しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

July 2022

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 2022年もあっという間に7月まで終わりますが,依然として世界は混沌としています。というより,さらに混乱が増しています。もうめちゃくちゃです。日本人は,いつもながら,表向きは従順を装い,他人の目を気にしているだけで,みんな勝手にやっています。政治もまた,一度決めるといつも幕引きができず,外圧だけを気にして,時の権力者への忖度だけがその判断基準の根本にあり,国民の声を聞かない。これもまたいつものとおりです。
 私は,半世紀以上見てきましたが,ずっと変わらない日本です。
 私は,結果というのは,その姿が見えたときに何かをしてもすでに手遅れだと思っているので,もはや,対策などないのでしょう。それは,バットでボールを打った後に,もっと飛べもっと飛べと応援しているのと同じだからです。人間もまた,20歳のころに暴飲暴食をくり返すと40代で病気になるというように,20年後に結果が出るのです。退職した後で後悔しても,それは20年前の所業の結果です。
 …ということで,今の状況は,ここ何十年もの間にわたるさまざまな政策の結果なのでしょう。
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 それにしても,天候まで不順で,天気予報は日々めまぐるしく変わり,そんなことなら天気予報など必要がない,という感じです。ここ数か月,天気予報がまったくあてになりません。もともと,外国に行くと,日常,天気がめまぐるしく変わるので,日本のような細かな天気予報はありません。日本もやっとその域に達した? のでしょうか。
 あてにならない予報ならないほうがずっとマシで,そんなことを発信するのはムダというものです。さらに,近ごろの天気予報は,明日は寒いから服を1枚余分に着ろ,だとか,おせっかいな情報が多すぎて,まるで,小学校の朝礼の注意みたいで,うっとおしく感じています。天気予報で伝えることは,明日は寒くなる,だけで十分であって,何を着るかは気象予報士が決めることではなく自己責任です。
  ・・
 コロナ禍が終わりません。
 感染防止対策とかを実行していても世界最高の感染者数なら,その感染予防対策は正しくないということではなかろうか,と思ったりもします。
 メジャーリーグ中継などを見ていると,外国はもう,コロナ禍以前の状態ですが,日本だけが異常です。コロナウィルスはマスクの隙間の200分の1程度の大きさです。ざるで水をすくおうというのと同じなのです。感染者の97.7パーセントは日ごろマスクをしていたという研究報告もあります。なのに,摂氏35度の屋外でマスクをして歩いている人を見ると,哀れみすら覚えます。それでも,自分の意思でそれをしている大人はそれで熱中症になっても自業自得ですが,それをさせられる子供がかわいそうです。そんなに怖いのなら,外に出ず,無菌室でじっとしていればいいのでしょうが,それでは抵抗力もつきません。こんなことをしていたら,抵抗力が育たなかった今の子供たちの20年後が心配です。まあ,私はもうこの世にいないから,心配したり,とやかく言うこともないか。

 さて,ここからが,今日の話題です。話題はムダについてです。
 私もまた,そんなこんなで,もはや手遅れとなった今になって,若いころにしてきたさまざまなムダを,今にして,とても残念に思うようになってきました。
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 ムダだったと今思うそのひとつ目は学校の勉強です。勉強がムダということではないのです。やった内容がムダだったということです。
 その中で,もっとも時間のムダだったと今では思うのが大学受験の問題を解く訓練をしただけの数学でした。これで高校3年生の1年間を浪費しました。そんなことをしているくらいなら,その時間で大学初級レベルの数学を学ぶべきでした。高等学校のカリキュラム程度の数学のレベルでは,本当に必要な多変量解析も線形代数も全く学習しないので,大学に入ってから,ものすごく苦労しました。
 高等学校の数学教育のひどさについては,いいたいことが山ほどあるのですが,それはまた,次回に書きます。
 また,語学も同様でした。もっとさまざまな知識が吸収できる若いころに,細かな文法やら入試でいい点をとるための語学と称したドリル学習ではなく,たくさん聞いたり読んだりして,英語だけでなく第2外国語の基本まで学ぶべきでした。そのほうが,英語の勉強にも深みが増すし,そもそも,言葉というのはあくまで手段であって,それを活用することで,言葉の違う人たちの文化や芸術を理解したり,コミュニケーションをとったりするのに役立つからこそ,であるのです。
 何も,ネイティブのように話ができるようになるために,あるいは,資格試験でいい点をとるために語学を勉強するのではないのです。こんなムダな勉強をしたために,もともと語学の才能のない私は,今になっても,専門書を読みながら苦悩をくり返しているわけです。
  ・・
 ふたつ目は必要のないモノをたくさん買ったことです。
 若いころ,ロクに星空も見えないのに,「月刊天文ガイド」の広告に乗せられて,望遠鏡を買ったり売ったりをくり返しました。あるいは,今は廃刊してしまった「アサヒカメラ」の広告に乗せられて,新しいカメラやらレンズやらが出るたびに欲しくて欲しくて仕方がありませんでした。
 結局,私が趣味として必要だったのは,今日の2番目から4番目の写真にあるようなものだけだったのです。そこに行きつくまでに,どれだけムダな出費をしたことか。
 それでも,私は車に興味がなかったから,まだ,マシでした。

 学校の勉強を,私がムダばかりだったと思うのは,若いころ,何を学ぶことが大切なのかを教え導いてくれる人がいなかったからでしょう。所詮,高等学校の教師では,学問の本質でなく,大学入試を目的とした高等学校レベルの知識でしかなく,その先の専門性を知らないし,学校もまた,教育という名を借りた単なるビジネスに踊らされて,生徒に問題集を買わせたり模試を受けさせたりしているだけだからです。
 必要のないモノを数多く買ったと今思うのも,また,それと同じで,雑誌の広告や,一部のコアな趣味の人たちの評判に踊らされ,あるいはそれを利用する業界の金儲けにまんまと踊らされて,必要のないモノを必要だと洗脳された結果でしょう。新興宗教にお金を寄進するのとそれほどの違いはないです。
  ・・
 そうしたことをくり返してきた結果,この齢になって,やっと,自分には何が必要かということがわかったのかな,と考えたら,それはムダでなかったといえるかもしれません。つまり,痛い目をしたからこそ,抵抗力がついた,免疫ができた,ということでしょう。
 そんなことがわかった今,老婆心ながら,周りを見回してみると,私が若いころにやっていた数多くのムダを,同じように,それをムダとは思わずやっている若い人が何と多いことか,としみじみ思うのです。私の時代は,それでも,高度経済成長真っただ中だったので,金利は7パーセントもあったから,10年満期の定期預金に預ければ10年後には貯金は2倍に増えたし,毎年賃金も増えました。また,退職した今は一定の年金も入ります。
 しかし,今の若い人が私と同じことをしていたら,将来が危うい。1年に必要なお金が300万円として,60歳から100歳までに必要なお金は1億2,000万円です。一生で手に入るお金は決まっていますが,若いころにムダな出費をしていたら,老後にお金がなくなるのは当然です。おせっかいな私はそんなことを心配してしまうのですが,そもそも,資本主義経済というのは,成長という「正義」を合言葉に,広告を打って物質欲を煽り,必要のないモノを買わせ,まだ使えるモノを捨てさせては大量のゴミを出し,会社は営業でだれが利益を上げたかという競争をさせることで過剰な仕事をさせ,社会に貧富の差を生み出すことです。また,開発は,環境を破壊し続けないと成り立ちません。つまり,本質的に「持続可能な社会」(持続可能な開発目標・Sustainable Development Goals = SDGs)とは相反するシステムです。
 まあ,若い人は,そんな私の心配を,「年寄りの戯言」といって一笑に付すのでしょうが…。

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 2022年の夏ドラマ。夏ドラマは手抜きと聞いたのであまり期待していなかったのですが,手あたり次第に第1回を見てみたら,予想に反しておもしろいものが多かったので,そのいくつかを見はじめました。
 私は,数年前まで日本のドラマにはほとんど興味がなく,アメリカのドラマオンリーだったので,一般的なことも知りませんでした。このごろ見はじめて,いろんなことがわかりました。それは,局によってドラマの性格がちがうことや,どのドラマも結局のところシーズンが変わっても同じパターンの繰り返しで出演者もいつも同じようなものだということです。人気が出ると何シーズンも継続するアメリカのドラマとはまったく違います。
 それはそれとして,そう割り切って,私には楽しく時間つぶしができればいいのです。
 私がどのドラマを見るかという基準は,原則的には,1話完結であって,ハッピーエンドになるもの,そして,深刻な内容ではないものです。あくまで私個人が楽しめればいいので,巷のうわさやら視聴率やら口コミはまったく気にしません。

●「競争の番人」
 舞台は「公正取引委員会」。坂口健太郎さんと杏さんがW主演で,原作は私が断念した春ドラマ「元彼の遺言状」と同じ新川帆立さんだそうです。
 坂口健太郎さんが演じる天才で理屈っぽくひねくれ者の小勝負勉と杏さんが演じる実直で感情のままに行動する元刑事の白熊楓が,公正取引委員会・第六審査の職員として,独占禁止法に関わる違反行為を取り締まり,経済活動における自由で公正な競争の場を守るために目を光らせ,談合やカルテルなど不正を働く企業の隠された事実をあぶり出していくというものです。
 初回から1話完結でなく,3話で完結しましたが,それなりに楽しめました。私は,天才で理屈っぽくひねくれ者の小勝負勉というキャラクターが好きです。また,途中で見るのをやめた「元彼の遺言状」よりずっとマシです。が,これで原作は尽きたということなので,この先が心配です。
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●「魔法のリノベ」
 住まいに新たな価値を創り出す住宅リノベーションをテーマとして,依頼人が奥底に抱えている家や家族に対する問題に立ち向かう主人公たちが,毎話,五感と機転と根性を駆使したリノベ提案という魔法で華麗に解決していくという仕事ドラマです。
 春に「正直不動産」というドラマを見ました。住宅というテーマ,ライバル社がいる,などの点が似ています。このドラマは1話でスカッと解決するので楽しいですが,日本のドラマの多くはそれだけでいいのに,何か余分な横の糸,つまり,「クセ」をつけるので,この先の展開で,それだけが気がかりです。私には,縦の糸,スカッと解決だけで十分です。
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●「純愛ディソナンス」
 このドラマだけこの中では異質です。
 中島裕翔さんが初の教師役で生徒と禁断の恋… 吉川愛さん演じる女子生徒との決して一線を越えてはいけない関係を描く令和の新・純愛×ドロドロエンターテインメント!!
 ということで,まったく私好みではないのですが,かつて引かれ合った2人。5年後の再会をきっかけに再び動き出した微妙で繊細な関係が「ディソナンス=不協和音」を生みだし,破滅へと向かいはじめる… というサスペンス的な前向上にまんまとのせられ,ドロドロということばが妙に魅力的に思えて見はじめたのですが,原作のない5年前の高校時代という第1部で,すでに私は挫折気味です。
 やっと第2部に入りましたが,この先おもしろければ見続けるし,そうでなければ,きっと挫折することでしょう。果たしてどうなるか?
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●「石子と羽男-そんなコトで訴えます?-」
 有村架純さんが演じる4回司法試験に落ちた崖っぷち東大卒パラリーガル・石子と,中村倫也さんが演じる1回で司法試験に合格した高卒の弁護士・羽男がが誰にでも起こりうる珍トラブルに挑むという 異色のリーガル・エンターテインメント! だそうです。
 「競争の番人」と似ていなくもない。また,昨年のドラマ「イチケイのカラス」とも似ていなくもないわけですが,日本のドラマというのは,悪徳政治家に悪徳医者がいて,東大卒というのはなぜかみな世間からずれていて,キャリアでない人が情に厚く能力がある… そんな同じような価値観ばかりです。そしてまた,こういうドラマを見て,実際の社会もそうじゃないか,とみんなが思ってしまうのは,おそらく,実際の社会でも多くの人がさまざまなことで苦しんでいて,ドラマを見てスカッとしたいからなのかもしれません。
 そうした中で,このドラマは,ほのぼのとした,なかなかいいものです。
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●「初恋の悪魔」
 ミステリーとコメディー,ラブストーリーの要素を組み合わせた見ごたえたっぷりの作品という触れ込みです。鹿浜鈴之介は境川署刑事課所属の警察官。元捜査一課所属だったにもかかわらず,とあるヘマをやらかし現在は停職処分中。一方,馬淵悠日は境川署総務課に勤める職員で,捜査とは縁遠い日常を送っていて,雑用ばかり押し付けられてもヘラヘラ笑っているのは,楽にストレスなく生きたいから。しかし,そんなある日,鰐淵悠日は署長から鹿浜鈴之介の監視を任されて…。
 というちょっと変わった事件ドラマです。
 はじまる前は,巷のうわさではいち押しのドラマだったようですが,期待が大きかっただけに多くの聴視者は落胆をしているとか。でも,私は,好きですよ,このドラマ。ただし,ドラマの名前の意味がよくわかりません。

 これだけの夏ドラマを見はじめたのですが,果たして,私の期待を裏切らず,最後まで見続けられるのがこの中でいくつあるのでしょうか。
 私は,こられのほかに,NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」とスーパー!ドラマTVで放送している「NCSI・ハワイ」を見ているのですが,実はこのふたつが最もいいです。


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 目的地は瀞峡だったのですが,そこがどのようになっているのか,皆目見当がつきませんでした。また,想像もできませんでした。
 その理由は,情報が少なすぎることに加えて,探しだした情報が間違っていたり古かったりと,何が何だかわからなかったことにあります。 
 朝,十津川温泉の旅館をチェックアウトしたき,女将に「今日は瀞峡を観光します」と言ったら「ウォータージェットは休止してしまったから…」と言われました。
 これを聞いたときの私は,かつて瀞峡にウォータージェットが運航していたことすら知らなかったのですが,そうか,さびれてしまっているんだなあ,と思ったこともあって,せめて景色だけでもみることができれば,という感じで期待もせずに向かったわけです。

 ガイドブックに写真の載っている「瀞峡」というのが漠然としすぎていて,どこのことを指しているのか地図で見てもよくわかりませんでした。帰宅してから改めて調べると,瀞峡は和歌山県の飛び地にありました。
 このときの私は iPhone の Google Maps で「瀞峡」と入力して表示された案内に従って走ったのですが,案内された道路が正しくなく,山の中に迷い込んでしまうありさまでした。
 迷い込んだ狭い道路に一瞬だけ展望の効くところがあって,そこからかろうじて川を見ることができました。それが今日の1番目の写真なのですが,瀞峡はこの程度のところか,と思いました。
 しかし,迷い込んだ道路をさらに進んでも,その先は行けども行けどもは何もなく,私が期待していた瀞峡のイメージとはまるで違っていたので,あきらめて引き返しました。

 そこで,ひとまず,前回書いた丸山千枚田へ寄ることになったわけです。
 瀞峡に行くのはあきらめて帰ろうと思って引き返す途中で,先に私が参考にしていた Google Maps の指示する道路と全く反対側に「瀞峡 Dorokyo Gorge」と書かれた大きな道路標示を見つけました。
 ダメもとでそれに従って進んでいくと,今度は,右手に瀞峡めぐり船下りというのぼりをたくさん見つけたので,そののぼりにしたがって脇道に逸れて,その脇道を延々と下りました。やがて河川敷に出ました。しかし,そこにあったのは渓谷ではなく,単なる船の乗り場でした。確かにそこは瀞峡めぐりの船の乗り場でしたが,看船に船は予約制と書かれてあって,人影もなく,その場所からは瀞峡の景観もまったく見えませんでした。
 あきらめて再び国道に戻ってさらにしばらく進んでいくと,ついに,瀞峡の展望がきく駐車場に着くことができたのです。私が偶然着いた場所は瀞八丁という場所でした。瀞八丁こそ,瀞峡が一望できる展望台でした。展望台から瀞峡の美しい景色をみることができました。しかも川にはちょうど船がくだってきて,とてもいい写真が撮れたので,私はすっかりそれで満足しました。

 そんな具合で,苦労したあげく,途中で丸山千枚田に寄るというおまけまでついて,なんとか瀞峡が展望できる場所にたどり着くことができたのですが,ここで,何と信じられない奇跡が待っていたのです。これまで迷ったことがすべて吉と出たのです。それは,今考えても,いくら私が運がいいとはいっても,これはあり得ないほどのあまりの強運だったのです。
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 展望台があった下にはガイドブックに載っていた瀞ホテルがありました。もう宿泊はできないそうですが,喫茶が楽しめ,事前に予約をすれば昼食が食べられるとガイドブックにありました。しかし,瀞ホテルは閉まっていました。
 ちょうど瀞ホテルの方からやって来た人がいたので聞いてみると,この展望台の先は河川敷まで下りることができる道があるということでした。そこで,とりあえずその道を河川敷まで下ってみました。すると,そこにテントがあって,川岸にさきほどの船が停まっていて,乗っていた人が降りるところでした。そこは「川舟観光かわせみ」が運航している瀞峡観光の川船の乗り場で,次に出発する船に乗るために集まった4人の観光客と出船の準備をしている船頭さんがいました。
 私は,当然,船の予約はしていないから,彼らが乗り込むのを見ていただけだったのですが,すると「乗りますか」と声をかけられました。この,意外な,というか,望外な成り行きに自分でも驚きました。断る理由などありません。料金は2,000円ということだったので,お金を払って乗り込みました。これで乗客は私を入れて5人となりました。聞いたところでは,定員は7人で,それに満たなければ予約なしでも乗れるということでした。
 もし,私がこの場所に来るのがあと5分でも遅く,船が出てしまっていたら,あるいは,5分早く,まだ船が着いていなかったら,そんなことは起きていなかったわけです。そもそも私は「川舟観光かわせみ」を知りませんでした。しかし,この川舟観光は,この旅でもっと楽しく,かつ,思い出に残るものになったのでした。


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 旅の2日目。
 朝7時に「温泉宿の朝食」をとってチェックアウトしました。今日は瀞峡というところに行くことにしていましたが,心配だったのは天気でした。
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 紀伊半島にはさまざまな見どころがあるのですが,それぞれが離れていることや,その場所がよくわからないことが多く,回るのに骨が折れます。アメリカでもユタ州のあたりに多くの国立公園があって,それぞれがすごく離れていて移動がたいへんなのですが,それぞれのスケールが紀伊半島のそれとは格段に違います。
 私はこの旅では,何となく,あらぎ島と瀞峡に行くことができればいいなあと思っていたのですが,あらぎ島は1日目に行くことができました。2日目に行こうと思っていた瀞峡ですが,幸い,2日目も天気はよく,大いに期待しました。
 しかし,瀞峡がどこなのか,どこに行けばその雄大という姿がみられるのか,さっぱりわかりませんでした。
 このことは次回,詳しく書きますが,ともかく,瀞峡に行こうと走っていたのに道に迷い,なかなか着きません。道に迷っていた途中で丸山千枚田という道路標示を見つけたので,ともかくも,まずはそこに行って見ることにしました。

 私は雑誌の類を読まないし,民放はドラマしか見ないのですが,それはコマーシャルのないFODか,録画したものはコマーシャルを飛ばしてしまうので,丸山千枚田が雑誌やコマーシャルで取り上げられているとしても全く見たことがありません。だから,丸山千枚田がどういうところなのか知りませんでした。
 国道311号線沿いの山の中に,まるでアメリカの小さな町のような感じの集落があっておどろいたのですが,小さな案内標示に従って左折して狭い道を結構登っていくと,忽然とすばらしい風景が広がりました。そこが丸山千枚田でした。
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 丸山千枚田は、三重県熊野市紀和町丸山地区にある標高736メートルの白倉山の南西斜面を利用した棚田群です。 千枚田といっても,現在は,高低差160メートルの谷合に約1,340枚もの棚田があります。その中で最も小さい田は0.5平方メートルしかなく,それはわずかイネ二束です。棚田の法面は城の石垣にある野面積みを主とした石積みです。
 浅野幸長が紀伊に移封された1610年(慶長6年)にこの地で検地が行われたときには,既に約2,000枚の棚田があったとされるそうです。往年,棚田は近くの銅鉱を中心とした鉱山での労働との兼業によって維持されていたのですが,やがて鉱山が閉山したり,後継者不足に高齢化,さらには,減反政策やコメの価格低迷,機械化が難しいことなどで耕作放棄が進みました。
 そうした折,この歴史的遺産を残そうと,1993年(平成5年)に当時の紀和町長が支援を表明し,「丸山千枚田保存会」が結成され,棚田オーナー制で観光への活用が図られたことなどで,現在の状況が維持されているそうです。
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 私が行ったときは天気がよかったこともあって,ここはまるで桃源郷のような景色でした。また,ちょうど農作業の休憩時間だったらしく,作業する人たちが楽しそうに雑談をしていました。


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 今の季節になるときまって思い出すのが,映画「男はつらいよ」です。それは,この季節に毎年新作が発表されてそれを見にいっていたからです。
 以前,このブログにこう書いたことがあります。
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 人の最高の生き方というのは,まさに「寅さん」だったということに思い当たりました。「寅さん」は的屋という仕事をしているので無職ではありませんが,自由気ままという感じが私には無職のように思われます。端的にいえば,「住所不定・無職」,そして偉ぶらず「人にやさしい」ということこそが,最高の幸せの姿であるわけなのです。それこそが,実は多くの人が望んでいるにもかかわらず,最も得ることが困難な生き方なのです。
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 ということなのですが,この映画に出てきた,旅に出た「寅さん」が田舎の小さな旅館に宿泊しているシーンが大好きでした。

 車で気ままに旅をするのが最も簡単な国はアメリカです。どんなところでも,モーテルがあって,予約をしなくても宿泊できます。広い駐車場に車を停めて,チェックインして宿泊代を払えば,あとは自由です。
 それに比べて,日本を旅するためには,都会にはビジネスホテルがありますが,郊外に出ると,事前に宿泊場所を決めないと,当たり外れが大きすぎたり,あるいは泊るところがなかったりと,結構難儀をします。さらに,複数人での宿泊が基本で,ひとり旅では宿泊できなかったり,割高だったりすることも少なくありません。また,女性のひとり旅お断りなどというところも以前は少なくありませんでした。それは,旅が日常であるアメリカと旅は特別なものであった日本との違いでしょうか。
 その一方で,日本の旅館では,通常,豪華な夕食と朝食が提供されたり,広い温泉があったりと,うまくいけば,アメリカにはないよさがあります。
 私は海外旅行ばかりをしていたので,日本でそうした旅館に泊まることもあまりなかったのですが,このごろになって,そのよさに目覚めました。

 私のこだわりは,団体客が宿泊しないようなとにかく小さな旅館であること,和室であること,そして,朝食がバイキングでないこと,さらには,できるだけさびれていて,平日ならほかに宿泊客がいないようなところであること,などです。でないのなら,私が通常都会で宿泊する東横インでいいのです。
 しかし,これを見つけだすのが,結構難儀なのです。
 今回もずいぶんと探して見つけた十津川温泉でしたが,結果は,私の希望通りでした。
 そんなわけで,おいしい夕食をたらふく食べて,何度も温泉につかって,翌朝はまず温泉からはじまって,朝食を食べて,と,満足しました。

 今回の紀伊半島も,5月に出かけた山形県をはじめとする東北地方も,そしてまた四国も,車で走っていると,〇〇温泉というところがずいぶんとあります。それらに中には,名の通った有名なところでなく,こんなところにおもしろそうな場所があるんだ,というところが決して少なくありません。
 そんな場所で,先に書いたような,私が理想とする旅館を探して,何も予定なく,気ままにひと夜を過ごす,そんな贅沢こそが日本を旅する最大の醍醐味ではなかろうかと,このごろ思うのです。

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 はじめて見たとき,今日の写真の場所がどこかは知らねども,日本にもこんなところがあるのかと思いました。これはまるでアメリカのホースシューベンド(Horseshoe Bend)の日本版ではなかろうか? まったくスケールは違うけれど…。
 ということで調べてみると,それはあらぎ島というところでした。しかし,その位置をさらに調べると,それがまたえらく不便な場所にありました。
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 あらぎ島は蘭島と書き,和歌山県有田郡有田川町清水にある棚田の通称名です。本来のなまえは嶋新田だそうです。
 「日本の棚田百選」「関西自然に親しむ風景100選」「和歌山県朝日夕陽百選」に選定されているところです。有田川がΩ字に曲がりくねった穿入メアンダー地形の内側が舌状の台地となっていて,全体の面積は約 24,182平方メートル,大小の水田54枚が階段状の扇形に形成されています。
 最上段の「天井田」で収穫された米や餅米でついた餅は秋篠宮夫妻や悠仁親王に献上されているということです。
 江戸時代の初期,1655年(明暦元年)に地元の庄屋・笠松左太夫の資金提供と指導のもと,地元の農民によって上湯用水工事が開始され,それと平行して水田の開墾が行われたものです。
  ・・・・・・

 この旅で十津川温泉に宿泊することだけは決まっていましたが,それ以外は未定でした。それは,出発する前,大阪からどこに寄ってから十津川村に行こうか,また,十津川村からどこに寄ってから帰ろうかと地図を眺め,さらに,昨年の冬に紀伊半島を半周した後で購入した旅行ガイドブックを読んでも,要領がつかめなかったので,当日成り行きにまかせようと,調べるのをやめてしまったからです。
 理由はふたつあります。
 そのひとつは,紀伊半島がやたらと広いだけでなく,紀伊半島についての詳しいガイドブックを探しても,結局は,和歌山県の白浜や熊野古道,そして,伊勢志摩などの人気の観光地が重点的に載っているだけで,それ以外の場所については詳細に記述したものが少なかったことです。
 もうひとつは,山また山の紀伊半島は,道路が山の中をくねくねと走っていて,しかもその道路が果たして実際に楽に走れるものかどうかすらわからなかったので,どこを走ったらいいのか決めかねたことです。それは,実際,昨年,そんなことととは知らず走った国道425号線というのが,国道とは名ばかりで,通称「日本三大酷道」のひとつといわれるほどひどく,悲惨だった経験があるからです。
 私は,アメリカは走り慣れていても,日本の山岳道路がこれほどひどいものだとは知りませんでした。しかも,あらぎ島は地図上の距離では十津川村とさほど離れていないのに,そこにアクセスするにはずいぶんと迂回しなければ道路がないので,どうしたら行くことができるか見当がつきませんでした。アメリカの道路地図は,道路が1車線なのか2車線なのかという表示も載っています。しかし,日本の地図は,国道といっても名ばかりだったりするし,道路の状況は走ってみなければわからないのです。おまけに,工事で不通になっていたり,やたらと片側交互通行だったり,道路標示が途中でなくなったりといったことが頻発するのです。

 大阪市美術館を出て,あらぎ島に行くか行かないか決めかねながら,とりあえず,大阪市から橋本市まで走りました。
 橋本市に着いて,まずは橋本市にあったコンビニで軽い昼食を買いました。まだ午前中だったし,天気もよかったので,だめなら引き返せばいいやと,あらぎ島へ行くのを決行することにしました。それがまあ,思った以上に遠かったこと。
 私が進む道は山の中へ向かっているのに,結構な車が走っていました。延々とくねくねの山道を走っていったら,何と高野山に着きました。多くの車は高野山に向かうものだったのです。高野山は私はこれまで行ったことがなかったのですが,有名な高野山はこんなに遠いのかと驚きました。高野山を過ぎたら,走っているのは私の車だけになりましたが,あらぎ島はまだ先でした。
 さらに走って,なんとかあらぎ島に到着したのですが,今度は,駐車場が,また,あらぎ島の展望台から結構遠いところにありました。でも,駐車場があっただけましというべきか。
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 あらぎ島は,帰宅後に調べたら,結構な人気スポットで,多くの観光客が訪れるところだったようです。時期によっては,広い空き地にあった駐車場が満車になることもあるとか。幸い,私が行ったときはほかにだれもおらず,あらぎ島の展望台からは美しい田園風景を見ることができました。
 という次第ですが,今日は,私の写したあらぎ島とホースシューベンドの写真をご覧ください。

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 大阪市美術館で開催されている「ドレスデン国立古典絵画館所蔵フェルメールと17世紀オランダ絵画展」を見にいくついでに,2022年7月21日から7月22日,1泊2日で大阪と奈良へ旅行しました。
 まず,自宅から車で直接大阪に行って,天王寺の適当なところに車を停めて大阪市美術館に行き,せっかくだから,帰りはどこか適当なところに1泊して帰ってこようという計画でした。

 現在,県民割とかブロック割とかで結構な補助が出るので,ずいぶんと安価に宿泊ができます。先月行った木曽駒高原でもその恩恵にあやかりました。
 そこで,もともと都会や人混みは大嫌いな私は,今回もまた,どこかのどかなところはないかと探しました。はじめは和歌山県のどこかと思ったのですが,残念ながら,和歌山県は,愛知県に住む人はブロック割の対象外でした。次に探したのは滋賀県や京都府だったのですが,いずれも対象外でした。
 あきらめかけていたのですが,なんと奈良県はブロックなどというケチなことはいわず,割引は全国対象でした。そこで奈良県に1泊することにしました。さすがわが愛する奈良県です。奈良県は,全国の旅行者を対象に,宿泊代から5,000円,さらにお土産代として3,000円分の補助が出るのです。
 次に,奈良県のどこにするか,だったのですが,昨年の冬に今回と同様大阪市美術館に行ったとき,帰りに紀伊半島を半周した,そのときに立ち寄った十津川温泉を思い出して,そこへ行くことにしました。
 私がイメージしたのは,数年前に行った岩手県花巻の台温泉で宿泊した家族経営の小さな温泉宿。そういところに平日に行くなら,ほかに宿泊客もほとんどいないだろうから,温泉は独占できるし,豪華な食事は部屋で食べることができるだろうと思いました。そして楽天トラベルで見つけたのは平谷荘というところでした。

 さて,準備ができたのでいよいよ出発です。途中どこに寄るかは行きながら決めることにしました。5月に山形に行ったときもそうだったのですが,事前に決めておいてもうまくいけるかどうかわからないし,そもそも,いろいろ調べるのが面倒だったからです。
 しかし,行ってみてわかったのは,もともと観光客が少ないところなので,事前の予約がないと利用できない施設などがあったということでした。しかし,それは止むを得ません。まあ,またいつか行くこともできるだろうから,そういうところはその次の機会でいいや,と思いました。ところが,これがまた,望外な結果を生んだのです。このことはまた後日。

 「ドレスデン国立古典絵画館所蔵フェルメールと17世紀オランダ絵画展」のことはすでに書いたので,今日は,その前に時間つぶしに寄ってみた四天王寺と竹本義太夫の写真を紹介します。
 私は,東京や京都はほとんどのところに行ったことがあるのですが,大阪は意外なほど知りません。四天王寺も行ったことがないので,寄ってみたわけです。
 入口で石鳥居が迎えてくれました。これは,鎌倉時代の1294年(永仁2年)に四天王寺の別当となった忍性が再建したもので,現存する最古の石造鳥居だそうです。
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 四天王寺は「和宗」の総本山の寺院で,山号は荒陵山,本尊は救世観音です。「和宗」というのは,聖徳太子の「十七条の憲法」の第1条「和をもって貴しとなす」からとったもので,特定の宗派に分かれる以前の仏教の伝統を今も守り続けているというものだそうです。
 「日本書紀」によれば,四天王寺は,聖徳太子によって,593年(推古天皇元年)に造立が開始されたといいます。蘇我馬子の法興寺と並び日本における本格的な仏教寺院としては最古のものです。
  587年(用明天皇2年),崇仏派の蘇我氏と排仏派の物部氏の間に武力闘争が発生しました。厩戸皇子は蘇我氏の軍の後方にいましたが,白膠木という木を伐って四天王の像を作り,「もしこの戦に勝利したなら必ずや四天王を安置する寺塔を建てる」という誓願をしました。
 その甲斐あって,味方の矢が敵の物部守屋に命中し,蘇我氏の勝利に終わりました。その6年後,聖徳太子は摂津難波の荒陵で四天王寺の建立に取りかかりました。寺の基盤は物部氏から没収した奴婢と土地が用いられたといいます。
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  聖徳太子の草創を伝える寺は四天王寺と法隆寺のみです。とはいえ,法隆寺が飛鳥時代・奈良時代にさかのぼる建築や美術工芸品を多数残すのに対して,四天王寺は,早くも平安時代の836年(承和3年)には落雷で五重塔が破損し,960年(天徳4年)には火災によって全山焼失してしまうなど,度重なる災害のために古い建物はことごとく失われてしまいました。現存の中心伽藍は1957年(昭和32年)から再建にかかり,1963年(昭和38年)に完成したもので,五重塔はこれで8代目となり,鉄筋コンクリート造りです。
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 四天王寺から大阪市美術館に戻る途中で見つけたのが超願寺にあった竹本義太夫の墓でした。
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 竹本義太夫は1651年(慶安4年)に生まれ1714年(正徳4年)に亡くなった義太夫節浄瑠璃の創始者です。近松門左衛門の「出世景清」「曽根崎心中」を独特の節回しで語って大当たりをとったことで,以降,浄瑠璃を義太夫節というようになりました。
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 私は竹本義太夫の名前を知っているだけで,浄瑠璃はまったくわかりません。


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 早朝5時に家を出て,国道1号線,東名阪自動車道,西名阪自動車道,阪神高速道と経由して,天王寺に到着しました。
 前回も来たのでわかっていたのですが,天王寺のあたりは探すと結構安価な駐車場があるので,そこに車を停めました。
 大阪というところは場所によってさまざまな顔を持っていて,よそ者の私にはさっぱりわかりません。特にディープな大阪は,大阪に住む女性が怖いとさえいうのですが,アメリカの治安の悪いところに比べれたら知れています。
 到着したのがまだ早かったので,まず四天王寺に行ってみました。このときの様子は次回書くことにして,今日は,実際に見てきた「ドレスデン国立古典絵画館所蔵フェルメールと17世紀オランダ絵画展」のお話です。

 「ドレスデン国立古典絵画館所蔵フェルメールと17世紀オランダ絵画展」は,ほかにも多くの作品が展示されてはいますが,とどのつまり,フェルメールの「窓辺で手紙を読む女」(Briefleserin am offenen Fenster)1点豪華主義のものです。
 心配だったのは天気でしたが,いつものように,晴れ男の私を天は裏切りませんでした。午前9時30分開場だったので,その30分ほど前に行ったら,すでにひとりの男の人が待っていました。ほかにすることもないので,私も30分待つことにしました。30分前に行ったのは大正解で,その後,次第に並ぶ人増えてきました。今回は土日だけは時間指定となっていて,平日は予約不要でした。以前のようにすべて予約にすればいいのにと思いました。
 そんな次第で長い列ができていたのですが,私は,開場と同時に美術館に入り,ほかのすべての展示を通り過ぎ,お目当ての「窓辺で手紙を読む女」まで行ったので,じっくりと対面することができました。
 海外旅行には行くことができなくなりましたが,それまでに私は行きたかったところはそのほとんどすべてに行ったので悔いもなく,むしろ,この長引くコロナ禍で何がよかったかというと,美術展が落ち着いて見られること,クラシック音楽のコンサートで,私の嫌いな,曲が終わったと同時に「ブラボー」と叫ぶバカな輩がいなくなったこと,そして,日本の観光地がどこも空いていることです。

 さて,「窓辺で手紙を読む女」,この作品に限ることではないのですが,展示されるフェルメール作品はどれも修復が終わったばかりのものが多いので,まるで今日描かれたばかりのようにとても美しいのです。
 絵画も建築も,音楽のような時間芸術と違って,こうして修復を繰り返しながら後世に伝えられていくものなのでしょう。それに対して,お寺にある仏像の多くは昔のままです。仏像もまた絵画のように修復されたとしたら,きっとイメージする現在の古びた姿とはまるで異なるかもしれませんが,なぜか,仏像は古いままです。

 前回も書いたように,修復された「窓辺で手紙を読む女」には画中画としてキューピットが現れてこれまでとは正反対の解釈となったということですが,今回の展示を機に,私は,図鑑で他のフェルメールの作品を見直してみたところ,フェルメールの数多くの作品にも画中画が描かれていて,むしろ,修復されたもののほうがずっとフェルメールらしいと確信しました。
 フェルメールの作品で,描かれた絵の壁に画中画がないのは「牛乳を注ぐ女」(The Milkmaid)「レースを編む女」(The Lacemaker)「ヴァージナルの前の女」(Lady Seated at a Virginal),そして「真珠の首飾り」(Woman with a Pearl Necklace)くらいのものです。この中で「真珠の首飾り」もまた,当初は壁にネーデルラントの地図が描かれていたということですが,これは今のところはフェルメールが自身が消したということです。しかし,「窓辺で手紙を読む女」のことを知ると,「真珠の首飾り」で画中画を消したのがフェルメール自身であるとされているのもまた,本当かなあ,と思わざるを得ません。
 なお,「青衣の女」(Woman Reading a Letter)の後ろの壁にも地図が掛かっているし,「リュートを調弦する女性」(Woman with a Lute)の背後にもやはり地図があります。さらに「真珠の首飾りの女」のスパニッシュチェアの上にはリュートが置かれているという記述がありますが,本などに載っているこの絵を見てもよくわかりません。
 画中画にキューピットが描かれているのは,修復された「窓辺で手紙を読む女」以外にも「ヴァージナルの前にたつ女」(Lady Standing at a Virginal)と「中断された音楽の稽古」(Girl Interrupted at Her Music)があります。
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 こうして,念願だった「窓辺で手紙を読む女」をこころゆくまで堪能することができてすっかり満足した私は,その後,美術展のはじめに戻って,ゆっくりとそれ以外の作品を鑑賞したのでした。


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 本当に地球はどうなってしまったのでしょう。おかしな病気が蔓延するし,天候は不順だし,経済もおかしいし,相変わらず人間は軍拡に忙しいし…。
 インバウンドでいやだったけれど,それでも数年前の世の中が懐かしいです。
 ということで,四季折々の懐かしい思い出を語りましょう。

 京都にはさまざまな祭りがあります。先日も祇園祭をやっていました。そんな,見て楽しむ祭が多いなかで,だれでも参加できるのが「みたらし祭」で,平安時代の貴族が季節の変わり目に禊をして罪や穢れを祓っていたものが庶民に伝わりました。「みたらし祭」は,下鴨神社の御手洗池に足を浸して無病息災を願うもので,別名「足つけ神事」といいます。毎年7月の「土用の丑の日」前後に行われます。私も数年前に一度行ったことがあります。
 受付でお供え料をおさめてロウソクを受け取り,靴とロウソクを手に持って御手洗池へと向かいます。御手洗池にかかる輪橋の真下から水の中へ入り,御手洗池の中を進み,種火のある小さな祠があるのでそこでロウソクに火を灯すのです。そのままロウソクを手に持ち火を消さないようにさらに先へと進みます。そして,最終地点の御手洗社前の祭壇にロウソクを献灯し無病息災を願うというものです。
 最後に,祭壇にロウソクをお供えして池から上がったところで神水をいただいて終了です。
 下鴨神社はみたらし団子発祥の地です。「加茂みたらし茶屋」のみたらし団子は御手洗池から出てくる泡を形どったもので,串に5個のだんごが刺してあるのは,人間の身体・五体を表しているとされていて,1個は頭を表しているので離れて刺さっているのです。

 みたらし川は,土用のころになると池の周辺や川の底から清水が湧きでるところから「下鴨神社の七不思議」のひとつにかぞえられています。
 「下鴨神社の七不思議」とは次のものです。
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●連理の賢木(れんりのさかき)
 「相生社」の左側にあって2本の木が途中で合体しているものです。縁結びのご利益があります。 
●何でも柊(なんでもひいらぎ)
 「比良木社」,正式名称は「出雲井於神社」の左手の植栽のまわりに植えた木はすべて「ひいらぎ」のように葉がぎざぎざになっています。
●御手洗池の泡(みたらしいけのあわ)
 御手洗社は池の上に建っていますが,その池には玉のような泡とともに清水が湧き出ています。
●泉川の浮き石,烏縄手(からすのなわて)
 この細い流れは「瀬見の小川」とよばれています。烏は下鴨神社の御祭神で,縄手は細い長い道。そこで,烏縄手はヤタガラスの神様にお参りする道という意味で,紅葉橋は烏縄手のひとつです。紅葉橋のたもとに,昔,雨乞いのための「こがらし社」があって,雨乞いの願いがかなうと小石がはねたそうです。
●赤椿
 下鴨神社の神主は位が高く,他から来る位が低いお使いに気を使って赤い椿を植え,下鴨神官の装束が派手にならないように目立たないようにしたということです。
●船ヶ島・奈良社旧跡
 日照りや戦乱時に川の流れをかき回すと小石がはねて願い事がかなうということです。
●切芝
 糺の森のねそ,つまり,中心で,古代からの祭場です。
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 「みたらし祭」以外にも,下賀茂神社の御手洗池では,立秋の前夜に「矢取りの神事」が行われます。「矢取りの神事」は池の中央に50本の斎串を立てて裸男がうばいあうお祓いの神事です。また,「葵祭」にさきだって斎王代の禊の儀が行われています。

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 「ドレスデン国立古典絵画館所蔵フェルメールと17世紀オランダ絵画展」が大阪市立美術館で開催されているので,見にいくことにしました。レンブラント,メツー,ファン・ライスダールといった17世紀オランダを代表する画家たちの名品約70点が展示されるというのですが,この美術展の最大の注目作品は,何といってもヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer)の「窓辺で手紙を読む女」(Briefleserin am offenen Fenster)です。
 この美術展のウェブページにある紹介には次のようにあります。
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 ヨハネス・フェルメールの「窓辺で手紙を読む女」は初期の傑作です。1979年のⅩ線調査で壁面にキューピッドの描かれた画中画が塗り潰されていることが判明しましたが,長年,その絵はフェルメール自身が消したと考えられてきました。しかし,2017年の調査により,フェルメール以外の人物により消されたことが新たにわかり,翌年から画中画の上塗り層を取り除く修復が開始されました。この美術展では,修復過程を紹介する資料とともに,大規模な修復プロジェクトによってキューピッドが完全に姿を現した「窓辺で手紙を読む女」の当初の姿を,所蔵館であるドレスデン国立古典絵画館のお披露目に次いで公開します。
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 修復前の絵には陰影に富んだ灰色の大きな壁が描かれていました。その上塗りを取り除いて出てきたキューピッドは,湾曲した弓を持ち,仮面を踏みつけています。これは「正直で誠実な愛だけがうそや偽善に打ち勝つことができる」と告げているのだといいます。
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 開け放たれた窓から差し込んだ光が手紙に目を落とす若い女性を明るく照らしだしているのですが,これがとてもフェルメールらしいです。また,絵画の右側にはカーテンが描かれていて,これがだまし絵のような効果を狙っているのですが,そうなると,修復されて現れたキューピッドがあるほうが自然のように,私には思えます。 

 修復される前,「窓辺で手紙を読む女」は,開かれた窓は「女性が自分の置かれている環境から脱出したいという願望」であって,ベッドの上にこぼれた果物は「性的暗示や不倫関係の象徴」などといわれていました。 また,女性が光から目を逸らしてうつむき頬を紅潮させていることは「神への罪悪から目を背けている」ということでした。
 しかし,修復後に現れたキューピッド(Cupid)はローマ神話で愛や恋の神のシンボルであることから,絵画に「愛の神」を配置したことで,この絵は偽装や偽善を乗り越える誠実な愛の証しとして捉え直されたということです。すると,女性が読んでいる手紙はラブレターであり,キューピッドの前にある仮面は過去の男性への恋愛感情の否定で,女性は今,ラブレターを贈った男性に心からの愛情と恋慕を抱いているということになるそうです。
 もともと,フェルメールがそうした意図で描いた絵画であるのに,フェルメールが現在のように評価されていなかった当時,ある人物がそれを消し去って,本作を人気画家だったレンブラントのように偽ることでその価値を高めようとしたのでは,という解説がありました。
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 私は,これで,フェルメール全37作品のうちの21作品を見ることになります。

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 子供のころは,日本のプロ野球のオールスターゲームが楽しみでした。
 しかし,3ゲームもあったし,せっかくのお祭りだというのに,読売巨人の王貞治選手や長嶋茂雄選手が出ずっぱりで,他のチームの選手が出場しても代打くらいでしか出られず,また,別のチームの投手の球種を盗むだのといったようなレギュラーシーズンの思惑ばかりを解説していたので夢も冷め,すっかり嫌になりました。日本はそういう国です。

 一方,アメリカのオールスターはたった1ゲーム。しかも,開催される都市は,ゲームだけでなく,開催される前日から街全体が開催を名誉としフェスティバルとなります。いいなあ。
 さて,そんな,ミッドサマー・クラシックと称されるアメリカのオールスターゲームですが,もう,私は興味から卒業して,今は特に関心があったわけでもないのですが,いつものようにメジャーリーグベースボールを見ようとテレビをつけたら放送していて,今日が,というか,現地時間では昨日の夜ですが,ミッドサマークラシックなんだと気づきました。2001年にハリウッドのマクドナルドで置き引きに遭って以来,大嫌いになったロサンゼルスだったのに,2018年に再び行って以来,その気持ちが変わり,今ではなつかしいロサンゼルスです。そのロサンゼルスの古ぼけたドジャースタジアムが,なぜか今年のオールスターゲームの開催地でした。
 それにしても,いつもそうですが,現地の放送を英語で聴きながらメジャーリーグベースボールを見るのは何とこころときめくことか。すっかり現地に出かけてスタンドで見ている気持ちになりました。しかし,相変わらず,NHKBS1では時折放送に挟まれるニュースと日本のスタジオからの音声で,私の夢がさまされるので,幻滅して消音にしては,そのたびに勝手にしろ,と思うのです。

 さて,今年は,アルバート・プホルス(José Alberto Pujols Alcántara)選手現役最後の年ということでした。
 ボルチモア・オリオールズに所属したカル・リプケン(Calvin Edwin Ripken Jr.)選手,ニューヨーク・ヤンキースに所属したジーター(Derek Sanderson Jeter)選手など,現役最後の年にオールスターに出場するというのは,何と幸せなことでしょう。
 アメリカ人は,そういう,業績を残した人の最後をみんなで称えお祝いするの大好きなのです。それに対して,日本人は「やっかみ文化」。劣等感とひがみがその根底に存在しているので,一度は成功した人が没落する様を見るのが大好きなのです。
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 アルバート・プホルス選手は,2001年のデビューから2010年までの間打率.300・30本塁打・100打点を10年連続で達成したMLBにおける最高の打者のひとりです。
 1999年のドラフトでセントルイス・カージナルスから13巡目(全体402位)で指名されて入団しました。やがて,2011年12月にロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムと10年間の契約に合意し,移籍しました。契約終了後,2021年5月にロサンゼルス・ドジャースと契約し移籍,11月にFAとなった後,セントルイス・カージナルスに復帰しましたが,2022年限りでの現役引退を表明しました。
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 私は,2019年,大谷翔平選手とともに,アルバート・プホルス選手を現地で見たことがあります。

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 私の好きなドラマのひとつ「コンフィデンスマンJP」に次のような紹介文があります。「目に見えるものが真実とは限らない」のあとは毎回文章が異なるのですが,たとえば「スーパードクター編」では
  ・・・・・・
 目に見えるものが真実とは限らない。
 医学は本当に進歩しているのか。
 長生きすることは本当に幸せなのか。
 医療モノやると本当に視聴率が上がるのか。
 コンフィデンスマンの世界へようこそ。
  ・・・・・・
です。
 まあ,何事も,結局のところ,何が真実なのかわからない,ということです。
 専門家と称する人の言うことも,それがすでに起きた事象に関する分析は確かに専門であっても,それをもとにした予測は当たりません。専門家がどれほど専門であるか,素人のわれわれがもっとも明白にそれがわかるのは,将棋の解説だったりします。あれだけ強いプロの棋士が解説しているのに,AIの発達によって,AIがすべて正しいとは限らないにしても,それが指し示す手順と全く異なるちんぷんかんぷんなことを説明していたりすることが多々あって,それはまず正しくないのです。
 要するに,いかに学問が発達しようと,わからないことはわからないのです。それは,学問を否定することではなく,現在の学問ではこの先はわからない,という領域は,推測で言うのではなくわからないと言うべきだということです。素人が語ればそれは単なる感想であっても,専門家が語ればそれが真実と受け止められてしまう。それが専門家です。だから,専門家は,わからないことは安易に語らないほうがいいと思うのです。

 と,前書きが長くなりましたが,今日,私が季節を感じるのは,どうでもいいといえばいい「梅雨入り」と「梅雨明け」です。「梅雨入り」やら「梅雨明け」,そこに学問的な厳密な定義などないらしいのですが,それでも毎年気になる「梅雨入り」と「梅雨明け」。
 なのに…。
 それにしても,今年の天気は不順すぎます。というより,梅雨前線がどうのこうのといった難しい話は抜きにして,素人の私は,感覚的には,今年は「梅雨明け」と報道されたときが実際には「梅雨入り」で,今が梅雨末期の豪雨,だから,未だ梅雨は明けていない,と考えたほうがいいような気さえします。
 今日の写真は,ちょうど昨年の今ごろに写したものです。
 思い出すに,昨年の「梅雨明け」は7月17日でした。その後はずっと天気がよくて,毎日,日没ごろに散歩をしたり写真を写したりして楽しみました。ひまわりもきれいに咲いていました。思えはいい季節でした。
 それが今年はどうでしょう。6月の中旬に早くも「梅雨明け」したらしいということで,その後わずか数日間だけ晴れたら摂氏40度近い猛暑になりました。しかし,その後は一転して雨ばかり。ここ数日は,太陽すら見ていません。
 若いころ,職場の登山好きの同僚が「梅雨明け10日」という話をしていました。それは梅雨明け後の10日間が最も天気が安定するので登山には最適だという話でした。私は,梅雨明けという報道があると,いつもそれを思い出すのですが…。
 「梅雨明け10日」。それもまた,「真実とは限らない」のでしょうか…。

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 2018年,2度目のニュージーランドに行きました。
 今にして思うと贅沢な話ですが,そのころニュージーランドにそれほど行きたいと思っていたわけではないのです。その2年前,はじめて行ったテカポ湖で写した星空の写真にわずかばかりの雲がかかっていたことが満足できず,もう一度挑戦したいとは思っていたのですが,テカポ湖の付近は安価に宿泊できるところが少なく,半ばあきらめていました。安い宿があればまた行ってもいいなあ,となんとなく考えて,そうした宿泊場所があれば通知がくるようにと設定してあったところ,それが見つかったという通知がきたので,急遽行くことにしたのでした。
 そして,せっかく行くのなら,ということで,ミルフォードサウンドまで足をのばすことを考えました。しかし,ミルフォードサウンドは遠く,車で行くのは不可能に近かったので困ったのですが,幸い,クイーンズタウン発の現地ツアーを見つけました。テカポ湖からクイーンズタウンまでは車で行くこともできるのですが,このころはもう,それだけの長距離を運転する気がなくなっていたので,一旦クライストチャーチに引き返して,そこから飛行機を利用することにしました。クライストチャーチからクイーンズタウンまでは距離的には名古屋から山形,という感じだったでしょうか。

 そのときに利用したクライストチャーチの空港で,今でも不思議に思うことがありました。
  ・・
 クライストチャーチの空港は,それほど大きなものではないのですが,クライストチャーチからクイーンズタウンに向かう飛行機の乗り場は,ローカル線ということもあって,空港の一番奥まったところにありました。空港内をずっと歩いて行くと,広い待合室に出ましたが,その間に,セキュリティは確か,まったくありませんでした。つまり,だれもがそこまで行くことができるわけです。
 待合室には多くのイスが並んでいて,その向こうに,私が乗るプロペラ機が見えました。
 待合室で,隣にいた人と「ここまで来るのにセキュリティはなかったよね。この先にあるのかな?」みたいな話をした記憶がありますから,私の勘違いではないと思うんだけどなあ。
 で,搭乗時間になったという放送があったので,ゲートに行きました。
 それがまあ,飛行機に乗るまで,結局セキュリティがなかったらしいという記憶なのです。これには驚きました。というより,のどかなもんだなあ,と思いました。まるで村のバス乗り場と同じでした。昔は世界中どこもこんな感じでした。
 なのに,タラップに向かう通路から飛行機の写真を写そうとカメラを構えると,ここで写真は写していけません,と言われました。セキュリテイもないのに,飛行機の写真は撮影禁止とは,何かがおかしいので,とても不思議な気がしました。これもまた,他の空港では経験したことがありません。
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 クイーンズタウンからクライストチャーチへの帰路でのこと。クイーンズタウンの空港はこじんまりしていましたが,それでも,セキュリティはありました。
 ということで,一体,あれは,夢だったのか,幻だったのか,何かの間違いだったのか,私の勘違いだったのか…。
 今でも不思議だなあと思うことでした。
 なお,この旅では,幸いにして,テカポ湖で雲ひとつない星空の写真を写すことができました。今日載せたのはそのうちの1枚で,中央に南十字星が写っています。

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 2022年7月14日に放送されたNHKBSP「コズミックフロント」は「アマチュア天文学の父・山本一清」でした。
 NHKのウェブページによると,内容は
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 新天体発見の数が世界一と言われる日本のアマチュア。日本はどのようにアマチュア天文大国となったのか? その礎を築いた天文学者山本一清の生涯に迫る。
  ・・・・・・
というものでした。

 しかし,この番組は,山本一清さんの人生を語るというよりは,山本一清さんによって育てられたアマチュア天文家たちの偉業を,反射鏡研磨の側面からは中村要さんと木辺茂麿さん,そして,彗星捜索の側面からは本田實さんと関勉さんを取り上げて構成したものでした。実際の山本一清さんは仕事ではさまざまな問題を抱えていたのですが,それはこの番組の趣旨ではありますまい。
 私は,この番組に登場した人たちよりひとまわり後なので,レジェンドと思っていた人たちです。いわば伝説の人たちです。
 私は,学生のころは,そうした人たちの書いた書籍をたくさん読んだし,おとなになってからは,そうした人たちが活躍した場所や関わりのあった天文台などに興味をもって,番組で取り上げられていたところのそのほとんどに行ったことがあります。そして,ああ,こういうところで活躍していたんだなあ,という感慨にふけったものです。

 昔のことは,過ぎ去った今となっては,何事も美しく感じられるものです。
 今とは違って,だれもが貧しかったのですが,お金がなくとも,手製の望遠鏡を組み立てたり,また,新しい天体の発見を夢見て毎晩のように星空を見るという夢があったわけです。しかし,学者さんは育ちのよろしい一部の特権階級の人たちが多く,学問には権威主義がはびこっていて,今のように,アマチュアの人たちに施設を積極的に公開したり,講演会を実施したりすることも少なかったように思います。そんな時代だったのにもかかわらす,アマチュアの人たちに積極的に啓蒙活動をした山本一清さんだったということで,今,この番組で取り上げられているのでしょう。
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 当時の多くの若者が抱いていたような星への夢を今の若者に語ろうにも,時代は変わってしまいました。光害で星空が消え,満天の星を,また,天の川さえ見たことのない人も多いのです。また,新しい彗星は世界中の天文台がサーベイを行って根こそぎ発見してしまいます。超新星探しも,多くの大きな望遠鏡をリモートで操縦する板垣公一さんの独占場です。これでは,一般のアマチュアが手製の望遠鏡を使って肉眼で探す余地もほとんどなくなってしまい,それがアマチュア天文家の夢を奪ってしまったことは否定できないわけです。
 また,今も星空の美しさに憧れて,写真を撮ったり観望したりしている人のほとんどは,「月刊天文ガイド」が創刊されたころの中学生や高校生がそのまま齢をとって定年を過ぎたような人たちばかりで,望遠鏡もまた高性能化して,学生が買うことのできる値段ではなくなりました。今日では,天文はこの番組で出てきたころに興味をもった年寄りだけの趣味となってしまったようです。

 しかし,おそらく,今の時代には,その時代にあった別の楽しみ方があるのでしょう。だから悲観することはないと思ったりもするのですが,学問としての天文学ならともかく,一般の多くの人が楽しむためには,そもそも,夜空に満天の星がないとはじまりません。私は,そうした場所がどんどんとなくなっていくことがとても悲しいのです。

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 二大巨頭。強い横綱がふたりがいて,しのぎ合う,というのが最も理想の姿,なのかもしれませんが,そんな理想の姿を見たことは,これまでほとんどありませんでした。最もそれに近かったは,栃錦と若乃花,そして,輪島と北の湖だったでしょうか。
 あるいは,絶対王者がいて,その王者に挑む若手。それならこれまでもありました。
 しかし,現在の大相撲はそのどちらとも異なっていて,幕内上位はほとんど実力に差がなく,だれが勝つのかわからない,という状況を呈しています。つまり,どの取組も結果がわからないので好一番となるのです。

 また,幕下以下を見ても,将来有望という力士が少なからずいて,その力士見たさに早くから足を運ぶ,ということがありました。古くは,富樫,納谷。このふたりは,のちの柏戸,大鵬です。また,若花田,貴花田。のちの若乃花,貴乃花です。のちに稀勢の里となった萩原もそうでした。 
 しかし,残念ながら,現在は,探してもそういう力士すら見当たらないのです。
 おそらくそれは,高校や大学の相撲部出身者が増えたことで,中学卒のたたき上げが減ったことも理由のひとつでしょう。コロナ禍以前に場所前の稽古を見にいったことがあるのですが,昔の,竹刀でひっぱたくというのがいいわけではありませんが,そんな恐ろしげな稽古場風景とはまるで違っていて,学校の部活動のような感じでした。

 時代が違うからそれはそれでいいのでしょうが,もはや,横綱,大関という,単に強いだけでなく,名誉とか権威を伴った地位というものは,今や,それにそぐわないのかもしれません。だから,横綱になるような力士もほとんど現れないし,大関は横綱をめざすというよりも,その地位を保つだけで精一杯です。
 しかし,それは力士に限らず,何と,行司もまた,木村庄之助が長く空位になっているように,権威のある行司もいないのです。呼出しもしかりです。さらには,以前なら,審判長はほどんど横綱出身者だったのに,そういう親方さえ少なくなってしまいました。現役時代冴えなかった力士が親方となって偉そうにしてもたかが知れています。
 もはや,大相撲も,レーティングで毎場所のランキングを決めて,先場所優勝した力士が次の場所で一場所限りの横綱として土俵入りをする,といった制度に変えたほうがいいのかもしれません。が,それではファンは納得しません。

 私は,権威やら名誉やらというものが本質的には大嫌いだから,今の混沌とした状況はむしろ楽しいです。とはいえ,全体を見回しても,将来の横綱候補もなかなか存在しないし,以前のように,突然覚醒して横綱になった千代の富士のような夢のある力士も見当たらないので,ずっとこんな調子が続くかもしれません。だから,今の大相撲はアマチュアの相撲選手権みたいです。こんな状態が続くと,そのうち,優勝が10勝5敗とか,優勝決定戦に10人,などということが起きるかもしれません。
 ということで,だれが強いのか弱いのかさっぱりわからないけれど,みんなそれぞれ個性があって好感がもてるから応援したくなるし,ある意味,これほどおもしろい大相撲はこれまでにないものです。はたして,来年はどうなっているのだろう…。
 などと思いながら,私が見にいった4日目の好一番は若隆景対阿炎でした。


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 このところ,どころかずっと天気が悪く,私は楽しくありません。晴れていなくてもいいから,突然の雨だけはご遠慮してもらいたいものです。散歩にも出かけけられません。梅雨明けとはいっても,おそらく,実は今も梅雨なのでしょう。
 梅雨明け宣言というのは猛暑になって熱中症などの被害が出ないようにということで出されるイメージのようなものということだそうで,数日前の突然の猛暑に役立ったから,それはそれで役目は終わったということでしょう。そしてその言い訳として,今は梅雨の戻りというそうです。
 梅雨入りだの梅雨明けだのといった,そもそも,文系的なきちんとした定義すらないことにこだわるのも,日本の「雅の世界」のひとつなのかもしれません。

 さて,そんな毎日も,先日行った信州では運よく晴れて星見もできたから,私はそれで満足しているのですが,それでも,多くの天体現象を見損ねているのが残念です。
 7月13日は午前3時38分に満月になりました。この満月は,月と地球の距離がもっとも近くなるという,いわゆる「スーパームーン」でした。しかし,7月12日の夜はずっと曇っていて,これもまただめかとあきらめていました。ところが,翌日,いつものように早く目覚めた私は,ひょっとしたら,と窓を開けて外を見ると,何と雲の間から月が明るく輝いていました。ということで写したものが,今日の1番目の写真です。
 今年,地球と月の距離がもっとも遠くなったのは1月17日で,このときの距離が40万1,000キロメートル,そして,最短となったこの日の距離は35万7,000キロメートルでした。このふたつの月の見かけの大きさを比べるために両日の写真を並べようと1月17日に考えていたので,早速,それを実行しました。それが2番目写真です。
 こうして,考えていたことが実行できたので,私はすっかり満足しました。

 さて,7月12日にアメリカ航空宇宙局(NASA)が,2021年12月25日に打ち上げたジェームズ・ウェッブ宇宙望遠鏡(James Webb Space Telescope=JWST)がはじめて撮影した5枚の画像を公開しました。それに先んじて,その前日にはバイデン大統領が5枚の中の1枚である約46億光年先にある銀河団「SMACS0723」の画像を公開し,世界の天文学ファンが歓喜していました。
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 ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡は,ハッブル宇宙望遠鏡の後継機として,アメリカ航空宇宙局が中心となって開発を行った赤外線観測用宇宙望遠鏡です。
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 私は,公開された写真の中で,「ステファンの五つ子」(Stephan's Quintet)を写したものに最も興味を得ました。
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 「ステファンの五つ子」はフランスの天文学者エドゥアール・ステファン(Édouard Jean-Marie Stephan)によって1878年に発見された銀河の集団です。5個の渦巻銀河と楕円銀河から構成されているように見えるのですが,この中でNGC7320という渦巻銀河は見かけ上仲間のように見えても実際にはその距離は約3,900万光年で,互いに重力を及ぼし合ってコンパクトな銀河群を作っている残りの4個の銀河までの距離が約3億光年であるのとは大きく異なっているので,別のものです。
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 地球から約2億9000万光年離れたところにあるペガサス座の銀河群「ステファンの五つ子」は史上初めて発見された小規模な銀河群として注目されているものです。ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡で撮影された写真では,これまでに撮影されたハッブル宇宙望遠鏡の写真と比べて,その高い赤外線感度で,新たな研究対象が生まれたといいます。
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 「ステファンの五つ子」は14等星と暗いものです。
 近ごろのコアなアマチュア天体写真愛好家が写した多くの写真が公開されているので,私も簡単に写るのかな,と思ったのですが,私の持っているような非力な機材で写せるものではありませんでした。
 しかし,私が写した写真にも,今日の4番目の写真で〇で囲んだ部分にかろうじて存在していました。


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 今年も夏になって,暑い名古屋で大相撲名古屋場所が開催されたので,4日目,7月13日に見にいきました。
 大相撲名古屋場所は愛知県体育館,現在の名前はドルフィンズアリーナとかいうそうですが,そこで開催されています。私は,それ以前に開催されていた金山体育舘のころから今は亡くなった父親に連れられて見にいったことがありますが,そのときの様子が今も頭の片隅に残っています。それはかれこれ60年近く前のことでした。

 子供のころのことゆえ,記憶があいまいなので,改めて調べてみると,名古屋で大相撲が開催されるようになったのは1959年(昭和33年)からだそうです。それ以前は,名古屋では,東京での1月場所が終わって3月の大阪場所に向けて移動する途中の2月に準本場所が行われていたということです。これを見たことがあると私の父親が言っていました。
  1957年(昭和32年)11月,名古屋に先駆けて福岡で九州場所が開催され,それに遅れること1年,他の場所と重ならない7月という最も暑いときに,冷房施設のない金山体育館で名古屋で本場所がはじまりました。
 ということは,私が父親に連れられて見にいったのはその数年後であったように思われます。あまりの暑さに通路には氷柱が置かれ,休憩時間には客席へ向けて酸素ボンベから酸素が放たれたというのは有名な話ですが,そんなもので涼しくなったとは思えません。いくら今よりは涼しかったとはいえ,ちょっと尋常ではありませんでした。
 1965年(昭和和40年)にやっと冷房完備の愛知県体育館ができて会場が移されました。その当時,今年からは涼しいぞ,と父親が話していたのを聞いた覚えがあります。
 その愛知県体育館も老朽化が激しく,現在,2025年夏の完成をめざして移転新築計画が進んでいます。新しい愛知県体育館は,延床面積約58,400平方メートル,建物の高さが約41メートルという世界トップクラスの施設水準となるそうです。
  ・・
 私が知っている横綱は若乃花からです。
 当時「栃若時代」といったのに,私は栃錦の記憶はまったくありません。すでに横綱だった栃錦に遅れること3年,若乃花が横綱に昇進したのは1958年(昭和33年)でした。1960年(昭和35年)の5月場所で栃錦が引退したので,私が大相撲というものを意識したのが,ちょうどそのころだったということになります。
 なお,栃錦は,引退する年の3月大阪場所千秋楽で若乃花と全勝優勝をかけた直接対決で負けたものの14勝1敗の好成績でした。しかし,初日から2連敗した次の場所で「桜の花の散るごとく」引退してしまったのです。
 そして,私が最も印象に残る横綱である柏戸,大鵬の「柏鵬時代」の到来は1962年(昭和37年)のことでした。

 大相撲に限ることではないのですが,私の好奇心は,テレビでは知ることができない,たとえば,大相撲の1日の開始はどのようになっているのだろうか,名古屋以外の場所はどのように行われているのだろうか,などいうことに及びました。そこで,大人になってからは,午前8時過ぎから大相撲を見にいったり,東京の国技館をはじめ,大阪や九州にも行ったりと,いろいろエスカレートしました。
 そんなことを何度もして現在に至るのですが,もう,今はそんな好奇心も全くなくなって,一般の人と同じように,午後2時ころに見にいくように堕落? してしまったわけです。
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 この日もまた,午後1時ころには名古屋城に着いたのですが,まずは腹ごしらえと,「金シャチ横丁」にある1軒のレストランで,ゆったりとお昼を食べました。このご時世,会場ではお弁当すら売っておらず,また,客席では食事もできないので,早く行っても空腹と戦うことになりかねません。
 私はまったく飲みませんが,今場所からは1本に限り,座席でアルコールを飲んでもよくなったそうです。それは,コロナ禍以後,この名古屋場所がはじめてだそうですが,1本に限るというのはどうチェックするのだろう? 隣にいたおじさんはへべれけになっていました。
 こんないい加減な,きまりなのかルールなのか,はたまた,言っているだけのことなのか,いつものごとくやったふりだけの日本らしいアンビギュアス(ambiguous)さで,まあ,これも,もともといろいろとアンビギュアスなお相撲にピッタリなお話です。かつて,高等学校の政治経済の先生が「罰則のない決まりは決まりでない」と言っていましたけれど…。

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 ニュージーランドは大自然だけが美しいわけではありません。人が住んでいるところもまた,日本のように人口が多いわけでない,というのが理由かもしれませんが,きわめて美しいものです。
 私は南島しか行ったことはないのですが,2016年,ニュージーランドへ行ってはじめて降り立った都会であるクライストチャーチ(Christchurch)には広い公園もあり,快適でした。ただし,私が行ったときは,2011年に起きた大地震の跡がまだ多く残っていて,復興途中でした。そのころの私は,まだ,アメリカ以外にひとりで出かけたのがはじめてだったので,戸惑いだらけでしたが,その後,多くの都会に行くことができた今にして思うに,そのなかでも,すばらしい街のひとつです。

 さて,今日の写真は,クライストチャーチではなく,クイーンズタウン(Queenstown)です。ニュージーランド南島の内陸、ワカティプ湖(Lake Wakatipu)畔に面した町で,周囲の山々に囲まれたその美しさが「ヴィクトリア女王にふさわしい」(Fit for a Queen Victoria)として名づけられたことに由来するといいます。
 1862年,この地方で金脈が発見されて以来,町は急速に発展し,人口も数千人に増えましたが,金脈が尽きると人口は数百人に激減してしました。現在は避暑地のようなたたずまいでバラエティに富んだアクティビティの拠点になっています。

 クイーンズタウンから車で30分程度の距離にある簡素なアロータウン(Arrowtown)はゴールドラッシュ期に栄えた町で人気の観光地,ということなのですが,私は,そんなこととは知らず,偶然,ここに数泊したことがあります。
 私がアロータウンに滞在したのは,世界遺産のミルフォード・サウンドへ行くためでした。クイーンズタウンからミルフォード・サウンドへは車で4時間半もかかるのですが,それでも,最も近い都会なのです。
 これを書いていて,また行きたくなってきました。


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 かつて,次のように書いたことがあります。
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 アメリカ以外で私が何度でも行きたいのはオーストラリア(Australia),オーストリア(Austria),フィンランド(Finland)です。
 以前より私は「2リア(リアズ),3ランド(ランズ)」と言っていましたが,「2リア(リアズ)」というのはオーストラリアとオーストラリアのことであり,「3ランド(ランズ)」というのは,フィンランド,ニュージーランド(New Zealand),アイスランド(Iceland)のことです。
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 はじめのうちは,誰しもがそうであるように,行ってみたいなあ,という想いが募って出かけた海外も,行くたびに新たに行きたいところが生まれてきて,そしてまた,そこに出かけると別の興味が生まれて,…,を繰り返しながら,数年がすぎました。
 そして,しばらく行くことができなくなった今振り返ってみると,結局のところ,私の行きたい場所は上に書いたことに尽きるのです。が,このところ,やはり,ニュージーランドとアイスランドもいいなあ,と思うようになりました。しかし,まだまだ,行くことはままなりません。
 そんなわけで,そうした「2リア(リアズ),3ランド(ランズ)」の想いを行ったときに写した写真とともに振り返ろうというわけです。
 まずはニュージーランドです。

 ニュージーランドは面積が268,000キロメートルです。日本の面積は378,000キロメートルですが,そこから北海道と四国を除くと264,000キロメートルほどになって,ちょうど同じくらいです。人口はニュージーランドが460万人程度で,日本の12,500万人と比べるとなんと3パーセント(約30分の1)でしかありません。信じられないほど少ないのです。というより,日本の人口が異常に多いのです。でありながら日本は山ばかりなので,どうりでどんな場所に行っても人が住んでいるはずです。
 ちなみに,ニュージーランドとよく似た規模のフィンランドは,面積が338,000キロメートルなので日本から九州を除いたくらい,そして人口が550万人だから,ニュージーランドより少し多い程度です。
 そこで,これらの国は,都会を一歩出れば自然ばかり。しかもどこもとても美しいのです。
 …と書いているだけで行きたくなってきました。
  ・・
 さて,ニュージーランドです。
 私のまわりにもニュージーランドに憧れて住んだ人がいます。そのほかにもやはり,ニュージーランドに憧れて渡った人を知っています。しかし,なぜかみな帰ってきてしまうのです。想像するに,それは,することなくなって,あるいは,刺激がなくなって,飽きちゃうのではないかと思います。旅するのとは違って,ニュージーランドで生活するためには,大自然を味方にする楽しみが必要なのでしょう。人は贅沢なものです。


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 「厳選クラシックちゃんねる」というYouTube の番組があるのですが,そこに,指揮者の井上道義さんのインタビューがあります。このインタビューは,井上道義さんのすばらしさがとてもよくわかる極上のものです。
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 井上道義さんは1946年生まれ。2007年から2018年までオーケストラ・アンサンブル金沢の音楽監督,2014年から2017年まで大阪フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者を務めました。2024年で引退することを表明しています。
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 ずいぶん前,NHKEテレ,そのころは教育テレビといっていたのですが,そこで「第九を歌おう」という,ベートーヴェンの交響曲第9番の第4楽章,合唱の部分を歌うことができる講座という番組が放送されていて,その講師を務めていたのが井上道義さんでした。私はそのときに井上道義さんを知ったのですが,それ以降,さほど関心があったわけではありませんでした。
 当時の日本の指揮者として有名だったのは,何といっても小澤征爾さん,朝比奈隆さん,そして,岩城宏之さんといったところだったでしょうか。やがて世代替わりとなって,井上道義さんが岩城宏之さんの後をうけてオーケストラ・アンサンブル金沢の音楽監督となり,その次に,朝比奈隆さんの後継者として大阪フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者となったときは,無知な私は,格下になったと思ったものでした。 
 しかし,それは大いなる誤解でした。
 井上道義さんは,近年,それまではほとんど登場しなかったNHK交響楽団の定期公演を指揮するようになったので,私も聴くようになりました。とりわけショスタコーヴィチの交響曲の演奏には定評があり,これはすごい指揮者だ,と思うようになりました。今や,日本でナンバーワンのマエストロです。

 オーケストラのすぐれた指揮者には巨匠という言葉が似合います。また,カリスマ指揮者といういい方もします。その昔のカリスマ指揮者はとても近寄りがたく偉そうだったのですが,現在はそうした偉そうな感じとは異なって,こころからその音楽に浸っている人間的にも尊敬できる求道者のような感じです。そうした指揮者が演奏する音楽に感動しないわけがないのですが,なかでも,井上道義さんは,私が今,最も聴きたいと思う指揮者のひとりです。しかし,その指揮に接することができるのも,あと2年ほどになってしまったわけです。その井上道義さんのインタビュー,というのだから,これは貴重でした。
 このインタビューでは,どうして引退を決意したのかも語っていますが,それは要するに,晩節を汚したくない,というものでした。現役のときにあれほど評価されても,引退するとなぜかほとんど聴くことのなくなる指揮者も少なくないのですが,おそらく,井上道義さんの指揮した演奏は,この先もずっとこころに残ることでしょう。
 私は,9月から,再びNHK交響楽団の定期公演を聴きにいくことにして,Aプログラム2日目のチケットを購入しましたが,その11月の公演で井上道義さんの指揮するショスタコービッチの交響曲第10番を聴くことができるので,それを今から楽しみにしています。


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 以前書いた2022年春ドラマですが,「元彼の遺言状」「パンドラの果実 〜科学犯罪捜査ファイル〜」 「吉祥寺ルーザーズ」は途中で断念して,結局,最後まで見たのは,「インビジブル」「持続可能な恋ですか? 〜父と娘の結婚行進曲〜」「正直不動産」 「クロステイル 〜探偵教室〜」でした。夏ドラマは,これといっておもしろそうなものはなさそうですが,とりあえず,「石子と羽男」「初恋の悪魔」だけを見てみようと思っています。
 さて,ここ数年,テレビは,私にはその存在が薄くなってきています。報道番組は一切見ないし,ワイドショーなんてお金をもらっても見たくないし,お笑いタレントが司会する番組もきらいなので,私にとっておもしろそうな数本のドラマと科学特集,そしてクラシック音楽の番組だけを録画して見るようになりました。しかし,ドラマは,別にテレビでなくともTVerやFODで見ることができるので,ドラマに関しては,もう,テレビなど要らないのではないか,録画する必要はないなあとさえ思うようになってきました。
 それにしても,チャンネルばかり多すぎてもロクな番組は少なく,結局,すべての濃度が薄まっているかのようです。
  ・・
 ただし,テレビならでは,と思うのが,NHKBS1で放送しているメジャーリーグベースボールの中継です。とはいえ,以前とは違って,私はメジャーリーグベースボールにほとんど興味がなくなったのですが,アメリカの雰囲気が味わえる,という理由で英語放送でつけっぱなしになっています。
 しかし,NHKはなぜかどんな番組も時折ニュースが入るのが私には不愉快で,ニュースの時間だけは,音声を消します。実際は,メジャーリーグ中継はABEMAでも放送しているので,そちらを見たいのですが,現地からの放送を流していればいいのに,どうしてわざわざお金をかけて日本語のアナウンスや解説をつけているのでしょう。これでは全く見る気が起きません。せめて,Primeで現地放送を流すのなら,Primeを契約してもいいのですが…。

 私はそんな日常を過ごしていて,毎日がとても快適なのです。散歩は早朝日の出前。それ以外は,買い物に出かけることと,仕事で出かける以外はほとんど外出もしないので,私のような年寄りには,もはや,外界で何が起きていても「あっしには関りがありません」状態なのです。であるはずなのに…
 実は,変な夢を見ました。
 夢というのは目覚めると忘れてしまっていることがほとんどなのですが,この変な夢はしっかりと覚えていました。
  ・・・・・・
 その場所がどこなのかわからないのですが,おそらく日本です。そして,日本なのに,アメリカの小さなモーテルのようなところでした。そのモーテルに泊まっている私は,貴重品を預かってもらおうとフロントを訪れました。預かってもらったのはスマホと財布でした。
 ところが,それを受け取りに行ったとき,預かってもらったフロントのスタッフがいません。オーナーに聞くと,そんなスタッフはいないというではないですか。つまり,スタッフに成り済ました別人だったのです。私は,まんまとスマホと財布を盗られてしまったわけです。
 オーナーはそんなものを預けるほうが悪いというし,スマホと財布をなくした私は途方にくれました。しかし,その一方で,今回もまた何とかなるわ,こんなこと,私のこれまでの人生で何度もあったし…,となぜか楽観している自分がいたのです。
  ・・・・・・
 と,そこで,目が覚めました。

 なんだかよくあるチンケなドラマの筋書きみたいですが,結局,これが私の潜在意識なのです。
 私は,コロナ禍以前,ずいぶんと海外に行ったのですが,常に恐れていたのが盗難です。実際,盗難にあったこともあります。必ず,財布などは紐をつけて絶えず携帯していたのですが,それでも,瞬間,意識の空白が起きるのです。
 このところしばらく旅をしなくなって,旅をする楽しさよりも,旅をするときに常に感じていたわずらわしさや不安のほうを強く思い出すようになってきたのです。もう,この先「現役復帰」はむずかしいのかな。


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 今日の1番目と2番目の2枚の写真は,ともに,国立天文台のウェブページに載っていたものですが,1番目の写真が2019年に発表されたM87のブラックホールシャドー,2番目の写真が2022年6月に発表されたM87の中心の電波画像です。
 ここで話題にしたいのは「M87のブラックホールシャドー,見えてなかった可能性」というニュースです。このニュースは,今回,2019年に発表された1番目の写真は解析の産物であって,実際には見えていない構造だと指摘する研究結果が発表されたというものです。
 私には,難しすぎてよくわからないので,理解ができる記事がないかと探していて,「論座」というサイトに,私の尊敬する宇宙物理学者の須藤靖さんの書いたものを見つけたので,これをもとにして,また,一部引用して書きます。
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 そもそも,見えないもの(ブラックホール)を撮影して見えないことを証明するなど,論理矛盾しているように思える。実は,ブラックホール自身は見えずとも,その付近にある光はいわばブラックホールの強い重力に引き寄せられてそのまわりにまとわりつく。したがって,ブラックホールの周縁部は極めて明るくなる。その明るい天体の中心部が本当にブラックなのかどうかを確認しようというわけだ。そのため,ブラックホールではなくブラックホールシャドーの観測とよばれている。
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 国際プロジェクト「イベントホライズンテレスコープ」(Event Horizon Telescope=EHT)が,世界の8台の電波望遠鏡で集めたデータを処理して解析して得られたブラックホールシャドーが1番目の写真です。とはいえ,普通の写真のように,カメラでカシャと写真を写したわけではなく,限られたデータを解析して画像化しているということなので,「解析方法を変えれば得られる画像も変わる」そうです。
 そこで,EHTの観測データを再解析していた国立天文台の三好真さんたちの研究チームが新たに発表した画像では,ブラックホールシャドウのリングはなく,そのようなリングは,実在する構造ではなく解析によって生じたものだという指摘がされたというのです。その根拠が2番目の写真です。
 この先のことは,私の能力を越えるのでこのくらいにして,私が書きたいのは,国立天文台のウェブページに書かれていた次のことです。
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 この研究は,複数の研究チームが観測データや解析手法をまったく独立に検討するという,現代科学が歩むべき健全で正常なプロセスの重要性を示しています。今後,データのさらなる再解析や手法の検討,計画されている追観測などを通じて,M87の中心とそこから噴き出しているジェットの構造について,より確からしい知見が得られていくと期待されます。
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 「天文学では,原則としてすべての観測データは公開されるので,このような高度な批判的議論が可能となっていて,こうした真摯な論争が科学の信頼性を高める」というのです。また,「この論争に関与している研究者たちは,健全な懐疑心に基づいて科学的真理の探求に不可欠な貢献を行っていて,その論争は,意見の違いを超えて互いに十分な敬意をはらいつつも妥協のない真摯な議論を尽くすことが望まれている」ということです。
 こうした文章を読むと,天文学っていいなあ,と改めて思います。今日の殺伐たる世の中で,また,忖度だの根回しだのというものとは無縁であることに,なんだかホッとする話題です。いずれにしても,現代の自然科学の研究は,すでに,人間の限界ギリギリのところに来ているような気がします。

 しかし,このことは,「天文学では営利が絡む場合が少ないから可能であって,生物・医学研究では,実験手順やデータが完全に公開されることがないために,独立な再検証に耐えるだけの信頼性の高い結果でなくとも発表されてしまう」という問題が起きているそうです。
 とはいえ,天文学が純粋無垢の領域ではなく,過去においては,天文学でも,そこに権威主義や宗教が絡むと,正しい議論ができなかったり,真実が捻じ曲げられてりしてきた歴史を我々は知っています。このブラックホールシャドーの議論では,そうしたことがなく,人類の英知をもって,今後も,健全な研究がなされていくのを私は楽しみにしています。

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 まだ7月上旬だというのに,異常に暑い毎日です。いったい今年の夏はどうなるのでしょう。
 このところ,しばらく,これからどんな楽しみを見つけていこうかと試行錯誤の毎日でした。いや,楽しみ方はいろいろ知っているのですが,精神的に欲張りな私は,このままの楽しみでなく,ほかに何かしらない楽しみがあるのでは… と探していたのです。
 そして,結局,何が楽しいといって,自分の楽しみは元に戻ってきたのです。
 つまり,このブログにこれまで書いていたような様々なこと,クラシック音楽を聴くこと,星空を見ること,旅をすること,などなどです。やはり,好きなものは好きだったのです。
 まあ,はじめからそんなことはわかっていて,私がよそ道に逸れていたのは,それを確認するためだったのですが…。

 クラシック音楽は,コロナ禍以来,海外から演奏家が来る機会が減ったことや,大規模な曲が演奏できなかったことなどの影響もあって,あまり演奏会に行くこともなくなっていました。
 2年前はコンサート自体ができるかどうかという状況だったので,演奏を楽しむような雰囲気ではありませんでした。演奏している人たちも同様でした。だから,正直言って,演奏のできもよくありませんでした。それも,次第に戻ってきつつあります。
 そこで,9月からは,また,NHK交響楽団の定期公演に出かけようと思いはじめました。
 やはり,クラシック音楽は何よりもいいものです。しみじみとそう思うようになりました。
 ベースボールや将棋などの勝負は,自分の応援しているチームや人が負けるとおもしろくないのですが,その点,音楽はうらぎりません。

 星見は,このごろ,ほとんど晴れないことと,明るい彗星が少ないことなどで,しばらく遠出することもありませんでした。その代わり,現在は明け方の空に惑星が並んでいるので,たまの晴れ間を見つけては,家の近くで楽しんでいました。しかし,空が明るいのはいかんともしがたい事実でした。
 先日,木曽駒高原に行って,久しぶりに満天の星を見て,忘れていた楽しさを取り戻した気がしました。
 この国では,星を見るよりも,望遠鏡やカメラなどのメカに凝るのが風潮だったりします。しかし,私は,そうした機器にはほとんど興味がなくなりました。そのことをとても好ましく思っています。現在,電視観望とやらがブームになってきていて,私も試してみたのですが,やはり,星は肉眼で見てのものです。そこで,これからは,時間のあるときは,少しでも条件のよい場所に出かけて,星空を見るだけでなく,それに付随したいろいろな楽しみを見つけていきたいものです。

 旅は,非日常だからこそ,のものです。
 やっと海外に行くことができるようになってきたらしいのですが,私は,まだそんな気分にはなりません。そこで,国内でまだ行っていないところを予定も立てず,まわりたいと思うようになって,先日も山形に行きました。出かけてみると,所詮どこも日本は同じだ,と失望することも少なからずあるのですが,それでも,再発見することも,また,数多くあります。
 これまでも,日本の旅はこころでするもの,と書いていますが,結局,それに尽きるのです。山形では,松尾芭蕉に想いを馳せることができました。そんなように,この国の旅では,古人の想いを味わうことこそが醍醐味なのです。ガイドブックや口コミなどには惑わされず,自分の行きたい場所を探して,きままに旅をしていきたいと思うのです。

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 先行き危うかったニコンのミラーレス一眼カメラはニコンZ9によって,なんとか息を吹き返したようです。それにしても,スマホの台頭でカメラの売れ行きが悪くなったことに加えて,従来の一眼レフカメラがミラーレス一眼カメラに置き換わるという2重苦ではメーカーは大変です。
 スマホで何でも写せるとはいっても,カメラにはカメラのよさがあります。また,ミラーレス一眼カメラといったところで,フィルムがデジタルに変わったような根本的な違いがあるわけではないのです。しかし,一眼レフカメラが売れないものはどうしようもありません。
 カメラに限らず,何事も,持っていない人や使っていない人が,カタログだけを見てスペックにこだわりワイワイと騒ぐことや,新製品を紹介する雑誌などで適当な評論をする記事だけで,それが正しいものかどうかは別として,その製品の評価になってしまうわけだから,作っているほうはたまりません。

 そんなこんなで迷走状態だったニコンですが,売れ筋だった入門者用やライトユーザー用のニコンD3500とかニコンD5600といったカメラをあっさりと発売中止にしてしまったために,統計上のシェアが激減してしまいました。一般の人にはこれらのカメラで十分だったのです。しかし,もう,そうしたシェア争いとは縁を切り,プロやディープなマニア向けの製品に特化するといっていたのに,結局は,ニコンZ30というカメラを発売しました。しかも,ニコンZ30はニコンZ50からファインダーを切っただけのようなものでした。こんなことなら,ニコンZ50を発売したときに一緒にニコンZ30を出しておけばよかったのに,何年も経ってしまった今となっては,後追いです。Vlog カメラとかいう売りでアピールしていますが,もとから Vlog を意識して作ったわけでもなく,何がしかのアピールが必要ということでひねりだした宣伝文句のように感じます。いつもながら商売が下手です。
 私が時々見ている「デジカメinfo」というサイトには,次のようなコメントがありました。
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 ニコンは本気の製品は強いのに,片手間に出したような製品はとことん弱いように思います。
 一眼レフが主流の時に出したミラーレス・ニコン1やアクションカメラが流行り出したときの keymission のように尻切れトンボにならなければいいのですが…
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 これを書いた「たま」というペンネームの人,とてもよくわかっています。結局それに尽きるのです。

 いろんなことを語ってはいても,ニコンカメラの今のラインナップを見ると,単にFマウントの一眼レフカメラをZマウントに置き換えた品ぞろえになったのにすぎません。レンズの構成もまた同様です。何が違うかといえば,カメラのマウントが大きくなってレンズ性能が増したということらしいのですが,プロのカメラマンやディープな愛好家でなければ,写した写真の違いがわかるようなものでもないわけです。
 それよりも,Zマウントが大きすぎて,DXフォーマットの小さなカメラには不格好です。せっかくミラーレス一眼レフカメラになったのに,レンズが大きいから小型化できず,これでは意味がないというものです。
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 ニコンZ30のユーザーというのは,結局は従来のニコンD3500やニコンD5600を買っていたようなユーザーなのでしょう。だったら,すでにニコンD3500やニコンD5600をもっている人はそれを使っていればいいわけで,新たな出費をしてまで買い替えるほどの違いがどれだけあるのか,私にはわかりません。それでも,新しもの好きの人はいつものごとく「買いだ買いだ」と買い求めるのでしょうが,そうした人たちは,1年もすれば,また新しいものが欲しくなることでしょう。カメラ好きのみなさん,無駄遣いがお好きです。
 また,新たにスマホで写真の楽しさを知ってミラーレス一眼カメラに興味をもった人が購入するカメラとしては,レンズも少ないし,先行きの展望も不明だし,もうしばらくは静観でしょう。と,もう,新しいものは買わない私としては思ってしまうわけです。私は今使っているもので十分だし,私が最も使用している対角魚眼レンズがないのでは,マウントを変える意味もありません。
 プロやヘビーユーザーは別として,一般の人にとってカメラというのは危険な趣味です。それは,10万円ほどの出費で,新しいカメラやレンズがどんどんと手に入るので,限りなく欲しくなってしまうからです。それでも,昔のフィルムカメラは製品の寿命が長く,レンズだけを新しく増やしていくことが多かったので,こうして常に新しいレンズがほしくなるのをレンズ沼とかいっていました。しかし,フィルムカメラがデジタルカメラに置き変わると,製品の寿命が短くなりました。カメラ自体が昔のフィルムみたいなものだから,レンズとともに,常に新しいボディも次々と買いたくなるのです。つまり,カメラ沼です。実のところ,これは,少年のプラレール,少女のシルバニアファミリーの延長線上にあるものといえるでしょう。
 まあ,新しもの好きのみなさん,せいぜい,カメラメーカーが潰れないように貢献なさいませ。

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 朝日新聞の「天声人語」は600字程度から成っていて,400字詰め原稿用紙が1枚半程度です。いつも同じパターンで,まず,落語の枕に当たる話題掴みから入って,それに関連した話,というか,実はこのことが書きたい話題に展開し,最後に数行のまとめとなります。
 これを新聞社は学校の教材とするように薦めているのですが,ひと昔前ならともかく,今どきの「天声人語」は,世のIT化に乗り遅れたようなわからずやのおじさんが書いているような文章が多く,あまりおもしろくありません。そんな話をしていたら,文章も上手ではないなあ,と知人の高等学校の国語の先生が言っていました。まとめも説教くさく,しかし,結論が飛躍しすぎていて何だかこじつけのようなものが多いです。自然を扱ったようなもっと爽やかな文章が多いといいのですが…。
 その「天声人語」の6月30日の冒頭は次のようなものでした。引用してみます。
  ・・・・・・
 このごろ出張先での運転はカーナビに頼りっぱなしである。「300メートル先を右折」「次の信号を左です」。気がつけば,歩くときもスマホの案内にひたすら従っている▼「ナビゲーション機器に頼ると,意識は前後左右に集中しがち。東西南北を読む力はあまり使いません」。そう指摘するのは空間認知が専門の東洋大教授の石川徹さん(51)。ナビやスマホを何年も使い続けるうち,わが方位磁石はさびついてしまった気もする。
  ・・・・・・
 私の車にもカーナビがついていますが,ほとんど使いません。見ているのは単なる地図です。iPhone に GoogleMaps が入っていて,むしろその方が便利ですが,それでも,迷ったときに正しい方向を聞くくらいにしか使っていません。
 私がそうしているのは,目的地さえわかれば,あとは,地図を見て,自分で道順を決めたほうが正確だからです。その理由のひとつは,日本の道路はせまく,信号や交差点が複雑で,カーナビの指示に従って走ると,まんまと罠にはまることが多いからです。
 カーナビに従って走っていると,決まって交差点ごとに赤信号に引っかかってしまうところを通るように示していることや,交差点の左折帯や右折帯が不自然で走りにくいところを表示している場合などがあって,うまくいかないのです。別の道路を走ればすぐに行くことができたのに踏切で延々と待たされたこともあります。
 日本の道路行政は,AIに対抗しようと意味のない工夫をしてわかりにくい道路作りをしているかのような感じさえします。

 と,ここまでが,今日のこのブログの文章の掴みで,ここからが私の書きたい話題です。
 私が憤っているのは,今日の1番目の写真の道路標示です。
 これは,名古屋市内の高速道路ですが,この先に分岐があって,それぞれ1車線ごと別の進路をとることになります。さらに,左側の道路はまたすぐ分岐になります。ここで私が問題としているのは,空港,この場合,セントレア・中部国際空港ですが,そこに行く道を示す進路の案内標示が2方向についているということです。
 ここからセントレアに行くには,右側に進路をとると一般道を経由して接続しています。しかし,右側に進路をとって一般道に降りたときは,その後,空港という案内標示はまったくなくなるので,どう走って行けばいいのかわからなくなり,疑心暗鬼になります。また,左側に進路をとると知多半島道路という有料道路を経由してセントレアに接続しています。しかし,左側に進路をとったときは,その直後の分岐で再び左側を選択しないと行くことができず,そこで間違えると,完全に違った方向に行ってしまいます。
 結局,この場所の分岐では,どちらを通っても空港に行くことはできるのですが,この先正確に空港にたどりつく進路をとることがどちらもかなり難しいのです。そこで,土地勘のない人が分岐の手前でこんな道路標示を見たら,どちらに行くか判断ができなくなるし,この場所をはじめて走っていてこの道路標示を見た人はわけがわからなくなります。
 いずれにしても,ここに,右側の空港の表示とともに「一般道経由」,左側の空港の表示とともに「有料道路経由」と示してあればわかりやすいのです。意味のない案内板は山ほどあれど,必要な表示がないというのも,実に日本らしい話です。しっかり見れば判断できると言われるでしょうが,車が時速60キロメートルで走行しているときにそれを瞬間に判断し,しかも,車線変更をしなければならないことがある,という肝心なことが抜け落ちています。
 さらに問題なのは,こんな道路標示が分岐の直前にあったところで意味がないということです。気づいたときはもう遅いからです。結局,この道路標示は事故を誘発するだけの意味しかないのです。
  ・・
 この写真を見たある人が,今はカーナビで走るから道路標示など必要ないというバカげたことを言いました。おそらく,こうした発想の人がこういう道路標示をこしらえているのでしょう。しかし,その人に,ではこの場所をカーナビを見ながら走ってみてごらんと言いたくなります。また,すべての車にカーナビがついているわけではないのです。さらに,地図をみても,道路が重なり合っていて,何が何だかわからないのです。
 いずれにしても,実際にこの道路をカーナビを使って空港へ行こうと試みれば,私がここで書いていることが納得できることでしょう。カーナビも,どの道が最適なのか迷いに迷い,混乱します。日本では道路が複雑すぎて,カーナビの案内標示は当てにならないのです。

 ところで,2番目から9番目の写真はアメリカのインタ―ステイツの道路標示です。
 日本の道路標示とは雲泥の差で,きわめてわかりやすいものです。車が時速70マイル,112キロメートルで走行していても大丈夫です。それは,アメリカ中どこを走ってもその表示方法が統一されていることと,必要な情報が何かがよくわかっているからです。
 日本で走るのは,本当に疲れます。これもまた「日本人の能力と発想の限界」なのでしょう。

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 木曽駒高原の「ゲストハウスヒルトップ」で食事と星空を堪能した私でした。
 2日目の7月2日も猛暑でした。上田,小諸などに寄りながら帰ろうと思っていたのですが,気が変わりました。結果的に気が変わったのはよかったわけで,この日,小諸は日本最高気温を達成していました。
 気が変わった私は,開田高原から高山を経由して帰ることにしました。それは,天気がよくて,御嶽山がきれいに見えそうだったからです。
 開田高原は私の好きなところで,木曽駒高原に行ったときは毎回行くのですが,これまで,開田高原から西に高山に向かって走ったことはありませんでした。一度行って見ようと思ったことがあったのですが,その時は国道361号線が不通で通ることができませんでした。

 まず,開田高原まで行きました。
 ここにある木曽馬の里は,広々としていて,しかも,御嶽山が一望にできるすならしいところです。この日もまた,木曽馬の里に行ってみましたが,期待通り,御嶽山は,背後に雲がありましたが,山頂まで見ることができました。
 ここの観光案内所で聞いてみると,やはり国道361号は不通だということでしたが,迂回路があって,高山までいくことは可能でした。国道361号線の途中に御嶽山の展望台があって,そこまでは通行できるということだったので,とにかく行ってみることにしました。 
 たしかにその先は通行止めとなっていましたが,展望台からの御嶽山はすばらしいものでした。

 現在,信州割というものがあって,宿泊代の補助とともに金券がもらえます。そんなわけで,この旅はものすごく安価で,出費は,まさにガソリン代くらいのものでした。
 帰る途中で金券を使ってお昼をとることにしていました。しかし,まだ時間が早く,おそば屋さんはどこも開いておらず,しかし,このまま迂回路を走って高山に向かうと,長野県を越えてしまうので,金券が使えなくなってしまいます。そこで,展望台から一旦開田高原に戻りました。
 開田高原のおそば屋さんで昼食をとって,再び出発しました。
 帰りは,御嶽山を反時計回りにぐるりと周回することになるのですが,それがまあ,すばらしかったこと。想像以上でした。これは,オーストラリアの片田舎に匹敵するほどののどかさでした。
 日本にもこんなところがあるんだと思いました。
 おそらく,そんな好印象を持ったのは天気がよかったからでしょう。
 やがて,長野県と岐阜県の県境を越えて,岐阜県に入りました。
 しかし,どうしたことでしょう。岐阜県に入ると,視界がせまくなり,まわりは木々ばかりになりました。どうやら,御嶽山の北側は長野県の県境までが風光明媚であるようでした。

 それ以後は,国道41号線をひた走り,帰宅しました。
 国道41号線はさすがに車が多く,それまでのすばらしさはまったくなくなって,すっかり現実に戻されました。ちょっとしたいい夢を見ていたような感じでした。

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 安曇野ちひろ美術館ですばらしい時間を過ごした私は,念願のおそばを食べにいくことにしました。とはいえ,おそば屋さんに「当て」があったわけではありません。私のイメージしていたおそば屋さんは,前回書いたNHK連続テレビ小説「おひさま」に出てきたようなお店でした。しかし,それは物語上の架空の存在です。
 車を走らせていくと,1軒のお店を見つけました。いろり懐石「釣人」という名前のところでした。
 ちょっと私の思っていたイメージとは違っていましたが,そばと書かれてあったので,入ることにしました。このお店は,手打ちそばとともに,新鮮な魚がウリの店のようでした。
 おすすめの品を注文してしばらく待つと,出てきたのは写真のものでした。
 それがまあ,おいしかったこと。
 私は,お昼少し前に入ったので,まだほかにお客さんはいなかったのですが,食べている間に多くのお客さんが来ました。繁盛しているようでした。
 こうして,またひとつ,私のやりたかったリストを成し遂げることができたのです。

 私は,めずらしく「楽楽信州」という長野県のガイドブックを持参していました。しかし,いつものとおり,旅の前に念入りに下調べをしないので,安曇野についてもまったく不案内でした。いつも私は旅のガイドブックは,行ったあとで読むのです。
 この日はあまり時間がなく,おそばを食べる以外は,特に何も予定はありませんでしたが,はじめに行った安曇野ちひろ美術館はとてもすばらしかったし,念願だったおそばも満足のいくものでした。おそばを食べてからはじめてこの本のガイドブックを少しだけ見ていると,安曇野にはわさび農場と多くの美術館があるということでした。このあと木曽駒高原に戻る途中で,わさび農園と美術館のひとつに寄ってみることにしました。
  ・・
 まず,大王わさび農場というところに行きました。しかし,私の思っていたところとはまったく違い,ここはまさにテーマパークでした。駐車場にはたくさんの車が停まっていて,人であふれていました。ここは農場というより,レストランやら土産物屋さんが軒を並べていました。また,ちょうどお昼どきだったので,レストランには列ができていました。当然おそば屋さんもありましたが,こうした団体さんご用達の観光地は私は好きでないので,早々に農園を出ました。ちょっと失望しました。
 次に向かったのが,北アルプス展望美術館でした。
 ここは,北アルプス連峰と安曇野の広大な景観が一望できる丘があるというので期待しました。美術館は安曇野にみせられた芸術家の作品が展示されているとありました。たしかに展望はすばらしかったのですが,美術館は展示替えとかで休館だったので,がっかりしました。きっと美術館にはカフェがあるだろうから,そこでコーヒーでも,という思惑もはずれてしまいました。
 気を取り直して,木曽駒高原に向かいます。

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 7月1日と2日,1泊2日で木曽駒高原へ行きました。
 いつも木曽駒高原に行く折には,その途中でさまざまなところに足をのばすことにしているのですが,今回は,1日目,到着する前に安曇野へ行きました。私は,安曇野にあこがれているのです。

 2011年に放送されたNHK連続テレビ小説「おひさま」。
  ・・・・・・
 病気の母との最期を家族で過ごすため,安曇野にやって来た少女・陽子は母と見たそば畑一面の白い花と「おひさまのようにいつも笑って世界を明るく照らす」という約束を胸に少女時代を過ごします。
 やがて世の中が戦争へと向かう時代に女学校へ,そして,陽子は念願の教師になります。
 教師を続け,夫唱婦随で家業と子育てに泣き笑いの日々。
 混乱した世の中で,かつての教え子たちの消息を知り,その笑顔を取り戻すため,陽子は第2のステージを歩き出します。畑を取り戻し,教え子たちと心を込めてそば作りをはじめます。
 小さなそば屋はやがて人々を明るく照らす希望の場所となり,安曇野のそば屋を訪れた主婦・房子は陽子の笑顔に引き込まれるのです。
  ・・・・・・
 ということで,私は,この日,安曇野へおそばを食べにいったのです。

 まだ,お昼前だったので,おそばの前に,以前一度行ったことがある安曇野ちひろ美術館に寄ることにしました。いわさきちひろは1918年に生まれ,1974年に亡くなった,子供の水彩画に代表される日本の画家であり,絵本作家です。生涯「子どもの幸せと平和」をテーマとしました。
  ・・・・・・
 東京にちひろ美術館がありますが,1997年にちひろ美術館の20周年を記念して建てられたのが安曇野ちひろ美術館です。画家のいわさきちひろの両親の出身地・信州は,いわさきちひろのこころのふるさとでした。
 周囲に広がる53,500平方メートルの公園には「窓ぎわのトットちゃん」の世界を再現したトットちゃん広場があって,トットちゃん広場には「窓ぎわのトットちゃん」で紹介されたトモエ学園の電車教室が再現されています。
  ・・
 トモエ学園は,かつて,東京都目黒区自由ヶ丘に存在した私立幼稚園・小学校で,音楽を手段として基本的な音楽能力だけでなく一般教養や子どもたちが個々にもつ「潜在的な基礎能力」の発達を促すというリトミック教育を日本ではじめて実践的に取り入れた学校でした。
 トモエ学園出身の黒柳徹子さんが著したベストセラー「窓ぎわのトットちゃん」でその名が全国に知れ渡りましたが,「絵本・窓際のトットちゃん」の絵はいわさきちひろが描いたものです。
  ・・・・・・
 この広大な敷地は別世界でした。あたり一面に広がる美しい風景は,とてもすばらしいところでした。私は,今や,あれこれ名所旧跡をあくせくと訪ねることよりも,こうしたすてきな場所で,カフェでコーヒーでも飲みながらゆったりと時間を過ごす旅を求めているのです。
 まさにここは理想的なところでした。

 さだまさしさんの作った歌に「歳時記」(ダイアリイ)があります。その中の歌詞に
  ・・・・・・
 花の名前を呼び乍ら 無事だった朝涙ぐんで
 すてきな水色に 君は笑った
 そんなちひろの子供の絵の様な 君の笑顔がとても好きだった
  ・・・・・・
とあります。この歌で私は,歌の詞だけでなくメロディーにも,いわさきちひろという人のあたたかさが重なって,ほのかな安らぎを感じるのです。
 この日の午前過ごした安曇野ちひろ美術館では,このようないろいろな想いが重なりながら静かな時間が流れていって,とてもすてきなひとときを過ごすことができました。

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 今年はずっと天気が悪いこととともに,これまで明るい彗星も現れず,星見に遠出することもありませんでした。また,海外に行くことができないので,毎年春に行っていたオーストラリアでの南天の星空とももすっかりご無沙汰です。
 さて,今見える10等星以上の明るい彗星はただひとつ,パンスターズ彗星(C/2017K2 PanSTARRS)です。
 長い間見えているのですが,現在は8等星ほどで,へびつかい座にあって,高度も高く,非常に見やすい位置にいます。これから太陽に近づくにつれてもっと明るくなっていきますが,日本からは高度が低くなっていくので,秋を過ぎると見ることができなくなります。
  ・・・・・・
 ハワイ・マウイ島のハレアカラで行われているパンスターズプロジェクト(Pan-STARRS=Panoramic Survey Telescope and Rapid Response System)は,4台の望遠鏡を使って全天をサーベイし,移動天体や突発天体を検出するものですが,このプロジェクトによって,これまで数多くのパンスターズ彗星が発見されてきました。このパンスターズ彗星(C/2017K2 PanSTARRS)は,2017年5月21日に確認されたものです。
 発見されたときは,まだ,太陽から約24億キロメートルも離れた土星の軌道を超えた距離にあって,太陽から非常に遠いのにもかかわらず,すでにかなりの活動を示していました。また,正式な発見以前にも多くの写真の中に写っていました。この活発な活動は,非常に明るくなったヘール・ボップ彗星(C/1995O1)と同じようなものだったのですが,残念なことに,このパンスターズ彗星は太陽にあまり近づかないので,ヘール・ボップ彗星ほどには明るくなりません。
 2022年7月14日には地球に2億7,000万キロメートルまで近づき,また,2022年12月19日に近日点に到達し,そのころには日本から見ることができませんが,5等星ほどになると期待されています。
  ・・・・・・

 私は,7月1日から1泊2日でいつもの木曽駒高原のペンションに避暑に行きました。毎年,5月の新月のころに行くのですが,今年は天気がすぐれなかったことや時間がなかったことで,この時期になってしまいました。
 しかし,このところ晴天が続いていた天気は下降気味だったのであまり期待もせず,星見はほぼあきらめていたのですが,念のためと望遠鏡とカメラを持参し,このパンスターズ彗星の位置だけは調べておきました。
 7月1日,到着したときはは雲が多く,時折,雷が鳴っていました。意外にも予報では午前2時を過ぎると晴れるということだったので,ひょっとしたらと,夕食後午後8時には寝ました。目覚めたのが翌日の午前1時でしたが,空を見上げると,満天の星が輝いていました。
 これには驚きましたが,晴れ男の私がこのペンションに行ったときに星が見られる確率はほぼ100パーセントなのです。
 ということで,午前1時過ぎから夜が白む午前3時過ぎまで,今回も星見を堪能することができました。

 とにかく,まず写したのがパンスターズ彗星(3番目の写真)でしたが,これは簡単に写せました。しかし,これまでの多くの星見で写したかった天体はほぼ撮り終えてしまっているので,それ以外には何も考えていなかったので,ならばと,写真映えのするM31とM33を写しました(4番目と5番目の写真)。
 それよりも,この晩に私が写したかったのは,空の暗い所でしか写せない夏の銀河の姿でした(1番目の写真)。
 この時期は,何といっても銀河,天の川なのです。天の川をはさんで,右の明るい星がこと座のベガ,つまり,織姫星,左下の明るい星がわし座のアルタイル,つまり,彦星です。そして,中央がはくちょう座のデネブ。つまり,夏の大三角です。
 また,自宅とは違って,空がそれほど開けていないので,7つの惑星をすべて写すことはできないのですが,土星,木星,火星,そして,海王星もはっきりと捉えることができました(2番目の写真)。
  ・・
 このように,久しぶりに空の暗いところで星を見ることができたことで,昔の情熱がよみがえってきました。やはり,だれもいない高原で,自然と一体となって星を見るのはことのほか楽しいものです。

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 コロナ禍でさまざまな検査がされているのですが,検査結果が真実とは限りません。検査というのはそもそもそういうものです。
 やる側はもちろんそれを知っていますが,受け取る側でそのことを知らない人が多いものです。
 テレビの視聴率とか,世論調査とか,ネットの評判とか,何ごともデータが花盛りですが,そうしたものも誤差がつきものなのに,それを表示したものもほとんどありません。
 要するに,これもまた,お得意の責任逃れ,つまり,やったふりです。
  ・・
 という次第ですが,ここでの話題は定期健診です。
 毎年春先になると,定期検診があります。検査の結果次第で,数値だけから判定して要治療とか,要観察とかいう記述がかかれています。しかし,それをもとに医者にかかると,一度の検査では正しいことはわかりません。となります。もっともな話です。私も,毎年,何がしかのところに「*」マークがついていて,気になりますが,医者に行くと,どこが悪いの? みたいなことになるのです。

 そこで,これまでは,たいして気にもしていなかったのですが,齢も齢だし,これからは健康管理をまじめに考えてみることにしようという理由で,血圧計を買いました。これで,毎朝,血圧を測ろうというわけですが,はじめたら,おもしろくなってきました。
 iPhoneには「ヘルスケア」というアプリがあって,これを活用しようと,毎日測った血圧を記録していくことにしました。おまけに,心拍数とか体温という項目もあったので,ついでにそれも記録することにしました。
 そんなわけで,「することのない幸せ」は次第にどこかに行ってしまい,これまでも,数独やら語学講座で毎日自分で勝手に忙しくしていたのに,さらに,毎朝健康チェックという「すること」を課してしまったために,ますます忙しくなってきました。

 まあ,そんなこんなですが,その結果,暇で時間を持て余すこともなく,ボケ防止にもなると,自分で自分を納得させているのです。果たして,この先,また,何がノルマに加わっていくのでしょうか。


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☆☆☆☆☆☆
 異常な暑さの続く日々。わざわざ早起きしなくても午前3時に起きるようになったので,これを幸いに,涼しい時間に早朝散歩となりました。しかし,空を見上げれば,水星,金星,火星,木星,土星,さらには天王星,海王星まで並んでいるので,散歩どころでなく,魚眼レンズをつけたカメラを三脚に取り付けて持参するようになってしまいました。ところが,晴れていても,空には雲があったり,東の空低く雲が覆われていたりと,なかなか満足のいく写真が写せません。
 今日の2番目の写真は6月28日のものですが,水星がかろうじて雲の間から顔を覗かせて,それを狙って写ればそれで感動するような有様でした。
 さて,そんなこんなで1週間。すでに月は新月を越えてしまったので,この惑星揃い踏みに月が参加しなくなったのが残念なのですが,それでも,6月30日は,ついに雲がほとんどなく,星が輝いていました。こうなると,水星が地平線から顔を出したときからが勝負です。問題なのは,時間が経つにしたがって空が明るくなってきて,天王星と海王星が写らなくなることと,水星を写そうとすれば東の白んだ空に消えてしまわないように,露出を抑える必要があるということで,困難を極めるのです。
 そんな状況だったのですが,何度もシャッタースピードを変えながら,なんとか惑星すべてが写ったのが今日の1番目の写真です。水星は,写真でこそ写しにくいものですが,双眼鏡では思った以上にはっきり見えるので,一度場所がわかってしまえば,肉眼でも探し出せました。
 こうして,やっと,満足な写真が写せました。

 しかし,それよりも…。
 田んぼの用水路に何か生き物がいるのです。大きな音を立てて泳いでいます。これは毎朝のことだったのですが,はじめは魚だろうと思っていたので,気にも留めていませんでした。ところが,6月30日,ついに目撃してしまったのです。それは巨大なネズミでした。
 家に戻って調べてみると,ヌートリアでした。
  ・・・・・・
 ヌートリアは,南アメリカが原産のネズミ目ヌートリア科ヌートリア属の動物。頭胴長40センチメートルから 60センチメートル。
 ヌートリアの毛皮は,水に濡れても保温できる毛皮として,質が高いとされ,毛皮を目的に導入されたものが,養殖場から逃げ出したり放逐されたりした個体が,野生に定着。日本でも,1940年代後半から1950年代に毛皮の需要が減少したことで大量に放逐され,野生化。
 今後日本で広がった場合,生態系への影響が懸念される動物。
  ・・・・・・
とありました。
 さらに,新幹線の線路は,この日もまた,架線工事の車両が走っていました。
 このように,人々が活動を開始する以前の世界は,思った以上にさまざまな出来事が繰り広げられているのです。

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