーン店のハンバーガーはことのほかおいしかった。私がこの旅で最も印象に残ったのは,マクドナルド以外のハンバーガーチェーン店のハンバーガーはととてもおいしいということであった。

 再び走って,私はベーカーフィールドに到着した。ベーカーフィールドはアメリカによくある小都会であった。こういう町はたいていは落ち着いたきれいな町なのだが,たまに例外があって,非常に治安の悪い町であることがあるから要注意である。特にカリフォルニアは大都市と地方の貧富の格差が大きいから油断ならない。
 そうした心配をよそに,ベーカーフィールドはマシな町であった。予約してあったホテルは,古かったが思った以上に豪華であった。周りを宿泊棟が取り囲んで,中央にプールと庭があった。ちゃんとした朝食もついていた。
 この旅で泊まったなかで,唯一の豪華な? ホテルであった。

 問題は,めちゃめちゃ暑いということであった。これには参った。ベーカーフィールドはロサンゼルスよりも数倍暑かった。この先が思いやられた。
 チェックインを済ませ,あとはのんびりしようと思った。この晩,私が何を食べたのか思い出せないが,おそらく何も食べていない。それは,時差のせいである。時差ボケというのは感じないのだが,体内時計がめちゃくちゃなのであった。日本との時差は8時間,しかも東に向かうような旅をする歳ではなさそうだなと,しみじみ思ったことだった。

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●展示されていた宇宙船●
 カリフォルニア科学センター(California Science Center)は,ロサンゼルスのエクスポジション公園(Exposition Park)のなかにある科学博物館である。1951年に設立されたカリフォルニア科学産業博物館(California Museum of Science and Industry)がその前身で,1998年にカリフォルニア科学センターとしてリニューアルオープンしたものであるという。
 私の行ったときはツタンカーメン展をやっていて,そのポスターばかりであった。チケット売り場もまた,ツタンカーメン展のものしか表示されていなかった。
 
 私がここに来た目的はスペースシャトル「エンデバー」(Endeavour = OV-105)が見たい,ということだけであった。ツタンカーメン展を見ようかと少し迷ったが,私はツタンカーメン展はその昔日本で見たことがあるので,当初の目的どおりに「エンデバー」だけを見ることにした。
 こうした科学館はアメリカ各地にあって,これまでも様々都市の科学館に行っているので,特にIMAXなども見たいと思わなかった。
 しかし,「エンデバー」を見るのにどうすればいいのかもわからなかったし,全く表示もなかったので,とりあえず窓口で聞いてみようと列にならんだ。自分の番になったので,窓口で「エンデバー」と言ったら「4ドル」と言われたので,クレジットカードで決済すると,すんなりとエンデバーを見るだけのチケットとパンフレットが返ってきた。
 この科学館は常設展示ギャラリー(Permanent exhibition galleries)は入場無料で,IMAXと「エンデバー」,そして今回のツタンカーメン展のような特別展だけ入場料が必要であった。以前,このブログに,この科学館は入場無料でスペースシャトル「エンデバー」を見るには入場料が必要だと自分で書いたことがあるのに,そのことをすっかり忘れていた。


 無料の常設展示ギャラリーは,森林,砂漠,河川,海,深海,島,都市部などの環境と,そこに生息する野生生物の生態系を知り,地球上の生物が環境とどのような関連が有るかを学ぶことができる「エコシステムズ」(Ecosystems),交通や輸送,建設,エネルギー,コミュニケーションツールなど,人間が発展するために作り出した発明や環境を探ることができる「クリエイティブワールド」(Creative World),単細胞のアメーバ―から,複雑な構造を持つ人間など,生命のしくみについて学ぶことができる「ワールド・オブ・ライフ」(World of Life),航空機の飛行の原理から,宇宙船,宇宙探査機に関して学ぶことができる「空と宇宙」(Air and space exhibits)の4つのコーナーに分かれている。
 スペースシャトル「エンデバー」のことは以前ブログに書いたので,ここでは省略する。それ以外の展示で興味があったのは,いつものとおり「空と宇宙」であったので,ここではそのことを書く。

 この科学館に展示されていたのは「ジェミニ11号」と「アポロ・ソユーズ計画」で使われた宇宙船であった。アメリカの博物館へ行くと,こうした宇宙船をどこでも見ることができる。役目を終えた宇宙船,つまり今となってはガラクタを各地に分配しているわけだ。
 「ジェミニ(ジェミナイ)計画」は,1960年代,人間を月におくる「アポロ計画」を実現するための技術を習得するため,ふたり乗りの宇宙船12機が打ち上げられたもので,その11番目にあたる「ジェミニ11号」(Gemini 11)は,1966年9月12日に打ち上げられた。ふたり乗り宇宙船を「ジェミニ=ふたご座」と名づけるセンスがいい。
 「ジェミニ11号」の目的は,「ジェミニ10号」に引き続き,月飛行計画に向けての技術開発の一環として,軌道上におけるランデブー及びドッキング,さらに船外活動をすることにあった。打上げ後約1時間半後には早くもアジェナ標的機とのドッキングに成功,打上げ24時間後から船外活動を行い,71時間17分後にバハマ沖の大西洋上に着水し,回収された。
 また,「アポロ・ソユーズ計画」(Apollo-Soyuz test project)は,アメリカ合衆国と当時のソビエト連邦の宇宙船が共同飛行した宇宙計画であった。1972年5月に計画が調印され,1975年7月に実施された。これがアポロ宇宙船を使用した最後のフライトであった。
 どちらも,当時そうしたロケットに夢中だった私には懐かしいものであったし,その正真正銘のホンモノが見られて感激した。

◇◇◇
6機のスペースシャトル-アメリカの栄光と挫折の記録

 わずか10年前のことになるのですが,遠い昔のことのように思えます。
 そのころの私は人生に絶望し,一日中悶々としていました。時間を持て余し,することもないので,朝から近くの天然温泉に出かけるのです。しかし,結果として,温泉というのはそうした精神に妙薬となりました。湯船につかっていると何もかもを忘れることができるのです。そして,温泉から出た後は,近くの河川の堤防沿いにある公園を散歩するわけです。公園といっても,単なる荒れ野原でした。そこは家からほんの数十分の距離なのに,何かとても遠いところに行ったようような気がしました。
 歩いていると,いつもその昔行ったモンタナの風景を思い出しました。
 このころは,将来,再びまた,そんな遠いところに行けるとも思えなかったので,その場所は地球で一番遠いところのように思えました。そして,その場所は夜ともなれば,満天の星空が輝くような気がしました。

 あれからいろんなことがあって,運気が180度好転しました。
 その後,私は行ってみたい場所のほとんどに行くことができるようになりました。そうしたら,あのころに見た景色はすべて幻想だったことに気づきました。あのとき散策した公園なんて,草木が生い茂っていたただけのところでしたし,夜になっても灰色の空があるだけで,満天の星空なんて望むべくもありませんでした。
 しかし,あのときは,確かに,それが幻であったにしても,私には満ち足りた時間でした。
 人の心というのは,単に相対的なものでしかないに違いありません。同じ風景を見ていても,その見え方は自分の精神状態によってずいぶんと違うのです。

 日本の夏は高校野球と終戦,それに加えて今年の退廃的な暑さ,そうしたものがごっちゃになって,私が夏になって思い出すのはそんな辛かった出来事ばかりです。

◇◇◇
夏の思い出①-子供は非日常の体験から成長する。
夏の思い出②-「日本じゃないみたい」って?
夏の思い出③-50年前にタイムスリップすると…

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●どの車に乗ってもいい。●
 ハーツのパーキングに到着した。
 すでに予約がしてあった私は,いつものとおり掲示板に自分の名前と使用する車の停められたパーキングの番号があるものだと思っていたから,掲示板で名前を探した。
 アメリカではレンタカー会社の会員になって事前に予約をしておけば,カウンタで手続きをする必要がない。私はこうして名前を探したが,事前にメールでもその情報が送られる。
 掲示板に私の名前があったのだが,そこに書かれてあったのは駐車場の番号でななく,単なるパークングエリアの名前であった。そして,そのエリアには100台はあろうと思われる車がずらりと並んでいた。

 空港から乗ったハーツのシャトルバスは満員だったが,ハーツのパーキングに来るまでの間,広い空港のターミナルを順に停車したものだから,さらに人が乗り込んでさながら通勤バスのようようになっていた。パーキングに着くと,そこから一挙に人が降りて,彼らのほとんども会員だから,さっさと自分の車に乗り込んで出発していった。そして,私は自分の車がどれかわからず取り残された。
 案内係りがいたので尋ねてみると,このエリアにある好きな車に乗っていけばいい,というではないか! 考えてみれば,これはウィンウィンである。会社は事前に車を決める手間がないし,借りる側はい自分の好きな車を選べばいいわけだ。
 私の予約した車はカローラクラスだった。同じエリアにはランクが違う車も停まっていたが,差額を払えばそれに乗るのも自由であった。

 大概,これまでカローラクラスといっても,カローラに乗ることができたのは少ない。多くは場合,韓国のヒュンダイか,アメリカのシボレーであった。 
 カローラという同じ名前であれども,アメリカ仕様のカローラは日本のものとは大きさもスタイルも違ってカッコいい。アメリカのカローラを日本で走らせたら3ナンバーであろう。
 近頃日本で発売された新型のカローラ・スポーツという車は3ナンバーで,これはアメリカ仕様に近い。今後発売されるであろうカローラのセダンはアメリカ仕様と同じものになると聞く。
 私は,たくさん並んだカローラから手ごろなものを物色した。選ぶ基準は単に色であった。この旅ではデスバレーをはじめとして猛暑のカリフォルニアを走るのだから,濃い色のものはやめようと思った。そしてまた,アメリカでは原色,特に青色の車はメキシカンだと相場が決まっているらしいからこれもやめようと思った。
 余談だが,日本と違って運転のマナーがいいアメリカで,平気で横入りるするマナーの悪い車を運転しているのはチャイニーズであるらしい。彼らは障がい者でもないのにコネで障がい者の証明書すらもっているらしい。が,そんなことを知っている日本の旅人は少ないことであろう。

 車を選び,座席を調整して,私は出口まで車を走らせた。出口で運転免許証を見せ,予約を確認し,そこで,アメリカではGPSと呼んでいるカーナビを受け取って,いよいよ出発した。 
 まず行こうと思っていたのは,カリフォルニア科学センター(The California Science Center)であった。今日の予定は,ここでスペースシャトルを見ることだけだった。そこで,少し走って,停車の可能な広い道路の道端に車を停めて,カーナビを操作して名称を入力して検索すると,カリフォルニア科学センターへの道順案内がはじまったので,それに従って走っていった。
 私はてっきりフリーウェイを走るものだと思っていたが,カーナビの案内する道路は一般道であった。私はロサンゼルスの一般道なんてほとんど走ったことがないから,周りの景色が珍しかった。アメリカでは場所によってかなり風紀がことなるから,走っている場所が「やばい」ところかどうかが気になっていたが,カーナビにはあと10分で到着と表示されていたから,ここから近いから大丈夫だろうと思って,それに従って走っていった。
 ロサンゼルスの一般道,着いたばかりの私はまったく土地感がないから,カーナビがなければどこを走ればいいのかまるでわからなかった。
 そのうちに,ロサンゼルスオリンピックのときにメイン会場となったテレビで見慣れた建物が見えてきた。これにはかなりびっくりした。別に見たいと思ったこともなかったが,それでも感動した。どうやら私の目指すカリフォルニア科学センターはこの一角にあるらしかった。

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●17年ぶりのロサンゼルス国際空港●
 眼下に美しく整然としたロサンゼルスの街並みが見えてきた。ようやく到着である。
 以前は,名古屋からロサンゼルスやポートランドに直行便があったから,西海岸は近いところだった。セントレア・中部国際空港ができたらそれがなくなって,名古屋から直行便で行くことができるアメリカ本土はデトロイトだけになった。
 デトロイトはデルタ航空のハブ空港だからこういうことになるのだろうが,これほど不便なものはない。デトロイトが最終地点である客はほんのわずかで,ほとんどは乗り換え客であろうから,デトロイトに行く理由がないのである。どうせデトロイトでアメリカの国内線に乗り換えるのなら,シアトルのほうがいい。もし,セントレアからシアトルかロサンゼルス便があればどれほど便利かといつも思う。あるいは,セントレアから成田,あるいは羽田への便がもっと安くて乗り換えが楽なら,それでもいい。いずれにしても,現在は,名古屋からアメリカ本土に行くのは不便極まりないのである。

 私がロサンゼルスに来たのは17年ぶりであった。17年前のロサンゼルス国際空港は古臭く,不気味であった。しかし,時間はそれを克服するようで,今回来たロサンゼルス国際空港はとてもきれいな空港であった。どうやらその後に建て直されたらしいということがわかった。まだ一部は建て直しの最中でもあった。
 機内ではいつもアメリカ入国用の書類が配られる。しかし,この書類は必要がないのだ。アメリカ入国はキオスクという機械が導入されていて,書類が必要なのははじめて入国する場合とパスポートを更新した後の入国だけだ。しかし,おそらく,全員に配っておいた方がわずらわしくないのであろう。配られるから要らないとわかっていてもいつも記入するが,これを提出したことなんて一度もない。今回もまたそうであった。
 私の隣の座席に座っていたのはゆとり世代の派手な女性であった。彼女はちょっと離れた席に座っていた男性と仕事でアメリカに行くところだという話であった。話してみるとけっこうおもしろい女性であった。ゆとり世代の若者はたくましい。

 飛行機は予定より30分も早くロサンゼルス国際空港に到着した。機長はうれしそうに30分も早く到着したと得意がっていたのだが,そのあとがまずかった。
 到着してもゲートに空きがなく,空港に機体が横づけできない。まるで早朝の工場の開門まえに到着してしまった長距離トラックのように,飛行機は停める場所を探すだけでも大騒動,といった体を成しはじめた。そして,20分ほど機内にとどまったあげく,やっと,ゲートに空きができて,機体が横づけされ,飛行機から出ることができた。
 バゲッジクレイムで荷物がでてくるのを待ってそれを受け取り入国した。近頃はプライオリティの黄色いタグがついていても,多くの荷物がプライオリティタグがついているようになってしまったので,プライオリティ特権の利便性がなくなりつつある。
 とにかく,アメリカは人多すぎ,空港混みすぎである。

 私は17年前のその1年前,つまり18年前にもロサンゼルス国際空港に来たことがある。当時の私は今ほどアメリカの体験があったわけでもアメリカを知っていたわけでもなかったが,そのときの愚かな私はすべてを知っているような気持ちになっていた。
 空港でレンタカーを借りることになっていたのだが,私は入国した瞬間に固まってしまった。当時の私は,アメリカではどの空港にも建物のなかにレンタカー会社のカウンタがあると思い込んでいたのである。しかし,ロサンゼルスの空港内にはレンタカー会社のカウンタがなかった。しかたなく空港の外に出て,再び途方に暮れたのである。レンタカー会社のシャトルバスがあるということすら知らなかったのであった。

 そんな記憶があったから,私は今回もまた,そんなシチュエーションを期待した。しかし,新装なったロサンゼルスの国際空港の標示は当時と違ってわかりやすく,標示にしたがって何の問題もなくレンタカー会社のシャトルバスの乗り場に到着した。
 この乗り場にさまざまなレンタカー会社のシャトルバスが到着する。はじめに見えたのが私の予約したハーツのものだった。しかし,ハーツのバスがこの停留所に停まることなく通過していったときには,再び私は目が点になった。ハーツだけはシャトルバスが停まるのはこの場所でないのではなかろうか?どうしよう? と。 しかし,そのバスはなにか別の事情でもあったのだろうか,少し待ったら無事に次のハーツのシャトルバスがやって来て乗り場に停まった。
 私は今年の2月,フィンランド・ロバニエミのホテルから空港に戻るためにシャトルバスを待っていたときのことを思い出した。このときも,ここでいいと言われたバス停で待っていると,空港行きのバスが来たのにバス停を通過した。運転手は次のバスだよ,という手ぶりをしたのだが,そのときもかなり不安になった。
 旅というのは,いつもこんなことの繰り返しである。こういうときだけは,何事もお任せのツアー旅行がうらやましい。

DSC_1200t (3)DSC_1208t (2)C_2018N1_NEOWISE_2018080621P_Giacobini-Zinner_2018080616ac99579f5b3e8d337e79f8fe9be6b8

 今日は8月6日の夜8時から10時にかけて写した写真をご覧ください。
 1番目の写真がいて座の有名な「三裂星雲」(M20)(右上)と「干潟星雲」(M8)(右下)と土星(左)をひとつの画面に入れたもの,2番目の写真がはくちょう座の「コクーン星雲」(IC5146),3番目の写真が「ネオワイズ彗星」(2018N1 NEOWISE),そして,最後4番目の写真が「ジャコビニ・ジンナー彗星」(21P Giacobini-Zinner)です。

 太陽に近づいて見えなくなったパンスターズ彗星を写すことができてすっかり満足した私は,この夏のイベントはペルセウス座の流星群を残すだけだなと思っていたのに,さそり座アンタレスの近くにネオワイズ彗星があるのを知ってしまいました。ネオワイズ彗星は近日点を過ぎて現在10等,ここ数日が最後のチャンスとなれば,写真を写さないわけにはいきません。
 WISE衛星(Wide-field Infrared Survey Explorer)は2009年にアメリカが打ち上げた広域赤外線探査衛星です。口径40センチメートルの赤外線望遠鏡を備えています。2011年に一度運用を終了しましたが,2013年に運用再開が承認され,NEOWISE(Near-Earth Objects WISE)と改名して再び観測をはじめました。
 ネオワイズ彗星はこの探査衛星が2018年7月2日に16等星で発見したばかりの彗星で,月明りのある7月26日頃に南の空低くけんびきょう座で9.2等と最も明るくなりました。その後はどんどん位置を変えてさそり座に到達し,月明かりの影響のなくなった8月3日過ぎによく見えるようになりました。

 明け方の北東に昇ってきたパンスターズ彗星とは違い,こちらは南西に沈んでいく彗星なので,全く真逆です。そこで,日没時に南の空の開けた場所に行くことにして,夕食後家を出ました。
 日本では,オーストラリアのように太陽が沈んだらすぐに満天の星空が見らるわけではないので,よどんだ灰色の空のなかに,微光な彗星を探さなければなりません。その点,この彗星はアンタレスの近くにいるので,場所の特定は簡単でした。しかし,いるはずの位置を写してみても,なかなか彗星が特定できません。やっと見つけて驚きました。彗星は予想以上に拡散してしまっていたのです。何枚か写しても,露出が長すぎると空の青さに溶け込んでしまって写らず,露出に苦労しましたが,なんとか写真に収めることができました。それが3番目の写真です。
 彗星を写し終えた後,せっかく土星がいて座の有名なふたつの散光星雲の近くにいるので,次にいて座の星雲と土星を写しました。これが1番目の写真です。

 その次に写したのが4番目の写真のジャコビニ・ジンナー彗星です。この彗星はこれまでにすでに2度写しましたが,まだまだこれから9月にかけて明るくなります。現在はカシオペア座にいるのですが,この日行った場所は北の空は絶望的に明るく,期待もせずに写してみましたが,立派に成長した姿を写すことができました。
 そして最後がはくちょう座のコクーン星雲です。この星雲は,先日,とかげ座のNGC7243とNGC7209を写したときにその近くにあるのに写し忘れたものです。それが2番目の写真です。
 この晩は日が沈んだころは東の空低く雲があるだけで,それ以外の空は快晴だったのですが,次第に雲が広がってきました。幸運にも,私の写した場所だけが順に雲が切れて,これだけの写真を写すことができました。
 今年は連日暑い日が続いていて夜になっても気温が下がらず,毎回,星を見にいって汗をかくという経験をしています。さらに,この晩は時折雷の兆候で空がピカっと光るので,突然雷雨でも降りだすのではないかと気が気ではありませんでした。

☆ミミミ
やっと晴れたか?夏2018①-ジャコビニ・ジンナー彗星
やっと晴れたか?夏2018②-明るくなるパンスターズ彗星
やっと晴れたか?夏2018③-明るくなったパンスターズ彗星

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 「月刊天文ガイド」が2018年9月号から新しくなりました。それに従って,ついに,装丁も中綴じから平綴じに変わりました。
 私がはじめてこの雑誌を買ったのは1968年の3月号なので,今から50年前ということになります。今読み返してみても面白く,当時の子供たちには夢が一杯つまった雑誌でした。知らないことが一杯,魅力のありそうなことが一杯,興味のあることが一杯,しかも,そうしたことはすべて,手が届きそうで届かない,といったように,いいところをついていた雑誌でした。

 その後数十年にわたってこの雑誌を買い続けたのですが,そのうちに買うのを辞めてしまいました。それは,この雑誌が次第に広告だらけになってしまったこと,星の話よりもお金を消費(浪費)して「メカ」を手に入れなければ楽しめない機材とコンピュータソフトの雑誌に化してしまったこと,中綴じでは保存が大変なことが理由でした。特に近年は,広告の中に記事が埋もれているという感じで,しかも,広告の配置がわるいものだから,記事を探すのが大変でした。そもそも,読み応えのある記事がありませんでした。
 本の真ん中を金具で留めるという装丁は,創刊したころはそれでもよかったのですが,ページが増え続けたのに昔とかわらぬ綴じ方のままだったので,留めている金具からページは抜けるわ読みにくいわでどうにもなりませんでした。さらに,この雑誌はどんな読者をターゲットにしているかさえさっぱりわからなくなりました。
 私はそんな雑誌に見切りをつけて,それ以降は内容が充実したアメリカで発行されている「Sky&Telescope」誌を電子書籍で読むようになりました。

 昨日,新しくなったのを書店で見かけたので,記念に1冊買ってみました。おそらく私が本として買うのはこの号だけで,今後は,もし読みたくなったら電子書籍で買うことになるでしょう。この雑誌に限らず,本はかさばるからきらいです。
 装丁と表紙が変わっただけでなく,当然,ページ建ても変わりました。これまではどころかまわずあった広告のページは後ろにまとめられていて,非常に好感を受けました。これだけでも気品が出ました。記事が増えたのかどうかは知りませんが,少なくとも,これまでのように広告の合間に記事がある,という印象はなくなりましたし,星に関する話題も増えたように思いました。
 「月刊天文ガイド」は創刊初期の一時期,「読者の天体写真」で売った雑誌ですが,もう雑誌で写真のコンクールなんてやっている時代ではありますまい。そんな写真はSNSに溢れています。私は「読者の天体写真」なぞ,今は全く興味がありません。その点,この「読者の天体写真」コーナーも雑誌の最後においやられていて,これもまた,私は共感を覚えました。

 これまで,時々,というか年に1,2回,「月刊天文ガイド」に代えて「月刊星ナビ」を買っていたのですが,創刊当初は面白かった「月刊星ナビ」も,近頃は機材と自社のソフトウェアを売るための広告雑誌と成り果ててしまいました。高価な機材を買って満足に星も見えない日本の空で写した天体の写真を,さらにコンピュータで派手にお絵かきしたものを見せられても,楽しくもありません。また,物欲を煽るような記事ばかりではいけません。
 それにしても,星すら満足に見られないような自然のない国で,こうした雑誌の需要がどれほどあるものなのでしょう。天の川を見たこともない,車もない,金もない子供たちが星に興味など持つでしょうか? おそらく読者は私のような50年前の子供たちでしょう。「読者の天体写真」に投稿した人の年齢を見ても明白です。「月刊天文ガイド」は老後の暇つぶし雑誌なのです。そうであるなら,不愉快極まりない下品で老後の不安をあおるような話題ばかりのちまたにあふれている週刊誌なんかを読むよりも,こうした雑誌を読むほうがずっと夢があって幸せな気持ちになれるです。ならば,初心者向けの話題は「子供の科学」にお任せして,「月刊天文ガイド」は「科学雑誌Newton」を天文分野に特化した,知性のある老人向けのもっと内容が高度な和製「Sky&Telescope」のような雑誌にしてしまうほうがいいと私は思うのですが。


IMG_8901t (2) 南天の天の川(1280x853)

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●羽田空港は空港ではない。●
 前回書いたように,羽田空港にはデルタワンラウンジがなく,私の利用できるカード会社のラウンジは国内線ターミナルにしかなかった。時間を潰すために東京都心に出たところで行くところもなく,私はプラネタリウムで時間を潰すことになった。
 その後,セキュリティを越えたあともまた動く歩道が延々と搭乗ゲートまで続いていたが,こんななさけない空港はアメリカにはない。
 そんなわけで,羽田空港はまったっさえない空港であった。これが日本の大都会・東京の空港なのである。

 ゲートで待っていたら名前を呼ばれた。カウンタに行くと座席がデルタコンフォートにグレードアップされたということで,新しい搭乗券をくれた。
 デルタコンフォートというのはエコノミーとイスは同じで座席の間隔が少し広いというだけのことであるが,少し広いというだけでもうれしいものだ。それ以外の違いは,歯ブラシがついてくるということだが,そんなものはいらない。
 やっと時間になったので,飛行機に乗り込んだ。私が指定されたのは デルタコンフォートの1番前の席であった。この席は,写真のようにコンフォートのなかでもさらに座席の前が広い。足を延ばしてもまだスペースに余りある。
 私は,昨年行ったハワイ便に続いて,今回もまたこの席になった。私は正規の運賃で乗ったことはないが,アップグレードやらダブルブッキングやらなにやらで,これまで3度ほど国際線のファーストクラスに乗ったことがある。確かにファーストクラスは快適だけれど,快適さ以上に値段が高いから,そうまでしてあんな料金を払う気にはならない。それに比べて,最も安価な料金で足が延ばせるこの席は非常にお得である。

 羽田からロサンゼルスまでは9時間と少しかかる。帰りはジェット気流に逆らうから11時間ほどかかる。成田からシアトルへ行くよりも距離が少し遠いから,同じ西海岸でも,シアトルよりも1時間ほど余計にかかることになる。その間に,夕食と朝食が出る。途中でアイスクリームが出ると書かれてあったが,それが配られたのか寝ている間にスキップされたのかは知らないが,私の手には渡らなかった。
 日本からは,オセアニア,ヨーロッパ,そして,アメリカ本土など,どこに行くにも9時間くらいかかるから,9時間のフライトが苦痛でないなら気楽にどこへでも行けるが,飛行機が苦手で9時間の飛行が耐えられない人はどこにも行けない。
 私は若いころは機内の過ごし方やら時差ボケを回避するためにいろんな工夫をしたものだが,今は何もしない。結局,どう工夫しても同じだからである。ただひとつ,BOSEのノイズリダクションつきのイヤホンを重宝している。さらに,今回はiPhoneを6Sから8にグレードアップし保存容量を大幅に増やして,音楽やビデオを大量に保存して持っていったから,これを聴いたり見たりしていれば,自然と眠たくなって,そして,あっという間に時間が経つという,そういう段取りにした。
 だらだらと機内で過ごしているうちに,窓の外には美しいロサンゼルスの街並みが見えてきた。

 

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●日本人は根本的に勘違いをしている。●
 私は成田空港は数えららないほど利用しているが,羽田空港ははじめてであった。
 飛行機を降りてバゲッジクレイムででカバンが出てくるのをずいぶん待った。預けるのでなかったと後悔した。
 羽田空港は都心の空港であるから,少し期待していた。
 成田空港はターミナル間の移動にバスに乗る必要があるなどという,アメリカの空港では考えれらないほどインフラがひどいが,羽田空港は少しはマシだろと思っていた。しかし,羽田空港は,私の予想に反して成田空港以上にひどい空港であった。
 羽田空港も国内線と国際線のターミナルが離れていた。ここもまた移動はシャトルバスであった。私ははじめてだったので,あわててやってきたシャトルバスに乗ったら,それは国際線ターミナルには行かないバスであった。乗ってから運転手に確かめたときの運転手の態度がぞんざいで気分を害した。せっかく乗り込んだのに降りるはめになって,やっと乗り込んだ次のバスはとても混雑していた。
 やっと国際線ターミナルに到着してみると,そこは空港というよりもショッピングモールであった。デルタ航空のラウンジすらなかった。
 ここは空港であって,レジャーセンターではないはずだ。こんな空港であるのに空港利用者の利便性よりも観光でやってくる人が金を落とすのが目的の施設を作るなんて,本当にどうかしていると思った。
 そもそも,これではテロの標的ではないか。空港という施設の目的が何かすらわからない平和ボケした日本ならでは施設であった。

 何度も海外旅行をすると見えてくるのが,日本人の根本的な大きな勘違いである。
 本質的にこの国の人たちは何か大きな間違えをしていている。それは,政治も,仕事も,教育も,道路整備も,何もかもである。しかし,ほとんどの日本人はそのことにまったく気づいていないから,私が何を問題としているのかさえわかってくれないのである。 
 そんなわけで,私は羽田空港で何をして時間を潰すか,途方にくれることになった。
 私はこれから国際線に乗って太平洋を渡るのである。レストランがたくさんあったところで,そのすべてがこのときの私には必要ないのである。
 空港のなかには江戸の街並みを模した一角があった。これは外国から来た人たちのウケを狙って作られらたものであろう。おそらくはじめて海外から来た人はこれを見て,驚き,はじめは感動するに違いない。しかし,彼らは,こんなものを見たさに日本に来たわけではあるまい。

 国際線のターミナルでデルタ航空のチェックインをして再び荷物を預けた。デルタ航空はプライオリティだから,ここで黄色のプライオリティタグをつけてもらうために一旦カバンをおろしたのだが,そんなことをしなくても羽田でタグはつけると言われてがっかりした。そんなことなら一旦羽田空港で荷物をピックアップする必要などなかたわけだ。
 ともあれ,身軽になった私は,国際線に乗るまでの数時間を過ごす場所を探すことにした。そして,やっと見つけたのがプラネタリウムであった。この施設の入場料は決して安価ではなかった。しかも,さらに,入場料の他にドリンク代が別途必要なのだった。
 そもそも,星に目の肥えた私には,この施設で見ることのできるプラネタリウムの星空はかなりチンケなんものであろうと容易に想像ができた。それでも時間を潰すには一番の選択だと思ったので,プラネタリウムがはじまる少し前に列に並んだ。
 私の前に若い女性がいた。
 彼女はこうして空港に遊びに来るのが楽しみだという話であった。そして,これまで飛行機に乗ったことがないと言った。要するに,この施設は,こうした人たちをターゲットにしたレジャーセンターであって,空港ではないことを確信した。

 プラネタリウムは1時間くらいの周期で同じようなプログラムを繰り返していた。私は,機内で食事が出るまでの数時間の空腹を埋めるために,パスタとジュースを注文して,それを食べながら時間を費やした。
 成田空港では,第2ターミナルはセキュリティを越えた先に,ラウンジよりもくつろげるスペースがある。それを知っているから,私はまず,セキュリティを越えてなかに入る。しかし,羽田空港では,セキュリティのさきがどうなっているか知らないから,先にセキュリティを越えるのを躊躇した。しかし,プラネタリウムに何時間もいることができるものでもなく,ほどなくセキュリティを越えて出国することにした。
 羽田空港は想像以上に不便なだけの空港であった。 デルタ航空のラウンジがあるだけ成田空港のほうがまだマシだと思った。

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☆☆☆☆☆☆
 明るくなるという予報のパンスターズ彗星(2017S3 PanSTARRS)でしたが,少し前に,3等星という予報が出たのには驚きました。7月のはじめにバーストを起こしたのが理由のようです。これだと大彗星です。その後,さすがに予報が変更されたのですが,それでも6等星,肉眼彗星にはなりそうでした。こうなれば,明るくなったときに一度は見ておかないと後で後悔すると思い,詳しい位置を調べました。
 あいにく地球に最も接近するころは月が明るく,月齢が大きくなって月明かりがなくなるにつれて彗星は太陽に近づいて地球から見えなくなってしまう,という最悪の状況だということがわかりました。

 彗星は8月5日の朝にふたご座のカストルに接近し,6日にはポルックスに接近,その後は南下して太陽に近づきます。それとともに彗星の光度は明るくなります。しかし,夜明けで空が白んでくるのが早朝4時ごろで,ポルックスの昇るのも4時ごろととなれば,なんとか見ることができるのは8月5日ころまででしょう。
 この夏は猛暑で,夜中でもTシャツで大丈夫という異常さですが,夏の天気は予報が晴であっても薄雲があったりするので,このところ連日,天気図とにらめっこをしてしていました。一日でも遅いほうが明るい彗星が見れらるのですが,見送っていると,見ないまま彗星が太陽に接近してしまいます。 
 8月2日の夜は雲が出ていて,どうしようかと思い悩みました。ともかく,だめでも5日までは連日星見に出かける覚悟で,3日の朝は午前2時に家を出ました。到着したのは午前3時。雲もなくなり快晴でした。このときすでに彗星は昇っていましたが,あまりに地平線に近く,しかも月がまぶしくてふたご座の星はひとつも見あたらず,どこにあるのが見当がつきませんでした。ぎょしゃ座の星の並びは見えたので,そこから見当をつけて写真を写しはじめました。やがて,彗星の高度が高くなると,ふたご座の星のならびも見られるようになり,彗星は双眼鏡でもその姿がわかるようになってきました。
 彗星はすでに核が分裂しているのではないか,という懸念もあったそうですが,幸い,かわいい尾をひいた姿を写すことができました。

 私が星を見にいく場所は地平線近くまで見えるのですが,それでも,この朝見た限り,空が白むころ,カストルはかろうじて見えましたが,ポルックスは高度が低すぎて見えなかったので,どうやら8月5日がかろうじて彗星を見ることができる限界のようです。しかし,5日はもう無理かもしれません。そんなわけで,まだ早いかな,と思った3日の朝でしたが実はもっともよいタイミングだったようです。彗星を写すことができてホッとしました。
 それにしても,こんな月の明るいときに星を見にいくのもはじめてのことでした。
 この彗星は太陽に接近したあとは,ずっと地球と太陽と彗星の位置関係が悪くなって,彗星が暗くなってしまうまでもう見ることができません。

◇◇◇
やっと晴れたか?夏2018①-ジャコビニ・ジンナー彗星
やっと晴れたか?夏2018②-明るくなるパンスターズ彗星

☆ミミミ
期待した7月28日早朝の皆既月食は残念ながら曇ってしまってまったく見ることができませんでした。晴れていたら,私の家からは山に沈む赤い月とそのとなりの火星が最後まで見らたはずなのでとても残念でした。そのかわり,その2日後,火星が大接近した日に,魚眼レンズで火星,木星,土星の写真を1枚に収めました。

2018火星大接近の日

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●なぜロサンゼルスに行くことに?●
☆1日目 2018年6月25日(月)
 私が前回ロサンゼルスに行ったのは2001年のことであった。そのとき,帰国の朝,ハリウッドのマクドナルドでパスポートの入ったカバンを置き引きされた。それ以来,私はロサンゼルスに行っていないし,あまり行きたくない。
 だから,どうしてこの時期にロサンゼルスに行こうと思ったのかさえ忘れていたが,それを思い出したのはこの旅から帰国して,私が以前書いたブログを読み直してからのことであった。

