しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

October 2021

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 日本ではじめて彗星を独立発見したのは1903年(明治36年)の井上四郎さんだそうです。その次が1919年(大正8年)の佐々木哲夫さん,そして,山崎正光さんと続くそうですが,山崎正光さんが発見したのがクロンメリン彗星(27P Crommelin)です。クロンメリン彗星は,周期27.4年のいわゆる天王星属の周期彗星です。
  ・・
 1928年(昭和3年),岩手県の水沢緯度観測所に天文技師として務めていた山崎正光さんが発見した彗星は,のち,大英天文協会のクロンメリン博士が軌道を調べたところ,1818年に出現したポン彗星(1818II Pons)と1873年に出現したコッジャ・ウィンネッケ彗星(1873VII Coggia-Winnecke)と同じ彗星であることが判明したので,残念ながら山崎さんの名はつかず,クロンメリン彗星とよばれることになりました。
 これには次のようなおもしろい事情があります。

 クロンメリン彗星は,もともと3つの別々の彗星として考えられていたポン彗星,コッジャ・ウィンネッケ彗星,フォーブズ彗星(1928III Forbes)が,1929年,クロンメリン博士(Andrew Claude de la Cherois Crommelin)の軌道計算によって同一の彗星であることが判明し,それを受けて「ポン・コッジャ・ウインネッケ・フォーブズ彗星」(Comet Pons-Coggia-Winnecke-Forbes)となりました。そののち,軌道を計算したクロンメリン博士にちなんで,1948年に「クロンメリン彗星」とよばれるようになったのです。
  ・・
 ポン彗星は,1818年2月23日,フランスのジャン・ルイ・ポンさん(Jean-Louis Pons)がくじら座に最初に発見しました。
 2月27日の観測を最後に天候が悪化し,その後はこの彗星を見ることはできなかったので,軌道計算で算出された値には大きな誤差があり,周期が特定できませんでした。
 コッジャ・ウィンネッケ彗星は,1873年11月10日,フランスのジェローム・E・コッジャさん(Jerome Eugene Coggia)が,その翌日にはフリードリヒ・A・T・ヴィネッケさん(Friedrich August Theodor Winnecke)がヘルクレス座で発見したものです。
 その後,数個の観測がされましたが,11月16日を最後に見失われてしまいました。
 また,フォーブズ彗星は,1928年11月19日,南アフリカのアレクサンダー・フォーブズさん(Alexander Irvine Forbes)が約6等星で発見したもので,この彗星は12月24日まで世界中で追跡されました。日本の山崎正光さんが発見したのはこの彗星なのですが,実は,アレクサンダー・フォーブスさんの発見より前の10月26日に発見していたのです。詳細なスケッチを取り,その後の動きまで観測し,現在の国立天文台である当時の東京天文台に発見の通報をしていましたが,その後は悪天と月明かりで11月10日まで観測することができず,見失なわれてしまいました。
 10月26日のフォーブズ氏の発見を受けて,東京天文台は山崎正光さんが記録したスケッチを元に,クロンメリン氏が軌道計算をし,山崎正光さんとアレクサンダー・フォーブスさんの発見したふたつの彗星が同じものであることが明らかになりました。
 彗星に名前こそつきませんでしたが,山崎正光さんは彗星発見の功労が認められ,アメリカ太平洋天文学会からドノホー賞が授与されました。


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 家にある古い天文雑誌を改めて読んで,というより,考えてみれば,これまで写真を眺めたりしていただけで,多くの記事は読んだことがないので,それをはじめて読んでいます。
  ・・
 1974年に発行された「月刊天文ガイド別冊・彗星-その天文学と捜索者たち-」には,山崎正光さんの自伝「私の天文学経路(My path in Astronomy)」が載っているのですが,24ページもあって,文字がぎっしりで,これもまた,これまできちんと読んだことがなく,記事にある写真だけをみて,どこかの田舎のおじさんだなあ,と思っていただけでした。しかし,今回きちんと読んでみて,山崎正光さんがすごい人だと知ってびっくりしました。私はこういう話が好きです。

 山崎正光さんは1886年(明治19年)生まれといいますから,今から135年前の人です。その人が19歳,つまり,1905年(明治38年)に単身アメリカのサンフランシスコに渡り,日本人の農場などで手伝いをしたり,アメリカ人の家族のボーイをしながら,天文学にめざめて,勉強をするなんて,私にはとても信じられたものではありません。
 この人本当にすごいです。
 アメリカに行くといっても船で行くわけだし,今のように簡単にいけるわけでもないのです。
 そしてまた私が驚いたのは,そんな時代に,すでに,アメリカに住んで商売をしていた日本人が少なからずいたということです。
  ・・
 山崎正光さんは,渡米後,アメリカでリック天文台に勤めたり,カルフォルニア大学の天文学科を卒業し,反射鏡研磨の技術を習得して36歳のときに帰国。その後は水沢緯度観測所に勤め,1928年(昭和3年)10月27日に光度10等星の彗星を発見したのです。その後,この彗星は軌道計算をしたクロムメリン博士(Andrew Claude de la Cherois Crommelin)の名をつけられてクロムメリン彗星(27P Crommelin)となりました。
 私は,高知県にも行ったとことがあるし,ロサンゼルス郊外のウィルソン山天文台にも行ったことがあるし,水沢緯度観測所(現在の国立天文台水沢)にも行ったことがあって,偶然,山崎正光さんの足跡を訪ね歩いたということになるわけで,ほんとうにおどろきました。

 山崎正光さんというのは,ものすごく頭のいい人に思えます。実際,そうだったのでしょう。そして,山崎正光さんがかかわりをもった人たちも,当代一流の人たちばかりです。
 一体,この時代の日本というのは,どんな国だったのでしょう。
 今のように,コンピュータがあるわけでもないし,英語だって,それを身につけるのは並大抵のことではないと思われます。であるのに,今の私たちができないようなことを平然とやり遂げているのだかから,何だか違う人種のような気さえします。
 それでも,私の大学時代は,大学の教授といえば,神様のような存在でした。大学もまた,アカデミックさがありました。そんないい意味で権威のあったこの国はいったいどこに行ってしまったのでしょう。

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 1年と何カ月かぶりに再開されたNHK交響楽団定期公演の10月の指揮者は,待ちに待った94歳の巨匠ヘルベルト・ブロムシュテット(Herbert Blomstedt)さんでした。コロナ禍でもなければ,私は東京に聴きにいったのですが,さすがに今回はFM放送での鑑賞となってしまいました。
 はじめの演奏会は第1939回。静寂の中でブラームスのヴァイオリン協奏曲がはじまりました。奏でられる1音,1音がすばらしく,私は感動して聴き入っていました。次が第1940回。この演奏会ではドヴォルザークの交響曲第8番がすてきでした。そして最後が第1941回で,この演奏会ではベートーヴェンの交響曲第5番がとりあげられました。
 ヘルベルト・ブロムシュテットさんは,このところベートーヴェンの交響曲を順にとりあげているのでうが,今回の第5番ははじめてでした。第6番「田園」も,数年前に演奏したのがはじめての定期公演でのプログラムということだったし,これまで第3番「英雄」は2度取り上げたのにもかかわらず,第5番は残ったままなのが私には気になっていました。それが今回の第1941回の定期公演でかなったわけです。
 ブロムシュテットさんが満を持して指揮した第5番なので,どんな演奏になるのか興味がありましたが,私の印象は,一点の曇りもない爽やかな水が流れるような,これほどさわやかな第5番を聴いたことがない,ということでした。ほんとうにすばらしい時間でした。荘厳な高級車というよりも,白髪の紳士が若々しいスポーツカーに乗った様のような感じでした。いつまでも続くカーテンコール,Twitterで見て泣けました。
 来年もまた来日されるのをこころから期待しています。
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 長く続くコロナ禍で,私はコンサートに行く機会が減りました。また,東京までわざわざコンサートを聴きにいくこともめっきりなくなってしまいました。昨年と今年,私は2回コンサートに行っただけでしたが,精神的な問題も手伝ってか,どちらも満足のいくコンサートではありませんでした。
 コロナ禍がゆえによくなった点は,曲の最後にその余韻に浸る前に無礼に「ブラボー」と叫んでコンサートが台なしになってしまうことがおきなくなったことだけです。
 このところ,パーヴォ・ヤルヴィさんに続いてヘルベルト・ブロムシュテットさんと,海外からの指揮者がようやく日本にやってくるようになって,改めて,そうした指揮者によるコンサートがすばらしいものだということを知りました。私は,わざわざ海外から指揮者を招いてコンサートを行うことの意味がわかった気がします。そしてまた,これまでそうしたことが当たりまえのようだったことがとても貴重なものだったことに気づきました。

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●クレーター・オブ・ザ・ムーン国定公園(Craters of the Moon National Monument and Preserve)
 ポテトで有名なアイダホ州ですが,ここには有名な観光地はありません。だからといって何もないかといえば,ローカルではありますが,いかにもアメリカらしい自然の驚異が存在します。クレーター・オブ・ザ・ムーンもそのひとつです。
 私も現地に行くまで,こんな場所があることをまったく知りませんでした。また,ここば隕石の衝突跡だと思っている現地の人もいました。
 すすめられたようにスネーク川沿いの眠たくなるほほどの大平原を走っていくと,黒々とした大地が現れました。
 その景色はまるで月のクレーターのようだということで,この名前になったようです。しかし,ここは隕石の衝突でできたクレーターではなく,およそ2,100年前に終了した火山および洪水によって運ばれた玄武岩の地帯です。かつて月に行った宇宙飛行士がまるで月のようだと言ったというクレーター・オブ・ザ・ムーンは,アメリカでも最大級の玄武岩質の溶岩地帯です。
  ・・
 今日,クレーター・オブ・ザ・ムーン国定公園は国立公園局によって管理,維持されています。
 外周には道路が整備されていて,ところどころに駐車場があって,そこには丁寧な説明板が用意されていました。
 さらに進むと,公園の入口になって,そこにビジターセンターがあって,ビジターセンターでは,この地域の地質と歴史に関するさまざまな展示がありました。
 私は参加しなかったのですが,ここもまた,スケジュールに従ってレンジャーによるガイドツアーが実施されていました。こういうところがいかにもアメリカらしいことであり,また,どこに行っても,どこから人が来たのかと思うほどの人がそうしたツアーに参加して興味深く説明を聞いています。
 日本だと,京都のお寺でも,高い拝観料さえいただけば,やたらときれいなパンフレットはもらえども,あとはほったらかしで,そのお寺の由来やら仏像の細かい説明が聞けるようなことは,むしろまれです。
 外に出ると,7マイル,12キロメートルに渡ってトレイルが整備されていて,自由にこの大自然を観察することができました。
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 スケールからみれば,他の多くのアメリカの国立公園に比べれば物足りないところですが,それでも,日本にはありえないほど雄大な黒々とした大地は,一見に値する場所でした。


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 この先も自分が手にできるお金の総額がわかるようになると,その限界を知って,若いころに使った無駄なお金が惜しくなってきます。
 「自分への投資」といいますが,何かを習うとか,これまでにそういったことに使ったお金は必要な経費でした。しかし,何かを買って,それを使わずに捨ててしまったようなものは「無駄な投資」でした。しかし,一見「無駄な投資」であったと思えても,そうした失敗が次への教訓となったときは、必ずしもそれは「無駄な投資」というわけでもなかったのでしょう。と自分に言い聞かせるしかありません。
 このように,お金を使うというのは難しいものです。

 個人であってもそうなのだから,権力がお金を使う,つまり,税金を使うというのは,非常な難しさを伴います。
 これまで,旅をしてさまざなま町を歩いていると,その町がとても便利であったり,その反対に,ずいぶんとお金をかけていても不便な町であったりします。それは,お金の使い方が間違っていたということでしょう。
 しかし,本質的には自分の払った税金であったとしても,直接それが自分のお金として使ったものでないことがそもそもの問題で,そうした要因が税金の無駄使いにつながるわけです。
  ・・
 お金の話に限らず,自分の所属する組織で何かの仕事をするときもまた同様です。
 今にして思うに,それが将来につながる投資なのか,そこで使ったことが将来有効に生きているのか,それとも無駄なのか,そんなことは何十年も経たなければわかりません。
 しかし,組織とはいえ,それを動かしているのもまた個人なので,その個人の力量次第なのです。そして,個人に力量があるかどうかは,その人の私生活をみればわかるものです。たとえば,意味のない分不相応の買い物をしている人なら,その人の属する組織での仕事もまた同じようなことをするでしょう。

 「インチキ富裕層」の私は,日々,爪に火を灯すようにお金のやりくりしているのですが,そうすると,いつもそのようなことを考えます。そこで,若い人が,身の丈を超えた贅沢をしているとつくづく心配になってくるわけです。しかし,これでは「いけない年寄」になりそうです。だから齢はとりたくないのです。


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 アメリカには日本とは違うベースボールがあるということをどこで知ったのかは覚えていませんが,私は若いから憧れていました。はじめて見たのは,24歳のときにロサンゼルスに行ったときでした。そこでは,オルガンのサウンドやピーナッツ売りのおじさん,そして,7回の攻撃前に観客全員で歌う何がしかの歌など,さらにその魅力にはまったのですが,そのころは,日本ではテレビで放送されることもなく,残念に思っていました。
 それからしばらくして,何年前だったか,一度民放でMLBのゲームの放送をするということがあったのですが,当時巨人の試合の放送ばかりだった日本と同じで,中継されるのはヤンキースのゲームばかり。すぐに飽きられてしまいました。
 さらにしばらくして,野茂英雄投手が活躍をはじめて,日本でも本格的にMLBの放送がはじまりました。そのころからパーフェクトTVでも多くのゲームが放送されるようになって,私はさっそく契約して見はじめました。こうした黎明期の放送は,アメリカのものをそのまま流していたので,現地で流れるコマーシャルもそのまま見れました。最高でした。

 それから月日が経ち,NHKBS1での放送が主流となりました。
 私も一時夢中になって見ていたことがあるのですが,NHKBS1のMLB放送が今も変わらず気に入らないのは,中途半端に日本の編集が入ることと日本のアナウンサーと解説者が特に現地事情に詳しいわけでもないのに日本の価値観でどうでもいいようなことをだらだと話すことです。そんなことせずとも,アメリカからの中継をそのまま流せばいいのにと思います。私は,英語モードで見ていますが,時折割り込むニュースが興ざめです。
  ・・
 やがて,私が50州制覇を機にアメリカ旅行からヨーロッパ旅行に興味が移るとともに,次第にMLB自体にも興味を失くしたので,このごろはまったく見なくなっていたのですが,大谷翔平選手の活躍と,ほかに見たい番組がないのと,英語が耳に小気味いいので,再び,ときどき見るようになりました。さらに,今年からはABEMAでもMLBの中継がはじまりました。
 しかし,多くの中継では日本語の音声が入るのが嫌いです。どうして,変に編集などしないで,また,日本の音声など入れないで現地の放送をそのまま流してくれないのでしょう。その方がずっと簡単なのに…。日本語のアナウンサーやら解説者のおしゃべりというのは,ときに,楽しみの妨げとなるだけで,ほとんど意味がないことのほうが多いのです。
 MLBに日本語は馴染みません。


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●クレーターレイク国立公園(Crater Lake National Park)
 クレーターレイク国立公園はオレゴン州の南にあります。2017年,ポートランドの友人を訪ねた折,滞在最後の1日にどこに行こうかと考えていたときにすすめられた場所でした。それほど遠くないと言われたのですが,実際に行ってみたら,えらく遠いところでした。
 今これを書くために地図を見ても,気軽に行けるような距離ではありません。しかし,これまで行った多くの国立公園もどこも気軽に行けるような距離ではなかったから,私がクレイターレイク国立公園を恐ろしく遠いと感じたも,そのときそのときの気分の問題がその要因だったのでしょう。
 オレゴン州のクレイターレイク国立公園は,アリゾナ州のフラグスタッフからアンテロープキャニオンに行くより近いし,アイダホ州からロッキーマウンテン国立公園に行ったことを考えれば,それらよりははるかに近いのです。
 そしてまた,せっかくクレーターレイク国立公園までいったのだから,もう少し遠出して,私が行きたくてまだ行くことができていないカリフォルニア州のレッドウッド国立公園まで行けたのにと,今,ちょっぴり後悔をしています。
 ああ,書かなきゃよかった。思い出してしまった。
  ・・
 さて,このクレーターレイク国立公園はカルデラ湖。世界で7番目に深い湖だそうで,ものすごくきれいです。湖の外周を走りながらその景色を楽しむことと,トレイルを歩いて,湖まで行くことができます。
 もっとも記憶に残っているのは,そのトレイルがまた,とても大変だったことです。
 私は,普段山登りなどせず,スポーツすら縁遠いのですが,なぜか,国内外問わず,結構こうした,ある意味私には無謀の山歩きをしていまっているのです。しかし,それも,もう,この先する機会がないかもしれません。本当に行っておいてよかったと思うこのごろです。
  ・・
 この先,再びこのような海外旅行ができるようになるとはとても思えなくなってしまいましたが,もし「次回」があるのならは,クレーターレイク国立公園の近くに宿泊して,こんどこそはレッドウッド国立公園も含めて,何日も過ごしてみたいものです。というのも,ここは観光地とはいえ,ほかの多くの国立公園に比べたら,人も少なかったし景色も美しいし,ツアーがないので,うざっい団体観光客がいなかったからです。


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 万葉集とともに秋の植物のお話を書いていますが,万葉集に最も多く141首も歌われているのが萩だということで,今日は,萩をとりあげます。
 萩は秋の七草のひとつです。名称の「萩」は本来はヨモギ類の意味だそうですが,牧野富太郎博士によれば「艸+秋」という会意による国字で,ヨモギ類の意味の「萩」とは形は同じでも別字といいます。
 また,ハギに「萩」の文字が使われるのは「播磨国風土記」が早い例とされていますが,平安末期の写本では「荻」となっているため再考の余地があるという指摘があります。「万葉集」では「萩」の文字は使用されておらず,「芽子」という文字が多く使われています。これは刈りとった根からでも、毎年のように新たな芽が出るという性質をあらわした用字であると考えられています。
 「萩」は古くから日本人に親しまれていて,中秋の名月に萩とススキを月見団子と共に供える風習があります。花札に萩が描かれているのでが,これが冴えず,子供ごころに,萩は冴えない植物だと私は花札から教え込まれました。しかし,この冴えないことが逆に日本らしいというか,こんな地味な花が日本人を引きつけ,歌に詠まれるのです。
 萩は,秋の風物詩として,また,恋しい人の暗喩としてさまざまに詠まれています。

 私の家の近くの一宮市萩原町高松に萬葉公園と高松分園があります。
 佐藤一英は,1899年(明治32年)一宮市萩原町に生まれた詩人です。高松分園は,佐藤一英がこの萩原の地を「万葉で詠われた高松の土地だ」と感じ取り提唱したことにちなんで造られた公園ですが,「万葉集」に詠まれた高松がこの地のことなのかどうかの論議が「高松論争」となりました。
 「高松論争」になった6首の歌は,万葉集巻10の歌ですが,巻10の「秋雑歌」のなかの「詠花」は2094から2127まで34首あって,その中で,2104の朝顔,2115のをみなえし以外はすべて「萩」を詠んでいるそうです。
 ここでは,その「高松論争」になった6首の中で萩を詠んだ歌を紹介しましょう。
  ・・・・・・
 吾衣 有者不在 高松之 野邊行之者 芽子之類曽
 我が衣 摺れるにはあらず 高松の 野辺行きしかば 萩の摺れるぞ
 私の着物はあらかじめ摺り染めにして染めたわけではありません 高松の野辺を歩いていたら自然に萩の花が摺りこまれたのです
   巻10・2101 詠み人知らず
  ・・・・・・

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 ワシントン州の西の端にオリンピック半島があります。東京オリンピックが行われたときに,間違って? 私がオリンピック国立公園のことを書いたときのこのブログにアクセスした人が結構いたのですが,まったく違います。
 いや,ある意味では違いません。それは,オリンピック半島やオリンピック山脈という名前は,この半島の最高峰である標高2,428メートルのオリンポス山(Mount Olympus)にちなんで名づけられたものだからです。オリンポス山は,イギリス人航海者ジョン・ミアズ(John Meares)が1788年の航海中にその美しさをギリシャのオリンポス山になぞらえて命名したものです。

 ●オリンピック国立公園(Olympic National Park)
 オリンピック国立公園はオリンピック半島にあるオリンポス山を中心としたところです。地図で見ると,この国立公園はシアトルに近く思えるので,人が多く住んでいてあまり魅力的には思えませんでしたが,実際は,想像以上にのどかな田舎,しかも,風光明媚でした。
 ここで思い出に残っているのは,スクイムという町,ハリケーンリッジからの展望,透き通った湖レイククレセント,小さなレストランで食べたハンバーガー,そして,美しいルビービーチでした。
 どこもいいところです。
  ・・
 スクイム(Sequim)はオリンピック半島の北東の端の,のどかなアメリカらしい田舎町です。しかし,予約したモーテルは失敗でした。この町には,私が予約したものよりもずっと立派な全国チェーンのモーテルが多数あったのですが,それを知って後悔しました。私が泊まったのはどうしようもないところだったのです。であるのに,こうしたところのほうが忘れられない思い出となるのも,また,不思議なことです。
  ・・
 翌朝,スクイムを出て,オリンピック国立公園を見学しながら,オリンピック半島を1周することにしました。
 オリンピック国立公園のハリケーンリッジ(Hurricane Ridge)という展望台に,早朝到着しました。展望台は雲の上で快晴,すばらしい展望を楽しむことができました。
 ハリケーンリッジを下って,ポートアンジェルス(Port Angeles)の町を越え,レイククレセント(Lake Crescent)という湖に着きました。レイククレセントは藻類の成長を阻害する水中の窒素の欠如によって引き起こされる鮮やかな青い色と並外れた透明度で知られているところです。
 レイククレセントを出て,さらにオリンピック半島を州道112を通って北側の海岸を西に,半島の北西の端まで行くことにしました。私が目指したオリンピック半島の北西の端のフラッタリー岬(Cape Flattery)でした。しかし,私は,ネアーベイ(Neah Bay)という町で道に迷ってしまい,結局,フラッタリー岬へは行くことができませんでした。
 岬に至る手前のにあったネアーベイという町の小さなレストラン「Warm House Restaurant」で食べたハンバーガーが殊のほかスモーキーでおいしかったこと! こんなにおいしいハンバーガーをこれまで食べたことはなかったと思いました。
 ネアーベイからはオリンピック半島の西海岸沿いに南下しました。内陸部を走っていた道路は,突然,太平洋の海岸に出ました。そこはルビービーチ(Ruby Beach)でした。ルビービーチはオリンピック半島最南端のビーチ。壮観でした。

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●セントへレンズ火山国定公園(Mount St.Helens National Volcanic Monument)
 セントへレンズ火山国定公園の魅力はダイナミックな火山を目の前で見る,ということに尽きます。そのすごさは富士山の比ではありません。なにせ,人工物はまったくないのですから。
  ・・
 セントへレンズ火山国定公園は,火山の近くまで行くアクセスルートが北西,北東,南の3か所あります。そのうち,南のルートは噴火跡が見られないので,私は残るふたつのルートを選び足を運びました。
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 まず,北東のコースから登りました。このコースは山頂にウィンディリッジ(Windy Ridge)という展望ポイントがあります。そこまで登る道路は快適なのですが,そのまわりは火山の噴火による爆風で倒れた樹木が無残な姿をさらしていて,それは壮観でした。また,途中にスピリットレイク(Spirit Lake)という大きな美しい湖が眺められました。
 展望ポイントに到着しても,ほとんど人がおらず,とても魅力的なところでした。
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 次に北西のルートをまっすぐにジョンストンリッジオブザバトリー(Johnston Ridge Observatory)まで向かいました。このルートは車で噴火口まで最も近くに行くことができる場所にあるビジターセンターということで,北東のルートとはまったく違って,多くの人でごった返していました。
 ジョンストンリッジオブザバトリーで,まずは,ビジターセンターを横に,展望台に行って,火山の風景を楽しみました。すごい風景でした。そのあとで,ビジターセンターに入りました。
 ということで,私のだどったのは一般の観光客と順路が反対だったのです。そこで,結果的に出口からビジターセンターに入るような形となってしまいました。
 セントへレンズ火山は国立公園局の管轄ではなく,農務省森林局の管轄で,ビジターセンターもトレイルも有料なのです。しかし,出口から入った形となってしまった私は,その入場料を払わなくてもビジターセンターに入れてしまったのです。
 ジョンストンリッジオブザバトリーはものすごく混雑していました。私は悪気もなく,入館料が必要なこともまったく知らず,混雑した中を,映画が上映されるシアター「シネドーム」(Cinedome)に向かって押し合いへし合いしながら入っていって空いた席に座りました。
 この映画を見終わると,スクリーンが開いてその向こうに,実物の火山を見ることができるという演出で,これがすばらしいものでした。本来は,そうしてはじめて火山を見てから,実物を見にいくという仕掛けだったのですが…。


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 10月14日,15日と1泊2日で出かけた秋の小旅行,2日目の朝は快晴でした。
 今年はずっと天気が悪かったので,2日間とも天気にめぐまれたことが,まず幸運でした。
 日本の秋に人混みは似合いません。しかし,この狭い国で,なかなか私の理想にかなう場所がありません。みやげ物屋さんが並ぶ観光地や観光バスがやってくるところなど論外です。
 そこで,どこに寄りながら帰ろうかと何となく思いながら車を走らせていたのですが,この国は,高速道路も一般道も,走っていてまったく楽しくないのです。それは,車も多いし,道路は狭いし,意味のない道路標示やわけのわからない道路の設備やらが多すぎて,景観悪すぎなのです。それに,この夏の災害で道路が崩れていて,片側交互通行の場所がやたらと多く,走りながら,アメリカやニュージーランド,オーストラリアが懐かしくなってきます。
 そんな中で,何とか日本らしいところはないかと考えて,2箇所だけ選びました。

 ひとつは,木曽馬の里でした。
 ここが無料だとは信じられない施設ですが,開田高原で私の最も好きな場所です。ここから見る御嶽山は最高です。特にこの日は雲ひとつない晴天だったので,景色を楽しみにしていました。
 まだ雪がなく,意外にも雲が山頂あたりに少しだけかかっていましたが,それでもこころがいやされました。
 お昼に行けば,ここのレストランでおそばを食べるのが楽しみなのですが,この日は朝早かったので断念しました。

 もうひとつは「農村景観日本一の地」でした。どこにあったのか忘れてしまっていたのですが,以前通ったときにその標示を見つけて気になっていたのです。
 走っていて思い出したのは,岩村の近くだということです。
 恵那市あたりで岩村に向かう道路を見つけたのでその方向に進路を変えました。途中,岩村の町中を通りましたが,そこは観光地なので,多くの人がいてパスしました。さらに進むと,目的地がありました。私の予想では広い高台で,そこから田園が見渡せるというものだったのですが,実際は,汚らしく壊れたような狭い道の上に古くさい展望台があったっきりでした。きわめて日本らしいチープさです。おそらく,作ったときに予算がついて,それっきりなのでしょう。
 ともかく狭い急坂を登って,さらに展望台を上がってみると,先客がいました。三脚にカメラを装備していました。聞いてみると,このはるか先に電車が通るのだとか。聞かなければ知らなかっただけに幸運でした。
 展望台からはたしかに美しい景観を見ることができました。稲刈り前だと思っていたのですが,すでにイネは刈り取られていてそれだけが残念でしたが,遠くに走る明智鉄道も写真に収めることができました。

◇◇◇
Hunter’s Moon.

10月の満月です。DSC_7940bs


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 彗星以外に,特に何を写したいということもなかったので,とても小さな惑星状星雲をふたつ写すことにしました。そのひとつがこと座リング状星雲M57,もうひとつがペルセウス座小あれい星雲M76です。
 惑星状星雲(planetary nebula)というのは超新星にならずに一生を終える恒星が赤色巨星となった際に放出したガスが中心の星の放出する紫外線に照らされて輝いているものです。中心の星は恒星の進化において白色矮星になる前の段階です。
 M57は地球からの距離が約2,300光年で,リング状の特徴的な姿をしていて,惑星状星雲の中では最も有名な天体のひとつです。M76は地球からの距離が約2,500光年で,メシエ天体の中では暗い天体ですが,口径10センチではよい対象となり,亜鈴の小型でなめらかな表面のノットが互いにくっついているように見え,口径20センチでは四角い形に見えて,中央のくびれ部分が次第にはっきりしてくるといわれます。

 このふたつの惑星状星雲を写しているうちに,ステファンの五つ子銀河(Stephan's Quintet)というものを思い出しました。ステファンの五つ子銀河というのは,ペガスス座の方角に見える近接した5つの銀河で,そのうちの4つは,1877年にマルセイユ天文台でエドゥアール・ステファンがはじめて発見したコンパクト銀河群です。
 ネット上にたくさん写真があって有名な割にどこにあるのか書かれたものが少なく,星雲星団のガイドブックにも記載がなく,私には謎の天体でした。何とか調べたのがNGC7331で,私はこれこそがステファンの五つ子銀河のひとつだと思い込んでいたのです。それが今日の3番目の写真なのですが,実際はNGC7331の左下の赤く囲んだ部分にかすかに写っている塊だったのです。これではよくわからないので,すばる望遠鏡で写した写真を載せます。それが4番目のものです。
 ということです,これをはっきりと捉えるには私の持っている望遠鏡では非力なのでした。とはいえ,私には謎が解けたので,すっかり満足しました。

 この晩は,望外に天気に恵まれたのですが,適当に持ってきた機材だったので,準備不足が否なめずバッテリーがなくなってしまいまい,午前1時には星見を終えました。非常に湿気が多く,そのためにレンズのヒーターに電源が必要だったことに加えて,新しく購入した赤道儀にもバッテリーが思った以上に必要だったのが原因でした。
  ・・
 さて,この晩はじめて使用したビクセンのAP赤道儀はこれまで使っていたペンタックスのMS-3N赤道儀に比べて華奢であることは疑いがなかったのですが,そのために軽く,思った以上に使いやすいものでした。ペンタックスのMS-3N赤道儀にも多くの欠点があり,また,ビクセンのAP赤道儀にはそれとは別の欠点が見つかったのですが,自分なりに工夫を加えれば,末永く使えることでしょう。
 それにしても,天体望遠鏡の業界というのは,どれほどの儲けがあるのか知りませんが,製品のどれもこれもいろんな欠点があります。実際に使いこなしている人たちはみなそれぞれ工夫をしてその欠点を補っているのですが,ある意味,それがまた楽しみなのでしょう。まあ,天体望遠鏡は星を見ること以上にメカに興味のある人たちのおとなのおもちゃのようなものなので,多くのマニアは私とは異なり必要もないようなスペックを求めたりしていて,そのためにやたらと高価になっているのが,私には最大の欠点に思えます。私はペンタックスのMS-3N赤道儀の後継機にはタカハシのPM-1という赤道儀がいいなあと思っていたのですが,売れなかったとみえ,早々と製造中止になってしまったのが残念でした。今,タカハシブランドの高橋製作所が製造している望遠鏡はすべて私にはオーバースペックです。PM-1,買っておけばよかった。


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☆☆☆☆☆☆
 数年前とは異なり,旅をしなくなったことが理由なのか,齢をとったのか,さまざまなことに情熱がなくなりました。そこで,事前の準備をする気にもならず,たった1泊2日だというのに,手元にあるものを片っ端からみんな車に詰め込んで出発しました。
 常宿である木曽駒高原のペンションは晴れていれば満天の星が見られます。木曽は標高も高く安全だし,東京大学の天文台がある場所でもあることから,私は,日本でこの場所以外に遠出しても同じだろうと思うようになりました。いわば,日本一の星空です。ただ問題は晴れるかどうか,だけでした。今回は,赤道儀を新しくしたのですが,事前に試行もせず持っていきました。
 今回は晴れれはばいいなあ,程度だったのですが,快晴になったのには驚きました。1番目の写真のように,あとで確かめると水蒸気が多く,最高の条件ではなかったのでしょうが,肉眼で見る限り美しい星空でした。
 ということで,新しい赤道儀の試行を兼ねて,いくつかの暗い彗星と星雲,星団などを写すことにしました。
 まず,2番目の写真がシュワスマン・ワハマン第1彗星(29P Schwassmann-Wachmann)です。シュワスマン・ワハマン第1彗星は,ふだんは16等星ほどの暗い彗星ですが,突然アウトバーストを起こして12等星くらいまで明るくなることで知られています。アウトバーストは頻繁に起きて,1,2週間で16等星に戻ります。今回も9月25日に大きなバーストを起して明るくなっているそうです。
 これまで,最大で19等級から9等級まで変化したことがあるといいます。アウトバーストは揮発性物質が爆発的に蒸発して起こると推測されていますが詳しいことは不明です。
 3番目の写真がチュリュモフ・ゲラシメンコ彗星(67P Churyumov-Gerasimenko)です。10月はじめにも写したのですが,ふたご座の散開星団M35と同じ画面に写せるので狙ってみました。
 そして,4番目の写真がアトラス彗星(C/2019L3 ATLAS)です。この彗星もまた,すでに8月にも写しました。

 この晩は,新しい赤道儀に四苦八苦しながら,こうした暗い彗星を写していきました。このように,これまで写したことのある暗い彗星しか現在はみられませんが,うれしいニュースがあります。
 それは,2021年1月3日,アリゾナ州のレモン天文台(Mount Lemmon Infrared Observatory)でグレゴリー・レナード(Gregory J. Leonard)さんが発見したレナード彗星(C/2021A1 Leonard)です。レナード彗星は毎秒約70キロメートルという,昨年のネオワイズ彗星(C/2020F3 NEOWISE)よりも毎秒6キロメートル速く移動しているので,2021年12月はじめから12日くらいまでのわずか数日間ですが,最もよく見えるようになり,明け方の東の空を飾ります。
 肉眼で見える5.0等星から4.0等星の光度になると予想されていますが,ひょっとすると1等星に達するかもしれません。

Greg_Leonard

◇◇◇
十三夜。

十五夜と対をなす十三夜。または,後の月。
このふたつをあわせて「二夜の月」。
どちらか一方の月しか見ないと「片見月」。
十三夜は栗の収穫の時期なので「栗名月」とも。
曇り空の向こうに月が一瞬顔を出しました。DSC_0261s


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 さまざまなところで紹介されている天下茶屋ですが,調べても,場所がよくわかりませんでした。検索すると大阪市にある地名が出てきたりと,私は混乱しました。また,峠の茶屋というものもあって,こちらとも混乱しました。
 太宰治の「富獄百景」に出てくる天下茶屋は,創業は1934年(昭和9年)。旧137号線沿いのトンネルの手前にあります。河口湖と富士山を一望できる景勝地で古くから富士見三景のひとつでした。
 「富士見茶屋」「天下一茶屋」などとよばれていたこの茶屋は,徳富蘇峰が「天下茶屋」として紹介して以来,その名で知られるようになったそうです。1938年(昭和13年),井伏鱒二に連れられて太宰治がここに滞在し「富嶽百景」を書いたことで,さらに有名となりました。
  ・・
 御坂峠は甲府から東海道に抜ける鎌倉往還の要衝でしたが,1967年(昭和42年)に新御坂トンネルが完成したことで交通量は減少し,天下茶屋も休業となっていたのですが,1978年(昭和53年)から営業を再開しました。
 
 2階が太宰治文学記念室となっていて,食事の準備ができるまで,まず,記念室を見学しました。
 太宰治文学記念室とは,かつて太宰治が逗留していた部屋が天下茶屋の2階にあって,富士山と河口湖を一望できる6畳間でした。現在は復元されて,太宰治が使用した机や火鉢などが置かれています。床柱は初代の天下茶屋のものがそのまま使用されているということです。
 「富獄百景」「斜陽」「人間失格」などの初版本や「太宰治」「斜陽館」などのパネル,「太宰治文学碑建設趣意書」「のれん」などが展示されていました。
 見学を終えて,井伏鱒二や太宰治も愛したというほうとうを食べました。
 若きころ,私はほうとうなる食べ物を知らず,山梨県へ行ったときに,それは何だろうと思った記憶があります。ほうとう(餺飥)というのは山梨県を中心とした地域で作られる郷土料理で,小麦粉を練りざっくりと切った太くて短い麺をカボチャなど野菜と共に味噌仕立ての汁で煮込み,熱いうちに提供される料理ということですが,名古屋生まれの私には,味噌煮込みのほうが舌にあいます。かつて山梨では「ほうとうをうてないと嫁に出せない」という文化もあったそうです。

 そうこうするうちに雲が切れてきて,富士山の山頂付近がよく見えるようになってきました。  
 いつもながら,運のいい私です。
  ・・・・・・
 「おや,月見草」
 さう言つて,細い指でもつて,路傍の一箇所をゆびさした。さつと,バスは過ぎてゆき,私の目には,いま,ちらとひとめ見た黄金色の月見草の花ひとつ,花弁もあざやかに消えず残つた。
 三七七八米の富士の山と,立派に相対峙あひたいぢし,みぢんもゆるがず,なんと言ふのか,金剛力草とでも言ひたいくらゐ,けなげにすつくと立つてゐたあの月見草は,よかつた。
 富士には,月見草がよく似合ふ。
   太宰治「富獄百景」
  ・・・・・・  

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 しばらく旅に出ることもなかったのですが,気持ちのよい秋になったので,1泊2日でドライブに出かけることにしました。
 天気を見て,10月14日から15日なら晴れそうだと見当をつけて,いつもの定宿である木曽駒高原に予約を入れました。
 といっても,どこに行くかという目的もなく,いつものように中山道を歩くという気持ちも起きず,さらに,今の私には列車で行くという選択肢もないので,かねてから行ってみたかった太宰治が「富獄百景」を書いたという天下茶屋に寄ることにしました。

 「富獄百景」のあらすじは次のようです。
  ・・・・・・
 昭和十三年の初秋,かばんひとつ提げて旅に出た「私」は,師の井伏鱒二が滞在する甲州御坂峠の天下茶屋に身を寄せる。そこは嫌でも向き合わなければならないほど富士がよく見える場所であった。
 しかし,あまりに「おあつらえ向き」だと富士にあまりよい印象を抱かなかった「私」だったが,旅先での出会いや自己との対話を通し,富士への思いを変えてゆく。
 やがて,甲州を去る前に見た富士は,これまで見ていた富士とは違った。
  ・・・・・・

 私は文学青年でもなかったし,あまり多くの作品を読んでいません。しかし,私が育った時代はまだ昭和初期の人たちが活躍していた時代だったので,夏目漱石,森鴎外,志賀直哉,芥川龍之介,そして,太宰治などの小説は,国語の授業とか,ましてや受験などとは関係なく,身近なものとしてありました。
 そんな中でも,太宰治は不思議な魅力があり,さらに,富士山を望む天下茶屋はさまざまなところで取り上げられているので,一度は行ってみたいところでした。しかし,バスの便は非常に悪く,また,自宅から車で行くとなっては,かなり遠いこともあり,なかかなか機会がありませんでした。今回は,意を決して,午前5時前に家を出て,東名高速道路を走り,御殿場インターチェンジから北上することにしました。その後,甲府,諏訪と経由して,木曽谷を戻るというルートです。
 富士五湖のひとつ西湖を通り,午前10時少し前に,念願だった天下茶屋にやっと到着しました。
 ちょうど天下茶屋が開く時間だったのですが,晴れるという予想とは違って小雨模様,富士山がどこにあるのかさえ定かではありませんでした。

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 私が細々と星見を楽しんでいるお供は30年以上前に買ったPENTAX 75SDHFという望遠鏡で,架台はMS3Nという赤道儀でした。
 経年劣化で,もう,ぼろぼろなのですが,私にはこれで十分なので,いろいろと直しながら使っていました。電源もUSBで使えるように改造しました。
 しかし,だんだんと調子が悪くなってきて,ついに,先日,追尾ができなくなってしまいました。修理が可能かどうかわからないのですが,できるとしても,けっこうな修理費が必要でしょう。
 この赤道儀が壊れたら星見はやめようと思っていたのですが,まだまだ未練があったので,後継機を探すことにしました。

 私には焦点距離が300ミリ程度の望遠レンズが2分ほど追尾できれば十分で,オートガイダーもいらないし,長年培った技でファインダーだけでねらった星を視野に入れることができるので,自動導入とかいうこじゃれた武器も要りません。そこで,最低限のものを探すのですが,どれもこれもオーバースペックなものばかりです。趣味なんて所詮自己満足の世界だし,多趣味な私は,赤道儀「ごとき」にたくさんのお金をかける気にもなりません。

 そこで,何とか見つけ出したのが,ビクセンのAP赤道儀でした。
 これまで使っていた赤道儀もアリ溝式に改良してあったので,赤道儀を変えてもそのまま鏡筒が接続できるし,極軸望遠鏡も,海外で使うためにポータブル赤道儀を買ったときのものが使えます。また,電源もUSBが使えるということで,これで十分だな,と思いました。
 ということで,わずか10万円程度で後継機が手に入りました。この先5年から10年くらいは何とか使えそうで,ひとまず安心しました。

 それにしても,いろいろと探してみると,高価なものがあまりに多いのに驚きました。
 確かに性能はいいのでしょうが,望遠鏡1台が車1台くらいの値段がするのです。しかし,毎日使う車と違って,使えるのは月に1回か2回程度であり,しかも,重たければ,持ち運びも大変です。よほどのマニアでない限り,買ってはみたものの,それを十分に使っている人がどのくらいいるのかな,と私は疑問に思ってしまいました。
 次回は使ってみた感想を書きます。


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 日本は法治国家とはいっても,超法規的な国です。そこで,法に書かれていなくても,実質的に守ることが当たり前になっていることがたくさんあります。これまでに書いた「お願い」やら「自粛」やらも同じだし,それ以外にも,多くの決め事が拡大解釈していきます。
 今日はそんな法律の話ではなく,言葉のきまりである日本語の文法のお話ですが,これもまた,根本は同じ流れのように思います。

 例えば,英語の場合は,単語と文法を学べば,使いこなすことができます。それは,言葉が規則に従って構築されているからです。しかし,日本語の場合は,単語と文法をいくら学んでも言葉を使いこなすことはできません。それは,もともと文法というものの性質がまったく異なっているからです。
 日本語の場合は,なんでもありで,そうしたさまざな使い方をなんらかの性質でまとめて,それをもとに規則を見出して文法と称しているにすぎません。文法に従って言葉が作られているのではなく,なんでもありきの言葉から規則を作っている,という感じです。そこで,人間同士の会話であればよいのですが,日本語をもとにコンピュータ言語,つまりプログラミング言語を作ることは,きわめて困難です。

 こんなことを考えながら,日本語の文章を改めて眺めてみると,漢字,カタカナ,ひらがなと,それらは文字というよりも,なにか,模様のように思えてきました。日本語を母国語としていない人が見たらかなり奇々怪々でしょう。そこで,この複雑怪奇な日本語という言語を,母国語でない人が学ぶというのは,非常に困難なことであるように思います。
 前回も取り上げましたが,文化という面からとらえたときに,日本語は,きわめておもしろい言語です。しかし,情報化が急速に進む現在,情報機器を使うときや日本語を母国語とする人が他の言語を学ぶときに,かなりのハンディであり,デメリットであることは否定できないでしょう。


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 ススキはイネ科ススキ属。 「尾花」ともいい,秋の七草のひとつです。
 これまで,「曼珠沙華」「秋桜」と書いてきましたが,やはり,ススキなくして,秋は語れません。もっとも日本の秋らしい景色でしょう。
 ススキは古には「尾花」といいましたが,さすがに「尾花」とかいてススキと読ませたものを私は知りません。また,ススキの色を「蘇枋色」(すおういろ)と書いたのは清少納言ですが,蘇芳色というのは黒みを帯びた赤色のことだそうです。
 また,ススキの花言葉は「活力」「心が通じる」です。

  ・・・・・・
 秋の野のおしなべたるをかしさは薄こそあれ。
 穂先の蘇枋にいと濃きが朝霧に濡れてうちなびきたるはさばかりの物やはある。
 秋の果てぞいと見所なき。
 色々に乱れ咲きたりし花のかたもなく散りたるに冬の末まで頭の白くおほどれたるも知らず昔思ひいで顔に風になびきてかひろぎ立てる人にこそいみじう似たれ。
 よそふる心ありてそれをしもこそあはれと思ふべけれ。
  ・・
 秋の野原の情趣が漂う風情というのは,薄あってのものなのである。
 穂先が赤くなった薄が,朝露に濡れて風になびいている姿は,これほどに素晴らしいものが他にあるだろうか。
 しかし,秋の終わりになると,本当に見所のないものになる。
 色々な色彩で咲き乱れている秋草の花が,跡形もなく散ってしまった後,冬の終わりごろに頭がもう真っ白に覆われてしまったのも知らずに,昔を思い出しながら風に顔を吹かれてゆらゆらと立っている,これは人間の人生にとても良く似ている。
 それに寄り添うような心があって,それを哀れと思っているのである。
  「枕草子」64段
  ・・・・・・
 これは,ススキの美を発見した最初の文とされています。最後が自らの老いを嘆くような語り口になっているのも愉快です。

  ・・・・・・
 秋野 尾花末 生靡 心妹 依鴨
 秋の野の 尾花が末の 生ひ靡き 心は妹に 寄りにけるかも
 秋の野の尾花の穂先が伸びて風になびくように 私の心はすっかりあの子になびきよってしまった
   「万葉集」巻10・2242 柿本人麻呂 
  ・・・・・・
 これは,穂が風に吹かれて傾いているさまと自らの恋心を重ねた一首です。柿本人麻呂さん,学生のころに習ったときはまったく関心がなかったのですが,今この歌を知って私はメロメロになりました。実にすばらしい。

 「心は妹に 寄りにけるかも」は常套句で,「万葉集」にはつぎのような歌もあります。
  ・・・・・・
 明日香河 瀬湍之珠藻之 打靡 情者妹尓 因来鴨
 明日香川 瀬々の珠藻の うち靡き 心は妹に 寄りにけるかも
 明日香川の瀬瀬の珠藻がなびくように 私の心はすっかりあの子になびきよってしまったよ
   巻13・3267 詠み人知らず
  ・・・・・・

◇◇◇
カーク船長,宇宙から生還。

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 「東洋経済」に「日本人は国際的に低い給料の本質をわかってない」と題した野口悠紀雄さんの記事が載っていました。
 この記事によると,日本の賃金がOECDの中で最下位グループにあるといいます。
 具体的には,2020年のデータでは, 日本は3万8,515ドルでアメリカは6万9,391ドルと日本の賃金はアメリカの55.5パーセントでしかないということです。 また,ドイツが5万3,745ドル,フランスが4万5,581ドル,イギリスが4万7,147ドル,韓国は4万1,960ドルなので,いずれも日本よりも高額です。
 さらに,この記事には「ビッグマック指数」として,各国のビッグマックの価格を比較しています。
 2021年のデータでは,日本のビックマックは390円,換算すると3.55ドル,アメリカは5.65ドル,イギリスが4.5ドル,韓国は4.0ドルだそうです。また,アベノミクスがはじまる前の2010年はどうだったかを同じようにみると,日本は3.91ドル、アメリカは3.71ドル,イギリスが3.63ドル, 韓国は3.03ドルで、いずれも日本より低かったそうです。
 つまり,この10年で,日本は賃金,物価ともに世界で低くなり,国際的にみてアベノミクスの期間に急速に貧しくなってしまったことになると書かれてありましたが,その本質点な理由は,円安です。

 しかし,そんなことを今さら報道していることに,私は何をいっているの,そんなことわかっているじゃないのと思います。こんな事実は,海外旅行をしているとすでに実感しています。
 報道というのは,もっと早くこうした事実を取材して一般にわかりやすく示すことこそが仕事です。私が鼻につくのは,いつも結果論ばかりで,そのときにようやく「だから言ったじゃないの」と書くことです。ずいぶん前,静岡空港が利用されていないとかいうニュースをテレビでやっていたのですが,そういうことは空港が建設される前に問題定義をするべきことで,いつもながら,結果だけを挙げ連ねて「だから言ったじゃないの」では,プロではなく素人のうわさ話と同じです。
 報道は,結果から批判して「そらみたことか」ではいけないわけで,もっと建設的に問題意義をするべきなのです。
  ・・
 私は,コロナ禍以前,頻繁に海外旅行していました。
 数年前までは,日本に比べて外国ではいろいろなものが安いなあ,と思ったものですが,このごろは,何もかも高すぎて,嫌になります。朝食をとろうとすれば1,000円以上は当たり前になってしまったし,昼食を安価に済まそうとマクドナルドに入っても1,000円以上かかります。また,夕食は下手をすれば10,000円近くもします。ホテルも高くなり,しかも,年々どんどんと上昇しています。
 「いんちき富裕層」の私は,以前は物価の安さを求めて旅をしていたようなものだったのですが,外国の水準と同じように,日本でも給料や貯金の金利が高くなっていれば問題ないのですが,給料は上がらず低金利では貯金も目減りしているから,これほど物価が高くなってしまっては,この先,再び旅ができるようになっても,容易に実現できるものではありません。
 それでも,私はこれまで行きたいところにはすべて行ったので,この先,何の未練もありませんが,これから旅をする若い人が気の毒です。

 しかし,ここで問題にしなくてはならないのは,だから物価を上げろ,とか,賃金を上げろという安易なことではないということです。それは,賃金が国際水準よりも低いという単純なことではなく,国民全体が貧しくなっている,つまり,国力が落ちているということなのです。それなのに,日銀はいつまでも物価を2パーセント上げるといい続けて金融緩和をやめず,その結果,体力を消耗し,また,円安を誘導することで相対的に外国の物価が高くなり,円安だから輸出が潤うという見せかけだけの対処療法で,日本の製品そのものの質が落ち,その反面,輸入品が値上がりし,この国の経済をメチャメチャにし続けています。
 この,国力が落ちているという問題の根本的な原因は,少子高齢化です。
 だから,従来の50年前のような政策を今いくら続けてもまったく意味がないのです。教育にせよ,政治にせよ,この国の政策は50年前のままです。それでは国力が向上しません。
 以前にも書いたように,正規労働者として働いている人よりも,高齢者のほうが多いようでは,正規労働者の賃金を上げるだけではなくて年金も上げて,さらに,貯蓄だけで老後をしのいでいる人には金利も上げて,その上で物価と保険料を上げる必要があります。正規労働者の賃金だけ上げたところで,そんな人は人口の半分もおらず,そこで物価と保険料を上げたら,さらに国民は貧困化するだけなので,この国は崩壊してしまいます。
   ・・
 老人ばかりというこの国の人口構成をみたとき,もうどうしようもないところまで来てしまっているようです。それなのに,それに目をつぶり,あるいは,そうした課題をどうするかということに長期展望を立てて取り組む対策をまったく示していないというのが最大の問題です。
 であるのに,入試やカリキュラムだけを難しくして学校の設備は50年前のままでは子育てに魅力がないから子供は増えず,これもまた,50年前と同じように,ハコモノにお金を投資し,要らないものを作り,やれオリンピックだ,万博だと,昔の夢よもう一度とばかり,見返りのないお金を使っちゃったりして,この後の維持費もバカにならず,いったい何をやっているのやら…。
 これでは残るのは借金ばかりです。
 現在,この国の借金は1,200兆円で,コロナ対策にさらに100兆円使うらしいのですが,この借金を国民ひとりあたりに換算すると約1,000万円となります。もう終わったな。


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 気持ちのよい秋になってきました。
 「曼珠沙華」とともに秋の花といえば「秋桜」,つまり,コスモスです。
 昔,というか,今から30年ほど前,この季節にJR中央本線で信州に旅をしたとき,車窓から「曼珠沙華」と「秋桜」がいたるところに咲いていたのに驚いた思い出があります。
 以前,「秋桜」は「コスモス」とは読まず「あきざくら」とよんでいましたが,「コスモス」と読むことが一般となったのは,1977年(昭和52年),当時18歳だった山口百恵さんにさだまさしさんが贈った,嫁ぐ娘が母を思う気持ちを歌った曲の題名を「秋桜」と書いて「コスモス」と読ませたのがはじまりだそうです。
  ・・
 「秋桜」は明治のはじめごろに渡来した外来種で,原産地はメキシコです。栄養分が少ない乾燥した土地を好むので,水やりや施肥をする必要がないということです。「コスモス」(κόσμος)は,ギリシャ語では「宇宙の秩序」,ラテン語では「星座の世界」を意味し,秩序をもつ完結した世界体系としての宇宙のことを示します。
 メキシコにいたスペイン出身の聖職者が中南米原産のコスモスをみて,花びらが整然とバランスよく並んでいることからそう名づけたそうです。
 花言葉は「調和」「謙虚」「美麗」。群生が似合う花に似つかわしいです。

 「秋桜」が渡来したのは明治期なので,万葉集には,この花を詠んだ歌はありません。それでは話が発展しないので,万葉集に2首ある「秋の花」とだけ詠まれている大伴家持の歌を紹介して,それに代えることにします。ただし,2首といっても長歌と反歌の1セットです。
  ・・・・・・
 蜻嶋 山跡國乎 天雲尓 磐船浮 等母尓倍尓 真可伊繁貫
 伊許藝都遣 國看之勢志氏 安母里麻之
 掃平 千代累 弥嗣継尓 所知来流
 天之日継等 神奈我良 吾皇乃 天下 治賜者
 物乃布能 八十友之雄乎 撫賜 等登能倍賜
 食國毛 四方之人乎母 安天左波受 民賜者
 従古昔 無利之瑞 多婢末祢久 申多麻比奴
 手拱而 事無御代等 天地 日月等登聞仁 万世尓 記續牟曽
 八隅知之 吾大皇 秋花 之我色々尓 見賜
 明米多麻比 酒見附
 榮流今日之 安夜尓貴左
  ・
 蜻蛉島 大和の国を 天雲に 磐舟浮べ 艫に舳に 真櫂しじ貫き
 漕ぎつつ 国見しせして 天降りまし
 払ひ平げ 千代重ね
 いや継ぎ継ぎに 知らし来る
 天の日継と 神ながら 我が大君の 天の下 治めたまへば
 もののふの 八十伴の男を 撫でたまひ 整へたまひ
 食す国も 四方の人をも あぶさはず 恵みたまへば
 いにしへゆ なかりし瑞 度まねく 申したまひぬ
 手抱きて 事なき御代と 天地 日月とともに 万代に 記し継がむぞ
 やすみしし 我が大君 秋の花 しが色々に 見したまひ
 明らめたまひ 酒みづき
 栄ゆる今日の あやに貴さ
  ・
 蜻蛉島大和の国, 天雲浮かぶ大空に磐舟を浮かべて艫に舳に櫂をびっしり取り付けて,
 船を漕ぎ国見をなさりながら天降りなさった。
 従わぬ者どもを抜ち平らげ幾代も重ねて,
 次々と治めて来られた日の神,
 その神の後継ぎとして神であるままに,我が大君が天の下をお治めになることとて,
 数多くの官人たちをいつくしみ,統べたもうて,
 お治めになる国の四方の民をも洩れなくお恵みになるので,
 遠く遥かなる代から例のなかった珍しい瑞兆が次々と奏上された。
 腕組みしたままでいられる無事泰平の御代として,天地や日月とともにいついつまでも記し伝えられることであろう。
 あまねく天下をお治めになる我が大君が,秋の花をその色とりどりに賞でながら御覧になり,
 御心を晴らせられて,御酒宴をなさって,
 栄えておいでになる今日この日の,えも言われぬ貴さよ。
   第19・4254 大伴家持
  ・・
 秋時花 種尓有等 色別尓 見之明良牟流 今日之貴左
 秋の花種にあれど色ごとに見し明らむる今日の貴さ
 秋の花々は色々あってそれらをご覧になって御心を晴らされる。今日というこの日の何と尊いことでしょう。
   第19・4255 大伴家持
  ・・・・・・

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 1972年(昭和47年),NHK総合で少年ドラマシリーズ「タイム・トラベラー」が放送されました。
  ・・・・・・
 フラスコに入った謎の液体の匂いを嗅ぎ,時間を移動する超能力を身につけた中学3年生の芳山和子とその謎の液体を作った男子生徒・深町一夫。実は,深町一夫は700年後の世界から来た未来人ケン・ソゴルだったのですが,その出会いから別れまでを描いたSFファンタジードラマ。
  ・・・・・・
というもので,原作は筒井康隆さんの「時をかける少女」でした。
 のちに,「時をかける少女」という映画が作られて話題になったのですが,子供のころの私は大人の事情なるものはわからず,テレビでやった作品の二番煎じのような気がしました。
 私には何といっても映画の「時をかける少女」よりもこの「タイム・トラベラー」です。

 この「タイム・トラベラー」だったのかそれとも原作の「時をかける少女」なのかは今となっては定かでないのですが,未来から帰って記憶をなくさせられて,未来人のことをすっかり忘れても,なぜかキンモクセイの香りで,ちょっぴりなつかしくなる,というようなシーンだったか,文章だったかを私は思い出します。
 ということで,私には,この季節のキンモクセイの香りは,独特の哀愁を感じるのです。
 しかし,この作品に触れたころは,キンモクセイなど全く知らず,秋のさわやかな夕暮れに歩いているとキンモクセイの香りに満ちていて,何だろうと思ったものでした。かといって,こんな小さな花からその香りがするとはとても思えなかったのです。

 この作品は,タイムマシンのようないわゆる理系的なお話ではなく,ファンタジーというもので,とてもすてきです。それに対して,実際に時間の進み具合が光速の乗り物では異なる,とか,光速に近い速度で運動すると,時間の進み方が遅くなる,とった相対性理論を持ち出すと,急に現実的になってしまいます。確かに,理論的にはそうだし,それは実験で確かめらていることだけれど,そのことと時間を越えて旅ができるということはまた違うような気が私にはします。
 ともかく,気持ちのよい秋の季節にキンモクセイの香りはとても似合っているし,時間や空間を越えて何かを感じる,そんな気持ちにもさせてくれるすてきな植物です。 


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 「ざんねんないきもの辞典」という本があります。
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 地球には,すごい能力をもつ生き物がたくさんいます。 でも一方で「どうしてそうなった! ?」 と思わずつっこみたくなるざんねんな部分をもった生き物も存在するのです。
  ・・・・・・
 というこの本の紹介文があるのですが,この「ざんねんな」というのは,欠点というより,何かほほえましい特徴のことです。
 人もそうですが「ざんねんな」というのは個性につながるもので,それを生かすも殺すもその人次第,ということなのでしょう。
  ・・
 これを私の大好きなカメラにあてはめてみようというのが,今日のお話です。
 お断りですが,私は,今や,自分の持っているもので十分事足りていて,しかも,物質欲がないので,新たにものを買うということはありません。たとえそれがどんなに高性能であろうと,魅力があろうと,買う気はまったくないのです。
 そんな無責任の私が今日取り上げるのが,ひさびさに売れるカメラを発売したとして,マニアの間で盛り上がっている「ニコンZfc」です。これを傍観者の目で見てみようというわけです。

 私は,ドイツのライカのディジタルカメラMをフィルムカメラMとおなじ形状で製品化していて,マウントも同じであることから,ニコンも往年の「ニコンFM」をベースにそれと同じようなカメラを発売すればいいのに,と以前から思っていました。
 ミラーレス一眼に代わったのを機に,「ニコンZfc」がそうした待望のカメラとしてやっと発売されたということだと思うのですが,カタログなどを見ると,このカメラは「ニコンZ50」というカメラの皮をクラシックなものに変えただけのもので,中途半端で,いつものように,潔くないなあ,というのが私の実感です。これが「ざんねんな」ということにつながります。
 名古屋にニコンのサービスセンターがなくなったこともあって,私は実物を未だに見ていません。このような製品は,写真などと実物はかなり印象が異なるものです。実物を見るとその質感から欲しくなるものでも,それはカタログではわかりません。先日も,カメラの修理をしようと思ったのですが,気軽に行くことができるサービスセンターがなく,スタッフに聞くこともできず,とてもめんどうでした。サービスセンターの閉鎖は,経費節減というメリット以上のかなりのデメリットだと私は思います。

 さて,私が「ざんねんな」と思う理由は,今日の1番目から3番目の写真のような赤丸で囲った部分のことです。
 そのひとつは,1番目の写真のように,ニコンのフィルムカメラとは違い,カメラの左側が長すぎることです。従来から,ニコンのカメラはレンズが中央でなく左寄りについていて,これがかっこよかったわけですが,バッテリーを入れるスペースを確保する必要があるために「ニコンZfc」は左側のスペースが若干長く不格好です。
 ふたつめは,2番目の写真のように,ボディの全面にダイヤルが飛び出ていることです。これこそが,私が「ざんねんな」と思う決定的な理由です。このカメラにこういうものがあってはいけません。
 そして,最後が,3番目の写真のようなFマウントレンズと互換性を保つためのアダプターが不出来だということです。現在発売されているのはFTZというマウントアダプターですが,これは,三脚座があることで不人気です。使い勝手が悪いし不格好です。これをGタイプのレンズ限定でもいいから三脚座をなくして,もっと小さく,そして,安価なものを販売すべきです。
 以前のニコンは,こうしたものこそ損得を度外視してこだわりがあったのです。それが信頼につながっていました。しかし,現在のアダプターでは,Fマウントのレンズが使えるといっても不便なので,古くからの多くのユーザーにそっぽを向かれてしまっている原因となっているのです。これまでに販売したすべてのFマウントのレンズが使えるものを希望しているユーザーもいるのですが,それはそれで別のアダプターを作ればいいわけで,1種類でそのすべてを賄おうとするから,どっちつかずで中途半端な存在と化しているのです。

 それにしても,こういうカメラが受けるというのは,ニコンにとっては,本音はうれしいことではないように思います。しかし,このメーカーは,こうした昔からのユーザーが会社を支えているので,先進性で勝負ができないのです。であるのに,ミラーレス一眼ではマウントだけは先進性と高性能を求めすぎたあげく,やたらと大きくなってしまっていて,Fマウントのクラシックカメラとは整合性が取れず,4番目の写真のように不格好となってしまうのです。
 私には,見かけだけのクラシックカメラである「ニコンZfc」より「ニコンZ50」のほうが機能的だしずっと使いやすいもののように思えますが,この会社の製品を求めるユーザーの多くはそうではないのでしょう。これでは,会社の悩みはつきません。
 しかし,これまでのこの会社の発売した製品から考えると,「ニコンZfc」のようなカメラはこの1代限りで,現在のブームが去ればそれで終わり。後継機もなく,そのうちになかったことにしてしまうことでしょう。そして,これを買ったユーザーがまたまた裏切られるのです。これこそがニコンのいつものパターンです。
 まあ,どっちにしても私は買わないので,心配する必要はありませんが…。


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 シアトルの町からはマウントレイニーの姿が美しく見ることができて,いつも感動します。日系の人たちはシアトル富士,あるいはタコマ富士ともよんでいます。また,ポートランドの町から見えるのはマウントフッドで,こちらはオレゴン富士とよばれています。
  ・・
 飛行機がシアトルを飛び立つと,機内からは眼下に美しい雪山をいくつか見ることができて感動しますが,それらは,北から順に,標高4,392メートルのマウントレイニー(Mount Rainier),その約80キロメートル南西に標高2,550メートルのマウントセントヘレンズ (Mount St. Helens),約50キロメートル東に標高3,743メートルのマウントアダムス(Mount Adams),そして,約100キロメートル南東の地点に標高3,429メートルのマウントフッド(Mount Hood)です。
 日本でも身近な存在であるこれらの山々のうちで,ここでは,マウントレイニー国立公園とセントへレンズ火山国定公園を紹介します。

●マウントレイニー国立公園(Mount Painier National Park)
 マウントレイニー国立公園(Mount Rainier National Park)は1899年にアメリカ5番目の国立公園として設立されました。公園は953平方キロメートルの面積があり,これは東京23区の1.5倍ほどです。
 成層火山であるマウントレイニーはカスケード山脈の中で最高峰。アメリカの先住民は,この山の神々しい姿を畏れ,神の宿るところ(Tahoma)とよんでいたといいます。

 例年だと,およそ130万人がこのマウントレイニー国立公園を訪れ,そのうちの約1万人がマウントレイニーへの登頂を目指し,そのうち25パーセントだけが登頂に成功するそうです。また,マウントレイニーは,公園の97パーセントが原生地域として保護されています。
  ・・
 シアトルから近いので,私は,マウントレイニー国立公園に2000年夏,2015年夏,2017夏の3回行ったことがあります。ちょうど東京から富士山にいくようなものでしょうか。しかし,国土が広いので,日本のように混雑することもなく,きわめて快適です。
 中でも,2015年に行ったときは,マウントレイニー国立公園をはじめとして,のちの紹介することになるオリンピック国立公園,セントへレンズ火山国定公園,そして,クレーターレイク国立公園まで足をのばしましたが,このときは,マウントレイニー国立公園の北東の入口から国立公園入って南に走り,西に進路を変えて南西のゲートに進むというコースで観光しました。
  ・・
 マウントレイニー国立公園の1番の見どころはパラダイス (Paradise)という場所です。パラダイスはマウントレイニーの南斜面,高度1,647メートルの地域です。
 マウントレイニー国立公園最大の魅力であるナラダ滝(Narada Falls)は,マウントレイニーハイウェイのふたつの層の間の横切っていて,簡単に見ることができます。滝は168フィート(51メートル)と20フィート(6.1メートル)のふたつの層からなっていて,188フィート(57メートル)の落下をします。上層はほぼ切り立った崖の下のいくつかのストランドに落ちる馬尾状になっていて,垂直な峡谷に落ちます。下層ははるかに小さなプランジ状です。この滝の透き通った流れはいかにも涼しげです。
 私が行ったときは,滝壺で若い女性がふたり,びしょ濡れになりながら遊んでいました。

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●ノースカスケイズ国立公園(North Cascades National Park)
 私はグレイシャー国立公園の帰りに寄ったので,実感がないのですが,ノースカスケイズ国立公園は意外なほどシアトルに近いのです。しかし,アメリカで最も北を横断するインターステイツ90よりも北にあるのでうっかりします。私は,グレイシャー国立公園に行かなければノースカスケイズ国立公園には行くことはなかったと思うと,その偶然に感謝します。
 行ってみてわかったのですが,先に書いたウィンスロップの町,そして,ノースカスケイズ国立公園,このふたつの場所こそ,もし私がシアトルに住んでいたら,毎年夏に行きたくなるすばらしい場所に違いありません。
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 ノースカスケーズ国立公園は通常の国立公園とは異なりゲートがないので無料です。
 この国立公園は,州道20沿いにある展望台や道路から景観を眺めるだけでもすばらしいのですが,トレイルもあって,ちょっとしたハイキングができます。目の前には標高2,700メートル級の雪を被った山々が圧倒的な迫力で迫ってくるし,ワシントン峠(Washington Pass)から展望すると, Liberty Bell Mountain の姿が圧巻です。
 さらに,州道2を2マイル西に進むと,レイニー峠(Rainy Pass)に差しかかります。ここにはRainy Lake に至るトレイルがあって,私も歩いてみたのですが,Rainy Lake までは往復3キロメートル,1時間ほどのたのしいハイキングができます。
 Rainy Lake は静かなすばらしい湖です。湖に着くと,そこにあるのは,景色を楽しむ展望デッキだけなのですが,鮮明できれいな山の空気と鳥の鳴き声が混ざり合い,静かな時間を過ごすことができました。

 ノースカスケーズ国立公園にはおまけがあります。
 それは,州道20をさらに西に,シアトルに向かって進んでいくと,巨大な湖が点在していて,そのすばらしい眺望を楽しめることです。それらは,ロス湖(Ross Lake),ディアブロ湖(Diablo Lake )です。
 また,私は行くことができなかったのですが,ノースカスケーズ国立公園には,国立公園の園外にあたる南にシュラン湖(Lake Chelan)があります。シュラン湖は水深が433メートルもある氷河湖です。南北80キロメートルに及ぶ湖畔は道路すらなく,シュラン(Chelan)という町からだけ神秘的な風景が望めるのだそうです。また,湖の北岸にステヒーキン(Stehekin)というビレッジがあって,そこには,シュランからフェリーか水上飛行機でないと行くことができないということです。
  ・・
 とまあ,いろいろ神秘に満ちているのですが,私が最も記憶に残っているのは,それ以上に,ウィンスロップの町からノースカスケイズ国立公園に行こうとして道に迷ったこと。
 ワシントン州の山の中であわや遭難,というありさまは,今も恐怖がよみがえります。


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 現在スーパー!ドラマTVで放映している「宇宙大作戦」(Star Trek)は「スタートレック」シリーズの最初のテレビドラマとして1966年から1969年まで全3シーズンが放送されたものですが,その後,6本のテレビドラマ,2本のテレビアニメ,13本の映画が制作され,後続の作品群と区別するためにこの3シーズンの作品は,現在は「Star Trek: The Original Series=TOS」とよばれています。私は,後続の作品にはまったく興味がなく,このTOSだけが大好きです。
 この作品に登場するジェームズ・T・カーク(James Tiberius Kirk)船長を演じた現在90歳になるウィリアム・シャトナー(William Alan Shatner)さんが,2021年9月,民間宇宙企業ブルー・オリジンの宇宙船「ニューシェパード」(New Shepard)の2度目の宇宙飛行に搭乗予定であると報じら,話題となりました。成功すれば7月に82歳で宇宙飛行を果たしたウォリー・ファンク(Wally Funk)さんの最高齢記録を更新するといいます。ウィリアム・シャトナーさんは「長い間話に聞いていた宇宙をこの機会に見てみたい。何という奇跡だろう」(I've heard about space for a long time now. I'm taking the opportunity to see it for myself. What a miracle.)とコメントしたそうです。
 10月12日にウィリアム・シャトナーさんら4人が搭乗し,高度100キロメートルの宇宙空間に到達,10分程度,地球の眺めを楽しむといいます。TOSとは違ったわずかな時間の宇宙旅行に,ウィリアム・シャトナーさんは「カーク船長」となってから半世紀以上の年月を経て,本当に宇宙に旅立つことになったわけです。

 今日のもうひとつのお話は,先日ブログに次のように書いた「判事判事ローラ・カーマイケル」にちなんだことです。
  ・・・・・・
 主役のローラ・カーマイケルを演じるシモーヌ・ミシック(Simone Missick)さんがとてもすばらしいです。ロサンゼルスに黒人女性,でないと,このドラマは成り立ちません。彼女はこのドラマの第1話ですてきな写真を贈られ,それが執務室の棚にいつも置かれているのですが,そのことはいずれまた…。
  ・・・・・・
 TOSには,日本語吹き替え版でウラ中尉,英語版ではナヨタ・ウフーラ(Nyota Uhuru)とよばれた宇宙船「エンタープライズ」の女性乗組員がいました。スワヒリ語でnaotaは星,uhuruhuは自由を意味するそうです。この役を演じたニシェル・ニコルズ(Grace Dell Nichols)さんはアフリカ系の俳優で現在89歳です。当時,黒人女優がテレビドラマにレギュラー出演することや異人種間でのラブシーンが演じられたのはアメリカのドラマ界でははじめてのことでした。
 キング牧師は「ナヨタ・ウフーラは黒人の子供たちにとって目標である」と語り,ウーピー・ゴールドバーグ(Whoopi Goldberg)さんもナヨタ・ウフーラを見て女優を志し,黒人女性としてはじめてスペースシャトルで宇宙に行ったメイ・ジェミソン(Mae Carol Jemison)さんもまた,ナヨタ・ウフーラの活躍を見てその職業を志した人物のひとりといいます。
 ニシェル・ニコルズさんは,1977年から2015年にかけて,アメリカ航空宇宙局(NASA)の事業の広報や女性や民族的マイノリティといった多様な出自を抱える宇宙飛行士の募集をボランティアで行いました。応募の中からは、最初のアメリカ人女性宇宙飛行士のサリー・ライド(Sally Kristen Ride),最初のアフリカ系アメリカ人宇宙飛行士となるギオン・ブラフォード(Guion Stewart Bluford Jr.)空軍大佐などが選ばれました。
 このナヨタ・ウフーラの写真を判事カーマイケルがいつも執務室の棚に置いているというわけです。

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ISSと飛行機と新幹線。

10月6日午後6時57分から午後7時まで国際宇宙ステーションが見えました。同時に飛行機が飛び,新幹線も通過しました。快晴の夜空にとてもきれいでした。

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 先日,このブログに「シェ―ナンド国立公園」のことを書こうと,関連して「カントリーロード」の歌を探していて見つけたのが「ザ・ピーターセンズ」(The Petersens)というグループでした。彼らの歌声が気に入って調べてみると,「ザ・ピーターセンズ」はミズーリ州ブランソンを拠点に活動するブルーグラスバンドということでした。
 ブランソンといえば,私が2016年に行ったことがある場所です。どんな因果なのでしょう。
  ・・
 「ザ・ピーターセンズ」は家族5人とその友人1人のメンバーで構成されていて,ブランソンのリトルオープリーシアター(Little Opry Theathre)で公演を行っています。載せた写真にはかつてグループに属していた父親も写っています。
 彼らの繊細な声から紡がれる何とも爽やかなハーモニーとふんわりとした空気感がとてもすてきです。

 ブルーグラス(Bluegrass Music)は,日本ではあまりなじみがありませんが,フォークソングとカントリーミュージックを足して2で割ったようなものです。使用する楽器は,フィドル(ヴァイオリン),バンジョー,アコースティック(ギター),マンドリン,コントラバス,リゾネーター(ギター)です。ブルーグラスのはじまりは17世紀から18世紀のヨーロッパ人のアメリカへの移民の時代に遡ります。
 ブルーグラスは,また,ケンタッキー州の別名で,ケンタッキー州出身のビル・モンローのバンド「ブルーグラス・ボーイズ」に由来しています。スコットランド,アイルランドの人々がアパラチア地方に多く移り住み,開拓の合間にフィドルの伴奏でダンスに興じ,故郷のバラッド(民謡)やヒム(讃美歌)を楽しんだのですが,そうした開拓時代の音楽的な歴史のなかで,スコッチ・アイリッシュ的なものに奴隷として働いていた黒人音楽を加味して形成されたもののようです。
 リゾネーターという楽器は知りませんでしたが,ユニークな音色が楽しめます。また,バンジョーという楽器はとてもアメリカ的だと私は思うのですが,こうして1年以上もアメリカに行くことができない今,とても懐かしくなります。
 いつかまた,ブランソンに行ってみたいものです。


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 コロナ禍で公開が遅れた「007ノータイムトゥダイ」(NO TIME TO DIE)がはじまったので,見にいきました。
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 子供時代,スワン(Madeleine Swann)はサフィン(Lyutsifer Safin)がスワンの母親を殺害する瞬間を目撃する。逃走したスワンは凍った湖に落下してしまうが,それを助けたのはサフィンだった…。
 現役を退いたボンドとスワンはイタリアのマテーラ(Matera)で幸せに静かな生活を送っていた。しかし,ボンドはスペクターの傭兵プリモから攻撃を受けたことで,スワンが裏切ったと思い込み決別する。
 5年後。ボンドはジャマイカで穏やかな日々を過ごしていたが,誘拐されたロシアの細菌学者オブルチェフ(Valdo Obruchev)を救い出してほしいとの依頼をうけ,現役復帰。危険な生物兵器を操る正体不明の敵との想像を超える過酷な闘いに身を投じる。再びスワンとの関りが…。
  ・・・・・・
という作品です。
 監督が日系人のキャリー・ジョージ・フクナガ(Cary Joji Fukunaga)なのか,この映画には日本が随所に登場します。とはいえ,20年も前の作品では,日本の製品がずいぶんと登場して日本はすごい国なんだなあと思ったものですが,今は見る影もなく,出てくるのは,能面だとか,北方領土だとか…。

 今回の「007ノータイムトゥダイ」は前作「007スペクター」(SPECTRE)を見ないとさっぱりわかりません。私は「007スペクター」は見たのですが,ずいぶん前のことですっかり忘れていました。この作品を見終わってから改めて見てみたのですが,率直にいって「007スペクター」のほうがはるかにできがよく,「007ノータイムトゥダイ」は私には駄作でした。
 救いはジェームズ・ボンドの恋人役スワン(レア・セドゥ=Léa Hélène Seydoux-Fornier de Clausonne),MI6の新人エージェント・ノーミ(Nomi)(ラシャーナ・リンチ=Lashana Rasheda Lynch),CIAの諜報員パロマ(Paloma)(アナ・デ・アルマ=Ana de Armas)など女優さんたちの魅力でした。これで「金返せ」といわずに見ていたようなものだから,まんまと戦略にのせられたわけです。特に,アナ・デ・アルマはセクシーなロングドレスで男たちと格闘し,華麗な蹴りを決めたりと圧巻でした。
 ジェームズ・ボンド最後の敵であり最凶の悪とされるサフィン(ラミ・マレック=Rami Malek)のアジトがロシアと日本の領土問題が存在する孤島,という設定も,かなり不自然でした。実際にそんな島にイギリスがミサイル打ち込んだら,ジェームズ・ボンドの命と引き換えくらいでは終わらないことでしょう。

 ダニエル・クレイグ(Daniel Craig)が演じたジェームス・ボンドは悩みや痛みを抱えるリアルな人間で,それまでのジェームズ・ボンド像とは違うということで話題となりました。今回の「007ノータイムトゥダイ」はそのダニエル・クレイグがジェームズ・ボンドを演じる最終作でした。なので,映画の最後のクレジットに注目したのですが,新シリーズがはじまることは決まっているそうで,やはり,お決まりの「JAMES BOND WILL RETURN」は健在でした(このブログにある写真は私がペイントで作った偽物です)。しかし,この複雑怪奇な現代の国際情勢では,新シリーズでいかなるジェームズ・ボンド像を構築するのかはけっこう大変そうです。
 なお,いつもなら,この映画で,行ってみたいなあと思うような場所がずいぶんと出てくるのですが,今回はイタリアの世界遺産マテーラだけでした。マテーラでは映画の撮影で迫力満載のカーチェイスが展開され,6万人以上の市民が大きな歓声を上げていたそうです。


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 秋の夜,南の星空は都会では何も見えません。よく目を凝らすと,ポツンとみなみのうお座の1等星「フォーマルハウト」(Fomalhaut)だけが輝いている… ということなのですが,今年は,木星と土星が明るくきれいです。明るい惑星があると,ピントを合わせるのに便利です… というのは内輪の話ですが。
 空が暗い所だと,秋の南の空には,みずがめ座やくじら座という星座が見られます。都会育ちの私が,こうした星座をはじめて見たときは感激しました。
 この晩,私が目的としていたのは,前回書いたチュリュモフ・ゲラシメンコ彗星(67P Churyumov-Gerasimenko)だけだったのですが,昇ってくるのが午後9時過ぎで,まだ早かったので,何となく,いろんな星団や銀河を退屈しのぎに写すことにしました。それが今日の写真です。たいして珍しくもないのですが,ご覧ください。上から,M45,M33,M74,そしてM77です。

 星の写真も,適当な望遠レンズをつけたカメラと赤道儀があって,空が暗いところに出かければだれでも写せるようになりました。
 お金を出せばそれだけいい機材を買うことができますが,晴天率の悪い日本でそんな投資をしても割の合わない趣味だと私は個人的には思っていて,10万円程度の赤道儀と300ミリ程度の望遠レンズ,そして,見る場所があれば,それで十分に自己満足の世界に浸れます。今はできませんが,高額の望遠鏡に投資するようなお金があるのなら,南半球に出かけて肉眼で満天の星をながめるほうがずっと理にかなっています。
 日本で星空を楽しむには,田舎に住んでいるならともかく,おそらく,一番の問題は場所でしょう。本当に,自然を楽しむには,この国は「どうにもならないほど救いようがないなあ」といつも絶望的な気持ちになります。
 私にはそんな程度の楽しみですが,私が星見をするために見つけた場所は,適度に暗く,かつ,人が来ないところなので,この晩のように,寒くも暑くもなく,かつ,雲がひとつもないとなると,何となく星空を見ているだけでも満ち足ります。

 さて,銀河や星団だけでなく,天王星と変光星「ミラ」(Mira)も写してみました。
 天王星は簡単に見えるのですが,普通の恒星と何ら変わらないので,それだけです。しかし,変光星「ミラ」は赤く不気味でそれなりにおもしろいです。「ミラ」はくじら座のο星(ο Ceti)で,2.0等星から10.1等星の間を約332日の周期で変光するのですが,極大等級も周期も必ず一定になるとは限らないという変光星です。
  ・・・・・・
 「ミラ」は,有名な脈動変光星(pulsating variable)の一種でミラ型変光星(Mira variable)とよばれるものの代表選手です。
 脈動変光星というのは,星が膨張と収縮を繰り返すこと,または,形状が変化することによって明るさが変化する変光星のことです。また,ミラ型変光星には,非常に赤く,脈動周期が100日より長く,変光範囲が可視光で2.5等級より大きいという特徴があります。もともとは太陽質量の2倍よりも小さい恒星が膨張して非常に大きくなった赤色巨星で,数百万年で外層を惑星状星雲として吹き飛ばし,白色矮星になります。
 また,「ミラ」は連星で,赤色巨星の主星「ミラA」と伴星「ミラB」からなっています。「ミラA」は赤色巨星の中でも恒星の一生の最終段階である漸近巨星分枝に属していて,400万年で太陽1個分の質量を喪失するペースで質量を放出しています。「ミラB」も不規則に明るさを変化させる変光星で,降着円盤を伴う白色矮星だと考えられています。
 「ミラ」の後方には恒星の外層部の残骸が全長約13光年にわたって彗星の尾のように放出されています。
  ・・・・・・
 「ミラ」は,子供のころに見ていた星図に,変光星を意味する二重丸で書かれていてしかも変わった名前で強く印象に残ったのですが,実際は思ったよりも暗く,都会ではなかなか見ることができません。今は明るい時期なので,改めて写してみたわけです。今度暗くなったときに改めて写してみたいものです。

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 明るい彗星がまったく近づかない今年ですが,現在は,約11等星になったチュリュモフ・ゲラシメンコ彗星(67P Churyumov-Gerasimenko)がおうし座に見えるので,この彗星だけは写そうと考えていました。
 チュリュモフ・ゲラシメンコ彗星は,2014年にヨーロッパ宇宙機関 (ESA=the European Space Agency) の彗星探査機「ロゼッタ」(the Rosetta spacecraft)の着陸機「フィラエ」(Philae)が人類史上初の着陸を果たした彗星として有名なものです。
 しかし,今年は天気も悪く,月明かりの影響のない夜に晴れたのも数えるほどでした。10月1日は台風一過で,風が強いとはいえ,やっと晴れたので,待望のこの彗星を写しに行くことにしました。

 ところで,探査機「ロゼッタ」といえば,私はウィルタネン彗星(46P Wirtanen)を思い浮かべます。「ロゼッタ」の当初の計画では,この探査機は2003年1月12日に打ち上げられて,2011年にこのウィルタネン彗星に着陸機を降ろす予定だったのです。しかし,2002年12月11日のアリアン5ロケット爆発事故で,同型のロケットで打ち上げられるはずだった「ロゼッタ」の打ち上げが遅延したためにウィルタネン彗星を目指すことができなくなって,目標が別のチュリュモフ・ゲラシメンコ彗星に変更されたというわけです。
 私は,ウィルタネン彗星を2018年11月に写すことができたので,今回は,チュリュモフ・ゲラシメンコ彗星をぜひ写したいと思っていたわけです。

  ・・・・・・
 チュリュモフ・ゲラシメンコ彗星は,1969年にクリム・チュリュモフ(Klim Ivanovich Churyumov)とスヴェトラナ・ゲラシメンコ(Svetlana Ivanovna Gerasimenko)によって発見された周期6.57年の周期彗星です。
 アルマアタ天体物理研究所(Fesenkov Astrophysical Institute = FAPHI)で働いていたスヴェトラナ・ゲラシメンコが口径50センチメートルのマクストフカセグレン式望遠鏡でコマス・ソラ彗星 (32P Comas Solá)を撮影していたのですが,その写真を調べたキエフ大学のクリム・チュリュモフが写真乾板の端近くに発見した彗星をコマス・ソラ彗星だと当初は思い込んだものの,キエフに戻った翌月の10月22日,その天体はコマス・ソラ彗星の予想位置から1.8度も離れていたと判明し,別の天体であることがわかったものです。
  ・・
 「ロゼッタ」が撮影したチュリュモフ・ゲラシメンコ彗星はふたつの彗星がゆっくりとぶつかってそのまま結合したような2重の構造を持つアヒルのオモチャのような奇妙な形状をしていました。また,核の直径はは小さな側が約2キロメートル,大きな側が3キロメートルほどで,核全体の質量は約1,000キログラム,約12.4時間に1回の周期で自転しているということでした。
 なお,探査機「ロゼッタ」と着陸機「フィラエ」の名称は,ロゼッタ・ストーン解読の鍵となったフィラエ・オベリスク(Philae obelisk)=記念碑 が発見されたナイル川の島フィラエ島に由来するものです。
  ・・・・・・

 チュリュモフ・ゲラシメンコ彗星は暗いので写すのに手こずるかなと思っていたのですが,簡単に写りました。かわいい尾を引いた彗星は,暗いとはいえ,さすがに周期彗星の貫禄でした。調べてみたら,私は6年前にも回帰したチュリュモフ・ゲラシメンコ彗星を写したことがあることがわかりました。
 いずれにしても,こんな淡い天体に人間が探査機を送り込んだと思うと,何か不思議な気がしました。

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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

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 「オール・ライズ 判事ローラ・カーマイケル」(all rise.)が,スーパー! ドラマTVで放送されています。試しに見はじめたのですが,それがおもしろいこと!
 英語を勉強するには,政治用語と医学用語と法廷用語をお忘れなく! ということで,若いころは,それが動機でさまざなドラマを見ていましたが,今は,勉強する気もなく,単に,楽しければ見てみようということなのですが,このドラマは予想以上でした。
 英語の勉強にかぎらず,アメリカのドラマシリーズにおける不動の人気ジャンルは政治ものと法廷ものと医療ものだそうです。政治もので私が楽しんだのは「ホワイトハウス」(The West )と「サバイバー: 宿命の大統領」(DESIGNATED SURVIVOR),医療ものとして不動の地位にあったのが「ER」ですが,法廷ものもこれまでおもしろかったものがいろいろあって,そのなかでも,私は,「アリー my Love」(Ally McBeal)と「グッド・ワイフ」(The Good Wife)がお気に入りでした。
 「オール・ライズ 判事ローラ・カーマイケル」は
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 「オール・ライズ」というタイトルは開廷の際に廷吏がかける号令「all rise.」(起立)から来ている。舞台はロサンゼルスのダウンタウンに位置するロサンゼルス郡裁判所。
 地方検事代理から判事になったばかりのローラ・カーマイケル(Lola Carmichael)は,判事としては新米だが,地方検事代理時代は手ごわくて,たまに衝動的な一面もある凄腕の地方検事代理として名を馳せてきた。そんな彼女が,初日から前のめりで判事としてできること,そして判事に求められていることの限界に挑戦していく。
 法制度の欠点に直面しながら,正義という物差しのバランスを取り戻すため,今日も全身全霊で立ち向かう。
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というのが紹介です。

 アメリカのドラマは,やたらとテンポが早く難しく,というのは日本の軽薄なドラマに比べたら好ましいのでしょうが,でも,アメリカの時事を知っていたりしないと理解できないことも多いし,当然,他事をしながらでは見られません。しかし,暴力が目立つものが多いのは私の好みでないのでそうしたシーンが少ないものがいいと思うのですが,そうすると,今度はいやらしかったりと,なかなかバランスのよいドラマが少ないのです。
 このドラマもどうかな,と思ったのですが,そのバランスがちょうどよくて,最後までわけがわからぬこともなく,暴力シーンがメインになってもおらず,私はのめり込んでしまいました。しかも,毎回,心温まる結末で,安心して見ていられます。何というか,このローラ・カーマイケル判事は水戸黄門です。しかし,水戸黄門が単に権力をかさにした「とんだ食わせ物」であるのとは違って,法をもとに心温まる審判を下すところがいかにもアメリカらしいというか,それによって,実際のアメリカの病理を皮肉的に描いているともいえます。
 そしてまた,主役のローラ・カーマイケルを演じるシモーヌ・ミシック(Simone Missick)さんがとてもすばらしいです。ロサンゼルスに黒人女性,でないと,このドラマは成り立ちません。彼女はこのドラマの第2話ですてきな写真を贈られ,それが執務室の棚にいつも置かれている(下の写真赤〇のところ)のですが,そのことはいずれまた…。
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 シモーヌ・ミシックさんは1982年デトロイト生まれ。
 ハワード大学に英文学専攻で入学するも演劇のコースを取ったことをきっかけに,卒業後イギリスのオックスフォードにあるBritish American Drama Academyに進学し,地域劇場で経験を積みロサンゼルスへやって来た。
 「ルーク・ケイジ」(Marvel's Luke Cage)で黒人女性スーパーヒーロー,ミスティ・ナイト(Misty Knight)を演じてブレイクを果たした。
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 この秋は,またひとつ楽しみが増えました。

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 今の季節,田舎道を歩いていると,たくさん蝶が舞っています。子供のころ都会暮らしだった私は,憧れていた大きな蝶を目の前にして驚くとともに,うれしくなります。
 さて,そんな折,9月24日の朝日新聞「折々のことば」に「荘子・内篇」から「胡蝶の夢」が紹介されていていました。解説には「私の存在もしょせんは夢なのか,夢ならそれを見ているのはだれか」と書かれてありました。 
 「胡蝶の夢」とは次のものです。
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 昔者荘周夢為胡蝶 栩栩然胡蝶也
 自喩適志与 不知周也
 俄然覚 則蘧蘧然周也
 不知 周之夢為胡蝶与 胡蝶之夢為周与
 周与胡蝶 則必有分矣
 此之謂物化
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 むかし荘周,夢に胡蝶となる。くくぜんとして胡蝶なり。
 自らたのしみてこころざしにかなえるかな。周たるを知らざるなり。
 にわかにしてさむれば,則ちきょきょぜんとして周なり。
 知らず,周の夢に胡蝶となれるか,胡蝶の夢に周となれるかを。
 周と胡蝶とは,則ち必ずぶんあらん。
 これをこれ,物化という。
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 荘周は夢の中で蝶になった。ひらひらと飛んでいて蝶そのものであった。
 楽しくて思いのままだった。そして自分が荘周であることに気づかなかった。
 急に目が覚めて我にかえったとき,まぎれもなく荘周であった。
 分からない,荘周が夢の中で蝶になったのか,蝶が夢の中で荘周になったのか。
 荘周と蝶には区別があるはずだ(しかし,そうでないのかもしれない)。
 これをまさしく「物化」,つまり,万物の変化というのである。
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 本質的にはひとつであるものが見かけ上さまざまに変化することを荘子は「物化」といっているわけです。万物は変化を繰り返し,自分も蝶もその変化のうちのひとつに過ぎず,区別などないということです。

 私は「胡蝶の夢」というと,司馬遼太郎さんの小説を思い出します。この小説は
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 徳川幕府の倒壊と将軍慶喜の苦悩とともに,戊辰戦争で軍医であった松本良順と順天堂出身の関寛斎の姿が描き出されたもの。その一方で,記憶力と語学習得力が抜群でありながら人間関係の構築のまずさで不利を被っている司馬凌海の姿が,この両者と対比させて描かれている。
 明治維新期を医療の目を通して,身分制度批判という観点で書かれた。
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というものですが,司馬遼太郎さんは,蘭方医学を学んだ松本良順が,本来自分がめざした職業とは違う姿で封建社会の終わりに生きたことを「胡蝶の夢」と題したのでしょう。

 古典には,よく「浮世」という言葉が出てきます。また「うたかた」という言葉も見かけます。
 「現実」といいますが,「浮世」の「現実」こそ「うたかた」。
 私はこのごろ,果たして「現実」というのは何だろうと,子供のころに思ったことを再び考えるようになってきました。自分が見ていない世界は本当にあるのだろうか? 過去に起きたことは,本当にあったことなのだろうか? と。
 あいまいな記憶は,時として,本当に起きたことと夢だったことがごっちゃになってしまっていることもあります。あるいはまた,意識がなく,肉体が生きているだけの人は,その「現実」がわかるのでしょうか。というわけで,所詮,「現実」というのは,自分の意識の中にあるだけのような気がします。あるいは,「現実」そのものが自分の意識が作り上げた虚像に過ぎないのかもしれません。

 「胡蝶の夢」について,ネット上にもさまざまな解説がありますが,それらには理解が浅いものが少なくありません。思想家の,と大袈裟にいわずとも,いわゆる「文系」的な思考の危ういのは,言葉に酔っているということだと私は昔から思っています。そうした立場でこの「胡蝶の夢」を語るときもまた,「現実」を言葉で表せば,それはすべて言葉の上の遊びでしかなく,それは「現実」ではないのです。
 そうした「文系」的な言葉の遊びではなく,ここでは「理系」的な立場をとって考えてみることにしましょう。
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 物理学では,現象を数式で書き表わしたりモデル化をします。しかし,それは「現実」の姿ではなく,抽象化したものです。(人間が)「電子」と名づけたものは,あくまで「電子」というそのものでしかなく,丸い粒などではありませんし,くるくると自転をしながら原子核のまわりを公転しているわけではありません。それは人間が理解しやすいようにモデル化しているだけです。いわば,数式に酔っているのです。
 物理学では,(人間が)「物質」と名づけたものはすべて(人間が)「エネルギー」と名づけたものの仮の姿であり,いかようにもその姿を変えると解きます。また,目で見える,あるいは,写真に写る宇宙は,そう見える範囲の電磁波でとらえただけのことで,それが「現実」の姿ではありません。しかし,そう考えると,何が「現実」なのか,わからなくなりますし,実際わかりません。

 ところで,私は,「あの世」とか「宇宙人」とか,そういうことはまったく信じていなかったし,今もそうです。がしかし,このごろ,ひょっとしたら,「あの世」とか「宇宙人」に限らず,「この世」も「地球人」も,そういったこともすべて,単なる人間という存在の思考の上の意識だけのことで,一般に正しいとされていることのそれが何であろうとなかろうと,そのすべては「胡蝶の夢」なのではないか,そんなことを思うようになってきました。
 ひょっとしたら,「現実」というもののすべてが虚構にすぎないのかもしれません。なぜなら,宇宙の創成であれ,宇宙の果てであれ,そうしたことは,実際は誰も知らず,もし,未だ人間の知らない正しい理論というものがあったとしたら,それは人間の概念をはるかに超越しているものだろうからです。そしてまた,現在わかっている(と信じられている)理論も,それをどう説明したところで,結局は数式上の遊びでしかないからです。
 結局,「理系」的な立場で考えても同じことでした。
 所詮,万物は「胡蝶の夢」なのでしょうか?


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