今日は趣向を変えて,英語のお勉強でもしましょうか。
お題は The boy who cried wolf です。
・・・・・・
There was a shepherded-boy in a village.
Day after day, all he had to do was to look after his sheep.
He was so tired of it and felt like teasing the other.
Suddenly the shepherded-boy cried out, “A wolf! There’s a wolf!”
The villagers heard him and rushed over to him.
And the shepherded-boy gave a big laugh at them.
A few days later, shepherded-boy cried out again, “A wolf! There’s a wolf!”
Once again the villagers heard him and rushed over to him.
The shepherded-boy got a good laugh out of them.
But one day, a wolf really came and attacked the boy’s sheep.
The shepherded-boy was in fevered haste, cried out for a help, “A wolf! Wolf! I mean it!”
But this time no one came for a help.
No one believed the shepherded-boy telling the truth.
Poor boy, his sheep had all eaten by the wolf.
・・
羊飼いの少年が退屈しのぎに「おおかみが来た!」と嘘をついて騒ぎを起こします。
だまされた大人たちは武器を持って出てくるのですが,徒労に終わります。
少年が繰り返し同じ嘘をついたので,本当におおかみが現れたとき,大人たちは信用せず,だれも助けに来ませんでした。
そして,村の羊は全ておおかみに食べられてしまったとさ。
・・・・・・
今の社会の状況を見るとき,私は,この寓話を思い出します。
別にうそをついているわけではないのでしょうが,この国の指導者たちは,専門家の意見を聞き,多くの人が知恵を絞って,十分に吟味して方針を決めるわけでもなく,また,長期的な展望もなく,その場しのぎで指示を出したり,自分の意見をその日の気分で話したり,やたらと横文字を使って庶民を上から目線で小バカにしたりして,しかも,それがめまぐるしくころころと変わるから,そのうちだれも信じなくなってしまった,ということなのでしょう。
そして,毎日「勉強しろ,勉強しろ」と口うるさい母親のいる息子のように,報道は,検証もしないで,根拠もなく,視聴率ほしさのあまり,興味本位で煽るから,もううんざりして,だれも相手にしなくなってしまったのでしょう。
だから,たとえそれが本当に重大なときであっても,だれもそう受け止めなくなっているのです。
テーブルの上に酒を並べておいて,酔っぱらったお前が悪いと言われても…。
November 2020
今後「不良老人」はいかに生きるか⑫-「エール」ロス
NHK連続テレビ小説(朝ドラ)「エール」が終わってしまいました。二階堂ふみさんの笑顔がすてきでした。
私が以前から書いているように,多くの人もまたテレビの報道番組を見ることに疲れ,あるいは嫌気が差し,テレビなどほとんど見なくなってしまったようです。このことはテレビ局側の責任ですが,その中で,かろうじてドラマだけが,非日常をもたらしてくれるものとして,テレビを見る機会となりました。しかし,ドラマといってもそれぞれで,ともかく一度見てみないことには,それが自分に気に入るものかどうかわからないのです。そこがドラマ選びのむずかしいところです。
私は,これまで朝ドラを見る習慣がなかったので,当然「エール」も見ていなかったのですが,コロナ禍で放送が中断されてしばらく再放送になったときに,なんとなく見る機会があって,それではまりました。
私が4月の中頃に愛知県新城市の「エール」の舞台となった小学校跡地に行ったのも,「エール」が動機ではなく火野正平さんが自転車で巡る「にっぽん縦断こころ旅」でその場所が放送されたのがきっかけでした。そこが奇しくも「エール」の撮影場所だったわけです。
そのころに足繁く行った岐阜県や福井県,また,兵庫県のさまざまな場所もまた「麒麟がくる」にちなんだところばかりだったのですが,それもまた,偶然で,不思議な縁を感じました。
いつも書いているように,テレビは娯楽であって,見ていて楽しくなければ意味がないのです。教えてやる,伝えてやる,という感じの不安を煽るだけの傲慢な報道番組は一切御免です。その意味で「エール」は元気が出るとてもよいドラマでした。
この国は,昭和30年とその前後生まれが「勝ち組」です。そのひとりである私は,東京オリンピックの中継をテレビで見て,その開会式で流れたオリンピックマーチに感動したことを覚えていますが,これが「エール」の主人公である古関裕而さんの作曲とは知りませんでした。この年代は,東京オリンピックも,大阪の万国博覧会も,アポロ11号の月着陸も,実際にその生中継を,あるいは現場を見ることができた最も幸せな世代なのです。今とは違って,金儲け優先ではなく,もっと人間ドラマが先にあった希望のあふれた出来事でした。と,子供心には思われました。
この番組が終わってしまったとなると,今後の「エール」ロスが心配です。大河ドラマ「麒麟がくる」の帰蝶ロスに続いて,今度は「エール」ロスです。そんなロスは私だけかと思っていたのですが,どうやらそうではないようです。
私は,ドラマといっても,いじめとかいびりとか,そういう試練に打ち勝つとか,そういったものは見る気になりません。「おしん」もダメです。次作は「おちょやん」だそうで,その主人公である浪花千恵子さんも当然知っています。予告編を見ただけですが,どうも,明治時代や大正時代,また,昭和初期の日本にはびこった,そして,今でもそういうのが好きな日本人の,こうした修行ドラマはだめです。受けつけません。再放送している「澪をつくし」もおもしろくありません。
日々こころおだやかに生活するために,報道番組を一切見なくなった今,いったい私は「エール」に代わるどんなドラマを楽しめばよいのでしょう?
やっと晴れたか!秋2020④-なんとなく彗星とM1を撮る。
前回11月9日の早朝,アトラス彗星(C/2020M3 ATLAS)とエラスムス彗星(C/2020S3 Erasmus)を写しに行ったことはすでに書きました。この季節,まだあまり寒くなく,空も澄んでいるので,星見には最適な季節です。そしてまた,夜が長いので,夕方は午後6時を過ぎれば,また,明け方は午前6時ころまで星が見られます。そこで,明け方の星を見るにも,春のように無理して深夜の2時に起きる必要もありません。
私の,10等星より明るい彗星をすべて写す目標も,現在見えている3つの彗星・ハウエル彗星(88P/Howell),アトラス彗星(C/2020M3 ATLAS),エラスムス彗星(C/2020S3 Erasmus)は達成したこともあって,そのとき以来,次第に月も新月となりさらに条件がよくなったのに,星を見にいく情熱が以前ほどなくなったのか,はたまた歳のせいか,静観を決め込んで2週間以上が過ぎました。
あまりによい天気が続いているので,少しやる気がでて,あれ以来彗星はどうなったのかと調べてみると,何と,エラスムス彗星が6等星ほどまで明るくなったということを知りました。そして,まもなく太陽に接近して見られなくなるとかかれてありました。
そこで,こりゃ1度は写しておかねば,ということになって,11月26日の早朝,午前4時に起きることにして,晴れていれば近場に写しに行くことにしました。
午前4時よりも少し早く目覚めて空を見上げると… 快晴でした。いつものように手際よく準備をして出かけました。
南西の天頂近くにはオリオン座が美しく輝いていました。目的はエラスムス彗星だけだったので,写してすぐに帰るつもりでした。この時期,南西にはオリオン座,おおいぬ座,こいぬ座と明るい星々のある星座が輝いています。しかし,南東の空には本当はうみへび座があるのですが,空の明るい場所では星がほとんど見えません。かろうじて見えるのはもう少し天頂に近いところにしし座やおとめ座の1等星スピカがあるくらいです。
いつも書いているように,私の古い望遠鏡には自動導入装置はついていないので,自力で天体を入れる必要があるのですが,それがおもしろいのです。目盛り環を利用するという方法もあるのでしょうが,ファインダーで探せるし,そのほうがさらにおもしろいので,ほとんど使ったことはありません。所詮は趣味の世界です。
ということで,今回もまた,ほとんど星の見えない空で,エラスムス彗星を探していきます。すでに金星が東の空に昇っていました。その右上にスピカが見えます。このふたつの星を1辺として,右下,金星とほぼ同じ高度に3番目の頂点を仮定して正三角形を作ると,そこにエラスムス彗星があるのですが,エラスムス彗星は6等星とはいえ双眼鏡でも見えません。しかし,その近くにうみへび座のγ星があって,これは3等星,双眼鏡で見えるので,これを探すとすぐに見つかりました。今度は同じようにして,望遠鏡のファインダーで探します。
しかし,ファインダーの視野は双眼鏡の視野より狭いので探しにくく,バカなことに私は,からす座のβ星をうみへび座のγ星と間違えたのです。そこで,写真を撮ってもうみへび座のγ星のあたりとは星の並びが違いました。改めて調べなおすと,望遠鏡を固定した高度が違うことに気づいて,改めてうみへび座のγ星を見つけてその付近の写真を写すと,かわいい彗星が写っていました。これが今日の1番目の写真です。地平線の向こうは名古屋なので空が明るく,しかも地平線に近いので,6等星とはいえ,この程度しか写りませんでしたが,立派な尾がついていました。
これで目的は達成したので帰ろうと思ったのですが,調べてみると,これもまた前回写したアトラス彗星がおうし座のメシエ1の近くに9等星で輝いているのを知りました。天頂近く,空もそれなりに暗いので,9等星とはいえ簡単に写ります。そこで写したのが2番目の写真です。こんなことなら,メシエ1と同じ視野に写るような画角の望遠レンズを持ってくればよかったと後悔しました。事前に調べもせずこうしてなんとなく楽しんでいるから,このようなことになるわけです。せっかくなので,別の写真でメシエ1も写しました。これが3番目の写真です。アトラス彗星とメシエ1は同じくらいの明るさでした。
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メシエ1(=M1・通称「かに星雲」)は1054年,天の川銀河内に出現した超新星の残骸です。爆発した星の中心核は16等の中性子星として残っていて,約30分の1秒の周期で電波やX線を出すパルサーとして知られています。
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最後に,記念に望遠鏡を iPhone で写して終了です。それが4番目の写真ですが,何と金星も写りました。
家に帰って改めて調べると,2,3日前に,ハウエル彗星(88P/Howell)が夕方の西の空に木星と土星に接近していて,一緒に写真に収めることができたのを知って,ずいぶんがっかりしました。逃がした魚は大きいといいますが,いつも,写せた満足より,写せなかった残念のほうが記憶に残ってしまいます。
さて,これで2020年の秋の星見も終了です。いや,11月30日に半影月食が残っているのを忘れていました。そして,いよいよ12月。冬です。12月下旬におもしろい天体現象があるのですが…。それはまたそのときに。
☆ミミミ
お昼間,太陽には大きな黒点が見えています。
2020春アメリカ旅行記-ハワイ・マウイ島のこと②
●ハワイの本当のよさが味わえる島●
オアフ島はハワイという名のテーマパーク,ハワイ島はハワイに住む人の里,そして,マウイ島こそが観光地ハワイ,それが私のハワイに対する印象である。
マウイ島の広さは東京都ほど。このたいして広くもないマウイ島には何でもある。
マウイ島はひょうたん島のような形をしていて,真ん中のくびれの西側と東側に分かれているが,そのどちらも山が海に迫っていて,島を1周することができる道路はあるが,途中から狭くなっていて,レンタカーで走ることが認められていないから私は1周することはできなかった。
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東側の丸いほうの果てにハナ(Hana)という町がある。南側からは海岸線を通って行こうとしても途中から道路がせまくなり,レンタカーでは行くことができないが,北側の海岸線に沿っていけば着くことができる。しかし,ハワイはどの島も,南側は天気がよいが,北側は雨が多い。マウイ島もまた,例外ではなく,北側の道路は険しくカーブらだけの山道を延々と走らなければ到着できないし,いつも天気が悪く湿っている。そうしてまで行ってみたハナは秘境感満載の場所であった。
また,ハナに行く途中にあるパイア(Paia)のあたりまでは天気がよく,海は波が高く,砂浜が続き,サーファーでにぎわうところである。私はサーファーの聖地・オアフ島のノースショアには行ったことはないが,おそらくノースショアよりもずっと条件がよいと思う。
この島の東部分の中央にそびえるのが,私がマウイ島をめざすきっかけとなった3,000メートルを越すハレアカラ山である。そこに登れば満天の星が輝く。また,ハレアカラ山のふもとのクラ(Kula)は高原で,ワイナリーまであるすばらしいところだ。
島の中央部のくびれたところにあるカフルイ(Kahului)からワイルク(Wailuku)は古いダウンタウンと官庁街がある。また,少し南に足をのばしたところにあるキヘイ(Kihei)からマケナ(Makena)にかけては金持ちの別荘があり,このあたりのビーチは人が少なく美しいので,穴場である。
一方,島の西側の中央部にはイオア渓谷(Iao Valley)がある。また,西側には海岸に沿って,カアナパリ(Kaanapali),カパルア(Kapalua)といった豪華なリゾートがあり,その近くの古都ラハイナ(Lahaina)はまるで京都のようだが,実際,その昔,ハワイ王国の首都であったところだ。
私は,2017年の春,この島にはじめて行ったのだが,イオア渓谷を除くほぼすべての見どころへ出かけて,島の隅から隅まで楽しむことができた。
到着した日にはホエールウォッチングをしたし,念願だったハレアカラ山にも登った。日本の山道のようなくねくね道を何時間も走ってハナまで行ったし,地元のソウルフードも楽しんだ。しかし,この町の私には到底手の届かない豪華な別荘やリゾートを見ると,何かしらの疎外感に襲われたこともあった。
こうして,2017年の旅で,マウイ島についても,そのほとんどを知ったつもりになったのだが,ただ,このときは,イオア渓谷は豪雨の影響で閉鎖されていて行くことができなかったし,いいところだなあ,と思ったクラに滞在してみたいという思いが残った。そこで,その2年後の2019年の春,私は,再びマウイ島に行ってみたのだが,そのとき,マウイ島の奥深さを知ることになるのだった。
東近江。湖国の秋を楽しむ③-湖東三山・金剛輪寺の紅葉
百済寺を出て,次に向かったのが金剛輪寺でした。百済寺からさほど距離のないところにありました。
広い駐車場がありましたが,まだほどんど車はありませんでした。車を停めて山門に向かいました。山門までの間に,結構な土産物屋さんが軒をならべていて,観光地らしい雰囲気がありましたが,できの悪い観光客である私は全くモノを買う習慣がありません。観光地にとっては迷惑な客でしょう。
この日,私は湖東三山と永源寺の4つの寺に行きました。永源寺は湖東三山とは趣が異なり,山の中の静かな場所にある寺でとても立派でした。また,湖東三山の中では,どう表現していいかわからないのですが,金剛輪寺が一番きちんとした,というか寺らしい寺でした。というのも,紅葉の美しい広い,そして,変化に富んだ庭があったからです。
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金剛輪寺も天台宗の寺院で,山号は松峯山です。松尾寺ともいいます。聖武天皇の勅願で奈良時代の僧・行基の開創とされ,創建は737年(天平9年)と伝えられます。
平安時代前期に天台宗の僧・慈覚大師によって再興され,寺内には平安時代後期から鎌倉時代の仏像が多く残っています。
本堂は近江守護・六角頼綱によって建立されたものです。織田信長の兵火で金剛輪寺は被害を受けますが,本堂,三重塔は焼失をまぬがれました。
江戸時代以降は衰微しましたが,明治時代の廃仏毀釈を乗り越え,現在は「血染めのもみじ」で有名な紅葉の名所となっています。
この寺の本尊は聖観音菩薩です。聖観音菩薩は,別名を観音菩薩いい,人々を常に観て救いの音があれば瞬く間に救済する仏として多く信仰されてきました。苦しんでいる者を救うとき,千手観音や十一面観音などの六観音や三十三観音など,様々な姿に身を変えて救いの手を差し伸べます。
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私が最も感銘を受けたのは庭園でした。本坊である明寿院に,桃山時代,江戸初期,江戸末期と,時代の異なる3つの庭園があります。
桃山時代と推定されている南庭の小池には出島が造られています。出島には3石の自然石を連ねた橋が架けられているなど,安土桃山時代らしい自然石を使った意欲的なものとなっています。
茶室「水雲閣」を挟んで江戸時代初期とされる東庭では,山畔の左右にそれぞれ枯滝石組が造られています。左手の枯滝石組は垂直型で,小堀遠州によって作庭された彦根市の龍潭寺の書院東庭「鶴亀蓬莱庭園」と似ていることから,作庭家は小堀遠州と推測されるそうです。さらに,北庭は江戸末期の庭です。
時刻も午前9時を過ぎて,人が少しずつ増えてきました。駐車場に戻ると,多くの車が来るところでした。今年は避けましたが,京都の嵐山や高尾といった紅葉で有名な混雑するところも,朝一番で行けばなんとかなります。
今回行った場所は,寺の開門時間が午前8時から8時30分だったので,それより早く行っても入ることができなかったのは残念でしたが,それでも,開門時間に行けば,このように,静寂の紅葉が味わえます。おそらく,せっかくの紅葉を見ずにこの秋を終えたら,ずいぶんと後悔したことでしょう。その意味でも,天候にも恵まれ,行った場所も正解で,よい秋の1日,いや,半日となりました。
最後に,湖東三山最後の寺・西明寺に行って,帰宅しようと思いました。
2020春アメリカ旅行記-ハワイ・マウイ島のこと①
●ハレアカラ山で星を見たい。●
2016年の春にハワイ島に行って,曲がりなりにも南十字星を見,マウナケア山の山頂に登った時点で,私はひとつの夢を実現したが,このころはまだハワイ島以外の島々に行くことはあまり考えていなかった。私は,旅に行く前にはガイドブックはほどんど読まず,帰ってから読むことが多い。このときも,帰国後に「地球の歩き方」のハワイⅡを読んでハワイ島の復習をした。
確かにハワイ島の星空はすばらしかったが,一般の観光客が星見を楽しむ場所としては少し不満が残った。マウナケア山の中腹にあるビジターセンターあたりは星見をするには治安を含めて悪くなかったが,ヒロからもカイルアコナからも2時間以上のかかるほど遠いのだ。
そして,ハワイ島以外の島を調べてみると,マウイ島にハレアカラ山という夢のような場所があることを知った。
日本国内では,なかなか満天の星を見る場所をさがすのは大変である。これまでさまざまな場所に行ってはみたが,どこも一長一短であった。いつも書いているように,普段は自宅から片道1時間程度で行くことができる場所を2,3箇所決めて星見に行くが,どこも空が明るいから,そこへ出かけるのは妥協の産物でしかない。年に数回,木曽駒高原のペンションに行くが,確かにここの空はすばらしい。近くに東京大学木曽観測所があるくらいだから,日本ではこの場所の星空に勝るような場所はほかにないのだろうとさえ思っている。ただし,日本で星見をするときの最大の問題点は,晴天率なのである。天文台のある場所といっても,晴れるのはせいぜい6割程度のものだ。
その一方,海外で星を見ようとすると,治安を含めて,現地の事情がわからないから,より大変である。私は,何度かハワイに行ったのち,南半球のオーストラリアやニュージーランドへ行くことを覚えた。南半球には日本にはないすばらしい星空が広がっていた。そして星を見るにはここしかないということがわかったが,この時点では,まだ,そんなことは知らない。
「地球の歩き方」を読んだ限り,マウイ島のハレアカラ山は,すべてにおいて理想的に思えた。こんな場所があるのかと驚いた。そこで,次回は,ぜひマウイ島に行ってみたいと思うようになった。それまで私が知っていたマウイ島は,一時,日本の大相撲界を沸かせた,高見山,小錦,曙,武蔵丸の生まれ故郷であるということだけであったし,まさか,私がマウイ島に行くとは思わなかった。
そんなわけで,2017年の春,私は,マウイ島に出かけてみたのだった。
2020春アメリカ旅行記-ハワイ島のこと②
●やはりハワイ島はカイルアコナが最高●
私が2016年の春にはじめてハワイに行ったときに主に観光をしたのはハワイ島だった。ハワイ島は四国の半分ほどもある大きな島だったが,隅から隅までほとんどのところに足を運び,楽しい思い出がたくさんできた。そのときの詳しい様子はすでにブログに書いたので,それを読んでいただくことにしてここでは省略するが,特に,ハワイ島の西側の町カイルアコナはとてもすばらしかった。
ハワイ島は,マウイ島などとは違って,リゾートというよりも,そこに根づいた人たちの暮らす島という感じが,私にはする。ハワイ島にもリゾートはあるが,それはハワイ島の北西部,サウスコハラコーストあたりにかたまっている。ホノルルからハワイ島に1泊程度のオプショナルツアーで訪れる日本人が宿泊するのは主にその地区であると思われるが,私には興味がない。
このように,2016年に島を1周し,マウナケア山も山頂まで登った私が,2019年に再びハワイ島にリピートした理由は,前回は十分な時間がとれなかったハワイ島の東側の町ヒロをのんびり散策したかったことと,ハワイ島の北側の内陸部の広大なワイメアを散策したかったことが理由であった。
ヒロで,2016年に行きそびれたイミロアアストロノミーセンター(Imiloa Astronomy Center of Hawaii)に行きたかったこととダウンタウンをもっと知りたいという思いがずっとあった。そうして訪れた念願のイミロアアストロノミーセンターであった。そこに,マウナケア山の山頂の天文台に関する学術的な博物館があると思い描いていたのだが,実際は,日本にいくらでもある科学館と大して変わらないものだったので,とてもがっかりした。その一方,ヒロのダウンタウンは,古きよき日本のようなところで,納得するまで楽しく歩き回ることができた。
ワイメアは,1度目に行ったときにはそれほど滞在することができなかったので憧れがあって,こんな場所に宿泊できたらいいなあ,とずっと思っていた。ハワイ島では,ワイメアのあたりからとヒロの一部の場所からだけ,マウナケア山の山頂にある天文台群に光るドームを望むことができるのだ。また,ワイメアには,ハワイらしくないともいえるほどの広大な平原が広がっている。期待して行ってみたところ,確かにのどかな場所ではあったが,残念ながら,ワイメアには宿泊できるような施設はなく,単にハワイ島に暮らす人たちのショッピングタウンだったのにはがっかりした。
結局,ハワイ島に2度行った私の結論は,ハワイ島はカイルアコナに泊まって古きよきハワイを感じながらのんびりするところだということであった。
東近江。湖国の秋を楽しむ②-湖東三山・百済寺の紅葉
思った通り,京都の嵐山や神奈川県の箱根はすごい人だったようです。どうしてこの時期にそんなところに行くのか,理解に苦しみます。
私は穴場を求めて,静寂の中で秋の紅葉を味わおうと,連休前平日の早朝,湖東三山を目指しました。しかし,いつもの常で,事前に調べることもなく,どこにあるかも正確に知らず,ともかく,湖東三山という名神高速道路のインターチェンジ付近まで,自宅から,高速道路ではなく一般道を走ってきました。
そこで見つけたのが百済寺という道路案内標示でした。その標示を頼りに南に走っていくと,百済寺より先に,永源寺と書かれた道路案内標示を見つけました。恥ずかしながら,私はそのとき,永源寺も湖東三山の寺のひとつだと思ったので,先に行ってみたのですが,永源寺は湖東三山のひとつではありませんでした。しかし,幸いなことに,永源寺は湖東三山に勝るとも劣らない紅葉の美しい寺でした。このことは前回書きました。
永源寺の案内所で改めて湖東三山の地図をもらい,次に向かったのが,百済寺でした。
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百済寺(ひゃくさいじ)は天台宗の寺院で山号は釈迦山。開基は聖徳太子とされ,金剛輪寺,西明寺とともに「湖東三山」のひとつして知られます。
606年(推古天皇14年)聖徳太子の建立で,朝鮮半島百済(くだら)の龍雲寺にならって寺を建てたので百済寺と号したといいます。
平安時代には比叡山延暦寺の勢力下に入り,天台宗となりました。1498年(明応7年)の火災で本堂とその近辺が焼け,さらに,六角高頼と伊庭貞隆との争いに巻き込まれてほとんど焼失しました。
その後回復し,戦国時代には宣教師ルイス・フロイスが「地上の楽園」とその書簡に書いていますが,織田信長に抵抗した六角承禎の味方をしたため,織田信長の焼き討ちに遭い全焼してしまいました。やがて,江戸時代を迎え,1617年(元和3年)将軍徳川秀忠より寺領100石を安堵され復興しました。
本堂をはじめ現在の建物はすべて近世以降の再建です。
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無料の駐車場に車を停め,寺に入りました。まだ,午前9時前で,ここもやはりほどんど来ている人がおらず,うれしくなりました。
まず,庭から巡りますが,はじめのうちは,先に行った永源寺に比べて紅葉は思ったほど鮮やかでなく,少しがっかりしました。
百済寺は東の山を借景とし,大きな池と変化に富む巨岩を配した池泉廻遊式ならびに観賞式の庭園として名高い「喜見院の庭園」でも知られていて,喜見院の庭園は別名「天下遠望の名園」とも称されているそうです。池泉を廻って庭園から連なる高台の「遠望台」へと向かっていくと,ついに,見事な紅葉が見られるようになりました。また,遠望台からの平野が眼下に展開する景色は琵琶湖をかすめ,さらに55キロメートル先の比叡山まで見ることができて,実に見事でした。
「百済寺は山城の最後の形,安土城は平城の最初の形」といわれるように,その先,本堂に向かう参道は,まるで登山でした。長い坂道を歩いていくと仁王門と大草鞋が見えてきました。仁王門の正面に吊り下げられた大草鞋は,触れると身体健康・無病長寿のご利益があるといいます。
仁王門をくぐり,さらに行くと本堂に到着しました。1650年(慶安3年)に再建された現在の本堂は,この春に行った京都の醍醐寺の奥の院に似ていましたが,この辺りまで来ると,まったく紅葉もなくなってしまいました。
今回訪れた4つの寺の中で最も紅葉は地味でしたが,逆に,観光客が少なく,落ち着くところでもありました。坂が多いので,足の不自由な人には辛いかもしれません。
東近江。湖国の秋を楽しむ①-近江随一・永源寺の紅葉
すっかり外国人がいなくなって静寂を取り戻した京都へ,毎日のように桜を見にいった2020年の春から半年が過ぎました。
テーブルの上に酒を並べておいて酔っぱらうな,とか,ゲーム機を与えておいて勉強しろ,といっているような,そんな迷走を続けているこの国です。せっかく秋も人のいない静寂の京都に紅葉を見にいこうと思っていたのに,Go To Travel とかで混み合っているという話です。
おそらく,春先,自粛警察とやらをやっていたような御仁と To Go Travel で観光バスに乗って集団で旅をはじめた御仁は同じ人たちなのだろうと私は推察します。投資も,買いだというときに買い,売りだというときに売り,いつも損をする人たちです。要するに,自分がなく,群れて何かをしたいだけなのです。
もともと,宴会嫌い,会議嫌い,群れることが大嫌いで,人のいない旧街道を散策するか,深夜にひとりで星を見ることが趣味の私が,やっと認めらたようでなぜかうれしいこのごろですが,この秋は,人の多い京都は避けて,平日の早朝,人のすくないところに車で出かけて,紅葉を楽しもうと考えました。
そこで,11月19日,これまでは京都へ行くので通り過ぎるばかりだった滋賀県の名刹を訪ねることにしました。朝早く車で出かけて,観光バスが到着する前には帰ろうという計画でした。
もっとも遠いところから順々に寺を巡りもどってくることにして,まずたどり着いたのが永源寺でした。私はうかつにも永源寺という寺自体を知らず,これまで行ったことがありませんでした。
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永源寺は愛知川右岸にある臨済宗永源寺派の大本山です。南北朝時代,近江の領主であった佐々木氏頼が寂室元光禅師を開山に迎えて伽藍を建立したのがはじまりで,その後,佐々木氏の庇護のもと盛時には2000人もの修行僧を擁したといいます。
戦国時代に兵火で衰えたのですが,江戸時代に一絲文守禅師が住山し,後水尾天皇や東福門院らの帰依を得,さらに彦根藩井伊氏の庇護によって諸堂が整えられました。
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普段は駐車場は無料だということですが,この時期は閉鎖されていて,近くの有料駐車場に車を停めました。車は1台だけ停まっていて閑散としていました。開門は午前8時30分で,その時間に中に入りました。まだ来ていたのは数人だけでした。辺りは紅葉で真っ赤に染まっていました。
けっこう長い石段の参道を登ると,右手に愛知川があって,朱色に塗られた橋の欄干と紅葉がこころ休まりました。また,参道の左手の石崖には十六羅漢の石仏などが並んでいました。参道一帯のモミジやカエデが見事でした。
山門をくぐると,境内には庫裡,鐘楼,方丈,法堂,禅堂,開山堂などが建ち並んでいました。また,境内の奥の含空院の方丈前庭は鈴鹿の山々を借景に望み,苔と皐月に枯滝が配された築庭で,紅葉の美しさがいっそう際わ立っていました。
私の,静寂の中で秋の紅葉を楽しもうという計画,まずは大成功の幕開けとなりました。
こころに残っている出来事①-リハビリテーション
現在放送されているNHK連続テレビ小説(朝ドラ)「エール」は元気が出るとても楽しい番組です。特に,このごろは番組も最終回に近づき,絶好調です。
今週は,
・・・・・・
裕一は池田とともにラジオドラマ「君の名は」の制作に取り組む。ハプニング続出の中,大ヒット作品が誕生する。一方,娘の華は看護の仕事に多忙を極める毎日で,母の音は心配していた。
恋愛や結婚には興味を示さない華だったが,あるとき,勤務先の病院にけがで入院してきたロカビリー歌手アキラと出会い,恋に落ちる。しかし,裕一は娘の相手を認められず!?
・・・・・・
というあらすじでしたが,11月19日の放送で,アキラが華の指導の下でリハビリテーションに取り組むシーンがありました。
すでにこのブログに書いたことがありますが,私は,2004年の夏にアメリカで交通事故に遭って左足を骨折しました。このシーンを見て,自分のリハビリテーションを思い出しました。
アメリカの病院では,理学療法士が病室に現れて,その指導で廊下を松葉づえで歩く練習をはじめたのですが,日本のような丁寧な説明もなかったので,なかなかうまくいきませんでした。帰国後,再び,いちからリハビリテーションを指導してもらってはじめたのですが,バランスよく歩くことがなかなかできませんでした。
退院後,今後は一生ずっとこんな感じになってしまうのかな,と覚悟しました。そのころは,交差点を渡ることすらやっとだったし,どうしても片方の足に重心がいってしまうのでした。そこで私がはじめたのが,プールで歩く,ということでした。そうすることがよいのか悪いのか,予備知識もなくはじめてみたのですが,これがとてもうまくいきました。みるみるちゃんと歩くことができるように回復したのは驚きでした。今,何の不自由もなく生活ができ,山にも登れるのは,このときの我流のリハビリテーションがことのほかうまくいったからです。
そんなことを思い出すとともに,今もこころに残るのは,入院していたアメリカと日本の病院です。歩けるだけで十分幸せだということを忘れないようにしようと,改めて思いました。
・・
毎日たくさんの勇気をもらいおもしろかった「エール」も,来週は最終週です。
2020春アメリカ旅行記-ハワイ島のこと①
●マウナケアに憧れたころ●
それまでは,ハワイなんぞまったく興味もなかったのに,2016年の春にはじめて行ってからというもの,毎年ハワイに出かけるようになった。「よほどよかったんだねえ」と皆に言われた。しかし,私の場合はリゾートとは程遠く,ハワイについての自分の「謎」,つまり,行ったことがない場所がどうなっているんだろう? といったことを解明したいだけの理由で足しげく通ったようなものだった。
そしてまた,ハワイに行ったもうひとつの大きな理由は星空であった。
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20代のときに行ったオーストラリアで,シドニーで泊ったホテルの窓からかろうじて南十字星を見たのだが,それ以降は,2016年にハワイ島で南十字星を見るまで,まったくその機会がなかったから,私は,長年,南十字星を見ることに憧れていた。念願かなってハワイ島で南十字星を見ることができたのは,ある意味,幸運であったが,そのこともまた,すでにブログに書いた。
その後,南半球に何度も出かけるようになると,ハワイは赤道に近いとはいえ北半球だから,地平線すれすれにしか昇らない南天の星を見るためにハワイに行く魅力はなくなってしまった。それでも,ハワイの空の暗さは今でも捨てがたいものがある。
私がはじめてハワイに行ったころはそんな状況であったし,何といっても私が最も惹かれたのは世界で最も星空の美しいといわれるマウナケア山であった。マウナケア山の山頂は,一体どんなところだろうか? という興味が,私にはハワイ島へ行く最大の理由であった。
はじめてハワイ島に行ったときのことの顛末はすでにブログに詳しく書いたので,ここでは書かない。ただいえるのは,2016年時点のハワイ島は,私のような一般人が星を見ようとマウナケア山に行っても十分に魅力的な場所であったということだ。マウナケア山の山頂は4,205メートルあって,個人がレンタカーで気楽に登れるところではないが,その中腹の2,400メートルの地点にはビジターセンターがあって,車さえあれば,そこまではだれでも簡単にアクセスできる。ビジターセンターあたりには広い駐車場があって,そこへ行けば,満天の星が広がっていた。多くの星空ツアーがその場所で開催されていたが,それらは夜の9時には終了するから,それ以降の時間なら,星と一体となって,しかも安全に楽しむことができたのだった。しかし,すでにそのころはもう,TMTについては触れてはならない話題となっていた。
私が2度目にハワイ島に行ったのは2019年春のことだったが,このときも2016年と同じような気持ちで私はマウナケアのビジターセンターに行ってみた。ところが,わずか3年しか経っていないのに,ビジターセンターのあたりは大規模な工事によって様変わりしていた。これではもはや一般人が星見に訪れるところではないなあと思って,落胆した。
ビジターセンターあたりの工事と関係があるのかないのかは知らないが,マウナケア山の山頂にある天文台群に新たにTMTを建設しようとする計画に伴う様々なトラブルが起きていて,それは星空のロマンとはまったく正反対の人間社会の大きなもめごとになっていた。
そんなこともあって,私の抱いていた「ハワイ島=星空」という夢は,今では幻想と失望になってしまっている。
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TMT (=Thirty Meter Telescope)というのは,アメリカ合衆国,カナダ,中華人民共和国,インド,日本の5か国が共同でハワイ島マウナケア山頂に建設中の口径30メートル大型光学赤外線望遠鏡のことである。主鏡は492枚の六角形の鏡を組み合わせた複合鏡で,492枚の鏡1枚1枚をコンピューターで制御し1枚の大鏡と同等の働きをさせる。観測装置として,可視光の多天体分光器WFOS,近赤外線の撮像分光装置IRIS,近赤外線の多天体分光器MODHISが取りつけられ,可視光及び近・中間赤外線を観測して,初期の宇宙,遠方銀河,太陽系外惑星などの詳細を観測する計画だ。
建設候補地として,ハワイ島マウナケア山の山頂とチリのアンデス山脈が挙げられていたが,2009年にマウナケア山の山頂に建設されることが決定し,2021年度末に完成する予定で,2014年7月に建設が着工された。しかし,2013年,TMT建設反対派から建設を承認した手続きの妥当性について巡回裁判所への異議申立てが行われ,ハワイ州最高裁は異議申立てを認め許可が無効であるとの判決を出した。これを受けて工事は中断し,2016年から2017年にかけて公聴会を実施,TMT建設の承認を推奨する提言が提出され,保護地区利用が許可された。
しかし,2019年7月建設工事が再開された直後,ハワイ人およびオハナがプウ・フルフル前のマウナケア・アクセス道路を封鎖するなどの実力行使に出たため,再び建設は中断した。
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なお,オハナ(ʻohana)とは,ハワイ語で「家族」を意味することばで,もともとは経済的に結びつき精神的にも支え合う互助の関係にある血縁者や親戚の集合体を指していたが,血縁以外の親しい関係にある者などまで含む形に拡張されている。また,プウ・フルフル(Pu'u=丘,Huluhulu=毛深い)は,火山噴火でできた不毛の平原に残る古い火山性の丘に樹木などの植物が生えている場所を表し,ハワイ島の州道200(Saddle Road)の最高地点2,021メートルの脇にある樹木に覆われたスコリア丘の名称で,北のマウナケア山と南のマウナロア山の間の溶岩流によりつくられた植生の少ない平坦地にある。
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☆ミミミ
19日の夕方,月が木星と土星に接近しました。雲に覆われていてあきらめていたのですが,幸いなことに一瞬雲が切れました。
Go To 東京②-いったいこの国は何がしたいのだろう?
今年のはじめにチケットを購入したときは,東京交響楽団の演奏会を聴きに東京へ行くついでに,前日小田原あたりで1泊して,レンタカーを借りて富士五湖をドライブするというつもりだったのですが,コロナ禍でまったくその気がなくなり,単に東京往復となりました。
私はここ半年以上,飛行機以外の公共交通機関は利用していません。今回も,新幹線はともかく,東京でも電車に乗りたくなかったので,東京駅とサントリーホールの間は歩くことにしました。目的もなく気ままに人の少ないところを歩く,これこそ,私のモットーとする散歩です。
まず,皇居に向かい二重橋を見て,その後,桜田門から出て,なんとなくサントリーホールの方向に歩いて行くと,日比谷公園を越え,歩いている人なんて私以外にだれもいなくなって,やがて,国会議事堂に着きました。このあたりは警官だらけで物々しい感じでした。それはどうやら,IOCのバッハ会長の来日のためのように思われました。その先,首相官邸を過ぎ,さらにさらに歩いて行くと,勝海舟の住んでいた屋敷跡があり,坂本龍馬と勝海舟の銅像が出迎えてくれて,それを越えると,やがて,サントリーホールに到着しました。
私はここ数年,アメリカの首都ワシントンDCも,オーストリアの首都ウィーンも,フィンランドの首都ヘルシンキも,エストニアの首都タリンも,そしてまた,なんとアイスランドの首都レイキャビックにも出かけて散策をしたことがあるのですが,正直いって,日本の首都はその中で,もっともぼろいです。
一見立派そうに見えるのですが,次第にメッキのような感じに思えてきます。官庁街なんて,古びたビルがならんでいるだけで,威厳のかけらもありません。ワシントンDCの官庁街の威圧的な雰囲気もなければ,ウィーンの官庁街のような伝統の重みも感じられません。
こんなところで官僚になって仕事漬けで一生を送るなんて,10億円積まれても断るなあ,などと思いました。
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そもそも,日本の政治というのは,理念や哲学どころか将来展望すらなく,国民からなんとかかんとか屁理屈をつけて税金を巻き上げ,そのお金を,なんやかやと口実を設けて大企業に配る,ということしかやっていません。
「GoTo何某」も,結局は,旅行会社にお金を配ることが目的だし,教育のIT化は,IT企業にお金をもうけさせるのが目的です。また,大学入試改革も,教育産業にお金を配るためにやっているようなものです。だから,そこに国民が見返りを求めることは,そもそもが無理な話なのです。そんなことが目的になってはいないからです。
塾にお金をかけ,受験で合格をめざしたところで,テストで点が取れるだけで,いまどき,調べればわかるような知識をひけらかしても,英語で自分の意思を表現できるようにもならず,コンピュータのプログラムひとつ組めるようにならないことから,そんなことは明白でしょう。
小学校から英語とプログラミング教育をやるとかいう話ですが,そもそも,これまできちんとした展望を立ててそれを教える指導者を養成したことすらないわけだから,急ごしらえで素人が教えたふりをするだけです。そして,親は,もとから学校教育など信頼していないから,学校以外にさらに塾通いをさせ,高価な教材や機器を購入することで散財し,結局は企業がお金儲けをするという構図です。そしてまた,相も変わらないドリル学習に明け暮れ,あげくの果てに,そういった詰め込み教育の成果として,英語もコンピュータも嫌いになる。という結果が目に見えています。
…などということをぼんやり思いながら,永田町を歩いていました。
私は,これまで何度東京に来たことでしょう。それにしても,本質的には何も変わらない町です。いや,オリンピックを口実に,ビルやら道路はできたのです。インフラ整備の莫大な金を建設会社に配分したからです。
東京駅の八重洲口界隈は地下街が新しくなったのですが,あるのは食べ物屋と土産物屋とブランド品をならべたショーウィンドウで,そこには,グルメ雑誌やファッション雑誌に載っているようなやたらと高いだけのメニューや商品やアニメから飛び出したようなグッズばかりがならんでいます。一方,丸の内界隈は,三菱関係の会社のビルだらけですけれど,三菱もまた,今や,ジェット機ひとつ満足に作れないし,車もダメ,造船もダメ,三菱グループの一員であるニコンも将来が危ういという状態です。それでもまだ,表向きだけは盤石を装っていますけれど,これもまた,斜陽日本の象徴のように思えます。
そんな首都なのに,その姿を怖いモノ見たさかどうかは知らないけれど,ひとめ見てみようと「GoToTravel」を利用して田舎からやって来た観光客が「はとバス」に乗って,「密」になった展望席から観光をしているのもまた,何か滑稽というか哀れというか…。そしてまた,そんな日本の姿を知っているのか知らないのか,将来をあきらめているのか権力をバカにしているのか,けたたましい爆音を立てて,精いっぱい見栄をはった外車が混雑する道路を警官の見ている前を縫うようにして駆け抜けていったり,皇居外苑を「密」になって,なぜかこのご時世に群れてマラソンをしている姿を見ると,いったいこれは何なのだろう,みんな何がしたいのだろう,と私は思ってしまうのでした。悪い夢でも見ているのだろうか?
これでは,この国は来年オリンピックがこけたら,もう立ち直ることすらできますまい。
2020春アメリカ旅行記-ハワイ・オアフ島のこと②
●真珠湾に行くことができた。●
2016年の春にオアフ島を経由してハワイ島に出かけた私は,真珠湾に行かなかったことを恥じた。
翌年2017年の春にマウイ島に出かけたとき,オアフ島からマウイ島に乗り替える飛行機を意識して遅くして,オアフ島に半日滞在した。そして,その時間に真珠湾に行ってみた。今のところ,それが私がオアフ島の観光をした最後になっている。その後も毎年のようにハワイに行くことになったが,それ以降はオアフ島はホノルルの空港でトランジットをするだけで,オアフ島に滞在することはなくなった。
1度目のハワイ旅行で多くのことを学んだので,2度目のハワイ旅行は,出発をセントレア・中部国際空港発のデルタ航空にし,ホノルルからは別にハワイアン航空を予約した。思った通り,乗り継ぎが楽になった。さらに,ハワイアン航空のメンバーになって,チェックインを楽にした。
今回もまた,ホノルルの空港から The Bus に乗って真珠湾に向かったが,私のようにして真珠湾に行くような日本人もほとんどいないので,バスの中には当然日本人はいなかった。
真珠湾はホノルルの空港からさほど遠くない。意識していない人も多いが,日本から空路ホノルルに向かうとき,着陸間際に飛行機の窓から眼下に見ることができる港こそが真珠湾である。日本は敗戦国であるというのも理由かもしれないが,日本国内には,第2次世界大戦についての博物館はさほど多くない。歴史から何も学ばないというか,歴史をリスペクトしないというか,何ごとも総括しないというのが日本人の特徴だと私は思っている。それは誰にも責任を取らせないためだ。こうしたあいまいさこそが日本だが,こうした博物館ひとつとってもそれがいえるのではなかろうか。
日本にある第2次世界大戦に関する博物館は広島の原爆資料館と鹿児島県知覧の特攻平和会館くらいのものだろう。その中で,原爆資料館には修学旅行などで訪れるが,特攻平和会館こそ,日本人は行くべきだと私は思う。そして,日本人の狂気を知るべきである。日本人は,日本人だけで勝手に歴史に線引きをしている。明治維新とか第2次世界大戦の終戦(敗戦)とかである。そして,豊臣秀吉の朝鮮出兵は江戸幕府が開かれたことでなかったことにしてしまうし,第2次世界大戦も日本国憲法を発布して体制を変えたことで終わりにしてしまう。しかし,諸外国からみれば,そんな勝手なことはない。そして,その時々で,きちんと総括をしないから,いつまでも後を引く。これを棚上げという。だから,のちのちの子孫まで,ご先祖さまのやったことをずっと背負って生きなけらばならない。
ところで,真珠湾には,アリゾナ記念館,アリゾナ資料館,戦艦ミズーリなどの施設があるが,事前に予約をしておかないとアリゾナ記念館は人数制限があるので行くことができないかもしれない。このときの私がまさにそうで,何の予約もしてこなかったから,残念ながら私が行くことができたのは戦艦ミズーリだけであった。それでも,多くのことを学ぶことができた。
このときの衝撃的な様子はすでにブログに書いたので,そこに譲る。
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私の2度目のオアフ島体験はこれだけでしかない。ホノルルの街中のグルメショップすら知らないし,興味もない。しかし,この先,オアフ島でもレンタカーを借りて,1度は島を1周してみたいものだと思っている。ノースショアも見てみたいが,その機会は訪れるのだろうか?
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☆ミミミ
17日の夕方,太陽を追い越した月が見えるようになりました。月齢2.0。明後日に木星と土星に接近します。
Go To 東京①-久しぶりに生でコンサートを聴いた。
コンサートのチケットを購入したのは確か今年の1月のころで,そのときは,まさかこんなことになろうは思いもしませんでした。以前,NHKEテレの「クラシック音楽館」で聴いたジョナサン・ノット指揮・東京交響楽団のブルックナーの交響曲第9番が忘れられず,ブルックナーの交響曲第6番のコンサートがあるというので,購入したわけです。
指揮者の来日がほぼ不可能なので,ほんとうにやるのかしらん? と思っていたのですが,コンサート1か月前になっても,指揮者が変更になるという情報もなかったので,東京に行くことに決めました。
いろいろ調べていくうちに,JR東海ツアーズで「GoToTravel」 を利用すると,往復新幹線で 8,450円,さらに,金券が3,000円付いているというのを見つけました。つまり,実質,往復新幹線利用でわずか5,450円なので,これならと購入しました。
ところが,購入して数日過ぎたあと,指揮者と曲目の変更という連絡がありました。もっと早くいえよ,と思いました。よほど行くのをやめようかとも思ったのですが,まあ,わずか5,000円程度で東京往復ができるのだから,食事をしにいくだけでもいいか,と思って,予定通り足を運ぶことにしました。
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自宅から岐阜羽島まで車で行って,岐阜羽島駅前の1日わずか300円という駐車場に車を停めて,新幹線に乗りました。新幹線はガラガラでした。東京駅到着後は,サントリホールまで歩きましたが,この間のことは後日書くことにして,今日は,コンサートの話です。
サントリーホールもまたガラガラでした。チケットは売れていたはずなので,欠席が非常に多かったということでしょう。コンサートは午後2時からで,午後1時30分開場とあったのですが,私が到着した午後1時にはすでに中に入ることができました。
席に座っていたら,なんとなく寝てしまい,目が覚めたら,すでに,ステージ上には団員さんが勢ぞろいしていてびっくりしました。
もともとの曲目は,矢代秋雄のピアノ協奏曲とブルックナーの交響曲第6番だったのですが,ブルックナーがなくなって,その代わりに,ベートヴェンの序曲「命名祝日」と交響曲第4番が演奏されました。ピアノ協奏曲の演奏者・小菅優さんは変わらず,指揮者がジョナサン・ノットさんから広上淳一さんになりました。矢代秋雄のピアノ協奏曲は,以前NHK交響楽団の定期公演で聴いたことがあります。そのときは河村尚子さんがピアノを弾きました。なかなかおもしろい曲で,これは期待がもてました。
指揮者の変更はやむをえないことであるとしても,それでもブルックナーをやってくれればよかったのにと思いましたが,ジョナサン・ノットさんが後日,ぜひやりたい,と言っているとかだったので,遠慮したのでしょう。勝手に想像するに,直前の指揮者変更で,スケジュールの空いていた人を探し出してきた,という感じに思えました。で,オファーを受けて,「では曲目は何にしますか?」ということになり,「まあ,ベートーヴェンの生誕250年ということもあるから,ここはベートーヴェンの交響曲にしますか」といかいうやりとりがあって,さらに,1曲では短いから,あまり演奏されることのない序曲をお飾りに引っ張り出してきた,というようなことでしょう。おそらく。そして,プロの演奏家なので,このくらいの曲なら,数日で仕上げられますよ,みたいなやり取りが交わされたのかもしれません。
すばらしかった小菅優さんのピアノはともかく,あとは,まあ,「それだけ」で「それなり」のコンサートでしたが,今の時期,コンサートがやれただけでも御の字でしょう。
いずれにしても,座席にはかなり余裕があったし,私の大嫌いな,フライング気味に叫ぶ「ブラボー」もなかったので,その点では非常に快適でした。これまでの過密でかつ一部の不届きな観客のいるコンサートに比べて,なんとすばらしいことか! としみじみ思いました。勝手な,かつ,不謹慎ないい方になりますが,私には,むしろ,コロナ禍による自粛のおかげで,コンサートを聴きにいくときにいつもいやだった点がすべて解消されて,とてもよかったと思いました。
でも,聴きたかったなあ,ブルックナー。
2020春アメリカ旅行記-ハワイ・オアフ島のこと①
●はじめてのハワイはオアフ島●
前回書いたように,私は,はじめてのハワイとして,2016年の春にハワイ島に行ってきたが,日本からハワイに行くには,まず,ホノルルに降り立つから,ホノルルのあるオアフ島に上陸することになる。そこで,私がはじめて降り立ったハワイは,オアフ島であった。
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ハワイなんて日本人だらけで行く気にならない,と悪態をついたが,それでもやはり,だれもが知っているホノルルとワイキキビーチ,そして,ダイヤモンドヘッドには1度は行ってみたかった。私は本質的にはミーハーなのである。そこで,ハワイ島に行くフライトの搭乗時間までの半日,オアフ島観光をすることにした。
ホノルルの空港に着いて,まず,空港のターミナルから入国審査場までバスに乗った。ファーストクラスだろうと,エコノミークラスだろうと,この満員バスに揺られていくのが不思議であった。かつ,快感であった。ハワイハワイと騒ぐ芸能人もこうしてハワイの地を踏むのだろうか? と思ったら愉快になった。同じバスに乗り合わせたりするのだろうか?
ところが,入国審査を終えて空港を出たら,突如日本人がまったくいなくなってしまった。どうやら私以外のすべての日本人は,ホノルルでお迎えの旅行会社のバスに乗ってしまうらしい。個人旅行の私は手段がないので,ホノルルで The Bus という名の公共交通に乗ることになった。空港の建物を出たところにバス停があったが,待っている人なんてほとんどいなかった。ともかくバスが来たので,ホノルルのダウンタウンを目指したが,乗車してみると,当然日本人は皆無であった。
今はコロナ禍で,ハワイにも観光客がいなくなっているようだが,将来,再びハワイに行くことができるようになったら,ツアーで訪れる人も,ぜひ,ホノルルではこうした公共交通に乗ってみることをお勧めする。このバス,現金しか使えなかったが,おつりが出ない。そこで,つり銭の必要な乗客がほかの乗客と両替をしていたりする。ハワイは何もかも,日本よりずっと遅れた昭和の社会が体験できる。しかし,福祉という面では日本よりずっと進んでいた。車イスの乗客がバス停にいたので,運転手が機械を操作して車イスごとバスに乗せたりしていた。こういった,ツアー旅行では味わえないハワイの実体験ができるのである。
ワイキキビーチあたりの適当なバス停で降りた。はじめに思ったのは,ああ,写真で見たハワイそのものだ,ということだった。その次が,3月とはいえ,やたらと暑い,ということだった。最後に,こりゃ渋谷と変わらない,ということであった。これらが私のハワイの第一印象であった。
ともかく,バス停から歩いてワイキキビーチに行ってみた。ワイキキビーチにはリゾートホテルが林立していた。1軒のホテルに入ってみた。ホテルの中に入ると,ロビーのクーラーが気持ちよかった。ホテルのレストランからはワイキキビーチが一望できるようになっていた。席に座ると,そこでフラダンスのショーなどを見ることができるようになっていたが,貧乏人の私には無縁の世界であった。
ホテルから出て,適当に浜辺にあったカフェで昼食をとり,次に,ダイヤモンドヘッドに行くことにした。ダイヤモンドヘッドまでも The Bus で行ったが,これもまた,日本人はツアー会社の無料バスとやらでダイヤモンドヘッドに行くようで,JTBやらHISやらJCBやら,そうした日本でおなじみの会社の名前の書かれたバスが頻繁に走っていた。
ダイヤモンドヘッドはすごい観光客であった。展望台まではけっこう険しい山道であったが,展望台からみたワイキキビーチは「これぞハワイ!」の定番スポットだから,やはり,一見に値するものであった。私は,1度で十分だったけれど,ここに毎年登っているという日本人観光客に出会った。正直いって,この人,ハワイまで来てほかにやることないんかいな? と思った。
ダイヤモンドヘッドからの帰り道,ホノルルまで行くバスの乗り場がわからなかった。回送中のバスがいたので運転手の女性に聞いてみると「バス停まで送るから乗りなさい」と言われたのには驚いた。この適当さが心地よかった。日本ならありえない。
再びホノルルのダウンタウンに戻って,少し時間があったので,JCBのラウンジに行った。暇を持て余した日本人のおじさんが新聞を読んでいた。ここでもまた,ハワイまで来て,何じゃこれは? と思った。
私のオアフ島体験はこれくらいのものであった。
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帰国してから,友人に真珠湾について聞かれて,何も知らない自分に失望した。
ハワイに行っておきながら,この時点はまだ真珠湾がオアフ島のどこにあるのかさえ知らなかった。そんな自分を恥じた。そのことがものずごくいけないことのように思えて,情けなかった。そして,次にハワイに行くときは,真珠湾だけは行かねばなるまいと思った。日本人の義務だと思った。そして,その翌年,私はその思いをかなえるために真珠湾に行ってきたが,このことは次回書くことにする。
やっと晴れたか!秋2020③-月齢28.0の月と水星の接近
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昨日の早朝,金星に接近した月とその下にある水星が並んだ写真を写して,ブログに載せました。その翌日11月14日の早朝は月が移動して,今度は水星に接近します。水星と月の接近,私はむしろこちらの方が魅力的だったのですが,それを見るのはお天気次第だと思っていました。早朝4時過ぎ,早起きして空を見ると,幸いなことに,雲ひとつない晴天だったので,気分をよくして,写しに出かけました。
前日の経験でどのあたりに見られるか,何時ころから見られるかはわかっていたので,三脚を組み立ててカメラを設置して,そのときを待ちました。今日の1番目の画角で写すには300ミリレンズ,そして,2番目の画角で写すには50ミリレンズだということも調べておいたので,この2本を用意しました。
午前5時過ぎ,思ったよりも早く月が見えはじめました。そして,その横に水星が見えました。
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写ってしまえば大したことがないように思いますが,よほど天気がよくて,しかも,大気が澄んでいないと見えません。これまでも,見えるはずの水星が濁って灰色である空に埋もれて探せなかったことが何度あることか! そうするうちに,写真を写すことも忘れて,その美しさに手を止め,見とれてしまいました。これほど神々しい姿はそう見られるものではありません。
子供のころ,地動説で有名なコペルニクス(Nicolaus Copernicus)でさえ死の床で「私は生涯,水星という天体を見ることがなかった」と嘆いたという話を知って,なんとか水星を見てみようと,家の屋根に上ったりしたことを思い出します。それは,水星は太陽系の中で一番内側を回る惑星で,地球から見た水星は太陽のそばをへばりつくように動いていて太陽の光が邪魔になってなかなかその姿を見ることができないからです。
しかし,実際は結構簡単に見ることができるもので,この日のように,天気がよく空が澄んでいれば,西方最大離角(11月11日でした)前後なら,早朝,といっても午前6時ころ,東の空20度近くの高さに1等星で輝いています。
明日は新月です。
やっと晴れたか!秋2020②-月と金星と水星,とスピカ
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星のきれいな季節です。今は,春と違って,空が澄んでいて,しかも,夜が長いこともあり,また,それほど寒くないので,ずいぶん楽しめます。
今年のこの時期,次のような見ものがあります。
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11月中旬ごろ,未明から明け方の東南東の低空で,明けの明星の金星とおとめ座の1等星スピカが接近して見える。最接近は11月17日ごろで,4度未満まで近づく。
また,左下のほうには水星も見える。また,13日には細い月も近づいてくる。
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明け方の東南東の低空に見えている水星が,11月11日に太陽から最も離れて西方最大離角となる。日の出45分前の高度は約9度でかなり低いが,水星としては見やすいほうだ。
やや離れているが,水星の右上のほうに明けの明星の金星も輝く。
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11月13日の未明から明け方,東南東の空で月齢27の細い月と金星が接近して見える。地球照を伴った幻想的な細い月と金星の共演は,数ある月と惑星の接近の中でも随一の美しさだ。
下のほうには金星と接近中のスピカが見える。さらに下には西方最大離角を過ぎたばかりの水星もあり,翌14日の明け方にはいっそう細くなった月と大接近して見える。
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ということで,11月13日,ここに書かれた星々を写してみました。
このような天体現象は,さほど珍しいモノではないのですが,晴れていて,地平線近くまで空が開けた場所でないと見ることができません。また,金星,水星,月などの位置関係が,毎回微妙に異なるので,何度見ても見飽きることはありません。
早朝,このような美しい風景に出会うと,その日は何かいいことが起こりそうな気がします。
それにしても,空ではこれほど美しい競演が行われているのに,それに気づかない人がなんと多いことか!
2020春アメリカ旅行記-私にとってハワイとは③
●ハワイ6島制覇をめざして●
いまさらここで書くことでもなかろうが,太平洋のまんなかにあるハワイ諸島は8つの大きな島と小さな島々,そして環礁によって構成されている。
8つの大きな島は「主要な島々」(main islands)といい,これらの島々は北西部から南東に順に,ニイハウ島(Niihau),カウアイ島(Kauai),オアフ島(Oahu),モロカイ島(Molokai),ラナイ島(Lanai),マウイ島(Maui),カホオラウェ島(Kahoolawe),ハワイ島(Hawaii)となる。それ以外に,北西ハワイ諸島はニホア島(Nihoa)からクレ島(Kure)まで主に9つの小さな島が連なり,その他にもモロキニ島(Molokini)など100以上の岩礁や小島があるが,実際に人が生活しているのはオアフ島,ハワイ島,マウイ島,ラナイ島,モロカイ島,カウアイ島,ニイハウ島の7島である。その中で,ニイハウ島はロビンソン(Robinson)一家の所有で上陸が難しく,人々が自由に行き来したり居住できるのは残りの6島,しかも,ツアーで行くことができるのは,オアフ島,ハワイ島,マウイ島,カウアイ島で,ラナイ島とモロカイ島は個人旅行でないと行くことができない。
私は,2016年の春,はじめてのハワイで,オアフ島とハワイ島に行ってきた。
日本からハワイに行くには,東京からはハワイ島への直行便もあるが,ほとんどの人は,まず,ホノルルに降り立つから,ホノルルのあるオアフ島に上陸することになる。そこで,オアフ島は行く気があろうがなかろうが行くことができる。ハワイ島はそこからもう一度飛行機に乗ることになるわけだ。
ハワイに行こうと計画するまで,私はハワイにどういう島々があるかも知らなかった。マウナケア山がハワイ島にあることを知って,ハワイ島に行くことにしたのだが,今考えても不思議なのは,セントレア・中部国際空港からホノルルまで直行便があったのにもかかわらず,なぜか,成田国際空港から出発したことことだ。しかも,ホノルルからハワイ島の東のヒロ,または西のコナの空港へ行く便は頻繁に出ているのにもかかわらず,行きは夜遅い便への乗り換えだったので,ホノルルで半日を過ごす必要があったし,帰りもまた夜の便でホノルルに戻ったので,日本に帰るためにはホノルルで無意味な1泊をする必要ができてしまったことだ。それは,デルタ航空のサイトですべての予約をしようとしたことが原因であった。
知らないというのはこういうことだろう。今なら,こんなバカげた旅はしない。しかし,そのおかげで,到着当日にホノルルの観光ができたし,ホノルルに1泊するというある意味ムダなかつ貴重な体験をすることもできた。
あれだけ行くことをためらっていたハワイだったのに,これで目覚めてしまった。1度行ったら,すべての島に行きたくなるのが私の性分である。困ったものだ。そこで,その次の年2017年の春にマウイ島に行った。そして,さらに,2017年の秋にはカウアイ島にも行ってみた。こうして,オアフ島,ハワイ島,マウイ島,カウアイ島と制覇したのだが,最後に残ったのがモロカイ島とラナイ島であった。
2020年の春に行ったのは,そのうちのモロカイ島であった。これから書こうとするのが,この,モロカイ島の旅行記である。
ラナイ島は島全体がリゾートタウンのようなものらしいので,私はさほどの魅力は感じていないが,マウイ島から日帰りでいくことができるらしい。次にマウイ島に行くときに行ってみて,これで晴れて6島制覇だと意気込んでいたのだが,こんな状態ではいつ実現するかわからない。ともあれ,ぜひ行きたかったモロカイ島には行くことができたので,私は,これで十分にハワイ全島制覇を達成した気になって,今はすっかり満足しているという次第である。
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ただし,実は,ハワイというところは,私のような個人旅行者がのこのこと出かける場所でないのだ。それは,アメリカ本土のように,安価に宿泊できるようなモーテルや民宿(B&B)がほとんどないからである。宿泊できるのは,家族向けの豪華なホテルやコンドミニアムばなりなので,いつも私は宿泊先を見つけるのに苦労することになる。
それはともかく,この旅行記では,先に,これまでに出かけた4つの島について改めて振り返ってから,モロカイ島の旅行記をはじめることにする。
2020春アメリカ旅行記-私にとってハワイとは②
●50州制覇最後の州は本当はアラスカだった。●
ところで,私がアメリカ合衆国50州制覇を目指していた2015年,最後に残った州が三つあった。それは,サウスカロライナ州,ノースカロライナ州,ハワイ州であった。残った3州の中で,ハワイ州を最後にしようと,ずっと思っていた。記念すべき50州目をハワイ州のホノルルの空港で迎えるというシナリオはすばらしいものではなかろうか,と思えた。ホノルルの空港で,ほかの人も巻き込んで,「おめでとう50州制覇」の横断幕なんか用意して写真を撮ろう,と考えていた。
しかし,どういうわけか気が変わり,2016年の春,サウスカロライナ州,ノースカロライナ州に行く前に,ハワイ州に行ってしまった。そのときの旅行記はすでに書いた。そして,2016年の夏にフロリダ州からバージニア州まで,アメリカの東海岸を縦断する旅をして,サウスカロラナイ州からノースカロライナ州に州境を越えて地味に50州制覇を達成した。そんなわけで,私の50州目はノースカロライナ州… ということになっている。
しかし白状すると,実は,この時点では,私は本当の意味でアラスカ州は行ったことがなかったのである。
私の若いころは,日本から空路アメリカの東海岸やヨーロッパに行くには,アラスカ州のアンカレッジで給油をする必要があった。そこで,ニューヨークやパリに行ったとき,一旦,アンカレッジの空港に降りたことがあったわけで,これをアラスカ州に行ったとみなしていたというのが真相であった。
つまり,インチキである。
アメリカ人の友人に50州を制覇したと自慢するといつも「アラスカも行ったのか?」と聞かれて,内心,後ろめたい気持ちになっていた。アメリカ人にとってもアラスカというのはそれほど縁遠いところのようだった。私は,正真正銘,胸を張って50州制覇と自慢するために,2017年の夏にアイダホ州で皆既日食を見たとき,その帰りにアラスカ州のフェアバンクスに行くことにした。遠いと思っていたアラスカ州だったが,シアトルからならアラスカに行くなんてちょろいことだった。国内線に乗るだけだったから…。
そんなこんなで行ってみたアラスカだったが,それは,とても楽しい旅になった。期せずして,というか,期待はしていたがおそらく無理だろうと思っていたオーロラも見ることができた。これを機会にオーロラに夢中になった私は,その翌年,フィンランドへ,そして,そのあとアイスランドまで行くことになってしまったのだから,ひとつの出来事がそのあと思わぬ展開をよぶものである。人生はこうだからおもしろい。ともかく,どんな金持ちだろうと,偉い人だろうと,オーロラも見ていない人よりは私のほうがずっと幸せである。と思うほど,オーロラを見るという経験はすばらしいものである。
・・
よって,私が正真正銘アメリカ合衆国の50州を制覇した最後の州は,本当は,アラスカ州なのである。それは,ノースカロライナ州に行った2016年7月31日ではなく,アラスカ州のフェアバンクスに降りたった2017年8月26日のことであった。
2020春アメリカ旅行記-私にとってハワイとは①
●50州制覇の最後に残ったはずの州●
2020年はコロナ禍で大変な年になった。
そんなことになるとは夢にも思わず,私は,2020年も,それまでの数年間と同様に年に6,7回の海外旅行をしようとさまざまな計画を立て,そのうちの数回の旅ではすでに航空券も手配していた。そのはじめが2月下旬のハワイ旅行であったが,幸いなことに,この旅は,ぎりぎり間に合った。しかし,それ以降の計画はすべてキャンセルになってしまった。まさか,2月下旬のハワイ旅行をもって,当分海外に出かけることが不可能になるなんて,夢にも思わなかった。
・・
私の2020年春のハワイ旅行は,2020年2月20日から2月24日までの3泊5日で,行先はモロカイ島だった。ハワイ好きの日本人は多いが,さすがにモロカイ島に行ったことのある人は少ないであろう。ハワイ6島制覇を目的にした私にとって最後に残ったモロカイ島とラナイ島だったが,そのなかのひとつであったモロカイ島に念願かなって行くことができたのは幸運であった。モロカイ島は私には最高のハワイであった。
そこで,今日からは,このハワイ旅行の旅行記を書くことにする。とはいえ,すでに,この旅行については「特別編・2020春アメリカ旅行LIVE」に結構詳しく書いたので,この旅行記では,2020年のハワイ旅行に加えて,これまでに何度か行ったハワイ旅行についても,それ以後の経験をもとに,さまざまな面から書いていくことにしたい。
キャンセルになってしまったそれ以降の旅行については,いずれ「2020幻の旅行記」として書くつもりだ。
私はずっとアメリカ合衆国50州制覇を夢見てきたが,ハワイ州は最後まで残り,48州目でやっと行くことができた。そのこともすでに何度も書いた。私がハワイ州に最後まで行こうとしなかったそのころの理由は,今当時のブログを読み直すとお恥ずかしい限りであるが,それは,ハワイなんて日本人ばかりで行きたくない,というものだった。ハワイ,ハワイと世の人が騒げば騒ぐほど,へそ曲がりな私は,行きたくなくなっていた。興味がなかったから,ハワイ州には主な島がいくつあるかすら知らなかった。
ただし,唯一マウナケア山(Mauna Kea)だけは行ってみたかった。それは,マウナケア山の山頂にあるすばる望遠鏡に興味があったからである。望遠鏡本体は無理としても,せめてそのドームを見てみたいと思っていた。しかし,マウナケア山がハワイのどこにあるかということすら認識がなかった。そこで調べてみると,マウナケア山はハワイ島にあると知り,また,多くの人に聞くと,ホノルルのあるオアフ島以外は日本人はあまりいないよ,ということだった。
ならばということで,はじめてのハワイ州で,私はオアフ島ではなくハワイ島に行くことにしたのだった。
やっと晴れたか!秋2020①-なんとなく彗星と太陽を撮る。
前回星見に行ったのが8月20日のことだから,早いもので,すでにそれから3か月近くが過ぎました。めぼしい彗星が見えなかったことと,ずっと天気が悪かったことなど,理由はいろいろあれど,気がつけば,ずいぶんと月日が経ってしまいました。
その間,星を見ようと10月15日と16日,木曽駒高原に出かけたのですが晴れず,ほとんと星を見ることができませんでした。
空が明るく満足に星の見えない日本なので,私は10等星より明るい彗星をすべて写すことに目標を絞って楽しんでいます。このところ,8等星ほどの明るさの彗星が3個ほど見えているのですが,そのうち,ハウエル彗星(88P/Howell)は8月20日に写したので,残りのふたつの彗星を写すのが今月の目標でした。そのふたつの彗星,アトラス彗星(C/2020M3 ATLAS)とエラスムス彗星(C/2020S3 Erasmus)はめずらしく深夜から明け方の南の空に見えるので,早起きして近場で見ればいいや,と気楽に構えていました。
11月9日の早朝。
午前1時ころに一度目が覚めたので,空を見上げると曇っていたから,また後日でいいか,と思って眠りにつきました。再び目覚めたのが午前3時ころで,せっかく起きたのだからと期待もしないで空を見上がると,なんと,先ほどの雲は消え失せてオリオン座が輝いているのには驚きました。
こういう機会は逃してはいけません。そこで出かけることにしました。私は準備は5分で完了です。20分くらいでいつもの近場の観測場所に到着して,これもまた5分ほどで望遠鏡を設置して極軸とピントを合わせました(=3番目の写真)。
いつも書いているように,私が30年以上使っている,改造に改造を重ねた望遠鏡は,オートガイダーはもちろんのこと,自動導入もついていないので,彗星を手動で入れる必要があるのですが,これがまた楽しいのです。所詮は趣味,自己満足の世界。今更機材にお金を使う気もなければ,真剣さもありません。誰もいない深夜に星を楽しむことができればそれでいいのです。
アトラス彗星はオリオン座のη星のお隣なので,探すというより,η星をファインダーに入れさえすれば写ります。ということで,すぐに写したのが今日の1番目の写真です。8等星ほどの明るさという予報だったのですが,思った以上に明るく写りました。これが今日の1番目の写真です。
アトラス彗星は,2020年6月27日にハワイ島マウナロア山(Mauna Loa)にある小惑星地球衝突最終警報システム(Asteroid Terrestrial-impact Last Alert System = ATLAS)で口径50センチメートル F2 のシュミット望遠鏡(=6番目,7番目の写真)を使って写したCCD画像から発見されたものです。
さて,問題だったのはもうひとつのエラスムス彗星のほうです。
予報ではアトラス彗星と同じほどの明るさで,コップ座のο星の近くにあります。コップ座は明け方の南東の空。まだ月齢24ほどの月明かりがあるし,もともと明るい星が少なく,これを入れるのは至難の業なのです。しかし,月の横たわるしし座の星々は見えました。星図で調べると,ファインダーにしし座のδ星とθ星を同視野に入れてそのまま南の方向に同経度で下っていくと,コップ座のο星が入ってくることがわかりました。ということでその通りにすると,コップ座のο星がファインダーに入って来たので,その付近の写真を撮ると,意外と簡単に彗星が写りました。それが2番目の写真です。月明かりがなければ,もっと明るく写ると思います。
エラスムス彗星は南アフリカ天文台のニコラス・エラスムス(Nicolas Erasmus)が2020年9月17日に,これもまた,ハワイ島マウナロア山(Mauna Loa)にある小惑星地球衝突最終警報システム(Asteroid Terrestrial-impact Last Alert System = ATLAS)で口径50センチメートル F2 のシュミット望遠鏡を使用して写したCCD画像から発見されたものです。
ということで,30分ほどでふたつの彗星を写し,目的を達成して自宅に戻りました。誰もいない深夜に星を見て宇宙を感じるのは,やはり,私の究極の楽しみだと改めて思いました。
・・
ところで,その前日の11月8日には太陽に大きな黒点があるという情報を得たので写してみました。これが今日の4番目の写真です。太陽を写す機材は別にあって,それは2017年8月22日にアメリカに皆既日食を見にいったときにそろえた安価な,これもまた自分に使いやすいように改造した望遠レンズと三脚ですが,これを眠らせておくのはもったいないので,今は黒点撮影用に使っています(=5番目の写真)。こんなに大きな黒点は久しぶりです。太陽の自転周期を知っている人は意外と少ないのですが,約25日です。そこで,しばらくは,この黒点が少しづつ位置と形を変えていく様子を見ることができます。
「1日1断捨離」を実行する⑨-何も必要がなくなって
2020年,突然襲ったコロナ禍で,3月以降は海外旅行ができなくなってしまいました。外国人観光客がいなくなったので,春は人の少ない京都で思う存分桜を堪能し,7月にはネオワイズ彗星を見るために行った北海道で,これもまた,雄大な景色を堪能しました。なにせ,人がいないので,感染の危険はまったくありませんでした。
常々,どうして人は群れたがるのか,私には理解しがたかったのですが,今年もまた,せっかく人がいない時期には人の目を気にして観光を躊躇し,夏が過ぎてGo To キャンペーンがはじまって人が増えるとともに逆に危ないのに旅行に繰り出すなんて,どういうことなのでしょう。
…ということで,今年の秋は,外国人のいない京都の紅葉を楽しみにしていたのですが,漏れ聞こえるところでは,京都や北海道は,海外旅行のできなくなった富裕層で混み合っているということなので,私は,行く気をすっかりなくしました。そもそも,せまく汚い日本国内なんて,無理して行きたいと思うところもほとんどありません。日本で魅力的なのは食事くらいのものですが,そんなに食べられるものでもありませんし,私は自宅籠城です。
日ごろは,週末はもちろんのこと,平日もまた,できるだけ人と会いたくないので,お昼間は必要のないときは外出せず,もっぱら,朝は午前6時まで,夜は午後6時以降に散歩するようになったら,断捨離を心掛けなくても,ほぼ断捨離状態となってしまいました。そうなると,これまでこだわっていたことがいったいなんだったのか,というほど欲しいモノがまったくなくなってしまいました。そしてまた,必要のない情報をすべて遮断するようになったら,ますます物質欲もなくなってしまい,かつ,節操のない雑誌や手間暇かけないで作られた安直な本もまったく買わなくなったら,何とこころ穏やかにすがすがしい日々が送れるようになったことか。
これまでも必要以上のモノを買う習慣もなく,お酒も飲まないので,お金の使い道は,年に6,7回出かけていた海外旅行くらいのモノだったのですが,旅行にも行けないので,食費とか必要なだけの衣料品,そして,公共交通機関は使わずもっぱら車になったためのガソリン代のほかにお金の使い道がなくなってしまいました。そもそもモノを買っても置く場所に困ります。そうなると不思議なもので,少しはこだわっていたモノもまた,そんなことにこだわっていたのが何だったのかなあ,と増々思うようになりました。高級な車やカメラも買う意味がわかりません。
要するに,夢が醒めちゃった状態なのです。
いや,決して,これは生きる気力がなくなったとか,そういう状態ではないのです。何か,新しい境地に達したというか,私が理想としていた生き方というのは,かぎりなく身ひとつ,ということだったのですが,やっと理想としていたそういった状況に近づけた,というか,それは私にはとても好ましいことなのです。
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2019年のはじめに書いた「『精神的な断捨離』こそ最大の贅沢」,2020年のはじめに書いた「『精神的な断捨離』を今年も」,そして,「『物質的な断捨離』を今年も」が,コロナ禍によって奇しくもすべて実現してしまったようです。
それにしても,巷では,Go To 何某とか,何とか詐欺とか,金を積んで票を買ったとか,何から何まで,金金金…。バカみたいです。
そもそも,政治家のやっていることは,人は金で動くというような政策ばかりでなさけないです。そしてまた,自分でやったことを自分で問題ないと決めつけ,税金で生きているくせに,納税者に説明もできない言語能力の欠如した時の権力者やら,「『女はみなうそをつく』という発言はしていない」といううそをついて自らの発言で「女はみなうそをつく」を実証してみせたような哀れな某女性政治家の茶番やら,あいかわらず届く「〇〇がロックされました」といったような手の込んだくだらない偽メールやら,セキュリティ対策に無知なばかりに勝手にお金が引き出された事件を起こす時代遅れの権威主義に凝り固まった往年の大企業やら,この国のやっているのはこんなことばかり,ご苦労さまなことです。
いずれにせよ,そんなことに人生の貴重な時間を使って,まあなんとおバカさんなこと,と私には,みなお笑いの対象でしかありません。何もかも,とても精神が貧しい証拠です。究極の幸せは限りなくモノは持たず,自由に生きること。それは,物質の欲望から離れて精神的に豊かに生きることです。
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節操のない国③-アメリカは担任のいない小学校,日本は?
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私にいわせれば,大都市しか「知りもしないくせに」,日本の多くのマスコミは,アメリカについて,よくもまあいけしゃあしゃあと,いろいろと書いているものです。また,コメンテーターと称する人も,知っているのはハワイやロサンゼルス,ニューヨークといった大都会だけで,それもまた,生のNFLのゲームすら見たこともないのに,自分のわずかな経験をもってアメリカを語っているわけです。そもそも,日本だって,東京しか見ていないくせに日本を報道した気になっているのだから,言わずもがな,です。仕事でアメリカに駐在している日本人も,所詮は派遣された会社によってランク分けされた在米日本人格差社会という檻の中にいるだけで,本当のアメリカの姿など知りません。日本からの留学生も,アメリカの大都会で大学と宿舎を往復しているだけです。
アメリカの実態は,フットボールと大農場と,そして,軍人。だから,日々,都会では仕事そっちのけでフットボールのゲームに夢中になり,郊外には広大な大農場が広がり,そこに住む人は海を見たことすらなく,アメリカだけが世界だと思っています。そしてまた,荒廃した地方都市で仕事に溢れた人たちは,生まれてから死ぬまで夢もなく,トレーラーハウスでその日暮らしをしています。日本人には想像のできない特権と力をもつアメリカの軍人は,軍の待遇を悪くする民主党を嫌い軍を優遇する共和党を支持する…。地方の隅々を旅して,私はそんな一面を知りました。
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そうしたアメリカの郊外をドライブしたり,住んでいる人と語らったり,MLBやNFLのゲームを見るうちに,アメリカは「担任のいない小学校」のようなところだと思うようになりました。だから,大の大人がしょうもないモノをクレジットカードで破産するほど買い込んだり,実際に破産したり,MLBやNFLのスタンドでは,大きな砂糖のかたまりのような綿菓子や大きなバケツに入ったポップコーンを食べあさったりピーナッツを食い散らかしたり,NFLのゲームのある日は家族サービスを免除されたオジサマ方がスタンドでチェアリーダーをうっとり見つめています。また,日ごろから,食後はかならず甘~いババロアや巨大なアイスクリームを食べたりと,そんなことを平気でしているわけです。要するに,欲望のおもむくまま生きているのです。
だから,クラスのリーダーがドラえもん(Doraemon)のジャイアン(Big G)みたいなやつでもそいつを支持して,ジャイアンがやっちまえ,と命令すればそれに従ってのび太(Noby)をいじめたりするわけです。そして,しずかちゃん(Sue)にはデレデレなのです。実に単純な世界です。
難しいことは何もないのです。アメリカは「担任のいない小学校」と考えれば,その行動はすべて簡単に理解できます。
…と思っていたのですが,では日本は? と考えて,ハタと思い当たりました。日本は「担任のいる幼稚園」です。だから,担任の先生がこうするんですよ! と言えば,それが正しかろうと間違っていようと,規則であろうとなかろうと,疑問も持たず逆らいもせず従うのです。しかし,正式な規則を越えたそんなご指導は先生次第なのです。そして,先生のご指導に従わないやんちゃな子がいれば,「先生に言いつけるわよ」というマセた,かつ,まじめなだけの女子がそれをたしなめるわけです。
そして,先生がお休みしたり,いなかったりすると,それまで従順だったのは単に先生に叱られるのが怖いからだけなので,急に傍若無人となり,やんちゃな子は自分をとりもどしてやりたい放題。いじめはするし,ゴミは捨てるし,要するに,みんな幼稚園児だから,自分の考えなど何もないし,規則もあってないようなもの。先生の目が気になるときだけお友達のまねをしていい子になったふりをして,おててつないで歩いているだけなのです。こちらもまた,実に単純な世界です。
難しいことは何もないのです。日本は「担任のいる幼稚園」と考えれば,その行動はすべて簡単に理解できます。
はたしてどちらの世界が住みやすいのでしょう? どちらが少しは成熟している社会なのでしょう?
いずれにせよ,幼稚園児は小学生には逆らえませんけどね。
再びポートランド⑥-2015夏アメリカ旅行記3
●これからも続くはずだったのに…●
帰国便に乗らなければならない時間が近づいてきたので,チャイナタウンから電車ライトレールに乗って,ポートランド国際空港に戻ることにした。
ポートランド国際空港はシアトルのタコマ国際空港より小ぶりで美しい空港である。この旅の時点では,成田国際空港からはシアトル便とポートランド便が飛んでいた。こんなに近い都市に何も東京から同じように飛ばさなくてもいいように思っていたが,それだけポートランドに行く日本人が多かったということだろうか。
いずれにしても,日本からアメリカに行くときに選ぶ都市として,ポートランドは悪くない。街の治安もいいし,何より,空港からダウンタウンまでアクセスが便利だからである。しかし,アメリカを体験をするのに,ポートランドはあまりに日本と変わらないので,私は逆に物足りないような気がする。
空港に着いて,私はいつものように,デルタスカイクラブのラウンジでフライトの出発を待った。やがて,搭乗時間になったので,機内に乗り込んだ。
☆16日目 8月14日(金)
機内で日付変更線を越えるので,太平洋上空で翌日8月14日になった。そして,定刻,日本に戻ってきた。
2015年の2週間以上にわたった長いアメリカの旅は,これで終了である。この先もこんなに長い期間旅行をすることはもうないであろう。
・・
わずか5年前というのに,今では,このときの旅が夢のような気がする。本当にいろんなものを見て,いろんな経験をした。この旅をもって,アメリカは憧れからなじみの国になったように思う。この翌年2016年の春には,私は,生まれてはじめてハワイに行き,ハワイに目覚めた。そして,2016年の夏に東海岸を縦断し,ついに念願だったアメリカ50州を制覇した。
あれだけアメリカ本土を旅していたのに,それをもって,その熱がすっかり冷めてしまった。そして,その後は,毎年ハワイに行くようになった。そして,ときどきアメリカ本土にも足をのばしたが,私にとってのアメリカは,単に休日に骨休みに行くようなものになってしまっていた。
そんな時期であった。
2020年に突然,地球全体に起きた新型コロナウィルスの流行で,もはや,日本を出国してどこかへ行くことができなくなった。残念ながら,日本には,アメリカのような雄大な大自然はどこにもない。今の私は,行き場を失った喪失感に満たされている。
「私の旅は,これからも,まだまだ続きます」とかつて書いたが,続けることが不可能になった。そんな時期に5年前の旅を振り返ると,ある意味つらく,また,懐かしく,そして,楽しい思い出でこころが満たされ,新鮮になり,またいつか行きたくなってきた。
ともかく,これで,やっと,これまで書かずに残ってしまっていた2015年夏のアメリカ旅行記をすべて書き終えることができてホッとした。
再びポートランド⑤-2015夏アメリカ旅行記3
●ポートランドのチャイナタウン●
ポートランドのチャイナタウンはダウンタウンの北西部にあり,面積は約0.5平方キロメートルほどである。
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第2次世界大戦前は,この地域はポートランドのジャパンタウンだった。1890年代以降,多くの日本人移民がポートランドに上陸し,ホテルや浴場,その他のサービスの需要を生み出した。当時,ジャパンタウンには100を超える企業が集まったという。
やがて,1980年代にポートランド当局が再開発として,この場所を公式にチャイナタウンとして改造したのだが,このとき,実際はほとんどの中国系アメリカ人と中国人移民はこの地域からは引っ越しており,イーストポートランドの82番街に非公式のチャイナタウンが存在している。
・・・・・・
この地域はポートランドのホームレスが多く住んでいて,犯罪などの危険性が開発を妨げる要因となっているという。今も,夜は歩かないほうがいいといったとことが書かれてあるが,それは,アメリカの他のチャイナタウン同様だと思う。
そもそも私は,深夜にこうしたエリアを歩くことはないので,実際のことは知らないが,お昼間に歩いていると,深夜に人々が集まるような店やショップが数多くあるから,さもありなんという感じはする。日本でも,新宿やら池袋やら,まあ,外観はよく似たものである。
チャイナタウンの入口には1986年に作られたチャイナゲートとその両脇にライオンのペアがあって,わかりやすくていい。
この地域の活性化を目的に,2000年蘭蘇園(Lan Su Chinese Garden)がオープンした。蘭=Lan はポートランドを表し,蘇=Su は蘇州を表す。
この庭園は,1988年,中国の蘇州とポートランドが姉妹都市になったことで,Kuang Zhenによって設計され,蘇州の65人の職人によって建てられたものである。
500トンもの岩が中国から持ち込まれ庭で使用された。庭にある植物の約90パーセントは中国原産であるが,現在は輸入禁止のために,多くの植物は輸入禁止の前に持ち込まれた植物から育ったもので,100年もの古いものである。また,100を超える木,蘭,水生植物,多年生植物,竹,珍しい低木が庭全体に配置され,合計で400を超える種があるという。
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日本庭園といいこの中国庭園といい,こうした名所に訪れると,まさに,ポートランドが太平洋を隔てたアジアからもっと近いアメリカの都市ということを実感する。
朝10時の開園の少し前,私はこの庭園を訪れた。入口にいた恰幅のいい男性の係員と開園までしばし雑談を交わした。その後,庭園で楽しい時間を過ごすことができた。
こころに残っているベーカリー③-オーストリアの老舗
ハワイとは打って変わって,今日はオーストリアのベーカリーです。
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私は,ここ数年,勢いで海外旅行をしていたのですが,そろそろネタも尽きて,行きたいところもなくなって,でも,旅行が日常のようになっていて,なんとなく行く場所を決めて旅行をし続けていたのですが,そうした折に奇しくもコロナ禍がやってきて,すべての予定が中止となってしまいました。
そこで,一旦立ち止まって考え直すと,たとえコロナ禍が収まったとしても,特にまたぜひ行ってみたいと思う場所はもうほとんどなく,しいていえば,アメリカやオーストラリアの大地を走りたい,ハワイでのんびりと海を眺めていたい,という以外にリピートしたいのはオーストリアだけだなあと思うようになりました。
結局私が求めていたのは,美しい星空とクラシック音楽に尽きるのでした。つまり,私にとって人生の暇つぶしはこのふたつなのでした。
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美しい星を見ることができる場所なら国内外問わずどこでも行ってみたいのですが,晴れていなければならないことと空が暗いという条件があるので,どこがいいとは一概にいえません。
ニュージーランドは天気がいまひとつだし,オーストラリアはお昼間にやることがありません。ハワイはいいところですが,空が暗い場所を探す必要があります。日本国内はもともと空の暗い場所はほどんどないし天気もよくありません。…などなどです。
それに対して,クラシック音楽の里,オーストリアは,行きさえすれば,なんらかの夢は果たせるので,こちらのほうが期待が大きいのです。また,オーストリアの延長線上にチェコのプラハがあって,できれば,プラハにはいつか行ってみたいものだと思っていますが,はたして実現するのやら…。
そんな愛すべきオーストリアにも,こころに残っているベーカリーがふたつあります。
そのひとつはウィーンの街中にあるベッケライアーサーグリム(Bäckerei Arthur GRIMM)というお店です。ここは,1900年創設というウィーン最古のパン屋さんで,私はここでゼンメル(Semmel) という定番のパンを1個買いました。このお店はNHKEテレの「旅するドイツ語」で紹介していたところです。こうした普通のベーカリーで買い物をしているとすっかりこの町に溶け込んでいるようでうれしくなります。
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そしてもうひとつは,モーツアルトの生まれ故郷であるザルツブルグのザンクトペーター教会に付属しているシュティフトべッケライ(Stiftsbäckerei)です。ここは西暦1200年くらいから続く最古のパン屋さんです。少し入りにくいところにあるのですが,思い切って中に入ってみると,ちょうどパンを作っているところで,他に数人の観光客もいてパンを注文していたので,私もまねをして焼きたてのカイザーゼンメルというパンを1個買いました。
カイザーゼンメルのカイザーとは「皇帝」を意味し,パンの上面にある模様が皇帝や王がかぶっていた王冠のようなに見えることからこの名がついています。カイザーゼンメルはオーストリアで生まれたパンで,別名を「2時間パン」ともいわれ,焼きたてが特においしいパンとして知られています。今では機械でつくっているところが多いのですが,このパン屋さんは手作りなのです。
歴史あるヨーロッパでは,こうして買い食いをしていると,まるで京都を歩いているような感じになります。私は京都は飽きるほど行ったことがあるのですが,どう比較しても,京都よりオーストリアのほうが観光するには居心地のよさを感じます。その意味では今回のウィーンのテロ事件は意外でした。
アメリカに恋い焦がれていたころの私は,ヨーロッパはまるで眼中になかったのですが,ふとしたことで見はじめた「旅するドイツ語」のおかげで,オーストリアやフィンランドに,さらにはアイスランドまで行くことができました。もしあの番組を見ていなかったら,これほどすばらしい世界を知らずに生きていたかと思うと,「旅するドイツ語」にはいくら感謝してもしきれません。縁とは不思議なものです。そしてまた,アメリカをひとり旅できるようになったからこそ,英語圏でない国も平気でひとり旅ができるのだと思うと,これもまたとても不思議な気がします。
こころに残っているベーカリー②-ハワイの老舗
日本は近ごろ食パンブームだそうです。専門店でなくとも,スーパーマーケットに売られている食パンもまた,値段がピンからキリまであります。実際に食べ比べてみると,やはり,高いモノは高いだけの味がします。しかし,私はグルメではないので,それほどのこだわりはありません。
日本には,食パンだけでなく,ものすごい種類の菓子パンが売られています。甘いものは魅力的なので,意思が弱いと,つい手が出てしまいます。しかし,この菓子パンがダイエットには強敵なのです。カロリーのかたまりです。
…ですが,アメリカで売っているパンは,日本の「カロリーのかたまり」そんな生やさしいモノではないような気がします。
そこで,そんなパンをたくさん売っている,私がこころに残っているアメリカのベーカリーについて書きます。今日紹介するのはともにハワイのローカルショップ,マウイ島にあるコモダベーカリー(Komoda Bakery)とモロカイ島にあるカネミツベーカリー(Kanemitsu's Bakery)です。
ともに名前から日系何世やらの人が経営しているようですが,もう,日本語は通じません。
まずは,コモダベーカリーです。
高級リゾートの立ち並ぶマウイ島ですが,島の中央あたりにあるマカワオ(Makawao)は昔ながらの素朴な町です。このあたりは牧場地帯でまるで西部劇のセットのようなところです。マカワオはもともとサトウキビのプランテーションで働く人々のためにできた町で,今も日系人移民の末裔が多く住んでいます。
そんなマカワオにある2016年に創業100年を迎えたコモダベーカリーで有名なのは串刺しドーナッツです。これを買うために朝から多くの人が列を作っています。私は日本ではドーナッツを食べる習慣はないので,マウイ島に行ったからこそ食べるわけですが,この甘さは日本ではありえません。これこそ,マウイ島のソウルフードといっても過言ではありません。
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次に,カネミツベーカリーです。
マウイ島には多くのソウルフードを食べられるお店があるのですが,その一方,モロカイ島は,ハワイの中でももっとも素朴な島です。観光地というにははばかられるような島で,お店はほとんどありません。しかし,私は好きです。
この島にはカウナカカイ(Launakakai)というローカルタウンだけが島の唯一の町で,しかも,この町に1軒だけあるベーカリーこそ,カネミツベーカリーです。
ここは深夜から出来立てのパンを売っているそうですが表の入口は閉まっているので裏口にまわって購入するということです。お昼間も短い営業時間以外は店は閉じているのですが,でも,入口は開いていて,お客さんだか友達だかわからないのですが,人が出入りしています。その時間にパンを買うことができるのかどうかは知りません。とにかく,モロカイ島は私が子供のころの日本のようなところで,なにか懐かしさを感じます。しかし,もしこの島に住んでいたら1週間もしないで退屈の極みに陥ることでしょう。
退屈の極みに陥らないためには,暇つぶしが必要です。私はこのごろつくづく人生すべて暇つぶしということを実感するのですが,その暇つぶしこそが楽しく生きるコツなのでしょう。そもそもテレビを見るのもコンサートに行くのも会食をするのも読書をするのも旅行をするのも,そうしたすべてのことは,要するにやってもやらなくてもいいことなのです。そうしたものの中から自分が打ち込みたい何かを見つけてそれを生きがいとしている人も多いことでしょう。つまり,暇つぶしこそが自己満足の究極の形で,上手な暇つぶに人生の楽しみがあるのです。
日常仕事に追われて忙しい人はそんなことを言われても実感がわかないかもしれません。しかし,なぜ仕事をするかといえば,食べていくためにお金がいるからであって,困らないほどの大金があって仕事をしなくても生きていけるとしたら,どうやって毎日を過ごすかと問うてみてください。それでも仕事に打ち込むのなら,それは仕事が暇つぶしですし,仕事などしないで好きなことに没頭するのなら,それもまた暇つぶしです。
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ところで,私はカネミツベーカリーに朝食をとるために入りました。要するに,ここはベーカリーというよりカフェなのです。中に入ってみると,町の人たちのたまり場でもありました。こんな島に住んで時間をもてあまし,毎朝,この場所で朝食をとる自分を思わず想像してしまいました。
今後「不良老人」はいかに生きるか⑪-私は理解できない。
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11月3日火曜日はアメリカ合衆国の大統領選挙です。そこで,今日の写真は,2016年に私が行ったときに写したホワイトハウスと初代大統領ジョージ・ワシントンの墓です。
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さて,人それぞれ,法律に違反しなけれは何をしようと自由だし,人生観も価値観もそれぞれ異なるので,それにとやかくいう気持ちはないのですが,私がどうしても理解できないことは,60歳を過ぎて,まだ野心をもっている人の気持ちです。
若いころなら,自分にはどれだけ能力があるのだろうかと社会に問うのは,おそらく人としての本能だと思うのですが,そうした時期を過ぎて,しかも幸いにも自分なりに成功し,将来に対する不安もないくらい財を成した人が,せっかく悠々自適に好きなことをして過ごせるようになったのに,どうしてまた,と私は思ってしまいます。
たとえば,現在のアメリカ合衆国の大統領は人がうらやむような大金持ちで,何ひとつ不自由ない生活ができる財力をもっているのに,あの年齢になっても,どこにあれだけの戦闘的な情熱があるのか,私にはまったく理解ができません。ある意味,すごいです。しかし,国を分断して,他人を散々攻撃してまで,自分の地位を守ろうとするとする熱意は,いったいどこからきているのでしょうか?
それは,自分の身を投げうってまで,世のため人のために尽くしたい,捧げたい,という強い使命感からくるものなのでしょうか? それとも,歴史に名を残したいという名誉欲から来るものなのでしょうか? あるいは,人の上に立って社会を自分の思うがままに操りたいという支配欲からのものなのでしょうか? はたまた,やりたいことがないから暇つぶしをしているのでしょうか?
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しかし,功成り名を遂げ歴史に生きた証を残したところで,地球上に人間という摩訶不思議な生き物が生存できる時間などたかがしれていて,そのうち何もかもなくなってしまうのに,そこに何かを残すことなど,まったく意味がありません。そもそも,そうして名を残すことが生きる目的なのでしょうか?
生きること自体が困難で,だれかがリーダーとなってそれを改革しなければならない,という状況下で,リーダーたる能力をもって生まれた人が嘱されて集団を束ねるというのは自己犠牲の上に成り立つもので,立派なことです。あるいは,どこぞやの国家のように,たまたま,そうなるしかないという家柄に生まれてしまったら,それは,ある意味,不幸だともいえます。
しかし,はじめに地位が存在していて,そこに誰かが就いていなければ組織が成り立たないというだけの規格化された今日の社会で自ら手を挙げて俺がその地位に収まりたいというのは,それとは違います。
たいそうな大統領を例としなくても,身近にも,露骨に出世願望が強い人がいます。
私は,出世願望というのは劣等感からくるある種病気のようなものだと思うのですが,今の平和なこの国では,そうした出世願望の強い人が自分の望む地位に就くことはわりに簡単にできるのです。しかしそれは人望が厚いというわけでなく,もともとやりたい人が少ないから,やりたいと手をあげれば,順送りで4,5年そのイスに座れる,というだけのことです。
組織として厄介なのは,その中に,何を勘違いしているのか,そうした地位にいることに過剰なプライドをもっている人が存在している場合です。かつて私が出会って迷惑をこうむったのもそんな輩でした。そういう人は自らの地位を守るためにはパワハラもいとわないのですが,そうまでして,かつ,多くの人を傷つけて,いったい何を得ようとしているのでしょうか。おそらくそれは自分の弱さを隠す手段でしかないのでしょう。惨めなはなしです。
しかし,私も齢をとり,そうした人の哀れな末期をずいぶん見てきました。結局,山に登っても,その上には何もないのです。というより,そもそも山自体がないのです。たった一度の人生,そんなことに自分の貴重な時間を差し出すなんて,私には最も理解しがたいことです。それは,自由に生きるという,人としての究極的な幸せとは全く正反対のことだからです。
こころに残っているベーカリー①-長浜のつるやパン
これまでいろんなところに出かけましたが,なぜか最もこころに残っているのがベーカリー,ということに思い当たりました。それらは決して豪華なところではなく,地域に根差した小さなお店です。
私のこころに残るそうしたお店は,オーストリアのウィーンにある地元に根差したお店であり,また,ザルツブルグにある老舗であり,そしてまた,ハワイ・マウナ島の古びたお店であり,はたまた,モロカイ島にたった1軒あるお店だったりします。
そう思ったのは,10月30日に滋賀県長浜市にあるつるやパンという小さなお店に行ったことからです。
そこで,これから,私がなぜかこころに残っているこれらのベーカリーについて書いていきたいと思います。
まずは,そうした気持ちになったつるやパンからはじめましょう。
少し前に,滋賀県の木之本というところに行きました。そのことはすでにブログに書きました。
木之本の町を歩いていると,つるやパンと書かれたワゴン車が何台も通るのを見ました。そして,町の真ん中に,まだ開店前だったつるやパンという小さなお店を見つけました。
そんときはそれだけのことだったのですが,帰ってから,木之本ではつるやパンというのはけっこう有名なパン屋さんだということを知りました。
そこでホームページを読んでみると,何でも,つるやパンというのは「滋賀県のローカルパンとして全国的に有名」なサラダパンを売っているお店だとわかりました。 サラダパンというのは1960年(昭和35年)から販売されている,コッペパンの中に生野菜ではなく千切りしたたくあんのマヨネーズ和えがつまっているものだそうです。そして,そのつるやパンが2号店として,2016年(平成28年)に長浜市にまるい食パン専門店を出したと書かれてありました。
私は,サラダパンにはさほど興味をもちませんでしたが,なぜかまるい食パンというものに興味を覚えました。それ以来ずっと気になっていました。そこで,10月30日金曜日の午前中に時間ができたので,行ってみることにしたわけです。
お店は,JR長浜駅から徒歩5分の北国街道のレトロな街並みのなかにありました。
長浜市には以前行ったことがあるのですが,お城以外は記憶にありません。今回久しぶりに行ってみて,なんとまあ,すてきな町なこと,と思いました。こんな町なら住んでみたと思いました。私が日本で住んでみたいなどと思う町はめったにありません。
お店はすぐに見つかったので,中に入りました。
このお店で販売しているのはまるい食パンのみです。円筒形の特徴的なビジュアルは一度見ると忘れられないものです。
まるい食パンは午前11時に焼きたてが並びます。また,まるい食パンをアレンジした惣菜パンのサンドやラスクなど、さまざまなメニューがあります。私が着いたのがちょうどいい塩梅の時間だったので,売られている商品はすべてならんでいました。また,平日だったので,並ばずに買うことができました。
このお店がどうしてまるい食パンだけを販売するようになったかというと,食パンをまるい形状にしているのは四角い食パンの半分の時間で焼き上がり,焼き上がった後に余計な水分が飛ばないから中がしっとりするなどの利点があるからだそうです。
もの珍しいだけで足を運んだのですが,さっそく食べてみると,それがまあおいしいこと。期待以上でした。これは癖になりそうです。私は,このパンを買うために,そして,長浜という町に惹かれて,これからもまた,足を運ぶことになりそうです。
再びポートランド④-2015夏アメリカ旅行記3
●活気を取り戻したダウンタウン●
ポートランドのダウンタウンはウィラメット川(Willamette River)の西岸に開けている。ポートランド地域全体からみると,南西にあたり,高層ビルのほとんどはこの地域内にある。
ダウンタウンのすぐ南はサウスウォーターフロント地区という大規模な再開発地域である。
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ポートランドのダウンタウンはユニークで,道幅は20メートルと狭く,街区は1ブロックが61メートルの正方形に作られていて,歩行者に優しい街となるように設計されている。どうりで歩きやすく,日本にいるような街だと思ったわけだ。
それに比べると,たとえば,シアトルは各ブロックは80メートル四方ほど,ニューヨークのマンハッタンに至っては200メートルもある。
このように,ポートランドの各ブロックは道路と合わせると1辺が80メートルを占めることになるので,1マイル(約1.6 キロメートル)をちょうど20の街区に分割していることになる。
1970年代のはじめ,ポートランドのダウンタウンは他のアメリカの大都市同様に,斜陽の一途を辿った。
私がはじめてアメリカに行ったのは70年代の後半であったが,アメリカの大都市はどこもダウンタウンが荒廃し治安が悪く驚いたものだ。何という国かと思った。そんなダウンタウンに嫌気がさした人たちが郊外に脱出したため,郊外には大きなショッピングモールがオープンした。
現在の日本は,治安こそアメリカのように悪くはないが,駅前商店街はどこもシャッター街のようになってしまっていて,まるで70年代のアメリカのような気がする。
しかし,今でも日本の地方都市が荒れるに任せられているのとは対照的に,アメリカの大都市は再開発がすすんでいる。しかし,ポートランドでは,アメリカ国内の多くの都市で行われたダウンタウンの再開発とは異なり,再開発にあたって古い建築物を広域にわたって破壊しなかったが,1977年にダウンタウントランジットモール,1978年にウォーターフロントパーク(トムマコールウォーターフロントパーク),1984年にパイオニアコートハウススクウェア,1986年にポートランドとグレシャムを結ぶライトレールシステム,1990年にパイオニアプレイスというショッピングモールを続々と完成させていった。それにつれて、ダウンタウンに活気が戻り,かつては午後6時を過ぎるとさながらゴーストタウン化していたダウンタウンは復活し,今は1日中賑わう街となっている。
ポートランドはまた,「ブリッジタウン」の異名で知られる。
ウィラメット川には,以前書いた四つの橋に加えて,自動車専用の四つ橋の合計八つの橋が架かっている。ここでは,それらを北から順に紹介しよう。
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●フレモント橋(Fremont Bridge)
インターステイツ405が通る。パールディストリクト,ノースウェスト地区,ダウンタウンを繋ぐ。
●ブロードウェイ橋(Broadway Bridge)
ロイドディストリクトからオールドタウン,チャイナタウンに繋ぐ。
●スティール橋(Steel Bridge)
独立リフトをもつ世界で唯一の2層橋である。ライトレールやアムトラックをオールドタウン,チャイナタウンに渡す。
●バーンサイド橋(Burnside Bridge)
ダウンタウンとオールドタウン,チャイナタウン地区を繋ぐ。
●モリソン橋(Morrison Bridge)
セントラルビジネスディストリクト(=CBD)に直通する。
●ホーソン橋(Hawthorne Bridge)
ポートランド市最古のハイウェイブリッジ。オレゴン州では最も自転車がよく走る橋である。
●マーカム橋(Marquam Bridge)
2層の橋梁で,インターステイツ5が通る。
●ロスアイランド橋(Ross Island Bridge)
国道26(SEパウエルブルバード)が通る。
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最遠の月
10月31日は,
最遠の月
1月に2度満月のあるブルームーン
48年ぶりのハロウィンの満月
でした。
4月8日のスーパームーンの写真と月の大きさを比べてみてください。