しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

July 2021

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 朝起きたときに「何もすることがない」という生活が理想だと憧れていたのですが,そんな理想の生活ができるようになってきました。さらにには「何も欲しいものがない」という状態こそがもっとも幸せだとも思っていたのですが,これもまさに実現しつつあります。
 こうなるとまさに仙人なのですが,仙人が霞を食べて生きていけるのに対して,私は霞では生きられませんから,きちんと食べ物だけは取らなければなりません。いくら私が「インチキ富裕層」であるからといっても,食べ物を節約しては健康を害します。
 ではあるのですが,このご時世,外食をしても一向に楽しくありません。夕食は別としても,せめて,朝食と昼食くらいは手短かに安く済ませたいものです。しかし,朝食はルーティーンなのでいつもと変わらないとしても,昼食は毎日同じ,というわけにもいきません。
 そこで,たまには…,ということでカップ麺を試してみることにしました。

 すべてを食べてみるわけにもいかないので,パッケージから判断しておいしそうなものを購入していろいろ試した結果,私がこれならおいしいという結論になったのが「日清のどん兵衛・天ぷらそば」でした。天ぷらは付録のようなものですが,麺もスープも味がよいのです。
 しかし,この「日清のどん兵衛・天ぷらそば」は値段が高いのです。家の近くのスーパーマーケットでは158円もします。しばらく様子見をすると,安いときで118円まで下がることがわかりました。ガソリン並みの値段の変動があるわけです。そこで,安いときに買いだめることにしました。
  ・・
 「日清のどん兵衛・天ぷらそば」が高かったとき,それに類するもので「マルちゃん・緑のたぬき」という安価なものがあるのを見つけました。試しに買って食べてみたのですが,値段の差は歴然でした。
 マルちゃんの名誉のためにつけ加えると「マルちゃん・屋台一番焼そばソース味」という冷凍食品があるのですが,これは冷凍焼きそばの中では最もおいしいと私は思います。

 と,ここまでは前置きで,今日の話題の中心は「きつねそば」です。というのも,私が少し前からずっと不思議に思っていたのは,こうしたカップ麺iには「天ぷらそば」と「きつねうどん」があるのに,どうしてその反対に「きつねそば」や「天ぷらうどん」がないのだろうか,ということでした。
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 私はグルメではないので細かいことは知りませんが,私の印象では,関東は「天ぷらそば」関西は「きつねうどん」です。
 東京近郊の駅のプラットホームには「天ぷらそば」のお店がありましたが,若いころはそれほど好きではありませんでした。しかし,昔,京都の鞍馬寺の門前の茶店で食べた「きつねうどん」のおいしさは忘れられませんでした。大きくて甘い油揚げは他の地方では食べられなかったからです。それはそれは美味でした。
 私は,今でこそ天ぷらそば派なのですが,以前は,天ぷらというのはどうも脂っこくてだめでした。しかし,麺は,昔も今も,味のたんぱくなうどんよりもそばのほうが癖があって好きです。うどんは味噌煮込みうどん以外は受けつけず,そば派なのです。そこで,大きくて甘い油揚げののったそばが食べたくて仕方がありませんでした。しかし,どこを探しても,カップ麺には「きつねそば」というものが見つからないのです。こんなもの作るだけなのに…,とずっと不思議に思っていました。

 今はインターネットで調べることができるので,確かめてみることにしました。
 すると,ちゃんと「日清のどん兵衛・きつねそば」という商品があるのです。しかし,ネット通販でなら買うことができるようですが,実際に店頭で商品を見たことがありません。と思っていたところ,マルちゃんが「赤緑合戦和解記念」とかで,うどんとそばを入れ替えた「赤いたぬき」と「緑のきつね」を発売するということを知りました。さっそく店頭で「緑のきつね」を見つけたので買ってきました。やっと私は念願がかなったわけです。
 以前,「日清のどん兵衛・きつねそば」は手に入らないので,ならばと「日清のどん兵衛・きつねうどん」を買ってきて食べてみたことがあるのですが,私の憧れだった大きくて甘い油揚げとはほど遠く,がっかりしました。念願かなって手に入れたマルちゃんの「緑のきつね」でしたが,これもまた,私の予想したとおり,大きくて甘い油揚げとはほど遠く,残念な結果に終わりました。当然の結果とはいえ,大きく甘い油揚げは,やはり,実際に関西に足を運んでお店で食するものなのでしょう。つまり,カップ麺で大きくて甘い油揚げを求めること事態,麺がうどんであれそばであれ無理筋だったのです。
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 考えてみれば,お店で食べる大きくて甘い油揚げは,うどんの上のっていてこそ,であって,そばの上ではなじみません。そしてまた,大きなエビの天ぷらも,そばの上にのっていてこそのもので,うどんには似合いません。よく考えられているのです。
 大きく甘い油揚げはスーパーマーケットで手に入らずとも,大きなエビの天ぷらなら100円で売っています。そこで,今日もまた,お昼には,大きなエビの天ぷらをオプションでのっけて「日清のどん兵衛・天ぷらそば」を食べるとしましょうか。これなら,金250円也のささやかなお昼となって「インチキ富裕層」にはご馳走です。だけど,こんなトッピングまでするのなら「日清のどん兵衛・天ぷらそば」にしなくても普通のおそばとスープを用意したって同じですな。書いていて気がつきました。


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 2021年7月28日の朝日新聞「外国語の扉」というコラムに川﨑宗則選手が載っていました。 
 川崎宗則選手は1981年生まれといいますから,現在40歳。プロ野球選手で,30歳のときに渡米して,MLBの選手として活躍しました。今はBCリーグ(Baseball Challenge Leagueは北陸・信越地方5県と関東地方5県,東北地方1県,近畿地方1県を活動地域とするプロ野球の独立リーグ)の栃木でプレーを続けています。
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 川崎宗則選手は,アメリカに行ってはじめはほとんど英語が話せなかったのですが「彼には語学の壁はない。なぜなら笑いとジェスチャーと片言でコミュニケーションをとるから」と評され,旺盛なサービス精神もあってチームメイトや現地のファンからも愛されました。
 トロント・ブルージェイズに所属していたときには地元で高い人気を得て,地元の総合ウェブサイト「The Score」に「川﨑が愛される7つの理由」というコラム記事が掲載され,圧巻のヒーローインタビューが「史上最高のポストゲームインタビューか?」(Greatest postgame interview ever?)と評されたほどです。

 このコラムによると,川崎宗則選手はアメリカに渡ってはじめて英語と向き合ったのですが,聞き取れる英語は「ベースボール」くらいで,通訳もおらず大変だったそうです。仲間と頻繁に食事や飲みに行って少しずつ彼らの言うことがわかるようになっていき,そのうち「あ,俺英語しゃべってたんだ」と気づくようになったといいます。
 「勉強するのではなく,楽しい時間を過ごすことで,語学は身につくと思うんです」「英語ができない僕と英語ができるインタビュアーの互いがフォローし合ってひとつのコミュニケーションが成立していました」。
 当然,正確な英語が話せればそれに越したことはないのでしょうが,それ以前に,言葉というのはコミュニケーションの手段であり,楽しんでそれができることこそが大切であり,優先されるべきでしょう。私も,オーストリアのウィーンでドイツ語しかできない初老の女性と私の英語で会話が成立したことがあります。そしてまた,フィンランドのヘルシンキでフィンランド語しかできない初老の男性と私の日本語でこころが通ったこともあります。そんなものです。

 「成功はできなかったけど,野球のおかげで素晴らしい仲間に出会えて幸せでした」ということですが,なんのなんの,川崎宗則選手は大成功の人生だと私は思います。人は生まれたときの器や能力があって,それは人と比べるものではなく,また,富や名誉を追い求めることが生きる目的ではなく,自分の居場所があって自分らしく生きるということが最高の幸せです。成功というのはよい成績をあげることではないのです。
 川崎宗則選手は憧れのイチロー選手と一緒にプレーしたくて米国に渡ったということですが「それ以上の幸せが僕には待っていたんです」と結んでありました。
 イチロー選手がかたくなに英語でインタビューを受けず,人前で英語を話さなかったのとは対照的でした。
 川崎宗則選手は,イチロー選手が手にすることができなかったMLBチャンピオンリングを2016年のシカゴ・カブス時代に獲得しています。

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ミュンヘン男子バレー

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 2021年2月27日の朝日新聞に「オリンピックは選手のためでも見る人のためでも開催地の住民のためでもなく,主催する関係者のごく一部の人の利権が何よりも最優先されるということが,ごまかしようのないほどはっきりした」と星野智幸さんが寄稿していたように,今の私はオリンピックにはまったく興味がありません。
 はじまるまでは開催に反対といっていたマスコミも手のひらを返し,「はじまってしまえば国民は夢中になる」といっていつものように国民を見下した政治家など,私には不愉快以外の何ものでもありません。私はそこまでお人よしではありません。まあ,もともとテレビは地上波もNHKBS1 もまったく見る習慣はないので,関係ないですが…。 
 そんな私ですが,1964年に開催された東京オリンピックから1972年に開催されたミュンヘンオリンピックまでは夢中で見ていました。今日は,その中から,伝説のミュンヘンオリンピックで優勝した男子バレーボールの思い出です。

 ミュンヘンオリンピックが開催される半年くらい前,正確には1972年4月23日から8月20日まで「アニメドキュメント・ミュンヘンへの道」という番組が放送されました。この番組は,ドキュメンタリーとアニメーションを一体化させて,男子バレーボールの日本代表がミュンヘンオリンピックへ向けて取り組む様を,エピソード部分はアニメーションで,練習の模様などは実写映像を使って紹介したものです。
 このときのチームは,監督が松平康隆さんで,選手は猫田勝敏,南将之,中村祐造,森田淳悟,横田忠義,大古誠司,嶋岡健治というそうそうたるメンバーでした。私は,その前哨戦が名古屋で行われたときに見にいきました。みんな長身でかっこいいし,上手だし,よくもまあ,これほどの精鋭が揃ったものだと思いました。今でも名前をすべて覚えているほどです。私は森田淳悟選手の大ファンでした。
 それにしても不思議だったのは,本当に金メダルが取れかどうかもわからないのに,そういう結果になるのが既成事実のように番組が進んでいったことです。放送の最終回はオリンピックでのバレーボール競技が開始されるわずか1週間前でした。そのころにはだれしもその洗脳にかかり,金メダルをとるのは当然のことだと確信していました。

 事実,オリンピックでは,1セットも落とすことなく順調に勝ち上がっていって,準決勝まできました。ここで思わぬ事態が起きました。
 準決勝の相手はブルガリアでしたが,だれしも楽勝を信じていました。ところが,何と,あっという間にセットカウント0対2という絶体絶命になってしまったのです。これには衝撃を受けました。テレビで試合が放送されていたのは深夜です。でも,それでも,勝つかもしれない,いや,きっと勝つ,という妙な気持ちのまま,眠ることもできず,テレビにくぎづけになりました。
 この時点で,松平康隆監督は選手に次のように話しました。
 「お前たち,あと2時間このコートに立っていれば勝てるよ」
 松平康隆監督はそれしか言わなったそうです。
 第3セットもまた,リードを奪われて絶体絶命となったとき,松平康隆監督は,レギュラーメンバーに替えて,ブルガリアが絶対に起用してこないと想定していたベテランの主将・中村祐造と南将之を投入しました。どんな力が働いたのか,ここで空気が完全に変わりました。そこから2セットを連取してタイに持ち込んだのです。しかし第5セットもまた苦戦で,途中では6点差をつけられてしまいます。しかしそこからこの日不振だったエース大古誠司が突如よみがえり,逆転勝ちを収めたのです。試合時間3時間15分,これが,のちのちまで「ミュンヘンの奇跡」と語り草になった試合です。
 こうなると,もう決勝戦は勢いです。しかし,もうひとりのエース横田忠義は腰を痛め,痛め止めにチューブを巻いて出場していた姿を思い出します。その東ドイツにも第1セットを先取されて苦しみながらも勝利し,筋書きどおりの結果となりました。
  ・・
 勝負の神様は,時として,こうしたありえないことを起こすのです。
 こうしたスポーツの感動を政治や利権で汚してほしくないものです。

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 日本男児が走るのはねェ,お巡りに追われてるときと,親父に命狙われてるときだけ…?
 追われてねえのに走るのを「スポーツ」っていうんですか?
 だったら私にゃあ関係ねえや。
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 これは,2021年7月28日の朝日新聞のコラム「多事奏論」に紹介されていた,大河ドラマ「いだてん」でビートたけしさんが演じた五代目古今亭志ん生のせりふです。  


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 昨年もそこにあったのかどうかは知りませんが,いつものように散歩をしていると,一面のひまわり畑に出会いました。その姿にこころが洗われました。
 ひまわりといえば,子供のころ,太陽とともに動く花と聞いてこころ躍らせた記憶があります。また,小学生には,夏休みといえばあさがおとひまわりととうもろこしが定番でした。あさがおは種さえ撒けば花を咲かせるの対して,私の育てたひまわりはひょろひょろと成長してしまって,大きく立派に咲くひまわりを見ては嫉妬したものでした。とうもろこしもまた同様でした。私の育てたとうもろこしに成った実には2,3個の種子が申し訳程度に存在しただけのスカスカのものでした。
 当時の私は肥料というものを知らなかったのです。いい勉強をしました。
 それからずいぶん経って,アメリカでノースダコタ州に行こうとサウスダコタ州から大平原を北に車を走らせたとき,その州境を越えたあたり,一面に咲き誇るひまわりに圧倒されたことがあります。
 一面のひまわりで,私はそんな夏の日のさまざまなことを思い起こしました。

 ひまわり(helianthus annuus)はキク科の一年草です。原産地は北アメリカで,高さは3メートルくらいまで成長し,大きな黄色の花を咲かせます。ひまわりは紀元前からインディアンの食用作物でしたが,16世紀,スペイン人がひまわりの種を持ち帰り,100年近く経って,フランス,ロシアに伝わり,日本も伝来しました。
 花弁は大きなひとつの花のように見えるのですが,実際は多数の花が集まってひとつの花の形を形成している,…というのは,学校で習って,分解して納得したことがあります。
 ひまわりの名の由来は,太陽の動きにつれてその方向を追うように花が回るといわれたことからなので,私の認識はあながち間違っていなかったのですが,実際に太陽を追って動くのは生長が盛んな若い時期だけのことです。この運動はつぼみをつけるころまで続くのですが,花が開くころのは動かなくなり,完全に開いた花は東を向いたまま動きません。ということで,このひまわり畑の一面の花もみな東の方向を向いていました。
 よく見ると,1本だけ異常に背が高いものや,あるいは,西を向いた花もあり,その反骨精神がわが身と重なり,愛らしくもあり,また,思わずうれしくなったりもしました。

  ・・・・・・
 髪に挿せばかくやくと射る夏の日や
 王者の花のこがねひぐるま
    与謝野晶子
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 向日葵を髪に挿せばさぞかし夏の光で輝くことでしょう。
 向日葵は夏に咲く王者の花です。
  ・・・・・・
 ひまわりを向日葵と書きます。また,こがねひぐるまは黄金日車。向日葵の上品なことばで,平安時代に雅語として和歌などで使われました。与謝野晶子は与謝野鉄幹と結婚して東京に住み,1905年(明治38年)27歳のときに歌集「恋衣」に載せたのがこの歌です。

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 2021年7月24日の朝日新聞be版に「「自粛疲れ」していますか?」という読者アンケートをもとにした記事が載りました。この記事でアンケートに応募した読者のコメントとして「政府は私たちの命を守る気がないのがよーくわかりました」というものが紹介されていました。そのコメントは私も同意見なのですが,あえていわせてもらうと,そんなことは今にしてわかったことではないのです。
 国は,というか,権力者は,庶民にはつべこべいわずにできる限り働いてもらって,できるだけ多くの税金を取り立て,そこから甘い汁をすうことしか頭にありませんが,それは古来から同じです。そんな簡単なことは,きちんと歴史を学べば容易にわかります。
  ・・
 奈良時代の租庸調,江戸時代の年貢など,庶民は,今以上の増税に苦しめられました。庶民というのは,まるで,お上に税金を召し上げられるためだけに生きてきたようなものです。そして,争いや自然災害でもあれば,真っ先に犠牲になります。
 それは現在も変わりません。
 しかし,現代のサラリーマンは税金を天引きで収めているので,どれだけ税金を納めているかという実感すらない人が多くいます。年末調整などやめて,すべて確定申告にすれば,もっと税金に対する意識が高くなると思います。年末調整は,確実に税金を払ってもらうための制度ですが,それ以上に,いかに庶民が高い税金を払っているかを認識できなくすることが目的なのでしょう。

 オリンピックは,国民の収めた税金からひとりあたり3万円ほどの負担をしているといわれています。4人家族だと12万円です。また,さまざまな経済対策も,所詮は税金が原資です。国にはお金はありません。国のお金は税金を集めたものです。
 権力者としては,庶民は民主主義だとか権利だとか,そういったことにはなるべく無知であってほしいわけで,文句を言わず,ひたすらお国のために働いて,たくさんの税金を納めてもらえばそれでいいわけです。批判をされると自分のことは棚に上げてそれは愛国心がないからだと恫喝する権力者さえいます。だから,庶民はそうならないために,権力者が勝手気ままな政治をしないように,税金の無駄遣いをしないように,絶えず監視をする必要があるわけです。
 しかし,そこに重大な勘違いをしている人がいるのです。
 それは,所属する組織でちょっとした肩書を与えられているだけで本当は庶民であって権力者の側でもないのに,自分は権力者だと錯覚している人があまりに多くいるということです。歴史ドラマを見て,自分が織田信長や坂本龍馬だと思う人もその同類です。政府よいしょをしているような一部のマスコミもその同類だし,いわゆる「ネットウヨ」といわれている人たちも同じです。また,ちょっとだけのエサでつられてだまされていることに気づいていない人も多くいます。さらには,今の境遇より悪い境遇を例に出されてあれに比べれば幸せだといいくるめられている人もいます。こうなると,それは悲劇を越えて喜劇です。
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 このコロナ禍は,権力者がどういう人たちだったか,この国がどういう国だったのか,マスコミの報道がどういうものだったのか,というような現実があからさまになったこと,そしてまた,いかに多くの人が,何も知らず何も考えず,テレビや雑誌の報道をうのみにして,また,他人の目を気にして自分の意思を持たずに行動しているかということがわかったことが,最も大きな成果だったのかもしれません。

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3,000 times Anniversary of uploaded this blog today.

ブログをはじめて100か月。
今日3,000回目の更新を迎えました。
いつも読んでいただいて,
どうもありがとうございます。


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 2021年7月24日から25日にかけて,NHKBSP で伝説のサイモン&ガーファンクル・ニューヨークセントラルパークコンサートが放送されました。
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 私は,若いころから,サイモン&ガーファンクルとビリー・ジョエルの音楽が大好きで,それでニューヨークに,さらにアメリカに憧れて育ちました。私のアメリカへの想いの原点です。今でも,これらの音楽が最高だと思っています。しかし,もう,今の若い人は,サイモン&ガーファンクルもビリー・ジョエルもほとんど知らないかもしれません。
 サイモン&ガーファンクル・ニューヨークセントラルパークコンサートは音源としては何度も聴いたことがあるのですが,映像としてみたのは,意外にもこれがはじめてでした。
 このところ,こうして,若いころから憧れていた様々なことが次々に実現してとてもうれしいです。

 サイモン&ガーファンクル(Simon & Garfunkel)は1960年代に活躍したユダヤ系アメリカ人のポール・サイモン(Paul Frederic Simon)=写真右側 とアート・ガーファンクル (Arthur Ira Garfunkel)=写真左側 によるフォーク・デュオです。1964年にデビューし1970年に活動を停止するまで数々のヒット曲を世に送りだしました。私は,この年代からは少し若いために,その絶頂期は知りません。 
 ふたりは ニューヨークの小学校時代からの親友で,1957年に「トム&ジェリー」を結成,その後大学での学業に専念したのち,1963年に再びコンビを組み,1964年にグループ名をサイモン&ガーファンクルと改めてデビューしました。
 はじめは売れませんでしたが,プロデューサーのトム・ウィルソン(Thomas Blanchard Wilson Jr.)が「サウンド・オブ・サイレンス」(The Sound of Silence)をシングルカットして発売したところ全米1位の大ヒットとなり,一躍人気フォークロック・デュオに躍り出ました。
 しかし,1970年に発表されたアルバム「明日に架ける橋」(Bridge Over Troubled Water)の制作中に音楽に対する意見の違いが表面化したことで,このアルバムを最後に活動を停止し,それぞれのソロ活動に入ることになりました。1970年の活動停止後もガーファンクルはポールサイモンのコンサートにゲスト出演をしていました。
 それから11年経った1981年9月19日,ニューヨークのセントラル・パークで再結成チャリティコンサートを開きました。これが今回放送されたものです。

 ニューヨークのオアシス・セントラルパークは,1970年代半ばには劣化状態にありました。しかし,再開発をするための予算3,000,000ドル,約3億円の財源を欠いていたので,非営利団体であるセントラルパーク管理委員会が1980年に設立され,資金を調達するためのキャンペーンを開始。考え出されたのがセントラルパークで無料の野外コンサートを行うということでした。そこで白羽の矢が立ったのが,1960年代にニューヨークで結成され,最も成功したグループのひとつであるサイモン&ガーファンクルだったのです。
 1981年の夏,野外コンサートの計画を提示されたポールサイモンは,スイスで休暇を過ごしていたガーファンクルにさっそく連絡をとりました。ガーファンクルはそのアイデアに興奮し,すぐにアメリカに戻りました。
 当初の計画では,それぞれがソロ演奏を行い,最後にデュオとして演奏することで締めくくることになっていましたが,結局,ふたりはショーのほとんどを一緒に演奏することに決めました。また,ポールサイモンがけがのためにコンサートのすべてにわたってギターを弾くことができなかったため,11人のミュージシャンがコンサートのために集められました。
 このコンサートの開演は,1週間前まで公式に発表されていませんでした。また,公演当日のお昼間は1日中雨が降り,それはコンサートがはじまるまで続きました。そんな状況で,公園当局は,当初,約30万人の参加者を予想していましたが,コンサートがはじまるとなんと50万人の聴衆が集まり,アメリカの歴史上7番目に多いコンサートとなりました。
 ステージの背景にはニューヨークのスカイラインを象徴する水タンクと空気出口のある都会の屋上が描かれていました。これがレコードのジャケットにある有名な写真です。やがて夕暮れになると,まず,バックバンドがステージに上がり,当時のニューヨーク市長エドコッチ(Edward Irving Koch)が「皆さん,サイモン&ガーファンクルです!」(Ladies and Gentlemen, Simon & Garfunkel.)と宣言してコンサートがはじまりました。ポール・サイモンとアート・ガーファンクルは拍手の中センターステージに上がり,お互いを見て握手し,コンサートがはじまりました。
 サイモン&ガーファンクルはこのコンサートで合計21曲を演奏しました。

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Buck Moon.

7月の満月はバックムーン。
7月25日の明け方の東の空に雲の間から幻想的な満月をみることができました。
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 北海道と外国,今日は風景の写真を載せます。いずれも,どちらか一方が北海道で写したものです。
 こうした展望台から見る風景自体は,北海道も遜色なくすばらしいものです。そんな場所でみる風景はいつまで見ていても見飽きるものではありません。私は,ともかく人の少ないところが好きなので,どんなにすばらしい風景であっても,展望台が人でごった返していは台なしですが,その点,今回の写真の風景をみた場所は,どちらもほとんど人がいなかったので,思う存分堪能することができました。
 ただし,北海道と外国とで何かちょっと違うのは,その展望台に行くまでの道路や駐車場なのです。
 これもまた,日本は狭いから…,といった言い訳が聞こえてきそうですが,そういうこととは関係がないように思います。つまり,道路の整備の方法や駐車場の整備の方法が違うのです。それはそういうものを作るためのお金が違うということではなく,お金のかけ方が違うということだと思います。

 少し話は逸れますが,わかりやすくするために,一般の道路について考えてみます。
 たとえば,広い道路があったときの中央分離帯を思い出してみると,日本では,あまりにバカ丁寧に作り上げるわけです。その結果どうなるかというと,車線や交差点の設計が変わったときに融通がつかず,これまで走れた車線を変更しても,そのために中央分離帯を作り直す予算がないから,そこに安価なポールを立てる,みたいなことをして,美観も何もなくなってしまうのです。
 さらには,中央分離帯には木まで植えてあるわけですが,そうした植木は,時期が来れば剪定をしたり,草刈りをする必要が出てくるのです。そうすると,車線を閉鎖してその作業をするということになります。
 道路というのは車が安全に通行することができる,というのが最優先であるのに,植木の管理をするために車線を閉鎖するということが起きます。道路が渋滞する原因が中央分離帯の草刈りのため,なんて,いったい,何のための道路なのだろうか,ということになるわけです。
 同じように,駐車場もまた,観光をするためにその土地に不案内の人がわざわざやっていくるわけだから,車を停める場所はわかりやすく,しかも安全でなけらばなりません。ところが,そうした視点がまるで欠如してして,しかも,ガードレールなどをやたらと作るものだから,危なくてしかたありません。また,停車するラインが消えていたりするのも珍しいことではありません。

 このように,せっかく整備をしても,お金のかけ方がどこかおかしいから,せっかく美しい観光地でありながら,駐車場の舗装がはがれていたり,意味のない看板がその美観を損ねていたりして,どこもかしこもあか抜けない感じになってしまうのです。これが日本の姿です。


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 昨年2020年の7月16日木曜日から7月19日日曜日まで北海道に行ってきたのですが,1年経った今になって,とても懐かしくなってきました。
 今から思うに,私にとって2020年はなかなかよい年でした。2月にハワイのモロカイ島に行って以来,予定していた海外旅行はキャンセルになってしまいましたが,北海道にも行けましたし,コロナ禍以前から予定していた東京へも大阪へも,思いがけず「GoToTravel」とやらが利用できて,ものすごく安価に行ってくることができました。しかも利用した新幹線はがらがらでした。また,京都では桜も紅葉も見ましたし,長年行きたかった湖東三山の紅葉も堪能できましたし,どこも人が少なくて最高でした。
 おそらく,今年はもう昨年のように人が少ないということはないと思うので,昨年と同じような楽しさは味わえないでしょう。
 さて,これから,懐かしくなった北海道の旅をもとに「今にして思うこと」を書いていくことにします。

 私は若いころ,ずいぶんと北海道にあこがれて,毎年のように何度も足を運びました。そして,ほとんどのところには行きました。しかし,その後,海外に行くようになってから,すっかり足が遠のいてしまいました。アメリカやオーストラリアと比べたとき,その雄大さや美しさで凌駕する魅力がないからでした。
 すでに書いたように,昨年北海道に行ったのは,ネオワイズ彗星を見るためでした。今世紀最大級といわれたネオワイズ彗星でしたが,私の住んでいるところはずっと天気が悪くてまったく見えなかったのです。そこで,日本で唯一晴れていると思われた北海道に行こうと思い立ったわけです。長年の経験で,珍しい天体現象というのは,それを見る機会を逸すると,その後ずっと後悔するのです。つまり,ネオワイズ彗星が接近しなかったら,私は北海道に行くことはなかったのです。
 それにしても,コロナ禍まっさかりの昨年の今ごろにあんな大物の彗星が地球の接近するなんて,皮肉というか何と罪作りなことか,と当時は思いました。しかし,思い切って行くことができたので,逆に幸運でした。それは,北海道もまた人が少なくて,最高だったからです。行ったついでに,北海道に着くまで,旭山動物園のことなんて頭からすっかり抜け落ちていたので,まさか行くことができると思っていなかった旭山動物園にも行ってくることができました。旭山動物園もまた人が少なくて楽しめました。

 そんなこんなで,思いがけず,久しぶりに出かけた北海道でしたが,行ってみて,海外に行ったようなときめきを感じて,こりゃいいや,と思ったことも確かでした。それが昨年の今ごろの人が少ない時期だったからそう思えたのか,それとも,つねにそうなのかはわかりません。そこで,私は今,ここ当分行くことができない海外旅行の雰囲気を味わうために,また,北海道に行くべきかやめようか思い悩んでいます。あのときめきは,昨年だけの特別なことだったのかそれともいつもそうなのか,その判断をつきかねているのです。
 そんな時期,NHKBSP の,私が見る数少ない2,3の番組のひとつでもある「にっぽん縦断こころ旅」で,北海道からのロケを放送していました。私は行ってきたときのことを思い出しながらそれを見ていて,いろいろと考えることがありました。
 それは,ひと言でいうと,がっかりという意味で,所詮は北海道なんだな,ということでした。私が海外で見てきた風景とは何かひとつ違うのです。そこで,このブログでは,私が北海道で写してきた写真と,海外で写してきた写真とをごちゃまぜにして載せてみようと思います。どの写真がどこなのかはあえて書きません。そして,私が思っていることを書きつづっていきます。

  ・・
 では,はじめます。
 私が若いころ「でっかいどう,ほっかいどう」というキャッチフレーズがはやりました。今でも,旅慣れていない人は,北海道の広さや雄大な風景に憧れるようです。私もかつてはそうでした。
 しかし,今の私は,先に書いたように,北海道にはそれほどの魅力を感じません。アメリカやオーストラリアに比べたらたいして雄大でもないし人も多いし。さらには,いかにも日本らしい,せっかくの景観を台なしにするような自然破壊と脈絡のない国土開発…,それが私に魅力を感じさせない原因となっています。それは本当にとても残念なことです。もう少しだけでも配慮があれば,とてもいいところなのに…。


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☆☆☆☆☆☆
  ・・・・・・
 株式会社ニコンは,2021年7月8日,デジタル天体望遠鏡の開発・製造・販売を手がけるフランスのユニステラ社とデジタル天体望遠鏡に関する共同開発基本契約を締結したと発表した。
 ニコンの光学技術と知見を生かし,著しい成長を遂げつつあるユニステラ社とともに,コンシューマー向け天体観測の分野で革新的なソリューションを提供していくという。
  ・・・・・・
というニュースがありました。

 天文雑誌などにはすでに紹介されているのかもしれませんが,今はそうした雑誌を読まない私はユニステラという会社をまったく知りませんでした。
 ニュースによると,ユニステラ社は2015年の設立で,GPSで自らの位置を把握し,視野にある天体と内蔵の座標データベースを比較することでターゲットの天体を自動捕捉する「自律フィールド検出技術」を搭載したディジタル天体望遠鏡を販売しているということです。
 この「自律フィールド検出技術」など私には何のこっちゃさっぱりわかりません。さらに「エンハンストビジョン技術」とかいう処理を常に施していて,夜空が明るく光害の大きい都市部などでも銀河や星雲,彗星などを図鑑と同等の色彩で鮮やかに写し出すことができるといいますが,これもまた,よくわかりません。
 ともかく,最新のディジタル技術を駆使して像が作られてそれを画面で眺めるというものでしょう。そうした像を眺めることが,本来の星空の楽しみであるかどうかはわかりませんが,ロクに星も見えない日本の夜空で,ディジタルカメラでわずかな光を受け止めて,コンピュータ処理して星空を浮かび上がらせてそれを天体写真と称していることを考えれば,それと同類でしょう。

 私にとってニコンの天体望遠鏡というのは,今から53年前に発売された口径8センチメートルの赤道儀です。その後「月刊天文ガイド」の影響もあって,アマチュア天文愛好家は星の写真を写すことがブームとなり,星を眺めるというよりも頑丈な架台に高性能のレンズを搭載した特に高橋製作所の望遠鏡を使用するようになりました。
 こうした機材は,コンピュータによる天体の導入やオートガイド以外は50年来その根本の考えが全く変わっていないようです。しかし,私は,今や,ほんの1分も露出すれば,以前は1時間も露出して写したのと同じ写真が写せるのに,こんな大げさで高価な重い機材など今や必要ないのでは,と何となく思っていました。これもまた,世界から遅れてしまった「何も変わらない」日本という国のつくる工業製品のひとつでしょう。そこで,今回のユニステラ社の望遠鏡が,私がぼんやりと考えていたディジタル時代の望遠鏡の姿だと衝撃を受けました。
 この会社が保守的なニコンと共同開発基本契約をしたことにはじめは驚きました。しかし,ニコンに何ができるのかなと思いました。それは,私にはニコンのディジタル技術が最新の考え方に戻づく最高水準のものとは思えないからです。せいぜい,最高の技術だと自画自賛しているレンズを提供するくらいしか思い浮かびません。それとも,ニコンが現在発売しているようなディジタルカメラをこの望遠鏡に上手に融合することで,業務拡張を狙っているのでしょうか。
 私は,またはじまった,と思いました。それは,これまでのこの会社の数々の失敗に終わった新規開拓の製品を思い起こしたとき,いつも,思いつきでこうしたことをはじめても結局は長続きせず,2,3の適当な製品を発売して,売れなけばそれでおしまいとなっているからです。天体望遠鏡なんてそんなに売れるものでないから,この会社の新しい商売になるとも思えません。

 私は,オーストラリアで満天の星を見て以来,星は肉眼で見るに限る,と思うようになりました。
 オーストラリアの美しい星空を知ってしまった今,日本の濁った夜空で何をしようと,まったく意味がないように思えてしまいます。そこで私は,日本で高価な望遠鏡を購入して,ほとんど星も見えない空でディジタルカメラの力を借りて光を集めて,自宅でコンピュータを利用してお絵描きをして,それを天体写真として自己満足に浸っても,詮無いことだと,冷めてしまいました。
 しかし,夜になっても数個の星しか見られないような濁った日本の夜空しか知らず,オーストラリアの満天の星を見たことがないような若い人たちに,夜空には美しい星空があるということを知ってもらうことは意義があると思います。だから,最新技術を使ったユニステラ社のディジタル望遠鏡で,星の見えないこの国で,簡単に本当の星空の美しさが再現できるのなら,それはすばらしいことです。
 そこで,一部の愛好家のための高額なオタッキーな製品ではなく,手軽に安価に星空の美しさが味わえるような新しい望遠鏡が開発されるといいなあと淡い期待を抱いているのですが,現在のニコンの製品開発から考えてみても,おそらくは,その反対に,100万円もするような到底手の出ない製品を作り出すのではないかと心配しています。


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 このごろは遠出もしないで,もっぱら家の付近を散歩しています。散歩のお供に,多くの人は犬を連れているのですが,長年,単に趣味で写真を楽しんでいる私は,犬を飼っていないので,その代わりにカメラを持っていきます。
 スマホで事足りるという理由からカメラが売れなくなってしまったということですが,実際はディタルカメラが発売される以前の水準に戻っただけのことでしょう。私はそんな流れとは逆に,魚眼レンズやマクロレンズ,さらには望遠レンズなどを使って,スマホでは写すことができないもの,そしてまた,暗くてスマホでは画像が荒れてしまうような被写体を写すのが楽しくなって,カメラを見直しています。
  ・・
 以前は,新しいカメラが発表されれば,カタログを手に入れて飽きるほど眺めたり,写真雑誌に載った記事を見てはそれを手にする思いを巡らせていました。そして,時には実際にカメラやレンズを買って満足していました。
 長年にわたって計画的に買いそろえてきたために,現在では,買いためたものを使えば,ほぼ,どんな被写体でも写すシステムができあがりました。しかし,そうして長年カメラに熱中した結果,写真はカメラではなく被写体で決まるものだなあと,改めて思うようになってきました。
 そんな折,各社のカメラが,従来の一眼レフカメラからミラーレス一眼レフカメラに変わり,それとともにマウントを変更しました。そんなことをされても,私は困るだけです。「インチキ富裕層」の私が今更新しいマウントのシステムを構築する気持ちなどありません。新しいシステムのほうが性能がいい云々といわれても,私にはその違いを引き出せるような腕はないし,スポーツの瞬間瞬間を失敗なく捉えなければならないようなプロのカメラマンでもありません。私は,今持っているもので楽しめればそれで十分なのです。大きくて重たくて高価なカメラなんていらないし。それに,写真はカメラでなく被写体で決まるのです。

 さて,先日,家の近くで花火大会がありました。
 これまで,私は,花火に限らず,春の桜も,秋の紅葉も,どうしてこの国の人は静かにそれを眺め,楽しむことができないのかな,と思っていました。何もかも,屋台が出たり酒がでたりしてお祭りにしてしまうのです。そうしたことが大嫌いな私は,コロナ禍の自粛ムードやらでそんな状態がなくなったので,むしろホッとしています。
  ・・
 花火は,すごい人混みが嫌で,私はこれまで写したことがありませんでした。それが家の近くで花火大会が行われるということだったので,それならよく見える場所まで歩いていくことができるなあと,そこまで行って写真を撮ってみることにしました。
 いい加減な私は,いつものように,事前に何も調べず,準備もせず,まあ,こんなもの写すだけだと高を括り,三脚も持たず,カメラを持って花火を写そうとしました。その結果,当然のこと,どうしていいかわからず,戸惑うことになってしまいました。
 結果的に,まあ,何とか自分なりに写せたのですが,これもまた,いつものようにあとで後悔し,どうしたら花火が上手に写せるか,終わったあとに調べることとなりました。そこで,「次回」があるかどうかわかりませんが,花火を上手に写す方法をまとめておくことにします。

  ・・・・・・
●露出
 花火の撮影は花火の開花に合わせて長時間露出をします。露出時間は,中型の単発打上花火だと4秒から6秒,大きな尺玉だと8秒から10秒間,また,三尺玉になると20秒から30秒間となります。ならば,三脚が必要です。
●感度
 感度は,ISO100またはISO200などの最低感度にするということなので,星を写すのとは,ここが異なります。また,絞りは,ISO100の場合はF13,ISO200の場合はF19が適当ということです。それは,花火が非常に明るい被写体なので,露出オーバーを防ぐためです。しかし,絞ると回析現象が出てしまうことがあるので,露出オーバーと回析現象を少しでも防ぐためにNDフィルターを使用するといいといわれます。
●ホワイトバランス
 花火の種類によってふたつのホワイトバランスを切り替えて撮影します。色鮮やかな花火は「電球」または色温度設定3,200ケルビン。錦冠菊や和火などは「晴天」または色温度設定4,500ケルビンから4,800ケルビンです。
●ピント合わせ
 ピントは,最初に上がる花火をオートフォーカスで合わせたのち,マニュアルフォーカスに切り替えます。
●シャッターチャンス
 単発打ち上げを撮るときのシャッターボタンを押すタイミングは花火が打ち上がると同時にシャッターボタンを押し,花火が上空で消えるのを確認したらシャッターボタンから指を離します。
  ・・・・・・
 このように,たかが花火でもそれを写すには,カメラの性能以前に,きちんとした写し方があるものです。私のようにぶっつけ本番ではだめです。
 やはり私にはカメラ云々などと機材のよし悪しを語る以前に,被写体を選び,それを写し止める「腕」を磨くほうが大切だと改めて思い知りました。


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 やっと日本もクレジットカードを利用する際に利用者が機械にカードを挿入して PIN を入力するようになりました。こんなことは以前から海外では当たり前だったのに,本当に何事も遅れた国です。
 一時,ポイントとかいうわけのわからぬものがブームになって,さまざまな会社が競って別のポイントを導入したり,少し前には,今度は 〇〇Pay とかいうものが,これもまた,さなざまな会社が競って参入しました。
 こうして,何事も,調和も調整もなく,ばらばらに,利用者の便宜などまったく関係なくはじめるのが懲りないこの国です。
 ということはまったく自分には関係ないとばかりに,今なお,現金を使っている人が少なくないのもまた,この「何もかえたくない」この国です。
 私は,消費者の利便性不在でポイントやら 〇〇Pay を業界が競って参入することも,その反対に未だに現金を使っている人も,どちらもその行為のすべてが理解できません。

 かくいう私は「インチキ富裕層」なので,もともとお金を使う機会もほとんどないのですが,それでも必要なものは買わなければなりません。そこで,なんとか便利に生活しようと,ぐっちゃぐちゃのこの国で工夫してキャッシュレスを進めていたのですが,やっと,現金しか使えないという場所以外は,ほぼ,現金を使わずに生活できるようになりました。さらに今は,カードすらほとんど不要になって,iPhone1台あればそれで賄えるようになってきました。
 それは次のような方法です。
  ・・・・・・
  〇〇Pay については,もともとソフトバンク系列は嫌いなのですが,最も普及しているのでしかたなく PayPay を利用するようになりました。使いはじめると,それが癪なことにとても便利で,普段は PayPay でほぼ事足ります。また,同じように便利なのが Suica です。Suica は公共交通機関にも使える利点があります。PayPay と Suica アプリ,ほぼ,このふたつで事足ります。
 スーパーマーケットはマックスバリューが最も便利なのですが,ここでは waon を使います。waon もまたアプリがあるのですが,これは残念なことに iPhone では使えないので,やむを得ず,カードを使っています。JAL+waon カードであれば,JAL のマイレッジの有効期限が1年から3年に延びるという利点もあります。
 それに加えて,現金が必要なときのために,セブン銀行に口座を作りました。Myセブンというアプリがあれば,現金が必要なときには郵便局よりたくさんあるセブンイレブンに設置されたATM で曜日問わず7時から19時まで手数料なしでアプリだけでお金が引き出せます。また,振り込みをするのに便利なのはみずほ銀行です。私はみずほ銀行にも口座がありますが,みずほ銀行アプリを利用すると,ある程度の貯金があれば月に3回まで手数料なしで振り込みをすることができます。さらに,少し今回の話題とは離れますが,あおぞら銀行のBANK支店では,普通預金の金利がほとんどの定期預金の金利よりずっと高い0.2パーセントなので,使わないお金はとりあえずここに入金します。1千万円貯金しておけば,今どきでも年に2万円ほどお金が増えます。
  ・・・・・・
 ということで,私はほぼキャッシュレス,さらには,waon 以外はカードさえ使わず iPhone1台で生活できるようになりました。

 でありながら,風の便りでは,2021年10月に新しい500円玉が発行されるというし,さらには,2024年には新紙幣が発行されるというから,いったい,この国は何を考えているのやら,という感じです。まあ,そんなものが出ても,キャッシュレスの私には円のない,いや,縁のない話ではありますが…。
 それより何より,私がまったく理解ができないのが,混み合うスーパーマーケットのレジで1万円札を出す人たち,その反対に,1円たりとおつりはいらないとばかりに財布から時間をかけて小銭を出そうと探している人たちです。そしてまた,ATM で列を作っている人たちです。さらに,ATM で振り込みをしている人たちです。さらにさらに,マクドナルドでは,さっさと席についてモバイルオーダーを利用して注文すれば,支払いまでできて品物は客席まで運んでくれるのに,スマホを持っていながらカウンタで並んでいる人たちです。
 一人前にスマホを持っていながら,満足にスマホひとつ使いこなしていないわけです。おそらくそんな人は,スマホもキャリアで契約して,毎月高い通信料を払っているのでしょう。
 こうした,周りには,私にはまったく理解不能な人たちがたくさん存在しています。
 だれもいないのにマスクをして歩いている人や,同乗者もいないのにマスク姿で車を運転している人もその類ですが,こうした姿をみるにつけ,こうした「何も変えられない」「何もわかっていない」「自分の頭で考えない」「周りの目ばかりを気にする主体性のない」人たちがますます私には受け入れられなくなってくるのです。こんな人ばかりなのも,これもまた,やったふりばかりを推奨する日本のすぐれた? 教育の成果なのでしょう。


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 人の生き方はそれぞれですが,では,果たして定年制というのは何なのでしょうか?
 ずっと働きたいと思っていても,その限度が決められているというのは,もっと働きたいという人にも,もっと早く仕事を辞めたいと思っている人にも,共に,意味がないような気がします。
 定年制などやめて,自分が辞めたいときに働いた年数に応じた退職金をもらうのがよいのではないかと私は思うのですが,今の日本の制度だと,自己都合で辞めると退職金がかなり目減りしていまいます。この「滅私奉公」こそが日本に生まれた宿命なのかもしれません。気の毒に…。
  ・・
 日本では,昔,定年は55歳でした。それが60歳になり,今は65歳に移行しつつあります。
 60歳で仕事を辞めて,あとは自由気ままに生きたいと夢見ていた我々の年代の人たちは,ゴールが近づいたら逃げていったといいます。
 いずれにせよ,少子高齢化によって年金の支給が遅くなっていることと定年が遅くなっていることはリンクしています。
 私は定年を待たず仕事を辞めてしまったのですが,これが結果として大正解でした。それは,やりたかったことができる年齢のラストチャンスというのは50代の後半から60代の前半までだということが,経験してわかったからです。私がこのブログに書いているような自由気ままな旅ができたのは,この年代だったからなのです。65歳まで働いて,その後に私がしたような旅をはじめようと思っても,旅のノウハウもなければ,体力も気力もありません。おまけに,今は予期しなかったコロナ禍です。
 そこで,経験者である私は語ります。
 定年などあてにせず,遅くとも55歳で早期退職ができるような人生設計をすべきです。人生は1度っきりです。

 では,アメリカでは定年制というのはどうなっているのでしょうか?
 アメリカには「The Age Discrimination in Employment Act」という法律があって,使用者は、年齢を理由に差別することを禁止しているので,「60歳になったら会社を辞めてもらう内容の契約をする」ということはできません。定年制があるのは,公共交通機関の業務や警察官,消防士などだけです。アメリカでは年金支給年齢は65歳ですが,現在,67歳まで段階的に引き上げられているということです。カナダ,イギリス,オーストラリアなども同様です。
 一方,ヨーロッパ諸国では,定年年齢と年金受給年齢がリンクしていて,年金受給年齢に達した際に解雇の通知なく雇用関係を解消するといった労使合意を交わすことによって定年が定められています。現在,年金受給年齢は65歳ですが,今後,年金受給開始年齢の引き上げが議論されていて,現在は67歳まで段階的に引き上げられているところだそうです。
  ・・
 そう考えると,アメリカやヨーロッパよりも少子高齢化が進んでいる日本なのに,未だ65歳すら達成されていないのはいいのか悪いのか,という感じです。しかし,アメリカやヨーロッパのように,現役のときから休みが多く,つねに人生を楽しんでいる人たちが多い国と,奴隷のように会社に尽くしてまるで懲役刑のように働き続ける「滅私奉公」の人たちが多い日本との定年制を一概に比べても意味がないように私は思います。
 現在の現役世代の人たちは,仕事を辞めてから人生を楽しもうなどという気持ちを捨てて,現役のころからもっと休みをとって,いつも人生を楽しむようにすることの方が大切です。そしてまた,長期休暇がとれないような会社は早く見切りをつけましょう。でなければ,満足に旅行もできずやりたいこともできずに人生が終わります。そのときに後悔しても遅いのです。
 もっと仕事をすればよかったといって死んでいく人はいません。


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 かつて,「不良老人」の私の暇つぶしのひとつは大相撲観戦でした。
 過去形で書いたのは,今は違うということです。それは,大相撲観戦においても,私は,やりたいことはすべてやりとげたこととともに,今はまったく楽しくないからです。
 では,かつて夢中になったことのある大相撲観戦で,私がやりたかったことをまとめてみます。
  ・・・・・・
●大相撲が開かれている東京,名古屋,大阪,九州のすべてで観戦すること。
●巡業を見ること。
●土俵だまりで見ること。
●天覧相撲を見ること。
●稀勢の里関の横綱土俵入りを生で見ること。=1番目の写真
●史上最弱力士服部桜(現在の勝南桜)の相撲を生で見ること。=2番目の写真
●前相撲からすべて見ること。
●千秋楽の最後に行われる「神送りの儀式」を見ること。=3番目の写真
  ・・・・・・

 現在は,これらのことはやりたくともできなくなってしまいました。そこで,こうしたこともまた,これまでにやっておいてよかったと思うわけです。
 それにしても,私は,勝負ごとにを見るには性格的につくづく適していないなあ,と残念に思います。それは,将棋と同じく,ひいきの力士が負けると,何もかもがいやになってしまうからです。こんな性格の人は,勝負ごとを楽しむことはできません。本当の相撲好きの人がうらやましいです。しかし,今の私には,大嫌いな力士はいても,ひいきの力士は宇良関以外いませんし,今場所の結末を見たとき,もうこんなことでは,今後相撲に夢中にはなれません。
   ・・
 この夏のできごとから,相撲協会をバカにする白鵬と国民をバカにするこの国の首相に同じ雰囲気を感じるのは私だけでしょうか。とても不愉快です。さて,来年の名古屋場所は,新型コロナウィルスが収束して,かつ,白鵬が引退して,再び,こころ置きなく相撲を楽しむことができるのでしょうか。


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 子供のころの感性というのはすごいものです。
 私は,物心がついたころから父親の影響でテレビで,あるいは直接場所で大相撲を見てきたので,仕切りで何をしているかというようなことは,ある意味,当たり前として育ったのですが,大人になってはじめて場所に行ってお相撲を見たという人には,不思議な世界のようです。
 今の私には2面性があって,こうしたしきたりをおもしろいと感じる反面,この不合理さが日本の大嫌いな面を象徴しているようにも思えるのです。
 ある意味,相撲はスポーツというより儀式です。しかし,今の,さまざまな問題を抱えているオリンピックだって,スポーツという媒体に群がる金儲けが目的だけのハエのようなものだから,根底は似ています。というより,むしろ,相撲の方が純粋です。
 柔道が世界の柔道になったことで,加納治五郎が理想としたものとはかけ離れたのと同様に,外国人力士が入ったことで,相撲もまた,さまざまな軋轢を生んでいるわけです。
 まあ,何事もいろいろ問題があります。

 さて,今日は,そんなしきたりの中で,多くの観戦者が知らない,しかし,私がいつも注目して見ている所作をひとつ紹介しましょう。それは,力水を受けるときに力士がそんきょをする際の足の位置です。
 今日の1番目の写真は御嶽海関,2番目の写真は高安関ですが,ともに正しい所作です。右足が俵を踏んでいて,左足が土俵の中にあります。この所作は新弟子のころに相撲教習所で習うとかいう話ですが,これができない関取が結構いて,私は,それができてないだけで,その関取がいかに強かろうと,魅力半減になります。こんなこともできないのか! という感じです。
 これは,日ごろ,そうした形式にこだわることに反感を覚える私なのに,自分のこころの中に存在する自己矛盾でもあります。

 今日のふたつめの話題は,物言いです。幸いというか,何というか,私が観戦した日は3番ほど物言いがつきました。で,この物言い,見ていると,勝負審判たちは話し合いをしているわけでもなく,ただ立っているだけのように見えます。こんなものなら,特にこのご時世,従来のように土俵に上がって「密」談というか「密」会する意味もないように思えます。だって,結局のところ,別室でVTRを見て確認しているのを,審判長がイヤホンで聞いているだけのようだからです。つまり,これもまた,日本人お得意のやったふりのひとつだったりするわけで,そう考えると,これはかなり滑稽な姿です。
 私には,勝負審判は,審判というより土俵上の力士を叱るために監視しているだけの不愉快な存在のようの思えます。審判がプレイ中の選手を叱るとかそれに対して大衆の前で選手が審判にお詫びをするなんていうスポーツがほかにあるでしょうか?
 アメリカのMLBであれば,現在は,ものすごい数のカメラがすべてのプレイを撮影していて,あとでそれをマルチビジョンで再現しているわけです。同じように,大相撲だって,審判の代わりに土俵下に何十台ものカメラとつり屋根の上にマルチビジョンでも設置して,それを使ってきわどい勝負は再現すればいいのにと思ってしまうのですが,そういう発想は,もとから日本人にはないのでしょう。また,そんなことしたら「何事も変えたがらない」多くの保守的な日本人の大反対にあうに違いありません。
 まあ,そんなこんなで,新しいのか古いのか,日本的なのかそうでないのか,よくわからぬけれど,それこそ,そうしたあいまいさと非合理な姿こそが,スポーツだか儀式だか,それもよくわからない不思議な世界をつくりあげているわけです。これこそが大相撲というものなのでしょう。

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 コロナ禍で昨年は開催されなかった大相撲名古屋場所ですが,今年は定員の半分だけ観客を入れて開催するということではじまりました。
 エッ,やるんだ,とはじめ私は思ったのですが,オリンピックがありなら,何でもありでしょう。飲んだくれのおやじが息子に酒を飲むなといっているようなこの国です。私はまったく行く気はなかったのですが,相撲好きの私のアメリカ人の友人が見にいこうと誘ってくれたので,13日目に行ってきました。
 通常なら開始からずっと観戦するのですが,マスクをして長時間見る気もないので,午後3時に館内に入りました。
  ・・
 私にとってみれば,このくらいの観客がちょうどよく,これまでが詰め込み過ぎです。私はひとつおきのイス席でしたが,升席もまた,4人であるところが2人となっていて,このほうがちょうどいいサイズだと思いました。
 思った以上に快適でした。

 今はテレビでもまったく大相撲は見ないので,勝敗もどうなっているか知らないのですが,風の便りでは私の大嫌いな白鵬が勝っているらしいので,無関心に輪をかけているというか,火に油をそそいいでいるというか,そんな感じです。
 以前あれほど熱中していた大相撲でしたが,横綱になってけがをして不本意なまま引退した稀勢の里関がいなくなってからというもの,熱が冷めました。私が今興味があるのは宇良関だけなのです。 
 しかし,実際に観戦すると,不思議なもので,大相撲というのは,結構,勝敗はどうでもよくなります。その場の雰囲気というか,各力士の一挙手一投足がおもしろいのです。今回はそういう姿を写真に収めるのを目的にカメラを持っていき,写真ばかり撮っていたのですが,それはとても楽しいものでした。

 周りを見渡すと,お年寄りの,まあ,お相撲を見ることが一番の楽しみ,という感じの人たちに混じって,若い女性がひとりで来て観戦している姿がけっこうあって驚きます。
 楽しみはひとそれぞれですが,こうして夢中になれることがあるというのはうらやましい限りです。特に,今のような,何か社会全体がどんよりと曇ったような感じになっているとき,こうした楽しみは貴重なものなのでしょう。
 1日も早く,以前のように,こころ置きなく楽しめる日がくるといいのですが。


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 NHKBSPで放送しているドラマ「ライオンのおやつ」は小川糸さん原作の「ライオンのおやつ」を土村芳さん主演でドラマ化したものです。
 私は原作を読んでいないので,どこまで原作とテレビドラマが異なるのかはわかりません。
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 「ライオンの家」は,とある美しい島にあるホスピスの名前です。余命の宣告を受けた何人かのさまざまな個性の人たちが集い,人生の最後の日々を送っています。
 29歳という若さで余命を告げられた雫が「ライオンの家」で残りの日々を過ごすことを決め,フェリーに乗ってその島に着くところから物語ははじまります。
美しい島で,静かで穏やかな,絵日記のような時間が流れ,そこで,さまざまな人間模様が描かれます。
 雫は人生最後の特別な時間に,何を見つけ,何を残すのか…。すべての人にいつか訪れる日々をあたたかく描き出す,今が愛おしくなる物語。
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 ということで,私は暗いドラマは好みでないのですが,このドラマは暗くなく,むしろ暖かで,でも,泣けて泣けて,試しに見はじめたらのめり込んでしまいました。
 私は今から17年前にアメリカで交通事故に遭って九死に一生を得ました。車に激突されてからだが空に飛んだほんの数秒に思い描いたこと,そして,そのときの清らかな気持ちは今もよみがえります。そんな経験をしているので,その後の人生をもっけものと思って生きてはいるのですが,このドラマを見ていて,当たり前の日常は当たり前でない… 忘れていたそんな大切なことを思い出しました。

 第2話では,入居者の老人タケオが,雫が奮発して購入した赤のワンピースを着たことがないことを知り,「人生最後のデート」に誘います。
 デートの最後に,タケオは雫に言います。
「これで天国行っても自慢ができる。人生の最後にこんな美人とデートしたんだぞってな。」
 雫はこたえます。
「8万円のワンピースを着てる女と,とつけ加えておいてください。」
 デートのあと,タケオは静かに息を引き取るのですが,枕元には,タケオが生前,これを家族で食べていたときが一番幸せだったというおやつ「豆花」が置かれていました。
 タケオとのお別れのとき,雫は泣きます。
「タケオさんは冷たかった。私はあんなふうになりたくない。」
 「ライオンの家」を切り盛りするマドンナは,そんな雫を温めるように抱き寄せるのでした。


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 私は,家にいるときはテレビもCNNj とアメリカのドラマばかりで日本の番組を見ていないし,日が沈むころに散歩に出かけて人にも合わないし,外出するときは車を利用して公共交通機関を使わないので,今の日本がどうなっているか錯覚していることが多いのですが,それに加えて,久しぶりにMLB,そう,オールスターゲームを録画して現地の音声を聴きながら見ていたら,ちょっと感動したというか,それは,日本と違って,テレビから流れてくる映像から垣間見るアメリカは,完全に2020年以前の元通りの世界じゃないですか。
 あえて録画で見たのは,現地の放送がはじまるまで,日本語のぐちゃぐちゃした音声が流れることと,途中でニュースが入るのが嫌で,それを飛ばすため。私は夢を楽しむために見ているのだから,そんなことしないで,アメリカからの放送をそのまま流せばいいのに…。
 これを見ていたら,何だか,風の便りでは,日本では,オリンピックを無観客でやるとか,新型コロナ感染者がまた増えたとか,相も変わらず今なおそんなお粗末な報道ばかりしているらしいのですが,そんなことがすべてあほらしくなってきました。
 オリンピックだって,MLBのオールスターゲームのように満員の観客入れてアメリカでやればいいじゃないの。ワクチンを作る力もないのに日本でやるというのは分不相応だし,アメリカのテレビ局の都合で,アメリカのスポーツイベント閑散期の真夏に実施するというようなことに日本がつき合わされる必要などないのです。そんな動機でオリンピックを真夏に開催すること自体,オリンピック精神とはかけ離れています。そして,そこまでしてオリンピックやりたい! とアメリカに媚びる必要などないではありませんか。
 アメリカに住んでいる友人たちはもうとっくにワクチン打ち終わって,みんなで集まってパーティ楽しんでいるし。ああ,アメリカ行きたい!

 ということで,昨日は2014年に行ったデンバーのクワーズフィールドの写真を載せたので,今日はその続きで,クワーズフィールドがあるあたりのデンバーの写真を載せることにします。
 こういう写真でも見ていないと,バカバカしくてやってられません。店の入り口で不正確な機械で体温測って適当にアルコール吹っ掛けて形だけのマスクしても,それは店が補助金もらうためにやってますよというポーズをとるためだけで,それは学校の生徒の提出物と同じでやったふりだけ。そんな「儀式」は感染防止にはまったく意味がありません。もう,私は,日本の何もかもが嫌いでつき合いきれません。
  ・・
 ところで,私がデンバーに行ったのは,早くも7年も前のことになります。このとき,私はデンバーのダウンタウンでズボンのベルトを探してさまよっていました。それは,ちょっと緩いズボンをはいてきたおかげで,歩いていると下がってくるからでした。そこで,ベルト,となったのですが,欲しいときに限って,探してもなかなか見つからないのです。結局,ちょっと高級なお店で,上等なちょっぴり高価なカウボーイがするようなすてきなベルトをやっと見つけて買ったわけですが,それを今も使っています。

 7年前のデンバーは再開発の途中で,クワーズフィールド近くの鉄道の駅あたりだけ,まだ建設中でした。おそらく今はすっかり完成していることと思うのですが,それでも,すでにこのころには街はすっかり近代的に生まれ変わっていて,ダウンタウンはどこもWifi が使えました。
 こういう写真を見ると,デンバーは,ワシントン州のシアトル,カリフォルニア州のサンディエゴ,ミネソタ州のミネアポリスなどの都会に似ているなあと思います。実際,アメリカは,ニューヨーク,シカゴ,ロサンゼルスのような大都市と,その次の中都市とでは雰囲気がまったく違っていて,広すぎて移動がたいへんな大都市に比べると,中都市のダウンタウンはどこかの駐車場に車を停めて,あとは1日歩いてまわることができる感じのすてきなところが多いものです。そして,そうした都市の多くは,ダウンタウンにボールパークがあります。というか,都市の再開発をするときに,その中心にボールパークを作ったわけです。

 私は,ここ数年,ヨーロッパに目が行っていて,アメリカの魅力をすっかり忘れていたのですが,その想いがよみがえってきてしまいました。また行きたい。困ったな。

◇◇◇
昨晩はすごい雷雨でした。このところずっと天気が不安定です。
雷光を写そうと思ったのですが,難しいものでした。
光ったときにシャッター押してもすでに遅し。でも,なんとか写りました。

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 現地の7月13日,日本では14日午前,アメリカMLBのオールスターゲームが行われます。 
 アメリカではオールスターゲームをミッドサマー・クラシック(Midsummer Classic)といいます。このゲームにはアメリカの子供たち,いや,子供たちにとどまらず,アメリカ人の夢が詰まって います。
 残念ながら,私はMLBのオールスターゲームを生で観戦したことはありませんが,2002年,ちょうどオールスターゲームが行われたころにアメリカに滞在していたことがあって,ホテルのテレビでホームランダービーを見ていた記憶があります。
  ・・
 「コロナに打ち負かされた日本」のだれもが開催に反対しているオリンピックとは異なり,それこそ「コロナに打ち勝ったアメリカ」の「ナショナルパスタイム」(National Pastime)であるベースボール2年ぶりのフェスティバルです。それに花を添える,我らが大谷翔平二刀流が先発投手として,また,1番指名打者として出場するとあっては,かつてのMLBファンの私も,久しぶりに燃え,今日は英語放送を聴きながらテレビで観戦です。
 本来「先発投手」と「指名打者」は同一の選手が務めることはできないのですが,今回のオールスターゲームでは史上はじめて特別ルールが採用されて,大谷翔平投手は降板したあとも指名打者としての出場は続けることができるといいます。

 今年ゲームが行われるのはコロラド州デンバーにあるクワーズフィールド(Coors Field)です。ここは,1996年9月17日,野茂英雄投手がノーヒットノーランを達成したボールパークとして有名です。
  ・・
 私は中学生のころから英語の教科書に載っていたデンバーに興味がありましたが,2014年,やっと念願がかない,訪れることができました。そして,もちろん,クアーズフィールドでゲームを観戦しました。
 そこで,今日は,このボールパークの雑誌などには載っていない角度から写した写真を載せることにします。
  ・・・・・・
 クワーズフィールドは1995年に完成しました。デンバーは30年以上にわたってMLB球団を誘致してきましたが,1993年にそれが実現し,マイルハイスタジアムで開かれた新チーム・ロッキーズの開幕戦には80,227人の大観衆がつめかけました。そこで,新しく作られたクアーズ・フィールドは,当初は43,800人収容の予定だったを50,445人収容に変更されたということです。
 都市再開発の一環として作られたボールパークはダウンタウンの北東徒歩圏内にあります。典型的な新古典様式のボールパークのひとつで,外観は周辺の倉庫街に調和した赤レンガと,かつてあった鉄道駅に由来する鉄骨を組み合わせたすてきなものです。
 デンバーは標高1マイル,約1,600メートル地点(=マイルハイ)にあって,ちょうどその標高にある3階席20列目の座席だけがロッキーズのチームカラーである紫色になっています。また,ボールパークの建設中に恐竜の化石が見つかったので,ボールパークの名まえを「ジュラシックパーク」にしようとの案が出たそうです。この提案は却下されましたが,チームのマスコットには恐竜の「Dinger」(ディンガー)が採用されています。
  ・・・・・・
 
 私が印象に残っているのは,突然の雷雨です。
 ここは雷雨が多いということで,私の観戦した日もゲーム開始30分前に大雨となってしまいましたが,いつものことさ,と周りの人たちは平気でした。案の定,ゲームがはじまったころは晴れ上がりました。
 このボールパークは,ファンサービスが快適だったこともあって,私のとてもよい思い出となっています。最上階に昇ると,遠くにロッキー山脈がとてもきれいでした。
 さあ,間もなくゲームがはじまります。

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 これまでに何度も書きましたが,定年が65歳に延長されるのは,いつまでも働きたい人が増えたわけではなく,少子高齢化の影響で,年金の支給年齢が遅くなり,働かざるを得なくなったから,というのが理由です。
 素直にそういえばいいものを,それを,ごちゃごちゃとうそで塗り固めるのが,「撤退」を「転進」に,「敗戦」を「終戦」に言い換えるという,昔から変わらぬこの国の手法です。
 うそを正当化するためにさらにうそをつく,その愚は小学生でも知っています。道徳教育が必要なのは,小学生ではなくこの国の支配者層でしょう。

 では,定年が65歳に延長されたとき,定年後に人生を楽しむ「残り時間」はどれだけ残っているのでしょうか?
 健康寿命というものがあります。
 平均寿命は延びているけれど,健康でやりたいことが自由にできなければ意味がありません。ということで,健康寿命というのは,平均寿命から「健康に問題のある期間」を差し引いた期間のことです。つまり,日常生活が制限されてしまうような「寝たきり」や「認知症」といった介護が必要になる期間を平均寿命からひいた期間です。その期間は,平均して,男性では約70年,女性では74年といいます。であるならば,65歳で定年退職をすると,男性の場合,残りはわずか5年程度となります。
  ・・
 早いもので,私も,もはや,健康寿命もあと5年程度を残すのみとなりました。人生は短いものです。しかし,幸いなことに,私は早期に退職したので,ここ10年ほどで,やりたいことをほとんどすべてやりつくすことができましたし,旅行も,いきたいところはすべて行きつくすことができました。
 今思うに,もし「まともに」定年退職まで勤めあげていたら,退職するころにこのコロナ禍に見舞われて,何もできず,どこへも行くことができずに,健康年齢のほとんどが過ぎてしまっていたのだから,考えるだけでぞっとします。本当に早期に退職して幸運でした。

 さて,この「健康に問題のある期間」を約10年として,この間も,生かされている限りはできうる限りの生活を楽しまなければなりません。そのときに必要なものはお金です。中でもその第一が医療費と介護費用です。
 人が一生に使う医療費総額は2,700万円程度だそうですが,その半分以上は65歳以降にかかるということなので,老後の医療費は約1,300万円程度となります。現在の医療制度では,自己負担分額はその1割から3割となります。これも次第にすべて3割となっていきます。また,介護費用は,全国平均で月額8万円程度であり,一時費用の平均は約70万円ですが,これもまた増額されていくでしょう。介護期間の平均は5年ということなので,計算すると,現在の水準でおよそ500万円程度が必要ということになります。
 つまり,そうした費用の総額は現在の水準で約2,000万円ということです。
 それらを考慮して蓄えを残した上で,そうした費用を減らすためにも,1年でも長く健康年齢をのばして,せっかく生まれてきたからには,やりたいこと,したいことを自由に楽しむことができるのが幸せというものです。
  ・・
 私の「不良老人」生活もベテランの域に入り,若いころに散財してこなかったおかげで,この先も困ることはありません。しかし,65歳定年となって,元気なうちは働かされ,退職後のほんのわずかな期間しか「毎日が日曜日」の楽しい人生を過ごせないという今の若い人が気の毒でなりません。


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 情報など知らなければ知らないほうが健康にいいという結論になって以来,自分で決めた情報以外はすべて遮断しています。それでも,暴力にように至るところにはびこるCMや広告は本当にいやになります。

 私が見ているテレビは,自分で決めてあらかじめ録画したNHKBSPの2,3の番組とCS放送のCNNj とスーパー!ドラマTVだけです。スーパー!ドラマTVはあらかじめ録画した番組だけを後で見るので,CMがあっても早送りしてしまうから問題はないのですが,CNNj はそのまま見ているので,ときに,ほんとうにくだらないCMが入ってとてもうざったいです。CS放送は,番組ごとに契約してお金を払っているのだから,そこにさらにCMが流れること自体,私には解せないのですが,それでもまだ品のいいものなら許容できます。しかし,不快になるだけものを見せられるのは,ある意味,暴力です。そこで,私は,とにかく消音にしてそんなCMが過ぎるのを待つことになります。
 それにしても,このごろは見ないから知らないけれど,CMのないNHKですら,番組の間はほかの番組の宣伝ばかりだし,さらに見ないから知らないけれど,かつて見ていた民放に至っては,CMの洪水の中にかろうじて番組があって,しかも,番組自体もまたCMのようなものだったし,YouTube も ABEMA も,そしてまた,Facebook も Twitter も Instagram も,結局は同じで,CMが氾濫しているだけのものです。こうしてはびこる不愉快な広告には,まるで詐欺まがいのようなものも横行しています。
  ・・
 雑誌の類をはじめとして,書店に並ぶ新刊もまた,売れればいいという目論見が露骨で,そんなものを買って読んだところで,害こそあれ益はないので,書店にすら行かなくなりました。新聞に,そうした新刊書や雑誌の広告がたくさん載っているので,読むこともなく目に入るのですが,過激な見出しが不快な気持ちを増幅させます。
 ネット上のニュースのポータルサイトに至ってはさらにひどく,これもまた,読まないほうがいいので,すべて遮断しました。それでも,すべての情報をなくすのも困るという消極的な理由で,かろうじて,新聞を1紙だけ読んでいるのですが,新聞に並ぶ広告もまた,ろくなものがありません。
 テレビや新聞など,現在,そうしたメディアを見たり読んだりしている人の年齢層は,定年退職をしたような人たちばかりなのでしょう。そういう人を対象とした,よくわからぬ健康食品やら若返り化粧品など,これもまた,不快の域を越えています。

 私が不快に思うこれだけの広告が,こんなにも氾濫しているということは,それを購入する人がいるということでしょう。そうしたものを購入する人は,お金が余っているというか,だまされやすいというか,情報収集能力が欠けているというか,何と表現していいのかわかりませんが,そんなふうにして,衝動買いをして,結局,家には,薬品だか何だかよくわからぬ商品が毎月配達されたり,また,買っただけで使っていないような布団やら毛布やら,すぐに壊れるような電化製品が押し入れに溜まっていたりしていることでしょう。
 こういう広告を目にするのは,暇つぶしにテレビをつけたり雑誌を読んだりネットを見たりして時間を潰すときです。そこで,ある種の「洗脳」にかかるのです。特に,現在のような,外出もままならず,旅行にも出かけられないとなると,そういったこと以外に身の置き所がないわけです。 
 こんな広告の洪水の中で,平常心を保っていられるのは至難の業です。私のようなお金のない「インチキ富裕層」は買いたくても買えないからいいけれど,裕福な人がこの誘惑から逃げるには山奥の何もないところで自給自足でもするしか手がないのかもしれません。
 そもそも,広告に影響されなければ買わないようなものに必要なものはありません。


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 連日の雨です。2021年の東海地方の梅雨入りは5月16日で,平年よりも21日早く,統計史上2番目に早いものでした。
 それから2か月近く経つのに,一向にすっきりとした天気になりません。雨が降りそうだと散歩にも行けませんし,もちろん,お星さまも見られません。
 ということで,星見の話題を書くことができないので,今日は特別編です。

 家の窓から外を見ていると,このごろ,田んぼにものすごくたくさんの鳥が来ます。おそらく,田植えが終わって,多くのエサがあるのでしょう。特にお昼どきはエサを探す姿がかわいいです。食べているときは動かず,食べ終わると,飛んだり跳ねたりしています。双眼鏡で見ていると,見飽きることがありません。
 人間と同じように,群れているものやらわが道を行くものやら,喧嘩をしているものやら,人間社会のようです。鳥さんも生きるのがたいへんそうです。
 雨が降っていないときは外に出て写真を写します。近づくと逃げていくので,遠くから望遠レンズで狙っていると,時の経つのを忘れます。
 種類を調べてみると,白い鳥がダイサギで,色のついた鳥がアオサギらしいです。
 ダイサギは全長約センチメートル。首と口ばしがすらりと長く,白色のサギでは最大となります。比較的水の深いところを好むみ,夏はくちばしが黒くなるのが特徴といいます。また,アオサギは全長約100センチメートルで,目のうしろから飾り羽までが黒い羽毛で首までは白く,他は青みがかった灰色で足が黄色ということです。
 また,田んぼの中をよく見ると,サギだけでなく,オオヨシガモも歩いていました。
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 サギは鳥獣保護法によって許可なく捕獲したり巣を棒などで落としたりすることが禁じられていますが,エサとなる魚やカエルなどを取るために水田に入り,田植え後の若い苗を踏み荒らすという被害があったり,住宅街に近い場所にコロニーを形成して,鳴き声による騒音,フンによる悪臭などの被害があるそうですが,それは,そもそも,人間が自然を破壊し,サギの住み家を失くしたことが原因で,サギたちにとってはえらい迷惑な話です。

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 MLB(アメリカ・メジャーリーグベースボール)で,2021年7月7日,カリフォルニア・エンジェルスの大谷翔平選手が対ボストン・レッドソックス戦に「2番・指名打者」で出場し,5回に32号ソロホームランを放ち,2004年にニューヨーク・ヤンキースでプレイした松井秀喜選手の日本人メジャーリーガーのシーズン最多本塁打記録を更新しました。
 大谷翔平選手は,1994年岩手県奥州市に生まれ,花巻東高校の出身です。数年前,花巻に行ったとき,駅前に大きな大谷翔平選手の垂れ幕を見つけ,ここの出身なのかと私はそのときはじめて知りました。駅には,花巻東高校の生徒さんがたくさんいましたが,どこかで聞いた高校だなあと,そのときは思いました。私は高校野球にもまったく興味がないのです。
 高校3年のときに高校生最速となる時速160キロメートルを投げ,2012年にドラフト1位で北海道日本ハム・ファイターズから指名され入団しました。
 2017年のオフにポスティングシステムでロサンゼルス・エンゼルスに移籍,念願のメジャーリーガーとなりました。

 そもそも,もともと高校卒業時からアメリカで野球がしたいという本人の希望があったのに,北海道日本ハム・ファイターズが指名したことが私には気に入りません。何と勝手なことをするのかと。そこで,大谷翔平選手は人生の5年間を無駄にしました。
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 私は,日本のプロ野球はまったく興味もないし見ないので,ほとんどの選手を知りませんが,MLBは大好きです。そこで,風の便りにプロ野球での活躍を聞いていた名前の選手がMLBに挑戦し渡米すると,それを見にいきたくなって,実際にこれまで多くの選手をアメリカで見てきました。
 アメリカのボールパークで観戦しているとき,隣に座った人が私が日本から来たと知ると,こうした日本人選手の日本でのことを聞いてきます。しかし,私は,それに対する話がまったくできないのです。これまでに見た,野茂英雄投手もイチロー選手も前田健太投手も岩隈久志投手もダルビッシュ有投手も…,みな,はじめて見たのは,アメリカのボールパークでした。

 2018年の夏,私はロサンゼルスに行きました。目的は,以前から行ってみたかったパロマ天文台でした。しかし,運悪く,私が訪れたときに限って,年中無休であるパロマ天文台が駐車場の工事をしていて公開が中止となっていました。この年,すでに,大谷翔平選手はロサンゼルス・エンジェルスに入団していましたが,これもまた,運悪く,私が訪れたときはロードに出ていて,見ることができませんでした。
 「マイナスとマイナスをかけるとプラス」というように,このふたつの偶然が幸運を呼び込みました。
 パロマ天文台に行けなかったことで,私は,その翌年2019年の夏に,再びロサンゼルスに行きました。このときのことは,すでに詳しくブログに書きましたが,念願だったパロマ天文台を訪れ,1年前だったら曜日の関係でできなかったガイドツアーにも参加することができました。そして,これもまた,念願がかない,ロサンゼルス・エンジェルスのゲームを観戦して,目の前で大谷翔平選手の活躍を見ることができました。

 私は,2013年の夏,ニューヨークでヤンキースのゲームを観戦したのですが,イチロー選手が4打数4安打を放ったそのゲームは,奇しくも,松井秀喜選手の引退試合でした。そして,2019年に大谷翔平選手を見たのですが,その翌年にコロナ禍となり,今は,アメリカに行くこともかないません。
 そんな偶然を思うと,このとき行くことができて,本当によかったと思います。
 大谷翔平選手が出場する今年のMLBオールスターゲームが楽しみです。

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 セントレア・中部国際空港からはヘルシンキまで直行便があります。そして,ヘルシンキからは電車で気軽に郊外の地方都市に行くことができます。ちょうど,名古屋から奈良や静岡,高山などに日帰り旅行をするような感じです。そしてまた,夏に行けばお昼間が長いので,十分な時間をとることができます。私は2度目の旅で,タンペレ,ナーンタリ,トゥルク,そして,シベリウスの故郷アイノアに行きましたが,どこもいい印象ばかりです。そのどの町も,また,出かけてみたいところです。
 このように,日本国内の,どこも混雑して蒸し暑い観光地に渋滞する高速道路を走ってでかけ,高価なホテルに泊まるくらいなら,ふらっとヘルシンキにでも出かけるほうが,ずっと快適なのです。このコロナ禍は別として,わずか9時間ほど飛行機に乗れば,名古屋からヘルシンキには行くことができるし,ヘルシンキからも郊外の美しい町にも鉄道で簡単に行くことができるし,そのどこも治安のよい落ち着いた美しいところなので,何の目的もなくふらっと訪ねるのはとてもよい国なのです。

 これまでに行ったフィンランドの感想を交えて書いてきましたが,結局,私の幻に終わったフィンランド旅行は,このように,単に時間つぶしに行こうと思っていただけでした。私が2度目にフィンランドに行ったとき,ヘルシンキの街中で出会った日本人の女性が「毎年来ています」と言ったのを聞いて,よほど魅力のあるところなのだなあ,と思ったのが強く印象に残っています。
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 今後,再び海外旅行ができるようになって,私は,この幻となった旅を実現することができる日が来るのでしょうか?


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 1年前に私が計画していたフィンランドの旅で,私は,夜がほとんどない夏のフィンランドを楽しもうと思っていたので,行くことができなかった今でも,夜がほとんどないということがどういうことなのか,想像がつきません。
 私は,それまで,2度フィンランドに行ったのですが,1度目は2月のロヴァニエミでした。これは冬だったので,午後3時には暗くなりました。オーロラを見るには夜が長いのでもってこいの季節ではありましたが,短いお昼間にどこかに出かけようと思っても,レンタカーを借りて雪の中を走る勇気もなく,バスを利用するとなると,よほどきちんとバスの時間を調べておかないと,待っている時間で凍えてしまうので,命の保証すら危うくなります。
 いつかこの季節に,ロヴァニエミよりさらに北に行ってみたいと思っているのですが,もしそれを実行を移すとなると,かなりの下調べが必要でしょう。
 2度目に出かけたのは8月の下旬だったので,とても快適でした。今年の猛暑は別として,私の行ったときは,もっと寒いのかと想像していたのですが,普通の夏服で,暑くもなく寒くもなく十分でした。8月下旬ともなると,夜が短いという印象はあまりありませんでしたが,それでも観光することができる時間が長く感じられて,結構遠出もできたので,楽しい旅となりました。

 夏の北極圏といえば,フィンランド以外に,私は,8月にアラスカとアイスランドに行ったことがあります。アラスカでは,夏とはいえ,オーロラも見ました。オーロラは冬しか見ることができないと思っている人もいますが,年中見られます。ただし,夜暗くならないと見られないから,冬の方が適しているというだけのことです。
 夏のアラスカでオーロラを見たことから,それに次いで,アイスランドでも同じように夏にオーロラを見ようと出かけてみたわけですが,夜になって日が暮れても,空がずっと明るいままだったのには落胆しました。考えてみればそれは当たり前で,日が沈んだとはいえ,太陽は地平線の下かなり浅いところを這いつくばるように動ているから,ずっと夜明け前のような状態だったわけです。
 それにしても不思議なのは,アラスカだってアイスランドと同じ状況であるのに,アラスカでは夜がすっかり暗かったことです。どうしてそうだったのか,その理由が私には今もってよくわかりませんん。
  ・・
 ということで,北極圏近くを旅するには,冬はかなりの計画性と工夫が必要になるのですがオーロラがよく見え,その一方,夏はオーロラはあまり期待できない代わりに,快適で,白夜の体験もできるというわけです。

 私は,夏はほとんど夜がなく,その反対に冬は夜ばかりのこの国に住む人たちがどんな生活をしてしているのかということに,行くことができなかった今になって,とても興味が湧いてきました。特に,夏は,ずっと明るいのに,長い夜を何をして送っているのでしょうか。それとも,昼が長いとか短いということは関係なく,いつも同じように規則正しく毎日生活しているのでしょうか?
 これはやはり,実際に行ってみて確かめてこなくては…。
 いつになったら,そんな旅ができるのでしょう。

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 去る6月29日,「ニコンZfc」という往年の「ニコンFM」を彷彿とさせたデザインのカメラが発表され,話題となっています。
 「ニコンFM」は1977年(昭和52年)の5月に発売され,「コンパクト・ニコン」と題された,ニコンにしては小型だった一眼レフカメラです。私は「ニコンFM」を発売日に購入しました。持っている機種の製品番号2103158,最も初期に生産されたものです。その後に購入した「ニコンF3T」とともに,今は,カメラがディジタル化されたのでフィルムカメラは全く出番がなくなりましたが,現在も手元にあります。
 そのデザインを今更マネても,使いにくいだけだと私個人は思うのですが,どうやら,保守的なニコン愛好家はこれが好みのようです。そして,このようなファンが岩盤層となっているこの会社は大変です。

 さて,私は小学校から電車通学をしていたので,中学生になって定期テストのときのような早く下校できる日は,途中下車して,繁華街の大きなカメラ屋さんに寄るのを楽しみとしていました。私はテスト勉強なんてほとんどしなかったので,テスト期間に早く帰れることで生じた自由時間が楽しみだったのです。
 とはいえ,当然カメラを買うお金などないのでショーウィンドウに飾られたものを見るだけでしたが,そこでもらうカタログを集めるのを趣味としていました。
 そのころはまだキヤノンからはプロ用のカメラは発売されておらず,高級カメラといえば「ニコンF」しかありませんでした。ニコンのレンズは今もニッコールという名前が冠されていますが,当時のニッコールレンズのコーティングは独特の色合いがあっていかにも高級そうでした。また,レンズは制作されたときどきによってデザインが異なりまったく統一性がなく,それがまた,いかにもその時代その時代で最高のものを作っているんだよという気がしたものです。カタログにも高級品の雰囲気が醸し出されていて,毎日,飽きずに眺めていました。
 今,ニコンのミラーレス一眼カメラとZマウントという新しいマウントの交換レンズのデザインが悪いという話をよくききます。そこで,先に書いたような懐古趣味の新製品が誕生したわけですが,この会社のデザインは昔からこんな感じで,どことなく常識から逸脱していたものです。口径8センチの天体望遠鏡もそうでした。だから,今日の製品のこうしたデザインを受け入れられない人は生粋のニコンファンではないのでしょう…,と私は思います。

 この時代,キヤノンはまだニコンのライバルでなく,むしろ,トプコンというカメラが異彩を放っていました。また,ミランダというカメラが何か不思議な魅力を持っていたのですが,私の住むところでは,カメラショー以外でホンモノを見たことすらありませんでした。当時は今とは違って流通システムも未熟な時代だったから,東京以外では手に入れることも不可能でした。
 さて,いくら今回発表された「ニコンZfc」が昔のニコンを彷彿とさせるといったところで,そういうことを懐かしがる人たちを,それ以前からの愛好者である私は,まだ若いなあと感じてしまいます。堅牢性と信頼性で「ニコン神話」を作り出した本当のニコンは「ニコンFM」や「ニコンF3」ではなく,「ニコンF」なのです。
 しかし,「ニコンF」は,今でこそレジェンドであり,神話となっていますが,実用機としては,シャッターボタンは押しにくい位置にあったし,フィルムを入れ替えるにはボディを分解しなければならなかったし,露出計をつけると不格好だっだし,ニッコールレンズにはいわゆる「カニの爪」がついていたしと,実際は,非常に使いにくく,不完全なカメラだったのです。
 ただ,その不完全さを時代が容認したのです。そして,それにも増さるブランド力がこの会社にはありました。
 今,ニコンのカメラを,時代遅れだの性能が劣るだのといってさもわかったかのように揶揄する人がいますが,この会社はずっとこうでした。ただ,今の時代は,その不完全さと無骨さを容認する余裕がないというだけのことでしょう。


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 フィンランドは,どこかに気ままに出かけて,1日をゆったりと過ごすのに適している国のようです。また,夏と冬とではまったく魅力が異なります。
 私は,結果として,冬のフィンランドと夏のフィンランド,そのどちらも経験することができました。そしてまた,幻になってしまいましたが,私が昨年の夏に再びフィンランドへ行こうと思ったのは,白夜というものを味わってみたかったということも理由のひとつでした。
 とはいえ,ヘルシンキは北極圏ではないので,一応,少しは太陽が沈みます。

 白夜を体験するために北極圏まで出かけるもっとも簡単な方法は,ヘルシンキから飛行機を利用することですが,それよりももさらに魅力的な方法は鉄道です。
 このころは,毎年フィンランドに行くことができると思っていたから,あえて,この旅で北極圏に行こうとは思っていませんでしたが,私の夢は鉄道でフィンランドを縦断することだったのです。
 鉄道でフィンランドを縦断する… とは,「サンタクロースエクスプレス」に乗ることです。
  ・・
 今日の写真は,その「サンタクロースエクスプレス」がヘルシンキの中央駅を出発するところです。「サンタクロースエクスプレス」午後11時13分ヘルシンキ中央駅発で,翌日の朝・午前10時51分,北極圏の町ロヴァニエミに到着します。
 この写真は2019年の夏に写したものですが,このときは乗らず,いや,乗れず,出発だけを見送りました。夏なら,ロヴァニエミの近郊で白夜を経験できるし,冬なら,夜明けのフィンランドの大雪原を車窓から眺めることができることでしょう。
  ・・
 私も見送るだけでなく,次に行くときは乗ってみようと夢見ていたのですが…。

◇◇◇
昨日2021年7月5日,フィンランド北極圏は熱波に覆われ,気温が30度を超える猛暑となりました。地球はどうなってしまったのでしょう。

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 7月3日に行われた第92期将棋棋聖戦第3局で藤井聡太棋聖が勝ち,3連勝で棋聖位を防衛しました。  
 私は今から50年以上前からの将棋好きです。将棋を覚えたころは,特に,升田幸三実力制第四代名人の大ファンでした。しかし,私が興味をもったときはすでに全盛期を過ぎていて,時折見せる無類の強さと圧倒的な構想力はあっても,あっけなく負けることも多く,「勝てばもっけもの」というスタンスで応援していました。また,その次の世代にファンになった米長邦雄永世棋聖は,ライバルであった中原誠十六世名人に歯が立たず,このときもまた,同じように「勝てばもっけもの」という感じでした。
 また,大相撲も好きで,横綱柏戸,そして,横綱北の富士のファンでしたが,やはり,最強とは程遠かったので「勝てばもっけもの」で応援していました。
 そこで,ファンになった棋士や力士は勝ち負けを越えて,将棋や相撲を楽しんでいたように思います。

 ところが,歳をとったせいなのかどうか,将棋に限らず,大相撲でも,このごろの私は,ファンになった棋士や力士ができると,勝負の内容よりも結果が気になって,逆に楽しむことができない性格が強くなってしまい,それが自分でも嫌になります。
 数年前の横綱稀勢の里がそうでした。そして,現在の藤井聡太二冠の将棋がまさにその状況です。
 それでも,明らかに格下の棋士との対戦なら安心して観戦できるのですが,現在の藤井聡太二冠の3つのタイトル戦である,今回の棋聖戦と,王位戦,叡王戦,中でも,対戦成績が極端に悪い豊島将之竜王との対戦になった王位戦と叡王戦など,王位戦第1局の完敗も引きずって,ライブ中継を楽しむことができないのです。
 そんなわけで,結果を知ってから楽しむ,という,邪道に走ってしまうことになるのですが,棋聖戦第3局は,終盤戦のはじめのところだけ ABEMA 中継を短時間見て,こりゃ負けだと思っていただけに,翌日の朝結果を知ってびっくりしました。それは,新横綱となったときの稀勢の里関が千秋楽で大逆転優勝を飾ったときもそうでした。このときも,中継は見られず,あとで結果を知りました。
 勝負というのは,時折,こうした,考えられない結果が起きるのです。そこが魅力で,本来は,そういう勝負の姿を生でハラハラドキドキしながら観戦することこそが魅力なのでしょうが,私にはそれができません。情けない話です。

 それにしても,現代の将棋はあまりに難しすぎます。
 私が覚えたころの将棋のタイトル戦は,大山康晴十五世名人の影響で,居飛車と角道を止める振り飛車の対抗形ばかりで,まず,王将を囲って,そのあと囲いの反対側で戦いを起して,先に相手の陣地にたどり着いたところからさあ詰ますぞ,という感じになるのです。そこで,終盤の詰むや詰まざるやの攻防こそ現在の将棋と同じような難しさはあっても,それまでのしのぎ合いはのんびりしたものでした。
 それが,現在の将棋は,序盤から詰むや詰まざるや,のような感じになってしまうので,ずっと難解な詰将棋かパズルを解いているような感じです。素人が気軽に楽しむ,ということからは超越してしまっています。今回の棋聖戦第3局はその中でもさらに難解で,私には,到底理解できないものでしたが,翌日,YouTube にアップロードされた多くの番組を見ていて,何か,ものすごく感動しました。話題になっている96手目△7一飛のただ捨て,震えました。それだけでなく,この対局は終盤でどちらも最善手以外を指したら負け,しかも,最善手は将棋AI が示してもその意味がプロ棋士でもわからない,そして,それが本当に最善手かどうかも定かでないというほど複雑なものだったというから,これこそが将棋の魅力なのでしょう。これを見ると,私がぐちゃぐちゃここで書いていることや,勝ち負けにこだわるなんて,次元が低すぎて情けなくなります。
 こうした人間業とは思えない現代の将棋を指すトッププロの対局は,将棋AIと,わかりやすい多くの解説があるからこそ,だれしもがその魅力を味わうことができるのでしょう。すばらしい時代です。私も,勝負の結果など超越して,この魅力をライブで堪能できるようにならないともったいないのですが…。

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 森と湖の国フィンランドといわれますが,実際,飛行機が首都ヘルシンキに近づいて,着陸態勢に入って地上が眺められるようになると,眼下に見えるフィンランドの大地は森と湖ばかりです。
 フィンランドを舞台にした映画「かもめ食堂」で,主人公のサチエさんがフィンランドには何もないというと,フィンランド人の青年トンミ・ヒルトネンが
  ・・・・・
 森がアリマス
  ・・・・・・
と応えるシーンがあります。
 このように,フィンランド人は自然豊かな森が誇りです。フィンランドの森は,それがだれの所有であれ,人は自由に行き来でき,キノコやベリーを見つけたらそれを摘んでもいいという「自然享受権」があります。


 そこで,フィンランドに行って,私がやりたかったもうひとつのことは,キノコ狩りでした。
 行先はヌークシオ国立公園です。「地球の歩き方」によると,ここはヘルシンキから最も近い国立公園で,面積は45平方キロメートル,ハイキングコースも整備されているということです。
 前回と前々回と2度フィンランドに行って,私は「地球の歩き方」に載っているフィンランドのそのほとんどは行ったのですが,その2度のフィンランド旅行で残ってしまったやりたいことは,このキノコ狩りと,そして,ヘルシンキからロヴァニエミまでの寝台特急「サンタクロースエクスプレス」に乗ることでした。そこで,このときの旅では,キノコ狩りを実現したいなあ,となんとなく考えていたわけです。
 実際は,細かい計画を立てる前に,コロナ禍で旅行はキャンセルしてしまったので,具体化することはなかったのですが,ヌークシオ国立公園に行くのは,結構大変なことです。ここは鉄道では行くことができなくて,バスの利用ということなのですが,そのバスが不便なのです。バスは本数は少なく,特に,帰りのバスに至っては,時刻表もないということが「地球の歩き方」には書かれてありました。
 私は,フィンランドのバスは,ロヴァニエミからサンタクロース村に行ったときと,ナーンタリからムーミンワールドに行ったとき,そして,ロヴァニエミの市街と空港の往復に利用したのですが,どれもそれなりに大変でした。本数が少ない上,バス停があったりなかったり,時刻表もなかったりと,観光地に行くにも大変なのに,ヌークシオ国立公園への往復なんて,できるのかいな? と思っていました。
  ・・
 今,これを書きながら思うことは,もし,実際に行くとなれば,レンタカーでも借りたほうが無難なような気がします。しかし,それでは旅の楽しみがなくなるなあ,などなど,複雑な気持ちもします。 
 しかし,それもまた,贅沢な悩みです。このご時世,おそらく,この先も,私は,フィンランドでキノコ狩りをすることは,もはやありますまい。


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 今から50年近く前,NHKの地元の天気予報のバックに,御園天文台の映像が放映されていたことがあります。それを見て,私はこの天文台の存在を知り,こんなところがあるのかと憧れました。
 小学生のころ「月刊天文ガイド」で星に興味をもち,望遠鏡を買ってもらったり,一眼レフカメラを買ってもらったりをしたものの,実際は満天の星空を見たこともなかったということはすでに書きました。
 高等学校で同級生だったある生徒の父親は地元の有力者で,父親にもらったとかいって,御園天文台のパンフレットを私にくれました。しかし,私が実際に御園天文台に行ったのはそれから10年近く過ぎた後のことでした。

 就職したのち,憧れだった御園天文台に行ってみようと思い立ちました。しかし,私はまだ車を持っていなかったので,豊橋まで名鉄で行き,そこでJRの飯田線に乗り替えました。列車は三河を山の中に進みます。ものすごく遠いところに来たような気がしました。最寄り駅の東栄というところで降りても,そこから御園天文台のある東栄町まではさらにバスに乗る必要がありました。しかし,時刻表を見ると,バス1日に数便しかなく,歩くことになりました。何分,というか,ほぼ1時間くらいだったか歩いて,やっと,東栄町に着きました。
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 御園天文台に行くと,台長だった金子功さんが迎えてくれました。金子功という人は,その当時,もう,結構なお歳でしたが,天文台のさまざまな設備を案内してくれたり,ずいぶんの時間,お話をしてくれました。
 おそらく,そのころの金子功さんは今の私の歳くらいだったと思うのですが,山奥の天文台に若者がわざわざ訪ねてきたら,やはりうれしいでしょう。はじめてお目にかかった金子功さんは,私には大先生のような,あるいは,仙人のようにも思われましたが,実際はどんな人か,まったく存じあげていませんでした。今調べても,やはり,詳しいことはなかかなわかりません。私は,こんな山の中に天文台を作って自由気ままに生きている(ように見えた)のだから,よほどのお金持ちなのかと思いました。
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 天文普及家である金子功さんは1918年に生まれ,2009年に亡くなりました。
 独力でピンホール式プラネタリウムを考案し,1953年(昭和28年)に名古屋市東山天文台で初公開しました。その後改良を重ね,1950年代の後半から1970年代までの間に全国各地の施設や学校に数多くのプラネタリウムを納入しました。日本のプラネタリウム初期において,この金子功さんの考案した「金子式プラネタリウム」 は,日本において,プラネタリウムを身近にした役割を果たしたのです。
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 このように,私が若いころに,今のような積極性や情熱があったとしたら,もっといろんなことができるだけのチャンスはたくさんあったのです。しかし,社会人でなかなか時間がとれなかったことを言い訳に,実際は,私の性格があることにとことん熱中できないことから,結局,それ以上の活動は何もしませんでした。 
 しかし,おそらく,若いころに熱中していたら,今も金欠病だったことでしょう。
 しかも,山の中に移り住んでそこに家を建てて趣味で星を見たところで,その結果は何もないということを知ってしまった今,そんなことに夢中にならなくてよかったのではないかと思うのです。
 昔に戻れない今の自分を正当化しているだけなのでしょうが。
 なお,私が訪ねたころの御園天文台は廃校となった小学校を利用した御園天文科学センターに移転されましたが,その後,新たに建物が作られて,現在は,スターフォーレスト御園という施設になっています。


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 「いんちき富裕層」の私としては,なるべくムダなお金は使いたくないものです。
 値段の違いによって品質が異なるものの場合は「安かろう悪かろう」ということが多く,むしろ,買うときは少し高価であっても,結局,そのほうがお得である,ということは少なくありません。また,前回書いたように,旅行をするときは,ほんの少しだけ贅沢をすることで,むしろ,その対価以上の快適さを手に入れることができます。
 しかし,同じものであっても,お店によって,まったく値段が違う場合があります。そんな品物を値段の高いお店で買う意味が私にはわかりません。その最も端的な例はコンビニエンスストアです。
 スーパーマーケットなら1本60円ほどで手に入るペットボトルを140円も出して買うなんて,本当にどうかしています。すぐに悪くなるようなものならともかく,ペットボトルなんて,事前に買っておいて家で冷蔵庫で冷やして持っていけばいいわけです。特に,都会では,24時間あるいは朝7時から開いているマックスバリューのようなスーパーマーケットもあるのに,どうして朝わざわざコンピにエンスストアに寄ってお弁当とペットボトルの飲み物を買うのか,私にはまったく理解不能です。早朝コンビニエンスストアに寄っている多くの車を見ると,なんなんかな? と私は思ってしまいます。

 その昔,コンビニエンスストアがなかったころ,私は「convenience」という単語を覚えるのにすごく苦労しました。それが今では日本語です。しかし,日本では,「convenience store」というより「expensive store」という方が正しい気がします。
 アメリカでは,ほとんど場合,コンビニエンスストアはガソリンスタンドに併設されています。そこはトイレ休憩の場であり,眠気防止のために冷たい飲み物を買ったり,小休止をする場所です。では,日本のコンビニエンスストアは一体何なのでしょうか? 私にとっては,チケットを受け取ったりATMを利用したり,トイレを借りることくらいしか思い当たりません。そんなコンビニエンスストアがいたるところにあるのが不思議な気がします。 
 そうそう,そんな日本のコンビニエンスストアで唯一安くおいしいのは,あんまんと,そして,100円のコーヒーです。


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 この旅は5泊7日の予定でしたが,特にどこに行ってみたいとか,何をしてみたいとか,そういったことは決めていませんでした。それは,その1年前にヘルシンキに行って,そのときに,行きたいと思っていたところはほぼすべて行ってしまっていたからでした。
 フィンランドはとてもすてきな国です。また,郊外に行くにも電車やバスを利用すると簡単に行くことができます。ということで,この旅の目的は,フィンランドまで行ってのんびりとしてこよう,その日の気分でやりたいことを決めようという感じでした。
 海外旅行に行くことができない今考えると,それはかなり贅沢な話であったわけですが,その当時は,もはや,行ってみたいというところもほとんどなくなっていて,それまでに行った場所の中でよかったところをリピートする,という気持ちになっていたわけです。
 この時点では予約はしていなかったのですが,2020年の秋には3度目のオーストリアのウィーンに行って,チェコまで足をのばそうと考えていました。

 話を戻します。
 それでも,ヘルシンキに5泊滞在するのだから,どこかで1日,日帰りでロシアのサンクトぺテルブルグに行ってみようなか,などとなんとなく思っていました。それは,この1年前にヘルシンキに行ってホテルで朝食を取っていたとき,レストランで一緒になった日本人観光客の人に,サンクトペテルブルグに行ってきたという話を聞いて,行ってみたいな,と思ったのがその理由でした。
 アメリカやオーストラリア,ニュージーランドなどとは違って,ヨーロッパで出会う日本人観光客は旅慣れている人が多く,行動力もすごく,うらやましくなります。
 ヘルシンキからサンクトぺテルブルグは意外と近いのですが,実際に行こうとすれば,結構手続きがたいへんなのです。しかし,1年前の旅でも,行く前にはそれほど思い入れもなかったエストニアにフェリーで行くことができたので,それと同じような気持ちでした。
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 私が聞いた話は,ヘルシンキからサンクトペテルブルグまで行く手段は,電車と船があって,船だとビザが不要だとか,電車だと国境を越える時点で検札があるとかいうことでした。また,ビザを入手するには,大阪のロシア領事館まで行く必要があるという話だったし,行くまでにそういった煩わしい手続きをクリアする必要があるのかなあ,とぼんやりと思っていました。結局,キャンセルになったので,そういった行動をすることもありませんでしたが,実際に行くと決めたら,そうしためんどうなことは嫌なので,現地ツアーにでも参加しようかな,と考えていました。
 しかし,本当にサンクトぺテルブルグに行きたいのなら,こんな中途半端な計画ではなく,直接ロシアに入国して何泊かすべきだろうと,今は思います。しかし,私には,サンクトペテルブルグにはそれほどの想いはないのです。


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