しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

October 2022

高知空港の建物の中にレンタカー会社のカウンタがありました。私が借りたのは山形に行ったときと同じオリックスレンタカーでした。送迎が来るから少し待つように言われて待っていると,やってきたので乗り込んだのですが,レンタカー会社は道路を隔てた場所にあって,歩いても行くことができるくらいの距離でした。
いよいよ出発です。高知龍馬空港は高知市より結構東に離れた海岸沿いにあるのですが,私がめざす祖谷は空港から少しだけ国道55号線を西に走り,国道32号線に出て,国道32号線を道なりにずっと北上して大歩危渓谷まで行って,そこを右折して県道45号線に入るとすぐです。以前,自宅から車で高知市に来たことがあって,そのときに,徳島市から西に吉野川に沿って走り,南に折れて国道32号線を南に走ったことがあるのを思い出しました。

いつものことですが,私の旅はやりたいことを先にやる,というのが基本です。
今回の旅の目的のひとつは祖谷のかずら橋ですが,さらに行った奥祖谷に二重かずら橋があって,ぜひ,そこのふたつのかずら橋を渡ってみたかったのです。幸い,この日は天気がよかったので,祖谷を通り過ぎて,まず,奥祖谷まで行くことにしました。祖谷から奥祖谷までは県道45号線を東に走って,つきあたる国道439号線をさらに走っていきます。
私がこの旅で最も心配だったのが,その,国道439号線でした。
それは「文春オンライン」に次のような記事があったからです。
  ・・・・・・
日本で最上級の道路である国道。国の根幹となる道路だけに,整備が行き届いているイメージをもっている方が多いだろう。しかし,そんなイメージとは裏腹に,道幅が狭く,舗装は剥がれ,路面に落石が転がっている酷い状態の国道,すなわち「酷道」も存在する。
そんな酷道の中でもトップクラスに酷いのが四国の国道439号だ。
国道439号は四国を横断しており,徳島市から高知県四万十市を結ぶ,一部界隈からは「ヨサク」の愛称で親しまれている道路だ。道の酷さもさることながら,総延長348キロメートルという距離が,ドライバーを精神的に追い詰める。走り出してから1時間もすると,早々に対向車との離合が難しくなってしまった。さすがは「酷道」だ。
  ・・・・・・

「日本3大酷道」というのがあります。それらは,紀伊半島を横断する国道425号線と,福井県大野市から長野県飯田市を結ぶ国道418号線とともに,この国道439号線のことを指すそうです。私は,そうとは知らず,以前,何と,雨の夜に,国道425号線を走ったことがあって,えらい目に遭いました。それ以来,「酷道」はトラウマになっていました。そこで,今回,奥祖谷にたどり着くためには国道439号線を走らなければならないということがずっと懸念材料だったわけです。
しかし,天気がよかったこともあって,走ってみたら,意外や意外,まったく大したことはありませんでした。確かに,一部,すれ違うことが困難で,対向車が来たらどうしよう,というところもあったのですが,それはそれで気をつけて減速して走れば大したことはなかったし,まれに対向車が来ても,地元の車はうまくかわしてくれました。また,山深い国道425号線とは違って,周囲にはずっと集落もあったし,多くの場所で改良工事が進んでいて,道路が広くなったりトンネルが作られていました。
いろいろな面で,前回走った国道425号線のほうがずっとたいへんでした。国道425号線は二度と走りたくないけれど,国道439号線はまた走ってもいいかな,という感じでした。

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1日目 2022年10月20日木曜日
出発の日が来ました。今回の四国旅行は2泊3日です。行きたいところだけを回るのなら1泊2日でも実現できそうだったのですが,天気次第ということで,1日増やしました。今年6月に山形に行ったときに利用したFDAが便利で安価で,かつ,快適だったので,今回もFDAを予約しました。
出発は午前7時20分だったので,1時間ほど前に県営名古屋空港に到着するように家を出ました。
県営名古屋空港は,前回利用したときに比べて,非常に人が多くて驚きました。その多くは,東北方面に行く団体ツアーの人たちのようでした。まだ本格的なインバウンドがはじまっていないので,日本らしい静かな山里を快適に旅行するおそらく最後のチャンスなのですが,すでに,日本に住む人のツアー旅行は活況を呈しはじめています。これまで我慢してきた人も多いので,無理もありません。
私は,コロナ禍だろうとそうでなかろうと,一向に変わらずマイペースだったので,これまでも行きたいところがあれば問題なく出かけていたのですが,どこに行ってもとても空いていて快適でした。しかし,こうなると,少し焦りを感じます。というのも,せっかく静寂を求めて旅をしているのに,団体ツアーが復活したので観光地には大型バスがやってくるようになって,そうしたバスが来るような最悪のタイミングに出会ってしまうと雰囲気が変わってしまうからです。
旅の大敵は,インバウンドと団体ツアーとオートバイのツーリングです。いずれにせよ,どうして人は群れたがるのでしょう? 私にはまったく理解できません。

ところで,FDAを使って旅をするコツをひとつ書きます。
まず,とにかく,早く予約をするべきです。そうすればとても安価です。
また,飛行機の座席が選べるのですが,行きは最後尾,帰りは最前列を選ぶことです。真ん中あたりは主翼が邪魔するので避けるべきです。どうして行きは最後尾で帰りは最前列がいいかというと,最後尾は一番先に乗ることできることと,機内で軽食とお茶が出るのですが,これが一番先に配られるからです。降りるのは最後になりますが,到着後はレンタカーを借りるので,それほど焦って人より早く降りる必要もないのです。帰りが最前列がいいという理由は,帰りもまた機内で軽食とお茶が出るのですが,これが一番先に配られることと,一番先に降りられるということです。
読んでいても意味不明かもしれませんが,実際にそうすると,私がここで書いたことの意味がわかることでしょう。

さて,飛行機は定刻に出発しました。50分余りの飛行です。
これは,その日の風向き次第ですが,風のないときは県営名古屋空港から南南東に向かって離陸するので,進行方向に向かって左側に座ると富士山を見ることができます。やがて,渥美半島あたりで大きく旋回して,海岸に沿って進みます。そこで,はじめに眼下に見えるのが渥美半島,そして,伊勢湾を過ぎると志摩半島,その後は紀伊半島を海岸に沿って飛び,紀伊半島の先端にある串本が見えると海に出て,やがて,四国の室戸岬が見えはじめると着陸態勢に入ります。
まあ,国内の旅なんて,ハワイでオアフ島のホノルルからハワイ島のヒロまでいくくらいの距離と時間だから,まったく大したことはありません。日帰りもできます。鉄道は時間もかかるし値段も高いし,それに比べて飛行機は安く,かつ,早いのでとても便利で楽です。
コロナ禍以前は,年に30回くらいは飛行機に乗っていた私ですが,今年は,6月に山形まで往復しただけです。こうして再び空の旅をすると,飛行機の旅の楽しさを思い出してきました。
ということで,あっという間に高知龍馬空港に着きました。

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これまで遠く行くことが難しいと思っていた高知県は,FDAという航空路線を知ってから,とても近く思えるようになりました。これは,少し以前に行った山形県も同様です。私のような,メジャーな観光地には興味がなく,小さな温泉宿に泊まって,日本の山里を旅したい,という趣向にはもってこいです。それは,名古屋での出発がセントレア・中部国際空港ではなく,家から近い県営名古屋空港であるということも合わせて,とても快適な旅ができるからです。
飛行機のチケットを買い,レンタカーの予約をしたので,次は,宿泊先でした。
この旅の目的である,かずら橋を渡る,と,ホビートレインに乗る,という両方の条件を満たすために,1日目はかずら橋の近くに,そして,2日目は四万十町のどこかに泊まることにしました。そして見つけたのが,1日目はかずら橋まで歩いて行くことができるという場所にある小さな宿,2日目は松葉川温泉というところでした。松葉川温泉がどこなのかさえよくわからなかったのですが,食事が豪華で,温泉が広く,かつ,安価だったのが決め手となりました。
とりあえず,これだけを押さえました。あとは天気次第です。ずっと雨だったらすべてが台なしです。そこで,これ以上の計画を立てることはひとまずやめました。

出発まで1週間となったころ,天気予報が願ったりかなったりの連日快晴とありました。いつものことですが,今回もまた,強運でした。こんなことってあるのだろうか,と思いました。
そこでやっと計画をたてはじめました。
  ・・
まず,かずら橋に行くのですが,1日目の高知到着が早いので,祖谷のかずら橋よりさらに奥にある奥祖谷の二重かずら橋から行くことにしました。前回も書いたように,問題だったのは,いわゆる「酷道」である国道439号線でした。ウェブ上には行ったことのある人のブログがたくさんありましたが,それを読むと,道路がたいへんだったという人もいれば,別にどおってことない,という人もあって,判断がつきませんでした。
奥祖谷にはかずら橋がふたつと野猿とよばれる籠のような乗り物があるのですが,それよりも何よりも,そのときはじめて,野猿が故障中だということを知って驚きました。それにはがっかりしました。このことはまた後で詳しく書くことにします。
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次がホビートレインでした。
まず,予土線がどこを走っているのかがわかりません。そこで,地図に色を塗って調べていきました。Google Maps をはじめとして,地図には道路は詳しく書かれているのですが,それに比べて鉄道の線路がわかりにくいからです。次に,ホビートレインの時刻表を探したのですが,これを見て考えこんでしまいました。それは,私が乗ることのできそうなお昼間の時間には1本しか走っていなかったからです。そこで,それに乗る必要があったのです。
また,列車は窪川という駅から出発して,宇和島駅まで行くということわかりました。私はレンタカーを使うので,ホビートレインを利用するには,どこかの駅に車を停めて,ホビートレインに乗り,途中のどこかの駅で降りて,折り返す,という方法をとることにしました。終点の宇和島まで行ってしまっては,戻るのに随分と時間がかかるからです。
しかし,どの駅の近くに数時間停めることができる駐車場があるのやらないのやらがさっぱりわかりませんでした。また,途中のどこの駅で降りれば,そこから逆方向の列車に順調に乗り換えて戻ることができるのかがわかりませんでした。それは,折り返しの列車の本数も非常に少なかったからです。乗り換えの待ち時間が数時間,などという駅もありました。
調べていてもほとんど情報がないので,あきらめて,ともかく行ってから考えることにしたのですが,実は実は,私が心配していたのは,完全な取り越し苦労だったのです。これもまた,後日書くことにします。

それやこれやで,海外旅行をするよりも情報が少ないことと,情報が複雑かつ必要なことがわからない,という,これもまた,表向きおもてなし,しかし実情は,乗れるものなら乗ってみろ,のような,いかにも配慮のかけらもなく不親切な日本らしい状況に,半ばあきらめ,また,半ば,当日のハプニングを期待して,出発を迎えました。
果たしてどんな旅になるのやら…。国内を個人旅行するのは大変です。


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海外旅行もおよそ行きたいところに行ってしまった今,国内で行ってみたい,やってみたいということがいくつか残っていて,その想いを実現するために,いろんな旅を計画しています。
そんな想いの中に,かずら橋を渡ってみたい,というのと,新幹線をまねたホビートレインに乗りたい,というものがあります。今回はそれを実現することにしました。
奇しくも,全国旅行支援がはじまり,安価に旅ができるのは助かるのですが,私の旅はそれとは関係がありません。むしろ観光客が増えることが私には難でもあります。また,日本の旅は,天気が大きな要素を占めているので,計画を実現するのが結構大変です。
かずら橋を渡ってみたい,という理由は,以前,紀伊半島の十津川村に行ったとき,日本最長の谷瀬のつり橋というのを渡ったとき,かずら橋のほうがよほど怖いという話を聞いて,ならば渡ってみようと思ったからです。ちなみに,谷瀬のつり橋というのは
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十津川村1番の名所「谷瀬のつり橋」は。昭和29年に村人の力で架けられた,長さ297メートル,高さ54メートルの生活用としては日本一長い吊り橋です。揺れる橋を渡るには勇気が必要ですが,渓谷に沿って連なる山々や橋下を流れる美しい川は,ここでしか見られない十津川の眺望です。
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というものです。
とはいえ,話には聞いたことがあっても,かずら橋がどこにあるのかさえ,知りませんでした。調べてみたら,徳島県の山奥,祖谷というところにあるということ。さらに調べると,この祖谷のかずら橋は結構観光地化されていて,さらに50分程度行ったところに奥祖谷に二重かずら橋というのがあって,そのほうがずっと秘境感があるということがわかりました。また,新幹線をまねたホビートレイン,これは,よくテレビの旅番組に登場するのですが,四万十川に沿って走る予土線を走っているということでした。しかし,時刻表を見ると,1日に数本しか走っておらず,結構乗るのがたいへんそうでした。

いずれにせよ,これはFDAで高知龍馬空港まで行って,そこでレンタカーを借りればいいや,と考えて,2泊3日の旅をすることにしました。しかし,台風銀座の四国のこと,9月はやめて,10月の下旬に行くことにしました。いくら何でも,10月の下旬に台風は来ますまい。
しかし,問題がひとつ。
奥祖谷に行くには,私が以前,紀伊半島で知らずに走った国道425号線とともに「日本3大酷道」のひとつといわれている通称「よさく」つまり,国道439号線を走らなくてはならないということだったのです。国道425号線で怖い思いをした私は完全に酷道に対してトラウマになっていて,これだけでもビビりました。行けるかどうかは,まあ,ともかく,天気次第です。
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そんなわけで,海外旅行に行くときと同じく,航空券とレンタカーをまずは予約して,その次に宿を探す,という順番に決めていきました。
旅行の計画は楽しいものです。


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 帝釈天まで戻ってきました。柴又帝釈天は日蓮宗の寺院で,経栄山題経寺と号します。
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 「仏」は「如来部」「菩薩部」「明王部」「天部」の4つからなり,「帝釈天」は「天部」のひとつです。
 「如来」は「仏陀」のことで,「悟りを開いた者」。「菩薩」は悟りを開くために修行中の者。「明王」は如来の化身で民衆を力尽くで教化するので恐ろしい形相をしています。「天」は仏法の守護神・福徳神で,現世利益的な信仰を集めるものです。
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 この日は日曜日でもあって,帝釈天の参道まで来ると,多くの観光客がいて,私は嫌になりました。そこで,帝釈天はそこそこに,参道にあるお店で昼食をとって,ここを後にすることにしました。
 多くの店があったのですが,とらやさんに入ることにしました。とらやさんの創業は明治20年で名物「草だんご」は創業以来作り続けているそうです。「男はつらいよ」の第1作からから第4作まで「寅さん」の実家として登場したというのが触れ込みです。
 私も,中に入って,まずは冷たいおそば,そして,草だんごをいただきました。
 実は,寅さんの実家のモデルになったお店はとらやだけではなく「髙木屋老舗」もそうです。 髙木屋老舗の創業は明治元年で「男はつらいよ」撮影時の休憩所でもあった場所です。
 とはいえ,名前から,それを知らない人にとれば,とらやさんということになってしまうでしょう。

 こうして,葛飾柴又に来ることができて,精神的にも,また,お腹の中も,ずっと以前に来たときの消化不良を解消できたので,NHKホールへ向かうことにしました。
 帰りは,柴又駅から列車に乗って戻ることにしていたので,柴又駅のホームに入りました。
 来たときと同じように,京成高砂駅で乗り換えようと思ってホームに行ったのですが,間違えて,反対側の金屋駅に向かうホームに行ってしまいました。しかし,調べてみたら,金屋駅のほうが便利で,金屋駅で東京メトロ千代田線に乗り換えれば,そのまま渋谷まで,というか,正確には原宿まで行くことができるのでした。
 やがて電車が来たので乗りました。ひと駅で金屋駅に着いたのですが,ここは思った以上に大きな駅でした。ここから東京メトロ千代田線に乗ればいいのですが,私が東京メトロ千代田線金屋駅だと思っていたところにあったのはJR常磐線と表示された金屋駅でした。私のような旅人は,東京の交通がいまいちよくわかりません。東京メトロ千代田線金屋駅は別の場所にあるのかな? と思いました。しかし,どこを探してもこの駅しかないので,こりゃ相互乗り入れなのだろうと思ったのですが,この駅にはどこを探しても東京メトロ千代田線という看板がなくあくまでJR常磐線と書かれてありました。であるのに,金屋駅の時刻表にあったのは明らかに東京メトロ千代田線で,JR常磐線の時刻表ではありません。どうなっているのかさっぱり把握できないのです。まあ,どれに乗ろうと,Suica で大丈夫だし,行きたいところには行くことができるので,問題はないのですが,納得がいきません。理系頭は,理屈が知りたいのです。

 家に帰ってから調べてみました。
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 JR常磐線は,北から順に,金町,亀有,綾瀬,北千住,南千住,三河島,日暮里,上野と続きます。また,東京メトロ千代田線は,同じく北から,北綾瀬,綾瀬,北千住のあとは,町屋,西日暮里,千駄木,根津,湯島,お茶の水,大手町,二重橋,日比谷,霞が関,国会議事堂前,赤坂,乃木坂,表参道,明治神宮前と続きます。ですが,JR常磐線に乗り入れた地下鉄千代田線の各駅停車は,金町,亀有,綾瀬,北千住のあとは,JR常磐線ではなく東京メトロ千代田線に入るのです。
 いろいろな経緯があったみたいですが,1971年(昭和46年)に東京メトロ千代田線とJR常磐線の相互直通運転がはじまってから,宮城県の岩沼駅を始点として茨城県の水戸市を経由し上野駅に至るJR常磐線は,金町,亀有,綾瀬の各駅は,快速列車は停車せず,東京メトロ千代田線に乗り入れる各駅停車のみが停車するように変わったのです。
 つまり,JR常磐線の快速列車は,金町,亀有,綾瀬は通過し,各駅停車は,金町,亀有,綾瀬には停まりますが,次の北千住から東京メトロ千代田線に乗り入れてしまうのです。そこで,従来は,金町,亀有,綾瀬からJR常磐線で南千住,三河島,日暮里,上野に直接行くことができたのですが,現在は,金町,亀有,綾瀬の各駅からJR常磐線の南千住,三河島,日暮里,上野に行くには,北千住で降りてJR常磐線快速に乗り換える必要があるということです。
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 要するに,私が乗った金町駅はJR常磐線とはいいながら,実際は,JR常磐線に乗り入れる東京メトロ千代田線の普通列車だけが停車する金屋駅,というわけだったのです。これもまた,不必要な情報は山ほどあれど必要な情報がないという日本らしいお話でした。

 このように,東京駅から柴又駅に行くには,私が行きに利用した,日暮里駅から京成電鉄で行く方法もあれば,東京駅に近い二重橋駅から東京メトロ千代田線に乗るという方法もあったのですが,東京メトロ千代田線経由の方が,むしろ便利でした。また,柴又からNHKホールに行くにも,柴又駅から金屋駅まで行って,金屋駅からJR常磐線に乗り入れる東京メトロ千代田線に乗りかえて,明治神宮前に行くのが最も便利だったのです。
 やっと理解できてすっきりしました。
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 NHK交響楽団の定期公演が終わって,東京駅までは,明治神宮前駅から日比谷駅まで,覚えたばかりの東京メトロ千代田線で戻って,日比谷公園を少し散歩してから,予定どおり,東京駅でこれもまた贅沢にお寿司を食べて,午後7時東京駅発ののぞみで帰宅しました。帰りの新幹線はとても混雑していて,グリーン車も空席がなく座席詰まっていたのだけが残念でしたが,それはともかく,すばらしい1日となりました。

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 葛飾柴又寅さん記念館を出て,隣にあった山田洋次ミュージアムを見学してから,山本亭,矢切の渡しと歩きまわって,帝釈天の参道に戻りました。
 まだまだ残暑厳しく,すごく蒸し暑くて,それだけが残念でした。また,江戸川の堤防は,ものすごく虫が多く,さんざんコバエに悩まされたオーストラリアのエアーズロックのようでした。

 山田洋次さんは「男はつらいよ」以外にも多くの作品を制作していて,1961年(昭和36年)年のデビュー作「二階の他人」から最新作まで、時系列に9つのテーマにわけて紹介しています。それと同時に作品制作当時の社会背景なども知ることができるというねらいで展示がしてあって,私のような年代には,とても興味深いものでした。山田洋次さんはこのミュージアムを
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 発見があるミュージアムになった。この50年間で私たちは幸せになったのだろうかという問題と,映画のデジタル化が進み「フィルムよ、さようなら」という思いが伝われば」と話した。
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と話されたそうですが,日本では,過去は過去として,よいことも悪いこともまっすぐに見つめ直すことが少なく,むやむやにして葬り去ってしまう,という感じが私にはするので,こうした場所はとても貴重だと思いました。

 また,山本亭は,地元ゆかりのカメラ部品製造をしていた山本工場の創立者である山本栄之助翁の自宅を平成3年に公開したものです。
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 関東大震災後当地に移り住み,以後4代にわたって使われていた,大正末期から昭和初期に増改築された当時には珍しい二世帯住宅。建物は,床の間・違い棚・明かり障子・欄間からなる書院造り,数奇屋風の天井,下端部は石張りで上部は白漆喰塗りの土蔵などの伝統的な和風建築と,壁には大理石のマントルピース,寄木を用いたモザイク模様の床,ステンドグラスをはめ込んだ窓,ガラス製ペンダント照明を用いた昭和初期独特の洋風建築が複合されています。また,池泉・築山・滝などを設けた典型的な書院庭園も見ることができます。
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ということですが,何か建物の説明が聞けるけるわけもなし,建物を単に見るだけだったのが物足りなかったように思いました。
 どうして,日本はどこもこんな感じになってしまうのでしょう。アメリカで同じようなところを見学すれば,どこも工夫を凝らした見学ツアーがあるものです。

 矢切の渡しは,小説「野菊の墓」や歌謡曲「矢切の渡し」で有名な,唯一現存する江戸川の農民渡船で,矢切と葛飾区柴又を結んでいます。
 徳川幕府は江戸防衛のため川に橋を架けず,街道に続く渡し舟は厳しく管理されていたそうですが,対岸に農地を持つ農民のための渡船は許されていました。そこで,旅人の中には事情により街道の経由がはばかられ,農民に扮装して川を渡る者もあったそうです。
 「野菊の墓」は伊藤左千夫が1906年に発表した小説で,私は昔読んだ記憶だけがあります。
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 矢切の渡しに近い旧家の息子・数え年15歳の政夫は,体調のすぐれない母と暮らしており,従姉・数え年17歳民子が市川から看護や手伝いに来ていた。ふたりはたわいのない遊びで無邪気に接していたが,年ごろの男女が親しすぎることから近所であらぬ噂が立ちはじめる。
 以来,民子は政夫から距離を置き,改まった口の利き方をするようになったが,会うのを制限されたことでかえって互いに恋心の芽生えを感じるようになる。
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という淡い恋愛物語で,矢切の渡しは,政夫と民子の最後の別れの場となったところです。
 また,演歌「矢切の渡し」は,1976年に,ちあきなおみさんのシングルのB面として発表されたのがはじめということですが,全国で知られるようになったのは,1982年に,TBS系列のテレビドラマに「淋しいのはお前だけじゃない」というテレビドラマが放映されて,女形で出演した梅沢富美男さんがこの歌を挿入歌として使用したことです。私もそれで知りました。
 というように,何かもの寂しげな,そんな雰囲気が人々の琴線に触れることから,今も現役で観光地化されているように私は思います。
 この日も舟が運航されていましたが,私は乗りませんでした。ウェブに載っている写真は手漕ぎの船ですが,私が見たのは,単なるモーターボートだったのでがっかりでした。


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 京成高砂から歩いて15分,柴又帝釈天の参道に到着しました。私は,こうした何気ない街を歩くのが好きなのです。むしろ,観光地はやたらと人がいるので嫌いです。1か月ほど前に行った浅草はものすごい人混みでうんざりしましたが,帝釈天参道はそこまではひどくありませんでした。しかし,多くの観光客がいました。
 まずは,観光案内所で情報収集です。滞在2時間程度で,ということで,どんな見どころがあるかを聞いて地図をもらいました。
 私が最も行きたかったのは,「葛飾柴又寅さん記念館」で,そこはずいぶん前に一度柴又へ来たときにはあったのかなかったのかされ知らず,来たことがありませんでした。
 そこでまず,帝釈天の参道を何も見ずに通り過ぎて,この記念館に行くことにしました。

  ・・・・・・
 「葛飾柴又寅さん記念館」は,松竹製作配給の映画「男はつらいよ」シリーズの舞台・柴又にあって,映画の世界観や各種資料を再現・展示しています。
 今から25年前,柴又地区で,江戸川の高規格堤防の整備事業が行われた折,河川敷と法面が一体で整備され「柴又公園」が設立されました。「葛飾柴又寅さん記念館」は,その柴又公園の真下に作られたものです。
 「葛飾柴又寅さん記念館」では「男はつらいよ」の世界をコーナー別にわけて展示してあって,2000年に閉鎖された松竹大船撮影所から移設した「くるまや」「朝日印刷所」のセット,映画の名場面を紹介した映像コーナー,実物の革カバンなどの展示コーナー,記念撮影コーナーなどがあります。
 また,隣には,2012年に作られた「男はつらいよ」の原作者で第3作と第4作を除いたシリーズの監督を務めた山田洋次を顕彰する「山田洋次ミュージアム」を開設しています。
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 ということで,老人割引の入場券を購入して館内に入りました。思ったほど大きなところではありませんでしたが,映画のままの世界が再現されていて,とても楽しい時間を過ごすことできました。私が最も興味深かったのは,映画で使われた寅さんの旅のカバンと寅さんの履歴書でした。
 年月が経てば「男はつらいよ」を知らない若い人が増えてくると思うので,館内に小劇場を作って「男はつらいよ」を上演すればいいのに,と思ったことでした。

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☆☆☆☆☆☆
 前回,「シリウスB」の撮影記を書いたのですが,結局,「シリウスA」が明るすぎて,露出をかけ過ぎると「シリウスB」が飲み込まれてしまうことがわかりました。
 再チャレンジをしようと準備をしていたのですが,なかなか晴れません。10月19日の早朝,やっとよい天気になったので,新たに,露出を少なくして,再び挑戦してみました。
 写真に写っている多くの星は約8等星である「シリウスB」よりもずっと暗いことから,それほど露出をかける必要もなさそうでした。ということで,さまざまに露出を変えて写してみることにしました。
 あまり露出を減らすと星が写らなくなったりと,その見極めが厳しく苦労をしたましたが,そのうちの数枚,なんとか「シリウスB」を捉えることができました。
 比べるとわかるのですが,前回の写真よりも全体的に暗く,星像が小さいのは露出を絞ったためです。
 おそらく,もっと大口径で倍率をかければ,それほど難しくなく写ることと思います。

   ・・・・・・
 全天で最も明るい恒星シリウスは近いので固有運動が大きいのですが,1844年にフリードリヒ・ベッセルが50年の周期でふらふらとよろめくように運動していることから,きっと目に見えない何かがシリウスのまわりにあるのではないかと考えました。フリードリヒ・ベッセル(Friedrich Wilhelm Bessel)はイギリスの天文学者で,恒星の年周視差を発見し,ベッセル関数を分類したことで知られます。
 1862年になって,アメリカのレンズ製造家アルヴァン・クラーク(Alvan Clark)がディアボーン天文台(Dearborn Observatory)から依頼された口径46センチメートルの屈折望遠鏡のテストをするためにシリウスを観察してみたら,偶然,伴星が見つかったのです。
 その後,現在「シリウスB」とよばれるシリウスの伴星は,「シリウスA」とは30億キロメートルというちょうど太陽と天王星ほどの距離にあって,直径が地球のわずか2倍程度なのに重さが太陽ほどもある超高密度のガスからなる天体で,超巨星が進化の末期に段階である白色矮星だとということがわかりました。つまり,過去は,「シリウスB」のほうが「シリウスA」よりも大きな質量をもちずっと明るく輝いていたことになります。
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 今でも非常に明るいシリウスがこれ以上に明るかったら,いったいどれほど明るく輝いていたことでしょう。想像するだけでもワクワクします。

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 私の憧れる生き方はフーテンの寅さん。
 ということで,これまで何度もその舞台である葛飾柴又に行こうと思っていたのですが,東京都心から結構遠く,なかかな実現しませんでした。いや,実際は,ずいぶんと昔,一度だけ行ったことがあるのですが,若いころに行ったところは,自分の未熟さと無知のために消化不良となっていたのです。先月東京に行ったときは,東京への到着時間が遅く,午後2時からのNHK交響楽団の定期公演の前に行くには十分な時間がなかったので,今回は早く到着して,定期公演の前に,柴又まで往復することにしました。
 映画にも出てくる柴又駅は不便なところにあって,東京に住んでいない私には,距離感がつかめません。とにかく,行ってみるに限るのです。そして,行ってみると大したことはないのです。やはり,今回も行ってみて,それがとてもよくわかりました。しかし,行く前は,どこをどう行けばいいのか,今ひとつ掴めませんでした。

 まずは,Google Maps が薦めるまま,東京駅から山手線,あるいは京浜東北線に乗り換えて,日暮里駅で降り,そこから京成電鉄で向かうことにしました。京成高砂という駅で乗り換えてひと駅で柴又駅に着くということだったのですが,日暮里駅でやってきた電車が普通でその次も普通,そして,そのあと17分後に快特とかいうのがあって,どちらが先に着くのかよくわかりません。駅の案内放送も早口でほとんど理解ができませんでしたが,私の耳には普通は快特に追い抜かれて,京成高砂駅には快特のほうが先に着く,と聞こえました。聞こえないような放送ならやかましいだけで,はじめて乗る人にわかってもらおうという気持ちのかけらすらありません。こんなものなら,欧米の鉄道のように,案内放送などやらないほうが静かでましです。
 私が言いたいのは,ある私鉄では特急に乗るだけで別料金がいる場合もあれば,そうでない場合もあるし,いつも乗っている人には当たり前でも不案内の人にはそういうことが,こんな案内ではさっぱりわからないということなのです。つまり,いつも,どうでもいい情報は山ほどあれど必要な情報がない。これこそが,日本流,責任のがれのやったふりということです。

 ということで,はじめの普通を見送り,次の普通の後に来る快特を待つことにしたのですが,今度は,快特というのが別料金がいるのかどうかが心配になってきました。そうこうするうちにスカイライナーとかいうのがホームに来ましたが,これは扉が開きませんでした。これは別料金が必要で成田空港に行く列車だということは理解できました。
 次の普通が来ました。見送ろうと思っていた列車だったのですが,私が待っていたところがちょうど車掌さんのいるところだったので聞いてみると,この普通のほうが先に到着する,ということでした。であれば,先に見送った普通は何だったのか! まあ,いずれにしても,たとえ追い抜かれたとしてもそんなに時間が変わるものではないから,車窓さんを信じてその普通に乗り込みました。そして,実際,快特に追い越されることもなく,京成高砂駅に到着しました。
 このように,日本を旅するのは,海外旅行をするよりずっと大変です。
 京成高砂駅からの乗り換えですが,乗り換えをするには一旦改札を出て,再び別のホームに行く,とありました。しかし,調べてみると,京成高砂駅から柴又駅までは,乗り換えて電車で行くのと,京成高砂駅から歩くのとほとんど時間が変わらないようなので,歩くことにしました。そのほうが街の様子もよくわかり楽しいのです。このあたり,東京とはいえ,のどかでいいところでした。やがて,帝釈天の参道が見えてきました。

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 円安に,高齢者の医療費が2割負担に,物価高に,年金の支払い65歳に延長に,と,将来真っ暗闇のこの国です。…と,こんなことが騒がれているのですが,何を今更,という感じがします。「これからの人口予測」を見ると絶望的になりますが,多くの人はこの現状を知りません。
 これだけ少子高齢化が進めば,今までのような福祉政策が続けられるわけがありません。そんなことはずっと前からわかっていて,民主党政権のときは長期的な対策をしようとしはじめたのですが,自民党と公明党政権に戻って,アベノミクスとやらがはじまったら,すべてぶち壊しの大盤振る舞いをはじめました。そのときは景気が上向くので好評でしたが,これでは将来に対する傷口が深くなっただけだったのです。
 このように,長期的な展望に立って対策をするようなことは,今の政権には望めません。そんな正直なこというと選挙に負けるからです。また,政治家の多くは年寄りだから,日本の将来がどうなろうと知ったことではないのです。無責任な与党です。

 「これからの人口予測」を見せて「現在,この国の現状はこうなっていますよ。この先が心配ですよ。だから,どうすればいいのかみんなで考えましょう」とすべてを明らかにすれば,何かいい案を考える人もいるのでしょうが,そういったことをすべて隠しておいて,甘いことをいっておいて,それが立ち行かなくなるとはじめて,突然,強制的に,しかも,何の長期的な展望もなく,その場しのぎの圧力をかけはじめるのです。
 お金というのは,自分の財産について考えればわかるように,たとえば株を持っていたときに株価が上がれば財産は増えるし下がれが減る,つまり,一定ではないのです。そこで,株高にすれば含み益が増えるから,一見,借金が減ったように見えるわけですが,それは見せかけにすぎません。あるいは,お金を借りまくって,散財して,その先は知らないよ,とやれば,しばらくの間はそれでことがすぎます。すべて先送りにすれば,その場はしのげます。しかし,そんなことを国がやっていてはいけません。今もまだそんなことをくり返しているのですが,ついにそれが立ち行かなってきたので,さまざまな屁理屈をつけて,だまし討ちをはじめたのです。
 こんなことでは先行きが不安ですが,多くの年寄り政治家同様に,インチキ富裕層の私のような老人は,さほど心配をしなくても,まあ,何とかなるので,楽観しています。私は逃げ切り世代です。しかし,若い人は気の毒です。であるのにかかわらず,若い人は,果たしてこうした現実を自分のこととして考えているのかどうか,知っているのかどうか,他人ごとながら,私はとても心配になります。小さな子供を何人も連れた若い夫婦を見ていると,ああ,こんなに子供を作っちゃって,この親たちは何も知らない,この子たちが大人になったときどうなるのだろうと,むしろ気の毒な気持ちにさえなります。

 さて,年金の受給年齢も次第に遅れていって,健康保険も上がり,貯金をしようとも金利がほとんどなく,という現在において,私が思う勝ち組というのは,1955年(昭和30年)生まれです。1956年以降,年金の受給も福祉も急激に悪くなっていくというのが,この国の現状で,それ以後の世代はすべて負け組です。
 よく,団塊の世代を勝ち組だという人がいますが,それも正しくありません。少し前に書いたことがあるのですが,団塊の世代の人たちは,3度の失敗をしています。そして,今,この世代の人たちがまさに後期高齢者となってきたのですが,その後は,大変な状況が加速していくことでしょう。
  ・・
 2020年の春,突然襲ったコロナ禍。コロナ禍以降に退職した世代は,このコロナ禍のおかげで,満足に旅行もできず,気の毒な限りですが,そんな世代の人たちが,今年もまた,これまで経験したことのない巨額な退職金を手にして「毎日が日曜日」という新たな社会に放りだされてきました。それでもまだ,退職金がもらえた人は運がいいのかもしれません。
 その中でも,厚生年金がもらえる人たちは,現役のときには年末調整をしていたから,多くの人は税金の仕組みも知りません。そんな投資経験もほとんどない人に対して,手ぐすね引いて金融業界が待ち構えていて,年金生活1年生は,甘いことばで誘惑され,投資に手をのばしはじめるのです。私のまわりにも,日々,必死に相場を見ている人がいます。しかも,実際の経験もないのににわか知識を披露して得意になっています。しかし,金利は最低,株は高値,極端な円安という三重苦の今,プロなら上がろうと下がろうと相場が動けば儲けられるますが,素人が投資に手を出せば,必ず大損するという以外の答えは用意されていないのです。私は,そうした人たちを,おバカなことよ,と傍観していますが,やがて来る悲劇を思うと気の毒でなりません。投資をはじめるなら,まずは10万円を小出しにさまざまなものに手を出して,3割は損をすることを覚悟にお勉強をするべきです。
 皆さんもせいぜいお気をつけなさいませ。
 この国の将来には夢も希望ももてないのです。

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 今日の写真は,ウィーンにあるマーラーが住んでいたという建物です。
  ・・
 マーラーの交響曲はみなある種の暗さと深刻さ,それに対比したなまめかしさと通俗的な旋律でできています。私ははじめてマーラーを聴いたときには,この通俗的なところがいやで,これがブルックナーのようなストイックな曲にくらべて質の低いものに感じたものです。
 ブロムシュテッドさんも「ヘルベルト・ブロムシュテット自伝-音楽こそわが天命-」(Mission Musik: Gespraeche mit Julia Spinola)で,同じようなことを書いていました。
 しかし,聴き込むうちに,それは表面的なことにすぎず,奥の深い音楽であればこその感動を味わうことができるようになります。
 私が最も好きなのは交響曲「大地の歌」ですが,交響曲第9番は,それ以上に高貴なものであり,だからこそ難解で,気軽に接することができるものではありません。また,90分にもわたるこころの内面に訴えかける静寂の音楽は,よほど耳の肥えた聴衆が集う場で,ゆらぎのない演奏でなければ務まりません。

●第1楽章(Andante comodo ニ長調)
 いつ開始されたかよく注意していないとわからないほどの小さな音の短い序奏によって曲は開始されます。やがて,夜明けのように,ヴァイオリンが第1主題の動機を奏します。この動機は,「大地の歌」の結尾「永遠に」(ewig))です。次に,ホルンの音とともにヴァイオリンが半音階的に上昇する第2主題がはじまります。
 第1主題と第2主題は「死の舞踏」となり,金管の半音階的に下降する動機が発展し盛り上がります。これが第3主題です。
 頂点に達すると暗転し,ここから長い長い展開部に入ります。
 序奏が回想されたのち,主題が変形されテンポが早くなり力を増し,さらに狂おしくなっていきクライマックスを築きます。音楽は急速に落ち込み,テンポを落とし陰鬱さが増し,不気味な展開が続いたあと落ち込み,銅鑼が強打され展開部がやっと終了します。
 再現部では,主題が自由に再現され,曲は一転しカデンツァ風の部分となったのち,残照のようなホルンの響きに変わりコーダに入り,最後に救いを感じ,こころ温まる気持ちがします。
  ・・
●第2楽章(Im Tempo eines gemächlichen Ländlers. Etwas täppisch und sehr derb ハ長調)
 序奏のあと,3つの舞曲が入れ替わり現れます。
 マーラーらしいかなり土俗的で諧謔的な雰囲気になる楽章で,第1楽章で味わった緊張感をほぐします。
  ・・
●第3楽章(Rondo-Burleske: Allegro assai. Sehr trotzig イ短調)
 「道化」を意味する第3楽章は短い序奏のあとユーモラスな主題が続きます。快活で皮肉的な雰囲気で曲は進んでいきます。頂点でシンバルが打たれたのち雰囲気が一変し,トランペットが柔らかく回音音型を奏します。
 最後は速度を上げて狂おしく盛り上がり楽章がおわります。
  ・・
●第4楽章(Adagio. Sehr langsam und noch zurückhaltend 変ニ長調)
 コーダの形式で,絶えず表情が変化していきます。
 弦の短い序奏からはじまり,ファゴットのモノローグが拡大されたような音楽が奏されます。
 ヴァイオリンの独奏や木管ののちホルンが主題を演奏して,やがて弦楽によって感動的に高まり,その後,重苦しくなっていきますが,再び独奏ヴァイオリンと木管が現れて緊張が解けていきます。
 ハープの単純なリズムのうえに木管が淋しげに歌いながら, 弦,金管が加わって,大きくクライマックスを築きます。
 そして,ヴァイオリンの高音に,第1楽章冒頭のシンコペーションが反復されたのち,大きなクライマックスを築き,それは形を変えて断片的になっていきます。
 ヴァイオリンが「亡き子をしのぶ歌」を引用し,その後,徐々に力を失いながら休止のあとアダージッシモのコーダに入ります。
 最後の34小節はコントラバスを除く弦楽器だけで演奏されます。なんと神々しいことか。
 浮遊感を湛えつつ「死に絶えるように」,最弱奏で曲は終わりを告げます。

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 私は,一時,マーラーの音楽から遠ざかっていました。墨絵のようなブルックナーとは違い,カラフルなマーラーの音楽が私には重くなってしまっていたからです。
 しかし,2018年,2019年とオーストリアのウィーンに出かけたとき,マーラーの活躍した場所や,ウィーンの中心街から遠く離れたウィーン中央墓地でないグリンツェング墓地にあるマーラーの墓を訪ねて以来,気持ちが変わりました。
 また,偶然,私がこの墓地を訪ねたときに居合わせたある人の葬送で人が埋葬されるのをはじめて目撃して,マーラーの暗さと悲劇性を私に印象づけてしまいました。
 さらには,グスタフ・マーラーの墓の近くに背を向けるようにして不仲といわれた妻アルマ・マーラーの墓があるのを見て,マーラーの孤独がわかったような気もしました。
 以前,私は,このブログに次のように書きました。
  ・・・・・・
 マーラーのお墓のあるグリンツェング墓地に着くと,グスタフ・マーラーの墓の近くの墓に墓参りに来ていた人がいました。そこにいた人に,アルマ・マーラーの墓がどこにあるかを聞くと,ついておいで,というポーズをとって,連れていってくれました。それは,グスタフ・マーラーの斜め後ろではなく,少し離れた場所にありました。聞かなければ,今回もまた見つからなかったことでしょう。ここに,アルマ・マーラーは,グスタフ・マーラーの死後に再婚したヴァルター・グロピウスとの間にもうけた娘で早世したマノンと眠っています。
  ・・・・・・

 今回の定期公演で聴いたマーラーの作曲した交響曲第9番ニ長調は,交響曲「大地の歌」 (Das Lied von der Erde)の次に作曲された10番目の交響曲です。
 交響曲には「第9の呪い」があって,それは
  ・・・・・・
 ベートーヴェンが交響曲第10番を未完成に終わらせ,また,ブルックナーが10曲の交響曲を完成させたものの11番目にあたる交響曲第9番が未完成のうちに死去したことを意識したマーラーが,9番目の交響曲に番号を与えず,単に「大地の歌」としたのですが,その後に作曲したものについに交響曲第9番としたのですが,続く交響曲第10番が未完に終わり,結局「第9」のジンクスが成立してしまったわけです。
  ・・・・・・
というものです。
 そんな因縁のある交響曲第9番は,全曲が,「別れ」や「死」のテーマによって貫かれています。

 マーラー自身は作曲後すぐに亡くなってしまったので,初演を果たすことはできませんでした。作曲したマーラー自身はこの曲を聴いていないのです。
 マーラーは生涯にわたって死の影に怯えているので,交響曲第9番の完成後にこの世を去っていることでこの曲を「死」と関連づけることになるのですが,NHKFM放送でも解説されていたように,この曲を作曲していた時期のマーラーは,自らが指揮した交響曲第8番の初演を大成功に終わらせ,アメリカにも招かれ旺盛な指揮活動を行っていた時期でした。つまり,マーラーの音楽活動の最盛期であって,エネルギーが充溢していたころのもので,だから「死」の世界に立ち向かい音にする強さがあってこそできた曲であるともいわれます。
 マーラーは交響曲を第9番で終わらせる意図はなく,さらに交響曲第10番の作曲を開始して,さらに進もうと意図していました。この時代の多くの芸術家が「死」を主題として多くの作品を作り上げているので「死」をテーマにした芸術は特別なものではなく,交響曲第9番は終わりの音楽でもなけれは,「死」の恐怖に怯えた作品ではありません。

 グスタフ・マーラー(Gustav Mahler)は1860年に生まれ,1911年,50歳で亡くなりました。
 交響曲第9番は死の2年前1909年夏,イタリアのトブラッハ(Toblach)近郊のアルト・シュルーダーバッハで2か月で作曲され,ニューヨークに楽譜を持ち込んで仕上げにかかり,翌1910年に完成しました。
 マーラーの死後,1912年にウィーンでブルーノ・ワルター指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によって初演されましたが,マーラーの交響曲がウィーンで初演されたのはこれが唯一でした。

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 私は,世界のどこに出かけるのも苦ではなく,わざわざ何かを新たに買って準備するということもなく,旅は普段の変わりない行動の一環となっているのですが,それでもさすがに今回の東京行きは緊張しました。今年最大のイベント,と自分で位置づけたので,まずは,すべてを豪華にしようと考えました。
 NHK交響楽団の定期公演はNHKホールで午後2時開演。そこで,朝7時4分名古屋発ののぞみで出かけることにしました。東京に到着後,午前中は,これもまたマイブームである「男はつらいよ フーテンの寅」にちなんで,葛飾柴又に行き,午後はコンサート。その後,東京駅で食事をして,午後7時発ののぞみで帰宅するということにしました。この時間の新幹線に限定したのは,往復ともに最新型車両のN700Sであるということでした。混雑がきらいなので,当然,グリーン車にしました。

  ・・・・・・
 N700Sは東海道新幹線の第6世代で,「S」は英語で「最高の」「究極の」などを意味する「Supreme」の頭文字です。高速鉄道で世界初となるバッテリ自走システムを搭載します。
 先代のN700Aとの違いは乗り心地で, グリーン車のシートは背もたれを倒すと座面が沈み,さらにシート全体がわずかに後ろへずれることで,腰と太ももの負担を軽減し,疲れにくい姿勢を維持できるように人間工学に基づいて設計されました。
 また,N700Sは,照明を間接照明化したうえ,スピーカーも天井から客室前後にある仕切り壁の上側へ移動することで,視覚的に車内空間が広く感じられるようにされ,さらに,LEDの間接照明で大型の曲面天井パネルを照らすことで,客室全体に暖かみのある光が均一に降り注ぎ,落ち着きのある雰囲気のなかで過ごせるといいます。
  ・・・・・・

 いつものとおり,名古屋駅までは自家用車で行き,太閤通口近くの駐車場に車を停めました。
 出発まで何かがあっては大変と,要らぬ心配に陥りました。それは,朝,寝坊したら,とか,車が動かなかったら,とか,熱が出たら,とか,新幹線が遅れたら,とか。また,1日目は無事に終了したコンサートでしたが,マエストロは2日目も元気だろうか,とさえ,考えました。
 ということで,旅慣れていてもこんな心配をするなんて,私はいつまでたっても成長しません。
 しかし,多くの心配をよそに,当日は数日前までは天気がよくないという予報もあったのですが,やはり,今回も晴れました。
 何の問題もなく,名古屋駅に到着しました。
 また,何の問題もなく,新幹線は出発しました。
 途中,雪のまったくない富士山がきれいに見えました。
 そして,定刻通り東京駅に到着しました。
 かねてからの計画通り,午前中は葛飾柴又に行きましたが,このことは,また,後日書きます。
 そして,前回書いたように,大感激の定期公演も無事終了しました。
 再び,東京駅に戻り,夕食をとり,また,予定通り,新幹線も運行して,帰宅しました。
  ・・
 このように,2022年10月16日という日は,私の計画していたとおりに,すべてが完璧に終わりました。

 それにしても,いつも東京へ行くたびに思うのですが,この大都会,人多すぎです。確かに東京には何でもあります。何でもありますが,だからといって,自分が何かをしたいときに出かければよいのであって,ここに住みたいという気になるところではありません。
 また,交通の便もものすごくいいです。どこにもほとんど待ち時間もなく,簡単に行くことができます。しかし,乗客は私ひとりというわけもなく,何に乗っても混雑しています。
 また,どんなときもほぼキャッシュレスで過ごすことができます。Suica さえあれば,他に何も要りません。
 そんな都会で生活している人たちは,これもまた,いつも書いていることですが,政治家もマスコミをはじめとして,この日本の中では異質な東京という中の出来事を,さも日本であるように思っている。そして,その中で何かの政策を決め,また,報道しているようです。であっても,やはり,ここは日本を代表しているところではなく,日本の現状とはまったく異質な空間です。
 そしてまた,いつものことですが,NHKホールの中で,時間も忘れ,場所も忘れ,すっかり偉大な芸術に浸りきっていても,そのあとホールから出ると,あらゆるところから聞こえてくる雑音やらわけのわからぬ音楽やら,人だらけの雑踏に,それまでの余韻はすべて吹っ飛んでしまいます。ウィーンとの違いです。これがとても残念なことです。


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 ついに待望のNHK交響楽団第1965回2日目の10月16日がやってきて、緊張して出かけました。私の今年最大のイベントです。
 指揮は95歳,桂冠名誉指揮者ヘルベルト・ブロムシュテット(Herbert Blomstedt)さん,曲目はマーラーの交響曲第9番です。
 ヘルベルト・ブロムシュテットさんが去る6月25日に転倒し入院したというニュースがあって,来日がかなわないのでは,と私はずいぶん心配していたので,無事来日されたという情報があったときは泣けました。昨年来日されたときはとてもお元気そうだったのですが,1年という月日は高齢者には過酷でした。
 数年前に亡くなった私の父と同じ年に生まれた,おそらく,世界最高年齢の偉大なマエストロが指揮するマーラー交響曲第9番とあっては,これを聴きにいかずにおれようか,ということで,前回も書いたように,もともとCプログラムの定期会員だったものを変更して,この10月の定期公演を含め,9月と11月の3回のAプログラムのシーズン券を購入しました。

 私は,マエストロが前回,この曲を指揮した2010年にもNHKホールで聴きましたが,あれから12年の月日が流れ,今回のコンサートは特別でした。
 私の出かけた日の前日に行われた1日目の様子はNHKFMで中継されましたが,ラジオからだけでもものすごい緊張感が漂ってきて,曲が終わった後にしばらく続いた静寂,そして,観客のだれかが小さな声で「ブラボー」と叫んだ,その絶妙なタイミングに続いた割れんばかりの拍手がすごいものでした。番組の司会をしていた金子奈緒さんは涙声でした。
  ・・
 さて,私の聴いた2日目。
 もう,ひとりで歩くことさえままならなくなったマエストロが,コンサートマスターの篠崎史紀さんのサポートでステージに姿を現したときにすでに会場は熱気に包まれました。これだけで泣けてきました。本当によく来日できたものです。マーラーの交響曲第9番は長く,かつ重く,難解で,この曲のよさがわかるのはとても大変なことです。私は,この場に立ち会うことができて,そしてまた,曲が理解できて,本当に幸せでした。2日目の演奏は,1日目以上の出来だったということです。
 静かに静かに第1楽章がはじまりました。序奏のあとの旋律はマーラーの最高傑作である交響曲「大地の歌」(Das Lied von der Erde)の最後「永遠に永遠に」(Ewig... ewig...)に続くものです。マーラーらしいおどけのある第2楽章。まったく乱れのなかった第3楽章。そして,いつ終わるとも知れない長いアダージョが奏でる第4楽章では,あの大きなNHKホール一杯の観客がまったく音を立てず,ただ聴こえるのはオーケストラの小さな小さな音色だけという,とんでもない状況が延々と続きました。やがて,生命賛歌のような高揚が終わったあとの消え入るような救いの最後の1音が終わると,まるで時が止まったかのように,静止画を見ているように,ステージ上のオーケストラの団員も,そして,観客もだれひとり全く動かない,という状態がしばらく続きました。まるで,終わってはいけない,とでもいうように…。私はこれが永遠に続くのでは,とさえ思いました。ずっとこのままならどんなにすばらしいことか。
 やがて,マエストロの力が抜けて,曲が終わったことをだれしもが自分にいい聞かせ,納得しはじめたころ,ものすごい拍手が起きました。イスに座ったままのマエストロがなんとか観客のほうを振り返ると,さらに拍手が大きくなりました。観客が,ひとりひとりと立ち上がりはじめました。そして,団員の人たちがステージから去り,マエストロも篠崎史紀さんとともに退場すると,スタンディングオベイションが起きました。それにつられて,マエストロはふたりのコンサートマスターに寄り添われながら3回もステージに登場しました。会場中に「ブラボー」が巻き起こりました。日本の会場で,クラシック音楽のコンサートで,観客がみな立ち上がるのを私ははじめて見ました。

 マーラーの交響曲第9番は、会場で配布される「フィルハーモニー」によると
  ・・・・・・
 この作品は3重の意味で「辞世の歌」である。
 第1に,死を目前にしたグスタフ・マーラー最後の完成作だということ。第2に,ウィーン古典派以来のドイツ/オーストリア交響曲文化を総括する作品だということ。そして,第3に,第1次世界大戦によってほどなく崩れ落ちる運命にあったヨーロッパ・ベルエポックへの哀歌だということ。
 ブロムシュテットは2010年にもN響と本作品の超絶的名演を残した。本公演が一期一会のものとなることはまちがいない。
  ・・・・・・
とありました。そして,最後に
  ・・・・・・
 本作品が「死」を連想させずにおかないとすれば,それは生成と分解のこのプロセスが生命の営みそのものと聴こえるからであろう。
  ・・・・・・
と結ばれているのですが,結局,この曲は「死」ではなく「生への賛歌」なのです。
 今回,マエストロがこの曲を選んだ理由もわかるような気がしました。
 これまで数多くのコンサートに出かけましたが,これほどまでの演奏を聴いたのははじめてのことでした。音楽は時間の芸術,忘却の芸術といわれますが,私には決して忘れることのないとても幸福な時間となりました。

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☆☆☆☆☆☆
 現在,アメリカMLBでは地区シリーズの真っ最中。テレビを見ていると,すっかり正常になったアメリカがあって満員の観客が大声を出して応援しています。私もそれを見て楽しんでいて,気分はすっかり3年前の状態に戻っています。
 私は,散歩などで外に出るのも,まだ暗い明け方か日が沈むころ。そして,お昼間にどこかに行くにもほとんど自家用車なので,すっかり忘れているのですが,たまにモールなどに行ったとき,日本では未だにぐだぐだとコロナコロナ,マスクマスクなどといっていることを思いだして,相変らずおバカな国だこととあきれています。何事もやったふりの日本らしき社会現象です。これは,学校の宿題を答えを丸写しして提出しても何も力がついていない生徒のようなものですが,子供のころからそんな教育を是として受けてきた成果でしょう。
  ・・
 そもそもマスクをしていても呼吸ができるということ自体,マスクの網目はスカスカで意味がないのは明らかですが,実際,網目の大きさはウイルスの200倍もあります。ウィルスを遮断するようなマスクをしたら窒息死することでしょう。
 マスクは今や通行手形と揶揄されているように,お店に入るときの儀式です。いい加減なアルコール消毒も誤差だらけの体温測定も同様です。すべてやったふりです。むしろ顎マスクなんて,顎についた細菌をマスクが拭って今度はそれを口に加えるのだから危険以外の何ものでもありません。
 私は生まれて以来,インフルエンザにもコロナにもかかったことはありません。風邪すらひいたことはありません。大切なのはこまめな着るものの調整と毎朝の体温測定と食事前の手洗い,そして,抵抗力をつけることです。このところの冷え込みで,巷ではすでにゴホゴホやっている人がいますが,よほど自己管理がなっていないのでしょう。

 さて,そんな余談はこれまでにして,今日は,久しぶりにお星さまの話題です。
  ・・
 これほど晴れないのか,と思うような夏が過ぎました。ただし,明るい彗星もなく,特に見たいという天体現象もなかったことと,ほかにやりたいことがたくさんあったことで,まったく残念でもなく,星見にも行かず,気がつけば秋になっていました。
 10月14日早朝,起床してカーテンを開けて外を見たら,久しぶりに星が輝いていました。この時期の明け方の南の空はオリオン座とおおいぬ座が見えます。ということで,思い出したのが「シリウスB」でした。
 以前書いたことがありますが
  ・・・・・・
 シリウスは,約マイナス1.4等級の主星「シリウスA」と約8等級の伴星「シリウスB」からなる実視連星です。「シリウスB」 は約50年周期で「シリウスA」の周囲を回っていて,ふたつの星の間隔が変化します。現在,「シリウスB」は「シリウスA」から最も離れて見える時期で観察好機となっています。
  ・・・・・・
 ということで,前回うまくいかなかったので,再び挑戦してみたのが今日の写真です。
 シリウス周辺の星図があったので,同じスケールで並べてみましたが,「シリウスB」が写っているのやらいないのやら…。いずれにしても「シリウスA」が大きく写りすぎています。
 このように,私の持っている望遠鏡の口径が76ミリメートルと小さいので,なかなかうまく行きませんが,見えないなら見えないということがわかるのも意味があると思って,勝手に楽しんでいます。また工夫して挑戦してみます。

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 今回は海外旅行をしているときの外食のうち,昼食の話題です。
 夕食と同様,アメリカでまともな? 昼食をたべたことはあまりありません。マシな方としては,博物館や美術館にカフェテリアが併設されているときにそこでセルフサービスで何かを食べるくらいのものです。それ以外には,朝食のように,チェーン店でハンバーガーを食べるか,あるいは,コンビニでサンドウィッチを買って食べるか,その程度です。
 なのですが,実際,車で広いアメリカを走っていると,お昼の貴重な時間を食事で潰すのがもったいなくなってしまうのです。そこで,気づいたらお昼の時間が過ぎていて,今日はお昼抜き,などということも少なくありません。
 昼食もまた,オーストラリアやニュージーランドの場合はまったく違っていて,結構気楽に食べることができるカフェやレストランがたくさんあります。メニューはバーガーかサンドウィッチというものが主ですが,そのどちらも,ファーストフードとは違って,今日の写真のような栄養満点の食事が提供されます。そしてまた,その値段が手ごろなのです。

 前回も書いたように,食文化というのは国によってずいぶんと違うものです。
 その昔,一緒にアメリカに行った友人が,アメリカは食事がまずいからもう行かない,とか言って,その後はアメリカには行かなくなってしまいました。しかし,私はグルメでなく,そんなこだわりもなかったので,その後もずいぶんとアメリカに行くことになりました。私は,アメリカに限らず,日本以外は,どこも同じようなものだと思っていたからです。しかし,近年,ヨーロッパやオセアニアに出かけるようになって,やっと,アメリカの食文化の貧困さに気づくようになりました。
 日本は食事に関しては世界でも有数の種類がある国だと思うのですが,だからといって,すごく高価なものを食べるのでなければ,特に食文化が優れている国だとも思えません。
 職場に配達されるお弁当や,大都会のオフィスに近いところでお昼間だけ店を開く安価なお弁当やさんのメニューなど,揚げ物ばかりです。また,このごろは,外食産業はチェーン店ばかりとなって,そこで提供されるランチメニューは,特に大したものがあるわけではないのです。
 そもそも,この国は人多すぎです。だから,ちょっとお昼に贅沢しようと考えても,都心の人気店だと長蛇の列ができているし,レストランのなかも狭く,優雅に食事を楽しむ,という感じとはほど遠いものです。

 ということで,今日もまた,オーストラリアに行ったときに写してきた写真を見ながら,それを食べたレストランを思い出しているのですが,どこのお店も座席に余裕があって,そりゃ楽しいものでした。
 また機会があればそんな食事をしたいものだと思っているのですが,日本にいる限り,それもまた,なかなかかなえられることではなさそうです。お昼に外食をしようと意を決してお店に行っても,やたらと混雑しているか,あるいは,そうでなくとも,店内が狭く,また,お客さんが大声で会話をしていたりして,落ち着かないし楽しくない。そこで後悔することの方が多いのです。
 と私は,結局,その煩わしさから外食を敬遠して,早朝から営業しているマックスバリューでお弁当を買って,それで済ませることのほうがストレスがないなあと思ってしまうわけです。


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 今日の話題は「外食を楽しむ」ですが,ここで取り上げるのは,海外旅行をしたときの外食,特に夕食についてです。
 私の旅は,食事もすべて提供されるツアー旅行で行くわけではなく,あくまで個人旅行で,しかも,安価なホテルに予約して宿泊するから,当然,夕食もないので,毎日,何を食べるかということが問題となります。
  ・・
 若いころ,はじめての海外旅行でアメリカにツアーで行ったとき,当然夕食も提供されたのですが,そうした場合,日本人観光客ご用達みたいなレストランで「アメリカではチップが必要です」などと日本語の表示があって,こりゃ,アメリカというより日本国内を旅行しているようなものだ,と落胆したことがあります。そして,いつの日にか,現地の人が行くようなレストランで普通にチップを払って会計をしたいものだ,と憧れたものです。
 それも昔のこと。
 今は,気に行ったどんなレストランにも自分で入ることができるようになりましたが,今度は,国によってずいぶんとシステムが違うものだということに興味をもつようになりました。

 ほとんど高級レストランには入らないので,海外旅行での夕食は特に今晩は贅沢するぞ,と思わない限りはファミリーレストランのようなところとなりますが,思い出してみると,アメリカで満足のいく夕食を食べたことはほとんどありません。値段も高く,おまけにチップが必要だし,いつも店員が係としているので,ある意味わずらわしいのです。
 それに対して,とても気楽だなあ,と回想するのは,オーストラリアやニュージーランドでの夕食です。
 今日の写真は,いずれもオーストラリアで写したものですが,システムとして,カジュアルなところでは,まず,レストランに入ったらメニューを見てオーダーして会計を済ませたのち,自分で好きな席に座って料理が運ばれるのを待つ,ということになります。少し高級になると,店員さんがオーダーを取りにくるようなところもあるのですが,それは日本と同じような感じです。
 オーストラリアやニュージーランドではチップは不要ですし,それもあってずいぶんと気楽です。

 よく,オーストラリアやニュージーランドは物価が高い,という人がいますが,私はそう感じたことはまったくありません。むしろ,定価を見てもさらにその20パーセント程度チップが必要,という国に比べたら,安いような感じさえします。それよりも,今日の写真にあるように,さすがオージービーフ,こんなお肉を気軽に食べることさえできます。
 ステーキは贅沢,というときは,ハンバーガーですが,これもまたボリュームたっぷりです。
 日本では,ハンバーガーはマクドナルド,というイメージがあるので誤解するのですが,実際のハンバーガーはまったくそれとは違うもので,パンにお肉に野菜がたっぷりなので,これだけで十分夕食になるのです。
 これを書いていて,また,オーストラリアやニュージーランドに行って,こんな食事をしながら優雅な旅をしてみたいものだ,という想いが強くなってきました。

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 シドニーの都心THE ROCKSにあるシドニー天文台(Sydney Observatory)はオーストラリアで最も古い天文台で,1857年から1859年にかけて建てられました。
 シドニー湾に沿ったシドニーの中心部ハーバーブリッジの側の丘の上にあって,その近くには有名なオペラハウスもあります。
 天文台があるのは,1790年,最初の風車が作られたことで「風車の丘」(Windmill Hill)として知られていた場所で,1804年以降はフィリップ砦(Fort Phillip)が設けられていました。
 シドニー天文台はシドニーの砂岩を使いイタリア式の建築で作られています。シドニーの主要な建物でははじめてイタリアの盛期ルネサンス様式のパラッツォとイタリアの別荘のふたつの建築の流れを組み合わせたものです。

 作られた当時の天文台の最も重要な役割はタイムボールタワー( the time-ball tower)を通して時間を提供することで,毎日午後1時ちょうどに,塔の上のタイムボールが落ちて正しい時刻を知らせました。今でも屋根の上にその十字の棒と丸い玉を見ることができます。
  1901年にオーストラリア連邦が成立し,気象学は1908年から連邦政府の機能となり,天文台はより天文学的な役割をもつようになりました。また,シドニーの新聞に太陽、月、惑星の昇る時間と沈む時間を提供するなど,多くの情報を提供するようになりました。
 1970年代半ばになると,大気汚染と都市の光の問題で天文台での仕事が困難になったので,1982年,ニューサウスウェールズ州政府はシドニー天文台を天文学および関連分野の博物館に転換することを決定しました。

 現在は,オーストラリアで最も古い望遠鏡である1874年に建てられた40センチメートルのシュミットカセグレイン望遠鏡と29センチメートルの屈折望遠鏡が存在していて,一般に公開されています。
 天文台は,展示を見るだけなら無料ですが,有料のプラネタリウムや観望会もあります。日本でいう科学館みたいな場所です。
 私がこの天文台を知ったのは,NHKBSPで放送されている「コズミックフロント」で紹介されたことですが,ちょうどそのころにシドニーに行くことになったので,寄ってみました。シドニーは美しい街ですが,駐車場の料金が異常に高く,車を停めるのに苦労したのが一番の思い出です。あのド広いオーストラリアなのに,意外なことです。だから私は大都会はきらいです。
 シドニー天文台のプラネタリウムを見たいとも思いませんでしたし,観望会も,また,星が満足に見られないシドニーという大都会で星を見る気もなかったのですべてパスして,無料の展示だけを興味深々でたっぷり見学しました。


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 再び海外旅行ができるようになってきました。そこで,2020年2月の時点に戻って,再び,海外に出かけようと考えるのですが,この2年以上のブランクは,私にさまざまな気持ちの変化をもたらしているようで,以前のように,気軽に海外に出かける気持ちを失くしています。
 それにはふたつの外的な要因ととももに,内的な要因があります。
 外的な要因のひとつ目は,円安とアメリカ,ヨーロッパなどでの異常なインフレです。これでは,海外に出かけたときに,食事をするだけでも今までの何倍ものお金が必要です。以前行ったとき,物価が思った以上に高くハンバーガー1個食べて2,000円もして驚いたアイスランドだったのですが,今や,どこも同じような感じになってしまっているようです。
 外的な要因のふたつ目は,ロシアのウクライナ侵攻によって,日本からヨーロッパに飛ぶ旅客機がシベリア上空を飛行することができず,非常に時間がかかるようになったということです。これではヨーロッパは遠く行く気も失せてしまいます。
 内的な要因としては,絶対に行ってみたい,というところが思いつかない,ということがあります。それは,これまで行きたいと思っていた,そうしたところのほとんどにすでに行ってしまった,ということがあります。また行ってみたい,リピートしたいというところはあるにはあるのですが,だからといって,ぜひ,と思うほどの気持ちにならない,ということがあります。

 そんな状況ですが,ここで様々なことを書いているうちに,次第に,オセアニア,特に,オーストラリアやニュージーランドなら,という気持ちになりつつあります。とはいえ,オーストラリアやニュージーランドのどこに行きたいか,と言われれば,特にないのですが,それでも,オーストラリアの片田舎や小さな町のゆったり感や,ニュージーランドの美しさは忘れがたいものです。
 これまで何度か出かけていたのですが,南半球に出かけた目的のすべては南天の星空で,その折に,ついでに観光をしてきた,という感じでした。しかし,今日の写真のような景色を思い出すと,そうしたことを抜きにしても,懐かしさがこみ上げてくるようになりました。そこで 観光を主として,そのついでに美しい星空,というスタンスで南半球を旅をするのもいいかな,と考えるようになりました。とはいえ,やはり,星空から離れられないのは,性でしょうか。
 アクがある人,という表現があります。辞書によると,アクとは,独特のきつい感じ,しつこい感じがあってとっつきにくいさま。受け入れるのに努力を要するさま。人の性格や文体などについていうことが多い。とあります。その反対に,アクが感じられない人もいます。そうした人をいい人といいます。いい人は,ほめことばというよりも,その裏には,魅力に欠けるという意味もあります。
 私にとっては,オーストラリアはまさにその後者の方です。その逆が,アクがあるアメリカで,オーストラリアにはいまひとつ刺激がないのですが,それはそれとして,ゆったりとした旅が楽しめます。
 そこで,手はじめに,この先,旅を再開するにあたって,まずはオーストラリアに行ってみようか,と思いはじめたこのごろですが…。
 そうだ,パスポートが切れてしまったので,再交付してこなくちゃ。


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 世界を旅する私のアメリカ人の友人が言うには,世界を旅行して英語が通じないのは,中国とロシアと日本なのだそうです。
 日本では,近ごろは小学校から英語を学びはじめるので,大学まで一体何年間英語を学ぶことになるのでしょう。しかし,気の毒なことに,ロクに予算もつけず,ひとクラス40人もの生徒にたったひとりの日本人教師。これで英語の4観点を身につけさせようということ自体が無理な話なのに,さらに,高等学校の英語教育は「受験英語」と揶揄されるように,学校で学んでも話せないとか聞けないとか,昔から批判だらけです。
 ということですが,これは導入。今日は英語でなく数学の話題です。数学もまた,算数という名の教科である小学校から学びはじめるのですが,算数はともかく,中学校から学ぶ数学が一体何の役に立つのでしょうか。ほとんどの人は因数分解を知らなくても困ることなどありません。

 NHKで「笑わない数学」という番組が放映されました。
  ・・・・・・
 パンサー尾形貴弘が難解な数学の世界を大真面目に解説する異色の知的エンターテインメント番組!
 「リーマン予想」「フェルマーの最終定理」「連続体仮説」「四色問題」「ガロア理論」「abc予想」「確率論」「P対NP問題」「カオス理論」「ポアンカレ予想」「暗号理論」「虚数」……。
 天才数学者をも苦しめてきた数々の難問,そして美しくも不思議な知の世界を,1回30分ワンテーマ,ギャグ封印で,トコトンわかりやすく掘り下げる!
  ・・・・・・
 この番組は数学の番組にように誤解されていて,ある人がブログにすばらしい番組だったと絶賛していました。しかし,実際は,数学の番組ではありません。数学における難問を解決していった歴史上の偉大な人たちの物語を,おもしろおかしく語る歴史番組です。要するに「プロジェクトX」です。だから,この番組を見たところで,数学の難問についてわかるわけでもなければ,むしろ私は,その反対に,多くの人に,数学というのは,何か実社会とはかけ離れた奇妙なものだという概念を植えつけただけに感じました。

 実は,英語以上に高等学校の数学教育はひどいものです。
 多くの人には何の役にも立たないし,将来数学が必要になる人にも,それにつながるような内容を教えていません。それにもかかわらず,英語のようにそれが問題にならないのは,元からほとんどの人にとって,数学など要らないということが暗黙の前提となっていて,端から期待されていないからなのでしょう。
 数学教育の目的は「数学的な考え方を身につけること」だそうです。しかし,実際は,数学を学習することで数学的な考え方が身につくのではなく,数学的な考え方が生まれつき高い人が数学の成績がよいというだけのことです。因果関係が反対なのです。
  ・・
 そもそも,中学校で学ぶやたらとむずかしい図形問題は,何十手詰めの詰将棋同様,単なるクイズです。図形は基本的なことだけを学べばよいのです。そして,そこから論理的な考え方を身につければそれで事足ります。
 また,高等学校のカリキュラムは,私が高校生だった50年前からほとんど変わっていませんが,現在は,大学入試問題がデータベース化されて,解法が分類され,数学という名で,実際は,その解法を暗記させているだけのことです。現在、生徒が使用している、解答が異常に分厚い参考書がそれを物語っています。そこで,数学ができるというのは,単に大学入試問題が解けるというだけのことで,数学の本質を学んだということではないのです。
 学校で教えているのは,数学ではなく,単に出題された問題に適応する解法をさがす訓練をしているだけです。

 関数を学ぶことによって身につけたいことは,座標変換をすることで基本形に変えることができる,ということです。それは,2次関数 y=ax2+bx+c は,頂点を原点に移動すれば,y=axという形にすることができるというようなことです。
 また,図形を学ぶことによって身につけたいことは,拡大や縮小をすれば基本の図形に変換できるできる,ということです。それは,楕円を軸について拡大あるいは縮小すれば円に変換できるといったことです。
 こうした移動や拡大・縮小をするのに必要な手段は行列というものですが,行列は,以前は高等学校で学習していたのに,今は,それすらなくなってしまいました。これでは何も学べません。将来、量子力学や一般相対性理論などを勉強するときにも、行列を知らずしては何も理解できません。
 行列の代わりに取り上げられるようになったのは,データ分析です。これは数学というより統計学ですが,全く同じ内容が情報という教科にもあって,むしろ情報ではコンピュータを利用して処理するので合理的な学習ができるのです。同じ内容をふたつの教科で学習するのは大いなるムダですし,こんなカリキュラムを作ったこと自体,怠慢です。

 いくら役に立たなくとも,受験に必要だからというだけの理由で,数学が苦手である生徒の多くは,仕方なく塾通いをし,お金を散財していますが,塾で学ぶのもまた,数学的な考え方でなく,問題を解くための解法テクニックにすぎません。
 また,数学の得意な生徒には,高等学校で学ぶ程度の数学は,英語にたとえれば,現在形だけを教えて過去形や未来形を教えないようなものと同じで,それで英語の本を読めといっても無理なように,大学に入学した途端に,高等学校では何も学んでいないからそのキャップに悩まされ,多くの学生は挫折してしまうのです。
 しかし,現在のような,時代遅れのカリキュラムを変えようにも,これまでのカリキュラムを築いてきた数学教育者がピラミッドのような階級社会をつくっていて,どうしようもないのです。政治の世界と同じようなものです。
 要するに,こんなカリキュラムでは,数学を学習しようとしまいと,結局は役に立たず,現実問題,ほんの少数の,生まれつき数学の力がある学生だけが,自力で勉強して数学が使えるようになっている,という,それだけのことなのです。
 私もまた,生まれつき数学の力があるわけでなかったから,「笑わない数学」で紹介されていたような数学の難問,たとえば「ガロア理論」などまったく理解できません。そうした難問についての数学的な解説が理解できるほどの数学の力があったらよかったのになあ,そんな本当の数学が少しでも理解できるような教育を受けたかったなあ,と今でも思います。

楕円ガロア理論


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 オーストラリアの天文台の紹介をしています。私が行きたかったサイデンスプリング天文台(Siding Spring Observatory)とパークス天文台(Parkes Observatory)についてはすでに書きました。今日はポールワイルド電波天文台(Paul Wild Observatory)について書きます。

 オーストラリアの東側内陸部を南北に走るA39という番号の道路は,メルボルンとブリスベンを結ぶ道路で,天文台街道です。南から順に,パークス天文台,そして,クーナバラブランという町の郊外にサイデンスプリング天文台があります。さらに北に走るとナラブライ(Narrabr)という町があって,ポールワイルド電波天文台は,ナラブライの町から25分ほど行ったところにあります。
 道路案内にしたがって走ってナラブライの郊外に出ると,やがて天文台の入口があったのでそこを入って行くと,驚くことにカンガルーの群れがお迎えでした。
 脅かさないようにそっと車を走らせるのですが,その気配を感じて飛び跳ねて去って行くのですが,カンガルーにもおマヌケなヤツがいて,道道と車の前を横切って行ったりします。オーストラリアの道路にはよくカンガルーの死体があるのですが,おそらく,そんなおマヌケなカンガルーが惹かれるのでしょう。
 やがて,天文台の建物とパラボラアンテナが見えてきました。ポールワイルド電波天文台は,予想したよりずっと広くしかも巨大でした。

 ポールワイルド天文台は天文学者ポールワイルドにちなんで名づけられました。
 この天文台は,オーストラリアの科学機関であるCSIROによって運営されています。また,太陽観測所もあって,これはオーストラリア気象局の宇宙天気サービス部門によって運営されています。CSIRO(Commonwealth Scientific and Industrial Research Organisation)というのは,オーストラリア連邦科学産業研究機構のことで,オーストラリア政府の科学研究を担当する機関です。天文学に限る研究施設ではありません。
 ポールワイルド天文台の現在の施設は,1988年に運用を開始したオーストラリアコンパクト電波干渉計(Australia Telescope Compact Array = ATCA)です。これは,オーストラリア国立望遠鏡機構(Australia Telescope National Facility = ATNF)が運営を行う電波望遠鏡です。現在稼働中の電波干渉計としては唯一南半球に立地し,北半球の望遠鏡からでは観測することのできない南天の天体の観測に威力を発揮しています。
 ATCAは口径22メートルのパラボラアンテナ6基からなる電波干渉計で,6基のアンテナのうち5基は東西3キロメートル南北214メートルのT字型のレールの上に配置され,もう1基は東西レールの西の端からさらに西に3キロメートルのところに固定されています。5基のアンテナの位置を年に何度か変更することによって,様々な基線長での観測を可能にしています。名前に「コンパクト」と入っているのは,オーストラリア国内8基の電波望遠鏡を結合したVLBIシステムである長基線電波干渉計 (Long Baseline Array: LBA)と区別するためということです。また,2007年には,コンパクトアレイに長さ7ミリメートルの電波を受信できる受信機が装備され,NASAが宇宙船を追跡するのにも役立っているということです。
 天文台は一般に公開されていて,ビジターセンターでは,さまざまな情報ディスプレイや展示がありました。私の思い出に残っているのは,素朴なこの施設とともに,何といっても,先に書いたカンガルーたちでした。


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 2022年初秋。
 私は,コロナ禍以降のあまりにくだらない報道ばかりと,小学生以下の政治家の知能と言い訳と茶番にすっかり嫌気がさしたことで,もはやこの国には何も期待することもなくなりました。しかし,これでは将来ある若者たちがかわいそうです。ところが,当の若者たちは何を勘違いしているのか保守化してしまい,何の反発もせず,立ち上がりもしません。
 その一方で世界に目をやると,相変らず,おかしな権力者たちが何を勘違いをしているのか騒がしく火遊びをし,これでは,世界の覇権争いをしていた19世紀の帝国主義と同じです。19世紀との違いといえば,人類が地球を破滅できる武器を手に入れたということでしょう。これが科学の発達の成れの果てだと思うとむなしい限りです。結局,創造主が作ったというか,偶然に偶然の重なった化学反応の結果,しかも,作った創造主自身も思いもよらなかった欠陥商品である人類というものはこの程度のものだったのでしょう。この調子では,ひょっとして,今地球上に生きている人たちは,SF小説の世界でしか知らなかった人類の滅亡に実際立ち会うことになるのかもしれないなあ,などと私は思ってしまうのですが,これは杞憂なのでしょうか。
 そもそも,地球上に人類がいる必要など全くないわけだし,やりたいことをほぼすべてやってしまった私はそれでもかまわないのですが,夢がある若い人たちには気の毒です。これが正夢でなければいいのですが…。

 さて,ここでそんな心配をしてもどうにもならないので,視点をぐっと身近に戻して…。
 そのような世の中ですが,私の残りの時間をこころ穏やかに優雅な日々を過ごすには,できるだけ外界からの情報を遮断するに限ります。ということで,テレビは自分の気に入ったわずかなドラマと,前回書いたMLBと大相撲中継,そして,音楽や美術,天文学などの教養番組を録画してあとで見るくらいのものになりました。どうやら私にはテレビはほぼ不要な存在となりつつあるようです。
 待合室などにあるテレビ,あれは見たくもない映像を見せられるだけの迷惑な存在ですが,そういったものを強制的に見せられると,しろうとがひな壇に座って勝手なことをしゃべっているような自称報道番組やお笑いタレントが無知丸出しで受けをねらうだけのおしゃべりをするような,未だにこんな番組をやっているのか,と驚くとともに,多くの人たちは貴重な時間を費やしてこんなものを見て生活しているんだというある種の感慨すら覚えます。
 私は旅先で宿泊するときも,まず,テレビは見ません。
 気持ちのよい夕方,あてもなく近所を散歩していると,それとなく他人の家の中が見えたりするのですが,いや,決して覗いているわけではありませんが,そうしたとき,居間に巨大なテレビがどんと構えていることも少なくありません。おせっかいな話ですが,私は,そんな大画面のテレビで何を見るのだろう,と思ってしまうのです。そしてさらに,この家に住む人は,テレビを見るくらいしか楽しみがないのかなあ,などとさえ,気の毒に思うのですが,これはいらぬおせっかいですな。
  ・・
 テレビドラマといえば,それまではほとんど見ることもなかったのに,ここ数年,暇に任せて,というか暇つぶしに見るようになったわけですが,2022年の夏ドラマで私が見はじめたのが,以前「テレビドラマを見る。2022夏Ⅰ」で紹介した「競争の番人」「魔法のリノベ」「純愛ディソナンス」 「石子と羽男-そんなコトで訴えます?-」「初恋の悪魔」 でした。しかし,結局,最後まで見終えたのは「競争の番人」と「初恋の悪魔」だけで,それ以外は,途中で嫌になり断念しました。
 このように,テレビドラマ,はじめのうちは物珍しさでいろいろなものに手を出していたのですが,結構のところ,およそ飽きてしまいました。そのほとんどはワンパターンで大した深みも感動もないのでした。
 この齢になると,気に入った役者さんもほとんどなく,それどころか,だれを見ても,街なかで歩いている高校生や大学生が学芸会や文化祭で劇をやっているようにしか見えません。そこで私が悟ったのは,暇つぶしにこうしたテレビドラマを見るなら,放映後に,評価が高かったものを,FODとかAMAZONのPrimeVideoでまとめて見れはいいや,ということでした。
 そんなわけで,結局,今,私がおもしろいと思うドラマは,スーパー!ドラマTVで見ているアメリカのドラマ以外には「鎌倉殿の13人」のみとなってしまったわけです。「鎌倉殿の13人」は,これほどおもしろい大河ドラマがほかにあろうか,と思うほどの傑作です。

 予想外の出来事だったコロナ禍によって海外旅行に出かけられなくなった私がここ数年選択したのは,実はこのようなテレビドラマを見ることも含めたさまざまな「彷徨」でした。
 「彷徨」というのは,高校生のころ,クラスにいたちょっとクールな奴が好きだったことばですが,当時の私は「彷徨」などということばは知らず,何か,すごい特別な意味をもつことばのような気がしたものです。
 「彷徨」とは,あてもなく歩きまわること,さまようことをいいます。「彷徨」などという小難しい漢字をあてるのだから,もっと深い意味があるのかなと思って,手元にある数冊の国語辞典を調べてみましたが,期待に反して,それ以上のことが書かれたものはありませんでした。わずかな使用例として「青春の彷徨」と書かれていたものが見つかりました。ちなみに,「彷徨く」という動詞は「うろつく」と読みますが,それでは,不良が盛り場をうろつく,という感じになって,さらに意味が軽くなってしまうように感じます。
 そんな「彷徨」ということばですが,そんな軽い意味だけでは元も子もないので,「青春の彷徨」に関してここでひとつ紹介すると,20歳のジュンの冒険を求めた「青春の彷徨」を描いたという,1967年に五木寛之さんの書いた小説「青年は荒野をめざす」があります。そして,1968年,五木寛之さんの詞に加藤和彦さんが曲をつけ,それを歌ったのが,ザ・フォーク・クルセイダースの「青春は荒野をめざす」です。
 いいなあ,栄光の1960年代。
  ・・・・・・
 今 青春の河を越え
 青年は 青年は 荒野をめざす
  ・・・・・・

 私がここ数年選択したという「彷徨」とは,これまでやったことのない私の知らなかった世界に「何か」ときめくことがあるのではないか,と,シーズンが終わって片づけるために石油ストーブの残りの灯油を燃やすように,あえて,気持ちだけ若者に戻って,残りわずかなエネルギーを使ってあてもない行動をしていた,というわけですが,それはすべて迷ってしていたわけではなく,その結果を予測して,また,そうした結果になることを期待して,自分で意図してやっていたことだったのです。そうすれば,何の憂いも後悔もなく,穏やかな日々が過ごせるようになるだろうと…。それはまさに,このブログのサブタイトルである「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」に通じるものです。
 それもほぼ終焉。
 「彷徨」がもたらしたのは,私自身が期待していたように,私の知らなかった世界に「何か」はありませんでした。そして,結局,そんな精神状態から舞いもどり,以前の私のように,安直なテレビドラマともほぼ縁がなく,クラシック音楽を聴いたり,専門書を読んだり,星見に出かけたり,ときどき旅に出るといった,以前のような平常が一番自分に合った過ごし方だということを再認識したのです。
 やはりそうでした。これこそが,私が最も望む豊かな日常なのでした。


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 やっと秋らしくなってきました。
 暑くやる気の起きない夏が過ぎると,食欲の秋,読書の秋,芸術の秋,スポーツの秋,行楽の秋などと,人は行動的になるものです。私もそろそろ活動開始です。
  ・・
 ところで,人は,仕事から引退したり,子育てが終わって自分の時間ができるようになると,今度は,その時間をどのように使うかが問題になります。結局,人は,再び学問をしたくなるようですが,そうしたとき,若いころに,自分がどれだけそうしたことを身につけていたのか,が問われることになります。たとえば,若いころにピアノが弾けるようになって,それからしばらく遠ざかっていたけれど,再び楽しみたい,というのと,これからはじめたい,というのとでは,楽しみの深さが違うわけです。
 そこで,時間に余裕ができたときに自分がやりたくなったことを優雅に楽しむためには,若いころに一度身につけておくことはとても大切なことなのです。
 さて,10月1日,つまり,先週の土曜日,朝日新聞be版「be tween 読者とつくる」に「もう一度,学び直したいですか?」という読者アンケートが掲載されていました。回答には,学び直したいという意見が80パーセントありました。このアンケートで回答した人の意見もいくつか載っていましたが,その回答者は50代以上の人がほとんどでした。記事に「中高年の学びの姿勢を垣間見ることができました」とあるように,このアンケートに回答した人の多くは,子育て卒業世代とか,現役引退世代なのでしょう。
 記事によると,どんな分野を学び直したいかという内容に対して,英語,歴史,自然科学,音楽,文学,数学,第2外語語,プログラミング,と続きます。私は,これを読んでいて,一体,この人たちは若いころに学校で何を学んできたのかな? と考えてしまいました。これだけでも,学校での教育が身についていないということのように感じます。結局のところ,日本の教育は,いつも書いているように,単に順位を争い,学歴というブランドを手に入れるためのドリル学習に過ぎなくて,学問を楽しむとか身につけるということには程遠いのでしょう。
 それもまた,いかにも,やったふりが好きなこの国らしい話ですが,それでは,若いころの貴重な時間がもったいなく,かつ,むなしいです。

 ところで,私は,上記に書いた学び直したいという内容の多くは,自分で楽しめるほどのレベルであれば身につけているので,もはや,そうしたことを学び直したいという気持ちはなく,むしろ,これまでに学んだことをより楽しみに活用したいという気持ちの方が強いです。
 ただし,第2外国語と音楽だけはだめでした。これだけはずいぶんと後悔しています。
 まず,第2外国語は,もっとまじめにやっておけばよかったと今でも思うので,ボケ防止を口実に,今になってラジオ講座でドイツ語を聴いているのですが,覚えるより忘れるほうが勝っていて,一向に上達しません。しかし,これを機会にドイツ語圏の文化や歴史に接することができるのはとても有意義なことです。
 また,私がもっとも後悔するのは,まったく楽器が弾けないということです。これはまあ,才能がないのであきらめた,と自分に言い聞かせていますが,本音は,楽器が弾けるというのは継続が大切で,そうした時間が自分には惜しいと思うことにあります。音楽は聴くことは大好きですが,演奏することに楽しみを見いだせない自分がいます。残念です。本当は,演奏できるほうが,聴いていてより楽しみが深くなる,ということは承知しているのですが。

 そのようなことを前提として,私は,時間だけはありあまるほどある不良老人として,日々,優雅にすごそうと思っているのですが,いろいろと試行錯誤をした結果,どのようにして時間を過ごすのが自分なりに快適なのかが次第にわかってきました。
 今日からはそんな話題です。
  ・・
 まずは,クラシック音楽を聴くことです。
 これは,NHKFMのクラシック番組が1週間前の番組までほぼすべて「らじる☆らじる」で聴くことができるようになったことで,とても助かっています。以前は,NHK交響楽団のコンサートはあとで聴くことができませんでした。
 次に,MLB中継を見ながら現地の音声で聴くことです。
 MLB中継は,特定のチームに限られるのが残念ですが,NHKBS1で連日放送されているので,中継のある午前中はこれを見ています。
 音声は現地ものに限ります。それは,日本のスポーツ中継のアナウンサーとか解説者の話している内容が,私が観戦するときに知りたいものとは違い過ぎるからです。もうひとつは,現地の音声を聴きながら見ていると,アメリカにいるような気持ちになって,とても満ち足りるからです。幕引きのできない金融緩和同様,いつまでもコロナ禍の亡霊にうなされているだけの,これもまた,やったふりの日本とは別世界の,平常のアメリカの姿が見られて爽快です。
 また,スポーツ中継としては,大相撲中継も見ます。
 大相撲中継は,解説が北の富士さんのとき以外は,英語放送を聴きます。それは,解説がつまらないことに加えて,もちろんMLB中継とは違ってアメリカにいるような気持ちになるわけではないのですが,英語で相撲がどのように表現されているのかに好奇心があるからです。
 いずれにしても,MLBも大相撲も,英語音声のほうが気持ちが安らぎます。
 以下,次回に続きます。

◇◇◇
十三夜。

十五夜と対をなす十三夜。または,後の月。
このふたつをあわせて「二夜の月」。
どちらか一方の月しか見ないと「片見月」。
十三夜は栗の収穫の時期なので「栗名月」とも。
十三夜のころは、高気圧に覆われることが多く
「十三夜にくもりなし」といわれます。

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 星の美しいオーストラリアには,ブリスベンからシドニーまでの約1,000キロメートル,内陸を走るA39に沿って,ポールワイルド電波天文台(Paul Wild Observatory),サイデンスプリング天文台(Siding Spring Observatory),パークス天文台(Parkes Observatory)といった世界的に有名な天文台があります。それらの天文台を私は順に訪れました。
 今日は,パークス天文台について紹介します。
  ・・
 シドニーからクーナバラブラン(Coonabarabran)までは,直接行けば車で5時間ほどですが,クーナバラブランよりも南にあるパークスを経由するとパークスまで5時間,パークスからクーナバラブランまで2時間と,合計7時間ほどの距離になります。 シドニーの高速道路を通り,片側1車線でありながら制限速度110キロメートルのオーストラリアの典型的な郊外の道路を走っていくと,パークスの町が見えてきます。パークスは思ったよりも大きな,そして美しい町で,天文台は町から北に行ったところにありました。

 パークス天文台は,口径64メートルの電波望遠鏡(CSIRO Parks Radio Telescope)を核とする電波天文台です。南半球ではアメリカ航空宇宙局のディープスペースネットワーク・キャンベラ深宇宙通信施設の口径70メートルに次ぐものです。
 パークス天文台を有名にしたのは,アポロ11号の月面着陸の際にテレビ中継の映像を受信したことです。もともとはほかの追跡基地をバックアップするための場所だったのに,打ち上げ間際の変更によって,アメリカの正反対の国にあるこの電波望遠鏡が大仕事を仰せつかることになったのです。
 この出来事を元にして2000年に制作された映画が「月のひつじ」(The Dish)でした。
  ・・・・・・
 1969年7月,アポロ11号が人類初の月面着陸を目的に打ち上げられました。アメリカのNASAは世界にその様子を生中継すべく,カリフォルニア州ゴールドストーンの受信設備を当初用いようとしていました。
 しかし,打ち上げのスケジュールがずれ,月がアメリカの裏側にあって電波が届かない時間帯に月面着陸を行うことになってしまったのです。そこで白羽の矢が立ったのが,オーストラリアのニューサウスウェールズ州の田舎町パークス。羊の数のほうが人よりも多いといわれるところにあるパークス天文台のパラボラアンテナでした。
 かくして,世紀の一大イベントの中継成否がこの小さな町の天文台に託されたのです…。
  ・・・・・・

 オーストラリア連邦科学産業研究機構(Commonwealth Scientific and Industrial Research Organisation=CSIRO)によると,当初の計画では、カリフォルニア州のゴールドストーン基地が追跡基地となり,オーストラリアのキャンベラ近郊にあるハニーサックルクリーク(Honeysuckle Creek Tracking Station)にある基地は,司令船コロンビア号を追跡することになっていました。そして,パークス天文台の任務は月面歩行の間このふたつの追跡基地をバックアップすることだったのです。しかし,打ち上げの2か月前になって変更され,パークス天文台に白羽の矢が立てられたのです。
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 月面着陸当日オーストラリア時間午前6時17分,月に降りた宇宙飛行士たちは,予定よりはやく船外活動をすることになりました。そのため,パークス天文台で月からの信号を受信することは不可能かと思われましたが,準備に手間取り船外活動をはじめたために,パークス天文台からの受信が可能になりました。
 しかし,次のトラブルに見舞われます。
 そのころ,パークスの電波望遠鏡には時速110キロメートルの強風が吹きつけていたのです。大きな皿状の望遠鏡は風を受けて後ろに倒れそうになります。安全面での限界を超えていましたが任務は遂行されました。幸い、風は衰えを見せ,バズ・オールドリン(Buzz Aldrin)がテレビカメラを稼動させた時にはちょうどパークス天文台が信号を受信できる位置まで月が昇っていました。
 こうして,パークス天文台の電波望遠鏡が月からの信号を受信し歴史的瞬間の映像と音声が世界中に送られたのです。

 2019年,私はシドニーからパークス天文台へ行きました。
 駐車場に車を停めて,ビジターセンターに向かいました。電波天文台ではスマホなどは機内モードにしなければなりませんでした。予想以上に豪華なビジターセンターがありました。 電波望遠鏡も古びているのかな,と思っていたのですが,さにあらず,常に整備された様子が伺われるもので,とても美しく感動しました。これまで私は日本や海外の多くの天文台を見学しているのですが,どこも日本とは違って立派なビジターセンターがあります。 また,レストランも併設されていたので,私は,ここで昼食をとりました。
 パークス天文台の口径64メートルの電波望遠鏡は,内側の直径17メートルが高精度アルミパネル,その外側から直径45メートルまでは穴のあいたアルミパネル,その外側は鉄線のメッシュになっています。観測可能な周波数は400ミリヘルツから43ギガヘルツです。
 1961年に建てられたパークス天文台は,現在基本的な構造だけを残して最新の電波望遠鏡として機能するようアップグレードされています。特に,パルサーの観測に力を入れていて,世界中の他の電波望遠鏡によって発見されたパルサーの数を全部合わせてもパークス天文台で発見されたパルサーの数には敵わないそうです。また,NASAと提携してガリレオやカッシーニなど多くの惑星探査機の追跡や通信を担当しています。


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 先日書いた,何気なくおもしろいドラマでもないかと探していてみつけた「デート〜恋とはどんなものかしら〜」。
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 内閣府の研究所で働く藪下依子は父親から見合いを勧められる。しかし,恋愛経験がなく,結婚は相手との「契約」と捉える依子は,ことごとく見合いに失敗し,結婚相談所に登録。
 一方,自身を「高等遊民」と称する谷口巧は,女性と新しく出会うことで働く意欲を持って欲しいと願う幼馴染の島田宗太郎によって,勝手に結婚相談所に登録させられる。
 依子は巧のプロフィールに記載してある身長や生年月日などの数字が全て素数で構成されていることに興味を持ち,デートをすることになる。
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というこのドラマは, 2015年の冬に放送されたものだそうですが,放送されたときの私は,日本のドラマには興味がなかったので,まったく知りませんでした。多くの人は,このドラマで「高等遊民」という言葉をはじめて知ったようです。

 かくいう私は,あこがれだった「高等遊民」になることもできず歳を重ね,「不良老人」と化してしまいました。そして「いんちき富裕層」として,日々,貧乏生活をおくっています。時間だけはたっぷりあるので,生きている間を少しでも楽しく過ごそうと,いろいろと想いを巡らせています。また,コロナ禍以前は,世界を飛び歩いていました。
 そうした経験をして,結局わかったのは,人間が生きるというのは文化あってこそ,ということでした。生物的に生きるなら,「エサ」を与えられていれば,生命は維持できます。しかし,檻の中に閉じ込められて一生をすごしても,それが生きるということでしょうか? このご時世,エラそうに「不要不急」だとか「気の緩み」だとか盛んに吹聴していた人は,人が生きるということをどう考えているのでしょうか? そういう人に限って,コロナ禍以前は,夜遅くまで飲んだくれて,酒の席でも仕事の話しかできないつまらない生活をおくっていたかもしれません。…と,これは皮肉です。

 さて,学校では,カリキュラムと称して,何を学ぶのかが決められているのですが,もし,学校に行くのが義務でなく,また,学歴というブランドに何の価値もなかったら,それらの多くは,お金をもらってもやりたくないようなことばかりです。それだからこそ,強いて勉めさせているのかもしれません。よって,これを「勉強」というのです。
 本来は,生きていくのに必要な知識を身につけるために必要だったはずの学校。それが,時代が成熟するにつれて,学校の存在意義は次第に変化していくのに,やっていることは一向に変化せず,今の時代に何が必要か,という根本的な理念を越えてしまっています。そこで,既に存在していることは既得権として存在し,また何らかの業界の力が働いているのか,時代遅れになったものばかりで構築されています。だから,本当に必要なことが学べなかったり,あるいは,ほとんどの人にとって必要でないことがずいぶんと重視されていたりします。
 先に書いたように,人が生きるというのは文化あってこそ。であるから,私は,中等教育では,そうした文化を楽しむための素養を学びたかったものです。あるいは,成人したときに,文化を深く味わえるための基礎を学んでおきたかったものです。などと,今,「不良老人」となって痛切に感じるわけです。

 高等学校の国語で小説を学ばなくなったということですが,そもそも,小説は国語で学ぶことなのかしら,と私は思います。小説は,音楽や美術などと同じく,大切な文化です。だからこそ必要なのですが,小説は,日本語とは限らないのだから,国語という教科の範疇を越えているです。
 かつて「読み書きそろばん」といわれた,現在の国語,数学,外国語というのは,生きるための基本的でもっとも必要な技術なので,初等教育から学校で学ぶ必要があります。しかし,学校では,それらを学んだうえで,人が人らしく生きるための教養として,広く,音楽や美術,そして小説といった人間の文化を今まで以上に深く学ぶべきところです。つまり,「文化」という教科が必要なのです。
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 美術展に行くとき,音楽会に出かけるとき,旅先の博物館を訪れるとき,私は,若いころに,もっと美術史を,音楽史を,さらには,歴史を学んでおけばよかったと,といつも思います。また,高等学校で漢文は習ったけれど,漢文を学ぶなら,それと同時に古代中国史をもっと知りたかったものです。
 今日は,効率重視だのといって,直接金儲けにならないことを軽視する風潮が強いのですが,学校教育はそういうこととは一線を画すべきです。私は,学生のころ,もっと人間の文化を知りたかったと,今にして思うのです。


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 サイデンスプリング天文台はゲートもなく,直接,一般見学用の駐車場まで行くことができます。サイデンスプリング天文台の主砲は3.9メートルアングロサクソン望遠鏡です。この望遠鏡は1973年に完成したもので,馬蹄形の赤道儀架台は日本の三菱電機が作りました。また,大きな反射鏡を作ったのは岡山にある188センチメートルを作ったのと同じイギリスのグラブパーキンソン社です。

 作られた当時,南半球には大きな天体望遠鏡がありませんでした。オーストラリアは電波望遠鏡の分野で華々しい成果をあげていたので,新しく作られた光学望遠鏡の分野でも大いに期待されたものです。
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 今となっては旧式ですが,この望遠鏡は今も現役です。望遠鏡はガラス越しに見学することができます。建物に入ると,階段とエレベータがあって,5階まで登ると見学ブースに出ます。そこでガラス窓越しに巨大な望遠鏡を見ることができます。
 この望遠鏡は,現在世界中で作られているデジタル新時代の望遠鏡とは設計が本質的に異なっていて,古いのは否めません。 日々発展する科学技術は,巨額な費用を使ってこうした機器を作っても,技術の進化が早すぎてそれが十分に活躍できるのはわずか数十年にすぎません。なかなか大変な時代です。
 この天文台にも立派なビジターセンターがあります。おもしろいのは,こうした,山の中にあってしかも都会から決して近く施設なのに,けっこう多くの見学者が訪れていることです。日本では,わずか2時間から3時間で行くことができるようなところにある天文台のような施設でも,ほとんど見学者もいないし,ビジターセンターにも大した展示がない,ましてや,レストランどころか喫茶コーナーすらないのですが, これは何も天文台に限りません。私は,こうしたところに行くたびに,日本人というは知的好奇心のない国民だとしみじみ思います。日本では,勉強というのは,学歴というブランドを手に入れるだけのものです。

 サイデンスプリング天文台には,もうひとつの主砲であるシュミット望遠鏡があります。しかし,サイデンスプリング天文台では,先に書いた最も大きい口径3.9メートルの反射望遠鏡は公開されているので見ることができますが,シュミット望遠鏡は一般には公開されていません。そこで,パロマ天文台と木曽観測所のシュミット望遠鏡は雑誌などで多くの写真が掲載されているので,子供のころから親しみがあるのですが,サイデンスプリング天文台のシュミット望遠鏡は私には謎でした。どういう形をしているのか,写真ですら見たことがありませんでした。
 その謎だったシュミット望遠鏡についても,ビジターセンターに詳しい説明がありました。
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 口径124センチメートルF2.5 のシュミット望遠鏡は「UKシュミット式望遠鏡」といいます。望遠鏡の外形はパロマ天文台の「サミュエル・オシン望遠鏡」に非常によく似ています。「UK」というのはイギリスのことですが,それはもともと,この望遠鏡は1973年にイギリスによって建設され運営されていたためです。1988年にオーストラリア天文台と合併され,2010年にイギリスが撤退したので,現在はオーストラリアが運営しています。南半球にあることから,南天の星空の調査に使われています。
 当初は,35センチメートル四方の正方形のガラス製の写真乾板に6度角四方の視野から像を結んだ写真を,宇宙望遠鏡科学研究所によってディジタルスキャンして, ハッブル宇宙望遠鏡のガイドスターカタログとデジタイズドスカイサーベイを作成するのに使われていましたが,この望遠鏡もまた,ほかのシュミット望遠鏡同様,1990年代後半に大規模な電子CCD検出器に置き換えられました。さらに,2000年以降は,シュミット望遠鏡の優れた光学系と広い視野を生かして,6度という広い視野をもつシステム(=6dFシステム)が構築されました。
 現在は,このシステムで,100個以上の天体のスペクトルを同時に取得できる「多物体光ファイバ分光装置」として活用されています。また,2001年から2005年にかけて「6dF Galaxy Survey」プロジェクトを実施し, 南天全体で120,000を超える銀河の赤方偏移を測定し,その中で最も明るい10,000の銀河についてより詳細な測定が行われました。また,2003年から2013年にかけては,銀河の約50万個の星について半径方向の速度と物理パラメーターを測定しました。さらにその後,この望遠鏡はリモート操作が行えるように改造され,新しい調査プロジェクトがはじまっているということです。


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 アメリカの天文台を見学するほかに,私は,オーストラリアでもいくつかの天文台を訪れる機会がありました。オーストラリアの天文台で私が行きたかったのは,サイデンスプリング天文台(Siding Spring Observatory)とパークス天文台(Parkes Observatory)でした。
 これまでに紹介したアメリカの天文台のうち,ハワイのマウナケアとハレアカラのような標高が3,000メートルを越える場所に建設された最新式の天文台以外は,今では旧世代のものです。オーストラリアは南半球にあるので,北半球では見ることができない南天の星空を観察できる貴重な場所ですが,南半球の天文台もまた,今ではチリとアルゼンチンの国境付近にある標高の高い場所に建設されるようになって,高い山のないオーストラリアに天文台を作る優位性がなくなってしまいました。

 物理学や天文学は,今では地球という天体の規模を越えるような観測機材がないと実験や観測ができなくなってしまったところまできています。それとともに,マウナケアの山頂に計画されているTMT(Thirty Meter Telescope)という超大口径の望遠鏡の建設が,住民の反対運動で進展していないようなことも起きています。また,コンピュータの発達で,処理するデータも膨大なものとなっています。
 科学の発達は,本来,人の幸福のために役立つものでなければならないのですが,どうやら,それ以上に,人の好奇心が勝ってしまうこともあるようです。なかなか難しい問題です。私は,人間の知的好奇心を満たす学問がこの先どうなってしまうのかといったほうが興味があります。
 それは,もし,TMTが建設されたとしても,そして,その機材で新たな発見がされたとしても,人はそれでは満足できず,また,それ以上に多くの謎が生まれ,さらに巨大な観測機材が欲しくなるからです。しかし,それも地球規模を越えるとなると,そろそろそれもまた,限界に近づいているような…。
 人類は,一体,何を求めているのでしょう。

 しかし,最新式の観測機材は,もはや,超巨大なコンピュータという感じで,昔のもののような機能美とか品格といった,いわば,伝統建設や芸術を見るような美しさがなくなってしまいました。そこで,私は,最新の学問よりも,使い古された,古きよき時代の天文台を古代遺跡を巡るように見ることのほうがずっとおもしろく興味があるのです。
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 少し話が逸れてしまったようです。
 ともあれ,次回から,私が見ることができたオーストラリアの天文台について順に紹介していくことにします。


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 今日は,海外旅行に出かけたときの朝食についての話題です。
 おそらく,多くの人にとって海外旅行というのはツアーで行くものでしょうから,ホテルでそれなりの朝食が提供されることでしょう。ただし,多くの場合,というか,ほとんどはバイキング形式です。とはいえ,日本のホテルのバイキング形式とは違い,なぜか広くゆったりとしているので,特に問題はありません。
 バイキング形式という和製英語の由来については前回書きました。

 私の場合は,まずは安価であるということを優先して適当はホテルを自分で探すので,ツアー旅行ご用達の豪華なところに泊まることはめったにありません。そこで,朝食が問題となります。
 一般に,最も食文化が貧困なのはアメリカです。アメリカでも高級ホテルのことは泊ったことがないので知りませんが,私が選ぶようなモーテルでは朝食のサービスがないか,あっても,パンとコーヒーということが多いです。まれに,そこに卵やらソーセージといったもの,さらには,奇跡的にフルーツが提供されることもありますが,それでも野菜はほぼ期待できません。
 パンとコーヒー程度の朝食が準備されていて,それで朝食込みと書かれてあると,ちょっとなあ,と思うのですが,これもまた,いかにもアメリカらしい話です。しかし,そんな朝食なら,マクドナルドで朝食をとったほうがずっとマシだと思うことも少なくありません。マクドナルドもまた,アメリカの場合,日本よりもずっと広く,ソフトドリンクはお代わり自由,また,サラダは量が多いのでむしろいいのです。

 それに対して,ヨーロッパのホテルの朝食は,セルフサービス形式ではありますが,日本と同じように,さまざまな種類の食べ物が並んだ朝食が提供されることが多く,しかも,日本のような混雑もないので,きわめて快適です。
 それは,アメリカにくらべてヨーロッパのほうが食文化が豊か,ということもあるのでしょうが,私は,ヨーロッパではモーテルのようなところに泊まったことがない,という違いもあるのかもしれません。

 また,B&B,つまり,Bed and Breakfast という形態の宿泊施設もあって,これは,ベッドと朝食という名前の民宿ですが,そこでは,夕食は提供されませんが,けっこう豪華な朝食が提供されますので,これが楽しみとなります。およそ,B&Bは数部屋だけの場合が多いので,宿泊者全員が一同揃って朝食が提供されるということもあり,この場合,楽しくおしゃべりをしながら朝食がたのしめたりするので,いい旅の思い出ができます。おそらく,もっとも優雅な旅というのは,できればB&Bに泊まって,そのオーナーや同宿の人たちとコミュニケーションをとる楽しみにあったりするかもしれません。日本でも,京都などで,コロナ禍以前に外国人観光客が多く滞在した民泊,というのがこれにあたるでしょう。

 ちなみに,今日の最後の写真は,少し趣向が異なり,これは,飛行機のビジネスクラスで提供される朝食です。これもまた,着陸前のひととき,これからはじまる旅のモチベーションを高めてくれます。

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 国内の旅も海外の旅も,旅先での朝食がもっとも楽しみであり頭を悩まされるものです。
 日本の旅館で,部屋で朝食のサービスがあるときは,日ごろ食べないほどの量の和食が出ます。私は日ごろはパンとコーヒーといった朝食なので,ときにはこうした朝食もいいものだと期待しています。また,ペンションなどに宿泊したときは,気の利いた洋食が出ることがあり,これもまたすてきです。

 それに対して,私がもっとも避けたいと思うのは,バイキング形式の朝食です。
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 バイキング形式というのは和製英語で,英語ではビュッフェ(Buffet)といいます。ビュッフェの語源はフランス語で,セルフサービス形式の食事のことをいいますが,必ずしも食べ放題ということではありません。しかし,私が経験した多くの場合,およそ食べ放題です。 一方,日本ではバイキング形式というと食べ放題という別の意味が含まれています。
 バイキング形式は,1957年,帝国ホテルの社長であった犬丸徹三さんが,旅先のデンマークで食べ放題サービス「スモーガスボード」(smorgasbord)を日本に持ち込んだのが最初ということです。帰国後,北欧に対する当時の印象や豪快に食べる様から,サービス名を「インペリアルバイキング」と名づけたことが発端となりました。
  ・・・・・・

 特に,大きな旅館やホテルでは,手間がかかるからなのでしょう,多くの場合,こうしたバイキング形式の朝食が提供されます。食事だけを考えれば,好きなものが食べられるし,量も自分の自由だから好ましいのですが,他の多くの人たちと一緒,しかも,自分のまわりをお皿をもった人が移動したり,中にはマナーの悪い人がいたりして,落ち着きません。
 私は,地方都市に出かける必要があるとき,「東横イン」を利用することが少なくないのですが,「東横イン」最大の欠点は,エレベータが少ないので朝混み合うということと,バイキング形式で提供される朝食です。ホテルはあれをサービスと思っているのでしょうが,ただでさえ狭い場所でひしめき合って朝食をとるというのは,まるで餌で,楽しいものではありません。そこで,私は,食べずにチェックアウトすることが多く,そのくらいなら,朝食は別料金でいいのになあ,といつも思います。せっかく旅に出るのだから,豪華でなくとも,落ち着いた状態で朝食を楽しみたいものです。

 そのような朝食なら,むしろ,吉野家で朝定食を食べたり,マクドナルドで朝マックをするほうがずっと気楽です。
 吉野家の朝定食といえば,私が時折食べたくなるのが玉子かけごはんです。
 あったかなご飯に生卵,そして納豆,というのは,きわめて日本らしい朝食ですが,私はなかなか食べる機会ないので,そんな気分になると出かけます。
 あるいは,朝マックで提供されるパンケーキです。マクドナルドは,海外でも同じようなメニューがありますが,ハワイのマクドナルドには,写真のようなご飯メニューがあります。これは単にハンバーガーの代わりがご飯になっているだけのものですが,このご飯は,お世辞にもおいしいものではありません。それでも,ひさしぶりにご飯が食べたいなあ,などいう気持ちになったときには重宝します。
 とはいえ,ハワイでこの朝食にどれだけニーズがあるのか,私にはわかりかねます。おそらく日本で販売しても,全く売れないでしょう。せめておにぎりなら,という感じでしょうか。

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 自宅から徒歩で5分くらいのところに映画館があるので,平日の夜「気に入った映画」があると,ときどき見にいきます。「気に入った映画」というのは,映画は楽しめるものでないと,と思っているので,ワクワク感があって,見終わたあとで不快にならないものです。また,私の映画館への条件は,空いている館内で,最後列の真ん中に座って,こころおきなく楽しむことができることです。
 ということで,先日公開された「沈黙のパレード」を9月29日に見てきました。
 少し待てばおそらくFODで見ることができるから,どうしようかと迷っていたのですが,やはり見たくなって出かけました。観客は10人程度。最後列に座ったのは私だけだったので,座席は条件どおりで満足できました。さて,作品は期待どおりだったでしょうか?

 「沈黙のパレード」は,テレビドラマ「ガリレオ」の劇場版です。
 テレビドラマ「ガリレオ」は,東野圭吾さんの推理小説であるガリレオシリーズを原作として,福山雅治さんが主演したものです。また,テレビドラマの劇場版としては,これまで,「容疑者Xの献身」「真夏の方程式」が上映され,今回の「沈黙のパレード」は第3弾になります。
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 福山雅治演じる変人だけど天才的頭脳を持つ物理学者・湯川学が, 不可解な未解決事件を科学的検証と推理で見事に解決していく,大人気・痛快ミステリーシリーズ。
 映画第3弾となる今作では, 柴咲コウ演じる,湯川のバディ的存在の刑事・内海薫と,北村一輝演じる,湯川の親友で内海の先輩刑事・草薙俊平が9年ぶりに再集結!
 「ガリレオ」の醍醐味ともいえる,3人の絶妙なやりとりがスクリーンに帰ってきます!
  多数の登場人物すべてに繊細な人間模様が描かれ,その絡みあう群像劇と二転三転する展開に一気に引き込まれる極上エンターテインメント。
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というのが,公式な映画の紹介です。

 クールな物理学者,しかし,実は情熱を秘めていて,難事件を知的に解決するという設定が,私は好きです。
 「沈黙のパレード」は,犯人であろうと想定される人物がかなりの「ワル」で,冒頭からとても不快な設定で登場し,被害者家族に嫌がらせをします。そこで,つねに,いつ,またどんな悪だくみを企てて登場するのだろうとハラハラしながら見ていたので,せっかく前半の見せ場であるはずのパレードシーンが楽しめず,それが少し残念でした。また,湯川先生も,テレビドラマの「クールな物理学者・湯川先生」という性格とは少し違ったふつうの人間味のあふれる感じの大学の先生を演じていて,その違いに戸惑いました。さらに,私にはかっこいい若手の学者さんという感じだった福山雅治さんが,画面でアップになると,齢をとったなあ,と思わせる顔つきだったのも,ちょっとショックだったのですが,これは仕方がありません。
 私は,予備知識もなく,あらすじ
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 湯川学のもとに,警視庁捜査一課の刑事・内海薫が相談に訪れました。町の人気者の娘が行方不明になり,数年後に遺体で発見された事件。その事件の犯人と思われる男は,別の少女殺害の事件で無罪になった経歴がありますが,当時,その事件を担当していたのは,内海の先輩刑事・草薙俊平でした。
 今回もその男は証拠不十分で釈放されてしまいなぜか娘が住んでいた町へと戻ります。
 男は,事もあろうに遺族たちを挑発し,町全体を覆う彼への憎悪…。
 迎えた秋祭りのパレード当日,その男が死亡。そして,事件に関わりのある全員に殺害する動機が…。
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も知らず,原作も読まずに見にいったので,展開がまったくわからなかったのですが,見ているうちに,これは,アガサ・クリスティーの「オリエント急行殺人事件」のように,全員が犯人,という結末なのかな,と思ったりもしましたが…。

 「沈黙のパレード」のテーマは,「法で裁けない犯人に鉄槌を下すその思いに共感する人達が殺人を犯す」というものだそうです。東野圭吾さんの作品らしく,最後に思いがけない展開が待っていたのですが,どんな結末であれ,この映画で描かれた事件が,もともと切なく,だから,どう解決しても救いがないことだけが,私にはひっかかりました。それは,この映画が,ヒューマンドラマ的な要素が強く,「ガリレオ」の常套である「エンタテインメントな部分と物理のトリック」を期待すると少し違和感を覚えることが理由だったからでしょう。そこで,それを期待して見にいった人には,この事件なら何も「ガリレオ」でなくてもよかった,という批評が生まれます。私も,そうしたことは感じましたが,映画という2時間の非日常を十分楽しむことができました。
 9月17日にテレビで放送された,映画の宣伝を兼ねたであろう「ガリレオ 禁断の魔術」とともに,久しぶりに「ガリレオ」の新作をふたつも見ることができて,お腹いっぱいになりました。

Q-I


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 「2リア3ランド」の想い。オーストラリアのことを書いていたのですが,「男はつらいよ」や「クリムト,エゴン・シーレとウィーン黄金時代」(Klimt & Schiele: Eros and Psyche)を見たことから,途中でオーストリア・ウィーンをとりあげていたのですが,まだ,オーストラリアについて書き足りないので,再びオーストラリアに戻ります。
  ・・
 私は,コロナ禍以前のここ数年,オーストラリアに毎年のように出かけていました。目的は星見だったので,常宿のあるバランディーン(Ballandean)へ行くための最寄りの空港で成田から直行便のあるブリスベン(Brisbane)に何度も降り立ちました。しかし,いつも直接レンタカーを借りて郊外まで行ってしまい,ブリスベンの市街地を観光したことがありませんでした。
 星見でオーストラリアに行くまで,ブリスベンという都市の存在自体,私はまったく知らず,オーストラリアで知っていたのは,遠い昔に行ったメルボルンとシドニーくらいのものでした。それにしても,今考えてみると,私がオーストラリアで星見ができたこと自体が奇跡的なことでした。何かのきっかけでバランディーンのゲストハウスを紹介されていなければ,行くことすらなかったのです。不思議なものです。そしてまた,ブリスベンという都会を知ることもなかったことでしょう。
 何度も行くうちに,一度,ゆっくりとブリスベンの市街地を巡ってみたいと思うようになって,2019年に決行しました。それがまあ,すばらしいところだったこと。旅で訪れてみたいところは数多くあれど,住んでみたいと思うところはそれほどありません。ブリスベンは,私が住んでみたいと思う都会のひとつです。

 今日の写真は,2019年に写したブリスベンですが,ブリスベンは,人口が百万人を超える,シドニー(Sydney),メルボルン(Melbourne)に次ぐオーストラリア第3の都市であり,また,2032年の夏季オリンピック開催都市です。
 この都市は非常に美しく,とても過ごしやすそうなところでした。 
 まず,中央に流れるブリスベン川が広々としていて,船から観光をすることができました。また,ブリスベン川のほとりはずっと公園になっていて,さまざまなレストランがあり,夕暮れに散歩をするとすばらしい景色が広がっているのです。少しだけ大阪に似ているかな。しかし,広々とした感じは,比べようがないほど,ブリスベンのほうがすてきです。また,ダウンタウンには,きれいなレストランやモールなどがあって,ゆっくりと散策することができます。カジノもあります。
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 オーストラリアとアメリカとの違いは,オーストラリアのゆったり感がなにより代えがたい魅力だということです。アメリカと違って,あまり刺激がある国ではないのですが,いつもなにがしか緊張していないと不安になるアメリカとは違って,オーストラリアではこころからのんびりと過ごすことができます。そんな魅力と英語圏であるということで,コロナ禍以前は,オーストラリアにワーキングホリデーで行く日本の人も少なくありませんでした。
 しかし,実際のところ,ワーキングホリデーの機会が終わったあとでそのままオーストラリアに定住することは容易ではありません。それは,日本に,技能実習生という名目で実際は労働力として雇われる外国人と同じようなものだからです。
 「親ガチャ」ということばがありますが,それよりも私はむしろ「国ガチャ」だと思うわけです。さまざななきれいごとを並べても,実際は,生まれた国によって,決定的な差があるのです。


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