しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

February 2022

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 この国は,現在も,江戸時代,特に中期以降のままの状況が続いているように感じます。長く平和の続いた江戸時代に多くの習慣や思想が生まれ,日本人の価値観として定着しましたが,それを日本古来のものだと錯覚しているわけです。
 そこで,いかにこの国が民主主義をうたっていても,結局,主権は国民にあるのではなく「お上」とよばれる権力者にあると思っていて,それを江戸時代のごとく,殿様に従順にしたがう「ふり」をして,表立って反抗もせず,したたかに勝手に,しかし,法律で定められてもいないことをお互いの目を気にして縛り合って生きているのです。
 しかし,江戸時代以前のこの国は,どうもそれとはまったく違っていたようです。だから,現在の価値観でその昔の歴史を語っても,それはまったく異なったものであったに違いありません。あの世とこの世の垣根なんて,今よりずっと低かっただろうし,一寸先のことは神のみぞ知るだから,ひたすら祈るしかなかったわけです。
 おそらく,そのころの日本は,今の外国以上の違いがあったことでしょう。

 室町幕府に力がなくなり,ほとんど無政府状態だった,いわゆる戦国時代は,それはそれで人間の本音丸出しだからわかりやすいのですが,それ以前のこの国は,まったく理解不可能です。
 今年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」はそんな時代を舞台にしています。
  ・・
 鎌倉幕府というから,江戸幕府と同じような印象をもってしまうわけですが,もちろん,鎌倉時代に江戸時代のことなど知る由もなく,だから,徳川将軍と源将軍ははまったく異質であったにちがいありません。
 以前,鎌倉へ行ったときにふと偶然見つけた源頼朝の墓,そのときに写した写真はどこかにいってしまったので,今日の3番目の写真は足利尊氏の墓ですが,そういったものを見たとき,日光東照宮とのあまりの違いに私は驚きました。
 また,今でこそ,源氏と平氏などと色分けしますが,おそらく,そんな簡単なものではなかったことでしょう。とにかく,自分の財産は米をとるための土地であり,その土地を守ってくれる実力者の庇護こそが最も大切だったということに尽きるわです。

 鎌倉幕府の成立の記録を今に残す基本史料である「吾妻鏡」は北条得宗家の創りあげたものです。現存するものには,源頼朝の死に関する部分が抜け落ちているし,その直系の将軍であった源頼家,源実朝が非業の死を遂げ,ついには北条政権となったことなどの記述は,どこまでが真実であり,何がでっち上げなのかなんて到底わかるわけもありません。歴史は後世,勝利者が自らを肯定するために作ったものだからです。
 そこに,「平家物語」などが記述する平家の滅亡や,能の「安宅」や歌舞伎の「勧進帳」で今も語られる源義経など,それらが,日本人のもつ半官びいきの感情と入り組んでいて,ごちゃごちゃでわかりにくく,だから,これまでに何度も取り上げられた大河ドラマも,私は,途中で興味を失い最後まで見ることができませんでした。
  ・・
 所詮,正しい -といっても何をもって正しいとするのかもわかりませんが- 史実など書けない古い時代のことだから,その時代は単なる媒体として,興味あるわかりやすいホームドラマ,そしてまた,あえてわざとらしい喜劇であれば,私ははじめて,この時代の大河ドラマを見終えることができるだろうなあと期待しています。セリフが現代語であることと,エバン・コール(Evan Call)という人が音楽を担当し,流れる旋律がクラシック音楽のそれであること,このふたつも相まって,今のところは,そういった流れなので,安心して見ているのですが,さて,この先,源頼朝亡きあと北条政子が歴史のカオスを引っ掻きまわすようになったときが心配です。三谷幸喜さんの脚本で,政子を演じる小池栄子のくりくりした眼力ならそうならないだろうと信じていますが…。

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 建久六年十二月大廿二日癸酉。將軍家入御藤九郎盛長甘繩家。今夜御止宿云々。
  (欠落)
 建久十年二月大六日戊辰。霽。羽林殿下去月廿日轉左中將給。同廿六日宣下云。續前征夷将軍源朝臣遺跡宜令彼家人郎從等如舊奉行諸國守護者。彼状到着之間。今日有吉書始。
   「吾妻鏡」
  ・・
 建久6年(1195年)12月22日。将軍頼朝様は藤九郎盛長の尼縄の家へ出かけられました。今夜はお泊りだそうです。
  (欠落=この間に源頼朝死去)
 建久10年(1199年)2月6日。晴れました。近衛将軍頼家様が先月20日に中将に出世しました。同じ月の26日の天皇の命に,前征夷大将軍源頼朝の跡を継いで,鎌倉御家人を使って前の通り,諸国を守るように支配してください。とあります。その手紙が着いたので,幕府の新将軍として政務を始める儀式の吉書始め式を行いました。
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無題


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 朝日新聞の連載小説・多和田葉子さんの「白鶴亮翅」を読んでいます。
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 「白鶴亮翅」(はっかくりょうし)は,国際色豊かなドイツの首都ベルリンを舞台に,そこに暮らす人々と歴史が交錯する織物のような物語。
 主人公の美砂は,夫とともにドイツに移住したが,その後帰国することになった彼とは別れ,現在はひとりでベルリンに暮らしている。ある日,謎めいた隣人のドイツ人Mさんに誘われて太極拳教室に通うことに。そこで様々な文化的背景を持つ人々と出会い,彼らと交流しながら,大戦前後のドイツと日本の歴史に引き込まれていく。
  ・・ 
 多和田葉子さんはベルリン在住で,10年ほど前から太極拳教室に通っている。
 「敵が攻めてきたときに自分の最大限の力を引き出す護身術でもあるし,健康法でもあると同時に踊りでもあります」。
 そんな奥深さに引かれ,いつか小説の題材にしようと温めていたという。
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というのが,この小説がはじまる前に新聞に載った小説の紹介です。
 私は,多和田葉子さんの小説はほとんど読んだことがないのですが,時折新聞に掲載される文章はよく目にします。読んでみるといつもとてもおもしろいものです。
 タイトルの「白鶴亮翅」とは,白い鶴が雪原を跳ねながら翼を広げている様で,太極拳では相手を誘う構えだそうです。

 私が朝刊で毎日目を通すのが,小説と漫画と将棋の観戦記なのですが,この小説はまだはじまったばかりで,ほとんど進展もなく,この先どう発展していくのかわかりません。といっても,もう1月が経つのだから,もう少し時間の流れが早いほうがいいなあというのが単なる私の感想ですが,読みやすく,昼下がりにコーヒーを飲みながらのんびりしているような雰囲気は悪くありません。
 さて,この小説の2月25日と2月26日に,次のような文章がありました。一部,引用します。
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  最近はよい翻訳ソフトがあるから翻訳者はいらないという人もいるが,翻訳ソフトには苦手なことがいくつかある。たとえば時間がたつにつれて言葉の意味は変わっていくのに,それを文脈から読み取れないことである。
 東ドイツではコーヒーがなかなか手に入らなかった。だから西ドイツに住む親戚が東ドイツに住む親戚を訪ねる際におみやげとしてBohnenkaffeeを持ってきた,と書いてある。これはコーヒー豆を使ったコーヒーという意味である。
 Bohneは豆,Kaffeeはコーヒーだが、翻訳ソフトに入れると「コーヒー豆」と訳してしまう。しかし「コーヒー豆」はKaffeebohnenである。
 翻訳ソフトにまかせておいたら「西ドイツに住む親戚がおみやげとしてコーヒー豆を持ってきた」という訳文ができてしまう。これでは,挽いたコーヒーではなく豆のままのコーヒーを持ってきた,という意味になってしまう。
 わざわざコーヒー豆でできたコーヒーとことわらなければならない時代的背景を考慮しなければ正確には訳せない。その点,紙でできた辞書はすばらしい。
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 多和田葉子さんは1960年生まれだということですが,この年代の人たちが抱く,「翻訳ソフト」にイメージされるようなAIの進歩をある種脅威とみなす,そのことに対する葛藤がこの文章によく表されていて,とても興味深いものでした。
 昨年来のパンデミックもそうですが,人は,自分の知らないことに出会うと,異常に恐れるものです。奇しくも,2月26日の朝日新聞be版「between」には「AIの普及,歓迎しますか?」という特集があって,これを読んでみても,同じような感じを抱きます。こうしたとき,その人がそういったこと,ここではAIのことですが,それを受け入れるか拒否するか,それは,未知のものをどれだけ知っているかどうか,そして,新しいものを取り入れることができるかどうかというそのひとそのひとの性格によって異なります。
 多和田葉子さんは,とても優秀な人だと思うのですが,それでもやはり,この文章から感じるのは,AIに対する拒否反応です。それは,多和田葉子さんと同じ年ほどの将棋の棋士が将棋AIに感じる恐れと同じようなものに思えます。
 私は,逆に,このごろ,AI恐れるに足らず,と思うようになりました。それは,おそらく,将来,どんなにAIが優秀になったとしても,人間でしかできないものは存在すると思うからです。なぜならば,どんなに優秀なコンピュータミュージックができるようになったとしても,人間が演奏する「味」を越えられないのと同じだからです。それは,人間が,コンピュータのように優秀でない,いや,正確でないからこそです。その人間の人間らしいぶざまな「ふらつき」こそが,人間らしさと豊かさにつながっているのです。だから,人間の書く文章も,それがぶざまな「ふらつき」をもっている以上,「翻訳ソフト」には決して越えられない壁があるということになります。
 しかし,この先,そうした壁を越えることができる人間であらねば,AIにとって代わられてしまうことになっていくのでしょう。人が人らしく生きることに,これまで以上に修行が必要な時代になっていくのかもしれません。


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 私のNHK大河ドラマは「国盗り物語」ではじまり「麒麟がくる」で終わったと思っていました。それは,歴史ドラマというものに興味をなくしたからです。
 権力を握った人がその行為を正当化するためにこしらえたのがいわゆる学校で習う歴史ですが,本来の歴史は,戦争をしているばかりで悲しすぎるということとと,本当に知らなけらばならない歴史とは,一部の支配者を語るものではなく,いつもそうした権力者の犠牲となる庶民の姿であると思うようになって,支配者たちが権力闘争を繰り広げるようなドラマを見ることに疑問をもつようになったのです。
  ・・
 私がもし歴史上のどの時代に生きていたとしても,支配者といわれる聖武天皇も源頼朝も織田信長も豊臣秀吉も,おそらく自分には関係がなく,というより,彼らの権力闘争の犠牲者として馬鹿でかい建築物を作るために,あるいは,戦をするために駆り出されたり,それ以外は年貢を納めるために日々農作業にあけくれるだけの単なる田舎の百姓として,短い一生をあえぎ苦しみながら泳いでいたにすぎない存在だったことでしょう。
 もし生きていたのが戦国時代だったら,精魂込めて作った穀物が戦で台なしにされて途方に暮れていたか,あるいは,もしそれが第2次世界大戦のころだったら,兵隊にとられて南太平洋で屍になっていたか。自分の人生なんておそらくそんなものだったと思うのです。また,万が一,私が歴史上の人物だったとしても,おそらくは勝者の側ではなく,敗者の側だったにちがいありません。
 それが,どうしてか,歴史ドラマを見ている人たちは,権力者に感情輸入をして,自分が英雄になってしまうのです。自分が織田信長や豊臣秀吉である気になっているのです。あるいは,そんな才覚もないのに自分が坂本龍馬になった気で,国を変えてやるんだ,などといった錯覚をもってしまうのです。
 私が歴史ドラマに興味を失くしたのはそんな理由からです。

 ということで,今年の大河ドラマもまったく関心がなかったのですが,暇にまかせて「鎌倉殿の13人」を見ていたら,それがおもしろいこと。あれは歴史ドラマというのとは全くかけ離れたホームドラマであり,あえてわざとらしく演じる喜劇でした。
 なので,今回は,私の歴史ドラマ対するこだわりは凍結して,暇つぶしに楽しむことにしました。そうして見ていたら,今度は,鎌倉という場所が懐かしくなってきました。
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 私の家からは,京都や奈良,特に京都は簡単に行くことができるので,これまで何度も足を運びました。しかし,鎌倉は遠い。そこで,これまで数回しか行ったことがありません。しかも,鎌倉へ行ったのは,東京に所用があったときに気が向いたらそこからJRに乗って行ってみたことがあるだけで,鎌倉を目的地として行ったことがないのです。
 私のイメージする鎌倉は,まずは「俺は男だ」などの青春ドラマの舞台であり,私が尊敬する吉田秀和さんなどの文化人の多く住んだところであり,そして,サザンオールスターズなどからイメージする,イケてる若者の地です。

 今から45年以上も前,大学生になったころの暑い夏のこと。
 まだ,首都圏のJRは国電といいました。そして,列車の半数以上は冷房すら入っておらず,窓を全開した車両は我慢比べの場所でした。そんな東京にはじめて行ったとき,東京駅のホームに湘南線の電車が停まっていて,普通車両なのにグリーン車が連結されていて,かっこいいなあと思いました。いつか私は鎌倉の地に住んで,たまの休日にはそんな車両に乗って東京へ出かけて,コンサートでも聴いたり美術館巡りをするような生活がしてみたいものだと思ったことでした。
 それが歳を重ねて,私が若いころに思い描いていたようなところは,この国にはどこにもないことを知りました。そんな憧れていた生活も,それはそれで悩み多い,どこに住んでいても変わらない日常があるだけだということがわかりました。それでも,ほとんど行ったことがないのが幸いして,私には,今も,鎌倉は京都や奈良に比べたら,話をしたことがない憧れの人を遠くから見ているような,そんなときめきを感じます。
  ・・
 そのうち,暖かくなって,もう少し世の中が落ち着いたら,ガイドブックも何も持たずに,鎌倉の,それも人の行かないような,鎌倉時代を感じることができるような史跡をめぐる旅をしてみたいと,ドラマを見ながら思うようになったこのごろです。


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 なぜあんな遠いところに気軽に出かけたのか,今思うと大胆なことでした。
 その国のこともほとんど知らなかったし,想いもなかったのに,オーロラ見るならここしかないということばだけでその気になって,しかも,英語圏でもないのに,ホイホイと車を借りて走り回ってきました。
 しかし,今日載せた写真はたまたま晴れているけれど,いつも頻繁に変化して天気が悪いからオーロラどころか星さえ見えず,雨ばかり。物価は異常に高くて,人は不愛想だったし,しかも,私が適当に予約したゲストハウスがかなりひどい所で,到着早々気持ちが落ち込みました。だから,行ってきたあとも行ってきてよかったという実感がありませんでした。
 この国にはそんな思い出しかないのです。
 ところが,今になって,行ってきてよかったなあ,また行きたいなあと,しみじみ思い出してしまうのです。
 それがアイスランドです。
  ・・
 この大西洋の孤島,地図で見ても,よくもまあ,こんなところに行ったものだと思います。私が行った中で最も遠い距離にある国です。
 しかし,実際は,私の住む愛知県のセントレアからフィンランドのヘルシンキまで直行便で行ってそこで乗り換えるだけで着くことができるので,アメリカのどこかの場所には,まず東京へ行って,そこからシアトルだのロサンゼルスだのまで行って,さらにトランジットしないと着けないから,アイスランドのほうがずっと簡単に到着できるのです。

 この国に再び行きたいと思うようになったのは,人が少ないのでストレスがないということと,雄大な自然が最高に美しいということです。
 このご時世,どこかしこも人だらけで,自然は破壊され,どんな場所もゴミだらけ廃墟だらけ,しかも,山の中のどこまで行っても人家があり,山小屋も混み合っていて,人の手が加えれていないところはどこにもないという,まったく救いのない日本には,行きたいと思うところも逃げ出す場所もありません。しかも,いつもどこでも,他人の目を気にしていて,主体性もなく,いい加減な情報を信じる人たちがうようよしていて,どうしようもない。おそらく,私がアイスランドを懐かしいと思うのはその反動なのでしょう。
 というわけで,私が一度行ったときに期待外れだと思ったことを逆手に取れば,というか,はじめからそうしたことのすべてを想定内のことにすれば,アイスランドは何と魅力的なところだったのか,と思うようになりました。そう思うと,私が日本で予約しておいたゲストハウスのひどさから逃げ出して現地で見つけて1泊したポツンと1軒家のペンションはなんとすばらしかったことか,と懐かしくなりました。

 考えてみると,私は,これまで大西洋を横断したことがありません。
 アイスランドの首都レイキャビックの空港にアメリカの航空会社デルタの飛行機が停まっているのに驚いたのですが,アメリカからアイスランドは最も近いヨーロッパなのです。
 であれば,もし,次回があるのなら,いっそのこと,アメリカから大西洋を横断してアイスランドに寄って,アイスランドからは,シベリア上空を通り帰国して,地球1周としゃれこんでみよう。そんな気持ちになってきたら,ますます行ってみたくなりました。

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 何事もなければ今ごろはハワイに行っているころです。当初は,さすがに1年もすれば元通りの世の中に戻ると思っていたのですが,かれこれ2年になろうとしてます。
 2年間海外旅行ができず,私のパスポートの有効期限もあとわずかとなってしまい,スタンプで埋め尽くすという夢も幻となってしまいました。その反対に,お金を使わないので,車2台分くらいのお金が浮いてしまいましたが…。
 とはいえ,コロナ禍以前に行きたかったところは国内外問わずほぼ制覇していたので,どこへも行けなくても特に問題はなかったし,コロナ禍のはじまった2020年のころは,それまでオーバーツーリズムで迷惑していた外国人観光客がすっかりいなくなったのを幸いに,京都の春の桜と秋の紅葉をこころゆくまで堪能できました。
  ・・
 すでに「新型コロナはインフルエンザ扱い」になったヨーロッパやアメリカとは違い,未だにリーマンショック以来の金融緩和を引きずって幕引きをする決断すらできない日本は,コロナ禍もまた,当分は幕引きをすることもできず,うだうだとこんな状況を続けていくことでしょう。そして,ただでさえ少子高齢化で国力が落ちているのに,その凋落をさらに早めていくのでしょう。

 さて,そんなこんなで,私は,どこかに遠出することもほとんどなくなりました。近場であっても,特に,お昼間や週末は人が多いので出かける気にもならず,家に閉じこもって籠城生活をしているのです。
 そんな私の楽しみは,深夜,だれもいない山野で星を見ることに加えて,夕方の日没後と明け方の日の出前に散歩をすることです。この時間の空はどんどんと変化して,しかも毎日様子が異なっていて,とても美しいことに気づきました。特に,明け方,太陽が昇る前の空は絶品です。星を見るには快晴が一番ですが,夜明け前の空は,むしろ,少し雲がかかっているほうが美しいのです。
 私は,そんな明け方の楽しみを知ったことで,より早起きになってしまいました。

 ところで,今年の冬は例年以上に寒く,雪ばかりです。
 2月23日。昨晩遅く,天気予報にはなかったのに雪が降ったようで,早朝,窓を開けると外は銀世界でした。これなら,咲きはじめた梅に雪が被っているのでは,と思って,いつものように,日の出30分くらい前に散歩に出かけました。
 外気はマイナスでしたが,この寒さがまた,身を引き締め,気持ちよくさせてくれます。寝静まった静寂がこころ休まります。梅の花には思ったほどは雪がかかっていなかったのですが,とても美しいものでした。まだまだ寒いとはいえ,季節は確実に春に向かっています。
 やがて,東の空が明るくなって太陽が地平線から顔を出すころ,この日もまた,その寒さから太陽柱が昇っているのが見られました。こんな風景を見ると,古,柿本人麻呂がよんだ「かぎろい」は太陽柱のことだと確信します。
 夜明けの空が美しいのは,なにも東の空だけではありません。その反対の西の空にも昇ったばかりの太陽の光が届くようになると,雪を被った山々もまた,ピンク色に染まるのです。

  ・・・・・・
 東野炎立所見而 反見為者月西渡
 ひむかしの野にかぎろいの立つ見えて かへり見すれば月傾きぬ
 東の空には昇りつつある太陽の光が立ち上るのが見え 振り返って西の空を見ると月が沈んでいこうとしている
   「万葉集」巻1・48 柿本人麻呂
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 シリウスはシリウスAとシリウスBから成る実視連星ですが,シリウスAが明るすぎるために,暗いシリウスBを見ることが困難です。シリウスBはシリウスAの周りを楕円軌道で周っていて,現在,もっとも離れた場所にあるからひょっとして見ることができるかも,ということで,「シリウスBを見てみたい」として挑戦したのですが,私の小さな望遠鏡ではうまくいかず,そのとき,これまでシリウスに限らず,実視連星を見たことすらなかったことに気づいた私は,まず,手ごろな実視連星を例に,どのように見えるのか試してみることにしました。
 このブログは天体現象の紹介ではないので,うまくいかなければそれはそれでいいし,そんなことを書いているようなブログも他にはほとんどないので,これはこれで意義があることでしょう。
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 その前に,実視連星とは何か? について書きますが,実視連星と似た言葉に2重星というものがあって,混乱します。また,星図には実視連星は2重星として記載されています。
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 2重星(double star)とは天球上で極めて接近して見えるふたつの星のことをいいます。
 天球上で接近して見えるふたつの星には,①距離の大きく異なるふたつの星がたまたま視線方向が近いために接近して見えるものと,②実際に万有引力によってお互いの周りを回っているものがあります。前者①を「見かけの2重星」といい,後者②を「実視連星」(visual binary star)といいます。
 また,連星は実視連星だけでなく,眼視ではわからないものもあり,それらは,分光連星(spectroscopic binary star),食連星(eclipsing binary star),位置天文的連星(astrometric binary star)と分類されていますが,星見の対象ではありません。
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 2重星については,以前紹介したことがある藤井旭さんの書いた「星座ガイドブック」に,星座ごとに見ることができる主だったものについて詳しい紹介があります。この本のすごいところは,藤井旭さんが実際に2重星を見てそれをもとに書いていることです。
 そこでまず手はじめに,おおいぬ座のおとなりの星座で,明るい星の多いオリオン座=5番目の写真 にある比較的容易に見ることができると書かれた2重星をいくつか見てみることにしました。
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●オリオン座δ(デルタ)星「ミンタカ」 (Mintaka) =1番目の写真
 中央の三つ星の一番右側の星は,2.5等星Aaと53秒あまり離れた6.9等星Abから成る実視連星です。
 この連星は望遠鏡を通して,眼視でもとてもきれいに見えて,思わず引き込まれました。写真でもはっきりとわかります。
 実際は,δ星は,5.732日の周期で周回するAa1とAa2からなるAa星系とその周囲を346年以上の周期で周回するAbの3重連星で,さらに,これらに加えて,B,Cが存在する5重連星だそうです。
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●オリオン座ζ(ゼータ)星「アルニタク」 (Alnitak) =2番目の写真
 三つ星の一番左側の星は,2.1等星Aと2.4秒はなれた4.2等星Bから成る実視連星です。
 私の小さな望遠鏡ではなかなか見づらいものでした。写真では,明るい星の左下に重なるようにくっついて写っています。
 この星も,実際は、Aは2等星で太陽の33倍の質量と20倍の半径を持つ青色超巨星Aaと太陽の14倍の質量と7.3倍の半径を持つ青白い準巨星Abから成っていて,7.3年で公転しあっています。そして,BはAの周りを約1,500年かけて公転する青色巨星だそうです。
 また,10等星Cもあるのですが,これはたまたま同じ方向にあるだけで連星系を成していないということです。
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●オリオン座β(ベータ)星「リゲル」(Rigel)=3番目の写真
 オリオン座の右下の星「リゲル」は0.3等星Aと9度離れた7.0等星BCから成る実視連星です。
 簡単に見えると思ったのですが,明るい星はその明るさが邪魔をして,暗い星が隠れてしまいます。実際見てみると,想像以上に明るいほうの星がキラキラと輝いて暗い星が隠れてしまうのでまったく手に負えませんでした。写真では明るい星の右下にこれもまた重なるようにかろうじて写っていました。
 実際は,Aは青色超巨星であり,BCはBとCからなる連星で,さらに,BはBaとBbからなる分光連星だそうです。

 このように,2重星というのは,はっきりと分離して見えるととても感動するのですが,小さな望遠鏡では見るのには苦労するものが多いことがわかりました。私はそれがわかればそれで満足だったのですが,多くの人は,こうしたことが理由で,次第に大きな望遠鏡が欲しくなっていくのでしょう。こうして「望遠鏡沼」にはまるのです。
 私は,自分の望遠鏡ですら,今回はじめて2重星を見たのだからよくわからないのですが,おそらく,2重星は望遠鏡のレンズの性能によってずいぶん見え方が異なるのではないかと思います。性能のよい望遠鏡を買おうという人は,こうした2重星を見比べてから判断するのがいいのかな,と思いました。しかし,お店ではなかなかそれができません。
 なお,4番目の写真はこの日新たに写したシリウスです。今回は何枚も写して比べてみたのですが,やはり,シリウスBは写っているのやらいないのやら,判断がつきかねました。いずれにしても,2重星なら遠出しなくても家のベランダからでも眺めれるし,見えたは見えたで,見えなければ見えないでどちらもおもしろいことがわかったので,これからも,オリオン座以外の多くの2重星を見て楽しみたいと思います。
 いい経験をしました。

マウイ島ハレアカラ 3


◇◇◇

◇◇◇
2のそろい踏み。

昨晩の2022年2月22日22時22分22秒。
ちょうどこの時間,外の気温は摂氏2度,月齢は22でした。
222222


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 購買欲を刺激するためには,やたらと不安を煽るか,または,その反対に,やたらとバラ色の未来を語る,これが常套手段です。
 たとえば,保険の勧誘などは前者のよい例で,住宅会社が家を販売するのは後者のよい例です。将来何が起きるかわかりませんからその時に備えましょうといって保険を勧めます。また,賃金は上がり続けるから,ローンを組んでも心配ないですよ,といって家を販売します。
  ・・
 何気なくネットを見ていたら,NHKのホームページにWEB特集「なぜ年収は上がらないのか?」という記事がありました。そして,それに関連した特集に「頼みの退職金が… サラリーマン人生の末に揺らぐ中流」という記事がありました。
 今日は,この特集を参考に,たわいもない話を書いてみたいと思います。

  ・・・・・・
 38年間勤め上げた63歳の成田さん。定年後は趣味を満喫し「悠々自適」に暮らそう,そう思い描いていたのに,現実はお金も心も余裕がない。その理由は「退職金」だった。
 住宅ローンも残り,子供の学費も払わなければならず,今なお,年収180万円ほどで働いている。
  ・・・・・・
 酷ないい方をすれば,成田さん,将来設計甘すぎでした。右肩上がりの時代ならともかく,少子高齢化の日本で,40代で住宅ローンで家を買って,しかも,定年後にまだ子供が大学生なんて,見込み違いにもほどがあります。厳しくいえば,自業自得です。
 取材中「成田さんが「自分の想定が甘かった」という言葉を何度も口にしていたのが印象的でした」とありましたが,この人,これまでが贅沢のし過ぎだったのです。一体,学生時代に何を学んでいたのやら…。

 最初の特集「なぜ年収は上がらないのか?」には
  ・・・・・・
1 将来も年金はもらえるのか
2 老後に向けていくら貯金すればよいのか
3 賃金が上がらないのはなぜか
4 低賃金化が今後の日本にどんな影響を及ぼすのか
5 賃上げは可能なのか
  ・・・・・・
といった視聴者からの疑問について書かれてありました。
 それに対して,日本はこれまで雇用は守られていたが,それも賃金が上がらなかったひとつの要因だった。また,将来の年金は「支給できる」と厚生労働省が回答した,とありました。そして,4人の専門家の次のような意見が載っていました。
  ・・・・・・
 生涯現役で働く時代だから,「定年後も働く」ということに社会全体としてより意識を向けること,そして,定年後も働き続けられるよう,社会や企業が定年後も働きやすい環境を整備し,さまざまな働く選択肢を用意し,個人も選んでいくことが重要だ。
 退職金や年金の水準は下がり続けているので,定年後に困窮するリスクは誰にでもあるから,こうしたリスクに対して,収入に応じて税や保険料負担を軽くするなど,生活の下支えをする社会保障をより充実させる必要がある。
  ・・・・・・ 
 さらに
  ・・・・・・
 「賃金が安くても物価が安いからいいではないか」という考えがあるが,それは間違い。なぜなら,日本人が海外で仕事をしたり勉強したりすることが難しくなるから。日本人が海外で活動できなくなるということは,日本の発展のために大きな障害になるだろう。
 アメリカも,以前は,日本からの輸出に押されて経済力が低下したが,1990年代からIT革命を実現し力強い成長を取り戻した。これを見ても,衰退した国が再び復活するのはありうる。
  ・・・・・・
とありました。

 私は,これを読んでいて,専門家がいわなくても,こんなこと,素人の私がこれまでこのブログで書いてきたたわごとと同じじゃないかと思いました。笑えてきました。
 そもそも,税や保険料負担を軽くするとか社会保障を充実させるなんて,絵にかいた餅なのです。
 結局,若者もいないしお金もないんだから,国は面倒見きれないよ。だから,いつまでも働けよ,といっているだけの話です。こんなこと,今どきの高校生でも知っています。要するに,専門家にも答えがないのでしょう。
 そもそも,この国の将来の不安のすべての原因は「円安」と「少子高齢化」に尽きます。
 「円安」は日銀が金融緩和を止めないのが原因です。今の日本は工場が海外にあるのだから,円安にして輸出を増やすなどという政策自体,時代遅れです。そして,賃金が安いといって外国と比較しても,為替レートを考慮していないから,正確な比較になっていないのです。1ドル120円といった今の為替レートであれば,そりゃ,海外旅行はできませんし,学費が高くて留学もできません。1ドルが80円なら8ドルのハンバーガーは640円だけれど,1ドルが120円なら960円になる。1ドルが80円なら500万円の年収は6.25万ドルだけど,1ドルが120円なら4.17万ドルになる。それだけのことです。
 次に「少子高齢化」。少子化の原因は,子供が幸せでない,子供の将来に希望がない。これが理由です。
 今,小学生に戻って人生をやり直したいと思いますか。設備も貧困,デジタル化にも遅れ,塾に通ってドリル学習をして試験で点を取らなければ満足に進学もできない。こんな学校に通いたいですか。研究費も減り,世界の水準からみても低レベルになり下がった大学で何が学べるというのでしょうか。そんな大学を卒業しても,何も身についていないから,満足な就職先もない。
 だから,子育てに夢もなければ,待っているのは親の介護と自分の貧困な老後だけ。
 また,アメリカの1990年代を手本にしろといったって,今の日本が1990年代のアメリカと決定的に異なるのは,若者が少ないし,起業する土壌もない。だから,そんなことは空論にすぎません。

 では,どうするか。
 こんなことがかかれてありました。
  ・・・・・・
 「トカイナカ」の生活をしよう。
 都会と田舎の中間「トカイナカ」に住んで食べ物は自分で作る。水も自分で井戸を掘る。電力も屋根の上にパネルをはって自分で賄って13万円で暮らそう。近所に畑を借りて農業をはじめよう。「自産自消」,自分で作って自分で消費する。
 成長の実現は中小企業。中小企業こそ成長のポテンシャルを持っている。戦後の日本はホンダやトヨタも最初はとても小さな企業だった。成長を実現するのは中小企業であり零細企業だ。
 世界は大きく変わっているわけだから,学校で学んだことだけで一生仕事ができると思ったら大きな間違い。ひとりひとりが毎日勉強をして自分自身の能力をつけていく。若い人はそれができるのだから。
  ・・・・・・
 これらの意見を読むと,専門家がこんな幼稚なことしかいえないというのに絶望的な気持ちになります。
 「トカイナカ」生活なんて,東京に住む,よほど現実を知らない人のたわごとでしょう。日本の地方都市はどこもさびれています。また,戦後ならともかく,今や,大企業の多くは外国に工場を移転してしまって,国内の零細企業は崩壊寸前だし,今のコンピュータ社会にまったくついていけないのです。
 結局,世界で通用する能力を身につけて,日本に見切りをつけて地球規模で生きるか,それができなければ,もう,結婚もマイホームもあきらめて,質素につつましやかに暮らし,沈没してゆくこの国と運命を共にするしかない。それがこの国で生きるということです。本当に若者は気の毒です。
 なのに,この国の若者の多くは,高等学校では,日々,入試問題の解き方をひたすら暗記するための膨大な問題集と「ブカツ」に追われ,考える時間すら与えられず,大学生は,ある者は生活費として,また別のある者は分不相応のブランド品を手に入れるためにバイトに追われているので,現実を知ってか知らずか,日本はすばらしい,日本に生まれてよかった,海外には出たくない,などといい,保守化して,今の政治を肯定し,意見も言わず立ち上がるエネルギーもないのだから,その若者たちの将来がどうなっても,これもまた自業自得というものでしょう。
 そのころ私はもうこの世にはいないから,まあ,どうでもいいや。


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 宇宙航空研究開発機構(JAXA)が2021年度中の打ち上げを予定していた新型ロケットH3の1号機打ち上げを再び延期した,という報道がありました。当初は2020年度の打ち上げ予定だったのですが,第1段エンジン用のLE-9エンジンに不具合が発見されたことで延期となったものです。
 H3は,HⅡAロケットの後継機です。H3は打ち上げ費用が高く,競争力がなかったので,その半額の約50億円という打ち上げ価格を目指しているということです。
  ・・
 天下の三菱は,ロケットに限らず,開発が進まず今ではムヤムヤとなっているというか事実上断念した国産ジェット機「スペースジェット」もあるし,それ以外にも不正が次々と見つかったりしていて,技術力はいったいどうなってしまったのでしょうか。これでは,岩崎弥太郎が泣いています。

 その三菱と関係があるのかないのか,三菱グループの光学会社ニコンもまた,いろいろと窮地にあったのですが,今回,Z9という新形カメラが予想以上の高性能だったので評判をよんで,久々に盛り上がっているようです。このカメラは70万円もするものですが,性能の割には安いとかいわれています。
 新たに開発されているZマウントのレンズもまたどれも高性能だそうですが,私には金に糸目もつけずひたすら性能を追い求めているように思われます。
 しかし,これは専門家用の製品。一部の裕福なアマチュアでもない限り無縁の製品です。もう,この会社はアマチュアには用がないという会社の方針が露骨です。自動車会社が大衆車の生産を止めてトラックだけの生産に切り替えたようなものです。

 おもしろいことに,先に書いたロケットは,そのコストを少しでも削減しようと無駄を削るのに懸命なのですが,その反対に,スマホの普及で庶民用のカメラがまったく売れなくなってしまったカメラ業界は,ニコンに限らず,コスト高の高級品路線一直線です。しかし,庶民を遠ざけておいて,この先の成長が見込めるかどうかわかりません。
 メカの好きな日本人は,相も変わらず,新しい製品が出るたびに「買いだ買いだ」と騒いでいるようですが,いくら高性能とはいえ,製品の寿命は数年しかなく,それにしては高すぎます。一方,海外のサイトの投稿を読んでみると,高いという意見がすごくたくさんあります。特にヨーロッパでは,よいモノを末永く大切に使うという人が多いので,そんな意見が多いのかもしれません。
 そのヨーロッパに目を向けると,ニコンZ9の70万円という価格から思い浮かぶドイツのライカもまた,そのくらいの値段でM11という新製品を発表しました。同じ値段でも,こちらは芸術品。日本の製品とは違って長く使えます。この,とても美しいカメラは,一旦手にするとだれしもがほれぼれするものです。私も以前,ライカM10をショールームで手にしたことがあるのですが,まるで宝石,完全にひとめぼれしました。
 これは,日本のゴミだめのような街並みと昔のままの景観を大切にしている西洋の街並みの違いのように思えたものでした。 

 さて,私の愛してやまなかったカメラの現状はそんなふうにすっかり様変わりして,貧乏人の私には縁遠いものとなりました。私はこれまで使っていた10万円もしないカメラをこれからも使い続けて,壊れたら幕引きです。
 実際,もし,今,新しい製品を買って使おうとしたとき,果たして,ニコンだろうとライカだろうと,70万円もするようなものを手に旅ができるのかと考えると,それがいかにすばらしい製品であっても,疑問に感じます。それは,70万円の札束を肩にかけているようなものだからです。そんな恐れ多いことはとてもできません。齢のせいで物質欲がなくなっただけ,というのではなく,これでは,まったく手が出せません。その昔,fの明るい単焦点レンズをつけたニコンF3/Tを肩に,京都へ出かけて写真を写すのが楽しみだったころが夢のようです。
 高級品もいいけれど,また,仕事に使う必要がある専門家なら仕方がないとしても,たかが趣味の世界,しかも,1か月にどれだけ使うかわからないようなカメラ。以前なら大切に何年も愛着をもって手元に置いて,次には何を買おうかなと立派なカタログを見たりすることにささやかな楽しみが見出していたのに,それがなくなってしまったのは,非常に嘆かわしい限りですが,これでまた,私の「断捨離」にも拍車がかかろうというものです。

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 突然ですが,オブジェクト指向プログラミングというものがあります。
 「実態であるオブジェクトはクラスとよばれる設計図から作られる」というオブジェクト指向プログラミングとは,次のようなものです。
  ・・
 たとえば,セーラームーンというアニメがあります。このアニメのキャラクターを使ったゲームをプログラミングで作るとします。
 そのとき,セーラームーン,セーラーマーズ,セーラーヴィーナス,…,などのキャラクターをそれぞれ別々にプログラミングするというのが,従来の手続き型というプログラミングです。そうすると,同じようなプログラムを何度も何度も作る必要があるので,めんどうです。
 そこで,セーラー戦士という,同類のキャラクター全体のもととなる形,いわば輪郭(設計図)を考えてそれをひとつのプログラムとして作ることにします。これをクラス(class)といいます。そして,そのクラスのプログラムに少しずつ手を加えて,セーラームーン,セーラーマース,セーラーヴィーナス,…,などに加工していくわけです。加工するために必要なのは,セーラー戦士というクラスにそれぞれ独自の性格(これをプロパティ(property)といいます)と,行動パターン(これをメソッド(method)といいます)を加えることです。こうしてできたそれぞれのキャラクター,つまり実態をオブジェクト(object),あるいはインスタンス(instance)といいます。
  ・・
 別の例をあげます。
 人間というクラスを考えます。そこに,その人その人で異なる性格や身長,体重,皮膚の色といったプロパティと,何語を話す,足が速い,力が強いといった行動パターンなどのメソッドを与えたものがそれぞれ個々の人物というオブジェクト(インスタンス)というわけです。
 また,車というクラスを考えたときは,そこに,色や形などのプロパティと,発進や停止やドライビングなどのメソッドを加えた製品がオブジェクト(インスタンス)となるわけです。

 初期のころのコンピュータは,青い画面にコマンドを打つことで操作しました。これをCUI(Character User Interface)といいます。それではわかりにくいので,マッキントッシュコンピュータが画面をグラフィック化して使いやすくしました。それを契機として,現在のコンピュータは,ウィンドウズのようなグラフィックが画面が表示されて,その画面をマウスなどで操作するようになりました。このようにグラフィック化された画面でコンピュータを操作することをGUI(Graphical User Interface)といいます。
 そこで,ソフトウェアを作るときも,作られたソフトウェアがだれにでも使いやすいように,GUI,つまり,グラフィック化するわけですが,グラフィック化する画面は,フォームという部品,つまりクラスとしてあらかじめプログラミングしてあります。いわゆるキャンパスです。そして,フォームにコマンドボタンとかテキストボックスなどの部品を張っていくわけですが,こうしたフォームや部品もまた,毎回プログラミングして作る必要はなく,フォームやコマンドボタンやテキストボックスのもととなるクラスというモジュールがあって,コマンドボタンやらテキストボックスやらをフォーム上にそれを配置するときに,モジュールに,目的に応じたプロパティやメソッドを与えて,使えるような実態,つまり,オブジェクト(インスタンス)にします。
 とまあ,ここまでがプログラミングの世界のお話です。

 さて,ここから少しだけ雑談をします。
 来年度の高等学校の入学生から,教科「情報」が大学入試の共通テストの必須科目になるとかで話題になっています。
 教科「情報」は何もプログラミングだけを学ぶ教科でないのですが,世の中ではプログラミングを学ぶ教科と誤解されていて,このことがまた,「不安を煽れば金儲けができる」とばかりに,プログラミング塾やら,わけのわならぬ教材がはびこりはじめました。いつもの常で,文部科学省が何かを企てると,その本意から離れて教育ビジネスがはじまります。そして,正しい情報を手にいれることなく,マスコミのいい加減な報道を信じる庶民は不安に駆られて,子供を塾に通わせたり教材を買ったりという意味のない行動をはじめます。こうしていつも子育てに無駄な散財をさせられるのです。しかし,新聞に教科「情報」のことを書いている記者は文部科学省の指導要領の解説を読んでいるのでしょうか。どこまでが正しい報道なのでしょうか。そもそも,国民がみんなプログラミングを学んでどうするのだろう? 一億総プログラマー???
 いずれにせよ,こんな報道に踊らされて,教育ビジネスにお金を投資しても,この国の教育では,英語と同じように,何も身につかないのです。それは,これまで,行政が学校にお金をかけて情報機器の整備すら満足にしてこなかったし,教員の養成もしていないし,その上,プログラミングとは何か,一体それで学校で何を教えたいのか,そういった根本的なことすら共通認識がないのにもかかわらず,突然入試に出るぞ! と,急に教科書の内容を難しくしたり,急ごしらえで教員を採用し,やったふりだけの研修したりするので,未熟な教員は,結局はドリル学習で穴埋めをして提出させることを授業と称するだけだからです。本来の数学も知らない教師が,大学入試の問題を解くパターンを丸暗記させるような数学の授業と同じです。

 閑話休題。
 さて,このようなことはこのブログの話題ではないのでこのくらいにして,ここからが本題です。
 今日は,先に書いたオブジェクト指向におけるクラスとオブジェクト(インスタンス)を拡大解釈して人間社会に応用します。すると,「お金=クラス」であり,お金を使って,モノを買う。つまり,「モノ=オブジェクト(インスタンス)」と考えることができるというお話です。
 であれば,「モノというのはお金から作られた実態である」となるわけです。そうすると,「モノが必要でない限り,いつでもモノに変えられるお金で持っていたほうがいい」という考え方になります。
  ・・
 私はこのところ,暇つぶしに,今はやりのPythonというプログラミングで遊んでいるのですが,それが原因で,こんなことを空想するようになりました。で,さらにその空想が次第にエスカレートしてきて,何で必要以上のモノを買おうとするのか,欲しくなるのか,その意味すらさっぱりわからなくなってきました。別のいい方をするなら,お金を出せば手に入るようなモノなら,必要なモノ以外はモノとして存在させるよりも,お金で存在させておく方がずっと現実的で無駄がないということになります。そして,必要なときだけ借りればいいのです。
 …どうやら私はコンピュータで遊び過ぎたようで,頭の中がおかしくなってきたのかもしれません。

 もっと話を飛躍させます。
 今の世の中は何もかもといっていいほどデジタル化されてきました。お金だって,銀行のコンピュータに保存された「0と1のようにモデル化された」デジタルデータに過ぎないわけです。同じように,写真も音楽も動画もデジタルデータで,それをソフトウェアを使って人間が見たり聴いたりできるように変換しているだけのことです。
 ならば,この世の実態は,実はデジタルデータにすぎないのかもしれません。
 しかも,これまでは人間が命令しないと何もできなかったコンピュータが,AIとよばれる人工知能によって自らが考えるようにさえなってきました。デジタル後進国の日本では未だキャッシュレスさえ一向に進まないのに,世の流行はディープラーニング。ついにデジタルが人間の思考を越えて行動しはじめたのです。
 このように,社会全体がデジタルで構成されるようになってきたことで,モノ,すなわち,オブジェクト(インスタンス)というものが,果たして,本当にそれが実在しているのかさえも私は次第にわからなくなってきた,そんな幻想に飛躍させるのです。ああ。
  ・・
 普段車で走っていると,私には決して手に入らないような高級車が走っているのを見かけます。
 車なんて,ふたつの地点を地べたをはって移動するだけの道具にすぎないわけで,高級車だからといって空を飛ぶわけでもなければ,渋滞する道路を優先的に走れるわけでもないのです。加速が早くても次の交差点で赤信号にかかり先に待っているおまぬけな姿を見ると笑えてきます。ならば,それは単に,お金というクラスを車というオブジェクト(インスタンス)に変換しただけのことにすぎないのです。その際,高級車というのは,必要以上のプロパティとメソッドを施したオブジェクト(インスタンス)であるということになります。いわば,それは,無駄が多くできの悪いプログラミングだといえます。
 だから,幻想にかられた私は,こんな無駄なプログラムを必要以上のお金を使って手にいれる人は,よほどプログラミング能力のない人に違いないのだろう… などと思ってしまうのです。

 こんな思考をするようになった私が必要なモノを買わなければならないとき,それを選択する判断基準は,それが自分に必要かつ十分な機能を備えているか,だけになりました。それは,そのことが,できのよいプログラミングかどうかの判断基準だからです。
 そんなわけで,こうしてモノ選びをはじめたら,今まで以上に,ほとんどお金を使わなくなってしまいました。というか,お金を使うということ自体がよくわからなくなってきました。だから,さまざまな広告を見ると,購買欲がそそられるのではなく,無駄な機能や装飾ばかりだ,この製品もできの悪いプログラムだ,などと冷めた目で見てしまうのです。
 しかし,こうした幻想に浸るのは,もともとお金のない「いんちき富裕層」の私には,お金を使わない口実になるから,それはそれはとてもよい傾向ではないかと,内心ほくそ笑んでいたりするのです。

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 冬の夜。都会ではほとんど星が見えない秋とは違い,今日の1番目の写真のように,南の空には多くの明るい星を見ることができます。三つ星で有名なオリオン座の左下にひと際明るく輝いているのが,おおいぬ座のα星シリウスです。 
  ・・・・・・
 シリウス(Sirius)は太陽を除けば地球上から見える最も明るい恒星です。
 肉眼ではひとつの恒星に見えますが,実際にはマイナス1.4等星のシリウスAとよばれるA型主系列星と約8等星のシリウスBとよばれる白色矮星から成る実視連星です。
  ・・・・・・

 1844年,ドイツの天文学者フリードリヒ・ヴィルヘルム・ベッセル(Friedrich Wilhelm Bessel)がひとつの恒星に見えたシリウスの軌道の揺らぎを観測し,伴星の存在を予想しました。
 1862年,アメリカの望遠鏡製作者アルヴァン・グラハム・クラーク(Alvan Graham Clark)が,ディアボーン天文台(The Dearborn Observatory)に完成したばかりの当時アメリカ最大の口径18.5インチ,470ミリメートルの屈折望遠鏡のテスト観測中に予想された伴星を発見しました。
 シリウスは億年から3億年前にできたふたつの恒星ですが,ふたつの恒星のうち,質量が大きかったシリウスBは1億2000万年前にすでに寿命を迎え赤色巨星になり,その後外層を失い白色矮星になったとされています。
  ・・
 このように,シリウスAとシリウスBは互いの周囲を公転する実視連星で,シリウスBは約50年周期でシリウスAの周囲を回っています。シリウスBのシリウスAからの距離は8.2天文単位から31.5天文単位の間で変化します。ちなみに,太陽から天王星までの距離が約20天文単位です。
 シリウスAは明るすぎるので,単独の星なら簡単に見ることができるシリウスBを見分けることがなかなか困難らしいということです。らしいと書いたのは,これまで私は見たことがなかったからです。そして,2番目の図のように,現在,シリウスBはシリウスAから最も離れて見える時期を迎えているので,通常は見にくいシリウスBをこの絶好の機会に見てみようと盛り上がっているわけです。
 ネット上に大きな望遠鏡で写したシリウスBの写真が数多く載っています。ここに載せるのは3番目の写真,兵庫県立大学西はりま天文台で撮影したものです。中央の明るい星がシリウスAで,その左の小さな星がシリウスBです。この写真を撮影するのに使用した天体望遠鏡が4番目の写真のものです。

 で,今日の話題は,このシリウスB,いったいどのくらいの望遠鏡を使えば見ることができるのか,また,写すことができるのか,というお話です。
 シリウスAとシリウスBの離角は2秒から11秒ということですが,現在は11秒ほど離れています。であれば,私の持っている口径7.6センチメートルの小さな望遠鏡でも挑戦する価値はある… のかもしれません。モノの本には口径10センチメートルは必要とありましたが,これもまた,調べれば調べるほど異なることが書いてあってよくわかりません。
 趣味に際限なくお金をかけることはしないという方針なので,見るために今回大きな望遠鏡を手に入れて… とはならない私です。そんな,見えて当たり前なら天文台に見学に行けばすむことなのでやる意味もありません。
 と強がってみたものの,これまで実視連星の観測など一度もやったことがないものだから,塩梅も見え方も見当がつきません。とりあえず,私の小さな望遠鏡に接眼レンズをつけてシリウスを見てみました。しかし,正直,明るいシリウスAが美しくキラキラと輝いているだけで,シリウスBがその脇に見えているのやら見えていないのやらさっぱりわかりませんでした。そこで次に写真を写してみました。それが今日の5番目のものです。これもまた,シリウスBが写っているのやらいないのやら,さっぱりわかりませんでした。
 ということで,第1回目の挑戦は,あえなく敗北感と疑問と課題だけが残りました。

 まずは,シリウス以外の実視連星を観察して,実視連星というのはどういうふうに見えるかを調べることからはじめる必要がありそうです。そして,その次に,どのような露出をすれば写真の限界に挑戦できるかも確かめてみなければなりません。でも,これがまた楽しいのです。見えないのならそれはそれで見えないということがわかればいいのです。
 ともかく,何事もやってみなくてはわかりません。そんなわけで,この先,しばらくは,いろいろと楽しめそうです。

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  ・・・・・・
 持而盈之 不如其已
 揣而鋭之 不可長保
 金玉滿堂 莫之能守
 富貴而驕 自遺其咎
 功遂身退 天之道
   「老子」九章
  ・・
 満ち足りた状態をいつまでも保ち続けるのは止めたほうがよい。
 刃物を鋭く尖らせればそれだけ長持ちしなくなる。
 金銀財宝が部屋一杯にあると守るのが困難になる。
 富や名声を手に入れて傲慢になれば自ら災難を招くことになる。
 自らのやるべき事をやり遂げたならばさっさと身を退け引退するのが天の道というものだ。
  ・・・・・・

 この「老子」九章について,さまざまに解釈しているブログがたくさんあります。それらを読んでみると,きわめて興味深いものです。欲望にはきりがないから,自分の分別を知ることが大切とか,強欲な人は満足をしらない,とか…。
 そのようは話は,以前「吾唯足知」として書いたことがあります。しかし,説教くさい「孔子」でもあるまいし,私の好きな「老子」は,そんな俗な話をしているのはでなく,才能ある人が地位やら財を得たら,さっさと身を引くがいい,と説いているわけです。
 「功遂身退 天之道」(功成り名遂げて身退くは天の道なり)というのは,りっぱな仕事を成し遂げて名声を得たら,その地位にとどまらず退くのが自然の摂理にかなった身の処し方であるということです。これを「勇退」といいます。私が若いころは,こうした偉人がたくさんいたように思うのですが,それは私が未熟だったからそう思っただけだったのでしょうか。昔は,そのような人がどの分野にもいて,そうした人は引き際もあざやかで,その後の人生を悠々とおくっていたように思えたものです。
 当時は,かっこいいなあと思いました。
  ・・
 たとえば,将棋界には,木村義雄14世名人がいました。1905年(明治38年)に生まれ,1986年(昭和61年)に81歳で亡くなりましたが,最初の実力制による名人であり,かつ,最初の永世名人でした。
 ときの名人木村義雄は,1952年(昭和27年)の第11期名人戦で挑戦者の大山康晴15世名人に敗れ,名人を失冠します。このとき「よき後継者を得た」とのことばを残して,47歳の若さで引退を表明し,引退後は茅ヶ崎市で隠棲生活を送り,1960年(昭和35年)には将棋棋士として初となる紫綬褒章を受章しました。
 47歳というのは,今から思うとかなり若い年齢です。その後34年間にわたって,隠棲生活をおくったわけですが,そのために,将棋の名人という権威は保たれ,また,木村義雄という人も偉大な名声が残ったのでしょう。

 しかし,現実は,その晩節を汚しているような生き方をしている人が何と多いことでしょう。
 地位を得るというのは,また,財を成すというのは,引き際が肝心。でないと,地位が,また,財が泣きます。であっても,いくら財があろうと,引退して隠棲生活をするというのもまた,それが悠々自適とはいっても,その悠久な時間をどう生きるか,それがむずかしいものです。特に,仕事一途で功を成した人の中には,仕事以外には何もすることがないということがままあります。そんな人には,自由というのは,最も不自由なものなのかもしれません。
 とはいえ,全盛期を過ぎた人がいつまでも昔の栄光にこだわってその地位にいるのは,地位も泣くし,組織としても迷惑ななだけであることも少なくないのです。天分を授かった人は,そこに至る過程も辛いものだったろうし,はたまた,その晩節も辛いものです。そう考えると,天の道というのは,茨の道なのでしょうか。であるなら,はじめっから茨の道など踏み込まないほうが幸せなのかもしれません。
 「芸は身を滅ぼす」ともいいますし,ひょっとして,「老子」はそう説いているのかも。

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 相変わらず暇です。そこで,藤井聡太竜王のふるさとである瀬戸市までドライブしてきました。自宅から2時間もかからない瀬戸市ですが,私はこれまでほとんど行ったことがありません。行く目的もないからです。
 愛知県は道路が広いという印象があるそうですが,それは第2次世界大戦で焼けた名古屋市内のことで,市外に出るとどこも昭和のころのまま,ぐっちゃぐちゃです。そこに長期的な展望もなく,自動車用にその場その場で適当に道路だけを拡張したり作ったりしたものだから,どこだかの三叉路やら合流地点やら橋の出口やら踏切やらでつねに大渋滞を起こしています。
 特に,瀬戸市のあたりは,平地も少なく瀬戸川と名鉄瀬戸線の線路が邪魔をしていて道路が広げられず,まったくもって冴えません。工業団地をつくるスペースもなく,地場産業が瀬戸物では,急成長の可能性もないし,公共交通もまた,名古屋市内にアクセスするのは名鉄瀬戸線というカーブだらけでスピードが出せない路線があるだけだし,それ以外には春日井市の高蔵寺と岡崎市をつなぐ愛知環状鉄鉄道しかないものだから,名古屋のベットタウンというにも魅力に欠けるのです。
 そこで,町には活気がなく,私が行ってみた瀬戸市銀座商店街もシャッターが閉まり,さびれていました。そんな町の商店街の中心に,ニュースとかで有名になった藤井聡太竜王の対局の際に盤面が再現される手作りの大盤がありました。

 さて,2022年2月11日から2月12日にかけて行われた第71期王将戦で藤井聡太竜王が渡辺明王将から4連勝というストレートでタイトル奪取して,5冠王となりました。
 以前書いたように,王将戦は指し込み7番勝負で,現在の制度では,4勝差になると指し込みとなります。指し込むと,次の対局は香車落ちとなりますが,4勝先取でタイトル戦が終了となるので,この制度は有名無実です。あまり話題になっていないようですが,今回,藤井聡太竜王は渡辺明王将を指し込みにしたということです。また,渡辺明王将は現在名人というタイトルを保持しているのだから,これは「名人を指し込んだ」ということになります。以前は,3勝差になると指し込みになったので,世が世なら「名人に香車を引く」という対局が実現したのです。
  ・・
 升田幸三実力制第4代名人が「名人を指し込んだ」のは2度あります。
 1度目は1951年(昭和26年)の第1期王将戦で,3勝1敗後の第5局で勝ち,タイトル獲得とともに実現しました。相手は木村義雄14世名人でした。しかし,このとき香車落ちの対局は有名な「陣屋事件」のために実現しませんでした。そして,2度目は1955年(昭和30年)の第5期王将戦で,相手は大山康晴15世名人。3連勝でタイトルの獲得が決定したあとの第4局が香車落ちで,升田幸三実力制第4代名人はこれにも勝利し「名人に香車を落として勝つ」が実現,その次の第5局は平手でこれも勝ちました。第9期で制度が変わるまではタイトルの獲得が決定しても第7局まで行うことになっていて,実は,その次の第6局が香車落ち,第7局が平手で対局があったのですが,升田幸三実力制第4代名人はあまりに忍びないと,その2局を病気を理由に棄権しました。

 指し込みという制度は,1965年(昭和40年)の第15期から現在のように4勝差に改められ,また,どちらかが4勝した時点で対戦が終了することになったので,これ以後,香車落ちの対局はありませんから,もちろん今は「名人に香車を落として勝つ」という事件は起きません。
 升田幸三実力制第4代名人が大山康晴15世名人を指し込んだのち,再び王将に返り咲いた大山康晴15世名人が王将戦で挑戦者を指し込んだことは数回あり,挑戦者を香車落ちで負かしたこともありました。第11期ではひふみん,加藤一二三九段が,第13期には羽生善治九段の師匠である二上達也九段もその犠牲となりましたが,名人ではなかったので,「名人を指し込む」ということはありませんでした。制度が変わった第15期以降も,香車落ちは実現せずとも,記録上,指し込になったことはありました。しかし,升田幸三実力制第4代名人が「名人を指し込んだ」ように,指し込みにした相手が名人だったというのは,今回が,升田幸三実力制第4代名人以来はじめてなのかな,と思ったので調べてみました。
 実際は,1999年(平成11年)の第49期に羽生善治当時王将が挑戦者の佐藤康光当時名人を,また,2004年(平成16年)の第54期では王将だった森内俊之当時名人を挑戦者の羽生善治九段が4勝ストレートで下して「名人を指し込んだ」ことがあったのです。
 今回の藤井聡太竜王の快挙はそれに次ぐものということになるわけです。
  ・・
 もし,香車落ちの対局が実現したのなら,定跡では上手側が振り飛車を指すのが有力なので,藤井聡太竜王の振り飛車が見られたか。あるいは,香車落ちでも独創的な相がかりを趣向して新定跡でも作るのか。勝敗は度外視して「勝者の罰ゲーム」以上に見てみたい気がします。

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Snow Moon.

明け方の西空に沈む2月の満月。
始発の新幹線とともに写しました。 DSC_0312 (4)


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 デジタル朝日の&Travelに「フィンランドで見つけた“幸せ”」と題したライターの内山さつきさんの文章が載っていました。少しだけ引用してみましょう。
  ・・・・・・
 「アイノラ」のことを思い出すとき,シベリウスのピアノの小品「樅の木」(The Spruce)がいつも静かに心の中を流れている。…
 そのメロディーに耳を傾けていると,かつての「アイノラ」に流れた家族のあたたかく美しい時間,そして,作曲家として成功した後も,ついに完成することのなかった幻の作品を追い求め続けた,シベリウスの沈黙のその内側へと思いをはせずにはいられないのだった。
  ・・・・・・
 フィンランドの作曲家シベリウス(Jean Sibelius)が1957年に91歳の生涯を閉じるまで暮らした場所はヘルシンキの北へ40キロメートルほど行ったヤルヴェンパー(Järvenpää)というトゥースラ湖(Tuusulanjärvi)のほとりの町にあります。ヘルシンキからは電車で行くことができます。この場所をシベリウスの妻アイノ(Aino Sibelius)さんにちなんで 「アイノラ」(Ainola)といいます。
 シベリウスは妻アイノさんと1904年にここに建てた住まいに移り住みました。

  ・・・・・・
 フィンランドを代表する作曲家シベリウスは,ドイツやロシアなどの作曲家から大きな影響を受けながら,フィンランドの伝統や自然に根ざした作品の創作に力を注ぎました。幼いころからピアノやヴァイオリンを学び,また,作曲も独学で身につけたシベリウスは,ヘルシンキ音楽院で学んだのち,ベルリンとウィーンに留学しました。
 フィンランドの民族的な要素を素材としたシベリウスの作品は,ロシアの圧政に苦しんでいたフィンランド国民によって支持され,国民の英雄として尊敬を集めました。
   ・・・・・・
 シベリウスは晩年作品を発表せず「ヤルヴェンパーの沈黙」(the silence of Järvenpää)とよばれているのですが,「アイノラ」で世界中から流れてくる自分の音楽を大きなラジオで聴きながら過ごしたといいます。
 私がこの地を訪れたのは2019年8月のことだったので,ここもまた,1年遅かったら行くことができないところでした。

 シベリウスは日本では愛好者が多いのですが,アメリカなどではそれほどでもないようです。
 フィンランドは世界一幸せな国といわれていますが,実際はロシアと長い国境を接しているために苦悩の歴史を背負っていて,しかも,緯度が高いことから寒く暗く,そうしたことがこの音楽を深いものにしているわけです。私はその染み入るような音楽がずっと好みでした。
 しかし,フィンランド,そして,この「アイノラ」に行ってみて,逆に切なくなりすぎて,聴くのをためらうようになってしまいました。それは,シベリウスが嫌いになったとかいうことではなくて,その苦悩を感じてしまったということにあって,それまでとは異なって,決して安易に聴くことができなくなったことにあります。
 そんな気持ちとは別に,「アイノラ」はとてもすばらしいところでした。
 私はフィンランドというと,まず,この「アイノラ」を思い浮かべます。本当に行くことができてよかったと思います。

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 日本の教育は,金はださない,入試をむずかしくすれば勉強する,というのが基本方針なので,所詮はゲームで,能力など身につかなくても「入試でいい点を取りさえすればそれでいい」というのが目的です。私には教育産業の金儲けがねらいだとしか思えません。これは,何事も不安を煽り,それをエサに金儲けをする,というビジネスすべてに共通する作戦と同じです。
 だから,そのビジネスにまんまと踊らされ,高等学校は,授業だけでは足らず,さらに補習をしてひたすら点がとれるような訓練をすることで,教師という職業のブラック化に輪をかけ,その上,生徒は,それでもまだ不安なので,塾に通ってまで,ひたすらドリルで作成者の考える正解と一致させる訓練を繰り返すのです。
 そこで,たとえ入試で小論文を課そうとも,結局は小論文の書き方というマニュアルを暗記し,覚えたままの文章を書くだけだから,そこには,創作力も思考も生まれません。
 英語では,正しい発音はできなくても,発音の問題が正確に答えられればいいわけです。英作文も,あらかじめ作られた単語を繋ぎ合せて,問題の求める順番にそれを直すことができればいいわけで,それでは自分の創作力も何も身につきません。
 数学だって,解き方のパターンをひたすら暗記して,出題された問題が,そのどの解き方のパターンに一致するのか判断できるように,ひたすら訓練をしているだけだから,そこには,数学的な思考力など,必要ありません。
 さらに,日本史や世界史は,読めもしない難解な文章が400ページ以上もある教科書を与え,結局はそれを教師や塾がまとめたプリントを使って穴埋めしているだけだから,自分で本を読んでまとめるなどという訓練は皆無だし,読解力などつくわけがありませんし,歴史から何も学べません。

 そもそも,40人の生徒に1人の教師がどうやって英語の4観点を指導できるのでしょう。そんなことは,40人の生徒にひとりの教師が6年間,週4回音楽の授業をして,その結果,全員がピアノが弾けて作曲ができるようにしよう,ということと何ら変わりがないのです。
 一時,民間の英語検定試験を入試に取り入れるとかいっていましたが,民間といいながら,実際は,某代議士の息のかかった某業者が新規参入した新参の英語検定試験を受けさせるように仕向けていて,それを学校で宣伝し教材まで売り,改革と称して金儲けをしようとしたということに尽きるわけです。
  ・・
 もともと,日本の教育では,社会に出るまでに身につけたほうがいい,例えば,車の運転,語学力,コンピュータを使いこなせる能力,などなど,そのすべては,学校ではまったく身につきません。そうした能力のない人でもできる仕事の代表こそが教師だったりするのが皮肉です。
 そもそも,学校教育でそうした能力が身についてしまったら,塾は潰れ,自働車学校や語学学校,そして,コンピュータスクールは不要になるので,経済が成り立たなくなってしまうかもれません。
 結局,この国の若い人は,本当に能力を得たいのなら,そんな国のやり方に振り回されず,学校に頼らず,自分で本当の力をつけるしかないのでしょう。そのためには,入試で序列化しただけの学校など通わず,通信制で学び,受験勉強をしないことで生まれる時間と塾通いをしないことでできるお金で,自ら英語を学んだり,コンピュータを使えるようにしたり,旅に出たりと,そのようにして体験から学び真の能力を身につけることが必要になるのです。
 もう,せめて,国は,教育という名目で受験産業を栄えさせるだけで,入試改革だの新しい評価だのといった,そんなことに学校を,そして,若い人を振り回すような邪魔をしないでほしい,というのが私の願いです。


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 自分では何も新しい発想ができないのに,人まねだけは得意な日本です。これまで,人まねをした上でそれ以上の性能の製品を開発することでこの国は伸びてきました。しかし,現在は,もともとの製品の完成度が高いので,それ以上の製品というより,やる必要もないような改良(改悪)を施して,使いにくくするだけになっていると私は感じています。
 そんな「日本人の知恵と発想の限界」,今日は観覧車のお話です。
  ・・
 遊園地にある観覧車はとてもよく考えられています。乗り物としての楽しみもあるし,展望台としての役割もあるし,さらに,円運動は正弦曲線を描くので,高さ(y軸)を考えれば,昇っていくときは早く,最上部に達したときと最下部に来たときは動きが遅くなるので,展望をする時間が長く,また,乗るのが楽といった利点があります。

 この観覧車,私は,日本国内だけでなく,数年前,オーストラリアのブリスベンで,フィンランドのヘルシンキで,また,オーストリアのウィーンで乗る機会がありました。今日の写真はそれぞれ,そのときのものです。そこで,驚くべき経験をしました。それはまさに,私の発想にはなかったことでした。
 日本では,観覧車は常にゆっくりと回転していて,乗るときも動いたままの状態で乗り込み,1周したら終わりです。2,3周できるようなオプションがあってもいいと思うのですが,そんなことはしゃくし定規の日本人は考えません。
 私も,乗ってみるまでは,海外の観覧車も日本と同じものだと思っていました。それがそうではなかったのです。
 それぞれの国で少しずつ異なってはいましたが,そのどれにも共通していたことは,乗るときに観覧車が停止するということと,1周ではなく,何周も回るということでした。
 日本人はそんなことは考えません。これぞまさに「日本人の知恵と発想の限界」だと思いました。おそらく,海外で観覧車に乗ったことがない人は驚くことでしょう。しかし,考えてみれは,観覧車が日本のようなシステムである必要などないのです。

 観覧車は乗り込むときに一旦停車します。乗り込むごとに少しずつ回転していくので,先に乗り込むと少しずつ回転していくのを乗ったままの状態で待機することになります。そして,すべての車に人が乗りこむとやっとスタートです。回転しはじめるわけですが,それも1回転ではなく,2回転とか3回転とかします。降りるときはその逆になります。
 オーストリアの観覧車では,中で食事ができるようなものもあり,カップルが何かのお祝いをしていました。その車には最下部に達するごとに料理が運び込まれていました。当然,食事が終わるまで何周も楽しめます。また,フィンランドの観覧車にはサウナが併設されているものもあって,それは,水着で乗り込むことになります。
  ・・
 このような海外の観覧車,私ははじめて乗ったときに本当にびっくりしました。
 日本の観覧車も,高さだけ競うのではなく,こうしたさまざまな趣向のものがあってもよいと思うのですが,もともと日本人にそんな知恵が浮かばないのと,海外の観覧車を視察するような発想がないのか,見たことがないのが残念です。
 人まねだけは一流の日本で,どこかでだれかそんな観覧車,考えませんかねえ。


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 若いころは自分が生きるだけで精いっぱいだったからあまり考えたこともなかったのですが,このごろ,藤井聡太竜王の活躍で将棋をよく見るようになって以来,棋士の生き方ってどういうものなんだろうかと考えるようになりました。
 生涯,日々,勝ったり負けたり,なんて,私には耐えられません。今日までの業績など未来には関係ない。肩書があれば勝てるというわけではない。…到底,そんな生き方はできそうにありません。
  ・・
 以前,クラシック音楽のソリストについて,毎回毎回注目を浴びて,失敗が許されない。しかも,好きな曲だけ演奏できるならともかく,気に入らない曲もある。それにも増して,日々ステージの上で多くの人に見てもらうような仕事なんて,私にはできないなあと友人に話したら,「もともと人種が違うんだよ」と言われて,妙に納得したことがあります。「彼らは失敗したらどうしよう,なんていう後ろ向きなことは思わないで,いつも,見て見て私を見て,と思っているよ」と。
 それと同じように,勝負に生きる人は,同じように,負けたらどうしよう,などとは考えずに,常に,俺の力で負かしてやろう,と思っているのでしょう。やはり,これも,私にできる生き方ではありません。やはり,もともと人種が違うのでしょう。

 何事も仕事というのはそんなもの,だと言ってしまえば元も子もないのですが,それでも,勝負の世界は日々結果が伴うだけ過酷です。しかも,だれしも,次第に齢をとって自分の力に陰りが見えてくるのです。そのとき,どんな気持ちになるのでしょう。
 実際,そのように齢をとった多くの棋士は,勝負の結果は結果として受け入れて,それとともに,自分なりにその組織でどんな役割を果たして生きていくかを考えているように感じます。それは,将棋の駒が玉将だけがすべてではなく,飛車や角行や金将や歩兵などというように,いろんな役割の駒があるのと同じなのでしょう。だから,タイトルを取るだけでなく,ひとつの組織の中で自分の存在する位置があることがその人のその職業としての存在価値になるのは,どんな仕事でも同じです。
 それは,羽生世代といわれる有能な多くの棋士をみているととてもよくわかります。全盛期のころに多くの実績を残した羽生世代の棋士は,今,組織でそれぞれがその棋士でしかできない役割を担い,存在を示しています。このように,将棋界を見ていると,ひとつの組織は,いろんな役割の人がいてこそ成り立つということが,とてもよくわかります。
  ・・
 さて,藤井聡太竜王の活躍の影で,羽生善治九段が長年維持していたA級から陥落することが決まりました。ここ数年,藤井聡太竜王の話題で盛り上がったとはいえ,そこには羽生善治という大棋士の存在があったからこそ,だったように思います。来年度の去就はまだわかりませんが,果たして,どのような形で再びファンを魅了するのでしょうか。

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藤井聡太新王将誕生。
史上最年少5冠達成。


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 私はグルメでないので,食べ物にはほとんど関心がありません。しかし,周りにグルメの人が多いことと,いろんなところへ旅したことがあるので,その土地で有名なモノとか,グルメ雑誌にのっているようなお店は行ったことがあるし,おおよそのモノは食べました。なので,あえていいモノを食べたいとも思いませんしこだわりもありません。
 ということですが,そんな私がひとりで外食をするとき,優先順位としては,まず,そのお店が空いていること,その次が提供される時間が早いこと。これでは,ファーストフードしか選択権がありません。
 で,時に食べたくなるのが,朝マックの「ビッグブレックファストデラックス」なのです。

 食事文化が貧困なアメリカでは,食事というモノはエサだと私は思っています。そこで,アメリカを旅するときに,とにかく手っ取り早く食事を済ますのに行くのがマクドナルドです。特に,コンボイのドライバーが利用するような安価で朝食のないモーテルに宿泊したときの朝食としては最も手ごろです。
 そんなときにオーダーするのが,この朝マック「ビッグブレックファストデラックス」(アメリカでは「Big Breakfast with Hotcakes」)となります。内容は,スクランブルエッグ,マフィン2枚,ホットケーキ3枚,ソーセージ,ハッシュポテト,バター,メイプルシロップ,ストロベリージャム,塩胡椒,そしてセットで注文したソフトドリンク。高カロリーなので,こんなものを毎日食べていたら寿命が縮まることでしょうが,そんなことは承知です。「たま」だからいいのです。これをオーダーしたくなるのは,まあ,時折起きる私の発作のようなものでしょう。
 そしてまた,これを食するときの私は,幸せ感一杯なのです。

 コロナ禍で行くことができなくなってしまったアメリカですが,私がアメリカ旅行をする目的は,もともとはディズニーランドに行きたい,MLB,つまり,本場のベースボールが見たい,ニューヨークでミュージカルを見たい,といった誰しもが夢見ることと同じでした。しかし,それを実現したのちは,日本では決して見ることができないどこまでも続く大平原をドライブすることであり,そのときどきに現れる小さな町でゆったりとした時間の流れにまかせることです。そのような小さな町にもたいていは存在するマクドナルドで,住んでいる人の姿を見ながら過ごす時間が最高の贅沢となったわけです。
 日本にいても,そんな贅沢はできません。道路はひどく狭く,景観は悪く,どこに行っても人だらけ,どんな山の中にもわずかな平地があれば小さな家だらけ。そこで,早朝,まだ,夜が明けきらぬ,周りが暗くて醜い町の景観がまだ闇の中にあるころに,マクドナルドに出かけて,ほとんどだれもいない店内で「ビッグブレックファストデラックス」を食べながら,気持ちだけアメリカに飛ぶのです。時間が飛ぶわけではないのですが,私には精神的な空間の移動がまさに「タイムスリップ」となるです。
 これこそが,今の私には至福の時間なのです。

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 旧美濃路は名古屋市内を南北に縦断して濃尾平野に出て,大垣まで行く街道です。
 旧東海道が現在の名古屋市熱田区の宮宿から西に行くには次の桑名宿までは渡し船に乗らなければならず,その先も鈴鹿の峠越えが待っているので,旧美濃路を通って宮宿から旧中山道の大垣宿へ行き,そこから旧中山道の琵琶湖沿岸を通って京へ向かうほうがずっと便利です。
 ということなのですが,旧美濃路が現在の名古屋市内をどのように通っていたのか,私は住んでいたのにまったく知りませんでした。調べるまでもなく,考えてみれば,堀川沿いに北に行くわけで,今回歩いた四間道こそが,その旧美濃路でした。というか,厳密には,四間道は美濃路の1路西を平行に通る道でした。

  ・・・・・・
  1700年(元禄13年)の大火の後,尾張藩4代藩主徳川吉通が,堀川沿いにある商家の焼失を避けるために,中橋から五条橋までの道幅を4間,約7メートルに拡張しました。このことから,この道を四間道といいます。
 延焼を防ぐ防火壁の機能を持たせるために尾張藩が通りの東側に石垣の上に土蔵を建てることを奨励したことから土蔵造りの並ぶ街並みが形成されました。
 現在は,白壁の土蔵が連なり,2階には屋根神様が祀られているという,この地方の特徴のある古い町屋が多く残っています。
  ・・・・・・
というように紹介されています。  

 私は子供のころから日常通っていたところなので,ここがそんな歴史的にみて意義のある場所とはまったく認識していませんでした。それでも,今から50年も前は,いまほど整備されておらず,気の利いたカフェやらレストランもありませんでした。それでも,この近くにある円頓寺の商店街はいまよりずっと活気があって,七夕のときは,仙台の七夕祭りのような飾りつけがあって,多くの人でにぎわったものです。
 今になって,多くの場所と同じように,この界隈が見直されて,江戸の面影を残すような街並みに過ごしずつ戻されているので,歩いていて楽しいです。
 私は,このような,車がすれ違えるかどうかほど,つまり,その幅が四間ということなのでしょうが,そうした幅の道に面して家々が並んでいる姿こそが日本のもっとも落ち着く町並みだと思います。これからも,その落ち着いた街並みが人々のこころを癒すことができればいいなあ。

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Thank you for coming 350,000+ blog visitors.


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 2月9日はこれまでの寒さがうそのように暖かく,雲ひとつない日になりました。梅が1輪咲いていました。
 暇です。
 そこで,家から徒歩5分で行くことができるし,シニア割でいつも1,200円なので,早朝,ずっと気になっていた映画「コンフィデンスマンJP英雄編」を見にいくことにしました。
 ・・・・・・
 “英雄”と謳われた詐欺師・三代目「ツチノコ」が死んだ。その元で腕を磨いた過去を持つダー子,ボクちゃん,リチャード。 当代随一の腕を持つコンフィデンスマンによって密かに受け継がれる「ツチノコ」の称号をかけ,3人の真剣勝負がはじまる。
 舞台は世界中のセレブが集まる世界遺産の都市であるマルタ島のヴァレッタ。狙うは,莫大な財を成し引退したスペイン人の元マフィアが所有する,幻の古代ギリシャ彫刻「踊るビーナス」。
 それぞれの方法でオサカナに近づく3人だったが,そこに警察,さらにはインターポールの捜査の手が迫っていた…。
 果たして最後に笑うのは誰なのか!?
 まったく先の読めない史上最大の騙し合いがはじまる!!
 そして,本当の英雄,最後の真実とは…!?
  ・・・・・・
というのが,映画「コンフィデンスマンJP英雄編」の紹介ですが,テレビドラマ「コンフィデンスマンJP」を見ていない人には,何のこっちゃという感じかもしれません。そしてまた,この映画のおもしろさがよくわからないかもしれません。
 しかし,一旦,このドラマにはまってしまうと,そのおもしろさの虜になってしまうこと請け合いです。

 「コンフィデンスマンJP」は,ダー子,ボクちゃん,リチャードの3人を中心とした「コンフィデンスマン」たちのチームが悪徳企業のドンやマフィアのボスなど欲望にまみれた金の亡者達からあらゆる手段を使って金を騙し取る痛快な物語です。
 confidenceという単語は,信用とか秘密という意味です。ちなみに,マル秘というのはconfidencialです。もともと,confidenceという単語は,何かが正しいとか,信頼できるという思いを意味していて,信用という語感になります。それが転じて,信用させてお金をだまし取る人,つまり,confidence man が詐欺師という意味につながるのだそうです。といえば,このドラマの主人公は詐欺師たちだから悪者のように思えますが,詐欺師を演じて本当の悪人である金の亡者達からお金をだまし取る,といったように,庶民には正義の味方であることから,見ているほうがスカッとなる,というからくりなのです。
  ・・
 今回の映画もまた,このドラマの常套手段である最後に大どんでん返しが起こるというおおよそ結末は予想できるのですが,そこに至る手の込んだ工夫が痛快です。騙し騙され,しかし,騙されていそうで実は騙していて,一体,だれが悪人でだれが善人なのか,そのぐっちゃぐちゃの展開がクライマックスで一気に解決するところが見せ場です。また,最後のさらに最後にもどんでん返しがあるので,こうご期待。
 とにかく,期待を越えた最高におもしろい映画でした。

 私は,いつも,コンサートも映画も,終わりまで見届けることにしています。映画では,終わりの終わり,つまり,エンドロールが消えるまで,そして,劇場が明るくなるまで見届けることにしているのですが,この映画は,実は,エンドロールのあとに,今回もさらにおまけが隠れているのです。
 私が見にいったのは平日の早朝で,観客は15人程度でした。私は,周りに人がまったくいない最後部の座席で堪能しました。最後尾の席からは劇場がすべて見通せます。毎度のごとく,エンドロールがはじまったらすぐに席を立って帰って行った人たちがいました。私には,それがまあ,まんまと「コンフィデンスマン」の陰謀にかかったみたいで,愉快でした。
 大相撲を見にいって弓取式を見ずして席を立つ人。コンサートでアンコールがあるのを知らずにホールから出ていってしまう人。映画「007」でエンドロールの最後に表示されるであろう「James Bond will returen」の文字を見届けない人。そして,この映画の最後におまけがあるのを知らず帰っていってそれを見損ねた人。こういう人たちは,いつも,こうして,人生の運を手放しているのでしょう。
 ところで,今日のこのブログの最後に載せた「鳥獣戯画」の意味やいかに?

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 私がずっと行きたかった四国の四万十川に行くことができたのは2020年2月のことでした。忍び寄るコロナ禍直前のことだったので,今から思うと夢のようです。
 四万十川はずっと気になっていたところだったのですが,私の住むところからは遠く,行くのに工夫が必要でした。お金をかければ簡単に行くことはできるのでしょうが,いつものこと,なるべく安価にと考えると,なかなか名案が浮かばないのでした。
 いろいろ調べて行くと,高知市まで高速バスで行くことができるのがわかりました。そこで。高知市からレンタカーを借りることにして,せっかく行くのならと,四万十川と同じように行きたかった足摺岬を加えて,同時に行くことにしました。

 やっと実現した四万十川は,予想以上にすばらしいところでした。
 今,私が日本国内でこれまでに行ってよかった,また行きたいと思うところは,東北地方とともに四万十川くらいのものです。
 素朴さがたまりません。また,私がこのときに宿泊したのは小さなゲストハウスでしたが,これもまた,四万十川の素朴さと相まって,忘れられないところとなりました。
  ・・・・・・
 四万十に 光の粒を まきながら
 川面をなでる 風の手のひら
     俵万智
  ・・・・・・
と詠った歌人の俵万智さんは四万十大使にということですが,この川を見て,その美しさに魅了されない人はいないでしょう。

 ところで,四国といえば,巡礼の地でもあります。
 私は今のところ,巡礼をする気持ちはまったくありませんが,足摺岬には第38番札所・蹉跎山補陀洛院金剛福寺があるので寄ってみました。そこで,この第38番札所の前の第37番札所・藤井山五智院岩本寺まではなんと84.0キロメートルあり,また,次の第39番札所・赤亀山寺山院延光寺までは53.1キロメートルもあるということを知りました。1日中歩き続けても着けません。以前,お遍路さんとお話をしたときに,高知県の西側がえらく大変だった,と言われた理由がよくわかりました。
 私は蹉跎山補陀洛院金剛福寺を訪れたときに,ぜひ,このふたつのお寺だけは歩いて訪ねてみたいと,このときは思ったものですが,今となっては,そんなことを思った自分が自分でないような気がします。
 いずれにしても,四万十川と足摺岬には,ぜひ,また,行ってみたいものです。


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 東京から脱出する人が増えているということです。
 もともと私は人の多いところがきらいなので,大都会に住みたいという人の気持ちがわからないのですが,このご時世,これまで人の多いところに住んでいたのに自然の中にいるほうがずっと快適だと気づいた人が増えてきたのでしょうか。
  ・・
 大都会に住んでいる人にも,その理由はさまざまで,いろいろな楽しみが多いからという人もいれば,仕事のためしかたなくという人もいるのでしょう。しかし,このネット社会では,どこに住んでいてもできる仕事をしているも増えてきたし,また,何かを手に入れるにも,通信販売が利用できるから,大都会にいる必要もないわけです。それでもって,このコロナ禍で人との交わりを避ける傾向があるのなら,大都会に住むメリットもなくなってきました。

 日本のような狭い国で,しかも,公共交通が発達していれば,必要があるときだけ大都会に出かければそれでいいので,普段はもっと人の少ないところで穏やかに暮らすほうがずっと豊かな生活ができると私は思っています。とはいえ,あまりに辺鄙なところでも不便だし,であるならば,どんなところがいいのかな,と考えていて,気づいたことがありました。
 それは,人が快適に住むことができるところは,車を駐車するときに駐車料金の要らない程度の都会だということです。たとえば,ショッピングモールでも駐車券も必要なく自由に何時間でも車が停められる,公園に行っても広い駐車場がある,役所や図書館などでも無料で制限なく車を停めることができる,といった程度の町です。
  ・・
 考えてみれば,アメリカは広いからどこでも車が停められると思っている人も多いことでしょうが,アメリカの大都会は異常に車が多く,結構駐車するのに苦労します。しかし,以前話題にしたことがあるモンタナ州の州都ヘレナとかノースダコタ州の州都ビスマルクなどでは,州都であっても無料の広い駐車場があって,どこにでも車を停められるので,とても快適な旅をすることができました。
 というわけで,どうやら,人が快適に生活することができる町かどうかは,日本でもアメリカでも,車を自由に停めれらるかどうかで判断できるような気がします。

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 朝日新聞=名人戦,毎日新聞=王将戦,読売新聞=十段戦という時代に私は将棋を覚え,家で購読する新聞を朝日新聞に代えたために,私は,ずっと名人戦や順位戦を見て過ごしました。
 覆ったのが1976年(昭和51年)のことでした。
 それは,この年,朝日新聞社が囲碁の名人戦を読売新聞社から獲得したのが発端です。これで囲碁,将棋ともに名人戦を主催するという念願がかなったのに,皮肉にも,将棋の契約金が囲碁よりずっと少なったとかで将棋界が値上げを要求し,それが認められなかったことで契約が決裂して,1年の空白ののち,名人戦が毎日新聞社に移ることになったのです。朝日新聞社はそれからもずっと名人戦にこだわり,新しいタイトル戦を開催しませんでした。
 それ以来,私は,将棋に興味をなくし,空白の時代が続きます。そこで,私は,谷川浩司九段,羽生善治九段などが名人だったときの将棋をほとんど知りません。

 名人戦を主催することになった毎日新聞社ですが,ここで問題となったのが王将戦の処遇でした。
 王将戦を開催していた毎日新聞社は名人戦も主催することになったために,ふたつの棋戦を同時に新聞に掲載することもできず困ってしまったわけです。そこで,毎日新聞社は王将戦をスポーツニッポン社に移管しました。しかし,将棋のタイトル戦としてはスポーツ紙では格下です。それ以来,王将戦は,泡沫タイトル戦のような感じになってしまいましたし,私はスポーツ紙など読むこともないので,もう,それ以降のことはまったく知りません。
 王将戦は,もともと毎日新聞社のビッグタイトルであったことから,挑戦者決定リーグ戦があり,しかも,タイトル戦は名人戦のように2日制でした。しかし,このとき以来,契約金は低く抑えられ,なんだか中途半端なものとなってしまいました。朝日新聞社は適当に将棋欄を埋め合わせしていたので,囲碁のように全国紙に鼎立する三大棋戦があるわけでもなく,これが,私が,囲碁のタイトル戦がうらやましいと思った理由でした。
  ・・
 スポーツニッポン社としても,なんらかの「色」をつけなければ,と工夫したのでしょうか。それが今も続く,勝った棋士がコスプレをして翌日の誌面を飾るといういわゆる「勝者の罰ゲーム」であり,囲碁・将棋チャンネルでのタイトル戦の生放送となったのでしょう。
 今のように,ABEMAで将棋の生中継が行われるようになったのはきわめて最近のことです。将棋の生中継が見られるようになったのは,放送開始間もないNHKBSのコンテンツとして名人戦に白羽の矢が立ったのがそのはじまりでした。そこで,囲碁・将棋チャンネルとリンクした王将戦は,当時としては独自に生放送が見られる画期的な棋戦だったわけですが,それが逆に,今となっては王将戦はABEMAで見ることができない棋戦というひずみとなっているのです。

 その後,読売新聞社では,1988年(昭和63年)に十段戦が発展的に解消されて竜王戦ができました。これもまた,囲碁の棋聖戦と同様に,読売新聞社らしいというか,名人戦を超える格を有する棋戦を「むりやり」金の力で創設したように私には思えました。将棋連盟も名人戦との兼ね合いに苦慮します。大山康晴十五世名人や升田幸三実力制第4代名人が創設に反対し,賞金額1位で棋戦の序列は上であっても,タイトルホルダーとしての序列は名人と同格ということになったそうです。大人の事情です。
 ということなので,今でも,私の世代では名人戦が唯一無二のものです。三枚堂達也七段が順位戦のC級2組から1組に昇級したときに師匠の内藤國雄九段がはじめて喜んだというのは,そういう価値観からくるものなのです。
 時代は繰り返します。
 2006年(平成18年)。三度目の名人戦の契約問題が起きました。
 私は名人戦が朝日新聞社の主催に戻ることはないとあきらめていたのですが,水面下ではいろいろあったようです。私のような単なる「観る将」が将棋界には囲碁界のような三大棋戦が全国紙に鼎立していないという不自然さを思っていたくらいだから,棋士はもっとそれを切実に感じていたことでしょう。
 紆余曲折の結果,何と,名人戦は朝日新聞社と毎日新聞社の共催という突拍子もないことが実現して,今に至るわけです。
  ・・
 時は移り,現在は平穏無事のように思えますし,藤井聡太人気で,一時「斜陽産業」とよばれた将棋界はバラ色のような感じです。しかし,名人戦が共催であったり,王将戦だけがAMEBAで見られないとか,鳴り物入りでドワンゴがはじめた叡王戦を手放したりと,結構波乱に満ちています。
 今や,将棋は新聞で読むもの,という時代は過ぎ,新聞社の威光は陰り,将棋を見るために新聞を購読するということもなくなりました。この先もABEMAで将棋の中継が続くかどうかもわからないし,読者の激減する新聞社も将棋棋戦の主催ができる余裕があるのかないのか。また,叡王戦のように,新たなスポンサーが生まれるのかどうか。
 それもこれも,将棋というコンテンツにどれだけ魅力があるかどうか,にかかっているのでしょう。

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 今日の写真は,藤井聡太竜王が以前「まだ乗ったことがないので一度乗ってみたい」と言っていた新幹線N700Supreme,背後の山は雪を被った伊吹山です。
 さて,現在,王将戦の7番勝負が行われています。この王将戦というタイトル戦は,将棋の8大タイトルの中でも異端な棋戦なので,このことについて書いてみようというのが今日のお話です。

 将棋も囲碁も,タイトル戦というのは必ずしも順風満帆に行われてきたわけではありません。
 将棋に比べて,囲碁では読売新聞=棋聖戦,朝日新聞=名人戦,毎日新聞=本因坊戦というように,3大全国紙が3大棋戦を主催していて,この3つのタイトルをすべて獲得した棋士が「大三冠」とよばれる,というように,まことにわかりやすい状態なので,私はずっとうらやましく思っていました。
 しかし,囲碁のタイトル戦も,はじめからこうした三者鼎立の状態ではありませんでした。
 最も歴史があるのは1937年(昭和14年)にできた毎日新聞社の主催する本因坊戦です。将棋にはこのころすでに名人戦があったのですが,囲碁にはなかったようです。で,1961年(昭和36年)に読売新聞社によって名人戦ができました。こうした経緯から,囲碁の名人戦というのは,将棋のように順位戦という格付けがあるわけではなく,単なるタイトル戦のひとつで,すべての棋士が予選に出場して勝ち残った棋士が挑戦者決定リーグ戦に参加,そして,挑戦者決定リーグ戦で優勝した棋士がタイトル戦に出場するというものです。
 やがて,1974年(昭和49年)に名人戦の契約問題が起き,「囲碁も将棋も名人戦」というのが念願だった朝日新聞社に移りました。その代わりに1976年(昭和51年)に作られたのが棋聖戦というわけです。

 将棋では,毎日新聞社の主催する名人戦が最も歴史があって,1935年(昭和10年)にはじまりました。それに対抗して,読売新聞社は1956年(昭和31年)に,現在の竜王戦の前身である九段戦,それが発展した十段戦というのを作りました。将棋の名人戦も,1950年(昭和25年)にやはり契約問題が起きて,朝日新聞社に移り,その結果,それに対抗する形で1951年(昭和26年)にできたのが王将戦だったのです。そんな経緯があって,私が将棋に興味をもった今から55年ほど前は,朝日新聞=名人戦,毎日新聞=王将戦,読売新聞=十段戦で落ち着いていたのです。
 しかし,将棋は囲碁とは違って,名人戦の格が高すぎました。当時は,段位はすべて順位戦で決まりました。いわば,相撲のように,本場所が順位戦であって,それ以外の棋戦は巡業のようなものといいう扱いだったのです。そこで,この名人戦を三大全国紙のどの社が主催するかという潜在的な大問題が存在するわけです。
  ・・
 そんなわけで,王将戦は,どう頑張っても名人戦には格の上で勝てません。で,毎日新聞社が考えついたのが「指し込み制度」でした。これは,7番勝負のタイトル戦で3番手直り,つまり,3勝差がついた時点で王将戦の勝負が決定し,次の対局から香落ちと平手戦で交互に指し,必ず第7局まで実施するというシステムでした。
 この制度のおかげで,奇しくも,升田幸三実力制第4代名人が家出をするときに物差しにしたためたという「名人に香車を引いて勝つ」が実現してしまったわけです。この制度は,実は今も存在しているですが,4番手直りに改められ,しかも,またどちらかが4勝した時点で対戦が終了することになったので,死文化してしまいました。
 もし,今も当時のままの制度だったら,今期,王将戦3連勝の藤井聡太竜王はすでに王将位を獲得して,しかも,次の対局は「名人に香車を引く」ということになっていたのです。

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 何度も書いているように,私は2016年度に放送された「旅するドイツ語」を見なかったら,おそらくウィーンに行くことはなかったでしょう。海外もいろんなところに行きましたが,ウィーンこそ,私が最も気に入った町となりました。
 しかし,思えば,ウィーンに行く前にフィンランドに行って,はじめて個人旅行でヨーロッパに行くことを知らなければ,気軽にウィーンに行けなかっただろうし,また,フィンラドに行ったのも,その前年,アラスカに行ってオーラを見なかったとしたら,それもありえなかったし,アラスカに行ったのも,アイダホ州で皆既日食を見なかったら行くこともなかったかもしれない,というように,すべてが糸で結ばれているのです。不思議な話です。
 「風が吹けば桶屋が儲かる」ではないですが,「皆既日食がなければウィーンに行っていない」のです。

 さて,そのウィーンですが,私が知っていたのはクラシック音楽の都,というだけで興味はなく,高校時代に世界史を学んでいない私は,ハプスブルク家(Haus Habsburg)という存在もまったくといっていいほど知りませんでした。
 ウィーンでシェーンブルン宮殿(Schloss Schönbrunn)に観光で訪れたとき,同じ現地ツアーに参加した人が思わず言った「ウィーン会議」と「双頭の鷲」という言葉に打たれました。
 私にとっては「なんだそれは?」という感じでした。知らないことがあると無性に悔しくなる私は,帰国後,その言葉の裏にある意味をずいぶん勉強しました。

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 「双頭の鷲」(Doppeladler,Double-headed eagle)というのは頭をふたつもつ鷲の紋章のことで,東ローマ帝国や神聖ローマ帝国,それに関連したヨーロッパの国家や貴族などに使用されたものです。  
 「ローマ」の象徴としてローマ帝国の国章は単頭の鷲の紋章でしたが,その後も帝国の権威の象徴として使われ続け,13世紀の東ローマ帝国末期のパレオロゴス王朝(Palaiologos)時代に「双頭の鷲」の紋章が採用されたといいます。
 東ローマ帝国における「双頭」は「西」と「東」の双方に対するローマ帝国の支配権を表します。
 「ローマの後継者」の象徴として, また,「東ローマの後継者」の象徴として,東ローマ帝国の「双頭の鷲」は,その後も継承されました。そして,「西ローマの後継者」の象徴としてハプスブルグ家の紋章となり,さらに,オーストリア帝国,オーストリア=ハンガリー帝国,ドイツ国などに継承されました。
  ・・・・・・
 つまり,「双頭の鷲」というのは,日本でいえば「菊の御紋章」のようなものでしょう。
 私は,シェーンブルン宮殿に掲げられたこの「双頭の鷲」が,かつてのハプスブルグ家の権威と威厳を表わしていることに,ある種の怖さを見る思いでした。人間社会というのは,本当に魔訶不識なところです。

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太陽柱。

2月4日朝,太陽柱が見られました。
太陽柱(sun pillar)は地平線に対して垂直方向へ太陽から炎のような形の光芒が見られる現象です。
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 再放送ばかりのNHKBSPです。
 これもまた,いつごろの再放送でしょうか,昨年2021年9月上旬の早朝に「ヨーロッパ大横断・川の旅」という番組が放送されていました。オランダから9か国を巡って黒海まで,ライン川とドナウ川を豪華客船でクルーズするというものです。
 アメリカ資本の客船ということで,乗客は,アメリカ人のいかにも金持ちという年配の夫婦の人たちがほとんどでした。何でも「死ぬまでにやっておきたいことリスト」に入っているから参加したという話がインタビューされていたように,老後の楽しみ,のような人たちの船旅でした。
  ・・
 こうした船旅というのは贅沢な話で,私のような貧乏人には別世界のお話です。アメリカ人は,このヨーロッパの船旅のほかに,カリプ海やアラスカの船旅が「一度はやってみたいこと」のリストであるようです。
 船旅というのは,豪華客船に乗り込んで,連日,豪華な食事やショー,お昼間は甲板にあるプールで泳いだり,のんびりと景色をみたり,そして,名所になると船を停めて上陸するという,そんなツアーです。
 で,これを見ていて,私は思い出しました。

 2019年の夏,私はフィンランドのヘルシンキに旅をしました。はじめは予定になかったのですが,調べて行くうちに,フィンランドのヘルシンキからバルト海を渡ってエストニアのタリンまで往復,片道3時間の船旅ができることを知って,船旅を予約して楽しみました。私は,単なる船旅のつもりだったのですが,思い出したというのは,そのときに乗った客船がこの番組で出てきた豪華客船とほぼ同じだったということを,です。
 私は,そんな旅をする気持ちがあったわけでもなく,それは単に,タリンまで行く交通手段として選んだだけでした。だから,思っていたのは,日本の瀬戸内海フェリーとか,そういう類のものだったのです。
 しかし,私が乗ったのは,超豪華客船だったわけです。
  ・・
 船内には豪華なレストランもあったし,カジノもあったし,ショーもやっていたし,甲板に出れば,すばらしい景色を眺めることもできました。
 行きは,コンフォートクラスを選択して,ラウンジのようなところで過ごしました。そして,帰りはレストランで夕食を予約しておきました。その結果,期せずして,ものすごく豪華で贅沢な船旅が実現したのです。
 海外を旅行して感じるのは,こうした時間を楽しむという文化の違いです。コンサートホールひとつにしても,日本では,音楽を聴いた後にゆったりと食事を楽しむようなレストランすらなかったりしますし,列車でも,早く目的地につけばいい,とばかりに,今や,食堂車すらありません。学校や官公庁の建物もボロボロです。

 ヘルシンキとタリンを日帰りで往復することしか頭にありませんでしたが,後で考えると,こんな贅沢な船旅になったわけです。
 フィンランドとエストニアはユーロ圏内なので,別の国に行ったのに何の手続きも必要もなかったことも不思議といえは不思議だったし,単に船でバルト海を渡るつもりだったのに,実際は,憧れの豪華客船の旅を体験したのもまた,不思議なことでした。これもまた,本当にやっておいてよかったことです。今それをやろうと思ってもできないだけに,奇跡のようなものです。
  ・・
 このようなことのひとつひとつを思い出しても,一体私は,この数年で,どれだけ多くの奇跡のような旅をしたのでしょう。もし,次があるのなら,今度は,バルト海をスェーデンのコペンハーゲンやノルウェーのオスロまでの船旅を楽しんでみたいものです。

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 愛知県江南市のホームページには次のようにあります。
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 「一,親助六尉,尾州清須御城を退去候は,慶長寅の年の夏越方の事。…親父様,よくよく南窓庵によりて,諸事書留め覚え帳併家伝記,先祖系図書等の古証文の散逸をおそれ書き留め候…これら諸縁を武功夜話と題目仕り…」
 江南市と信長を強く結びつけたこの文献は,江南市前野町の吉田さん宅に先祖代々伝わる秘蔵の古文書「武功夜話」です。
 「武功夜話」には,どの巻首にも「貸出しの儀平に断るべし」と記され,門外不出となってきました。
 1959年(昭和34年),この地方を襲った伊勢湾台風のため吉田家の土蔵が崩れ落ちてしまったのを機に,吉田家の親戚にあたる吉田蒼生雄さんが12年かけて訳され,ついに380年ぶりに陽の目をみることになったのです。
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 この「武功夜話」は,戦国時代から安土桃山時代,尾張の土豪であった前野家の動向を記した家譜の一種で,この書物で,吉乃という人物が有名になりました。
 「武功夜話」によると,吉乃はこの地の商人だった生駒氏の娘で織田信長の側室になった女性です。正室であった濃姫(濃姫)が子供に恵まれなかったのに対して,吉乃は長男織田信忠,次男織田信雄,長女の徳姫を生んでいます。
 大河ドラマ「麒麟がくる」の第21回「決戦!桶狭間」で帰蝶が「天から降ってきた,大事な預かりものじゃ」といってあやしていたのが吉乃の子織田信忠です。
 さて,吉乃の生家生駒氏の菩提寺で,吉乃の墓のある久昌寺ですが,老朽化が進み,この春にも取り壊されると聞いて,うまくいけば,夜明けの太陽とともに写真が写せるのではないかと,晴れた日の早朝,行ってみることにしました。私は学者でもなければ,このような古文書を読み解く趣味も力もないので,よくいわれる「武功夜話」が偽書だとか,ここではそういうことを書くのは避けます。それよりも,このような歴史を感じるところに出かけて,古を思うことが何より楽しいのです。

 まだ,通勤ラッシュのはじまる前の時間に車を走らせました。
 愛知県尾張地方の北部は,戦災にも遭っていないので道は狭く,ごみごみとしていて,一旦,自働車道を外れるとすれ違うことも困難な道ばかりです。また,車を停める場所にも事欠きます。
 迷いながら,なんとかiPhoneの力を借りて,久昌寺に到着しました。車が4,5台停められる駐車場があったので助かりました。あたりは公園として整備されていると聞いていたのですが,まあ,広場とベンチがあるくらいで,荒れ果てていました。しかし,立派な周辺案内板があったので,近くの生駒家跡や29歳で亡くなったという吉乃が荼毘に付された地などを回ってみました。これといって何もないところでしたが,その何もないところが,昔をしのぶにはむしろよかったのかもしれません。
 それにしても,こうした場所で,400年以上も昔,織田信長や豊臣秀吉が闊歩していたなんて,考えるだけでも楽しいではないですか。何が現実なのかそうでないのか,自分に関わりのないことなんてすべてが夢のようなものです。日本の景色はこころで見るものです。
 思っていた写真が写せて満足しました。

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太陽黒点。

2月2日。この日昇った太陽には多くの黒点がありました。
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 新月。本来なら星見のころですが,晴れないのと寒いので,行く気になりません。
 そこで,少し趣向を凝らして,今日は,冥王星よりはるかに遠く,周期1万5,000年で太陽を回る小惑星「セドナ」に探査機を送るタイミングがもうすぐやってくるというお話です。

 1992年代以降になると,海王星軌道より外側の領域にも,冥王星以外の天体が発見されるようになりました。
 海王星軌道より外側の領域にある天体を太陽系外縁天体(trans-Neptunian object = TNO)といいます。太陽系外縁天体(TNO)には,エッジワース・カイパーベルト天体(Edgewaorth-Kuiper Belt object = EKBO)とその外側の散乱円盤天体(scattered disk object = SDO)があり,さらにその外側にはオールトの雲(Oort cloud)があるといわれています。
 また,エッジワース・カイパーベルト天体(EKBO)には,彗星(comet)と小惑星(minor planet)があります。さらに,小惑星(minor planet)は,従来の小惑星(asteroid)から格上げされた準惑星(dwaft planet)とそれ以外の古典的な小惑星(classical asteroid)に分類されます。

 2003年11月14日にパロマ天文台の「サミュエル・オシン望遠鏡」(The Samuel Oschin telescope)で発見された太陽系外縁天体「セドナ」(Sedna)は,エッジワース・カイパーベルトにある小惑星(minor planet)です。まだ詳しいことがわからないのですが,準惑星(dwarf planet)候補です。
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 「セドナ」は直径が約1,000キロメートルと推定されています。ちなみに冥王星は2,376.6キロメートル,月は3474.8キロメートルです。また,近日点距離が約76天文単位,遠日点距離が約1000天文単位という太陽から遠く離れた楕円形の軌道を約1万1,500年の周期で公転しているとみられています。

 なんと,この「セドナ」が2075年8月に近日点を通過するそうです。それは,あと半世紀ほどで,約1万1,500年ぶりに太陽へ最も近づくということを意味します。半世紀先と行っても到着するまでに時間がかかるから,人類が探査機を打ち上げるなら2029年が好機! なのだそうです。
 太陽から約29.5天文単位から49.3天文単位離れた軌道を公転している準惑星「冥王星」には2006年に打ち上げられた探査機「ニューホライズンズ」(New Horizons)が9年かけて近づきました。「セドナ」が近日点を通過するといっても,冥王星に比べればざっと2倍前後も遠いので,近づくには30年ほどかかるそうですが,それでも,セドナに探査機を送り込んでその様子を直接観測するチャンスはこのときしかありません。
 「セドナ」を周回する軌道へ探査機を投入するためには大量の推進剤を搭載し,さらに,金星,地球,木星の重力を利用したスイングバイという天体の重力を利用した軌道変更で軌道を修正し「セドナ」へ到達させるのだそうです。
 まだ,「セドナ」に探査機を送る具体的な計画はないのですが,もし実現しても到達するのは今から40年近くも先のこと。残念ながら,私の寿命がありません。

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 報道番組は一切見ないので,暇つぶしに楽しめるテレビドラマを,現在放送中のものだけに限らず,AmazonPrimeなどからも探して見ています。それがなかなか自分の好みにあうものがないで,選ぶだけでもたいへんです。いずれにしても,コマーシャルがうざったいので,テレビのものはすべて録画して,翌日,コマーシャルは30秒送りを連打して見ます。また,AmazonPrimeはコマーシャルがないので助かります。
 今回は,そんな私が見ているテレビドラマから紹介してみます。

●「ミステリと言う勿れ」
 本作はこれまでにないミステリーと会話劇を融合させた意欲作。見どころは「僕は常々思ってるんですけど…」という語り出しではじまる主人公・久能整(くのうととのう)の言葉の数々。当人は言いたいことを言っているだけで,それは単なる屁理屈のようにも聞こえるのですが,既成概念に縛られて苦しんでいる人にとっては勇気を与えてくれる救いの言葉となります。
 というのがドラマの紹介ですが,このドラマは人気コミックのドラマ化だそうで,コミックに描かれている主人公とちょっと違うとかいうことで賛否両論があるそうです。私はコミックを見たことがないので,それについてはまったくわかりませんし,テレビドラマの主人公は気に入っています。
 ドラマの第1回を見た限り,おもしろいので引き込まれてしまいました。作者の思想が出ているのがいいです。「どうして人を殺してはいけないの」という犯人の問いに対する答えなど感心しました。1話完結だと思っていたのですが,予想と違って第2回が第3回との連続ものだったこと,しかも,第3回の結末がこの先の何某かの伏線となっているのが私にはちょっと凝りすぎ? に思えるので,今後の展開で気がかりです。
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●「ドクターホワイト」
 「それ、誤診です!!」 社会性が皆無にも関わらず,天才的な診断能力を持ち,現役医師の誤診を正す -自らの名を「白夜」と告げ,素肌にたった一枚,白衣をまとって現れたナゾの女性。 彼女はいったい何者なのか-
 よくある病院ドラマです。病院とか警察を舞台としたドラマは描きやすいので定番となっているようですが,現実とはまったく違えども,どこかありそう,と思わせるところが見る者を引きつけるのでしょう。この種のドラマは最後にスカッと水戸黄門のごとく終わるので,私のような老人にはいいです。
 また,主人公を演じる浜辺美波さんがいい感じを出しているので,おもしろいドラマになっています。このドラマに限らず,多くのドラマを見ていると,ドラマは,脚本はもちろんですが,キャスト次第だなあといつも思います。なかなか嫌われ役をうまく演じることができる役者さんが少ないです。
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●「ゴシップ#彼女が知りたい本当の○○」
 本作は,大手出版社が運営するニュースサイトの編集部員を主人公に,そこで働く者たちの仕事・生き方・恋愛を通して,新時代の“人と人とのつながり”を描く,完全オリジナルの社会派“風”お仕事エンターテインメント。
 このドラマは独特な「暗さ」があって,私はそうした雰囲気が嫌いではなので見ています。この「暗さ」が主人公を演じる黒木華さんの持ち味なのでしょう。このドラマもまた,キャストが違ったらどう変わっていたのかな,ということに私は興味があります。
 しかし,見終わるいなや,どんな物語だったのかスパッとわすれてしまうのはどうしてなのでしょう。
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●「鉄オタ道子,2万キロ」
 家具メーカーで働く大兼久道子には誰にも言えない秘密があった。それは鉄道オタクであるということ。別れた恋人との間に起きた出来事がトラウマとなってしまった道子は休みになると,誰にも干渉されず,誰にも邪魔されることのない鉄道ひとり旅を楽しむ。本作は鉄道オタクである女性が日本全国様々な場所を旅することで,そこかしこで出会う人々との交流や普段見れない景色などを楽しみながら本当の自分を探していく物語。
 このドラマは大した展開もなく,さほど凝ったものでもなく,ローカル線の景色と旅情を楽しむもののようです。もう少し話にふくらみがあるといいとおもうのですが,何せ,出てくる人が少ないので,工夫の仕様がないのでしょう。
 このコロナ禍でこのようなドラマを流すのはメリットでもありデメリットでもあり,といったところでしょうか。私は,このようなドラマでは出てくる場所にすぐに行きたくなってしまうのですが,今は公共交通機関を利用するのを避けているのでそれが実現しないのが残念です。

 これらのドラマ以上に楽しみにしているものが,連続テレビ小説「カムカムエブリバディ」と大河ドラマ「鎌倉殿の13人」です。今シーズンは,このふたつのドラマがおもしろいので助かっています。少しはNHKの高額な受信料を払った元が取れているのかな。

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