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2022年もあっという間に7月まで終わりますが,依然として世界は混沌としています。というより,さらに混乱が増しています。もうめちゃくちゃです。日本人は,いつもながら,表向きは従順を装い,他人の目を気にしているだけで,みんな勝手にやっています。政治もまた,一度決めるといつも幕引きができず,外圧だけを気にして,時の権力者への忖度だけがその判断基準の根本にあり,国民の声を聞かない。これもまたいつものとおりです。
私は,半世紀以上見てきましたが,ずっと変わらない日本です。
私は,結果というのは,その姿が見えたときに何かをしてもすでに手遅れだと思っているので,もはや,対策などないのでしょう。それは,バットでボールを打った後に,もっと飛べもっと飛べと応援しているのと同じだからです。人間もまた,20歳のころに暴飲暴食をくり返すと40代で病気になるというように,20年後に結果が出るのです。退職した後で後悔しても,それは20年前の所業の結果です。
…ということで,今の状況は,ここ何十年もの間にわたるさまざまな政策の結果なのでしょう。
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それにしても,天候まで不順で,天気予報は日々めまぐるしく変わり,そんなことなら天気予報など必要がない,という感じです。ここ数か月,天気予報がまったくあてになりません。もともと,外国に行くと,日常,天気がめまぐるしく変わるので,日本のような細かな天気予報はありません。日本もやっとその域に達した? のでしょうか。
あてにならない予報ならないほうがずっとマシで,そんなことを発信するのはムダというものです。さらに,近ごろの天気予報は,明日は寒いから服を1枚余分に着ろ,だとか,おせっかいな情報が多すぎて,まるで,小学校の朝礼の注意みたいで,うっとおしく感じています。天気予報で伝えることは,明日は寒くなる,だけで十分であって,何を着るかは気象予報士が決めることではなく自己責任です。
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コロナ禍が終わりません。
感染防止対策とかを実行していても世界最高の感染者数なら,その感染予防対策は正しくないということではなかろうか,と思ったりもします。
メジャーリーグ中継などを見ていると,外国はもう,コロナ禍以前の状態ですが,日本だけが異常です。コロナウィルスはマスクの隙間の200分の1程度の大きさです。ざるで水をすくおうというのと同じなのです。感染者の97.7パーセントは日ごろマスクをしていたという研究報告もあります。なのに,摂氏35度の屋外でマスクをして歩いている人を見ると,哀れみすら覚えます。それでも,自分の意思でそれをしている大人はそれで熱中症になっても自業自得ですが,それをさせられる子供がかわいそうです。そんなに怖いのなら,外に出ず,無菌室でじっとしていればいいのでしょうが,それでは抵抗力もつきません。こんなことをしていたら,抵抗力が育たなかった今の子供たちの20年後が心配です。まあ,私はもうこの世にいないから,心配したり,とやかく言うこともないか。
さて,ここからが,今日の話題です。話題はムダについてです。
私もまた,そんなこんなで,もはや手遅れとなった今になって,若いころにしてきたさまざまなムダを,今にして,とても残念に思うようになってきました。
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ムダだったと今思うそのひとつ目は学校の勉強です。勉強がムダということではないのです。やった内容がムダだったということです。
その中で,もっとも時間のムダだったと今では思うのが大学受験の問題を解く訓練をしただけの数学でした。これで高校3年生の1年間を浪費しました。そんなことをしているくらいなら,その時間で大学初級レベルの数学を学ぶべきでした。高等学校のカリキュラム程度の数学のレベルでは,本当に必要な多変量解析も線形代数も全く学習しないので,大学に入ってから,ものすごく苦労しました。
高等学校の数学教育のひどさについては,いいたいことが山ほどあるのですが,それはまた,次回に書きます。
また,語学も同様でした。もっとさまざまな知識が吸収できる若いころに,細かな文法やら入試でいい点をとるための語学と称したドリル学習ではなく,たくさん聞いたり読んだりして,英語だけでなく第2外国語の基本まで学ぶべきでした。そのほうが,英語の勉強にも深みが増すし,そもそも,言葉というのはあくまで手段であって,それを活用することで,言葉の違う人たちの文化や芸術を理解したり,コミュニケーションをとったりするのに役立つからこそ,であるのです。
何も,ネイティブのように話ができるようになるために,あるいは,資格試験でいい点をとるために語学を勉強するのではないのです。こんなムダな勉強をしたために,もともと語学の才能のない私は,今になっても,専門書を読みながら苦悩をくり返しているわけです。
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ふたつ目は必要のないモノをたくさん買ったことです。
若いころ,ロクに星空も見えないのに,「月刊天文ガイド」の広告に乗せられて,望遠鏡を買ったり売ったりをくり返しました。あるいは,今は廃刊してしまった「アサヒカメラ」の広告に乗せられて,新しいカメラやらレンズやらが出るたびに欲しくて欲しくて仕方がありませんでした。
結局,私が趣味として必要だったのは,今日の2番目から4番目の写真にあるようなものだけだったのです。そこに行きつくまでに,どれだけムダな出費をしたことか。
それでも,私は車に興味がなかったから,まだ,マシでした。
学校の勉強を,私がムダばかりだったと思うのは,若いころ,何を学ぶことが大切なのかを教え導いてくれる人がいなかったからでしょう。所詮,高等学校の教師では,学問の本質でなく,大学入試を目的とした高等学校レベルの知識でしかなく,その先の専門性を知らないし,学校もまた,教育という名を借りた単なるビジネスに踊らされて,生徒に問題集を買わせたり模試を受けさせたりしているだけだからです。
必要のないモノを数多く買ったと今思うのも,また,それと同じで,雑誌の広告や,一部のコアな趣味の人たちの評判に踊らされ,あるいはそれを利用する業界の金儲けにまんまと踊らされて,必要のないモノを必要だと洗脳された結果でしょう。新興宗教にお金を寄進するのとそれほどの違いはないです。
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そうしたことをくり返してきた結果,この齢になって,やっと,自分には何が必要かということがわかったのかな,と考えたら,それはムダでなかったといえるかもしれません。つまり,痛い目をしたからこそ,抵抗力がついた,免疫ができた,ということでしょう。
そんなことがわかった今,老婆心ながら,周りを見回してみると,私が若いころにやっていた数多くのムダを,同じように,それをムダとは思わずやっている若い人が何と多いことか,としみじみ思うのです。私の時代は,それでも,高度経済成長真っただ中だったので,金利は7パーセントもあったから,10年満期の定期預金に預ければ10年後には貯金は2倍に増えたし,毎年賃金も増えました。また,退職した今は一定の年金も入ります。
しかし,今の若い人が私と同じことをしていたら,将来が危うい。1年に必要なお金が300万円として,60歳から100歳までに必要なお金は1億2,000万円です。一生で手に入るお金は決まっていますが,若いころにムダな出費をしていたら,老後にお金がなくなるのは当然です。おせっかいな私はそんなことを心配してしまうのですが,そもそも,資本主義経済というのは,成長という「正義」を合言葉に,広告を打って物質欲を煽り,必要のないモノを買わせ,まだ使えるモノを捨てさせては大量のゴミを出し,会社は営業でだれが利益を上げたかという競争をさせることで過剰な仕事をさせ,社会に貧富の差を生み出すことです。また,開発は,環境を破壊し続けないと成り立ちません。つまり,本質的に「持続可能な社会」(持続可能な開発目標・Sustainable Development Goals = SDGs)とは相反するシステムです。
まあ,若い人は,そんな私の心配を,「年寄りの戯言」といって一笑に付すのでしょうが…。
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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは