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これまで幾度となく断捨離と書いてはいたものの,実際は新たに何かを買わない,ということをしていたくらいのものでした。しかし,このたび,正真正銘の断捨離をすることになりました。ことの発端は引っ越しです。
家は買うものではなく借りるもの,という思想の私ですが,38年住んでいた賃貸マンションも,私とともにガタが来ていたので,近くによい「出モノ」があったのを機会に思いつき,衝動的に引っ越すことになりました。引っ越し先は今住んでいるところから徒歩1分の分譲賃貸マンションです。
これまで引っ越しに二の足を踏んでいたのは,ひとえに,私が長年にしてため込んできた膨大な量の本やら写真をどうするのか,ということでした。それが,突然の引っ越しの決定で,ついに,何とかしなくてはならなくなったというわけです。
そこで悟ったのは,60歳を過ぎた今引っ越すということは最高の選択であり贅沢な決断だということでした。もう10年若かったらそうはいきませんが,この齢になると,過去への執着心も,未来への可能性もまったくなくなったので,何もかもを捨てられるということです。そこで「命以外は皆捨てる」というほどの決意で断捨離をすることにしました。
私の生きてきた時代は,デジタル化以前だったので,たとえば,新聞のスクラップだの,写真のフィルムだのといったものが山ほど保存されて手元にあります。また,今のように個人情報が叫ばれていなかったので,名簿の類がたくさんあります。また,さまざまなものが今より豪華で,重いのです。
そうしたものの数々が押入れの奥深く眠っていて,それらを取り出していくと,まあ,あるわあるわ,果てしなく,いろいろなものが出てきます。
考えて見れば,アルバムなんて,本人以外は何の想い入れもないものです。たとえどこかに置きっぱなしにしておいても,だれも持っていかないでしょう。所詮,それだけのものだと気づきました,それらは,もう少し若ければ感慨深いものなのでしょうが,今や,昔の写真を見ても,そこに写っているのが自分だという認識すら薄れてしまい,また,その写真から何かを思い出そうとしても,それもほとんど記憶にないのです。
また,CDで音楽を聴かなくても,今や,インターネット上にほぼすべてのものを探し出すことができます。また,本の類は,一度読んだきりでそれ以降手に取ったこともないものがほとんどです。そうしたものは保存しておいても,この先もまた見ることはないでしょう。
ということで,これからは,将来だけを考えて暮らすことにして,過去はすべて捨て去るのがいいと決めました。そしてまた,この先は,何も形として残さないほうがいいとつくづく思いました。
それにしても,長年,こうしたものを貯め込んでしまうと,引っ越しは大変です。
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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは