しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

November 2021

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 毎年行われているNHK交響楽団名古屋定期演奏会,今年は例年より早く2021年11月28日日曜日でした。曲目はパガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番とチャイコフスキーの交響曲第5番でした。
 パガニーニにチャイコフスキーとなれば,音はギラギラ,曲は派手で,私向きではありませんが,このご時世,当代一流の演奏が聴けるだけでもよしとして聴きにいきました。

 パガニーニのヴァイオリン協奏曲は,19世紀前半のヨーロッパ社会で「見世物的な演奏技巧を武器に観客のウケを狙う演奏家の総称であるヴィルトゥオーゾ(virtuoso)」の中心的人物であったニコロ・パガニーニ(Niccolò Paganini) が名声を確立したころに作られたものです。
 「明るく優美な旋律と超絶技巧がヴァイオリンの魅力を引き立たせる」とパンフレットにあるので,「私が上手なのを見て!」みたいな曲なのでしょう。まあ,サーカスのようなものです。
 また,もう1曲の,いわずと知れたチャイコフスキーの交響曲は,ブルックナーが男性好みである一方,チャイコフスキーは女性好みらしく,私はコンサートでは聴いても自分から自宅で聴くことはありません。この日の曲目はそんな位置づけです。

 指揮のファビオ・ルイージさん(Fabio Luisi)は次期NHK交響楽団の首席指揮者ということで,いわば顔見世興行。これまでの首席指揮者パーヴォ・ヤルヴィさんよりも年上だそうですが,それにしても,外観に似合わず動きが派手な人だなあというのが私の感想でした。指揮台で踊っていました。
 先日FM放送で聴いたブルックナーの交響曲第4番がとてもよかったので,この指揮者は,こうしたぎらぎらの曲よりも,むしろ,こころに染みるような曲の方が似合っているのかもしれません。「尋常ならぬ熱気がびんびんと伝わってきて」と解説にもにあったのですが,これがその姿なのかと思いました。
 パガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番を演奏したフランチェスカ・デゴさん(Francesca Dego)はすらりとした背の高い女性でした。NHK交響楽団とは今回が初共演ということで,これまで私はまったく知りませんでした。パガニーニが得意ということなので十八番の曲なのでしょう。解説にある「明るく魅力的な音色と歌に満ちた演奏」であったことは疑いありませんでした。

 このご時世,予定どおり,無事にコンサートを聴くことができただけで満足,楽しい時間でした。
 早く,何の憂いもなく,以前のように,いい音楽が聴ける日をこころ待ちにしています。

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☆☆☆☆☆☆
 以前,ブログに次のように書きました。
  ・・・・・・
 それは,2021年1月3日,アリゾナ州のレモン天文台(Mount Lemmon Infrared Observatory)でグレゴリー・レナード(Gregory J. Leonard)さんが発見したレナード彗星(C/2021A1 Leonard)です。レナード彗星は毎秒約70キロメートルという,昨年のネオワイズ彗星(C/2020F3 NEOWISE)よりも毎秒6キロメートル速く移動しているので,2021年12月はじめから12日くらいまでのわずか数日間ですが,最もよく見えるようになり,明け方の東の空を飾ります。
 肉眼で見える5.0等星から4.0等星の光度になると予想されていますが,ひょっとすると1等星に達するかもしれません。
  ・・・・・・

 さあ,このレナード彗星(C/2021A1 Leonard)が地球に接近してきました。
 明け方の東の空です。
 冬は寒いのですが,夜明けも遅く,午前5時でも十分に暗いので,早起きすれば見ることが容易です。しかも,レナード彗星は東の空,今はまだ7等星ほどですが,結構高度が高いのでとても見やすいです。
 11月28日の朝は快晴でした。まだ月明かりがあるのですが,月明かりなどものともしない光度という話なので,見にいくことにしました。そして写したのが今日の写真ですが,すでにとても美しい彗星らしい姿に感動しました。
  ・・
 レナード彗星は,この後,次第に光度を増し,しかし,高度を下げていきます。
 おそらく12月12日が見ることができる最後となるのでしょうが,その日,どこまで明るくなるか,思った以上に明るいので期待大です。

◇◇◇



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 今から50年近く昔,まだ,大学入試は今のような共通テストもなく,国立大学ではそれぞれの大学が独自の試験を行っていました。入口が狭ければ選抜をするしかないから,今と同じように受験は大変でしたが,マークシートなるものもなく,みな,記述式でした。
 思い出は美しく,かつ,懐かしくなるので,それが「古きよき時代」だったのか「古き悪しき時代」だったのかは知りませんが,今になって,当時の学生だった人たちが,そのころに使った参考書を懐かしみ,復刻版が出版されているようです。
 今でも,その時代の本のほうがよかったという人もいますが,今,その時代の参考書で学んでも効果はないかもしれません。というか,知の好奇心を楽しんでいた古きよき時代と,現代のような効率重視のコンピュータ時代では,そもそも受験というゲームのルールが異なるわけです。いずれにしても,人が生きるということ自体が死ぬまでの暇つぶしであって,人生が長いのか短いのかわからねど,その時間を退屈せずにすごす手段のひとつが知性の遊びであるということは変わりません。

 では,そのころの参考書について振り返ってみましょう。
 まず,国語では小西甚一さんが書いた「古文研究法」があげられます。この本が今もすばらしいと私が思うのは「はしがき」と「おわりに」です。ここには,どうして古典を学ぶのかが述べられています。今,こうしたことが書かれている参考書がどれほどあるのでしょうか。学校における古典の授業で,それを学ぶ意義を話してくれる教師がどれだけいるでしょうか。
 次に日本史です。私は,学生時代日本史が好きでしたが,そのときに夢中になって読んだものが笠原一男さんの書いた「詳説日本史研究」でした。インターネットもなかった時代,できるだけ詳しい内容が書かれているものが手元にあって,その内容を知っていることは大切だったからです。ただし,今となっては,このような本に頼らずとも,詳しい情報は検索すればいくらでも見つけられます。しかし,巷にあふれる情報が正しいものであるかそうでないかということを判断するのは,非常に難しい問題です。が,だからといって,教科書に書かれていることが正しかったのかといえば,それもまた議論があるのが難しいところだということを齢をとって知りました。
 英語には山崎貞さんの書いた「新々英文解釈研究」という本がありました。高校のときの教師がこの本を絶賛したのでそれを信じて読んだのですが,はしがきに大正14年1月とあるのにはのけぞりました。英文を漢文を読解するように読んでいた時代,その方法を身につけるには最適な参考書だったのでしょう。この参考書とととも,辞書もまた,研究社の「英和中辞典」という誰しもが使っていたものがあったのですが,私には高くて買えませんでした。この辞書はそののちに第4版が「欠陥英和辞典の研究」という本でやり玉にあげられて,あっという間にその地位を大修館の「ジーニアス英和辞典」に奪われてしまいましたから,評価というのもその程度のものだったのでしょう。こんなふうにして英語を学んでも,本は読めても,今の時代,まったく実用にはなりません。

 そうした参考書を自分で読んで学んだ時代は,現在の共通テストの前身である共通一次テストが実施されたころから雲行きが怪しくなり,参考書は予備校の講師が書いたハウツーものに代わり,学ぶメソッドも添削指導に変わり,受験勉強はドリル化しました。
 IT化の進む現在,知識を暗記するという時代を越えて,学歴とか能力テストのスコアではなく,いかにして必要な情報を正しく効果的に情報機器などを使って早く手に入れてそれを活用することができるかという能力が問われる社会に変わりつつあると私は思います。こうなると,どんなにすばらしい本を読んだところでそうした能力は身につきません。
 しかし,たとえば,50年近く前に大山康晴十五世名人の書いた「大山の将棋読本④居飛車の戦い」を今読んでも,定跡は変化しているので,まったく将棋には勝てないとしても,考え方を知るという面で活用するのなら,今も意義があるのです。そのように,物事にはいろいろな側面があるので,それがいいとか悪いとかという判断は,何を到達目標にするかということで違います。
 いずれにしても,定年後の時間を持て余す私のような不良老人には,何の到達目標もないのだから,50年ほど前に読んだそうした参考書を再読し,若き時代に想いを馳せるのも悪くはありません。しかし,今の若い人がいずれ齢ととったときに,私の生きた時代のような,若きころに想いを馳せた参考書がいったい存在するのでしょうか。


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 幻となってしまった2020年夏のアメリカ旅行は,その1年前2019年夏のアメリカ旅行同様,フェニックスまで行くことにしていました。フェニックスでレンタカーを借りて自由に旅をするのです。
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 フェニックス(Phoenix)はアリゾナ州にある都市で,砂漠の中心にあります。愛称は「太陽の谷」(Valley of the Sun)。
 1867年に灌漑事業と共に創設され,開拓者が都市を創設しました。 20世紀前半からはニューディール政策によるコロラド川の電源開発,ルーズベルトダム,フーバーダム,クーリッジダムの開発によって無尽蔵の電力を供給,軍事産業に関わる航空機産業や電器機械工業が発展していって,今日では半導体などのエレクトロニクス産業,また,観光都市としても発達しています。
 安価な労働力と広大な土地,安い税金,そして,精密機械製作には好適な温暖で乾燥した気候,大消費地への近さという条件があいまって,急速に発展しました。
  砂漠気候に属し,年間を通して温暖で,夏は摂氏40度を超え、非常に暑いのですが乾燥しています。冬は摂氏20度を超える気温となり,摂氏4度以下に下がることはほとんどないので保養都市となっています。
  ・・・・・・

 私がフェニックスにはじめて行ったのは2000年のことでした。そのころはまだまだ素朴な町でした。
 2019年に再び行ってその発展に驚きましたが,空からみた町は当時の面影がありました。
 空港はアメリカの多くの空港の中でも乗客が多いと聞きましたが,そんな雰囲気はまったく感じられず,思ったよりも静かでした。
 私は都会には興味がないので,レンタカーを借りて,ともかくフェニックスの市街地から早く脱出したいと思いましたが,インターステイツがきちんと整備されていたので,予想以上に順調に走ることができました。フェニックスから郊外に出ると,あたりにはサボテンをたくさん見ることができました。
 また,近くには西部開拓時代の面影を残すような小さな町がたくさんあって,気に入りました。
  ・・
 そこで,2020年の旅もまた,1年前と同様に,フェニックスで車を借りて,とにかく一刻も早く町から出て,あとは,アリゾナ州の大自然をドライブするのを楽しみにしていたのですが,実現することができず,残念に思います。
 これを書きながら,もし,将来再び行くことができるようになったなら,やはり,このコースの旅がしてみたいと強く感じるのです。


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 「特別編・2020夏幻のアメリカ旅行LIVE②」を載せたのが8月11日で,その後中断して,この旅でも行く予定だったアメリカの国立公園のうち,これまでに出かけたところについてずっと紹介してきましたが,それも終了したので,再び「2020夏幻のアメリカ旅行LIVE」を続けます。

 日本からは,アメリカに行くのもヨーロッパに行くのもオセアニアに行くのも,どこも9時間程度のフライトなので,少し余分にお金を出して座席をちょっぴりグレードアップすれば,きわめて快適に行くことができることを知ったのですが,今ではこれも夢のように思えます。  
 2,3年前の私は,このようにしてエコノミークラスから少なくともエコノミーコンフォートに変更して,さらに優先搭乗をし,トランジットする空港ではラウンジで過ごしていました。また,座席も事前にネットで予約をするというように,ずいぶん旅慣れていました。
  ・・
 実は,空港の手続きがもっとも面倒なのは,今ではIT後進国となってしまった日本です。これもまた,いつものやったふり社会で,意味のない書類が多すぎて,本当に必要なことが何なのかさっぱりわかりません。出国と入国も自動でできるようになったのにかかわらず,以前のようなスタンプが欲しい人は別の窓口に行くとか,そんなものはきっぱりとやめてしまえばいいのに,そういうことがつねにどっちつかずなのです。

 さて,現地に到着したら,入国審査があるのですが,これもまた,アメリカではキオスクという装置で簡単に済みます。こういう場所での人の流れの方法は,お国によってずいぶんと違います。
 ここまで手続きをストレスなく終えるコツは,荷物をできる限り少なくすることです。仕事ならともかく,私のような単に観光で海外旅行をする場合は,特に,持ち物をなるべく少なくすることが楽に旅をする秘訣なのです。
 そんなこともあって,カメラなど,軽くて小さいものに限るのですが,さらに,荷物はできる限り預けずに機内持ち込みにするようになっていました。
 アメリカに到着して入国手続きが終われば,その先は,国内線への乗り換えになるわけで,そうなればあとは国内旅行をするのと変わらなくなります。私もすっかりアメリカ人になったつもりで行動をすることにしていました。

 それにしても,行くたびに思ったのですが,日本とアメリカでは航空路線というものの考え方がずいぶんと違います。
 アメリカでは航空路線というは日本の鉄道のようなものです。よくもあれほどの人が利用して,あれだけ多くの路線があるものだと感心するくらいです。そしてまた,実際はどれだけ間違いがあるのか,私は一度も間違えられたことがないのでわかりませんが,預けられた多くのカバンがほぼ確実に振り分けられること自体が奇跡のように思います。
 旅をしていると,いろいろと不思議なことに出会います。

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 今日の写真は,オーストラリアのニューサウスウェールズ州クーナバラブラン郊外に点在する個人天文台です。
 このブログにたびたび書いているように,私が若いころ,個人天文台を持ちたいという星好きがたくさんいました。これはひとえに,藤井旭さんが雑誌に書いた白河天文台の影響だと思うのですが,実際,天文台を作っても,そのあとがたいへんでした。私の周りにもそうした天文台,というか観測所を作った人がいるのですが,よほどの星好きでないとなかなか続きません。都会に住んでいて,何時間もかかるようなところでは行くのも大変です。
 また,機材というのは,その管理も大変です。
 そもそも,この国では,星が見えません。それは空が明るいということもありますが,晴天率が悪いというのが致命的です。

 それでも,海外の様子を知らなければこんなものかと思うのでしょうが,知ってしまうとどうしようもありません。
 実際,この国で星見をしようとするには,焦点距離が300ミリほどの望遠レンズが2分くらい自動ガイドができる簡易な赤道儀,あるいは,惑星などを見るには口径が15センチメートルくらいの望遠鏡,そして,双眼鏡,これだけで十分なのです。
 なのに,実際は100万円くらいもするものを手に入れようとマニアは投資をします。
 いったい,そんなものを買って,どれだけ使うというものでしょうか。
 かくいう「インチキ富裕層」の私は,30年以上も前に買った望遠鏡で十分楽しく使っています。
 しかも,今ごろになって,星は肉眼で見るのが一番だと思うようなってきました。
 ところが…。
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●エバーグレーズ国立公園(Everglades National Park)
 今日は番外編です。
 というのは,私はフロリダ州のエバーグレーズ国立公園に行ったことがあるのですが,それは今から23年前の1998年のことで,写真がありません。記憶もあいまいです。そこで,その代わりに,2016年に再び出かけたフロリダ州の最南端にあるキーウエストについて書くことにします。
 その前にエバーグレーズ国立公園の紹介を少しだけ。
  ・・・・・・
 世界遺産に登録されているエバーグレーズ国立公園はさまざまな植物や動物が生息する美しい土地です。
 多様な生態系が見るという国立公園で,沼地,湿地,深い草原,マングローブが形成する他では見られない地形が形成されていて,マナティー,アリゲーター,フロリダパンサーなどの希少動物や絶滅危惧種の動物が生息しています。そうした自然をエアボートに乗って巡ることで味わうというのがこの国立公園です。
  ・・・・・・
 私は,確か,車で周ったように思うのですが,今では,その後に行ったルイジアナ州のニューオリンズ郊外のスワンプと印象がごっちゃになってしまっています。

〇キーウェスト(key West)
 では,キーウエストです。
 マイアミからキーウエスト島までを繋ぐのが有名なセブンマイルブリッジ(Seven Mile Bridge)です。名前のとおり7マイル,約11キロメートルにわたって海の上に掛かる橋です。
 橋の両側はマイアミのきれいな青い海が広がっていて、キーウエスト島までのドライブでは絶景を眺められます。
 キーウェスト島はキューバと近く,キーウエスト島からマイアミまでの距離の3分の2しかありません。街並みもフロリダというよりはキューバに似ています。
 また,小説「老人と海」で有名な作家ヘミングウェイが1931年から住んでいた家があって博物館になっているのですが,有名なのはここに住むネコが6本指だということです。
 私は,中学生のころにふと知ったセブンマイルブリッジだったのですが,そのころは,まさか行くことができるとは思いませんでした。しかも,なんと2度も行くことになりました。しかし,1998年のころとは違って2016年に行ったときはあまりの観光客の多さにげんなりとしました。ここでもまた「2度目の幻滅」でした。多くの場所は,1度目の印象が思い出として拡大し,実際に2度目に行ったときにはがっかりしてしまうのです。
 2度目に行ったとき,この島で私が最もやりたかったのは国道1号線の始発,そして,終点のサインボードを写すことでした。そういえば,オールドルート66の始発,終点のサインボードがシカゴとロサンゼルスにあってこれを写したいという夢はまだ実現していません。
 そうだった,書きながら思い出しました。私は,「66歳でオールドルート66を完走する」という夢があったのです。でも,このご時世では無理そうです。


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●グランドティトン国立公園(Grand Teton National Park)
 これまで私の行ったアメリカの国立公園の紹介をしていましたが,最後にグランドティトン国立公園をとりあげます。
  ・・
 1953年に製作された映画「シェーン」(Shane)のロケ地となったのがグランドティトン国立公園です。私が生まれる前の公開なのでもちろんこの映画は見ていなかったのですが,なぜかラストシーンの「シェーン・カムバック」("Shane, come back!")は知っていました。馬上のシェーンは振り向きもせず立ち去るのですが,この映画をのちにテレビで放送されたときに見ました。
  ・・
 グランドティトン国立公園はイエローストーン国立公園の南に位置していて,標高13,770フィート,約4,200メートルのティトン山から名づけられ,1929年に国立公園に指定されました。「アメリカで最も美しい国立公園」といわれています。
 グランドティトン国立公園はハイカーのためにほぼ200マイル,300キロメートルにわたる道があるといいますが,もちろん私は歩いていません。
 山々を望むビューポイント「ジャクソンレイク」からの眺めは水面にティートン連峰が映し出されて壮観です。私は,この湖からの景色が最も思い出に残っています。
 また,草原に建つ小さな教会「トランスフィギュレーション教会」 (Church of Transfiguration) はまさに圧巻で,祭壇の後ろ側には大きな窓ガラスがあって、その窓の外に広がるティートン連峰の荘厳な風景は忘れられないものです。

 これで私が行ったことのある国立公園の紹介は終わりです。
 こうして書いていて,これまで風化していた記憶がよみがえってきました。毎年旅をしていたころは,またいつでも行くことができると思っていたのですが,いざそれがストップしてしまうと,こうした様々なところに行くことができたのはとても幸せなことでした。
 どこもすばらしい所なのですが,世界にはまだ行っていないところもたくさんあるので,一度でも行ったところにリピートするとなると,よほどそこが気に入らない限りなかかな困難なことです,人生は長いのか短いのか,世界は広いのか狭いのか…。やはり,人生は短く世界は広いのでしょう。
 いずれにしても,これまでにこうした多くの経験ができたのは本当に幸運なことでした。
 また,できるなら,10年前に戻って,ひとつひとつ行き直してみたいものだと思います。


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 私は,NHK交響楽団の首席指揮者はパーヴォ・ヤルヴィさんで満足していたので,契約が満了して,2022年9月からはファビオ・ルイージ(Fabio Luisi)さんに代わるというニュースに,正直がっかりしました。
  ・・・・・・
 ファビオ・ルイージさんは1959年イタリアのジェノヴァ生まれで,現在はチューリヒ歌劇場音楽総監督,デンマーク国立交響楽団首席指揮者,ダラス交響楽団音楽監督です。NHK交響楽団とは2001年に初登場して以来7回共演をしています。
  ・・・・・・
 そのファビオ・ルイージさんの指揮する名古屋でのコンサートを11月28日に聴くことにしているのですが,その前の11月18日に行われた第1943回定期公演をFM放送で聴きました。曲目は私の大好きなブルックナーの交響曲第4番でした。
 そして,私はすっかりのめり込んでしまい,私の不明を恥じました。

 このところ,海外旅行ができなくなってときどき思うのは,これまで行った中で,自分にとって忘れられない場所がどこだったかということです。そうした想いは,クラシック音楽に身を浸しているとき,特に感じます。そして,いつもオーストリアのことを考えます。
 私はブルックナーの交響曲の中で,今回の第4番が一番です。この曲を聴くと,以前行ったオーストリアの郊外の風景を思い浮かべます。
 今日の写真は,ウィーンからザルツブルグに行ったときの車内から眺めたブルックナーの生まれ故郷リンツの夜明けの風景とリンツ駅ですが,実際にこの地に行ってみて,まさに,この音楽は,こうした風景からインスピレーションを得て作曲されたと確信するようになりました。
 そしてまた,今回のコンサートは,まさに神々しいものでした。
 このごろ,特に,同じ曲であっても,同じオーケストラであっても,指揮者によってかくも深みが異なるものなのか,ということをしみじみと感じるのですが,想い入れの深い演奏は,聴く者のこころをしっかりとらえるようです。
 幸せな時間でした。


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 11 月19日の夕方「ほぼ」皆既日食が見られました。
 月食とは,月の一部または全部が地球の影に隠されて見えなくなる現象です。月は鏡のように太陽の光が当たると輝いて見えます。そこで,太陽,地球,月が一直線となって,太陽の光が地球に妨げられて月に当たらなくなると暗くなり,月が欠けて見えるとき,月食となります。
 地球の影には本影とそのまわりの半影という薄暗い部分があります。月が地球の本影に入らず半影にのみ月全体あるいは部分が入る場合を「半影月食」,本影にすっぽりと入る場合が「皆既月食」,そして,一部だけが本影に入る場合が「部分月食」です。
 半影は薄い影なので「半影月食」では月が欠けているかどうかはっきりとはわからず,写真に撮るとどうにかわかる程度です。
 月全体が地球の本影に隠れる「皆既月食」では,太陽からの光のうち赤い光が地球の大気により屈折して月の表面に届くため,月は完全に見えなくなるのではなく,暗い赤色となります。

 11月19日の夕方に起きたのは地球の本影に月の97.8パーセントが入る部分月食でした。「部分月食」とはいっても「ほぼ月全体が隠れる皆既月食に近い」状態ということだったので,私はとても興味がわきました。日食の場合は100パーセント「皆既日食」でないと鮮やかな姿は見えませんが,月食はそのようなことはないはずです。
 「皆既月食」は珍しい現象でないのですが,逆に,「限りなく皆既に近い部分月食」はめずらしく,これは140年前の1881年12月6日以来のことだそうです。
  ・・
 思ったよりも雲が多い日でした。月が東の地平線から昇ってきたとき,月出帯食とよばれるすでに欠けた状態になっていたのですが,そのころはまだ東の空だけ雲があって,がっかりました。その後は,雲で月が見えたり見えなくなったりと不安定だったのですが,次第に雲が少なくなってきて, 食のはじまりからおよそ1時間45分後の午後6時3分,欠けた割合が最も大きくなる「食の最大」のころは食はよく見えました。
 「皆既月食」では月全体が赤くなるのですが,それと同じように全体的に赤みを帯びながらわずかな部分だけが白く光るように見えました。今回は薄曇りのためか,思ったよりも暗い状態でした。月が赤く見えるのは,太陽光が地球の大気中を通過する際に屈折してわずかながらに月を照らし,光の成分のうちで青い光は大気に散乱させられるので月まで届かず,赤い光は散乱されにくいので月まで届いて月面を照らすことによります。
 食は,「食の最大」の約1時間45分後まで続きました。
 今回,私は,この食が終わるころがとても興味深く思えました。それは,普通の月の満ち欠けとはちがって,影の部分が半円状になっていたからです。何事も体験してみないとわからないものです。

 食の終了後,何事もなかったかのように,「ビーバームーン」(Beaver Moon)とよばれる11月の満月が輝いていました。

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 2004年というから,早いもので今から17年前,私は,ずっと夢だったアメリカをひとりでトライブすることにもすっかり慣れて,調子に乗って,イエローストーン国立公園への旅に出ました。無知だったというか,怖いモノ知らずだったというか,シアトルからその日のうちにイエローストーン国立公園まで行こうという強硬スケジュール,しかも泊まるところなんて到着してから考えようというものでした。
 さすがに途中のアイダホ州のカーダーレイン(Coeur d'Alene)で夜になり,なんとかモーテルを探して1泊したまではよかったものの,その翌日にモンタナ州のビュート(Butte)で交通事故に遭ってしまいました。ひとつ間違えば,ここで私の人生は終わっていたのです。
 事故も癒えたその2年後の2006年,再び2年前の旅を実現しようと,さすがに今度は個人ツアーを組んで出かけました。成田からミネアポリスまで行って乗り換え,モンタナ州のボーズマン,そこからは個人ツアーでしたが,イエローストーン国立公園とグランドティトン国立公園は現地ツアーに参加しました。
 これから紹介する2006年の旅は,私には最も忘れられないものとなりました。そして,今に続く私のアメリカ旅行の原点でもあります。

●イエローストーン国立公園(Yellowstone National Park)
 アイダホ州,モンタナ州,ワイオミング州をまたぐイエローストーン国立公園は1872年に世界初の国立公園に指定されたところです。アメリカでも人気のある国立公園ということで,そうとは知らず出かけたのですが,後で知ったことには,ハイシーズンにここに個人で行くというのはかなり無謀なことだったのです。
 イエローストーン国立公園の面積は東京都の面積の4倍以上あります。さまざまな間欠泉や地熱によるホットスポットで有名です。また,グリズリーベアやオオカミ,バイソンやエルクなどが生息する野生動物の宝庫としても知られています。
  ・・ 
 アメリカ最大の熱水泉「グランド・プリズマティック・スプリング」(Grand Prismatic Spring)は世界でも第3番目の規模ということで,まるで地獄絵のようでした。
 「オールド・フェイスフル・ガイザー」(The Old Faithful Geyser)は有名な間欠泉で,イエローストーン国立公園のシンボル的存在,100年以上もの間約80分毎の一定間隔で熱水を30メートルから50メートルまで吹き上げるということでしたが,私が見たときは期待はずれでした。
 「マンモス・ホットスプリングス」 は流れ出る温泉に含まれる石灰分が長い年月をかけて蓄積され白い段々畑のようになった不思議な景色が広がります。見るときによって景色が異なるといいます。
 また,イエローストーン国立公園の中心に広がる雄大な「イエローストーン湖」。
 というように,見どころは満載で,私は,現地ツアーに参加したおかげで,要領よくすべてを見ることができました。
  ・・
 私がこの旅で忘れられないのが,ツアーで多くの友人ができたこと,そして,夜宿泊したモーテルのあったウェストイエローストーン(West Yellowstone)という小さな町でした。
 もう二度とこんな楽しい旅はできないだろうなあと思うと,いつも寂しく感じます。 


◇◇◇
「ほぼ」皆既月食。
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 ときどき新聞に「全国学力・学習状況調査」なるニュースが載っています。小学校6年生と中学校3年生にテストを実施するらしいのですが,その都道府県別順位とかいう本当にしょうもないことが話題となるようです。
  ・・
 私が中学生のときも,これと同じなのか違うものだったのかは知りませんが,そのようなテストがありました。
 小学生や中学生にとって勉強というのは学校で習うことがそのすべてで,だから,学校で使っているのと違う教科書とかで習ったような問題があったらさっぱりわかりません。また,勉強なんて毎日やっているわけでなくて,テストの前とかに覚えるものだし,それも成績に反映するからがんばるのであって,突然テストやるぞといわれても,そして,それが成績に関係ないとかいわれれたら,一生懸命やるのわけないのに,大人は実にくだらんことを考えるものだ,と当時も生意気な私は思いました。
 ということで,受験するほうはその程度のモチベーションしかないものなのに,その結果をもってわいわいがやがやと大人がくだらぬ議論をして,一体全体何を調べるの? という感じが昔も今も私にはします。
 そもそも,そんな調査にどんな意味があるのでしょう。しかも,そういう調査をすると,すぐに順位争いをするのがまた,そういうことが大好きなこの国の人たちです。

 アメリカへ行って驚くのが,人々の知的好奇心の高さです。
 博物館などのレクチャールームなど,いつも人がいっぱいです。そして,争うように質問をします。観光地などでも,必ずツアーがあって,専門家がものすごく詳しい説明をしてくれます。日本のように入場料をとって小ぎれいなパンフレットをくれるだけ,後はほかりっぱなしなんていうのはありえません。
 さらに驚くのが,子供たちです。アメリカでは,日本と違って夏休みが長いのですが,そうした期間にサマースクールがあるようで,スクールバスに乗って博物館などにやって来る姿をよく見かけます。また,私がハワイのマウイ島でホエールクルーズに参加したとき,甲板にツアーの参加者の子たちを集めて,係員がクジラの生態などを説明している姿を見かけました。こうしたとき,親切で丁寧なレクチャーをみんな一生懸命に聴いて,積極的に質問をしています。

 日本でも小学校では野外学習があるようで,科学館などに行くと,小学生が来ていることがよくあります。しかし,日本の学校では,小学生はおそろいのバインダーに見学資料のプリントを持っているのですが,学芸員の人が説明をしているようなことはまれで,そのほとんどは自分たちで何がしかの説明を単に書き写しています。要するに,スタンプラリーです。おそらく学校に帰ったらそれを提出して先生は検印を押すのでしょう。で,現地では付き添いの先生たちは何をしているのかというと,大概の場合は,館内の食堂とかでコーヒーでも飲みながら,今日は休養ができるわい,とひと休みをしているわけです。
 それもこれも,いつもやったふりの大好きなこの国の姿です。
  ・・
 日本では,夏休みが終わると,小学生たちが夏休みの宿題らしき絵やら工作やらを抱えて登校する姿がみられます。私も昔はそんなことをやった記憶があるのですが,いったいあればなんだったのかなあと今では思います。
 私の夏休みの思い出といえば,意味のないようなドリルがあって,それをだらだらと片付けて時間を潰す日々でした。サマースクールに行くでもなかったのですが,かろうじて,たった1日ほど海に出かけて,魚が泳いでいるのを見たり日ごろは見られない暗い空にさそり座を発見して驚いたことだけが有意義な時間でした。
 せめて,長いお休みのときくらい,学校からすっかり離れて,山の中で何日も生活するような体験をしたほうがずっといいように私は思うですが…。夏期講習だの補習だの,愚の骨頂です。机に向かって問題集をやるのが「勉強」ではないのです。

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●デビルズタワー国定公園(Devils Tower National Park)
 2012年に行った国立公園などについて紹介を続けます。
 このころはまだアメリカについて知らないことも多かったので,どこに行ってもときめきがありました。むしろ知らないということはメリットがあるようですが,今再び行くとすれば,どういう旅をするのかな? と思ったりもします。
 このデビルズタワーは,結局はマグマの塊が地上から突き出ているというだけのところで,アメリカのほかの雄大な多くの国立公園から比較すればスケールという点では見劣りがします。それに,サウスダコタ州なんて,簡単に行くことができるところでもないので,わざわざここを目的に行ったことのある日本人もさほど多くないように思えます。
 私も,モンタナ州ビュート郊外で交通事故に遭ったということがなければ,この旅はしなかっただろうし,そうであればデビルズタワーには行っていないと思うと,なにか不思議な気がします。
 とはいえ,デビルズタワーは映画「未知との遭遇」で有名な場所には違いがありません。
  ・・
 サンダンス(Sundance)という小さな町からデビルズタワーを目指しました。この日は,現地にすむ日本人を雇った個人ツアーだったので,いろいろと解説をしてもらって楽しい時間になりました。
 デビルズタワーというのは,地下深いところにあった巨大なマグマのかたまりが地層を貫いて地表まで上昇したものが,やがて,まわりの軟らかな地層が侵食されて削られて,結果として,この塊だけが,タワーのように残ったものということです。
 高さは約400メートル近くあって,ロッククライミングの名所ということで,数人のクライマーが登っている姿を見ることができました。1893年,はじめて登頂したときに残したはしごがあって,注意深く探すとそれを眺めることができます。また,1周するトレイルがあって,これを歩くと,タワーは,場所ごとに姿を変えて,そのどれもが壮大でした。
 頂上はサッカー場くらいの平原になっているということで,5,6時間で登はんできるそうです。そこで,山頂まで行ってサンドウィッチを食べるのが乙なモノだと聞きました。とはいえ,軟弱な私には縁のない話ですけれど。また,不思議なことに,ここに登ったことで事故が起きたことは今までにないそうです。
 頂上が写った写真を何とか見つけ出したのでここに載せておきます。タワーというよりも切り株みたいに見えます。

無題


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 2012年,私は,グレイラインの日帰りツアーに参加して,マントラッシュモア国立記念碑,クレイジーホースメモリアル,そして,カスター州立公園を巡りました。
 おそらく,今行くのなら,そういった現地ツアーに参加することもなく,個人で巡ったことだろうと思うのですが,むしろ,このツアーに参加したことで,観光用の列車にも乗れたし,結構混雑するこのあたりを楽に観光できたのが幸いでした。
 では,今日は,そのときのツアーで行った中からカスター州立公園を紹介します。ただし,残念なことに,カスター州立公園だけは,バスの車内からの観光となって,現地を歩けなかったのがこころ残りです。ツアーというのは快適な反面,こうした自由度に制限があるのが難点です。
 おそらく,多くの旅行者は私の参加したようなこうしたツアー旅行をしているだろうから,私がこれまでこのブログで書いていたようなちょっと変わったところには行くことができないだろうなと思います。

●カスター州立公園(Custer State park)
 カスター州立公園はマウントラッシュモアの南側に広がる大平原です。公園内をワイルドライフループロード(Wildlife Loop Rd.)
が走っています。この道路は野生のバイソンの群れが見ものである全長18マイル,約30キロメートルにわたるドライブコースです。
 ということなので,どうやら,カスター州立公園は,バスから降りて散策するようなところではなくて,車中からバイソンの群れを見れば十分,という理由で降りることができなかったのでしょう。
 ガイドブックによると
  ・・・・・・
 1913年に禁漁区として設立されたカスター州立公園にはおよそ 1,300頭の放し飼いのバイソンの群れが生息しています。エルクやシロオジカ,ミュールジカ,ビッグホーンシープ,マウンテンゴート,プロングホーンの大群もいるし,アナグマ,ビーバー,コヨーテ,ワシ,キツネ,タカ,ジャックラビット,プレーリードッグ,七面鳥を目撃できるかもしれません。
  ・・・・・・
ということなので,ここは自然の動物園という感じなのでしょう。
 それにしても,今,写真で見ても,ものすごい数のバイソンです。私は,アメリカ旅行の初期の段階からこのような景色を見慣れてしまったので,野生のバイソンなんて当たり前にアメリカにごろごろいるものだという印象になっていたのでしたが,実際は,都会に住むアメリカ人にもこうした野生のバイソンは珍しいもののようです。

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 21世紀になってずいぶんと経ちましたが,現在,人工知能とともにロボットが脚光を浴びています。私の世代,ロボットといえば「鉄腕アトム」です。
 「鉄腕アトム」は手塚治虫のSF漫画ですが,私が知るのはそれをもとにしたテレビアニメです。
  ・・・・・・
 科学省長官の天馬博士は交通事故で死んだひとり息子・飛雄(トビオ)にそっくりなロボットを作りあげた。しかし,人間のように成長しないため落胆してロボットサーカスに売り飛ばしてしまった。トビオは「アトム」と名づけられ,新しく科学省長官になったお茶の水博士に引き取られて自由の身に…。しかし,ひとたび事件が起これば,アトムはその10万馬力のパワーで敢然と悪に立ち向かい退治していく。
 21世紀の未来を舞台に,原子力をエネルギー源として動き,人と同等の感情を持った少年ロボット・アトムが活躍する物語。
  ・・・・・・

 「鉄腕アトム」は,1951年(昭26年)に書かれた「アトム大使」をもとに,1952年(昭和27年)から雑誌「少年」に連載された原作が1963年(昭和38年)日本初の30分テレビアニメとして放送されたということですが,私は,テレビアニメでは見たものの,雑誌の連載は知りません。また,実写版も何度か見たことがありますが,どうもイメージが違うなあという印象しか残っていません。
 私が子供のころは,この「鉄腕アトム」をはじめとして「鉄人28号」や「エイトマン」などのSFアニメ全盛の,思えばよき時代でした。
 現在の日本のロボット工学の研究者たちの多くは,幼少時代に見た「鉄腕アトム」がロボット技術者を志すきっかけとなっているといいますから,子供のころの印象は強烈だったのでしょう。
  ・・
 そうした「鉄腕アトム」ですが,AMAZON Primeで第1話から取り上げらているのを知って見てみました。そういえば,第1話など,今まで見たこともありませんでした。そして思ったのはその内容の「濃さ」です。こんな哲学的なすばらしいものをその内容の意味も知らず,子供のころに見ていたということを今になって知って感動しました。
 将来に夢を語れない今の子供たちとは違って「21世紀の未来」という言葉は輝き,何とも夢多き時代でした。
 しかし,そうした希望を抱いた「21世紀の未来」がこんな時代だったなんて!

アトム


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 私は大学で物理学を学んだし,もともと宇宙に興味があったから,若いころは,自然科学というのは宇宙が作られたその仕組みを解き明かすすばらしい学問だという想いを強くもっていました。その学問的な意義は今も変わらずすばらしいと思います。しかし,宇宙が作られたその仕組みを解き明かすと思っていた私の気持ちは大いなる誤解でした。歳をとって,そう思うようになりました。
 たとえば,次のようです。
 1個100円のリンゴと1個60円のミカンがあったとします。これをそれぞれ1個ずつ,合計2個買ったとき,100+60=160だから,払うのは160円です。どうして足すのかというと「それが原理だから」ということばで片づけてしまうのが物理学なのであって,つまり,何も語っていないのです。
 ところが,あるお店だと,なんらかの割引があって150円で買うことができるとします。
 このとき,どうして150円でいいのか,それを探り,無理やり理屈を作るわけです。たとえば,150円以上なら10円引きとか何とか,知る範囲の事実から適当な理論を編み出すわけです。そして,作り出した理論に基づいて,他の場合に当てはめて買い物をして,その理論どおりの値段になれば,それが正しい理論,というわけです。
 もうひとつの例を書きましょう。
 物理学というのは,将棋の駒の動かし方やルールを知らない人が対局の棋譜を何万局,何億局と分析して,ルールや駒の動かし方を調べるようなものです。そして,たとえば桂馬の動かし方をみつけたとします。そして,どうして桂馬はそういう動かし方をするのかと問えば,「それが原理だから」と答える,そんなものです。
 物理学というのは,こうしたことを繰り返しているだけのことなのです。つまり,どこかに正しくない理論があるかもしれない,しかし,それが今は正しいとされているのかもしれないわけです。

 ある一般者向けの物理学の講演会があって,その最後の質疑応答で,「どうして学者さんはそんなに自信をもって宇宙の年齢は138憶年だ,とかいうように断定できるのですか?」という質問をした人がいました。その答えは「それに対してあなたは反例が言えるのですか? もし言えるのならそれはそれで立派な理論だから一緒に研究しましょう」でしたが,それでは答えになっていません。
 そんなことは「悪魔の証明」と同じです。
 「悪魔の証明」(probatio diabolica=devil's proof)というのは,証明することが不可能か非常に困難な事象を悪魔に例えたものをいいます。中世ヨーロッパのローマ法の下での法学者らが,土地や物品等の所有権が誰に帰属するのか過去に遡って証明することの困難さを比喩的に表現した言葉が由来です。
 しかし,現在,ダークマターだのダークエネルギーだのと名前だけは立派でも,実際には,宇宙全体のエネルギーにおいて,そこに占めるダークマターの割合は22パーセント,ダークエネルギーは74パーセントもあって,バリオンとよばれるふつうの物質は全体のたった4パーセントに過ぎないといわれ,つまり,宇宙のエネルギーの96パーセントが何なのがわからないのです。
 その理由は,ひょっとしたら,現在正しいとされている理論が本質的に何か間違っているからなのかもしれません。

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●クレイジーホースメモリアル(Crazy Horse Memorial)
 クレイジーホースメモリアルはサウスダコタ州の西部ブラックヒルズの山中にある巨大な岩面彫りの彫刻です。アメリカインディアンのスー族(Sioux)の戦士クレイジーホース(Crazy Horse)をイメージしたものです。
 クレイジーホースは米軍や白人入植者の侵略からラコタ族の領土や、聖地ブラックヒルズを守るために戦った戦士のひとりです。
  ・・
 1947年,ラコタ族のヘンリー・スタンディング・ベア(Henry Standing Bear)が「わしらインディアンにも偉大な英雄がいることを白人達に知って欲しい。マウントラシュモアよりも大きな彫刻を造ってくれないか」とコルチャック(Korczak Ziolkowski)に依頼したことではじまったといいます。1982年,コルチャックが亡くなるとその後もコルチャックの家族がその遺志を継いで彫り続けていますが,いつ完成するやら…。
 私はマウントラッシュモア国立記念碑を見るためにグレイラインツアーに参加たのですが,このツアーではそれ以外にこのクレイジーホースメモリアルの見学が入っていました。もし,個人旅行だったら行かなかったかもしれません。
 クレイジーホースメモリアルは完成時には世界最大の彫像となるとのことだけれども,現在完成しているのは頭の部分のみで,正直いって,何だこりゃ,という感じだったし,以前テレビで見たときもなにかいかがわしい感じがしました。しかも,遠くの展望台と売店のある場所から眺めるだけで,近くに行くには,さらに,お金を出して乗り物に乗る必要があるということでした。
 要するに,ツアー旅行で必ずその会社と癒着する土産物店に連れて行くようなもので,クレイジーホースは,いかにも,マウントラッシュモア観光の団体客を目当てにした観光施設であったのですが,マウントラッシュモアに連れて行った以上はこの場所行かなければいろいろな問題があるような,そうしたアメリカの歴史上の微妙なことがあるような気がしました。
 おまけに,ここのレストランで昼食を,ということだったのに,中国人の団体客でごった返していて入れず,私の印象は最悪でした。
 いずれにしても,アメリカの国立公園は自然こそであって,人間の作った人工物というのは何であれそれとくらべてしまうとすべて見劣りがします。


◇◇◇
藤井聡太竜王誕生,
史上最年少四冠達成。

王位,棋聖,叡王に続いて竜王を獲得しました。
無題


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 テオドアルーズベルト国立公園,バッドランド国立公園と,2012年に行ったノースダコタ州,サウスダコタ州,ワイオミング州の国立公園の紹介をしています。
 私は2006年にアメリカ旅行をしてから6年間アメリカ旅行ができませんでした。それは,この期間は私にとって「悪夢の5年間」だったからです。この5年間は,私の人生にとって無意味な時間以外の何ものでもありませんでした。しかし,その後の楽しい時を考えると,ある意味では充電期間だったのでしょう。その5年間を思えば,現在のコロナ禍もたいしたことではないのかもしれません。しかし,50代の5年間と60代の5年間というのは重みが違いすぎます。
 2012年の旅は,ノースダコタ州に行ってみたいということが動機でしたが,今とは違って手探りだったことが多く,そのために,グレイラインの現地ツアーを利用したり,現地の日本人ガイドを雇って旅をしたりしました。そこで,自由度が少なかったのが悔やまれるのですが,それはそれで個人旅行では行けなかったところにも行けたというメリットもありました。
 今思い出すと,もう一度,今度は自由にこの場所に行ってみたいような気もしますが,おそらく行くことはもうないでしょう。人生はかくも短いものです。

●マウントラッシュモア国立記念碑(Mount Rushmore National Memorial)
 私は,グレイラインの現地日帰りツアーでマウントラッシュア国立記念碑,クレイジーホースメモリアル,カスター州立公園の観光をしました。
 マウントラッシュモア国立記念碑は,ワシントン(George Washington),ジェファーソン(Thomas Jefferson),テオドア・ルーズベルト(Theodore Roosevelt),リンカーン(Abraham Lincoln)の4人の大統領の彫像姿が岩山に彫られたもので,あまりに有名なのですが,それがどこにあるかを知る日本人は意外と少ないものです。さらに,行った人はもっと少ないでしょう。
 作られたのは1927年からの14年間なので,今も作業に携わった人の中には存命の人がいて,現地ではそういった人による講演会をやっていました。しかし,この記念碑は資金不足で途中で中断してしまい,首から下のあたりができていません。考えようによっては,これは自然破壊です。
 国立なので,周囲にはとても立派な建物がありますが,日本で目にするのは像の部分だけなので,周囲がどうなっているかを知る人も少ないと思うので,今日はそうしたことがわかる写真を載せておきます。私も行ってみて,ずいぶんと立派なので驚きました。
 まず,アメリカ合衆国50州の州旗が並ぶアベニューオブフラッグス(Avenue of Flags)をまっすぐ抜けるてグランドビューテラス(Grand View Terrace)とよばれる展望台に出ます。そこから展望台の左手からはじまるプレジデンシャルトレイル(Presidential Trail)があって散策するということになります。1周1キロメートルあまりの周回路からは,角度を変えてワシントン,ジェファーソン,テオドア・ルーズベルト,リンカーンの4人の大統領の彫像姿を見上げることができます。
 また,展望台の下には博物館やみやげ物店や食堂もあって,映画も上映されています。


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 「ステファンの五つ子」はフランスの天文学者エドゥアール・ステファン(Édouard Jean-Marie Stephan)によって1878年に発見された銀河の集団です。5個の渦巻銀河と楕円銀河から構成されているように見えるのですが,この中でNGC7320という渦巻銀河は見かけ上仲間のように見えても実際にはその距離は約3,900万光年で,互いに重力を及ぼし合ってコンパクトな銀河群を作っている残りの4個の銀河までの距離が約3億光年であるのとは大きく異なっているので,別のものです。
 つまり,当初はNGC7317,NGC7318A,NGC7318B,NGC7319,NGC 7320の5個を「ステファンの五つ子」としたのですが,このうちNGC 7320は前景の渦巻銀河が重なって見えているものであって,NGC7317からNGC 7319までの4個が銀河群を作っているわけです。
 また,少しはなれたところにある6番目の銀河NGC7320CはおそらくNGC7319とつながっているのでこれも先に書いた4つの銀河団の仲間ではないかと見られています。

 「ステファンの五つ子」はハッブル宇宙望遠鏡の撮影対象となったことで一躍有名になりました。
 銀河同士の衝突・合体や星流の形成,銀河ガス同士の衝突やスターバーストなど,様々な現象を伴う銀河集団の進化を研究する際に典型的な天体となるのです。そこで,これまで,あらゆる波長の電磁波で広く観測され,複雑な数値シミュレーションの対象にもなってきました。
 はじめのうちは,NGC 7317には銀河同士の相互作用の影響があまり見つかっていなかったために,銀河自体が安定した状態にあるか,あるいは,ごく最近にこの銀河群の近くに移動してきたばかりだと考えられてきたのですが,赤色の星々がこの銀河の周囲に検出されたことで,NGC 7317は他のメンバー銀河と非常に長い期間にわたって相互作用し続けているという可能性がいわれるようになってきました。
 銀河群の中で大きい銀河が及ぼす重力によって小さな銀河がゆっくりと解体される相互作用現象は「銀河の共食い」(galactic cannibalism)といわれます。こうした「銀河の共食い」によって,大きな銀河の周りを軌道運動する星流やハローが形成されるのが特徴で,NGC 7317の周囲に見られる赤い星のハローもそのような構造に似ているといいます。大規模な共食い現象によって,銀河群は最終的にはひとつの巨大楕円銀河になるということです。

 このように有名なことからアマチュアの天文愛好家が多くの写真を写しているので,私もそれに手を出そうとしたのですが,所詮は無理な相談でした。この天体明るさが14等星ほどだったのです。それにしたらよく写ったものです。

◇◇◇


◇◇◇
水星と火星の大接近。

11月11日。
水星と火星が大接近しました。
明け方の東の空低く,肉眼でも確認できました。 DSC_8086s2


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 11月8日は月が金星を隠す金星食でした。とはいえ,お昼間のこと,月も金星も見ることができるのかな? と疑問でした。
 子供のころ,名古屋市科学館の大きな望遠鏡で,お昼間の金星を見る,という集まりで見たことがあって,私は,お昼間の金星は望遠鏡を使わなければ見ることができないものだと思い込んでいました。
 しかし,私の持っている望遠鏡は自動導入でないから,視野の狭い,かつ,長い鏡筒を振り回してお昼間の金星を視野に入れるのも大変そうに思えました。
 
 11月8日。
 残念ながら雲が空を覆い,探すこともできませんでした。今日の一番最後の写真は国立天文台が写したものです。
 そして,その夕方,依然として雲に覆われていたのですが,一瞬雲が切れて,月と金星を写真に収めることができました。それが今日の1番目の写真ですが,すでに,月と金星はずいぶんと離れてしまっていました。
  ・・
 11月9日。
 皮肉にもこの日は晴天でした。そこで,昨日の疑問を解決しようとお昼間に月と金星を探すことにしました。
 月は簡単に見つかりました。双眼鏡の視野に月を入れて,そこから金星を探すと,思ったより簡単に金星が視野に入りました。そして,その場所を眺めてみると,確かに肉眼でも金星が確認できました。 
  ・・
 11月10日。
 早朝,日の出30分ほど前に,東の空に水星と火星が接近しているということで,それが見られるかどうかを試してみることにしました。情報によると「11月上旬,明け方の東南東の低空に水星と火星が大接近して見える。最接近は11月11日で,1度未満まで近づくが,日の出30分前で高度が5度未満と非常に低く,しかも,火星が約2等級と明け方に見るには暗いため,観察の難度はかなり高めだ」とありました。
 双眼鏡を水星のあるべき位置に向けると,簡単に水星は視野に入りました。しかし,火星は見ることができませんでした。少しして再び探して見ると,確かに火星を双眼鏡の視野で見ることができました。そして,その位置を目を凝らして肉眼で探すと,火星を見ることができました。
 写真ではあまり露出をかけると露出オーバーで星が飛んでしまうし,露出をかけないと今度は星が露出不足で写らないのですが,いろいろと設定を変えて数コマ写してあとで確認すると,火星がちゃんと写っていました。

 いつも書いているように,何事も確かめるに限ります。
 こうしてまた,疑問がひとつ,いや,ふたつ解けました。

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 2015年の旅,私の目的地はノースダコタ州でした。そのころ何かにとりつかれたかのようにアメリカを旅していたのですが,元来のひねくれもの,行きたいところはめったに人が行ったことがないところでした。
 それ以前,ネットで,アメリカ合衆国50州制覇を目指しているのだけれど,ノースダコタ州にはまだいったことがないという人のブログを読んでアメリカ50州を制覇したくなり,ならばまずはノースダコタ州だと決めたからでした。
  ・・
 今にして思うに,もっと仕事は適当にやって,さらに生活からムダを絞り,義理は捨て,アメリカ旅行一途で若いころから過ごしていたら,どんなにか充実した生き方ができたのだろうと思うのですが,人生一度,はじめは自信もなく世の中を知らず,試行錯誤の繰り返しと煩悩のかたまりでは,なかなかうまくいきません。
 それでも,今までにこれだけのことができたのだから,自分ながらまだマシだったとは思います。今からこれだけのことをやろうと思ったってできません。それに,このコロナ禍,今ごろ定年退職して,これまでの仕事一途と別れを告げ,さあ,旅をするぞと思っていた人が気の毒でなりません。
 私はこのごろ痛感するのですが,人間という複雑なメカは65歳までが正常に機能するのであって,それを越えると保証期間が過ぎてしまい,急激にあちらこちらがダメになるのです。

●バッドランド国立公園(Badlands National Park)
 さて,ノースダコタ州に行く前にサウスダコタ州にも寄ることにしました。ここにも多くのおもしろい場所があるからです。まずはバッドランド国立公園です。
 バッドランドとは,つまりは荒れた土地です。一面,灰色の荒地が続きます。
 インターステイツ90はラピッドシティから約1時間,ウォールを過ぎると,南側のはるかかなたに国立公園の雄大な山々が連なっているのが見えてきます。
 バッドランド国立公園は西側のアクセスポイントであるウォールから,東側のアクセスポイントであるカクタスフラットという町まで続いています。
 インターステイツ90沿いの南側遠くにバッドランド国立公園は雄大です。
  ・・
 バッドランド国立公園のなかにはバットランズループが走っていて,ところどころにあるみどころで駐車し,トレイルを散策しながら,公園をめぐることになります。
 ドアトレイルを歩くと,展望ポイントからは延々と,この世のものとは思えない景色が続きます。   また,途中にはしごのあるのはノッチトレイルで,道なき道を1.5マイルも進むと,山の迫った平原のような異様な景色が広がります。それは,まさに地球の景色じゃないのです。
 さらに30分も歩くと,眼下には,延々とサウスダコタ州の大地が広がっています。まさに絶景です。  ビジネスセンターのあるシーダーパスからは屏風状の岩山がそそり立っているのが見えます。
 その次は,フォッスルトレイル,つまり,化石の道です。
 最後のピナクルズでは,360度広がる地球創世期のような景観を味わうことができます。
  ・・
 以下,おまけです。
 ウォールの町にはウォールドラッグというお店があります。ここはバッファローバーガーで有名なところです。

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●フォートアブラハムリンカーン州立公園(Fort Abraham Lincoln State Park)
 2012年,念願のノースダコタ州に行くことができた私は,州都ビスマルクの隣町マンダン(Mandan)にモーテルを見つけて宿泊しました。

 近くに何か見どころがないかなと調べてみると,フォートアブラハムリンカーン州立公園が近くにあるということだったので,行ってみることにしました。
 こんなところに行った日本人なんてめったににいないことでしょう。
 緑に覆われたミズーリ川の堤防をずっと走っていくと,やがて,州立公園の馬鹿でかい敷地の入口に到着しました。
 この州立公園は,南北戦争で立身出世してインディアンと戦ったジョージ・アームストロング・カスター(George Armstrong Custer)将軍が最後に住んでいた家やら軍隊の宿舎やらを再建したものです。とはいえ,アメリカ人が関ヶ原の戦いの古戦場を訪れるようなもので,私にはさっぱりわかりませんでしたが。
 ツアーが実施されていたので参加すると,カスター将軍の家の中を案内してくれました。
 また,この公園の奥にはオンアスランドインディアンの村(On-A-Slant Indean Village)というのがありました。ドーム型の住居が5つ再現されていて,そこでも,ツアーがあったのですが,ツアーといっても参加者は私ひとりでした。

 英語のホームページがあったので,そこから引用してみます。
  ・・・・・・
 1907年に設立されたフォートアブラハムリンカーン州立公園はノースダコタ州で最も古い州立公園です。 公園内にあるのは1575年ごろにマンダン族によって設立された最初の村です。
 マンダン族はアメリカのインディアン部族です。天然痘による壊滅前までは「人間」という意味の「ヌマカキ」(Numakaki)または「メチュタハンケ」(Me-too´-ta-häk)と自称しました。また,ダコタスー族の言葉で「マワタニ」(Mawátani)ともよばれ,ノースダコタ州の平原地帯最北部に定住していました。
 この村は傾斜した平原に建てられたため,オンアスランドインディアンの村と名づけられました。人口は約1,500人でした。住民は釣り,狩猟,作物に依存していましたが,1781年の天然痘の流行で村人の大部分が亡くなり,その場所は放棄されました。
 1872年,米軍はマッキーン砦(Fort Mackeen)とよばれる廃墟の近くに歩兵の駐屯地を設立し,アブラハムリンカーン砦(Fort Abraham Lincoln)と改名されました。1873年には北部平原で最大かつ最も重要な砦のひとつになり,約650人の兵士を収容しました。

  ・・・・・・

◇◇◇
月齢3.5の月と金星。

11月8日。
お昼間に金星を月が隠す金星食があったのですが,
曇っていてみられませんでした。
写真はやっと雲が切れた一瞬に写した夕方の姿です。 DSC_0421s


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 11月6日早朝,新月でかつ天気がよかったので,近くに星見に出かけました。ひとりで星を見ているのが一番落ち着きます。
 何を,という目的も特になかったのですが,先日も写した準惑星セレス(Ceres)とはじめてレナード彗星(C/2021A1 Leonard)を写すことにしました。
 新しく買い替えた赤道儀もそれなりに使いこなせるようになったし,楽しい時間となりました。

 まず,準惑星セレスです。
 準惑星セレスは7等星ほどなので,双眼鏡でも簡単に見ることができるのですが,普通の恒星と変わらないので,普段はなかなか区別がつきません。そこで,こうしたアルデバランに接近したときに容易に見分けがつくので,準惑星を見る絶好の機会となります。
 先日11月3日に写した写真と並べてみたのが今日の1番目の写真です。

 次がレナード彗星です。
 現在レナード彗星はおおくま座としし座の中間あたりで,明け方前の北東の空,結構高いところで見られます。周りに明るい恒星がないのですが,星の並びがわかりやすいので,容易に場所が特定できて,カメラに収めることができました。
 まだ10等星くらいですが,すでにかわいい尾が見えて,大物の風格です。
 レナード彗星は明るくなるといううれしい予報ですが,彗星の明るさは水物なので,果たしてどうなるか?
 いずれにしても,レナード彗星はあっという間に駆け抜けてしまうので,明るくなった彗星を見るチャンスは12月はじめからの2週間ほどだそうです。12月13日はちょっと辛いかも,ということで,12月12日まで明け方の東の空に美しく見えるということです。ちょうど月明かりもなく絶好です。東の空に低くうしかい座の1等星アルクトゥールスが見えるのですが,そのあたりを駆け抜けていきます。
 その後は,太陽を周って,12月16日くらいからは今度は夕方の空に見えるようになるのですが,あまり高度も光度も高くならないし,月明かりもあるので,夜明け前の東の空のほうがすばらしい姿が見られることでしょう。
 なお,レナード彗星が発見されたレモン天文台のあるアリゾナ州のレモン山はツーソンから車で1時間30分程度のところにあって,サボテンだらけの山だそうです。こんな状況でなければ行ってみたかったところです。

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 私は50年来のニコンカメラ愛好者ですが,このごろのニコンの低迷をこころから心配していました。
 そんな折,ニコンZ9というディープラーニング系の人工知能が搭載されたすごいカメラが発売されます。予想を超える性能のカメラだったので,だれしもが,斜陽だと心配していたこの会社にこれだけの技術力が残っていたということに驚きました。「ニコンD3の再来」といわれているそうですが,ニコンD3のとき同様,先行き不安に陥ったとき,ニコンは突然豹変して画期的な新製品を出すのです。
 これだけの力量があるのに,その実力がまれにしか発揮されないのが不思議でなりません。
 同時に,Fマウント用のアダプターFTZも新しく三脚座がなくなって使いやすくなりました。はじめっからこのアダプターを出しておけばよかったのに,その間に多くのユーザーを失くしてしまい,本当に今まで何をやっていたのでしょう。商売が下手です。これまでの愛好者を大切にするのは最優先事項です。
 しかし,ニコンZ9のようなカメラが出てしまうと,プロの写真家は大変です。
 以前は,カメラより腕,だったのに,今や,使う機材によって撮れる被写体と撮れない被写体があるとなっては,新しい技術をもった機材を使わなければ,仕事を失くしてしまうからです。

 その一方で,趣味程度に写真を楽しんでいる人にとってみれば,カメラも高級品ばかりとなって,普通の車を買おうと思ったらジェット機しか売っていなかった,という感じのオーバースペックです。中には,こういう機材でも購入する人が少なからずいるのですが,多くのアマチュアは,週末に使うくらいしか時間もないから,使いこなすのがたいへんです。また,気軽に旅に持っていくには大きすぎます。
 私は,結局はスマホよりもカメラの方が「いい写真」が撮れるので,このごろ,ずいぶんとカメラを手にする機会が増えてきたのですが,そうなってはじめて,自分に必要なものが何かがわかってきました。しかし,多くの人は,カタログによるスペックばかりを気にしたり,使うより買うことが目的だったりします。「観る将」みたいなものです。
 私は,ここまですごくなくていいから,旅のお供に,気軽に持って歩ける,そして,安心して自分の撮りたい写真が撮れる,そんなカメラがあったらいいなあとつねづね思っているのですが,なかなか思い通りのものがありません。まあ,買いたくなる新しいカメラがないほうが私にはいいのですけれど。

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●テオドアルーズベルト国立公園(Teodore Roosevelt National Park)
 ノースダコタ州にテオドアルーズベルト国立公園はあります。「地球の歩き方」のアメリカの国立公園編にも掲載されておらず,情報のほとんどありません。
 そもそも私が2012年にノースダコタ州に行ったのは,アメリカ人でさえもほとんど行かない,まして,日本人で行ったひとなんてほどんどいないというのが理由でした。
 アメリカの映画やドラマのセリフでノースダコタ州が出てくるのはそのほとんどが「辺鄙なところ」としてです。気の毒な限りです。私もノースダコタ州に行ったことのある変な日本人だとアメリカ人の友人たちには思われています。
  ・・
 テオドアルーズベルト国立公園は,ノースユニットとサウスユニットに分かれていて,どちらのユニットもビジターセンターのあるゲートから伸びている道をドライブすることができるのですが,私が行ったときも自然災害でノースユニットのほとんどは閉鎖されていました。また,夏のハイシーズンだったのですが,ほとんど人はいませんでした。
 その後,まさまざまな災害が起きたので,今,公開されえているのかどうかは知りません。 ただ,私はふもとの町メドラの町の野外劇場で今年もミュージカルをやっていたのは知っています。
  ・・
 ノースユニットでは閉鎖された場所の手前そこで見たのはロングホーンという野生の牛の群れがいる平原とそのはるか向こうに生息するバッファローの姿でした。
 サウスユニットは1周するのに2時間くらいでした。
 ゲートを越え,インターステイツ94をまたぐ橋を通ります。インターステイツ94自体が国立公園の南端を駆け抜けています。ループドライブは道からはどこも見ても360度の絶景でした。途中にバッファローの群れが住む平原があったり,野生の馬に出会ったり,また,別のところでは野生の鹿に出会ったりしました。極めつけは,バックヒルというところで,そこは国立公園のもっとも高い地点,360度の絶景が広がっていました。
 テオドアルーズベル国立公園のよいところは,なんといっても,ほとんど観光客がいないことで,国立公園を独り占めにできる状態でした。そしてまた,アメリカの観光地は,マイナーなところほど親切なので,それもまた,私には気持ちがよいのでした。

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●「キングズキャニオン国立公園」(Kings Canyon National Park)
 キングスキャニオン国立公園とセコイア国立公園は一体となっていて,途中にゲートがあったりはしません。ともにジャイアントセコイアの森ですが,キングスキャニオンの方は,そのまま深い渓谷に続いています。
 この地は,ある者は谷の西端にダムを建設しようとし,ある者は公園として保護しようとしたのですが,1965年に谷全体が「グラントの森国立公園」に編入されたときにやっと国立公園としてその自然が守られるようになりました。
 コロナ禍の時代にこういう話を聞くと,何でもきちんと法律によって保護する国と,何でもなし崩しにして自然を破壊する国の根本的な考え方の違いが明白にわかるような気がします。
  ・・
 キングズキャニオン国立公園は,グラント将軍の森 (General Grant Grove) 地区とキングズ川 (Kings River)の支流サウスフォークとミドルフォーク,サンワーキン川(San Joaquin River)の支流サウス・フォークの源流を形成している渓谷とのふたつの異なる場所から成ります。
 グラント将軍の森にはグラント将軍の木があります。グラント将軍の木は、園内では3番目に大きな木として知られていて,第18代グラント大統領(Ulysses S. Grant)の名をとってつけられたものです。
 地元商工会の人がこの木を訪れたとき,横にいた少女が「この木がクリスマスツリーだったらどんなにすてきだろうに」と言ったのがきっかけで,「国のクリスマス・ツリー」(Nation's Christmas Tree〉となり,現在,クリスマスにイベントが行われているということです。
 そのあとで,車でシーダーグローブ(Cedar Grove)を目指して細い山岳道路を走りました。山岳道路になると,急に景色が変わって山並みの美しい風景になり,すばらしい景観が望めました。
  ・・
 キングスキャニオン国立公園をでてから,前回書いたセコイア国立公園に入りました。
  セコイア国立公園で一番の見ものは「シャーマン将軍の木」です。「シャーマン将軍の木」(General Sherman tree)は,地球上で最も大きな木であると同時に最も大きな生命体であると考えられています。樹齢はおよそ2,200年だそうです。
 この木の名前は南北戦争における北軍の指導者ウィリアム・シャーマン将軍(general William Tecumseh Sherman)に因んでつけられたものです。
 その次の見ものは,クセントミドウ・ロード(Crescent Meadow Road)です。
 ここには博物館があって,その裏手にあったトレイルを歩いて,ラウンドミドウ(Round Meadow)という草原に行くと,突然,目の前に草原が広がります。不思議なところでした。
  ・・
 子供のころに覚えたことはいつまでも忘れません。私は,セコイアという木をしって,日本にはそんな木はないなあ,と思ってアメリカに憧れ,さらに,名古屋の植物園にメタセコイアという木があると聞いて行ってみたのですが,がっかりしたことがあります。
 そうした「トラウマ」は,実際にセコイアの木を見て,すべて解消されたのです。
 ちなみに,メタセコイア(Metasequoia glyptostroboides)はセコイアと違って落葉樹です。当初は日本を含む北半球で化石として発見されるのみで絶滅した植物と考えられていました。常緑種のセコイアに似た落葉種の化石が発見され,発見者の三木茂によってセコイアに「変わった」という意味の接頭語である「メタ」をつけて「メタセコイア」と命名されたものです。

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月齢28.4の月と水星。

11月4日早朝東の空に見えました。 DSC_8003s


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 天気のよい日が続いています。 
 11月2日の深夜,新しい赤道儀の試行を兼ねて,近くに星を写しに行きました。目的は,前回撮影できなかった周期彗星フェイ(4P Faye)を写すことと,現在おうし座のアルデバランに大接近している準惑星ケレスでした。
 まず,M45プレアデス星団を試しに写しました。新しい赤道儀は今まで使っていたものより使いやすいのですが,まだ少し改良するところが見つかりました。

 フェイ彗星(4P Faye)は1843年にエルヴェ・フェイ(Hervé Auguste Étienne Albans Faye)によってパリ王立天文台で発見された周期彗星です。周期7.54年。
 パリ王立天文台はルイ14世の時代の1667年にパリに開設された天文台で,19世紀の位置天文学の発展に大きい役割を果たしました。初代の台長は土星の輪の間隙を発見したカッシーニ(G. Cassini)です。
 フェイ彗星は思ったよりも暗いようで,予報にあった位置を何度写しても彗星らしい天体が確認できませんでした。家に帰ってから調べてみると,かろうじて尾を引いた彗星が写っていました。約12等星というところでしょうか。

 準惑星セレス(Ceres)は,火星と木星の間のメインベルトに位置する準惑星です。直径は945キロメートルと,メインベルトで最大の天体であり,メインベルト唯一の準惑星です。
 1772年,それまで知られていた水星,金星,地球,木星,土星の軌道から,ドイツの天文学者ヨハン・ボーデ(Johann Elert Bode)は,この,現在も科学的根拠が見出されていないティティウス・ボーデの法則(Titius₋Bode law)をもとに,火星と木星の間に大きな間隔があることから、火星と木星の間に未発見の惑星が存在していることを予測しました。その予測に沿って,シチリア島のパレルモ学会(Palermo)のカトリック司祭であったジュゼッペ・ピアッツィ(Giuseppe Piazzi)が1801年1月1日に発見したのがセレスです。
 ジュゼッペ・ピアッツィは,発見した天体にローマ神話に登場する農業の女神セレスとシチリア王国の国王フェルディナンド1世に因んで「Cerere Ferdinandea」という名称を提案しましたが,「Ferdinandea」は他の国々には受け入れられず省略されました。発見当初,セレスは惑星であると考えられていたのですが,その他に多くの同じような軌道を持つ天体が発見されるようになり,1850年代には小惑星として再分類されました。 
 このセレスがおうし座のアルデバラン(Aldebaran)の近くを通り過ぎるので,アルデバランと同じ視野で写してみたというわけです。
 なお,0.9等星のアルデバランはおうし座の眼にあたる位置にあって,太陽の直径の45倍もある赤色の巨星です。アルデバランとはアラビア語で「プレアデスにつづくもの」という意味で,いつも,プレアデス星団につづいて東の空から昇ってくるさまから名づけられました。ヒアデス星団の中にあるので,見た目にはヒアデス星団の中で輝いているように見えるのですが,距離は60光年と,150光年のヒアデス星団よりもかなり手前にあって,星団とはまったく関係のない星です。
  ・・
 この晩は天気が安定していなくて,頻繁に薄雲が湧いてくるので,目的を達成して,早々に引き上げました。東の空には月齢26.4の月が昇ってくるのが見えました。 

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 ずいぶんと前のこと,考えてみれば今から40年ほど時間をさかのぼったとき,私は1度だけパリに行ったことがあります。おそらくパリもそのころとはずいぶんと様変わりをしてしまったことでしょう。
 今,パリがどうなっているかは知りませんが,私の知るパリの姿は,写真家の木村伊兵衛さんが写した写真と,画家の荻須高徳さんの描いた絵画です。

 稲沢市に稲沢市荻須記念美術館があります。1983年(昭和58年)に開館した荻須高徳さんの個人美術館です。建物は稲沢公園に隣接していて,緑多いしずかな場所です。建物のなかには展示室のほかに荻須高徳さんがパリで使用していたアトリエを復元した部屋があって,一般に公開されています。
 
 芸術の秋。
 現在,この美術館では「生誕120年記念荻須高徳展-私のパリ,パリの私-」と題した展覧会が開催されています。生誕120年を記念する本展で,荻須高徳さんが美を感じ追究し続けたパリの街並みを中心に,旅先で描いたヨーロッパの風景を含む,国内所蔵の油彩約70点が集められています。また,1979年に中日新聞に連載されたインタビューをまとめた荻須の画文集「私のパリ,パリの私 荻須高徳の回想」に掲載された作品の一部も展示されていて,パリの街角の趣を伝えています。
  ・・
 「日本生まれのパリ人」と評された荻須高徳さんは,1901年に生まれて1986年に亡くなった洋画家です。1922年(大正11年)に東京美術学校(現東京藝術大学)西洋画科に入学し,1927年(昭和2年)に卒業し渡仏しました。その後は,画家として活動期間の大半をフランスの首都パリで過ごしました。第2次世界大戦で一時帰国したのち,終戦後の1948年(昭和23年)に渡仏し,死去するまでパリで制作活動を行いました。

 この展覧会では,作品が年代順に展示されていましたが,生まれが1901年ということで,作品の描かれた年を知るだけでそれが何歳のときのものかがわかります。20代の初期の作品は荒々しいタッチで描いたものが多く,油絵の油がこんもりと盛り上がっていて,力強さが見れらますが,次第に穏やかになり,晩年の作品は,まるで水彩画のような造形性に富んだ構成で描かれています。これをもって, 作風が落ち着いた色調,静寂さを備えたものへと変化していったと評されています。
 静かな展覧会で,こころが満ち足りました。すてきな時間になりました。キャプチャ


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●セコイア国立公園(Sequoia National park)
 以前,次のように書いたことがあります。
  ・・・・・・
 それは私が小学校のころのことだったが,今となっては学年を思い出せない。ずっと国語の教科書だと思っていたが,帰国後,昔の教科書が閲覧できる,とある図書館に出かけてそのころの教科書を探したのだが,見つけ出すことができななかったから,私の勘違いで,国語の教科書ではなく,何かの学習雑誌か補助教材だったのかもしれない。
 ともあれ,そこに載っていて知ったのが,巨大な木の幹をトンネルのようにくり抜いてその中を車が走っている1枚の写真であった。
 私は,それを見てアメリカというのはエライ国だと思った。そして,子供心に,ぜひセコイア国立公園に行ってみたいものだと思った。しかし,本当にそこに行けるとは思っていなかったから,その幸運が訪れたことに私は感謝した。
  ・・・・・・
 そして,その後に,このときのブログでは,この木の倒れた姿だと思われた無残な姿のセコイアの倒木を見たことになっています。
 しかし,後日,それがまちがいだということがわかりました。
  ・・
 私が子供のころに知った「巨大な木の幹をトンネルのようにくり抜いてその中を車が走っている」セコイアというのは,セコイア国立公園にあったものではなく,ヨセミテ国立公園にあったものだったのです。
 ウィキペディアに次のように書かれています。
  ・・・・・・
 「ワウォナツリー」(Wawona Tree)は,ヨセミテ国立公園(Yosemite National Park)のマリポサグローブ(Mariposa Grove)に生えていたセコイアデンドロン(ジャイアントセコイア)の巨木である。高さは69メートル,外周は27メートルあった。
 1881年,この木にもともとあった火事による傷を広げるようにしてトンネルが掘られた。木は少し傾いていたが,トンネル完成時には傾きが大きくなっていた。後に有名な観光スポットとなり,多くの旅行客が車で下を通りながら,あるいは木の下に立って写真を撮っていた。
 1969年2月,ワウォナツリーは雪の重みに耐えられずに倒壊した。推定樹齢は2,300年とされている。
  ・・・・・・
 つまり,私が小学生のときに知ったセコイアにあこがれ,やっと行くことができたセコイア国立公園だったのですが,私が見たかったセコイアというのは,セコイア国立公園ではなく,ヨセミテ国立公園にあった,ということでした。私は,はじめてアメリカに行った今から40年ほど前にヨセミテ国立公園を訪れたのですが,すでにそのときは,この木は倒れてしまっていたわけです。
 セコイア国立公園にも同じように倒れた巨木があるということは,このようにしてトンネルが作られたセコイアが数多くあったということなのでしょう。
  ・・
 なお,復習ですが,セコイア(Sequoia)とよばれる巨木には2種類あります。
 本家本元の「セコイア」(Sequoioideae)は,通称「コーストレッドウッド」(coast redwood)とよばれるもので,これはレッドウッド国立公園(Redwood National and State Parks = RNSP)にあります。一般にセコイアと思われているものは,通称「ジャイアントセコイア」(giant sequoia)とよばれる本名は「セコイアデンドロン」(Sequoiadendron giganteum)で,これがセコイア国立公園にあります。
 「セコイアデンドロン」つまり「ジャイアントセコイア」のほうは世界一幹が太い巨木で,「セコイア」つまり「コーストレッドウッド」のほうは世界一背が高い巨木です。

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 今から3年前,2018年の段階で,アメリカで私がそれまでに行きたくても行くことができていなかったところは,いくつかの国立公園と天文台でした。
 しかし,そのころはすでに関心がハワイと南半球のオーストラリアやニュージーランド,ヨーロッパのオーストリアやフィンランドなどに移ってしまっていて,アメリカ本土に行く機会はずいぶんと減っていて,年に1度のペースになっていました。
 数年かけて,そうしたところに行くことにして,まず,2018年はパロマ天文台に行ってみることにしました。そのついでに,ロサンゼルスの北にあるデスバレー国立公園とセコイア国立公園,そして,パロマ天文台に行くついでにサンディエゴで新しくできたボールパークに寄ってくるという計画で旅立ちました。
 その結果,最も行きたかったパロマ天文台だけ臨時に閉鎖されていて行くことができず,というか,入口まで入ったのに中に入れず,それ以外はすべて実現しました。
 今回と次回は,この2018年に行った国立公園の紹介をします。

●デスバレー国立公園(Death Valley National Park)
 デスバレー国立公園は,ぜひ一度は行ってみたいところでした。しかし,ロサンゼルスから決して近くなく,また,異常に気温が高くなるということで,本当に行くことができるのか心配でした。これだけアメリカに行ってずいぶんの距離を走っているのに,歳をとって次第におっくうになってきたからです。
 ともかく,ロサンゼルスから北に走って,途中でモーテルに泊まり,夜,明日はどうしようかずいぶんと考えた結果,早朝,暑くなる前に行ってみることにしたというのは,これまで何度も書きました。
 デスバレー国立公園についてはすでに多くのことを書いたので,ここでは,そのときに紹介できなかった写真を載せることにします。中でも最後の写真は車の計器に表示された外の気温です。華氏112度というのは摂氏44度です。
  ・・
 デスバレー国立公園に行った印象としては,これほどの広大な荒れ地が延々と続いていることに衝撃をうけたこと,そして,はやり,ここは地の果てだということ,さらには,どうしてこんなところに多くの人がやって来て,しかも,住んでいる人までいるのか,ということでした。
 私は,今でも,アメリカという国を測りかねているというのが正直なところです。
 つまり,アメリカという国がよくわからないわけです。
 というのも,このごろは,日ごろ,日本のテレビ番組はめったに見なくなって,もっぱらアメリカのニュース番組やドラマばかりになっているのですが,CNNなどで知るその姿は,アフガニスタンで苦労する姿や新型コロナウィルスでずいぶん多くの感染者がでている姿と,それとはまったく別の世界で,日々を楽しんでいる人たちの姿があるからです。
 日本は,何か問題があれば,すべてがそのこと一色に染まってしまい,明日にも世界が滅ぶみたいな雰囲気になるのですが,それとはまったく違うのです。


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