 そこには次のように書かれてあった。
  ・・・・・・
 天文台のある場所と見学の詳細を順に確かめておきます。
 まず,パロマ天文台があるのはロサンゼルスから2時間と少しのところです。パロマ天文台の一般の見学はクリスマスを除いて毎日行われていて,ギフト・ショップだけが週末のみのオープンだそうです。駐車場も見学も無料ということです。
 次に,ウィルソン山天文台はロサンゼルスから近く1時間程度で行くことができるところにあります。ただし,見学できるのは週末の土・日曜日だけで,ガイドつきツアーが午後1時から所用時間約2時間で行なわれているということです。ここもまた,駐車場と入場料は無料ということです。
 そこで,このふたつの天文台の見学はロサンゼルスに滞在すれば合計2日あれば行けそうです。
 この先アメリカへ行くときは,最優先でこうした天文台に行ってみたいと思うと,ロサンゼルスへ行って,そこからパロマ天文台とウィルソン山天文台へ行き,その足で,ロサンゼルス郊外の国立公園を組み合わせれば1週間程度の旅ができそうです。
 ロサンゼルスもまた成田まで行かないと直行便がないので,それだけが少しばかり面倒なわけです。なんとか成田まで楽に移動してロサンゼルスまで行く方法を考えているこのごろです。
  ・・・・・・

 これを書いたときはまだ,ロサンゼルスに行くというのは夢物語であった。これまで何度もアメリカに出かけたが,本気で再びロサンゼルスに行こうとは思っていなかった。
 このころ,なんとなく,セントレアからロサンゼルスというありもしないフライトをデルタ航空のサイトで探していたら,デルタ航空とはアライアンスの違うANAを利用してセントレアから羽田まで行って,羽田からロサンゼルスまで直行便で行くというが見つかってびっくりした。そこで興味半分でそのまま予約してしまったのだった。
 しかも,それは,ずいぶんと前のことで,そうしたいきさつさえも忘れていた。フライトを予約しただけで,それ以来ずっと何もしなかったから,どういう行程で旅をするかなんて,まるで考えていなかった。つまり,フライトだけ予約して,それ以外はほったらかしであった。
 そもそも,本当に,セントレアから羽田までデルタ航空のサイトでANAの予約ができたということがずっと不思議であった。本当に行けるのかしら,とかなり疑心暗鬼であった。しかも,ANAのサイトにログオンして私のアカウントを入れても,ここで予約したフライトが検索できないのであった。
 ともあれ,そんなわけで,私は,準備不足のまま,とりあえず,現地のホテルだけは旅立つ数日前に適当に予約して,出発の日を迎えた。

 セントレアから利用するANA便は,いつものように朝早い安価なものであった。羽田までも成田までも,早朝の便と午後の便だけANAは異常に値段が安いのである。
 しかし,早朝だからといって,前日の夜に空港近くのホテルに泊まるというのは,昨年やってみたがバカらしかった。そんな宿泊代を出すくらいなら早朝の新幹線で東京へ行くほうが安上がりだ。しかし,早朝に名鉄でセントレアまで行くというのもまた,名鉄に何が起こるかもわからないから極力したくなかった。やたらと遅延する名鉄を私はまったく信用していない。3月にオーストラリアに行ったときには,名鉄は架線事故で突然運休となってしまったくらいだ。
 ということで,今回は常滑市内の私設の駐車場を借りることにして,ネットで探して予約をしてあった。

 ネットには駐車場は朝6時30分からとあったのに,着いてみたら7時に開門だと言われた。日本も実はこのようにいい加減な国なのである。まあ,それでも,幸運にもその日に限って時間より早く係員が来ていて,今回だけはということで,時間より早く空港まで送ってもらうことができたのもまた,日本らしいことであった。
 そういう次第で,午前7時前にはセントレアに到着した。到着したとき,ANAのカウンタは開いたところであった。デルタ航空で予約したけれどチェックインはどこかと聞いてみたら,ANAでいいと言われた。ただし,羽田でデルタ航空のチェックインをする必要があるのだという。マイレッジもANAで有効だと言われた。それなら事前にANAのサイトで座席の指定ができるはずなのに,それができなかったのはどうしてだろう? と不思議に思った。国内線でわずか1時間乗るのなら,事前に窓際の席を指定しておいたほうがずっといいではないか。いろいろと納得がいかなかった。そもそも,アライアンスなど,航空会社の論理であって,利用者の利便性など全く考えていない。

 カバンは預けても機内に持ち込んでもいい,羽田まででもロサンゼルスまででもいいと言われた。とりあえず手元にあっても邪魔だったので羽田までということで預けることにして,チェックインを終えた。こうして身軽になったのでまずは朝食をとろうと思ったが,どこも店が開いていなかった。7時30分の開店だという。そこでそれまでラウンジで時間を潰そうと思ったが,ラウンジもまだ閉まっていてすることがなくなってしまった。
 ぐたぐたと少し待っていたら,7時30分よりも早く開店したハンバーガー店があったので,そこで朝食をとることにした。この先この旅ではおそらくハンバーガーばかり食べることになるであろうというのに,出発前からハンバーガーというのも気が引けたが,ほかに選択肢がなかったのだった。

◇◇◇
古の大望遠鏡は今-世界一を誇ったアメリカの象徴②
特別編・2018春オーストラリア旅行LIVE①

さいだん

 さいだん座(Ara)はさそり座の南(下)にあって,日本からは地平線ぎりぎりにしか昇らず,おおかみ座以上に見えないにもかかわらず,「トレミーの48星座」のひとつであるということは意外な感じがします。このように,さいだん座は古い星座なのです。
 「カタステリスモイ」(Catasterismi=「星々の配置」の意)は,星々や星座の神話的な起源をヘレニズム期(紀元前300年ごろからの300年間)の解釈で語った,アレクサンドリアの散文です。個々の星やプレアデス星団,ヒアデス星団のような星座の形を,ギリシア神話の何にあてはめるかといったことが語られています。作者はエラトステネス( Eratosthenes)と言われてきました。しかしそう断定するには問題があるというので,今日では作者は「偽エラトステネス(pseudo-Eratosthenes)」と呼ばれています。
 この「カタステリスモイ」や,古代ローマの詩人マルクス・マニリウス(Marcus Manilius)の残した書物によると,さいだん座の「祭壇」とは,ゼウスとその兄弟たちがクロノスとティーターン族の旧体制を打ち破ることを誓ったときに使ったものであるとされています。
 ローマ帝国時代に,エジプト・アレクサンドリアの天文学者クラウディオス・プトレマイオス(Claudius Ptolemaeus)によって書かれた天文学の専門書「アルマゲスト」(Almagest)以来,この祭壇は,南側に炎,北側に本体という姿で描かれています。また,ケンタウルスがおおかみを捧げるための祭壇として描かれています。さいだん座は18世紀まではラテン語で「香炉」を意味する「トゥリブルム」(Thuribulum) の名称でよばれていました。

 さいだん座のμ星には,4つの太陽系外惑星が発見されています。この星は2015年にミゲル・デ・セルバンテスにちなんだ Cervantes という固有名がつけられました。
 さいだん座で目につくのは,球状星団NGC6397です。太陽からの距離が8,200光年で,この種の天体ではM4と並んで最も近いと考えられています。この星団には約40万個の恒星が含まれています。また,NGC6397は,銀河系に少なくとも20個存在する「核崩壊の過程にある球状星団」のひとつです。これは,核が非常に密度の高い恒星の塊に凝集していることを意味しています。
 2004年,この星団を用いて,銀河系の年齢が推定されました。超大型望遠鏡VLTの紫外-可視光の回折格子を用いて,星団の中のふたつの恒星のベリリウムの含量を測定,これによって銀河系全体で最初の恒星が生まれたときと星団で最初の恒星が生まれたときの間の経過時間を推定し,これに星団の推定年齢を加えることで「銀河系の年齢は宇宙の年齢とほぼ同じ約136億歳である」という推計が得られました。
 また,2006年には,星団中の暗い恒星の光度の下限を示した研究論文が公表されました。この結果により,核融合反応を行う恒星に必要な質量の下限は約0.083太陽質量であることが示されました。

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●こんな長い旅はもうしないだろう。●
☆16日目 2017年8月31日(木)
 フェアバンクスを出発してシアトルに到着した。成田便の搭乗時間までは6時間ほどあった。
 シアトルの空港では,デルタワンラウンジで6時間を過ごすことにした。私はアメリカの空港ではほとんどラウンジで過ごす。とはいえ,ラウンジで寝てしまって乗りおくれると,今度こそ日本に帰れなくなってしまうから,それがまたストレスとなった。
 ラウンジの広い窓から外の空港の様子を見ていると,預けた荷物を飛行機に乗せるための車が走っているのが見えた。それを観察していると,その貨車に積んだカバンがひとつ落っこちて,それに気づかぬまま貨車が行ってしまった。
 これはかなり「やばい」出来事である。落ちた荷物が転がっている。ラウンジにいた若者たちもその様子を見ていて騒いでいた。どうなるのか見ていると,そのうちに係員がきて,無事に落ちたカバンを回収して事なきを得たのだった。
 日本と違って,アメリカではこのようにいい加減だから,私は極力カバンを預けたくないのだが,今回の旅は,日食を撮影するための機材を持っていたためにカバンを2個持っていたから,しかたがなくそのうちの1個だけを預けてあったので,気が気でなかった。
 ちなみに私は,海外に行くとき,機内持ち込みのできる大きさのカバンをひとつ持っていくだけだ。そんなわけで,大きなサイズのカバンを持っていないので,荷物の多い今回は,機内持ち込みサイズのカバンを2個持っていったわけである。

 やがて成田便の搭乗時間となって,無事にそれに乗ることができた。乗ってしまえばあとは帰るだけだから,機内でやっと一息つくことができた。
 私がこの旅で記憶にあるのはここまでである。この後,機内でどのようにすごしたのか,そして,成田空港からどのように自宅まで帰ってきたのか,そういったことがまるで記憶にないのである。
 …と書きながら,思い出したことがある。この後はそれを書く。
  ・・・・・・
 成田空港に着いた私は,東京駅までバスに乗ることにした。このバスが乗り方を知らないと,また不便なのである。
 成田空港から東京駅までのシャトルバスは3社が運航しているのだが,それらはすべて同じバス停から出発する。そのうちの2社については予約が不要で,来たバスに乗ればいいのだが,ターミナル間を巡回してくるからすでに満員で乗れないことがある。しかし,京成バスだけは事前にチケットを購入しないといけないから,空いていても乗れない。バス停には係員がいるのだが,係員はそれぞれのバス会社の専属で,全体を総括している係員はいない,という次第である。
 要するに,事前に京成バスのチケットを購入するのが一番確実だということを今は知っているのだが,このときはそれを知らず,いきなりバス停に行って私はかなり戸惑った。
 満員だったりチケットがなかったりして乗ることができなかった数台のバスを見送って,やっと乗ることのできたバスもほとんど満員であった。となりに乗っていたのは一見うざったい外国人の若者であった。しかし,話をしてみると,なかなかいいやつであった。彼はイタリアから来たひとり旅であった。
 私は,「私以外の」日本人はいつも早朝から深夜まで働いているんだと言った。彼はそんな日本人の姿をまったく知らず,疑心暗鬼であった。やがてバスが八重洲口に近づくと,勤務時間をとうに過ぎた仕事帰りのスーツ姿のサラリーマンが大挙して信号待ちをしていた。それを見た彼は,私の言ったことをやっと認識したのだった。それが彼の日本に来た第一印象となった。
  ・・・・・・

 こうして私はこの旅から帰ってきた。
 この旅ではほんとうにいろんなことをした。皆既日食を見た。その1週間後にオーロラまで見た。
 アイダホではキャンプもしたし,シアトルではフットボールも見た。大豪邸も見た。
 アラスカにも行った。
 東京駅に着いて,お茶漬けを食べたときの写真がこの旅で最後に写した写真である。この旅は盛りだくさんすぎて,忘れ去ってしまった思い出が多いのが残念なことである。わずか1年前のことなのに,この旅が遠い昔のことのように思えるのは,旅から帰ったあとで,身の回りにあまりに多くのことが起きたことと,そうであったにもかかわらず,その合間にさまざまなところに出かけたからである。
 1週間以上の旅をすることが億劫になってしまった私は,今後はもう,こんなに長い期間の旅をすることはないだろう。しかし,この旅を機会に,私はオーロラに目覚めてしまった。そんなわけで,今は,アメリカを越えて世界中の隅々まで,オーロラが見られるといわれる場所であれば夏であろうと極寒の冬であろうと,時間が許せばそこへ出かけはじめたのだった。

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