しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

May 2021

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 5月26日はスーパームーンであり皆既月食。家のベランダから見ることができるので,楽しみにしていたのですが,残念ながら曇ってしまいました。
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 それ以降も,連日,天気が悪かったのですが,5月29日は久々にいい天気になりました。
 このごろは星を見るよりも,星を見にいくために深夜にドライブをすることや,だれもいない深夜の野原で星を見ることが楽しくなってきたので,特に何をということもなく,星見に行くことにしました。

 現地に到着したのが午後7時30分過ぎでした。
 まず,西の空に輝く金星と,金星に大接近している水星を写すことにしていたのですが,なんとか間に合いました。
 ずいぶんと高度が低いので写るのか疑問でしたが,写すことができました。それが今日の1番目の写真です。
 金星が沈むころ,次第に空が暗くなってきました。
 昨年は立て続けに明るい彗星が接近していたのですが,今年は明るい彗星がほとんどありません。そんななか,現在はパロマ彗星(C/2020T2 Palomar)が10等星ほどでうしかい座に見えるということだったので,次に狙いました。
 うしかい座はほぼ天頂です。天頂付近というのは,逆に大変です。私の使っているような古い望遠鏡では自動に星を導入してくれないので,ファインダーで探さなければなりません。首が痛くなります。
 1等星アークトゥルスから追っていって,難なく場所が特定できたので写してみると,さすがに天頂付近は空も暗いので,小さな彗星状の天体が簡単に写りました。それが今日の2番目の写真です。写真の中央,ふたつある星のうち上のものです。

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 パロマ彗星は,カリフォルニア工科大学天文学部のDmitry A. Duevさんの通報によると,2020年10月7日,パロマ天文台(Palomar)にある口径1.2メートル「サミュエルオシン」(Samuel Oschin)シュミット望遠鏡に新たに取りつけられた47平方度の広視野光学観測装置(ZTF=Zwicky Transient Facility)を利用したサーベイ(Zwicky Transient Facility's Twilight Survey)で得た画像から発見された彗星です。
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 それ以外に明るい彗星もないので,そのあとは,おおくま座のメシエ天体を気の向くまま写すことにしました。
 まずは,子もち銀河とよばれるM(メシエ)51。これが3番目の写真です。次に,回転花火銀河M101。4番目の写真です。そして,最後5番目の写真がフクロウ星雲M97とそのとなりにある銀河M108です。
 おおくま座の北斗七星のまわりには,こんなおもしろい天体がたくさんあって,そのどれも,簡単に写すことができます。こうした天体を写しながら,数年前,メシエ天体をすべて写そうと何度も暗い場所をめざして走り回ったころのことを思い出しました。当時は苦労したのに,今では,簡単にピントも合わせられるし,場所も特定できるようになりました。
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 そうこうしているうちに月が昇ってくる時間になったので,帰宅することにしました。
 満天,とはいいがたい星空ですが,それでも,まったく人のいない野原で星空を眺めて過ごすのはとても楽しいことです。
 こんな楽しみをもっていたことがうれしいこのごろです。


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 今から10年ほど前,私は,何かにとりつかれたようにアメリカを旅行していました。
 それに比べたら,歳をとったせいなのかどうか,オーストラリアのさまざまなところを旅行したいという気持ちはあまりありませんでした。それは,オーストラリアにはアメリカほど行きたいと思う魅力的な場所がないということもあるのですが,それ以上に,あえて行こうと決意しなくても,気楽に行くことができるから,ということでもありました。
 それでも,行くことが困難だから私には無縁だと思っていたエアーズロックにもなぜか行けたし,さらに,エアーズロックでは,今は登ることができなくなったのに,偶然,登ることができる期限に間に合って,しかも,天気に恵まれて登ることができたのは,これもまたいつものようにかなりの幸運でした。
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 今後は,毎年オーストラリアに星見に出かけた折に,さらに1週間くらい余分に日程をとって,さまざまなところを旅しようかな,と思っていたところでした。この旅で行こうと思っていたアデレードも,その一環でした。アデレードに行ったそのあとは,グレートオーシャンロードとか西側のパースとか北側のダーウィンとか,そういったところにも行ってみたいなあと,なんとなく思っていました。
 なかでも,グレートオーシャンロードは次に行ってみたいところの筆頭でした。メルボルンからアデレードまでをドライブしてその間にあるグレートオーシャンロードを走るのは,今でもぜひやってみたい夢のひとつです。
 いずれにせよ,私にとってオーストラリアは,南天の星空を抜きには語れません。

 2019年から2020年にかけての冬,というか,オーストラリアでは夏のことになりますが,オーストラリアは国全体に山火事が広がって大変な状況だったようです。アメリカもそうですが,こうした広い国では,山火事が最大の脅威となっているのです。アメリカもまた,夏から秋にかけて,モンタナ州やアイダホ州,カリフォルニア州などには頻繁に山火事が起きます。そして,日本で中国大陸から黄砂がやって来たときのように,空が灰色に染まってしまいます。
 今日の写真はエアーズロックで写したものですが,この写真のように,エアーズロックでは山火事を防ぐために,山火事が起きる前に燃してしまうといった風習がアボリジニーの人たちから受け継がれているように,山火事を防ぐためのさまざまな工夫がされていました。それでも,山火事が起きるのです。
 そこで,この旅で私が訪れることになっていたカンガルー島も,その多くが山火事で燃えてしまったというニュースがありました。この旅を計画した時点で最も心配だったのはそのことでした。しかし,行くことができなかったので,実際どうであったのか,私は知りません。


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 昨年のこの時期から家の近くを散策しているのですが,1年前は,私の住んでいるところからほんのわずか離れたところで,これほど美しい景色が写せるなんて,夢にも思いませんでした。
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 と,前回書きましたが,今年はことのほか梅雨入りが早く,例年だと6月の中旬でもまだほとんど雨が降らないのに,5月の中旬から,ずっと雨模様です。それでも,また,蒸し暑くないのが救いです。
 そんな梅雨の合間に,時折,雲が切れて美しい景色が広がることがあります。
 特に夕暮れは美しく,田植えをしたばかりの田んぼには水が満ちていて,そこに夕日が反射して,この世のものとは思えないほどの風景が見られることがあります。
 特に,周りの風景がシルエットとなって,いつも見慣れたはずの場所でも,別の輝きをみせるほんの数十分が絶品です。こうした景色を,露出を変えながら写すのも,また,夕暮れの散歩の楽しみです。カメラは手放せません。

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 現在の日本の状況は,新型コロナウィルスを画びょうにたとえると,道路に靴を履いてもそれを貫いてケガをするような頑強な画びょうが撒かれた状態のようなものです。だから,出歩けは踏んでケガをします。そこで,出歩くな,といえば,その時点からケガをする人は減るのですが,減ったからといって,また,出歩いてもいいといえば,再びケガ人が増えるという,それを繰り返しているだけなのです。だから,何度非常事態宣言を出したところで同じことが繰り返されます。
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 そもそも,これを解決するには,道路の画びょうを片づけるか,あるいは,踏んでもケガをしないような分厚く強固な靴でも与えるしか方法がないということになります。…なのに,どうしてそんなことがわからないのだろうと,私は,ずっとそう思っていました。つまり,国民の6割も7割もの人がワクチンを接種するまでは,結局のところ,ずっと非常事態を続けるしかないのです。
 だから,報道してほしいのは,何人感染者が出たか,などということではなく,現在,何人がワクチンを接種したか,どれだけワクチンの準備ができているかだと思うのですが,相変わらず,日本では売りたいだけ,見せたいだけで,不安を煽り意味のないことばかりを報道しているようで,なさけない限りです。そもそも,取材力なさすぎる。

 ということですが,これもまた日本らしく,マスコミの報道では,接種に伴ってトラブルが続出しているとか。しかし,そんな揚げ足を取るようなことを報道してもらっても,まったく意味がありません。必要なのは,自分がどうすれば予約ができるか,ということです。
 ともあれ,やっと高齢者のワクチン接種がはじまり,私の住む市では,5月10日に予約が開始されて,5月25日に接種がはじまりました。「不良老人」の私は,今回もまた悪運が強く高齢者の対象にギリギリ入っていて,しかも,いつものように要領がよく,5月10日に5月25日の予約ができたので,さっそく1回目のワクチンを接種してきました。そして,1回目の接種後,その3週間後の6月15日に2回目の接種の予約が決まりました。最速です。
 1回目の接種自体は何の問題もなく,翌日,接種場所にわずかばかりの筋肉痛が残っただけでした。周りの人たちが2回目がたいへんだと脅すのですが,まあ,おそらく大したことはないでしょう。それよりも,接種をしてみて,自分の精神状態があまりにも変わったことに驚きました。もう,巷のコロナ禍のもろもろは私には別世界の出来事のような気がしてきました。そして,な~んも関係ない気になりました。
 アメリカはすでに3億回近くの接種が終わっています。アメリカの株価が異常に高くなり,また,社会活動が平常にもどりつつあるムードになっているのがどうしてなのか,その意味が,私も接種してみてよく理解できました。つまり,ワクチンの接種はそれだけの意味をもっているということなのです。だから,日本でも,ワクチンの接種がもっと早くすすめば,オリンピックがどうのとか,自粛がどうのとか,そんなことはすべて吹っ飛んじゃうのです。
 一方,日本では緊急事態宣言が6月20日まで延長されるということですが,6月20日に解除しても,ワクチンの接種がすすまなければ,しばらくしたら,また,次の緊急事態宣言がはじまることでしょう。

 さて,この6月20日という時期は,高齢者の2回目の接種が終了しはじめるころに重なります。そうなると,おそらく,接種済みの高齢者を対象としたツアー旅行が売り出されることでしょう。旅行会社だって売り上げがなければ困るからです。これ以上のビジネスチャンスはありません。これまで我慢していた高齢者は,もう我慢の限界とばかりに,大挙してそうしたツアーに申し込むことでしょう。あるいは,街中にカラオケにと,どっと繰り出すことでしょう。
 その時期になると,接種をした人とそうでない人に社会は2分化されます。つまり,1957年(昭和32年)4月1日以前に生まれたかどうかが決定的な意味をもつ階級社会となるわけです。
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 季節は夏。
 問題なのは,同じころ,ワクチン接種をしていない若者もまた,接種の終わった高齢者と同じように,活動を開始しはじめるということです。そうなると,無防備な若者を中心として,再び,感染者が爆発的に増加するということになるでしょう。今年のゴールデンウィークにハワイに行けなくて沖縄に多くの人が訪れた現在のその結果から,それが予測できます。
 爆発的に増加をはじめるちょうどそのころ,だれも止める勇気がないので,なし崩しにオリンピックもはじまるでしょう。そしておそらく,意地でも観客を入れることになるのでしょう。しかし,そんな状況でオリンピックを開催したら,「オリンピックを観戦してオリンピックで感染した」という洒落にもならないことが起きるのは明白です。
 それに加えて,今はすっかり忘れていますが,8月は猛暑なのです。世界一過酷な日本の夏なのです。そんな夏に屋外でマスクをして炎天下で観戦をするということがどういうことか想像できないのでしょうか。室内で大相撲を見るのとはわけが違うのです。
 そもそも,コロナ禍とは関係なく,猛暑の夏にオリンピックを開催するということ自体が悪手です。ということで,この夏は,熱中症の患者に新型コロナ感染者にと,医療体制は大混乱に陥るかもしれません。これが杞憂であればいいのですが,もしそんなことになれば,この国は完全に終わりです。しかしそれでも,おそらく,だれも責任をとらないことでしょう。あるいは,首相だけが冷や飯をくらい,再び,毎度毎度自分の手に負えなくなると健康上の理由とかをこしらえて敵前逃亡を繰りかえした某氏が三度目の復権をするという悪夢が,ひょっとしたら見られるかもしれません。

 さて,ワクチンの余りはじめたアメリカです。ニューヨークでは観光客を対象に無料でワクチンの接種がはじまりました。それを目的に日本からも富裕層がニューヨークに出かけています。ツアーもあります。
 そこで,いい案があります。
 それは,日本に国民全体に行き渡る数のワクチンが確保できないのなら,この際,休業補償でお金を出す代わりに,その予算で日本国政府が飛行機をチャーターして,希望者を集めニューヨークまで行ってもらってさっさとワクチンの接種をしてきてもらうというのはどうでしょうか。航空会社も旅行社も潤います。何億円もかけて国民に布マスクを配ったり,愚策だった Go To Travel よりずっと名案でしょう。自粛自粛などといくらいったって,また,非常事態宣言をこれから何度繰り返したところで,ワクチンの接種者が増えなければ本質は何も解決しません。だから,このほうがずっと前向きの解決策となることでしょう。
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 かくいう私は,オリンピックもまったく興味がないし,酒も飲まないし,カラオケなどしないし,人混みも嫌いだし,当然,デパートなど行かないから,非常事態宣言がどれだけ続こうが,まったく関係がないよそ事の世界ですが,こんなことが続けば、商売をしている人はたまったものではありません。

 幸い,私は3週間後には2回目の接種が終わります。
 そうしたら,こんなグジグジした騒動とはおさらばして,再び2年前の落ち着いた日常に戻るのをこころ待ちにしています。


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 朝日新聞の読書欄で宇宙物理学者の須藤靖さんの紹介する本は,そのどれも私には興味深く,読んでみたいと思うものばかりであることに,喜びを感じます。
 そんな本のひとつが,5月22日に紹介された「数学に魅せられて,科学を見失う 物理学と「美しさ」の罠」という本でした。この本は原題を「Lost in Math : How Beauty Leads Physics Astray」といい,著者はサビーネ・ホッセンフェルダー(Sabine Hossenfelder)という 量子重力理論などを専門とする理論物理学者です。

 本の内容は
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 物理学の基盤的領域では,実験で検証されないまま理論が乱立する時代がすでに30年以上の長きに渡っていて,既存の理論を超えようとしては失敗し続けてきたと著者はいう。
 それら理論の正当性のよりどころとされてきたのは,数学的な「美しさ」や「自然さ」ということだが,なぜ多くの物理学者がこうした基準を信奉するのか? 革新的な理論の美が前世紀に成功をもたらした美の延長上にあると考える根拠はどこにあるのか? そして,超対称性,余剰次元の物理,暗黒物質の粒子,多宇宙… なども,その信念がはらむ錯覚の産物だとしたら? 
 研究者たち自身の語りを通じて浮かび上がるのは,一般の人が抱く,物理学の究極に向けて進撃を続けるイメージとは異なり,空振り続きの実験結果にとまどい,理論の足場の不確かさと苦闘する姿である。
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というものです。
 つまり,「物理学は数学の美しさのなかで道を見失っているのだろうか? と本書は探針を投じるのです。

 理論物理学は,実は,かなり前から行き詰まっていて,それは「実験の大規模化」がひとつの要因ということです。
 日常のエネルギースケールで発見できることは発見し尽くされてしまい,ここから先に進むには,さらに巨大な実験装置を建設しなければならないのですが,それが地球の規模を越えるところまで来てしまったのです。それはまた,天文学も同じです。
 また,このごろ話題となっている素粒子物理学や宇宙論で発表されてきたヒッグス粒子や重力波などの数々の理論は,20世紀の半ばに予言されていたものが今になってようやく観測されたものであって,ここ30年間に発表された理論ではないのです。
 そこで,それ以降の理論は未だ実証されていないのですが,そうした理論を多くの物理学者が正しいと「確信」している理由,それは「美しい」からだというのです。物理学者が「美しい」と思うのは
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①理論がシンプルであること(simplicity)
②理論のなかに恣意的に見える定数値や極端に大きかったり小さかったする無次元量が出てこないこと(naturalness)
③その理論によって一見無関係な対象や分野が思いがけないかたちでつながること(elegance)
  ・・・・・・
なのだそうです。

 では,理論的であるはずの物理学で,理論が「美しい」などいう主観的な基準で正しいと信じられるその根拠は,ケプラー、ニュートンの時代からずっとそれでうまくいってきたから,ということだそうです。しかし,実際には,現代の理論は,超対称性理論にしても「美しい」形の理論は保持できていないのです。
 そこで,もはや「美しい」という基準に頼るような理論の構築はうまくいかないのではないか? ということになるわけです。「美しい」という基準を科学に持ち込むことについて,物理学者たちは無反省すぎるのではないかと,著者は語るわけです。
  ・・・・・・
  Someone needs to talk me out of my growing suspicion that theoretical physicists are collectively delusional, unable or unwilling to recognize their unscientific procedures.
  ・・
 理論物理学者たちは,総体として自己欺瞞的であって,自分たちが非科学的な手続きをとっていることを認めたがらないか,あるいは,その能力がない集団なのではないか。そういった私の中に膨らむ疑念をだれかに晴らしてもらわないといけない。
  ・・・・・・

 私は,以前にも書いたように,人類が作り上げた「数学」を使用することで物理学がこの世の現象を語ることができる,というのは幻想であって,創造主は人類にそんな能力を授けてはいない,と思っています。これまでの歴史が語るように,「美しい」という数式で一旦は認知された理論が,その後に覆され,そして,複雑化していく様が,まさにそれを実証しているように思えます。そもそも,素粒子が現在予想されているようにたくさんあるわけがないでしょう。これまでの理論が破綻すると,新たなものを想定する,そんなことを繰り返しているのは,むしろ,真実から遠ざかっているだけのように,私には感じられます。
 創造主は,人類が現在想定している理論のような,そんな複雑なものは作っておらず,この世の現象はもっと単純に,それこそ「美しく」書き表せるのだ,と私は思っています。しかし,その真実にたどり着けないのは,人類にはそんな能力が授かっていないからなのでしょう。
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 現在,宇宙全体の質量のうち,人間が知っているものはわずか5パーセントにすぎず,わからない残りの95パーセントは,26.5パーセントのダークマターと68.5パーセントのダークエネルギーが占めているということです。しかし,そもそも「ダーク」(dark)というのは「わからない」の意であることから,実は何もわかっていないのであり,それを煙に巻いて,ダークマターとかダークエネルギーと名づけることで,一般の人に,さも,わかっているかのように錯覚させているだけで,実際は,人類はそのほとんど何も知らないのです。
 …というようなことを私はこれまでずっと思っていたのですが,この本は,そうした私の思いを語ってくれていることに,意を強くしました。

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 この旅は,予定では出発が2020年3月25日水曜日でした。いつものように,セントレア・中部国際空港から空路で成田国際空港に行き,そこで,カンタス航空に乗り替えて,メルボルンへ。メルボルンで乗り換えて,アデレードというルートでした。
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 オーストラリア,および,オーストラリア乗り換えでニュージーランドというのはとても楽な旅です。オーストラリアまではほとんど時差がないからです。オーストラリアからニュージーランドまでは3時間の時差があるのですが,国内線のような感じなので,苦痛は感じません。オーストラリアのブリスベンからニュージーランドのクライストチャーチまでは,まるで名古屋から東京へ行くようなものです。
 しかし唯一の欠点は,私の住む愛知県からオーストラリアへ行くには直行便がないということで,まず,成田空港や羽田空港まで行ってそこでオーストラリアへ行く直行便に乗り換える必要があって,これがめんどうなのです。

 セントレア・中部国際空港からはキャセイパシフィック航空を利用すれば香港で乗り換えでオーストラリアまで行くことができます。名古屋発でオーストラリアへ行くツアーはその手段を使うということです。成田乗り換えよりも香港乗り換えのほうが楽だと思って,私も一度それを使ってみたのですが,香港での乗り換えが思った以上に面倒なことと,乗客の多くが中国人なのと,オーストラリアに到着する時間がカンタス航空で日本から直接行くことに比べて遅くて,その時間の空港が異常に混雑していて入国が思った以上に大変だったので,一度で懲りました。
 また,成田空港からだとカンタス航空とジェットスターが,羽田空港からだとJALとANAがオーストラリアへ飛んでいます。ジェットスターには一度乗ったことがあるのですが,利用した結果,二度と乗りたくないと思いました。ジェットスターは格安航空という触れ込みですが,何かと別途お金がかかり,それらを選択すると逆に割高になってしまうのです。それに比べれば,カンタス航空はきわめて快適です。
 カンタス航空の欠点といえば,エコノミーコンフォートにアップグレードすることが面倒なことと,エコノミーだとマイレッジがつかないということです。どうも私は,そういったオーストラリアという国の,というか,オーストラリア人の,いわゆるO型的なあいまいさが,なぜか性にあわないのです。塩梅が多すぎて,いろいろよくわからないのです。実は,日本人のあいまいさも同類なのですが…。
 オーストラリアはいいところだしいい人が多いのに,どうも私にはいつも何かが引っ掛かり,それが理由で大好きになれないのですが,それは一体なぜなのだろう,といつも不思議に思います。


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 2020年も,私は5回以上の海外旅行を計画していました。
 その1回目は2月のハワイ・モロカイ島で,これは行くことができました。その様子はブログに旅行記も書きました。2回目は3月のオーストラリア,3回目は6月のフィンランド,4回目は8月のアメリカでした。この3回はすでに航空券が予約してあったし,ホテルなども必要なところだけは予約がしてあったのですが,コロナ禍で,すべて行くことができなくなりました。また,5回目は秋にチェコに行こうと考えていたのですが実現できませんでした。
 このブログは私個人の記録なので,行くことができなかったこれらの旅について「幻の旅行LIVE」を書いておくことにします。いつの日にか行くことができることを祈りつつ。
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 では,まずは幻となったオーストラリアの旅からはじめます。
 この「幻の旅行LIVE」には当然写真がないので,これまでに行ったときに写した関連した写真を載せることにします。

 この旅の目的は,いつものように星見でした。3月から5月にかけて,気候が反対の南半球は秋ですばらしい星空を見ることができます。今回は,その前に,3日間,アデレードへ行くことにしました。
 星見は,私が年に1度のペースで行っていたクイーンズランド州バランディーン(Ballandean)の定宿で,もう,何度も行ったので,特に今回何がしたいということもなかったのですが,何度見ても南天の星空は楽しいものです。ただし,この定宿は日本で知名度が上がってしまい,日本人と一緒になることが増えたのが欠点です。私は海外に日本からグループで(つるんで)やってきた日本人とは会いたくないのです。それは,いかにも日本人らしいストイックさと群れたがりが私には性に合わないので,一緒にいても楽しくないからです。一方で,海外に住んでいる日本人の多くはおよそ日本人らしくないので好きですが。
 このごろは星見だけでは,ということで,その前に,3,4日,オーストラリアの別の場所に寄ることにしていたのですが,今回選んだのがアデレード(Adelaide)でした。


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 なんとなく見はじめたNHK総合の土曜ドラマ「今ここにある危機とぼくの好感度について」がとてもおもしろく,はまってしまいました。
 とはいえ,このドラマの題名が長すぎて覚えられないので,まわりの人たちにおすすめできないのがたまらなく残念です。
 ドラマの内容は
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 主人公は大学の広報マン。次々に巻き起こる不祥事に振り回され,その場しのぎで逃げ切ろうとして追い込まれていく。
 その姿をブラックな笑いとともに描きながら,現代社会が抱える矛盾と,そこに生きる人々の悲哀に迫る。
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というものです。
 このドラマの脚本は朝ドラ「カーネーション」を担当した渡辺あやさんです。ドラマは脚本で決まります。
 テレビ局のイケメンアナウンサーで,話の内容がまるでない,という才能? が買われ,名門「帝都大学」に中途採用された広報マンが,大学で続々と起きる不祥事や問題に対して,学内外の批判をかわすためにいい換えやらへ理屈を考え,優柔不断な総長や隠蔽体質の理事たち,そして,事なかれ主義の上司に,正論を吐くがちょっとウザい教授,自由すぎる変人教授などなどの中で格闘するというお話です。

 現実の社会でも,今や,大学は悪しき成果主義に毒されていて,予算も減らされ,先生たちは研究をするより予算取りとその書類書きに忙しく,まことに気の毒な限りです。
 現在のコロナ禍でも明らかになったように,国は基礎研究に予算をつけなかったことで,国産のウィルスを作ることもできず,また,東京オリンピックでもわかるように,組織では,一旦決めたことを止めることができる責任者がだれなのかのかすら明白でないのは,幕末,ペリーの来航時代からまったく変わらないというのが,典型的なニッポンムラ社会というわけで,そうした現実をおもしろおかしくドラマ化したというのが,この番組です。
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 私にとってこのドラマをさらに興味深くしているのが,そのロケ地となっている三鷹市の国立天文台です。国立天文台もまた,予算の削減に苦しんでいて,その怒りの矛先を向けているのかどうかは知りませんが,国立天文台の全面的? なバックアップが,このドラマの描く大学の置かれている状況がとてもよくわかるしかけの一端を担っています。

 ところで,先日,朝日新聞と読売新聞と日本経済新聞に宝島社が載せた全面広告がありました。
 それは
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 ワクチンもない。クスリもない。タケヤリで戦えというのか。このままじゃ,政治に殺される。
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というものでした。それに対して,マスクをしたり消毒をする国民のやっていることをタケヤリとしてバカにするのか,とかいう的外れの批判をした人がいるそうですが,この広告はそんなことはいっていません。政治はワクチンやクスリをつくる努力をしろ,と主張しているだけのことです。
 まあ,何をいおうと書こうと,さらに,こうしたドラマを作ろうとだれが見ようと,「何も変えたくない」ニッポンムラ社会は変わりません。そして,変われません。このアイロニーに満ち満ちたドラマを楽しく見ながらも,ふと現実にもどったとき,それが残念であり,むなしくもあります。


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 ニコンという会社があります。このところ,スマホの影響なのかどうかは知りませんが,本業のカメラが売れず,この会社,いろいろといわれています。もともとは天下の三菱グループ,漏れ聞こえてくる話では,かなりのホワイト企業で,給料も高いのだそうです。社内は年功序列,成果主義もなく,新しいことなんてしたくない,製品の企画も途中でやめて完成しない,というムードに満ち溢れているそうです。リストラで有望が若手が次々と辞めているという話もあります。
 現在もまた,商品開発でかなり出遅れていて,こんなことでは先行きが危ういのにも関わらず,高級品の開発だけが予告され,一向に,噂されるレンズや入門者向けの新製品が出る兆候すらありません。
 おそらく,オートフォーカスが普及しはじめたころはミノルタ,カメラがディジタル化に向かったときはキヤノン,そして,ミラーレス一眼ではソニーという会社のおかげ(せい?)で,仕方なく,いやいや後追いで新製品の開発をしているようにも思えます。もし,そうしたライバル会社がなければ,今でも,延々とニコンFの改良版を作り続けていたかもしれません。そしてまた,そんな保守的な会社の製品を,未だにニコンというブランドを信じて愛好している人が,私を含めて少なくありません。

 とまあ,これは一例ですが,この日本という国の人々の本質は,ひと言でいえば「何も変えたくない」のだと,ある人が言っていました。先にあげた一企業同様,できれば現状維持でいい,というのがおそらくは本音なのでしょう。それは,歴史を思い起こせば容易にわかります。そうした特徴が最も如実に表れているのが,平安時代と江戸時代です。外から揺すられない限り,現状維持の社会体制が脈々と続くのです。借金の山がやがて自分の身に降りかかる不幸など我関せず日本に生まれて幸せ,という保守化した若者がその予備軍です。
 本音はずっとそうしていたいのに,何かのきっかけでそうしていることができなくなったとき,そのほとんどは外圧によるものですが,何かのエネルギーがいやいや起きて,激動の時代となるのです。そのひとつが明治維新でした。そして今度は,走りはじめてしまうと止められない。だから,明治維新も第2次世界大戦で負けるまで改革を続けるし,リーマンショック後の金融緩和も終われない。そしてまた,今回の東京オリンピックも止められないわけです。それもまた「何も変えたくない」からです。
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 今の時代は,世界ではインターネットやら人工知能やらといった情報技術が急激に進歩しているのですが,「何も変えたくない」この国は,そうした世界からの流れに完全に取り残されています。
 将来を担う若者を育てなければならない学校教育にしても,数年に1度,表向きにはカリキュラムを変えてはいるものの,それを考えている人たちも,そうした仕事は,所詮,出世するための踏み台にすぎず,真にこの国を変えようなどという意思はさらさらない保守的な人たちの集まりだから,根本的には何も変わりません。たとえば,今の教科のままでいいのか,とか,何を学ぶか,などの根本的な議論はしないで,今のまま,少しの項目を削ったり増やしたりしているだけだから,内容のほとんどは50年前とまったく同じです。そしてまた,大学入試改革でも失敗を繰り返し,その結果,教育産業が栄えるだけで,何の成果ももたらされていません。学校現場もまた,スマホすら使いこなせない多くの教師は未だに大学合格者の数を競うことが仕事だと思っていて,過去の入試問題を解けるようにすることを授業と称して3年間を費やしています。
 同じように,国も,マイナンバーとやらを作ってみたところで,税金を取ることだけが目的で,それを積極的に活用する意思も視点もないものだから,活用すればかなり効果的なのに,新型コロナウィルスのワクチン接種では,また新たな固有番号を自治体が独自にふったりして,おまけに,やっつけ仕事だから各地で混乱が起きています。
 このように,すべてがその場しのぎなのです。そもそも,そうした施策をしている人たち自身が,学生時代に大局的に物事を考えるような教育を受けておらず,コンピュータの仕組みも知らず,単に点数稼ぎの上手な人たちがエリートとなり,責任を被らないことだけは一人前だから,こんな無様な状態です。こんなことでは,近い将来,ワクチン接種証明書などという公的なものが必要となっても,再び混乱することは目に見えているわけです。本当にお気楽な国です。

 その一方で,やたらと道路を作ったり,リニア新幹線を作ったり,オリンピックに万国博覧会にと,自然を壊したり,新しい箱モノを作ることには熱心です。しかしそれは,新しいことが好きだからではなく,そうでもしないと多くのゼネコン会社の仕事がなくなってしまうからです。だから,将来についての視点があるわけもなく,仕事をつくるために前例を踏襲してやっているだけの話です。要するに,作っては壊し,作っては壊し,つまり,幼児が砂場で遊んでいるようなものです。そうして,日本の自然がどんどんと壊されていきます。
 歴史上前例のない高齢者社会となった今日,新たなインフラなど作っても,将来はそれを維持することにも困るから,これまで通りに仕事をしていては先行きはありませんが,おそらく,自分に責任が被らなければ,そんなこと知ったこっちゃないのでしょう。
 私は,この先はもう,新しいインフラなど作らず,これまでに作って無駄になったインフラを壊して再び自然に戻すような工事をしたほうがずっとマシだと思うのですが,なにせ「何も変えたくない」国民なのですから,そんな思い切った新たな試みを企てることなど到底できないでしょう。
 かくして,この狭い国土は,廃墟と化していくのです。
 何を憂いたところでこの国の本質が変わらないのなら,そんな国に住む私もまた,今の楽しい生活を「何も変えたくない」ので,そんな外界とは縁を切り,せいぜい自宅で音楽鑑賞と読書にはげむとしましょう。


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 しばらく海外旅行をしていない今,思い出すのは有名な観光地ではなく,小さな町ばかりです。日本に来た外国人が帰ったあとで思い出すのが郡上八幡市だった,みたいなものでしょう。私は個人旅行をしていて,安価に宿泊できるところばかりをさがしているので,必然的に小さな町に泊まることになるわけです。
 そんな小さな町のひとつが,ニュージーランド南島にあるアロータウン(Arrowtown)です。
 私はニュージーランドには2016年と2018年の2度行きました。ともに南島です。北島には行ったことがないので本当のことはわかりませんが,北島には行きたいと思ったことはありません。
 私が思うニュージーランドの南島の印象は,とにかくきれいなところ,ということです。面積は日本の本州程度でしょうか。しかし,日本とは人口が決定的に違い,道路も渋滞していないので,2度旅行をしただけですが,ほぼすべての場所に行くことができました。日本より圧倒的にストレスのない国です。
 欠点といえば地震が多いことですが,これは日本と同じくらいでしょう。そして,ニュージーランドからはヨーロッパやアメリカに行くのには遠いこと。さらには,歴史が浅いので,アウトドアに興味がなければ飽きちゃうことですが,これは人それぞれでしょう。

 私が2度目のニュージーランドに行ったのは,1度目の旅で行くことができなかったミルフォードサウンド(Milford Sound)に行きたかったこと。これが最大の理由でした。
 1度目に行ったテカポ湖(Lake Tekapo)にもう一度行ってみたいなあとずっと思っていて,安価な宿泊地を見つけたことが2度目に出かけた動機でしたが,せっかくだからと,その折にミルフォードサウンドまで足をのばすことにしたのです。しかし,ミルフォードサウンドはとても遠く,近くには町もなく,行くことがたいへんそうでした。もっとも便利そうだった大きな町はクイーンズタウン(Queenstown)でしたが,クイーンズタウンは人気の町でホテルが高く,そこで見つけだしたのがクイーンズタウンから北に20キロメートルほど行ったところにあるアロータウンという町のホステルでした。名古屋に行こうと思って中津川に泊まった,という感じでしょうか。結局,ミルフォードサウンドにはクイーンズタウンから現地ツアーを利用して行ったのですが,私の泊ったアロータウンまでわざわざタクシーが迎えに来てくれました。
  ・・
 このときの旅では,まず,クライストチャーチに到着してレンタカーを借り,クライストチャーチからテカポ湖へ行き,再びテカポ湖からクライストチャーチ(Christchurch)まで戻って,その後に,クライストチャーチから空路クイーンズタウンに来て,クイーンズタウンで再びレンタカーを借りました。カーナビの案内にしたがって走っていくと,やがて,風情のある田舎町につきました。その,わずか数十件ほどの商店街がアロータウンのすべてでした。
 私が予約してあったのは,ホステルというよりも,いわゆるタバーン(飲み屋)で,その店の裏に6部屋あった宿泊施設だったのには驚きました。 バーのカウンタでチェックインをしてキーを受け取りました。これだけでも驚きなのですが,ニュージーランドは大きなホテル以外は,こうした民泊のようなところばかりです。これがまたいいのです。

 行ってみるまでまったく知らなかったのですが,アロータウンはゴールドラッシュで栄えた町でした。当時の面影がいたるところにあって,その雰囲気を楽しむために,結構な観光客が来ていました。クイーンズタウンからはバスでも簡単に来ることができるようでした。
 なんというか,アメリカの西部劇で出てくるような町でした。
 アロータウンがこんなすてきな町だとは知りませんでした。かつて金の採掘で栄えたところなので,今も,この町に流れる川では砂金が取れるというし,町の雰囲気も伝統を感じさせて,とてもよいところでした。
 夕食後,アロータウンの町を散歩しました。この町一番の見どころというのは,19世紀に金の採掘者として労働をしていた中国人居住区を再現した公園でした。ここは宿泊先から5分くらい歩いた場所にあって,当時の住居跡がいくつか復元され,詳しい説明が書かれていました。
 ニュージーランドというのは,どうやら,かつては,上流階級にニュージーランド人がいて,その下の労働者階級に中国人がいた,という社会だったらしく,ここの中国人住居跡は住居というよりも掘立小屋といったほどの粗末なものでした。
 また,この町には博物館もありました。
 博物館は外観からは想像できないほど,内部の展示が充実していました。このあたりの歴史がとてもよくわかりました。もし強度の地震が起きた時の安全が保障できないので自己責任で見てください。という表示が地震国ニュージーランドを思い起こさせました。要するに建物が耐震補強されていないということなのでしょう。
 今,思い出しながら書いていると,また,行ってみたいという想いが募ってきました。ニュージーランドはアメリカ的な商業主義に毒されていないのどかな国です。そして,そんな国の小さな町のひとつがアロータウンなのです。

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 以前,ブログに
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「宇宙大作戦」で最も印象に残っているのは,どの回だったのかは忘れましたが,ある惑星では,そこに生存する生物が進化しつくして肉体を超越してしまい,生命がエネルギーだけになったというものです。それは,当時,私が進化について思っていたことと同じだったので驚いたことがあります。「2001年宇宙の旅」(2001: A Space Odyssey)でも同じようなことを「モノリス」(Monoliths) として描いているらしいのですが,私はその映画を見たことがありません。
  ・・・・・・
と書きました。

 それがCSのスーパー!ドラマTVで5月15日に放送された第26話「クリンゴン帝国の侵略」(Errand of Mercy)だということがわかりました。
 物語の内容は
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 地球が属する惑星連邦とクリンゴン帝国の平和交渉が決裂し,ついに全面戦争に入った。カークたちは宇宙艦隊総司令部の命令で惑星オルガニアに急行する。このオルガニアは戦略上双方にとって重要な位置にあるため,クリンゴンの基地にされるのを阻止せよという命令だった。
 クリンゴン機からの奇襲攻撃をうけるが,これを退けたエンタープライズはオルガニアにやってくる。カークとスポックが上陸しオルガニアの議会との交渉に当たるが,議員たちにはまったく危機感がなかった。オルガニアの議会は惑星連邦に協力する気はないという。
 軌道上にクリンゴンの大艦隊が現れ,エンタープライズは撤退。惑星オルガニアにクリンゴン占領軍が押しよせる。カークとスポックは市民になりすまして抵抗活動をはじめるが,クリンゴンに対してゲリラ活動をするカークたちにオルガニアの議会は賛同しなかった。
 議会の会話は盗聴されており,カークの正体もばれてしまう。カーク達は捕らえられたが,オルガニアの議会に救出される。怒ったクリンゴンのコール司令官はオルガニア人の虐殺をはじめるが,だがそれでもオルガニアの議会は全く抵抗しようとはしなかった。
 カークとスポックは虐殺を止めるためクリンゴン司令部へ潜入し,コール司令官と対決するが,突然あらゆる武器が高温になり使用不可能になる。そこに現れたオルガニアの議長によると,軌道上の艦隊も同じ状態にあるという。
 オルガニア人は実ははるかに進化したエネルギー生命体だった。人の姿をしているのは仮の姿だったのだ。惑星連邦とクリンゴンの軍事力をどちらも使用不能にした彼らは,双方に撤退を要求する。圧倒的な力を持つ彼らの前には,惑星連邦のカークもクリンゴンのコールも引き下がるしかなかった。
  ・・・・・・
というものでした。

 このあと,「宇宙大作戦」はクリンゴン帝国との関りが強くなってので,この回では,クリンゴン人はじめてのお目見えという面で語られることが多く,私が印象に残っているという,オルガニア人が進化したエネルギー体だという面があまり語られていないのが残念です。
 しかし,私は,宇宙に進出しても人類は相変わらず戦いを繰り返してるだけという愚かな生き物であることに対して,オルガニア人がそれを超越した存在として描かれていることに興味を覚えます。
 「宇宙大作戦」は米ソ冷戦時代に作られたので,それをアイロニーとした内容が多く描かれているのですが,つくづく人間は争いが好きな生き物なのだなと感じてしまいます。
 この回の最後に
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 カーク:私達のような生物とはどういう意味だ。
 オルガニアの議長:実は何億年も昔,私達もやはり人類だった。だが身体を必要としない段階にまで進化した。いま諸君が見ているのは便宜上の姿。仮の姿だ。
 -オルガニア人の身体が光りはじめ,白い光球となった。そして消滅した。
 スポック:すばらしい。純エネルギーとは。純知能だ。実体がまったくない。理解を超越した生命です。
 カーク:この惑星はどうなんだ。あの町や建物やこの部屋は。
 スポック:やはり便宜的な姿でしょう。彼らには必要ありません。進化論から判断すると,我々人類は彼らオルガニア人から見れば恐らくアメーバ程度でしょうね。
 カーク:アメーバ同士が戦っても、虚しい限りだ。
 -カークに近づくスポック。
 スポック:あれからずっと何を考え込んでるんですか?
 カーク:反省してるんだ。戦いを止めようとしたオルガニア人をあんなに軽蔑して。人間は宇宙で最も優れた生物だと誰でも思っているんだろうがね? 見事に覆されたよ。
 スポック:船長。彼らは何億年の歳月をかけてやっとあそこまでになったんですよ。何も恥ずかしがることはないでしょう。我々は結局任務を果たしたんですからね。
 カーク:いやあとんでもない。我々にはそんな力などなかった。偉大なオルガニア人のおかげだ。
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というシーンがあるのですが,私には,つくづく,人類が非常になさけない生命に思えてなりませんでした。


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 たとえば「1兆」と書くのと「1,000,000,000,000」と書くのとではずいぶんと印象が異なります。「1万」と「1兆」はほどんど同じ印象であるけれど,「10,000」と「1,000,000,000,000」ではずいぶんと違います。
 そこに錯覚を起こさせる要因があります。
 今は少し落ち着きましたが,一時期,ポイントカードというものが急にさまざまなお店で導入されまた。そして,モノを買うときに「ポイントカードはお持ちですか?」と聞かれるわけです。持っていないとものすごく損をした気になります。
 このポイントカードというもは,顧客をつなぎ留める働きよりも,ポイントカードを持っていない新規のお店でモノを買う気持ちをなくさせるデメリットと,いちいちそれを聞く定員さんの手間のほうが大きいと私は思うのですが,どうでしょうか? 実際,「ポイント3倍セール」といったところで,1,000円のモノを買って1円値引きするか3円値引きするかほどの違いしかありません。ほとんど意味はないのです。

 それと似た商法で,1,000人にひとり買った金額だけキャッシュバックをするとかいうのもあります。
 これも少し考えればわかるように,一律1パーセント値引きするよりも,お店としては損がないのです。しかし,お客さんにとってみれば,1,000円のモノをかって10円値引きしてもらうよりもひょっとして1,000円マルっともどったほうが得なような錯覚を覚えるわけです。
 1,000人の人がひとりあたり1,000円買って全員から1パーセント値引きすれば10,000円必要だけど,ひとりだけマルっと返金すれば1,000円で済むのですから,お店にとれば,こんなうまい商売はないのです。
 このように,金儲けというのは,そのほとんどが心理ゲームでできているのです。
 要するに,ほとんどの宣伝は端した違いしかないのです。むしろ,いろいろわずらわしいだけなのです。

 そもそも,最も高価な買い物はおそらく「家」でしょう。
 家を買うとなると少なくとも3千万円,いや,30,000,000円が必要です。買うときだけでもこれだけの金額が必要なのに,その後はずっと,毎年の固定資産税とかリフォーム費用が必要なのです。よく,賃貸と持ち家のどちらが得かみたいなことが書かれていますが,そこには税金などの費用が考慮されていません。要するに,買わせたいだけだからです。借りれば借りたときの借賃だけで済むから,わずらわしいこともないし,ましてや,いつ何時天災が起きてなくなってしまうかもしれない,そんな家をもつことのリスクのほうが果てしなく大きいわけです。
 おそらく,歳をとったときに貯蓄のない人のほどんどは,若いころに家を買っちゃったということが要因となっているのでしょう。この先,有史以来はじめての超高齢者社会を迎える日本を生き抜く必要のある若い人は,そうしたまず金銭感覚を磨くことが大切でしょう。

 少し前,60歳で2千万円が必要と話題になりました。
 60歳から90歳まで30年。厚生年金がなければ,わずか月5万円あまりの国民年金があったところで,たまには旅行でもしようとすれば,毎月必要なお金は25万円ほどです。であれば1年で3百万円なので,30年で9千万円。病気をしたり,介護施設に入るなら,そこにさらにお金が必要です。
 しかし,この先,定年もなくなり,退職金も当てにできず,年金も目減りし,さらに,介護保険も際限なく値上がりする超高齢者社会のこの国では,60歳で2千万円どころか,若者がめざすのは,今の貨幣価値にして60歳で1億円です。これを実現するには,20歳から毎月20万円の貯金が必要です。毎月のお給料のそのほとんどを貯金にしてもやっとという感じです。だから,一時の物欲で高級車を買うとか,単なる点数争いのために子供に宿通いをさせるとか,ましてや,ローンで家を買う余裕などまったくないのです。
 …ということなのですが,これを実感するために,とりあえずは「1億円」と書かずに「100,000,000円」と書いてみることからはじめてはいかがでしょうか?


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 今は,残念ながら,全くオリンピックには興味がない私ですが,子供のころは夢中だったと,前回書きました。
 私が若いころは,1964年の東京オリンピック,1970年の大阪万国博覧会,そして,1972年の札幌冬季オリンピックと,国際的なイベントが目白押しでした。日本には夢があり,発展途中でした。
 だから,そのころの,こうしたイベントにも夢があり,こうしたイベントとともに都市が整備されました。
 今またこうしたイベントを行おうと考えるのは,当時の盛り上がりを忘れられない人たちなのでしょう。しかし,今と昔では,日本に置かれた状況が違い過ぎるのです。だから,うまくいくわけがないのです。
 これだけ負債を抱え,老人だらけのこの国に,これ以上の重荷を負わせては,若者が気の毒です。今でさえ,作ってしまった高速道路や橋梁を維持することすら困難なのに,さらに,リニア新幹線やら国立競技場やら作ってしまって,いったいどうしたいのでしょう。
 そこに,コロナ禍が輪をかけました。

 さて,気分を変えて。
 1972年の札幌冬季オリンピックには「虹と雪のバラード」というすてきなテーマソングがありました。
 YouTube などで今でもこの曲を聞くことができるのですが,それを聞いていて思い出したのが,札幌冬季オリンピックの女子フィギュアスケートで銅メダルを取ったジャネット・リン選手(Janet Lynn Nowicki)です。私の世代で,この女性を知らない日本人はひとりもいないと思います。
 フリー演技のとき,シットスピンで転倒し,尻もちをつく失敗があったものの,その美しい演技は芸術点で満点の6.0も出るなど高得点を獲得しました。
 当時のルールで重要視されていた,今はないコンパルソリー演技(氷の上に決められた図形を描くという規定演技)が苦手であったために,合計点で3位となりましたが,その愛くるしい笑顔から「札幌の恋人」「銀盤の妖精」とよばれ,日本中で人気を得ました。
 当時,私の同級生が夢中になりました。彼はのち京都大学を出て医者になったという秀才ですが,英語を習いたてのそのころ,「リン」を何も調べずに「Lynn」だと正しく書いて,私はびっくりした思い出があります。しかし,その彼は,医者でありながら自分の病気を発見できず,52歳で亡くなりました。
 なお,現在,ジャネット・リンさんは67歳で健在です。

 先に書いたように,当時のフィギュアスケートには,スポーツとしての要素が高く,コンパルソリーというような,いわば,学科試験があって,これは,観客を入れず,というか,見ていてもまったくおもしろくなく,黙々と氷の上で図形を描き,それを審判団が正確に描けたかどうかを調べるというものだったらしいのですが,その是非はともかく,現在のフィギュアスケートは,あまりにショービジネス化してしまって,それはそれでいいのですが,スポーツとして順位を争うものなのかなあ,と思ってしまいます。
 私は,今はまったく興味がないのでほとんど知りませんが,サルコウジャンプ(Salchow jump)とかいわれても,勝手にしろと思ってしまいます。そもそも,一般の人に見せるのに,あのわけのわからぬ採点方法,そんな微々たる順位争いは,もう,オタク以外は見るな,といっているようなものですが,それをオリンピックでやるということが,私には理解不能です。
 ショパン国際コンクールと一般のコンサートを一緒くたにするようなものです。

 今,札幌冬季オリンピックのときの映像を見ると,フィギュアスケート競技は,この程度の採点でいいじゃないか,と思います。オリンピックに限らず,ここ50年余りの社会の変化,特に,何でも順位づけをしたがる風潮など,多くのことにおいて,全く進化とはいい難いものばかりだと思うのは,私が年寄りだからでしょうか。


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 昨年のこの時期から家の近くを散策しているのですが,1年前は,私の住んでいるところからほんのわずか離れたところで,これほど美しい景色が写せるなんて,夢にも思いませんでした。
 5月になって日が沈むのが遅くなると,夕食後の散歩が気持ちいいです。まだ,さほど暑くないのがいいのです。特に,今年は,今のところ,例年より涼しい日々が続いています。
 この写真は日没後の夕焼けを写したものですが,時に,空が異常に赤く染まることがあるのです。
  ・・
 お昼間に歩いていても,見慣れた風景にすぎないのに,日が沈み,周りの風景がシルエットとなると,その姿が一変します。また,田植え前は,田んぼに水がはってあるので,夕焼けが水面に反射して美しくなります。こんな姿を見ることができるのだから,夕暮れの散歩はやめられません。また,カメラが手放せません。

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☆☆☆☆☆☆
 このところ天気がさえません。 
 この時期は例年は五月晴れの日が続き,3月末から4月にかけての春霞やら黄砂から解放され,また,寒さからも遠のいて,夜は短いですが,星見には最適な季節となるのですが,今年はだめです。 
 さまざまな天文現象が報道されているのですが,果たして何人の人が実際に見るのだろうかと思うとかなり疑問を感じます。特に流星群のニュースなんて,晴れていても満足に星も見えないのに,何をいっているの,と私は白けてしまいます。
 そんななかで,天気さえよければ,都会でもまあ満足に見られるのが惑星と月の接近,そして,国際宇宙ステーションです。
 5月13日は月齢1.7の月が水星の下に,そして,5月14日は,月齢2.7の月が水星に追い越されて,西の空に見えました。また,午後8時30分ごろは,国際宇宙ステーションが天頂付近を通過しました。私は,いつものように,夕食後の散歩を兼ねて,西の空の開けたところにカメラと三脚を持ってでかけました。

 5月13日。月の下にはさらに金星があるはずなのですが,まだ日没からまもなく明るくてまったく見られませんでした。そのうち,次第に西の空には雲が深くなってきて,何も見えなくなってきました。しかし,それはそれでおもしろいものです。…などと思うようになったのも不思議な話です。
 しばらく見ていたら,雲の隙間から薄っぺらな月が見えました。そして,さらに待っていると,水星が見えました。月が見えるときは水星が雲に隠れ,その反対に,月が隠れると水星が見える,という状態だったのですが,やがて,ほんの一瞬,月と水星が見えました。そのときに写したのが,今日の1番目の写真です。
 翌日,5月14日。天気予報では晴れということだったので期待したのですが,空一面に薄雲があって,がっかりしました。月と水星だけでなく,さらに上空には火星もあって,35ミリほどの広角レンズなら,水星と月と火星が写せるはずだったのですが,薄雲の奥に月だけが見えました。薄雲の向こうの月というのも,それなりに幻想的なものでした。また,国際宇宙ステーションは,薄雲に負けることもなく,明るく輝いて通過するのを見ることができました。


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 機械いじりの好きな人には,天体望遠鏡はたまらない趣味なのかもしれません。実際,カタログを見ても,凝りに凝った製品があふれています。しかし,これを使うとなると,どこで? 何が目的で? となってしまいます。
 もし,私がオーストラリアのクーナバラブランのような,自然一杯で晴天率もよく空には満天の星が輝いていて,しかも,広大な土地が安価に買えるところに住んでいたならば,車1台買う程度の投資をして,私設天文台を作るのも楽しいかもしれません。しかし,晴天率も悪いし空も明るい,かつ,家も狭い日本で大きな天体望遠鏡を買ったところで,どうにもなるものではありません。私は,あげるといわれても困ります。

 自宅から2時間も3時間もかかるところに私設の天文台を建てた人も少なからず知っていますが,建てただけで満足して,いったいどれだけの稼働率があるのかな? と思ってしまいます。
 であれば,小さな携帯赤道儀に広角レンズをつけたカメラ1台持って旅に出て,そこで,満天の星を写すか,あるいは,車にのっけて,降ろしたらすぐに使えるほどの小型望遠鏡を1台持っているほうがずっと使い道もあるし楽しいもの,と思うのですが,今は,適当な製品すらありません。
 願わくば,往年発売されていたような今日の写真にあるP型の小型赤道儀に極軸望遠鏡とモータードライブを内蔵しただけの機材か,あるいは,ビクセンのポラリオをもう少し簡易にしたものがあれば私には十分なのですが…。そんなポラリオも,また,新しくなったと思ったら,多くの人の要望を全部取り込んでしまったものだから,以前のもののような簡便さがなくなってしまいましたし,ほかにもさまざまな製品があるにはあるのですが,やはり,スペック争いの好きな日本人の多くの要望を込々にするものだから,次第に使いにくいものと化してしまっています。

 カメラもそうですが,どうして日本人は機能にこだわって,使いもしない性能の高さを争うのでしょう。そういう人に限って,そうした機能は使いこなせていないのです。
 とはいえ,天体望遠鏡業界なんて規模が小さいから,長い間使い続けて調子が悪くなったとき,その修理ができる手段も少ないから,大切に使うことが難しいのです。往年の会社で今も存在しているところは少ないし,また,ニコンやペンタックスが昔発売していた天体望遠鏡は,今も会社はあれど,望遠鏡のような売れない製品からさっさと手をひいてしまい悪くなったときにサポートなんてしてくれそうにないわけです。さらに探して見ると,なんとか修理をしてくれそうなところがないわけでもないのですが,どこまで修理が可能かも定かでありません。かくして,せっかく世に出た製品も,その機能のほとんどが使われないうちに鉄くずとなってしまうわけです。 
 高性能の望遠鏡なのに,年に数回,その機能のほとんどが必要のないところ,たとえば科学館などで,小学生相手に月を見せるだけに使うのでは悲しい話です。それこそ,スペックが泣いています。しかも,天気が悪く観望会中止なんて日常茶飯事です。これではせっかくの天体望遠鏡は,その生涯のほとんどを倉庫の主となって暇を持て余しています。


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 暇に任せて「タカハシの望遠鏡」のカタログを読んでいて懐かしくなるとともに,いろいろと感じたことがありました。
 「タカハシの望遠鏡」とは,高橋製作所の天体望遠鏡のことです。この会社の望遠鏡は,天文愛好家には圧倒的に支持を得ていて,その品質には定評があります。利益と効率重視,でなければやっていけない日本の工業製品のほとんどは,その会社を日本から海外に移転させ,しかも,安価な製品を作るのをやめて,利益の上がる高級品志向となって,愛好家以外の一般の人には手が出なくなりました。風を送ってさえくれればそれでいい扇風機すら,要らない機能満載で値段だけが高くなってしまい,その反動で,無名の会社が中国などで製造した安価な製品を巷の家電店に並べるようになりました。
 天体望遠鏡もまた,今から30年以上前は,庶民向けの安価な製品は,メーカー名は違えども,実際は東京の船橋あたりの町工場が下請けで作っていたそうですが,現在では,中国製の作りのやぐいものばかりとなって,物欲を満たさなくなりました。しかし,その流れとは一線を画して,「タカハシの望遠鏡」は,今も,埼玉県の寄居の工場から,ほぼ手づくりの製品を世に送り出しているのです。カタログを見ると,欲しくなるような製品ばかりです。

 私は,若いころ,まだアマチュア向けの望遠鏡を売り出したばかりの無名の高橋製作所の望遠鏡を, 新製品が出るたびに,次から次へと買い替えていました。本社に伺ったこともあります。しかし,まともに星が見えない都会に住んで車も持っていなかったとなれば,買い替えても,どれだけ使ったかといわれると疑問符がつきます。望遠鏡を買うことが興味のすべてだったのです。機材に悪いことをしました。
 今は,そのころに買った製品は双眼鏡以外はすべて手元にはありません。
 ハレー彗星が去ったころに,大きくて重くて私の手に余る「タカハシの望遠鏡」は下取りに出して,新たにペンタックスの望遠鏡を買いました。これもまた,ずっと使っていかなったのですが,ここ10年,やっと星見の楽しみを見つけて,今では,毎日のように使っています。やっと陽の目をみたわけです。30年以上前の製品で,いろんな箇所が痛んでいますが,愛着があります。多少お金がかかってもいいので修理が可能ならいいのですが,すでにメーカーも製造を止めてしまっていて,それもかないません。しかし,この先も新しい機材を買う予定はありません。
 久しぶりに「タカハシの望遠鏡」のカタログを見ると,昔に比べて,ずいぶんと多くの製品を製造しているようです。値段は,安いもので10万円弱ですが,それも望遠鏡本体だけで,望遠鏡を支える架台が最低でも30万円以上もするから,一式そろえれば最も安い製品でも40万円以上はします。
 私はそんな製品よりも,今日の写真のような,今から40年以上前の製品のほうがずっと愛着があります。今でも十分に使えると思います。この望遠鏡は口径10センチメートルの反射望遠鏡です。この望遠鏡の赤道儀,美しいとは思いませんか。そこで,コンピュータ制御など要らないから,この時代の赤道儀に極軸望遠鏡とモータードライブだけをつけて10万円くらいで販売すればいいと思うのですが,売れないのでしょう。というか,今,当時と同じものを作ろうとすれば,きっとかなり高価になってしまうことでしょう。
 しかし,コンピュータ制御の高価な機材が必要な人がそれほどいるとも思えません。どうやら,この会社の製品のユーザーはコアな少数の天文ファンと自分のお金で買うわけではない科学館のようなところで,私はおよびでないようです。
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 天文雑誌を見ても,今,星を見たり写したりといった趣味を楽しんでいるのは年配の人たちばかりのようです。そりゃそうでしょう。若い人はこんな高い機材を買う余裕などないし,日本に星が見られる場所さえないから,興味も湧かないのは当然です。
 だから改めて思うのです。これだけの製品,実際,ものすごくいいものだけど,果たしてだれが買うのだろうかと。


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●これでしばらく…●
 私は空港が好きではない。できるだけ人と会いたくないからだ。特に観光客が土産物を買いあさっている姿を見たくない。
 それでも,人の少ない地方空港ならいいが,国際線の数多く発着するハブ空港は私には耐えられない。アメリカ本土の空港はまだマシだが,ホノルルとなると,まるで日本の渋谷みたいな感じになるから最悪である。さらに,この時期は大学の卒業旅行客がいっぱいで,いささかげんなりであった。
 ということで,ホノルルでは,いつも,搭乗時間まではラウンジで過ごすことにしている。とはいえ,クレジットカードで入れるようなラウンジは,それもまた,日本人観光客ばかりなので逃げこむ意味がない。幸い私はデルタ航空のゴールドステイタスなので,この時もまた,デルタスカイクラブのラウンジに籠った。

 航空機や空港の制度は,アメリカ的な価値感が世界に浸透しつつあるものかもしれない。金がすべてという価値観であるアメリカは,金さえあれば人のステータスが高い。日本では,列車のグリーン車を利用しても,それは列車内のことだけで,待合室まで特別ではないだろう。しかし,飛行機のファーストクラスを利用するとなると,搭乗も優先になるし,待合室さえ異なるわけだ。だから,こうした特典をいかに安価に手に入れるかということが快適な旅行をするためのポイントとなる。
 しかし,こうした優遇措置は日本人にはなじまないように感じる。だから,日本の航空会社がそのまねをしても,どこかおかしなことになってしまう。それは,なんというか,着物を着た西洋人を思い浮かべればわかるだろう。
 日本には忖度は似合う? が,金がすべてという価値観には不慣れである。

 この年の1年前,2019年にハワイに行ったときは,私は,セントレア・中部国際空港とホノルル間を往復ともファーストクラスを利用した。それは,ものすごく安価にファーストクラスにアップグレードができたからだった。この年も同じようようにしようと思っていたのだが,思った以上にアップグレードが高かったからやめた。そして,妥協してコンフォートエコノミーにした。おそらく,私が旅を設定した時期がちょうど連休と重なっていたことが理由だったが,そんなことは知らず,少しがっかりだった。ハワイ便は,設定する曜日や日にちによって,ずいぶんと料金が違うのだ。
  ・・
  ・・
☆4日目 2020年2月23日(日)
 ともかく,定刻に帰国便はホノルルを離陸した。私は,今回もまた,何をするでもなく機内で過ごし,そのまま日付変更線を越え,行きに設けた時間を使い果たし,現実に戻ったわけだった。
 しかし,この時点では,まさか,この後,海外旅行すら行けなくなるなんて夢にも思わなかった。はたして,私がハワイの地を踏むときが再び訪れるのだろうか?

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 この国では「シャープ(♯)」と「ハッシュ(#)」を混同しているようです。
  「シャープ(♯)」は音楽記号で,ユニコード(コンピュータ上の文字コード)は「U+266F」です。読み方は「シャープ」「嬰記号(えいきごう)」,英語では「sharp」です。
 一方,「ハッシュ(#)」は番号を記す際に用いられる記号で,ユニコードは「U+0023」です。読み方は「番号記号」「番号符」「ナンバー記号」「ナンバーサイン」「ナンバー」「井桁」「ハッシュ」「パウンド」,英語では「number sign」「numerical sign」「number key」「hash mark」「hash key」「pound sign」「pound key」です。
 電話の「#」キーやコンピュータのキーボードで打つことができるのは「ハッシュ(#)」のほうです。
  ・・
 最初に書いたように,「シャープ」と「ハッシュ」は混同されて使われています。そもそも別物だという認識すらないケースがほとんどです。 電話の音声案内で「~シャープを押してください」というメッセージが出るのですが,正しくは「ハッシュ」です。日本ではこの「シャープ」という間違った読み方がすっかり定着してしまいました。

 ちなみに,電話で「*」キーも「コメ印」とよぶことが多いですがこれは「星印」,英語では「star key」,ユニコードは「U+26B9」です(ただし,このユニコードはネット上では表示できないようなのでここでは便宜上「アスタリスク」で表示してあります)。こちらも「アスタリスク(*)(*)」とは異なって,アスタリスクは左と右が開いていますが,上と下が開いています(=1番目の写真)。
 「アスタリスク(*)(*)」は英語(ラテン語)では「asterisk」,ユニコードは半角では「U+002A」全角では「U+2217」です。ただし,iPhoneの電話では何かの間違いか誤解で,あるいは意識して「アスタリスク」が表示されています(=2番目の写真)。
 コンピュータのキーボードで打つことができるのは「アスタリスク」のほうです。
 余談ですが,「*2*2」(コメニコメニ)とは,ポケベルが流行した時期,カナ変換をするためにまず最初に「*2*2」を打ち込むことから流行った言葉ということですが,私はポケベル世代の前なので,知りません。

 と,ここまでは知る人ぞ知る有名なお話(ただし,「アスタリスク」については間違った説明が多く見受けられます)ですが,これを書いていて,私は「トニイホロヘハヘロホイニトハ」という呪文を思い出しました。これは正しくは呪文ではなく,楽譜に記載された「シャープ(♯)」と「フラット(♭)」記号の数による調性を覚えるための言葉です。
 私が通った中学校は音楽科でもないのに,音楽の授業でやたらとむずかしい楽典を習いました。確かにピアノとか習っていた人が多く,そういう人たちにはこれで十分だったのでしょうが,私にはまるでちんぷんかんぷん。そこで友人が教えてくれたのがこの言葉だったわけですが,音楽とは関係なく,楽典も数学の公式みたいなものだから,それはそれでテストは何とかなりました。まったく楽器も弾けず音楽の才能もない私が,今,クラシック音楽を楽しめるのはこの授業でほどほどの楽典を習ったからでしょう。
 それにしても,音楽というのは不思議なものです。ミとファ,シとドだけが半音で移動するし,それを楽譜という形で表記するというのは,そもそもだれた考え出したことなのでしょう。数学の表記もそうですが,別に,このように書き表さなければならないという必然性もないのに定着して,それを当たり前と受け止めているわけです。
 そんなことを考えてみると,人間の考え出した記述というものの不思議さを思います。


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 今から35年ほど前,毎週日曜日の朝,NHKFM放送で「モーツアルト・その音楽と生涯」という1時間番組が長年放送されていました。 この番組は,モーツアルトは,その短い生涯に600曲以上の作品を残しましたが,レコードやCDなど,音源のあるすべての曲を私の尊敬する音楽評論家・吉田秀和さんの解説とともに聴いていくという番組でした。 その当時,すでに吉田秀和さんは70歳を越えていたので,全部やれるのかなあ? と心配しながらはじめのうち聴いていたのですが,途中でめげた記憶があります。放送自体は無事完結したようです。
  ・・
 吉田秀和さんが亡くなったあとで,その放送の解説部分を文字にした「モーツアルト・その音楽と生涯」という全5巻からなる本が出版され購入しました。また,だれがやっているのかは不明なのですが,YouTube にそのときの放送が順にアップロードされはじめました。それを知ってはいたものの,なかなか聴く機会もなかったのですが,コロナ禍で,家にいることが多いので,これまでできなかったこうしたことに時間が割けるのもいいかなと,1年ほど前から,本を読みながら聴きはじめました。

 と,ここまでは昨年書いたお話ですが,1年たって,どうなったことでしょうか?
 やはり,途中の「ポントの王ミトリダーテ」(K.87/74a),「救われしベトゥーリア」(K.118/74c),「アルバのアスカニオ」(K.111),「シピオーネの夢」(K.126)で挫折をしかけました。というか,ここで数か月のブランクができました。
 よく知っているものならともかく,オペラなど,字幕もない状態で何時間を聴くのはかなり困難なことです。それを我慢して乗り越えたら,弦楽作品が多くなってきて,次第に楽しくなってきました。今では,130曲を越えました。本ではやっと第1巻が終わったところです。でも,まだ,モーツアルトは17歳です。
 いかに天才モーツアルトとはいえ,10代の作品は駄作? ばかりです。というか,音楽が専門の人にはおもしろいのでしょうが,聴くだけの私は,退屈な曲が多くあります。しかし,めげずに聴いていると,宝石のような曲にも出会います。たとえば,ディべルティメント(K.136/125b)とか,交響曲第25番(K.183/173dB)などです。こうして順に聴いていくと,モーツアルトの音楽が次第に成熟していくのがわかっておもしろいです。やはり,有名なものは当然いい,という当たり前の結論になってしまうのですが,そうでない曲の中にも,自分の感性と同期できるものがあればなあ,という期待もあるので,これからが楽しみです。
 しかし,私が聴き終えるにはいつまでかかるのだろうか?

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●上空から見るハワイの島々●
 オアフ島が見えてきた。
 一般の人が簡単に行くことができるハワイ6島で,オアフ島から西に飛ぶのはカウアイ島だけで,残りのマウイ島,ハワイ島,モロカイ島,ラナイ島は東に飛ぶが,マウイ島やハワイ島に行く途中で機内から見ることができるのがモロカイ島とラナイ島である。
 はじめてハワイに行ったときは何もわからず,オアフ島から飛び立った後,興味深く眼下の島々を見ては,これがどの島なのだろうと思った。それが今では島の形を見るだけでどの島かわかるようになった。
 いずれにしても,最も遠いハワイ島でさえ,1時間程度の飛行で着いてしまうから,通勤電車と変わらない。今回行ったモロカイ島はもっとも近いから,わずか30分程度,しかも,プロペラ機だったから,高度も低く,地上がよく見えたし,上空に昇ったと思ったら,着陸態勢に変わってしまった。
 もう,ホノルルの上空は,何度見たことだろうか。海にへばりつくように家々が見えはじめて,その東の端にはダイヤモンドヘッドがその姿が美しい。

 滑走路に向かって旋回をし,やがて,飛行機は着陸した。
 プロペラ機は機体が低いので,ゲートに横づけできないから,タラップを降りることになる。
 このときはまだ,この後1年以上にもわたって海外旅行ができなくなるなんて夢にも思わなかったが,再び,こんな気軽な旅ができる日が訪れるのだろうか。
 とはいえ,第1次世界大戦のころに流行ったといわれるスペイン風邪も2年の流行だったし,あと数年もすれば,今回のコロナ禍も歴史となるのだろう。また,第2次世界大戦は4年も続いたが,それでも世界は復興した。
 しかし,そうした数年は歴史の教科書の年表を眺めればわずかな期間であっても,その時代に生きている人にはすごく長い期間であり,貴重な時間の浪費であっただろう。特に,多くの体験ができるはずの大学生やこれから旅を楽しもうと思っていた退職したばかりの人たちには,これほど不幸なことはないに違いない。
 私は,この旅で念願だったモロカイ島に行くことができて,本当に幸運だった。これをもって,一度は行ってみたいと思っていたすべてのところに行くことができたからだ。

 さて,空港の建物に入って,通路を歩いて,デルタスカイクラブのラウンジに急いだ。あとは,帰国便に乗るだけだが,空港の雑踏がきらいだから,時間まで,ラウンジでゆっくり過ごすのだ。ラウンジでは朝食もとらなければならない。
 空港の建物の通路を歩いていると,眼下には,パーキングエリアにずらりと並んだリムジンカーが見えた。きっと,ハネムーンなのだろう。こうした商業ベースのハワイもまた,ハワイである。というより,多くの人にとってのハワイは,むしろ,この世界なのである。
 しかし,私はそんな見せかけの虚栄を見て,すっかり現実に戻されて嫌になった。


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●ホノルルまでの30分●
 帰りのフライトも定刻どおりだった。これでホノルルまでは行けるから,あとはどうでもなる。
 これまでの旅で,数えきれないほど飛行機に乗ったが,いつもいつも帰りの便に乗るまでが不安である。しかし,この旅もそうだが,私にとってはホノルルまでが旅である。その先,日本までのフライトは,日本人が溢れていていて,まったく楽しくない。
  ・・
 今,海外旅行ができなくなって思うのは,これまで,いつも,日本人のほとんどいないところ,そして,日本人だけでなく,人の少ないところで自由気ままに過ごすのは本当に楽しかったということだ。
 何度も書いているように,この旅のあと,私は7月に,ネオワイズ彗星を見るという目的だけのために北海道に行った。札幌に着いて,海外でレンタカーを借りるときのような明快さと比較して,日本でレンタカーを借りるときの意味のないわずらわしさをやっと終えて車を借り,道北の,ほとんど車が通らないところへ着いて,やっと海外で味わうような楽しさをほんの少しだけ感じることができたのだが,それ以外は,海外旅行の楽しさとは雲泥の差であった。
 今回のようなすてきな旅ができる日がまた来るのだろうか。

 帰りもまた,搭乗したのは ATR42-500 という42人乗りのターボプロップ双発旅客機であったが,行きに乗った機体よりも新しかった。行きは座席の80パーセントほどが埋まっていた。帰りのほうが空いていたようには思うのだが,ほとんど記憶にないし,記録もないのでわからない。
 いずれにしても,海外旅行に行って,現地の国内線に乗って,ほとんど日本人がいないという状況,これを生まれてはじめて経験したときの緊張感はたまらなかった。そのうち慣れっこになってしまったが…。
  ・・
 離陸して,窓から,カラウパパの半島が見えてきた。ここで旋回して,ホノルルに向かうのだが,ほんの30分ほどの飛行である。あまりに近いので,行きは機内サービスもなかったが,帰りのフライトではちゃんとジュースが配られた。飲んでいたらすぐに着陸態勢に入ってしまったのが滑稽だった。
 これで,念願だったモロカイ島への旅も終わりである。

 それにしても,アメリカ50州制覇をめざしていたころにはまったく興味のなかったハワイだったが,一度行って以来やみつきになり,ほぼ毎年ハワイに行くようになった。しかも,ほとんどの日本人がハワイ,ハワイと行くオアフ島にはまるで興味がなく,それ以外の島々を訪れて,その,昭和初期の日本のような雰囲気とさびれた感じ,そしてまた,アメリカ人の超豪華な別荘などを見てきたことを思い出すと,私は,いったい何が目的でハワイに行ったのかな,と今も,それを不思議に感じる。
 別に,ハワイがとりわけすばらしいと思えないし,物価も高いし。本当に,何だろう?
 おそらく,私には,日本にはない自然と星空と,そして,今や,日本には田舎にも存在しないのどかさ,これが魅力なのだろう。
 また,行きたいものだ。


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 歴史を知る目的のひとつは,それを教訓にしてこれからの社会の役立てることにあると思うのですが,どうやら,人は愚かにも同じ過ちを繰り返しているだけのようです。ならば,歴史を学ぶのは単なる受験勉強のため以外の何ものでもありません。
 と思うのですが,この1年,世の中は,というか,日本は,歴史から何も学ばず,相変わらず混乱を繰り返しているだけのようです。と感じたのは,1年前のブログを読み返してのことでした。そのころ書いていたのが「自宅籠城の記」でしたが,あれから1年過ぎても,私は,今も変わらず自宅籠城のようです。
 
 1年前の今ごろ「40年前より物価は2倍,学費は10倍」という内容のブログを書きました。
 簡単に,大まかにいえば,1970年代のいわゆる「石油ショック」で日本の物価は急激に高騰し,約4倍になりました。つまり,今から50年前から40年前の10年間で4倍となったわけです。その後の40年では約2倍なので,ここ50年で物価は8倍になったという感じでしょうか。だから,50年前と比べて,値段が8倍以上になったものは高くなり,それ以下のものは安くなったと考えればいいのです。
 50年前,アサヒペンタックスという大衆向けのカメラは約3万円ほどでした。ニコンFといったプロ用の機材は8万円くらいでした。車は,大衆車のカローラが50万円くらいでした。岩波書店の新書が150円でした。それらを8倍してみると,現在のおよそのことがわかります。そんな時代,1台50万円のカメラは安いのでしょうか,それとも,高いのでしょうか? しかし,現在は,10万円も出せば,ほぼ何でもできてしまうスマホが手に入ります。

 そんなことをなんとなくぼんやりと考えていたのですが,確かに,物価が8倍と割り切ることはできても,そして,50年前に発売されていたカメラにせよ,車にせよ,値段が8倍であっても,今のほうが圧倒的に性能が向上しているわけだから,むしろかなり安価になったということができるでしょう。しかし,ものがあふれている今,それを手に入れたときの喜びは,その時代に比べてありません。期待感というか高揚感というか,そういった気持ちがもてないのです。希望がわかないのです。
 なんだか,それがとてもむなしいです。

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 週末,CS放送が無料だったので,ひさしぶりにCNN放送を見ました。
 CNNはアメリカのニュース専門チャンネルです。 これまで長年見ていたのですが,大統領がトランプになったことと,昨年は新型コロナウィルスのニュースばかりだったので,見るに堪えなくてしばらく停止していました。
 私は,お笑いタレントが司会をする番組や,ゲストでジャニーズ系や秋元康が企てたAKBやらSKEやらというグループのメンバーが出てくるような番組を見る気になりません。また,日本のワイドショーや報道番組と称するものは不安をあおるだけなので,お金をもらっても見たくありません。少しはマシだったNHKも民放そのものになってしまい,BSで放送しているほんのわずかの番組以外は見るに堪えません。偉そうに「字幕テロ」も続けています。しかも,高い受信料を取っているくせに,再放送ばかりです。
 それに比べて,CNNは日本の報道番組のようなわけのわからぬコメンテーターもいなければ,専門家が解説してきちんとした報道をしているので,見ていて不快になりません。政治家も自分の言葉で国民に語りかけています。そしてまた,アナウンサーやレポーターのきれいな英語が小気味いいです。
  ・・
 ということで,ここ1年ほど,CS放送のスーパードラマTVを契約してアメリカのドラマを見ていたのですが,それに加えて,これを機にCNNの視聴を再開することにしました。本当は,CNN/USといって,アメリカで放送されているもののほうがいいのですが,毎月の視聴料が高いので,以前と同じようにCNNjというアジア向けのものを申し込みました。
 CNNによれば,もうアメリカはコロナ禍完全終結モードなので,ニュースも明るいです。私が予言したとおり,リーマンショックのとき同様,アメリカがもっとも被害が多く,また,解決も早かったのです。そして今は,世界に目を向けて,インドなどの救援の手を差し伸べています。
 それに比べて,この国はいったい何なのでしょう。政治家はやったふりばかり,忖度だけは超一流ですが,自分の言葉で話すこともできませんし,自国の問題すら解決の糸口を見い出だせません。欧米にくらべて10分の1ほどの感染者数で崩壊する医療体制,リニア新幹線だ,国立競技場だとハコモノつくることしか考えず,基礎研究にお金を割かなかった結果,ワクチンひとつ作れません。
 CNNのニュースから,ふと我に帰ると,その落差に,つくづくこの国がいやになります。

 私は,この1年海外旅行ができなくなってからも,それなりに楽しく生活しているのですが,何がひとつ足りないなあと感じていました。今回,久しぶりにCNN放送を見て,実は,私にはそれがCNNの英語だったということがわかりました。以前聴いていた「実践ビジネス英語」も3月で終わり,その後継番組は1,2度聴いてみたのですが,簡単で物足りなくて聴く気にならなかったし,スーパードラマTVで放送されているドラマだけでは,なにかが不足していたのです。
 また,趣味の雑誌として,以前は読んでいた「月刊天文ガイド」も,いかにも日本的で中身がなく,単に機材を売りたいだけの雑誌なので読むところもないし,「将棋世界」は暇つぶしに読むには難しく,小難しい定跡などどうでもいいし,おもしろい中終盤の解説は複雑すぎて本ではわかりません。それを読むよりABEMAの将棋中継を見たほうが理解ができるので購読しなくなりました。長年読んでいた雑誌「TIME」の購読もCNNの視聴の中断と同じ理由でやめてしまいました。こうしていたら,活字に飢えていたのにも気づきました。今は,雑誌も電子媒体で購読するという方法もあるのですが,iPadを立ち上げると,雑誌を読むより先にネットを見てしまうので,なかなか読めません。そこで,気軽に読める雑誌を手元に置いておこうと,紙媒体で雑誌「SKY AND TELESCOPE」の購読も再開することにしました。

 こうして,今は,部屋にいるときは,特に見たい番組や聴きたいラジオ番組があるとき以外は,クラシック音楽を聴くか,それ以外にはずっとCNNがつけっぱなしになりました。また,これからは,クラシック音楽を聴くときは雑誌「SKY AND TELESCOPE」をお供にしたいと考えています。
 こういう生活に戻ってみると,以前のように,部屋の中がすっかりアメリカの空気に戻ってきました。そうしたら夢いっぱいになって,再び旅行もしたくなってきました。そして,なぜかワクワクしてきました。
 でも…
 ふとこの国の現実に戻ると,落胆以外の何ものも思い浮かびません。
  ・・
 何がオリンピックだ。何が自粛だ。結局,政治家が権力争いをしているだけじゃないか。彼らは選挙にさえ当選すれば,給料が下がるわけでもないし,首になることもない。だから選挙で当選することしか頭にない。しかし,庶民は泣いている。
 この1年,何をしていたのだろう。本当に,もう,こんな茶番はいい加減にしてほしい。


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●田舎の小さな空港●
 特にすることもないので,待合室で時間を潰した。やがて,小さな飛行機が到着した。モクレレ空港の飛行機だった。そして,数人の乗客が降りてきた。
 ハワイの諸島間を結んでいる航空会社は,大きなところでは,ハワイアン航空(Hawaiian Airlines),アイランドエアー(Island Air)があるが,それ以外に,モクレレ航空(Mokukeke Airlines),マカニカイエアー(Makani Kai Air)がある。モクレレ航空とマカニカイエアーはセスナ208キャラバンという機種をつかっている。これは,ほとんどタクシー状態である。ちょっとホノルルまで買い物に,といった感じであろう。
 セスナ208キャラバン(Cessna 208 Caravan)は,セスナ社が開発した単発ターボプロップ汎用輸送機である。エンジンはプラットアンドホイットニーカナダ製PT6A-114(600shp)であったが,後にPT6A-114A(675shp)となった。セスナ社が,DHC-3オッターやセスナ製のその他航空機の後継を目的に10座席の機体として開発されたもので,1982年に初飛行した。最も大型のセスナ製単発機となっている。
 私もハワイに長く滞在して,こうしてふらっとほかの島を訪ねてみたいものだ。

  小さな空港ではあるが,私の乗る飛行機の乗客が少しずつ集まりはじめていた。こうしたローカル空港で帰りの飛行機に乗るまでが,楽しい旅である。
 これでホノルルに着いてしまえば,どこから現れたかと思うほどの日本人がホノルルの空港にいて,もう,夢も何もあったものではない。そんなことを思い出すと,海外旅行もまた,それほど魅力的な楽しみでもなかったのかもしれない。私は,根本的に人混みが大嫌いなのである。
 それにしても,このときは,まだこの旅のあと1年以上も海外旅行ができなくなるとは思わなかった。
 長く生きていると,いろんな経験をするものだがとしみじみ思うこのごろである。それにしても,私が行きたかったモロカイ島にこうしてコロナ禍の直前に行くことができたのはものすごい幸運であった。

 私は,このような地方空港にも,これまで数多く行ったことがある。
 オーストラリアのエアーズロックの空港,ニュージーランドのウィーンズランドの空港,アメリカ・モンタナ州のビュートの空港,フィンランドのロヴァニエミの空港,アラスカのフェアバンクスの空港,カナダのプリンスエドワード島の空港,などなどである。
 私は,こんな田舎の空港に降りたって,人の少ないところで自然と一体となって旅をした思い出が,これまでで最も楽しいものだったと,今にして思う。
 また,いつか再び行ってみたい。


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●帰国の朝●
☆4日目 2020年2月23日(日)
 帰国の朝になった。
 朝早いフライトに乗る私は,コンドミニアムのオフィスがまだ空いていない時間にチェックアウトをすることになった。
 モロカイ島から,ここに住む人ならともかく,観光でこの島にやって来て,早朝ホノルルに行ってそのまま乗り換えて帰国するなどという人はまれであろう。
  ・・
 そもそも,今回の旅に限らず,海外旅行では,ツアーならともかく,個人旅行では,帰国が最も悩みのたねである。それは,乗り換える前の便が遅れてしまうと,あとがたいへんだからなのである。特に,私のように,日本からハワイまではデルタ航空,ハワイの島内はハワイアン航空と,別々の航空会社でフライトが予約してあれば,遅れても次のフライトが待っていてはくれない。
 たとえ同じ航空会社であっても,以前,アメリカ・ミズーリ州のカンザスシティからデトロイトで乗り換えて帰国しようとしてカンザスシティからの便が遅れて乗り換えができなくなって,えらい目をしたことがある。また,これは帰国のときではなかったが,2年前にオーストラリアのエアーズロックに行ったときは,行きの便が遅れて,乗り替え便に乗り遅れた。しかも,航空会社が違ったものだから,待っていてくれなかった。

 まあ,これまでこんなことばかりしてきたから,何が起きても何とかなるという自信だけはあるのだが,それでも,トラブルはめんどうだ。
 そこで,今回も,乗り換え時間にかなりの余裕をもって予約したのだが,それでも,何か事があって,全く飛ばなくなったらどうしようもない。
 ハワイも,オアフ島ならいいが,ほかの島に行くとなると,いつもこうした心配がある。それでも,ハワイ島やマウイ島のような観光地なら,余分に何泊しようとホテルがあるからどうにでもなるが,モロカイ島では,いったいどうすればいいのだろうか。
 コロナ禍で海外旅行ができなくなった今,そんなことを思い出していると,もう,海外旅行なんて,どうでもいいような気にもなってくる。

 さて,このコンドミニアムでは,チェックインのときにもらったプリントに,チェックアウトではルームキーを部屋のキッチンの上に残してロックをして帰ればいいとあったので,その通りにして コンドミニアムを出発した。
 約30分で夜も明けきらぬ空港に到着して,レンタカーを返却した。借りたときに言われた通り,ガソリンは半分の消費だった。借りたときに満タン返しにしないという契約にして,安価に満タン分のガソリンを購入するというシステムを使って,事前に半分だけのガソリン代を安価に支払っておいたのだ。
 写真のように,空港の建物内にもAlamaレンタカーのカウンターがあるのだが,ここは閉鎖されていて,営業は,直接,建物の外にあるAlamoのオフィスで行われている。モロカイ島は,このような「さびれた感」満載の,まるで,日本の過疎の田舎のような島であった。
 いつものように,すでに iPhone のアプリでフライトのチェックインは済ませてあったので,空港ではセキュリティを通って乗るだけだった。ハワイから日本への帰国は,一度セキュリティを通ればホノルルで再びセキュリティを通る必要がないので,こうした小さな島から帰国するのはかなり楽なのだ。特に,モロカイ島では,30人程度の乗客しか飛行機に乗らないのだから,セキュリティはまったく並ばず,田舎の駅と同じようなものである。


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 「レンズ沼」という言葉があります。レンズ交換式のカメラを買うと,今度は交換レンズが欲しくなって,沼にはまるように抜けられなくなるという意味だそうです。
 それでも,以前なら,一度購入したレンズはずいぶんと長い間使えたので,計画をもってこつこつと買いためたレンズを使う楽しみもあったのですが,それもまた,今では,技術の進歩で日に日に新しくなり,また,互換性も定かでなくなってきました。さらには,一眼レフカメラからミラーレス一眼に代わったことで,マウントまで変更となりました。 
 こうなると,これまで買いためたレンズの処遇に困ります。
 末永く,大切に使えるからニコンのカメラを選んでいたのに,これでは意味がありません。
 新しい製品が出るたびに買い替えていく人もいます。それはそれでいいのですが,私のように,一度買ったものをいつまでも愛着をもって使い続ける人には,こういう状態は困るわけです。しかし,私のような人は,メーカーにとれば客ではないのでしょう。
 もうひとつ困るのは,焦点リングのラバーの劣化です。長く使っているとべたべたになってきます。そして,これを交換する費用がバカにならないくらい高価なのです。メーカーもそれを知ってか,このごろのレンズにはラバーが使われなくなってきているようですが,これまで,どうしてこのような製品を発売していたのか,私には理解に苦しみます。私は持っていないからいいのですが,何百万円もするレンズでも同じなのです。

 それにしても,カメラが売れなくなって困ったメーカーは,そのターゲットをコアなアマチュアやプロのカメラマンに変更したのでやたらと高級品ばかりとなり,カメラやレンズはものすごく高価になってしまい,今や,私の手の届かない世界のものとなりました。これでは,お小遣いを貯めてレンズを購入するというようなものではありません。これは私にはむしろ好都合で,あきらめもつくというものです。もう,ムダな出費をしなくて済みます。
 いずれにせよ,あれだけ販売されたレンズの多くが,おそらくは使われず,どこかに眠っているのだろうと考えるとむなしくなります。それはレンズに限りませんが,この世に工業製品として生を受けて,その性能が発揮できたものはどれほどあるのでしょうか?


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 私は,「物持」がいい方です。 
 「物持」とは
  ・・・・・・
1 財産を多く持っている人。財産家。
2 物を大切にしていつまでも持っていること。
  ・・・・・・
という意味だそうですが,もちろん後者の方です。
 日常使っているものは,何十年にもわたるものも少なくありません。愛着がわくと,何度も修理を繰り返しても,同じものを使い続ける方がいいのです。
 しかし,長く大切に使おうと思っても,はじめの仕様が悪いと,壊れてしまうこともあります。これは,買ったときの値段で決まるのではなく,作る人の思想でしょう。こうして,長く大切に使っていると,値段でなく,長持ちするものがわかってきます。そうした長持ちするものこそ,正真正銘の高級品でしょう。
 今日は,その中で書籍の話です。

 今は,電子書籍があるので,一度読むだけの小説や雑誌のようなものは,そのほうが後で処分にも困らないので助かります。しかし,電子書籍ではなく,昔ながらの書籍のほうが便利なものも少なくありません。そうした書籍はいつも手元に置いてあるので,愛着もわきます。
 しかし,いつの頃からか,天糊製本というものが普及しました。つまり,糊付けです。天糊製本に変わったころの書籍は,今になって経年劣化をして,糊がはがれ,哀れな状態となっています。これは,とてもかなしいことです。
 今は,製本技術もすすんだのでそうではないのかもしれませんが,安価な本だけでなく高級な本までも,コストの問題なのか,天糊製本となってしまいました。こうなると,書籍というよりもまるでパンフレットです。これでは,大切に使うこともできません。

 西洋では,書籍はふたつのタイプにわかれています。そのひとつは,ハードカバーといわれるもので,きちんと製本され,分厚い表紙のある昔ながらのものです。値段は張りますが,長持ちします。そして,もうひとつは,ソフトカバーといわれる,紙の質も悪く,天糊製本のものですが,安価です。同じ本でも,このふたつのタイプで発行されているものも少なくありません。
 しかし,日本ではハードカバーの本を探すほうが難しいうような状況です。
  ・・
 ヨーロッパに行くと,美しい図書館があって,そこには,古い本がまるで絵画のように並んでいます。これを見ると,書籍が知恵の宝としてリスペクトされているのがよくわかります。日本では,昔の本は糸とじの和紙だったから,それとはまるで性格が異なり,今では虫が食ってしまったりしていて,それはそれで歴史を感じますが,西洋の図書館のようにはいきません。

 私が大切に使っていた本の多くも,今では糊がはがればらばらになってしまったものが少なくありません。そこで,これからも大切に使うために修理に出すことにしました。今日の写真の本は,私が大切に使っていた「星座ガイドブック」です。この本には春夏編と秋冬編があって,悲惨な状況になってしまったのは春夏編のほうです。そこで,せっかくなので,春夏編と秋冬編を合本してハードカバーをつけて一冊にしてもらおうと考えました。
 調べてみると,糸綴じにしてハードカバーをつけた本に直してくれる製本屋さんがあるので,そこにお願いすることにしました。おそらく,値は張るでしょうが,すでに手に入らない本でもあり,こうして修理をすれば,この先も末永く使うことができることでしょう。
 書籍は,内容が古くなって全く役に立たないものもあれば,いつまでも使える貴重なものもあります。いつまでも使えるよい本がきちんと製本されていたら,それだけで生活していて楽しいものです。
 今は本が修理されて戻ってくるのを毎日楽しみに待っています。


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●深夜に星を見ること●
 モロカイ島3泊目の晩になった。明日の朝,帰国する。
 昨晩は2時間ごとに起きて星の写真を写したことはすでに書いた。明日は帰国するから,この晩は特に星を見る予定はなかったのだが,体内時計が深夜に起きるサイクルになってしまったので,午前2時過ぎに目覚めた。
 明日の朝帰国するといっても,コンドミニアムから空港まではわずかな距離なので,別に寝不足になったところで影響もないから,この晩も星空を眺めることにした。

 コロナ禍の前,私は毎年のようにオーストラリアに星を見に出かけていた。オーストラリアのニューサウスウェールズ州の内陸部の晴天率は6割から7割,といったところか。3泊すれば1日以上は星が見られる。であるが,定宿としているところからブリスベンの空港までは約3時間かかり,飛行機の時間が午前10時過ぎなので,早朝チェックアウトをする必要がある。そこで,3泊しても,最終日の晩は徹夜で星を見ることができない。まあ,飛行機に乗ってしまえは眠るだけだが,空港にたどり着くまでがたいへんなのである。
  ・・
 国内で星を見るときも,年に2度ほど遠征して宿泊する定宿は,オーストラリア同様,自宅から3時間ほどかかるから,ここもまた,徹夜というわけにはいかない。家から1時間程度の,いつも出かける場所の場合は,夕方出かけて深夜に帰ってくるケースと,深夜に出かけて早朝帰ってくる場合があるが,どちらにせよ,徹夜はまずしたことがない。
 星を見るのは,なかなか過酷な趣味なのである。
 となると,このモロカイ島は,徹夜して星を見るには,最適の場所ではなかろうか。

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 七里の渡しの跡の反対側に,道路を隔てて熱田荘という建物がありました。ここは,もともとは1896年(明治29年)に武藤兼次郎が建てた「魚半」という料亭でした。戦時中は三菱重工業の社員寮で,現在は高齢者福祉施設になっています。
 この建物は宮宿をしのばせる遺構で,近世の町屋の形式を継承している貴重な建物だそうです。
  ・・
 その右手,つまり東に3,4軒進んだところには,丹羽家住宅がありました。ここは,もと屋号を伊勢久といい,幕末期は脇本陣格の旅籠屋を営んでいました。建物は1808年(文化5年)の棟札があったとされ,木造2階建てで幕末の建物とみられています。
 中には,西国各藩の名のある提灯箱などが残されているといいます。

 七里の渡し跡は,現在,宮の渡し公園になっていますが,ここには,尾張藩主の御殿である東浜御殿がありました。それは,藩祖の徳川義直が造営し,石垣で囲った築出しの出島のような御殿で,海の避暑・休養地として選ばれ,第3代将軍徳川家光も宿泊するなど自慢の御殿だったようで,熱田宿を描いた浮世絵にも見られます。
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 七里の渡し跡とそのまわりの宮宿の面影はこのくらいのものでした。なにせ,名古屋市の市街地,今はほとんど何も残っていません。
 旧東海道は,ここから東に少し行って左に曲がります。続く2本目の筋を左に曲って少し進んだ消防団の詰所前には,西浜御殿跡の案内板があります。
 こちらの御殿は1654年(承応3年)に尾張藩第2代藩主徳川光友が造営し,尾張藩ゆかりの大名や公家などの招待用御殿でしたが,正殿は安政年間(1854年から1860年)に半田市の成岩にある常楽寺に移され,残る諸館も1873年(明治6年)に売却されてしまい,現在は跡形もありません。また,門は春日井市中央公民館に残されているといいます。

 ここから旧東海道沿いを江戸の方向に歩いてみます。
 先に左に曲ったところに戻り,そのまま宮の渡しから直進する方向に100メートルほど進んで左に曲がると,宝勝院があります。宝勝院は,1952年(昭和27年)に近くの高仙寺と合併しましたが,その際に移された木造阿弥陀如来立像の胎内から,木版刷りの摺り仏や写経が発見され「1232年(貞永元年)阿弥陀如来建立」の奥書が発見されました。
 この付近には,かつて,熱田の奉行所があって,宮宿の中心でした。
 宮宿には大名らの公用の宿泊施設である本陣が2軒あり,赤本陣と白本陣とよんでいました。旧東海道が現在の国道247号線に合流したところ,現在のひつまぶしの名店・あつた蓬莱軒本店の敷地内駐車場近くに赤本陣がありましたが,戦災によって遺構は全く残っておらず,説明板だけがあります。また,白本陣はさらに東に行ったところにあったのですが,石碑も説明板もありません。


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hiroshige054_mainDSC_0413DSC_0409DSC_0411IMGP0183 私の住む場所に近いので,これまで行ったこともほとんどなかった宮宿,というか,七里の渡し跡に行ってみました。
 昨年の今ごろ,桑名宿に行ったのですが,宮宿はその次の宿場です。
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 宮宿は旧東海道五十三次の41番目の宿場です。中山道の垂井宿にいたる脇街道である美濃路や佐屋街道との分岐点でもありました。現在の名古屋市熱田区にあたります。
 宮宿は東海道で最大の宿場で,本陣2軒,脇本陣1軒,旅籠屋248軒,家数2924軒,人口10,342人を数えたといいます。熱田神宮の門前町であり,港町でもありました。
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 子供のころ,歌川広重の浮世絵東海道五十三次の宮宿の絵を見て,がっかりした思い出があります。すばらしい宿場の絵を想像していたのに,そこにあったのは,鳥居と馬でした。宮宿とその次の桑名宿は海上を渡る七里の渡しで結ばれているので,港の近くにあるはずなのに,どうして熱田神宮が広重の絵に描かれてあるのかもわかりませんでした。
 七里の渡し跡に行ってみて,その場所が熱田神宮のすぐ近くであることを知って,ようやく合点がいきました。
 要するに,七里の渡しのあったところから熱田神宮のあたりが宮宿だったわけです。しかし,今は,宿場の面影はほとんどなく,広い道路ばかりでした。

 東海道がどうして名古屋城の近くを通らず,熱田区を通ってそのまま西の桑名までつながってしまうのかも,とても不思議でした。尾張徳川家の居城である名古屋城は宮宿から北に2里,8キロメートルほども行った離れた場所にあるからです。
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 調べてみると,それは,次の理由からとありました。
 江戸時代以前の東海道は,美濃から墨俣付近で木曽三川を越え,南下して熱田神宮の辺りで干潮時のみに現れる海岸線を対岸の鳴海まで歩くというルートでした。ちょど今のJRの東海道線のルートで,このルートなら名古屋城の近くを通ります。現在の名古屋市南部は,そのころはまだ海の中で,熱田神宮は半島に突き出た場所だったわけです。
 これを変えたのが徳川家康で,江戸から,熱田,桑名,鈴鹿峠という海上ルートを定めたのです。 その理由はふたつありました。
 そのひとつは,東海道は,旅行者の便宜を考えるまえに「軍事情報」の伝達ルートであったことです。確実にかつ速く情報が江戸と京都,大阪間を流れるためには,冬季に関ヶ原から米原辺りで雪に閉ざされる美濃路よりも鈴鹿の峠越えのほうが適していたわけです。
 もうひとつは,鈴鹿峠を越えたほうが距離が近いということでした。
 このように,江戸時代になって整備された東海道は,宮から桑名へと行くのが公式のルートだったのですが,実際は,江戸時代も美濃路を通るルートが使われていて,特に,大名行列や朝鮮通信使などは美濃路を経由しました。実際に歩いてみればわかりますが,宮から美濃路を通り中山道に出たほうが,険しい鈴鹿峠を越すより,平坦でずっと快適です。
 現在は,JR東海道線も名神高速度道路も美濃路に沿っています。しかし,距離としては鈴鹿経由のほうが近いので,高低差が克服できtた新名神高速道路はそちらを通っています。

 今回訪れた七里の渡し跡は,現在は宮の渡し公園となっています。小さな公園です。桑名宿の七里の渡し跡に比べて,見劣りするし,風情もありません。
 この公園は,桑名までの七里の渡しの船着き場だったところです。距離が七里,28キロメートルだったことから七里の渡しとよれました。公認の七里の渡し以外にも,黙認の四日市までの十里の渡しなどもあったといいます。
 宮の渡し公園には,熱田湊常夜灯が再現されています。1625年(寛永2年)に犬山城主成瀬正房がこの先の須賀浦に設けた常夜灯がはじまりで,その後,1654年(承応3年)に風害で現在地に移転し,1891年(明治24年)の濃尾地震まで神戸町の宝勝院に管理がゆだねられていました。現在のものは,1955年(昭和30年),地元の有志により再建されたものです。
 宮宿では,1826年(文政9年),ドイツ人医師シーボルトがオランダ使節に随行して訪れた際,本草学者水谷豊文とその門下生が教えを受けたとあります。その後,彼らは名古屋の医学や植物学の発展に大きな役割を果たしました。また,芭蕉がここからあゆち潟の舟遊びを楽しみ,熱田三歌仙という歌を残したこともありました。
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 この海に草鞋捨てん笠しぐれ
 海暮れて鴨の声ほのかに白し
 なんとはなしに何やらゆかしすみれ草
  芭蕉
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