しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

February 2021

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●まるでサンダーバードの秘密基地●
 ハラワ湾からの帰りである。モロカイ島には信号機がひとつもなかった。それで何の問題もないのである。
 私がこの旅で持参していたのは古い,というか2015年から2016年の「地球の歩き方」ハワイ編Ⅱであったが,このシリーズ,2020年に起きたコロナ禍で,全く売れなくなった。たしか2021年の新刊は発売されていないように思うが,やがてコロナ禍が収まって再び人々が海外に出かけたとき,そこに書かれた内容のどれだけが使用できるのであろうか? そのとき,この本にある多くのホテルやレストランはまだ営業をしているであろうか?
 おそらく,また,この自粛のリバウンドで,多くの人が海外に出かけることであろうが,そのときは,2020年の秋に日本で起きたGo To Travel のように,さまざなまツアーが発売され,どこもごった返すに違いない。私はそのとき,再びどんな旅に出かけるのだろうか?
 いずれにしても,今,私がなつかしい,また行ってみたいと思う場所のそのほとんどは人のほとんどいない大自然と,そして,歴史のいっぱい詰まったオーストリアだけなのである。

 話を戻す。
 このときに持参した「地球の歩き方」ハワイ編Ⅱに載っていた「モロカイ島を満喫する旅のモデルプラン」3日間コースの2日目は次のようにあったから引用してみる。
  ・・・・・・
【2日目】
 東モロカイへドライブに出かけよう。カウナカカイからはノンストップで往復2時間30分ほどの道のりだが,東モロカイの美しいビーチで泳いだり,有名な教会を見学していると,時間が経つのはあっという間。
  ・・・・・・
 それが今日の写真のビーチであるが,まるで,ここはサンダーバードの大西洋の孤島の秘密基地でった。

 ここクミビーチはヤシの木に囲まれた白砂のビーチで,ほとんど人がいないから,プライベートビーチ気分が味わえるところだ。考えてみれば,オアフ島やマウイ島のえらく高価なリゾートホテルのプライベートビーチなんぞより,ずっとここのビーチの方が贅沢な気がする。もちろんライフガードもいなし,シャワーやトイレもない。当然,自働販売機すらないから,飲み物食べ物を持参する必要があるが,それにも増して,このすばらしさは類をみない。
 このあたりにロックポイント(Rock Point)とよばれるモロカイ島のサーフスポットがあり,サーフィンに適したよい波が立つ場所だというが,サーファーのひとりも見かけなかった。また,遠くにはマウイ島やカメが浮かんでいるように見える無人島モクホオニキ(Mokuhooniki Island)が見える。
 さらに,絶滅危惧種の鳥ネネに遭遇するチャンスもあるという。私はこれまで世界各地で奇跡的にいろんな鳥を見てきたが,残念ながら,このときはネネを見ることができなかった。いや,気がつかなかった。
  ・・・・・・
 ネネ(nene)は,ハワイ州の州鳥である。人間がハワイにやってくるよりもはるか昔にハワイにたどり着いたカナダガン(Branta canadensis)がハワイで独自に進化したものと考えられている。
 ハワイ島のマウナロアやマウイ島のハレアカラなどの高山の溶岩が多いスロープに住む。
 全長は64センチメートルほどで体重は大きなものでは2キログラムになるという。
  ・・・・・・

◇◇◇
Snow Moon.

The explanation behind February's full Moon name is a fairly straightforward one.
It's known as the Snow Moon due to the typically heavy snowfall that occurs in February.

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 R.・シュトラウスのような大規模編成のオーケストラがあふれんばかりにステージにのって,音の洪水の中に入り込むようなコンサートにはうんざりする私ですが,それに比べて,弦楽四重奏曲はなんとすばらしいことか,といつも思います。この凝縮された構成で同じ感動をあじわうことができるのなら,大規模な編成など不要とさえ思えます。しかし,お客さんがあまり入らないことと愛好家好みなので,東京ならともかく,地方都市に住んでいると,弦楽四重奏曲を演奏する質のよいコンサートに出会う機会はほとんどありません。また,テレビなどでもほとんど取り上げられません。私も,これまでに3,4回出かけただけです。

 楽聖ベートーヴェンは,ピアノソナタをいくつか作曲したのち,交響曲を書いて,その後におさらいのように弦楽四重奏を作曲したと説明された本を若いころに読んで以来,私は,ベートーヴェンの弦楽四重奏曲に興味をもちました。さらに,中学校のときだっか,音楽の授業で,ベートーヴェンの晩年に書いたピアノソナタと弦楽四重奏曲はその時代の音楽をはるかに超えたものだったという話を聞いて,ますます聴きたくなって,それがずっと記憶に残っていました。
 しかし,当時は,高価なレコードを購入しなければ,ピアノソナタや弦楽四重奏曲を聴くこともできませんでした。
  ・・
 私は,世の自粛ムードとやらには迎合する気もなくそうした行動をする気もないのですが,もともとお酒を飲む習慣もなく人混みにも出ないので,どうやら,世の中が私の行動を模範としはじめたようです。以前より,旅に出るとき以外は,日ごろから,家でコーヒーでも飲みながら好きな音楽を聴くといった優雅な生活を楽しんでいるのですが,近ごろ,ふと思い出して,かねてから気になっていたベートーヴェンの弦楽四重奏曲を,改めて聴き込んでみることにしました。
 それがどうでしょう。こんなにこころに染みる洗練された音楽がほかにあっただろうか,と思うほどのめり込むことになりました。

 ベートーヴェンの残した弦楽四重奏曲は第1番から第16番までの16曲と,もともとは13番の最終楽章として書かれた大フーガがあって,それらは3つに分類されます。はじめの6曲は初期の作品で若々しく,洗練されておらず,次の5曲は傑作の森とよばれる時代に作られたきわめて完成度の高いもの,そして,晩年の6曲は誠に奥行きの深い作品です。
 私が好んで読む吉田秀和さんの著作にも,ベートーヴェンの弦楽四重奏曲に触れた文章はほどんどなく,また,それ以外にもすぐれた解説書が見当たりませんでしたが,折しも,雑誌「音楽の友」の2020年6月号が「ベートーヴェン弦楽四重奏曲全曲完全読本」と題して特集していたので,購入しました。
 この本の中で,後期の弦楽四重奏曲に対して
  ・・・・・・
 彼の最晩年の心象風景は,それまでとは打って変わって実に独特です。喝采よりも穏やかな同意を,拍手よりも温かい共感を,称賛よりも真の理解を求めているようです。大げさな命題は掲げず,その代わりにもっと親密な感覚で私たちを包んでくれるのです。
  ・・・・・・
とありました。

 私は,はじめて弦楽四重奏曲を聴いたとき,多くの愛好家が至高の作品とみなしている後期のものに最も惹かれましたが,後期の作品の多くは伝統的な4楽章ではなく,作曲した順に次第に楽章が増えて,第14番に至ってはなんと7楽章で構成されているのに驚きました。はじめは,何か精神的におかしくなったのではないかと思ったほどでした。しかし,それはベートーヴェンがたどり着いた果ての自由な精神性がそうさせたものだと知りました。第14番では,全曲がひとつの自由な幻想曲のように構成されていて,それは大量の推敲の果てにもたらされたといます。その構想の自由さこそが,これまでの形式を凌駕したのです。
 それにしても,第14番で自由を獲得したのち,次の,最後の第16番で再び4楽章の形式美にまいもどったことが謎をよぶのです。この曲には,有名な「そうあらねばならぬのか」(Muss es sein?),「そうあらねばならぬ」(Es muss sein!)というモチーフから曲が構成されているのですが,私には,古典的な形式の弦楽四重奏曲に回帰することで,自由を手に入れたベートーヴェンが今生の別れの儀式をしているようにも思えます。
 第16番の抒情的で穏やかな旋律の第3楽章は,そののちマーラーの「交響曲第3番」に影響を与えてよみがえりました。こうして,ベートーヴェンの弦楽四重奏曲はマーラーの交響曲に受け継がれて,いつまでも生き続けることになりました。私は,世の中が落ち着いたら,ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の良質の演奏会に出かけて,充実した精神の安らぎを味わいたいものだと,今からこころ待ちにしています。

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☆☆☆☆☆☆
 1月は夕方の西の空に土星,木星,水星が追いかけっこをしていましたが,1月の終わりには仲よく太陽の裏側に隠れてしまい,というより,実際は地球が動いたわけですが,今度は揃って明け方の東の空に見えるようになりました。
 2月23日に水星と土星が最接近するということでしたが,調べてみると,日の出1時間ほど前の低い空で,こんなものが見えるのかなあ,というのが正直な気持ちでした。ならば,実際に見てみるしかない,ということで,2月23日から午前5時30分過ぎに東の空を見ることにしました。
 ところが,雲が多く,なかなか見ることがかないません。しかも,すぐに空が明るくなってしまいます。2月24日はかろうじて土星が見つかりました。よく見るとその左に水星も見つかりました。しかし,その下に木星が昇ってくるはずなのに,曇っていて見ることができませんでした。

 そこで,翌2月25日。前日,土星と水星の位置がわかっていたので,この日ははじめからカメラを固定して木星が昇ってくるのを待ちました。
 次第に空が明るくなってきたのですが,思った以上に土星や水星は明るく,肉眼でもはっきり見ることができたのには感動しました。若干雲があったのですが,雲にさえぎられても星の光が見えました。そして,しばらくすると木星も肉眼で見えるようになりました。
 家に帰って確かめてみると,肉眼では確認できなかった昇ったばかりの木星が家の間に写っているのにはびっくりしました。条件さえよければ,こんなに高度が低くても1等星は写るのです。
 こんなことを確かめることも,星を見る醍醐味です。
 実は,私が狙っているのは,3月10日なのです。3月10日には,土星,木星,水星に月齢26.1の月が加わるのです。この日,3つの惑星を写したのは,その時の予行演習だったのです。

 今日の1番目の写真は2月25日午前5時45分,2番目の写真が午前5時39分,3番目の写真が午前5時50分に写したものです。そして,4番目の星図がこの日の2番目の写真と3番目の写真を写した時間のものです。また,この日の日の出は6時27分でした。
 3月10日の日の出は6時10分なので,2月25日より17分ほど早くなります。そこで,5番目に3月10日の午前5時22分と午前5時34分の星図を対比させてみました。これを見ると,天気さえよければ,3月10日は,十分に3つの惑星と月が並んだ姿を写せるということがわかったので,とても楽しみです。
  ・・
 何もないような毎日でも,実は,空の上にはこんな興味深い現象がいつも待ち受けているのです。また,それが見られるのか見られないのか,それを確認することも,それなりに楽しいことです。日常のささいなことに心配しているだけで,こうしたおもしろい現象を見ないで過ごすのは,もったいないというものです。

◇◇◇
Doctor Yellow.

2月24日,2月25日の両日,家の近くをドクターイエローが走りました。2日にかけて,いろいろな写真と動画を写そうと計画したのですが,すべてうまくいきました。すっかり満足したので,私はこれで「撮り鉄」は卒業です。

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 この季節,梅がきれいですが,時折冬が戻ってきて,あっという間に銀世界に舞いもどります。しかし,こうした日々を繰り返しながら,次第に春がやってきます。私は,この春を待ち焦がれる季節が好きです。
 梅の強さは,この後の季節の,いかにもか弱い桜と対比して,別の趣が感じられます。また,万葉集には梅の歌が約120首あるのに対して,桜は40首ほどで,万葉人がいかに梅を愛してたかということが伺われます。
 梅の原産地は中国で,日本へは弥生時代に朝鮮半島を経て入ったものと考えられているとか,遣唐使が日本に持ち込んだとかいわれています。
 万葉の時代には白梅のみで、紅梅が伝わるのはもう少し後のことです。

 730年(天平2年),大宰帥・大伴旅人の邸宅で「梅花の宴」が催されました。この宴会では,梅花を題材に32首の歌が詠まれました。
 「万葉集」に残るこの宴会での歌の序文に記された
  ・・・・・・
 初春令月 氣淑風和 梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香
 初春の令月にして,気淑く風和らぎ,梅は鏡前の粉を披き,蘭は珮後の香を薫らす
  ・・・・・・
が元号「令和」の典拠となっています。

 大伴旅人はこの宴で
  ・・・・・・
 和何則能尓
 宇米能波奈知流 比佐可多能
 阿米欲里由吉能 那何列久流加母
  ・
 わが園に 
 梅の花散る ひさかたの
 天より雪の 流れ来るかも
  ・
 私の庭に梅の花が散って来ている
 まるで空から雪が降って来ているようにきれいだ
   巻5・822
  ・・・・・・
と詠みました。
 満ち足りた正月の祝宴に詠んだ「落梅」の歌には,正月の祝宴の華やかさとは場違いな寂しさが漂います。
 当時,左大臣であった長屋王は,平城京北東の佐保の地に作宝楼という文化サロンを設けて季節ごとに詩歌の宴を開いていましたが,729年(天平元年)の長屋王の変で,「ひそかに国家を傾けようとしている」という密告によって,妻子とともに自死に追い込まれました。
 その翌年,長屋王をしのんだ「梅花の宴」において,大伴旅人は,天から梅の花が散る情景を詠ったこの歌で,長屋王への親愛と憐憫,そして無念の情を歌い上げたのではないかといわれています。

 大伴旅人の歌を受けて,大伴百代は
  ・・・・・・
 烏梅能波奈
 知良久波伊豆久 志可須我尓
 許能紀能夜麻尓 由企波布理都々
  ・
 梅の花
 散らくはいづくしかすがに
 この城の山に雪は降りつつ
  ・
 どこに梅の花が散っているのだろうと思って見渡すと
 近くの城の山に梅ならぬ雪が降っている
   巻5・823
  ・・・・・・
と詠いました。この歌は,大伴旅人の密かな想いを悟られないようにと無邪気さを装って,実際には梅は散っていなかった,あれは雪だったんだよと詠んだのかもしれません。


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ハワイDSC_4133DSC_3293DSC_3495DSC_3987sDSC_3756

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 2021年2月21日にTBS-BSで放送された「吉岡里帆 神秘のハワイ・宇宙と地球をつなぐ島」を見ました。この番組は,2019年1月18日のに放送された番組の再放送だそうです。
  ・・・・・・
 日本人の旅行先として人気の“常夏の島”ハワイ。今回の番組の舞台は,ハワイ諸島の最南端・ハワイ島。このハワイ島,実は,宇宙と地球の様々な謎に地上から迫ることができる,特別な場所なのです。最先端の望遠鏡が捉えた宇宙の姿,灼熱のマグマが見せる地球の鼓動。そして母なる海と生命の誕生物語-。世界各国の巨大望遠鏡が並ぶマウナケア山(4,205メートル)で,世界一の星空観測を体験! 噴火を続けるキラウエア火山で“生きている地球の姿”を感じる!
 女優・吉岡里帆がマウナケアやキラウエア火山など,ハワイ島を巡り,果てしない宇宙,そして生きている地球の謎に迫ります!
  ・・・・・・
という内容の番組でした。

 この番組がはじめて放送された2019年の1年前,ハワイ島のキラウエア火山は大規模な噴火を起こしました。私がはじめてハワイ島に行ったのが2016年でしたが,このときのキラウエア火山はあまり活動しておらず,ちょろちょろと立ち上る噴煙は,世界三大がっかりだと思ったほどでした。ところが,その2年後の惨事です。一寸先はわからぬものです。
 話は逸れますが,私がこれまでに訪れたところの,このキラウエア火山をはじめとした少なからぬ場所,つまり,フロリダ半島,ニューヨークの貿易センタービル,熊本城,阿蘇山,箱根山などなどが,なぜかその1,2年後に,ハリケーンの直撃,テロ,地震,噴火など,何がしかの災難に遭遇しているのです。偶然とはいえ申し訳ない限りなのですが,それは私の責任ではありません。

 さて,この番組では,まず,このキラウエア火山の様子を,吉岡里帆さんが,ヘリコプターに乗って空から,そしてまた,立ち入り禁止が解除された地区へと足を運び,リポートしました。ここで,なぜハワイで噴火が続くのか? という説明があったのですが,もともとハワイはこうした火山の噴火でできた島なので,この問いはおかしいのです。
 次に,マウナケア山頂にあるすばる望遠鏡を訪ね,望遠鏡に搭載されているHSC(Hyper Suprime Cam)という超広角カメラによる世界最高峰の技術でとらえた宇宙の姿に感動し,さらに,対壁のマウナロア山にある,ハワイ大学とNASAが共同運用する「火星での生活を模擬実験する施設」を体験します。
 その後は,世界屈指の天文博物館,といっていたけれど,私には期待はずれだったイミロア天文学センター」を訪れたり,ホナウナウ・ベイでシュノーケリングに挑戦したり,さらには,高速ボートに乗って「オリーブグリーン色のビーチ」へ行き,「宇宙とつながる神秘の絶景」という,そのビーチから絶景を見ながら,オリーブグリーン色の秘密と宇宙とのつながりを探るといった,盛りだくさんの内容が展開されました。
 私は,はじめのうちは期待外れで,途中で見るのをやめようと思ったのですが,もともと興味のあるすばる望遠鏡のあたりからおもしろくなって,最後まで見終えました。

 それにしても,この番組は,どんな人を視聴者として想定していたのでしょう? 吉岡里帆さんがどのくらい人気のある女優さんなのかは知りませんが,この人を起用することで視聴率をとろうという魂胆だったのかもしれません。しかし,吉岡里帆さんは,やらたと「すごい,すごい」と繰り返すだけで,少し荷が重そうでした。それでも,わけのわからぬお笑いタレントや,自称宇宙好きとかいうだけで知ったかぶりの質問をする俳優さんでなかったのはマシでしたけれど…。
 内容は,ハワイ観光好きの人を対象にしているとは思えなかったし,私のような,こうした自然が好きな人を対象としているには,内容が物足りないものでした。せっかく,個人旅行で行くことが難しいところへ出かけているのに,これでは少しもったいない気がしました。番組の制作者のレベルがその程度だったのでしょう。
  ・・
 蛇足ですが,建設されて早くも20年も経ったというすばる望遠鏡の紹介で,建物にあるエレベータが時折故障して止まるだとか,映像をよく見ると,望遠鏡の塗装が剥げていたり,何かをぶつけてへこんでいたりと,さすが? 日本の研究施設らしいチープな姿には,やはりここもなあ,とがっかりしました。
 私は,これまで,ハワイ島マウナケア山のすばる望遠鏡のお隣にあるケック望遠鏡,カリフォルニア州にあるパロマ山天文台とウィルソン山天文台,さらにはアリゾナ州にあるローウェル天文台など,多くの施設を見学しましたが,どこもきちんと整備されていて美しく,整理整頓されていました。それに比べて,それはまるで,きちんと線のかかれたアメリカの道路とペンキはげはげの日本の道路の違いのように,東京天文台の木曽観測所や三鷹の国立天文台の施設が塗装がはげたままのドームに修正テープむき出しの望遠鏡だったのと同様,どうして,この国の研究施設は,公立学校やお役所の建物みたいに,どこもかしこも,年月が経つとぼろぼろになってしまうのかな,といつもそのことを疑問に,かつ,残念に思います。


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●まさに地の果て,ハラワ湾●
 クミミビーチで日の出を見て,さらに東に向かって進んでいった。ここまで来るときに見つけた家は1軒であったが,こうした場所に住んでいるのに,何か驚きとともにうらやましさを感じた。
 やがて,海岸線に沿って道がなくなり,高台に向かって登り坂になった。道路が狭くなり,曲がりくねっていてカーブが続いたのだが,「地球の歩き方」に「車がすれ違えないほど狭い場所がある」と書かれてあったので気になったが,さほどのことはなかった。もっと狭く,路肩が崩れたような道が日本にはいくらでもある。
 日本の道路は,工事などしなくてもいいのにやたらと工事を繰り返したり,また,道路をいろんな色で塗りたぐったり,ポールを立てたり,蛍光板を光らせたりと,豪雨にでもなれば,それらが意味なく光り,危険極まりないような整備? をしているところがある反面で,センターラインすら消えかかっているのに,一向に引き直さなかったり,山の中では崩れたままになっているような道路が山ほどある。
 それに比べたら,ずっと整備されているし,意味のない看板もないから美しい。
 
 くねくね道を登っていくと,やがて丘の上まで来て,そこは,ククイの木がうっそうとするラニカウラ・ククイの森(Lanikaula Kukui Grave)があった。広い駐車スペースがあったので,一旦車を停めて外に出てみた。
 再び出発すると,マナエ・グッズ&グラインズ(Mana'e Good & Grinds)という小さなストアが1軒あって,早朝とはいえ,店は開いているようで,車が1台停まっていた。
 あとで思うに,このお店は食事もできるようだったので,ここで朝食をとればよかったのだが,なぜかこのとき,そんな心境にならず,写真の1枚すらないのが惜しまれる。私は,結構図々しく何でもチャレンジするのだが,突然,消極的になってしまう悪癖があって,後で後悔する。
 このあたり,何もない山の中のようで,実は,牧場があって,人が住んでいる。そして,この店がこの辺りにあるたった1軒のストアなのだった。
 
 マナエ・グッズ&グラインズを通り過ぎると,プウ・オ・ホク牧場(Puu O Hoku Ranch)があった。意外なことにここは平原が広がっていて,牧場と道路の境は有刺鉄線で囲われているにもかかわらず,突然,数頭の野生のシカが次々と道路に飛び出してきた。シカは有刺鉄線をものともせず隙間を器用に通り抜けたようだったが,こんなところでシカを轢いたらエライことになると思った。モロカイ島に野生のシカが生息しているのにも驚いた。
 牧場ではウシがのどかに牧草をほおばっていた。これが,昨晩食べたハンバーガーにあったモロカイ島産の肉なのだろう。

 やがて,牧場を越えると,道路は下り坂となり,車が1台しか通れない道幅となり,海に落ちていくような急坂を下ると,眼下にハラワ湾(Halawa Bay)が見えてきた。
 ハラワ湾のまわりはひとひとり見えなかった。調べてみると,かつては集落があって栄えたということだが,今はもう秘境以外の何モノでもない場所だった。道路もほとんど車が通った痕跡がなかった。
 遠くには滝が見え,不思議なことに,湾の向こうに民家が1軒あったのだが,そこに行く道がみつからなかった。ここは,まさに地の果てであった。こうだから,旅はやめられない。いくら多くの日本人がハワイに行くとしても,こんなところまで来た人が何人いたことだろうか。
 なぜかうれしくなって,私はしばらくの間,ハラワ湾を眺めていた。


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 今日は私がCSの「スーパー!ドラマTV」で見ているアメリカのテレビドラマを紹介しましょう。字幕付き英語版で見ています。

●「インスティンクト・異常犯罪捜査」(Instinct)
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 元CIAのスパイでゲイの大学教授兼作家であるディラン・ラインハート博士(Dr. Dylan Reinhart)とニューヨーク市警の女刑事エリザベス・ニーダム(Elizabeth "Lizzie" Needham)がコンビを組み,異常犯罪をスタイリッシュかつコミカルに捜査するさまを描くクライムドラマ。
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 このドラマはおもしろいです。現在第2シーズンですが,女性刑事に恋人ができて,性格が変わっていくのが興味深いです。しかし,このドラマも第2シーズンで打ち切りのようです。
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●「エレメンタリーホームズ&ワトソン in NY」(Elementary)
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 アーサー・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle)が生み出したキャラクターであるシャーロック・ホームズ(Sherlock Holmes)を主人公として,舞台をイギリスのロンドンから現代のアメリカ合衆国に置き換えて,現代のニューヨークを舞台にシャーロック・ホームズがワトソン女史と難事件に挑む犯罪捜査ミステリー。
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 現在放送しているのは最終シーズンです。私はこのドラマのおもしろさは今ひとつわからないのですが,なぜ人気なのか不思議です。ジョーン・ワトソン医師(Dr. John H. Watson)を女性のルーシー・リュー(Lucy Liu)が演じているのですが,はじめのころに比べて魅力がなくなってしまったのが私には残念です。
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●「ママさん刑事ローラ・ダイヤモンド」(The Mysteries of Laura)
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 ニューヨーク市警の殺人課に所属する刑事ローラ・ダイヤモンド(Detective Laura Diamond)は,事件解決に向けた捜査のため日々ニューヨークの街を駆け回る一方,やんちゃな双子の息子たちのシングルマザーとして奮闘している。離婚協議中で別居している夫もニューヨーク市警の警部補だが,自分勝手な性格で頼りにならない。
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 これもおもしろいです。第1シーズンは終わってしまいましたが,3月から第2シーズンが放送されるということなので楽しみにしてます。
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●「ビッグバン★セオリー・ギークなボクらの恋愛法則」(The Big Bang Theory)
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 ふたり合わせたIQが360という20代の仲良しオタクコンビ,レナード(Leonard Hofstadter)とシェルドン(Sheldon Cooper)はカリフォルニア工科大学の物理学者。頭脳は明晰で博士号を得るほど賢いが,どうも世間からズレていて,友人もみんな変わり者。ある日,そんなふたりの部屋の向かいにキュートなブロンドの独身美女が引っ越してきたことから始まるコメディ・ドラマ。
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 このドラマはアメリカに行ってテレビをつけるといつも放送されています。アメリカ人好みのソープオペラの流れを汲んでいるのでしょう。このドラマに出てくるメイム・ビアリク(Mayim Bialik)という女優さんはかつてNHKで放送された「ブロッサム」(Blossom)というドラマで主役を演じていたのですが,それが懐かしいです。
 私は,このドラマの理系的な会話には魅力を感じるのですが,下ネタが多いのが気に入らないです。これもアメリカ人には好みなのでしょうか?
 このドラマのすごいところは,月に立った宇宙飛行士のエドウィン・オルドリン(Edwin Eugene “Buzz” Aldrin)やスティーブン・ホーキング博士(Dr. Stephen William Hawking)など,数々の有名人が実際に出演したことでした。このドラマもまた,今回のシーズンで見終めです。
 ちなみに「ギーク」(geek)というのは,もともとは見世物でヘビやニワトリを食いちぎったり昆虫を呑み込んだりするパフォーマーのことを指していました。それが転じて日本語の「オタク」となり,インターネットの普及がはじまったときに,一般の人より先に「ギーク」たちがそれを使いこなしていたために「ギーク」たちが羨望の的となって以来,卓越した知識がある者を指す肯定的な言葉として市民権を得ました。
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●「SCORPION/スコーピオン」(Scorpion)
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 IQ197の頭脳を持つ天才,凄腕の行動心理学者,機械工学の天才,天才数学者の4人組とアメリカ合衆国国土安全保障省のベテラン捜査官,さらに,天才4人組の渉外係を引き受けたシングル・マザーで構成される天才集団チーム「スコーピオン」が,解決不可能に思える様々な難事件に,最新テクノロジーと頭脳を駆使して挑む最新犯罪捜査ミステリー。
  ・・・・・・
 現在第4シーズンですが,これもまた,このシーズンで終了です。天才集団で一般人の常識をもっていないという設定が「ビッグバン★セオリー」と似ていますが,私にはこちらのほうが好みです。
 毎回ハッピーエンドで終わるので,安心して手に汗握って楽しめます。
 「ギーク」に対して「ナード」(neard)という言葉があります。「ナード」は,もともとはドクター・スース(Theodor Seuss "Ted" Geisel)という絵本作家の「If I Ran the Zoo」に登場する怪物の名前で,「ドリップ」(drip=面白くないやつ),「スクエア」(square=くそまじめなやつ)を意味するスラングでした。現在,「ナード」は「ギーク」と同じく,頭がいいが社交を苦手とする者を意味しますが,「ギーク」が社交の適性があるのに対して「ナード」は見た目が変わっていて行動が予想外でコンピューターやSF以外については話ができない者を指します。このスコーピオンに出てくる天才集団はまさにこの「ナード」です。
  ・・
●「TAKE TWO/相棒は名探偵」(Take Two)
  ・・・・・・
 俳優の婚約者に恥ずかしいフラれ方をされた上に,長年続けていたドラマまで打ち切られどん底になった女優サマンサ・サム・スウィフトに,私立探偵役で映画への出演のチャンスが巡ってきた。実際の私立探偵であるエディに,役作りのための実地体験をさせるよう依頼,凄腕私立探偵とタッグを組んで様々な事件を解決する。
  ・・・・・・
 3月からはじまる新シーズンを楽しみにしています。

 アメリカのドラマは英語の勉強にもなるので,昔から見ていたのですが,暴力シーンがやたらと多いものばかりなのが欠点です。その中でも比較的そうしたシーンのないドラマを探してみていますが,日本のドラマのように「ながら見」しているとわけがわからなくなるのが長所というか欠点というか。
 いずれにしても,アメリカ人は犯罪モノや弁護士モノ,そして,政治モノが好きなんだなあと思います。こういう国で生きるは大変です。

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ISS.

野口聡一さんを乗せた国際宇宙ステーションが,連日,明け方の空に見えますが,2月21日の早朝にも写しました。とても明るく見えました。

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IMG_8173 天国と地獄 nijikaru_title1 知ってるワイフ ドリームチーム

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 「エール」と「麒麟がくる」が終わり,ロスになった私は,はじまったドラマを片っ端から見て,気に入ったものだけを見続けることにしました。私が気に入るドラマというのは,とにかくおもしろいこと,そして,いじめだのいびりだのという要素のないもの,深刻でないもの,そして,ワクワクするものです。とはいっても,軽すぎてはいけません。また,世間の評判や視聴率は気にしません。
 ということで,好みが結構うるさいのですが,そんななかで,気に入ったものを紹介します。
 今日はまず,国内のものから。

●「天国と地獄~サイコな2人~」
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 ドン詰まりな女性刑事とサイコパスな殺人鬼の魂が入れ替わる⁈
 人生が逆転した2人の愛と運命が交錯する,究極の入れ替わりエンターテインメント。
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ということですが,綾瀬はるかさんと高橋一生さんの演技が見ものです。見はじめると,最初から最後までワクワクしどうしで,時間が経つのを忘れるドラマです。
 ドラマの展開はだんだんとぐっちゃぐちゃになってきていて,どう決着がつくのか予想ができません。今後がとても楽しみです。
  ・・
●「にじいろカルテ」
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 秘密を抱えた“ポンコツ女ドクター”は山奥の怪しい“ぽつんと診療所”へ。ヘンテコな外科医&看護師とまさかのひとつ屋根の下でシェアハウス!? 手術をしたら終わり? そうじゃない。
 全然スーパードクターじゃない3人の笑って泣けるチーム医療ドラマ!
  ・・・・・・
 さすが朝ドラ「ひよっこ」の脚本家である岡田惠和さんが書くと,こういうほっこりドラマとなります。見終わってすがすがしくなるので,元気が出ていいです。今後,高畑充希さん演じる主人公“ポンコツ女ドクター”の病気が気がかりです。ハッピーエンドを期待します。私は暗いのは嫌いです。
  ・・
●「知ってるワイフ」
 韓国で放送されたテレビドラマの日本版だそうですが,私は韓国ドラマは見ないので,内容はまったく知りません。
  ・・・・・・
 結婚を後悔した恐妻家の男性が,ある日突然車で過去に戻り妻を取り替えてしまおうと目論む中で,「自分にとって大切な人とは」「誰かと人生を生きていくとはどういうことか」という夫婦の普遍的なテーマを描く。
  ・・・・・・・
ということですが,家で奥さんと一緒に見ている旦那さんがみんな気まずくなっているという話です。
 それにしても,恐妻家の男性さん,本当にバカですし,生きるのが下手すぎます。まったく共感できません。こういう無能男がもし身近にいたら私は腹立ってくることでしょう。それだけならドラマの役の上だから問題ないのですが,その役を演じる大倉忠義さんが下手すぎます。これではまるで学芸会です。もっと上手な人が演じていれば,また,ドラマの印象も変わったことでしょう。
  ・・
●「ドリームチーム」
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 ステキ主婦からふびんな妻へ転落した主人公の39歳・香菜,突然の左遷と彼の浮気発覚に沈む51歳・優子,“盛った”ことがばれてSNSが大炎上した27歳・茜。
 彼女たちの共通点は,高校時代バスケットボール部のキャプテンとして青春をかけたということ! ドン底にいる彼女たちの背中を後押しするのはバスケットボール部の恩師の言葉「最後まで攻めろ!」。逆境を乗り越え,一度はつまずいても新たな人生へと一歩踏み出していくすがすがしい姿を描く物語。
  ・・・・・・
 これは,いかにもNHK名古屋制作らしい安っぽくて垢抜けしないドラマです。朝ドラと大河ドラマ以外のNHKのドラマに多くを期待してはいけません。ニコンの販売する大衆向けのOEMカメラと同じです。そもそも私は体育会系というのが嫌いですが,私の地元の町でロケをしているので,それを見るのがこのドラマの楽しみです。
 それにしても,このドラマは「知ってるワイフ」の反対で,山口紗弥加さんが演じるパワハラ夫を足蹴にできない弱い妻が,見ていて情けないです。あっ,そうか。そんな男の本性も見抜けないでブランドにつられて結婚したことがそもそもの間違いだ,という教訓でしょうか? それなら自業自得ってやつです。

 ということで,洪水のごとく作られるドラマで,その存在を光らせるのに苦労しているなあ,と思ってしまいます。作る側もたいへんですが,その多くはアニメの焼き直し。安直なんです。また,それを見て,ネット上でああだこうだと批評している人も,私は暇だなあと思います。そうか,このブログも同じか。
 ともかく,所詮,テレビは娯楽。本音は視聴率がほしいだけなのに,勝手に大騒ぎをして,見たくもない情報番組を視聴者に押しつけて社会的使命と正義を担っているつもりよりもずっとマシ。テレビなど楽しく暇つぶしができれば,私にはそれで十分です。
 お願いだから,L字テロップやQRコードなんてドラマにかぶせないでね,NHKさん。

◇◇◇
ISS.

野口聡一さんを乗せた国際宇宙ステーションが,連日,明け方の空に見えます。実際に見るととても感動します。
動画に挑戦したり,広角レンズで写したりしていますが,なかなかカメラに収めるのは難しいものです。上の写真が2月19日の早朝,下の写真が2月20日の早朝です。

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●モロカイ島の人のいないビーチ●
 モロカイ島にあるビーチは,この日私が走っている島の南東海岸にあるワンアリイビーチ(One Alii Beach),プコオビーチ(Pukoo Beach),クミミビーチ(Kumimi Beach),東の果てのハラワビーチ,そして,次の日に行く予定をしている島の西海岸のポハクマウリウリビーチ(Pohaku Mauliuli Beach),パホハクビーチ(Papohaku Beach),カプカヘフビーチ(Kapukahehu Beach)くらいのものである。
 モロカイ島にあるビーチをオアフ島のワイキキビーチと比べてはいけない。ここにあるのは砂浜だけで,売店すらない。ピクニックテーブルやトイレ,シャワーという設備があるビーチも存在するが,そもそも,だれも泳いでいないしさびれている。考えようでは,イスを持ってきて,砂浜に陣取ってボーッと海を眺めれば,太平洋のど真ん中で広々とした美しいビーチを「世界は私だけのもの」と独り占めすることができるから,これ以上の贅沢はない。
 しかし,そんな姿を見慣れてしまうと,日本のゴミだらけで汚い,そして,人があふれているビーチなど,まったく興味がなくなってくるのもまた,当然のことであろう。

 私は,途中どこへも寄らず,まずは東端の先端まで行こうと走っていたが,ちょうど日の出と重なったので,海から昇る日の出を見ようと,車を停める場所を探した。幸い,広い空き地があったので車を停めると,運よくちょうど太陽が昇るところであった。
 オアフ島のことはあまり知らないが,ハワイ島では,東海岸にあるヒロの郊外に出ると海から昇る朝日が見られる。マウイ島では,東の海岸はどこも断崖絶壁でたとりつくのが難しいから,ハレアカラ山の山頂からの朝日をみることになる。カウアイ島では東海岸は開けているから朝日を見る場所が少なくないが,天気がいまひとつだったので,私は見た記憶がない。
 ハワイではどの島も夕日が沈むのを見ることができる場所は多く,どこでも美しい夕焼けが見られるが,日の出が海から昇るのを見られる場所は意外とないものだ。
 一般に,日の出というのは,太陽が地平線や水平線から出てくる瞬間こそ神々しいのだが,それ以外はとくに美しいこともないと思う。それでも,雲ひとつないよりも,むしろ適当に雲があって,日が昇る前に太陽の光が雲に反射して赤く染まるほうが魅力がある。
 
 このとき,私が知らずに車をとめたところはクミミビーチであった。ここはヤシの木に囲まれた白砂のビーチで,スノーケリングポイントとして有名ということだったが,当然,こんな時間には私以外に人はだれもいなかった。幸いなことに,適度に雲があって,すばらしい夜明けを独り占めすることができた。

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The Lunar X.

「月面X」はクレーターの凹凸の光と影により月面にXの文字が浮かびあがる現象です。

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●わずか1年前のことだったのに●
☆2日目 2020年2月21日(金)
 数年前までは,海外旅行に出かけると,時差ボケがきつかった。特に,東の方向に行くときは,到着して2,3日は,夜寝られずに困った。しかし,このごろは,日本にいても,睡眠時間が少なくなったし,海外に出かけても,機内でだらだらと過ごすとそのまま時差ボケもなく過ごせるようになった。しかも,異常な早起きは,日本にいても,海外に出かけても同じである。
 そこで,2日目の朝も,午前4時前には目覚めた。まだ夜が明けていなかったので,再び,庭に出て,星空を写すことにした。 さそり座は夏の星座であるが,この時期,明け方の空には夏の星座が輝いている。さそり座からいて座にかけての銀河は写し甲斐がある。それでも,ハワイは北半球だから物足りないが,これが赤道を越えると,魅惑の南半球の星空が広がるわけだ。再びその姿を見ることができる日が来るのだろうか?

 やがて夜が明け, モロカイ島2日目の朝が来た。
 今回の旅はわずか2泊3日だから,実質,2日目と3日目,2日間の観光となる。
 東西に長細い右を向いたアユのような形をしたモロカイ島は,中央の南の部分が若干の平地となっていて,そこに島唯一の町カウナカカイ(Kaunakakai)がある。私の泊っていたコンドミニアムはカウナカカイ近くの南の海岸にあるから,2日目のこの日は島の東側,3日目の次の日は島の西側を巡ることにした。
 東に向かって南の海岸線を走っていく。東の先端まで道が伸びていて,先端近くの海岸がクミミビーチ(Kumimi Beach),そこから島の東の端までは山を登っていって,北東の果てにハラワ渓谷(Halawa Valley)がある。まだ夜は明けきっていなくて,白んだ空を右手に海岸線を望み,片側1車線の道路を走っていくが,車は走っていなくて,たった1台すれ違ったのはこの辺りに住む人のピックアップトラックだけであった。こんなところに住んでいて,何をするのだろうと思った。生まれたらここに住んでいた,というのはどんな気持ちだろう。でも,なんだか私は憧れる。

 コンドミニアムから20マイル,約32キロメートルほど走ったころ,先ほど表現した右を向いたアユでいえばエラのあたりで夜明けになった。太陽が昇りきる前に,どこかに車を停めて写真を撮ろうと思った。なかなか場所が見つからなかったが,なんとか海を眺められる駐車スペースがあったので,車を停めた。幸運にも,今まさに太陽が海から昇るところであった。


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 「ニコニコ大百科」によると,「撮り鉄」(とりてつ)とは
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 「鉄道ファン」の中でも、とりわけ列車の写真撮影行為を趣味とする層の総称である。
 文字通り,鉄道の思い出を写真・画像・動画などとして残しておこうとする層で,鉄道車両を中心に,駅構内や線路沿いの風景など鉄道に関する風景を撮影するのがその活動内容。駅構内でカメラや携帯端末などの画像記録機器を構えている人がいたら,たいていその属性保持者だと認識して差し支えない。
 また,「撮り鉄」の場合は,駅間の線路脇,人里離れた山奥・海辺や雪山から線路が見通せる場所など,一般人はまず行くことのないような場所にも赴いて,鉄道の勇姿を写真に留めようとしている者も多い。誰でも見られる駅構内からの眺め(≒「駅撮り」)と異なり,鉄道を他の地域の風景と絡めて捉えたこれらの画像は,鉄道ファンにとって後世の貴重な資料となりうるため,実際に足を運んだ人の撮影品は重宝される。
 こうして鉄道の魅力を写真に捉え,他者が撮った写真と共にその趣や技巧を楽しむのが(本来の)「撮り鉄」である。
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とあります。

 私は決して「撮り鉄」ではない,と思っていましたし,今もそう思っています。
 それよりも,私は暇なのです。これまでは,暇があれば海外旅行をしていました。また,ふと思い立って,日本国内のいろんなところへも足を運びました。これまでさんざんいろんなところに行ったので,もう,この先,行きたいと思うような場所もなくなっていました。それに輪をかけて,このご時世,どこへも行く気がなくなりました。さらに,気晴らしで,お店に立ち寄ろうと思っても,やれ〇〇せよ,だの,体温測れ,だのと書いてあれば,まったく楽しくありません。それでは気晴らしにもなりません。欲しいモノはネットで買えるし,コーヒーなら家で飲めます。ということで,このごろは,人のいない早朝と夜に近くを散歩するのが唯一の楽しみと化してしまいました。手持無沙汰なので,カメラを持って歩いていると,自然と,家の近くを通る新幹線が被写体となってきました。
 私は,これまで,新幹線なぞ,まったく興味はありませんでした。あるとすれば,何とかいう寝台特急に偶然乗ったとか,その程度でしたが,それをわざわざ写真に収めるとかいうこともしませんでした。むしろ,よく線路の近くでカメラを構えている人を見ると,モノ好きな御仁だなあ,と半ば軽蔑気味に思うほどでした。

 それがどうでしょう。せっかく近くに新幹線が見られるのだから,と少し調べてみると「ドクターイエロー」とか,「最新型の新幹線N700S」だとか,いろいろ書かれていて,なんだかおもしろくなってきました。「ドクターイエロー」だって,これまで,見るともなく何度も偶然見かけましたけれど,実際に写真に収めようと思うと,それはそれで運行する時間も定かでないらしく,それを推測するだけでも奥が深いのだそうです。また,「最新型の新幹線N700S」は,以前,鉄道マニアの藤井聡太二冠が乗ってみたいというインタビューを聞いてその存在を知ったことはあれど,それが「ふつうの」(この「ふつうの」というものが「N700A」のことを指すことすら私には認識がなかったのですが)新幹線とどう違うのかということも知りませんでした。3月13日からは公表するそうですが,現在はこの「最新型の新幹線N700S」がいつ走っているかも問い合わせなければわからないということで,それを見ることができる時刻表を,毎日問い合わせてブログにあげている人がいることも知りました。
 という次第で,一旦興味をもってしまえばやり遂げないと気がすまない私は,ここ2日で,瞬く間に「ドクターイエロー」と「最新型の新幹線N700S」を適当にカメラに収めるのに成功したというわけです。
  ・・
 私は,いわゆる「撮り鉄」になってしまったのでしょうか?
 しかし,こんなことなら,これまで年に30回近くも乗っていた旅客機だって,もっと真剣にカメラに収めるんだった,とか,いろいろ後悔するようにさえなってしまったではありませんか。これは私には危険な前兆です。いやいや,今更,私は,多くの「撮り鉄」の人のように,日本中を歩き,多くの興味ある鉄道を上手に凝って写真に収めるような気持ちはありません。そういったことは鉄道写真家の中井精也さんにお任せして,私は,これまでどおり,散歩のついでに気晴らしに写真を写すだけの楽しみとしておきましょう。それこそが,万事適当でいい加減を旨とする「不良老人道」というものでしょう。もう飽きちゃったし。


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 忙しかったころはそんな余裕もなかったので気づきもしなかったのですが,今になって実感するのは,できる限りものは持たないことが最も幸せだということです。持っていていいのは知識と何かができる自分の腕だけです。
 そこで,その考えからすると,家を持つということが不幸のはじまりだといえます。家を持つというのは「根付く」ということです。根を張ってしまえば,自由に生きることからどんどん遠ざかってしまいます。つまり,「根付く」というのが,不幸のはじまりの第一歩です。
 人はこころで生きていて,そのために最も大切なのは物質的にも精神的にも自由であるということです。束縛されないということです。であれば,持ち家に住む,というのが最も理屈にあわないことだということがわかるでしょう。
 もし,大金持ちだったら,ホテル住まいが理想です。光熱費も不要,掃除も不要,嫌になったらさっさと移動もできます。朝食が無料の場合もあります。少ないとはいえ,必要不可欠な持ちものはあるでしょうが,そうしたものはコンテナでも借りればいいのです。私はずっとそう思っていたのですが,ホテル住まいをするほどのお金が未だないのが残念な限りです。
  ・・
 それにしても,この国には空き家がやたらと目につきます。
 たとえば,結婚して,ふたり暮らしのときは賃貸住宅でよくても,子供ができれば,新たな部屋も必要になるということで,借金までして,家を手に入れます。しかし,子供が少し成長して自分の部屋を持ち,そして,独立するまでは,わずか十数年のことです。やがて,親が50歳になるころには,子供は独立して,子供部屋は空き部屋となり,物置と化します。そのころには,新築だった家もガタがきて,リフォームが必要になります。こうした家がそこら中にあります。
 さらに,数十年もすると,今度は,年老いて,作ったときには凝りに凝って玄関に入るまでに階段を作ったりしてあれば,足腰が弱って自分の家なのに入ることすらできなくなります。そのうちに老人ホームに入ったりして,空き家となるのです。
 
 現職のころ,会社勤めをしていれば賃貸住宅なら住居手当も出るかもしれませんが,家を買えば,固定資産税もバカにならず,また,煩わしいご近所づきあいもあるし,壊れるたびに自分のお金で修繕も必要だし,持ち家は賃貸住宅よりお金がかかるのです。賃貸より持ち家といった情報を盛んに流すのは住宅会社が家を売りたいからというのが理由なだけです。さらに,本来は,子供がふたりいても子供部屋が確保できるような賃貸住宅があればいいのですが,日本にはそうした間取りのものがほとんどないことで持ち家志向を煽ります。
 また,持ち家を手に入れても,子供が巣立ったら小さな老人向けの家に住み変えていくというような中古住宅の売買が多くあるアメリカのようなシステムになっていればいいのですが,日本では新築住宅を売りたいだけなので,古くなれば家に価値もなくなり,そういった市場がほとんどありません。
 しかも,住みたいなあ,ここなら一生暮らしたいなあ,と思えるような場所すら,日本にはまったくありません。少しでも隙間があれば無理やり宅地開発をして,広い土地があってもそれを小さく切り刻んで狭い1軒家をたくさん立てて分譲するものだから,土地なんてあってないようなものなので,持ち家とはいえ,将来売ろうと思っても買い手すらつきません。売れない持ち家なら財産にもなりません。その上,地震などの自然災害でも起きて家が崩れれば,負債だけが残り,目も開けられません。
 また,親が遺産としてマンションでも残せば,よほど条件がよい場合でなければ買い手もつかないから手放せず,ずっと固定資産税と管理費だけを払い続けなければならないんて,そんなもの負債であって財産ではありません。
 このように,この国では「ふつうに」生きることすら,本当に難しいのです。貴重な人生,家1軒手に入れるためだけに巨額の借金をして働き続けるなんてバカげています。結局,そんな家ならはじめから手に入れないほうがいいのです。


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 「シカゴ」(Chicago)は,作詞家のフレッド・エッブ(Fred Ebb),および,振付師のボブ・フォッシー(Bob Fosse)の脚本によるミュージカルです。ミュージカル好きの人で,ボブ・フォッシーを知らない人はいないことでしょう。
 ミュージカル「シカゴ」は,禁酒法時代のイリノイ州シカゴを舞台に,記者のモウリン・ダラス・ワトキンス(Maurine Dallas Watkins)が調査した実際の犯罪および犯罪者を題材にした演劇「シカゴ」を基にして,刑事司法陣営の政治腐敗の風刺,および,著名な犯罪者の概念について描かれたもので,1975年にブロードウエイで初演されました。
 その後,ブロードウエイでは7,300回以上を上演し,ミュージカル作品では最長,ブロードウエイ史上アメリカのミュージカルで最長となりました。
 
 2013年,久しぶりにニューヨークへ行った私は,ブロードウェイで,この「シカゴ」を見ました。
 「シカゴ」といえば,テレビドラマ「ドクターX」で「失敗しない医師」を演じている米倉涼子さんが主役のロキシー・ハート役を仕留めたミュージカルということで,日本でも有名になりました。私は,最近は「ドクターX」のファンになりましたが,このミュージカルを見たときは,「ドクターX」などまったく知りませんでしたし,米倉涼子さんにもほとんど興味がありませんでした。どうせ,日本公演をやるのから,そのための観客動員策なのだろうと冷めた思いでニュースを聞いたくらいのものです。さらに,口の悪い人たちは,メインキャストがバカンスをとって不在となる7月のオフシーズンに立てる代役だろう,とさえ書いています。その信憑性は知りませんが,そうであろうとなかろうと,ブロードウェイのステージに立つというのは並みのことではありません。

 さて,私がブロードウェイで「シカゴ」を見た動機は,まったく大したことではなく,すでに書いたように,40年ほどまえに見たっきりのブロードウェイのミュージカルを,今度は自分でチケットを買って見てみたかったということだけで,どんなニュージカルでもよかったのです。いわば,ブロードウェイというところに興味があっただけのことでした。しかし,インターネットでチケットを購入しようと調べてみて,愕然としました。とにかく,チケットがものすごく高価なのです。さらに,ストーリーを知らないものや難解なものは御免でした。そこで,これならわかるだろうということで「シカゴ」に絞り,もっとも安価な最上段のシートのチケットを購入したわけです。
 ブロードウェイの劇場はさほど大きくなく,最上段の席でも十分に楽しめました。「シカゴ」は特に深い内容があるわけでもないのですが,いかにもブロードウェイといった感じの音楽とダンスで定評のあるミュージカルだけにとてもおもしろいものでした。しかし,それよりも,私が最も記憶に残っているのは,まったく興味もないのに奥さんに連れられてやって来たであろうと思われる日本人観光客の初老の男性が,ずっとつまらなそうに寝ていたことや,時折目覚めたときに,英語での注意事項がわからず,公演中に写真を撮ろうとして注意されていたことだったのです。
 日本では会社で偉そうにしていただろうオジサマたちは,まさに「内弁慶」。日本政府と同じです。海外に出ると,何もできず,何も知らず,団体ツアーの後ろにくっついて,まわりを警戒しながら,いかにもという服装でうろうろとしている姿をよく見かけます。




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●思った以上に星がきれいだった。●
 コンドミニアムの広い庭の向こうは砂浜なのだが,ここは泳ぐところではないらしい。ホテルの庭と砂浜には段差があったが,砂浜に出られないこともなかった。
 ところで,この旅は2020年の2月に行ったから,今から1年ほど前のことであった。その後,2020年7月にネオワイズ彗星見たさに北海道に行ったことはすでにブログに書いたが,このとき宿泊をしたのは留萌であった。星を見ることだけが目的だったが,街灯があったり,駐車場が閉鎖されていたり,山が迫っていたりと,思ったほど星がみられる場所がなく,私は適当な場所を探してさまようことになった。そして,何とか見つけたのが海岸であった。しかし,砂浜というのは,当然ながら,カメラを設置するのに最もふさわしくないところであった。
 
 話をもとに戻す。
 北海道とは逆に,私がモロカイ島に行ったのは星を見ることが目的ではなかったが,モロカイ島は思った以上にド田舎だったので,星がきれいに見えるだろうと到着早々から期待した。しかし,ここもまた,街灯が星の光を消してしまっていた。それでも,コンドミニアムの広い庭には死角があって,その場所なら,なんとか街灯を遮って星の写真を写すことができそうだった。先に書いたように,海岸に出ればもっと暗くなるのだが,砂浜では三脚が沈んでしまって写真が写せないし,何せ,暗くて危険だ。そこで,砂浜に出る手前の庭の端っこあたりで我慢することにした。

 旅行に出かけるときに,ひょっとしたら星が見られるかなと密かに期待して,ちょっとした機材を余分に持っていくことがある。私は大げさなことがきらいなので,大きな望遠鏡を持って行ったり別便で送るということはしないししたくない。そもそも,旅は身軽だからよいのである。いや,それは旅に限らない。とりわけ,旅は極力モノを持ちたくない。だから,1週間程度の旅行で持っていくのは,2泊3日用として売られているような,機内に持ち込めるほどの小さなキャリーバッグだけであるのだが,その中に,小型でかつ頑丈な三脚と携帯赤道儀を忍ばせるのだ。携帯赤道儀というのは2,3分程度星が追尾できるほどの簡易なものでいい。そして,手持ちのバックパックに魚眼レンズとズームレンズを付けた小型カメラを入れるわけだ。
 これだけのものでも,あるのとないのとではえらく違うのである。
 このごろはスマホの影響でカメラが売れなくなったので,カメラ会社は生き残りをかけて,高性能で収益性の高い製品にシフトしている。で,私が使いたいようなカメラが,さらになくなってしまった。カメラとレンズで1キログラムを超えるようなものは使いたくないし,旅に持っていく気もしない。そもそも,カメラとレンズで50万円ほどもするものを持って旅をする気には到底ならない。それは,1万円札を50枚カバンに入れていつも持ち歩いている状態を考えてみればすぐにわかる。
 そんなわけで,この旅でも最低限の機材を持ってきただけだったが,これがずいぶんと役に立った。


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DSC_6136ssDSC_7613sF_Catalog(2)ミランダシーンモード

 以前ブログに書いたことのある雑誌「アサヒカメラ」の1975年5月号を改めて読んでみて,私は大変驚きました。それは,雑誌に掲載されていたものすごい数のカメラ会社の広告です。そして,そのほとんどが,今見ても欲しいと思う製品ばかりなのです。
 いつから,カメラにまったく魅力がなくなってしまったのでしょう? そしてまた,私が久々に購入した「アサヒカメラ」の最終号にはほとんど読みたい記事がないのに比べて,なんと,魅力に満ち満ちた記事が並んでいたことでしょうか。

 カメラの将来が危ういという意見がもありますが,スマホでは撮ることができない被写体は山ほどあるから,カメラがなくなるとは思えません。先日,ホタルを撮りに行ったときも,スマホでは写らない,とぼやいていた人が少なからずいたし,私が写した天体写真も,スマホじゃないよねえ,という人が結構いる,つまり,そうしたスマホでは撮れない被写体を写したいという人が少なくないのです。
 であるのに,カメラがまったく売れないのはどうしてでしょう。それはおそらく,カメラメーカーがそんなニーズに応える製品を出していないからなのでしょう。こんなことでは,本当に冗談でなく,プロのカメラマンや趣味として大金をカメラメーカーに貢いでいるアマチュアカメラマンでない人たちが,気軽に使えるカメラは,この世の中から消え去ってしまうかもしれません。
 簡単にいうと,一般の人には使いにくすぎるのです。

 一般の人が簡単にカメラが使えるようにと考えられているものにシーンモードがあります。シーンモードは,被写体やシーンに合わせてモードを選択するだけで,それに適した露出設定が自動で行われる機能です。初心者向きの撮影モードで,複雑な設定をしなくても被写体に合わせて最適な撮影ができるというものですが,多くの場合,撮影者が任意で絞りやシャッター速度,露出補正,ホワイトバランスなどの設定を個々に変更することができないという欠点があります。
 モードの種類はメーカーや機種によって異なっていますが,主なモードに「風景」「ポートレート」「スポーツ」「クローズアップ」「夜景ポートレート」などがあります。たとえば「風景」モードは,ピントの合う範囲が広く,緑や青の発色が鮮やかに,さらに遠くの景色を撮ることを前提とし,フラッシュは発光しないという設定だそうです。また,「ポートレート」モードは,絞り開放でぼかしやすく,ぶれないようにシャッター速度は速め,肌をきれに見せるため露出はやや明るく,少し赤みの強い発色になるそうです。また,「夜景ポートレート」モードはフラッシュを発光させた上で,シャッター速度を遅くして露光時間を延ばし,人物だけでなく背景の夜景も明るく写るというものだそうです。
 いわば,お任せ定食です。

 しかし,私のように,少しだけカメラの知識があると,これではむやむやします。それぞれのモードが実際にどういう設定を自動化しているのか知りたいし,知らないと,お任せする気にならないからです。つまり,つべこべ言わずに任せりゃいいという,上から目線を感じるわけです。あるいは,細かい設定はカメラメーカーの秘密だよ,という大人の事情なのかもしれません。
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 そんなわけで,私はこれまでシーンモードは無視してきました。しかし,前回書いたように,夜明けの空や鳥の飛ぶのをなかなかうまく写せないなあ,どうしたらいいのかなあとカメラの説明書を読んでいて,このシーンモードに興味をもちました。さらに,今どきのカメラには,シーンモードに限らず,それ以外にも多くの機能が搭載されていることをいまさらながら知りました。しかし,そのほとんどはまったく使っていなかったわけです。
 カタログには,〇〇ができる,〇〇ができる,と多くの機能がうたわれていますが,いざ,製品を購入すると,小さな字で書かれた簡単な説明書があるだけで,カタログにうたわれている機能をどう実現すればいいのかさっぱりわかりません。写真集やら豪華なパンフレットにも,そうした機能を使ってプロが上手に写した写真だけが並んでいるだけで,どうすれば同じように写せるのか見当がつきません。
 どうやら,カメラが売れない原因はそこにあるような気がします。多くの人はせっかく買っても使いこなせないから飽きてしまうのです。しかし,暇で,かつ,新たなものを買う気のまったく失せた私は,今持っているものの性能を十分に生かすために,今更ながら,こうした機能をひとつずつ覚えてみたいものだと,意欲がわいてきました。


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 私は,土日祝日はまず外出しません。それは自粛とは関係ありません。人混みがきらいなだけです。平日でも私が行動するのは,買い物をする以外は人のいない時間,つまり,夜明け前と日没後ですが,この時間に散歩をするのは,とても快適です。特に,夜明け前は最高です。
 このごろは日の出が午前6時50分ごろです。そこで,午前5時過ぎに起床して,食事をとり,準備をして,午前6時20分過ぎに家を出て,約1時間ほど,散歩をするのが日課になってきました。私は犬を飼っていないので,犬を散歩に連れていくということはないのですが,その代わりにカメラを持参します。小さな一眼レフに高倍率のズームレンズをつけています。画像がどうのとかそういったこだわりはないので,というより,そんな腕はないので,写せばそれで自己満足の世界に浸ることができます。こころがほっこり休まる写真を写すことができればそれで幸せです。
 そんなわけで,今日は,散歩のお供に連れていくカメラ,ではなく,カメラで写す写真のお話です。

 この国では,お昼間にカメラをお供に散歩しても,京都やら奈良のように,撮り甲斐のある被写体がある場所ならともかく,写すものがありません。海外旅行をしたときに,絶えず写したいものに出会うのとは格段の違いです。私はずっとそう思っていました。以前は,お昼間にカメラを持参して散歩をしていたこともあるのですが,何も写さずに帰ることばかりでした。
 しかし,日の出のころなら,写したいと思う対象がいくらでも「出現する」ことを知りました。まさに「出現する」のです。それは,暗いからです。欲しくない情報は隠すに限るのです。そうすると,単なる草花であっても,それなりに絵になることがわかりました。さらに,地上に姿を現したばかりの太陽の光を味方にすると,自分のイメージ以上の写真にすることさえできるのです。これには驚きました。

 しかし,難しいのはカメラの使い方です。
 まず,太陽の光を入れるときはその露出が問題となります。私は,子供のころから一眼レフカメラを使っていたので,その仕組みはそれなりにわかりますが,昔は,オートフォーカスもなかったし,TTLと言って,適正露出を測る露出計こそついていましたが,シャッタースピードか絞りを設定すると,それに見合った絞りやシャッタースピードになるというだけだったので,手動で補正することも簡単でした。それが,現代のカメラは賢こすぎて,カメラが自分で何とかしようとしてしまい,ピントは合わせてしまうし,露出も合わせてしまいます。普通の写真を写すのならこれで十分なのですが,それを補正しようとすると,逆に面倒なのです。
 また,鳥を写そうとするときはピントが問題となります。ピントもまた,手動で合わせるほうがむしろ簡単で,カメラに任せると,何か別のものにピントを合わせようと,自分の予期せぬ動きをしてしまったり,シャッターチャンスを逃してしまうのです。
 いつも失敗して,帰宅して写した写真をチェックしてはがっかりしています。そして,毎度毎度,説明書を眺めながら設定を変更することになっていまいます。こんなことなら,昔のように,すべてマニュアルで操作するほうがずっと楽だし正確ではないかと思ってしまいます。
  ・・
 最後にカメラのお話を少しだけ。そんなわけで,私にはオートなど不要だから,すべてマニュアル操作だけで,フィルムがディジタル画像素子に代わっただけのカメラ -高価なライカならあるのですが- たとえば,ニコンFM-D(仮称)が欲しいと思ったりしています。


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 以前,囲碁は足し算で,将棋は掛け算ときいたことがあります。確かに,囲碁は1手1手の積み重ねがポイントとなり,将棋は1手ばったりで詰んでしまうというゲームです。しかし,囲碁だって石の生き死にを競っているときには1手間違えれば頓死して,オセロのようになってしまうから,囲碁は足し算というのは正しくないと思うのですが,それでも,終盤の寄せ合いとなると,高段者はほとんど間違えず,最後の結果がわかっていながらも,延々とアマチュアにはわけのわからない寄せが続くので,見ていても退屈します。
 それに比べたら,将棋の掛け算というのはいい得て妙です。終盤では,いくら大優勢であっても,1手間違えると大逆転してしまうから,最後の最後まで手に汗を握るという戦いになります。まさに掛け算,それも,マイナス1をかける,といった感じでしょうか。ただし,まれに出現する入玉将棋では,急に,囲碁の寄せ合いの様相を呈してしまいます。
  ・・
 将棋に限らず,逆転の要素が多いゲームほど見ていておもしろいものです。野球には満塁ホームランがあり,3点差が逆転します。アメリカンフットボールがおもしろいのはタッチダウンでの点数が6点と大きくて最後の2秒でも逆転するからです。それに比べてサッカーは単調です。しかも,同点で終了したときのPK戦なんて,サッカーではありません。私は,PK戦をやるくらいなら,同点で残り10分になったら,ボールを2個にするほうがずっとおもしろいと思っているのですが…。
 どのゲームにも欠点はあります。

 余談はともかく。
 藤井聡太二冠が3回目の優勝を飾った昨日2月11日に行われた朝日将棋オープン戦の準決勝と決勝は,まさに,その逆転の妙を味わうことができた対局になりました。
 準決勝では,昨年行われた第91期ヒューリック杯棋聖戦5番勝負の第1局で,挑戦者だった藤井聡太・当時七段が渡辺明棋聖に対して「最終盤で126手目から30手あまりにわたって,16手連続で王手王手と正確にせまる渡辺明棋聖に対して,すべて正解手を延々と続けなけらば勝てない」という対局に勝利した終盤戦を思い出しました。そして,そのときと対局者が同じ今回の対局では,そのときの逆で,渡辺明名人が1手も間違えずに藤井聡太二冠に迫れば勝てる,というところで,123手目▲8五香と取れば△7四玉に対して▲7三金で詰みというのが見えず▲8四歩と間違えて指したために,マイナス99パーセントがプラス96パーセントに大逆転したという結果となりました。
 また,三浦弘行九段との決勝戦も同じような状況になって,マイナス98パーセントまで劣勢になったものの,三浦弘行九段が82手目正しくは△5五歩のところ△5五金と打って形勢が戻り,さらに,最後の最後92手目に三浦弘行九段が△3二銀と間違えました。

 ABEMAでは,将棋AIの表示する評価値が表示されるので,素人にも形勢がわかってよいのですが,「正解手」を指せば99パーセント優勢で,間違えたらマイナス96パーセント,というのを,観戦者はどう受け止めながら見たらよいのでしょう。また,前回の藤井聡太二冠対窪田義行七段のB級2組順位戦の放送から表示が改良されて,AIが何手読んでいるということも表示されるようになったのですが,19億手と書かれても,それがすごい数字だとは思っても,実際のところ,その意味がよくわかりません。
 というわけで,見ている側も,進化したAIとどうつき合って観戦するべきかが問われているように思いました。いずれにしても,このAIの表示がなければ,ハラハラドキドキ,そして,今回の大逆転も,これほど楽しくおもしろく感じなかったことでしょう。
 しかし,対局者は,当然,AIがどう示しているかをまったく知らず,あれだけの勝負をしていることをしっかりと認識しなければなりませんし,AIが悪手と認定した手を指した後ですぐにシマッタという表情になり,相手もまた表情が変わるという形勢判断というか,動物的勘がすごいです。そして,たとえAIの示す「正解手」を指せなかったとしても,あるいは「悪手」を指したとしても,それはすべて人間の能力の限界に挑戦した結果であるということを忘れてはなりません。
 今回は,難解な終盤戦ではAIさえ迷走気味であり,それを超える人間同士の勝負こそがプロの将棋を観戦する醍醐味だということをまざまざと見せつけられました。また,解説者の広瀬章人八段の人間の思考としての裏づけのある的確な説明も大したものだと,私は改めて敬服しました。
 それにしても,今回の2局は,ともに,あの局面が逆転するのか! と感動したものです。こういうことがあるから,将棋を見るのはやめられないのです。

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 2021年2月6日,NHKBSPで伝説のコンサート「チューリップin武道館」が放送されました。
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 1997年,チューリップが行った日本武道館公演の映像を最新技術のリマスター版で放送する。曲目は「心の旅」「虹とスニーカーの頃」「サボテンの花」「青春の影」ほか。
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というのうが番組の宣伝で,
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 チューリップは斬新な音楽性と洋楽ロックにつながるサウンドで1970年から1980年ごろの音楽シーンを駆け抜け,多くのファンの心をとらえた。1989年に解散したが,1997年に再結成。この番組はその年10月,彼らにとっては「憧れのビートルズがその舞台に立った“聖地”」でもある東京・日本武道館でのコンサートを,メンバーのインタビューや再結成にいたるヒストリーとともに特集した内容である。
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という紹介がありました。

 私は,チューリップなどが活躍した時代とは少しだけ異なっているのですが,それでも,若いころ,こうした音楽をそれとなく聴いて育ちました。ただし,コンサートに行くといった年代ではなかったので,テレビやラジオが主でした。しかし,その音楽を聴くと,今でも多くの記憶やら思い出やらがよみがえってきます。特に,チューリップの「虹とスニーカーの頃」は何ともいえぬ哀愁を感じます。
 チューリップに限らず,今,この時代の音楽を聴きたいと思うのは,なぜか,男性の歌い手さんの音楽のほうが多いのです。たとえば,南こうせつさんとか,小椋佳さんとか,吉田拓郎さんとか,さだまさしさんとかです。松任谷由美さんとか,竹内まりあさんなどは,嫌いではないけれど,ほとんど聴きません。どうも感性が合わないのです。
 このころ活躍した人たちの多くは老いた今も現役です。また,グループで活躍していた人たちは解散をしたのち,数年,あるいは数十年して再結成をして,復活コンサートをやっています。復活コンサートは,40歳を過ぎ,50歳を前にしたころに行われたものが多いのですが,それは,解散したころの軋轢を忘れ,昔がなつかしくなったころだからなのでしょう。復活コンサートを行ったおかげで,今でも当時の歌を見たり聴いたりできるわけですが,それはとても貴重なものです。私個人としては,この復活コンサートが,すべてが集大成されていて一番優れたもののような気がします。今回のコンサートもそのうちのひとつでした。
 今も現役の人たちは昔と変わらずに新しい歌を作っているのですが,残念なことに,若いころの作品とは違って,年老いた人たちが作り出すものに,いいなあと思うものがありません。それらは,若いころの感性が影を潜め,やたらと説教じみていたり,自分の人生を振り返った教訓のような歌詞ばかりだからです。正直いって,私はそんなものは聴きたくありません。

 ところで,「チューリップin武道館1997」が放送されたその翌日,ザ・ヒューマン「人生はひとつでも一度じゃない~財津和夫~」という番組が放送されました。
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 数々のヒット曲を生み出してきたシンガーソングライター財津和夫。年を重ね,引退も考えていたが,ある出会いを機に10年ぶりの新曲に挑みはじめた。
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という内容でした。興味をもって見はじめたのですが,率直にいって,私はがっかりしました。
 それは,私がこころに抱く財津和夫という偶像の老いた姿を見たくはなかったからということでした。偶像は偶像として当時のままで存在していなければならず,70歳を過ぎた老人であってはいけないのです。いや,それは財津和夫という人物の生きざまを否定するという話ではなく,私の抱くアイドルという存在としての財津和夫さんのことです。偶像は,いつまでも昔の姿でこころの中に生き続けているべきなのです。
 そういった意味で,山口百恵さんのファイナルコンサートのことを
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 山口百恵という偶像は21歳をもって公から姿を消して菩薩となったので,今も我々にはそのときのままの姿で生き続けているのです。三浦百惠さんの今の姿が写真に撮られていて,それを目にすることはできますが,その姿は一般女性の三浦百惠さんであり,山口百恵という偶像ではありません。
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と以前書いたように,若いころの偶像への想いは,自分の老いとは別に,歳をとらず,若いころのそのままの姿で存在しているからこそ,いつまでも憧れとしてもつことができるのです。



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 2月7日,先週の日曜日で毎週楽しみにしていたNHK大河ドラマ「麒麟がくる」が終わってしまいました。これで,連続テレビ小説「エール」とともに,私の2020年に癒しを与えてくれたドラマはともに終了しました。
 いつも書いているように,戦国時代を扱った大河ドラマはどれも「国盗り物語」を越えることができず,また,「国盗り物語」と比較して見てしまうので,どうしても物足りなさが残ってしまいましたが,やっとこれで救われました。それは,描こうとする視点が「国盗り物語」とはまったく違っていたことで,比較する必要でなかったことが大きな理由です。

 巷では,描き方に賛否両論があるようですが,そもそも,ドラマはドラマであり,歴史の授業とは違います。歴史を題材としていても,そこから何をひねり出そうと自由です。だから,史実通りに描かなくてもどう装飾を加えても自由なわけです。また,語り部として架空の人物を想定するのは常套手段です。
 だから,何を描きたいかというきちんとした視点さえあればいいのです。その点,「麒麟がくる」では,庶民の目線が十分に取り入れられていたことが私には一番よかったと思いました。
 現代でも通じることですが,権力者は,文字通り,もともと権力をもっているわけだから,権力者に媚びを売って利権を得ようとする人はともかく,そうでなければそれに味方をする必要などありません。忖度も遠慮も不要なのです。むしろ,弱い庶民は権力に飲み込まれ,利用されるだけだから,ちゃんと役割を果たしているかを,怯えながら,そして,批判しながら眺めるしか手立てがありません。 
 戦国時代は,織田信長も豊臣秀吉も,ある種の狂気のなかで生きていて,今とは比べ物にならない権力意識の中で,おそらく他人には手がつけられない人物だったことでしょう。しかし,でなければ,あのめちゃくちゃな社会で国をまとめることなど,できますまい。もし,私があの時代に生きていたら,どこかで野垂れ死んでいたか,せっかく作った田畑の作物を戦でやかれ路頭に迷っていたことでしょう。
 いずれにしても,たかだか49年の生涯を閉じた織田信長も,死に際に豊臣秀頼だけが心配だった豊臣秀吉も,どんなに豪華な安土城やら大坂城に住んだとしても,たかだか数年のこと。それが本当に幸せな生涯だったのかと思うと,気の毒になるというものです。

 それよりも,私が「麒麟がくる」を見てよかったと思うのは,この番組にちなんださまざまな場所を知り,実際に行くことができたということです。そのほとんどは私の住む場所からとても近くで,こんなところにこんな史跡があったのかと驚くことも少なくありませんでした。そして今,心残りなのは,以前から行ってみたいと思い続けている京都の愛宕神社にまだ行くことができていないことです。愛宕神社は愛宕山にあって,登頂には2時間とも3時間ともかかるらしいので,私は二の足を踏んでいるのです。
 愛宕神社は,本能寺の変の直前に明智光秀が登り,自らの武運を祈願するためにお参りしたといわれるところです。愛宕神社を参詣した翌日,明智光秀は,里村紹巴たちと連歌の会を開きました。この連歌の会では次の句が詠まれました。
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【発句】ときは今 あめが下しる五月哉(光秀)
【脇句】水上まさる庭の松山(行祐)
【第三】花落つる流れの末をせきとめて(紹巴)
【挙句】国々はなほ長閑なる時(光慶)
  ・・・・・・
 発句は「土岐氏が天下を支配する五月となった」と取れ,続く脇句の「まさる」は「勝る」,第三の「落つる」は「信長の首が落ちる」というふうに解釈される,というのが今に伝わる有名なお話です。
 そんなことを思いながら,もう少し暖かくなったら,丈夫なうちに一度愛宕神社に足を運んでみようと思っていますが,いかに…。

 さて,私は「麒麟がくる」の最後は,山崎の戦いを逃げ延びた明智光秀がひそかに故郷にもどり,隠居をしている帰蝶さんとともに茶飲み話をする,という結末になるのならさぞ愉快なのになあと思っていました。もし,そこまでやったらおそらく SNS は大炎上となることでしょうが,密かにそれを期待していました。実際は当然そこまでは無理だったとしても,最終回の最後で,明智光秀が生きていた,とほのめかされていたことに大満足しました。さらに,茶飲み話ではなかったのですが,最終回のひとつまえの第43回で,明智光秀が帰蝶さんと再会したシーンが圧巻でした。もう帰蝶さんは出演しないのではないかと思っていただけに,ちゃんと期待に応えてくれました。
   ・・・・・・
光秀「道三様ならどうなされましょう」
帰蝶「毒を盛る,信長様に。胸は痛む。我が夫,ここまで共に戦うてきたお方。しかし父上なら,それで十兵衛の道が開けるなら,迷わずそうなさるであろう」
光秀「道三様は私に,信長様とともに新たな世をつくれと仰せられました。信長様あっての私でございます。そのお人に毒を盛るのは,己に毒を盛るのと同じに存じます」
帰蝶「あの時,父上は織田家に嫁げと命じ,そなたもそうしろと。私は,そう命じた父上を恨み,そなたをも恨んだ。行くなと言ってほしかった。あの時,事は決まったのじゃ。今の信長様をつくったのは父上であり,そなたなのじゃ。その信長様が独り歩きを始められ,思わぬ仕儀となった。やむを得まい。よろず,つくった者がその始末を成す他あるまい。違うか。これが父上の答えじゃ」
光秀「帰蝶様はそのお父上の答えをどう思われますか」
帰蝶「私はそう答える父上が大嫌いじゃ」
光秀「私も大嫌いでございました」
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 「麒麟がくる」のおかげで,楽しい1年を過ごすことができました。

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●海を眺めながら読書を●
 これまで書いたように,この日私は選択肢もなく,モロカイ・バーガーというハンバーガー店に入って,マッシュルームバーガーという,牛肉にマッシュルームがのったバーガーとフレンチフライとコーラを注文した。味は…,普通のハンバーガーであった。考えてみれば,モロカイ島がいくら辺鄙だといっても,飛行機に30分乗ればホノルルに行くことができるので,アメリカ本土やオーストラリアの奥地よりもずっと便利であろう。

 食事を終えてもまだ明るかったので,コンドミニアムに戻る前に近くをドライブしてみることにした。そして,足をのばしたのが,カプアイワ・ヤシ林(Kapuaiwa Coconut Grave)であった。
 カプアイワ・ヤシ林は,1860年代,カメハメハ5世が夏の間を過ごした別荘があった場所で,およそ1,000本の植えられたヤシの木が今も残っていて,ヤシ林の下を歩けると「地球の歩き方」には書かれてあった。
 場所は,島唯一の町カウナカカイから,州道460をコンドミニアムのある東とは反対の西に,わずか1マイル1.6キロメートルほど行ったところであった。走りながら眺めてみると,一帯は公園になっているのだが,駐車場がわからない。さらに,公園の入口にはロープが張ってあって立ち入り禁止となっていた。2,3度公園のあたりを行き来して,結局,公園を過ぎたところの脇道に入って,道路際に車を停めた。
 「地球の歩き方」にも,ヤシの実が落ちてくるから注意と書かれてあったが,閉鎖されていたのは,おそらくヤシの木が老朽化して危険なのだろうと思った。この島では,数少ない観光地はどこもさびれていて,それを修復する気力すら残っていないようであった。それでも,日本の破壊されたようなテーマパークの残骸やら,シャッターが閉じられた商店街を見慣れている私には,それよりは自然が残っているだけに,まだ日本よりはマシのような気がした。

 今日は観光はこの程度にして,コンドミニアムに戻ることにした。このコンドミニアムは,どれほどの人が私のような一見さんの観光客であるのかは定かでなかったが,夜になると,駐車場はほぼ満車となっていた。おそらく,その多くは,1室を手に入れたオーナーがバカンスで来ているようであった。いわば,ここは別荘なのである。それは,オアフ島やマウイ島のコンドミニアムが手に入らないのか,それとも,こうした静かな場所が気に入っているのか,おそらくその両方であろうが,歳をとった人たちが多かった。そして,その多くは,ベランダに出て,イスに腰かけて,のんびりと海を眺めながら読書を楽しんだりしていた。

 部屋に戻ってベランダに出てみると,コンドミニアムの庭ではバーベキューパーティがはじまっていた。コンドミニアムの掲示板にその案内が出ていたから,予約をすれば,私でも参加できたのであろう。確か参加費は日本円で3,000円程度だっただろうか。しかし,私がひとりでそこに参加したところで楽しくもないと思った。もう5年も若ければ,参加したかもしれない。そのころの私は,旅に出るたびに多くの出会いを楽しみ,友達もできた。しかし,そうしたことを経験して,結局,そうして友人を作っても,その後に交流できるわけでもないし,今は,そんな出会いを求める気持ちもなくなってしまった。


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 オーストリアゆかりの作曲家,今日はシューベルトです。
 ウィーンには,シューベルトの生家と最後の家が残っていて,ともに公開されています。私は2018年にはじめてウィーンに行ったときに訪れる機会がありました。
 シューベルトは歌曲の作曲家として有名ですが,歌曲よりも交響曲などの作品を私は好んで聴くことがあります。しかし,短命だったということのほかには,その生涯をほとんど知りませんでした。

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 フランツ・ペーター・シューベルト(Franz Peter Schubert)は1797年にウィーン北部のリヒテンタール(Lichtental)で生まれました。ベートーヴェンが生まれた27年後のことです。日本では将軍徳川家斉の時代です。
 父のフランツ・テオドールは教区の教師,母エリーザベト・フィッツは結婚前はウィーン人家族のコックをしていました。
 父によってヴァイオリンの初歩を習いはじめたのですが,7歳ごろにはすでに父の手に余るほどの才能を発揮したので,シューベルトはミヒャエル・ホルツァーの指導するリヒテンタール教会の聖歌隊に預けられました。
 聖歌隊の仲間たちはシューベルトの音楽的才能に一目置き,ピアノ倉庫でピアノの練習を自由にできるように便宜を図ってくれたので,良質な楽器で練習をすることができたといいます。
 やがて,コンヴィクト(寄宿制神学校)の奨学金を得て,アントニオ・サリエリの個人的な指導のもとで作曲を学びました。また,同級生たちが貧しいシューベルトを助けたので,多くの室内楽,歌曲,ピアノのための雑品集を残すことができました。
 1813年には変声期でコンヴィクトを去り,父の学校に教師として就職しました。
 しかし,コンヴィクト時代からの友人であったシュパウンの家でシューベルトの歌曲を聴いていた法律学生のフランツ・ショーバーがシューベルトを訪問して,教師を辞め平穏に芸術を追求しないかと提案したので,シューベルトはショーバーの客人になって作曲に専念するようになりました。「私は1日中作曲していて,ひとつ作品を完成させるとまた次をはじめるのです」と訪問者の質問に答えていたといいます。
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 シューベルトは,教師を辞めたうえ,公演で稼ぐこともできなかったので貧しい生活をおくりました。作品を出そうという出版社もありませんでした。しかし,友人たちは真のボヘミアンの寛大さで,ある者は宿を,ある者は食料を,また,他の者は必要な手伝いにやってきて,自分たちの食事を分け合ったり,裕福な者は楽譜の代金を支払いました。シューベルトは常にこのパーティーの指導者でした。
 1818年はふたつの点で特筆すべき年となりました。そのひとつは作品の公演がはじめて行われたことです。演目はイタリア風に書かれた「序曲」(D590)で,これはロッシーニをパロディー化したと書かれていました。ふたつ目は,ツェレスに滞在するヨハン・エステルハージ伯爵一家の音楽教師の地位にはじめて公式の招聘があったことでした。そこでシューベルトは夏中,楽しく快適な環境で過ごすことができました。
  ・・
 やがて,マイアーホーファー宅に同居することになり,ここでシューベルトの規則正しい生活が継続されることになります。毎朝,起床するなり作曲をはじめ,それは午後2時まで続きました。昼食のあとは田舎道を散歩し,再び作曲に戻るか,あるいはそうした気分にならない場合は友人宅を訪問しました。
 友人のフォーグルが1821年にケルントナートーア劇場で「魔王」を歌ったことで,ようやく出版業者のアントニオ・ディアベリがシューベルトの作品の取次販売に同意し,作品番号で最初の7曲の歌曲がこの契約にしたがって出版されました。
 1822年には,カール・マリア・フォン・ウェーバーやベートーヴェンと知りあいました。それほど親しい間柄ではありませんでしが,ベートーヴェンはシューベルトの才能を認め,また,シューベルトもベートーヴェンを尊敬し,連弾のための「フランスの歌による変奏曲」(D624)を出版するにあたりベートーヴェンに献呈しました。
 こうして,1825年,それまでの苦難は幸福に取って代わることになりました。出版は急速に進められ,窮乏によるストレスから解放されました。夏にはかねてから熱望していた北オーストリアへの休暇旅行をすることもできました。
 1827年,ベートーヴェンが死去し,シューベルトは葬儀に参列しましたが,その後で友人たちと酒場に行き「この中でもっとも早く死ぬ奴に乾杯!」と音頭をとりました。このとき友人たちは一様に大変不吉な感じを覚えたといいますが,その不吉な予感どおり,彼の寿命はその翌年で尽きることになりました。
  ・・・・・・

 死後,シューベルトはフェルディナントの尽力で,はじめヴェーリング墓地(Währinger Ortsfriedhof)のベートーヴェンの墓の隣に埋葬されました。
 1888年,ベートーヴェンとシューベルトの遺骸はウィーン中央墓地に移されましたが,現在,ヴェーリング墓地跡のシューベルト公園(Schubertpark)にはふたりの当時の墓石が残っています。迂闊にも私はこの公園に行くことを逸してしまったのが今はとても残念です。蛇足ですが,現在,近くの別の場所にヴェーリング墓地(Allgemeiner Währinger Friedhof)という同じ名前の場所があるのですが,それはシューベルトがはじめに埋葬されたところとは違います。
 亡くなったあとのシューベルトは歌曲の王という位置づけがなされ,歌曲以外の作品は放置に等しい状況でした。やがて,1838年にシューマンがウィーンに立ち寄った際に,シューベルトの兄フェルディナントの家を訪問しました。そして,亡くなった当時のままの状態で保存されてあったシューベルトの書斎からハ長調の交響曲を発見し,メンデルスゾーンの指揮によって演奏され絶賛されました。さらにその後,7曲の交響曲,ロザムンデの音楽,ミサ曲やオペラ,,室内楽曲数曲,膨大な量の多様な曲と歌曲が発見され,世に送り出されました。


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 いろんな意味で,私の最も印象に残るミュージカルは「エビータ」(Evita)です。「エビータ」というのは アルゼンチンの大統領フアン・ペロン(Juan Domingo Perón)の妻エバ・ペロン(María Eva Duarte de Perón)の愛称で,ミュージカル「エビータ」は,このエバ・ペロンを題材にしたものです。のち,映画化されました。
 前回書いたように,生まれてはじめてのアメリカひとり旅でニューヨークに行ったときに,行きの飛行機の中で一緒になった女性に誘われてブロードウェイでミュージカル「コーラスライン」を見てから,帰国して,ミュージカルに興味がわいてきました。奇しくもちょうどそのとき,資生堂が「エビータ」という名の化粧品を発売し,そのテレビコマーシャルが,劇団四季が上演する「エビータ」のヒロインに抜擢された久野綾希子さんをイメージキャラクターにして,盛んに放送されていました。それは今から40年くらい前のことです。
 そこで,劇団四季の「エビータ」を見ようとチケットを購入して,東京の日生劇場に出かけたのです。当時の私には,東京に行くこと自体たいへんなことであって,当然,日生劇場にもはじめて行きました。完全なおのぼりさんで,「田舎のネズミ」状態でした。
 この「エビータ」を東京で見たちょうどその日,偶然にも私に関わりのある「あること」が行われていて,それが「エビ―タ」のミュージカルの哀愁ただよう音楽のイメージとごっちゃになって,思い出すと私はとても切ない気持ちになるのですが,そのことはここではこれ以上は書きません。それもまた,昔のことです。

 今とは違って,劇団四季は小さな劇団で,チケットは団員さんから直接買いました。「次の公演があるのですがチケットを買っていただけますか」と直接電話がかかったりしました。今から思うと,インターネットもありませんでしたが,この時代は最高に幸せでした。それはバブル景気の前のことです。海外旅行をするにも,今のようなセキュリティチェックはありませんでした。メジャーリーグのチケットもものすごく安く買うことができました。
 しかし,その後,劇団四季も四季の会が発展して,現在のような巨大な組織となってしまいましたし,海外に出かけるにも面倒なセキュリティをくぐる必要があるし,メジャーリーグのチケットもブロードウェイのチケットも手が出ないほど高価なものになってしまいました。

 話を戻します。
 東京で「エビータ」を見たその後,私はロンドンに行ったとき,ロンドンでも「エビータ」を見る機会がありました。日本で見たものと格段に違う公演に衝撃を受けました。
 今でも,このミュージカルは時折上演されているようですが,それ以来,私は見ていません。このミュージカルは,その音楽とともに,ストーリーもまた,悲劇性があり,哀愁に満ちていています。今,YouTube で「Don’t Cry for Argentina」を見るだけでも泣けてくるのに,ミュージカル「エビータ」を見たら,涙がとまらなくなってしまうことでしょう。
 古きよき時代でした。できればあのころにもどりたいものです。


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 今から40年以上前,はじめてひとり旅で出かけたニューヨークへの機内で,隣に座ったミュージカル好きの女性から,ミュージカルについて聞かされて,しかも,行く予定もなかったブロードウエイでミュージカルを見ようと誘われました。飛行機でたまたま出会った女性とブロードウェイで生まれてはじめてのミュージカルを見たなんて,それは今から考えればすごいことだったのですが,そこで「コーラスライン」を見たのがきっかけで,ミュージカルにはまりました。
 そのころは劇団四季も知らなかったのですが,帰国後,日本でもミュージカルを見ようと,当時上演されていた劇団四季の「エビータ」を見ました。それ以来,「コーラスライン」「エビータ」はもちろんのこと,「キャッツ」「オペラ座の怪人」などを見ました。しかし,劇団四季の演じるミュージカルは洗練されてはいても,ブロードウェイの,役者さんがそれぞれ個性丸出しのミュージカルとは違って,だれが演じても同じという役者さんの没個性にいや気がさし,すっかり遠ざかってしまいました。その後,1982年にロンドンで「エビータ」を,2013年には再びニューヨークのブロードウエイで「シカゴ」を見ましたが,日本では,ミュージカルを見ることもなくなってしまいました。
 ところが,このごろ,昔好きだったミュージカルの音楽を急に聴きたくなりました。そこで,当時購入したCDを探していたら,「コーラスライン」「エビータ」「オペラ座の怪人」はあったのですが,「キャッツ」が見つかりません。買ったつもりでいたのですが,どうやら私の勘違いだったようです。ということで,映画「キャッツ」を Amazon Prime VIdeo で見ることにしました。今日はその話題です。

 私は「キャッツ」はブロードウェイでは見たことがありません。劇団四季の「キャッツ」は新宿での初演以来,2,3回見たことがあります。今はどうなのか知りませんが,初演のときは前から5列がミュージカルがはじまると回転してステージの正面に現れるという趣向で,そこに座ったので,なかなか優越感に浸れました。後ろの席には作曲家の小林亜星さんがいました。
 映画化された「キャッツ」は評判が芳しくないようです。それは,あまりに猫の姿に似せすぎていて気持ちが悪いとか,音楽の編曲がよくないとか,ということが原因のようです。それは,ミュージカルがよすぎた結果,その幻想を追い求めて見るからだと思われます。ミュージカル好きの人のブログにもいろいろ書かれてあります。しかし,ブロードウェイで見たことがあるのならともかくも,劇団四季のミュージカルを見たくらいで評論家ぶって語るなよ,というのが私の偽らざる感想ですが,かくいう私も先に書いたように「キャッツ」をブロードウェイで見ていないので同罪です。
 それはそれとして…。
 私も映画を見はじめて,やはり同じことを思いましたが,私が映画を見た動機は,音楽をもう一度聞いてみたいということだけだったので,何となく最後まで楽しく見ていたら,それはそれではまりました。

 そこで思い出しました。
 それは,「キャッツ」に限らず,「オペラ座の怪人」もそうだったのですが,ダンスとか音楽のよさで最後まで楽しめても,これらのミュージカルで何がいいたいのかという意味がわからない,ということを当時考えたということです。たとえは,「キャッツ」で,なぜ,グリザベラがジェリクルキャッツに選ばれるのか,とか,「オペラ座の怪人」で,なぜ,醜い怪人にクリスティーヌが惚れるのか,というようなことです。しかし,それほど深く考えたことはありませんでした。
 このことに対して,当時よりも歳をとった私は妙に気にかかりました。そして,日本人の人生感では理解しがたいことだというのが答えであるように思えました。先日,知人が私に言いました。日本人ほど「死」というものを身近に感じていない国民はいないのではないかと。みんな最後は死ぬということがまるでわかっていないと。だから,怖がっているか,あるいは,避けているだけなのだと。これは,おそらく,日本人のもつ宗教的な話からくるものなのでしょう。
 私は,ウィーンに行って,シュテファン寺院の地下の巨大な空間にハプスブルグ家の人たちの柩が延々と横たわっているのを見ました。また,ハルシュタットの教会にしゃれこうべが詰み上げられているのを見ました。また,シュテファン寺院に限らず,西洋では,どこの教会も,その地下には遺骸が横たわっています。それがキリスト教の「死」に対する姿勢なのでしょう。日本人は,人は罪を背負って生まれてきて,その罪を償うための生を全うしたら,皆,平等に天国に召されるという,キリスト教的な人生感を持ち合わせていないので,生と死という現実から,あまりに顔を背けて生きているのです。隠すのです。だから,その反対に,生きるということも,哲学的に直面して考えないのです。そこで,ノー天気にがんばって「生きようよ」となります。

 「キャッツ」では,エゴやら傲慢さやら虚栄心やらをもつ猫が次々と出てきます。これは人が生きている社会の姿そのものを表しているのでしょう。そうした猫たちは,まだ,社会を生き抜くために葛藤している途中なので,グリザベラを敬遠しますが,幼くピュアな,まだ社会を知らないシラバブだけが,グリザベラに近づこうとします。グリザベラの醜さは,社会を生き抜いた人間の本性と孤独を象徴しているのでしょう。しかし,グイザベラは,見かけこそ醜いけれど,生き抜いた清らかさがあるのです。だからこそ,ジェリクルキャッツとなることができて,新たに生を受けてよみがえるわけです。
 人は見かけではないんだよ,どんな過去があろうと,明日に希望をもって「生きようよ」。そうした解釈が多くのブログでなされているのですが,私は,それらを読んでも,今ひとつ納得しかねます。甘いんです。「キャッツ」はそんな生易しい美談ではないのです。そう感じるのです。「生きようよ」ではなくて,人は苦しみ生き抜くことで「生を全うして」,やっと天に召されて,そののちに,再びよみがえるのです。
 日本人のもつ「わび・さび」といった概念が西洋人には理解ができないように,西洋人のもつ人生観は理解ができません。どうやら,日本人は,こうしたストーリーのミュージカルを真に楽しむには限界がありそうです。


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●夕食をとる店がない。●
 結論を先に書こう。この島には夕食をとることができる店は3軒しかなかった。マクドナルドさえ存在しなかったのだ。同じハワイとはいえ,オアフ島とはまったく違う世界であった。
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 マクドナルドで思い出す話がふたつある。いや,もっとある。
 若いころの私は今とはまったく違って,マクドナルドに入ったことすらなかった。それは,ロサンゼルスにいったときだったか,シカゴに行ったときだったか忘れたが,はじめてマクドナルドに入ったのはアメリカであった。はじめて行ったときのアメリカでは,レストランに入ることすらできなかったからだった。
 そして,その後,ハリウッドのマクドナルドで置き引きにあったり,デトロイトで入ったマクドナルドは結構治安の悪いところにあったりして,私には「マクドナルド=やばい=下層階階級のたまり場」というイメージが出来上がった。
 やがて,マクドナルドの「ヤバさ」が心地よくなってき,今では,アメリカに限らず,世界中のマクドナルドナルドで食べ比べをするようになった。
 マクドナルドはおよそ世界中のどこにでもある。これまで行った国でなかったのはアイスランドだけであった。しかし,モロカイ島にも,マクドナルドがなかった。

 「地球の歩き方」にはモロカイ島のレストランが掲載されていたので,その中で気に入ったところで夕食を,と思っていた。ところが,「地球の歩き方」に載っていても,実際には,その店舗がなかったり閉店していたりしていて,困ってしまった。
 エルサズ・キッチンとかモロカイ・ドライブインとかいったよさそうな店が載っていたのだが,そのどちらも存在しなかった。
 結局,選択肢は,モロカイ・ピザ・カフェ,モロカイ・バーカー,そして,パドラーズ・インの3軒しかなかった。そのうちの,パドラーズ・インというのはいわゆる英語でいうところのタバーン,つまり,居酒屋で,この日は入りにくく敬遠した。結局,3日目の夕食をここでとることになったが,とてもいい店で,もっと早く来ればよかったと思ったことだったが,そのことはまた後で書く。
 そんなわけで,この日に入ったのは,モロカイ・バーガーというバーガーショップであった。ここは「注文を受けてから作るスタイルで,モロカイ産の新鮮な放牧牛肉100パーセントのバーガーが人気」と「地球の歩き方」には書かれてあったが,まあ普通のハンバーガー店であった。
 ともかく,この日はこれでおなかを満たすことはできたが,毎日これではかなわん,と思った。
 モロカイ島でのバカンスは,レストランで食事をとるというより,食材を仕入れて,部屋で自炊をする,ということのようであった。料理すらできない私は,明日からはどうしよう,と思った。


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 2021年,今年の節分は2月2日ということで話題となりました。このごろは,セブンイレブンが企てた恵方巻とやらが昔からの風習と勘違いをして日本中で市民権を得たようですが,私はまったく興味がありません。
 翌2月3日は立春でした。どういうわけか,本当にこの日を境にして世の中の空気が変わるのです。私も以前,大変な1年を過ごしたことがあるのですが,この日を境として運気が変わりました。
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 この冬は例年より寒い気がしますが,それにも増して,これほど日の出のころと夕暮れどきの空を見たのもはじめてのことでした。
 ほぼ連日,晴れていれば日の出を見ています。その日の出も1月のはじめは午前7時10分ごろでしたが,少しずつ早くなってきました。また,日没も,1月のはじめは午後5時くらいでしたが,少しずつ遅くなってきました。
 そしてまた,日の出前の東の空のは金星が,そして,日の入り後の西の空には土星と木星,そして水星が毎日位置を変え,そこに月が加わったり離れたりして,まるで追いかけっこをしているようで,見飽きることがありませんでした。

 そして,2月。
 日の出は午前7時ころ,そして日の入りも午後5時30分近くになりました。人の少ない時間が好きなので,このところの私は,日の出の30分ほど前から,そして,日の入り後に散歩をするのが日課となりました。この国はこのころがもっとも美しいのです。それは,暗くて,汚い景色を見ないですむからです。その反対に,お昼間には見ることができない,いや,感じることができない景色に触れることができます。特に,早朝,夜が白んでくるころが最高です。
 立春の早朝,いつものように散歩をしていると,すでに梅がほころんでいるのに遭遇しました。フキノトウも咲いていました。空にはサギが舞っています。そして,川にも水鳥が気持ちよさそうに泳いでいて,近づくと不思議なくらい敏感にそれに気づいて一斉に飛び立ちました。
 私は郊外に住んでいるので,どこを歩いてもそんな自然と広い空を見ることができます。お昼間はさほどきれいでないゴミだらけの道も川も,暗い時間だとそのすべてを隠してくれるので,こころときめくのです。

 古より,長い冬もまもなく終わりを告げようとするこの時期,多くの春の歌が詠まれました。ここではその中から2首紹介しておきましょう。
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 袖ひちてみすびし水のこほれるを
 春立つけふの風やとくらむ
   紀貫之 古今和歌集・巻第一春歌上2
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 袖が濡れんばかりにして手ですくったあの山の清水が
 冬には凍っていたのをこの立春の風が解かしていることだよ
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 君ならで誰にか見せむ梅の花
 色をも香をも知る人ぞ知る
   紀友則 古今和歌集・巻第一春歌上38
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 この梅の花をあなた以外の誰に見せようというのか
 色も香りもよさがわかるのはあなたを置いて他にはないことよ
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●スーパーマーケット●
 日本からの移民が多く住むハワイ島のヒロは日本の昭和時代を彷彿させるところだったが,モロカイ島のカウナカカイは,私が生まれる前の昭和時代のようなところであった。
 メインストリートはアラマラマ通り(Ala Malama Ave.),というより,メインストリート沿いだけが商店街であった。そこで,商店街を順番に探ることにしたのだが,結局,商店はフレンドリーマーケットセンター(Friendly Market Center)という名のスーパーマーケットとその隣の2軒しかなかった。
 どこにでもコンビニや自動販売機のある日本に住んでいると,つい買い忘れてしまうことがあるのが,水を買うことである。コンドミニアムには自動販売機すらなかったから,水を買っておかないと,ホテルでシャワーを浴びたあとや明け方に目が覚めたときに本当に困るのだ。さらに,小腹が空いたときにちょっとしたチョコレートなどがあると助かる。そこで,スーパーマーケットで水とチョコレートを入手することにした。

 お店の駐車場もあったが,路上のどこでも駐車するところは空いていた。入口では,島民が雑談をしていた。ここは憩いの場でもあるようだ。
 中はごちゃごちゃとしていたが,およそ暮らすのに必要なものは何でもそろっていた。ただし,日本のスーパーマーケットのように,お弁当やらサンドイッチというものはないので,食事の足しになるものは手に入らなかった。パンやピザも売っているのだが,家族で1週間もつような量でしか買うことができないように,何もかも量が多いのだ。しいていうならば,カップヌードルくらいならなんとか手に入る。
 この日私は目的だった飲み物とチョコレートを買って外に出た。

 「地球の歩き方」には,モロカイ島のショップとして,いくらかのお店が掲載されていたので,それらを順に見て回ろうと思ったのだが,やっていない店や,すでになくなってしまっている店ばかりであった。それにしても不思議だったのは,「地球の歩き方」にモロカイ観光局というものがあると書かれてあって,地図も載っていたのだが,何度探しても,そんなものは存在しなかったことだ。
 ともあれ,次に「地球の歩き方」に載っていたレストランを順に巡っていくことにした。夕食をとらなねばならない。


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 これまでに私はコンサートで何度ブラームスの交響曲第1番を聴いたことがあったでしょうか。おそらく,ベートーヴェンの交響曲第7番とともに,この曲は最も多く演奏されるものだと思われます。いわゆる焼肉定食なのです。そんなことを考えていました。
 これは私の場合だけなのかもしれませんが,ブルックナーの交響曲を演奏するというコンサートのチケットを手に入れるとき,それは,ブルックナーの交響曲が聴きたいからです。先日,ブルックナーの交響曲を聴きたくて東京交響楽団のチケットを手に入れたのに,指揮者の変更で曲目も変わってしまい,そりゃないぜ,と思いました。ブルックナーの交響曲が第5番から第7番に代わるというのならともかく,別の作曲家のものに代わってしまえば話は違います。だから,指揮者の変更は百歩譲ってやむを得ないとしても,曲目の変更には失望しました。
 しかし,ブラームスの交響曲第1番やベートーヴェンの交響曲第7番が別の曲に変更になったとしても,というより,もともと私はブラームスの交響曲第1番やベートーヴェンの交響曲第7番が聴きたいからといってそのコンサートのチケットを購入しませんが,ブルックナーの交響曲の曲目変更と同じように,そりゃないぜ,とは思わないのです。たとえそれが別の作曲家のものであってもです。私には,ブラームスの交響曲第1番はその程度の曲です。
 ただし,ブラームスの交響曲第4番は違います。ブラームスの交響曲第4番でなければなりません。

 ちょっと前置きが長くなりました。
 ともかく,ブラームスの交響曲第1番,この曲は,指揮者によってテンポがまったく変わってしまうとか,取り上げる版が違うとか,そういうこともあまりなく,だれが指揮をしても,そうは変わりません。しかし,指揮者によって何かが違うのです。何が,といわれてもわからないのですけれど,ただよう空気が違うのです。その違いは,おそらく,ラジオで聴いてもわからないことでしょう。
 今回のコンサートの演奏は,オーバーな表現をすれば,好き勝手に演奏していた,みたいに見えました。若い指揮者さんよりコンサートマスターが仕切っているような感じというか。そりゃ,百戦錬磨の団員さんの前で指揮するなんてたいへんです。たとえれば,新しく作られたきれいな町を,笑顔の若い先生のうしろを,クラスのリーダーが先頭になって声を出して,それについてみんなが気持ちよく歌を歌いながら散歩しているような,そんな感じです。しかし,その町には,威厳のある古い建物があるでもなし,樹齢のとった巨木が車道を邪魔して立っているわけでもなし,石ころだと思ったらそれが貴重な化石であったという発見があるわけでもなし。いずれにしても,この演奏会に限らず,コロナ禍以降のクラシックのコンサートは若手の独奏者や指揮者ばかりで,何らかのコンクールみたいです。
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 このごろ,クラシック音楽は音だけで聴いたほうがいいなあと感じるようになりました。週に1度ほど日曜日の夜にEテレで放送されるNHK交響楽団の演奏会も,以前は夢中になって見ていたのですが,今はそれもなくなってしまいました。
 コロナ禍以降,見ていてもなぜか楽しくないのです。それはおそらく,音楽は非日常だからこそ貴いのであって,そこに日常が溶け込んでしまっているからなのでしょう。だから,管楽器からの飛沫がどうのとか,演奏者がマスク姿で演奏するとか,そんな姿を見ても,まったく楽しくないのです。平常時なら,年老いた指揮者の姿がカリスマに見えても,非常時の今は目から入る音楽以外の情報が感動の妨げとなるのです。しかし,音だけなら,そういった雑念がないので,すばらしい演奏は純粋にすばらしく聴こえるのです。
 ですが,今,コロナ禍以前の録画してあった演奏会と聴き比べると,演奏そのものの「でき」もまったく違うのです。やむを得ないことかもしれませんが…。そういった意味で,先日出かけた東京交響楽団のコンサートともども,私には,とても残念なコンサートになってしまいました。
 以下は twitter にあったサントリーホールの演奏会の模様です。

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 2021年1月31日,今年もまた,毎年楽しみにしているNHK交響楽団の名古屋定期公演が行われたので,聴きに行きました。 元来はサントリーホールで行われるNHK交響楽団1月定期公演Bプログラムをもってきてそのまま演奏するものでした。指揮者は トゥガン・ソヒエフさん,曲目はバッハのブランデンブルク協奏曲第1番ヘ長調BWV1046,ベートーヴェンの序曲「コリオラン」作品62,ブラームスの交響曲第1番ハ短調作品68でした。しかし,コロナ禍で,トゥガン・ソヒエフさんの来日ができなくなり,代わりに鈴木優人さんとなりました。鈴木優人さんは,1981年生まれということなので,若手の指揮者です。
 ベテランの日本人指揮者が代役となると曲目まで入れ変わってしまい,そりゃないだろう,と思うことも少なくないのですが,若手にそんなことは言えないのか,あるいは,いっちょやってやろう的なチャレンジなのか,曲目の変更はありませんでした。しかし,鈴木優人さんは,2018年,バッハ・コレギウム・ジャパンの首席指揮者になったという経歴なので,バッハは十八番です。むしろ,トゥガン・ソヒエフさんがバッハをやるというほうが不思議な感じです。
 今日,外国人指揮者や独奏者の来日が困難となって,日本の演奏会では,日本人の指揮者や独奏者の争奪戦を呈していて,普通なら定期公演には出番のない演奏家にチャンスが生まれているようにも思われます。私は,トゥガン・ソヒエフさんの指揮を楽しみにしてたので,とても残念だったのですが,この機会を生かして,多くの若手が脚光を浴びるといいなあと思います。

 さて,曲目ですが,私にはバッハはまったくわかりません。聴くこともありません。だから,ブランデンブルク協奏曲なんて,名前しか知りませんでした。ということで,パンフレットに書かれてあった文章をもとに,少し勉強してみました。
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 「協奏曲」といっても,モーツアルト以降のものとは違い,バロック音楽の「協奏曲」は,ピアノ,調性,トゥッティとソロ,弦と管,歌とオーケストラなどあらゆるコントラストを利用し尽くす,かつては「合奏協奏曲」とよばれた「コンチェルト・ グロッソ」で,有名なのはビバルディということです。といえば,私は「四季」は聴いたことがありますから,そのようなものだと思えばいいのでしょう。しかし,ビバルディがイタリア風なら,バッハはドイツ風で重厚でありシンフォニック的なのだそうです。
 演奏されたブランデンブルク協奏曲第1番は4つの楽章からなっていて,がっちりした構成の第1楽章と第3楽章はバロックを越えて古典派以後の動機展開の手法が先取りされていて,ソロとトゥッティの両者の間に密接な動機関連の網目が作り出され溶け合わされている点で交響曲のように聞こえるのですが,第2楽章は器楽によるオペラ・アリアであることと,フィナーレの第4楽章が舞曲であることが古典派以降のものとは違うということです。いわば,第1楽章が王様が入場する壮麗な序曲,第2楽章が宴の最中のオペラのアリア,第3楽章で王様が退場して,それから第4楽章でダンスの時間になってお開き,という宮廷での音楽だと思えばよいそうです。
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 実際,そういった予習をしてから聴いてみたわけですが,これは,「皇室アルバム」というテレビ番組や晩餐会のバックミュージックでした。聴きこむというよりもその場を華やかにするための装飾でしょう。演奏する側はそれなりにおもしろいのでしょうが,聴く側は曲や演奏者の技法を楽しむものなのでしょうか。しかし,私は楽器が弾けないので,そういうことに愉しみが見いだせません。
 正直いって,私にはビバルディの「四季」を聴いたときのような感動はまったくありませんでした。それは曲の理解が足りないのか,演奏がそれだけのものだったのか。一緒に行った友人はひとこと「演奏バラバラ」。ともかく今回だけでは判断できないので,これを機にバッハに浸ってみるのも悪くないなあと思ったことでした。そうすれば少しはわかってくるのかもしれません。以下は twitter にあったサントリーホールの演奏会の模様です。

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