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2022年も最後の1日となりました。世の中はいろいろとかまびすしいようですが,ほとんどニュースも見ないで,マイペースでやりたいことをやって生活しているので,私はいたって平和です。
1年を思い返すと,いろんなところに行くことができて,とても充実していました。とはいえ,自分でも思いもよらず,年末に突如引っ越しをすることにした,というイベントがあって,それを決めた11月からあっという間の2か月となりました。そのおかげで,本格的な断捨離ができました。モノがないというのはこれほど気持ちがいいものか,としみじみ感じました。
さて,引っ越しのための断捨離もほぼ終わり,最後に残ったのが,住所変更でした。これがまあ,大変というよりも,社会の縮図を見ているかのようで,とても興味深いものでした。
「インチキ富裕層」の私は,銀行や証券会社に口座だけはたくさんあるので,それらのすべてで住所変更をする必要がありました。しかし,自分で選んだ金融機関ならまだしも,亡くなった父親から譲り受けた中には,私にはまるで理解不能なものも存在しました。今日はそんなお話です。
今や,多くの金融機関は,インターネットで住所変更が完結するので,とても便利です。しかし,住所変更の方法が金融機関ごとに異なっていて,とても簡単に変更ができるところから,意味もなく複雑なところまでありました。これらは,要するに,アプリを開発する人の能力の差でしょう。こういうことから契約する金融機関の実態がわかるのです。
以前,アメリカで交通事故に遭って,生命保険を受け取る機会があったのですが,そのときもまた,手続きがとても簡単な会社と意味もなく複雑な会社がありました。そのとき思ったのは,保険というのは,まさかのときの手続きが容易な会社を選ぶべきだということでした。
インターネットで手続きが完了しないいくつかの金融機関は,実際に出向く必要がありました。店内で手続きをしながら感じたのは,金融機関ごとにその職場の雰囲気の違いでした。もし,就職するのなら,ここはいいなあ,とか,こんなところはいやだなあ,などと思っていました。
なかでも最悪だと思ったのは,ある証券会社でした。
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私は,その証券会社に口座はなく,自分では絶対に利用しないところでした。どうしてそこに口座があるかといえば,親から受け継いだことが理由です。その会社はむやみやたらと電話をかけてくるという旧来の手法を未だにやっていて,かなり迷惑でした。そこで,これを機会に私の使っているネット証券会社にその証券会社の株をすべて移管して,口座を解約しようと考えました。
窓口に行ってたまげました。今どき,株の売買など,インターネット証券で事足ります。何十年も前のように,証券会社に出向いて,相場を眺めながら株の売買をする,というような姿こそさすがになくなりましたが,私が訪れた証券会社は,未だにインターネットすらまともに機能しておらず,顧客と大きな声で電話でやり取りをしていました。
そもそも,そんな会社が未だに存在することが私には冗談としか思えませんでした。まるで昭和に逆戻りしたような感じでした。私の担当になったという新入社員は,上司から,その旧来の方法を指南されているようでした。こりゃだめだ,と思いました。おそらく,そんな会社で何年仕事をしようと,全くつぶしは効かないのです。これは過去の遺物です。私は,絶望的な気持ちになりました。
それにしても,今回,住所変更をしてわかったのは,この国の会社は,とても近代的なところと,古いままのところが混在しているということです。おそらくそれは会社に限らず,学校でもマスコミでも同じことでしょう。
日本という国は元来が保守的で,新しいことを導入するのが苦手で,一度決めたことは変えられないのです。変えたときに失敗して責任を問われたくない,それだけなのです。だから責任逃れのやったふりが蔓延するのです。
世界が日本だけならそれでもいいでしょう。しかし,世界は急速に変化し,今やAIを駆使してすべてのことが変貌しています。ChatGPTなるものを利用すれば,AIと人間がチャットをしてプログラミングをしたり,論文を書くことすらできるのです。
今の日本は,黒船が来たころの日本と同じです。そのころとの違いは,この国には若者がいないということです。「逃げ切り」だと自負する老人と新興宗教に毒された政治屋ばかりなのです。
これでは,日本は世界からどんどん遅れていくのも無理はないと思いました。
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12月30日の夕方は
金星と水星が並んだ。
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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは