しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

October 2020

IMG_0445IMG_0444IMG_0466

●アメリカで普通に見かけるもの●
 今日は少し話題を変えて,アメリカの街中では普通に見かけるけれど,日本にはなじみのないものを紹介したい。団体ツアーで旅行をしていても縁がないかもしれないが,私のように車を借りてアメリカを旅すると,こうしたものを知らずして旅ができないのである。
 ところで,経験というのは貴重なものであるが,夢をなくすものでもある。私は今まで頻繁に海外旅行をしてきた結果,海外に行くのも東京に行くのと,さして変わらなくなってしまった。ときめきがないのである。
 ところが,2020年,コロナ禍によって,海外が遠いところになってしまうと,改めて国というもののガードを実感するようになった。しかし,奇跡的に,コロナ禍の前に行ってみたいと思っていたところはここ数年ですべて行きつくしていたのが幸いであった。

 さて,話を戻す。
 1番目の写真は,交差点にある歩行者信号のボタンである。アメリカの交差点の信号には,歩行者用に写真のようなボタンがある。これを押さないと,たとえ車道が青信号になっても,歩道の信号は青にならない。しかも,この青信号,結構時間が短い。だから,足の悪い老人などは交差点を渡ることは不可能,というか,危険なのである。
 アメリカでは,そもそも,歩いている人が多くないし,体の不自由な人はむしろ車を利用するのだろう。また,赤信号であっても右折(日本でいう左折)は可能だから,このことも考慮して注意して歩道を渡る必要があるのだが,アメリカの運転はたえず歩行者優先であることが徹底されているから,さほど心配したことはない。
  ・・
 2番目の写真は,民間の駐車場の入口にあった看板である。アメリカの駐車場は,その昔は料金はさほど高くなかったが,近ごろはどんどん高くなって,日本と変わらなくなってしまった。この写真の料金は「1日あたり」である。
 ところで,アメリカ人は「Early Bird」という言葉が大好きなようだ。早朝割引ということだが,「早起きは3文の徳」というわけである。中学校だか高等学校だかで「The early bird catches the worm.」というのを習ったことがあろう。これが,英語では日常的に使われている。レストランなどにも,「Early Bird Special」なるメニューがある。
  ・・
 そして,3番目の写真が,路上駐車帯の料金支払い機である。私が車で旅行をしていて,一番面倒なのが,この路上駐車なのである。要するに,勝手がわからない。
 クレジットカードが使えるものもあることはあるにが,壊れていたりするし,コインが必要なことが少なくない。アメリカに住む私の友人は,このためだけに,ビニール袋一杯にコインを入れて車に積んでいる。この機械,駐車するときに事前に時間を決めなけらばならないが,そんなこと言われても,どれだけかかるかなんて事前にはわからないではないか。
 路上駐車というのは,機械の使い方さえわかれば,一番めんどうのない駐車の方法なのだろうが,万一誤操作して駐車違反にでもなったら,旅行中のことでもあり,面倒極まりない。また,ここは夜6時を過ぎたら係員は来ないから事実上は無料だよ,とか言われたこともあるが,そんなこと,教えてもらわなければわからない。
 それでもまた,こうした機械があればマシなほうで,近ごろはアプリで料金を支払う,などというものが増えてきた。そんなもの,地元の人ならともかく,旅行者にとってはわざわざこのためだけにアプリをインストールする必要もあるし,面倒極まりない。QRコードでも表示しておいてインターネットにアクセスしてその場で支払えば済むのではなかろうか?
 このように,アメリカの都会を車で旅すると,駐車場探しがいつも問題となるのだ。

💛

IMG_0597 (2)IMG_0599IMG_0600IMG_0609

 稲沢市は中央を南北に名鉄が走り,そのはるか東2キロメートルほどのところを南北にJR東海道線が走っているので,名鉄の国府宮駅とJR東海道線の稲沢駅間の乗り換えは不便です。また,名鉄もJR東海道線も高架でないので,踏切で絶えず道路が混み合います。
 一方,美濃路は稲葉宿を過ぎると南西に進み,まず,現在の名鉄を越え,さらに,JR東海道線をも越えたところでJR東海道線に沿って名古屋に向かいます。稲葉宿の次が清須宿になります。

 JR東海道線の踏切を越えてすぐに旧街道があるのですが,その西側に平行に現在の県道が走っているので,わざわざ通らない限り,旧街道は見過ごされるので,稲沢市に住んでいる人にも,このあたりの住民でなければ縁の浅いところです。
 どこも同じですが,旧街道が現在の自動車道にならず,その近くに今も存在している限り,それに気づくことは少なく,わざわざ徒歩で行ってみて,こんな道があったのかと驚くことが多いものです。
 その反対に,自働車道がないか,あっても旧街道の方が最短距離である場合,狭い道路が朝のラッシュ時には車で大渋滞を起こしているところもすくなくありません。しかし,ラッシュ時以外の時間なら,そこに代々住んでいる人以外はほとんど人が通らないことが多いので,旧街道歩きを楽しむことは可能です。こうした旧街道に気の利いたおそば屋さんとか喫茶店でもあればさらによいのですが,そもそも人が通らないので,そうした店があることのほうがまれなのが残念です。

 先に書いたように,稲沢市に住んでいる人の多くも,ここに旧街道があるという認識をもつ人は少なく,いくつか由緒ある寺があることも,当然知りません。
 亀翁寺は鎌倉時代に創建された古刹です。国の重要文化財に指定されている亀翁寺の木造虚空蔵菩薩坐像は南北朝時代の寄木造で,25年に一度だけ開帳されるそうです。
 亀翁寺から450メートルほど北に行くと左手に長光寺の山門が現れます。門前の街道沿いには 「左京都道大垣道,右ぎふ並浅井道」と刻まれた四ッ家追分の道標が立っていて,ここが岐阜街道(旧鎌倉街道)と美濃路との追分となります。長光寺の入口には仁王門があります。長光寺は平忠盛の五男であり平清盛の弟であった平頼盛の寄進で創建され,足利尊氏が祈願所とし,織田,徳川の保護を受けた古刹なのです。長光寺の境内の地蔵堂は室町時代の1510年(永正7年)建立の六角円堂形です。六角堂に祀られる本尊鉄造地蔵菩薩は文暦2年(1235年)の銘を持ち,足利尊氏は勝軍地蔵と崇め,また,国家に変事があると全身に汗をかくというので、汗かき地蔵ともいわれるそうです。また,堂の正面にかかる大鰐口には永和2年(1376年)の銘があります。寺の奥にある臥松水は織田信長のお気に入りの井戸だったといわれています。
  美濃路と岐阜街道の分岐点の四ッ家追分には「下津,一宮,黒田を経て岐阜へ向かう鎌倉街道。 後の岐阜街道と稲葉・萩原・起を過ぎて垂井へ向かう美濃街道との分岐点である」と書かれていますが, かつて,ここには茶屋が数軒あり,うどんが名物であったということです。

◇◇◇
十三夜の月

十三夜の月は後の月,栗名月ともいいます。隣には大接近中の火星が見えました。
DSC_6808s (2)

💛

IMG_0454IMG_0453IMG_0464IMG_0725IMG_0489

 コロナ禍で遠出をすることがままならなくなったころから,私は街道歩きを兼ねて,地元に残る史跡を求めて散策しました。
 そこで,これからしばらく,私の住む町を通る美濃路について書いていくことにします。
  ・・
 私は近年まで旧美濃路が稲沢市のどこを通っていたのか知りませんでした。それは,稲沢市は旧美濃路の稲葉宿だったという基本的な知識に欠けていたからです。
 この歴史ある町は,もっと地元の歴史的史跡を大切に保存していたら,ずいぶんと魅力のある町であることができたと思うのですが,愛知県人というのはそうしたことにお金をかける精神的な豊かさがありません。

 旧美濃路から少し離れたところですが,そこに,大江匡衡,赤染衛門の歌碑があります。その歌碑は,稲沢市にゆかりが深く,百人一首の
  ・・・・・・
 やすらはで寝なましものを
 小夜更けて
 傾くまでの月を見しかな
  ・・・・・・
で有名な平安の女流歌人「赤染衛門」とその夫で大江川の開削に力を注いだ 「大江匡衡」のふたりを顕彰するために,市制三十年を記念し,建てられたものだそうですが,単に碑があるだけなので,市民もほとんど関心がありません。
 大江匡衡は,1001年(長保3年)と1009年(寛弘6年)に尾張守に任命されて赴任しました。この歌碑に刻まれた二首
  ・・・・・・
 はつ雪とおもほえぬかな
 このたびは
 猶ふる里をおもひでつつ
   大江匡衡
 めずらしきことはふりすそ
 思ほゆる
 行きかへりみるところなれども
   赤染衛門
  ・・・・・・
は,大江匡衡が尾張国に再び赴任した住み慣れたこの地を思い出し詠んだものと,その「返し」に赤染衛門が詠んだものです。

 稲葉宿を出たところには,小沢一里塚跡の標識が道端に立っています。
  ・・・・・・
 稲葉宿は,稲葉・小沢両村で宿駅業務を行う合宿でした。町並みは8町21間,約900メートルあって,本陣1軒,脇本陣1軒,問屋場3軒,旅籠8軒,家数336軒,人口は約1,500人でした。本陣は小沢村の原所次右衛門が代々世襲していました。
  ・・・・・・
 宿場跡は,鍵型に左手に曲がる角の正面に本陣の碑が立っていただけでしたが,近年,というか今年,本陣跡地が整備されて,休憩所ができました。また,本陣から西に100メートルほど 行った場所に脇本陣がありました。
 さらに150メートル余り行った北側には西町の 問屋場跡の碑が民家の軒先に立っていて,すぐ先の宝光寺の門前には「右つしま道三里」と刻まれた津島道の道標があります。
 宝光寺の北の西寄りにある禅源寺は大きな寺ですが,そこは,1869年(明治2年)西尾張地域一帯で 起こった大規模な農民一揆「稲葉騒動発端」の地だったということです。禅源寺の鐘を合図に農民の不満が爆発し暴動へと発展した一揆は4日間に及び,30,000人を越える人々が加わったと伝えられているそうですが,今,そのことを知る人がどのくらいいることでしょうか。

💛

DSC_4966DSC_4967IMG_0434

●ポートランド名物の屋台●
 ポートランドのダウンタウンは日本の都市と似ている。この町は車でなく電車や徒歩で移動するところだ。
 ダウンタウンの中心にあるのがパイオニアコートハウススクエア(Pioneer Courthouse Square)である。ここは以前駐車場だったところを市民がレンガのブロックを買って建設費を捻出して造ったものという。
 広場の周りにはブランドショップやアップルショップなどがあるが,日本とたいして変わらないから,ここを歩いていてもアメリカに来たという感じすらしないかもしれない。今は世界中,都会はこんなものだ。
 私は,MAXライトレール(MAX=Metropolitan Area Express Light Rail)で空港からやってきて,パイオニアコートハウススクエアで下車した。
 今日の午前中は,ここからはじめて,徒歩でポートランドの町を散策しようというわけである。

 パイオニアコートハウススクエアから東にわずか500メートルほど歩くと,ウィラメット川(Willamette River)にたどり着く。川べりにはトムマッコールウォーターフロントパーク(Tom McCall Waterfront Park)がある。
 また,北に向かって1キロメートルほど歩くとチャイナタウンがある。
 サンフランシスコのダウンタウンもおなじような広さだが,サンフランシスコには坂があって,歩くのがたいへんだし,ごちゃごちゃしていて,しかも,治安のよくないところが少なくない。それに比べて,ポートランドはどこも美しく,また,治安がよい。「地球の歩き方」には,深夜のグレーハウンドのバスターミナル付近だけ治安がよくないとあるが,まあ,深夜に行かなけば問題はないであろう。
  ・・
 すでに書いたことだが,ポートランドの名物いえば,屋台である。屋台では,世界各国の食が低価格で楽しめるのが魅力であり,そのクオリティも高い。屋台は,フードコートならぬフードカート(food cart)という。スモールビジネスとしてはじめやすく,規制する法律がなかったことから,ポートランドには数多くのフードカートある。人気となったフードカートは複数の店舗を経営するまで成長している。

 現在,アメリカではポートランドに限らず,屋台が多く,ワシントンDCなどでもよく見かける。ニューヨークにも多いというが,私はニューヨークではほとんど見たことがない。というか,ニューヨークに行ったのも,かれこれ7年も前のことになってしまった。ちなみに,私がニューヨークに行ったのは,1981年,1997年,2013年と,偶然,16年周期なのである。果たして私は2029年に,四たびニューヨークに行くことができるであろうか?
 ポートランドのフードカートは,街全体で約500もの店が出店していて,さまざまな料理やビールを気軽に楽しむ事ができる。そして,フードカートが立ち並んでいるエリアをフードカートポッドという。ポートランドの主なフードカートポッドには次のものがある。
  ・・・・・・
●North Park Blocks … SW 8th Ave.,SW Ankeny St.,SW Park Ave.
●5th Ave. Food Card Pod … SW. 5th Ave. & SW. Oak St.
●3rd Ave. Food Card Pod … SW. 3rd Ave. & SW. Washington St.
●Portland State University Food Card Pod … SW. 4th Ave. & SW. College St.
  ・・・・・・

💛

IMG_1629IMG_1624IMG_1610IMG_1617IMG_1618

 木曽路を訪れると,いつもは旧中山道を1宿間歩きます。今回はそうした予定はなかったのですが,宿泊先に向かう間に時間があったので,宿場間の移動は車にして,旧中山道の宿場歩きを楽しむことにしました。

 巴渕から南に行くと,宮ノ越宿になります。宮ノ越宿は中山道36番目の宿で,宿内家数137軒でした。うち本陣1軒,脇本陣1軒,旅籠21軒で,宿内人口は600人ほどでした。
 前回来たときは,ここにあった義仲館に行きました。義仲館は源義仲の生涯を人形や絵画を使って紹介した展示がある博物館でした。
 今回は,宿場の中心あたりを少しだけ歩いてみました。前回行かなかった本陣跡が公開されていたので入ってみました。1883年(明治16年),旧中山道宮ノ越宿は大火にあい,90軒の家が燃えてしまいました。この大火で本陣の主屋部分も焼失しましたが客殿部分は焼失を免れました。木曽11宿の中でたった1宿残されたこの客殿部分は再生され,2016年(平成28年)から一般公開されているのです。
 私のほかに観光客はだれもいませんでした。本陣の中には宮ノ越宿の年代別の宮越宿割図の複製等が展示されていました。

 宮ノ越宿を出て,旧中山道を南に走ると,中山道の中間地点に着きました。ここが旧中山道六十七次のちょうど中間地点だった場所です。当時の人はこの碑をみて,「やっと半分来た…」と思いながら木曽の山々を眺めたことでしょう。
 中山道は山間部を通るため東海道に比べて歩くのが困難なようですが,実際に歩いてみると,東海道も箱根峠,鈴鹿峠に加えて,橋のない大井川などがあって,それなりに大変で,しかも,水嵩が増すと川止めになってしまい予定が立たないので,むしろ中山道のほうがその点では楽だったといいます。
 東海道と中山道は距離は中山道の方がずいぶん遠回りに思えますが,実際は40キロメートルくらい中山道が長いだけです。

 さらに南に民家のある旧中山道の狭い道路を進むと,いよいよ福島宿に到着します。
 福島宿は中山道37番目の宿場でした。福島宿の宿内家数は158軒,うち本陣1軒,脇本陣1軒,旅籠14軒で宿内人口は約1,000人でした。
 この地は,戦国時代には領主木曽氏の城下町として,江戸時代には木曽代官山村氏の陣屋町として栄えました。
 福島宿の北側の入口には箱根,新居,碓氷,福島の四大関所のひとつ福島関所が設けられていました。福島関所跡は発掘調査により番所敷地及び門,塀,棚等の配置が確認され,1979年(昭和54年)に「江戸幕府の交通政策史上における遺構として極めて重要なものとして旧中山道に接する家中屋敷部分を含め関所跡」として「福島関跡」の名称で国の史跡に指定されました。
 現在は,発掘された遺構の一角に関所が復元され,資料館として往時の姿を物語る用具類などが展示されています。前回,私はそこに訪れたので,今回はパスして,さらに進みます。

 福島宿は,宿場であった上町,下町は1927年(昭和2年)の大火で焼失してしまったので,残念ながら現在は古い建物は残されていませんが,地形や道路から往時をしのぶことができます。また,上之段地区にだけ江戸時代末期の建造物が所々残っており,往時の面影をとどめています。
 町中の観光客の駐車場に車を停めて,上之段地区に向かいました。私は,このあたりの雰囲気が好きです。まず,高札場が出迎えてくれます。その先は,件数は多くはないのですが,古い木造家屋やなまこ壁の土蔵が残っています。また,新しい建物の中には景観に配慮した外装になっているものもあります。町のあちこちに水場があり,道端の水路にもきれいな水が勢いよく流れていて木曽の水の豊かさを感じることができます。
 往時の暮らしに思いを馳せながら散策し,町の雰囲気を味わうのに最高です。
 私は,馬籠宿やら妻籠宿のような観光地化されたところよりもむしろこうした場所のほうが好きですが,多くの日本人の旅というのは,食事をし土産を買い,ということが主になってしまうので,人が少ないところは次第にさびれていってしまうのが残念です。

💛

DSC_4924DSC_4940DSC_4941DSC_4943DSC_4953

●便利なポートランドの市内交通●
☆15日目 8月13日(木)
 長かったこの旅も,帰国の日がやってきた。
 国内線で乗り継ぎをしてから帰国するときは,まず,国内線に乗って,デトロイトやシアトル,ロサンゼルスといった日本への直行便のある都市まで,日本への直行便の乗り換えに間に合うように着かなければならないので,国内線に乗るのが早朝になることが多いから,帰国の日はあわただしい。
 しかし,今回はポートランドから日本にそのまま直行便で帰国するので,出発は午後の1時過ぎ。しかも,ポートランドのダウンタウンから空港までは公共交通で1本なので,ずいぶんと余裕があったので,午前中はポートランドの市内観光ができた。
  ・・
 この旅では必要がなかったが,国内線乗り換えをしなければならない場合は,国内線が遅れると乗り換えることができなくなってしまうという不安もあり,また,実際に私は乗り遅れたこともあるので,乗りかえの必要な地方都市から帰国するときは最後まで気がかりだ。
 だから,最終日は前日に日本への帰国便のある都市まで行って,1泊するほうが無難だと,このごろ思うようになった。

 朝,ホテルで朝食を済ませ,まず借りていた車で空港に向かって,空港にあるレンタカーオフィスに予定より早く車を返却した。それから再び公共交通でシアトルのダウンタウンに戻って観光をしようという予定であった。今回の長い旅では,車を借りたのはシアトルで返却はポートランドであった。
 レンタカーを返却したあと,空港にある航空会社のカウンタでフライトのチェックインを済ませカバンも預けて身軽になってから,ダウンタウンに戻った。
 …と,この旅をした今から5年前の2015年はこんな感じであった。その後,私はオンラインでチェックインを済ませるようになったし,カバンはキャリーオンにするので,この旅のころのように,早朝航空会社のカウンタに行って,先にカバンを預けるということもなくなった。

 ポートランドでは,空港からの公共共通はMAXライトレール(MAX=Metropolitan Area Express Light Rail)という電車があって,40分でダウンタウンと結んでいる。この電車,市内区間は無料だが,空港からは市内の無料区間までだけ有料である。
 空港を出たすぐのところにホームがあった。電車が停まっていたので,チケットを購入して乗り込んだ。チケットを購入するといっても,ホームに自動販売機があるだけで,改札があるわけでもなく,検札も来なかった。欧米ではどこもそんな感じである。
 これからダウンタウンまで行って,フライトの搭乗時間に間に合うまで,ポートランドを南から北に散策するのである。
  ・・
 空港からダウンタウンまでのアクセス方法は,都市によってずいぶんと異なるので,いつもとまどう。車社会のアメリカだから,空港でレンタカーを借りてしまえば何の問題もないのだが,車を借りないときはいろいろ不便なことも多い。そもそも,移動手段が車を持っていることが前提となってできている。
 それでも,ニューヨーク,ボストン,サンフランシスコ,ミネアポリス,シアトル,シカゴなど,おおよその大都市は,今では便利な公共交通がある。そういった都市では,車を使わない場合は,空港に近いところにホテルを予約しないで,公共交通でのアクセスが容易なダウンタウンにホテルを予約しておいたほうがむしろ便利である。
 空港に近いというのがウリのホテルを予約すると,逆にホテルまで行く手段が難しかったりするから要注意である。それは,ホテルのシャトルバスをあてにすると,電話をかけて空港までわざわざシャトルバスをよぶ必要があったり,タクシーを利用するとなると,空港から近いといってもけっこう高価だったり,また,このごろはアメリカではウーバー全盛でタクシーそのものが絶滅危惧種であったりといった問題があるからだ。空港に近いからといっても歩ける距離ではない。

💛

DSC_4828DSC_4834DSC_4838DSC_4871

●西海岸と東海岸にある同じ名前の町●
 帰路もまた,どこを走ったのか覚えていないのだが,来たときよりも早くインターステイツ5に入ったことだけは確かである。何だ,このルートで来ればもっと早かったのに,と思ったことは記憶にある。日本とは違って,有名な観光地であろうと,途中には大きな案内看板などは皆無である。
 インターステイツ5に入ると快調に進み,北に北に走って,やがてポートランド近くまで戻ってきた。
  ・・
 ポートランドの手前にオレゴン州の州都であるセイラム(Salem)という町がある。
 話は飛ぶが,ニューヨーク州の州都がニューヨークよりはるか北の内陸部にあるオールバニー(Albany)であるというのを,多くの日本人は知らない。私はクーパーズタウンの野球殿堂と博物館に行ったとき,途中で偶然オールバニーを通ったことがあるが,古いビルが立ち並ぶ歴史ある町であった。
 それと同じく,オレゴン州の州都がセイラムということもまた,ほとんどの日本人は知らないであろう。また,セイラムという名前の町は,オレゴン州だけでなく東海岸のボストンの近くにもある。東海岸のセイラムは魔女の町として有名で,私は,その町にも偶然行ったことがある。ポートランドもまた,東海岸と西海岸に同じ地名の町があるが,それらもまた,ともに行ったことがある。
 このように,アメリカには東海岸と西海岸に同じ地名がけっこうあるので,それを知らずに空路を予約するとえらいことになるし,また,実際,なってしまったというのを聞いたことがある。

 この日の夕食は,そのオレゴン州の州都セイラムのデニーズで,ささやかにサーロインステーキを食べた。
 アメリカの小さな都市がどこも治安がいいということではないから注意を要するが,私の行ったことのあるほとんどの小さな都市はどこもとても落ち着いたすてきなな町であった。セイラムもまた,こじんまりとして美しかった。こんな町に住んで,安定したささやかな仕事をして,週末には家族で郊外に出かけてキャンプをするというのが,アメリカに生まれたら最も楽しくすばらしい生き方ではなかろうかと思う。
 人間を長くやっていると,そうした塩梅がよくわかってくる。
 とにかく,私がアメリカに生まれても,ニューヨークだとかロサンゼルスのような大都会には絶対住みなくない。日本でもまた,東京や大阪は嫌だ。

 夜おそくホテルに戻った。
 この日,シアトルマリナーズの岩隈久志投手がノーヒットノーランを達成した。テレビのスポーツニュースでは盛んにその話題を放送していた。私は,この登板のひとつまえの登板をセイフコフィールドで見てすっかり満足していただけに,ちょっと悔しかった。それもまた,今ではいい思い出だ。
  ・・・・・・
 岩隈久志投手は,1999年のドラフト会議で大阪近鉄バファローズから指名を受けて入団し,その後,東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍,ともにエースとして活躍したのち,2012年にMLB(メジャーリーグベースボール)に挑戦。シアトル・マリナーズに入団した。アジア人として野茂英雄以来2人目となるノーヒットノーランを達成したのがこの日のゲームであった。
 2016年までは活躍したが,2017年開幕から6試合目の登板で左膝に打球を受け,新たに右肩の炎症も発覚し故障者リスト入りとなり復調することはなかった。
 2018年はマイナー契約を結んだが,メジャーでの登板を果たせないまま退団した。9月のゲームで試合前に捕手役をイチロー選手が務め,始球式を行ったのが最後となった。
 2018年末,読売ジャイアンツと契約し,日本の球界に復帰したが,登板することなく,1週間ほど前の2020年10月19日に引退を発表した。
  ・・・・・・
 これが5年という歳月である。

DSC_9694

💛

IMG_1637IMG_1638IMG_1640IMG_1641

 源義仲(木曾義仲)と巴御前のことを知らないと,木曽路の旅はそのおもしろさが半減します。
  ・・・・・・
 巴御前は平安時代末期の女性で,「平家物語」によれば源義仲に仕える女武者とあります。また「源平闘諍録」によれば樋口兼光の娘であり,「源平盛衰記」によれば中原兼遠の娘で,源義仲の妾とあります。
 「平家物語」では「木曾最期」の章段だけに登場し,木曾四天王とともに源義仲の平氏討伐に従軍し,源平合戦で戦う大力と強弓の女武者として,次のように描かれています。
 「木曾殿は信濃より,巴・山吹とて,ふたりの便女を具せられたり。山吹はいたはりあって,都にとどまりぬ。中にも巴は色白く髪長く,容顔まことに優れたり。強弓精兵,ひとり当千の兵者なり」
 宇治川の戦いで敗れ落ち延びる義仲に従い,最後の7騎,5騎になっても討たれなかったといいます。
 源義仲は「お前は女であるからどこへでも逃れて行け。自分は討ち死にする覚悟だから,最後に女を連れていたなどと言われるのはよろしくない」と巴を落ち延びさせようとします。巴はなおも落ちようとしなかったのですが,再三言われたので「最後のいくさしてみせ奉らん」と言い,大力と評判の敵将・御田八郎師重が現れると,馬を押し並べて引き落とし首を切り,その後,巴は鎧・甲を脱ぎ捨てて東国の方へ落ち延びた所で物語から姿を消すのです。
  ・・・・・・

 源義仲ゆかりの地である宮ノ越宿の少し北側,旧中山道沿いに巴淵があります。歴史漂うこの淵は、巴状にうずまいているので,巴淵と名づけられました。
 巴淵は武勇に長けた麗将として有名な巴御前にちなんだ深淵でもあり,伝説には,この淵に住む龍神が源義仲の養父中原兼遠の娘として生まれ,巴御前に化身して源義仲の愛妾として彼の生涯を守り続けたといわれています。 巴御前はここで水浴をし,泳いでは武技を練ったとか。
 巴淵のある山吹山一帯は、この時期,全山を紅葉が鮮やかに染めます。岩をかみ巴状に蒼くうずまく淵と四季折々の花木の織りなす風情は一見に値するものがあって,とてもきれいでした。以前,NHKBSPの「にっぽん横断こころ旅」で火野正平さんも訪れていた地です。

 巴淵の石碑の右側には次の許六の句が刻まれています。
  ・・・・・・
 山吹も巴もいてゝ田うへ哉
  ・・・・・・
 これは「韻塞」に収録されている句です。1693年(元禄6年)5月,許六は江戸から木曽路を通って彦根に帰ります。芭蕉は許六が帰郷の折に次の餞別の句を贈っています。
  ・・・・・・
 旅人のこゝろにも似よ椎の花
  ・・・・・・

 1891年(明治24年)5月,正岡子規は木曽路の旅をします。このときの様子を「かけはしの記」に次のように記しています。
  ・・・・・・
 日照山徳音寺に行きて木曾宣公の碑の石摺一枚を求む。この前の淵を山吹が淵巴が淵と名づくとかや。福嶋をこよひの旅枕と定む。木曾第一の繁昌なりとぞ。
  ・・・・・・

💛

IMG_1645DSC_0178IMG_1646IMG_1648

 開田高原を出て,国道19号線に入り北に向かい,木曽福島を過ぎさらに北に進み奈良井に近づくと,木祖村に入ります。この村のウリは「木曽川源流の里」です。
 私は小学校の低学年のころ,夏休みの自由研究で「木曽川を源流から河口まで」というのに取り組みました。とはいえ,実際に行くわけにも行かず,単に本で調べたことを書き写しただけのことでした。何せ,インターネットもなかった時代,調べるといっても百科事典からのパクリにすぎませんでした。
 もし,理解のある親なら,それでも,寝覚めの床などに,車がなければ電車で連れて行って,川の石の形状の違いくらいは実際に見てくることもできたのでしょうが,残念ながら私の親には,日ごろ勉強しろと言う割にはそんな興味も情熱もなかったので,完全に孤立無援でした。
  ・・
 子供のころに考えたことはいつまでも忘れないものです。車を走らせていて,木曽川源流の里という看板を見つけて,そうか,この村に木曽川の源流があったのか,と妙に感動しました。

 ところが,「木曽川源流の里」と村のウリをうたいはしてもそれだけのことで,そうした類の博物館への道案内があるわけでもなし,そこがどこなのかという目立った案内があるわけでもなしということで,私はがっかりしました。
 しかし,しばらく走っていくと,観光案内の大きな地図がありました。それを見ると,どうやら,木曽川は国道19号線を左折して西に,山を登っていったところに源流があるらしいことがわかりました。源流の近くに味噌川ダムというものがあって,そのダム湖の東側を道路が伸びていて,その先にある標高2446.6メートルの鉢盛山が木曽川の源流だということを知りました。
 そこで,味噌川ダムを目指して走っていきました。

  ・・・・・・
 味噌川ダムは木祖村の木曽川に建設された高さ140メートルのロックフィルダムです。洪水調節,不特定利水,上水道,工業用水,水力発電を目的とした水資源機構の多目的ダムで,ダム直下では利水放流水を利用して水力発電を行っています。この奥木曽発電所は最大4,800キロワットの電力を発生できる長野県企業局の発電所です。
 今は川は伊勢湾まですべてを木曽川とよぶのですが,かつては,鉢盛山から流れ出た小さな川が木祖村の小木曽というところで笹川と合流し,それを味噌川といいました。それは,古くは木曽川を「曽川」といったことから、源流地域では「未だ曽川でない」といういい方があり,それで「未曽川」といっていたらしいからですが,それがいつの間にか「味噌」の字になっていったということだそうです。
 そこで,このダムを味噌川ダムというわけです。
 ダム湖の名は奥木曽湖で,面積は1.4平方キロメートルあります。右岸にはダム管理所,左岸には「木曽川源流ふれあい館」という名前の味噌川ダム資料館があります。
 味噌川ダム建設によって水没した世帯はなかったものの,有数の木曽ヒノキの産地でもある木祖村のヒノキ林が水没することから,当時の木祖村長が補償をめぐって水資源開発公団や建設省,下流受益自治体と交渉し,愛知県,岐阜県から補助金を支出してもらうということで解決したのだそうです。
  ・・・・・・

 このダムの周囲は道路があるのですが,東側の道路は落石の危険があり,通行止めとなっていました。西側の道路のほうはダム湖に沿って先に進むことができて,奥木曽湖の先にはある奥木曽大橋までは自由に行くことができました。通行止めとなっている東側の道路のほうはそれを進むと木曽川の源流まで林道が通じているらしいのですが,許可がないと行くことができないということでした。
 「木曽川源流ふれあい館」に入ってみました。館内にはさまざなま展示があって,かつて木曽川源流にあった昔の碑の本物と木曽川源流の場所の写真もあって,興味深くそれを見ることができました。また,「木曽川源流ふれあい館」から先小高い山の上に展望台があって,そこまで車で行くことができました。展望台からは中央アルプスの峰々が見渡せ,ダムとダム湖である「奥木曽湖」を同時に一望できました。
 こうして,木曽川の源流はどこなのだろう,という子供のころの疑問が解決して,私はとてもうれしくなりました。

DSC_0181

💛

DSC_4798DSC_4807DSC_4816DSC_4817

●湖に浮かぶ老人●
 クレーターレイクの見どころといえば,まず,ウィザード島(Wizard Iskand)である。ウィザード島はこのブログの「クレーターレイク国立公園③」の最後に写真を載せたものである。高さ233メートルの小さな火山で,山頂には火口があって,これがクレーターレイクの名前のの由来となっている。
 次に,ファントムシップ(Phantom Ship)という長さ90メートルほどの小さな島で,まさに幽霊船のような雰囲気である。これは今日の1番目の写真の湖面の左に小さく写っている。
 これらは湖の外周道路リムドライブ(Rim Drive)を走ると見ることができた。
 さらに,湖に浮かぶ老人(The Old Man of the Lake)という100年以上前から湖面を漂っている枯れ木があるそうだが,私はこれを見た記憶がない。どうやら見損ねたようだ。残念なことをした。
  ・・
 私は湖の北側の入口から入ったが,湖の南側のリムビレッジというところにビジターセンター(=2番目の写真)があった。帰り道,そこに寄ってみたのが,中には簡単な展示があった。

 さて,これでクレーターレイク国立公園巡りは終了である。ここはポートランドからはとてつもなく遠いところであったが,もし次回があるのなら,こんな場所に宿泊して何日も過ごすのも悪くないと思う。観光地とはいえ,ほかの多くの国立公園に比べたら,さすがに人が少なく,景色も美しいし,ツアーがないので,うざっい団体観光客がいないからである。
 コロナ禍が終わったら,再び世界はどこも以前のように観光客で埋め尽くされるようになるのかどうかはわからないが,もし,以前のように観光客が戻って多くの場所がオーバーツールズムになったとしても,世界には人の少ないすばらしい大自然に接することができる場所が,まだある。このクレーターレイク国立公園などがそうだ。こうしたところは貴重なのである。
  ・・
 来るときも見た山火事だが,帰り道,その山火事がずいぶんと大きくなっていた。走っていると,その山火事がずいぶん近くに見られて,道路までその煙りが来て,すごい迫力であった。
 クレーターレイク国立公園は,ポートランドから往復で10時間,距離にして800キロもあった。日帰りをするにはかなりの強行軍であったが。そんな時間を超えた感動があった。本当に行ってよかったと思う。ここに行く前日,この場所を教えてもらったことを感謝した。

💛

DSCN7040 (2)

######
 テレビの報道番組を一切遮断してこころ穏やかに過ごすことができるようになった日々です。そうしてみると,それがまあ,いかに快適であるかということが身に染みました。巷にあふれる情報のほとんどは自分にはいらないものでした。
 そこで,「人生暇つぶし」の次のステップとして,肩の凝らないドラマを,NHK,民放問わず見ることにしました。番組表からよさそうなものを探して一度見てみて,自分に合わなければそれでやめ,気に入ったら見続けることにしたのです。今日は,こんな次第で私が見はじめたドラマについての話題を書くことにします。

●「エール」「麒麟がくる」
 まずは定番の朝ドラ(連続テレビ小説)と大河ドラマです。ともに,このごろはあまり見たこともなかったのですが,今年は朝ドラの「エール」と大河ドラマの「麒麟がくる」,ともに出来がよいので気に入りました。
 私がこれまでに見た朝ドラは「あまちゃん」「おひさま」「ちゅらさん」「ひよっこ」です。それらの何がよかったかというと,元気が出るドラマだったということです。とにかく私は暗いものやいびりのあるものはダメです。そして,脚本にきちんとした主張がないとさらにダメです。「エール」はヒロインの二階堂ふみさんがいいです。あんな役柄の女性なら妻にしたいとほれ込みながら見ています。二階堂ふみさんはなんとなく宮崎あおいさんとイメージがダブるのですが,いろいろな表情を見せるのが魅力的です。こんな女優さんがオーディオを受けにきたらほかの人はたまったものではありません。
 大河ドラマの「麒麟がくる」もとてもおもしろいです。これまでに見た大河ドラマの中でもこれは最高です。ただひとつ,しかし,そしてそれが最も残念な問題は,コロナ禍で一度中断したのち,まったく帰蝶さんが出てこなくなってしまったことです。巷では「帰蝶ロス」が起きているとか…。私もそのひとりです。漏れ聞こえてくる噂では,帰蝶を演じている川口春奈さんが別のドラマで忙しいかららしいということでした。そこで,その別のドラマである「極主夫道」を,単に川口春奈さん見たさに,チャンネルを合わせてみました。
  ・・
●「極主夫道」
 「極主夫道」は,
  ・・・・・・
 史上最強の専業主夫が降臨! 主夫力高すぎる“元極道”が筋を通し,世の中と仁義を斬りまくります!! 裏社会に数々の伝説を残した最凶の極道“不死身の龍”。そんな彼が極道から足を洗い,選んだ道はなんと専業主夫だった!
  ・・・・・・
とまあ,実にくだらないドラマです。このドラマを見ても得るものは何もありません。が,暇つぶしにはいいです。というより,「帰蝶ロス」を治療するにはこの妙薬しかないのです。なので,ひき続き見ます。
  ・・
●「一億円のさようなら」「危険なビーナス」
 それ以外のドラマで見はじめたのは「一億円のさようなら」と「危険なビーナス」です。
 「一億円のさようなら」は,
  ・・・・・・
 つつましく平凡に暮らしてきた鉄平は,妻・夏代が48億円の遺産を相続していたことを知る。なぜ妻はそれを隠していたのか。会社での戦いに傷つく鉄平は人生の後半戦に逆転できるか。極上のファミリーストーリー!
  ・・・・・・
ということですが,とにかく,私には内容のすべてにおいて共感できないドラマです。主人公の鉄平の生き方にはまったく理解できません。すぐにキレるし,話し方がねちっこいし,ぜったいに友達になりたくない人物です。しかも,男のくせにぐだぐだしていてなさけない。頭悪そうだし。すぐぶちキレるくせに頭が切れない… まるで私の昔の上司のような輩です。
 ストーリーに「わけ」をもたせるためにいろんなエピソードを絡ませるのですが,そのいずれもが無理があって不自然だし,ありえない話ばかりだし,非現実的だし,できの悪いドラマです。そもそも,子供ももう大人なのでどう生きようと親がとやかく言う必要もないし,金持ちの妻なんてこの先不倫しようとどうしようとひとりでどうにでも生きられることでしょう。で,私なら,そんな薹が立った妻から1億円といわず3億円ほど頂いてさっさと会社も家族も縁を切り,若い女性と再婚でもして楽しい別の人生をはじめます。と思うのですが,まったく共感ができないことが逆に魅力となって,このドラマもまた見続けます。この先何か話が展開するような噂もありますし。相続税はどうなっているんだとかツッコミどころも満載です。
 一方,「危険なビーナス」は,
  ・・・・・・
 東野圭吾の同名小説を原作とする,ある失踪事件をきっかけに,主人公が謎の美女と共に遺産をめぐる名家の争いに巻き込まれていく壮大なスケールのミステリー。東野ミステリーは「引き込まれる世界観」「緻密なトリック」そして「魅力的な登場人物たち」で多くの読者を魅了しているが,本作はそれだけではなく,誰もが驚く「ラストの大逆転」もみどころのひとつ。そんな東野ワールドを黒岩勉の脚本で,連続ドラマならではのスリリングな手法とタッチで描いていく。 
  ・・・・・・
というものです。こちらは48億円に比べたら大したことない30億円の遺産をめぐる骨肉の争いです。私が見はじめた「極主夫道」「一億円のさようなら」「危険なビーナス」のなかでは,これだけがまともなドラマです。あえて原作も読まず,ネタバレ情報も手に入れず,この先の大逆転とやらを楽しみたいと思います。

 こうして,本格的なメインディッシュ(「危険なビーナス」)に安物のぱっさぱさのケーキ(「一億円のさようなら」)とあま~くカロリーの高いジュース(「極主夫道」)をデザートにお付けいただいて,おいしい上等なパン(「麒麟がくる」)と美味な味付けのスープ(「エール」)ともども,私はおなか一杯で秋の夜長を楽しむのです。
 これぞまさに「不良老人」の暇つぶしにうってつけです。

💛

DSC_4770DSC_4772DSC_4789DSC_4793

●アメリカで最も深い湖●
 クレーターレイク国立公園(Crater Lake National Park)は,1902年,アメリカで5番目の国立公園として設立された。公園の面積は286平方マイル,741平方キロメートルというから,東京23区の面積628平方キロメートルより広い。クレーターレイク公園にはクレーターレイクとよばれるカルデラ湖がある。
  ・・・・・・
 クレーターレイクはマウントマザマ(Mount Mazama)の噴火活動によって形成された。最深部はなんと1,958フィート,597メートルと,アメリカで最も深い湖であり,世界で7番目の深さを誇る。また,面積は53平方キロメートルである。
 なお,世界一はバイカル湖の1,742メートルで,日本の田沢湖は世界10位の423メートルである。また,湖自体の平均標高は6,178フィート,1,883メートルである。
 クレーターレイクは,流入・流出河川をもたないために湖水は極めて青く澄んでいる。
 火山活動は,アメリカ西方沖にある小さな海洋プレートであるファンデフカプレート (Juan de Fuca Plate) が北アメリカプレートの下に潜り込む際のオレゴン州の沖合いでの沈み込みによって引き起こされた。この動きによって引き起こされた熱と圧縮がカスケード山脈を形成した。
 約40万年前,マウントマザマはカスケーズ山脈の他の山々と同様に層状の楯状火山として誕生した。長期にわたり溶岩流と火砕流が交互に重なりあい,高さ11,000フィート,約3,400メートルと,富士山ほどの成層火山に成長した。
 紀元前4,860年ごろに大噴火により崩壊し,上部の3分の1にあたる2,500フィート,760メートルから3,500フィート,1,100メートルの標高を失い,この噴火により直径約10キロメートルにわたる巨大なカルデラが形成され,カルデラに雨水が溜まった。
  ・・・・・・

 この大噴火によってできた地域は過剰な多孔性とレゴリスから成るやせた土壌のために,植物がほとんどみられない。したがって,私が通ってきたような大平原となったわけである。
 湖の外周道路リムドライブ(Rim Drive)はカルデラの縁の周囲をめぐる景色のよい道であった。
 湖には,ヒメマス(Oncorhynchus nerka)と ニジマス(Oncorhynchus mykiss)が繁殖しているが,大きさ,種類,数に制限を受けることなく,許可なしでつりができるという。また,湖での水泳は許可されている。さらに,夏期は毎日ボート・ツアーが実施されていて,湖の中のスコリア丘とウィザード島に停まる。
 湖面に触るには,湖の北にある険しい歩道であるクリートウッドトレイル(Cleatwood Trail)を降りることになる。また,展望台にはリムドライブを通って自動車で簡単に行くことができるが,最も見晴らしがよいのは8,929フィート,2,721メートルのスコット山からのものである。しかし,そこに行くためにはリムドライブの起点から2.5マイル,4キロメートルの急な道のりを歩かなければならないという。
  ・・
 私は,外周道路を走った後,意を決して,クリートウッドトレイルを歩いて降りることにした。
 予想よりずっと大変で,往復1時間,かなりきつい坂道であった。途中で根を上げそうになりながらも下まで降りて,湖面を触ることできた。クレーターレイクは形は同じカルデラ湖である北海道の摩周湖そっくりだが,深さと面積は3倍ある。湖は独特のエメラルド色をしていて、とにかく素晴らしいの一言であった。
 湖水は冷たく,湖畔には心地よい風が吹いていた。

💛

IMG_1604IMG_1606IMG_1601IMG_1583

 今日の写真は開田高原です。高原という言葉に弱い私ですが,日本には私のイメージする空の広い高原はほとんどありません。しかし,開田高原は私のイメージする高原に近い場所です。
 たとえば,八ヶ岳山麓とか野辺山とか軽井沢もまた,イメージとしてはよいのですが,そうした有名な観光地でなく,ちょっと地味な,落ち着いた場所であることが,さらに魅力的で,私にはこころ休まります。
 本当にいい場所です。
 こうした場所で時間を忘れてボ~ッとしていたいと思ったりするのですが,おそらく私にはそれができません。ボ~ッとしていたいという気持ちとは裏腹に,いつも何かをしていないと気が休まらないという複雑な性格だからです。
 このような場所に住んで,お昼間は音楽を聴きながら読書に勤しみ,夜は満天の星を楽しむ… そんな生活をしてみたい,という願望があるのですが,それもまた,おそらく,そのような生活が実現したら,3日で逃げ出してしまうことでしょう。
 そんな自分に手を焼くのです。
 ところで,開田高原は標高が1,100メートルから1,300メートルと高く,真夏でも平均気温が18度という爽やかな高原で,雄大で美しい御嶽山を見ることができる場所です。こんな場所なら住んでみたいと思う数少ないところなのですが,実際住んでみると,この寒さが耐え難いのだそうです。

 それはさておき,開田高原は木曽馬のふるさとです。そこで,それにちなんで,ここには約50ヘクタールを誇る「木曽馬の里」があって,数少なくなった木曽馬を守り育てながら自然の中で木曽馬と人が触れあい,忘れかけていたふるさとの景色,風,文化を肌で感じることができるという場所になっています。日本にこんな場所があるのか! というすてきなところです。
 この木曽馬の里ですが,民間なのか公営なのか,私にはいまひとつよくわかりませんでした。だれでも自由に中に入れるし,特に入園料というモノもない不思議なところです。調べてみると,運営主体は財団法人の開田高原振興公社で,施設運営の予算については木曽町の一般財源と助成金からなっていて,木曽町から年間 1,700 万円の予算が計上され1,000 万円ほどの売り上げがあるそうです。

 この施設の中にある,おみやげとお食事センターの一本木亭は私の大好きな場所です。
  ・・・・・・
 信州にそば処数あれど「開田のそばは色は黒いが味は良い」とだれかがいったとかいわないとか…。開田高原は,朝晩と日中との寒暖の差が激しく,夏場はよく霧が出ます。この霧の下で育ったそばを霧下そばといい,それはおいしいそば蕎麦の条件のひとつです。また,開田の女性はそばが打てないと嫁にも行けないとか…。
 ということで,木曽馬の里では毎年約1ヘクタールの畑にそばを栽培しています。
 ここでは,そんなそばを味わうだけでなく,そば道楽体験道場で村の名人たちに直にそば打ちを教えてもらい,自分で打ったそばを味わうこともできます。
  ・・・・・・
 前回来たときは美しい御嶽山を見ることができたのですが,今回は残念ながら曇っていて,あいにく山頂を見ることはできませんでした。しかし,前回と変わらず,おいしいおそばを食することができました。

💛

IMG_1576 (2)IMG_1578 (2)IMG_1579 (2)IMG_1581 (2)

 今年も忘れずに秋が来ました。
 日ごろあまり世間とは関わりがないのでついつい忘れがちになるのですが,世の中はおかしな病禍がいまもだらだらと続いているようで,今もって海外旅行もできません。私も,本来ならこの時期はチェコのプラハに行くことにしていたのですが,それもかないませんでした。しかし,その反対に,Go To トラベルとやらで,安価に旅行ができることと海外に行くことができないことで,裕福層が国内の高級な宿泊施設を予約して旅行を楽しんでいるようです。
 私は豪華な温泉旅館旅館に宿泊して大浴場でゆったりしたり,食べきれないほどの食事を味わうような趣味もなく,ツアー旅行をする気もなく,また,寂しん坊でありながら人嫌いという困った性格なので,自分でも身の置き所がないのが悩みです。しかし,めっきりすずしくなったこのよい時期に家に籠っていてはもったいないという気になって,いつものように,人の少ないところを選んで,秋の紅葉を味わいに出かけることにしました。
 …ということで,10月15日木曜日から10月16日金曜日にかけて,木曽駒高原まで車で出かけて,いつもの定宿で1泊です。
  ・・
 こうしてさらに人の少ない郊外に出かけると,日本はもともと国土が狭いのに山ばかり,なのにやたらと人が多いので,どんな山奥までも,少しでも土地があれば人が住んでいるのにあきれるというか,感心します。よくもまあこんな崖っぷちに,というところまで家が建っています。そこに住み着いた必然性というか,そうしなければならなかった歴史的な経緯がいろいろあると思うのですが,ともかく,すごいものです。

 これまでは中津川まで高速道路で行ってそこから国道19号線を走ったのですが,今回はいつもと趣向を変えて,飛騨川沿いを走り,下呂を過ぎ飛騨小坂まで行って,そこから右折して木曽路に向かうことにしました。
 以前,高山には車で行ったことがあるのですが,東海北陸道経由だったので,飛騨川沿いの国道41号線は走ったことがありませんでした。結構近いところでも知らない場所が多いものです。
 ところが,飛騨小坂で右折して入った道路のどれも,少し前の豪雨災害の影響が残っていて,途中で通行止めになっている箇所がいくつかあって,行きどまりばかりでした。まるで迷路のようで,どこを進めば木曽路に行けるのかさっぱりわかりません。車のカーナビは突然この先通行止めという標示が現れるので頼りにならず,かといって,iPhone の Google Maps を頼りに走っていくと,これもまた通行止めが反映されておらず,なんど行きどまりにであって引き返したことか,…という感じで,なかなか木曽路に行くことができませんでした。それでもなんとか国道361号線に出ることができたので,どうにか開田高原までたどりついてほっとしました。ここまで山深くなると,昨年走ったオーストラリアのド田舎の山道を思いだしました。日本にもこんなところがあるんだあ,と感慨深くなりました。
 ともかく,気温は9度しかなく,もう,晩秋といった感じでした。

 幾度かの通行止めには参りましたが,途中で角の生えた大きなシカには遭遇するし,サルは駆けまわっているし,さすがにクマは見ませんでしたが,走っていてなかなか楽しい道路でした。しかしまあ,オーストラリアのド田舎と違って,日本という国は,どんな山奥に行っても,なんらかのリゾート開発をした跡があるのです。その多くはすでに廃墟と化しているし,現存していてもさびていているものばかりでした。まったくもっていただけません。
 おそらくそれらはバブル景気のころに開発したのでしょうが,都会から行くのに3時間もかかるような場所に,しかも,行って何か楽しみがあるわけでもないところにリゾートを作ったところでうまくいくわけがないことくらい,はじめっからわかりそうなものなのに,と思います。おまけにゴルフ場でもこしらえたなら,もう絶望的です。こうして,日本中,いたるところで自然が破壊され,その結果,自然災害が起き,餌場を失くした動物が集落までおりてきてしまうのでしょう。
 日本はそんななさけない国だということは,今さらここで愚痴ってもはじまらないのでそれには目をつぶり,遠くの山々を見渡すと,色づいた紅葉の美しさにこころが癒されました。
  ・・・・・・
 奥山にもみぢふみわけ鳴く鹿の
 こゑきく時ぞ秋はかなしき
   猿丸大夫
  ・・・・・・

💛

DSC_4740 (2)DSC_4741 (2)DSC_4752

●最も美しい湖●
 国立公園のゲートを越えてもまだまだクレーターレイクははるか南で,依然,クレーターレイクハイウエイという名前の道路が穏やかに広がる草原と木立の中を延々と続いて行くだけであった。
 遠くに煙が立ち上っていたが,それは山火事であった。アメリカでもオーストラリアでも,山火事が頻繁に起き,日本でも時折ニュースになる。2019年の年末,オーストラリアでは大規模な山火事が起き,多くのコアラが死んでしまったというニュースは記憶に新しい。私が2019年春エアーズロックに行ったときも,そうした山火事を防止するために,わざと火を起し,大平原を焼き尽くしているのを見たが,せっかくの青空が灰色に濁ってしまっていた。
 大自然というのは雄大で美しいだけのものではない。

 やがて,大平原から景色が変わってきて,次第に道路も標高が高くなってきた。その先には多くの車が停車しているのが見られた。そこは駐車場で,どうやらクレーターレイクに到着したらしいことがわかった。まだ湖の姿は見えないが,その向こうに世界で7番目に深い湖クレーターレイクがあると思うと興奮してきた。
 とうとうクレーターレイク国立公園に到着したのだ。ポートランドからはインターステイツ5を南に3時間走りオレゴン州南部まで行って,さらにそこから東へ2時間山の方へ行ったところにあった。遠い道のりだった。

 クレーターレイクの北側から私はやってきたが,湖の入口辺りには,湖のクルーズ船のチケット売り場があった。しかし,残念ながら,チケットはすべて売り切れであった。それにしても,いつも不思議に思うのは,アメリカの観光地というのはどこも遠く来るのがたいへんで,途中はほとんど車の姿も見えないのに,どこへ行っても,到着すると,結構な観光客がいるということだ。いったい,どこからこれだけの人がやってくるのだろう。そしてまた,どこの国立公園も,きちんと整備され,ゴミひとつなく,こわれたようなガードレールもなく,道路もきちんと線が引かれていて,意味のない看板ひとつなく,ものすごく美しいのだ。
 日本だと,どこに行っても,さびたガードレールやら,意味のない看板やら,廃墟やら,廃道が無残な姿をさらしているし,ゴミがすてられているし,まったくもってなさけないのだが,そうした安っぽさはみじんもないのである。
 まず,湖の外周道路リムドライブ(Rim Drive)を走りながら,景色のよい場所に車を停めて,湖を見ることにした。その湖の美しさは筆舌に尽くし難いものであった。それは私がそれまでに見た中で最も美しい湖であった。

IMG_0411

💛

DSC_47352019-08-23_11-39-40_565

######
 いかにこころ落ち着く日々を過ごすかを話題にしています。
 まず,情報はできるだけ遮断してしまおう,と書きました。次に,モノを買うのは必需品以外はやめましょう,と書きました。そうして,家で過ごすときは,本を読んだり,音楽を聴いたり,旅をするときは,人の少ない自然の中を,なるべく予定を立てずに散策する,これだけを心掛けるだけで,日々がとても楽しくなります。
 そもそも,地球上に生き物がいなくても何の問題もないのです。それが,創造主の気まぐれで,何かの偶然で人間ができてしまった。そして,そこに自分が宿ってしまったというだけのことなのです。未来永劫などない,そして,人間がこしらえた地位だの名誉だのに何の価値もないのです。さまざまな価値観や道徳もまた,人が作っただけのものです。だから,何事も難しく考えずに,宿っている間を楽しく過ごせばいいのです。と書いてきました。
 今日は,日々をより楽しくすごすための音楽の話題です。

 私はこれまで,時にはコンサートに出かけ,行くことができないときは,テレビやラジオなどで音楽に親しんできました。その多くは,クラシック音楽です。クラシック音楽のよさは,それに関する芸術やそれが生まれた歴史などを深く知れば知るほど,よりおもしろく聴くことができることです。ここ数年,オーストリアやフィンランドに出かけて,そのことがよりわかりました。オーストリアではハイドンやマーラー,フィンランドではシベリウスの音楽のおもしろさを再発見することができました。そうした音楽は,やはり,ライブで演奏を味わうに限ることもわかりました。
  ・・
 とはいえ,いつもライブで演奏を聴くわけにはいきません。しかし,このごろ,私がとても残念に思うようになったのは,テレビなどの映像で音楽を味わうことが苦痛になってきたきたことがあります。その理由はふたつあります。
 そのひとつは,数年前の演奏を見るとき,演奏家の昔の姿を見るのに耐えられなくなってしまったことがあります。人はだれでも平等に老いるのです。しかし,楽しむための音楽で,老いを感じてむなしくなるのはせつないのです。マエストロや演奏家が年々老いていく姿を見るのがつらいのです。
 そしてもうひとつは,今年のコロナ禍で,ステージ上で一部の奏者がマスクをして演奏している姿を見たくないのです。観客は別として,演奏者が,リハーサルならともかく,私語を発するわけでもなく飛沫が飛ぶわけでもないのだから,予防効果はなく感染者が自分の飛沫が飛ぶのを防止するのが目的であるマスクなど全く意味がないのに,あの姿はいただけません。まるで下着姿で出てくるようなものです。また,感染者であるなら当然ステージに上がってはいけません。力士がマスクをして相撲をとるのと同じです。
 日常を離れて音楽に没頭したいのに,あれでは台なしです。
  ・・
 というわけで,私は,自宅で音楽を楽しむには,映像を見ることはやめて,音楽だけを聴くことのほうがずっと楽しいということに気づきました。それは何もクラシック音楽に限ることではありませんが,映像から離れてみると,何と音楽がよりすばらしく聴こえることか。それは新鮮な驚きでした。
 コロナ禍は,こんな,当たり前のことを気づくことができただけでも,意味があったのかもしれません。これもまた,塞翁が馬でした。

◇◇◇
Thank you for coming 310,000+ blog visitors.

💛

DSC_4728 (2)DSC_4733 (3)DSC_4734 (4) IMG_0407 (2)

●セルフでないガソリンスタンド●
 ポートランドからは,まず,アメリカの太平洋岸を北から南に縦断するインターステイツ5に入り,途中で州道に進路を変えて,クレーターレイク国立公園に向かうことになる。
  ・・
 途中でガソリンを入れることになった。すでに書いたが,オレゴン州ではガソリンスタンドはセルフではない。私は来るまでそのことを知らなかった。
 オレゴン州はアメリカでもちょっと異質な州でさまざまなユニークな政策がとられているようだ。ガソリンスタンドがセルフでないのは,従業員を雇うことで失業対策をしているのが理由のようだ。

 私がいつものようにガソリンスタンドで車を停めて,ガソリンを入れようと車から降りようとすると,若い女性が出てきた。まわりを見ると,ガソリンスタンドのそれぞれのポンプのところに女性がいて,給油をする仕事をしていた。
 ガソリンを入れてもらうとチップを払う… らしいことを後で知ったが,このときに私がチップを払ったかどうかは覚えていない。知らないのだから仕方がない。
 この日は長いドライブだったので,このあともう一度ガソリンを入れたが,そのときは田舎のガソリンスタンドであった。広い敷地の端にガソリンポンプがあって,ほかの州のガソリンスタンドと同じようにコンビニが併設されていて,おじさんがひとりで切り盛りしていた。
 こうなると,おじさんはコンビニのレジを離れることはできないから,システムは機能せず,結局,セルフで入れるしかない。ガソリンスタンドがセルフないという州の決まりなんて,実行できないじゃないか,と私は思った。アメリカという国は,このように,いつもどこか何かが抜けているのがおもしろい。
 日本でも,高知県とか福井県とかに行くと,未だにセルフでないのが一般的だとこのごろ知ることになったが,このごろはセルフでしか入れないので,私は逆にとまどってしまう。

 この日,私は,どこをどう走ったのか正確に覚えていないが,どこかでインターステイツ5を出て,州道を走っていったようだ。
 アメリカでは,道路の途中にはほとんど道路標示はないので,分岐などで控えめにある道路標示を見逃すと,走っていて,それが正しい道路かどうか不安になることがある。気づいて引き返すにも,並みの距離ではないし,聞こうと思っても人もいない。
 今は,カーナビやスマホがあるからまず大丈夫だが,この旅をしていた5年前は,私のような日本からの旅行者が常時 Wifi を使うことは困難であった。
  ・・
 走っていて,クレーターレイク国立公園は思ったよりえらく遠いところだと思った。道は広くきれいで,まわりは一面の大平原であった。かすかに覚えているのは,どこかでT字路があって,そこでどちらに曲がるのか迷ったことと,どうやら,そのときに,道を間違えたらしいこと,くらいである。
 しかし,そのうちに,なんとか,国立公園のゲートが見えてきた。やっと,国立公園に到着したと思ったが,ゲートを越えても,クレーターズレイクははるかはるか先であった。その先も延々と,大草原を走ることになった。本当に,こんな大平原の向こうに湖があるのだろうかと思ったことは今も忘れられない。
 いくら日本からアメリカに観光旅行をする人が多くても,こうした国立公園に行ったことがある人はそうは多くないであろう。アメリカの国立公園といっても,ほとんどの日本人になじみのあるのは,おそらくグランドキャニオン国立公園くらいのものであろう。

DSC_4737 (4)

💛

DSC_4780 IMG_0405 DSC_4722DSC_4724DSC_4726

●アメリカの国立公園●
☆14日目 8月12日(水)
 私が子供のころは,アメリカという国は夢の国であった。テレビで放送されたアメリカのホームドラマを見て,その裕福さをだれしもが憧れた。
 地球儀を買ってもらってはじめてアメリカが地球上のどこにあるかを知ったが,当時,世界にはソビエト連邦という巨大な面積をもつ国があって,アメリカが世界で一番面積が広い国でないことに,逆にがっかりした,そんな思い出がある。
  ・・
 私のアメリカ旅行は,今から40年前,カリフォルニアのディズニーランドに行ってみたいということからはじまった。そのころはまだ,日本にはディズニーランドはなかった。
 はじめてアメリカに,それもツアー旅行で行ってみて思ったのは,狭い日本の上でちまちまと生きるだけのなっさけない大人になりたくない,ということだった。そしてまた,ツアー旅行などしている場合じゃない,と思った。そこで一念発起して,それまで大の苦手だった英語を勉強して,翌年,ニューヨークにひとり旅をした。そして,それが高じて,MLBが見てみたい,になり,次第にエスカートして50州制覇が目標になってしまった。
 アメリカの国立公園を制覇したいという夢はもたなかったし,アメリカにそんな大自然があるということも知らなかった。しかし,頻繁にアメリカに行くようになると,知らず知らず,そのたびに多くの国立公園に行くことができた。そして,アメリカで最もすばらしいのは大自然だと気づいた。

 たびたびこのブログで紹介している「地球の歩き方」のアメリカの国立公園編だが,今改めてそれを読んでみると,この2015年の旅のあとにもずいぶん多くの国立公園に行った結果,私は,期せずして,この本に載っている国立公園のそのほとんどに行くことができたことを知った。
 未だに行く機会のないのは,西海岸では,レッドウッド国立公園,そして,グランドサークルでは,キャニオン・デ・シェイ国定公園,メサベルデ国立公園,これだけである。その中で,キャニオン・デ・シェイ国定公園とメサベルデ国立公園は2020年の8月に行く予定で飛行機のチケットも購入したのだが,コロナ禍でかなえられなかった。レッドウッド国立公園はそのあとに行く予定であったが,はたして今後どうなることであろうか。
  ・・
 この旅をしている2015年には,行こうと考えていなかった,というより,その存在すら知らなかったのが,これから書くクレーターレイク国立公園であった。
 しかし,行ってみて本当によかったと,今では思う。それは,そこがとてもすばらしい場所であったことに加えて,改めて行こうとすると,レッドウッド国立公園同様,大都市からとても遠く,行くことが大変な場所だからである。

 前日,食事をご馳走になっているとき,その場の会話で,明日の予定がないというような話になった。そこで勧められたのが,このクレーターレイク国立公園であった。クレーターレイク国立公園に行くことを勧められる前は,この日はインターステイツ84沿いにコロンビア川を上流にさかのぼって走るつもりであった。これもまたすばらしい景観であるが,ここはポートランドに行く機会があれば,簡単にアクセスできるであろう。しかし,クレーターレイク国立公園はそうはいかない。
 聞いたところでは,クレーターレイク国立公園はポートランドから2,3時間で行くことができるだろう,ということであった。私はそれを信じて行くことに決めたのだが,実際は,そんな生易しいものではなかった。距離にして,ポートランドからは240マイル,約380キロメートルというから,さほどのでもないようであるが,それでも,名古屋・東京間の距離である。これを車で日帰りしようということであった。
 ホテルで朝食を終えて,早速,クレーターレイク国立公園に向かって出発した。

💛

DSC_4638IMG_0397IMG_0398DSC_4675IMG_0400

●アメリカの巨大モール●
 ワシントンパーク(Wasington Park)へ行った後,夕食をご馳走になることになって,家に招かれた。家に行く途中で巨大モールに寄ることになった。モールに行く途中で何やらのデモ隊に遭遇したが,アメリカではさほど珍しくもない光景だ。
 ところで,今や日本にもモールはめずらしくないが,アメリカに行って現地の人に会うと,いつも得意げに巨大モールに連れて行ってくれる。どうやら,アメリカの人は,こういうモールは日本にはないと思っているらしい。
  ・・
 おそらく,日本のモールは,アメリカを手本にして作られたものだと思うが,それが次第に日本的に進化してきた。
 日本では,はじめのころはこうしたモールも珍しかったが,もう,今は,日本中どこに行っても同じような店があるので,行く気にならなくなった。店舗が広すぎるから,ペットボトル1本買おうとしても不便なのである。しかも,モールの中にあるスーパーマーケットはレジも混雑している。専門店といってもその多くはブティックばかりなので私には意味がないし,チェーン店はどこへ行っても同じだ。
 それでも,アメリカでは駐車場が広く車を停めるのに余裕があるからすぐに駐車して店に入れるからさほど大変でないが,日本の駐車場はごみごみしているから車を停めるのだけでもひと苦労だし,買い物を済ませて車を出そうとすると渋滞していて大変なのである。
 コンビニもまた,アメリカではガソリンスタンドに併設されているから,トイレ休憩のためにあるようなものだ。一方,日本では,コンビニは独自の進化を遂げたが,何せ値段が高すぎる。スーパーマーケットで58円で買うことができるペットボトルが148円もするから,私はめったにコンビニには行かない。そうした日本のコンビニのお得意さんは,早朝,まだ,スーパーマーケットが開いていない時間に工事現場に向かう人たちがその日の昼食を購入するためにあるようなものだと思っていたが,若い女性もコンビニ好きだと聞いて驚いた。
  ・・
 今や私は,食料品以外の買い物はほとんどネットショッピングで済ます。また,食料品は,スーパーマーケットと衣料品を売っているくらいの小売店舗かドラッグストアで済ませる。巨大モールは,散歩するときと時間つぶしをする以外に行くことはほとんどなくなってしまった。

 さて,私が連れていっていってもらったアメリカの巨大モールでは,日本にはない趣向が目を引いた。それは,今日の写真のように,店内を公園にあるようなミニチュアトレインが走っていたことである。これがなかなかのものだった。日本でも同じようにやれば子供たちが喜ぶと思うのだが,それがないのは,当局の許可が出ないか,または,人が多すぎて通路でこれをやると事故が起きる可能性があるからなのだろうか。
 また,この時私が行ったモールで驚いたのは,3Dプリンタの実演であった。まず,3方向から写真を撮る。そして,それをもとに,2,000円くらいで,実物そっくりの小さなモニュメントを3Dプリンタで作ってくれるのだ。こりゃ将来日本でも流行ると思ったが,この旅のあと5年経ってもまったく流行しないのが意外である。私は結婚の記念品や誕生日のプレゼントなどにいいと思うのだが…。

 モールを出て,次に,中華料理のテイクアウトショップに寄って夕食を購入して,自宅にお邪魔した,夕食をご馳走になって,それからホテルまで送ってもらって,楽しい1日が終わった。
 こうして,この日,私はポートランドという町をはじめて散策することができた。ポートランドは,このときまでに一度来たことがあるが,フライトの待ち時間に3時間くらい滞在して,ワシントンパークを車で少し走っただけだった。
 ポートランドは思った以上にすてきな,そして,思った以上に小さな都会であった。ダウンタウンは日本の都会のように狭いが,しかし,サンフランシスコのように人も車も多くはなく,また,市内の公共交通は無料で,しかも治安がよく,住みやすそうな都会であった。

💛

DSCN4131 (2)

######
 日々やすらかに生活するために,テレビのニュースやウェブからの情報を遮断して,再び紙媒体の新聞だけを読むようになったと書きました。そうして,改めて新聞を読んでみると,新聞には突っ込みどころが満載です。それがまたおもしろいというか,ちゃちゃを入れていると退屈しません。そこで今日は,その一例として,2020年10月10日の朝日新聞be版にあった「生まれ変わったら日本人になりたい?」という記事をとりあげてみます。
 記事の中にも記者の反省の弁がありましたが,この質問自体が間違っています。この記事には「生まれ変わったら日本人になりたい?」という質問の次に「日本以外で生まれ変わるならどこ?」という質問があるのですが,このふたつは並列したものではありません。ふたつめにそのような質問をしたいのなら,はじめの質問は「日本に生まれてよかったか?」「生まれ変わるとしたらまた日本に生まれたいか?」というものでなければなりません。また,この質問の回答を読むと,どうやら,回答者は「日本人に生まれたいか?」ではなく,「日本に住みたいか?」と解釈して答えているようです。
 また,かつて,大相撲で「日本人横綱」という言い方が問題となりましたが,一般の人が会話の中で使うならともかく,マスコミが容易に「日本人」という言い方をするようではその時点で失格です。配慮なさすぎです。日本人というのが民族のことをいっているのか,国籍のことを言っているのかわからないからです。しかも,日本人といっても,そこには,歴史的に多くの問題を抱えています。

 いずれにしても,この種の質問は,「生まれ変わるとしたらまた男(女)に生まれたいか?」(とはいえ,第3の性を考慮する必要があるので,この質問も配慮が必要ですが)というものと同様,質問に無理があります。それは,リンゴとみかんの両方を食べてみて,その結果「どちらが食べたいか」ということとは違い,その一方のみの経験しかできないのに,どちらがいいかと質問をしているようなものだからです。しかし,「生まれ変わるとしたらまた男(女)に生まれたいか?」という,もうひとつの立場に立つことが不可能な質問よりは「生まれ変わるとしたらまた日本に生まれたいか?」のほうが,生まれるということは無理としても,外国生活を長くした経験があればその経験をもとにして比べることは可能だから,少しはましなのかもしれません。そういったことを考えると,海外で生活をしたことがある人とそうでない人とでは,おのずから回答が異なるから,それを考慮せずに集計しても,本当の結果はわからないのです。
 また,「日本に生まれてよかったか?」という質問だったら,〇〇という国に生まれるくらいなら日本のほうがマシ,という前提で「日本に生まれてよかった」と答える人もあれば,〇〇という国に生まれることができるのなら日本よりいい,と考える人もあるから,こうした質問の答えは,より高い理想を持つ人と,まず最悪を考える人によって,変わると思います。
 ともかく,こうした質問の答えとして,日本がよいと答える人の多くは,実際に外国に生活をした経験のない人や海外の現状を知らない人が多いと私は思います。そしてまた,ふたつめの質問である「日本以外で生まれ変わるならどこ?」についても,実際にその国で生活をしたわけでもない人には,それは単にその人がその国に抱くイメージでしかありません。

 この記事の「また日本人に生まれたい」という人の理由は,「また日本人に生まれたい」ではなく「また日本で暮らしたい」という意味での回答だと思うのでちぐはぐです。
 それはともかく,その理由で「治安・秩序が保たれている」というものが最も多かったのですが,私には納得がいきません。確かに物騒な国はたくさんありますが,その逆に,日本より「治安・秩序が保たれている」国はほかにもたくさんあります。日本では,殺人事件こそあまりありませんが,窃盗は少なくないし,振込め詐欺が横行しお年寄りには暮らしにくい国だと思うし,車の運転は傍若無人だし,日本人は人の目がなければ平気でごみは捨てるしやりたい放題なので,本質的には日本は無秩序な国だと私は思います。
 また,理由の3番目に「自然が美しい」という回答がありましたが,これだけ自然が破壊され,野山を歩けば廃墟だらなのに,それはないよと思います。それはよほど外国を知らない人の意見です。日本は,京都の庭園のような,手をかけた人工の美しさは確かにすばらしいけれど,自然と限定して考えれば外国の自然のほうがずっと美しいです。富士山だって遠くから見れば美しいけれど実際はゴミだらけだと聞きます。それに比べたら,アメリカの国立公園などはゴミひとつなく,また,人工物の建設なども制限されていて,自然が守られています。日本はどこに行ってもゴミだらけ廃墟だらけです。オーストリアやニュージーランドの山村地帯など,日本の信州などに比べたら,比較にならないほど美しいです。

 私は,幸いにも,これまで,多くの国に行くことができて,どの国も,いいところもあればよくないところもある。そして,その人の生き方によって,住みやすい国とそうでない国は異なってくるということを実感しました。また,人もそれぞれで,どの国でも,親切な人もいれば,そうでない人もいるのは当然なので,一般論では語れません。
 そうしたことを含めて,私の経験からは,芸術や歴史に触れるなら文句なくオーストリア,自然が美しいのはニュージーランド,星を見るならオーストラリア,スポーツ鑑賞や大自然のなかでアウトドアに興じるならアメリカ,心豊かに生活するならフィンランドに住みたいと思うようになりました。
 日本のよさというのは,食べ物に尽きますが,日本で嫌いなのは,何といっても人が多すぎることと,自然破壊がひどすぎることです。そして,人が陰湿で,クレーム大好き,裏表ありすぎ,責任のがれのやったふりばかりだということです。
 日本は,地理的に,海外のどこに行くにも中途半端に遠いのですが,考え方を変えると,どこに行くにも9時間で行くことができるから便利だともいえます。オーストラリアやニュージーランドに生まれても,歴史のないこうした国ではアウトドア好きならともかく,することがなくなって退屈します。オーストラリアやニュージーランドから海外に行こうと思っても東南アジアや日本以外の外国はヨーロッパもアメリカも遠すぎます。また,競争社会のアメリカでは,才能なく生まれたら生きるのがたいへんです。暮らすという意味では,フィンランドやオーストリアなどに生まれたのなら,日本よりマシだったかな,と私は思います。
 現実は,好むと好まざるにかかわらず日本に生まれちゃったので,日本ではおいしい食事を楽しみ,日本でしかない文化を楽しみ,ときどき海外に出かけては日本にないよさを味わうのが一番かな,と思ってこれまでずっと生活してきました。しかし,今は海外に行くことができないので,多くの楽しみが奪われてしまい,とても残念です。

💛

DSC_4649DSC_4648DSC_4650IMG_0381DSC_4663

●美しきワシントンパーク●
 ポートランドのダウンタウンから西に2キロメートルほど行くと高台となるが,そこには159エーカー,640,000平方メートルの広大なワシントンパーク(Wasington Park)という公園がある。ここには,日本庭園とローズガーデン(International Rose Test Garden),動物園,そして,ピトック邸(Pittock Mansion)がある。こうした広大な公園のある都会はすてきだ。
 外国にある日本庭園には,けっこういい加減なものや,日本人が訪れると首をかしげるところもあるが,ここの日本庭園はアメリカで一番すばらしい日本庭園といわれるだけのことはあって,かなりのホンモノで,多くの観光客が訪れていた。
 それにしても,こうした日本庭園は,造ることはもとより,それを維持するほうがずっとたいへんだろう。
 また,バラのシーズンは5月から6月で,私が行ったのは8月だったが,ローズガーデンにはけっこうな数のバラが咲き誇っていた。

  ・・・・・・
 日本庭園は,1958年,ポートランド市と札幌市が姉妹都市となったのを記念して造園された本格的なものである。
 オレゴン日本庭園協会が計画し,デザイナーの戸野琢磨氏にもと,5.5エーカー,22,000平方メートルの敷地に,白砂の美しい平庭やアヤメが植えられた池泉回遊式庭園,花心邸と名づけられた茶室がある露地庭,東屋や竹垣がアクセントなっているナチュラルガーデン,枯山水の禅庭など,5つの日本庭園が森の中に配されている。
  ・・ 
 ローズガーデンは,ダウンタウンを見下ろす丘に700種8,500株以上のバラが咲き誇るアメリカ最古のバラの試験場である。
 ポートランド市内を走るタクシーや警察の車に一輪のバラの絵が描いてあったり,5月の下旬から6月の下旬にかけてローズ・フェスティバル(Rose festival)というお祭りが開催されていたり,ポートランンドの女子サッカーチーム「ソーンズ」(Thorns)はバラの棘を意味していたりと,ポートランドは「バラの街」といわれてる。
 1888年,オレゴン州最大の新聞社「オレゴニアン」(Oregonian)の創業者ピトックの夫人がバラ協会を設立し,1901年に弁護士ホルマンが「ポートランドをバラの街に!」と新聞に記載したことが後押しとなって「バラの街」といわれるようになったのがはじまりである。
 ローズガーデンは1917年に作られた。現在では,アメリカで無料観覧できる場所ベスト10に選ばれたり,最優秀庭園に選ばれたりしているこの庭園には,年間50万人の観光客が訪れるという。
 毎年,ポートランド市内の高校生からローズ・クィーンがひとり選ばれ,6月のローズフェスティバルでヒロインとなる。通路には歴代のローズ・クィーンのサインが刻まれたプレートが埋め込まれれている。
  ・・・・・・

 ワシントンパークで最後に行ったのがピトック邸であった。
  ・・・・・・
 ヘンリー・ルイス・ピトック(Henry Lewis Pittock)は1835年に生まれ,1919年に亡くなったイギリス生まれのアメリカの開拓者であった。新聞の編集者であり,共和党の政治家,そして,市民活動家であり,また,熱心なアウトドアマンで冒険家だった。はじめ週刊として発行された「オレゴニアン」(Oregonian)はのち,日刊紙として,今もオレゴン州最大の発行部数を誇るが,ヘンリー・ルイス・ピトックは,この「オレゴニアン」の創設者である。
 ピトック邸は,ヘンリー・ルイス・ピトックが自分と妻のために建てたルネッサンス風の大邸宅であるが,現在は,ポートランドの発展におけるピトックと彼の家族の役割を記録した博物館として運営されている。
  ・・・・・・
 ピトック邸の広い庭からは,見事なポートランドの街並みを見ることができた。

IMG_0390

💛

HCMQE08501358242370662b1812301

######
 前回はマスメディアについて書きました。振り返れば,世の中にあふれかえる情報,そのほとんどは,自分にはいらないものだということがわかりました。
 今日取り上げるのは,生活必需品以外のモノについてです。
  ・・
 昔,本屋さんで,男性向けの雑誌のコーナーに並んでいるのが車関係のものばかりであることに気がついて驚いたことがあります。私は,車は故障せず動けばいいと思っているので,車種とかメカにはまったく興味がなかったのですが,そんな人は例外で,多くの男の人は車が好きなんだということをはじめて知りました。
 それは今も同じで,私には,狭く渋滞だらけの日本の道路を走るのに,車にこだわる気持ちがまったく理解できません。高価な車にこだわっているくらいなら,そのお金でほかにいろんなことができるのに,と思ってしまいます。狭い駐車場で大きな車を入れるのに苦労をしているのを見ると,何をしているんだか,と不思議な気がします。
 その代わり,私は,子供のころからカメラと天体望遠鏡に興味がありました。これだって,理解できない人にとれば,どうでもいいことでしょう。
 しかし,天体望遠鏡はともかく,カメラ好きの人も多いらしく,インターネット上には,やれ,どこの製品がすぐれているだの,新製品が出るだの今度は買いだのといった情報があふれています。天体望遠鏡は,カメラほどではありませんが,これもまた,星好きの人にとっては,関心の的のようです。天文雑誌には天体の話題よりも機材の話題のほうが多いくらいです。
 私はお金もないので,趣味として不自由ない必要最小限のモノだけは持っていますが,それ以上のモノを購入したことがありません。新しい製品が出ても,もっぱらカタログを眺めていただけです。

 このごろ,ディジタルカメラの売れ行きが芳しくないということで,カメラ業界の将来が心配されています。一応写真が趣味の私も,普段使っているのはスマホのカメラになりました。それで充分に事足りるということもあるのですが,それ以上に,カメラを持って旅に出るのがめんどうになったというのが理由です。これでは趣味失格です。
 しかし,スマホのカメラでは写すことができない対象もあるので,カメラ持って出かけることもあります。特に,海外旅行をするときには,どんなカメラを持っていくか毎回悩まされます。なるべく小型でいろんなものが不自由なく写せるのが理想です。ところが,ディジタルカメラの売れ行きが芳しくなくなってきた今,メーカーは高級品に特化しはじめて,私の満足するカメラがどんどんなくなってきました。ほとんどのカメラメーカーは,ミラーレスカメラにシフトしたら,レンズはとんでもなく高価になり,また,ミラーレスになっても思ったほど小さく軽くなったわけでもありませんでした。高性能,高機能であっても,それは,私には必要がないのです。どうやら,カメラは,私の世界から,あちら側,つまり,私の手の届かない世界に行っていってしまったようです。
 そうなると,カメラにはまったく興味が失くなりました。
  ・・
 天体望遠鏡もまた,同様です。現在の天体望遠鏡はパソコンを利用して天体が自動で導入できたり,自働で追尾ができるといったように,確かに,非常に機能がすぐれ,また,光学性能がよいものになりました。もし,そんな機材を十分に活用できる場所に住んでいたら欲しくなってしまうかもしれません。しかし,満足に星も見えないところに住む私は,それを買っていったいどこで使うの? と思ってしまいます。
 日本は,晴天率に恵まれず,また,空の暗いところもほとんどありません。これでは,海もないのに潜水艦を買うようなものです。今は行くことができませんが,たとえば,南半球やハワイなどの星のきれいなところに出かけたり,あるいは,国内でも,四国や信州,北海道など,わずかに残る星の美しいところに出かけて,旅先で星を見たり写真を写そうと思えば,三脚も含めて2キログラムほどのポータブル赤道儀で事足りるし,大きなものは持っていくことすらできないのです。
 このように,現実を知らなかった子供ころには欲しいと思ったものも,そんな現実を知ってしまうと,いまさら新しいモノを欲しいとも思わなくなってしまいました。

 私のような世代は,子供のころには,大人になったらなんとかに手に入る程度のほどほどの優れたモノががたくんあったので,いつかはそれを手に… と,恋に恋するように憧れていたものです。このような状況が一番幸せだったのかもしれません。それに比べると,今の若い人には,そうしたモノがまったくなくなってしまったので,気の毒です。
 昔より性能は優れていても,一般の人が少し無理をすれば手に入れることができるほどの手ごろなモノがないのです。普通の車を買いにいったらトラックしか売っていなかったというような感じです。いくら性能がよいからといって,たかが趣味なのに,カメラも天体望遠鏡も,それが車1台ほどの値段がしては,車のように毎日使うモノとは違って,たかだか月に1,2度の使用頻度では手が出ませんし,それをいつも活用するような場所もありません。置き場所もありませんし,要らなくなったときに廃棄するにも困ります。また,そんな高性能のモノはプロでない限り必要がなく,もはや,アマチュアが楽しむ世界ではなくなってしまったのです。
  ・・
 私には,何十年も前の,私でも手に届くころに買ったモノで今も十分満足だし,愛着をもって使えます。当然,今のモノにくらべたら性能も劣りますが,だからといって,困るほどのこともありません。仕事ならともかく,趣味であれば,その不便さこそが楽しいものです。だから,現在のような,新製品が高価で手に入らないという状況は,それを手に入れようという邪気が起きないだけより好ましいのです。その結果,お金を散財することもなく趣味に没頭できるというものだから,むしろ,心落ち着く日々が過ごせるのです。
 今の若い人の多くは車にも興味がないというし,こんなことでは,ますますモノは売れますまい。

💛

IMG_1500

######
 人を精神的に傷つけるのは,肉体的に傷つけるより,よほど悪意に満ちています。しかも,物理的に罪を犯していないので,刑罰を受けることもありません。私のかつての上司はそういう輩でした。精神的に傷つけられた人が自殺でもすれば,やっと殺人と同じになりますが,自殺でもしない限り,そうした悪意が世に問われることもありません。これが悲しい現実です。
  ・・
 若いころ「犬が人間を噛んでもニュースにならないが,人間が犬を噛むとニュースになる」と聞いたことがあります。ところが,最近はどうも違うようで,当たり前のことがニュースになります。
 外出を自粛せよといわれて人出が減るのは当然なので,それで人出が減ってもニュースにならないはずですが,今では,そんな当たり前のことでもニュースになります。その一方,自粛を緩和すれば人出が増えるのもまた当然だから,人出が増えたといって大騒ぎをすることなどないし,そんな当たり前のことを伝える必要もないのです。しかし,人出が増えたことをさもいけないことのように伝えるのだから,悪意に満ちています。
 本当に,このごろの報道はなんと質が低下しているのでしょうか。もっと悪質なのは,何かというと「マスクをしていなかった」とかいう,それが原因であるかどうかはわからないことを意味もなくつけ足すのに,その逆に,小学校で集団感染が起きたとき「小学生がマスクをしていたのにもかかわらず,集団感染した」とは書かないのです。
  ・・
 このごろ,芸能人の自殺が相次いでいます。それは,報道によって芸能人を精神的に追い詰めたことが原因ということで,報道の在り方が問われています。
 人の不安を煽るような報道ばかりしておいて,何をかいわんや,です。それは,きちんとした根拠も裏付けもなく,話題になることだけをおもしろおかしく,しかも,オーバーに報道しているからです。芸能人のスキャンダルは,たとえそれが真実であったとしても,そこに書かれていることだけが真実ではないのです。このことが最も大切なのです。そんな報道は,象のしっぽだけを見て,これが象だといっているようなものだからです。

 ということが理由で,これまで再三書いているように,報道は作為と悪意に満ちているから,私は,テレビなどのニュースは,自然災害などの緊急な報道でない限り,一切見ないことにしました。
 さすがに,まったく世の流れを知らないのも危険なので,デジタル化した今の時代の流れに反して,昔に戻って,紙媒体の新聞を読むことにしました。新聞社もまたインターネットでニュースを配信していますが,インターネット上の速報というのは,吟味をすることなく流されるので,必要でない情報に溢れています。そこで,それを読むことは精神的にも危険なのです。紙媒体の記事であれば,物理的な制限があり,また,時間差があるおかげで,ニュースが取捨選択されているから,むしろそのほうがよいのです。
  ・・
 私は,朝起きると,コーヒーを飲みながらクラシック音楽をバックに新聞を読みます。手に入れる情報はそれだけです。それだけで十分です。
 テレビは,1週間前に番組表から必要なモノだけ選択して予約し,決めた時間にあとでまとめて見ます。その多くは,クラシック音楽の番組や質の高いドラマ,語学番組,ドキュメンタリーの類です。民放はめったに見ないのですが,ドラマなどでよいモノがあれば,それだけを,先に CM だけをカットしておいて,あとで落ち着いて見ます。雑誌は買いませんし,書店に行くのもやめました。
 こうした生活をはじめると,なんとこころ落ち着く日々が過ごせることでしょうか。

 ただし,紙媒体の新聞には広告というものがあって,これがまた,私には,一切見る必要のない情報ばかりなのです。紙媒体の新聞や雑誌に限らず,このごろは,ウエブ上にもところかまわずクッキーを利用した広告が表示されるので,うざったい限りです。
 そもそも,新聞や雑誌の広告に限らず,テレビのCMなどもまた,まったく見ないに限ります。
 これだけモノがあふれている時代,もはや,欲しいものなどありません。これがないと困る,という生活必需品ができたときに限り,CMには踊らされず,じっくりと調べたうえで入手すればそれで事足りるのです。
 私は Facebook や Twitter などの SNS も利用していますが,そのような SNS 上にも,見たくない広告が山のように届きます。私は,Facebook も Twitter も,そうした広告をすべて着信拒否し続けた結果,その成果が実って,いまではほとんど広告が表示されなくなったので,きわめて快適になりました。また,ウエブ上にある口コミやコメントの類は,百害あって一利ありませんからまったく見ませんし,何かを利用したあとに決まって届くアンケートには一切答えません。また,企業からのメールの類も,必要なもの以外はフィッシング詐欺の巣窟だと心得て,即座に削除します。電話も登録してある人から以外は出ません。
  ・・
 ネット社会では,このように,いかに情報を手に入れるかということより,いかに情報を遮断し関わらないかということのほうが大切なのです。今の時代は,まさに「見ざる言わざる聞かざる」で,知らないほうがいいことばかりなのです。
 国が企てるさまざまな政策もまた,その本質は,国民から少しでもムダにお金を散財させるか,あるいは,税金を分捕るかということだけが目的であるから,そんなものに踊らされてはいけません。
  ・・
 まあしかし,私のような人ばかりだと,モノは売れず,景気もよくならないので,多くの人は,決して私のマネをしないで,せいぜい,宣伝に惑わされ,また,GoTo とやらで,行く気もなかった旅行に行き,安くなるからと,CMに踊らされて,いつもより豪華な宿泊を楽しみ,ホテルの夕食では一品余分に注文し,さらには,日ごろはしない外食をしたりと,大いに散財をしてもらった方が世のため人のためになることでしょう。
 みなさま,せいぜい,お好きなようになさいませ。

💛

DSC_4630DSC_4628DSC_4635DSC_4631DSC_4633

●旅先での出会いは…●
 日ごろから親しい人でも,一緒に旅をすることは,若いころとは違って,簡単なことではない。まして,日ごろおつき合いのない人と旅先で出会ってその町の案内をしてもらうということは,なかなか難しいものだ。
 私は,旅行先やそれ以外にも様々な方法で知り合った人と,遊びに来て,という誘いに応じて,出かけたこともこれまでに少なからずあったが,いざ会っても,そのあとがけっこう難しいのだ。それは好みが違ったり,行きたいところや行動様式が違うからだ。さらに,友達とならフィフティフィフティで何とかなるが,お招きにとなると,お金をどうするかという問題もある。
  ・・
 私は,旅先では,地元の人に,旅人では行くことができないところに案内してもらうのが最もうれしい。特に,レストランなど,知らないところにはなかなか入りにくいから,最も楽しい時間となる。だから,もし,海外から日本に友人が来たら,そういった場所を案内するのがいいと思うのだが,そのとき,問題なのは食習慣の違いを理解しているかどうかということだろう。私は好き嫌いがないからまだしも,それでもやはり,これまで食べたことがないものの中には抵抗があるものが少しはある。
 それよりも,観光地を案内されるほうがより難しい。この旅の1年前の2014年,これもまた,友人の招きでテキサス州のサンアントニオに行ったとき,私はまずアラモ砦に行きたかったのに,あんなところは観光用だといって興味を示してもらえなかった。それは,たとえば,京都に行って外国人を案内するときに,鹿苑寺金閣は再建だから見る価値などなく,慈照寺銀閣は国宝だからこちらのほうが価値があるといわれるようなものだった。
 そのように,なかなか波長が合わないこともあって,そういったときは,結局,ひとり旅のほうがずっと居心地がいいということになってしまうことも多い。しかし,この旅で会った友人は,そういうことを心掛けてくれて,楽しい時間を過ごすことができた。

 この日は,ポートランドのダウンタウンをひと通り案内してもらった後で,ウィラメット川(Willamette River)畔のトムマッコールウォーターフロントパーク(Tom McCall Waterfront Park)にあったレストランで昼食をとった。平日なのに多くの人がノンビリと景色を眺めながら食事をしていて,とてもいい雰囲気であるとともに,うらやましかった。
  ・・・・・・
 ウィラメット川は,オレゴン州のポートランドおよびセイラムを流れる川である。コロンビア川の支流で,長さは187マイル(301キロメートル)および,ひとつの州の中だけを流れている川としてはアメリカで最大の面積をもっている。
 トムマッコールウォーターフロントパークは,ポートランド市内を東西に分けるウィラメット川の西ダウンタウン側に約2.4キロメートル続く公園である。
 この区間には,北からスティール橋(Steel Bridge),バーンサイド橋(Burnside Bridge),モリソン橋(Morrison Bridge),ホーソン橋(Hawthorne Bridge)の四つの橋がかかり,徒歩や自転車,インラインスケートなどで「橋の街」ともよばれるポートランドの姿を楽しむことができる。夏場は水遊びする子供達でにぎわうサーモンストリート噴水(Salmon Street Springs)や桜並木と石碑が並ぶ日系アメリカ人歴史プラザ(Japanese American Histrical Plaza),川に浮かぶオレゴン海洋博物館(Oregon Maritime Museum)といった見所もある。
  ・・・・・・
 ポートランドはどこに行っても美しいところだったが,特に,このウィラメット川のほとりの公園が過ごしやすかった。このときはまだ知らなかったが,のちに行ったオーストラリアのブリスベンのダウンタウンに似ていないこともない。いずれにせよ,こんな過ごしやすい町は,日本にはない。

💛

DSC_4641DSC_4640DSC_4636DSC_4626IMG_0392

●ポートランドは日本の都市のよう●
 ポートランドのあるオレゴン州というのは,アメリカの州の中でもいろんな意味でちょっと,というかかなり変わった州である。
  ・・
 アメリカのガソリンスタンドは日本のガソリンスタンドがセルフになるずっと以前からセルフだったから,アメリカではどこもセルフだと思っている人もいるだろう。私もそうだった。しかし,オレゴン州とニュージャージー州のガソリンスタンドはセルフサービスではない。
 アメリカでレンタカーに乗らない日本人にはどうでもいい話だが,このことは,このときに知ったが,アメリカでは有名なことらしい。この旅で,私はまずこれに戸惑ったが,そのことはまた後で書くことにする。
  ・・
 また,オレゴン州はマリファナが合法である。これはオレゴン州のほかにワシントン州,ニューヨーク州,アリゾナ州,ニューメキシコ州,ミネソタ州,ハワイ州などがあるそうだが,このことは私にはまったく関係も興味もない。
 ただし,この旅の2年後2017年にアメリカへ皆既日食を見にいったとき,皆既日食の前日,オレゴン州のインターステイツが大渋滞を起こしていて,これは皆既日食を見にいく車の列だと報道されたが,実際は,その日に発売になったマリファナを買いにいく車だったらしい,という話を聞いた。このことが真実かどうかは知らない。
  ・・
 さらに,ポートランドは,日本からの短期ホームステイ先として有名である。実際,日本からのポートランド便やポートランドのダウンタウンには日本人の女子大学生の姿がやたらと目についた。聞くところでは,これは州の政策で,まずしい家のお金稼ぎだと聞いたことがある。私はそれが正しいかどうかは知らない。ただし,私立の大学の外国語学部でアメリカでのホームステイをウリにするところは,そのホームステイ先はポートランドである。
 私は,女子大学生が群れてポートランドの家庭に短期ホームステイをしたところで,お金を捨てるだけで,青春の思い出以外は何も得られないと個人的には思っている。

 ポートランドはきわめて治安もよく,ダウンタウンはさほど広くもなく,とても快適な都市であるから,アメリカではじめに降り立つには最適だとは思う。ホームレスも多いのだが,ホームレスにも過ごしやすい都会なのだそうだ。
 空港からダウンタウンまでは鉄道ですぐアクセスできるので,車がなくとも,とても便利である。また,市内区間の公共共通は無料で,しかも,頻繁に走っているので,来た電車に乗るだけでどこにも簡単に移動できるのも快適である。
 また,ダウンタウンでやたら目につくのは屋台である。屋台は,今では,ポートランドだけではなく,ワシントンDCやニューヨークもどんどん増えているそうだ。レストランの値段が高く,しかも,さらにチップが必要なアメリカでは,屋台はビジネスマンが気軽に昼食をとるにはとても便利なのだ。しかも,屋台は移民がひとりで商売をはじめられるから人気なのである。ただし,たいへんな競争で,それぞれが工夫を凝らして商売をしているそうだそうだし,当局の嫌がらせもあるという。
 ダウンタウンにはアップルショップやら,ブランド品のショップやらが並んでいるのは,アメリカというより,今や,全世界どこも同じようなものである。ポートランドのダウンタウンは,広すぎることもなく,徒歩でどこにでも気軽に行くことができる。私は,どことなく,名古屋の繁華街である栄にいるような気になった。

💛

DSC_4610DSC_4612DSC_4618DSC_4623

●私の「密かな愉しみ」だった町●
☆13日目 8月11日(火)
 ついにオレゴン州までやってきた。この日8月11日と翌日8月12日はオレゴン州で過ごし,最終日8月13日のお昼にオレゴン州ポートランドの国際空港から帰国する。
 この旅の最後の目的地をオレゴン州ポートランドにしたのは,この年2015年の1年前,2014年の夏に同じようにポートランド経由でアイダホ州に行ったとき,Facebookの書き込みでそれを知ったポートランドに住む友人から,ポートランドに来るなら遊びにきてという返信をもらって、その時に来年は行くからねと約束したのが発端であった。
  ・・
 そのようなわけで,このときの旅は,ワシントン州のシアトルに降り立ち,アイダホ州に行き,モンタナ州までドライブし,再びシアトルに戻ってMLBを見て,さらにワシントントン州の3つの国立公園を巡り,最後に,オレゴン州のポートランド,という盛り沢山の内容になった。しかも,予定外の美しい場所がもうひとつ,明日の旅で加わるのだ。
 今にして思うに,こんな旅はもう二度とできないであろう。しかも,このときの旅で行ったところは,アメリカに住んでいてもなかなか行くことのできない場所ばかりだった。
 今や私には2週間も旅をする元気はない。たとえ元気があっても,コロナ禍で行くことができない。そう思うと,本当に行ってよかったし,こうした貴重な体験は,思い立ったときにしておくべきだと痛感する。
 もはや,私の人生に未練も後悔もない。

 ポートランドに着いてからの予定は,友人と会うこと以外には,毎度のごとくまったく未定であった。
 ポートランドには,かつて1度だけ来たことがあった。それは今にして振り返ると,私の「密かな愉しみ」となった思い出だが,そのときにポートランドを詳しく観光した覚えがない。
 そこで今回は,ポートランドはきれいな都会と聞いていたから,時間があればどこへ行ってもいいかな,くらいの気持ちだったし,友人と会うのだから,あなた任せでもあった。
  ・・
 この日から2日宿泊するのは,空港の近くでダウンタウンからは10キロメートルくらいのところにある「ラキンタ」(La Quinta)という比較的高級なホテルであった。
 朝10時,ホテルの駐車場で友人と待ち合わせということにした。ホテルのチェックインは昼過ぎだから早かったが,試しにフロントで尋ねてみると,ホテルのチェックインをすることができた。アメリカでは,チェックインの時間前でも部屋が空いていれば大概可能である。そこでチェックインを済ませ,ホテルの駐車場を確保してそこに車を停め,友人を待った。
 友人はちょうど10時にやって来た。彼女は台湾からの移民で,以前,イエローストーン国立公園を現地ツアーで観光した時に知り合った。9年ぶりの再会であった。そのままダウンタウンまで彼女の車で行って,まずはポートランドのダウンタウンにあるスターバックスに入って,ラテをご馳走になった。

💛

DSC_2994 (2)DSCN1674

######
 今から40年前の10月5日は,当時の大スター・山口百恵さんの引退コンサートが行われた日ということで,先日,そのコンサートが NHKBSP で放送されていました。
 私はほぼ同年代なので,当時の様子を思い出して懐かしくなりました。特にファンということもなかったのですが,コマーシャリズムの影響でずいぶんと話題になったのでそれに影響されて,それなりに興味はありました。このコンサートがテレビで中継されたのかどうかはまったく覚えていませんが,当時の私は見ていません。後日,それを収録したビデオがずいぶん高値で販売されたとか,友人がそれを買ったとかいう話は聞いたように思いますが,私は当然,それも手にしていません。それでも,コンサートの最後にステージにマイクを置いて去っていったというのは有名で,知っていました。

 あれから40年たちました。20歳の人が60歳になることを思えば,人生にとって40年というのは衝撃的な長さです。私は,その40年後の今はじめてそのコンサートを見て,ずいぶんと質の高いコンサートだったんだなあと思いました。山口百恵さんが引退したときの年齢は21歳だったというから,そんな若い人があれだけのコンサートを堂々と演じあげたのだから大したものです。 
 実際,芸能人というのは,その人の実像ではなく,その役割を演じている商品です。山口百恵さんもまた,山口百惠というひとりの女性を素材として,多くの人の企画によって作り上げられた商品ですが,それを見事に演じたことで偶像となったわけです。そして,その偶像を結婚という機会に脱ぎ捨てて,山口百恵を辞め,三浦百惠というひとりの一般女性に戻ったということです。
 ジャズ評論家の平岡正明さんは「山口百恵は菩薩である」という本を書きました。山口百恵という偶像は21歳をもって公から姿を消して菩薩となったので,今も我々にはそのときのままの姿で生き続けているのです。三浦百惠さんの今の姿が写真に撮られていて,それを目にすることはできますが,その姿は一般女性の三浦百惠さんであり,山口百恵という偶像ではありません。

 しかし,今の若い人は,山口百恵さんを知りません。引退以後すでに40年,公にまったく姿を見せないわけですから無理もありません。おそらく,あと数十年もすれば,すべて忘れ去られてしまうのでしょう。
 生き方は人それぞれですが,一般論として,あの時代だからこそ,結婚して引退,という生き方が女性のひとつの理想として憧れの対象となったのです。今は,そういう時代でなく,結婚とか私生活と仕事は別物で,それをスマートに両立させて,仕事を続けることの方が理想となりつつあるように思われます。いや,多くの女性は,仕事を続けなければ生活ができないだけなのかもしれませんけれど。
 今の時代に,40年前の山口百恵という偶像が演じた引退劇を行っても,当時のような共感が得られるのかはわかりません。もし,私が今の若い女性だったとしても,あのような生き方をしたいとは思えません。そんな意味でも,40年という月日やら,人の生き方やら,さらには,人の老いやらと,いろいろ考えさせらえれたコンサートでした。
 それにしても,山口百恵さんは大した偶像でした。

無題 (3)

💛

IMG_0349DSC_4605DSC_4600DSC_4608DSC_4606

●落ち着いた美しい町ロングビュー●
 シアトルを出発して,マウントレイニー国立公園,オリンピック国立公園,そして,セントへレンズ火山国定公園と周遊してきた。それとともに次第に南下して,この次にめざすのはオレゴン州のポートランドであった。
 この日はセントヘレンズ火山国定公園から州道504を西に走り,インターステイツ5に出て,さらに南に,ロングビュー(Longwiew)という人口35,000人ほどの比較的大きな町にあるクオリティインに泊まることになった。
 ロングビューはインターステイツ5沿いの町で,カウリッツ川(Cowlitz River)とコロンビア川(Columbia River)の合流点にある。ここからオレゴン州のポートランドまでは30分ほどである。

   ・・・・・・
 ロングビューは,かつて地元の先住民族の祖先の墓地のある場所だった。
 1849年,開拓者ハリー(Harry)とレベッカ・ジェーン・ハンティントン(Rebecca Jane Huntington)が率いるヨーロッパ系アメリカ人によって開拓され,はじめはバージニア州のトーマスジェファーソン(Thomas Jefferson)第3代大統領の家を記念して,モンティチェロ(Monticello)と名づけられた。
 1921年になって,この地は,ふたつの大きな製材所を運営するために14,000人の労働者が必要ということで,町が作られた。
  ・・・・・・
 モンティチェロ,懐かしい名前である。私はこの旅をした翌年の2016年に,そんなことは意識していなかったが,偶然,バージニア州のモンティチェロにも行った。

 ロングビューは広い公園のある美しいところであった。ホテルにチェックインをしてから,夕方公園の川べりの散歩をした。涼しく快適であった。
 アメリカに限らず,私が行ったことがあるオーストラリア,ニュージーランドなどでも,海外からの観光客が訪れる,いわゆる「観光地」でない,地元の人たちが日常を過ごすこのような町の多くは,どこも落ち着いていて,暮らしやすそうに思える。
 そこは何があるということでも,特筆すべき名所があるというものでもないが,そういった町は,一般に,とても静かで,広々としていて,しかも,どこもゴミひとつない美しく広大な公園がある。夕方ともなると,住民が散歩をしたり,ベンチででくつろいだり,ジョギングを楽しんだりしている。あまりに広いので,決して「密」が起こることもない。商店は定刻に閉店してしまうが,入りやすそうなレストランが多数あって,そこでは時間を忘れて夕食を楽しむことができる。それもまた,日本のようにせまくなく,空席待ちをする必要もない。
 私もこの日,町の1軒のレストランに寄ってステーキを食べた。
 日本には,どこに行こうと,こうした町がないのが残念である。しまった,書いていたら,また行きたくなってきた。

◇◇◇

💛

画像 036

######
 ネット上に,
  ・・・・・・
 あ高等学校の物理の先生が「世の中の事象はすべて物理で説明できる。そして物理を極めれば数学になり,数学を極めれば哲学になる」と仰っていました。
  ・・・・・・
というものがありました。まじめな高等学校の先生らしいお話です。
 それに対して,ふまじめな私が物理学を「卑怯」だと思っているところは,所詮,物理学など,本質的なことは「原理」としてその先を触れることもなく,その「原理」とやらから作った基本法則をもとにして,それを当てはめると,将来起きることや過去に起きたことが導き出せるというたかがそれだけなのに,傲慢にもそれを「すべて説明できる」とかいっちゃうことです。しかし,物理学では,そもそも「原理」がどうして「原理」となりえるのかは何も語っていないのです。
 そして,その基本法則を書き表す記述手段が人間の構築した数学なので,「物理学で説明できる」というのは,「人間のこしらえた数学で原理を表すことができる」というだけのことです。そして,それを数学でなく言葉でわかるように説明すれば,それは哲学となっていく,というわけです。要するに,そこでの究極的な問題は「わかるとは何か?」ということなのですが,その点では,何もわかってはいないというのが答えになります。

 私が書きたいのは,そうした物理学に意味があるかないかということでなく,人間の生み出した数学,その数学を用いて原理を記述する物理学,それらがどこに向かっているのかということです。つまり,そうした思索ができる(と思い込んでいる)人間を生み出したいわゆる「創造主」(宗教的なものではありません)は,はたして,人間に本当にそれを解明するだけの能力を授けたのだろうか,ということです。今でも,宇宙全体の質量のうち,人間が知っているものはわずか5パーセントの元素であり,26.5パーセントを占めるといわれるダークマターと68.5パーセントを占めるといわれるダークエネルギー(ダーク dark =「わからない」の意)については何も知らないのです。
 では,人間は知能という能力を無限にもっているのでしょうか? いくらがんばっても人間は100メートルを1秒で走ることはできないでしょう。では,知能においては,こうした限界というのはないのでしょうか?
 私は人間の知能に限界はあると思います。だから,人間の能力では将来も世の中の事象は物理で説明できはしないのです。しかし,人間は,物事の真理に近づきたい,そうした願望で,有史以来延々と知能の限界に挑戦して,少しずつ乗り越えてきました。そのもととなるのは,知りたいという好奇心です。その結果,科学が進歩し,生活が改善されてきたのだから,それはそれでいいのです。物理学は意味があるのです。

 しかし,その反面,物理学は,人の争いに利用されてきました。そこでむしろ,物理学によって作られた兵器をもちいた戦争で,人間は滅んでしまうのか? ということのほうが問題なのです。
 有史以来,人間の歴史は争いの歴史です。そして,いつの時代も,戦争という過ちを犯すたびに,平和を求めるための作業を延々とやってきました。その結果,避けられた争いも少なくはないから,そうした努力もまた意義があるのです。しかし,そうした努力にも関わらず,依然として,愚かな人たちは争いを続けています。そして,争いの手段として用いられてきたのが物理学なのです。
 近年も相変わらず,大国の利権の争いをはじめとして,世界中のどこかで何かがこじれています。しかし,物理学をもとにした急激な科学技術の発展が,そうした争いをこれからも続けることに危機的状況を生み出しているのが,昔の争いとは異なる点でしょう。皮肉にも,兵器があまりに危険になってしまったために,それが抑止力となっているわけです。しかし,どこかの国が何かの間違いで核兵器の発射ボタンを押した瞬間に,世界は容易に滅んでしまうのです。

 では,「創造主」は,そうした英知とともに愚かな本能を人間に与えていて,その結果,究極的には人間を滅ぼそうと企てて創造したのでしょうか。残念ながら,私はそうであると思います。近い将来,多くの人間の平和を求める努力にもかかわらず,愚かなひとりの人間が何かのはずみで間違いを犯し,その瞬間,恐竜がたったひとつの隕石の衝突によって消滅したように,地球上の人間はあっという間にあっけなく滅亡するのです。
 地球の46憶年の歴史で恐竜が君臨したのが1億年以上,それに対して,人間の歴史はわずが数万年,文明が発達してからはまだ1万年にもなっていないのです。恐竜の繁栄に比べたら,それは1万分の1でしかない。それなのに,人間という傲慢な自称「知的生命」は地球を征服した気になっています。そんな傲慢な人間は,近い将来,たったひとりの愚かな行為で,まるで炭酸飲料のあぶくのように,あっという間に絶滅してしまうのです。
 人間はもっと謙虚になるべきなのです。
 おそらく,2020年のコロナ禍もまた,傲慢な人間に対する創造主からの警告なのでしょう。

💛

ハワイ2 (3)

######
 私がこのごろとても不思議に思うのは,どうしてこの世界に生き物がいる「必要がある」のだろうか,ということです。私の結論は,この世界を作った創造主(宗教的なものではありません)が,せっかく作ったのにそれを共感してもらう人がいないとさびしかったから,ということです。…というのは冗談ですが,地球上に生息する生き物は,いったい,どうして生きている,生きていなければならないのでしょうか。別に地球上に生き物がいなくても,何も困らないではありませんか。
 視点を変えてみましょう。生き物は,生きていて何が楽しいのでしょうか。トラやライオンのご趣味は何なのでしょうか。エサをとったり,繁殖をするのは,おそらくそれを作った創造主が与えた本能で,そうしないと滅びてしまうからそうなったという仕組みにすぎないわけです。そういう仕組みが偶然そなわったから存在している,というだけのことでしょう。
 それに加えて,高等な生き物では,生きているという状況に加えて,そこに感情やら知性やら,そういった,いわば余計なものが,これもまた偶然備わってしまったために,さらにややこやしくなっているのですが,そういうことだって,すべては,何らかの化学反応の結果生じた結果にすぎないのでしょう。
 とまあ,私は,そんなことを考えるようになってきました。

 そうした生き物の不思議を他人ごととしてとらえているうちは,それでもまだ冷静に空言ととして考えることができますが,そこに,個,つまり,生きている自分というものが宿っているから,さらにさらに事態はややこやしくなるのです。
 それは,たとえば100人の人がいて,何らかの事故が起きて,その結果,99人が生き延びてひとりが亡くなるという状況が発生したとき,その亡くなったひとりがもし自分だったら,たとえ生き残った人が何人いようと関係なく,それですべてが終わりなのです。自分が亡くなってしまえば,この世界があろうがなかろうが,生き物が存在しようがしまいが,そんなことはすべて超越してしまって,もはやどうでもいいわけです。たまたま生き物というものができたこの世界に,その生き物に自分が宿ったがためにそれを認識している,というだけの話にすぎないからです。
 と,単に,生き物は化学変化の多くの偶然が重なってできちゃっただけなのに,人は,その生き物に宿っている時間を退屈しないで過ごすために,ごちゃごちゃといろんなことをして,世の中の仕組みを作ったり生きることを正当化する哲学をこしらえたりしているというのが,この世界というわけです。

 そうした生き物である人間は,世界がどうしてできたのかという不思議を納得させるために,いろんなことを考えました。それらを「天地創造」といいます。しかしまあ,それもまた,単に人間が考えただけのものがたりですけれど。
 「旧約聖書」には,
  ・・・・・・
 1 In the beginning God created the heavens and the earth.
 2 Now the earth was formless and empty. Darkness was on the surface of the deep. God's Spirit was hovering over the surface of the waters.
 3 God said, "Let there be light," and there was light.
 4 God saw the light, and saw that it was good. God divided the light from the darkness.
 5 God called the light "day," and the darkness he called "night." There was evening and there was morning, one day.
  ・・
 1 はじめに神は天と地とを創造された。
 2 地は形なく,むなしく,闇が淵の表にあり,神の霊が水の表を覆っていた。
 3 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
 4 神はその光を見て,よしとされた。神はその光と闇とを分けられた。
 5 神は光を昼と名づけ,闇を夜と名づけられた。夕となり,また朝となった。第1日である。
  ・・・・・・
と書かれてあります。
 また,中国の思想書「淮南子」の天文訓には,
  ・・・・・・
 道始生虛廓 虛廓生宇宙
 宇宙生氣
 氣有涯垠 清陽者薄靡而為天 重濁者凝滯而為地
 清妙之合專易 重濁之凝竭難
 故天先成而地後定
 天地之襲精為陰陽
 陰陽之專精為四時 四時之散精為萬物
  ・・
 最初に虚空があり,虚空のうちに宇宙が生まれる。
 その宇宙のうちに,気が生ずる。
 気には重さがあり,軽くて透明なものは,うすくたなびいて天となり 重く濁ったものは沈み固まって地となる。
 軽くて透明な気は集まりやすいが,重くて濁っている気は固まるのが遅い。
 だからまず天ができあがり,地はそのあとにできる。
 天の気は集まって陽気となり,地の気は集まって陰気となる。
 この陰陽二気のうち,純粋なものは春夏秋冬の四季を構成し,そこからあふれでた気は万物を構成する。
  ・・・・・・
とあります。
 この書の影響を受けたといわれる「日本書紀」には,
  ・・・・・・
 古天地未剖 陰陽不分 渾沌如鷄子 溟涬而含牙
 及其清陽者 薄靡而爲天 重濁者 淹滞而爲地
 精妙之合摶易 重濁之凝竭難 故天先成而地後定
 然後 神聖生其中焉
  ・・
 昔,まだ天と地が分かれておらず,陰陽の別もまだ生じていなかったとき,鶏の卵の中身のように固まっていなかった中に,ほの暗くぼんやりと何かが芽生ていた。
 やがてその澄んで明るいものは,のぼりたなびいて天となり,重く濁ったものは,下を覆い滞って大地となった。
 澄んで明るいものは,ひとつにまとまりやすかったが,重く濁ったものが固まるのには時間がかかった。それゆえ,まずは天が出来上がり,大地はそのあとでできた。
 その後,そのなかに神がお生まれになった。
  ・・・・・・
となっています。

 このように,昔から人はこの世界の創造について,さまざまに思いを巡らせてきたのですが,どれもよく似た感じです。おそらく,実際も,な~んにもないところに,なんらかの「ゆがみ」やら「ひずみ」やらが偶然できて,それが物質となり,物質がさまざまに化学反応を起こして,やがて,生き物という摩訶不思議なものができちゃって,それがさまざまな反応を繰りかえすうちに,創造主すら予期しなったこんな複雑な世界になった,というだけのことでしょう。
 ということで,この問題に対する私の結論は,世界なんてそんな程度でできちゃったっていうことなのだから,それらはすべて,生き物の力を越えたところにあるどうにもならないもの,ということです。そのうち,世界自体がなくなってそれで終わりです。それが早いか遅いかだけで,未来永劫なんてありえないのです。
 物質の化学反応でできちゃったのが生き物なのだから,生きている意義なんて本当は何もない。だから,人と競っても,名を残しても仕方がない。ただ,それではむなしくなってしまうから,生きているってすばらしいよみたいな哲学をこしらえたり,人と比べることに喜びを見出してみたり,競争して勝つことに快感を得たりと,いろいろ理屈を作ってそれぞれが生きがいとやらを見つけているのです。
 私個人の独断と偏見でいえば,出世欲と権力欲はその中でも最も下等な生きがいです。でも,人に迷惑さえかけなければそれでいいではないですか。それでその人が救われるのなら…。
  ・・
 今日は,生きることは所詮死ぬまでの暇つぶし,だから,堅いこといわずに,生きている間を,みんなせいぜい楽しみましょう,というお話でした。

◇◇◇
Hunter's Moon 2020.

今年の中秋の名月は10月の月です。
ちなみに,2020年の10月は満月が2回あります。
次の満月 Blue Moon は,地球と月の距離が最遠となります。
New1s (4)t

💛

DSC_4583DSC_4595DSC_4576DSC_4577DSC_4579DSC_4599

●ジョンストンリッジオブザバトリー●
 多くの国立公園はゲートで入園料を払うようになっているが,セントへレンズ火山国定公園は,3つのルートとも,入口にゲートはなく,無料で最終地点までいくことができた。
 セントへレンズ火山国定公園の園内には,マウントセントヘレンズビジターセンター,コールドウォーターリッジビジターセンター,ジョンストンリッジオブザバトリーの3か所のビジターセンターがある。
 マウントセントヘレンズビジターセンターはインターステイツ5から降りた直後にあり,シルバーレイクの湖畔に建っている。こんな場所で時間を使っていては私が予定したふたつの展望台に行けなくなるのでパスして登っていった。
 セントへレンズ火山に近づいていくとコールドウォーターリッジビジターセンターがあった。このビジターセンターにはブックストア,ギフトショップ,そして,カフェテリアもあるし,400メートルほどハイキングが楽しめる「Winds of Change」トレイルがあったらしいが,私はそれをまったく覚えていない。
 その先,まっすぐにジョンストンリッジオブザバトリーまで向かった。ここは車で噴火口まで最も近くにいくことができる場所にあるビジターセンターである。

 まずは,ビジターセンターを横に,展望台に行って,火山の風景を楽しんだことは前回書いた。そして,そのあとで,ビジターセンターに入った。
 ジョンストンリッジオブザバトリーは,1980年の噴火の生物学的および地質学的影響の調査に関する展示を目的として建てられたもので,詳しい展示があるのは,どの国立公園のビジターセンターも同様であるが,さらに,噴火時の様子を伝える16分の映画が上映されていてこれがウリだ。
  ・・
 これを書きながら思ったのだが,日本の富士山には,こうしたビジターセンターはあるのだろうか? 私は登ったこともないし,登ろうとも思わないので実際のことは知らないが,聞くところでは,富士山登山はすごい人らしい。しかも無料である。
 このことが,何でもアメリカ基準の思考が身についてしまった私にはまったく理解ができない。日本の多くの山と同様に,富士山は観光地ではなく,信仰の山,だからであろうか?

 実は,セントへレンズ火山国定公園は登りのルートは無料だったが,3つのビジターセンターはすべて有料だったのである。しかし,私はそのことをまったく知らなかった。ジョンストンリッジオブザバトリーはものすごく混雑していた。入口を入ったところのホールの真ん中に受付があって,そこで「自発的に」入館料を払うことになっていたらしい。ただし,お金を払っても,そのあとでなんらかのチェックはない。私は悪気もなく,入館料が必要なこともまったく知らず,混雑した中を,映画が上映されるシアター「シネドーム」(Cinedome)に向かって押し合いへし合いしながら入って行ってしまった。
  ・・
 映画を見終わると,スクリーンが開き,その向こうに,実物の火山を見ることができるという演出で,これがすばらしかった。アメリカのこうしたアトラクションはどれも非常に凝っている,というか,すべてがディズニーランドと同じ手法,というより,ディズニーランドがマネなのである。
 考えてみれば,展望台に行く前にビジターセンターに入って,映画を見終えたときにはじめて本物の火山を見るという,劇的な演出がされていたのだ。しかし,私は,先にもうひとつのルートを登って,すでに火山を見てしまっていたし,さらに,ここでも,先に実物の火山を見てしまっていたから,映画の演出がムダになてしまったようだった。
 こうしていろんなことがあったが,ともかく,セントへレンズ火山を堪能して,インターステイツ5に戻ることにした。
 帰り道で,来るときにパスしたマウントセントヘレンズビジターセンターに寄ろうと思ったが,すでに閉館時間を過ぎてしまっていて,なかに入ることができなかったのが少し残念であった。

💛

このページのトップヘ