しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

August 2021

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 2021年の8月も終わりです。私にとって最悪といっていい夏でした。海外旅行もできず,連日の悪天候でまったく星も見られず,とあっては,私の楽しみのほとんどが奪われて,夜明け前か日が暮れた後で散歩をするというのが唯一の楽しみとなってしまいました。救いといえば,これまでに,行きたかったところにはすべて行きつくしていたことと,欲しいものがないこと。そこで,何かをしたいという煩悩? がなかったことでしょう。
  ・・
 こうしたときに,穏やかに暮らすには,優れた音楽をはじめとする芸術に触れること,そして,これまでに経験した思い出から新たなときめきを得ることでしょう。これまでの経験からそうした楽しみが見出せるのはうれしいものです。
 そうした中でも,最もすばらしかったことのひとつが,先日「フィールド・オブ・ドリームズ」のロケ地で行われたMLBニューヨーク・ヤンキースとシカゴ・ホワイトソックスのゲームでした。ゲームが行われたことだけでもすごいことだったのに,そのゲームが劇的な結末となったのが,さらに感動を深くしました。まるで,ベースボールの神様が乗り移ったかのようでした。
 そうしたことが理由のひとつでしょうか,昨日,NHKBSPで映画「フィールド・オブ・ドリームズ」が再び放送されました。

 私はこれまで何度この映画を見たことでしょう。しかし,齢を重ねるにしたがって,この映画のもつ深さがしだいに理解できるようになってきました。そしてまた,これまでに出かけたアメリカのさまざなところが点から線となってくるのがわかりました。不思議なほど,私の経験のそれぞれにつながりがあったのです。
 よく見ていると,映画のセリフ,そのひとつひとつにも深い意味があるのですが,それがわかるには,ずいぶん多くの知識と経験が必要です。いかにアメリカ人にとってベースボールが大切な存在なのか,彼らがどういった教育を受け,どういった場所に住み,生活し,どういった経験を積んで来たのか,また,人生とは何かということをどう考えているのか,そういったことを知らないと,それらはまったく理解できないのです。
  ・・
 さすがに,今となっては1919年のホワイトソックスの八百長事件を知る人はいないでしょうが,この映画のもうひとつの軸である1960年代は,私の年代より少し上の人たちは経験しています。
 この映画の語っていることの深さはこの1960年代を知らない人にはわかりづらいかもしれません。私はそれを知るには数年遅いのですが,それでも,若いころ,その時代の空気は感じました。また,そうした1960年代とは真逆になってしまった現代こそ,もういちど,あのころを考えるよい契機であるかもしれません。
 そういった意味でも,この映画に感動できるかどうかは,まさしく,それを見た人の人生の長さや深さによるのでしょう。また,それを知らない若い人は,このような映画をきっかけにして,その時代のことを考えてみるといい機会だと思います。
 この映画によって,私の最悪の夏も,少しは救われました。

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 早朝,太陽が昇る少し前から昇った後の東の空,そして,夕方,太陽が沈む少し前から沈んだ後の西の空はとても美しくて好きです。また,太陽が沈んだ後の暗い時間は,濁った空にはわずかの星しか見られませんが,地上の風景ははっきりと見通せなくなるので,お昼間は目立つ汚い川やゴミだらけの空地やラインの消えかかった道路など,気が重くなる風景もそれらが気にならなくなります。以前なら,そんな景色を気にすることもなく,ときどき出かける海外の美しい景色で満ち足りていたのですが,今はそれができません。
 そこで,せめて,少しは気を紛らわそうと,こうした時間に散歩をしたりサイクリングをしていると,日本でなくどこか別の世界にいるようで,少しはこころが休まります。お昼間はどこへも行く気になりません。

 こうした機会が増えて,気づいたことがありました。
 それは,ときに,この国には場違いのような,まるでアメリカにあるような住宅が建っているのを見かけることです。
 以前書いたことがありますが,日本では,よく見ると,それぞれの家はどれも結構凝って作られているのです。しかし,そうした家々のデザインにはまったく調和がありません。まるで周りになじんでいないのです。さらには,先にかいたアメリカにあるような住宅は,この国の気候・風土をまったく考慮していないから,アメリカの家のように芝生を張ったところで,すぐに雑草まみれになってしまうだろうし,ウッドデッキを作ったところで,高温多湿ではやがては腐ってしまうでしょう。そんな友人の家を知っています。
 しかし,おそらくそうして凝った家々はずいぶんとお金をかけて建てたものでしょう。なんだか気の毒になってしまいます。
  ・・
 私は住宅ローンを組んだことがないので詳しくは知りませんが,住宅ローンは35年かけて返済するとか書いてあります。となると,一生を住宅ローンの返済のために働くようなものです。そしてまた,退職金さえ住宅ローンの返済で消えてしまったりするかもしれません。しかも,返済が終わったころにリフォームが必要になったり,また,子育ても終わるから,子供部屋がむだになったりします。
 さらには,せっかくの持ち家も,老後に体を壊してそのまま住み続けることができることも少なくなく,多くの人が,わざわざ建てた自分の家を出て,結局,老人ホームなどでお世話になるわけです。亡くなった私の両親をはじめ,そんな人を大勢知っています。
 持ち家志向を煽るのは,住宅ローンでもうけたい金融機関と固定資産税がほしい政府の陰謀でしょう。

 今日の写真は,アメリカの住宅街ですが,こんなところがあるのなら,家を買って住みたいと私は思います。しかし,この国でそんな環境のところなんて皆無です。ここなら住んでみたいなあと思うようなところもありません。
 狭い土地をさらに切り刻んで細かくして建売住宅が建設されています。あるいは,家は立派でも,家の前の道路が車1台やっと通れるようなところも見かけます。また,住宅の南側に高層マンションがあったりすることも少なくありません。夜になったら空に満天の星が輝くわけでもなし,自然が溢れているわけでもなし,裏庭でバーベキューができるわけでもなし,この国で閑静な住宅街など,望むべくもないのです。
 そんな状態では,一生をかけて小さな家を建てたところでまったくもって仕方がないなと,私などは思ってしまいます。
  ・・
 どうやら,この国は,人口がせいぜい10万人ほどの地方都市に,賃貸マンションでも借りて,2年落ちで120万円くらいの中古車を買って,借金もせず,できるだけムダなお金は使わず貯金して,くだらない,かつ,騒がしいだけのテレビ番組も見ないで,おどろおどろしい見出しの並ぶ週刊誌など読まず,煽るだけの広告は一切遮断して,クラシック音楽でも聴きながらささやかに暮らすぐらいの生活が一番幸せで,それ以上を望んでも,結局は何もない,ということなのでしょう。
 「いんちき富裕層」の私は,家を買うお金もないから,強がって,しみじみそう思うようになりました。これがこの国で長く生きてきた結論です。本当に夢のない国です。


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☆☆☆☆☆☆
 8月27日,青空が見られたのは何日ぶりだったでしょうか。この夏晴れたのは,私が星を見にいった8月5日と8月11日の早朝だけでした。もう二度と晴れないのだろうか,とさえ思っていました。
 しかし,空には,主だった彗星もなく,しかも,まだ月が明るくて夜9時には昇ってくるので,晴れていても星を見にいく時期ではありません。
 ということで,この日は太陽と惑星をなんとなく見ることにしました。

 まずは太陽です。
 「国立天文台太陽観測科学プロジェクト」の twitter によると
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 2021年8月27日の黒点数。
 北半球 g:2,f:8,R:28,南半球 g:2,f:12,R:32,全面g:4,f:20, R:60(gは黒点群,fは黒点数,Rは黒点相対数を表す)。
 活動領域12859,12860,12861の黒点群とまだ番号がついていない黒点群が見えています。
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ということだったので,夕方写真を写しました。お昼間は高度が高いので夕方のほうが写すのが楽だからです。それが1番目の写真で,左下の黒点が#12860,右上が#12859です。
 このくらいたくさんの黒点があると写しても楽しいです。

 次に夕方西の空です。
 太陽が沈んで見えてくる明るい星が金星で,これは晴れていればだれでも見られる星ですが,太陽が沈んだ後に地平線ぎりぎりに見える「はず」なのが水星です。これはよほど条件がよくないと見られません。
 夕方の散歩の途中,家の近くはほぼ地平線付近まで視界が開けているので,目を凝らして見てみました。そのうち,奇跡的に肉眼で水星が確認できました。残念ながらカメラを持っていなかったので,iPhone8で手持ちで写してみたのですが,ちゃんと写ったのでびっくりしました。それが2番目の写真です。左が金星,右下が水星です。時間は午後6時58分。この時間の水星の高度はわずか4度でした。
 近ごろは,こういった「どこまで写るかな?」というのを確かめるのが楽しいです。そして,いつも,結構見えるもんだなあ,結構写るもんだなあ,というのが結論です。何こともやってみなくてはわかりません。


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 以前から地上波はほとんど見ることもなく,主にNHKBSを楽しみにしてきました。NHKBSは,以前はクラシック音楽とMLB中継といった,いわば,私の好きなものばかりが放送されていたので,テレビがあっても,BS放送が見られないというのはあり得ない,とまで思っていました。
 ところが,近ごろは,NHKBSは再放送ばかりとなりました。クラシック音楽もまた,コロナ禍以降のコンサートは見る気にもならず,NHKFMで聴くに限るようになってしまいました。そのNHKFMもまた,通常の放送が変更になって高校野球に代わり,いい加減にしろという感じです。それに代わって,ABEMAでMLB中継もはじまりましたし,YouTubeでもMLBを無料で中継しています。しかも,ABEMAの放送の一部とYouTubeでは現地の放送のまま英語で聴くことができます。
 こうなると,もはや,海外ニュースとオリンピック,パラリンピックばかりのBS1はほとんど見るものがなく,BSPもまた「にっぽん縦断こころ旅」くらいしか見るものがなくなりました。海外のニュースなら私はCNNj で事足ります。高い受信料を返せという感じです。
 という話は前書きで,今日の話題は,NHKBS1で毎週金曜日に放送されている「キャッチ! 世界のトップニュース」のなかでマイケル・マカティア(Michael McAteer)さんが担当する@NYCのコーナーです。@NYCは,たまに見るMLB中継とともに,私がBS1で見ている今では数少なくなった番組のひとつです。
  ・・
 このコーナーで,マイケル・マカティアさんが「日本では高齢者のことを「シニア」というけれど,アメリカでは「オールダーアダルト」(older adult)といいますよ」と話していました。そういえば,日本では「高齢者」をぼやかす感じで「シニア世代」といいます。
 このコーナーを私が見ているのは,アメリカの最新事情がわかるためで,以前も,ロックダウンで遠出ができなくなったニューヨーカーの間ではセントラルパークでバードウォッチングが流行していて「アメリカではバードウォッチングのことを「バーディング」(briding),そして,それを楽しむ人のことを「バーダー」(birder)といいますよ」という話題がありました。こういう生きた英語を知るのが楽しいのです。ことばというのは生き物で,語学は成績順位を競うものではないというのが私の主張ですが,こういうことばすら多くの英語の先生は知りません。

 さて,この「オールダーアダルト」ということばに興味をもったので,さらに調べてみました。
 その前に,これは「不良老人」の私だけではないと思いますが,自分では言っても人から「齢だ,齢だ」と言われるのは嫌いです。医者に行くと「加齢ですから」と言われるのはもっと嫌いです。なので,高齢者をどう表現するかというのはかなりデリケートな問題です。
 学校で「オールド」(old)というのは「古い」と習ったので,私は「シニア」(senior)より「オールダーアダルト」のほうがよほど年寄り臭いことばのように感じます。しかし,old は古いというニュアンスですが,それとは違って older はふたつのものを比べたときに年上という意味で年齢には関係ない,とありました。確かに2歳と3歳の兄弟がいたとき,たとえ3歳でも兄は older brother です。
 ということで,私が調べた結論は,次のようでした。
  ・・・・・・
①日本の公文書の翻訳で「高齢者」を「elderly」としているが,これは英語圏では排除されつつある表現。
②「高齢者」は「older」とするのがもっとも適切な表現。
③「old」は古い,汚い,さびれたというネガティブなイメージがあるので避ける。
④「senior」にはネガティブなイメージはないが,カジュアルな表現なので,公文書などの訳としてはふさわしくない。
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 そういえば,日本の空港では外国人のことを「エイリアン」(alien)と表記されていて,私の友人のアメリカ人が宇宙人みたいだと言っておもしろがっていました。「エイリアン」というのは「よそ者」「異邦人」「宇宙人」のイメージです。
 「外国人」をエイリアンというのはアメリカ合衆国法典にも記載されている正式な法律用語なのですが,移民擁護派の人々は「人間性を剥奪する表現」だと批判します。デンバー大学法学部の教授が「火星からの侵略者を連想させるような用語を人々に用いるのは不適当だ」と述べたということで,バイデン政権は「外国籍の人々について言及する際に【より包括的な言語】として,たとえば,「alien」や「illegal alien」などのことばをやめて「noncitizen」や「undocumented noncitizen」を使用するように移民当局者らに命じた」と報道されています。 
 ある英会話の先生が書いているブログに「(外国人を英語でいうのに)foreigner はより一般的に使われ,alien は法律などよりかしこまったときに使われる」と書いてありましたが,そんな簡単なことではないようです。こうしたことばのデリケートな意味を学ぶことこそが勉強であって,そうしたことはドリル学習や高校生がやらされている英単語の暗記参考書では学べません。そもそも,単語の意味を1対1で暗記するような古臭いことは,コンピュータの翻訳機能がある今では有益な勉強方法ではありませんし,語学教育の目的であるコミュニケーション能力の育成ではありません。


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 小説を読破する根気がなくなりました。テレビの1時間ほどのドラマを見ることさえしんどくなってきました。とはいえ,時間は売るほどあります。そこで,短く,かつ,有名な「古典」をだらだらと読むことにしました。
 そんな中で,今日は,ご存知,夏目漱石の「草枕」です。
  ・・・・・・
 山路を登りながら,こう考えた。
 智に働けば角が立つ。 情に棹させば流される。 意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
 住みにくさが高じると,安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時,詩が生まれえて,画ができる。
  ・・・・・・
ではじまるこの小説は,夏目漱石が1906年(明治39年),39歳のときに「新小説」に発表したものです。
 若いころに読んだ気もするし,読んでもよくわからなかった気もします。ただ,だれもがそうであるように,冒頭の部分が気に入って,忘れられない小説でした。
 「草枕」は,熊本県玉名市小天温泉がモデルであるという「那古井温泉」を舞台に「非人情」の世界を描いた作品といいます。「吾輩は猫である」の次の作品です。熊本で英語教師をしていた漱石が,1897年(明治30年)の大晦日に友人の山川信次郎とともに熊本の小天温泉に出かけ,そのときの体験をもとに執筆したものといわれます。

  ・・・・・・
 時は日露戦争のころ,30歳の洋画家である主人公が山中の温泉宿に宿泊し,宿の「若い奥様」那美と知り合います。出戻りの彼女は彼に「茫然たる事多時」と思わせる反面で「今まで見た女のうちでもっともうつくしい所作をする女」でもありました。そんな那美から自分の画を描いてほしいと頼まれますが,彼女には「足りないところがある」と描きませんでした。
 ある日,彼は那美と一緒に彼女の従兄弟で徴集された久一の出発を見送りに駅まで行くのですが,その時,ホームで偶然に「野武士」のような容貌をし「御金を貰いに来た」別れた夫を見つけ,那美は発車する汽車の窓ごしに瞬間見つめあうのでした。
 そのとき那美の顔に浮かんだ「憐れ」を主人公はみてとり「それだ,それだ,それが出れば画になりますよ」と「那美さんの肩を叩きながら小声に云う」のでした。
  ・・・・・・
というのがあらすじです。
 あまりに有名なものなので,ネット上には,数多くの解説やら感想が満ち溢れています。
 いろいろ読んでみると,それなりに,その感想を書いた人の人生が垣間見えて,それが私にはおもしろいのですが,とにかく,小説というのは,いろいろな人生経験を通してこそ深く味わえるようになるわけです。しかし,そうした人生の深さを若き夏目漱石が書けるというのがすごいことです。

 私が,まず,この小説がおもしろいと思ったのは,田舎の描写でした。
 私は,人のいない自然のたくさんある田舎や旧街道を歩くのが好きですが,私も歩いているといろんなことを考えます。そうしたときに私が感じるような味わいが,そこにはあふれていました。読んでいると,自分も歩いているような気持ちになって落ち着きました。
 ふたつ目には,「非人情」ということばでした。
 主人公のいう「非人情の旅」というのは自由な旅のことでしょうが,自由というのは人との関りを避けるということではありません。山里というのは,人が自然と同化して生きているところであって,人の住む世界から途絶した場所ではないのです。そこで,いくら人の世が住みにくかろうと,漱石のいう「非人情」であろうと,そこから逃げ切ることはできないわけです。ならば,自分はそこに泥臭くはまり込むのではなく,芸術というひとつの線を引いて関わろうとするわけです。つまり,人との交わりに芸術を仲介するということです。漱石はこれを「詩と画」と書きました。
 そして,最後は,小説の終わりの部分「それだ,それだ,それが出れば画になりますよ」でした。
 那美さんが元夫の乗る汽車を見送るときに,今までかつて見た事のない「憐れ」が一面に浮いていて「それが出れば画になりますよ!」というのですが, 「憐れ」は「別離の哀しみ」ではなく,文字通り「あわれみ」です。そうした人間のもつ感情が出なければ,真の芸術ができないというわけです。
 音楽でも,絵画でも,美しいだけのものは評価されません。俗な言葉ですが,人の性格も「アク」があるといういい方をします。そうした「アク」がなければ,個性が生まれないのと同じです。
 私は以前,傑作というのはどういうものなのだろうと,ずっと考えたことがあります。その結論は,深みがある,ということでした。接したときこころに染みてくるものです。そういう作品だけがホンモノなのでしょう。何度聴いてもまた聴きたくなる音楽,いつまでも見ても見飽きない絵画,自分のこころと同化できる音楽,いつか見た景色を思い出す絵画,そうした忘れられない作品,それこそが傑作なのでしょう。
 那美さんは元夫との別離を通して,自分のこころを表情に出せる深みのある人間になったということです。


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 2014年の夏,ユタ州の南に広がる国立公園を巡りました。これらの国立公園も,また,グランドサークルに属しています。
 このあたりは,これまでに紹介したグランドキャニオン国立公園やモニュメントバレーの北側になりますが,これらの国立公園がロサンゼルスからアクセスしたのに対して,私はユタ州を南下してアクセスしたので,まったく別の場所のような気がしているのですが,地図で見るとけっこう近いところです。
 これから紹介するのは,西から順に,ザイオン国立公園,ブライスキャニオン国立公園,キャピトルリーフ国立公園,キャニオンランズ国立公園,アーチーズ国立公園となりますが,キャピトルリーフ国立公園だけは行っていなので,省略します。キャピトルリーフ国立公園に行かなかったのは,キャピトルリーフ国立公園への接続道路がだけが舗装されていないからというのが理由です。アメリカでは,通常,レンタカーでのダート道の通行は禁止となっていることが多いのです。
  ・・
 私がアメリカを旅していた目的は国立公園を巡ることではなかったのではなく,あくまで観光の「ついで」ということだったのにもかかわらず,振り返ってみると,そのほとんどに行ったことに驚きます。しかし,はじめから国立公園巡りが目的だったら,いくら時間があっても足りませんから,私のように,結果的にそうなった,というのがよかったのかもしれません。

●ザイオン国立公園(Zion National Park)
 では,今日は,ザイオン国立公園です。
 ここはインターステイツ15から近く,とても便利なところです。便利であるだけにとても混雑していて,早朝に到着しないと,駐車場が満車となってしまい,遠いところに停めることになってしまいます。また,ハイシーズンは国立公園内のマイカーの運転が禁止されていて,駐車場に車を停めて,無料のシャトルバスに乗って巡ることになります。
 私はずいぶんと早い時間に到着したので,問題なく広い駐車場に停めることができました。
 公園はさまざまな色彩の花々,大小多彩な鳥や小動物,巨大な岩山,美しい渓谷など,変化に富んでいて,とてもすばらしいところです。こうした景観を,シャトルバスに乗って,気の向くまま降りて,そこからトレイルを歩くという方法で楽しむことになります。
 ザイオン国立公園の最大の魅力は,ナローズ(The Narrows)というトレイルをバージン川(Virgin River)の流れをさかのぼって歩くことだそうですが,終点まで行くとまる1日を要してしまうということです。私は,他の国立公園にも行ってみたかったのでそうした余裕がなく,少しだけ歩いて引き返すことになってしまったのが残念なことでした。
 こうしたことが,ある意味で国立公園巡りを目的とした旅でないというメリットでもあり,デメリットでもありました。


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●アリゾナ大隕石孔国定記念物(Meteor Crater National Landmark)
 アリゾナ大隕石孔国定記念物は,英語では「Barringer Crater」「Meteor Crater」「Canyon Diablo Crater」 と表記されていて,日本語では「バリンジャー隕石孔」「バリンガー隕石孔」「バリンジャー・クレーター」「バリンガー・クレーター」「アリゾナ隕石孔」「メテオ・クレーター」「メテオール・クレーター」「ミーティア・クレーター」などと書かれていますが,すべて同じものです。個人の所有であることが正式名称が定まっていない原因でしょう。知らないとずいぶん多くの隕石孔があるようにも思えます。
 アリゾナ大隕石孔国定記念物は厳密にいえば国立公園ではないのですが,「地球の歩き方」の「アメリカの国立公園」編に載っているので,ここで取り上げることにします。
  ・・
 私は,国立公園巡りを目的としてアメリカ旅行をしていたわけではないのですが,結果的に「地球の歩き方」の「アメリカの国立公園」編に載っている国立公園はほとんどのところに行ったことになって,こうなったら載っている国立公園を全部行ってみようと思っていたころにコロナ禍が起きました。とはいえ,残るのは2,3の場所で,それらの場所に2020年に幻となったアメリカ旅行で行く予定をしていたわけです。そんな動機にすぎなかったので,残っている場所に特に想い入れがあるわけではありませんでした。
 しかし,2019年の夏に行くことができたこのアリゾナ大隕石孔は,子供のころからぜひ行ってみたいところだったので,これもまた行くことができたのは,とても幸運なことだったと今では思います。
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 場所はアリゾナ州フラッグスタッフの中心部から東南東37マイル,約60キロメートルに位置しています。フラグスタッフからアリゾナ大隕石孔と化石の森国立公園を巡る日帰りツアーバスがあるようですが,それ以外の手段はなく,ツアー以外には車がなければ行くことができないところです。
 オールドルート66に並行して走るインターステイツ40はアリゾナ州の大平原を走っていきます。オールドルート66の写真集に出てくる,いつか見たようなところを右手に見ながらほとんど車の通らないインタ―ステイツ40を走っていって,マイルマーカー233のところを右折します。
 右折するあたりにモーテルがありました。もし,今度来ることがあるのなら,ぜひここに泊まって満天の星が見たいものだと思ったことでした。それは,アリゾナ大隕石孔を借景にした星空の写真を撮ってみたいと思っていたのですが,深夜にフラグスタッフからわざわざそこに出かけることが危険なのかどうなのか,私にはまったく判断がつかなかったからです。なにせ,何もない砂漠のど真ん中なのです。
 それはともかく,このアリゾナ大隕石孔,延々と続く大平原のその先左前方に少し盛り上がった場所があったのですが,それが目的地でした。あまりに遠いので,小さく見えただけで,近づくに従ってその巨大さがわかってきました。到着して車を停めました。ビジターセンターがあって,入場料を払って中に入りました。
 隕石孔があるだけ,といえはそれだけのところですが,私はやっと念願がかない,とてもうれしかったという記憶があります。隕石孔の説明などはすでにブログに書きましたので,それをご覧ください。

◇◇◇


◇◇◇
Sturgeon Moon.

8月の満月はスタージェンムーン。
チョウザメ(キャビア・フィッシュ)の成熟期で漁猟量が増える時期です。
しかし,雲でまったく見ることができず,翌々日午前4時。やっと晴れました。
次の満月は中秋の名月です。
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 今から40年以上前は,日本将棋連盟の建物といっても,東京も大阪も1軒家のようなところだったようです。時の名人だった大山康晴が会長となって尽力して,ともに立派なビルができましたが,おそらく,それを作るのはすごく大変なことだったと思います。
 そうして作られた関西の将棋会館ですが,館内に将棋博物館があるというので,できたころに一度行ったことがあります。それはつい昨日のような気がするのですが,ずいぶん昔のことだったわけです。また,できたばかりの東京の将棋会館の地下には確か「歩」(あゆみ)とかいう名前のレストランがありました。

 今は,東京の将棋会館の地下のレストランはなくなり,関西の将棋会館の地下の将棋博物館もなくなったようですが1階にはレストラン「イレブン」があります。
 このごろは将棋メシといって話題となるので,このレストランも有名になりました。将棋連盟の建物内にあるとはいえ,将棋連盟が経営しているものはないということすら知りませんでした。私はてっきり社員食堂や大学の食堂のようなものだと思っていました。
  ・・
 話題になったので,一度は行ってみようと思ったのですが,休業日だったりして,なかなか実現しませんでした。それが昨年やっと寄ることができて,私は,そこで写真にある「珍豚美人」(ちんとんしゃん)を注文しました。これは豚のてんぷらにセサミソースをたっぷりかけ,つけ合わせとしてマッシュポテトとニンジンがついたものです。
 中途半端な時間に行ったので,だれか棋士の先生がいないかな,と期待したのですが,だれにも会うことなく,残念でした。
 また行って,今度は藤井聡太二冠の好物である「バターライス」でも注文したいなあと思っているのですが,このご時世ではなかなか実現しません。

 と思っているうちに,40年も経って老朽化し,また,手狭になったので,関西将棋会館が高槻市に移転することが決まったそうです。将棋で町おこしをしようと考えた高槻市に拍手です。しかし,レストラン「イレブン」は移転しないということです。また,東京の将棋会館もどこだかのビルに移転するようです。
 大阪にまったく詳しくない私は,高槻市なんて,大阪市からすごく遠いイメージなのですが,調べてみると,京都市と大阪市の中間あたりで,まったくそんなことはないのでした。私が知る高槻市は戦国時代のキリシタン大名である高山右近です。さらに調べてみると,この辺りはおもしろい史跡がたくさんあるようなので,また,世の中が落ち着いたら行ってみたいと思いました。きっとそのころには,移転なった新しい関西将棋会館ができていることでしょう。
  ・・・・・・
 高槻周辺はキリシタン大名として有名な高山右近の領地であったことから,熱心なキリスト教信仰の地として知られ,1581年(天正9年)には,領民の70パーセントを超える1万8,000人がキリシタンとなっていました。 高山氏よりも前に城主だった和田惟政も宣教師フロイスと親交があり,キリスト教を積極的に受け入れ,キリシタン文化の定着に寄与しました。
 高山氏の居城であった高槻城は,江戸時代には岡部氏を経て高槻藩永井家の居城となっていましたが,明治に入り廃城となり,高槻城の跡には「陸軍工兵第四大隊」が置かれました。
  ・・・・・・

◇◇◇
将棋メシの話に関連して,以前東京に行ったとき,千駄ヶ谷の東京将棋会館近くの,これもまた,将棋メシで有名なレストランや食堂を巡ってみました。そして,「みろく庵」で食事をしてきました。私が行ったときは,まだ,「みろく庵」が閉店するまえだったので,そんなことは知らず,これもまた,行っておいてよかったと,後になって思ったことでした。

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 行くことができず幻となってしまった2020年の国立公園と天文台を巡ろうとしたアメリカ旅行を紹介していく前に,私がこれまでに行ったアメリカの国立公園を順に紹介しています。

●化石の森国立公園(Petrified Forest Nationa Park)
 化石の森国立公園はアリゾナ州フラグスタッフからインターステイツ40を東に120マイル,192キロメートルほど行ったところにあります。
 私が2019年にフラグスタッフに行ったのは,ローウェル天文台と,次回紹介するアリゾナ大隕石孔国定記念物に行くのが目的だったのですが,アリゾナ大隕石孔の先にこの化石の森国立公園があったので,寄ってみたのでした。
 私が「化石の森」という訳から想像する化石というのは生物の化石だったので,そんな化石が博物館に展示されているのかと,別に興味もなかったのですが,行ってみて,それがまったくの誤解であることを知りました。
 ここは,その昔太古の時代に森林だった場所が風化して,無数の丸太が化石化した広大な平原でした。さらに,古代先住民の住居跡やら,オールドルート66の遺構やらと,けっこう興味深いところがたくさんありました。
 アメリカの国立公園を見くびってはいけません。
  ・・
 国立公園はインターステイツ40の北側と南側に広がっています。多くの国立公園のように,森の中でキャンプをするとかトレイルを歩くというような,そういった楽しみをする場所ではなく,周回道路があって,そこを走りながら,見どころで車を停めて見学する,というところでした。
 化石に興味のある人や,アメリカの古代の様子を知りたい人,さらに,オールドルート66を巡る旅をする人にはおもしろいでしょう。
  ・・
 私が最も思い出に残っているのは,この国立公園のビジターセンターにあった広いレストランでのんびりと食事をとったことです。
 …が,それはこの化石の森国立公園だけのことではなく,しばらく海外旅行に行けなくなったこのごろ思い出すのは,なぜか,レストランやカフェでのんびりと食事をしたことばかりです。
 どうしてだろう?

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 現在朝日新聞に連載している小説である池澤夏樹さんの「また会う日まで」。その372話には,次のようにありました。
 一部引用してみます。
  ・・・・・・
 「「パーマネントはやめませう」という標語があるでしょ」とヨ子が言った。話題を変えたいのかもしれない。
 「国民精神総動員運動か。もう何年にもなる」
 「でもやまないのよ。みんないろいろ抜け道を見つけて髪型を工夫しています。ドライヤーの電気がもったいないと言われると炭を持参してそれで鏝を暖めてもらうとか」
 「敵性語だからというので電髪と言い換えたな」
 「そんなことでは身を装いたいという女の思いは止められません。髪と言えば近頃は鈴蘭留めというのがはやっています。あの花の形に木で作ったもの。誰かがしていると他の誰かが見てそれどこで買ったのと聞いて買いに行く。洋子もお友だちからひとつ譲ってもらったと喜んでいました」
 それを聞きながらわたしは考えた-
 女たちの化粧や身繕い,着る物のことなど俗世間の些事にすぎないと男どもは思いたがる。しかしこれは軽佻浮薄ではなくもっと深い,生き物としての本能に発するものだ。すべての動物と同じ。雌は雄から選ばれなくてはいけない。そうしないと子を産めない。だから雄の側も胸に勲章など飾りたがる。
  ・・・・・・

 「また会う日まで」は,戦前戦中に海軍水路部で海図の製作などを担った秋吉利雄が主人公です。秋吉利雄は池澤夏樹さんにとっては父方の祖母の兄にあたる実在の人物ということです。
 作品を書くにあたって朝日新聞には次のように作者の言葉が載っていました。
  ・・・・・・
 秋吉利雄を主人公にすると決めた理由は,三つの資質があるから。まず子どものころから敬虔なキリスト教徒。次に海軍軍人。そして天文学者でした。これらが、いかに彼の中で混じりあっていたか,あるいは戦いあっていたか。
 親族から提供された手紙なども含め,膨大な資料があります。ファクトを尊重しながらその隙間を創作で埋める。いかに彼の内面を推察するかが工夫のしどころです。
  ・・・・・・

 私は齢をとって根気がなくなり,小説が読めなくなってしまいました。そこで,新聞小説も熱心な読者ではなくなりました。しかし,この小説は,私の好きな天体観測の話が出てきたあたりから興味をもって読みはじめ,それがきっかけではじめに戻って読み直してみました。しかし,時に難しく,私の能力を超えてしまうのが残念です。
 それでも,なんとなく,この作品を通して,池澤夏樹さんが何を書きたいのかがおぼろげながらわかってきました。そのひとつは,現実を直視するということの大切さです。そして,自分の信条に正直に生きること,それがいかに困難なことか,ということだと思います。
 先日,池澤夏樹さんは,「「ウソにまみれた五輪」感動の消費で終わらないために」として,次のような内容の文章を朝日新聞に寄せました。
  ・・・・・・
 最大のウソは,日本政府が「国民の命と安全を最優先する」と言い張り,五輪開催に伴う新型コロナ感染拡大のリスクを無視し、開催を強行したことです。
  (中略)
 相反する行動が求められることを,同時に実施してしまった。これが最大のウソです。
 こうしたウソに対する疑問に,政府やIOCはまともに答えることをせず,ウソを広げ,「やった者勝ち」に持ち込んだ。マスコミも国民もみんな,なめられていたのです。
 近年の日本政治の劣化は著しいですが、それが具体化して表れ出たのが東京五輪だったといえるでしょう。
  ・・・・・・

 私は,ここに書かれた日本政治の劣化というのは,ものを言わない,ということが最大の問題だと思います。すべてなし崩しにしてしまう。そして,意見を言うまえに罵倒し,あるいは無視し,力づくで強硬することです。これこそが,コロナ禍以上の「民主主義の崩壊という緊急事態」なのです。奇しくも,政治はそのことを知ってか知らずか,「緊急事態宣言」が大好きです。そしてまた,絶対に非を認めないのも歴史を学べば容易にわかります。
 現実を直視すれば,人それぞれそれ異なる意見が生まれます。そして,その異なる意見を言い合って,共通点を見つけ,解決するというのが,民主主義の基本です。それを否定してしまって,さらには自分の意に反する人を愛国心がないと決めつけていることこそが,この国の政治の一番の問題だと私は思います。
 だから,したたかな庶民は,聞いたふりをして,しかし,実際はみんな自分たちが意見を出し合って決めたことではないから,だれもそんなものには従わずに勝手にふるまっている。そもそも,一国の首相を決めたのは国民の投票じゃないのに,その人物が独断で物事を決め,人の意見を聞く耳をもたない。
 だから,庶民は「オリンピックやるんだからなにやっちゃってもいいじゃん」という感じでしょう。
 これでは何も解決しません。


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 今日は,8月10日「AERA dot.」の記事の話題です 。
 大井美紗子さんの連載「帰国ママのバイリンガル子育て奮闘記」に「"Please" でなんでも要求できるわけではない- 新幹線のアナウンスに帰国ママが違和感」という文章が載っていました。大井美紗子さんはライター・翻訳家で,アメリカで約5年暮らし,最近,日本に帰国した人だそうです。
 文章を引用してみます。
  ・・・・・・
 新幹線の車中,おや,と耳を疑うようなアナウンスが流れてきました。
  "Please keep a face mask on and refrain from talking."
 日本語にすればなんのことはない「マスク着用のうえ,会話はお控えください」という,今では耳にしない日はないくらい当たり前の注意喚起です。しかし,アメリカでこう言ったらムッとする人もいるんではないかと感じました。
 というのも "Please" ではじまる要求には,決定事項を一方的に通達するようなニュアンスが漂うことがあるからです。もちろん文脈や言い方によりますよ。よるんですが,「あなたがた,もちろんマスクつけますよね。会話も控えますよね。じゃ,よろしくお願いしますよっ」と有無を言わさず要求している感じ。
  (中略)
  "Please refrain from talking."
といわれたら……?
 言論の自由や他者との対話を何よりも愛するアメリカ人,おもしろくない人もいるかもなと感じたのです。
 アメリカで同じことを要求するとしたら,たとえばこんなふうになる気がします。
  "Conversing on the train may cause the spread of virus."
 または
  "We appreciate you refraining from conversation."
  ・・・・・・
とありました。
 記事では,そのあと,次のように "please" について内容が膨らみます。
  ・・・・・・
 "please" があればどんな要求も丁寧になるのかというと,否。大人の世界には "please" をつけるより丁寧な,間接的な要求方法が多々存在します。
  ・・・・・・
 つまり,英語の "please" は,多くの日本人が普通思っている意味の「お願いします」ではないのです。
 しかし,新幹線の車内放送の誤訳? 名訳? から図らずとも明白にその本音がみえてしまったように,日本語の「お願いします」というのは,実は,丁寧にみせかけただけの,「お願いします」の言葉がない命令以上の念押しの強い命令の言葉なのです。つまり,「お願い」という名の強制です。腹黒いのです。
 ネット上に,「お願いします」といわれても法律上は従わなくてもよい,といった弁護士さんのお話が載っているのですが,そんなものは建前だけで,従わなければ法的な処罰こそ免れてもそれ以上に陰湿ないじめに遭います。従わなければ名前を公表するといった行政の制裁がそれを端的に物語っています。日本は権力からして,古のころの村八分にはじまる,庶民をいじめることが正当化されている忖度国家なのです。

 ところで,私がずっと気になっているのが「ご理解ご協力をお願いします」という文章です。
 先日,病院に行ったとき,さまざなお知らせの掲示が張ってあるのですが,そうした掲示の最後に,決まって「ご理解とご協力をお願いします」と書かれていて,私はそれをうざったいと思いました。それは「お願いします」なんかじゃなくて,この言葉の裏には「そう決まっているから必ず守れ」と念押しで書かれた上から目線の偉そうな言葉としか思えないからです。
 ビジネス業界では,文章の最後に「ご理解とご協力をお願いします」と書くようにと習うそうです。きわめて日本らしい話です。甘い砂糖につつまれた毒まんじゅうです。
 しかし,ビジネス英語でよく紹介されているこの言葉の正しい英訳は
  "We appreciate your understanding and cooperation."
であって,
  "Please your understand and cooperate."
ではないわけです。つまり,日本語では「ご理解ご協力をお願いします」であっても,英語では「ご理解ご協力をいただいて感謝します」なのです。
 「おもてなし」という日本人の大好きな言葉があります。この「おもてなし」も,その多くの場合,下心満載の言葉です。つまり,「おもてなし」は決して無報酬のものではなく,何かの見返りを期待しているわけです。しかし,それを表立って言わないというのが日本人の謙虚さと美徳,いや,腹黒さなのです。「お願いします」もまた「おもてなし」という言葉と同様に,言葉の裏に潜む日本人のあざとさを私は感じます。
 日本は「お願い」という名の強制国家なのです。
  ・・
 ちなみに,余談ですが,私は,新幹線に乗ったときに流れる車掌さんのへたくそな英語にいつもイライラします。

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 レイクパウエルでの見どころは,前回紹介したグランキャニオンダム,レインボーブリッジ,ホースシューベント,アンテロープキャニオンということです。
 レインボーブリッジというのは穴のあいた岩のことです。私は車で簡単に行くことができると思っていたのですが,実は,ツアーに参加して,ボートでレイクパウエルを2時間半ほどかけて行かないと見ることができないと知りました。しかも,このツアーは人気があるので,事前に予約が必要ということだったので,あきらめました。私は見ていません。

〇ホースシューベンド(Horseshoe bend)
 ホースシューベンドやアンテロープキャニオンはよく紹介されているのですが,行ったことがないなあと,ずっと思っていました。それがどこにあるかを知って,行くことにしたのが2019年の旅でした。ページという町からグランキャニオンダムをすぎ,さらに進むと,ホースシューベンドの広い駐車場がありましたが,そこはただの平原で,その先にそんなものがあるとは思えないところでした。
 駐車場から小高い山のほうに15分くらい歩いて行くと,そのさきにホースシューベンドがありました。忽然と,という感じでした。行きの飛行機の中で隣に座った人に,ホースシューベンドは行ってみると想像しているのと違うよ,と言われた意味がこれでわかりました。
 ホースシューベンドはコロラド川が馬蹄形に急カーブを描く場所,一部の場所を除いて手すりもなく,すごい景観でした。
  ・・
〇アンテロープキャニオン(Antelope canyon)
 グレンキャニオンダムに戻り,今度はアンテロープキャニオンに向かいました。
 アンテロープキャニオンはグレンキャニオンダムから車でわずか20分くらいのところに,その案内所がありました。到着したのは単なる広場でした。そこに建物があって,ナバホ族が経営するアンテロープキャニオンへのツアーのチケットを売っていました。
 そこでツアーの申し込みをしてから,駐車場の先に停まっていた荷台にイスを装備した改造トラックに乗り込んで出発となります。トラックは水のない渇いた川底を2マイル,3.2キロメートルほど進んでいくのですが,運転手は走り慣れた道をすごいスピードで走っていきます。アンテロープキャニオンの入口に到着すると,そこでトラックを降りて,ガイドツアーに参加することになります。
 渓谷内はせまく,空がのぞく隙間に光がさすのがお昼の数時間だけということだったのですが,私は運よくその時間にツアーに参加することができました。アンテロープキャニオンは大雨が降ったときだけ現れる川の鉄砲水が作った場所なので,雨でも降って一旦鉄砲水が流れてきたら危険な場所だということでした。
 幻想的な風景がずっといつまでも続いていたのはかなりの衝撃でした。
 渓谷は多くのツアー客で一杯でした。


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 グランドサークルにある国立公園を引き続き紹介します。
 前回書いたように,2000年に私は知人に誘われて,ロサンゼルスから車でラスベガスを経由してグランドキャニオンとモニュメントバレーを旅しました。そのころの私はまだアメリカについてあまり知らず,そのときにこのあたりの国立公園はすべて行った気になっていました。行ってもいないのに,レイクパウエルあたりにあるグランキャニオンダムもレインボーブリッジもホースシューベンドもアンテロープキャニオンも,てっきり行ったものだと思っていました。
 しかし,実際はそのどこも行っていなかったのです。
 次第にそんなことも知るところとなったのですが,その後,私はロサンゼルス近郊に行かなくなってしまったので,縁遠くなっていて,まさか行けるとは思ってもいませんでした。

 2018年,念願だったロサンゼルス郊外のパロマ天文台に行くことにしましたが,結果として行くことができなかったということはすでに何度も書きました。そして,その翌年2019年に再びロサンゼルスに行って,ついにパロマ天文台を訪れて,ついでに,アリゾナ州のフラグスタッフまで足をのばしました。    
 しかし,このときもまた日程の関係もあって,グランキャニオンダムもレインボーブリッジもホースシューベンドもアンテロープキャニオンも,行くことができるとは思っていませんでした。また,のちの機会にでも,と考えていました。ところが,このときの旅は思った以上に順調で,1日を残して事前に準備したところにはすべて行ってしまい,1日余ったので,夜,明日はどこに行こうかと旅先のモーテルで調べていたら,それらの場所がそれほど遠くないことがわかり,急に行くことになったのでした。
 これもまた,非常に幸運なことでした。本当に冗談のようにここ数年,そうした偶然が重なって,念願を果たしたのです。こうして,何度も書いているように,私は2020年のコロナ禍以前のわずか2年間に,それまで行きたくとも行く機会を逸していた世界中のさまざまなところに,それもどこへも奇跡的に行くことができたということになります。

●レイクパウエルとレインボーブリッジ国定公園(Lake Powell & Rainbow Bridge National Monument)
 宿泊先のモーテルを出発して国道89を北上していくと,ページ(Page)という都会に着きました。かなりの距離ですが,このころにはそれくらいの長距離ドライブは何ということもなくなっていました。
 ページのあたりは,もし2000年のころにこの場所に来ていたら,もっと素朴なところだったでしょう。
 アメリカはどんどんと発達していて,10年もすればすっかり様変わりしています。ここもまた,グレンキャニオンダムができて観光客が集まるようになって大都会が出現したようでした。
 ページで食事をとったあと,まず,ぜひ行きたかったホースシューベントに行って,その次にグレンキャニオンダム,そして,最後にアンテロープキャニオンに行きました。私は,旅先では行きたい順に行くのです。
 ここでは逆にグレンキャニオンダムを先に書いて,ホースシューベンドのことは次回書くことにします。
  ・・
〇グレンキャニオンダム(Glen Canyon Dam)
 グレンキャニオンダムは想像を絶する巨大なダムでした。堤高216メートル,堤幅475メートルで,黒部ダムがそれぞれ186メートル,492メートルなので同程度です。しかし,山の中にある黒部ダムとちがって,大平原にこんなものが忽然とそびえてしまっていると,恐ろしさとスケール観に圧倒されます。
 アメリカの他の公共施設のように,グレンキャニオンダムにも大きな立派なビジターセンターがありました。アメリカにはどこもこうして税金を投入した施設には,その詳しい説明が展示してある施設があって,ひろく一般に公開しています。どこぞやの国のように,国民に何も語らず公開せず,というのとはまったく違います。あるいは,その反対に,観光地になると,今度は金儲けを主目的とした施設が作られ,いっぱいみやげを売っていたりするのですが,それとも違います。
 1936年,コロラド川をせき止めて下流にフーバーダム(Hoover Dam)が建設され,レイクミード(Lake Mead)ができましたが,コロラド川には予想以上の大量の土砂を運んできてレイクミードを埋める心配がでてきたので,さらに上流に作られたのがこのグレンキャニオンダムでした。
 このダムによってグレンキャニオンは姿を消し,そのかわりにレイクパウエルが出現したのです。


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 前回書いたグランドキャニオン国立公園は友人とふたりで行ったのですが,その友人がグランドキャニオン国立公園で「行きたかったのはここでなく,西部劇で出てくる岩山のそびえるところなんだなあ」というので,それはどこだろう? と調べて,ああここだとグランドキャニオン国立公園からさらに行ってみたのがモニュメントバレーでした。そのころの私の知識はそんなものでした。しかし,行ってみて本当によかったと思います。おそらくそのとき行かなかったら,その後に行く機会はなかったかもしれません。
 それにしても,知らないというのは怖いもの知らずのすごいことです。オーストラリアのエアーズロックもそうだったのですが,誘われなかったら,私はそんな遠いところには縁がないと思って,行く機会はなかったと思うのです。
 コロナ禍で夢となってしまいましたが,2年前まで狂ったように海外旅行をしていた私は,半ば冗談に半ば本気で,残るは,エジプトのピラミッド,ボリビアのウユニ塩湖,そして,チリのイースター島だけ,と言っていました。実際にはひとりではまったく行く気はありませんでしたが,だれかに誘われれば行ったと思います。誘われなくてむしろよかったのかもしれませんが…。

●モニュメントバレー(Monument Valley)
 ということで,モニュメントバレーは国立公園ではありませんが,ここで紹介します。
 おそらく,当時,グランドキャニオン国立公園のノースリムから州道160を延々と2時間ほど走ったらしいのですが,そのときは,えらく距離があるなあ,と思ったことが記憶に残っています。また,州道160沿いはナバホ族居留地で,これもまた,当時の私にはとても珍しい風景に見えました。
 モニュメントバレーが近づくと,よく写真に出てくる赤茶けた大地にまっすぐな道路が続き,その先に巨大な岩山がそびえ,それはそれは感動しました。
 到着するとビジターセンターがあって,モニュメントバレーで撮影された数々の映画の紹介などもあったように記憶していますが,当時の私は西部劇にも興味がなかったので,さっぱりわかりませんでした。今では「バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3」(Back to the Future Part III)でこの場所が出てくると当時のことを思い出します。また,ときどき西部劇を見ていると,この場所がよく出てきます。
 モニュメントバレーでは,怖いもの知らずで,バレー内のダートロードも走ってきました。
 今,これを書くために地図を見ていて,とても残念に思うのは,もう少し先まで行けば,私が行きたくてまだ行くことができていない数少ない場所のひとつであるフォーコーナーズに到達できたのにということです。
 そんなこと,2000年の私には考えが及びませんでした。そもそもフォーコーナーズを知りませんでした。旅行にはこうした後悔がつきもので,つくづく,罪作りなものだなあと思います。

●フォーコーナーズモニュメント(Four Corners Monument)
 という次第で,行っていないのですが,フォーコーナーズモニュメントもここで紹介します。フォーコーナーズモニュメントは幻に終わった2020年のアメリカ旅行で行こうと思っていたところのひとつです。
 アメリカの50州の中で,4州の境界線が十字に交わっている唯一の場所が「フォーコーナーズ」とよばれるところです。4州はコロラド州,ユタ州,アリゾナ州,ニューメキシコ州です。
 この場所にプレートがあって,そのまわりに土産物店があるというのがフォーコーナーズモニュメントだそうですが,行かなくてもだいたい想像がつきます。こうした土産物店はサンタフェにも同じようなところがありました。
 ただそれだけのところです。おそらく,行ってみると,私は,写真と同じだ,と思うだけのことでしょう。わざわざ何時間もかけて行くほどの魅力があるような場所とも思えません。が,これを書きながら,行こうと思っていながら行っていないことに今になって悔しさがこみ上げてきました。ああ,書かなきゃよかった。

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 「日本に目を向ければ,私は,夏にぜひ見たいと思っていた行事がふたつありました。そのひとつは京都・五山の送り火です。もうひとつは次回書きます」と前回書きました。もうひとつは徳島の阿波踊りです。日本では,お盆といえば盆踊り,盆踊りといえば,なんといっても徳島の阿波踊りです。
 近年,テレビで毎年のように徳島の阿波踊りが中継され,それに魅せられて,一度は見たいものだと数年前から思っていました。しかし,後で知ったことには,徳島の阿波踊りが今のような観光目的の一糸乱れぬものになってしまったことにさまざまな意見があったようです。そしてまた,運営についても,いろいろな問題が起きていたらしいです。難しいものです。

 さて,話を戻しまして,一度は見てみたいものだと思っていた徳島の阿波踊りを,2016年についに見にいくことができました。
 行くのも大変だったし,徳島市内では宿泊する場所を見つけるのもまた難しいことでした。
 実際に行ってみてわかったのですが,午前中に到着すれば駐車する場所も何とかなるし,泊まるところもひとりならなんとななるのでした。しかし,そんなことは知らないので,列車で行って,郊外になんとかホテルを見つけて予約をしました。
 海外旅行には慣れているとはいえ,日本国内を旅行するほうが,いろんな意味でずっと面倒だし困難です。

 到着した徳島市は,暑いし,人は多いし,そりゃ大変でしたが,思った以上にすばらしいものでした。今日の写真はすべてそのときに私が写したものです。徳島の阿波踊りは写真の被写体には最高です。
 先にも書いたように,阿波踊りは年々洗練されて,名古屋のどまつりとか土佐のよさこいなどとは違い,一糸乱れぬ踊りとなっていました。私はどまつりとかよさこいはまったく興味はありませんが,岐阜県郡上市の郡上踊りには興味があります。郡上踊りは阿波踊りとはまったく正反対で自由参加の素朴さがとてもすてきです。これは子供のころに見たことがあります。
 阿波踊りで踊るグループを「連」といいますが,中でも上手な「連」を「有名連」といい,そこに入るのが徳島の人たちのステータスだそうです。また,「有名連」の中でも,「娯茶平」(ごじゃへい)という名前の「連」が最も人気があります。この「連」の連長さんは岡秀昭さんで,テレビの中継でもいつも解説を担当されていたので,私はひと目みたいものだと思っていました。

 そんな阿波踊りだったのですが,これもまた,昨年は中止となってしまいました。今年は規模を縮小して行うそうです。コロナ禍の前に行っておいてよかったです。

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 私は,子供のころ貧しい家で育ったので,家にはクーラーもなく,夏休みは,暑いお昼間は狭い部屋でごろごろするしかありませんでした。1日か2日,海水浴に連れていってもらった以外,特に何かしてもらったこともありませんでした。しかも,父親は。普段はまったく子供に関心もないくせに,海に行くのに宿題を持参させて,午前中は海の家で「お勉強」をさせられました。
 そんな毎日,夕方,玄関先でデッキチェアーに座って夕涼みをするのだけが楽しみでした。
 昆虫採集をしたくても街中では虫もいないし,星も見えないし,駆け回る野原もありませんでした。
 だから,夏がきらいでした。
  ・・
 学校から課せられた夏休みの宿題なんて,究極的な時間のムダでした。子供の目にも適当につくったとしか思えないドリルなんて,やったところで,ときめきがあるわけでもなく,簡単すぎて知っていることが書かれているだけで,ただページを埋める作業をしたものでした。
 自由研究といっても,どうするかという事前の指導があるわけでもなく,上手にやってきた仲間はほとんど親の手が入っていただけだったし,親が何もしてくれない私は,お小遣いだけでどんな研究ができるの? という感じでした。他人の親を羨む気持ちだけが育まれました。
 そんな宿題など一切やめて,小汚い山の家にでも泊まりこんで,1日中川遊びをしたり,魚釣りをしたり,夜は星を見たり花火をしたりするほうがずっといいと思っていました。そのほうがどんなに有意義なことだろうと…。
 今もそう感じます。

 そんな日本の夏。さらに私の気持ちを暗くするのが,終戦記念日と高校野球でした。
 この時期になると,きまって太平洋戦争の番組が放送されて,気が重くなりました。私が子供のころは,テレビで「同期の桜」というドラマが放送されていたりと,まだまだ戦争は身近な時代でした。
 また,夏の暑い日差しの中でどうしてお昼間に野球なんてやるのか,それもまた不思議でした。しかも,選手はグランドで監督に叱られ,練習ではしごかれ,そんな姿が放送されていました。そこには,青春という飾り文句に隠された忍耐とか根性とか。そして,坊主頭の強制とか。感動の押し売りとか。だから,私はスポーツを美談として語ってほしくないし,それは今も同じです。
 高校野球は,リベラルで知られる朝日新聞が手のひら返しをしている季節でもあり,そしてまた,朝日新聞となかよしのNHKが公共の電波を使って私立高校の宣伝をしている季節でもあります。

 それでも,大人になってからの夏は,嫌なことばかりでもなくなって,特に近年は海外旅行の絶好の時期でした。これまでずいぶんといろんなところへ出かけたし,いい思い出がたくさんできました。海外は日本のように蒸し暑いという気候でないのと,人々の明るさに救われました。
 日本に目を向ければ,私は,夏にぜひ見たいと思っていた行事がふたつありました。そのひとつは京都・五山の送り火です。もうひとつは次回書きます。
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 五山の送り火を,ずいぶん以前から一度でいいから京都で見てみたいものだと思っていたのですが,おそらくすごく混雑するだろうと,行くのをためらっていました。それが,一度行ってみて,その様子がわかってからは,毎年のように出かけるようになりました。 京都の夏はものすごく暑いのですが,それでも,お昼間を快適にすごす方法はたくさんあります。洛北に出かけてもいいし,街中を歩いても,冷たいものを食べる気の利いたところがたくさんあります。
 そして,日が沈むと鴨川べりは涼しい風が吹いてきます。そして,やがて,送り火が灯ります。
 私は,五山の送り火の中で嵐山で見ることができる船形だけはちょっぴりしか見たことがないのですが,それ以外はしっかりと見ました。写真もたくさん写しました。「妙」と「法」は山が低いので見るのが難しいのですが,鴨川べりを北に歩いていくとその姿が眺められます。
 そんな五山の送り火ですが,この行事もまた,このコロナ禍で縮小して行わざるをえなくなりました。今となっては,これまでに行っておいて本当によかったと思います。コロナ禍でも名所旧跡は行くことができますが,こうした行事は今後も同じようにできるとは限りません。
 果たして,コロナ禍が収束して,以前のように行うことができる日は戻ってくるのでしょうか。


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 2020年の夏に私が行こうとしていたアメリカの旅の目的地は,アリゾナ州やコロラド州にかけてのいくつかの国立公園とアリゾナ州にあるいくつかの天文台でした。
 これまでに,国立公園も天文台も,私が行きたかったところはおよそすべて行ったので,この旅で行こうとしていたところはおまけみたいなものでした。そこで,行けなかったからといっても,それほど残念には思っていないのですが,それでも,行ってみたかったということには変わりません。
 しかし,この先,コロナ禍がもし収まったとして,果たして行くことができるでしょうか。そもそも,私は,このごろ,コロナ禍がこれからも永久に続くような気もしてきました。また,旅行をする気力がなくなってきました。そこで,「2020夏幻のアメリカ旅行LIVE」を続ける前に,私がこれまでに行った国立公園と天文台を振り返って,ここで紹介することにします。旅行ガイドではなく,あくまで私が行ってきたときの感想を書きます。

 まずは国立公園からです。
 なお,国立公園(National Park)とともに,自然景観や科学的・歴史的に価値がある地域がナショナルモニュメント(National Monument)に指定されていて,これを日本語で国定公園や国定史跡などと訳しています。このブログでは国定公園と記述し,国立公園と同様に扱うことにします。
 アメリカの国立公園は日本とはまったく違っていて
  ・・・・・・
①原生自然景観の維持と保全
②人が平等に利用できる施設の運営
③利用者が自然への理解を深めること
  ・・・・・・
が目的となっています。
 多くの国立公園は入園料が必要であり多くの厳しい決まりがありますが,園内には充実したビジターセンターがあり,また,ゴミひとつ落ちておらず,すばらしい景観が保たれています。
 とってもいいのは写真だけ,残していいのは足跡だけ,といわれます。
  ・・
 ユタ州とアリゾナ州の境にレイクパウエルという人造湖があり,ここを中心とした半径230キロメートルの円のなかに8つの国立公園と16の国定公園があって,この地域をグランドサークル(Grand Circle)といいます。このグランドサークルにある公園からはじめます。

●グランドキャニオン国立公園(Grand Canyon National Park)
 だれしもがあこがれるグランドキャニオン国立公園はアメリカの国立公園巡りの入門編です。
 私もかつてあこがれました。
 私がグランドキャニオン国立公園に行ったのは2000年の5月のことでした。当時はまだアメリカをドライブすることには慣れておらず,今とは違って,多くのことを知りませんでした。国立公園の知識もありませんでした。
 ロサンゼルスで車を借りて,グランドキャニオンまで,ラスベガスを経由して走りました。よくもまあ行ったものだと今では思うのですが,知らないが故の楽しさもときめきもありました。
 前日,サウスリムの近くのモーテルに泊って,サウスリムで朝日を見たのか夕日を見たのか,その両方を見たのか昔過ぎてはっきりしないのですが,その後,それからはるばるコロラド川を越えて,ノースリムまで行きました。ノースリムにはまだ雪が残っていました。
 ほとんどのことはもう忘れてしまいましたが,今,はっきりと記憶にあるのは,雄大なグランドキャニオンの風景と,ノースリムへ行ったときに宿泊した素朴なカフェ兼モーテルです。思えばよき時でした。

☆ミミミ
今年は8年ごとのペルセウス座流星群の観測好機だったのですが,あいにく天気が悪く星がみられませんでした。上の写真が午前2時ころの北の空,〇で囲った部分がペルセウス座です。そして,下の写真が1990年に写したレビー彗星と流星です。

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 1998年というから今から23年前,友人とアメリカに行き,はじめてアメリカをドライブしました。行先は,シカゴとアトランタとフロリダでした。
 シカゴではレンタカーを借りて東に走り,シカゴのあるイリノイ州を越えて,アイオワ州に入りました。そこで,念願のミシシッピ川を見ました。
 目的地は州都のデモインでしたが,アイオワ州で偶然見つけたのが,映画「フィールド・オブ・ドリームズ」(Field of Dreams)を撮影した場所でした。しかし,この場所を訪れたときには,まだ,私はこの映画を知りませんでした。それが今では「フィールド・オブ・ドリームズ」は私の大好きな映画のひとつです。
 この映画は,その後の保守派政治で失われてしまったアメリカの1960年代のノスタルジーです。 「金はあるが心の平和がないのだ」。
 そして,この映画のもう一方の主題である「夢を自分に託そうとした父親との関係」では父と息子の葛藤を描いています。
 「夢は,あきらめなければいつかそれは実現する」それを象徴するのが「フィールド・オブ・ドリームズ」なのです。

 さて,2020年7月,アイオワ州ダイアーズビル(Dyersville)でMLBシカゴ・ホワイトソックス対ニューヨーク・ヤンキースのカードが組まれました。しかし,新型コロナ・ウィルスの感染の影響で残念ながら中止となりました。
 そして,その1年後の2021年8月12日,ついにそのゲームが開催されました。行われたこのゲームは公式戦です。
  ・・
 ダイアーズビルはアイオワ州北東部に位置していて,ダビューク市(Dubuque)の中心部から西へ約40キロメートルのところにあります。
 そう,ここは,トウモロコシ畑の中に野球場を作ったらある夜に選手たちが現れ野球をはじめるという,映画「フィールド・オブ・ドリームス」の撮影が行われた場所なのです。
 「フィールド・オブ・ドリームス」を撮影した野球場に隣接した場所に新たに建設されたボールパークで,ゲームは行われました。
 この新たに作られたボールパークは席数8,000,ライト側の外野の壁には窓が設けられ,奥には映画を象徴するトウモロコシ畑が見えるようになっていました。
 シューレス・ジョー・ジャクソン(Joseph "Shoeless Joe" Walker Jackson)が所属していたシカゴ・ホワイトソックスの本拠地コミスキー・パークを意識したデザインになっています。

 私は,20年以上も前に行ったこの場所がその後どうなっているのか気になっていました。
 日本だと,ブームが去ればそれで終わりです。その後は観光客も来なくなり,そのうちに経営に行き詰まり,荒れるに任せ,どこもかも廃墟となっていきます。何事も熱しやすく冷めやすい… のです。
 しかし,ここは廃墟どころか,新たにボールパークまで作られ,公式戦が開催されていたのです。そう考えると,こんな企画を考えるアメリカという国の人は大したものです。そしてまた,いつまでもこの地を愛しているアメリカ人というのは,本当にベースボールが好きなのだなあ,と思います。また行ってみたい!
 今回はこのゲームのみですが,このボールパークは解体せず,今後も何かしらの利用が検討されているということです。
  ・・・・・・
 They built it, and they’re coming.
  ・・
 ”Field of Dreams” comes alive in Iowa : They built it, and MLB came.
 The game between the New York Yankees and Chicago White Sox is the first Major League Baseball game in Iowa.
  ・・・・・・
 そして,このゲームは,劇的な結末となりました。

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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

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 現在のようなコロナ禍でも訪れなかったら振り向きもしない地元を知る機会ができて,皮肉というかなんというか…。
 ともかく,子供のころから育った場所がどんなところだったのかがわかったのは,うれしいことでした。
 何せ,歩くから健康にいいし,遠くに行かなからお金がかからない,しかも,昔を思い出して落ち着く,という利点ばかりなので,こうした街道歩きをしている人は多く,私が何を書いたところでもっと詳しいブログが山ほどあるので,観光案内はここでは書きません。
 
 美濃路は前回の清須宿から南に庄内川を渡り名古屋市内に入るわけですが,この場所はなんだかんだと今まで通る機会も多かったところなので,ここが美濃路だったのか,という気持ちでした。
 写真にあるような「屋根神様」も私には見慣れた景色で,特に珍しくもなかったし,美濃路に限らず,古い家並みも,もともと私が子供のころに住んでいた家とさして変わらないので,こんなもののどこがいいのかとずっと思っていました。

 そもそも,実際に住んでみればわかるように,太陽の光が入らないので暗いし,2階など屋根が低いから狭く暑く,使いモノになりません。
 日本人はこうした「忖度」と「やせ我慢」の蓄積された国なのです。
 冷房は7月からとか,28度以上とか,ちょっと無理したきまりを作るわけです。そして,6月の暑い日ともなると「試運転」とかなんとか適当な理由をつけて,実質きまりなんか無視して運用したり,せっかく冷房をつけているのに暑くてたまらないというような,私には,いったい何のために何を守っているのか,さっぱり意味不明なことがまかり通っています。つい数年前までは,暑い夏の日にもネクタイをつけて上着を着るのが強制されたりしていました。
  ・・
 ということで,こうした旧街道を歩いていると,懐かしさとともに,この国に住んでいる人のある種の狂気のそのもとがとてもよく実感できます。

 それにしても残念なのは,明治維新以降,急激にもたらされた西洋文明とか車社会によって,こうした町並みが何のリスペクトもなく壊されていき,ところどころに残るこのような風景もまた,それを保存しようとする人たちと便利さを求める人たちとの葛藤で,次第にぐっちゃぐちゃになっていく様です。
 日本人は「根回し」は得意ですが,「話し合い」は苦手です。本来「話し合い」をすべき会議ははじめから結論が決まっていて,単なるガス抜きの場となり,参加者が知恵を出し合って案を作っていくなんていうことはできません。
 このごろ顕著になったこの国のさまざまな問題もまた極めてこの国らしい出来事だなあと,もはや現役でない「世捨て人」の不良老人である私は,冷めて傍観を決め込んでいます。


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DSC_5336sIMG_1004IMG_1001IMG_1023 気が向いたとき,美濃路を順に歩いています。今日は現在の稲沢市である稲葉宿から南に進みます。
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 愛知県稲沢市から清須市へは,現在,家並みが続いているので,どこが街道だったのかわかりにくいのですが,探して見ると,現在の自動車道から少し入りこんだ形で,街道の雰囲気が残る狭い道路が続いています。
 清須はもともと織田家の居城があったところで,織田信長はこの地で生まれました。
 現在,立派な天守があるのですが,これは1989年(平成元年)に旧・清洲町の町制100周年を記念して清州城跡に隣接する場所に建設された鉄筋コンクリート造の模擬天守にすぎません。もともとの城跡の大部分は消失し,東海道本線と東海道新幹線に分断されていて,本丸の土塁の一部が残っているだけですが,城跡の一部は清洲公園となっていて,織田信長の銅像があります。
 なお,以前は清州町でしたが,合併によって,清須市となりました。また,昔から,清州,清須のどちらも使われていて,ともに正しいとされています。

 江戸時代まで,尾張の中心は清洲城とその城下町でした。1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦い以降,大阪の豊臣氏の勢力に対抗しなければならない政治情勢にあり,徳川家康は清洲城を豊臣家対抗の拠点と考えていたのですが,清洲は庄内川水系の下流域にあたり水害が多発することと,水攻めされると兵糧に欠くこと,さらに,清洲城が天正地震で液状化したこと,城郭が小規模で大量の兵を駐屯させられないなどの弱点があったために,1609年(慶長14年),現在の名古屋城のある地に新たに城を築き,新しい都市を開発することとなりました。
 そこで,1612年(慶長17年)ごろから1616年(元和2年)にかけて「清洲越し」が行われ,名古屋城の築城に伴って清洲から名古屋へ都市の移転が行われ,これによって名古屋が誕生しました。清洲越しにより,清洲城下の町屋,神社仏閣などのほとんどが移転しました。さらに,清須城の小天守も名古屋に移されました。

 清須宿は、美濃路の宿場でした。もともと清洲城の城下町であった地が「清洲越し」によって町ごと名古屋城下に移転したために,一旦はさびれたのですが,美濃路の宿駅となって町は宿場町として再生しました。
 旧・美濃路を歩いていると,清洲宿本陣跡の正門があります。清須宿には本陣,脇本陣,旅籠屋が置かれていましたが,1891年(明治24年)の濃尾地震で焼失し,唯一残った本陣正門のみが現存しています。また,近くには洪福山清凉寺が構えています。曹洞宗のお寺でこの辺りが清須宿の中心地であり,山門上層の鐘つき堂から清須宿に時を告げていたということです。
 また,少し離れたところには清洲山王宮日吉神社があります。ここは清洲三社のひとつで,771年(宝亀2年)疫病を鎮めるために建立されたという古い神社です。ここには豊臣秀吉の生母(大政所)が子授けを祈願し秀吉を授かったといわれる子産石があります。
 あまりに身近な場所なので,逆に,今までこんなふうにして歩いたことがありませんでしたが,実際にたどってみると,子供のころに織田信長や豊臣秀吉の伝記を読んでいたときに頭の中に想像したような風景がよみがえってきて,童心に帰ることができる,といった不思議な気持ちになります。


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 私はアメリカに行くとき,しばらくの間ロサンゼルスを経由することがありませんでした。それは2001年にアメリカに行ったとき,帰国する日の朝ロサンゼルス・ハリウッドのマクドナルドで朝食をとっているときに置き引きに遭ってえらい目して以来,ロサンゼルスがすっかり嫌いになってしまったというのが理由でした。
 しかし,2018年にロサンゼルス郊外のパロマ天文台に行こうと仕方なくロサンゼルスに行って以来,羽田国際空港発ロサンセルス国際空港行きのデルタ航空便がとても快適で便利なことを知ってしまい,その翌年の2019年もまた利用することになりました。2019年のときはさらにロサンゼルスで乗り換えて,アリゾナ州のフェニックスまで行きました。
  ・・
 前回書いたように,2020年もまた,フェニックスに行くことにしていました。当然2019年のときと同じ旅程だと思い込んでいました。しかし,これを書いている段階で,プリントしておいた予約票に,帰りの便は確かにロサンゼルス乗り換えだったのに,行きの便がロサンゼルスではなくシアトル経由であったのに気づいて驚いたのです。まあ,経由地がそうだったということだけで,最終目的地は同じなのでさしたる問題があるわけでもなかったのですが…。

 日本からはアメリカに限らず,オセアニアやヨーロッパに行くにもみな9時間程度の時間がかかります。日本はどこに行くにも中途半端に遠いのです。
 若いころはいいとしても,このごろは次第に体力も落ち,エコノミーシートで9時間はたまらなくなってきました。ということで,少しだけ贅沢をすることにしていました。
 飛行機の座席はエコノミーシートとファースト(ビジネス)クラスという分類です。また,エコノミーシートの上にエコノミーコンフォートシートというエコノミーシートより少しだけ広い席があります。私はデルタ航空のゴールドステイタスなので,これまでも,最悪でも無償でエコノミーコンフォートに,そして,アメリカの国内線はファーストクラスにグレードアップされていたのですが,国際線では,かねてから,エコノミーコンフォートとファーストクラスの中間のランクにあたるシートがあればいいのになあ,と思っていました。
 その念願がかない,デルタ航空では,アメリカ本土までの便にプレミアムエコノミーシートという設定ができました。これは,座席はエコノミーの1.5倍くらいあって広く,食事はファーストクラス並み,というのものでした。そこで,試しに,2019年に,少しだけマイレッジを使ってこのプレミアムエコノミーシートにグレードアップして利用してみました。
 それが今日の写真です。
 ファーストクラスよりかなりお値打ちであって,かつ,快適だったので,こりゃいいや,と思いました。そして,これからはずっとこの席にしようと思いました。
 というわけで,2020年の旅もまた,事前にマイレッジを使って,プレミアムエコノミーシートにグレードアップがしてあったのですが,結局,この旅は行くことができず,残念ながらキャンセルとなってしまったわけです。

☆ミミミ
昨日の夕方写した月齢1.5の月と金星と新幹線です。月の下には火星がいるはずなのですが…。

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 2020年,突然のコロナ禍で海外に出かけることができなくなりました。この時点で私はこの年3度の海外旅行を計画していて,それらをキャンセルしなくてはなりませんでいた。
 それにしても,3つも海外旅行をキャンセルした人がどれほどいたことでしょう。
 それまで,当たり前のように年に6回から8回海外旅行をしていて,そのころは,どこに行くか,何をするか,どのように行くか,などがほぼ定跡化していたので,半年以上前に予約が済んでいたからでした。
 キャンセルした旅行のうち,3月のオーストラリア旅行,7月のフィンランド旅行については,すでに幻の旅行記を書きました。そして,最後に残った,8月に行く予定をしていたアメリカ旅行についての幻の旅行記を,今日から書いていきます。
 今回もまた,これまでに出かけたときに写した写真とともにご覧ください。

 この旅は,次の旅程で航空便が予約してありました。
 行きは,2020年8月19日水曜日の午後4時45分,羽田国際空港発のデルタ航空166便で出発して,同日午前10時3分シアトルのタコマ国際空港着,そして,11時20分タコマ国際空港発のデルタ航空1262便で14時12分アリゾナ州フェニックス着でした。また,帰りは,8月25日火曜日午前6時3分フェニックス発のデルタ航空4078便で午前7時35分ロサンゼルス国際空港着,そして,午前10時30分ロサンゼルス国際空港発のデルタ航空7便で翌日8月26日水曜日午後2時30分羽田国際空港着でした。
 予約をしてあったのは,航空便だけでした。3月の時点では夏には行くことができるかな,という感じで様子見だったのですが,その後,さらに事態は悪化して,7月21日にキャンセルしました。
 今,これを書くために改めて調べていて,予約してあった行きの便がシアトル乗り換えであったことに驚きました。私は,ずっと行き帰りともロサンゼルス乗り換えだとばかり思っていたからです。いい加減な話です。


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 夏休みになって,コンビニや歯科医院ほどもある巷の塾では夏季講習とかのポスターが張ってあったり新聞に折り込み広告が入っていたりして,相も変わらす生徒集めに余念がありません。しかし,世界は急激に変化しているのに,50年前と何も変わらない日本の教育界です。
 私が学生だったころは,「学歴」というブランドさえあれば将来が安泰とばかりに,進学競争に明け暮れたものですが,未だ,そのころの価値観のままの人が大勢いるようです。〇〇大学合格者〇人や〇〇高等学校合格者〇人とか〇〇中学校学年順位〇番とか,バカみたいです。
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 コロナ禍でしばらく学校に行けなくなったというだけで,思いつきではじめた学校のIT化。しかし,今や,学校は,定年後の再任用教師と非常勤教師ばかりで,いくらIT化をすすめようと,それを理解できる人材にも事欠いているのが実態です。タブレットも使いこなせません。また,英語教育の充実が叫ばれても,学校にひとりのALTがそれも週に1回程度派遣されるだけだったり,コンピュータ教育の充実がいわれても,学校には40台のパソコンが配備されているだけでは,絵にかいた餅でしかありません。これでは,まじめに将来を考えている若者の多くは不登校になります。

 私が学生のころ「主要5教科」といわれました。今もいうのかな? しかし,今や「主要5教科」は時代の流れについてゆけず,まさに「斜陽5教科」。高等学校を卒業するまでに「主要5教科」で身につけた知識なんて化石のようなものになってしまいました。まったく役には立ちません。
 本来は,その「主要5教科」の中で教えればいいようなコンピュータ技術も,形骸化したカリキュラムではそれを教えることができず,申し訳程度に,それも,生きるためにとても大切な「家庭科」の単位を削って新たに作られた3年間でたった2単位しかない「情報」という教科に丸投げしている始末です。しかし,その教科「情報」もまじめに取り組んでいないものだから未だに専任教員すら採用していない県があったりして,業を煮やした文部科学省が共通テストの範囲にするとか,これもまた,テストを課せばやるんじゃないかという旧時代的な価値観そのものです。
 AIがディープラーニングでさらに進化している時代に,何をしているんでしょうかねえ。これでは人材は育ちません。
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 中等教育にはふたつの側面があります。そのひとつは,将来生きていくために必要な技術や技能を身につけること,そして,もうひとつは,人が人として生きるための文化を身につけることです。このふたつをごっちゃにしているから,結局,そのどちらも身につかないのです。
 国語では,前者の面では,きちんとした言葉が使えることが基本ですが,本も読まず,文章も書けない,というか学んでいないので,そうした基本の能力すら育ちません。かといって,後者の文化的な面では,古典を学んでも,読めるようにしたいのか,文化を紹介したいのかが意味不明で,その結果,使いもしない古典文法を時間をかけて学んだり英単語のように古文単語を暗記したりしているありさまです。
 社会では,古代ローマやギリシャの歴史よりも知っていないければならない教養が山ほどあるのに,世界史の教科書にはスペイン風邪すら載っていません。中東問題もまた,きちんと学べません。また,民主主義の意義やら,それを手に入れた人類の苦悩も教わることがありません。さらには,資本主義社会でありながら,税金や投資の仕組みも学べません。
 数学では,やっていることといえば,大学入試問題が解けるようになるためのノウハウを伝授して訓練しているだけで,それでは,数学的な考え方を身につけることもできません。苦手な生徒は嫌いになるだけだし,将来,数学が必要な生徒には,行列もベクトル解析もカリキュラムにはないから,その基礎すら学べません。
 まだ理科はその内容が学問の発展についていっているだけましですが,結局,入試問題が解けるようになるための訓練をしているだけで,十分な時間をとって実験を行ったり観察をすることができないので,ときめきを感じたりそれが動機で好きなったり,そんな本来の魅力を味わうこともできませんし,実習でコンピュータを使おうにもその機器がありません。
 もっとも気の毒なのは英語です。つねに英語はその到達する能力が測られやすいだけにやり玉にあげられ,それは英語だけでなく,これまでに書いた他の4教科も同様なのに,学校教育では英語が身につかないと批判されています。そもそも,ひとりの教師が40人の生徒を相手に,外国人補助教師もおらず情報機器を使うこともできず,そのなかで,どう教育をしろというのでしょう。まことに気の毒な限りです。

 というように,徹底的に劣化してしまった日本の中等教育ですが,文部科学省のやることといえば,大学入試改革とやらの名目で,結局,入試を難しくすることだけです。これでは,教育という名の産業にお金儲けをさせるだけのことです。そしてまた,そんな教育に魅力を感じないから教師の成り手も減り,定年退職後の老後のお小遣い稼ぎのような人ばかりとなり,そんな教育で子供を育てたくないからと,少子高齢化がますます悪化していくわけです。
 かくして,この国では,物言わぬ,そして,責任を取らぬ政治家と,何も考えず,言われたことだけをやったふりをする大人が大量に作られていく… のかな? 
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 私はまったく興味がないので1秒もテレビ中継を見ていませんが,風の便りではやっと多額の税金を使った国境をまたぐ大運動会が終わるようです。
 アメリカの「イリノイニューストゥデイ」(Illinoisnewstoday.com)によると,この大運動会の費用は公式では約1兆7,000億円で,それだけのお金があれば,300床の病院が30,小学校なら1,200が建てられるそうです。実際はその2倍以上以上かかっているらしいので,その倍は作れるのでしょう。
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Tokyo (AP)
According to a study by the University of Oxford, the official price tag for the Tokyo Olympics is $ 15.4 billion, the highest on record. What else can those billions buy?
Baseball stadium numbers to build a 300-bed hospital in Japan for $ 55 million. So you can put almost 300 of these.
The average elementary school cost in Japan is about $ 13 million. At that price, you can get 1,200 schools.
The important thing is that the Olympics are expensive and can ignore other priorities. In fact, according to some Japanese government audits, the actual spending of the Tokyo Olympics is even higher than the official figures, perhaps doubling. All but $ 6.7 billion is publicly funded by Japanese taxpayers.
According to the latest budget, the IOC’s contribution is $ 1.3 billion. It also fell by hundreds of millions of dollars after the pandemic.
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 まともな設備の公立学校すらないのが現実なのに,たった2週間の国境またぐ大運動会のために国民ひとりあたり3万円も負担したということになります。こうしてまた無駄遣いが教育の劣化に油を注ぐことになりました。
 その結果「1964年の東京オリンピックがこの国の繁栄をもたらし,2021年の東京オリンピックでその終焉を迎えた」と将来記録されることになってしまうことでしょう。若者にカンフル剤を与えれば刺激になっても,年寄りにカンフル剤を与えたら死んでしまいます。

キャプチャ

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 これまで,「何かがちょっと違う」として,北海道と外国の写真を混在させて載せてきました。
 ここで正解を書くと,どれも,1番目と3番目の写真が北海道で写したもの,そして,2番目と4番目が外国で写したものです。
 外国といっても,アメリカ,オーストラリア,ヨーロッパなど,さまざななところで写したものが混在しています。
 結局,すべてに共通しているのは,日本は国土の狭さに比べて人が多すぎること,そして,地形が複雑で,道路ひとつ作るのにもお金がかかること,さらに,もともとお金がかかるのに,どう工夫すればなるべく安く,しかも,安全で,かつ,美しい景観が保てるのかという知恵がなさすぎるということです。
 たとえば,オーストラリアやニュージーランドでは,都会を除いて,道路のほとんどは片側1車線ですが,数キロメートルおきに必ず追い越し帯が設けられていますし,風光明媚なところには展望台があって,路上駐車することなく風景を楽しめるようになっています。

 おそらく,そうしたことの根底にあるのは,人は楽しんで生きるものだという姿勢があるかないかということなのでしょう。
 景色のよい場所に道路があれば,車を停めてその景色を見たいというのは人間の本能です。しかし,日本では,そんな場所であっても,車を停める余地すら作りません。反対に停めるなと書かれた標識があるほどです。
 また,車を走らせるのは運転を楽しみたいからという人も少なくないから,そうした人が快適にドライブするには,速度の遅い車があれば,それを追い越したいわけですが,追い越し帯すらないから,無理やり追い抜いたり煽ったりすることになるわけで,それが事故を誘発することになるわけです。
 車は停車しなければ用を成しません。であれば,街中で気軽に車が停められるようになっているべきで,至る所を駐車禁止にすればよいというものではありません。
 こうしたことのすべてが,日本で車を運転していもの楽しくないという気持ちにさせるのでしょう。

 ところで,今日の3番目と4番目の写真ですが,3番目は稚内,4番目はアイスランドのレイキャビックです。すでに書いたように,私が北海道に行ったのは,ネオワイズ彗星を見ることが目的であって観光旅行ではありませんでした。少しでもよい条件で彗星を見ようと,到着してからサロベツ原野に行くことを決めたわけで,まさか稚内に行くとは思ってもみませんでした。私が稚内まで行ってしまったのは,サロベツ原野付近で夕食をとる場所を探しているうちに稚内に着いてしまったということだけでした。
 その稚内市街を少しだけ歩いていたとき,ここは以前行ったアイスランドのレイキャビックの港に似ているなあ,と思ったのです。緯度は,レイキャビックの方がはるかに北になるのですが,最北の港町というのが共通点なのでしょう。それが今日の写真でふたつの町の写真を載せた理由です。
  ・・
 稚内といえば,若いころに数回行ったことがあって,そのころの素朴だった町をふと思い出します。当時はユースホステルに泊まって,近くの銭湯に行ったりしたものです。また,ちょうど夏祭りをやっていて,一緒に楽しんだ思い出もあります。
 今回行ったときには,すっかり様変わりして,新しく近代的な町に変わっていて驚きました。当時泊まったユースホステルも2016年に閉鎖してしまったそうですし,当時の素朴な町はどこに消えてしまったのかな,と少しさびしく感じました。
 できるなら40年前の北海道にもう一度行ってみたいものです。

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☆☆☆☆☆☆
 8月5日は早朝というか深夜の午前1時30分ごろに家を出て午前3時前には現地に到着しました。
 昨年はネオワイズ彗星(C/2020F3 NEOWISE)という大物がいたのに,今年はまるで見るべきものがありません。調べてみると,10等星だか11等星だか12等星だかの私が写せそうな明るさの彗星がいくつかありました。 それらは,昇ってくる順に,おとめ座にいるパロマ彗星(C/2020T2 Palomar),おうし座にいるフィンレー彗星(15P Finlay),ぎょしゃ座にいるアトラス彗星(C/2019L3 ATLAS),そして,ふたご座にいるタットル彗星(8P Tuttle)と西村彗星(C/2021O1 Nishimura)です。
 パロマ彗星は以前写したことがあり,また,この日到着する時間にはすでに沈んでいるので,残りの4つに狙いを定めました。

●フィンレー彗星(15P Finlay)=1番目の写真
 フィンレー彗星は,1886年9月26日に南アフリカの天文学者ウィリアム・フィンレー(William Henry Finlay)が発見した周期彗星です。1910年,木星のそばを通り過ぎて軌道周期が6年から7年に変わり,また,軌道が予測から外れ,「新しい」彗星として1919年10月25日に京都天文台の佐々木哲夫さんによって再発見されたことで有名です。
 前回2014年の回帰ではバーストして7等星まで明るくなりましたが,このときに写した写真がありました=2番目の写真。
 フィンレー彗星は2060年10月25日に地球に約0.04天文単位,つまり6,000,000 キロメートル,地球から月までの15倍の距離まで接近すると予測されています。
  ・・
●アトラス彗星(C/2019L3 ATLAS)=3番目の写真
 2019年6月10日に小惑星地球衝突最終警報システム(ATLAS=Asteroid Terrestrial-impact Last Alert System)の観測で発見されたものです。
 小惑星地球衝突最終警報システムは,ハワイ・マウイ島のハレアカラ (ATLAS-HKO)とハワイ島のマウナロア (ATLAS-MLO)に設置した口径0.5メートルのふたつの望遠鏡を使って,地球近傍小天体が地球に衝突する数週間から数日前に検出するために最適化されたロボット掃天観測システムです。
  ・・
●タットル彗星(8P Tuttle)
 タットル彗星は1858年1月5日にアメリカの天文学者ホレース・タットル(Horace Parnell Tuttle)が発見した太陽系の周期彗星で,12月末のこぐま座流星群の母彗星です。
  ・・
●西村彗星(C/2021O1 Nishimura)
 静岡県掛川市の西村栄男さんが2021年7月22日にぎょしゃ座に10等級で発見したものです。
 西村栄男さんは同郷の池谷薫さんの彗星の発見に触発されて,彗星の発見に取り組んでいるアマチュア天文家です。

 フィンレー彗星とアトラス彗星は写すことができたのですが,タットル彗星と西村彗星,この日ふたご座のθ星は見えたので,1週間前なら写せたのですが,日に日に高度が下がってあまりに低くなってしまいました。なんとかならないかな,とも思ったのですが,こんな暗い彗星,夜明けの白みはじめた空で地平線ぎりぎりとなると写せないなあとあきらめて帰宅しました。特に西村彗星は日本人の発見した彗星なので写したかったのですが,残念でした。
 しかし,久しぶりの星見に満足して,すっかり元気になりました。
 帰りがけに見た夜明けの空の美しかったこと!


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☆☆☆☆☆☆
 8月4日の夜は快晴になりました。雲がない夜空は何日ぶりのことなのでしょう。こうなると私は元気がでます。
 もともと「することも欲しいものもない」幸せな生活をしているのですが,考えを変えれば,私自身が「不要不急」の存在みたいなものです。そんな私が活動するのは,日が沈む午後7時以降からと日が昇る午前5時までで,この間は暗くて景色がはっきりと見えないので,海外旅行をしているときと同じような気分がちょっとだけ味わえます。
  ・・
 そんな晩でしたが,せっかく星空が見えても,昨年はネオワイズ彗星という大物がいたのに,今年はまるで見るべきものがありません。調べてみると,10等星だか11等星だか12等星だかの彗星がいくつか夜明け前,といっても,この時期は午前4時までですが,の北東の空にいるようです。こんな暗いものが写せるのかな,と思ったのですが,せっかく晴れたので,ともかく出かけてみることにしました。星を見るよりも,深夜,ほとんど他の車の走っていない時間のドライブが楽しいです。

 その前に,この晩は日没直後の午後7時25分から30分にかけて,国際宇宙ステーション(ISS)が北西から南東の空を通過することがわかりました。そこで,魚眼レンズで写真を撮ろうと,近くの田んぼのあぜ道までカメラと三脚を持って歩いていきました。
 これまでも,国際宇宙ステーションは,動画で撮ったり,何分も露出して空の端から端まで動く軌跡を写したり,月をかすめる姿を望遠レンズで写したりと楽しんできたのですが,意外とむずかしいのです。それは,国際宇宙ステーションが見られるのはまだ空が暗くなりきっていない時間が多く,長時間露出ができないからです。
 今回はさらに条件が悪く,午後7時25分といえば,やっと西の空に1番星の金星が見えるくらいの明るい空でした。こういうときは,10秒ほどの露出を繰り返して,後でコンピュータを使って比較明コンポジットという方法で写真を合成をするしかありません。
 国際宇宙ステーションは金星より明るいので,準備として,まずは金星が写せる露出を調べました。10秒ほどの露出をかけるとなると,レンズはずいぶん絞って,しかも,ISOは400ほどに下げればよいことがわかりました。
 という方法で写して合成したのが,今日の写真です。
 国際宇宙ステーションはぶっつけ本番なのですが,なんとか写ったので満足しました。
 現在,この国際宇宙ステーションには,星出影彦さんが搭乗しています。


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 私が昨年北海道を訪れた時期は初夏だったので,観光には最も条件のよい季節でした。ただし,今年の北海道はすごく暑いようですが。
 一方,冬の北海道は若いころに何度もスキー目的で行ったことがあるのですが,自分で車を運転したことはありません。私はもともと雪国に住んでいないので,雪道を走る自信がありません。それでも若いころは冬になればタイヤをスタッドレスに替えて,まれに雪が降っても車を運転したこともありますが,その程度です。
  ・・
 北海道を走っていると,冬の季節に道路に雪が積もったときのことを考えて,路肩がわかるようにとさまざまな工夫がされていることがわかります。ただし,それが冬になって本当に安全に機能しているのかどうかは私は走ったことがないのでわかりません。
 しかし,雪のない見通しの効く条件のよい夏の時期も路肩がわかるようにと設置された矢印が夜になると異様に点滅しているのは,その意味がわかりません。危ないだけです。
 私は,何じゃこりゃ,と思いました。

 アメリカの大平原を走っていると,時折,日本では考えられないものすごいスコールに見舞われることがあります。また,霧で1メートル先がまったく見えないという経験をしたこともあります。さらに,インターステイツがかなりの勾配になっているところもあって,そんな場所ではコンボイがまったくスピードが出せず苦労してのろのろ運転をしているのに出くわします。その反対にかなりの勾配を下るときはブレーキがきかなくなったときのための待避ゾーンが設けられていることも頻繁にあります。また,深夜は真っ暗というところも少なくありません。
 そんな状況で走っていると,そうした悪条件のときにできる限り安全に走行できる配慮が至るところになされていることを痛感します。つまり,道路は常に最悪の状況を仮定して作られているのです。自然環境が過酷なのでマジなのです。
 また,交差点では,明け方や夕方に信号機が太陽と重なってまったく見えないことも少なくありませんが,アメリカではそんなときのために,別の角度からも見れるような補助信号機が設置されています。

 それに対して,日本では,雨になれば意味のない街灯で道路は光りかがやき,どこが道だかわからなくなるし,暗いときは街灯が意味なく道路を照らすので,これもまた通行帯がどこかわならなくなります。街灯をつけて明るくすればいいというものではないのです。道路でもっとも大切な情報は,通行帯がどこかということであるから,通行帯をきちんとラインで示し,そのラインがいかなる悪条件の場合も見えるようにするべきなのです。
 また,路肩にガードレールがあったり突如としてなくなったり,中央分離帯が夜見えなかったり,でありながら路肩やセンターラインがひかれていなかったり消えていたりと,危険極まりないという場所がたくさんあります。さらに,道路の真ん中に通行帯を指定するためにポールが立っていたりすときもあり,私は,違法の路上駐車をしていた車を避けようとしてポールにぶつかりかけたこともあります。さらには,太陽の光が信号を照らし,あるいは信号の先にあってまぶしく,まったく信号機が見えないことも少なくありませんが,だからといって,何か工夫するとか,そういう配慮すらまったくありません。
 そうしたことは,おそらく,道路を整備するときに実際に現地で確認することなく,机上で設計されているか,どうすれば安全かを考えずに,思いつきで改良ばかりしているからではないかと私は推察します。

 高温多湿で,やたらと雑草が生え,いかに舗装をしても,その間から草が生え,中央分離帯に木を植えてもそれが生い茂り,通行の妨げになったり,また,平気で道路に空き缶やらを投げ捨ててあったりして,さらには,ゴミを捨てるなとかいう看板を設置して景観を台なしにするといったように,この国の道路がめちゃくちゃなのはどうしてなのか,私はずっと不思議に思っていたのですが,それがこのコロナ禍での行政の対応ですべて納得がいきました。
 そもそも,この国のやっていることのすべては,この国がどういう国なのか,住んでいる人がどういう行動をとるのか,そうしたことがまるでわかっていないことが原因なのでしょう。景観もなにも考慮していない町づくりもまた同様です。要するに,何もかも,思いつきばかりで,やったふりと責任逃れなのです。
 とはいえ,近ごろは,責任が問われても知らぬ存ぜぬを決め込めばそのうち国民は忘れてしまうと見下しているようですが。
 まあ,こんなことをここで書いても何も変わりませけれど…。


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 朝起きたときに「何もすることがない」という生活が理想だと憧れていたのですが,そんな理想の生活ができるようになってきました。さらにには「何も欲しいものがない」という状態こそがもっとも幸せだとも思っていたのですが,これもまさに実現しつつあります。
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と先日書きました。
 ここで「何もすることがない」とは「何もしなければならないことがない」ということです。それは,朝起きて,その日に「やりたいと思ったことが何の束縛もなく自由にできる」ことが最も幸福だということです。「何もすることがない」と「何もしたいことがない」とではまったく意味が違います。しかし,「したいことをする」には,それなりの能力や知恵が必要です。たとえば,どこかに出かけたいと思っても車が運転できなければならない,というようなことです。
 そこで,若い人が,私のように「何もすることがない」というのはおかしいわけです。「したいことをする」ためのそれなりの能力や知恵を身につけなければならないからです。こういう状態になるには,それなりに乗り越えるものがあるのです。

 また,「何も欲しいものがない」というのは「何も持っていない」ということとは違います。「何も欲しいものがない」というのは,自分に必要なものを手に入れた上での状態ですが,無意味に欲しいものを計画性もなく買っていたら,いつまでたっても「何も欲しいものがない」という状態にはなりません。
 この「何も欲しいものがない」というのはきわめて健全な状態です。それは,いかなる広告があろうと誘惑があろうと,それが無視できるからです。いかなる詐欺メールが来ようと読まないで削除できるからです。
 昔のように,生きること自体が困難だった時代には,欲しくても手に入らないものがたくさん存在しました。しかし,現代のような飽和した社会では,商売は,欲しいもの,ではなくて,欲しくなるものを売らなければ売れません。そのためにいろいろ工夫をして煽るわけですが,そこには,正当な広告も多くある反面で,詐欺まがいのものが横行しているわけです。今日の人間社会で「欲しいものがある」人が生きるのは,実に大変な作業となります。

 「何もすることがない」「何も欲しいものがない」そんな状態になると,次のステージに到達します。それは,これもまた,すでに書きましたが,「この宇宙に人間という生命がいる必要などまったくない」ということを強く意識するようになったということです。何らかの偶然で化学反応が繰り返された結果,こんな魔訶不思議なものが誕生しちゃったということにすぎません。そして,きまぐれな創造主は,偶然自分の作っちゃったたものが今度は滅亡しないようにと,生命が生き続けるためのさまざまな本能を授けちゃったわけなのです。であるのに,お互いを殺し合うという本能も授けちゃったのが大きな欠陥でしたが。
 生命には自己があって,その自己は長くても100年,その平均は80年ほどの寿命ですが,その間を生きるためにもがき苦しむわけです。そして,寿命が尽きるというその結果はだれしもわかりきっているのに,なぜか,未来永劫のことまで生きている間に気を使うわけです。
 ところが,不思議なことに「せめて〇〇のことを見るまでは生きていたい」とは願っても,自分の生まれる前に起きたことに対しては「〇〇が見られたころに生まれていたかった」とは後悔しないのです。
 要するに,すべてはこころのもち様にすぎないのです。

 所詮は,それだけのことです。だから,ぐたぐた御託をならべたり,人と競ったり,地位や名誉や財産を求めることにも意味がないから,日々,憂いなく生きることを楽しみましょう,というお話でした。
 ただし,と突然,現実に戻りますが…。
 私にとっての当面の問題は,権力者の大好きなお言葉である「不要不急」とかとはまったく別として,実際,このご時世では行きたいところがまったくない(というかどうしても行きたいと思っていたところには行ってしまった)ことです。だから大好きな旅ができない。それに加えて,このごろはまったく晴れないので,ささやかな楽しみである星を見に行くことができない。ということです。
 …なんて,たったこれだけのことが問題なのに,それだけでも,憂いなく生きるというのは何と難しいことなのでしょう。

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家の近くのひまわり畑。まだまだ楽しめるのですが,次第に知る人が増えて混み合ってきました。花は癒されます。

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 このところまったく晴れず,星を見にいくこともできません。そこで,今回もまた余談というか昔話です。

 NHKは地上波とBS1 はオリンピック中継ばかりだし,BSPは再放送ばかり。私はオリンピック中継は興味がないので,もともと見たい番組も少ないのに,さらに,見るものがありません。オリンピックの視聴率が高いとかいって悦に浸っていますが,そもそも国民の4人にひとりは高齢者のこの国で,外出するな,といわれて家にいても多くの人はすることもなく,テレビをつければオリンピック中継ばかりなら,それを見るしかないというだけのことです。
 これで多額の受信料を取っているなんて,ぼったくりです。NHKもすべての番組をPPVにすればいいのに…。今の状態はまるで徴用です。この受信料から IOCに多額のお金が流れ,バッハ何某の懐に入っているかと思うとはらわたが煮えくり返ります。
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 そんな再放送ばかりのBSPでは,大河ドラマ「麒麟がくる」総集編の,これもまた再放送をやっていました。
 思い起こすに「麒麟がくる」はおもしろいドラマでした。このブログに何度も書いているように,私の大河ドラマの原点は「国盗り物語」ですが,どうやら私の大河ドラマ経験は「国盗り物語」ではじまり「麒麟がくる」でおわりだな,と,今年の大河ドラマを1,2回だけ見て思いました。それは,もう今は,時代劇どころか,多くの日本のドラマを見るのがしんどくなってきて,しかも,私にはおもしろくないからです。
 そんなことを思っていたら,私の星見もまた「アイソン彗星」ではじまり「ネオワイズ彗星」でおわりだな,と思うようになって,なんだか寂しくなってきました。

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 アイソン彗星(C/2012S1 ISON)は,2012年9月21日にロシアのキスロヴォツク天文台(Kislovodsk Observatory) でヴィタリー・ネフスキー(Vitaly Nevsky)とアルチョム・ノヴィチョノク(Artem Novichonok)によって発見された彗星で,発見者が所属している国際科学光学ネットワーク (International Scientific Optical Network=ISON)に因んでなづけられました。
 発見されたときは地球から約10億キロメートルも離れていたのに19等星と明るかったことから,地球に接近すると最大級の彗星になると予想されました。
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 2013年の12月,アイソン彗星が地球に近づいてきました。そのころまでの私は,長年,ほそぼそと星見をしていたのですが,まったく熱心でなく,星を見る場所も定まらず,ハレー彗星が接近した1986年のころに買った望遠鏡もまた,ほとんど使うことがない状態でした。それが,このアイソン彗星で目覚めてしまったのです。
 あいにくアイソン彗星は期待に反して太陽に接近して分裂してしまい,満足な写真すら写すことができませんでした。しかし,その後の私は,使っていた機材を手入れし,使いやすいように改造し,不足した部品を買いそろえ,毎月2,3回は星を見にいくようになりました。買った望遠鏡が30年近く経って蘇り,活躍の場を見つけたわけです。
 そこでやる気が起きてしまい,オーストラリアやニュージーランド,そしてハワイまで星を見にいくようになったのは,何度もこのブログに書きました。しかし,そんな星空を見て以来,美しい海外の星空に比べるとまったくそれに劣る日本の星空だと知ってしまったので,それからは,空が多少は汚くても写せる10等星より明るい彗星をできる限り写真に収めようと,それを趣味にしていたのですが,それから7年間,暗い彗星は現れても肉眼で見られるような明るい彗星がひとつも接近しないので,なにか物足りなさを感じていました。
 それがコロナ禍の2020年,突如としてネオワイズ彗星が現れたのです。

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 ネオワイズ彗星(C/2020F3 NEOWISE)は,2020年3月27日にアメリカ航空宇宙局(NASA)が2009年に打ち上げた赤外線観測衛星「NEOWISE」での観測から発見した彗星です。
 発見当時17等星だった彗星は6月ごろにには肉眼で見えるほど明るくなり,7月3日に太陽に最も接近しました。このころの明るさは最大3等星と予想されていたのですが,予想以上の増光を起こして0等星程度にまで明るくなり,尾をなびく様子が肉眼でも観測されるようになりました。しかし,日本列島は天気が悪く,見ることができたのは北海道と沖縄だけでした。
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 私は,幸いこの彗星が最も明るいときに北海道で見ることができて,私はこれで念願がかなったと思いました。そしてまた,これで熱が冷めてしまったのも否めませんでした。
 とはいえ,星見は楽しいので,これからは,気の向くまま,天気のよい日に星を見にいこうと毎日空を見ているのですが…。

☆ミミミ
アイソン彗星以前に私が見た彗星のなかで印象に残っているのが,1996年に相次いで地球に接近して大彗星となった百武彗星(C/1996B2 Hyakutake)とヘールボップ彗星(C/1995O1 Hale-Bopp)です。
ヘールボップ彗星は地球に接近するまえから大彗星の呼び声高く,そのとおりに明るくなってずいぶんと長い間見ることができました。
それに対して,百武彗星は,この明るくなった百武彗星のそのわずか1か月前に発見した別の百武彗星(C/1995Y1 Hyakutake)があって,今とは違いインターネットもほとんど普及していない時代にその情報を探しているうちに存在を知り,慌てて見にいきました。明るく輝いていたのが,そのわずか1週間だけで,しかも曇り空に彗星のいるあたりだけが晴れていたというという幸運にめぐまれて,その幻想的な長い尾を見ることができたものでした。

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 日本国内を旅して,唯一海外よりもマシだと思うのは食事です。
 世界中,どこに行ってもお金さえ出せばそれなりのものを食べることはできるのでしょうが,お金のない私はそうはいきません。そこで,できるだけ贅沢しないでおいしいものを食べようと思うのですが,そうなると,はやり,日本の食事が一番です。

 せっかく北海道に行ったからには,さかなに関するものを一度は食べようと思って,宿泊した留萌市内でお寿司屋さんに入りました。お寿司は期待以上でした。
 この時期,実は,ウニが旬だったのです。その昔,大学生のころに北海道に行ったとき,稚内でウニ丼を食べました。それまでウニ丼など食べたことはなかったのですが「郷に入っては郷に従え」といいますから,ウニ丼を食べてみました。そのおいしかったこと,今でも忘れられません。
 しかし,大学生の分際で,当時食べたウニ丼がそれほど高かったとは思えないのですが,今回行ったとき,その値段におどろきました。そこまでお金を出さなくても,ということで,ウニ丼はあきらめました。

 海外に出かけたとき,若いころは,その土地の食べ物を選んでいたのですが,このごろは,日本食があればそれを試してみることにしています。それは,やはり日本食がいい,という意味ではなく,海外でどんな日本食が食べられるかという好奇心からです。
 一般に,海外では,というか,アメリカでは,というか,日本食は高級というイメージがあります。それに対して,中華料理は安価というイメージになります。しかし,日本料理店に入ると,そこが,高級なレストランであれば別ですが,実際は,中国人や韓国人が日本料理という看板を掲げて営業している場合が少なくありません。また,以前ブログに書いたことがありますが,ワシントン州などには「テリヤキ」と掲げたレストランがけっこうたくさんありますが,その,「テリヤキ」とは何ものなのか,私にはよくわかりませんでした。
 そんなわけで,海外で私の入るような日本料理と掲げた大衆レストランでは,ときとして正体不明の料理が出てくるので,それがまた,興味深いというかおもしろいというか…。今日の写真も日本のものと海外のものが混在していますが,どれがどうだか明白です。これが「何かがちょっと違う」ということです。
 ともかく,アボカド寿司とか,カリフォルニアロールとか,今では外国育ちの日本食もあることだし,そしてまた,日本で食べる中華料理やフランス料理だって,本場のものとはずいぶんと違うだろうし,そう目くじらを立てなくとも,それはそれで,多国籍化された食べ物として味わえばよいように思います。


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 留萌から稚内までは,道路だけが続いていて,時折,町があるという,日本離れした風景が続きます。しかし,こんな風景はアメリカやオーストラリアを走っていると普通のものです。
 アメリカでは,町に近づくにしたがって制限速度が次第に遅くなるように定められていて,それはアメリカ中どこも同じようになっていて規則性があって,とても走りやすいです。それに対して日本はバラバラです。
 
 時折通り過ぎる北海道の小さな町で私が最も印象に残ったのは,どの町にも,町の中心には,かつて走っていた電車の駅と郵便局があるということです。
 近ごろ何かと問題のある郵便局ですが,ここにあるのは,民営化前の役所のような郵便局の姿でした。おそらく,そこは,その町に根差したもっとも信用のおける金融機関としての役割を担っているのでしょう。
 郵便局というのは,もともと,そうした信頼のあるところだったのです。それが民営化によって業績重視となり,それが悪い方向になって,信用という武器が凶器と変わってしまったのでした。
 数年前に起きたさまざまな事件は,その信頼を裏切る行為だったがゆえに多くの反響をよんだわけです。

 ところで,海外に行ったとき,こうした小さな町で強く感じるのは,町が美しいということです。そして,そこに暮らす人,そして,そこを訪れる人にとって,便利で安全であるということが最も大切にされているということです。
 道路にはきちんとラインがひかれているし,歩道もちゃんと作られ,また,交差点はロータリーとなっていて,よほど大きな交差点以外は信号機がありません。さらに,路肩はどこも駐車ができるようになっています。
 それに比べて日本では,道路のラインは剥げていてどこが通行帯なのかさえよくわからず,さらにはセンターラインすら消えかかっていたりすることもあります。また,交差点になれば,当たり前のように信号機があり,また,路上駐車も,停めたければ停めれば,みたいな,投げやりな感じがあります。さらに,電柱やら看板やら道路案内板やらが,景観などまったく考慮しないで設置されているのです。


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