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アメリカの古都フィラデルフィアには1度は行ってみたかったのですが,なかなか行く機会がなく,2016年にやっと念願がかないました。ダウンタウンは落ち着いていて,モールに大きなレストランがあったり,巨大市場には大衆食堂があったり,また,公共交通網が整備されていたりと,車も必要なく,なかなか観光のしやすいところでした。
この町にあるMLBのチームがフィラデルフィア・フィリーズ(Philadelphia Phillies)です。
フィラデルフィア・フィリーズは,ナショナルリーグ東地区所属のチームです。
1890年に設立された古参球団で,チーム名のフィリー(Philly)は,フィラデルフィアの略称およびフィラデルフィア市民の通称です。歴史が長いのに弱く, 長い間,次のような「ビリー・ペンの呪い」(Curse of Billy Penn)にかけられていました。
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フィラデルフィア市庁舎タワーの屋上にはアレクサンダー・ミルン・コールダー(Alexander Milne Calder)が建てたウィリアム・ペン(William Penn)の銅像があります。近年までフィラデルフィアには「ウィリアム・ペンの銅像より高く建造物を造ってはいけない」(No gentleman would build taller than the "brim of Billy Penn's hat".)という紳士協定があったそうです。
やがて,1985年に作られた「リバティ・プレイス」(Liberty Place)によって,その協定が破られ,そしてさらに2008年には,それよりもさらに高いコムキャスト・センター(Comcast Center)が建てられました。
しかし,紳士協定が破られてからというもの,フィラデルフィアの全てのプロスポーツチームはチャンピオンシップシリーズで勝てなくなり,全て敗北してきたのでした。これが「ビリー・ペンの呪い」(Curse of Billy Penn)といわれたものです。
2008年,MLBのフィラデルフィア・フィリーズがワールド・チャンピオンとなり,ついにこの呪いが解けました。そして,このとき,ウィリアム・ペンのレプリカの銅像をコムキャスト・センターの屋上に設置したのでした。
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また,フィリーズは長年に渡って黒人選手の受け入れを拒んできました。
フィラデルフィアの宿舎が黒人選手の宿泊拒否を通告したり,ジャッキー・ロビンソンがメジャーデビューした時,当時のフィリーズの監督や選手が「ロビンソンが出場するなら,フィリーズ選手はフィールドに出ない」と発言し,大きな波紋をよんだこともあります。
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チームのマスコットはフィリー・ファナティック (Philly Phanatic)という緑色の架空の生き物で,MLBでは最も有名なマスコットです。1978年,何の予告もなく何気なくスタンドに現れて以降,お茶目でいたずら好きなパフォーマンスが人気をよび,フィリーズのマスコットとして愛され続けています。
日本人選手が属したこともほとんどなく,これまでに全盛期を過ぎた井口資仁選手と田口壮選手が1,2年加入していた程度なので,日本ではほとんど知られていないチームです。
以前の本拠地はベテランズスタジアム(Veterans Stadium)でフットボールとの共用のものでしたが,クッキーカッター型のまるで人気のないものだったので,私は見にいく気さえありませんでした。しかし,2004年に新しくシチズンズバンクパーク(Citizens Bank Park)が作られたので,一度は見たいものだと足を運びました。
あまり期待もしていなかったのですが,場所はフィラデルフィアの南にあって,地下鉄で行くことができて,とても便利なのにまずは驚きました。そして,地下鉄を駅を降りて,さらに驚いたのは,その場所がものすごく広大で,かつ,フィラデルフィアにあるプロスポーツのスタジアムがすべて集められたコンプレックスだったことです。
シチズンズバンクパークはベテランズスタジアムの東隣に建設されたので,ボールパークまで歩いている途中にかつてここにベテランズスタジアムがあったというプレートがありました。
シチズンズバンクパークは,レンガと鉄骨を組み合わせた外観や左右非対称のフィールドという特徴をもつ典型的な新古典主義の野球専用球場で,センター最深部があまり長くないうえ,両翼のポールまで一直線になっているので,右中間と左中間がおそろしく狭いという特徴があります。
打者にとって向かい風も少なく,本塁打の出やすいボールパークです。
お昼間にのんびりとベースボールを楽しむにはいいところです。
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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは