しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

June 2021

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 幻のオーストラリア旅行の次は,幻になったフィンラド旅行です。この旅は,今からちょうど1年前の今ごろに行くことにしていたものです。それにしても,1年経っても状況があまりよくなっていないのに失望します。来年こそ,行くことができるのでしょうか?
 今回もまた,行くことができなかったので,それまでに行ったときの写真とともに幻の旅行記を書くことにします。
  ・・
 購入したフィンランド航空の航空券は,行きが,セントレア・中部国際空港2020年6月24日水曜日午前10時30分発,ヘルシンキ・ヴァンター国際空港同日午後2時30分着,帰りはヘルシンキ・ヴァンター国際空港6月29日火曜日午後5時25分発,セントレア・中部国際空港6月30日水曜日午前8時45分着のものでした。出発前の3月31日にすべてキャンセルしました。
 これまでに書いた幻となったオーストラリア旅行は,航空券,ホテル代ともキャンセル料なしでしたが,カンガルー島のツアーのみ,キャンセルに伴う返金ができませんでした。このフィンランド旅行では,ヘルシンキで宿泊するホテルのみ,キャンセル不可のものを予約してしまったために,4泊の宿泊代が返金できませんでした。これまでも,私は,キャンセル不可のホテルを何度も予約して宿泊しましたが,まさか,こんなことが起きるとは思ってもいなかったため,失敗しました。まあ,仕方がないことです。

 このころ,フィンランド航空を利用すれば,名古屋からヨーロッパに行くのはすごく簡単でした。
 ヨーロッパに行くには,フィンランド航空のほかにも,中国の航空会社を利用することもできるらしく,このほうがずっと格安だそうですが,旅は快適さを旨とする私は興味がありません。
 フィンランド航空は私の知る限り最も快適な航空会社であり,私にはそれ以外の選択肢はありません。また,フィンランド航空は,ファーストクラスを利用しなくても,少しの金額を増額してエコノミーコンフォートにグレイドアップして,一番前の席を予約してしまえば,より快適に空の旅ができます。さらに,新しく導入されたエアバスA350 はさらに快適です。
 私が好んで使う航空会社は,アメリカのデルタ航空,オーストラリアのカンタス航空,そして,フィンランド航空ですが,中でも,一番のお気に入りはフィンランド航空です。再び海外に行くことができるようになったとき,同じ状況で旅行ができるのであれば,私は,また,こうしてフィンランド航空を利用してヨーロッパに出かけることになるでしょう。
 その日が来るのをこころ待ちにしています。


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 今日の写真の花は「アガパンサス」というそうです。
 さて,AIによって,コンピュータの将棋ソフトが格段に強くなった結果,将棋中継で,局面の優劣が数値で表示されるようになりました。その是非もいろいろな意見がありますが,ともかく,観戦する楽しみが増したことは事実でしょう。
 以前,ニコニコ生放送で将棋対局が中継されていたころは,数値は,互角を0として,有利の方をプラス,不利の方をマイナスとして表されていました。プラス1,000点で優勢,プラス2,000点もあればほぼ勝勢という感じでした。その後,ABEMAで将棋対局が中継されるようになると,数値はパーセント表示となりました。この場合,互角が50パーセントで,優勢になるにしたがってパーセントが増えていって,100パーセントが勝利であり,99パーセントだと即詰みがあり,90パーセントを越すと勝勢,という感じにになりました。
 ニコニコ生放送では,この表示を評価値といっていましたが,ABEMAでの表示をどうよぶかということは多分定まっていなくて,解説をしている棋士も,勝率とか,以前のように評価値とかさまざまにいっています。私は,よび慣れているので,ここでは評価値ということにします。
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 さて,この評価値ですが,はじめは50パーセントで,局面がすすむにつれてどちらかに振れていくのですが,40パーセントから60パーセント程度までは互角の領域となります。30パーセント台になると,劣勢,その逆に60パーセントを越すと優勢であることが明白となってくる,という感じです。そこで,応援している棋士の評価値が40パーセントを切って30パーセント台になると,見ているほうの気分が暗くなってきます。

 ということで,そんな将棋の対局を見慣れてきた私は,自分の気分もこうしたパーセントで表せるなあと感じるようになりました。今日は何パーセントの気分だ,というようにです。そこで,それをさらに発展させて,いろいろな場所に旅したとき,その土地を自分がどう感じるかも,こうした数値で表せると思うようになってきました。そこで,そんな数値で私がこれまでに行ったいろいろな国をを表してみます。これは,その国のよし悪しではなく,私の思い描く感情です。
 まずは,私の住むこの国です。どうやら,私はこの国に暮らしていると,将棋の対局を観戦していて応援している棋士の評価値が35パーセントくらいに触れたときの気分でいることに気づきました。つまり,この国は私にとって評価値35パーセントの国なのです。
 この国を美しいとか平和だとかいっている人は,おそらく,ほかの国に行ったことがないか,あるいはもっと評価値が低い国しか行ったことがない人たちでしょう。私もまた,イメージだけで,日本よりも評価値が低いと勝手に思っている国もたくさんありますが,もともと,そのような国には,興味もないし旅をしないので,その実態は知りません。
  ・・
 いずれにせよ,この国に対して,名ばかりの民主主義やら責任の逃れのやったふりやら無計画なインフラやらと,私はいつも,もう少しなんとかならないものか,という気持ちばかりが起きます。それは,好むと好まざるとに関わらず生まれた国なのでつき合っていくしかないからですが。

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 私がオーロラを見るためにフィンランドのロヴァニエミに行ったのは2018年の2月のことでした。
 その前年2017年の8月にアラスカで偶然オーロラを見ました。そして,また見たいという想いから出かけたのがフィンランドだったのです。
 だれも一度は見たいと思っているオーロラも,実際に見にいくとなると,結構たいへんなものです。しかし,もともと強運の私は,意外なほど容易にオーロラを何度も見ることができたのでした。

 今思うに,私がこれまで行った旅の中で,なんとなく行きたいと思っていても,実際には縁がないだろうとあきらめていたのが,オーロラを見ることとオーストラリアのエアーズロックに登ることでした。コロナ禍の今は別として,通常なら,旅行社に行って,お金を出してツアーに参加すれば,どちらもその場所に行くことはできるでしょう。しかし,行ったとしても,そこで実際にオーロラを見ることできるか,また,エアーズロックに登ることができるか,となると,よほどの強運に恵まれる必要があります。オーロラが見られる確率は60パーセント程度だし,今は登山すら禁止になってしまったエアーズロックですが,登ることできたころも,登頂が可能な日は30パーセントほどの確率でした。
 私は,ツアー旅行とは無縁ですが,まあ,行くこと自体はなんとかなるものです。そして,ともに運にもめぐまれて,実現しました。個人旅行の方が予定に左右されないだけ,運に恵まれる機会は多いのかもしれません。

 ロヴァニエミに行った2018年の前年の暮れごろ,何となくエクスペディアを見ていたら,フィンランドのロヴァニエミというところはオーロラが見ることができて,そこへは,宿泊と往復の飛行機代を合わせても,結構安価に行くことができることを知りました。そこで,当時はロヴァニエミがどこなのかも知らなかったのに,思いつきで予約をしてしまったのでした。現地がどんな状況なのかは皆目わからなかったのですが,寒いということだけはわかったので,とにかく寒さ対策だけして,さらに,現地のオーロラツアーの予約を入れて旅に出たわけです。
 オーロラについてはすでに何度も書いたので,ここでは触れません。
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 これまでいろんなところに行ってみた結果,私が今と同じ程度の知性や財産をもっているという条件でもう一度生まれ変われるとしたら,私は,ニュージーランドかフィンランドかオーストリアがいいなあと思っています。アメリカは遊びに行くにはとても楽しいところですが,生まれたいとは思いません。
 日本は嫌です。ただし,日本以上に,絶対にそこには生まれたくない国が山ほどあります。

 フィンランドは,この翌年の夏にも,ヘルシンキをはじめとして,タンペレ,トゥルクなどの町に行きました。どこもとてもいいところでした。
 ロヴァニエミは冬の最も寒い時期しか行っていませんが,夏に行ったらどういう感じなのでしょうか。このこじんまりとしたおとぎの国のようなきれいな町は,きっととても過ごしやすいところだと思います。もし,私がロヴァニエミに住んでいたとして,懸念されるのは,寒さもありますが,何もすることがないのでは? ということです。そしてまた,さすがにこんな緯度の高いところは星見に適しているとは思えません。今日の写真のように,オーロラが見えるときは満天の星も見られるのですが,マイナス20度台での星見は過酷な話です。
 しかし,もし,この地に生まれていたら,おそらくは,今とはまったく別の楽しみがあったことでしょう。いずれにせよ,今より,ずっと精神的に豊かな人生であることだけは確かだと思われます。何といっても,この町にはかけがえのない大自然がいっぱいあります。聞くところによれば,極夜になる前のころは,毎日,空はこの世のものとは思えないほど美しく輝くのだそうです。
 などと書いていたら,本当に住みたくなってきました。

roba


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 今から40年ほど前の「月刊天文ガイド」は読者の天体写真が大流行していたのですが,入選した写真のほとんどは同じスペックでした。それは「望遠鏡はタカハシのP型,カメラはアサヒペンタックスSP,フィルムはトライX,そして,撮影場所は三河高原牧場」でした。
 前回書いたように,私が「天文ガイド」をはじめて購入したのは小学生のころで,生意気にも望遠鏡と一眼レフカメラまで買ってもらったのに,星を見ることすらできないところに住んでいたし,当然,車も運転できないから,結局,何をするでもなく,月日が過ぎていきました。
 私は大学生になって運転免許こそ手に入れましたが,車を買ったのは就職してからのことでした。

 だから,「望遠鏡はタカハシのP型,カメラはアサヒペンタックスSP,フィルムはトライX,そして,撮影場所は三河高原牧場」という印象をずっと持ち続けていた私は,そうか「(愛知県の)東の山間部に」行けば満天の星が見られるのだと思って,長年憧れていました。
 今でもそうなのですが,私は物質欲がなく,何を買うにも人より遅いのです。だから,携帯電話も長年持っていなかったし,スマホもそうだったのです。同じように車も手に入れたのが遅く,就職してしばらくしてからでした。車を手に入れたときはうれしくて,これであこがれの「(愛知県の)東の山間部に」行くことができると思いました。
 しかし,「(愛知県の)東の山間部に」行っても,そこは,私が思っていたほどの桃源郷ではありませんでした。どこまで行っても,この国では光害に悩まされ,天気に悩まされていただけでした。さらに,当時は,パチンコ屋のサーチライトというバカげたモノが流行していて,日本の夜空がどこも光でくるくると輝いていました。本当に日本人はアホです。

 そんなこんなで,結局,念願の車を手に入れたのにそれほど熱中することもなく,あれから40年近くも過ぎてしまいました。
 その間にいろんなことを知りました。
 ハワイで,オーストラリアで,ニュージーランドで,正真正銘の満天の星を見ました。世界中の多くの天文台にも行きました。また,当時の「月刊天文ガイド」で常連だった人たちが活躍したところに行ってみて,ああ,こういうところで星を見ていたのかという謎が解明できました。
 そして,今になって,憧れは幻想に変わり,しかし,それはそれで,こうした趣味はやりようによってはとても楽しいものだとやっとわかりました。


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 小学校5年生のころ,なぜか,私のいたクラスで流行したのが「月刊天文ガイド」を読むことでした。もし,この出会いがなかったら,今の私の趣味のひとつはなかったことでしょう。
 そのころ,「月刊天文ガイド」と「天文年鑑」,そして「天体観測ハンドブック」,この3冊が仲間内の必携の本だったのです。そして,もっぱら熱中したのは,「月刊天文ガイド」に掲載されていた望遠鏡会社のカタログを集めることでした。
 しかし,残念ながら,私は,もう3歳ほど歳とっていたらよかったのです。それは,私がはじめて購入した「月刊天文ガイド」は1968年の3月号で,「月刊天文ガイド」の創刊はそれより3年ほど前のことで,創刊号を知らなかったからです。この3年間に起きたのが,1966年に地球に近づいて,今世紀最大といわれた池谷・関彗星の接近でした。が,私が興味をもったころにはすでに伝説となってしまっていました。
 私が知ったのは,「月刊天文ガイド」には,「池谷・関彗星写真集」という増刊号があったということでした。今にして思うに,まだ,私がはじめて購入した「月刊天文ガイド」の1968年の3月号にはその増刊号の広告がまだあったので,出版社には在庫があったのでしょう。そこで,本屋さんに注文すれば入手できたのですが,小学生にそんな知恵はありませんでした。本屋さんの店頭に並んでいない本はすでに売られていないものだ,と思い込んでいたわけです。
 今,「池谷・関彗星写真集」と「月刊天文ガイド」の創刊号は,まれに,20,000円ほどで売りにだされますが,高価すぎて手が出ません。

 そもそも,私は,星が見えるような空の暗いところに住んでいたわけではなので,雑誌に書いてあったような星空にはまったく実感がなく,私にとって,そのすべては虚構なのでした。なのに,親にねだって当時の値段で30,000円,正しくは定価29,800円の望遠鏡を何割か割り引いてもらってそれを買ってもらいました。さらには,「月刊天文ガイド」に載っているような天体写真を写したくなって,一眼レフカメラなどというものも親にねだりました。偉そうに,生意気な小学生は,ニコンFという最高級機があることは知っていて,そのカメラのカタログを飽きずに眺めたりもしましたが,当時は,カメラ店に行っても,ニコンFなど,在庫すらおいていないという時代でした。また,ショーケースの中のニッコールレンズの緑色に光るコーティングの美しさに見とれていました。
 ニコンFもニッコールレンズも高価で小学生の手の入るようなものではなかったのです。しかし,「月刊天文ガイド」の常連だった藤井旭さんの使っていたカメラがニコンFだったものだから,それが欲しくて仕方がなかったのです。結局,買ってもらえたのはペンタックスSPでした。これだって,高級カメラです。一緒に買ってもらった標準レンズはF1.8というものだったのですが,それもまた不満なのでした。F1.4というもう一段階明るい,しかし,値段の高いレンズがあったので,これを買ってくれなかったことが不満でした。
 今考えると,とんでもない小学生です。今から50年前の30,000円は,今の価値から考えると,20万円以上です。私は,そんなものをねだる小学生だったわけです。

 しかし,実際は,小学生が一眼レフなんて買ってもらっても,使いこなせるものでもないのです。絞りだとかシャッタースピードなんてさっぱりわからなかったからです。
 買ってもらった望遠鏡だって,満足に星が見れるところに住んでいたわけではないから,月を見るくらいしか使う場所がないのです。だから,毎日のように,組み立てては片付けをやっていただけで,ほんの数回星を見ただけでネジ山が潰れ,望遠鏡は無残な最期を遂げました。
 そもそも,極軸望遠鏡もついていない赤道儀なんて,今考えても,何の役もたたないおもちゃでした。
 そんなこんなで,「月刊天文ガイド」は,小学生にとって,ずいぶんと罪作りな雑誌だったわけです。私が,このころの「月刊天文ガイド」に載っていたような活動ができるようになったのは,それから実に40年も過ぎてからのことでした。


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 これまで,行くことができなかった幻のオーストラリア旅行記を書いてきました。
 帰国は2020年4月2日の予定でした。ブリスベンを午前9時35分に出発して,成田着が午後5時55分。当日は成田空港近くの東横インに宿泊して,その翌日,気ままに自宅に戻ることにしていました。
 この旅のキャンセルを決めたのは,2020年3月10日のことで,この時点ではオーストラリアではまだコロナ禍の実感もほとんどなく,バランディーンのゲストハウスのオーナーからは,どうしてキャンセルするのか,オーストラリアでは問題になっていないのに,というメールが来たのですが,その後まもなく事態は急転してしまいました。
 現在,オーストラリアは新型コロナウィルスの感染はほとんどないのですが,今でも入国ができません。
  ・・
 …ということで,ここで書いた旅行記は幻となってしまいました。
 出かけていたら,果たして,どんな新しい思い出ができていたのでしょうか。
 再び行くことができるようになっても,幻になった今回のような旅をするかどうかはわかりません。というより,もし,次にオーストラリアに行くことができるのなら,幻となった旅行とは違って,もっと時間をとって,パースもダーウィンも,そして,アデレードも,すべて行ってみたいものです。


◇◇◇
Strawberry Moon.

6月の満月はストローベリームーン。
実際に月がイチゴのような色に見えるわけではありません。
しかし,昇りたてのお月さまは本当にイチゴのように赤っぽい色に見えました。
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 現在は行くこともままならないのですが,私が旅行をするときにもっとも頭を使うのはお金をかけないということです。特に,国内を旅行するときは工夫が必要です。この国はあまりに移動にお金がかかるからです。

 車であれば,ガソリン代も高いし,高速道路料金など,異常な値段です。
 アメリカは,ガソリンは日本よりずっと安価だし,高速道路はほとんどが無料です。実際,アメリカ人は,生涯で,日本人の100倍くらい移動しているのではないか,と私はアメリカを走っていると思ってしまいます。
 とはいえ,日本では,一般道は渋滞し,そもそも,いつも渋滞するようなところは,高速道路を作る以前に改善すればいいのに,何十年にもわたって放置されています。たとえば,片側2車線道路なのに,踏切だけが1車線だったり,橋だけ右折帯がないものだから,1台でも右折車がいると,まったく動かなくなります。また,路上駐車が多すぎます。
 こんなことをしているから事故も減らず,経済的な損失も計り知れないと思うのですが,あまり問題にもされません。金の使い方を知らない国です。
  ・・
 鉄道で旅行をしようとすれば,新幹線の運賃は異常に高く,また,新幹線が建設されると,その地方のこれまでの在来線線が廃線になったり第三セクターとなったりして,利用が不便になります。しかし,私のような,時間があってお金のない「不良老人」にとっては,新幹線など利用するよりも在来線のほうがずっと楽しく旅情もあるので,非常に困ります。
 私は,名古屋からは,大阪や京都に行くときも,東京に行くときも,在来線を利用します。
 また,急ぎで東京に行くときだけは「ぷらっとこだま」を使って新幹線を利用します。この「ぷらっとこだま」はわずか1,000円上乗せするだけでこだま号のがらがらのグリーン車が利用できるので,これこそ「インチキ富裕層」が「リアル富裕層」のような気持ちになれる絶好の機会です。
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 また,東京に行くときは,バスを利用することも多いのですが,ここで「インチキ富裕層」としては,バスの座席はプレミアムシートを予約するわけです。こうすれば,個室寝台となり,きわめて快適に安眠できます。
 数年前,岩手県の花巻市と高知県の高知市にも夜行バスを利用して行ってみましたが,思ったより快適でした。しかし,この路線はプレミアムシートがなかったのが残念でした。
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 今後行ってみたいと思っているのが,山形県の山形市や青森県の弘前市ですが,ここまで遠くなると,格安航空があるので,それを利用しようと思っています。これなら新幹線よりも安価で早く行くことができます。昨年は北海道に行ったのですが,やはり,格安航空を利用しました。格安航空もいろいろありますが,私はスカイマークが快適だなあと思いました。それにくらべると,何かと別途料金を取られたり遅延の多いジェットスターはそれに劣ります。
 また,これまで,何度も沖縄の離島や佐渡島に行こうと思ったのですが,格安路線がなくけっこう高価になってしまうので,結局,いつもハワイの方が安いや,ということになり,未だに行く機会がありません。

 このように,この国で旅行をするときは,「インチキ富裕層」の私としては,よほど頭を使わないと,お金を浪費することになってしまうので工夫のし甲斐があります。また,安価にいくことが不可能な地域が少なからずあって,そうした場所に行くことができないのは残念です。しかし,必要のないお金を使って後で後悔するようでは旅をしても精神的な裕福感を得ることはできないので,そんな場所はなかったことにして行かずにあきらめます。
 さて,今日のおさらいです。
 「インチキ富裕層」が浪費をしないで贅沢に国内を旅するには
  ・・・・・・
●車の場合,高速道路は使わず,一般道を走るときは時間を気にしない。
●新幹線は「ぷらっとこだま」のグリーン車を利用する。
●深夜バスはプレミアムシートの設定があれば利用する。
●格安航空がある路線は,新幹線より安価な飛行機を利用する。
●安価に行くことができないところには行かない。
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 幕末,のちの大村益次郎である村田蔵六は,すれ違った人に「暑いですね」と声をかけられて「夏が暑いのは当たり前です」と答えたそうです。日本はいまのところ涼しいのと,相変わらずコロナ禍で頭がいっぱいなのですっかり忘れていますが,村田蔵六に言われなくとも,夏は暑いのです。
 昔から日本人は何かに夢中になると,国民すべてが熱病に侵されたようにそのことだけに一途となり,他のことを忘れてしまうのです。私は日本のテレビの報道番組はまったく見ないのでわかりませんが,テレビ番組欄を見ると,コロナ禍の話題ばかりです。ほかにも重要な問題がたくさんあるのに,と思います。
 もともと,そんな猛暑にオリンピックを開催するなんてもとからどうかしていますが,それに加えてコロナ禍。そこで,観客を入れようと入れまいと,報道の人は屋外でマスクをして取材をしたり,重たいカメラを抱えて写真を撮ったりすることになるわけで,気の毒を越えて,これは狂気です。

 アメリカはすでに猛暑で,40度越えだそうですが,そこで思い出したことがあります。
 今日の写真は2019年の初夏に行った,摂氏60度を超える世界一暑いといわれるアメリカ・カリフォルニア州デスバレーです。
 私が行ったときは,朝7時16分ですでに華氏100度(摂氏約37度)ありました。
 一度は行ってみたいと,念願だったデスバレーだったのですが,初夏とはいえ,私が行ったときはお昼過ぎには摂氏50度を超えていて,前日,近くのホテルに宿泊していた私は,行くべきか止めるべきかずいぶんと迷いました。車がオーバーヒートしたら大ごとです。
 迷った結果,午前10時には帰るつもりで,大量の水を買い込み,早朝5時に出発して行くことにしました。予定通り,午前10時に帰路につきましたが,帰るころはすでに華氏109度(摂氏43度)でした。それでも,何事も起こらず,無事に帰ってくることができました。
 私が経験したのはわずか摂氏40度を超えるほどの気温でした。それでも,服を着たほうがすずしく,炎天下では,まさにフライパンの上の卵,つまり,目玉焼き状態のようでした。

 日本の夏は,私がデスバレーで体験した気温までは上がらずとも,コンクリートの上では摂氏40度を越えるといわれています。ということで,炎天下の屋外は,人が耐えられるところではないのです。
 たとえ,室内の競技であっても,そこに行くためには,当然,外を移動する必要もあるし,その秩序を守るために屋外で働いている人たちもいます。おそらく,現在のような状況でなかったら,オリンピックの問題は,今ごろは,猛暑をどのように克服するかといったニュースで,これもまた,国中が熱病に侵されたかのように,その話題一色になっていたことだろうと思います。この国は,ひとつのことに熱中するのでなく,多くの複雑な問題を理論的に考えて,知恵を出し合い,民主主義のルールで判断するといった能力に欠けています。
 江戸時代でもあるまいし,こそこそとお偉い人たちだけで浅知恵をしぼって結論を出して,納税者の言うことに耳を貸さず独裁的に物事を進めるなんて,時代錯誤です。そもそも,日本の真夏の炎天下でオリンピックをすること自体,コロナ禍であろうとなかろうとまともな話ではありません。はじめから無理なのです。


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 それにしても,これまで行ったことのあるさまざなま場所の多くは,私がずっと憧れていたところ,というより,偶然行ったところであることに,今さらながら驚きます。
 私は本当に幸運でした。
 アメリカには憧れていましたが,それでも,アラスカとハワイに行くとは思いませんでした。また,旅の途中で多くの友人ができたおかげで行くことができたところも少なくありませんでした。
 さらには,アメリカ以外の国にも足をのばせたのは,自分でも信じられないことでした。

 オーストラリアに出かけたのは,そもそも,南天の星空が見たいと思っていたのがはじまりでした。とはいえ,今から5年ほど前には,異国の夜に,どこに行けば南天の星空が見られるのかも皆目見当がつきませんでした。そのころ,ニュージーランドに行ったという知人がいて,それでなんとなくニュージーランドに行ってみようと思うようになって,見つけ出したのがクライストチャーチへの旅。ホテル代と航空券込みで1週間わずか20万円弱というのに引き付けられ,クライストチャーチがどこにあるのかも知らずに出かけ,しかも,テカポ湖まで足をのばしてしまいました。
 そして,念願の南天の星空を堪能しました。
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 帰国後,当時行きつけだった望遠鏡ショップのオーナーにその話をしたら紹介されたのが,南天の星空を見るのに最適なオーストラリアのバランディーンにあるゲストハウスでした。オーストラリアのほうがニュージーランドより近いじゃないか,というだけの理由で行ってみたのがはじまりでした。
 そのときには,バランディーンはもちろんのこと,ブリスベンすら知りませんでした。
 出かけてみて,病みつきになりました。それからは常連となって,毎年のようにオーストラリアに行くことになりました。
 そして,オーストラリアは私にとっては東京に行くようなもので,かなり身近な国となりました。
 
 これまでで最も思い出に残るのは,オーストラリアにすっかり慣れて遠出をするようになったころ,天文台巡りをしようと内陸部のナラブライ(Narrabri)のモーテルに宿泊していたとき,深夜に突然,母親危篤の知らせが来て,ブリスベンまで深夜のオーストラリア大陸を車で7時間走ったことです。
 オーストラリア大陸を深夜にドライブするなんて,想像もつきませんでした。
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 実際走ってみると,今日の写真のような道路が延々と続いていました。日本とは違って道路にムダな表示もなく,街灯はまったくないけれど,車のヘッドランプでセンターラインとエンドラインが照らされてとても走りやすいものでした。2時間から3時間,こんな真っ暗な道路を走っていくと,ポツンと明かりが見えてくるのですが,それがわずか数件だけの町だったりしました。
 オーストラリアは町も美しいし,道路も整備されていました。
 こんな世界を知ってしまうと,ゴミだらけ,ラインも消えかかったり,舗装もでこぼこ,路肩にいたってはガードレールが壊れていたりなかったりと,そういった整備の行きとどいていない日本の道路を深夜に走ると,絶望的な気持ちになってしまいます。
 特筆すべきは,そんな深夜のドライブの途中で,休憩するために停車したドライブインで眺めた満天の星です。ろうそくの光ひとつない360度の星空。それは,この世のものとは思えない美しさでした。


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 バランディーンから南に30分ほど走るとテンターフィールド(Tenterfield)という町に到着します。
 ボールドロック国立公園(Bold Rock National Park)へのアクセス道路のある町がテンターフィールドです。
 テンターフィールドは私のお気に入りの町です。この町にはきれいな広い観光案内所があります。町にはおもしろい施設がいろいろあります。
 そのひとつが鉄道駅を利用した博物館です。鉄道は1989年,というから比較的最近まで運行されていました。今は使われていない駅舎を博物館として整備して,レールがそのまま残っているので,往年の列車などがそこに停車されていて展示されています。貨車の中に入ることもできます。
 また,大きな美術館もあって,訪れる人もまばらで,静かに鑑賞できますが,この美術館は学校もあり,また,レストランが併設されていて,ここでの昼食はおすすめです。私は何度も利用したことがあります。
 また,町から少し出たところには,民家を改造した博物館もあります。いわば,郷土資料館,といったものでしょうか。
 また,町を一望することができる山があって,そこにはマウントマッケンジー(Mt. Mackenzie)展望道路で登ることができます。この道路のあたりは,牛が放し飼いにされていたりして,かなりののどかさです。

 また,郊外にはボールズロック国立公園があります。
 はじめに行ったときは行くことができたのですが,2度目に行ったときは国立公園は閉鎖されていました。理由は知りません。
 駐車場に車を停めて,国立公園の山を登ります。
 曲線で迂回すると1時間30分ほどで山頂に到着する道があります。また,直線距離で山頂まで行こうとすると40分以上かなりの急坂を歩くことになります。不思議なことに手すりも何もないのに,ここの岩山は滑ったりしないのです。しかし,かなり大変です。
 エアーズロックを登るより大変だと聞いていたのですが,その時点ではエアーズロックに登ったことはなかったので,よくわかりませんでした。その後,正真正銘のエアーズロックを登ったのですが,やはり,エアーズロックのほうがはるかに大変です。
 それにしても,知らなかったこととはいえ,オーストラリアでこんな岩山をふたつも私は登ったことになります。わずか数年前だというのに,今,そんな岩山を登る気力はありません。
 しかし,山頂の景色が特に素晴らしい,というほどのこともありません。ただし,ここもまた,大きな石がおかしな形で存在していました。
 オーストラリアの国立公園はどこもこんな程度です。
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 またいつでも行くことができると思っていたのですが,この先,再び行く機会が訪れるのだろうかと思うと,なにか寂しさを感じます。また,テンターフィールドをさらにさらに南に走るとシドニーまで行けるのですが,私はテンターフィールドから先,この道を走ったことはまだありません。

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 今日の1番目から4番目の写真は,すべてアメリカで写したものです。
 たびたび書いているように,毎日,日が暮れたころに散歩をするのが私の今の楽しみのひとつです。それはそれで気持ちがいいのですが,人のいない田んぼのあぜ道を歩いているときは別として,街中をあるいていると,ストレスもたまってきます。
 それは,この国の狭さと汚さがよりいやになってくるというのが理由です。
 新しく建てた家もたくさんあって,よく見るとそれぞれの家は凝った作りになっているのですが,日本の家のほとんどは,その家がまわりの景観にまったく溶け込んでいないのです。それぞれが勝手に作られていて,調和も何もない。そして,そうした家が建ちならでいる住宅街もまた,道路が途中でなくなっていたり,狭くなったり突然広くなったり,ガードレールがはげかけていたり,電柱が景観を阻害したり,さらには,道路は,はげかけたラインやら,でこぼこの舗装やらだし,突然歩道がなくなったり,交差点ごとに信号のシステムが違ったりとか,めっちゃくちゃなのです。汚いのです。都市計画もなにもあったものじゃない。
 こうした風景を見るにつけ,私がアメリカの郊外で見てきた清楚で美しい街並みを,アメリカで走った道路を思い出すと懐かしくなってくるのです。
 なんだこの違いは,という感じです。
 こうしたことを言うと,きまって「日本は狭いから」と言う人がいます。しかし,旧街道を歩けば,江戸時代の美しい街並みに出会えます。便利か不便かは別として,狭いなりに日本らしい美しい街を作ることはできるのです。

 日本で今,こんな住宅を巨額のローンを組んで建てる人は,海外の清楚で美しい住宅街を見たことがないのでしょう。また,こんな道路しかない国で,これもまた,高価な車を購入して,信号待ちだらけ,渋滞だらけのなかをのろのろと走っている人もまた,アメリカやオーストラリアでドライブした経験のない人なのでしょう。
 などと,私は,この国で家や車に散財する人を気の毒に思ってしまいます。そして,そんなことを思う私は,ますますこの国が嫌いになって,身の置き所に困るのです。
  ・・
 思えば,私は,ずっと,こんな美しい風景にあこがれて旅をしてきたように思います。いわば,私の原風景なのです。その結果,残念ながら,この国には私があこがれてきたこの風景を望むことは,根本的に無理だというあきらめしかなくなりました。で,旅に出るのです。
 しかし,今はそんな旅ができません。それが私がストレスから解放できない理由なのです。ああ。

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 2021年のはじめに次のように書きました。
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 何の予定も計画もない珍しい年明けです。今年は,「自由人」と「不良老人」の道を究めるためにひた走ろうと思います。目標はめざせ「高等遊民」です。
  ・・・・・・
 「高等遊民」とは,「高い教育」を受けながら一定の職についていない人物です。
 この国では絶えず労働しているのが「善」であり,それ以外は「悪」のような風潮があるから,休暇を「取らせていただく」ということになるわけですが,近年は,学生にまでそうした価値観が蔓延し,いつも「勉強」をするという状況を大人が強いるようになりました。
 しかし,「勉強」といっても,与えられたドリルをやることを強いているだけで,本当の「勉強」ではないのです。大人の「仕事」の多くが,しなくてはいけない,あるいは,する必要がある訳でもないことに時間を費やして,忙しごっこをしていることが多いのと同じです。これは「高い教育」ではないのです。
 そこで,「知的好奇心」がなく,いわれたことだけを忠実に行うというロボットのような大人が生産されていくわけですが,こうしたロボットは「高等遊民」とは真逆な存在です。
 「知的好奇心」,これこそが人が人として生きる最も大切なこころなのです。

 私は,「高等遊民」を理想としてずっと生きてきたのですが,さほど働きもしないのに,幸い,お金に困ることもなく歳をとりました。その結果,コロナ禍のまえは,旅行に明け暮れ,しかも快適さを求めるあまり「高等遊民」ではなく「富裕層」のような行動をしていることに気づきました。
 しかし,もちろん私は「富裕層」ではありません。その日の生活にも事欠くほどの節約生活に日夜明け暮れています。10円安いからと,スーパーマーケットを移動し,電話代を気にし,必需品以外は,めったにモノも買いません。そもそも,お金を使うことに価値観をもたないし,子供のころからの節約生活が身についていて,何かを買うと,つねに罪悪感に見舞われます。そしてまた,高級品というものに,何の価値感も抱きません。

 そもそも,これまではお金を使う先が旅行だけだったのに,ここ2年は旅もできないとなれば,使う先がありません。
  ・・
 しかし,「高等遊民」と「富裕層」は別モノです。お金を持っていることを価値感の根本とする裕福と,精神的に裕福であることとはまったく異なるのです。私は精神的にこそ裕福でありたい。
 そんなわけで,これから「「インチキ富裕層」の脱・浪費日記」と題して書いていくのは,「高等遊民」になりきれない「不良老人」が浪費を後悔して送る日々の姿です。


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 今日は,宿泊するゲストハウスのあるバランディーンの町から,お昼間に日帰りで出かけることができるところを紹介します。
 これまで,ブリスベンからバランディーンに着くまでにあるウォリックとスタンソープについてはすでに書きましたので,バランディーンからさらに南にあるところをとりあげます。
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 アメリカの州については興味があったし,50州すべて行ったので,どうなっているかはよくわかるのですが,私は,オーストラリアの州はほとんど無知でした。はじめに行ったときは,ブリスベンがどの州に属しているかということすら認識がありませんでした。
 オーストラリアにあるのは,クイーンズランド州,ノーザンテリトリー,西オーストラリア州,南オーストラリア州,ニューサウスウェールズ州,ビクトリア州,タスマニア州,そして,首都のあるオーストラリア首都特別地域です。そして,私が行ったことがないのは,西オーストラリア州,南オーストラリア州,タスマニア州,オーストラリア首都特別地域です。
 ちなみに,ブリスベンも,その南のこれまで紹介してきたいくつかの町も,みな,クイーンズランド州です。そして,その先がニューサウスウェールズ州となるわけです。

 バランディーンから南には,まず,ギラウィーン国立公園(Girraween National Park)があります。車で20分くらいの距離です。
 ギラウィーン国立公園は奇妙な岩が点在しているのが売りです。広い駐車場に車をとめると,とめどもない川やら岩がころがるトレイルが延々と続いているのですが,ほとんど訪れる人もなく,トレイルといっても,まあ,一応整備されているだけで,どこをどう歩こうが自由なところです。オーストラリアの国立公園はアメリカの国立公園に比べたら未だ手つかずといった感じで観光地化されていません。アメリカのような入園料もありません。
 様々な形の大きな石やら岩が積み重なったものが見どころではあるのですが,だからといって,それだけのものです。とはいえ,その先にも別の何か巨石があるとなると,行きたくなるのが常で,それらを見るにはトレイルをずいぶんと歩く必要があるわけだから,けっこう運動にはなります。
 おそらく,ゲストハウスよりも,この国立公園で星空を見たり,岩をバックに写真を撮るほうがおもしろそうに思うのですが,お昼間にも人がいないこのような場所に深夜に行く勇気がさすがの私にもなくて,まだ達成していません。

 ギラウィーン国立公園への接続道路を過ぎてさらに南に進むと,右手にあった線路の橋が妙な形に壊れていて,これがかなり象徴的です。…といつも思いますが,通り過ぎるだけでなかなか写真を撮ることができませんでした。1度はと思って意を決してなんとか車を停めて写したのが今日載せた写真です。
 さらに進むと州の境クイーンズランド州からニューサウスウェールズ州に入ります。
 やがて町が見えてきます。この町がワランガラ(Wallangarra)なのですが,単に,家々がポツンポツンとあるだけのところです。
 気になるのは駅で,というか,この町唯一の見どころで,今は列車も来ないこの駅のホームは博物館となっていて,レストランもあります。こうしたところはとても落ち着く場所です。
 はじめに来たときには,ゲストハウスからここまで来るだけで,かなり遠出をしたように思えたのですが,5時間も6時間もオーストラリアの大平原を深夜にドライブしたり,エアーズロックに行った今となっては,それもまた,懐かしい思い出です。
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 ワランガラを過ぎると,続いてテンターフィールド(Tenterfield)という,これもまた,おそらく日本人の観光客には無縁のすてきな町があります。

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 スタンソープを過ぎると,あたりはワイナリーばかりとなります。主要道路を離れると,小さな町の中に入っていって,それもまたおもしろいのですが,だからといって,その町には何もありません。
 そうした小さな町を過ぎていくと,まもなく,目的地のバランディーンに到着します。ここにあるのが,日本人の経営するゲストハウスです。私は,ここを常宿として,毎年,南半球の星空を見にきていました。
 バランディーンは小さな町です。タバーンというレストランが1軒,コーヒーの飲めるお店が2軒くらい,ホテルも2軒から3軒,それに郵便局とよろず屋さんしかありません。
 私は,タバーンには1回行って昼食をとったことがあります。ハンバーガーを注文したのですが,出てきたのはとんでもないビッグサイズでした。それ以外のお店には行ったことがありません。

 町には小学校と広いグランドがあって,週末にはナイターでサッカーをやっているので,空が照らされて星を見にきた私にははなはだ迷惑な存在です。どうしてわざわざ星が美しいのに夜に電気をつけるのか意味がわからないと,私などは思ってしまいますが,ここに住んでいる人は星なんて見飽きた風景なのでしょう。とはいえ,夜も10時には電気も消され,暗くなります。
 しかし,道路は深夜もトラックが通るので,そのときだけライトで空が明るくなってしまうのが欠点です。オーストラリアのトラックはトレイントラックといって,列車のように後ろに荷物車が接続されたものです。
 ゲストハウスがもう少し道路から奥まっていればいいと思うのですが…。

 以前はこの町には鉄道が通っていて,バランディーンには線路と駅の跡があります。バランディーンから南に向かって道路沿いにずっと鉄道の線路がつながっているのですが,ワランガラを過ぎたあたりで鉄道のレールが乗った橋が崩れているので,私はてっきり鉄道はすでに廃線なのだと思っていました。ある日,バンディーンの駅に,蒸気機関車が4両の客車を引いて煙を吹いて駅に向かってきたのには驚きました。聞いてみると,観光用に月に1回ほどの割合で機関車が北のウォリックから南のワランガラの間だけを運行しているのだそうでした。ウォリックからワランガラまでは今でも現役のようです。
 また,バランディーンには個人が作ったという小さなピラミッドがあって,敷地は柵があるので入れないのですが,柵の外の道路脇に車を停めてそこで写真を写すことはできます。私も一度,夜にそこに出かけてピラミッドと星空の写真をとっていたのですが,ふと振り返ると,となりにカンガルーが座っていて度肝を抜かれたことがあります。
 いいところですが,ここに住んでいたら,いったい毎日何をするの? と私は行くたびに思ったことでした。


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 6月15日,2回目の新型コロナウィルスワクチン予防接種が終わりました。
 私はこれまでインフルエンザどころか風邪もひいたことがありません。抵抗力には自信があったので,インフルエンザの予防接種もしたことがなかったのですが,このコロナ禍,こんなくだらないことにいつまでも振りまわされず,さっさと新型コロナウィルスワクチン予防接種を受けて終わりにしたかったので,それができて安心しました。
 ワクチン接種が当分先の人は,せいぜい,国民の健康など度外視してはじまったら見てもらいたいだけのオリンピックよいしょ,かつ,連日コロナ禍をお祭りのように浮かれて延々と報道するような NHK の偏向したニュースと字幕テロでも見て,今後も不安におののいた日々をおくってください。あんなニュースばかり見ていると,新型コロナウィルスに感染するよりも精神が病むと思いますけれど…。
 かくいう私は,日本の報道には嫌気がさしたので一切縁を切り,今はもっぱら CNNj を見て,すがすがしく過ごしています。

 私の住む市では1回目の接種がはじまったのが5月25日で,2回目の接種がその3週間後の6月15日からだから,私は最速でした。
 それでも,思えば,4月の下旬にワクチン接種のお知らせが届いてから2か月弱の長い日々でした。
 私は現在64歳です。
 マスコミは,はじめのワクチン接種対象者である高齢者を65歳以上と報道していましたが,いつを基準とした65歳かというこがまったく書かれありませんでした。日本のマスコミの報道なんて,何人感染者が出たとかいう意味のないことは一生懸命大騒ぎするけれど,いつも肝心なことが抜けています。
 調べてみると,厚生労働省のホームページに「令和3年度で65歳に達する者」としっかり書かれてあったので,幸運にも私は該当者で,ラッキーと思いましたが,私にお知らせが届くまでは,私が本当に該当者なのかかなり心配でした。心配をよそにお知らせが到着し,それを読むと,私の住む市では,幸いにも65歳以上ならば年齢による期日の差は設けられず,高齢者の新参者である私が最速で接種することができるので,これまたラッキーでした。
  ・・
 ところで余談ですが,令和3年度で65歳に達するのは「昭和32年4月1日生まれ」までです。だから4月1日生まれと4月2日生まれで決定的な違いがあるわけで,さぞかし,4月2日生まれの人は残念だったことでしょう。その反対に4月1日生まれはギリギリ対象者となるわで,ホッとしたことでしょう。
 3月31日でなく4月1日である理由は,誕生した日を1日として365日後が満1歳と考えるからなのです。そこで,4月1日生まれは翌年の3月31日で満1歳となるわけです。つまり,誕生日に何歳になった,というわけではないのです。これは早生まれの人が学校に入学する生年月日も同じです。

 さて,話を戻します。
 接種のお知らせが届いた後は,今度は,予約がスムーズにできるかが心配になりました。
 接種の予約,これが今年一番のイベントだと思っていました。コンサートのチケットにしても,発売日に購入するのはなかなか難しいものです。インターネットはつながらず,電話もまたつながらないという経験はこれまでに何度もしています。こんな面倒なことをまたするのかと思うと気が重くなりました。
 予約の開始は5月10日でした。午前9時に電話をしてもつながらないことは明白です。私はなんとか5月10日の未明からネット予約ができる医院を探し出し,午前3時にアクセスに成功し,幸い,ことのほか容易に接種開始の5月25日に予約ができました。これもまたラッキーでした。
 いざ予約ができたら,その次は,予約通り接種ができるかが心配になりました。当日熱でも出たら問題なのです。それもまた杞憂となり,1回目の接種も難なく終わりました。
 1回目の接種で70パーセント以上の効力があるとはいえ,効力が95パーセントを超す2回目が早く打ちたくて,今度は,2回目の接種までの3週間が待ち遠しい毎日となりました。

 …とまあ,私は,ずっと何週間もムズムズと過ごすことになってしまいました。
 そして,6月15日。ついに3週間が過ぎ,待ちに待った2回目の接種が終わったわけです。
 2回目の方が副反応が強いという話ですが,いまのところは1回目にも感じた腕のちょっとした締め付け感だけです。このままたいした副反応もなく終わるといいなあと思っています。
 これから接種する人も,私のように,接種が決まってからムズムズとした,というか,悶々とした2か月間を過ごすことになるのでしょうか。
  ・・
 私が接種したのはファイザー製のワクチンでしたが,ファイザー製のワクチンはファイザーがドイツのバイオ企業であるビオンテックと開発したものだそうです。こんなワクチンをわずか1年で作り上げたのだから,たいしたものだ,と思ったことでした。
 長く生きていると,いろんな経験をするものです。であっても,まさか,こんなことが,SF小説の世界でなく,現実の世界に流行して,旅行もできなくなるとは考えてもいませんでした。この事態が起きるのは予想もつきませんでしたが,自分の寿命を心配して,元気なうちにと,ここ数年,これまでにやりたかったことをどんどんとやっておいてよかったと,つくづく思うこのごろです。

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2021年6月15日現在,日本の新型コロナウィルスワクチン接種完了者は7,113,830人,人口の5.6パーセントです。

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 ウォリック(Warwick)を過ぎると,オーストラリアの大平原が続き,やがて,スタンソープ(Stanthorpe)という町に着きます。ハイウェイA15 はこの町を通らずバイパスとなっているのですが,あえて,町の中心を走ってみます。
 これまで,このあたりは何度も走ったことがあるので,今,これを書きながら,遠い国のこととは思えないのが不思議なことです。
 町は,メインロードが1本あって,その道路の両側にお店があるだけです。町の北の入口あたりにはスーパーマーケットがあります。また,南側の入口あたりには広く美しい公園があります。

 興味深いのは,町のなかには信号機がないことです。そのかわり,町の中心にある交差点はラウンドアバウトとよばれるロータリーがあります。
 日本は,異常に信号機が多い国です。それに比べて,オーストラリアに限らず,私がはしったことがあるそれ以外のニュージーランドやアイスランドではロータリーがたくさんあります。アメリカには,さほどロータリーはありませんが,見かけないことはありません。
 日本でも,ロータリーを作ろうとしている場所があるのですが,なかなかうまくいきません。ロータリーは車が少ないと非常に便利ですが,車が多いとすぐに大渋滞を起すのです。
 これまで,私が驚いたのは,アイスランドで,2車線道路であるにもかかわらずロータリーになっていることです。さすがに,名古屋駅前のように,4車線も5車線もあるロータリーでは信号が必要です。

 ともあれ,スタンソープの町は,必要なものはすべて手に入る規模の便利な町ではありますが,きっと,こうした町の郊外に住んだとしたら,私はきっとものすごく退屈するだろうなあ,と思ってしまいます。


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 ブリスベンから南西に160キロメートルほど走ると,ウォリック(Warwick)という町に到着します。ウォリックはバランディーンに行く途中にある最も大きな町です。とはいえ,多くの日本人にはなじみがない町でもありますが,オーストラリアの町というのは,こうしたところのように思います。
 よく,ニューヨークはアメリカでない,とか,東京は日本でないといわれるように,およそどこの国も大都会というのはその国の典型とは思われず,このような中小都市こそが,その国を表しているようです。

 ウォリックはオーストラリアのクイーンズランド州にあって,人口は約15,000人ほどの中都市です。町の中心に教会があって,そのまわりに商業施設やらファーストフート店やら大きな病院やら公園などがあります。
 昨年大きなモールができたので,昔からあった商業施設は日本の中都市同様にずいぶんと痛手をうけているように感じます。また,有料駐車場ばかりのこの町も,モールの大きな駐車場は無料なので,便利というか,それまでに培われたこの町のルールのようなものが,このモールによって壊されてしまっているというか,いずれにしても,住民にすれば,便利になったと思われます。
 私はなぜかこの町を訪れると,日本の大垣市を思い出します。

 そのウォリックを走っていると,Queen Mary Falls という道路標示が見つかるので,町の近くにそうした名所があるのかな,とはじめてこの町を通ったときに思ったのですが,そうではありませんでした。
 2度目にウォリックに行ったとき,町の中心にある観光案内所で聞いてみたら,わかりやすい地図がもらえました。それは,ウォリックからさらに40キロメートルほど東に行ったキラーニー(Killarney)という小さな町からはじまるマクファーソン山脈(McPherson Range)の,その山並みに沿って整備された道路を上った先にクイーンメアリーフォールズはあるのでした。

 ウォリックからキラーニーまでは,オーストラリアとは思えない,むしろニュージーランドのような美しい景観がずっと続いていて,驚きました。どちらかというと,こうした青々とした景色はオーストラリアらしくなく,茶色の大地が多いのです。
 キラーニーはメインロードのまわりに数件のレストランや小さな宿泊施設があるだけの町ですが,キラーニーから山並みに沿って走っていくと,ブラウンズフォールズ(Browns Falls),ダックスフォールズ(Daggs Falls),クイーンメアリーフォールズと滝が続くのです。
 特に,クイーンメアリーフォールズは,滝へ至るトレイルの入口に駐車場があって,そこにはレストランもあり,なかなかいい感じの場所です。滝は駐車場から遊歩道を歩いて15分くらいのところにあります。
 ドライブウェイは滝の先もずっと続いていて,あたりは鉄条網すらない牧場が続いています。
 そこには,私の好きなオーストラリアの雄大な風景があります。


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 製本に出して3週間。本が戻ってきました。
 製本に出したのは藤井旭さんの書いた「星座ガイドブック」の春夏編と秋冬編でした。春夏編はマシだったのですが,秋冬編は経年劣化で糊がはがれ,バラバラになっていました。
 そこで,せっかくだからと,両方とも送って,1冊に合本してもらいました。

 今から40年ほど前,誠文堂新光社から,藤井旭さんの書いた多くの本が出版されていました。
 そのさきがけとなったのが「天体写真の写し方」です。多くの人がこの本を参考に天体写真に親しみました。皮肉なことに,今となっては,カメラの進歩で参考になる本ではありませんが,それでも,今読んでもおもしろいものです。初版は1970年なので,50年以上前の本です。この本こそ,藤井旭さんが世に出るきっかけとなったものだと思われますが,このころは製本も糸綴じなので,今でも丈夫です。
 今でも使えるのが「全天星雲星団ガイドブック」です。初版は1978年です。私が製本に出した「星座ガイドブック」は1975年です。そこで,1970年代から製本賀糊綴じに変わったことがわかりますが,これがだめのです。そしてまた,ビニールの表紙がついていたのですが,これが最悪で,経年劣化で縮んでしまい,使いものにならないばかりか,本自体を傷める要因ともなっています。

 出版されたときはあか抜けたよい製本だと思っていたのですが,どうやら,それは見せかけで,本として最も大切な保存性がなっていなかったということです。
 どうも,この誠文堂新光社という出版社の本はその手のものが多く,たとえば「月刊天文ガイド」も,今でこそ改良されましたが,中央を留め金で止めた製本は,すぐに破れました。本としてのもっとも大切な部分が何かがよくわかっていないように感じるわけです。

 製本から戻っていたものは,私の予想を超えていました。ハードカバーで包まれていて,これなら手元に置いて,いつも眺めることができるものでした。はじめからこうして作られていたらよかったと思うことでした。
 それでも,こうした内容の充実した本があったころはマシで,今は,ネットの発達によって,中身のある本が本当に少なくなってしまいました。いくらインターネットで調べればほとんどのことがわかるとはいえ,きちんとした情報を手に入れようとすると,やはり,お金と時間をかけて作られた書籍に勝るものはありません。iPhone の普及でカメラが売れないということが問題となっていますが,それよりも,私は,書籍の劣化のほうがはるかにひどいと思います。私も,これまでは,習慣のように,書店に立ち寄ったものですが,今や,書店に行く気もなくなってしまいました。

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☆☆☆☆☆☆
 日本時間で6月10日の夜に金環日食がありました。見ることができたのは,北アメリカから大西洋,ヨーロッパで,残念ながら日本ではまったく見ることができませんでした。
 金環日食といって思い出すのは,2012年5月2日の朝,私の住んでいるところで見ることができたものです(=今日の写真)。
 皆既日食を住んでいるところで見る,なんていうことがほぼありえない出来事と同じで,たとえ金環日食とはいえ,住んでいるところで見ることができるなんて奇跡でした。
 当日は夜明けからずっと曇っていたのですが,食がはじまるころには晴れ上がり,完全に見ることができました。

 人間も長くやっていると,子供のころに夢見た天体現象も,これまでにそのほとんどを目撃することができました。私の後悔といえば2001年11月18日のしし座流星群くらいを見逃したくらいのものですが,これだけは今でもトラウマです。
 逃した魚は大きいというか,それ以外には,多くの人が見逃した天体現象もずいぶんと見ているので,贅沢といえば贅沢なのですが。
  ・・
 皆既日食すら見たことがなかったころ,金環日食などまったく興味がありませんでした。ダイヤモンドリグが見られるわけでもないし,何がおもしろいのか,と思っていました。
 ある人にそんな話をすると,実はね,と話をはじめて,ベイリービーズというものを知りました。
 ベイリービーズ(Baily's Beads)はイギリスの天文学者フランシス・ベイリー(Francis Baily)が1836年5月15日の金環日食を観測した際に欠け際ぎりぎりに月のクレーターから光がとぎれとぎれに漏れているのを見つけ,これを見て「輝くビーズの列のようだ」と表現したことに由来する現象です。フランシス・ベイリーはまた,次のように記述しています。
  ・・・・・・
 a row of lucid points, irregular in size, and distance from each other, suddenly formed round that part of the circumference of the monn that was about to enter on the sun's disc.
  ・・・・・・
 こんな現象に感動をするなんて,かなりの「オタク」ですが,そもそも天体の現象の多くはそんなもので,私がこのブログにしばしば載せている10等星ほどの彗星なんて,興味のない人が見たら,何がおもしろいの? という感じでしょう。

 金環日食は,先日書いた金星の太陽面通過ほどではないにせよ,日本で見ることができる機会はかなり珍しいものです。次に日本で見られるのは2030年6月1日ですが,北海道のみです。東海地方で見られるのは2041年10月25日まで待たなければなりません。それでも,わずか30年の期間に同じ場所で2度も見られることのほうが奇跡的に私は思えます。2012年に晴れたからよかったものの,曇っていたら残念,なんていうものではありませんでした。
 しかし,2041年の金環日食のまえに,日本では2035年9月2日 -なんとこの日は日曜日なんですが- に起きる皆既日食が待ち構えています。


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 ブリスベン空港から高速道路を西に走っていくと,イプスウィッチ(Ipswich)という町に着きます。ここまでがブリスベンの市街地と考えればよく,この先はオーストラリアの広々とした大地を見ることができるようになります。
 私の行くバランディーンはここで南西に進路を変えるのですが,
イプスイッチを過ぎて進路をさらに西に行くと,トゥーンバ(Toowoomba),そして,おーストラリアが誇る天文台が転々とあって,さらに進むと,私の好きな町クーナバラブラン(Coonabarabran)に行くことができます。

 私は以前,この進路をとって天文台巡りもしたこともありますが,今回の,幻に終わったオーストラリア旅行は,寄り道をする予定もなかったので,バランディーン(Ballandean)に向かうことになっていました。
 イプスイッチから進路を南西に変えて,まずは,メインレンジ国立公園(Main Range National Park)を目指し,峠を越えることになります。
 イプスイッチを越えると,高原道路となり,すばらしい景色が広がります。こういった風景が極めてオーストラリアっぽいと私は行くたびに思います。道路の際には ユーカリの木もあるから,そこにコアラがいても不思議はないといつも思って期待するのですが,残念ながら見たことはありません。しかし,カンガルーはたくさんいて,道路には車にひかれれた姿をよく目撃します。

 オーストラリアの一般道は郊外は片側1車線で,制限速度は時速100キロメートルです。
 これはニュージーランドも同じなのですが,よくいわれるように,というか,私もそう感じるのですが,ニュージーランドの人たちの運転は日本と同じようにかなり乱暴で,オーストラリアの人たちの運転はおとなしいです。
 ということで,ニュージーランドでは時速100キロメートルなんて目じゃないほどスピードを出している車が多いです。私にはその塩梅がわからないから,アメリカでもオーストラリアでもニュージーランドでもいつも制限時速を守る安全運転をします。2車線以上あることがほとんどのアメリカはいうに及ばず,たとえ片側1車線であっても,ニュージーランドもオーストラリアも日本とは違って煽られることはありません。それは,数キロメートルごとに必ず追い越すために2車線道路が作られているからです。

 写真のような美しい景色の続く道路を走っていると,ときどき小さな町を通り過ぎます。今日の写真はそんな町のひとつアラトゥラ(Aratula)です。
 アラトゥラを過ぎると,次第に標高が高くなっていきます。いよいよ峠越えがはじまるのです。
 風景が雄大なのであまり感じないのですが,大型のトラックが走っていると苦しそうだから,かなりの勾配に違いないのでしょう。この峠のあたりがメインレンジ国立公園です。どこかに車を停めて,国立公園を散策したいなあといつも思いながら走っているのですが,この国立公園,展望台やトレイルがあるのかどうか,私にはわかりません。それは,何度走っても,それらしきものを見たことがないし,そういった道路標示もないからです。
  ・・
 峠を越えると,いよいよその先はウォリック(Warwick)という比較的大きな町です。


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 昨日「日没30分前から日の出30分後までが美しいこの国です」と書きましたが,ここで「かはたれ」という言葉を思い出しました。改めて調べていくうちに今度は「かたわれ」という言葉もあることを知りました。
 「かたわれ」は「昼でも夜でもない薄暗い時間帯」を意味する言葉だそうですが,この言葉の由来は2016年に公開されたアニメーション映画「君の名は。」です。
 ヒロイン宮水三葉の住んでいる糸守町(いともりまち)の方言という設定で,「黄昏」や「夕暮れ」の代わりとして使われたものです。 転じて,この映画では「世界の輪郭がぼんやり柔らかくなる」という抽象的な意味合いでも使われました。
 一方,「彼は誰(かはたれ)」は実在する言葉で,「明け方」のことですが,この言葉については,以前,ブログに書いたことがあります。
  ・・・・・・
 「誰そ彼(たそかれ)」は「黄昏(たそがれ)」。日暮れ時は精霊の跳梁(ちょうりょう)する禍々(まがまが)しい時。人の見分けがつかないので「誰そ」と問うが,男が女の名前を問うのはプロポーズの意味ももっていた。名を明かすのはそれをお受けしますということ。
 転じて,夜明け前は「彼は誰(かはたれ)」。夜明け前も人の顔が判別できないので「あなたは誰」と問う。
  ・・・・・・
 「かはたれ」はまさしく日本の古語という響きですが,それにくらべて,「かたわれ」はちょっと現代語のような感じで,直接的です。

 私が気に入って,毎晩のように散歩をする時間は,まさにこの「かたわれ」どきです。
 このころ,太陽がまだ沈むまえは西の空が次第に空が赤くなっていくのですが,少し雲があって,その雲がうまい具合に太陽の光を受けたとき,最高の色彩となります。
 私は以前,太陽が沈んでしまうとそれで終わりのように思っていたのですが,ときとして,太陽が沈んだ後に,異常なほど空が赤く染まることがあります。あるいは,紫色に輝くこともあります。また,夕日が美しく見られても,太陽が沈んでしまった後は,薄く染まる程度で期待したほどでもないこともあります。
 このように,毎日の風景がまったく異なって見えることも,また,散歩に出かける楽しみだと,このごろ知りました。こんなことも知らずに生きてきたことに今更ながら気づきました。
 そうした風景を味わうのも,まさしく「かたわれ」どきの散歩の魅力です。

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 日没30分前から日の出30分後までが美しいこの国です。
 ということで,朝からの雨も止み,晴れ間が見えたので,この日も夕方,散歩に出ました。
 コロナ禍でもなければ,おそらく無縁だったであろう家の近くですが,暗くなってお昼間にははっきりとみられるどぶ川やら道端に捨てられたゴミが視界から消えると,これでもけっこうおもしろいところがあるものです。

 稲沢市祖父江町の名産はぎんなんです。この町はにはイチョウ畑というかイチョウの杜が点在していて,晩秋になるとそれらが一斉に黄金色に染まります。
 イチョウは燃えにくいため防災用に,また,伊吹おろしから屋根を守る防風のために,江戸時代に神社,仏閣,屋敷まわりに植えられました。
 イチョウの実のぎんなんは,古くは米の凶作時の備蓄食糧に使われたました。ぎんなんの生産を目的とした栽培は,この祖父江町が最も古いとされているそうですが,それでも歴史は意外と新しく,約100年ほど前からといいます。当時,山崎集落から名古屋へ3人の者がぎんなんを売りに行って,大粒種は在来種の6倍から7倍の高値で売れたそうです。この事情を知った血族一族の間に大粒種の穂木が広まり,集落全体に普及していきました。その当時に接木され100年以上と思われる大樹が今も多くの実をつけています。

 「イチョウのまち祖父江町」として,町内には1万本を超えるイチョウの樹があり,毎年秋には町全体が黄金色になるので「祖父江イチョウ黄葉まつり」が開催されて大勢の来場者が訪れます。
 とはいえ,これまでは,特に広い公園があるわけでもなく,道も狭く,駐車場すらないというありさまでした。そこで名鉄山崎駅の東側に「祖父江ぎんなんパーク」が作られ,2021年6月1日に開園しました。ぎんなんの代表的な4品種である久寿(きゅうじゅ),藤九郎(とうくろう),栄神(えいしん),金兵衛(きんべえ)がすべて園内で見られるという公園で,面積は12,424平方メートル,広場や展望丘,時計台などがあります。
 ということで,日が暮れたころに行ってみました。
 ほとんど人のいない公園には,ちょうど,東の空には虹がかかり,西の空には夕焼けが美しく,きもちのよい時間がすごせました。きっと秋には大勢の人でにぎわうことでしょう。

 ぎんなんの代表的な4品種についてまとめておきます。
  ・・・・・・
●久寿
 祖父江町山崎の富田芳行宅に樹齢170年生くらいの原木があります。粒は大粒で丸みがあります。殻が固くなるのが比較的早くて,8月中旬から出荷可能です。貯蔵性がやや劣る品種でありますが、苦みが優しく食べやすい品種です。
●藤九郎
 瑞穂市の井上藤九郎宅に樹齢300年生くらいの原木がありましたが,1914年(大正3年)の台風により倒伏枯死したといわれています。ぎんなんの品種の中では大粒で,殻の厚さが薄く表面は滑らかで光沢があり,揃いが良好で食味,貯蔵性がよい品種です。
●栄神
 祖父江町神明津の吉川実和宅に樹齢140年生くらいの原木があります。粒は中粒でやや縦長です。殻が固くなるのが比較的早くて,8月中旬から出荷が可能で,貯蔵性は優れており,翌年の3月ぐらいまで出荷が可能な品種です。
● 金兵衛
 祖父江町桜方の横井義廣宅に樹齢250年生くらいの原木があります。粒は中粒でやや縦長の果形です。殻が固くなるのが早くて,8月中旬から出荷が可能な品種です。
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 すっかり忘れていたのですが,今から9年前2012年の一昨日6月6日は金星の太陽面通過が見られました。
 金星は太陽と地球の間にあるので,条件が合えば,太陽の表面を金星が通過するのを見ることができるわけでが,金星の軌道が地球の軌道に対して3.4度傾いているので,金星が太陽面を通過して見えるのは地球の軌道平面と金星の軌道平面が交わるところであり,かつ,金星が内合(地球と金星とあ太陽が一直線)になるときに限られます。
 軌道がそのような位置関係になるのは,6月7日ごろと12月9日ごろに限られていて,ちょうどそのときに地球と金星がいないといけないから,金星の太陽面通過は非常に稀な現象で,8年,105.5年,8年,121.5年の間隔でしか発生しません。

 2012年の前に起きたのはその8年前の2004年,ちょうど今日から17年前の6月8日だったのですが,曇って見えませんでした。
 次にこの現象が起きる(「見られる」と書けないのがこころ苦しいのですが)のは,2012年の105.5年後の2117年12月11日になるそうです。
 それにしても,梅雨どきなのに,よくこの日が晴れたものです。これを逃していたら残念,なんていうモノじゃなかったわけです。皆既月食とは起きる頻度が違いすぎるのです。
 私は,このとき,幸いにも写真に撮ることができました。今なら,時間を決めて金星が太陽面を通過している間に等間隔に写したり,動画を写したりするのでしょうが,当時の私の関心事は「ブラック・ドロップ効果」(black drop effect)でした。
 「ブラック・ドロップ効果」というのは,金星が太陽面の縁にしずくのようにくっついて見える現象で,金星が太陽面に入った直後と太陽面から出る直前に発生します。1769年の金星の太陽面通過を観測したアンダース・レクセル(Anders Johan Lexell)がラテン語で 「gutta nigra」(=黒いしずく)とよんだことに由来するそうです。
 もともとは金星の大気によるものではないかと予測されましたが,現在では,望遠鏡による像の不鮮明さ,地球の大気の揺らぎ,光の回折が主原因とされています。

 なお,5月26日,曇って見られなかった皆既月食ですが,ほぼ皆既月食というのが今年の11月19日,完全な皆既月食は来年の11月8日に見ることができます。
 また,水星も太陽と地球の間にあるから水星の太陽面通過という現象もあります。私はこれも見たことがありますが,こちらは13年,46年の周期で起き,次回みられるのは11年後の2032年11月13日です。


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 この旅では,アデレードからブリスベンに行き,ブリスベンで車を借りて約3時間走って,バランディーンの定宿で4泊することにしていましたが,実際は行くことができなかったので,これからは,これまでに行ったときの様子を書きます。
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 オーストラリアはどの空港もすばらしく,日本の成田国際空港とは比較にもならないほど豪華で立派ですが,シドニーの空港は私に広すぎます。その点,ブリスベンの空港は適当な大きさでとても快適なところです。
 ブリスペンでは空港ビルの一角にレンタカー会社のカウンタがあって,簡単に車を借りることができます。また,駐車場は空港ビルを出たところにあるので,長い距離を歩く必要もありません。
 オーストラリアは日本と同じで左側通行なので,日本で運転をしているのと同じです。

 空港を出て,道なりに進んでいくと高速道路に入ることができます。道路標示に従って走れば迷うこともないのですが,それが,空港を出てブリスベン市内に行くときとブリスベン市内から空港に戻るときとで,ともに道路標示に従って走ると,異なる道路を走ることになるのが不思議で,私は,何度走ってもどこを走っているのかが把握できません。さらに,あとで地図を見てもよくわからないのです。
 それに加えて,今でもよく理解ができないのが,オーストラリアの高速道路の料金の支払い方法です。日本のようにゲートがあるわけではなく,道路に設置されたカメラで自働に記録されるのですが,地元の人は,事前に車が登録されているので,そのまま料金が引き落とされるので問題がないのですが,レンタカーの場合,どういったシステムなのかがよくわならないのです。

 「地球の歩き方」にも,レンタカーとして事前に通行が登録をしてあるから,貸出し料金に含まれているとか,あるいは,個人で別にネットで支払わなければならないとか,さまざまなことがかかれていて,正解がわかりません。地元の人に聞いても,彼らは事前に登録してあるから,旅行者のことなど知らないといいますし,レンタカー会社のカウンタで聞いても,係によって違う対応をします。インターネット上にオーストラリアで日本人が経営しているレンタカー会社があって,そこにもいろいろ書かれてあるのですが,その説明もまた「地球の歩き方」とは違うことが書かれあります。
 こういうことがとてもオーストラリア的ないい加減さなのですが,私は,それが好きになれません。
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 散々調べた結果私がやっている方法は,料金を支払うためのアプリをインストールしておくという方法で,到着後,このアプリに借りた車の車両ナンバーを登録しておくと,通行したあとで,請求が来るので,ネットで支払うというものです。しかし,これもまた,いい加減というか,なんというか,請求が来たり,来なかったりするのです。
 また,レンタカーを返すときに,高速道路を走ったかと聞かれて,走ったと答えるのですが,で,そのあとなにかあるかというと何もないのです。レンタカーの領収書にも何も書かれてありません。ひょっとして,レンタカー会社と2重に支払っているのかもしれません。料金は日本と違って,数百円といったところなので,2重に支払ったところで大したことでもないのですが,問題は払わなかったときなのです。あとで巨額になった請求が来ても困ります。きちんとしたシステムを知りたいものです。
 また,それに輪をかけて,高速道路のどこが有料区間なのかもよくわからないのです。ずいぶん調べて,私は,どこが有料なのか書かれている地図を見つけたので,なるべくそこだけを避けて走るようにしているのですが,それもまた面倒な話です。
 私がオーストラリアで嫌いなのは,このことだけです。
 なお,有料の高速道路があるのは,ブリスベンとシドニーとメルボルンです。


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 行くことはできませんでしたが,予定では,2020年3月29日日曜日の午前10時にアドレードを出発して午前11時50分にブリスベン着,その後,レンタカーを借りて,いつものようにバランディーンまで3時間かけて行き,3月29日から4月1日まで4泊して,4月2日木曜日の午前9時35分ブリスベンを発って帰国することになっていました。
 アデレードは行ったことがなかったから経験に基づいて書くことができなかったので,調べたことだけを紹介しましたが,ここからは何度も行ったことのある行程です。そこで,この先はこれまでに行った経験から振り返りたいと思います。
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 この旅を計画するとき,3月に星を見るためにバランディーン(ballandean)に行こうと,常宿に問い合わせたら,3月29日までは日本からの別のグループが宿泊するということでした。星を見るには月明かりがない時期を選ばなけれならないから,新月のころはどうしてもほかのグループと一緒になってしまうのです。しかし,多くの人は仕事があるので,普通は週末を挟んで休みを取ってくるので,日曜日を過ぎれば帰国しまうから,日曜日の夜からがねらい目です。
 私は,若いころと違って,知らない人と会うことが煩わしくなってきました。特に,星見は孤独のほうがいいのです。単なる趣味の世界なのに,日本人は仕事のようにストイックな人が多く,私にはついていけません。だから,話も合いません。私は,趣味にお金をかける気もなければ,新しい技術を追い求める気力もありません。

 バランディーンはブリスベンからオーストラリアの内陸部に向かって3時間ほど走っていった先にある小さな町です。途中に峠があって,それを越えると,のどかで雄大なオーストラリアが待っています。しかし,特に見どころもそれほどないから,私は,数回行って,バランディーン付近の観光施設はすべて制覇してしまいました。だから,今回もまた,星を見る以外に何をするの? という感じではありました。
 今こうして書いていて,もし次の機会があれば,バランディーンにこだわらず,オーストラリアの別の場所に出かけたほうがいいかな,と思います。
 さて,こうしてバランディーンの付近の観光地はすべて行ったのですが,なぜか,ブリスベン市内だけは観光をしたことがありませんでした。そこで,2019年の春に行ったときに,はじめてブリスベン市内のホテルに宿泊して観光をすることにしました。
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 おそらく,オーストラリアといっても,多くの日本人になじみがあるのはシドニーだと思います。2019年は2度オーストラリアに行ったのですが,1度目に行ったときにはシドニーにも行きました。シドニーもまたいい都会でしたが,ちょっと人が多すぎて,アメリカの大都会のようでした。
 それに比べれば,ブリスベンは日本から直行便があるのですが,それでも,日本人にはあまりなじみのある都会ではないと思います。実際に行ってみて,ブリスベン市内は思った以上に美しくすてきなところでした。
 また,ブリスベンから南に走るとゴールドコーストがあるのですが,ゴールドコーストの高級住宅街を歩いていたとき,ここなら住みたいなあと,こころから思ったことを覚えています。私が住みたいなあと思った町は,これがはじめてのことでした。


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 コロナ禍の前は,国内だと旧街道や,時には,東北や四国,あるいは,信州に1泊や2泊の旅行をしていました。また,年に6回程度,海外旅行をしていました。しかし,現在は夕食後に1時間程度の散歩しかできません。海外には出かけられないし,国内は遠出しても楽しくないからです。
 そんなときのお供はカメラです。
 これまでいろいろと試行錯誤をしたのですが,やはり一眼レフカメラです。スマホも悪くないのですが,望遠やら魚眼やらとなると,やはり,カメラのほうがいいのです。
 そんなカメラですが,重さが1キログラムもするような重くて大きなものは,どんなにそれが高性能であっても私は御免です。いろいろと細かい性能にこだわる人もいますが,私はそんな腕前でもないし,記録ができればそれで十分です。とはいえ,カメラが売れないらしいので,どのメーカーも高級品にシフトしてしまって,私が使いたいものが続々と製造中止となっています。私は10万円以上するようなカメラは縁がありませんし,巷の流行もコマーシャルも関係ないし,影響もされません。自分でよいと思っているものを大切にいつまでも使い続けるだけです。
 
 ということで,何も買わないという基本方針の例外として,製造中止になったことでこの先は手に入らなくなると思ったので,私が元気なうち末永く使えるようにと,新たに在庫処分のニコンD5600 と中古のDX魚眼レンズを手に入れました。これで,私が持っている一眼レフカメラは,ニコンのD5100が2台,D5300が2台,D5600が1台,D3500が1台,さらに,キヤノンのEOS Kiss7,EOS kiss8i,EOS Kiss9がそれぞれ1台となりました。さらに,携帯用にとニコン1が3台あります。
 キヤノンのカメラとニコンのD5100 は天体撮影用に改造がしてあります。また,レンズはすべてニッコールで,キヤノンのカメラにはアダプターを介して使用しているというように,目的ごとに使いわけていて,ムダなものは1台もありません。
 レンズも,けっこう持っていますが,もっとも重宝するのが先に書いた対角魚眼レンズなので,すでに1本持っていたのですが,壊れるといけないので,もう1本追加したというわけです。
 普段,散歩に持っていくのはニコンD5600にシグマの18ミリから250ミリのズームレンズですが,これだけでほぼ,事足ります。画質がどうのとか,こだわる人もいますが,私には,便利で写ればそれでいいです。

 カメラ好きの人たちで盛り上がっているブログがあって,それを読むと,カメラは大きくて重くて性能がよいものがよい,とか,値段にこだわわらず,新しい製品が出るたびに,やれ買いだ買いだと盛り上がっていますが,プロのカメラマンは別として,そんな高級品を持って写真を楽しんでいる人は,私が知る限り,まわりにはほとんどいません。
 紅葉のシーズンなどに観光地に出かけると三脚に大きなカメラを持って場所を占拠している人が群れています。また,ドクターイエローが通るとなると,鉄道の線路の近くの田んぼのあぜ道に三脚を立てて陣取っている人たちが群れています。そうした人たちはかなり迷惑です。趣味を楽しむのはひとそれぞれですが,迷惑はいけません。
 そこまでしなくても写せると思う私は,何を大げさな,と思ってしまいます。かくいう私は,そんな大きな機材を持って,旅をする気にもなりません。
 車だって,ほんの一部の車好きの人たちがこだわりをもって高級車に乗っています。その中には運転が乱暴な人が少なからずいます。しかし,ほとんど人は国産の適当な車に乗っていて,車に特に興味があるわけでもないのです。そもそも,そんな高級車がその性能を発揮して走れるような道路がこの国にはありませんし,カメラもまた同じで,その性能を発揮できるような風景すらないのです。 
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 私は,先に書いた機材だけで十分なので,これからも,それらを利用して,散歩をしながら,あるいは旅をしながら,楽しく写真を写すことにします。
 さあ,これですべて買いそろえたので,これからは,新たに何かを買い足すということは一切ありません。そんなお金があったら,コロナ禍が収束するのを待って,私は旅に出ます。


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 私は,このところ,さらに楽しい生活を過ごすためにいろいろなことを見直してきていて,ときどきこのブログにもそんなことを書いてきたのですが,やっと調子がでてきました。そこで,それらをまとめておくことにします。
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 自宅で暇しているときの時間つぶしといえば,これまではテレビでした。しかし,私は,テレビについて,BSはNHKBSの2,3の番組を除いて,まったく見なくなりました。2,3の番組というは,「にっぽん横断こころ旅」と「コズミックフロント」,そして,「キャッチ!世界のトップニュース」の金曜日「@NYC」です。また,地上波は2,3の気に入ったドラマだけをアプリで見るだけで,まず,見ません。それでも,これまでは,Eテレで日曜日の夜にNHK交響楽団の定期公演が放送されていてそれを楽しみにしていたのですが,4月の番組の改編とともにそれも減ったことと,それ以上に,コロナ禍以後のクラシックのコンサートはそれ以前とは出来がまったく違うので,興味をなくしてしまいました。その代わり,CS放送の「CNNj」と「スーパードラマ!TV」を契約して,「CNN」は夕方から夜にかけての放送を,「スーパードラマ!TV」は気に入ったアメリカ発のドラマを見るようになりました。
 私は,テレビに限らず,インターネットでも,日本の報道番組やニュースのコンテンツはまったく見ません。あまりに内容がひどいからです。その代用として,紙媒体の新聞を1紙だけ読むことにしています。それは,情報がないのも困るという消極的な理由からだけです。

 また,昔は,時間があれば当たり前のように書店に立ち寄っていたのですが,それもなくなりました。専門書でもない限り本は読まなくなってしまったからです。書籍もまた,内容があるものが本当に少なくなりました。特に雑誌の類はひどく,読むに値するものがありません。それだけならいいのですが,読むと逆に不快になるだけのものばかりです。
 その代わりに,再び「SKY AND TELESCOPE」の購読をはじめました。これは,部屋でクラシック音楽を聴くときのお供でもあります。音楽といえば,YouTube にかなり質の高いクラシック音楽がアップロードされています。YouTube もまた,くだらないものが90パーセント以上ですが,探せば,なかには,かなり質の高いものがあります。また,YouTube 以外には,手元にある音源から,ベートーヴェンのピアノソナタと弦楽四重奏曲,そして,ハイドンとモーツアルトの交響曲,そして,モーツアルトのピアノ協奏曲などを聴きはじめました。聴いてみるとそれがまたとてもおもしろいのです。こんな機会でもなければ聴くこともなかったと思うと,不思議な気がします。
 それに加えて,毎週日曜日の午後2時からNHKFMで放送されている「×クラシック」が楽しみです。担当している才女・市川紗椰さんのおしゃべりを最高に気に入っています。

 とまあ,家にいるときはそんな時間を過ごしているのですが,このように,自分には意味のない情報を遮断することで,なんとまあ,こころが落ち着き,精神的に豊かな時間が過ごせるのだろうかと,しみじみ感じるようになってきたこのごろです。


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 この旅の前半の予定は,2020年3月26日の午前10時25分にアデレードの到着して,3月29日の午前10時アデレード発午前11時50分ブリスベン着というものでした。そこで,アデレードに3泊,そのうち,3月26日と3月27日の2日間がアデレードの市内観光で,3月28日はカンガルー島への現地ツアーが予約してありました。
 しかし,行くことができなくなったので,航空券とホテルは無料でキャンセルできたのですが,現地ツアーについてはキャンセルができなくて,結局,お金を損してしまうことになりました。そもそも,今回の事態など完全に想定外だったので,まったく考慮していなかったわけです。

 カンガルー島は,南オーストラリア州の沖合い13キロメートルにあって,アデレードから飛行機で30分の場所にあります。カンガルー島にはオーストラリアの固有動物が数多く生息していて,グルメや壮大な岩層が楽しめるという場所です。
 カンガルー・アイランド・シーリンク(Kangaroo Island Sealink)へは南オーストラリア州本土からカンガルー島の主要な街のひとつであるペネショーまでフェリーが毎日運航されていて,フェリーの出発地はアデレードから車で南に90分のケープ・ジャービス(Cape Jervis)ということなので,ツアーに頼らずとも自力でもなんとかなりそうなのですが,調べるのもめんどうになって,ツアーを予約したというわけです。
 これまで私は,アイスランドで1日ツアーを予約したり,ニュージーランドのミルフォードサウンドでもツアーに参加したし,オーストリアでもシェーンブルン宮殿へのツアーと,ハルシュタットへの日帰りツアーに参加したことがあります。これらはなかなかよかったもので,やはり自分だけでは行くことが困難な場所でも,何とかなるものです。
 ということで,かなり期待をしていたので,残念でした。
 では,私が行くことのできなかったカンガルー島について調べたことを以下に書いておきます。

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 カンガルー島は,長さ155キロメートル,幅55キロメートルということなので,けっこう広く,ガイド同行のツアーやフェリーを利用して車で島を移動するか,島に到着してからレンタカーを借りるかとう手段をとることになるようです。
 カンガルー島の南海岸にあるシール・ベイ自然保護公園(Seal Bay Conservation Park)には,南オーストラリア州と西オーストラリア州にしか生息していない絶滅危惧種のオーストラリア・アシカが暮らしていて,コロニーの中を歩くことができる世界で唯一の場所ということです。
 また,安全な海水浴スポット が北海岸のキングスコート近くのエミュー・ベイ(Emu Bay),ストークス・ベイ(Stokes Bay)もあります。
 さらに,カンガルー・アイランド・ブルワリー(Kangaroo Island Brewery)でクラフトビールを飲んだり,ペンショー近郊のダドリー・ワイン(Dudley Wines),キングスコート近郊のベイ・オブ・ショールズ・ワインズ(Bay of Shoals Wines)などでセラードアを備えたワイナリーでワインを楽しんだり,カンガルー・アイランド・スピリッツ(Kangaroo Island Spirits)でオーストラリアのクラフトジン,ウォッカ,リキュールなどを試飲することもできるそうです。そして,アメリカン・リバーにあるオイスター・ファーム・ショップ(Oyster Farm Shop)で旬の牡蠣やアワビ,ダイオウギスなどが味わえるランチを楽しむことも可能です。また,島の真ん中に立地するマロン・カフェ(Marron Café)では淡水マロンとよばれるオーストラリアの淡水イセエビを試してみることもできます。
 カンガルー島には,オーストラリア固有の野生動物が数多く生息しています。
 島中いたるところで短いビードのハリモグラと大きなゴアナを見かけることができるし,アメリカン・リバー周辺の入り江には黒鳥が群れをなしています。キングスコートの波止場では,毎日午後5時になると何十羽ものペリカンが集うということです。
 カンガルー・アイランド・オデッセイ(Kangaroo Island Odysseys)のガイドのツアーに参加すれば,コアラ,カンガルー,ワラビーを,カンガルー・アイランド・オーシャン・サファリ(Kangaroo Island Ocean Safari)のボートクルーズで海へ出ればアザラシやクジラ,海岸沿いで遊ぶバンドウイルカを眺めることもできるということです。
 さらに,カンガルー島の西側にあるフリンダース・チェイス国立公園(Flinders Chase National Park)は,希少なタマーワラビーやめったに見ることがないカモノハシのような多種多様なオーストラリア固有の動物が生息する大きな自然保護区で,リマーカブル・ロックス(Remarkable Rocks)という,オレンジ色の地衣類に覆われ独特の形になった花崗岩の巨石が海辺に連なっていたり,アドミラルズ・アーチ(Admirals Arch)という,浸食された鍾乳石の橋に波が打ち寄せる光景は壮観ということです。
 カンガルーとタマーワラビーは,フリンダース・チェイス国立公園(Flinders Chase National Park)内のブラック・スワンプ(Black Swamp)やラタミ保護公園(Lathami Conservation Park)などの島内の保護区で簡単に見ることができるし,カンガルー島にのみに生息する絶滅危惧種のテリクロオウムなどの珍しい鳥を見つけることもできます。
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 さて,この旅は,2020年3月25日水曜日の午後2時30分セントレア・中部国際空港発のANAで成田空港に向かい,成田空港では午後7時20分発,翌日午前7時55分メルボン着,そして,メルボルンから午前9時35分発,午前10時25分アデレード着のカンタス航空のチケットが予約してありました。また,アデレードでは,すでに,市内のホテルが予約してあって,ホテルまでは,レンタカーを借りる予定はなかったので,公共交通機関を利用することにしていました。
 アデレード。私はこの町のことを1年前までまったく知りませんでした。
 この旅の1年前にオーストラリアのエアーズロックに行ったとき,帰りにシドニーからの飛行機に乗ったとき,隣に座った女性がアデレードからの帰りだと言ったのが,私がアデレードを知ったきっかけでした。さらに,帰国後,アデレードに行ったことがあるという人の話を聞いて,興味をもちました。
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 という次第だったのですが,結局,行くことができなかった今,ぜひ行きたかったなあ! 残念だったなあ,何とかしていきたいなあ,という気はほとんどありません。つまり,まったく想い入れがないのです。しかし,もし,このとき実際に行っていたら,また,違った気持ちになっているかもしれませんが。

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 アデレード(Adelaide)は南オーストラリア州の州都です。オーストラリアの南部に位置し,南極海に面しています。都市の名前は19世紀のイギリス国王ウィリアム4世の王妃アデレードにちなんで名づけられていて,人口は約100万人,文化と芸術の都として知られています。
 この町に行って「必ずやっておきたいこと」がいくつかあるそうです。
 その第一は,アデレード中央市場(Adelaide Central Market)でショッピングをすることだそうです。
 その次に,ノース・テラス地区を散歩することだそうです。ノース・テラス地区はアデレードの重要な文化施設が集まる場所で,最も美しい建物のひとつである南オーストラリア美術館(Art Gallery of South Australia),隣接した南オーストラリア博物館(South Australian Museum),そこから20分の散策で植物園(Botanic Gardens),アデレード動物園(Adelaide Zoo)は必見だそうです。アデレード動物園では,コアラ,オーストラリアオットセイ,カンガルーなどのオーストラリアの固有動物に出会えるということです。
 また,アデレード・オーバル(Adelaide Oval)では,クリケットのガイドツアーに参加できます。さらに,ビーチへ行けば,白い砂浜が広がり,散歩道を歩いたり,フィッシュ&チップスを食べたり,海のプールで泳ぐことができまるそうです。
 さらに,足をのばして郊外に行くと,ワイナリーが広がっています。オーストラリア随一の冷涼性気候ワインの産地,アデレード・ヒルズ(Adelaide Hills)では,ブラウフレンキッシュ,グリューナー・ヴェルトリーナー,ツヴァイゲルト,サンクト・ラウレントなど,オーストリア種ブドウ栽培のパイオニア,ハーンドルフ・ヒル(Hahndorf Hill)や,受賞歴を誇るシラーズで有名なバード・イン・ハンド(Bird in Hand)など,60ものワイナリーがある地域です。
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 ということなのですが,ブリスベン郊外やシドニー郊外,さらに,アメリカのこのような地域を知る私は,どんなところか行かなくても想像がつきますし,特に,だから何があるの? と思うと,何もわざわざアデレードまで出かけるほどの魅力はあまり感じません。おそらく,こうした観光よりも,アデレードは何をするでもなく,のんびり過ごすところなのでしょう。


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 世界は広いのか狭いのか,いずれにしても,生きている間にすべてのところに行くことはできません。海外旅行も,はじめのうちは有名な場所に一度は行ってみたいという動機ではじまるのでしょうが,そのうちに,自分が何をしたいかということを自分に問いかけることになります。そして,そういった段階になると,さまざまな工夫が必要になってきます。
 私が痛切に感じるのは,母国語が日本語であるというハンディです。もし,母国語が英語であれば,もっと地球を狭く感じるでしょう。そして,気軽に世界に飛びだすことができることでしょう。さらに,ヨーロッパに行くようになると,もうひとつ,ドイツ語かフランス語ができたらどれだけ楽しいかということを感じるようになってきました。

 また,私の住む愛知県から海外旅行をしようとすると,セントレア・中部国際空港の不便さを感じざるを得ません。これまで何度も書いているように,アメリカは,とにかく,デトロイトへの直行便などいらないから,シアトルかロサンゼルスのような西海岸への直行便があればどんなに便利かなあ,と思います。そこで羽田空港でトランジットをすることになってしまいます。これはオーストラリアも同様です。シドニーでもメルボルンでもブリスベンでも,というか,ブリスベンがもっともいいのですが,そこまでの直行便があれば,どれほど便利でしょう。
 それに比べたら,フィンランドのヘルシンキまでの直行便のあるヨーロッパははるかに便利です。
 セントレアからは,ヨーロッパとハワイだけが,私には便利で,かつ,気楽に行くことができる外国です。が,空港までのアクセスもまた,延着やら不通になることが少なくない名鉄,また,車だと混雑する高速道路など,せっかくのインフラがこれではなあ,といつも考えてしまいます。


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