しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

September 2021

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 ホームセンターに行くと多くのキャンプ用品が売られています。また,郊外に出かけるとオートキャンプ場があったりします。
 以前,どこか星が美しく見られるところがないかなあと思って,夜ドライブをしていたら,そうしたオートキャンプ場を見かけたことがありました。しかし,どこも狭く,すし詰め状態。海外のキャンプ場を知らない人はこんなものだと思っているのでしょうが,アウトドアとは名ばかりで,これでは箱庭だと思いました。
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 今日の写真は,オーストラリアやアメリカのキャンプ場の写真です。
 オーストラリアやアメリカでは,郊外に出ると,こうしたキャンプ場がたくさんあります。どこも広く自然が一杯です。野生の動物もいるし,川には魚がたくさん泳いでいます。意味のない看板やら壊れたような古びた設備もありません。
 とはいえ,どこもキチンと整備され,管理されていて,利用するには書類を提出して使用料を払う必要があります。また,厳格なルールがあって,ゴミひとつ残さずに帰る必要があります。
 また,トイレもきれいで,利用者も,そうした環境を守る義務があるし,それをよく守っています。そんな習慣が出来上がっているのでしょう。
 日本ではほとんどみかけないピックアックトラックやキャンピングカーが多くの家にあるのは,こうしたキャンプ場にでかけるための道具なのです。ピックアップトラックの荷台にテントやらキャンプ用品を載せて,キャンプ場に到着したら,テントを設置します。あるいは,キャンピングカーを利用するなら,それは移動ホテルと同じで,キャンピングカーの中にはシャワールームやらキッチンまであります。

 私は,幸いなことに,アメリカでキャンプをした経験が何度かあるのですが,いつもとても楽しいものでした。
 しかし,アウトドアというのは,楽しい反面で,厳しくて,やはり,子供のころからの経験がないと,なかなかうまくできないものです。そもそも,人の能力を測るのに,日本のような偏差値よりも,サバイバルで生きる手段をどれだけ知っているかどうかに価値がある国なのです。
 これが,西部開拓時代からのフロンティア精神なのでしょう。
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 こんなキャンプを経験してしまうと,日本のような国で,なけなしのお金をはたいて,使いもしないアウトドア用品を買う意味がわからなくなります。また,小さなキャンピングカーを買って,道の駅に停めて野宿している様は,哀れにすら感じます。
 この夏,散歩をしていたら,狭い庭でバーベキューを楽しむ家族を見かけました。しかし,そんなことをするのもおそらく1,2回のことで,バーベキュー用品はまもなくゴミと化してしまうことでしょう。アメリカなら,どこの家も裏にはあって,そこで週末にお肉を焼くのは旦那さんの仕事です。つまり,それが日常となっているのです。
 キャンプを楽しむ場所も裏庭もない日本では,ピックアップトラックもキャンピングカーキャンプ用品も不要だから,私のような本当はお金のない「いんちき富裕層」には,散財することもなく,むしろふさわしい国なのでしょう。庭もなく,アウトドアもできない私は,そう考えて,強がるのです。


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●グレイシャー国立公園(Glacier National Park)
 2015年ごろ,私はアメリカの地図を見てため息をついていました。それは,モンタナ州の最も北にあるグレイシャー国立公園に行きたいのだけれど,その場所があまりに遠く,どうしたら行けるか考え込んでいたからです。レンタカーでは遠いし,なるべく近くの空港まで飛行機で行こうとも思ったのですが,なかかなよい便が見つかりませんでした。
 結局,シアトルから車で8時間かけて行くことにしました。その結果,ずいぶんとすばらしい思い出ができたのですが,行く前は不安で仕方がありませんでした。
 あとで知ったことには,実際は車がなくとも鉄道でも行くことができる唯一の便利な国立公園ということで人気でした。グレイシャー国立公園には西のポートランドから東のシカゴまでを結ぶアムトラックのエンパイアビルダー(Empire Builder)が1日1往復運行されていたのでそれを利用することができたのです。
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 グレイシャー国立公園はモンタナ州の北のはずれにあって,人工的な国境で分断されていますが,実際は,カナダのウオータートンレイクス国立公園(Waterton Lakes National Park)につながっています。公園の名前である「グレイシャー」というのは「氷河」という意味ですが,実際,非常に標高が高いので,ものすごく寒いところです。
 行ったことがある人から,たいしたことなかったよ,という話を聞いたことがあったので期待していなかったのですが,実際は,何の何の,とてもすばらしいところでした。
 これまでに紹介したゴールデンサークルの国立公園が赤茶けた土ばかりなのに対して,ここは湖あり,森あり,氷河ありというところでした。
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 グレイシャー国立公園は西のゲートであるウェストグレイシャー(West Glacier)から東のゲートであるセントメリー(St.Mary)までゴーイングトゥザサンロード(Going to the Sun Road)を走って抜けることができます。また,列車できた人のために,園内は観光用のバスが走っています。
 ゴーイングトゥザサンロードは分水嶺である海抜2,025メートルのローガンパス(Logan Pass)を越えます。ローガンパスにはビジターセンターがあって,ここが観光の拠点です。ローガンパスの周辺には高山植物の群集が見られ,背後に迫る山は右側が標高2,670メートルのマウントクレメンツ(Mount Clements),左側が標高2,781メートルのマウントレイノルド(Mount Reynolds)です。 ビジターセンターの裏側からトレイルがあって,このトレイルを歩くとヒドゥン湖展望台(Hidden Lake Overlook)へ行くことができます。私も雪道を歩きました。
 ゴーイングトゥーザサンロードの南には,セントメリーレイク(Mt. Mary Lake)が広がっていて,ゴーイングトゥーザサンロードの中ほどのビレッジの近くの船着場からこの湖を1周するクルーズがあります。私はそれにも乗りました。湖の途中には Wild Goose Island という小島があります。クルーズは,途中の対岸で降りて15分ほどトレイルを歩きベアリング滝(Baring Falls) まで行きます。 
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 ゴーイングトゥーザサンロードはローガンパスの西側はヘアピンカーブが頻繁にあり,さらにトンネルもあります。また,いたるところで,滝でもないのに氷河から溶け出した水が道路に降ってきて,まさに滝の下を走るようになります。わざわざこの滝の下を走り,洗車をしている車をみかけました。ローガンパスを越えた東側は直線道路で,ぐんぐんと下って行き,それまでの登り坂の険しさとはすっかり趣がかわって,高原ムード一杯になったころ,公園の東側のゲートに到着します。
 東側のゲートを過ぎ,さらに左折して北に行くとメニーグレイシャー(Many Glacier)へ行くことができます。メニーグレイシャーはグレイシャー国立公園で最も遠く静かで最も美しいところです。氷河を抱いた鋭い岩峰に囲まれた谷筋にいくつもの氷河湖が重なって幻想的な雰囲気です。このスイフトカレントレイク(Swiftcurrent Lake)の周りを一周するトレイルは絶品です。
 スイフトカレントレイクのほとりには,Many Glacier Hotel と Swiftcurrent Moter Inn というふたつのホテルがこの景色に調和していて,おとぎの世界のようなところです。
 メニーグレイシャーからさらに北に進むとカナダ国境に到達します。


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 9月25日の朝日新聞オピニオンのページ&フォーラム欄に「異論のススメ」として,「「国民主権」の危うさ」という記事がありました。執筆者は佐伯啓思さんという京都大学の名誉教授だそうです。
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 今日の政治の混迷は,将来へ向けた日本の方向がまったく見えないからである。
 …将来を見渡せる大きな文明論が必要なのであり,それを行うのは学者,すなわちジャーナリズムも含めた知識人層の課題であろう。
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と結んでありました。
 また,読書欄には「アカデミアを離れてみたら」という岩波書店から発売されている本を宇宙物理学者の須藤靖さんが紹介していました。この本では
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 末は博士か大臣か。かつては勝ち組の象徴とされていた両者を見る目は,いまや完全に様変わりした。
 …本書は,博士号取得者がアカデミアを離れた後の人生をたどり,「博士号」の意義と,それが広く社会に貢献しつつある実例を紹介する。
 …「アカデミアで過ごした時間はひとつも無駄ではなかった」と言う。今こそ末は博士の時代なのだ。
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とありました。
 ともに,大学に籍を置く人によって書かれた文章で,とても興味深く読みました。

 今の時代,政治家が,あまりにも専門家を軽視する傾向があるのを,私は由々しきことだと思っています。これでは政治家というしろうとが独断で政策を決めているようなものです。その結果は言わずもがなです。その一方で,政策にお墨付けを得るために,やたらと「有識者」なるものが登場してきます。また,「第三者委員会」なることばもよく聞きます。
 こうしたときの「有識者」や「第三者」とは何者だろうか,といつも私は思います。どういった基準で選んでいるのだろうかと。
 つまり,政治家は,専門性を軽視するその一方で,自分の都合のよいように意見を述べてくれるお墨つきを得たいときだけ,学者さんたちを利用しているように思えるのです。こういったときに出てきて異を唱えない学者さんを「御用学者」と揶揄することもあります。また,「第三者」といっても,まったくの無関係なんてありえるのでしょうか?

 前者の記事にある「知識人」というのは,筆者の考える理想的な「知識人」だと思うのですが,そんな知識人が果たしてこの国にどれほいるのでしょうか? そしてまた,新聞に載ることを忖度しているのか,ジャーナリストを知識人に含めていますが,はたして,そうなのでしょうか? ジャーナリストも様々で,インターネット上に氾濫している偏向したオピニオンを書いている自称ジャーナリストの少なからずは「知識人」とは思えません。
 あるいは,「知識人」といっても,この国の受験というシステムで高い点数が取れて学歴というブランドを手に入れただけのことかもしれません。この国では,医者以外は,すべて,素人の集団のようなものです。学校の教師も教育学を専攻しなくてもなれますし,ジャーナリストもまたしかりです。
 むしろ,後者の記事にある「博士」の方が分類としては明確だと思うのですが,「博士」はその分野での「専門家」であって,社会全体を見渡せるといった「有識者」とは違うように思います。「専門家」という存在は貴重なものだし,リスペストすべき人たちですが,その学者の「学」というのもまた危ういものです。それは,「専門性」というものが,科学技術の急激な進歩や,複雑きわまりない国際情勢によって,その人の積み上げてきた知識が今は古くなってしまい役立たないことも往々にあるからです。それは,30年前の将棋の名人が,たとえ永世名人とかいう名誉称号をもっていたとしても,それは過去に得た肩書にすぎず,今日では全く別の評価が確立していて当時の価値観は通用せず,若い棋士に歯が立たないのと同じです。
 そうしたことを本人が認識ぜず,過去に得た身分やら地位だけでいつまでも「有識者」ぶっていることも少なくないように思いますし,今ではもう通用しなくなった学問の「専門家」なのかもしれません。
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 このような時代に,この記事に書かれたような理想的な「有識者」が育つためには,時代おくれでない「専門家」としての「博士」が大学に埋没したり職がなかったり,政治家が学問に口出ししたり不当に人事権を振り回すことなく,社会で活躍できるような健全性がなけらばならないと思います。政治家が学問の専門家に出さなければならないのは口ではなくお金です。


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 私が訪れたアメリカの国立公園を順に紹介していますが,これまでにこんなに多くのところに行ったのかと,今更ながら自分でも驚いています。
 今日は少し趣向を変えて,ハワイの国立公園です。

●ハワイ火山国立公園(Hawaii Volcanoes National Park=HAVO)
 ハワイにはハワイ島にハワイ火山国立公園があります。ここは世界遺産でもあります。
 アメリカでは日本と違って,世界遺産といって派手に宣伝しているわけでもないので,帰国してから,あそこは世界遺産だったのか,と驚くことも少なくありません。大したこともないのに世界遺産というお墨付きで観光客を誘致しなくてはならないほどのこともないからです。
 ハワイ火山国立公園はハワイ島の南に広がる火山地帯を中心とした国立公園で,マウナロア(Mauna Loa)とキラウエア(Kīlauea)のふたつの巨大な活火山を含むところです。
 ハワイ語でキラウエアというのは山から頻繁に溶岩の流出があることに関連して「吹き出す」または「多くまき散らす」という意味です。キラウエア火山は,ハワイ諸島を作り出してきた火山の中で現在最も活動的なところですが,火山活動の中心はハワイ島の南東沖にあるロイヒ海底火山(Loihi Seamount)に移りつつあるといいます。
 私が行ったのは2016年の春のことで,このときはキラウエア火山は活動が弱く,こりゃ世界三大がっかりだと落胆したものです。しかし,その2年後の2018年に大規模な噴火をして,大災害が起きました。
 それまでにも,1987年にプナ(Puna)へ続く海岸沿いの道路州道137が,1988年には南海岸にあったワハウラビジターセンター(Waha'ula Visitor Center)が,そして,1990年にはカラパナ(Kalapana)の町が,また,1994年にはカモアモアビーチ(Kamoamoa Beach)とワハウラヘイアウ(Waha'ula Heiau)がそれぞれ熔岩によって飲み込まれているそうです。
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 観光客にとって,ハワイ島の一番の魅力は,何といってもキラウエア火山でしょう。
 「足元を真っ赤な溶岩が流れて海まで到達し,湧き上がる巨大な白煙を間近にする」と書かれているように,その想像を絶する自然の脅威は魅力的なのですが,先に書いたように,私が行ったときはその姿は想像以下でした。
 ハワイ島ではキラウエア火山は,地図や道路標識には単に「火山」(Volcano)と書かれています。私はそれで戸惑いましたが,ハワイ島で火山といえはキラウエア火山なのでしょう。ハワイ島の最南端から北東に走ってくると,道路の右側に火山国立公園(Volcano National Park)と標示されています。アメリカの国立公園は自然保護第一で,観光目的ではないから,日本の国立公園のようなけばけばしい看板もなく,へたをすると見過ごしてしまいそうでした。
 国立公園にはビジターセンターがあり,ビジターセンターを過ぎたところに「ボルケーノハウス」(Volcano House)と書かれたホテルもあって,そこには豪華なレストランが併設されていました。私はそこで日本料理を食べましたが,何ともいえない味のない豆腐がもっとも印象に残っています。


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 彼岸花。別名は曼珠沙華。中国大陸原産で,日本では,お彼岸のころに道端や水田のあぜなどに群生し,鮮やかな色の花だけを咲かせます。私は,この花の咲く季節が大好きです。
 曼珠沙華は,サンスクリット語「manjusaka」の音写で,「法華経」などの仏典に由来します。また,釈迦が法華経を説いたとき,これを祝して天から降った花のひとつであるので,曼珠沙華は天上の花という意味もあるそうです。
 曼珠沙華という不思議な響きのことばは,1978年に山口百恵さんがこれを題名とした歌を歌ったことで有名になりました。

 「万葉集」巻11・2480に柿本人麻呂の歌があります。
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 路邊 壹師花 灼然 人皆知 我戀つ
 道の辺の 壱師の花の いちしろく 人皆知りぬ 我が恋妻は
 道のほとりに咲く彼岸花 その花が目立つように我が恋妻のことを とうとう世間様に知られてしまった ずっと心のうちにしまっておいたのに
  ・・・・・・
 「いちしの花」は,「エゴノキ」や「イタドリ」または「草苺」など諸説があったのですが,牧野富太郎博士が彼岸花と説いたことが今では支持されています。
 「いちしろく」というのは「灼然」のこと。「著しくはっきり」という意で,この歌は,真紅に燃えるように咲き,その上,火花を散らしたように花びらを広げる彼岸花に自分の燃えるような恋心を重ね,激しく想い続けてきたのでとうとう世間の人にばれてしまったと嘆きながらも喜んでいる様子を読んでいます。
 「恋は人知れずに密やかに」というのが当時の人の心構え。人の口に自分達の名前が乗るとそのことばに霊力がついて魂が他人に移ってしまい恋が破綻すると信じられていたのです。

 曼珠沙華の花言葉は「悲しき思い出」「あきらめ」「独立」「情熱」。
 ですが,花の色によって異なる花言葉があって,白い花は「また会う日まで」「思うはあなたひとり」なので,私はこれがいいです。


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 9月17日の朝日新聞「菅首相退陣 哲学者・國分功一郎さんにきく」という記事に「政治の責任ごまかす「自宅療養」「自粛要請」」とありました。引用してみます。
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 自粛とは自ら進んで慎むこと。ならばそれを「要請する」などといえないはずだが,「自粛要請」はメディアでも繰り返し使われた。現場への責任の押しつけをごまかす表現だった。
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 たとえば,「県外への移動を禁止します」でいいものを「県外への移動の自粛を要請します」とするわけです。それは,法的に禁止ができないからです。禁止でなく要請ならば,それをみんなの合意で法律を決めなくても,法とは無関係にコトが決められるということです。
 もともと「県外へ移動するな」と言いたいのに,自粛という言葉をはさむことで,「別に私は強制してないよ。あなたが自らの判断で移動しないと決めてね。私はあなたがそうするのを期待しているよ」という感じになるわけです。そうすることで,私が要望したのにあなたがそうしなかったときに何か事が起きたら,その責任はあなたにあるんだよ,となるのです。
 これは,以前書いた「「お願い」という名の強制」と同じように,何ごともやったふりの責任逃れ。しかも,それを言った責任者がだれなのかすらわからないという,実に巧妙なやり方です。こういう言葉を使うことで,すべての責任を庶民に押しつけているのです。腹黒いわけです。
 それでも,あえて,法で規制することなく穏便にていねいなふりをするのなら「県外への移動をお控えください」だけでいいものを,「県外への移動の自粛を要請します。ご理解ご協力をよろしくお願いします」と書くわけです。きらびやかに飾れるだけ飾る,厚化粧の御仁よろしく,言葉を増やせば増やすだけ実体が不明になっていき,その反対に強い強制となっていくのです。

 オリンピックを中止する,ということを言うことができる責任者がだれなのかよくわからない,というのと同様,この国には,責任者ぶりたい人は多いのに,実際は,何事につけても本当の責任者が不明なのです。これは幕末のころから同じです。なので,だれも責任をとらなくてもいいというしたたかななからくりです。
 日頃,政治家の得意なのは,権力者が勝手にものごとを進めておいて,その結果,なにか支障が起きても,自ら「問題はないと考える」と言い切って,その判断をしかるべき機関にゆだねることなくあいまいにしてしまう,これこそが日本的なシステムです。
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 例外は第2次世界大戦後です。第2次世界大戦は負けたがゆえに,軍事裁判が開かれ,責任者が処罰されたのですが,これは外圧によるものであって,自浄能力ではありません。
 美しいバラにはとげがある。そして,美しい言葉の裏には強権がある。本当に日本はことば遊びの好きな美しい国です。


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 2013年夏,私はアメリカのもっとも北東にあるメイン州に行きました。今地図を見ても遠いところです。そして,今にして思うに,あと2,3日余分に滞在してカナダ国境を越えればよかったと思います。
 このあたりはなかなか行くことができないところだからです。

●アカディア国立公園(Acadia National Park)
 メイン州には,アカディア国立公園があります。
 アカディア国立公園は,メイン州の大西洋沖のマウント・デザート島(Mount Desert Island)とその南西の小島アイル・オ・オ(Isle au Haut)の大部分,そして,近くのベイカー島(Baker Island)の一部からなり,アメリカ本土のスクーディック半島(Schoodic Peninsula)の一部も含まれます。
 全体で,約150平方キロメートルにわたり,ニューイングランド地方唯一の国立公園です。公園には周回道路が完備されていて,17の御影石の橋がかかっています。 
 アカディア国立公園は,1947年にアメリカ本土のクランベリー湿原(Cranberry Bog)で起きた火事によって焼けました。火事は数日間にわたって続きましたが,自然に再生しました。そして,火事のよって木々の多様性が高まり,風景に深みを与えることになって,公園の美が強化されたといいます。
 のちに書くことになるイエローストーン国立公園もまた,周期的に大規模な火災が起きるのですが,やはり,自然に再生します。
 このように,自然界で起きることは,人の手に寄らずとも,ちゃんと自然界が解決するものであるらしいのです。
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 バーハーバー(Bar Harbor)は,アカディア国立公園の入口にあるハーバーです。私はここにあるモーテルに宿泊しました。
 私が訪れたのは今からもう8年も前のことなので記憶が薄れているのですが,それでも,このあたりはよい思い出しか浮かびません。美しく,かつ,のどかで,とてもすばらしいところでした。
 漁港といっても,日本で思い浮かべるものとは違って,ずっとあか抜けたところでした。
 キャディラック山(Cadillac Mountain)は,マウント・デザート島の東側にあって,そのピンクの花崗岩の頂上は米国で最初に日の出が見られる場所のひとつであるということで有名な観光地です。また,国立公園の入口は,ほかの国立公園同様,ビジターセンターやロッジがあります。
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 私は,早朝,急に思い立ってこのキャディラック山に日の出を見にいくことにしました。
 しかし,思い立ったのがわずかに遅かったのです。
 ほとんど車の通らない,しかし,おそらく私と同じ目的で先を急ぐ車が数台,同じように走っていきました。しかし,キャデラック山での日の出は寸前で間に合わなかったのです。それでも,海から昇ったばかりの朝日のある景色は,やはり,絶景でした。
 私は,大西洋から昇ったばかりの太陽をしばらくじっと眺めていました。大西洋からの日の出を見たのはこれがはじめてのことでした。気づけば,多くの観光客が日の出を見にきていました。帰路は,そうした人たちの車でいっぱいでしたが,この国立公園の雄大さが,そんなことをすべて消し去りました。
 考えてみれば,日本では当たり前でも,アメリカ本土で海へ沈む夕日と海から昇る朝日をともに見ることができる場所はないわけで,それを実現しようとすれば,カリブ海の島に行くか,ハワイに行く必要があるわけです。


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●シェーナンド国立公園(Shenandoah National Park)
 2014年の春にカールズバッド国立公園に行ったあと,2015年の春にケンタッキー州のマンモスケイブ国立公園,2016年の夏にバージニア州のルーレイ鍾乳洞へ行ったことを思い出したと書いたので,前回のマンモスケイブ国立公園に続いて,今回はルーレイ鍾乳洞のあるシェーナンド国立公園について書くことにします。

 2016年,私はアメリカの東海岸をフロリダ州から北上しました。
 東海岸にはあまり多くの国立公園はないのですが,シェーナンド国立公園は美しいところという触れ込みでした。私は,まったく大したことはないだろうと期待してはいませんでしたが,このときの旅でぜひ行ってみようと思っていました。そのわけは,「カントリーロード」(Take Me Home, Country Roads)という歌にあります。
 この歌は,「魔女の宅急便」で有名になりました。歌詞の1節に
  ・・・・・・
 Almost heaven, West Virginia  Blue ridge mountains,
 Shenandoah river
 Life is old there,
 older than the trees
 Younger than the mountains,
 growin’ like a breeze
  ・・・・・・
とあるのですが,そのなかの「Shenandoah river」,つまり「シェ―ナンドリバー」という変わった発音がずっと気になっていたのでした。この国立公園が,この川の名前をとったものだったからです。
 バージニア州を通るインターステイツ64を西に走っていくとインターステイツ81にぶつかり,その16マイルほど手前で右折すると「スカイラインドライブ」(Skyline Dr.)という片側1車線の道路があります。その道路がシェーナンド国立公園を縦断しています。
 ロックフィッシュギャップ(Rockfish Gap)ジャンクションからこの「スカイラインドライブ」に入ることになります。他の国立公園と違って,国立公園のゲートは閑散としていました。
 ゲートを越えてそのまま道路を走っていっても単に山道が続いているだけで,大した景色が広がっているわけでもなく,遠くに雪山が見えるわけでもありませんでした。私はがっかりしました。
  ・・
 途中で「スカイラインドライブ」は国道211と交差します。
 一度国立公園を出て,国道211を30分ほど西へ走ったところに,今日の話題である「ルーレイ洞窟」(Luray Caverns)があったので,国立公園から離れて寄ってみました。この洞窟は,私のこれまでに行ったアメリカのふたつ国立公園の洞窟とは違って,国立公園ではなく民間の観光施設でした。広い駐車場には土産物屋やらが並んでいて,まるで日本の観光地のようでした。
 この洞窟は,私の予想とは違って,まるで地底探検でした。 洞窟の最大の魅力は地下水のたまったところに鍾乳石が鏡のように反射した姿,また,洞窟の一番奥深いところには,まるで台座に鎮座するかのように本物のパイプオルガンが置かれていて,金属パイプの代わりに鍾乳洞そのものを使って音を出すという壮大な仕掛けで,長さの異なる鍾乳石にマレットを設置することで異なるトーンを生み出すようになっていました。
  ・・
  洞窟探検を終えて,再びシェーナンド国立公園に戻り,再びスカイラインドライブを北に向かって,シェーナンド国立公園の後半を走りました。
 道路に面した森のなかから子熊がぬっと出てきましたが,国立公園の見どころは,まあ,それくらいのものでした。しかし,ルーレイ洞窟はなかなかの見ものでした。
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 「生きた恐竜」といわれるコモドドラゴン(Komodo dragon)は正式にはコモドオオトカゲ (Varanus komodoensis)といい,インドネシアのコモド島に生息する世界最大級のトカゲです。コモドドラゴンは,農地開発や森林伐採による生息地の破壊,密猟による獲物の減少などによって生息数は減少しましたが,2019年の時点では生息数は安定していると考えられていました。
 しかし,分布域が狭く,地球温暖化による海面の上昇で生息地の縮小が予想されたことが理由で絶滅する危険性が強まっているのだそうです。
 以前,名古屋の東山動物園にコモドドラゴンを誘致しようという計画があったのですが,今はどうなっているのでしょうか。
  ・・
 実は,コモドドラゴンもジャイアントパンダもレッサーパンダも,そのすべてがサンディエゴ動物園にいて,私は,見たことがあります。この写真は2018年にサンディエゴ動物園で写したものです。
 動物園もまたその内情は複雑で,今は動物の取り合い。なんか,人間のエゴだけで動物たちが気の毒になってきます。

 さて,コモドドラゴンに関連して,1974年といいますから,今から47年前,私が高校3年生のとき,20年ぶりに中日ドラゴンズが優勝をして,当時,名古屋では大騒ぎでした。
 そのころ,名古屋のローカル局,TBS系列のCBCではラジオ放送で平日の午後1時から午後4時まで「ばつぐんジョッキー」という番組が公開で放送されていました。繁華街栄の近くにあるCBCのビルの前の歩道から放送している様子がガラス張りで見ることができました。私は学校から帰る途中毎日のようにCBCの前を通って,番組が終わるまで歩道に立って見ていました。
 「ばつぐんジョッキー」のDJのひとりで月曜日の担当が元中日ドラゴンズの投手だった板東英二さんで,いつも野球の話題で盛り上がっていました。そこで,この番組の視聴者が作って番組に投稿したのが,「月光仮面」のテーマソングのパクリのような「燃えよドラゴンズ」という中日ドラゴンズの応援歌でした。名古屋だけ,この歌が大ヒットしました。

 私は,今でこそまったく日本のプロ野球に興味はないのですが,そのころは,受験勉強そっちのけで毎日野球中継を見たり聴いたりしていました。優勝パレードも見ました。今では懐かしい話です。
 当時のビデオを見ると,いろいろなことを思い出します。優勝したとはいえ,最後の2連戦で連勝しなくてはならないというぎりぎりのもので,しかもそのひとつ前のゲームも敗色濃厚,9回の表になんとか同点にして,その裏に当時のエースだった星野仙一投手を抑えとして登場させてなんとか逃げ切ったというものでした。
 そんな劇的な出来事も,今の若い人はまったく知りません。そしてまた,当時のヒーローだった星野仙一投手も70歳で,高木守道選手も78歳で,大島康則選手も70歳で,もう亡くなってしまいました。スポーツ選手は短命です。
 人生なんて,たかがこれくらいのものなんだと,今は思います。


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Harvest Moon 2021.

明け方の中秋の名月です。
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 このごろ,日本語というのは世にも不思議な言語だと改めて思うようになりました。
 ひらがなにカタカナ,そして,漢字と,これほど文字の種類がある言語がほかにあるのでしょうか。特に,コンピュータを使っていると,こんなに不便な言葉は他にはないのでは,としみじみ思います。 これこそが,日本という国が何事もぐっちゃぐちゃである,この民族の国民性のなせるわざでしょう。まさに,この国の,その場さえとりつくろえば先のことはその時点で考えようという長期展望のないシステムや,自分の周りさえちゃんとすればいいといった情景と一緒です。
 いえ,文化という面ではそれでもいいのです。日本語の長所というものもたくさんあるのでしょう。しかし,コンピュータ時代にこの言語をコンピュータで利用するとなれば,日本語はかなりのデメリットとなってしまいます。

 日本語を,まず,言語の仕組みという面から考えてみます。
 英語で「I have a pencil.」 という文章を例に取り上げます。
●英語はわずか26文字で何万語の漢字の代わりとなる。
 英語の単語というのは,それぞれが漢字のようなものです。 「I=私」「have=持(つ)」「a pencil=鉛筆」という感じです。つまり,「pencil」という単語は漢字で「鉛筆」と書いてあるのと同じです。そのとき,漢字であれば何万語というそれぞれの文字があるのですが,英語なら,わずか26文字のアルファベットを組み合わせて漢字を作っているようなものです。つまり,アルファベットなら26文字を組み合わせればよいものを,漢字だと何万語のそれぞれが異なる様々な文字が必要であるわけです。そこで,アルファベットなら26文字しかないのでキーボードで簡単に打てますが,漢字であれば変換しないと表記できないので,手間がかかります。
 「I have a pencil.」は「私・持(つ)・鉛筆」 と書いてあるのと同じわけです。
●英語は語順の違いで意味を表す。
 英語では語順が重要な意味をもちます。つまり,「I have a pencil.」は「I a pencil have.」や「a pencil have I.」ではいけないのです。 一方,日本語では,語順を決める代わりに助詞を使います。助詞を使えば「私は鉛筆を持ちます」でも「私は持ちます鉛筆を」でも「鉛筆を持ちます私は」 でも意味が通じるわけです。英語では語順で決める,その代わりを助詞が行うのですが,そのために,助詞という余分な文字が必要になるわけです。
 ドイツ語は,英語とは異なり,語尾変化が日本語の助詞のような役割をするので,語順は英語のように決まりませんが,2番目が動詞というきまりがあります。また,フィンランド語は,語尾変化が複雑で,これが日本語の助詞と同じような働きをするので,むしろ日本語より難しいといわれます。
 そこで,英語は若干の語尾変化はありますが,それよりも語順によって意味を示すので,助詞の必要な日本語や複雑な語尾変化を伴う他の言語よりも単純だといえます。そして,その規則のおかでで,コンピュータ言語のような規則性のあるものに活用しやすいという利点があります。
●日本語はひらがなだけでは読みにくい。
 もし,漢字がなく,すべてをひらがなで「わたしはえんぴつをもちます」と書くと,速読もできず,なかかな理解もできません。「 私は鉛筆を持ちます」だからわかるのです。
 ハングルにはあまり詳しくはないのですが,ハングルは,日本語のひらがなのようなものらしいので,ハングルを使っている人が理系の思考をしようとすると,英語で考えたほうが考えやすいと聞いたことがあります。
 英語の長文を読んでいると,ひとつの単語は,まるで1語の漢字のように思えます。だから,漢文を読んでいるような感じです。これがすばらしいのです。わずか26文字のアルファベットでこんなことが可能なのです。

 次に,別の面から考えてみます。
 コンピュータでデータを扱うときにデータベースを用います。
 通信販売の顧客管理やある集まりの会員名簿を作るとき,データベースを利用してさまざまな情報を入力します。そのとき,日本語では,その入力の形式がそれぞれのデーターベースによって異なっていることを経験したことがあるでしょう。
 たとえば,氏名ひとつにしても,姓と名を別のボックスに入力する場合と同じボックスに入力する場合,また,姓と名を1文字空ける場合と空けない場合があります。住所の入力もまた,都道府県で区切る場合,市町まで同じボックスに入れる場合,さらに,番地などの数字を全角で入力するか半角で入力するかなど,日本では統一したものがないのです。
 これは,日本語というだけの問題ではなく,住所表記の方法の問題でもあります。
 従来から,住所表記の方法すら日本では全国で統一されていなかったからです。これもまた,いかにも,すべてがいい加減でその場しのぎな日本ならではです。
 さらに,氏名にはふりがなというものがあります。そもそも,氏名という最も基本的なデータがふりがなをつけなければ読めない,また,あいうえお順といったソートもできないということ事態,摩訶不思議な言語です。英語ならアルファベット順にできます。そして,そのふりがなが戸籍上はあくまで慣習であって正式なものではないのです。やっとそのことが問題であると認識されて,法律で決めようという意見が出はじめたらしいのですが,実用化されるのは,まだまだ当分先のことでしょう。
 それに加えて,漢字には「齋」「斎」「斉」といったようにひとつの漢字にも多くの異字体があったり,さらには,「吉」のように,「土に口」でなく「士に口」といったように,そんな正式な漢字すらない,など,漢字すら一様に決められないという状態があるのです。アルファベットならどんな「a」であろうと「a」です。
 これでは,データベースなど作れません。

 日本語は文化という側面では,他の言語に比べて味わい深いものであるということは否定できません。 しかし,世界と競争しなければならない科学技術の世界では,日本語の使用はハンディでしかありません。そしてまた,英語を母国語とする技術者にくらべて,日本語を学び,さらに英語が使えるためには,膨大な時間とエネルギーが必要です。


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●マンモスケイブ国立公園(Mammoth Cave National Park)
 カールズバッド国立公園を紹介した折に思い出したので,忘れないうちに今日はマンモスケイブ国立公園を紹介します。
 アメリカの東側にも国立公園はあるのでが,私が参考にしている「地球の歩き方」の「アメリカの国立公園」編にはまったく載っていません。このように,マンモスケイブ国立公園は情報が少なく,当然日本からのツアーなども存在しないと思われます。したがって,私も,マンモスケイブ国立公園がどんなところなのか,まったく見当がつきませんでした。
 マンモスケイブ国立公園は,ケンタッキー州の中央部にあって,世界でもっとも長い洞窟群であるマンモスケイブを含む国立公園です。
 国立公園の敷地は214平方キロメートルもの広さがあって,東海岸の多くの都会から比較的容易にアクセスできるので人気です。マンモスケイブは,1本の大きな洞窟があるのではなく,大小さまざまな洞窟が奥の方でつながり合っていて,現在通行可能な洞窟の長さは600キロメートル! もあります。日本の秋芳洞は通行できるところが5キロメートルほどしかないことを考えると,途方もないスケールです。
  ・・
 マンモスケイブの歴史は3億5,000万年前にさかのぼります。浅い海に住んでいたウミユリとか貝類やサンゴなどの死骸がどんどん堆積して,石灰岩を形成,やがて海が大地になり,大地に降り注いだ雨が石灰岩を溶かし,隙間から地下に流れこみ,地下水が長い年月の間に石灰岩をさらに溶かし,地下水の川となり,川の流れで空洞と空洞がつながっていって,洞窟をどんどん拡大させていったものです。
 私はツアーに参加して,洞窟を巡ることにしたのですが,ここは非常に人気があるので,早朝到着して,予約をしました。
 ツアーガイドについて階段を降りると,そこから先の洞窟はものすごく広くて天井も高いものでした。洞窟内の気温はいつも15度で,少しひんやりと涼しいところでした。
 この洞窟は,以前マンモスケイブが鉱山として使われていた跡が残されていて,落書きがあったりするので,大自然のなかの未開の場所,という感じではありません。しかし,途中にはいろいろな岩や穴があって,階段から見るとぞっとする深さだったりもします。ツアーでは440段の階段を上り下りするのですが,ツアーで最後に訪れるのが「マンモスドーム」(Mammoth Dome)。この「マンモスドーム」とよばれる巨大な縦穴は,マンモスケイブでも最大の高さを誇ります。
 「マンモスドーム」を過ぎると,ここから150段の階段がジグザグにグルグルとつけられていて,出口までひたすらこれを登っていくことになります。その途中にある「ファトマンズミザリー」(Fat Man’s Misery)という通路は,太った人が惨めな思いをするという意味の狭い回廊で,数10センチ四方しかない横穴です。
 マンモスケイブはカールズバッドの洞窟よりもずっと規模が大きくて,しかも高低差があるのですが,鍾乳洞という意味からは,カールズバッドの洞窟のほうが,古来より人間の手にかかっていないだけに素朴なところでした。


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●カールズバッド国立公園(Carlsbad Caverns National park)
 カールズバッド国立公園は洞窟です。
 前回書いたホワイトサンズ国定公園とこのカールズバッド国立公園を巡って1日コースとなります。
 カールズバッド国立公園で最も有名なのはコウモリの飛翔(The Bat Flight)で,夕刻になると,エサを求めて30万匹のコウモリが洞窟の入口から30分以上にわたって飛び立つのが見えるというのですが,これが見えるのは夏の間ということなので,春に行った私は残念ながらそれを見ていません。
 ここの洞窟は,今から2億年ほど前,地底に堆積したサンゴ礁による石灰層が数百年前に隆起し,雨水に浸食されてできたものということで,世界最大級の鍾乳洞であり,長さは180キロメートル,深さはアメリカ最深で地下489メートルもあります。
 トレイルに沿って,延々と地底に潜っていく感じでした。しかし,洞窟の中というのはなかなか距離感がわからず,そのすべてがあまりに雄大であり,かつ,比べるものがないので,その大きさが実感できないというか,実際よりも大きく感じるというか,不思議な気持ちになります。
  ・・
 これを書いていて,私は頭が混乱してきました。それは,このカールズバッド以外によく似たアメリカの鍾乳洞に行ったような気がしてきたからです。
 そこで調べてみると,このカールズバッド国立公園に行ったのが2014年の春で,その翌年2015年の春,ミズーリ州のカンザスシティに行った折にアメリカの中東部を巡ったとき,ケンタッキー州のマンモスケイブ国立公園(Mammoth Cave National Park)へ,そして,その翌年2016年の夏には,東海岸をフロリダ州から北上したとき,バージニア州のルーレイ鍾乳洞(Luray Caverns)へ行ったことを思い出しました。
 その中でも,マンモスケイブは長さが579キロメートルと世界最長を誇る鍾乳洞でした。
 いずれにして,この3つの鍾乳洞はどこも途方もなく大きいところで,こんなところに行ってしまうと,日本の鍾乳洞なんて赤子のようなものです。ちなみに,秋芳洞は,全長がわずか約10キロメートル,深さは137メートルでしかありません。


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 それは阪神・淡路大震災が起きたときのことですから,1995年,今から26年前です。当時の私は民放のニュースを見ていたのですが,地震が起きたときに,NHKのニュースを見ていた友人に比べて,うかつにも大事な情報をずいぶんともらしました。そして,やはり,ニュースはNHKを見なけらばダメだと悟りました。
 それ以来,報道番組はNHKばかりを見るようになり,報道番組以外にも,特にBSPは良質の番組が多く,とてもためになりました。 
 このような経緯で,私はNHKの番組を数多く見るようになりました。

 あれからずいぶんと経ちました。そして,2020年,コロナ禍が起きました。そしてまた,社会は変化し,インターネットテレビが多く登場しました。
 NHKはコロナ禍が起きると,「L字テロップ」やらQRコードやらで画面を飾り,情報の押し売りのような報道をはじめました。しかし,その報道の内容はきわめて情けないもので,感染者が何人だのといって毎日毎日やたらと騒ぎたてるだけ。しかも,総合,Eテレ,BS1,BSP,さらには4K,8Kとチャンネルは大量にあり,おまけにNHK+というインターネット放送まではじめたのに,それらを明確に区別することもなく,切り分けもせず,同じような番組を同時に流しています。
 この夏など,オリンピックとパラリンピックと高校野球がすべてのチャンネルを占拠し,その合間に「お得意」のニュースを流し,あとは再放送ばかりでした。
 一体,何をやっているのでしょうか。テレビが唯一の楽しみというお年寄りや病気の人,そして,テレビのおかげで様々なことが学べる子供たち,こうした人たちが見るものがありません。テレビを見て,日ごろのストレスを発散している人や,娯楽番組を楽しみにしている人たちは人として思われてもいないかのようです。
   ・・
 ラジオ放送もまた,第1,第2,FMとあるのにもかかわらず,これもまた,良質のFMのクラシック番組を潰して高校野球をやっていたりするので,私には聴くものがありませんでした。また,私の嫌気にとどめを刺したのが,日曜日の昼過ぎのクラシック音楽の途中で,まったく意味のない臨時ニュースが流れたことです。これを聴いたときに怒りすら覚えたのですが,同じことを朝日新聞の9月16日の「はがき通信」欄に投稿した人がいました。私と同じことを思った人がほかにもいることに意を強くしました。一部引用します。
  ・・・・・・
 (9月)5日の「×クラシック」を聴いていたら,臨時ニュースが割り込んできた。何事かと思ったら,自民党総裁選に高市早苗氏が立候補する意向を固めたというニュースだった。…FMの音楽番組を安直に臨時ニュースで壊さないでほしい。
  ・・・・・・

 昔からそうなのですが,大リーグ中継や大相撲中継の合間に5分程度のニュースなど流す意味がわかりません。それも,その時点に流さなけばならないようなニュースはまれです。こんなものなら,民放のCMのほうがよほどましです。これでは,ニュースの押し売りです。
 今どき,ニュースなどどこからでも手に入ります。昔のように,テレビが唯一の情報源,という時代とは違うのです。しかも,全国放送といいながら,NHKのニュースは完全に東京偏重です。海外のニュースの多くもCNNのように直接取材をせず,外国の放送を垂れ流しているだけです。また,台風情報や地震が起きたときの臨時ニュースなども同じことを何度も何度も繰り返し読んでいるだけです。視聴者をバカにしています。
 本当に,近ごろのNHKはどうかしています。
 テレビを見ていると,ラジオを聴いていると,世間のしがらみを忘れて楽しんでいる途中で臨時ニュースが侵入してきたり,テロップが出てきたり,ラジオ番組が中断したりして,むしろ精神的におかしくなってきます。これではDVです。新型コロナウイルス以上に,テレビに突然現れる速報や不安を煽る報道番組でそれを見ている人が精神的に障害を起こすいわば「放送電波ウィルス」の方がよほど危険です。しかし,縁を切ろうが,無視しようが,家庭にテレビが,それどころか,近年はパソコンがあるだけで受信料がついてきます。
 こんな状態でありながら月に2,000円ほどもする受信料を半ば強制的に徴収するなど,よくもまあ,いけしゃあしゃあとやっているものです。その料金に見合ったものを放送しているとは,私にはとても思えません。しかも,オンディマンドとかで,見損ねた番組を後で見ようとすれば,受信料以外にもお金を請求してきます。でありながら,放送するコンテンツが不足すると,それをまた再放送で何度も何度も流しています。こんなものだったら受信料をやめてすべての番組をPPVにして,見たい人だけがお金を払えばいいのです。
  ・・
 良質のクラシック音楽は,BSPに頼らなくても,YouTubeなどにいくらでもあります。
 MLB中継はBS1でなくともABEMAやYouTubeで放送しています。
 毎度同じような朝ドラも,ものすごいお金をかけて作られている大河ドラマも,もはやネタ切れです。他のドラマは民放のほうがずっとできがいいし,TVerで見られます。
 歴史ドキュメントは正確な名前は忘れたけれど「邪馬台国の真実」だとか「本能寺の変の真相」だとかいうようなテーマだけは新鮮だけど内容はいつも同じようなことを何度も何度もやっています。しかも,お笑いタレントを起用してくだらない質問をする,程度の低いものに成り下がっています。 
 私は絶対に見ないけど,未だにやっているらしい紅白歌合戦なるものは,AKBとか乃木坂何とかとかいう同じ服をきた女の子が高等学校の学校祭の応援合戦のように踊るグループの独擅場らしいですが,アメリカのNFLのチェアガールのほうがよほどレベルが高いです。
 かろうじて「コズミックフロント」と「にっぽん横断こころ旅」だけは見ているけれど,「コズミックフロント」はネタ切れらしく再放送ばかりなので,今は「にっぽん横断こころ旅」しか見るものがありません。
 そんなわけで,私は,もはや,今の時代,こんなNHKなら不要だと思うようになりました。
 見ないのに,お金もないのに,毎年多額の上納金を取り立てるNHKなどない国に住みたい。

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 これまでに書いてきたのが現在の人工知能をとりまく状況です。
 そうしたことを知ったうえで身の回りを見渡したとき,この国でやっている報道の分野もまた,あまりに遅れたものであることに気づくでしょう。
  ・・
 私はテレビは暇つぶしの娯楽としか思っていないので,民放のワイドショーはもちろんのこと,ほとんどの報道番組は見ません。
 以前はNHKのニュースは見ていたのですが,コロナ禍以降,何を知らせたいのか全く意味不明で,これもまったく見なくなりました。やっていることは感染者の数ばかりで,こんなことを相も変わらず1年以上も放送しているようです。不安を煽るだけで,何が伝えたいのかまったくわかりません。さらに,アナウンサーのまるで小学校の教師のような説教口調が気に障ります。少しはCNNでも見習えばいいのにと思います。

 オリンピックやパラリンピックもまったく興味がないので,1秒も見ませんでしたし,私は日本のプロ野球も高校野球も関心がありません。
 私がこれまでスポーツ中継で見ていたのはMLB中継と大相撲中継でした。しかし,MLB中継は英語での放送しか見る気がしません。これもまた日本のアナウンサーや解説者の話が聞きたくないからです。NHKのスポーツ中継のアナウンサーは昔から独特なもの言いで,私はきらいです。そんなアナウンスはないほうがいいくらいに思っています。またどんな番組も途中でニュースを挟む意味がわかりません。今は,MLBのライブ放送がYouTubeで英語で放送されるようになったので,もっぱらそれを見るようになりました。ABEMAもすべて英語のまま放送すればいいのに,どうしてわざわざ日本語のアナウンサーをつけるのか,私には理解ができません。
 大相撲は従来から北の富士勝昭さんの解説以外は見る気になりませんでした。しかし,横綱稀勢の里の引退後,今は,大相撲そのものにまったく興味がなくなってしまったので,遠ざかりました。先場所など,もし見ていたら不快になっただけでした。
 インターネット中継が発達して,もはや,従来のNHK放送そのものがものすごく時代遅れのものに思えます。そんなものに月2,000円以上もする受信料をほぼ強制的に取り立てる意味がわかりません。

 さて,ここから,やっと将棋の話です。
 これまでに書いてきた科学技術の発達で,将棋もまた「将棋AI」とかなりの関わりをもって行われるようになって来ました。
 藤井聡太三冠の活躍で,ABEMAでは将棋の放送をひとつのウリとしています。将棋の放送では,解説者と聞き手が「将棋AI」を使いながら,素人に,難しい将棋をわかりやすく説明をしてくれます。しかし,この解説というのが意外とむずかしいのです。出来不出来の差が大きすぎます。
 解説者によって内容の難易度がさまざなのはよいとして,あまりに不勉強な棋士が解説者として出演するといやになります。特に藤井聡太三冠の将棋はとても高度なので,解説者が将棋の内容を理解してその意味をわかりやすく伝えてくれたときはものすごく感動しますが,その反対であると飽き飽きします。という以上に,せっかくのすばらしい棋譜のよさが伝わらず,台なしになってしまいます。
 このように,「将棋AI」によって,解説者の実力がたちどころにわかってしまうのです。
 解説で登場する棋士の中で私がすばらしいと思うのは,たとえば,広瀬章人八段,戸部誠七段,高見泰地七段,及川拓馬六段などです。とりわけ,高見泰地七段はすばらしいです。先日の叡王戦第5局の終盤における「藤井聡太のAI超え」といわれた▲9七桂の解説など絶賛に値します。
  ・・・・・・
「エッ,そこですか? これは考えていなかった」
「アッ,そうか。(次の)▲8五桂が詰めろになっている可能性はないですか?」
「藤井将棋はこれがあるというか。超手数の詰めろになっている可能性があるというか。普通の人とは見る世界が違っていますね」
  ・・
「コンピュータは▲9七桂をちょっとといっていますが,自分からするとすばらしい手というか。人間にとってはいい手だなあと思いましたね」
  ・・・・・・
 指した当初,「将棋AI」は▲9七桂を悪手と認定したのですが,実際は,5分以上「将棋AI」にさらに深く読ませると,▲9七桂はやはり最善手だったそうです。それを2分の考慮時間で指した藤井聡太三冠はもちろんのこと,その手のすばらしさをコンピュータより先に指摘した高見泰地七段の解説はみごとでした。解説が高見泰地七段でよかったと思いました。

 それに対して,年配の棋士の中には,まったく勉強していないというのが明白で,単におじさんの小遣い稼ぎのようなものがあります。そうした棋士の人柄がいいとか話がおもしろいということと解説とは別問題で,私はそうした棋士の漫才が聞きたいわけではないのです。あれでは藤井聡太三冠の読みの深さがまったく伝わらず,埋没していまいます。それだけならともかく,さらに,古い価値観で正しい指し手を批評するような人は,むしろ害があるくらいです。
 解説者というのは,対局者以上に勉強が必要で,自分の勝敗とは関係がないとばかり,適当にやられては困るのです。

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 人工知能の目標は,入力を論理的に解釈し,出力を人間に説明できるソフトウェアを実現することです。 人工知能は,人間とソフトウェアの間に人間同士のような対話をもたらし,特定のタスクに関する意思決定を支援しますが,人間に取って代わるものではなく,近い将来にそうなる可能性もありません。
  ・・・・・・
 高度な情報社会では,人工知能について様々な研究がなされ,実現されるようになってきました。
 人工知能は,車の自動運転や医療,画像認識,自動翻訳などいろいろな分野で活用されているのですが,そうした学問的な研究を発展させる題材のひとつとして,将棋や囲碁があるのです。それを「将棋AI」とか「AI碁」とか名づけて,楽しんでいるわけです。

 近年「将棋AI」は将棋の研究に,そして「観る将」といわれる将棋ファンになじみのもとなっています。「観る将」にとれば,将棋を楽しむための手段ですが,将棋を生業とする棋士の人たちにとってみれば,勝敗に直結するだけに,それをどう活用するかは死活問題です。
 現代社会は,スマホすら使いこなせない年配の人にとっては過酷な時代ですが,それは将棋の棋士にも同じようにあてはまります。
  ・・
 今のプロの棋士の対局を観戦していると,そういった最新技術を使いこなせている若手の棋士と,そこに乗り遅れてしまったベテランの棋士とでは,まったく違うゲームをやっているようにさえ思えます。つまり,同じ局面を見てもベテランの棋士と若手の棋士とではその評価が異なるのです。だから,ベテランの棋士が若手の棋士の対局に解説者として登場しても,もはや,解説は重荷のようにさえ思えます。
 彼らの多くは当然それを知っているから,将棋の「手」の解説はできるだけ避けて,昔話をしたり,雑談したりして,お茶を濁して時間を稼いているように私は感じます。娯楽として楽しむには,技術的な話などどうでもいいと思っている「観る将」も少なくないので,それなりにその存在意義はあるのでしょう。
 しかし,醜いのは,ベテランの棋士の中で,そういう時代であるということすら認識していない人です。そのような棋士は,昔はそうは習わなかった,とか,私はそんな手はいい手とは思えない,というような過去の評価で解説ぶった話をします。しかし,それは「解説」ではなく「怪説」です。
  ・・
 そうしたベテランが棋士が本業である対局をするとき,ベテラン同士の対局はふたりとも同じ価値観だからコロコロと優劣が変わる昔の将棋を見ているようなもので問題ないのですが,若手と対局をするときにそれが如実に現れてしまい,まったく歯が立ちません。
 しかし,ベテランであっても上位を保ち続けている一部の棋士は,さすがにその危機的な状況がわかっています。渡辺明名人が140万円するコンピュータを買ったというのは,まさに,そうした新しい流れに乗り遅れないために必死だからでしょう。

 この先の話は次回にして,以下,話が逸れます。
 それでもまだ,将棋のような娯楽の分野はいいのです。
 現在の教育においてもまた,同じようなことに直面しているにもかかわらず,大多数の人たちは,そんな社会の急激な変化についていけず …ならまだしも,社会が急激に変化しているということを知らない,という点が大問題なわけです。
 人工知能の発達で,従来の主要5教科とよばれた分野で学習していた内容よりはるかに膨大でかつ従来とは価値観の異なる情報科学の知識をこれからの若者は社会に出たときに必要としているにもかかわらず,それを今の学校教育ではほとんど学習しない,そして,できないわけです。 そしてまた,そのことすら,教える側の多くがわかっていないのです。さらに,わかっていない有識者がカリキュラムを作っているのだから,救いようがありません。
  ・・
 教育に限らず,時代の変化にもっとも遅れをとってしまっているのが政治です。
 おそらく,日本の政治家のほとんどは,新しい技術の急激な発展に社会がさらされていることすら認識していないことでしょう。そうした彼らがこの国の政策を決めているわけです。専門家がそれを助ければいいのですが,なにせ,今の政治家は専門家を軽視する風潮が著しいのです。
 こうして,現在,この国が迷走をしている様は,まさに黒船が来航したとき匹敵する危機的な状況となっています。
 結果の善悪はともかくとして,黒船が来航した時代は,自分を犠牲にして国を守ろうとしていた若者たちの中に,西洋に出かけて当時の最新の知識を習得して帰国した「維新の志士」もいました。かれらはある意味めっちゃくちゃな人たちでしたが,莫大なエネルギーがありました。しかし,残念ながら,社会の変化についていけない保守層がいて,そこで軋轢が生まれ,そのほとんどは暗殺され,また,多くの悲劇が生まれました。
 そうした歴史を考えたとき,今もまた,社会の変化についていけない権力を握った保守層によって,今の若者には明日につながる知識が与えられず,それどころか,エネルギーを奪い取られてしまっているような気がしてなりません。


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 将棋でコンピュータが人間に勝ったというニュースなどで,ここ数年,人工知能が脚光を浴びるようになりました。そして,それとともに機械学習とかディープラーニングという言葉が一般に使われるようになってきました。
 人工知能というのは私が大学生のころ,つまり今から40年以上も前から研究はされてきましたが,今のようにコンピュータが一般化されていなかったので,当時は夢物語でした。そんなことはできるわけがないと浅はかな私は思っていましたが,それが現実のものとなりつつある時代です。
 将棋や囲碁でコンピュータが人間を負かしたとかといったことで大騒ぎをしていますが,多くの人はその意味の重大さをわかっていないように思います。私は,人類は恐ろしいものに手を染めはじめたものだという恐怖すら感じるのですが…。
  ・・
 以前,アメリカのテレビドラマ「宇宙大作戦」について書きましたが,あのドラマで描かれていたことの多くが,今,実現しているのを見ると,私はすごく興味を覚えます。アメリカには,あの時代にすでにあのような発想ができる人がいたというのがすごいことです。
 確かに,ドラマの中には,今見るとまったく滑稽であったり,装置の物理的なボタンとかブラウン管のディスプレイなど,「予言」がまったく異なっていたことも多くありますが,ソフトウェア的な側面からみると,おおよそはその予言どおりになっているのに驚きます。それが人工知能です。

 人工知能は今では一般にもAIとして認知されていますが,人工知能というのは人間の知的ふるまいをソフトウェアを用いて人工的に再現しようとする試みです。
 人工知能(Artificial Intelligence=AI)という用語がつくられたのは1956年のことですが,データ量の増大,アルゴリズムの高度化,コンピューティング性能やストレージ技術の発展といった近年の動向によってそれが実現されるようになったことで,広く知られるようになってきました。
 人工知能は,大量のデータを高速な反復処理やインテリジェントなアルゴリズムと組み合わせ,ソフトウェアがデータ内のパターンや特徴から自動的に学習できるように,大枠の動作をプログラミングすることで機能します。人工知能の研究は次のようなアプローチがされています。
  ・・・・・・
●機械学習
 人間が経験を通して自然に学習することを,同じように,コンピューターに大量のデータを与えて,人間が特徴から定義を与えて,その定義をもとに,コンピュータが自らアルゴリズムを導けるようにするものです。その際,既定の方程式をモデルとして用いることなく,データから直接的に情報を「学習」することで新たなアルゴリズムを導くのです。
 機械学習は,人間が調査範囲や結論を決めてプログラミングするのではなく,統計,オペレーションズリサーチ,物理学など様々な手法を活用することで,コンピュータが自らデータ内に埋もれている洞察を発見します。
 機械学習には,ニューラルネットワークを活用したディープラーニングなどがあります。
〇ニューラルネットワーク
 脳のニューロン(神経細胞)のように,相互に接続された処理単位で構成されます。これらの処理単位が外部からの入力に応答し,互いに情報を受け渡すことによって情報を処理します。
〇ディープラーニング
 処理単位が多階層化された大規模なニューラルネットワークを活用し,コンピュータ自身が特徴を見つけ,自働的に定義するものです。コンピュータの性能の進歩とトレーニング手法の向上によって,大量のデータから複雑なパターンが学習できるようになってきました。
 一般的な用途としては,画像認識や音声認識などがあります。
●コグニティブコンピューティング(Cognitive Computing)
 コグニティブコンピューティングは,人間のように自ら理解,推論,学習するシステムです。コンピュータがデータを自律的に判断し処理するため,同じデータを入力しても同じ出力が得られるわけではなく,複数の選択肢の中から状況に応じて最善の答えを導き出します。
 たとえば,画像データからどのような部分に異常があるかを自己学習し,人間の感覚や経験に頼るよりも正確で安定した判定が可能になります。
●コンピュータビジョン
 パターン認識とディープラーニングにより,写真やビデオに何が写っているかを認識します。
 コンピュータが画像を処理,分析,理解できるようになると,画像やビデオをリアルタイムで取り込み,撮影場所の周囲の状況を解釈することも可能になります。
●自然言語処理(Natural Language Processing=NLP)
 コンピュータが人間の音声から言語を分析,理解,生成できるようにすることを目指します。
 自然言語処理の目指すのは「自然言語による対話」です。これが実現すれば,人間は普通の日常的な言葉でコンピュータとコミュニケーションができるようになります。
  ・・・・・・
 近ごろ,藤井聡太三冠や渡辺明名人が,ディープラーニングを用いた将棋ソフトを導入したといって話題になりました。
 ディープラーニングを用いた将棋ソフトは,初期の将棋ソフトが人間が指した将棋の棋譜を大量に学習させることでデータを構築し強くしたのに対して,ルールなどの基本的な情報を与えるだけで,それをもとにコンピュータが自分で対局を繰り返して実力をつけていくというものです。
 このように,今では,コンピュータが自ら学習をしそれをもとに,まさに考えるようにして実力をつけはじめました。それに対して,相変わらず,人間が,自分の頭で考えるのではなく,ドリル学習のように,お手本をもとに見よう見まねで問題を解いたり穴埋めをしているのを「お勉強」と称しているようでは,先々が思いやられます。


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 前回までグランドサークルの国立公園とそれに付随してロッキーマウンテン国立公園について紹介してきました。
 グランドサークルの国立公園で私がまだ行ったことがないのが,キャピトルリーフ国立公園,キャニオン・デ・シェイ国定公園,メサベルデ国立公園なのですが,先に書いたようにキャピトルリーフ国立公園はダート道が続くので断念して,キャニオン・デ・シェイ国定公園とメサベルデ国立公園は2020年の夏に行くつもりだったので,少し心残りです。また,アリゾナ州の南には,サワロ国立公園とチリカワ国定公園があって,ここもまだ行っていません。この辺りはキットピーク天文台などの天文台があるので,それとともに行こうと考えてたのですが,これもまた,夢に終わっています。
  ・・
 さて,今日からはさらに南に下って,ニューメキシコ州のホワイトサンズ国定公園とカールズバッド国立公園を紹介することにします。
 私がホワイトサンズ国定公園とカールズバッド国立公園行ったのは2014年の春のことでした。
 ニューメキシコ州やテキサス州は春に行くべきで,夏では暑すぎます。
 もともと私が行きたかったのはUFOで有名なロズウェルだったのですが,このときテキサス州から西にインターステイツ10を走り,ロズウェルからさらにサンタフェまで行くことができました。このふたつの国立公園はその途中で寄ることができました。
 ニューメキシコ州は,行けるものなら行ってみな,というほど,日本から行くのがたいへんなところです。よほどのエネルギーと情熱がないと行くことができません。ニューメキシコ州の大地は,それはそれは現実離れしていておもしろいところでした。どこに宇宙人がいても不思議な気がしません。

●ホワイトサンズ国定公園(White Sands National Monument)
 ホワイトサンズ国定公園はエルパソから2時間ほど北に行ったところにあります。砂が白い砂漠,という感じなのですが,この白い砂は石膏の粉で,砂とは違って歩いていても沈まないし,表面は暑くなりません。
 到着したときは,一見規模が小さそうだったので,何だ予想以下じゃないか,と落胆したのですが,それがそれが,実際はすごいところでした。私がもっとも記憶に残るのは,あわや迷子になりそうだったということです。駐車場に車を停めて,軽い気持ちでトレイルを歩きはじめたのですが,どこを見ても景色が同じで,写真を撮っているうちに方角がわからなくなってしまったのです。一応,行先の目印はあるのですが,反対方向に行ってしまうと,とんでもない時間がかかるのです。これには驚きました。
 幸い,遠くに車が見えたので事なきを得たのですが,アメリカの大自然を甘くみてはいけないのです。また,いい経験をしました。
 私はアメリカの旅では,モンタナ州で交通事故にもあったし,ロサンゼルスのマクドナルドで置き引きに遭ってパスポートも含めて何から何まですべて盗られたことももあったし,ロッキーマウンテン国立公園では山で遭難もしかけたし,アラスカ州では深夜に車を運転していてトナカイとぶつかりそうになったし,ワシントン州では運転している車にシカが激突してきたし,シアトルではパンクもしたし,カンザスシティからデトロイトに行く途中の飛行機が煙を吹いたこともあるし,今回は,ホワイトサンズ国立公園でトレイルを歩いていて進む方向がわからなくなりかけたけれど,そんな数々の災難にもかかわらず,これまで無事に生き延びたことが,今考えると奇跡のような気がします。


◇◇◇
藤井聡太九段,
史上最年少三冠達成。

王位,棋聖に続いて,叡王を獲得しました。
昨日のタイトル戦の「あざとい」(姉弟子の室田伊緒女流二段談)藤井聡太新三冠のおやつは
「コロコロしばちゃん」でした。
次は竜王戦挑戦です。
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◇◇◇


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「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

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 前回ダイナソア国定公園を書いたので,それに関連して,今日は,国立公園ではないのですが恐竜の展示で有名なので,2015年に行ったモンタナ州ボーズマンにあるロッキー博物館を紹介します。

●ロッキーズ博物館(Museum of the Rockies)
 私のこころの故郷がモンタナ州です。ボーズマンという町は,モンタナ州の中でも,ビュートについで思い出に残っているところです。
 ボーズマンにはモンタナ州立大学があるのですが,この広大な構内にモンタナ州の自然を扱うロッキー博物館があります。もともとはモンタナ州立大学の付属組織でしたが,現在はスミソニアン協会にも所属しています。
 ロッキー博物館は,モンタナ州の大地の生い立ちが標本と解説パネルで展示された大きな博物館です。
  ・・
 博物館の目玉は映画「ジェラシックパーク」のスタッフが監修をしている恐竜の展示です。
 これまでに発見された中で最大のティラノサウルスの頭蓋骨,これまでに発見されたふたつしかない完全なもののうちのひとつや軟部組織の遺骨を含むティラノサウルスレックスの大腿骨など,13の標本や,トリケラトプスと赤ちゃんなどを所有するアメリカで最大の恐竜遺物があります。
  ・・ 
 また,恐竜の展示以外には,38億年前のベアトゥース片麻岩の展示コーナーや「北ロッキー山脈地域の歴史」のコーナーもあります。
 さらに,かつてこの地方にすんでいたネイティブアメリカン,毛皮商人,金探求者,フロンティア時代からの入植者などの展示や,屋外には住居跡も再現されています。

 ロッキー博物館だけでなく,アメリカを旅していて驚くのは,どこに行っても,日本にはありえないような巨大な博物館や美術館があることです。こうした施設の建物は美しく,管理が行き届いていて,いるだけで賢くなった気になるようなアカデミックさを備えています。日本では,こうした施設の多くが思いつきのようにつくられて規模も小さく,できたときだけは予算がついても,その運営や維持には最低の予算しかないので,次第に古くなり,展示にも魅力がなくなって,リピーターもなく,閑古鳥がないているのとは大違いです。
  ・・
 博物館や美術館には,すごく詳しい説明パネルがあり,専門家がいます。そして,展示のレベルが高く,ホンモノがたくさんあります。また,いつもなにがしかの企画や講演,公開講座があります。そこで,そうした場所には,知的好奇心のある大人が大勢訪れています。こうした博物館や美術館を運営するための予算の多くが寄付でまかなわれているそうです。アメリカに行くと,人々の生涯にわたる学問や文化への関心の高さを感じます。
 私もこうした施設を訪れて,日本では見ることができない多くの貴重な展示に接することをアメリカの旅の楽しみのひとつとしています。


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 「絵に描いた餅」ということばがあります。中途半端な都会に住んでいた私は,まさに,何ごともこの「絵に描いた餅」で,本で読んだりテレビで見たりした知識しか知らずに齢をとりました。
 憧れだったオニヤンマもクロアゲハも天の川も見たことはありませんでした。
 しかし,この「絵に描いた餅」で何とかなるのは数学くらいのもので,これでは生きる知識を得ることができません。
  ・・
 齢をとって,本から得られる知識よりも先に必要なのは,まずは現実を知ることであって,知識ははじめに本から得るものではないと,つくづく思うようになりました。
 たとえば,旅行のガイドブックも,そうした知識もなく,まず,現地に行って,体験してから読むべきものです。
 語学の勉強もまた,先に試行錯誤して人とコミュニケーションをとろうとしたあとで,はじめるべきなのです。
 そうした動機づけがないようなことは身につきません。

 ということで,田舎に住むようになった私は,このごろ,夜明けと日の沈むころに散歩をするのが最大の楽しみとなりました。そして,田舎に住んでいることがこれほど幸せなことだったのかということをしみじみと感じるわけです。近ごろ話題の「密」とはまったく無縁だし,人とすれ違うこともほとんどありません。そして,突然,いろんな鳥やら動物に出会います。
 自然界にはこれほどいろんな生物がいるのかということに驚くわけです。
 気をつけて探してみると,まあ,いるわいるわ。橋から川をのぞけばカメやらミズドリやら,田んぼのあぜ道を歩けば,イタチやらタヌキやら,そして,空を見上げれば,気持ちよさそうに鳥が飛んでいます。
 さらに,少し山に行けば,シカやサルはもちろんのこと,会いたくないクマさえ出没したりするわけです。
  ・・
 そうした生き物は,それぞれそこに出てくる言い分があるわけです。もとはそうした動物の住み家だった場所さえ人間が荒らしておいて,住む場所がなくなって,やむをえず人の住むところに現れるようになったらそれを駆除するなんて,人間は何と傲慢なのだろうと思います。

 子供のころ,桃太郎とかサルカニ合戦とか,そうした物語を聞かせてもらっても,そもそもキジなんて見たこともなかったし,そんなものが身近にいるとも思わなかったのだけれど,実際は,そうした動物が溢れていたわけです。
 散歩をして,身の回りに目をやる機会が増えてくると,実際は,こうした生き物がたくさんいるのにかかわらず,あまりにそういうものに無関心であったことに気づきました。
 私も,これからは,星ばかりでなく,そうした生き物についても関心をもとうと反省するのですが,それにしても,今日の朝見かけたあの動物,いったい何ものなのだろう? 毎日,そんなときめきを感じて生活するのは何とすばらしいことでしょう。都会に住む人がかわいそう。


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 今日は9月11日。アメリカでは2001年にアメリカ同時多発テロ事件(September 11 attacks)が起きて20年となる日です。
  ・・・・・・
 アメリカ同時多発テロ事件は,2001年9月11日の朝,イスラーム過激派アルカイダによって行われたアメリカ合衆国に対するテロ攻撃でした。標的となったのはワールドトレードセンターの北棟と南棟,アメリカ国防総省本部庁舎ペンタゴン,そして,もうひとつの標的は不明ですが,アルカイダは合衆国議事堂だと主張しています。この攻撃によって2,977人が死亡し,25,000人以上が負傷し,アメリカ史上最悪のテロ事件となりました。
  ・・・・・・
 私は,この日,事件をCNNでずっと見ていました。ワールドトレードセンターに旅客機が飛び込んでいく様は,何かの映画を見ているようで,現実とは思えませんでした。遠くから映し出されていたその映像には人の姿はまったく見えず,こんな大事件が起きているのに,人々は静観しているのか,と思ったほどでした。しかし,実際は,地獄だったのです。
 この事件を契機として勃発したのがアフガニスタン紛争です。

  ・・・・・・
 アメリカは,同時多発テロ事件が起きた2001年10月に国際テロ組織アルカイダを保護していたアフガニスタンのタリバン政権に対して攻撃を開始し,タリバン政権を打倒し,民主政権の樹立を支援しました。
 アメリカ軍は,タリバン政権打倒後もアフガニスタンに駐留し続け,対テロ組織掃討作戦などを続けていたのですが,アメリカ国内では長引く戦争に撤退を求める声が次第に高まってきました。
 バイデン大統領は4月,同時多発テロ事件から20年の節目となる2021年9月11日までにアメリカ軍をアフガニスタンから撤退させ,アメリカ史上最長の戦争を終わらせると表明し,8月31日までにアメリカ軍を撤退する方針を打ち出していました。そのようなアメリカ軍撤退の動きを受けて,8月中旬にタリバンがアフガニスタンの首都カブールを制圧してしまいました。
 こうして,アメリカが支援していたアフガニスタン政府はあっけなく崩壊してしまいましたが,バイデン政権は8月末までの撤退方針を変えることはありませんでした。
 しかし,8月26日にはカブールの空港周辺で過激派組織「イスラム国」系組織によるテロ攻撃があり,米軍兵士13人ら多数が死傷するという事件おきました。
  ・・・・・・
 アメリカが20年にわたったアフガニスタンとの戦争で,結局,アフガニスタンは元に戻ってしまったようです。今後の情勢が懸念されています。

 ところで私は,これまで1981年,1997年,2013年の3回,ニューヨークに行きました。故意ではないのですが,後で考えると,奇しくもニューヨークに行ったのは16年ごとだったのです。ということで,次回は2029年 …なのでしょうか?
 それはともかく,1981年に行ったとき,私はワールドトレードセンターに登りました。そして,1997年には,ワールドトレードセンターに行きましたが,このときは登りませんでした。まさかその4年後に,あの巨大なふたつのビルが崩壊するとは思わなかったので,かなりのショックを受けました。
 そして,2013年,崩壊したワールドトレードセンターの跡地に行きました。痛ましい惨状を後世に残す取り組みがいろいろされていました。ワールドトレードセンターのツインタワーが崩壊して以降,その場所は「グラウンドゼロ」とよばれ,追悼の場所となっていました。
 犠牲者の名前が刻まれた滝が流れるモニュメントや「フリーダムタワー」と名づけられた高さ1,776フィートの塔が作られている途中でした。
 現在は,この場所は再開発され,アメリカで最も高い建物となった新しいワンワールドトレードセンターが金融街にそびえ立っています。
 こうして思い出してみると,アメリカという国の直面する複雑な世界情勢のみならず,相変わらず,紛争ばかりに明け暮れる人間の姿についていろいろと考えさせられます。

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☆ミミミ
9月9日,久しぶりに晴れました。夕方の西の空には月齢2.5の月と金星と水星,そして,スピカが美しく見えました。
おまけに新幹線が通りました。

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●ダイナソア国定公園(Dinosaur National Monument)
 2014年夏,ロッキーマウンテン国立公園に訪れたあとでデンバーへ行き,さらに50州制覇のためにネブラスカ州にほんの少しだけ入って1泊してから引き返して,ワイオミング州の南側を横断するインターステイツ80でアイダホ州に向かう途中のこと。
 「地球の歩き方」の「アメリカの国立公園」編に,ちょっと寄り道として「ダイナソア国定公園」とあったので,興味があったので行ってみました。アメリカで恐竜とあればまさに本場。行くしかないでしょう,という感じでした。
 ところが,その,ちょっと寄り道,というのが半端な距離ではありませんでした。延々と大平原を進んでいくのですが,ほかの車とはまったくすれ違いません。こんなところにだれがいくのだろう? と思いながら走っていくと,やがて,遠くに国定公園のビジターセンターの建物が見えてきました。建物の手前に大きな駐車場があったのですが,そこには,多くの車が停車していました。
 アメリカでいつも思うのですが,こんなに遠く不便なところで,行くまではまったくと言っていいほど車を見ないのに,到着するといつも多くの車があって人が来ているというのが不思議なことです。
  ・・
 ダイナソア国定公園は,人間の作ったテーマパークではなく,ここにしかない,人の手をはるかに超えた大自然の作りえたものです。
 その建物を通って裏の出口を出ると,その先に,小高い山に行く2両連結のシャトルバスの乗り場があって,それに乗ってはるか山の上にある展示室に行きました。
 展示室は,恐竜の化石が発掘されたままの地層を目の前で見ることができるように覆いがつけられたものでした。
 恐竜を見せる建物は,化石が出土した崖に沿って作られているもので,中は3階建てになっていて,それぞれの階から壁になった崖に,恐竜の化石がそのままの状態で展示されいて,興味深く見学することができるのようになっていました。
 話によると,この建物を作るには,かなりの苦労と工夫が必要であったということでした。
  ・・
 恐竜が登場したのは約2億3,000万年前の三畳紀後期のはじめで,初期の恐竜は小型で3メートルから4.5メートル以上のものはいなかったのですが,約2億1,200万年前から1億3,000万年前のジュラ紀になると,環境に適応した結果,様々に進化していきました。
 ところが,6,500万年前,恐竜は忽然と地球上から姿を消してしまったのです。
 最近の研究では,それは,小惑星衝突説が有力となっています。直径10キロメートル,重さ1兆トンもある隕石の衝突事件が恐竜を滅ぼしたというこの小惑星衝突説は,1980年にカリフォルニア大学のアルバレス(Walter Alvarez)らによって発表されたものです。その証拠は,恐竜が絶滅した6500万年前の地層から各地で発見されたイリジウムという物質です。
 1億4千万から5千万年前のユタ州周辺は,浅い海になったり陸地になったりしていて,多くの恐竜が闊歩する沼地でした。恐竜絶滅ののち,ロッキー山脈が出来たときの隆起によって太古の地層が押し上げられ,そのために,現在,ここ一帯で恐竜時代の遺跡を発見することができるのです。
 このダイナソア国定公園にある博物館は,1909年,ピッツバーグにあるカーネギー博物館のアール・ダグラス(Earl Douglas)が研究の結果,「このあたりには恐竜の化石があるに違いない」という結論に至り発掘したところ,たくさんの骨が出てきたというところです。
 1942年まで発掘を続けて,22体の完全な恐竜の化石とともに多くの骨が発見されました。ここに露出している骨片の数はなんと2,300もあるということです。

 さて,これまでグランドサークルの国立公園を紹介してきましたが,私が行っていないのがキャニオン・デ・シェイ国定公園(Canyon de Chelly national Monument),メサベルデ国立公園(Mesa Verde National Park)です。
 キャニオン・デ・シェイ国定公園はグランドキャニオンを小型にしたような断崖で,ナバホ族の居住地です。化石の森国立公園から2時間ほどだったので,行こうと思えば,行けました。また,メサベルデ国立公園は今から1400年ほど前にこの地に住んだ先住民の遺跡です。フォーコーナーズから行くことができます。
 ともに,2020年に行こうと思っていただけに,実現できなくて残念に思っています。


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 近ごろは,不安を煽るだけの無責任で根拠のないようなニュースを垂れ流すうざったいだけのテレビや種々雑多なニュースを集めただけのポータルサイトを載せたネットからの情報を遮断して,消極的な理由から紙媒体からの新聞で情報を手に入れていますが,そんな新聞も,読んでいると,突っ込みどころ満載です。
 その中で,今日は,9月8日の朝日新聞「オピニオン&フォーラム」にあった「値上げこそ元凶」という記事を取り上げます。東京大学大学院教授の渡辺勉さんという人にインタビューしたものです。

 超高齢化の進む日本です。今から40年前は1人の高齢者を7人の現役世代が養っていました。現在は3人です。そして,将来は1人といわれています。それが現在の日本の社会の姿です。
 そこで,1964年の東京オリンピック,1970年の大阪万国博覧会といった40年以上も昔の「夢よもう一度」というような政策を行っても,政治も教育もインフラも劣化してしまい,しかも,ITには完全に後進国となってしまったこの国では,さらに将来にわたる負債が残っただけだということが優秀な人に見えていないというのが,私には不思議でしかたありません。また,この国には,製品を製作する機械や製品に使用されている半導体が日本製でなく,工場の従業員が日本人でないかもしれないのに,未だ,メイド・イン・ジャパンの製品にこだわるような,世界をまったく知らない「いつもニコニコ現金払い」の高齢者が多数をしめているわけです。
 20歳の人に将来の夢を語るように60歳の人に語ったところでどうしようもないことなど,だれでもわかります。そんな現実の中で,未だに,経済学者は「物価を上げて賃金を上げる」という夢のような政策を唱えているのです。
 この記事では「賃上げを試みつつ,安さ競争抑制へ時限カルテルも」などと提案してます。しかし,そんなことは実現しないし,また,できない。そもそも,値上げができないその要因は,高齢化社会とゼロ金利政策だからなのです。

 今の社会は,働いて賃金をもらっている人より,年金と蓄えで生活をしている人の方が多いくらいです。また,たとえ高齢者で働いている人も,再任用や定年の延長,あるいは,嘱託や非常勤というように正社員は少なく,賃金を上げてもらってもその恩恵に預かれない人が多いのです。
 ささやかな年金とそれまでのわずかな貯えで生活している高齢者の人たちにとっては,物価が上昇するのは死活問題です。物価が上がれば年金もそれと連動して多少は上がるかもしれませんが,ゼロ金利政策が続く限り利息もなく貯金は増えません。むしろ蓄えは目減りします。
 そしてまた,若い人は,社会保障に負担しなければならないお金が将来にわたって増えつづけることと,そして,年金の支給年齢が遅くなり,もらえるお金も目減りすることが明白で,そのような老後が心配だから消費にお金がまわせません。今の時代,貯蓄もしないでノー天気にものを買っているのは,一部の富裕層と何も考えていない人たちだけです。
 このように,高齢化社会とゼロ金利政策であることが,物価の上昇が「悪」となっている根本的な原因です。この記事には,この根本的な原因をどうするかという点が完全に欠けているのです。

 高額所得者で世間知らずで老後の心配のない優秀な学者さんにはわからないと思いますが,平日のお昼間のスーパーマーケットには,所在なげな高齢者がたむろしています。また,夕方遅くになると,今度は,値下げをしたその日のお弁当を買い求めるお年寄りで一杯です。そうした人たちは,商品の値段が上がれば別の商品を選択するし,選択肢がなくなれば買うのをあきらめます。
 そんな庶民の現状を把握しないで,学問だけで経済を論じたところで,何も問題は解決しません。
 今の日本では,高齢者にとっては,むしろ,物価など上がらないほうがいいのです。
 この記事は,学者さんが愚かなのか,インタビューをする記者が悪いのか,こうした根本的な理由がすっかり抜け落ちているのです。
  ・・
 今の日本の社会は,政治家も経済学者も,実際の「有事」に対しては無力です。政治家は選挙で勝つためにどの神輿をかつげばいいかしか興味がないし,経済学は空論ばかりです。また,医療も,そこに投資をしてこなかったために,ワクチンも作れず,病院も崩壊してしまいます。マスコミは売れればいいとばかりにおどろおどろしい情報を集めては,歩き回って取材をするより机に座って作文して,国民を不安に貶めることに生きがいを感じています。
 それらは,机上の知識だけで実践を伴う危機管理がなっていないからです。コロナコロナと騒いでいる陰で,アフガニスタンで日本人が置き去りにされていることに対して,政治家は無関心であり,マスコミもほとんど報道しません。国民の多くも興味がありません。まるで危機管理がなっていないのです。
 これは,ペーパーテストとドリルをやることが教育だとされてきたその究極的な結果です。

 小難しい理屈やら分析は不要です。単に,ものの値段が上がれば買わない,いや,買えない,そして,買いたいものがない,それだけのことなのです。だから,どんな政策をとろうと煽ろうと,売る方は値段を上げたら売れないので,値段が上げられないのです。
  ・・
 ただし,こんな状況が続いていると,海外との物価の格差がどんどんと大きくなっていくので,海外旅行もできなくなります。また,すでに,欧米の大学の学費が高くなって留学すら困難になりつつあります。それもまた,実際に海外に行ってみれば容易にわかることです。
 少子高齢化の根本的な原因は,保育園不足とテスト漬けで順位争いだけの学校教育など,子育てに魅力がない国になってしまっていることがそもそもの要因なのに,それを怠ってきたツケは,今日明日に改善するものではありませんし,それはまた経済学者の領域でもありません。また,ゼロ金利政策は,意固地になって金融緩和をやめない日銀が原因です。
 コロナ禍対策同様,残念なことに,言うことを聞かなければ名前を公表するぞ,といった威嚇しかできない政治家では,実際は何の抑制もできません。そして,国民は,聞いたふりをしているだけで,本当は政治家など全く信頼していないから,それぞれが勝手に意味もわからず行動しているようです。
 もう,この国は崩壊してしまうまで,なるようにしかならない…。そんなところまで来てしまっているのでしょうか。


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 2014年夏。
 これまで書いていたキャニオンランズ国立公園とアーチーズ国立公園に行ったあと,私はインターステイツ70をさらに東に走って,デンバーまで行きました。
 インターステイツ70は,モニュメントバレーとグランドキャニオンを足したようなユタ州を過ぎてコロラド州に入ると,風景が一変して,山の形も変わってきます。周りは緑が豊富で,スキー場だらけで,コロラド川の周りはどこも高級リゾートとなります。地元の人に聞くには,このあたりから宿泊するホテルがすごく高額になるそうですが,私は当然,そんな高級なところには泊まり(れ)ません。

●ロッキーマウンテン国立公園(Rocky Mountain National Park)
 デンバーへの途中にあるのが,今日紹介するロッキーマウンテン国立公園です。
 私がこの国立公園で記憶に残っているのはあわや遭難しかけた,ということです。
 …というのは少し大げさですが,それは,国立公園の入口を入ってさらに北上して,ミルナーパス(Millner Pass)という標高が3,279メートルの地点,つまり,大陸分水嶺のあるあたりの駐車場に車を停めて,トレッキングをはじめたら,途中でマウントアイダホの登山コースに行ってしまい,わけもわらなぬまま登山をはじめてしまったということでした。
 そもそも,私が行きたかったのはアルパインビジターセンター(Alpine Visitor Center)に行くトレイルのはずだったのですが,おそらく,ふたつにわかれた場所を間違えたのに違いありません。こんな軽率なことで,よくも無事だったものです。
 途中ですれ違った人たちがそんな格好で登るのかとか水も持っていないのかと心配して,水をくれたり食べものをくれたりと,散々迷惑をかけてしまい,そのうちに,もう引き返した方がいいよといわれ,下山することになったのでした。
 あの親切な人がいなかったらいまごろどうなっていたことでしょう。
 私がここで学んだことは引き返す勇気ということでした。
 私が登ってたのは富士山の山頂ほどの標高だったわけですが,そもそも,登山なんてする気はまったくなかったのです。
 下山する途中で,野性のエルクが3頭,草を食べているのに遭遇しました。
  ・・
 その後は,いいかげんな私の観光ペースにもどって,国立公園の展望台ごとに車を停めながら景観を楽しみました。
 国立公園を横断するのはトレイルリッジロード(Trail Ridge Road)。この道路のすごいのは,かなりの傾斜であり,片側は断崖絶壁,しかも,車線の幅が狭いのに,ガードレールひとつないことでした。日本なら,きっと,景観など度外視して,頑丈なガードレールが作られたり,注意を喚起する見苦しい大きな掲示板が作られるに違いがありません。
 当然,みんな運転が慎重で,のろのろと登って行くのですが,断崖の方が私の進行方向であったから,このときほど,この国立公園を逆から来るべきだったと後悔したことはありませんでした。そんな恐怖を感じながら,それでも,すばらしい景観を,ときには眺めながら走っていくと,やがて,フォレストキャニオン展望台(Forest Canyon Overlook)に到着しました。
 今思い出してみても,高山病にもならず,こんな高い所を無謀に散策していたわけだから,これもまた不思議な話です。
 断崖絶壁なのにガードレールがないのもアメリカらしいのですが,緊張しました。
 こんなところを知ってしまうと,日本で山登りをする気にもならないというものです。


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●アーチーズ国立公園(Arches National Park)
 これだけ雄大な国立公園ばかりを巡って食傷気味だったのですが,最後に行ったアーチーズ国立公園もまた期待以上でした。
 アーチーズ国立公園は世界で一番たくさんのアーチ,というか,穴の開いた岩が集まっているところです。今から約4,000万年前の地殻変動でこの地方一帯の土壌が隆起して,コロラド川やグリーン川による浸食がはじまりました。上部の層は浸食され,塩の背斜構造が地表近くに露出し,水が塩の層を溶かし,支えを失って谷や割れ目が生じました。
 この谷や割れ目がさらに雨などの力で広げられフィン(fin)という薄い板状の岩を形成します。
 この岩は,ひとつには雨に含まれた二酸化炭素が岩の炭酸カルシウムと反応することで,もうひとつには岩の霜弱い部分に水が入り込んで凍結し岩を崩すことで,その結果穴が開き,その穴は内側から崩れはじめてアーチができたといわれています。
  アーチーズ国立公園はその外周を車で巡ることができますが,ところどころに車を停めてトレイルをかなりの距離歩く必要があります。歩かないと,アーチの近くまで近づけないからです。
 中でも,デリケートアーチ(Delicate Arch)が真打ですが,1.8マイル,約3キロの勾配のあるトレイルを歩かないと到着できません。私も汗だくになりながら歩いてみてきました。
 以前,アメリカの国立公園といったって赤茶けた土があるだけ,なにがおもしろいの,と行ったこともない人に言われたことがありますが,そのスケールの大きさを知らない気の毒な人なのでしょう。また,そこに広がる雄大な景観を見て自然の驚異に触れると,謙虚になれるというものです。
  ・・
 ユタ州に広がるこのような大地に訪れると,地球創成のころに想いを巡らせます。


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 2021年,王位,棋聖ふたつのタイトルの防衛に成功したのが藤井聡太二冠ですが,現在のABEMAの将棋中継は,AIを使った形勢判断が数値化されて表示されるので,将棋がわからない人にもどちらが有利なのかがわかるようになっています。 また,こうした数値はグラフとしても表示されています。
 そこでよくいわれるのが「藤井曲線」です。これは2番目の写真のように,優勢の評価値が徐々に増えて無敵に勝利することです。
 また,終盤になると考えずに(1分未満は切り捨て)持ち時間を○分か残してその後は全く減らないことを「藤井二冠の永遠の〇分」ともいいます。

 ということまではいろんなところで書かれているお話ですが,今日の話題は,私が思う藤井聡太二冠の戦略です。藤井聡太二冠は自分からことばでは言いませんが,対局を観戦していると,いつもずいぶん工夫と改良をしているのが棋譜からわかります。えらいものです。
  ・・・・・・
●序盤で1手「少し変わった手」を指す。
 よく「新手」といわれるのですが,この「少し変わった手」というのは,実際,その手で形勢をよくしようというよりも,序盤で予期しない手を指すことで相手が考慮時間を使う必要が生じて,自分のペースに持ち込もうという作戦でしょう。
 「少し変わった手」というのは失敗するとまずいのでなかなか指す勇気が起きないのですが,今は,AIで事前に研究ができるので,AIがその手を悪く評価しさえしなければ指せます。それで互角ならいい,という感じでしょう。
 以前は,対丸山忠久九段戦や対大橋貴洸六段戦,対千田翔太七段戦のときのように,そうした「少し変わった手」を先に指されて序盤で考慮時間を使い苦戦したことがあったのですが,今はそれを逆手にとって使っているようです。
●中盤で一度「攻撃を止めた手」を指す。
 中盤の勝負所まではかなり積極的に相手のスキを見つけると攻撃をしかけますが,それがうまくいったときは一度「攻撃を止めた手」,つまり,1手貯金のような手を指します。
 その手を指すと,一瞬AIの評価値が下がることがあるのですが,手が進むにしたがって次第に戻ってくることがほとんどです。こうした手がよく「AI越えの1手」とかいわれて話題になっています。
 この「攻撃を止めた手」が終盤で自陣の防護に生きることが多いのですが,まれに,対深浦康市九段戦のときのように裏目に出ることあります。しかし,ほとんどの場合は,ここで意表を突かれた相手が考慮時間を多く使って次の手を間違えます。
●終盤の入口からは「超手数の詰将棋を作るような手」を指す。
 終盤戦に入ると,盤面全体を見て,まるで超手数の詰将棋を作るように駒の配置をする手を指します。藤井聡太二冠の将棋は,終盤戦になるとすべての駒が生きてくるのですが,それは,こうした手を指すことで生まれます。相手の玉将が逃げ出したときになぜかたまたま端に歩兵がいるから詰む,あるいは,その反対に,自分の玉将が逃げていったときはたまたまそこに守り駒がいるから詰まない,そんな局面がよくあるのですが,それはたまたまではなく,それを見越して事前に駒が配置されているからなのです。こうなると,独擅場となります。
 対渡辺明名人戦や対木村一基九段戦で大逆転勝利をしたことがありますが,それは,不利な局面で終盤戦に突入したときに,このあたりで,多くの毒まんじゅうが仕掛けられているからです。
●最終盤は「1手違いの手」で勝利する。
 最終盤は安全勝ちを狙わず踏み込むことで,つねに1手違いになるので,得意の詰将棋の力が発揮されます。相手より手が見えるので,考慮時間も使わず,逆転もされません。また,不利なときは,相手が間違えて逆転します。
 ここで間違えて失敗した唯一の対局は王将戦での対広瀬八段戦でした。この失敗での教訓から,常に,最終盤で数分残すようになったのですが,これが「藤井二冠の永遠の〇分」とよばれるものです。
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 藤井聡太二冠の勝将棋の多くが「藤井曲線」を描くのとは違って,他の棋士同士の対局を見ていると,終盤になって,評価値がおもしろいほど揺れ動き,乱高下します。逆転につぐ逆転というのも少なくありません。
 おそらく,AIで評価値が示されるようになる以前の将棋は,わからなかっただけで,こうした終盤での大逆転ばかりだったのでしょう。今も,年配の棋士の場合,おそらく深く読み切っていない,というか,読みきれないのでしょうか,感覚だけで指している感じなので,どんなに差があっても常に勝敗がひっくりかえります。
 「観る将」は,藤井聡太二冠の対局を見慣れてしまったので,そうした対局があまりに下手に見えます。特に,これまで将棋をあまり見たことのない人には,そうしたコメントが多いという話です。しかし,その逆に,このハラハラ逆転こそ,人間同士の対局の魅力だという人も少なくありません。
 羽生善治九段が多くのタイトル戦を戦っていたころの,対森内俊之九段戦とか対佐藤康光九段戦なんて,終盤での詰むや詰まざるやが,今のようなAIで正解手がわかっている時代とは違い,どの手が正解手かわからないので,どちらが勝っているんだろうといった感じで見ていて,すごい迫力でした。今は,そのころとは違って,観戦者は,AIによってどちらが優勢かがわかるので,迫力は同じでも,対局者が次の正解手を指すか間違えるかをハラハラしながら見るようになりました。善悪は別として,観戦する側は,将棋の楽しみ方がまったく変わってしまったのです。
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 少し前のA級順位戦で,羽生善治九段が対豊島将之竜王戦の最終盤,逆転してAIが優勢だとした局面で投了してしまったことがありましたが,これこそがAI以前に将棋の修行をした羽生世代の局面に対する形勢判断とAIによる形勢判断の違いなのでしょう。つまり,AIによって局面が評価されるようになって,同じ局面であっても,AIで研究をした世代の棋士とそれ以前の世代の棋士とでは,その価値判断が変わってしまったのです。そこに,年齢による終盤力の衰えが加わって,羽生世代の棋士は同じ年代の棋士にはいい勝負ができても今の若手には苦戦することになるのです。


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●キャニオンランズ国立公園(Canyonlands National Park)
 今日はキャニオンランズ国立公園を紹介します。
 キャニオンランズ国立公園と次回紹介するアーチーズ国立公園はさすがに遠いので,行くのがかなり困難です。そこで,行ったことがある人もそれほど多くないものと思われます。これらの国立公園へ行くには,インタ―ステイツ70を東に向かってひたすら走っていくことになります。
 私はインターステイツ70を走って驚きました。そして,感動しました。
 この道路は,アメリカのインターステイツのうちでもっとも景観のすごい道路だったのです。インターステイツ70は,モニュメントバレーのダートロードにインターステイツが作られたような大平原のなかを延々と走ることになります。
 しかし,現地の人が言うには,この道路は麻薬を運ぶ道路だとか…。その真実は私にはわかりかねますが,とにかく,現実離れした道路であることは間違いがありません。
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 インターステイツ70を離れ右折して州道191に入り南下します。しばらすくすると,左手,つまり東側にアーチーズ国立公園があり,右手の道路に入って,さらに進んでいくとキャニオンランス国立公園に行くことができるのですが,どこも遠いので,1日にふたつ行こうとすると時間との勝負になります。
 キャニオンランズ国立公園ですが,ここの雄大な風景は,グランドキャニオンとモニュメントバレーがともに存在するようなところです。とにかく雄大過ぎます。
 キャニオンランズ国立公園は,オフロードを4WDで走ったり,遊覧飛行で空から楽しむべきだと書かれているので,その覚悟でたっぷり時間をとって味わうべきところなのでしょう。私のような無計画な旅人が小さな車でやって来て,国立公園内の展望台に車を停めては,少しだけトレイルを歩いて,展望台からに風景を見てそのあまりの雄大さにため息をつくだけではもったいないのです。
 しかし,それでも私は興奮しました。
 この風景を知らずして狭い日本でちまちまと生きている人なんて,どれほど財産があろうと,偉かろうと,気の毒になってしまいます。


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 1994年に木星に衝突したことで有名なシューメーカー・レビー第9彗星(D/1993F2 Shoemaker-Levy9)は,1993年3月24日にパロマ天文台で観測中のユージン・シューメーカー,キャロライン・シューメーカー夫妻とデイヴィッド・レヴィさんによっておとめ座に発見された彗星です。
 1917年に土星に接近し軌道が変わり,木星に捕獲され核が砕けていたので,発見当時,彗星の核は棒状に見えました。
 彗星の分裂核は,1994年7月16日から7月22日までの間に相次いで木星の大気上層に衝突しましたが,これは史上はじめて人々が目撃した地球大気圏外での物体の衝突でした。
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 この彗星の発見者のひとりキャロライン・シューメーカー(Carolyn Jean Spellmann Shoemaker)さんが8月13日に亡くなりました。
 私は2019年にカリフォルニア州のパロマ天文台を見学したとき,シューメーカー・レビー第9彗星を発見したという望遠鏡を博物館で見て,ここで発見したということをはじめて知って感動したこともあって,この訃報は感慨深いものがありました。

 彼女は1929年ニューメキシコ州ギャラップ(Gallup)生まれの天文学者で,32の彗星と800を超える小惑星を発見して,個人での彗星の最多発見記録をもっています。
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 1980年,51歳のときから、パロマ天文台で地球近傍小惑星や彗星の観測をはじめ,1980年代から90年代にかけてパロマー天文台で撮った広域写真を立体視することにより、恒星に対して移動している星を探しました。
 1997年に,オーストラリア・アリススプリングス(Alice Springs)で,乗っていた車の衝突事故によって夫ユージン・シューメーカー(Eugene Merle Shoemaker)さんを失い,彼女も肋骨を折る重傷を負いました。アリススプリングスといえば,私が2018年にオーストラリアのエアーズロックに行ったときに途中で飛行機を乗り替えた砂漠のど真ん中の町です。

 彼女はもともとは科学に興味がありませんでしたが,夫ユージン・シューメーカーさんが地質学の経験を与えたことで夢中になりました。学校の教師として結婚生活をはじめましたが,その職業は退屈でした。3人の子供を育てたのち,地球に脅威を与える可能性のある小惑星を探すための新しいプログラムに参加することを提案します。パロマ天文台の口径18インチ・シュミット望遠鏡を使用して,異なる時間に同じ位置を撮影した2枚のフィルム画像を同時に見ることができる実体顕微鏡を使って小惑星を見つけるという方法で開始し,すぐに専門家になりました。また,同じようにして彗星を発見するようになりました。
  ・・
 ある夜のこと,パロマ天文台の北の地平線から4本のオーロラが昇っているのを見たといいます。
 北緯33.3度のパロマ天文台からオーロラが見られるのは非常にまれなことです。
 キャロライン・シューメーカーさんにとって,オーロラのきらめく光は,彼女が夜空を愛した理由と世界有数の天文台で夜空を探索する威厳を思い出させたことでしょう。

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 9月2日の朝日新聞・耕論に「空飛ぶ円盤に魅せられて」という記事がありました。
 耕論というのは「おりおり論争になっているテーマを取り上げ複数の識者の意見や対談を紹介します」というものだそうで,今回のテーマは
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 空飛ぶ円盤に魅せられて地球外に知的生命体はいるのか。空飛ぶ円盤かもしれない現象を分析した最近の米政府報告書を読むと,あらためて興味がわいてきます。生命を探る研究も急速に進んでいるようです。
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というまえがきのあとで,宇宙航空研究開発機構のエリザベス・タスカー(Elizabeth Tasker)さん,日本科学未来館科学コミュニケーター池辺靖さん,慶応大教授の渡辺靖さんの3人の「識者」の意見が載っていました。
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 エリザベス・タスカーさんは,「生命の可能性」について,地球で得られた知識に縛られず,思いも寄らないような未知の種類の惑星が発見されるするかも知れません。池辺靖さんは,わからないことを解明するのが科学という営みなので,解明しようという姿勢が重要です。渡辺靖さんは,今回の盛り上がりは,米国が置かれている世界の覇権争いの反映だということもいえるでしょう。とありました。

 この記事,あまりに意味不明です。
 まず,「おりおり論争になっているテーマ」という「空飛ぶ円盤かもしれない現象を分析した最近の米政府報告書」がこの記事からだけでは何なのかわかりません。論争になっているそうなので,これまでの朝日新聞の記事を探してみたのですが,ほとんど見当たりませんでした。
 報告書が出されていたころにCNNでずいぶんと取り上げられていて,私はそのニュースを見たのでよく知っていますが,CNNでは,UFOは「Unidentified Flying Object」(未確認飛行物体)と略さずしっかり発音していて,これは「何なのか確認できない飛行物体」であって,日本人の考える「空飛ぶ円盤」でも宇宙人の接近でもないのです。アメリカが興味をもって研究しているのは宇宙人ではなく国防上の問題としての未確認飛行物体なのでしょう。陰謀説もあるそうですが,アメリカでは陰謀説は何もUFOに限ったことではありません。
 また,耕論に載っていた3人の「識者」の意見というのは,みな,論点がばらばらでまったく噛み合っておらず,内容もなく,この記事が何を書きたいのかさっぱりわかりませんでした。これでは,興味本位のオカルト雑誌の記事とまったく変わりません。

 ところで,私は,広い宇宙には人間を超えるような知的生物はいると思います。
 しかし,人間の作った物理学が正しいとすれば,その距離の遠さから,人間が将来,たとえその存在を確認することができたとしても,接触することは不可能でしょう。あるいは,人間の作った物理学が正しいものでないとすれば,人間が考えもしない物理法則による移動手段が存在して,接触してくる可能性があるかもしれません。しかし,そうであれば,その移動手段もまた,人間の考えもつかない方法であろうから,人間の考える乗り物とは異なるもので,いわゆる今話題となっているUFOがそうした知的生物の乗り物であるとは思えません。
 現在,天文学者が探している地球外生命は,UFO騒動と関連したものではありません。UFO騒動が科学の発展に直接貢献しているわけでもないでしょう。
 そんな理由で,私には,この記事の視点がよくわからないのです。
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 物理学という視点からこの記事が書けるような記者はいないのでしょう。「識者」へのインタビューで,記者がどのようなコメントを期待して質問をしたのかは知りませんが,「識者」たちはそれに対して何を言えばいいのかわからなくて,それぞれの人が差支えのないコメントを返しただけのように思われます。その結果,まとめようもなく,取り留めもない内容になってしまったのでしょう。新聞の特集記事には時々こうしたレベルの低いものがあります。
 そんなことよりも,むしろ,アメリカでは,国防上の問題としてこうした物体が確認されているが,では,日本ではどうなのかとか防衛上問題はないのかというような視点でとらえたほうがよほど新聞記事らしいと思ったことでした。

 今日はとりとめもない記事を紹介しましたが,そのお口直しとしてのおまけが冒頭の2枚の写真です。これらは私が2014年にアメリカ・ニューメキシコ州ロズウェルのUFO博物館で写してきたものです。
 ロズウェルは辺鄙な田舎町なのに「ロズウェルUFO事件」として有名になったことで,私も含めて世界中からわざわざ観光客がやってきます。「ロズウェルUFO事件」はかなりの眉唾ものですが,UFOはロズウェルにとって格好の観光資源となっているのでしょう。まるで高等学校の文化祭の展示のような博物館や町の土産物店のいかがわしさと場末感がいかにもアメリカらしくてすてきです。

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 8月30日の朝日新聞・記者解説の記事に「米国・民主主義の試練」という記事がありました。
 まとめの部分を引用してみます。
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●「米大統領選で不正」という主張が民主主義を揺るがす。根底には社会の分断がある。
●トランプ氏に象徴されるポピュリズムは,民主主義そのものに内在する課題を示す。
●中国を念頭に「専制との競争」を掲げるバイデン政権は自国の立て直しが急務だ。
  ・・・・・・
 この記事の最後の章には次のようにありました。
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 民主主義の変調が近年,米国に限らず世界規模で進んでいる。…自由が進展した国よりも後退した国の数が上回る傾向は,過去15年連続で続いている。
  ・・・・・・

 では,そもそも,民主主義とは何でしょうか?
 学校できちんと習ったことあるかな? と反省した私はいろいろ調べてみると,アメリカ大使館のホームページに説明がありました。一部,引用の上,自分なりに要約してみました。
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・ 自由選挙で選ばれた代表が権限を行使し,市民が義務を遂行する統治形態である。
・人間の自由を守る一連の原則と慣行である。
・多数決原理の諸原則と個人および少数派の権利を組み合わせたものが基盤となる。
・中央政府に全権が集中しないように政府機能を地方や地域に分散する。
・言論や信教の自由,法の下で平等な保護を受ける権利と基本的人権を擁護することが最も重要となる。
・すべての市民に対して自由で公正な選挙を定期的に実施する。
・選挙は国民の支持を競うための真の競争でなければならない。
・政府を法の支配下に置き,すべての市民が法の下で平等な保護を受け,市民の権利が法制度によって守られることを保障する。
・市民は,権利を持つだけでなく,政治制度に参加する責任をもつ。
・寛容と協力と譲歩といった価値を何よりも重視する。
 -不寛容は,それ自体が暴力の一形態であり,真の民主主義精神の成長にとって障害となる。-
  ・・・・・・
 これを知ってからこの新聞記事を読むと,何がいいたいのかよく理解できました。
 それは,民主主義は自由を守るための制度であって,それは自由で公平な選挙によって実現できるのだが,現在のアメリカではそれが揺らいでいる,ということでした。

 しかし,私は,その一方で,この国が,というか,この国のマスコミが,いつも「何を偉そうに」上から目線でアメリカを論ずるのか,ということが理解できません。確かにアメリカにはさまざまな問題が山積しているのでしょうが,それは他国のこと。それ以前に,では,この国はどうなんだ,といつも思います。
 まず,国民は,民主主義が何かということを知っているのでしょうか? きちんと習ったことがあるのでしょうか? そして,何より,それ以前に,政治家こそ,知っているのでしょうか? 首相に「民主主義って何ですか?」と質問してみたいです。
 この国は自由だ,といえば聞こえはいいのですが,自由というよりもみんな好き勝手にやっているだけだし,政治は少数意見など考慮しない。政党の,しかも,その中のある一部の有力者が,それも,制度がきめた権力者でないような影の権力者の意向が優先されて,何事も密室で決められます。また,選挙で選ばれたといっても,自分の意見を持たず言わず,ただ属する政党の意向に賛成するだけのために存在する議員なら,選挙の結果は単なる数字合わせにすぎないわけで,人間は不要です。
 そこで,こういった記事はそれはそれとして,それ以前に,「日本における民主主義の危機」といった特集記事でも載せたらどうでしょうか。
  ・・
 この国では民主主義は借り物であって,法もあってないような「お願い」がまかり通り,所詮は「御上よいしょ」です。それは,江戸時代から何らまったく変わっていません。それもこれも,これこそが,この国に住む人々に根差す本質なのでしょう。他国の民主主義を論じる資格などありません。

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 私は,ザイオン,ブライスキャニオン,キャニオンランズ,アーチーズと4つの国立公園を巡ったのですが,どこもすごく雄大なところでした。こういうのを見ると,グランドキャニオンなんて目じゃない,というか,そんな景観はアメリカの至るところにあるじゃないか,と思ってしまうのですが,それも,行くことのできない今となっては夢のようです。
 行けるときに行って本当によかったと思うのですが,こういう経験をした結果,日本の雄大だといわれるすべての場所にまったく感動がなくなってしまったから,よかったのか悪かったのか…。これも贅沢な悩みです。
 いずれにしても,これらの国立公園は,それぞれ移動するのに3時間ほどかかるので,移動だけでも大変です。1日にふたつ行くことができれば十分ですが,本当にそのよさを堪能しようと思えば,1年くらいは滞在する必要があるかもしれませんから,私は,ほんの入門者でしかありません。

●ブライスキャニオン国立公園(Bryce Canyon Nationa Park)
 さて,ブライスキャニオン国立公園で思い出すのは,まるで地球でないようなループトレイルと尖塔群の延々と続く大地です。特に,ループトレイルを下る様は地球離れしているというか,別の惑星に来たようなそんな雰囲気があります。また,あるいは,行ったことはないのですが,写真で見たエジプトの王家の墓あたりにこんな場所があるような,そんな気もしました。
 このトレイルを深く深く歩いて下っていくことになるのですが,その先にある展望台で忽然と視野が開け,キャニオンが姿を現すのが絶品です。
 私は,このトレイルを引き返すときの汗だくになったのを書きながら思い出しました。
 ブライスキャニオンは南北に長く,すべてを巡るにはレンタカーが必要です。
 夏季は見どころのあるビジターセンターあたりの北の部分だけ無料のシャトルバスが通っているのですが,シャトルバスの行かないところのほうが人が少なく,こころ置きな雄大な景観を楽しむことができます。
 アメリカは国家としての歴史は日本よりずっと新しいのですが,大地の歴史は日本とは比べものにならないほど古いものです。私は詳しくないのでそのよさがわからないのが残念ですが,地質学に興味があれば,これほどこころときめくところもないことでしょう。


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